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ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
ト☆口にはいへど、詮方なく、そゞろにかなしくなりて、今ははや、精も張りもぬけはて、とぼ/\としてゐるところへ、巡査二人出で来り、「ホワイ。ア―ル。ユウ。オルキング。セイル。エト。サ―チ。レイト。タイ。」お前達は何ゆえ、夜更てこゝにゐるや、といふ事也。〔十四編下162A〕
☆☆とぼ‐とぼ〔副〕老人などの、よろぼひ歩む状、又、歩みのはかどらぬ状に云ふ語。よぼよぼ。よろよろ。よぢよぢ。よたよた。*博多小女郎波枕(享保・近松作)中「姥が出れば惣左衛門、こりゃ姥、何をとぼとぼする、今の銀(かね)は隣の道具賣ッた銀(かね)」〔三-576-2〕
とぼ‐とぼ[一]〔副〕(「と」を伴って用いることもある)@ぼんやりしているさま、元気なく、疲れたさまなどを表わす語。しょぼしょぼ。*続無名抄〔一六八〇〕下「世話字尽〈略〉惘然(トボトボ)」*浄瑠璃・鑓の権三重帷子〔一七一七〕下「ろくに寝ぬ夜の目もとぼとぼとほこりまぶれの髪かたち」*西洋道中膝栗毛〔一八七〇〜七六〕〈総生寛〉一四・下「今ははや精も張りもぬけはてとぼとぼとしてゐるところへ」*春の晩〔一九一五〕〈田村俊子〉五「暗い街の灯が、とぼとぼして少し幾重の心が滅入った」*詩人の生涯〔一九五九〕〈安部公房〉「とぼとぼ燃えてる乞食の石油カンの中に」A(「とぽとぽ」とも)力なく緩慢に行なう動作、特に歩くさまを表わす語。*たけくらべ〔一八九五〜九六〕〈樋口一葉〉一一「大黒傘肩にして少しうつむいて居るらしくとぼとぼと歩む信如の後かげ」*少年行〔一九〇七〕〈中村星湖〉四「『オオ寒む寒む、早く帰らんぢょよ』と云ひながらも、お祖母様の足はトボトボしてゐる」*太政官〔一九一五〕〈上司小剣〉九「夜風の冷たい前庭へトポトポと力なげに出て行った」[二]〔名〕(形動)ぼんやり、うす暗くおぼつかないこと。また、そのさま。*浮世草子・好色産毛〔一六九五頃〕五・四「ある夕暮のとぼとぼより、誰やら我につき添て目にありありとみゆる」*常長〔一九一四〕〈木下杢太郎〉七「さればこれで君の幻からもお別れしませう。と言ふうちに日がとぼとぼになったぞ」【方言】〔副〕ぼんやりしたりまごついたりするさま。《とぼとぼ》茨城県稲敷郡(もうろくしたさま)193新潟県佐渡352長野県佐久493滋賀県彦根609蒲生郡612すっかりぬれるさま。《とぼとぼ》滋賀県蒲生郡062〔名〕日暮れ。《とぼとぼ》千葉県安房郡「とぼとぼに帰る」297三重県062《とほつかあ》群馬県吾妻郡218【発音】〈標ア〉〔一〕は[ト]〈1〉〔二〕 は[0]〈京ア〉[ト]〈1〉【辞書】ヘボン・言海
《回文》【】 |
《回文》汽車汽車汽笛ポッポ汽笛シャキシャキ【きしゃきしゃきてきぽッぽきてきしゃきしゃき】 |
しゃき‐しゃき〔副〕(「と」を伴って用いることもある)@歯ぎれよく物をかむ音、規則正しく動く機械などの小さな音、また、そのさまを表わす語。*秘密〔一九一一〕〈谷崎潤一郎〉「闇中にシャキシャキ軋みながら眼まぐるしく展開して行く映画の光線」A物を細かく切りきざみなどするときに、切れ味がよくて気持よく切れる音、また、そのさまを表わす語。物事を、すばやく、また、手ぎわよく処理するさまを表わす語。てきぱき。*沢氏の二人娘〔一九三五〕〈岸田国士〉「なかなかシャキシャキしてるっていう話だ」*入江のどんど〔一九七二〕〈大原富枝〉「長椅子の客はしゃきしゃきしていて、もう立上り、ベッドの方へ歩いている」【発音】〈標ア〉[シャ]〈1〉〈京ア〉[シャ]=[シャ]
《回文》【】 |
ぽろ‐ぽろ[一]〔副〕(「と」を伴って用いることもある)@小さい粒状の物がこぼれ落ちるさまを表わす語。*土〔一九一〇〕〈長塚節〉六「凹みを拵へてそこへぽろぽろと種を落して行く」*ながし〔一九一三〕〈森鴎外〉「垢がぽろぽろ縒れて来る」A涙がつづけてこぼれ落ちるさまを表わす語。*真景累ケ淵〔一八六九頃〕〈三遊亭円朝〉八八「新吉は物をも云はず小さくかたまって坐り、只ポロポロ涙を落して居りました」*こゝろ〔一九一四〕〈夏目漱石〉下・五三「たまにぽろぽろと涙を落す事もありました」B粘りけがなくばらばらなさまを表わす語。*土〔一九一〇〕〈長塚節〉五「麦ばかりのぽろぽろした飯」[二]〔形動〕固い物がもろくこなごなにくだけるさま。また、水分を失った物などがくだけるさま。*青春〔一九〇五〜〇六〕〈小栗風葉〉秋・一六「枯れてポロポロになった茶色の花片(はなびら)が」*湖畔手記〔一九二四〕〈葛西善蔵〉「下の歯が一二本ポロポロに欠け崩れて」【発音】〈標ア〉〔一〕は[ポ]〈1〉 〔二〕は[0]〈京ア〉〔一〕は[ポ]〈1〉〔二〕 は(0)
《回文》【】 |
とくとくと落つる岩間の苔清水くみほしほどもなきすまひかな
伊勢にもりやまと申す所に侍りけるに庵に梅(むめ)のかうばしく匂(にほ)ひけるを
柴(しば)の庵にとくとく梅(むめ)の匂(にほ)ひ来てやさしきかたもあるすみかかな
西上人の草の庵の跡は、奥の院より右のかた二町ばかり分け入るほど、柴人の通ふ道のみわづかに有りて、嶮(さが)しき谷をへだてたる、いと尊し。かのとくとくの清水は、昔に変わらずとみえて、今もとくとくと雫落ちける。
露とくとく試みに浮世すすがばや
と、「とくとく」の畳語表現を用いた発句を詠んでいる。信じて疑わない芭蕉における遊行の歌人西行なる人物によせる思いと志向を感得することができる。
とく‐とく〔副〕(多く「と」を伴って用いる)@水、しずく、涙などがしたたり落ちるさまを表わす語。現在では普通、口の小さな入れものから液体が流れ出るさまをいうことが多い。*源平盛衰記〔一四C前〕二五・時光茂光御方違盗人事「御涙の温々(トクトク)と落ちけるが」*中華若木詩抄〔一五二〇頃〕下「軽風が、ざっと吹たれば、宿雨が、とくとくと落て」*俳諧・野ざらし紀行〔一六八五〜八六頃〕「彼とくとくの清水は昔にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける」*銀の匙〔一九一三〜一五〕〈中勘助〉前・一七「油壺の嘴からとくとくと飴色の種油をつぐ」*傷ついた葦〔一九七〇〕〈曾野綾子〉「おさけをひとり手酌でとくとくと注ぎながら」Aゆっくりと足を踏みしめて歩くさま。*禅鳳雑談〔一五一三頃〕「さかをあがる時、身をかろくもちて、ひっしめて、そくそくとあがればよし。又くだる時は、力を入(いれ)とくとくとあしをふみさだめてくだり候へばよし」*直方敬斎箴講義〔一七C後〕「あしもとをとくとくとしてあしばやにせぬ、ばたりばたりとすることではない」B小きざみにうつ音を表わす語。*俳諧・誹諧独吟集〔一六六六〕下「見しはさめぬる邯鄲(かんたん)の夢 とくとくと打(うち)つる脉やあがるらん」【発音】〈標ア〉[ト]〈1〉
とく‐とく 水・しずくなど、液体のしたたり落ちるさま。野ざらし紀行「今も―と雫落ちける」。「酒を―とつぐ」
とく‐とく【得得】得意なさま。したり顔なさま。「―として語る」
とく‐とく【疾く疾く】はやくはやく。大いそぎで。今すぐに。源氏物語(浮舟)「なほ―参りなむ」
《回文》【】 |
にゅう‐しん[ニフ:]【入神】〔名〕技術が非常に熟達し、人間わざとは思われない域に達すること。技術が神わざに近いこと。*集義和書〔一六七六頃〕九「いまだ窮理の功いたらずして、精義入神の実地なければなり」*恋慕ながし〔一八九八〕〈小栗風葉〉一「更に他流の間で幾多の修業を積んだ事とて、然ぞかし入神(ニフシン)の音色もとの楽(たのしみ)で」*李陵〔一九四三〕〈中島敦〉三「陵の祖父李広の射に於ける入神の技などを語る時」【発音】ニーシン〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]
にゅう(ニフ)‐しん【入神】技術が上達して霊妙の域に達すること。→にゅうしん‐の
‐ぎ【入神の技】霊妙な技術。
とその意味と、「入神の技」という表現を新たに記載する。
《回文》いけんのいけんでてんけいのんけい【異見の意見で天恵暢景】 |
てん‐けい【天恵】〔名〕天のめぐみ。天恩。*動物小学〔一八八一〕〈松本駒次郎訳〉上・原文小引「縦令賤しき生類たりとも皆活機を具へて運営し各々其生を遂るの天恵に心を留めしむるの善きに如くものなし」*明暗〔一九一六〕〈夏目漱石〉一三〇「天恵(テンケイ)の如く彼女の前に露出された此時のお秀の背後に何が潜んでゐるのだらう」*自由学校〔一九五〇〕〈獅子文六〉その道に入る「神が、この無能力な男に、ノンキという天恵を、与えているのである」*曹植‐又贈丁儀王粲詩「皇佐揚二天恵一、四海無レ交レ兵」【発音】テンケ〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]
すずかけ‐の‐き【篠懸木・鈴懸木】〔名〕スズカケノキ科の落葉高木。アジア西部原産で、日本には明治末期に渡来し街路樹として栽植される。高さ三〇メートルに達する。樹皮は大きく斑紋状にはげ落ちる。葉は柄をもち、長さ幅とも一〇〜二〇センチメートルで掌状に三〜七中裂、裂片は幅より長さの方が長く、先はとがり、縁に不規則なあらい鋸歯(きよし)がある。花は淡黄緑色、単性で雌雄同株、多数集まって球形の花序となり、四〜五月に咲く。痩果の集まった緑色で球形の果序は径約二・五センチメートルで、長い柄があり、下垂する。学名はPlatanus orientalisアメリカスズカケノキや、これとスズカケノキとの雑種で街路樹に最も普通なカエデバスズカケノキなどを含めたスズカケノキ属(学名はPlatanus)の総称。*桐の花〔一九一三〕〈北原白秋〉雨のあとさき・街の晩秋「午前八時すずかけの木のかげはしる電車の霜もなつかしきかな」*食後の唄〔一九一九〕〈木下杢太郎〉街頭風景・五月の情緒「篠懸木(スズカケノキ)の若葉顫へる」【発音】〈標ア〉[キ]〈京ア〉[ノ]【図版】篠懸の木
《回文》ちもいばつてつばきもち【地も威張って椿餠】 |
{つばい‐もちひ(もちい)〔名〕【椿餠】又、つばいもち。つばきもち。椿の葉二枚にて包みたる餠。*源氏物語、三十四、上、若菜、上百三「つはいもちゐ、梨・柑子やうの物ども、さまざまに、箱の蓋どもに取りまぜつつあるを」*河海抄(四辻善成)「椿の葉を合はせ、餠の粉にあまづらをかけて包みたる物なり」*易林節用集(慶長)食服門「椿餠、ツバキモチ」〔三-417-4〕
つばい‐もち【椿餠】〔名〕「つばいもちい(椿餠)」に同じ。*藻塩草〔一五一三頃〕一九・食物「つはいもち 椿の葉を合て中にて飯のこに甘葛を入て、色々のうすゆうをきりてゆひたる物也」*随筆・安斎随筆〔一七八三頃〕一七「つはいもち〈略〉鞠場に用ふるものなり」【発音】〈標ア〉[バ] [イ]
つばい‐もちい[:もちひ]【椿餠】〔名〕餠米の粉に丁子(ちようじ)の粉を加え、甘葛(あまずら)の汁をかけて固め、椿の葉二枚で包んだもち。つばいもち。つばきもち。*宇津保〔九七〇〜九九九頃〕国譲上「大殿の御方より檜破子(ひわりご)、御酒(みき)、つばいもちゐなど奉り給へり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若菜上「簀の子に円座めして、わざとなく、つはいもちゐ、梨・柑子やうの物ども、さまざまに」【語誌】(1)日本で最初の餠菓子ともいわれ、その作り方は「つばいもち」の挙例「藻塩草‐一九・食物」などからうかがえる。平安時代には上流階級の饗供用にもてはやされていたようである。(2)特に、『源氏物語』若菜上で蹴鞠の後の殿上人が食べていたように、蹴鞠の節会にはつきものであった。時代は下るが「蹴鞠之目録九拾九ケ条‐一〇」(一六三一)には「鞠場へ可出物之事 あまのり、たたみ、つばゐもち、是は椿の葉につくりてのするもち也」とある。
つばき‐もち【椿餠】〔名〕@「つばいもちい(椿餠)」に同じ。*小右記‐寛弘二年〔一〇〇五〕三月二二日「椿餠、粽等送僧正房」*江家次第〔一一一一頃〕一・元日節会「其前立二朱台盤五脚一、弁二備饗饌一〈略〉椿餠一坏」A蒸した道明寺粉でこしあんを包み、二枚の椿の葉ではさんだ和菓子。《季・春》*俳諧・毛吹草〔一六三八〕五「葉に残る雪やすなはち椿餠〈守任〉」*狂歌・万載狂歌集〔一七八三〕一四「わきざしのつばきもちまで手をかけて生酔かすてらようかんにする」*随筆・一話一言〔一七七九〜一八二〇頃〕二六「蒸菓子類 〈略〉椿餠 十代弐匁五分」B椿の葉が病のため、化して丸く餠のように腫(は)れたもの。味が甘いので、小児が取って食べる。*類聚名物考〔一七八〇頃〕飲食部二・餠・造菓子「椿餠 椿の葉に木の病にて葉化して丸く餠の如く腫るる物あり是を椿餠と云ふ小児とりて喰ふ甚味甘し」【補注】(1)@については「つばいもち(椿餠)」の語誌参照。(2)Aのように砂糖や餡が入りほぼ現在の形になったのは江戸中期以降で、「古今名物御前菓子図式」(一七一八)上巻に道明寺粉に砂糖、肉桂を加えて蒸す製法が、下巻に「紅にて染め 内へ餡包み 椿の花形に致し椿の葉にて挟申候」と記されたあたりからであろう。【方言】椿の葉が丸くふくれる変化を起こしたもの。甘いので子供が取って食べる。《つばきもち》東京都御蔵島333《つばきのばけ〔椿化〕》東京都三宅島333【発音】〈標ア〉[キ]【辞書】易林・書言【表記】【椿餠】易林・書言
つばい‐もちい(モチヒ)【椿餅】(ツバキモチイの音便)あまずらをかけ、ツバキの葉で包んだ餅。つばいもち。源氏物語(若菜上)「―・梨・柑子やうの物ども」→つばきもち
つばき‐もち【椿餅】@奎粉(しんこ)や道明寺粉(どうみようじこ)製の種で餡を包み、上下にツバキの葉をあしらった餅菓子。春 A「つばいもちい」に同じ。
《回文》ふくまめまめしくくしめまめまくふ【bワめまめしく串めまめま食ふ】 |
《回文》 |
《回文》 |
たち‐あはせ(あわせ)〔名〕【立合】相撲に云ふ語。行司の古稱。たたあはせ。ぎゃうじ(行司)の條を見よ。〔三-239-3〕
たち‐あひ(あい)〔名〕【立合】(一)たちあふこと。出合ふこと。國性爺合戰(正徳、近松作)五「立ち合の軍する體にて、筒を捨て迯げ退かば」(二)江戸幕府の、評定所に會合する日の稱。被仰出留、一、毎月寄合日「立合、六日、十四日、廿五日」(三)取引所にて、仲買人の參會して、賣買取引を始むること。〔三-239-3〕
たち‐あい[:あひ]【立合・立会】〔名〕@たちあうこと。双方から出あうこと。出あって勝負を争うこと。*五輪書〔一六四五頃〕水の巻「面をさすと云は、敵太刀相に成て、敵の太刀の間、我太刀の間に、敵の顔を我太刀先にてつく心に常に思ふ所肝要也」*浄瑠璃・国性爺合戦〔一七一五〕五「立合の軍するていにて、筒をすてて逃げのかば」*読本・昔話稲妻表紙〔一八〇六〕五・一九「立合(タチアヒ)の仇打をおんゆるしあるやうにはからふべし」*内地雑居未来之夢〔一八八六〕〈坪内逍遙〉八「負惜みなる撃剣家が、きたなき立合(タチアヒ)を試むるが如くに」A事実を見とどけるため、その場に同席すること。たちあうこと。また、その人。立会人。*霊雲院文書‐元亀二年〔一五七一〕八月・霊雲院納所式之事「評定算用事、此三人并連判之衆立合に可被遂之事」*御触書宝暦集成‐延享二年〔一七四五〕二月「寺社奉行 御勘定奉行え〈略〉向後於牢屋吟味者有之節、拷問にかぎらす、口問等之節も、立合之者差越、吟味之様子申口、得と承届候様に可被致候」*外科室〔一八九五〕〈泉鏡花〉上「なにがし侯と、なにがし伯と、皆立合(タチアヒ)の親属なり」*こゝろ〔一九一四〕〈夏目漱石〉中・一三「二人の医者は立(タ)ち合(アヒ)の上」B江戸幕府評定所の定式寄合の一種。寺社・町・勘定の三奉行のほか、目付(めつけ)が列座し、裁判および評議を行なうもの。六日、一四日、二五日といったように、月三回の会合日が決められていた。式日(しきじつ)に対して、御用日ともいう。*御当家令条‐定・延宝九年〔一六八一〕正月一二日「一、寄合之式日、毎月四日十二日廿二日、諸奉行之立合、六日十四日廿五日」*禁令考‐第一・巻一・享保四年〔一七一九〕「評定所古来之事 〈略〉寛文之頃より式日立合と分れ〈略〉立合六日十四日廿五日、内寄合九日十八日廿七日、三奉行宅にて訴訟承候」*御触書宝暦集成‐宝暦八年〔一七五八〕九月「三奉行え〈略〉一、式日立会、其外臨時寄合之外、御詮議寄合之節も出席候儀も可有之候」C人の立ち交じること。人の多く立つこと。また、そのところやその人。*浄瑠璃・曾我五人兄弟〔一六九九頃〕三「され共爰はけいせい町と申て諸万人の立合(タチアヒ)」*浄瑠璃・傾城反魂香〔一七〇八頃〕中「くるわは諸国の立合〈略〉是程のけんくはは、おちゃこのこの茶の子ぞや」D相撲で、両力士の呼吸があい、または仕切制限時間がいっぱいになって両者が立ち上がった瞬間をいう。*評判記・すまふ評林〔一七五六〕「今の風は第一不礼なり。立合甚だ見ぐるしく、男道の晴業には似合ぬ事なり」*相撲隠雲解〔一七九三〕相撲之批判「延享の頃、八角、谷風、立合の時、初て待と云しことを聞」*随筆・甲子夜話〔一八二一〜四一〕一一「行司団扇を揚ると即立合と云ふ」E能などで、芸の優劣を競うための共演。数人が同じ曲を同時に舞う場合(翁の立合など)と、同じ場で交互に別曲を一番ずつ演ずる形とがあった。*風姿花伝〔一四〇〇〜〇二頃〕三「されば、手がらのせいれひ、たちあひに見ゆべし」*申楽談儀〔一四三〇〕定まれる事「立会は、幾人もあれ、一手成べし」*わらんべ草〔一六六〇〕三「昔はたうのみねの、はつかうの能に、四座共に立合なり」F江戸時代、大坂堂島での米相場取引のこと。*三貨図彙遺考〔一八一五〕一「七月十九日より九月十一日迄、帳合相場立会無之、正米ばかりの売買なり」*堂島旧記‐文政四年〔一八二一〕三月七日「帳合より附、四拾七匁より三分と、立会追々端煎、五拾一匁迄引立候」*草間伊助筆記‐五〔一八一三〕(大阪市史五)「日々年行事より之公儀差上之相庭も、右之段にて立合無之」G取引所で、取引員または会員が一定時間に集まって行なう売買取引。*時事新報‐明治二二年〔一八八九〕一二月一四日「其第二節は十時前に立会を始め」*金〔一九二六〕〈宮嶋資夫〉一「立会(タチアヒ)前の取引所は力の満ちた活気をだんだんに呈して来た」H芸題をたてて浄瑠璃会をやること。同一狂言を筋を通して続けて演ずること。「いりあい(入会)」に同じ。*明治十二年一月至二月大審院民事判決録〔一八七九〕二〇号・立会入会拒障一件「字小山、字若林山の儀は、往古より原被告両村の立会山にして〈略〉原告村に於て、米四斗八升つつ年々被告村方へ差出すべく、然る上は、小山・若林山共立会に紛れ無之旨の和議相整ひ」【方言】交際。つきあい。《たちあい》島根県鹿足郡・益田市725共同作業。組勤め。《たちあい》島根県鹿足郡725【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉(0)【辞書】言海【表記】【立合】言海
《回文》こうらくのくにづくりもりくつにくのくらうこ〈後楽の国創りも理屈に九の苦労後〉 |
せんゆう‐こうらく[センイウ:]【先憂後楽】〔連語〕(北宋の忠臣范仲淹の「岳陽楼記」の「先二天下之憂一而憂、後二天下之楽一而楽」によることば)憂うることは人に先だって憂い、楽しむことは人に遅れて楽しむ。忠臣の国を思う情。*鉛筆ぐらし〔一九五一〕〈扇谷正造〉デスク商売往来「日常生活これ苦楽を共にするどころか、大体において『先憂後楽』の方針で行かないと、部員は仕事はいっしょにやってくれるものではない」*新西洋事情〔一九七五〕〈深田祐介〉鎮魂・モスクワ郊外六十キロ「ことあるごとに『君、総務課長はセンユーコーラク(先憂後楽)よ』たえずそれを口にし」*宋史‐范仲淹伝論「然先憂後楽之志、海内固已信下其有二弘毅之器一、足上レ任二斯責一」【発音】センユーコーラク〈標ア〉[0]
せんゆう(イウ)‐こうらく【先憂後楽】[范仲淹、岳陽楼記「天下の憂えに先だちて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」]天下の安危について真っ先に憂え、楽しむのは人より後にすること。政治家の心構えを説いた語。
《回文》まだすぐとさしいういうこのこういういしさとくすだま 「まだ」「すぐ」と指し云う、言う此の子初々しさと藥玉 |
たま〔名〕【玉】〔妙圓(たへまろ)の略かと云ふ〕(一)玉(ぎよく)、瑪瑙、など、石類の美しきものの總名。多くは圓く彫啄して飾とするに云ふ。*禮記、學記篇「玉不レ啄不レ成レ器」(二){眞珠。珠*萬葉集、一十一「吾が欲(ほ)りし、野島(ぬじま)は見せつ、底ふかき、阿胡根の浦の、珠ぞ拾はぬ」(三){轉じて、すべて物事を美(ほ)めて云ふ語。*源氏物語、一、桐壺三 「玉のをのこ御子さへ生れたまひぬ」「玉の顔(かんばせ)」「玉の臺(うてな)」玉垣」玉裳」玉床」(四)又、轉じて、すべて圓き體を成せるものの總稱。珠。丸。(五)鉛鐵製の圓きもの。鉄砲の中に込めて放つ。弾丸。銃丸。(六)☆☆たくらみ、又は計畫のたね。*春花五大力(寛政、並木五瓶)「なるほど貴殿の御言葉次第で、如何様ともなる馬鹿殿の千太郎様、玉に遣ふは、あっぱれ御思案」「かへだま」(七)☆☆たまご。(八)蒟蒻(コンニヤク)を云ふ女房詞。*貞丈雜記、六、飲食部、頭書「たまとはこんにゃくの事、云云、享保六年九月二十七日、法皇、林丘寺へ御幸の記に見えたり」(九)眼鏡(めがね)のたま。レンズ。萬載狂歌集、秋「月影を、うつす眼鏡の、たま免、額の波に、かけてこそ見れ」〔三-270-1〕
たま【玉・珠・球】一〔名〕(「たま(魂)」と同語源)@球形あるいはそれに近い形の美しくて小さい石などで、装飾品となるものを総称していう。古くは、呪術的な要素を伴うものもあり、鉱物に限らず、動植物製のものをも広く含めていう。*仏足石歌〔七五三頃〕「善き人の 正目(まさめ)に見けむ 御足跡(みあと)すらを 我はえ見ずて 石(いは)に彫(ゑ)りつく 多麻(タマ)に彫りつく」*万葉〔八C後〕一四・三四〇〇「信濃(しなぬ)なる千曲(ちぐま)の川の小石(さざれし)も君し踏みてば多麻(タマ)と拾はむ〈東歌・信濃〉」*竹取〔九C末〜一〇C初〕「大伴の大納言にはたつのくびに五色にひかるたまあり。それをとりて給へ」*大慈恩寺三蔵法師伝院政期点〔一〇八〇〜一一一〇頃〕一〇「掩(けう)たること琅梏(タマ)の澄海に映せるが若し」*名語記〔一二七五〕四「円形にて光明あるをたまとなづく如何。答、たまは玉也。珠も同じ」*くれの廿八日〔一八九八〕〈内田魯庵〉四「先日の指環だって直ぐ篏玉(タマ)が脱けっちまったワ」A特に真珠をさしていう。まだま。しらたま。*日本書紀〔七二〇〕武烈即位前・歌謡「琴頭(ことがみ)に 来居る影媛嫋摩(タマ)ならば 吾が欲る嫋摩(タマ)の 鰒白珠(あはびしらたま)」*万葉集〔八C後〕一・一二「吾が欲りし野嶋は見せつ底深き阿胡根(あごね)の浦の珠(たま)そ拾(ひり)はぬ〈中皇命〉」*万葉集〔八C後〕一九・四二二〇「海神(わたつみ)の 神の命の 御櫛笥(みくしげ)に 貯(たくは)ひ置きて 斎(いつ)くとふ多麻(タマ)にまさりて 思へりし あが子にはあれど〈大伴坂上郎女〉」Bその形が@に似ているものをいう。イ、水の玉の意で、露、水滴、水泡、または涙などをさしていう。*古今集〔九〇五〜九一四〕物名・四二四「浪のうつせみればたまぞみだれけるひろはば袖にはかなからむや〈在原滋春〉」*山家集〔一二C後〕上「たまかけし花の姿もおとろへて霜を戴(いただ)く女郎花(をみなへし)かな」*浮世草子・本朝二十不孝〔一六八六〕四・一「扨も扨も嬉しやと 袖に玉(タマ)をながしぬ」*浮世草子・色里三所世帯〔一六八八〕上・三「白川の流れにしの岸根分立て、油ぎり玉(タマ)に光うつりてしかも匂ひふかし」*雑俳・柳多留‐三七〔一八〇七〕「湯でひった屁の玉あごの下へうき」ロ、(「弾・弾丸」とも書く)(初期のものは丸くなっていたところから)弾丸。*信長記〔一六二二〕三・浅井備前の守心替付いなば一揆退治の事「是は杉谷善住坊といひし鉄炮の上手、佐々木承禎にたのまれて打たる也。二つ玉(タマ)をもって纔十間ばかりにてうちはづし申事も」*雑兵物語〔一六八三頃〕上「玉がつかへたらば、爰に太槊杖を杖の中へつつばめて来た程に、是を以ぶち込ば、あんたる黒がね玉でもつっこむべい」*近世紀聞〔一八七五〜八一〕〈染崎延房〉六・一「松の枝の手頃なりしを伐取りつつ左手に採りてさし翳し降来る砲玉(タマ)を除(よけ)ながら」*東西南北〔一八九六〕〈与謝野鉄幹〉黒門「歴々弾丸(タマ)の痕(あと)見えて、むかしの苦戦しのばるる」?そろばんの五珠と一珠。*咄本・無事志有意〔一七九八〕十露盤「二一天作の五とは、上の玉をおろして、それ此十といふ玉を、上の玉を五玉といふは、十を二ツにわると五ツになるは」*浮雲〔一八八七〜八九〕〈二葉亭四迷〉一・二「算盤を弾いてゐた年配五十前後の老人が、不図手を止(とど)めて珠(タマ)へ指ざしをしながら」ハ、電球。*桑の実〔一九一三〕〈鈴木三重吉〉一五「おくみは二階の十六燭の電球(タマ)をはづして来て」*大道無門〔一九二六〕〈里見淦〉白緑紅・三「電燈を吊ってあまった部分で、器用にくるりと電球(タマ)を包むと」ニ、レンズ。特にめがねのレンズ、カメラのレンズをいう。*狂歌・万載狂歌集〔一七八三〕五「月かけをうつすめがねの玉うさぎひたゐの波にかけてこそみれ」*写真鏡図説〔一八六七〜六八〕〈柳河春三訳〉初「人物の影、恰も鏡珠(タマ)の尖枢にあたる様よし」*今年竹〔一九一九〜二七〕〈里見淦〉焼土・八「褐色の硝子(タマ)を入れたロイド眼鏡が」ホ、遊戯やスポーツに用いる球形のもの。ボール。または、その動き。*小学読本〔一八七三〕〈田中義廉〉一「私は棒を以て、球を打つを見たり。〈略〉柔かなる球なるゆゑに、人に当るとも、傷けることなし」ヘ、玉突きに用いる球。転じて、玉突きのゲームをもいう。撞球(どうきゆう)。ビリヤード。*野分〔一九〇七〕〈夏目漱石〉二「何で今迄愚図愚図して居たんだらう。下で球(タマ)でも突いて居たのか知らん」*玉突屋〔一九〇八〕〈正宗白鳥〉「君ゃそんな事をちょいちょい考へ出すから、酒も玉も上達しないんだよ」ト、男子の生殖器。「きんたま」の略。*全九集〔一五六六頃〕五「橘核円、四種の癩病を治し、へのこはれやぶれ黄水いづ、玉もかたくはれ痛み、臍にひびきわづらうを治す」*雑俳・柳多留‐六三〔一八一三〕「本能寺安田は玉に疵を請」リ、一般に、玉状にまとめたものを一括していう。「うどんの玉」「毛糸の玉」など。*怪談牡丹燈籠〔一八八四〕〈三遊亭円朝〉一五「半紙を十帖ばかりに、煙艸を二玉(たま)に、草鞋の良(よい)のを取て参れ」ヌ、紋所の名。@の形にかたどったもの。玉、三つ割り玉、火焔の玉、曲玉など。C@のように美しいもの、貴重なものの意。→たまの。ル、美しい女性。また、女性の美貌。*談義本・当世穴噺〔一七七一〕三・開帳場の夜話「素人の娘でも女(タマ)さへよければ高賃を出してやとい」*洒落本・客者評判記〔一七八〇〕実悪之部「是はどふでござる二やくおか場所のままになんのこったといふ男立の役、美き婦女(タマ)をぬすみ親分に預け」*人情本・糸柳〔一八四一か〕二・一一回「無疵な美女(タマ)が二人とは、近頃稀な大仕合せ」ヲ、転じて、遊女、芸者などのこと。*浄瑠璃・伽羅先代萩〔一七八五〕一「さる方から高尾を身請、言て来ても肝心の玉が知れぬで方々へ尋歩此才助」*雑俳・柳多留拾遺〔一八〇一〕巻一四下「ぜげんの子女を玉とおぼえてゐ」*歌舞伎・四天王楓江戸粧〔一八〇四〕五立「まだしも心中されないが仕合せ。玉さへ取返しゃア、これから直に戻り橋へ行って、商売がなるといふもの」ワ、すぐれた人、気のきいた者。*滑稽本・浮世風呂〔一八〇九〜一三〕二・上「その外に川魚屋もまだまあ多(やつ)とあれどナ。玉(タマ)といふたら的等(てきら)じゃ」*当世書生気質〔一八八五〜八六〕〈坪内逍遙〉六「本書中の人物に、玉(タマ)すくなく瓦多きは」カ、大事な人や物。話題や事件の焦点となっている人物や物。そのもの。そいつ。*梁塵秘抄〔一一七九頃〕二・法文歌「三身仏性たまはあれど、生死(さうじ)の塵にぞ汚れたる」*談義本・根無草〔一七六三〜六九〕後・三「是迄心を尽せども、恋の叶はぬ業腹まぎれ、朕闇雲に亡命(かけおち)して、此所に至し心は、堺町をぶっこはし、玉(タマ)をこっちへ引っさらはんと、心はやたけにはやれ共」*歌舞伎・与話情浮名横櫛(切られ与三)〔一八五三〕九幕「大金の品ものでござりますよ。それをば玉を引あげて、それなりけりとはおかしなもの」D(Cから転じて)一般に人や物をそれとさしていう。そういう人物、その程度の人物の意で用いる。軽くあざけっていう場合が多い。*西洋道中膝栗毛〔一八七〇〜七六〕〈仮名垣魯文〉六・上「そうサいびきの音を邪魔がられてときどきぬるい茶を汲んでこられる輩(タマ)だらう」*今戸心中〔一八九六〕〈広津柳浪〉八「私なんざア流連(ゐつづけ)を為す玉で非(な)いんだから」ヨ、策略などの手段に用いるもの。人、物、金銭などについていう。また、単に現物、あるいは資金としての現金などをさしていう。→玉が上がる・玉に掛ける・玉に使う。*歌舞伎・彩入御伽草〔一八〇八〕皿屋敷の場「ぬかすな、女郎め。菊池が娘小坂部姫、三平こそは彌陀次郎。鉄山どのを玉にして、この縁先にてどれあふ様子」E蒟蒻(こんにやく)をいう女房詞。*随筆・貞丈雑記〔一七八四頃〕六(頭書)「たまとはこんにゃくの事、〈略〉享保六年九月二十七日、法皇林丘寺宮へ御幸の記に見えたり」F(「親玉」の略)親玉。第一のもの。第一人者。*雑俳・五色墨〔一八〇九〕「思ひの外・我恋うとい玉仲居」*浪花聞書〔一八一九頃〕「玉(タマ) 都て第一といふことを玉といふ」*新撰大阪詞大全〔一八四一〕「たまとは おかしらのこと」G「たまご(卵)」の略。「掻(か)きたま」H魚をすくい捕る小形の網、鯛網(たも)のこと。すくいだま。たもあみ。*俳諧・本朝文選〔一七〇六〕二・賦類・湖水賦〈李由〉「汐ならぬ海士のいとなみもをかしけれ。大網、巻網、四手(よつで)、跡掛、手丸(タマ)、唐網」*小学読本〔一八七三〕〈田中義廉〉二「それは、殃の類にて、たまといふものなり。男児は、此殃を以て、魚を捕へんとす」*自然と人生〔一九〇〇〕〈徳富蘆花〉湘南雑筆・鰺釣り「いや此奴ア大きい。ちょ、ちょ、一寸、其(その)た、鯛網(タマ)を」I綱(つな)をいう。*談義本・虚実馬鹿語〔一七七一〕五・泥坊殿「綱(つな)の事を玉といひ」J拳(けん)の名で、「八」のこと。*歌舞伎・色競かしくの紅翅〔一八〇八〕四「『いっかう』『ちゑ』『さんな』『玉で』『おはね』『コリャ叶はぬ、サアサア一盃』」K(「玉門(ぎよくもん)」の略とも、「船玉(ふなだま)」の略ともいう)女性の陰部のこと。*雑俳・柳多留‐九七〔一八二八〕「緋の袴召ぬと玉がすき徹り」L「玉落ち」での、まるめた紙片のこと。江戸時代、蔵宿で地行米を下げ渡す際、受取人の姓名を書いた紙片をまるめて箱に入れ、それを振ってこぼれた紙玉の名前の人から順に渡した。転じて、地行米をいう。*洒落本・傾城買四十八手〔一七九〇〕やすひ手「『おめへいつかぢう着てきた八丈を、わっちが此むくととっけへてくんなんしな。みせぎにしんさアアナ』『とうにまげてあらア』『フウそれでも玉とやらがおちなんしたら、だされなんすだらうね』」*雑俳・柳多留‐二三〔一八〇五〕「玉にきず蔵宿を出て猪牙に乗り」L下女の通称。下女の一般的な名「お玉」から江戸時代、京都地方を中心に用いられた語。*雑俳・軽口頓作〔一七〇九〕「あんのじゃう・旦那の御作玉が腹」M盗人仲間の隠語。金・銀・宝石・時計などをいう。〔隠語輯覧{一九一五}〕Nにぎり飯をいう。〔隠語輯覧{一九一五}〕目ぼしをつけられた人をいう。〔特殊語百科辞典{一九三一}〕二〔語素〕@名詞の上に付けて接頭語的に用いる。美しいもの、すぐれているものをほめていう。特に上代、神事や高貴な物事についてのほめことばとして用いる。「玉の」の形で用いることも多い。「玉垣」「玉葛(たまかずら)」「玉串(たまぐし)」「玉襷(たまだすき)」「玉坏(たまつき)」「玉裳(たまも)」など。??のようにきれいなもの、あるいはそれをちりばめたものの意を添える。「玉枝(たまえ)」「玉衣(たまぎぬ)」「玉櫛笥(たまくしげ)」「玉簾(たますだれ)」「玉手(たまて)」「玉箒(たまははき)」「玉鉾(たまぼこ)」など。「玉の」の形で用いることも多い。名詞と熟合して球形のものである意を添える。「玉石」「玉砂利」「玉ねぎ」「十円玉」など。評価を表わすことばと熟合して、そういう人物である意を添える。「悪玉」「上玉」「表六玉」など。【補注】(1)文字は、一@の意味では漢字欄にあげたものの他に「珪・瑤・瓊・璧」などが当てられる。以下の用法では「玉」が共通して用いられ、また、「玉」の字音「ぎょく」が並行して用いられるものもある。(2)二@?の用法は、主として上代に限られ、広くは字音「ぎょく」が用いられる。【語源説】(1)タヘマロ(妙円)の略か〔大言海・音幻論=幸田露伴〕。(2)タカラマルキの略〔日本釈名〕。(3)価値がタカ(高)く、形が円(まる)いところから〔仙覚抄〕。(4)カタマルの略という〔百草露〕。(5)テラメク(光照)の反タムの転〔名語記〕。(6)タタキマル(琢円)の義〔名言通〕。(7)結びまるめた間の意で、タマ(立間)の義〔紫門和語類集〕。(8)タは発語、マはマル(円)の義〔国語の語根とその分類=大島正健〕。(9)テルマル(光丸)の義〔言元梯〕。(10)アマ(天)の転〔和語私臆鈔〕。(11)イタクマ(痛真)の義で、タマ(霊・魂)と同義〔日本語原学=林甕臣〕。(12)タマ(霊魂)の入るべきものであるところから〔万葉集に現れた古代信仰=折口信夫〕。
たま【玉・珠・球】@美しい宝石類。多くは彫琢(ちようたく)して装飾とするもの。万葉集(3)「夜光る―と言ふとも」。「掌中の―」A真珠。しらたま。今昔物語集(9)「母のかざりの箱の中を見るに、大きなる―あり」B美しいもの、大切なもの、またはほめていう意を表す語。源氏物語(桐壺)「世になく清らなる―のをのこ御子」。「―の声」「―垣」Cまるいもの。球形のもの。「飴―」「―の汗」「うどんの―」まり。ボール。「―ひろい」(「弾」とも書く)銃砲の弾丸。「―に当たる」電球。「―が切れる」卵。露・涙などの一しずく。そろばんの、動かす部分。レンズ。「眼鏡の―」きんたま。D手段に使用するもの。「いい―にされた」E木を丸太のまま幾つかに切ったその一切れのこと。最も根に近いものは元玉、次を二番玉という。F美しい女。転じて、芸妓・娼妓など客商売の女の称。「上―」G人品・器量の見地から人をあざけっていう語。「あいつもいい―だ」◇一般には「玉」と書き、C には、ふつう「球」を使う。@ACでは「珠」も用いる。→玉散る→玉とあざむく→玉となって砕くとも瓦となって全からじ→玉なす→玉に瑕→玉琢かざれば器を成さず→玉磨かざれば光なし→玉を懐いて罪あり→玉を転がす─しゅ【珠】しんじゅ。たま。
《回文》うたうたうときよきはるははるはきよきとうたうたう〈歌唄う時良き春は春は 清きと哥詠う〉 |
かんろ-ばい〔名〕【甘露梅】青梅の實を、紫蘇の葉に包みて、砂糖漬にしたるもの。新吉原の引手茶屋にて、夏の中に製し、年始の贈物としたるもの、名ありき。*文化の川柳「甘露梅、女藝者の、加役なり」(手透の女藝者、手傳ひて製せしなり)〔二-720-2〕
かんろ‐ばい【甘露梅】〔名〕梅の実を紫蘇の葉で包み、砂糖漬にしたもの。江戸新吉原の名物。梅の実を材料とした菓子で同名のものは、山形県、神奈川県などにもある。かんろう。かんろうばい。*随筆・吉原大全〔一七六八〕四「甘露梅は松屋庄兵衛手製しはじむ」*洒落本・郭中名物論〔一七八〇〕「かんろ梅もっとも古風なれども、これは吉原第一の名物。ちそに巻、砂糖につけし思ひ付け、昔の人のおもひ付けならん」*雑俳・柳多留‐二〇〔一七八五〕「やきながら女房のたべるかんろ梅」*料理早指南〔一八〇一〜〇四〕四「雑の名目の部〈略〉甘露梅(カンロバイ) 青小梅塩につけおき、付たる時出して、打わり、たねをとりすて、そのあとへ朝くら山椒或は粒こせうなどを入、馴たる梅を合せて紫蘇の葉にてつつみ、さとうみづに酒をくわへて付るなり」【方言】植物、こけもも(苔桃)。《かんろおばい》とも。長野県北佐久郡485【発音】〈標ア〉[ロ]【辞書】ヘボン・言海【表記】【甘露梅】ヘボン・言海【図版】甘露梅〈守貞漫稿〉
と記載する。ここで明らかのように江戸新吉原の名物として、近代以降の辞書群に収載された食品の名である。因みに、『広辞苑』第六版も収載する。
《回文》なのなはきじなおんみすやいけそそけいやすみんおなじはなのな〈名の名は素地名御観ずや活けそ素馨ヤスミン同じ花の名〉 |
そ‐けい【素馨】〔名〕モクセイ科の常緑低木。インド原産で、観賞用に栽植される。高さ約一メートル。全体に細毛を生じる。茎は直立またはややつる性。葉は対生し、羽状複葉で五〜九個の小葉から成る。小葉は卵状楕円形で先はとがる。夏、枝先に白色の花を数個ずつ集めてつけ、夜間に開く。花冠の基部は細い筒状で、先は四裂して平開し、径約二センチメートル。花は強い芳香があり香油をとる。漢名、素馨、耶悉茗、野悉蜜。つるまり。ジャスミン。学名はJasminum officinale 《季・夏》*薬品手引草〔一七七八〕「素馨(ソケイ) 茉莉(まつり)也」*日本植物名彙〔一八八四〕〈松村任三〉「ソケイ 素馨」*青年と死と〔一九一四〕〈芥川龍之介〉「お前の髪は、素馨のにほひがするぢゃないか」*竹沢先生と云ふ人〔一九二四〜二五〕〈長与善郎〉竹沢先生の散歩・一「東京から持って来たと云ふ盆栽の素馨が」【発音】ソケ〈標ア〉[ソ]〈京ア〉[0]
ヤスミン〔名〕({オランダ}jasmijn)《ヤスメイン》「ジャスミン」に同じ。*植学啓原〔一八八三〕二「単弁端正花〈略〉素馨(ヤスミン)、常春藤之類、皿花也」*植学啓原〔一八三三〕三「精油 香精〈略〉如二耶?若(ヤスメイン)、建蘭花(らん)一」
《回文》うよしちしてしちしよう〈紆余死地して七生〉 |
から/\とうちわらふて「七生(しやう)までただおなじ人間(にんげん)にうまれて、朝敵を滅(ほろぼ)ぼさばやとこそ存じ候へ」と申しければ、正成、よに嬉しげなる気色にて、「罪業深き悪念なれども、我もかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替へてこの本懐を達せん」と契りて、兄弟共に刺し違へて、同じ枕に臥しにけり。
しち‐しょう[:シャウ]【七生】〔名〕(「しょう」は「生」の呉音)@仏語。人界および天界に七度生まれ変わること。預流果(よるか)の聖者は七生を限って、以後の生はないとする。転じて、未来永遠。七代。*百座法談聞書抄〔一一一〇〕三月五日「我かさいのあさくして此人の七生の先の事をしらさりける事をはちて」*太平記〔一四C後〕三三・新田左兵衛佐義興自害事「日本一の不道人共に、忻(たばか)られつる事よ。七生まで汝等が為に、恨を可報者を」*曾我物語〔南北朝頃〕七・三井寺大師の事「暇をこひても、何かせん。七しゃうまで不孝ぞ」*風流仏〔一八八九〕〈幸田露伴〉五・中「やさしき御言葉は骨に鏤(きざ)んで七生忘れませぬ」*倶舎論‐二四「名為二預流一。生極七返。七返言顕三七往二返生一。是人天中各七生義」A「しちしょう(七生)までの勘当」の略。*黄表紙・孔子縞于時藍染〔一七八九〕上「どふぞ御勘当なされてくだされませ。七生がならずは、二升五合でもようござります」*雑俳・柳多留‐六一〔一八一二〕「七生を母は後生と詑言し」【発音】シチシー〈標ア〉[0] [チ]ヒチシー〈京ア〉[チ][小見出し]しちしょうまでの勘当(かんどう)
《回文》こねこのこねこのこねこ〈子猫の仔猫の小猫〉 |
余ハ嘗テ某地ノ小學教科書ヲ見タルニ 片假名ノ「子」ノ字ニハ皆ナ「ネ」ノ字ヲ用ヒタリ 「ネ」ノ字ヲ板本ニノミ用フルハ仔細ナキコトナレドモ 生徒ノ片假名ヲ手書スルニ當リ常ニ之ヲ用ヒシムルハ甚ダ好マシキコトニアラズ 何トナレバ古ヘノ正字ハ「ネ」ノ字ニモセヨ 之ヲ書クニ當テハ「子」ノ字ノ手ニ便ナルニハ及バザレバナリ〔536C〜G〕
《回文》ん!グぅ良しゆふ石引きのきびしい冬将軍 |
ふゆ‐しょう(シヤウ)ぐん【冬将軍】(モスクワに突入したナポレオンが、厳寒と積雪とに悩まされて敗北した史実に因む)冬の異名。冬のきびしさを擬人化した表現。「―の訪れ」
ふゆ‐しょうぐん[:シャウグン]【冬将軍】〔名〕(モスクワに攻め込んだナポレオンが厳寒に悩まされて敗れた史実によっていう)冬の異称。人間の力ではとうてい対抗できないきびしい冬の威力を擬人化した言い方。《季・冬》【発音】フユシーン〈標ア〉[ショ]〈京ア〉[ショ]
《回文》たまたまにわかはとりとこやみのへじがいにしへのみやこどりとはかわにまたまた〈偶々に若羽鳥常闇の野辺路が古への都鳥とは川に復々〉 |
緡 他得反 過 カサヌ 竕 正 羽 他得反 サラニ/ウタカフ タガフ〔法中88E〕※三番目の字は「ほこづくり【渺】に心」である。
はなはだ【甚】〔副〕普通の程度を越えていることを表わす。ひどく。大変。非常に。肯定表現にも否定表現にも用いる。*天理本金剛般若経集験記平安初期点〔八五〇頃〕「異なる香気有るを聞ぐ。非常(ハナハタ)郁烈(さかり)なり」*土左〔九三五頃〕承平五年二月四日「かぜくものけしきはなはだあし」*東大寺本大般涅槃経平安後期点〔一〇五〇頃〕「汝が智太(ハナハタ)過ぎたり」*観智院本名義抄〔一二四一〕「孔 ハナハダ」*徒然草〔一三三一頃〕九二「ただ今の一念において、直ちにする事の甚難き」*御巫本日本紀私記〔一四二八〕神代上「太急 波奈波太波也之(ハナハタはやし)」*読本・雨月物語〔一七七六〕夢応の鯉魚「其餌はなはだ香(かんば)し」*三四郎〔一九〇八〕〈夏目漱石〉三「其処の下女はみんな京都辯を使ふ。甚(ハナハ)だ纏綿(てんめん)してゐる」*青年〔一九一〇〜一一〕〈森鴎外〉一〇「君こなひだのもまだ返さないで、甚(ハナハ)だ済まないが」【語誌】上代には、「万葉集」に「甚」字をハナハダと訓じたと思われる例はあるが(→子見出し「はなはだも」)、仮名書きの例はない。語形を完全に確認できる例は、挙例の「天理本金剛般若経集験記平安初期点」が最古。上代の「万葉集」の例はいずれも動詞を修飾する例だが、中古以後は形容詞・形容動詞を修飾する例がほとんどである。動詞を修飾する例は中古の仮名文にはなく、平安初期の訓点資料や「今昔物語集」にわずかながら見える。中古仮名文では例は多くない。挙例の「土左日記」の楫取(かじとり)の言葉の一例、「源氏物語」の大学寮の博士の言葉の三例、「宇津保物語」の男性の応答詞としての「はなはだかしこし」一一例とその類型四例などである。地の文や女性の会話には全く見えず、かわりに「いと」「いたく(いたう)」「いみじく(いみじう)」などを用いる。中古仮名文にあまり例が見えないのに対し、訓点資料には多くの用例が見える。ハナハダは中古以後は男性語的・漢文訓読語的性格を持った硬い語であった。現代語でも硬い感じを伴い主に文章語や演説の中で使われるのは、この伝統を受け継いだもの。中古の訓点資料には語形も意味もよく似たハナハナがみえるがハナハダとの関係は未詳。【語源説】@華やかの意か、またアナホド(噫程)の転か〔大言海〕。Aハヤ、ナカ、フカ、ツラ、セリ(早中深)の反、また、ハナハナの転か〔名語記〕。Bハナクハシ(花曲)の転か、またハナハダ(花膚)の義か、またハナバナシ(花々)の転か〔菊池俗言考〕。Cハナチハテヤカシ(放果如)の義〔日本語原学=林甕臣〕。Dハナハタ(花発出)の義か〔紫門和語類集〕。Eアナアナ(呼那々々)の義〔言元梯〕。Fハナヤカナルハダ(肌)の義か〔和句解〕。Gハノホド(端程)の転か〔国語の語根とその分類=大島正健〕。Hアナガチ(強)の転か、また、アマハタ(天機)と同じか〔和語私臆鈔〕。Iハタハタの転〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。Jハナレハナレシキ(離々如)の義〔名言通〕。
《回文》うたうたいふゑふきときふゑふいたうたう〈歌唄い笛吹き説き笛吹いた詠う〉 |
そ‐しゃく【咀嚼】かみくだくこと。かみくだいて味わうこと。物事や文章などの意味をよく考えて味わうこと。→そしゃく‐き【咀嚼器】→そしゃく‐きん【咀嚼筋】
かみはむかがむがむにむがむがかむはみか《咀み嚼むかガムガムにムガムガ?む食みか》 |
予日州にありしころ、夏の暮方暑を解かんとて田圃を遊歩しけるに、溝川に鳴くものあり、至つて遠く聞ゆ、がき/゛\と云ふがごとし、あやしと思ひ人に問ひけれバ、クウッなりと、クウッとハ石龜の方言なりと、その龜ときゝていよ/\不審なり、岡崎五升庵にてその事をかたりけるに、庵主ハはやくも聞きてまことハ龜ハ啼くものなり、たしかに見もし聞きもしたり、今六帖の中に、その聲有る歌ありしと語られぬ、すなはち尋ね見れバ、甜河越のをち田中の夕やみに何ぞときけバ龜のなくなる、とあり。
新撰六帖爲家卿歌に甜川ごしのをちの田中の夕やみになにぞときけバ龜のなくなる、龜のなくこと人口にいへど、たま/\の事なれバ、聞くことあたはず、スッポンもスポンスポンとなくよりよびし名也。博物異苑魚龜部に、能言鼈、漢元封二年、過國、獻二能言龜一、一如二人言一、出二洞冥記一云々とも見ゆ
《回文》かめはまんねんでえんぎよしときくぞやぞくきとしよぎんえでんねんまはめか |
水仙花(スイセンクワ)馮夷(フイ)ハ華陰(クワイン)ノ人ナリ。服(―)スル添レ花ヲ八石得(エ)タリレ爲(タル)添ヲ二水仙一。見ヘタリ二韻府(イムフ)ニ一。??(フハ)山谷カ詩ニ含(フクミ)レ香ヲ躰ニシテレ素(ソ)ヲ欲スレ傾(カタムケ)ントレ城ヲ。山礬(ハン)ハ是レ弟(ヲトヽ)梅ハ是レ兄(アニ)。日本ノ俗名テ曰フ二雪中花ト一也〔元和本・草木門124F〕※写真は村口四郎蔵本
水仙花(スイセンクワ)ミヅ、ヒジリ、ハナ[上平平]馮夷(フイ)ハ華陰人也。服花八石。得(エ)タリレ爲(ナル)添ヲ二水仙ト一。見二韻府ニ一。?翁云含レ香体ニ兎レ素欲レ傾レ城。山礬是弟梅是兄。日本名曰二雪中花ト一是也。異名翠羽(ハナハダ)。玉肌。〔寸部草木門1124C〕
Suixenqua.スイセンクヮ.(水仙花)この名で呼ばれる花.〔邦訳586r〕
すゐ‐せん〔名〕【水仙】〔本草「水仙、宜二卑濕處一、不レ可レ?レ水、故、名二水仙一」〕草の名、根は、らッきョう、又は、蒜(ひる)に似て、長く、赤き皮ありて、包む、冬、葉を生ず、亦、相、似たり、春の初め、莖を出す、葱(ねぎ)に似たり、頭に六辨、單葉(ひとへ)の白花を開く、蘂、黄なり、金盞銀臺と云ふ、又、重辨(やへ)のものも、あり、玉玲瓏と云ふ。近年、舶來する臺湾種は、根、大きく、水のみにして、花を開く、土に下せば、一年間、花なし。雅客。*本草「水仙、釋名、金盞銀臺」〔三-941-2〕
すい‐せん【水仙】〔名〕@ヒガンバナ科の多年草、スイセン属植物の総称。高さ二〇〜三〇センチメートル。地下に球形の鱗茎がある。葉は鱗茎から群がって生え、線形で先は鈍くとがり白緑色を帯びる。一二〜一月、花茎の先端に苞葉に包まれて六枚の花被片をもつ一〜数花が横向きに咲く。花の中央に皿状の副花冠がある。この仲間は地中海沿岸から東アジアにかけて約三〇種ほどあり、日本には暖地にスイセンが生えている。また、観賞用に園芸品種が多く作り出され、ラッパズイセン、クチベニズイセン、キズイセン、エダザキズイセンなどがある。漢名、水仙。せっちゅうか。にわき。学名はNarcissus 《季・冬》*梅花無尽蔵〔一四九二〜一五〇一頃〕二「題梅花水仙図并叙」*元和本下学集〔一六一七〕「水仙花 馮夷華陰人服レ花八石得レ為二水仙一見二韻府一??(フハ)山谷詩含レ香躰レ素欲レ傾レ城山礬是弟梅是兄日本俗名曰二雪中花一也」*浮世草子・日本永代蔵〔一六八八〕三・一「雪のうちには壺の口を切(きり)水仙(スイセン)の初咲なげ入花のしほらしき事共」*黄表紙・高漫斉行脚日記〔一七七六〕上「けふはなんでもおちをとる気で、早咲の水せん、よっぼど大痛事(おおいたごと)さ」*俳諧・蕪村句集〔一七八四〕冬「水仙や美人かうべをいたむらし」*本草綱目‐水仙「此物宜二卑湿処一、不レ可レ缺レ水、故名二水仙一」Aヒガンバナ科の多年草。観賞用に栽培し、また、本州以西の海岸に生育するものは野生化したものとの説がある。高さ二〇〜四〇センチメートル。葉は根生し、線形で先端はまるみを帯び、長さ二〇〜四〇センチメートル。初冬から伸び始める花茎の先端に五〜六個の径三〜四センチメートルの白色の花を横向きにつける。副花冠は径約一センチメートル。種子はできない。学名はNarcissus tazetta var. chinensis *日本植物名彙〔一八八四〕〈松村任三〉「スヰセン 水仙」紋所の名。水仙の花と葉を種々にかたどったもの。水仙の丸、抱き水仙などがある。【発音】[0][イ]/[ス]【辞書】言海【表記】【水仙】言海【図版】水仙@ 水仙A水仙の丸 水仙B抱き水仙 [小見出し]すいせんの丸(まる)
すいせん‐か[:クヮ]【水仙花】〔名〕水仙の花。《季・冬》*文明本節用集〔室町中〕「水仙花 スイセンクヮ」*尺素往来〔一四三九〜六四〕「先為二庭上之景一荘二厳前栽一仕候。春花者庭桜。庭柳。〈略〉水仙花」*仮名草子・尤双紙〔一六三二〕下・三八「水仙花(スイセンクワ)はにんにくに似り」*俳諧・笈日記〔一六九五〕下・雲水「其にほひ桃より白し水仙花〈芭蕉〉」*花柳春話〔一八七八〜七九〕〈織田純一郎訳〉附録九「此時カメロン手に水仙花(スヰセンクワ)を携へ微笑して室内に入り来り」【発音】[セ]【辞書】下学・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン【表記】【水仙花】下学・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン
春ノ花者。庭柳。庭桜。金熊(イウ)。玉熊。紫藤。金銭(せン)。絆冬(ヤマフキ)。菫菜(スミレ)。春菊。 躑躅(ツヽシ)。杜若。牡丹。沈丁花(ケ)。華鬘(ケマン)花(ケ)。水仙花。鵝鼻花(カヒクワ)。白梅。紅桃。碧桃。絲柳。玉柳。一( ト)重櫻。八重―。梨花。尸花(カラナシ)。李花(スモヽ)。山茶花(サンサクワ)チヤノツハキノコト。海棠花等。〔平井文庫藏『尺素往来』15ウE〕
《回文》わくむせいすいのみづいはいづみのすいせんくわ〔湧くむ清水の水井は泉の水仙花〕 |
{ななころび-やおき〔名〕【七轉八起】七たびころびて、八たびおき上ること。數度の失敗にも屈せずして、奮勵すること。〔四-647-4〕
しちてん‐はっき【七転八起・七?八起】いくたび失敗しても屈せず、起ち上がって奮闘すること。ななころびやおき。七転八起
しちてん‐はっき【七転八起・七顛八起】〔名〕(七たびころんで八たび起きる意から)倒れても倒れても起き上がること。幾多の失敗にも屈しないで戦い抜くこと。ななころびやおき。*当世書生気質〔一八八五〜八六〕〈坪内逍遙〉一七「七転八起(シチテンハッキ)、一栄一辱、棺に白布を盖ふにいたって」【発音】〈標ア〉[ハ]〈京ア〉[ハ]
ななころび 八起(やお)き(七たびころんで八たび起きる意)何度失敗しても屈することなく立ちあがること。一度や二度の失敗ぐらいで気落ちせず、がんばるべきであるということ。転じて、人の世の浮き沈みの激しいことのたとえにも用いる。*評判記・吉原人たばね〔一六八〇頃〕りしゃう「よの中は夢まぼろし、七ころひ八をき」*葉隠〔一七一六頃〕一「『七度牢人せねば真の奉公にてなし。七転八おき』と口づけに申候由」*浄瑠璃・霊験宮戸川〔一七八〇〕七「七転(ナナコロ)び、八起(ヤオキ)といへる世の中の、諺はありながら」*雑俳・柳多留‐一五三〔一八三八〜四〇〕「七転八起達摩の呑だおれ」【発音】〈標ア〉[ナ]〈2〉=[ヤ] [コ]=[ヤ]〈京ア〉[コ]=[ヤ]
《回文》しらがうとろいななつまぜまつなないろとうがらし〈白髪人爐圍七つ雑ぜ俟つ七色唐辛子〉 |
{なないろ-たうがらし〔名〕【七色唐辛】〔唐辛に、胡麻、山椒(サンセウ)、芥子(ケシのみ)、壼V(なたね) 麻實(あさのみ)、陳皮などを細かく碎きて、粉として雜ぜたるもの。藥味とす。〔四-647-2〕
なないろ‐とうがらし【七色唐辛子】七味(しちみ)唐辛子に同じ。
しちみ‐とうがらし【七味唐辛子】香辛料の一種。唐辛子に胡麻(ごま)・陳皮(ちんぴ)・罌粟(けし)・青のりかシソ・麻の実・山椒(さんしょう)などを砕いて混ぜたもの。なないろとうがらし。しちみ。
なないろ‐とうがらし[:タウがらし]【七色唐辛子】〔名〕唐辛子・胡麻・陳皮(ちんぴ)・芥子・菜種・麻の実・山椒などを砕いて混ぜ合わせた香味料。しちみとうがらし。なないろ。また、それを売る人。*滑稽本・八笑人〔一八二〇〜四九〕五・上「あつらへの七色唐(ナナイロタウ)からしを売様に、あんまり交っけへされるとひるむぜ」*狂歌・近世商賈尽狂歌合〔一八五二〕「天明年間に『穴色通がらし』と題せし二冊物あり。是は七色唐がらしに擬せし色道の戯作也。〈略〉斯あれば、明和の末、天明に、七色唐がらしは初りしものなるベし」*彼岸過迄〔一九一二〕〈夏目漱石〉停留所・一七「七色唐辛子(ナナイロタウガラシ)の袋を並ベて」【発音】ナナイロトーラシ〈標ア〉[カ゜]〈京ア〉[ト]【図版】
しちみ‐とうがらし[:タウがらし]【七味唐辛子】〔名〕唐辛子・胡麻・陳皮(ちんぴ)・けし・菜種・麻の実・山椒などを砕いて混ぜ合わせたもの。香味料とする。なないろとうがらし。*洒落本・桜河微言〔一七七七〕「七味蕃椒(シチミトウガラシ)より辛き世界に」*滑稽本・八笑人〔一八二〇〜四九〕三・追加下「お振舞申批杷葉湯は陰徳者の婦人耳をいため、七味(シチミ)とふがらしの匕(さぢ)は五齢湯の調合に替り」*蕎麦通〔一九三〇〕〈村瀬忠太郎〉一二「蕎麦の薬味は、通常おろし大根、刻み葱、蕃椒又は七味唐がらしを供し」【語誌】(1)寛永二年(一六二五)、江戸両国薬研堀で中島徳右衛門が売り出したのを初めとする。「随筆・守貞漫稿‐五」に「七味蕃椒と号て、陳皮、山椒、肉桂、黒胡麻、麻仁〈略〉を竹筒に納れ、鑿を以て突刻之売る。諸食にかけて食ふ人多し」とみえ、薬味として当時の人々に好まれ、振売りも行なわれていたことが記されている。(2)「しちみ」は、「酸・苦・甘・辛・鹹」の五種の食味を「五味」、また「淡」を加えて「六味」と呼びならわしてきたことに倣ったもので、主に関西で用いられた。関東では「なないろとうがらし」と呼び、関西と対立するが、近代以降の多くの辞書では「なないろとうがらし」を標準語形と認めている。「七色」の「色」は種類の意を表わすが、そうした用法が希薄になりつつあることに加えて、商品名としては専ら「七味」が用いられるところから、現在では「しちみとうがらし」の呼称が一般的である。【発音】シチミトーラシヒチミトンガラシ〔大阪・伊予〕[カ゜][ト]
{ななし-の-および〔名〕【無名指】〔古へ、おほおよび、ひとさしのおよび、なかのおよび、ひとさしのおよび、なかのおよび、こおよびなどの名あり。此指には名なかりしかば云へるか、無名指(ムメイシ)の訓讀〕べにさしゆび(紅差指)に同じ。ななしゆび。今、くすりゆび。*倭名抄、三七手足類「無名指、奈奈之乃指(オヨビ)」*下學集、上、支體門「無名指、ナナシノヲヨビ、第四指也」〔4-647-4〕
無名指 ナヽシノユヒ/ナヽシノヲユヒ〔那部人體門163頁〕
ななし‐ゆび【名無指・無名指】〔名〕薬指(くすりゆび)。ななしの指。*書言字考節用集〔一七一七〕五「無名指 ナナシユビ〔左伝註〕第四指也」【方言】《ななしゆび》奈良県吉野郡687《なあなしいいび》沖縄県国頭郡975《なあなしういび》鹿児島県徳之島・沖永良部島975《ならしいいび》沖縄県首里993《なあなあぬうやび》沖縄県鳩間島996《なあざうやび》沖縄県黒島996《なあねえぬうび》沖縄県小浜島996《なあねえんうび》沖縄県石垣島・新城島996《なあねんうびゃあ》沖縄県竹富島996《ならし》沖縄県首里993《なしらず〔名不知〕》鹿児島県奄美大島975【語源説】日常の任務に携わらない指の義〔信州随筆=柳田国男〕。【発音】〈標ア〉[シ]【辞書】書言【表記】【無名指】書言
ななし の 指(ゆび・および)「ななしゆび(名無指)」に同じ。*十巻本和名抄〔九三四頃〕二「無名指 孟子云無名指〈奈々之乃於与比〉野王案第四指也」*薫集類抄〔一一六五頃か〕下「あまづらの煎ぜぬを、名なしのゆびして塗りて」*色葉字類抄〔一一七七〜八一〕「無名指 ナナシノユヒ ナナシノヲユヒ」【辞書】和名・色葉・名義・言海【表記】【無名指】和名・色葉・名義・言海 〔小見出し〕ななしの権兵衛(ごんべえ)
むみょう‐し[ムミャウ:]【無名指】〔名〕「むめいし(無名指)」に同じ。*江家次第〔一一一一頃〕一・供御薬「主上取之、以右手無名指令塗左掌給」*羅葡日辞書〔一五九五〕「Medicinalis 〈略〉ブメイノユビ、クスシ ユビ、mumioxi (ムミャウシ)」*評判記・色道大鏡〔一六七八〕七「絃を引はらず、ゆたゆたとゆるやかにのべて、無名指(ムミヤウシ)にてひくやうにかけたり」【発音】ムミーシ[ミョ]
むめい‐し【無名指】〔名〕くすりゆび。べにさしゆび。ななしゆび。むみょうし。*刺青〔一九一〇〕〈谷崎潤一郎〉「左手の小指と無名指(ムメイシ)と拇指の間に挿んで」*破片〔一九三四〕〈寺田寅彦〉一二「左の無名指の爪が矢筈形に延びたりするので、どうもをかしいと思ってゐたら」*孟子‐上「今有二無名之指屈而不一レ信、非二疾痛害一レ事也〈略〉〈注〉無名之指手之第四指也。蓋以其余指皆有レ名。無名指者非手之用指也」【発音】ムメシ〈標ア〉[メ]【辞書】言海【表記】【無名指】言海
なな-あゆみ〔名〕【七歩】〔七歩の才を訓讀して略したるもの〕しちほのし(七歩詩)の條を見よ。*拾玉集、一「から國に、七あゆみせし、たぐひとや、三時に足らで、散らす言の葉」〔四-647-1〕
なな‐あゆみ【七歩】〔名〕@七歩歩むこと。*浄瑠璃・釈迦如来誕生会〔一七一四〕一「太子は円智あきらけき御かんばせ、七学を表して七あゆみ左右の御手を獅子吼して」A七歩歩む間に詩をつくること。また、その才能。→七歩(しちほ)の才。*広本拾玉集〔一三四六〕一「から国にななあゆみせしたぐひとや三時に足らで散らす言の葉」
しちほ の=才(さい)[=情(じょう)](魏の曹植(そうしよく)が兄の曹丕(そうひ)の命令で、七歩あゆむ間に一詩を作ったという「世説新語‐文学」の故事から)詩才がすぐれ、詩作の早いことをいう。*懐風藻〔七五一〕秋宴〈紀古麻呂〉「忽逢文雅席、還愧七歩情」*明衡往来〔一一C中か〕上本「下官雖レ非二七歩之才一、聊学二六義之詞一」*太平記〔一四C後〕一二・大内裏造営事「詩は盛唐の波瀾を捲きて、七歩才(しちホノさい)に先だち、文は漢魏の芳潤に漱(くちすす)いで万巻の書を諳(そら)んじ給しかば」*ささめごと〔一四六三〜六四頃〕下「七歩の才・八疋の駒に鞭をそへたるけしきにて、まことに道の賢聖ほしくこそ見え侍れ」*俳諧・玉海集〔一六五六〕三・秋「大豆の名の月に七歩の才もがな〈貞室〉」[小見出し]しちほの詩(し)
ななくさ の 羹(あつもの)「ななくさ(七種)の粥」に同じ。*四季物語〔一四C中頃か〕正月「つとめては御づし所の御かゆ奉る。七草の御あつもの」*?嚢鈔〔一四四五〜四六〕一「正月七日の七草のあつものと云は」
七日の若菜を、人の六日にもてさわぎとりちらしなどするに、見も知らぬ草を、子供の持てきたるを、「何とか是をばいふ」といへど、頓にもいはず。「いざ」など此彼見合せて、「みみな草となんいふ」といふ者のあれば、「うべなりけり、聞かぬ顏なるは」など笑ふに又をかしげなる菊の生ひたるを持てきたれば、
つめどなほみみな草こそつれなけれあまたしあれば菊もまじれり
といはまほしけれど、聞き入るべくもあらず。〔百三十一段〕
とあって、若菜摘みの草草とその名前とがあやふやな容子を語り、さらに技巧な対比ことば(「耳無し=聞かない」と「菊=聞く」とを連鎖)を用いた歌に仕立ててもいる。そして、これらの草を調理しどのように食したかまでは判然としない。
室町時代の『庭訓徃来註』正月五日状に、
或書云、七日ヲ人日ト云ハ五節ノ初也。節ハ爲二若菜ノ節ト一。此日以二七種菜ヲ一作メレ羮(アツモノ)ヲ食ルレ之ヲ則ンバ人无シ二病患一也。七草ハ芹薺勤荊(ゴギヤフ)箱平佛ノ座田苹須々白此ヤ七草。又芹薺五行田平子佛座須々子擱(スヽシロ)是ヤ七草也。
とあって、或書を引いて「此の日、七種の菜を以って羮(アツモノ)を作らして、之を食する則んば、人の病患无しなり」と云う。ここでは「羮」を仕立てるのである。この室町時代の御伽(おとぎ)草子のなかに七草行事の由来談を綴った「七草草子」〔図絵は京都大学図書館藏奈良繪本「七くさ」より引用〕が知られ、
七種なゝいろの草を集めて、柳の木の盤にのせて、玉椿の枝にて、正月六日の酉の時〔午後六時〕より始めて、この草をうつべし。酉の時には芹といふ草をうつべし。戌の時〔午後八時〕には薺なづなといふ草をうち、亥の時〔午後十時〕には、五形といふ草〔御形、はゝこぐさの事、鼠麹草〕、子の時〔午前十二時〕には、たびらこ〔鷄膓草、かはらけ菜とも云ひ佛の座とも云ふ〕といふ草、丑の時〔午前二時〕には佛の座〔前のたびらこの事。七草には熬愽が入る可きを誤つたのである〕といふ草、寅の時〔午前四時〕にはすゞな〔たうな〕といふ草、卯の時〔午前六時〕にすゞしろ〔大根〕といふ草をうちて、辰の時〔午前八時〕には七種の草を合はせて、東の方より岩井の水をむすびあげて若水と名づけ、此の水にて白鵞鳥の渡らぬさきに服するならば、一時に十年づゝの齡を經かへり、七時には七十年の年を忽ちに若くなりて、その後八千年までの壽命を汝親子三人へ授くるなり」と、教へ給ふぞ有り難き。
と教導を授かり、此の如くにして百歳の年老いた親に服用させたところ、一時に十歳ずつ若返り、七時(とき)には七十歳若返らせたという孝行物語が語られているのである。この物語が伝える七種の調理法からして、米を用いない羮と見ても良かろう。ただ、同じ注釈書でもある天理図書館藏『庭訓往来私記』〔室町末写〕正月五日状には、
七日ハ成人ノ始ル日ナレハ仁日ト云カ五節供ノ第一トスル。此日?(コナカケ)キトテ七草ヲ集メ御草豆ニ仕度シ君モ供御有ト承ル其哥ニ芹ナツナ五刑田平子佛ノ座ハコヘスヽシロ是ソ七草ト讀リ。或説ニ昔シ天竺ニ大曇玉ト云ル大外道仏法妨(サマタケ)ル間加臍帝王此外道ヲ刹シ肉遷(ゼン)丹ト云薬リヲ練テ此ヲ服スル。萬民若ニ帰リ病有者ハ即治シ國土大平シ福壽増長成故三國ニ渡テ学テ是ヲ七種ノ?キスレハ今ノ世モ万民延命ナラン故也。返々可祝子細也。
とあって、「こなかき(こなかけ)【?】」即ち羮に米粒を入れて食する方法も記載されていることから両方の調理法が同じく伝承してきたものと考えたい。
・正月七日ノ七草ノアツモノト云ハ七種ハ何々ソ。○七種ト云ハ異説アル歟不二一准ナラ一。或歌ニハ。セリナツナ五行タヒラク佛ノ座アシナミヽナシ是ヤ七種。芹五行ナツナ。ハロヘラ佛ノ座スヽナ。ミヽナシ是ヤ七クサ。又或日記ニハ。薺(ナツナ)?(ハコベラ) 簍 五行 スヽシロ 佛ノ座 田ビラコ是等也ト云々。但シ正月七日七草ヲ献スト云事更ニナシ。年中行事ニハ七日白馬節會及ヒ叙位事。兵部省ノ御弓ノ奏事。ト許リ記シテ七草ト云事ナシ。十五日ニコソ献ス二七種ノ御粥一事ト註シ侍レ。又資隆ノ卿ノ八條院ヘ書進スル。簾中鈔ニモ此定也。豈ニ浮(ウ)ケル事アランヤ。又禁中ノ事年中行事ニシカンヤ。既ニ廢マテ註セリ。爭カ當時ノ事漏レン哉。旁不審ノ事也。乍レ去諸人皆七日ト思ヘリ。何ナル事ニ歟。人ニ可レ尋也。次ニ其故ヲ云ハ。大宗家訓ト云文ニ云ク。七種ノ若菜ヲ採テ調テ氏神并ニ所ノ三寳。次ニ父母ニ献シテ後ニ是ヲ食スレハ。春ノ氣病夏ノ疫病。冬ノ黄病モ。不レ病人ニ三魂七魄ト云神(タマシ)ヒアリ。天ニハ七曜ト現シ地ニハ七草ト成也。是ヲ取テ服スレハ我カ魂魄ノ氣力ヲ増シ命ヲ延ル也。大宗文王ノ時ヨリ始ル事也ト云云。又荊楚歳時記ニ云ソ。俗以二七種ノ菜ヲ一作レ羹ヲ食レ之人無二万病一也ト云云〔13頁〕
《現代語訳》七種というのには異説がある。一つのみではない。或る歌には「せり、なづな、五行、たびらこ、佛の座、あしなみ、みみなし是を七種という」とし、「芹、五行、なづな、はこべら、佛の座、しずなみみなし是が七くさ」 というのもある。又或日記には「薺、?簍(ハコベラ)、五行、すずしろ、佛の座,田びらこ、是等なり」等というのもある。但し、正月七日に七草を献上するという事はない。『年中行事』には七日に白馬の節会及び叙位の事とある。兵部省一の弓をお申し上げの事とだけ書いてあり七草という事はない。十五日にこそ七草のお粥を献上すると説明がある。又 資隆の卿の八條院へ送った『簾中鈔』にもこのようにある。どうしてなのか?その根拠があるのだろうか?。また、宮中での年中行事においては、すでに廃止との説もある。どうしてなのか当時の事はわからない。しかしながら、庶民は皆七日と思っている。どうしてだろうか?人に聞いてみるべきだろう。次にその訳を『大宗家訓』という書が言うには「七草の若菜を採ってきれいにし氏神、並びに土地の三宝(仏・法・僧)に、次に父母に献上して後にこれを食すと、春の病気、夏の疫病、冬の黄病にもかからない。人には三魂七魄と云うたましいがあり、天には七曜があらわれ、地には七草が生える。これを取って食すればすばらしく気力を増し長生きをする。このことは中国の大宗文王の時より始ったという。又『荊楚歳時記』には俗に七種の菜をもって羮を作りこれを食べた人は万病にかからないと書かれている。
捨芥抄 |
薺 |
熬愽 |
芹 |
菁 |
御形 |
須須之呂 | 佛の座 |
歳時記/河海抄 | 薺 |
熬愽 |
芹 |
菁 |
御形 |
酒々代 |
佛の座 |
一説歌 | 芹 | 薺 | 御形 | 熬愽 | 耳菜草 | 鈴菜 | 鈴白 |
河海抄/公事根源 |
なづな |
はこべら |
せり |
あをな |
ごぎやう |
すずしろ |
ほとけのざ |
荊楚歳時記 |
なづな |
はじべら | 芹 |
菁 |
御形 |
すずしろ |
佛の座 |
元寛日記 | 芹 | 薺 | 菁 | 熬愽 | 御形 | 佛の座 | |
日本歳時記 |
せり |
なづな |
五行 |
はこべら | 佛の座 |
すずな |
すずしろ |
近世風俗志 |
芹 |
なづな |
ごぎやう |
はこべら |
ほとけのざ |
すずな |
すずしろ |
萬物故事要決 | セリ | ナヅナ | 五形 | タビラコ | 佛の座 | あしな | みみなし |
七草双紙 |
芹 |
薺 |
ごぎやう |
たびらこ | 佛の座 |
鈴菜 |
すずしろ |
なゝくさのかゆといふハ、七種の穀を粥にするなり、七品の草といへるも、兼好(1283頃〜1352以後)と同じあやまちなり。
七種の粥ハ、延喜主水司式、正月十五日供御七種粥料、米粟黍子?子?子胡麻子小豆とみえたり。拾芥抄にハ、大角豆(サヽゲ)菫子(セリ)薯蕷(ヤマノイモ)ありて、?子?子胡麻子なし。公事根源に、大豆粟柿?豆(サヽゲ)あり。黍??故胡麻なし。十五日粥を食ふことハ十節録に見えたり。
正月七日、今朝三都ともに七種の粥を食す、七草の歌に曰く甜芹なづなごぎやうはこべらほとけのざすゞなすゞしろ是れぞ七種、以上を七草と云ふなり、然れども今世民間にハ十二種を加ふるのみ、三都ともに六日に、困民小農等市中に出でゝ賣レ之、京坂にてハ賣詞曰、吉慶のなづな祝うて一貫が買うておくれと云ふ、一貫ハ一錢を云ふ戯言也。江戸にてハ、なづな/\と呼び行くのみ、三都ともに六日買レ之、同夜と七日曉と再度これをはやす、はやすと云ふは、俎になづなを置き、その傍に薪、庖丁、火箸、磨子木、杓子、銅杓子、菜箸等七具を添へ、歳コ~の方に向ひ、先づ庖丁を取つて俎板を拍囃して曰、唐土の鳥が日本の土地へ、渡らぬさきに、なづな七種、はやしてほとゝと云ふ、江戸にて、唐土云々渡らぬさきに七種なづなと云ふ、殘る六具を次第に取レ之、此の語をくり返し唱へはやす。京坂ハ、此の薺に蕪菜を加へ粥に検る、江戸にても、小松と云ふ村より出づる菜を加へ検る、蓋し薺を僅に加へ検て、餘る薺を茶碗に納れ、水にひたして男女これに指をひたし、爪をきるを七草爪と云ふ、今日專ら爪の斬初をなす也、京坂にハ、此の行をきかず、或書曰、七草ハ七づゝ七度、合はせて四十九叩くを本とす。
{ななくさ-がゆ〔名〕【七種粥】前條の(一)((一)春の新芽の若菜を、正月七日の會供(ヱク)とするもの。初は何草と定まりたることなかりしなり。後に芹(せり)、薺(なづな)、御形(ゴギヤウ)、?簍(はこべら)、佛座(ほとけのざ)(田平子(たびらこ))、菘(すゞな)、蘿蔔(すずしろ)の七種の菜の稱。然れども諸書に異同あり、これ定まることなかりし證なり。(秋の七草に對して、春の七種と云ふ)正月七日にこれを羮として食ふ、萬病を除くと云ふ。後世、七日の朝に(六日夜)たうとのとりと云ふ語を唱へ言(ごと)して、此七菜を打ちはやし、粥に炊きて食ひ、七種粥(ななくさがゆ)と云ふ。後には、薺をのみ用ゐ、又、後には、あぶらなの葉を用ゐる。又、古へ、正月十五日に、米、大豆、赤小豆、粟など七種の穀菜を雜へ煮て、七種(しちしゆ)の粥(かゆ)と云へり。是も、今は變じて赤小豆粥(あづきがゆ)となる。又七種を浸したる水に爪を漬して取るを、七種爪と云ふ。)を見よ。主水司式「踐祚大甞會解齋、御七種粥料、米、粟、黍、稗子、?子(ミノ)、胡麻子、小豆」同「聖~寺七種粥料、云云、正月十五日供二御七種粥料一(中宮亦同)前に同じ」公事根源三、正月「七種の粥とは、白穀、大豆、小豆、粟、柿、?豆(サヽゲ)等也」簾中抄(藤原資驕j「十五日七種の御かゆ、云云」〔3-647-3〕
―がゆ 〔七種-粥・七草-粥〕@正月七日に春の七草を入れて炊いた粥。のちには薺またはあぶらな菜だけを用いるようにもなった。菜粥。薺粥(季)新年。A正月十五日に米・小豆・栗・粟など七種類の穀物を入れて炊いた粥。後世には小豆だけを入れた「小豆粥」になった。《七草粥》
さわ‐ぎきょう[さはギキャウ]【沢桔梗】〔名〕キキョウ科の多年草。各地の山野の湿地に生える。茎は円く太く直立し高さ五〇〜一〇〇センチメートルになり分枝しない。葉はやや密に互生し、長さ四〜七センチメートルの披針形で縁に細かい鋸歯(きよし)がある。秋、茎の上部に密生して総状花序をつくり、紫色の唇形(しんけい)花を開く。花は長さ三センチメートルぐらいで花冠の上唇は二裂、下唇は三裂する。漢名に山梗菜を当てるが誤用で、これはロベリアの名。いそぎきょう。ちょうじな。このてばな。学名は Lobelia sessilifolia 《季・秋》*浮世草子・俗つれづれ〔一六九五〕二・一「仏の花に是よと。其まましほれる沢桔梗(サハキキヤウ)を手ごとに折て」*大和本草〔一七〇九〕七「沢桔梗〈略〉花は桔梗に似て、淡碧色、桔梗より小也。水辺に生ず。秋花を開く。根亦如桔梗。又浮薔(なぎ)の花をも沢桔梗と云。同名異物なり」*日本植物名彙〔一八八四〕〈松村任三〉「サハギキャウ 山梗菜」植物「みずあおい(水葵)」の異名。*俳諧・増山の井〔一六六三〕八月「こなぎ 沢桔梗」*俳諧・卯辰集〔一六九一〕上・秋「村雨や見る見る沈む沢桔梗〈幾葉〉」*大和本草〔一七〇九〕八「浮薔〈略〉和俗に、水葵とも沢桔梗とも云。花色桔梗に相似たり」植物「はるりんどう(春龍胆)」の異名。《季・春》*重訂本草綱目啓蒙〔一八四七〕九・芳草「龍胆〈略〉春りんだうは陽地に生ず〈略〉伊勢にては水沢中に生ず。方言さはぎきゃうと云」【方言】植物。みずあおい(水葵)。《さわぎきょう》佐渡†084畿内†020ぎぼうし(擬宝珠)。《さわぎきょう》木曾†093【発音】サワキー[キ゜]【辞書】言海【表記】【沢桔梗】言海
とあって、「毒草」ということばも用いられていないのである。そして、方言名称の箇所にもこの「おしょうやごろし」の名を見ないのである。これをフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で見ると、
サワギキョウ(沢桔梗、学名: Lobelia sessilifolia )はキキョウ科ミゾカクシ属の多年草。美しい山野草であるが、有毒植物としても知られる。〈中略〉麻酔などの効能を薬草として利用された例もあるが、危険が大きいようである。横溝正史の長編推理小説『悪魔の手毬唄』では「お庄屋殺し」の名で登場し、場面を盛り上げた。
禅僧(ソウ)スミソメ・ヨステヒト[平・平]。〔世部人倫門1081B〕
禅僧(ゾウ)。〔静嘉堂本・勢部426D〕
Ienzo>.(ゼンゾゥ)すなわち,Ienxu<no so>.(禅宗の僧)禅宗(Ienxus)の宗派の僧,すなわち坊主(Bonzo).〔邦訳359l〕
と記載する。ただし、訓みは「ゼンゾゥ」と第三拍目を濁音とする。
ぜん‐そう【禅僧】〔名〕(古くは「ぜんぞう」か)禅宗の僧。禅学を修め、坐禅を行なう僧。また、広く、三昧(さんまい)を修する僧侶。*菅家文草〔九〇〇頃〕四・仁和四年、自春不雨。府之少北、有一蓮池「祝史疲馳頒幣社、禅僧倦著読経筵」*中外抄〔一一三七〜五四〕仁平四年三月一一日「御堂令始木幡三昧給之日、法螺を禅僧等不能吹ければ、御堂御手づから令取給ひて」*撰集抄〔一二五〇頃〕六・七「めでたきぜん僧などにておはしけるにこそ」*夢窓国師法語〔一三五一頃〕「ほとけ祖師教律勤行をからずしてすぐにさとるを禅僧といふ」*文明本節用集〔室町中〕「禅僧 ゼンソウ」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Ienzô(ゼンゾウ)。すなわち、ゼンシュウノ ソウ」*白居易‐与僧智如夜話詩「門間無謁客、室静有禅僧」
とあって、上記で説明した意味内容を具に纏めている。
[ことばの実際]
四日癸亥、天晴、申ノ剋ニ法印権大僧都審範入滅ス。〈年七十三、〉熱田ノ大宮司散位季範ノ曽孫、法橋明季ノ真弟子、顕宗長舜法眼ノ門弟、最勝講講聴、三会已講、密宗道禅僧正受法、公縁僧正灌頂ノ弟子。〔『吾妻鏡』弘長元年九月四日〕
ワキ さては宮奴にてましますかや、然らば當寺の御来歴委しく御物語候へ
シテ いでいで語って聞かせ申さん、(語)そもそも當寺清水寺と申すことは、大同二年の御草創、坂の上の田村麿の御願なり、昔大和の国小島寺に、延鎮と云っし沙門、生身の観世音を拝まんと誓ひしに、或時淀川の水上より、金色の光立ちしを、しるべに行きて見ればこの滝壷に至りぬ、観音の佛像光明赫奕として現れ給ふ、又山上の木の間より、燈火の影ほのかに見えしを、怪しめ登って見れば一人の老翁あり名乗って曰く、我はこれ行叡居士と云へり、我この地に住んで七百歳なり、汝この処に有って一人の檀那を待ち、大伽藍を建立すべしとて、東をさして行き去りぬ、この事世以って隠れなければ、坂の上の田村麿、即ち伽藍建立し、千手の佛像を作り据え、都鄙安全の尊容とせり、然れば行叡居士と言っぱ、観音薩捶の御再誕、又檀那を待てと有りしはこれ、坂の上の田村麿。〔金剛流謡本「田村」檜書店刊〕
シテワキ二人「具一切功徳慈眼視衆生。福寿海無量是故応頂礼。
地「此妙文を菊の葉に。置く滴や露の身の。不老不死の薬となつて七百歳を送りぬる。汲む人も汲まざるも。延ぶるや千年なるらん。おもしろの遊舞やな。」
師弟の契約と名のるぞや。七生の契也。一じ千金(センキン)のことわり、師匠の恩は七百歳と説かれたり
とあって、師匠に対する恩として「七百歳」、即ち「七百年」という概念にも用いられているのである。また、『多聞院日記』文祿二年(1593)五月九日「千年可レ為二長寿一之処、三百才不足は、老て杖をつかす一、高枕せし二、かすはいをはく三。此三長寿の養性に背て三百才たらす、七百歳にて被死と申伝云々」という千年に三百歳を不足する所以が語られたりする。
この「七百歳」なる語は、実に妙なる世界だが、国語辞書の見出し語には未収載の語でもある。現在の『日本名数辞典』の「七」で表現する語の項目からも見出せない。
復云何知。佛告迦葉。我般涅槃。七百歳後。是魔波旬漸起。〔本朝沙門最澄撰『末法燈明記』421頁〕
既云七百歳後。波旬漸起。故知。彼時比丘。漸貪畜八不淨物。作此妄説。即是魔説也。〔本朝沙門最澄撰『末法燈明記』422頁〕
太平(―ヘイ)。泰平(同)。 〔元亀二年本137B〕
大平 ――分/タイヘイ。 〔黒川本・他部畳字門E〕
泰平(タイヘイ/ユタカ、タイラカ)[去・平] 泰與レ太同。 〔態藝門343A〕
たい‐へい【太平・泰平】〔名〕@(形動)世の中がおだやかに治まっているこ と。世の中が静かで平和なこと。また、そのさま。*懐風藻〔七五一〕三月三日〈調老人〉「鼓腹太平日、共詠太平風」*家伝〔七六〇頃〕上(寧楽遺文)「朝廷无事、遊覧是好、人无菜色、家有余蓄、民咸称太平之世」*大鏡〔一二C前〕五・道長上「かばかり安穏泰平なる時にはあひなんやと思ふは」*色葉字類抄〔一一七七〜八一〕「大平 大平分 タイヘイ」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「テンカヲ taifeini(タイヘイニ)ヲサムル」*滑稽本・風来六部集〔一七八〇〕放屁論後編「段々太平の化(くは)にあまへ、世上一統金銀にのみ目(め)が付故」*史記‐秦始皇本紀「黔首脩潔、人楽同則、嘉保太平」A「たいへいらく(太平楽)」の略。*俳諧・類柑子〔一七〇七〕中・松の塵「夕顔の病人ふへて宿せばし〈其角〉 茶苑の太鼓泰平を打〈沾徳〉」*洒落本・寸南破良意〔一七七五〕髪結「そんなに太平(タイヘイ)をいふ事はなへ」*黄表紙・天道浮世出星操〔一七九四〕「むしゃうにたいへいのまきじたをあげ大いざをおこす」*洒落本・色講釈〔一八〇一〕「むかふのやなぎちゃア、せんど参会の時太平(ダイヘイ)がかった女だ」B「たいへいずみ(太平墨)」の略。*内局柱礎抄〔一四九六〜九八〕下「手文調様事、今案儀、手文筥用葛盖也。此中に硯〈小〉、筆〈二管〉、墨〈大平〉、補任歴名、位記、笏等納之也」*日本山海名物図会〔一七九九〕四・目録「松烟 灰墨、握墨、油煙、太平(たいへい)」C越前(福井県)から産出した厚紙。太平紙。【発音】タイヘ[0](0)【辞書】色葉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【泰平】文明・明応・天正・黒本・易林・書言・言海【太平】文明・饅頭・黒本・書言・言海【大平】色葉・ヘボン[小項目]―たいへい象(しよう)なし ―たいへいの逸民(いつみん) ―たいへいの功(こう)は一人(いちにん・いちじん)の=力(ちから)[=略(はかりごと)]にあらず ―たいへいの百石(ひやつこく)は戦場(せんじよう)の千石(せんごく) ―たいへいを並(なら)べる ―たいへいをぬかす
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