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ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「山櫻」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「山櫻」の語は未収載にあり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコトレ櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求レ櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有二八重櫻一。此ヲ見給則四言ノ作レ詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)二春ノ季ニ一出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)二玉女一多(ユウナ/\/ヲヽシニ)二戀歌一。此詩ハ猿O字也。毎ニレ句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲二二字四言一也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如レ此之作レ詩給イ御送候ト被ルレ仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作レ詩給イ御_送候ト被レハレ仰。后ノ日、實ニ思食セハ折二一枝一不ルレ給哉。被レハレ仰。帝則彼櫻ヲ移二奈良ニ一殖ナリ。自レ是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「山櫻」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)レ條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)二黙止(モタシ)一者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)二光陰(クワウイン)ヲ一哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無レ怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)/嵯峨吉野山ノ櫻是も皆花乃名所なり。〔7オ一・二〕
とあって、この標記語「山櫻」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉。〔5ウ一・二〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)。〔8ウ六〕
Yamazacura.ヤマザクラ(山桜) 野生の桜.※原文はCereijeira.〔Sacuraの注〕〔邦訳809r〕
やま-ざくら〔名〕【山櫻】(一)山に自生して、單瓣、白色、疎らにして早く開く櫻の類の總稱。字鏡52「木辛夷、山左久良」(二)櫻の一種。本邦の種類中、最も普通なるもの。花、葉、同時に出で、鄰葉は赤色、褐色、又は、黄褐色にして頗る優美に、花は單瓣なれど、又、八重なるもあり、紅、白二種あり。各地の山中に自生すれど、大和國の吉野山、最も名あり。〔2051-4〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、山田俊雄藏本は、「芳野の」、経覺筆本は、「吉野の」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本に「吉野」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「よし(の)の」と記載する。
吉野(ヨシノ/キチヤ)[○・上]大倭(ヤマト)。〔天地門314二〕
吉野(ヨシノ) 大和。〔弘治・天地90二〕
吉野(ヨシノ) 。〔尭空本・天地門79二〕〔両足院本・天地門94七〕
吉野(ヨシノ) 。〔乾坤門85三・天理図書館蔵上43オ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「吉野」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本は、「吉野」として収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコトレ櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求レ櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有二八重櫻一。此ヲ見給則四言ノ作レ詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)二春ノ季ニ一出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)二玉女一多(ユウナ/\/ヲヽシニ)二戀歌一。此詩ハ猿O字也。毎ニレ句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲二二字四言一也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如レ此之作レ詩給イ御送候ト被ルレ仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作レ詩給イ御_送候ト被レハレ仰。后ノ日、實ニ思食セハ折二一枝一不ルレ給哉。被レハレ仰。帝則彼櫻ヲ移二奈良ニ一殖ナリ。自レ是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「吉野」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)レ條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)二黙止(モタシ)一者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)二光陰(クワウイン)ヲ一哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無レ怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)/嵯峨吉野山ノ櫻是も皆花乃名所なり。〔7オ一・二〕
とあって、この標記語「吉野山」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉▲嵯峨ハ山城(やましろ)吉野ハ大和(やまと)是亦共(またとも)に花の名所也。〔5ウ一・二〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)▲嵯峨ハ山城(やましろ)吉野ハ大和(やまと)是(これ)亦共(またとも)に花の名所也。〔8ウ六〕
嵯峨野(サカノ)。〔元亀二年本275九〕
×。〔静嘉堂本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「嵯峨」と記載する。
嵯峨(サカ)[平・平]在二城州西山ニ一也。〔天地門771七〕
嵯峨(サガ) 山城。〔弘治・天地208五〕
嵯峨(サガ) 。〔永祿本・天地門173四〕〔尭空本・天地門162六〕
嵯峨(サガ) 。〔乾坤門175七・天理図書館蔵下20ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「嵯峨」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコトレ櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求レ櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有二八重櫻一。此ヲ見給則四言ノ作レ詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)二春ノ季ニ一出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)二玉女一多(ユウナ/\/ヲヽシニ)二戀歌一。此詩ハ猿O字也。毎ニレ句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲二二字四言一也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如レ此之作レ詩給イ御送候ト被ルレ仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作レ詩給イ御_送候ト被レハレ仰。后ノ日、實ニ思食セハ折二一枝一不ルレ給哉。被レハレ仰。帝則彼櫻ヲ移二奈良ニ一殖ナリ。自レ是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「嵯峨」の語を収載し、語注記に、「嵯峨は、京の西岳なり」と記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)レ條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)二黙止(モタシ)一者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)二光陰(クワウイン)ヲ一哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無レ怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)/嵯峨吉野山ノ櫻是も皆花乃名所なり。〔7オ一・二〕
とあって、この標記語「嵯峨」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉▲嵯峨ハ山城(やましろ)吉野ハ大和(やまと)是亦共(またとも)に花の名所也。〔5ウ一・二〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)▲嵯峨ハ山城(やましろ)吉野ハ大和(やまと)是(これ)亦共(またとも)に花の名所也。〔8ウ六〕
さ-が〔副〕【嵯峨】〔説文「嵯峨、山高」字鏡37「嶮也、嵯也、峨也、佐加志(サカシ)」〕山の、聳え立てる状に云ふ語。陸機、從軍行「崇山鬱トシテ嵯峨ナリ」衞恒、論書「山岳嵯峨而連レ岡」〔842-1〕
盛(サカン也)。熾(同)。〔元亀二年本279五〕
盛(サカンナリ)。熾(同)。〔静嘉堂本319三〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「盛」と記載する。
昌(サカン也/シヤウ)[平]。盛(同/せイ)[平]。(同/リウ)[平軽]。榮(同/ヱイ)[平]。〔態藝門808三〕
昌(サカン也)。盛(同)。隆(同)。〔弘治・言語進退213五〕
昌(サカン也) 盛 隆。〔永祿本・言語門179七〕
昌(サカンナリ) 盛 隆。〔尭空本・言語門168八〕
熾(サカンナリ) 盛(同) 壯(同) 隆(同)。〔言辞門183二・天理図書館蔵下24ウ二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「盛」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコトレ櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求レ櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有二八重櫻一。此ヲ見給則四言ノ作レ詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)二春ノ季ニ一出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)二玉女一多(ユウナ/\/ヲヽシニ)二戀歌一。此詩ハ猿O字也。毎ニレ句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲二二字四言一也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如レ此之作レ詩給イ御送候ト被ルレ仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作レ詩給イ御_送候ト被レハレ仰。后ノ日、實ニ思食セハ折二一枝一不ルレ給哉。被レハレ仰。帝則彼櫻ヲ移二奈良ニ一殖ナリ。自レ是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「盛」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)∨條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)‖黙止(モタシ)|者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)‖光陰(クワウイン)ヲ|哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無∨怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
匂(にほひ)巳(すて)に盛(さか)ん也(なり)/匂巳ニ盛也満開(まんかい)なるゆへなり。〔7オ一〕
とあって、この標記語「盛」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉。〔5オ六〜八〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)。〔8ウ一〜四〕
Sacan.サカン(盛) 例、Sacan naru.(盛んなる)栄える、または、隆盛でその盛りである。文書語.〔邦訳546l〕
さかり〔名〕【盛】〔さかる(盛)の名詞形、其條を見よ〕(一){さかること。勢ひの、たけなはなること。まさかり。隆盛。万葉集、五15「梅の花、今佐加利(サカリ)なり、思共(オモフドテ)、挿頭(カザシ)にしてな、今佐加利なり」同、三30「青によし、奈良の都は、咲く花の、匂ふが如く、今盛(サカリ)なり」(二){わかざかり。をとこざかり。壯年。源氏物語、九、葵26「かかる齡(よはひ)の末に、若く、さかりの子に後れ奉りて」同、四十八、寄生07「まして、ただ人の、さかり過ぎなむも、あいなし」(三)にぎはひ。繁昌。はやり。「さかり場」〔781-5〕
已(スデニ)。既(同)。〔元亀二年本362七〕
已(ステニ)。既(同)。〔静嘉堂本442一〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「已」と記載する。
野馬臺ヤマト/ヤバタイ ーーーノ義ハ已ニ注ス于上ニ矣。〔天地門18D〕
矛潦ニワタミツ/クワウラウ 朝ニ滿夕ニ已ニ除(ノソコル)以此ノ詩ノ意ヲ可知矛潦ノ義〔天地門24@〕
鍛冶カチ/タンヤ 字已ニ別音(コヘ)モ亦タ別也(ナリ)。〔人倫門39B〕
師子身中欝シシシン(チウ)ノムシ 言ハ師子(シシ)ハ雖トモ二已(ステ)ニ死スト一百獸([ヒヤク]ジウ)尚(ナヲ)畏(ヲソレ)テ二其ノ威(イ)ヲ一不レ能レ食(クラフ)コト二其ノ肉ヲ一〔態藝門94B〕
絆冬クワンドウ/フキ 三躰詩([サン]テイシ)ニ云ク僧房([ソウ]バウ)ニ逢著(ブチヤク)ス二〓冬花([クワンドウ]クワ)一。出テテレ寺ヲ吟行スレハ日已(ステ)ニ斜ナリ。十二街中(カイ[チユウ])春雪遍(アマネシ)二馬蹄([バ]テイ)一。今ニ去テ入ラン二誰(タレ)カ家ニカ一〔草木門123E〕
烏臼樹ウキウジユ 臼或ハ作スレ舅ニ宋ノ和靖(ワセイ)カ句ニ巾子(キンシ)峰頭(ホウトウ)烏臼樹微霜(ビサウ)未タスレ落(ヲチ)。已ニ先ツ紅(クレナイ)ナリト云々〔草木門132D〕
と六例あって、このうち二例にふりがな「すてに」が施されている。次に、広本『節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、
既(スデニ/キ)。已(同/イ)[去]。〔態藝門1134二〕
既(スデニ)。已(同)。〔弘治・言語進退270五〕
既(ステニ) 已。〔永祿本・言語門231九〕〔尭空本・言語門217八〕
既(スデニ/キ)。已(同/イ)。〔言辞門164三・天理図書館蔵下54オ一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「已」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコトレ櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求レ櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有二八重櫻一。此ヲ見給則四言ノ作レ詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)二春ノ季ニ一出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)二玉女一多(ユウナ/\/ヲヽシニ)二戀歌一。此詩ハ猿O字也。毎ニレ句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲二二字四言一也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如レ此之作レ詩給イ御送候ト被ルレ仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作レ詩給イ御_送候ト被レハレ仰。后ノ日、實ニ思食セハ折二一枝|不ルレ給哉。被レハレ仰。帝則彼櫻ヲ移二奈良ニ一殖ナリ。自レ是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「已」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)∨條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)‖黙止(モタシ)|者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)‖光陰(クワウイン)ヲ|哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無∨怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
匂(にほひ)巳(すて)に盛(さか)ん也(なり)/匂巳ニ盛也満開(まんかい)なるゆへなり。〔7オ一〕
とあって、この標記語「已」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉。〔5オ六〜八〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)。〔8ウ一〜四〕
Sudeni.スデニ(既に、已に) 副詞.すでにもう、または、すんでのところで、もうちょっとのところで、危ないところで、など.例、Sudeni xino<to itaita.(既に死なうと致いた)彼はすんでのことに死ぬところであった.〔邦訳582r〕
すでに〔副〕【既・已】〔既、盡也〕(一){盡(ことごと)く。全く。すっかりと。まるきり。ひきくるめて。全體に。一般に。すっと亘りて。古事記、序「已(スデニ)因レ訓述レバ者、詞不レ逮レ心」古事記、下(反正)17「御齒、云云、上下等齊、既(スデニ)如レ貫レ珠」~代紀、上19「此二門、潮既(スデニ)太急」~代紀、上27「素盞鳴尊所レ生之皃、皆已(スデニ)男矣」繼體紀、廿三年三月「朝貢使、云云、濕レ所レ?、全(スデニ)壞無レ色」萬葉集、十七13「天の下、須泥爾(スデニ)被ひて、降る雪の」(二){前(さき)に。夙(はや)く。まへかた。未(いま)だの反(うら)。萬葉集、十七16「君に因り、吾が名は須泥爾(スデニ)立田山」萬葉集、十二16「梓弓、引きみ弛べみ、思ひみて、既(すでに)心は、寄りにしものを」夫木抄、三十六「月見ても、我が世はすでに、久方の、遍く照らせ、秋の心を」「すでに去れり」「すでに終はりき」(三) 轉じて、はや。もはや。すんでのことに。古今著聞集、十、相撲強力、近江の金「ただ、締めに締めまさりければ、既に、沫を吹き死なむとしけり」玉葉集、九、戀、一「夕暮は、必ず人を、戀ひ馴れて、日も傾けば、すでに戀しき」太平記、三十一、武藏野合戰事「小手差原より石濱まで、坂東道、已に四十六里を、片時が閧ノぞ追ひつきたる」建礼門院右京大夫集「内裏に近き火の事ありて、すでに危(あぶな)かりしかば」 〔2-911-3〕
匂(ニホウ)。薫(同)。〔元亀二年本41四〕
匂(ニヲフ)。薫(同)。〔静嘉堂本45四〕
匂(ニヲイ)。薫(同)。〔天正十七年本上23オ六〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・経覺筆本に「拔+匂」、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本に「匂」と表記して記載する。
編ニホフ/ニホヒ。鬱。薫。芬。馥。芳。榎。菲已上同。〔黒川本上31オ八〕
編ニホフ/ニホヒ。鬱。薫。芥。本。芳。榎。?。越。菲已上同。〔卷第二267一〕
匂(ニホフ/イン)[平軽]又作二發越(ニヲウト)一。〔態藝門93四〕
匂(ニホフ) 薫。芬。馥。芳/榎。菲。共同。〔弘治・言語進退29一〕
匂(ニホフ) 鬱。薫。芬。馥/芳。榎。菲。〔永祿本・言語門29八〕
編(ニヲフ) 鬱。薫。芬。馥/芳。榎。菲。〔尭空本・言語門26八〕
編(ニホウ)。鬱(同)。薫(同)。芬(同)。馥(同)/芳(同)。榎(同)。菲(同)。〔両足院本・言語門31五〕
薫(ニホフ)。編(同) 。〔言辞門28七・天理図書館蔵上14ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「匂」と「編」と両表記されている。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本は、標記語「匂」の語を収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコト∨櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求∨櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有‖八重櫻|。此ヲ見給則四言ノ作∨詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)‖春ノ季ニ|出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)‖玉女|多(ユウナ/\/ヲヽシニ)‖戀歌|。此詩ハ猿O字也。毎ニ∨句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲‖二字四言也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如∨此之作∨詩給イ御送候ト被ル∨仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作∨詩給イ御_送候ト被レハ∨仰。后ノ日、實ニ思食セハ折‖一枝|不ル∨給哉。被レハ∨仰。帝則彼櫻ヲ移‖奈良ニ|殖ナリ。自∨是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「匂」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)∨條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)‖黙止(モタシ)|者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)‖光陰(クワウイン)ヲ|哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無∨怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
匂(にほひ)巳(すて)に盛(さか)ん也(なり)/匂巳ニ盛也満開(まんかい)なるゆへなり。〔7オ一〕
とあって、この標記語「匂」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉。〔5オ六〜八〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)。〔8ウ一〜四〕
Niuoi.ニホヒ(匂) 匂い.→Faxxi,suru(発し,する);Vtcuriqi,uru.〔邦訳467r〕
にほ-ひ〔名〕【匂】〔韵の省文の添畫〕(一){にほふこと。氣色(けはひ)の映(は)ゆること。少女などの美しく、氣色のほめき立ちて見ゆること。氣韻。源氏物語、一、桐壺17「繪にかける楊貴妃の貌は、云云、筆限りありければ、いと匂ひなし」拾遺集、十六、雜、春「飽くかざりし、君が匂の、戀しさに、梅の花をぞ、今朝は折りつる」(二){色のうつくしく、映ゆること。色の光ること。艶(つや)。うつくしき艶なり。艶。源氏物語、三十八、夕霧46「あざやかに、物清げに、若う盛りに匂ひを散らし給へり」萬葉集、八、16長歌「咲きにける、櫻の花の、丹穗日はもあなに」同、十44「黄葉(もみぢば)の、丹穗日は繁し、然れども、妻梨の木を、手折りかざさむ」(三){香(か)。かをり。香氣。薫。(四){ひかり。威光。源氏物語、四十五、椎本27「人となり行ひ齡に添へて、官(つかさ)、位(くらゐ)、世の中の匂ひも何とも覺えずなん」(五)鍛ひに因りて、刀の刃の膚に、研ぎあげて生ずる艶(つや)ある文理(あや)。錵(にえ)の映えて立つもの。鎧色談「刀の燒刃にも匂と云事あり、燒刃の處に虹のごとく見えて、ほのぼのと色うすくなりたる所を匂といふ」(六)襲(かさね)の色目に、紫にほひ、紅にほひ、萌黄にほひと云ふは、濃き色の上重(うはがさね)に、薄き色を取合はするにて、餘韵のひびきたる心なり。(七)鎧の縅毛(をどしげ)に云ふは、上の方は色濃く、下の方次第に薄く、果は白くなるものなり。萌黄匂、爐(はじ)匂など、皆然り。すそご(裾濃)の反對なるもの。参考保元物語、二、義朝白河殿夜討事「當年十七、死生不知の兵也、(伊藤六)萌黄匂の鎧に、三枚兜に染羽の矢負、三所籐の弓を持(半井本)」(八) 薫物(たきもの)に云ふは、初、香高く、末に至りてほのぼのと、香、薄るる如きものなり。〔3-715-1〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「芬々」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「芬々」の語は未収載にあり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコト∨櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求∨櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有‖八重櫻|。此ヲ見給則四言ノ作∨詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)‖春ノ季ニ|出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)‖玉女|多(ユウナ/\/ヲヽシニ)‖戀歌|。此詩ハ猿O字也。毎ニ∨句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲‖二字四言也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如∨此之作∨詩給イ御送候ト被ル∨仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作∨詩給イ御_送候ト被レハ∨仰。后ノ日、實ニ思食セハ折‖一枝|不ル∨給哉。被レハ∨仰。帝則彼櫻ヲ移‖奈良ニ|殖ナリ。自∨是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「芬々」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)∨條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)‖黙止(モタシ)|者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)‖光陰(クワウイン)ヲ|哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無∨怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
濃香(じやうかう)芬々(ふんぶん)として/濃香芬々ト兎濃香ハにほひのふかきなり。芬々とハかほりの高きを形容(〔け〕いよう)したるなり。〔6ウ八〜7オ一〕
とあって、この標記語「芬々」の語を収載し、語注記は、「芬々とは、かほりの高きを形容(けいよう)したるなり」と明確に記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉。〔5オ六〜八〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)。〔8ウ一〜四〕
Funpun.フンプン(芬々) Co<baxixi,co<baxixi.(芬しし,芬しし)気持ちのよい匂い.または,芳香が発散しひろがること.文書語.→Gio>qio<.〔邦訳278r〕
ふん-ぷん〔名〕【芬々】香の馨る状に云ふ語。詩經、大雅、生民之什、鳧楠篇「旨酒欣欣、燔炙芬芬、公尸燕飲、無レ有二後艱一」庭訓往來、二月「醍醐雲林院花、濃香芬芬、而匂已盛也」〔3-237-4・1782-4〕※「楠」の文字がつぶれていて拡大して確認した。
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「濃香」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「チヨウキヤウ」と記載する。
濃華(デウクワ) ―香(キヤウ)。―色(シヨク)。〔言辞門162二・天理図書館蔵下16オ二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「濃香」の語は未収載にあり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
042濃香芬々トシテ匂巳盛也嵯峨吉野(原註一)山櫻 嵯峨ハ京西岳也。吉野ハ大和。日本用ルコト∨櫻ヲ。仁王四十五代聖武天王求∨櫻ヲ時キ、大和春日明神ノ后ニ三笠山ニ有‖八重櫻|。此ヲ見給則四言ノ作∨詩光明皇后ヘ奉給。詩ニ日、昌(ヒヽニ/サカンナリ)‖春ノ季ニ|出(ヤマ/イテタリ)美花|債(ミサレトモ/モトム)‖玉女|多(ユウナ/\/ヲヽシニ)‖戀歌|。此詩ハ猿O字也。毎ニ∨句上ノ一字二度讀也。一字ヲ爲‖二字四言也。或人詩ノ心ヲ歌ニ讀也。日ニ添ヘテ取リ社(コソ)益(マサシ)山_櫻伊-茂ニ見せバヤ伊(イ)_社寢(ネラレネ)。天皇皈洛ノ後、后キ天皇ニ相_給テ云、如_何ナレハ如∨此之作∨詩給イ御送候ト被ル∨仰。天皇ノ曰、櫻ノ有ヲ見_付哀レ是ヲ皇后ニ進度思候間、餘ノ亊ニ作∨詩給イ御_送候ト被レハ∨仰。后ノ日、實ニ思食セハ折‖一枝|不ル∨給哉。被レハ∨仰。帝則彼櫻ヲ移‖奈良ニ|殖ナリ。自∨是普賞翫也。〔謙堂文庫藏8右G〕
とあって、標記語「濃香」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)∨條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)‖黙止(モタシ)|者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)‖光陰(クワウイン)ヲ|哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無∨怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
濃香(じやうかう)芬々(ふんぶん)として/濃香芬々ト兎濃香ハにほひのふかきなり。芬々とハかほりの高きを形容( いよう)したるなり。〔6ウ八〜7オ一〕
とあって、この標記語「濃香」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉▲醍醐雲林院共(とも)に山城(やましろ)にありて花(はな)の名所(めいしよ)なり。昔(むかし)雲林院には忘憂(ばういう)花合(くハがふ)歡花(くハんくハ)などいふ名木(めいほく)もありけるよし。〔5オ六〜八、5オ八〜5ウ一〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)▲醍醐雲林院共(とも)に山城(やましろ)にありて花(はな)の名所(めいしよ)なり。昔(むかし)雲林院には忘憂(ばういう)花合(くわかう)歡花(くわんくわ)などいふ名木(めいぼく)もありけるよし。〔8ウ一〜四、8ウ四〜六〕〔8ウ一〜四〕
Gio>qio<.ヂョゥキャゥ(濃香) Comayacani co<baxij.(濃やかに香ばしい).すなわち,Yoi niuoi.(良い匂ひ)芳香.¶Gio>qio< funpunto xite niuoi sudeni sacan nari.(濃香芬々として匂已に盛なり)芳香があたり一面に広がって,強いかおりを放ち,その芳香で満ちている.※濃香芬々匂已盛也(庭訓往來,二月徃状).〔邦訳319l〕
のう-かう〔名〕【濃香】こまやかなるにほひ。和漢朗詠集、上「淺紅鮮娟、仙方之雪?レ色、濃香芬郁、妓鑪之烟讓レ薫」〔1532-1〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條○([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕
抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕
抑醍醐雲林院ノ花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)野ノ山桜開落交(マシフ)レ條ヲ難キ二黙止一者此節(トキ)也。爭テカ徒(ト)然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
抑モ醍醐雲林院ノ花濃香芬々トシテ匂ヒ巳ニ盛ン也嵯峨吉野ノ山桜開落交ヘレ條(エダ)ヲ其ノ梢繁シ難キ二黙止一者此ノ節也爭デカ徒然トシテ而送ラン二光陰ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「雲林院」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「雲林院」の語は未収載にあり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
041猶以千悔々々抑醍醐雲林院(ウ/ウン――)ノ花 醍醐ハ在‖山階ニ|。真言宗也。梅ノ道地也。雲林院ハ在∨京ニ是モ梅ノ道地也。雲林ト可∨読ム也。〔謙堂文庫藏八右F〕
とあって、標記語「雲林院」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
抑(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フンフン)ト兎、匂(ニオヒ)巳(スデニ)盛(サカン)也。嵯峨(サガ)吉野ノ山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)交(マジヘ)∨條(ヱダ)ヲ其ノ梢(コズヘ)繁(シゲシ)難(ガタキ)‖黙止(モタシ)|者此ノ節(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)ト兎而送(ヲクラン)‖光陰(クワウイン)ヲ|哉(ヤ)ト醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃(ホ)メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無∨怠(ヲコタル)一佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ醐薄(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんいん)ノ花(ハな)/抑醍醐雲林院ノ花花の名所(めいしよ)なり。昔(むかし)雲林院に名木あり。忘憂(バうゆう)花合(くわかう)歡花(くわんくわ)といえる銘(めい)を御門(ミかど)より玉ひし也。これハ此花を見れは憂(うき)を忘れ歡を生するとのこゝろを以て名附たまひしといふ。〔6ウ六〜八〕
とあって、この標記語「雲林院」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)條(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)梢(こずゑ)繁(しげ)し。黙止(もだし)難(がた)き者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)とし而(て)光陰(くハういん)を送(おく)らん哉(や)/抑醍醐。雲林院ノ花。濃香芬々ト兎。匂巳盛也。嵯峨。吉野ノ山桜。開落交ヘレ條ヲ其梢繁シ。難キ二黙止一者此節也。爭カ徒然ト兎而送ラン二光陰ヲ一哉▲醍醐雲林院共(とも)に山城(やましろ)にありて花(はな)の名所(めいしよ)なり。昔(むかし)雲林院には忘憂(ばういう)花合(くハがふ)歡花(くハんくハ)などいふ名木(めいほく)もありけるよし。〔5オ六〜八、5オ八〜5ウ一〕
抑(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)巳(すてに)盛(さかん)也(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)交(まじへ)レ條(えだ)を其(その)梢(こずゑ)繁(しげし)難(がた)二黙止(もだし)一者(ハ)此(この)節(せつ)也(なり)爭(いかで)か徒然(とぜん)に而(して)送(おく)らん二光陰(くわういん)を一哉(や)▲醍醐雲林院共(とも)に山城(やましろ)にありて花(はな)の名所(めいしよ)なり。昔(むかし)雲林院には忘憂(ばういう)花合(くわかう)歡花(くわんくわ)などいふ名木(めいぼく)もありけるよし。〔8ウ一〜四、8ウ四〜六〕〔8ウ一〜四〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔至徳三年本〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔宝徳三年本〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔建部傳内本〕
併ナカラ似タリレ隔ツルニ二胡越ヲ一猶ホ以テ千悔々々〔山田俊雄藏本〕
併セテ似タリレ隔ツルニ二胡越ヲ一猶ホ以テ千悔々々〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「千悔」と記載する。
千悔(せンクワイ/○、クユル)[平・上]。〔態藝門1108八〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に標記語「千悔」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
041猶以千悔々々抑醍醐雲林院(ウ/ウン――)ノ花 醍醐ハ在‖山階ニ|。真言宗也。梅ノ道地也。雲林院ハ在∨京ニ是モ梅ノ道地也。雲林ト可∨読ム也。〔謙堂文庫藏八右F〕
とあって、標記語「千悔」の語を収載し、語注記は未記載にする。
似タリ∨隔(ヘダツ)ルニ‖胡越(ヲツ)ヲ|猶(ナヲ)以テ千悔(クワイ)千悔ト云事。太唐ニ胡越(コエツ)國トテ兩國アリ。其間ハ七百里ナリ。其際(アヒダ)ニ二十三箇國有。其内ニ會稽(クワイケイ)山アリ。麓ニ達遷(タツセン)ガ原アリ。黒川鏡(コクセンケイ)ト云河アリ。渡リテハ河原(カワラ)ニ行キ。川原ヲ行テハ渡ル。惣兎河ノ面(ヲモテ)四十里ナリ。會稽(クワイケイ)山ヨリ流ルゝ也。國ヲ隔(ヘダテ)タル樣ニ。遠ク覺ル事(コトヲ)謂(イハ)ントテ。隔二胡越ヲ一タルト云ナリ。大殄(ガイ)若(ゴトシ)斯(カク)付タリ。會稽山ノ故事越(エツ)王勾践(コウセン)呉(ゴ)王夫差(フサ)トノ戰(タヽカ)ヒ又樊蠡(ハンレイ)ガ故事也。〔5ウ二〜五〕
千悔(せんくわい)々々(/\)/千悔々々後悔(こうくわい)千萬(せんばん)といふかことし。〔6ウ六〕
とあって、この標記語「千悔」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)山(やま)の如(ごと)く何の時(とき)か意霧(ゐむ)を散(さん)ず可(べ)けん哉(や)併(しかしながら)胡越(こゑつ)を隔(へだ)つるに似(に)たり猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)/面拝之後中絶良久遺恨如シレ山何時散二意霧一哉併似レ隔二胡越ヲ一猶以千悔々々▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔5オ三〜五〕
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)如(ごとく)レ山(やまの)何(いづれの)時(ときか)可(べけん)レ散(さんず)二意霧(いむを)一哉(や)併(しかしながら)似(にたり)隔(へだつるに)一胡越(こゑつを)二猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔8オ三〜六〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔至徳三年本〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔宝徳三年本〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔建部傳内本〕
併ナカラ似タリレ隔ツルニ二胡越ヲ一猶ホ以テ千悔々々〔山田俊雄藏本〕
併セテ似タリレ隔ツルニ二胡越ヲ一猶ホ以テ千悔々々〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「胡越」と記載する。
意(コヽロニ)合(カナフ)則(トキハ)胡越(コヱツ)為(タリ)二昆弟(コンテイ)一由余(ユウヨ)子(シ)藏(サウ)是矣(コレナリ)不(ザルトキハ)レ合(カナワ)則骨(コツ)肉(ニクモ)為(ナル)二敵讐(テキシウ)一朱象(シユシヤウ)管蔡(クワンサイ)是矣(コレナリ)漢書(コエツ/キワマル、ヲワル)。〔態藝門670八〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に標記語「胡越」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
040併似∨隔‖胡越ヲ| 言遠義也。又都鄙ノ心也。又指‖天竺|胡ト曰。指∨唐ヲ曰∨越ト也。〔謙堂文庫藏八右E〕
とあって、標記語「胡越」の語を収載し、語注記は未記載にする。
似タリ∨隔(ヘダツ)ルニ‖胡越(ヲツ)ヲ|猶(ナヲ)以テ千悔(クワイ)千悔ト云事。太唐ニ胡越(コエツ)國トテ兩國アリ。其間ハ七百里ナリ。其際(アヒダ)ニ二十三箇國有。其内ニ會稽(クワイケイ)山アリ。麓ニ達遷(タツセン)ガ原アリ。黒川鏡(コクセンケイ)ト云河アリ。渡リテハ河原(カワラ)ニ行キ。川原ヲ行テハ渡ル。惣兎河ノ面(ヲモテ)四十里ナリ。會稽(クワイケイ)山ヨリ流ルゝ也。國ヲ隔(ヘダテ)タル樣ニ。遠ク覺ル事(コトヲ)謂(イハ)ントテ。隔二胡越ヲ一タルト云ナリ。大殄(ガイ)若(ゴトシ)斯(カク)付タリ。會稽山ノ故事越(エツ)王勾践(コウセン)呉(ゴ)王夫差(フサ)トノ戰(タヽカ)ヒ又樊蠡(ハンレイ)ガ故事也。〔5ウ二〜五〕
併(しかしなか)ら胡越(こゑつ)を隔(へたつ)るに似(に)たり/併似タリレ隔ルニ二胡越ヲ一さも遠国(ゑんこく)をへたてゝ住(すめ)るかことく遠く處となり胡越は皆唐土(もろこし)の国乃名なり。越ハ南のはて。胡ハ北のはつれにて夥(おひたゝ)しく道のへだゝりしゆへ譬(たとへ)に取(とり)しなり。〔6ウ四・五〕
とあって、この標記語「胡越」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)山(やま)の如(ごと)く何の時(とき)か意霧(ゐむ)を散(さん)ず可(べ)けん哉(や)併(しかしながら)胡越(こゑつ)を隔(へだ)つるに似(に)たり猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)/面拝之後中絶良久遺恨如シレ山何時散二意霧一哉併似レ隔二胡越ヲ一猶以千悔々々▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔5オ三〜五〕
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)如(ごとく)レ山(やまの)何(いづれの)時(ときか)可(べけん)レ散(さんず)二意霧(いむを)一哉(や)併(しかしながら)似(にたり)隔(へだつるに)一胡越(こゑつを)二猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔8オ三〜六〕
‡Coyet.コエツ(胡越) →Xicaxinagara.〔邦訳158l〕
こ-えつ〔名〕【胡越】〔胡の條を見よ、胡國ハ、支那の遙かなる北方にあり、越國ハ、南方にあり〕胡國の人と、越國の人と。其地、相、懸隔するに因りて、疎遠なる意にも用ゐらる。傳燈録「今、講者、偏彰二漸義一、禪者、偏播二頓宗一、禪、講、相逢、胡越之隔」史記、魯仲連「自疑孤飛ノ鳥、得レ接二鸞鳳ノ翅一、永懷共濟レ心、莫レ起二胡越意一」胡越一家と云ふは、遠隔、異郷の人人が、一座に団欒(まとゐ)すること。通鑑綱目、唐紀、大宗「貞觀七年、帝宴二未央宮一、上皇命二頡利可汗一起舞、馮智戴詠レ詩、既而笑曰、胡越一家、古未レ有也」(頡利は胡國王、馮智戴は、越國人なり)〔751-4〕
阻同。間同。〔元亀二年本52三〕
隔(ヘダツ) 。阻同。間同。〔静嘉堂本58四〕
隔(ヘタツ) 。阻同。間同。〔天正十七年本上30オ三〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔至徳三年本〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔宝徳三年本〕
併似隔胡越猶以千悔々々〔建部傳内本〕
併ナカラ似タリレ隔ツルニ二胡越ヲ一猶ホ以テ千悔々々〔山田俊雄藏本〕
併セテ似タリレ隔ツルニ二胡越ヲ一猶ホ以テ千悔々々〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「隔」と記載する。
隔ヘタツ。〔黒川本・辞字門上41ウ四〕
隔ヘタツ/唐乍範 。〔卷第二・辞字門360二〕
隔(ヘダツ/カク)[入]。阻(同/ソ)[去]。間(同/カン・アイダ)[去]。〔態藝門123六〕
隔(ヘタツ) 又阻。〔弘治・言語進退40一〕
隔(ヘタツ) 。〔永祿本・言語門39九〕
隔(ヘタツ) 屏阻/中。〔尭空本・言語門36八〕〔両足院本・言語門43八〕
隔(ヘダツ)。阻(同)。(同)。〔言辞門39一・天理図書館蔵上20オ一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「隔」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
040併似∨隔‖胡越ヲ| 言遠義也。又都鄙ノ心也。又指‖天竺|胡ト曰。指∨唐ヲ曰∨越ト也。〔謙堂文庫藏八右E〕
とあって、標記語「隔」の語を収載し、語注記は未記載にする。
似タリ∨隔(ヘダツ)ルニ‖胡越(ヲツ)ヲ|猶(ナヲ)以テ千悔(クワイ)千悔ト云事。太唐ニ胡越(コエツ)國トテ兩國アリ。其間ハ七百里ナリ。其際(アヒダ)ニ二十三箇國有。其内ニ會稽(クワイケイ)山アリ。麓ニ達遷(タツセン)ガ原アリ。黒川鏡(コクセンケイ)ト云河アリ。渡リテハ河原(カワラ)ニ行キ。川原ヲ行テハ渡ル。惣兎河ノ面(ヲモテ)四十里ナリ。會稽(クワイケイ)山ヨリ流ルゝ也。國ヲ隔(ヘダテ)タル樣ニ。遠ク覺ル事(コトヲ)謂(イハ)ントテ。隔二胡越ヲ一タルト云ナリ。大殄(ガイ)若(ゴトシ)斯(カク)付タリ。會稽山ノ故事越(エツ)王勾践(コウセン)呉(ゴ)王夫差(フサ)トノ戰(タヽカ)ヒ又樊蠡(ハンレイ)ガ故事也。〔5ウ二〜五〕
併(しかしなか)ら胡越(こゑつ)を隔(へたつ)るに似(に)たり/併似タリレ隔ルニ二胡越ヲ一さも遠国(ゑんこく)をへたてゝ住(すめ)るかことく遠く處となり胡越は皆唐土(もろこし)の国乃名なり。越ハ南のはて。胡ハ北のはつれにて夥(おひたゝ)しく道のへだゝりしゆへ譬(たとへ)に取(とり)しなり。〔6ウ四・五〕
とあって、この標記語「隔」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)山(やま)の如(ごと)く何の時(とき)か意霧(ゐむ)を散(さん)ず可(べ)けん哉(や)併(しかしながら)胡越(こゑつ)を隔(へだ)つるに似(に)たり猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)/面拝之後中絶良久遺恨如シレ山何時散二意霧一哉併似レ隔二胡越ヲ一猶以千悔々々▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔5オ三〜五〕
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)如(ごとく)レ山(やまの)何(いづれの)時(ときか)可(べけん)レ散(さんず)二意霧(いむを)一哉(や)併(しかしながら)似(にたり)隔(へだつるに)一胡越(こゑつを)二猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔8オ三〜六〕
Fedate,tcuru,eta.ヘダテ,ツル,テタ(隔て,つる,てた) 隔て離す,または,遠ざける.¶Fitoni cocorouo fedatcuru.(人に心を隔つる)ある人と交際しないで,背き離れている.¶Yama,cuni,vmi,caua,nadouo,fedatcuru.(山,国,海,河,などを隔つる)中間に山,国,海,河,などをはさんで隔たり離れている.→Feqi(壁);Xicaxinagara.〔邦訳219l〕
へだ-・つ・ツル・ツレ・テ・テ・テヨ〔他動、下二〕【隔】〔重を立つる意〕(一)閧ノ物事を立てて塞(せ)く。閧塞ぎ絶つ。さへぎる。字鏡38「岨、戸太豆」蘇軾詩「斷橋隔二勝踐一」碧巌録、第一則「隔レ山見レ烟、早知二是火一、隔レ牆見レ角、便知二是牛一」萬葉集、十八15「月見れば、同じ國なり、山こそは、君があたりを、敝太弖たりけれ」(二)時日を過ごす。雜纂新續(清、韋光喙)没用處「隔レ年破二暦本一、燈煤頭」萬葉集、十一17「若草の、にひ手枕を卷きそめて、夜をや將(ヘダテム)、にくくあらなくに」源氏物語、九、葵49「にひ手枕の、心苦しくて、夜をやへだてんと、思しわづらはるれば」(三)うとみ遠ざく。わけへだてをなす。源氏物語、十四、澪標10「かねてより、隔てぬ中と、ならはねど、別れは惜しき、物にぞありける」〔1806-3〕
面拝之後中絶良久遺恨如山何時散意霧哉〔至徳三年本〕
面拝之後中絶良久遺恨如山何時可散意霧哉〔宝徳三年本〕
面拝之後中絶(セツ)良(ヤヤ)久遺恨(イコん)如山何時散レ意霧哉〔建部傳内本〕
面拝之(ノ)後中絶良久ク遺恨如シレ山ノ何レノ時カ散せンヤ二意霧ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
面拝之後中絶良(ヤヤ)久ク遺恨如シレ山ノ何ノ時カ散ズベキ二意霧ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「散」と記載する。
散サンス/蘓汗反。〔黒川本・辞字門下40ウ三〕
散 サンス/亦乍散分離也。〔卷第八・辞字門436一〕
獲(ヱテハ)レ財(サイ)ヲ散(サン)ス之三畧。〔態藝門801八〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』及び十巻本『伊呂波字類抄』に、標記語「散」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
039面拝之後中絶良久遺恨如シ∨山何時散‖意霧|哉 中絶君子ノ道也。詩ニ云子夏過‖曽子ニ|。々々曰、入テ食セヨ。子夏曰、不∨為‖公カ之費|乎。曽子曰、君子ニ有‖三費|飲食ハ不∨有‖其中ニ|。少シテ而学老テ忘是一ノ費也。亊∨君ニ而モ有∨功輕負ク是一費久交中(ナカコロ)絶ウ。是一ノ費。其中ニ々絶ハ悪シ。〔謙堂文庫藏八右C〕
とあって、標記語「散」の語を収載し、語注記は未記載にする。
遺恨(イコン)如シレ山ノ何(イヅレ)ノ時カ散(サン)せン二意霧(イム)ヲ一乎(ヤ)遺恨ハ。ウラミイキドヲル事也。久ク謂語(イヒカタラ)ハデ心モウト/\タルヤト云ナリ。〔5オ八〜5ウ一〕
何(いつ)れの時(とき)か意霧(いむ)を散(さん)す可(へけ)ん哉(や)/何ノ時カ可ンレ散ス二意霧ヲ一哉意霧とハこゝろきりなり。心鬱(むすほふ)りてはれやらぬをいえり。云こゝろハいつか相逢(あいあ)ふて鬱散(うつさん)せんやとなり。〔6ウ二〜四〕
とあって、この標記語「散」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)山(やま)の如(ごと)く何の時(とき)か意霧(ゐむ)を散(さん)ず可(べ)けん哉(や)併(しかしながら)胡越(こゑつ)を隔(へだ)つるに似(に)たり猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)/面拝之後中絶良久遺恨如シレ山何時散二意霧一哉併似レ隔二胡越ヲ一猶以千悔々々。〔5オ三〜五〕
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)如(ごとく)レ山(やまの)何(いづれの)時(ときか)可(べけん)レ散(さんず)二意霧(いむを)一哉(や)併(しかしながら)似(にたり)隔(へだつるに)一胡越(こゑつを)二猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)。〔8オ三〜六〕
†San.サン(散) 去ること,または,逃げること.¶また,花が散ること.文章語.※原文desfolharen-/semはsemのseの誤植であろう.〔邦訳553l〕
さん・ず・ズル・ズレ・ゼ・ジ・ゼヨ〔自動、左變〕【散】散る。ちらばる。散りて、失す。禮記、曲禮、上篇「積而能散、安レ安而能遷」太平記、八、持明院殿行幸六波羅事「軍、散じて、翌日に、隅田、高橋、京中を馳せ廻りて」「人、散ず」會、散ず」〔842-1〕
さん・ず・ズル・ズレ・ゼ・ジ・ゼヨ〔他動、左變〕【散】(一)ちらす。費やす。史記、主父偃傳「遍召二昆弟賓客一、散二五百金一予レ之」「財を散ず」(二)晴らす。拂ふ。遣(や)る。太平記、廿四、依山門嗷訴公卿僉議事「加樣の不審をも、此の次いでに、散じたくこそ候へ」「鬱憤を散ず」〔842-1〕
面拝之後中絶良久遺恨如山何時散意霧哉〔至徳三年本〕
面拝之後中絶良久遺恨如山何時可散意霧哉〔宝徳三年本〕
面拝之後中絶(セツ)良(ヤヤ)久遺恨(イコん)如山何時散レ意霧哉〔建部傳内本〕
面拝之(ノ)後中絶良久ク遺恨如シレ山ノ何レノ時カ散せンヤ二意霧ヲ一哉〔山田俊雄藏本〕
面拝之後中絶良(ヤヤ)久ク遺恨如シレ山ノ何ノ時カ散ズベキ二意霧ヲ一哉〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「意霧」と記載する。
広本『節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、
散(サン)ズ二意霧(イム)ブヲ一[去・○・去]。〔態藝門14二〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に標記語「意霧」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
039面拝之後中絶良久遺恨如シ∨山何時散‖意霧|哉 中絶君子ノ道也。詩ニ云子夏過‖曽子ニ|。々々曰、入テ食セヨ。子夏曰、不∨為‖公カ之費|乎。曽子曰、君子ニ有‖三費|飲食ハ不∨有‖其中ニ|。少シテ而学老テ忘是一ノ費也。亊∨君ニ而モ有∨功輕負ク是一費久交中(ナカコロ)絶ウ。是一ノ費。其中ニ々絶ハ悪シ。〔謙堂文庫藏八右C〕
とあって、標記語「意霧」の語を収載し、語注記は未記載にする。
遺恨(イコン)如シ∨山ノ何(イヅレ)ノ時カ散(サン)せン二意霧(イム)ヲ一乎(ヤ)遺恨ハ。ウラミイキドヲル事也。久ク謂語(イヒカタラ)ハデ心モウト/\タルヤト云ナリ。〔5オ八〜5ウ一〕
何(いつ)れの時(とき)か意霧(いむ)を散(さん)す可(へけ)ん哉(や)/何ノ時カ可ンレ散ス二意霧ヲ一哉意霧とハこゝろきりなり。心鬱(むすほふ)りてはれやらぬをいえり。云こゝろハいつか相逢(あいあ)ふて鬱散(うつさん)せんやとなり。〔6ウ二〜四〕
とあって、この標記語「意霧」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)山(やま)の如(ごと)く何の時(とき)か意霧(ゐむ)を散(さん)ず可(べ)けん哉(や)併(しかしながら)胡越(こゑつ)を隔(へだ)つるに似(に)たり猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)/面拝之後中絶良久遺恨如シレ山何時散二意霧一哉併似レ隔二胡越ヲ一猶以千悔々々▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔5オ三〜五〕
面拝(めんはい)之(の)後(のち)中絶(ちうぜつ)良久(やゝひさし)く遺恨(ゐこん)如(ごとく)レ山(やまの)何(いづれの)時(ときか)可(べけん)レ散(さんず)二意霧(いむを)一哉(や)併(しかしながら)似(にたり)隔(へだつるに)一胡越(こゑつを)二猶(なを)以(もつて)千悔(せんくわい)々々(/\)▲意霧ハゆかしと思(おも)ふ意(ごゝろ)の結(むすぼ)ふれて濛(まう)々(/\)としたるを霧(きり)にたとへたる也。〔8オ三〜六〕
正月六日 石見守中原〔至徳三年本〕
正月六日 石見守中原〔宝徳三年本〕
正月六日 石見守中原〔建部傳内本〕
正月六日 石見守中原〔山田俊雄藏本〕
正月六日 石見守中原〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「中原」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「中原」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
037石見守中原 此姓有‖職原抄ニ|也。〔謙堂文庫藏〕
とあって、標記語「中原」の語を収載し、語注記によれば、「此の姓、『職原抄』に有るなり」と記載する。
正月六日 石見守(イハミノカミ)中原(ナカハラ)。〔5オ六〕
正月六日 石見守(いわミのかミ)中原(なかハら)/正月六日 石見守中原。〔6オ五〕
とあって、この標記語「中原」の語を収載し、語注記は「同道は、相伴ふ事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
正月(しやうぐハつ)六日(むいか) 石見守(いわミのかミ)中原(なかハら)/正月六日 石見ノ守中原▲中原ハ外記局(げききよく)の氏本姓(ほんせい)十市宿祢(といちのすくね)天延(てんえん)二年十二月に朝臣(あつそミ)を賜(たま)ふ。盖(けだし)人皇(にんわう)第三代安寧(あんねい)天皇(てんわう)第三の皇子(わうじ)磯城津彦命(いそきつひこのミこと)の後(のち)なりと云々。〔4ウ七、5オ一〕
正月(しやうぐハつ)六日(むいか) 石見守(いわミのかミ)中原(なかハら)中原ハ外記局(げききよく)の氏本姓(ほんせい)十市宿祢(といちのすくね)天延(てんえん)二年十二月に朝臣(あそミ)を賜(たま)ふ。盖(けだし)人皇(にんわう)第三代安寧(あんねい)天皇(てんわう)第三の皇子(わうし)磯城津彦命(いそき ひこのミこと)の後(のち)なりと云々。〔7ウ五、8オ一〕
正月六日 石見守中原〔至徳三年本〕
正月六日 石見守中原〔宝徳三年本〕
正月六日 石見守中原〔建部傳内本〕
正月六日 石見守中原〔山田俊雄藏本〕
正月六日 石見守中原〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「正月六日」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「正月六{十五日}」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
036正月十五日 此日有‖爆竹(サキチチヤウ)|。神異經曰、西方山中ニ有∨人。長一尺餘人見∨之。則病‖寒熱|。名‖山貸ト|。以∨竹焼∨火爆徳徳(ホク)有∨声則驚去。不∨来。正月用∨之。自∨此始也。又西天義式(サキツトヤウ)東土。如モ∨此書也。尺素徃来曰、七設ノ蒸粥ハ上元之世礼也。〔謙堂文庫藏七左H〕
とあって、唯一、標記語を「正月十五日」として収載し、「左義長」の催しを取り込もうとしていることで六日を敢えて十五日に変更した経緯が読み取れる。また、注記には『神異經』そして同じ往来物の『尺素往来』が此所で引用されていることが注目される。
正月六日 石見守(イハミノカミ)中原(ナカハラ)。〔5オ六〕
正月六日 石見守(いわミのかミ)中原(なかハら)/正月六日 石見守中原。〔6オ五〕
とあって、この標記語「正月六日」の語を以て収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
正月(しやうぐハつ)六日(むいか) 石見守(いわミのかミ)中原(なかハら)/正月六日 石見ノ守中原。〔4ウ七〕
正月(しやうぐハつ)六日(むいか) 石見守(いわミのかミ)中原(なかハら)。〔7ウ五〕
内々可被得御意〔至徳三年本〕
内々可被得御意〔宝徳三年本〕
内々可被得御意〔建部傳内本〕
内々可シ∨被ル∨得‖御意ヲ|〔山田俊雄藏本〕
内々可シ∨被ル∨得‖御意ヲ|〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「可被得」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「可被得」の語は未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
033内々可∨被∨得‖御意| 可ト∨得与ト可∨被∨得易ル也。可∨被云ハ左衛門殿ノ主人ニ被ヘシト∨得也。可∨得云ハ大臣達御遊トシテ幸アル間就∨其ニ而佐樣之人之方ハ可∨被∨得‖御意ヲ|也。〔謙堂文庫藏七左D〕
とあって、標記語「可被得」の語を収載し、語注記は未記載にする。
引出物(ヒキデモノ)者亭主(テイシユ)ノ奔走(ホンソウ)歟(カ)内内可シ∨被∨得‖御意ヲ|トハ。是又亭(テイ)主ノ課(ヲフセ)胃。〔5オ二三〕
内(ない)内(\)御意(きよい)に得(ゑ)被(らる)可(へし)/内内可シ∨被∨得‖御意ニ|内々御事を承知せられよとなり。〔6オ一・二〕
とあって、この標記語「可被得」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
内(ない)内(\)御意(きよゐ)得(ゑ)ら被(る)可(べ)し/内内可シ∨被ル∨得‖御意|。〔3ウ三〜六〕
内内可(べし)∨被(る)∨得(えら)‖御意(ぎよい)を|。〔7オ一〕
亭主(テイシユ) 。〔元亀二年本245二〕〔静嘉堂本283一〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走胃〔至徳三年本〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走歟〔宝徳三年本〕
一種一n者衆中課鑑賭引出物者亭主之奔走胃〔建部傳内本〕
一種一n者(ハ)衆中ノ課鑑賭(カケモノ)引出物者(ハ)亭主ノ奔走胃〔山田俊雄藏本〕
一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主奔走歟(カ)〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「亭主」と記載する。
亭主(テイシユ/ウテナ、アルシ・ヌシ)[平・上]主人。〔人倫門714三〕
亭主(テイシユ) 主人。〔弘治・人倫196八〕〔永祿本・人倫門162七〕〔尭空本・人倫門151九〕
亭主(テイシユ) 。〔言辞門164三・天理図書館蔵下15オ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「亭主」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
032賭引出物者亭主ノ奔走歟 賭ハ付∨的ニ義也。引出物者蒙求ニ曰晋ノ顧栄字彦先在‖洛陽ニ|。与‖同寮|飲ス見ルニ‖行テ炙者ヲ。有∨異‖於常|乃輟(ヤメ)テ‖巳カ炙者ヲ|咀(クラハ)シム∨之ヲ。同座悉咲テ∨栄ヲ曰。豈ヤ∨有ン‖終日|。取テ∨之不∨知∨味也。註ニ曰。有_人一人ニ不ルヲ∨引云也。引出物ハ自リ∨是始リ/ナリ。〔謙堂文庫藏七左B〕
とあって、標記語「亭主」の語を収載し、語注記は未記載にする。
引出物(ヒキデモノ)者亭主(テイシユ)ノ奔走(ホンソウ)歟(カ)内内可シ∨被∨得‖御意ヲ|トハ。是又亭(テイ)主ノ課(ヲフセ)胃。〔5オ二三〕
亭主(ていしゆ)乃奔走(ほんそう)歟(か)/亭主ノ奔走胃亭主ハ其家乃主なり。奔走ハはせはすると讀む事の世話(せわ)する事を云。馳走(ちそう)といふも同し胃とハ定めぬ詞なり。先方へ差圖(さしづ)かましき故胃の字を置たる也。〔5ウ七〜八〕
とあって、この標記語「亭主」の語を収載し、語注記は「同道は、相伴ふ事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
一種(いつしゆ)一n(いつべい)者(ハ)衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)乃奔走(ほんそう)歟(か)/一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主ノ奔走歟▲亭主ハ其家(そのいへ)の主人(あるじ)を指(さ)す。〔3ウ三〜六、4ウ一〕
一種(いつしゆ)一n(いつへい)者(ハ)衆中(しゆぢう)課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)奔走(ほんそう)歟(か)▲亭主ハ其家(そのいへ)の主人(あるじ)を指(さ)す。〔5ウ三〜6オ一、7オ四〕
Teixu.テイシュ(亭主) すなわち,Iyeno nuxi.(家の主)家の主人.→Gotei(御亭).〔邦訳643l〕
てい-しゅ〔名〕【亭主】(一)家の主人の稱。店主。首楞嚴經「譬如三有レ客寄二宿旅亭一、暫止便去、終不二常住一、而掌レ亭人、都無レ所レ去、各爲二亭主一」諸大名衆御成申入記「式三獻參て、亭主に御盃被下時、白太刀を進上、亭主必持參なり」魚板記(天文)「御折は、云云、その亭主の聞召候時は、人によりて被出阨~候」醒睡笑(元和、安樂庵策傳)五「亭主よりの指圖なれば、客は仰せの儘に受くると」(二)俗に、夫(をつと)。(農、工、商に)〔1344-5〕
賭(カケモノ) 。〔元亀二年本105五〕〔静嘉堂本132三〕〔天正十七年本上65オ一〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走胃〔至徳三年本〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走歟〔宝徳三年本〕
一種一n者衆中課鑑賭引出物者亭主之奔走胃〔建部傳内本〕
一種一n者(ハ)衆中ノ課鑑賭(カケモノ)引出物者(ハ)亭主ノ奔走胃〔山田俊雄藏本〕
一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主奔走歟(カ)〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「賭」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「かけもの」と記載する。
賭(カケモノ/ト)[上]。呱(同/キ)[去]。〔態藝門312八〕
賭(カケモノ) 勝負之時。〔弘治・言語進退82八〕
賭(カケモノ) 。〔永祿本・言語門85六〕〔尭空本・言語門77五〕〔両足院本・言語門93六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「賭」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
032賭引出物者亭主ノ奔走歟 賭ハ付∨的ニ義也。引出物者蒙求ニ曰晋ノ顧栄字彦先在‖洛陽ニ|。与‖同寮|飲ス見ルニ‖行テ炙者ヲ。有∨異‖於常|乃輟(ヤメ)テ‖巳カ炙者ヲ|咀(クラハ)シム∨之ヲ。同座悉咲テ∨栄ヲ曰。豈ヤ∨有ン‖終日|。取テ∨之不∨知∨味也。註ニ曰。有_人一人ニ不ルヲ∨引云也。引出物ハ自リ∨是始リ/ナリ。〔謙堂文庫藏七左B〕
とあって、標記語「賭」の語を収載し、語注記は「賭は、的に付ける義なり」と記載する。
賭(カケモノ)トハ積物ナリ。衆中の藝に依てうるところなり。〔5オ一・二〕
賭(かけもの)引出物(ひきで )ハ/賭引出物者藝(げい)に勝(すぐ)れ人にすくれたる者にあたふる褒美(ほうび)の品(しな)也。扇子畳帋(たとふかミ)あるひハ沈香(ぢんかう)帛(ふくさ)やう乃ものを出す。〔5ウ六・七〕
とあって、この標記語「賭」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
一種(いつしゆ)一n(いつべい)者(ハ)衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)乃奔走(ほんそう)歟(か)/一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主ノ奔走歟▲賭引出物ハ扇子(あふき)疊紙(たとふかミ)笄(かうがい)小箱(こばこ)の類(るい)いづれも射勝(いか)ちたる方(かた)へ与(あた)ふる褒美(ほうび)の品(しな)也。〔3ウ三〜六、4ウ一〕
一種(いつしゆ)一n(いつへい)者(ハ)衆中(しゆぢう)課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)奔走(ほんそう)▲賭引出物ハ扇子(あふき)疊紙(たとふかミ)笄(かうがい)小箱(こはこ)の類(るゐ)いづれも射勝(いか)ちたる方(かた)へ与(あた)ふる褒美(ほうび)の品也。〔5ウ三〜6オ一、7オ三・四〕
Caqemono.カケモノ(賭) 賭ける物.¶Caqemononi suru.(賭にする)物を賭ける.¶Quaina nagusaminiua qinguin naritomo,vma,mononogu naritomo caqemononi suru cotogia.(くわいな慰みには金銀なりとも,馬,物具なりとも賭にすることぢや)Mon.(物語)豪勢な遊びごとには、金や銀であろうと,馬や武具であろうと,それを賭けるものである.〔邦訳95l〕
かけ-もの〔名〕【賭物】賭事に賭くる品物。賭祿(かけロク)。宇津保物語、菊宴1「事もなき娘、誰れ多く物せらるらむ、かけ物にして、娘比べなどせられよや」〔366-3〕
課役(クワヤク) 。〔元亀二年本189十〕〔静嘉堂本213八〕〔天正十七年本中36オ八〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走胃〔至徳三年本〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走歟〔宝徳三年本〕
一種一n者衆中課鑑賭引出物者亭主之奔走胃〔建部傳内本〕
一種一n者(ハ)衆中ノ課鑑賭(カケモノ)引出物者(ハ)亭主ノ奔走胃〔山田俊雄藏本〕
一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主奔走歟(カ)〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「課役」と記載する。
課鑑クワヤク。〔黒川本・畳字門中81オ五〕
課試(クハシ) 〃鑑。〃口。〃丁。〃業ケフ。〔卷第六・畳字門456二〕
課鑑(クワヤク)。〔態藝門76六〕
課鑑(クワヤク/コヽロム、ツカイ)[去・入]。〔態藝門543一〕
課役(クワヤク) 。〔弘治・言語進退161七〕
課役(クワヤク) ―試(シ)。〔永祿本・言語門131八〕
課役(クワヤク) ―試。〔尭空本・言語門121一〕〔両足院本・言語門146六〕
課鑑(クワヤク) 。〔言辞門133四・天理図書館蔵上67オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「課役」「課鑑」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にては「課」の語を以て収載しているのである。
031一種一n者衆中課 種ハ肴也。自‖東山殿|始也。nハ甕ヤn子等也。課ハ役也。言ハ爲‖用意|之義ナリ。〔謙堂文庫藏七左A〕
とあって、標記語「課」の語を収載し、語注記は「課は、役なり。言は、用意の爲の義なり」と記載する。
一種一n(ヘイ)者衆中ノ課鑑(クハヤク)一種ハ樽一ツヅヽ。一瓶(ヘイ)ハ花一枝ナリ。〔5オ一〕
一種(いつしゆ)一n(へい)ハ衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)/一種一n者衆中ノ課役一種ハ肴(さかな)一色なり。一瓶ハ酒一壺(つほ)なり。酒壺ハ衆客中(しゆきやくちう)より出さんとなり。〔5ウ五〜六〕
とあって、この標記語「課役」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
一種(いつしゆ)一n(いつべい)者(ハ)衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)乃奔走(ほんそう)歟(か)/一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主ノ奔走歟。〔3ウ三〜六〕
一種(いつしゆ)一n(いつへい)者(ハ)衆中(しゆぢう)課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)奔走(ほんそう)。〔5ウ三〜6オ一〕
Quayacu.クヮヤク(課役) 主君が人に負わせる役目.§Quayacuuo caquru.(課役を掛くる)主君がある役目,あるいは,任務を負わせる.〔邦訳521r〕
くヮ-やく〔名〕【課役】(一)調(テウ)と、役(ヤク)と。(祖(ソ)の條を見よ)隨書、高祖紀「詔、以二河南八州水一、免二其課役一」百練抄、六、保延七年八月四日「上皇御處分莊莊、可レ免二國郡課役一事、宣下」(二)役(ヤク)を課(おほ)すること。夫役(ブヤク)。後漢書、樊宏傳「課役童隷、各得其宣」吾妻鏡、五十一、弘長三年六月廿三日「將軍家御上洛事、有二其沙汰一、被レ充二課役於諸國一」〔591-4〕
一瓶(ヘイ) 。〔元亀二年本18一〕〔静嘉堂本12四〕〔天正十七年本上7ウ三〕〔西來寺本〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走胃〔至徳三年本〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走歟〔宝徳三年本〕
一種一n者衆中課鑑賭引出物者亭主之奔走胃〔建部傳内本〕
一種一n者(ハ)衆中ノ課鑑賭(カケモノ)引出物者(ハ)亭主ノ奔走胃〔山田俊雄藏本〕
一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主奔走歟(カ)〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「一瓶」と記載する。
一瓶(イチヘイ/○、ツルベ)。〔数量門11四〕
一瓶(ヘイ) 。〔弘治・言語進退8七〕
一瓶(ヘイ) 。〔永祿本・言語門5二〕
一位 ―種。―瓶。―同。《下略》。〔尭空本・言語門5五〕
一位 ―種(シユ)。―瓶(ヘイ)。―同。《下略》。〔両足院本・言語門6六〕
一瓶(ヘイ) 酒。〔言語門5二・天理図書館蔵上3オ二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「一瓶」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
031一種一n者衆中課 種ハ肴也。自‖東山殿|始也。nハ甕ヤn子等也。課ハ役也。言ハ爲‖用意|之義ナリ。〔謙堂文庫藏七左A〕
とあって、標記語「一瓶」の語を収載し、語注記は未記載にする。
一種一n(ヘイ)者衆中ノ課鑑(クハヤク)一種ハ樽一ツヅヽ。一瓶(ヘイ)ハ花一枝ナリ。〔5オ一〕
一種(いつしゆ)一n(へい)ハ衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)/一種一n者衆中ノ課役一種ハ肴(さかな)一色なり。一瓶ハ酒一壺(つほ)なり。酒壺ハ衆客中(しゆきやくちう)より出さんとなり。〔5ウ五〜六〕
とあって、この標記語「一瓶」の語を収載し、語注記は「同道は、相伴ふ事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
一種(いつしゆ)一n(いつべい)者(ハ)衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)乃奔走(ほんそう)歟(か)/一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主ノ奔走歟。▲一種ハ肴(さかな)。一瓶ハ酒(さけ)の事。〔3ウ三〜六〕
一種(いつしゆ)一n(いつへい)者(ハ)衆中(しゆぢう)課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)奔走(ほんそう)▲一種ハ肴(さかな)。一瓶ハ酒(さけ)の事。〔5ウ三〜6オ一〕
Ippei.イッペイ(一瓶) 酒徳利,あるいは,酒瓶一本.〔邦訳337r〕
いち-べい〔名〕【一瓶】瓶子(ヘイシ)、即ち、酒を入れおく細高き陶磁器、一本。庭訓往來(元弘)正月一五日「一種一瓶者、衆中之課役」(いッすものを見よ)易林節用集(慶長)言語「一瓶(イツヘイ)、酒也」〔192-2〕
一種(イツシユ) 。〔元亀二年本18一〕〔天正十七年本上7ウ三〕
一種(シユ) 。〔静嘉堂本12四〕〔西來寺本〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走胃〔至徳三年本〕
一種一n者衆中課賭引出物者亭主奔走歟〔宝徳三年本〕
一種一n者衆中課鑑賭引出物者亭主之奔走胃〔建部傳内本〕
一種一n者(ハ)衆中ノ課鑑賭(カケモノ)引出物者(ハ)亭主ノ奔走胃〔山田俊雄藏本〕
一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主奔走歟(カ)〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「一種」と記載する。
一種(イチシユ/○、シユウキ・タネ)[○・去]。〔数量門11四〕
一種(シユ) 。〔弘治・言語進退8七〕
一種(シユ) 。〔永祿本・言語門5二〕
一位 ―種。―瓶。―同。《下略》。〔尭空本・言語門5五〕
一位 ―種(シユ)。―瓶(ヘイ)。―同。《下略》。〔両足院本・言語門6六〕
一種(シユ) 肴数。〔言語門5一・天理図書館蔵上3オ一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「一種」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
031一種一n者衆中課 種ハ肴也。自‖東山殿|始也。nハ甕ヤn子等也。課ハ役也。言ハ爲‖用意|之義ナリ。〔謙堂文庫藏七左A〕
とあって、標記語「一種」の語を収載し、語注記は未記載にする。
一種一n(ヘイ)者衆中ノ課鑑(クハヤク)一種ハ樽一ツヅヽ。一瓶(ヘイ)ハ花一枝ナリ。〔5オ一〕
一種(いつしゆ)一n(へい)ハ衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)/一種一n者衆中ノ課役一種ハ肴(さかな)一色なり。一瓶ハ酒一壺(つほ)なり。酒壺ハ衆客中(しゆきやくちう)より出さんとなり。〔5ウ五〜六〕
とあって、この標記語「一種」の語を収載し、語注記は「同道は、相伴ふ事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
一種(いつしゆ)一n(いつべい)者(ハ)衆中(しゆぢう)の課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)乃奔走(ほんそう)歟(か)/一種一n者衆中ノ課役賭引出物者亭主ノ奔走歟。▲一種ハ肴(さかな)。一瓶ハ酒(さけ)の事。〔3ウ三〜六〕
一種(いつしゆ)一n(いつへい)者(ハ)衆中(しゆぢう)課役(くわやく)賭(かけもの)引出物(ひきでもの)者(ハ)亭主(ていしゆ)奔走(ほんそう)▲一種ハ肴(さかな)。一瓶ハ酒(さけ)の事。〔5ウ三〜6オ一〕
†Ixxu.イッシュ(一種・一首) 物の品種を数えたり,また歌を数えたりする言い方.〔邦訳350r〕
いッ-しュ〔名〕【一種】(一)一種物(いつすもの)の條を見よ。(二)同類の中にて、少し異なるもの。異種。「吉野櫻は、山櫻の一種」(三)次條を見よ。〔186-2〕
いッしュ-いッ-ぺい〔名〕【一種一瓶】一種物(いつすもの)より出でて、肴の異名。吾妻鏡、十一、建久二年九月廿一日「各相二具一種一瓶於濱一獻レ之」庭訓往來、正月「一種一瓶者、衆中之課役、賭引出物者、亭主奔走歟」〔186-2〕
但的矢蟇目等無沙汰憚入候〔至徳三年本〕
但的矢蟇目等無沙汰憚入候〔宝徳三年本〕
但的矢蟇(ヒキ)目等無沙汰憚入候〔建部傳内本〕
但シ的(マト)矢蟇目(ヒキメ)等ハ無沙汰憚入候〔山田俊雄藏本〕
但シ的矢蟇目等無ク二沙汰一憚リ入リ候〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「的矢」と表記し、山田俊雄藏本に「まと(や)」と記載する。
的矢(マトヤ) 。〔器財門141三・天理図書館蔵下3ウ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、易林本『節用集』に、標記語「的矢」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
029究ツ竟上手一兩輩可∨令‖同道|也。但的矢 節三所也。羽ハ鴾ノ羽本也。以上三手持亊也。染作(ハキ)一手、白羽一手、重箆(カタノ)一手、以上三手。〔謙堂文庫藏七右F〕
とあって、標記語「的矢」の語を収載し、語注記は未記載にする。
百手(モヽテ)ノ達者(タツシヤ)究竟(クツキヤウ)ノ上手(ジヤウズ)一兩輩( ウハイ)可キ∨令(シム)‖同道セ|也但(タヽシ)的矢(マトヤ)百手(モヽテ)ハ都ニ五尺八寸ニ的ヲコシラヘテ遠(トヲ)サヲ三十三杖( ヘ)ニ延(ノベ)テアヅチヲ沸(ハラフ)事平地也。諸侍裏打(ウラウチ)ニ縛(シバ)リ袴(ハカマ)ヲ著(キ)テ折烏帽子(オリエボシ)ニテ射(イル)レ之。三十三人立テ三十三度ツヽ射(イ)ルナリ。五尺八寸ノ内二寸法ヲ指シテ一矢ツヽ射ルヲ達者(タツシヤ)ト云ナリ。正月六日ニ御前ニテ有也。的矢(マトヤ)ハ白篦(シロキノ)ニ白羽( キハ)ヲ付ナリ。〔3ウ二〜五〕
但(たゞ)し的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等(とう)ハ/但シ的矢蟇目等ハ的矢に甲矢(はや)乙矢(おとや)あり。是を陰陽の矢と云。二筋(すじ)なり。又つねとも呼篦(よぶの)ハ白篦を本式とす。或ハ黒篦(くろの)濕篦(さハしの)又火色なとにもするなり。羽(は)ハ鷹の羽を本式とす。其外鳶(とび)白鳥(はくてう)梟(ふくろ)の三を忌(い)んて外ハ何鳥にても苦(くる)しからす。筈(はづ)ハ継(つぎ)筈。根に沓卷(くつまき)をして平題(いたつき)を入る。元(もと)奉射(ぶしや)的を射(い)たるより的矢の名ありと也。蟇目ハ篦と的矢と同し。根ハ桐(きり)。或は山椒(さんしやう)の木なとにて長サ七寸にこしらへ三方に蟇の目をすかす。又大具足の蟇目とて長サ壱尺二寸にしたるもあり。犬射(いぬい)蟇目笠懸蟇目誕生(たんじやう)蟇目宿直(とのゐ)蟇目等あり。羽ハ大形常にハ鷹の羽を用ひ産屋(さんや)の蟇目にハ露(つゆ)乃本白(もとしろ)を用ひるなり。ある書に諸魔は調子を伺ふもの也。蟇の聲ハ調子に應せさる故蟇の声を表(ひやう)して蟇目を作(つく)り諸魔をのぞくといへり。的矢ひきめともに圖説乃弓矢(きうし)の部(ぶ)に委しけれハこゝに畧す。〔5オ四〜5ウ三〕
とあって、この標記語「的矢」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
百手(もゝて)の達者(たつしや)究竟(くつけう)乃上手(じやうず)一兩輩(いちりやうはい)同道(どうだう)せ令(し)む可(べ)き也(なり)但(たゞ)し的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等(とう)ハ無沙汰(ぶさた)憚(はゞか)り入(い)り候(さぶら)ふ/百手ノ達者究竟ノ上手一兩輩可キ∨令ム‖同道セ|也但シ的矢蟇目等ハ无沙汰憚入リ候▲的矢ハ甲矢(はや)乙矢(をとや)あり。是を陰陽(いんよう)の矢(や)といふ篦(の)ハ色(いろ)篦にもすれと白篦(しらの)を本式とす。羽(は)ハ真羽(まは)筈(はつ)ハ續(つぎ)筈根ハ沓卷(くつまき)をして平題(ひらつき)を入る也。もと奉射的(ぶしやまと)を射(い)たりしゆへ的矢の名(な)ありとぞ。〔3ウ三〜六、4ウ四・五〕
百手(もゝて)の達者(たつしや)究竟(くつきやう)の上手(じやうす)一兩輩(いちりやうはい)可(べき)∨令(しむ)‖同道(どうだう)せ|也(なり)但(たゞし)的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等(とう)無(なく)‖沙汰(さた)|憚(はゞかり)入(いり)候(さぶらふ)▲的矢ハ甲矢(はや)乙矢(おと )あり。是を陰陽(いんやう)の矢といふ篦ハ色(いろ)篦にもすれと白篦(しらの)を本(ほん)式とす。羽(は)ハ真羽(ま )筈(はつ)ハ續(つぎ)筈根ハ沓卷(くつまき)をして平題(いたつき)を入る也。もと奉射的(ふしや )を射(い)たりしゆへ的矢の名(な)ありとぞ。〔5ウ三〜6オ一、6ウ二・四〕
Matoya.マトヤ(的矢) 標的に向かって射るのに使う矢.〔邦訳389l〕
まと-や〔名〕【的矢】(一)射場にて、的を射ること。又、その矢。平家物語、四、競事「鷹の羽ではいだりける的矢、一手さし添へたる」庭訓往來、正月「但的矢、蟇目等、無沙汰憚入候」(二)的と、矢と。大石寺本、曾我物語、六「吾等兄弟、的矢の如くありつるに」蜷川親元記、文明十三年十一月十九日「庚寅、馬(月毛印三引兩丸)、御返事的矢(十川作被レ進レ之)」〔1892-1〕
同道(ダウ) 。〔元亀二年本55五〕〔静嘉堂本62二〕
同道(タウ) 。〔天正十七年本上31ウ八〕
百手達者究竟之上手一兩輩可令同道也〔至徳三年本〕
百手達者究竟上手一兩輩可令同道也〔宝徳三年本〕
百手之達者究竟之上手一兩輩可令同道也〔建部傳内本〕
百手ノ達者究竟ノ上手一兩輩可キ二同道ス一也〔山田俊雄藏本〕
百手ノ達者究竟ノ上手一兩輩可キレ令ム二同道セ一也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「同道」と記載する。
同道過怦分/トウタウ。〔黒川本・畳字門上50ウ一〕
同異 〃心。〃意。〃寮。〃文。〃母。〃法。〃道。〃類。〃車。〃宿。〃品。〃僚。〃門。〃蓙トウレイ。〃朋。〃行。〔卷第二・畳字門424五〜425一〕
同道(ドウタウ/ヲナシ、ミチ)[平軽・上]。〔態藝門136一〕
同道(ドウドウ) 。〔弘治・言語進退45七〕
同氣(ドウキ) ―母(トウモ)。―穴(ケツ)。―門(モン)。―僚。―舩(せン)。―類(ルイ)。―腹(フク)。―蓙(レイ)。―等(トウ)。―道(ダウ)。―宿(シユク)。―法。―族(ソク)。―行(キヤウ)。―車。―鋸(ハウ)。―罪(サイ)。―巷(カウ)。―篇(ヘン)。―途(ト)。―伴(ハン)。―事(ジ)。〔永祿本・言語門45四〕
同氣(トウキ) ―母。―穴。―門。―僚。―舩。―類。―腹。―蓙。―等。―道。―宿。―法。―族。―行。―車。―鋸。―士軍。―罪。―巷。―篇。―途。―伴。―事。―斈。―心。―意。〔尭空本・言語門41九〕
同道(タウ) 。〔両足院本・言語門50二〕
同道(ダウ) 。〔言語門43五・天理図書館蔵上22オ五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「同道」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
029究ツ竟上手一兩輩可∨令‖同道|也。但的矢 節三所也。羽ハ鴾ノ羽本也。以上三手持亊也。染作(ハキ)一手、白羽一手、重箆(カタノ)一手、以上三手。〔謙堂文庫藏七右F〕
とあって、標記語「同道」の語を収載し、語注記は未記載にする。
百手(モヽテ)ノ達者(タツシヤ)究竟(クツキヤウ)ノ上手(ジヤウズ)一兩輩( ウハイ)可キレ令(シム)二同道セ一也但(タヽシ)的矢(マトヤ)百手(モヽテ)ハ都ニ五尺八寸ニ的ヲコシラヘテ遠(トヲ)サヲ三十三杖( ヘ)ニ延(ノベ)テアヅチヲ沸(ハラフ)事平地也。諸侍裏打(ウラウチ)ニ縛(シバ)リ袴(ハカマ)ヲ著(キ)テ折烏帽子(オリエボシ)ニテ射(イル)レ之。三十三人立テ三十三度ツヽ射(イ)ルナリ。五尺八寸ノ内二寸法ヲ指シテ一矢ツヽ射ルヲ達者(タツシヤ)ト云ナリ。正月六日ニ御前ニテ有也。的矢(マトヤ)ハ白篦(シロキノ)ニ白羽( キハ)ヲ付ナリ。〔3ウ二〜五〕
一両輩(いちりやうはい)同(どう)道(\)せ令(しむ)可(べき)也(なり)/一両輩可レ令二同道一也一両輩ハ一二人なり。同道ハ相伴ふ事也。〔5オ三・四〕
とあって、この標記語「同道」の語を収載し、語注記は「同道は、相伴ふ事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
百手(もゝて)の達者(たつしや)究竟(くつけう)乃上手(じやうず)一兩輩(いちりやうはい)同道(どうだう)せ令(し)む可(べ)き也(なり)但(たゞ)し的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等(とう)ハ無沙汰(ぶさた)憚(はゞか)り入(い)り候(さぶら)ふ/百手ノ達者究竟ノ上手一兩輩可キ∨令ム‖同道セ|也但シ的矢蟇目等ハ无沙汰憚入リ候。〔3ウ三〜六〕
百手(もゝて)の達者(たつしや)究竟(くつきやう)の上手(じやうす)一兩輩(いちりやうはい)可(べき)∨令(しむ)‖同道(どうだう)せ|也(なり)但(たゞし)的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等(とう)無(なく)‖沙汰(さた)|憚(はゞかり)入(いり)候(さぶらふ)。〔5ウ三〜6オ一〕
Do>do<.ドゥダゥ(同道) Vonaji michi.(同じ道)すなわち,Tcuredatte mairu.(連れ立って参る)連れ立って行くこと.¶Do>do<suru,l,mo>su.(同道する、または,申す)連れ立って行く.〔邦訳186r〕
どう-だう〔名〕【同道】つれだつこと。一緒に行くこと。同伴。同行。平治物語、三、牛若奥州下事「其上は仔細候はじと約束しけるが、但、定日は同道の人の計らひにて候べし」〔1387-4〕
究竟(クツキヤウ) 。〔元亀二年本191二〕〔静嘉堂本215七〕
究竟(クキヤウ) 。〔天正十七年本中37オ六〕
百手達者究竟之上手一兩輩可令同道也〔至徳三年本〕
百手達者究竟上手一兩輩可令同道也〔宝徳三年本〕
百手之達者究竟之上手一兩輩可令同道也〔建部傳内本〕
百手ノ達者究竟ノ上手一兩輩可キ二同道ス一也〔山田俊雄藏本〕
百手ノ達者究竟ノ上手一兩輩可キレ令ム二同道セ一也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「究竟」と記載する。
究竟クキヤウ。〔黒川本・畳字門中80ウ七〕
究竟 。〔卷第六・畳字門456二〕
究竟(クキヤウ/キワマル、ヲワル)畢竟義也。〔態藝門549二三〕
究竟(クキヤウ) 。〔弘治・人倫157七〕 究竟(クツキヤウ) 。〔弘治・言語進退163四〕
究竟(クキヤウ) 必竟義。〔永祿本・言語門132三〕
究竟(クツキヤウ) 必竟義也。〔尭空本・言語門121四〕
究竟(クキヤウ) 必竟義也。〔両足院本・言語門147五〕
究竟(クキヤウ) 。〔言辞門132七・天理図書館蔵上66ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「究竟」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
029究ツ竟上手一兩輩可∨令‖同道|也。但的矢 節三所也。羽ハ鴾ノ羽本也。以上三手持亊也。染作(ハキ)一手、白羽一手、重箆(カタノ)一手、以上三手。〔謙堂文庫藏七右F〕
とあって、標記語「究竟」の語を収載し、語注記は未記載にする。
百手(モヽテ)ノ達者(タツシヤ)究竟(クツキヤウ)ノ上手(ジヤウズ)一兩輩( ウハイ)可キ∨令(シム)‖同道セ|也但(タヽシ)的矢(マトヤ)百手(モヽテ)ハ都ニ五尺八寸ニ的ヲコシラヘテ遠(トヲ)サヲ三十三杖( ヘ)ニ延(ノベ)テアヅチヲ沸(ハラフ)事平地也。諸侍裏打(ウラウチ)ニ縛(シバ)リ袴(ハカマ)ヲ著(キ)テ折烏帽子(オリエボシ)ニテ射(イル)レ之。三十三人立テ三十三度ツヽ射(イ)ルナリ。五尺八寸ノ内二寸法ヲ指シテ一矢ツヽ射ルヲ達者(タツシヤ)ト云ナリ。正月六日ニ御前ニテ有也。的矢(マトヤ)ハ白篦(シロキノ)ニ白羽( キハ)ヲ付ナリ。〔3ウ二〜五〕
究竟(くつきやう)の上手(じやうず)/究竟ノ上手究竟とハ極上の事也。元佛語(ぶつご)より出たる事なり。〔5オ三〕
とあって、この標記語「究竟」の語を収載し、語注記は「究竟とは、極上の事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
百手(もゝて)の達者(たつしや)究竟(くつけう)乃上手(じやうず)一兩輩(いちりやうはい)同道(どうだう)せ令(し)む可(べ)き也(なり)但(たゞ)し的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等(とう)ハ無沙汰(ぶさた)憚(はゞか)り入(い)り候(さぶら)ふ/百手ノ達者究竟ノ上手一兩輩可キ∨令ム‖同道セ|也但シ的矢蟇目等ハ无沙汰憚入リ候▲究竟の上手とハ至極(しごく)の手(て)だれ也。〔3ウ三〜六、4オ三・四〕
百手(もゝて)の達者(たつしや)究竟(くつきやう)の上手(じやうす)一兩輩(いちりやうはい)可(べき)∨令(しむ)‖同道(どうだう)せ|也(なり)但(たゞし)的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等(とう)無(なく)‖沙汰(さた)|憚(はゞかり)入(いり)候(さぶらふ)▲究竟の上手とハ至極(しごく)の手(て)たれ也。〔5ウ三〜6オ一、6ウ二〕
Cuqio<.クキャゥ(究竟) Qiuamari,ru.(究まり,る)熟達すること,あるいは,完全の域に達すること.例,Cuqio<no jo<zu.(究竟の上手)ある事に熟達した人.→Cucqio<;Ite;Nobxe,suru.〔邦訳168r〕
く-きャう〔名〕【究竟】〔究竟(キウキヤウ)の呉音、急呼して、くッきャう〕(一)極(きは)まりたるところ。畢竟。下學集、下、言辭門「究竟(クキヤウ)、必竟之義也」徒然草、二百十七段「究竟は理即にひとし、大欲は、無欲に似たり」(二)極めて、すぐれたること。至極。クッキャウ。長門本、平家物語、八、信連事「金武と申しける、くきゃうのはういつのありけるが」源平盛衰記、十三、信連戰事「金武と云ふ放免(ハウメン)あり、究竟の大力、云云」平家物語、七、火燧合戰事「所、素より、究竟の城郭」嵯峨野物語(室町時代)「隨身敦友、くきゃうの鷹飼なりしかば」〔515-3〕
至(イタル) 到(同)。〔元亀二年本21二〕〔静嘉堂本17三〕
至(イタル) 。到(イタル) 。〔天正十七年本中23オ三〕〔西來寺本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔至徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔宝徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔建部傳内本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔山田俊雄藏本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「至」と記載する。
至(イタル)臻致又イタス到輸又イタス出也/應―不―也《中略》…自逝傳已上至也。〔黒川本・辞字門上8ウ二〕
至イタル臻致…。〔卷第一・辞字門上49一〕
至(イタル/シ[去]。到(同/タウ[○]。臻(同/シン[○]。〔態藝門42五〕
至(イタル) 到(同) 或作レ致(イタス)。〔弘治・言語進退門9六〕
至(イタル) 到(同)。 〔永祿本・言語門10三〕
至(イタル) 到。〔尭空本・言語門8三〕〔両足院本・言語門10四〕
逮(イタル)?同。達(同)。到(同)。至(同) 。〔言辞門9六・天理図書館蔵上5オ六〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「至」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
027自他ノ故障、不慮之至也 言ハ无∨故有∨碍リ義也。〔謙堂文庫藏七右E〕
とあって、標記語「至」の語を収載し、語注記は未記載にする。
不慮(フリヨ)之(ノ)至(イタリ)也トハヲモハザル外ノ事ナリ。〔3ウ一〜二〕
即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/即チ可レ促二拜仕ヲ一之処自他ノ故障不慮之至也是ハこゝもとより年礼(ねんれい)延引したるを詫(わび)るなり。即とハ直(じき)にはやくなとゝいふこゝろ也。促とハいそぐ意(こゝろ)なり。故障ハゆへあるひぬいりなり。不慮はおもひもよらぬといふことなり。〔4ウ六〜八〕
とあって、この標記語「至」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Itari,u,atta.イタリ,ル,ッタ(至・到り,る,つた) 到達する,または,入り込む.常に他の語に伴って用いられる.例,Ienno michini itaru.(善の道に到る)善コの道に入る.¶Tenni itaru.(天に到る)天に入る,または,達する.¶Mucaxicara imani itarmade.(昔から今に至るまで)古い時代から今まで.¶Ien, l,gacumonni itatta fito.(善,または,学文に至った人)学問や善コを学びきわめた人.¶Fijen,l,Nagasaqini itaru.(肥前,または,長崎に到る)肥前(Fijen),または,長崎(Na~gasaqui)に到着する.→Bansan;Cami(上);Curai(位);Toqi(時).〔邦訳344r〕
いた-り〔名〕【至】〔至(いた)るの名詞形、通人の服など、表を綿布、裏を絹布にしたるを、底(そこ)いたりと云ひ、大阪にて手のこみたるを、染方にて、いたりぞめ、煮方にて、いたり料理など云ふも、此條の語なり〕(一)至ること。きはまり。至極。「喜びのいたり」「無禮のいたり」「若氣のいたり」(二){學問の、深きに達(とど)きたること。造詣。枕草子、十百十六段「此中將も若けれども才(ざえ)あり、いたりかしこくて、時の人におぼすなりけり」(三){心の、ゆきわたること。思慮。源氏物語、二、帚木28「心おきてを思ひめぐらさむかたも、いたり深く」同、三十四、下、若紫、下97「いたりすくなく、ただ人の聞えなす方にのみ、寄るべかめる御心には、ただ、おろかに淺きとのみ思(おぼ)し」大鏡、中、伊尹「此義懷の中納言の御出家、惟成の辨の、勸めきこらえられたりけるとぞ、いみじういたりありける人にて、今更に、よそ人にて交(まじら)ひたまはむほど、見苦しかりなむ、と聞えさせければ」〔166-3〕
拒障(コシヤウ) 辞退之義也。〔元亀二年本234一〕〔静嘉堂本269三〕〔天正十七年本中63ウ二〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔至徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔宝徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔建部傳内本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔山田俊雄藏本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「故障」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「コシヤウ」と記載する。
故障遁避分/コシヤウ。〔黒川本・畳字門下9オ七〕
故舊 〃障。〃郷。〃實。〃人。〃事。〔卷第七・畳字門162三〕
拒障(コシヤウ・ヘダツ/コバム、サヽウ)[上・平]辞退義也。〔態藝門690三〕
拒請(コシヤウ) 或作二拒障一。拒請者辞退義也。拒作故ト誤胃。〔弘治・言語進退門189七〕
拒請(コシヤウ) 拒請辞退之義也。拒ヲ作故誤胃。〔永祿本・言語門155五〕
拒請(コシヤウ) ――辞退義也。拒作レ故誤乎。又作レ障。〔尭空本・言語門145五〕
拒障(コシヤウ) 辞退之義。〔言辞門160二・天理図書館蔵下13オ二〕
故實(コジツ) ―郷(キヤウ)。―障(シヤウ)。―舊(キウ)。―事(ジ)。〔言辞門158五・天理図書館蔵下12オ五〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・饅頭屋本『節用集』〔言辞門113四〕に標記語「故障」の語を収載し、易林本『節用集』には熟語群に収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載する。
027自他ノ故障、不慮之至也 言ハ无∨故有∨碍リ義也。〔謙堂文庫藏七右E〕
とあって、標記語「故障」の語を収載し、語注記は「言(いふこゝろ)は、故(ゆへ)なく碍(さは)りある義(ぎ)なり」と記載する。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「故障」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也▲故障ハゆへさハりと訓(よミ)て指合(さしあひ)乃義。〔3ウ三〜六、〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)▲故障ハゆゑさハると訓(よミ)て指合(さしあひ)の義。〔5ウ三〜6オ一、6オ四・五〕
Coxo<.コシヤウ(故障) Yuye sauari.(故障り) ある所へ行くことなどに対する妨げ,あるいは,さしつかえ.〔邦訳157l〕
こ-しゃう〔名〕【故障】(一)ささはり。さしつかへ。さまたげ。障礙。九條殿御遺誡「若有二故障一之時、早奉假文可レ申二障之由一」(二)異議。不同意。源平盛衰記、四十二、屋島合戰事「與一を、判官の前に引居て、面面の故障に、日、既に暮なんとす」「故障を云ふ」「故障を申立つ」〔682-2〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔至徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔宝徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔建部傳内本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔山田俊雄藏本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「處」と記載する。
地(イウ)トコロ。處鉢所上同乍。 廻トコロ。〔黒川本・辞字門上48オ五・六〕
鉢トコロ地所也徃葵昌地據〓〓迫嘗陵暴倡處所廻田〓其―得。〔卷第二・辞字門415四〜416三〕
徃(トコロ)。處(同)。地(同)。〔言辞門47四・天理図書館蔵上24オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、易林本『節用集』に標記語「處」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
026即可∨促‖拜仕|之処 言ハ遂‖拜顔ヲ|可‖召仕|之義也。〔謙堂文庫藏七右D〕
とあって、標記語「處」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「處」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Tocoro.ところ(處) 場所.→Aqi,u.(開き,く);Araqe,uru;Fusagui,u;Sari,ru.〔邦訳653r〕
とこ-ろ〔名〕【處】〔所(とこ)に、ろの助辭の添へるならむ〕(一)場。場所。居所。地。とこ。(二)其郷土(さと)。本地。「處の人」(三)官署の稱。特に、蔵人所の略稱。平家物語、四、信連合戰事「先年、所(藏人所)にありし時も、大番衆の者どもの留めかねたりし、強盗六人に、唯一人追懸り、云云、四人切伏せ、二人生捕り、云云」「大歌所」内侍所」繪所」臺盤所」〔1402-2〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔至徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔宝徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔建部傳内本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔山田俊雄藏本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「拝仕」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「ハイジ」と記載する。
拜仕(ハイシ) 。〔態藝門上14ウ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、『塵芥』に標記語「拝仕」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
026即可∨促‖拜仕|之処 言ハ遂‖拜顔ヲ|可‖召仕|之義也。〔謙堂文庫藏七右D〕
とあって、標記語「拝仕」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「拝仕」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也▲拝仕ハ年礼(ねんれい)を指(さ)す。〔3ウ三〜六、4オ一〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)▲拝仕ハ年礼( れい)を指(さ)す。〔5ウ三〜6オ一、6オ四〕
Faiji.ハイジ(拝仕) Vogami tcucayuru.(拝み仕ゆる) 尊敬すべき人にうやうやしく仕えること.〔邦訳198r〕
はい-し〔名〕【拜仕】年禮の拜賀。庭訓往來、正月「即可レ促二拜仕一之處、自他故障、不慮之至也」〔1549-5〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔至徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔宝徳三年本〕
即可促拜仕之處自他故障不慮之至也〔建部傳内本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔山田俊雄藏本〕
即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)不慮之至也〔経覺筆本〕
×〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本に「促」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「うながす」と記載する。
促ウナカス/七玉反。〓(演+波)。趣已上同。〔黒川本・辞字門中52ウ八〕
促ウナカス。催。趣已上同/―白也。白布也/獨断云―民耕種。〔卷第五・辞字門184三・四〕
とあって、標記語「促」の語を収載する。
催(ウナガス/サイ)[平軽]。促(同/ソク)[入]。鑑(同/ヤク)[入]。〔態藝門488五〕
催(ウナカス)。促(同)。〔弘治・言語進退門150八〕 趣(ウナカス)。奚(同)。動(同)日本記/人皇紀。〔弘治・言語進退門151五・六〕
催(ウナカス)鑑。〔永祿本・言語門123四〕
催(ウナカス)促。〔尭空本・言語門112九〕〔両足院本・言語門137四〕
促(ウナカス) 。〔言辞門120六・天理図書館蔵上60ウ六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「促」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
026即可∨促‖拜仕|之処 言ハ遂‖拜顔ヲ|可‖召仕|之義也。〔謙堂文庫藏七右D〕
とあって、標記語「促」の語を収載し、語注記は未記載にする。
堅凍(ケントウ)早(ハヤク)解(トケ)薄霞(ハツカ)忽(タチマチ)ニ披(ヒラク)即チ可(ベキ)ノレ促(ウナガス)二拜仕(ハイジ)ヲ一之處ニ自他(ジタ)ノ故障(コシヤウ)堅凍ハ。カタキ冰(コウリ)ナリ。冬(フユ)ノ冰トヂ寒來レバ。カタシ。又立(リツ)春ヨリ。陽氣ヲ受テ解ルナリ。氷リトケヌレバ頓テ。霞ミ立ト云ヘリ。春ノ心ヲ長閑(ノドケ)ク云ハントテカクハ云イツヽクルナリ。〔上3オ七〜3ウ一〕
殊(こと)に珎重(ちんちやう)に候堅凍(けんとう)早(はや)く解(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)に披(ひら)く即(すなハ)ち拜仕(はいじ)を促(うなか)す可(べき)の処(ところ)ニ自他(じた)の故障(こしやう)/殊ニ珎重ニ候堅凍早解薄霞忽ニ披即チ可ノレ促二拜仕ヲ一之處ニ自他ノ故障此二句ハはつ春乃けしきをのどけくいゑるなり。去年(こぞ)の冬より凝(こほ)りたる堅(かた)き氷(こほり)も春風にとけ四方山乃うすかすみも春の立かへるによりてたちまちたなひきしとなり。〔4ウ三〜五〕
とあって、この標記語「促」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
御芳札(こはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいよう)乃遊宴(ゆうゑん)殊(こと)に珍重(ちんちやう)に候(さふら)ふ堅凍(けんとう)早(はや)く脱(と)け薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひら)く即(すなハち)拜仕(はいし)を促(うなが)す可(へ)き之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしよう)不慮(ふりよ)之(の)至(いた)り也(なり)/御芳札披見之處青陽ノ遊宴。殊ニ珍重ニ候。堅凍早ク脱ク。薄霞忽披ク。即チ可キレ促ス二拜仕ヲ一之處。自他故障。不慮之至也。〔3ウ三〜六〕
御芳札(ごはうさつ)披見(ひけん)之(の)處(ところ)青陽(せいやう)の遊宴(いうえん)殊(こと)珍重(ちんちよう)に候(さふらふ)堅凍(けんとう)早(はや)く脱(とけ)薄霞(はくか)忽(たちまち)披(ひらく)即(すなハち)可(べき)レ促(うながす)二拜仕(はいし)を一之(の)處(ところ)自他(じた)の故障(こしやう)不慮(ふりよ)之(の)至(いたり)也(なり)。〔5ウ三〜6オ一〕
Vnagaxi,su.l,fure vnagasu.ウナガシ,ス.または,フレウナガス(促し,す.または,触れ促す) 大声で触れ知らせる,または,警告や通告をする.〔邦訳694l〕
うなが・す・ス・セ・サ・シ・セ〔他動、四〕【促】〔項(うな)ぐと云ふ動詞ありて、(うなげるの語原を見よ)項突(うなづ)く意ありて、其他動なるべし、うごく、うごかす。いそぐ、いそがす〕課(おほ)せ急(いそ)がす。催したつ。催促す。せつく。仁コ紀、十年十月「百姓之不レ領(ウナガサレ)而、云云、竭レ力爭作」(前條を見よ)爲忠百首「丹波山、氷室のおもの、うながして、駒の足とく、都へぞ行く」〔247-3〕
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