[8月1日〜8月31日迄&2002.10.04更新]

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

 

1998年8月31日(月)曇り。

朝昼も 照りほど遠く どんよりと

「丘首」

 本を忘れないことの故事に「丘首〔きゅうしゅ〕」ということばがある。これは、「狐死首丘〔キツネ死して丘にむかふ〕」といい、略して「首丘〔しゅきゅう〕」〔礼記・檀弓上〕とも云う。

 狐は丘に住み、死に際して丘に向かうことをもって故郷の地を忘れないことからいう。

1998年8月30日(日)曇り。札幌

のっぺりと あって満足 名に残す

「笑い」の形容表現

 諺に「笑う門に福来たる」と言い、人は常に笑って暮らしていれば、自然に健康となり、煩悶も起こらない。心に余裕も生まれ、作事勉励、家内繁盛、立身出世へとつながっていくというものであった。

 一日の生活のなかで笑顔を絶やさない時間が少しでも長ければ長いだけ、人は幸福に恵まれるということを諺は示唆している。逆に「泣き面に蜂」や「弱り目に祟り目」などは、余裕の無い状態に不幸が押し寄せてくることは云うまでもない。ハイテック周りの現代にあっても、“笑いの種”はつきないのである。

 この笑い方の仕種を形容表現すると、

にこにこ笑う。〔親しき笑い〕にこにこと笑ふ袋の緒が切れて水に浮世はてんばちのかは[沢庵和尚]

にたにた笑う。〔気味悪き笑い〕

くすくす笑う。〔忍び笑い〕

くつくつ笑う。〔抑え笑い〕

げたげた笑う。〔下品な笑い〕

げらげら笑う。〔大笑い〕

からから笑う。〔豪快な笑い〕よりあひて山がら日がら四十からから/\/\と笑ふみゝづく[保友]

へらへら笑う。〔不敵な笑い〕

といった、人の八笑いの仕種を日頃見聞できる。笑い声そのものが形容されたり、笑う表情が形容されたりもする。大勢の人が一斉にどっと笑うのは、話芸の落語や漫才の世界にある笑い。笑話集では、中国の『笑林』、本邦の『醒睡笑』が知られる。

 また、一人の笑いのなかでも、“大笑い”することもある。ふと、過去の記憶が呼び覚まされ、“思い出し笑い”もある。生後二ヶ月を過ぎた赤ちゃんが寝むったまま「けらけら」と笑うのがそれ。この仕種を見てお年寄りの方は、「お地蔵さんが遊びに来ているのネ」(地方によって言い回しが異なる)と表現する。これを人は何というのかを知らないが“眠り笑い” (仮称)がある。

1998年8月29日(土)曇り。

濁流に 降らずもがなや 量の水

「じゅうまめへん」

 漢字の部首を「偏傍冠脚〔ヘンボウカンキャク〕」とか、「偏旁〔へんつくり〕」と言い、この最初の偏〔へん〕に、「十」と「豆」で、〓〔十+豆〕偏〔じゅうまめへん〕と読む。この偏の字例には、「皷・鼓〔つづみ〕」が知られる。

他に、この合成式読みの偏目としては、

「いちたへん【一+タ】例:列・殊・残」⇒漢字検索部首はない。

「ふとめへん【フ+止】例:疎」⇒*「ひきへん【疋】」とも云う。

「たつきへん【立+木】例:親」⇒漢字検索部首はない。

が知られるぐらいで、この読み方もいつどのように学習したのか氣になるところでもある。

1998年8月28日(金)雨。

大雨どき 一歩も進めぬ 道があり

「茗」の字

 現在「茗」の字は、「茗荷」と書いて「みょうが」と読む。本来、「茗」の字は、新芽を摘んだ「新茶」に対し、遅芽の茶葉を摘むのを「茗茶」というのだが……。ところが、この「茗茶」の語だが、国語辞書にはなんと未収載なのである。

はたまた読み方は、「みょうちゃ」か?「めいちゃ」か?「めいちゃ」だと同音異語の「銘茶」の語がある。うーむとしばし考えてしまう。実際、学研国語大辞典』の「めい【茗】〔文語・文章語〕茶。特に、番茶。」の用例に、

小間使が捧げ来(キタ)れる一碗のに滑らかなる唇を湿(ウルホ)し…〔徳富蘆花・不如帰〕

とある。この学研国語大辞典』の「茗」の読みを本にすれば、「めいちゃ」の読みが有力となる。また、学研漢和大辞典』にも、「茗茶」の語は未収載だが、「茗園(めいえん)・茗宴(めいえん)・茗讌(めいえん)・茗果(めいか)・茗肆(めいし)・茗粥(めいしゅく)・茗器(めいき)・茗具(めいぐ)・茗圃(めいほ)・茗椀(めいわん)・茗陵(めいわん)」などの語が記載されている。

そして、「茗荷」だけ「みょうが」と呉音読みとなる。この「みょうが」だが、室町時代の古辞書『下學集』には、

   烈荷(ミヤウガ) ス‖ニ|也[草木128A]

とあって、「ジョウ【】」の字が見出し語として表記され、また「名」の字をもって「名荷」とも作すといった注文記載が見える。しかし、これは現在の「茗荷」の表記とは異なっている。

昔は、物忘れするから食すのを控えよという俗信が伝えられてきた「茗荷」だが、しゃっきとした歯ざわりとその香りにボケ防止の効果があるという。

1998年8月27日(木)薄晴れのち雨。

やっとこさ パソコン戻り 触れ打ちき

「親」の字、分解字方式の文字習得

 「親」という字を分解して「立ち木のそばで(じっと我が子を)見守る」のが「おや」なのだと覚える。また、「立ち木に上りて(我が子の帰りの遅いのを心配して)見る」のが「おや」であるともいう。

 こうした漢字を分解方法によって字の構成から意味をとりつけ、漢字の読み方を覚えて理解することばが他にも知られている。例えば、「櫻」の字は、「二階(二貝)の女は氣(木)にかかる」とか、「戀」の字は、「いとしいとしといふこころ」といったのも文字分解式の文字の覚え方である。

 上記の例は、学校教育では教えていないが、先輩から後輩へ、友から友へといつのまにかどこからともなく習得していた文字学習なのである。これと類似する文字習得の実用例を下記に列挙しておこう。

【染】さぶろくじゅうはち。<三(六=ろ)十八と掛け算方式型読み>

【券】そににんかたな。<ソ二人刀>

【鬼】のたるむ。<ノ田ルム>

【疑】ひやまひき。<ヒ矢マ疋>

【索】じゅうわいと。<十冖糸>

【鼻】じたくさ。<自田廾>

【慶】まだれ、こ、たてたて、いちかぎ、こころ、のまた。<广コ亅亅¬心ノ又>

【暖】ひ(ニチ)にのついちとも。

【御】たたずみ〔彳〕て、のにとまる、まっすぐなおおざと。

【壊】つちへんに、じゅうしころも。<土に十四衣>

【寿】さんけさがけの、すん。<三けさがけノ、寸>

【獣】つたいちくちのそばにいぬ。<ツ田一口のかたわらに犬>

【姿】つぎのおんなは、どんなすがた。<次の女はどんな姿

【盗】つぎのさらは、ぬすまれる。<次の皿はまれる>

【憩】した、おのずからこころでいこう。<舌自から心でう>

【悩】こころたち、つねにきょうならなやむ。<心立ち、ツねに凶ならむ>

【遷】にしおおきくおのれ、うつりゆく。<西大きく己、りゆく>

といったような具合に、分解字方式による文字認識のやり方が、電話などで聞き手に文字を知らしめるときに用いられてもいる。まだまだ、ここに列挙しない文字は枚挙に暇無しである。

1998年8月26日(水)雨のち曇り。

蒸し暑さ 風吹き込み ふと涼し

「あこぎ」と「アコギ」

 国語辞書新明解『国語辞典』第五版に、「あこぎ【阿漕】−な〔歌・伝説に出た三重県津市の地名から〕非常にずうずうしいやり方で、ぼろいもうけをねらう様子。「―なやり方」」と記す。

 この「あこぎ」といえば上記表現だが、片仮名表記して、「アコギな類似品にご注意。男一匹、アコギ一本。宮本浩次」といった広告表現が目にとまった。この「アコギ」には、別の意味があるように思える。すなわち、「アコギ一本」は、「アコースティック・ギター」の略の「アコギ」なのである。これに通常の「あこぎ」の意をひっかっけ、「アコギな類似品」といった言い回しのようだ。

 本来の「あこぎ」だが、新明解のいう歌『古今和歌六帖の「逢ふことを阿漕の島に曳く鯛の度重ならば人も知りなむ」にはじまり、『源平盛衰記』八の「伊勢の海の阿漕が浦に曳く網も度かさなれば人もこそ知れ」に由来し、この「阿漕が浦」が伊勢神宮に供える神饌を捕るための禁猟地とされた。この禁を犯して阿漕と言う男が毎夜漁をするところから、隠れて行うことも、度重なると危ういという伝説に依拠する。これは『謡曲百番』に「阿漕」として流布し、「度重なる」ことを比喩した。転じて、「あこぎ(akogi)」と「あくなき(akunaki)」の類似音による意味結合が助長してか、近世の頃には限りなく飽くことのないことから、「厚かましいこと。欲深いこと」を言うようにもなった。

1998年8月25日(火)雨のち曇り。

蒸し暑き 夏の終わりの 冷や素麺 

「からあげ」の「から」漢字表記

 国語辞書、新明解『国語辞典』第五版で「からあげ」の語を繙くと、「空揚(げ)」と表記されている。ところが、調理店のお品書きや雑誌などでこの語をみると、通常の「唐揚げ」の表記が用いられている。この「空」と「唐」の表記上の差異を考えるとき、「空」の用字が正字であり、「唐」の用字はあくまで俗字というところだろうかと迷わずにはいられない。それもそのはず、国語辞書には「唐揚げ」の表記は、記載を見ない。これが辞書と世俗一般における使用状況との差でもあり通例のようだ。

 逆に、「からたけ」は、どう表記されているかと云えば、「幹竹」と表記され、表記のところに「唐竹」とも書くと表示される。そして、「空竹」の表記は見えないのである。

実際、「真っ向から竹割り」という「から竹」の表記がどうあるかが焦点ともなろう。学研『国語大辞典』では、「幹竹」を「真竹(マダケ)」または「淡竹(ハチク)」の別名とし、「唐竹」の方は、昔、中国から渡来した竹。笛などを作る。漢竹(カンチク)。と別種扱いをしている。

 茶菓子なしで飲む茶を「から茶ですがどうぞ」と勧められる。このときの「から茶」は、「空茶」と表記する。ところが、出されたお人は、「唐茶(中国から渡来した茶)でございますか」と勘違いして請け応えしている光景をよく見かける。

 こうしてみると、「空」「唐」「幹」といった表記漢字は実に紛らわしい表現であることは免れまい。「からて」は、「空手」も「唐手」も同じ意に用いる。

[ことばの実際]

 インターネット検索では、「空揚げ」表記846件に対し、「唐揚げ」表記5,084件という結果となっている。実際、インターネット上においては料理関係の内容でもその表記は揺れている。また、鶏の「からあげ」が主流であるが、魚類系の「からあげ」も、鮎・鯉など数種におよぶ。また、広末涼子さんのニッスイのコマーシャルには、「若鶏のから揚げ」と「から」の字表記を仮名表記するものも見られる。

1998年8月24日(月)曇り。

 久しきに 氷菓子欲しとや 暑さかな

「作」

 漢和辞書に「作」の字音を「サク」と「サ」とし、いずれも呉音・漢音である。字訓には、「つくる。なす。なる。おきる。おこる。」とする。この読みにない「はぎ」の字訓が室町時代の『下學集』(1444年)の見出し語および注文語彙に、

(イクサヲミテヤヲハグ) 晏子(アンシ)春秋。臨(ノソン)テ(ナン)ニ(イ) (ヘイ)ヲ (カツ)ニ(ホル)(イ)ヲ類也 愚按スルニ本朝参河(ミカハ)風土 記|、 也。〔元和本・態藝94六〕〔亀田本73五〕

(ミケン)テ(イクサクン)ヲ(ハグサク)(ヤ/)ヲ 晏子春秋云。臨難鑄兵。 渇掘此類也。愚按本朝三河國風土記|。矢河。〔広本節用集』態藝29一〕

とある。この字訓「はぎ」だが、院政時代の観智院本『類聚名義抄』には収載していない。そして、『下學集』では、類義表現の出典として、晏子の『春秋』八巻の「臨難鋳兵、臨渇掘井」を挙げ、「やはぎ」の読みとしては、『三河風土記』の「矢河」があると注文記載するに留まり、四字熟語「見軍作矢」の本来の出典を明かにできていないのである。この川の名だが、現在も「やはぎがは【矢作川】愛知県幡豆郡」と呼称している。また、『運歩色葉集』には、地名「矢作里 三河」が収録されている。この『下學集』の系統古辞書には、同じくこの語を継承するA:静嘉堂文庫藏・元亀二年本『運歩色葉集』、天理図書館藏『増刊下学集』、広島大学藏『増刊節用集』、天正十七年本『節用集』など。B:天正十七年本『運歩色葉集易林本『節用集』(葉部に「ハグ」と単漢字として収載。)といったこの熟語を継承しない二系統に分岐する。とりわけ、後者の古辞書が何故この語を収録しなかったのか。これを単なる脱落と考えても勿論よかろう。しかし、この語をどうみていたのかについて解明しておきたいところだ。その最大の理由として、この四字熟語「見軍作矢」が当代の使用語としては、出典未詳で、いわば当代知識人たちのなかでも特殊な四字熟語の表現であったということも考えられる。それはまた、『下學集』の編者が語の出典分析した語注文内容域を超えるものではなかったことでもある。こうしたところに中世ことばの専門辞書から通俗辞書への歩み出しを感じないではない。これは継承の古辞書が、「(ヤヲハグ) 見軍――。臨ル∨」[広島上56ウ@]といった、いわば孫引き改編集という点で表層をしているのに対し、この四字熟語を未収録にした系統古辞書群には、注文の不足説明表現のこの語を断乎として消去する編集方針をここに読み取ることもできよう。

 この「やはぎ【矢作】」の「はぎ【作】」なる語だが、『三河風土記』と同じく『日本書紀』綏靖即位前に、「矢部(やはぎべ)をして箭を作(は)しむ」と見える古訓でもある。時代は降って鎌倉時代の『平家物語』巻第六に、「さる程に、大將軍十郎藏人行家、三河國にうちこえて、やはぎ川の橋をひき、かひだてかひて待かけたり。」〔大系上425E〕と川の名が見えている。

 最後に、四字熟語「見軍作矢」の出典は、現在もまだ明らかにできないのであるが、類義のことわざに「鹿を見て矢を矧ぐ」や、さらには、「泥棒を捕らえて縄を綯う」があり、常の準備を怠り、事にあたって慌てて用意する意を表現している。現代風に表現すれば、「熊を見て銃を鋳る」とでもいうところか。

《補遺》江戸時代の貝原好古(益軒)纂輯『諺草』〔元禄十四年版・駒澤大学付属図書館藏〕に、

 いくさ見て矢(や)をはぐ 素問四期氣調~大論云。夫病已後藥スハ。亂已而後治也∨之。譬ヘハシテ而穿(ホリ)。鬪(タヽカヒ)テ而鑄(イル)カ上∨。不亦晩カラ乎。又説苑雜言云。越石父曰。人勿フコト也。譬ルニシテ而穿(ホリ)。臨而鑄ルガ|∨。雖(トク)フト而不及也。此二説。異言同定なり。〔卷之一3オ一〕

とあって、「異言同定」として諺の句例を記載している。

1998年8月23日(日)晴れのち曇り。

目一杯 遊び戯れ 夏の風

「光駕」

 書簡文書を解読するなかで、人の来訪を敬称する語として「光駕」という表現がある。意味は、「お越しになる。お出でになる。」で、まさに光が天空より差し込むかのように、上から来たり臨むこととして、他に「光来」「光臨」とも表現する。

 いま、私の読んでいる書簡は、茶人堀内宗完(ほりのうちそうかん)が梶原介三郎に宛てたものである。その一文に、

 下慶、誠に過日は御光駕、云乍皆共(に)千行(の)麁朶、風情も無し。

というものである。

1998年8月22日(土)晴れ。

夏囃子 遠く聞こへし 川の道

「同躰異名」

 同じ仏神をそれぞれ云うのだが、内容類似するが名前の異なる場合に「同躰異名」という。このことばは、鎌倉時代末に成立の『八幡愚童訓』に次のごとく散見する。

安曇礒良ト申ハ、筑前國ニテハ鹿シカノ嶋大明神、常陸国ニテハ鹿嶋大明神、大和国ニテハ春日大明神ト申ケリ。一体分身、同躰異名ノ御事也。[思想体系20・寺社縁起174上I]

 注:現在地名表記では、志賀島。鹿嶋。春日と漢字では別表記されているが、同一の神であるということになる。確かに読み方も「シカノシマ」⇔「カシマ」⇔「カスガ」と類似する。

・大菩薩ト気比宮トハ甚深ノ御契約不浅故ニ、御託宣ニ、「我尓幣帛於奉牟者波、先第一間尓申須可志」トアリ。第一間ハ気比ヲ祝ヒ奉ルトモ云ヘリ。参詣ノ人々尤是ヲ可知。正月元日ノ朝拝ノ神事モ第一間ヨリ始ル。但当宮ニハ乾角ニ武内ヲバ崇奉ル。第一間ノ事一説ノ口伝也。同躰異名ナルヲヤ。[思想体系20・寺社縁起198下D]
因果にわたるには、東・南の阿(アシユク)・宝生は因位、西・北の弥陀・釈迦は果満なれば、証位の上には差別なし。故〔ゆえに〕釈迦・弥陀は同躰異名なるべし、釈迦・弥陀の分別をなすべからず。[思想体系20・寺社縁起226I]

この「同躰異名」という四字熟語が他の資料にどう見えるか、今後の調べとしていきたい。

1998年8月21日(金)曇りのち晴れ。

日光の 猫に牡丹や 眠り咲き

「雁道」

 応地利明著『絵地図の世界像』(岩波新書)を読むと、「雁道」なる語は、唯一「金沢文庫藏日本圖」(十四世紀初頭から中期写・本州島の北部を欠く)に記載されるものであり、この日本圖が中世日本にあって、人の目に触れない、話題にものぼらなかったことからまさに孤立語であったと説明する。鎌倉殿にとって、「金沢文庫藏日本圖」は、諸国内外を認知する意味からも熟知しておかねばならない資料ではなかったのかと思うのだが、事は意外にも逆であったようだ。二度にわたる元国(蒙古)軍の襲来は、日本国内を揺るがす出来事であったにもかかわらず、国外の地域情勢を把握して知ろうといった意識が薄かったのだろうか。

 中世の古辞書には、この語の収録記載を見出せない。そこで「鴈道」なる地域名の設定に圖絵作成者ただ一人のみが関わっていて、何人にも知らせない秘する地域名だったのかということが知りたいところとなろう。この意味からもこの圖絵作成の本来の意図とその使用過程が問われよう。

 「鴈道。雖有城非人」と日本海を隔てた地域名として記載されている。他に国外の地域名をみると、「鴈道」の左に「新羅国。五百六十六ケ國」。南海に、「羅刹國。女人華来人不還」。九州下に、「龍及國。宇嶋。身人頭鳥」「雨見嶋。動領郡」「唐土三百六十六ケ國」「高麗ヨリ蒙古國也。自日平トヨ國云。唐土ヨリハ多々國々一称八百國」とあって、「新羅國・龍及國・唐土(中国)・高麗・蒙古國」「雨見嶋(奄美)」などは実地域名であるのに対し、「羅刹國」とこの「鴈道」は未知なる国名である。そして応地さんは、秋岡武次郎さんの説をもって、この聞きなれない地名を院政時代の仏教説話集『今昔物語集』の異域圏譚に依拠するものであることを指示している。これによれば、「羅刹國」の典拠を巻五一話「僧伽羅・五百の商人、共に羅刹國に至れる語」とし、さらに、応地さん自身が「鴈道」の典拠を巻三第十一話「釈種、龍王の聟と成れる語」と見ているのである。

 ここで、「金沢文庫日本圖絵」と現存する最古写本である鈴鹿本『今昔物語集』(京都大学図書館藏・国宝)との関わりについて見るに、現存巻数でいえば、「羅刹國」の巻五は存するが、「鴈道」の巻三は欠巻にある。鈴鹿本の欠巻状況が圖絵作成の後という点から云えば、この圖絵作成者は『今昔物語集』の両巻を読んでいて、これを「女人(ニヨニン)(羅刹女)華かにして来たる人不(かへら)」「(ジヤウ)有りと雖ども人に非ず(人の形に変身した龍王・龍女)」と簡潔な説明文を添えたものとなる。この院政時代に成る作品を十分に把握したものの手になることは云うまでもない。圖絵作成の年代をさらに遡ることになろう。逆に、前であれば、後世になる別の伝書写本により知り得たことになるまいか。が中世にあって、この『今昔物語集』は深く退蔵されてしまっていて世に知られていないのも事実であるまいか。圖絵作成者がこの説話集をふと見出してこれを読み記したということも考えられないではない。『宇治拾遺物語』に類話「羅刹國」はあるが、「鴈道」である「巻三第十一話」は見えない。

 圖絵に記載されたこの二話は、いずれも現世空間における遠き異國・異域世界(人の形をした異類世界)へ偶然にも渡行し、やがて無事に生還する。そして、その地に経路をもって再び赴くといった内容にある。この系統類話は、他に巻二十六第九話「加賀国の蛇と蜈と諍ひし嶋に往きし人、蛇を助けて嶋に住める語」など五つ譚があるが、この嶋は、いずれも国内に近き異域でしかない。さらには、巻三十一第一八話「越後の國に打ち寄せられたる小さき船の語」のように異域に住む小人国を想起させる譚などがある。

 中世における異國及び異域世界だが、まず異國とその異邦人の渡日は、常に珍しき宝物や産物をもたらすものであった。次に異域世界だが、中心圏⇒周縁⇒境界⇒異域といった空間にあって境界を持って“浄”と“穢”とを分離する。境界となる“四至”の確認は国家安泰を司る意味からも重要なのである。東西南北の界を追儺祭文は記す。文献では『八幡愚童訓甲本下に、「然ニ当世ハ、素都(ソト)ノ浜ヨリ初テ鬼界嶋ニ至マデ、武威ニ靡ケル事ハ、只風ノ草ヲ靡如シ」[思想体系201下N]と北は素都ノ浜、南ハ鬼界嶋とする。この境界の外に罪人を追放することで浄化を保とうとする裏には、境界の外である異域はまさに不浄の極地となる。この異域世界には、実在する「龍及(琉球)」「蝦夷〔エゾ〕」といった人間であるが、“異形な人間”とみなす世界ともう一つさらに遥か異域ともいう仮想国である「羅刹国」や「鴈道」といった“人形の異類”世界の二重構造性の異域世界を想定していたのである。

 そのうえで、圖絵作成の意図を応地さんは、「仁和寺藏日本圖」と比較して、@道線有無。A国名の後の記述内容(等級と田の面積)。B国内を覆う龍体の記載有無。C異域世界の記載有無といった相違する四点から、「日本国家の内部と外部の両方にまたがる国勢の把握」と云いきる。

 時代は降って十六世紀の中期に中国で刊行された鄭舜功日本一鑑』(一五六五年)に、「羅刹国」と「鴈道」の異域地名は継承され、この絵圖を“行基圖”と冠している。この行基の名を冠する日本圖絵の成立と継承過程を次に考察する。ここに「鴈道」なる語が注視されることになる。この語は、上記『今昔物語集』説話を原点として誕生した新語であり、この行基系「金沢文庫藏日本圖絵」そのものから世に流出流布を見なかった秘蔵語でもある。ただ此れ以前、李氏朝鮮成宗二(一四七一)年に申叔舟の撰進した『海東諸国紀行』所載圖絵(印刷刊本)に、この異域地名が記載されていることである。この圖絵の異なる特徴は、京都(足利室町幕府)の他に“鎌倉殿(古河公方)”が記載されている点にある。また、同じ李氏朝鮮の廷臣権近〔コングン〕による一四〇二年の題跋を有する「混一疆理歴代国都地図」(龍谷大学藏・島原市本光寺藏)にも位置は異なるが同じくこの異域地名は記載されている。さらに、イタリア国フィレンツェ国立文書館に収蔵される一枚の手書き「日本圖絵」(天正遺欧少年使節が一五八五年ローマを訪れた時に書写。ポルトガル語による説明文)があって、これにも同様の記載が見える。以上この圖絵が中世後期になると瞬く間に海外まで流布した最大の要因は、実は、重源による東大寺大仏再建のための大勧進と一体であったことに由来するというのである。

 近世になると、この「鴈道」は、多様な歩みを始める。「鴈道」⇒「かりのみち」⇒「がんだう」⇒「韓唐」(石川流宣『本朝図鑑綱目』一六八七年)と実に中世の「鴈道」と隔たりを持つのである。これも長久保赤水『改正日本輿地路程全図』(一七七九年)になると、これらの異域地名も、科学に基づく国土図においては跡形も無く消えていくのである。(以上、私読のまとめである)

1998年8月20日(木)曇りのち晴れ夕立、のち虹東空に在り。

遅々として 見つからずとや 求め物

「箸」

 「箸」の使い方に、してはならない箸の使い方を表現することばがある。「嫌い箸」「指し箸」「空箸(そらばし)」などという。これらの語は、国語辞書に未記載の表現である。ただひとつ、「移り箸」または、「惑い箸」なる語が収録されているに過ぎない。

 ところで、食物を挟み取る二本の棒を一膳として日常の食事に用いる道具である「はし【箸】」の文化は、中国伝来に由来するようだが、「菜箸(サイばし)」「魚箸(まなばし)」と用途によって使い分けるようにもなる。「箸の上げ下ろし」という行儀作法を伝える資料はいまや少ない。家庭では、「箸」は、各人使っては洗い、箸箱や箸立てに容れて保管する。さらには、食店にあっては、「箸」を丁寧表現して「御手元」という。この「箸」は、使い捨ての「割箸(わりばし)」が通常用いられている。

 この「箸」を別名「匙筋(シキン)」ともいう。「キン」の字だが、正しくは「竹+目+力」の合成字からなる。院政時代の観智院本『類聚名義抄』僧上六二Gに、「〔竹+目+力〕 或正。長慮反。筴ハシ。上又〓〔目+力〕箸。二音。下音除」とある。

[ことばの実際]

・さて、「まな板洗ひて持(も)て参れ」と、声高くいひて、やがて、「用経、今日(けふ)の庖丁(はうちやう)は仕らん」といひて、真魚箸(まなばし)削(けづ)り、鞘(さや)なる刀抜いて設(まう)けつつ、「あな久し。いづら来(き)ぬや」など心もとながりゐたり。[『宇治拾遺物語』用経荒巻事[巻二・五]]
・つぎに、水飯(すいはん)を引(ひき)よせて、二度(たび)ばかり箸(はし)をまはし給ふと見(み)るほどに、おものみな失(う)せぬ。[『宇治拾遺物語』三條(の)中納言水飯(すゐはんの)事[巻七・三]]

1998年8月19日(水)曇りのち雨。

探し物 訊ねあぐねて 寝転びき

「射込む」

 「射込む」という動詞、国語辞書未記載の語である。元は、弓の矢を的めがけて射る弓道でのことばであろうか。この「射込む」の云い方を調理方法のひとつとして「射込み料理」という。

射込み料理」とは、かぼちゃやじゃがいもなどの食材を器代わりにして、中身を刳り貫いたもののなかに、別の食材を盛り込む調理法をいうのである。

1998年8月18日(火)曇りのち晴れ。

汗流し 動き忘れし 夜の秋

「垂」

 字音「垂」は、漢音「スイ」。呉音「ジ」。『法華経』において「垂」の字は、18回用いられている。これを西来寺蔵仮名書き法華経』で分類してみると、和語動詞「た・れ」十五例。複合動詞「たれくだ・す【垂下】」一例。漢語サ変動詞「垂布し」一例。そして、和語サ変動詞「とす」一例からなる。

 このうち、「垂」の字訓を和語サ変動詞「とす」として読むことが『法華経』化城喩品一箇所だけでなされている。実際にその用例をみてみると、

・そのほとけ、もと、道場に坐して、魔軍を破しおはりて、阿耨多羅三藐三菩提をゑたまはんとせしに、しかも諸佛の法、現在前せす。[其仏本坐道場。破魔軍已。得阿耨多羅三藐三菩提。而諸仏法不現在前。]<化城・西451E,妙446,大22中>

と訓読されている。これを西教寺蔵六重反口傳』(明應二年写)には、

   方便品「唯垂分別説(スイ[之唯反])訓ハ タルヽ」

     化城喩品「得阿耨(シ[子四反])訓ハ シハ/\スルニ」

と収載していて、漢音「スイ」で和語動詞「たるる」、呉音「シ」で「しばしばするに」という訓読語を示している。この呉音読み「シ」をまず山家版『法華経』で確認してみると、相承音で「トクアノクタラサンミャクサンボダイ」[巻第三25@]と現在も読みなされている。院政時代の観智院本『類聚名義抄』法下三八Fに、

   時規反タル、ホトリ、セムドス、トス、イマニ、イタル、イマシ、スミ、クタル、サカヒ、イマ、クマ、ノソム、ホト/\、オヨフ。禾スイ。又

と収載する。『字鏡抄』山部も「シ[平声]」を見出し音としている。ここで、「時規反」すなわち呉音「ジ(シ)」で第一訓「タル」とし、和音を「スイ(漢音)」と「シ」とを収載する。「シ」の音が和訓「トス」と接合するかはこの『名義抄』からは読み取れない。この意味からも西教寺蔵『六重反口傳』の収載表記は、『名義抄』の字音・字訓と『法華経』の訓読語との結びつきを知る意味からも重要な音義資料であるといってよかろう。

 また、「垂布」の語を「スイフ」と漢語読みするのも、「たれしく」の意として用いているからに他ならない。

・靉靆〔アイダイ/たなびくくも〕、垂布〔スイフ/たれしひて〕して、うけとりつへきかごとし。[靉靆垂布 如可承攬]<藥草・西401A,妙387,大19下。山「スイフ」巻第三6D>

1998年8月17日(月)晴れのち曇り。

暑さ無く 後少しなる 夏休み

「発(撥)」

 字音「発」は、漢音「ハツ」。呉音「ホツ・ホチ」。現在、呉音読みの熟語は、「発安・発意・発願・発起・発議・発心・発句・発作・発疹・発足・発端・発菩提心」などと用いられている。

『法華経』において「発」の字は、57回用いられている。これを西来寺蔵『仮名書き法華経』で分類してみると、和語動詞「おこ・す」四十二例。「はな・つ」一例。漢語サ変「発す」一例。「発心す」三例。「発起す」一例。「発来す」二例。「顕発」一例。「助発す」一例。「薬発悶乱す」一例。漢語名詞「新発意」三例。「普賢勧発品」一例からなる。

ここで、和語読みの語「おこ・す」と「はな・つ」の二種が焦点となる。単に訓読分類するのではなく、『法華経』本文の音読みをもって意義区分していたからである。西教寺蔵『六重反口傳』に「ケウ[去声]・ホツ[入声]・ヘイ[平声]」の三音が示され、同じく西教寺蔵『法華経訓讀両音抄』に、

  〔ホチ〕序品。普骨反。訓ヲコス。發大乗経  〔ケウ〕譬喩品。開放反。訓ハナ ツ。發〔ケウ〕大悪聲。三音/ホチ・ヘイ

と、現在の漢和辞書には見えない「ケウ」の音が用いられている。これを山家版『法華経』で確認してみると、残念なことに「ホツダイアクショウ」[巻二25F]と呉音読みとして継承され、「ケウ」[去声]の読みは伝来していないことがわかる。(ここでは、「ヘイ」[平声]の音も未詳。)

院政時代の観智院本類聚名義抄』僧下一〇七Gに、

   音髪〔ハチ〕 ホツオコス(ル)。ヒラク。イダス。ユク。アハク。ハナサク。呉々 弊ハナツ。ヤハナツ。オクル。アガル。シラク。アキラカニ。ヒラキアク。オコナフ。 (聲点省略)

とあって、漢音「ハチ」、呉音「ホツ」そして「呉々弊」として、「弊」すなわち「ヘイ」なる音が記載されている。そして「ケウ」の音は見えない。ただ、『法華経』譬喩品の「發大悪聲」の読み方には、ある時期まで三音がなされていた事実をここに確認するのみである。

 そしてまた、『法華経』においては、漢音「ハツ」は、まったく混入していないことが知れるのである。漢語熟語すべて呉音「ホツ(ホチ)」で読む。

1998年8月16日(日)雨。札幌

雨傘に 行くも帰るも 家族連れ

「楼(樓)」

 字音「楼」は、漢音「ロウ」。呉音「ル」。『法華経』に「楼」の字は、47回用いられている。その内容は、「楼閣」四例(うち、高楼閣・妙楼閣が各一例ずつ)。「兜楼婆」薬王品一例。「迦楼羅」十三例。「迦楼羅女」法功品一例。「富楼那」七例。「優楼頻螺迦葉」二例。「阿〓楼駄」三例。「諸臺楼観」分別品一例。「弥楼山」法功品三例。「魔訶弥楼山」法功品二例。「郵楼〓」陀羅尼品一例。「郵楼〓〓舎略」陀羅尼品一例。「浮楼莎〓」陀羅尼品一例。「楼醯」陀羅尼品四例。「薩婆薩〓楼駄〓舎略阿〓伽地」陀羅尼品一例。と使用熟語も多い。このなかで、「楼閣」の読みが漢音読みの「ロウカク」表記にある。ただし、西教寺蔵『法華経訓讀両音抄』に、

  樓 序品「迦樓羅王(ロウ[滿風反])。化城喩品「重門高樓閣(ル[滿唯反])訓ハ ウテナ」

とあって、なぜか現在の「カルラオウ」、「コウロウカク」の読み方と逆さな読みをここに示しているのである。この点については、検証未考のままである。

さて「楼閣」だが、西来寺蔵『仮名書き法華経』に、

・その土の人民は、みな、寳臺・珎妙の樓閣〔ろうかく〕に處せん。[其土人民。皆処宝台珍妙楼閣]授記,428@,妙418,大21上。山「ロウカク」巻三15I
・一々の衆生に、閻浮提にみてる金・銀・瑠璃・車〓・馬瑙・珊瑚・虎魄、もろもろのたへなる珍寳、をよび象・馬・車乗、七寳所成の宮殿・樓閣〔らうかく〕等をあたへん。[一一衆生与満閻浮提金。銀。瑠璃。〓〓。碼碯。珊瑚。琥珀。諸妙珍宝及象馬車乗。七宝所成宮殿楼閣等]随喜,974A,妙991,大46下。山「ロウカク」巻六29E
・周〓し、園林・渠流、をよび浴地・重門・高樓閣〔かうろうかく〕あり。[周〓有園林 渠流及浴池 重門高楼閣]化城,542E,妙548,大27上。山「コウロカク」巻三55C
・ことごとく妙樓閣〔めうろうかく〕にのほりて、諸々の十方のくににあそび、無上の供具をもて、諸佛に奉獻せん。[咸昇妙楼閣 遊諸十方国 以無上供具 奉献於諸仏]五百,586C,妙592,大28下。山「ミョウロカク」巻四9F

と漢音読みの「ろうかく」である。山家版法華経』も同じく、「ロウカク」そして「コウカク」「ミョウカク」とすでに漢音の読み方にある。「楼閣」なる特殊な高層建造物を表す語もこの漢語読みの傾向にある。本邦における和語にして「たかどの」なる語を「ロウカク」という漢音で読み書きする場を少しく検討せねばなるまい。院政時代の観智院本類聚名義抄』に、

 「 音婁。タカドノ。和ロウ」[佛下本・九四B]

とあって、和音を呉音「ル」でなくして、漢音「ロウ」として既にここでも認知付けている。実際、「たかどの」は、佛所にあって、「ルモン【楼門】」と発音されていた形跡を今は見出せないでいる。あくまで、「ロウモン【楼門】(二階建ての門)」でしかない。今後、和語「たかどの」と漢語「楼閣〔ロウカク〕」「楼門〔ロウモン〕」などについて、精査なる検証を進めていかねばなるまい。

[ことばの実際]

・さらに宮殿楼閣の欄楷露柱は、かくのごとくの説着あると保任することもあらん。[『正法眼蔵』山水経,六22オ]
・この夜は、微月わづかに楼閣よりもりきたり、杜鵑しきりになくといへども、静閑の夜なりき。[『正法眼蔵』諸法実相,九26オ]

1998年8月15日(土)曇り。

風曇り 玉葱畑 駆け抜ける

「懐」

 字音「懐」は、漢音「クワイ」。呉音「ヱ」。『法華経』に「懐」の字は、29回用いられている。その内容は、「懐妊」二例、訓読みして「いだく」二十七例から成る。ここで熟語「懐妊」の読み方だが、西来寺蔵『仮名書き法華経』に、

  ○もし懐妊(くハいにん)のものありて、いまだその男女・無根、および非人をわきまへざら ん、かをかきてことことくよくしらん。[若有懐妊者 未弁其男女 無根及非人 聞香悉能 知]<法功,西1019A,妙1037,大49上>

  ○かをかくちからをもてのゆへに、そのはじめて懐妊(くハいにん)せる、成就・不成就、安 樂にして福子をむまんといふことをしらん。[以聞香力故 知其初懐妊 成就不成就 安楽 産福子]<法功,西1019D,妙1038,大49上>

と、この語においても漢音読み「クハイニン」で登載表記されている。山家版『法華経』巻第六も同じく漢音の読み方にある。

仏教説話集『日本霊異記』に、

肥後國八代郡豊服郷人、豊服廣公之妻、懐任、寶龜二年辛亥冬十一月十五日寅時、産生一肉團。[巻下第十九]
姓縣氏也。年迄于廿有餘歳、不嫁未通、而身懐任。[巻下第卅一]

仏教説話集打聞集』に、

子生ベキニモネド、イクバクモ无壊任。十月成、平男子生。[二三九]

仏教説話集法華百座聞書抄』に、

□□國〔コク〕、疾疫(シツヤク)難コト/\クオコリテ、人民オホクワツラヒシ時、 一人懐任(−ニン)セルキサキノオホスヤウ、天下シツカナラス、人民命スルモノア リカタシ。[四一二]

仏教説話集今昔物語集』前生持不殺生戒人、生二國王語第26巻第二に、

  ○今昔、天竺ニ國王有リ、子有ル事无シ。然レバ佛神ニ祈請シテ子ヲ儲ケム事ヲ願フ程ニ、后懐妊シヌ。

とある。

 あくまで推測の域に留まるが、平安時代の公家集権の国家社会にて、お祝い事として使用される「懐妊」なる語は、すでに漢語読みそのものが定着していて、このことが佛家の読経音にまで何らかの影響を及ぼしていたのかもしれない。

1998年8月14日(金)晴れ。

僅かにも 青空戻り 夏を待つ

「敵」

 字音「敵」について見るに、漢和辞典には、A群:漢音「テキ」だけを表示するものと、B群:呉音「ジヤク(チャク)」をも表示するものとがある。そして、和訓は「かたき(常音漢字表訓に未収載)」となる。

 A群:岩波『新漢語辞典』597中。角川『最新漢和辞典』468。

 B群:学研『漢字源』3184。大修館『漢語林』2908。

 なぜ、A群の漢和辞典は、呉音「ジヤク(チャク)」を記載しないのだろうか?その理由は、現在の熟語表現のなかで呉音読みをする熟語が見当たらないことにあるようだ。逆にB群は、呉音読みの熟語は挙げないが、漢字の伝統・保守性だけを維持しようとしたものであるということになる。

 でも、B群でも呉音読みの用例を示さない。となれば、一語でもいいから語用例が欲しいというものだ。そこで、呉音読みの実際用例を過去に遡って検証してみたくなる。

呉音読みと言えば、『法華経』が一般的であるが「敵」の語は「怨敵」の一例しか用いられていない。そこで、比較的読みやすい西来寺蔵仮名書き法華経』にてこの語を示すと、

・諸餘の怨敵(をんてき)をも、みなことことく摧滅しつ。,藥王,1157C,妙1175

[原訳漢文]諸余怨敵皆悉摧滅。54下

とあって、傍訓は「をんてき」と漢語読みである。妙一本ともに同じで、何故『仮名書き法華経』は漢語読みをここに採録したのか?(今は結論を急がないで置こう)というのも、『法華経読様』(1304年)には、「怨敵(―チヤク)」とあるからである。この読み方が「ヲンデキ」(漢音読み)か「ヲンヂヤク」(呉音読み)か、山家版法華経』巻第七をもって検証するに、「シヨヨオンジヤク。カイシチサイメツ」と発音している。お山では呉音読みが今でも継承されているわけだ。続いて西教寺蔵法華経音義・略音(1365年)の字音記載をみるに、字音篇と字音経は「チヤク[入声]」だが、字音品は「テキ[入声]」と漢音表記にある。これと同様に、天理蔵法華経音義』(1464年)も「テキ[入声]」なのである。この『法華経』の読みにも漢音が混入されはじめていることを物語っている。そして、これを裏付けるように「怨敵」を『日葡辞書』(1603年)に見ると、「Vondeqi」714lと漢音読みで収載されている。広本節用集』も「怨敵(ヲンデキ)」226@とすべて漢音読みに終始していることが理解できよう。大槻文彦編言海』では、「ヲンテキ【怨敵】―退散」とあり、現在も同じく連濁読みはしない。となれば、一筆付加しておきたい。天台宗(山家版法華経』巻第七)にあっては、現在も「怨敵」は呉音読みで「オンジャク」として伝統ある読み方が脈々と受け継がれていると……。

[ことばの実際]

・まことにかなしむべし、仏法僧の時節にあひながら、仏法僧の怨敵となりぬ。[『正法眼蔵』発菩提心・十三8ウE]

 注:道元禅師は、「怨敵」の語をこのように用いて表現した。この語を曹洞宗禅門ではどのようにいま読み番えているかが興味のあるところでもある。

「敵」の字と本邦故事

敵本主義〔テキホンシュギ〕戦国武将明知光秀が毛利攻めと見せかけて、「敵は本能寺にあり」と号令し、織田信長を攻め殺した故事による。本来の目的を隠し、いかにも別な目的があると見せかけておいて、中途で本来の目的に向かって行動すること。(辞書収載語であるが、昨今、耳にしない目にしない語となってきた。)

1998年8月13日(木)曇り。

身近なる 書籍をとりて 昼下がり

「分」

 字音「分」について見るに、漢和辞典に、呉音「ブン」。漢音「フン」。慣用音「ブ」と表示されている。この「分」だが、現在でも「ブン」の音で読む熟語が「フン」の音をはるかに勝っている。これをまず一覧しておこう。

 呉音[ブン]で読む熟語一覧

  分一・分化・分科・分課・分会・分界・分解・分外・分割・分轄・分館・分岐・分教場・分業・分極化・分家・分蘖・分間・分遣・分権・分限・分光・分校・分合・分国・分骨・分際・分冊・分散・分子・分室・分宿・分掌・分乗・分譲・分身・分水嶺・分数・分析・分節・分村・分隊・分担・分段・分断・分度器・分納・分派・分売・分配・分泌・分筆・分布分々分別・分娩・分母・分封・分脈・分明・分野・分有・分憂・分与・分離・分立・分流・分留(分溜)・分量(分領)・分類・分霊・分列・分裂

  按分・案分・塩分・応分・灰分・涯分・過分・気分・客分・均分・区分・口分田・検分・見分・細分・職分田・士分・時分・自分・十二分・秋分・充分・十分・春分・純分・性分・職分・食分・処分・水分・随分・寸分・成分・積分・節分・線分・存分・大分・多分・中分・通分・鉄分・天分・当分・等分・糖分・得分・内分・二分・配分・半分・微分・百分率・不可分・部分・平分・本分・名分・約分・夜分・養分・余分・率分・両分・領分

 漢音[フン]で読む熟語一覧

  分陰・分暁・分針・分銅・分秒・分別分明

  無分暁

 ところで、『法華経』に「分」の字は90回見える。その使い様は、「分身〔フンジン〕」(十四例)、「分明〔フンミヤウ〕」(二例)、「分別〔フンベチ〕」(四十五例)が山家版『法華経』をもって検証するに、清音・去声であり、他は「分布〔ブンプ〕」(二例)、「智分〔チブン〕」(一例)、「所分〔シヨブン〕」「所分身〔シヨブンシン〕」(二例)、「後分〔ゴブン〕」(一例)、「少分〔セウブン〕」(一例)などと、ことごとく濁音・平声である。また、『読経口伝明鏡集』(1284年)にも、「分 此ノ字 「一分」(平声二点)ト読ム時ハ則チ呉音也。本濁也。又、平声也。然而、此ノ字又「分身 分明 分別」等ト読ム時ハ此ノ声漢音也。仍リテ此、注指之点也。是則チ先哲ノ口伝也云々。」と記されている。『法華経』に漢音が混入することについては、その時期や要因についてはここでは触れないでおく。ここのところに、現在の「分別分明」の清音による漢音読みが継承されているのである。ただ、「分身〔ブンシン〕」を「分身〔フンジン〕」と漢音で読んでいることだけが何故か異なる。現在では「分身〔ブンシン〕」と呉音で発音しているからだ。

「分身」なる語

 岩波『古語辞典』補訂版に、「ふんじん【分身】@仏が衆生を教え救うために十方の世界に種種の姿で現れること。また、その姿。A一つの体が二つ以上に分かれること。」とある。上記の点について室町時代の『日葡辞書』(1603年)でも確認しておくと、「Funjin(分身)」278l、「Funmio(分明)」278r、「Funbet(分別)」277rと、この『法華経』の漢音読みを継承していることがわかる。ところが、『文明本節用集』は、逆に「分明〔ブンミヤウ〕」、「分身〔ブンジン〕」と呉音読みを収載している。このことは、室町時代から江戸時代以降に再び「分身〔ブンシン〕」という呉音の読み方が一方では認知され、やがて定着したことになる。この時代を代表する『易林本節用集』(慶長二年版)や『書字考節用集』には、この「分身」の語だけ、なぜか欠いて収載している。この後、辞書から「分身」の語がしばらく消えている。そして、明治時代のJ・C・ヘボン編『和英語林集成』には、

Bunshin ブンシン 分身 n.Representation ; personification : Amida no -.」[48l]と現在と同じ呉音の読みとなって収載される。

[ことばの実際]

・釈迦牟尼仏、告大衆言、「能持是経者、則為已見我。亦見多宝仏、及諸分身者《能く是の経を持すれば、則ち已に我を見ると為す。亦た多宝仏及び諸の分身を見る者なり》」。[『正法眼蔵』三229,見仏,十二8オ@,五六]
・西方浄土の弥陀如来、一体分身ましまして、衆生済度のために[『洛陽誓願寺縁起』続群書類従所収]

1998年8月12日(水)曇りのち雨。駒大岩見沢高校甲子園第一試合。対岡山城東高>結果4:5で惜敗

噛み締めて 負ける辛さを 人は知る

「誇り」

 漢字を口で説明するときに、部首そして旁〔つくり〕という順に説明していく。この場合、「ほこり【誇】」の字は、「ごんべんに人が大の字になった下に「宇宙」の「宇>于」の字を大きく右に曲げて書く。人が大きくアーチ型の広がりを持ってうごいて行くときの意がこの「誇」の字にこめられているのである。

 「ほこり【誇】」の字は、半円を描くように大きく曲げ広がった様子をあらわしている。他から見ればただの“でっぱり”すなわち、“でしゃばり”なのかもしれない。スリムなのもいいがこれでは味がない。ちょっぴり人はこの“誇り”という“でっぱり”を必要とするようだ。ほこりというでっぱりがあれば、ちょっとしたことでは、くじけず、前向きに生きていけると言うものだ。いつもいつも、あんまり大げさに広げてばかりいると嫌がられるから、ふだんは蝙蝠(こうもり)のように羽を綴じておく姿勢も肝要である。

 負ける悔しさをぐっと噛み締めて、笑顔で勝った相手を賞する広い心やりは、この「誇り」があればこそできるというものだ。岩駒ナインの明日を期待しょうではないか。

1998年8月11日(火)晴れ。

荷が届き やっと活動 終えにけり

「蛍がでる」

 夏の風物詩のひとつに「蛍の乱舞」がある。「ほたる【蛍】」は、水温がぬるめで餌となる川蜷(カワニナ)(貝の一種)が生息する場所にしか見られない。都会化が進んだ札幌では「蛍がでた」とマスコミが表現して驚くのも無理もないことだ。(注:ヘイケボタルの一種で、道内南部以南の川湖に生息。生態系からすれば本州とは別種であり、自然交配種を考えるとき、繁殖飼養をしないことがのぞましい。)

 この「でる」という物云い、ちょっと変だ。「蛍が舞う」とか「蛍がとぶ」とは云うが「蛍が出た」というのは、直截な語表現で、普通は「害虫・嫌虫」に対して「ゴキブリがでた」とか「蚋がでた」と用いる表現である。この夜空を彩り乱舞する美しい「ほたる【蛍】」に、「でる」を用いる云い方を初めて耳にした。

 「〜が+でる」の上接語には、[@人(親)A生き物(蚊)B乗り物(列車)C天体(月・星)D身体部位(手・足)E生理現象(血・膿)F感情(不満)G言葉H自然現象(風)I物品(新製品・寿司)]が考えられ、このなかで、A生き物の用例がここで言及されるものである。そして、この「でる」の意味は、発生する意からなる。ふだん、見かけない生き物が人の目に映ることに対する驚きの意が含まれ、続いて善い悪いが言及されるのであろうか。この会話表現は、「蛍」がまだ、どういう虫なのか認識していないなかで発せられたものと考えるのが穏当なのであろう。これをテレアナがそのまま表現したに過ぎない。

1998年8月10日(月)晴れ。<道の日・立秋>札幌

蜻蛉飛ぶ 町行く彼処 風は秋

「おつとめ」

 「仕事」でない「おつとめ」ということばには意味的にニュアンスの違いがある。仕事は金銭的利益が目当ての労働だが、「おつとめ」は、日々の活動といってよかろう。すなわち、布団の上げ下ろしも、食事の後片付けも、畳や廊下のからぶきもである。人に指図されずに自然とこなすのが「おつとめ」のいいところではあるまいか。逆な云い方をすれば、汗を流して動くが何も得られないといった無償の行為なのである。これを三省堂『新明解国語辞典』第五版には、

 おつとめ【《御勤(め)】―する@「勤め」の丁寧語。「―の帰りですか/どちらに―ですか」A義務だからというので、形式的にそうすること。「―でする」【―品ひん】特に、その日値引きして売る品物。

とあって、Aの「義務だからというので、形式的にそうすること」という記載説明がされているが、どうも私の「おつとめ」の意味合いとはまったく逆であり、何かいやいやにするだけの労働といった意味理解にズレがあるようだ。「おつとめ」に義務がいつ頃からかつきまとうようになってしまたのだろうか?仏様に今日この日を迎えられたことを感謝し、供花し、合掌する。これを「義務」でしていたとしたら、なんとつまらない生き方ではあるまいか。

1998年8月9日(日)晴れ。<奥尻復興ハーフマラソン>奥尻島

 島の民 頑張ってとぞ 熱き声

「あまっさえ」

 国語辞書を繙くと、「あまっさえ」はない。「あまつさえ」とある。例えば、学研『国語大辞典』には、

 あまつさえ【剰え(‥さへ)《副詞》{「あまりさへ」の促音便「あまっさえ」の転}〔文語・文章語〕その上に。おまけに。あまっさえ。〔多く、悪い場合に使う〕─用例(◆(敵ハ)機関銃を猛射し剰え夜明けと共に迫撃砲を我が部隊の上に雨下し始めた〔火野葦平・麦と兵隊〕◆十一時まで外出していてもよし、あまつさえ、明朝は『寝忘れ』と謂って朝寝ができた〔三島由紀夫・金閣寺〕)《類義語》くわうるにのみならず

この語中の「っ」と「つ」の違いだが、歴史的仮名遣いの名残かこれを「あまつさえ」と発音している。最近これを意識訂正する動きが国語辞書に見える。小学館『国語大辞典』には、まさにこれを訂正して「あまつさえ」を空見出し語として、正しい「あまっさえ」を表示する。以下に示す。

 あまっさえ【剰え(‥さへ)
〔副〕(「あまりさえ」の変化。古くは「に」を伴うこともある。近世ごろまで「あまっさえ」と促音だが、現代ではふつう「あまつさえ」と促音でなくいう)

1 物事や状況がそれだけでおさまらないで、さらによけいに加わる意を表わす。その上。おまけに。「反省の色なく、あまつさえ、薄笑いまで浮べて」*太平記‐四「剰(アマッサヘ)越の国を返し与へて」

(事態の異状なことなどに直面して)驚いたことに。あろうことか。*天草本平家‐四「amassaye(アマッサエ)フウジヲモトカイデ」

これとは反対に、促音表記が新仮名遣いによって正しく発音されるに至った「かって【嘗て】」の語もある。「かつて」と発音しないからだ。戦前であれば、旧仮名遣いであるからにして大きく「かつて」と書いてそのまま発音していたことだろう。

1998年8月8日(土)晴れ。<水の週間>江差⇒奥尻島

 朝走り 夢大きく 目輝かし

「〜げに」

 「何気なく見上げた青い空の向こうに」の「なにげない」、「さり気なく振り向く」の「さりげない」のナリ活用の連用形中止法から「なにげに」「さりげに」と副詞化して「なにげに見上げた星空」「さりげに振り向くと…」と表現する。このことば、すべての人が使うものではない。いわば“世代語”表現とも云える。“世代語”の法則は、一定の年代の男女がともに用いる。さらに、この語をこの世代より上の者がマネて使うことはあっても、下の者たちが用いることがないからだ。世代がここにはっきりと区切られると言っても良かろう。「世代語」は水の上から下に流れる法則に等しい。この「〜げに」は、13歳から22歳の世代層がごく一般に使っている表現である。

 これを国語辞書はどう見ているのだろうか?三省堂『新明解国語辞典』第五版には、この語は未収載である。だが、岩波『国語辞典』第五版には、この新語「なにげ」が収載されているのである。

 なにげ【何気】『―(も)無い』これといった考えもない。深い考えもない。特に注意せず、関心を示さない。「なにげない風(ふう)をよそおう」▽これの副詞的用法「何気無く」を「何気に」と言うのは一九九五年ごろからの誤用。

と注の説明が付加されている。ここには「誤用」という認定があるに過ぎない。むしろ、世代語表現であることを知らせしめることのほうが大事ではなかろうか。

そして近頃、また「〜げに」ことばを耳にした。「危なげに歩く」というのがそれである。これは、新明解に「あぶなげない【危な気無い】」としているだけで、まだ、この語も辞書には未収載である。

[言葉の実際]1998.8.11ネット検索分

1、「なにげに」

◆今朝なにげにご飯に鮭フレークをかけて食べました。

なにげにマウスでお絵かきしてみました♪ 「時計」 先日買ってきた、目覚まし時計を描きました。

◆趣味はバイオリン?あまりうまくないけど…昔は習字もやっていてなにげに上手だったりした。今はうまくないけど…

◆毎週木曜日8時からNHKで放送している番組がなにげにおもしろいとおもう。視聴者の大部分は、40代から80代くらいの人が見ているようなきがする。

◆6/20 毎日新聞(夕刊)みてね。昨日、なにげに毎日新聞夕刊 7面(大阪)を見たらゆきちゃんが、草刈さんに腕をまわして微笑んでいる白黒写真ですが、めちゃかわいいのんをみつけました。黒っぽいジャケットで、お袖だけおりかえしでストライプのお衣装で、記事は、「V・V」のふつうの内容です。タイトルは、「退団後の初仕事」。

◆わかる、わかる、その気持ち!! 私もなにげにのぞいてしまうこと、あるもの(^。^) ここから、手なんか出たらこわい...97/07/02

◆好きなタイプ なにげにやさしいひと うっとーしくないひと

◆ご飯+納豆、ご飯+豆腐の味噌汁、は普段なにげに合わせて食べている。ご飯にはアミノ酸のうち「メチオニン」「シスチン」が多く含まれているが「リジン」が不足している。大豆はその逆で、アミノ酸が不足していて「リジン」が多くある。だからこの二つの組み合わせのよって、お互いの欠点が補える。して精神に与えるダメージ大、であったのだった。それにしても、それにしても。

◆実は、なにげに4歳のころからやっていてまだ続けているという……。しかし、最近は練習時間がさらになくなって、しばらく触っていません。

◆私も先日25才を迎えました。25です!そう、俗に言う「お肌の曲がり角」なのです。たしかに、2、3年前に比べると肌にハリやうるおいがない気がします・・・。2、3年前と同じようにお手入れしてたら、きっとダメでしょう。最近では、忙しい毎日におわれ、鏡は必ず毎日見るのですが、顔全体を見ると、まぁ50cmぐらいはなれてみることが多いのです。で、なにげにふっと顔と鏡の距離が10cmぐらいで見てみると、「ガーン!」乾燥して小じわはあるは、ピチピチのハリはないは、シミ?ソバカス?はあるは、びっくりでした。というようにちょっと気を抜いてるとこうなってしまうのです。ラッキーなことに私は視力がいいので、自分の肌はよーく見えるのですが、視力が悪い人なんてどうなってるのかしら?と心配です。肌の美しさは視力に関係しているのではないか?と思うのです。25だってまけずに、ピチピチの肌を取り戻してやるぅー!

2、「さりげに」

◆さりげにピンナップ

◆さりげに天才君

◆最初「どうも〜」の挨拶からはじまって、簡単なトーク。写真撮影OKだったので、「ポーズしますよ!」と、Take2ファンにサービスする二人。そんな彼らは「兄さんかっこいい!」みたいな声援をおっちゃん達からもらっていた。「はなまるにも出ています」と、さりげに全国ネットで知名度のある番組名を上げて様子をうかがうTake2。

◆メッチャコギャってる、自信あり。だから、スカートもメッチャ短いし、コギャルのハヤリはマジに敏感。趣味はH。彼氏とラブラブ。さりげに、英検準2級。

◆ホノボノしてて可愛い! さりげにアネッタがムチムチ(好)

1998年8月7日(金)晴れ夕方雨。<水の週間>八雲⇒熊石⇒乙部⇒江差

吾ガ声や 海辺に響き 子等と行く

「魂」のはなし

 高石ともやさんが乙部小学校の子供たちと語り合った。ともやさんが「魂ってどこにある?」と子らに訊ねると、即座に男の子が「頭の上!」と応えた。そう「魂は頭の上にあるんだ。そして、身体を包んでいるんだ。」と手を頭の上に示し話をする。ともやさんの好きな詩人谷川俊太郎さんの詩「ワクワク」を子供たちと一緒に合唱した。この3番めの詩の中に「腹がたちゃケンカする、ケンカすりゃなぐられる、なぐられりゃけっとばす、けっとばしゃすっとする、ワクワク ワクワク ワクワク ワクワク」と物騒な歌にも聞こえないではない。「学校でこんな歌を唄うことはけしからんと言う人もあろう。だが、カウンセラーの大先生であり先輩である江幡玲子さんに相談してみると、けんかの痛みも知らない子がけんかをはじめる方がもっとこわいよ。手加減を知らないからね。まいった相手をとことん殴り、蹴っ飛ばしつづけたら死んでしまうでしょ。」ということを話した。この詩の6番をおかあさんと唄い、5番をお父さんと唄った。“じゃんけん”して勝ちを喜び(ここまでは普通です)、負けて相手を褒める楽しみ(これが子育ての秘訣です)を実践する。

1998年8月6日(木)曇りのち雨。<水の週間>黒松内⇒長万部⇒八雲

八雲道 雨も楽しき 自然人

「遊楽部」

 八雲町に流れる川「ユ−ラップ川」、ここには岩魚〔イワナ〕や山女〔ヤマメ〕の他に鮭〔サケ〕が遡上する。地元の自然を写真に撮りつづけてきた稗田一俊さんの『サケの一生』のビデオを“夕べの集い”のなかで観賞させていただいた。映像は見るものに柔らかく川中の鮭の生態を実に自然に魅せる。この川の名は、アイヌ語でこれに漢字「遊楽部」の字を宛てて表現したものである。ブナなどの木々の森がこの川と多くの生き物を育んでいる。この清流「遊楽部川」を知ってこの地を訪れる人も多かろう。

1998年8月5日(水)晴れ。<水の週間>岩内⇒寿都⇒黒松内

 澄み渡り 弁慶太鼓に 風の音

「請負」

 “かくじゅう【田】”佐藤家、ここは寿都町の入り口にあたる。この日、地元の越前谷さんの案内で邸内を見せていただくことができた。土間をあがり、八角形の物見台の吹き抜けは、高さ十五メートルほどある三階建てに相当する。室内の屏風絵なども由緒ある一品がそのまま使われている。江戸時代以後の佐藤家は、松前藩陣屋支所としてこの地の「うけおいにん【請負人】」となる。漁業の町寿都の「請負人」とは、“鰊漁”における「請負徴収法」のためにある。小学館日本国語大辞典』には、

 ━‐ちょうしゅうほう(‥チョウシウハフ)【請負徴収法】

  古代ローマ帝国や中国などで行なわれた租税の徴収方法。請負人が政府に一定の金額を納め、かわりに自分で所定の租税を国民から徴収するもの。

とあり、「うけおい【請負】」ということばだ自体が、上記国語辞書に、

  @引き受けること。また、その人。保証。約束。うけあい。*浮・好色敗毒散‐五「百年活(い)きる請負(ウケオヒ)があるか」

と音では読まない和語なのである。関連語に「したうけ【下請】◆以来京子とともに翻訳の下請仕事をやったりして細々と生計をたてていたのだが、〔堀田善衛・広場の孤独〕」「もとうけ【元請】◆しかも元請けから支払われる賃金は幾重にも重層化した下請けによってピンハネされている〈四三・五・九・朝日夕〉」と対語がある。いずれも和語読みの表現である。

1998年8月4日(火)晴れ。<水の週間>余市⇒古平⇒積丹⇒岩内

走り行く 響け和の声 町々に

「夜撫で」

 雲丹が夜になると岸の岩場に集まってくる。その岩場にびっしり張りついた雲丹を手で撫でる。これを地元の人はこれを「よなで【夜撫で】」というそうだ。

三日から十日までお休みします。

高石ともやと有志のワイルドラン98’追分ソーランにのって

<野生生物基金・ボランティア活動>

余市‐岩内‐寿都・黒松内‐八雲‐熊石・乙部‐江差‐奥尻島

1998年8月3日(月)晴れ。<水の週間・ワイルドラン98前夜祭>余市

 ゆっくりと 星の輝き 命ひとつ 

「北斗」

 夏の夜空は満天の星に彩られる。そのなかでも、「ほくと【北斗】」の星は燦然として星に詳しくない素人でも即座に見つけることの出きる星である。

 「七曜のほし」「四三の星」という別称を有する星。晴れた北の夜空にひしゃく形をした七つ星。「北斗七星」と呼称する。学研『漢和大辞典』には、

 北斗七星 大熊座(オオクマザ)にある七つの星。天枢(テンスウ)・模(セン)・目(キ)・権・玉衡・開陽・揺光のこと。〔史記・天官〕一説に、貪狼(タンロウ)・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍星とも。〔五行大義〕『北斗(ホクト)・北斗星(ホクトセイ)』▽「斗」は、ひしゃくのこと。北の空にひしゃくの形に並んでいることから。「天廻北斗挂西楼=天は北斗を廻らして西楼に挂く」〔李白

と詳細な説明が見える。「北斗」は、「北斗星」の略語である。

1998年8月2日(日)晴れ。<水の週間>

 黄色なる 花びらあつめ 反魂草

「夏雲」

 「なつのくも」を江戸時代の越谷吾山『物類称呼』に、

  なつのくも○江戸にて・坂東太郎と云坂東太郎といふ大河あり大坂にて・丹波太郎と云 播磨にて・岩ぐもといふ 九州にて・比古太郎と云比古ノ山ハ西國の大山なり近江及越前にて・信濃太郎と云 加賀にて・いたちぐもといふ。安房にて・岸雲と云

  今案に これらの異名夏雲のたつ方角をさしていひ又其形によりてなづく

  夫木√水無月になりぬと見へぬおほそらにあやしき峯の雲の色かな

  と詠し給ふ古今前集四時詩ニ 春-水満四澤夏-雲多とあり

  この詩より 今俳諧 に雲の峯と句作なす歟

とあり、人の名で呼ぶ例が確認できる。その他「いたちぐも」「岸雲」といった別称が使われている。現在の国語辞典には「なつぐも【夏雲】」といった見だし語はない。「積乱雲」すなわち、「にゅうどうぐも【入道雲】」というところか。

 

1998年8月1日(土)晴れ。<水の日>

夏空に 響き渡るや トランペット

「ほかす」

 「捨てる」の方言語形「ほかす」の語を国語辞典は収載している。この語を見ると、

 新明解『国語辞典』第五版

  ほかす(他五)〔中部以西の方言〕捨てる。そのままほうっておく。[表記] 「《放す」などと書く。

 岩波『国語辞典』第五版

  ほかす【放す・放下す】《他五》ほうり出す。捨てる。うっちゃらかす。▽関西方言。

 角川『必携国語辞典』

  ほかす【放す・放下す】《五》すてる。ほうっておく。「ごみを―」▽関西かんさい方言。

 学研『国語大辞典』

  ほかす【放す】《他動詞五段活用》〔関西地方の方言〕すてる。放置する。用例◆こいさん、その缶何処ぞへ放下しなさい〔谷崎潤一郎・細雪〕《文語形》《四段活用》

と記している。江戸時代の越谷吾山『物類称呼』に、

○すてると云事を 東國にて・うつちやると云 関西にて・ほかすといふ 東國にて・ほ うるといひ越州にて・ほぎなげると云は投げやる事なり 伊勢物語に ぬきすを打やりて  と有 此ぬきすは女の手洗ふ所の竹にてあみたる簀のこを云 打やりてを東國に うち やる とつめて云也 又ほかすは渤海捨(ぼっかいにすてる)といふ三字の頭字を一字づゝ 取ていふとぞ 又放下すにて 禅家(ぜんけ)の語也ともいふ」[岩波文庫148頁]

と、この語の語源について記している。現在の国語辞典は禅家の語「放下す」を継承し、「渤海捨」の頭文字三つ説は触れられていない。

 次に服部宜編和訓六帖』には、

  「ホカス 京ニテ物ヲ棄ルヲ云フ。ハフラカスノ略ナリ。ハフルハ祝ノ義ト同シ。祝ハ物名ニ見ユ。江戸ニテウツチヤルハウチヤル【打遣】ナリ。チ延ツチ」

と、「はふらかす」の省略形としている。

また、現在の国語辞書のなかで新明解は、関西方言より広い中部以西方言とするところが最新情報性の有する国語辞書といえよう。

 

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