2004.07.30更新

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情報「ことばの大河」

【1】国語調査:「役不足」などの慣用句 6割が誤解(逆の意味で理解) 2003.06.19(金)
 「流れに棹(さお)さす」や「役不足」という慣用句を国民の6割が逆の意味で理解していることが19日、文化庁が発表した昨年度の「国語に関する世論調査」で分かった。また8割が「言葉が乱れている」と感じていた。(24面に関連記事)
文化庁「国語世論調査」
 調査は昨年11〜12月にかけて全国の16歳以上の男女3000人を対象に面接方式で実施した。回収率は73.3%。
 八つの慣用句を選んで意味を聞いたところ、「流れに棹さす」(時流に乗って物事が順調に進むこと)を正確に答えたのは12.4%。63.6%が「傾向に逆らう行為」と逆の意味で理解していた。「役不足」(能力・力量に比べて役目が軽すぎること)の正答率は27.6%で、62.8%が「能力・力量に比べて役目が重すぎる」とやはり逆の意味を回答した。
 また「確信犯」(政治・宗教上の信念に基づく行為・犯罪)も「悪いことと分かっていながらの行為・犯罪」という誤解が57.6%に上った。
 文化庁国語課は「本来の意味と違う用法を見聞きし、そのまま誤解する相乗効果ではないか。『棹さす』の場合、『水をさす』と同様のイメージもあると考えられる」と分析する。
 言葉の乱れについての意識は「非常に」が24.4%、「ある程度」が56%で、全体の80.4%が「乱れ」を感じていた。85.8%だった99年度調査と比べると、5.4ポイント下がった。【横井信洋】[毎日新聞6月19日] ( 2003-06-19-18:50 )

 

定着するッポイ? 若者言葉、古い方言や地方生まれ

 「日本語の乱れ」として批判されがちな若者言葉の中には、古い方言や、ここ数年のうちに特定の地方で生まれた表現が全国に広まったケースがある。こんな調査を東京外国語大学の井上史雄教授(社会言語学)と大学院生の鑓水兼貴さんがまとめた。将来は、こうした使い方が正しい文法として定着する可能性もあるという。
 井上さんらはまず、70年以降に全国の社会言語学や方言の専門家が書いた約700の調査報告や論文から、方言や、特定地域で使われだした表現約2300語を抽出。さらにインターネットで、これらの言葉を検索した結果を加えて整理分類した。
          ◇
 その結果、井上さんが伝統的な方言に起因する例としてあげたのは、次のような使い方だ。
 【レ足す言葉】「読める」「書ける」など、可能の意味をもつ一段活用の動詞に、「読めレル」「書けレル」と、可能を表す助動詞をわざわざつける。
 大正末年以前に生まれた人からの聞き取りに基づき国立国語研究所がまとめた「方言文法全国地図」では、長野、山梨、静岡、高知、岡山、大分で使われていた。井上さん自身が83年に行った中学生調査では全国に拡大、聞いたことがない層は少数派になった。
 【増える命令形】「見よ」「着ろ」を「見レ」「着リ」などと言う。
 「〜レ」は本来、北海道、東北の日本海側、九州西部の方言。それが九州全域、中部地方でも使われ出した。90年代半ばの和歌山県橋本市の調査では、男子高校生の8割近くが「使う」と答えた。
 「〜リ」は北部九州の炭鉱地域で30年代に生まれたと言われる。主に女性が使う軽い命令形。90年代以降、大分、山口、広島、和歌山、愛知、長野、群馬でも女性の使用が報告されている。
 【ナキャダカラ】「行かなければならないから」を縮め、接続詞の「だから」と直接つなげて「行かナキャダカラ」。ここ1、2年で首都圏で急速に使われるようになった。「行かナクチャー」という古い方言がある埼玉・群馬県境付近から生まれ、飛び火した可能性が高いという。
          ◇
 一方、特定地域の最近の言葉が起源となっているのは、次のようなケースだ。専門的には、こうした表現も方言だという。
 【サ入れ言葉】「終わらサせて下さい」「しゃべらサせていただきます」。使役の助動詞「せる」を付けるべき五段活用の動詞に「させる」がつながるため、文法的には誤りだ。
 ところが文献調査で、70年代以降、関西地方でよく使われていることがわかった。90年代後半の関西の大学生調査では、過半数が「違和感なし」と答えた。敬語表現として使い勝手が良いため、抵抗感なく受け入れられたとみる。
 【〜ッポイ】「忘れっぽい」「水っぽい」など、限られた名詞にしかつかなかった接尾語が「雨が降るッポイ」「間に合わないッポイ」など文にもつき、事実上、助動詞となった。首都圏の若い世代を中心に80年代から報告が増え続け、昨年は岡山の大学生でも確認された。
          ◇
 井上教授は「いずれの変化も、言葉を単純にしたい、意味をはっきり表現したい、という流れとして説明できる。『ラ抜き』や『レ足す』を使うと、動詞の活用をいくつも覚えなくて良くなる。善しあしは別にして、少なくとも『サ入れ』と『レ足す』は、『ラ抜き』と並んで、間違いだとはいずれ感じられなくなるだろう」と話している。
 調査結果は「辞典〈新しい日本語〉」(東洋書林)として出版するとともに、ホームページ(http://triaez.kaisei.org/~yari)でも公開している。(07:46)
 《関連情報》なぜか突然「文語」に脚光

よろしかったでしょうか全国調査

4割「やっぱり変」

NHK放送文化研 地域差大 北海道・愛知で多用

最近気になる言葉として編集部にお便りが相次いだ「よろしかったでしょうか」について、NHK放送文化研究所(東京)が全国調査を実施、その結果が三月初めにまとめられた。ファミリーレストランやコンビニエンスストアで使われることが多い「ファミレス・コンビニ方言」のなかの「いきなり用法」と名付けている。この表現を聞いたことがある人は北海道や愛知県に目立ち、関東地方には少なかった。また4割を超す人が「変な言い方」だと感じていた。(河合 真美江)

「いらっしゃいませ、こんにちは。店内でお召し上がりでよろしかったでしょうか」

「(ハンバーガーだけを注文した客に対して)ポテトはよろしかったでしょうか」

店内で食べるとも、ポテトも欲しいとも言っていない客に対し、「店内でお召し上がりでしょうか」「ポテトはよろしいでしょうか」ではなく、いきなり「よろしかったでしょうか」と「過去形」で聞いてくるのがファミレス・コンビニ方言の「いきなり用法」だ。

 この言い方に違和感をもつという声が、数年前からNHK放送文化研究所に寄せられたため、同研究所放送研究部は昨年12月、全国の20歳以上の男女二千人を対象に面接調査し、1272人の有効回答を得た。尋ねたのは「この言い回しを聞いたことがあるか」「どう思うか」の二点だった。

 結果は、この言い方を「聞くが言わない」41%、「聞いたことがない」50%、「言う」が6%だった。(図左下)。

 聞いたことがあるのは年代別では二〇代で67%だったのに対して、六〇歳以上では30%だった。高齢者になじみが薄く、若者の間でかなり広まっているということは、比較的新しい用法だと推定できる。

 地域差も大きかった。北海道が63%、東海地方が59%(このうち愛知県は64%)、次いで中国地方と東北、近畿となり、関東は32%と少ない。(図上)

 北海道などの方言では現在のことを表すのに「過去形」を使うことがあるためか。「よろしかったでしょうか」の起源が方言である可能性も示唆されている。

 さらに、「よろしいでしょうか」と比べてどう思うかと尋ねると44%が「変な言い方」、22%が「(丁寧さとは)何となく違う」と感じていた。(図右下)。

 若い人ほど「丁寧だ」とする回答は少なく(二〇代で5%)、丁寧さとは違うニュアンスを感じ取っていた(同27%)。調べた塩田雄大さん(32)は「意外でした。『丁寧だからいい』という理由で使っているのかと思っていましたが……」

 では、丁寧さとは違うニュアンスって何だろう。塩田さんの説は次の三つだ。

 @「早く済ませたい=店員に「もう注文に変更はないですね」という気持ちが強く、客に有無を言わせない状況をつくる。

 A「(疑似)常識提示=冒頭の「ポテトはよろしかったでしょうか」の場合でいえば、「ポテトも一緒に注文するのが常識ですよ」と「疑似常識」をつくり出し、「ああ、じゃあポテトも」と言わせるように仕向けている。

 B「事前推察確認=「店内でお召し上がりでよろしかったでしょうか」の場合、「私が推察したところこちらでお召し上がりのようにお見受けしましたが」が省略されている。店員として事前推察した結果を確認している。

 聞いた方は、それまでに「そうする」と伝えた覚えもないのに、または判断根拠が希薄であるにもかかわらず、「よろしかったでしょうか」と確認を求められるから違和感を覚えるのだろう。あるいは、何でも店側のペースで進めるな、という怒りが違和感につながっているのかもしれない。

 塩田さんは「言っている方は悪気はないと思う。ただ、こういう言い方をしたら、いやな気分になる人もいるのでは、と考えてみることも大切です」と話している。

 国立国語研究所の吉岡泰夫・上席研究員(53)は「この言葉づかいは変だ、と感じることができるのも言語能力です。きちんとした敬語を身につけ、人が使っているからとそのまま自分も使うのではなく、自分で判断して自分の言葉で話せるようになってほしい」という。

NHK放送文化研究所の調査結果は、「放送研究と調査」(日本放送出版協会)三月号に掲載されている。(朝日新聞2002.03.25(月)夕刊掲載)

[コメント]

 顧客販売サーヴィスの応答のなかで、相手に強要するかの感じで用いられてきたこの「よろしかったでしょうか」は、相手に不快な感覚を生み出している。この会話表現が東高西低であることからも、その発生状況を読み取ることができるのではなかろうか?

首都圏生まれも関西弁

うちら、しんどい あほ、何でやねん……

都内学生を関学大調査 お笑いTV番組が影響?

「なんでやねん」「あほか」「しんどい」といった関西弁が、東京の若者の会話に浸透している―。関西学院大の陣内正敬教授(言語学)が平成十二年秋に行なった、首都圏出身の都内の大学生百五十七人の調査で、こんな結果が出た。

 約73%は「私たち」を「うちら」と言うことがあり、約61%は「疲れた」の意味で「しんどい」と言ったり、「とても」という意味の新しい関西弁「めっちゃ」を使ったりするという。

 「ばか」「あほ」のどちらがきつく聞こえるかとの質問では、約54%が「ばか」、約25%が「あほ」と回答。関西人の感覚が優勢で、陣内教授は「以前は関東でなじみの薄い『あほ』の方がショックを与えたが、逆転している」と言う。

 関西弁の好き嫌いでは、「好き」と「どちらかといえば好き」を合わせると約61%。「嫌い」「どちらかといえば嫌い」を足した約20%の三倍だった。

 三人に一人は友達との雑談でわざと関西弁を交えることがあるといい、理由として「言葉が和らぐ」「親しみやすい」「打ち解けた雰囲気」などを挙げた。嫌いな理由は「うるさい」「下品」などが多かった。陣内教授は「テレビのお笑い番組の影響が大きい」と分析。

 「関西弁のやりとりには話者の間合いを近づける特徴があり、若者が好んで受け入れることで、一時的な現象にとどまらず、日本人のコミュニケーションの在り方を変える可能性がある」と話している。《産経新聞平成14年(2002)年3月6日水曜日夕刊4版社会10》

室町以来の関西弁「〜ナンダ」若者の間では死語に―国語研調査

 「知らなんだ」「行かへなんだ」など、「〜しなかった」を意味する関西弁のいい回しが、室町時代以来500年にわたって生き続けてきたのに、発祥の地・関西ですら、若者の間では全く話されなくなっていることが国立国語研究所の調査で分かった。

 文化庁は77年度から85年度にかけ全国235地点で、60歳以上の話し言葉を録音した。1地点10時間を超える録音資料は国立国語研究所に移管されたが、空前の規模だったため整理に時間がかかり、01年末から「全国方言談話データベース」(全20卷)として普及版の刊行が始まった。

 このデータベースと、90年代に行なわれた関西方言の調査を比較することで、経年変化が浮かび上がった。

 例えば、「行かなかった」を「行かナンダ」という過去の打ち消し表現は、応仁の乱が終った1477(文明9)年の文献に現れる。大正末年の1925年以前に生まれた人たちへの調査に基づく「方言文法言語地図」では、広島、愛媛から長野、山梨まで、京都を中心に半径350`の範囲で、日常的に使われている。

  関西では「打ち消し+過去」をどう表現する            
    28(件)       〜ナカッタ(共通語)     6(件)    

 

 
45
 

 

 

 
〜ヘンカッタ(方言+共通語)
 

 

 
17
 

 

 
17
 

 

 

 
〜ンカッタ(方言+共通語)
 

 

 
15
 
  61         〜ヘンダ(方言)   0      
250           〜ナンダ(方言)   0      
        老年層           若年層    

 これに対し、93年から96年にかけて京阪神に住む大学生の日常会話を録音した記録には、「〜ナンダ」も「〜ヘンダ」も全く現れなかった。若者の言葉で最も多かったのは、関西方言の打ち消しに、共通語の過去がつながった「〜ヘンカッタ」「〜ンカッタ」という形だった=グラフ

 現時点で、文化庁の調査の対象者は平均で80代半ばを超え、大学生の方は20代後半になっている。これは、ほぼ祖父母と孫の世代差に相当する。

 比較した国立国語研究所の井上文子・主任研究員は「話者が身近にいても伝統的な言葉は急速に失われる。ただし関西に限れば、標準語の影響で方言が変化することはあっても、すべて取って代わられることはないだろう」と話している。《朝日新聞2002年(平成14年)2月5日(火)第3社会13版33》

丸谷才一さんの『挨拶はたいへんだ』

 丸谷才一さんの『挨拶はたいへんだ』(朝日新聞社・2001.06.01刊)の「由緒正しいお祝ひの言葉で」を読んでみた。ここで気づいたこと、それは、人を褒めるときの褒め方である。国語学者大野晋さんに対することで、

「第一によく出来る。第二に、語学の学者なのに文学的感覚が鋭い。第三に、新しくて独創的なことを考へるのが大好き。この三つが大野さんの代表的長所です。 欠点は……三つありません。たつた一つだけ、諠譁つ早いこと。でも、これだつて、大変な負けず嫌ひだからこそ、タミル語=日本語同系論といふ新説を立てて、がんばつて、すばらしい成果をあげることができた。《已下略》」

という具合にだ。絶妙である。すべて良い善いではなく、「三つ良いこと、一つ悪いこと」という組合せがいい。それも欠点は長所でもあるという方向性がいいのである。「乾杯!」をタミル語の「ポンガローポンガル!」そして、日本東北の端に今も残る由緒正しいことば「ホンガホンガ!」へと導きお祝ひの言葉をご唱和、「ホンガホンガ!」。

 最後の部分に、作家井上ひさしとの「《対談》スピーチできること」が収載されていて、ここでの井上さんの発言部分を抜粋してみると次のようになる。

「いろんな集まりでの丸谷さんの挨拶をまとめた本で、もともとは話し言葉なのですが、文章とし読んでも、じつにおもしろいですね。《中略》何がおもしろかったか。まず。挨拶の前にある前書き、詞書(ことばがき)の発明……。 もうひとつは、最近の丸谷さんの発言、漱石には社交性がとてもあって、そこがいいんだというふうにおしゃっている。 丸谷さんの挨拶のルールは、一般論、抽象論は禁欲的に避ける。これが第一。しかし、どうしても言わなきゃいけないときには、練り上げて、簡潔に言うというのが第二のルールでしょうね。具体的なもので挨拶を展開していくのが、何よりも大切。」

 この本のすべては、ご自分で手にとって、声を出してお読みなるとよいでしょう。

(2001.06.11萩原義雄)

名前のローマ字表記は姓・名の順で 国語審議会が提唱

 文相の諮問機関「国語審議会」(会長・清水司東京家政大学長)は8日、日本語の人名をローマ字で表記する場合、姓・名の順で書くのが望ましく、学校でもそう指導するように求める方針を決めた。また常用漢字表にない表外漢字で使われることが多い文字については、印刷物やパソコンなどで用いる標準的な字体を一覧表にして示す方針だ。これをもとに12月に答申をまとめる。

 日本語の人名をローマ字で書く際、明治時代から西欧にならって名・姓の順で記すことが多く、学校の英語教育でもこう教えられてきた。だが、国語審は、名前の形はその国の文化や歴史を背景にしたもので、多様性を認めるという立場から、日本人名も姓・名の順で表記するのが望ましいとした。官公庁やマスコミ、学校などに、こうした考え方が生かされるよう求める。(朝日新聞2000.09.09〔土〕,09:32)

新「出羽守」

 「また迷い出たか、出羽守(でわのかみ)」と内心つぶやく。後輩記者が「〇〇省では××することにしている」と書いた時だ。「では」は「は」でよい。「ことにしている」も余計。「では」だと主体がぼんやりし、「ことにしている」は、意思も何やらはっきりしない。

 原稿に自信がないわけではなかろうが、似たような無用な「ぼかし表現」が最近気になる。自分を語りながら「とかいったりして」という人ごとのような言い回し。テレビの事件現場中継で「雨が降っているといった状況です」の「といった状況」……。

 確かに、直接表現を避ける伝統が日本語にはあるし、文化や価値観に根差す忌み言葉も軽視はできない。しかし、それは別として、時代が進むにつれ、無用なぼかし表現は存在しなくなると私は思っていた。どうやら、むしろまん延する気配なのである。

 なぜか、の考究はさておき、「では」派記者を私はひそかに「出羽守」と呼ぶ。史上有名な出羽守坂崎直盛は江戸時代初期の武将。伝えによると、大坂夏の陣で千姫を救い、徳川家康の約束通り、これ〔千姫〕を妻にもらえると信じたが、ほごにされた。恨み、むほんを企て落命したという。悲運の人である。

 「出羽守よ、早く成仏を」と私は内心つぶやき、後輩の「では」の「で」を削っている。〔2000.08.18毎日新聞夕刊「憂楽帖玉木研二

[表記の立場] 混種表記「まん延」⇒「蔓延」。真字語の仮名表記「ほご」⇒「反古」。「むほん」⇒「謀反」。

悲運の人」は、「非運の人」が、「坂崎直盛」の行状からして、適応する表記ではなかろうか。

ぼかし言葉は卑怯だ

 ――「わたし的にはそう思う」「とてもよかったかな、みたいな……」といった「ぼかし言葉」の氾濫(はんらん)も指摘されています。

 ◆実は僕が日本語練習帳で言いたかったことは「はっきり言いなさい」「はっきり読み取りなさい」ということです。そのためにははっきり物を見ることが必要です。はっきり見て、はっきり分かっていれば、文章は簡単に書ける。日本では物ごとをはっきり言わないで適当にぼかした方が賢いとみられているが、現在のように細かいことをとことん突き詰めて考えなければならない時代では、あいまいなままでは通用しない。「ぼかし言葉」を聞くと、僕は「そんな卑怯(ひきょう)な言い方はやめろ」と言いたくなる。〔2000.08.22毎日新聞夕刊「特集ワイド1 最前線“日本語―国語学者・大野晋さん”より抜粋〕

[なぜかの考究] 「ぼかし表現」と日本語における直接表現を避ける伝統について。<みなさんのお考えをまとめてみよう!>

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