[11月1日〜11月30日迄]

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

 

1998年11月30日(月)粉雪舞う。気温マイナス二度。

しんしんと 緑のくろ髪 ただの白

「灸」と「炙」

 古くから用いられ、類似する字様だが音訓の異なる語として「灸」と「炙」がある。「灸」は、音「キュウ」訓は「やいと」。「炙」は、音「シヤ〔呉音〕」「セキ〔漢音〕」訓は「あぶる」と読む。

「灸」は、漢方療法の一つで、艾〔もぐさ〕を皮膚の定められたところ(つぼ)に置いて火をつけ、その熱で病気をなおす。『徒然草』一四七段に、 「きうぢあまた所になりぬれば、神事にけがれあり」と「灸治」の語が見えている。慣用句に「灸を据える」というのが用いられている。

「炙」は、肉を火のうえであぶることを示している。直接「あぶりニク」という用例の場合、

◆途端に、焙り肉の芳香が、私の鼻をついた〔獅子文六・てんやわんや〕

のように、「焙」の字が通常用いられていて、この「炙」の字は、現代ではあまり用いられていない。むしろ、熟語として『孟子』に、「耆秦人之炙無以異於耆吾炙=秦人の炙を耆むは以て吾が炙を耆むに異なる無し」<告上>という「膾炙〔カイシャ〕人の口に合い好まれることから、世間に広く知れわたること。広く人々のうわさになること」や、「況於親炙之者乎=況んやこれに親炙する者においてをや」<尽下>と「親炙〔シンシャ〕そばにいて直接感化を受ける」などの語として用いられている。

◆憶良の『しろがねも黄金も玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも』の絶唱は、日本人の心を言い当てたものとして、永く人口に膾炙している〔和辻哲郎・風土〕

◆私は中学校から高等学校にかけて内村鑑三先生の文章を愛読した。出来るならば先生に親炙して教を請いたいと思っていた〔阿部次郎・三太郎の日記〕

読めない、書けない漢字の一つにならないためにも、日頃からよく目にする看板文字「鍼灸治療」の「灸」や、そして、文書語のなかで「親炙」、「人口に膾炙」の「膾炙」として引かれる「炙」の文字を確認しておきたい。

1998年11月29日(日)晴れ。

時を知る 年賀欠礼 届くたび

「剋」と「尅」

 字音「コク」だが、「剋」の字と異体字「尅」の字とから成る。寛永版影印振り仮名つき『吾妻鏡』(汲古書院刊)巻一から巻十二までを対象に、「コク」の使用状況を調べて見ると、

[尅の字]

卯ノ尅<一32ウD、二1オC、二24オC、四32オD、九32オH、九36オI、十一26オF、十二1オC、十二19オ@>。午ノ尅<一33ウE、四46ウB、六54オA>。寅ノ尅<一41オC、九3ウH、十一9オH>。丑ノ尅<一41ウE、六60ウC、十一9オB、十二7オ@>。戌ノ尅<二15ウD、二34オK、九61オC>。酉ノ尅<三32ウC、八14ウJ>。子ノ尅<五1ウF、十一33オG>。亥ノ尅<九6ウD、十64ウF、十二18ウB>。巳ノ尅<九24ウI>。辰ノ尅<十6オ@>。未ノ尅<十二4ウH>。申ノ尅<十二5ウK>。一尅<十54ウ@>。時尅<八20ウF>。

「剋の字」

寅ノ剋<一32ウH、三7オ@、五8オC>。戌ノ剋<二5ウB>。酉ノ剋<二35ウJ、八15オB>。卯ノ剋<四1オC、四39オF>。未ノ剋<四19オH>。

[刻の字]

未ノ刻<三5オ@>。辰ノ刻<三9オG>

といった使用状況となる。異体字の「尅」の字が最も多く用いられている。さらには、同じ頁内において、「剋」と「尅」の字を両用する個所も見えるのである。一作品における字体の変種を考えるとき、字体の異なる表記両用書きが意識的に成されているのか、それとも無意識に成されているのかかが今後の注目する点となる。

観智院本『類聚名義抄』には、

 口得反 カツ せム ヨクル マコト タヽカフ チキル トキ クハタツ ヨシ キサム キサス タチマチ コク<法下一四四C>

 音刻 ハタ爪 ツトム カツ ヨク せム カナフ キザ爪[ム] カナラス 子ムコロ 爪クル タシカニ チカシ クヒシハル 齒― 専ヽ 〓ヽ 急ヽ<僧上九三D>

とあって、字音「コク」は合致するが、和訓語彙の共通するのは、五語にすぎない。このことは、「かつ」など同じ意の文字と認定することもできるが、その反面、「尅」は、「とき」などの意、「剋」は、「はたす、つとむ」などの意に用いる文字としての専有性が潜んでいるのかもしれない。

1998年11月28日(土)小雪から大雪へ。

過去にあり いのちの文字 未来に継ぐ

「メッカ」不適切な表現

 昨晩のテレビ朝日、“ニュースステーション”において、久米 宏さんが北海道について触れた表現のなかで「北海道は、不況メッカの根源地」であるというのがあって、番組の最後に「メッカ」は、イスラム教の聖地のことで、上記内容にあっては「不適切な表現」であったことをお詫びしていた。

 この「メッカ」という表現だが、新明解『国語辞典』第五版に、

メッカ〔オMekka〕@サウジアラビア西部に在る、イスラム教の聖地。開祖マホメットがこの地で生まれた。Aその方面の中心地で、(その世界の根源が求められる所として)多くの人が、一度行って見たいと思っている所。「高校球児の―甲子園」

とあって、Aの意味に基づく曲解表現であるわけだが、括弧内の「その世界の根源が求められる所として」用いようとしたことが知れよう。そして、括弧外の意を端折ってしまったということに起因するのである。ところで、この「メッカ」の部分を正しく置換するとすれば、どう表現できるのだろうか?たとえば、同じく地名で人の賑わいを示す表現「銀座」であったらどうであろうか。

「北海道は、不況銀座の根源地」

これもおかしい。「不況」の反対語「盛況」であればしっくり落ち着くのであるが、ここは、「不況一色」とでも表現するところであろう。でも、まだ「根源地」がやや氣にもなる。

[メッカ表現の実際]

  1. 魚釣りのメッカ。(礒釣りのメッカ。川釣りのメッカ)
  2. サーフィンのメッカ(国府の白浜)
  3. 風景写真のメッカ
  4. 彫刻のメッカ
  5. お花見のメッカ
  6. 日本仏教文化のメッカをたずねて

1998年11月27日(金)曇り一時雪。

雪融けや 今日も凸凹 往き帰り

「裔」

 「裔」の語易林本『節用集』に、

と本邦典籍からの引用による注記である。文明本『節用集』波部には未収載の語である。ここでいう「古今」といえば、『古今集』。「和名」といえば、『倭名抄』と通常は考えるところである。そこで、出典検証してみると、まず『古今和歌集』の「梅のはつえ」だが、巻第十一 戀歌一の、

    1. わがそのの梅のほつ[はつに鶯のねになきぬべきこひもする哉

というのがそれである。この部分「ほつえ」と表記し、傍らに「は」を表示している。京都大学藏『古今集抄』に、

此哥ハ延喜三年八幡の哥合千番の忠平ノ関白の御哥也。朱點ハ濁を云との心しるし也。ほつえハ末の枝也。そはにはと云字を付たる同事也。勘にあり。我か心の てねに立へき程也と云ふ心也。ほつえと壽宝ハすみてよむ。祇ハ清濁ともに云申キ。青蓮院堯智東殿ハ何も濁て云し候

と記されている。また「上枝」と書く。次に『倭名類聚抄』だが、この語は見えない。となると、「和名」は、『本草和名』でもいうのか、またまた、典拠不明なのである。

江戸時代の『書字考節用集』には、

苗裔〔ハツエ〕<四10@人倫>

早枝〔ハツエ〕草木初生スル枝也<六8@生殖>

と人倫門・生殖門それぞれに収録が見え、人倫門は、子孫の意に用い、生殖門は、木の先端に生じる枝の意に用いたものである。現代の国語辞書『日本国語大辞典』『広辞苑』第五版では、表記字を「極枝」として収載する。

1998年11月26日(木)曇り一時晴れ間がのぞく。

 ごとごとと 雪解け道に 家揺れる

「耆婆鳥」

 「耆婆鳥〔ギバチョウ〕」という想像上の鳥について、室町時代の古辞書『下学集』に、

耆婆鳥〔キバテウ〕一身兩頭ナリ也 故フ‖耆婆鳥ト| 又命々鳥〔メイメイ[テウ]〕ト|阿弥陀経共命鳥〔クメイ[テウ]〕ト|也<氣形58D>

とあり、これを文明本『節用集』に、

耆婆鳥〔ギバテウ〕−−。一身ニシテ而兩頭鳥也。故耆婆――ト|也。又云命〃鳥〔メイゝ−〕トモ|。阿弥陀経共命鳥〔キヨウメイテウ〕ト|。共命〔クミヤウ〕也<氣形門815C>

とこれもほぼ同じく収載する。そして、易林本『節用集』になると、

耆婆鳥〔ギバテウ〕一身ニシテ而兩頭鳥也。又云命〃鳥トモ云<氣形186D>

とこの語の見出し項目を増やし、「命〃鳥」の典拠を「法華」としているが、この「法華」は、『法華経』、天台三大部の『法華文句』『法華玄義』には「耆婆鳥」の語は見えない。いかなる「法華」を云うのか解明が待たれる。

また、現代の国語辞書『広辞苑』第五版には、「共命鳥」(一つのからだに頭が二つあるという、想像上の鳥、命命鳥〔みょうみょうちょう〕)、「命〃鳥」(共命鳥〔ぐみょうちょう〕に同じ)の語を収載している。そして、なぜか室町時代の古辞書が見出し語とする「耆婆鳥」の語を未収載としている。

[言葉の実際]

『自然眞營道』<大系・近世思想641B>

○耆婆鳥〔ギバてう〕、座上ニ有リ。鸞、之ニ向テ問テ曰、「汝ニ何ノ評カ有ル」。耆婆ガ曰「吾レハ佛作〔ぶつさく〕ノ鳥〔トリ〕ニシテ、一身。二頭ナリ。故ニ口ヲ利〔キ〕クコト諸鳥ニ勝〔すぐ〕レ、六鳥〔ろくてう〕ノ事ヲ鳴〔サヘヅ〕ルナリ。故ニ法世ノ僧ニ六宗兼學〔リクシユウケンガク〕ノ者有リテ、律宗〔りつしゆう〕・倶舎〔くしや〕・成實〔じやうじつ〕・法相〔ほつさう〕・三論〔さんろん〕・華嚴〔けごん〕ノ六宗、偏惑〔へんわく〕。横氣論〔わうきろん〕ハ、吾ガ兩頭ニシテ口利キ、品々〔しなじな〕鳴〔サヘヅ〕リ貪リ食フ、吾ヲ羨テ立〔タツ〕ル處ナリ。故ニ鳥世ニ佛法盛ンニ修行シテ成佛〔じやうぶつ〕スル者、横氣。偏惑ノ吾レ等ト同業ニ落來〔おちきた〕ルナレバ、法世ノ力ヲ以テ鳥世繁昌スルナリ。」諸鳥、滿悦ス。

1998年11月25日(水)曇り一時雪午後晴れ間のぞく。

ひんやりと 手に触れにきや 開きもん

「回転寿司」

 NHK“女の大研究”<1998.11.25>を観ていてふと気づいた。テロップに「回転寿司」とあって、「寿司」の振り仮名を「ずし」としている。このコーナーを担当取材している門村アナウンサーも「かいてんずし」と発音しているからだ。以下は、このことを頭においてこの番組の内容をメモ録してみたものである。

 約35年を経過した「回転寿司」、当初は素人が創めたものであったのが、外食産業として魚肉文化を育む日本で食ブームとなってきている。

1、仕入れが勝負

大量仕入れ(仲買人から)と質の良さ。

仕入れの魚種は約70種に及ぶ。

2、「回転寿司」店では、こんなことに着目

寿司職人による魚の解体作業からはじまり一定の目方に切る。(「マグロ」は一六gなど)

掘り出し物の魚を上手にお客さんに勧めるのも職人の腕前。

「寿司」を流すとき、一箇所におかない。

客ノ欲求に対応した品出し。

注文が無くても流すネタ。<うに。いくら。ねぎとろ⇒子供客の店入りを感知>

乾いた寿司を必ず撤去。⇒巻物は乾きにくいこともあり、この巻物の多い店は要注意!

3、ロボット(お寿司を握る)も活躍

コストダウンをはかるため。

パートさんでも作業が可能。

にぎりロボットでは、1時間に2000個つくることができる。

4、「回転寿司」の歴史

昭和43年、人手不足(ビール工場を見学したとき)解消のため。

昭和43年、ベルトコンベアを作る。「コンベヤ付き調理台」として新案特許申請(白石さん)。

昭和45年 大阪万博に出展する。

*最初は、回転ベルトの上に茶も置いていたのが自動吸茶装置となる。

*現在、欧米でも「回転寿司」がブーム。

5、すしネタは海外から

世界各地から冷凍された寿司ネタが調理済で輸入されてくる。

寿司ネタ加工の工場では新種の素材を開発中。

「ロコがい」⇒「チリ蚫」

「えんがわ」⇒「カラス鰈」

「あかにし」⇒「トルコサザエ」(トルコ産「さざえ」に類似。)

6、「回転寿司」を楽しむコツ

@混んでいる店を撰ぶ

Aネタの種類が多い店

Bコンベアベルトの上流の席を目指す

Cネタの色艶を見る

D当日のお勧め品を知る

 ところで、「回転寿司」の読み方だが、関西圏では「かいてんすし」と膠着部の頭の「す」を濁らないようである。現在、『広辞苑』第五版では、「かいてん‐ずし【回転寿司・回転鮨】客が好みのままにとって食べられるよう、動く台にのって順次回って来る鮨。商標名。」と濁っている関東圏式読み方を採用している。<Hpのコーナー>「回転ずし」「回転すし」。さらに、「くるくるすし」

 また、5に記した在来種の「鮨ネタ」とは異なる新種の「ネタ」が「回転寿司」の店では目を引く。その名称も実に工夫されている。たとえば、「サザエ」の食味に似たトルコ産の「アカニシ貝」を用いるのだが、これを「トルコサザエ」と呼び、また「生サザエ」と表示している店もあるようだ。

1998年11月24日(火)晴れ。

夜明けがた 雪も止みなん 白むくぞ

「菜食」

 「サイジキ」と読む。室町時代の古辞書である『下学集』文明本『節用集』にはなぜか未収載の語である。これを、易林本『節用集』言語門にだけ、

菜食〔サイジキ〕五穀ヲ不食曰‖――也。<182A>

と「五穀」である稲・麦・粟・黍・豆をまったく食さず、ひたすら野菜のみを食することを言う語として収載している。であるからして、同音の「サイジキ【斎食】」でもない。また、現代の国語辞書では、この語を「サイショク」と読んで意味も異なる。たとえば、新明解『国語辞典』第五版には、

さいしょく【菜食】−する〔肉を食べず〕野菜を副食とすること。「―主義」⇔肉食

とあって、読み方もさることながら、意味に異なりがあることを確認できる。現在の「菜食」では、五穀を断つことはしない。肉を食べないことに注意することにある。これ以前に、鎌倉時代の古辞書『色葉字類抄』に、「菜食 飲食部。サイシキ」<前田本下52ウB・黒川本下42ウF>と収録があるもので、これをさらに易林本が唯一、上記の注記をもって収載するものである。この語の文献用例を今後求めて見たい。

1998年11月23日(月)晴れ夜半雪。勤労感謝の日・一葉忌

連休や 充電なのみ 日短し

「猶豫」

 室町時代の古辞書『下学集』氣形門に、

猶豫〔ユウヨ〕二字共名也。獣〔ケタモノ〕多シ‖疑心。故喩〔タトフ〕之多疑〔[タ]キ〕ニシテ而不ルニ進〔ススマ〕也<元和本63C>

と収載され、これを継承する易林本(簡略系)と文明本(増補系)『節用集』氣形門に、

とあるように、獣類の名であった。この「猶豫」、実に疑い深い習性の動物で、人はこれを比喩して疑ってばかりで進捗性の見えないためらいの状況を「猶豫」と言い、日本人はこの「ためらい」のときを「猶豫期間」として引延ばす意の語としたのである。

 「猶豫」は、現在「猶予」と表記する。この文字に獣類の意味があることなど既に忘れてしまっているのも事実である。現在の国語辞書には、この「二字共名也」という表現は記述されていないからである。換言すれば、この「猶豫」なる動物を見たことも聞いたこともないからに他ならない。漢籍では、『楚辞』離散にこの語の記載が見えることを『広辞苑』が記述している。

1998年11月22日(日)晴れ。大相撲九州場所千秋楽 琴錦 14勝1敗 平幕優勝

日のうちに 衛星放送 雪のけぞ

「悪」の熟語

 室町時代の古辞書易林本『節用集』人倫門に、「悪」の頭冠する熟語が九語収録されている。

悪僧〔アクソウ〕悪人〔−ニン〕。悪黨〔−タウ〕。悪王〔−ワウ〕。悪霊〔−リヤウ〕

         悪友〔−イウ〕。悪瘡〔−サウ〕。悪心〔−シム〕。悪魔〔−マ〕

 このうち「ひと【人】」「ソウ【僧】」「おう【王】」「とも【友】」「トウ【黨】」は、ともかく、「霊」「魔」「心」「瘡」は人倫語彙というよりは、態芸語彙にふさわしい。広本系の文明本『節用集』は、逆にこの九語のうち、「悪王」「悪霊」「悪友」「悪瘡」の四語を除く語を態芸門に収載している。

・悪虐アクキヤク・ニクム/アシヽ、アヤマリ〕又作悪逆悪行〔−ギヤウ/ガウ。ユク。ツラナル〕。悪心〔−シン/コヽロ〕。悪意〔−/コヽロ。ヲモウ〕。悪口〔−コウ/クチ〕。悪言〔−ゴン/ゲン。イフ〕。悪名〔−ミヤウ/メイ。ナ〕。悪黨〔−タウ/トモガラ〕又作悪盗。悪人〔−ニン/シン。ヒト〕。悪徒〔−/トモガラ〕。悪僧〔−ソウ/ヨステビト〕。悪比丘〔−ク/ナラブ。キウ、ヲカ〕。悪客〔−カク/アツマ〕唐人左次山呼〔ヨンテ〕〔サル〕〔ノマ〕之―也。悪能〔−ノウ/ヨシ〕。悪詩〔−/コヽロザシ〕為徐凝跣悪詩悪筆〔−ヒツ/フデ〕。悪念〔−ネン/ヲモフ〕。悪聲〔−セイ/コヱ〕孔子曰、自〔ヨリ〕Ξ〔ワレ〕子路而悪聲不於耳〔ミヽ〕ニ張籍書。悪縁〔−ヱン、ヘリ/ヨル〕。悪業〔−ゴフ/ギヨフ、シワザ〕。悪道〔−タウ/ミチ〕。悪魔〔−/タマシイ〕―外道。悪趣〔−ジユ/シウ、ヲモムキ〕。悪世〔−せ/せイ、ヨ〕。悪所〔−シヨ/トコロ〕。悪日〔−ニチ/ヒ〕。悪風〔−フウ/カゼ〕。悪事〔−/ワザ、コト〕。悪衣〔−ヱ、キル/、コロモ〕。悪食〔−シヨク/クラウ〕。悪夢〔−ム/ホウ、ユメ〕<七五四F>

と三十二語が収録されている。ここでも一見、態芸語彙としてはふさわしくない「悪所」「悪日」「悪衣」「悪食」といった語をも内包しているのである。

 ここに示す「悪」を頭冠した語のなかで「悪客」の語のように、客を招来した主人にとって酒がまったく飲めない下戸を「悪客」と呼ぶのである。主人にして見れば、酒で客をもてなすのが極々当然なのであり、もてなしの酒も飲めない客の所行を「悪」とみなしているのである。このことは、「悪」とは、上位者側からみた下位者の「けしからぬ」所行を「にくむ」意の頭冠語でもあるということのようだ。現在であれば、酒がまったく飲めない客をこう呼ぶ主人の所行の方が窘められてしまうであろう。

 「悪友」についても、人前で語るには難事な行状を共にしてきた同朋に対して、人は親しみをこめてあえてこう呼ぶ。これも当人は別にして両親・先生・師匠といった上位からみれば、「にくむ」友なのかもしれない。

 「悪衣」「悪食」は、『論語』里仁第四に、「子曰、士志於道、而恥悪衣悪食者、未與議也」とあり、「粗衣粗食」に通じる。

 「悪霊」は、『源氏物語』夕ぎりの巻に、「悪霊は執念きやうなれど、業障にまとはれたるはかなものなり」と、声は嗄れて怒りたまふ。」<403>と見える。

この時代の頭冠語「悪」には、上記のような「にくむ」意と、本当に人に災いをもたらす排除すべき「あしき」意とが同居していることを示唆してくれている。大相撲九州場所、千秋楽最後の取り組みに座布団が舞った。観客にして見れば、仮令、勝っても“横綱相撲”でなければ、相撲の悪さとして良しとはみなさない姿勢がこの土俵に舞う座布団に見られるのである。

[補遺検証]1998.11.24

 ・悪聲〔−セイ/コヱ〕孔子曰、自〔ヨリ〕Ξ〔ワレ〕子路而悪聲不於耳〔ミヽ〕ニ|。張籍書。

の典拠について、『韓昌黎文集』(韓愈)第二巻に、「重答張籍書」の一節に、「夫子、聖人也。且曰、「自吾得子路。而惡声不入於耳。」」、『史記』仲尼弟子傳に、「孔子曰自吾得由悪言不聞於耳。王肅曰子路爲孔子侍衛故悔慢之人不敢有惡言是以惡言不聞於孔子耳」とあることを西崎 亨さんからファックスで教示を受けた。

1998年11月21日(土)晴れ。

白光の 居間奥深く 射しに

「牛鍋」

 明治時代の食文化に、「牛鍋」料理がある。「ぎゅうなべ(混種語読み)」「うしなべ(和語読み)」と読み、関東を中心に広がっていく。今は「すき焼き」(関西表現)と呼称される牛肉を野菜などと鍋で煮ながら食す料理である。太宰治『如是我聞』に、

と、「牛のすき焼き」と呼称している。大正時代には「すき焼き」と、ことばの統一が進んでいることを知る。現在の私達であれば、ただ「すき焼き」というところであろう。

 明治四年の仮名垣魯文『安愚樂鍋』に、「牛鍋〔うしなべ〕食はねば開化不進奴〔ひらけぬやつ〕」と和語読みし、その料理店を「牛店〔うしや〕」とこれも和語読みであったのが、明治十八年の頃になると「ギュウなべ【牛鍋】」「ギュウや【牛肉屋】」と混種語読みするようになる。この「牛鍋」は、遠く久しい呼称となりつつあるようだ。

1998年11月20日(金)晴れ。

遠き空 見るや雪雲 どっかりあり

「分かち書き」

 日本語の表記法にあって、「分かち書き」を利用する人は、まだまだ実に少ない。この「分かち書き」を国語辞書のなかで推進しているのが、新明解『国語辞典』第五版である。この辞書における「分かち書き」とは、

わかちがき【―書】かなばかりで(を主にして)文章を書く時、語と語、または文節と文節との間をあけて書く書き方。分別書法。

と記載し、見出し語の意義説明文にあってその一端を示しているのである。

この「分かち書き」を本日は、楽しんでみましょう。手書きにする、貼り紙・看板そして友人への手紙には、うってつけの試みかも知れません。たとえば、緊急の情報伝達においても有効かもしれません。

 食堂のメニューなども、「オニオンスライス」と表示するより、「オニオン スライス」とすれば、「オニオンス ライス」などと見間違えて読み、注文するお客がいなくなります。「今はやる」なども「今は やる」と「今 はやる」と即座に文意を判断して読み取ることができることとなります。郵便物の宛名書きも、地方名表記が読みにくい場合、「北海道 中川郡 幕別町 札内泉町」と表示すると読み取りやすくなります。以前、高知県出身の植物学者 牧野富太郎博士の書簡宛名書きを見たことがありました。牧野さんは、「高知県、高岡郡、佐川町」といった具合に表示していたようです。

 この「分かち書き」には、大きく見ますと次の二種類の表記法があります。

[例文]

 山頂から 日の出を 拝む 人々が 朝早くから 集まって 来て いる。

 山頂 から 日の出 を 拝む 人々 が 朝 早く から 集まっ て 来 て いる。

という「文節分かち書き」と「単語分かち書き」の呼ばれる表記法です。是非、遊び心でもいいですからお験しになってみてはいかがでしょうか。

1998年11月19日(木)大雪、朝から吹雪く昼晴れ間夜半再び吹雪く。

膝深み すすむ雪道 一人やっと

「お早目にお召し上がりください」

[実際用例]

1.直射日光や高音多湿の所を避けて保管の上、開封後はお早めにお召し上がりください。<LOTTE クラッカ−>

2.[使用上の注意]お早め(賞味期間内)にお召し上がりください。<くめ納豆>

3.[取扱上の注意]湿気やすいので、開封後はお早めにお召し上がりください。<カルビ−竃。馬鈴薯(ポテト)>

4.[取扱上の注意]開封後はなるべくお早目にお召し上がり下さい。<オタル製菓轄舞セ鼓・品名:かりんとう>

5.[開封後の保存方法]開封後はチャックで口を閉じ、冷蔵庫で保管し、お早目にお召し上がり下さい。<マルトモ梶@生粋花かつお・品名:かつお削りぶし>

6.[外袋開封後の保存方法]○個包装に傷をつけますとカビが発生しますのでご注意ください。○できるだけ冷蔵庫に保存してお早めにお召しあがりください。<佐藤食品工業梶@サトウの切り餅・品名:切り餅>

7.[保存上の注意]直射日光、高音多湿の場所を避けて冷所(冷蔵庫等)で保存して下さい。尚、開封後はお早目にお召し上がり下さい。<鰹シ屋総本店 家傳せき止飴・品名:飴菓子>

*ただし、「飴菓子」などには、この上記の表示の見えない<叶雀総本舗「緑茶のど飴」品名:キャンデー>といった商品もある。

 「お〜召し上がりください。」の「召し上がる」は、「食べる」「飲む」の尊敬語表現である。「早め」とは、最も長くみても48時間(二日間)、短くみると2時間が通常人の見解ではあるまいか。「お」は敬意の接頭語である。「早」は形容詞「はや‐い」の語幹でもあるが、この場合は下一段動詞「はやめ‐る」の語幹でもある。そして「…め」は活用語尾連用形の転成名詞化した語というところにも思えるが、このあとに、「に」が常時下接することからして、「はやめに」という副詞と見るのが穏当であろう。

 ところで、この注意表示は、すべての食品における常套句となっていて、日本語の最も曖昧模糊とした表現の代表ともいえることばである。製造者側からすれば、「お客さま、お買い上げのお品は、なま物(=カビも生えやすい代物。腐敗しやすい代物。)でございますから、開封後はできる限り即座に口に運んで消化して欲しいのです。」といった一種の勧誘強要のニュアンスを含みもっていることばなのである。人と人の関係を重視する日本の風土に育ったこの日本語の敬意表現「召し上がる」(室町時代以来使用)は、実に思いやりのある美しいことばの表現なのだが、時としてはこのようにオブラートで包み込んだような曖昧な物言いともなるのである。この物のたどる本質を明示しないことで、食物商品の高品質なプライド性を保つことにもなっているのである。一見、消費者に対応した思いやりのある耳に心地よく響く物言いのようにもとれるだろうが、商品を生産する製造会社側の固いシールド性の表現でもあることを理会しておきたい。このことば表現に時を強要する副詞「なるべく」、「できるだけ」といったことばが上接すると、その効果はもっとはっきりしてくるのである。その理由といえば、「お…ください」といった敬意の表現に「食う」「飲む」の尊敬語「召し上がる」が組み込まれているいわば、敬語の過剰表現にほかならないからである。普通に「お食べください」「お飲みください」でよいところを、「お召上りください」とするのだから、見るもの聞くものにとって耳障りでないのがこの常套句の特徴でもある。このほかに、「お…ください」に尊敬語が挟み込まれることばをとっさに浮かばないのが現状である。せいぜい、「あがる(食べる)」を使って「お上がりください」というところではないかと思うのである。「召し上がる」の類形古表現「召しませ」には、「お」が付かないことからも明らかである。ただし、これが名詞となると「召し物(着物)」に「お」を付けて「お召し物」と表現されるのである。この常套句いつごろからあらゆる食品の注意書きに用いられるようになったのだろうか?猫も杓子もでないのだから、製造業者はことばの表現努力を惜しまずに、消費者に自社の品物にぴったりのことばで何気なく語りかけて欲しいものである。

本日までに私が目にした製造業者努力のこの「保存の注意」書きには、このようなものをあげておきたい。

1.[開封後の取扱い]開封後は、品質保持期限にかかわらずできるだけ早めにお飲みください。<雪印乳業梶@雪印3.6牛乳・牛乳>

2.[開封後の取扱い]品質保持期限にかかわらず、できるだけ早く消費してください。<よつ葉乳業梶@よつ葉3.7牛乳・牛乳>

3.開封後は、賞味期限にかかわらず、できるだけ早く消費してください。<よつ葉乳業梶@よつ葉オレンジ100%・天然果汁>

 さらに同じように、外国の食品物の[使用上の注意]や[取扱上の注意]の表示は、如何なものであろうか?気にもなるところでもある。

1998年11月18日(水)大雪、朝から吹雪く。

窓の外 木々もすべて 白包み

「コクのある」

 薫(吟醸酒)すっきり系・爽(生酒)サッパリ系・熟(古酒)こだわり系・醇(純米酒)コク系と日本酒の味覚も品質にこだわる時代である。この日本酒の味わいを広告宣伝するなかには、独特なことば表現が用いられる。

たとえば、「じっくり」「丹念」「ほのかな」「鮮度さ」には酒の製造手法を説明するときの形容表現である。次に、「こくのある」と表現する「こく」だが、

と用いる。この「こく」は、味わえば味わうほど深みのしみでるような趣をこう表現する。「こく」は形容詞「濃し」の連用形転成名詞である。また、「酷」の字を用いる。学研『国語大辞典』には、

昆布だしを元にしているから、まったりとしてコクのある味わいが舌に残った〔山崎豊子・暖簾〕

どちらがこくのある質実な生活をしているかということになれば、〔石坂洋次郎・若い人〕

といった味覚とそこから転じた用例を収載する。

 料理に日本酒(純米酒)を用いると@臭みを消す、A旨みを加える、B煮切りで利用、C保存に役立つという効用がある。また、植物にも酒は元気の素である。当然、人にも飲むだけでない利用方法もあって、美容効果・保温効果もある。

1998年11月17日(火)曇りのち雨。

筋立てに 迎えうる習ひ 縁あれ

「とと【魚】」

 現代の国語辞書である新明解『国語辞典』第五版に、

とと【魚】「さかな」の幼児語。「お―・きん―」

とあるこの「とと」は、室町時代の古辞書『下学集』には未記載であり、これを増語・改編してなる『節用集』氣形門に、

斗〃〔トヽ〕和国兒女。呼魚曰斗〃。類説云。南朝人呼食為頭呼魚為斗也<易林本四二B>

斗〃〔トヽ〕倭國〔ワコク〕小兒女。呼魚曰斗〃〔トト〕ヽ|。南朝呼食為頭。呼∨ヲ魚為斗。本〔モトツク〕此〔コレ〕乎<文明本一二九E>

と注記が見える。同じく連関性のある『運歩色葉集』魚名にも、

斗〃〔トヽ〕倭国小児。呼魚曰‖――ト|。類説曰。南朝呼食為頭。以魚為斗。本之歟<静嘉堂本四四五B>

と注記する。これを総合して見るに「とと」は、「小児(幼児語)」と「女人(女房詞)」が魚を呼ぶことばであり、さらに、『類説』(出典確認未詳)を引用して、「南朝(人)は、魚の頭を食すことから「頭」の字を音読みして「ト」といい、これを「斗」となすのに基づくのかというのである。この「斗」の字だが、「ます【升】」を意味する。「斗升〔とます〕」をもって魚をはかるところからこの字を宛てるのかは定かでない。

1998年11月16日(月)曇りのち雨。札幌

静かなる 氷雨に光る 夜の路

助数詞「くき」と「ふさ」

 「くき」は、「茎」と書き、「ふさ」は「房」、「総」と書く。草花植物における助数詞となると、「一茎」「一房」と表現する。この同じ草花の名を冠して草花そのものを表現するとき、どう表現するのか、また、どのような差異を意識して表現しているのかというところである。このとき、別の助数詞「本」を用いることもあるが、「本」は量多き状態のなかで数える単位であり、あくまで数あるなかで単数表現すべき状況にある場面を想定していただきたい。

 まず、この「くき」と「ふさ」をもって表現する異なりについてだが、花房の部分を視覚的に意識して画像から切りとってその「くき」の部分だけを形として認識し、表現するとき「一茎」といい、花房の部分を視覚画像に含めて表現するときは「一房」というのである。

 実際、「くき」は、草花に限らず、木の枝・毛髪を数える助数詞としても用いる。これに対し、「ふさ」は、草花・葡萄・バナナの実・海藻・さらには纏まった頭髪や織物を数えたり、柑橘類の果実を剥いたときその袋状態を数えるのに用いる。

 西来寺藏『仮名書き法華経』に、

とある。また、『東大寺諷誦文稿』には、

金色の蓮華い、千莖〔チフサ〕本(もと)、仏の所に往詣(まう)で、七匝して與仏と物を申す。<144>

と、「莖」の字を「ふさ」と読みなしていることからも、視覚画像法による対象表現の用い方が裏付けられるのではなかろうか。

1998年11月15日(日)曇り。毛陽

 不作なり されど季節や 蜜柑食べ

「ミカジメ料?」

という藤沢周『オレンジ・アンド・タール』20<朝日新聞11月13日(金)夕刊掲載小説>の文章表現である。ここに、「援助交際」の縮めた「援交」という表現。「派手」を強調する「ど派手」。「ている」表現のこれも省略「……てる」などがあり、「場所代(バショダイ)」の顛倒表現「ショバ代」と実に多彩な今風のことばが用いられている。ここに、「ミカジメ料」ということばが使われているが、この「ミカジメ」とは何を意味するのであろうか?如何。

岩波書店『広辞苑』第五版に、

みかじめ【見ケ〆】取り締まること。監督すること。「―料」

とある。この語も第四版には未収載の語であった。新明解『国語辞典』第五版には、

みかじめ【見かじめ】家業・事業などの後見〔コウケン〕(に名を借りた強要)。「―料〔=暴力団が飲食店から取り立てる、一種の用心棒代〕」

といち早く記載を見る語であるが、この語の出所は明らかにされていないのである。

1998年11月14日(土)夜半雷雨そして曇りのち晴れ。

冬の戸や 寒さ離れし 霜月か

「老人力」

 筑摩書房の新刊書宣伝のコーナーに風変わりな表現を見つけた。赤瀬川原平『老人力』で、

生きてると、老人になれる。(楽しみ〜)

とあるのも奇抜な表現であるが、その下に、

切り取って、お手持ちの国語辞典の「ろ」の項に貼ってお使い下さい。

として、

ろうじん−りょく【老人力】物忘れ、繰り言、ため息等、従来、ぼけ、ヨイヨイ、耄碌として忌避されてきた現象に潜むとされる未知の力。―‐がついてきた【老人力―】ぼける、耄碌するの婉曲表現。[かぞえ方]一本。

と、辞書の項目へのある種のアプローチがここにある。

1998年11月13日(金)曇り空続き風あり。

降り晴れる 朗らに遊ぶ 今を知る

『広辞苑』第五版

 十一日発売された岩波書店『広辞苑』第五版を読む。知的好奇心のバロメーター役でもある。絶対なくてはならぬものとは言い難いが、身近に添えて見るには便利なものである。現在、CD-ROM版も同時発売されているが、街の小売書店には置かれていないことから購入ルートが異なり、こちらは一歩入手が遅れてしまうというのも現状である。

 体裁面からは、第四版収録の22万余項目を再校閲され、改定が図られたことは発売前からの話題でもあった。新収録項目が1万、総収録項目数23万余となっている。当然、図録なども差換え、増補がみられる。これだけ、語彙数が増えて頁数も3000を超えているが、重厚はさしてかわらないというところが今回の話題でもあった。紙による印刷文化最大の芸術品をこの辞書に凝縮してみせてくれている。

 実際、ことばの内容において、新語1万項目についての検討がどうなされているのか、今後すこしずつ繙いて読むこととなるのであるが、この宝の山に分け入る楽しみは1999年、2000年そして、二十一世紀へ持ち越していくことにもなろう。

 新収載項目は、『広辞苑』のパンフレット「生まれかわった“日本語の宇宙”充実の最新版 誕生!広辞苑 第五版」を見ていただくとして、ここでは、どのようなことばが削除されているかを見届けておくことにしたい。

 古語でこの辞書から消失したことば

あそびなぐ【遊び慰ぐ】万葉集収載語。

いくひのたるひ【生日の足日】祝詞収載語。

いにしへいま【古今】源氏物語若菜上収載語。

かえらぬむかし【帰らぬ昔】。

ふりはる【降り晴る】玉葉集冬収載語。

などが知られる。

1998年11月12日(木)雪止み曇り空続く。

アララギの 朱実僅かに 白しめす

「継往開来」

 二十五日訪日を前に朝日新聞を通じて発せられたメッセージのなかに、二十一世紀を目前にした今の時期を、「継往開来」(前人の事業を受け継ぎ、将来の発展に道を開く)という四字熟語で中国の江沢民国家主席が表現している。前回(昨秋)にも江主席は、歴史問題を据えた橋本龍太郎前首相との首脳会談でも、「銅を鏡とすれば、身を正し、歴史を鑑とすれば興亡を知る」と古典のことばを引用している。国の歴史を大切にしてきた本邦に再び中国側から指針を教えられることにもなろう。

 この「継往開来」の語だが、「往古を継ぎて未来を開く」の意であるが、辞書には、

「告往知来」<論語・学而>

「章往考來」<文選、杜預、春秋左氏傳>

「數往知来」<易経>

「送往迎来」<中庸>

とあるが、この語は見出せないようである。とすれば、上記の表現から新たに造語されたとみてもよかろう。如何……。

1998年11月11日(水)曇りのち雨霙。

白きもの ふわりふわりと 舞い降りき

「稲麻竹葦」

 数量が多く密集しているさまを形容する語に「稲麻竹葦」がある。これは学研『国語大辞典』に、

とうまちくい【稲麻竹葦】〔文語・文章語〕〔いね・あさ・たけ・あしなどが入り乱れる意から〕多くのものがむらがり乱れるようすや幾重にもとりかこむようす、また、そのもののたとえ。用例◆せめて一期(イチゴ)の思出に稲麻竹葦の此(コノ)重囲(チョウÙ)をば見事蹴破つて、〔徳富蘆花・自然と人生〕

とある。古語としては、軍記物語である『平家物語』『太平記』に、

と軍勢が大挙して攻め寄せる形容表現や城を大勢で取り囲む形容表現として用いられている。この語の典拠はと言えば、『妙法蓮華経』方便品に、

とあるのがそれである。古辞書では『書字考節用集』に、「稲麻竹葦〔タウマチクヰ〕衆多之謂。出‖内典|」<言辞八下>と見える。

1998年11月10日(火)雪(着雪)。

雪化粧 総て覆ふに 余りある

「かます【〓〔魚+一巾〕】」

 魚の名前についても少しく記録してきているが、「かます【〓〔魚+一巾〕】」という魚の名を調べてみよう。大槻文彦編『大言海』に、

かます【〓〔魚+一巾〕(名)魚の名。觜、尖りて鋒の如く、首、尾、狭くして尖り、身、圓く肥えて、長し、大なるは五六寸、鱗細かくして光り、背、青黒くして、腹、灰白なり、多く乾魚〔ひもの〕とす。[梭魚]*字類抄「〓〔魚+長〕、カマス」。*本朝食鑑(元禄)「〓〔魚+一巾〕、カマス」

とある。日本語の異名は少ないようだ。4、50センチのものを「しゃくはち【尺八】」と呼び、「ヒュウヒュウ」ともいう。この典拠を手掛りに見ていくと、古辞書にも収載されている。用字だが、『伊呂波字類抄』に、

〓〔魚+長〕カマス。<59ウ>

〓〔魚+末〕カマツカ。カマス。小魚也。〓〔魚+長〕カマストモ。〓〔魚+干〕<57オ>

と、「魚」に「長」とあるように長細い形状をしているからであろう。しかし、この用字を現在は「はも【鱧】」と読み、この「かます」には用いないようだ。次に「魚」に「一」「巾」と書く字「?」。この表記法は、人見必大『本朝食鑑』に、

〓〔魚+一巾〕 〓〔一+巾〕沓師三音義同ス‖加麻須〔カマス〕ト|

  釋名〔魚+先〕先頭ノ切音へ銑 〔魚+臼〕釋師錬 梭子魚

 按スルニ〓〔魚+先〕〓〔魚+臼〕字彙曰倶名。〓〔魚+臼〕音臼其九切師錬下学集用ユ‖ヲ|也。近世用ユ‖〓〔魚+一巾〕ヲ|。字書惟爲スル‖ト|ノミ。梭子魚今間〔マヽ〕称。或人ノ、長崎市人逢テ‖中華舩客ニ|而指本邦以テ∨クルヤト乎。客曰、梭子魚ナリ。愚謂ヘラク諸魚フトキハ‖水梭花ト|則於相當レリ矣。然〓〔門+虫〕書南産志梭魚如シ∨織梭豊肉脆骨。此レヲフ‖〓〔魚+一巾〕魚ト|乎。([集解]略す)<巻八・鱗部六九六B>

とさらに、「梭魚〔サギョ〕」「梭子魚〔サシギョ〕」とも書くことについても記載が見られるのである。ここで、注目することとして、「〓〔魚+一巾〕」の表記が近世になって定まったと言うことである。それ以前は、室町時代の古辞書『下学集』に、「〓〔魚+臼〕カマス」<氣形65B>とあることでも解るように用字が時代ごとに変化していることに気づくのである。「梭魚」の用字は、『〓〔門+虫〕書南産志』に拠るものと必大は注記している。

また、『日葡辞書』にも、

「Camasu.カマス(〓〔魚予〕・〓〔魚一巾〕)鼻面の所がとがっている魚の一種。⇒Cuchiboso.クチボソ(口細)ある魚。これは婦人語である。」<邦訳『日葡辞書』84r。160r>

とあって、女房詞にては、「くちぼそ」という。だが、この用語は、現在の辞書には反映されていない。

[余録]「藤原鎌足」を「鎌子」と呼称記録すること如何。この「鎌子」を「かます」と読むこと、この魚名「カマス」につながるとするは、些か無理があるようだ。鎌倉時代以前の古辞書には、この語はまだ見えない。

1998年11月9日(月)曇り。

温よかさ 冷え込みあとに 暖房機

「省画・増画」文字と訓読み

 漢字の表記を草書文字で書写したものをみるに、忙ぎ認めるときには省画にて表記することも生じてくる。また逆に書き損じてか、点・傍などを一画余分に付記していることもある。このように文字表記された語を後人が読み誤ることは言うに及ばない。

 たとえば、「申」の字訓を現在では「さる」と読み、「まうす」と読むのだが、この「申す」も「曰」の字に「|」をひとつ立て引きして「申」、頭に「ノ」を付記して「白」と増画文字にしたところから「まうす」の読みが生じてきたのである。

観智院本『類聚名義抄』に「まうす」の字訓をみるに、(青緑の字は、実際には省画表記されている。)

 真。ノブ、カサヌ/ネテ、サル、マウス、―(ノ)ヒス」<佛上八〇B>

申〓〔臼+|〕 今正。身。ノブ、ノビス」<佛上八二@>

 帛。シロシ、キヨシ、マウス、スサマシ、サカツキ、スナホニ、イチシロシ、カタチ、カタラフ、物カタリ、トヽノフ、カナフ」<佛中一〇三D>

 越。イフ、イハク、トク、マウス、コヽニ、コタフ、イフシク。云、ワチ」<佛中八六@>

の字形表記のグループと、

 ツグ、カタラフ、ツタフ、マウス、ノタマフ、ヲシフ、ウク、ヤスム、イトマ。我ウ」<佛中六一C>

 失字歟。ウシナフ、禾スル、スツ、アヤマル、トカ、マウス、イタス」<佛下末二六C>

 雲。イフ、イハク、イフシソ、コヽニ、マウス、スクナシ」<法下四二F>

の字形表記のグループからなっているが、これも下方の「口」と「八」そして「厶」と草書体にすると字形が近似ていて識別がむつかしくなる文字である。しばし、考えて見たい。

 省画文字の代表格は、「ササ」と表記して「菩薩〔ボサツ〕」。「ササ、」と表記して「菩提〔ボダイ〕」と読むことは周知の如くで誤ることはまずないが、「充」と「宛」の文字も観智院本『名義抄』に、

 齒我反 アツ タル、ミツ、ハジメ。足ヽ、居、塞ヽ。ソフ。和壽ウ」<佛下末一六@>

 苑。禾ガヌ、禾フ、アタカモ、カタチ、マタシ、シヌヘシ。怨」<法下五三@>

とあるように、「充」の字訓「みつ(「卩【見】」)」と「あつ(「ア【阿】」)」がある。これを読み誤り、「あつ」の字をさらに、「宛」と誤って表記することが生じてくる。「卩【見】」と「ア【阿】」による片仮名の字形相似なる読み誤りは、「みてり」の訓を「あてり」と読み違えることにもなる。『名義抄』には、まだ「あつ」の訓がないことからも知れよう。

片仮名「卩【見】」表記については、『梵網經』(平安時代中期)、『因明入正理論疏』(1154年)、『大毘盧遮那成佛經疏』(1157年。平安時代後期・東寺藏)、『金剛童子儀軌經』(1079年)、『悉曇字記』(1119年)、『金剛頂瑜伽中略出念誦經』(1123年)、石山寺藏『大唐西域記』 (1163年)、醍醐寺藏『大唐西域記』 (1214年)、『蘓悉地羯羅經』(909年)、『金剛頂蓮華部心念誦儀軌』(1004年)、『金剛頂大教王經』(1008年)、『建立曼荼羅護摩儀軌』(1040年)、『大日經廣大成就儀軌』(1059年・1070年)、『六字神咒王經』(1099年)、『金剛頂瑜伽蓮華部心念誦儀軌』(1112年)、『金剛頂瑜伽護摩儀軌』(1103年)、『金剛般若經集驗記』(1113年)、『文鏡秘府論』(1165年)、『金剛頂蓮華部心念誦儀軌』(1042年。1082年)、『歩擲金剛修行儀軌』(1046年)、『孔雀明王畫像壇場儀軌』(1059年)、『蘓悉地羯羅經略疏』(951年)、『息災護摩私記』(937年)、『金剛頂瑜伽修習毘盧遮那三摩地法』(949年)、『大方便佛報恩經』(999―1004年頃)、『大毘盧遮那經』(平安時代後期)、『大涅槃經』(901‐923年頃)、『大毘盧遮那佛經』(1000年。平安時代後期・叡山文庫藏)、『蘇磨呼童子請問經』(1112年)、『妙法蓮華經玄贊』(947‐957年頃)、『蘓悉地羯羅經略疏』(947−957年頃)、『北斗七星護摩秘要儀軌』(1057年)、『金剛頂蓮華部心念誦儀軌』(1010年)、『聖?曼徳迦』(平安時代後期)、『金剛藥叉儀軌』(平安時代後期)、『法華經二十八品略釈』(1070年)、『漢書楊雄傳』(948年)、『史記』(1073年。1145年)、『文選』(1099年頃。院政初期。1136年。1172年。1336年)、『文集』(1113年)、『日本書紀』(1142年。院政期)、『醫心方』(1145年)、『春秋經傳集解』(1139年)など<築島裕著『平安時代訓點本論考』仮名字体表参照>が知られている。

1998年11月8日(日)晴れのち雨。良いハの日

ぽぽぽっと 仕分けてみれば 粗大埖

「禾」字の読み

 「禾」の字音は、「カ(漢音)」「ワ(呉音)」である。「禾穀類〔カコクルイ〕」、「禾本植物〔カホンショクブツ〕」と用いられる。訓読みはといえば、漢和辞典では、「あわ」と「のぎ」が主な訓となっている。この訓読みだが「あわ」が先出し、「のぎ」が後出する。このことばが意味するところの植物の名称は大いに異なっている。いつの時代にこのように変遷しているのかを確かめて見ることも必要である。そこで、古字書における「禾」字の訓注収載の状況をながめてみよう。まず、平安時代の『倭名類聚抄』京本には、

〔アハ〕唐韻云―相玉反、阿波禾子也。崔禹曰音和是穂名被含?米成米也」<巻第九・下冊四三オF>

とある。鎌倉時代の観智院本『類聚名義抄』には、

 音和。アハ〔平上〕」<法下一〇B>

と「アハ」単独の訓であることが知れる。これが室町時代になると、「アハ」以外の読訓「イネ」、さらには「キビ」、そして「ノギ」の訓が各々以下の古字書に収載登場する。三巻本『字鏡抄』には、古訓「アハ」を第一訓に据え、「イネ」「ヨコク」と続く。この「ヨコク」は、他古字書にはみえない。

 永正本『字鏡抄』には、

〔クワ・カイ[]〕禾車アハ。イネ。ヨコク」<上末・禾部卅>

 『聚分韻略』(三重韻)には、

〔クワ/ヲ〕嘉―。イネ」<慶長壬子版・歌戈第五45オ478>

〔クワ〕嘉―。イネ」<文明辛丑版・歌戈第五下平47オB>

〔クワ〕嘉―。イネ」<無刊記原形十行版・歌戈第五・生植門巻之二6オF>

〔ヲ/クワ〕嘉―。畝−閑−祥− ノキ。イネ。ヲ」<略韻・歌5ウE>

と、三重韻は、「あは」の訓を未記載にして「いね」のみである。ただし、『略韻』(奥書に弘安二年卯四月写負畢とあるが、この訓「ノキ。イネ。ヲ」の排列からして室町時代末の写しと考えてよかろう。)

 『倭玉篇』における和訓収載については、排列順・和訓内容・仮名遣いに次ぎの如き異なりが見られる。

 古活字版『倭玉篇』には、

〔クワ〕 イネ。アワ。キヒ」<禾部二十七>

 慶長十五年版『倭玉篇』には、

〔クワ〕 ノギ。アハ。」<第二百二十七禾部、873@>

 『篇目次第』には、

禾 胡戈切。クワ反 アハ。イネ」<禾部百七十、二四〇E>

ここで、現代の漢和辞書に見える「のぎ」の訓が初めて上記の慶長十五年版そして『略韻』に収載されているのである。

 この「のぎ」だが、「禾」の字形を分解するに「ノ+木」となり、これを順に読むと「のぎ」となるのである。偏傍に「禾」のあるところから、これを「のぎ偏」というのである。このように漢字の分解読みの例としては、「殳〔るまた〕」「台〔むくち〕」などが知られる。また、「羆〔ひぐま〕」を「しぐま」と読むのも「四+熊」の分解読みとみたい。この漢字分解読みによる偏目名称読みはこの時代がなせるものと考えるのである。如何。ただし、すべてが偏目名称となっていないのも留意せねばなるまい。たとえば、「米」の字を分解して「八+木」で「やぎ偏」とはならないからである。

1998年11月7日(土)曇りのち雨。

温もりの 坐蒲団離れ 猫の筥

「かないっこない」

 人は人と対峙すること人生一度は体験する。第三者が見て、この対峙する相手とあまりにもかけ離れた技量の状態にあるとき、「あんた、かないっこないよ」と説諭することばとして用いられる。これを、もっとはっきり「かてっこないよ」というのとはどこが違うかと言えば、「勝てっこない」は、冷静に物事を分析した結果であるところの非情性表現。「敵いっこない」は、当人の心的状況を安じて思いやりながら話すという有情性表現と、発する側(説得者)の思い入れが有るか無きかというところであろうか。

 ところで、この「かないっこない」の動詞「敵う」だが、学研『国語大辞典』に、

@〔ある条件・基準などに〕あてはまる。ぴったり合う。用例(三島由紀夫・森鴎外・有吉佐和子)「道理に適う」「御意に適う」

A思いどおりになる。望みどおりになる。用例(森鴎外・井上友一郎・井上靖)

B…することができる。…することが許される。用例(太宰治・三島由紀夫・国木田独歩・太宰治)「目通り適わぬ」

C〔力などが〕対抗できる。匹敵する。

用例「大関に適う地位」

◆何とでも仰有い。どうせ貴郎(アナタ)には勝(カナ)いませんよ〔広津柳浪・今戸心中〕

◆私は商業学校の時から剣道も二段で主将をしていたが、軍隊でおぼえたこの人の剣にはかなわなかった〔小島信夫・小銃〕

Dみのる。しただけの甲斐がある。「養生適わず」

 《参考》「B」〜「D」は、多く打ち消しの形で用いられる。

E〈「適わぬ」「適わない」の形で〉

〔文語・文章語〕さけることができない。「適わぬ用」

がまんできない。困る。「なくては適わん」用例(大仏次郎・遠藤周作)《文語形》《四段活用》

と意味があるなかで、Cの「対抗できる。匹敵する。」の意である。これに否定形「ない(古くは「ぬ」「じ」で、「あはやと目をかけて飛んでかかるに、判官(ハウガン)かなはじとや思はれけん」平家物語・一一・能登殿最期》とある。)」がすぐにつくのではなく、ワンクッション「っこ」と置いた表現なのがまたことばを知ろうとするものの心を擽るのである。この用例を今は探してみたい。

1998年11月6日(金)晴れ。

ぐっと冷え 公孫樹の黄い葉 西陽映ゆ

「木簡」と文字

 徳島県埋蔵文化財センターが四日発表した国府町観音寺遺跡出土の木簡文字が、昨日の新聞朝刊に写真入りで掲載されている。この木簡だが、ひとつは「板野国守大夫分米三升小子□用」と記されたものと、も一つが「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈」と万葉仮名による「難波津」の和歌からなるものである。

 この「難波津」の歌は、紀貫之が『古今和歌集』(延喜五(798)年)の序に引用した“手習い歌”「大鷦鷯の帝をそへ奉れる歌 難波津に咲くや木の花冬こもり今は春べと咲くや木の花」としていたものである。ここで、気づくのはこの「手習い歌」がいつ頃どのように定まったものかということと、この手本となる万葉文字だが、とりわけ、「さくやこのはな」の「さ」文字を「佐」でなく「作」で表記されていること(西崎亨さんと電話で話す)。この万葉仮名「作」文字がいつ「佐」字に表記文字換えがなされたのかと興味は実に尽きないのである。

 今回の木簡の発見で、大宝律令(701年)直前の七世紀末ごろのものといわれていることからして、約百年の時の経過していくなかで、「手習い歌」として定まったものと言う現実をここに知らされたのである。

1998年11月5日(木)霙のち雨。

夜寒雨 身をひきしめし 昼の顔

「柚子」

 「きつゆう【橘柚】」といって、李白・秋登宣城謝北楼に、「人煙寒橘柚=人煙橘柚寒し」とある香酸柑橘といえば、「かぼす」、「すだち【酸橘・醋橘】」、「ゆず【柚子】」とならぶ。この三種、見た目や共通するところも多いのだが、用途は少しずつ異なるものでもある。学研『国語大辞典』を繙いて国語辞典におけるおのおの記述を比較して見ると、

かぼす〔植物・植物学〕ゆずの一種。実は緑色で、熟すと黄色になる。果汁は酸味が強く、風味がある。大分県の特産。

すだち【酸橘・醋橘】〔植物・植物学〕みかん科の常緑高木。ゆずの一品種。果実は直径三aくらいでだいだい色に熟し、おもに鍋料理に用いられる。徳島県の特産。

ゆず【柚・柚子】〔植物・植物学〕みかん科の常緑小高木。原産地は中国で、古く日本に渡り、各地に分布する。高さ三b前後。初夏、白色の花がさき、でこぼこの多い実がなる。香気と酸味とを有する果実は香味料として用いられる。

と実の大きさが違うことと、酸味の成分が異なるといったところが異なりになるのであろう。

 夏の季語として、芭蕉の「柚の花や昔しのばん料理の間(マ)」や蕪村の「柚の花やゆかしき母屋の乾隅」と詠まれるのが「初夏、白色の花がさき」である。「ゆずの実」を入れてわかしたふろ「柚子湯」は、冬至の日に柚湯にはいると、風邪をひかず、ひび・あかぎれにも効くというものである。この「柚子〔ゆず〕」だが、香りは、「ピネンヤシトラール」。皮は、「フラボノイド」。汁は、「クエン酸・ビタミンc」。種は、「ペクチン」とそれぞれの成分が知られ、単に食用だけでなく美容健康にも広く利用されている。

 諺に、「柚子が黄色くなると医者が蒼くなる」というのも薬用成分のある柚子は冬に蔓延する風邪予防や皮膚の予防に役立ってきたからにほかならない。

1998年11月4日(水)朝晴れのち曇り。

アドバイス 聞くも利かぬも 人次第

「中食〔なかショク〕」

 混種語読みする「中食」なる語は、「外食〔そとショク〕」「内食〔うちショク〕」の中間に位置することばである。「チュウショク」と音で読んでもいいのであるが、「昼食」の語と紛らわしいことを避けてこの混種語読みが生れた。このことばの定義については、

なかショク【中食】家庭などに持ち帰って、調理加熱することなくそのまま食することのできる調理済みの食品。[対語]内食。外食。

となる。対語である「内食」は、家庭内で調理して食すること、その食べ物。「外食」は、レストラン・料理店などに出かけて注文し、食すること、その食べ物。の中間に位置する食事・食品を意味するのである。上記の食品を製造・販売する企業自らが造語したもののようであるがその企業名までは定かではない。

 ここで、まずテイクアウト(持ち帰り)食品との区別が必要となるのである。家庭内に持ち帰って、オーブンレンジで温めることを必要とする食品(たとえば、コンビニ弁当、惣菜、調理パン)は、「中食」とするのか?なかには、温めずに食せる食品もないではない。この名で呼ばれる食品が何故、食品産業や市場を賑わしているのかは経済学者に委ねることにして、「中食」と呼称される食品ことばについて事細かに見ていくことも必要であろう。現在の段階では、国語辞典未収載の語である。

参考資料ビジネスリポート、経済トピックスNo.294「中食」

1998年11月3日(火)曇り。−文化の日−

ググっと冷え 訪るゝ冬 二重着す

「活人草」

・傍の壷の内より、枯草十茎あまり拿出して、「喃姑摩姫、這神草〔しんさう〕は、唐山梁の任ムが、述異記に載せし活人草〔くわつにんさう〕也。這草、むかし日支国にあり。今は世に絶て得がたし。約中毒金瘡、温疫霍乱、万病通て危窮のもの、一旦死に至るとも、これを一茎用れば、死を起し生に回して、時を移さず本復す。その病痾緩やかならば、清水をもて煎じ用ひ、若急ならば、推揉て、粉にしてその面部に吹掛べし。病痾なしともこれを服せば、剣戟にも傷られず、矢石もその身に中ことなく、年を延て衰へず、実に神効〔しんこう〕あるものなれば、是を和女郎にまゐらせん。嚢に収め身を放さずば、後に用ることもあるべし。忽諸になし給ひそ。<新体系三二五上G>

滝沢馬琴『開巻驚奇侠客伝』第三集巻之二にある。このなかで示されている典拠『述異記』上巻には、「漢武帝時、西方日支国有活人草三茎。有人死者、将草覆面、即活之矣」と見える。馬琴は、この草の薬効をただ死人を生き返らすに留めずに、病気にあるときは服用、急なときには圧し揉みて、その粉を面部にまぶす。健康なものでも服用すれば、剣戟で傷つかないし、矢や石も身に寄せ付けないと読本のなかで展開しているのである。馬琴亡き後の未完の部分(別筆)第五集巻之三には、夜稠〔よごみ〕の賊に、

・件の賊は左眼に、鍼を擲れて昏々と、半死半生の体なれば、安次は鍼を抜取り、又腕先に立たりける、銀の笄を抜て、「這奴は脆くも弱りたれば、打棄措ば死もやせん。さては支党の穿鑿も、仕がたく、縡の仔細も知がたければ、嚮に?りたる神草を以て、今一番活し候はゞ、如何あらん」と伺へば、姑摩姫听てうち点頭き、「?の料簡最佳し。然れどもさる悪漢に、神仙の霊薬を、費さんは勿体なし。只其茎を水に浸して、其水を塗て得させよ。さても奇妙の験ありて、其奴が眼は潰れぬなるべし。垣衣其首にも持有か」、といふに垣衣意得て、守護符袋に収めたる活人草〔くわつにんさう〕を採出し、茶碗に清き水を汲て、那神草を二遍、三遍、押浸せば安次は、賊が頭巾を掻投棄て、熟と看てあるに年紀は四十に近かるべし、色黒く頬骨荒て、処々に旧瘡の瘢あり。一癖あるべき面頬なるに、不思議や額に金印ありて、二字の形を露せり。痛瘡に弱りて頭を低たる、頤を引挙て、灯の下に差照れば、垣衣は甲斐々々しく、流るゝ血汐を紙以て拭ひ、件の水を瘡口に、塗んとしつゝ賊が顔を、熟視する事半?ばかり、徐々にして那霊水を、臂と眼に塗らすれば、神草の奇特掲焉く、立剋に痛苦を忘れしにや、<新体系六五七上D>

と、この「神草」の治癒効用を具現している場面が見える。

 この「活人草」は、西方の地である「日支国〔にちしこく〕」に産していたと言うのであるが、これも馬琴は、ただ「日支国」にあるとだけ記す。この国については、此れ已上知るところでないのである。

 となれば、「活人草」そのものがどのような形状の神草であったのかということも霧中の帳に閉ざされていくのである。現在にあっても「神草」に近い「新薬(神薬)」などは、人の心を揺さぶるものであるまいか。

1998年11月2日(月)晴れ夜半雨。博物館デー

遺残り蝿 温もり求め 人につき

「紫〔むらさき〕」色

 駒澤大学のスクールカラーとなっている「紫」色のルーツは、再聞〔またぎき〕の話ながら後嵯峨院よりの紫衣を賜うご沙汰を拝し、これを固く辞したが、三度目の勅使が下るに及んでついに受けた永平寺開祖道元禅師(五十一歳)に機縁するものかと推理するが如何なものか。この折(建長二(1250)年)の詩に、

永平谷浅シト雖 勅命ノ重キコト重々

卻ツテ猿鶴ニ笑ハレン 紫衣ノ一老翁

この「紫衣」だが、高閤に納めて一度も纏うことなく、一生を黒衣の沙門として終わったと云う。

「紫衣」は、誰もが簡単に身に着けられる色でなかったのである。江戸時代頃から「紫帽子」などが西鶴『置土産』五などに見えるところからして、この頃よりこの紫色にも各種あって、そのけじめが薄れてきたのかもしれない。天保年間の宝井馬琴『開巻驚奇侠客伝』第三集巻之二に、

 既に時分になりしかば、室町將軍義持公は、当庁の正面に、紫〔むらさき〕の幔幕を高く纈らせ、金屏を背にしたる、上壇に着給へば、熊谷満実、宮満重、稟接を奉り、先より相分れて、縁頬の左右に在り。<新体系三三九上N>

とある。そして、近代の作品になると、夏目漱石『吾輩は猫である』に、

 「ええ」と寒月君は例のごとく羽織の紐をひねくる。その紐は売品にあるまじき紫色〔むらさきいろ〕である。「その紐の色は、ちと天保調だな」と主人が寝ながらいう。

また、「紫紺」という用語だが、古い例を見ない。明治以降の用字でもある。

 新しい瓦斯糸の紬縞の袷は紫紺の繻子と太織友禅の鯨帯を丸く結んでゐた。<内田魯庵『破垣』1901年>

 連なる山脈玲瓏として、今しも輝く紫紺の雪に、自然の芸術〔たくみ〕を懐みつつ<横山芳介『北大寮歌』都ぞ弥生の雲紫に、1912年>

とある。

1998年11月1日(日)雷雨のち晴れ。風強く、雪虫飛ぶ。

秩父宮賜杯第30回 熱田・伊勢路襷傳説

全日本大学駅伝対校選手権において、駒澤大学陸上部初優勝!

雲切れて すっくり山峰 夕映える

「玉葱〔たまねぎ〕」

 日本における「玉葱」の栽培は、明治4年ごろだといわれている。一説には、阿蘭陀人が長崎で栽培していたとも言うが定かでない。栽培の歴史は中国から印度そして埃及と幅広く、歴史も古い。この玉葱を二つに輪切りにして、身近な所においておくと気を鎮める一種の沈静効果が働く。また虫刺されや火傷には玉葱の汁を塗る。さらに、薄い黄褐色の表皮を煎じて飲むと、高血圧・動脈硬化・肩凝り・不眠症などにも効くようだ。染色にもこの玉葱の皮が利用されている。とはいえ、食用としての玉葱が主である。

明治時代の大槻文彦編『言海』に、

たまねぎ【玉葱】葱の類にて、根(地下の鱗茎)は大なる塊〔たま〕をなすもの。食用となる。近年、舶来せる西洋種なり。

と収載する。ところで、近代日本文学にみられる「玉葱」は、どう描写されているのだろうか?

  老人にろくなものがいないのはこの理だな、吾輩杯〔など〕も或は今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱〔たまねぎ〕とともに成仏〔ジョウブツ〕する方が得策かも知れんと考えて隅の方に小さくなっていると、最前細君と喧嘩をしていったん書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。<夏目漱石『我輩は猫である』五>

と、「玉葱」が鍋料理の材料として用いられている。また、林芙美子の描く「玉葱」は、

  浴衣の袖がまくれて、肩がむき出しになり、案外薄暗い部屋の中では玉葱〔たまねぎ〕をむいたような肌に見えた。<林芙美子『牛肉』>

  玉葱をむいたような子供たちが、裸で重なりあって遊んでいた。<林芙美子『放浪記』>

と、人やその身体模様にに見立てて表現している。

 

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