2006年03月01日から03月31日迄

 BACK(「ことばの溜め池」表紙へ)

 MAIN MENU

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
2006年03月31日(水)晴れ。伊豆高原→東京
(すなはち)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

(スナハチ)()()()。〔元亀二年本362六〕

(スナハチ)()()()字同。〔静嘉堂本442一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔至徳三年本〕

可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔宝徳三年本〕

可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔建部傳内本〕

(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)不慮之至也〔山田俊雄藏本〕

(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)不慮之至也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「(すなは)ち」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

スナハチ/子力反。子コ反。奴衣反/古文乍廻。便房連/婢面二反。奴宛反。陟薬反。已上同。〔黒川本・辞字門下112七・八〕

スナハチ/今也半也。古乍便已上同。〔卷第十・辞字門522六〜523五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(スナハチソク・ツク)[入](同/ソク・ノトル)[入](同/ナイ)[○](同/ナイ・イマシ)[去]。〔態藝門1134二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(スナハチ)()()()。〔弘治・言語進退門270七〕

(スナハチ)()()()。〔永祿本・言語門232六〕

(スナハチ) 則。迺。乃。〔尭空本・言語門218五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(スナハチ)便()()()(スナハチ)()(ナイ)()。〔言辞門242四・天理図書館蔵下54オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

026拜仕|之処 言拜顔|召仕|之義也。〔謙堂文庫藏七右D〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

堅凍(ケントウ)(ハヤク)(トケ)薄霞(ハツカ)(タチマチ)(ヒラク)(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)に披(ひら)(すなハ)拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重候堅凍早解薄霞忽拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍早薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sunauachi.すなはち(即) 副詞.すぐさま,真に,など.〔邦訳589l〕

とあって、標記語「」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すなは-〔名〕【】〔次條の語の轉〕夫れが、そのまま。取りもなおさず。やがて。すなはち是れなり」〔1473-4〕

すなは-〔名〕【便】〔其程の轉と云ふ、當れり、古今六帖、四「春立たむ、すなはち毎(ごと)に」宇津保物語、藏開、上55「生れ給ひし、すなはちより」など、見るべし、爲之後(すののち)の轉、直路(すなほぢ)の轉、など云ふは、いかが、又、墨繩路(すみなはぢ)の略か〕。(一){其時に。そこで。さうして。名義抄「仍、スナハチ」便、スナハチ」即、スナハチ」則、スナハチ」古事記、上3「如此云期、乃汝者自右廻、云云」同、同29「八俣遠呂智、信言來(キツ)、乃毎船垂入己頭古今著聞集、十六、興言利口「やをら叩きければ、すなはち、明けて、誰そと問へば」(二){やがて。直(すく)に。即座に。即時に。萬葉集、八30「霍公鳥、鳴きし登時(すなはち)、君が家に、徃けと追ひしは、至りけむかも」竹取物語、「綱を引き過して、綱、絶ゆる、すなはちに、八島の鼎の上に、仰(のけ)さまに落ちたまへり」宇津保物語、藏開、下44「片時、外に止(とま)る事なく、稀に、内に參りては、すなはち、急ぎ罷出(まかで)つつ」同、俊蔭2「帝(みかど)、驚かせたまひて、すなはち、式部丞になされぬ」同、同27「生れ落つる、すなはち、女、己が布の懷に抱きて」同、吹上、上16「雪、云云、降る、すなはち、消えぬ」同、藏開、上56鶴子「生れたまひしすなはちより、御懷、放ち奉りたまはず」源氏物語、四十八、寄生41「許せたまへりし喜びに、すなはちも參らまほしく侍りしを」(三)其の如くなるときは。然るときは。(漢籍讀に)「思へばすなはち得」〔1056-1〕

とあって、標記語「すなは-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「すなは-】〔名〕@(多く連体修飾語を受けて)ある動作の終わったその時。途端。A過去のある時をさす。その時。当時。[二]〔接続〕@前の事柄を受け、その結果として後の事柄が起こることを示す。文中にあっては、「…ば、すなわち」と条件句を受ける形で用いられることもある。そこで。そうなると。それゆえ。A前の事柄を受け、後の事柄を言い出す時に軽く添える。さて。ここに。そして。B前の事柄に対し、後の事柄で説明や言い換えをすることを示す。つまり、いいかえると。ということは。[三]〔副〕@即座に。すぐに。Aその所、または、その時にちょうどあたって。まさに」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍可被仰付日々御所作於件禪尼之旨、御臺所、令申之給、被遣目録尼申領状〈云云〉《訓み下し》仍テ日日ノ御所作ヲ件ノ禅尼ニ仰セ付ケラルベキノ旨、御台所、之ヲ申サシメ給ヒ、即チ目録ヲ遣ハサル。尼領状ヲ申スト〈云云〉。《『吾妻鑑』治承四年八月十八日の条》
 
 
2006年03月30日(水)晴れ。伊豆高原→東京
(ひらく)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

(ヒラク)()()()()()。〔元亀二年本346九〕

(ヒラク)()()()()()。〔静嘉堂本417三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

堅凍早脱薄霞忽〔至徳三年本〕

堅凍早脱薄霞忽〔宝徳三年本〕

堅凍早解薄霞忽〔建部傳内本〕

堅凍早薄霞忽〔山田俊雄藏本〕

堅凍早脱薄霞忽タリ〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(ひら)く」、経覺筆本に「(ひら)き」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ヒラク/苦哀反。敷羈反。(以下略)。〔黒川本・辞字門下92オ一〕

ヒラク/開―。(以下略)。〔卷第十・辞字門上354二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ヒラクカイ)[平]()[入](ハツ)[入]()[○](タク)[入](ケイ)[○]手足。〔態藝門1063三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(ヒラク)足。―手。()門。―戸。―口。―地。―寺。()()()。〔弘治・言語進退門255五〕

(ヒラク)()()()()手足。〔永祿本・言語門219五〕

(ヒラク)()()()()手足―。〔尭空本・言語門204六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(ヒラク)()()()() 。〔言辞門228三・天理図書館蔵下47オ三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

025堅凍早解薄霞(ハクガ) 月令曰、春來東風解氷爲|也。河圖曰、崑崙山五水|。赤水之氣上シテ而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

堅凍(ケントウ)(ハヤク)(トケ)薄霞(ハツカ)(タチマチ)(ヒラク)(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重候堅凍早解薄霞忽拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍早薄霞忽拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひら・ク・ケ・カ・キ・ケ〔他動、四〕【】(一){閉ぢ、又は、結びたるを放つ。被ひを去る。明くる。萬葉集、九19長歌「此の筥を、(ひらき)て見てば、もとのごと、家はあらむと」用明紀、元年五月「余觀、拒不入、自呼(ヒラケト)門、七廻不應、願欲之」「戸を開く」「封を開く」(二){障りを去る。解く。排。應~紀、十六年八月「撃新羅其道路平治物語、二、官軍除目事「能く能く聞こし召し開かるべし」「疑をひらく(三)始む。興す。創。「宗旨を開く」「店を開く(四){掘り起す。開發す。拓。~武紀、六「是時大伴氏遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈(ヒラキ)(ミチ)、乃尋鳥所レ一向」「山を開く」「路を開く」「田地を開く(五)退く。退出す。參考保元物語、中、新院左府御没落事「急ぎ何方へも御ひらき候べし」太平記、廿九、二宮方京攻事「京都を無事故開き候て、將軍の御勢と一つになり、則京都へ寄せられ候はば、云云」(六)船を漕ぎ出す。臨時祭式、「唐舶居祭」(七)數學にて、乘根を求む。〔1709-2〕

とあって、標記語「ひら】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ひら】〔他カ五〕[一]閉じふさがったものを押し広げる。まとまっているものをほぐして広げる。@あけひろげる。解放する。イ開き戸、門などをあける。ロ瞼(まぶた)、口、手、足などを広げる。ハ閉ざされた場所、建物などを人がはいれる状態にする。「廣く門戸を開く」「開かれた世界」ニ(「心を開く「胸襟を開く」などの形で」)自分の殻を解き放って、隠すところなくする。A(「披」「展」とも)イたたんであるもの、くっついていているものなどを広げる。ロ文書・書籍などを見るために広げる。ハ魚の腹または背から刃を入れて切って広げる。B横風帆走に適するように、帆を片寄せてのばし広げることをいう。船方ことば。C「割る」「砕く」などの意で用いる忌み詞。→鏡開き。D酒杯をからにする。飲みほす。E数学で、開平・開立をする。累乗根を求める。一般に、n乗根を求めることをn乗に開くといい、平方根を求めることを平方に開く、立方根を求めることを立法に開くという。F(「括弧を開く」の形で)数学で、括弧のつかない方程式に変える。G印刷物の校正などで、漢字を平仮名に改める。平仮名にする。[二]物事を新たに奏す。創設する。また、物事を良い方に展開させる。@(「拓」とも)未開拓の場所・土地などに手を加えて整える。A新しい流儀・学説などをたてる。「一派を開く」B事柄を開始する。イ事業、商売、会合などを始める。起こす。ロもよおす。開催する。ハ托鉢を始める→鉢開き。ニ器物などを初めて使う。C繁栄・幸福・幸運などを求めて、その状態になるようにする。D(木版印刷で)開板する。出版する。[三](「啓」とも)事柄を明らかにする。解き明かす。@疑念などを晴らす。弁明する。A無知蒙昧(もうまい)を教えただす。「蒙を開く」B真理・道理などを明らかにする。また、その奥義や悟りの域に到達する。C反駁(はんばく)する。弁駁(べんばく)する。[A]《省略》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
因茲最前招彼主、令令旨給《訓み下し》茲ニ因テ最前ニ彼ノ主ヲ招キ、令旨ヲ(ヒラ)シメ給フ。《『吾妻鑑』治承四年四月二十七日の条》
 
 
2006年03月29日(火)晴れ。東京→伊豆高原
(たちまち)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

(タチマチ)()。〔元亀二年本148七〕〔静嘉堂本160六〕〔天正十七年本中12ウ四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

堅凍早脱薄霞〔至徳三年本〕

堅凍早脱薄霞〔宝徳三年本〕

堅凍早解薄霞〔建部傳内本〕

堅凍早薄霞〔山田俊雄藏本〕

堅凍早脱薄霞キタリ〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と表記し、訓みは経覺筆本に「(たちま)ち」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

タチマチ急乍許絹(火炎欠)惚逸已上同。〔黒川本・辞字門中8ウ七・八〕

タチマチ乍急(火炎欠)惚逸已上同。〔巻第四・辞字門436五〕

とあって、標記語「」の語を筆頭に収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(タチマチ/シユク)[入](同/コツ)[入](同/ヱツ)[去](同/サク・ナガラ)[入]。〔態藝門371五・六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(タチマチ)()。〔弘治・言語進退門106四〕

(タチマチ)。〔永祿本・言語門96五〕〔尭空本・言語門87九〕〔両足院本・言語門106七〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(タチマチ)()。〔言辞門97一・天理図書館蔵上49オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

025堅凍早解薄霞(ハクガ) 月令曰、春來東風解氷爲|也。河圖曰、崑崙山五水|。赤水之氣上シテ而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

堅凍(ケントウ)(ハヤク)(トケ)薄霞(ハツカ)(タチマチ)(ヒラク)(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重候堅凍早解薄霞披即拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍早薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tachimachi.たちまち(忽) 副詞.または,Socujini.(即時に)すぐに,あるいは,即刻,疑いなしに.※原文にはl,とあるが,i.(すなわち)の誤りか.→Cutcugayexi,su;Magure,uru;Sucumi,u.〔邦訳598r〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たち-まち-〔副〕【】〔立待の義かと云ふ、或は云ふ、立闢ケ(たちまち)にて立所の意と〕俄に。急に。すぐに。即ち。早速。相模集「いさよひも、たちまちにやは、出づるまで、寐待の月を、臥して見るかな」安康即位前紀(タチマチ)忿起、則朝見者夕被殺、夕見者朝被殺」源氏物語、三十四、上、若紫、上15「めやすき事になる折は、かくてしもあしからざりけりと見ゆれど、猶たちまちにふとききつけたる程は、親に知らせず」狭衣物語、一、上35「忽にこそいはれざらめ、さの給はせてんを知らず顔ならんは、ひがひがしかるべき」〔1220-4〕

とあって、標記語「たち-まち-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たち-まち乍・】〔副〕(古くは多く「に」を伴って用いる)@動作がきわめて短い時間に行なわれるさまを示す。またたく間に。すぐ。Aある動作や状態が、予期しないで突然起こるさまを示す。にわかに。急に。ふと。B現実の様子をさし示す。実際に。現に。まさに」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
因之如、有帝王三寳神明之冥感、何無四岳合力之志、《訓み下し》之ニ因テ如シ、帝王三宝神明ノ冥感有ラバ、何ゾ忽チ四岳合力ノ志無カラン。《『吾妻鑑』治承四年四月二十七日の条》
たちまち、如何。也。乍也。《『名語記』九の条》
 
 
2006年03月28日(月)晴れ。東京→伊豆高原
薄霞(ハクカ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、「薄紙(ハクシ)。薄福(ハクフク)。薄氷(ヘウ)。薄畫()。薄衣(ハクエ)。薄濃(タミ)」の六語を収載するが、標記語「薄霞」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕

堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕

堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕

堅凍早薄霞〔山田俊雄藏本〕

堅凍早薄霞キタリ〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「薄霞」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「薄霞」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「薄霞」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「薄霞」の語は未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

025堅凍早解薄霞(ハクガ) 月令曰、春來東風解氷爲|也。河圖曰、崑崙山五水|。赤水之氣上シテ而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕

とあって、標記語「薄霞」の語を収載し、語注記に「『河圖』に曰く、崑崙山に五水有り。赤水の氣上り烹して霞と爲る。而して薄赤なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

堅凍(ケントウ)(ハヤク)(トケ)薄霞(ハツカ)(タチマチ)(ヒラク)(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕

とあって、標記語「薄霞」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重候堅凍早解薄霞披即拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「薄霞」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)く脱(と)薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍早薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「薄霞」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「薄霞」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「はく-薄霞】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はッ-薄霞】〔名〕うっすらとしたもや。うすがすみ。庭訓往來(1394-1428頃)「堅凍早解、薄霞忽披」雲笈七籤-八「皇初紫元之天、常有暉之光、鬱鬱如薄霞焉。乃九日之所出有一日之照耳」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]※「うすがすみ【薄霞】と訓む資料は、多く見受けられるが、字音「ハクカ」「ハッカ」と訓む例はさほど多くない、その一例がこの『庭訓往來』によるものである」
 
 
2006年03月27日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
(とけ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

(トク)。〔元亀二年本62二〕 (トクル)()()。〔元亀二年本62二〕

(トク) 。〔静嘉堂本71四〕  (トクル)()。〔静嘉堂本71七〕

(トク)。〔天正十七年本上36オ六〕 解(トクル)()。〔天正十七年本上36ウ四・五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載する。そして、標記語「」の語は見えない。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

堅凍早薄霞忽披〔至徳三年本〕

堅凍早薄霞忽披〔宝徳三年本〕

堅凍早薄霞忽開〔建部傳内本〕

堅凍早薄霞忽〔山田俊雄藏本〕

堅凍早薄霞忽キタリ〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と表記し、建部傳内本だけが「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(トク/カイ)[上](同/スウ)[平]。〔態藝門151二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、標記語「」「」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

(トク)()()。〔言辞門46七・天理図書館蔵上23ウ七〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

025堅凍早薄霞(ハクガ) 月令曰、春來東風解氷爲|河圖曰、崑崙山五水|。赤水之氣上シテ而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記には「『月令』に曰く、春來東風に氷り解くる。陽と用いるべき爲なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

堅凍(ケントウ)(ハヤク)(トケ)薄霞(ハツカ)(タチマチ)(ヒラク)(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重候堅凍早薄霞忽披即拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)(と)薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍早薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Toqe,ru,eta.トケ,クル,ケタ(解・溶け,くる,けた」)結んであるのが解け,ほどける.¶また、溶解する.例,Ro>ga toquru.(蝋が溶くる)蝋が溶ける.¶Cocoro toqete monouo yu<.(心解けて物を言ふ)恥ずかしがることなく,あるいは,非常に打ち解けて語る.〔邦訳662l〕

とあって、標記語「」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

・クル・クレ・ケ・ケ・ケヨ〔自動、下二〕【】〔解くる義〕(一)水に雜りて、ゆるくなる。後撰集、八、冬「白雪の、ふりはへてこそ、とはざらめ、とくるたよりを、過さざらなん」拾遺集、四、冬「ふしつけし、淀の渡りを、けさ見れば、とけむ期もなく、氷しにけり」同、同「霜の上に、ふる初雪の、朝氷、とけずも物を、思ふころかな」「氷溶く」雪溶く」(二)(とろ)く。夫木抄、八「まがねだに、とくと云ふなる、五月雨に、何の岩木の、なれる君ぞも」同、廿二「五月雨に、とくるまがねを、みがきつつ、てる日に見ゆる、ます鏡かな」〔1395-4〕

とあって、標記語「】」の語で「氷解」の意を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ける】〔自カ下一〕(「解ける」の意から)@液体に他の物質が混じって散乱し、平均した濃度になる。溶解する。液体状に変化する。A熱などが加わって、固体が液状になる。融解する。とろける。柔らかくなる。B比喩的に、まわりや背景にあるものによって、それと見分けがつかないようになる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
二品怪之、爲疑氷、被尋濫觴之處、前廷尉康頼入道、守于國之時、令寄附於水田三十町以降、建立一伽藍、奉祈三菩提〈云云〉《訓み下し》二品之ヲ怪シミ、疑氷ヲ()ン為ニ、濫觴ヲ尋ネラルルノ処ニ、前ノ廷尉康頼入道、国ニ守タルノ時、水田三十町ヲ寄附セシメンヨリ以降()、一ノ伽藍ヲ建立シ、三菩提ヲ祈リ奉ルト〈云云〉。《『吾妻鑑』建久元年十月二十五日の条》
 
 
2006年03月26日(日)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
(はやく)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

(ハヤシ)(マタキ)()。〔元亀二年本35十〕

(ハヤシ)()()。〔静嘉堂本38四〕〔天正十七年本上19ウ八〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

堅凍脱薄霞忽披〔至徳三年本〕

堅凍脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕

堅凍解薄霞忽開〔建部傳内本〕

堅凍薄霞忽〔山田俊雄藏本〕

堅凍脱薄霞忽キタリ〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ハヤク/ハヤシ迅風速夙已上同。〔黒川本・辞字門上24オ五・六〕

迅風。〔巻第一・辞字門200一〜三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ハヤシ/サウ・ツト)[上](○/シク・ツト)[入](○/ヤマイ・トシ)[上](○/シン)[去]。〔態藝門84五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(ハヤシ)()()/馳()夙。〔弘治・言語進退門23一〕

(ハヤク) 迅風馳/夙。〔永祿本・言語門24七〕

迅風/馳夙。〔尭空本・言語門21八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

駿(ハヤシ) 馬。() 。〔言辞門24二・天理図書館蔵上12ウ二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

025堅凍薄霞(ハクガ) 月令曰、春來東風解氷爲|也。河圖曰、崑崙山五水|。赤水之氣上シテ而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

堅凍(ケントウ)(ハヤク)(トケ)薄霞(ハツカ)(タチマチ)(ヒラク)(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重候堅凍解薄霞忽披即拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)(と)け薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fayai.ハヤ(早) 速やかな,または,軽やかな(こと).Fayasa.(早さ) Fayo<.(早う)→Chicuten;Co>bai(勾配);Cuchibayai;Qibayai;Tebayai.〔邦訳216r〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はや・キ・ケレ・ク・ク〔形、一〕【】(一)すみやかなり。疾し。速。捷。萬葉集、十七4023「婦負(めひ)川の波夜伎瀬ごとに篝(かがり)さし八十伴男(やそとものを)は鵜川立()ちけり<大伴家持>」古今集、六、冬「昨日と云ひ、今日とくらして、飛鳥川、流れて、月日なりけり」(二)するどし。敏し。敏。(三)先(さき)なり。初なり。夙。(四)いまだ、その時期にあらず。時刻未だ到らず。〔1630-5〕

とあって、標記語「はや】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はや】〔形〕[一]速度で大である。すみやかである。また、敏速で激しい。⇔おそい。@動作や作用に時間がかからない。行動や変化の実現に要する時間が短い。迅速である。A動く速度が大である。スピードが大である。B人の行為、頭や心の働きが鋭くすぐれている。敏捷である。鋭敏である。すばしこい。さとい。C勢いが激しい。また、心の状態などが、はやって、激しい。D(香について)激しい。きつい。鋭い。[二]時間的に先である。時間が少ししか経過していない。時機がまだ来ていない。⇔おそい。Aその時期に達していない。適当な時間までにまだ間がある。B(「…するがはやいか」「…するよりはやく」の形で)物事が時間をおかないで続くさまを表わす。…するやいなや」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
追討清盛法師并從類叛逆輩事《訓み下し》早ク清盛法師并ニ従類叛逆ノ輩ヲ追討ス応キ事。《『吾妻鑑』治承四年四月二十七日の条》
 
 
2006年03月25日(土)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
堅凍(ケントフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、「堅固()。堅約(ヤク)」の二語を収載し、標記語「堅凍」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

堅凍早脱薄霞忽披〔至徳三年本〕

堅凍早脱薄霞忽披〔宝徳三年本〕

堅凍早解薄霞忽開〔建部傳内本〕

堅凍薄霞忽〔山田俊雄藏本〕

堅凍脱薄霞忽キタリ〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「堅凍」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「堅凍」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「堅凍」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「堅凍」の語は未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

025堅凍早解薄霞(ハクガ) 月令曰、春來東風解氷爲|也。河圖曰、崑崙山五水|。赤水之氣上シテ而薄赤也云々。〔謙堂文庫藏七右C〕

とあって、標記語「堅凍」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

堅凍(ケントウ)(ハヤク)(トケ)薄霞(ハツカ)(タチマチ)(ヒラク)(ベキ)(ウナガス)拜仕(ハイジ)之處自他(ジタ)故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕

とあって、標記語「堅凍」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重堅凍早解薄霞忽披即拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「堅凍」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)堅凍(けんとう)(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「堅凍」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「堅凍」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「けん-とう堅凍】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けん-とう堅凍】〔名〕堅く凍ること。また、その氷。堅氷。庭訓往來(1394-1428頃)「堅凍早脱、薄霞忽披」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
王祥歎(タヽケハ) 堅凍(ヲドル) 《『童子教』の条》
 
 
珍重(チンテフ)」は、ことばの溜池(2003.07.31)を参照。
 
2006年03月24日(金)曇り後晴れ。東京→世田谷(駒沢)
(ことに)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

(コトニ)()。〔元亀二年本242一〕〔静嘉堂本279二〕

× 。〔天正十七年本中〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴珎重〔至徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴珍重候〔宝徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴珎重候〔建部傳内本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽遊宴珎重〔山田俊雄藏本〕

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴珍重〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

コトニ/徒得反/コトナリ羊吏反竒別皮列反(由+及)秀与已上同。〔黒川本・辞字門下7ウ二〕

コトナリ/異也・死也竒別〓(由+及)抗特獨也廢秀与已上同。〔巻第七・辞字門147四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(コトニシユ)[平](同/トク)[入]。〔態藝門696三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(コトニ)() 。〔弘治・言語進退門188八〕

(コトニ) 。〔永祿本・言語門156七〕〔尭空本・言語門146二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(コトニ) 。〔言辞門161三・天理図書館蔵下13ウ三〕

とあって、標記語「特」の語を収載するのみである。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊遊宴珍重 青東色也。言陽気自東發之間云青陽也。珎翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)青陽遊遊宴珍重トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)珎重候堅凍早解薄霞忽披即拜仕之處自他故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)(こと)珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍早薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也。〔3ウ三〜六〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(ことに)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cotoni.コトニ(殊) 副詞.その上さらに.〔邦訳153r〕

とあって、標記語「」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『言海』には、

こと-〔副〕【】〔異にの義、こと(異)の條を見よ〕ことのほかに。とりわけて。別して。ずっと。ずんど。古今集、四、秋、上「山里は、秋こそことに、わびしけれ、鹿の鳴く音に、目をさましつつ」道濟集、「ほととぎす、待つ聲聞けば、山里に、常よりことに、人ぞ待たるる」名義抄、コトニ」〔702-4〕

とあって、標記語「こと-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こと-】〔副〕(形容動詞「ことなり(異)」の連用形から)@他のものとは違った有様で。常のあり方とは違って。…とは異なって。とりわけ。→こと(異)。A一つの事柄を、特にとり立てて。特に。格別に。B一つの事柄が、他の似た性質の事柄の上に、もう一つ加わって。加えて。その上。しかも」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
橡解濯衣之恠欲服此暮可聞(つるはみのときあらひきぬのあやしくもことにきほしきこのゆふへかも)《『万葉集』巻七の1314》
 
 
2006年03月23日(木)曇り後晴れ。東京→世田谷(駒沢)
遊宴(イウエン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「由」部に、

遊宴(エン) 。〔元亀二年本292二〕

遊宴 。〔静嘉堂本389一〕

とあって、標記語「遊宴」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽遊宴珎重〔山田俊雄藏本〕

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴珍重〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「遊宴」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

遊宴イウエン 。〔黒川本・畳字門上10ウ四〕

遊遨イウカウ。〃ケウ/選云越秀也。〃蕩タヒタチ/アルク。〃覧。〃觀。〃放。〃樂アルク/タノシ。〃女。〃。〃士。〔巻第一・畳字門67五〕

とあって、三卷本に標記語「遊宴」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「遊宴」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

遊宴(ユヱンユウ・アソブ、サカモリ)[平・上]。〔態藝門863一〕

とあって、標記語「遊宴」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

遊宴(ユエン) 。〔弘治・言語進退門227三〕

遊會(ユウクハイ) ―山(ユサン)。―(エン)。―覧(ラン)。―(エン)又作燕。〔永祿本・言語門188七〕

遊會(ユウクハイ) ―山。―宴。―又作燕。―覧。〔尭空本・言語門178三〕

とあって、弘治二年本に標記語「遊宴」の語を収載する。また、他二本は、標記語「遊會」の熟語群に記載し、最後の「―(エン)又作燕」の語注記は、『下學集』の語注記を継承している。易林本節用集』に、

遊覺(ユウカク) ――徃來(ワウライ)。―(エン)。―興(ケウ)。―會(クワイ)。―舞()。―山(セン)翫水(グワンスイ)。―行(キヤウ)。―戲()。―覧(ラン)。〔言辞門194四・天理図書館蔵下30オ四〕

とあって、標記語「遊宴」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「遊宴」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴珍重 青東色也。言陽気自東發之間云青陽也。珎翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕

とあって、標記語「遊宴」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

遊宴(ユウエン)(コト)珍重(チンチウ)トハ遊ビ戯ルヽ事ナリ。〔上3オ七〕

とあって、標記語「遊宴」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

青陽(せいよう)遊宴(ゆうゑん)青陽遊宴青陽とハ正月の異名なり。春(はる)(なつ)(あき)(ふゆ)の四季(しき)五行(ごぎやう)五色(ごしき)に配(はい)すれハ春(はる)ハ木にして色青(いろあを)く夏ハ火にして色赤く秋ハ金にして色白く冬ハ水にして色黒く土用は土にして色黄なり。陰陽を以ていへは春夏ハ陽秋冬ハ陰なり。正月ハ陽のはじめにして其色ハ青きを以て青陽といふなり。遊宴とは前の書状ののせたる楊弓雀小弓などのあそひをさしていえり。〔4オ八〜4ウ三〕

とあって、この標記語「遊宴」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいよう)遊宴(ゆうゑん)(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)(の)(いた)り也(なり)御芳札披見之處青陽遊宴珍重堅凍早薄霞忽披拜仕之處自他故障不慮之至也▲遊宴遊(ゆう)ハあそひ宴(ゑん)ハ酒(さか)もりの義()。但(たゞ)し此所(こゝ)にてハ先方(さきかた)にいへる楊弓雀(やうきうすゞめ)小弓(こゆミ)以下(いげ)の事を含(ふく)めり。〔3ウ三〜六・三ウ八〕

御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)(の)(ところ)青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重(ちんちよう)(さふらふ)堅凍(けんとう)(はや)(とけ)薄霞(はくか)(たちまち)(ひらく)(すなハち)(べき)(うながす)拜仕(はいし)(の)(ところ)自他(じた)故障(こしやう)不慮(ふりよ)(の)(いたり)(なり)▲遊宴遊(ゆう)ハあそび宴(えん)ハ酒(さか)もりの義()。但(たゝ)し此所(こゝ)にてハ先方にいへる楊弓雀(やうきうすゝめ)小弓(こゆミ)以下(い )の事を含(ふく)めり。〔5ウ三〜6オ一・6オ四〕

とあって、標記語「遊宴」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yu<yen.ユゥエン(遊宴) Asobi sacamori.(遊び宴)酒宴を伴った遊び.→Yenyu<.〔邦訳838r〕

とあって、標記語「遊宴」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「いう-えん遊宴】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ゆう-えん遊宴】〔名〕酒盛りをして遊び楽しむこと。酒宴。宴会。万葉集(8C後)一八・四〇六二・左注「右件歌者御船以綱手泝遊宴之日作也」*蔭凉軒日録-寛正五年(1464)四月二八日「遊宴至深更也。旧例之義也」*地藏菩薩霊験記(16C後)一三・一「遊宴(ユウエン)の輩も疎く観会の族(やから)も門を過ぎけり」*仮名草子・四人比丘尼(1708)上「明けくれ遊宴にのみ日ををくり」*陳鴻−長恨歌伝「深居遊宴、以声色自娯」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今妨御前遊宴、太無所據之由、再往加制止《訓み下し》今御前ノ遊宴(ユウエン)ヲ妨グルコト、太タ拠ル所無キノ由、再往制止ヲ加フ。《『吾妻鑑治承五年六月十九日の条》
 
 
青陽(セイヤウ)」ことばの溜池(2000.10.06)を参照。
《補遺》※古版庭訓徃来註』では、「青陽(せイヤウ)ト云事正月ノ異()名ナリ。春ハ東ヨリ來ル物也。東ハ色青(イロアヲ)シ。陽ノ方也。爰ヲ以テ。青陽トツヾケタルナリ」〔上5オ六〕と注記する。
江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、「▲青陽ハ初春(はつはる)の異名(いミやう)とす。四季(しき)おの/\旺方(わうはう)あり。まづ春(はる)ハ東(ひがし)に旺(わう)ず。東ハ木()にして色青(いろあを)く陽(やう)に属(そく)すゆへに尓(しか)いふ。夏(なつ)ハ南、火に旺(わう)し、色赤(いろあか)く、陽(やう)に属(そく)す。秋(あき)ハ西、金に旺(わう)し、色白(いろしろ)く、冬(ふゆ)ハ北(きた)、水(ミづ)に旺(わう)し、色黒(いろくろ)く、共(とも)に陰(いん)に属(そく)す」〔3ウ六〜八〕と注記する。
披見(ヒケン)」ことばの溜池(2004.07.06)→九月十五日状549を参照。
芳札(ハウサツ)」ことばの溜池(2004.07.05)を参照。
《補遺》※江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、「▲芳札ハかんばしき札(ふだ)といふ。意先方(ゐさきかた)の書状(しよじやう)をいふ」〔3ウ六〕と注記する。
 
2006年03月22日(月)晴れ後雨。東京→有楽町→世田谷(駒沢)
千萬(センバン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、標記語「千萬」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽遊宴殊珎重〔山田俊雄藏本〕

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊珍重〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「千萬」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「千萬」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「千萬」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

嗟呼(アア)一人(イチジン)()(コヽロハ)千万人(せンバンジン)()(コヽロ)(ナリ)阿房宮賦。〔態藝門764二〕

とあって、標記語「千万人」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』には、標記語「千萬」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

千萬(せンバン)マン ―字文(ジモン)本也。―差万別(シヤバンベツ)/―秋樂(シウラク)。―變萬化(ヘンバンクワ)。〔言辞門235七・天理図書館蔵下50ウ七〕

とあって、標記語「千萬」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「千萬」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重 青東色也。言陽気自東發之間云青陽也。珎翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕

とあって、標記語「千萬」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕

とあって、標記語「千萬」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

千萬(せんばん)々々(/\/\)千萬々々これにてハ先年始乃祝を述(のべ)たるなり。〔4オ六〕

とあって、この標記語「千萬」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被()(さふら)ふ之()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)改年吉慶御意候之條先以目出度覚自他嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕

改年(かいねん)吉慶(きつけい)()(まか)せら御意(ぎよい)(さふらふ)()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)(おぼえ)(さふらふ)自他(じた)嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕

とあって、標記語「千萬」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xenban.センバン(千万) 千と万と.われわれが“私はあなたに十万の感謝を捧げます〔深く感謝します〕”などと言う時のように,物事を強調して言うのに用いる言葉.例,Xe~ban mo<xitani cotonaredomo.(千万申したい事なれども)私はあなたに千も申しあげる事があるけれども,しかし….これは感謝の言葉であれ,恨み言その他であれ,どちらにも言う.¶Meiuacu xenbanni zonzuru.(迷惑千万に存ずる)この上もない苦悩を感じ,悔しく思う.*原文はdouuos cem mil gracas.〔邦訳749r〕

とあって、標記語「千萬」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せん-ばん〔名〕【千萬】(一)數量の、多きを云ふ語。孟子、滕文公、上編「或相什百、或相千萬(二)情の、切なる時に云ふ語。切(せち)に。しきりに。至ッて。極めて。(こ)の上も無く。通俗編千萬、今簡牘、丁寧語也」平家物語、十二、重衡被斬事「後悔せんばん、悲しんでも尚餘りあり」狂言記、柱杖「こなたは、殊勝千萬にござる」貞コ文集「無御誘、出拔し候事、遺恨千萬好色一代女(貞享、西鶴)四「律儀千萬なる年寄の、思ひ入りも、いたましき」「千萬忝し」「千萬頼む」竒特千萬」氣の毒千萬に思ふ」〔1131-2〕

とあって、標記語「せん-ばん千萬】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せん-ばん千萬】[一]〔名〕@「せんまん(千万)@」に同じ。A(多く副詞的に用いられて)程度のはなはだしいさまやさまざまの状態であるさま。いろいろ。さまざま。はなはだ。きわめて。全く。せんまん。[二]〔接尾〕形容動詞の語幹や性質や状態を表わす体言に付いて、その程度のはなはだしい意を添える」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
将之陣與彼等之戰場、隔山谷之間、無據于吃疵、哀慟千萬〈云云〉《訓み下し》将ノ陣ト彼等ノ戦場ト、山谷ヲ隔ツルノ間、疵ヲ吃フニ拠無ク、哀慟千万ト〈云云〉。《『吾妻鑑治承四年八月二十四日の条》
 
 
2006年03月21日(月)薄晴れ。東京→麻布(魚らん坂)→有明
嘉幸(カコウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「嘉瑞(カズイ)。嘉祥(シヤウ)。嘉辰(シン)。嘉定(チヤウ)。嘉吉(キツ)」の五語を収載し、標記語「嘉幸」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽遊宴殊珎重〔山田俊雄藏本〕

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊珍重〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「嘉幸」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「嘉幸」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「嘉幸」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

嘉幸(カカウ/ヨシ、ミユキ・サイワイ)[平・上]。〔態藝門272七〕

とあって、標記語「嘉幸」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

嘉幸(カカウ) 。〔弘治・言語進退門87六〕

嘉幸(カカウ) ―辰(シン)。―慶(ケイ)。〔永祿本・言語門83一〕

嘉幸(カカウ) ―辰。―慶。〔尭空本・言語門75四〕

嘉幸(カカウ) ―辰。―慶。―祥。〔両足院本・言語門90六〕

とあって、標記語「嘉幸」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「嘉幸」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・饅頭屋本節用集』に標記語「嘉幸」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重 青東色也。言陽気自東發之間云青陽也。珎翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕

とあって、標記語「嘉幸」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕

とあって、標記語「嘉幸」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

自他(じた)嘉幸(かこう)自他嘉幸自ハ内、他は外を云いつくす。おなしくよろこひあふとなり。〔4オ五〜六〕

とあって、この標記語「嘉幸」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被()(さふら)ふ之()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)改年吉慶御意候之條先以目出度覚自他嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕

改年(かいねん)吉慶(きつけい)()(まか)せら御意(ぎよい)(さふらふ)()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)(おぼえ)(さふらふ)自他(じた)嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕

とあって、標記語「嘉幸」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Caco<.カコウ(嘉幸) Yoqi saiuai.(嘉き幸)人に対して新年を祝したり,よい事があるようにと願ったりする言葉.〔邦訳74l〕

とあって、標記語「嘉幸」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-かう嘉幸】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-こう嘉幸】〔名〕めでたいこと。よいしあわせ。庭訓往來(1394-1428頃)「自他嘉幸、千万千万」*文明本節用集(室町中)「嘉幸 カカウ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2006年03月20日(日)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
自他(ジタ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

自他(タ) 。〔元亀二年本308四〕〔静嘉堂本359七〕

とあって、標記語「自他」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重〔至徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珍重候〔宝徳三年本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊宴殊珎重候〔建部傳内本〕

自他嘉幸千萬々々御芳札披見之(ノ)處青陽遊宴殊珎重〔山田俊雄藏本〕

自他嘉幸千万々々御芳札披見之處青陽之遊宴殊珍重〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「自他」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「自他」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「自他」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

自他(―タ/ヨリ・ミヅカラ・ヲノヅカラ、―)[○・平]。〔態藝門933八〕

とあって、標記語「自他」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

自賛(ジサン) ―賣(マイ)。―歎(タン)。―餘(ヨ)。―身(シン)。―筆(ヒツ)―他(タ)。―滅(メツ)。―慢(マン)/―害(ガイ)。―性(シヤウ)。―誓(セイ)。―然(ネン)。―得(トク)。―業(ゲウ)。―愛(アイ)。〔弘治・言語進退門245三〕

自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身/―賣。―業。―誓。―愛/―由。―他。―然。―滅。―得/―性。―言。―今以後。―檀或作專。―歎。〔永祿本・言語門209七〕

自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身。―賣。―業。―誓/―今以後。―得。―在。―筆。―愛。―由/―他。―然。―滅。―性。―言/―称。―檀又作專。―歎。―火。―力。〔尭空本・言語門193九〕

とあって、標記語「自賛」の熟語群として「自他」の語を収載する。易林本節用集』に、

自然(ジネン) ―讃(サン)。―訴(ソ)。―判(ハ )。―行(ギヤウ)―他(タ)。―作(サク)。―滅(メツ)。―由(イウ)。―專(せン)。―筆(ヒツ)。―己(コ)。―力(リキ)。―害(ガイ)。―問自答(モンジタフ)。―餘(ヨ)。―物(モツ)。―慢(マン)。―称(せウ)。―水(スイ)水死也。―愛(アイ)。―用(ヨウ)。―見(ケン)。―身。―今已後(コンイゴ)。〔言辞門213六、七・天理図書館蔵下39ウ六、七〕

とあって、標記語「自他」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「自他」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

024自他嘉幸千萬々々御芳札披見之處青陽遊遊宴殊珍重 青東色也。言陽気自東發之間云青陽也。珎翫也。爰ニハ二字トモニ翫也。念比之義也。〔謙堂文庫藏七右A〕

とあって、標記語「自他」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

自他(ジタノ)嘉幸(カカウ)千萬(せンバン)々々御芳札(ゴハウサツ)披見(ヒケン)之處( ロニ)トハ我レ人祝言スルニ依テ也。〔上3オ五・六〕

とあって、標記語「自他」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

自他(じた)の嘉幸(かこう)自他嘉幸自ハ内、他は外を云いつくす。おなしくよろこひあふとなり。〔4オ五〜六〕

とあって、この標記語「自他」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被()(さふら)ふ之()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)改年吉慶御意候之條先以目出度覚自他嘉幸千万々々▲自他とハ我人(われひと)といふことにて廣(ひろ)く天下の人を指(さ)す。〔3ウ一〜三〕

改年(かいねん)吉慶(きつけい)()(まか)せら御意(ぎよい)(さふらふ)()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)(おぼえ)(さふらふ)自他(じた)嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲自他とハ我人(われ  )といふことにて廣(ひろ)く天下の人を指(さ)す。〔5オ六〜5ウ三〕

とあって、標記語「自他」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iita.ジタ(自他) Mizzucara,tanin.(自ら,他人)私と他の人々と.例,Iitatomoni yorocobu.(自他共に喜ぶ)われわれは皆一緒になって喜ぶ.〔邦訳365r〕

とあって、標記語「自他」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【自他】(一)己れと、他人と。我と、人と。彼我。太平記、三十九、諸大名講道朝事「吾等が頸を、御引出物に進らするか、御頸共を、餞に賜はるか、其二の閧ノ、自他の運否を定め候はばやと」「自他平等」「自他、倶に」(二)あれと、これと。彼れと、此れと。保元物語、一、新院御謀叛事「和漢共に、人に勝れ、禮義を調へ、自他の記録に暗からず」(三)語學の語、自動詞と、他動詞との略。〔896-5〕

とあって、標記語「-自他】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-自他】〔名〕自分と他人。我と人。彼我(ひが)。A対立、対応している両者。双方。彼我。Bあれとこれ。あれこれ。C仏語。自力と他力。D連歌・俳諧で、自己の感想、動作、生活などについての表現をいう自と、他人のそれをいう他。この句を適切に連接配置するのが付合の上で重用視された。E文法で、自動詞と他動詞。また、自称と他称」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又候御方、不可敵于父祖、不如入無爲、免自他苦患〈云云〉《訓み下し》又御方ニ候シテ、父祖ニ敵スベカラズ、如カジ、無為ニ入テ、自他(ジタ)ノ苦患ヲ免レンニハト〈云云〉。《『吾妻鑑』建暦三年四月十六日の条》
 
 
2006年03月19日(日)曇り後雨。京都→東京
覚候(をぼへさうらう)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

(ヲホウ) 。〔元亀二年本85十〕

(ヲボフ) 。〔静嘉堂本105四〕

(ヲホフ) 。〔天正十七年本上52オ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

改年吉慶被任御意候之條先以目出覚候〔至徳三年本〕

改年吉慶被任御意之條先目出〔宝徳三年本〕

改年吉慶被任御意候之条先以目出覚候〔建部傳内本〕

改年吉慶被御意之條先以目出度覚候〔山田俊雄藏本〕

改年吉慶被御意之条先目出度〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「覚候」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

オホユ/不―。悟解了持達察記憶誦諳省已上同/又オク。〔黒川本・人事門中65ウ二〕

オホユ/不―。省悟解了達記憶誦諳已上同。〔巻第五・人事門310五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ヲボユ・サムル/カクト・サトル)[去]。〔態藝門232八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(ヲボウ) 。〔弘治・言語進退門65八〕

(ヲボユ) 了持悟/達記。〔永祿本・言語門67三〕

(ヲホユ) 了持記/悟達。〔尭空本・言語門61四〕

(ヲボユ) 了持悟/達記。〔両足院本・言語門72三〕

とあって、標記語「」「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(ヲボユ) 。〔言辞門127四・天理図書館蔵上64オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「覚候」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

023改年吉慶被御意之条先以目出覚候 歌道ニハ改年々々(アラタマ)ト讀也。目出トハ昔天照大神与素盞烏命天-下時天照大神岩戸引籠給之間、天下七日七夜也。此時諸神相談シテ、於岩戸神楽為給時、天照大神面白思食戸開御覧有。其時太神御目見、諸神喜コヒ目出マフ是始也。其時太刀雄尊取岩戸、抛、自是天下明也。其戸信州戸隠落也。故戸隠、太刀雄常州志津明神是也。〔謙堂文庫藏六左F〕

とあって、標記語「覚候」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

改年吉慶被御意之条先以目出度覚候。〔上3オ二〕

とあって、標記語「覚候」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(まづ)(もつ)て目出度(めでたく)(おぼ)へ候先以目出度覚候覚候とハ存候といふかことし。〔4オ四〜五〕

とあって、この標記語「覚候」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被()(さふら)ふ之()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)(おぼ)へ候(さふら)自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)改年吉慶御意候之條先以目出度自他嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕

改年(かいねん)吉慶(きつけい)()(まか)せら御意(ぎよい)(さふらふ)()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)(おぼえ)(さふらふ)自他(じた)嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕

とあって、標記語「覚候」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Voboye,ru,eta.ヲボエ,ユル,エタ(覚え,ゆる,えた) 感じる.例,Mino itamiuo voboyuru.(身の痛みを覚ゆる)身体の痛みを感ずる.¶また,記憶する,あるいは,暗記する.例,Oratiuo voboyetaca.(オラショを覚えたか)祈?の文句を暗記しているか.→Axido;Fumido;Iengo(前後);Tenami.〔邦訳697l〕

とあって、標記語「覚候」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おぼえ〔名〕【】(一){覺(おぼ)ゆること。申合、箇條など、紙に書きて貼り出すに、首に、覺の一字を記すことあるは、人人をして覺えしむる意なり。。源氏物語、五、若紫15「扇を鳴らし給へば、おぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬ様にはとて、ゐざり出づる人あなり」(二)心に留めて、忘れぬこと。記憶。「おぼえがよい」(三)技を學び得たりと、自信すること。宇治拾遺物語、二、第十三條「此尻蹴よと云はるる相撲は、おぼえある力、こと人よりすぐれ」「おぼえの腕前」〔1473-4〕

とあって、標記語「おぼえ】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おぼえる】(「おもほゆ(思)」の変化した語)[一]〔自ア下一(ヤ下一)〕@自然にそう思われる。感じられる。A自然に思い出される。思い起こされる。B(伝え聞いたりして知っている物事が)ふと想像される。C似かよう。似る。D他人からそう思われる。E考えることができる。わきまえる。意識する。→おぼえず・おぼえて。F身にしみて感じる。こたえる。[二]〔他ア下一(ヤ下一)〕@(他の刺激などを)感じる。(それだと)気付く。A思い出す。B思い出して話す。C(おそわったり見聞したりしたことを)心にとどめる。記憶する。また、学んだ技術などを身につける。体得する。D忘れないように書きとめる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
若下人中自、申懸事候者、可相尋子細於時政候之處、以是程少事、經訴訟、最不當覺候之條、極恐思候。《訓み下し》若シ下人ノ中ヨリ、申シ懸クル事候ハ、子細ヲ時政ニ相ヒ尋ヌベク候フノ処ニ、是程ノ少事ヲ以テ、訴訟ヲ経ルコト、最モ不当ニ(ヲボ)ヘ候ノ条、極メテ恐レ思ヒ候フ。《『吾妻鑑』文治二年二月二十五日の条》
 
 
2006年03月18日(土)曇り後雨。京都→東京
吉慶(キッケイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

吉慶(ケイ) 。〔元亀二年本283六〕〔静嘉堂本324六〕

とあって、標記語「吉慶」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

改年吉慶被任御意候之條先以目出覚候〔至徳三年本〕

改年吉慶被任御意之條先目出覺〔宝徳三年本〕

改年吉慶被任御意候之条先以目出覚候〔建部傳内本〕

改年吉慶御意之條先以目出度覚候〔山田俊雄藏本〕

改年吉慶御意之条先目出度〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「吉慶」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「吉慶」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「吉慶」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

吉慶(キツケイ/ヨシ、ヨロコブ)[入・○]。〔態藝門826二〕

とあって、標記語「吉慶」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

吉慶(キチケイ) 。〔弘治・言語進退門223四〕

吉書(キツシヨ) ―慶(ケイ)。―事()。―辰(シン)/―例(キチレイ)。―日(ニチ)。―凶。〔永祿本・言語門184六〕

吉書(キツシヨ) ―慶。―事。―辰。―方/―例。―日。―凶。〔尭空本・言語門174一〕

とあって、弘治二年本に、標記語「吉慶」の語を収載し、他本は標記語「吉書」の熟語群として「吉慶」の語を記載する。易林本節用集』には、

吉慶(キチケイ) ―相(サウ)。―兆(テウ)。―書(シヨ)。―凶(ケウ)。―祥(ジヤウ)。―事()。〔言辞門190七・天理図書館蔵下28オ七〕

とあって、標記語「吉慶」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「吉慶」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

023改年吉慶被御意之条先以目出度覚候 歌道ニハ改年々々(アラタマ)ト讀也。目出トハ昔天照大神与素盞烏命天-下時天照大神岩戸引籠給之間、天下七日七夜也。此時諸神相談シテ、於岩戸神楽為給時、天照大神面白思食戸開御覧有。其時太神御目見、諸神喜コヒ目出マフ是始也。其時太刀雄尊取岩戸、抛、自是天下明也。其戸信州戸隠落也。故戸隠、太刀雄常州志津明神是也。〔謙堂文庫藏六左F〕

とあって、標記語「吉慶」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

改年(カイ  )吉慶(キツケイ)(ラルヽ)(マカせ)御意(ギヨイ)候之()(デフ)目出度(メデタク)(ヲボヘ)。改年ト云事アラタマル詞(コトバ)也。又アラタマノ年ト云ヘリ。年ト云ントテアラ玉トツヽクル也。枕詞(マクラコトバ)ナリ。年々終々政(マツ)ル事ヲ本トスルガ故ナリ。新春明春ナドノルイナリ。〔上3オ三〜五〕

とあって、標記語「吉慶」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

改年(かいねん)吉慶(きつけい)改年吉慶改年とハ去年(きよねん)の月日(つきひ)ハ去()りて今年(ことし)の春(ハる)に改(あらたま)りたるを云。吉慶ハよろこひなり。〔4オ三〕

とあって、この標記語「吉慶」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

改年(かいねん)吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被()(さふら)ふ之()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)改年吉慶御意候之條先以目出度覚自他嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕

改年(かいねん)吉慶(きつけい)()(まか)せら御意(ぎよい)(さふらふ)()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)(おぼえ)(さふらふ)自他(じた)嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕

とあって、標記語「吉慶」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qicqei.キッケイ(吉慶) Yoqi yorocobi.(吉き慶び)慶事,または,喜び.文書語.〔邦訳494r〕

とあって、標記語「吉慶」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きッ-けい〔名〕【吉慶】めでたきこと。いはひ。ことぶき。魏書、彭城王傳「毀三年、弗吉慶庭訓往來、正月「改年吉慶、被御意候之條」「新年の吉慶、目出度申納候」〔472-2〕

とあって、標記語「きッ-けい吉慶】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きッ-けい吉慶】〔名〕めでたいこと。祝賀すべきこと。きっきょう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
新春之吉慶誠以自他幸甚々々。《『新十二月徃來』の条》
 
 
2006年03月17日(金)晴れ。東京→京都
改年(カイネン・あらたま)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

改年(カイネン) 。〔元亀二年本91六〕〔天正十七年本上55ウ四〕〔西來寺本〕

(カイ) 。〔静嘉堂本113一〕

とあって、標記語「改年」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月十五日の状に、

改年吉慶被任御意候之條先以目出覚候〔至徳三年本〕

改年吉慶被任御意之條先目出覺〔宝徳三年本〕

改年吉慶被任御意候之条先以目出覚候〔建部傳内本〕

改年吉慶被御意之條先以目出度覚候〔山田俊雄藏本〕

改年吉慶被御意之条先目出度〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「改年」とと記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

改年 同(年月分)/カイネン。〔黒川本・畳字門上87オ五〕

改元 〃年。〃姓。〃名。〃正。〃減。〃渙。〃居。〃嫁。〃葬。〃易。〃定。〃帳。〔巻第三・畳字門272二〕

とあって、標記語「改年」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「改年」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

改年(カイネン/アラタメ、トシ)[上・平]。〔態藝門278七〕

とあって、標記語「改年」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

改年(カイネン) 。〔弘治・言語進退門87五〕

改年(カイネン) ―定(ヂヤウ)。―易(エキ)。―元(ゲン)。―補/―名(ミヤウ)。―替(タイ)。―変(ヘン)。〔永祿本・言語門82九〕

改年(カイネン) ―定。―元。―補。―名/―易。―替。―変。〔尭空本・言語門75四〕

改年(カイネン) ―定。―易。―元。―補/―名。―替。―変。〔両足院本・言語門90六〕

とあって、標記語「改年」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「改年」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書において、標記語「改年」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

023改年吉慶被御意之条先以目出度覚候 歌道ニハ改年々々(アラタマ)ト讀也。目出トハ昔天照大神与素盞烏命天-下時天照大神岩戸引籠給之間、天下七日七夜也。此時諸神相談シテ、於岩戸神楽為給時、天照大神面白思食戸開御覧有。其時太神御目見、諸神喜コヒ目出マフ是始也。其時太刀雄尊取岩戸、抛、自是天下明也。其戸信州戸隠落也。故戸隠、太刀雄常州志津明神是也。〔謙堂文庫藏六左F〕

とあって、標記語「改年」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

改年(カイ  )吉慶(キツケイ)(ラルヽ)(マカせ)御意(ギヨイ)候之()(デフ)目出度(メデタク)(ヲボヘ)。改年ト云事アラタマル詞(コトバ)也。又アラタマノ年ト云ヘリ。年ト云ントテアラ玉トツヽクル也。枕詞(マクラコトバ)ナリ。年々終々政(マツ)ル事ヲ本トスルガ故ナリ。新春明春ナドノルイナリ。〔上3オ三〜五〕

とあって、標記語「改年」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

改年(かいねん)の吉慶(きつけい)改年吉慶改年とハ去年(きよねん)の月日(つきひ)ハ去()りて今年(ことし)の春(ハる)に改(あらたま)りたるを云。吉慶ハよろこひなり。〔4オ三〕

とあって、この標記語「改年」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

改年(かいねん)の吉慶(きつけい)御意(ぎよゐ)に任(まか)せら被()(さふら)ふ之()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでた)く覺(おぼ)へ候(さふら)ふ自他(じた)の嘉幸(かこう)千萬(せんはん)々々(/\)改年吉慶御意候之條先以目出度覚自他嘉幸千万々々▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔3ウ一〜三〕

改年(かいねん)吉慶(きつけい)()(まか)せら御意(ぎよい)(さふらふ)()(てう)先以(まつもつて)目出度(めでたく)(おぼえ)(さふらふ)自他(じた)嘉幸(かかう)千萬(せんばん)々々(/\)▲改年ノ吉慶とハ冬(ふゆ)(つき)て春(はる)に改(あらたま)りたる新年(しんねん)のことぶきをいふ。〔5オ六〜5ウ二〕

とあって、標記語「改年」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cainen.カイネン(改年) すなわち,Xinnen.l,Aratamaru toxi.(新年,または,改まる年)新年.※前者は見出し語の同義語.後者は訓註であるから,Aratamaru toxi.(改まる年)すなわち,Xinnen.(新年)とあるべきものが混乱している.→Caqei(嘉慶).

〔邦訳82l〕

とあって、標記語「改年」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かい-ねん〔名〕【改年】改まりたる年。新年。改暦。太平廣記改年感、敬想同之」庭訓往來、正月「改年吉慶、被御意之條、先以目出度覺候」〔337-1〕

とあって、標記語「かい-ねん改年】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かい-ねん改年】〔名〕改まった年。新年。改歳。開年。かくねん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
改年之後、富貴万福幸甚々々抑陽春已報。《『明衡往来』上本の条》
 
 
2006年03月16日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
石見守(いはみのかみ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、標記語「石見守」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

石見守殿〔至徳三年本〕

石見守殿〔宝徳三年本〕

石見守殿〔建部傳内本〕

石見守殿〔山田俊雄藏本〕

石見守殿〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「石見守」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「石見守」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「石見守」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「石見守」の語は未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

022石見守殿 殿字被官等ニハ書。上中下有。内封事隠密状ニハ礼紙シテ封也。其上名字官計可書也。状上包之事、上下封様上短下長也。上書至。賞翫ニハ肩書ヲハ進上小野大和守殿御宿所藤原秀勝裡ニハ新里紀六書也。官途姓書。官名_乗|書裡ニハ名字計可書。常賞翫進上。小野大和守殿御宿所秀勝書也。真早行有。又状包事進上謹上書不有。名字計可書。但同名レハ官假名官書。名乗不書裡書不有也。若文ナラハ小野大和守殿御宿所裡新田紀六書者也云々。我官名乗判書事、縦正月一日刑部大輔高秀判書。无官ナラハ書。縦文屋高秀判可書。又折紙捻文ヨリ略義也。裡書无進上謹上書无。日付名乗判書也。官名字不書。名乗判折紙名字官途假名云説有トモ當世ニハ書也。畳目上名字假名書也。名乗不書也。〔謙堂文庫藏六右F〕

とあって、標記語「石見守」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

謹上 石見守(イハミノカミ)殿(ドノ)。〔上3オ二〕

とあって、標記語「石見守」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

石見(いわミ)の守(かミ)殿(どの)石見守殿。〔4オ二〕

とあって、この標記語「石見守」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

石見(いはミ)の守(かミ)殿(どの)石見殿▲石見守これハ中國(ちうごく)の守(かミ)にて正(じやう)六位下(いのげ)に相當(さうたう)す。〔3オ五、六〕

石見(いはミ)(かミ)殿(どの)▲石見守これハ中國(ちうごく)の守(かミ)にて正六位下(いの )に相當(さうたう)す。〔5オ二〜四〕

とあって、標記語「石見守」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「石見守」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いはみ-のかみ石見守】〔名〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
今日晩景、正五位下行石見守大江朝臣能行卒《訓み下し》今日晩景ニ、正五位ノ下行石見ノ守大江ノ朝臣能行卒ス。《『吾妻鑑』弘長三年十月十日の条》
 
 
2006年03月15日(水)晴れ。屋久島→東京(世田谷)
謹上(キンジヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、標記語「謹上」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

謹上〔至徳三年本〕

謹上〔宝徳三年本〕

謹上〔建部傳内本〕

謹上〔山田俊雄藏本〕

謹上〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「謹上」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「謹上」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「謹上」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

謹上(キンシヤウ/ツヽシム、コト・イフ)[去・平]。〔態藝門829一〕

とあって、標記語「謹上」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「謹上」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「謹上」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

021謹上 謹上トハ賞翫ニハ日付|一字上書。同判ニハ右、卑ニハ左同輩日付書。卑一字下書者也。名字書(チツト)料紙書。位事者可同上也。〔謙堂文庫藏六右E〕

とあって、標記語「謹上」の語を収載し、「謹上とは、賞翫には日付より一字上げて書くべし。同判は、貴には右、卑には左、同輩は日付に双べて書く。卑は一字下げて書くべき者なり。名字書くモ少(ちつと)料紙の端に書くべし。位の事は、同上とすべきなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

謹上 石見守(イハミノカミ)殿(ドノ)。〔上3オ二〕

とあって、標記語「謹上」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

謹上(きんじやう)謹上つゝしんてたてまつると讀む。〔4オ二〕

とあって、この標記語「謹上」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

謹上(きんしやう)謹上▲謹上書(きんじやうがき)ハ真行草(しんぎやうさう)の書法(かきかた)を以て高下(かうげ)をわかつのミ。但(たゞ)し當代(たうだい)にハ用ひざる事也。〔3オ五、六〕

謹上(きんじやう)▲謹上書(   がき)ハ真行草(しんきやうさう)の書法(かきかた)を以て高下(かうげ)をわかつのミ。但(たゞ)し當代(たうだい)にハ用ひざる事也。〔5オ二、三〕

とあって、標記語「謹上」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「謹上」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きん-じゃう〔名〕【謹上】(一)謹(つつし)みて上(たてまつ)る。(書状の名宛に添ふる敬語)平家物語、十、屋島院宣事「壽永三年二月十四日、大膳太夫なりただが、奉(うけたまはり)謹上、前平大納言殿へ」〔485-4〕

とあって、標記語「きん-じゃう謹上】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きん-じょう謹上】〔名〕つつしんで奉ること。多く、書状の宛名に添える語」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三月四日 頼朝 謹上 藤中納言殿《『吾妻鑑』元暦二年三月四日の条》
謹上 左馬頭殿」《『明衡往来』上本》
 
 
2006年03月14日(火)晴れ。屋久島
藤原(フジハラ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、

藤原(フヂハラ) 天智天皇時鎌足大臣始賜――姓也。〔元亀二年本224二〕

藤原(ハラ) 天智天王時鎌足大臣始――也。〔静嘉堂本256六〕

藤原(フチハラ) 天智天皇時鎌足大臣始――姓也。〔天正十七年本中57ウ二〕

とあって、標記語「藤原」の語を収載し、語注記を「天智天皇の時、鎌足大臣始めて藤原の姓を賜はるなり」と記載し、真字註の語注記に依據している。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

左衛門尉藤原〔至徳三年本〕

左衛門尉〔宝徳三年本〕

左衛門尉藤原〔建部傳内本〕

左衛門藤原〔山田俊雄藏本〕

左衛門藤原〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「藤原」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「藤原」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「藤原」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に標記語「藤原」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載し、その語注記内容を一部同じくする。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

020左衛門藤原 位。唐名等職原。官コトハ賞翫之義也。藤原仁王三十九代天智天皇時鎌足大臣始藤原姓。〔謙堂文庫藏六右C〕

とあって、標記語「藤原」の語を収載し、語注記に「藤原の姓は、仁王三十九代天智天皇の時、鎌足大臣始めて藤原の姓を賜はるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

正月五日  左衛門(サヘモン)(ぜウ)藤原(フヂハラ)知貞(トモサダ)。〔上3オ一〕

とあって、標記語「藤原」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

正月五日 左衛門(さへもん)の尉(せう)藤原(ふちハら)知貞(ともさた)正月五日 左衛門藤原知貞。〔4オ一〕

とあって、この標記語「藤原」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

左衛門(さゑもん)の尉(せう)藤原(ふちはら)乃知貞(ともさた)左衛門藤原知貞▲藤原ハ人皇(にんわう)三十九代天智(てんぢ)天皇(てんわう)八年始(はじめ)て内大臣(ないだいじん)鎌足公(かまたりこう)に賜(たま)ハりし所の姓(せい)なり。〔3オ四・3オ七〕

左衛門(さゑもん)(せう)藤原(ふちはら)知貞(ともさた)▲藤原ハ人皇(にんわう)三十九代天智(てんぢ)天皇(  わう)八年始(はじめ)て内大臣(ない  じん)鎌足公(かまたりこう)に賜(たま)ハりし所(ところ)の姓(せい)也。〔5オ一〜5オ五〕

とあって、標記語「藤原」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「藤原」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ふぢ-はら藤原】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ふぢ-わら藤原】〔一〕姓氏の一つ。[二]「とうし(藤氏)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
令民部少烝藤原《訓み下し》令民部ノ少丞藤原《『吾妻鑑』建久三年六月二十日の条》
 
 
2006年03月13日(月)曇り。屋久島
正月(シヤウグワツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

正月(シヤウグワツ) 睦月。陬月。大簇。端春。青陽。肇―ハ始也。孟春。早春。王春。開春。新春。初春。親月。發月。履端。三陽。甫年。年頭。〔元亀二年本318一〕

正月 睦月。陬月。太簇。端春。青陽。肇―ハ。孟春。春。王春。開春。新春。改春。初春。親月。發月。履端。三陽。甫季。年頭。〔静嘉堂本374一.二〕

とあって、標記語「正月」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

正月五日〔至徳三年本〕

正月五日〔宝徳三年本〕

正月五日〔建部傳内本〕

正月五日〔山田俊雄藏本〕

正月五日〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「正月」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「正月」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「正月」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

正月(シヤウグワツ/―ケツ・ツキ)[○・入]異名。東風解氷礼記月令正月節也。孟陬纂要正月為東陽――。春王春秋――正月。大簇月令孟春之月律中――。端月史記正月為――。斗建寅月令註――月。日在室月令孟春日――。新元。新正。首正。元宵十五日也。立春正月節也。傳柑元宵也。上元十五日也。開基節。孟春。孟陽。三春。上陽。寅月。煕春。灯夜十五日也。觀灯。陬月。元正。上日。椒盤。復端。淑氣。東鳳食麥。剪綵。元旦。正朝。照光。昭光。上月。寒月。煕月。解梅。春陽。猶寒。鴬出谷。雪消水開柳嫩。三元節也。四始。正朔。元會。簇生。青春。〔時節門908六〕

とあって、標記語「正月」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

正月 三陽。孟陽。初陽。大簇。上陽。孟春。孟陬。初春。上月。端月。寅月。献春。〔弘治・節異名1七〕

正月奉行人 大宮中納言俊當二位僧都尊長。〔永祿本・後鳥羽院御宇鍛冶結番次第283二〕

とあって、標記語「正月」の語を収載する。易林本節用集』に、

正月(シヤウクワツ) 孟春(マウシユン)。開―(カイシユン)。新―(シンシユン)(タイソウ)。早春(サウシユン)。初―王(シユンワウ)―。青陽(セイヤウ)〔數量門211二・天理図書館蔵下38ウ二〕

とあって、標記語「正月」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「正月」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

019正月五日 自恐々書|三_行(クタリ)奥書。〔謙堂文庫藏六右C〕

とあって、標記語「正月」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

正月五日  左衛門(サヘモン)(ぜウ)藤原(フヂハラ)知貞(トモサダ)。〔上3オ一〕

とあって、標記語「正月」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

正月五日/正月五日。〔4オ一〕

とあって、この標記語「正月」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

正月(しやうくハつ)五日(いつか)正月五日。〔3オ四〕

正月(しやうぐわつ)五日(いつか)。〔5オ一〕

とあって、標記語「正月」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo<guachi.シャウグヮチ(正月) 一年の最初の月.→Xo<guat.〔邦訳791r〕

Xo<guat.シャウグヮツ(正月) 一年の最初の月.→Ritan;Xo<guachi.〔邦訳791r〕

とあって、標記語「正月」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しャう-ぐヮつ〔名〕【正月】陰暦にて、年の第一の月。異稱に、睦月(むつ)。十三月。陬月。端月。大簇書經、舜典篇「正月上日、受終文祖」狂言記、烏帽子折「明日は、正月元日」」〔962-3〕

とあって、標記語「しャう-ぐヮつ正月】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょう-ぐゎつ正月】〔名〕@一年のいちばんはじめの月。むつき。いちがつ。しょうがち。《季・新年》A新年の祝い。新年の行事。Bよろこばしく楽しいこと。気楽でのんびりしていること。C天変地異や疫病が流行した時、延期して行なう新年の行事。また、災厄を払い清めるため時期にかまわず行なった新年の祝い。D「しょうがつがい(正月買)」の略。E→せいげつ(正月)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
但頼朝、殊所恐〈波〉如風聞〈波〉熊野〈乃〉衆徒號〈志天〉姦濫〈遠〉巧〈牟〉類等、去年正月〈仁〉皇太神宮〈仁〉濫入〈志天〉御殿〈於〉破損〈志〉神寳〈遠〉犯用〈須〉《訓み下し》但シ頼朝、殊ニ恐ルル所ハ、風聞ノ如キハ、熊野ノ衆徒ト号シテ、姦濫ヲ巧ム類ヒ等、去年正月ニ、皇太神宮(ノ別宮伊雑宮)ニ、濫入シテ、御殿ヲ破損シ、神宝ヲ犯用ス。《『吾妻鑑養和二年二月八日の条》
 
 
2006年03月12日(日)雨後曇り。屋久島(ミラクル屋久島105q)
不能(あたは・ず)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「安」部に、標記語「不能」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕

少々有御誘引思食立給者本望也心事雖多為二レ参會之次〔建部傳内本〕

少々有御誘引思食立給()本望也心事雖シトセンカ参會之()(クハシク)()腐毫〔山田俊雄藏本〕

少々有御誘引()本望也心事難尽為シテ参会之次腐毫〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「不能」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「不能」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「不能」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

不能(アタワズ/―ノウ)[○・平]。〔態藝門768四〕

とあって、標記語「不能」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』には標記語「不能」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「不能」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

017少々有御誘引思食立給本望也。心事雖多為ンヤ参會之次腐毫 念_比申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕

とあって、標記語「不能」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(クワシ)()(アタ)腐毫(フガウ)ト云ハ。チビタルフデ也。又毫(ガウ)ハフデト讀也。様筆ト云ハ。備ヘ立テラル筆ナリ。随筆ト云筆ヲツカヒ入テ快(コヽロヨ)ク成ヲ云也。フデハ天竺ニ毛燕(モウエン)ト云フ畫書(ヱカキ)(ムス)ビ始タル也。文殊ノ無明指トモ云ヱリ。〔上2ウ六〜八〕

とあって、標記語「不能」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

心事(しんじ)(おほ)しと雖(いへとも)参会(さんくわい)の次(つゐで)を期()せんが爲(ため)(くハし)く腐毫(ふごう)に能(あたハ)()心事雖センカ参會之次腐毫是は早下の詞(ことは)なり。腐毫とハ切れたる筆を云。不文言に書取難しといえるかことし。〔3ウ五〜七〕

とあって、この標記語「不能」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)。心事(しんじ)(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)()(ついで)を期(ごせんが)(ため)(くハしく)腐毫(ふがう)(あたハ)()恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常射手馳挽達者少々有御誘引思食立給者本望也心事雖シト参會之次委腐毫恐々謹言。〔2ウ三〕

尋常(じんじやう)射手(ゐて)馳挽(はせひき)達者(たつしや)少々(せう/\)(あつ)御誘引(ごいういん)思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)心事(しんじ)(いへども)(おほし)(ため)(ごせんが)参會(さんくわい)()(ついで)(くハしく)()(あたハ)腐毫(ふがう)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕

とあって、標記語「不能」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Atauazu.アタハズ(不能) →Co<gan;Fugo<;Tocufit;Togo<.〔邦訳36l〕

とあって、標記語「不能」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あたは-〔句〕【不能】あたふ(能)の條を見よ。〔45-4〕

あた・フ・ヘ・ハ・ヒ・ヘ〔自動、四〕【】〔當ると通ず、敬語に、あたはすと用ゐらる、廣韻「能、任也」玉篇「當、任也」〕己れが力、能()く爲()。堪()ふる。敢()ふる。でかす。名義抄、一部「不能、アタハズ」字類抄「能、耐、勝、堪、アタフ」~代紀、下21「同寢床(サネドコ)も、阿黨播(アタハ)ぬかもよ」(共寐し得()ぬの意、あたはす(婚)の條を併せ見よ)此語、從來、多く、能はずと、打消(うちけし)にのみ用ゐられしに、明治以降、英語のCanの譯語に充てて、辨解し能ふ、遂行し能ふ、など記すこと行はるるに至れり。〔46-1〕

とあって、標記語「あたは-不能】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あたわ-・不能】〔連語〕「あたう(能)」に打消の助動詞「ず」のついたもの。→能(あた)う」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
秀義、心中驚騷之外無他、不能委細談話、歸畢〈云云〉《訓み下し》秀義、心中驚騒スルノ外他無ク、委細ノ談話ニ能ハズ、帰リ畢ンヌト〈云云〉。《『吾妻鑑』治承四年八月九日の条》
 
 
2006年03月12日(日)雨後曇り。屋久島
(くはしく)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

(クハシク) 。〔元亀二年本198八〕

(クハシヽ) 。〔静嘉堂本225七〕

(クワシク) 。〔天正十七年本中42オ五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次細不能腐毫〔至徳三年本〕

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次細不能腐毫〔宝徳三年本〕

少々有御誘引思食立給者本望也心事雖多為二レ参會之次能腐〔建部傳内本〕

少々有御誘引思食立給()本望也心事雖シトセンカ参會之()(クハシク)()腐毫〔山田俊雄藏本〕

少々有御誘引()本望也心事難尽為シテ参会之次腐毫〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「クハシク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

クハシ細曲精(せイ)―古今已上同。〔黒川本・辞字門中77オ八〕

クハシ細曲精古今已上同。〔巻第六・辞字門426一〜三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(クハシヽ/・ユタネ)[上](同/せイ・アキラカ)[平]。〔態藝門551二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(クワシ)(クワシ)。〔弘治・言語進退門160五〕

(クハシ)(クハシ)。〔永祿本・言語門132九・133一〕

(クワシヽ)(クワシク)。〔尭空本・言語門122一〕

(クワシ)(クハシ)。〔両足院本・言語門148四〕

とあって、易林本節用集』に、

(クハシ)()()。〔言辞門135四・天理図書館蔵上68オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

017少々有御誘引思食立給本望也。心事雖多為ンヤ参會之次腐毫 念_比申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(クワシ)()(アタ)腐毫(フガウ)ト云ハ。チビタルフデ也。又毫(ガウ)ハフデト讀也。様筆ト云ハ。備ヘ立テラル筆ナリ。随筆ト云筆ヲツカヒ入テ快(コヽロヨ)ク成ヲ云也。フデハ天竺ニ毛燕(モウエン)ト云フ畫書(ヱカキ)(ムス)ビ始タル也。文殊ノ無明指トモ云ヱリ。〔上2ウ六〜八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

心事(しんじ)(おほ)しと雖(いへとも)参会(さんくわい)の次(つゐで)を期()せんが爲(ため)(くハし)腐毫(ふごう)に能(あたハ)()心事雖センカ参會之次腐毫是は早下の詞(ことは)なり。腐毫とハ切れたる筆を云。不文言に書取難しといえるかことし。〔3ウ五〜七〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)。心事(しんじ)(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)()(ついで)を期(ごせんが)(ため)(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)()恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常射手馳挽達者少々有御誘引思食立給者本望也心事雖シト参會之次腐毫恐々謹言。〔2ウ三〕

尋常(じんじやう)射手(ゐて)馳挽(はせひき)達者(たつしや)少々(せう/\)(あつ)御誘引(ごいういん)思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)心事(しんじ)(いへども)(おほし)(ため)(ごせんが)参會(さんくわい)()(ついで)(くハしく)()(あたハ)腐毫(ふがう)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕

少々有御誘引思食立給本望心事雖多為ンヤ参會之次腐毫▲。〔1オ五〜1ウ一、二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cuuaxij.クハシイ(委しい) 細かな(こと),または,詳細な(こと).例,Cuuaxij cotouoba xizzucani mo<so<-zu.(委しい事を静かに申さうず)詳細な事はゆっくりとお話しよう.→Fubi.〔邦訳175l〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くは・シキ・シケレ・シク・シク〔形、二〕【】〔前條の語の轉〕(一)事、細かなり。つぶさなり。つまびらかなり。精細委曲名義抄、子細、クハシ」白氏文集、十二、婦人苦「爲君曲言」「文藝、くはし」調べ、くはし」(二)事の意義を辨へて、明かなり。名義抄「精、クハシ」「學にくはし」藝にくはし」〔540-1〕

とあって、標記語「くは】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「くはし】〔形口〕[一](美・細・妙)こまやかで美しい。精妙である。うるわしい。[二](詳・委・精)@細かい点にまでゆきわたっているさま。詳細である。つまびらかである。つぶさである。A細部まで十分に知っているさまである。精通しているさまである」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
件返状、今日〈二十一日〉到來承候畢藏人右佐書状、同見給候畢《訓み下し》其状云。去十五日御札)今日〈二十一日〉到来ス。(クハ)シク承リ候ヒ畢ンヌ。《『吾妻鑑』寿永三年二月二十日の条》
 
 
2006年03月11日(土)晴れ。屋久島
思食(おぼしめす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、標記語「思食」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕

少々有御誘引思食立給者本望也心事雖多為二レ参會之次委不能腐〔建部傳内本〕

少々有御誘引思食立給()本望也心事雖シトセンカ参會之()(クハシク)()腐毫〔山田俊雄藏本〕

少々有御誘引()本望也心事難尽為シテ参会之次腐毫〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「思食」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「思食」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、標記語「思食」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

思召(ヲホシメス) 。〔言辭門126五・天理図書館藏上63ウ五〕

とあって、標記語「思召」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に、標記語「思召」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本は「思食」の語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

017少々有御誘引思食立給本望也。心事雖多為ンヤ参會之次腐毫 念_比申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕

とあって、標記語「思食」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(マト)曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)(ケイエイ)尋常(ジンジヤウ)射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)達者(タツシヤ)少々有御誘引(ゴユウイン)思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)者本望(ホンマウ)心事(シンジ)(イヘドモ)シト(タメ)(ゴせンカ)参會(サンクハイ)()(ツイデ)八的云事馬()場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕

とあって、標記語「思食」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

少々(せう/\)御誘引(ごゆういん)(あつ)(おぼ)し食()立給(たちたまハ)らは本望(ほんまう)(なり)少々有御誘引思食立給者本望也誘引とハさそひて連來(つれきた)るなり。本望ハ元(もと)より望願(のそミねか)ふ意なり。〔3ウ四〜五〕

とあって、この標記語「思食」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)(あつ)思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)。心事(しんじ)(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)()(ついで)を期(ごせんが)(ため)(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)()恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常射手馳挽達者少々有御誘引思食立給者本望也心事雖シト参會之次委腐毫恐々謹言。〔2ウ三〕

尋常(じんじやう)射手(ゐて)馳挽(はせひき)達者(たつしや)少々(せう/\)(あつ)御誘引(ごいういん)思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)心事(しんじ)(いへども)(おほし)(ため)(ごせんが)参會(さんくわい)()(ついで)(くハしく)()(あたハ)腐毫(ふがう)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕

とあって、標記語「思食」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Voboximexi,su,eita.ヲボシシ,ス,イタ(思召し,す,いた) ¶また,納得してそう思う.※この動詞の過去形は“思召シタ”が普通であるが,“思召イタ”も用いられた.それがこの条で示されている.〔邦訳697l〕

とあって、標記語「思召」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おぼし-・ス・セ・サ・シ・セ〔他動、四〕【思召】〔思すと、めすとを見よ〕思ふの敬語。竹取物語「子安貝取らむとおぼしめさば、たばかり申さむ」枕草子、七、六十八段「~も、嬉しとおぼしめすらむかし」〔313-5〕

とあって、標記語「おぼし-思召】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おぼし-思召】〔他サ五(四)〕@(はたから見た、その人の様子を示す語が上に来て)そういう顔つきをなさる。A物事を理解したり、感受したりするために心を働かせなさる。断定、推量、意志、回想など種々の心の働きをいう。お思いになる。お考えになる。お感じになる。Bある対象に心をお向けになる。愛しなさる。大事になさる。C他の動詞の上に付けて、その動作への尊敬の意を加える。「おぼしめしいず」「おぼしめしたつ」「おぼしめしなげく」「おぼしめしやる」など」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而殊被恃思食岡崎四郎義實、同與一義忠之間、十七日以前、相伴土肥次郎實平、可參向之由、今日被仰遣義實之許〈云云〉《訓み下し》而シテ殊ニ岡崎ノ四郎義実、同キ与一義忠ヲ恃ミ思シ食サルルノ間、十七日以前ニ、土肥ノ次郎実平ヲ相ヒ伴ウテ、参向スベキノ由、今日義実ノ許ニ仰セ遣ハサルト〈云云〉。《『吾妻鑑』治承四年八月十二日の条》
 
 
2006年03月10日(金)雨後曇り。屋久島
誘引(イウイン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遊」部に、

誘引(ユウイン)サソウ。〔元亀二年本292九〕

誘引(ユウイン) 。〔静嘉堂本340二〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕

少々有誘引思食立給者本望也心事雖多為二レ参會之次委不能腐〔建部傳内本〕

少々有誘引思食立給()本望也心事雖シトセンカ参會之()(クハシク)()腐毫〔山田俊雄藏本〕

少々有誘引()本望也心事難尽為シテ参会之次腐毫〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「誘引」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

誘引イウイン/集會分。〔黒川本・畳字門上11オ二〕

誘引 ―諭ユウ。〔巻第一・畳字門68六〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「誘引」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

誘引(ユウイン/ヲシユ・サソウ、ヒク)[上・上]。〔態藝門867六〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

誘引(ユウイン) 。〔弘治・言語進退門227四〕

誘引(サソウ)ユウイン。・誘引(ユウイン) 。〔永祿本・言語門179三・言語門188九〕

誘引(ユウイン) 。〔尭空本・言語門178五〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載する。易林本節用集』に、

誘引(ユウイン) 。〔言辞門194七・天理図書館藏下30オ七〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「誘引」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

017少々有誘引思食立給本望也。心事雖多為ンヤ参會之次腐毫 念_比申義也。又禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(マト)曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)(ケイエイ)尋常(ジンジヤウ)射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)達者(タツシヤ)少々有誘引(ゴユウイン)思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)者本望(ホンマウ)心事(シンジ)(イヘドモ)シト(タメ)(ゴせンカ)参會(サンクハイ)()(ツイデ)八的云事馬()場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

少々(せう/\)誘引(ごゆういん)(あつ)て思(おぼ)し食()し立給(たちたまハ)らは本望(ほんまう)(なり)少々有誘引思食立給者本望也誘引とハさそひて連來(つれきた)るなり。本望ハ元(もと)より望願(のそミねか)ふ意なり。〔3ウ四〜五〕

とあって、この標記語「誘引」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)誘引(ごいういん)(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)。心事(しんじ)(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)()(ついで)を期(ごせんが)(ため)(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)()恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常射手馳挽達者少々有誘引思食立給者本望也心事雖シト参會之次委腐毫恐々謹言。〔2ウ三〕

尋常(じんじやう)射手(ゐて)馳挽(はせひき)達者(たつしや)少々(せう/\)(あつ)誘引(ごいういん)思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)心事(しんじ)(いへども)(おほし)(ため)(ごせんが)参會(さんくわい)()(ついで)(くハしく)()(あたハ)腐毫(ふがう)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕

とあって、標記語「誘引」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yu<in.ユゥイン(誘引) Sasoi fiqu.(誘い引く)ある所へ連れだって行こうと勧めて,人を一緒に連れて行くこと.〔邦訳835l〕

とあって、標記語「誘引」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いう-いん〔名〕【誘引】いざなふこと。さそふこと。後漢書、張奠傳「秋、鮮卑、復率八九千騎塞、東羌、與共盟詛」(鮮卑、東羌、共ニ胡人種ノ稱ナリ)」庭訓往來(元弘)正月五日「尋常射手馳挽達者、少少有誘引、思食立給者本望也」〔126-4〕

とあって、標記語「いう-いん誘引】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ゆう-いん誘引】〔名〕誘い入れること。いざない導くこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
定綱等云、令誘引之處、稱有存念、不伴來者重國云、存子息之儀、已年久《訓み下し》定綱等ガ云ク、誘引(イウイン)セシムルノ処ニ、存念有リト称シテ、伴ヒ来タラズ、テイレバ、重国ガ云ク、子息ノ儀ヲ存ズルコト、已ニ年久シ。《『吾妻鑑』治承四年八月二十六日の条》
 
 
2006年03月09日(木)雨。鹿児島→屋久島
少々(セウセウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、標記語「少々」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔至徳三年本〕

少々有御誘引思食立給候者本望也心事雖多為期参会之次委細不能腐毫〔宝徳三年本〕

少々御誘引思食立給者本望也心事雖多為二レ参會之次委不能腐〔建部傳内本〕

少々御誘引思食立給()本望也心事雖シトセンカ参會()(クハシク)()腐毫〔山田俊雄藏本〕

少々御誘引()本望也心事難尽為シテ参会之次腐毫〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「少々」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

少々せウ/\。〔黒川本・重點門下104オ五〕

少々 。〔弘治・重點門449四〕

とあって、標記語「少々」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「少々」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「少々」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

017少々御誘引思食立給本望也。心事雖多為ンヤ参會之次腐毫 念_比申義也。禿筆之義也。又筆名也。〔謙堂文庫藏五左H〕

とあって、標記語「少々」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(マト)曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)(ケイエイ)尋常(ジンジヤウ)射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)達者(タツシヤ)少々御誘引(ゴユウイン)思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)本望(ホンマウ)心事(シンジ)(イヘドモ)シト(タメ)(ゴせンカ)参會(サンクハイ)()(ツイデ)八的云事馬()場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕

とあって、標記語「少々」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

少々(せう/\)御誘引(ごゆういん)(あつ)て思(おぼ)し食()し立給(たちたまハ)らは本望(ほんまう)(なり)少々有御誘引思食立給者本望也誘引とハさそひて連來(つれきた)るなり。本望ハ元(もと)より望願(のそミねか)ふ意なり。〔3ウ四〜五〕

とあって、この標記語「少々」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)。心事(しんじ)(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)()(ついで)を期(ごせんが)(ため)(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)()恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常射手馳挽達者少々御誘引思食立給本望心事雖シト参會之次委腐毫恐々謹言。〔2ウ三〕

尋常(じんじやう)射手(ゐて)馳挽(はせひき)達者(たつしや)少々(せう/\)(あつ)御誘引(ごいういん)思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)心事(しんじ)(いへども)(おほし)(ため)(ごせんが)参會(さんくわい)()(ついで)(くハしく)()(あたハ)腐毫(ふがう)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔4オ一〕

とあって、標記語「少々」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo>xo>.セウセウ(少々) Sucoxi sucoxi.(少し少し)ほんの少し.例,Xo>xo> coreuo mo<so<zu.(少々これを申さうず)この事についてほんの少しあなたに申し上げよう.¶Xo>xo>na cotode gozaranuni.(少々な事でござらぬ)それはざらにある事でもなく,小さな事でもない.〔邦訳797r〕

とあって、標記語「少々」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せう-せう〔名〕【少少】〔多々の對、おろおろに、少少の字を當てたるを、字音に書き僻めて、セウセウとす。おろおろの條の(一)を見よ」〕少し。僅かばかり。ぽっちり。些少孔叢子「以少少之衆、立大大之功後漢書、度尚傳「所少少、何足意」狭衣物語、二、上5「いかがはせん、せうせう心に入らぬ事なりとも、なみなみの人にもあらばこそは、聞きいれでも過ぐさめ」同、二、下17「少少の人恥しげなる、御手ぞかし」宇治拾遺物語、十一、第三條「陰陽師を學(なら)はん志にて候、云云、せうせう、學(なら)ひ參らせんとて、參りたるなり」榮花物語、五、浦浦別「此殿原のおはするを、世の人の見るさま、せうせうの物見には勝(まさ)りたり」明衡往来「旨酒一樽、景物少少相具、可推參候」〔1095-4〕

とあって、標記語「せう-せう少少】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せう-せう少少小小】〔名〕(漢語「少」を二つ重ねたもの)@数量や程度がわずかなこと。副詞的にも用いる。わずか。少しばかり。ちょっと。Aなみなみであること。普通。なまなか」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
四國をば、舟少々あらば、従是せめよと云なり。《訓み下し》四国ヲバ、舟少少アラバ、*是レヨリ(是レヨリモ)メヨト云ナリ。《『吾妻鑑』元暦二年正月六日の条》
 
 
達者(タツシヤ)」は、ことばの溜池(2005.08.11)を参照。
 
2006年03月08日(水)曇り。東京→(世田谷)→鹿児島
馳挽(はせひき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「馳挽」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

尋常射手馳挽達者〔至徳三年本〕

尋常射手馳挽達者〔宝徳三年本〕

尋常(ジムジヨ)射手馳挽(ハセヒキ)之達者〔建部傳内本〕

尋常射手馳挽(ハせヒキ)達者〔山田俊雄藏本〕

尋常射手馳挽達者〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「馳挽」と表記し、訓みは建部傳内本山田俊雄藏本に「はせひき」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「馳挽」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、標記語「馳挽」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

馳挽(ヒキ) 。〔弘治・言語進退門26五〕

馳参(ハセマイル) ―挽(ハセヒキ)。―向(ムカウ)。〔永祿本・言語門23七〕

馳挽(ハせヒキ) 。〔両足院本・言語門27一〕

とあって、弘治二年本両足院本節用集』に、標記語「馳挽」の語を収載する。易林本節用集』には、標記語「馳挽」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「馳挽」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

016馳挽達者 弓可懸也。〔謙堂文庫藏五左G〕

とあって、標記語「馳挽」の語を収載し、語注記に「馬と弓と懸くるべきなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(マト)曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)(ケイエイ)尋常(ジンジヤウ)射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)達者(タツシヤ)少々有御誘引(ゴユウイン)思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)本望(ホンマウ)心事(シンジ)(イヘドモ)シト(タメ)(ゴせンカ)参會(サンクハイ)()(ツイデ)八的云事馬()場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕

とあって、標記語「馳挽」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)尋常射手馳挽達者尋常ハよのつねと訓す。並々の者を云。馳挽の達者とハ馬乃上手をいふ。〔3ウ三・四〕

とあって、この標記語「馳挽」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

尋常(じんじやう)の射手(ゐて)馳挽(かけひき)の達者(たつしや)少々(せう/\)御誘引(ごいういん)(あつ)て思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)。心事(しんじ)(おほし)と雖(いへども)参會(さんくわい)()(ついで)を期(ごせんが)(ため)(くハしく)腐毫(ふがう)に能(あたハ)()恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常射手馳挽達者少々有御誘引思食立給本望心事雖シト参會之次委腐毫恐々謹言▲馳挽達者ハ馬挽(むまひき)ハ弓(ゆミ)の心。弓馬(きうば)に達(たつ)したる人をいふ。〔2ウ三、2ウ七〕

尋常(じんじやう)射手(ゐて)馳挽(はせひき)達者(たつしや)少々(せう/\)(あつ)御誘引(ごいういん)思食(おぼしめし)立給(たちたまハ)()本望(ほんまう)(なり)心事(しんじ)(いへども)(おほし)(ため)(ごせんが)参會(さんくわい)()(ついで)(くハしく)()(あたハ)腐毫(ふがう)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)▲馳挽達者ハ馬挽(  ひき)ハ弓の心。弓馬に達(たつ)したる人をいふ。〔4オ一、4オ六〕

とあって、標記語「馳挽」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「馳挽」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はせ-ひき〔名〕【馳挽】武邊の鍛錬のため、馬を馳せて、弓を引くこと。はせゆみ。庭訓往來、正月「尋常射手、馳挽達者」〔1583-1〕

とあって、標記語「はせ-ひき馳挽】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はせ-ひき馳引馳挽】〔名〕@武術の一つ。馬を走らせながら弓を射ること。はせゆみ。A時機を見て、進んだり退いたりすること。かけひき」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
信頼しんせいか御前にて申ける事をもれきゝやすからぬ事におもひふしみの源中納言もろなかのきやうをかたらひ所労とて常はふしみにこもりゐてはせひきこし物馬の上にてかたきにをしならへ引組ておつるやう武けいのみちをそならひけるこれは偏に信西をほろほさんための諜なり《『平治物語』の条》
 
 
経営(ケイエイ)」は、ことばの溜池(2002.02.12)を参照。
尋常射手(ジンジャウシヤシユ)」は、ことばの溜池(2001.02.13)を参照。
 
2006年03月07日(火)曇り一時晴れ。東京→(世田谷)
打續(うちつづ・く)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

打續(ツヾク) 。〔元亀二年本182一〕

打續(ツヽキ) 。〔静嘉堂本204四〕

打續(ツヽク) 。〔天正十七年本中31ウ一〕

とあって、標記語「打續」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

近日打續経営之〔至徳三年本〕

近日打續経営之〔宝徳三年本〕

近日打續経営之〔建部傳内本〕

近日_-〔山田俊雄藏本〕

近日_-〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「打續」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「打續」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「打續」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

打續(ウチツヾク/テイゾク)[上・入]。〔態藝門477二〕

とあって、標記語「打續」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

打續(ウチツヽク) 。〔弘治・言語進退門151八〕

打入(ウチイル) ―續(ツヾク)。―越(コユル)。―渡(ワタス)。―莅(ノゾム)。―寄(ヨスル)。―破(ヤフル)。―漏(モラス)。〔永祿本・言語門122七〕

打入(ウチイル) ―續。―越。―渡。―莅。―寄。―破。―漏。〔尭空本・言語門112四〕

打入(ウチイル) ―續(ツヾク)。―越(コユル)。―渡(ワタス)/―寄( ル)。―破( ル)。―漏(モラス)。〔両足院本・言語門136七〕

とあって、弘治二年本に標記語「打續」の語を収載する。他は標記語「打入」の熟語群に「打續」の語を収載する。易林本節用集』に、

打越(ウチコシ) ―寄(ヨス)―續(ツヽク)。〔言辞門119五・天理図書館蔵上60オ五〕

とあって、標記語「打越」の熟語群に「打續」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・弘治二年本・に標記語「打續」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

014近日_- 一切之事也。〔謙堂文庫藏五左F〕

とあって、標記語「打續」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(マト)曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)(ケイエイ)尋常(ジンジヤウ)射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)達者(タツシヤ)少々有御誘引(ゴユウイン)思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)本望(ホンマウ)心事(シンジ)(イヘドモ)シト(タメ)(ゴせンカ)参會(サンクハイ)()(ツイデ)八的云事馬()場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕

とあって、標記語「打續」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

近日(きんじつ)打續(うちつゞき)(これ)を経営(けいゑい)す/近日_-経営ハ催すなとゝいふか如し。〔1ウ三〜五〕

とあって、この標記語「打續」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

近日(きんじつ)打續(うちつゞき)(これ)を経営(けいゑい)す/近日_。〔1ウ七〕

近日(きんじつ)打續(うちつゞき)(けいゑい)(これ)。〔2ウ一〕

とあって、標記語「打續」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vchitcuzzuqi,u,ita.ウチツヅキ,ク,イタ(打ち続き,く,いた) 連続する,または,ある人のあとにすぐ他の人が続いて来る.〔邦訳688l〕

とあって、標記語「打續」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うち-つづ・ク・ケ・カ・キ・ケ〔自動、四〕【打續】うちはふ(打延)に同じ。〔239-1〕

とあって、標記語「うち-つづ打續】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うち-つづ打續】〔自カ五(四)〕(「うち」は接頭語)@後に付く。つき従う。Aある物事の後に、切れ目なく次の物事が行われたり、起こったりする。Bある一つの状態がずっと保たれる。継続する。Cずっとつながる。[二]〔他カ下二〕→うちつづける(打続)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2006年03月06日(月)晴れ。東京→東銀座(時事通信ホール)
曲節(キヨクセツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、「曲者(キヨクシヤ)。曲折(せツ)。曲祿(ロク)」の三語を収載し、標記語「曲節」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕

三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕

三々九手夾八的(まト)(ト )曲節〔建部傳内本〕

三々九手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)曲節〔山田俊雄藏本〕

三々九手夾八的等曲節〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「曲節」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「曲節」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「曲節」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

曲節(キヨクせツ/クせ・マガル、フシ)[入・入]。〔態藝門830一〕

とあって、標記語「曲節」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

曲節(キヨクせツ) 。〔弘治・言語進退門223一〕

曲節(キヨクせツ) ―折。〔永祿本・言語門185七〕

曲節(キヨクせツ) 又―折。〔尭空本・言語門174九〕

とあって、標記語「曲節」の語を収載する。易林本節用集』に、

曲節(キヨクせツ) ―述(ジユツ)。〔言辞門190六・天理図書館蔵下28オ六〕

とあって、標記語「曲節」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「曲節」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

013三々九手夾八的等曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ箭臺残三三度射也。其則九度手挟也。此内三度目一射残。是八的也。或八的英扇紙半揚葉畳_紙(タヽウー)小刀梗概(カウガイ)下_針(サケー)、是八也。是八所置也。小笠原流スル也。鉋懸八枚四枚充馬場左右立行_皈左右射也。曲三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕

とあって、標記語「曲節」の語を収載し、語注記に「曲は、三進退なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(マト)曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)(ケイエイ)ヲ|尋常(ジンジヤウ)射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)達者(タツシヤ)少々有テ‖御誘引(ゴユウイン)思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)本望(ホンマウ)心事(シンジ)(イヘドモ)シト(タメ)ニ∨(ゴせンカ)参會(サンクハイ)()(ツイデ)ヲ|八的云事馬()場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕

とあって、標記語「曲節」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

八的(やつまと)(とう)曲節(きよくせつ)的等曲節八ツ的は右の四半を八枚(まい)馬場の南方に四枚つゝ立て射手馬上にて徃と帰(かへ)りに射るなり。又ある書に八的と云事ハ花扇(はなあふぎ)四半楊枝(やうし)鼻紙(はなかミ)(かうかい)下針(さけはり)小刀(こかたな)等の八品を八所に立射るといえり。楊弓より八的まての事圖説に委しけれはこゝに畧してそのあらましを出せり。〔3オ七〜ウ二〕

とあって、この標記語「曲節」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)()(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)(うち)(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九手夾八的等曲節近日打_續経-。〔1ウ六〕

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゝめ)小弓(こゆミ)勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)()(あそひ)三々九(さん/゛\く)手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)()曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)(うち)(つゝき)(けいえいす)(これ)。〔2オ六〕

とあって、標記語「曲節」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiocuxet.キョクセッ(曲節) それぞれの季節に適した,おもしろく愉快なこと.たとえば,遊楽など.〔邦訳501r〕

とあって、標記語「曲節」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きョく-せつ〔名〕【曲節】音樂のふし。歌謡(うた)の調子。曲調。(曲の條の(三)を見よ)〔502-2〕

とあって、標記語「きョく-せつ曲節】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きょく-せつ曲節】〔名〕@音楽や歌謡などの曲づけと節まわし。調子。曲調。ふしまわし。Aまがっていたり節(ふし)があったりすること。心や行動がねじ曲がっていることにもいう」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2006年03月05日(日)晴れ。東京→(玉川→世田谷)
八的(やつまと)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、

八的(ヤツマト) 八所的射之高位態也。〔元亀二年本203九〕

八的 八所立的射之高位態也。〔静嘉堂本230八〕

八的(ヤツマト) 八所立的射之高位之態也。〔天正十七年本中45オ四〕

とあって、標記語「八的」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕

三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕

三々九手夾八的(まト)(ト )之曲節〔建部傳内本〕

三々九手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)曲節〔山田俊雄藏本〕

三々九手夾八的曲節〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「八的」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「やつまと」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「八的」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、標記語「八的」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

八的(ヤツマト) 。〔弘治・器財門137六〕

とあって、標記語「八的」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』に標記語「八的」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

013三々九手夾八的曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ箭臺残三三度射也。其則九度手挟也。此内三度目一射残。是八的也。或八的英扇紙半揚葉畳_紙(タヽウー)小刀梗概(カウガイ)下_針(サケー)、是八也。是八所置也。小笠原流ニハスル也。鉋懸八枚四枚充馬場左右立行_皈左右射也。曲三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕

とあって、標記語「八的」の語を収載し、語注記に「此の内三度目に矢を一射残す。是を八的と云ふなり。或は八的は、英扇紙・半揚葉・畳(タヽウ)_紙・小刀・梗概(カウガイ)・下(サケ)_針、是れ八なり。是れを八所に置くなり。小笠原流には、秘するなり。鉋懸八枚の四枚充、馬場の左右に立行_皈に左右を射るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(マト)曲節(キヨクセツ)近日(キンジツ)打續(ウチツヾキ)(ケイエイ)ヲ|尋常(ジンジヤウ)射手(イテ)馳挽(ハセヒキ)達者(タツシヤ)少々有テ‖御誘引(ゴユウイン)思食(ヲボシメシ)立給(タチタマハ)本望(ホンマウ)心事(シンジ)(イヘドモ)シト(タメ)ニ∨(ゴせンカ)参會(サンクハイ)()(ツイデ)ヲ|八的云事馬()場ヲ六町ニ拵(コシラヘ)テマトヲ立ル也。是ヲ八馳(ハせ)ト名ク。馬上ニテ射(イル)也。三騎ニテ射(イル)ト云説アリ。人間ノ八苦ヲ射破(イヤブ)ルト云リ。佛法ノ奥藏(ワウザウ)ヨリ起(ヲコ)レルナリ。〔上2ウ三〜六〕

とあって、標記語「八的」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

八的(やつまと)(とう)の曲節(きよくせつ)曲節八ツ的は右の四半を八枚(まい)馬場の南方に四枚つゝ立て射手馬上にて徃と帰(かへ)りに射るなり。又ある書に八的と云事ハ花扇(はなあふぎ)四半楊枝(やうし)鼻紙(はなかミ)(かうかい)下針(さけはり)小刀(こかたな)等の八品を八所に立射るといえり。楊弓より八的まての事圖説に委しけれはこゝに畧してそのあらましを出せり。〔3オ七〜ウ二〕

とあって、この標記語「八的」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)()(あそび)三々九(さん/\く)手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)(うち)(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九手夾八的曲節近日打_續経-▲八的ハ四半(しはん)八枚(まい)を馬場(ばゝ)の両方(りやうはう)に四枚(まい)づゝ立(たて)て射手(いて)ハ騎馬(きば)にて徃(ゆき)と還(かへる)とに射()る也。或書(あるしよ)に花扇(はなあふぎ)四半楊枝(やうじ)疊紙(たとうがミ)(かうがい)さげ針(ばり)小刀等の八品(しな)を八所に立て射()るをいふとぞ。但(たゞ)し是即挾物(はさミもの)の事にて挾物といふハ不時(ふじ)に貴人の饗應(きやうおう)に行(おこな)ふことなれハ何品(なにしな)と定(さだ)まれる事ハなく履(くつ)なとを立て射()たりし事も古(ふる)き書(ふミ)に見えたるよしなり。〔1ウ六、2ウ一・二〕

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゝめ)小弓(こゆミ)勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)()(あそひ)三々九(さん/゛\く)手夾(たばさミ)八的(やつまどとう)()曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)(うち)(つゝき)(けいえいす)(これ)▲八的ハ四半八枚を馬場(ばば)の両方に四枚(まい)づゝ立て射手ハ騎馬(きば)にて徃(ゆく)と還(かへる)とに射る也。或書(ある  )に花扇四半楊枝(やうし)疊紙(たとう  )(かうがい)さけ針(ばり)小刀等の八品を八所に立て射るをいふとぞ。但(たゞ)し是即(すなハち)挾物(はさミもの)の事にて挾物といふハ不時(ふじ)に貴人の饗應(きやうおう)に行(おこな)ふことなれバ何品(なに  )と定(さだ)まれる事ハなく履(くつ)などを立て射()たりし事も古(ふる)き書に見えたるよしなり。〔2オ六、三ウ四〜六〕

とあって、標記語「八的」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「八的」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やつ-まと〔名〕【八的】射術の語。騎射のとき、花、扇、小刀、楊枝等を的に八所に立つること。又、其的。小右記、寛弘二年五月十四日「出馬場、左右近衛騎射、各三人、又、三兵、次令厩馬、次令八的〔4-676-1〕

とあって、標記語「やつ-まと八的】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「やつ-まと八的】〔名〕騎射の一種。的を八か所に立てて射ること。また、その的」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
義秀又施其藝、始終敢無相違是三尺手挾八的等也觀者莫不感、二品變欝陶、住感荷給〈云云〉《訓み下し》義秀又其ノ芸ヲ施シ、始終敢テ相違無シ。是レ三尺ノ手挟(タバサミ)八的(ヤツマト)等ナリ。観ル者感ゼズトイフコト莫シ、二品欝陶ヲ変シテ、感荷ニ住シ給フト〈云云〉。《『吾妻鑑』建久元年八月十六日の条》
 
 
2006年03月04日(土)晴れ。東京(台場)→両国(江戸博)→(世田谷)
手夾(たばさみ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

手夾 。〔元亀二年本165九〕〔静嘉堂本184二〕

手夾 。〔天正十七年本中23オ三〕〔西來節本〕

とあって、標記語「手夾」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕

三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕

三々九手夾八的(まト)(ト )之曲節〔建部傳内本〕

三々九手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)曲節〔山田俊雄藏本〕

三々九手夾八的等曲節〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「手夾」と表記し、訓みとし山田俊雄藏本に「たはさみ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

手挟タハサミ。〔黒川本・人事門中4オ六〕

手挟タハサミ。〔巻第四・人事門401一〕

とあって、標記語「手夾」の語を収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、標記語「手夾」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

手挟(タハサミ) 馬。〔弘治・言語進退門105四〕

とあって、弘治二年本に標記語「手挟」の語を収載し、語注記「馬」と記載する。易林本節用集』に、

手輿(タゴシ) ―繩(ナワ)―挿(バサミ)。〔器財91七・天理図書館蔵上46オ七〕

とあって、標記語「手夾」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』・十巻本伊呂波字類抄』・弘治二年本節用集』に標記語「手夾」「手挟」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

013三々九手夾八的等曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ箭臺残三三度射也。其則九度手挟也。此内三度目一射残。是八的也。或八的英扇紙半揚葉畳_紙(タヽウー)小刀梗概(カウガイ)下_針(サケー)、是八也。是八所置也。小笠原流スル也。鉋懸八枚四枚充馬場左右立行_皈左右射也。曲三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕

とあって、標記語「手夾」の語を収載し、語注記に「九手とは、的を庭に出す時、矢二手を持ち出す。一をば箭の臺に立て、残り三を手にもって挟み、三度射るなり。其れ則ち九度手挟むなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

三々九手夾(タバサミ)ト云事。何ノ弓ニモ有ナリ。九度ノ礼儀アルナリ。〔上2ウ二〕

とあって、標記語「手夾」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

三々九(さん/\く)手夾(たばさミ)三々九手夾。是は挾物(はさミもの)を射る法式(はうしき)なり。挾物とハ八寸四方の折敷を四つに切四寸四方にして串にはさみ立て射る。是を四半と云。右の折敷を九つに切壱寸三分余四方にしたるを九半(くはん)と云。下の八ツ的ハ即(すなハち)この挾物なり。〔3オ五〜七〕

とあって、この標記語「手夾」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)()(あそび)三々九(さん/\く)手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)(うち)(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九手夾八的等曲節近日打_續経-▲三三九手夾ハ射手(いて)的場(まとは)に臨(のそ)むとき矢()二手(ふたて)持出(もちいて)て一筋(すち)を箭臺(やたい)に立て(のこ)る三筋(すち)を手()に挾(はさ)ミ三度()()る也。三度に九筋(すぢ)の矢()を射るゆへ三々九といふ。但(たゞ)し是(これ)ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事ぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミもの)の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切()り串(くし)に挟(はさ)ミて立(たつ)るを四半(しはん)といひ九ツに切(きり)たるを九半(くはん)といふ。即(すなハち)(これ)也と云り。〔1ウ六・2オ七〜ウ一〕

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゝめ)小弓(こゆミ)勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)()(あそひ)三々九(さん/゛\く)手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)()曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)(うち)(つゝき)(けいえいす)(これ)▲三三九手夾ハ射手的場(まとば)に臨(のぞ)むとき矢()二手持出(もち  )て一筋を箭臺(やたい)に立て(のこ)る三筋(すぢ)を手に挾(はさ)ミ三度()射る也。三度に九筋の矢()を射るゆゑ三々九といふ。但(たゞ)し是ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事とぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミ  )の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切()り串(くし)に挟(はさ)ミて立るを四半といひ九ツに切たるを九半( はん)といふ。即(すなハち)(これ)也と云り。〔2オ六〜1ウ一、三ウ一〜四〕

とあって、標記語「手夾」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tabasami.タバサミ(手挾) Ynmiuo iru toqino reini aru coto nari.(弓を射る時の礼にあることなり)弓を射る人が,弓と矢とを手に持って,互いに交わす辞儀,あるいは,会釈.〔邦訳594r〕

とあって、標記語「手挾」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たばさ・むム・メ・マ・ミ・メ〔他動、四〕【手挾】手に挾み持つ。又、腋(わき)に、かかへ持つ。萬葉集、一26「丈夫(マスラヲ)の、得物矢手挿美(サツヤタハサミ)、立向ひ、射る的形は、見るにさやけし」同、十六30長歌「梓弓、八ツ多婆佐彌、ひめかぶら、八ツ多波左彌、しし待つと」〔3-261-3〕

とあって、標記語「-ばさ手夾】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ばさみ手挟】〔名〕@騎射の挟物(はさみもの)の的(まと)の一種。一説に、矢を二手に持って、一矢を箭台に立て、残った三本の矢を手にして三度射ること。A日本建築で、水平な床と勾配のある木との合する部分のおさまりをよくするために取り付ける板。向拝柱の組物と垂木との間などに用いる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是三尺手挾八的等也《訓み下し》是レ三尺ノ手挟八的等ナリ。《『吾妻鑑』建久元年八月十六日の条》
 
 
2006年03月03日(金)曇り一時小雨。東京→(世田谷)→台場
三三九(サンザンク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、標記語「三三九」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

三々九手夾八的等曲節〔至徳三年本〕

三々九手夾八的等曲節〔宝徳三年本〕

三々九手夾八的(まト)(ト )之曲節〔建部傳内本〕

三々九手夾(タハサミ)八的(ヤツマト)曲節〔山田俊雄藏本〕

三々九手夾八的等曲節〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「三三九」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「三三九」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「三三九」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「三三九」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

013三々九手夾八的等曲節 九手トハ的庭出時矢二手持_出。一ヲハ箭臺残三三度射也。其則九度手挟也。此内三度目一射残。是八的也。或八的英扇紙半揚葉畳(タヽウ)_紙小刀梗概(カウガイ)(サケ)_針、是八也。是八所置也。小笠原流ニハスル也。鉋懸八枚四枚充馬場左右立行_皈左右射也。曲三進退也。〔謙堂文庫藏五左C〕

とあって、標記語「三三九」の語を収載し、語注記に「九手とは、的を庭に出す時、矢二手を持ち出す。一をば箭の臺に立て、残り三を手にもって挟み、三度射るなり。其れ則ち九度手挟むなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

三々九手夾(タバサミ)ト云事。何ノ弓ニモ有ナリ。九度ノ礼儀アルナリ。〔上2オ三〕

とあって、標記語「三三九」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

三々九(さん/\く)手夾(たばさミ)三々九手夾。是は挾物(はさミもの)を射る法式(はうしき)なり。挾物とハ八寸四方の折敷を四つに切四寸四方にして串にはさみ立て射る。是を四半と云。右の折敷を九つに切壱寸三分余四方にしたるを九半(くはん)と云。下の八ツ的ハ即(すなハち)この挾物なり。〔3オ五〜七〕

とあって、この標記語「三三九」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)()(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)(うち)(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九手夾八的等曲節近日打_續経-▲三三九手夾ハ射手(いて)的場(まとは)に臨(のそ)むとき矢()二手(ふたて)持出(もちいて)て一筋(すち)を箭臺(やたい)に立て残(のこ)る三筋(すち)を手()に挾(はさ)ミ三度()()る也。三度に九筋(すぢ)の矢()を射るゆへ三々九といふ。但(たゞ)し是(これ)ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事ぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミもの)の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切()り串(くし)に挟(はさ)ミて立(たつ)るを四半(しはん)といひ九ツに切(きり)たるを九半(くはん)といふ。即(すなハち)(これ)也と云り。〔1ウ六・2オ七〜ウ一〕

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゝめ)小弓(こゆミ)勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)()(あそひ)三々九(さん/゛\く)手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)()曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)(うち)(つゝき)(けいえいす)(これ)▲三三九手夾ハ射手的場(まとば)に臨(のぞ)むとき矢()二手持出(もち  )て一筋を箭臺(やたい)に立て残(のこ)る三筋(すぢ)を手に挾(はさ)ミ三度()射る也。三度に九筋の矢()を射るゆゑ三々九といふ。但(たゞ)し是ハ九度の礼儀とていづれの弓(ゆミ)にもある事とぞ。或説(あるせつ)に三々九手夾ハ挾物(はさミ  )の事にて八寸の折敷(をしき)を四ツに切()り串(くし)に挟(はさ)ミて立るを四半といひ九ツに切たるを九半( はん)といふ。即(すなハち)(これ)也と云り。〔2オ六〜1ウ一、三ウ一〜四〕

とあって、標記語「三三九」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「三三九」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さん-ざんく三三九】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-ざんく三三九】〔名〕「さんざく(三尺)」に同じ」→標記語「さん-ざく三尺三三九】〔名〕(「三三九」は当て字)流鏑馬(やぶさめ)の的(まと)の名。的串(まとぐし)の高さが三尺(約九〇センチb)のもの。さんざんく。新猿樂記(1061-65頃)「中君夫天下第一武者也。合戦、夜討<略>八的、三三九手狭等上手也」*吾妻鏡-建久元年(1190)八月一六日「三尺・手夾・八的等也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三的之後、三々九、四六三以下作物等各射之《訓み下し》三的ノ後、三三九(サンサンク)、四六三以下ノ作物等、各之ヲ射ル。《『吾妻鑑』寛喜元年十月二十二日の条》
 
 
ことばの溜め池「草鹿圖」(2000.10.17)を参照。
ことばの溜め池「南山」=「圓物圖」(1999.10.03)を参照。
 
2006年03月02日(木)曇り。北海道(札幌)→東京(世田谷)
笠懸(かさかけ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

笠懸(カサカケ) 。〔元亀二年本95三〕〔静嘉堂本118四〕〔天正十七年本上58オ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

笠懸小串之會草鹿圓物遊〔至徳三年本〕

笠懸小串之會草鹿圓物遊〔宝徳三年本〕

笠懸小串之會草鹿(シヽ)(まろ)物遊〔建部傳内本〕

笠懸流鏑(ヤフサメ)小串之()會草鹿圓物〔山田俊雄藏本〕

笠懸小串之會草鹿円物〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「笠懸」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「笠懸」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

笠懸(カサカケ)最初。後皮的(カワマト)。〔態藝門78七〕

とあって、標記語「笠懸」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

笠懸(カサカケ/リウケン、―・ハルカナリ)[入・平]最初ニハ射(イル)。後ニハ皮的。〔態藝門290二〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、注記は『下學集』を継承する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

笠懸(カサカケ) 最初懸笠射之。〔弘治・言語進退門86二〕

笠懸(カサカケ) 最初ニハ。後ニハ皮的也。〔永祿本・言語門83九〕

笠懸(カサカケ) 最初ニハ之。後ニハ皮的。〔尭空本・言語門76二〕

笠懸(カサカケ) 最初ニハ射之。後ニハ用皮的也。〔両足院本・言語門91六〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承する。易林本節用集』に、

笠懸(カサカケ) 最初。後ニハ皮的。〔言語門83七・天理図書館蔵上42オ七〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は『下學集』を緒とし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのであるが、注記内容は異にしている。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

011笠懸小串會 頼朝御時、上野新田ニシテ射。々手内笠ルニ吹落。頼朝面白其射仰。即彼被遊也。自是始歟。今革作也。馬場一通、馬ヲハ其溝走也。如流馬(ヤフサメ)也。又最初射也。后用皮的也。射手十騎也。小串張串シテ差_立也。又的張射有也。又三生_物。又的、串結_付上タルヲハ横木。左-右差也。又大張、少縁座立也。射手数作小串兩方置。射手分二番射也。一番衆的射當タル的時串一立。當縁座則二串立也。一番衆二番衆ニモ大將其有。大將ルニ的當一矢二充(ツヽ)立也。縁座ルニ数多也。一番終二番衆出射也。其時如一番即前串抜棄也。一番数程不當。則二番負也。残数錢一番衆取也。又二番衆前矢数串皆抜棄又串立也。是二番勝也。一番立所出也。兩方將軍將軍負勝錢也。其外者一人充出錢也。小串ニハ書雁也。雁ナリ。〔謙堂文庫藏五右@〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記に「頼朝の御時、上野新田の庄にして的を射らる。射手の内笠を被るに風に吹き落ちぬ。頼朝、面白し、其れ射よと仰せらる。即ち彼の被∨∨笠を射させ遊ぶなり。是れより始るか。今は、的を革を以って作るなり。馬場一通に溝を堀り、馬をば其の溝の中を走らせしむなり。流馬(ヤフサメ)のごときなり。また、最初は笠を懸け射るなり。后に皮的を用ゆるなり。射手は十騎なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

笠懸(カサカケ)ノ事馬()場ヲ二町半町ニ拵(コシラヘ)テ御弓也。アヅチヲ九ノ杖ニコシラヘテ。中ニ溝ヲ堀通スナリ。溝ノ上下ニ馬打入ノ大溝ヲホル。其ヲアゼリト云ナリ。足入ノナリハ。三隅(スミ)ニスル也。弓法ノ大事是也。アヅチヲ最()中ニ築テ。的(マト)ヲ懸(カク)ルナリ。可(ヒス)ナリ。〔上5オ五〜七〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

笠懸(かさかけ)笠懸。遠笠懸小笠懸乃品あり。又神事の笠懸七夕笠かけなといふあり。源將軍(けんしやうくん)頼朝公(よりともこう)の時より笠を懸て射初(いはじむ)るといへり。馬場(ハは)の間一町前さくり後さくりとて馬場乃中に溝を一尺五寸に堀(ほり)てその内を馬にて馳(はせ)て的(まと)を射る。中古ハ馬場二町半なり。的は馬場の半にかけ置(をく)串的(くしまと)にて串の長サハ六尺土の上四尺的の勢は壱尺八寸、但し的革あり。射人(ゐて)ハ行縢(むかばき)をはき以上十度射るなり。小笠遠の的は四寸四方、串ハ壱尺貳寸にて貳寸ハへ入るなり。〔2ウ一〜四〕

とあって、この標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は真字註から継承して的の内容を補填記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

將又(はたまた)楊弓(やうきう)雀(すゝめ)小弓(こゆミ)の勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こぐしのゑ)草鹿(くさじゝ)圓物(まるもの)()(あそび)三々九(さん/\く)の手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)の曲節(きよくせつ)近日(きんじつ)(うち)(つゞ)き之(これ)を經營(けいゑい)ず/將又楊弓雀小弓勝負笠懸小串會草鹿圓物之遊三々九手夾八的等曲節近日打_續経-▲笠懸ハ馬場(ばゞ)の中(なか)に大溝(おほミぞ)をほり通(とう)し其中(そのなか)を馬(むま)を馳()せて射()る。的(まと)ハ串的(くしまと)なり。尤(もつとも)(とほ)笠懸小()笠懸等の別(べつ)ありて構(かまへ)寸尺とも各(おの/\)(こと)に習(ならひ)ある事と云々。濫觴(はじまり)ハ頼朝卿(よりともきやう)上野(かふづけ)新田庄(につたのせう)にて的(まと)()せられしとき風(かぜ)に笠(かさ)の吹落(ふきお)ちたるを射()させられしより起(おこ)りて後(のち)にハ笠を懸(かけ)て射しゆへ名()とすとなり。〔1オ五、六〕

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゝめ)小弓(こゆミ)勝負(しようふ)笠懸(かさがけ)小串之會(こくしのくわい)草鹿(くさしゝ)圓物(まるもの)()(あそひ)三々九(さん/゛\く)手夾(たばさミ)八的等(やつまどとう)()曲節(きよくせつ)近日(きんしつ)(うち)(つゝき)(けいえいす)(これ)▲笠懸ハ馬場(ばゝ)の中(なか)に大溝(おほミそ)をほり通(とほ)し其中を馬(うま)を馳()せて射()る。的(まと)ハ串的(くし  )なり。尤(もつとも)遠笠(とほかさ)懸小()笠懸等の別(べつ)ありて構(かまへ)寸尺とも各(おの/\)(こと)に習(ならひ)ある事と云々。濫觴(はしまり)ハ頼朝卿(よりともきやう)上野(かふつけ)新田庄(につたのせう)にて的(まと)()せられしとき風に笠(かさ)の吹落(ふきお)ちたるを射()させられしより起(おこ)りて後(のち)にハ笠(かさ)を懸て射()しゆへ名()とすとなり。〔2オ五・2ウ三〜六〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Casacaqe.カサカケ(笠懸) 矢で標的を射ること.〔邦訳104r〕

とあって、標記語「笠懸」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かさ-がけ〔名〕【笠懸】〔元は笠をかけて的としたるより、名とす、豐後守高忠聞書「綾藺笠を懸けて射たるに因りて、笠かけと云ふなり」(俗語考、かさかけ)〕騎射の式。的の遠近に因りて、遠笠懸と、小笠懸(こがさがけ)とに別つ、單に、笠懸と云へば、遠笠懸にて、的との距離十餘閧ネり、的は、板に革を張りて、内に藁を入る、矢は蟇目なり。小笠懸は、方四寸の板的にて、的闍゚く、蟇目も小さし。中右記、寛治六年二月八日、行幸「於加波多河原、暫留御馬、云云、義綱朝臣武士也、一一騎馬、云云、仰笠懸之由」慶長)吾妻鏡、三、壽永三年五月十九日ニ、由比濱に小笠懸あり、同、十八、建仁四年二月十二日、同所にて遠笠懸あり」〔1-613-2〕

とあって、標記語「かさ-がけ笠懸】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かさ-かけ笠懸】〔名〕(古く「かさかけ」とも)中世に行なわれた射芸の一つ。馬上から遠距離の的を射る競技。もと射手の笠をかけて的としたところによる名称。後には革張りの板的で一尺八寸。的間(まとあい)は十丈。弓は塗弓、三所籐(みところどう)の類で、矢は的を傷つけないように鏃(やじり)を除いて鏑(かぶら)を大きく笠懸用に作った蟇目(ひきめ)を用いる。また、小笠懸に対して特に遠笠懸ともいう。別に小笠懸、神事笠懸、鬮笠懸、百番笠懸などがある。《季・夏》[補注]騎射の歴史の中で一番古くからあり、犬追物や流鏑馬(やぶさめ)ほど儀式に厳しくなく、設備も簡単で場所も狭くてすむので、平安・鎌倉時代は盛んに行なわれ、日記類にもしばしば記されている。室町時代になると、騎射の三つの物の一つとして武人の間で盛んに行なわれた。江戸時代には、徳川吉宗が犬追物・流鏑馬などと共に復興した」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
若公萬壽、於由比浦、射小笠懸給結城七郎朝光、奉扶持之《訓み下し》若公万寿、由比浦ニ於テ、小笠懸(コカサガケ)ヲ射給フ。結城ノ七郎朝光、之ヲ扶持シ奉ル。《『吾妻鑑』建久四年三月一日の条》
 
 
2006年03月01日(水)小雪。北海道(札幌)
(こあて)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

。〔元亀二年本165九〕〔静嘉堂本184二〕

。〔天正十七年本中23オ三〕〔西來節本〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來正月五日の状に、

將又楊弓小弓勝負〔至徳三年本〕

將又楊弓小弓勝負〔宝徳三年本〕

(ハタ)又楊弓小弓勝負〔建部傳内本〕

將又楊弓小弓之勝負〔山田俊雄藏本〕

將又楊弓小弓勝負〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「(こあて)」の語は未収載して、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

010將又楊弓小弓勝負楊弓説多玄宗ヨリ。雖宗三千人后妃、楊貴妃一人寵愛也。餘妃妬貴妃小弓貴妃云テ爲調伏。又楊妃春之遊小弓。是人謂楊弓。此時。面四寸作也。禽也。禽惣名也。言此遊立物ニシテ也。三十二様(コアテ)弓有。雀字弓法(コアテ)也。其時者禽限也。何立シテ而射也云々。〔謙堂文庫藏四左F〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「雀は、禽なり。禽は、鳥の惣名なり。言は、此の遊びは、禽を立物にして射るとなりが三十二様の雀(コアテ)の弓有り。「雀」の字、弓法に「雀(コアテ)」と讀むなり。其の時は、禽に限るべからずなり。何れを物立てとして而るに射なり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハタ)( タ)楊弓(ヤウキウ)・(スヽメ)小弓(コユミ)勝負(せウブ)トハ。公卿ノ御弓也。アヅチヲ九ノ杖ニコシラヘテ。廣縁(ヒロエン)ナドニテ射(イル)也。ユンボコハ。三尺六寸也。雀小弓トハ。殿上人の態(ワザ)也。ユミノホコ二尺七寸ナリ。的(マト)ヲ四寸ニシテ。中ニツリ。五間口チヲイテ射()ルナリ。〔上5オ三〜五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゞめ)小弓(こゆミ)の勝負(しやうぶ)將又楊弓小弓勝負將又ハさて又なとゝいふかことし。石玉雜記(せききよくさつき)に楊弓と雀小弓ハ皆公家(くけ)の翫(もてあそ)ひとする事也。田舎(いなか)にて雀をくゝり同ためしとし貳尺七寸乃弓にて勝負をし賭物(かけもの)の興(けう)をし侍る。是をいふといへり。まち/\の説ありて一决しかたし。〔2オ七〜2ウ一〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、上記の如く語注記を記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゞめ)小弓(こゆミ)の勝負(せうぶ)將又楊弓小弓勝負▲楊弓と雀小弓とハ公卿(くぎやう)遊興(ゆうけう)の器(うつわ)なり。〔1ウ四〜七〕

將又(はたまた)楊弓(やうきう)(すゞめ)小弓(こゆミ)勝負(せうぶ)▲楊弓と雀小弓とハ公卿(くきやう)遊興(いうきやう)の器(うつハ)なり。〔1オ五〜1ウ一、二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「こあて()」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-あて】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-あて〔名〕@弓枝で、弓を引く前に、よく矢先をあてがうこと。また、その時の目標物。七十一番職人歌合(1500頃か)四七番「をしはかるこあてだになし夜引目いる方暗き月のあたりは」A物事をうまく運ぶため、便宜的な目あて、目印を決め、それに合わせて行なうこと。また、その目印。甲陽軍鑑(17初)品四四「刀は向(むかい)の人、左へ膝を中に当、太刀は向(むかふ)の人、身体のまん中を当る也。心のこあて也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

UP(「ことばの溜め池」最上部へ)

BACK(「ことばの溜め池」表紙へ)

BACK(「言葉の泉」へ)

MAIN MENU(情報言語学研究室へ)