2009年04月01日から日々更新

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 
 
 

 

 

 
 
 
 
2009年04月30日(木)晴れ。東京(駒沢)
云々(しかじか)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第三冊(巻三・若紫)に、「しかじか」なる語について記載した箇所がある。

しか/\なんと 云(シカ)()日本紀 〔角川書店刊262下S〕

とあって、「しかじか」の語として、『日本書紀』に「云々」の標記字を示す。

然れども、日神、慍(とが)めたまはずして、恆(つね)に平恕(たひらかなるみこころ)を以て相容(ゆる)したまふこと、云云(しかしか)。〈原文〉雖然、日神不慍、恆以平恕相容焉、云云。〔卷第一・神代上、大系上116O〕

とあって、標記字「云々」にて和訓「しかじか」の語を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

しか‐じか【然然・云云】〔副〕(副詞「しか」を二つ重ねたもの。古くは「しかしか」)@言外にある自明な物事をさし示していう意を表わす。かくかく。これこれ。かようかように。こういうように。*日本書紀〔七二〇〕神代下(寛文版訓)「此の鳥(きじ)(とひ)()たり天稚彦の為(ため)に射()られ、其()の矢()に中(あた)て上報(のほてかへりこと)申す云々(シカシカ)*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕俊蔭「山の見ゆる方を尋ねまうで来て、このうつほを見出でて侍しに、しかしかなむ侍し」*落窪物語〔一〇C後〕一「帯刀がもとにしかじかいひて侍りつるを御らんじつけ侍るめり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若菜上「うへなむ、しかしか御けしきありて、きこえ給ひしを、かの院に、折あらば、もらしきこえさせ給へ」*名語記〔一二七五〕六「詞にしかじかといへる、如何。しかは然也。かさぬればしかじかなり」*太平記〔一四C後〕五・大塔宮熊野落事「村上怪しみて事の様を問に。爾々(シカシカ)の由を語る」*浄瑠璃・源平布引滝〔一七四九〕四「安芸守平清盛。しかじかの御企有とて後白河の帝。大納言成忠卿を鳥羽の北殿に押し込置き」*読本・南総里見八犬伝〔一八一四〜四二〕一・二回「翌(あす)は如此如此(シカジカ)の処に出て、放鷹せんと思ふ也」*西国立志編〔一八七〇〜七一〕〈中村正直訳〉八・二六「沙伯(シヤープ)の家に往き、しかしかと報ず」*草枕〔一九〇六〕〈夏目漱石〉六「己れはしかじかの事を、しかじかに観、しかじかに感じたり、その観方も感じ方も〈略〉古来の伝説に支配せられたるにあらず」A相手の言うことに対して、肯定的に相づちをうつ意を表わす。さようである。その通りだ。*大鏡〔一二C前〕一・序「いまひとり、しかしか、いと興あることなり。いでおぼえたまへ」【発音】〈標ア〉[カ]<1>〈ア史〉平安○○○○江戸○○●●〈京ア〉(カ)<1>【辞書】書言・ヘボン・言海【表記【云云】書言・言海【爾々】書言【聢】ヘボン

とあって、『河海抄』が引用する『日本書紀』の用例も所載する。古辞書では江戸時代の『書言字考節用集』及び明治時代の『言海』に所載するに過ぎない。

 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(しかじか▼かじかし)
 
 
2009年04月29日(水)晴れ。東京(駒沢)昭和の日
稚草(わかくさ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻三・若紫)に、「わかくさ」なる語について記載した箇所がある。

おひたゝんありかもしらぬわか草をゝくらす露そきえんそらなき 稚草(ワカクサ)日本紀 をくらすはをくらかす也。露をわか身によせたる也。〔ka03-029F、角川書店刊256上O〕

とあって、「わかくさ」の語として、『日本書紀』に「稚草」の標記字を示す。

六年秋九月己酉朔壬子、遣日鷹吉士、使高麗、巧手者(てひと)を召()す。是()の秋(あき)に、日鷹吉士(ひたかのきし)、使(つかひ)に遣(つかは)されて後(のち)に、女人(をみな)有()りて、難波(なには)の御津(みつ)に居()りて、哭(ねな)きて曰()はく、「母(おも)にも兄()、吾(あれ)にも兄()。弱草(わかくさ)の吾()が夫(つま) 怜(はや)」といふ。

吾夫 怜矣と言ふは、此をば阿我圖摩播耶(あがつまはや)と云ふ。弱草と言()ふは、古(いにしへ)に弱草を以()て夫婦(をうとめ)に喩(たと)ふるを謂()ふ。故(かれ)、弱草を以て夫(つま)とす。

〈原文〉飽田女、召巧手者。是秋、日鷹吉士、被遣使後、有女人、居于難波御津、哭之曰、於母亦兄、於吾亦兄。弱草吾夫 怜矣。言於母亦兄、於吾亦兄、此云於慕尼慕是、阿例尼慕是。言吾夫 怜矣、此云阿我圖摩播耶。言弱草、謂古者以弱草喩夫婦。故以弱草爲夫。

とあって、標記字「弱草」にて和訓「わかくさ」の語を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

わか‐くさ【若草】〔名〕@芽を出して間もない草。春になって新しく生えてきた草。《季・春》*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕柏木「庭もやうやう青み出づるわかくさみえわたり」*俳諧・翁草〔一六九六〕「圃角扇に讚を望て 前髪もまだ若艸の匂ひかな〈芭蕉〉」A年若い女をたとえていう語。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若紫「おひたたむありかもしらぬわか草をおくらす露ぞきえんそらなき」B襲(かさね)の色目の名。表は薄青、裏は濃い青。正月・二月のころに用いる。【発音】〈標ア〉[カ]〈ア史〉平安・鎌倉○○●○〈京ア〉[0]【辞書】易林・日葡・書言・言海【表記】【若草】易林・書言・言海【弱草・屮】書言

とあって、『河海抄』が示す「稚草」の漢字表記例は未収載であり、『日本書紀』に収載の「弱草」の漢字表記については、江戸時代の古辞書『書言字考節用集』に見えている。

 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(わかくさ▼さくわか)
 
 
2009年04月28日(火)晴れ。東京(駒沢)
(らうたし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻三・若紫)に、「らうたし」なる語について記載した箇所がある。

つらつきおもやう(面様)いとらうたけにて ?(ツラ)  亮(ラウタシ)日本紀 ほけ/\としたる皃也。〔ka03-12右D、角川書店刊256上E〕

とあって、「らうたし」の語として、『日本書紀』に「」の標記字を示す。

手掌(たなそこ)も摎(やらら)に手掌摎亮、此(これ)をば陀那則擧謀耶羅羅邇(たなそこもやららに)と云ふ。

〈原文〉擧而吾●者、旨酒餌香市不以直買、手掌摎手掌摎亮、此云陀那則擧謀耶羅々邇。〔〕

とあって、標記字「」の和訓「やららに」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

やらら‐に〔副〕さわやかな音をたてるさまを表わす語。*日本書紀〔七二〇〕顕宗即位前・歌謡「手掌(たなそこ)も摎亮(ヤララニ)手掌摎亮、此陀那則挙謀耶羅羅邇(たなそこもヤララニ)と云ふ 拍()ち上げ賜はね」

ろうた‐げ[ラウた:]〔形動〕(形容詞「ろうたし」の語幹に接尾語「げ」の付いたもの)@いかにもかわいらしく見えるさま。可憐に見えるさま。あどけなげなさま。心ひかれていとおしく思われるようなさま。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕俊蔭「かくらうたげなる子を、かくいだしありかする」*枕草子〔一〇C終〕四三・虫は「夏虫、いとをかしうらうたげなり」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕三〇・六「姿・有様労た気にて、着物やかなる女会たり」*俳諧・冬の日〔一六八五〕「茶の湯者おしむ野べの蒲公英〈正平〉らうたげに物よむ娘かしづきて〈重五〉」A上品で気高く見えるさま。*浄瑠璃・義経千本桜〔一七四七〕四「玉座を設(もふけ)安徳帝(ラウ)たけなる御姿」

とあって、見出し語「ろうだげ」には漢字表記の用例が皆無に等しい。
 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(ろうたげ▼げたうろ)
 
 
2009年04月27日(月)晴れ。東京(駒沢)
(わざ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻三・若紫)に、「わざ」なる語について記載した箇所がある。

はつねにかゝるわさをしてさい()なまるゝこそ (ワサ)日本紀文選  又論吾  同(真文文選態ノ注)〔ka03-11左I、角川書店刊256上E〕

とあって、「わざ」の語として、『日本書紀』に「」と「態」の標記字を示す。

凡て此()の惡()しき(わざ)、曾(かつ)て息()む時無し。〔〕

山陵(みさざき)の(わざ)畢(をは)るに至(いた)りて、乃(すなは)ち弓部稚彦(ゆげのわかひこ)をして弓(ゆみ)を造(つく)らしめ、倭鍛部(やまとのかぬち)天津眞浦(あまつまら)をして眞■(まかご)の鏃(やさき)を造らしめ、矢部(やはぎべ)をして箭()を作()がしむ。

時(とき)に渟名川耳尊、神八井耳命に謂(かた)て曰(のたま)はく、「今(いま)其()の時なり。夫()れ、言(こと)は密(しのび)を貴(たふと)び、(わざ)は愼(つつし)むべし。

冬十月(ふゆかむなづき)に、倭(やまと)の狹城池(さきのいけ)及(およ)び迹見池(とみのいけ)を作る。是歳(ことし)、諸國(くにぐに)に令(のりごと)して、多(さは)に池溝(うなで)を開()らしむ。數八百(かずやほちあまり)。農(なりはひ)を以()て(わざ)とす。

〈原文〉〔〕

とあって、標記字「」と「態」に和訓「わざ」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

わざ【業・技】〔名〕@深い意味や、重大な意図をもつ行為や行事。*万葉集〔八C後〕九・一七五九「吾妻に 他(ひと)も言問へ 此の山を うしはく神の 昔より いさめぬ行事(わざ)ぞ〈虫麻呂歌集〉」*続日本紀‐天平神護二年〔七六六〕一〇月二〇日・宣命「朕()が敬まひ報いまつる和佐(ワサ)としてなも此の位冠を授けまつらく」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕蔵開上「宮は御琴をきこしめしつれば、ただにおはしつるよりも若やかに、わざをしつるともおぼされず」A意識的に何事かをすること。また、その行為。しわざ。おこない。*日本書紀〔七二〇〕皇極元年二月(岩崎本訓)「塞上、恒に悪(あしきワサ)す」*万葉集〔八C後〕四・七二一「あしひきの山にしをれば風流(みやび)なみ吾がする和射(ワザ)をとがめたまふな〈大伴坂上郎女〉」*伊勢物語〔一〇C前〕六四「昔をとこ、みそかに語らふわざもせざりければ」*源氏〔一〇〇一〜一四頃〕桐壺「ここかしこの道にあやしきわざをしつつ」*虎明本狂言・茸〔室町末〜近世初〕「是はぐひんのわざじゃほどに」*評判記・野郎虫〔一六六〇〕山本琴之介「ふみなれぬ道をゆくには、みちびきなくてはかなはぬわざなればにや」*小説神髄〔一八八五〜八六〕〈坪内逍遙〉緒言「いと嗚呼(をこ)がましき所為(ワザ)とは思へど、敢て持論を世に示して」B仏事。法要。*西大寺本金光明最勝王経平安初期点〔八三〇頃〕六「我れ三宝を供養する(ワザ)に財物を須ゐむとす」*古今和歌集〔九〇五〜九一四〕恋二・五五六・詞書「しもついづもでらに人のわざしける日」*伊勢物語〔一〇C前〕七七「それうせ給ひて、安祥寺にてみわざしけり」C習慣化した行為で、目的をもつもの。仕事。つとめ。職業。*日本書紀〔七二〇〕敏達元年五月(前田本訓)「汝等の習(なら)ふ業(ワサ)、何の故か、就()らざる」*古本説話集〔一一三〇頃か〕五〇「くれ、えもいはぬ大木ども、ただこの牛一つして、運ぶわざをなんしける」*俳諧・犬子集〔一六三三〕七・春「けふの空行帰雁(きがん)とどまれ 北見れば業の網とも夕がすみ〈重頼〉」*談義本・風流志道軒伝〔一七六三〕二「其日のいとなみ事しげき者は、さまざまの(ワザ)に雪氷をもいとはず」Dできごと。事柄。物事のもつ深い事情や状態、次第などを問題にしていう。*万葉集〔八C後〕一九・四二一一「いにしへに 有りける和射(ワザ)の 奇(くす)ばしき 事と言ひつぐ〈大伴家持〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「鍵を置きまどはし侍りて、いとふびんなるわざなりや」*狭衣物語〔一〇六九〜七七頃か〕三「いと侘(わび)しきわざかな」E技芸。技術。手段。腕前。*古事記〔七一二〕中(古事記伝訓)「口鼓(くちつづみ)を撃()ち、(わざ)を為()して」*高野本平家物語〔一三C前〕九・小宰相身投「風をふせぐたよりもなく、雨をもらさぬわさもなし」*徒然草〔一三三一頃〕一八八「二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに」*随筆・北越雪譜〔一八三六〜四二〕初・上「糸織の(わざ)にも伶利(かしこ)ければ」*東西南北〔一八九六〕〈与謝野鉄幹〉若紫・四「立ち舞ふ(わざ)に糸の音に、優(みや)びしわざををさめしが」F特に、相撲・柔道・剣道などで、勝敗を決める一定の型をもった技術、技法。*姿三四郎〔一九四二〜四四〕〈富田常雄〉巻雲の章・車・三「真捨身業には違いないが、三四郎にはこの見事なの判断もつかなかった」Gわざわい。たたり。害。*土井本周易抄〔一四七七〕二「いづれに天下にわざある程に事とよませたぞ」*御伽草子・ささやき竹(岩波文庫所収)〔室町末〕「それわが朝と申すは、神世の末にて悪魔のわざなし難し」*虎明本狂言・附子〔室町末〜近世初〕「わざをするものはだますと云ふほどに」*仮名草子・伊曾保物語〔一六三九頃〕上・一一「五穀にわざもなさず、人に障(さは)りする事なし」【方言】@害を及ぼすこと。《わざ》大阪市「虫がわざをする」638岡山市762Aわざわい。たたり。《わざ》三重県志摩郡025大阪府南河内郡「今まで一度も祀(まつ)ってくれないのでわざをしている」644奈良県678宇陀郡680島根県725広島県比婆郡774山口県803豊浦郡「死霊のわざ」798B原因。理由。《わざ》富山県砺波397山口県803香川県仲多度郡「豆をようけ食べたのがわざしとるんじゃ」829C結果として現われること。《わざ》島根県隠岐島「食ったわざに腹がいたむ」725D仕返しとしてするいたずら。《わざ》山梨県南巨摩郡465Eいたずら。《わざ》福島県浜通155千葉県夷隅郡291島根県隠岐島「わざすんな」725高知県幡多郡「まあこな子のわざするとゆーたら」870長崎県壱岐島915《わんざ》新潟県上越市382西頸城郡385岐阜県可児郡497恵那郡514愛知県東春日井郡549《わんぞ》岐阜県本巣郡・稲葉郡498兵庫県淡路島671《わざし》島根県隠岐島725Fじゃま。《わざ》徳島県海部郡「また子どもがわざした」823Gいらぬ世話。おせっかい。《わざ》島根県隠岐島「わざすんな」725H悪口。《わざ》富山県砺波398I奸計(かんけい)。たくらみ。《わざ》大阪市638兵庫県淡路島「どお考へても只(ただ)でない、屹度(きっと)わざがあるぞ」671J異常なこと。《わざ》三重県南牟婁郡603K仕事。職業。《わざ》沖縄県首里「わざうしなゆん(失業する)」993【語源説】(1)もと、神のふりごとの意。それが精霊にあたる側の身ぶりに転用されたもの〔国文学の発生=折口信夫〕。(2)ワは接頭語アの転、サは状〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(3)「態」の転用で、シワサ(為態)の意から〔日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹〕。(4)ワカルサダ(分定)の義〔名言通〕。(5)ワレイザナフ(我誘)の略。自ら思い立って行ない続ける意〔紫門和語類集〕。(6)ワザワヒ(禍)の転用。曲之霊が禍を為すというところからか〔国語の語根とその分類=大島正健〕。(7)ワツ(吾職)の義〔言元梯〕。【発音】〈標ア〉[ザ]〈ア史〉平安・鎌倉●○〈京ア〉[ワ]【辞書】字鏡・色葉・名義・和玉・文明・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記【事】色葉・名義・和玉・易林・書言・言海態】色葉・名義・文明・書言【業】色葉・書言・ヘボン【行】色葉・名義【芸】名義・和玉【伎】字鏡【・故・偈】色葉【傑・信・諺・課・詐】名義【蠱】和玉【】文明【所為】言海【同訓異字】わざ【業・技・工・伎・芸・術・幹】【業】(ギョウ・ゴウ)仕事や職務また学問や芸術などのわざ。なりわい。よすぎ。つとめ。「業績」「業務」「学業」「事業」 また、「わざ」と読んで、行為、行動、技能。「神業」「仕業」「早業」《古なりはひ・ことわざ・なり・つとむ》【技】(ギ)手を使って行なうわざ。手でする細工わざ。てわざ。特に、格技やスポーツ、また、演芸などでのわざ。うでまえ。一般に、何かことを行なううでまえ。仕事をすすめるわざ。手並み。「技巧」「技術」「技量」「演技」「心技体」《古わざ・あやつる》【工】(コウ・ク)道具を使ったり、工夫したりしてしっかりとしたいいものを作り出すわざ。精巧なものを作り上げるたくみな技術。たくみ。「工芸」「工作」「工匠」「細工」《古たくみ・つくる》【伎】(ギ)「技」に同じ。《古しわさ・たくみ》【芸】(ゲイ)草木を植え育てる。転じて、何か作ったりできたりするわざ。学問や絵画、音楽、演劇などの才能、わざ、能力、技術。「芸者」「芸術」「芸能」「文芸」《古わざ・しわざ・なりはい》【術】(ジュツ)物作りや技芸、学問などにおける細かな方法、やりかた、てだて、すべ。「術語」「学術」「手術」「妖術」《古のり・みち・おきて・ならふ》【幹】(カン)物事を処理したり実行したりするときのわざ。任に耐えるはたらき。ことをつかさどる能力、うでまえ。「幹才」「幹略」「才幹」《古こはし・つよくする》

とあって、標記字「事」と「態」の和訓「わざ」を所載する古辞書が院政時代の『色葉字類抄』及び観智院本『類聚名義抄』に見える。

 

 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(わざ▼ざわ)
 
 
2009年04月26日(日)晴れ。東京(駒沢)
幾多・若干(そこら)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻三・若紫)に、「そこら」なる語について記載した箇所がある。

そこらはるかなる 幾多(ソコラ)日本紀 同 若干(ソコハク)同心歟(これも山深き心也)。〔ka03-009右E、角川書店刊255上J〕

とあって、「そこら」の語として、『日本書紀』に「幾多」「多」「若干」の標記字を示す。

菟田(うだ)の高城(たかき)に鴫羂(しぎわな)張()る我()が待()つや鴫(しぎ)は障(さや)らずいすくはし鷹等(くぢら)障(さや)り前妻(こなみ)が肴()乞()はさば立稜麥(たちそば)の實()の無()けくを幾多聶(こきしひ)ゑね後妻(うはなり)が肴()乞()はさば齋賢木(いちさかき)實()の多(おほ)けくを幾多聶(こきだひ)ゑね是(これ)を來目歌(くめうた)と謂()ふ。

〈原文〉于能多伽機珥、辭藝和奈破蘆、和餓末菟夜、辭藝破佐夜羅孺、伊殊區波辭、區羅佐夜離、固奈瀰餓、那居波佐麼、多智曾麼能、未廼那鷄句塢、居氣辭被惠禰、宇破奈利餓、那居波佐麼、伊智佐介幾、未廼於朋鷄句塢、居氣被惠禰。是謂來目歌。〔卷第三・神武天皇、大系〕

今(いま)、年(とし)若干(そこら)に踰()えぬ。〈原文〉今年踰若干。〔卷第十四・雄略天皇、大系上499A〕

朕(われ)當(まさ)に若干(そこら)の人(ひと)を遣送(おくりつかは)して、安羅の逃()げ亡(ほろ)びたる空(むな)しき地(ところ)に充實()てむ」とのたまふ。〔卷第十九・欽明天皇、大系下97@〕

とあって、標記字「幾多」は「居氣(こき)」、「多」は「さは」、そして「若干」の標記字に和訓「そこら」を記載する。

 近代の国語辞書である大槻文彦編『大言海』に、

 

とあって、

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

そこ‐ら〔副〕@分量や数の多いさまを表わす語。たくさん。多く。大勢。あまた。*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「それが玉を取らんとて、そこらの人々の害せられんとしけり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕梅枝「そこらの、きゃうざくの姫君たち、ひきこめられなば、世に映えあらじ」*浜松中納言物語〔一一C中〕二「思ひ出よそこらちぎりし言の葉をいかに忘れてそむきぬる世ぞ」*讃岐典侍日記〔一一〇八頃〕上「此声を聞きて、そこら、ののしりつる久住者(くぢゆうさ)ども、ひしとやみぬ」*大鏡〔一二C前〕三・師輔「賀茂の祭りの日、一条の大路にそこら集りたる人さながら、ともにほとけとならむと」A程度のはなはだしいさまを表わす語。たいそう。非常に。きわめて。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若紫「京にてこそ、所えぬやうなりけれ、そこら遙かにいかめしう、しめて造れる様」*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕御賀「折れかへり舞ひ給ふ程、そこら広き庭に人と見え給はで」*大鏡〔一二C前〕五・道長上「顔はそこらけさうじたりつれど、草の葉の色のやうにて」【辞書】言海【表記】【許多】言海

とあって、標記字では明治時代の『言海』に「許多」を収載するだけである。この『河海抄』が引用する『日本書紀』中の四例には「そこら【若干】」の訓読例があるのだがこれも未収載なのである。

 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(そこら▼らこそ)
 
 
2009年04月25日(土)。東京(駒沢)
(オクまる)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻三・若紫)に、「おくまる」なる語について記載した箇所がある。

すこしおくまれる山すみをもせて (ヲクマル)日本紀 文選ニ奥字をふかきとよめり ?雲(ソウウン)(フカキ)詞等也(これも山深き心也)。〔Ka03-008左G、角川書店刊255上D〕

とあって、「おくまる」の語として、『日本書紀』に「」の標記字を示す。

(まき)は以て顯見(うつしき)蒼生(あをひとくさ)の奧津棄戸(おきつすたへ)に將()ち臥()さむ具(そなへ)にすべし。

〈原文〉可以爲顯見蒼生奥津棄戸。〔卷第一神代上、大系上128D〕

とあって、標記字「奥津」に和訓「おきつ」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

おく‐ま・る【奥─】〔自ラ五(四)〕@奥深くなる。奥のほうにこもる。奥深くにある。*蜻蛉日記〔九七四頃〕下・天延二年「『清らの人あり』とて、おくまりたる女らの、裳()などうちとけすがたにていでてみるに」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若紫「少しおくまりたる山住もせでさる海づらに出でゐたる」*読本・椿説弓張月〔一八〇七〜一一〕後・三〇回「身を起して(オク)まりたる家廟(ぢぶつだう)を押ひらき」A深くたしなみのある心をもつ。奥床しい心がある。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕花宴「衣のおとなひいと花やかにふるまひなして、心にくくをくまりたるけはひは立ちおくれ、今めかしき事を好みたるわたりにて」B内気である。引っ込み思案である。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕澪標「おくまりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞かせ奉らむは、いと世になく珍らかなる事とおぼしたれば」*和泉式部日記〔一一C前〕「ふるめかしう、おくまりたる身なれば、かかるところにゐ慣らはぬを、いとはしたなき心ちするに」【発音】〈標ア〉[マ][0]【辞書】言海

とあって、『河海抄』が引用する典拠『日本書紀』には「おきつ【奧津】」の用例であって大系語注記が示す「奧のという意。家の奧、山の奥、あるいは土の奥底の意」でしかない。
 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(おくまり▼りまくお)
 
 
2009年04月24日(金)晴れ。東京(駒沢)
願文(クワンモン)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻二・夕顔)に、「くわんもん」なる語について記載した箇所がある。

くわんもんつくらせ給 願文日本紀 清和天皇貞觀九年十月勸學院南辺更建一院号延命院乃至自製願文詞多不載焉 身つから願文をつくる事是等例歟〔角川書店刊251下I〕

とあって、「くわんもん」の語として、『日本書紀』に「願文」の標記字を示す。

是の月(つき)に、百濟、丈六(ぢやうろく)の佛像(ほとけのみかた)を造(つくり)りまつる。願文(ことねがひのふみ)を製(つく)りて曰()へらく、「蓋(けだ)し聞()く、丈六の佛(ほとけ)を造りたてまつる功徳(のりのわざ)甚大(おぎろ)なり。今(いま)敬(うやま)ひて造りたてまつりぬ。

〈原文〉秋九月、百濟遣中部護徳菩提等、使于任那。贈呉財於日本府臣及諸旱岐、各有差。是月、百濟造丈六佛像。製願文曰、蓋聞、造丈六佛、功徳甚大。今敬造。以此功徳、願天皇獲勝善之徳、天皇所用、彌移居國、倶蒙福祐。又願、普天之下一切衆生、皆蒙解脱。故造之矣。〔六年秋九月、卷第十九〕

とあって、標記字「願文」に和訓「ことねがひのふみ」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

がん‐もん[グヮン:]【願文】〔名〕[]神仏に願を立てるとき、あるいは仏事を修するとき、願意を記した文章。がんぶみ。*正倉院文書‐天平勝宝八年〔七五六〕六月二一日・東大寺献物帳(寧楽遺文)「奉為太上天皇捨国家珍宝等、入東大寺願文」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕蔵開上「『罪逃がらかし給へ』と、右大弁季英の朝臣に仰せごとたまひて、『ぐんもんかきてせさせ給へ』ときこえて」*枕草子〔一〇C終〕八八・めでたきもの「博士の才あるは、いとめでたしといふもおろかなり。〈略〉願文・表・ものの序など作りいだしてほめらるるも、いとめでたし」*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕うたがひ「その日の御ぐゎんもむ、式部大輔大江匡衡朝臣仕うまつれり」[]最澄が初めて比叡山にはいったときの誓いを述べた文書。一巻。最澄の高弟、仁忠が編述した「叡山大師伝」の中にあるのを抄出別行したもの。二五七字より成る短編であるが、天台宗で古来重用する。【発音】〈標ア〉[0][ガ]〈京ア〉[0]【辞書】文明・饅頭・日葡・書言・言海【表記】【願文】文明・饅頭・書言・言海

とあって、字音「ガンモン」では所載されているが、『日本書紀』の和語「ことのねがいのふみ」では未収載にする。この標記字「願文」は、室町時代の古辞書広本『節用集』以降所載を見る。

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(がんもんことねがいのふみ▼みふのいがねとこんもんが)
 
 
2009年04月23日(木)晴れ。東京(八王子)
大徳(タイトク・ホウシ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻二・夕顔)に、「たいとく」なる語について記載した箇所がある。

大とく 大徳(ホウシ)日本紀 肅宗制天下名山置大徳七人僧之官徳也云々 〔角川書店刊246上N〕

とあって、「たいとく」の語として、『日本書紀』に「大徳」の標記字を示す。

十二月(しはす)の戊辰(つちのえたつ)の朔(ついたち)壬申(みづのえさるのひ)に、始(はじ)めて冠位(かうぶりのくらゐ)を行(おこな)ふ。大徳(だいとく)・小徳(せうとく)・大仁(だいにん)・小仁(せうにん)・大禮(だいらい)・小禮(せうらい)・大信(だいしん)・小信(せうしん)・大義(だいぎ)・小義(せうぎ)・大智(だいち)・小智(せうち)、并(あはせ)て十二階(としなあまりふたしな)。〔卷第廿二・推古天皇〕

〈原文〉十二月戊辰朔壬申、始行冠位。大徳・小徳・大仁・小仁・大禮・小禮・大信・小信・大義・小義・大智・小智、并十二階。並以當色●縫之。頂撮總如嚢、而着縁馬。唯元日着髻花。髻花、此云于孺。

己未(つちのとのひつじのひ)に、天皇(すめらみこと)、直大肆(ぢきだいし)藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)大嶋(おほしま)・直大肆黄書連(きふみのむらじ)大伴(おほとも)をして、三百(みももはしら)の龍象(おご)しき大徳等(ほふしたち)を飛鳥寺(あすかのてら)に請()せ集(つど)へて、袈裟(けさ)を奉施(おくりたてまつ)りたまふ。

〈原文〉己未、天皇使直大肆藤原朝臣大嶋・直大肆黄書連大伴、請集三百龍象大徳等於飛鳥寺、奉施袈裟。人別一領。曰、此以天渟中原瀛眞人天皇御服所縫作也。詔詞酸割。不可具陳。〔卷第卅・持統天皇〕

とあって、標記字「大徳」に字音訓「だいとく」及び字音訓「ほうし」とを記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

だい‐とく【大徳】〔名〕(「たいとく」とも)@偉大な徳。大きな徳。立派な徳。*万葉集〔八C後〕五・沈痾自哀文「天地之大徳生、故死人不生鼠〈山上憶良〉」*読本・雨月物語〔一七七六〕青頭巾「禅師の大徳雲の裏海の外にも聞えて」*西国立志編〔一八七〇〜七一〕〈中村正直訳〉二・一三「抑も正直忠厚は人の性行に於て最も尊ぶべきの大徳なり」*詩経‐谷風「忘大徳、思我小怨」*易経‐繋辞下「天地之大徳生、聖人之大宝曰位」A仏語。仏に対する呼称。また、長宿の僧をいい、徳の高い僧をもさしていう。高徳の僧。転じて一般に、僧。だいとこ。*続日本紀‐天平一五年〔七四三〕正月癸丑「天皇敬諮四十九座諸大徳」*観智院本三宝絵〔九八四〕中「ただ願はくは、大徳後世を引導し給へ」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕藤原の君「比叡の山に総持院の十禅師なる大とくのいふやう」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕玉鬘「はやくおやのかたらひし大とくのこれるをよびとりてまうでさせたてまつる」*破垣〔一九〇一〕〈内田魯庵〉四「近ごろ帰朝した某外交官の欧州風俗談と某大徳(ダイトク)の仏教道徳談と」*釈氏要覧‐上「大徳。智度論云、楚語娑檀陀、秦言大徳。律中多呼仏為大徳」B大きな恩恵。めぐみ。大きな利益。*サントスの御作業〔一五九一〕一・サンタヘブロニヤ「イッタンノ タノシミ ニ ヒカレテ taitocuuo(タイトクヲ) ウシナイ タマウナ」*日葡辞書〔一六〇〜〇四〕「Taitocu (タイトク)〈訳〉大きな利益」*日葡辞書〔一六〇〜〇四〕「Daitocu(ダイトク)〈訳〉大きな利益」*こんてむつすむん地〔一六一〇〕三・三〇「かるがゆへになんぢ、これをかなしみ、きびしきたたかひにをよぶべけれども、もくしてこれを、しのぐにをひては、てんの大とくをえべし」C聖徳太子が、推古天皇一一年(六〇三)に制定した冠位十二階の一つ。第一番目の位。*日本書紀〔七二〇〕推古一一年一二月(岩崎本訓)「始めて冠の位を行ふ。大徳(音読)・小徳」日本書紀〔七二〇〕推古一九年五月「是の日に諸の臣の服の色、皆冠の色に随ふ。各髻華着せり。則ち大徳・小徳は並に金を用ゐる」*新撰姓氏録〔八一五〕左京皇別下「大徳小野臣妹子」D金持。裕福な人。有徳(うとく)。【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】文明・日葡・書言・言海【表記】【大徳】文明・書言・言海[子見出し]だいとくは小怨(しようえん)を滅(めつ)す

とあって、見出し語「だいとく」は見えるが「ほうし【法師】」は見えない。そして、標記字「大徳」の語は古辞書では室町時代の広本『節用集』、江戸時代の『書言字考節用集』、明治時代の『言海』に所載を見る。
 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(だいとく▼くといだ)
 
 

 

2009年04月22日(水)曇りのち晴れ。東京(駒沢)
流離(さすらふ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻二・夕顔)に、「さすらふ」なる語について記載した箇所がある。

さすらはん 伶?(サスラウ) 又龍鐘 流離(サスラウ)日本紀 (ステニ)(シノフ)伶?(レイヘイノ)十年事強(シイテ)( ス)栖息一枝杜甫(トホ)〔ka02_028A・角川書店刊〕

とあって、「さすらふ」の語として、『日本書紀』に「流離」の標記字を示す。

六年に、百姓(おほみたから)流離(さすら)へぬ。〈原文〉六年、百姓流離。〔卷第五・崇神天皇〕

とあって、標記字「流離」に和訓「さすらへ」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

さすら・う[さすらふ]【流離】〔自ワ五(ハ四)〕(中世には「さずらふ」とも)@身を寄せる所も定まった目的もなく、あちこちさまよい歩く。漂泊する。放浪する。さまよう。さそらう。*延喜式〔九二七〕祝詞・六月晦大祓「かく気吹(いぶ)き放ちては、根の国、底の国に坐す速さすらひめといふ神、持佐須良比(サスラヒ)失ひてむ」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕総角「心のほかに、有るまじきさまにさすらふたぐいだにこそ、多く侍るめれ」*狭衣物語〔一〇六九〜七七頃か〕四「かばかりの程を、ひき放ちて、もてさすらはせ給はん程の、悲しさ、恨めしさ」*大唐西域記長寛元年点〔一一六三〕三「我は此の池の龍女なり。敬て、聖の族(うから)、流離(サスラフこと)して難を逃(のが)れたまひたり」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Sasurai, o, ota(サスラウ)〈訳〉放浪する。つまり、定まった場所も住居もなくさまよい歩く」*歌舞伎・傾城飛馬始〔一七八九〕三段「足なへの御病にて、天の岩舟にて、漂泊(サスラ)ひ給へど」A流罪、左遷などにあって、遠く離れた土地に行く。島流しになる。*いろは字〔一五五九〕「謫 サズラフ 謫居(タクキヨ)也」*読本・新累解脱物語〔一八〇七〕四・八「われ過(あやまち)なくて左遷(サスラフ)こと、彼(かの)妬婦が奸計によれりとしりながら」*読本・椿説弓張月〔一八〇七〜一一〕後・一八回「われは清和天皇の後胤〈略〉源為朝と呼(よば)るものなるが、故あって伊豆の大島に(サスラ)り」*和英語林集成(初版)〔一八六七〕「Saszrai, o-, o-ta サスラウ 左遷〈略〉同義語 サセン ルザイ」B気持などが離れる。また、気持などが定まらない。*大唐西域記長寛元年点〔一一六三〕七「上下の心を(サスラフ)賤妾愚忠なりとも能く強敵を敗(やぶ)らむ」[]〔自ハ下二〕(室町時代頃からヤ行にも活用した。→さすらゆ)@[]@に同じ。*日本書紀〔七二〇〕崇神六年(寛文版訓)「百姓、流離(サスラヘ)ぬ。或いは背叛(そむくもの)有り」*大和物語〔九四七〜九五七頃〕一四八「さてとかう女さすらへて、ある人のやむごとなき所に宮たてたり」*大唐西域記長寛元年点〔一一六三〕三「其の一の釈種既に国都を出で、跋渉(サスラヘ)て中路に病弊(やわひ)す」*玉葉〔一三一二〕雑五・二五一九「頼み来()し我が心にも捨てられて世にさすらふる身を厭ふかな〈藤原家隆〉」*俳諧・奥の細道〔一六九三〜九四頃〕旅立「漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ」A[]Aに同じ。【語誌】(1)[]Aの挙例の「いろは字」のほか、「日葡辞書」に「サスラエ、ユル、エタ、または、sazuraye (サズラエ)」とあるように、中世には第二音節が濁音の語形も見られた。(2)活用に関しては、古くから四段と下二段が拮抗していたが、中世以降は四段が日常口頭語的、下二段が雅語的といった位相の違いも見られる。近代以降は四段活用が優勢となった。(3)流浪する意の「さすらふ」の類義語に「ただよふ」があるが、光源氏が須磨・明石を漂泊した事実を自ら「身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ」〔源氏‐須磨〕「横さまの罪に当りて、思ひかけぬ世界にたたよふも」〔同‐明石〕と言っており、両者は近い意味を表わしたようである。ただし、「ただよふ」は必ずしも零落するという意味合いをもたない。(4)「和英語林集成(初版)」には「Saszraye, ru, ta サスラヘル」と下一段活用があげてあり、文書語または廃れた語を表わす記号が付されている。【方言】災難に遭う。《さすらう》宮崎県東諸県郡954【語源説】(1)サはサル(避)の語根、スラフはシラフ(合)の転〔大言海〕。(2)間の義をもつサを語根とする動詞サスル(流離)の延語か〔国語の語根とその分類=大島正健〕。(3)誘導を意味するサスリの進行格。サスリのサスはサスヒ(誘)の語幹で、リは行動を意味する語〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(4)サシヤラフ(指逐)の義〔紫門和語類集〕。(5)サカシスツル(離棄)の義〔名言通〕。(6)サウツル(左遷)の義〔言元梯〕。(7)サリスギナガレフ(去過流経)の義〔日本語原学=林甕臣〕。【発音】サスローとも〈標ア〉[ラ]([ロ])〈ア史〉平安●●●○〈京ア〉[0]【辞書】色葉・名義・和玉・易林・日葡・ヘボン・言海【表記】【?】色葉・名義・和玉【伶?】色葉・名義・易林【】色葉・和玉【伶・・流浪・愍抓】色葉【伶・浪・・龍鐘】名義【囈圜甃痾】易林【左遷】ヘボン【流離】言海

とあって、『日本書紀』の標記字「流離」は明治時代の『言海』に収載するに留まる。

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(さすらう▼うらすさ)
 
 
2009年04月21日(火)曇りのち雨。東京(駒沢)
横刀(たち)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻二・夕顔)に、「たち」なる語について記載した箇所がある。

たちをひきぬいて 横刀(タチ)日本紀〔角川書店刊246上N〕

とあって、「たち」の語として、『日本書紀』に「横刀」の標記字を示す。

弟(おとのみこと)患(うれ)へて、即(すなは)ち其の横刀(たち)を以()て、新(にひ)しき鉤を鍛作(かた)して、一箕(ひとみ)に盛()りて與ふ。

〈原文〉弟患之、即以其横刀、鍛作新鉤、盛一箕而與之。〔卷第二・神代下〕

とあって、標記字「横刀」に和訓「たち」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

たち【太刀・大刀】〔名〕@長大な刀の総称。短小の「かたな」に対していう。*日本書紀〔七二〇〕崇神六〇年七月・歌謡「や雲立つ 出雲梟師(たける)が 佩ける多知(タチ)黒葛(つづら)多巻(さはま)きさ身無しにあはれ」*万葉集〔八C後〕二・一九九「皇子ながら 任(よさ)し給へば 大御身に 大刀(たち)取り帯()かし〈柿本人麻呂〉」A刃を下に向けて腰につり下げる長大な刀の称。刃を上に向けて帯に差す「かたな」に対していう。儀仗の太刀、兵仗の太刀それぞれに各種類がある。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕あて宮「たちを抜き、きらめかして、かたはしより追ひはらひて」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「うたて思さるれば、たちを引き抜きて、うち置き給ひて」*色葉字類抄〔一一七七〜八一〕「大刀 タチ 似釼而一刃曰刀」*米沢本沙石集〔一二八三〕七・一二「膝の下に太刀ねぢかいて居たりければ」*太平記〔一四C後〕二・長崎新左衛門尉意見事「我は元来太刀も刀も持ず、只人の太刀を我物と憑(たのみ)たるに」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Tachiuo(タチヲ)ハク」*読本・椿説弓張月〔一八〇七〜一一〕続・四一回「太刀の刃の続ん程は、思ふままに防ぎ戦ひ」B「たちうお(太刀魚)」の略。*弘治二年本節用集〔一五五六〕「(タチイヲ)〈略〉剣魚(タチ)」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Tachi(タチ)〈訳〉魚の一種」【語誌】(1)「十巻本和名抄‐五」の記載によると、「たち」は片刃の大刀、「かたな」は片刃の小刀、「つるぎ」は両刃のものを指したらしいが、「たち」と「つるぎ」の違いは、上代では「倶娑那伎能都留伎(くさなきのつるき)」〔書紀‐神代・上〕とも「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」〔古事記‐上〕ともいい、「東大寺献物帳」でも必ずしも両刃・片刃によって区別していないことなどからみると、上代では、「たち」は両刃・片刃にかかわらず長刀を総称していったものらしい。「たち」と訓まれるものには「大刀」のほかに「横刀」があって、両者は書き分けられたようであるが、横刀は、正倉院の遺物から検討すると、刃渡りが短く、相対的に横幅の広いものを指すとみられる。(2)平安時代以降、反刀(そりがたな)が用いられるようになるとともに、「たち」は「大刀」から「太刀」と書かれるようになり、さらに近世以降は、刃を上にして帯にさす打刀が流布し、その二腰を大刀・小刀と称したので、それとの混同を防ぐため、「たち」は太刀と書くのが慣例になった。(3)なお、今日では、古墳時代以後、奈良時代までの直刀(ちよくとう)を「大刀」、平安以降の反刀(そりがたな)を「太刀」と書いて区別している。【方言】@杉を切り出す時、皮をむく道具。A《たち》奈良県吉野郡685B(にべ)の小さいもの。C《たち》西土†005魚、たちうお(太刀魚)。D《たち》福井県坂井郡016兵庫県神戸市016鳥取県016島根県石見725山口県萩市016香川県829高知県016福岡県016魚、さより(細魚)。E《たち》島根県邇摩郡725【語源説】(1)タチ(断)の義〔日本釈名・東雅・冠辞考・類聚名物考・古事記伝・桂林漫録・円珠庵雑記・箋注和名抄・雅言考・言元梯・名言通・和訓栞・日本古語大辞典=松岡静雄・国語の語根とその分類=大島正健・大言海〕。(2)タイツ(大刀)の転。(3)ツはタウ(刀)の反〔名語記〕。【発音】〈標ア〉[タ]〈ア史〉鎌倉・平安○○ 室町・江戸○●〈京ア〉[タ]【辞書】字鏡・和名・色葉・名義・下学・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【太刀】下学・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・書言・ヘボン・言海【大刀】和名・色葉・名義【釼】色葉【劔・・槊】名義【金+犬+刀】文明【横刀】書言【図版】 太刀〈兵仗の太刀〉[子見出し]たちの=緒()[=帯取(おびとり)]たちの柄(つか)・たちの鍔(つば)

とあって、標記字「横刀」で和訓「たち」を所載する古辞書としては、江戸時代の『書言字考節用集』がある。

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(たち▼ちた)
 
 
2009年04月20日(月)晴れ。東京(駒沢)
(つと)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻二・夕顔)に、「つと」なる語について記載した箇所がある。

つと御かたはらに (ツト)日本紀〔角川書店刊246上M〕

とあって、「つと」の語として、『日本書紀』に「」の標記字を示す。実際、『日本書紀』本文なか

弟姫、容姿(かほ)絶妙(すぐ)て比無(ならびな)し。其()の艶(うるは)しき色(いろ)、衣()より徹(とほ)りて晃()れり。是(ここ)を以()て、時人(ときのひと)、號(なづ)けて、衣通郎姫(そとほしのいらつめ)と曰(まう)す。

〈原文〉弟姫容姿絶妙無比。其艶色徹衣而晃之。是以、時人號曰衣通郎姫也。〔七年冬十二月壬戌朔、卷第十三〕

とあって、標記字「」に和訓「つと」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

つどい[つどひ]【集】〔名〕(動詞「つどう(集)」の連用形の名詞化)@集まること。集まりかたまること。集まり。*万葉集〔八C後〕一八・四一〇五「白玉の五百(いほ)つ追度比(ツドヒ)を手に結びおこせむ海人はむがしくもあるか〈大伴家持〉」*名語記〔一二七五〕二「毒物のつどひにて瘻とはなる也」*潮騒〔一九五四〕〈三島由紀夫〉一〇「庚申様の集ひに新治の母親がゆくと、顔を出したとたんに、皆は白けたやうな顔をして話を止めた」*婉という女〔一九六〇〕〈大原富枝〉一「性別のない不思議な人間の集いのように、ここでわたくしたち兄妹は、嘘を吐き合ってすごした」【方言】差し支え。差し障り。《つどい》島根県「今日はつどいがあってどうしても行かれん」725山口県大島801【発音】〈標ア〉[ド][0]〈京ア〉[0]【上代特殊仮名遣い青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。ツドヒ

とあって、標記字「集」の語は「つどひ」と見る。

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(つどい▼いどつ)
 
 
2009年04月19日(日)晴れ。東京(駒沢)
不意(ゆくりなく)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻二・夕顔)に、「ゆくりなく」なる語について記載した箇所がある。

ゆくりなく 不意(ユクリナク)日本紀  率尓() 不意之間 水源抄云 とりあへぬ心歟云々〔角川書店刊245上C〕

とあって、「ゆくりなく」の語として典拠資料を『日本書紀』にて「不意」と「率尓」の標記字を示している。その後に『水源抄』を引き、「とりあへぬ心か」と記載する。

吾(われ)は勁(つよ)き卒(いくさ)を駈馳()せて、直(ただ)に墨坂(すみざか)を指()して、菟田川(うだがは)の水(みづ)を取()りて、其()の炭(すみ)の火()に潅(そそ)きて、■忽(にはか)の間(あひだ)に、其()の不意(おもひのほか)に出()でば、破(やぶ)れむこと必(かなら)じ」とまうす。

〈原文〉今世人夜忌一片之火、又夜忌擲櫛、此其縁也。時伊奘諾尊、大驚之曰、吾不意到於不須也凶目汚穢之國矣、乃急走廻歸。是以、跋渉雲霧、遠自來參。不意、阿姉翻起嚴顏。〔〕

安(いづくに)ぞ(ニハカ)に使となりて、余(われ)をして()が前(まへ)に自伏(したが)はしめむ」といひて、遂(つひ)に戰(たたか)ひて受()けず。

〈原文〉安得爲使、俾余自伏前、遂戰而不受。驕而自矜。〔卷第十七・繼體天皇、廿一年夏六月〕

とあって、標記字「不意」の和訓を「おもひのほか」とし、「」に和訓「にはか」を記載する。

 平安後期に成った古辞書『色葉字類抄』に、

卒尓ユクリナシ〔黒川本由部畳字門下56ウG〕

とあり、前田家本がこの箇所を欠いているので「率尓」と「卒尓」の表記はここからは定めがたい。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

ゆくり‐な・し〔形ク〕(「なし」は、接尾語)@予想もしないようなさまである。にわかである。不意である。突然である。思いがけない。ゆくりもなし。*土左日記〔九三五頃〕承平五年二月五日「ゆくりなくかぜふきて、こげどもこげども、しりへしぞきにしぞきて」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若紫「ゆくりなう、物深きおまし所になむと聞ゆ」*観智院本名義抄〔一二四一〕「率 ニハカニ ユクリナシ」*読本・椿説弓張月〔一八〇七〜一一〕残・六三回「女児が非業の死に代て、亦ゆくりなき洪福(さいはひ)なり」*福音道志流部〔一八八五〕〈植村正久〉四「生の母の所在を知らず〈略〉ありしが、不測(ユクリナク)も其の所在姓名まで詳しく之に告ぐるものあるに当り」*青春〔一九〇五〜〇六〕〈小栗風葉〉秋・一六「()くりなくも〈略〉出会仕候」A思慮をめぐらさずに事をなすさまである。かるはずみである。不注意である。ゆくりもなし。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕賢木「あたら思ひやり深うものし給ふ人のゆくりなくかうやうなる事、をりをりませ給ふを、人もあやしと見るらむかし」*夜の寝覚〔一〇四五〜六八頃〕五「さのたまふ人ありとて、入道殿の、いかでかはゆくりなくうけひき給ぞ」【語源説】(1)心のゆく事もなくての義か〔和訓栞〕。(2)ユカリナク(所縁无・由縁無)の義〔言元梯・名言通〕。ユカリナシの転か〔大言海〕。(3)ユはユルキ(緩)のユで、ユルユルとする暇が無いことの意。ユクリはユックリと同義か〔国語の語根とその分類=大島正健〕。【発音】〈標ア〉[ナ]〈京ア〉[ナ]【辞書】色葉・名義・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【不意】書言・ヘボン・言海【卒尓】色葉【率尓】名義【卒爾】書言

とあって、『日本書紀』の標記字「不意」と「率爾」の二語の和訓「ゆくりなく」は、江戸時代の『書言字考節用集』に所載するに留まる。但し、「卒尓」として『色葉字類抄』、「率尓」で観智院本『類聚名義抄』に所載をみる。

 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

 

《回文》(ゆくりなく▼くなりくゆ)
 
 
2009年04月18日(土)晴れ。東京(八王子→両国)江戸国立博物館
農業(なりはひ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻二・夕顔)に、「なりはひ」なる語について記載した箇所がある。

なりわひ 稔農(ナリハヒ)順和名東作 稼穡已上同 農業日本紀田宅ナリハヒトコロ同十一    〔角川書店刊243上C〕

とあって、「なりはひ」「なりはひところ」の語として、『日本書紀』に「農業」と「田宅」の標記字を示す。

故(かれ)、帝王(すめらみこと)躬(おほみみづか)ら耕(たつく)りて、農業(なりはひ)を勸(すす)め、后妃(きさき)親(みづか)ら蠶(こがひ)して、桑序(くはのとき)を勉(すす)めたまふ。

〈原文〉○戊辰、詔曰、「朕聞、士有當年而耕者、則天下或受其飢矣。女有當年而不績者、天下或受其寒矣。故、帝王躬耕、而勸農業、后妃親蠶、而勉桑序。況厥百寮、蠶于萬族、廢棄農績、而至股富者乎。有司普告天下、令識朕懷。」〔繼體天皇〕

とあって、標記字「農業」に和訓「なりはひ」を記載する。
 

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

なり‐わい[:はひ]【生業・家業】〔名〕@五穀が実るようにつとめること。田畑を耕作すること。農耕。農業。また、その作物。*万葉集〔八C後〕一八・四一二二「万調(よろづつき)奉る官(つかさ)と作りたるその奈里波比(ナリハヒ)を雨降らず日の重れば 植ゑし田も蒔きし畠も朝ごとに凋(しぼ)み枯れ行く〈大伴家持〉」*日本霊異記〔八一〇〜八二四〕下・三〇「俗に著きて営農(ナリハヒヲシ)妻子を蓄へ養ふ。〈真福寺本訓釈 営農、二合ナリハヒヲシ〉」*十巻本和名抄〔九三四頃〕五「農耕具八十 〈日本紀私記云 奈利波比〉」*養生訓〔一七一三〕一「春たねをまきて夏よく養へば、必秋に至りて、なりはひ多きが如し」A生活していくための仕事。世わたりの仕事。職業。家業。せいぎょう。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「あはれ、いと寒しや、今年こそ、なりはひにも、頼む所すくなく」*観智院本名義抄〔一二四一〕「家業 ナリハヒ*談義本・艷道通鑑〔一七一五〕四・一〇「産業(ナリハヒ)もゆたか成里なれば、それながら女のとりなりもいやしからず」*読本・南総里見八犬伝〔一八一四〜四二〕二・一二回「又売して生活(ナリハヒ)とし給へり」*尋常小学読本〔一八八七〕〈文部省〉四「少しのいとまあれば、盲にてかなふだけの事をばなして、兄のなりはひを助けたり」B小正月の予祝行事として、若木で小さな百姓道具を作って祝うこと。【語誌】@漢語「生計」に対応する和語。奈良・平安時代に多用されたが、中世には、文章語の性格が強くなり、近世になると文語色の濃い談義本や読本などで用いられた。A中世後期には、狂言や抄物、さらにはキリシタン資料などには「すぎわい」が、江戸時代には「くちすぎ」がそれぞれ「生活のためのてだて」の意味として多用されるようになる。【語源説】(1)ナリは五穀がナリ(生)出るの義〔俗語考・言葉の根しらべ=鈴江潔子〕。(2)ハヒは状態を示す助辞〔大言海〕。(3)ナラハシフルの約〔和訓集説〕。【発音】〈標ア〉[0][ワ]〈ア史〉平安・鎌倉○○○○〈京ア〉(0)【上代特殊仮名遣い】 青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。ナリハ辞書】和名・色葉・名義・和玉・文明・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【農】和名・色葉・名義・和玉・文明【稼】色葉・名義・和玉【穡】色葉・名義・書言【業】名義・文明・ヘボン【・東作・豊・登】色葉【家業・産・芸】名義【稷】和玉【活業・活計・農桑・登稔・耕種業・稔作・民業】書言【生業】言海[子見出し]* なりわいは草(くさ)の種(たね)

とあって、『万葉集』の用例のみで『日本書紀』の用例は未記載である。そのため『河海抄』が示す漢字表記「農業」に「なりわい」の語は見えない。また、源順『倭名類聚鈔』についても『河海抄』が示す漢字表記は未収載となっている。

 

《回文》(なりわい△いわりな)
 
 
2009年04月17日(金)曇り。東京(駒沢)
無別(わりなし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「ときめく」なる語について記載した箇所がある。

わりなくまとはさせ給あまりに 無別(ワリナシ)日本紀 無破 纏マトウ〔角川書店刊193下EF〕

とあって、「わりなく」の語として、『日本書紀』に「無別」「無破」の標記字を示す。

其東夷之中、蝦夷是尤強焉。男女交居、父子無別。冬則宿穴、夏則住樔。衣毛飮血、昆弟相疑。

其()の東(ひむがし)の夷(ひな)の中(うち)に、蝦夷(えみし)は是(これ)尤(はなは)だ強(こは)し。男女(をのこめのこ)交(まじ)り居()りて、父子(かぞこ)別(わきだめ)無し。冬(ふゆ)は穴(あな)に宿()、夏(なつ)は樔()に住()む。毛()を衣()き血()を飮()みて、昆(このかみ)弟(おとと)相疑(あひうたが)ふ。〔廿八年冬十月の〕

とあって、標記字「無別」の和訓に「わきだめなし」を収載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

わり‐な・い【理無】〔形口〕わりな・し〔形ク〕(「割り無い」で、ことわり(理)が無いの意)@道理に外れている。分別がない。わきまえを失っている。理性でどうにもならない。*古今和歌集〔九〇五〜九一四〕恋四・六八五「心をぞわりなき物と思ひぬるみる物からや恋しかるべき〈清原深養父〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕桐壺「これもわりなき心の闇になん」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕一九・三「前の世に、人の為に後めた无き心を仕ひ、人に穢き物を令食め、破无き物を貪り」*山家集〔一二C後〕中「恋ひらるるうき名を人に立てじとて忍ぶわりなき我袂(たもと)哉」*浄瑠璃・近江源氏先陣館〔一七六九〕六「御若気とて三浦之介にわりなき恋路」A無理である。強引である。むりやりである。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕祭の使「折しもこそあれ、わりなき召しかな」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕宿木「何かは、隔て顔にもあらむ。わりなき事一つにつけて、恨みらるるよりほかには、いかでこの人の御心に違はじ」*古本説話集〔一一三〇頃か〕六四「さるにても、いかがとあると、見むと思ひて、岸のもとに寄りて、わりなくつまだてて、恐しければ、わづかに見入るれど」*徒然草〔一三三一頃〕一七一「よくおほふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかりおほふやうなれど、多くおほふなり」*読本・椿説弓張月〔一八〇七〜一一〕続・三六回「毛国鼎は、なほ面を犯して諫んとするに、近臣わりなく押隔(へだて)、さまざまにいひ諭(さと)しつ、遙後方(あとべ)に引居(ひきすえ)たり」Bどうしようもなくつらい。たえがたく苦しい。こらえきれないほどである。どうにもやるせない。*落窪物語〔一〇C後〕一「夜一夜、しらぬことによりうちひき給ひつるこそいとわりなかりつれ」*枕草子〔一〇C終〕一八四・宮にはじめてまゐりたるころ「絵などとり出でて見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじうわりなし」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕空蝉「をととひより腹をやみて、いとわりなければ、しもに侍りつるを」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕三〇・四「今夜こそ物怖しく破无かりつれ」*仮名草子・薄雪物語〔一六三二〕下「げにことはりや。妹背の中程わりなき事はよもあらじ」*俳諧・曠野〔一六八九〕員外「なみだみるはなればなれのうき雲に〈嵐雪〉 後(のち)ぞひよべといふがはりなき〈越人〉」*浄瑠璃・夕霧阿波鳴渡〔一七一二頃〕上「心の底をくどきたて、涙わりなき物語」Cやりようがない。どうしようもない。仕方がない。やむを得ない。余儀ない。是非もない。*落窪物語〔一〇C後〕一「雨はいやまさりにまされば、思ひわびて頬杖(つらづゑ)つきて、しばしより居給へり。帯刀(たちはき)わりなしと思へり」*枕草子〔一〇C終〕一九六・宮仕人のもとに「いみじう酔ひて、わりなく夜ふけてとまりたりともさらに湯漬をだに食はせじ」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕総角「わりなき、事のしげさを打ち捨ててまで給ふ」*増鏡〔一三六八〜七六頃〕九・草枕「大納言は一すぢにしも思されねば、いと心やましう思(おもひ)きこえ給けるぞわりなき」*俳諧・猿蓑〔一六九一〕二「ふりつづきたる五月雨いとわりなく打過(うちすぐ)るに 笠島やいづこ五月のぬかり道〈芭蕉〉」*浮世草子・けいせい伝受紙子〔一七一〇〕二・三「男色の道こそわりなかりけれ」Dどうしていいかわからない。途方にくれる。困ったことである。*後撰和歌集〔九五一〜九五三頃〕恋二・六二九・詞書「男侍る女を、いとせちにいはせ侍りけるを、女いとわりなしといはせければ」*枕草子〔一〇C終〕二二二・祭のかへさ「扇をさし出でて制するに、聞きも入れねば、わりなきに、すこしひろき所にてしひてとどめさせて立てる」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕桐壺「すべて、ちかう侍ふかぎりは、男、女、いと、わりなきわざかな、と言ひあはせつつ嘆く」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕二七・一三「糸(いと)破无き事也。日も暮にたり。己一人こそ外にも罷らめ、若干(そこばく)の物共をば何がせむ」*堤中納言物語り〔一一C中〜一三C頃〕逢坂越えぬ権中納言「宮は、さすがにわりなく見え給ふものから、心つよくて、明けゆくけしきを」Eやっとのことである。かろうじてである。*今昔物語集〔一一二〇頃か〕二九・三七「蜘蛛の、蜂我を罸(うち)に来らむずらむと心得て、然()て許こそ命は助からめと思得て、破无くして此()く隠れて命を存する事は難有し」F程度が分別を超えている。どうしようもないほどである。はなはだしい。ひととおりでない。*伊勢物語〔一〇C前〕六五「猶わりなく恋しうのみおぼえければ」*古今和歌集〔九〇五〜九一四〕恋二・五七〇「わりなくもねてもさめてもこひしきか心をいづちやらばわすれん〈よみ人しらず〉」*枕草子〔一〇C終〕一六一・故殿の御服のころ「その夜さり、暑くわりなき闇にて、なにともおぼえず、せばくおぼつかなくてあかしつ」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「物怖ぢをなんわりなくせさせ給ふ本性にて」*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕かがやく藤壺「かくて七月相撲の節にも成ぬれば、わりなき暑さをばさる物にて」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕二九・二二「今昔、物詣破无く好ける、人の妻有けり」*太平記〔一四C後〕四・備後三郎高徳事「鬢疎かに膚(はだへ)消えたる御形最(いと)わりなくらうたけて、梨花一枝春の雨に綻び、喩へん方も無りけり」*浮世草子・傾城色三味線〔一七〇一〕京・四「わりなき心底大臣聞とどけられ」G言いようがないほど美しい。非常に感動的である。*山家集〔一二C後〕下「岩に堰()く閼伽(あか)井の水のわりなきは心澄めとも宿る月哉」*右京大夫集〔一三C前〕「すびつのはたに、ここきに水の入りたるがありけるに、月のさし入てうつりたる、わりなくて」H格別すぐれている。殊勝である。*無名抄〔一二一一頃〕「霞に浮ぶ沖の釣舟、といへる、わりなきふしを思ひ寄りなんにとりて」*平家物語〔一三C前〕一〇・千手前「みめかたち心ざま、いうにわりなきもので候とて、この二三ねんめしつかはれ候が」*御伽草子・あしびき〔室町中〕「みめすがたのわりなきのみにもあらず、心操(こころばへ)さへゆえゆえ敷て」I一通りでなく親しい。分別を超えて親密である。切っても切れない。*御伽草子・福富長者物語〔室町末〕「鬼うば憎けれど、さすがわりなき中なれば、皺(しわ)多き手を煖めておなかをさすれば」*浮世草子・武家義理物語〔一六八八〕一・二「こころたけく渕(ワリ)なき中にも外を語らず、明暮軍(いくさ)の沙汰して」*浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節〔一七〇七頃〕中「えんなればこそはだふれて、だいつしめつのわりない事」*浮世草子・けいせい伝受紙子〔一七一〇〕一・三「わりなく云(いひ)かはせし女郎をうけ出し」*われら戦友たち〔一九七三〕〈柴田翔〉五・一一「もしあの晩、私たちが〈略〉わりない仲になっていたとしたら」Jいじらしい。とてもかわいい。*名語記〔一二七五〕四「いたいけしたる物をわりなしといへるわり如何。これはきはめてちひさき物はわり所もなき也。詮ずるところちひさきを愛する詞なるべし」*曾我物語〔南北朝頃〕一〇・曾我にて追善の事「をさなき時よりとりそだてて、わりなき事なれば、実子にもおとらず」*俳諧・奥の細道〔一六九三〜九四頃〕出羽三山「ふり積雪の下に埋(うづもれ)て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし」【語源説】(1)コトハリ(理)ナシの略〔冠辞考続貂・名言通・大言海・古代中世言語論=折口信夫〕。(2)ワリは破で、細々としたものをいった〔名語記・河海抄〕。(3)ワリは切なる意、ナシはイタシ(甚)の義。また、ワキ(分)ナシの義〔大言海〕。(4)ワリナシ(別無)の義〔河海抄〕。(5)ワカリナシ(分無)の義でカの中略〔和訓栞〕。(6)ワキワリナシ(分割無)の義〔日本語原学=林甕臣〕。(7)ワリは、イリワリ等のワリで、道理、いりわけ等の義〔川柳雑俳用語考=潁原退蔵〕。【発音】〈標ア〉[リ]〈ア史〉[ナ]鎌倉わりなき江戸わりなき〈京ア〉[ナ]【辞書】文明・天正・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【無和理】文明・饅頭【無理】天正・ヘボン【無分】文明【無分】天正【無和利】易林【無別・柔】書言

とあって、『日本書紀』に見える「無別」「無破」の標記字のうち、「無別」が江戸時代の『書言字考節用集』に見えるに過ぎない。院政時代の『今昔物語集』の用例に「破无」の表記語で十一例を見る。

 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(わりない▼いなりわ)
 
 
2009年04月16日(木)晴れ。東京(駒沢→熱海→伊豆)
絶妙(すぐれ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「ときめく」なる語について記載した箇所がある。

すくれてときめき給ありけり 絶妙(スクレ)日本紀 (トキメク)同 めくはよみつくるてには也 生を(日本紀)もなまめくとよめり 又人めく春めくなともいへり〔角川書店刊262上?〕

とあって、「すくれ」「ときめく」の語として、『日本書紀』に「絶妙」「」の標記字を示す。

弟姫容姿絶妙無比。其艶色徹衣而晃之。是以、時人號曰衣通郎姫也。

弟姫、容姿(かほ)絶-妙(すぐ)て比無(ならびな)し。其()の艶(うるは)しき色(いろ)、衣()より徹(とほ)りて晃()れり。是(ここ)を以()て、時人(ときのひと)、號(なづ)けて、衣通郎姫(そとほしのいらつめ)と曰(まう)す。〔七年冬十二月壬戌朔〕

とあって、標記字「絶妙」の和訓「すぐれ」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

すぐれ‐て【勝─・優─】〔副〕(動詞「すぐる(勝)」の連用形に助詞「て」が付いてできたもの)@特別に。特に。きわだって。非常に。*日本書紀〔七二〇〕神代下(兼方本訓)「吾(やつかれ)、我王(おなきみ)を独り能く(スクレテ)(かほよし)と謂(おも)ひき」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕楼上下「右の大殿、この中に、すぐれてうれしうおぼえ給ふこと限りなくて」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕桐壺「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」*方丈記〔一二一二〕「人の営み、皆愚かなるなかにさしも危ふき京中の家をつくるとて、宝を費(つひや)し、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る」*徒然草〔一三三一頃〕三八「利にまどふは、すぐれて愚かなる人なり」*太平記〔一四C後〕二七・左兵衛督欲誅師直事「師直が今の命は、風待つ程の露よりも危しと見えける処に、殊更此事勝(スグレ)て申沙汰したりける」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Sugurete(スグレテ)。〈訳〉卓越して、すなわち、傑出して」*江戸から東京へ〔一九二一〕〈矢田挿雲〉六下・四「おぶんの外にも男の子女の子が五六人あったけれどおぶんは(スグ)れて美しかった」*現代経済を考える〔一九七三〕〈伊東光晴〉・二「労使対立という資本主義的一般的関係は、現代資本主義というすぐれて現実的問題を考える場合にも見失ってはならない点を示唆している」A上手に。うまく。*今鏡〔一一七〇〕二・玉章「その中に、笛をすぐれて吹かせ給ひて、朝夕に御遊びあれば」【発音】スレテ〈標ア〉[ク゜]【辞書】字鏡・日葡

とあって、~代下の用例「絶」表記のみを記載するに留まり、「絶妙」の表記字の例は未収載となっている。国語辞書のあり方で用例もさることながら、文字表記の記載も今後の国語辞書には必要不可欠とする所以を示す典型語と言えよう。見出し語における漢字表記が優先されていては、本邦における漢字の此までの訓み方が正しく見えていないことにもつながる。
 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

 

《回文》(すぐれときめく▼くめきとれぐす)
 
 
2009年04月15日(水)晴れ。東京(駒沢)
無比(たぐひなき)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「あめのした」なる語について記載した箇所がある。

御心はへのたくひなきをたのみにてましらひ給 無比(タクヒナシ) 又無彙 無類 交 忝同 日本紀。〔角川書店刊191下BC〕

とあって、「たぐひなき」の語として、『日本書紀』に「無比」「無彙」「無類」「交」「忝」の標記字を示す。

 このうち、『日本書紀』に、

弟姫容姿絶妙無比。其艶色徹衣而晃之。是以、時人號曰衣通郎姫也。

弟姫、容姿(かほ)絶-妙(すぐ)れて比無(ならびな)。其()の艶(うるは)しき色(いろ)、衣()より徹(とほ)りて晃()れり。是(ここ)を以()て、時人(ときのひと)、號(なづ)けて、衣通郎姫(そとほしのいらつめ)と曰(まう)す。〔七年冬十二月壬戌朔〕

とあって、標記字「無比」の和訓「ならびなし」を記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

たぐい‐な・し[たぐひ:]【類無】〔形ク〕比較するものがない。非常にすぐれている、また、非常に悪いなど、そのことの程度の度合が著しいさまを表わす語。*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「たぐひなくめでたくおぼえさせ給ひて」*落窪物語〔一〇C後〕二「たぐひなくにくし」*成尋母集〔一〇七三頃〕「年八十になりて、よにたぐひなきことのはべれは」*御伽草子・木幡狐〔室町末〕「姫君〈略〉さもうつくしき若君をまうけ給ふ。中将殿御覧じて、たぐひなき御事に思ひ給ふ」*天草本平家物語〔一五九二〕四・二八「サルホドニ ロクダイゴゼワ ジュウシゴニモ ナラセラルレバ、ミメ、カタチ ウツクシュウ taguyno(タグイナウ)ミエサセラレタ」*鉄眼禅師仮名法語〔一六九一〕二「もしかかるくされものを、人にしゐてくはしめば、そのくるしき事たぐひなかるべし」*即興詩人〔一九〇一〕〈森鴎外訳〉夜襲「さては此家あるじこそは、土地に匹儔(タグヒ)なき美人なりしなれ」【発音】タイナシ[ナ]【辞書】文明・明応・天正・黒本・書言【表記】無比】文明・明応・天正・黒本【無類】黒本・書言【不世】書言

とあって、『日本書紀』に所載の表記中「無比」と「無類」を見るに過ぎない。別表記の「無彙」「交」「忝」は未収載にある。
 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(たぐひなき▼きなひぐた)
 
 
2009年04月14日(火)晴れ。東京(駒沢)
梅豆(メツラ)(めづら)・竒物(メツラシキモノ)(めづらしきもの)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「チンキ/めづらかにあやし」なる語について記載した箇所がある。

めつらかなるちこの御かほかたちなり 老子徳経曰法物滋彰盗賊多有注曰法好也珎好之物滋生彰着則農事廃飢寒並至故盗賊多有也

梅豆(メツラ)日本紀 又珎愛 竒物(メツラシキモノ)日本紀 

珎奇(チンキ)メツラカニアヤシ遊仙窟同 非常(ヒシヤウ)メツラシク〔角川書店刊192上O〜?〕

とあって、「めづら」「めづらしきもの」の語として、『日本書紀』に「梅豆(メツラ)」「珎愛」「竒物(メツラシキモノ)」の標記字を以て示す。

時に皇后の曰(のたま)はく、「希見(めづら)しき物(もの)なり」とのたまふ。希見、此をば梅豆邏志(めづらし)と云ふ。故(かれ)、時人(ときのひと)、其の處を號けて、梅豆邏國(めづらのくに)と曰()ふ。今(いま)、松浦(まつら)と謂()ふは訛(よこなば)れるなり。

〈原文〉時皇后曰、希見物也。希見、此云梅豆邏志。故時人號其處、曰梅豆羅國。今謂松浦訛也。〔卷第九〕

是(ここ)に、武諸木等(たけもろきら)、先()づ麻剥(あさはぎ)が徒(ともがら)を誘(をこつ)る。仍()りて赤(あか)き衣(きぬ)・褌(はかま)及(およ)び種種(くさぐさ)の(めづら)しき物(もの)を賜(たま)ひて、兼()ねて服(まつろ)はざる三人(みたり)を ()さしむ。

〈原文〉於是、武諸木等、先誘麻剥之徒。仍賜赤衣・褌及種々奇物、兼令 不服之三人。〔卷第七・景行天皇〕。

とあって、標記字「梅豆」の和訓として「めづらし」、「竒物」の和訓として「めづらしきもの」と記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

めずらし・い[めづらしい]【珍】〔形口〕めづらし〔形シク〕(動詞「めでる(愛)」から派生)@賞美する価値がある。珍重に価する。好ましい。すばらしい。結構である。*万葉〔八C後〕五・八二八「人毎に折りかざしつつ遊べどもいや米豆良之岐(メヅラシキ)梅の花かも〈(氏未詳)麻呂〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕常夏「めづらしき世語りになむ人々もし侍なる」*新撰髄脳〔一一C初〕「そのかたちといふは、うち聞ききよげにゆゑありて、歌ときこえ、もしはめづらしく添へなどしたるなり」*随筆・戴恩記〔一六四四頃〕上「『めづらしき歌書はなにか侍る』と問れしかば『源氏』」*小学読本〔一八七四〕〈榊原・那珂・稲垣〉五「周防守彼者に向ひて過日は珍しき瓜をおくられ満悦せり」A見ることがまれである。めったにない。[イ]あまり例がない。見なれない。*万葉集〔八C後〕一九・四二八五「大宮の内にも外にも米都良之久(メヅラシク)降れる大雪な踏みそねをし〈大伴家持〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕手習「大きなる木のいとあらあらしきに寄りゐていみじう泣く。めづらしきことにも侍かな」*実隆公記‐文明一一年〔一四七九〕正月七日「真名消息近頃梅逗羅敷事歟、珍重々々*小学読本〔一八八四〕〈若林虎三郎〉二「余は珍しき動物を持てり君は之を考へ中つることを得るか」[ロ]風変わりである。珍奇である。*蜻蛉日記〔九七四頃〕上・序「人にもあらぬ身の上まで書き日記して、めづらしきさまにもありなむ」*ロドリゲス日本大文典〔一六〇四〜〇八〕「イロイロノ ナリ デタチノmedzuraxij (メヅラシイ) シュウ」[ハ]目新しい。新鮮である。新奇である。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕春日詣「かくすれば、きこしめす人のかぎり、いとめづらしう興ありとおぼす」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「八月十五夜隈なき月影ひま多かる板屋残りなくもり来て見ならひ給はぬすまひのさまもめづらしきに」*徒然草〔一三三一頃〕一一六「何事もめづらしき事を求め異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ」[ニ]久しぶりである。久方ぶりである。長い間見ることがない。*増鏡〔一三六八〜七六頃〕九・草枕「十月ばかり、斎宮をもわたし奉り給はんとて、本院をもいらせ給べきよし御消息あれば、めづらしくて御幸あり」*浄瑠璃・義経千本桜〔一七四七〕一「ヤア(メヅ)らしや重頼。兄頼朝にも御かはりなく、百候百司も恙なしや」【方言】@懐かしい。《めずらしい》宮崎県西諸県郡947《めんだしか・めんだひっか・めんだいか》長崎県五島917A美しい。また、賢くてかわいらしい。《うじらあしゃん・うじらあしぎさん》沖縄県首里993Bひどい。ゆゆしい。《めずらしい》鹿児島県肝属郡「めずらしむんじゃ」970【語源説】(1)メヅ(愛)を活用したもの〔和句解・万葉考・国語本義・国語溯原=大矢透・国語の語根とその分類=大島正健・大言海〕。メデウルハシ(愛麗如)の義〔日本語原学=林甕臣〕。メヅル(感)ラシの約〔菊池俗言考〕。(2)メヅはホメイヅルの約〔万葉考〕。(3)メイヅラシキ(目出如)の義〔名言通〕。(4)メツク(目著)の義〔言元梯〕。【発音】メズラシ〈なまり〉ミヅラシ〔津軽語彙〕メーザシー〔讚岐〕メザシー・メジラシ・メジラシー〔鳥取〕メザシ〔鳥取・讚岐〕メザシー〔徳島〕メザシイ〔鹿児島方言〕メラシ・メンラシ〔播磨〕メンザシー〔徳島・讚岐〕メンダシカ〔壱岐続〕〈標ア〉[シ]〈京ア〉[ラ]「めづらし」〈標ア〉[ラ]〈ア史〉平安○○○◎鎌倉「めづらしき」○○○◎江戸「めづらしき」●●●○○〈京ア〉[ラ]【上代特殊仮名遣い青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。ヅラシ【辞書】字鏡・色葉・名義・和玉・文明・伊京・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【珎】色葉・名義・文明・饅頭【儀・稀・異】色葉・名義・和玉【珍】名義・和玉・言海【珎敷】文明・天正・黒本【珍敷】易林・書言・ヘボン【竒・】色葉・名義【雑】名義・和玉【儻・貨・】字鏡【好・玩・喜・尤・物・驚・新・重・喜見】色葉【偉・正・・警・霊・彌・?・非常・麗】名義【傀・】和玉【科】伊京【希見】書言【希覯】言海[小見出し]めずらしき役替(やくがえ)

とあって、『日本書紀』に「梅豆(メツラ)」「珎愛」「竒物(メツラシキモノ)」の標記字例は未収載であり、用例中の『実隆公記』文明十一年(一四七九)正月七日の條に、「真名消息近頃梅逗羅敷事歟、珍重々々」と用いた例を見るのである。この表記例が古辞書には反映されていないことは否めない。そして、現代本邦国語辞書にもその文字表記史は皆無なのである。
 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(めづらしきもの▼のもきしらづめ)
 
 
2009年04月13日(月)薄晴れ曇り午後雨。東京(駒沢)
珎奇(チンキ・めづらかにあやし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「チンキ/めづらかにあやし」なる語について記載した箇所がある。

めつらかなるちこの御かほかたちなり 老子徳経曰法物滋彰盗賊多有注曰法好也珎好之物滋生彰着則農事廃飢寒並至故盗賊多有也

梅豆(メツラ)日本紀 又珎愛 竒物(メツラシキモノ)日本紀 

珎奇(チンキ)メツラカニアヤシ遊仙窟同 非常(ヒシヤウ)メツラシク〔角川書店刊192上O〜?〕

とあって、「チンキ」「ときめく」の語として、『遊仙窟』に「珎奇」の標記字を以て示す。

115:下官起曰仰(ア  )ワレ/コア菅(クミス)夫-人娘-子先(モトヨリ)夲菅不相_( ラ)暫縁(ヨリ)公-使_(タマサカニ)( ヒ)_(アエリ)。玉饌(ソナヘ)(メツラカニ)(アヤシク)非-常ハナハタシウシテ[去]-重[去]メツラカニシ(コニモ)身灰(ハイニストモ)骨不()(ムクヒ)_(ムクユル)。〔醍醐寺本39EF〕

とあって、標記字「珎奇」の和訓として「めづらかにあやしく」、「非常」の和訓として「はなはだしうして」と記載する。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

ちん‐き【珍奇】〔名〕(形動)めずらしく奇妙なこと。普通とはちがってめったにない変わったさま。また、そのもの。珍異。*続日本紀‐天平二年〔七三〇〕四月甲子「又国内所珍奇口味等物。国郡司蔽匿不進」*明衡往来〔一一C中か〕下末「随珍奇。具表微志。而舟船遅来」*信長記〔一六二二〕一一・元日に御茶下さるる事「南蛮大明珍奇(チンキ)の茶子、数を尽して下され」*江戸繁昌記〔一八三二〜三六〕三・書舗「金帛は他の有する所、珍奇は他の有所、因て或は之を用て人事と為す」*小説神髄〔一八八五〜八六〕〈坪内逍遙〉下・主人公の設置「人の性質たる珍奇(チンキ)を好むに切なるものから」*思出の記〔一九〇〇〜〇一〕〈徳富蘆花〉二・二「其他珍奇な話は爽やかな東京弁にのって滔々と耳辺に漲り」*後漢書‐宝融伝「大官致珍奇」【発音】〈標ア〉[チ]〈京ア〉[チ]【辞書】 文明・日葡・言海【表記】【珎竒】文明【珍奇】言海

とあって、『遊仙窟』の用例は未収載であるが、初出用例としては『続日本紀』を収載する。また、

和訓「めづらかにあやしい」は、見出し語「めずらか」と「あやしい」に二分されるため、記載を見ないのだが、「めずらか」に、

めずら‐か[めづら:]【珍─】〔形動〕(「か」は接尾語)ふつうと違っているさま。良い意にも悪い意にも用いる。風変わりなようす。目新しいさま。奇態なさま。めずら。*続日本紀‐天平元年〔七二九〕八月二四日・宣命「今、米豆良可爾(メヅラカニ)新しき政にはあらず、本ゆり行ひ来し迹事ぞと詔りたまふ」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕桐壺「いそぎ参らせて御覧ずるにめづらかなるちごの御かたちなり」*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕衣の珠「中納言殿、めづらかに泣きののしり給ふ」【発音】〈標ア〉[ズ]〈ア史〉平安○○●○〈京ア〉[ラ]【上代特殊仮名遣い】青色は甲類に属し、赤色は乙類に属する。ヅラカ【辞書】名義・日葡・書言・言海【表記】【珍】名義・言海【神・珎】名義【珍奇】書言

とあって、江戸時代の『書言字考節用集』には「珍奇」の語を収載することを辞書表記の處で表示している。

 

 

《回文》(めずらか▼からずめ)
 

 

2009年04月12日(日)晴れ。東京(八王子→東中野)

方便(つきづきしう)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第三冊(巻三・若紫)に、「つきづきしう」なる語について記載した箇所がある。

こと(惟光)はおほかる人にてつき/\しういひつゝくれと 詞多モノハ御品少シ (ツキ)便(\シウ)遊仙窟〔角川書店刊260上K〕

とあって、「つき/\しう」の語として、『遊仙窟』に「方便」の標記字を示すとある。

 実際この典拠である『遊仙窟』に見える、「方便」は、

161:于時乃有雙燕子,梁間相逐飛。僕因詠曰雙燕子聯聯,翩翩幾萬廻。強知人是客,方便惱他來。※〔醍醐寺本50、文庫〕※眞福寺本「方便」※陽明文庫本「方便」〔5オD〕。

188: 五嫂曰「女人羞自嫁,方便待渠招。」言語未畢,十娘則到。〔醍醐寺本59〕

194: 五嫂詠曰「巧將衣障口,能用被遮身。定知心肯在,方便故邀人。〔醍醐寺本61〕

とあって、標記字「方便」で和訓「つき/\しう」と記載する三例を見る。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

 

とあって、『河海抄』が示すところの標記字は未収載に等しい。『遊仙窟』の用例も「国家」のみである。逆に『河海抄』がこの「国家」を何故未収載にするのかということも今後精査せねばなるまい。

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(つきづきしう▼うしきづきつ)
 
2009年04月11日(土)晴れ。東京(新宿→駒沢)
天表(あめのうち)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第一冊(巻一・桐壺)に、「あめのした」なる語について記載した箇所がある。

あめのした 御宇日本紀 御禹 宇内 御宇天下 率土周禮 天表(アメノウチ)遊仙窟〔角川書店刊191上O〕

とあって、「あめのうち」の語として、『遊仙窟』に「天表」の標記字を示すとある。だが実際『遊仙窟』にはこの語は見えない。尤も類似する語としては「天下」の語を見るに過ぎない。

 この『遊仙窟』に見える、「天下」は、

017:于時夜久(フカク)フケ更深(アカツキフチ)[平]-吟[平濁]サマヨフテ(子フラレ)彷-徨タチモトホリ()[上]-倚平去軽タヽスンテ無便披陳去軽( レ)誠既有ラント思來意_(コヽニ)能不(  ヘ)。(ツ  )(ノフ)ヘテ[平]-抱(ハウせム)[去][平][平](ヲクテ)(  ク)( レ)(ヲモミレハ)(ワカシ時)(ヨロコハシムル)去濁タノシムテ[平]-色[入]カタチ(  ク)(子カヒキ)佳-期チキリヲ(アマ子ク)(  ヒテ)風-流ヲモシロキ(  ク)( ヒキ)_(アメノシタ)(ヒキ)シラヘニ/ノ(カク)-琴於蜀-郡(アクマテ)(ミキ)文-君鳳-管於秦-樓(イ  )看弄[去]-[入濁]□□シ□□人ヲ。※〔醍醐寺本7B、文庫〕※眞福寺本「合?( トムツマシク)居隠反横陳(トソヒフシヽカトモ)」※陽明文庫本「(アハセ)?(ホカキ)トムツマシ横陳(ソヒフシセシ)」〔5オD〕。

177:其時園中下官命(ヨムテ)弓-箭( ル)(ツル)(タウレヌ)。五嫂咲曰張-郎才-器()_( レ)[平]-殖(シヨクカ)[入]天-然今見( ルニ)武-功_復子[上]-南如キノ[平]夫也(マスラヲナリ)。今共娘子( ヒ)_ナラヒテ/アタレハ[去]_(アメノシタニハ)唯有( リ)_人耳(ノミナラクノ)。〔醍醐寺本55D〕

とあって、標記字「天下」で和訓「あめのした」と記載する二例を見る。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

あめの 中(うち) 天地の中。世の中。*多武峰少将物語〔一〇C中〕「いづくへもあめのうちよりはなれなばよかはに住めばそでぞぬれます」

あめ‐の‐した【天下】〔名〕(漢語「天下(てんか)」の訓読か。また、「高天原(たかまのはら)の下にある、この国土」の意もこもるか)@地上の世界全部。天に対していう。[イ](政治的に、その勢力の及ぶ範囲すべてをいう)この国全部。日本の国土。全国。特に、この全世界。てんか。*万葉集〔八C後〕一八・四一二二「天皇(すめろき)の 敷きます国の 安米能之多(アメノシタ) 四方の道には〈大伴家持〉」*日本霊異記〔八一〜八二四〕上・序「軽嶋の豊明の宮に(アメノシタ)御(をさめたまひし)誉田(ほむだ)の天皇〈興福寺本訓釈 宇 阿米乃之多〉」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕藤原の君「みかどとなり給ひ、くにしり給はましかば、あめの下ゆたかなりぬべき君なり」[ロ](一般的に)地上のすべて。この世の中。この世界。また、この世間一般。*万葉集〔八C後〕一七・三九二三「天下(あめのした)すでにおほひて降る雪の光を見れば尊くもあるか〈紀清人〉」*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕嵯峨院「天女くだり給ふらん世にや、わが妻子(めこ)の出でこん。あめのしたには、わが妻子にすべき人なし」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕夕顔「世に類なくゆゆしき御有様なれば、世に長くおはしますまじきにやと、あめのしたの人の騒ぎなり」A国中の人。世間の多くの人。天下の人々。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕藤原の君「財には、ぬし避くとなむ申すなる。あめのしたそしり申すこと侍るなり」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若菜上「春宮かくておはしませば、いとかしこき末の世のまうけの君と、あめのしたのたのみ所にあふぎ聞えさするを」B朝廷。また、朝廷の政事。*日本書紀〔七二〇〕推古一二年四月(岩崎本訓)「此に因りて国家(アメノシタ)永久(とこめづら)にして、社稷(くに)危きこと勿()し」*日本書紀〔七二〇〕大化元年八月(北野本訓)「方に始めて万国(くにくに)を修(をさ)めむとす。凡そ国家(アメノシタ)の有する所の公民」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕玉鬘「中将殿は〈略〉まして今はあめのしたを御心にかけ給へる大臣にて」C世の中、国中で最も程度が高いことを強調していう。[イ](「天の下の」の形で)天下に比類がないさま。天下第一。*伊勢物語〔一〇C前〕三九「あめのしたの色好み、源の至といふ人」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕藤裏葉「君は、末の世には余るまで、あめのしたの有識にものし給ふめるを」*栄花物語〔一〇二八〜九二頃〕月の宴「醍醐の聖帝と申して、世の中に天の下めでたき例にひき奉るなれ」[ロ](副詞的に「天の下において」の意で)日本中のどこででもすべて。また、どこにいったい。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕内侍督「あめのした、こよひの御おくり物よりこえて、さらにさらにせじ。これよりいつかあらん。〈略〉あめのした、これよりこえたる心にくさ、いつかあらん」【発音】〈標ア〉[ア]【辞書】名義・言海【表記】【宇】名義【天下】言海[小見出し]あめのした=知(し)らしめす[=知(し)ろしめす]あめのした=知(し)らす[=知(し)ろす]あめのした知(し)るあめのした申(もう)すあめのした=を逆(さか)さまになす[=逆(さか)さまになる]

とあって、『河海抄』が示すところの標記字は未収載に等しい。『日本書紀』の用例も「国家」のみである。逆に『河海抄』がこの「国家」を何故未収載にするのかということも今後精査せねばなるまい。

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

《回文》(あめのした▼たしのめあ)
 
2009年04月10日(金)晴れ。東京(八王子→志木)
愛色(うつくし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第三冊(巻三・末摘花)に、「うつくし」なる語について記載した箇所がある。

うつくしき御はたつきもそゝろさむけにおほしたるを 偏愛(ウツクシ)漢語抄 愛色()遊仙窟 鷄皮とりはたゝつといふ也〔角川書店刊262上?〕

とあって、「うつくしき」の語として、『遊仙窟』に「愛色」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

158:于時硯在( リ)床頭(ハシ)下官詠筆硯平入曰摧(クタキ)毛任(ホシマヽニ)便(ス )(テムス)愛色(ウツクシケナル)(イヨ〃)(ス )(スル)。_以研(スル)( キ)(ヲハ)水太(ハ  タ)。〔醍醐寺本49D〕

とあって、標記語「愛色」の語訓を「うつくしげなる」と記載する。
 次に『遊仙窟抄』第一冊に、

于時硯在( リ)床頭(ハシ)下官詠筆硯平入曰摧(クタキ)毛任(ホシマヽニ)便(ス )(テムス)愛色(ウツクシケナル)(イヨ〃)(ス )(スル)。。〔〕 

とあって、

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

うつくし・い【美・愛】〔形口〕うつくし〔形シク〕@(古くは、妻、子、孫、老母などの肉親に対するいつくしみをこめた愛情についていったが、次第に意味が広がって、一般に慈愛の心についていう)かわいい。いとしい。愛らしい。*日本書紀〔七二〇〕斉明四年一〇月・歌謡「于都倶之枳(ウツクシキ)吾()が若き子を 置きてか行かむ」*万葉集〔八C後〕五・八〇〇「父母を 見れば尊し 妻子(めこ)見れば めぐし宇都久志(ウツクシ)〈山上憶良〉」*伊勢物語〔一〇C前〕一六「人がらは、心うつくしくあてはかなることを好みて、こと人にも似ず」*拾遺集〔一〇〇五〜〇七頃か〕哀傷・一三〇二「うつくしと思ひし妹を夢に見て起きてさぐるに無きぞ悲しき〈よみ人しらず〉」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕若菜下「いづれも分かずうつくしく愛(かな)しと思ひきこえ給へり」*醍醐寺本遊仙窟康永三年点〔一三四四〕「忽然にたちまちにし心の裏に(ウツクシ)A(幼少の者、小さい物などに対して、やや観賞的にいうことが多い)様子が、いかにもかわいらしい。愛らしく美しい。可憐である。*播磨風土記〔七一五頃〕賀毛「宇都久志伎(ウツクシキ)小目(をめ)の小竹葉(ささば)に 霰降り 霜降るとも」*新撰字鏡〔八九八〜九〇一頃〕「娃 美女 宇豆久志支乎美奈」*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「それを見れば三寸ばかりなる人いとうつくしうてゐたり」*枕草子〔一〇C終〕一五一・うつくしきもの「うつくしきもの、瓜(うり)にかきたる児(ちご)の顔。雀の子のねず鳴きするにをどり来る」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕紅葉賀「御手つきいとうつくしければ、らうたしと思して笛吹きならしつつ教へ給ふ」B(美一般を表わし、自然物などにもいう。室町期の「いつくし」に近い)美麗である。きれいだ。みごとである。立派だ。*大鏡〔一二C前〕六・道長下「西京のそこそこなるいへに、いろこくさきたる木のやうたいうつくしきが侍りしを」*平家物語〔一三C前〕六・紅葉「櫨(はじ)、かへでの色うつくしうもみぢたるを植ゑさせて」*実隆公記‐文明一八年〔一四八六〕九月一六日「専順は平生やはらかに、うつくしき句をのみしたるなれ共、独吟に至ては必あらくおそろしき句を交せし也」*御伽草子・木幡狐〔室町末〕「うつくしく化けなしてこそ出でにけり。〈略〉そのかたち云ばかりなく、まことに玄宗皇帝の楊貴妃、漢の武帝の世なりせば李夫人かとも思ふべし」*天草本伊曾保〔一五九三〕尾長鳥と孔雀の事「キショノ ソノ ツバサノ vtçucuxu (ウツクシュウ) ヒカル バカリデワ フセギエサセラレマイゾ」*浮世草子・好色一代女〔一六八六〕四・二「女は妖淫(ウツクシ)肌を白地(あからさま)になし」*浪花聞書〔一八一九頃〕「うつくしい。奇麗なる也。江戸でうつくしといわぬ、よごれぬことをもいふ」C(不足や欠点、残余や汚れ、心残りなどのないのにいう)ちゃんとしている。きちんとしている。[イ]ちゃんとしていて申し分ない。きちんと整っていて結構だ。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕乙女「かくて大学の君、その日のふみ、うつくしう作り給て進士になり給ひぬ」*今鏡〔一一七〇〕二・白河の花宴「楽なんどをもうつくしくしらせ給ひ」*名語記〔一二七五〕九「うつくし、如何。いつくしを、うつくしといへる也。いつくしは厳也」*史記抄〔一四七七〕九・孝武本紀「又は祠烝嘗を春夏秋冬とうつくしく、次第する説もあるぞ」[ロ]残余や汚れがなく、きれいさっぱりとしている。*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Vtçucuxu(ウツクシュウ) ハテタ〈訳〉ことごとくきれいに終わった。ネコガ vtçucuxu (ウツクシュウ)クウタ」*浮世草子・傾城色三味線〔一七〇一〕京・一「現銀弐千貫目、五年半にうつくしう皆になるのみならず」*浄瑠璃・五十年忌歌念仏〔一七〇七〕上「弟共下人共思召て御いけんなされ、うつくしくおいとま取、二たび在所へ来る様に」*人情本・英対暖語〔一八三八〕三・一五章「お前は岑さんにうつくしくわかれて」D人の行為や態度、また、文章、音色などが好ましい感じである。*歌舞伎・助六廓夜桜〔一七七九〕「『こはう物を言はんすりゃ、何処までも腰押し、又美しう頼まんしたらば』『揚巻に逢はしてくれるか』」*枯菊の影〔一九〇七〕〈寺田寅彦〉「夭死と云ふ事が、何だか一種の美しい事の様な心持がしたし」*星座〔一九二二〕〈有島武郎〉「演武場の鐘の音は美しいものだった」*故旧忘れ得べき〔一九三五〜三六〕〈高見順〉六「そんなに美しい友情だったの」E新しい。新鮮である。*大坂繁花風土記〔一八一四〕雑喉場銭の条「新しいものをうつくしいといひ、古いものをめんどいと云」【語誌】(1)上代では人に対する愛情を表わしたが、平安時代になると、相手に愛情を持ちながらその美を愛でたり、「髪ざし」「手つき」といった人のさまをも修飾するようになって、愛情と美的判断の入りまじった情意性と状態性を兼ねた用法となり、やがて中世には対象そのものに美を認めるようになる。(2)ただし、上代で優位の立場から目下に抱く肉親的ないし肉体的な愛情であった原義は一貫して残っていて、平安時代でも身近に愛撫できるような人や物を対象とし、中世でも当初は女性や美女にたとえられる花といった匂いやかな美に限定されており、目上への敬愛やきらびやかで異国的な美をいう「うるはし」とは対照的であった。(3)やがて中世の末頃には、人間以外の自然美や人工美、きらびやかな美にも用いるようになり、明治には抽象的な美、そして美一般を表わすようになった。また、近世に「きれいさっぱり」という意の用例があり、現代方言にも受け継がれているが、これも、こまやかな美しさの表現から派生した用法であると考えられる。また、近世にはさまざまな用法・語形が生み出され、転訛形として「うっつい」「うっつく」、形容動詞として「うつく」などがある。【方言】[]〔形〕(1)美麗だ。きれいだ。りっぱだ。《うつしか》熊本県玉名郡(小児語)058《うっちい》新潟県佐渡358滋賀県高島郡614《うっつ》長野県諏訪468兵庫県加古郡664《うっつぇ》山形県東置賜郡139《うっちょか》佐賀県唐津市893(2)きちんとしていてきれいだ。残余や汚れがない。《うつくしい》新潟県佐渡352熊本県熊本市038八代郡921大分県臼杵市038《うつくし》福島県相馬郡156《うくしい》岐阜県本巣郡510(3)二人の仲がよい。《うつくしい》和歌山県海草郡690《うっつくしい》大阪府泉北郡646[]〔副〕残らず。すべて。すっかり。きれいに。《うつくしい》石川県珠洲郡057《うっつくしい》岐阜県郡上郡504《うつくしゅう・うつくしょお》岐阜県飛騨502《うっつくしゅう》愛知県名古屋市562《うっつくしょお》岐阜県山県郡062郡上郡504愛知県名古屋市562《うっつくしょ》愛知県知多郡570【語源説】(1)ウツクシ(珍奇)の義〔名言通・和訓栞〕。(2)ウツは全、クシは奇。完精の義から転じた〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(3)ウツクシ(現奇)の義〔国語本義〕。(4)イチクシ(逸奇)の転。イツクシビ(稜威霊)の義〔大言海〕。(5)ウツクシ(心着)の義〔言元梯〕。(6)ウツクシムと同語根〔万葉集類林・槇のいた屋〕。イツクシムべきであることをいう〔和句解・日本釈名〕。(7)ウはエミ(恵美)の約。ツはタル(多留)の約〔名語記・万葉考〕。(8)美しい人を見れば心ウツラウツラとなるから。また本来、いとしい意〔和句解・本朝辞源=宇田甘冥〕。(9)「愛」の別音Wit から生まれた語〔日本語原考与謝野寛〕。【発音】ウツクシ。〈なまり〉イツクシカ〔島原方言〕ウウツクシー・ウツクイ〔和歌山県〕ウクシー・ウスイ・オクシー・オクシー〔富山県〕ウクシヨイ・ウキ・ウクイ・ウケイ〔石川〕ウジグス・ウジグス〔岩手〕ウツカ・ウツシカ〔壱岐〕ウツクサイ・ウクシイ・ウツクソイ〔福井〕ウツクシイ〔福井大飯〕ウツイ〔岐阜・静岡〕ウツツイ〔飛騨〕ウツエ〔仙台方言〕ウツクシー〔愛知・岐阜・和歌山県〕オコーシ・オコシ〔島根〕〈標ア〉[シ]〈京ア〉[ク]「うつくし」〈標ア〉[ク]〈ア史〉平安○○○◎江戸●●●○○「うつくしき」〈京ア〉[ク]【辞書】字鏡・名義・和玉・文明・伊京・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【美】文明・ヘボン・言海【嬖】名義・和玉【端】名義・伊京【厳】文明・饅頭【仁】文明・黒本【麗】文明・書言【可愛】易林・書言【?・温・依】名義【慈・娯・媚・沢・寵】和玉【艷】文明【妖・?・妍・?】黒本【愛常・皇華】書言【愛】言海【同訓異字】うつくしい【美・愛・好・妍・佳・娃・姚・娟・婉・窕・媚・麗】【美】(ビ)景色や容貌、また心や言葉などがうつくしい。きれい。「美醜」「美女」「美辞」「優美」《古よし・うるはし・かほよし・あさやかなり・ほむ》【愛】(アイ)好んでめでる。好ましくおもい大切にする。《古をしむ・めぐむ・いつくし》【好】(コウ)うつくしくてよい。容貌がこのましい。「好男子」「美好」《古よし・かほよし・うるはし・このむ》【妍】(ケン)なまめかしい。あでやかでうつくしい。「妍麗」「妍を競う」《古うるはし・かほよし・よし》【佳】(カ)みめかたちのととのった女性。また、姿かたちがととのっていてうつくしい。「佳人」「佳景」「絶佳」《古よし》【娃】(ア・アイ)うつくしい女。また、みめかたちがうつくしい。【姚】(ヨウ)みめかたちがよい。なまめかしい。「姚冶」《古なやます・うからめ》【娟】(ケン・エン)華やかでうつくしい。しとやかである。「娟娟」《古うるはし・たをやかなり》【婉】(エン)しとやかである。しなやかでうつくしい。「婉然」「婉麗」「妖婉」《古かざる・うるはし・やはらかなり》【窕】(チョウ)奥深い。転じて、しとやかで奥ゆかしい。「窈窕」《古ふかし・たをやかなり・うるはし》【媚】(ビ)なまめかしい。色っぽくてうつくしい。「明媚」「婉媚」《古こぶ・なまめく・うつくし》【麗】(レイ)あでやかでしっとりしている。うるわしい。「麗人」「麗句」「華麗」「綺麗」《古うるはし・かほよし・めづらし》

とあって、用例中には醍醐寺本『遊仙窟』をも引用するが、この「愛色」の漢字表記による「うつくしげなる」の和訓用例は未収載にある。さらに云えば、『日国』には「愛色」なる語は、日本語として認知され、収載されていないのである。
 
 

[関連語補遺] 因みに現在の日本語によるネットでは、この「愛色」なる語はどのように表現されているのだろうか?と触発されて検索してみると、

〈参考HP〉「愛色パラソル」http://ameblo.jp/ai-iroparasol/

 あの人がつくったBUNKO「愛色」くぼたさちこさんhttp://www.photoback.jp/topic/aiiro.aspx

 折原 みと著『愛色の女性伝』〔講談社X文庫〕  

等など「愛色」の検索結果は グーグルで約 399,000 件、gooで約210,000件であった。このんかには、「アイイロ」が「アイライロは、愛色という言葉が歌詞によく出てくるので、それをカタカナにした時にカタカナのイがにんべんに見えるからイとイが人と人という字になって、ラが裸という漢字を表しており、それぞれの「愛の裸の色」という意味になる」という表現もあった。

 

《回文》(うつくし▼しくつう)
 
 
2009年04月09日(水)晴れ。東京(八王子→阿佐ヶ谷)
(ヲウ、むこ)」
 『遊仙窟抄』第一冊に、「甥」なる語について記載した箇所がある。

又甥ヲムコトヨムコト。俗ノ傳ニアルコトナリ。ムコハ聟ノ字ヨシ。カノ童子(ハラハコ)ノモテアソブナル。小野篁ガ哥字ヅクシニハ。サマ/\ノ誤(アヤマリ)アリ。信ズベカラズ。〔一11ウA〜B〕

とあって、その訓みが「むこ」としていることで、江戸時代の語彙科往来の一種である『小野篁哥字盡』を引用し、さまざまの誤りのあることを指摘している。

 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版に、

むこ【婿・聟・壻】〔名〕@娘の夫として家にむかえる男。また、娘の夫。婿子。もこ。*日本書紀〔七二〇〕雄略九年七月(前田本訓)「伯孫、女(むすめ)、児(をのここ)産(うまはり)せりと聞きて、往きて(ムこ)の家を賀(よろこ)びて」*十巻本和名抄〔九三四頃〕一「婿 爾雅云女子之夫為婿〈音細字亦作聟 和名无古〉」*能因本枕草子〔一〇C終〕二二・すさまじきもの「また、家ゆすりてとりたるむこの来ずなりぬる、いとすさまじ」*徒然草〔一三三一頃〕一九〇「『誰がしが婿に成りぬ』とも、また、『如何なる女を取りすゑて、相住む』など聞きつれば、無下に心劣りせらるるわざなり」*虎明本狂言・音曲聟〔室町末〜近世初〕「むこが参りて候、それそれ御申候へ」*俳諧・続猿蓑〔一六九八〕上「昼寐の癖をなをしかねけり〈芭蕉〉 が来てにっともせずに物語〈支考〉」*小学読本〔一八七三〕〈榊原芳野〉一「曾祖父、曾祖母は祖父、祖母の父母なり。又〈略〉娘の夫を婿といふ」*男鹿〔一九六四〕〈田村泰次郎〉「ひょっとすると、大木戸登が舞い戻ってちゃっかり娘の婿に納まってねえもんでもねえと思いやしてね」A女性からみて、結婚相手の男。夫。*滑稽本・浮世床〔一八一三〜二三〕初・上「開帳参と芝居と、あれが妹の所へ(ムコ)の来た時と、たった三度しきゃアお晴をしねへときて居るから」*虞美人草〔一九〇七〕〈夏目漱石〉一二「小野さんは大変学問の出来る人だと云ふ。〈略〉藤尾の(ムコ)として耻づかしくはあるまい」【方言】@夫。《むこ》岡山県上房郡752邑久郡760A養子。《むほ》鹿児島県奄美大島974《むこさん》香川県大川郡829B花婿。新郎。《むくぶざ》沖縄県八重山996《ぬくぶざ》沖縄県石垣島996《むくざ》沖縄県小浜島996《むかざ》沖縄県西表島996【補注】[方言の補注]の「ぶざ」は男子に対する尊称。【語源説】(1)家中の人数が増すところから、マスケコの反〔名語記〕。(2)向フコの義〔日本声母伝・本朝辞源=宇田甘冥〕。ムカコ(向子)の略〔大言海〕。(3)ムカフコ(迎子)の義か〔名言通・国語の語根とその分類=大島正健〕。ムカツコ(向子)の略か〔萍の跡〕。ムカヘコの義〔燕石雑志・菊池俗言考・難波江〕。(4)ムカフヒトの略ムトの転〔国語蟹心鈔〕。(5)ムカヒ(迎)の義〔言元梯〕。(6)メスコ(聘子)の約か〔和訓栞〕。(7)子のように睦じいところから、ムはムツマジの略、コは子の義〔日本釈名・東雅〕。【発音】〈なまり〉ミコ〔鳥取〕モコ〔岩手・福島・茨城・栃木・埼王・埼玉方言・千葉・新潟頸城・信州読本・信州上田・岡山・鳥取・島根・周防大島・讚岐・愛媛周桑・伊予・瀬戸内〕モゴ〔青森・津軽語彙・岩手・仙台音韻・仙台方言・秋田・山形・山形小国・福島〕ンコ〔島根〕〈標ア〉[ム]〈ア史〉平安・江戸○◎〈京ア〉(コ)【辞書】和名・色葉・名義・下学・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【聟】和名・色葉・名義・和玉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・書言・言海【婿】下学・文明・伊京・明応・天正・ヘボン・言海【壻】和名・名義・和玉・文明・黒本・書言【私】和名・色葉・名義【】色葉・名義・和玉】和玉・伊京【】和名【】和玉【倩】書言[小見出し]むこ取(と)るむこには花(はな)を持(も)たせむこの食(く)い逃(に)げむこは子(こ)

とあって、文字表記の上で「むこ」の漢字表記は九種に及ぶものであり、このなかに「甥」も含まれていて室町時代の『倭玉篇』と江戸時代の『書言字考節用集』に所載が見られるのである。
 

[関連語補遺] 

〈参考HP〉

 

《回文》(むこ▼こむ)
 
 
2009年04月08日(火)晴れ。東京(駒沢)花祭り
ののさまに お花を捧げましょう 誕生会 天空より甘茶を注ぎ 祝う 「天上天下唯我獨尊」
氣調(キデウ、そえらい、いきざし)」

 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)に、「氣調」なる語について記載した箇所がある。

 

 

 このうち、『遊仙窟』に、

012:(キヤウ)-子答曰愽(ハク)-陵[平]-王之苗[去濁]-裔(ノハツノハツハヽコ)ノハツハツコ[平][平]-河[平]-公[平]之舊[去]-族(ノユカリナリ)ノフルキヤカラナリ[平]-貌ハせハ[去濁](  リ)[平]-安[平]-仁[平濁]_(ハヽカタノメイナレハ)ヲイナレハ氣-調(イキサシ)ソヘラヒハ[上平][平入崔-季-珪(キケイ)[平上平]_(ヲトイモウトナレハ)。〔醍醐寺本4E・文庫205B〕。

とあって、「氣調」の標記字に「いきさし」と「そへらひ」の語訓を記載する。

 次に『遊仙窟抄』第一冊に、

氣調(キデウ)ソエライ(ゴトシ)(コノカミ)。〔一11オC〕 氣調ハ。ソヘラヒトヨマセタリ。氣()ハ形(カタチ)ニカヽリ。調ハ声(コヘ)ノシナヽリ。シカルニヨリ。註(チウ)ニ声(コヘ)ト眉目(ビモク)ノヲイヘリ。氣調ハイキサシコヱハライトモヨマセタリ。イキザシヨムテシカルヘシ。〔頭書一11ウH〜J〕

とあって、字音訓みが「キデウ」、和訓読みに「そへらひ」「いきざし」「こゑはらい」の三語を所載する。
 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

氣調 イキサシ 。〔前田家本上卷伊部畳字門14オE〕〔黒川本上卷11ウB〕

とあって、標記字「氣調」の語をもって、「いきさし」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』にも、

氣調 イキサシ。〔僧下111G〕

とあって、「氣調」の語をもって「いきさし」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

心端(イキサシ)シンタン、コヽロ・ハシ 或作氣調(イキサシ)。〔イ部・支躰門9@〕

とあって、標記字「心端」の語註記にて「或は氣調(イキサシ)に作す」としてこの標記字と和訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

いき‐ざし【息差】〔名〕(「ざし」は様子の意)@息づかい。呼吸のさま。*大鏡〔一二C前〕四・道兼「御いきざしなどいとくるしげなるを」*幸若・烏帽子折〔室町末〜近世初〕「夜ととも笛をあそばせし、おんぜいいきさし程ひゃうし物あひすむだる所は」*日葡辞書〔一六〇三〜〇四〕「Iqizaxiga(イキザシガ) ワルイ」*浄瑠璃・国性爺後日合戦〔一七一七〕二「息ざしもせずうかがへば」A気負いや嘆きなどの激しい感情が、息づかいや言葉づかいに表われたもの。荒々しい意気込み。また、嘆きや不平の口ぶり。*日本書紀〔七二〇〕神代下(丹鶴本訓)「其の辞気(イキザシ)慷慨(はげ)し」*蜻蛉日記〔九七四頃〕下・天祿三年「様々になげく人々のいきざしを聞くも」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕玉鬘「まして監がいきざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしき事限りなし」Bようす。けはい。気色。風采(ふうさい)。*和漢朗詠集〔一〇一八頃〕下・妓女「気調のいきざしは兄のごとし、崔季珪が小妹なればなり〈張文成〉」*浜松中納言物語〔一一C中〕五「弱ういみじけれど、あてにうつくしきいきざしの、見る目に違(たが)はず、めづらしうかなしう思(おぼ)されて」*唐物語〔一二C中〕下「楊家の娘〈略〉其のいきざしは、夏の池に紅(くれなゐ)の蓮(はちす)始めて開けたるにやと見ゆ」*有明の別〔一二C後〕一「御ぞのにほひ、いきざしをはじめ、さはいへど、けぢかさはいとなつかしう」C脇腹。*男重宝記(元祿六年)〔一六九三〕五・二「備前備中美作の詞(ことば)に指といふ事をいべといふ〈略〉同国に脇ばらをいきざしといふ東国には息あひと云」【方言】@脇腹。《いきざし》美作†113愛知県北設楽郡553A横腹の少し上のあたり。脇腹の上部。《いきざし》静岡県榛原郡541鳥取県西伯郡719岡山市762広島県高田郡779B肋間神経痛。《いきざし》青森県津軽075神奈川県津久井郡317静岡県志太郡535《いきさし》静岡県志太郡535【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[ザ]【辞書】色葉・名義・文明・明応・天正・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記気調】色葉・名義・文明・黒本・易林・ヘボン【心端】文明・明応・天正【心・機関】書言【息差】言海

とあって、用例中には『和漢朗詠集』下卷・妓女の部に張文成『遊仙窟』を引用していて此句が収載されているのである。
 

[関連語補遺] 

 

《回文》応ば依怙応えぞし、先祝う常軌。氣調は息差し・添えらい・聲禊い(いらはえこいらへそしさきいはうじょうき▼きじょうはいきさし、そえらい、こえはらい)
 
2009年04月07日(火)晴れ。東京(駒沢)
此処(このわたり)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第二十冊(巻三十七・夢浮橋)に、「おもと」なる語について記載した箇所がある。

をのゝわたり 小野徑(ワタリ) 此処(ワタリ)遊仙窟 〔角川書店刊601下Q〕

とあって、「このわたり」の語として、『遊仙窟』に「此処」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

137:十娘見()五嫂頻弄(モ フ)(イツハリ)}ナマハチテ(ワ  )エマ(  リ)詠曰千金此處( リ)一咲(エミ)(マツ)渠為ニせム()( マ)( ク)(アラハサム)(ハヲ)ハクキ( フ)ニせム暫顰(ヒソメヨ)ムコトヲ。※〔醍醐寺本文庫43B文庫〕鈔本「此処」〔二19ウC〕※陽明文庫本「此處」〔12ウD〕慶安三版「此處」〔19ウG〕

とあって、「此處」の標記字に語訓は未記載にする。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

十娘見()五嫂頻弄(モ フ)(イツハリ)}ナマハチテ(ワ  )エマ(  リ)詠曰千金此處( リ)一咲(エミ)(マツ)渠為ニせム()( マ)( ク)(アラハサム)(ハヲ)ハクキ( フ)ニせム暫顰(ヒソメヨ)ムコトヲ。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「此処」の標記字に和訓「(この)わたり」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

此処 シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「此処」の語をもって、「おもと」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

此処 シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「此処」の語をもって「このわたり」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

此処レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「此処」の語にて「このわたり」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

わたり【辺】〔名〕@ある場所の、そこを含めた付近。また、そこを漠然とさし示していう。その辺一帯。あたり。へん。へ。近所。*催馬楽〔七C後〜八C〕山城「山城の 狛(こま)の和太利(ワタリ)の 瓜つくり な なよや らいしなや」*伊勢物語〔一〇C前〕五「東の五条わたりにいと忍びていきけり」*実方集〔九九八頃〕「あしのかみひざよりしものさゆるかな とあれば こしのわたりに雪やふるらむ」*宇治拾遺物語〔一二二一頃〕六・七「薬湯あり、其わたりなる人の、夢にみるやう」A特定の人のもとを、婉曲にさしていう。人のもと。人のところ。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕手習「かかるわたりには急ぐ物なりければ、居しづまりなどしたるに」B人や、人々のことを漠然とさしていう。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕橋姫「かのわたりは、かくいともむもれたる身に引きこめてやむべきけはひにも侍らねば」Cある時間、時刻を漠然とさしていう。*醍醐寺文書‐(年未詳)〔一六C〕六月一九日・僧亮淳書状(大日本古文書八・一七六三)「明後日わたり罷下可申上候」*天理本狂言・牛馬〔室町末〜近世初〕「扨々、きゃつは、おとといわたりから、きたものじゃと云て」【語源説】(1)アタリ(方・当)の転〔言元梯・名言通〕。(2)ワタアリの義。ワタルは太陽が東から西へ運行する義〔国語本義〕。【発音】〈標ア〉[ワ]【辞書】言海【表記】【辺】言海

とあって、表記語「わたり」で見ることになるが、『遊仙窟』所載のこの語について『河海抄』からも採録は見えない。

[関連語補遺]

 

《回文》(このわたりし▼しりたわのこ)
 
 
2009年04月06日(月)晴れ。東京(駒沢)
蓮子(れんしのさかづき)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第二十冊(巻二十・手習)に、「おもと」なる語について記載した箇所がある。

人々にすいはんなとやうの物くはせきみにもはすのみやうの物いたしたれは 水飯 蓮子(レンシノサカツキ)遊仙窟 蓮子数盃妄令酒 松枝一曲試春歓楽天 酒鈎送盞推蓮子 燭涙盤畳葡萄同(楽天) 一説云水飯に盃をそへていたしける歟。菓子の中に藕実を加たる事いたく先蹤なき歟。又云夏の会なれは藕実もなかるへきあらすさか月をはすのみといはんもあまりに上手めきたる歟。用捨可随好〔角川書店刊596下?〜597上E〕

とあって、「れんしのさかずき」の語として、『遊仙窟』に「蓮子」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

017:[平]-甫()[上]()心狂-虚タワフレ( レル)白玉下官寓戻樹反勝境(タヒニ)(トヽマレリ)止也待各反閑-亭ミヤヒヤカナルトコロニ忽遇( フ)神-仙(タヘ)迷亂 トヒミタルヽ芙-蓉ハチス( ヒ)於澗(タニ)_蓮-子カナシミ實深( シ)。木-栖(せイ)アツサハ( テ)於山頭ホトリ-思フコト日遺( シ)(イ )サシカトモ(ムカシ)ニモ(ノム)(トヲモハカラ)( ワタノ)(アツヒコト)焼不トモ( ハ)(ノムト)刀腹( ワタ)穿( シコト)( リ)( ル)。〔醍醐寺本7D、文庫221@〕鈔本「蓮子」〔二19ウC〕※陽明文庫本「蓮子」〔12ウD〕慶安三版「蓮子」〔19ウG〕

とあって、「蓮子」の標記字に「かなしみ」「れんしのさかづき」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

[平]-甫()[上]()心狂-虚タワフレ( レル)白玉下官寓戻樹反勝境(タヒニ)(トヽマレリ)止也待各反閑-亭ミヤヒヤカナルトコロニ忽遇( フ)神-仙(タヘ)迷亂 トヒミタルヽ芙-蓉ハチス( ヒ)於澗(タニ)_蓮-子カナシミ實深( シ)。木-栖(せイ)アツサハ( テ)於山頭ホトリ-思フコト日遺( シ)(イ )サシカトモ(ムカシ)ニモ(ノム)(トヲモハカラ)( ワタノ)(アツヒコト)焼不トモ( ハ)(ノムト)刀腹( ワタ)穿( シコト)( リ)( ル)。〔二19ウC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「蓮子」の標記字に和訓「さかつき」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

蓮子 レンシ 坏名。〔黒川本中卷礼部畳字門15オB〕

とあって、標記字「蓮子」の語をもって「レンシ」の訓みを収載し、語註記に「坏の名」と記載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

禾云 レニシ上上上濁。〔佛下本106E〕

とあって、「」の語をもって「レニジ」の語訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

れん‐し【蓮子】〔名〕@蓮(はす)の実。数珠玉などに用いる。*延喜式〔九二七〕五・神祇・斎宮寮「蓮子、干棗各一升」*古楽府‐子夜夏歌「乗月採芙蓉、夜夜得蓮子」*信‐春賦「芙蓉玉、蓮子金杯」Aさかずき。酒杯。*江吏部集〔一〇一〇〜一一頃〕中・閑伴唯琴酒「誘引桐孫為久契、提携蓮子不相争」*本朝文粋〔一〇六〇頃〕八・今年又有春詩序〈源順〉「或停蓮子兮清談、或撫桐孫兮朗詠」*色葉字類抄〔一一七七〜八一〕「蓮子 レンシ 坏名」【辞書】色葉【表記】【蓮子】色葉

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺]この語は、『河海抄』が引用するように漢詩に多く用いられており、『遊仙窟』の他に「白楽天」の詩句を二つ引用しているが、『日国』第二版には孰れも未載録とする。

 

《回文》佳き司の神霊は杯蓮子の坏よ(よきつかさのしんれいは▼はいレンシのさかづきよ)
 
 
2009年04月05日(日)晴れ。イタリア(ローマ→東京
片子(いさゝかなる)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第二十冊(巻二十・手習)に、「いささかなる」なる語について記載した箇所がある。

むかしはおこなひせしほうしのいさゝかなる世にうらみをとゝめてたゝよひありきしほとに 片子(イサヽカナル)遊仙窟 〔角川書店刊595下D〕

とあって、「いさゝかなる」の語として、『遊仙窟』に「片子」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

220:下官辞-謝スルトシ(ヲハ)。シム左右(エキ)-州新-樣錦一-疋(タヽ)(オコせ)五-嫂詩曰今留メシムメタリ_(イサヽカナル)(カタミ)。( シ)以贈(ヲクテ)佳-期(タテ)(ツクテ)ツクル八-幅[入](フスマ)復一(  ヒ)_。〔醍醐寺本69G、文庫〕鈔本「片子」〔二19ウC〕※陽明文庫本「片子」〔12ウD〕慶安三版「片子」〔19ウG〕

とあって、「片子」の標記字に「いさゝかなる」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

(タヽ)(オコせ)五-嫂詩曰今留メシムメタリ_(イサヽカナル)(カタミ)。。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「片子」の標記字に和訓「いさゝかなる」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

簡略 イサヽカナリ。〔前田家本上卷伊部畳字門14ウE〕 簡略 イサヽカ。〔黒川本上卷12オ@〕

屑少 イサヽカ。〔前田家本上卷伊部畳字門14ウA〕 屑少 イサヽカ。〔黒川本上卷11ウE〕

とあって、標記字「簡略」の語をもって「いささかなり」と「屑少」の語で「いささか」の訓みを収載するだけで、この標記語「片子」の語は未収載にする。次に観智院本『類聚名義抄』に、

片子 シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「片子」の語をもって「おもと」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

片子レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「片子」の語にて「おもと」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

いささ‐か【聊─・些─】(「か」は接尾語)[一]〔形動〕@かりそめであるさま。ほんのちょっと。*万葉集〔八C後〕一九・四二〇一「伊佐左可爾(イササカニ)思ひて来しを多の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし〈久米広縄〉」*醍醐寺本遊仙窟康永三年点〔一三四四〕「片子(イササカナル)(かたみ)を留めしむ」A程度の少ないさまをいう。少しばかり。わずか。*竹取物語〔九C末〜一〇C初〕「いささかなる功徳を翁つくりけるによりて」*土左日記〔九三五頃〕発端「そのよし、いささかにものに書きつく」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕澪標「いささかなる消息をだにして、心慰めばや」*大唐西域記長寛元年点〔一一六三〕「其の中に更に(イササカ)なる域を築けり」*徒然草〔一三三一頃〕二三八「昔の人はいささかの事をも、いみじく自讚したるなり」[二]〔副〕@(下に打消のことばを伴って)少しも。ちっとも。→いささかも。*枕草子〔一〇C終〕二六二・文ことばなめき人こそ「ただ名のる名をいささかつつましげならずいふは、いとかたはなるを」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕総角「此の世には、いささか、思ひ慰むかたなくて、過ぎぬべき身どもなりけり」*大鏡〔十二C前〕六・道長下「しるしをつけて、人の参りたりければ、いささかとりたがへず」*連理秘抄〔一三四九〕「それを聊かつくろはずして」A少し。わずか。また、ほんのちょっとでも。*蜻蛉日記〔九七四頃〕中・安和二年「いささか物おぼゆる心ちなどする程に」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕乙女「いささかもの言ふをも制す。なめげなりとてもとがむ」*更級日記〔一〇五九頃〕「心地もいささか悪しければ、これをやこの国に見捨ててまどはむとすらむと思ふ」*徒然草〔一三三一頃〕一二「いささかたがふ所もあらん人こそ」*天草本伊曾保〔一五九三〕烏と狐の事「ヲンジャウガisasaca (イササカ) ハナゴエデ アキラカニ ナイト マウスガ」Bかなり。なかなか。*俳諧・奥の細道〔一六九三〜九四頃〕仙台「聊(いささか)心ある者と聞きて知る人になる」【語誌】@中古では、は漢文訓読系の資料に、は和文や和歌に用いられるという傾向がみられる。A中世以降はが多用されるようになるが、下に打消を伴う用法は次第に減少する。B現代ではやや改まった文語的な表現として用いられる。【方言】確かに。十分。《いささか》長野県南部062【語源説】(1)イトササヤカの意〔日本釈名・燕石雑志〕。(2)イは発語。ササヤカの義〔和訓栞〕。(3)イは発言。ササはササ(小)。カは形状〔古言類韻=堀秀成・日本語源=賀茂百樹〕。(4)イササは細小の義。カは形状をいう語〔俚言集覧〕。【発音】〈標ア〉[サ]<1>〈ア史〉鎌倉 ○○●○室町・江戸●○○○〈京ア〉[0]【辞書】色葉・名義・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【聊】色葉・和玉・文明・明応・天正・饅頭・黒本・書言・ヘボン【屑少】色葉・文明・黒本【簡略】色葉・文明【尠】色葉・名義・易林【苟・偸・権】書言[小見出し]いささかも・いささかもって

とあって、「いささか」の語を採録するが「片子」の標記字はこの『遊仙窟』の用例中に留まり、古辞書には採録されなかった語である。とりわけ、『色葉字類抄』や『類聚名義抄』への取り込みが見えないことは何故なのかを探るうえで注目しておく必要がある。

[関連語補遺]

 

《回文》(いささか▼かささい)
 
 
2009年04月04日(土)曇り時折小雨、晴れ。イタリア(ウルビノ→ローマ
外甥(ははかたのをぢ)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第二十冊(巻二十・手習)に、「おもと」なる語について記載した箇所がある。

にるへきこのかみや侍へきとていらふるこゑ中将のおもとゝかいひしなりけりまろこそおほんはゝかたのおちなれと 容貌(ヨウハウノカホハセハ)(ニタリ)(ヲチニ)潘安仁之()外甥(ハヽカタノヲイナレハ)氣調(ノイキサシハ)(コノカミノ如シ)崔季桂之()小妹(ヲトイモトナレハ)同(遊仙窟)〔角川書店刊592K〕

とあって、「はゝかたのをぢ」の語として、『遊仙窟』に「外甥」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

012:(キヤウ)-子答曰愽(ハク)-陵[平]-王之苗[去濁]-裔(ノハツノハツハヽコ)ノハツハツコ[平][平]-河[平]-公[平]之舊[去]-族(ノユカリナリ)ノフルキヤカラナリ[平]-貌ハせハ[去濁](  リ)[平]-安[平]-仁[平濁]_(ハヽカタノメイナレハ)ヲイナレハ氣-調(イキサシ)ソヘラヒハ[上平][平入崔-季-珪(キケイ)[平上平]_(ヲトイモウトナレハ)。〔醍醐寺本4E・文庫205B〕鈔本「外甥」〔二19ウC〕※陽明文庫本「外甥」〔12ウD〕慶安三版「外甥」〔19ウG〕

とあって、「外甥」の標記字に「はゝかたのめい」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

容-貌(ヤウメウ)カホハセ(ニタリ)(ヲチ)潘-安-仁(ハンアンジン)()_(ハヽカタノメイナレハ)ヲイナレハ。語林曰。潘-安-仁至美姿-容。毎老-嫗以之。常滿。一。俗-語云。外-甥似。十九也。言娘-子_安-仁之外ナレハ。美-麗似舅也。〔一9ウF〜11オC〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「外甥」の標記字に和訓として右訓に「ははかたのめい(なれば)」、左訓に「をい(なれば)」の語訓を記載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

外甥 ハヽカタノヲヒ。〔前田家本上卷波部人倫門23オE〕〔黒川本上卷18ウG〕

とあって、標記語「外甥」の語をもって、「ははかたのをひ」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

外甥 シツラフ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「外甥」の語をもって「おもと」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

外甥レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「外甥」の語にて「おもと」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、見出し語「ははかたのおじ〔名〕」「はゝかたのめい」の語は未収載にする。ただ、字音読みにして、

がい‐せい[グヮイ:]【外甥】〔名〕@妻の兄弟姉妹の子。*花柳春話〔一八七八〜七九〕〈織田純一郎訳〉一六「サクシンガム侯の外甥(グヮイセイ)にして早く死す」*後漢書‐范滂「滂外甥西平李頌、公族子孫而為郷曲所棄」A他家に嫁した姉妹の生んだ子。外姪(がいてつ)。*杜甫‐奉送二十三舅録事之摂州詩「徐庶高交友、劉牢出外甥」【補注】「新撰字鏡」に「外甥 吾姉妹之男女」、「色葉字類抄」に「外甥 ハハカタノヲヒ」とある。

とあって、その補注にこの語訓が採録されている。

[関連語補遺]

この張文成『遊仙窟』の語は、『和漢朗詠集』下卷・妓女部に、「容貌(ヨウボウ)のかほばせは舅(ヲヂ)に似()たり。潘安仁(ハンアンジン)が外甥(ハヽカタノメイ)なれば氣調(キテウ)のいきざしは兄(コノカミ)のごとし。崔季珪(サイキケイ)が小妹(ヲトイモウト)なればなり 張文成(チヤウブンセイ)〈原文〉容貌似舅潘安仁之外甥氣調如兄崔季珪之小妹 張文成」とあって、ここでは「ははかたのめい」の訓読する。

《回文》(ははかたのおじ▼じおのたかはは)
 
 
2009年04月03日(金)晴れ。イタリア(ウルビノ
(つみならす・かきならす)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第二十冊(巻二十・手習)に、「つみならす」なる語について記載した箇所がある。

なとねたましかほかき(つみ)ならし給との給に 故々将(モテ)繊手(ホソヤカナルテヲ)時々(ヨリヨリ)(ツマナラス)小絃(ホソキヲゝ)タモ猶氣絶(タエントスルモノヲ)(イカハカリカ)為憐(ヲモシロカラン)遊仙窟 〔角川書店刊592上E〕

とあって、「つみならす」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

013:須臾之間忽聞( ク)内裏(ウチツカタニ)調(  フル)(コト)之聲(ヤツカリ)( シテ)曰自(ヲノレハ)(ハタカクシテ)(スクレタル)姿(スカタノ)(ソクトウツクシ)キラ/\シキ(  ケルナル)アサムイテ(ヒトヲ)獨自(ミ  )(子フル)。(コヽニ)(子タマシカホニシテ)モテ(ホソヤカナル)時々(ヨリ/\ニ)(カキナラス)小弦(ホソキヲヽ)耳聞ニタモスラ猶氣絶(イキノタヘヌキ)メニ(ミムトキ)若為(イカハカリ)ヲモシロカラン(ヨシヤ)(キミ)―女也(ハナハタ)(スハ)(イナヒ)[平平上濁](ワレニ)(サラニ)アカラサマニ(コト)(モトメンヤ)(アメニ)アヤシキ所ヲ。〔醍醐寺本5C、文庫205〕鈔本「」〔二19ウC〕※陽明文庫本「」〔12ウD〕慶安三版「」〔19ウG〕

とあって、「」の標記字に「かきならす」の語訓を以て記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

(コヽニ)(子タマシカホニシテ)モテ(ホソヤカナル)時々(ヨリ/\ニ)(カキナラス)小弦(ホソキヲヽ)。〔頭書二19ウI〕

とあって、「」の標記字に和訓「つみならす」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「」の語をもって、「おもと」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

魯送反/モテアソフ、タハフレ。〔法中12ウ@〕

とあって、「」の標記字の語訓は「もてあそふ」「たはふれ」の訓だけを収載するに過ぎない。所謂『遊仙窟』の語訓は未収載であることを示す。
 室町時代の広本『節用集』に、

(カキナラス)カツ。〔賀部態藝門313A〕

とあって、標記語「戛」の語にて「かきならす」の和訓を収載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

つみ‐なら・す【抓鳴】〔他サ四〕琴などを指の先で鳴らす。*温故知新書〔一四八四〕「 ツミナラス 琴」

かき‐なら・す【掻鳴】〔他サ五(四)〕琴などを弾き鳴らす。かきなす。*宇津保物語〔九七〇〜九九九頃〕俊蔭「前なる琴をいとほのかにかきならしてゐたれば」*枕草子〔一〇C終〕一九三・南ならずは東の「かたはらにいとよく鳴る琵琶のをかしげなるがあるを〈略〉音もたてず、爪弾きにかきならしたるこそをかしけれ」*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕常夏「虫の声にかきならし、あはせたるほど、け近くいまめかしきものの音なり」*運歩色葉集〔一五四八〕「抹琴 コトヲカキナラス」*読本・椿説弓張月〔一八〇七〜一一〕前・一二回「月に対(むかひ)て、筑紫琴(カキナラ)る光景は、天津少女や影向(えうごう)しけん」【発音】〈標ア〉[0][ラ]〈京ア〉(0)【辞書】名義・和玉・文明・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【戛】和玉・文明・書言【掻鳴】ヘボン・言海【擽】名義【弄・擽】書言

とあって「つみならす」と「かきならす」の語を採録する。この二語のなかで標記語「」の字は、古辞書では室町時代の『温故知新書』に「つみならす」。『書言字考節用集』に「かきならす」と見えるに留まる。

[関連語補遺]

 

《回文》朝霞琴掻き鳴らす摘み鳴らすや、安ら波つすら鳴きが何處見ずかさあ(あさかすみことかきならすつみならすや▼やすらなみつすらなきかとこみすかさあ)
 
 
2009年04月02日(木)晴れ一時曇り。イタリア(ウルビノ
傍人(をのことも)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第十六冊(巻十六・竹河)に、「をのことも」なる語について記載した箇所がある。

わかきをのこともは 男共(ヲノコトモ) 傍人(ヲノコトモ)遊仙窟 〔角川書店刊539下Q〕

とあって、「をのこども」の語として、『遊仙窟』に「傍人」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

042:余乃詠曰竒-異アヤシク妍-雅(ケムカ)ミヤヒカナル(カタチ)(コト)驚-新アケサヤカナリ眉間月出テヽ夜頬(ツラ)上花開似(イソフ)( キ)腰偏-愛ウツクシケニシ(メ ル)(マナフタ)特宜(ヨロシ)(ヒソム)-成マコトニ-外(アヤシク)_(アヤシキ)物實是人_(ヨノナカ)-絶タヘスタレル自-然ヲノツカラ能舉-止フルマフ可-念(カ子ムト)アハレミニ比方能令( シ)シメ公-子_(タヒ)(イカ)(タクミ)使王-孫_(タヒ)(シナ)( キ)_雲裁(ハフキ)兩鬢( キ)_雪分ヘル( リ)( シ)綿_裴-齎()コトモ(サシ)_(ヌエリ)()鸚-鵡カタラヒ(コトヲ)。コトニ處盡(カナヘリ)アツカレリ()イ}( ツ)ルコト(ヨカラ)。機-關イキサシハ( タ)上濁-妙タヘナリ/ミサホナリ行-歩アユミ(スタレ)()[平]-()ミヤヒヤカナリ[平][平]-ヲトコトモ[平]丹-羅韈シタウツハケリ侍-婢(シヒ)ヲンナトモ_ツキ/\ニ緑-線鞋(ハキモノアリ)クツハケリ黄-龍クスク[去](ホトハシ)ツハクムヲレリ黄-金釧(タマキ)白-ノ如ク飛來イルレリ白-玉釵(カンサシ)。〔醍醐寺本22C、文庫〕鈔本「傍人」〔二19ウC〕※陽明文庫本「傍人」〔12ウD〕慶安三版「傍人」〔19ウG〕

とあって、「傍人」の標記字に「(かたはらの)をとこども」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

機-關イキサシハ( タ)上濁-妙タヘナリ/ミサホナリ行-歩アユミ(スタレ)()[平]-()ミヤヒヤカナリ[平][平]-ヲトコトモ[平]丹-羅韈シタウツハケリ侍-婢(シヒ)ヲンナトモ_ツキ/\ニ緑-線鞋(ハキモノアリ)クツハケリ。。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「傍人」の標記字に和訓「をとこども」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

傍人 シツラヒ 同。〔前田家本下卷古辞字門9オE〕〔黒川本下卷〕

とあって、標記字「傍人」の語をもって、「おもと」の訓みを収載する。次に観智院本『類聚名義抄』に、

傍人 ヲノコトモ平平上平。〔法中24D〕

とあって、「傍人」の語をもって「おもと」の訓を収載する。
 室町時代の広本『節用集』に、

傍人レウリ、ハカル・コトワリ 又作補理(シツライ)修補スル義也。〔246、973G〜974@〕

とあって、標記字「傍人」の語にて「おもと」の和訓を収載し、字音「レウリ」とし語註記に「また、補理と作る。修補する義なり」と記載する。
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、見出し語「おのこども〔名〕」では未収載であり、見出し語「お‐の‐こ[を:]【男子・男】」の用例として、『源氏物語』玉蔓巻に「女(むすめ)どももおのこどもも、所につけたるよすがども出で来て」とあるに過ぎない。

[関連語補遺]

 

《回文》(をのことも▼もとのこを)
 
 
2009年04月01日(水)曇り濃霧後小雨。イタリア(ミラノ→ウルビノ
Lisa Sotilis & De Chirico展オープニング式典参加
(らいし)」
 『源氏物語』の古注釈書である『河海抄』(龍門文庫蔵)第十四冊(巻十四・横笛)に、「らいし」なる語について記載した箇所がある。

御まへちかきらいしともを 子 又櫑子和名 同上 音雷又作 遊仙窟 韓詩云天子以玉飾諸侯大夫皆以黄金士以梓 是等皆酒器也然而我朝檀彼形歟。詩ニ金とあるは酒趨轤烽スいと訓せり。禮記其形似壺容也。(一)斛刻而尽之為雲雷之形也云々 たかつきのすかたにて上はぬりをけのふたをあをのけたるやうなる物也。をきふちをたかくしたる物也。内は朱漆外はK漆也螺鈿様々也。菓子なとを入れらるゝ也。内蔵寮に被納之。〔14-119、角川書店刊503C〕

とあって、「らいし」の語として、『遊仙窟』に「」の標記字を示す。

 このうち、『遊仙窟』に、

114:_(シハラクアル)飲-食倶到レリ-香( キモノヽカ)滿( ツ)室赤[入]-白[入]( 子)タリ前窮( メ)ツクシ水陸之珎(  シキ)_(アチハヒ)タリ川-原[平]之菓-菜(サイ)(  ムラ)則龍肝(キモ)鳳髄(ナツキナリ)アリ酒則玉-醴(レイ)(ケイ)-漿アリ[平]城-南崔參(サイサム)雀噪(シヤクサウ)之禾(アハ)江-上?-鳴(せイメイ)之稻(イ子)七月熟(ヒサ)(ヒタレ)平者反鼈酢(スシ)鶉羹(ウツラノアツモノ)(モヽ)クワ(モトノ)(コエタル)(井コ)荷間(八チスノ  タ)(ホソキ)(コイ)。鵝子(カノコ)カリノ(カモ)(カイコ)-曜テレリ於銀盤(サラ)(ホシヽ)リンノ(ホシヽ)(ヘウノ)ハウ(ハラコモリ)-綸マカヘリ玉-疊(タヽミ)(ナマス)ナマシキ(モハラ)( シ)(カニ)(ヒシホ)(モハラ)(キナルアリ)ナル(ナマス)(トモナ)紅縷(イトスチ)[去・(  ヒ)(ヒカリ)(ヒヤカナル)(キモ)(トモナ)青絲[去・( ル)蒲-桃(ホタフ)ノエヒ[去]-蔗(シヤ)[去](サン)[平](サウ)[上]石-榴アリ河-東紫-塩嶺-南丹( キ)_燉-煌(トムクワウ)[平平][入]-子(カラナシ)カラモヽ-門五-色瓜大-谷[入]-公之房-陵朱-仲之李(スモヽ)。東-王-公之仙桂(カツラ)。西-王-母之神桃南-燕牛入濁-乳[平濁](ハシカミ)。北-趙鷄-心之アリ千-名万-種(シヨウ)平上不可具(コトコトク)。〔醍醐寺本38E〕、文庫221@〕鈔本「」〔二19ウC〕※陽明文庫本「」〔12ウD〕慶安三版「」〔19ウG〕

とあって、「」の標記字に「(たま)たたみ」の語訓を記載する。

 これを『遊仙窟抄』第一冊には、

(ホシヽ)リンノ(ホシヽ)(ヘウノ)ハウ(ハラコモリ)-綸マカヘリ玉-疊(タヽミ)(ナマス)ナマシキ(モハラ)( シ)(カニ)(ヒシホ)(モハラ)(キナルアリ)ナル(ナマス)(トモナ)紅縷(イトスチ)[去・(  ヒ)(ヒカリ)(ヒヤカナル)(キモ)(トモナ)青絲[去・( ル)。。〔〕。〔頭書二19ウI〕

とあって、「」の標記字に和訓「らいし」の語を収載する。

 古辞書にあっては院政時代の三卷本『色葉字類抄』に、

? ライシ器/又作。〔黒川本中卷礼部雜物門40オG〕

とあって、標記語「?子」の語をもって「らいし」の訓みを収載し、語註記に「器なり。また、に作る」と記載する。
 近代の国語辞書である大槻文彦編『大言海』には、
 らい‐し〔名〕櫑子・罍子】@
 現代の国語辞書である小学館『日本国語大辞典』第二版には、

らい‐し【櫑子・罍子】〔名〕@酒を入れる器。*十巻本和名抄〔九三四頃〕四「櫑子 唐韻云櫑子〈音雷 字亦作罍 本朝式云櫑子〉酒器也」A食物などを盛る器。縁(ふち)つきの盤(さら)。*源氏物語〔一〇〇一〜一四頃〕横笛「この、たかうなのらいしに、なにとも知らず立ちよりて、いとあわただしう、取りちらして」*増鏡〔一三六八〜七六頃〕一一・さしぐし「上は、御引直衣・生絹の御袴、らいしまゐる」【辞書】色葉・易林・言海【表記】【罍子】色葉・言海【櫑子】易林・言海【子】色葉

とあって小見出し語に採録されている。

[関連語補遺]

 

《回文》櫑子は中さ肴は?(らいしはなかさ▼さかなはしいら)
 
 
 
 
 
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