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ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
即(スナハチ)。則(同)。乃(同)。迺(同)。〔元亀二年本362六〕
即(スナハチ)。則(同)。乃(同)。迺(同)字同。〔静嘉堂本442一〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔至徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔宝徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔建部傳内本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔山田俊雄藏本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「即」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「(すなは)ち」と記載する。
即スナハチ/子力反。則子コ反。乃奴衣反/古文乍廻。便房連/婢面二反。迺奴宛反。仍。載。因。輙陟薬反。登。増。閣。羌。喩。適。曽。楷。勅已上同。〔黒川本・辞字門下112七・八〕
即スナハチ/今也半也。乃古乍迺。喩。適。則。羌。輙。閣。勅。便。増。迺。仍。登。因。曽。載。楷已上同。〔卷第十・辞字門522六〜523五〕
即(スナハチ/ソク・ツク)[入]。則(同/ソク・ノトル)[入]。迺(同/ナイ)[○]。乃(同/ナイ・イマシ)[去]。〔態藝門1134二〕
即(スナハチ) 。則(同)。迺(同)。乃(同)。〔弘治・言語進退門270七〕
即(スナハチ) 。則(同)。迺(同)。乃(同)。〔永祿本・言語門232六〕
即(スナハチ) 則。迺。乃。〔尭空本・言語門218五〕
則(スナハチ)。便(同)。仍(同)。輒(同)。即(スナハチ)。乃(同)迺(ナイ)同。曾(同)。〔言辞門242四・天理図書館蔵下54オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「即」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
026即可∨促‖拜仕|之処 言ハ遂‖拜顔ヲ|可‖召仕|之義也。〔謙堂文庫藏七右D〕
とあって、標記語「即」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「即」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Sunauachi.すなはち(即) 副詞.すぐさま,真に,など.〔邦訳589l〕
すなは-ち〔名〕【即】〔次條の語の轉〕夫れが、そのまま。取りもなおさず。やがて。「すなはち是れなり」〔1473-4〕
すなは-ち〔名〕【乃・則・即・便・迺・輒】〔其程の轉と云ふ、當れり、古今六帖、四「春立たむ、すなはち毎(ごと)に」宇津保物語、藏開、上55「生れ給ひし、すなはちより」など、見るべし、爲之後(すののち)の轉、直路(すなほぢ)の轉、など云ふは、いかが、又、墨繩路(すみなはぢ)の略か〕。(一){其時に。そこで。さうして。乃。名義抄「仍、スナハチ」便、スナハチ」即、スナハチ」則、スナハチ」古事記、上3「如レ此云期、乃チ詔一汝者自レ右廻リ逢ヘ一、云云」同、同29「八俣遠呂智、信ニ如レ言來(キツ)、乃毎レ船垂一入己頭一」古今著聞集、十六、興言利口「やをら叩きければ、すなはち、明けて、誰そと問へば」(二){やがて。直(すく)に。即座に。即時に。萬葉集、八30「霍公鳥、鳴きし登時(すなはち)、君が家に、徃けと追ひしは、至りけむかも」竹取物語、「綱を引き過して、綱、絶ゆる、すなはちに、八島の鼎の上に、仰(のけ)さまに落ちたまへり」宇津保物語、藏開、下44「片時、外に止(とま)る事なく、稀に、内に參りては、すなはち、急ぎ罷出(まかで)つつ」同、俊蔭2「帝(みかど)、驚かせたまひて、すなはち、式部丞になされぬ」同、同27「生れ落つる、すなはち、女、己が布の懷に抱きて」同、吹上、上16「雪、云云、降る、すなはち、消えぬ」同、藏開、上56鶴子「生れたまひしすなはちより、御懷、放ち奉りたまはず」源氏物語、四十八、寄生41「許せたまへりし喜びに、すなはちも參らまほしく侍りしを」(三)其の如くなるときは。然るときは。(漢籍讀に)則。「思へばすなはち得」〔1056-1〕
開(ヒラク)披(同)啓(同)咲(同)衣析(同)發(同)。〔元亀二年本346九〕
開(ヒラク)披(同)啓(同)咲(同)花析(同)發(同)。〔静嘉堂本417三〕
堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕
堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕
堅凍早ク脱ケ薄霞忽ニ披ク〔山田俊雄藏本〕
堅凍早ク脱薄霞忽チ披キタリ〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「披」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(ひら)く」、経覺筆本に「(ひら)き」と記載する。
開ヒラク/苦哀反。披敷羈反。(以下略)。〔黒川本・辞字門下92オ一〕
闢ヒラク/開―開披。(以下略)。〔卷第十・辞字門上354二〕
開(ヒラク/カイ)[平]闢(同/○)[入]發(同/ハツ)[入]披(同/ヒ)[○]析(同/タク)[入]啓(同/ケイ)[○]手足。〔態藝門1063三〕
啓(ヒラク)―レ足。―レ手。開(同)―レ門。―レ戸。―レ口。―レ地。―レ寺。發(同)闢(同)披(同)。〔弘治・言語進退門255五〕
開(ヒラク)闢(同)發(同)披(同)啓(同)手足。〔永祿本・言語門219五〕
開(ヒラク)闢(同)發(同)披(同)啓(同)手足―。〔尭空本・言語門204六〕
排(ヒラク)敷(同)披發(同)開(同)闢(同) 。〔言辞門228三・天理図書館蔵下47オ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「披」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
025堅凍早解、薄霞(ハクガ)忽ニ披 月令ニ曰、春來東風解∨氷爲∨可∨用‖陽|也。河圖曰、崑崙山ニ有‖五水|。赤水之氣上リ烹シテ爲∨霞ト而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕
とあって、標記語「解」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「披」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
ひら・く・ク・ケ・カ・キ・ケ〔他動、四〕【開・闢・披・發・啓】(一){閉ぢ、又は、結びたるを放つ。被ひを去る。明くる。萬葉集、九19長歌「此の筥を、開(ひらき)て見てば、もとのごと、家はあらむと」用明紀、元年五月「余觀二袵内一、拒不レ聽レ入、自呼レ開(ヒラケト)レ門、七廻不レ應、願欲レ斬レ之」「戸を開く」「封を開く」(二){障りを去る。解く。排。應~紀、十六年八月「撃二新羅一披二其道路一」平治物語、二、官軍除目事「能く能く聞こし召し開かるべし」「疑をひらく」(三)始む。興す。創。「宗旨を開く」「店を開く」(四){掘り起す。開發す。拓。~武紀、六「是時大伴氏遠祖日臣命、帥二大來目二、督二將元戎一、蹈レ山啓(ヒラキ)レ行(ミチ)、乃尋二鳥所レ一向」「山を開く」「路を開く」「田地を開く」(五)退く。退出す。參考保元物語、中、新院左府御没落事「急ぎ何方へも御ひらき候べし」太平記、廿九、二宮方京攻事「京都を無二事故一御開き候て、將軍の御勢と一つになり、則京都へ寄せられ候はば、云云」(六)船を漕ぎ出す。臨時祭式、「開二遣レ唐舶居一祭」(七)數學にて、乘根を求む。〔1709-2〕
忽(タチマチ)。乍(同)。〔元亀二年本148七〕〔静嘉堂本160六〕〔天正十七年本中12ウ四〕
堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕
堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕
堅凍早ク脱ケ薄霞忽ニ披ク〔山田俊雄藏本〕
堅凍早ク脱薄霞忽チ披キタリ〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「忽」と表記し、訓みは経覺筆本に「(たちま)ち」と記載する。
忽タチマチ急乍綛岬据許絹柏斃整渚掲纉櫺〓(火炎欠)頓繃惚逸碕已上同。〔黒川本・辞字門中8ウ七・八〕
忽タチマチ乍急綛岬許柏斃整渚掲纉櫺〓(火炎欠)頓繃惚逸碕已上同。〔巻第四・辞字門436五〕
渚(タチマチ/シユク)[入]忽(同/コツ)[入]奄(同/ヱツ)[去]乍(同/サク・ナガラ)[入]。〔態藝門371五・六〕
忽(タチマチ)。乍(同)。〔弘治・言語進退門106四〕
忽(タチマチ)乍。〔永祿本・言語門96五〕〔尭空本・言語門87九〕〔両足院本・言語門106七〕
忽(タチマチ)。乍(同)。〔言辞門97一・天理図書館蔵上49オ一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「忽」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
025堅凍早解、薄霞(ハクガ)忽ニ披 月令ニ曰、春來東風解∨氷爲∨可∨用‖陽|也。河圖曰、崑崙山ニ有‖五水|。赤水之氣上リ烹シテ爲∨霞ト而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕
とあって、標記語「解」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「忽」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Tachimachi.たちまち(忽) 副詞.または,Socujini.(即時に)すぐに,あるいは,即刻,疑いなしに.※原文にはl,とあるが,i.(すなわち)の誤りか.→Cutcugayexi,su;Magure,uru;Sucumi,u.〔邦訳598r〕
たち-まち-に〔副〕【忽・乍】〔立待の義かと云ふ、或は云ふ、立闢ケ(たちまち)にて立所の意と〕俄に。急に。すぐに。即ち。早速。相模集「いさよひも、たちまちにやは、出づるまで、寐待の月を、臥して見るかな」安康即位前紀「渚忽(タチマチ)忿起、則朝見者夕被レ殺、夕見者朝被レ殺」源氏物語、三十四、上、若紫、上15「めやすき事になる折は、かくてしもあしからざりけりと見ゆれど、猶たちまちにふとききつけたる程は、親に知らせず」狭衣物語、一、上35「忽にこそいはれざらめ、さの給はせてんを知らず顔ならんは、ひがひがしかるべき」〔1220-4〕
堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕
堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕
堅凍早ク脱ケ薄霞忽ニ披ク〔山田俊雄藏本〕
堅凍早ク脱薄霞忽チ披キタリ〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「薄霞」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「薄霞」の語は未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
025堅凍早解、薄霞(ハクガ)忽ニ披 月令ニ曰、春來東風解∨氷爲∨可∨用‖陽|也。河圖曰、崑崙山ニ有‖五水|。赤水之氣上リ烹シテ爲∨霞ト而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕
とあって、標記語「薄霞」の語を収載し、語注記に「『河圖』に曰く、崑崙山に五水有り。赤水の氣上り烹して霞と爲る。而して薄赤なり」と記載する。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「薄霞」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
解(トク)レ糸ヲ。〔元亀二年本62二〕 解(トクル) 。融(同)。睦(同)。〔元亀二年本62二〕
解(トク) 糸。〔静嘉堂本71四〕 解(トクル) 。融(同)。〔静嘉堂本71七〕
解(トク)レ糸。〔天正十七年本上36オ六〕 解(トクル) 。融(同)。〔天正十七年本上36ウ四・五〕〔西來寺本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕
堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕
堅凍早ク脱ケ薄霞忽ニ披ク〔山田俊雄藏本〕
堅凍早ク脱薄霞忽チ披キタリ〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「脱」と表記し、建部傳内本だけが「解」と記載する。
解(トク/カイ)[上]。射(同/スウ)[平]。〔態藝門151二〕
釋(トク)。説(同)。解(同)。〔言辞門46七・天理図書館蔵上23ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「解」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
025堅凍早解、薄霞(ハクガ)忽ニ披 月令ニ曰、春來東風解∨氷爲∨可∨用‖陽|也。河圖曰、崑崙山ニ有‖五水|。赤水之氣上リ烹シテ爲∨霞ト而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕
とあって、標記語「解」の語を収載し、語注記には「『月令』に曰く、春來東風に氷り解くる。陽と用いるべき爲なり」と記載する。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「解」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Toqe,ru,eta.トケ,クル,ケタ(解・溶け,くる,けた」)結んであるのが解け,ほどける.¶また、溶解する.例,Ro>ga toquru.(蝋が溶くる)蝋が溶ける.¶Cocoro toqete monouo yu<.(心解けて物を言ふ)恥ずかしがることなく,あるいは,非常に打ち解けて語る.〔邦訳662l〕
と・く・クル・クレ・ケ・ケ・ケヨ〔自動、下二〕【溶】〔解くる義〕(一)水に雜りて、ゆるくなる。睦。融。後撰集、八、冬「白雪の、ふりはへてこそ、とはざらめ、とくるたよりを、過さざらなん」拾遺集、四、冬「ふしつけし、淀の渡りを、けさ見れば、とけむ期もなく、氷しにけり」同、同「霜の上に、ふる初雪の、朝氷、とけずも物を、思ふころかな」「氷溶く」雪溶く」(二)醒(とろ)く。鎔。夫木抄、八「まがねだに、とくと云ふなる、五月雨に、何の岩木の、なれる君ぞも」同、廿二「五月雨に、とくるまがねを、みがきつつ、てる日に見ゆる、ます鏡かな」〔1395-4〕
早(ハヤシ)。速(マタキ)。疾(同)。〔元亀二年本35十〕
早(ハヤシ)。速(同)。疾(同)。〔静嘉堂本38四〕〔天正十七年本上19ウ八〕〔西來寺本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕
堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕
堅凍早ク脱ケ薄霞忽ニ披ク〔山田俊雄藏本〕
堅凍早ク脱薄霞忽チ披キタリ〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「早」と記載する。
早ハヤク/ハヤシ迅風蔘岬灯速夙艤已上同。〔黒川本・辞字門上24オ五・六〕
早速岬迅風蔘灯夙艤。〔巻第一・辞字門200一〜三〕
早(ハヤシ/サウ・ツト)[上]。夙(○/シク・ツト)[入]。疾(○/ヤマイ・トシ)[上]。迅(○/シン)[去]。〔態藝門84五〕
早(ハヤシ) 迅(同)風(同)/馳(同)夙。〔弘治・言語進退門23一〕
早(ハヤク) 迅風馳/夙。〔永祿本・言語門24七〕
早 迅風/馳夙。〔尭空本・言語門21八〕
駿(ハヤシ) 馬。速(同) 。〔言辞門24二・天理図書館蔵上12ウ二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「早」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
025堅凍早解、薄霞(ハクガ)忽ニ披 月令ニ曰、春來東風解∨氷爲∨可∨用‖陽|也。河圖曰、崑崙山ニ有‖五水|。赤水之氣上リ烹シテ爲∨霞ト而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕
とあって、標記語「早」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「早」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Fayai.ハヤ(早) 速やかな,または,軽やかな(こと).Fayasa.(早さ) Fayo<.(早う)→Chicuten;Co>bai(勾配);Cuchibayai;Qibayai;Tebayai.〔邦訳216r〕
はや・し・キ・ケレ・ク・ク〔形、一〕【早】(一)すみやかなり。疾し。速。捷。萬葉集、十七4023「婦負(めひ)川の波夜伎瀬ごとに篝(かがり)さし八十伴男(やそとものを)は鵜川立(た)ちけり<大伴家持>」古今集、六、冬「昨日と云ひ、今日とくらして、飛鳥川、流れて早き、月日なりけり」(二)するどし。敏し。敏。(三)先(さき)なり。初なり。夙。(四)いまだ、その時期にあらず。時刻未だ到らず。〔1630-5〕
堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕
堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕
堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕
堅凍早ク脱ケ薄霞忽ニ披ク〔山田俊雄藏本〕
堅凍早ク脱薄霞忽チ披キタリ〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「堅凍」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「堅凍」の語は未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
025堅凍早解、薄霞(ハクガ)忽ニ披 月令ニ曰、春來東風解∨氷爲∨可∨用‖陽|也。河圖曰、崑崙山ニ有‖五水|。赤水之氣上リ烹シテ爲∨霞ト而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕
とあって、標記語「堅凍」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「堅凍」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
殊(コトニ)。特(同)。〔元亀二年本242一〕〔静嘉堂本279二〕
× 。〔天正十七年本中〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽ヲ遊宴殊ニ珎重ニ候〔山田俊雄藏本〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊ニ珍重ニ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「殊」と記載する。
特コトニ/徒得反/コトナリ殊帆異羊吏反竒別皮列反〓(由+及)抗棕秀与已上同。〔黒川本・辞字門下7ウ二〕
殊コトナリ/異也・死也帆竒別〓(由+及)抗特獨也棕廢秀与已上同。〔巻第七・辞字門147四〕
殊(コトニ/シユ)[平]特(同/トク)[入]。〔態藝門696三〕
特(コトニ)。殊(同) 。〔弘治・言語進退門188八〕
特(コトニ)殊 。〔永祿本・言語門156七〕〔尭空本・言語門146二〕
特(コトニ) 。〔言辞門161三・天理図書館蔵下13ウ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「殊」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊遊宴殊ニ珍重ニ候 青ハ東色也。言ハ春ハ陽気自∨東發之間云‖青陽ト|也。珎ハ翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕
とあって、標記語「殊」の語を収載し、語注記は未記載にする。
自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)青陽遊遊宴殊ニ珍重ニ候トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「殊」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(ことに)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Cotoni.コトニ(殊) 副詞.その上さらに.〔邦訳153r〕
こと-に〔副〕【殊・特】〔異にの義、こと(異)の條を見よ〕ことのほかに。とりわけて。別して。ずっと。ずんど。古今集、四、秋、上「山里は、秋こそことに、わびしけれ、鹿の鳴く音に、目をさましつつ」道濟集、「ほととぎす、待つ聲聞けば、山里に、常よりことに、人ぞ待たるる」名義抄「殊、コトニ」〔702-4〕
遊宴(エン) 。〔元亀二年本292二〕
遊宴 。〔静嘉堂本389一〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽ヲ遊宴殊ニ珎重ニ候〔山田俊雄藏本〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊ニ珍重ニ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「遊宴」と記載する。
遊宴イウエン 。〔黒川本・畳字門上10ウ四〕
遊遨イウカウ 〃宴。〃経ケウ/選云越秀也。〃蕩タヒタチ/アルク。〃覧。〃觀。〃放。〃樂アルク/タノシ。〃女。〃餌。〃士。〔巻第一・畳字門67五〕
遊宴(ユヱン/ユウ・アソブ、サカモリ)[平・上]酒眩塙極同。〔態藝門863一〕
遊宴(ユエン) 。〔弘治・言語進退門227三〕
遊會(ユウクハイ) ―山(ユサン)。―宴(エン)。―覧(ラン)。―(エン)又作燕。〔永祿本・言語門188七〕
遊會(ユウクハイ) ―山。―宴。―又作燕。―覧。〔尭空本・言語門178三〕
遊覺(ユウカク) ――徃來(ワウライ)。―宴(エン)。―興(ケウ)。―會(クワイ)。―舞(フ)。―山(セン)翫水(グワンスイ)。―行(キヤウ)。―戲(ケ)。―覧(ラン)。〔言辞門194四・天理図書館蔵下30オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「遊宴」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊ニ珍重ニ候 青ハ東色也。言ハ春ハ陽気自∨東發之間云‖青陽ト|也。珎ハ翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕
とあって、標記語「遊宴」の語を収載し、語注記は未記載にする。
遊宴(ユウエン)殊(コト)ニ珍重(チンチウ)ニ候トハ遊ビ戯ルヽ事ナリ。〔上3オ七〕
青陽(せいよう)の遊宴(ゆうゑん)/青陽ノ遊宴青陽とハ正月の異名なり。春(はる)夏(なつ)秋(あき)冬(ふゆ)の四季(しき)五行(ごぎやう)五色(ごしき)に配(はい)すれハ春(はる)ハ木にして色青(いろあを)く夏ハ火にして色赤く秋ハ金にして色白く冬ハ水にして色黒く土用は土にして色黄なり。陰陽を以ていへは春夏ハ陽秋冬ハ陰なり。正月ハ陽のはじめにして其色ハ青きを以て青陽といふなり。遊宴とは前の書状ののせたる楊弓雀小弓などのあそひをさしていえり。〔4オ八〜4ウ三〕
とあって、この標記語「遊宴」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也▲遊宴遊(ゆう)ハあそひ宴(ゑん)ハ酒(さか)もりの義(き)。但(たゞ)し此所(こゝ)にてハ先方(さきかた)にいへる楊弓雀(やうきうすゞめ)小弓(こゆミ)以下(いげ)の事を含(ふく)めり。〔3ウ三〜六・三ウ八〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)▲遊宴遊(ゆう)ハあそび宴(えん)ハ酒(さか)もりの義(ぎ)。但(たゝ)し此所(こゝ)にてハ先方にいへる楊弓雀(やうきうすゝめ)小弓(こゆミ)以下(い )の事を含(ふく)めり。〔5ウ三〜6オ一・6オ四〕
Yu<yen.ユゥエン(遊宴) Asobi sacamori.(遊び宴)酒宴を伴った遊び.→Yenyu<.〔邦訳838r〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽ヲ遊宴殊ニ珎重ニ候〔山田俊雄藏本〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊ニ珍重ニ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「千萬」と記載する。
嗟呼(アア)一人(イチジン)之(ノ)心(コヽロハ)千万人(せンバンジン)之(ノ)心(コヽロ)也(ナリ)阿房宮賦。〔態藝門764二〕
千萬(せンバン)マン ―字文(ジモン)本也。―差万別(シヤバンベツ)/―秋樂(シウラク)。―變萬化(ヘンバンクワ)。〔言辞門235七・天理図書館蔵下50ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「千萬」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊ニ珍重ニ候 青ハ東色也。言ハ春ハ陽気自∨東發之間云‖青陽ト|也。珎ハ翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕
とあって、標記語「千萬」の語を収載し、語注記は未記載にする。
自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕
千萬(せんばん)々々(/\/\)/千萬々々これにてハ先年始乃祝を述(のべ)たるなり。〔4オ六〕
とあって、この標記語「千萬」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被(れ)候(さふら)ふ之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)/改年ノ吉慶。被∨任セ二御意ニ一候之條先以目出度覚ヘ候。自他ノ嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)被(れ)レ任(まか)せら二御意(ぎよい)に一候(さふらふ)之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)覺(おぼえ)候(さふらふ)自他(じた)の嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕
Xenban.センバン(千万) 千と万と.われわれが“私はあなたに十万の感謝を捧げます〔深く感謝します〕”などと言う時のように,物事を強調して言うのに用いる言葉.例,Xe~ban mo<xitani cotonaredomo.(千万申したい事なれども)私はあなたに千も申しあげる事があるけれども,しかし….これは感謝の言葉であれ,恨み言その他であれ,どちらにも言う.¶Meiuacu xenbanni zonzuru.(迷惑千万に存ずる)この上もない苦悩を感じ,悔しく思う.*原文はdouuos cem mil gracas.〔邦訳749r〕
せん-ばん〔名〕【千萬】(一)數量の、多きを云ふ語。孟子、滕文公、上編「或相什百、或相千萬」(二)情の、切なる時に云ふ語。切(せち)に。しきりに。至ッて。極めて。此(こ)の上も無く。通俗編「千萬、今簡牘、丁寧語也」平家物語、十二、重衡被レ斬事「後悔せんばん、悲しんでも尚餘りあり」狂言記、柱杖「こなたは、殊勝千萬にござる」貞コ文集「無御誘、出拔し候事、遺恨千萬」好色一代女(貞享、西鶴)四「律儀千萬なる年寄の、思ひ入りも、いたましき」「千萬忝し」「千萬頼む」竒特千萬」氣の毒千萬に思ふ」〔1131-2〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽ヲ遊宴殊ニ珎重ニ候〔山田俊雄藏本〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊ニ珍重ニ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「嘉幸」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「」と記載する。
嘉幸(カカウ/ヨシ、ミユキ・サイワイ)[平・上]。〔態藝門272七〕
嘉幸(カカウ) 。〔弘治・言語進退門87六〕
嘉幸(カカウ) ―辰(シン)。―慶(ケイ)。〔永祿本・言語門83一〕
嘉幸(カカウ) ―辰。―慶。〔尭空本・言語門75四〕
嘉幸(カカウ) ―辰。―慶。―祥。〔両足院本・言語門90六〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』・饅頭屋本『節用集』に標記語「嘉幸」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊ニ珍重ニ候 青ハ東色也。言ハ春ハ陽気自∨東發之間云‖青陽ト|也。珎ハ翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕
とあって、標記語「嘉幸」の語を収載し、語注記は未記載にする。
自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕
自他(じた)の嘉幸(かこう)/自他ノ嘉幸自ハ内、他は外を云いつくす。おなしくよろこひあふとなり。〔4オ五〜六〕
とあって、この標記語「嘉幸」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被(れ)候(さふら)ふ之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)/改年ノ吉慶。被∨任セ二御意ニ一候之條先以目出度覚ヘ候。自他ノ嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)被(れ)レ任(まか)せら二御意(ぎよい)に一候(さふらふ)之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)覺(おぼえ)候(さふらふ)自他(じた)の嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕
Caco<.カコウ(嘉幸) Yoqi saiuai.(嘉き幸)人に対して新年を祝したり,よい事があるようにと願ったりする言葉.〔邦訳74l〕
自他(タ) 。〔元亀二年本308四〕〔静嘉堂本359七〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕
自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽ヲ遊宴殊ニ珎重ニ候〔山田俊雄藏本〕
自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊ニ珍重ニ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「自他」と記載する。
自他(―タ/ヨリ・ミヅカラ・ヲノヅカラ、―)[○・平]。〔態藝門933八〕
自賛(ジサン) ―賣(マイ)。―歎(タン)。―餘(ヨ)。―身(シン)。―筆(ヒツ)。―他(タ)。―滅(メツ)。―慢(マン)/―害(ガイ)殺。―性(シヤウ)。―誓(セイ)。―然(ネン)。―得(トク)。―業(ゲウ)。―愛(アイ)。〔弘治・言語進退門245三〕
自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身/―賣。―業。―誓。―愛/―由。―他。―然。―滅。―得/―性。―言。―今以後。―檀或作專。―歎。〔永祿本・言語門209七〕
自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身。―賣。―業。―誓/―今以後。―得。―在。―筆。―愛。―由/―他。―然。―滅。―性。―言/―称。―檀又作專。―歎。―火。―力。〔尭空本・言語門193九〕
自然(ジネン) ―讃(サン)。―訴(ソ)。―判(ハ )。―行(ギヤウ)。―他(タ)。―作(サク)。―滅(メツ)。―由(イウ)。―專(せン)。―筆(ヒツ)。―己(コ)。―力(リキ)。―害(ガイ)。―問自答(モンジタフ)。―餘(ヨ)。―物(モツ)。―慢(マン)。―称(せウ)。―水(スイ)入レ水死也。―愛(アイ)。―用(ヨウ)。―見(ケン)。―身。―今已後(コンイゴ)。〔言辞門213六、七・天理図書館蔵下39ウ六、七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「自他」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊遊宴殊ニ珍重ニ候 青ハ東色也。言ハ春ハ陽気自∨東發之間云‖青陽ト|也。珎ハ翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕
とあって、標記語「自他」の語を収載し、語注記は未記載にする。
自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕
自他(じた)の嘉幸(かこう)/自他ノ嘉幸自ハ内、他は外を云いつくす。おなしくよろこひあふとなり。〔4オ五〜六〕
とあって、この標記語「自他」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被(れ)候(さふら)ふ之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)/改年ノ吉慶。被∨任セ二御意ニ一候之條先以目出度覚ヘ候。自他ノ嘉幸千万々々▲自他とハ我人(われひと)といふことにて廣(ひろ)く天下の人を指(さ)す。〔3ウ一〜三〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)被(れ)レ任(まか)せら二御意(ぎよい)に一候(さふらふ)之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)覺(おぼえ)候(さふらふ)自他(じた)の嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲自他とハ我人(われ )といふことにて廣(ひろ)く天下の人を指(さ)す。〔5オ六〜5ウ三〕
Iita.ジタ(自他) Mizzucara,tanin.(自ら,他人)私と他の人々と.例,Iitatomoni yorocobu.(自他共に喜ぶ)われわれは皆一緒になって喜ぶ.〔邦訳365r〕
じ-た〔名〕【自他】(一)己れと、他人と。我と、人と。彼我。太平記、三十九、諸大名講二道朝一事「吾等が頸を、御引出物に進らするか、御頸共を、餞に賜はるか、其二の閧ノ、自他の運否を定め候はばやと」「自他平等」「自他、倶に」(二)あれと、これと。彼れと、此れと。保元物語、一、新院御謀叛事「和漢共に、人に勝れ、禮義を調へ、自他の記録に暗からず」(三)語學の語、自動詞と、他動詞との略。〔896-5〕
覺(ヲホウ) 。〔元亀二年本85十〕
覚(ヲボフ) 。〔静嘉堂本105四〕
覚(ヲホフ) 。〔天正十七年本上52オ三〕〔西來寺本〕
改年吉慶被任御意候之條先以目出覚候〔至徳三年本〕
改年吉慶被任御意之條先目出覺候〔宝徳三年本〕
改年吉慶被任御意候之条先以目出覚候〔建部傳内本〕
改年ノ吉慶被レレ任二御意ニ一之條先以テ目出度覚候〔山田俊雄藏本〕
改年ノ吉慶被レレ任二御意ニ候一之条先ヅ目出度ク覚エ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「覚候」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「」と記載する。
覺オホユ/不―。悟解了持達察記憶誦諳省已上同/又オク。〔黒川本・人事門中65ウ二〕
覺オホユ/不―。省悟解了達記憶誦諳已上同。〔巻第五・人事門310五〕
覺(ヲボユ・サムル/カクト・サトル)[去]。〔態藝門232八〕
覺(ヲボウ) 。〔弘治・言語進退門65八〕
覺(ヲボユ) 了持悟/達記。〔永祿本・言語門67三〕
覚(ヲホユ) 了持記/悟達。〔尭空本・言語門61四〕
覚(ヲボユ) 了持悟/達記。〔両足院本・言語門72三〕
覺(ヲボユ) 。〔言辞門127四・天理図書館蔵上64オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「覚候」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
023改年ノ吉慶被∨任‖御意ニ|之条先以テ目出度覚候 歌道ニハ改年ヲ々々(アラタマ)ト讀也。目出トハ言ハ昔天照大神与素盞烏命ト|争‖天-下ヲ|時天照大神ハ岩戸ニ引籠給之間、天下七日七夜成∨暗ト也。此時諸神相談シテ、於‖岩戸ノ前ニ|万ノ神楽ヲ為給時、天照大神面白思食戸ヲ少シ開御覧有ル。其時太神ノ御目ノ出ヲ見、諸神喜コヒ目出ト給マフ。自∨是始也。其時太刀雄尊取‖岩戸ヲ|、抛∨空ニ、自∨是天下明也。其戸信州戸隠ニ落也。故ニ云‖戸隠ト|、太刀雄ハ今ノ常州志津ノ明神是也。〔謙堂文庫藏六左F〕
とあって、標記語「覚候」の語を収載し、語注記は未記載にする。
改年ノ吉慶被∨任‖御意ニ|之条先以テ目出度覚候。〔上3オ二〕
先(まづ)以(もつ)て目出度(めでたく)覚(おぼ)へ候/先以目出度覚候覚候とハ存候といふかことし。〔4オ四〜五〕
とあって、この標記語「覚候」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被(れ)候(さふら)ふ之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)/改年ノ吉慶。被∨任セ二御意ニ一候之條先以目出度覚ヘ候。自他ノ嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)被(れ)レ任(まか)せら二御意(ぎよい)に一候(さふらふ)之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)覺(おぼえ)候(さふらふ)自他(じた)の嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕
Voboye,ru,eta.ヲボエ,ユル,エタ(覚え,ゆる,えた) 感じる.例,Mino itamiuo voboyuru.(身の痛みを覚ゆる)身体の痛みを感ずる.¶また,記憶する,あるいは,暗記する.例,Oratiuo voboyetaca.(オラショを覚えたか)祈?の文句を暗記しているか.→Axido;Fumido;Iengo(前後);Tenami.〔邦訳697l〕
おぼえ〔名〕【覺】(一){覺(おぼ)ゆること。申合、箇條など、紙に書きて貼り出すに、首に、覺の一字を記すことあるは、人人をして覺えしむる意なり。。源氏物語、五、若紫15「扇を鳴らし給へば、おぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬ様にはとて、ゐざり出づる人あなり」(二)心に留めて、忘れぬこと。記憶。「おぼえがよい」(三)技を學び得たりと、自信すること。宇治拾遺物語、二、第十三條「此尻蹴よと云はるる相撲は、おぼえある力、こと人よりすぐれ」「おぼえの腕前」〔1473-4〕
吉慶(ケイ) 。〔元亀二年本283六〕〔静嘉堂本324六〕
改年吉慶被任御意候之條先以目出覚候〔至徳三年本〕
改年吉慶被任御意之條先目出覺候〔宝徳三年本〕
改年吉慶被任御意候之条先以目出覚候〔建部傳内本〕
改年ノ吉慶被レレ任二御意ニ一之條先以テ目出度覚候〔山田俊雄藏本〕
改年ノ吉慶被レレ任二御意ニ候一之条先ヅ目出度ク覚エ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「吉慶」と記載する。
吉慶(キツケイ/ヨシ、ヨロコブ)[入・○]。〔態藝門826二〕
吉慶(キチケイ) 。〔弘治・言語進退門223四〕
吉書(キツシヨ) ―慶(ケイ)。―事(ジ)。―辰(シン)/―例(キチレイ)。―日(ニチ)。―凶。〔永祿本・言語門184六〕
吉書(キツシヨ) ―慶。―事。―辰。―方/―例。―日。―凶。〔尭空本・言語門174一〕
吉慶(キチケイ) ―相(サウ)。―兆(テウ)。―書(シヨ)。―凶(ケウ)。―祥(ジヤウ)。―事(ジ)。〔言辞門190七・天理図書館蔵下28オ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「吉慶」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
023改年ノ吉慶被∨任‖御意ニ|之条先以テ目出度覚候 歌道ニハ改年ヲ々々(アラタマ)ト讀也。目出トハ言ハ昔天照大神与素盞烏命ト|争‖天-下ヲ|時天照大神ハ岩戸ニ引籠給之間、天下七日七夜成∨暗ト也。此時諸神相談シテ、於‖岩戸ノ前ニ|万ノ神楽ヲ為給時、天照大神面白思食戸ヲ少シ開御覧有ル。其時太神ノ御目ノ出ヲ見、諸神喜コヒ目出ト給マフ。自∨是始也。其時太刀雄尊取‖岩戸ヲ|、抛∨空ニ、自∨是天下明也。其戸信州戸隠ニ落也。故ニ云‖戸隠ト|、太刀雄ハ今ノ常州志津ノ明神是也。〔謙堂文庫藏六左F〕
とあって、標記語「吉慶」の語を収載し、語注記は未記載にする。
改年(カイ )ノ吉慶(キツケイ)被(ラルヽ)レ任(マカせ)二御意(ギヨイ)ニ一候之(ノ)条(デフ)先ツ以テ目出度(メデタク)覺(ヲボヘ)候。改年ト云事アラタマル詞(コトバ)也。又アラタマノ年ト云ヘリ。年ト云ントテアラ玉トツヽクル也。枕詞(マクラコトバ)ナリ。年々終々政(マツ)ル事ヲ本トスルガ故ナリ。新春明春ナドノルイナリ。〔上3オ三〜五〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)/改年ノ吉慶改年とハ去年(きよねん)の月日(つきひ)ハ去(さ)りて今年(ことし)の春(ハる)に改(あらたま)りたるを云。吉慶ハよろこひなり。〔4オ三〕
とあって、この標記語「吉慶」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被(れ)候(さふら)ふ之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)/改年ノ吉慶。被∨任セ二御意ニ一候之條先以目出度覚ヘ候。自他ノ嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)被(れ)レ任(まか)せら二御意(ぎよい)に一候(さふらふ)之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)覺(おぼえ)候(さふらふ)自他(じた)の嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕
Qicqei.キッケイ(吉慶) Yoqi yorocobi.(吉き慶び)慶事,または,喜び.文書語.〔邦訳494r〕
きッ-けい〔名〕【吉慶】めでたきこと。いはひ。ことぶき。魏書、彭城王噴傳「毀貊三年、弗レ參二吉慶一」庭訓往來、正月「改年吉慶、被レ任二御意一候之條」「新年の吉慶、目出度申納候」〔472-2〕
改年(カイネン) 。〔元亀二年本91六〕〔天正十七年本上55ウ四〕〔西來寺本〕
改(カイ)年 。〔静嘉堂本113一〕
改年吉慶被任御意候之條先以目出覚候〔至徳三年本〕
改年吉慶被任御意之條先目出覺候〔宝徳三年本〕
改年吉慶被任御意候之条先以目出覚候〔建部傳内本〕
改年ノ吉慶被レレ任二御意ニ一之條先以テ目出度覚候〔山田俊雄藏本〕
改年ノ吉慶被レレ任二御意ニ候一之条先ヅ目出度ク覚エ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「改年」とと記載する。
改年 同(年月分)/カイネン。〔黒川本・畳字門上87オ五〕
改元 〃年。〃姓。〃名。〃正。〃減。〃渙。〃居。〃嫁。〃葬。〃易。〃定。〃帳。〔巻第三・畳字門272二〕
改年(カイネン/アラタメ、トシ)[上・平]。〔態藝門278七〕
改年(カイネン) 。〔弘治・言語進退門87五〕
改年(カイネン) ―定(ヂヤウ)。―易(エキ)。―元(ゲン)。―補/―名(ミヤウ)。―替(タイ)。―変(ヘン)。〔永祿本・言語門82九〕
改年(カイネン) ―定。―元。―補。―名/―易。―替。―変。〔尭空本・言語門75四〕
改年(カイネン) ―定。―易。―元。―補/―名。―替。―変。〔両足院本・言語門90六〕
このように、上記当代の古辞書において、標記語「改年」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
023改年ノ吉慶被∨任‖御意ニ|之条先以テ目出度覚候 歌道ニハ改年ヲ々々(アラタマ)ト讀也。目出トハ言ハ昔天照大神与素盞烏命ト|争‖天-下ヲ|時天照大神ハ岩戸ニ引籠給之間、天下七日七夜成∨暗ト也。此時諸神相談シテ、於‖岩戸ノ前ニ|万ノ神楽ヲ為給時、天照大神面白思食戸ヲ少シ開御覧有ル。其時太神ノ御目ノ出ヲ見、諸神喜コヒ目出ト給マフ。自∨是始也。其時太刀雄尊取‖岩戸ヲ|、抛∨空ニ、自∨是天下明也。其戸信州戸隠ニ落也。故ニ云‖戸隠ト|、太刀雄ハ今ノ常州志津ノ明神是也。〔謙堂文庫藏六左F〕
とあって、標記語「改年」の語を収載し、語注記は未記載にする。
改年(カイ )ノ吉慶(キツケイ)被(ラルヽ)レ任(マカせ)二御意(ギヨイ)ニ一候之(ノ)条(デフ)先ツ以テ目出度(メデタク)覺(ヲボヘ)候。改年ト云事アラタマル詞(コトバ)也。又アラタマノ年ト云ヘリ。年ト云ントテアラ玉トツヽクル也。枕詞(マクラコトバ)ナリ。年々終々政(マツ)ル事ヲ本トスルガ故ナリ。新春明春ナドノルイナリ。〔上3オ三〜五〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)/改年ノ吉慶改年とハ去年(きよねん)の月日(つきひ)ハ去(さ)りて今年(ことし)の春(ハる)に改(あらたま)りたるを云。吉慶ハよろこひなり。〔4オ三〕
とあって、この標記語「改年」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被(れ)候(さふら)ふ之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)/改年ノ吉慶。被∨任セ二御意ニ一候之條先以目出度覚ヘ候。自他ノ嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕
改年(かいねん)の吉慶(きつけい)被(れ)レ任(まか)せら二御意(ぎよい)に一候(さふらふ)之(の)條(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)覺(おぼえ)候(さふらふ)自他(じた)の嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)尽(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕
Cainen.カイネン(改年) すなわち,Xinnen.l,Aratamaru toxi.(新年,または,改まる年)新年.※前者は見出し語の同義語.後者は訓註であるから,Aratamaru toxi.(改まる年)すなわち,Xinnen.(新年)とあるべきものが混乱している.→Caqei(嘉慶).
〔邦訳82l〕
かい-ねん〔名〕【改年】改まりたる年。新年。改暦。太平廣記「改年多レ感、敬想同レ之」庭訓往來、正月「改年吉慶、被レ任二御意一之條、先以目出度覺候」〔337-1〕
石見守殿〔至徳三年本〕
石見守殿〔宝徳三年本〕
石見守殿〔建部傳内本〕
石見守殿〔山田俊雄藏本〕
石見守殿〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「石見守」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「石見守」の語は未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
022石見守殿 殿ノ字被官等ニハ卑ニ可∨書。上中下有リ。内封ノ事隠密状ニハ礼紙ヲ略シテ封也。其上ニ名字官計可∨書也。状ノ上包之事、上下ノ封様上短下長也。上書ハ至。賞翫ニハ肩書ヲハ縦ハ進上小野大和守殿御宿所藤原秀勝裡ニハ新里紀六ト可∨書也。官途姓ヲ不∨可∨書。官ト与‖名_乗|面ニ可∨書裡ニハ名字計可∨書。常ノ賞翫進上。小野大和守殿御宿所秀勝ト可∨書也。真早行有。又状ノ上ヲ包事進上謹上書不∨可∨有。名字計可∨書。但シ同名ニ紛レハ官假名官ヲ可∨書。名乗不∨可∨書裡書不∨可∨有也。若文ナラハ面ニ小野大和守殿御宿所裡ニ新田紀六ト可∨被∨書者也云々。我カ官名乗判書事、縦ヘ正月一日刑部大輔高秀判ト可∨書。无官ナラハ氏ヲ可∨書。縦ハ文屋ノ高秀判可∨書。又折紙ハ捻文ヨリ略義也。裡書无シ進上謹上書无シ。日付ノ下ニ名乗判書也。官名字不∨可∨書。名乗判ノ肩ニ折紙ニ限テ名字官途假名ヲ書ト云説有レトモ當世ニハ不∨書也。畳目ノ上名字假名書也。名乗不∨可∨書也。〔謙堂文庫藏六右F〕
とあって、標記語「石見守」の語を収載し、語注記は未記載にする。
謹上 石見守(イハミノカミ)殿(ドノ)。〔上3オ二〕
石見(いわミ)の守(かミ)殿(どの)/石見守殿。〔4オ二〕
とあって、この標記語「石見守」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
石見(いはミ)の守(かミ)殿(どの)/石見ノ守殿▲石見ノ守これハ中國(ちうごく)の守(かミ)にて正(じやう)六位下(いのげ)に相當(さうたう)す。〔3オ五、六〕
石見(いはミ)の守(かミ)殿(どの)▲石見ノ守これハ中國(ちうごく)の守(かミ)にて正六位下(いの )に相當(さうたう)す。〔5オ二〜四〕
謹上〔至徳三年本〕
謹上〔宝徳三年本〕
謹上〔建部傳内本〕
謹上〔山田俊雄藏本〕
謹上〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「謹上」と記載する。
謹上(キンシヤウ/ツヽシム、コト・イフ)[去・平]。〔態藝門829一〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「謹上」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
021謹上 謹上トハ賞翫ニハ自‖日付|一字上テ可∨書。同判ハ貴ニハ右、卑ニハ左同輩ハ日付ニ双テ書。卑ハ一字下テ可∨書者也。名字書モ少(チツト)料紙ノ端ニ可∨書。位ノ事者可同上也。〔謙堂文庫藏六右E〕
とあって、標記語「謹上」の語を収載し、「謹上とは、賞翫には日付より一字上げて書くべし。同判は、貴には右、卑には左、同輩は日付に双べて書く。卑は一字下げて書くべき者なり。名字書くモ少(ちつと)料紙の端に書くべし。位の事は、同上とすべきなり」と記載する。
謹上 石見守(イハミノカミ)殿(ドノ)。〔上3オ二〕
謹上(きんじやう)/謹上つゝしんてたてまつると讀む。〔4オ二〕
とあって、この標記語「謹上」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
謹上(きんしやう)/謹上▲謹上書(きんじやうがき)ハ真行草(しんぎやうさう)の書法(かきかた)を以て高下(かうげ)をわかつのミ。但(たゞ)し當代(たうだい)にハ用ひざる事也。〔3オ五、六〕
謹上(きんじやう)▲謹上書( がき)ハ真行草(しんきやうさう)の書法(かきかた)を以て高下(かうげ)をわかつのミ。但(たゞ)し當代(たうだい)にハ用ひざる事也。〔5オ二、三〕
きん-じゃう〔名〕【謹上】(一)謹(つつし)みて上(たてまつ)る。(書状の名宛に添ふる敬語)平家物語、十、屋島院宣事「壽永三年二月十四日、大膳太夫なりただが、奉(うけたまはり)謹上、前平大納言殿へ」〔485-4〕
藤原(フヂハラ) 天智天皇ノ時鎌足大臣始賜――姓也。〔元亀二年本224二〕
藤原(ハラ) 天智天王ノ時鎌足大臣始テ賜二――ノ姓ヲ一也。〔静嘉堂本256六〕
藤原(フチハラ) 天智天皇時鎌足大臣始贈――姓也。〔天正十七年本中57ウ二〕
左衛門尉藤原〔至徳三年本〕
左衛門尉藤原〔宝徳三年本〕
左衛門尉藤原〔建部傳内本〕
左衛門ノ尉藤原〔山田俊雄藏本〕
左衛門ノ尉藤原〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「藤原」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に標記語「藤原」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載し、その語注記内容を一部同じくする。
020左衛門ノ尉藤原 官ノ位。唐名等ハ在‖職原ニ|。官ヲ姓ノ上ニ書コトハ官ヲ賞翫之義也。藤原ノ姓ハ仁王三十九代天智天皇時鎌足大臣始テ賜‖藤原姓ヲ|也。〔謙堂文庫藏六右C〕
とあって、標記語「藤原」の語を収載し、語注記に「藤原の姓は、仁王三十九代天智天皇の時、鎌足大臣始めて藤原の姓を賜はるなり」と記載する。
正月五日 左衛門(サヘモン)ノ尉(ぜウ)藤原(フヂハラ)知貞(トモサダ)。〔上3オ一〕
正月五日 左衛門(さへもん)の尉(せう)藤原(ふちハら)乃知貞(ともさた)/正月五日 左衛門ノ尉藤原知貞。〔4オ一〕
とあって、この標記語「藤原」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
左衛門(さゑもん)の尉(せう)藤原(ふちはら)乃知貞(ともさた)/左衛門ノ尉藤原ノ知貞▲藤原ハ人皇(にんわう)三十九代天智(てんぢ)天皇(てんわう)八年始(はじめ)て内大臣(ないだいじん)鎌足公(かまたりこう)に賜(たま)ハりし所の姓(せい)なり。〔3オ四・3オ七〕
左衛門(さゑもん)の尉(せう)藤原(ふちはら)乃知貞(ともさた)▲藤原ハ人皇(にんわう)三十九代天智(てんぢ)天皇( わう)八年始(はじめ)て内大臣(ない じん)鎌足公(かまたりこう)に賜(たま)ハりし所(ところ)の姓(せい)也。〔5オ一〜5オ五〕
正月(シヤウグワツ) 睦月。陬月。大簇。端春。青陽。肇歳―ハ始也。孟春。早春。王春。開春。新春。初春。親月。發月。履端。三陽。甫年。年頭。〔元亀二年本318一〕
正月 睦月。陬月。太簇。端春。青陽。肇歳―ハ他也。孟春。甲春。王春。開春。新春。改春。初春。親月。發月。履端。三陽。甫季。年頭。〔静嘉堂本374一.二〕
正月五日〔至徳三年本〕
正月五日〔宝徳三年本〕
正月五日〔建部傳内本〕
正月五日〔山田俊雄藏本〕
正月五日〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「正月」と記載する。
正月(シヤウグワツ/―ケツ・ツキ)[○・入]異名。東風解氷礼記月令正月節也。孟陬纂要正月為東陽――。春王春秋――正月。大簇月令孟春之月律中――。端月史記正月為――。斗建寅月令註――月。日在室月令孟春日――。新元。新正。首正。元宵十五日也。立春正月節也。傳柑元宵也。上元十五日也。開基節。孟春。孟陽。三春。上陽。寅月。煕春。灯夜十五日也。觀灯。陬月。元正。上日。椒盤。復端。淑氣。東鳳食麥。剪綵。元旦。正朝。照光。昭光。上月。寒月。煕月。解梅。春陽。猶寒。鴬出谷。雪消水開柳嫩。三元節也。四始。正朔。元會。簇生。青春。〔時節門908六〕
正月 三陽。孟陽。初陽。大簇。上陽。孟春。孟陬。初春。上月。端月。寅月。献春。〔弘治・節異名1七〕
正月奉行人 大宮中納言俊當二位僧都尊長。〔永祿本・後鳥羽院御宇鍛冶結番次第283二〕
正月(シヤウクワツ) 孟春(マウシユン)。開―(カイシユン)。新―(シンシユン)。大簇(タイソウ)。早春(サウシユン)。初ノ―王(シユンワウ)―。青陽(セイヤウ)。〔數量門211二・天理図書館蔵下38ウ二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「正月」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
019正月五日 自‖恐々書|三_行(クタリ)奥書。〔謙堂文庫藏六右C〕
とあって、標記語「正月」の語を収載する。
正月五日 左衛門(サヘモン)ノ尉(ぜウ)藤原(フヂハラ)知貞(トモサダ)。〔上3オ一〕
正月五日/正月五日。〔4オ一〕
とあって、この標記語「正月」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
正月(しやうくハつ)五日(いつか)/正月五日。〔3オ四〕
正月(しやうぐわつ)五日(いつか)。〔5オ一〕
Xo<guachi.シャウグヮチ(正月) 一年の最初の月.→Xo<guat.〔邦訳791r〕
Xo<guat.シャウグヮツ(正月) 一年の最初の月.→Ritan;Xo<guachi.〔邦訳791r〕
しャう-ぐヮつ〔名〕【正月】陰暦にて、年の第一の月。異稱に、睦月(むつ)。十三月。陬月。端月。大簇。書經、舜典篇「正月上日、受終文祖」狂言記、烏帽子折「明日は、正月元日」」〔962-3〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕
少々有レ御誘引思食立給者本望也心事雖多為レ期二レ参會之次一委不レ能腐レ毫〔建部傳内本〕
少々有テ二御誘引一思食立給キ者(ハ)本望也心事雖レ多シト為ニレ期センカ二参會之(ノ)次ヲ一委(クハシク)不(ス)レ能ハ二腐毫ニ一〔山田俊雄藏本〕
少々有テ二御誘引一思シ食シ立チ給ハ者(バ)本望也心事難シレ尽為シテレ期‖参会之次ヲ一委ク不レ能ハ二腐毫一〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「不能」と記載する。
不能(アタワズ/―ノウ)[○・平]。〔態藝門768四〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に標記語「不能」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
017少々有テ‖御誘引|思食立給ハ者本望也。心事雖∨多為ンヤ∨期‖参會之次|委ク不∨能ハ‖腐毫ニ| 腐ハ念_比ニ不ル∨及∨申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕
とあって、標記語「不能」の語を収載する。
委(クワシ)ク不(ズ)レ能(アタ)ハ二腐毫(フガウ)ニ一ト云ハ。チビタルフデ也。又毫(ガウ)ハフデト讀也。様筆ト云ハ。備ヘ立テラル筆ナリ。随筆ト云筆ヲツカヒ入テ快(コヽロヨ)ク成ヲ云也。フデハ天竺ニ毛燕(モウエン)ト云フ畫書(ヱカキ)結(ムス)ビ始タル也。文殊ノ無明指トモ云ヱリ。〔上2ウ六〜八〕
心事(しんじ)多(おほ)しと雖(いへとも)参会(さんくわい)の次(つゐで)を期(ご)せんが爲(ため)委(くハし)く腐毫(ふごう)に能(あたハ)不(ず)/心事雖レ多ト為レ期センカ二参會之次ヲ一委不レ能二腐毫ニ一是は早下の詞(ことは)なり。腐毫とハ切れたる筆を云。不文言に書取難しといえるかことし。〔3ウ五〜七〕
とあって、この標記語「不能」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)有(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)多(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を期(ごせんが)爲(ため)委(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)不(ず)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/尋常ノ射手馳挽達者少々有テ二御誘引一思食立給ヾ者本望也。心事雖レ多シト爲ニレ期二参會之次委ク不レ能ハ二腐毫ニ一恐々謹言。〔2ウ三〕
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(はせひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)有(あつ)て二御誘引(ごいういん)一思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)雖(いへども)レ多(おほし)と爲(ため)レ期(ごせんが)二参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を委(くハしく)不(ず)レ能(あたハ)二腐毫(ふがう)に一恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕
‡Atauazu.アタハズ(不能) →Co<gan;Fugo<;Tocufit;Togo<.〔邦訳36l〕
あたは-ず〔句〕【不能】あたふ(能)の條を見よ。〔45-4〕
あた・ふ・フ・ヘ・ハ・ヒ・ヘ〔自動、四〕【能】〔當ると通ず、敬語に、あたはすと用ゐらる、廣韻「能、任也」玉篇「當、任也」〕己れが力、能(よ)く爲(す)。堪(た)ふる。敢(あ)ふる。でかす。名義抄、一部「不能、アタハズ」字類抄「能、耐、勝、堪、アタフ」~代紀、下21「同寢床(サネドコ)も、阿黨播(アタハ)ぬかもよ」(共寐し得(え)ぬの意、あたはす(婚)の條を併せ見よ)此語、從來、多く、能はずと、打消(うちけし)にのみ用ゐられしに、明治以降、英語のCanの譯語に充てて、辨解し能ふ、遂行し能ふ、など記すこと行はるるに至れり。〔46-1〕
委(クハシク) 。〔元亀二年本198八〕
委(クハシヽ) 。〔静嘉堂本225七〕
委(クワシク) 。〔天正十七年本中42オ五〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕
少々有レ御誘引思食立給者本望也心事雖多為レ期二レ参會之次一委不レ能腐レ毫〔建部傳内本〕
少々有テ二御誘引一思食立給キ者(ハ)本望也心事雖レ多シト為ニレ期センカ二参會之(ノ)次ヲ一委(クハシク)不(ス)レ能ハ二腐毫ニ一〔山田俊雄藏本〕
少々有テ二御誘引一思シ食シ立チ給ハ者(バ)本望也心事難シレ尽為シテレ期‖参会之次ヲ一委ク不レ能ハ二腐毫一〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「委」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「クハシク」と記載する。
委クハシ細曲精(せイ)―古今晰漢篩供俳微已上同。〔黒川本・辞字門中77オ八〕
委クハシ細曲精古今晰漢篩供微俳已上同。〔巻第六・辞字門426一〜三〕
委(クハシヽ/イ・ユタネ)[上]。精(同/せイ・アキラカ)[平]。〔態藝門551二〕
精(クワシ)。○。委(クワシ)。〔弘治・言語進退門160五〕
精(クハシ)。○。委(クハシ)。〔永祿本・言語門132九・133一〕
精(クワシヽ)。○。委(クワシク)。〔尭空本・言語門122一〕
精(クワシ)。○。委(クハシ)。〔両足院本・言語門148四〕
精(クハシ)。粹(同)。委(同)。〔言辞門135四・天理図書館蔵上68オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「委」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
017少々有テ‖御誘引|思食立給ハ者本望也。心事雖∨多為ンヤ∨期‖参會之次|委ク不∨能ハ‖腐毫ニ| 腐ハ念_比ニ不ル∨及∨申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕
とあって、標記語「委」の語を収載する。
委(クワシ)ク不(ズ)レ能(アタ)ハ二腐毫(フガウ)ニ一ト云ハ。チビタルフデ也。又毫(ガウ)ハフデト讀也。様筆ト云ハ。備ヘ立テラル筆ナリ。随筆ト云筆ヲツカヒ入テ快(コヽロヨ)ク成ヲ云也。フデハ天竺ニ毛燕(モウエン)ト云フ畫書(ヱカキ)結(ムス)ビ始タル也。文殊ノ無明指トモ云ヱリ。〔上2ウ六〜八〕
心事(しんじ)多(おほ)しと雖(いへとも)参会(さんくわい)の次(つゐで)を期(ご)せんが爲(ため)委(くハし)く腐毫(ふごう)に能(あたハ)不(ず)/心事雖レ多ト為レ期センカ二参會之次ヲ一委不レ能二腐毫ニ一是は早下の詞(ことは)なり。腐毫とハ切れたる筆を云。不文言に書取難しといえるかことし。〔3ウ五〜七〕
とあって、この標記語「委」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)有(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)多(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を期(ごせんが)爲(ため)委(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)不(ず)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/尋常ノ射手馳挽達者少々有テ二御誘引一思食立給ヾ者本望也。心事雖レ多シト爲ニレ期二参會之次委ク不レ能ハ二腐毫ニ一恐々謹言。〔2ウ三〕
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(はせひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)有(あつ)て二御誘引(ごいういん)一思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)雖(いへども)レ多(おほし)と爲(ため)レ期(ごせんが)二参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を委(くハしく)不(ず)レ能(あたハ)二腐毫(ふがう)に一恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕
少々有テ二御誘引一思食立給ハ者本望也。心事雖∨多為ンヤレ期二参會之次|委ク不レ能ハ二腐毫ニ▲。〔1オ五〜1ウ一、二〕
Cuuaxij.クハシイ(委しい) 細かな(こと),または,詳細な(こと).例,Cuuaxij cotouoba xizzucani mo<so<-zu.(委しい事を静かに申さうず)詳細な事はゆっくりとお話しよう.→Fubi.〔邦訳175l〕
くは・し・シキ・シケレ・シク・シク〔形、二〕【委】〔前條の語の轉〕(一)事、細かなり。つぶさなり。つまびらかなり。精細。委曲。名義抄「委、子細、クハシ」白氏文集、十二、婦人苦「爲君委曲言」「文藝、くはし」調べ、くはし」(二)事の意義を辨へて、明かなり。精。名義抄「精、クハシ」「學にくはし」藝にくはし」〔540-1〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕
少々有レ御誘引思食立給者本望也心事雖多為レ期二レ参會之次一委不レ能腐レ毫〔建部傳内本〕
少々有テ二御誘引一思食立給キ者(ハ)本望也心事雖レ多シト為ニレ期センカ二参會之(ノ)次ヲ一委(クハシク)不(ス)レ能ハ二腐毫ニ一〔山田俊雄藏本〕
少々有テ二御誘引一思シ食シ立チ給ハ者(バ)本望也心事難シレ尽為シテレ期‖参会之次ヲ一委ク不レ能ハ二腐毫一〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「思食」と記載する。
思召(ヲホシメス) 。〔言辭門126五・天理図書館藏上63ウ五〕
このように、上記当代の古辞書においては、易林本『節用集』に、標記語「思召」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本は「思食」の語を収載しているのである。
017少々有テ‖御誘引|思食立給ハ者本望也。心事雖∨多為ンヤ∨期‖参會之次|委ク不∨能ハ‖腐毫ニ| 腐ハ念_比ニ不ル∨及∨申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕
とあって、標記語「思食」の語を収載する。
八ツ的(マト)等ノ曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)經‖営(ケイエイ)ス之ヲ一尋常(ジンジヤウ)ノ射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)ノ達者(タツシヤ)少々有テ二御誘引(ゴユウイン)一思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)ヾ者本望(ホンマウ)也。心事(シンジ)雖(イヘドモ)レ多シト爲(タメ)ニレ期(ゴせンカ)二参會(サンクハイ)之(ノ)次(ツイデ)ヲ一八的云事馬(バ)場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕
少々(せう/\)御誘引(ごゆういん)有(あつ)て思(おぼ)し食(め)し立給(たちたまハ)らは本望(ほんまう)也(なり)/少々有テ二御誘引一思食立給ハ者本望也誘引とハさそひて連來(つれきた)るなり。本望ハ元(もと)より望願(のそミねか)ふ意なり。〔3ウ四〜五〕
とあって、この標記語「思食」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)有(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)多(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を期(ごせんが)爲(ため)委(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)不(ず)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/尋常ノ射手馳挽達者少々有テ二御誘引一思食立給ヾ者本望也。心事雖レ多シト爲ニレ期二参會之次委ク不レ能ハ二腐毫ニ一恐々謹言。〔2ウ三〕
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(はせひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)有(あつ)て二御誘引(ごいういん)一思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)雖(いへども)レ多(おほし)と爲(ため)レ期(ごせんが)二参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を委(くハしく)不(ず)レ能(あたハ)二腐毫(ふがう)に一恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕
†Voboximexi,su,eita.ヲボシシ,ス,イタ(思召し,す,いた) ¶また,納得してそう思う.※この動詞の過去形は“思召シタ”が普通であるが,“思召イタ”も用いられた.それがこの条で示されている.〔邦訳697l〕
おぼし-め・す・ス・セ・サ・シ・セ〔他動、四〕【思召】〔思すと、めすとを見よ〕思ふの敬語。竹取物語「子安貝取らむとおぼしめさば、たばかり申さむ」枕草子、七、六十八段「~も、嬉しとおぼしめすらむかし」〔313-5〕
誘引(ユウイン)サソウ。〔元亀二年本292九〕
誘引(ユウイン) 。〔静嘉堂本340二〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕
少々有レ御誘引思食立給者本望也心事雖多為レ期二レ参會之次一委不レ能腐レ毫〔建部傳内本〕
少々有テ二御誘引一思食立給キ者(ハ)本望也心事雖レ多シト為ニレ期センカ二参會之(ノ)次ヲ一委(クハシク)不(ス)レ能ハ二腐毫ニ一〔山田俊雄藏本〕
少々有テ二御誘引一思シ食シ立チ給ハ者(バ)本望也心事難シレ尽為シテレ期‖参会之次ヲ一委ク不レ能ハ二腐毫一〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「誘引」と記載する。
誘引イウイン/集會分。〔黒川本・畳字門上11オ二〕
誘引 ―諭ユウ。〔巻第一・畳字門68六〕
誘引(ユウイン/ヲシユ・サソウ、ヒク)[上・上]。〔態藝門867六〕
誘引(ユウイン) 。〔弘治・言語進退門227四〕
誘引(サソウ)ユウイン。・誘引(ユウイン) 。〔永祿本・言語門179三・言語門188九〕
誘引(ユウイン) 。〔尭空本・言語門178五〕
誘引(ユウイン) 。〔言辞門194七・天理図書館藏下30オ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「誘引」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
017少々有テ‖御誘引|思食立給ハ者本望也。心事雖∨多為ンヤ∨期‖参會之次|委ク不∨能ハ‖腐毫ニ| 腐ハ念_比ニ不ル∨及∨申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕
とあって、標記語「誘引」の語を収載する。
八ツ的(マト)等ノ曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)經‖営(ケイエイ)ス之ヲ一尋常(ジンジヤウ)ノ射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)ノ達者(タツシヤ)少々有テ二御誘引(ゴユウイン)一思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)ヾ者本望(ホンマウ)也。心事(シンジ)雖(イヘドモ)レ多シト爲(タメ)ニレ期(ゴせンカ)二参會(サンクハイ)之(ノ)次(ツイデ)ヲ一八的云事馬(バ)場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕
少々(せう/\)御誘引(ごゆういん)有(あつ)て思(おぼ)し食(め)し立給(たちたまハ)らは本望(ほんまう)也(なり)/少々有テ‖御誘引|思食立給ハ者本望也誘引とハさそひて連來(つれきた)るなり。本望ハ元(もと)より望願(のそミねか)ふ意なり。〔3ウ四〜五〕
とあって、この標記語「誘引」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)有(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)多(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を期(ごせんが)爲(ため)委(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)不(ず)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/尋常ノ射手馳挽達者少々有テ二御誘引一思食立給ヾ者本望也。心事雖レ多シト爲ニレ期二参會之次委ク不レ能ハ二腐毫ニ一恐々謹言。〔2ウ三〕
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(はせひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)有(あつ)て二御誘引(ごいういん)一思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)雖(いへども)レ多(おほし)と爲(ため)レ期(ごせんが)二参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を委(くハしく)不(ず)レ能(あたハ)二腐毫(ふがう)に一恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕
Yu<in.ユゥイン(誘引) Sasoi fiqu.(誘い引く)ある所へ連れだって行こうと勧めて,人を一緒に連れて行くこと.〔邦訳835l〕
いう-いん〔名〕【誘引】いざなふこと。さそふこと。後漢書、張奠傳「秋、鮮卑、復率二八九千騎一入レ塞、誘二引東羌一、與共盟詛」(鮮卑、東羌、共ニ胡人種ノ稱ナリ)」庭訓往來(元弘)正月五日「尋常射手馳挽達者、少少有二御誘引一、思食立給者本望也」〔126-4〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕
少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕
少々有レ御誘引思食立給者本望也心事雖多為レ期二レ参會之次一委不レ能腐レ毫〔建部傳内本〕
少々有テ二御誘引一思食立給キ者(ハ)本望也心事雖レ多シト為ニレ期センカ二参會之(ノ)次ヲ一委(クハシク)不(ス)レ能ハ二腐毫ニ一〔山田俊雄藏本〕
少々有テ二御誘引一思シ食シ立チ給ハ者(バ)本望也心事難シレ尽為シテレ期‖参会之次ヲ一委ク不レ能ハ二腐毫一〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「少々」と記載する。
少々せウ/\。〔黒川本・重點門下104オ五〕
少々 。〔弘治・重點門449四〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「少々」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
017少々有テ‖御誘引|思食立給ハ者本望也。心事雖∨多為ンヤ∨期‖参會之次|委ク不∨能ハ‖腐毫ニ| 腐ハ念_比ニ不ル∨及∨申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕
とあって、標記語「少々」の語を収載する。
八ツ的(マト)等ノ曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)經‖営(ケイエイ)ス之ヲ一尋常(ジンジヤウ)ノ射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)ノ達者(タツシヤ)少々有テ二御誘引(ゴユウイン)一思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)ヾ者本望(ホンマウ)也。心事(シンジ)雖(イヘドモ)レ多シト爲(タメ)ニレ期(ゴせンカ)二参會(サンクハイ)之(ノ)次(ツイデ)ヲ一八的云事馬(バ)場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕
少々(せう/\)御誘引(ごゆういん)有(あつ)て思(おぼ)し食(め)し立給(たちたまハ)らは本望(ほんまう)也(なり)/少々有テ‖御誘引|思食立給ハ者本望也誘引とハさそひて連來(つれきた)るなり。本望ハ元(もと)より望願(のそミねか)ふ意なり。〔3ウ四〜五〕
とあって、この標記語「少々」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)有(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)多(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を期(ごせんが)爲(ため)委(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)不(ず)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/尋常ノ射手馳挽達者少々有テ二御誘引一思食立給ヾ者本望也。心事雖レ多シト爲ニレ期二参會之次委ク不レ能ハ二腐毫ニ一恐々謹言。〔2ウ三〕
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(はせひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)有(あつ)て二御誘引(ごいういん)一思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)雖(いへども)レ多(おほし)と爲(ため)レ期(ごせんが)二参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を委(くハしく)不(ず)レ能(あたハ)二腐毫(ふがう)に一恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕
Xo>xo>.セウセウ(少々) Sucoxi sucoxi.(少し少し)ほんの少し.例,Xo>xo> coreuo mo<so<zu.(少々これを申さうず)この事についてほんの少しあなたに申し上げよう.¶Xo>xo>na cotode gozaranuni.(少々な事でござらぬ)それはざらにある事でもなく,小さな事でもない.〔邦訳797r〕
せう-せう〔名〕【少少】〔多々の對、おろおろに、少少の字を當てたるを、字音に書き僻めて、セウセウとす。おろおろの條の(一)を見よ」〕少し。僅かばかり。ぽっちり。些少。孔叢子「以二少少之衆一、立二大大之功一」後漢書、度尚傳「所レ亡少少、何足レ介レ意」狭衣物語、二、上5「いかがはせん、せうせう心に入らぬ事なりとも、なみなみの人にもあらばこそは、聞きいれでも過ぐさめ」同、二、下17「少少の人恥しげなる、御手ぞかし」宇治拾遺物語、十一、第三條「陰陽師を學(なら)はん志にて候、云云、せうせう、學(なら)ひ參らせんとて、參りたるなり」榮花物語、五、浦浦別「此殿原のおはするを、世の人の見るさま、せうせうの物見には勝(まさ)りたり」明衡往来「旨酒一樽、景物少少相具、可レ令二推參一侍上候」〔1095-4〕
尋常射手馳挽達者〔至徳三年本〕
尋常射手馳挽達者〔宝徳三年本〕
尋常(ジムジヨ)射手馳挽(ハセヒキ)之達者〔建部傳内本〕
尋常ノ射手馳挽(ハせヒキ)ノ達者〔山田俊雄藏本〕
尋常ノ射手馳挽ノ達者〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「馳挽」と表記し、訓みは建部傳内本・山田俊雄藏本に「はせひき」と記載する。
馳挽(ヒキ) 。〔弘治・言語進退門26五〕
馳参(ハセマイル) ―挽(ハセヒキ)。―向(ムカウ)。〔永祿本・言語門23七〕
馳挽(ハせヒキ) 。〔両足院本・言語門27一〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「馳挽」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
016馳挽達者 馬ト与∨弓可∨懸也。〔謙堂文庫藏五左G〕
とあって、標記語「馳挽」の語を収載し、語注記に「馬と弓と懸くるべきなり」と記載する。
八ツ的(マト)等ノ曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)經‖営(ケイエイ)ス之ヲ一尋常(ジンジヤウ)ノ射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)ノ達者(タツシヤ)少々有テ二御誘引(ゴユウイン)一思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)ヾ者本望(ホンマウ)也。心事(シンジ)雖(イヘドモ)レ多シト爲(タメ)ニレ期(ゴせンカ)二参會(サンクハイ)之(ノ)次(ツイデ)ヲ一八的云事馬(バ)場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)/尋常ノ射手馳挽ノ達者尋常ハよのつねと訓す。並々の者を云。馳挽の達者とハ馬乃上手をいふ。〔3ウ三・四〕
とあって、この標記語「馳挽」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)有(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)多(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を期(ごせんが)爲(ため)委(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)不(ず)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/尋常ノ射手馳挽達者少々有テ二御誘引一思食立給ヾ者本望也。心事雖レ多シト爲ニレ期二参會之次委ク不レ能ハ二腐毫ニ一恐々謹言▲馳挽ノ達者ハ馬挽(むまひき)ハ弓(ゆミ)の心。弓馬(きうば)に達(たつ)したる人をいふ。〔2ウ三、2ウ七〕
尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(はせひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)有(あつ)て二御誘引(ごいういん)一思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)者(ヾ)本望(ほんまう)也(なり)。心事(しんじ)雖(いへども)レ多(おほし)と爲(ため)レ期(ごせんが)二参會(さんくわい)之(の)次(ついで)を委(くハしく)不(ず)レ能(あたハ)二腐毫(ふがう)に一恐々(きよう/\)謹言(きんげん)▲馳挽ノ達者ハ馬挽( ひき)ハ弓の心。弓馬に達(たつ)したる人をいふ。〔4オ一、4オ六〕
はせ-ひき〔名〕【馳挽】武邊の鍛錬のため、馬を馳せて、弓を引くこと。はせゆみ。庭訓往來、正月「尋常射手、馳挽達者」〔1583-1〕
打續(ツヾク) 。〔元亀二年本182一〕
打續(ツヽキ) 。〔静嘉堂本204四〕
打續(ツヽク) 。〔天正十七年本中31ウ一〕
近日打續経営之〔至徳三年本〕
近日打續経営之〔宝徳三年本〕
近日打續経営之〔建部傳内本〕
近日打_續経-‖営ス之ヲ|〔山田俊雄藏本〕
近日打_續経-‖営ス之ヲ|〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「打續」と記載する。
打續(ウチツヾク/テイゾク)[上・入]。〔態藝門477二〕
打續(ウチツヽク) 。〔弘治・言語進退門151八〕
打入(ウチイル) ―續(ツヾク)。―越(コユル)。―渡(ワタス)。―莅(ノゾム)。―寄(ヨスル)。―破(ヤフル)。―漏(モラス)。〔永祿本・言語門122七〕
打入(ウチイル) ―續。―越。―渡。―莅。―寄。―破。―漏。〔尭空本・言語門112四〕
打入(ウチイル) ―續(ツヾク)。―越(コユル)。―渡(ワタス)/―寄( ル)。―破( ル)。―漏(モラス)。〔両足院本・言語門136七〕
打越(ウチコシ) ―寄(ヨス)。―續(ツヽク)。〔言辞門119五・天理図書館蔵上60オ五〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』・弘治二年本・に標記語「打續」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
014近日打_續経-‖営ス之ヲ| 営‖一切之事ヲ|也。〔謙堂文庫藏五左F〕
とあって、標記語「打續」の語を収載する。
八ツ的(マト)等ノ曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)經‖営(ケイエイ)ス之ヲ一尋常(ジンジヤウ)ノ射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)ノ達者(タツシヤ)少々有テ二御誘引(ゴユウイン)一思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)ヾ者本望(ホンマウ)也。心事(シンジ)雖(イヘドモ)レ多シト爲(タメ)ニレ期(ゴせンカ)二参會(サンクハイ)之(ノ)次(ツイデ)ヲ一八的云事馬(バ)場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕
近日(きんじつ)打續(うちつゞき)之(これ)を経営(けいゑい)す/近日打_續経-二営ス之ヲ一経営ハ催すなとゝいふか如し。〔1ウ三〜五〕
とあって、この標記語「打續」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
近日(きんじつ)打續(うちつゞき)之(これ)を経営(けいゑい)す/近日打_續経‖営ス之ヲ|。〔1ウ七〕
近日(きんじつ)打續(うちつゞき)経‖営(けいゑい)す之(これ)を|。〔2ウ一〕
Vchitcuzzuqi,u,ita.ウチツヅキ,ク,イタ(打ち続き,く,いた) 連続する,または,ある人のあとにすぐ他の人が続いて来る.〔邦訳688l〕
うち-つづ・く・ク・ケ・カ・キ・ケ〔自動、四〕【打續】うちはふ(打延)に同じ。〔239-1〕
三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕
三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕
三々九手夾八的(まト)等(ト )之曲節〔建部傳内本〕
三々九ノ手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)等ノ曲節〔山田俊雄藏本〕
三々九ノ手夾八的等ノ曲節〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「曲節」と記載する。
曲節(キヨクせツ/クせ・マガル、フシ)[入・入]。〔態藝門830一〕
曲節(キヨクせツ) 。〔弘治・言語進退門223一〕
曲節(キヨクせツ) ―折。〔永祿本・言語門185七〕
曲節(キヨクせツ) 又―折。〔尭空本・言語門174九〕
曲節(キヨクせツ) ―述(ジユツ)。〔言辞門190六・天理図書館蔵下28オ六〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「曲節」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
013三々九ノ手夾八的等ノ曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ立‖箭臺|残三ヲ以∨手ニ挟ミ三度射也。其則九度手挟也。此内三度目ニ矢ヲ一射残。是ヲ云‖八的|也。或八的ハ英扇紙半揚葉畳_紙(タヽウー)小刀梗概(カウガイ)下_針(サケー)、是八也。是ヲ八所ニ置也。小笠原流ニハ秘スル也。鉋懸八枚ノ四枚充馬場ノ左右ニ立行_皈ニ左右ヲ射也。曲ハ三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕
とあって、標記語「曲節」の語を収載し、語注記に「曲は、三進退なり」と記載する。
八ツ的(マト)等ノ曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)經‖営(ケイエイ)ス之ヲ|尋常(ジンジヤウ)ノ射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)ノ達者(タツシヤ)少々有テ‖御誘引(ゴユウイン)|思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)ヾ者本望(ホンマウ)也。心事(シンジ)雖(イヘドモ)∨多シト爲(タメ)ニ∨期(ゴせンカ)‖参會(サンクハイ)之(ノ)次(ツイデ)ヲ|八的云事馬(バ)場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕
八的(やつまと)等(とう)の曲節(きよくせつ)/八ツ的等ノ曲節八ツ的は右の四半を八枚(まい)馬場の南方に四枚つゝ立て射手馬上にて徃と帰(かへ)りに射るなり。又ある書に八的と云事ハ花扇(はなあふぎ)四半楊枝(やうし)鼻紙(はなかミ)笄(かうかい)下針(さけはり)小刀(こかたな)等の八品を八所に立射るといえり。楊弓より八的まての事圖説に委しけれはこゝに畧してそのあらましを出せり。〔3オ七〜ウ二〕
とあって、この標記語「曲節」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)打(うち)續(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓ノ勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九ノ手夾八的等ノ曲節。近日打_續経-‖営ス之ヲ|。〔1ウ六〕
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)の小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそひ)三々九(さん/゛\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)之(の)曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)打(うち)續(つゝき)經二營(けいえいす)之(これ)を一。〔2オ六〕
Qiocuxet.キョクセッ(曲節) それぞれの季節に適した,おもしろく愉快なこと.たとえば,遊楽など.〔邦訳501r〕
きョく-せつ〔名〕【曲節】音樂のふし。歌謡(うた)の調子。曲調。(曲の條の(三)を見よ)〔502-2〕
八的(ヤツマト) 八所ニ立∨的射之高位ノ態也。〔元亀二年本203九〕
八的 八所ニ立的射之高位ノ態也。〔静嘉堂本230八〕
八的(ヤツマト) 八所立的射之高位之態也。〔天正十七年本中45オ四〕
三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕
三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕
三々九手夾八的(まト)等(ト )之曲節〔建部傳内本〕
三々九ノ手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)等ノ曲節〔山田俊雄藏本〕
三々九ノ手夾八的等ノ曲節〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「八的」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「やつまと」と記載する。
八的(ヤツマト) 。〔弘治・器財門137六〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「八的」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
013三々九ノ手夾八的等ノ曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ立‖箭臺|残三ヲ以∨手ニ挟ミ三度射也。其則九度手挟也。此内三度目ニ矢ヲ一射残。是ヲ云‖八的|也。或八的ハ英扇紙半揚葉畳_紙(タヽウー)小刀梗概(カウガイ)下_針(サケー)、是八也。是ヲ八所ニ置也。小笠原流ニハ秘スル也。鉋懸八枚ノ四枚充馬場ノ左右ニ立行_皈ニ左右ヲ射也。曲ハ三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕
とあって、標記語「八的」の語を収載し、語注記に「此の内三度目に矢を一射残す。是を八的と云ふなり。或は八的は、英扇紙・半揚葉・畳(タヽウ)_紙・小刀・梗概(カウガイ)・下(サケ)_針、是れ八なり。是れを八所に置くなり。小笠原流には、秘するなり。鉋懸八枚の四枚充、馬場の左右に立行_皈に左右を射るなり」と記載する。
八ツ的(マト)等ノ曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)經‖営(ケイエイ)ス之ヲ|尋常(ジンジヤウ)ノ射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)ノ達者(タツシヤ)少々有テ‖御誘引(ゴユウイン)|思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)ヾ者本望(ホンマウ)也。心事(シンジ)雖(イヘドモ)∨多シト爲(タメ)ニ∨期(ゴせンカ)‖参會(サンクハイ)之(ノ)次(ツイデ)ヲ|八的云事馬(バ)場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕
八的(やつまと)等(とう)の曲節(きよくせつ)/八ツ的等ノ曲節八ツ的は右の四半を八枚(まい)馬場の南方に四枚つゝ立て射手馬上にて徃と帰(かへ)りに射るなり。又ある書に八的と云事ハ花扇(はなあふぎ)四半楊枝(やうし)鼻紙(はなかミ)笄(かうかい)下針(さけはり)小刀(こかたな)等の八品を八所に立射るといえり。楊弓より八的まての事圖説に委しけれはこゝに畧してそのあらましを出せり。〔3オ七〜ウ二〕
とあって、この標記語「八的」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)打(うち)續(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓ノ勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九ノ手夾八的等ノ曲節。近日打_續経-‖営ス之ヲ|▲八的ハ四半(しはん)八枚(まい)を馬場(ばゝ)の両方(りやうはう)に四枚(まい)づゝ立(たて)て射手(いて)ハ騎馬(きば)にて徃(ゆき)と還(かへる)とに射(い)る也。或書(あるしよ)に花扇(はなあふぎ)四半楊枝(やうじ)疊紙(たとうがミ)笄(かうがい)さげ針(ばり)小刀等の八品(しな)を八所に立て射(い)るをいふとぞ。但(たゞ)し是即挾物(はさミもの)の事にて挾物といふハ不時(ふじ)に貴人の饗應(きやうおう)に行(おこな)ふことなれハ何品(なにしな)と定(さだ)まれる事ハなく履(くつ)なとを立て射(い)たりし事も古(ふる)き書(ふミ)に見えたるよしなり。〔1ウ六、2ウ一・二〕
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)の小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそひ)三々九(さん/゛\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)之(の)曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)打(うち)續(つゝき)經二營(けいえいす)之(これ)を一▲八的ハ四半八枚を馬場(ばば)の両方に四枚(まい)づゝ立て射手ハ騎馬(きば)にて徃(ゆく)と還(かへる)とに射る也。或書(ある )に花扇四半楊枝(やうし)疊紙(たとう )笄(かうがい)さけ針(ばり)小刀等の八品を八所に立て射るをいふとぞ。但(たゞ)し是即(すなハち)挾物(はさミもの)の事にて挾物といふハ不時(ふじ)に貴人の饗應(きやうおう)に行(おこな)ふことなれバ何品(なに )と定(さだ)まれる事ハなく履(くつ)などを立て射(い)たりし事も古(ふる)き書に見えたるよしなり。〔2オ六、三ウ四〜六〕
やつ-まと〔名〕【八的】射術の語。騎射のとき、花、扇、小刀、楊枝等を的に八所に立つること。又、其的。小右記、寛弘二年五月十四日「出二馬場一、左右近衛騎射、各三人、又、三兵、次令レ馳二厩馬一、次令レ射二八的一」〔4-676-1〕
手夾 。〔元亀二年本165九〕〔静嘉堂本184二〕
手夾 。〔天正十七年本中23オ三〕〔西來節本〕
三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕
三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕
三々九手夾八的(まト)等(ト )之曲節〔建部傳内本〕
三々九ノ手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)等ノ曲節〔山田俊雄藏本〕
三々九ノ手夾八的等ノ曲節〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「手夾」と表記し、訓みとし山田俊雄藏本に「たはさみ」と記載する。
手挟タハサミ。〔黒川本・人事門中4オ六〕
手挟タハサミ。〔巻第四・人事門401一〕
手挟(タハサミ) 馬。〔弘治・言語進退門105四〕
手輿(タゴシ) ―繩(ナワ)。―挿(バサミ)。〔器財91七・天理図書館蔵上46オ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』・弘治二年本『節用集』に標記語「手夾」「手挟」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
013三々九ノ手夾八的等ノ曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ立‖箭臺|残三ヲ以∨手ニ挟ミ三度射也。其則九度手挟也。此内三度目ニ矢ヲ一射残。是ヲ云‖八的|也。或八的ハ英扇紙半揚葉畳_紙(タヽウー)小刀梗概(カウガイ)下_針(サケー)、是八也。是ヲ八所ニ置也。小笠原流ニハ秘スル也。鉋懸八枚ノ四枚充馬場ノ左右ニ立行_皈ニ左右ヲ射也。曲ハ三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕
とあって、標記語「手夾」の語を収載し、語注記に「九手とは、的を庭に出す時、矢二手を持ち出す。一をば箭の臺に立て、残り三を手にもって挟み、三度射るなり。其れ則ち九度手挟むなり」と記載する。
三々九ノ手夾(タバサミ)ト云事。何ノ弓ニモ有ナリ。九度ノ礼儀アルナリ。〔上2ウ二〕
三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)/三々九ノ手夾。是は挾物(はさミもの)を射る法式(はうしき)なり。挾物とハ八寸四方の折敷を四つに切四寸四方にして串にはさみ立て射る。是を四半と云。右の折敷を九つに切壱寸三分余四方にしたるを九半(くはん)と云。下の八ツ的ハ即(すなハち)この挾物なり。〔3オ五〜七〕
とあって、この標記語「手夾」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)打(うち)續(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓ノ勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九ノ手夾八的等ノ曲節。近日打_續経-‖営ス之ヲ|▲三三九手夾ハ射手(いて)的場(まとは)に臨(のそ)むとき矢(や)二手(ふたて)持出(もちいて)て一筋(すち)を箭臺(やたい)に立て残(のこ)る三筋(すち)を手(て)に挾(はさ)ミ三度(ど)射(い)る也。三度に九筋(すぢ)の矢(や)を射るゆへ三々九といふ。但(たゞ)し是(これ)ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事ぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミもの)の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切(き)り串(くし)に挟(はさ)ミて立(たつ)るを四半(しはん)といひ九ツに切(きり)たるを九半(くはん)といふ。即(すなハち)是(これ)也と云り。〔1ウ六・2オ七〜ウ一〕
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)の小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそひ)三々九(さん/゛\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)之(の)曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)打(うち)續(つゝき)經二營(けいえいす)之(これ)を一▲三三九手夾ハ射手的場(まとば)に臨(のぞ)むとき矢(や)二手持出(もち )て一筋を箭臺(やたい)に立て残(のこ)る三筋(すぢ)を手に挾(はさ)ミ三度(と)射る也。三度に九筋の矢(や)を射るゆゑ三々九といふ。但(たゞ)し是ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事とぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミ )の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切(き)り串(くし)に挟(はさ)ミて立るを四半といひ九ツに切たるを九半( はん)といふ。即(すなハち)是(これ)也と云り。〔2オ六〜1ウ一、三ウ一〜四〕
Tabasami.タバサミ(手挾) Ynmiuo iru toqino reini aru coto nari.(弓を射る時の礼にあることなり)弓を射る人が,弓と矢とを手に持って,互いに交わす辞儀,あるいは,会釈.〔邦訳594r〕
たばさ・むム・メ・マ・ミ・メ〔他動、四〕【手挾】手に挾み持つ。又、腋(わき)に、かかへ持つ。萬葉集、一26「丈夫(マスラヲ)の、得物矢手挿美(サツヤタハサミ)、立向ひ、射る的形は、見るにさやけし」同、十六30長歌「梓弓、八ツ多婆佐彌、ひめかぶら、八ツ多波左彌、しし待つと」〔3-261-3〕
三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕
三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕
三々九手夾八的(まト)等(ト )之曲節〔建部傳内本〕
三々九ノ手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)等ノ曲節〔山田俊雄藏本〕
三々九ノ手夾八的等ノ曲節〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「三三九」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「三三九」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
013三々九ノ手夾八的等ノ曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ立‖箭臺|残三ヲ以∨手ニ挟ミ三度射也。其則九度手挟也。此内三度目ニ矢ヲ一射残。是ヲ云‖八的|也。或八的ハ英扇紙半揚葉畳(タヽウ)_紙小刀梗概(カウガイ)下(サケ)_針、是八也。是ヲ八所ニ置也。小笠原流ニハ秘スル也。鉋懸八枚ノ四枚充馬場ノ左右ニ立行_皈ニ左右ヲ射也。曲ハ三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕
とあって、標記語「三三九」の語を収載し、語注記に「九手とは、的を庭に出す時、矢二手を持ち出す。一をば箭の臺に立て、残り三を手にもって挟み、三度射るなり。其れ則ち九度手挟むなり」と記載する。
三々九ノ手夾(タバサミ)ト云事。何ノ弓ニモ有ナリ。九度ノ礼儀アルナリ。〔上2オ三〕
三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)/三々九ノ手夾。是は挾物(はさミもの)を射る法式(はうしき)なり。挾物とハ八寸四方の折敷を四つに切四寸四方にして串にはさみ立て射る。是を四半と云。右の折敷を九つに切壱寸三分余四方にしたるを九半(くはん)と云。下の八ツ的ハ即(すなハち)この挾物なり。〔3オ五〜七〕
とあって、この標記語「三三九」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)打(うち)續(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓ノ勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九ノ手夾八的等ノ曲節。近日打_續経-‖営ス之ヲ|▲三三九手夾ハ射手(いて)的場(まとは)に臨(のそ)むとき矢(や)二手(ふたて)持出(もちいて)て一筋(すち)を箭臺(やたい)に立て残(のこ)る三筋(すち)を手(て)に挾(はさ)ミ三度(ど)射(い)る也。三度に九筋(すぢ)の矢(や)を射るゆへ三々九といふ。但(たゞ)し是(これ)ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事ぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミもの)の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切(き)り串(くし)に挟(はさ)ミて立(たつ)るを四半(しはん)といひ九ツに切(きり)たるを九半(くはん)といふ。即(すなハち)是(これ)也と云り。〔1ウ六・2オ七〜ウ一〕
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)の小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそひ)三々九(さん/゛\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)之(の)曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)打(うち)續(つゝき)經二營(けいえいす)之(これ)を一▲三三九手夾ハ射手的場(まとば)に臨(のぞ)むとき矢(や)二手持出(もち )て一筋を箭臺(やたい)に立て残(のこ)る三筋(すぢ)を手に挾(はさ)ミ三度(と)射る也。三度に九筋の矢(や)を射るゆゑ三々九といふ。但(たゞ)し是ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事とぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミ )の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切(き)り串(くし)に挟(はさ)ミて立るを四半といひ九ツに切たるを九半( はん)といふ。即(すなハち)是(これ)也と云り。〔2オ六〜1ウ一、三ウ一〜四〕
笠懸(カサカケ) 。〔元亀二年本95三〕〔静嘉堂本118四〕〔天正十七年本上58オ七〕〔西來寺本〕
笠懸小串之會草鹿圓物遊〔至徳三年本〕
笠懸小串之會草鹿圓物遊〔宝徳三年本〕
笠懸小串之會草鹿(シヽ)圓(まろ)物遊〔建部傳内本〕
笠懸流鏑(ヤフサメ)小串之(ノ)會草鹿圓物ノ遊〔山田俊雄藏本〕
笠懸小串之會草鹿円物ノ遊ビ〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「笠懸」と記載する。
笠懸(カサカケ)最初ニ懸テレ笠ヲ射ルレ之ヲ。後ニ用二皮的(カワマト)ヲ一也。〔態藝門78七〕
笠懸(カサカケ/リウケン、―・ハルカナリ)[入・平]最初ニハ懸テレ笠ヲ射(イル)レ之ヲ。後ニハ用二皮的一也。〔態藝門290二〕
笠懸(カサカケ) 最初懸笠射之。〔弘治・言語進退門86二〕
笠懸(カサカケ) 最初ニハ懸テレ笠ヲ射ルレ之ヲ。後ニハ用レ皮的也。〔永祿本・言語門83九〕
笠懸(カサカケ) 最初ニハ懸レ笠ヲ射レ之。後ニハ用二皮的一也。〔尭空本・言語門76二〕
笠懸(カサカケ) 最初ニハ懸テレ笠射之。後ニハ用皮的也。〔両足院本・言語門91六〕
笠懸(カサカケ) 最初ニ懸テレ笠ヲ射ルレ之ヲ。後ニハ用二皮的一也。〔言語門83七・天理図書館蔵上42オ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は『下學集』を緒とし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのであるが、注記内容は異にしている。
011笠懸小串會 頼朝ノ御時、上野新田ノ庄ニシテ的ヲ被∨射。々手ノ内笠ヲ被ルニ風ニ吹落|。頼朝面白シ其射ト被∨仰。即彼被∨射∨笠ヲ遊也。自∨是始ル歟。今ハ的ヲ以∨革作也。馬場一通ニ堀∨溝ヲ、馬ヲハ其溝ノ中ヲ令∨走也。如‖流馬(ヤフサメ)ノ|也。又最初ハ懸∨笠ヲ射也。后用‖皮的|也。射手ハ十騎也。小串ト云ハ的ヲ少ク張串ニ差シテ堋ニ差_立也。又的ヲ三ニ張射モ有也。又三ノ生_物ヲ書モ有リ。又的ニ付∨絲ヲ、串ニ結_付上ノ方ニ付タル絲ヲハ上ノ横木ニ差ス。左-右ノ絲ハ堋ニ差也。又大ニ的ヲ張、少ク結‖縁座ヲ|串ニ差シ、的ノ前ニ立也。射手ノ数作‖小串|兩方ニ置。射手ヲ二ニ分二番ニ射也。一番衆的ニ射當タル的時串ヲ一立ツ。當‖縁座|則二串ヲ立也。一番衆二番衆ニモ大將其ノ内ニ有。大將ノ射ルニ的當ルヲモ一矢ヲ二ニ當テ串ヲ二充(ツヽ)立也。縁座ニ當ルニ況ヤ数多也。一番終テ二番衆出射也。其時如‖一番ノ|當レハ即前串ヲ抜棄也。一番ノ数程不∨當。則二番ノ者ノ負也。残ノ串ノ数錢ヲ一番衆取也。又二番衆前矢数串ヲ皆抜棄又串ヲ立也。是二番ノ勝也。一番立所ノ串ノ数ノ錢ヲ出也。兩方將軍ト与‖將軍|負勝ニ出∨錢也。其外ハ者一人充出∨錢也。小串ノ畫ニハ書雁ヲ也。雁ニ當レハ勝ナリ。〔謙堂文庫藏五右@〕
とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記に「頼朝の御時、上野新田の庄にして的を射らる。射手の内笠を被るに風に吹き落ちぬ。頼朝、面白し、其れ射よと仰せらる。即ち彼の被∨∨笠を射させ遊ぶなり。是れより始るか。今は、的を革を以って作るなり。馬場一通に溝を堀り、馬をば其の溝の中を走らせしむなり。流馬(ヤフサメ)のごときなり。また、最初は笠を懸け射るなり。后に皮的を用ゆるなり。射手は十騎なり」と記載する。
笠懸(カサカケ)ノ事馬(バ)場ヲ二町半町ニ拵(コシラヘ)テ御弓也。アヅチヲ九ノ杖ニコシラヘテ。中ニ溝ヲ堀通スナリ。溝ノ上下ニ馬打入ノ大溝ヲホル。其ヲアゼリト云ナリ。足入ノナリハ。三隅(スミ)ニスル也。弓法ノ大事是也。アヅチヲ最(モ)中ニ築テ。的(マト)ヲ懸(カク)ルナリ。可∨秘(ヒス)ナリ。〔上5オ五〜七〕
笠懸(かさかけ)/笠懸。遠笠懸小笠懸乃品あり。又神事の笠懸七夕笠かけなといふあり。源將軍(けんしやうくん)頼朝公(よりともこう)の時より笠を懸て射初(いはじむ)るといへり。馬場(ハは)の間一町前さくり後さくりとて馬場乃中に溝を一尺五寸に堀(ほり)てその内を馬にて馳(はせ)て的(まと)を射る。中古ハ馬場二町半なり。的は馬場の半にかけ置(をく)串的(くしまと)にて串の長サハ六尺土の上四尺的の勢は壱尺八寸、但し的革あり。射人(ゐて)ハ行縢(むかばき)をはき以上十度射るなり。小笠遠の的は四寸四方、串ハ壱尺貳寸にて貳寸ハ纃へ入るなり。〔2ウ一〜四〕
とあって、この標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は真字註から継承して的の内容を補填記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)打(うち)續(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓ノ勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九ノ手夾八的等ノ曲節。近日打_續経-‖営ス之ヲ|▲笠懸ハ馬場(ばゞ)の中(なか)に大溝(おほミぞ)をほり通(とう)し其中(そのなか)を馬(むま)を馳(は)せて射(い)る。的(まと)ハ串的(くしまと)なり。尤(もつとも)遠(とほ)笠懸小(こ)笠懸等の別(べつ)ありて構(かまへ)寸尺とも各(おの/\)異(こと)に習(ならひ)ある事と云々。濫觴(はじまり)ハ頼朝卿(よりともきやう)上野(かふづけ)新田庄(につたのせう)にて的(まと)射(い)せられしとき風(かぜ)に笠(かさ)の吹落(ふきお)ちたるを射(い)させられしより起(おこ)りて後(のち)にハ笠を懸(かけ)て射しゆへ名(な)とすとなり。〔1オ五、六〕
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)の小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)之(の)遊(あそひ)三々九(さん/゛\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)之(の)曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)打(うち)續(つゝき)經二營(けいえいす)之(これ)を一▲笠懸ハ馬場(ばゝ)の中(なか)に大溝(おほミそ)をほり通(とほ)し其中を馬(うま)を馳(は)せて射(い)る。的(まと)ハ串的(くし )なり。尤(もつとも)遠笠(とほかさ)懸小(こ)笠懸等の別(べつ)ありて構(かまへ)寸尺とも各(おの/\)異(こと)に習(ならひ)ある事と云々。濫觴(はしまり)ハ頼朝卿(よりともきやう)上野(かふつけ)新田庄(につたのせう)にて的(まと)射(い)せられしとき風に笠(かさ)の吹落(ふきお)ちたるを射(い)させられしより起(おこ)りて後(のち)にハ笠(かさ)を懸て射(い)しゆへ名(な)とすとなり。〔2オ五・2ウ三〜六〕
Casacaqe.カサカケ(笠懸) 矢で標的を射ること.〔邦訳104r〕
かさ-がけ〔名〕【笠懸】〔元は笠をかけて的としたるより、名とす、豐後守高忠聞書「綾藺笠を懸けて射たるに因りて、笠かけと云ふなり」(俗語考、かさかけ)〕騎射の式。的の遠近に因りて、遠笠懸と、小笠懸(こがさがけ)とに別つ、單に、笠懸と云へば、遠笠懸にて、的との距離十餘閧ネり、的は、板に革を張りて、内に藁を入る、矢は蟇目なり。小笠懸は、方四寸の板的にて、的闍゚く、蟇目も小さし。中右記、寛治六年二月八日、行幸「於二加波多河原一、暫留二御馬一、云云、義綱朝臣武士也、一一騎馬、云云、仰下可レ射二笠懸一之由上」慶長)吾妻鏡、三、壽永三年五月十九日ニ、由比濱に小笠懸あり、同、十八、建仁四年二月十二日、同所にて遠笠懸あり」〔1-613-2〕
雀 。〔元亀二年本165九〕〔静嘉堂本184二〕
雀 。〔天正十七年本中23オ三〕〔西來節本〕
將又楊弓雀小弓勝負〔至徳三年本〕
將又楊弓雀小弓勝負〔宝徳三年本〕
將(ハタ)又楊弓雀小弓勝負〔建部傳内本〕
將又楊弓雀小弓之勝負〔山田俊雄藏本〕
將又楊弓雀小弓ノ勝負〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「雀」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「雀(こあて)」の語は未収載して、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
010將又楊弓・雀小弓ノ勝負楊弓説多シ。唐ノ玄宗ヨリ始ル。雖∨愛スト‖宗三千人ノ后妃ヲ|、楊貴妃一人寵愛也。餘ノ妃妬‖貴妃ヲ|作‖小弓ヲ|射ト‖貴妃ヲ|。云テ爲‖調伏|也。又楊妃春之遊ニ用‖小弓|也。是ヲ人謂テ号ス‖楊弓ト|。此時ノ的ハ云∨堋ト。面四寸ノ桐ノ木ヲ以テ作也。雀ハ禽也。禽ハ鳥ノ惣名也。言ハ此遊ハ禽ヲ立物ニシテ射ト也。題カ三十二様ノ雀(コアテ)ノ弓有。雀ノ字弓法ニ雀(コアテ)ト讀ム也。其時ハ者禽ニ不∨可∨限也。何立∨物シテ而射也云々。〔謙堂文庫藏四左F〕
とあって、標記語「雀」の語を収載し、語注記に「雀は、禽なり。禽は、鳥の惣名なり。言は、此の遊びは、禽を立物にして射るとなり。題が三十二様の雀(コアテ)の弓有り。「雀」の字、弓法に「雀(コアテ)」と讀むなり。其の時は、禽に限るべからずなり。何れを物立てとして而るに射なり云々」と記載する。
將(ハタ)又( タ)楊弓(ヤウキウ)・雀(スヽメ)小弓(コユミ)ノ勝負(せウブ)トハ。公卿ノ御弓也。アヅチヲ九ノ杖ニコシラヘテ。廣縁(ヒロエン)ナドニテ射(イル)也。ユンボコハ。三尺六寸也。雀小弓トハ。殿上人の態(ワザ)也。ユミノホコ二尺七寸ナリ。的(マト)ヲ四寸ニシテ。中ニツリ。五間口チヲイテ射(イ)ルナリ。〔上5オ三〜五〕
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゞめ)小弓(こゆミ)の勝負(しやうぶ)/將又楊弓雀小弓ノ勝負將又ハさて又なとゝいふかことし。石玉雜記(せききよくさつき)に楊弓と雀小弓ハ皆公家(くけ)の翫(もてあそ)ひとする事也。田舎(いなか)にて雀をくゝり同ためしとし貳尺七寸乃弓にて勝負をし賭物(かけもの)の興(けう)をし侍る。是をいふといへり。まち/\の説ありて一决しかたし。〔2オ七〜2ウ一〕
とあって、この標記語「雀」の語を収載し、上記の如く語注記を記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゞめ)小弓(こゆミ)の勝負(せうぶ)/將又楊弓・雀小弓ノ勝負▲楊弓と雀小弓とハ公卿(くぎやう)遊興(ゆうけう)の器(うつわ)なり。〔1ウ四〜七〕
將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゞめ)小弓(こゆミ)ノ勝負(せうぶ)▲楊弓と雀小弓とハ公卿(くきやう)遊興(いうきやう)の器(うつハ)なり。〔1オ五〜1ウ一、二〕
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