[7月1日〜日々更新]

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

1998年7月31日(金)曇り

夏離れ 冷たき風に 長袖着

「希少種・危惧種・危急種」

 野生生物の「希少種」と「絶滅危惧種」そして「危急種」について、少しくことばの使い分けを含め検討してみよう。実際、国語辞典ではこのことばを見ることはできない。「希少」「危惧」「危急」という熟語でしてか採録されていないからである。

 ところでこのことばだが、環境庁の国内希少野生動植物種(レッドデータブック)において、「希少種」と指定された生物種をいうのである。この「希少種」は、生物の生息数が環境の変化によってほんのわずかとなってしまったものである。この地球上からこのままでは消えていってしまうと推測される生物を「絶滅危惧種」とか「絶滅危急種」などとさらに引き継いで強調表現する。

 いま、北海道では、虫類では、「カラカネイトトンボ」。鳥類では、「ウミガラス(オロロン鳥)」。魚類では、「エゾトミヨ」などがこの「希少種」として挙げられている。

[ことばの実際]

 【絶滅危ぐ種オロロン鳥。モネロン島に1000羽】朝日新聞(1998.7.31)

 【生息の湿地、埋め立てや乾燥化。希少種のトンボ危機。札幌北区】朝日新聞(1998.7.31)

1998年7月30日(木)曇り

子と尋ね 森に参らせ 閼伽の水

「閼伽」

 仏様にお供えする水を「あか【閼伽】」という。これは、梵語「argha」の音訳である。この仏に供える水や花などを置く棚を「あかだな【閼伽棚】」「あかのたな【閼伽の棚】」という。「命の水」といえば、この「聖水」につながる。人はこの水すなわち「閼伽」を掬び汲むとき、水鏡(水面)に映るわが身をみて“諸行無常”そして“是生滅法”を感得するのである。

 因みに来月の一日は、“水の日”一日から七日は“水の週間”。限りある大切な天然資源、地域と世代を超えて、守り育てる共有財産を目指す。地球は“水の惑星”と表現されているが、水の96.5%は海水。淡水は僅か2.5%にすぎない。その大半は北極・南極の氷河・氷山なのである。この「命の水」だが、人体の体重の60%は水分で、生命維持に必要な体内循環水分は、大人のひとで一日180g分といわれている。

 日本における年間平均降水量は、1,714oで、世界平均の約二倍。この降水が梅雨・台風そして降雪時期に集中し、河川から海へと寸時に洪水として流出してしまう。これを防ぎ、貯えるのが森林の涵養機能なのである。水源地の環境保全を含め、水質の確保維持、すなわち自然界の水の循環による浄化作用を少しでも守らねばなるまい。私の故郷にある静岡県駿東郡清水町の「柿田川」も“名水百選”のひとつに数えられている。だが、ここの湧水の水量が年々減少しているのも現状のようだ。

[ことばの実際]  

 閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。[徒然草第11段]

 閼伽棚(あかだな)のしたに、花がら多くつもれり。[『宇治拾遺物語』巻第一三・一三]

 

1998年7月29日(水)晴れ

あ誰もが 星の子供や 家はなれ

「うなぎ」

 今日は土用の丑の日、暑さにまけないように、江戸時代中期には「うなぎ」など「う」の字のつく「梅の実」「うのはな(おから)」「うどん」「瓜」などを食べたり、灸をすえたりした。いまは、「うなぎ【鰻】」を食す習慣のみが受け継がれ、この日のために鰻の蒲焼きが鰻屋のみならずスーパーの店頭に多く並ぶ。

 土用の丑の日と鰻の組み合わせについては、一説に平賀源内(一七二九〜一七七九年)の今で言う宣伝広告文(キャッチフレーズ)「土用丑の日の鰻は薬也」を大文字にして神田和泉橋の某鰻屋の店頭に貼り出したというもの。源内先生の発想説以外にも神田和泉橋の春木屋善兵衛「蒲焼き」作りなど話題はつきない。蒲焼きの店開きもちょうど元禄の末から正徳年間(一七〇〇〜一七一二年)頃と言われ、十一代将軍家斉の文化・文政(一八〇四〜一八二九年)には、鰻屋は繁盛するのである。

 ところで、この「うなぎ【鰻】」をどのように語認識したのか知りたいところでもある。本邦で最も古い「鰻」の出典書物は『万葉集』で、巻第十六に大伴家持の歌として次の二首が知られている。

  【石麻呂にわれ物申す夏痩せに良しといふ物そ鰻捕り召せ】<三八五三>

   (いはまろにわれものまをすなつやせによしといふものそむなぎとりめせ)

   《訳》石麻呂に私は申し上げる。夏痩せに良いと人が言っている、うなぎを捕って召し上がりなさい。

  【痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな】<三八五四>

   (やすやすもいけらばあらむをはたやはたむなぎをとるとかはにながるな)

   《訳》どんなに痩せていても、生きてさえいれば結構だろうに、ひょっとして鰻を捕ろうとして川に流されるな。

   《参考》左注に、吉田連石麿と云人のかたち甚痩せた戯れ笑ひて作たる歌、とある。〔名歌辞典〕

 千二百年も昔の万葉の時代に、「鰻」はすでに夏痩せに効く栄養食品と考えられていた。また、縄文貝塚からは、鰻の骨が出土していることからも食用としての鰻の歴史は古いのである。

 そして、越谷吾山『物類称呼』巻之二に、

 「又世俗に、丑寅の年に生れの人は一代の守本尊虚空菩薩にて、生涯うなぎを食ふ事を禁ずと云り。<中略>丑寅の年の人うなぎくふ事をいむは、いにしへうなぎをはむなぎといひし也。虚空蔵の虚の字“むなし”と訓ずれば“むなぎ”をいみしなるべし。“む”は“う”にかよふ也」

として、丑寅生まれの人は、「鰻」を口にしないといった俗信が生まれたりしていたようだ。

 この「鰻」、ぬるぬるしているところから類推してか、《慣用句・ことわざ》に「やまのいもがうなぎになる【山の芋がÒ鰻になる】(世の中はいろいろ変化するもので、あるはずがないことが実際に起こることのたとえ)」とか、「うなぎににぐら【鰻に荷鞍】(鰻のぬるぬるした背に荷鞍を乗せても安定しない。のらりくらりと要領を得ないことのたとえ)」して用いられる。さらに、景気の上昇をいう「うなぎのぼり【鰻上り】」、狭くて長細い場所を「うなぎのねどこ【鰻の寝処】」痩せた夫とよく肥えた妻を「うなぎのふうふ【鰻の夫婦】」という。

 映画第50回カンヌ国際映画祭グランプリ(バルム・ドール)賞受賞作品「うなぎ」(原作吉村 昭・今村昌平監督・役所広司主演)が近年最もよく知られているところである。

  和尚:「なんで、うなぎを?」

  山下:「話を聞いてくれるんです。それから余計なことを喋りませんから…」

 古辞書には、『伊京集』『運歩色葉集』に収載されている。

[知られていないことば表現]

 うなぎざわ(‥ざは) 鰻の禁漁になっている沢。伊豆の三島明神領など。

1998年7月28日(火)雨

知恵の輪や 子供と遊ぼ 良寛さん

驚きは感動へ、そして継続

<驚き桃の木山椒の木、おっと魂消た駒下駄日和下駄>

 私たちは、逆の発想を時として忘れてはいないだろうか。というのも、夏休みを迎え、私と近所の子供たちとのささやかなお付合いが始まる。子供たちのなぜなぜ質問のなかには、こちらを驚かすことばがいつもたくさん潜んでいる。

 “「地球」っていうけど、宇宙〔そら〕から見たら「水球〔みずたま〕」だよね。「水の惑星」ていうよ。”<民主主義風にいうと、陸地と海水の対比率からいえば、70,8%と海の勝ちなのだが。この発想、政治家のみなさんいかがなものでしょう。数がすべてを支配する社会への苦言>

 “「川」は山から海に向かって流れるけど、「魚さん」は、海から山にグングン昇ってくるよ。疲れないのかなー!”すかさず、“だって「海の記念日」ていうけど、「山の記念日」って休みないもん”

 聞いて驚くばかり、うーむ、そうだそうだとついつい相槌を打ってしまうこともある。“海の生き物が川を上って、留守になるからお休み”だって実にいい発想だ。“じゃあ、山の生き物が海に遊びにいくことってどうなのかな。”と水を向けると“海には「竜宮城」があって、云ったらなかなか戻れンのや”とギックとしたことをいう。

 気づきこそ驚きの元であり、好奇心にはじまり、行動し、感動し、継続できれば、ものごとを考え、実現していく原動力になることであろう。日本の未来に向けて子供たちの奇想天外な発想の芽をすくすくと伸ばしてみたいものだ。

1998年7月27日(月)晴れ。真夏日

出し切って 陽の光眩き 朝顔ぞ

「朝顔〔あさがお〕」

 「朝顔」の青いラッパ状の花が美しい。葉の形をラッパ状と表現したが、国語辞書では「じょうご【漏斗】形」と表現する。「あさがお」というと、古くは@ききょう【桔梗】『新撰字鏡』に「阿佐加保」。Aむくげ【槿・『類聚名義抄』に「キバチス。アサガホ」B今のあさがお【牽牛子】『類聚名義抄』に「アサガホ」の三種をいうものとして、ちょっと複雑な意味内容を呈していた。実際、古語辞典の《語の歴史》をみると、

 草花の名としては、室町時代以前には(@AB)をさしたが、江戸時代には今の朝顔だけをさすようになった。

とある。

 このBでいう今の朝顔だが、本邦では園芸植物として発達し、江戸時代、嘉永、安政年間には多くの品種が作られ、薬用としても平安時代初期中国から渡来し、栽培されていたことが『本草和名』などの書物によって知ることができる。この花を図化すると、○のなかに☆となる。鉢上にして観賞することも江戸時代からであろうか?。漢字表記としては、元の名「ケニゴシ」に従い「牽牛子」と表記する。「あさがお」の語源を「朝薫る」からとする。「昼顔」「夕顔」は同根「薫る」によるものである。

1998年7月26日(日)晴れ。札幌

つなぐとや 暗証コードは 何として

「凄味」

 「凄味〔すごあじ〕」と漢字にルビ付けされた、ある食品を宣伝する幟旗が飲食店の前に数本、風に靡いている。実際のところ、国語辞書などでは、この漢字表記を借字にして「すごみ」と読むのが通常である。こうした街のなかの思いがけない標示表記をみていると、子供たちが学校の国語の時間などで、この手の漢字の読み方を正しく理解して読んでいけるのだろうかとふと思うのである。

 読み方で、誤読した実例

★「シンセツ【親切】」の字を「おやきり」と読んでしまう>古くは、「深切」と表記した。

[ことばの実際]学研『国語大辞典』の「すごみ」の項より

◆眼だけは凄味がさすほどにするどい〔司馬遼太郎・燃えよ剣〕

◆(熊ノ)むき出しの白い歯が噛みあわさっていて、それが凄みを加えているのだが、〔武田泰淳・森と湖のまつり〕

1998年7月25日(土)曇り。苫小牧<苫小牧駒澤大学落成式

せわしなき 時をゆったりと 見届けよ

「鱸」の呼び名

 魚に出世魚というのがる。この「鱸〔すずき〕」もその一種である。「こっぱ⇒せいご⇒ぶっこ⇒すずき」と名を変える。この魚の肉は白身で、さしずめ海の短距離ランナーといったところだ。

 さて、新明解『国語辞典』第五版に、

  すずき【鱸】近海にすみ、春・夏には川にものぼる、中形の魚。銀色を帯びた青色で口が大きく、うろこが小さい。塩焼き・刺身などにして美味。幼魚をセイゴ、少し大きくなったものをブッコと言う。〔スズキ科〕[かぞえ方]一尾・一匹

とある。刺身にしたこの白身が薄透明で涼しく見えるところから「すずき」という名がついたと民間語源にいう。江戸時代の語源書である服部宜編『和訓六帖』には、

 「〔スヾキ〕スヂユキ【筋雪】ノ転ナリ。スヂユキハ古名ナリ。セイゴハスヾキゴ【〓〔魚+戸〕】子」也。一説ニ〓〔魚+戸〕ハ出雲国松江ノ産ヲ美トス。セイゴハ松江の字音ナルベシト云フ。未タウケガフベカラズ」

と「すぢゆき(sudiyuki)>すじゆき(sujiyuki)>すずき(suzuki)」と音転したものと記載する。さらに「セイゴ」の語源は、松江の字音読みからと云うが、ただ明言できるものではないとする。人見必大『本朝食鑑』巻十にも、

 「 李時珍所謂呉中松江之鱸長数寸。是本邦〔セイゴナリ〕也。明流寓舜水朱氏。亦見テ∨松江之鱸ト|。味亦同焉。然ラハ則、不ル∨ハ‖本邦之大鱸ニ|矣」[八七七頁]

と見える。

この魚、一本釣りにするが、動きは俊敏で手強いところからまさに「ススドキ」魚ともいう。この名ガ示すとおり、「鱸のえら洗い」と呼ばれる動きをして釣り針をはずし、“三味線骨”で糸を切ってしまうのである。

 ところで、中国大陸の「松江(上海の南東約44kmに位置する古都)」と同じ地名の四国「松江」と「鱸」との関係をといえば、松江の殿様“不昧公〔フマイコウ〕”こと松平治郷〔はるさと〕に献上した「奉書焼き」の発祥地として世に知られている。

1998年7月24日(金)雨。苫小牧

蒸し暑き 屋の空気や どこまでも

「四斗樽」の「シ」読み他

 漢数字「四」の読み方だが、本来「しとだる」と「シ」と発音していたのがこのごろ「よんとだる」と発音するのを耳にする。「シ」から「よん」への移行は、「シ【死】」に関係するので縁起が悪いといって忌み嫌うことがそもそも影響しているようだ。ところで、改読におよぶ語と以前どおりの読み方が保全されることばに興味が行くというものだ。

伝統あることばは、今もなお健在である

 スポーツの世界で、トーナメント戦で勝ち残ってきたチームに対し、「ベスト4(フォ―)」という言い方がある。これと同じように「各界の四天王」は「シテンノウ」とし、「四国」は「シコク」、「四海」は「シカイ」と表現し、この読み方はいつまでも不動と言ってよかろう。

縁起を担いで読み方を替える

 『吾妻鏡』に、「四十九日」を「シジュウクニチ」と発音するのを忌み嫌ってか、掛け算方式に「なななぬか」(転じて「なななのか」とも。)と読む例が見える。

 また、北海道の地名にも「支笏〔シコツ〕」というのがあった(現在、千歳市に流れる源流の湖名としてだけ使用)。これはアイヌ語で「Si-Kot」(大きな−くぼみ)の意を言う。この地名は、現在の「千歳〔ちとせ〕」と「亀田〔かめだ〕函館」の地でもちいられていたこの地名を江戸時代末、和人である幕府の役人が「シコツ」という地名は、「死骨〔シコツ〕」の音に同じということで、やはり、縁起が悪いと言う理由から改名したものである。この改名にあたって「鶴亀」の縁起のよいことばにあやかったのがこの地名の始まりのようである。そこで「鶴は千歳、亀は万歳」の「ちとせ」と「かめだ」がそれぞれ選ばれ現在の日本語地名となっているのである。

1998年7月23日(木)雨。駒大岩見沢高等学校野球部(南北海道代表)夏の甲子園へ

雨のなか 球児らの声 響く森

「清浄野菜」

 四字熟語ではないが、「清浄野菜」という表現がある。新明解『国語辞典』第五版に、「せいじょう【清浄】」の子見出しとして、

  【―野菜】下肥(シモゴエ)などを使わず、化学肥料だけで作った野菜。

と記載されている。何の変哲もない表現のようだが、化学肥料で栽培した野菜が何故「清浄野菜」と呼称評価されるのだろうか?いまでは、下肥すなわち人糞を肥料としない野菜栽培で定着した野菜が私たちの食卓にのぼっている。寄生虫は確かにいない。小学校の寄生虫駆除のため、「海人草」を飲んだ記憶のある方であれば、ああ、あれかとなろうというものだ。それ故の、有機肥料であった。いま、化学が進歩し、化学肥料や農薬が次次と寄生虫を寄せ付けない。そして、この薬の濃度が強ければ、当然私たちの人体に及ぼす影響も多大なものがあると気がつき始めた。一転して無農薬野菜が市場に出回りはじめ、これ以外の野菜は、口にしないという人も昨今、出てきたのである。

1998年7月22日(水)晴れ。

パソコンに 蓄積ことば 外しつつ

「なぞり」

 「なぞる」という動詞の名詞化語「なぞり」。これは、すべてが終えて何もなくなったとき発生する現象である。それは、野球で言う「球を置きにいく」という表現と類似する。ピッチャーは、数々の試練を潜り抜けてきた。しかしどうしたことか、急にコントロールがさだまらない。塁上にはホームをうかがう走者がいるのにもかかわらず、ストライクが入らない。でも投げつづけるのである。結果は見えている。これと同様に「なぞり」の現象は、どうにもなす術がなくなったとき、突如として起こってくる。これを周りも本人もきわめて冷静に自覚できる。わかっていてもどうにもできないジレンマがそこにはある。この現象から抜け出すのは、力でも、技でも、経験でもないのである。

 広告のことばに「日本に行こう」という日本に住む日本人にあたかも外国の地にでも行くような感覚で語り掛けて見せたキャッチフレーズが昭和の末にあった。私たちの日常語の中にあって、この「なぞり」は、何を意味していたのであろうか?家庭の主婦が自分を「主婦です」と言わずに、「主婦してます」と使ってみせた。また、若い娘たちが「私そういうとき、ムッとするの」と言わずに、これも「私そういうとき、ムッとする人なの」と表現してみせた。ことばは常に「なぞり」を嫌い、新鮮な、生な感覚を求めようとして新旧つばぜり合いを繰り返してきている。「なぞり」がはじまると、そのことばは逆行をはじめて廃れてしまうからだ。「廃語」から「死語」へと向かう。

 そのなかでも副詞はめざましい変遷である。現在「すごい」>「すっごい(すっごく)」と使う。これも以前は、「とても」>「とっても」だった。「月がとってもきれいだから、おまわりしてかえーろ」と表現していたのが、この「とても(とっても)」は、「すごい(すっごく)」に使用の場を譲り渡した感がある。この「すごい(すっごく)」も「超」に変わりつつあるようだ。この「超」だが、「超まずい」「超きつい」と副詞的に使うほかの例として、本日の朝日新聞の朝刊に「津波死者6000人か」の末尾表現が目をひいた。

[ことばの実際]

1998年7月21日(火)晴れ。苫小牧

暑きこと どこまで続く 日延べかな

「夜汽車」

  7月14日付けに「夜汽車」ということばを句に用いた。この「夜汽車」、すでに廃止されて久しい。昭和50年12月14日、室蘭本線(室蘭・岩見沢間)で最後のSL蒸気機関車が運行された。いま、室蘭から岩見沢を結ぶ線はない。短くなって苫小牧・岩見沢間を走る。この列車に、私は火曜日の夜お世話になる。二両編成のジーゼルによるローカル列車がいまの運行車である。客は最終駅岩見沢につく時分には数名となり、その間車掌は一度も廻ってこない。

ところで、歌謡曲には「夜汽車」の語を盛り込んだ歌や曲名が数々ある。「フォークの神様」と呼ばれた岡林信康の「うつし絵」(新たな心境に基づいて、自作の歌を“演歌”として送り出した75年のアルバム)の一番目の曲目が「月の夜汽車」、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」は、「花嫁は夜汽車に乗って嫁いでゆくの」である。これに類似する語に「夜行列車」がある。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」に「上野発の夜行列車、降りた時から、青森駅は雪の中」である。

文学のなかにも「夜汽車」は登場する。夏目漱石『虞美人草』に、

  二個の別世界は八時発の夜汽車で端なくも喰い違った。

  八時発の夜汽車で喰い違った世界はさほどに猛烈なものではない。

  「驚ろいたろう。それから急行の夜汽車で帰る時に、又その女と乗り合せてね」

と見える。萩原朔太郎の詩「帰郷」にも、

わが故郷に帰れる日

汽車は烈風の中を突き行けり。

ひとり車窓に目醒むれば

汽笛は闇に吠え叫び

火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。

まだ上州の山は見えずや。

夜汽車の仄暗き車燈の影に

なき子供等は眠り泣き

ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。

鳴呼また都を逃れ来て

何所(いづこ)の家郷に行かむとするぞ。

過去は寂寥の谷に連なり

未来は絶望の岸に向へり。

砂礫(されき)のごとき人生かな!

われ既に勇気おとろへ

暗憺として長(とこし)なへに生きるに倦みたり。

いかんぞ故郷に独り帰り

さびしくまた利根川の岸に立たんや。

汽車は曠野を走り行き

自然の荒寥たる意志の彼岸に

人の憤怒(いきどほり)を烈しくせり。

と作情は心のひだを見え隠れしながら深みを帯びている。そして、この詩のキーワードは「夜汽車」なのである。

 新明解『国語辞典』第五版では、

よぎしゃ【夜汽車】」は、夜間走る汽車(機関車がついて、線路の上を走る車両)。

やこうれっしゃ【夜行列車】」は、深夜に走行(通過)する列車(ある区間を運行するために機関車・客車・貨車などの車両を目的に応じて編成したもの)。

とある。この「夜汽車」だが、「寝台車」でないボックスがけの、窓の外に次の駅が近づくと灯りが増し、駅を離れると闇の世界をひた走る。ボックスにはいるかいないかの客の数といった世界なのである。

1998年7月20日(月)晴れ。<海の記念日

暑さ来て ひとしきりの汗 嬉しきや

「AKライブ」

 この「AK」というのは、頭文字なのだが、横文字の頭文字ではない。和語と漢語の混種語である「空き缶」の頭文字のことであった。ぽい捨て状態にある「空き缶」を集めて、ごみ環境問題に対する意識変革をうながす音楽の集いであった。

 このように、日本語でも頭文字だけで省略表現されることばもあるのである。こうした省略頭文字の「ことば探し」も街に出てしてみようではないか。そして見つけたら是非教えてください。

 ところで、「空き缶」の一つだが、缶ビールの「缶」について一言、缶の飲み口には、点字表記がなされている(サントリーの「モルツ」は無標示である)。サッポロビールは、点字に「さけ」とある。キリンビールは「ビール」である。ここで問題になっているのが無標示とそしてサッポロの「さけ」という標示。皆さんこのこと知っていましたか?これは、私も走る友人の中済さん(大阪府高石市在住)から教えていただいたことです。ところで、アサヒビールはどうなのかな?皆さんご自分で確認してみては如何。

1998年7月19日(日)晴れ。<岩見沢キャンパス同窓生の集い

懐かしき 人と人との 出会いかな

「力」

  この「力」という字、音を「リキ」(呉音)・「リョク」(漢音)、訓は「ちから・つとめる」と読む。熟語にして音読みするとき、この呉音「リキ」と漢音「リョク」とを私たちはどう区別するのだろうか?いままで、知らず知らずのうちに二種類の読み方を身につけているようだ。次に「力」の熟語を示してみよう。

 リキ :「力演」「力士」「力作」「力説」「力点」「力量」

     「念力」「千人力」

 リョク:「力学」「力諌」「力検」「力言」「力耕」「力作」「力子」「力疾」「力嗇」「力臣」「力正」「力制」「力征」「力政」「力勢」「力田」「力能」「力農」「力勉」

     「決断力」「全力」「効力」「能力」「知力」「火力」「努力」「魔力」

 漢音読みとしては、冠字熟語の語用例をみるに普段用いる熟語が少ないことに気づく。漢音読みの「力〔リョク〕」の冠字熟語は沓字熟語と比較してなぜ少ないのだろうか?疑問はつきない。そして、両音読みの熟語としては、「力役」の「リキエキ・リョクエキ」、「力行」の「リキコウ・リョクコウ」や「力戦」の「リキセン・リョクセン」、「力争」の「リキソウ・リョクソウ」、「力闘」の「リキトウ・リョクトウ」という読みがある。また、「力作」については、

  リキサク :「力を入れ心をこめて作った作品」

  リョクサク:「つとめ働く」

と読み方により意味が異なるものもある。

さて、院政時代の観智院本『類聚名義抄』には、

 呂職反。チカラ、ツトム、ハナハダシ、イソク、人トナル、ネムコロナリ 和リキ」<僧上八一@>

とあり、漢音「リョク」として「呂職反」と反切表記で示し、呉音「リキ」については、「禾リキ」と「和音」という取扱いで位置付けにあるということになる。この『類聚名義抄』に何らかの影響を与えていると思える『篆隷萬象名義』『法華経音義』の「力」の反切も紹介しておこう。

 『篆隷萬象名義』力部「 呂職反。勒。務。筋。仂。」<上四二三頁>

『類聚名義抄』の反切は、『篆隷萬象名義』を継承していることになる。

 九条家本『法華経音』十九・記字には、「 里色反」

 保延本『法華経単字』序品180「[入声]ヲチナシ、チカラ。チカラ。里色〃(反)」

でいずれも呉音の「リキ」で、この「力」の字の反切に関してみる限り、『法華経音義』の方は直接影響していないものといえよう。

 いずれにしても、その読み方の区分がいつの頃からか、なんともしっくりしていないのが今日の漢字教育における現状のようだ。

1998年7月18日(土)曇り後晴れ。気温25度

とんちきや 舞うもあるかと 定め無き

「鈍い」

  通常、この字を「にぶい」と読む。幸田 文さんの小説『きもの』に、

 「あたしもお母さんの心を察して、かわいそうで困ったよ。つまりあのひとが東京の町の人だってことが、お母さんにはこたえてたんだよ。よく、田舎者はつらい、どうやったって東京のひとにはかなわないって、泣いていたよ。いくらそんなことはない、めいめい持味はちがうんだからっていっても、はいはいといいながら、いくら田舎ものは鈍〔おぞ〕いが持味でも、あのひとと比べればどっちが利口か、どっちが綺麗〔きれい〕か、それくらいはわかります、わたしは勝目のないところで、身をもんでいるのだから、いっそ去られたい、というんでねえ。本心そう思ってたろうよ、かわいそうに。」<新潮文庫三二〇頁E>

という表現のなかに、「おぞい」という読みが使われている。この「鈍」の字をどう訓読しているのか院政時代の観智院本『類聚名義抄』には、

 音遁。ニブシ、モチ、ヲホツカナシ、アキラカニ、ナマリ。和土ン」<僧上一二三@>

とあり、ここには「おぞい」の訓は見えない。この表現、地域方言とみて、次に『日本方言大辞典』を繙くと、1、恐ろしい。怖い。また恐ろしいほど非凡だ。すごい。2、恐れ多い。3、大きい。4、偉い。5、賢い。利口だ。6、かわいい。7、魚などが勘がさとい。8、悪賢い。こうかつだ。9、汚い。10、粗末だ。劣っている。醜い。11、残酷だ。むごい。12、気の毒だ。13、つまらない。だらしない。14、物足りない。不足だ。15、弱い。意気地がない。16、控え目だ。17、ものごとに動じない。大胆だ。18、大雑把だ。19、おうちゃくだ。20、めんどうだ。苦労だ。21、気が進まない。嫌だ。22、体がだるい。23、忙しい。24、おそろしい。といった二十四の意味合いに用いられ、この字にふさわしい意味としては、鈍感だと言う意味なのであろうから、10「仙台020。尾州020。北海道065。新潟県佐渡348。西頚城郡382。富山県062、390、391。石川県404。福井県038、427。岐阜県498、502、507。静岡県062、530、540。愛知県549、550、562。三重県員弁郡592。滋賀県南部609、611、616。京都府620。」か、もしくは、17「兵庫県淡路島」の意味が近いのだろうと思う。

この用例古いところでは、室町時代の咄本『醒睡笑』七(謡)に、

「それはそなたのをそひむかしをあれを見よふしきやな」<静嘉堂本267E>

と用いられた例を見ることができる。

1998年7月17日(金)薄晴れ。

麦わらに 暑さどこやら 西東

「賦存」

  朝日新聞7月14日(火)朝刊の記者席に、“「賦存」なんて言葉だれがわかるの”という記事が目を引いた。 次に引用しておく。

 お役所の文書はとっつきにくい。特有の役所用語がその一因だろう。例えば、国土庁の水質資源白書にある「水質源賦存量」という言葉だ。降水量から蒸発量を引いたもので、理論上、利用できる最大量という概念だ。ところが、図書館で国語辞典や漢和辞典を引いても、「賦存」という言葉はない。国土庁幹部に「死語に近いのでは」と聞くと「一九八三年の一回目の白書から使っていて違和感はない」と言う。気になったので来歴を調べてみた。国土庁が発足した七四年、水資源局幹部の一人が天から与えられた「天賦の」水資源という意味で、この造語を思いついたそうだ。賦存という言葉は、旧制中学の漢文の授業で教わった記憶があると言う。今ではほかの役所などでも使われている。でも、一般の人にとっては「利用可能な量」とでも言い換えた方が分かりやすい。「当時はダム開発が前提だった。今は下水処理水の再利用を含め『循環利用』が求められる政策転換期。適切な言葉に代えられるべきだ」と話す学者もいる。今月下旬には九八年版水資源白書がまとまる。国土庁幹部は「急に言い換えると混乱する」と言うが、前例踏襲はそろそろやめたらどうだろう。(清原 政忠)

 この「賦存」なる熟語は確かに、諸橋轍次編『大漢和辞典』にも未収載の語である。また、明治二十四年の木戸照陽編纂『漢語熟字典』のフの部にも「賦租〔フソ〕ネング」「賦与〔フヨ〕ワケアタヘル」「賦課〔ブクハ〕ワケテダサス」の三語が収載されているににすぎない。『佩文韻府』には、「賦在」<四〇178-72>なる熟語があるが、「賦存」の語は見えないのである。いまのところ、このことばのルーツは、一九七四年の国土庁の発足にともなう用語、そして、旧制中学校の漢文の授業という以外は定かでないのである。

1998年7月16日(木)晴れ。

郭公鳴き 烏の姿 似合はずや

「混種語」二つ三つ

  日本語と外来語とが合体した混種語、「海パン」「省エネ」「脱サラ」「サラ金」「アル中」となる。この類の混種語を知る知らないに関係なく、国語辞典はどの程度収載しているかが興味をそそる所謂知りたい「ことばのツボ」でもある。

 たとえば、「アしき しゅうきゅう」「アメしょん」が辞書にある。新明解『国語辞典』第五版に、

 アしき しゅうきゅう【ア式蹴球】〔association footballを圧縮した訳語〕サッカーの古い言い方。

 アメしょん〔俗〕〔「しょん」は「小便」の俗語形「しょんべん」の略。⇒つれしょん〕結果的には単に行って帰っただけの、無意義なアメリカ旅行。<岩波『国語辞典』第五版は、未収載>

上記の二語は、現在では死語と言ってよかろう。サッカーがほんの一握りのスポーツ種目から世界にはばたく種目と変貌してきた昨今、「蹴球」なる表現で学校のクラブ活動などで親しまれていた東京オリンピック以前の時代があったことを懐かしいと思う方も多かろう。また、海外旅行ブームが興った時代、海外にいけない者にとってうらやむ気持ちをこめて、つまらない旅を皮肉って「アメしょん」なる語が使われた。辞書にはよくよくみると、この種の死語がいまも収載されているのである。

 ところで、これはご存知であろうか?「超ド級」の「ド」とは、何か? 実際、スポーツ新聞に「超ド級のホームラン」「超ド級の新人!!」なる語が紙面を飾る。新明解は、「弩級」の字を用いているが「弩」は当て字なのである。岩波『国語辞典』は語源記載として説明する。惜しむらくは、「ド」の表記をカタカナで表示して欲しいところである。というのも、この「ド」、外来語「ドレッドノート(Dreadnaught)」でイギリス戦艦の名の頭文字からきているからなのである。船の大きさを表す基準に、この戦艦名「ドレッドノート号」が使われ、これより大きい船は「Super Dreadnaught」すなわち、訳して「超ドレッドノート級」となり、これを「ア式蹴球」同様に圧縮し、「超ド級」といい、けた違いに大きいこと、転じてもの凄いという意味が生まれたからである。

どうぞ、ご自分でも「ことばのツボ」を探してみてください。

1998年7月15日(水)晴れ。

すくすくと 唐黍の茎 天に向く

「賞味期限」

  「賞味期限」ということば、本来食材に使うことばなのだが、本日の朝日新聞・朝刊「天声人語」の末尾に、「<『参院選終わる』 ハイ、賞味期限が切れました――公約>」と政党の公約を皮肉って使われている。

 通常、「賞味期間」で、製造年月日より数えていついつまでがこの食材の食べごろなのかを報知するのが目的である。たとえば、「緑茶」でいえば、「名称(品名)・内容量・賞味期限・添加物・取扱上の注意・保存方法」が記載されたなかにある事柄である。さらに、物品であれば、「保証期間」であり、「保証期限」とでもいうことになろう。その「賞味期限」の記載内容だが、たいてい「欄外に記載」「欄外又は外箱記載」「枠外記載」としていて、別のところに「2000.4月 YF」などと印字してワンクッションをおいているのがごく普通の表示法ようだ。

国語辞典では、「賞味期限」なる四字熟語は未記載にある。

1998年7月14日(火)晴れ。苫小牧

ひと遅れ 夜汽車となる 夏の風

「村」

  「村」の字を音で「ソン」、訓読して「むら」という。この「ソン」の読みについて新明解『国語辞典』第五版の意味記述に、「〔千葉県と、兵庫県以西の方言〕町(チョウ)と共に郡(グン)を構成する最小の地方公共団体。むら。」とある。このなかで、〔〕内の注記が他の国語辞典にない特徴づけの表現である。

 さらに、字音語の造語成分の項に、「ソン【村】」には、むら。また、いなか。「村落・村夫子ソンブウシ・山村・農村・漁村・寒村・離村」と記す。

 また、「むら【村】」の意味記述に、

 A農業・林業・漁業などに従事する人たちが一かたまりとなって住んでいる地域。周囲が山林・田畑・海などに囲まれていて、夜になると寂しくなる所が多い。村落。

とある。ここには「豊かな自然に恵まれていて、夜空の星を観察する居住環境としては最適である」といった田舎暮らしのよいところが記述されていないのである。むしろ、「夜になると寂しい所」という編者の主観は、都会人の感覚による「村」のマイナス・イメージ表現なのであるまいか。

 ここで、〔〕内の注記について考えてみるに、「村長」という語は、「ソンチョウ(=地方公共団体である村の長)」か、「むらおさ(=「村の長」の意の雅語的表現)」かとその読み方を選択する場合には、地域でなく時代を選ぶというものである。これと同じように、「ソン」と音で読む語と「むら」と訓で読む語の辞書収載語彙を比較しておこう。

T「ソン」と音で読む語

 「村社〔ソンシャ〕・村勢〔ソンセイ〕・村荘〔ソンソウ〕・村童〔ソンドウ〕・村道〔ソンドウ〕・村夫子〔ソンプウシ〕・村民〔ソンミン〕・村有〔ソンユウ〕・村落〔ソンラク〕・村吏〔ソンリ〕」

[新明解『国語辞典』に未収載の語]

 「村会〔ソンカイ〕=村議会・村塾〔ソンジュク〕岩波『国語辞典』より」

U「むら」と訓で読む語

 「村里〔むらざと〕・村芝居〔むらしばい〕・村八分〔むらはちぶ〕・村払〔むらばらい〕・村役人〔むらヤクニン〕・村役場〔むらヤクば〕」

[新明解『国語辞典』に未収載の語]

 「村方〔むらかた〕岩波『国語辞典』より」

注記:[ただし、借字である「村雨〔むらさめ〕・村雲〔むらくも〕」は、数に入れていない]

といった具合で、先に示した「村長」の語だけが、意義用法に異なりはあるが、音訓両用ということになる。上記に示した語群は音訓の読み方によりその使い分けが明確化されていることになる。このなかで、「村夫子」の語表現の意義注記に、「多少、けいべつの気持を込めて用いることもある」としている。

 そして、最初の地域による地名のあとにつける「村」の読み方だが、「○○村」を実際、どう発音しているのかを意識観察しながら、千葉県や兵庫以西の地に出かけてみるのも夏休み中の旅の楽しみかもしれない。

1998年7月13日(月)曇り後晴れ。

汗も出ず 駈け行く吾が背 笑ふ声

「三一」

  「三一」と書いて、「さんぴん」と読む。類語に「三石さ〔サンゴクさ〕」すなわち、「三石侍〔サンゴクざむらひ〕」の意味。京都においては、公家に仕えた年俸三石の貧乏侍を蔑んだ言い方。「さんごくさん」「サンピン」という。さて、「さんぴん」ということば、江戸時代の武家・公家に奉公し、年間給与が三両一分の若党侍。転じて下級武士に対する侮蔑表現である。

 「さんぴん」の「ピン」だが、もとはポルトガル語の「pinta」(=点)の訛りで、「一」を意味する。これは時代劇などで、武士にたてつく粋な町奴が侍に向かってこのことばを使う。

1998年7月12日(日)曇り。千歳・追分 <参議議員選挙投票日>

牧草に 寝そべり見るや 牛の鼻

「一はた」

  『宇治拾遺物語』に、

  僧正は定まりたる事にて湯舟(ゆぶね)に藁(わら)をこまごまと切りて一(ひと)はた入れて、それが上に筵(むしろ)を敷きて、歩(あり)きまはりては、左右(さう)なく湯殿(ゆどの)け行きて裸になりて、「えさい、かさい、とりふすま」といひて、湯舟にさくとのけざまに臥(ふ)す事をぞし給ひける。<三七 鳥羽僧正与国俊たはぶれ[巻三・五]>

  さて月比(つきごろ)へて、「今はよくなりぬらん」とて見れば、よくなりにけり。取りおろして口あけんとするに、少し重し。あやしけれども切りあけて見れば、物一はた入りたり。<四八 雀報恩事[巻三・一六]>

と二例があり、副詞の「いっぱい【一杯】」の意に用いる。

 また、『古語辞典』に収載の用例として、『愚管抄』が提示されている。

1998年7月11日(土)曇り。札幌

旅立ちの 時に集ふや 夏の花

「魚道」

 本日の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」に、

 山に「獣道〔けものみち〕」があるように、海には「魚道〔さかなみち〕」がある。古くから、漁師の間で、そう伝えられてきた。だが、実証されたことはなかった。云々

と、「魚道」の読み方を「さかなみち」と記述している。ちょっとこの読み方が氣になった。

 そこで、小学館『マルチメディア統合辞典』の国語辞典を繙くに、

うおみち(うを‥)

  1魚群が回遊する経路。ぎょどう。

  2(魚は一度通った道を忘れないというところから)口縁に凹凸がある茶わんの飲み。

「魚道」を訓読みして「うおみち」、音読みして「ギョドウ」という。この「さかなみち」といった読みが国語辞典の中に事実認識されているか?どうかを調べてみたい。

 辞書収載の現況

辞書

うおみち

さかなみち

ギョドウ

魚梯

岩波『国語辞典』

×

×

×

三省堂『新明解国語辞典』

×

×

×

角川『必携国語辞典』

×

×

×

×

明治書院『精選国語辞典』

×

×

×

×

新潮『現代国語辞典』

×

×

新潮『国語辞典』

×

×

学研『国語大辞典』

×

×

『広辞苑』第四版

×

×

『大辞林』第二版

×

×

『国語大辞典』

×

 以上、どの国語辞典も「さかなみち」を用いていない。また、「うおみち」も小学館『国語大辞典』にのみである。通常、「ギョドウ」であることを確認できた。角川必携と明治書院精選には、この語は未収載である。読売新聞の「魚道」を「さかなみち」とルビしたところが新たなる見識ともいえよう。今後の展開を見守っていくことになろう。

1998年7月10日(金)曇り一時雨。札幌

じとじとと 暑さぬぐひや 蟹海栗と 

「紫〔ゆかり〕」

 夏を彩るに、「むらさき【紫】」の色がある。この「むらさき」を探すに、漬物食材である「紫蘇・賀茂茄子」による柴漬け。そして、自然のなかで紫色の花といえば、「菖蒲〔あやめ〕・桔梗〔ききょう〕・藤〔ふじ〕」とくる。北を彩る花にも「ライラック=別名「リラ」、すおうぼく。はなはしどい」の日本読みとして、「むらさきはしどい【紫丁香花】」という名もある。

 ところで、この「むらさき【紫】」を「ゆかり」と表現する。

1998年7月9日(木)曇り一時雨。

蒸し暑さ 前にも後にも 日は遠き

「橡の木」

 七月の樹木といえば、「橡の木〔とちのき〕」。小学館『マルチメデイア統合辞典』に、

  トチノキ科の落葉高木。日本の特産種。各地の山地の沢沿いに生え、庭木や街路樹にもされる。大きいものは、高さ三〇メートル、径二メートルぐらいに達する。葉は掌状複葉で五〜七個の小葉からなり、長柄をもち枝先に対生。各小葉は長さ一〇〜三〇センチメートルの倒長卵形で、両端がとがり、縁に不規則な鋸歯があり、裏に赤褐色の軟毛を密布。五月ごろ、白色で紅色の斑のある径一五ミリメートル内外の四弁花を開く。花は多数密集した大きな円錐花序となる。果実は倒円錐形で径五センチメートル、種子はクリに似て光沢のある赤褐色に熟す。種子から澱粉をとり、橡餅や橡粥をつくる。材は良質で建築・器具・楽器・彫刻などに用いる。ヨーロッパ原産のマロニエもこの仲間。漢名に当てる天師栗、七葉樹はいずれも中国産の別種の名。とち。

とある。このなかで「マロニエ(西洋橡の木)」は「仲間」とし、「天師栗」や「七葉樹」は「別種の名」とする識別が興味を引くところである。

1998年7月8日(水)雨。札幌

蝦夷梅雨に 夏祭りとて 音響き

「うり【瓜】」

 七月は、「瓜」が旬を迎える。「瓜」の字がつく野菜「南瓜〔カボチャ〕」「西瓜〔スイカ〕」「黄瓜(胡瓜)〔きうり〕」「冬瓜〔トウガン〕」「白瓜(越瓜)〔しろうり〕」「真桑瓜〔まくわうり〕」と食する「瓜」も数々ある。このなかで唯一音読する「冬瓜」は夏に採れ、冬まで貯蔵できるところからこの名がついている。

 次ぎに食さない「瓜」の代表格としては、「糸瓜〔へちま〕」がとにもかくにも有名である。「瓜」の字が使われない「瓜」としては、「干瓢〔カンピョウ〕」の材料の素である「「夕顔〔ゆふがほ〕」が知られる。「夕顔」は、観賞植物としてでなく、実用向きにも利用されているのだが、あの可憐な白い花が夏の夜の風物詩に調和していて、ついぞ実のことを忘れているようである。

 「瓜」のことわざに、「瓜二つ」「瓜実顔」が知られている。これら人の顔の形容に用いるところからも、日本人と「瓜」との関係は意外と古い。瓜を包丁で割ると見事に同じというところから、親兄弟そっくりな顔の人をこう言う。またその瓜の種に似た色が白くふっくらとした美顔の人を「瓜実顔」と表現した。

1998年7月7日(火)曇り。七夕。苫小牧

急ぐだけ 身と心とは 空回り

「たなぼた」

 七月七日は、「たなばた【七夕】」。この一字違いの語路合せではないが、「たなぼた」すなわち、「棚からぼたもち」を縮めて「たなぼた」がある。意味は、「願ってもない幸運に思いがけず恵まれること」と新明解『国語辞典』は記す。「たなぼた式のもうけ」などと用いる。漢字表記を「棚牡丹」としている国語辞書は、新潮『国語辞典』第二版、角川『必携国語辞典』がある。

「たなばた」に「たなぼた(幸運)」とはなるまいが、こんなウイットな気持ちをいつももっていたいものだ。今年は、夜空に星(牽牛星・織女星)は見えなかった。

1998年7月6日(月)曇り。

欠伸して 昨日のできごと ひとまとめ

「合亀の式」

 「ゴウキンのシキ」と読む。正しくは、「合〓〔丞+己〕」と書く。「〓〔丞+己〕キン」の字は、学研『国語大辞典』によれば、「ひさごを半分に割ってさかずきにしたもの。中国で婚礼のとき、夫婦がおのおのその一つをとり酒をくみかわしたことから」、夫婦の縁を結ぶこと、結婚を意味することばとして用いられるようになった。

この「ゴウキン」だが、「合亀」と「亀」の字を宛てて表現する。いま、明治四十三年七月七日発行の「北海史談」第九章(著者は、千葉稲城、函館毎日新聞記者)に、「是歳十月矩廣参勤に当る、帰藩して後に合亀〔がふきん〕の式を挙げんとす」と用いられている。

1998年7月5日(日)曇り。熊石から寿都。岩内。積丹。余市。札幌

朝ランや 山間の奥 露天風呂

「屋号の町」

 寿都〔すっつ〕の町は、風の町。「風太くん」がキヤッチフレーズ。風力発電用のプロペラが一〇年ほどこの地で開発研究しつづけられてきた。昔の陣屋跡に建つ「ウイズコム」の資料館には、この地の歴史あふれる品々が数多く保存されていた。

 そして、屋号が生活のなかで活力づいている町でもあった。□のなかに十と書いて「かくじゅう」、「□十佐藤家(源義経の家臣佐藤)」、「大」の字の又のなかに小さく○して「ダイマル」で仕出し店といった名前で表現され、苗字とは異なる呼称が会話中にひろがる町でもある。

1998年7月4日(土)晴れ。札幌から黒松内。八雲。江差。熊石

水うまき 食もすすんで ブナ林

「木+貴」

 歌才ブナ林で知られる北海道黒松内町の土産品の一つ日本酒銘に、「木へん」に「貴い」と書いて「ブナ」と読ましたものがある。純米酒「〓〔木+貴〔ぶな〕のせせらぎ」。焼酎「〓〔木+貴〔ぶな〕しずく」。ワインは、「〓〔木+貴〔ぶな〕のささやき」と使う。

この字だが、観智院本『類聚名義抄』佛下本一〇二Dには、

  「〓〔木+貴〕 丘貴反。〓〔木+居〕―。木腫節」

とあり、「ブナ」の訓は見えない。諸橋轍二編『大漢和辞典』(大修館刊)でも、15498に収録され、「木の名。へびの木。靈壽木」とあるにすぎない。そして和訓索引には、「ブナ」の訓として「〓〔木+無〕15513」、「〓〔木+菊〕15622」の二字が収録されている。「15513」の字は、『和漢三才圖會』山果類に、「音謨、附奈乃木」と記す。また、「15622」の字は、国字として使用とある。

 ところで、なぜこの二字を用いずに「木へん」に「貴い」の字で「ブナ」と訓読ませたのかが気になるところである。「靈壽木」を意識したものか?生態と含めて今後この読みを考えてみよう。江戸時代の『文選字引』には、「〓〔木+貴〕 木ノ名」、『魁本大字類苑』には、「山毛欅〔ブナ〕」とあるにすぎない。

 この「ブナ」という名称だが、実際、このブナ林の葉に吹き渡る風の音そのものが「ブーン」と聞こえてくる。この葉音を耳にして、「ブンナリノキ」といい、これがつまって「ブンナノキ」そして「ブナノキ」と撥音便無表記化文字にして、そのまま口にして読むこととなり、下略して江戸時代末には今の「ブナ」となったというところか。異名には、「スズバガシ【鈴葉樫】」という名がある。

1998年7月3日(金)くもり。深川へ

音に酔い 心通はし 雨龍花

「ぶらかす」

 ラジオ放送を聞いていたら「ぶらかす」という聞きなれないことばが耳に入ってきた。どういう意味に使うのだろうかと、耳を傾けているとどうやら日本人が事を進めていく上で、処断を先送りにしてその事象における摩擦を避けようとするときにとる行動だという。必要が迫るまでとにもくにも「ぶらかし」ておく。すなわち、はっきりとしない意の「ぶらぶら」という象徴語に活用接尾辞「かす」からなる派生動詞のようだ。もちろん、国語辞典には未収載の語である。

1998年7月2日(木)雨。

始まりは こともなげにや 動き出し

「漢字地名」

 地図を眺めていて北海道の地名は、漢字を後から当てたことから読めない地名がちょくちょく続出する。松浦武四郎の描いた地図はすべてカタカナで表記されていたのが、明治蝦夷地開拓にともない、これに見合った漢字を使用してつけていった。これもそのひとつ。「潮路」で「オショロ」と読む。

1998年7月1日(水)曇り。

企画練り あれやこれやと 何より楽し

「泣いても笑っても」

 「泣いても笑っても今日が最終日、有終の美で飾りましょう」と表現する。この「泣いても笑っても」とは、累加追加型の係助詞「も」による対になることばを並べることば表現である。この場合、「泣く」はマイナス面、「笑う」がプラス面を表現していて後部の方に良きことがらを配置する仕組みのようだ。たとえば、人物評価をあらわす成句「鳶が鷹を生む」も「鳶」が平凡であり、「鷹」が非凡なものとなっていたりする。これを逆にして「笑っても泣いても」や「鷹を鳶が」でもことばは表せるが、意味の効力はやはり半減するので用いない。

 このように、慣用句や成句には、反対の関係を単に示すのではなく、上・下の位置でその内容を使い分けている表現があるか、類例を示して少し考えてみようではないか。

 

 

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