駒澤大学を 選んだ理由

駒澤なら強くなれる。監督を信じて進学を決意

──中村選手は、高校時代から長距離選手として全国で活躍されていますが、駒澤大学を進学先に選んだのはどんな理由からですか?

中村 匠吾(以下、中村):高校の陸上部の先輩で、目標にしていた高林祐介さん、井上翔太さんが駒澤で活躍していたことが大きいですね。大学なら駒澤、そうでなければ実業団に進んで、将来はマラソンに挑戦したいと考えていました。初めて監督にお会いしたのは、僕が高校2年生の時でしたよね?

大八木 弘明(以下、大八木):そうだな、高校に訪ねて行ったんだったな。

中村:お会いして監督と直接お話しして、本気で僕を強くしてやろうと思ってくださっているのが伝わってきました。その時、この監督を信じて駒澤で頑張ろうと決めたんです。

──入学して、駒澤大学の陸上競技部の良さはどんなところだと感じましたか?

中村:上級生に日本でトップクラスの学生ランナーがいて、1年生の時からその先輩たちに追いつきたいというモチベーションを持てたのは、とてもプラスになりましたし、自分が強くなれた要因だと思っています。それに、駒澤は練習量が多く、監督の指導で学生時代にスピードとスタミナの両方をうまく伸ばせたことが、今のマラソンの走りにも繋がっています。

大八木:自分で言うのもなんですが、選手一人一人に対して面倒見がいい大学だと思います。私の妻が寮母として栄養管理もしているので、家族のようなチームなんです。中村との付き合いももう、なんだかんだで9年? 9年間、だいたい毎日顔を合わせてるよな。だからもう親子みたいなもので、普段はわざわざ二人で話すこともそんなにないんですよ。

在学中の 思い出

悔しさ、苦しさを乗り越えてトップランナーに成長

── 大学では、どんなことが印象に残っていますか?

中村:高校時代より練習量が格段に増え、最初の2年間は練習についていくのが精一杯。故障や貧血にも悩まされて、大学の練習に慣れるまでは本当に大変でした。

大八木:そうだった、1、2年はものすごく苦労したな。同じ練習をしても中村はほかの選手より疲れがとれにくく、しっかり練習できる体力がつくまでに時間がかかりました。本格的に強化を始めたのは、3年生になってから。1年生の時から能力はあるなと思っていたんだけどな…。そういえば、1年生の時の全日本大学駅伝の6区は、お前も悔しかったんじゃないか?

中村:はい(苦笑)

大八木:6区は、その年まで10年連続で駒澤が区間賞を取っていたんです。そこへ「この子は強いから、いい走りをしてくれるんじゃないか」と思って、まだ1年生の中村を起用した。でも中村は区間賞を取れなくて、11年目で途切れたんだよな。

中村:6区はエース級が走る区間ではないんですが、駒澤は勝負を決める区間と考えて、毎年強い選手を入れていました。その時の僕は、トップを独走している状態でたすきを受けたので、ただ繋げばいいだけだったんです。でも、1年生の自分にとっては「10年連続区間賞」がものすごいプレッシャーで…。

── その起用は、監督の期待があってのことですよね

大八木:もちろん。6区には、それまでも何度か「これから駒澤のエースになっていくだろう」という1年生を起用してきました。中村はプレッシャーも感じたでしょうし、走り終えた後は「申し訳ない」「悔しい」という思いもしたでしょう。この時に限らず、中村は大学時代、悔しい思いや苦い経験をしたことが何度もあるんです。けがも多くて、つらかったよな。

中村:はい。一番大変だったのは4年生の時です。キャプテンとしてチームを引っぱる立場だったのですが、夏前に故障してしまった。駅伝の成績の鍵を握る大事な夏合宿にも、万全な状態では参加できなかったんです。

大八木:あの時は歯がゆかったと思うよ。中村は口数が少ないから、背中で引っぱっていくタイプ。それができない悔しさはあったんじゃないかな。

中村:そうですね。4年生なので駅伝にかける気持ちが強かったですし、それまで見てきたキャプテンの先輩方のように、前でしっかりみんなを引っぱりたいと思っていたので、落ち込みました。多少無理をしてでも練習したいと思いながら、将来日の丸を背負う選手になるために、気持ちを抑えて休まなければならないとも考えていました。いろいろな思いを抱え、葛藤しながら過ごした1年でしたが、良い経験ができたと思っています。

大八木:いろいろなつらさ、苦しさを乗り越えて、1年1年成長していった。それがあったからこそ、大学駅伝の重要な区間で区間賞を取れたし、マラソンで東京2020大会の代表にもなれたんだと思いますよ

監督との絆

2人の「本気」が切り拓いた東京2020大会への道

── 二人三脚で東京2020大会を目指すようになった時のことを教えてください

中村:東京2020大会が正式に決まったのは、僕が大学3年生の時でした。ちょうどその頃から試合で結果が出始め、「監督の指導で強くなれた」という確かな実感がありました。そこで監督に「オリンピックを目指そう」と誘っていただいて、お願いすることにしたんです。

大八木:「俺と一緒にオリンピックを目指してみないか」と言ったら、中村はやる、と。25年間駒澤で学生を指導していますが、一緒にマラソンでオリンピックを目指した選手は、藤田(敦史コーチ)と中村の2人だけです。オリンピックを目指すなら、選手と指導者に本当の信頼関係があり、お互いの思いが一致していないとうまくいきません。それも、選手が指導者を好いて、この指導者とやりたいと思うことが大事。私が一方的に「やろう」と引っぱっても、選手が「監督は厳しいからイヤだな」と思っていたら、絶対にうまくいかない(笑)

中村:何年も一緒にいるのですが、ずっと情熱を持ち続けてくださっているので、それが何よりも心の支えになっています。学生と私の両方を指導するのは大変だと思うのですが、監督は現場を大切にされていて、忙しくても必ず練習を見に来てくださいます。私が大学から離れた場所で練習していると、車でパッと来て、練習を見て、とんぼ帰りすることもあるんです。本当に熱心に指導してくださるし、だからこそ、信じられる。監督の情熱に惹かれて、ずっと一緒にやらせていただいています。

大八木:中村には、自分でやると決めたら、それに向かって本気になって挑んでいく強い気持ちがあります。マラソンの指導は、選手一人一人の体力や体質に合わせて、練習メニューや試合へのコンディション作りを考えます。藤田を指導した時とは全く違う、中村のための強化方法を新しく考えていかなければいけない。私も指導者として中村に勉強させてもらっています。

2020年へ向けて

まずメダル。そして一つでも上の順位を目指して

── 大学卒業後も、中村選手は大八木監督の指導を継続して受けていますね

中村:はい。所属する富士通の理解をいただき、駒澤を拠点に監督の下で練習しています。オリンピックは決して簡単に出場できるものではないですし、大学卒業後、新しい環境で一から練習していくより、監督との練習を継続して、積み重ねてきたものを活かしたいと考えたんです。

── 東京2020大会の代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」では、ゴールした中村選手と大八木監督が抱き合って喜ぶ姿が印象的でした

大八木:駒澤で指導者になって25年間、何百人も学生を育ててきましたが、最終的な目標はずっと「オリンピック選手を育てること」だったんです。だからあの時は、嬉しかったですね。

中村:ゴールした後、やっと監督が「良かったなあ」って褒めてくれたんですよね。監督は褒めるより叱咤激励するタイプなので、今まで9年間、ほとんど褒められた記憶がないんです。駅伝で区間賞を取った時でも「後ろの選手をもっと離せただろう」と言われましたし…(笑)

大八木:昔からあんまり褒めたことないからねえ(笑)

── 最後に、東京2020大会に向けて、今の思いをお聞かせください

大八木:出場することだけが目標じゃない。出場して、メダルを獲ることが目標です。残された時間は短く、ここからが大変な時期。しっかり体調を管理し、計画を練り、二人でメダルに向かって練習していきたいと思います。

中村:まずメダルを目指して、さらに一つでも上の順位でゴールしたい。少しでもレベルアップして本番を迎えられるように、集中してしっかり準備していきます。オリンピックだからといって、ほかの試合とやることは変わりません。僕のことを全部分かってくださっている監督を信じて、今まで通りやっていきます。

  • 大八木 弘明

    HIROAKI OYAGI

    1958年7月30日生まれ
    陸上競技の元選手でマラソン・中長距離選手の指導者。
    福島県河沼郡河東町(現・福島県会津若松市河東町)出身。
    駒澤大学陸上競技部監督、関東学連駅伝対策委員会メンバー。

  • 中村 匠吾

    SHOGO NAKAMURA

    1992年9月16日生まれ
    三重県四日市市出身の陸上競技選手。
    専門は長距離走・マラソン。
    上野工業高校(現・伊賀白鳳高校)、駒澤大学経済学部経済学科卒業。
    富士通陸上競技部所属。

interview:2019.12.2