ベトナム・フエ便り NO.14

ベトナムのテトを楽しむ

平井幸弘(2013.2.21記)

テトの準備に追われる街、フエ

 中国や台湾、韓国のほか、ここベトナムでも月の満ち欠けを基準にして作られた太陰暦(日本の旧暦)で、お正月(テト、2013年の元日は太陽暦の2月10日)を祝います。今年のベトナム公務員のテト休暇は例年より長く、2月9日から17日までの9連休で、フエ農林大学でも、学生は2月2日から3週間の休みとなりました。この期間、私はフエとホーチミンの生まれ故郷であるゲーアン省で、初めてのベトナムのテトを体験しました。今回は、その前後の街の様子などを含めて紹介します。

 テトの1ヶ月ほど前から、ベトナム人の頭の中は太陰暦に切り替わるようで、来るべきテト休暇をどう過ごすかと言う話題で盛り上がります。また新年を新しい家族で迎えるべく、年末は結婚式もラッシュで、私が宿泊しているホテルでも連日のように結婚披露宴と、そして忘年会が開かれました。

 この時期のフエの朝の気温は20℃前後、湿度90%以上で、時々朝霧が街全体を覆い、旧王宮の内堀沿いの散歩道も幻想的な雰囲気です(写真1)。一方、街中の街路樹や公園の大木は、根元から高さ70〜80cmまで一斉に白く塗り直されました(写真2)。いったい何のためにこうしているのか、ベトナム人に聞いても、様々な答えが返ってきます。

 「木の病気を防ぐため」という返答が多いのですが、しかし地面に近いところはいい加減に塗られていて、木の病気予防なら根元こそ大事でしょうし、細い木は塗られていません。また「車やバイクに、道路の端がよくわかるように」と言う回答もあります。確かに、バイクや自動車には良い目印になりますが、なぜか公園の中の大きな樹々も、同じ高さまで白く塗られています。また、明るい街路灯のある幹線道路の街路樹を中心に塗られ、薄暗い脇道の樹はそのままだったりで、必ずしも交通標識のためでもなさそうです。

 そして、「見栄えのため」という意見。日本では、このように「樹々の根元を白く塗る」のはあまり見かけませんが、ベトナム人にとって、テト前にこうして一斉に塗り直すのは、新しい年を迎えるお祝いのようで、それが「いい感じ」なのかも知れません。確かに、街中の樹々の根元が同じ高さで真っ白に塗り直されると、新年にむけて気分が引き締まります。


写真1 深い霧に包まれた早朝の旧フエ王宮の牛門
(1月25日、太陰暦12月14日、以下太陰暦で示す)


写真2 正月を前に、根元が白く塗り直された街路樹(12月14日)


 お正月の約1週間前になると、フエ城正面にあたる旗台前の広場で、お正月用の様々な花を売る花市が開かれます。高さ約1mの黄色い菊の花を、50〜100本ほど寄せ植えした大きな鉢が、広場を埋め尽くすように並んだ様子は見事です(写真3)。ひと鉢約500,000VND(2,500円)で、これを日本の門松のように、各家の正面左右に飾ります。この他、室内に飾るより高価な蘭や、金柑、枝先に多数の黄色の花をつけるホアマイ(花・梅)と呼ばれる木などが売られています(写真4)。


写真3 フエ城旗台の外堀側広場の花市(12月20日)

写真4 花市で売られているお正月の花「ホアマイ」(12月23日)


新年にむけての儀式と忘年会

 大学でのテト休暇初日の2月2日と4日(太陰暦12月22日と24日)には、それぞれ学科、および学部主催で新年を迎える儀式が行われました。学部の建物の前に宴台をこしらえ、中央に子豚の丸焼きが置かれます。その周りに、各種の食べ物、果物、チェー(ベトナム風ぜんざい)、飲み物、衣服を模した色紙、(偽の)紙幣や金の延べ棒、厚紙でできた靴や帽子の模型などが並べられます。お供えする偽札は、主にベトナム20,000VND(約100円)札や50,000VND札ですが、それらより遥かに高額のアメリカ100ドル札も、たくさん混じっています。これら、食物、衣服、お金などは、死者に手向けるもので、この1年間の感謝の意味も込めた儀式だそうです。

 飾り付けが終わると、ろうそくを灯し、線香を立て、学部長初め順番に一人一人お祈りをします(写真5)。それぞれ真剣に願い事をしていましたが、その中身は誰も教えてくれません。お祈りが終わり、線香が半分ほど燃えたところで、飾った紙製品を勢いよく燃やし、おかゆや紅白の米菓子を周辺の草地にばらまきます。先祖だけでなく、人知れず死んで土に埋もれている人みんなに、届くようとの意味だそうです。

 学部主催の儀式のあった日の夕方には、近くのレストランで、学部の全スタッフおよび退職教員・事務職員も含めた30数人で忘年会が行われました。宴会では、昼間の儀式で並べられたブタや鳥肉などを再調理した品々が出され、学部長、学科長のほか、労働組合委員、若手講師代表などから一言ずつ挨拶がありました。そのあとは、ビールで何度も乾杯しながら、それぞれお得意の歌の披露です。若手講師による合唱や年配の先生の18番など、みんな本当に楽しそうでした。

 私が籍を置いている土地資源・農業環境学部は、フエ大学の中では一番新しく2005年に農業経営学部から分離・新設された学部で、学部長初め教員はまだ若く、また日本での留学経験があるスタッフも多く、みんなフレンドリーです。ただ、彼らは「日本人はみんなカラオケが大好きで、歌が上手」と思い込んでいるらしく、その点だけは困りました。


写真5 学部主催の新年を迎える儀式で、祈りの言葉を読み上げる学部長(12月24日)


大晦日と元日、ヴィン小旅行

 ベトナム人にとって、テトは「故郷に帰って家族と過ごす」のが大原則です。そのためテト前後には、各種交通機関は大混雑です。私も、学部の若手講師のひとりフオンさんの故郷でのテトに招待されたので、元日4日前の列車でフエから北に約330km離れた、ゲーアン省の省都ヴィンに向かいました。フエからヴィンまでは、一日に4〜5便ある急行列車で7時間前後かかります。

 2月6日(太陰暦12月26日)の午後、サイゴン発の急行列車は定刻よりすでに25分遅れてフエ到着、帰省のため大荷物を持った乗降客でデッキはあふれ、発車はさらに5分遅れました(写真6)。狭い通路の真ん中にも、プラスティック製の小さな椅子に座った人が大勢います。混雑期に、正規の指定席より幾分安い値段で、そのような席を販売しているのだとか。しかし、その通路に弁当や飲み物の販売台車がやってくると、総勢が椅子を頭上に掲げて立ち上がり台車をよけるなど、大騒ぎです。結局ヴィンに到着したのは、定刻より約50分遅れの夜22時30分でした。


写真6 フエ駅でハノイ行き急行列車SE2に乗り込む人々(12月26日)


 テトに招待してくれたフオンさんの実家では、大晦日の前日、お正月の定番料理(ベトナムちまき)のバインチュン、バインテトの作り方を見学させてもらいました。バインチュン、バインテトどちらも、材料、作り方は同じですが、出来上がりの形が違います。四角いバインチュンは「大地」を、丸い筒型のバインテトは「天」を表しているそうです。

 四角いバインチュンは、正方形になるように、日本の「枡」のような木の枠(大きさは各家庭で違っていて、フオンさんの家では13cm四方、深さ4cm)と、バナナの葉に似たゾンと言う植物の大きな葉を用意します。日本のちまきですと、竹の子の皮や布を用いるようですが、ゾンの葉を木枠の幅に合わせて切ってのち、折り紙のように2枚を木枠ピッタリになるように折り合わせます。その中に、餅米、緑豆粉のペースト、豚肉、再び餅米の順に詰めていきます(写真7)。最後に、2枚の葉が十字模様になるように全体を包んで、細い竹ひごで釘を刺します(写真8)。こうして形を整えたバインチュンとバインテトを、大きな鍋に入れ、約6〜8時間かけてゆでると出来上がりです。


写真7 テトの伝統的料理バインチュン作り(1)(12月28日)

写真8 テトの伝統的料理バインチュン作り(2)


 大晦日の夜には、フオンさんの実家のある地区の公民館の集まりに顔を出しました。町内の年配者を中心に会食、歓談のあと、前庭でベトナム中部の少数民族が餅米で作る地酒を、長さ70〜80cmほどのストローで飲むのに誘われました(写真9)。かなり勢い良く吸い込まないと、お酒は下の壷から口まで上がってきません。アルコール度数はそれほど高くない甘いお酒で、町内のご婦人方も楽しんでいました。

 その後、ヴィン市のほほ中央にあるホーチミン広場に出かけ、ステージでの歌と踊りのパフォーマンスを見たあと、午前0時開始の打ち上げ花火を待ちます。午前0時、広場の2個所から花火の打ち上げが始まりました(写真10)。これは、ハノイ、ホーチミン、ダナンとともに全国にテレビ放映されたそうです。

 花火を見たあと、いったん家に戻って新年の挨拶。年が改まり、最初にその家を訪ねる人が誰かで、その家の一年の運勢が決まるそうで、ベトナム人はとても気にしています。フオンさんの家では、本人が外国留学したいと言う希望を持っているので、申年生まれ(2013年の干支の巳との相性は悪くない)で、外国人の私が、最初にフオン家の敷居をまたぐことになりました。家族に新年の挨拶をしたあと、今度は車で30分ほど離れた地域の有名なお寺まで初詣に出かけました。正月料理の準備、大晦日の夜の催物、打ち上げ花火、初詣など、ベトナムの年越しと新年の迎え方は、日本ととても良く似ていると感じました(写真11)。


写真9 地区の公民館前庭で、町内の人と一緒に地酒を飲む(12月29日、大晦日)

写真10 ヴィン市ホーチミン広場での新年を祝う打ち上げ花火(1月1日の午前0時過ぎ)

写真11 フオンさんの実家でいただいたお正月料理(1月2日)
右側奥のうす緑の丸い餅が、筒型のバインテトを輪切りにしたもの


テト休暇を楽しむ、再びフエ

 正月2日には、ヴィンから列車で再びフエに戻りました。新しい年が明けたフエの街では、各商店・家の入口左右に、黄色い菊の鉢植えが二つずつ並び、まさに正月気分です(写真12)。市内を流れるフオン川沿いの公園には、彩り豊かな花壇がこしらえられ、女の子達がお互いに写真を撮り合っています(写真13)。フオン川では、ハクチョウ型の小型ボートが浮かび、たくさんの親子連れが救命胴衣を付けて順番を待っています(写真14)。今年のテト休暇中のフエは、天気に恵まれ最高気温は30℃近くまで上がり、一気に春が訪れた感じでした。


写真12 フエ市内の商店のそれぞれの入口の両脇に並ぶ黄色い菊の花(正月4日)

写真13 フエ市内フオン川沿いの公園の花壇で、写真を撮り合う女子学生(同上)

写真14 フオン川のチャンティエン橋付近で白鳥型の小型ボートを楽しむ親子連れ(同上)


 2月18日(太陰暦1月9日)には、長いテト休暇が終わり、教職員は大学に出勤です。ただし、授業開始はもう1週間後。朝8時半から、学部のスタッフ全員が出席して新年最初の会議です。まず学部長から新年の挨拶があり、そのあと一人一人に「Li Xi」と言って真っ赤な小袋に入った「お年玉」を頂ました。Li Xiは子供だけかと思っていたら、歳上や立場が上の人が、少額を「幸運のお金」として年下や部下にも配るそうです。なおこのお金は、使わないで年末まで大事に持っておくものだそうです。

 そのあと、各先生から新年の挨拶があり、会議は約30分で終了。しかしそれで終わりではなく、今度は会議参加者のほとんどが十数台のバイクに分乗して、主な先生の家を年始に回りました。各家では、それぞれ30分ほど、軽いおつまみを食べながらワインまたはビールで乾杯、そのあと各自歌の披露です。多くの先生が大学のすぐ近くに住んでいますが、一筆書きのように、近い先生の家からぐるぐるとフエ市内8カ所を、休みなく回り、最後の家をあとにしたのは夕方4時近くでした。

テトは存続させるか、太陽暦に合わせるか

 今年のテト直前の、2月1日付けベトナムニュース(VNS)紙に、「ベトナムは、これまでの太陰暦に代えて太陽暦で正月を祝うべきだと言う提案に対して、どのように思うか」と言う読者の意見を特集した記事がありました。これは、それより前にベトナムの著名な農業分野の科学者が「ベトナムのテトをやめて、新暦の正月に合わせては?」という提案があり、これをめぐってちょっと話題になっていたからです。VNSの紙面では、以下のような声が紹介されています。

 まず、ベトナム人女性と結婚したハノイ在住5年の韓国人は、韓国でのソルラル(旧正月)の例を引きながら、「どの国も伝統的な習慣を持っていて、それは国家としての誇りであるべきだ。ベトナムのテトもまさに伝統的な習慣なので、ベトナムもそれを続けるべき」と主張しています。

 一方、日本に住んで2年になると言うベトナム人は、「日本は1873年から太陽暦に基づいて新年を祝っているが、ベトナムと似て、門松を飾り、初詣に出かけ、おせち料理を食べるなど、日本人は今も伝統を維持している。太陰暦で新年を祝っているのは、ベトナムと韓国、中国だけなので、今変える時だ」としています。

 またベトナム人と結婚して10年になるフランス人女性は、「ベトナムの伝統的なテトで、自分にとって最も印象的なのは、家族の絆、伝統的料理、習慣で、テトを通してベトナム社会の親族関係は改善され、人々はより親しく、近しくなり、それゆえ社会はより安定するようになっていると思う。したがって、テトは保存すべき」と答えています。

 フエで1年近く暮らしてみて、初めてのテトでしたが、お正月期間だけでなく、その約ひと月前から、人々のカレンダーはテトに合わせて太陰暦に変わり、その準備に忙しくても嬉々としていました。テト休暇中は、まず家族と親類、そしてご近所や友人、さらに職場関係と、何日もかけてお互いが訪問し合い、会って話をすること自体が意義深く、それを幸せと感じているようです。公式のテト休暇以降も、まだまだ家の入口の黄色い菊は咲き誇り、街のカフェも友人同士でしゃべり合う人達で、賑わっています。ベトナム人にとってのテトは、単なる伝統的行事の一つではなく、家族のみならず様々なレベルでの人々のつながりを再確認し、さらにその関係を深めるための重要な役割を果たしていると、実感しました。

 太陰暦の正月は、通常雨水(2月19日頃)の直前の朔日を新年1月1日とするため、太陽暦とは、毎年20〜50日ずれ、季節とは合わないと書かれた辞書もあります。しかし、少なくともフエの郊外で農業者や養殖業者に聞き取りをすると、彼らは必ず太陰暦の月、日で答えます。またフエの街なかでも、最初に紹介したような死者の霊に対する儀式が、それなりの手間とお金をかけて、毎月、新月と満月の前夜に各家庭やお店の前で行われ、翌日には菜食主義食堂が大混雑します。また、太陰暦は結婚式の日取りを決めるのにとても重要で、披露宴の招待状でも太陰暦の日付が明記されています。このようにベトナムにおける太陰暦は、テトだけでなく、ベトナム人の1年間の季節感や日常生活にも深く関わる重要な役割を果たしています。

 昨年4月よりフエで暮らしてみると、少なくともこの1年間の季節変化はむしろ太陰暦に沿って推移したような気もします。フエ城正面の外堀沿いに植えられているプルメリアの木も、年が明けると同時に枝先に香しい小さな花をたくさん咲かせ、テトとともに春がやって来たことを感じさせられました(写真15)。


写真15 フエ城外堀沿いに植えられたプルメリア木にも枝先に白い花が咲き始めた(正月4日)


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