2006年01月01日から01月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
  恭賀新年 本年も宜しくお願い申し上げます
 
 
 
 
 
 
 
2006年01月31日(火)曇り後雨。東京→世田谷(駒沢)
先例(センレイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

先例(レイ) 。〔元亀二年本352八〕〔静嘉堂本424八〕

とあって、標記語「先例」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法会先例佛事守先例無慢怠候也〔至徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法會先例佛事守先例無怠慢候也〔宝徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉弊寺社入堂節々法會先例仏事守先例無怠慢候也〔建部傳内本〕

之諸社神拝宮々奉幣寺社之入堂節々法會先例仏事守先例怠慢〔山田俊雄藏本〕

(シカノミナラス)諸社神拝宮々奉幣(ホウヘイ)寺々入堂節々(セツセツ)法會先例佛事守先例怠慢候也〔経覺筆本〕

加之(シカノミナラス)諸社神拝宮々(ミヤ/\)奉弊(ホウヘイ)寺社(ヂシヤ)入堂節々(せツ/\)()法會(ホウエ)-仏事守(マホツテ)先例(レイ)怠慢(タイマン)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「先例」と表記し、訓みは文明四年本に「(セン)レイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「先例」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「先例」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

先例(センレイマヅ、ナラブ)[平・去] 。〔態藝門1087七〕

とあって、標記語「先例」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

先例(レイ) 。〔・言語進退門265三〕

先規(センキ) ―判(ハン)―例(レイ)。―(ぜウ)。―途()。―条(デウ)。〔・言語門226四〕

先規(センキ) ―判。―例。―。―途。―条。〔・言語門213二〕 

とあって、弘治二年本に標記語「先例」の語を収載し、他本は標記語「先規」の熟語群に記載する。易林本節用集』に、

先コ(センドク) ―度()。―條(デウ)。―代(ダイ)―例(レイ)。―規()。―陣(ヂン)。―約(ヤク)。―(ぜウ)。―非()。〔言辞門235七・天理図書館蔵下50ウ七〕

とあって、標記語「先コ」の熟語群に「先例」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「先例」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「先例」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「先例」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

先例(せんれい)を(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也/先例シテ怠慢候也先例怠慢の注並に前に見へたり。こゝにいふこゝろハ政事(せいじ)なとの能とゝのひたるはかりならす又神事(じんじ)仏事(ぶつじ)ともに前々よりし來りしなしかに怠(おこた)りなく取行ふと也。〔103オ三〜四〕

とあって、この標記語「先例」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)を(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也/加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢候也〔75ウ三〕

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「先例」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xenrei.センレイ(先例) Mayeno tamexi.(前の例)すなわち,Mayeno catagui.(前の形儀)昔の習わし,すなわち,慣例.〔邦訳752r〕

とあって、標記語「先例」の語を収載し、意味は「Mayeno tamexi.(前の例)すなわち,Mayeno catagui.(前の形儀)昔の習わし,すなわち,慣例」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せん-れい〔名〕【先例】先先(さきざき)、行ひ來りし例(ためし)。前例。舊慣。先儀。梁書、袁昴傳「事有先例源平盛衰記、二、額打論事「北京には、一番に、延暦寺の行を立て、額を打ち、山山、寺寺、次第を守りて、立てぶるは、先例也」〔1134-4〕

とあって、標記語「せん-れい先例】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せん-れい先例】〔名〕@まえにあった例。以前にあった同じような例。前例。A以前からの慣例。以前からの例式。まえからのしきたり。前例。B将来の同種の事象の基準となる例。前例」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而彼所司神人等、寄事於騒動、又號有兵粮米之責、所當神税上分等依令難濟、任先例(センレイ)、遣騒動ニ寄セ、又兵糧米ノ責メ有リト号シテ、所当ノ神税ノ上分等、難済セシムルニ依テ、先例(センレイ)ニ任セ、宮使ヲ遣ハシ、催促ヲ加ヘシムルノ処ニ、弁済既ニ少ク、対捍甚ダ多シ。《『吾妻鑑』寿永元年五月二十九日の条》
 
 
法會(ホウエ)」は、ことばの溜池「大法会{大法會}」(2004.04.22)を参照。
連々(レンレン)」は、ことばの溜池(2002.06.02)を参照。
 
2006年01月30日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
節々(せつせつ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「世」部に、標記語「節々」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法会連々佛事守先例無慢怠候也〔至徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法會連々佛事守先例無怠慢候也〔宝徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉弊寺社入堂節々法會連々仏事守先例無怠慢候也〔建部傳内本〕

之諸社神拝宮々奉幣寺社之入堂節々法會連々仏事守先例怠慢〔山田俊雄藏本〕

(シカノミナラス)諸社神拝宮々奉幣(ホウヘイ)寺々入堂節々(セツセツ)法會連々佛事守先例怠慢候也〔経覺筆本〕

加之(シカノミナラス)諸社神拝宮々(ミヤ/\)奉弊(ホウヘイ)寺社(ヂシヤ)入堂節々(せツ/\)()法會(ホウエ)-仏事守(マホツテ)先例(レイ)怠慢(タイマン)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「節々」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「セツセツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「節々」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「節々」の語は未収載にする。次に、易林本節用集』に、

節々(せツせツ) 。〔言辞門236六・天理図書館蔵下51オ六〕

とあって、標記語「節々」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「節々」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂-法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「節々」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「節々」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)節々法會連々仏事節々連々は絶間(たへま)なきをいふなり。〔103オ二〜三〕

とあって、この標記語「節々」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)を(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也/加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂-法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢〔75ウ三〕

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「節々」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xetxet.セツセツ(節々) Xexxetni(切々に・節々に)の条を見よ.〔邦訳757l〕

とあって、標記語「節々」の語を収載し、意味は「Xexxetni(切々に・節々に)の条を見よ」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せつ-せつ〔副〕【節節】鳳凰の鳴く聲に云ふ語。宋書、符瑞志「鳳凰其鳴、雄節節、雌曰足足〔1112-3〕

せつ-せつ〔副〕【節節】をりをり。ときどき。時時。節節、見舞ふ」〔1112-3〕

とあって、標記語「せつ-せつ節節】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せつ-せつ節節切切折折】〔名〕(多く、副詞的に用いる。「せつせつ」とも)@おりおり。ときどき。ときたま。A回数の多いさま。たびたび。しばしば。しきりに。しょッちゅう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2006年01月29日(日)晴れ。東京→世田谷(玉川→駒沢)
入堂(ニフダウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「尓」部に、「入部(ニウフ)。入城(ジヤウ)。入麺(メン)。入滅(メツ)。入間(カン)地塔事。入勘(カン)。入寺()。入唐(ニツタウ)。入牌(バイ)。入棺(クワン)。入室(シツ)」の十一語を収載するが、標記語「入堂」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法会連々佛事守先例無慢怠候也〔至徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法會連々佛事守先例無怠慢候也〔宝徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉弊寺社入堂節々法會連々仏事守先例無怠慢候也〔建部傳内本〕

之諸社神拝宮々奉幣寺社之入堂節々法會連々仏事守先例怠慢〔山田俊雄藏本〕

(シカノミナラス)諸社神拝宮々奉幣(ホウヘイ)寺々入堂節々(セツセツ)法會連々佛事守先例怠慢候也〔経覺筆本〕

加之(シカノミナラス)諸社神拝宮々(ミヤ/\)奉弊(ホウヘイ)寺社(ヂシヤ)入堂節々(せツ/\)()法會(ホウエ)-仏事守(マホツテ)先例(レイ)怠慢(タイマン)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「入堂」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「入堂」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「入堂」の語は未収載にする。次に、易林本節用集』に、

入堂(ニフダウ) 。〔言辞門27五・天理図書館蔵上14オ五〕

とあって、標記語「入堂」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「入堂」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_入堂-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「入堂」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「入堂」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

寺社(じしや)入堂(にうだう)寺社入堂入堂とハ堂に登り佛を礼拝するを云也。〔103オ一〜二〕

とあって、この標記語「入堂」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)を(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也/加之諸社神拝宮々奉弊寺_入堂-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢〔75ウ三〕

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「入堂」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nhu<do<.ニフダウ(入堂) Do<ye iru.(堂へ入る)祈りをするために寺(Tera)へ入ること.〔邦訳461l〕

とあって、標記語「入堂」の語を収載し、意味は「Do<ye iru.(堂へ入る)祈りをするために寺(Tera)へ入ること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

にふ-だう〔名〕【入堂】佛堂に入ること。又、佛參をすること。庭訓往來、十二月「宮宮奉幣、寺寺入堂等、節節法會、連連佛事」〔1501-2〕

とあって、標記語「にふ-だう入堂】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「にふ-だう入堂】〔名〕僧堂にはいること。また、お寺などにお参りすること。仏参。寺参り」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
鶴岳別當法眼、〈圓暁、號宮法眼〉被上洛爲園城寺三院入堂〈云云〉幕下、被遣丁寧餞物、剰爲長途兵士、被相副雜色八人〈云云〉《訓み下し》鶴岡ノ別当法眼、〈円暁、宮ノ法眼ト号ス〉上洛セラル。園城寺三院入堂(ダウ)ノ為ト〈云云〉。幕下ヨリ、丁寧ノ餞物ヲ遣ハサル、剰ヘ長途ノ兵士トシテ、雑色八人ヲ相ヒ副ヘラルト〈云云〉。《『吾妻鑑』建久三年二月十三日の条》
 
 
2006年01月28日(土)晴れ。屋久島→東京
奉幣(ホウヘイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

捧弊(ヘイ) 。〔元亀二年本42一〕

× 。〔静嘉堂本〕

× 。〔天正十七年本〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「捧幣」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法会連々佛事守先例無慢怠候也〔至徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法會連々佛事守先例無怠慢候也〔宝徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉弊寺社入堂節々法會連々仏事守先例無怠慢候也〔建部傳内本〕

之諸社神拝宮々奉幣寺社之入堂節々法會連々仏事守先例怠慢〔山田俊雄藏本〕

(シカノミナラス)諸社神拝宮々奉幣(ホウヘイ)寺々入堂節々(セツセツ)法會連々佛事守先例怠慢候也〔経覺筆本〕

加之(シカノミナラス)諸社神拝宮々(ミヤ/\)奉弊(ホウヘイ)寺社(ヂシヤ)入堂節々(せツ/\)()法會(ホウエ)-仏事守(マホツテ)先例(レイ)怠慢(タイマン)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「奉幣」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「ホウヘイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「奉幣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「奉幣」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

奉幣(ホウヘイタテマツル、コハク)[上・去] 。〔神祇門95八〕

とあって、標記語「奉幣」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

奉弊(ホウヘイ) 。〔・言語進退門35一〕

奉弊(ホウヘイ) (ホウジ)。―入(ニウ)。―送(ソウ)。―勅(チヨク)。―借(シヤク)。―納(ナウ)。―謁(エツ)。―物(モツ)。―加()。―公(コウ)。〔・言語門34五〕

奉弊(ホウヘイ) ―謝。。―入。―送。―勅。―借。―納。―謁。―物。・言語門31七〕 

奉弊(ホウヘイ)・言語門38三〕

とあって、標記語「奉幣」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「奉幣」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「奉幣」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「奉幣」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「奉幣」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)奉幣(ほうへい)加之諸社神拝宮々奉幣神拝ハ神を禮拝(らいはい)する事也。奉幣ハ幣帛(へいハく)を奉納(ほうのう)するなり。是ハ文をにかひにしたるなれハかゝハるへからす〔102ウ八〜103オ一〕

とあって、この標記語「奉幣」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)を(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也/加之諸社神拝宮々奉幣_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢〔75ウ三〕

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「奉幣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo>fei.ホゥヘイ(奉幣) 紙を細かく切って一本の木の先端にくっつけたもので,ある礼式を行って神(Camis)の前に供えるもの.〔邦訳257r〕

とあって、標記語「奉幣」の語を収載し、意味は「紙を細かく切って一本の木の先端にくっつけたもので,ある礼式を行って神(Camis)の前に供えるもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほう-へい〔名〕【奉幣】~に幣(ぬさ)を奉ること。書經、召誥篇「惟恭奉幣、用供王能祈天永命字類抄奉幣辨内侍日記、上「寛治三年二月、二十七日は、七社のほうへいなり」「奉幣使」〔1827-5〕

とあって、標記語「ほう-へい奉幣】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-へい奉幣】〔名〕(「ほうべい」とも)神に幣帛(へいはく)をささげること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三嶋社神事也藤九郎盛長、爲奉幣御使社參、無程歸參《訓み下し》三島ノ社ノ神事ナリ。藤九郎盛長、奉幣(ホウヘイ)ノ御使トシテ社参シ、程無ク帰参ス。《『吾妻鑑』治承四年八月十七日の条》
 
 
2006年01月27日(金)晴れ。屋久島
宮々(みやみや)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「未」部に、「宮仕(ミヤヅカイ)。宮司(ヅカサ)。宮居()。宮籠(コモリ)。宮舘(ダチ)。宮古()」の六語を収載し、標記語「宮々」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法会連々佛事守先例無慢怠候也〔至徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法會連々佛事守先例無怠慢候也〔宝徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉弊寺社入堂節々法會連々仏事守先例無怠慢候也〔建部傳内本〕

之諸社神拝宮々奉幣寺社之入堂節々法會連々仏事守先例怠慢〔山田俊雄藏本〕

(シカノミナラス)諸社神拝宮々奉幣(ホウヘイ)寺々入堂節々(セツセツ)法會連々佛事守先例怠慢候也〔経覺筆本〕

加之(シカノミナラス)諸社神拝宮々(ミヤ/\)奉弊(ホウヘイ)寺社(ヂシヤ)入堂節々(せツ/\)()法會(ホウエ)-仏事守(マホツテ)先例(レイ)怠慢(タイマン)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「宮々」と表記し、訓みは文明四年本に「みや/\」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「宮々」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「宮々」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「宮々」の語は未収載あって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「宮々」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「宮々」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)加之諸社神拝宮々奉幣神拝ハ神を禮拝(らいはい)する事也。奉幣ハ幣帛(へいハく)を奉納(ほうのう)するなり。是ハ文をにかひにしたるなれハかゝハるへからす〔102ウ八〜103オ一〕

とあって、この標記語「宮々」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)を(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也/加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢〔75ウ三〕

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「宮々」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「宮々」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「みや-みや宮々】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「みや-みや宮宮】〔名〕多くの宮。皇族がた。源氏物語(1001-14頃)澪標「まゐりて給て齋院なと御はらからの宮宮おはしますたぐひにてさふらひ給へ」*苔の衣(1271頃)一「いみじきみやみやといふとも、あれにおとりたらん人をえてもてあつかはんこそ、よにあるかひなく心うかりぬべけれ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2006年01月26日(木)晴れ。屋久島
神拝(シンハイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「神拝」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法会連々佛事守先例無慢怠候也〔至徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉幣寺社入堂節々法會連々佛事守先例無怠慢候也〔宝徳三年本〕

加之諸社神拝宮々奉弊寺社入堂節々法會連々仏事守先例無怠慢候也〔建部傳内本〕

之諸社神拝宮々奉幣寺社之入堂節々法會連々仏事守先例怠慢〔山田俊雄藏本〕

(シカノミナラス)諸社神拝宮々奉幣(ホウヘイ)寺々入堂節々(セツセツ)法會連々佛事守先例怠慢候也〔経覺筆本〕

加之(シカノミナラス)諸社神拝宮々(ミヤ/\)奉弊(ホウヘイ)寺社(ヂシヤ)入堂節々(せツ/\)()法會(ホウエ)-仏事守(マホツテ)先例(レイ)怠慢(タイマン)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「神拝」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「神拝」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「神拝」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「神拝」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「神拝」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「神拝」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)加之諸社神拝宮々奉幣神拝ハ神を禮拝(らいはい)する事也。奉幣ハ幣帛(へいハく)を奉納(ほうのう)するなり。是ハ文をにかひにしたるなれハかゝハるへからす〔102ウ八〜103オ一〕

とあって、この標記語「神拝」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)を(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也/加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢▲神拝ハ神(かミ)を礼拝(らいはい)する也。〔76オ六・七〕

加之(しかのみならす)諸社(しよしや)神拝(しんはい)宮々(ミや/\)の奉幣(ほうへい)寺社(じしや)の入堂(にうだう)節々(せつせつ)の法會(ほうゑ)連々(れん/\)の仏事(ぶつじ)先例(せんれい)(まもつ)て怠慢(たいまん)(なく)候也▲神拝ハ神(かミ)を礼拝(らいはい)する也。〔136オ四〜136ウ五・六〕

とあって、標記語「神拝」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xinpai.シンパイ(神拝) Cami vogamu.(神拝む)神(Camis)を拝むこと.文書語.〔邦訳772l〕

とあって、標記語「神拝」の語を収載し、意味は「Cami vogamu.(神拝む)神(Camis)を拝むこと.文書語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しん-ぱい〔名〕【~拝】~を、拜むこと。兼盛集「駿河の守にて、~ぱいして歸るに、磯のほとりを行くとて」更級日記「東國(あづま)より、人、來たる、~拜と云ふわざして、國の内、歩きしに」〔950-2〕

とあって、標記語「しん-ぱい神拝】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しん-ぱい神拝】〔名〕(古くは「じんばい」とも)@神を拝むこと。神社に参拝すること。また、神聖なものとして崇拝すること。A国司が着任した時、初めに管内のおもな神社に参拝すること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
鶴岡八幡宮放生會中將家、無御參宮兵庫頭廣元朝臣、束帯爲御使、~拜家子二人、郎等廿人、在共路次歩儀也中將家小舎人等、前行〈云云〉《訓み下し》鶴岡八幡宮ノ放生会。中将家、御参宮無シ。兵庫ノ頭広元朝臣、束帯。御使トシテ、神拝(ジンハイ)ス。家ノ子二人、郎等二十人、共ニ在リ。路次ハ歩儀ナリ。中将家小舎人等、前行スト〈云云〉。《『吾妻鑑』正治元年八月十五日の条》
 
 
 
ことばの溜池「加之」(2004.03.25)を参照
ことばの溜池「諸社」(2004.09.01)を参照
 
2006年01月25日(水)晴れ。屋久島
(わずらひ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「和」部に、

(ワヅラウ) ワツライ。〔元亀二年本90六〕

(ワツラウ) 。〔静嘉堂本111六〕

(ワツラウ) 。〔天正十七年本上55オ一〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「」と表記し、訓みは文明四年本に「(わづら)ひ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ハン) ワヅラヒ/ワツラハシ。〔黒川本・人事門上70オ七〕

ワツラハシ。〔卷第三・人事門113三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ワツライハン)[平] 。〔態藝門250二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

(ワヅライ)(ツイヘ) 。〔・言語進退門24六〕 煩(ワツラウ)。〔・言語進退門72三〕

(ワツライ) 悩。戀。累。滿。究。労。〔・言語門72四〕

(ワツラウ) 悩。惡。累。滿。究。労。〔・言語門66二〕 

悩。戀。累。滿。究。労。〔・言語門78四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(ワツラフ)() 。〔言語門68四・天理図書館蔵上34ウ四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/聊無大介税所の留地文書といふより?用の散失といふもの種々事をそれ/\の彼人しらへ等を能するゆへ別に事わつらハしき世話(せわ)もなしと也。是迄ハ前状に兩樣の納法郡司判官代等の沙汰承り度候とあるに答し也。〔102ウ六〜八〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-亡之勘注用散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vazzurai.わずらひ(煩) 病気.¶また,骨折りと辛労.〔邦訳682l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「病気」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

わずらひ〔名〕【】{わづらふこと。思ひなやむこと。~代紀、上十四「~(ワヅラヒノカミ)孟子、滕文公、上篇「何許子之不(二){心の惱みとなること。苦勞のたね。ほだし。字類抄、「累、ワツラヒ源氏物語、三十四、下、若菜、下十五「ひびき世の常ならず、いみじく事どもそぎすてて、世のわづらひあるまじくと、はぶかせ給へど」(三)うるさきこと。めんだうなること。十訓抄、上、第四、第三條「やがて打立てからめに行くほどに、思ひもよらぬほどなりければ、わづらひなくからめて歸る」(四)病(やまひ)。疾病。御湯殿上の日記、慶長三年十一月八日「御わづらひの御祈?に、武田兵庫守ひきめを射參らせ候」幸、直衣御裝束、自何處旱水哉、所未定之閨A不審、云云、今度彌、關白被宜歟」〔717-4〕

とあって、標記語「わずら-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「わずら-】〔名〕(動詞「わずらう(煩)」の連用形の名詞化)@悩むこと。苦しむこと。また、厄介なこと。手数のかかること。心配。苦労。面倒。迷惑。A(累)苦労の種となるもの。妻子、縁者など面倒をみなければならない者、また、それによる連累。係累。B病気。やまい。疾患」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而件居所、爲要害之地前途後路、共以可令人馬之間、令圖繪彼地形、爲得其意兼日密々被遣邦道《訓み下し》而ルニ件ノ居所ハ、要害ノ地タリ。前途後路、共ニ以テ人馬ヲ(ワツラ)ハシムベキノ間、彼ノ地形ヲ図シ絵カカシメ、其ノ意ヲ得ンガ為ニ兼日ニ密密ニ邦通ヲ遣ハサル。《『吾妻鑑』治承四年八月四日の条》
 
 
2006年01月24日(火)晴れ。東京→屋久島
勘合(カンガフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

勘合(ガウ)太唐日本象牙之破符也。〔元亀二年本91八〕

勘合 自大唐出日夲象牙之破符也。〔静嘉堂本113六〕

勘合(カウ) 自太唐出日本象牙之破符也。〔天正十七年本上55ウ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「勘合」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘--用散---其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()勘合〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()--(カンカフ)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「勘合」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「カンカフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「勘合」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「勘合」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

勘合(カンガフカンガウ、アワス)[去・入] 。〔態藝門274三〕

とあって、標記語「勘合」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』には、

勘合(カンガウ) 。〔・言語進退門85六〕

勘氣(カンキ) ―文(モン)暦家所為。―落(ラク)。―判(ハン)。―責(セキ)。―望(バウ)―合(ガウ)。―辨(ベン)。―發(ホツ)。―定(ヂヤウ)。―略(リヤク)。〔・言語門82七〕

勘當(カンダウ) 君父所擯(コハム)。―落。―判。―責。―望。―過関過書文言義。―氣。―文暦家所為。―定。―合。―弁。―發。―略。〔・言語門75一〕 

勘氣(カンキ) ―文暦家所為。―落。―判。―責。―望。―合。―辨。―發。―定。―略。〔・言語門90三〕

とあって、弘治二年本に標記語「勘合」の語を収載し、他本は標記語「勘氣」乃至「勘當」の熟語群として収載する。易林本節用集』に、

勘合(カンガフ) 。〔言語門52七・天理図書館蔵上26ウ七〕

とあって、標記語「勘合」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「勘合」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合-聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「勘合」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「勘合」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

都合(つがふ)勘合(かんがふ)して/都合勘合都合ハ前の事をくゝりたる詞なり。勘合ハしらへる事也。〔102ウ三〜五〕

とあって、この標記語「勘合」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-亡之勘注用散失都合勘合其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「勘合」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cango<.カンガゥ(勘合) Cangaye auasuru.(勘へ合はする)推算して判断すること.〔邦訳90l〕

とあって、標記語「勘合」の語を収載し、意味は「Cangaye auasuru.(勘へ合はする)推算して判断すること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かんがふ--いん〔名〕【勘合印】〔勘合は勘へ合はする義、勘合印底簿と稱する臺帳ありて、一一引合せて、眞僞を鑒別せしとぞ〕室町幕府より、使を明國(ミンコク)の朝廷に遣して修交し、其通商、貿易に用ゐるために、彼の朝より受けたる金印の名。若干枚の紙、これに添へり、此印を紙に押したるを、勘合紙と云ひ、貿易船は、これを持ち行きて證として、彼の地の寧波に至りて、貿易したるなり、後に、周防の大内氏、代代、異國徃來の事を掌りしに因りて、此印を預り居たりしが、天文二十年、大内氏滅亡の時、失せたりと云ふ。蔭涼軒日録、寛正六年六月十二日「遺唐書、云云、於殿中、可御印之由、云云、宣コ年中(明宣宗の年號なり)勘合紙、先領置之。八十四枚之分也、云云、龜形金印、光輝照人、斤兩尤重、而以兩手提持、實國家之遺寶也」〔二703-3〕

とあって、標記語「かんがふ--いん勘合印】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かんごう-いん勘合印】〔名〕室町時代、勘合貿易で使用した勘合Aに記した「本字壱号」などの半印」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御下知又御下知、與事書、於問註所可令勘合、事云無相違者、可下之由、依仰加賀民部大夫《訓み下し》又御下知ト、事書ト、問註所ニ於テ。(カン)セシムベシ。事相違無シト云ハバ、下スベキノ由、依テ加賀ノ民部ノ大夫ニ仰セラル。《『吾妻鑑』寛元元年九月二十五日の条》
 
 
2006年01月23日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
都合(ツガウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

都合(ツガウ) 。〔元亀二年本157五〕

都合(ガウ) 。〔静嘉堂本172五〕

都合(ツカウ) 。〔天正十七年本中17ウ六〕

とあって、標記語「都合」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘--用散---合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「都合」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「ツ(ガウ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

都合(スヘアハス) 同(資用部)ツカフ。〔黒川本・畳字門中28オ八〕

都合 。〔卷第四・畳字門632二〕

とあって、標記語「都合」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「都合」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

都合(ツガフ・ミヤコ・スヘテ、アワス)[○・入] 。〔態藝門629四〕

とあって、標記語「都合」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

都合(ツカウ) 以上義。〔・言語進退門131一〕

都合(ツガウ) 已上義。〔・言語門117八〕

とあって、標記語「都合」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「都合」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「都合」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-都合-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「都合」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「都合」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

都合(つがふ)勘合(かんがふ)して/都合勘合都合ハ前の事をくゝりたる詞なり。勘合ハしらへる事也。〔102ウ三〜五〕

とあって、この標記語「都合」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-亡之勘注用散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「都合」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcugo<.ツガゥ(都合) 計算全部の総計,または,全部を総計して,など.¶Tcugo<ua icafodozo?(都合は如何程ぞ)総額はいくらか.あるいは,

総計するといくらか.〔邦訳626r〕

とあって、標記語「都合」の語を収載し、意味は「計算全部の総計,または,全部を総計して,など」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-がふ〔名〕【都合】すべてあはせて。數(かぞ)へ締めて。總計して。全部で。保元物語、一、新院御所各門門固事「父子五人、びに多田藏人大夫頼憲、都合二百餘騎にて固めたり」〔三386ー1〕

とあって、標記語「-がう都合】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ごう都合】〔名〕@(―する)合うこと。合わせること。合計すること。また、その合計。総計。副詞的に用いる。A物事が曲折を経て落ち着くところ。つまるところ。副詞的にも用いる。B(―する)工面すること。算段すること。また、その算段。やりくり。てはず。Cぐあい。状況。状態。事情。D(形動)ぐあいのよいさま。また、そういう場所」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
敵陣箭窮力盡、而泰村以下爲宗之輩、二百七十六人、都合五百余人、自殺《訓み下し》敵陣箭窮リ。力尽テ、泰村以下宗タルノ輩、二百七十六人、都合五百余人、自殺ス。《『吾妻鑑』宝治元年六月五日の条》
 
 
2006年01月22日(日)晴れ。東京→上野
散失(サンシツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

散失 。〔元亀二年本65六〕

散失 。〔静嘉堂本76六〕

散失 。〔天正十七年本上38ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「散失」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘----合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本に「」、宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「散失」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「サンシツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「散失」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「散失」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

散失(サンシツチル、ウシナフ)[上・入] 。〔態藝門791一〕

とあって、標記語「散失」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

散失(サンシツ) 。〔・言語進退門193一〕

散失 。―旱。〔・言語門161一〕

散失 ―旱。―。〔・言語門148四〕 

散失 。―旱。〔・言語門150二〕

とあって、標記語「散失」の語を収載する。易林本節用集』に、

散失(サンシツ) 。〔言語門52七・天理図書館蔵上26ウ七〕

とあって、標記語「散失」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「散失」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算--都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「散失」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「散失」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

算用(さんよう)散失(さんしつ)ハ/散失諸勘定の相違(さうい)したるを云也。こゝの文段(もんたん)明ならさる事多し。今其大ことを解(かい)するに大介税所と云より交文宛文と云迄ハ政事(せいじ)并に公事(くし)の事をいひ名主百姓といふより敬失といふ迄ハ課役貢物并に田畑の招見諸勘定の改等の事をいえるなり。〔102ウ三〜五〕

とあって、この標記語「散失」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-亡之勘注散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「散失」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「散失」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さん-しつ〔名〕【散失】散り、失すること。紛失。散逸。「書類の散失を防ぐ」。〔548-4〕

とあって、標記語「さん-しつ散失】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-しつ散失】〔名〕ちりうせること。ちりぢりになってなくなること。散逸」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を初出記載する。
[ことばの実際]
八月大。一日甲寅。天晴風静。世上漸豊饒。死骸徐散失云云。《訓み下し》八月大。一日甲寅。天晴風静カナリ。世上漸ク豊饒シ、死骸徐ク散失スト云云。《『吾妻鑑』寛喜三年八月一日の条》
 
 
2006年01月21日(土)雪。東京→世田谷(駒沢246)
(サンヨウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

(サンユウ) 。〔元亀二年本269一〕

(サンヨウ) 。〔静嘉堂本306三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘----合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、宝徳三年本・経覺筆本は「算用」、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・文明四年本に「」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「サンヨウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

算用(サンヨウ) 。〔態藝門75一〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(サンヨウ・カズウモチヰル)[去・去] 。〔態藝門801六〕                 

とあって、標記語「」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

(サンヨウ) 或散用。〔・言語進退門215八〕

散用 ――。―向。〔・言語門178八〕

(サンヨウ) ―失。―。〔・言語門167八〕 

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(サンジユツ) ―道(ダウ)―用(ヨウ)。〔言語門180五・天理図書館蔵下23オ五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「?用」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘---失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

算用(さんよう)の散失(さんしつ)ハ/散失諸勘定の相違(さうい)したるを云也。こゝの文段(もんたん)明ならさる事多し。今其大ことを解(かい)するに大介税所と云より交文宛文と云迄ハ政事(せいじ)并に公事(くし)の事をいひ名主百姓といふより敬失といふ迄ハ課役貢物并に田畑の招見諸勘定の改等の事をいえるなり。〔102ウ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-亡之勘注散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Sannho>.サンニョウ(算用) →Issat(一撮).〔邦訳555r〕

とあって、標記語「算用」の語を収載し、意味は「→Issat(一撮)」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さん-よう〔名〕【】〔算木にて、計るなり〕數へ、つもること。サンニョウ。計算。勘定。狂言記、胸突「今日は、自身まゐり、算用を致そと存ずる」漢書、東方朔傳「教書計」注「計、謂也」〔576-2〕

とあって、標記語「さん-よう】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-よう算用】〔名〕(連声で「さんにょう」とも)@金銭や物の数量を集計すること。計算すること。また、収支を決算すること。勘定。算用。A支払うこと。決済すること。清算すること。勘定。算用。Bきまりをつけること。決着をつけること。C考え合わせてよしあしや過不足をきめること。D見積もりを立てること。また、その見積もり、予想」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
東大寺御領  南北条村注進 嘉元参年御米散用事《『東大寺図書館成卷文書』嘉元四年十二月九日の条、736・8/285》
 
 
2006年01月20日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢246)
勘注(カンチュウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「勘文(カンモン)。勘定(ヂヤウ)。勘落(ラク)。勘合(ガウ)自太唐出日本象牙之破符也。勘辨(ベン)。勘當(ダウ)。勘氣()。勘過(クワ)過去之詞。堪忍(ニン)」の九語を収載し、標記語「勘注」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損---用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「勘注」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「(リヤウ)ソン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「勘注」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「勘注」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「勘注」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之--用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「勘注」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「勘注」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

不熟(ふじゆく)損亡(そんバう)勘注(かんちう)不熟損-勘注不熟とハ穀物(こくもつ)の不作(ふさく)也。損亡ハ出水なとにて作物田地等を失ひたる也。勘注ハ其員数を考(かんか)へ起(をこ)す事也。〔102ウ一、二〕

とあって、この標記語「勘注」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-亡之勘注用散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「勘注」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「勘注」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-ちゅう〔名〕【勘注】勘定して、帳に記し入るること。庭訓往來、十二月「損亡勘注、算用散出〔428-5〕

とあって、標記語「かん-ちゅう勘注】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-ちゅう勘注】〔名〕調査したり、計算したりして記録すること。また、その文書」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
去以大宝二年壬寅八月廿七日壬辰定給本縁起等、依宣旨具勘注、所言上如件、謹以解、天平三年七月五日 《平安遺文『住吉神社所蔵』天平三年七月五日の条、6001・10/1》
六卷、勘注功ををふ。《『名語記』(1275)の条》
 
 
2006年01月19日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
損亡(ソンマウ・ソンバウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

損亡(マウ) 。〔元亀二年本153四〕

× 。〔静嘉堂本〕

とあって、標記語「損亡」の語を元亀二年本が収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「損亡」と表記し、訓みは経覺筆本に「ソンマウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「損亡」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

損亡(ソンマウ) 。〔畳字門159四〕

とあって、標記語「損亡」の語を収載する。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

損亡(ソンバウソコナウ、ホロブ)[上・平] 年貢。〔態藝門404六〕

とあって、標記語「損亡」の語を収載し、訓みを「ソンバウ」とし、語注記に「年貢」と記載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

損亡(ソンマウ) 年貢不熟。〔・言語進退門121八〕

損失(ソンシツ) ―亡。〔・言語門101九〕

損失(ソンシツ) ―亡。―免。―。〔・言語門92三〕 

損失(ソンシツ) ―亡。―免。―。〔・言語門112五〕

とあって、弘治二年本に標記語「損亡」の語を収載し、他本は標記語「損失」の熟語群として「損亡」の語を記載する。易林本節用集』に、

損益(ソンヱキ) ―得(トク)。―免(メン)―亡(ハウ)。―(シツ)。〔言辞門100七・天理図書館蔵上50ウ七〕

とあって、標記語「損亡」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「損亡」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「損亡」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「損亡」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

不熟(ふじゆく)損亡(そんバう)の勘注(かんちう)不熟-之勘注不熟とハ穀物(こくもつ)の不作(ふさく)也。損亡ハ出水なとにて作物田地等を失ひたる也。勘注ハ其員数を考(かんか)へ起(をこ)す事也。〔102ウ一、二〕

とあって、この標記語「損亡」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-之勘注用散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「損亡」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So~bo<.l,sonmo<.ソンバウ.または,ソンマウ(損亡) So~ji foroburu.(損じ亡ぶる)損失,あるいは,被害.〔邦訳573l〕

とあって、標記語「損亡」の語を収載し、意味は「So~ji foroburu.(損じ亡ぶる)損失,あるいは,被害」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そん-まう〔名〕【損亡損毛】(一)利を失ふこと。損失。(二)害(そこな)ひ、ほろぼすこと。平家物語、七、木曾山門牒状事「有罪無罪を云はず、卿相侍臣を損亡す」〔717-4〕

とあって、標記語「そん-まう損亡損毛】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そん-もう損亡損毛】〔名〕@そこないほろぼすこと。また、被害をうけること。そんぼう。A風雨、水旱損、害虫などにより、その年の年貢が減免された。そんぼう。B利益を失うこと。損失をうけること。そんぼう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又件黨類等妻子眷属、并私宅等不可取損亡之旨、所被仰、下知如件《訓み下し》又件ノ党類等ガ妻子眷属、并ニ私宅等、取リ損亡(ソンハウ)スベカラザルノ旨、仰セラルル所ノ、下知件ノ如シ。《『吾妻鑑』養和元年九月十八日の条》
 
 
2006年01月18日(水)曇り。東京→世田谷(駒沢)
不熟(フジュク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

不熟(ジユク) 。〔元亀二年本221五〕〔静嘉堂本252八〕

不熟(シユク) 。〔天正十七年本中55ウ四〕

とあって、標記語「不熟」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「不熟」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「(リヤウ)ソン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「不熟」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「不熟」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

不作(フサク・―、ナス/―、ツクル)[○・入]不熟(フジユク―、ネヤス)[○・入] 二共耕作惡義也。〔態藝門628六〕

とあって、標記語「不熟」の語を収載し、語注記に「耕作悪しき義なり」と記載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

不熟(  ジユク) 耕作悪。〔・言語進退門182五〕

不慮(フリヨ) ―日(ジツ)。―直(チヨク)―熟(シユク)。―淨(ジヤウ)。―足(ソク)。―通(ツウ)。―滿(マン)。―律。―弁(ヘン)。―明(ミヤウ)。―陳(チン)。―便(ビン)(イタム)。―定(ヂヤウ)。―敵(テキ)。―具()。―犯(ボン)。―運(ウン)。―審(シン)。―食(シヨク)。―當(タウ)。―実(ジツ)。―見(ケン)。―易(エキ)。―断。―敏(ビン)(ドンナル)。―調(デウ)婬乱義。―辨(ベン)不足之義。―快(クハイ)心中悪皃。―會(クハイ)不合義。―覺(カク)失錯義。―孝(カウ)――其子不順父母之命也。―祥(シヤウ)無心義。―悉(シツ)書札。―備()同上。―合(ガウ)不和合義。―法(ホウ)懈怠(ケタイ)。―和義(ワノギ)。―得心(トクシン)。―肖(せウ)卑体也。肖似也。――トハ人倫()卑下(ヒゲ)詞也。―思儀(シギ)。〔・言語門149三〕

不慮(フリヨ) ―日。―直。―熟。―浄。―足。―通。―滿。―律。―弁。―明。―便。―陳。―定。―?。―具。―犯。―運。―審。―食。―當。―實。―見。―易。―断。―敏鈍皃也。―調婬乱義。―快。―會。―覚。―孝其子不父母之命。―作。―同。―如意。―祥无義。―悉書札未用。―備同上。―合不和義。―法懈怠。―和。―肖。―遜。〔・言語門139三〕 

とあって、弘治二年本に標記語「不熟」の語を収載し、他本は標記語「不慮」の熟語群として「不熟」の語を収載する。易林本節用集』に、

不審(フシン) ―儀()。―信(シン)―便(ビン)。―法(ホフ)。―淨(ジヤウ)。―祥(シヤウ)。―説(せツ)。―調(デウ)。―堪(カン)。―運(ウン)。―増(ゾウ)。―減(ゲン)。―退(タイ)。―通(ツウ)。―婬(イン)。―忠(チウ)。―安(アン)。―出(シユツ)―熟(ジク)。―孝(カウ)。―定(ヂヤウ)。―實。―慮(リヨ)。―覺(カク)。―闕(ケツ)。―快(クワイ)。―犯(ボン)。―断(ダン)。―動(ドウ)。―當(タウ)。―日(ジツ)。―具()。―易(エキ)。―辨(ベン)。―敵(テキ)。―參(サン)。―如意(ニヨイ)。―知案内(チアンナイ)。―思議(シギ)。―得心(トクシン)〔言語門151一・天理図書館蔵下8ウ一〕

とあって、標記語「不審」の熟語群として「不熟」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』『運歩色葉集』に標記語「不熟」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損検(ケン)-不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「不熟」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「不熟」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

不熟(ふじゆく)損亡(そんバう)の勘注(かんちう)不熟-之勘注不熟とハ穀物(こくもつ)の不作(ふさく)也。損亡ハ出水なとにて作物田地等を失ひたる也。勘注ハ其員数を考(かんか)へ起(をこ)す事也。〔102ウ一、二〕

とあって、この標記語「不熟」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-損検田不熟-亡之勘注用散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「不熟」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fujucu.フジュク(不熟) Iucuxezu.(熟せず)成熟していないこと.〔邦訳274l〕

とあって、標記語「不熟」の語を収載し、意味は「Iucuxezu.(熟せず)成熟していないこと」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-じゅく〔名〕【不熟】(一)熟えぬこと。成熟せぬこと。禮記、月令篇「仲春、云云、行冬令、則陽氣不勝、麥乃不熟、民多相掠」不熟の果」(二)親しまぬこと。「家内不熟〔1749-4〕

とあって、標記語「-じゅく不熟】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-じゅく不熟】〔名〕(形動)@作物・果実などが熟していないこと。成熟しないこと。作物の出来の悪いこと。また、そのさま。A熟練していないこと、こなれていないことやそのさま。B家族との折合いが悪いこと。親しまないこと。不和。また、そのさま」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先國中、今年有稼穡不熟愁之上、二品相具多勢、數日令逗留給之間、民戸殆難安堵之由、就聞食、平泉邊、殊廻秘計沙汰、可被救窮民〈云云〉《訓み下し》先ヅ国中ニ、今年稼穡不熟(ジユク)ノ愁ヘ有ルノ上、二品多勢ヲ相ヒ具シ、数日逗留セシメ給フノ間、民戸殆ド安堵シ難キノ由、聞シ食スニ就キテ、平泉ノ辺、殊ニ秘計ノ沙汰ヲ廻ラシ、窮民ヲ救ハルベシト〈云云〉。《『吾妻鑑』文治五年十一月八日の条》
 
 
2006年01月17日(火)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
檢田(ケンデン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、「検断(ケンダン)。検見()。検知()。検註(ケンチウ)。検使()。検校(ゲウ)」の六語を収載し、標記語「檢田」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「檢田」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「(リヤウ)ソン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

同/ケンテン。〔黒川本・畳字門中99オ六〕 

檢校 〃田。〃納。〃畠。〃注。〃對。〃察。〃知。〃網マウ。〔卷第七・畳字門19三〕 

とあって、標記語「檢田」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「檢田」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「檢田」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損(ケン)-不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「檢田」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「檢田」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

旱水(かんすい)兩損(りやうそん)檢田(けんでん)-水兩-検田旱損ハひてりの損毛(そんもう)。水損ハ出水(でミづ)の損毛なり。檢田ハ旱損水損の程を吟味(きんミ)して年貢の員数(いんず)を定るを云。〔102オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「兩損」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟-亡之勘注用散失都合勘合敢其煩。〔75ウ三〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「檢田」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「檢田」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けん-でん〔名〕【檢田】田の段別を、檢(あらた)むること。田の檢地。檢注。其職を、檢出使と云ふ。今昔物語集、十七、第五語「彼國の守にて有ける時、件の男を以て、檢田の使として、云云、田に立ちて檢田する閧ノ」〔634-5〕

とあって、標記語「けん-でん檢田】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けん-でん檢田】〔名〕奈良時代以降、田の面積や品等を検査すること。検注」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三二〇 依智荘検田帳/近江国依智圧検田使勘匡水田事合参町参佰壱拾歩。《『東大寺図書館成卷文書』貞観元年十二月廿五日の条320・7/118》
 
 
2006年01月16日(月)曇り。東京→世田谷(駒沢)
兩損(リヤウソン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「利」部に、「兩舌(リヤウぜツ)。兩班(ハン)。兩方(バウ)。兩買(ガイ)。兩舌(ぜツ)。兩樣(ヤウ)。兩流(リウ)」の七語を収載し、標記語「兩損」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)--検田不熟損-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)(サン)-(ヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「兩損」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「(リヤウ)ソン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「兩損」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「兩損」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

兩損(リヤウソンフタツ、ソコナウ)[上去・上] 。〔態藝門198二〕

とあって、標記語「兩損」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「兩損」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「兩損」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763旱_兩損(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「兩損」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「兩損」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

旱水(かんすい)兩損(りやうそん)の檢田(けんでん)--検田旱損ハひてりの損毛(そんもう)。水損ハ出水(でミづ)の損毛なり。檢田ハ旱損水損の程を吟味(きんミ)して年貢の員数(いんず)を定るを云。〔102オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「兩損」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)--検田不熟損-之勘注用散失都合勘合敢其煩▲旱水両損ハ旱損(ひやけ)水損(ミづゝき)也。〔75ウ三、75ウ八〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)▲旱水両損ハ旱損(ひやけ)水損(ミづゝき)也。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「兩損」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「両損」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「りゃう-そん兩損】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「りゃう-ぞん兩損】〔名〕(「りょうそん」とも)@同時に二つの損失をすること。二つの方面に損害がおよぶこと。*文明本節用集(室町中)「乾水両損(カンスイリヤウソン)」*説教節・天智天皇(1692)三「御身のくびも、ころさいて、あぶもとらず、はちもとらず、両そんばし、なさるるな」A両者ともに損すること。*童子問(1707)中・四七「無于彼、謂両損*行人(1912-13)<夏目漱石>帰ってから・一〇「折角名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山ない機会を逃すのはつまり両損(リャウゾン)になるといふ母の意見が」*魏志倭人伝-程伝「袁紹擁十万衆、自以所向無前、今見兵少、必軽易不来攻、若益、過則不攻、攻之必克、徒両損其勢」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2006年01月15日(日)晴れ夕方小雨。東京→世田谷(玉川→駒沢)
旱水(カンスイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「旱天(カンテン)。旱魃(ハツ)。旱損(ソン)」の三語を収載し、標記語「旱水」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)--検田不熟損-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「旱水」と表記し、訓みは文明四年本に「カン(スイ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「旱水」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「旱水」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

乾水兩損(カンスイリヤウソンカワク、―、フタツ、ソコナウ)[平軽・上・上去・上] 或作旱水。〔態藝門297七・八〕

とあって、標記語「旱水」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「旱水」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「旱水兩損」の語を収載し、これは古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているところである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

763_兩損検(ケン)-田不熟損亡之勘-註算-用散-失都合勘-合聊無其煩加之諸社神拝宮々奉弊寺_々入堂節-々法會連-々佛-亊守先例シテ怠慢シテ而无シテ異儀黎民而納法之利潤莫太也-スルコト郷保 郷保五邑。或郷内是也。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「旱水」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「旱水」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

旱水(かんすい)兩損(りやうそん)の檢田(けんでん)--検田旱損ハひてりの損毛(そんもう)。水損ハ出水(でミづ)の損毛なり。檢田ハ旱損水損の程を吟味(きんミ)して年貢の員数(いんず)を定るを云。〔102オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「旱水」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)--検田不熟損-之勘注用散失都合勘合敢其煩▲旱水両損ハ旱損(ひやけ)水損(ミづゝき)也。〔75ウ三、75ウ八〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)▲旱水両損ハ旱損(ひやけ)水損(ミづゝき)也。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「旱水」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cansui.カンスイ(旱水) すなわち,Cansonto suison.(旱損と水損)旱魃や大水によって起こる損害.〔邦訳92l

とあって、標記語「旱水」の語を収載し、意味は「すなわち,Cansonto suison.(旱損と水損)旱魃や大水によって起こる損害」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-すい〔名〕【旱水】。山槐記、治承四年二月五日「初度御幸、直衣御裝束、自何處旱水哉、旱水所未定之閨A不審、云云、今度彌、關白被旱水宜歟」〔717-4〕

とあって、標記語「かん-すゐ旱水】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-すい旱水】〔名〕ひでりと洪水。また、干害と水害。吾妻鏡-建久元年(1190)九月一五日「今年諸国旱水共相侵、民戸皆無安」庭訓往来(1394-1428頃)「旱水両損検田、不熟損亡之勘注」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今年諸國旱水共相侵、民戸皆無安《訓み下し》今年ハ諸国旱水(カンスイ)共ニ相ヒ侵シ、民戸皆安キコト無シ。《『吾妻鑑』建久元年九月十五日の条》
 
 
2006年01月14日(土)曇りのち雨。東京→世田谷(駒沢)
准據・凖據(ジユンキヨ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

凖據(キヨ) 。〔元亀二年本318三〕

凖據(シユンキヨ) 。〔静嘉堂本374四〕

とあって、標記語「准據」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「准據」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(シユン)キヨ」、文明四年本に「シユンキヨ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

准據 シユンキヨ。〔黒川本・畳字門下81オ八〕

准據 〃量〃擬。〃的。〃物。〃疋。〔卷第九・畳字門219四〕

とあって、標記語「准據」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「准據」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

凖據(シユンキヨタイラカ・ナソラウ、ヨンドコロ)[平去・入] 。〔態藝門951一〕

とあって、標記語「凖據」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

凖據(ジユンキヨ) 。〔・言語進退門246二〕

(ヘシ)(シユンス) ―拠。〔・言語門211四〕

( シ)(シユンス) ―拠。〔・言語門195五〕 

とあって、弘治二年本に標記語「凖據」の語を収載し、他本は標記語「可准」の熟語群として「准拠」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「凖據」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「准據」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

762来納過上準拠(シユンキヨ) 来年土貢。今年云頭取|。其一年過上タル準拠ニシテ年々過上シテ取。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「準拠」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「准據」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

来納(らいのう)過上(くわじやう)准據(じゆんきよ)来納過上准據來納とハ取越して納る事也。過上とハ定りたるより多く納る事也。準拠とハ其分量の定りあるをいふなり。〔102オ七・八〕

とあって、この標記語「准據」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘注用散失都合勘合敢其煩▲來納過上凖據ハ來年(らいねん)の年貢を今年(ことし)に取納(とり  )むる所ハ其一年分(ぶん)の過上(くハじやう)を凖據(きハめ)にして年々(とし/\)過上を取る也。〔75ウ三、75ウ八〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)▲來納過上凖據ハ來年(らいねん)の年貢を今年(ことし)に取納(とりをさ)むる所ハ其一年分(ぶん)の過上を凖據(きハめ)にして年々(とし/\)過上を取る也。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「凖據」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Iunqio.ジュンキョ(準拠) 他の人々同列になり一つになって,同じ仲間に属すること.文書語.¶Iunqionimoruru.(準拠に洩るる)他の人々は領地を貰ったのに自分は貰えないで,仲間外れになる. ※準拠じゅんきょ,如同にょどうの義(和漢通用集).〔邦訳372r〕

とあって、標記語「准據」の語を収載し、意味は「他の人々同列になり一つになって,同じ仲間に属すること.文書語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じゅん-きょ〔名〕【准據】のり。標準。太平記、廿四、依山門嗷訴公卿僉議事「天龍寺供養事、非嚴重勅願時供養當寺、奉後醍醐天皇御菩提、被建立訖」(當時ハ、延暦寺なり)〔1000-2〕

とあって、標記語「じゅん-きょ准據】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じゅん-きょ準拠准拠】〔名〕あるものをよりどころとしてそれに従うこと。また、そのよりどころ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍以彼準據、被叙之〈云云〉《訓み下し》仍テ彼ノ準拠ヲ以テ、之ヲ叙セラルト〈云云〉。《『吾妻鑑』建保六年四月二十九日の条》
 
 
2006年01月13日(金)曇り。東京→世田谷(駒沢)
過上(クハシヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

過上(シヤウ) 。〔元亀二年本192六〕

過上 。〔静嘉堂本217六〕

過上 。〔天正十七年本中38オ七〕

とあって、標記語「過上」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「過上」と表記する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「過上」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「過上」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

過上(クワジヤウスギル、―)[平去・上去] 用而残分也。〔態藝門537八〕

とあって、標記語「過上」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

過上(クハジヤウ) 。〔・言語進退門161六〕

過役(クハヤク) ―分(ブン)。―下()。―度()。―怠(タイ)。―上(ジヤウ)。―失(シツ)。―言(ゴン)。―差()。〔・言語門131六〕

過役(クハヤク) ―分。―下。―度。―言。―怠。―上。―失。―差。〔・言語門120七〕 

過役(クハヤク) ―分(ブン)。―下()。―度()。―言。―怠。―上。―失。―差。〔・言語門146六〕

とあって、弘治二年本は標記語「過上」の語を収載し、他本は標記語「過役」の熟語群に「過上」の語を収載する。易林本節用集』に、

過當(クワタウ) ―現(ゲン)。―書(シヨ)。―半(ハン)―上(ジヤウ)。―錢(せン)。―分(ブン)。―怠(タイ)。―去()。―料(レウ)。〔言辞門133四・天理図書館蔵上67オ四〕

とあって、標記語「過當」の熟語群として「過上」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「過上」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

762来納過上準拠(シユンキヨ) 来年土貢。今年云頭取|。其一年過上タル準拠ニシテ年々過上シテ取。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「過上」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「過上」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

来納(らいのう)過上(くわじやう)の准據(じゆんきよ)来納過上准據來納とハ取越して納る事也。過上とハ定りたるより多く納る事也。準拠とハ其分量の定りあるをいふなり。〔102オ七・八〕

とあって、この標記語「過上」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘注用散失都合勘合敢其煩▲來納過上凖據ハ來年(らいねん)の年貢を今年(ことし)に取納(とり  )むる所ハ其一年分(ぶん)の過上(くハじやう)を凖據(きハめ)にして年々(とし/\)過上を取る也。〔75ウ三、75ウ八〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)▲來納過上凖據ハ來年(らいねん)の年貢を今年(ことし)に取納(とりをさ)むる所ハ其一年分(ぶん)の過上を凖據(きハめ)にして年々(とし/\)過上を取る也。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「過上」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quajo<.クヮジャゥ(過上) すなわち,Aguesgosu.(上げ過ごす)費用などを計算した後に残る余り.〔邦訳517r〕

とあって、標記語「過上」の語を収載し、意味は「すなわち,Aguesgosu.(上げ過ごす)費用などを計算した後に残る余り」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「くゎ-じゃう過上】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-じょう過上】〔名〕@中世の契約・貸借関係で、約束された額より多くの分を収納したり返納したりすること。また、その差額分。金沢文庫古文書-永和三年(1377)二月・加賀国軽海郷代官僧霊康注進状(七・五五八〇)「一 御年貢過上事、身進退難儀候之間事、能々可結解候」*親元日記-政所賦銘引付・文明七年(1475)一二月三日「先代官周宝監寺号過上借物取送上物之由令造意之有証拠者可出帯之由可下御成敗云々」*文明本節用集(室町中)「過上 クヮジャウ 算用而残分也」*日葡辞書(1603-04)「Quajo<(クヮジャウ)。すなわち、アゲスゴス<訳>費用などを計算した後に残る余り」*浮世草子・傾城禁短気(1711)二・一「過上(クヮジャウ)は春通ひの頭(かしら)につけ出してお越せ」A余分に加えること。咄本学習院本昨日は今日の物語(1614-24頃)「『一つから九つ迄、つの字ありて、十につの字のそはぬは如何』答へて曰く『もっとも道理かな。五つつにつの字をくゎじゃうした程にぞ』」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
所詮任前執行結解状之旨、過上之員数雖無返抄、仰別人可被入 《『東大寺図書館未成卷文書』正和四年十一月廿日の条、86・10/211》
 
 
2006年01月12日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)→淺草
來納(ライナフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「羅」部に、

來納(ナウ) 。〔元亀二年本172八〕〔静嘉堂本192五〕〔天正十七年本中26ウ三〕

とあって、標記語「來納」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘註失都合勘合聊無其煩〔至徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損檢田不熟損亡之勘註算用散失都合勘合聊無其煩〔宝徳三年本〕

來納過上准據旱水兩損検田不熟損亡之勘注用散失都合勘定聊無其煩〔建部傳内本〕

來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘--用散--合勘-合敢其煩〔山田俊雄藏本〕

來納過上凖拠旱水兩損(ソン)検田(ケンテン)不熟損亡(ソンマウ)之勘注(カンチウ)-()合勘合聊〔経覺筆本〕

來納(ライナフ)過上准據(シユンキヨ)(カン)--(ソン)檢田(ケンデン)不熟(フジユク)-亡之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)()-合勘-(カンカン)(イサヽカ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「來納」と表記し、訓みは文明四年本に「ライナフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「來納」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「來納」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

來納(ライナフキタル、ヲサム)[○・入] 年貢義也。〔態藝門453四〕

とあって、標記語「來納」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

來納(ライナウ) 年貢。〔・言語進退門144五〕

來納 年貢。〔・言語門128五〕

とあって、標記語「來納」の語を収載する。易林本節用集』に、

(ライ) ―迎(カウ)。―臨(リン)。―徃(ワウ)。―頭(トウ)。―縁(エン)。―話()―納(ナフ)。―去(キヨ)。―入(ニフ)。―集(シフ)。―生(シヤウ)。―世()。―歴(レキ)。―駕()。〔言辞門113五・天理図書館蔵上57オ五〕

とあって、標記語「來納」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「來納」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

762来納過上準拠(シユンキヨ) 来年土貢。今年云頭取|。其一年過上タル準拠ニシテ年々過上シテ取。〔謙堂文庫蔵六五右@〕

とあって、標記語「來納」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「來納」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

来納(らいのう)過上(くわじやう)の准據(じゆんきよ)来納過上准據來納とハ取越して納る事也。過上とハ定りたるより多く納る事也。準拠とハ其分量の定りあるをいふなり。〔102オ七・八〕

とあって、この標記語「來納」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

来納(らいなふ)過上(くハじやう)の准據(しゆんきよ)旱水(かんすい)乃兩損(りやうそん)ハ田()の不熟(ふじゆく)を檢(かんが)え損亡(そんはう)()勘注(かんちう)ハ散失(さんしつ)を算用(さんよう)し都合(つがふ)勘合(かんがふ)して聊(いさゝか)(その)(わづらひ)()し/來納過上准拠(キヨ)-水兩-検田不熟損-之勘注用散失都合勘合敢其煩▲來納過上凖據ハ來年(らいねん)の年貢を今年(ことし)に取納(とり  )むる所ハ其一年分(ぶん)の過上(くハじやう)を凖據(きハめ)にして年々(とし/\)過上を取る也。〔75ウ三、75ウ八〕

来納(らいなう)過上(くわじやうの)凖據(じゆんきよ)旱水(かんすゐ)兩損(りやうぞんハ)(かんがミ)(たの)不熟(ふじゆくを)損亡(そんばう)()勘注(かんちゆうハ)散失(さんしつ)-(さんようし)都合(つがふ)勘合(かんがふして)(いさゝか)(なく)其煩(そのわづらひ)▲來納過上凖據ハ來年(らいねん)の年貢を今年(ことし)に取納(とりをさ)むる所ハ其一年分(ぶん)の過上を凖據(きハめ)にして年々(とし/\)過上を取る也。〔135ウ二〜136オ二〕

とあって、標記語「來納」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Raino<.ライナゥ(來納) Qitaru vosame.(来たる納め)次の所得,または,収穫.〔邦訳524l〕

とあって、標記語「來納」の語を収載し、意味は「Qitaru vosame.(来たる納め)次の所得,または,収穫」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

らい-なふ〔名〕【來納】來年の年貢を、今年中に上納すること。庭訓往來、十二月「現物色代之償、來納過上ノ(凖)據」〔2105-3〕

とあって、標記語「らい-なふ來納】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「らい-なふ來納】〔名〕@将来の分を納めさせること。鎌倉・室町時代の荘園制で、来年の年貢を今年中に、または今年の年貢を収穫以前に収納すること。A次の収益、または、収穫」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
以何可称大過失哉、地頭方者日来納法加増乎、可有何利潤之徳哉、《『東大寺図書未成卷文書』弘安二年四月日の条、587-2・14/136》
 
 
2006年01月11日(水)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
(ツグノイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

。〔元亀二年本65六〕

。〔静嘉堂本76六〕

。〔天正十七年本上38ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

収納徴納之濟期現物色代之〔至徳三年本〕

収納徴納之濟期現物色代之〔宝徳三年本〕

収納徴納濟期現物色代之〔建部傳内本〕

収納徴(テウ)納濟期現物色代之()(ツクノイ)〔山田俊雄藏本〕

収納徴(テウ)納濟期(サイキ)現物(シキ)代之(ツクノイ)〔経覺筆本〕

収納(ナウ)徴納(テウナウ)濟期(サイゴ)(ゲン)物色(シキ)代之()(ツクノヒ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「つくのい」、文明四年本に「つくのひ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ツクノウ/シヤウ)[平](カヘス)(ヲイ)義。〔態藝門423三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

(ツクノウ) 。〔・言語進退門128七〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(ツクノフ) 。〔言辞門106六・天理図書館蔵上53ウ六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法収(シユク)-納徴(/テウ)-納之濟-(/サイキ)-物色-代之-(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)現物(げんもつ)色代(しきたい)(つぐのひ)収納徴納濟期現物色代之納所ハ年貢(ねんく)運上(うんしやう)の事をあつかふ役所也。りつぽうハのりと訓す。定法の事なり。〔102オ三・四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)現物(げんもつ)色代(しきたい)(つぐのひ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲。〔75ウ一、75ウ六〕

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲ハ。〔135オ六、135ウ六〜136オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcucunoi.ツクノヒ(償) 弁済,または,補償.¶Togano tcucunoiuo suru.(科の償ひをする)罪科に対するつぐないをする.〔邦訳624l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つくのひ〔名〕【】つくのふこと。まどふこと。あがなひ。うめあはせ。日本靈異記、下、第廿五縁、訓釋「傭賃、知加良豆玖乃比春」〔1312-5〕

とあって、標記語「つくのひ】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「つぐの-】〔名〕(動詞「つぐのう(償)」の連用形の名詞化。古くは「つくのい」「つぐない(償)」)に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
交名注文一通、右任官之習、或以上日之勞、賜御給、或以私物、朝家之御大事各浴△朝恩事也《訓み下し》交名ノ注文一通、右任官ノ習ヒ、或イハ上日ノ労ヲ以テ、御給ヲ賜ハリ、或イハ私ノ物ヲ以テ、朝家ノ御大事ニ(ツグノ)、各朝恩ヲ浴スル事ナリ。《『吾妻鑑』元暦二年四月十五日の条》
 
 
2006年01月10日(火)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
色代(シキダイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「色紙(シキシ)」の一語を収載し、標記語「色代」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

収納徴納之濟期現物色代之償〔至徳三年本〕

収納徴納之濟期現物色代之償〔宝徳三年本〕

収納徴納濟期現物色代之償〔建部傳内本〕

収納徴(テウ)納濟期現物色代()(ツクノイ)〔山田俊雄藏本〕

収納徴(テウ)納濟期(サイキ)現物(シキ)之償(ツクノイ)〔経覺筆本〕

収納(ナウ)徴納(テウナウ)濟期(サイゴ)(ゲン)(シキ)()(ツクノヒ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「色代」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「シキ(ダイ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「色代」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「色代」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

色體(シキダイシヨクテイ・イロ、カタチ)[○・○] 礼。〔態藝門971二〕

とあって、標記語「色體」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

色体(シキダイ) 。〔・言語進退門248七〕

色躰(シキダイ) 礼也・言語門212三〕

色躰(シキタイ) 礼也。〔・天地門196一〕 

とあって、標記語「色躰」の語を収載する。易林本節用集』に、

色掌(シキシヤウ) ―代(ダイ)。―目(モク)。〔言語門217二・天理図書館蔵下41ウ二〕

とあって、標記語「色掌」の熟語群として「色代」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「色代」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法収(シユク)-納徴(/テウ)-納之濟-(/サイキ)---(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「色代」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「色代」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

現物(げんもつ)色代(しきたい)の償(つぐのひ)現物色代之償是ハ未進(ミしん)の償(つくない)を云也。償とハ返弁(へんべん)する事也。今ある物にて返弁するを現物の償と云。今返弁すへき物ハなく唯其手段のミあるを色代乃償といふなり。〔102オ五〜八〕

とあって、この標記語「色代」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)現物(げんもつ)色代(しきたい)の償(つぐのひ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲現物色代之償ハ未進(ミしん)の節(せつ)あるひハ銀納(ぎんなふ)等の所に色々(いろ/\)有物(あるもの)を以て年貢(ねんぐ)に代()へ納むるをいふ。〔75ウ一、75ウ七〕

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲現物色代之償ハ未進(ミしん)の節(せつ)あるひハ銀納(ぎんなふ)等の所に色々(いろ/\)有物(あるもの)を以て年貢(ねんぐ)に代()へ納(をさ)むるをいふ。〔135オ六、136オ二〕

とあって、標記語「色代」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xiqidai.シキダイ(色代) 謙遜し他人を敬ってする礼儀,礼法.〔邦訳775r〕

とあって、標記語「色代」の語を収載し、意味は「謙遜し他人を敬ってする礼儀,礼法」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しき-だい〔名〕【色代】〔顔色を改めて禮する意か〕(一)人に、禮すること。挨拶すること。禮容。會釋。揖禮源平盛衰記、三、一院御出家事「雲の上人、御前に候ひて、めでたき御事と、色代申して」同、九、中宮御懷姙事「一定、皇子にてぞおはしまさむとて、よそ人も、色代申しけり」(二)轉じて、口に、追從(ツ井シヨウ)を言ふこと。世辭(セジ)。諛言。沙石集、七、上、第三條「色代にも、御年よりも、遙かに若く見え給ふ、と云ふは、嬉しく、殊の外に老てこそ見え給へ、と言へば、心細く」同、七、下、第六條「或人、妻を送りけるが、雨の降りければ、色代に、今日は雨降れば、留まり給へと云ふを」平家物語、十一、八島軍事「爰をば何處と云ふぞと問ひ給へば、勝浦と申候、判官、笑て、色代なと宣へば、一定、勝浦候、云云、と申す」(三)他の品物を以て、其の代用とすること。江家次第、十一、十二月、被次侍從事「近代、帥、大貳、申色代、綿三百兩、代絹一匹、仍無節會(四)江戸時代以前、絹、布、麻、絲などの類を以て、租米に代へしこと。〔883-1〕

とあって、標記語「しき-だい色代】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しき-だい色代色体式体】〔名〕(「しきたい」とも)@他の品物でその代用とすること。また、そのもの。上代では調庸の指定品目の代納に、中世では米納を原則とする田租の代納にいう場合が多い。A(―する)深く頭を下げて挨拶すること。会釈すること。礼をつくすこと。B(―する)お世辞をいうこと。おべっかをつかうこと。追従(ついしょう)すること。こびへつらうこと。C相手に譲って遠慮すること。辞退すること。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
トカヲキクニハ色代セサラン忠節ノ人ムネト御タイ所ニテマシマスヘク候アヒタ。口ノキクホウシニ御メミセテ。ヤハラ密密ニ申サセテキコシメセ。《『吾妻鑑』正治二年十二月二十八日の条》
 
 
2006年01月09日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
現物(ゲンモツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

現物(モツ) 。〔元亀二年本214五〕

現物(ケンモツ) 。〔静嘉堂本243八〕

現物(ケンモツ) 。〔天正十七年本中51オ七〕

とあって、標記語「現物」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

収納徴納之濟期現物色代之償〔至徳三年本〕

収納徴納之濟期現物色代之償〔宝徳三年本〕

収納徴納濟期現物色代之償〔建部傳内本〕

収納徴(テウ)納濟期現物色代之()(ツクノイ)〔山田俊雄藏本〕

収納徴(テウ)納濟期(サイキ)現物(シキ)代之償(ツクノイ)〔経覺筆本〕

収納(ナウ)徴納(テウナウ)濟期(サイゴ)(ゲン)(シキ)代之()(ツクノヒ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「現物」と表記し、訓みは文明四年本に「サイゴ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「現物」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「現物」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

現物(ゲンモツアラワス、モノ)[去・入] 。〔態藝門597四〕

とあって、標記語「現物」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

現物(ゲンモツ) 。〔・言語進退門176六〕

現物(ゲンモツ) ―存(ゾン)。―證(せウ)。―管。―當(タウ)。―然(ネン)。―世()。〔・言語門144二〕

現物(ゲンモツ) ―存。―證。―管。―當。―然。―世。・言語門133九〕 

とあって、標記語「現物」の語を収載する。易林本節用集』に、

現當(ゲンタウ) ―在(ザイ)。―形(ギヤウ)―物(モツ)。―錢(せン)。―前(ぜン)。―世()―來(ライ)。―存(ゾン)。―果(クワ)。〔言語門146四・天理図書館蔵下6オ四〕

とあって、標記語「現當」の熟語群として「現物」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「現物」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法収(シユク)-納徴(/テウ)-納之濟-(/サイキ)--代之-(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「現物」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「現物」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

現物(げんもつ)色代(しきたい)の償(つぐのひ)現物色代之償是ハ未進の償を云也。償とハ返弁する事也。今ある物にて返弁するを現物の償と云。今返弁すへき物ハなく唯其手段のミあるを色代乃償といふなり。〔102オ五〜八〕

とあって、この標記語「現物」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)現物(げんもつ)色代(しきたい)の償(つぐのひ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲現物色代之償ハ未進(ミしん)の節(せつ)あるひハ銀納(ぎんなふ)等の所に色々(いろ/\)有物(あるもの)を以て年貢(ねんぐ)に代()へ納むるをいふ。〔75ウ一、75ウ七〕

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲現物色代之償ハ未進(ミしん)の節(せつ)あるひハ銀納(ぎんなふ)等の所に色々(いろ/\)有物(あるもの)を以て年貢(ねんぐ)に代()へ納(をさ)むるをいふ。〔135オ六、136オ二〕

とあって、標記語「現物」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「現物」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

げん-ぶつ〔名〕【現物】現在の物。生の物。現品。實物。(雛形などに對す)〔637-2〕

とあって、標記語「げん-ぶつ現物】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「げん-もつ現物】〔名〕現実にそこにある品物。げんぶつ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
且彼社領、美濃國、垣冨以下地頭等、止色代、可濟現物之由、被仰出之〈云云〉《訓み下し》且ハ彼ノ社領、美濃ノ国、垣富以下ノ地頭等(恒富)、色代ヲ止メ、現物ヲ済スベキノ由、之ヲ仰セ出サルト〈云云〉《『吾妻鑑』建長六年十一月五日の条》
 
 
2006年01月08日(日)晴れ。東京→世田谷(玉川→駒沢)
濟期(サイゴ・サイキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」「世」部に、標記語「濟期」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

収納徴納之濟期現物色代之償〔至徳三年本〕

収納徴納之濟期現物色代之償〔宝徳三年本〕

収納徴納濟期現物色代之償〔建部傳内本〕

収納徴(テウ)濟期現物色代之()(ツクノイ)〔山田俊雄藏本〕

収納徴(テウ)濟期(サイキ)現物(シキ)代之償(ツクノイ)〔経覺筆本〕

収納(ナウ)徴納(テウナウ)濟期(サイゴ)(ゲン)物色(シキ)代之()(ツクノヒ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「濟期」と表記し、訓みは経覺筆本に「サイキ」、文明四年本に「サイゴ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「濟期」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「濟期」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「濟期」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法収(シユク)-納徴(/テウ)-納之-(/サイキ)-物色-代之-(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「濟期」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「濟期」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)収納徴納濟期収納ハ定式の年貢を納るを云。徴納ハ定式の外に申付らるゝ物を納るを云也。濟期とハ皆濟乃日きりなり。〔102オ四・五〕

とあって、この標記語「濟期」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)現物(げんもつ)色代(しきたい)の償(つぐのひ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲濟期ハ年貢(ねんく)皆濟(かいさい)の日限(ひきり)也。〔75ウ一、75ウ七〕

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲濟期ハ年貢皆濟(かいさい)の日限(ひぎり)也。〔135オ六、135ウ六〜136オ一・二〕

とあって、標記語「濟期」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「濟期」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さい-〔名〕【濟期】上納皆濟の日限。庭訓往來、十二月「收納徴納之濟期〔754-5〕

とあって、標記語「さい-濟期】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さい-濟期】〔名〕@税などを納める期限。A借金などの返済期限」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
諸庄園乃貢、濟期事雖被定之、動及對捍之間、向後或隨遠近國被儲其期〈云云〉宗掃部允、奉行〈云云〉《訓み下し》諸庄園ノ乃貢、済期(セイゴ)ノ事。之ヲ定メラルト雖モ、動スレバ対捍ニ及ブノ間、向後或ハ遠近ノ国ニ随ツテ其ノ期ヲ儲ケラルト〈云云〉。宗掃部ノ允、奉行スト〈云云〉。《『吾妻鑑』元久二年三月十二日の条》
 
 
2006年01月07日(土)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
徴納(テウナフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、「徴使(テウシ)※元龜本「テツシ」」の一語を収載し、標記語「徴納」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

収納徴納之濟期現物色代之償〔至徳三年本〕

収納徴納之濟期現物色代之償〔宝徳三年本〕

収納徴納濟期現物色代之償〔建部傳内本〕

収納(テウ)濟期現物色代之(ノ)(ツクノイ)〔山田俊雄藏本〕

収納(テウ)濟期(サイキ)現物(シキ)代之償(ツクノイ)〔経覺筆本〕

収納(ナウ)徴納(テウナウ)濟期(サイゴ)(ゲン)物色(シキ)代之(ノ)(ツクノヒ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「徴納」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「テウ(ナフ)」、文明四年本に「テウナウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「徴納」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「徴納」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「徴納」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法収(シユク)-(/テウ)-之濟-(/サイキ)-物色-代之-(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「徴納」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「徴納」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)収納徴納濟期収納ハ定式の年貢を納るを云。徴納ハ定式の外に申付らるゝ物を納るを云也。濟期とハ皆濟乃日きりなり。〔102オ四・五〕

とあって、この標記語「徴納」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)現物(げんもつ)色代(しきたい)の償(つぐのひ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲徴納ハ役所(やくしよ)へ召()され催促(さいそく)にあふて納(おさ)むる年貢(ねんぐ)也。〔75ウ二、75ウ六・七〕

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲徴納ハ役所(やくしよ)へ召()され催促(さいそく)にあふて納(おさ)むる年貢(ねんぐ)也。〔135ウ一、136オ一〕

とあって、標記語「徴納」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「徴納」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ちょう-なふ徴納】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょう-のう徴納】〔名〕めしだすこと。また、金品をとりたてること。続日本紀-天平神護元年(765)三月癸巳「今年得稔、始須徴納」*塵芥(1510-50頃)「徴納 テウナフ」*経国美談(1883-84)<矢野龍渓>前・八「其の罰金の額も甚だ多からず且つ之を徴納したるの迹もなく」*班固-奏記東平王蒼「如蒙徴納、以輔高明」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
熊野御領、播磨國、浦上庄事右有限年貢者、湛政令徴納之由、雖見景時代官陳申之旨、動闕怠社役、歎思食次第也《訓み下し》熊野ノ御領、播磨ノ国、浦上ノ庄ノ事右限リ有ル年貢ハ、湛政シ徴納セシムルノ由、景時ガ代官陳ジ申スノ旨ヲ見スト雖モ、動スレバ社役ヲ闕怠シ、歎キ思シ食ス次第ナリ。《『吾妻鑑』文治五年三月十三日の条》
 
 
2006年01月06日(金)曇り。東京→世田谷(駒沢)
収納(シウナフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「収納」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

収納徴納之濟期現物色代之償〔至徳三年本〕

収納徴納之濟期現物色代之償〔宝徳三年本〕

収納徴納濟期現物色代之償〔建部傳内本〕

収納(テウ)納濟期現物色代之()(ツクノイ)〔山田俊雄藏本〕

収納(テウ)納濟期(サイキ)現物(シキ)代之償(ツクノイ)〔経覺筆本〕

収納(ナウ)徴納(テウナウ)濟期(サイゴ)(ゲン)物色(シキ)代之()(ツクノヒ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「収納」と表記し、訓みは文明四年本に「(シウ)ナウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「収納」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「収納」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

収納(シユウナフヲサム・ヲサム)[平・入] 年貢(ネンク)(イワイ)義。〔態藝門944五〕

とあって、標記語「収納」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「収納」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「収納」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法(シユ)-(/テウ)-納之濟-(/サイキ)-物色-代之-(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「収納」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)來納(ライナフ)過上(クハジヤフ)准據(ジユンキヨ)拠旱_(カンスイ)兩損(リヤウソン)検田(ケンテン)不熟(フジユク)損亡(ソンハフ)之勘-(カンチウ)-(サンヨウ)-(サンシツ)都合(ツカウ)-(カンガウ)(イサヽカ)(ソノ)(ワスラヒ)(シカノミナラズ)諸社(シヨシヤ)神拝(シンハイ)(ミヤ)奉弊(ホウヘイ)_(ジシヤ)入堂(ダウ)(せツ)-法會(ホフヱ)(レン)-佛事(ブツジ)(マボリ)先例(せンレイ)懈怠(ケダイ)(ソウ)ジテ而無實儀(ジツギノ)黎民(レイミン)而納法(ナツホウ)之利潤(リジユン)莫太(バクタイ)シテ-(ナンジウ)郷保(ケイホ)而土貢(トコウ)()現利(ゲンリ)巨多(コタ)也萬事(ハンジ)収納(シユナフ)徴納(テフナフ)ハ。ヲサメキハマル事ナリ。〔下42オ四〜42ウ二〕

とあって、標記語「収納」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)収納徴納濟期収納ハ定式の年貢を納るを云。徴納ハ定式の外に申付らるゝ物を納るを云也。濟期とハ皆濟乃日きりなり。〔102オ四・五〕

とあって、この標記語「収納」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

収納(しゆなふ)徴納(てふなふ)濟期(さいき)現物(げんもつ)色代(しきたい)の償(つぐのひ)/収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲収納ハ無事(ふし)に納(おさ)むる年貢也。〔75ウ一、75ウ六〕

収納(シユナフ)徴納(テフナフ)濟期(サイキ)現物(ゲンモツ)色代(シキタイ)()(ツクノヒ)▲収納ハ無事(ふし)に納(をさ)むる年貢也。〔135オ六、135ウ六〜136オ一〕

とあって、標記語「収納」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「収納」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しう-なふ〔名〕【収納】。山槐記、治承四年二月五日「初度御幸、直衣御裝束、自何處収納哉、収納所未定之閨A不審、云云、今度彌、關白被収納宜歟」〔717-4〕

とあって、標記語「しう-なふ収納】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅう-のう収納】〔名〕@政府や領主が領民から年貢などを取りたてて納め入れること。しゅのう。A国または地方公共団体の会計で、徴収の結果納入される収入金を出納官吏、日本銀行などが受け入れること。B農作物などを取り入れること。しゅのう。Cたなや押し入れなどに、現在不要の物をしまいおさめること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
七人共、大神宮爾参向天、交替収納之故、可行政事由、即大神詫禰與曾賣宜清麿我忠之功乎譽天、綿一千屯給。 《『石清水文書・田中』宝亀四年三月十四日の条、386・2/55K》
 
 
2006年01月05日(木)曇り一時晴れ間。東京→世田谷(駒沢)
卒法(ソツホフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、「卒尓(ソツジ)。卒度()」の二語を収載し、標記語「卒法」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

租穀租米送状納所率法〔至徳三年本〕

租穀租米送状納所卒法〔宝徳三年本〕

租穀租米送状納所率法〔建部傳内本〕

租穀(ソコク)租米(マイ)送状納所率法〔山田俊雄藏本〕

租穀(コク)租米状納所卒法〔経覺筆本〕

租穀(ソゴク)租米(ソマイ)送状(ヲクリ )納所(ナツシヨ)率法(ソツハウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・文明四年本に「率法」、宝徳三年本・経覺筆本に「卒法」と表記し、訓みは文明四年本に「ソツハウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「卒法」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「卒法」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

卒法(ソツハウ・ヲモシ/ウケトリカサナル、キル)[平去・入] 。〔態藝門172四〕

とあって、標記語「卒法」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「卒法」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

率尓(ソツジ) ―法(ハフ)。―度()。〔言辞門101四・天理図書館蔵上51オ四〕

とあって、標記語「率尓」の熟語群として「率法」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「卒法」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法(シユク)-納徴(/テウ)-納之濟-(/サイキ)-物色-代之-(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「卒法」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

租穀(ソコク)租米(ソマイ)(ヲクリシヤウ)納所(ナツシヨ)卒法(ソツハウ)租穀(ソコク)租米(ソマイ)ハ。何レモ飯米(ハンマイ)ナリ。〔下42オ三・四〕

とあって、標記語「卒法」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

納所(なつしよ)率法(そつほう)納所率法納所ハ年貢(ねんく)運上(うんしやう)の事をあつかふ役所也。りつぽうハのりと訓す。定法の事なり。〔102オ三・四〕

とあって、この標記語「卒法」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

納所(なつしよ)率法(そつほう)納所率法▲納所率法ハ租税(そぜい)役所(やくしよ)の法度(はつと)也。〔75ウ一、75ウ六〕

納所率法▲納所率法ハ租税(そぜい)役所(やくしよ)の法度(はつと)也。〔135オ六、135ウ六〜136オ一〕

とあって、標記語「率法」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「卒法」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そッ-ぱふ〔名〕【率法】取り扱ひ方。太平記、三十、南朝與義詮佯御和睦事「承久以後、新補の卒法、並に國國の守護職」〔1155-3〕

とあって、標記語「そッ-ぱふ卒法】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そっ-ぽう卒法】〔名〕率法(りっぽう)のこと。率法は平安時代の官物率法、鎌倉時代の新補率法などの語のように公定の課税率の意味であったが、率と卒が誤記・誤読されやすいところから卒法(そっぽう)ともいわれるようになった」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
伊勢平氏跡、新補地頭事、今日被定、率法悉被施行之、清定、爲奉行〈云云〉《訓み下し》伊勢平氏ノ跡、新補地頭ノ事、今日定メラル、法ニ率ツテ(今日卒法ヲ定メラレ)悉ク之ヲ施行セラル。清定、奉行タリト〈云云〉。《『吾妻鑑』元久二年十二月十日の条》
 
 
2006年01月04日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
納所(ナッショ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「奈」部に、「納得(トク)。納豆(トウ)。納受(ジユウ)。納下(ゲ)。納帳(ナツヂヤウ)」の五語を収載するが、標記語「納所」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

租穀租米送状納所率法〔至徳三年本〕

租穀租米送状納所卒法〔宝徳三年本〕

租穀租米送状納所率法〔建部傳内本〕

租穀(ソコク)租米(マイ)送状納所率法〔山田俊雄藏本〕

租穀(コク)租米納所卒法〔経覺筆本〕

租穀(ソゴク)租米(ソマイ)送状(ヲクリ )納所(ナツシヨ)率法(ソツハウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「納所」と表記し、訓みは文明四年本に「ナツシヨ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「納所」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「納所」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

納所(ナツシヨヲサム、トコロ)[入・上] 。〔官位門436四〕

とあって、標記語「納所」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

納所(ナツシヨ) 。〔・言語進退門141三〕

納所(ナツシヨ) 寺官。〔・官名門110八〕

納所(ナマツシヨ) 寺官。〔・官名門101六〕 

納所(ナツシヨ) 寺官。〔・言語門124一〕

とあって、標記語「納所」の語を収載する。易林本節用集』に、

納受 ―得(ナツトク)。―法(ハフ)。―所(シヨ)。―蘇利(ソリ)。〔言辞門110七・天理図書館蔵上上55ウ七〕

とあって、標記語「納所」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「納所」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

761納所(/シヨ)ノ卒法収(シユク)-納徴(/テウ)-納之濟-(/サイキ)-物色-代之-(/ツクノイ) 易色義也。言代之地色々ナリ也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「納所」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

租穀(ソコク)租米(ソマイ)(ヲクリシヤウ)納所(ナツシヨ)卒法(ソツハウ)租穀(ソコク)租米(ソマイ)ハ。何レモ飯米(ハンマイ)ナリ。〔下42オ三・四〕

とあって、標記語「納所」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

納所(なつしよ)の率法(そつほう)納所率法納所ハ年貢(ねんく)運上(うんしやう)の事をあつかふ役所也。りつぽうハのりと訓す。定法の事なり。〔102オ三・四〕

とあって、この標記語「納所」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

納所(なつしよ)の率法(そつほう)納所率法▲納所率法ハ租税(そぜい)役所(やくしよ)の法度(はつと)也。〔75ウ一、75ウ六〕

納所率法▲納所率法ハ租税(そぜい)役所(やくしよ)の法度(はつと)也。〔135オ六、135ウ六〜136オ一〕

とあって、標記語「納所」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Naxxo.ナッショ(納所) Vosamuru tocoro.(納むる所)坊主(Bonzos)間における或る役職で,食料品庫係のようなもの.※原文はdespenserio.〔邦訳454r〕

とあって、標記語「納所」の語を収載し、意味は「Vosamuru tocoro.(納むる所)坊主(Bonzos)間における或る役職で,食料品庫係のようなもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

なッ-しョ〔名〕【納所】(一)年貢など納むる所。南屏燕語、下「天如録、正宗記等に、出納の所と云ふ語あり、今略して稱す」(二)禪宗の寺院にて、施物を納むる所。又、其役の僧。納所坊主。知事僧天如則禪師録正宗寺記「崇佛之祠、止僧之舎、延賓之館、香積之廚、出納之所、悉如叢林規制運歩色葉集「納所」蔭涼軒日録、文明十六年十一月十日「就納所寮斎、蓋料都寺納所所開也」太閤記、三、信長公御葬禮事「於龍寳山大コ寺、十月初旬より一七日の法事執り行ひ奉らんと、あし一萬貫、竝びに米は播州より精白にして千石、大コ寺納所へ相渡し」3-643-2

とあって、標記語「なッ-しョ納所】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「なっ-しょ納所】〔名〕@(―する)年貢などを納める所。また、年貢などを納めること。それをつかさどる役人をもいう。A寺院で施物・金銭・年貢などの出納事務を執る所。また、その役職やその事務を執る役僧。納所職。B「なっしょぼうず(納所坊主)」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而官庫納米之習、以納所使書生、令檢納《訓み下し》而シテ官庫ノ納米ノ習ヒ、(ナツ)使書生ヲ以テ、検納セシム。《『吾妻鑑』文治三年四月二十三日の条》
 
 
2006年01月03日(水)晴れ一時曇り。箱根→東京→世田谷(駒沢)[箱根駅伝復路5位]
送状(おくりジヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、標記語「送状」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

租穀租米送状納所率法〔至徳三年本〕

租穀租米送状納所卒法〔宝徳三年本〕

租穀租米送状納所率法〔建部傳内本〕

租穀(ソコク)租米(マイ)送状納所率法〔山田俊雄藏本〕

租穀(コク)租米納所卒法〔経覺筆本〕

租穀(ソゴク)租米(ソマイ)送状(ヲクリ )納所(ナツシヨ)率法(ソツハウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「送状」と表記し、訓みは経覺筆本に「(をく)リ(ジヤウ)」、文明四年本に「をくり(ジヤウ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「送状」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「送状」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

送状(ヲクリジヤウソウ、カタチ)[去・○] 。〔態藝門228八〕

とあって、標記語「送状」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「送状」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「送状」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

760租-(ソコク)粗米_ 年貢也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「送状」の語を収載し、「何れも年貢なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

租穀(ソコク)租米(ソマイ)(ヲクリシヤウ)納所(ナツシヨ)卒法(ソツハウ)租穀(ソコク)租米(ソマイ)ハ。何レモ飯米(ハンマイ)ナリ。〔下42オ三・四〕

とあって、標記語「送状」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

租穀(そこく)租米(そまい)送状(おくりじやう)租穀租米送状租ハ租税として年貢(ねんく)運上(うんしやう)の事也。〔102オ二・三〕

とあって、この標記語「送状」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

租穀(そこく)租米(そまい)送状(おくりじやう)租穀租米送状▲租穀租米ハ年貢(ねんく)の米穀(べいこく)なり。〔75ウ一、75ウ六〕

租穀(そこく)租米(そまい)送状(おくりじやう)▲租穀租米ハ年貢(ねんぐ)の米穀(べいこく)なり。〔135オ六、135ウ六〕

とあって、標記語「送状」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「送状」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おくり-じャう〔名〕【送状】他に送るべき物に添えて、其員數などを記したる書付。略して、おくり。庭訓往來、十二月「租穀租米送状江戸政要「科人送状之覺」〔1-484-2〕

とあって、標記語「おくり-じャう送状】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おくり-じょう送状】〔名〕@物資を送付する時、その物資の品目、分量などの明細を送り先に知らせるために作成される文書。古代、中世では貢納物の進納には必ずつけられた。送文。A罪人など人物を引き渡すときに付けてやる文書。B特に、運賃積船による貨物輸送の場合、積荷の明細を書いて送り主が荷受け主にあてて送る書状。御城米廻送では、雇船に積み込む米の石数、俵数、運賃、雇船の要目、船頭水主などを詳細に記した。廻船に所持させて積出し港出帆から途中の寄港地、最終の蔵納めに至るまで、実際の積米と照合するために使用した。おくり」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三 雑役免文書東大寺所司連署送状「目禄并送文」 《『東大寺図書館(成卷文書)』康治二年二月十五日の条、83・6/97
 
 
2006年01月02日(火)曇りのち雨。東京→大手町→箱根[箱根駅伝往路2位]
租米(ソマイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、標記語「租米」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

租穀租米送状納所率法〔至徳三年本〕

租穀租米送状納所卒法〔宝徳三年本〕

租穀租米送状納所率法〔建部傳内本〕

租穀(ソコク)租米(マイ)送状納所率法〔山田俊雄藏本〕

租穀(コク)租米状納所卒法〔経覺筆本〕

租穀(ソゴク)租米(ソマイ)送状(ヲクリ )納所(ナツシヨ)率法(ソツハウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「租米」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(ソ)マイ」、文明四年本に「ソマイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「租米」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「租米」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

租米(マイツム・ハカル、ヘイ・コメ・ヨネ)[入・○] 。〔飲食門386三〕

とあって、標記語「租米」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「租米」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

租穀(ソコク) ―米(マイ)。〔食服門100二・天理図書館蔵上50ウ二〕

とあって、標記語「租穀」の熟語群として「租米」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「租米」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

760租-(ソコク)粗米之送_状 年貢也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「粗米」の語を収載し、「何れも年貢なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

租穀(ソコク)租米(ソマイ)(ヲクリシヤウ)納所(ナツシヨ)卒法(ソツハウ)租穀(ソコク)租米(ソマイ)ハ。何レモ飯米(ハンマイ)ナリ。〔下42オ三・四〕

とあって、標記語「租米」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

租穀(そこく)租米(そまい)の送状(おくりじやう)租穀租米送状租ハ租税として年貢(ねんく)運上(うんしやう)の事也。〔102オ二・三〕

とあって、この標記語「租米」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

租穀(そこく)租米(そまい)の送状(おくりじやう)租穀租米送状▲租穀租米ハ年貢(ねんく)の米穀(べいこく)なり。〔75ウ一、75ウ六〕

租穀(そこく)租米(そまい)送状(おくりじやう)▲租穀租米ハ年貢(ねんぐ)の米穀(べいこく)なり。〔135オ六、135ウ六〕

とあって、標記語「租米」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「租米」の語は未収載しにする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-まい〔名〕【租米】年貢米。年貢に、収むる米。陳造詩「傾金錢交券租米〔3-176-3〕

とあって、標記語「-まい租米】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-まい租米】〔名〕租税として納める米。年貢米(ねんぐまい)。みつぎこめ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
□依実国図申付注御庄地内新開発田租米被収公愁状□就田未開地四至内五拾町…至之田止波見乍、件新開田等之租米勘取事甚、因茲於国不被取由愁状《『東大寺文書(内閣)』延喜八年正月廿五日の条、133・5/417》
 
 
2006年01月01日(日)晴れ。元旦 東京→
 
租穀(ソコク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、標記語「租穀」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

租穀租米送状納所率法〔至徳三年本〕

租穀租米送状納所卒法〔宝徳三年本〕

租穀租米送状納所率法〔建部傳内本〕

租穀(ソコク)租米(マイ)送状納所率法〔山田俊雄藏本〕

租穀(コク)租米状納所卒法〔経覺筆本〕

租穀(ソゴク)租米(ソマイ)送状(ヲクリ )納所(ナツシヨ)率法(ソツハウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「租穀」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ソコク」、経覺筆本に「(ソ)コク」、文明四年本に「ソゴク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「租穀」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「租穀」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

租穀(ソコクウム・ハカル、カラ)[○・入] 。〔飲食門386三〕

とあって、標記語「租穀」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「租穀」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

租穀(ソコク) ―米(マイ)。〔食服門100二・天理図書館蔵上50ウ二〕

とあって、標記語「租穀」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・易林本節用集』に標記語「租穀」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

760-(ソコク)粗米之送_状 年貢也。〔謙堂文庫蔵六四左G〕

とあって、標記語「租穀」の語を収載し、「何も年貢なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

租穀(ソコク)租米(ソマイ)(ヲクリシヤウ)納所(ナツシヨ)卒法(ソツハウ)租穀(ソコク)租米(ソマイ)ハ。何レモ飯米(ハンマイ)ナリ。〔下42オ三・四〕

とあって、標記語「租穀」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

租穀(そこく)租米(そまい)の送状(おくりじやう)租穀租米送状租ハ租税として年貢(ねんく)運上(うんしやう)の事也。〔102オ二・三〕

とあって、この標記語「租穀」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

租穀(そこく)租米(そまい)の送状(おくりじやう)租穀租米送状▲租穀租米ハ年貢(ねんく)の米穀(べいこく)なり。〔75ウ一、75ウ六〕

租穀(そこく)租米(そまい)送状(おくりじやう)▲租穀租米ハ年貢(ねんぐ)の米穀(べいこく)なり。〔135オ六、135ウ六〕

とあって、標記語「租穀」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「租穀」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-こく〔名〕【租穀】。山槐記、治承四年二月五日「初度御幸、直衣御裝束、自何處租穀哉、租穀所未定之閨A不審、云云、今度彌、關白被租穀宜歟」〔717-4〕

標記語「-こく租穀】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-こく租穀】〔名〕田租として官に納める穀物。租稲(そとう)。口遊(970)田舎門「田一段全得租穀一斗五升。一歩租四夕六分之一。田一段不三得七租穀一斗五合。一歩租夕十二分の十」*権記-長徳四年(998)一二月二九日「伊賀国司申明年以後二ヶ月年別納租穀築垣料一文」*明衡往来(11C中か)中末「源美子位禄官符事。右別納租穀。若無用残。早可進申文也」*伊呂波字類抄(鎌倉)「租穀 そコク 口分田地子宛封家」*後漢書-梁商伝「毎饑饉、輒載租穀城門」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一 請被下知筑前國、令済新造丈六観世音菩蔭常燈斗二升()《『東大寺文書(内閣)』長徳四年十一月五日の条、東大寺文書五359F》
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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