ベトナム・フエ便り NO.11

水に囲まれたフエ城郭都

平井幸弘(2012.11.01記)

36の橋が架かるフエ城郭都市

 フエの旧王宮は2重の城壁に囲まれ、それぞれの城壁に沿って内堀と外堀が巡っています。そして、南西、北西および北東側の外堀の外側にも、これと並行して運河が作られ、一方南東側の外堀と新市街地との間にはフオン川が流れています。すなわちフエ城郭都市全体は、この運河およびフオン川と、第1の城壁に沿う外堀とで2重に囲まれており、さらに城郭内の旧王宮は、第2の城壁と内堀によって守られています(図1)。

 したがって、新市街地から旧王宮に行く場合、まずフオン川に架かる3つの橋1)のひとつを渡り、続いて外堀に架かる10か所の橋のいずれかを渡って、フエ城内に入ります。城内の旧王宮を囲む内堀には、全部で8つの橋が架かり、城門が4か所あります。そのうち、観光客は王宮正門に当たる南東側の「午門」からしか入場できませんので、その前の内堀に架かる小さな橋を渡って旧王宮に入ります。

 さて、ここまで全部でいくつの橋があったか、わかりますか。まずフオン川に3つ、外堀に10、内堀に8つで合計21です。この他、最初に述べた外堀の外側の運河にも、8か所に橋が架かっていますので、合計29になります。

 ところで、城郭内部のほぼ中央部、旧王宮の北西側(裏側)には、南西から北東に向かうクランク状の運河があり、ここにも5つの橋が架かっています。また、後述しますが、外堀の北端隅には、第1の城壁とは独立した星型の小さな堡塁があって、ここに渡る橋が2つあります。

 したがって、これらを全て合わせると、フエ城郭都市の周囲および内部には、合計36の橋が架かっていることになります。なお旧王宮内にも、大小の池に架かる小さな橋がいくつかありますが、ここではそれらの橋は除きます。

 フエ城郭都市は、「フエの建造物群」として世界文化遺産に登録されており、多くのガイドブックでは、二重の城壁とそこに設けられた合計14か所の城門について、それらの名前や写真が紹介されています。しかし、これらの城門を通る前に必ず渡らなければならない堀や橋については、何も触れられていません。

 実際にフエ城郭都市の内外を歩いてみると、上に述べたように数多くの橋に巡り会い、運河や堀の水面に映る橋の姿や小舟を操る人々など、まるでどこかの水郷都市のように感じることもあります(写真1)。今回は、そのようなフエ城郭都市を囲む運河や堀、また城郭都市内部のクランク状運河や大小の池沼について、紹介したいと思います。


図1 フエ城郭都市を囲むフオン川・運河、外堀・内堀と、城内のクランク状運河

写真1 フエ城内のクランク状運河に架かる橋
運河に浮かぶ小舟の向こう側にも、もう一つの橋が見える。


城郭都市全体を囲む運河

 フエ城の南東側(正面)は、先に述べたようにフオン川に面していますが、その他3方向の外堀の外側には、幅約20m〜最大60mの運河(南西側から時計回りに、コバン川、アンホア川、ドンバー川)が作られています。これらの運河は一続きで、フオン川とも南東側2か所と北端1か所でつながっています。

 この運河について、フエの歴史について書かれた本では、城郭都市建設時に、舟運のために作られたとされています(写真2)。また、南西側のコバン川および北東側のドンバー川は、風水説に基づいて王宮のそれぞれ西方の守護神である白虎、東方の守護神である青龍に擬せられたと書かれています。ただし、フエ便り(5)の追記で触れたように、別の文献では、フオン川と運河の分岐・合流点付近にあるフオン川の中洲、すなわち南西(上流)側のザーヴィエン島、北東(下流)側のヘン島が、それぞれ白虎と青龍に当たるとされています。

 いずれにしても、城郭都市全体を囲むこれらの運河は、都市をめぐる舟運の便および防衛のため、風水説に基づくフエ王宮の守護神の意味も込めて、都市建設の基盤として現在の位置に作られたのでしょう。

 ところで、そのような人工的な運河ですが、北東側のドンバー川北端部分の水路の形状は、直線ではなく自然の蛇行流路のようになっています。そしてその屈曲部には、フエ城全体を囲む第1の城壁とは独立した、星型の小さな堡塁が築かれています。ここもかつては城壁で囲まれていたそうですが、現在は城門の柱だけが残されています。ここから城内に向けてさらに橋が架かっていますが、この部分は軍隊の病院施設になっていて、立ち入ることはできません。

 この星型の堡塁については、「下流の海(ラグーン)からフオン川をさかのぼってくる外敵に対しての防御のため」と説明されていますが、現在でも軍隊の施設がこの一画を占めていることからも、その説明に納得させられます。

 ただし、この部分の運河(ドンバー川)が屈曲していることについては、何も述べられていません。私は、この屈曲部分は、都市建設以前に流れていた自然河川の流路で、それを運河の一部に取り込んだものと考えていますが、これについては、また機会をあらためて検討したいと思います。


写真2 フエ城北東側の運河(ドンバー川)を下流に向かって進む舟


ヴォーバン様式の第1の城壁と外堀

 フエ城郭都市の第1の城壁は、フランスのヴォーバン様式の築城術を取り入れた星型城郭で、約2km×2kmのフエ城を取り囲むように造られています。城壁の平面形はジグザグになっており、周囲延長約10km、高さ6.6m、厚さは21mもあります。そして、フエ城正面に当たる南東側に4か所、その他の3面にそれぞれ2か所、合計10か所の城門が設けられています。これらの城門の作りはみな同じですが、それぞれの名前が各城門のアーチ型通路の上部に大きく掲げられています。通路の幅は約3mで、2階建ての大型寝台バスがギリギリ通過できる大きさです(写真3)。

 第1の城壁に沿って巡っている外堀は、幅約20m、深さ約4mで、星型城郭にあわせてやはりジグザグになっており、10か所の城門の位置に合わせて橋が架かっています。橋の幅は、城門の通路とほぼ同じで、車がすれ違うのは困難なため、交通量の多い南東側4か所の城門は、いずれも一方通行になっています。

 外堀は、南東側の「泉南門」前のように、きれいに整備されて水面に城門の影が映っていますが(写真4)、多くの場所では野菜の水耕栽培が行われており、夏季には一面の緑に覆われてしまいます。衛星画像のフォールスカラーで、堀が赤く(植生の色)染まっているのはそのためです。また、一部の城壁上には民家もあって、無造作にゴミが外堀に投げ込まれ、また排水も流れ込んでいます。


写真3 第1の城壁の南西側にある「正西門」と、そこをくぐる2階建て寝台バス

写真4 第1の城壁の南東側にある「泉南門」と外堀に架かる橋


旧王宮を囲む内堀と8つの橋

 旧王宮(紫禁城)は、幅642m×奥行568mの方形の敷地で、周囲を厚さ約1m、高さ約5mの第2の城壁と、その前面にある幅10m〜20mの内堀によって囲まれています。世界遺産「フエの建造物群」を代表する旧王宮正面の「午門」も、内堀の水面に映し出された姿と合わせて見ると、とても豪華です(写真5)。

 旧王宮正門の「牛門」付近の内堀は、いつも静かに水を湛えていますが、その他の場所では、季節によって様々な姿が見られます。北西側の内堀は、4月から7月頃までピンクと白の美しいハスの花で埋め尽くされます(写真6)。北東側の内堀では、乾季に入ると次第に水位が下がり、場所によっては雨季直前にはほとんど干上がってしまうところもあります。そういうところでは、若者が魚を一網打尽にしようと楽しんでいる姿をしばしば見かけます(写真7)。


写真5 内堀の水面に影を映す午門(10月)

写真6 ハスで埋め尽くされた北西側の内堀(7月)

写真7 乾季に入り水位が下がった内堀で魚取りに興じる若者(5月)


 このような内堀には、合計8本の橋が架かっており、堀の両側には散策用の小道も整備されています。朝夕には、この小道をウォーキングする人達で、ちょっとした賑わいです。

 ところで、「18世紀初め頃、プロイセン王国の首都ケーニヒスベルクの街中を流れるプレーゲル川には、2つの中洲島があって7つの橋が架かっていた。7つの橋を2度通らず全て渡って、もとの場所に戻って来ることができるか?」という有名な問題があります。この問いは、オイラーによって「不可能」と言うのが証明されていますが、幸いフエの内堀に架かる橋の数は8本ですし、渡るべき場所も1か所なので、私は朝の散歩で、それぞれの橋を一筆書きのように渡りながら、旧王宮の周りを一周して無事にホテルに戻っています2)

城内のクランク状の運河と多くの池沼

 はじめに述べたように、フエ城内部の中央に、城内を二分するように南西側と北東側の外堀をつなぐクランク状の運河(Ngu Ha: Royal Canal)があります。その幅は南西(上流)側で40m、北東(下流)側で70mで、最上流および最下流地点と、途中に3か所、合計5つの橋が架かっています。それらの橋(写真1、写真8、9)を見ると、中央の水路の幅や高さは小さく、小舟しか通過できません。また、川幅が上流側で狭く、中・下流側で広いことを考えると、このクランク状運河は、舟運を主目的とした運河ではなく、城内からの水の排水路、また城内に降った雨を一時的に貯留し、洪水を防ぐ(軽減する)ための遊水池的な機能を持ったものと、考えられます。

 しかし現在、この運河を中心とした排水機能はうまく機能していないようです。フエの城郭都市内では、毎年のように洪水による浸水被害(内水氾濫)が発生しています。この運河のとくに下流部分では、野菜の水耕栽培が行われ、その他の部分でも長年の間に、運河の底に泥が厚く堆積して、洪水時の雨水を貯留する容量が減少しているようです。

 その機能回復のため、2年前からフエ市とフランスのパリ市との共同プロジェクトが始まり、運河の上流端にバルーン式水門および下流端に排水ポンプを設置し、運河の底泥浚渫、水耕栽培やゴミ投棄の規制、水質保全等が提案されているそうです。

 この他、城内には面積0.2ha〜最大約6haの大小の池沼が、40ほど分布しています。それらの位置や形状は一様でなく、大きく3つのタイプに分類できます。一つは、第1の城壁のすぐ内側に分布する細長く比較的大きな池、2つ目はクランク状運河の近くに位置する方形の大きな池、そして3つ目は城内に散らばる不定形の小規模な池の3種類です。これらの大小の池は、それぞれなぜそこに存在し、どんな機能を持っているのでしょうか。それを知ることはとても興味深い問題です。なぜならそれは、この城郭都市建設時の大規模な土木作業と、深く関わっていると考えられるからです。

 紙幅が尽きたので、これについては、先に述べたフエ城北東側の運河(ドンバー川)の水路の屈曲問題と合わせて、あらためて報告したいと思います。


写真8 城郭内のクランク状運河の最上流地点に架かる橋

写真9 城郭内のクランク状運河の最下流地点に架かる橋


1) 今年の第67回ベトナム独立記念日(2012年9月2日)に、新市街地と旧王宮のある対岸を結ぶ3本目のバックホー(Bach Ho: White Tiger)橋が開通しました。この橋は、フオン川の中洲(ザ—ヴィエン島)を利用して、従来の鉄道橋に隣接して作られています。全長542.5m(アプローチ部分も含む)、幅34.5mの4車線道路で、両側に6か所の展望所を持つ立派な橋です。鉄道橋側の展望所からは、すぐ側を列車が通過するのを間近に見ることができます。

2) それでは、「外堀に架かる10か所の橋と、城内のクランク状運河に架かる5か所の橋を、2度通らず全て渡って、城内にあるホテルに戻って来れるか?」という問題はいかがでしょう?休日に、自転車に乗って挑んでいますが、今のところまだ解決していません。


参考図書

Hue University LRC International Center (2009):”The Unique Characteristics of HUE’s Culture” The Gioi Publishers, 293p.

Nguyen Ba Dang, Nguyen Vu Phuong and Ta Hoang Van (2010):”Traditional Vietnamese Architecture” The Gioi Publishers, 158p.



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