2005.04.16〜2006.01.06更新

文献資料を読む〔近・現代編〕

講義担当:萩原 義雄

連絡事項

 冬季リポート課題

 これまで、進めてきたなかで、比較論・総論でも結構ですので、「漫画・まんが・マンガ(アニメ―ション)」をさらなる近・現代の文献資料として位置付けていくうえで、どのように位置づけ展開したらよいのか?“まんが”という素材を実例に貴女の眼でとらえ、まとめてみてください。提出物は、A4用紙でリポート五枚以上、それに添付参考資料など(FD提出も可能、但し必ず印刷物を添付)を添えて、お出し願います。

 

 後期講義の補講は、行いません。ただ、このHPを通してリポート作成に必要な内容及び事柄を伝達します。触れておかねばと思ったことを最後にまとめてみますので、是非お読み願います。

 

補講に替えて

 仏教の世界に「輪廻転生」の思想があり、この手塚治虫原作の『火の鳥』にはこれに纏わる譚話が数多く登場する。生命の誕生とその死を繰り返す。この地球上には、万物の生命体がくらし、地球は、宇宙空間を持ってみれば、なんとちっぽけで青色の球状をしている。この星で多くの生命の営みが今日も続いている。人類はこの星において自然破壊・戦争殺戮・食糧危機など様々な問題を自らが作りだし、常に問題としている。さらに、この影響からか、自然災害も多く抱えて病む姿が絶え間なくやってくる。夢も希望も無いかのようなこの地球に人々は幸福の時間を見つけ、各々が自分に見合った時を真摯に受け止め、精一杯生きている。これを見つめ尽くそうとしている温かなまなざしのそのひとつが、手塚治虫自身が描き出したこの『火の鳥』のモチーフなのかもしれない。

 どんな生命の生き物でも、己の居住する空間を大切にする。人も例外ではない。居心地の善し悪しは、自己の本意があればこそである。現代人は都会と田舎に暮らし棲み分けをしている。エソポの物語に云う「都会のネズミと田舎のネズミ」譚かもしれない。そこでの居心地を悪くするある種の違和感を覚える感じ方は、自己の本意を失いつつあるという危険信号なのかもしれない。であれば、「不老不死」の生命を求めつづける人とは如何なる人物なのか、これもまた、『火の鳥』が見せてくれている。

 「生あるものは必ず死す」この道理を知った人は、命の尊うさに出会うことになる。この世に生を授かり、懸命に生き抜くとき、人は「生き甲斐」を知るのだと『火の鳥』は語っている。

 自然は、美しき彩りのある世界を創り出してきた。この地上には豊かな水と陸地(くがち)よりも広大無辺な蒼い海があり、天空には太陽と月が交互に訪れ昼と夜とを掌る。陽の光は、生命に必要な新鮮な空気を絶えず生み出し、育みに大切な時を刻み続けている。西に沈まんとする太陽の大きな赤い夕日が「人の世の移ろい、時の流れのあやに動じては―この大自然の素晴らしさを味わうことはできぬ」という。やがて、闇夜に照らす月光も生きる静かな営みの慰めとなる。

 

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講義内容

 

2005.04.15(金)

  講義ガイダンス

 

2005.04.22(金)

  とっかかりに、何を学習するのか。

 

連休

 

2005.05.13(金)

 まず、「まんが」・「マンガ」・「漫画」三樣の表記をどう見ていますか? そして、こう表記され、記載される以前はどのような呼称が用いられていたのでしょう。今回はそうした所謂、その発端でもある「まんが」の起源を学習してみたいと思います。
01 鳥羽僧正の描いた『鳥獣戲画』という作品を見たことがございますか?
02 文字の組み込みはいつ頃から見られるのでしょうか?
03 長谷川町子『サザエさん』の文字表現を見て考察しましょう。
 
2005.05.20(金) 休講
 

2005.06.03(金)

 現代関西文化と「鳥獣戯画」について

 

2005.06.10(金)

 まんがの文化的背景とその展開

―室町時代のお伽草子や奈良繪本・江戸時代の黄表紙、草双紙、子供向きの赤本―

 「赤本マンガ」

―明治時代からの少年少女雑誌―

 「少女まんが」

―昭和の大人向けマンガ―

 「劇画」とその隆盛

 

2005.06.17(金)

 まんがの描く人類文化の未来像

先週、アニメーション映画「ロボッツ」に触れておきました。

人類との共存性を有する人造人間(ロボット)と人の社会との融合性を漫画はどのように表現してきたのでしょうか。また、「まんが」が伝えようとした人類のアイテムとはその未来社会像は、いったいどのような展開を今後持つものなのでしょうか。

参加者と共に考えてみたいと思います。

鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」「仮面ライダー」「新造人間キャシャーン」「ちょびっツ」「ドラエもん」映画「メトロポリス

 

2005.06.24(金) 休講

 まんがの言語コミュケーション表現とその理解度

あらためて「まんが」とは、なんぞや?と問いかけてみる。まんがの有する三要素は、「こま」「絵」「セリフ(ことば)」ということになろう。実際は、「こま」のなかに絵が大きく描かれ、そしてことばによる説明表現やセリフが纔ずかに示されていく。この「こま」を順序よく流動的に読み進めていくことで、その内容に伴う音の世界や動きの世界を把握していくのである。そこには緩やかな動画性が認識され、一枚一枚の絵画だったものが映画のように流動性を醸し出していることに気づくだろう。

この緩やかな動きから果ては瞬時を競うかのようなハイ・スピードの迫力感を有した描写方法から読者は、何かしら共有した緊迫感・臨場感を感得する。この筋立てを模索する脚本作家がいてこれに創造性を添えるかのように描く画家が存在する。時には、この人物が同一すなわちひとりですべてを凌駕しているから驚嘆する。

その代表的まんが家こそ手塚治虫その人であった。

ここで、その作家の高度なる教養性とその豊かな発想性が生み出した一大パノラマとしての「まんが世界」というものが日本の少年少女から果ては大人までを魅惑の坩堝に誘っていったのであるまいか。

 

2005.07.01(金)

 「まんが世界」の魅惑の坩堝を考察する

 1,絵画性について (背景=自然風景・都会風俗・四季及び昼夜の時間の流れなど)

 2,物語性について

 3,人物構成

 4,道具類

 5,喜怒哀楽感

 6,闘争・人と人との絡み合い

 

2005.07.08(金)

 「まんが世界」の魅惑の坩堝を考察する

 光と色彩、そして黒白(モノクロ)画像におけるまんが表現

 

「まんが」における「景観表現」について

ー白黒による色彩は何を絵としたか?ー
 今週は、「色彩」の表現に着目してみよう。手塚治虫が描く人物描写が時に思いがけない人種差別を生み出し、黒人に対する差別抗議の対象となっていることを知ったのは、彼の作品『火の鳥』―鳳凰編―においてであった。人物が殺意を表出する世界で、闇に暗躍する主人公をシルエットの如く、ただただ真っ黒、黒く描く。その気迫は、絶たれて失われていく命の白とタイアップする。あたかも黒人が白人を襲う姿にも取れないことはない。
 また、私が気が付くことであるから既にどなたかが指摘していることかもしれないが、時には左図のような細胞型の混載色タッチで心の葛藤における人物の命(心そのもの)が変貌・変身(=心)する様相をものの見事に描き出している。今までにない微細さがそこにはある。
 通常、変貌・変身は、外形での変容であったが、手塚治虫の見せた変貌・変身(=心)は、内面の変容・変心でもあった。
 人の心はかくもかわるものだろうかという世界をものの見事に対比して、その二局面を東大寺「鬼瓦」づくりという場面状況のなかでくっきり見せている。この「鬼瓦」だが、前に佐倉国立歴史博物館で時代毎に展示されていたことを思いだした。創作者の創意工夫ひとつで、同じものは絶対ない。師匠と弟子の関係にあってでもある。淡路島が今の生産地であることもどこぞのテレビ番組で見たことがある。これを手塚治虫は、二人の佛師を通じて描き出す。
 ブチというミロク像的な体型を備えた女人がこの二人の佛師に巧みに絡んでいる。彼女もシルエットに描くことでまさにミロク其のものに表現していることを忘れてはいけない。

 

2005.07.15(金)

 「まんが世界」の魅惑の坩堝を考察する

   光と色彩、彩色画像におけるまんが表現

 

    「まんが」における「景観表現」について

        ―彩色による色彩が目指す絵表現とは?―

 彩色の歴史のなかで、注目しておきたいことがある。それは、江戸時代黒白の木版刷りの版本に描かれた物語の場面や景観にその持ち主であった人物が彩色をしていることである。黒白の図絵が彩色することで一変する。彩色に用いられている色は現在のようにそう多くはないが、それでも色合いをつけることでその場面状況を自分好みな世界へと変貌させている。

 現在では、コンピュータ・グラフィクスの記号操作で、一瞬にして画像の色合いを変化させることができる。この時代の趨勢は目を見張るものがあり、近づくことが容易になったとはいえ、江戸時代のこうした彩色塗り絵技法のように、丹念に仕上げていく楽しみやその完成の時の喜びというものが味わえなくなっている。

 さて、ここで漫画の彩色について考えてみよう。手塚治虫の『火の鳥』黎明編(角川書店1954→1990刊)の1ページ分である。密林の闇の世界に一際光り輝く物体をシルエットに描き出す。闇の世界仄かに映し出された密林の樹木、その左側には彩色された黄金色に輝く「火の鳥」が対照的に描きだされている。再び闇の密林(ジヤングル)に人の眼、それは火の鳥の輝きの光明のしたで顔だけが映し出され、やがて遠のくことで見えなくなる。そして、実際の彩色された画像でのストーリーが展開していく。手塚作品の意識的な彩色技法が見事に見えてて居る。さて、彩色された残りの6コマをあなた自身が読み取って、気がついた事柄、作者の彩色意識などについてこのあとに記述してみなさい。

 

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 二回の休講に対しての補講を七月一九日(火)〜二一日(木)のなかで予定しております。

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2005.07.19(月)補講 第1限&第2限

 演劇「歌舞伎」

  竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作『義経千本桜』
   三代並木五瓶作、歌舞伎十八番の一『勧進帳』
 手塚治虫『弁慶』1954年「おもしろブック」二月号別冊付録 原題「はりきり弁慶
目 次
  プロロオグ〔299〕
  べんけいがな、ぎなたをもってさ〔309〕
  ちょうちんとつりがねはどっちがおもいか〔324〕
  ひよどりごえ〔346〕
  世の中つめたさ ともだちのありがたさ〔361〕
  船べんけい〔371〕
  ぼうずがびょうぶにじょうずにぼうずのえをかいた〔381〕
  かんじん帳(上)〔389〕
  かんじん帳(下)〔399〕
  べんけいの立往生〔408〕
 
 0,いまから八百年前 保元・平治のいくさなどで源氏と平家が ブードン ジャンカンと いやもう かなものやの 大そうじのような 騒がしさ……
 1,うわ 待てえ よろいだけ のせちゃった
 2,特車の 先祖が つまり これじゃ
 3,これ どなたの ですか …………
 4,うる さい なあ
 5,{おかえりは ××デパートへ}
 6,公衆道徳が 守られない でこまる テ……
 7,南蛮国から 教わった 攻め方で ある
 8,やられたっ うしろから ひきょう だぞ
 9,慰問車を こわしちゃ だめだよっ
 
 10,そして 戦争に勝った平家は 都で だんだん 重い位について いばりだしましたが…… 人々は やっぱり貧乏で 苦しんでいました
 11,やーい もっと お酒を 持って こいよ
 12,いま コーヒーを いれるから 静かに おしや
 13,カマキリが ないて います こと……
 14,ありゃ イモムシ じゃよ
 15,やい ルンペン おとおりの じゃまだ どけーッ
 16,おなかが へって…… 死にそうだ
 17,うわっ 車に ひかれ たっ!
 18,でも…都の春は 毎年 おなじように やってきて サクラの花びらと いっしょに 過ぎ去っていく……
 19,プロロオグオーオーオーン グオーーン
 20,  「おお ギオン ショウジャの 鐘がなる」(平家一門による会話)
 21, よし おじうえ この平山盛が 六波羅ケイサツに 命じて きっと ひっとらえて くれます(平山盛の会話)
 22,  なに…… 「べんけいが なぎなたを もって さしころした ものの身内は とどけ いづべし」……?[弁慶の会話]
 23,おお フィギュア スケート うまいぞ[ブーン]  [弁慶の会話]
 
補講第1限分 ことば表現を用いない(無音・無声)「まんが」の場面
 継続になりますが、『弁慶』のなかで、さまざまな注目すべき点に気づかれたのは言うまでもありません。その一つとして、「掲示板」に、
 
文献資料を読む 投稿者:JK3016  投稿日: 6月12日(木)19時43分21秒
一つ前の投稿で「カマキリの鳴き声が聞こえなかった」と書いてあったと書きましたが、正しくは「カマキリの声が響き渡ってた」でした…。あとちゃんと鳴き声のことが書いてあるページに飛べました。
「カマキリが ないて います こと……」を考察する「ガラス張りの明るい部屋の中で、チョウが自由に飛び回り、カマキリの鳴き声が響き渡ります」という実際の声は、いかがなものでしょうか?「カチュカチュカチュ……」?。
《追補・雑学》
かまきり【鎌切・螳螂・蟷螂】図絵・写真
@カマキリ目(網翅モウシ類)カマキリ科の昆虫の総称。頭は三角形、前胸長く、腹部肥大、触覚は短 く、糸状。前肢は鎌状の捕獲肢となり、他の虫を捕えて食う。緑色または褐色、熱帯産には紫紅な ど美しいものがある。カマギッチョウ。鎌虫。蝿取虫。疣虫。疣じり。疣むしり。疣つり虫。とうろう。 <季・秋>Aカジカ目の川魚。カジカより大きく、体長約三○センチメートルになる。美味。日本の 川に普通。アラレガコ。アユカケ。カクブツ。『広辞苑』より。
mantis【mantis】
(名)〔虫〕カマキリ(praying 〜) (◆強欲・残酷の象徴)。『GENIUS英和辞典』より。
 気象「雪」と「カマキリ」
 1, カマキリが枝の下側へ巣を作ると雪が多い 
 2, カマキリが草木の下部に卵を産めば雪少なし 
 3, カマキリが高い所へ巣をかけると雪が多い 
 4, カマキリの卵が高い所にあれば大雪、低めは小雪
 
[課題] 本日のテーマである、「ことば表現を用いない無音・無声による「まんが」の場面」 ですが、「平泡盛」〔303頁〕の逃げ出す様を描いたところは、先回説明したところです。このような場面を探してみては如何でしょう!。
 そこで、なぜ、こういった場面を描くとき、「ことば表現」を用いなかったのか、そこには、「まんが」における“ことばの役割”がどういうものなのかを逆に教えていることにもなるまいかということから考えてみたいと思います。この人物の表情やしぐさを誇張して描くとき、その主要箇所を思いっきり焦点化して表現しています。まさに「絵物語」として、複雑で高度な内容を読者に提供しています。弁慶に太刀を奪われ、仰天し、命からがら一人となって駆け出す姿、その烏帽子がとれかかった無様な顔、その目、瞳の奥底、そして描写は転換して後ろの襟あし、ふたたび背全体を描いています。このあと、いきなりことばが飛び出すのではなく、最初は感嘆の声「お お お」、次に「おだすげー」、「だれか おらぬかー」、「おじやずげーェ」、「おぢゃっおぢゃっおぢゃずけーッ」として、これを平山盛りが聞き違えて「お茶漬け」となるシーンが登場するのです。そして、「おちゃずけー」でなくて、「おたすけ」 と言っていることが相手に最後に伝わるのです。ことの真相は、落ち着いたところで、このあとに「京の五条の橋の上で大の男のくせものが家宝の刀を奪ったんじゃ」と語られ、山盛が「な なんですって あの名刀を…… お お おじうえともあろうひとが……」となります。
※私の見解そして、受講生のご意見を伺いたいと考えています。
 
 
 
補講第2限分「まんが」における無音・無声の意義
 人は常時、有声会話を続けているのではない。無言にして、深慮の淵に身を置いている時もあるのだから。では、音はどうかといえば、この世にある限り、音のない世界は現実にはありえない。そこで、なぜ音や声を消してまで表現するのか?
独自の効果
 人の声も大勢の人がひしめく雑踏の世界では、「ガヤガヤ」と表記するのが鉄則みたいな状況にある。これは聞こえているが、何も聞こえないようにすることで状況はどう取られるかと言えば、「緊迫した」場面状況をよりリアルに表現していることを暗黙の了解としてきている。手塚の作品では、「ブツダ」に、ウサギが自らわが肉を行者にささげようとするシーンがあって、ここでは、ウサギが火に身を投じる瞬間を描いた場面で「ジュ!」という象徴音だけが使われているのである。
 このサイレントとしての神性な趣きは、厳かな生命に対することがらと、人が命ある生き物を「食」として断つとき、みながそれぞれ思いを寄せていく世界でもある。
 無音・無声による絵画化技法は、日本の伝統性をもってひもとくのであれば、平安後期の高山寺蔵『鳥獣戯画』の躍動性とことば章を持たずとも、その状況を世代を経て認識できる絵画力を手塚治虫自身がすでに持ち合わせていたということである。その手法は、やがて手塚の作風を指示する石ノ森正太郎や永嶋慎二などに継承拡充されていく。
なかでも、永嶋慎二の描く「無音・無声による絵画化技法」は難解である。1970年作の「フーテン<秋の章No.4>」〔ちくま文庫、1988年刊・476頁〕の描写である。
@学校の校長室、その椅子に腰かける眼鏡をかけた紳士(学校長)、A横向きの顔画15枚(老若男女)、B帽子を被ったパイプを加えた人物(「瞳に映る青年」インから「人物上半身」アウトへ)、C街の店先の階段に腰かける一人の青年(Bの人物の瞳に映っていた、春・夏・秋・冬の四画)、D秋を思わせる夕景に飛ぶ二羽の鳥と慈味にみちあふれたお地蔵様、Dより小さな画体で最初の紳士(学校長)で終わる。この「お地蔵さま」が担う役割をここで理解しなければならないのである。いかが・・・・。
≪参考資料≫笹本 純[筑波大学芸術学系教授]研究発表「サイレントマンガ(=言葉を用いないマンガ表現)の特性と意義」日本マンガ学会、会報雑誌第三号所収(2003年.03発行)。
 
 「まんが」における「隙間表現」について
 先週に引き続き、「カマキリが鳴いている」式の表現に着目してみましょう。画面上には、「カマキリ」の鳴き声は、まったく表現されずに読者には理解されていきます。この鳴き声は“聞きなし”であるからして書き手と読み手にとって共通の理解がなければなりません。ここで、この鳴き声を理解できる読者と理解できない読者(それ以前に、著者手塚治虫のいう「カマキリ【蟷螂】」という虫を知っているか否かが確認されねばなるまい。なぜならば、手塚はこの作品中に「カマキリ」を絵画化していないからです。いわゆる、「カマキリ」ということばで表現しているのであり、この点については、文学小説における叙述表現とまったく同じ手法ということになります)とに二分されてきます。この二分は理解者に立つ読者層にしてみれば、その場面上の聞きなしはごく自然に展開されていくのであり、“つまづき”“ひっかかり”などといった一つの“こだわり”にはならないのですが、後者の未識者にしてみれば、手塚の云うその「カマキリ」の鳴き声がどのように聞こえているのかを“知りたい”、“聞きたい”という学習意欲を促す原動力となっていることに気づかせられるのであります。人の好奇心を何気ないこの全体描写場面の一コマにあって平氏の君達と姫君との庭を賞めでながらの立ち話で、会話風にして用いたこと、それは手塚治虫の奥深い知識欲の一部を覗かせた「隙間表現」ではないかと私は考えるのです。
 今回、こうした「隙間表現」の技法を体系的に考察していきたいと考えました。
 手塚治虫のこれまで多くの作品を対象に見てきたなかで、私自身気がついたことは、絵画描写において全景からみれば何気ないところに小動物(犬・猫など)を配置登場させていました。それは場面展開とは必ずしも密接につながりを有するものではなかったのと考えてよいかと思います。これを「絵画性隙間表現」としたとき、これと同じように、「文字会話性隙間表現」がこれです。この「すきま(隙間)表現」の技法も、場面展開にあっては密接なつながりは何もないように私には考えられます。強いて云えば、現代の知識者と過去の有識者とが兼ね備えた共通する智の連動的感覚性を示唆するものであります。これ以外に何か際立った特徴点は私には見出せないからです。
 時代性を超えて、手塚治虫という作画家が古(いにしえ)と今(いま)の人間感覚とを引き合わせているというのは、この「すきま(隙間)表現」の技法が担っていると私は考えたいのです。
 作品のストーリー性からすれば、時代考証もはなはだ疑わしい世界であり、より客観視してみれば、それは手塚治虫の主観的な作画そのものでありましょう。そうしたところに、“ゆとりの間隙”を見るのです。それを江戸時代の読本作品資料でいえば、滝沢馬琴が『南総里見八犬傳』で見せた「閑話休題」式の世界とも共通しているのではないでしょうか。この「閑話休題」(まんがでは別して断わらないが)こそが作画者の憩い=至福のひとときでもあったのではないでしょうか?と私には思えてくるのであります。
 次に、こうした表現を私が考察したように、いつどのように誕生したのかをより精確に探らねばなりません。
  手塚治虫が求めてやまない宇宙観・自然観などが大いに躍動していて、人が有するところの一種の科学観を「まんが」という媒体を通して彼の作画に求めてみることも大事ではないでしょうか。
まとめ
 1、手塚治虫「まんが」作品における「隙間表現」とは。
  「絵画性隙間表現」と「文字会話性隙間表現」
 2、「隙間表現」がなせる世界とは
  「智的好奇心」そのものをくすぐる効果
  時代空間を超越した「智」の連動効果
 3、「絵画性隙間表現」とは、
  小動物によるセラピーに似た癒しの効果
 4、「文字会話性隙間表現」とは、
  未知なるものを既知なるものへと置換する智への刺激効果
  現実直視は、自らが見て聞いて体験する自発性の促進効果
 5、「隙間表現」は作画者が有する「智的産物」であり、作画者自身の精神の安定効果剤
 
課題≫「絵画性隙間表現」と「文字会話性隙間表現」とを手塚治虫の作品にそれぞれが見出し、これが次世代の作風にどう受容されているのかを含めて考えてみようではありませんか。 

 

 後期最初の講義を開始します。テーマは継続してきています手塚治虫作品『火の鳥』を今少し考察対象にして見ていきましょう。前期[課題]の提出は、9月30日(金)とします。

 

2005.09.16(金) 

 手塚治虫 『火の鳥』太陽編

       

        『火の鳥』太陽編[上・下]にみることば表現について

 

  《參考HP》 火の鳥のコーナー NHKアニメワールド:火の鳥

        手塚治虫『火の鳥』堀 啓造(香川大学経済学部)2003/05/19〜2004/03.04

        手塚治虫のすべて

 

2005.09.30(金) 

        『火の鳥』太陽編[上・下]にみることば表現について

 

2005.10.07(金) 

       火の鳥』乱世編 の覚書きを基に…

 

2005.10.14(金) 

 『火の鳥』黎明編

時は古代。女王ヒミコのヤマタイ国と対立するクマソ。

部族間抗争は烈しく、

戦場は血の海に。度々の危機をくぐり抜けて

数奇な運命をたどる姉弟ヒナクとナギ、防人(さきもり)の猿田彦。

そして、手柄欲しさに「火の鳥」を狙う欲望の男たち。

酷(むご)くも美しいヤマトの自然を背景に

「永遠の生命(いのち)」へのそれぞれの「戦い」を描く。

 

2005.10.21(金) 

 『火の鳥』黎明編 その2

  先週進めてきた内容の更新継続です。雑誌COMの時と、現代普通に読むことの出来る文庫本タイプでの相違点などを明らかにしていきます。

 

2005.10.28(金) 

 『火の鳥』エジプト編・ギリシャ編・ローマ編&黎明編(未完)

  火の鳥チロル…不死鳥(ふしちょう)(死なない鳥)とも呼ばれている。その血をのむと三千年も生きられる、ふしぎな鳥。〔154頁〕

 この物語は、「少女クラブ」1956年5月号に始まり、1957年12月号に及ぶものである。いわば初期の作品といえる。また、これ以前に「漫画少年」に1954年7月号から1955年5月号に初期「黎明編(未完)」を発表している。この「漫画少年」連載の初期について考察します。

 

2005.11.11(金)  休講

2005.11.18(金)  休講 ※この時間については、12月に補講を予定しています。

 

2005.11.25(金) 

 アニメーション手塚治虫World を観てみよう!

劇場・テレビ(シリーズ)・テレビ(スペシャル)・実験アニメ・オリジナルビデオ・PR・パイロットフィルム

 

2005.12.02(金) 

 アニメーション作品とその国際展望 その1

「黒白」から「彩色」へ

 漫画が保有してきた、黒白(時には青・緑色の単色印刷)での描写が口絵と同様に彩色が施されるようになるのはいつの頃であろうか?現代連載されている漫画でさえ、単色印刷で表現されつづけてきているのが現状である。これが、テレビアニメの世界に継承されることで彩色化に拍車がかかったことは云うまでもなかろう。そこで、単色で描写された風景画に注目して、今授業では文字が果たせない絵画の有するイメージを考察することにしたい。
 そこで、ひとつの文字言語からくるイメージを例に説明してみたい。英語辞書で「ゼブラ」、すなわち「しまうま」をひもとくと、「白地に黒の縦縞」がはいった馬と表現されている。だが、この認知はあくまで白人の認識に基づくものであり、黒人は「黒地に白の縦縞」がはいった馬と表現する。この差異を日本人はどう認知するかである。漫画では黒白&白黒で表現するのみであるからして、黄色人種である私たちは、白への傾斜が強いのかもしれない。この問題に私が気づきたのは、名古屋の徳川美術館で観た一巻の「競馬」の図絵に「シマウマ」が描かれていたことに起因する。まぎれもない江戸時代の日本の狩野派の絵師が描いたものであり、南蛮文化の影響を色濃く残すものである。
 地肌は「白」で描写するとして、髪の毛はいかがであろうか。このあたりを注目していきたい。日本人の多くは、黒髪(緑の黒髪)が主体であり、黄い髪や茶の髪、栗毛はては金髪・赤髪・青髪は歌舞伎の世界を髣髴する、いわば社会とかけ離れた異種の世界を形成しているものである。これを「漫画」に表現するとき、通常は「黒髪」だが、あるとき「白髪」が登場する。「白髪」は、老人化を意味するが、若者の白髪描写は、異邦人を意味している。
 次に「瞳」の色はどう描くだろうか?「眉毛」は、そして「唇」はと観ていただきたい。そうして先ほどの「ゼブラ」が示すイメージを私たち日本人が観て「黒」と「白」のストライプの馬を「しまうま【縞馬】」と名称したところに、考察がいくのである。さらに魚にも「縞」のはいいた魚がいるが、これは「真」と「縞」とで別分類している。「真鯛」と「縞鯛」という捉え方、こどもの童謡に「シマウマの縞をぐるぐるとって、シマウマの縞をぐるぐるとって、しましま」という歌詞があるが、この「縞」をどう描写するかで、対象物の受け止め方が大いに異なることを考えていただくものである。そのうえで、彩色が果たす役割を自らが描くことで気づき新たな発見をしてもらいたい。
 

2005.12.09(金) 

 アニメーション作品とその国際展望 その2

旧ロシア製作『雪の女王』〔アデルセンの物語〕を観て

 

《鑑賞批評》

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文献資料を読む  投稿者: ryou  投稿日:12月 9日(金)12時17分11秒
11月25日
手塚治虫のアニメーションはとても鮮やかで、私が昔見たリボンの戦士は今でもよく覚えています。メトロポリスは映画館へ足を運びました。現代版として多くのグラフィックで映像化されていましたが人の人格というものがとても表情に表れていると思いました。
12月2日
縦縞といっても本当に様々なものがあり、いろいろな場所に使われていることがよく分かりました。ストライプといってデザインとしての魅力もあります。一つの絵として生活の中に溶け込んでいて、改めて縦縞の魅力を感じることが出来ました。
白と黒だけで表される漫画の世界で本当にこの二色が重要な意味を持っているのだと思いました。
12月9日
雪の女王はアンデルセンの本を読んだことがあります。
その物語が映画に、それもずっと昔になっていたのは初めて知りました。
宮崎監督が憧れるくらい素敵な作品なのだと思いました。
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文献  投稿者: miki  投稿日:12月 9日(金)12時10分31秒
アニメを見るのは好きですが、考えるのは、苦手です・・・
レポート頑張らないと!
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文献  投稿者: omi  投稿日:12月 9日(金)12時09分23秒
昔のアニメなのにとても完成度が高くで驚きました。たぶん、小学生のころに何かで見た覚えがありますが、あらためて見ると映像がきれいでキャラクターの動きもなめらかで面白かったです。
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文献資料  投稿者: jk5061  投稿日:12月 9日(金)12時08分21秒
雪の女王が、あんなに長い話だとは知りませんでした。
映像も、昔のなのに綺麗ですね。
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文献資料を読む  投稿者: yume  投稿日:12月 9日(金)12時02分4秒
ディズニーの最初の黒白作品、それか「ピノキオ」のアニメに似ていると思いましたが、ロシアの作品だったと知ったときは驚きました。
小さいころは童話をたくさん読んでいたので、子供のころ見たアニメを思い出して懐かしくなりました。1957年の作品とは思えないくらい映像がきれいで、動きも豊かで驚きました。宮崎さんの作品は新しいものが出るたびに必ず見ていますけれど、この話がその元となっているというのは納得しました。
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2005.12.16(金) 

 アニメーション作品とその国際展望 その3

ヨーロッパにおけるマンガ&アニメ(イタリアを中心に)

 
止め