ベトナム・フエ便り NO.8

トゥンアンビーチの現在、過去、未来

平井幸弘(2012.8.14記)

フエ市民の憩いの場

 暑い夏が約5ヶ月も続くフエでは、海風の涼しさを求め、あるいは日頃のストレス発散のため、家族や友人、また職場仲間で、郊外のビーチに出かけるのが大きな楽しみのようです。そのようなビーチのなかで、フエの市街地から一番近いトゥンアン(Thuan An)ビーチは、車で約20分、モータバイクでも30分ほどで、気楽に行くことができます。私も6月と7月に、それぞれ大学の研究室仲間と、そして泊まっているホテルの従業員の慰安旅行で、トゥンアンビーチに行ってきました(写真1)。

 ビーチに行くと言っても、いずれも出発は午後2時過ぎ、浜に到着してもすぐに泳ぐわけではありません。まずは、テーブルがいくつも並ぶ大きな「海に家」で、のどの渇きを癒やします。もちろんおつまみは、新鮮なエビや貝、魚を炒めたり蒸したりしたものです(写真2)。ビールでほどよく体がほぐれたあと一休み、カードゲームに興ずるのもここでの楽しみの一つです。

 日が傾き少し涼しくなった頃、やっとビーチへ。沖に数十mほど行くともう胸くらいの水深。泳ぐと言うよりも、やってくる波にからだをまかせて漂う感じです。30〜40分ほど海水に浸かったあと、再び「海の家」でビールと軽い食事です。ここで食べるチャオ(魚または貝やエビなどと一緒に、煮込んだお粥)は、最高です。

 このような庶民の憩いの場となっているビーチから西側に1kmほどのところに、敷地面積2.8ha、長さ400mのプライベートビーチを持つ5つ星の高級ホテル、アナマンダラフエ(Ana Mandara Hue)が2010年10月にできました。各種のガイドブックのほか、ベトナムの英字紙(2012.6.1付け)の旅行コーナーでも、大きく紹介されています。

写真1 白い砂浜が広がるトゥンアンビーチ(2011年12月)

写真2 「海の家」で味わう新鮮な貝料理(2012年6月)


1999年洪水時に砂州が決壊

 ところが、現在のトゥンアンビーチ一帯は、1999年11月のベトナム中部洪水災害時に、水位が上昇したラグーンからの洪水流によって、幅約600〜700mにわたって砂州が決壊し、多くの家屋が倒壊・流失した場所にあたります(図1)。当局は、ラグーンの湖岸にある水田の塩害防止、砂州部分の交通確保のため、翌2000年12月に決壊部分を閉め切る堤防を、以前の道路より300m内陸側に建設しました。しかし、2週間後に再決壊、その後2001年のテト(旧正月)前に再び閉め切り工事をした結果、徐々に堤防の海側に砂が堆積し、そこに防風・防砂林としてフィーラオ(和名:モクマオウ)を植林し、現在に至っています。


図1 トゥンアンビーチとその周辺地区
トゥンアンビーチの内陸の黒い破線に挟まれたところが、1999年の砂州決壊部
ビーチ背後の赤いところは、砂の堆積後に植林されたフィーラオの防風・防砂林
(2009.6.30撮影のALOS画像に加筆)

 ビーチのあるトゥンアン町は、フオン(Huong)川がラグーンに流入し、東海(East sea)に注ぐ湖口(Thuan An inlet)の東側に位置しています。砂州上の5地区(図1)、およびフオン川南岸の7地区(図1では省略)から構成され、総世帯数3,875戸、人口20,424人の町です。1999年の洪水時には、町全体で死者35人、負傷者5人、倒壊・流失家屋212戸、被害家屋617戸、被災総数5,000人以上、被害総額90億VND(約3,600万円)という大災害でした(Center of Social Science and Humanity, Hue University, 2006)。とくに、現在のトゥンアンビーチのあるハイタン(Hai Thanh)地区とミンハイ(Minh Hai)地区は、砂州の決壊に伴って、それぞれ22人、8人の死者が出ました(写真3)。

 さらにその後、2003年12月までの4年間に、砂州決壊地点の西側の海岸で激しい海岸侵食が進み、5軒のホテルと5軒の民家が海の中に消えました(写真4)。

写真3 砂州決壊地点のミンハイ地区の被害状況(2000年3月)

写真4 砂州決壊地点の西側での激しい海岸侵食 (2002年2月)

ビーチの「復活」と引き続く侵食

 現在のトゥンアンビーチを訪れると、洪水前のビーチが「復活」したように思われます。しかし、その少し東側や、反対に西側のアナマンダラフエのあるアンハイ(An Hai)地区まで足を伸ばすと、必ずしもそうではないことに気づかされます。

 ビーチの東側の波打ち際から数十m沖には、かつての家屋の基礎のコンクリートが波に洗われています(写真5)。また、西側のホテルの敷地では、東屋と日傘のあるプライベートビーチが波に削られています(写真6)。また、現在のトゥンアンビーチもよく見ると、高さ1m程度の浜崖が見られます(写真1)。これらの写真は、浜の侵食が顕著な冬季(2011年12月)に撮ったものですが、現在の浜がもとの浜よりかなり狭くなっていることが実感されます。


写真5 トゥンアンビーチの東側のハイタン地区の海岸
沖合の波がくだける地点に、かつての建物の基礎が見える(2011年12月)


写真6 アナマンダラリゾートのプライベートビーチ
日除け傘のある敷地まで波が遡上している(2011年12月)

 先に「フエ便りNO.6」で、トゥンアン湖口の西側のハイズン(Hai Duong)村の激しい海岸侵食の様子をお伝えしました。その対岸に当たる、湖口東側のトゥンアン町側の砂州も、激しい侵食に見舞われています。砂州の先端部分は、軍用地で集落はありませんが、そこに最も近いハイティエン(Hai Tien)地区(図1参照)では、この5〜6年の間に毎年25〜30mほど浜が侵食されたとのことです。冬場の高波と侵食で危険なため、当局は海岸線から200m以内を居住禁止とし、その部分に居住する住民は移転させています。すでに海岸沿いにあった41戸の世帯が、2010年に同じ町内の内陸側に移転し、あとには取り壊された家屋の残骸が残されています(写真7)。

 この移転については、先のハイズン村と同様に、移転先の土地は無料で提供されるものの、新居の建築費用はその半額15,000,000VND(約6万円)が補助されます。しかし住民にとって、新しい土地で住居を再建するのは大きな負担です。指定された土地ではなく、移転対象の海岸線から200mのギリギリ内側に「FAOとイタリアのヴェネト地域からの支援で2011年5月に作られた」と記されたプレートのある小さな家もありました。

 しかし、海岸線は毎年内陸に迫っており、海岸線からちょうど200m地点にある家で、井戸の地下水を測ってみると、塩分濃度が0.03%とやや高く、飲用できないとのことでした(写真8)。その住民によると、かつて浜は幅が500mはあったと言います。地下水も、2年前までは飲用に使っていましたが、今は街から20リットル入りのミネラルウォーターをボトルで買ってこなければならないとのことでした。

写真7 ハイティン地区の移転した住宅の跡
ここでは防風林もまばらで、海岸が間近に迫っている(2012年7月)

写真8 海岸から200m地点にある家の井戸
塩分濃度が高く現在は飲用には使っていない(2012年7月)

 

海岸侵食にどう対応するか

 地元フエの新聞(2012.4.27付け)によると、砂州決壊部分の東側のプートゥン(Phu Thuan)村でも、過去5年間に17カ所の家屋が緊急移転しました。さらに今後、同村のアンズン(An Duong)地区の35 世帯も移転しなければならず、村では海面が迫ってくる前に移転できるよう、既に20カ所の移転用地を準備していると伝えています。

 一方フエ省では、2006年末、300億VND(約1億2千万円)を投資して、プートゥン村の海岸侵食の緊急対策を実施しました。その対策とは、スタビプラージュ(Stabiplage)と言うフランスの技術による―「砂ウナギ」としても知られる―海岸侵食防止のための柔らかい固着材を敷設する事業で、2007年8月に、40年間は海岸の保全ができるとの公約で、その最初の事業が完成したそうです。実際にそのスタビプラージュというものを見てみると、内径2m×2mほど、長さ数十mの細長い巨大な化学繊維でできた袋状の中に、砂をびっしり詰めて突堤として設置したものでした(写真9)。

 Stabiplage©のホームページを見ると、各地の施行前と施行後の写真を並べ、この工法が景観的に優れ、費用も安く、工期が短く、生態系にも優しいなど、いくつもすばらしい効果がうたわれています。そして、この技術が最初に施行されたフランスの”Couarde en Ro”(1986年)では、今日まで維持のための費用はかかっていないとも説明されています。

 しかし、先の地元紙によると、2007年8月に完成したホアズン港に設置されたスタビプラージュは、1年後には波によって打ち破られ、外側の層(ポリプロピレン強化ポリアミド層)の3分の2は完全に破れてしまったと伝えています。それでも、2010年に、新規に6カ所にスタビプラージュが設置され、現在当局はその効果をモニター中と言うことです。


写真9 プートゥン村の海岸に設置されたスタビプラージュ
緑色は付着した海藻類(2011年3月)


 一方、トゥンアン湖口に近いハイティエン地区の海岸の様子を、2007年6月と2009年6月のALOS画像で比較すると、この間に長さ約200mの突堤が建設され(写真10)、さらにトゥンアン町役場の話では、2010-2011年にその先に長さ100mほど、大型の消波ブロックが積まれました(写真11)。これらの工作物により、現在はその東側に砂が堆積し、ハイティエン地区の厳しい海岸浸食はひとまず収まっているとのことです。


写真10 トゥンアン町ハイティエン地区の長さ約200mの突堤
右側の奥がトゥンアン湖口を挟んだ対岸のハイズン村の海岸(2012年7月)

写真11 突堤の先に延長100mほど積まれた大型の消波ブロック
2010-2011年に設置されたが、すでに一部は崩れている (2012年7月)


 行楽客でにぎわうトゥンアンビーチの周辺では、ここで紹介したように現在も深刻な海岸侵食が進行中です。ビーチでも、よく観察すると「海の家」からは比高数mの急な斜面を降りなければ海には出れませんし、波打ち際から沖合数十mも行くと胸あたりの深さになります。

 当局は今後、総費用800億VND(約3.2億円)をかけて、湖口西側のハイズン村と東側のトゥンアン町に、それぞれ長さ600mと同400mの海岸堤防を建設する計画だそうです。しかし今後、地球温暖化に伴う海面上昇の影響で、多くの砂浜海岸ではさらに侵食が進むことが懸念されています。トゥンアンビーチ周辺の砂浜の侵食については、複数の要因が考えられ、まだはっきりは分かりませんが、IPCCの第4次報告書で予測された今後の海面上昇(今世紀末までに19〜50cm)を考慮すると、先のスタビプラージュや大型テトラポッド、海岸堤防などの構造物による侵食対策だけでは、決して十分なものとは言えないでしょう。

 またトゥンアン町では、砂州の先端に近いハイティン湾(図1のハイティエン地区の湾入部)の砂州も、再びラグーンの水位が数メートル上昇するような洪水になれば、かつてのトゥンアンビーチのように、決壊する恐れがあります。

 これらのことを考えると、砂州部分を含めたトゥンアン町全体の、より長期的視野からの土地利用計画が求められます。例えば、10年、20年〜100年という期間で、各地区の災害(海岸浸食、高潮や洪水など)に対する脆弱性を科学的に評価し、場合によっては計画的な集落移転や土地利用規制など、構造物によって住宅地と海岸を守る現在のハードな工事とは異なる、ソフトな対応策も重要と思われます。

 トゥンアンビーチを含むこの地区の将来について、地形学的視点からより長期的な対応策を検討するのが、今回の私の在外研究の目的の一つでもあります。それについては、またあらためて報告できればと思います。



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