2013年6月15日掲載(2015/11/30一部修正)


地図を描き換える仕事

茨城県ひたちなか市
企画部長 鈴木 隆之 さん

1978年文学部地理学科卒業
同年茨城県勝田市役所入庁
2013年6月現在ひたちなか市企画部長  

 今から3年前,当時,課長をしていた企画調整課は市政の方針づくりから,企業誘致や公共交通も担当していた。その公共交通担当者から「今度,駒沢大の地理の方々が,市の公共交通施策について聞きたいということで,いらっしゃりたいそうなんですが」の報告に,おもわず口をついて出た「巡検か?」の一言に,課員一同「???」。30数年ぶりながら覚えてるもんですね。以来,土’谷先生には貴重なアドバイスをいただき,さらに今年は「地域公共交通連携計画」の改訂作業があり,これにも土’谷先生をはじめ,全国の交通地理学の専門家にアドバイスいただけることとなった。駒澤地理のおかげである。

 私は,今はない北海道教養部出身で,2年間を岩見沢で過ごした。生まれて初めての北海道,未だに一面黄色く染まった菜の花の丘が脳裏に浮かぶ光景である。同期には,後に駒大岩見沢高を甲子園へ導いた名監督佐々木啓司がいた。彼のおんぼろ車であちこち出かけたのが思い出される。守屋以智雄先生のちょっとはにかんだ少年のような面影と,熱き心のこもった地形学の授業が思い出される。

 東京の駒大本校へ戻っても,アルバイトをしながら卒業必要単位をとり,あとは卒論。写真が多くなったが書き上げた卒論を前にして,指導教員の小池一之先生が一言「君,就職は?」,「はあ,いちおう地元の市役所に受かりました」の私の返事に,少し驚いた小池先生の顔が印象に残っている。何とか合格をいただき,無事卒業となった。

 昭和53年合併前の勝田市役所に入庁し,最初の配属先は区画整理課に決まった。当事の勝田市は,学校や道路・公園などの公共用地をまず先に借りておいて,後から区画整理の換地方式で借地を解消する「勝田方式」なる手法を元に,区画整理を大々的に進めており,全国的にも注目されていた街であった。土地や建物が絡むから,地図書き・図面書きは常なる仕事だが,いちおう地理を学んだぐらいだから地図や図面には抵抗感は全くなかった。そして,測量,当時は新しい道路を造ったり,建築物移転のための目安となる暫定の境界杭は,市の職員が直接打っていたが,地理学科卒なのでこれも問題なかった。

 以来,通算28年, 「地図を描き換える仕事」であると言いながら,区画整理をライフワークとして担当してきた。

 よく考えてみれば,市町村の仕事は都市計画はもちろんのこと,地域公共交通や観光施策,農商工水産業から地震や津波の災害対策まで,全ての仕事が地理学に結びついている。地域を少しでも良い方向へ向ける手助けを,地理学専攻の方々にこそ是非お願いしたいと考えている。


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