2009年03月01日から03月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 
 
 

 

 

 
 
 
 
2009年03月31日(火)晴れ夜雨。イタリア(ミラノ→コモ湖)?スイス
眼子(まなこゐ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第十四冊(巻十四・柏木)に、「まなこゐ」なる語について記載した箇所がある。

まなこゐ 眼子遊仙窟 又肝 横波 眼尾なとかけり。〔角川書店刊498O〕

とあって、「まなこゐ」の語として、『遊仙窟』に「眼子」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

013:婀娜(タヲヤカナル)腰支(コシハセ)細々許(サヽヤカニナマメキ)ナリ皿鯨(ケムテム)ナツカシキ眼子(マナコ井)長々馨(ミトマメカセリ)。〔醍醐寺本18D、文庫221@〕鈔本「眼子」〔二19ウC〕※陽明文庫本「眼子」〔12ウD〕慶安三版「眼子」〔19ウG〕

とあって、「眼子」の標記字に「まなこゐ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

婀娜(タヲヤカナル)腰支(コシハセ)細々許(サヽヤカニナマメキ)ナリ皿鯨(ケムテム)ナツカシキ眼子(マナコ井)長々馨(ミトマメカセリ)。。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「眼子」の標記字に和訓「まなこゐ」の語を収載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

まなこ‐い[:ゐ]【眼居】〔名〕対象に向けた目の様子。目つき。まなざし。*十巻本和名抄〔九三四頃〕二「眼 眼皮附 〈略〉遊仙窟眼皮〈師説万比 一説万奈古井〉」*枕草子〔一〇C終〕四一・鳥は「鷺は、いとみめも見ぐるし。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど」【語源説】(1)眼居の義か、あるいはマナコヰ(眼率)の義か〔大言海〕。(2)メノソコヰ(目之底居)の義〔日本語原学=林甕臣〕。【辞書】和名・色葉・名義・言海【表記】【眼皮】和名・色葉・名義【眼色】言海

とあって採録する。ここで『倭名類聚鈔』に引用する『遊仙窟』には「眼皮」と表記する。

[関連語補遺]

 

《回文》(まなこい▼いこなま)
 
 
2009年03月30日(月)晴れ。イタリア(ミラノ)
(のごふ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第十三冊(巻十三・若菜下)に、「のごふ」なる語について記載した箇所がある。

人の御涙をさへのこふ袖はいとゝつゆけさのみまさる 下官乃将(モテ)袖与(アタヘテ)娘子拭涙ヲ遊仙窟 〔角川書店刊488下N〕

とあって、「のごふ」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

212:下官乃將(モテ)(トモニ)娘子十娘乃作(ツクテ)別詩曰別( ルヽ)ニハ終是( レ)(  ル)コトナリ春心不(アハ)(ハ ラフハ)孤-鸞(コ ラン)ラクハ(ミン)アラハサシ一-騎塵(ミ  )柳開( ケ)ナムト眉色()ナムト紅桃乱コト(マ リ)マナカタナルヲ時君不(スナキナハ)(マシマサ)サラマシカハタル?弄(モ ンテ)(ソシテム)(ワレ)。〔醍醐寺本66D、文庫〕鈔本「」〔二19ウC〕※陽明文庫本「」〔12ウD〕慶安三版「」〔19ウG〕

とあって、「涙」の標記字に「(なんだをのご)ふ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

下官乃將(モテ)(トモニ)娘子。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「涙」の標記字に和訓「(なんだをのご)ふ」の語を収載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

のご・う[のごふ]【拭】〔他ハ四〕手でふく。ふきとる。ぬぐう。*万葉集〔八C後〕二〇・四三九八「ま幸くて 早還り来と ま袖もち 涙を能其比(ノゴヒ) むせひつつ 言問すれば〈大伴家持〉」*日本霊異記〔八一〇〜八二四〕中・一「沙彌頭を摩()で血を捫(ノコヒテ)。〈国会図書館本訓釈 捫 ノコヒテ〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕須磨「心とどめて、あはれなる手など弾き給へるに、ことものの声ともはやめて、涙をのごひあへり」*正法眼蔵〔一二三一〜五三〕洗面「手巾は、半分はおもてをのごひ、半分にては手をのごふ」【語源説】(1)塵埃のノコリヲハラウの意か〔和句解〕。(2)ヌクウ(拭)の転〔紫門和語類集〕。(3)ノヘカク(延掻)の義〔言元梯〕。(4)ノガオフ(遁生)の約〔国語本義〕。【発音】〈ア史〉平安○○◎ 鎌倉○○● 室町・江戸●○○〈京ア〉[0]【上代特殊仮名遣い】 青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。ノゴフ【辞書】字鏡・色葉・名義・下学・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【拭】色葉・名義・下学・和玉・文明・明応・天正・饅頭・書言・ヘボン【巾】色葉・名義・和玉・文明・天正・易林・書言【】色葉・名義・易林・書言【揮・揩】色葉・名義・和玉【雪】色葉・和玉・伊京【憔】字鏡・名義【捫・攬・揃・】色葉・名義【・擁】名義・和玉【清・洒・・掩】色葉【淹・捉・・控・拳・・払】名義【刷・・幟・】和玉【】書言

とあって標記字「拭」で「のごふ」の訓は、上記下線の辞書に採録にする。

[関連語補遺]

 

《回文》(のごふ▼ふごの)
 
 
2009年03月29日(日)雨。イタリア(ミラノ)
(まどろむ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第十三冊(巻十三・若菜下)に、「まどろむ」なる語について記載した箇所がある。

いさゝかまとろむともなきゆめに マトロム遊仙窟 (イナカラ)〔角川書店刊488下L〕

とあって、「まとろむ」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

020:少時(シハラクアルトキ)坐睡(井ナカラマトロム)則夢見十娘驚覺( メ)(カヒサクル)之忽然(タチマチ)セリ心中悵-怏(ヤウ)イタムテ復何( キ)アケツラフ(イタレ)詠曰夢中疑ヒツ(マコトカト)( メテ)(アラサリケリ)マコト誠知スレハヘムト窮-鬼(キウキ)イキスカタ(コトサラニ)調(ナヤマスナリ)せルカワレ。〔醍醐寺本18D、文庫221@〕鈔本「坐」〔二19ウC〕※陽明文庫本「坐」〔12ウD〕慶安三版「少時(シハラクアテ)シハラクアルトキニ坐睡(井ナカラマトロンテ)。則夢十娘(サメテ)(カヒサクル)忽然タチマチニセリ。」〔13オC〕

とあって、「坐_」の標記字に「ゐながらまどろむ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

少時(シハラクアルトキ)坐睡(井ナカラマトロム)則夢見十娘驚覺( メ)(カヒサクル)之忽然(タチマチ)せリ。。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「坐」の標記字に和訓「ゐながらまどろむ」の語を収載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

ま‐どろ・む【微睡】〔自マ五(四)〕@眠気を催してちょっとの間浅く眠る。とろとろと眠る。うとうとする。*古今和歌集〔九〇五〜九一四〕恋三・六四四「ねぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさる哉〈在原業平〉」*平家物語〔十三C前〕一・鹿谷「くるしさにうちふし、ちつとまどろみ給へる夢に」*虎寛本狂言・花子〔室町末〜近世初〕「いざ夜もふくる、さらばまどろまうと言ふて、とろとろとろとまどろうだれば」A眠る。また、熟睡する。寝入る。転じて、活動が停止する。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕空蝉「わかき人は、何心なく、いとようまどろみたるべし」*幸若・大臣〔室町末〜近世初〕「ねいりてさうなくおきさせ給ず。夜日三日ぞまとろみ給ふ」*仮名草子・伊曾保物語〔一六三九頃〕中・二三「獅子王前後も知らず臥しまどろみける所に」*北村透谷論〔一九四六〕〈小田切秀雄〉二「近代的な人間の要求はこの二十年代前半に至ってもなおまどろみつづけていたのであった」【語源説】目トロメクの約〔名語記〕。メトロメ(目蕩目)の義〔名言通〕。メトロム(目蕩)の義〔国語本義・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健・大言海〕。目のよどむ意か〔類聚名物考〕。ドロムはトロトロに通ず。目垂の義〔俚言集覧〕。メタワム(目撓)の義〔言元梯〕。【発音】〈標ア〉[ロ]〈ア史〉江戸●●○○〈京ア〉[0]【辞書】文明・伊京・饅頭・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【真眠】文明・饅頭【寐・緩】伊京【目睡】書言【間眠】ヘボン

とあって標記字「睡」に「まどろむ」の語訓は未採録にする。

[関連語補遺]

 

《回文》(まどろむ▼むろどま)
 
 
2009年03月28日(土)晴れ→雨。イタリア(ローマ〜フレンッェ〜ミラノ)
(いなぶ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻十三・若菜下)に、「いなふ」なる語について記載した箇所がある。

えいなひはてゝ イナフ遊仙窟 〔角川書店刊488下@〕

とあって、「いなふ」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

036:十娘答曰向者(サキニ)(  リ)(キヽミレハ)(オモヒテ)(コトハノミアル)?-客ハフヒヽトナラントナラント相拙(ツタナク)( セリ)礼-(井ヤウヲ)ツタナ□□( ク)(サメ)面慙( ツ)。(ワラハカ)相當( ル)レル(コト)( ク)引-接此間(コロハ)踈-陋(ソロウニシテ)イヤシクシテ(マ  )風-塵タモトキ室不ヘカラ推-()イナフ堂何須(イカニシテカ)進-退。〔醍醐寺本19B〕鈔本「」〔二19ウC〕※陽明文庫本「」〔12ウD〕慶安三版「」〔19ウG〕

とあって、「詞」の標記字にて「いなふ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

此間(コロハ)踈-陋(ソロウニシテ)イヤシクシテ(マ  )風-塵タモトキ室不ヘカラ推-()イナフ堂何須(イカニシテカ)進-退。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「」の標記字に和訓「いなふ」の語を収載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

いな‐・ぶ【辞・否】[一]〔他バ上二〕(感動詞「いな」に、動詞をつくる接尾語「ぶ」を付けた語)承知しないということを表わす。断る。いやがる。辞退する。いなむ。*日本書紀〔七二〇〕神武即位前(北野本訓)「兄猾罪を天(きみ)に獲()たれば事(こと)(イナフル)所無し」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕春日詣「春を惜しむ花〈略〉冬をいなぶるとり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕末摘花「人のいふ事は、強うもいなびぬ御心にて」*大鏡〔一二C前〕三・師輔「ありがたきことをも奏せさせ給ふことをば、いなびさせ給ふべくもあらざりけり」*大唐西域記長寛元年点〔一一六三〕三「(イナフル)ことを致すに由无くして」*宇治拾遺物語〔一二二一頃〕一五・七「国のうちにある身なれば、えいなびずして、米百石の分奉るといひて、とらせたり」[二]〔他バ四〕[一]に同じ。*日本書紀〔七二〇〕允恭元年一二月(寛文版訓)「何ぞ遂に(イナハ)や」*撰集抄〔一二五〇頃〕八・伊勢広隆寺歌事「もし道にて思はざる事侍るとも、いなぶ心あるべからず」【発音】〈標ア〉[ナ]平安○○◎〈京ア〉[0]【辞書】色葉・名義・文明・伊京・黒本・言海【表記】【辞】色葉・名義・伊京・黒本【怯・固辞】色葉【不肯・・禁・惜・】名義【吝惜】文明【希惜】黒本

とあって、醍醐寺本『遊仙窟』の「詞」の「イナフ」の和訓表記は未採録である。

[関連語補遺]

 

《回文》(いなふ▼ふない)
 
 
2009年03月27日(金)晴れ。イタリア(ローマ・サレジオ大學ドン・ボスコ図書館訪問)
(うらめし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻十二・藤裏葉)に、「うらめし」なる語について記載した箇所がある。

うらめしけにこそおほしたるや 遊仙窟 朱雀院我御代にかゝる行幸なきを恨おほしめす也。〔角川書店刊459上@A〕

とあって、「うらめし」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

229:下官不()( ハ)相看( ル)忽把(トテ)十娘手子(タナスニ)而別( ル)(ハカリニ)。モト无(  ル)二三里ハカリモト(  シ )(カ  )(  ルニ)數人猶在コト(モト)處立余時漸-々去遠(トヲサカル)聲沈(  ミ)影滅(キヘ)(カ ミ)(ミルニ)マホルニ()( ヘ)惻愴(シキサウ)イタムテ而去何事山-口舟而過( ク)。夜耿-々而不(イ子ラレ)(ケイ)-々而靡(  シ)(ツクコト)。覈-(サウコム)イタミウラム/カシラカモス於啼-又淒-傷(せイシヤウス)於別-( ミ)氣呑( ム)聲天-道人情有レハ( レ)必怨(  ミアリ)怨必盈(ミツ)イキトホリアリ日一ツニ(ヨル)ツニ比-目ノウヲ(タチ)ムカウコトヲヘル(カモ)(  フ)(トモカラ)日々衣ェ(ユルヒ)朝々(アサナアサナ)(ヲヒ)(ユルフ)。口上( ヘ)(   ル)(サケ)胸間(ア )( キ)滿( ツ)涙瞼(マナシリニ)マナフタ千行(チツラ)愁膓(ワタ)寸断(キサキサニ)端-坐(  タヘ)(コト)涕-血流(  ル)(  ノクヒ)(  ヒ)(  ヒ)(  リ)(  ヒ)(  リ)(  ス)。(  リ)?(ヒソメ)眉而永結(  ホル)(イタキ)カヽヘ膝而長(  ク)(シナマル)サマヨフトモ神-仙兮不不()( カラ)( ル)(  ク)天-地兮知(  ム)(  ヒ)フトモ神-仙()?ルコト十娘兮断ヘヌタリ( リ)コトムト此兮膓(ヲモヒ)亦乱(  ル)(  ニ)此兮悩(ナヤム)。〔醍醐寺本72F、文庫〕鈔本「悵恨」〔二19ウC〕※陽明文庫本「」〔12ウD〕慶安三版「」〔19ウG〕

とあって、「」の標記字に字音「サウコム」そして「イタミウラム」と「カシラカモス」の二語訓を記載する。この「いたみうらむ」の訓を『河海抄』編者は採録の対象としたことになる。

 次にこれを『遊仙窟抄』第一冊にては、

夜耿-々而不(イ子ラレ)(ケイ)-々而靡(  シ)(ツクコト)。覈-(サウコム)イタミウラム/カシラカモス於啼-又淒-傷(せイシヤウス)於別-( ミ)氣呑( ム)聲天-道人情有レハ( レ)必怨(  ミアリ)怨必盈(ミツ)イキトホリアリ。。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「」の標記字に和訓「いたみうらむ」の語を収載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

うらめし・い【恨・怨】〔形口〕うらめし〔形シク〕@相手の心や処置が期待に反するものであったり、望ましくない事態が自力ではどうにもならないような場合、それに対する不満、嘆きなどが心の内にわだかまっている。残念で悲しい。*万葉集〔八C後〕一三・三三四六「天地の 神し恨之(うらめシ) 草枕 この旅の日()に 妻離()くべしや〈作者未詳〉」*万葉集〔八C後〕二〇・四四九六「宇良売之久(ウラメシク)君はもあるか宿の梅の散り過ぐるまで見しめずありける〈大原今城〉」*古今和歌集〔九〇五〜九一四〕恋五・八二三「あき風のふきうらがへすくずのはのうらみても猶うらめしき哉〈平貞文〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕御法「年ごろ、むつましく仕うまつり馴れつる人人は、しばしものこれる命、うらめしきことを嘆きつつ、尼になり」*平家物語〔一三C前〕三・少将都帰「生をへだてたる習ひほどうらめしかりけるものはなし」*徒然草〔一三三一頃〕六九「疎からぬおのれらしも、うらめしく我をば煮て、辛き目を見するものかな」*史記抄〔一*浄瑠璃・都の富士〔一六九五頃〕三「それはつれなしうらめしし、逢ふ瀬がなくはないまでよ」*浄瑠璃・八百屋お七〔一七三一頃か〕上「親父様は死なしゃったか。ヲヲサヲヲサエエ問ふも語るも浦めしや」*談義本・成仙玉一口玄談〔一七八五〕一・三保箒良得羽衣之談「住みなれし空にいつしか行く雲の、(ウラメ)しき景色や」Aきたない。*筑紫方言〔一八三〇頃〕「むさいきたないと云事を うらめしい」Bいやらしい。*浜荻(久留米)〔一八四〇〜五二頃〕「うらめし いやらし。恨敷也」【方言】@不潔だ。きたない。汚らわしい。《うらめしい》久留米†127東京都利島323福岡県872熊本県阿蘇郡923大分県日田郡・玖珠郡939《いらめしい》福岡市872《らめしい》大分県日田郡939Aいやらしい。《うらめしい》岩手県上閉伊郡098熊本県玉名郡058《うらめし》岩手県気仙郡100Bゆううつだ。おっくうだ。《うらみしい》岩手県気仙郡102C吝嗇(りんしよく)だ。金銭にきたない。《いらめしい》福岡市879【語源説】(1)ウラムの未然形がウラマシと活用した、その転か〔大言海〕。(2)ウラミ(心見)から転成した形容詞。シは形容詞語尾〔万葉集=日本古典文学大系〕。(3)ウラミメカシキの義〔和句解〕。【発音】ウラメシイa〈標ア〉[シ]〈京ア〉[メ]「うらめし」〈標ア〉[メ]〈ア史〉江戸「うらめしき」●●●○○〈京ア〉[メ]【上代特殊仮名遣い】青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。ウラシ【辞書】易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【】易林・書言【】書言【恨敷】ヘボン【怨】言海

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺]

 

《回文》(うらめし▼しめらう)
 
 
2009年03月26日(木)晴れ。イタリア(ローマ・ヴァチカン宮殿市内観光・トレビの泉)
未必(うたかた)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻十一・苒戟jに、「うたかた」なる語について記載した箇所がある。

なかめする軒の雫に袖ぬれてうたかた人をしのはさらめや 未必或ウツタ人遊仙窟 〔角川書店刊437下EF〕

とあって、「うたかた」の語として、『遊仙窟』に「未必」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

013:須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天。〔醍醐寺本18D、文庫221@〕鈔本「未必」〔二19ウC〕※陽明文庫本「未必」〔12ウD〕慶安三版「未必」〔19ウG〕

とあって、「未必」の標記字に「うたかた」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「未必」の標記字に和訓「しつらひ」の語を収載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

うた‐かた【泡沫】(「うたがた」とも)[一]〔名〕@水の上に浮いているあわ。水あわ。*十巻本和名抄〔九三四頃〕一「霤 潦等附 〈略〉淮南子注云雨〈和名宇太加太〉雨潦上沫起若覆盆也」*方丈記〔一二一二〕「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」*名語記〔一二七五〕九「うたかた如何。これは波の異名歟。うくたまかた也。浮玉形也。まろにていできてやがてきゆるあはの事なるべし」Aはかなく消えやすい物事のたとえにいう。→うたかたの。*赤染衛門集〔一〇四一〜五三頃〕「雨降れば水に浮かべるうたかたの久しからぬは我身なりけり」*浄瑠璃・平仮名盛衰記〔一七九三〕三「昨日めでたき人だにも今日は漂ふうたかたの粟津が原の討死を」[二]〔副〕@のあわのはかなく消えるように、少しの間も。しばらくのまも。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕真木柱「ながめする軒のしづくに袖ぬれてうたかた人をしのばざらめや」A「うたがたも」に同じ。*草根集〔一四七三頃〕一五「此世にてもゆる蛍は思ひ川うたかた誰にあはで消けむ」*俳諧・三冊子〔一七〇二〕わすれ水「『涙川たへずながるるうき瀬にもうたかた人にあわで消めや』この歌の『うたかた』は『むしろ』といふ字、『何んぞ』といふ字二説在。義理は『何ぞ』也。なんぞ人に逢はできへんと也」【語源説】(1)ウツカタ(空形)の転〔雅言考・名言通・大言海・国語の語根とその分類=大島正健〕。(2)ウツラカタ(虚象)の約転〔冠辞考〕。(3)浮キテ得ガタキモノの略〔歌林樸〕。(4)ワガタ(輪形)。ワの延音ウタ〔和訓集説〕。(5)ウクタマカタ(浮玉形)の反〔名語記〕。【発音】〈音史〉平安末以降「うたがた」と濁音にも。〈標ア〉[0]〔1〕は●●●●平安か 鎌倉〔2〕 は●●●○平安●●●● 鎌倉●●●○〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・日葡・書言・言海【表記】【沫雨】和名・色葉・名義・書言【海】書言

とあって、古辞書類に「未必」の標記字に「うたかた」の語訓を未記載にする。

[関連語補遺]

 

《回文》(うたかた▼たかうた)
 
 
2009年03月25日(水)晴れ。イタリア(モデナ〜フレンツェ〜ローマ)
(しはぶきやみ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第二冊(巻二・夕顔)に、「しはぶきやみ」なる語について記載した箇所がある。

しはふきやみ 十娘(チヤウカ)曰児(ヲノコ)近来患(シハフキヤミシテ)クワンソウ声音(コヘ)不徹(サハヤカ)遊仙窟 病〔不本病〕咳睚 咳病。〔角川書店刊249上HI〕

とあって、「おもと」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

013:須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天。〔醍醐寺本18D、文庫221@〕鈔本「」〔二19ウC〕※陽明文庫本「」〔12ウD〕慶安三版「」〔19ウG〕

とあって、「」の標記字に「しはぶきやみ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「」の標記字に和訓「しはぶきやみ」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「」の語をもって、「おもと」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「」の語をもって「おもと」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「」の語にて「しはぶきやみ」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

しわぶき‐やみ[しはぶき:]【咳病】〔名〕せきがでる病気。せきこむやまい。風邪、気管支炎、喘息など。しわぶきやまい。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「このあか月より、しはぶきやみにや侍らん、頭いと痛くて、苦しく侍れば」*醍醐寺本遊仙窟康永三年点〔一三四四〕「児(わらは)は近来患嗽としはふきやみして声音徹(ささやか)ならず」*増鏡〔一三六八〜七六頃〕一五・村時雨「今年いかなるにか、しはぶきやみ流行りて、人多く失せ給ふ中に」【発音】〈標ア〉[0]【辞書】書言・言海【表記】【咳病】書言・言海

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺]

 

《回文》(しはぶきやみ▼みやきぶはし)
 
 
2009年03月24日(火)曇り一時雨のち晴れ。イタリア(ローマ〜サルジミアノ〜モデナ)
平生(なをさり)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第三冊(巻三・若紫)に、「なをさり」なる語について記載した箇所がある。

なをさりにも 平生(ナヲサリ)遊仙窟 〔角川書店刊260上B〕

とあって、「なをさり」の語として、『遊仙窟』に「平生」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

182:十娘詠弓曰平生ムテ(モチ井テ)(ユミ)。(ヒク)( レ)頭聞( ク)(ミマイトフせノ)(トリ)(サクルコトノ)(心ヨキ)更乞( フ)五三籌(カス)。〔醍醐寺本56C、文庫〕鈔本「平生」〔〕※陽明文庫本「平生」〔〕慶安三版「平生」〔〕

とあって、「平生」の標記字に「みまいとふせ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

十娘詠弓曰平生ムテ(モチ井テ)(ユミ)。(ヒク)( レ)頭聞( ク)(ミマイトフせノ)(トリ)(サクルコトノ)(心ヨキ)更乞( フ)五三籌(カス)。〔〕。〔〕

とあって、「平生」の標記字に和訓「」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

等閑 ナヲサリ   ナヲサリカヲテ 。〔前田家本×〕〔黒川本中卷古畳字門37ウC〕

とあって、標記字「等閑」の語をもって、「なをさり/なをりかをて」の訓みを収載する。「平生」の語は見えない。次に観智院本『類聚名義抄』に、

平生 シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「平生」の語をもって「なをさり」の訓は未収載にする。
 室町時代の広本『節用集』に、

平生レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕×

とあって、標記字「平生」の語にて「ナホサリ」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 江戸時代の『書言字考節用集』になって、

平生等閑(ナヲサリ) 。〔10冊言辞門32F〕

とあって、標記字「平生」「等閑」の二語で「ナホサリ」の和訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

なおざり[なほざり]【等閑】〔形動〕深く心にとめないさま。本気でないさま。いいかげん。通りいっぺん。かりそめ。*後撰和歌集〔九五一〜九五三頃〕秋下・四〇三「なをさりに秋の山べを越えくれば織らぬ錦をきぬ人ぞなき〈よみ人しらず〉」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕忠こそ「なをざりなる御心かな。なほいみじきものは女の身なりけり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕葵「なをざりのすさびにつけても、つらしとおぼえられ奉りけむ」*色葉字類抄〔一一七七〜八一〕「等閑 ナヲサリ」*名語記〔一二七五〕九「なをざり、如何。等閑とかけり。猶避の義歟。閑にひとしとかけるは、さはがず、ききもいれざる義とおぼえたる歟」*申楽談儀〔一四三〇〕能書く様、その一「新座むきに、なをざりと謡ひ度歟」*俳諧・曠野〔一六八九〕員外「芭蕉翁の伝へしをなをざりに聞しに」*地獄の花〔一九〇二〕〈永井荷風〉一二「どうも児供(こども)の時教育を等閑(ナホザリ)にしたものには困る事が多いもので」【補注】中古では「源氏物語」に多く見え、用法としては主に男性の女性に対する性情や行動への評価として現われている。【語源説】(1)ナホ(直)ゾ‐アリ(有)の義〔和訓栞・大言海・日本語源=賀茂百樹〕。ナホゾアル(猶在)の義〔名言通〕。(2)ナホサリ(直去)の義〔言元梯〕。ナヲサリ(猶避)の義か〔名語記〕。ナホサリ(猶去)の義〔国語本義〕。【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・下学・伊京・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【等閑】色葉・下学・伊京・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【偸間・平生】書言[子見出し] * なおざりがてら

とあって、古辞書では江戸時代の『書言字考節用集』に採録されているのみである。

[関連語補遺]

 

《回文》(おもとともお)
 
 
2009年03月23日(月)晴れ。イタリア(ローマ〜ソレント・ポンペイ・ナポリ〜ローマ)
(はらだち)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻十一・御幸)に、「はらだち」なる語について記載した箇所がある。

(ハラタチヌ)遊仙窟 攀?か怒れる姿也。〔角川書店刊427上M〕

とあって、「はらだち」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

057:五嫂曰娘子把酒莫(イカル)マメタツ新-婦更亦不(カン)。※〔醍醐寺本文庫26@〕

137:十娘見()五嫂頻弄(モ フ)(イツハリ)}ナマハチテ(ワ  )エマ(  リ)詠曰千金此處有( リ)一咲(エミ)(マツ)渠為ニせム()( マ)( ク)(アラハサム)(ハヲ)ハクキ( フ)ニせム暫顰(ヒソメヨ)ムコトヲ。※〔醍醐寺本文庫43B〕

鈔本「(ハラタチヌ)」〔二19ウC〕※陽明文庫本「(ハラタチヌ)」〔12ウD〕慶安三版「(ハラタチヌ)」〔19ウG〕

とあって、「」の標記字右傍らに「」の字を添え和訓は「いつはり/なまはちて」訓読記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

五嫂曰娘子把酒莫(イカル)マメタツ新-婦更亦不(カン)。〔〕。〔頭書二19ウI〕

十娘見()五嫂頻弄(モ フ)(イツハリ)}ナマハチテ(ワ  )エマ(  リ)詠曰千金此處有( リ)一咲(エミ)(マツ)渠為ニせム()( マ)( ク)(アラハサム)(ハヲ)ハクキ( フ)ニせム暫顰(ヒソメヨ)ムコトヲ。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「」の標記字に和訓「はらたち」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

(イカル) シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「」の語をもって、「おもと」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

(イカル) シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「」の語をもって「はらたち」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

腹立(ハラダツ)入入フクリウ 或作(ハラダツト)。〔021、79E〕

とあって、標記字「腹立」の語註記に「或は(ハラダツト)と作す」とあって、『河海抄』が引用する標記字と合致する「はらだつ」の和訓を収載する。これは、『遊仙窟』からの孫引きによる引用であり典拠を示さない語註記の一例である。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

はら‐だち【腹立】〔名〕(「はらたち」とも)腹を立てること。怒ること。癇癪(かんしやく)をおこすこと。立腹。*妙一本仮名書き法華経〔鎌倉中〕七・妙音菩薩品第二十四「貪欲、瞋恚(シンイ〈注〉ハラタチ)、愚癡、嫉妬、慳慢、おほきことなしや、いなや」*曾我物語〔南北朝頃〕三・九月名月にいでて、一万・箱王、父の事なげく事「身づからが弓の弦くひきりたる鼠の首は、射させまゐらすベきものを、はらだちや」*虎明本狂言・鈍太郎〔室町末〜近世初〕「なふはらたちや、そのやうな事をいはしますか」*西洋道中膝栗毛〔一八七〇〜七六〕〈仮名垣魯文〉一一・下「もってのほかはらたちのやうすに」【補注】「日葡辞書」には清濁両様の見出しがみられる。【方言】@よく立腹する者。怒りんぼ。《はらたちごんべえ〔─権兵衛〕》千葉県夷隅郡040《はらたちふぐと〔─河豚〕》東京都三宅島333A虫、かまきり(蟷螂)。《はらたち》群馬県佐波郡242長野県上田475《はらたちばば〔─婆〕》千葉県夷隅郡288《はらたちばばあ》埼玉県南埼玉郡054北葛飾郡258千葉県261《はらたちばんば》山梨県455《はらたちばんばあ》静岡県富士郡523《はらたちげんべえ〔─源兵衛〕》武蔵江戸近郊†025千葉県上総001夷隅郡288《はらたちげんぱ》千葉県夷隅郡040《はらたちごんべえ》埼玉県054844《はらたちごんべ》埼玉県入間郡257《はらたちごおじ》埼玉県秩父郡250【発音】〈標ア〉[0][チ]〈京ア〉[0]【辞書】日葡・ヘボン・言海【表記】【腹立】ヘボン・言海

とあって、標記語「腹立」の語しか収載しないが、古辞書における語註記の語(広本『節用集』の「(ハラダツト)」)にも目を向ける必要が今後大切であろう。

[関連語補遺]

 

《回文》(はらだち/ちだらは)
 
 
2009年03月22日(日)晴れ。イタリア(ローマ)→ローママラソン〔42.195q〕
荏苒(じんぜんとべにあかにして)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第冊(巻十一・玉鬘、常夏)に、「べにあか」なる語について記載した箇所がある。

へにといふ物いとあからかにかいつけて 白氏文集 面子(メンシノカホツキ)荏苒(シンセントヘニアカニシテ)遊仙窟 これも児女子の氣粧也。〔角川書店刊416上RS〕

とあって、「べにあか」の語として、『遊仙窟』に「荏苒」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

花容(カタチ)婀娜(タヲヤカニシテ)天上(アメノ ヘニモ)( シ)(タクヒ)玉體(スカタ)(井イ)コマヤカニシテ人間(ヨノナカニ)( シ)(タクヒ)輝々テレル面子(メンシ)カホツキ荏苒(シンセン)ヘヽヤカニシテ(ヲソル)(ツラソハ)ハシカハ穿(ウケナムト)細々(ホソヤカナル)腰支(コシハセ)參差(タヲヤカニシテ)( フ)勒断(タヘナムカト)。韓娥(カンカ)宋玉云シヲトコイロコノミモ云シカホヨイヒトモ (ミテシカハ)則愁(ウレヘイシ)(イケランコトヲ)ナル絳樹青琴云シヲンナイロコノミモ云シカホヨヒ人モ  (ムカハマシカハ)之羞(ハチ)(シナマシ)。〔醍醐寺本5@・文庫205B〕鈔本「荏苒」〔二19ウC〕※陽明文庫本「荏苒」〔12ウD〕慶安三版「荏苒」〔19ウG〕

とあって、「荏苒」の標記字に「べにあか」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「荏苒」の標記字に和訓「べにあか」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

荏苒 シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「荏苒」の語をもって、「おもと」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

荏苒 シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「荏苒」の語をもって「おもと」の訓を収載する。
 室町時代の『下學集』に、

荏苒(ジンゼン) 日月急過。〔疊字門160A〕

とあり、語註記に「日月の急に過ぐ」と記載する。これを継承して広本『節用集』には、

荏苒ジンゼン、ハヤシ・ノブ  展轉(テンテンスル)義。日月過義也。〔246、74A〕

とあって、標記字「荏苒」の語にて「ジンゼン」とし、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

じん‐ぜん【荏苒】[一]〔形動タリ〕歳月のめぐりゆくさま。また、物事がのびのびになるさま。延引。*懐風藻〔七五一〕和藤江守詠裨叡山先考之旧禅処柳樹之作〈麻田陽春〉「日月荏苒去。慈範独依依」*本朝無題詩〔一一六二〜六四頃〕四・三月尽日惜春〈藤原明衡〉「荏苒風光雖近夏、蹉霜鬢独添秋」*東海一余滴〔一三七五頃〕祭天外和尚文「爾来心同、不異合離。日月荏苒、二紀於茲」*須賀直見宛本居宣長書簡‐明和元年〔一七六四〕七月某日「足下病中、下榻待僕、荏苒至今」*随筆・胆大小心録〔一八〇八〕一〇八「この叙ははじめに、昇法しが村瀬に乞ひしかど、例の任冉として事はたさずありしかば」*国会論〔一八八八〕〈中江兆民〉「心神忽々として楽まず手足萎弱して挙らず胃膓消化すること能はず荏苒(ジンゼン)として唯死を待つのみ」*張華‐励志詩「日歟月歟、荏苒代謝。〈注〉荏苒猶漸進也」[二]〔副〕歳月が経過するさま。のびのびになるさま。*元和本下学集〔一六一七〕「荏苒 ジンゼン 日月急過」*読本・近世説美少年録〔一八二九〜三二〕二・一回「却説(かくて)光陰荏苒(ジンゼン)して」*条約改正論〔一八八九〕〈島田三郎〉四「五年の期限は荏苒経過せん」*篝火〔一九三九〜四一〕〈尾崎士郎〉一・二「このままの状態で荏苒(ジンゼン)日を過していたら」【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】下学・文明・黒本・言海【表記】【荏苒】下学・文明・黒本・言海〔名〕(動詞「しつらう」の連用形の名詞化)@調度、施設などを設け

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺]

 

《回文》(べにあか▼かあにべ)
 
 
2009年03月21日(土)晴れ。イタリア(ローマ)→セルラモッテ→ローマ
囲碁出(ごうつ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第冊(巻八第十二・繪合)に、「ごうつ」なる語について記載した箇所がある。

ふてとるみちとこうつことゝこそあやしく玉しゐのほとみゆるをふかきらうなくみゆるおれ物を 遊仙窟云囲碁出於智慧〔角川書店刊347下KL〕

とあって、「おもと」の語として、『遊仙窟』に「囲碁」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

132:五嫂曰圍碁出於智慧張郎亦復太能。」。〔醍醐寺本43@、文庫221@〕

 

鈔本「囲碁」〔二19ウC〕※陽明文庫本「囲碁」〔12ウD〕慶安三版「囲碁」〔19ウG〕

とあって、「囲碁」の標記字に「おもと」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「囲碁」の標記字に和訓「しつらひ」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

囲碁 シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「囲碁」の語をもって、「おもと」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

囲碁 シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「囲碁」の語をもって「おもと」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

囲碁レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「囲碁」の語にて「おもと」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

ごうつ【囲碁】〔名〕(動詞「しつらう」の連用形の名詞化)@調度、施設などを設け

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺]

 

《回文》()
 
 
2009年03月20日(金)曇りのち雨。東京(駒沢〜成田)→ソウル→ローマ
可愛(めでたし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「めでたし」なる語について記載した箇所がある。

めてたき御ありさまも 可愛メテタシ 遊仙窟 筋昆同 〔角川書店刊236上@〕

とあって、「めてたき」の語として、『遊仙窟』に「可愛」「筋昆」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

僕又為詩曰「檮℃l面合,光色兩邊披。錦障劃然卷,羅帷垂半欹。紅顏雜緑黛,無處不相宜。艷色浮粧粉,含香亂口脂。鬢欺?鬢非成鬢,眉咲蛾眉不是眉。見許實娉?,何處不輕盈!怜嬌裏面,可愛語中聲。婀娜(タヲヤカナル)腰支(コシハセ)細々許(サヽヤカニナマメキ)ナリ皿鯨(ケムテム)ナツカシキ眼子(マナコ井)長々馨(ミトマメカセリ)。巧兒舊來鐫未得,畫匠迎生摸不成。相看未相識,傾城復傾國。迎風?子欝金香,照日裙裾石榴色。口上珊瑚耐拾取,?裏芙蓉堪摘得。聞名腹肚已猖狂,見面精神更迷惑。心肝恰欲摧,踊躍不能裁。徐行??香風散,欲語時時媚子開。靨疑織女(タナハタツメノ)留星去,眉似?娥送月來。〔醍醐寺本18D、文庫221@〕鈔本「可愛」〔二19ウC〕※陽明文庫本「可愛」〔12ウD〕慶安三版「可愛」〔19ウG〕

とあって、「可愛」「筋昆」の標記字に「めてたし」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「可愛」「筋昆」の標記字に「めてたし」の語訓を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

可愛 メテタシ。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「可愛」の語をもって、「めでたし」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

可愛 メテタシ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「可愛」「筋昆」の標記字に「めてたし」の語訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

可愛 メテタシレウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「可愛」の語にて「めでたし」の和訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

めでた・い〔形口〕めでた・し〔形ク〕(動詞「めでる(愛)」の連用形「めで」に「いたし」の付いた「めでいたし」の変化したもの。ほめたたえることがはなはだしい、すなわち、対象にたいへん心がひかれ、好み愛する気持になっていることを表わす。「目出度」「芽出度」などの字をあてることもある)@見た目に魅力的な状態で、ほめたたえるに値する。立派である。見事である。結構である。すばらしい。人物についていう。*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「かぐや姫もとのかたちに成ぬ。御門、なほめでたく思し召さるる事せき止めがたし」*大和物語〔九四七〜九五七頃〕四〇「その宮にさぶらひけるうなゐなん、この男宮をいとめでたしと思ひかけ奉りたりけるをも」*狭衣物語〔一〇六九〜七七頃か〕一「かくのみ幼き者はめでたきものとのみ、思し習ひたるを」人の容姿、振舞などについていう。*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「かぐや姫かたちの世に似ずめでたき事を、御門きこしめして」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕内侍督「御髪つくろひ、かしづきたてる様、めでたき事限りなし、いとうつくしげなり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕紅葉賀「御髪の、いとめでたくこぼれかかりたるをかきなでて」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕一・三「又諸の目出たく厳(いつく)しき女を撰て具せしめて」一般の事物についていう。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕内侍督「銀(しろかね)の透箱のいと清らなるに、敷物などいとめでたし」*徒然草〔一三三一頃〕二三六「丹波に出雲と云ふ所あり。大社をうつして、めでたくつくれり」自然の風物についていう。*千里集〔八九四〕「白雲の中を分けつつ行暮のめてたきことは山にぞありける」*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕初花「十五夜の月曇なく、秋深き露の光にめでたき折なり」*徒然草〔一三三一頃〕二一「岩にくだけて清く流るる水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ」A食べ物の味がすぐれている。うまい。おいしい。*大和物語〔九四七〜九五七頃〕一七三「よろづの物食へども、なほ五条にてありし物は、めづらしうめでたかりきと、思ひいでける」*宇治拾遺物語〔一二二一頃〕一三・一一「うまきこと、天の甘露もかくあらんとおぼえて、目出かりけるままに、おほく食ひたりければ」*当世書生気質〔一八八五〜八六〕〈坪内逍遙〉はしがき「飴は味ひいと美(メデタ)き一種の食物に外ならねど」B声や音などが、趣があってすぐれている。よい。*大和物語〔九四七〜九五七頃〕一六八「声いと尊くめでたう聞ゆれば、ただなる人にはよにあらじ」*狭衣物語〔一〇六九〜七七頃か〕一「殊に人に知られぬ手を一二つばかり、吹き出して止みぬるを、〈略〉めでたくいみじと思し召したる様、いとこちたし」Cすぐれていて、崇め尊ぶに値する。非常に尊い。ありがたい。*落窪物語〔一〇C後〕三「八講なむ、此世もいと尊く、後のためもめで度あるべければ、して聞かせ奉らまほしき」*梁塵秘抄〔一一七九頃〕二・四句神歌「神のめでたく現ずるは、金剛蔵王ははわう大菩薩」*平家物語〔一三C前〕一一・先帝身投「極楽浄土とてめでたき処へ具しまゐらせさぶらふぞ」*曾我物語〔南北朝頃〕一・費長房が事「この壺のうちに、めでたき世界有、〈略〉百二十丈の宮殿楼閣あり、天にて聖衆まひあそぶ」D評判・権勢・待遇などの度合がすぐれている。よい。*落窪物語〔一〇C後〕三「こはいかに。此殿にはかくめでたきおぼえにては侍ひ給ひけるぞ」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕浮舟「右の大殿の、さばかりめでたき御勢にて、いかめしうののしり給ふなれど」*虎明本狂言・鈍根草〔室町末〜近世初〕「おともの衆が、おほふ御ざあらふずる間、御ぐゎいぶんもめでたからふとぞんずる」E書、絵、和歌などが、すぐれている。上手である。うまい。*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕月の宴「道風などいひける手をこそは、世にめでたき物にいふめれど」*梁塵秘抄〔一一七九頃〕一・今様「和歌にすぐれてめでたきは、人丸赤人小野の小町」*無名抄〔一二一一頃〕「此はいとめでたき哥なり」F物事のしかた・ありかたが、すぐれている。上手である。うまい。*梁塵秘抄〔一一七九頃〕二・四句神歌「よくよくめでたく舞ふものは、巫小楢葉車の筒とかや」*堤中納言物語〔一一C中〜一三C頃〕花桜をる少将「琵琶を〈略〉近衛の御門わたりにこそ、めでたくひく人あれ」*宇治拾遺物語〔一二二一頃〕三・一八「人ゐまじり、苦しかるまじき所にては、物いひなどはしながら、めでたくのがれつつ、心も許さぬを」G物事が望ましい状態で、喜び祝うに値する。喜ばしく、結構である。近世・現代では、接頭語「お」を付けた「おめでたい」の形で用いることが多い。幸福・幸運の、度合が高くて、喜ばしい。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕浮舟「宮のうへこそ、いとめでたき御さいはひなれ」*平家物語〔一三C前〕二・烽火之沙汰「果報こそめでたうて、大臣の大将に至らめ」*仮名草子・伊曾保物語〔一六三九頃〕下・二七「さてもわが身は果報めでたき物かな」しあわせである。栄えている。うまくいっている。*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕月の宴「醍醐の聖帝とまして、世の中に、天の下めでたき例にひき奉るなれ」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕二・二四「其の後は互に行き通て、各(おのおの)目出くてぞ過ぎける」*浄瑠璃・平仮名盛衰記〔一七三九〕三「昨日めでたき人だにも、今日は漂ふ泡沫(うたかた)の」幸運である。好都合である。ありがたい。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕真木柱「おほきおとどを、めでたきよすがと思ひ聞え給へれど」*十訓抄〔1252〕七・信濃国諏訪社風祝事并俊頼歌事「しかれば、其年風静にて、農業のためにめでたし」物事が、うまくいったり、思い通りである。また、その結果喜ばしいと思うさまをいう。首尾よい。*落窪物語〔一〇C後〕三「中納言忽ちに御心地もやみて、めでたし」*平家物語〔一三C前〕三・大塔建立「祈り申されければ、中宮やがて御懐姙あって、思ひのごとく皇子にてましましけるこそ目出たけれ」*古今著聞集〔一二五四〕二・五六「其後一両年ありて、めでたく往生を遂たりけり」*徒然草〔一三三一頃〕五一「思ふやうに廻りて、水を汲み入るる事、めでたかりけり」*日本読本〔一八八七〕〈新保磐次〉四「七十度に至りて終に麦を捧げて目出たく己れが穴に入りぬ」人や物事の状態が、祝い喜ぶに値する。また、よい事が予想されたりして、喜ばしい。*落窪物語〔一〇C後〕一「四の君もまた御婿取し給はんと設け給ふめりと〈略〉めでたきや、誰をか取り給ふ」*平家物語〔一三C前〕三・頼豪「今度さしも目出たき御産に、大赦は行なはれたりといへ共」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Medetai(メデタイ)〈訳〉喜ばしい、あるいは、上首尾である。また、何事かについて感謝の意や祝意を述べるのに使う語」*虎明本狂言・福の神〔室町末〜近世初〕「あひかわらず、両人同道いたすは、めでたい事で御ざる」*三人妻〔一八九二〕〈尾崎紅葉〉後・三五「これが地を固むる雨かも知れませぬ、うう目出(メデ)たいな」Hお人よしである。ばか正直である。また、愚かである。皮肉をこめた言い方に使われることが多い。現代では「おめでたい」の形で用いる。*茶屋諸分調方記〔一六九三〕六「めでたきお客はそれでもよろこびあがり給ふ」*洒落本・蕩子筌枉解〔一七七〇〕聴江笛送陸侍御「此客よほどめでたい人で、おもひいれとられたうへ、此たびのわかれ金」【語源説】@メデイタシ(愛甚)の義〔国語本義・国語の語根とその分類=大島正健・大言海・日本語源=賀茂百樹・ニッポン語の散歩=石黒修〕。Aメデイタシ(愛痛・感痛)の義〔俚言集覧・俗語考・菊池俗言考〕。Bメデ(芽出)タシの義〔志不可起・和訓栞〕。C目ダツラシの義〔名語記〕。D天の岩戸の伝説から、目出タシの義〔運歩色葉集・感興漫筆〕。E天の岩戸の伝説から、メデ(女出)の義〔和語私臆鈔〕。【発音】〈なまり〉メゼタイ〔埼玉方言・静岡・神戸〕メタカ〔埼玉方言〕メデター〔伊予・瀬戸内〕メゼタエ〔福島・瀬戸内〕メゼテー〔埼玉方言〕メデチ・メデチー・メリタイ〔鳥取〕メデテー〔埼玉方言〕メレタ〔岩手・飛騨〕メレタイ〔茨城・埼玉方言・石川・福井大飯・岐阜・飛騨・静岡・愛知・志摩・伊賀・南伊勢・鳥取・島根・広島県〕メレタカ〔壱岐続〕メレタタイ・メレテ〔岩手〕メレテー〔南知多〕メレンタイ〔広島県〕メンタイ〔茨城・飛騨・島根〕〈標ア〉[タ]〈京ア〉[デ]「めでたし」〈標ア〉[デ]〈ア史〉江戸「めでたき」●●○○〈京ア〉[タ]【辞書】色葉・名義・文明・伊京・天正・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【目出度】文明・易林・書言・ヘボン【目出】色葉・天正【玩】名義・伊京【妙】伊京・天正【娃】名義[子見出し] * めでたき身(み) * めでたく打出(うちだ)し * めでたくかしくる

とあって、古辞書にも「可愛」の標記語は未採録になっている。

[関連語補遺]

 

《回文》(したでめ▼めでたし)
 
 
2009年03月19日(木)晴れ。東京(駒沢)
(おもと・なんぢ・きみ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一第二・帚木)に、「おもと」なる語について記載した箇所がある。

おもと 侍者白氏文集 御許新猿樂記 遊仙窟 從渠渠は汝(ナンチ)也?(ナンチ) 大鏡云いふかひもなきほとの物にもあらすおもとほとのきはにてそありける 和泉式部か童名を御許丸といひけり〔角川書店刊235J〕

とあって、「おもと」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

013:須臾之間忽聞( ク)内裏(ウチツカタニ)調(  フル)(コト)之聲(ヤツカリ)( シテ)曰自(ヲノレハ)(ハタカクシテ)(スクレタル)姿(スカタノ)(ソクトウツクシ)キラ/\シキ(  ケルナル)アサムイテ(ヒトヲ)獨自(ミ  )(子フル)。(コヽニ)(子タマシカホニシテ)モテ(ホソヤカナル)(ヨリ)(\ニ)(カキナラス)小弦(ホソキヲヽ)耳聞ニタモスラ猶氣絶(イキノタヘヌキ)メニ(ミムトキ)若為(イカハカリ)イ]ヲモシロカラン(ヨシヤ)(キミ)―女也(ハナハタ)(スハ)(イナヒ)[平平上濁](ワレニ)(サラニ)アカラサマニ(コト)(モトメンヤ)(アメニ)アヤシキ所ヲ。〔醍醐寺本5C、文庫205〕鈔本「」〔二19ウC〕※陽明文庫本「」〔12ウD〕慶安三版「」〔19ウG〕

とあって、「」の標記字に「きみ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

須臾之間忽聞?裏調箏之聲僕因詠曰自隱多姿則欺他獨自眠。故故將纎手時時弄小弦。耳聞猶氣?眼見若為憐。從痛不肯人更別求天

須臾之間忽聞( ク)内裏(ウチツカタニ)調(  フル)(コト)之聲(ヤツカリ)( シテ)曰自(ヲノレハ)(ハタカクシテ)(スクレタル)姿(スカタノ)(ソクトウツクシ)キラ/\シキ(  ケルナル)アサムイテ(ヒトヲ)獨自(ミ  )(子フル)。(コヽニ)(子タマシカホニシテ)モテ(ホソヤカナル)(ヨリ)(\ニ)(カキナラス)小弦(ホソキヲヽ)耳聞ニタモスラ猶氣絶(イキノタヘヌキ)メニ(ミムトキ)若為(イカハカリ)イ]ヲモシロカラン(ヨシヤ)(キミ)―女也(ハナハタ)(スハ)(イナヒ)[平平上濁](ワレニ)(サラニ)アカラサマニ(コト)(モトメンヤ)(アメニ)アヤシキ所ヲ。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「」の標記字に和訓「しつらひ」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

(クン)キミ 在上之稱也/舉云也 (コウ)古紅反 (コウ)皇后胡遘反 辟乾王宮仁吾臣辟光胡反 諸膺反 キミ者也 。〔前田家本・下卷幾部人倫門57オ@〕〔黒川本下卷46ウC〕

とあって、標記字「」の語最終に排列しこれを以て和訓「きみ」の訓みを十六語収載し、語註記に「者なり」と記載する。醍醐寺本『遊仙窟』の訓に合致する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「」の語をもって「おもと」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「」の語にて「おもと」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

お‐もと【御許】[一]〔名〕(「お」は接頭語)@天皇や貴人の御座所を敬っていう語。*日本書紀〔七二〇〕皇極四年六月(岩崎本訓)「入鹿、御座(オモト)に転(まろ)び就きて、叩頭()むで曰(まう)さく」A(天皇や貴人の御座所に仕える「おもと人」の意から)女性、特に女房を親しみ敬って呼ぶ語。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕俊蔭「見る人いだきうつくしみて、『親はありや。いざわが子に』といへば、『いな、おもとおはす』とて更に聞かず」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「ただわれどちと知らせてものなどいふ若きおもとの侍るを」*和泉式部日記〔十一C前〕「夜のほどろにまどはかさるる、さわがしの殿のおもとたちや」*宇治拾遺物語〔一二二一頃〕一三・六「せうとの光遠に『姫君は質にとられ給ぬ』と告ければ、光遠が云やう『そのおもとは、薩摩の氏長ばかりこそは質にとらめ』といひて」B(「…のおもと」の形で)女房などの名前、または職名の下につけて呼ぶ敬称。*落窪物語〔一〇C後〕三「三の君の御方に、典侍(すけ)の君、大夫(たいふ)のおもと、下仕まろやとて、いと清げなる物の」*枕草子〔一〇C終〕四九・職の御曹司の西面の「つとめて、日さし出づるまで、式部のおもとと小廂にねたるに」[二]〔代名〕対称。多く、女性に対して敬愛の気持から用いる。代名詞「あ」「わ」と結び付いた「あがおもと」「わがおもと」という形もある。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕内侍督「何を賭けべからん。正頼、娘ひとり賭けん。をもとには何をか賭け給はんずる」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕沖つ白浪「楊貴妃が、七月七日、長生殿にて聞こえ契りければ、おもとには、こよひ仁寿殿にてを契り聞こえん」*枕草子〔一〇C終〕一二九・関白殿黒戸より出でさせ給ふ「関白殿、黒戸(くろど)より出でさせ給ふとて、女房のひまなくさぶらふを、『あないみじのおもとたちや。翁をいかにわらひ給ふらん』とて、分け出でさせ給へば」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕玉鬘「この女の手をうちて、『あがおもとにこそおはしましけれ。あな嬉しともうれし』」【発音】〈標ア〉[モ]〈京ア〉(モ)【辞書】色葉・言海【表記】【御許】色葉・言海

とあって標記語「御許」でこの語を収載する。

[関連語補遺]

 

《回文》(おもとともお)
 
 
2009年03月18日(水)晴れ。東京(駒沢)
料理(しつらひ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「しつらひ」なる語について記載した箇所がある。

しつらひ 遊仙窟 〔37オ@、角川書店刊226上D〕

とあって、「しつらひ」の語として、『遊仙窟』に「料理」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

034:十娘遂頭喚( ム)桂心曰(トウ)-理シツラヒ-堂将(井テ)ヒキ少府安-置せシメテ。〔醍醐寺本18D、文庫221@〕眞福寺本「料-理(トリシツラヒ)」※陽明文庫本「トシツラ」〔12ウD〕慶安三版「(シツラテ)-理」〔19ウG〕※醍醐寺本の「トウ(リ)」の音は「斗」の音に引かれた誤読歟。

とあって、「料理」の標記字に「しつらひ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

十-娘(シウシヤウ)(ツイニ)(メクラシ)(カフヘヲ)(ヨンテ)桂心(ケイシン)(イハク)料-理(リヤウリト)シツラニ中-堂(ナカツカタ)(ヒイテ)少-府(シヤウフ)安-置(アンチ)せヨ。〔二19ウC〕ソコデ十娘カホヲメグラシ。桂心(ケイシン)ヲヨンデイハク。中堂ノザシキヲ料理テ。少府文成ドノヲツレマヒラセテ。安置(ヤスメヲキ)マヒラセヨト。〔頭書二19ウI〕

とあって、「料理」の標記字に和訓「しつらひ」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

補理 シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「補理」「」の語をもって、「しつらひ」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「」の語をもって「しつらふ」の動詞訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

料理(シツライ)レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「料理」の語にて「しつらい」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 近代の国語辞書である大槻文彦編『大言海』には、

志-つら・ふ[しつろふ]・ふ・へ・は・ひ・へ〔他動、四〕【料理】〔〕(「しつらう」の連用形の名詞化)@調度、施設などを設け

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

しつらい[しつらひ]〔名〕(動詞「しつらう」の連用形の名詞化)@調度、施設などを設け整えること。設備。支度。こしらえ。*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「うちうちのしつらひには、いふべくもあらぬ綾おりものにゑをかきて、まごとはりたり」*紫式部日記〔一〇一〇頃か〕寛弘五年九月一〇日「御しつらひかはる。白き御帳にうつらせ給ふ」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕帚木「心殿の東おもて払ひあけさせてかりそめの御しつらひしたり」*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕初花「御櫛の筥の内のしつらひ、小筥どものいり物どもは更なり」*随筆・胆大小心録〔一八〇八〕一三三「わづか八席のしつらいにて、石灰炉に炎々とたきほこらせて」A(「室礼」「補理」などはあて字)平安時代以後、請客饗宴、移転、女御入内などの晴れの儀式の日に、寝殿の母屋、および廂(ひさし)に調度類をたてて室内を装飾したこと。また、寺院で、法会(ほうえ)や仏事が行なわれる空間の飾りつけのこと。荘厳(しょうごん)。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若菜上「御しつらひはかへ殿の西面に御几帳より始めてここの綾錦をまぜさせ給はず、もろこしの后の飾りをおぼしやりて」*色葉字類抄〔一一七七〜八一〕「補理 シツラヒ 同」*看聞御記‐応永二三年〔一四二六〕三月七日「先是早旦御会所室礼。屏風立廻」*大乗院寺社雑事記‐長祿二年〔一四五八〕一一月一三日「堂場理如例。指図在別紙」*御湯殿上日記‐文明一二年〔一四八〇〕八月一九日「くろとの御しつらゐせらるる」*禁中方名目鈔校註〔一七四一〜六〇頃〕上「室礼(シツライ) 仮名書也。本字料理と書。〈略〉補理とも書。書言故事殿中設曰室礼」B物事がうまくいくための手だて。*太平記〔十四C後〕二一・塩冶判官讒死事「女性、少(をさなき)人を具足したれば、兎角のしつらいに滞て、幡磨の陰山にては早追付れにけり」*禅鳳雑談〔一五一三頃〕中「うたいの内のべしぢめ事たとへ、びわのひだりの手にてうけおしのしつらい候也」【発音】〈標ア〉[ラ]〈ア史〉鎌倉室町○○○○・江戸●●○○〈京ア〉[0]【辞書】色葉・和玉・文明・天正・饅頭・黒本・易林・言海【表記】【補理】色葉・文明・黒本・易林【料理】文明・饅頭・黒本【理】色葉】和玉【殿】天正

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺] 『遊仙窟』の「料理」を訓読して「しつらひ」として、古辞書では『色葉字類抄』及び観智院本『類聚名義抄』が最も早く収載するが、『日国』第二版では、同表記の語でも訓みが異なることで『名義抄』の方は未採録という形になっている。

 

《回文》弥、料理ていらっしゃい(いやしつらいていらつしやい)
 
 
2009年03月17日(火)晴れ。東京(駒沢)
(むねこがる)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「むねこか・る」なる語について記載した箇所がある。

人やりならぬこかるゝ夕もあらむと 人やり我心からなる心也。人やりの道ならなくに大方はいきうしといひていさかへりてん古今 身のうさをしれははしたに成ぬへみ思へはむねのこかれのみする後撰十八 涙にし思ひの消る物ならはいとかくむねはこかれさらまし大集経 (チタヒ)(チヽ)(  タ)(アツシ)(  ヒ)(  ヒ)(ムネコカル)遊仙窟 三教指皈云寧莫術婆伽之焼胸 一寸如焦之心胸中火消二年不乾之涙袂上雨収本朝文粹 紀斉(サイ)名作〔角川書店刊226上D〕

とあって、「むねこがる」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

193:又詠曰(  ヒ)思千(アツシ)(  ヒ)( ヒ)(  コカス)コカレヌ若為(イカニシテ)求守トナツクコトヲ暫借(カラム)ヨせ可憐(ウツクシケナル)ヲタモ。〔醍醐寺本60E、文庫268D〕※陽明文庫本「(  ヒ)思千(チヽ)(  シ)(  ヒ)( ヒ)一心(  コカル)」〔41ウE〕慶安三版「(  ヒ)思千(チヽ)(  シ)(  ヒ)( ヒ)一心(  コカル)」〔〕

とあって、「」の標記字に「こがす」「こがる」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

()(トキニ)(トリ  ツク)手子(タナスヱニ)(シノフ)(コヽロニ)()()。(マタ)(エイ)(イハク)。(チタヒ)(ヲモテ)(チヽ)(ハラハタ)(アツシ)。(ヒトタビ)(ヲモフテ)(ヒトツ)(コヽロコガル)。若為(イカンシテカ)求守(ナツクコトヲ)(ヱテ)。(シバラク)(カラム)可憐(ウツクシケナル)(コシ)。〔五2オF267頁〕又詠イハク。チタビヲモフゴトニ。チタビ傷(ハラハタ)アツク。モユルヤウナリ。一タビヲモフゴトニ。一ノ心吁焦(アコカレ)タリ。イカニシテカ。ワレ十娘ヲ。求守(モトメマモリ)ヱテ。ウツクシキ腰ヲ。カリタキト。〔頭書五3オD269頁〕

とあって、「」の標記字に和訓「ささやか」の語を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、

(せウ)コカス 已上同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「?」の語をもって、「こかす」の訓みを収載する。
 観智院本『類聚名義抄』に、

音同上又績又/側角反 炬火/コカス()平平濁平、コカレクサシ平平平○○○、ヤク上平、カハク平平平、カシケタリ、呉消。〔佛下末45BC〕

とあって、標記字「?」の語にて「こがす/る」の和訓を収載する。そして、『色葉字類抄』及び『類聚名義抄』には「心?」という熟語としての採録は見えない。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

むね 焦()がる 心の中で苦悶(くもん)する。心でもだえ苦しんで胸が熱くなるように感じる。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕帚木「かれはた、えしも思ひ離れず、折々人やりならぬむねこがるる夕もあらむと覚え侍り」*深養父集〔平安中〕「袖はぬれむねはこがるる我がみ哉こひはひ水になれるなるべし」【辞書】言海【表記】【胸焦ガル】言海

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺] 

 〔『』〕

《回文》細々許な旨味を見舞う仲や酒(ささやかなうまみをみまうなかやささ)
 
 
2009年03月16日(月)晴れ。東京(新大久保〜新中野、駒沢)
細々許(さゝやか)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「こゝろつきなく」なる語について記載した箇所がある。

さゝやかにて 細々許(サヽヤカナリ)サイ/\キヨ  少々 小蠅(サハエ) いつれもちいさき心也。〔角川書店刊229下G〕

とあって、「ささやか」の語として、『遊仙窟』に「細々許」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

023:婀娜(タヲヤカナル)腰支(コシハセ)細々許(サヽヤカニナマメキ)ナリ皿鯨(ケムテム)ナツカシキ眼子(マナコ井)長々馨(ミトマメカセリ)。〔醍醐寺本27E、文庫20〕※眞福寺本「細々許ナルコト」※陽明文庫本「細々許」〔〕慶安三版「細々許」〔〕

とあって、「細々許」の標記字に「ささやか」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

婀娜(タヲヤカナル)腰支(コシハセ)細々許(サヽヤカニナマメキ)ナリ皿鯨(ケムテム)ナツカシキ眼子(マナコ井)長々馨(ミトマメカセリ)。〔〕〔頭書三14オA〕

とあって、「細々許」の標記字に和訓「ささやか」の語を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、

細々 サイ/\。〔前田家本下卷サ重點門50ウC〕〔黒川本下卷サ41オG〕

とあって、標記字「細々」の語をもって、「サイサイ」の訓みを収載する。
 観智院本『類聚名義抄』に、

(サイ) ホソヤカナリ平平○○○サヽヤカナリ平平○○○。〔法中63オE〕

とあって、標記字「細々」の語にて「ささやか」の和訓を収載する。実際、「細々許」の標記語を収載するのは、江戸時代の『書言字考節用集』になってからである。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

ささ‐やか【細─】〔形動〕(近世は「さざやか」とも)@形がいかにも小さく好ましく見えるさま。小さくまとまってこぢんまりとしているさま。細かなさま。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕国譲上「中納言殿は、いとささやかになれたる人のらうらうじきなり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕花散里「ささやかなる家の、木立などよしばめるに」*書陵部本名義抄〔一〇八一頃〕「細々 季云 遊仙窟云細々読保曾夜賀奈利 ササヤカナリ*徒然草〔一三三一頃〕一三九「秋の草は〈略〉いづれもいと高からず、ささやかなる墻(かき)に、繁からぬ、よし」*浮世草子・好色万金丹〔一六九四〕五・四「萩柴の垣さざやかに山吹の帰り花三つ四つ二つ開きたるに寒菊はまだ莟也」*書言字考節用集〔一七一七〕九「細々許 サザヤカ〔遊仙〕」*人情本・仮名文章娘節用〔一八三一〜三四〕前・発端「三すぢ町のほとりにささやかなる家を借りて」Aきめが細かいさま。繊細なさま。*浜松中納言物語〔十一C中〕二「ゆるされありつる足もおさへ給へかしとて、引き寄せ給へば、にほひありさま、いとあてはかに、かうばしう、手あたりもいといみじうささやかに」Bおおげさでないさま。わずかなさま。形ばかりのさま。つつましいさま。*夜明け前〔一九三二〜三五〕〈島崎藤村〉第二部・下・八・四「短冊を取り寄せたり、互に歌をよみかはしたりするやうな、ささやかな席が開けた」*鳥獣戯話〔一九六〇〜六二〕〈花田清輝〉一・一「息子にも、ささやかながら、味わわせたいとおもったのであろう」【語源説】@ササは細小の義。ヤカは接尾語〔大言海〕。Aイササカの略転〔万葉代匠記〕。Bササヤカ(小々肖気)の義〔日本語原学=林甕臣〕。Cササは小々。日光は小に止っていよいよアカ(明)なりという義〔国語本義〕。Dシナシナヤカの義〔名語記〕。【発音】〈標ア〉[サ]〈2〉〈京ア〉[ヤ]【辞書】色葉・名義・書言・ヘボン・言海【表記】【逶色】色葉【細々】名義【細々許】書言【瑣小】ヘボン【細小】言海

とあって、標記語「ささやか【細々】」とあって、『遊仙窟』の語文を引用記載する。

[関連語補遺] 

 〔『』〕

《回文》細々許な旨味を見舞う仲や酒(ささやかなうまみをみまうなかやささ)
 
 
2009年03月15日(日)晴れ。東京(玉川〜駒沢)
關情(こゝろつきなく)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「こゝろつきなく」なる語について記載した箇所がある。

心つきなく 開晴{關情}遊仙窟 無心月宛字 〔角川書店刊222上HI〕

とあって、「心つきなく」の語として、『遊仙窟』に「開晴{關情}」(「」字は、「關」の異体字で、「開」に字形が近いため誤写し易い。下位字の「情」も草体で「晴」に字形が近いことから誤写し易い文字であり、『河海抄』に「開晴」とするが、下記『遊仙窟』本文に順えば「關情」が正しいので、已下「關情」の語として取り扱うことにする)。そして宛字に「無心月」という二種の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

065:琵琶入手未彈中間余(僕イ)乃詠曰心虚(  キ)(ハカル)()(ホソクシ)(   チ)-情(  フ)コヽロヅキ(   シ)身已入(フトコロ)(アラハサ)有嬌タル( ヘ)。〔醍醐寺本27E、文庫20〕※眞福寺本「(カナヘリ)(ニ)コヽロツキナリ」※陽明文庫本「_(コヽロツキナリ)」〔19オB〕慶安三版「_(コヽロツキ)」〔27ウ〕

082:其時緑-竹ノマカタケ( ク)(シヤウノコト)。五-嫂詠筆曰天生(ナシテ)素-面能留(  ム)-情コヽロヅキナル併在(キミ)ミマイトコロ( シ)(アヤシフ)( 井等ニ)者頻聲戰(ワナヽク)ワナヽイシ良由(マテ)ルニ(トモ)(ニワカニ)心虚( キ)。」〔醍醐寺本27E、文庫20〕※眞福寺本「(コヽロツキ)ナルコト」※陽明文庫本「_(タル)」〔21ウB〕慶安三版「_(コヽロツキナル)」〔30オD〕

とあって、「」の標記字に「こころつき」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

()(ホソク)(アナガチニ)關情(コヽロツキ)。〔三6ウC〕

五-嫂(コソウ)(エイ)(サウ)(イハク)。(テン)(ナシテ)素-面(ソメン)(ヨク)(トヽメン)(カク)(ヒラキ)(コヽロ)開情(カイシヤウ)コヽロツキナル(シカシナカラ)(アリ)(キミ)。〔三13オC〕意ヲヒラキ。情(ナサケ)ヲヒラクコト。サナガラ。キミ文成ノトコロニアリ。〔頭書三14オA〕

とあって、かたや「關情」、かたや「開情」の標記字に和訓「こころつき」の語を収載する。ここは『河海抄』の編者を含め、標記字に揺れがみられるところである。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、

心着無 コヽロツキナシ。〔前田家本下卷コ12ウF〕

心着無 コウロツキナシ。〔黒川本下卷コ10ウB〕

とあって、標記字「心着無」の語を収載する。『河海抄』の宛字として「無心月」は、用いられていない。
 観智院本『類聚名義抄』に、

 コヽロツキ平○○○○〔法中96E〕

開懐カナヘリ平平○○ 二心ツキリナリ平平濁平○○〔法下74E〕

とあって、標記字「」と「開懐」の二種にて「こころづき」の和訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

こころづき‐な・し【心付無】〔形ク〕感情的、感覚的、情緒的に、自分の気持と相いれないものに対する嫌悪感を表わす。気に食わない。心に好感が持てない。不満足で不愉快だ。*蜻蛉日記〔九七四頃〕上・天徳二年「今ぞ、れいの所に、うちはらひて、など聞く。されど、ここには、例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば、こころづきなうのみ思ふほどに」*枕草子〔一〇C終〕一二一・いみじう心づきなきもの「いみじう心づきなきもの。〈略〉ものへも行き、寺へもまうづる日の雨。使ふ人などの、『我をばおぼさず、なにがしこそただいまの時の人』、などいふをほの聞きたる」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「はかなびたるこそはらうたけれ。かしこく人に靡かぬ、いと心づきなきわざなり」*徒然草〔一三三一頃〕一九〇「いかなる女なりとも明暮添ひ見んには、いと心づきなく憎かりなん」【辞書】色葉・易林【表記】【心着無】色葉【无心著】易林

とあって、標記語「こころづきなし【心着無】」を記載する。

[関連語補遺] 

開情(コヽロツキナク) 〔『温故知新書』89C〕

《回文》關情なり隣り木津路此処(こころづきなりとなりきづろここ)
 
 
2009年03月14日(土)晴れ。韓国(大田〜金浦)〜東京(羽田〜駒沢)
舌出(ひそむ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「ひそむ」なる語について記載した箇所がある。

うちひそみぬかし 頻戚(ヒンシクト)イタミヒソム文選 舌出(ヒソム)遊仙窟 万葉 人のなく時に口のすけみ出たる心也。又とし老ぬれは口のすけむをいふ也。 万第四 もゝとせにおいくち〔角川書店刊〜〕

とあって、「ひそみ」の語として、『文選』に「頻戚」、『遊仙窟』に「舌出」、『万葉集』に「」の三種の標記字を示す。このうち、『遊仙窟』に、

197:十娘曰雖(フせク)張能( シ)(ユ レ)マヌ(チク)マケタリ他口子(クチヲスウニ)]ハキノ々々(クチスウコト)-郁(ウマシ)]カウハシ鼻似-穿カホハタキモノニ舌-子シタハ芬-芳トカウハシ(ツラハ)(キリ)(   リテンカト)。〔醍醐寺本61C、文庫20〕※眞福寺本「舌-子」※陽明文庫本「舌-子」〔〕

とあって、「舌」の字を有する熟語として「舌子」に「した」の語訓を記載するに過ぎない。『河海抄』が示すこの「舌出」は『遊仙窟』には無い語であることが判明する。では何を見たのかと考察するに、次に示される所の『万葉集』が注目されよう。実際、『万葉集』卷四・七六四の大伴宿祢家持和歌一首には、

百年(モヽトセ)尓() 老(オイ)舌出(シタイテ)クチイソニ而() 与余牟(トヨム)友(トモ) 吾者(ワレハ)不厭(イトハジ) 戀者益友(コヒハマストモ) 〔K1910173左G〕

百年(モヽトセ)尓() 老(オイ)舌出(シタイテ)クチヒソミ而() 与余牟(トヨム)友(トモ) 吾者(ワレハ)不(イトハシ) 戀者益友(コヒハマストモ) 〔西本願寺本43ウD〕

の「舌出」の語があって、西本願寺本の左訓に「くちひそみ」の和訓を見出すことが出来るのである。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

々々(クチスウコト)-郁(ウマシ)]カウハシ鼻似-穿カホハタキモノニ舌-子シタハ芬-芳トカウハシ(ツラハ)(キリ)(   リテンカト)。〔オ@〜D〕此(コノ)。〔頭書一21ウI〜22ウ@〕

とあって、「舌子」について和訓「した」の語を収載するだけである。ここは『河海抄』の編者が出典を違えたところとしておく。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、

? クチヒソム。已上同。〔黒川本中卷ク人事門74ウC〕

?(ヒン) ヒソム/笑也/―眉。同。盗偸已上同。〔前田本下卷ヒ部人事門93オF、黒川本89ウ@〕

とあって、標記字「?」「」にて、この「舌出」語は未収載にする。
 観智院本『類聚名義抄』に、

? 音頻 クチヒソム上上平○上/マナカ(ミヽ)ミスハル ヒソム〔佛中51D〕

 音 シキリナリ上上○○○ シハ/\上上濁○○ スミヤカナリ/イヤ/\上上○○ ヒソム平○上 重ヽ比ヽ近ヽ毎ヽ和平又去〔佛下本23B〕

とあって、標記字「?」「」にて「ひそむ」の和訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

ひそ・む【顰・?】[一]〔自マ四〕眉根や口元などがゆがむ。顔つきがゆがむ。→くちひそむ。べそをかく。泣き顔になる。*落窪物語〔一〇C後〕四「親子の面を見でくだしてんずるかとて、ただひそみひそみ給ひて」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若菜上「まみのあたりうちしぐれて、ひそみ居たり」[二]〔他マ下二〕→ひそめる(顰)。【語源説】@ヒソカにあつむる意〔和句解〕。Aヒサ(引挟)むの義〔言元梯〕。【発音】〈標ア〉[ソ][0]〈京ア〉[0]【辞書】ヘボン・言海【表記】【顰】ヘボン・言海【?】言海

 

くち‐ひそ・む?】〔自マ四〕にがにがしく思って口がゆがむ。にがにがしく思う顔つきをする。*新撰字鏡〔八九八〜九〇一頃〕「 口由加牟 又口比曾牟」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕忠こそ「くちひそむもしらず、上中下、すげなき遊びを、心一つやりて、こと心なし」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕総角「山里の老人どもは〈略〉姫宮の御心を、あやしくひがひがしくもてなし給ふを、もどきくちひそみ聞こゆ」*将門記承徳三年点〔一〇九九〕「天神(クチヒソム)て賊類非分の望を謗り、地類呵嘖して悪王不便の念を憎む」【辞書】字鏡・色葉・名義・和玉・易林【表記】【?】色葉・名義・易林【】字鏡【鳴・】色葉【】名義【顰】和玉

とあって、『河海抄』の「舌出」の「ひそみ」を認知していない。
 

[関連語補遺] 

 

《回文》遵へた者も耐え難し(したがへたものもたへがたし)
 
 
2009年03月13日(金)晴れ。韓国(大田)韓南大學校
虚俗(キヨシヨクのわろもの)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「いゑとうし」なる語について記載した箇所がある。

あはめにくむ 淡悪アハ/\シクニクム也 すへておとこも女もわろものはわかわつかにしれるたの事をのこりなく見せつくさんと思へるこそいとをしけれ 虚俗キヨシヨクノワロモノ 遊仙窟 〔『紫明抄』角川書店本27下F〜H〕

とあって、字音「キヨシヨク」和訓「ワロモノ」の語として、「虚俗」の標記字を示す。これと同じく『紫明抄』では「虚俗」として記載する。このうち、『遊仙窟』に、

026:十娘曰向(サキ)(   シトキ)詩-篇(ヲモヒキ)(    ノミアル)虚-俗タヽヒトナラント今逢(ムカヘルトキ)アフ玉-貌(ハウ)更勝(マサレリ)レタリ文-章乃是文-章窟(イ  )。〔醍醐寺本15オB、文庫20〕※金剛寺本「凡俗(ワルモノナランヤ)」〔33@〕※眞福寺本「凡俗(タヽヒトナラント)ワルモノナラント」※陽明文庫本「凡-俗(ノタヒヽトノ)」〔10ウ@〕※慶安版「凡俗タヽヒトナラント」〔16ウA〕

とあって、醍醐寺本だけが「虚俗」に作り、「ただひとならんと」の語訓を記載する。他本は「凡俗」

の標記字に「ただひとならんと」、「わるものならんと」の語訓を記載する。但し、醍醐寺本は別の文章段において

少府公乃是仙-才夲非?(ハン)-タヽヒト。〔醍醐寺本27@〕

と、「?俗」の語に左訓「タヽヒト」を明記する。

 『遊仙窟抄』第一冊に、

十娘曰(ジウシヤウカイハク)(サキニ)(ミシトキニハ)詩篇(シノヘンヲ)(ヲモヒキ)(コトノミアル)?-俗(ボンゾク)タヽヒトナラント(イマ)(アフニ)玉-貌(ギヨクハウ)(サラニ)(マサレリ)文-章(ブンシヤウニ)(コレハ)(コレ)文-章(ブンシヤウニ)(イハヤ )(ナリ)。〔102二11ウC〜D〕言(イフ)ハカリナル?俗(ボンゾク)ノ。タヽヒトニテヲハシマスベキトコソヲモヒサブライシニ。其所ノ玉ノコトキ皃ニ。アヒミテハサラニ文章ノ。コトバニハマサリタマフ。〔頭書二12ウF〕

とあって、「凡俗」について右に字音「ボンゾク」左に「ただひとならんと」の和訓を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、標記字「凡俗」、そしてこの醍醐寺本の標記字「虚俗」語は未収載にする。
 観智院本『類聚名義抄』に、

凡俗 タヽヒト平平濁○○] 禾ロ人平平○○〔佛上21F〕

とあって、標記字「凡俗」にて「ただひと」と「わろひと」の二つの和訓を収載する。
 

[関連語補遺]

※「凡俗」は、『河海抄』卷一・桐壺に、「たゝ人にて ?俗(タヽヒト)日本紀 直仁伊勢物語真名本」〔206下H〕

とあって、出典を『日本書紀』として別に記載する語である。

※典拠である『遊仙窟』に「?俗」と「虚俗」の標記字が見え、『紫明抄』の編者が利用した標記字が、「虚俗」であり、その和訓も「ただひとならん」であることから醍醐寺本系統の写本であることが見えてくる。此を次なる『河海抄』の編者が注釈に取り上げていないため、其の系統を明確にすることにまで至らないのが現況である。今後も他語の使用についても考察する必要がある。

 

《回文》遵へた者も耐え難し(したがへたものもたへがたし)
 
 
2009年03月12日(木)晴れ。東京(駒沢〜羽田空港)〜韓国(ソウル〜大田)
主人女(いゑとうし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「いゑとうし」なる語について記載した箇所がある。

いゑとうし 真々也 無貧相也 主人女遊仙窟 〔『紫名抄』角川書店本23上@〕

みゝはさみかちにひさうなきいゑとうし 無美相 又無貧相 主人妻(イエトウシ)遊仙窟 家童子伊勢物語真名本 伊勢物語云昔男ありけり宮つかへいそかしく心もまめならさりけるほとにいゑとうしまめに思はんといふ人につきて人のくにへいにけり 〔角川書店本218下S〜219B〕

とあって、「いゑとうし」の語として、「主人妻」の標記字を示す。これと同じく『紫名抄』では「「主人女」」として記載する。このうち、『遊仙窟』に、

027:(ヤツカリ)(ヨテ)問曰主(アルシノ)人姓-望(せイハウ)(イ )( ソ)。(カク)-主何在(イツクニカマシマス)。〔醍醐寺本15C、文庫20〕※眞福寺本「主人姓」※陽明文庫本「主人姓」〔〕

とあって、「主人姓」に「あるじの(ひとセイ)」の語訓を記載するに過ぎない。

 『遊仙窟抄』第一冊に、

(ヤツカリ)(ヨテ)問曰主(アルシノ)人姓-望(せイハウ)(イ )( ソ)。(カク)-主何在(イツクニカマシマス)。〔一21オ@〜D〕此(コノ)。〔頭書一21ウI〜22ウ@〕

とあって、「主人姓」についての和訓を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』及び観智院本『類聚名義抄』には、この「主人女」語を未収載にする。江戸時代の『書言字考節用集』に、

主人女(イエドウジ) 源氏物語。〔四2E〕

とあって、「主人女」の語を収載し、その典拠を『源氏物語』としている。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

いえ‐どうじ[いへ:]【家童子】[一]〔名〕(「いえとうじ(家刀自)」の変化した語)「いえとじ(家刀自)」に同じ。*塵袋〔一二六四〜八八頃〕五「いゑどうしと云ふは其の心何かん家童子歟。刀自(とじ)と云ふは宿老女の惣名也。〈略〉いゑどうしとは家刀自をいひあやまりたる也」*俳諧・山の井〔一六四八〕秋「こもち月とは十四日をいへり。子をもてるにもいひかけ、家童子(イヱドウジ)にもよせぬ」*浄瑠璃・信田小太郎〔一七〇二頃〕二「見かけ律儀(りちぎ)に事そぎて、家童子(イヘドウジ)有ながら、こしもと下女に手をかけて」[二]狂言。鷺(さぎ)流。好きな女の所に出かけようとする男と、だまされまいとする妻のやり取り。【発音】イエドージ〈標ア〉[ド]【辞書】書言【表記】【主人女】書言

とあって、古辞書も江戸時代の『書言字考節用集』から此語を収載する。

[関連語補遺] ※典拠である『遊仙窟』に「主人姓」は見えるが、その和訓「いへどうじ」の語は未収載にある。此も『河海抄』編者が目にした写本を今後考察する必要がある。

 

《回文》(いゑとうししうとゑい)
 
 
2009年03月11日(水)晴れ。東京(駒沢)
斂色(まめたち)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・帚木)に、「まめたち」なる語について記載した箇所がある。「まめたち」の意味は、まじめそうな振舞、顔をすること。

さるはいと世をはゝかりまめたち給 斂色(マメタツ)遊仙窟 皺眉同上 〔角川書店本21上E〕

まめたち 斂色(マメタツ)遊仙窟 皺眉同上 直立まことし立たる 〔角川書店本214上Q〕

とあって、「まめたち」の語として、「斂色」の標記字を示す。これと同じく『紫名抄』でも「斂色」として記載する。このうち、『遊仙窟』に、

018:(フミ)シテ入之後十(レム)-色マメタチテ(カタ)桂-心曰向_来(イマシ)(ゲキゲ)タハフレ相_弄(アイモチアソヘル)真成マメヤカニ(ナヤマサント)。〔醍醐寺本文庫10B〕※眞福寺本「斂色」※陽明文庫本「斂色」〔〕

099:五嫂大-語コハタカニシ(イカリ)ナハレリ( シ)(ハツカシカラ)人生有嫂-子欲(ヲモヘラクニ)ラク(マメタテル)(マユ)ヒソムルニ張-郎不(モチ井)斜眼ミカタムルニ〔醍醐寺本文庫35@〕

100:十娘佯(イツハリ)( メ)(イカリ)マメタチテ少府關(アタレル)アツクルヲニ(イカンスル)ヲカ五嫂頻々(ヨリヨリ)相悩(ナツム)ナヤム 〔醍醐寺本文庫35@〕

057:五嫂曰娘子把酒莫(イカル)マメタツ新-婦更亦不(カン)。〔醍醐寺本文庫26@〕

とあって、「斂色」に「まめたち」「まめたつ」の語訓を記載する。

 『遊仙窟抄』第一冊に、

書達之後十娘斂色謂桂心曰向_来(イマシ)劇戯(ゲキゲ)タハフレ相_弄(アイモチアソヘル)真成マメヤカニ欲逼人。〔一21オ@〜D〕此(コノ)。〔頭書一21ウI〜22ウ@〕

とあって、「斂色」について右に字音「レンシヨク」左に「まめだち」の和訓を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』に、

マメヤカニ 〔黒川本中卷マ部辞字門94ウA〕

とあって、「」の語を以て「まめやかに」の訓を収載する。
 観智院本『類聚名義抄』に、「まめたつ」の訓を収載する。

真成 マコト平上上マメヤカ上平上平〔僧中42C〕

正首 マメヤカ上平上平/マ平上 〔僧下65@〕

とあって、「真成」と「正首」という二種の別字を以て「まめやか」の訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

まめ‐だ・つ【忠実立】〔自タ四〕(「だつ」は接尾語)まじめな態度をとる。親身なふるまいをみせる。また、まじめくさくふるまう。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕嵯峨院「などか、常に似ずまめだちたる御気色なる」*無名草子〔一一九八〜一二〇二頃〕涙「いみじくまめだちあはれなるよしをすれど」*増鏡〔一三六八〜七六頃〕四・三神山「いよいよ世のうさを思しくんじつつ、いとまめだちてのみおはしますを」*読本・椿説弓張月〔一八〇七〜一一〕続・三三回「彼が事は、君にもよく知し召るべきものを、と信(マメ)だちてまうすにぞ」*照葉狂言〔一八九六〕〈泉鏡花〉鞠唄・四「彼処の継母眉を顰め〈略〉老実(マメ)だちてわれに言へりしことあり」【辞書】言海【表記】【実立】言海

とある。

[関連語補遺] ※典拠である『遊仙窟』に「斂色」は見えるが、その和訓「まめだち」の語は未収載にある。此も『河海抄』編者が目にした写本を今後考察する必要がある。

 

《回文》甘めだ父駄目まあ(あまめだちちだめまあ)
 
 
2009年03月10日(火)晴れ後曇り。東京(駒沢)
(えたふまじく)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「そひふし」なる語について記載した箇所がある。

けにえたふましくない給ふ 一眉猶耐双眼定傷遊仙窟〔角川書店本199上S〕

とあって、「えたふましく」の語として、「」の標記字を示す。このうち、『遊仙窟』に、

015:(ヤツカレ)詩訖(ヲヘ)( ケ)ノソク( ヘ)門中忽見(ミツ)十-娘(チヤウカ)平濁-面ハタカクレタルヲ余即詠曰斂-咲(シム セウ)シタシムルモノカラホヽエメル(カクセリ)殘靨(エクホ)含-羞(カン シウ)ハチシラヘルモノカラ[平平(アラハス)(ナカハノ)(  ヒル)一眉(カタマユタニモ)マユスラ(カタキニ)(タエ)カタキモノヲ( ツ)()(  テ)ソコナヒテム(ワレ)。〔醍醐寺本6D、文庫20〕※眞福寺本「」※陽明文庫本「」〔〕

とあって、「一眉猶耐双眼定傷」にて「たえがたき」の語訓を記載する。

 『遊仙窟抄』第一冊に、

含-羞(カン シウト)ハチシラヘルモノ(アラハス)(カタカタノ)(クチヲ)(ナヲ)(カタシ)(タヘ)。トハ。心中不平也。言美女之一眉。心中乃廻皇迷惑。未何方而得。故不平ナリ也。。難也。音並可反。耐。忍也。音乃代反〔一15ウB〜E〕一眉()(ナヲ)(カタシ)(シノヒ)トハ。ワキカホナレバ。カタマユバカリ見(ミユ)ルゾ。カヤウニ片(カタ)マユバカリシテサヘ。タヘカタキニ。ムカフサマニミルナラハ。何(イカ)ホトカウツクシカラントナリ。注ニ(カタシ)(タヘ)トハ。心中不平ナリト。不平トハ。ヤスカラヌ心也。廻皇(クワイワウ)トハ。俗(ソク)ニウロタユルト云心。コレモ心中不安ナリ。()ハ。難(ナン)ノ字()ト同心。音並可(ビヤウカ)ノ反(カヘシ)。ハノ音ナリ。耐(タイ)ハ忍(ニン)ナリ。タヘシノブナリ。音乃代反。タ。ナ。タイ。ノニ音ナリ。乃ノ字ニハ。タイナイノ二音アレバナリ。〔頭書一16ウK〜17オB〕

とあって、「」について右「たへがたし」の和訓を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、この「」語を未収載にする。
 観智院本『類聚名義抄』に、

 音洞 イタム()/タヘカタシ/ハナハタ上上上平濁] 和ツウ○上〔法下113C〕

とあって、標記字「」にて「タヘカタシ」の和訓を収載する。『遊仙窟』をふんだんに引用する古辞書として、返り点を以て訓読する語を『名義抄』は収載しない立場にあると考える。
 

[関連語補遺] ※典拠である『遊仙窟』に「」は見えるが、その和訓「たへがたし」の語は未収載にある。此も『河海抄』編者が目にした写本を今後考察する必要がある。『名義抄』の「痛」の他字訓「はなはだ」は、『遊仙窟』に見える語である。

 

《回文》遵へた者も耐え難し(したがへたものもたへがたし)
 
 
2009年03月09日(月)曇り後雨。東京(新中野)
無事(あぢきなし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「そひふし」なる語について記載した箇所がある。

あちきなう 無為史記紀白氏文集古語拾遺    無道日本紀此同上 無状 無事(アチキナシ)遊仙窟 何須(ナンソアチキナク) 无情同 無端舎利式〔一16@、角川書店本191上Q〕

とあって、「あぢきなう」の語として、「無事」「何須」「无情」の三種の標記字を示す。このうち、『遊仙窟』に、

017:元來(モトヨリ)(マシカハ)(ヒトモ)(ワレモ)尋常ナヲノアラマシツ子ノアラマシ平濁-事アチキナク( ヒ)( フ)(カヘリミテ)(タカヒニ)(  ヒ)-悩(  マス)。〔醍醐寺本9G、文庫〕

083:十娘曰五嫂詠箏兒(ワラハヽ)セム尺-八ノフヱヲ眼多(ユタカニシ)本自( リ)渠愛口少(ホメクシ)來毎(ツ  )( ル)(ヲカサ)無-事アチキナク風聲(ウカレタルコヘノミヽヲ)ノミ(カヨフラメ)ツケリ他耳交( リ)人氣(イキ)滿ルトキハヌルトキハ(  ラ)(ミチナム)。〔醍醐寺本31E、文庫〕

016:又遣(ヲコセテ)(マカタチ)桂-心(カヘシテ)余詩( ク)(ヨシヒ)( レ)(ヒト)家好(  ミナリ)(ワレハ)非着(ツキ)人十郎自稱也(ワレニ)(ナニ)(モテカ)(アタリ)( ヒ)(  フ)幾許(ソコハク)(  ス)精-神タマシヒ。〔醍醐寺本6F、文庫〕

019:(ナリ)( リ)日但(ヽヽヽヽ)(ナスコト)(シナム)後無( シ)(トキ)更着(  クコト)(マコト)( シ)[平]-佯(シヤウヤウ)ホコラハシクス、タノシフ一-生[去]何須(モテカ)[去]-持メヤマスヘキ百-年身。〔醍醐寺本11F、文庫〕

024: 余遂止(トメテ)之曰( ク)既有(アメルヲ)(ヨキ)(イカニシテカ)(  ク)(カヘリ)( ル)然後逶(井イ)ナコヤカニシテ(メクラシ)狐-玉(アタ)ナヲヤカニシテ向前。〔醍醐寺本14E、文庫〕

051:十娘曰五嫂向來(タヽイマ)イマ劇-語(ケキコ)タハフレコトス少府( ソ)(シハラク)漫-怕ミタリカハシクヲソル。〔醍醐寺本24D、文庫〕

171:下官詠曰昔時過(ヨキリ)遇*小-苑[上]今朝(ケサ)(  ル)後-園兩歳(フタトセ)梅花匝(メクリ)[平軽]-春柳色繁(シケシ)。水明(  シテ)魚影浄(キヨク)シツカナリ*林翠鳥歌(ウタ)(カ  シ)。(  ソ)(マタム)モチ井ル杏-樹[去](  ニシモ)即是桃-花源(―ナリ)ナラム。〔醍醐寺本53B、文庫〕

190:十娘廻(メ )頭咲曰星留(トヽメラレテ)織女(タナハタツメニ)(ヲリ)人間月待恒-娥ツキヒトヲトコヲ暫歸(  ル)天上(アメノ ヘ)少府( ソ)(シハラク)(子ムコロ)相恠( フ)。〔醍醐寺本59C、文庫〕

017:無-情(アチキナキ)(アキラカナル)(  ハ)アカツキノ*泥-子タマシカホニ(  ク)窓多-事アチキナク   イナハナヽルコト春風,時-々ヨリ/\。〔醍醐寺本9D、文庫〕※慶安版も「無-情(アチキナキ)」「多-事(アチキナキ)」〔11オE〕

 

176:十娘詠曰問( フ)ホウシ々々太(ハナハタ)( シ)(  ケ)飛來蹈( ム)(カ )( ス)タラムト意相( ヒ)(アナツル)。〔醍醐寺本54F、文庫〕

224:下官拭涙而言曰犬-馬(モノシラム)(ナヲ)(シレリ)サトレリ(イタム)(  レ)鳥-獸( ケ)猶知( レリ)(  ル)(  レヲ)。(ヒト)木-石豈忘ムヤ深恩。〔醍醐寺本71A、文庫〕

とあって、「無事」二例、「何須」六例、「无情」二例の計十例の標記字に「あぢきなし」の訓を記載することになる訣だが、このうち017の「無事」と「無情」の語には「あぢきなし」の訓を記載する。これに対し「何須」の和訓は「(ナニ)(モテカ)」「何須(モテカ)」「(イカニシテカ)(  ク)」「( ソ)(シハラク)」「(  ソ)(マタム)モチ井ル」「( ソ)(シハラク)」の如く一例も「なんぞあぢきなく」の訓は見えない。更に17には「多事」の語訓にも「あぢきなし」が用いられているのにもかかわらず、『河海抄』編者は未収載にしていることがこのズレを起こしているのでは無かろうかということが考えられまいか。次に「無事」と「無情」の語が集中していることから17の箇所を以てこの文言箇所を対象にして『遊仙窟抄』第一冊を見るに、

017:元來(モトヨリ)(マシカハ)()。(ヒトモ)(ワレモ)尋常(ヂンジヤウト)ヨノツ子ナラン無-事(ブジト)アチキナク(アヒ)(アフテ)(カヘツテ)(タカヒニ)煩-悩(ハンノウト)ナヤマス。〔一30オB〜C〕

017:無-情(ムジヤウト)アチキナキ明月(アリヤケノツキノミソ)-(ココト)子タマシカホニ(ノソメリ)?(マトニ)。多-事(タジト)アチキナキ春風(ハルノカセハ)時々(ヨリヨリニ)(ウコカス)(タレヌノヲ)。〔一29ウF〜30オ@〕

無情(ムシヤウ)ハ。コヽロナシ。ナサケナシヨメバ。ワガタメ無契(アチキナキ)モノナリ。月モト无情ノモノ。サナキダニ子ラレヌニ。コヽロナキ月カナト。故々(ココ)トユエアリガホニ。子タマシク。独(ヒトリ)フセ屋()ノ窓(マト)ニノソム。多事(タシ)ハ。ワザヲヽシ。カマビスク。ハシタナキ。我(ワカ)タメ。無安(アシキナキ)モノナリ。風モト多事(アシキ)モノ。マシテイ子ガタキニ。ハルカゼノ。マモナク。ツレナキ閨(子ヤ)ノ戸ヲウコカス。古哥(コカ)ニ。サモコソ。ハヨハノアラシノ。アラカラメ。アナハシタノ。槙(マキ)ノ折(ヲリ)戸ヤ。トヨミシモ通(カヨウ)ヘシ。愁(ウレウ)ル人ト。本文ニアルハ。文成ミヅカライフナリ。カヽル月ト風トニ。タヒシテ。ナニヲモツテカタヘシノフベキ。前(マヘ)ニイフガゴトク。ツルギヲノンテ。寸々(スンスン)ニキレタルゴトクハ。ハラハタヲムナシクカケテ。ヤウ/\。臨終(リンシウノ)イノチヲ。スクヒ玉ヘト。コヒカナシムトナリ。モトヨリ。ソナタ十娘ヲ。一相(イツソウ)シヌナラハ。他(ヒト)モ自(ワレ)モ。ヨノツ子ナルベキニ。無味来(アチキナク)。相逢(アイアフ)テ。カヘツテ。交(タカヒ)ニナヤマズゾトナリ。煩悩(ホンノウ)ハ註ニ。悶悩(モタヘナヤム)テ。コヽロミダルナリ。言(イフコヽロ)ハ迷狂(マヨヒクルフ)ナリト。居(イル)ニイラレス。センカタナキ心ナリ。〔頭書一30ウD〜31オB〕

とあって、「無事」「無情」について右に字音「ブジ」「ムジヤウ」、左に「あぢきなき」の和訓を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、

無為アチキナシ 无事同 無端同 不用 〔前田本下巻阿部畳字門40オA、黒川本下卷33オ@〕

とあって、この「无事」の語を収載し、もう一つの「無情」の語を未収載にする。また、「多事」の語も未収載にしている。
 観智院本『類聚名義抄』に、

遮莫 アチキナシ/サモアラハアレ〔佛上58@〕

無事 アチキナシ〔佛上80G〕

無情 アチキナシ平平○○○〔法中96E〕

無短 アチキナシ平平濁○○○〔僧中33@〕

無為 アチキナシ平平濁○○○〔佛下末30@〕

無為 アチキナシ平平濁平○○〔僧下79F〕

 スヽロ アチキナシ/アカラシク〔法中100F〕

 スヽロ/アチキナシ〔法中73D〕

 アチキナシ〔法中100G〕

とあって、標記字「無事」「無情」已下五種類の標記語に「あぢきなし」の和訓を収載する。『遊仙窟』を引用する古辞書としては、『名義抄』の方が稍比重が高いようである。
 

[関連語補遺] ※典拠である『遊仙窟』に無事」「何須」「无情」の標記語は見えるが、その和訓「あぢきなく」の語は「何須」の語については未収載にある。此も『河海抄』編者が目にした写本を今後考察する必要がある。

 

《回文》支那生地後無事(しなきぢあとあぢきなし)
 
 
2009年03月09日(日)曇り。東京(玉川〜駒沢〜東中野)
横陳(そひふし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「そひふし」なる語について記載した箇所がある。

そひふし 横陳(ソヒフシ)○○濁○〔角川書店本210上C〕

とあって、「そひふし」の語として、「横陳」の標記字を示す。このうち、『遊仙窟』に、

017:雖復贈(ヲクリ)蘭解未甚開(  カナハ)ナツカシ合?(キン)ムツマシク横陳トソヒフシヽカトモ/フセリトモ(イカソ)イカハカリソ( テ)スナハチ(カナハム)。 〔醍醐寺本7E、文庫208D〕※眞福寺本「合?( トムツマシク)居隠反横陳(トソヒフシヽカトモ)」※陽明文庫本「(アハセ)?(ホカキ)トムツマシ横陳(ソヒフシセシ)」〔5オD〕

とあって、「横陳」に「そひふし」の訓を記載する。

 『遊仙窟抄』第一冊に、

(イマタ)(ハナハタ)(カナハ)(ヲモヒニ)。合?(カウキント)ムツマシク横陳(ワウチント)ソヒフシヽカ。禮-記婿-義。降出テヽ。而婿揖以入。共而食。合セテ?而酳(インス)。所醴同尊卑以親ンスル。鄭-氏三-禮-圖。?。受四-升。取瓠中破之各一也。音居-隱反。宋-玉。主-人女又為臣歌。?-タ心而阻玉床。横自陳兮君之傍。又云。横-陳者。在横-臥也。〔一21オ@〜D〕此(コノ)一句()ハ。上ノ両句ヲウケタリ。上ニ云ヒタルゴトクニ。イロ/\風流(フリウ)ヲ弄(モテアソンテ)テ。美()女ト契(チキリ)ヲカハセシカドモ。イマダ甚(ハナハダ)ワガヲモヒニカナハズ。ムツマジクソイフセシカ。イマダ甚心カナハストナリ。合?(カウキン)ハ註ニ礼記(ライキ)ノ婿義(シヨキ)ヲヒク。畢竟(ヒツキヤウ)ムツマシク。タシムコヽロナリ。?(ヲヨソ)礼ノ法。子()父(チヽ)ノ命(メイ)ヲ承(ウケテ)。女()ヲ迎(ムカウ)。子()降出(クタリイテ)テ。御(キヨス)婦()ノ車(クルマ)ヲ。而婿(ムコ)授(サツク)綏(スイヲ)。御(キヨ)輪(リンヲ)スルコト三周(ミメクリ)。先(マツ)俟(マツ)子門外(モグワイニ)。壻(ムコ)揖(イフシテ)婦(フヲ)以(モツテ)。入(イツテ)共(トモニ)牢(ロウヲ)而食(クラヒ)。牢ハニエナリ。夫婦(フウフ)トモニムツマシキテイナリ。合(アハセ)?(キンヲ)而酳(インス)。?ハ酒ノウツハモノ。鄭氏(テイシ)カ三礼図(レイヅ)ニ四升(シヤウ)ヲウク瓠(ヒサコ)ヲ。正中(マンナカ)ヨリワリテ。各(ヲノヲノ)一方ヲモチユルトナリ。居隱(キヨイン)ノ反。ヤイ。カキ。キンノ音ナリ。酳ハスヽグトヨム。日本ニテ昏礼(ヨメイリ)ニ。酌(シヤク)ノ加(クワヘ)ヲスルニ同法(ヲナシハウ)ナリ。ニヱモ酒モフウフニアハセテ。マコトニシタシキナリ。横陳(ワウチン)ハソヒブシトヨマセタリ。註ニ宋玉(ソウキヨク)賦()ヲヒク。下(シタニ)見タリ。〔頭書一21ウI〜22ウ@〕

とあって、「横陳」について右に字音「ワウチン」左に「そひふし」の和訓を収載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』には、この「横陳」語を未収載にする。
 観智院本『類聚名義抄』に、

横陳 ソヒフス上上平上〔法中46A〕

とあって、標記字「横陳」に「そひふす」の和訓に声点を付加して収載する。『遊仙窟』を引用する古辞書として『名義抄』の方が比重が高い感がある。
 

[関連語補遺] ※典拠である『遊仙窟』に見える「横陳」は和訓「そひふす」として収載する。此も『河海抄』編者が目にした写本を見極める意味から今後も考察する必要がある。

 

《回文》中止び病みの身は身の巾赦な(なかやびやみのみはみのみやびやかな)
 
 
2009年03月07日(土)晴れ。東京(駒沢)
(みやびか)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第七冊(巻七)に、「みやひか」なる語について記載した箇所がある。

みやひかにて  閑麗也 閑暇文選皃甚― (ミヤヒカ)遊仙窟 ヲツトツ  なにはこそむかしゐ中といはれけめいまは宮美堵(ミヤヒト)そなはりにけり万葉〔角川書店本334下C〕

とあって、「みやひか」の語として、「媚」「閑暇」「」の三種の標記字を示す。このうち、『遊仙窟』に、

096: ( ハム)キヨクコトトキニ十娘引手向( フ)(マ )眼子マナコ/マナコツヽ(シユ)タナスエハ(ヲントツ)ニ■ヤカナリカン(ク  ロウ)□ヤカニシ一雙臂(ヒチ)(タヽムキ)( ル)我肝膓十箇指(ユヒ)(スエ)(サス)人心髄。 烏骨反徒骨反 〔醍醐寺本34A、文庫238F〕※陽明文庫「( トコマヤカ)烏骨反・徒骨反」〔23ウB〕

 『遊仙窟抄』第一冊に、

(シユ)(シノ)タナスヘハ(ヲントツト)コマヤカ。手白而肥ナリ也。又柔滑之状。膃。音烏骨反。音徒骨反。/(ヲツハ)ハ烏骨反。ヲツ。ノコヱニヨブ。ハ徒骨ノ反。トツ。ノコヘ也。〔三19オC〕

とあって、「」について右に字音「ヲントツ」左に「こまやか也」の和訓を収載する。この左訓が「こまやかなり」であることで、『河海抄』の和訓「みやびか」の訓は示されず、その註記として字音読みの反切を以て記載する。

 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』に、

閑都ミヤヒカナリ 閑雅同 窈窕同 巾赦ミヤヒカニ 稚妙ミヤヒカ    〔黒川本下卷美部畳字門66オA〕

とあって、この「」の標記字は未載録である。
 観智院本『類聚名義抄』に、

 乎間反 ウルハシ ヤヒカナリ/シツカナリ〔佛中9C〕

 音間/ミヤヒラカリ〔佛中23D〕

 ミヤヒカナリ平平上濁○○○〔佛中23D〕     

 旦胡反 スヘ()テ上平濁 カツテ ミヤコ ナラフ オク 心ミル ミヤヒカナリ アツク フツニ() ミナ/ツフサニ サカナリ コト/\ク ツ子 ツフニ() ナカク 和ト〔法中36D〕

 古延魚瑕反/和/マサシ平平平 ウルハシ マサカナリ ヒタフト平平○○ ナヲシ モトヨリ平平○○/マコト タクマシ イサヽサニ ヤハラカナ()リ ミヤヒカナリ平平上濁平○○ オタヒカナリ平平濁平平○○〔僧中135EF〕

 下問反 シツカナ()リ○上濁○○○ ミヤヒカナ()平平上濁平○○ ホノカナリ ウヤヒカ()ナリ ヒラク トラフ ウルハシ ヲシフ/ナラフ平平 闌ヽ正ヽ?ヽ大ヽ庶ヽ牢ヽ フセク○○上] ノリ上平]法 ホノメク○○上平]燈 イタツラ上上上濁上/ヒソカニ イトマ○○平 ナヲシ/ナホナリ 和ケン平上〔法下75E〕

 奴果反 眉 ミヤヒカニ平平○○○〔佛中14B〕

 謔(キヤク)綽二音女病/ウルハシ ミヤヒカニ平平○○○〔佛中21C〕

 ミヤヒカニ平平○○○〔佛中24D〕

 乎自反/ミヤヒソカニ平平上濁○○○ 好〔佛中16E〕

 ミヤヒカニ平平○○○/三俗/苔字〔佛下本56C〕

嫋嫋 二正音疽水名又慈呂反 ヤフル平平軽濁上又子盧反/又音姓多作非 トヽム(マル)上上濁上○] ヤム クツル平平濁上] ミヤヒカニ/ツヽカル ヤウヤク ウルフ ハヽム上上濁平〔法上16E〕

 如上漸ミヤヒカニ平平○○○〔法上16C〕

閑亭 ミヤヒカナリ平平上濁平○○〔法下41D〕

とあって、十三種の標記字に「みやびか」の和訓を収載する。

 烏滑反 又烏骨反/―箟 肥〔佛中117F〕

とあるに留まり、ここでも『遊仙窟』の「」の標記字ではこの和訓は未載録である。このように、『遊仙窟』諸本間で揺れている和訓については、古辞書は採録を見合わせる傾向にあるのではなかろうか。そうした中にあって、『河海抄』編者の「みやびやか」は漢籍資料和訓採録作業過程を考えるにあたって注目すべき語である。
 

[関連語補遺] ※典拠である『遊仙窟』に「」は見えるが、その和訓「みやびか」の語は未収載にある。此も『河海抄』編者が目にした写本を今後考察する必要がある。

 

《回文》中止び病みの身は身の巾赦な(なかやびやみのみはみのみやびやかな)
 
 
2009年03月06日(金)雨。東京(駒沢)
(たをやき)」「偕儷(たをやき)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第三冊(巻三)に、「たをやき」なる語について記載した箇所がある。

たをやき給へるけしき 遊仙窟 偕儷同〔末摘花03-47、角川書店翻刻本269頁上段I〕※龍門文庫本には「偕儷」として「同」の字未記載。

とあって、二種の標記字が記載され、孰れも典拠は『遊仙窟』としている。
 『遊仙窟』に、

012:花容(カタチ)婀娜(タヲヤカニシテ)天上(アメノ ヘニモ)( シ)(タクヒ)玉體(スカタ)(井イ)コマヤカニシテ人間(ヨノナカニ)( シ)(タクヒ)。〔醍醐寺本・文庫205B

023:婀娜(タヲヤカナル)腰支(コシハセ)細々許(サヽヤカニナマメキ)ナリ皿鯨(ケムテム)ナツカシキ眼子(マナコ井)長々馨(ミトマメカセリ)〔醍醐寺本・文庫215B〕 ※「( トタヲヤカ)」〔陽明文庫本9オC〕

023:ムテ嬌窈窕(エウテウ)タヲヤカニシテ迎前(スヽミ)( ツ)(シンセウ)シノンテエミヲ〓(女+營)返却廻〔醍醐寺本文庫216C〕 ※「偕儷( トタヲヤカ)」「(アウマウトハチシラ)」〔陽明文庫本10オ@〕

とあって、『遊仙窟抄』第冊に、「」「偕儷」なる語について記載した箇所がある。

華容(ハナノカホ)婀娜(アタト)タヲヤカニシテ 〔39頁、鈔第一冊13オ@〕

 曹子建(ヲウシケン)カ洛神(ラクジン)ノ賦()ニ華容(クワヤウ)(アタ)トツヽケタ。()ハ音(コヘ)烏可(ウカ)ノ反。カ。アトカヘル。()ハ音(コヘ)奴可(ヌカ)ノ反。カ。タトカヘル。此(コノ)カヘシニ。ウタガイアリ。ムカシヨリ。()ノ字タノ音ニ用(モチユル)ハ。奴()ノ字ニトノ音アルニヨリ。タチツテトノヒヾキニテ。カキクケコヨリ。ヨブトキタノ音トナル。シカルニ奴()ノ字ハ。ヌノ音アリ。ヌノ音ノトキハ。ナニヌネノヽヒヾキニテ。カ。ナトカヘル。シカレハナノ音チカク侍(ハベ)ル。イヅレクルシカラズ。今更(イマサラ)(アナ)トヨメバ。コトヤウニキコヘ侍。例(レイ)ニシタカツテ。アタトヨムベシ。ハ。行動(アリキブリ)節度(ホトヨクトヽノヒ)。柔弱(ヨハヨハシキ)之貌(カタチ)。カノ崔女郎ノカホハ。花ノゴトクウツクシク。シナヤカニ侍ルトノブナリ。〔36頁、鈔第一冊11ウJ〕

(カリヤウト)ウツクシケナル嬌裏面(コビノウチノカホ)可愛(カアイト)ヲモハシキ語中(ゴチウノ)コトハノ(コヘ)。婀娜(アタト)タヲヤカナル腰支(ヨウシノ)コシハセ細々(サイサイ)サヽヤカニ(コト)ナマメカシ皿鯨(ケンテント)ナツカシキ眼子(ガンシノ)マナコハ長々馨(テウテウキヤウト)ミトロマカセリ。〔94頁、鈔第二冊7オF〕

 

(フクンテ)(コビヲ)窈窕(ヤウテウト)タヲヤカニ(ムカヘテ)(スヽミ)(イツ)。忍笑(ニンシヤウト)ホヽエミテ(アウミヤウ)ハチシラアテ(カヘツテ)却廻(カヘリメクル)〔鈔第二冊10ウF〕

とあって「」の語は12・23の二例が見える。「偕儷」の語は23の一例が見える。字音「アタ」と「エウテウ」、和訓読みを両語「たをやか・に/なる」を用いている。『河海抄』では、『源氏物語』に基づく「たをやき」の訓として採録する。この『遊仙窟』には、和訓「たをやか・に/なる」を他標記語にも用いている。
 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』に、

婀娜(タヲヤカナリ)上上。又ヤ{ナ}マメク/美女分/アタ〔前田本下卷・阿部疊字門39オD、黒川本32オG〕

上濁上濁。テウ/タヲヤカナリ〔前田本下卷・弖部重點門21ウD、黒川本18オD〕

嬋娟(センエン)タヲヤカ/又タワム/其木垂條――。同/上字婀/又(エウテウ)同/―私云窈窕貴亨同/―私云遊仙窟ニ逶云云。諸嫋同。荏苒(シムサム)同。同/上字好。嬋媛同/又タワム/又ナマメク。〔黒川本中卷多部辞字門11オA〕

タヲヤカニ。同。〔黒川本中卷多部辞字門9オB〕

とあって、「たをやか」の語を収載し、このうち『遊仙窟』所載の「窈窕」を「私云」として後記載する。観智院本『類聚名義抄』では、

嬋娟タヲヤカナリ/音禅ヨシ/ソヒヤカナリ〔佛中7ウB〕

嬋媛タヲヤカナリ、ウルハシ/ニホフ、オソヨカニ〔佛中7ウC〕 

タヲヤカナリ、下於遠反、ウコカス、カサル上上濁○/ウルハシ、ヤハラカナリ、シタカフ、ウツクシフ、メクル、マゲテ上平濁○〔佛中8ウ@〕

窈窕タヲヤカナリ平平上上○○〔法下59E〕

?移二音、タヲヤカナリ、ナヽメナリ/カタチカイ、シリソク、ナヒカス/ホフル、ヨロコフ、アフル/上シケシ、ナヽメ、ナヒク〔佛上48C〕

タヲヤカナリ、シタラカ、禾タカマル、呉音威移/上於偽反、アツムル、ツハクム、ナヽメナリ〔佛上48D〕

依々タヲヤカナリ/イタム〔佛上28G〕

阿那タヲヤカニ〔法中38@〕

他鳥反、又溺音 タヲヤカナリ タハム タホヤク/シメヤカナリ、ウコカス〔佛中9ウF〕

奴鳥反、奴的反/タヲヤカナリ/タハム、ヲコカス〔佛中12ウF〕 

音禅、ヨシ/タヲヤカナル〔佛中6オC〕

烏可反/タヲヤカナリ〔佛中7ウD〕

乃可反、マヽハヽ、タヲヤカナリ、婀娜/ヨキカホ、ナマメク〔佛中7ウD〕

俗歟、ウルハシ、ナマメイタリ、カホヨシ、ヨキヲムナ、禾サハヒ/ヤサシ、タフロカス、マシロク、タヲヤカニ、カミナキ、ウツ、タマ〔佛中7オF〕 

徒了反、フカシ、ヒロシ、カロシ、サヒシ/タヲヤカナリ、勅尭反、クツロク上上上平濁〔法下59〕 

〔法中104〕

 近代の国語辞書である大槻文彦編『大言海』に、

{たを-やか-に(たおやか・に)〔副〕〔たをは撓(たわ)む意〕(一)しなやかに。*枕草子、三、三十四段「萩は、いと色深く、枝たをやかに咲きたるが」(二)舉止(たてゐ)あらあらしからず。しなやかに。しとやかに。たをたをと。(婦人に)婀娜。*名義抄「嬋、タヲヤカナリ」阿那、タヲヤカニ」窈窕、タヲヤカナリ」*遊仙窟七「婀娜、タヲヤカナル」窈窕、タヲヤカニシテ」*源氏物語、二、帚木三十一「この方のたをやかならましかばと見ゆかし」〔三302B〕

{たをや・ぐ(たおやぐ)・グ・ゲ・ガ・ギ・ゲ〔自動、四〕【婀娜】たをやかなる状になる。*源氏物語、二、帚木四十一「人がらの、たをやぎたるに、強き心を強ひて加へたれば」*源氏物語、六、末摘花三十四「君もすこしたをやぎ給へるけしきもてつけ給へり」*源氏物語、八、花宴六「女もわかうたをやぎて、強き心もしらぬなるべし」〔三302B〕

たをやけ・し(たおやけ・し)・キ・ケレ・ク・ク〔形、一〕婀娜。加茂保憲女集、序「女郎花、たをやけき野邊に、はなすすき、うちなびく」〔三302B〕

とあって、見出し語を「たをやかに」で、『河海抄』と同様に『遊仙窟』の語を二種採録する。類語として「たをやぐ」と「たをやけし」の語を次に所載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

たお‐やか[たを:]〔形動〕(「たお」は「たわ(撓)」の変化したものという。「やか」は接尾語)@姿や形などがしなやかなさま。柔らかなさま。たわやか。*枕草子〔一〇C終〕六七・草の花は「萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる」*名語記〔一二七五〕四「たほたほ、たほやかのたほ、如何。答、たほにはあらす。たは也。たはは、嫋也。たはむ也」*中華若木詩抄〔一五二〇頃〕中「この女の舞ふ、すがた、たをやかにして、楊柳を風の吹きかへすやうなるぞ」*俳諧・常盤屋の句合〔一六八〇〕二二番「韮(にら)の若葉のたをやかなるも、いつしかねぶかの白根がちなる、白髪の老女に見立たるも新し」*面影〔一九六九〕〈芝木好子〉七「優美な線が生きているから、逞しい御身体がたおやかに見えるのだわ」Aものごし、態度などがものやわらかなさま。また、気だてや性質が、しっとりとやさしいさま。おだやかなさま。しとやかで美しいさま。優美なさま。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕帚木「あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり」*浜松中納言物語〔一一C中〕一「もてなしありさま、物うちの給へるけはひ、日本の人にいささかもたがはずたをやかになつかしう、やはらかになまめき給へるあり様」*今鏡〔一一七〇〕六・花散る庭の面「御みめも心ばへもたをやかに、いと良き人におはしき」*静嘉堂文庫本無名抄〔一二一一頃〕「心あらん人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を 是は始めの歌のやうに限なくとをしろくなどはあらねど、優(いふ)深くたをやか也」*平家物語〔一三C前〕二・西光被斬「ないきよげなる布衣たをやかにきなし、あざやかなる車にのり」*孔雀船〔一九〇六〕〈伊良子清白〉夏日孔雀賦「雌鳥を見れば(タヲ)やかに 柔和の性は具ふれど」Bあだめいているさま。*浮世草子・男色大鑑〔一六八七〕一・五「此人七才の時より、形さだまって嬋娟(タヲヤカ)に、一笑百媚の風情」【語源説】@タヲヤカ(撓)の義〔日本語源=賀茂百樹〕。タワヤカ(撓彌)の義〔言元梯〕。Aタホはタハ(嫋)で、タハム意〔名語記〕。Bタワミヨハカタ(撓弱方)の義〔名言通〕。Cタヨヤカの転。また手折りたいの意も含むか〔本朝辞源=宇田甘冥〕。【発音】<標ア>[オ]〈史ア〉 平安○○●○ 〈京ア〉[ヤ]【辞書】色葉・名義・和玉・文明・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【嬋娟】色葉・名義・饅頭・易林・書言【嫋】色葉・名義・和玉・書言【嬋】名義・和玉・文明【嬋媛】色葉・名義【嬌】色葉・和玉【嫋娜】色葉・易林【婀娜】色葉・書言【婀・娜・媛】名義・和玉【窕】名義・文明【窈窕】名義・ヘボン【窈・娟】和玉・文明【娥】文明・黒本【委・窈・諸嫋・美・荏苒・娜・々】色葉【逶婉・依々・阿那・】名義【】和玉【・踵】文明【猗儺・柔従・柔撓・孅弱・要紹・霊液・嬌】書言

とあって、辞書表記のところに『遊仙窟』の標記字を記載する。
[関連語補遺] 『日国』の辞書表記の「【嫋娜】色葉・易林」とあるが、上記『色葉字類抄』にて確認できていない。

〈参考HP〉

 

《回文》な人花に名は問ひ名が八百他(たをやかなひとはなになはとひなかやをた)
 
 
2009年03月05日(木)晴れ。東京(駒沢)
斜眼(にら・む、みかたむ・る)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第六冊(巻六)に、「にら・む」なる語について記載した箇所がある。

にらミきこえ給  (ニラム) 鬼―/文選 斜眼 同遊仙窟 耶睨 日本紀 睚眦 新猿楽記〔第十・明石06-041、角川書店翻刻本326頁下段K〕※翻刻本(底本は天理図書館蔵、文禄五年書冩)の語排列が下記典拠資料に付けた番号の順に成っている。

とあって、四種の標記字が記載され、典拠には@『文選』C『遊仙窟』A『日本書紀』B『新猿楽記』が各々示されている。ここで、
 『遊仙窟』に、

056: 十娘則斜眼(ニランテ)(イツハリ)(ハラタ)曰「少府初到レリ此間,五嫂會(アハシラヘ)シラヒ(イカム)(シキリニ)(シハ々)( ヒ)(モテアソハム)ソフ」〔醍醐寺本25F〕   ※「斜眼(  トニラン)」〔陽明文庫本17ウD〕

099:張郎不(モチ井)斜眼(ミカタムルニ)〔醍醐寺本35A〕 ※「斜眼(  トアカラメ)」〔陽明文庫本24オD〕

とあって、『遊仙窟抄』第三冊に、「斜眼」なる語について記載した箇所がある。

十娘(シヤウ)則(スナハチ)斜眼(シヤガント)ニラミ(ヨウシント)イカリハラタチテ曰(イハク)「少府(シヤウフハ)初(ハシメテ)到(イタレリ)此(コヽニ)間。五嫂(ゴソウ)會(アヘシラヘ)些(イカン)。 〔148頁、鈔第三冊2ウ@〕

張郎(チヤウロウ)不(サレ)須(モチヒ)斜眼(シヤガント)ミカタムル。〔鈔第三冊20オC〕

とあって二例が見える。字音「シヤガンと」、和訓読み「ニラミ」「ミカタムル」を用いている。『河海抄』では、『源氏物語』に基づく056の「にらみ」の訓だけを採録する。この『遊仙窟』及び『遊仙窟抄』の左訓「みかたむる」の語は下記古辞書中にも見いだせない謂わば特殊な訓読語となっている。これを陽明文庫は、「(シヤガン)とあからめ」と訓読するのも各々異なった家独自の訓法が反映されている所と云える。
 古辞書にあっては三卷本『色葉字類抄』に、

ニラム睚眦 〔前田本上人事37ウD、黒川本30オE〕

睚眦ニラム/ガイサイ〔前田本上畳字107ウD、黒川本88オB〕

睚眦ニラム 白眼同 〔前田本上畳字40ウA、黒川本32オG〕

とあって、「」「睚眦」「白眼」の三語を収載する。

 室町時代の易林本『節用集』に、

斜眼(ニラム) 白眼 〔仁部言辭門28C〕

とし、江戸時代の『書言字考節用集』に、

白眼(ニラム) 斜眼() 又作二一邪睨 睚眦() 出加 〔巻八669、14オA〕

とあって、典拠は未記載のままにして「斜眼」の語を収載する。

 近代の国語辞書である大槻文彦編『大言海』に、

にら・む・ム・マ・ミ・エ〔他動四〕【睨・・白眼】〔にらみるの轉〕(一){眼を怒らかして見る。鋭き眼してる。ねむ。疾。*字鏡十二「盻、邪見也、與己目爾彌留、又爾良牟」*靈異記、中、三縁「眦、ニラム」*遊仙窟斜眼、ニラム」*用明紀二年四月「引豊國法師入於内裏物部守屋大連邪睨(ニラミテ)大怒」*古今著聞集、六、術道「ナホアシゲニ思ヒテ、にらみければ」(二)見込をつける。見當をつける。目ぼしをつく。〔四725-3〕

とあって、『遊仙窟』の此語を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

にら・む【睨】〔他マ五(四)〕@目をいからして見つめる。するどい目つきでじっと見る。じっと注視する。にらまえる。にらめる。*日本書紀〔七二〇〕用明二年四月(図書寮本訓)「物部守屋大連、邪睨(ニラム)て大きに怒る」*霊異記〔八一〇〜八二四〕中・五「非人、悪しき眼に睚眦(ニラミ)逼めて言はく、急かに往けといふ。〈国会図書館本訓釈 睚眥 二合ニラミ〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕明石「院の御門御まへのみはしのもとにたたせ給て御けしきいとあしうてにらみきこえさせ給を」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「ベンケイ トガシヲ チャウド nirode(ニラウデ)〈訳〉ベンケイは大きく眼をあけてその人を見て〔富樫の舞〕」*談義本・当世下手談義〔一七五二〕二・八王子の臍翁、座敷談義の事「朝夕熟読して、倍(ますます)後悔の眼(まなこ)に酒屋を白眼(ニラミ)ぬ」*談義本・根無草〔一七六三〜六九〕前・二「三歳の小児も団十郎といへば、にらむことと心得」*浮雲〔一八八七〜八九〕〈二葉亭四迷〉二・九「また憤然として文三の貌(かほ)疾視(ニラ)んで」A見当をつける。めぼしをつける。*浄瑠璃・神霊矢口渡〔一七七〇〕二「必定今度の御出陣は、討死との御覚悟と、(ニラン)だ眼(まなこ)に違ひは有(あら)じ」*歌舞伎・小袖曾我薊色縫(十六夜清心)〔一八五九〕序幕「此封金があったからにゃア、目ぐしは抜ねへ大どろぼう。白眼(にらん)だ事ア五分でもすかねへ」*ハッピネス〔一九七三〕〈小島信夫〉三「大分手がこんでいるのだ、とぼくは睨んでいます」B(多く受身の助動詞を付けて用いる)特に、注意を要する人物と考えて警戒する。*やみ夜〔一八九五〕〈樋口一葉〉三「田地持ちに(ニラ)まれたるぞ最期」*社会百面相〔一九〇二〕〈内田魯庵〉投機・六「伯父さんからまれる、今大平子爵や外の役員からも信用されなくなる」C前もって考慮に入れる。計算に入れる。「総選挙をにらんでの発言」語誌】(1)@の挙例の「書紀」の「邪睨(ニラム)」は、単独でニラムと訓じる「睨」字に「邪」を付すことで怒りを伴った邪視というべき強さを含んでおり、次の「霊異記」の例にも敵意に近い感情が認められる。(2)「源氏物語」には目に関わる種々の表現が見られるが、同じく視線を向ける「見おこす」「見やる」より強くて呪的な行為にもなっている。明石では朱雀帝が桐壺帝の亡霊ににらまれて眼病を患う場面がある。また、若菜下巻の「うち見る」行為は、見られた若者が死を迎えたことによって、「無名草子」では「にらみ殺す」と言いかえられている。(3)「にらむ」は仏像や芸能においても、一つの型として継承され、歌舞伎の見得の所作に結実する。特に市川家の「にらみ」は、邪気を払う行為として正月あるいは襲名の吉例に演じられている。【語源説】(1)ネイカリニガム(性怒苦見)の義。またニクウラミル(悪恨見)の義〔日本語原学=林甕臣〕。(2)ニクラメ(悪眼)の義〔言元梯〕。(3)ニの音を発する時、怒ったさまに似るところから〔国語溯原=大矢透〕。(4)ニコアルメ(和有目)の義〔名言通〕。(5)ネイリアム(根入編)の約〔国語本義〕。(6)ニラは青い意、ムは無。青くない眼、つまり白眼の意から〔和語私臆鈔〕。(7)ニクムランの義か〔和句解〕。【発音】〈なまり〉ニラブ〔栃木〕ヌラム〔岩手〕ネラム〔岩手・栃木・千葉・富山県・福井大飯・岐阜・飛騨・愛知・南知多・京言葉・大阪・淡路・大和・紀州・和歌山県・和歌山・鳥取・島根・岡山・広島県・周防大島・徳島・讚岐・愛媛周桑・伊予・土佐・長崎・対馬・熊本南部・豊後・大分・鹿児島方言〕〈標ア〉[ラ]〈史ア〉平安○○◎ 室町・江戸●○○〈京ア〉[0]【辞書】字鏡・色葉・名義・下学・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【白眼】色葉・文明・伊京・明応・天正・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【睨】色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・天正【瞰】色葉・名義・和玉・言海【睥】下学・文明・伊京・黒本【】字鏡・名義・和玉【睚・眥】色葉・名義・和玉【睚眦】色葉・名義・書言【瞋】色葉・饅頭・黒本【盻】字鏡・色葉【眦】色葉・名義【】名義・和玉【斜眼】易林・書言】字鏡【】色葉【】名義【妬・寿・眺】和玉【睇】天正【邪睨・睥睨】書言【同訓異字】にらむ【睨・・盻・睚・・睥】@【睨】(ゲイ)じっとにらむ。うかがいにらむ。また、流し目でにらむ。「一睨」「睥睨」《古にらむ・みる》A【】(ク)目をみはってにらむ。目をいからしてにらむ。「衡」B【盻】(ケイ)うらみ見る。うらみを込めてにらむ。「盻恨」《古にらむ》C【睚】(ガイ)目のきわ。まなじり。転じて、上目でにらむ。うらみ見上げる。「睚眥」《古にらむ・うらむ》D【】(ケイ)目をそむけにらむ。目を見張ってにらむ。「乖」《古そむく》E【睥】(ヘイ)じっとにらみみる。にらみつける。「睥睨」

とあって、古辞書に『河海抄』の示す語が網羅されていることが見えている。
 
《回文》村にてお金の行方追え悔ゆの寢顔で斜眼む(むらにておかねのゆくえをえくゆのねかおてにらむ)
 
 
2009年03月04日(水)曇り後雨。東京(駒沢)
(まかは)」と「眼皮(まゆめ・まひき・めのふち)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第四冊に、「まかば」なる語について記載した箇所がある。

まかはいたくくろミおちいりて  師説云(マカハ) 或マカフラ 文選云(カウキヤウトマカフラタカク)

一説眼皮也。まかは 遊仙窟云 眼皮(マユメ)(カユカル) 今案云眼皮も有其謂歟。老者としよ{なれ}れはとてまかふらのお{を}ちいる事ハなき。目の上の皮ハとしよれはくろミおちいる也。其時まかふら弥立かゝるへき歟〔四・紅葉賀04-017、角川書店翻刻本275頁〕

※下線部の表記字が龍門文庫本では異なり表記となっている。「」の訓「マカフラカタリ」、「眼皮」の訓「マメス」と表記する。波線部の語句は未収載。

 『遊仙窟』及び『遊仙窟抄』に、「眼皮」「」なる語について

下官曰昨夜眼_皮(メノフチ)(カユカリ)ヒヽラク今_朝見好人〔醍醐寺本23、岩波文庫226B〕

下官曰。昨夜眼_皮(メノフチ)(カユカリテ)ハタラキ。動也。音如純反。言人眼皮有自動。名之曰則見好人。兼美食。亦如人道我則相似。此並人間少少識候也。〔慶安五年版本24オD〜F〕

と記載する。「眼皮」の和訓読みを「めのふち」とし、「かゆがる」の漢字表記を「」とする。

 古辞書では三卷本『色葉字類抄』に、

(マカフラタカ) 誇張分/カウク井ヤウ。〔前田本上卷加部畳字門109オ@〕

(マカフタカ) 誇張分/カウク井ヨ()ウ。〔黒川本89オ@〕

 マカフラタカ。〔黒川本中卷麻部人躰門90ウB〕

眼皮 マヒキ/マナコ井。〔黒川本中卷万部人躰門90ウ@〕

(ク井ヤウ) マナカフラ/―。〔黒川本中卷万部人躰門90ウA〕

 同(マシロク)。〔黒川本中卷万部人躰門90ウA〕

とあって、一通りの語を収載する。更に観智院本『類聚名義抄』には、

 マカフラタカ[平上上濁上上上]〔佛上62F〕

とあって、標記字「匡」で和訓読みに「まかぶらたか」の語を所載するに過ぎない。二つの古辞書共に「」の字は未収載とする。また、師説「(マカハ)」の字については、

 音匡〓俗/マナカフラ 去王切/眼懸 俗〔佛中68F〕

とあって、和訓「まなかぶら」を収載する。『河海抄』の「まかは」の訓とは異なるものである。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、見出し語「まゆめだち」はあるが、単独の「まゆめ」は未収載にする。次に「まびき」は、

ま‐びき【目引】〔名〕目の様子。目つき。また、目で合図をすること。めくばせ。*十巻本和名抄〔九三四頃〕二「眼 眼皮附 〈略〉遊仙窟云眼皮〈師説万比 一説万奈古井〉」*色葉字類抄〔一一七七〜八一〕「眼皮 マヒキ マナコヰ」*愚管抄〔一二二〇〕六・後鳥羽「成経・実教など云諸大夫の家、宰相中将になりたる、とどめなんどせられし事は、皆頼朝に云あはせつつ、かのま引にてこそありと」*古今著聞集〔一二五四〕八・三一九「女房どもも、みな御前のまびきにしたがひて、さしいづる人もなかりければ」【補注「和名抄」に引く「遊仙窟」は、恐らく「昨夜眼皮、今朝見好人」とある部分で、「醍醐寺本遊仙窟康永三年点」には「眼皮(メノフチカユカリ)」の訓があり、「温故知新書」にも「眼皮(マユネカユシ)」とあるので、古くは、まぶた、もしくは目のふちをさしていたと考えられる。方言】目をしばたたくこと。まばたき。《まびき》九州「まびきもせず(臆せず)戦う」†001【発音】〈標ア〉[キ]【辞書】和名・色葉・名義・和玉・日葡・言海【表記】【眼皮】和名・色葉・名義【眼尾】色葉【】和玉

と補注説明もあって詳しい。「まかは」も、

ま‐かわ[:かは]【眼皮】〔名〕眼をおおう皮。眼のふちの皮。まぶた。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕紅葉賀「見かへりたるまみ、いたう見のべたれど、まかはらいたく黒み落ちいりて」【発音】〈標ア〉[0]

と収載する。であるが、『河海抄』の類語「まゆめ」の訓みや『遊仙窟』及び『遊仙窟抄』の「めのふち」の訓みに考察が及ばずじまいであることを茲に指摘しておく。
 
 

[関連語補遺] ※典拠である『遊仙窟』として、醍醐寺本・慶安五年版本には上記の如く此の語を収載するが金剛寺本には「まかは 遊仙窟云 眼皮(マユメ)(カユカル)」のところは未収載にある。『河海抄』の編者が用いた写本資料と更に古辞書類が連鎖していることを茲に考察してみた。

 

《回文》石亀眼睨ぶか艶めかしい(いしかめまなかぶらにらぶかなまめかしい)
 
 
2009年03月03日(火)小雨後雪。東京(駒沢)
窮鬼(いきすたま)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第四冊に、「いきすたま」なる語について記載した箇所がある。

ものゝけいきすたま(生霊)なといふ物 遊仙窟云 窮-鬼故調人(イキスタマノマコトニナヤマス也) 注云魂(タマシイ)()鬼通を云怨霊ナト云事ナリ。〔巻五・葵、角川書店翻刻本288頁〕

 これを『遊仙窟抄』第一冊にて、

窮鬼(キウキ)イキスタマ(コトサラニ)調(ナヤマスヤト)(ヒトヲ)。人夢-魂與鬼通。言心-中正十-娘。忽即夢憎。忽此鬼作夢一レ我。故之曰窮-鬼也。〔二4オF〕

 ※醍醐寺本「窮鬼(イキスカタ)」〔213E〕※金剛寺本「窮鬼(イキスカタ)イキスタマ」〔25C〕※陽明文庫本「窮_鬼(イキスタマ)」〔8オE〕

コレハタヽシ。窮鬼(キウキ)ノイキスダマノサラニ。キタツテワレヲナヤマスナラントナリ。注ニ人ノ夢ハ鬼()ト通スト。鬼ハ陰(イン)ニヨルヲツカサトル。変(ヘンシテハ)ハアヤシキコトヲナス。註ノコヽロ。窮鬼トイヒシハ。ニクミノヽシリテ云ナリ。イカニトナレバ。十娘ガユメノウチニ。ワレヲニクムヤウナリ。タチマチ此(コノ)鬼()キタリテ。ワレヲタブラカスト思ユヘニ。キウセルキトノヽシルナリ。窮(キウ)ハ困窮(コンキウ)。クルシミキワマルコヽロナリ。

とあって、字音訓みが「キウキ」、和訓読みに「いきすたま」の語を所載する。但し、醍醐寺本(康永三年(一三四四)に、法印權大僧都宗が正安二年冩點本を摸冩、大江維時が木古嶋神主より伝えられ侍讀。「現存本においては、大江家の訓法の部分的な影響を否定すること出来ないが、大江家の訓法そのものとは認め得ない」※小林芳規博士『平安鎌倉時代に於ける漢籍訓讀の國語史的研究』第五章、博士家各家の訓讀法の特徴1150頁DEと指摘する)の左傍訓では「いきすかた」則ち「生き姿」の意味訓としていて異なっている。これを裏付ける資料として金剛寺本が左訓に醍醐寺本と同じ「いきすがた」の訓、そして左訓には陽明文庫本と同じ「イキスタマ」の訓を記載する。これは此の書冩者が別な書写本の訓をそれぞれ左右訓として記載した資料であり、この別種訓読の系統本が存在していたことを明示するものでもある。古辞書では三卷本『色葉字類抄』に、

窮鬼(キウ  ) イキスタマ生靈 。〔前田本・上卷伊部人倫付鬼神類6オ@、黒川本上4ウG〕

と字音「キウ(キ)」と和語「いきすたま」の語訓を所載する。同じく観智院本『類聚名義抄』には、

窮鬼 イキスタマ[平・平・平濁・平]。〔僧下47G〕

とあって、「イキズタマ」と第三拍めを濁る発音であったことが知られる。そして、此の「窮鬼」の語も『遊仙窟』に依拠するものであることが知られる。

[関連語補遺] 小学館『日本国語大辞典』第二版

いき‐すだま【生霊・窮鬼】〔名〕いきりょう(生霊)」に同じ。*十巻本和名抄〔九三四頃〕一「窮鬼 遊仙窟云窮鬼〈師説伊岐須太万〉」*落窪物語〔一〇C後〕二「いかでかいきすだまにも入りにしかな」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕葵「物のけ、いきすだまなどいふもの多く出で来て、さまざまの名のりする中に」*観智院本名義抄〔一二四一〕「窮鬼 イキズタマ」【発音】〈音史〉古くは「いきずたま」「いきすたま」か。〈標ア〉[ス]〈ア史〉平安「いきずたま」○○●○○〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・易林・書言・ヘボン・言海【表記】【窮鬼】和名・色葉・名義・易林・書言【生霊】色葉・ヘボン

※ただし、「いき‐すがた【生霊・窮鬼】〔名〕」の語は未収載。

《回文》待たず行き交うか窮鬼(またずいきかうかいきずたま)
 
 
 
2009年03月02日(月)晴れ。東京(駒沢)
向来(たゝいま)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第四冊に、「たゝいま【向来】」なる語について記載した箇所がある。

たゝいま 向来 遊仙窟〔巻・頁〕

 これを『遊仙窟抄』第一冊に、

向来(タヽイマ)ムカヒキタルコト(ミル)桂心(ケイシン)談説(モノカタリ)スルヲ

向来ハ。タヽイマトヨマセタリ。サキコロヨム。イマノサキゴロ。桂(ケイ)心ガ談説(モンカタリ)スルヲミルニ。其方(ソノハウ)十娘ハ。天(テン)ノ上(ウヘ)ニモナラビナク。人間(ヒトノウチ)ニモタヽヒトリノミデ。アランホドナル美婦人(ビフシン)トウケタマハルトナリ。〔『遊仙窟抄』上・一24オF、勉誠社文庫97-61〕

向_来(イマシ)劇戯(ゲキゲ)タハフレ相_弄(アイモチアソヘル)

向来(イマシ)トハ。タヽイマスナハチト云ニヲナシ。〔『遊仙窟抄』上・一31オJ、勉誠社文庫97-75〕

とあって、「向来」の語訓として、「ただいま」「さきごろ」「いまし」の和訓を用いる。

 古字書では観智院本『類聚名義抄』に、

向来 イマシ/タヽイマ[平・平濁・○・○]〔法下40E〕

向来 イマシ[平・上・平]/タヽイマ[平・平濁・平・平]〔僧下81B〕

とあって、「いまし」と「ただいま」即ち『遊仙窟』の二つの訓をもって茲に記載することが明らかとなった。

[ことばの実際]小学館『日本国語大辞典』第二版
ただ‐いま【只今】[一]〔名〕(「いま」を強調した語。副詞的にも用いる)@過去と未来との境なる時。現在。目下。時間的な幅はさまざまで来世に対比した現世をいう場合もある。*蜻蛉日記〔七四頃〕上・康保元年「日々に問ふめれど、ただいまは何心もなきに」*落窪物語〔一〇C後〕三「前守、大夫など、ただ今の時の所なれば、恥をすてて参りつかうまつる」*源氏物語〔一〇〇一〜四頃〕桐壺「ただいまは幼き御ほどに、罪なくおぼしなして」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕四・一「如此(かくのごとく)の文造て世に弘むる事は、只今は賢き様なれども、後の世には露許も益を得る事无ければ*開化のはなし〔一八七九〕〈辻弘想〉二「這(これ)を我国現今(タタイマ)の景況に較ぶれば」Aごく近い過去の時過ぎ去ったばかりの時や物事をさしていう。たった今。つい今しがた。*源氏物語〔一〇〇一〜一頃〕末摘花「人わろき事どもを憂(うれ)へあへるを聞き給ふも、かたはら痛ければ、たち退()きて、ただいおはするやうにて、うちたたき給ふ」*保元物語〔一二二〇頃か〕中・白河殿へ義朝夜討ちに寄せるる事「俄かに除目おこなはれて、安弘蔵人たるべき由仰せけり。〈略〉只今の除目、物(ぶつさう)也」*草本伊曾保物語〔一五九三〕女人と大酒を飲む夫の事「ウチカラtadaima(タダイマ)ヲキアガット ヲボシイ コエデ タソト タヅヌレバ」*説経節・説経苅萱〔一六三一〕下「いつはらばやとおしめし、たたいまおもひだいたるふぜひにて」Bごく近い未来の時。また、ある時点からの、ごくい時間の経過をさしていう。特に副詞的に用いることが多い。すぐ。すぐさま。すぐその時。*天本金剛般若経集験記平安初期点〔八五〇頃〕「長報へて云はく、(タタイマ)公の為に一の小羊を殺さ欲(むとす)」枕草子〔一〇C終〕九・うへにさぶらふ御猫は「この翁丸うちてうじて、犬島へつかはせ。ただいまと仰せらるれば」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕帚木「下(しも)に湯におりて、ただいま参らむと侍りいふ」*大鏡〔一二C前〕三・師輔「心うき事なり。ただいま召しかへせ」*虎明本狂言・二人袴〔町末〜近世初〕「誠に只今の御出は別てかたじけなふござる」*読本・春雨物語〔一八〇八〕樊「酒のみ物くひみちて、小雨なれば簑笠かづきて、ただ今出でゆく」*落語・三人旅〔一八九四〕〈語楼小さん〉「只今に宿帳を持って参りまするでどうか本当のお名前を仰って下せへまし」C(か転じて)距離的に近いさまをいう。すぐそこ。*読本・春雨物語〔一八〇八〕樊下「うかれて嶋つただよひたり。又此岸よりもただ今と見るを、樊引きとどめて、いざ乗れ」[二]〔感動〕@(「だいま帰りました」の略)出先からもどったときなどの挨拶(あいさつ)のことば。*洒落本・妓子〔一八一八〜三〇〕上「かうし戸をからからとあけ、はきものを見てかたわきのほうから上『只今おやばからしうざいますわな、どこからお客だと思ったよ』」*浮雲〔一八八七〜八九〕〈葉亭四迷〉一・四「ハイ只今、大層遅かったらうネ」*門三味線〔一八九五〕〈斎藤緑雨〉一二「に帰りましたらといふ時恰(あたか)も帰るお浜、只今(タダイマ)と裡(うち)に入るを見るより」*続いたづら小僧日記〔一〇九〕〈佐々木邦訳〉「『唯今(タダイマ)』といって、乃公(おれ)は威勢好く鞄を投(ほう)り出した」A呼ばれたり、頼まれりしたときなどに、いますぐ実行するという意でいう挨拶のことば。*腕くらべ〔一九一六〜一七〈永井荷風〉一五「『それよりかお酒を願いませう』『只今。畏りました』と女中は座を立った」【言】[一]〔感動〕@朝の挨拶のことば。おはよう。《ただいま》庄内†025山形県050139A午後、たは夕方、人に会った時の挨拶のことば。《ただいま》山梨県461甲府市050中巨摩郡454B外出る時、外出する者を送る時、帰って来た者を迎える時、また、人と別れる時などの挨拶のことば。ってまいります。行ってらっしゃい。ただいま帰りました。お帰りなさい。さようなら。《ただいま岩手県気仙郡102宮城県063114122山形県139《ただいめ》山形県139[二]〔副〕@すぐ。直ちに《ただいま》鹿児島県揖宿郡038《ただいめ》鹿児島県揖宿郡038《ただいめえ》山形県庄内050《でえま》沖縄県石垣島・波照間島975首里993《ただいまんこめ》鹿児島県肝属郡970【発音】〈なり〉タライマ〔京言葉・島原方言〕タンダイマ〔愛知〕 は[ダ]〈史ア〉平安か 鎌倉・江戸(ダ【辞書】名義・文明・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【向来】名義・書言【唯今】文明ヘボン【只今】易林・言海【今】書言[子見出し二項目]* ただいまの御笑草(おわらいぐさ) * ただいま以()って

 

《回文》蒔いた田を縞色濃き先頃今鹽只今(まいたたをしまいろこきさきごろいましをただいま)
 
 
2009年03月01日(日)曇り。東京(玉川〜駒沢)
(うなづ・く)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第二冊に、「うなつく」なる語について記載した箇所がある。

うなつく 點頭(ウナツク) (){鎭}漢書 顔許淮南子 (){鎭}遊仙窟

と四種の表記を紹介する。第一の『漢書』を典拠とする「點頭」は、古辞書である昌住撰『新撰字鏡』に反映されている。次に第四の『遊仙窟』を典拠とする「頷許」は、『色葉字類抄』及び観智院本『類聚名義抄』に、

領許(カンキヨ) ウナツク 點額 〔黒川本・中54オA〕

領許 ウナツク 〔佛下本13ウC〕

とあって、黒川本の音表記カナ「カンキヨ」と「領許」とは合わず、「頷」と「領」との字形相似による誤写と見てよかろう。同時代の『名義抄』も同じ体裁表記にあることから同じ典拠資料からの所載であることが考えられよう。そして、この語の表記状況を眩ましているのである。その拠り所になる記述が上記の『河海抄』であり、この編者及び書写者は、出典を『遊仙窟』と記載するが何をもとに此の表記を得たのかを探ることと上記古辞書二種の表記を改める手がかりを茲に遺していることを知るのである。実際、典拠とされる『遊仙窟』古写本(醍醐寺本)や流布本等には、「領許」乃至「頷許」の語は未収載にある。『河海抄』編者が見た写本そのものを再度考察する必要がある。
 さらに、『漢書』第二の「頷状」、『淮南子』の「顔許」は本邦古辞書類には投影されていないことも見えてくる。
[ことばの実際]小学館『日本国語大辞典』第二版
うな‐ず・く[:づく]【頷】〔自カ五(四)〕@了解、肯定、承諾、勧誘などの気持を表わすために首を縦に振る。首を前へ曲げて合図する。*新撰字鏡〔八九八〜九〇一頃〕「点頭 宇奈豆久」*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「翁答ふ『さだかに作らせたる物と聞きつれば、返さむ事いとやすし』とうなづきをり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕帚木「『つながぬ舟の浮きたるためしも、げに、あやなし。さは侍らぬか』といへば、中将うなづく」*古今著聞集〔一二五四〕一八・六四〇「まへに江次郎といふ格近者のありけるが、僧正のねぶりてうなづくを、われにこの餠くへと気色あるぞと心えて」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Vnazzuq, u, uita (ウナヅク)〈訳〉同意のしるしとして、もしくは納得することなどを示すために頭を動かしたりゆすぶる」*浮世草子・好色一代男〔一六八二〕二・六「浅草橋の内にて、うなづく事迄を合点して後は物縫の小宿」*読本・南総里見八犬伝〔一八一四〜四二〕一・一回「あやしき物の股(もも)かとおぼしく、輝(てり)かがやくこと鱗(うろこ)のごときを、僅(はづか)に見て候、といへば義実うち点頭(ウナヅキ)」A心中で納得、了解する。合点する。うべなう。*滑稽本・麻疹戯言〔一八〇三〕麻疹与海鹿之弁「おまへの僻説御尤、唯唯として点頭(ウナヅキ)去ぬ」*随筆・胆大小心録〔一八〇八〕一五六「公もついに此世ならんにとうなづかせて、黙したまへるならん」*新体梅花詩集〔一八九一〕〈中西梅花〉出放題「夏暑く冬さふしとぞ云ふ。其道理(ことわり)は合点(ウナヅケ)ど、肯(うけが)へど」【方言】@黙礼する。《うなずく》富山県西礪波郡398Aいい気になる。《うなずく》山形県南部139【語源説】ウナジ(項)を前にツク(突)意〔名語記・両京俚言考・大言海〕。【発音】〈なまり〉ウナツタ〔八丈島〕オナズク〔播磨〕[ズ]〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】字鏡・色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【諾】文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本【点頭】字鏡・伊京・易林・書言・ヘボン【頷】色葉・名義・和玉・天正・書言【領許・点額】色葉・名義【鎮点】色葉【領】文明【顫頭】易林【項衝】言海
 

[関連語補遺]

 ※上記にも記載したことだが、典拠である古写本(醍醐寺本=岩波文庫『遊仙窟』影印付載)及び流布本『遊仙窟』に「領許」乃至「頷許」の語は未収載にある。『河海抄』(龍門文庫蔵)編者の見た写本を考察する必要がある。

〈参考HP〉

 

《回文》靴綯うに人問ひに頷く(くつなうにひととひにうなつく)
 
 
 
 
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