2007.01.08〜2007.07.24更新
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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
 
 
2007年07月24日(火)霽れ
セキ【積】の和訓
 前田家本『色葉字類抄』〔三卷本〕の伊部・植物門に、標記語「積」の字をみると、
 図絵のように、和名語訓「イナツカ」「イナツミ」「イナタハリ」の三訓が収載されている。この「積」には字音訓も反切そして声点も全くなく、ただ標記語漢字と和訓三語のみなのである。同じく観智院本『類聚名義抄』〔法下24@〕にも、
  音迹。者ク ツムモル アツム マモル ヲク イナタハリ
    タクハフ タカシ ムナシ イナヅカ ヒサシ イナツミ
とあって、この三語を確認することができる。
 そして、現代の小学館『日本国語大辞典』第二版には、見出し語「いなつか」「いなつみ」「いなたはり」の三語凡てが未収載にある。ただし、用例としては、時代は降るが世阿弥『風姿花伝』〔1400〜02頃〕に、卷四「その中を選びて、稲経(いなつみ)の翁 翁面、代経(よなつみ)の翁 三番申楽、父助(ちちのぜう)、これ三(みつ)を定む。今の代のしき三番(さんばん)是也」という用例を見出す。また、『名義抄』が示す「イナヅカ」と第三拍を濁音読みする語は、
いな‐づか稲塚】〔名〕(「いなつか」とも刈り取った稲を実のついたまま、または実をとった後、一時的に積み上げたもの。いなむら。にお。《季・秋》
 *色葉字類抄〔1177〜81〕「積 イナツカ イナツミ イナタハリ」
 *俳諧・新類題発句集〔1793〕秋「稲塚や広き荒野の夕ながめ〈舎木〉」
 *自然と人生〔1900〕〈徳富蘆花〉自然に対する五分時・朝霜「田の中央(なか)に積みし稲塚(イナツカ)も、乃至(ないし)寸ばかり地より起てる藁屑(わらくず)も」
 *虚子句集〔1915〕〈高浜虚子〉秋「稲塚にしばしもたれて旅悲し」
【発音】標準[0]【辞書】色葉・名義【表記】積(色葉・名義)
と記載する。
 ここで、編者橘忠兼がなぜ、「積」の漢字語訓としてこの和名語三語だけを採り上げ、『名義抄』のように、「ツムモル、アツム、マモル、ヲク、タクハフ、タカシ、ムナシ、ヒサシ」の語と切り離したかは、意義分類による門に大きく影響されていることが見て取れよう。この三語の和名語訓は、すべて植物門の語の統轄語「稲」に連関する範疇語としてここに認定しているからに他ならないからである。さらに、留意することは、「門」の「植物」の下に「付植物具」と小書きにしていることで、統轄語と範疇語が一括りにして収載する仕組みを見て取ることになる。そこで、「いなつみ」の語は、「稻積み」、「いなたはり」の語は、「稻田割り」という意味なのかを知る必要もあろう。その上で、この三語自体、「植物具」に置かれるべき語なのかを考察せねば成るまい。現代の私たちの感性ではむしろ、農作業の作事過程の表現語彙に近いからである。当代の人にしてみれば、これはあくまで植物、とりわけ「いね【稲】」に連関したことば群という意味合いなのかも知れない。これらの和訓表現が当代の文献資料〔説話集・和歌集・日記・記録類など〕にその実用例を見出せないことも今後の研究課題であろう。そして、辞書史の上でも十二世紀後半の限られた時代にその記載があるだけで、その後の辞書類には此等の和名語訓が収載されないことも考慮しておく事柄なのである。
 
2007年04月17日(火)曇り後雨。八重桜咲き散る
しめこのうさぎ占子の兎〔名〕
 読売新聞2007年4月4月17日付の編集手帳に、
 「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」で弥次郎兵衛が喜多八に一杯食わせ、ひとりで女にもてようと画策する場面があった。計略通りに事が運び、小躍りしてつぶやく言葉は「しめこのうさぎ…」である◆「しめしめ」を意味する慣用句の語源には諸説あり、「しめこ」は兎(うさぎ)を飼う箱とも、兎の吸い物ともいう。飼育箱の兎も、調理された兎も無力である。だまされた相手をあざ笑うかのような、心卑しい響きが感じられなくもない◆肉親を亡くし、悲嘆と生活の不安で目を真っ赤に泣き腫らした家族も大勢いただろう。兎に見立て、「しめこのうさぎ」と小躍りした生命保険会社があったとは思いたくない◆生保38社の保険金不払いが5年間で25万件、284億円にものぼることが分かった。契約者が死亡し、家族から特約分の請求がないのをいいことに、知らぬ顔の半兵衛を決め込んだ事例などが目立つ◆家族の死後であれ、自分の病後であれ、心に余裕のある人はいない。混乱と多忙のなかで特約分の請求を忘れる人もいるだろう。請求がないから支払わない、というのは、どさくさに紛れた「しめしめ」であると疑われても仕方ない◆「しめこのうさぎ」の「しめ」には「絞め」の意味が掛けられているという。保険金不払いの不祥事が絞めたものは誰の首でもない。信頼という経営の喉元(のどもと)である。(2007年4月17日1時54分 読売新聞)
という記事が目に付いた。
 この『東海道中膝栗毛』の場面を見るに、
  △北八「ヤア貼貼、コリヤ情(なさけ)ないめにあはせる。コレ弥次さん、どこへゆく。アヽ手がだるくなる。コリヤもふどうする/\トうろしてゐる。弥次郎はくらまぎれ、そろとさきのほうへゆきこし、かべをつたひてかつて([勝手])のかたへ出るに、にはのむかふにみゆる、ありあけの火かげのほのかに、すかしてみれば、かのゆきあたりのふすまのそばに、ひとりねているものあるゆへ、さてこそ北八がやくそく([約束])のしろもの([代物])、しめこのうさぎと、いきなりに手をやつてさぐり見れば、こはいかに石のごとくひへこをり([冷凍])し人、たをれゐたり。さながらいきたるものとも見へず。これはふしぎと、こはなでまはせば、あらこも([荒薦])にくるみてあるゆへ弥次郎はつとおどろき、にはかにきみがわるくなつて、がたとふるひ出し、やうにきた八がゐるところへはひもどり、はのねもあはぬふるへごゑにて△弥次「きた八、まだそこにか△北八「ヲヽ弥次さん、おめへどこへいつた。コウちよつとこゝへ弥次「イヤそこ所ではない。あそこに死(しん)だものへ菰(こも)がかけてあるから、もふうそきみのわりいうちだ〔十返舎一九『東海道中膝栗毛』五編上・大系本245L、新編日本古典文学全集251F〕に、この用例を求めている。
 この江戸時代このことばに二説ある。大槻文彦編『大言海』に、「占子〔林藤助光政の故事より出づ、官中秘策、十五、年中行事の條を見よ〕兎の羮(あつもの)。うさぎの吸物。※文化の川柳「天が下、終にしめこの、御吉例」(幕府、元旦の兎の吸物)「しめこの兎」→しめこのうさぎ【占子兎】占めたと云ふを、兎にかけて、地口とせるもの」〔二744C〕という説が一つ。もう一つは、「しめこ【占籠】」のなかの「うさぎ【兎】」という意味合いで、「籠に閉じ込め逃げることも適わない生き物」という観点に基づく江戸人から見た小動物觀、すなわち弱いものに対する、してやったりといった強者の勝ちの姿勢が見て取れようとする。慥かに見方を変えれば、物事がうまく運んだ「しめた!」ということになる。だが、この裏側には「してやられた」という姿勢があることを見逃しては成るまい。これを現代社会への諷刺の眼で眺めたとき、世の中は相も変わらず、「しってやったり」という世知辛さのこゝろが企業ぐるみで働いているということなのではあるまいか。
 
※『官中秘策』は、江戸期、 西山元文(控) 史書/有職故実 竪帳22冊 23×16.3。の書で、幸田文庫目録には、「貴151A 官中秘策 33巻 西山元文   写 13 27.0×18.7 安永四年西山元文斎序刊本の写本」とある。この故事を確認することは未見としておく。
 
 
 
 
2007年03月29日(木)晴れ。桜花の満開
 刈谷図書館藏(村上文庫)『運歩色葉集』矢代弘賢自筆写本に、「咳気」「風気」「餘気」の「気」文字を踊り字「〃」のように記述する表記文字が用いられている。
 
 
 
 
 
2007年01月01日(月)晴れ。東京 元旦 
水祝ひ 氣書けと囃せ 釜茹で湯 撒かせ八葉解け 筧は泉
(みづいはひ けかけとはやせ かまゆでゆ まかせやはとけ  かけひはいづみ)
 
 樋口一葉の『たけくらべ』の原稿を昨年秋から寸暇のなか読んでおりますと、「氣・気」の両用の運筆表記が見えていて、このうち後者の「気」文字の方に最終画「〆」の「丶」を書かない筆法が用いられていることに気づかされました。これを少しくまとめて新たな年を迎えております。
 本年も何卒宜しくお願い申し上げます
 
2007年01月02日(火)曇り。   東京〜箱根 箱根関東学生駅伝〔往路〕7位
2007年01月03日(水)曇り薄晴れ。箱根〜東京 箱根関東学生駅伝〔復路〕7位
 
2007年01月04日(木)晴れ。東京
(わ)」文字
 「」文字である「まる【○】」は日本と韓国とで書き方が異なることを昨年の暮れ私は韓国の知人と話しをしているなかで知る機会を得た。日本人の書き方は下中央から時計回りに描くのが普通であるのに対し、韓国では上中央から陸上のトラック回りに書き出し、さらに右上から今度は時計回りにして一つの円形を描くのである。これは、日本の古いカタカナ文字「ワ」の表記法に合致していることで共通するから面白い。「ワ」については、山田孝雄著『國語史』[文字篇]第九巻〔昭和十二年、刀江書院刊〕の「假名の確立」253頁にて、「これ(「ワ」)は從來「和」の省體「口」から來たと信ぜられてゐ、その「口」をわの假名として用ゐたのも事實だが、橋本進吉氏は、平安朝の古冩本に往々「輪」の字を「 」とかいてゐるものに基づいて、それが「ワ」の如き形となり、さうしてこの形が出來たといふ説を立てられたが、これは漢字から假名が脱化したといふ考とは相容れないやうであるけれど、事實さういふ事もあるのだから之を是認せねばならぬ。即ちこれは本邦人按出の「ワ」(輪)といふ義字から生じた特別の異例といふべきである」と述べておられるが、韓国人の古い表記運筆方法と相通じていることがいつ頃からなのか明確ではないが、その共通性を視野に入れておく必要があるのではないかと思うのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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