ブータン便り NO.2

江口 卓

 2回目のブータン便りは、6月の話題から3つお届けします。

 1つめは、6月2日の「社会林業の日」についてです。6月2日は、2006年に引退した第4代国王の戴冠式の日にあたります。森林の保護に熱心であった第4代国王を記念して、この日が「社会林業の日」と決められました。ブータンでいう社会林業とは、簡単に言うと、家族単位で森林を育成していくとことであり、この日は国内各地で植林がおこなわれました。また、農林大臣と森林局長から国民へメッセージが送られました。

 ブータンでは、現在、森林面積が国土の72.5%(1995年統計)に達し、また植林によって森林面積は増加傾向にあります。憲法によって、国の自然保護のために最低60%が常に森林に覆われていることが規定されており、森林の保護育成に力を入れています。伐採に関してはたとえ民有林であっても国の許可が必要とされ、国内の幹線道路の主要な分岐点には、森林局のチェックポストがあり、違法伐採に目を光らせています。

 私が所属している研究所は森林局の管轄下にあるので、当日は、朝から所長のあいさつと農林大臣および森林局長からのメッセージが読み上げられた後、所内で植林を行いました。

 2番目は、大雨の話題です。ブータンでは6月9日から気温が高くなり、ティンプーでも25℃を超えるようになりました。その後、しばらく好天が続いたのですが、6月17日ごろから雨がよく降るようになり、6月26日から27日にかけてブータン各地で大雨が降りました。首都のティンプーでも、26日の夜から27日の夕方まで雨が降り続きました。通常だと、雨が降っても、1日中降り続くことはないのですが、27日は、朝から夕方まで雨が降り続き、ブータンに来て初めての体験でした。ブータンの新聞は日雨量が地域によっては200oに達したと伝えています。ティンプーの観測データが手元にないのですが、ティンプーでも総雨量としては70-80mmぐらいになっていたと思われます。原因は、ブータン南西のインド平原上に低圧部があって、ブータンにベンガル湾からの南風が継続して流入したことによると考えられています。

 ティンプー市内を流れる川も増水し(写真1,2)、国内各地で土砂崩れが起こりました。ティンプーから南の国境にあるプンツォリンまでの幹線道路(日本でいうと国道1号線に当たる)も土砂崩れで1日通行止めになりました。大雨が降るたびに、南北に走る幹線道路が通行止めになります。1日で復旧してよかったと思います。長引くと、インドからの輸入品が手に入りにくくなったり、値段が上がってしまうので。

写真1 大雨の降る前の2010年6月26日朝の様子
アパートのベランダから西南西側を望む。ここは、ティンプー市街地を流れる川が右手から、研究所のあるユシパンの谷を流れる川が左手から合流する地点に当たる。写真の奥が下流になります。
写真2 大雨の降った後の2010年6月27日夕方の様子
ちょっと見にくいですが、写真1(前日の朝)と比べると、合流点付近の河原が見えなくなっており、川が増水しているのがわかります。
 

 最後に、サッカーのワールドカップはスペインの優勝で幕を閉じましたが、ブータンでもワールドカップの話題でもちきりでした。ワールドカップを熱心に見ていた人の割合は日本より高いのではないかと思います。熱心に見ているのは圧倒的に男性が多いのですが、ほかに関心をもって見るようなスポーツが少ないことも原因だと思います。ブータンでは、テレビはケーブルテレビに加入して見るようになっており、そのスポーツチャンネルで全試合が放映されました。一番遅い試合は、ブータン時間でも深夜の0時30分から始まるので、終わると2時を過ぎるのですが、予選の好試合や決勝戦など、遅くまでみていた人も多かったようです。

 ブータンのサッカーのレベルは、2002年の日韓共同開催のワールドカップの時、日本で夜に決勝戦が行われる昼間にブータンで、FIFAランキング最下位のイギリス領モントセラトとその一つ上のブータンの試合が行われ,事実上の世界最下位決定戦と言われたのは、今でも有名な話です。ブータンが勝ってランキング上位の面目を保ったのですが、低地から標高2400mの高地に来てサッカーはちょっとつらいと思います。モントセラトの選手はあまり走れなかったのではと思います。この試合の模様は、「アザー・ファイナル」というドキュメンタリー映画になっています。

 また、ブータン人が監督をした有名な映画に「ザ・カップ」という映画があります。これはサッカーのワールドカップのテレビ放映を見たい子供の僧侶を主人公とした映画です。日本でも上映されたので、見たことがある人もいるかもしれません。このように、ブータン人はサッカーのワールドカップに非常に関心が高く、特に男性は楽しみにしています。ちなみに、日本はPK戦で負けましたが、日本に留学したことのある研究員から、「残念だったね」と声をかけられました。


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