ウルトラマラソンの効能とその実践


萩原義雄

1.片眼走による自然感覚融合の確認

 ランナ−は、両方の眼をしっかりと見開いて走る。ウルトラランナ−は、時に片目で走ってみようではないか。するとどうなるかといえば、世界がちょっぴり変るのである。両方の眼で捉らえていた自然界がほんのちょっぴり狭くなる。その半面、心のなかでもう一つの世界が生きづき始めるのを感じるのだ。

 わたしは、走りながら二つの世界を行き来し始めるのである。それは、自然を見据えた眼と自己の内省面を映し出す眼であり、この二つの眼が交錯することがそれなのだ。交錯するという表現がわかりにくいのであれば、心の往き来の環境が整うと言い直してみよう。両方の眼でも看守できるという方もおられよう。「片眼走妙是己心」の心境が養われる。24時間以上の長丁場を走った方には、もう一つ睡魔と葛藤することになる。この折にこの片眼走は、思いがけない効能を発揮してくれるのである。

日常の走りの折に経験しておくときっとどこかで役立つことになろう。

コメント:「独眼竜正宗」(NHK)が、十三日に終わったが、思わぬ発見をした人が日本中に意外と多いのではと思う。というのは、私は町の小さな眼科医院の医師だが、「正宗は不自由だろうな……」と、ドラマを見ながら片目をふさいでみたら何も見えなくて、驚いてやってきた患者さんが二人もいたからです。片方の視力がよいと、案外と他方の視力低下に気付かぬもの。みなさん、たまには片目をふさいでみて下さい。(東京都中央区・横山正子『朝日新聞』 昭和62年12月17日「はがき通信」)


(2)呼吸はすべて自然回帰誘導の原点
 走禅ということばが定着して、少しく息心について理解ができるにいたったかに思う。こんな折、呼吸とはいったいどういうもので、どんな作用をもたらすのか、誰もが知りたいはずだ。ウルトラマラソンにおいてもこの限り見逃せない内容をたぶんに含んでいることはご理解いただけるものと考える。

コツは、上下の歯の間からゆっくりと吐いて出す

 

2.振り子走は胃腸を調える

ウルトラマラソンは、食べながら走ることが不可欠です。100kmぐらいですと、トップ級では、水分補給のみで走りきってしまう方も実際おります。ですが、100km以上をこなす場合、固形食品を必要とします。食べたまま走るわけですから、当然、消化器官に負担が生じます。こんな折り、通常前後に振っていた腕を振り子のように左右に振ることでかなり負担が少なくなることに気が付いたのです。<未完成>

 



ウルトラマラソンと地域交流

<96'3/15。於:山梨県河口湖>
萩原 義雄

超長距離は長壽の秘訣に相通じると思っています。それは、端的に表現すれば「自足の人になろう」ということにほかなりません。

具体的には、 

1.時間を守る。(何事においても万事前向きの姿勢で取り組むことにつながるからです)
2.全力を尽くす。(始めたからには途中、絶対に手抜きをしないということです)
3.現状に満足する。(自分自身の能力の範囲内で行動するということです)
4.何事も一つずつ実行して行く。

といったこの四点全てが長壽の秘訣であり、かつ超長距離の姿勢になると思うからにほかなりません。 人が長い距離を走るという行動のなかで何を学ぶかですが、上記の姿勢が備わらずに自身の体力だけにものを言わせて走りきっているのであれば、宝の山が目の前にあるにもかかわらず何も会得せずにただ単に通過していくことになると私は考えるからなのです。 
 万物と積極的につきあうといった姿勢が個々にあれば、感ずるという器も大きく、そこに盛られる量も自然と増加していきます。何事も見て触れて知るからにほかなりません。現実を直視するこの姿勢はいつも輝きに満ちている姿にほかなりません。これをことばを換えて表現するのであれば、「つながり」を持とうと行ったプラスの志向なのです。ところが、実際はどうかといえば、私たちの日常の多くは、つながりなどとは程遠い「しがらみ」にしてかかわっている事柄が余りにも多いのではないのでしょうか。ところで、「しがらみ」というのは、みなさんもよくご存知かと思いますが、「水流をせきとめるために杭を打ちならべて、これに竹や木を渡したもの」です。ですから、足にまといつくといったマイナス志向の感じにもなります。これでは相手がどんなにいいおつきあいをしたいと思っていてもそうはならないのです。たとえば、いちばん親密な親子の関係にあっても「自分がこんな両親から生まれなかったらどんなに幸福であったろう」などと思う人がここに居ったと仮定いたします。この時の親子の関係は「つながり」などではない単に「しがらみ」になっているということなのです。まして、自分はひとりで何もかもできると思って行動する。これは我が侭を通りこした傲慢にほかなりません。とはいうものの、人は時にはこんな大それたことを心のどこかで持つ生き物であることも事実であります。傲慢や慢心がぽろっと痂〔かさぶた〕のようにとれて、はじめて人は気づくのです。いろんな方のお世話になり、今日の自分がここにあるのだということを……。

 そして、これを気づかせてくれる世界がウルトラマラソンの世界なのかも知れません。というのも、どこまでもどこまでも長い大地の道のりを駆けていますと人がたいそう愛おしくなるといった不思議な現象に出会うのです。自身にとっていちばん身近な人が脳裏にあらわれるのもその顕著なものではないのでしょうか。私は、こう思うのです。こちらが相手のことをいつも愛おしく思い続けていれば、その思いは必ずいつしかは相手にも通じるのだということです。こちらが無思慮にあつかうのであれば、相手側にもそうとだけしか映らないのではないのでしょうか。極を異にする人たちにしてみれば、そのことを何百回と繰り返し説明しても本当の気持ちを理解して頂くことができないかもしれません。世の中十人十色さまざまな気質の方々が生活しています。このどの気質が真実で後は不真実なものだということはないのです。たとえていうならば、太陽の光がめぐってそれぞれ時は異なりますが、ある限られた時間照され輝くように、少しずつ時の流れに従い、すべてものは変化していきます。根気よく自分の主体を持ち、その出番を待つことです。メッセージは、思いやるから届くのです。それと同時に相手を区別しても怨嗟しないことです。最初から気質の異なる人ですから、手をさしのべゆっくりと待つしかないからです。

 今これを地球と言う、大きな人類の居住するサイクルでいいますと、きたる2001年は東洋の時代と言われています。人間個々の生体にバイオリズムが存在するように、東洋と西洋にも文明法則史学でいうところの文明のバイオリズムがあり、両極を担っています。そしてそのサイクルは800年という大きな時間の流れのなかにあります。ひとりの人間の壽命が100年持つか持たないかと言う人類の生体系のなかで10世代以上の営々とした目に見えない流れにのって胎動しているのです。この胎動の切り口がここ数年で変貌を遂げようとしています。すなわち、文明の交代期が近づいているのです。この世紀末を自らの身体で実感できる喜びと畏怖感とが交錯しないといったら虚言になりましょう。私もその時を待っているのです。今こそ本物を実感しようと言う心構えの器を私たち東洋に生きる一人一人が作り備えておく最終段階なのかもしれません。

 

 一文明サイクル(1CC)

 

          西           夏   東     秋

 

                文明交代期            

                                 

         東              西        

       冬       春

 

    文明の薄明かり   ルネサンス  最高文明・哲学思想宗教

  幼年期     少年期    青春期   壮老年期

       800年            800年

       α期(低調期)         β期(高調期)

       準備期             文明期

 

  宇宙

   ↓

  地球

   ↓

  東西の文明バイオリズム(CC)

 

   1CCは約1600年間

 

     古代アジア ギリシャ・ロ−マ アジア文明 ヨ−ロッパ文明  アジア文明

     暗黒時代  アジア中世紀 ヨ−ロッパ中世紀 アジア没落時代

     村山 節著『歴史の法則と武装中立』より参照

   ↓

  ソ−シャル・システム(SS)

   1CCに平均4個のSSが存在する

   1SSは約300年間

 

                 C型文化

               c     d   e  D型文化

          B型文化

            b              f

 

     A型文化                  g    a

                         破壊革命 過度期  建設革命

      a

     建設革命   *村山 節著『文明の研究』より参照

   ↓

  社会集合体

   国家・地域・会社・組織・家庭

   ↓

  個人

 

     胎生  → 誕生 → 成長 → 活動 → 老化 → 死

     (265日)

 文明法則史学に見る現在の世界

 文明総図に基づく現在は、まさに転換期にさしかかろうとしています。激変期は、1975年頃から2075年頃までのおよそ100年間というところにあるわけです。

 1200年の文明交代期にチンギスハ−ンが現れ、モンゴル高原を統一し、蒙古の大移動が始まりました。蒙古軍は西夏・金・南宋・イスラム帝国を滅ぼし、ロシアを征服、、ヨ−ロッパに入ってポ−ランドとドイツの諸侯連合軍を撃破するという、すさまじい大征服を行ったのでした。これにより中国を中心とする東洋は動乱の渦に巻き込まれ、多くの国家人間社会が崩壊したのです。その後は、鎖国であり、自給自足の静なる国家文化へと変動したのです。これとは逆にヨ−ロッパは、産業革命が起こるとアジアの植民地化が進み、西洋人の世界征服、工業化社会が地球をリ−ドし続けてきたのです。それが今、民族問題にからむ分離独立などの動きがしだいに活発化してきています。文明交代期にヨ−ロッパは過去2回とも民族の大移動で崩壊しています。1600年のゲルマン民族の大移動、3200年前のド−リア人の大移動です。このことからして3度めの大移動が旧ソ連地域から起こることも考えられましょう。

 一方、日本をはじめとする東洋はといえば、文明創造期に向かい、地球文明の針路を示す必要な時期を迎えています。転換期の先触れでもありました1975年は第1次オイルショクにより日本経済が大きく揺れもしました。そこで省エネ化を進め経済の体質を強化してきたのです。80年代は経済規模の拡大がすすみ、NIES(韓国・台湾・香港・シンガポ−ル)もおおいに経済成長し、その後もASEAN諸国が急速に発展してきています。

こんななかで、日本は何をしようとしているのでしょうか。国家という社会集合体のなかで確固たる方針や志がなきままに進もうとしているのではこれも危ういことになりかねません。今必要なのは目標をしっかとそれぞれぞれが見据えて人を育むことです。

 ウルトラマラソンの世界は、これを育むに値する行為の一つだと私は考えています。世の中にはさまざまなスポ−ツ競技があり、人はこれに取り組んでいます。私の住む北海道でも冬の花形スポ−ツのひとつにジャンプスキ−があるのですが、これは誰もがやろうと思っても簡単にできるスポ−ツではありません。ところが、ウルトラマラソンは自然の大地をひたすら自らの身体で移動することですから、だれでもがその気を持てば、トライ経験できるのです。また、そうした身近な行為ですから、よく広報観察していれば、誰もがその行為を自分の眼にとめることにもなるのです。いうなれば、老若男女を問うことなく、すべての人間が関わることができる世界なのかもしれません。

 こうしたウルトラマラソンは、地球の大地を途方もなく移動します。車や飛行機などの乗り物での移動は何も心に映らないのですが、大地を自らの足で進む行為はこれを見事に映し出してくれるからにほかなりません。そこには見知らぬ人々との交流はもちろん生まれます。いいことも悪いこともすべて包括したうえで、それぞれが必要とする部分を相互に分け合うことで新しいおつきあいが芽生えてくるのではないでしょうか。

 ウルトラマラソンをやっていて健康な体力のある人々をなぜあなたは助けるのかといった疑問をもつ人もなかにはあるでしょう。サポートすることの意義そしてそのむつかしさ、逆にいえば、そんなものに頼らず自分の確固たる気持ちで走り続けたほうがよいという立場なのでしょうが……。私はこれについてこう考えるのです。

 サポ−トする側は走る地域を十分に知りつくしています。また、知ってなければならないでしょう。土地に生きる人々には土地勘が働きます。ここでは、次に遭遇する事態を読み取る能力が備っていてそこに存在するからです。他所の人間がああしろこうしろといっても即座に切り替わるものではないというのもこのことがあるからにほかなりません。最良の保全策がとられるのです。水だとか空気をいつも身の回りにあって気が付かないように「あなたならどうするのか」という心の姿勢を大切にしたいのです。だから、いいわるいの世界ではなく、ジャンケンに「ぐー」もあれば「ぱー」もある。そして、「ちょき」もあるのだというのが本日の私の答えなのです。大きな流れの渦を知ってから細部の事象をみることが何よりなのです。実行するのであれば、あなたらしく失敗しなさい」ということです。

 よく「心の行間」ということばを耳にします。心も目に見えぬものです。文字の行間も何もそこには見えません。何も見えないものを私たち人間は、ただ信じて思いやるのです。心は何を訴えているのか。また、呼びかけているのかそれを自身で汲み取ることをします。そうなのです。自分自身をみつめ直し、常に自分の道を切り開くことが最も大切なのです。そのためにも自分を省みる必要があるのではないのでしょうか。明治維新の志士を多く育てた教育者吉田松蔭は、弟子に歴史の講義をするとき、心得として言った言葉があります。それは、「自分ならどうするかという心構えで勉強しなさい」「これは、昔のできごとだが、今なら君はどうするか」と問いかけたそうです。なにごとも自分の問題として考える習慣を身につけ、積極的に活動しようではありませんか。

 「情は人の為に非ず」という格言が中国の故事にあります。「人の爲にする」とは「偽り」と書きます。どんなことでも自分の位置をまず知り、志を立てるための「ものさしの役割」を担っているのがここに持ち出した文明法則史なのです。東洋的ウルトラマラソンの世界がここ日本の社会のなかで少しずつではありますが、知られようとしてきています。それに向けて志熱き人々が各地でこの世界を自分の身体でそして、自分の心でとらえようとしています。

 今日ここに参加した皆様お一人お一人がこの心構えでウルトラマラソンを通じておついあいが始まったら、何物にも代え難い心と心の織りなす珠玉を手に出来るのではないでしょうか。

 

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