〔2002.12.23更新〕

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(5)早言(早口)

 早言の要素としては、次の四つがあります。

第一>種々の語を並べ立てる早口。長言。

第二>一定の短い句を繰り返すことで全然別種の文句に聞こえる秀句遊戯。

第三>畳語畳韻を用いる早言、長言。

第四>舌がもつれて言いにくい舌捩り文句。

第五>異例。洒落から早口になる文句。

 この四つの要素が一つの文句として長つづけにしたものを「早口そそり」と呼称します。このそそりの文句が自由に介在して続けられるのが特徴で、二代目市川団十郎の外郎売り(享保三年)の科白、及び長歌の言興寺がそれにあたります。また、早口そそりを程良く仕立てて出来上がった戯作には、芝全交の『形容化景唇動鼻下長物語』(寛政五年)、『白髭明神御渡申』(寛政五年)<後編とあるが、名前のみで早口そそりは未見>、築地善好『外郎早言相州小田原相談』(寛政七年)、式亭三馬『はなげは長し面はみぢかし道外物語』(文化六年)、落語のなかでは、『金明竹』があります。後の南新二『筑波の裾野狸の牧狩』(明治二十六年)は、『相州小田原相談』を改編したものです。

 さて、早言の起源ですが、はっきりした年代はわかりません。ただ、畳語文句だけの文学表現は修辞法の一つとして太古から用いられています。舌捩り文句の発祥そのものが民間の庶民文化にあって文献学の立場からは判断が付かないのが現状です。流行の潮流が享保三年、二代目団十郎の外郎売りの科白以来、起伏のあったことは、上述の作品が教えてくれます。当時の趨勢が今なお現代の言語遊戯生活のなかにほそぼそと受け継がれていることは、驚くことでもあります。

団十郎の外郎売りの科白

拙者親方と申すは、御立合の中(うち)に、ご存(ごぞんじ)のお方もござりませうが、お江戸を立(たつ)て二十万里上方(かみがた)。相州小田原。一しき町をおすぎなされて、青物町を登りへお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、円斎となのりまする。元朝(ぐわんてう)より大晦日(おほつごもり)まで、御手に入まする御薬は昔ちんの国の唐人、ういらうといふ人、我が朝へ来り帝へ参内の折から、この薬を深く籠置、用ゆる時は一粒づつ、冠の隙間より取り出す。依ってその名を帝より、頂透香(とうちんかう)と給はる。則文字にはいただきすく香(にほひ)と書てとうちんかうと申す。只今はこの薬殊の外(ほか)世上に広まり方々に似せ看板(かんばん)を出し、イヤ小田原の灰俵のさん俵の炭俵のこと。いろいろに申せども、平仮名をもつてういろうと致したは、親方円斎ばかり。もしやお立合の内に、熱海から塔ノ沢へ湯治にお出なさるるか、又は伊勢御参宮の折からは必ず、門(かど)ちがひなされまするな御登ならば右の方、お下なれば左側八方か八棟(やつむね)おもてが三つ棟玉堂造りはふには菊に桐のたうの御紋を御赦免有て系図正しき薬でござる。イヤ最前より家名のじまんばかり申しても、御存ない方には、正真の胡椒の丸呑、白川夜舟、さらば一粒たべかけて、その気合をお目にかけませう先この薬をかやうに一粒舌の上にのせまして、腹内へ納めまするとイヤどふともいへぬは、いかん肺肝がすこやかになりて、薫風咽より来、口中よびりやうを生ずるがごとし。魚鳥木の子麺類の食い合わせ。そのほか万病速効あること神のごとし。さてこの薬第一の奇妙には舌のまはる事が銭ごまがはだしで逃げる。ひょっと舌が回り出すと。矢も楯もたまらぬじや。そりゃそりゃそりゃそりゃそりゃ回ってくるは。あわや咽、さたらな舌にかげさしおん。はまの二つは唇の軽重かいごふ爽(さはやか)に。あかさたなはまやらわ。をこそとのほもよろお。一ツぺぎへぎにへぎほしはじかみ、盆まめ盆米ぼんごぼう。摘蓼(つみたで)つみ豆つみ山椒。書写山の社僧正(やそうぜう)。こゞめのなま噛(がみ)小米のこなまがみこん小米のこなまがみ。繻子(しゆす)ひじゆす、ひじゆす繻子しゆちん。親も嘉平衛子も嘉兵衛、親かへい子嘉へい、子嘉兵衛親かへい。古栗(ふるくり)の木のふる切口。雨がっぱがばん合羽か、貴様のきやはんも皮脚絆、我等がきや絆も皮脚絆。しつかわ袴のしつぽころびを、三針(みはり)はりながにちょと縫て、ぬふてちよとぶんだぜ。かはら撫子野石竹(なでしこのぜきちく)。のら如来のら如来。三のら如来にむのら如来。一寸のお小仏におけつまづきやるな。

 

<外郎売りの長文句>

1,一つぺぎへぎにへぎぼし、はじかみ盆まめ盆米ぼんごぼう。

2,摘蓼つみ豆つみ山椒。

3,書写山の社僧正。

4,こごめなま噛小米のなまがみこん小米のこなまがみ。

5,繻子ひじゅす、繻子しゅちん。

6,親も嘉兵衛子も嘉兵衛。親かへい子かへい。子嘉兵衛親かへい。

7,古栗の木のふる切り口。

8,雨がっぱ番合羽か。

9,貴様のきゃはんも皮脚絆。我らが脚絆も皮脚絆。

10,しつかわ袴のしっぽころびを、三針はりなかにちよと縫て、ぬふてちよとぶんだせ。

11,かはら撫子野石竹。

12,のら如来のら如来、三のら如来にむのら如来。

13,一寸のお小仏に、おけつまづきやるな。

14、細溝にどぢょにょろり。

15,京のなま鱈奈良なま学鰹〔まながつを〕。ちょと四五〆〔かん〕目。

16,おちゃたちよ茶たちよ。ちゃっとたちよ茶たちや。青竹茶筅でお茶ちゃとたちや。

17,くるはくるは何が来る。

18,高野の山のおこけら小僧。

19,狸百匹箸百ぜん天目百ぱい棒八百ぽん

20,武具馬ぐぶぐばぐ三ぶぐばぐ、合わせて武具馬具六ぶぐばぐ。

21,菊栗きくくり三きく栗合てむきこむむきごみ。

22,あおのなけしの長なぎなたは誰が長長刀ぞ。

23,向ふのごまがらはえの胡麻からか真ごまからか、あれこそほんのま胡麻殻。

24、がらぴいがらぴい風車。

25,おきやがれこぼし、おきやがれこぼし、ゆんべもこぼして又こぼした。

26,たあぷぽぽたあぷぽぽちりからちりからつつたつぽ、たぽたぽ一丁だこ落ちたら煮てくを、にても焼いても食れぬ物は五徳鉄きうかな熊。

27,どうじに石熊石持虎熊虎きす中にもとうじの羅生門には、茨木童子が、うで栗合つかんでおむしやるかの頼光のひざ元去らず。

28,鮒きんかん椎茸定めてごたんなそば切そうめん。うどんかぐどんな。

29,小新發知(こしぼち)小棚のこ下に小桶にこみそがこ有ぞ、こ杓子こもつて、こすくてこよこせ。

30,おつとがてんだ心得たんぽの川崎、神奈川保土ヶ谷、戸塚走って行けばゆいとを摺むく三里ばかりかふち沢平塚大磯がしや小磯の宿を七つおきして早天さうさう相州小田原。

31,お心をおやはらぎや。

32,まいまいつぶり角出せ棒出せぼうぼうまゆに、うす杵擂り鉢ばちばちぐわらぐわらぐわら。

33,ヲット合点だ心得田圃の川崎神奈川大磯がしや小田原まで走って行きやす。「鼻下」

 

【純粋の第一の例】人名

34,寿限無寿限無五光の摺り切れず、海砂利水魚水魚末、雲来末風来末、食寝る処に住む所、やぶら小路、藪小路、ぱいぽぱいぽぱいぽのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコピーの長久命の長助。

35,アリステ三平郎、テキテキ屋テキスリゴンボー、走心坊、宗高入道、播磨が別当、茶碗茶ブスの式井のコツケ。茶ぶ助、引井幸助。オン坊、草林坊、背高入道、播磨の別当、茶碗茶臼にひきんのへこ助様、井戸に落ちました。

36,扇拍子を丁ど打つて、一丁切りに二丁切り、丁に丁ろくに丁太郎びつに丁びつに、あのやまの、この山の、ああ申すかう申す、ひちくきざんぎりもくあんに、てんもくてんもくのもくさう坊、伊賀の平内左衛門、加賀の源ざうず、源七源八平六、とつぺない五郎、豆腐のおん坊、くひしん坊、瓜のおん坊、冬瓜坊、刀のかまの小左衛門、鳥のとつさかとう三郎。

戯作のなかに表れた長名

37,法性寺の入道先の関白大政大臣様。

38,しつたりかんたり、かくたりけんたり、ひたる君四郎左衛門の大夫、入道ふぢばなの馬面卿。

39,えけせてねへめえれえ、うくすつぬふむゆるうと申す者。

40,まごべいごけ、ごけまごべい三つ合せて三まべまごべごけ。

41,ねんころころねんねんねん五郎。

42,へげたれだりむくれん。

43, ひんならまごら尊者の弟子、てれめんていこ。

 

【第二例】意義転換の秀句遊戯

44,おもちや(玩具、お餅屋)

45,棚に升(頼みます)

46,琴三味線(今年や見せん)

【第三例】畳語畳韻の例(同じ語を反復して何度も繰り返す形式)

47,又一時、(雄略)天皇登幸葛城之山上。爾大猪出。即天皇以鳴鏑射其猪之時、其猪怒而、宇多岐依來【宇多岐三字以音。】故、天皇畏其宇多岐、登坐榛上。爾歌曰、

     夜須美斯志(やすみしし) 和賀(わが)意富岐美能(おほきみの)
     阿蘇婆志斯(あそばしし) 志斯能(ししの)
     夜美斯志能(やみししの) 宇多岐加斯古美(うたきかしこみ)
     和賀爾宜能煩理斯(わがにげのぼりし) 阿理袁能(ありおの)
     波理能紀能延陀(はりのきのえだ)〔『古事記』歌謡〕

48,八雲たつ出雲八重垣妻ごめに八重垣作るその八重垣を。〔『日本書紀』神代〕

49,大枝を超えて走り超えて、走り超えて、踊り上がり、超えて、我がや護る田にや捜り、捜り食む鴫や、ををい鴫や。〔『三代実録』巻一〕

50,よき人のよしとよく見て良しと云ひし吉野よく見よよき人良く見つ。〔『万葉集』三〕※他に卷四530、卷十一2648がある。

51, 思へども思はずとのみいふなればいなや思はじ思ふかひなし。〔『古今和歌集』雜・誹諧歌1039、読み人知らず〕

近世の畳語畳韻

52, 奈良七重七堂伽藍八重桜。芭蕉

53,月も月そもそも大の月夜哉。一茶

54,昔の恋は来いの恋今の恋は持って来いなり。渡辺華山『つづれの錦』の狂句

55,堪忍のなる堪忍が堪忍かならぬ堪忍するが堪忍〔『甲子夜話』〕

地方俚謡

56,かんかんづくしを云はうなら蜜柑金柑酒にかん、子ども羊羹やりや泣かん、親の折檻子が聞かん。

狂歌・道歌

57,夢の世に夢に夢見る夢の人の夢物語するも夢なり

58,親も無し妻なし子なし板木なし金もなければ死にたくも無し。林六無斎

59,南無釈迦ぢゃ娑婆ぢゃ地獄ぢゃ苦ぢゃ楽ぢゃどうぢゃかうぢゃと云ふが愚ぢゃ。一休

その他

60,黒田さんの黒助が黒茶町に黒鯛を買ひに行つて黒犬に食ひ付かれて黒血が流れた

61,儂の家の儂の木に鷲が止まったから儂が鉄砲で鷲を撃ったら鷲も驚いたが儂も驚いた。

62,向ふの小山の小寺の小僧が小棚の小味噌を小なめて小頭こいんとこつかれた

【第四】舌捩り

63,うちのバッグは皮バッグ、隣のバッグも皮バッグ、向こうのバッグも皮バッグ、三つ合わせて三皮バッグ。

64,長持ちの上に生米生麦生卵。

65,かえるひょこひょこ三ひょこひょこ三つぴよこぴょこ合わせて六ひょこひょこ。

66,農商務省特許局日本銀行国庫局。(三度云う)

67,つごもりざるそば

 

 他に、京都における歌謡である上方地唄三弦曲に、「ごんぎゃう寺」が知られている。次に記しておきましょう。

さるほどに、ごんぎやう寺のごんぎやう門ぎやう法印が座の間中につゝと出て、ごんぎやう寺のごんぎやう門ぎやう法印が法力をあらまし御目に掛け奉る。御宝前にやがて壇をぞ飾りける。百八の燈明の油には、白胡麻からやら、黒胡麻からやら、真胡麻からやら、犬胡麻からやら、胡麻からひ胡麻から、真胡麻からの油を立てられたり。さて乳木(にゆうもく)には珍らしや。一反へぎ長へぎ干生薑(ほしはじかみ)・木天蓼(またたび)・つみ蓼(たで)・粒山椒・野撫子・野石竹、きく切りきく切りみきく切り、是を併せて六きく切り、切って掛けたる幣帛は、大奉書・中奉書・小奉書、さて、又本尊に掛けられしは、のら如来・のら如来・三如来・六如来、これを併せて十二のら如来、又それを併せて二十四のら如来の真言に、向ひの長押(なげし)の長長刀は、誰が長長押の長長刀ぞ。兵部(ひやうぶ)が前を刑部(ぎやうぶ)が通る。兵部が屏風を刑部が持たずば、坊主に買はせてしやうぶが坊主の屏風にしよ。向ひの山のつるつるつるつる、鶴頸(つるくび)は、白鶴頸か藍鶴頸か、真黒黒々鶴頸をひつ立て振立て祈れども、少しも験(しるし)なかりけり。僧は大きに赤面して、重ねて奇特を見せんとて、袈裟も衣もおつとり置いてな、殿様の長袴、若殿様の小長袴、武具・馬具ぶぐばぐ三武具馬具、これを併せて六武具馬具、お職箸(しきばし)百八十膳天目百盃茶百盃、棒八百本並べ、責めかけ飲みかけ祈れども、されども験はなかりけり。僧は大きに怒りをなし、げに我とても上方僧、書写山社僧の惣名代(そうみやうだい)、今日の奏者は書写ぢやぞ書写ぢやぞ、しよざいも世帯も之までかと、錫杖がらがらざくざくと、振りかけ振り掛け祈れども、ちつともそつとも験もなし。いで法華経にて祈らんと妙法蓮華経、陀羅尼品第二十六祈りける。げに御経の功力(くりき)にや、大願成就有難しと、僧は潜(くぐ)り難い潜り窓潜って、裏の古胡桃の木の古切口の古枝の、引抜き難いを引抜いて、新茶立てう茶立てう、あを茶立てう茶立てう、粉茶立てう茶立てうと、はつほのしよらちはらりるれろ。

 

 現代に知られる落語「寿限無」の起源話として、鎌倉時代の無住の『沙石集』卷第八に、

 或山寺ヘ、女人行テ出家シテケリ。出家ノ師ノ僧、「法ノ名ヲ付マヒラセム」ト云ヘバ、「名ハ先ヨリ案ジテ付テ候」トゾ云ケル。「イカニ」ト問ヘバ、「佛ヲモ、神ヲモ、アマタ信ジマイラセテ候歟、イヅレモタウトキ侭ニ、彼文字ヲ一ヅヽ取アツメテ、阿釋妙觀地白熊日羽嶽房ト付テ候也。阿彌陀・釋迦・妙法・觀音・地藏・白山・熊野・日吉・羽黒・御嶽、コノ御名ノナツカシ〔ク〕候テ」トゾ云ケル。餘ニ長クコソヲボユレ。〔(一三)尼公ノ名事〕

とあって、「阿釋妙觀地白熊日羽嶽房」という命名についての笑い話となっている。

 こうした長長とつづる名前が落語「寿限無」へと受け継がれています。

 寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末風来末、食ふ寝る所に住む所、やぶら小路ぶら小路、ぱいぽぱいぽぱいぽのしゆうりんがん、しゆうりんがんのぐうりんだい、ぐうりんだいのぽんぽこぴいのぽんぽこなの長久命の長助。

というのが、それです。

 

現代の早口言葉表現

 交際猫を訪れる高才猫の口才が虹彩に映る光彩をよく捉(つらま)える《2001.01.04朝日新聞夕刊、柳瀬尚紀の「猫舌三昧」より》

 

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