[3月1日〜日々更新]

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

1999年3月31日(水)雨のち晴れ。東京(八王子市内)

寒き雨 春とは名のみ 桜花

接遇や 税の申告 済ませくる

「エイシン【盈進】」

漢籍『孟子』離下に、「原泉混混不舎昼夜科而後放乎四海(原泉混混トシテ昼夜ヲ舎カズ科ニ盈チテ後進ミ四海ニ放ガル)」とある。これは、水の流れが穴にいっぱいになってから先へ進むように、学問も一足とびに高い所に至ろうとせず、順を追って進めるべきであるということのたとえとして、この「盈進(エイシン)」なる語が用いられる。

さて、「盈」の漢字だが、分解すると「乃+又+皿」の3字からなる。この二番目の「又」の部分を筆写する運筆によって、カタカナの「テ」、「キ」の逆棒のごとく記されていて、どれだけ正体字を保っていたのかが疑わしい。これを許容の範囲とするかである。この点について、信州大学の山田健三さんと『名義抄』の文字表記としてメールで問いかけ合ったのがきっかけでもある。

現在、活字表記の漢和辞書では、「又」であってはっきり位置付けられてしまうが、活字文化の一歩手前の書写文字としてこれを運筆する文字組成意識を少しく思いたい。

1999年3月30日(火)曇り。東京(八王子→世田谷)

どんよりと 空は灰色 花間近

「変貌熟語の読みかた」

@「順風満帆」A「病膏肓に入る」B「独擅場」C「掉尾」D「出生」E「直截」F「貼付」G「刺客」H「情緒」I「相殺」J「消耗品」といったことばの読み方を日本語として確認してみる。

@「じゅんぷうまんぱん」A「やまいコウコウにいる」B「ドクセンジョウ」C「チョウビ」D「シュツショウ」E「チョクセツ」F「チョウフ」G「セッカク」H「ジョウショ」I「ソウサイ」J「ショウコウヒン」と読むのが正しい読み方である。現在ここに挙げた熟語の読み方は、慣用化が進み、国語辞書のなかでもこの項目を一歩後退する傾向にある。次ぎにその慣用化した読み方を記すと、

  1. を「ジュンプウマンポ」A「やまいコウモウにいる」B「ドクダンジョウ」C「トウビ」D「シュツセイ」E「チョウクサイ」F「テンプ」G「シカク」H「ジョウチョ」I「ソウサツ」J「ショウモウヒン」という具合にである。

“慣用読み”とは、聞こえがいいのだが、実際は“誤読”に変わりがないのである。誤読が一般化したのがこの“慣用読み”なのである。

誤読の要因として、類似表記漢字による誤読としてA「肓(コウ)」⇒「盲(モウ)」。B「擅(セン)」⇒「壇(ダン)」。C「掉(チョウ)」⇒「掉(トウ・チョウ)」E「截(セツ)」⇒「載・戴(サイ)」などがある。@は、「帆(ハン)」の音を訓読みして「ほ」とした混種語(重箱読み)読みで連濁して「マンぽ」。Dは、「生」の呉音「ショウ」を漢音で「セイ」と読む。Fは、「貼(チョウ)」の音符「占」の形成文字「店・点(テン)」に曳かれて「テン」。Gは、「刺」の漢音「セキ」を「シ」。といった具合である。

1999年3月29日(月)晴れ。東京(八王子→世田谷)

寒さあり 研究棟下に 夜桜ぞ

「たあい【他愛】」

 「たわい」という語、ローマ字表記すると、「Tawai」で子音「w」が抜けると「Taai(タアイ)」で二重母音となってしまう。これを発音するうちに「Tai(タイ)」と母音を脱落させて言ったりする。この語を漢字に宛てたのが「他愛」で、普通、「他愛なし」さらには、係助詞「も」を添えて「他愛も無い」と表現したりする。明治時代の二葉亭四迷『浮雲』一・二に、

又何処ともなく他愛(タアイ)のない所も有て、浪に漂ふ浮艸の、うかうかとして月日を重ねたが

とある。国語辞書である大槻文彦編『大言海』においては、「利分(とわき)無し」からということで、「たわい」なる語は、思慮分別を意味する。この思慮分別に欠けた議論をいくら繰り返してみても、ものの考え方に確乎たるところがないままであるからにして、とりとめもない「たわいもない(とりとめもない)話し」になってしまうのである。人は時にあって、そう冷たい風が吹いている夜桜花の樹の下で酒に酔いしれ、思慮分別を失い、正体を見失ってしまい、「たわいもなく(正体なく)眠りこける」。そうした「たいもない(とんでもない、大変な、ひどい)」ことをしてしまったり、「たいもない(とんでもない)ヤツ」になるのである。

1999年3月28日(日)曇り風冷たし。東京(学芸大学で24時間実験ラン終了)

花の下 周走快走 雨愉し

「ついでに【序】」

 「大阪に行ったついでに京都によって伏見の桜を見てきた」という具合に、あることをするその機会を利用して、別のことをするときに「ついでに」ということばを用いる。中部の名古屋・尾張・三河・静岡では、「向こうへ着いたら、ついでに雨が降ってきてしもうてね、……」と「すぐに、たちまち」の意味に用いる。この「ついでに」の語源は、「継ぎ手」の語がイ音便化し、「継い手」すなわち、「継ぎは何」の意味から「継ぎに起る」といった状況をとらえたことばである。「に」は、動作の状況を表わす格助詞だが、この「に」を下接しないで、「ついで」とも表現した。「ことのついで」「もののついで」。さらには、「ついでがてら」「ついでしな」という具合に表現して用いているのである。

1999年3月27日(土)曇りのち雨。東京(学芸大学で24時間実験ラン参加)

花の下 周走快走 雨愉し

語尾「らかす」

 逆引き辞書で、動詞の末尾語「らかす」を繙くと、「くさら・かす」「けちら・かす」「だまくら・かす」「たぶら・かす」「ちら・かす」「とら・かす」「とりちら・かす」「とんがら・かす」「はぐら・かす」「はたら・かす」「ひけら・かす」「ひっちら・かす」「ほったら・かす」「まぎら・かす」「みせびら・かす」といった語が収載されている。

 この「らかす」語尾による他動詞表現は、平安時代の文学作品に数多く見られるのである。その王朝文学で代表的な紫式部『源氏物語』に、「おくら・かす」「ししこら・かす」。道綱の母『蜻蛉日記』に、「おくら・かす」。などが見え、さらに平安時代末の仏教説話集『今昔物語集』に、「暖まら・かす」。鎌倉時代の吉田兼好『徒然草』87段に、「はしら・かす」。軍記物語『平家物語』に、「たぶら・かす」と現代語へと直結していく。この「らかす」語尾の意識だが、自分の意図とは無関係にある動作が進行し、その結果がこういう状態をもたらしのだというところか?副詞「うっかり」や「なにげなしに」を用いずに表現できるところにこの動詞の特徴があるともいえよう。

 例えば、捨て置くの意味でいう「うちゃら・かす」でいえば、「酔っぱらてどうもうっかり財布をどこかにうちゃってしまった。」というところを、「財布をうちゃらかしてまった」と表現すればよいのである。考えたり思ってもいなっかったが、ちょっとした自身の不注意によって「ああ……バカなことをしてしもうた」といった反省の気持ちをこの「らかす」語尾が含んでいるとも言えるのではなかろうか?

1999年3月26日(金)曇りのち雨。大阪(甲子園)駒大岩見沢高校応援初戦突破!

花冷えに 勝亭のヘレ また旨し

「カツオ【鰹】」

 魚の「カツオ」これを通常「鰹」と一字で表記する。古文献には、「堅魚」と二文字で表記されているが、中国や韓国でも「鰹」の字を「おほむなぎ」と訓読していることからも、本邦のいう「カツオ」と認識していたかは疑問である。確かに乾燥させて脯にしたときは、正に堅い魚である。この「かたきうを」すなわち「かたうを〔Katauwo〕」が二重母音脱落の法則に従がって「かつを〔Katuwo〕」と読み成すようになったとも言えよう。これを漢表記した場合、「堅魚」であり、さらに、合字して「鰹」と表記するという流れになろうか。本邦の古きものでは、『延喜式』に見える。また「松葉魚」のことと認定していたりする。また、

1999年3月25日(木)曇り。東京(八王子→世田谷)

卒業式 節目の春に 耀いて

「きつい」と「きもい」そして「きぶい」

 「きつい」の反対語はといえば、@「ゆるい【緩】」で、「緩い帶」「緩い栓」A「らくちん【樂−】幼児語」B「おだやか【穏】」で、「穏やかな顔」「穏やかな性格」などという「緩く、楽な、穏やか」であり、この逆が精神的にも肉体的にも締め付けの厳しい、締った状態を形容する「きつい」という形容語が近代語として用いられ今日に及んでいる。@の物理的にゆとりのない同義語「窮屈(キュウクツ)」の意味で、「このお兄ちゃん洋服、ちょっと僕にはきつい感じがする」というのは、中部地方(名古屋)のことばか、東京語ではここを「窮屈な」とか「小さい」というのが通常表現であるようだ。乗り物の座席に対しても「きつい」というか、それとも「窮屈だ」というかである。江戸時代の雑俳などには、狭くて窮屈だという意味で「きもい」という表現があった。この「きもい」が名古屋弁(高年齢層)に伝存していて「この靴、きもいですか?」ということばを耳にした。また知多半島には、この語の変形表現「つもい」が用いられている。「きつくぎゅっと詰まっている状態」にこの表現はふさわしい。この「きつさ」と「つまり状態」すなわち「つもいさ」が混合して「きもい」なる語が誕生したというところか?

 また、類語表現に「きぶい」というのがある。「Aさんは、金のことになるとどうもきぶいでいかんわ。」などと表現する。意味は「吝嗇(けち)・渋い」と締った状態すなわち、経済的金銭感覚に及ぶのである。これも「きつい」と「しぶい」とが混合した「きぶい」と言う表現へと遡っていく。鎌倉時代の語源辞書『名語記』六に「きびしき事をきぶしといへる、きぶ如何。答、きふときひとは同詞也。急の字の音歟。又きびしは密の字のよみ也。そのきびしをきぶしといへるにや」と見えている。室町時代の抄物に、厳格・苛酷の意味から食べ物の味覚である渋さを表現する語として散見する。古辞書『節用集』に、「酷(キブシ) 黒本本165A」「緊(キブシ) 饅頭屋本139C」と見える。

1999年3月24日(水)霽。東京(八王子)

音景色 鳥の囀り 聞きなして

「はしたない【仂】」

車夫風情と争ふのは如何にも仂(はした)ない仂ないには違無いが、尋常(たゞ)の花ではない、佛に供へる花を這麼(こんな)にして置きながら、一言の謝罪(わび)を爲(せ)ぬのみか、間抜と言つた!<73P>

彼人単身なら屹度言つて遣る、然したら仂(はした)ない女だと思つて吃驚するだろう。<129A>

 上記の文例は、明治時代の尾崎紅葉『多情多恨』に見える「はしたない【仂】」の語を用いたものである。また、同じく二葉亭四迷『浮雲』にも、

お勢は一旦は文三を仂(はした)なく辱(はずかし)めはしたものゝ、心にはさほどにも思はんか、其後(そののち)はたゞ冷淡なばかりで、さして辛くも當らん、<第十九回近代大系203Q>

と見えていて、この「」の漢字を「はしたない」と読ませている。意味は「手厳しく」となる。この紅葉・亭四迷という同時代の両作家が何を拠り所としてこの表記を用いているのかを求めて見よう。

 「」(大漢和辞典350)だが、古字書に音は「(T)ロク[呉・漢]。(U)リョク・リキ」で、訓として、「ツトム。アマル。カズノアマリ」の三訓が見えるにすぎない。現在「労働」の「働(ドウ)」の省画体字として「労仂」というように用いられ、その意から「はたらく」と訓読したりしている。

 この明治文学における「」を「はしたない」と訓む字例は、現在の漢和大辞典にも収載を見ない。また、『広辞苑』第五版にしても、古典作品での用例にとどまり、近代作品の字用例は未収載に等しい。このことからも、江戸時代そして明治時代にかけての「はしたない」または、連関語「はした錢」の漢字表記状況を通辞探索してみることも大事であろう。その手掛りとして『日本国語大辞典』によれば、読本『椿説弓張月』には、「半(はした)なく」が用いられ、また、南北朝時代の『太平記』には、「端(はしたなく)」の表記が用いられたりしている。そして近代用例では、同じく二葉亭四迷『浮雲』の別文における「端手(はした)なく」が収載されている。が現状では、「」の表記例は明治の作家に集中していることだけが解っているに過ぎない。意味的には、「数の余り」すなわち、「はした」というふうに類推できる。

1999年3月23日(火)霽。東京(八王子→本校研究室)

清冽に こぶしの花 山に咲く

「いわいのり」と「ボウ」

 尾崎紅葉の『多情多恨』病気見舞に、

「イワイノリ(祝儀)は?」

「ボウ(一圓)でいゝでせう」

一部の文人の間で行われている隠語で、<文庫37頁>

という隠語表現が紹介されている。「いわいのり」は、「祝儀(シュウギ)」なる漢語を和語読みにして表現したいわば、同音異表記による聞き取り摩擦を避けるときに見られる方法である。これに対し、「ボウ」は、算用数字の「1」を「棒(ボウ)」と表現し、これが当時の金額で「一円」だったのである。さしずめ現代であれば、この「ボウ」は「一万円」ということか?。

1999年3月22日(月)霽風冷たし。東京(八王子)

通ひ道 覚えよ歩き 昼下がり

「地鶏」の読み「ちどり」か「じどり」か

 朝のテレビ番組(読売テレビ)で「名古屋コーチン・地鶏ブーム」を取り上げていた。アナウンサーの佐藤啓太さんが「地鶏」を「ちどり」と発音している。「ちどり」という音は、耳で聞きなすとき「千鳥足」などというところの「千鳥」が先立つのが通常である。そして、しばらく聞いていると、別の人は「地鶏」を「じどり」と云っている。国語辞典では、「地鶏」を「じどり」とだけ明確に表記している。漢語の語頭の音読みを清むか濁るかについては、国語力の点からも学ぶべきことが大いにあろうというものである。

  清む語:地球。地図。地上。地番。地表。地物(チブツ)。地平。地変。地方。地味。地目。地文……。

  濁る語:地声。地獄。地場。地盤。地米。地豆。地道。地面。地元。地物(じもの)……。

では、清濁両音を有する「地」の字だが、常用漢字そしてとりわけ学習漢字(二年)として、これまでどのように説明学習されてきているのだろうか?「チ」が漢音で「ジ(ヂ)」が呉音といっても、きっと理解し得ない境地ではなかろうか。この点で、学研『漢和大辞典』は、参考として、

と表示しているが如何……。日本語教育現場の声を聞きたいものである。

1999年3月21日(日)雨模様。東京(国立オリンピック記念青少年総合センター)ランニング学会

終電の 世話になりて 朝寝坊

春雨に パラソルぬって 〆にラン

「前後際断」

 禪語に「前後際断」なる熟語がある。意味は、「すんだこと将来のことをくよくよ考えずに現在を精一杯生きる。一日一日悔いが残らないよう全力を尽くす」ということをこの四字熟語は表現する。

道元禅師『正法眼蔵』現成公安に、

たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。<55,一3オF,0104下左F>

と用いられている。

1999年3月20日(土)雨模様。東京(国立オリンピック記念青少年総合センター)ランニング学会

寒き道 ゆっくり下り 駅向かふ

「ジョキンク」から「ジョギング」へ

 ランニング学会新会長に群馬大学教授山西哲郎さんが就任した。山西先生とは、“自然流走法”という点で私と共感するランニング人生の先輩である。また、ジョガーでも知られた国語学者見坊豪紀先生が山西さんの著書『走れ』を読んで「ジョキンク」というカタカナ表記について朝日新聞の研究コラムのなかでお触れになったことがある。そのことを、学会の寸暇をもって山西先生にお尋ねしてみた。昭和52年度当時、「Jogging」なる英語をカタカナ表記したものはまだなかったし、もちろん、辞典類にも収載されていなかったこともあってもっとも苦慮したという。その後、「ジョッギング」「ジョギング」という表記が定着し、今日では国語辞書にも「ジョギング」という項目で収載されている。

 ちなみに、コンサイスカタカナ語辞典(三省堂編集所【編】)には、

ジョギング[Jogging]ゆっくり走ること.陸上競技などではジョッグといい、古くからウォーミングアップとして行われていたが,近年健康法として一般でも広く行われるようになった。<昭>

と記述され、現代語として、「ジョガー」「ジョギング‐コース★英語ではJogging track.」「ジョギング‐シューズ」「ジョギング‐パンツ」「ジョグ」といった連関語が誕生している。

1999年3月19日(金)曇り後雨模様。東京(八王子)

一日かけ どれだけ片付く 空間場

「時代(繁)」による呼称変遷

 同じくサトウサンペイさんの『フジ三太郎』四コマ漫画の、昭和59年2月9日(木)付、朝日新聞朝刊(19)に、「若手社員」と「中高年社員」のことばのギャップを埋める役通訳の話しが展開されている。

1コマ「このブルゾンかっこいいでしょ」通訳「ジャンパーです」中高年社員「ワカッタ」。

2コマ「イカ帽ゴーグルは新調です」通「正ちゃん帽雪メガネよ」中高社員「リョウカイ」。

3コマ「ピステ買ったんです」通「アノラックでしょ」通「ヤッケかな?」中高年社員「ダイタイワカッタ」。

4コマ「べんりなビンディングでーす」通「つまりセーフティーですよ」通の通「つまりスキーしめ具でしょ」通の通の通「昔はカンダハといいました」最高齢者「リョウカイ」

とスキー用品の呼称名が目まぐるしく変遷していることが紹介されているのである。

1999年3月18日(木)晴れ北東の風。東京(八王子)情報配線工事プランニング

春眠に 鳥の囀り 目覚しき

「ワープロ・かな入力キーボード」の覚え方

 昭和59年2月7日(火)付、朝日新聞朝刊(19)の四コマ漫画に、サトウサンペイさんの『フジ三太郎』に、「キーボードの覚え方」を扱っている。その内容を次に示すと、

オンナの下にマク。左にエカキ。ウスうすアイシテ タト サソヒコミ。モーネルと聞いてみてもヤヨとニラマレケム。ホほとワラわレケリ。

というまさに、苦心に苦心を重ねて入力する三太郎の顔には赤らめと緊張の汗が噴出している。一昔前は、こういうキーボード入力早覚えが世の中年社員を励まし助力していたのである。

1999年3月17日(水)曇り後晴れ。東京(八王子)開梱作業

弾きピアノ 静やかに響く 四季の春

外来語「エポック・メーキング」他

 「エポックメーキング」なることばを例に、現在日本語のなかでどの程度定着しているかを見てみよう。「エポックメーキング」とは、英語で「epoch-making」で、「(事件などについて)画期的なさま,新時代を開くようなさま,注目すべきものであるさま」で、明治時代のハイカラな思考性に従がって用いられてきていることばでもある。この「エポックメーキング」なることばが今日の言語生活における受容性としてどれだけ一般に浸透しているかどうかであるが、やはり、「画期的な」という漢語のほうが一般的には用いられているようだ。たとえば、

冬季長野オリンピックのあとに開催されることになった、長野オリンピックマラソンは、「オリンピック」を大会名称に加味したエポック・メーキングな大会で、トップアスリートと一般市民ランナー総勢5000名が参加出場する。

というより、「画期的な」と記した傍らにこの語が用いられているほうが一般的で解りやすいようである。因みに、漢字の傍らに外来語を添えた表記の例を専門用語も含まれるが、実際の新聞から抜粋したものを挙げておくので、参考資料とされたい。

技芸(アート)。項目(アイテム)。霊気(アウラ)。農業(アグリカルチャー)。環境影響評価(アセスメント)。時代錯誤(アナグロニズム)。類似(アナロジー)。快適な町づくり(アメニティ・タウン)。男女両性具有者(アンドロギュネス)。既製服(アパレル)。遠地点(アポジ)。独立(インディペンデンス)。情報(インフォメーション)。投入(インプット)。空気浄化(エアークリーナー)。環境浄化(エコロライザー)。顕現(エピファニー)。音声(オーディオ)。指針(ガイドライン)。ふたつき保存用容器(キャニスター)。職能組合(ギルド)。王様(キング)。罅割れ(クラック)。亀裂(クレバス)。全世界的(グローバル)。多重像(ゴースト)。宇宙論(コスモロジー)。広告・民用(コマーシャル)。通信(コミュケーション)。あるがまま(ザイン)。聖域(サンクチュアリ)。製氷機(ザンボニー)。海上交通(シーレーン)。集団検診(スクリーニング)。人工雪噴射装置(スノーガン)。感知器(センサー)。結合・連絡し合う場所(シナプス)。走査鏡(スキャンミラー)。設計(スペック)。氷塔(セラック)。平衡感覚(センス・オブ・プロポーション)。感知器・検知器(センサー)。在るべき姿(ゾルレン【獨語】)体当たり(チャージング)。円盤(ディスク)。売買(ディーリング)。技術集積都市・高度技術集積地域(テクノポリス)。技術(テクノロジー)(テクネー)。数値化(デジタル)。緊張緩和(デタント)。法螺吹き(デマゴーグ)。縁取り(トリミング)。睡眠発作症(ナルコレプシー)。中性微子(ニュートリノ)。生物工学(バイオテクノロジー)。小包(パケット)。目標(パッシング・ターゲット)。暗号(パスワード)。模範例・範例(パラダイム)。森林地帯(ハンガイ)。映像(ビデオ)。模写電送装置(ファクシミリ)。基礎的条件(ファンダメンタルズ)。相場主導役(プライスリーダー)。標準金利(プライムレート)。K魔術(ブラック・マジック)。地域独占権(フランチャイズ)。下着(ブリーフ)。原則(プリンシプル)。記録(プリント)。存在(プレゼンス)。発表提示(プレゼンテーション)。先頭走者・第一候補(フロント・ランナー)研究開発型(ベンチャー)。やま場(ポイント)。陽画(ポジ)。飲み物のかき混ぜ棒(マドラー)。機会の腕(マニピュレータ)。集油装置(マニホールドセンター)。停泊施設(マリーナ)。軍用(ミリタリー)。電子関連機械(メカトロニクス)。自動車の大衆化(モータリゼーション)。洋上油送装置(ライザーベース)。辛味入汁掛飯(ライスカレー)。過激(ラジカル)。歩くスキー(ラングラウ)。債務繰り延べ(リスケジュール)。磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)。仕上げ(リファイン)。再融資(リファイナンス)。生活空間(ルーム)。一時帰休・一時解雇(レイオフ)。重ね着(レイヤード)。定位置(レギュラーポジション)。反応性(レスポンス)。受容器(レセプター)。診療報酬明細書(レセプト)。存在意義(レゾン・デートル)。倉庫(ロフト)。狩猟管理学(ワイルドライフ・マネージメント)。影絵芝居(ワヤン)。

1999年3月16日(火)雨上がりの午後から晴れ。東京(八王子)引越し荷物搬送

白さ増し 数に任せて 梅花散る

「情報」ということば

 現在の“事務管理論”では「情報」ということばがよく使われているが、従来の事務管理文書では、「事務」を“読み書き、そろばん”という作業として考え、次に“帳票の処理”から“事務文書の保管及び流れ”として取り扱って来た。この「事務」を「情報収集・情報伝達・情報処理」と考えるようになった。

 生活情報番組(インフォマーシャル)が茶の間を淘汰したのも、家庭にテレビが普及すると同時であった。それはつい一昔前のことであったわけだ。

1999年3月15日(月)雨。東京(八王子)息子の免許書換えに八王子署へ

梅の香や 庭に小鳥ぞ 戯むるる

「飾ることばはすぐ前に」

 「飾ることば」すなわち、「修飾語」。「飾られることば」すなわち、「被修飾語」とからなる文章については、

    1. 連体修飾語:「赤い鉛筆」「去年の今日」「ある人」
    2. 連用修飾語:「非常に苦しい」「ひらひらと落ちる」

という二つがある。この「修飾語」と「被修飾語」が離れすぎると解り難い文ができてしまう。例えば、

○警察署は、20日に銀行に払い込まれた金が現金化された事実をつかみました。

は、「20日に」という「修飾語」が、「払い込まれた」を修飾するのか、「現金化された」を修飾するのか、「つかみました」を修飾するのか明確でない文意になっている。この書き手が「つかみました」を修飾するという立場にあるのであれば、飾ることばのすぐ前に、

○警察署は、銀行に払い込まれた金が現金化された事実を20日につかみました。

と「被修飾語」のすぐ前に置くことでその意味が明確化することができる。

1999年3月14日(日)薄晴れ。北海道から東京(八王子)へ

梅の香に しばしうっとり 立ち待ちす

「おから【雪花菜】」

 本日の朝日新聞天声人語の欄に「おから」を「産業廃棄物」として、最高裁判所が断を下した。という記事が目にとまった。「おから」は、「豆腐を作ったあとの豆のしぼりかすで、副食物や家畜の飼料にする。別名を「うのはな」。「きらず」。「豆腐がら」ともいう。

1999年3月13日(土)曇り風強し。北海道(北広島竹山高原温泉泊)

ガラクタも 何もかもやと 運び出す

「花前線(はなぜんせん)」

「冬来たりなば春遠からじ」の心境ではないが、春ほど待ち遠しい季節はない。その春を迎えるに、花がもっとも身近で、「春はまだかいな」と戸外を見渡すときに、春の象徴となるのが百花繚乱に咲き誇る種種の花々である。

“さくら”は、平均気温が10度になると咲き出すという。“すみれ”は、“さくら”より十五日ほど早く咲き、春の終わりを締めくくる“ふじ”の花は逆に“さくら”より二十日ほど遅れて咲くという。

 花の種類別に咲き出す時期の気温を測定しておくと、日本列島各地の気温を見ただけで、今何処で何の花が咲き始めているかが知れる。同じ花の咲いているところを点にして地図の上に線でつないでいくと、花の帯が浮かび上がってくる。気象用語の“前線”に似ているところから“花前線”と名づけられた。春の花“すみれ前線”“菜の花前線”“さくら前線”“ふじ前線”と北上が続くが、北海道は五月まで花の便りはお預けであるが、咲き始めに明確な区切りをつけられぬくらい花々がいっせいに競い合うようようにして咲き出す。我が家の花で云えば“水仙花”が目だって早いか。この庭の草花と木々の花とも一五年のお付き合いであった。今日でお別れである。岩見沢はピンク色の“さくら”より、白い“こぶし”の花がきれいであるが、今年はもう見ることができない。

1999年3月12日(金)吹雪く。北海道

雪の嵩 九メートルを 更新す

「すいれん」の「スイ」の表記

 夏の花「すいれん」の「スイ」は、「水」でなくて「睡」ですねと尋ねられたなら、「睡」が正しい。花屋さんの表記字に「水蓮」と表示していることが時たまある。黄昏とともに、「睡蓮」は自然に花を閉じ、朝陽とともに再び目覚める。そこから命名されたのだから、「睡蓮」と書くのが正しいのである。この花の別名を「羊草(ひつじぐさ)」といい、未の刻(午後二時)に、花を閉じて睡るからこの名が付いたというのである。

1999年3月11日(木)曇り一時吹雪く。北海道定山渓温泉

雪積もり 閉校式に 白き道

「ん」の表示

 辞書の最後の項目は、「ん」だと思っている人も多いことだろう。実際、「んず」「んとす」「んぼ」「んぼう」「んん」「んんん」と“ん行”の見だし項目のことばが飾る。今の国語辞書の排列が五十音順となってからの、この“ん行”の歩みはめざましいものがあるといえよう。

それまでは、“いろは引き”だったのが、近代になって「あかさたなはまやらわん」の五十音別が取って代わった。“いろは引き”の元となる“いろはうた”だが、

いろはにほへと

ちりぬるをわか

よたれそつねな

らむうゐのおく

やまけふこえて

あさきゆめみし

ゑひもせす

とあって、この歌の最後も古くは、「ん」の文字はついていない。「ん」のつくのは明治以後といったところで、その前は「京」と表記したようだ。「京」を付加した初出例としては、南北朝の歌人、頓阿法師『高野日記』に見えている。江戸時代の未足斎六林子『つの文字』(安永三・1774年刊)を世に広めている。この未足斎、いろは四十七文字に上記の「京」と「ん」を加えた牌を持ち歩いて、これを広げて即席の詩歌・連俳・小唄などを作って見せていたというからすぐに「京」から「ん」になったのでないこともここからも知れよう。

 上記の“いろはうた”は、世に多く利用されているが、も二つ「あめつちのうた」「ひふみのうた」とがある。これも同じく「ん」表示は、読込まれていない。

あめつちひらけ かみなりまして とこよやすくに たえきるおもの われはむへぬる ゑそうせほろふ ゆさをいね

ひふみよいむなやこともちろらねしきみゆゐつわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ<人含道善命報名親児倫元因心題錬忍君豊位臣私盗勿男田畠耘女蠶績織家饒栄理宜照法守進悪攻絶欲我刪>

[補遺]角川書店から「んまんま」なる題の新刊書籍の吊るし広告が目にとまった。

1999年3月10日(水)曇り。北海道 

荷を揃へ 今日も片付け 明け暮れる

「歌舞伎の言回し」

 歌舞伎における言い回し表現には、実に特異なものがる。たとえば、曽我の対面十郎が己の名前を名告る時「曽我の十郎祐成と申しまする」を「そがのじゅうろうすけないともうしまする」と「すけなり」を「すけない」と発音する。聞く人の耳に心地よさを与え、柔和な色気めいたものをつくりだす。また、五郎の台詞にも「逢ふは優曇華(うどんげ)の、花待ちえたる今日の対面」の「うどんげ」を「うどんね」と発音する。菅原の「道明寺」菅丞相のせりふに、「暫時の睡眠前後を知らず」の「睡眠」を「スイメン」と発音する。「墨絵の雲龍」は「すみえのうんりょう」と発音する。伝統を表現するということは、こうした台詞のことばひとつひとつに及んでいるのである。

 時代劇などで耳にする「主従(しゅじゅう)」も歌舞伎の世界では、「しゅうじゅうは三世じゃぞよ」というし、「お主様(おしゅうさま)」「お主(しゅう)の大事」「お主(しゅう)の難儀を救わんと……」などと表現されるのである。

1999年3月9日(火)朝小雪しだいに晴間がのぞく。北海道 

荷を納め 辞書も終い 移る前

「辞書に未収載のことば」

 今日は数字の「3」と「9」で、「サンキュウ」すなわち、「ありがとう」デーだそうだ。この“ことばの溜め池”を記してきて、読んでいただいている方からのご返事があると意欲も俄然増すというもの、これこそ私にとって「有難きこと」、すなわち、皆様方に感謝の意を表す。「ありがとうございます!」、今後もほそぼそと書き続けるので是非読んでいただきたい。これまで、多くの書物を読みながら、気づいたことばについて国語辞書(古辞書)を繙きして掲載してきているが、辞書に未収載のことばについて、わたしの指針を降り返っておきたい。

 “辞書未収載のことば”には二種類あって、辞書編集者(レクシコグラファー)が知らなかったために未採択のことばと知っていて未採択にしたことばとがある。知っていて未採択とする場合、いわばことばの採択に対する編集決断が実行されている。このときの主な要因は二つあるのだろう。一つは編纂者が辞書にそぐわないことばとした性格の不一致から。二つに紙面の都合からということになるか。前者の知らなかったことばは、そのことばが社会にあることを理会したうえで、次に各辞書におけることば未収載を確認する。その過程を踏まえて、新しい見出し語項目が増補されるという手順が図られて行くのである。

 そこで、実際過去の未収載と指摘されていることばのその後の行方を確めておこう。かって、昭和57年の「週刊読書人」3月29日号に井上史雄さん(現在、東京外国大学教授)が三省堂『国語辞典』の書評を掲載していて、「ばかやす」「ばかやすい」「表着」「半ピラ」「頒価」「健聴者」「真券」の一般語が取り沙汰されている。これを三省堂新明解『国語辞典』第五版を以って再度確認すると、

 この「ばか安」「ばか安い」「おもてぎ【表着】」「半ピラ」「健聴者」「真券」は、未収載にして、「【―(ばか)値」】〔口頭〕むやみに高(安)い値段。」を採録するに留まり、辞書にそぐわないことば表現として収載を見送られたことが知れるのである。次に「頒価」は、「はんか【頒価】頒布する際の価格。頒布価格」と収載されたことを知る。ことば採集カードに収められていても、辞書に採録されないことばは数知れず存在する。時に、なぜどんな点から採録を見合わせられたのかを考えて見るのもこれからの“辞書学”の歩む方向かと思えてくる。

1999年3月8日(月)霽。北海道 

野辺送り 小鳥囀り 春近き

「一首十体」の歌

 日本最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』には、歌の妙味を知らしめる歌がある。巻第九、読み人知らずとし、

409 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ

という歌がそれである。この和歌だが、「この歌、或人の曰く、柿本人麿がなり」とあって歌聖人麿の作と注記されたりもしている。歌聖人麿伝説が組まれる所以がこの歌には潜んでいる。平安時代の藤原公任の『和歌九品』で、「上品上生」に置かれたこともあってか、その伝説めいた話題の歌を醸し出している。

 この歌の句構造が一首で十体からなることを、江戸時代の岡西惟中『消閑雑記』で触れている。実際、この歌をA「ほのぼのと」、B「明石の浦」、C「朝霧に」、D「島隠れゆく」、E「船をしぞ思ふ」といった五句にして排列順を替えてみても、どうであろう……?なんと置換しても意味が通じる歌となっていることに気づくのである。

[ABCDE]ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 舟をしぞ思ふ 島隠れゆく

[ADCBE]ほのぼのと 島隠れゆく 朝霧に 明石の浦の 舟をしぞ思ふ

[ADCEB]ほのぼのと 島隠れゆく 朝霧に 舟をしぞ思ふ 明石の浦の

[AECBD]ほのぼのと 舟をしぞ思ふ 朝霧に 明石の浦の 島隠れゆく

[CBADE]朝霧に 明石の浦の ほのぼのと 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ

[CBAED]朝霧に 明石の浦の ほのぼのと 船をしぞ思ふ 島隠れゆく

[CDABE]朝霧に 島隠れゆく ほのぼのと 明石の浦の 船をしぞ思ふ

[CEABD]朝霧に 舟をしぞ思ふ ほのぼのと 明石の浦の 島隠れゆく

[CEADB]朝霧に 船をしぞ思ふ ほのぼのと 島隠れゆく 明石の浦の

さらに、この歌が中世の昭和定本『日蓮遺文』の真蹟本『聖密房御書』第一巻(真言密教の批判)<822〜824頁>と仮託書『法華大綱抄』第三巻(女人往生の強調)とにそれぞれ引用されていている。

例せば先に人丸(ひとまろ)がほのぼのとあかしのうらのあさぎりにしまかくれゆくふねをしぞをもふとよめるを、紀のしくばう(淑望)源のしたがうなんどが判シテ云ク、此歌はうたの父うたの母等云云。今の人我レうたよめりと申シて、ほのぼのと乃至船をしぞをもう、と一字をもたがへずよみて、我が才は人丸にをとらずと申スをば、人これを用フべしや。

譬ヘハ柿本人丸カ、ほのぼのとあかしのうらのあさぎりに島がくれ行ク舟をしぞおもふと、此歌を以て一期ノ間ノ肝心ト定メらるるを、今時ノ歌人トシテ此歌より勝れたる歌ありと申サんはうたてかるべし。<2052頁>

1999年3月7日(日)晴れのち薄曇り。北海道 

琵琶湖毎日マラソン<雨天のレース駒澤大学 藤田頑張る!>

瀬古利彦さんの持つ“学生マラソン記録”を更新。おめでとう!

疑問じゃ これがいいのか 悪いのか

「読み違え」のことば

 読み違えは、江戸時代ものでは「一しようはかりのあつきとなりてはふをけやふり出てにける」という源頼光の四天王を活写した『前太平記』のひとくだりが知られる。これを、「一升ばかりの小豆となりて頬を蹴破り出でにける」と誤読したもの。実は、これ「一丈ばかりの悪鬼となりて破風を蹴破り出でにける」と読むところである。渡辺綱が鬼の片腕を切り落とし、この切り落とされた腕を取り戻しに老婆に変身して綱の館に取返しに来る段である。はたして聴衆は、この誤読に気づいたであろうか?清濁のない書き物を読むことは、この「悪鬼」と「小豆」にとどまらない。「あつきめし」は、清音で読めば「熱き飯を所望」だが、濁音で読めば「小豆飯を所望」となる。「あつき」は、さらには、「(服装の)厚着」「(地名の)厚木」とも読めてしまうのである。

も少し古いものでは、和歌の読みにもこのことがあてはまる。鎌倉時代の天台宗の僧侶慈円が詠んだ歌に、

庭の雪 わが跡つけて 出でつるを とはれにけりと 人や見るらむ

この二句めの「跡つけて」を濁音化すると、「跡つけで」、さらに四句めも「訪はれにけり」を濁音読みすると「跳ばれにけり」となって、歌意が俄然面白みを帯びてくる。

庭の雪 わが跡つけで 出でつるを とばれにけりと 人や見るらむ

(庭の雪に私が跡をつけないで出ていったのを身軽にジャンプしたなと他人は思うことであろう。)

と狂歌めいてくるのだから妙なものである。俳諧にも、

のとかなる かすみそのへの にほひかな<長閑なる霞ぞ野辺の匂ひかな>

を、読替えると

喉が鳴る 粕味噌の屁の 匂ひかな

といった悪臭の立ちこめる状況に変貌してしまうのである。

これもその一つ。其角の句に、

闇の夜は 吉原ばかり 月夜哉

というのがって、初句で区切るのと二句で切るのとでは「吉原の句意」と「月夜の句意」と異なって、区切りを間違うと句意が変貌するのである。この“読み違え”のことばは、落語のタネにもなっていくからまた楽しい。

三遊亭金馬の『雪てん』は、俳句の季題の読み違えを巧妙に取入れている。最後に認めておく。

舟底を がじがじかじる 春の鮫(春の雨)

蝦蟇口を 忘れて何も 買わずかな(蛙)

狩人に 追いかけられて 猿すべり(百日紅)

くちなしや 鼻から下は すぐに顎(梔子)

1999年3月6日(土)雪のち晴れる。北海道 

雪降りき 陽に耀きて 彩かなり

「花心(はなごころ)」

「花心」を国語辞書『大辞林』で見るに、

はな-ごころ 【花心】

(1)花の持つ心。花を咲かせようとする心。「三千年(ミチトセ)に咲く―の,折り知る春のかざしとかや/謡曲・西王母」

(2)はなやかな心。浮き浮きした心。「ひらく連中(イチザ)の―,若やぐ春の一趣向/人情本・恵の花」

(3)風流心。「庭風俗に知れる亭主の―/青簾」

(4)〔花の散りやすいところから〕移りやすい心。「―におはする宮なれば/源氏(宿木)

と、「はなごころ」という同一語のなかで意味が「褒語」と「貶語」と大いに異なることが知れよう。『大辞林』は、現代語意味感覚を先出し、古語意味感覚を後出する。現代人の「はなごころ」は、(1)の用例「謡曲」、(2)の用例「人情本」、(3)の用例「俳諧」までか、(4)の移り気な心・浮気心の意味と解釈するのは、平安王朝時代からいつごろまで続くのかここからはまったく見えてこない。現代人の意識感覚でこの(4)の用例『源氏物語』<宿木の巻き>のこの語を解釈したら、「風流(心)にいらっしゃる宮なので」などと誤やまった解釈してしまうこともなきにしもあらずであろう。「浮気な心」という逆もあろうか。古語の意味学習にあって、この「花心」は、もっとも注意すべき語でもある。

 さて、ではいつ頃までこの「移り気な心・あだ心」の意味を持って、解釈されていたのかという点と「風流心」をいつ頃持ちはじめるのかを明らかにせねばなるまい。これを示唆する資料として、室町時代の『日葡辞書』に、

Fanagocoro.(はなごころ,花心)花のような心.すなわち,温和で愛想がよく,しかも性のよい心.詩歌語.」<邦訳202l>

と、ここでは「褒語<詩歌語>」となっている。続いて江戸元禄時代の辞書においては、青木鷺水編『世俗字盡』全一冊に、「花心(ハナコヽロ)」<4ウC>と収載され、その頭注に「花心有始无終云――。源氏寄木花心ニオハスル君ノー。俗ビトハナ心ト云フ」とある。『書字考節用集』にも、「花心(ハナゴヽロ)[源氏]」<九23D,言辞>といずれも『源氏物語』の、

花心におはする宮なれば、あはれとは思すとも、今めかしき方にかならず御心移ろひなむかし。

といった「貶語(浮気心・あだ心)」の意味を、典拠として引用記載が見えるのである。他に、

散りぬべき花心ぞとかつ見つつ頼みそめけむ我やなになる(元良親王集-94)

『源氏物語』研究のなかで知られている。

ここで、褒語「風流心」と貶語「浮気心」とが同時代に意味併用されること。それは、詩歌語と世俗語という二種の「花心」として使用され、室町時代に表出する可能性がでてくるのだが、当代の古辞書『下學集』『節用集』『運歩色葉集』に未収載ということも考慮しながら、そのことばの使用状況を具体的に多くの作品資料から詳細に探って行かねばなるまい。

「物数をきわめて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし」とあるは、この口伝なり。されば、花とて、別にはなきものなり。物数を尽くして、工夫を得て、珍しき感を心得るが、花なり。「花は心、種は態(わざ)」という表現句がある。これは能樂師・世阿弥が『風姿花伝』のなかに記したことばである。この「花の心」すなわち、『日葡辞書』に記載される「花心」の源流かと推察するのだが如何…。

1999年3月5日(金)曇り。北海道 

前前と 雪除きの声 響きくる

「のがらかす」

接尾辞「かす」による派生和語動詞を思い浮かぶだけ列挙してみよう。

いかす【活】。いからかす【怒】。いごかす【動】。うかす【浮】。うごめかす【蠢】。うりこかす【売倒】。うるかす。おっぽらかす。くるべかす【回転】。けっぱらかす【蹴散】。こかす【倒】。しでかす【仕出】。すかす【透】。でかす【出来】。とかす【溶・解】。とらかす【蕩】。とろかす【蕩】。とどろかす【轟】。なびかす【靡】。にがす【逃】。ぬかす【抜】。ねこかす【寝転】。のぞかす【覗】。ばかす【化】。はららかす【散】。はるかす【開】。ひきこかす【引倒】。ひこつかす。ひびかす【響】。ふかす【蒸】。ふみとどろかす【踏轟】。ぼかす【暈】。みはるかす【見霽】。みくるべかす【見廻】。わななかす【戦慄】。わらかす【笑】。

いそがす【急】。いららがす【苛】。さわがす【騒】。へがす【剥】。ゆらがす【揺】。ゆるがす【揺】。

と、ざっと約41語が示される。

こうした接尾辞「かす」のグループに属する「のがら-かす【脱】」という俗語表現が古語に見え、

悲(かな)しび、嘆(なげ)きて広(ひろ)く方便を求(もと)めて、その苦(く)を脱(のか)らかさむとす。<仮名書き『往生要集』24E>

「さて此の人のためになホ誦経などせさせ給へ。その誦経の文には、なほ思ひの罪のがらかし給へト、右大弁季房の朝臣に仰言たまひて願文書きてせさせ給へ」と聞えて立ち給ヒぬ。<『宇津保物語』蔵開・上大系二・325H>

見るも憂きは鵜縄に逃ぐる魚類(いろくづ)をのからかさでもしたむ持ち網<『山家集』下雑>

などと用いられている。意味は、「逃(に)がす・免れ」となる。

1999年3月4日(木)曇り一時晴れ間がのぞく。北海道 

整理品 余りの量や 西に暮れ

「四本足の蝶」

 日本に生息する蝶は、八科二六〇種。このうち、四科約一〇〇種に四本足の蝶が存在する。よく知られている蝶では、「タテハチョウ」「ジャノメチョウ」「テングチョウ」「マダラチョウ」が知られ、六本足の蝶が何故四本足なのか昆虫研究家にとっては、実に興味をそそる事象である。目下のところでは、前の一対が退化したものというのが定説のようだ。いつごろ何故の退化なのかは知れない。

 国蝶で有名な「オオムラサキ」も「タテハチョウ」に属し、蝶愛好家は、その異名を「ヨツアシチョウ」と呼んできている。基本的には昆虫は三対すなわち六本足を有する動物であるが、自然界の営みはこれを変貌させて人の目を驚かしつづけている。

 そこで、専門の昆虫事典からひいては、国語辞典にどう表現されているかが焦点になる。まず、「ちょう【蝶】」の項目を記述しない事典・辞書はない。次に、国蝶の「オオムラサキ」は、「タテハチョウ」はと繙いて見ると、記載事情に異なりが見えてくる。とりわけ、肢に注目すると、岩波『広辞苑』第四・五版に、

おおむらさき【大紫】(1)〔動〕タテハチョウ科のチョウ。大形で、雄の翅には美しい紫色部があり、開張九センチメートル。一九五七年日本の国蝶に指定された。北海道から九州まで分布し、樹上高く旋回して飛ぶ。幼虫はエノキの葉を食する。大紫蝶。

たてはちょう【立羽蝶】・・テフ タテハチョウ科のチョウの総称。中形で、敏速に飛び、止まると翅(はね)を立てる。色彩の美しいものが多く、種類は多い。アカタテハ・ヒオドシチョウ・ヒョウモンチョウなど。一部に、前肢が退化、二対に見える種がある。

と見えるのがそれである。この肢の記述については、第三版では未収載であったことも知っておきたい。

1999年3月3日(水)吹雪き。北海道 <上巳の節句・雛祭り

雪重み 締り極むや 掌の華

「ジョウダン」の漢字表記

 平野啓一郎『日蝕』には、数多の漢字表記に特徴がみられる。昨日取り上げたなかで、身近なことばの一つでもある漢語名詞「ジョウダン」についてみるに、

すると、一緒に屍体を運んで来た別の男が、その露になった顔に向かって、こう声を掛けた。「そんなに嬉しいかね、復(また)戻って来れて?」―この些細な、取るに足らぬ饒談(じょうだん)が、後に村では随分と人の口に上ったと云うことである。<23N>

斯の如き詞は、成程悪い饒談かも知れぬが、仍(なお)其処には、慥かに単なる悪巫山戯(ふざけ)より以上の深い失意と、それに抗(あらが)わむとする真摯な逞しさとが籠っているからである。<24B>

酩酊は決して彼を去ることなく、村には、「あれだけ葡萄酒をたらふく飲んでいれば、きっとユスタスの血は基督様の血と変る所がないだろう。」などと云う不謹慎な饒談さえ氾(ひろ)まっている。<97B>

と、いずれも「饒談」と表記されている。この「ジョウダン」の語源を「雑談(ザウダン)」から発生したという説を民俗学の柳田国男さんが唱えているが明かとはいえない。「雑談をはなす」「雑談をはく」といった慣用表現を未だ見ない。表記形態も、「串戯」「串談」「悪戯」「戯談」「戯言」「戯謔」「戯語」「調戯」「常談」「笑談」と自由闊達にさまざまな表記が文藝作品中で用いられてきているが、この「饒談」の表記は含まれていない。「饒舌のはなし」の「饒談」がここに登場したのである。出所を求めてみるのもまた愉しい。現代の国語辞書には、「冗談」が明示表記されているにすぎない。

 ドラマ口語中にも、妹「じょうだん、じょうだんよ」というと、兄「なに、じょうだんだと。メシでも食って寝ちまえ!」と、頑な人を和ませようと思いのからかいが、まともに受止められるシーンなどに表出する。

1999年3月2日(火)吹雪き午後晴れ間のぞく。北海道(栗沢)

桃の花 掛け軸にして 茶啜る

芥川賞受賞「平野啓一郎『日蝕』の漢字表記」

 第一二〇回芥川賞・直木賞の贈呈式の記事が昨晩の朝日新聞夕刊2版に報じられていた。選考委員の河野多恵子さんの概評コメントは、「『日蝕』には私が初めて出合う漢字も入っていたが、そのために理解が届かないことはなかった。今年は日本の小説ができてほぼ百年、芥川賞も百二十回目、そして世紀末と、いろんな節目が集中した年です。今後の平野さんの仕事しだいでは『日蝕』がその象徴だといわれるでしょう」と授賞を意味づけている。

 受賞作『日蝕』の作者平野啓一郎さんは、1975年生まれ、現在京都大学法学部在学中の学生である。彼の作品『日蝕』を私自身、読んで見た。象徴語の少ない雅文調の文体がまず目を引く。現代の国語漢字社会で忘れ去られていた文字熟語が程よく鏤められ、燦然と耀きを華っている。

 とりわけ、目を引いたのは、視覚色彩語形容詞「しろく」の文字異表記による文章構成であった。

皆、丈の長い素(しろ)い衣服を身に纏っている。<38F>

蝋燭は、澄んだq(しろ)い色をしている。<63M>

膚は皙(しろ)く澄んでいて、病の痕は微塵も見えない。<77C>

水面は煌めき、?は濃く色着き、そのt(しろ)い鬣(たてがみ)は、燃え移った火の如く靡(たなび)いている。<142C>

 次に生物音感覚表現についてみるに、象徴語はいっさい用いられずに描写されている。

時折聞こえる妖しい禽獣の鳴(こえ)の底で、蝉声が常と殊なる不思議な重々しさを以て響いている。……<51J>

蝉が啼き、禽が鳴いていた。その音の響くほどに辺りの静けさが感ぜられる。<109L>

頭上では、穹蓋を掻くような禽の音(こえ)が、跡切れ々々に鳴り響いている。<125H>

冷害の故に,この時期にしても暑さは一向に気にならない。心成しか、蝉の声が遠くに聞こえる。<151K>

雨上がりの大地が、煌然と日華を映じて目眩(まばゆ)い。―禽(とり)が鳴いている。 ふと彼方を見遣れば、蒼穹(そら)には燦爛と虹が赫いていた。<189A>

 曖昧数表現については「二三」26J.78A.114M.183@.が際立って多く用いられている。

 畳語形容詞のルビ付き漢字表記には、「わざわざしく【態】<11C>が目に付く。あと漢字の使用についてメモをとってみた。以下に記しておく。

1、和語名詞の漢字表記

そら【蒼穹】20G.59D.78M.151IL.159J.163M.172G.189C.【宙】22G.115N.167L.【旻】59J.108E.164J.165@FIK.188I.【穹】127FK.128G.

いかずち【雷霆】120L.うらみ【憾】25A.105A.おとがい【腮】41N.かげ【黒翳】116G.さわだち【騒立】162I.しぐさ【為草】11H.162EL.しごと【為事】12M.しこり【痼】12G.しらが【雪髪】38@.163H.しわざ【為業】157L.しわぶき【咳】159M.たずき【方便】22A.たなそこ【掌】174G.はおと【翅音】142M.はなし【話頭】79F.83K.ひたい【?】20G.52A.154H.161M.165B.ひととなり【為人】43F.ひとみ【睛】154JKN.【眸】173J.ふぐり【陰嚢】118K.122M.167N.むし【豸】81B.153F.むし【〓(虫+幵)】115J.めしい【眼廢】91L.めまい【眩暈】21G.やどぬし【舎主】44M.

2、漢語名詞の漢字表記

イクフン【郁氛】160D.エンエン【煙?】164K.エンポウ【遠芳】112G.カイトク【晦匿】121E.カンソウ【盥漱】45J.キキョウ【奇矯】162L.165C.キユ【覬覦】92B.キョウコウ【驚鴻】167H.キュウロウ【丘壟】127M.ケイコウ【謦香】155K.ケイリョウ【頸領】165A.ケンサイ【臉際】65H。120@.コンイク【焜c】186G.シカン【嘴管】40D.シャキ【斜暉】142B.ショウケツ【猩獗】19I.ジョウダン【饒談】23N.24B.97B.チユウチ【虫豸】109M.テイフツ【鼎沸】164G.トウラン【濤瀾】164D.ニツソク【日昃】39N.106E.ビジュン【鼻準】120@.ヒョウド【?怒】164N.フウボウ【風?】52F.フンメツ【焚滅】188F.ヘキガン【壁龕】24K.ヘンプク【辺幅】15K.ホウショウ【峰峭】13E.ホウラン【峰巒】111E.ホケイ【圃畦】96@.ヨウゲツ【妖?】164A.ヨウフン【妖氛】21G.リュウセツ【隆準】52A.リンリン【鱗淪】25I.

3、四字熟語の漢字表記

イタンウンドウ【異端運動】188N.イタンジンモン【異端尋問】84FJM.130L.138L.177I.イタンホウチク【異端放逐】157C.イッキョイチドウ【一挙一動】27@.オウフクウンドウ【往復運動】72E.キョウギカイシャク【教義解釈】84F.ケンニンフバツ【堅忍不抜】93C.コウジンラクエキ【行人絡繹】19G.ゴンゴドウダン【言語道断】158F.シツゲンキョショク【疾言遽色】133F.シュウショウロウバイ【周章狼狽】88E.シンジンカンパツ【信心煥発】26I.ハンコンマンメン【瘢痕満面】70F.ボウゼンジシツ【茫然自失】172H.

4、和語動詞のルビ付き漢字表記

あきたる【歉】7B。13G.おさまる【乂】145M.おどろく【駭】142L.かちえる【贏】68H.したたる【溜】115@.したたる【瀝】123A.そそがれる【〓(水+前)】51L.そそのかす【唆】129G.たしかめる【慥】6M。8C。39BG。111L.128D.167G.184M.とどく【達】161M.もたらす【齎】6L.143F。174B.よろこぶ【懌】140J.

5、漢語サ変動詞の漢字表記

ガイワン【駭?】153E.ギョウセン【仰瞻】165E.コリツ【股栗】60A.73A.115D.シソウ【指嗾】149K.ソウメツ【勦滅】59H.ドウビャク【洞闢】115M.ホウサツ【炮殺】156L.ヨウイツ【洋溢】124H.

6、和語形容動詞のルビ付き漢字表記

あからさま【偸閑】153E.しみじみ【沁々】17F.

7、漢語形容動詞のルビ付き漢字表記

ガイハク【該博】18D。

イツイツ【謐々】28M.64C.カクヨウ【赫曄】172G.ゲキ【闃】116E.シュウゼン【驟然】20I。128E.165A.タイタイ【〓(火+享)々】63G.

ウツウ【鬱紆】113A.コクコク【〓(火+高)々】166H.トウトウ【?々】128F.

8、接続詞のルビ付き漢字表記

しかのみならず【加之】8J.34L.91K.107A.156@。

9、副詞の漢字表記

ただ【啻】8@.13G.72I.123B。132B.141B.

[関連内容]北海道大学池田証壽さんによる「平野啓一郎『日蝕』の漢字」<1999.02.18>がある。

1999年3月1日(月)霽。北海道(大我卒業式)

弾む春 氣は変はりつつ 寒と暖

「ひと【人】」と「もの【者】」

 説話文学には、類話譚が多く登場する。話の題材内容が共通する点をもって表現者の文字感覚や文章意識を比較検討することが多くの研究者の手によって実施されて来てもいる。この研究成果を日本言語のコミニューケション文化のなかで訊ねてみるのもよかろう。そのキーワードとして、和語「」と「」を考えてみたい。

 ところで、和語名詞「ひと【人】」だが、岩波『古語辞典』に、

 ≪生物としての人間。社会的に一人前の人格として認められる人間。また、特に自分が深い関心や愛着を抱いている人物。また、社会的に無視できない人物をいう。→もの(者)≫

  1. 物や動物に対する、人間。
  2. ≪完成された一個の人格として世間で認められる人間≫@一人前の人間。おとな。A立派な人。すぐれた人物。B物の数に入る身分・家柄の生れ。C人柄。人品。
  3. ≪深い関心。愛情の対象としての人間≫@意中の人物。夫。恋人。A相手の人間。B家来。女房。召使。C≪代名詞的に用いて≫あなた。
  4. ≪社会的に自分と対立する人間≫@広い世間の人人。A敵。他人。B他人の目。C人気(ひとげ)。人里。

と多義にわたっている。そしてこれに対峙する和語名詞「もの【者】」だが、

 (前略)人間をモノと表現するのは、対象となる人間をヒト(人)以下の物体として蔑視した場合から始まっている」として、

(6)に、「≪社会で一人前の人格的存在であるモノ(物)として蔑視あるいは卑下した場合に多く使う表現≫人間。

と示されるものである。「」の「」の意味に対応するなかでとりわけ(3)の尊貴・親愛にもっとも顕著に表れている。「」と「」の出発点がここにあるようだ。これを実際、先学に習って私も『宇治拾遺物語』『今昔物語集』によって比較検討して見ることにしたい。引用する話譚は、「則光盗人をきる事」と「陸奥前司橘則光切殺人語」である。

一三二 則光盗人をきる事[巻一一・八]

 今は昔、駿河前司橘季通が父に、陸奥前司則光といふありけり。兵家にはあらねども、に所置かれ、力などいみじう強かりける。世のおぼえなどありけり。わかくて衞府の蔵人にぞ有けるとき、殿居所より女のもとへ行とて、太刀ばかりをはきて、小舎人童をたゞ一人具して、大宮をくだりに行きければ、大がきの内に人の立てるけしきのしければ、おそろしと思て過けるほどに、八九日の夜ふけて、月は西山にちかくなりたれば、西の大がきの内は影にて、のたてらんも見えぬに、大がきの方より聲ばかりして、「あのすぐる、まかりとまれ。公達のおはしますぞ。え過ぎじ」といひければ、さればこそと思ひて、すゝどく歩みて過るを、「おれは、さてはまかりなんや」とて、走かゝりて、の來けれ[今昔:走リ懸テ來ル有リ。]ば、うつぶきて見るに、弓のかげは見えず。

太刀のきらきらとして見えければ、木にはあらざりけりと思ひて、かい伏して逃るを、追ひつけてくれば、頭うち破られぬとおぼゆれば、にはかにかたはらざまに、ふとよりたれば、追ふの、走はやまりて[今昔:追フ走リ早マリテ]、え止まりあへず、さきに出たれば、すごしたてて、太刀をぬきて打ければ、頭を中よりうち破たりければ、うつぶしに走りまろびぬ。ようしんと思ふ程に、「あれは、いかにしつるぞ」といひて、又、の走りかゝり來れば[今昔:走リ懸テ來ル有リ。]、太刀をも、えさしあへず、わきにはさみて逃ぐるを、「けやけきやつかな[今昔:ケヤケキカナ]」といひて、はしりかゝりて來る[今昔:走リ懸テ來ルノ。]はじめのよりは[今昔:初メノヨリハ]、走のとくおぼ〔え〕ければ、これは、よもありつるやうには、はかられじと思ひて、俄に居たりければ、はしりはやまりたる[今昔:走リ早マリタル]にて、我にけつまづきて、うつぶしに倒れたりけるをちがひて、たちかゝりて、おこしたてず、頭を又打破てけり。いまはかくと思ふ程に、三人ありければ、今ひとりが、「さては、えやらじ。けやけくしていくやつ哉」とて、執念く走りかゝりて來ければ、「此たびは、われはあやまたれなんず。神佛たすけ給へ」と念じて、太刀を桙のやうにとりなして、走りはやまりたる[今昔:走リ早マリタル]に、俄に、ふと立むかひければ、はるはるとあはせて、走りあたりにけり。やつも切りけれども、あまりに近く走りあたりてければ、衣だにきれざりけり。桙のやうに持たりける太刀なりければ、うけられて、中より通りたりけるを、太刀の束を返しければ、のけざまにたうれたりけるを切りてければ、太刀をもちたる腕を、肩より、うち落してけり。さて走りのきて、やあるときゝけれども[今昔:亦ヤヤ有ルト聞ケレドモ]、の音もせざりければ[今昔:音モ无カリケレバ]、走りまひて、中御門の門より入て、柱にかいそひてたちて、小舎人童はいかゞしつよろこびて走り來にけり。殿居所にやりて、着がへ取りよせて着かへて、もと着たりけるうへのきぬ、指貫には血のつきたりければ、童して深くかくさせて、童の口よくかためて、太刀に血のつきたる洗ひなどしたゝめて、殿居所にさりげなく入りて、ふしにけり。夜もすがら、我したるなど、聞えやあらずらんと、胸うちさわぎて思ふほどに、夜明てのち、物どもいひさわぐ。「大宮大炊の御門邊に、大なる男三人、いくほどもへだてず、きりふせたる、あさましく使ひたる太刀かな。かたみにきり合て死たるかと見れば、おなじ太刀のつかひざま也。敵のしたりけるにや。されど盗人とおぼしきさまぞしたる」などいひのゝしるを、殿上ども、「いざ、ゆきて見てこん」とて、さそひてゆけば、「ゆかじはや」と思へども、いかざらんも又心得れぬさまなれば、しぶしぶに去ぬ。車にのりこぼれて、やりよせて見れば、いまだ、ともかくもしなさで置きたりけるに、年四十餘斗なるの、かつらひげなるが、無文のはかまに、紺の洗ひざらしの襖着、山吹の絹の衫よくさらされたる着たるが、猪のさやつかの尻鞘したる太刀はきて、猿の皮のたびに、沓きりはきなして、脇をかき、指をさして、と向きかう向き、いふ[今昔:此向彼向テヲ云フ。]男たてり。なに男にかとみるほどに、雑色のよりきて、「あの男の、盗人かたきにあひて、つかうまつりたると申」といひければ、うれしくもいふなる男かなと思ふ程に、車のまへに乗たる殿上人の、「かの男召しよせよ。子細問はん」といへば、雑色走よりて、召してもて來〔た〕り。みれば、たかずらひげにて、おとがひ反り、鼻さがりたり。赤ひげなる男の、血目にみなし、かた膝つきて、太刀のつかに手をかけてゐたり。「いかなりつることぞ」と問へば、「此夜中ばかりに、ものへまかるとて、こゝまかり過つるほどに、物の三人[今昔:ノ三人]「おれは、まさに過ぎなんや」とて、はしりつゞきて、まうできつるを、盗人なめりと思給へて、あへくらべふせて候なり。今朝見れば、なにがしをみなしと思給ふべきやつばらにてさぶらひければ、かたきにて仕りたりけるなめりと思給れば、しや頭どもを、まつて、かくさぶらふなり」と、たちぬ居ぬ、指をさしなど、かたり居れば、人々、「さてさて」といひて[今昔:君達アラアラト云テ]、問ひきけば、いとゞ狂ふやうにして、かたりをる。その時にぞ、にゆづりえて[今昔:譲得テ喜シト思テ]、面ももたげられて見ける。けしきやしるからんと、しれず思たりけれじ[今昔:不知ズ思ヒ居タリケルニ]、我と名告るものの出できたりければ[今昔:我ト名乗ルノ出來ニタレバ]、それにゆづりてやみにしと、老いてのちに、子どもにぞ語りける。[今昔:此ノ則光ハ□□ト云フノ子也。只今有ル駿河前司季通ト云フノ父也。(略)]。

 見辛いが『宇治拾遺物語』の全話文に『今昔物語集』の該当文を張り合わせてみた。

ここで気がつくことは、「の走りかゝり來れば[今昔:走リ懸テ來ル有リ。]」「走かゝりて、の來けれ[今昔:走リ懸テ來ル有リ。]ば」「物の三人[今昔:ノ三人]」の三箇所は、宇治拾遺は、はっきりと「物」の字表記で示されているが、今昔は「者」の字表記がなされ、敵意ある不審人物を表わしている。

 共通して「物」の字表記にある「と向きかう向き、いふ[今昔:此向彼向テヲ云フ。]男たてり。」は、助詞「ヲ」を添える添えないの差異であって、単に動詞「云ふ」だけでは落着かない場合に添える接頭語的表現である。和語動詞の不安定さを支える表現なのである。現代でも「喋る」は単独動詞として表現するが「言う」は、単独で表現することはない。

人々、「さてさて」といひて[今昔:君達アラアラト云テ]」の複数を表わす畳語「人々」は、場の人物を「君達」と明確化している。「モノども」でないことに留意されたい。

にゆづりえて[今昔:譲得テ喜シト思テ]」は、今昔は「人ニ」はを記載しない。この前文に「此ノノ此ク名乗レバ」と記述することで処理したものと考える。

ここに示した「」と「」は、現代社会における「若人(わこうど)」と「若者(わかもの)」「人殺し」と「亡き者にする」、漢語表現の「老人(ロウジン)」と「高齢者(コウレイシャ)」、「病人(ビョウニン)」と「患者(カンジャ)」にも何らかの影を落としているのではないだろうか。如何……。

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