[12月1日〜12月31日まで]

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

 

1998年12月31日(木)晴れ。(東京:八王子)

蜜柑箱 夜間ゴキブリ 轟きて

「龜毛兎角」

 「きもうとかく」と読む。室町時代の古辞書である易林本『節用集』に、

龜毛兎角〔キモウトカク〕兔角杖穿〔ウカチ〕潭底ヲ|、龜毛拂縛〔バク〕ナリ‖樹頭ヲ|<言語一八九B>

≪兔角杖 潭底穿〔ウカチ〕龜毛拂 樹頭縛〔バク〕ナリ≫は、漢詩からの引用か?

と「幾部」に収載が見える語である。先行古辞書『下学集』には未収載の語である。

同じ『節用集』である文明本『節用集』には、

兔角龜毛〔トカクキモウ〕楞伽第二佛告〔ツケ玉ハク〕木惠。無生ニシテ而作言説ヲ|。兔角龜毛。住雖諸法。亦有言説<言語一四〇F>

と「土部」に収載されていて、注文記載内容も易林本とは異なる。

 この「亀毛(かめにけ)」「兔角(うさぎにつの)」は、現実にはないものの譬えとして用いた表現であり、学研『漢和大辞典』には、「兔角亀毛」の排列にして、

《故事》《仏教》うさぎの角と、かめの毛。この世にあり得ないもののたとえ。「兔角(トカク)」とも。〔楞厳経〕

と仏教故事『楞厳経』が出典とされる。

 来年は「兔角〔トカク〕」の「兎」ではないが、「兔(うさぎ)」年。「兔」の耳は長く、見ようによれば角(つの)のように見えないではない(十九世紀ドイツ博物学者シュレーバー『哺乳類図誌』には、角の生えたウサギの図が載っている)。また、「亀毛〔キモウ〕」は、「亀」の甲羅に藻などが付着して毛が生えているように見えることがある。この「かめ」と「うさぎ」の取り合わせ自体、昔話ではないが、「ウサギとカメのかけっこ」が想起される程度だが、ここにもあって興趣を覚える。

1998年12月30日(水)晴れ。(東京:八王子)

行きは好し 坂がきついよ 帰り道

「遮羅婆羅草」と「畢波羅草」

 室町時代の古辞書『下学集』に、

遮羅婆羅草〔シヤラハラサウ〕天竺國リ‖。葉廣〔ヒロシ〕。馬食〔クラフ〕則〔トキ〕化〔ケ〕シテル∨云々<草木一三〇@>

天竺國草有。葉廣〔ヒロ〕シ。馬之食〔クラ〕フ則〔トキ〕化〔ケ〕シテ云々

とある。そして、易林本『節用集』草木門に、

畢波羅草〔ヒツバラサウ〕天竺有リ∨之〔コレ〕葉細〔ホソシ〕人食〔クラヘ〕ハ∨則化〔ケ〕シテ成〔ナル〕馬〔マ〕<比門・草木二二四@>

天竺之〔コレ〕有リ。葉細〔ホソシ〕。人之食〔クラ〕ヘ則化〔ケ〕シテ馬〔マ〕成〔ナル〕

とあって、まったく反対の作用をもたらす草が天竺国に存在すると言うことが妙味である。また、逆の作用をする草の名がそれぞれの古辞書には未収載にあることも気になるところである。

 ところが、文明本『節用集』には、

遮羅婆羅草〔シヤラハラサウ〕天竺國リ‖此草。葉廣シ。馬食之則化成ル∨也<草木九一四B>

畢波羅草〔ヒツバラサウ〕天竺國ニ有リ‖此草|。葉細シ。人食スル之則化成ル也<比門・草木一〇三一C>

と馬が「遮羅婆羅草」を食べると人となり、人が「畢波羅草」を食すと馬となると対応する両語をともに収載している。そしてまた、「遮羅婆羅草」は葉が広いのに対し、「畢波羅草」は葉が細いとあるのも面白い。

 そして、次にこれらの語が如何なる出典から引用された注文内容かも知りたいところである。

 

1998年12月29日(火)晴れ。(東京:八王子)

無き物を 書き出し記し 求め行く

「右白虎」

室町時代の古辞書『下学集』そして易林本『節用集』言語門に、

右白虎〔ウヒヤツコ〕西ハ白虎。指テ路ヲ而云フ也。以上四事地形ノ之吉相四神相應ノ之義也<態藝91A>

右白虎〔ウビヤツコ〕西白虎指而云也。四神相應之地形一也<宇部・言語一一九A>

とある。注文でいう「四神相應〔シジンサウオウ〕」については、易林本だけに、

四神相應〔シジンサウヲウ〕左青龍〔サシヤウレウ〕。右白虎〔ウビヤクコ〕。前朱雀〔せンシユシヤク〕。後玄武〔ゴゲンム〕<数量二一三D>

とある。ただ「四神相應」のうち、なぜか「右白虎」だけが宇部に見出し語として特出しているのである。他の「左青龍」「前朱雀」「後玄武」は、見出し語も注文も未収載である。

1998年12月28日(月)晴れ。(東京:八王子の新居に移転)

朝八時 引っ越し荷物 手に一つ

「花瓶」の和名

 「花瓶」は、どこのご家庭にも置かれているものであろう。この「花瓶」を和名で云うと、「花立〔はなたて〕」とか「株立〔かぶたて〕」と表現する。年の暮れはあわただしく、一日の過ぎ行くも瞬時に覚える。美しい花を活ける暇を大切にしたいところでもある。学研『国語大辞典』に、「花立」は、

はなたて【花立】@花いけ。花器。花入れ。A仏前や墓前に花を立てて供える器具。用例(原民喜)《参考》ふつう「A」の意で使われる。《類義語》花筒

とあって、通常、仏前や墓前に活け供える花器としてのイメージが強く、「花瓶」これを「はなたて」と表現しない。類義語の「はなづつ【花筒】」も同様のようである。次に、「かぶたて【株立】」は、現代語の国語辞書には未収載の語である。室町時代の古辞書易林本『節用集』器財門に、

株立〔カフタテ〕花瓶<加部器財門・七五E>

とある。花を活ける器をあらわす道具に複数の和名が用いられていることは、用途にあった「花活け」がなされていたからであろう。とりわけ、仏前や墓前に活けることが主流でもあったからであろうか。

 

1998年12月27日(日)晴れ。(東京:)

年の暮れ 今年最後の 開館日

「品・晶・贔」などの三字重ね漢字

 三字重ね文字のうち、「品〔しな〕」「晶〔ショウ〕」「贔屓〔ひいき〕」の字は、JIS漢字コードに収載される。が、実はこのかたちの三字重ね文字はまだある。たとえば、月の漢字三つで「しらじらしい」(易林本『節用集』)、「白」の漢字三つで「」と読む。

 他に「姦〔カン、かしましい〕」「蟲〔チュウ・キ、むし〕」「轟〔ゴウ・コウ、とどろき・とどろく〕」「毳〔セイ・ゼイ、むくげ〕」(易林本「にこげ」と訓読)などがある。これもまた、「隹」の漢字三つで「むらとり」と読む。

1998年12月26日(土)晴れ。(東京:)

朝夕に 町の図書館 足運び

世相「時事回文」

 週間文春´98.12.17号の「読者からのメッセージ」に、次の二編の「時事回文」が掲載されている。作者は、東京・柴田富雄さん(会社員・67)である。

〔自自連立のお膳立て進か〕

・持ち出す自助の策、「入るは小沢」にざわめく与党も苦心し、組もうと欲目。技に技を張る戦の世。「自自」巣立ちも。(もちだすジジョのサク、「いるはおざわ」にざわめくヨトウもクシンし、くもうとヨクめ。わざにわざをはるいくさのよ。「ジジ」すだちも。)

〔堺屋長官、景気回復を予測〕

・世の中不況も詮無し。「予想は、卯年に微かに始動」は嘘。止しなんせ、もう予期不可なのよ。(よのなかフキョウもセンなし。「ヨソウは、うどしにかすかにシドウ」はうそ。よしなんせ、もうヨキフカなのよ。)

なかなかのモノである。

1998年12月25日(金)晴れ。(東京:八王子)

木の名前 爺が付けしや 白き札

「目の福」「口の果報」

 思いもかけぬところで、日ごろいくら探しても見つからなかった物に巡り合うことがある。これはまさに「文なる書籍」や「書画骨董の美術品」などであったりすれば、「目の福を頂く」こととなる。また、「美味なる飲食物」であれば、「口の果報に預かる」のである。

この古風なことば表現は、昨今なかなか聞けない。ドイツ人の日本語研究者がふと、こんなことばを口するのだから、日本人である私たちがアッ気に取られるのも無理はなかろう。いつどのようにして身につけたのか?この表現、日本語の現代国語辞書には未記載でもある。

また、日本に住む別のアメリカ人は、俗語表現である「お茶の子さいさい」「朝飯前」って時に際し、見栄強がりをこう表現して日本人を笑わせる。この笑う側である日本人の真髄に迫っているからにほかならない。こちらの表現は、辞書に収載されている。

1998年12月24日(木)晴れ。(千葉:佐倉国立歴史博物館)

北風に 弁当の袋 軽く舞ふ

『吾妻鏡』のデータベース

 千葉県佐倉市にある国立歴史博物館に出かけた。結構駅から遠いところにあった。石垣、お堀の跡からして、もとは某の居城があったのだろう。近代的建物の展示場とは、反対の建物が研究棟で、ここに情報管理センターがある。そこに設置されているパソコン機でないと、見られないテキストデータがいくつかあるのである。このデータを今は、外部研究者が丸ごと見ることはできない仕組みになっている。

 来訪の際は、事前の研究意図目的などについて電話連絡する必要があることも確かだ。情報開示の目的などについて一定の書類に書き込み、所属・名前と印鑑捺印の手続きを済ませ、情報管理センター室内のPC機により、はじめて検索ができる仕組みである。語検索によるデータ摘出を繰り返すことで、おおよその概略が見えてくる。この『吾妻鏡』のテキストデータ自体は、吉川弘文館から発行されている「国史大系」本に拠っていることもわかった。国史大系の『吾妻鏡』本文をOCRにより入力したもので、まだ、誤字認識された文字については、推敲がなされていないということであった。

たとえば、「禁戒」の語を検索すると、

記録類全文データベース【吾妻鏡】の検索結果

検索条件:禁戒

検索結果:1件データが見つかりました。

番号をクリックすると詳細が見られます.

(1)/1件数  番号,西暦,本文

12600001023 廿三日辛卯。可禁遏殺罪輩之由。有其沙汰。被定事書云云。十六斎日并二季彼岸殺生事。右。魚鼈之類。禽獣之彙。重命逾山岳。憂身同人倫。因茲罪業之甚無過殺生。是以仏教之禁戒惟重。聖代格式炳焉也。然則件日日。早禁魚網於江海。宜停狩猟於山野也。自今以後。固守此制。一切可随停止。若猶背禁遏。有違犯輩者。至御家人者。令注進交名。於凡下輩者。可加罪科之由。可被仰諸国之守護并地頭等。但至有限神社之祭者。非制禁之限(矣。)

という具合に、正元二年十月二十三日の條にあることが知れる。

 この語検索のシステムだが、早ければ来春には、ホームページ上からも語検索ができるようになるということだ。地方にいるものにとっては、ちょっぴりだが楽しみでもある。とにもかくにも、半日がかりで検索したものをFDに複写し持ち帰って来た。

[誤字入力の一例]

1998年12月23日(水)晴れ。(東京:用賀・町田)

忙しくも 動く方角 西東

「閻浮檀金」

 室町時代の古辞書『下学集』そして易林本『節用集』に「閻浮樹」の露から金に成ることばが収載されている。これは、本邦より遠き天竺(閻浮提〔エンブダイ〕:閻浮という木の生えている三角形の大きな島)の須弥山の頂きに生えるというのだ。当時の人々にとって、黄金は憧れの的と成りつつあったようだ。遥か彼方の見たこともない地を空想することばである。

 閻浮檀金〔エンブダンゴン須弥山〔シユミセン〕ノ頂〔イタヽキ〕ニ有リ閻浮樹〔エンブジユ〕|。其ノ露〔ツユ〕落〔ヲチ〕テ成ル此ノ金ト|。故ニ云フ尓ナリ也<『下学集』器財103B>

 この記載内容は、当時の人々が黄金を宝物品として位置付け、その価値観を持ち始めたということであるまいか。これを裏付けるかのように、ほぼ同じく、『節用集』類もこのことばについては、『下学集』の注文記載内容を受け継ぐものとなっているのである。

 閻浮檀金〔エンブダンゴン〕須弥之頂ニ有閻浮樹露落テ成此金ト故云尓<易林本『節用集』江部・器財一六二F>

1998年12月22日(火)晴れ。(東京:駒澤)

【冬至に南瓜を食べると夏病みせぬ】【冬至から畳の目一つだけ長くなる】

バタフライ 冬に駈足 穂を定め

「冬至」

 「冬至」の声を聞くと、一年で最も陽の短い日である。これがすぎれば、また、陽はしだいに長くなるのだと思う。この日の風物に柚子と南瓜がつきものである。このことを上記の慣用句は教えている。

「柚子」は、街の銭湯では、この日「柚子湯」を用意し、一年の風邪ひきを予防するのである。

1998年12月21日(月)晴れ。(東京:八王子)

契約に ごそっと人の 集ひけり 

「あいさつ【挨拶】」

 知らない人と出会う。これっきりかもしれない。だが出会った。こんなとき、名刺をさり気なく差し出し、「はじめまして。○○でございます」と切り出す。このとき、相手の顔をしっかり見なくてはならない。顔の部分でいえば、「目鼻立ち」と表現する逆三角形の部位。そして、気持ちよい会話が楽しめれば数分とはいかなくても、印象に留まる話がスムーズに生まれてくる。そして、次の相手が待っていることも考慮し、さわやかに身を退く。このとき、「有意義なひとときをありがとうございました。ぜひ、またお会いしましょう、ごきげんよう」と切り出したいものである。「よう!」から「じゃあね」は、親しい間柄であれば問題ないが、初対面の相手にはこうして出会い、別れたいものである。

 話の中味も、それはそれで大事で、相手はどういったライフスタイルを持っているかをじっくり聞かねばなるまい。聞いたことのないことば情報があれば、時間をみはかり、そのへんのところをもう少し聞かせていただけませんか。と相手の情報内容に近づける心構えを大切にしたいものでもある。

1998年12月20日(日)晴れ。(東京:)

陽だまりの 螺旋舞ひにや 落ち葉かな

「短」の字解

 「短」の字は、「矢」と「豆(たかつき)」から成る。「矢」は、せいぜい80センチどまりだし、「豆(たかつき)」も50センチというところか、両者とも比較的みじかい代物である。「豆」の字だが、植物の「まめ」を表すのが現在通常の読み方である。幸田 文さんの『雀の手帖』に、「豆」という題目の文章があって、ここに、「煮豆」のことに触れている。

・もとから、東京の女は乾物を扱うのは上手ではないと言われている。気短かで、がさつだからという。東京にある関西一流の割烹店で、ときに豆を出されることがあるが、そのおいしさはまさに「ふっくりした味」である。ふっくりと豆を煮てくれる女はいなくなったと言われると、たしかにそうで、私の身辺にも茹で豆を食卓にのぼせるひとはいても、自家製煮豆をこしらえるひとは少ない。<新潮文庫一七二頁>

ここでいう、「気短かで、がさつ」では、豆は「なんどりと煮る」ことができないということのようだ。正月料理には「煮豆」はつきものである。今からじっくり煮るご家庭は全国でどのくらいあるのだろうか?

1998年12月19日(土)晴れ。(東京:多摩川駒澤大学)

 多摩川の 土手に光るは 川面波

「一二三」の読み

 「一二三」と書いて「いづみ」と読ませる食堂が目に入った。店の看板にわざわざ漢字で「一二三」と記した傍らに仮名文字でふりがなが施してあるのである。これは、「イチ(イツ)」は漢数読み、「ツ」は洋数読み、「み」が和数読みという混種語読みからなる。また、武蔵野のラーメン屋には、和数読みで「ひふみ」と読む店もある。まだまだ、知らない町をぶらぶらとではないが、巡ってみるのも楽しく良かろう。

1998年12月18日(金)晴れ。(東京:国立国語研究所)

有楽町読売ホール於 高石ともや年忘れコンサート

 お弔い 三と十一 年廻る

「左右対照の漢字」

 「大・中・小」「木・林・森」「山・谷・田」「人・口・目・言」「皿・昌・品・晶」「天・日・雨・雷」「干・旱」「門・閃・問・間・閑」「車・甲・果・由・申」「共・昔・黄」「本・末・未・來・夾・巫・」「米・業」「東・南」「出・嵒・峇・崟・崇・崩・ー・嵩」「全・舎・合・傘」「央・夫・奉・奎」「古・吉・杏・呆・吝・呈・喜・單・普E?・器・囂・?」「貝・買・員」「甘・某」「辛・幸」「画」「回・高・亶」「音・普・晋・並」「里・童」「曲・豊」「工・土・圭・坐・堊・埜・塋・塞・墓・墨・壘・王・基・堂」「士・壺・壹」「凹・凸」「且」「美・実」「文・交」「册・同」「示」「華・草・菓・苗・苦・苴・?・苹・苜・茴・?・刀E茶・荅・?・莢・?・荳・?・荼・莱・萓・?・菁・菖・?・萃・?・萠・菻・?・韮・葷・蒂・?・蒿・蒜・蒻・?・蓉・?・?・薑・薔・怐E?・薬・藁・栫E蘭・?」「竹・竿・笛・?・簡」「因・困・囚・固」の漢字文字については、中心から縦割りにしたとき、「文字ハネ」を考慮に入れずに左右対照であると考えられる文字ということになる。

 このような文字を遊び感覚をもって、装飾文字として用いる看板が昔はよく眼に入ったものであった。

1998年12月17日(木)晴れ。(東京:青山国連大学)

 新聞の 見て驚くや ニュース事

「運否天賦」

ふと読む開高 健さんの『日本三文オペラ』<新潮文庫刊>に、「運否天賦」の語が見える。

・志願者がひきさがろとすると、キムのよこにラバが待ちかまえていて、相手が特攻隊なら身支度を厳重にするようにいい、もし相手が乱痴気騒ぎをやるドンチャン屋ならぜったい守衛や警官に手をだしてはならないなどと注意してから

「ええか、こちらが“カカレ!”ときっかけをわたしたら、それを合図に仕事するねんぞ。頃合を見たら、“引ケ!”という。この声がかかったらなにをやっててもその場でピタッと黙る。もしも犬が来よったら誰でも見つけ次第に“散レ!”とどなる。あとは運否天賦〔ウンプテンプ〕、おまえの足と相談せえ」

といった。[二三〇K]

この四字熟語は、学研『漢和大辞典』によれば、日本語特有の意味表現であり、「人の運がよかったり悪かったりするのは、すべて天によってさずけられたものである。運の吉凶は、すべて天に任せるということ。」を言うのである。また、この表記だが、「運賦天賦」「運符天符」とも書くのである。この「運否天賦」による歴史行動が聊か不気味な恐ろしいものを感じさせないではない。敵情はまったくといって把握されずに、予想されるであろう敵側の動きだけが只一つの支持基盤にあるからだ。情報開示の世の中にこの表現は似つかわしく無いのだが、この語の意味する人々の行動は、多くの犠牲が生じないではない。

1998年12月16日(水)晴れ。(東京:青山国連大学)

霜露の 白きベールに 日温もり

一字の地名「泉」

 「倭」の一文字を「やまと」と読むように、「泉」の文字も「いずみ」と読むのであるが、この一字の地名を二文字化の作業がなされた。このとき、冠文字として「佳字」を付加することで、何をどのように統括できたかは、今としては必ずしも明確ではないが、奈良時代、西暦七二三年の元明女帝の詔勅により、「和泉〔いずみ〕」や「大倭〔だいわ・やまと〕」の二字地名へと変貌したのである。このときの「佳字」である「和」や「大」の文字の選別基準は如何なるものであったのであろうか。

 この観点から、一文字の地名「いずみ」をも少し眺めて見るに「いずみ」は、全国規模に広がりがみられる。「泉」と一文字表記する地名は、全国にどのくらい残っているのか(駅名では、福島交通・JR常陸線に「泉」駅がある。)、また、「和泉」また、「出水」「泉水」「泉美」「伊豆見」なども含めての検討を重ねてみるのもよかろう。

 また、「平泉〔ひらいずみ〕」「泉沢〔いずみさわ〕」「泉田〔いずみた〕」のように、「いずみ」の前に別の語がくる場合はそのままで表記するのである。相撲力士の四股名にも「水戸泉〔みといずみ〕」とするのも同様のようだ。日本酒の銘柄にも「○○泉」の文字が用いられる(例えば、「藏泉」)。

1998年12月15日(火)晴れ。(東京:国立国語研究所)

陽だまりの 歩け歩けや 欅道

「反」

 「反」の音読は、「ハン, ホン, タン」。このなかで慣用音「タン」の読み方だが、学研『国語大辞典』に拠れば、

《日本語での特別な意味》たん

@田畑の面積の単位。一反(イッタン)は、十畝(約九九一・七平方メートル)。十反は、一町歩。▽段に当てた用法。

A和服地の長さの単位。一反(イッタン)は、鯨尺(クジラジャク)で、幅九寸(約三四センチ)の布地で、長さ二丈八尺(約一〇メートル)。▽端に当てた用法。

とある。@の意味から地名となった山手線の駅名「五反田(ゴタンだ)」の読みはここから来ている。

他として、「コメ減反(ゲンタン=米の生産調整)」という表現もあった。

1998年12月14日(月)晴れ。(東京:国立国語研究所)

乗り継いで 電車バス通 立ち居つつ

「消印」

 「消印」と書いて、いまは「けしイン」と混種読みしているが、本来は「ショウイン」と音読みすべきであったが、洋語「スタンプ」の邦訳漢字として明治の郵便制度が確立し、「印紙>切手」「郵便受け(ポスト)」「信書(手紙)」などの新語が登場した「消印」が用いられたのである。この読みだが、「ショウイン」と読むと、「証印」という同音異表記と混乱することからから「消印」を混種読みして「消してもいないスタンプの捺印」と考えがちだが、「消したしるしとして押す印」ということで、「けしイン」と読むことが1902年(明治35年)には定着をみているのである。郵便局では、はがき・切手に押す、受け付けの日付・局名などのはいった印として用いられてきたのである。

1998年12月13日(日)晴れ。(東京:八王子)

短日に 南の窓は 蒲団干し

「本文の生態学」を読んで

 山下 浩さんの『本文の生態学』Textual Criticism(日本エディータスクール出版部・1993年刊)を読んだ。この本の化粧回しの背の部分に「原稿は変容する」と記されている。更に、「研究者・文学愛好者に衝撃を与える書」という群馬県立女子大学学長平岡敏夫さんの推薦文書が目を引く。中味はこうだ。

「英国の詩人エドマンド・スペンサーの本文研究で世界的に知られる山下さんが,漱石・鴎外・芥川のテクストに立ち向かい,『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』を組む文選工のクセまで洗い出すのだからすごい.先般ニューヨークの国際会議でも評判になったという.本文批評がこんなにもおもしろく,奥深く,作品批評と不可分であったかと,だれもが感嘆すること請け合いである.」

実際、漱石の作品をこの視点からみると、多くのことばの表現が変貌していたことに気がつくのである。

漱石の文字に対するこだわり「こども」

子供…親に対する子を意味する場合

小供…おとなに対するこどもの場合

もその一つであった。

1998年12月12日(土)晴れ。(東京:国立国語研究所於・日本語教育研究会)

本読みの 電車はすべて 夢の中

「合」の字

 数学言語研究会(代表・細井 勉さん)執筆責任・島田 茂さんの「数学用語の漢字」(平成10年4月1日版)という資料冊子を読んだ。このなかで、39「合」の字の使い方をみると、数学用語としては、この漢字の音「ゴウ」の用語と訓「あわせる」の両用そして混種語の用語がみえる。

 1、音の用語

合成数(ゴウセイスウ)。合同(ゴウドウ)。集合(シュウゴウ)>空集合(クウ‐シュウゴウ)、補集合(ホ‐シュウゴウ)、全体集合(ゼンタイ‐シュウゴウ)。

 2、訓の用語

組合(くみあわ)せ。

 3、混種語の用語

場合(バあい)。歩合(ブあい)。

とあって、字音語のみの用語でない、和訓語「組合せ」、さらに混種語「場合」「歩合」といった用語があることが知られる。算数の加算法を意味する語として、「たす」とともに、「あわせる」が用いられている。この用語「あわせて」の意味が日本人と帰国子女(「小公子」・「小公女」の省略形。児童生徒ともいう)や異邦人とでは、意味に異なる見解があることが会の席上で報告されていた。

池に鴨が5羽います。そこに2羽の鴨が飛んで来て合わせて何羽ですか?

簡単とも思えるようなところに深い意味合いが潜んでいるものである。

1998年12月11日(金)雪(北海道)>晴れ(東京)

夕焼けに 明日の晴れ空 映し出す

「時計」

 時を計る具「時計」、学研『漢和大辞典』を繙くと、

中国古代の日時計。時間を知り、暦をつくるために、はじめは、一定の高さの土盛りをしたり、棒をたてたりして、その日影の長さを測った。のち、金属や宝石でつくった。▽日本語の「とけい(時計)」は、その借用語。〔周礼・大司徒〕

とある。中国で日蔭の長さ計るのに用いたことから「土圭〔ドケイ〕」と表示していた。現在、中国では「表」という。この「ドケイ」の借用語「時計」だが、これも学研『国語大辞典』参考によれば、

どこに置くかによって置時計・柱時計・懐中時計・腕時計など、何によって時を計るかによって、日時計・水時計・砂時計・ぜんまい時計・電気時計・水晶時計など、また、用途によっては、目覚まし時計・ストップウオッチなどの種類に分かれる。

と収載する。ふだん、なにげなく利用している「時計」の記述にも時代の推移によって、更なる特徴を書き込むことになる。アナログ時計・デジタル時計という呼称、装飾性のあるスオッチなどという呼称が現在加味されてくる。

1998年12月10日(木)晴れ

雪塊に 綿雪かぶり 外と内

「蜿蜒長蛇の列」そして「長名」

 歳末の宝くじが発売され、過去当り籤の多く出ている売り場窓口には、発売当初から「長蛇の列」ができている。この「長蛇の列」をさらに、形容する語に「エンエン【蜿蜒】」がある。この「蜿蜒」とは、どちらも虫偏の漢字だが、この熟語で「龍や蛇がうねるように動くさま」を表わしている。これに似たように見える人の集合体に対して、「蜿蜒(エンエン)長蛇(チョウダ)の列(レツ)」と表現するのである。この文字が以外と正しく読めない。「えんえん」は読めて、次の「チョウダ【長蛇】(長大な生き物、転じてそのさま)」を「ながへび」なんて読まれたのでは目も当てられないところである。が、実際、この誤読が一統多いのである。

 この「長」の付く語だが、今日の朝日新聞・経済13版に「チョウメイ【長名】」(『広辞苑』第5版未収載)なる語が用いられていた。

「長名」食品増えてます  「目立つから

冬なのに 南の島のマンゴープリン■レンジでチンするあっちっちチーズ カマンベール風味

じっくりコトコト 野菜でスープ煮 コンソメ煮用■まるで生クリームのようなシチュー

消費不況が長引くなかで買い物客の心をとらえようと、食品業界で説明調の長い商品名が増えている。とくに、若い客が多いコンビニエンスストアでは、商品名が売れ行きを左右する場合が多く、メーカーの「ネーミング合戦」は過熱している。

 明治乳業が今月七日に発売した生菓子の名前は「冬なのに 南の島のマンゴープリン」。コンビニ向け商品で、同社は「若者に受けるように目立つ名前を考えた」という。

 ネーミングがヒットに結びついた商品としては、エスビー食品が八月に発売した「まるで生クリームのようなシチュー」が有名だ.即席シチュー市場でのシェアは一割を超えた。「原料や製法を表すネーミングを一歩進め、中身を的確に表現したことで、消費者の購買意欲を誘った」と同社は分析する。

 説明型はこのほか、「じっくりコトコト 野菜でスープ煮 コンソメ煮用」(ポッカコーポレーション)、「レンジでチンするあっちっちチーズ カマンベール風味」(雪印乳業)、「衣花咲く揚げ油」(味の素)など。冷凍食品でも「ふっくらあつあつもちピザグラタン」(ニチレイ)などが登場している。電通マーケティング統括局消費生活研究部の桑原和彦部長は「コンビニ」では競合商品が増え、店頭で注目されるかどうかが勝負だ」と話している。

と、紹介している。これも訓読み「ながな」とは読まないし、混種読みにして「チョウな」とは決して読まない。正しくは「チョウメイ」と音読みする。だが、この「長名」、国語辞書に未収載の語であったことがもっと驚くところか?如何。

[補遺]学研『国語大辞典』の「エンエン」と「チョウダ」の用例

 ◆宛ながら幾頭の青竜(セイリョウ)の蜿々として山を下るが如く、〔徳富蘆花・自然と人生〕

 ◆左右にも蜿蜿と続いた部隊が黄塵の中を進軍して行く〔火野葦平・麦と兵隊〕

 ◆連絡船まで、長蛇の行列獅子文六・てんやわんや〕

 ◆轟と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇が蜿蜒(ノタクッ)て来る夏目漱石・草枕〕

1998年12月9日(水)曇り、夜半雪。

名を変えて 賞与附属品 ボ−ナ‐クセサリー

「ボーナス」と「アクセサリー」

 「附属品」を「アクセサリー」と置換したとき、人は物の価値観を別にして考えられるようだ。

 一つの例として、「賞与」を「ボーナス」に置換して、働く者であれば誰もが貰えるお金という観念が知らず知らずのうちに根付いてしまったようだ。この“ことばのマジック”も愈々通用しない。確かに無いものは出せないからだ。利益追求の社会にあって赤字決済で“ボーナス支給”は、何ともいただけない。昭和四十年代の「賞与」ということばの響きには、日本経済社会全体が収益を上げていた。働くものが軒並みに「賞与」という袋を手に出来たからだ。やがて、この「給与」外の収入を当てにして息継ぎをする生活水準設計が生じてきた。これを常に根底にした金融システムによるものの考え方があるからにほかならない。この安定型の臨時収入が突然目の前から消えたとき、金融機関の長期貸付システム「ローン(住宅ローンなど)」に依存する人々の心は大きく揺らいだのである。「ボーとしていると、為(な)すがままではないがアッというまに消えていく」、出る人にとっては幸せな「ボーナス〔Bonus〕」ということばは、銀行振込によることもあってか直接受け取る触感がなく、これが入らない「アン‐ボーナス」の世の中となれば、今後どう変動していくのであろうか。きっと、給与にすべてが係ってくるから、「economycal」に生活設計していくことが肝要なのかもしれない。他に北海道では「特別手当」として、「寒冷地手当」とか「石炭手当」といった給与外制度のことばがあることを知っているだろうか。

 確かに、身につけるものを「附属品・附属物」と言っていたのでは、持っているものにとって価値観がにじみでてこないからだ。これを「アクセサリー」と表現することで、持ち続けたい、身につけてみたいといった装飾性のある価値観が生まれてくる。人生設計に関わる大きな買い物が出来ないとき、身近な物に消費の目は向かう。「装身具」から「装飾品」へと「アクセサリー」は移行しつつあり、そして今年は、「携帯電話」の普及にともなうこの「アクセサリー〔Accessory〕グッズ〔goods〕」がよく売れた年でもあった。ちょっとした小物「アクセサリー」の愛用文化は、まだまだ続くのだろうか。

見坊豪紀さんの『ことばのくずかご』をみると、「ことばの風俗」(2)作者のあることば〔67.11.10〕に、

「附属品」というツマラヌ言葉を「アクセサリー」と、いかにも可愛らしく言いかえたのも彼(花森安治氏)である。[「文芸春秋」10月号134「日本を動かす一〇〇人の文化人」]

と、ことばの誕生が知られるのである。

1998年12月8日(火)晴れ午後下り坂。雪融ける

冬の蠅 辛くも残り 息継ぎす

「はい【蠅】」

  室町時代の古辞書、『下学集』易林本『節用集』文明本『節用集』波部・氣形門に、

蠅〔ハイ〕点〔−〕シテ黒ニ白糞ヲ〓〔ケカス〕珠玉ヲ者ナリ。喩フル之ヲ讒言〔ザン[ゲン]〕ニ者也<氣形67A>

蠅〔ハイ〕點シテ黒白之糞ヲ〓〔玉+占〕(ケカス)珠玉ヲ。喩フ之ヲ讒言ニ<氣形十七B>

蠅〔ハイ〕點シテ黒白之糞ヲ〓〔玉+占〕(ケカス)珠玉ヲ者也。喩之ヲ讒言ニ也。異名、胡〓〔虫+秦〕(コシン)大者ヲ云。赤頭(セキトウ) 左忌――。名(ナツク)景迹(ケイセキ)ト。青衣童子<氣形門五七E>

[補遺]『運歩色葉集』虫名には、見出し語のみにて無注記とする。

[注文書下し]黒に白の糞(フン)を点(テン)じて珠玉(シュギョク)をけがすものなり。これを讒言(ザンゲン)に喩(タト)うるものなり。

とある。「蠅」を今は「はえ」と発音するが、当時は「はい」と発音し、蠅の黒白の糞が珠玉を汚すということから転じて、讒言に譬えていうとある。

 ところで、「蠅」の身近な表現には、「護摩の灰」(高野聖に扮して、弘法大師の護摩の灰と称して押売りした者の呼び名から転じていう)と「胡麻の蠅」(胡麻の上の蠅は見分けがつきにくい)ともいわれる「盗賊」の意に用いられている語がある。また、『運歩色葉集』に、「蠅参(ハイマイリ)」という語表現が見える。

蠅参〔ハイマイリ〕伊勢参附道者之尾譬諸蝿附驥尾ニ也<静嘉堂本34F>

[注文書下し]伊勢参りの道ゆく者の尾に附くを、諸の蠅の驥尾に附くに譬えるなり。

と、蠅の驥尾に附く有様を伊勢参りの道行く者に譬えて表現している。この時代に「お伊勢参り」が長蛇で賑わっていたことを示唆してくれる語表現である。この光景を「蠅参」と表現した特権階級層の匂いをも感じないではない。

この「珠玉を汚す」ような「人を貶めるために、ありもしないこと(悪言)を目上の人に言う」ことに対して、今風に云えば「蠅の糞みたいなことをしやがって」というような「蠅」若しくは、「蠅の糞」などと用いた表現を未だ知らないでいる。

1998年12月7日(月)晴れ、夜半雨。雪融けて路面ツルツル。

寒き朝 一歩も出ずに 猫の筥

「にんじん【人参】」

 室町時代古辞書、易林本『節用集』仁部に、「人參」の語は未収載である。同音の「ニンジン」である「人神〔−ジン〕。人身〔−ジン〕」の二語が人倫門に見えるのがそれである。この「人神」の語だが、李時珍『本草綱目』十二に、「人参ハ其根如ナル人形ノ者有リ神、又云、人参ノ似タル人形ニ者、謂フ之孩兒參〔ガイジジン〕ト(人參は其の根、人形の如くなるは、神あり。又云う。人參の人形に似たるは、これ孩兒參(ガイジジン)と謂う」【別録曰】人參生黨山谷及遼東。二月四月八月上旬采根。竹刀刮。暴乾。無令見風。根如人者神」という内容に合うものである。が、人倫門に置くことから、この意を易林本からは認めることは出来ないのかもしれない。また、文明本『節用集』は、逆に上記語を見ないが、「人參」なる語を草木門に収載する。ただ、注記は見えない。そして、『日葡辞書』(邦訳)には、

「Ninjin.ニンジン(人参) ある薬草で,〔野菜の〕人参,あるいは、大根のような根のあるもの.」<466L>

と記載をみる。

 古くは、源順『和名類聚抄』<巻第二十草木>に、「人參 本草云−−一名神草、和名加乃仁介久作。一名久末乃伊」<大東急記念文庫藏>と収載をみ、『本草和名』にも、「人参 和名加乃爾介久佐、一名爾己太、一名久末乃以」と収載されている。ここで、和名を見るに「かのにけくさ」と「くまのい」とあること、また、「にこた」の各々の語については別に考察することとして、「人參」なる語は既に知られていたはずである。国史には、『続日本紀』聖武紀、天平十一年、十二月戊辰、渤海郡王欽武からの調度品のなかに、

「并附‖大虫皮・羆皮各七張、豹皮六張、人参三十斤・蜜三百斗|進上」<新大系二・358G>

と進物に皮製品と一緒にこの「人参」が含まれている。この「人参」だが、今言うところの薬草「高麗人参」のことと見る。すなわち、我々の生活に密着した野菜の「人参」とは異なるようだ。この「人参」を薬草「高麗人参」と区別して「節人参〔ふしニンジン〕」、「鬚人参〔ひげニンジン〕」と呼称する。

『本朝食鑑』巻三・菜部に見える「人參菜」は、後者で「胡蘿蔔」と呼称し、「大ナル者ノハ握ニ盈ツ。色黄赤、鮮地黄羊蹄根ニ似タリ。小ナル者ノハ形人參ニ似テ之ヲ截斷スレハ、赤暈圏ヲ作ス。故ニ人參ト稱ス」(書下し抄出文)とあるのがそれである。

[余禄]「ニンジン【人参】」のジンの字、「艸+浸;巾」の合成字。

「京人参」は、30cmぐらいの大きさで、紅色をした割烹料理などで調理されるのだが、昨今のコンビニでも一般に求められるようになっている。

1998年12月6日(日)晴れ。福岡国際マラソン、ジャクソンカビカ初優勝(ケニア)

第13回アジア競技大会女子マラソン、高橋尚子(セキスイ)日本最高記録優勝

 師走闇 月見え隠れ みやすばし

「鉢かづき」

 室町時代物語の「鉢かづき」ではないが、香川県で頭に透明なプラスチック製の詰め物容器に頭を入れ、抜けなくなってうろたえる犬を捕獲し、この容器を取り外してやっているニュースがサンデーモーニングで報道されていた。この犬、容器に餌食でも入っていたのか、これ欲しさに頭ごと入れたのであろう。ところがいざ頭を容器の外に出そうとしても抜けないというのである。この犬は救済されたが、頭の器が抜けなくなるといった類似する仏教説話として『僧祇律』に、野干主の譚がある。

過去ニ有リ一〔ヒトリ〕ノ婆羅門|。於ニ曠野〔アラノ〕造リテ井ヲ、給〔キウ〕セリ行人〔タビビト〕ニ|。至テ暮ニ有リ群〔ムレル〕野干〔ヤカン〕|。趣テ井ニ飲〔ノミヌ〕水ヲ。其野干ノ主〔キミ〕、便〔スナハチ〕内〔イレ〕頭汲罐〔ツルベ〕ノ中ニ、飲已〔ノミヲハリ〕テ載〔タチマチ〕起〔タチ〕、高ク挙〔アガリ〕テ撲破〔ウチワリ〕テ而去ヌ。小野干諌〔イサメ〕テ主ヲ曰、若〔ゴトキ〕モ樹葉ノ可キ用フ者ノ、猶護惜〔ゴシヤク〕ス之ヲ|。況〔イハンヤ〕此ノ利済〔リサイ〕之具ヲヤ。何ソ忍ン壊〔ヤブル〕ニ也、主ノ曰、我レ但〔タヾ〕戯樂〔キラク〕スル耳〔ノミ〕。損壊〔ソンクワイ〕既ニ多シ。施ス者懐〔イダキ〕テ憤〔イキドホリ〕ヲ、乃チ作テ木ノ罐〔ツルベ〕ヲ用ヒタリ機〔カラクリ〕ヲ。故ニ頭可シテ入ル不出ツ、置テ于井ノ側〔カタヘ〕ニ、執〔トリ〕テ杖ヲ屏処〔ヘイシヨ〕ニ伺ヘハ之ヲ、及テ暮ニ果シテ至レリ。作〔ナス〕コト戯レヲ如シ初メノ、入レテ罐〔ツルベ〕ニ求レトモ撲〔ウタン〕ト不脱〔ヌケ〕。婆羅門以杖ヲ打死〔コロシ〕ツ、時ニ空ニ有テ神、説〔トキ〕テ偈〔ゲ〕ヲ曰、云々〔シカシカ〕

 この野干主、戯れ事により釣瓶〔つるべ〕を破る。これに対する施者婆羅門とのやりとりである。本邦の随筆集『徒然草』第五十三段に、

 これも仁和寺の法師、童(ワラハ)の法師にならんとする名残(ナゴリ)とて、 おのおのあそぶ事ありけるに、酔(ヱ)ひて興に入る余り、傍(カタハラ)なる足鼎(アシガナヘ)を取りて、頭(カシラ)に被(カヅ)きたれば、詰(ツマ)るやうに するを、鼻をおし平(ヒラ)めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座(マンザ)興に入る事限りなし。

 しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚(クビ)の廻(マハ)り欠けて、血垂(タ)り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(ミツアシ)なる角の上に帷子(カタビラ)をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師(クスシ)のがり率(ヰ)て行(ユ)きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様 (コトヤウ)なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝることは、文(フミ)にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母(ハワ)など、枕上(ガミ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。

 かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁(ワラ)のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

というのがそれである。この兒法師も座興に足鼎を被って抜けなくなるというものである。この兒法師も救済を見るのである。頭に被く容器は「釣瓶」と「足鼎」と異なるが、このこと宝井馬琴『玄同放言』第38に類話表現として記載を見るのである。この譚の深意は、「四大の罐鼎に差し入れて、抜くことを忘れたるもの」への戒め譚なのである。如何。

1998年12月5日(土)曇り

朝起きに 道の雪塊 スコップ二

「どんぐり」

 室町時代の古辞書、易林本『節用集』登部・草木に、

團栗〔ドンクリ〕<四一F>

とある。当時、第三拍部は、清音であったことが解る。これをさらに、ローマ字表記する『日葡辞書』で確認したいところだが、この語は収載を見ない。江戸時代の『書字考節用集』には、「どんぐり」と第三拍の濁音表記が見える。

大槻文彦編『大言海』に、

どんぐり【團栗】〔橡栗〔とちぐり〕の音便訛と云ふ〕(一)古名、つるばみ。櫟〔くぬぎ〕の實。形、圓く尖りて、ひとつみの栗の如し。熟すれば、黄褐色にして、大きさ六七分あり。實の本に〓〔木+求、かさ〕ありて、實の半を包む。其刺〔とげ〕、粗く柔にして刺さず、これをしゃくし、又、よめのごきなど云ふ。古へは、此殻を煮て染料とし、つるばみいろと云へり、薄鼠色なり。橡。皀斗(皀斗の字は、實〔ミ〕と〓〔木+求、かさ〕との形に起る。支那にても染料とす、故に皀字を黒の義とす)(二)又、櫟〔くぬぎ〕、樫〔かし〕等の實の総名。{團栗の丈〔せい〕競べとは、何れも凡庸のみにして、優劣のものなきに譬へ云ふ。

とあって、「とちくり」の音便化現象からなることばであること、古名を「つるばみ」と呼称すること、その用途などを示している。さらに、

と用例を記載する。

1998年12月4日(金)雪舞う

 雪のけて 山の如くに 積もれたり

「くぬぎ」

 ブナ科の落葉高木の「くぬぎ」は、なぜか「櫟、椢、栩、椡、椪、櫪、椚、橡」と数多くの漢字表記が見られる樹木でもある。

源順『倭名抄』に、

挙樹 本草云挙樹。和名、久沼木。日本紀私記云、歴木」<巻二十31オG>

とある。林羅山の『多識編』には、これを受けて「欅」を「久奴岐(くぬき)」と訓読している。

 八語にも及ぶ漢字表記には「欅」の字は含まれていない。「櫪」の字は、『日本紀私記』の「歴木」に依拠している。『日本書紀』巻第七には、「國」と「木」との合字「椢」の字についての説話が用いられている。そして、江戸時代の新井白石『東雅』でこの「くぬぎ」の語源を説明している。このこと、大槻文彦『大言海』に、見だし語表記漢字「椢・椚」をあげ、

〔東雅、十六、歴木「景行天皇、其地を、御木の国と名づけたまひしに因りて、其樹を、くぬきと云ふ、國木と云ふが如し」(國處〔クニガ〕、陸〔クヌガ〕)伊豫にては、くにぎと云ふとぞ〕くのぎ。樹の名、高きは二三丈に及ぶ、樹、葉、甚だ、栗に似て、葉の形、細長く、邊に刺あり、雌〔メ〕くぬぎは、葉の形、多く、ゆがみ、或は、葉の末、廣し、雄〔ヲ〕くぬぎは、形、正しくして、栗の葉に混じ易し、共に、冬、枯れても落ちずして、春、新葉を生ず、夏の初、葉の間に花を生ず、栗の穂に似たり、雌は、枝の上に實を結び、秋、熟す、どんぐりと云ふ(其條を見よ)

と注記し、

といった用例を収載する。この「國木(くにき)」説に始まり、これとは別に、「栗似木(栗に似た木)」や「食の木(久之木)」などといった民間語源なども知られている。また、柳田国男の『地名の研究』でも『日本書紀』をめぐって、地名「久木(くのき)」をもって、「久」は薪としてくべる種々の木を総称する意と解している。「橡」の字は、「つるばみ」と読み、いわゆる「どんぐり」の古名である。今後さらに、ひとつひとつの検証を必要とする。

1998年12月3日(木)雪舞う

白き暈 ダンプ運びに 明け暮れて

「けやき」

 ニレ科の落葉高木である「けやき」という樹木名の語、近代語の匂いがする。古辞書を繙いても、室町時代に成立した『倭玉篇』『節用集』『日葡辞書』にこの語がいっきに収載されているが、それ以前となるとどうも別の呼称で表現されていたのではないかという思いがあるからだ。この思いは私だけでなく、江戸時代の本草学などの植物や樹木に関心の合った人たちのあいだでも各々推論があったようである。

 この樹木、東京武蔵野周辺の神社・お寺の境内などに大木の幹となって人を見下ろしている。大蔵永常『広益国産考』に、

江戸十餘里四方の在中の平地に槻〔けやき〕の木多し。遠國の深山より出づるとちがひ、木性至って和らかなり。

とあって、この「けやき」の木材は、十七世紀、江戸幕府の殖産事業にあって、橋げた・舩材などに用い、またその枝は、海苔の麁朶としても広く使用をみたのである。

 確かに、この樹木名称の語源を辿ってみると、まず語構成は「けや」+「き」にて、「けや」とは、『日葡辞書』にも収載のある「けやけい」の語幹部二音に「き【木】」が膠着してなった語とみるのである。「Qeyaqei.(けやけい)」は、邦訳『日葡辞書』の意味をみると、「すぐれた、または、秀でていて他を凌ぐような(もの)」<491r>とある。「けやき」の木質は、強靭、木目に狂いが生じにくく、木理がすらっとして美しいのである。これに由来するようだ。松・杉・檜などと違って近在で入手が可能な利点もあってか他の材より便利ですぐれた木材であるということであろう。このほか、樅・槙・椹・栂・楠がそれぞれの特徴をもって用いられてきた。

 「けやき」の漢字表記だが、今は「欅」の字を用いるが、室町時代の古辞書『倭玉篇』は「槻〔つき〕」の字を用いている。また、『節用集』『伊京集』『温故知新書』は「樫〔かし〕」の字を用いて「けやき」としている。この「つき」や「かし」の呼称が別名呼称の足がかりである。そして、呼称成立はこの十六世紀かとみるのである。実際、「槻」の語については『古事記』に、

百足る 槻〔つき〕が枝は、上つ枝は 天を覆へり。中つ枝は 東を覆へり。下枝は 鄙を覆へり。

と読まれている。「つき」から「けやき」への呼称変更は語彙史のなかで言及できるのであろうか。この意味からも、「つき【槻】」の木と「けやき」とが同一樹木なのかを今後も探求してみたい。「かし【樫】」も同様にである。

[補遺]林羅山編『多識編』四種本をみると、「欅」の字に以下の如き訓を収載している。

1、羅浮渉獵多識編〔ナラミクヌキ〕ナキミヌキ、シラカシ、クラクヌキ」<六二C>

2、寛永七年刊古活字本多識編 久奴岐 今按計也幾」<一三三I>

3、寛永八年刊製版本 久奴幾〔キ〕 今案計也幾[異名]欅柳〔キヨリウ〕衍義」<一五〇E>

4、改正増補多識編欅〔キヨ〕 久奴岐〔クヌキ〕 今按スルニ計也幾〔ケヤキ〕[異名]欅柳〔キヨリウ〕衍義[増補異名]鬼柳。〓〔木+巨〕柳」<二六七D>

と、「欅」の字を初めて「ケヤキ」の訓を位置付けているのである。ここでは「くぬき」という別訓が付されているのである。

1998年12月2日(水)曇り時折陽射して雪舞う

ねもころに 陽射しに舞ふや 六の花

「欅」の字様

 辞書を繙いてふと氣づく「ケヤキ」という漢字。旁の部分に「舉」と「擧」とがあり、一番興味を引くのは、『広辞苑』である。第二版は「舉」と表記し、第三版では「擧」と異なる。現在の第五版ではどうかといえば、「擧」を踏襲する。第二版は、私が大学入学時(昭和44年)に購入した。これは、古いからと言って破棄できない思い出のこもった辞書であるからだ。この第二版をなぜ第三版で改定したのか知りたいところでもある。これと同じく、新明解『国語辞典』も同じ選択をしている。

 こうなると、辞書の虫が疼き出す。この文字を分解してみると、「ボウ(?)」と「シユ(手)」の部分に異なりがあることになる。これを時期同じくして、改定する編集者の選択には、近年、文字語源研究の一つの決定すべき論拠があったとみてよいのではあるまいか。そこで、古辞書にも目を馳せてみるに、観智院本『類聚名義抄』には「欅」の字、そして「ケヤキ」の語は見えない。この旁部の「擧」と「舉」とは、廿八の手部に、

 居与コ。トルカ、アグ、コノム、タヽス。舉歟。正舁字。余<佛下本五九E>

とあり、手部なのに「ボウ」で表記している。また、「たすき」の訓として「舉−(木)」<佛下本八二@>と、これも「ボウ」で表記していることを確認するに留まる。室町時代の慶長十五年版『倭玉篇』になると、「〔キ〕ツキノキ。ケヤキ」<一九九@>と「ケヤキ」の語はあるが、「欅」の字ではやはり、未収載である。これは、江戸時代の『書字考節用集』も、「〔ケヤキ〕」<生殖六42@>と同様である。とすれば、「欅」なる文字は、いつ頃辞書に表れてくるのかというと、『字彙』に、

(「ぼう」の字様)〔キヨ〕<語(去)>與〓〔木+巨〕同[杜工部詩]-柳枝-枝弱」<木部十七314ウF>

とあって、「〓〔木+巨〕」と同じとある。『名義抄』に、「〓〔木+巨〕 音巨。柳梭―。柳―」<佛下本一一一E>とあり、和訓は付されていない。そして、『字彙』(1615年)には、

「〓〔木+巨〕〔キヨ〕<語(去)>居去切。音舉。木タコ[説文]〓〔木+巨〕柳〔ヤナキ〕ナリ也」<木部十七294オH>

として、「木のたこ」とある。さらに、和刻本『大廣益會玉篇』(寛永八(1631)年版)にも、

(二に縦棒の字様)〔キヨ〕」居語切棒。柳木〔ヤナギ〕也」<木部157第十二・九B>

とするのみである。『康熙字典』(1710年)には、

[唐韻][正韻]居許切[集韻][韻會]句許切〓音舉[玉篇]木名[本草別録]欅樹山中處處有之皮似檀槐葉如櫟槲[爾雅釋木]謂之〓〔木+巨〕椰[衍義]謂之欅柳[杜甫田舎詩]欅柳枝枝弱」<木部十七畫490C>

と収載し、このなかで引用の『本草別録』の注記が「けやき」の意として最も近いのではないかと考えられるのである。現代の漢語辞書は、これをもって、「欅」の字を「〓〔木+巨〕」と同種として収載をみるのかもしれない。「〓〔木+巨〕」の字を現代の『大漢語林』(大修館)は、「かわやなぎ。こぶやなぎ」と和訓収載するが、『新大字典』(講談社)によれば、「〓〔木+巨〕 かわやなぎ。欅(「ぼう」の字様)に同じ/溜水器」としてある。「欅(「ぼう」の字様)」を収録せずに、「欅(「しゆ」の字様)」で、「 けやき(名)/かわやなぎ」としてしまっている。そのためか、字義を「けやき」と「かわやなぎ」とを併用する収載方法となっているようだ。それにしても、きっちり始末のつかない證跡を遺していて妙味とも云える。

已上の結果をまとめておこう。

旁部「舉」字で表記掲載する辞書

 『大言海』。『広辞苑』第二版。新明解国第二版。

 『字彙』。『大廣益會玉篇』。『康熙字典』。新修『漢和大辞典』3866。

旁部「擧」字で表記掲載する辞書(解字:手を持ち上げた形にのびる大木)

 『広辞苑』第三・四・五版。学研『国語大辞典』。岩波国第五版。新明解国第四・五版。角川必携国。新潮国。

 『大漢和辞典』。学研『漢和大辞典』。『新大字典』。『大漢語林』。岩波『新漢語辞典』。新版『漢語林』3748。

と主流は、「欅」の字すなわち、旁部「擧」に落着きつつあると言うところか。因みに、JIS漢字はこの字体だけを採用しているのである。

1998年12月1日(火)晴れ

ISDNや 電話工事し 快適度

「神色自若」

 現代においてふだんふと見かけぬことばに出会ったりすると、その使用漢字熟語を文面から読みとることで、知らないことばの世界に誘ってくれる。まさにことばのクロスワードのような役割を果たしてくれるのだ。なかで、「神色自若」とはどのような態芸表現のことばなのか?今日は探って見ようと思う。

神色自若」では、国語辞書には収載を見ないが、「神色」と「自若」とに分けて繙くと得られる語である。『広辞苑』第五版でみると、

しん‐しょく【神色】精神と顔色。また、顔色。今昔九「―憂へ怖るることかぎりなし」

じ‐じゃく【自若】大事に直面しても落着きを失わず、平常と少しも変わらないさま。自如。「泰然―」

とあって、これを組み合せてみると、世の中を驚愕させるような重大な状況下にあっても顔色一つ変えない人の状態を第三者が見て表現することばということになる。

「神色」は、『広辞苑』に従がうと古語として鈴鹿本『今昔物語集』(京都大学付属図書館蔵)巻第九の震旦魏郡馬生、嘉運、至冥途得活語第三十に、

「嘉運、神色憂ヘ怖ルヽ事无限シ、只走テ逃グ。」<p.67-68>

とあるが、明治時代の森鴎外訳『即興詩人』にも、

「姫は神色〔しんしょく〕常の如く、父君と老侯とに接吻して、あすの別〔わかれ〕の事を語り給ふ。」<岩波文庫19下巻、落飾一五五@>

と見える。さらに、「神色自若」と用いた表現を求めると、明治30年(1897年)2月4日付毎日新聞「良人毒殺のカリュー夫人死刑となる」に、

横浜開港以来の珍事なりとて海外までに評判せられし彼のカリュー夫人の良人毒殺一件は、爾後久しく横浜英国領事裁判所に於て審判中なりしに、いよいよ證跡蔽ふべからずやありけん去る一日審判終結の上陪審官より有罪の決定を與へたれば、同日午後三時に至りて夫人は遂に死期の宣告をうけ、絞殺は遠からぬ内香港にて執行せらるべしと云ふ、聞くところによれば、夫人は目下同港英国領事館附の牢舎に監禁せられ居れるが、神色自若として日々獄中に聖書を読み居り、只管死後の冥福を祈るものの如くなりとぞ。

と、横浜開港以来の珍事として「神色自若」の語を用いている。

 

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