ベトナム・フエ便り NO.9

クアンタン村の安全野菜と水問題

平井幸弘(2012.9.5記)

ベトナムの安全野菜

 フエのドンバー市場の隣にある大型スーパーマーケットの食料品売り場には、”Rau-Cu-Qua An Toan” の大きな看板の下に、色とりどりの野菜、根菜、果物が並んでします(写真1)。An Toanとは「安全」と言う意味で、ベトナムでは最近この Rau An Toan (安全野菜)という言葉をよく見聞きします。しかし、この言葉の定義は、はっきりしているわけではなく、日本での無農薬あるいは減農薬、また有機栽培などの野菜が混在しているようです。

 そこでベトナム政府は、2008年に農業農村開発省が中心になってベトナムの適正農業規範(GAP: Good Agricultural Practice)を定めました。指定された研究機関で微生物や重金属などの検査に合格し、洗浄、殺菌、包装などの施設を有し、農薬や肥料の使用状況等を記録するなどの条件を満たすと、各省の農業開発局が認証し、VietGAPマークを付して販売できる制度です。

 現在そのような取り組みが盛んなのは、首都ハノイ近郊の紅河デルタの一部と、南部のホーチミンシティーに近いドンナイ省およびメコンデルタの一部、そしてベトナム中部の標高約1500mの高原地帯にあるダラットを中心としたところです。ダラット産の野菜は、生鮮野菜のほか、加工野菜としても海外に輸出され、日本には冷凍ホウレンソウやカボチャ、カンショ、ナス、オクラなどが輸入されています。

写真1 大型スーパー・コープマートの「安全野菜、根菜、果物」売り場


 ところで近年、フエ省でもこのVietGAPの認証を受けた安全野菜の流通、販売が始まりました。私が滞在しているホテルの近くの小さなスーパーにも、安全野菜の専用売り場があります。ここの安全野菜は、おもにフエ郊外のクアンタン(Quang Thanh)村産が並べられています。

 これらの安全野菜は、一般に市場で売られている野菜に比べると少し割高のようですが、ベトナムの料理は一般に香菜ほか生野菜を食することが多く、その安全性については一般の住民にも関心が高まっているようです。フエの近郊農村で始まった安全野菜の栽培、流通、販売は、まだごく小規模な段階ですが、先に紹介した大都市志向型や輸出型とは違った、地方都市の近郊野菜栽培の事例として注目されます。

 岡山大学大学院、環境生命科学研究科の金先生はこの点に着目し、本年4月と7月にクアンタン村で現地調査を実施されました。調査は、「安全野菜栽培の取り組み」、「安全野菜の土壌と水質環境」など5つの課題について、岡山大学とフエ農林大学の教員および院生、総員19名が各グループに分かれて取り組みました。

 私は、この調査団の正式メンバーではありませんが、金先生の誘いを受け、「新しい合作社と用水管理」に関連して、村の水利に関わる話を聞き、現場を見てきました。そこで今回は、クアンタン村の安全野菜栽培と水に関わる話題をいくつか紹介しましょう。

クアンタン村の安全野菜栽培

 クアンタン村は、フエ市街地の北約7km、車で約30分の距離にある人口12,630人、水田と野菜畑が広がるフエ近郊農村の一つです。村は、フエ市を流れるフオン川の下流左岸側に位置し、村の北端部分は、タムジャンラグーンの湖岸のエビの養殖池(図1のピンク色の部分)と水面が含まれます。村内には幅約500m、比高0.5〜0.7mの自然堤防(図1の黄色)が良く発達しています。緑色の部分は後背湿地ですが、標高の違いと自然堤防の発達具合から、上位(濃い緑色)と下位(薄い緑色)の2つに分けました。このうちクアンタン村の後背湿地は、標高2.5〜2.9mの標高の低い後背湿地です。


図1 クアンタン村の位置と地形分類図
(破線で囲まれた範囲がクアンタン村,Hirai et al(2004)の地形分類図に加筆)


 この村では昔から野菜栽培が盛んで、その多くはフエ市に出荷されています。とくに村の中心部に近いタンチュン(Thanh Trung)地区には、27haの野菜畑が分布し、各農家の庭先には、葉菜を主としたきれいに手入れされた菜園が見られます(写真2)。多くの農家は、このような菜園と水田を耕作していますが、庭先の菜園はいずれも100〜200平方メートル程度の小規模なものです。しかし、野菜は年に何度も収穫可能で、市場に出してすぐに現金収入を得られることから、農家にとっては重要な収入源になっています。

 庭先で栽培される野菜は、先に延べたVietGAPの対象になってはいませんが,各農家の判断で、従来よりも除草剤や殺虫剤の使用を控えたり減らしたり、また有機肥料を利用したりしているそうです。


写真2 クアンタン村タンチュン地区の農家の庭先の菜園


 タンチュン地区には、このほか、村が2008年からプロジェクトとして取り組んでいる面積1.6haの安全野菜専用の農園があります(写真3)。この土地は,1993-94年に土地の個人への配分後も、村の共有地としての水田だったところです。

 2008年に、村内の篤農家のひとりディン氏が、主としてこの農園での安全野菜を集荷、販売する会社を作ったそうです。始めは、あまりうまく行かなかったようですが、2010年からは政府の補助もあり、現在12世帯の農家が1.6haの農園で、VietGAPの認証を受けて4種類の野菜(レタスや香菜など)を作っています。この場所は、ボー川の旧河道のすぐ脇で、地下水位が浅く、汚染されていない水が得られるため、地下水を灌漑に利用しています。しかし、ここでは基本的に農薬を使用しないために、灌漑のほか、除草や防虫にかたいへん手間がかかるそうです。炎天下、移動式の日除けの陰で、黙々と作業に励む農民の姿が印象的です(写真4)。


写真3 タンチュン地区の面積1.6haの安全野菜農園

写真4 安全野菜農園で細かく手入れをする農民


 先のディン氏の会社は、もと幼稚園として使われていた建物を改造し、ここで村内の安全野菜を集荷、洗浄、オゾン殺菌後、専用の袋に詰めて、主としてフエ市内に出荷しています(写真5)。まだ、それほど需要がないので、村のプロジェクト農園からは、各農家の生産の1割程度を、慣行野菜より1〜2割高く買い上げ、安全野菜として出荷し、残りは地元の市場にほかの野菜と区別することなく、出荷されるそうです。ここフエでは、安全野菜の栽培、出荷、販売が、まだ2年前に始まったばかりで、これからどうなるか気になるところです。


写真5 クアンタン村の「安全野菜」を集荷、出荷している会社の建物


クアンタン村の水問題

 上記の「安全野菜」栽培とは別に、クアンタン村での農業水利の現状や問題点について、関係者に聞き取りをしました。クアンタン村では、農業・用水管理に関わる2つの協同組合(合作社)があります。村の東および北部(下流側)のキムタン(Kim Thanh)組合と、西部(上流側)のプータン(Phu Thanh)組合です。

 キムタン組合は、上述のタンチュン地区を含む5集落(地区)からなり、組合員2100人、農地の総面積237haで、そのうち水田が204ha、野菜畑が33haです。

 この組合が管理する最下流の水田は、エビの養殖池に接しているため、そこから塩水の侵入によって、稲の収量が減少しているとのことです。クアンタン村の一般の水田では、300kg/サオ(約500u、籾)の収量があるのに対し、エビの養殖池に接する水田では、250kg(1期作目)〜200kg(2期作目)しかないと言うことでした。そこで組合では、その対策として、既存の排水ポンプ下流側、エビの養殖池に接する水田の端にも、新たに排水能力1000m³/hのポンプを2011年に設置しました(写真6)。今後、水田の塩分状況を見ながらポンプを稼働するとのことで、現在は写真のように簡単な覆いだけの仮設状態です。


写真6 エビ養殖池に接する水田の端に設置された排水機


 案内してくれたキムタン組合のティ氏は、排水されている水を自らなめて、塩分濃度は0.4%程度、少なくても0.2%〜最大0.6%だと断言しました。翌日、この排水機を管理している会社を訪ね、ポンプの運転状況とモニターしている塩分濃度について聞いたところ、現在の塩分濃度は2.5‰(0.25%)と言うことでしたから、組合のティ氏の舌は、かなり正確だったわけです。

 この場所の水田では、隣接するエビの養殖池(写真7)から地下を浸透してくる塩水よって、灌漑用水の塩分濃度が最高8‰まで上昇するとのことで、現在は塩分濃度が1.5‰以上になると排水ポンプを稼働するそうです。この地域の、稲の1期作目は12月10日〜4月20日、2期作目は5月〜8月ですが、このうち乾季にあたる2期作目の作付け中に、とくに塩水侵入が問題となるため、この期間にポンプを稼働させているそうです。


写真7 水田に隣接するエビ養殖池
2000年11月撮影のランドサット画像では、ここも水田だった


 一方、上流側に位置するプータン組合は、村内4集落(地区)からなり、組合員3115人、農地の総面積305ha、そのうち水田が274ha、野菜畑が31haです。この組合では、昨年の洪水で水田への取水堰が壊れたので、新しくその下流側に堰を設け、600〜700m³/hの能力のポンプ3台を有する取水施設を建設中です(写真8)。

 一方、灌漑用水の取水源であるボー川が合流するフオン川下流に、新しいタムロン河口堰が完成し(1998-2000年)、フオン川・ボー川の水位が従来より上昇しました。そのため、川の水位が水田より常に40〜50cm高くなったため、6カ所の取水口に水門を設け通常は閉めておき、2期作目が終わった8月末〜9月初旬から12月15日まで水門を開けて、水田に水(洪水)を入れるそうです。

 また、タムロン河口堰完成後は、水位が上がった川で魚の養殖が始まり、また住民のゴミ投棄、周辺農家からの畜産(養豚)排水などによって、水質が悪化しているとの指摘もありました(写真9)。


写真8 クアンタン村プータン組合の新しい堰と取水施設

写真9 クアンタン村の灌漑用水源の一つであるキムドン川(ボー川の旧河道)
住民が投棄したゴミが浮遊している


気候変動と農業、水問題

 前半で紹介したクアンタン村の安全野菜栽培については、今後、岡山大学-フエ農林大学の研究者からその成果が公表されると思います。

 一方、クアンタン村での水に関しては、上述したように、水田に隣接するエビ養殖池からの塩水侵入問題、灌漑用水源になっている河川の水質汚染や固形廃棄物(いわゆるゴミ)問題、そして毎年10月〜12月にこの地域を襲う洪水の問題など、いくつか深刻な問題を抱えています。

 このうち、塩水侵入や洪水については、今後の気候変動による海面の上昇や降水量・降水パターンの変化など、様々な問題が大きく関わってくると思われます。したがって、クアンタン村の農業や水利に関しても、排水ポンプの設置や水門改修などの個別事業に加え、先にフエ便りNo.6で紹介したラグーンの村々と同様に、今後の気候変動の影響を考慮した、より長期的な視点からの総合的な対応戦略が必要と思います。



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