2023/02/27〜2023/03/03更新
2023年3月4日〔土〕古辞書
『和名類聚抄』から『倭名類聚鈔箋注』へ
―語解析データベース構築をめざして―
11:40〜12:30
発表講演者 萩原義雄(駒澤大学名誉教授)
 はじめに
 研究者のお名前のあとの敬称を省略させていただく。先ずは、先賢の諸氏におかれる学恩に感謝申し上げたい。此の目次内容に基づいてお話しさせていただくことにする。
 目次
一 『和名類聚抄』の書誌解題
二 廿巻本『倭名類聚抄』
三 十卷本『倭名類聚抄』
 両系統の実語数
五 狩谷望之(?齋)倭名類聚鈔箋注』以前の『和名抄』研究
六 狩谷望之(?齋)倭名類聚鈔箋注』の『和名抄』研究
七 明治以降の『和名抄』の研究
八 現行『和名抄』本文のデジタル化
九 現行『倭名類聚鈔箋注』本文のデジタル化
十 語解析の事例紹介
十一 今後の目標
十二 まとめ
   
 一 『和名類聚抄』の書誌解題
〔一般の部〕
 ・日本百科全書(ジャポニカ)。執筆:宮澤俊雅
 ・世界大百科事典。      執筆:前田富祺
 ・國史大辞典。        執筆:築島 裕
 ・日本国語大辞典。      執筆:未定
〔書誌〕国書総目録〔岩波書店刊〕→新日本古典籍総合データベース〔国文学資料館〕
 
 二 廿巻本『倭名類聚抄』
 ・天正三年書写『倭名類聚抄』大東急記念文庫蔵 菅為名記す。完本
 ・伊勢廣本『倭名類聚抄』
             A東京都立中央図書館河田文庫蔵←?齋所持本←中西家
     三井任契 ?  B神宮文庫蔵〔室町写〕←←←←←←←←←←←中西家
                ↓   〈馬淵・小林・築島・川瀬・山田(健三)〉
C足代弘訓が京都三條西實滿に鑑定五年かけて複写本作成
    ※巻1/2、巻9/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/20は二十巻本
    ※巻3/4/5/6/7/8の六冊は十卷本
 ・高山寺本『倭名類聚抄』→保坂家旧蔵〔影印本〕→天理図書館蔵〔天理叢書影印〕
 ・名古屋県立博物館蔵〔解説者未記載、影印資料〕
 
 三 十卷本『倭名類聚抄』
 ・昌平本〔東京国立博物館蔵〕→前田家完本
 ・京本〔国会図書館蔵・東京大学國語研究室蔵〕
 ・尾張宝生院真福寺本〔古典保存會叢書に影印〕→享和版(稲葉通邦の複写本)
 ・伊勢本〔神宮文庫蔵・都立中央図書館河田文庫蔵
 ・天文本(東京国立博物館蔵・東京大学國語研究室蔵・都立中央図書館河田文庫蔵
※河田文庫蔵本は渋江抽斎による手沢本(巻一・二闕)で他本との対校をこと細かに記載している。
 ・曲直瀬本(都立中央図書館河田文庫蔵
 ・下總本(都立中央図書館河田文庫蔵
 ・高松宮本〔佐倉歴史博物館蔵→影印資料は高橋宏伸解説、臨川書店刊〕
 ・松井簡治本〔江戸初期〕完本〔大東急記念文庫蔵→古辞書叢刊影印〕
 
 四 両系統の実語数
 廿巻本 総数 8511語 ー国郡部5363語=3148語
 十卷本 総数 2578語 +第類部 15語 =2593語  
  ※555語 両系統での差異を示す基準値となる。ただし、各々に特有標記語ある。   ※上の総数はあくまで今日現在の調査対象に基づくものであり、多少の変動は今後ありうる。                           
 
 この上記に記載した資料を基盤に語の特性(際だった特異性)について精査を行う。
 分類項目は、中国の字書『爾雅』に傚うとされ、源順公は本邦独自の語構成をも鑑み、編纂を試みた。序文に従えば四〇部が基本となり、実際には、十卷本は二十四部、廿巻本は三十二部249類具他の項目を以て構成されている資料となっている。今の吾人は系統は二系統に変成されたが、孰れも時期は多少異なるにせよ源順が編纂記述に関わった立場にある。
 
 五 狩谷望之(?齋)倭名類聚鈔箋注』以前の『和名抄』研究
 ここで、江戸時代の研究者狩谷望之(?齋)が成し得た『倭名類聚鈔箋注』にも着目していく必要がある。?齋の研究は、先賢の契沖、谷川士清、本居宣長そして同時代の伴信友などとの立ち位置を言及しておくことも重要となる。
 
 1,元禄時代の契沖が成した『和名抄釋義』〔京都三手文庫所蔵『倭名類聚抄』版本書込み→築島裕『契沖全集』に本文翻刻。〕
他に?齋所持の写本〔東京都立中央図書館河田文庫蔵813KW10-01〜04冊〕
 2,谷川士清『倭訓栞』自筆書写本(三重県立図書館蔵→三澤影印・勉誠出版刊行)
 3,本居宣長『古事記伝』(版本→架蔵。大野晋『本居宣長全集』巻九〜十二索引付き翻刻筑摩書房刊行)※「和名抄」として記述する。
   宣長自筆『和名抄類聚抄国郡部』写本〔京都大学図書館蔵→デジタル画像公開〕
 4,伴信友『和名抄類聚鈔郷名集覧』写本〔内閣文庫蔵・西尾市岩瀬文庫蔵〕
   観智院本『類聚名義抄』発見者→転写本を遺す〔刈谷市立図書館他〕
 
 六 狩谷?齋倭名類聚鈔箋注の『和名抄』研究
  @自筆写本〔A内閣文庫蔵。B東京都立中央図書館河田文庫蔵(上原氏蔵)。其の他〕
   A内閣文庫蔵
卷一の天地・人倫 三稿〔特60-27〕
卷一の校譌 天地・人倫〔特60-30〕
卷二の形體・疾病・術藝 三稿〔特60-27〕
卷三の居処 三稿〔特60-28〕 卷三の居所之布帛 二稿〔4359549〕
卷七の羽族〔特60-31A〕
卷七の校譌羽族部〔特60-31〕
巻八の龍魚 二稿〔4366191〕
卷九の稲穀・菜蔬・果瓜部 二稿〔4366192〕
卷九の校譌稲穀部〔特60-31B〕
卷十の草木数葉〔特60-29〕
卷十の校譌草類〔特60-31C〕
   B東京都立中央図書館河田文庫蔵(上原氏蔵)〔183KW11〕
卷一・卷二・卷三は闕
[第一冊]卷四の装束・燈火・冠帽・衣服・履襪
卷五・卷六・卷七は闕
[第二冊]卷八の龍魚・龜貝・虫豸
[第三冊]卷九の稲?・菜蔬・菓?
[第四冊]卷十の葛・草木
※六冊闕本の箇所に、A内閣文庫蔵を添えると十冊のうち九冊が整うことになる。また、卷六の行方が重要であり、以後の精査については今後の研究を俟つ。
因みに、巻六は調度部下〔音樂具・服玩具・稱量具・容飾具・澡浴具・厨膳具・薫香具・裁縫具・染色具・織機具・蠶絲具・屏障具・坐臥具・行旅具・葬送具〕
巻九は、二稿と清書本とを対校しつつ語注記の検証作業が可能となっている。
  A渋江抽斎筆本〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕
巻一・巻二は闕本
巻三の形體類〜〔813KW9-1〕
巻四の居処部〜〔813KW9-2〕
※あくまでも推断だが、此の箇所は抽斎が分担したことも考えられまいか。
巻四の装束部〜〔813KW9-3〕
巻五の調度部上〔813KW9-4〕
巻六の調度部下〔813KW9-5〕上記闕本箇所を補うことが可能。
  B森立之筆本〔内閣文庫藏。大和文華館蔵→国文学資料館デジタル画像公開〕完本
   A内閣文庫蔵
卷一の天部校譌・異体字辨〔1271529-1〕
卷九、第十七稲穀部の校譌・異体字辨〔4366194〕
卷九、第十八羽族部の校譌・異体字辨〔4366194〕
卷九、第十九草部の校譌・異体字辨〔4366194〕
   ?大東急記念文庫蔵〔未見〕
  C明治十六年刊森立之〔一〇冊〕完本
  D曙社藏版『箋注倭名類聚抄』〔野口恒重による昭和五年刊〕上下二冊 完本
 ?齋画像・?齋墓碑写真所載。
  E京都大学澤潟久孝編〔諸本集成〕本文・索引二冊 完本
  5−2?齋『和名抄分音』(語索引)〔東京都立中央図書館河田文庫蔵〕他
  5−3?齋『『和名抄』校譌異体字辨』
5−4?齋『『和名抄』典籍』
5−5?齋『和名抄郷名』はなさずじまいだったのか?
駿河の俗言「こひ【?】」に記載。地域語(=方言「かたみ【??】」)の研究書として何を参考にしたのか?→『物類称呼』『本草綱目啓蒙』『倭訓栞』など。
 
 七 明治以降の『和名抄』研究
  森立之→大槻文彦
       ↓
      山田孝雄→安田一→川瀬一馬→国文学資料館。萩原義雄蔵
       大正四年       『倭名類聚鈔考証附録改訂箋註倭名類聚鈔訓纂
明治十年『負專考』一冊〔内閣文庫蔵〕人倫部老幼類所載負專考 土岐政孝一三丁
  明治二十一年内務省地理局編纂『和名類聚抄地名索引』〔内閣文庫蔵0001-30〕
  金澤庄三郎(寛文十一年刊本冠頭書込み、永平寺寄贈→駒澤大学図書館蔵)
『倭名類聚抄』の研究(創文社叢刊。駒澤大学図書館蔵)
  渡辺真? 『和名類聚抄考』写本数葉
 
  築島 裕  三手文庫資料研究からその資料内容を追求
  峰岸 明  『色葉字類抄』和訓と『和名類聚抄』の聯関性を言及
  馬淵和夫 声点資料として索引一覧を収載する。
  宮澤俊雅 十巻本京本写本校本研究。
       廿巻本江戸版〔那波道圓本(大阪市温古堂本)以下慶安元年・万治・貞享       ・寛文七年・寛文十一年・明治二年・無刊記版本〕
山田健三 高山寺本(影印:天理図書館善本叢書)の解題他論文あり
佐々木勇 昌平本(東京国立博物館蔵)京本 前田家本他継続中
杉本つとむ 『和名抄の新研究』〔桜楓社刊〕の研究メンバー
 →佐藤栄作「万葉仮名」の精査研究報告他論文「高松宮本・林羅山書入本 和名類聚抄 声点付和訓索引」などあり。
林 忠鵬 『和名類聚抄の文献学的研究』〔勉誠出版刊〕→マニエーリアントニオ
     『倭名類聚抄十巻本・廿巻本所引書名索引』〔勉誠出版刊〕蔵中進共編
 八 現行『和名抄』本文のデジタル化
国立国語研究所「語素コード」廿巻本江戸元和版〔那波道圓本〕を底本にして目 下起動2017年から公開中(藤本灯他数名が入力を担当)。
十卷本との語注記内容の対校が必要(萩原義雄が担当→馬淵諸本集成参照此に補?)→エクセル版にて既に完了する。公開は、国研データ部門に委託する。
※パイロット検索報告を今発表に併せて用意した。典拠書名『兼名苑』の「兼」字と「苑」字、その他真名体漢字表記(=万葉仮名)「太」と「大」「多」字など。 
和語訓の正常よみとりとして、山田孝雄は上記の『改訂箋註倭名類聚鈔訓纂』を参照する。茲で唯一、「イガ【刺】」〔九ノ八七オ〕の第二拍めを「ガ」と濁音表記することを見出す。
馬淵氏が説く声点本の研究投影の方法とその技法
継承古辞書である『色葉字類抄』図書寮本『名義抄』→観智院本『類聚名義抄』との聯関について精度を上げた語解明の具現化。
 
  九 現行『倭名類聚鈔箋注』本文のデジタル化 
地道な作業の積み重ねが必要となるのだが、此方も聊か触れておきたい。
1,不破(今井)弘子『倭名類聚鈔箋注』の研究謄写刷り約一〇冊から成る謄写版刷りによる未刊本。
 実物を保持する研究者は、ほんの纔かということもあり、若手研究者をはじめ全貌を読み解くことが不可能な資料となっている。貴重な研究内容を有するのだが、吾人自身も未保持者であり、国会所持本のデジタル公開が俟たれる。不破氏の研究以後、凡そ40年に亘り研究の進展が見られていないのが現状か。公開しづらい資料ともなっていることは間違いない。そして、既に今井論を一歩でも打破していくことが必要不可欠と考えている。
2,中島満(MANAMANA)にて、鱗介部を中心に読解調査HPにして報告。
3,蔵中進→蔵中しのぶ『倭名類聚鈔箋注』を読む会「水門の会」(對面常会席者十一名ほど、此にZOOM参加者が数名参加)→天部景宿類の標記語「織女」(配付資料は37枚)について発表〔2022.10.06(日)14:00〜17:30同志社大学明徳館於、司会進行:新間さん〕雑誌「水門」第30号以降順次掲載が予定されている。第31号は未刊。
4,各機関及び大学における国語学・辞書研究会
 「ことばのつどい」田島毓堂・丹羽一彌・山田健三他
5,個人研究者 
 吾人は、本文を森立之刊行の明治十六年本にして、此の本文を逐一入力する作業を開始し、一文訓読文にしてテキスト化をめざし、此の語解析作業を実施継続中としている。
 
   十 語解析の事例紹介
 現在吾人は、「チームルーム」→「情報言語学研究室の掲示板」で「『倭名類聚抄』から『倭名類聚鈔箋注』へ」と題してネット掲示板を開設していて、日日少しずつだが、語内容について見定めてきた内容について公開を続けてきている。
例えば、「かめ【龜】」。「ゆ【湯】」。あまのがは【天河】など。
 
   十一 今後の目標
 一人では到底、その全てを語解析することは不可能なものかもしれない。だが、吾人は金栗四三先生が生きて走る力があれば、地球から月までの距離を走り、月から再び地球にゴールしたいと大望したように、吾人も吾人が選んだ道を諦めずに運歩していく気構えを継続している。このなかで、到達に向けて少しでも前に歩を進め、力衰えれば「襷渡し」していく研究姿勢を貫きたい。その一般化を担うのが国語辞典でもあり、開かれた国語辞書としての小学館『日本国語大辞典』第二版(ジャッパンナレッジ)を大いに活用しつつ、ことばの解析標準にしながら、此方も高めていければと考え、補助資料の第一に据えて此まで見定めてきている。
 
 まとめ
 本日の発表のなかで、吾人が見出した資料は、伊勢広本の『和名抄』の一本であった。此の資料は伊勢山田の中西家に?齋の時代まで伝来し、その入手方法が如何なるものだったのかを知り得ないのだが、「三井寺任契」の識語を卷八末に有する(神宮文庫に同じ)。江戸元禄の時代に当主であった中西信吉(信慶)が此を所蔵し、所蔵者の「信吉」の蔵書印があって、神宮文庫と同じ内容を有する資料でもある。
 後に足代弘訓は、此を?齋が訪れ手写ししたことを神宮文庫本のなかに記述しているのだが、此れを読むと、彼は京都三條西實萬にその書の書誌語解析を願い出て此の書を貸し、實萬は五年がかりで轉冩(現在所在不明)したという代物であったことをを考えてみても、?齋が所持した資料は、その前に中西信慶が自らもう一冊複写してあり、中西家で大切に所持していたその資料を手に入れ、江戸に持ち帰ったと吾人は推断する。これが?齋亡き後も狩谷家にあったのだが、梅谷文夫さん『狩谷?齋』〔人物叢書・吉川弘文館刊〕は、狩谷家の実情について記述するなかで、弘前藩御用商人であった遺族当主が藩の借財を亡きものとしたこともあって、その後の狩谷家も財政苦に陥り、此れを同じ研究者佐藤一斎の縁戚筋の河田氏に買い受け譲渡した。この資料を河田氏は、日比谷図書館に全て寄贈するのだが、その都立中央図書館の寄贈関係の目録にも詳細な記録説明が残されてない資料であったことも学会に広く知らされずじまいにあった大きな要因となっていたと推察する。
 そして、現デジタル目録でもその全貌は伏せられているから、ことは容易なものではないことを述べておきたい。
 その関係研究者のお一人でもあり、自身を「今?齋」と称した川瀬一馬さんの研究全貌資料を以て古辞書研究に語られなかった内容を繙く扉が今当に開かれようとしていると吾人は考えている。 他にも誰もが語らずじまいできた金澤庄三郎『和名抄の研究』も改めて見直さねばと思う現在の吾人自身の研究情況となっている。