『今昔物語集』における「足手」と「手足」の表現

萩原 義雄

 身体部位の対称二カ所を同時に表現するとき、字音語と和読語とで漢字の上下の位置関係が転倒した表記が行われる。

漢字音読の「手足〔シユソク〕」と和読語の「足手〔あしで〕」の文章表現を見ると、『今昔物語集』巻第二「手足」七例。巻第五「手足」一例。巻第七「手足」一例。巻第十二に「手足」一例。巻第二七に「手足」一例、「足手」二例が見える。

「手足」の表現

巻二.TXT(311): 亦暫ク有テ屍骸破レテ頭・手足ト成ヌ。

巻二.TXT(312): 須臾ノ間ニ金ノ頭・手足、地ニ満テ、倉ノ内ニ積ル事前ニ勝タリ。

巻二.TXT(316): 阿闍世王、此事ヲ聞テ金ノ頭・手足ヲ令取メムト為ルニ、皆死人ノ頭・手足ト成ヌ。

巻二.TXT(318): 燈指、王ノ此ノ金ヲ得ムト思スト知テ、金ノ頭・手足ヲ以テ王ニ奉ル。

巻二.TXT(773): 時ニ、王大ニ瞋恚ヲ発シテ群臣ニ仰セテ、此ノ女ノ手足ヲ切テ、深キ坑ノ中ニ着ツ。

巻二.TXT(775): 王弥ヨ瞋テ悉ク五百ノ釋女ノ手足ヲ切テ深キ坑ノ中ニ着ツ。

巻二.TXT(817): 波斯匿王、此事ヲ聞テ云ク、「我ガ國ノ内ニ被貴ク止事无カリツル證果ノ聖人ノ大羅漢、婆羅門ノ妻ノ為ニ被殺レヌト」歎キ悲ムデ、大ニ瞋テ五百ノ群賊ヲ捕テ手足ヲ切リ、頚ヲ切テ皆殺シ弃ツ。

巻五.TXT(342): 行ク末ノ道未ダ遥ナレバ、尚手足ノ肉ヲ割テ与フ。

巻七.TXT(619): 頭及ビ手足ニ各一ノ花有リ。巻第7,震旦仁壽寺僧道[ソン]、講涅槃經語,619

巻十二.TXT(337): 「若シ、此レ、人ヲ殺セルカ」ト疑テ、良久ク俳徊シテ、従者ヲ竊ニ入レテ伺ヒ令見ルニ、従者寄テ壁ノ穴ヨリ臨ケバ、屋ノ内ニ銅ノ佛ノ像ヲ仰ケ奉テ、手足ヲ剔缺キ、〓[タガネ]ヲ以テ頚ヲ切リ奉ル。

TXT(458): 彼ノ中将、其ノ家ニ住ケル時ニ、二歳許ノ児ヲ乳母抱テ南面也ケル所ニ、只獨リ離レ居テ児ヲ遊バセケル程ニ、俄ニ児ノ愕タヽシク泣ケルニ、乳母モ〓[口+皇ノノシ]ル音ノシケレバ、中将ハ北面ニ居タリケルガ、此レヲ聞テ何事トモ不知ラデ、大刀ヲ提テ走リ行テ見ケレバ、同形ナル乳母二人ガ中ニ此ノ児ヲ置テ、左右ノ手足ヲ取テ引シロフ。<四517G・第廿七雅通中将家在同形乳母二人語>

「足手の表現」

巻廿七TXT(127): 「此ハ何クヘ行ニケルゾ」ト思テ、吉ク見レバ、只女ノ足手許離レテ有リ。<四486P・第廿七 於内裏松原鬼、成人形〓[口+敢クラフ]女語>

巻廿七TXT(128): 二人ノ女此レヲ見テ、驚テ走リ迯テ、衛門ノ陣ニ寄テ、陣ノ人ニ此ノ由ヲ告ケレバ、陣ノ人共驚テ、其ノ所ニ行テ見ケレバ、凡ソ骸散タル事无クシテ、只足手ノミ残タリ。<四487@・第廿七於内裏松原鬼、成人形〓[口+敢クラフ]女語>

巻廿八:亀ノ甲ノ左右ノ鉉ヲ取テ捧レバ、亀、足手モ甲ノ下ニ引入レツ、頸ヲモツフト引入レツレバ、細キ口許纔ニ甲ノ下ニ見ユルヲ、此ノ男捧テ、幼キ児共ニ、シソヽリト云フ事スル樣ニシテ、「『亀来々々』ト、河邊ニテ云ツルニハ、何ド出不坐ザリツルゾ。<五108D・巻廿八大蔵大夫紀助延郎等脣被咋亀語>

現代の私たちは、和語読みする場合も「手足〔てあし〕」と表現しているが、「足手」は全く使用しないかといえば、「足手まといになる」と使用する。となると、「手足」を字音読みでなく、和語読みする表現はいつ頃から使用されているのかその時期が氣になる。

高野山西南院本『仮名書き往生要集』(豊島正之さん作成データ使用。治承五年(1181)の書写年紀のある「三十帖策子目録」の紙背文書であり、治承以前が確実な国語資料として、夙に名高い。*築島裕1969「平安時代語新論」東大出版会、小林芳規1971「中世片仮名文の国語史的研究」広島大文学部紀要27-1等を参照)に、

20:29R9 オモテ メ ナシ, テ アシは カナヘの アシの ゴトシ, アツキ ヒ, ナカに ミチ<ゝ>{て}, ソノ ミを ヤク

と、「テアシ」と仮名書きの用例が一例ある。

また、これに類似する「手取り足取り」といった表現も、「足取り手取り」とは表現しない。このように、「足」が上位置に「手」が下位置にくることの本来の意味を厳密に知らねばなるまい。

ところで、『今昔物語集』では「足手」の表現は女の死骸と亀(動物)の身体部位について使用されている。そして生命ある人の身体部位をもって表現する時には、やはり、「手」が上位置にして「足」が下位置に表現されているのではないかと推定する。すなわち、意味合いにおける正と負といった対称の表現意識による語の排列がここにはあったのではないだろうか。

さらに、他の文献資料では、この身体部位対称表現は、どのようになっているかを知りたい。

西來寺蔵『仮名書き法華経』には、「足手」はなく、「手足」五例が見える。

TXT(87): ○また、菩薩の、身・肉・手・足、および妻子を施して、無上道をもとむるをみる。序品30C,26,3上[原文]復見菩薩身肉手足、及妻子施求無上道,A01,87,

TXT(1387): ○無量億劫に、たれかよく報せんもの、手足をもて供給し、頭頂をもて礼敬し、一切をもて供養すとも、みな、報じたてまつることあたははじ。信解375@,362,18下,B04,1387,

TXT(1692): ○ひとたび坐して、十小劫、身躰、および手足、静然として安して、動したまはす。化城,458A,453,22下,C07,1692,

TXT(2608): ○六波羅蜜を満足せんとおもふかために、布施を勤行して、心に象・馬・七珍・國城・妻子・奴婢・僕從・頭目・髄脳・身肉・手足を〓惜することなく、〓命をもおしまざりき。提婆709@,726,34中,E12,2608,

TXT(4152): ○あるひは枷〓に囚禁せられ、手足に〓械をかうふれらんも、かの觀音を念せんちからに、釋然として解脱することをえてん。觀世1239B,1252,57下58上,H25,4152,

と、いずれも音読が可能である。

吉田兼好著『徒然草』には、「足手」の表現は見えず、「手足」の表現が二例見える。

TXT(23): 九米〔クメ〕の仙人の、物洗ふ女の脛〔ハギ〕の白きを見て、通〔ツウ〕を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。<第八段>

TXT〔309〕: 泉〔イヅミ〕には手足さし浸 〔ヒタ〕して、雪には下〔オ〕り立ちて跡〔アト〕つけなど、万の物、よそながら見ることなし。<第百三十七段>

ここでの「手足」の表現は、音読するか訓読するかは揺れるところであるが、「シユソク」と音読してもよいところであろう。だが、慶長二年奥書きの細川幸隆本『徒然草』(東京大学文学部国語学研究室蔵・勉誠社文庫35)、時枝誠記編『徒然草』総索引(至文堂刊)では、「てあし」と和訓読み表現として認識している。そして、意味は「生」の語認定である。

道元著『正法眼蔵』には「足手」の表現は見えず、「手足」の表現が三例が見える。

TXT(2210):  頭目髄脳、身肉手足を愛惜することあたはず、愛惜せられざるがゆゑに、売金須是買金人なるを、玄之玄といひ、妙之妙といひ、証之証といひ、頭上安頭ともいふなり。

TXT(3833):  ひとたび袈裟を身体におほふは、すでにこれ得釈迦牟尼仏之身肉手足、頭目髄脳、光明転法輪なり。かくのごとくして袈裟を著するなり。

TXT(4706):  この三十七品菩提分法、すなはち仏祖の眼睛鼻孔、皮肉骨髄、手足面目なり。仏祖一枚、これを三十七品菩提分法と参学しきたれり。

「身肉手足」・「手足面目」いずれも「手足」は音読表現であり、訓読はしない。ここでは、生と死の語意識の選択を認定するのはむつかしい。

以上、すべての文献資料を考察できたわけではないが、今のところ「足手」の語は、『今昔物語集』巻廿七と巻廿八に見えるに過ぎない。今後さらに調査を続けていくこととしたい。(文責:萩原義雄)

                  1997年8月3日起終筆

追記1『八幡愚童訓』乙本に、「其中に覚円さかゞ辻に捨てられて、耳なんどは蟻にさゝれて穴あきたりしか共、犬・鳥にはくはれずして数日を過てよみ帰と云つるも、力尽〔つき〕足手なへたりしかば、とかくはげみて宿所へ行たりければ、宿の者共驚てにげさはぎければ、有つる作法を語ければ、其後は蘇生のひじりとて名誉したり。」[日本思想大系20「寺社縁起」二五二頁Q]と、死んだ後に蘇生する人(覚円)の身体部位の表現として「足手」の語がここにおいても使われているのである。<10月10日加筆>