[1月1日〜1月31日迄]

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

 

1999年1月31日(日)吹雪き。北海道

 降りも降る 積もって雪山 また一つ

「百千返鳴也」

 室町時代の古辞書、易林本『節用集』遠部・言語門に、「百千返鳴也〔をちかへりなけ〕」、静嘉堂本『運歩色葉集』に、「百千返鳴〔をちかへりなく〕定」<一〇二C>と云う語がある。「百千」という数を「をち【復・変】若若さが戻る」と訓読し、「をちかへり【復返】若返る。もとにかえる」という語である。『運歩色葉集』には、出典を「定」すなわち、定家『仮名文字遣』の「百千返鳴也〔をちかへりなけ〕」<慶長版七八H(駒沢大学 国語研究資料第二・汲古書院刊)>に置く。この語を有する和歌を求めるに、『拾遺和歌集』巻第二 夏 定文が家の歌合 躬恒 116「郭公をちかへり鳴けうなひ子がうちたれ髪の五月雨の空」<新大系7・三五頁>が認められる。

古語辞典に、

をちかへ・る【復ち返る】《自動詞・ラ行四段活用》

若返る。

万葉集・三〇四三》 「露霜の消(ケ)やすきわが身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ」

《訳》露や霜のように消えやすいわが身が年老いてしまってもまた若返りあなたを待とう。

元に戻る。繰り返す。

更級日記・東山なる所》 「誰(タレ)に見せ誰に聞かせむ山里のこの暁もをちかへる音(ネ)も」

《訳》だれに見せだれに聞かせようか。山里のこの暁も、繰り返す(ほととぎすの)声も。

とあって、「なく【鳴く】」を下接して「繰り返し鳴け」という意に解釈する語である。これを数の多いことを意味する「百千」という漢字を宛てて表記する義訓の意図するところを読み取りたい。

1999年1月30日(土)吹雪き後晴れ。北海道 

しんしんと 天からどんと 贈り物

「だのう」と「だにー」

 「微塵も積もれば山だのう」と自分がそう思うことを第三者に同意を求める気持ちを表す会話表現が明治文学作品に見える。これを今風に「微塵も積もれば山だにー」というと、も少しその同意を求める気持ちも思い入れが深くなる。「微塵も積もれば山だでー」というと、自分の夢を凛として第三者に伝えようとする表現にもなる。

[ことばの実際]仮名垣魯文『西洋道中膝栗毛』

アヽ、女運〔をんなうん〕のねへ人だのう、弥次さん。[二編下・上94G]

通「北さん、おめへはよく目をまはす人だのう。[四編上・上145L]

弥「通さん、むかふに見へるのは、城か宮殿〔ごてん〕か、べらぼうにりつぱな構〔かま〕へだのう。[九編下・下28M]

通「ヨシ/\、厄介な連中〔れんぢう〕だのう。[十三編下・下136E]

馬鹿の大足〔おほあし〕も、厄介だのう。[十四編上・下149O]

弥次「夫〔そら〕アいゝが、さつき二階から見た蒸気は、余程〔よつぽど〕日本〔につぽん〕のとは違う様だのう。[十四編下・下158H]

1999年1月29日(金)夜半小雪、霽れ。北海道 

冷え冷えと 空気融け澄み 時を待つ

「集団風邪」と「インフルエンザ」

 「集団風邪」が猛威をふるっているという。これを「インフルエンザ」と呼称することが多くなっている。この二語だが、現代の国語辞書ではどのように収載されているのかを検証して見よう。

国語辞書

インフルエンザ

集団風邪

流行性感冒

流感

はやりかぜ

新明解『国語辞典』(第五版)

(influenza)流行性感冒。流感。

×

ウイルスによる急性の伝染病。高熱を発し、肺をおかしやすい。はやりかぜ。インフルエンザ。流感。

「流行性感冒」の略。

一時に多くの人がかかる風邪。流感。インフルエンザ。

岩波『国語辞典』(第五版)

流行性感冒。インフルエンザ ウイルスによって起こる。届出伝染病の一つ。流感。▽influenza

×

インフルエンザ ウイルスによる急性伝染病。高熱を発し、急性肺炎起こしやすい。流感。インフルエンザ。

「流行性感冒」の略。

×

角川『必携国語辞典』

ウイルスによって起こる風邪の一つ。高熱が出て、のどや頭が痛むなどの症状がある。流行性感冒。流感。|influenza

×

インフルエンザウイルスにより伝染する、強い症状の風邪。流感。

「流行性感冒」の略。「―にかかる」▽「流患」は誤り。

「流行性感冒」のこと。インフルエンザ。

新潮『国語辞典』第二版

(influenza)流行性感冒。

×

インフルエンザウイルスによって起る急性伝染病の一つ。呼吸器道粘膜に炎症を生じ、高熱・筋肉痛・全身倦怠(ケンタイ)・食欲不振などを伴い、肺炎を併発しやすい。インフルエンザ。はやりかぜ。

「流行性感冒」の略。

流行性感冒。〔一代女四〕

といった、五種類の国語辞書で収載状況を示したが、現状では、この「集団風邪」なる語は、国語辞書に未収載語であるらしい。通常、「流行性感冒」を主にして、意味説明がなされている。岩波は、和語である「はやりやまい」を見出し語としないこともわかる。

[ことばの実際]

四月小廾六日 丙申天晴ハルヽ 今度被ル∨ハ‖四-角カク四-堺カイノ-氣マツリヲ|。是近-日ガイ-病ビヤウウン-氣-布フノ。貴-賤せン上-下無キノ∨マヌカルヽコト之間。將-軍。并ビニキンダチ以-下。御-祈-祷ナリ也。兩-君。有リ‖御-患-令。若ワカギミ。于 今無シト‖ゴ-ヘイ-ゲン|云云。(寛永影印降り仮名付き『吾妻鏡』592下右A)

1999年1月28日(木)夜半大雪、霽れ。北海道 

 これ一つ なにがなくとも これ一つ

「二枚」と身体語

 身体語「め【目】」「した【舌】」「こし【腰】」に「二枚」がつくと、「二枚目」「二枚舌」「二枚腰」となる。このうち相撲用語に関わるのが「二枚目」(番付)と「二枚腰」(勝負強さ)。「二枚目」は、芝居番付から起こって美男子の称にも使う身体語の「め【目】」ではないが、いわば“褒め言葉”になっている。残った「二枚舌」だが、「うそ・矛盾」といった意味がくる、“貶し言葉”になっている。数名詞「二枚」に下接する同じ身体語でもこうもはっきり分れてしまうのか?不思議である。

 そして、他の身体語「髪・眉・鬚・肌」には下接をみないのも妙で面白い。「かみそり」に「二枚刃」というのがあったが「は」は「は」でも別の「は」である。

1999年1月27日(水)霽れ。北海道 

元気なる 声遠のきし 異学び舎

「まったり」

 食味のことば「まったり」だが、1997(平成9年)年10月24日(金曜日)読売新聞[生活]欄に、

まったり

まろやかでこくのある味わいが口の中にゆったりと…

しっとり、甘い、脂っこい……

若い世代のイメージ様々

優雅で幸せな語感楽しむ?

 おだやかでこくのある食味・食感を表す言葉「まったり」。京都など関西の言葉だが、最近は関東でも若い世代によく使われていることが研究者の調査で分かった。ただし、何が「まったり」な食べ物かは人によってバラバラ。まったりという優雅な言葉自体を楽しんでいる、との指摘もある。

 「まったり」とは、「まろやかでこくのある味わいが、口中にゆったりと広がっていくさま」と大辞林(三省堂)にある。広辞苑(岩波書店)にはまだ出ていない。

 小田原女子短大専任講師の早川文代さんとお茶の水女子大調理学研究室スタッフが、食感覚を表す擬態語・擬音語五十三語の使われ方を調べた(関東地方の約六百人対象)。この中で、年齢によって使われ方が大きく違う言葉のひとつが「まったり」。六十代以上で使う人は三九%なのに、十代は七八%、二十代は七九%にのぼる。

 若者の間で急激に広がってきたことがうかがわれるが、世代使用状況には大きな開きがある。同短大の学生六十九人にアンケート調査した結果は―。

 「しっとりして甘い」「クリーミーな感じ」「ドロドロして脂っこい」「味がはっきりしないような感じ」「生ぬるいもの」「食べている時に水が欲しくなる感じ」など様々。具体的な食品名も、生クリーム、ホワイトソース、カレー、ケーキ、アイスクリーム、ヨーグルト、みたらし団子、とろ、あんこ、蒸しパン、キャラメル、納豆マヨネーズ、ポテトサラダ、と様々。もとは、<?>るにしても、「それぞれ自分のイメージで自由に使っているようです。共通項は『甘さ』『油脂のコク』でしょうか」と早川さん。

 本来の意味はどうなのか。京都市内の日本料理店料理長で食物史研究家の榎本伊太郎さんは「素材そのものの味を言うのではなく、料理人の腕で作り上げた深みのあるまろやかな味付けのこと」という。武庫川女子大教授(日本文化史)の森谷尅久さんは「深くしみ込んだ味。薄味で、まろやかで軟らかい口当たり。古くは御所ことば・女房ことばで、次第に今日との町民に広がったのでは」と説明する。

 小田原女子短大の学生の調査では、テレビで「まったり」を知った、という回答が多かった。バブル期のグルメブーム以降、料理番組や料理漫画で普及していったらしい。

 それにしても、どうしてこれほど広がってきたのか。「食味形容語辞典」(平凡社)の著書がある作家の大岡玲さんは「『まったり』は『かわいい』と似た便利な言葉」という。「ねっとり感、まろやか感がある料理の味を細かく説明しないで、『まったり』という一つの言葉ではなくて『まったり』という優雅で幸せな語感のある言葉を味わっているのでは」とみている。

世代、性別で使用語に差

 早川さんらの調査によると、食感覚を表す言葉には世代間で“使用度”の差が大きいものもある。はっきり差が出た言葉は例に挙げた五十三語のうち七語。若いほど多く使う言葉は「まったり」のほか「ぷるぷる」「しゅわしゅわ」。逆に高齢者がよく使うのは「ひりひり」「ぽきぽき」「かすかす」「きしきし」。ちなみに「かすかす」は質の悪いミカン、麩〔ふ〕菓子、おからの食感を表現するのに使い、「きしきし」はインゲンのゴマあえ、硬いリンゴ、スルメを想像するといいとか。

 男女別では全体に女性のほうが食感の語彙〔ごい〕が豊か。女性の方がよく使う言葉は「さっぱり」「ぽろぽろ」「ぼそぼそ」「しっとり」「むちむち」など十四語にのぼったが、男性の方がよく使うのは「ねっとり」「ばりばり」「どろどろ」「さらさら」「かすかす」の五語だった。

といったのが、この記事の記載内容である。この「まったり」を表す食材としてバレンタインの主役「チョコレート」は含まれていない。なんと表現されているのかな?そして、当時未収載であった『広辞苑』だが第五版には、

まったり 味わいがまろやかでこくのあるさま。「―した味」

の語が収録されている。

1999年1月26日(火)霽れ。北海道 

明けて朝 町じゅう全て リンクかな

「〜んち」

 言語遊戯の一つに、下接語の共通する部分をもとに、ことばをつらねて表現する洒落並列表現がある。いま、世界中を賑わした事件に、国際オリンピック委員会(IOC)の“委員買収疑惑”の渦中にある委員長の名前が「サマランチ」さん、この名前をもじって「去まらんち!あたしゃ 知らないんち 責任ないんち」<1999.1.26 朝日新聞[総合2]山田 紳さんの絵時評>が目を引いた。

 以前、これに類似する「ちっち」ことばがあった。「ないちっち、いっちっち」というのがそれである。

 ところで、この「んち」だが、新明解『国語辞典』第五版に、

んち(造語)〔口頭〕「…の家ンチ」の意の圧縮表現。「私―へおいでよ/おれ―がいい/君―のおとうさん、おっかないか?」

が収載されているが、この「んち」とは異なるものである。語解を試みるに、「…の内ンチ」の圧縮表現というところか?如何。

「んち」圧縮表現は、他に「イチニチ【一日】」の圧縮した「いちんち」がある。

今日もいちんち、ハナマル元気でお過ごしください。

というのがそれである。

1999年1月25日(月)曇りのち雨。北海道 

ずぶ濡れや リュックの書類 穴が開き

「へっちゃら」

 俗語表現に「へっちゃら」という語がある。漢字で表記すると、「平ちゃら」と書く。「ヘイちゃら」が促音便化した形で「へっちゃら」となる。この「ヘイ」は「平気の平左」などという字音「ヘイ」、これに「ちゃら」が付く。この「ちゃら」は、「ちゃらちゃらする」「ちゃらんぽらん(ちゃらぽこ)」「ちゃらにする」はたまた、「おべんちゃら」などという語に通うものか?「へっちゃら」の意味は、ものともしないさまを云い、学研『国語大辞典』の用例として、

へっちゃらだあ。ちゃんと理由があると、叱られんもん〔壺井栄・二十四の瞳〕

とある。

1999年1月24日(日)霽。北海道 

雪どめの 穏やかなりし 陽を浴びて

「すったもんだ」

 俗語表現に「すったもんだ」という語がある。漢字で表記すると、「擦った揉んだ」と書く。新明解『国語辞典』第五版に、

すったもんだ〔「擦った揉モんだ」の意〕〔口頭〕意見の相違などで さんざん ごたつき、なかなか決着が つかないこと。「―の末、やっと議案は可決した」

として、「ごたつき」状態、「まとまらない」状態がそこには生じているのである。この語を結ぶのが「の末」であり、「の挙句」であり、「した後」などの下接語である。学研『国語大辞典』の用例として、

すったもんだの挙句(アゲク)結局は埒(ラチ)はあかなかった〔井上靖・闘牛〕

という文が紹介されている。この下接語「あげく【挙句】」と「すえ【末】」では、治まり方が微妙に異なる。「挙句」は、結果は出るもののまだ、もめごとの火種は燻っている。「末」は、同じく結果は明らかとなり、もめごとの火種は残るものの沈静化に向かう方向へと傾斜しつつあるようだ。書き手の意図がここに集約されている。

[ことばの実際]

旧東独の大物スパイを党議員団の外交顧問として迎えたい―東独の政権政党の流れをくむ民主社会党(PDS)の申し出に、ドイツ連邦議会(下院)のほかの政党が手を焼いた。すったもんだの末、当面、議会周辺に「大物スパイ」が登場する可能性は小さくなったが、こうした「人材」をどう扱えばよいか。政界にも東西統一の後遺症が残っている。<朝日新聞7[国際]13版 1999年1月24日 日曜日>

1999年1月23日(土)曇り日中吹雪。北海道 

皮みかん 焚いて香るや 室の扉

「川」と「河」

 永井荷風『すみだ川』で、「川」と「河」の両漢字表記がどのようになされているのか考察してみよう。

「川」の語

「天の川〔あまのがは〕」144L。「大川〔おほかは〕」160G。「隅田川〔すみだがは〕」143R、149P、177A。「市川○○丈〔いちかはーーぢやう〕」176F。

「川上〔かはかみ〕」149Q。「川岸〔かはぎし〕」160Q。「川添〔かはぞ〕ひ」182-21。「川端(かはばた)」160S、169I、181I。「川向〔かはむかう〕」160J、171S、181G、182K。

「大川端〔おほかはばた〕」159P。

「河」の語

「河風〔かはかぜ〕」155M、164C。「河岸〔かはぎし〕」150P、156@。「河蒸気船〔かはジョウキセン〕」158Q。「河面〔かはづら〕」149H、150J。「河の面〔おもて〕」171P。「河の景色〔―けしき〕」149S。「河端〔かはばた〕」174B。「河水〔かはみづ〕」152O、171R。

という結果である。ここで両様に用いる語として、「かはぎし」「かはばた」の語があることも知れる。固有名詞の「川の名」は、すべて「川」で表記し、「川」に直接付随する場所を表す語は、「川」で表記する傾向とみることができる。それ以外の「かわ」の熟語は「河」で表記しようとする意識が作者荷風に働いているのかもしれない。総体的な「川」と「河」の語表記の検証は、今後考えて見たいところでもある。

[ことばの実際]

嘉禎四年戊戌 二月大六日 壬 ミヅノヱ午霽レ 今暁ケウシヨ人ノ乗ノリガヘ以下。御出テ以前ニ進發ハツシ挿 サシハサミ王覇ノ之忠チウ。不ズ ヲヨバ‖ 疑。欲スルノキソヒ‖渡 ワタラント天龍リウガハ之間。浮フ キヤウ可キ ハ ソント。[寛永版『吾妻鏡』539下左H]

1999年1月22日(金)朝霽のち小雪舞う。北海道 

浪費癖 遠くの三味 似て非也

「今戸橋」

 永井荷風『すみだ川』(明治四十二年八月―十月作)に描かれる主人公長吉とお糸とが出会う「今戸橋」(浅草聖天町から今戸にかけて、山谷堀にかかる橋で今は暗渠となっている)だが、橋の欄干には「いまどはし」とかな表記されている。が、実際の発音は「いまどばし」と四拍目を濁音で読むようだ。小説中に、

向河岸へつくと急に思出して近所の菓子屋を探して土産を買ひ今戸橋〔いまどばし〕を渡つて眞直な道をば自分ばかりは足許のたしかなつもりで、實は大分ふら\/しながら歩いて行つた。<日本近代文学大系29 一四四F>

長吉は先刻から一人ぼんやりして、或時は今戸橋〔いまどばし〕の欄干に凭れたり、或時は岸の石垣から渡場の桟橋へ下りて見たりして、夕日から黄昏、黄昏から夜になる河の景色を眺めて居た。<同上 一四九R>

今夜暗くなつて人の顔がよくは見えない時分になつたら今戸橋の上でお糸と逢ふ約束をしたからである。<同上 一五〇@>

長吉は病後の夕風を恐れてます\/歩みを早めたが、然し山谷堀〔さんやぼり〕から今戸橋〔いまどばし〕の向に開ける隅田川の景色を見ると、どうしても暫く立止まらずにはゐられなくなつた。<同上 一七一O>

今戸橋を渡りかけた時、掌〔てのひら〕でぴしやりと横面を張撲るやうな河風。<同上 一七二D>

お豐は今戸橋〔いまどばし〕まで歩いて來て時節は今正に爛漫たる春の四月である事を知つた。<同上 一七六R>

と記されていることからも知れよう。回想場面には「今戸の橋」という表現が二例用いられている。

あゝ其れが今の身になつては、朝早く今戸〔いまど〕の橋の白い霜を踏むのがいかにも辛くまた晝過ぎにはいつも木枯の騒ぐ待乳山〔まつちやま〕の老樹に、早くも傾く夕日の色がいかにも悲しく見えてならない。<同上 一六四O>

それのみならず去年の夏の末、お糸を葭町へ送るため、待合した今戸〔いまど〕の橋から眺めた彼の大きな圓い\/月を思起すと、もう舞臺は舞臺でなくなつた。<同上 一七〇Q>

と見えている。さらに、この小説中には「淺草橋〔あさくさばし〕」「吾妻橋」や「新大橋〔しんおほはし〕」「天神橋」「業平橋〔なりひらばし〕」「兩國橋〔りやうごくばし〕」が描かれている。また、同小説に見える「待乳山の麓を聖天町の方へ」は「まつちやまのふもとをしょうでんちょうのほうへ」と読む。

1999年1月21日(木)曇り、時折吹雪く。北海道 

雪化粧 踵ひねるか 凹凸ぞ

「凹凸」

 夏目漱石『草枕』(名著復刻全集「鶉籠」春陽堂、明治40年刊)に、「凹凸」という語が用いられている。

「捏ね直す位なら、ますこし上手な床屋へ行きます」

「はゝゝゝゝ頭は凹凸〔ぼこでこ〕だが、口丈は達者なもんだ」

「腕は鈍いが、酒丈強いのは御前だろ」

「箆棒め、腕が鈍いつて……」<375G>

この「凹凸〔ぼこでこ〕」は、国語辞書に収録を見ない語である。逆にして、「凸凹〔でこぼこ〕」は収載するという代物である。これを音で読めば「オウトツ【凹凸】」で、「くぼみ」を表すのが「凹」の字、「でっぱり」を表すのが「凸」の字となる。漢語熟語の字排列は、「凹凸」とするのに和語読みとなるとなぜか、「凸凹」と「でこぼこ」の表現が立って、「ぼこでこ」の表現は埋もれているようだ。

 顔額(かおびたい)のことを「でこ」といい、ここが出ていることを「でこぱち」という。手のつけられない腕白小僧を代表する語も「でこぼう【凸坊】」という。万事、「ぼこ」の俗語は少ない。

1999年1月20日(水)小雪。北海道 <大寒>

本邦最古の通貨「富本錢」飛鳥池遺跡から出土

しにせわか つうかなかうつ かわせにし

(老舗若 通貨中打つ 為替にし)

「か知ら?」

 佐藤春夫『蝗の大旅行』(大正15年9月25日刊、改造社版)<名著複刻・日本児童文学館21、ほるぷ出版>という児童文学書に、いくつかの短篇が収録されている。この作品中に文末@疑いの気持ちA希望・依頼の気持ち終助詞表現「かしら」を「か知ら?」と表記する会話例を見い出す。

―あなたのお庭で落ち合つて暫く休ませていただいてから、わたしたちの伯母を訪ねようと約束したので御座います。でも、あなたはそんなことを御許し下さるものでせうか知ら?」<「花と風」77C>

「夢であつたか知ら?」と玄微は考へた。しかし彼は勿論、横になりもしなかつたし眠りもしなかつたのである。<「花と風」87G>

 上位の例は、少女の会話表現、下位の例は、崔玄微(男性)の心象表現に使用されている。この「か知ら?」だが、「か知らぬ」がもとで「か知らん」と音便化した語の助動詞「ぬ>ん」が省略した形で、主として女性が用いる表現である。このことからして、「か知ら?」の表記は、理に適ったものであるが、昨今、この表記は「かしら」とすべて仮名表記となっている。

[ことばの実際]

お倉さんはもう赤い手絡の時代さへ通り越して、大分と世帯じみた顔を、帳場へ曝してるだらう。聟とは折合がいゝか知らん。燕は年々歸つて來て、泥を喞んだ嘴を、いそしげに働かしてゐるか知らん。燕と酒と香とはどうしても想像から切り離せない。<夏目漱石『草枕』名著復刻全集「鶉籠」FG>

1999年1月19日(火)朝霽日中曇り。いくぶん温かき日。北海道(札幌) 

静まりし 夜中の排雪 始業式

「わが女房」と「わが妻」

 「女房」と「妻」は、現在では同義語に位置する。夫たる男が「わが女房」とか「わが妻」と表現するのだが、この「女房(ニョウボウ)」と「妻(サイ/つま)」の両語表現には実際、ことばの差異がなかったのだろうかということの検証である。

 室町時代の古辞書、易林本『節用集』に、

女房〔ニヨウバウ〕<[仁]人倫二五D>

妻〔ツマ〕<[津]氣形一〇三D>

と、両語の収載を確認することができる。「妻」の字音読みである「サイ」は未収載のことから、和語「つま」の読みが常套であったとみたい。(余談:易林本の分類排列が「妻」の語を「氣形門」に置く点からみても分類門を細密に意識していないことが知られよう)。

 本題の「女房」と「妻」とだが、まず「女房」は、この時代も宮中に部屋を賜って住んだ、身分の高い女官、侍女を示す語でもあったのだろう。が、『日葡辞書』の記載内容を見るに、

Nho>bo<.ニョウバウ(女房)同上(女)。<460r>

と、記載がただ「女(をんな)」とするに留まっていることに注意せねばなるまい。そして、「妻」の方はといえば、

Tcuma.ツマ(妻・夫)妻、すなわち、結婚している婦人。また、上記ほど正しい言い方ではないが、夫、すなわち、結婚している男子の意。Tcumani nasu.l,suru,l,sadamuru.(妻になす、または、する。または、定むる)ある女と結婚する。⇒Mucaye,uru(迎へ、ゆる)。<628l>

と、「結婚」という語できっちり締めくくられる語であったことが示されている。

 ここで、実際の用例をもって鑑みるに、御伽草子『一寸法師』の、

さるほどに、宰相殿に、十三にならせ給ふ姫君おはします。御かたちすぐれ候へば、一寸法師、姫君を見奉りしより、思ひとなり、いかにもして案をめぐらし、わが女房にせばやと思ひ、ある時、みつものの打撒取り、茶袋に入れ、姫君の臥しておはしけるに、はかりごとをめぐらし、姫君の御口にぬり、さて、茶袋ばかり持ちて泣きゐたり。<日本古典文学全集397P>

という「わが女房」には、「自分の妻にしたい」<398A>と現代語訳しているが、ここは、「自分の女にしたい」と直に訳する表現だと考えるのである。如何……。

 次の御伽草子『ものくさ太郎』の例は、

しかるべくは、われらがやうなる者の妻(め)になり候はんずる女、一人尋ねてたび候へ」と申しければ、宿の男は、これを聞き、「いかなる者か、おのれが女房になるべき」と言ひて笑ひける。<日本古典文学全集238N>

ものくさ太郎、あなあさましや、わが女房とり逃がしつることよと思ひて、唐竹の杖くきみじかにおつとり、「女房、いづかたへ行くぞ」とて追ひまはりけり。<日本古典文学全集245B>

というところで、ここは「おまえが女房」、「自分の女をとり逃がしたことだ」と訳している。

 さらに、「妻」の表現はとみれば、御伽草子『鼠の草子』に、

「年月添ひなれ申し候ふに生きて離れ、世の中憂きことに存じ候ふまま、かかる姿とまかりなりて候」<日本古典文学全集510G>

と、「わが妻」とは会話表現せず、単に「」というところにも注意されたい。

1999年1月18日(月)曇り。北海道 

雪道や 山せり出し 怖か増す

「シケプリ」

 本日の朝日新聞12版“[大學]東大の行方E”に、「シケプリよ 勉強を祭りのノリで」という、記事が掲載されている。この「シケプリ」なる語はとはといえば、「試験対策プリント」の省略語で、授業科目の試験に学生が組織的に対応しているのである。ここでいう、「試験対策」だが、

「シケ長選出」⇒「履修届調査」⇒「アンケート実施」⇒「シケ対設置」⇒「シケプリ作成」⇒「印刷」⇒「配布」⇒「試験」

という流れにそって進められて行く。ここでまず、クラス総がかりで試験対策にのぞむため、「シケ長」すなわち、「試験対策委員長」を選ぶのである。続いてクラスの履修状況を調べ、四人以上が履修する科目に「シケ対」こと「試験対策委員会」が儲けられる。ここで、「シケプリ」づくりが始まる。ただ勝手に作成するのではなく、アンケートによる「シケプリ授業科目の絞り込み」がなされ、およそ三十種の「シケプリ」が候補となる。五十人近いクラスほぼ全員が編集・印刷に参加する。

仕上がりの状態は、授業内容課題の解答のみの簡素なものから、参考資料まで細部にわたってきめ細かに解説に及ぶものまでと多種多様である。さらには、「シケ長会議」なるものが召集され、各クラスの情報交換も展開する。ネット上には、「シケプリ」の販売情報も誕生する賑わいだと言う。

 この「シケプリ」の対象となる「授業科目担当者」は、どう対応しているのかも「シケプリ」の行方を見極める意味からも記者の確認が及ぶ。その一例として、

前期試験後の昨年九月、歴史担当の古田元夫教授は、掲示板に張り紙を出した。「シケプリ」のできがよかったとみえて、これを丸写ししたと思われる答案があった。これは『不可』とするという内容だった。

古田さんは、大教室での授業の試験答案が、並べてみるとよく似ていることが、二、三年前から気になっていた。昔は二百枚の答案中に数枚だったのが、二けただ。「ほめても仕方がないが、シケプリの質がすごくよくなっている。それをそのまま写す学生がいて憤っている。シケプリを一つの参考として使うことにそれほど目くじらをたてるつもりはない。以前は、わざとシケプリの内容の逆をいってみたりする学生がいたものだが」と古田さんは言う。

 「シケプリ」の利用は、参考資料として使うのはいいが、そこから受講者の個人的見解がなされることを臨む姿勢が読み取られる。さらには、この「シケプリ」作成した学生が名乗り出てきていることも記されている。その「シケ長」のことばは、

「注文が増えて困っている」

「勉強を一人でしていると、どんどん暗い世界に落ち込んでいく。それをお祭り的に乗り切ろうとする」

「クラスの行事というと、試験対策しかない。これが仲間との接点になっているのかも」

という。日本の大学のすべてがこの年中行事(単位取得試験)に、「シケプリ」方式で進んでいるとは思えないが、入学時に「単位履修の裏講座」なる代物が出まわっていることも、これに近似た傾向にあるのかもしれない。

1999年1月17日(日)朝のうち霽、日中雪。北海道 

影の伸び 少しく止まり 一歩前

「影法師」

 室町時代、笑雲清三編『四河入海』に、

一云[畫―]坡言ハ、我レ畫舩ニノリ、湖水ニ遊テ、湖水ノ明鏡ノ如ナルニ、臨テ水鏡ヲ見テ、我カ影房子ヲ見テアレハ、誰ソト云ソ。[忽―]サテ、チヤツト風カ吹來テ、水カ鱗甲ヲ生シテ波トナリテアレハ、我カ水中ノ影房子ノ鬚ト眉トヲ亂ソ。一ノ影テアツタカ風吹來テ、波カ立タレハ散シテ百東坡トナルソ。<巻一之二72ウE>

と、「影房子」と表記されている。ここでは「おのが影(『太平記』に収載される表現)」を「かげぼうし」と呼ぶ。通常、「影法師」と表記し、「光りがあたって地面や家の障子などに映る人の影」をいう。ここに「―房子」と表記するが、「房」は「坊」にも通じ、「へや」の意を意味する語である。また、「影法師」と表記する例も、

[好在―]水鏡ヲ見テアレハ、影法師カ我カアイテニナツテ、イツモカハラス、ケラ\/咲ヲシテ戯ルヽソ。<巻二之四4ウG>

とある。

 本邦の古辞書には、残念ながら未収載であるが、『日葡辞書』には、

Caguebo>xi. (かげぼうし【影法師】)人の身体の影.<邦訳『日葡辞書』78l>

と収載され、二種の漢字表記については知れないが、この時代に息づいていたことばの一つとして確認できるのである。

[ことばの実際]

花ならば海棠かと思はるゝ幹を脊に、よそ\/しくも月の光りを忍んで朦朧たる影法師が居た。あれかと思ふ意識さへ、確とは心にうつらぬ間に、Kいものは花の影を踏み碎いて右へ切れた。<夏目漱石『草枕』(名著復刻全集「鶉籠」)330A>

1999年1月16日(土)曇り夜半雪。北海道 <薮入り>

日の重み 雪に暮らして どさっと待つ

「狼藉」

 室町時代、鎌倉五山の建長寺の僧、三東堂笑雲清三編『四河入海』に、

狼藉ト云ハ、狼ハ、草木ヲ多クシイテヲルホトニ、ハツサト、モノヽ亂タヲ、狼藉ト云ソ。<巻一之一32オH>

と表現する。

これを大槻文彦編『大言海』に、

らうぜき(名)【狼藉】〔釋文「狼、藉艸而臥、去則穢亂〕(一)みだりがはしきこと。物のみだれたるさま、又は、器具などの、算を亂したる状に云ふ語。史記、滑稽傳「日暮酒闌、合尊促坐、男女同席、履潟交錯、杯盤狼藉」平家物語、六、紅葉事「或夜、野分はしたなう吹イテ、紅葉皆吹き散らし、落葉頗る狼藉なり」 (二)又、ラウジャク。理不盡に他を犯すこと。亂暴。後漢書、張〓〔酉甫〕傳「放縦狼藉」下學集、下、態藝門「狼藉〔ラウゼキ〕」注「人之狂亂、如藉草散亂也」盛衰記、二、上皇臨幸六波羅事「是又平家の狼藉の第二度也」「狼藉に及ぶ」狼藉者」

と収載する。ここに「釋文」があって「狼(おおかみ)、艸(くさ)を藉(し)きて臥(ふ)す、去(さ)るとき則(すなは)ち穢(きたな)く乱(みだ)す」とし、用例中の室町時代の古辞書『下学集』には、

狼藉〔ラウゼキ〕人之狂乱〔ケウラン〕ナルハシ‖狼〔ヲヲカメ〕ロ∨藉〔シク〕散乱タルカ也<態藝81E>(人の狂乱なるは、狼の藉く所の草の散乱たるが如(ごと)し)

とし、『四河入海』の編者笑雲は、象徴語「はっさと」をもってその乱れたる光景を表現した。この「はっさと」の「は」が「ばっさと」でない清音表記であることが注目するところでもある。また、『下学集』では「草」だけとするのに対し、『四河入海』では「草」だけでなく「草木」としている点も注意せねばなるまい。現在の国語辞書の「釋文」は、

岩波『国語辞典』第五版 ▽狼(オオカミ)が草を藉()いて寝た跡が乱れていることから。

新明解『国語辞典』第五版〔狼オオカミ草をいて寝た跡の様子から〕

と、すべて古辞書『下学集』の注記に従がっていると言えよう。

 次に「狼藉」の文字表記だが、本文部分「曉入レハ‖陳倉縣ニ|ス‖賣酒樓ヲ|烟煤已狼籍吏卒尚〔ナヲ〕〓〓〔口+牙、口+休〕」に、「狼籍」と「籍」の文字が刻まれている。「藉」と「籍」とは類似する文字だが、当時の「分毫字様」にはこの二字は含まれていない。「くさかんむり」と「たけかんむり」の相異文字としては、

箕〔キ /ミ〕  ?〔キ  /マメガラ〕上居之反―山、下巨疑反豆―

笞〔チ /ムチ〕 苔〔タイ /コケ〕  上丑之反―責、下堂來反青―

筧〔ケン/カケヒ〕?〔カン /ヒユ〕  上古典反竹通水、下侯辨反―菜

菅〔カン/スゲ〕 管〔クワン/クダ〕  上古顔反―茅、下公短反人姓

の四種が収録されているが、この二字は同義語の部類ととらえているのである。

藉〔セキ/しく〕 籍〔セキ/ふみ〕   上奴竹反狼―、下書―

1999年1月15日(金)晴れ。北海道 <成人の日

屋根の雪 家族総出で 下ろしけり

「北斗・破軍星」

 北斗七星(貪狼(タンロウ)・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍)の七番目の星を「破軍星(ハグンセイ)」また「剣先星(けんさきぼし)」という。大槻文彦編『大言海』に、

はぐんせい【破軍星】北斗の第七の星なる揺光の一名。又、斗柄〔トヘイ〕とも云ひ、劒の形を圖して、破軍の劒先〔ケンサキ〕など云ふ。毎月、運轉し、十二時に隨ひ、其處を變ふ。陰陽家にて、この指せる方を、萬事に利あらずとす。(北斗〔ホクト〕、并に、建〔をざ〕すの條、見合はすべし)*隨蕭結五行大儀黄帝圖「一名貪狼、二名巨門、三名禄存、四名文曲、五名廉貞、六名武曲、七名破軍、又、金神在斗、居破軍星

とし、「この指せる方を、萬事に利あらずとす」と表現する。また、学研『国語大辞典』には、

はぐんせい【破軍星】〔天文〕北斗七星の七番目の星。ひしゃくの柄(エ)の先に位置する。陰陽家ではこの星を剣先になぞらえ、その方向を凶として忌む。

とし、『広辞苑』第五版には、

はぐんせい【破軍星】北斗の第七星。剣の形をなし、陰陽道では、その剣先の指す方角を万事に不吉なりとして忌んだ。破軍。アルカイド。

と、「その方向を凶として忌む」「その剣先の指す方角を万事に不吉なりとして忌んだ」と表現する。「利あらず」から、「凶」や「不吉」の語へと変異してきている。

室町時代の古辞書には、「破軍星」の見出し語はないが、「小野篁」の注文に「破軍星の化身」という語が登場する。

1999年1月14日(木)晴れ。北海道

寒き朝 光りの彩に どんど焼き

「月之海」

 「月之海」とは、台湾における日本のビジュアル系ロックバンド「ルナシー」の漢訳表現である。このバンドの曲が当地の若者たちに流行っている。そして、「ルナシー」が台湾公演を行った芸能ニュースが話題を呼んだ。「縁音結涯天尺咫 鶯鶯黄 SUGIZO(月之海合唱團(LUNA SEA)のギタリスト)」棄放不永 美完求追 惜相惺惺 作合國跨」。確かに台湾で云う「月之海」とは見事な名訳である。日本に「海」といえば「山」があり、「月山〔ガッサン〕」という地名は東北地方にある。が、「月之海」すなわち、「月海」はこれまで耳目に入らない表現であった。そして、総称「月の海」が本来の“月”の地名として登場する。

 この「の」の表現が相撲の四股名のようだという人もあろうが、四股名には「之」のつく力士は見当たらないようだ。江戸時代の番付(宝暦七年十月)の四股名には「関ノ戸」があり、カタカナの「ノ」がつく力士が多く、かな表記「の」は幕内には見えない。十両以下の力士には「の」が用いられている。これが明治初期になると、「鯱の海」という名が幕内ににも登場してくる。「しゃちのうみ」の場合、明治二年十一月に入幕したときは「鯱野海」、明治三年十一月・明治四年十一月・明治五年三月・十一月・明治七年2月以降「鯱ノ海」、明治四年三月・明治六年四月・十一月「鯱の海」と「野」「ノ」「の」を場所毎に「の」の部分を換えて用いている。近年、横綱「貴乃花」が「貴ノ花」から換えたことはよく知られている。新聞では、この“の”を省いて「貴花」と表記することもある。現幕内番付には、「乃」に「貴乃花・若乃花・琴乃若・栃乃洋・朝乃翔」と五力士。「ノ」に「貴ノ浪・若ノ城・浜ノ嶋」の三力士。「の」に「若の里」の一力士の四股名三様表記が見られ、「土佐海・安芸島・栃和歌・肥後海」は新聞では四文字になることを避けて“の”が無表記になっている。今のところ、“之”は四股名に用いられていないということか?むしろ行司の名に「木村庄之助・式守伊之助」などと用いられているから面白い。

 本来の「月之海」だが、これもひらがな表記で「月の海」となれば、三島由紀夫『天人五衰』に描かれその解説に、田中美代子さんが「こうして「海」は彼女の永遠の棲家となった。作者の説明のよれば、『豊饒の海』という題名は、「月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatis の邦訳である」という。これはそもそも「月」の縁起によって語られる物語であった。太陽〔アポロ〕なる男性に対して、月は女性の神性をあらわす。(中略) だがメビウスの環のように、表はまた裏につながってゆく。この「豊饒」であるべき月の海の現実は、何もないカラカラの砂漠なのだそうである。」と記すところの「月の海」がある。

1999年1月13日(水)晴れ。北海道(滝川)

 水泉に 温む湯気や 春を増す

「府」

 『十訓抄』に、

という表現が見える。この「府」なる語だが、学研『国語大辞典』を繙くに、

@〔文語・文章語〕物事が集まり、中心となる所。「学問の府」 [用例]富貴は恰も怨の府にして、〔福沢諭吉・学問のすゝめ〕

A地方公共団体の一つ。都・道・県と同格のもの。《参考》以前は東京府もあったが、現在は大阪府と京都府だけ。

B〔古語〕役所。

とある。@の「物事が集まり、中心となる所」の類語に「急所(キュウショ)・局所(キョクショ)・局部(キョクブ)・中心街(チュウシンガイ)・同心(ドウシン)・府(フ)・骨(ホネ)・脈所(ミャクドコロ)・メッカ」がある。Aの「地方公共団体の一つ」に、昔は「東京府」があったこと。そして、Bに「役所」とあるは「近衛(コノÚ)府」・「国(コク)府」などのことであり、「鎭守府」・「大宰府」は、このBの意味になる。この時代の役所が西国の「筑紫」と東国の「陸奥」に置かれていたことは、何を意味するのか?

 さらに、語並びからして、「鎭守府」が「筑紫」に、「大宰府」が「陸奥」にということなのか?

 二つの答えは、「大宰府」すなわち「壱岐(イキ)・対馬(ツシマ)の二島及び九州を管理し、防備や外交にあたった役所」であり、「鎭守府」すなわち「平安時代、東北地方の蝦夷(エゾ)をしずめるために、陸奥(ムツ)の国に置かれた役所」であるからして、『十訓抄』の語並びが逆であり、それぞれの役所の目的をも知るのである。

となれば、何故『十訓抄』編者は、このように逆に記述表現したのかが次なる疑問となってくるのである。他にこういった排列逆並び表現があるのだろうかと思うのである。

1999年1月12日(火)晴れ。北海道 

手札止め 自動改札 潜りにき

「ケイジ【鮭児】」

 鮭の一種に「ケイジ」と呼ぶ、「翌年、秋に産卵する若い鮭」がある。この「ケイジ」を「鮭児」と宛字する。この「ケイジ」だが、ロシア語の「銀鮭(ギンザケ)」名である「キジューチ」が訛ったものと云われ、北海道根室の沿岸で稀に捕獲される。その美味さから「ケイジ【鮭児】若い銀鮭」の呼び名をもって魚市場にては、一尾三万円の値がつく代物でもある。

 もちろん、現代の国語辞書には、未収載の語でもあることを付け置くこととしょう。

1999年1月11日(月)朝雪止み晴れ間のぞく午後霙雪。北海道(札幌) 

路(みち)何処 もこもこの先 白き壁

「忍辱」

 室町時代の古辞書、易林本『節用集』(言語門)に、「人間萬事塞翁馬」の語の次に「忍辱〔ニンニク〕」<二八@>の語が収録されている。読みと書きが重視され、意味はおのずと用いているうちにわかるようになるということではなかろうが注文は未記載の語である。同じく文明本『節用集』(態藝門)では、「忍辱〔ニンニク〕柔和――」<八九C>と四字熟語とする注文が記載されている。

これが現代の国語辞典である学研『国語大辞典』には、

にんにく【忍辱】〔仏教〕苦悩・迫害・侮辱に耐え忍んで、心を動かさないこと。六波羅蜜(ロクハラミツ)の一つ。用例]どうかしてこの日かげの薔薇の木、忍辱の薔薇の木の上に日光の恩恵を浴びせてやりたい〔佐藤春夫・田園の憂鬱〕

とあって、仏教語として日本語に定着したことが知れる。『大唐西域記』に、「是佛在昔作忍辱仙。於此爲羯利王(唐言鬪諍。舊云哥利。訛也。)」という語が見える。また、文明本の「柔和忍辱」については、『法華経』の法師品にみえる。いま、西来寺藏『仮名書き法華経』を以って示すと、

といった二例がそれである。他に「大忍辱」1例や「忍辱」12例が見える。そのなかに、「若説此経時 有人悪口罵 加刀杖瓦石 念仏故応忍」<法師品>があって、この表現を『十訓抄』巻下第八に

法師品の、「加ふるも‖刀杖瓦石を| 念佛して」の文を彼草によせて、寂然がよめる、

     ふかきよの窓うつ雨にをとせぬは うきよのきのしのぶ成けり

不輕品のこゝろを、以言詩につくれり、

     眞如珠上塵厭ひ∨忍辱∨縁

五郎中将の、「後もたのまん」とよめる歌のことばもおかしく、周防内侍が、「われさへのきの」とかきつけゝる筆の跡もゆかし。

とある。

1999年1月10日(日)雪吹雪く夜半しんしんと降り積もる。北海道 

空に舞ふ 雪降り続き 重み増す

「もどき【抵牾】」

 「抵牾」は、音読すると「テイゴ」で、意味は「物事がくいちがうこと」、この語を「もどき」と訓読し、本邦では「非難すること」の意に用いてきた。学研『国語大辞典』を繙くと、

もど・く【抵牾】〔古語〕逆らって悪く言う。非難する。[用例]全(マル)で仇をば恩で返してくれますやうな、申分の無い主人の所計(ハカラヒ)。其を乖(モド)きましては、私は罰が中(アタ)ります…〔尾崎紅葉・金色夜叉〕

とある。『古語辞典』には、

もど・く《他動詞・カ行四段活用》

いかにもそれらしく振る舞う。まねる。似せる。[擬く]

宇津保物語・俊蔭》 「この七歳(ナナトセ)なる子、父をもどきて、高麗人(コマウド)と文(フミ)を作り交はしければ」

《訳》この七歳の子どもは、父親をまねて、高麗の人と漢詩を作り交換したので。

非難する。悪口を言う。[抵牾]

枕草子・思はむ子を》 「『ねぶりをのみして』などもどかる」

《訳》「眠ってばかりいて」などと非難される。

と、@・Aの意味がある。@の語として「梅もどき」が知られる。Aの語用例としては、次の例が見える。

まして、 知らぬ事、したり顔(がほ)に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。<『徒然草』第一六八段>

0305,しかる間悪逆の道こそ代はれ、嫉みもどき合ふ輩、いづれも差別無く滅びん事疑ひ無し。<『太平記』雲景未来記の事>

1999年1月9日(土)雪吹雪く。北海道 

雪の舞ふ あとにこんもり 綿帽子

「雪の結晶」

 「雪の結晶」は、千変万化・精緻華麗ということばで表現される。この「雪の結晶」を研究した近代の学者中谷宇吉郎博士は、「天から贈られた手紙」と喩えた。天空の気温・湿度に影響されて「雪の結晶」は多様の造型を生み出してくる。形状によるその名称も「角板結晶」「扇型結晶」「樹枝状結晶」「角柱結晶」「つづみ型結晶」などと呼ばれる。

 江戸時代の学者のなかにも、この雪の結晶を観察し、記録した人がいる。許鹿『雪花図説』なる書に86種の「雪の結晶」が記載されている。当時は、顕微鏡などないから、虫眼鏡(拡大鏡)による観察スケッチであったのであろう。同じく鈴木牧之『北越雪譜』にも、「雪の形」に、

凡物を視るに眼力の限りありて其の外を視るべからず。されば人の肉眼を以雪をミれば、一片の鵞毛のごとくなれども数十百片の雪花を併合て一片の鵞毛を為也。是を験微鏡に照し視れば天造の細工したる雪の形状、竒々妙々なる事下に図するが如し。其形の齊からざるハ、かの冷際に於てなる時、冷際の気運ひとしからざるゆゑ雪の形気に應じて同じからざる也。しかれども肉眼のおよばざる至微物ゆゑ昨日の雪も今日の雪も一望の白糢糊を為のみ。下の図ハ天保三年 許鹿君の高撰雪花図説に在る所雪花五十五品の内を謄写にす。雪六出を為 御説に曰「凡物方體ハ[割注]四角なるをいふ。 必八を以て一を圍み円體ハ[割注]丸をいふ。 六を以て一を圍む定理中の定数誣べからず」云々。雪を六の花といふ事。 御説を以しるべし。愚按に円ハ天の正象方ハ地の実位也。天地の気中に活動する万物悉く方円の形を失うず。その一を以いふべし。人の體方にして方ならず。円くして円からず。是天地方円の間に生育ゆゑに、天地の象をはなれざる事、子の親に似るに相同じ。雪の六出する所以ハ物の員、長数ハ陰、半数ハ陽也。人の体、男ハ陽なるゆゑ九出し[割注]・頭・両耳・鼻・両手・両足・男根 女ハ十出す[割注]男根なく両乳あり 九ハ半の陽、十ハ長の陰也。しかれども陰陽和合して人を為ゆゑ、男に無用の両乳ありて女の陰にかたどり、女に不用の陰舌ありて男にかたどる。気中に活動萬物此理に漏る事なし。雪ハ活物にあらざれども變する所に活動の気あるゆゑに六出したる形の陰中、或ハ陽に象る円形を具したるもあり。水は極陰の物なれども、一滴おとす時ハかならず円形をなす。落るところに活く萌あるゆゑに陰にして陽の円をうしなはざる也。天地気中の機関定理定格ある事竒々妙々愚筆に尽しがたし。<名著刊行会影印一一C>

と描写され、「験微鏡〔むしめがね〕を以て雪状〔ゆきのかたち〕を審に視たる圖(此圖ハ雪花圖説〔せつくわづせつ〕の高撰中に在る所五十五品の内を謄寫す。是則江戸の雪也。万里をへだてたる紅毛〔おらんだ〕の雪もこれに同じき物ある事高撰中に詳也。以て天の无量なるを知るべし)」とあり、三十五図が見えている。

1999年1月8日(金)晴れ夜半吹雪く。北海道 

眼を開けし 雪の白さや 眩きぞ

「この冬一番の冷え込み」

 「この冬」「この年」(「この地」「この地方」「この国」)と言い換えられるのが「この○○一番の冷え込み」ということばである。夕方のニュース番組「マイステーション」で、女子アナウンサーが、「この年一番の冷え込みとなりました」と述べたあとに、男性アナウンサーが、「この冬一番の冷え込みとなりました」と読み上げているのが印象的であった。

 夕刊の新聞も「道内、今冬一の冷え込み」という一面の見出しが記され、七面の記事見出しには、「道内軒並み今冬一の寒さ」としるされ、記事内容において、「八日朝、全道で厳しい冷え込みとなり、上川支庁占冠村では零下二十七・七度(平年との差マイナス一〇・一度)を記録したほか、各地とも最低気温が零下一〇度以下となり、上川支庁の南部、南空知地方、札幌周辺などで軒並みこの冬一番の寒さとなった」と記している。

 ところで、日本を「この国」と言いなすようになったのはいつごろからであろうか?見坊豪紀さんの<´60年代>『ことなのくずかご』(1983年11月20日筑摩書房刊)を見ると、

大宅壮一氏によれば、知識人が日本を“この国”と呼び始めたのは「五十年ばかり前」だという。(「サンデー毎日」4月13日号127「サンデー時評」欄)次は、その早い用例。

同じ年の春、この国を襲った金融恐慌の諸影響は、ようやくするどい矛盾を農村にもたらしつつあったのである。(島木健作「癩」34〔昭和9〕年4月『日本短篇文学全集』30巻118筑摩書房69年6月25日刊)

というのが採られている。そして、司馬遼太郎さんの著『この国のかたち』が昨今の最も知られた「この国」の表現であった。

1999年1月7日(木)晴れ一時曇り。(東京から北海道へ) 

書は言を取りて、人を取らず

 穏やかに 陽がのびて影 居間の奥

「テレックス」の表字

 「電話番号(テレックス)」の表字単位記号として「пvの語が用いられて久しい。このごろ「ファックス」には、「FAX」が使われる。これと同じように、「テレックス」も「TEX」が一時用いられていた時期もあったが、いまは「TEL」で統一されているようだ。

 ニュースでは、またまた新種のメデイア携帯電話「伝言ダイヤル」による犯罪事件が報道されていた。また、「昏酔強盗〔コンスイゴウトウ〕」なる新語も使われている。

1999年1月6日(水)晴れ一時曇り。(東京:長沼公園・由木) 

庭に咲く 一輪まさに 赤い薔薇

「文字上下入換え」による意味の異なり

 「酪農家から牛乳を求める」という表現を「酪農家から乳牛を求める」と、「牛乳」を「乳牛」に上下文字の置換をしただけで、意味がまったくの別物に転じてしまうことば表現がこれである。「牛のミルク」が「ミルクを出す牛」そのものを買い求めたという、牧場経営者にでもなったかと思わせる表現に一変してしまうからだ。

 まだ、探せばこの手のことばに出会えるのであろう。漢語漢字表記におけるに文字上下入換えについては、田島優さんの「字順の相反する二字漢語」<『近代漢字表記語の研究』和泉書院刊>で紹介されている。ここでは、むしろ、意味の異なり語に限らず、同義異表記の語を主に紹介しているので参照されたい。

「造酒」と「酒造」。「夜前」と「前夜」。「転変」と「変転」など。

 たとえば、和語漢字表記の「置物(おきもの)」と「物置(ものおき)」では、これも大いに異なる。

1999年1月5日(火)晴れ。(東京:駒沢) 

 都会ビル 里山にどで びっくりする

「スカ」

 「スカ」という音の響きに何を皆さんは何を感じ取りますか。俗語「スカ」は、「かす【滓】」の転倒表現で、国語辞典には、

@あてがはずれること。見当ちがい。「すかを食う」

Aつまらないもの。かす。「すかみたいな講演」

といった二種類の意味合いを持って用いられることばということになっている。だが、私にとってこの「スカ」だが、「スカ」は、「あたり・はずれ」の「はずれ」の暗号文字コードであった気がする。駄菓子屋の数ある商品で、箱のミシン目を押して、なかのカードを入手するもの、何本にも縒られたタコ糸を引っ張ってお目当ての品を手繰り寄せるもの、そして、も一つが三角の籤引きの札を引いてその札を舌でぺロッと舐めると、「スカ」という文字が浮き出すといった代物である。それは、まさしく「はずれ」を意味していた。この反対に、「当り」はさも仰々しく、的に矢が命中した図柄が描かれ、「あたり」と書いてあるのである。確率からすれば、一束のうちの数葉にすぎないのだが、子供心に胸をワクワクさせてくれたことを思い出す。

 この「スカ」なる語は、大人になって駄菓子屋から遠のくと同時に、駄菓子屋自体が社会のニーズから大きくかけ離れてか激減してしまう。経済の高度成長ともなった昭和39年の東京オリンピックを頂点に、「スカ」の文字が巷から消えていった。そして、何時の頃からか、「スカ」は、「あたり・はずれ」といった一辺倒な物言いだけとなってしまったようだ。だが、脳裏に刻み込まれている「スカ」は、思いがけないところで顔を出してくれるものだ。ままならぬこの世の瑣末な出来事に、ついことばにするとき、「またか、スカを食ちまった」というのがそれである。こう呟くことで、人世めげずに生きるためにほんのチョッピリだが、気分の立て直しをはかるのである。

1999年1月4日(月)晴れ。北風冷たく感じる。(東京:南大沢) 

初春や 理容室にて 整髪す

「雨戸」

 北海道を一時離れ、東京暮しを始めて見た。このとき気がついたことは「雨戸」のことだ。北海道の家には「雨戸」がない。「雨戸」のない生活を続けて早二十年以上が経とうとしている。東京でも総ての窓に戸袋がついていて雨戸があるわけではないようだ。たとえば、マンションの窓辺は厚地のカーテンやブランイドが唯一の外界との遮蔽物であり、それ以外はない。また、洋風建築物の飾り風の窓辺も同じ体裁である。夜の帳が訪れるころ、窓から微かに洩れる灯火や街灯の明かりに、ほのぼのとした安堵感が漂う。昔は闇夜を恐れてか、真っ暗になる前に「雨戸」をして、外界と家の中を遮ることで家族の暮らす家内という空間を保つ上からも無くてはならないものであったような気がする。朝、目が覚めれば、がらがらっと「雨戸」を開け放つことで、縁側・置石・庭といった空間が再び広がるといった仕組みだ。名は「あまど」でも、強風などの遮蔽もできる。が、もっとも利用の高さからすれば、「雨」の滲入を防ぐことが最大の目的である。

 夕方、雨戸を戸袋より引き出す作業は、子供のころの、私の日課でもあった。東京の家には、「雨戸」が据え付けられていて、いつでも使えるがまだ使用していない。雨が降るようになると、この「雨戸」を閉めるのだろうかと思ったりもする。実際、国語辞典には、

あまど【雨戸】〔日本ふうの建物で、風雨を防ぐため〕ガラス戸の外側や縁側にたてる板戸。

と示されている。木造建ての家における「雨戸」の材質も、木からアルミサッシに変貌しつつあるのが昨今の住宅事情でもある。いずれ、都会住宅のライフスタイルから、この「雨戸」なる語は消えていくことになるのかもしれない。

 

1999年1月3日(日)晴れ。(東京:箱根芦ノ湖から大手町) 関東学生箱根駅伝大会

駒澤大学陸上競技部復路準優勝(総合優勝ならず)

 走りくる 選手を待つや 大手町

「若駒」

 新春三日、恒例の第75回 箱根関東学生選抜駅伝競技大会も幕をとじた。ゴールの読売新聞社前に最初に姿を現したのは、順天堂大学の宮崎選手であった。しばし、開いて、母校の駒澤大学が二位でゴール。初の総合優勝の期待もあってか、ゴールでの出迎えの声も沈静していた。

 選手・監督・コーチそして、応援した人たちにしてみれば、「くやしい」一年のスタートとなった。ところで、「優勝」の「優」の字は「やさしい」と書くんだねとフォークシンガー高石ともやが唄にしている。この「やさしさ」がちょっぴりだけ足りなかったのかも……。「優しい気持ち」になって勝った順天堂大学陸上部に、「おめでとう!」の拍手を贈ろう。そして歌詞は、「負ける口惜しさを噛みしめて人は強くなるんだね」と続く。若駒よ!この「口惜しさを」明日への貯金・財産にして、さらに一歩大きく走り出してほしい。

 とにもくかくにも、正月から同窓生をワクワクさせてくれたことを感謝したい。

1999年1月2日(土)晴れ。(東京:大手町から箱根芦ノ湖) 関東学生箱根駅伝大会

駒澤大学陸上部往路初優勝!

 矢の如く 駈け走る子等 運が立つ

「運」の語

 「運」は、「〔自分の力ではどうにもできない〕自然のめぐりあわせ。」や「特に、よいめぐりあわせ。」を意味し、音は「ウン」、ことばとして「運がよけりゃ、運がよけりゃ」という、熟語では「ウンメイ【運命】」「ウンサイ【運載】」「ウンソウ【運送】」「ウンジョウ【運上】」「ウンフ【運否】」という語句が、室町時代の古辞書である易林本『節用集』に収載されている。また、「ウンチ【運地】」の地は「人並みならぬ努力」を意味する。この「運地」だが辞書には未収載の語である。

 現代国語辞書には、「ウンエイ【運営】」「ウンガ【運河】」「ウンキ【運気】」「ウンキュウ【運休】」「ウンコウ【運航】」「ウンコウ【運行】」「ウンザ【運座】」「ウンザン【運算】」「ウンジョウ【運上】」「ウンシン【運針】」「ウンセイ【運勢】」「ウンソウ【運漕】」「ウンソウ【運送】」「ウンチン【運賃】」「ウンテン【運転】」「ウンドウ【運動】」「ウンパン【運搬】」「ウンプ【運否】」「ウンピツ【運筆】」「ウンメイ【運命】」「ウンユ【運輸】」「ウンヨウ【運用】」が収載されるのである。ここで気がつくことは、ただ一つ、現代語では見られない語として「ウンサイ【運載】」がある。これは時代を等しくする『日葡辞書』にも未収載の語である。

[ことばの実際]

0146,また遠国の材木を取れば、運載の船、更に煩ひも無く、おのづから順風を得たれば、誠に天龍八部も、これを随喜し、諸天善神も彼を納受し給ふかとぞ見えし。<太平記巻第一▽天龍寺建立の事>

1999年1月1日(金)晴れ。(東京:八王子)元旦。

明けましておめでとうございます。

今年は卯年、私は「年男」……。

ではでは、精一杯、跳びまわってみましょうか。

どうぞ、本年もインターネットで「ことばの溜め池」にお立ち寄りください。

陽は西に 月は真ん丸 東の空

「一本」

 正月早々、尾籠な話を書くことをお許しあれ。「一本」ということ、長寿の秘訣にして、健康のバロメーターであり、健康作りの食生活からしてなくてはならない見極め事なのである。それは、「毎朝のウンがずいと一本なら心配なし、ちぎれちぎれだったらすぐ用心」なのである。この朝の「一本」が常不断の生活の心掛けでありたいからだ。

ところで、国語辞書では、上記の「いっぽん【一本】」の意味はなく、学研『国語大辞典』によれば、

@一冊の本。ある本。一書。「一本にいわく」

A〔木・棒・ひもなどの〕細長いものの数え方で、一つ。用例(太宰治・堀辰雄)

B剣道・柔道などで(型どおりの)わざが一回きまること。転じて、一回勝つこと。用例(開高健)

C一人前の芸者。用例(田山花袋)《対語》半玉(ハンギョク)

D酒の入ったとっくりの数え方で、一つ。「一本つける」

E〔電話・手紙などの〕一通。一信。用例(森鴎外・壺井栄)

F〔他のものを混ぜないで〕それだけであること。〔多く、他の語につけて副助詞的に使う〕「的を一本にしぼる」「そのやり方一本で行く」「映画一本で進む」

G〔俗語〕かけごとや祝儀などで、「一万円」の称。「名義料は一本といわれる」

となっているから、この「一本」は、私にしてみれば貴重な「一本」となるのである。

 

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