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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
 
 
 
2006年05月12日(金)小雨。東京→世田谷(駒沢)
乗物(のりもの)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「之」部に標記語「乗物」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕

花下諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕

花下好士諸家之狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕

(モト)好士諸家狂仁如タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之名花以歩行之儀事候雖トモリト左道之樣異躰之形チヲ明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕

花下好士諸家狂仁如タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之茗花歩行之儀候雖リト左道之樣異躰之形明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「乗物」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「乗物」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

乗物(ノリモノ)シヨウフツ[平去・入]。〔器財門492D〕

とあって、標記語「乗物」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

輿(コシ) 乗物(ノリモノ)。〔永祿本・言語門154F〕

とあって、標記語「輿」の語を収載し、その語注記に「乗物」と記載する。易林本節用集』に、

乗物(ノリモノ)(同) 。〔言辞門123E・天理図書館蔵上62オE〕

とあって、標記語「乗物」と「駕」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、黒本本・易林本節用集』に標記語「乗物」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

047如雲似遠所花者乗物僮僕難合期 遠所約日近花僮僕従者也。又下人也。〔謙堂文庫藏8左G〕

とあって、標記語「乗物」の語を収載し、語注記は「従者なり、また下人なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)(モト)好士(カウジ)其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興發ヲ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オ三〜八〕

とあって、標記語「乗物」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)乗物僮僕僮僕ハ供する者也。〔7ウAB〕

とあって、この標記語「乗物」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はな)の下(もと)乃好士(こうし)諸家(しよけ)の狂人(きやうじん)(くも)の如(ごと)く霞(かすみ)に似()たり。遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)合期(がうご)し難(がた)し先(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくハ)歩行(ほかう)()()を以(もつて)(おも)ひ立()つ事(こと)に候(さふら)ふ左道(さたう)()(やう)(たり)と異體(いてい)()(かたち)を以(もつて)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふら)は者()本望(ほんまう)(なり)(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同し。美景(びけい)に浮(うか)れて所々の春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花ざかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔5ウA〜E、5ウE〜G〕

(はなの)(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)(ごとく)(くもの)(にたり)(かすミに)遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうほく)(がたし)合期(かふこし)(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくわ)(もつて)歩行(ほかう)()(ぎを)(おもひ)(たつ)(ことに)(ざふらふ)(いへども)(たりと)左道(さたう)()(やう)(もつて)異體(いてい)()(かたちを)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふらハ)()本望(ほんまう)(なり)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ@〜E、9ウ@〜A〕

とあって、標記語「乗物」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Norimono.ノリモノ(乗物・駕) 輿,または,駕籠.*原文はAndas,ou,palanquim.〔Coxi(輿)の注〕→Caqi,u(舁き,く);Noritcuqe,uru.〔邦訳473r〕

とあって、標記語「乗物」の語を収載し、「輿,または,駕籠」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

のり-もの〔名〕【乘物】(一){馬、牛、車、輿など、?て、人の乘りて行くもの。。*名義抄「乗、ノリモノ、駕、ノリモノ」*字類抄「乘、ノリモノ、駕、ノリモノ」*源氏物語、六、末摘花廿五「普賢菩薩ののりものと覺ゆ」(白象のこと)*朗詠集、下、故宮「老鶴從來仙洞駕(ノリモノ)(二)後に專ら、駕籠。(貴人の用なるに)肩輿。*和漢三才圖會、三十三、車駕類「乘物、云云、近俗、輿之精者稱乘物、其周匝裹用備州莞筵、今武家僧醫及婦女所乘者也、民俗不」*守貞漫稿、廿九、駕車「板輿、云云、縉紳家には、惣て、專ら輿と云ふ、武家には肩輿に非れば輿と云はず、乘物と云習へり〔三-786-2〕

とあって、標記語「のり-もの乗物】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「のり-もの乗物】〔名〕@人を乗せて運ぶ物。馬・車・駕籠(かご)・輿(こし)などの総称。*蜻蛉日記〔九七四頃〕上・康保四年「のりものなきほどに、はひわたるほどなれば」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕内侍督「『随身ものり物もあり』と奏するなりつるは」*観智院本名義抄〔一二四一〕「乗 ノリモノ」A特に江戸時代、公卿・門跡・高級武士、また儒者・医者・僧・婦女子など限られた町人が乗るのを許された、引き戸のある特製の駕籠(かご)。乗物駕籠。*大坂城中壁書〔一五九五〕「乗物御免之衆、家康、利家、景勝、輝元、隆景、並に古公家、長老、出世之衆」*浮世草子・好色一代男〔一六八二〕三・一「或は乗物(ノリモノ)にて、はした、腰もと、召連」*浮世草子・傾城色三味線〔一七〇一〕京・五「(ノリ)の内より東山の春を詠やり給ふべし」*和漢三才図会〔一七一二〕三三「乗物(ノリモノ)〈略〉 近俗輿之精者称乗物、其周匝裹用備州莞筵、今武家僧医及婦女所乗者也。民俗不之」B棺桶を運ぶ駕籠。*浮世草子・日本永代蔵〔一六八八〕四・四「其まま乗物(ノリモノ)にをし込、野墓に送りける折ふし」C駕籠をかつぐ者。かごかき。*歌舞伎・幼稚子敵討〔一七五三〕口明「一、侍、一、百姓、一、乗物」D乗って遊ぶためのもの。ジェットコースターやゴーカートなど。「遊園地の乗物」【発音】〈なまり〉ノリモン〔NHK(熊本)〕〈標ア〉[0]平安・江戸〈ア史〉●●●●〈京ア〉[0]【辞書】色葉・名義・和玉・文明・天正・黒本・易林・日葡・ヘボン・言海【表記】【駕】名義・和玉・文明・天正・易林【乗物】文明・黒本・易林・ヘボン・言海【騎・巾】色葉・名義【乗・馬+】名義【・襄・】和玉【馭】易林」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
船車にのりてやすくゆく事、これわかちからにあらす、乗物のちからなれは、他力也、《鎌倉遺文『和語燈録元久元年(1463)の条3/173
 
 
2006年05月11日(木)小雨。東京→世田谷(駒沢)
遠所(エンシヨ・ヱンジヨ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「江」部に、

遠所(シヨ)。〔元亀二年本336@〕〔静嘉堂本401C〕

とあって、標記語「遠所」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕

花下諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕

花下好士諸家之狂仁如雲似遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕

(モト)好士諸家狂仁如タリ遠所之花者乗物僮僕難合期近隣之名花以歩行之儀事候雖トモリト左道之樣異躰之形チヲ明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕

花下好士諸家狂仁如タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之茗花歩行之儀候雖リト左道之樣異躰之形明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「遠所」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「遠所」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

遠所(ヱンジヨ)トヲシ、トコロ[上・上]。〔態藝門703E〕

とあって、標記語「遠所」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

遠所(エンジヨ) 。〔弘治・言語進退192F〕

遠所(エンシヨ) 。〔弘治・言語進退195C〕

遠近(エンキン) ―行(カウ)。―景(ケイ)―所(シヨ)。―慮(リヨ)論語人_無キハ必有_憂。〔永祿本・言語門160H〕

遠慮(ヱンリヨ) 語人_无―必有近憂。―近。―行。―景。―所。〔尭空本・言語門150A〕

とあって、標記語「遠所」の語を収載し、語注記は未記載にする。易林本節用集』に、

遠行(ヱンカウ) 死義(シスルギナリ)―近(ギン)―處(ジヨ)。―路(ロ)。―人(ニン)。―慮(リヨ)。―見(ケン)。―國(ゴク)。―離(リ)。〔言辞門220F・天理図書館蔵下43オF〕

とあって、標記語「遠行」の冠語「遠」の熟語群として「遠所」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「遠所」の語収載し、訓みを「ヱンジヨ」と「ヱンシヨ」と清濁両用することが見えている。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

047如雲似遠所花者乗物僮僕難合期 遠所約日近花。僮僕従者也。又下人也。〔謙堂文庫藏8左G〕

とあって、標記語「遠所」の語を収載し、語注記は「約日を定めがたし故に當に近花とすべし」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)(モト)好士(カウジ)其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興發ヲ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オB〜G〕

とあって、標記語「遠所」の語を収載し、訓みを「エンジヨ」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

遠所(ゑんしよ)()(はな)()遠所之花者遠所ハ遠方といふが如し。〔7ウA〕

とあって、この標記語「遠所」の語を収載し、訓みは「ヱンシヨ」、語注記は上記の如く「遠方と云ふがごとし」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はな)の下(もと)乃好士(こうし)諸家(しよけ)の狂人(きやうじん)(くも)の如(ごと)く霞(かすみ)に似()たり。遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)合期(がうご)し難(がた)し先(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくハ)歩行(ほかう)()()を以(もつて)(おも)ひ立()つ事(こと)に候(さふら)ふ左道(さたう)()(やう)(たり)と異體(いてい)()(かたち)を以(もつて)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふら)は者()本望(ほんまう)(なり)(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同し。美景(びけい)に浮(うか)れて所々の春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花ざかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔5ウA〜E、5ウE〜G〕

(はなの)(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)(ごとく)(くもの)(にたり)(かすミに)遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうほく)(がたし)合期(かふこし)(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくわ)(もつて)歩行(ほかう)()(ぎを)(おもひ)(たつ)(ことに)(ざふらふ)(いへども)(たりと)左道(さたう)()(やう)(もつて)異體(いてい)()(かたちを)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふらハ)()本望(ほんまう)(なり)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ@〜E、9ウ@〜A〕

とあって、標記語「遠所」の語を収載し、訓みは「ヱンジヨ」「ヱンシヨ」とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yenjo.エンジョ(遠所) Touoqi tocoro.(遠き所)遠方の所.文書語.〔邦訳819l〕

とあって、標記語「遠所」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「えん-しょ遠所】」「えん-じょ遠所】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「えん(ヱン)-じょ遠所・遠処】〔名〕遠く離れた所。遠地。*九冊本宝物集〔一一七九頃〕八「遠所へ行て、やまひをうけて、二人の子のあるがもとへつげやりたるに」*太平記〔一四C後〕二・長崎新左衛門尉意見事「此の上に又主上を遠所へ遷し進(まゐ)らせ」*易林本節用集〔一五九七〕「遠処 ヱンジョ」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Yenjo(エンジョ)。トヲキ トコロ」*浮世草子・武家義理物語〔一六八八〕二・一「其身は遠所(ヱンジヨ)の山里にひっそくして」*司馬相如‐諭巴蜀父老檄「恐遠所谿谷山沢之民不聞」【方言】へんぴな所。《えんじょ》島根県鹿足郡・益田市725【辞書】文明・易林・日葡・書言【表記】【遠所】文明・書言【遠処】易林」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
一同社司給地、無上仰之外別當以私芳心、不可立替遠所狹少地事 〈訓読〉一、同社司ノ給地、上ノ仰セ無キノ外、別当私ノ芳心ヲ以テ、遠所(エンジヨ)狭少ノ地ニ立テ替フベカラザル事。《『吾妻鑑延應二年二月廿五日の条》
 
 
2006年05月10日(水)晴れのち曇り小雨。東京→世田谷(駒沢)
如雲似霞(くものごとくかすみににたり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、標記語「如雲似霞」の句は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕

花下諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕

花下好士諸家之狂仁雲似遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕

(モト)好士諸家狂仁タリ遠所之花者乗物僮僕難合期近隣之名花以歩行之儀事候雖トモリト左道之樣異躰之形チヲ明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕

花下好士諸家狂仁タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之茗花歩行之儀候雖リト左道之樣異躰之形明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「如雲似霞」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「如雲似霞」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には未収載の句である。広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、視界を閉ざすという実体(日本の季節で春は霞、秋は霧ということ)を同じくする「霧」をもって類似する句として、

?(ヒコヅライ)(クモヲ)(ツカム)(キリヲ)[平軽・平軽・入・上]自由自在皃也。〔態藝門545D〕

とあって、標記語「?雲攫霧」の句を収載し、その語注記に「言は、自由自在の皃なり」と記載する。広本節用集』もこの「如雲似霞」の句は未収載にし、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』、易林本節用集』も未収載の句である。意味的には、「人の言動行為があまりにも自在自由なかたち」ということにもなろうか。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「如雲似霞」の語は未収載にあり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

047雲似遠所花者乗物僮僕難合期 遠所約日近花。僮僕従者也。又下人也。〔謙堂文庫藏8左G〕

とあって、標記語「如雲似霞」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(モト)好士諸家狂人(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)(モト)好士(カウジ)其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興發ヲ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オB〜G〕

とあって、標記語「如雲似霞」の句を収載するが、この句については記載が及ばない。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(くも)の如(ごと)く霞(かすミ)に似()たり/雲といひ霞といひ多きにたとへたるなり。〔7ウ@〕

とあって、この標記語「如雲似霞」の句を収載し、語注記は上記の如く記載し、初めてこの句について「多きにたとへたる」と解釈する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はな)の下(もと)乃好士(こうし)諸家(しよけ)の狂人(きやうじん)(くも)の如(ごと)く霞(かすみ)に似()たり。遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)合期(がうご)し難(がた)し先(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくハ)歩行(ほかう)()()を以(もつて)(おも)ひ立()つ事(こと)に候(さふら)ふ左道(さたう)()(やう)(たり)と異體(いてい)()(かたち)を以(もつて)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふら)は者()本望(ほんまう)(なり)(モト)好士諸家狂人(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同し。美景(びけい)に浮(うか)れて所々の春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花ざかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔5ウA〜E、5ウE〜G〕

(はなの)(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)(ごとく)(くもの)(にたり)(かすミに)遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうほく)(がたし)合期(かふこし)(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくわ)(もつて)歩行(ほかう)()(ぎを)(おもひ)(たつ)(ことに)(ざふらふ)(いへども)(たりと)左道(さたう)()(やう)(もつて)異體(いてい)()(かたちを)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふらハ)()本望(ほんまう)(なり)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ@〜E、9ウ@〜A〕

とあって、標記語「如雲似霞」の句を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「如雲似霞」の句は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』、現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「くものごとく-かすみににたり如雲似霞】」の語は未収載にする。
[ことばの実際]
○春江変気候、孤嶼発雲霞(春江、気候を変ず。孤嶼、雲霞を発く。)《詩「江霞」明・薛
 
 
 
2006年05月09日(火)曇り後雨。東京→世田谷(駒沢)
狂仁(キヤウジン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

狂仁 同。〔元亀二年本52B〕

狂仁 。〔静嘉堂本58C〕

狂仁 。〔天正十七年本上30オB〕

とあって、標記語「狂仁」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕

花下諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕

花下好士諸家之狂仁雲似霞遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕

(モト)好士諸家狂仁タリ遠所之花者乗物僮僕難合期近隣之名花以歩行之儀事候雖トモリト左道之樣異躰之形チヲ明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕

花下好士諸家狂仁タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之茗花歩行之儀候雖リト左道之樣異躰之形明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「狂仁」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「狂仁」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))は、未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

狂人(キヤウジン/タワフル・クルウ、ヒト)[○・平軽]物狂(モノクルイ)。〔態藝門827C〕

とあって、標記語「狂人」の語を以て収載し、語注記に「物狂(モノクルイ)」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

狂言 ―人。〔尭空本・言語門174G〕

とあって、標記語「狂言」の「狂」の冠熟語として「狂人」の語を収載する。易林本節用集』に、

狂人(キヤウジン) ―氣(キ)。〔人名門186A・天理図書館蔵下26オA〕

とあって、標記語「狂人」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「狂人」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』で「狂仁」、そして下記真字本では、「狂人」の語で収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

046諸家狂人 狂言奇語之人也。溺好景詩歌者皆狂人也。千載集俊成(公衞卿力)歌曰、花盛四方(ヨモ)山_辺木_休(アコカレテ)(カナ)云々。〔謙堂文庫藏8左F〕

とあって、標記語「狂人」の語を収載し、語注記は「狂言奇語の人なり。好景に溺れ詩歌を詠む者、皆狂人なり。『千載集』俊成卿(公衞卿力)の歌に曰く、花盛り四方の山辺にあこがれて春は心の身に添へぬかな云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(モト)好士諸家狂人(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)(モト)好士(カウジ)其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興發ヲ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オ三〜八〕

とあって、標記語「狂仁」の語を収載し、上記の傍線部の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸家(しよけ)狂仁(きやうじん)諸家狂仁。花にうかれて山々をかりくらす風雅(ふうが)の人を云。〔7オ八〜7ウ一〕

とあって、この標記語「狂仁」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はな)の下(もと)乃好士(こうし)諸家(しよけ)狂人(きやうじん)(くも)の如(ごと)く霞(かすみ)に似()たり。遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)合期(がうご)し難(がた)し先(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくハ)歩行(ほかう)()()を以(もつて)(おも)ひ立()つ事(こと)に候(さふら)ふ左道(さたう)()(やう)(たり)と異體(いてい)()(かたち)を以(もつて)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふら)は者()本望(ほんまう)(なり)(モト)好士諸家狂人(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同し。美景(びけい)に浮(うか)れて所々の春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花ざかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔5ウ二〜六、5ウ六〜八〕

(はなの)(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)(ごとく)(くもの)(にたり)(かすミに)遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうほく)(がたし)合期(かふこし)(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくわ)(もつて)歩行(ほかう)()(ぎを)(おもひ)(たつ)(ことに)(ざふらふ)(いへども)(たりと)左道(さたう)()(やう)(もつて)異體(いてい)()(かたちを)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふらハ)()本望(ほんまう)(なり)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ一〜六、9ウ一〜二〕

とあって、標記語「狂仁」の語を収載し、語注記は「諸家狂仁といへるも同じく美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qio<jin.キヤウジン(狂人) すなわち,Monogurui(物狂ひ)狂人.〔邦訳502r〕

とあって、標記語「狂仁」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きゃう-じん〔名〕【狂人】狂気したる人。きちがひ。*徒然草、百七十五段「酒、云云、飲ませつれば、うるはしき人も、忽ちに狂人となりて、をこがましく」〔一819-4〕

とあって、標記語「きゃう-じん狂人】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きゃう-にん狂仁〔名〕風流におぼれる人。狂夫。*庭訓往来〔一三九四〜一四二八頃〕「花下好士、諸家狂仁、如雲似霞」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を収載する。さらに、標記語「きょう‐じん[キャウ:]【狂人】〔名〕@精神状態が普通でなくなった人。また、常人と異なった言動をする人。*平家物語〔一三C前〕一・二代后「世にしたがはざるをもって狂人とすとみえたり」*正法眼蔵〔一二三一〜五三〕弁道話「外道の見をかたる狂人のしたのひびきを、みみにふるることなかれ」*徒然草〔一三三一頃〕八五「狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり」*文明本節用集〔室町中〕「狂人 キャウジン 物狂」*随筆・胆大小心録〔一八〇八〕一三九「『序中此文なからましかば』と難波よりいひこせしなり。是は点に病をもとめし狂人なり」*法言‐重黎「用狂人之言、従浮大海」A風雅なことにうかれたのしむ人。酔狂な人。風雅人。*庭訓往来〔一三九四〜一四二八頃〕「花下好士、諸家狂仁、如雲似霞」【発音】キージン〈標ア〉[0]〈ア史〉江戸●●●〈京ア〉[0]【辞書】文明・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【狂人】文明・易林・書言・ヘボン・言海[子見出し1項目] * きょうじん走(はし)れば不狂人(ふきようじん)も走(はし)る」とあって、ここでも『庭訓徃來』のこの語用例を収載する。
[ことばの実際]
於爲一向狂人者、秀衡爭令賞哉之由、二品聊有御猶豫、仍爲王胤者、令居住田舎之條、稱可有其恐被送進京都、付廷尉公朝、被申此子細訖《訓み下し》一向ノ狂人タルニ於テハ、秀衡争カ賞ゼシメンヤノ由、二品聊カ御猶予有リ、仍テ王胤タラバ、田舎ニ居住セシムルノ条、其ノ恐レ有ルベシト称シテ、京都ニ送進ゼラル、廷尉公朝ニ付テ、此ノ子細ヲ申サレ訖ンヌ。 《『吾妻鏡建久元年六月二十三日の条》
 
 
2006年05月08日(月)曇り。東京→世田谷(駒沢)
諸家(シヨケ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「諸家」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕

花下諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕

花下好士諸家之狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕

(モト)好士諸家狂仁如タリ遠所之花者乗物僮僕難合期近隣之名花以歩行之儀事候雖トモリト左道之樣異躰之形チヲ明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕

花下好士諸家狂仁如タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之茗花歩行之儀候雖リト左道之樣異躰之形明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「諸家」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「諸家」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、標記語「諸家」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

諸事(シヨジ) ―宗(シウ)―家()。―人(ニン)。―國(コク)。―辨(ヘン)。〔言辞門214五・天理図書館蔵下40オ五〕

とあって、標記語「諸事」の熟語群として「諸家」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「諸家」の語は未収載にあり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

046諸家狂人 狂言奇語之人也。溺好景詩歌者皆狂人也。千載集俊成(公衞卿力)歌曰、花盛四方(ヨモ)山_辺木_休(アコカレ)(カナ)云々。〔謙堂文庫藏8左F〕

とあって、標記語「諸家」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)(モト)好士(カウジ)其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興發ヲ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オ三〜八〕

とあって、標記語「諸家」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸家(しよけ)の狂仁(きやうじん)諸家狂仁 花にうかれて山々をかりくらす風雅(ふうが)の人を云。〔7オ八〜7ウ一〕

とあって、この標記語「諸家」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はな)の下(もと)乃好士(こうし)諸家(しよけ)の狂人(きやうじん)(くも)の如(ごと)く霞(かすみ)に似()たり。遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)合期(がうご)し難(がた)し先(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくハ)歩行(ほかう)()()を以(もつて)(おも)ひ立()つ事(こと)に候(さふら)ふ左道(さたう)()(やう)(たり)と異體(いてい)()(かたち)を以(もつて)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふら)は者()本望(ほんまう)(なり)(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同し。美景(びけい)に浮(うか)れて所々の春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花ざかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔5ウ二〜六、5ウ六〜八〕

(はなの)(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)(ごとく)(くもの)(にたり)(かすミに)遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうほく)(がたし)合期(かふこし)(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくわ)(もつて)歩行(ほかう)()(ぎを)(おもひ)(たつ)(ことに)(ざふらふ)(いへども)(たりと)左道(さたう)()(やう)(もつて)異體(いてい)()(かたちを)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふらハ)()本望(ほんまう)(なり)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ一〜六、9ウ一〜二〕

とあって、標記語「諸家」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「諸家」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しよ-〔名〕【諸家】もろもろの、いへ。多くの家門。諫王經、「諸家内外」〔1010-4〕

とあって、標記語「しよ-諸家】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しよ-諸家】〔名〕@多くのさまざまな家々。多くの家門。しょけ。A多くの人々。特に、一派を立てたり権威者として知られたりしている多くの人々」→標記語「しよ-諸家】〔名〕(「け」は「家」の呉音)「しょか(諸家)@」に同じ。塵芥(1510-30頃)「諸家(シヨケ)」*易林本節用集(1597)「諸家(シヨケ)」*人情本・春色梅児誉美(1832-33)後・一二齣「このお蝶を二十五両にてかかへ、諸家(シヨケ)へ立いらせて祝義をもらはせ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
其外院宮貴所、及諸家諸司諸國季御讀經、御祈用途、便補任等事《訓み下し》其ノ外院宮貴所、及ビ諸家諸司諸国季ノ御読経、御祈ノ用途、便チ補任等ノ事。 《『吾妻鏡文治二年十月一日の条》
 
 
2006年05月07日(日)曇り一時晴れ。東京→世田谷(駒沢)
好士(カウジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

好士(カウシ)。〔元亀二年本95八〕

(カウ) 。〔静嘉堂本119三〕

好士() 。〔天正十七年本上58ウ五〕

とあって、標記語「好士」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕

花下諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕

花下好士諸家之狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕

(モト)好士諸家狂仁如タリ遠所之花者乗物僮僕難合期近隣之名花以歩行之儀事候雖トモリト左道之樣異躰之形チヲ明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕

花下好士諸家狂仁如タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之茗花歩行之儀候雖リト左道之樣異躰之形明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「好士」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「好士」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「好士」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

好士(コノム・カウ・ヨシ、サブライ)[去・上]。〔態藝門280八〕

とあって、標記語「好士」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

好士() 。〔弘治本・言語進退87八〕

好色(カウシヨク) ―物(ブツ)―士()。〔永祿本・言語門83二〕

好色(カウシヨク) ―物。―士。〔尭空本・言語門75五〕

好色(カウシヨク) ―物。―使。―士。〔両足院本・言語90八〕

とあって、弘治二年本に標記語「好士」の語を収載し、語注記未記載にする。易林本節用集』には、標記語「好士」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「好士」の語を収載していて、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

045爭徒然トシテ光陰花下(原註ニ)好士 風流士也。又詩人歌人也。〔謙堂文庫藏8左E〕

とあって、標記語「好士」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)(モト)好士(カウジ)其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興發ヲ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オ三〜八〕

とあって、標記語「好士」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(はな)の下(もと)好士(こうし)好士舊注に昔名花木級主樹とて詩歌の道に達したるものをゑらひ其花の主と定められ花さかりにハ彼か許に集(あつま)りて詠歌の興行あり。是を好士といふといえり。ある説にハ花下の好士といへるも花に心を移し詩歌をもてあそふ風流乃人をいふ。かならすしも級主櫻乃事にあらすといえり。〔7オ六〜八〕

とあって、この標記語「好士」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はな)の下(もと)好士(こうし)諸家(しよけ)の狂人(きやうじん)(くも)の如(ごと)く霞(かすみ)に似()たり。遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)合期(がうご)し難(がた)し先(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくハ)歩行(ほかう)()()を以(もつて)(おも)ひ立()つ事(こと)に候(さふら)ふ左道(さたう)()(やう)(たり)と異體(いてい)()(かたち)を以(もつて)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふら)は者()本望(ほんまう)(なり)(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同し。美景(びけい)に浮(うか)れて所々の春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花ざかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔5ウ二〜六、5ウ六〜八〕

(はなの)(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)(ごとく)(くもの)(にたり)(かすミに)遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうほく)(がたし)合期(かふこし)(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくわ)(もつて)歩行(ほかう)()(ぎを)(おもひ)(たつ)(ことに)(ざふらふ)(いへども)(たりと)左道(さたう)()(やう)(もつて)異體(いてい)()(かたちを)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふらハ)()本望(ほんまう)(なり)▲花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ一〜六、9ウ一〜二〕

とあって、標記語「好士」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「好士」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「かう-好士】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こう(カウ)-好士】〔名〕(「こうじ」とも)@すぐれた人物。立派な人物。また、ある分野にひいでた人物。文几談(1283頃)三「長明、人間に生をうけて絃哥の好士たり」*俳諧・犬子集(1633)序「伊勢国山田の神官に荒木田守武、又山城国山崎に宗鑑とて、此道の好士侍り」*俳諧・毛吹草(1638)二「一人の好士(コウジ)より三人の愚者」*魏略「嘉其才朗曰、丁掾好士也」A風流の道に深く心を寄せる人。数寄(すき)の人。明衡往来(11C中か)上末「仍排茅戸一両輩之好士。藤翰林江李部等。先日有約」*江談抄(1111頃)四「於相公二条京極梅園旧亭、八月一五夜時好士有□輩。翫月」*毎月抄(1219)「万葉のやうを存ぜざらん好士は、無下の事とぞおぼえ侍る」*俳諧・誹諧之連歌(飛梅千句)(1540)跋「花実をそなへ、風流にして、しかも一句ただしく、さておかしくあらんやうに世々の好士のをしへ也」*随筆・戴恩記(1644頃)下「好士といふも歌人の事なり」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
内藤右馬允知親、〈好士也定家朝臣門弟〉爲御使《訓み下し》内藤右馬ノ允知親〈好士(カウシ)ナリ。定家朝臣ノ門弟。〉、御使タリ。 《『吾妻鏡承元三年七月五日の条》
 
 
2006年05月06日(土)曇り後雨。三次(市立図書館)→広島→品川(東京)
花下(はなのもと)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「花下」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

花下好士諸家狂仁如雲似霞遠所花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔至徳三年本〕

花下諸家狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔宝徳三年本〕

花下好士諸家之狂仁如雲似霞遠所之花者乗物僮僕難合期先近隣之名花以歩行之儀思立事候雖爲左道之樣以異躰之形明後日御同心候者本望也〔建部傳内本〕

(モト)好士諸家狂仁如タリ遠所之花者乗物僮僕難合期近隣之名花以歩行之儀事候雖トモリト左道之樣異躰之形チヲ明後日御同心候ハヽ者本望也〔山田俊雄藏本〕

花下好士諸家狂仁如タリ遠所之花乗物僮僕難合期近隣之茗花歩行之儀候雖リト左道之樣異躰之形明後日御同心候ハヽ者本望也〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「花下」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(はなの)もと」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「花下」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「花下」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「花下」の語は未収載にあり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

045爭徒然トシテ光陰花下(原註ニ)好士 風流士也。又詩人歌人也。〔謙堂文庫藏8左E〕

とあって、標記語「花下」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)(モト)好士(カウジ)其比ノ代ニハ。名花木ニハ。級主樹(キウシユジユ)トテ達(タツ)シケル者ヲ主(アルジ)ト定ラレシナリ。花盛(ザカ)リニハ彼(カレ)ガ許(モト)ニ集(アツマツ)テ會ヲ仕興發ヲ遊フ也。其比ノ好士ト謂(イヒ)習ハシタリ。狂仁(キヤウジン)ト云者ハ。餘ノ事ヲ捨(ステ)テ。花ニ心ヲ移(ウツ)シ營(イチナ)ム。渡世(トせイ)ヲモ目ニ懸(カケ)ス。花ノミヲ心ロニ懸テ狂(クル)ヒ行ク人ヲ狂人ト云也。〔6オ三〜八〕

とあって、標記語「花下」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(はな)の下(もと)の好士(こうし)好士舊注に昔名花木級主樹とて詩歌の道に達したるものをゑらひ其花の主と定められ花さかりにハ彼か許に集(あつま)りて詠歌の興行あり。是を好士といふといえり。ある説にハ花下の好士といへるも花に心を移し詩歌をもてあそふ風流乃人をいふ。かならすしも級主櫻乃事にあらすといえり。〔7オ六〜八〕

とあって、この標記語「花下」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はな)の下(もと)乃好士(こうし)諸家(しよけ)の狂人(きやうじん)(くも)の如(ごと)く霞(かすみ)に似()たり。遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうぼく)合期(がうご)し難(がた)し先(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくハ)歩行(ほかう)()()を以(もつて)(おも)ひ立()つ事(こと)に候(さふら)ふ左道(さたう)()(やう)(たり)と異體(いてい)()(かたち)を以(もつて)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふら)は者()本望(ほんまう)(なり)(モト)好士諸家狂人如(クモ)(ニタリ)(カスミ)遠所(エンジヨ)之花()乗物(ノリモノ)僮僕(ドウボク)(ガタ)合期(ガウゴ)近隣(キンリン)之名(メイ)花以行之儀候雖ヘトモ(タリ)左道之樣(ヨウ)異躰(イテイ)()(カタチ)明後()日御同心候ハヽ者本望(マウ)花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同し。美景(びけい)に浮(うか)れて所々の春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花ざかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔5ウ二〜六、5ウ六〜八〕

(はなの)(もとの)好士(かうし)諸家(しよけの)狂仁(きやうじん)(ごとく)(くもの)(にたり)(かすミに)遠所(ゑんしよ)()(はな)()乗物(のりもの)僮僕(どうほく)(がたし)合期(かふこし)(まづ)近隣(きんりん)()名花(めいくわ)(もつて)歩行(ほかう)()(ぎを)(おもひ)(たつ)(ことに)(ざふらふ)(いへども)(たりと)左道(さたう)()(やう)(もつて)異體(いてい)()(かたちを)明後日(ミやうごにち)御同心(ごどうしん)(さふらハ)()本望(ほんまう)(なり)花下好士とハ花(はな)に心を移(うつ)し詩歌(しいか)をもてあそぶ風流(ふうりう)の人をいふ。諸家狂仁といへるも同く美景(びけい)に浮(うか)れて所々春(はる)を探(さぐ)る雅遊(がゆう)の徒()なり。俊成卿(しゆんぜいきやう)の哥(うた)花さかり四方(よも)の山邊(やまべ)にあこがれて春(はる)ハ心の身()にそハぬ哉と讀(よめ)る類(たぐひ)なり。〔9オ一〜六、9ウ一〜二〕

とあって、標記語「花下」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†QVAca.カカ(花下) Fanano moto.(花の下)花をつけている木の根もと.文書語.〔邦訳515l〕

とあって、標記語「花下」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はな--もと〔名〕【花下】(一)花咲ける樹の邊。白氏文集、三十、春興「花下歸因美景後撰集、一、春、上「鶯の、なきつる聲に、さそはれて、花のもとにぞ、われは來にける」山家集「願はくは、花のもとにて、春死なむ、その二月(きさらぎ)の、望月の頃」(二)連歌の宗匠の家の號。後土御門天皇より、連歌師飯尾宗祇に賜はりしもの。此號、師弟次第に授受せしが、寛永中に至り、其號を繼げる里村昌啄(紹巴の門人の昌叱の子)に、連歌宗匠の稱を賜はりしより、後、又、師弟授受せり。菟玖波集の序に「或詠花下、或嘯月前、久しく雲の上のもてあそび、花の下のたはぶれとなれり」とあり。(連歌(レンガ)の條を見よ)津國女夫池(享保、近松作)三、「もとより一學やさ男、花の下の門弟にて、連歌を好み」〔1606-3〕

とあって、標記語「はな--もと花下】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はな】〔名〕」小見出し「はなの=下(もと)@花が咲いている木の下。花之陰。《季・春》A鎌倉・南北朝時代、地下(じげ)層の連歌愛好者。のち、連歌の巧者・宗匠の尊称となり、東山時代に及んで公的な宗匠職と合して連歌最高の権威者・指導者として将軍から扶持が与えられ、公認された称号。また、俳諧では、寛政二年(一七九〇)に加藤暁台が二条家の許しを得てこの称号を用いた。B(Aから転じて)武術、諸芸などの名誉ある主領。C「はな(花)の下の連歌」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
次逍遥花下給《訓み下し》次ニ花ノ下(モト)ニ逍遥シ給フ(花林ノ下)。 《『吾妻鏡建保五年三月十日の条》
 
 
2006年05月05日(金)晴れ。三次(市立図書館)
徒然(トゼン・つれづれ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

徒然(トぜン)。〔元亀二年本54四〕

徒然 。〔静嘉堂本60五〕

徒然(トせン) 。〔天正十七年本上33オ四〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

抑醍醐雲林院花濃香芬々巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕

抑醍醐雲林院花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)山桜開落交(マシフ)黙止者此節(トキ)テカ()シテ而送ラン光陰〔山田俊雄藏本〕

醍醐雲林院花濃香芬々トシテ也嵯峨吉野山桜開落交(エダ)梢繁黙止者此節也爭デカ徒然シテ而送ラン光陰〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「徒然」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ト(ゼン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

徒然(ツレ〃) 无馬([為])分/閑詞/トせン。〔黒川本・畳字門上49ウ六〕

徒衆 〃然。〃口/〃侶。〔卷第二・畳字門426二〕

とあって、三卷本に標記語「徒然」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

徒然(トぜン) 。〔言辭門152三〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載する。次に、広本徒然用集』(1476(文明六)年頃成立)の津部に、

徒然(ツレ々/トぜン。トモガラ・イタヅラ、シカリ)[平軽・平]或作冷然。〔態藝門421三〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載し、語注記に「或は、冷然に作す」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

徒然(ツレ/\)冷然(ツレ/\) 又作連々。〔弘治・津部、言語進退131三・四〕

徒然(トせン) 徒然(ツレ/\)トぜン 。〔永祿本・言語門44九・105九〕

徒然(トせン) ―跣。〔尭空本・言語門41六〕

徒然(トぜン) 。〔両足院本・言語門49七〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載し、語注記は未記載にする。易林本節用集』に、

徒然(トぜン) 。〔言語門43七・天理図書館蔵上22オ七〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「徒然」の語を収載していて、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

045爭徒然シテ光陰花下(原註ニ)好士 風流士也。又詩人歌人也。〔謙堂文庫藏8左E〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フン  )(ニオヒ)(スデニ)(サカン)嵯峨(サガ)吉野山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)(マジヘ)(ヱダ)(コズヘ)(シゲシ)(ガタキ)黙止(モタシ)者此(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)而送(ヲクラン)光陰(クワウイン)()醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃()メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無(ヲコタル)佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(いかで)徒然(とぜん)して光陰(くわういん)を送(おく)らん哉()徒然而送ラン光陰爭とハなにとしてといふ意なり。徒然はさひしき様子をいふ。光陰を送るとは月日をへる事なり。〔7オ四〜六〕

とあって、この標記語「徒然」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こずゑ)(しげ)し。黙止(もだし)(がた)き者()(この)(せつ)(なり)(いかで)徒然(とぜん)し而()光陰(くハういん)を送(おく)らん哉()抑醍醐雲林院濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交其梢繁黙止者此節也徒然而送ラン光陰。〔5ウ一・二〕

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(まじへ)(えだ)(その)(こずゑ)(しげし)(がたき)黙止(もだし)()(この)(せつ)(なり)(いかで)徒然(とぜん)(して)(おく)らん光陰(くハういん)()。〔8ウ六〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tojen.l,tojenna.トゼン.または,トゼンナ(徒然,または,徒然な) ひとりぼっちで寂しくして居る(こと).¶Tojenna tei(徒然な体)孤独の寂しさ,または,物寂しげにしているさま.¶また,比喩.Toje~na.(徒然な)ひもじい.〔邦訳658l〕

とあって、標記語「徒然」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぜん〔名〕【徒然】つれづれなること。物さびしくて居ること。爲すること無くて、退屈なること。(靜岡縣にては、空腹(クウフク)をトゼンと云ふ)書言字考節用集、八、言辭門「徒然、トゼン」太平記、七、千劍破城軍事「唯取り巻きて食攻(ジキぜめ)にせよと下知して、軍を被止ければ、徒然に皆堪へ兼ねて、花下(はなのもと)の連歌師共を呼び下し、一萬句の連歌をぞ始めたりける」〔1406-5〕

とあって、標記語「-ぜん徒然】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぜん徒然】〔名〕@むなしいこと。何もすることがなくて手持ち無沙汰であること。無為に時を過ごすこと。退屈であること。また、そのさま。つれづれ。A空腹であること。また、そのさま」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
其後及秉燭之期、稱爲慰徒然、被遣藤判官代邦通、工藤一臈祐經、再官女一人〈号千手前〉等、於羽林之方剰被副送竹葉上林已下《訓み下し》其ノ後秉燭ノ期ニ及ンデ、徒然(トゼン)ヲ慰メンガ為ト称ジ、藤ノ判官代邦通、工藤一臈祐経、再ビニ官女一人〈千手ノ前ト号ス〉等ヲ、羽林ノ方ニ遣ハサレ、剰ヘ竹葉上林已下ヲ副ヘ送ラル。《『吾妻鏡元暦元年四月二十日の条》
随身並官人有徒然之色 《『小右記』寛弘二年正月三日の条》
 
 
2006年05月04日(木)晴れ。三次(市立図書館)
此節(セツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

抑醍醐雲林院花濃香芬々巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條([其])梢繁難黙止者此也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕

抑醍醐雲林院花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)山桜開落交(マシフ)黙止者此(トキ)テカ()トシテ而送ラン光陰〔山田俊雄藏本〕

醍醐雲林院花濃香芬々トシテ也嵯峨吉野山桜開落交(エダ)梢繁黙止者此也爭デカ徒然トシテ而送ラン光陰〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「とき」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

せチ 。〔黒川本・天象門下101オ五〕

せチ 。〔卷第十・天象門432三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「せチ」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))とあって、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ヒマ)ケキ(せツ)フシ・トキ[入・入]。〔態藝門1044六〕その他

とあって、標記語「○○」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。易林本節用集』に、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「」の語を収載し、これに古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

044難黙止者此 背花不居也。〔謙堂文庫藏8左E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フン  )(ニオヒ)(スデニ)(サカン)嵯峨(サガ)吉野山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)(マジヘ)(ヱダ)(コズヘ)(シゲシ)(ガタキ)黙止(モタシ)者此(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)而送(ヲクラン)光陰(クワウイン)()醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃()メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無(ヲコタル)佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

開落(かいらく)(ゑだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こすへ)(しげ)し/開落交其梢繁開く落ちる花枝(ゑた)をまじへそのこずへ殊に繁りて詠(なか)め一方(ひとかた)ならすと也。〔7オ二・三〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こずゑ)(しげ)し。黙止(もだし)(がた)き者()(この)(せつ)(なり)(いかで)か徒然(とぜん)とし而()光陰(くハういん)を送(おく)らん哉()抑醍醐雲林院濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交其梢繁黙止者此節也徒然而送ラン光陰。〔5ウ一・二〕

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(まじへ)(えだ)(その)(こずゑ)(しげし)(がたき)黙止(もだし)()(この)(せつ)(なり)(いかで)徒然(とぜん)(して)(おく)らん光陰(くハういん)()。〔8ウ六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Xet.セツ(節) 例,Sono xet.(その節)すなわち,Sono toqi.(その時)その時期に,その場合に,その時刻に,など.〔邦訳756l〕

とあって、標記語「」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【】又、せち。(一)四時、氣候の變はる節(をり)荊楚歳時記(梁、宗懍)「毎月皆有弦望晦明、以正月初年時俗重以爲節也」「節が遲い」節が早い」(二)とき。をり。ころ。槍權三重帷子(享保、近松作)下「御自分、江戸より下着の節」「此節」其節」(三)みさを。節操戰國策、魏策「折節而朝齊、楚王必怒矣」左傳、成公十五年「聖達節、次守節、下失節」漢書都傳「奉職死節」(四)使臣などが資格の標識として携ふる旗。周禮、地官、堂節、注「以王命徃來、必有節、以爲信」史記、秦始皇紀、注「節者、編之、以象竹節(五)くぎり。區分。「第一章第三節」(六)豫算編制上にて、目(モク)の下の區分。(七)音曲、又は、歌謡のふし。調子。律。拍子。「曲節」(八)骨と骨とのつがひめ。「骨節」關節」(九)節句、節日、節會などの略。(十)英國の尺度の名、Knot.のあて字。「速力十二節(ノツト)の船」〔1108-5〕

とあって、標記語「-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-】〔名〕@自己の信ずる考え、志、行動などを貫き通して変えないこと。みさお。節操。節義。A適度。ほどあい。ほど。B君命を受けた使者や大将に賜わるしるし。てがた。符節。符信。C時間的経過の一時期、または、くぎりめ。ある事柄の存在する、または行われる、そのとき。折(おり)。時期。ころ。一年を、春・夏・秋・冬でくぎった期間。季節。時節。暦でいう二十四節気のこと。また、そのうち立春に始まる一つおきの節気をいう。また、節から次の節までの一か月間、陰暦の吉凶の暦注の多くは節を基準として配当されている。節月ともいう。易の六十四卦の一つ。迷名、上卦は坎(かん=水)、下卦は兌(だ=沢)。水沢節ともいう。水が沢にはいって、多すぎれば流出し、一定の分量があるさま。節気の変わりめの祝日。節供(せっく)。節日(せつにち)。せち。D歌曲の調子。音調。ふし。E物事のくぎりめ。また、そのくぎられた部分。詩の一行をいくつかにまとめてくぎった部分。聯(れん)。詩歌・文章・楽曲などの一くぎり。また、文章の段落。商品取引所で行なわれる立会(たちあい)の小区分。プロ野球などの日程のくぎり。予算編成上の区分の名目。項の下の小区分、目の下の小区分をいう。数学で、方程式の辺(へん)のこと。F竹、枝または骨などのふし。G船舶・航空機などの速さの単位、ノット(kont)のあて字」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
迎重陽、藤判官代邦通、献菊花《訓み下し》重陽ノ(セツ)ヲ迎ヘ、藤ノ判官代邦通、菊花ヲ献ズ。 《『吾妻鏡文治二年九月九日の条》
 
 
2006年05月03日(水)晴れ。三次(市立図書館)
(しげ・し)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

(シゲシ)()()。〔元亀二年本334四〕

(シゲシ)()() 。〔静嘉堂本398五〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

抑醍醐雲林院花濃香芬々巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條([其])難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕

抑醍醐雲林院花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)山桜開落交(マシフ)黙止者此節(トキ)テカ()トシテ而送ラン光陰〔山田俊雄藏本〕

醍醐雲林院花濃香芬々トシテ也嵯峨吉野山桜開落交(エダ)黙止者此節也爭デカ徒然トシテ而送ラン光陰〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本に「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ハン)シケシ茂稠滋直客反森蕃(ハン)已上同。〔黒川本・辞字門下74ウ二〕

シケシ滋臣茂蕃重已上同 。〔卷第九・辞字門180一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))とあって、標記語「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(シミ/\/ハンシゲシ)[平軽]。〔態藝門1025三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』は、標記語「」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

(シゲシ)チウ木―。()()()。〔言辞門219一・天理図書館蔵下42ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

043開落交 雖同木南枝シテ早_開北枝寒故也。就開落菅丞相、散モ/ル面白山櫻。〔謙堂文庫藏8左D〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フン  )(ニオヒ)(スデニ)(サカン)嵯峨(サガ)吉野山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)(マジヘ)(ヱダ)(コズヘ)(シゲシ)(ガタキ)黙止(モタシ)者此(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)而送(ヲクラン)光陰(クワウイン)()醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃()メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無(ヲコタル)佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

開落(かいらく)(ゑだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こすへ)(しげ)開落交其梢開く落ちる花枝(ゑた)をまじへそのこずへ殊に繁りて詠(なか)め一方(ひとかた)ならすと也。〔7オ二・三〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こずゑ)(しげ)。黙止(もだし)(がた)き者()(この)(せつ)(なり)(いかで)か徒然(とぜん)とし而()光陰(くハういん)を送(おく)らん哉()抑醍醐雲林院濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交其梢黙止者此節也徒然而送ラン光陰。〔5ウ一・二〕

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(まじへ)(えだ)(その)(こずゑ)(しげし)(がた)黙止(もだし)()(この)(せつ)(なり)(いかで)徒然(とぜん)(して)(おく)らん光陰(くわういん)()。〔8ウ六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しげ・キ・ケレ・ク・ク〔形、一〕【】(一)繁(しげ)りてあり。(草木などに)費やす。源氏物語、一五、蓬生05「しげき草、蓬をだに、かき拂はん物とも、思ひよりたまはず」(二)細かにて、多し。頻りなり。密なり。(事に)。源氏物語、四、夕顔23「隣りしげく、咎むる里人、多く侍らんに」(三)?なり。重なる。拂ふ。遣()る。源氏物語、一、桐壺25「しげく渡らせ給ふ」同、四、夕顔42「内より、御使、雨の足よりもしげし〔886-4〕

とあって、標記語「しげ】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しげ】〔形ク〕(室町時代から近世にかけては口語形「しげい(繁)」も用いられた。→しげい(繁))@草木など、葉が茂り重なって多い。草木などが密生している。A数量が多い。たくさんある。豊富である。また、豊かである。B回数が多い。たび重なる。絶え間がない。しきりである。Cあまり多くてわずらわしい。うるさい。くだくだしい。他の人が見、聞き、話すことのわずらわしさをいとう気持ちにいう。D込みあっている。密集している」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
先々會日、雖有流鏑馬競馬、依事、今年始、被分兩日也《訓み下し》先先ノ会日ニハ、流鏑馬競馬有リト雖モ、事(コトシゲ)ニ依テ、今年ヨリ始メテ、両日ニ分カタルルナリ。 《『吾妻鏡建久元年八月十六日の条》
 
 
2006年05月02日(火)雨後晴れ。東京→品川→広島→三次(市立図書館)
(こずゑ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

(コスエ)()()。〔元亀二年本241六〕

(コスへ)()()。〔静嘉堂本278五〕

(コスへ)()()。〔天正十七年本中68オ五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

抑醍醐雲林院花濃香芬々巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條([其])繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕

抑醍醐雲林院花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)山桜開落交(マシフ)黙止者此節(トキ)テカ()トシテ而送ラン光陰〔山田俊雄藏本〕

醍醐雲林院花濃香芬々トシテ也嵯峨吉野山桜開落交(エダ)黙止者此節也爭デカ徒然トシテ而送ラン光陰〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

 

と見え、山田俊雄藏本を除く至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本経覺筆本に「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

コスヘ/所交反。同/云眇。(ヘウ)同/木抄也。同云顛/木上也。〔黒川本・植物門下2ウ五〕

コスエ/枝―也。/木末也。(ヘウ)/下抄。○。已上同/木上也。〔卷第七・植物門113四五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(コズヱサウ)[平](同/せウ)[上](同/ヒヤウ)[平]〔草木門655一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』に、

(コズヘ)()() 。〔弘治・草木門185六〕

(コズヘ)。/(コズヘ)抄。〔永祿本・草木門151九・152二〕

(コズヘ) 標。抄。〔尭空本・草木門141九〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載する。易林本節用集』に、

(コスエ) ()。〔草木門155六・天理図書館藏下10ウ六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

043開落交 雖同木南枝シテ早_開北枝寒故也。就開落菅丞相、散モ/ル面白山櫻。〔謙堂文庫藏8左D〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フン  )(ニオヒ)(スデニ)(サカン)嵯峨(サガ)吉野山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)(マジヘ)(ヱダ)(コズヘ)(シゲシ)(ガタキ)黙止(モタシ)者此(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)而送(ヲクラン)光陰(クワウイン)()醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃()メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無(ヲコタル)佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

開落(かいらく)(ゑだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こすへ)(しげ)し/開落其梢繁開く落ちる花枝(ゑた)をまじへそのこずへ殊に繁りて詠(なか)め一方(ひとかた)ならすと也。〔7オ二・三〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こずゑ)(しげ)し。黙止(もだし)(がた)き者()(この)(せつ)(なり)(いかで)か徒然(とぜん)とし而()光陰(くハういん)を送(おく)らん哉()抑醍醐雲林院濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交黙止者此節也徒然而送ラン光陰。〔5ウ一・二〕

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(まじへ)(えだ)(その)(こずゑ)(しげし)(がた)黙止(もだし)()(この)(せつ)(なり)(いかで)徒然(とぜん)(して)(おく)らん光陰(くわういん)()。〔8ウ六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cozuye.コズヘ(梢) 樹木の先の小枝.→Fuqicudaqi,qu;Qigui(木々);Tcutai,to<;Xito>(枝頭).〔邦訳158r〕

とあって、標記語「」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ずゑ〔名〕【】〔木末(こずゑ)の義〕(一){木の幹、又は、枝の先(さき)。木の末(うれ)。ちらす。費やす。倭名抄、廿30木具「樹、唐韻云梢<所交反 古須惠>枝梢也」新六帖、二「秋山の、こずゑづたひに、啼く猿の、しづまる時も、なき心かな」(二)年の暮。歳末。堀河百首、歳暮「ことたまの、おぼつかなさに、をかみすと、こずゑながらも、年を越すかな(ことたまの條を見よ)」字典「歳末曰禮記、王制篇「宰制國用、必于(オイテス)歳之」(次條を見よ)686-1〕

とあって、標記語「-ずへ】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ずえ】〔名〕(木の末の意)枝の末。幹のさき。木末(こぬれ)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
義廣、到于彼宮前之時、朝政、廻計義、而令人昇于登々呂木澤地獄谷等林之、令造時之聲《訓み下し》義広、彼ノ宮ノ前ニ到ルノ時、朝政、計義ヲ廻ラシテ、而人ヲシテ登登呂木ノ沢地獄谷等ノ林ノ(コズヱ)ニ昇ラシメテ、時ノ声ヲ造ラシム。 《『吾妻鏡治承五年閏二月二十三日の条》
 
 
2006年05月01日(月)曇りのち小雨。東京→世田谷(駒沢)
開落(カイラク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、標記語「開落」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來二月廿三日の状に、

抑醍醐雲林院花濃香芬々巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔至徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山櫻開落交條([其])梢繁難黙止者此節也爭徒然而送光陰哉〔宝徳三年本〕

抑醍醐雲林院花濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落交條其梢繁難黙止者此節也争徒然而送光陰哉〔建部傳内本〕

抑醍醐雲林院花濃香(チヨウキヤウ)芬々トシテ匂巳盛ンナリ也嵯峨芳(ヨシ)山桜開落(マシフ)黙止者此節(トキ)テカ()トシテ而送ラン光陰〔山田俊雄藏本〕

醍醐雲林院花濃香芬々トシテ也嵯峨吉野山桜開落(エダ)梢繁黙止者此節也爭デカ徒然トシテ而送ラン光陰〔経覺筆本〕

×〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「開落」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「開落」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「開落」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

開落(カイラク/ヒラク・ヲチル)[平軽・入]。〔態藝門272三〕

とあって、標記語「開落」の語を収載し、語注記未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』に標記語「開落」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「開落」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』正月五日の状には、

043開落 雖同木南枝シテ早_開北枝寒故也。就開落菅丞相、散モ/ル面白山櫻。〔謙堂文庫藏8左D〕

とあって、標記語「開落」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ソモ)醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)花濃香(デヤウキヤウ)芬々(フン  )(ニオヒ)(スデニ)(サカン)嵯峨(サガ)吉野山櫻(ヤマザクラ)開落(カイラク)(マジヘ)(ヱダ)(コズヘ)(シゲシ)(ガタキ)黙止(モタシ)者此(せツ)也爭(イカデカ)徒然(トぜン)而送(ヲクラン)光陰(クワウイン)()醍醐(ダイゴ)雲林院(ウンリンイン)ノ花トツヾケタルハ。讃()メテ名所ノ花ヲ知せンガ爲也。彼(カノ)雲林院ニ昔シ忘憂(ハウユウ)花合(クハガウ)歡櫻(クハンノサクラ)ト云名花アリ。匂フ事九重マデ匂ヒ。色濃キ事餘言ン方モナシ。其比ハ君モ君タリ。國ノ政(マツリ)事モ無(ヲコタル)佛法王法ノ盛ナリシ上ハ。花モ香ヲマシ色モ妙也。特ニ雲林院(ウンリンイン)モ繁昌(ハンジヤウ)シ。勤行(ゴンギヤウ)モ稠カリシカバ。最花モ香色倍(マサ)レリ。去レバ此花ヲ見人愁(ウレヒ)ヲ忘(ワス)レ悦(ヨロコヒ)ヲ合スルト也。去程忘憂花合歡櫻ト帝(ミカ)トヨリ號(カウ)シ給ヒケレ。然ニ名所ノ名花ヲ云ハントテ。醍醐(ダイコ)嵯峨(サガ)芳野(ヨシノ)ナンドヲ云タル也。今ハ世モ(ゲウハク)ニ及ビ。佛法王法廢(スタ)レ絶(タヘ)テ政事モ直(タメ)シカラズ。去ハ花モ白ヒ少ク色モアサシ。〔5ウ六〜6オ三〕

とあって、標記語「開落」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

開落(かいらく)(ゑだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こすへ)(しげ)し/開落其梢繁開く落ちる花枝(ゑた)をまじへそのこずへ殊に繁りて詠(なか)め一方(ひとかた)ならすと也。〔7オ二・三〕

とあって、この標記語「開落」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)の花(ハな)濃香(ちやうかう)芬々(ふんぶん)として匂(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)の山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(えだ)を交(まじ)ヘ其(その)(こずゑ)(しげ)し。黙止(もだし)(がた)き者()(この)(せつ)(なり)(いかで)か徒然(とぜん)とし而()光陰(くハういん)を送(おく)らん哉()抑醍醐雲林院濃香芬々匂巳盛也嵯峨吉野山桜開落其梢繁黙止者此節也徒然而送ラン光陰。〔5ウ一・二〕

(そもそも)醍醐(だいご)雲林院(うんりんゐん)(はな)濃香(じようかう)芬々(ふんぶん)として(にほひ)(すてに)(さかん)(なり)嵯峨(さが)吉野(よしの)山櫻(やまさくら)開落(かいらく)(まじへ)(えだ)(その)(こずゑ)(しげし)(がた)黙止(もだし)()(この)(せつ)(なり)(いかで)徒然(とぜん)(して)(おく)らん光陰(くわういん)()。〔8ウ六〕

とあって、標記語「開落」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cairacu.カイラク(開落) Firaqi votcuru.(開き落つる)開いて落ちること.Fanaga cairacu suru.(花が開落する)花が咲いて,花びらが取れて落ちる.〔邦訳82r〕

とあって、標記語「開落」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かい-らく〔名〕【開落】開くと、落つると。(花に云ふ)陳子良、子幹誅「山花開落、朧月盈虧」徐?、牡丹詩「開落一何頻」和漢朗詠集(1018頃)、上、早春「南枝北枝之梅、開落已巽<慶滋保胤>」〔338-3〕

とあって、標記語「かい-らく開落】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かい-らく開落】〔名〕花の開くことと落ちること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未収載にする。
[ことばの実際]
移五欲園動静寒温造化通変桃李開落尢哩h枯諸行無常是生滅法随縁《『醍醐寺文書』慶長三年七月二十二日の条、517 3/36》
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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