2000.08.29〜2004.12.31更新

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(2)なぞ【謎】

「なぞ」については、新潟県長岡地方に伝わる「節季ナンズの春ムカシ」ということばがあり、節季には謎を掛けあい、正月には昔話を語るものだと云います。奄美大島でもなぞのことを「イイキリムンガタレ」というのも昔話と通じます。

「なぞ」は、比較的意味の分かりにくいことわざのあとに、「なんぞ」ということばを添えて人に問うところから始まったものです。発生的には、神仏の託宣の歌、巫女の用いる特殊な言葉の類に近い性質のもので、わざとわかりにくく云って考えさせるものだったと思われます。やがて、これが言語遊戯に変貌してゆきます。

 「なぞ」は平安時代の間でも流行していたことは、文献資料によっても知られます。そうして、時代とともに和歌・連歌・俳諧・雑俳などに取り入れられていきました。

中世の徒然草第一〇〇段には、「医師忠盛とかけて唐瓶子と解く、心は我が朝の者とも見えぬ忠盛」が知られています。

とりわけ、安土・桃山時代そして江戸時代に著しく発達し、願人坊主という一種の乞食坊主が、判じ物を配って銭を集めるようなことも行われました。もっとも、判じ物と謎とは同じ内容とはいえないところもあります。「なぞ」はことばで掛けるのに対し、「判じ物」はことばだけでなく絵や事物を使って謎を掛けますので、これも広く「謎」の部類に入れて考えておきます。

「謎」には「二段謎」と「三段謎」とがあり、「二段謎」として、鈴木正三反故集』(寛文十一年1671)に、

一日、語曰く、「謎の本に、成佛(じやうぶつ)とかけて、くさりと解(とき)地獄(ぢごく)と掛(かけ)て、くまでと解(とく)と有(あり)。是(これ)(あさ)き事也といへども、其の理(り)(あた)れり。今時の學者(がくしや)、成佛地獄(ぢごく)の理を是程(ほど)にも心得たる人希(まれ)なり」と也。《大系「假名法語集」三四三頁》

とあるのが知られています。これは、「鎖」と「苦去り」を掛けていて、すなわち苦がなくなる意を表し、「熊手」と「苦まで」を掛けて苦ばかりの意を表しています。この「二段謎」は、やがて子供たちによって受け継がれてきましたが、三段のものよりも古風な素朴な内容になっています。

  朝早く起きて一本道を通るもの(雨戸)

  家中の力持ち(囲炉裏の鍵竹)

  白壁土蔵に戸ぼうなし(豆腐)

  天ピッカリ土むぐり(鍬)

  檜の木、杉の木、はば桜、袖ふりかけて糸桜(おばけ)

<おばけは檜杉を使った曲げ物で、その曲げた目を桜の皮でかがるので、糸をおぼけにたぐりこむとき、袖がおぼけにふれるところから。>

 

「三段謎」が一般に広く行われるようになったのは、江戸も中期になってのことです。「なになにとかけてなんととく。そのこころは?」の形式で、多くは洒落や地口(ことわざ・成語などと発音の似た文句を作っていう洒落)を使い、多くは書物の受け売りです。旅商人によって運ばれ、また、専門の芸人によっても取り上げられてもいます。むしろ、子供の世界だけの物ではなかったといってよいでしょう。

  いんちきな神様と掛けて下手な剣術と解く。心は参り手がない

  と掛けて二月堂と解く。心は水鳥(水取)

  葬式と掛けてウグイスと解く。心はなきなきうめ(梅=埋め)にゆく

  峰の桜と掛けて天狗の鼻と解く。心ははな(鼻=花)が高い

  破れ障子と掛けて冬のウグイスと解く。心ははる(春=貼る)を待つ

そも/\真桑瓜とかけて何と解くと、《中略》そも/\真桑瓜とかけては、俵藤太秀郷と解きまする。其心はあんだんべ。むかでかなはぬと解たりけり。〔式亭三馬浮世風呂』95I〕

 そして、謎を始めるにあたっては、一定の形式があった。「なんぞなんぞなななんぞ。菜っ切り包丁長刀、納戸のかけがね外すが事」などといって、解けないときには「お流しやれ」「もんじ」などというと、掛けた方が答えを教えるのです。そういう方式や作法をもつ点では、昔話の発端句・相づち・結句「だとさ。おしまい」とうのに通ずるものがあります。

  いくら考えても、答えのわからないものナーニ。(答えのないなぞなぞ)

  いくらあっても、ないものナーニ。 (梨)

  目が三つで、足が六本ナーニ。 (馬に乗った丹下左膳)

  眼で見ないで、手で見るものナーニ。 (湯加減)

  脚がなくても、よく走るものナーニ。 (風)

  口がなくて、歯のあるものナーニ。 (下駄)

  節があっても、見えないものナーニ。 (歌)

 

「雀と掛けてなんと解く。」「道真公と解く。」「心は菅原(巣が藁)。」

「謎と掛けて生娘の帯と解く。心は、解くまでがむづかしい。」

参考中根香亭の『塵塚』に「謎と考へ物」という段があります。次に示しておきます。

 謎と考へ物とは、おなじやうなる中に、少し異なる処あり。謎は、掛くる人、唯何の心もなく題を出すを、之を解くもの、何とか理を附けて、いひほどくなり。考へ物の方は、初めより題と解釈の区域を示して、其の考へを求むるなり。譬へば、「無性ものゝ金箍〔かなたが〕の飯櫃〔おはち〕」と云ふを、「青一つ」に考ふといひて、人の工夫を求め、是を「わさび」と考へさするが如し。慶応の頃までは、道楽坊主と呼べる乞食やうの僧之を作り、名刺程の紙に印して、人の集る髪結ひ床の如き処に配り行けり。其の紙は、中に一線を引き、例へば上に「蛇の皮二十三」と題を記し、下に「国の名二つ」と解釈の区域を記し、人をして「蛇皮二十三〔みかはとをとをみ〕」と考さするが如し。謎は斯く題の区域を定むるものに非ざれば、其の才によりて何とも解き得べし。畢竟謎は題の方より順に工夫し、考へ物は、解の方より逆に作り出す別あるが如し。嘉永中、今の上野停車場の東通りは、東側武家屋敷にて、其の門前窓下等には、日々種々の大道商人出でしが、其の間に、一人謎を解くものありき。年頃は四十前後なりしならん、手に一挺の三味線を操り、銭四文を投じて謎を掛くれば、三味線に合はせて、「何々と掛けて、何と解く、何ぢやいな」といひつゝ、二三度繰り返す内に考へつけ、猶三味線に合せて、「何々と解く、觧いた心は何々ではないかいな」といへり。此の男は、餘程癇癪ありと見えて、其の三味線を引き、謎を歌ふ間に、しばしば強く瞬きして、三味線又は左右の手を口にして吹くこと、見苦しき程なりしが、通行の人々はおもしろがりて絶えず掛くるゆゑ、此等のものゝ中にては、相応の利分を得たることゝ思はれたり。其の解き方の一つ二つをいへば、「お染久松と掛けて何と解く、貧乏人の質物と解く、其の心は蔵の中で泣いて居る」「かなだらひと掛けて何と解く、世間知らずの息子と解く、其の心は、間違ふとどらになる」などゝいふが如し。其の頃の人のいへるには、万一公辺に差し合ふ事にても、掛くるものあれば、大概「唐の火事と解く、解いた心は、かけるものが馬鹿だ」といひて、はねつけたりとか。[続日本隨筆大成4・三二九頁]

 

 その他としては、「文字謎」があります。

  土と云えば確かに土よ泥土よ、

  そこに誰かが竿を突き立てたが

  なぜだか竿は真っ直ぐに立たぬ。

  誰かさんの子供がそこに立ち、

  立っているようで立ってはいない

  さっきの竿に寄りかかる。 (答えは「孝」の字)

 

子子子子子子 子子子子子子(ねこのこねこのこ ししのこのこじし)

 [出典:『宇治拾遺物語集』巻三の十七]

 嵯峨天皇小野篁に関する逸話で、「片仮名の子文字〔ねもじ〕を十二書かせて、給ひて」、「ね」「こ」「シ」の三種の音訓を使って即座に解読し、嵯峨天皇を感服させたものです。

○水辺に酉〔とり〕あり、山に山を重ねんや。

\/〔へつほつ〕夕夕〔せきせき〕。

[出典:『醒睡笑』三の十一]

漢字の分解から合成による解読表現で、「水辺に酉」は「酒」、「山に山を重ね」は「出」ですから、「酒(を)出(しましょうか?)」この回答は、「人多」で「客人が多いから不要」というものです。小僧と和尚のやりとりを聞いてすべてを理解したその日の客は「玄田牛一……」と言って席を立ったと作者は記述しています。江戸の話地黄坊樽次著『水鳥記』という題目も「酒」の字を分解した表現です。

○木の横の二階の下に女あり。(「櫻」の字)

「字謎」は、漢字の分解・合成に基づくものです。この種の字書も誕生しています。名古屋寶生院真福寺蔵の『〓〔玉+周〕玉集』『小野篁哥字尽』がそれです。また、滝沢馬琴の読本『南総里見八犬伝』には、里見の犬すなわち、「狸」が育てた犬「八房」と人に従い、犬に従う意図を合成した名の「伏姫」。それに「狸」の異名である「玉面」を和訓でいう「たまつら」すなわち、「玉梓」の名が登場します。そして、八犬士をひとつに収束する役割の僧としては、「ヽ大法師」も登場し、これは「犬和尚」の分解字名なのです。これを「名詮自性」と表現しています。私たちの名前も必ず名は態を表すではありませんが、深い意味を持ってつけられているのでしょうから、ぜひ、この機会にご自分の名前のいわれを知ってみてはいかがでしょうか。

 

江戸時代の「なぞ」は洒落ている

式亭三馬『大千世界楽屋探』(文化十四年版)初・下に、

 京摂〔かみがた〕の字せんぼぢやアねえが、女房〔にようぼ〕の乱氣〔きちがひ〕で、つまらんつまらん(妻乱)

・「字せんぼ」の「せんぼ」は、「せんぼう」で本来、操り人形芝居の楽屋隠語で色町にも広がっていったものです。
・「字せんぼ」の例をあげておきましょう。「十のしま」(「あほ【阿呆】」の「あ」の字を分解し「十の」、「ほ」の字も同じように分解し「しま」となります。意味は「あほ」です。)
・仏樣の椀で 銅椀〔かなわん(叶わん)〕洒落本『古今馬鹿集』(安永三年版)
・寺の引越しで 墓がいかぬ(捗らない)
・はやらぬ問屋で 荷着かぬ(似合わない)
・下手な大工で 鑿つぶし(飲み潰す)
・冬の蛙で かんがえる(寒蛙=考える)
・池の端の芋茎〔ずいき〕(京都の舞妓さんが言う「いけず(意地悪)」の意)

「ハーさん、いけずやわア。」

とか、

「いやア、いやらし。旦さん、池のはたのずいきやなア」

と睥でいわれるのがこれです。絶妙そのものです。

 

春雪(はるゆき)謎本五種(謎の難題集・面白可笑謎・解けやすき春の雪・頓智謎・鎌輪ぬ)文化十一年十月淺草奥山に春雪といへる謎解(なぞとき)坊主(ばうず)出て、頓智謎(とんちなぞ)と大書(たいしよ)したる看板(かんばん)を掲(かゝ)げて客を引く、十八九歳の盲(めくら)坊主(ばうず)にして高座(かうざ)に上り机をひかへ拍子木を打ちて見物より謎をかけさせ即座に之を解く。もし解(とき)得()ざる時はかけたる人に詫(わび)の代(かはり)に傘(かさ)下駄(げた)又は菓子(くわし)等飾り置たれども、一度も取られたる事なしといへり。此者は元奥州二本松の産にして、本名を順三といひしが、謎の解けること恰(あたか)も春の雪(ゆき)の如(ごと)くなりとて、或人(あるひと)より春雪(はるゆき)の名()を與(あた)へたり。木戸銭(きどせん)は二十文(もん)にて、七八度解(とき)終(をは)れば中休(なかやすみ)といひて客(きやく)を入替(いれかへ)たりといふ。

《他に『塵塚談』・『豐芥子筆記』『月岑の筆記』に春雪のこと所載する》

○綿入(わたいれ)の褌(ふんどし)とかけて、小野小町(をのゝこまち)と解く。心は、しめた人がいない

○両国橋(りやうごくばし)とかけて、菖蒲刀(しやうぶがたな)と解く。心は、人がきれぬ。

○座頭(ざとう)の小便(せうべん)とかけて、川端柳(かはゞたやなぎ)と解く。心は、みずに垂()れる。

○富士山(ふじさん)とかけて、もの尺(さし)と解く。心は、ゆきたけつもる。

○芳町(よしまち)のかげまとかけて、雪駄(せつた)と解く。心は、尻(しり)が金(かね)だ。

○紙雛(かみひな)とかけて、若者(わかもの)の新造(しんざう)買()ひと解く。心は、両方(りやうはう)に手()がない。

よこねとかけて、将棊(しやうぎ)の王(わう)と解く。心は、きんのわきにある。

○おや舩(ふね)の錨(いかり)とかけて、父無子(てゝなしご)を孕(はらん)だ女(をんな)と解()く。心は、おろしておちつく。

○比丘尼(びくに)の簪(かんざし)とかけて、一人呑(ひとりのみ)の酒(さけ)と解()く。心は、さす所(ところ)がない。

○鍋中(なべなか)の凍(こほ)りとかけて、謎解坊主(なぞときばうず)と解()く。心は、かければとける。

 

 

最後にとておきの現代なぞかけ

 ○日本のオリンピック選手はなぜ足が地についていないのだろうか?

  (なーに足が短いから。)

 ○横浜に行く(現代若者ことば:トイレに行くことの意。横浜の郵便番号に由来)

〇切っても切っても切れないものは?

昔の子供―「みず」「くうき【空気】」

今の子供―「そうかいや【総会屋】」(群馬城丘)

<朝日新聞1997.11.5(水)声より>

ちょっと耳にした「三段謎」

 〇「豆腐」とかけて、「ハンカチーフ」と解く。その心は「モメン【木綿】がいいでしょう」

 

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