[2月1日〜日々更新]

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

1998年2月28日(土)晴れ。東京へ

春近し 雪解けの水に キャラララ

「イケてる」

 「イケてる」ということば表現が、巷に溢れている。今日も新聞(朝日道内13版)に目をやれば、“イケてるたい焼きくん「あん」はお好み焼き”<西武札幌店地下売り場が昨年から売り出した「新商品」、新しさを求めて果てしなく差別化を図る現代の味がする>とある。

 この「イケてる」は、1996年頃から使われ始めたようだ。古くからある「相当なものである、うまい」といった意味の「いける【行】」ということばとニュアンスがどう違うのだろうか?類語「イカす」「イカしている」とはどうなのだろうか?と……。

 「イケてる」の否定形が「イケてない」を使う。意味は、人の所為や行動がカッコよく決まっていない状態のこと。この反対が「イケてる」で、人の所為や行動がカッコよく決まっている状態のこととなる。

 用い方は、「イケてる京都人」「イケてるおじさま俳優」「イケてる大学生」といった人物・職業などの体言句に接続して用いている。また、「イケてるお店」「イケてるブランド」「イケてる占い」といった人物でない事物・事象にも用いるようになってきている。今日の新聞の記事もこの用い方になる。

 全国フジテレビ系TV番組「めちゃ2イケてるッ!」が少年から若者世代を惹きつけているようだ。

 さらに、「イケてる」をみなさんどう考えているのかをホームページで見たい方はこちら

1998年2月27日(金)曇り。

茶黒に 色づき雪は 遠のけり

「〜詰め」

 この「〜詰め」という表現だが、江戸時代の武士が藩主の参勤交代によって、国もとから江戸に出向き「江戸詰め」と称して江戸暮らしをすることを言った。時に国もとに戻る藩主を見送り、藩主不在となる江戸邸を守ることを「詰越〔つめごえ〕」と呼んだ。「詰め」という語感には、行動の停滞・保守の状況化に入ることを余儀なくするものがある。

 学校では「すし詰め学級」などといったことばが使われ、一教室の生徒数が問題になっていたりした。多い時には五〇人を超える教育の時代(昭和40年代)もあったが、これも緩和されてきて四〇人学級が主流にあるのではないか。一〇人減れば「すし詰め学級」「すし詰め授業」でなくなるものでもないが、狭い空間に多くのものを収める知恵は、日本という風土の特徴でもある。「詰める」は相互に相手を思いやる心のゆとりがないとうまくいかない。このきついが温りのある「詰める」ことをやめたとたん、「心のゆとり」が消え、個々の人格が肥大化したようだ。「少数精鋭」の教育方針は、個性派人間を生み出してきている。が、この個性派人間をどう導くのかといった教育の羅針盤は、社会・家庭、そして学校という三つにあって、必ずしも明確な方向性を見出していないのが教育現況ではなかろうか。なかには、「我慢」を知らない「勝手」な人が闊歩している。「すし詰め」には、都会の電車で「ぎゅうぎゅう詰め」になるのに似て、やりきれないものがある。このやりきれなさを人はじっと「お互いさま」と受け止めて辛抱してきた。「詰め」をやめたことで、それぞれがありとあらゆる独自の方向性をもって動きだしていくのが未来なのであろうか。もう後戻りはできないのか。「○○改革」ということば表現は、僅かのエネルギーをもって手先だけ替えるものではなく、根本から替えていくものだからなのである。

 「すし詰め」ということばは、壷井栄『二十四の瞳』(新潮文庫)に、

 バスはすし詰めの満員で、おりてくるのは若い男ばかりだった。

と見える。

補注:「参勤交代〔サンキンコウタイ〕」

 元和元年(一六一五)の「武家諸法度」により、参勤交代が義務づけられた。この制度は、外様大名に一年在府(江戸暮らし)、一年在国(国許暮らし)を原則としたものである。関東圏の譜代大名は半年毎に在府、在国を繰り返すのを決まりとした。これに従う藩士は、組ごとに交代で国もとと江戸の間を主君の供をして往復することとなった。武士集団の大移動のはじまりである。

1998年2月26日(木)晴れ。

眩しきは 黄金の太陽 窓辺射す

「未亡人」

 この漢語、夫を亡くした当事者である妻が自嘲して用いることが、今の世の中本統にあるのだろうか。また、第三者はつれあいである夫の生死を問わず、「○○夫人」と用いるのが常なる言い方ではあるまいか。

 夫の喪に服しているあいだ、「未亡人」という表現をよく耳にする。それも第三者が「あの方も未亡人となって……」というふうに使用していることが多くなっているのではないかと、新井将敬代議士(五〇)が自殺し、葬礼の後、真理子夫人(四五)が補選出馬表明の会見をしたニュース・コメントのなかで用いていたのを聞いてふと思った。新聞(朝日25日付夕刊)では「新井代議士の妻、補選出馬へ」と「妻」を用いている。

 そこで、新明解『国語辞典』を繙くと、

 みぼうじん【未亡人】〔もと、主人に死に後れたことを「くたばりぞこない」と自嘲した語〕夫に死に別れた婦人。ウイドー。〔古くは、「びぼうじん」〕

とあって、自嘲語であるはずなのが、どうも第三者がつかいだしているのが昨今のこのことばの用い方のようだ。古くは、「後家さん」と言っていたのが、「ゴケ」という響きからくるイメージの低下からか、この「未亡人」という表現に摩り替わっているのかもしれない。また、洋語「ウイドー〔widow〕」はあまり耳にしないようだ。

 新明解の最後に、古くは、「びぼうじん」とあるが、この「古くは」というが、いつまでを表現したものか少し曖昧な表現かと思ってしまう。私の読んだ書物のなかで、森鴎外『青年』(大正二年刊、精選名著復刻全集 近代文学館)に、

 奥さんが未亡人〔びばうじん〕だといふことを、此時純一は知つた。[八七E]他に[八九C]

とあって、ここに「びばうじん」とふりがなが付いている例があることを留めておくことにする。

1998年2月25日(水)晴れ。

とめどなき すごさ感じる 昼と夜

「ら」ことば

 接尾語「ら」は、人に関する体言について、複数を表す。また、話し手・書き手と対等以下の人に対するときに用い、親愛>蔑視・見下しの意を有する表現である。自身をも含めてであれば謙遜の気持ちを含み、それと同類の人を漠然と指して表現する。

 「われを見よ」と叫びしものら去りゆきてつぶやきうめく声をきくのみ  土岐善麿<『遠隣集』(昭和二十六年)所収>

 この和歌に見える「ものら」の「ら」は、親愛表現にあたる。

 さらに、第三人称の「かれら」も、

 空海、道風、佐理、行成―私は彼等のいる所に、何時も人知れず行っていました。[芥川龍之介『神神の微笑』九十四E]

というように親愛表現なのである。

 この「ら」がとりわけ、「○○○○ら」といった敬称名のない固有名詞のあとの接尾辞「ら」となると、かなり代表格たる人物を見下した意味合いが強い要素を持った表現となってくる。であれば、接尾辞「たち」や「など」の表現を用いた方がよさそうだとしてことばの置き換えも考えるのだが、固有名詞+接尾辞「ら」に近い「たち」でもむつかしい表現だといえよう。

また、「テメエらこのオレをナメてんのか?」(漫画少年ジャンプ連載、小栗かずまた“花さか天使『テンテンくん』”第30話恐怖のお留守番の巻より)といった兄気分らしくふるまう男のせりふことばは見下した表現であり、テンテンくんの「誰に断ってオイラのポッキー食べたんだ――ッ!!返せコノヤロー」の「おいら」は、「わしら【儂等】」と同様に親愛表現に近いものなのか。私には「甘えて身近なものにだけ表現する」言い方のように感じる。

 「親愛」と「蔑視」というプラス性とマイナス性の両方を有する「ら」語尾名称は、今後あらゆる観点からみつめていくことばだといえよう。

1998年2月24日(火)晴れ。

引っ越しの 時節となりてや 挨拶し

「しがない」

 時代劇ドラマなどで耳にすることばに「しがねえ渡世」−稼業」とか「しがない暮らしぶり」などと用いる「しがない」という表現について考えてみる。この意味は新明解『国語辞典』によれば、「うだつが上がらなくて前途に望みが無い」ことをいうとある。この語源は「性〔さが〕」の「さ」が「し」と音変化したともある。

 「sa」から「shi」への音変化は、他語にもあるのだろうか。たとえば、「鮭〔さけ〕」を俗に「しゃけ」と発音する「sa」から「sya」への音変化がある。「〓〔口+歳〕さくり」を「しゃくり」というのも同じ。また、「杓〔さく〕」を「しゃく」と云うも同じ範疇にあるか。「然」を「さても」、「しかも」と訓読するのも同じか。

 民間語源などでは「歯牙ない」などという「歯牙」の漢語を宛て、「歯」も「牙」もない意と見て、「シガ」に「ない」がついた語でつまらない状態でどうにもならない意を指すと思ってしまっていたりするようだ。

 いまこの語を図式にしてみるに、

  「さがなし」>「すがなし」>「すげなし」

        >「しがなし」

といった類語の連関をここに知るのである。

 この「さがなし」の語表現譚としては、『江談抄』のなかに嵯峨天皇の御代、小野篁が「無善悪」といった落書を「サガナクバヨカラマシ」と即座に読んだことが記されている。「さがなし」の「さが」は「善」の文字を訓読する。

次に「すがなし」は、「清々〔すがすが〕しい」などの「清〔すが〕」で古くは『催馬楽』に「スガノネノスガナキ事」、「すけなし」は、『梁塵秘抄』に見える。

「しがない」も「憂世」を「しが」と表現する。意味は「つまらない」「とるにたりない」「貧乏〔まずしい〕」となるのである。

1998年2月23日(月)晴れ。札幌

雪雲の 東に流れて 西は青

「アナウンス」

 「アナウンス」のことば

 JRの特急ライラックが札幌駅に到着間近に車内アナウンスが流れた。札幌から先頭車両が逆になること、ここ札幌駅から先は全席が禁煙になることを告げたあとに、「札幌での停車時間は僅かで(ございま)すので、お降りのお客様は、列を切らずにおおり願います。」と告げた。

 この「列を切らずに」というもの言いについて、ふと思った。「列の前後の間を寸断させない」とか、「列の間を開けない」といった意味でアナウンスされたことば表現である。「順序よくおおり願います」ではない。乗り降りの時間の短さを乗客のすみやかな行動に大いに期待するのであろうか。夏であれば到着5分前にアナウンスが入る。これが冬ともなれば、それより2分増しの7分前になる。到着数分前から席を立って出口への移動が始まるのだが、もっと落着いて駅のホームに着いてから席を立つ余裕のある行動習性を持てないものかと思ってしまう。この気持ちを逆なでするような告知でもあるまいが、乗り降りの最も多い駅であるのであれば、余裕の時間を持って発車するシステム時間を割出してみてはいかがなものか。

 時間短縮は、ありとあらゆるところで人にストレスを生み出す要因となってきているようだ。たとえば、母親が子どもに対して「早くしなさい」と急き立てる言動も、子どもにしてみれば、大きなストレスになっている。これを穏やかな眼差しでゆっくり落着いて見守る余裕は、本統に少なくなってしまっている。人の波に乗れないものは世に言う「落ち零れ」といったレッテルがついて回ってしまうことを示唆しているかのようだ。

[補遺]また、車内アナウンスで、「前の方に途切れないよう、順序よくご乗車ください」というのもあった。「途切れる」という動詞そのものは、「に」格の助詞とはなじまないのだが、否定表現ともなれば表現が可能となるようだ。「はぐれる」も「親に逸れる」という言い方は落ち着かないが、「親に逸れないように」と言えば使用範疇となる。「外れる」も同じく「に」格の助詞の場合、肯定を否定表現にすることで成り立つことばのようだ。

[耳にしたことば]

「おはうようございます。」は、舌がもつれて「う」を余計に表現。

「いい加減にセンカイ。」は、「〜せんかい」に「千回」をかけた表現。

「よろコンブ」は、「よろこび」と「昆布」をかけた商い符丁表現。

1998年2月22日(日)晴れ。<長野冬季オリンピック閉会式>

陽のひかり 温み日となり 融け氷音

「チャイドル」

「チャイドル」という語、「チャイルド」と「アイドル」とを合成した表現で、10代前半の美少女アイドルのことをいう。ファッションモデルの野村佑香さん13歳が火つけ役のようだ。佑香さんは、日本テレビ系のドラマ「三姉妹探偵団」にも出演している。彼女のファッションを真似る子を「ノムラー」と称する。すなわち、小・中学生のファッションリーダーで、通称“ノムラー”なのだ。『野村佑香のかわいくなりたい!』のファッション・スタイルブックは、ローティーンだけでなく「オトナが見ても参考になる」と評判なのだ。何でもかんでも「ラー」をつける近ごろの風潮はいかがなものか……。“野村”は名詞なのだから正しくは“ノムリスト”としなくてはならないところなのだが……。はたまた、野球界にもヤクルトスワローズの野村監督がいる。こちらのファンも「ノムラー」なのか?ウームと考え込むところ。小学生クラスの少女アイドルたちが、雑誌やCMなどで活躍する昨今、「チャイドル」現象はまだ続く。

1998年2月21日(土)晴れ。<長野冬季オリンピック期間中>

陽はあれど 風冷寒く 耳にさす

「ちょこざい」

 「ちょこざい」という表現、「小利口」で「小生意気な」といった軽蔑して罵る語として使う。岩波日本古典大系によれば、

1、近松浄瑠璃集『女殺油地獄』上に、

 詞ヤちょこざいなけさい六。顋骨〔えらぼね〕引缺〔ひつかい〕いてくれべいと。[大系三九六O]

2、歌舞伎脚本集『韓人漢文手管始』に、

 馬士「いや、ちょこ才な奴〔やつ〕じゃわい。俺〔おれ〕が負〔おふ〕せて來た寄進の物を借〔か〕らふとは、本に長で有ふぞ。」[大系二九二A]

3、風來山人(平賀源内)集『根無草後編』(明和六年)に、

 海老が譲〔ゆづり〕の暫役〔しばらくやく〕、天幸まがひの焔广殿、鬼瓦からつりを取(る)、あてこともなひしやつ面〔つら〕で、身の程しらなひ色ぜんさく、傍〔そば〕から見る目かぐ鼻〔はな〕の、いはれぬちょこざい出かしだて、おらが若衆の産砂〔うぶすな〕の龍神までを呼(び)出ひて、いじめる所へぴっかりと、ひかりに出かけた雷藏が、ぐわた/\鳴〔なり〕の荒〔あら〕事に、うぬらが臍〔へそ〕の用心しろ」と飛(び)掛〔かゝつ〕て、[大系一三九E]

4、十返舎一九『東海道忠膝栗毛』に、[大系四〇四D]

と用いられている。

近代にあっては、夏目漱石『坊つちゃん』(日本近代文学大系25・角川書店刊)に、

野〔の〕だはまぼしさうに引〔ひ〕つ繰〔く〕り返〔かへ〕って、や、こいつは降参〔かうさん〕だと首〔くび〕を縮〔ちゞ〕めて、頭〔あたま〕を掻〔か〕いた。何〔なん〕といふ猪口才〔ちょこざい〕だらう。[八七P]

現代語としては、漫画少年ジャンプ連載の尾田栄一郎『ONE PIECE』第27話“三日月”のなかで、主人公ルフィが仲間のウソップにする会話として、

 「お前〔まえ〕 よくこんなチョコザイな事〔こと〕思〔おも〕いつくなー」

と「小利口な」ことをの意味であることは変わらないが、軽蔑して罵る会話表現は、この用例を見る限りかなり薄められた表現となっているようだ。漢字による宛字としては、「猪口才」と表示する。

象徴語(擬態)+単漢語→混種語といった語構成

 そして、ことばの語源は「ちょこちょこ」や「ちょこまか」の「ちょこ」といった擬態語に「サイ」といった単漢語「才」からなる混種語表現ということになる。

1998年2月20日(金)曇り。<長野冬季オリンピック期間中>

心持ち 走り通ひに 汗光る

「目違い」コトバ

 電車の車窓からみる数々の広告宣伝用の看板、時におやッと釘付けになって振りかえるものがあったりする。漢字より仮名で記された文字に多い。「おこと指南」を「おとこ指南」なんて、顛倒して読んでしまったりすることはザラなのかもしれない。

 つい最近もノートパソコンの「SONY-VAIO」という新製品の広告がでたとき、「VAIO」のところを「VA10〔ヴィエー・テン〕」なんて読んでしまっていた。「VA」の文字が波形表示で「バイオリズム」をイメージしているのが理解しなければ、「IO」との続きであることを見誤るわけだ。また、「バイオノート」ということばを耳にして読み違っていることに氣づけば、まだましなのだが、人に「それバイオだよ」と云われないと、読み違えたことすらわからないこととなるのだ。

 管理ソフトのエディタ「松風」も「DOSモード」のソフト「松」をイメージして、「まつフウ」と読むのだそうだ。「まつかぜ」と読み違えてしまう。この種の隠語めいた「オタク」人間しか理解できないことば名称がその専門筋では飛び交うことになる。

[なぞなぞ]:1、地球にあって、宇宙にないものナーニ。

      2、春、夏、秋、冬の四季のなかで暑い季節ナーニ。

1998年2月19日(木)晴。<長野冬季オリンピック期間中>

氷〔ひ〕の光 わずか僅かに 芽にやさし

「時短」という略称

「時短」と書いて「ジタン」と読む。このことばは「時間短縮」の略称で、「ジタンビジネス」という「時間短縮商売」が都会では持て囃される。たとえば、調髪(10分の身だしなみ)、5分間永久脱毛など安くて早い、「クイックサービス」なる語までが用いられている。足早に動きまわる都会と違って、田舎のゆったりとした時間の流れでは考えられない新種の商売なのである。

商売も質より量の法則がこの種であり、量より質はしだいに、頑固な職人気質を消し去っていくのだろうか。芽の出難い育成はしないといった風潮の人間教育もこうした時間の流れに影響しているのかもしれないとつくづく思う。ゆったりとした時間の流れの中でこそ育まれるには、お金もそれなりにかかるだろう。辛抱強く育てて、見ごたえのある「遅咲きの花」となる。「大器晩成」という語も今は受けがたいのだろうか。「速成」だけが尊ばれるようでは、本統にいいものが生まれてこない氣がしている昨今、こんなことばが耳に、目に飛び込んできた。

学期末、期限にもとづく採点評価が、この時期学生と教員に拍車をかける。好きな科目に出会い、1年で果たせない課題もあと1年あれば見えてくることもあるだろう。このときに本当の教育的評価がくだせる認定方法もあっての高等教育なのであるまいかとつくづく感じてしまうのは私だけなのだろうか。期限に間に合わせるために、すべてを抛り投げる、切り捨てるのでは真の会得は程遠いのではないかとも思うのである。熱しやすく、冷めやすい油のような学問はこうして世に流布していくのかと思ったりもする。知識は広く、わからぬままにも眺めてみる。いつか眺めたものは、ふと氣がつくことが大事なものの見方なのでは私は頑固にも考えている。

1998年2月18日(水)快晴。<長野冬季オリンピック期間中>

外跳ねて 陽の温かさ 身に浴びる

「JR」という名称

 「JR」という名称、日本人なら一度はお世話になっていて、誰に聞いても知らぬものはない「日本の鉄道」名称というところだろう。この「JR」が誕生して11年が経った。「J」と「R」の略号だが、もとのことばは英語ではどう綴るのか、いまの「JR」標示には正式名が提示されたものがあるのだろうかとふと思った。

 新潮『国語辞典』を繙くと、

ジェーアール【JR】(Japan Railwayの略)日本国有鉄道が、昭和六十二年分割、民営となった以後の称。北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州の各旅客鉄道会社および貨物鉄道会社の全七社の総称。

とある。これを見る限りは何も氣にならないところだが、続いて岩波第四版・新明解第五版・学研国大はと見ていくと、この語は未収載なのである。ことば探りの虫が愈々蠢き出す。小型の国語辞典がダメなら中型、大型となる。

 『大辞泉』CR-ROM

ジェー‐アールョJRッ《Japan Railways》日本国有鉄道の分割・民営化に伴い、昭和六二年(一九八七)四月に発足した六つの旅客鉄道会社と一つの貨物会社の共通の略称。

『大辞林』第2版

ジェー-アール [3] □ JR □〔Japan Railways〕国鉄の分割・民営化により生まれた六旅客鉄道会社と貨物会社の共通の名称。

『広辞苑』第四版

ジェー‐アール【JR】(Japan Railway) 国鉄が一九八七年四月に分割・民営化して新設した旅客鉄道会社六社と貨物鉄道一社の統一的略称。それぞれの会社はJR東海・JR西日本などと称する。→日本国有鉄道

研究社『新英和・和英中辞典』CR-ROM版

ジェーアールJR 《★Japan Railways の略》□ジェーアール東日本 JR, East Japan; 〈正式の会社名〉 East Japan Railway Company.

『プログレッシブ和英中辞典』 第2版 ゥ小学館 1993.

JR (_Japanese Railwaysの略)

『Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia.』 (c) 1993-1997 Microsoft

JR ジェーアール Japan Railway Companiesの略称。1987年(昭和62)3月31日、日本国有鉄道(以下、国鉄)が分割民営化され、翌4月1日にJRグループとなった。

グループは旅客鉄道会社6社と全国1社の日本貨物鉄道(JR貨物)を中心に構成されている。旅客鉄道6社は、東日本旅客鉄道(JR東日本)、西日本旅客鉄道(JR西日本)、東海旅客鉄道(JR東海)の本州3社と3島3社(北海道、四国、九州)である。

この綴りをまとめてみると、「Japan Railway」「Japan Railways」「Japan Railway Company」「Japan Railway Companies」となろうか。単数、複数形の「s」表記の有無が指摘できよう。また、「Company」をつけての標示なのかという点にある。この区々の表記記載はどう処理されていくのだろうか?じっくり見守ってみたいことばなのだ。

1998年2月17日(火)晴れ。<長野冬季オリンピック期間中>ジャンプ団体優勝!

駒澤大学岩見沢高校出身岡部選手おめでとう!!

大弱り 抜けて発信 やる氣湧く

「北海道」という名称

 「北海道」は、古くは「蝦夷之地」「蝦夷地」、もっと古い古代・中世は、「蝦狄ケ島」、「蝦夷ケ島」であった。これを明治二(一八六九)年八月になって「北海道」と改称する。日本列島最北東部にある大きな島をこのように名づけられた。この島は、本州の県の面積を五つほどもある広さである。当初は三県(函館・札幌・根室)が設置されたが開拓阻害ということもあって三県は廃止されている。読み方は「ホッカイドウ」と読む。「きたカイドウ」「ホッカイみち」などといった混種読みはしない。

 現在では、「ホッカイドウ、デッカイドウ」といった地ぐりな観光CMが使われたりしている。ところで、大槻文彦著『北海道風土記』(江戸後期諸国産物帳集成 / 安田健編. -- (BN13939220)東京 : 科学書院 東京 : 霞ケ関出版 (発売), 1996.1- 冊 ; 27cm. 第2巻)なる書は、どのような内容が書かれているのかを調べてみたくなった。

1998年2月16日(月)晴れ午後雪模様。<長野冬季オリンピック期間中>

ありがもの 探し訊ねて 夢枕

「根葉にもつ」

心中にわだかまってあとまで残る、恨みの種となることを「根葉に持つ」と言う。また、「根に持つ」とも言うが、「葉に持つ」とは言わないとこがこのことばの不思議さか……。このことば、室町時代の古辞書『運歩色葉集』に「根葉」と収載されていることからして、ずいぶん息のながいことば表現であるまいか。意味は同じなのかはここでは知ることは出来ないが……。

近代語では、二葉亭四迷『浮雲』(新潮文庫)に、

「そりゃアア云う胸の広〔しろ〕い方だから、そんな事が有ッたと云ッてそれを根葉に有〔も〕ッて周旋〔とりもち〕をしないとはお言いなさりゃすまいけれども、全体なら……マアそれは今言ッても無駄だ、お前さんが腹を極〔き〕めてからの事にしよう」が見えている。[一三六F]

とも見えている。

1998年2月15日(日)晴れ。涅槃会、<長野冬季オリンピック期間中>

如月の 半ばにわたる 友の顔

「献辞」と「献詞」の「じ」と「し」

 「けんじ」を「献辞」と書き、「けんし」を「献詞」と書く。両語とも意味は、著者・発行者がその本を献呈するために書いた詩句〔ことば〕を言う。

 このことがこの熟語の表記性および読み方の特徴である。「けんし」と「けんじ」とは、国語辞典の見出し語排列順からいえば、漢字表記は「献詞」が先出し、「献辞」が後出する。そして意味については、辞書編集者の方針が先出しの「献詞」に置く岩波『国語辞典』・新潮『国語辞典』の立場と後出の「献辞」に置く新明解『国語辞典』、さらに先方に意味、後方に用例を記述する学研『国語大辞典』とに三分される。この意味と用例を記述する学研『国語大辞典』の意味内容と用例内容を併記しておこう。

 けんし【献詞】著者・発行者がその本を他人に献呈するために(その本に)書いたことば。献辞。献題。

 けんじ【献辞】献詞。「将来、ぼくが博士論文を出す時には、世間から何と言われようとも、その扉には、『黙々として尽くして呉れた妻へ』というーを、必ず入れようと思っています<柴田翔・されどわれらが日々ー>昭和三十八年発表」

 あなたなら、どちらの漢字を用いて表記しますか?と人から訊ねられたなら、私は迷うことなく「献辞〔けんじ〕」派なのである。なぜって、「感性なのかなあー」と自問自答してみる。

 数々の書籍の口扉を開き、この「献辞」の表記に私たち読者は出会っている。著者や発行者が詩句にこめる人の名は、まさに「秘すれば花」の香りが漂ってやまない。そのひとつ、私の好きな作家開高健さんは、小説『流亡記』(新潮文庫)に唯一「F・K氏に」と記す。このなぞ解きは、実は彼自身、別文章のなかでなされている。(是非、みずから探り当ててみてください。え!もう知っていらしゃいましたか。それは失礼しました。ペコッ)

1998年2月14日(土)晴れ。<長野冬季オリンピック期間中>

たどたどし 時の移りに 言の海

「便所」の表現

かはや【厠】攷

 類語に「思按所」「高野」「雪陰」「青椿」「小便」「後架」が使われてきた。今では、「御不浄」「便所」「手洗い」「はばかり」「手水場」「トイレ」「化粧室」などと数多きことば群が使われている。禅宗では、さらに「雪隠〔セッチン〕」そして「東司〔トウス〕」「西浄〔セイチン〕」とも呼ぶ。

このこと既に江戸時代の天野信景が『塩尻』(日本随筆集成・吉川弘文館刊三〇一頁から三〇二頁)に、

 「厠」「思按所」「高野」「雪陰」「青椿」「小便」曰私。

 『事文類聚』曰、「厠為思按所」。

 『帰田録』曰、「余平生所作文多在三上、乃馬上枕上厠也。盖惟此尤可以属|∨思爾」。

 『世説故事苑』曰、「厠名高野、祇沮図経云、次此第六院云為流厠、有大馬屋。三重而立飛橋並、上怠自清浄、下施厠砌以伏竇、天帝手作上無臭気、大渠従大院、北西注南入厠院、伏流入竇、北出会於大河、人無見者、一切比丘皆此便利云々」

 按(ずるに)高野山、厠()本依之。造故此縁を取て俗に厠を高野と名付()。亦経文大高屋有と云()、即()倭音「カウヤ」と通ず。亦河に臨んで架之、依之河屋といふも亦通ず。云()厠()名()雪隠()は禅家より起れり。雪竇禅師霊陰寺の厠を掃除する役を司しより、後人此職を務め「雪隠」と称す。依雪竇務其職賤不羞〓〔谷+阜〕為|∨誉、雪隠と称す。雪は雪竇の雪の字、隠は霊隠寺の隠の字なりと。

 義堂『空花文集』九に、「賀浄頭頒軸序云、古之宗門祖師発心入道、必先歴試詩難、而役于雑務職、職之最卑而人所甚悪、莫于持浄。持浄者禅殺同厠之職。然若竇明覚、居衆司此職于雪隠、至今有雪隠之美称云々」、「又云()、至()厠()咳嗽。居家必用曰、上厠時厠前三五歩にして、咳嗽二三声すべし。其神在厠中之避云々」、これ仏家の弾指の法と意同し。

 『雑譬喩経』に、「有比丘。弾指せずして入(ルニ)厠()鬼面を汚す。鬼怒て比丘に附て常に其隙を伺ふ。『根本律』曰、厠応西北隅、以風便故亦随門而転云々、亦曰、厠曰青椿。〔割註〕セツチンは誤なり、セイチン也」。

 『南斉異史』続草木志・五に、「蔽厠以青椿、葺厠以黄瓦云々、邪香椿避。亦云、小便曰私、釈氏要覧曰、往小便文言、可私。左傳師恵過宋朝、將私焉。注曰小便也。律云小行云々」、「亦曰、唐厠神を紫姑〔シコ〕神」といへり。

 昔寿陽の李景といふ人、莱陽の何麗卿といふ女を迎て妾とせしかば、本妻深く嫉みて正月十五日に厠の中にて殺せしに、彼何麗にたゝりをなせしかば、其後正月ごとに祭りて厠神とせし、とあれども真説といふ可らず。

 亦佛家には烏瑟沙磨明王と云を雪隠の神なりといへり。猶此明王にも火焔ありて、悪魔をはらひ塵垢を清め給ふ功徳ましましけるとぞ。伽藍の数にかぞふるには、前に此明王を絵かきて常に香花を備へ置て、法師たる者厠に行時は礼をなし咒を唱へて、そこにて三衣をぬぎける法なりとかや。されども今の世の人のあへる厠の化物は、甚不浄の気の積れる所の霊たるべし。

 猶子原が書る李赤が伝には、唐の代に李赤といふ者あり。李白が詩作に劣らずとて自名を付たるとかや。然るに李赤厠の鬼に犯されて、終に厠の中に落入て死す云々、此事実事とも覚えはべらず云々。

と、詳細な典拠と用例を挙げて記述しているのである。この内容について少しく考えてみようと思っている。なぜ信景は、「東司」については何も記載しなかったのだろうか?と。また「セツチン」と「セイチン」との読み方についても、現代の国語辞典には、どのように記載されているだろうかということである。

国語辞典に見える「便所」の類語名と意味づけ一覧

岩波国語辞典

新明解国語辞典

新潮国語辞典

学研国語大辞典

かわや【厠】

便所

「川屋」の意

「川屋」の意

便所の老人語

「川屋」の意

一説「側屋」の意

便所

雪隠〔せっちん〕

側屋とも

便所

後架〔こうか〕

けしょうしつ【化粧室

×

トイレの美称

@化粧するための

部屋。A洗面所

A洗面所

便所

こうか【後架】

便所

もと、禅宗で洗面

所のこと。

もと、禅宗で洗面

所の意。

「便所」の老人語

禅寺で僧堂の後ろ

架け渡した洗面所

便所。かわや

A便所

かわや

雪隠〔せっちん〕

こうや【高野】

×

ごふじょう【御不浄】

便所のこと

はばかり

手洗い

便所の意の

(婉曲表現)

高年女性用語

便所

主として女性語

お手洗い

はばかり(女性)

しょうべん【小便】

せいちん【青椿】

     【西淨】

×

×

禅家で便所の称

古く西側住役僧用

×

せっちん【雪隠】

便所

禅宗の用語

セツインの変化

老人語

便所

かわや

こうか

便所

かわや(古風な)

ちょうずば【手水場】

A便所・用便

A便所

A廁

便所

ちょうず

A便所

かわや

手洗い

てあらい【手洗い】

A便所のこと

A便所の意の

(婉曲表現)

B便所

A便所(少し上品な言い方)

トイレ

×

トイレットの

日本での省略形

トイレットの略

トイレットの略

便所の婉曲表現

トイレット

(toilet)

化粧室

手洗所

便所

トイレ

洗面所の

(婉曲表現)

トイレ

化粧室

便所

トイレ

@化粧室

洗面所

A便所

手洗い

とうす【東司】

【登司】

×

×

禅家で便所の称

東浄〔トウチン〕

A禅宗寺院便所

A廁

はばかり【憚り】

A便所

A便所

C便所

人目を憚る所の意

A便所

御不浄(ヤヤ古風)

べんじょ【便所】

大便・小便をする

ための場所

かわや

大小便をするため

の設備のある所

トイレ(ット)

大小便をするため

の場所

かわや

大・小便をするた

めの場所

手洗い

トイレ

かわや

せっちん

御不浄

はばかり

雪隠〔せっちん〕

後架〔こうか〕

不浄

手水場〔チョウズバ〕

はばかり

[補遺:]「トイレの隠語について」は、http://www.iij-mc.co.jp/ritsu/ingo.htmlを参照しましょう。

1998年2月13日(金)曇り。<長野冬季オリンピック期間中>

風を見よ 楽しみ遊ぶ 心の金

「会社人間」

「ことばの性差」(ジェンダーーギャップ[gender gap]性差。男女の違いに基づく考え方や価値観などの相違。<現代>)」の表現に、

と男社会をイメージしたものがあった。

 類義語に「会社人間」なることばが使われている。「会社人間」は、ジェンダー概念に基づく「男は仕事で、一家の稼ぎ手」におかれ、このことばは1981年から今日まで見られるようになった息の長い流行語である。同じ年のことばに「単身赴任」も生まれている。

 この二語について国語辞典はどう見ているのかというと、まず、@『広辞苑』A『広辞林』B『大辞泉』は「会社人間」は未収載であり、「単身赴任」は収載という立場にある。

  @たんしん‐ふにん【単身赴任】遠方に転勤する際、家族を伴わず一人で任地におもむくこと。

  Aたんしん-ふにん [5][0]【単身赴任】遠方へ転勤する際,家族を残して,本人だけが任地へ赴くこと。

  Bたんしん‐ふにん【単身赴任】[名]スル所帯持ちが、家族を置いて一人で任地におもむくこと。

『和英辞典』(プログレッシブ和英中辞典 第2版 ©小学館 1993.)にもこの語は収載されている。

  単身赴任  家族を東京に置いて単身赴任する人が多い There are many who take up posts [jobs] in another city, leaving their families behind in Tokyo.

 同じ年代の働く男社会を浮き彫りにしたことばのマイナス思考とでもいうのか「会社人間」は、なぜか国語辞典では定義されるには至っていないのが現実でのようだ。逆に「単身赴任」の語は、留守を守る家族に多大な影響をもたらしたこともあってか上記中型国語辞典に見出し語と意味を収載する。

また、1986年の「企業戦士」は、いまや官民癒着接待汚職があきらかにされるなかで「企業戦死」となって、さすが色褪せていることばでもあるようだ。

[ことばの実際]

*「会社人間」検索結果361件中、これはというものを上記に取り上げている。

1998年2月12日(木)曇り。<長野冬季オリンピック期間中>

静と動 始め終わりに 見て取れる

「キレる」の二様

 「キレる」と云えば、人物批評ことばとして「彼は物静かな人ですが、とてもキレる人だった」と頭脳明晰、行動敏腕な人物を評価する代名詞だったと思って使っていたことばだった。これがいつしか、「キレる」と云えば、隠語の「常軌を逸した人」をさすことばとなっている。これが活字として、音声として、メデイア媒体で盛ん使われる。「ボクらがキレる時」「あなたがキレる瞬間」などといった特集題目そのものが少年の若き悩みを抉るようにスッパ抜いているかのようにもみえる。まったく最早、「キレ」方がこうも違うとややっこしいことである。人事関係担当者による人物照会で、「○○さんは、一言で云うとどのような人物というご印象でございますか?」と電話で問われた時、この「キレる」は、人物の言動について誤解を招くことばとなり、要注意な表現にもなりかねまい。かたや褒め言葉であり、かたや「キレる」は、自分の思いどおりにいかないことや、他人に卑下されたときの言動状態が「ムカつく」で、「キレる」は、この「ムカつく」状態が積み重なっておこる常軌を逸した言動を表す隠語なのだから……。

 これに似た先輩格の言葉に、「気のおけない」という表現が嘗ては取り沙汰されたものである。流行語の兆しをふと感じ得ないわけではない。いかがなものであろうか?

 また、「キレる」人について『葉隠』には、「切れ者は、おごりやすい」ことを窘めてさえいる。

1998年2月11日(水)晴れ。建国記念日<長野冬季オリンピック期間中>

清水選手よ! スケート金メダル おめでとう

モーグル女子 里中選手 おめでとう

「送りがな」の「り」

司馬遼太郎『国盗り物語』の題名から

 この作品題名の「国盗り」だが、送り仮名の「り」がなかったら読み方はどうであろうか。「国盗」を「くにぬすみ」と読んでしまう可能性が大である。「り」を補ってこそ「くにとり」と読めるのである。「くにとり」ということば、一国の主をめざすという意味に解釈すれば、体裁もよかろうが並大抵の器では適わないことがらである。

司馬さんは、同じく『竜馬がゆく』(文春文庫)のなかで、国について竜馬にこう語らせている。

 「おらァ、ニッポンという国をつくるつもりでいる。頼朝や秀吉や家康が、天下の英雄豪傑を屈服させて国に似たものを作った。が、国に似たものであって、国ではない。源家、豊臣家、徳川家を作っただけじゃ。ニッポンはいまだかつて、国がなかった。」[第三巻二七一頁]

ここでは「国をつくる」であり、決して奪うものではないのである。

 さて、「とる」という動詞には、右から左に動かし「取る」、使って活かすために「採る」、表象部分だけを「撮る」、えものを殺して「獲る」、人のものを「盗る」、生かしたまま「捕る」、動きをまとめて「執る」、要るものだけを「摂る」と漢字で示すとその「とる」ことの目的が見えてくる。脈を「とる【診】」や船の舵を「とる【操】」は宛て字を用いる。

ところで、作品内容は、こうした題目名がすべて物語っているといっても過言ではない。というのも、「国作り物語」は開国日本という時代のなかで坂本竜馬のなせる世界に対し、戦国日本という時代の斎藤道三は、まさに「国盗り」に生きた人物にほかならないからである。そして司馬さんのこの複合名詞における送り仮名は、実にピリッとした七味唐辛子な味付けではないだろうか。反対の立場としては、NHKが「複合名詞の送りがな」において特例で出さないことが知られている。理由は、画面スペースと文字数の制約、これを音声で補足できるとの兼ね合いが最大の要因のようだ。例えば、特産品名の「奈良漬(け)」「鎌倉彫(り)」。役職名では角力の「張出(し)横綱」がそれである。

[補遺]:教育の場にあって、具体的に「いのちの教育」として手をつけ易いのは、食べものを通して、生命の実相や実感、人間も含め、生物は他者のいのちを摂〔と〕ることで生存しているという厳しい事実を、子どもたちに感じさせ理解させることだと思う。[灰谷健次郎『いのちまんだら』食学科の提言・朝日新聞本日家庭欄より]

1998年2月10日(火)曇り。「ふとん」の日<長野冬季オリンピック期間中>

雪の音 キュッキュッにドサッ 耳傾ぶく

 雪に音はない。だが歌舞伎では、「どーんどーん」と太鼓の音で雪の降りしきる音を表現する。『忠臣蔵』の松浦鎮信公。師匠宝井其角に両国橋で声をかけられ「年の瀬や水の流れと人の身は」に付け句をする大高源吾。「明日をまたるるその宝船」の付け句の意味を解するのが吉良邸隣の松浦公である。その夜、雪の降りしきるなか討ち入りが決行された。源吾辞世の句に「山を抜く力も折れて松の雪」がある。

「氣ぶっせい」

「氣ぶっせい」という俗語。とんと耳にしない語であるまいか。幸田文さんの随筆『季節のかたみ』(講談社刊)「ございません」に、

 ○父は北向きの机にいるので、めいめいぽつんと一人でいるのと同じで、その気ぶっせいさはありません。よくない言葉をたくさんしゃべり散らした者には、無言がよく効く薬だそうです。[九〇頁]

 ○暫く試みて効果が上らないので腹が立って、短く話さなくてはならないような気ぶっせいな人には、一生つきあわなくてもいい、と思う。[九〇頁]

とあった。いまの表現では「氣づまりだ」ということばが使われる。この「氣ぶっせい」だが、国語辞典には辛うじて収載されているようだ。「氣ふさぎ」から転成した「氣ぶっさい」の語形変化した語であろうか。北海道で言うところの「あずましくない」とは類似するようにちょっと口聞きしてみたいことばでもある。

1998年2月9日(月)晴れ。札幌<長野冬季オリンピック期間中>

人の群れ 駅待合の テレビジョン

筒井康隆『敵』を読む

 筒井康隆『敵』(新潮社刊)を読んでまず感じたことに、筒井さんの象徴語表現の漢字表記は、実に妙味あふれるものがあることだ。この筆の妙味は、最終43章の「春雨」における雨の音で終焉する。

 ○雨音は無音に近いので擬声語で表現しようとすれば実際の音とは無関係にやはり「しとしと」である。「しとしと」はさまざまな文字のイメージを伴っている。「使途使途」であったり「死都死都」であったり「使徒使徒」であったりする。そして水滴の音も悲しいかなやはり「ぽとり」「ぽたり」なのだ。多いのは「保取り」であり次いで「歩足り」だ。空白の多い無音の中に儀助は文字を垣間みる。彼は首を四十五度にして耳を傾ける。[三〇三頁]

****このあとの表現技巧は、どうぞ御自分で読んで感得してみてください。****

次に象徴語表現の用法を少しく眺めてみると、

 T擬音語

 「轟轟と」=預貯金の目減り[九九頁]

 「鎮と」=鉦を鳴らす[一二七頁]

 「弾弾弾弾」=四発の弾丸が出た[二六二頁]

 「雅裸雅裸」=格子戸の開く音[一八〇頁]

 「過利過利」=調理法「揚げる」[一一五頁]

 「砂利砂利」=冷蔵した一枚のハム[一〇頁]

 「動悸動悸」=(心臓が)[五二頁]

 「動悸動悸」=胸が[二五五頁]

 U擬声語

 「翁翁翁翁、懊懊懊懊」=椛島光則の泣き声[一八頁]

 「蟻夜っと」=叫び声[六一頁]

 「躯躯躯躯躯」=妻信子の笑い[一七三頁](実際は、「〓〔身+區〕」で表記)

 「巣巣巣巣巣巣巣擬死擬死阿吽阿吽「餡」「憤」」=若い夫婦の営み[七頁]

 「痴痴痴痴痴痴宙宙宙注注注」=雀の声[八頁]

 「悲悲悲悲」=儀助の笑い[一七一頁]

 「輪あ輪あ」=歩美が泣き出す[二一六頁]

 「朕朕朕狆鎮鎮珍沈陳=鉦叩きの鳴き声[一七七頁]

 V擬態語

 「渇と」=心持ち[一四七頁]

 「窮と」=喉が締まる[二〇四頁]

 「疑魯っと」=犬丸の睨みつけ[二一三頁]

 「具意と」=ビールを飲み干す[二〇四頁]

 「溌と」=大きな眼(靖子)[五二頁]

 「疑句痢」=(的を得た応答に対し) [一九二頁]

 「戯羅痢」=眼を光らす[一八頁][一九頁]

 「堕裸痢」=兵児帯[七〇頁]

 畳語による象徴語

 「鵜過鵜過」=誘惑に乗る[一〇八頁]

 「鵜化鵜化」=言葉を信じて八畳間に通す[二一一頁]

 「句度句度」=訴えつづける[二一三頁]

 「我多我多」=硬直して顫える[二八六頁]

 「我見我見」=鷹司靖子の性にあわぬことの苛立ち[五〇頁] 「我味我味」=栗山賛慈の怒鳴り[二三八頁]

 「疑裸疑裸」=「べら(魚)」の光沢[一一四頁]

 「句留句留」=舞う[二八七頁]

 「互茶互茶」=パソコン周辺機器[九二頁]

 「語茶ら語茶ら」=化粧戸棚に入っているもの[二二一頁]

 「志度路藻泥」=儀助の謝るさま[二〇九頁]

 「肢泥藻泥」=儀助の喋り[二四三頁]

 「慈輪慈輪」=扱きを首に巻きつけ絞めていく[二二七頁]

 「曾呂曾呂」=便箋の縁[九三頁]

 「曾呂曾呂」=儀助の預金残高を[一四〇頁]

 「曾呂曾呂」=講演依頼[一四二頁]

 「曾呂曾呂」=庭を綺麗にする[一九一頁]

 「曾呂曾呂」=やってくる[二八三頁]

 「曾呂曾呂」=そうなる[二八五頁]

 「曾呂利曾呂利」=手を伸ばす[二四一頁]

 「象呂ぞろ」=避難民が通り過ぎて行く[二〇〇頁]

 「馳微馳微」=松方己八の手酌[二〇六頁]

 「馳ら馳ら」=視線[二五七頁]

 「馳ら馳ら」=見える[二八九頁]

 「艶つや」=白い衣の肌着が光る[二二二頁]

 「鶴つる」=滑る[二二〇頁]

 「度疑魔疑」=(儀助のこころ)[二〇五頁]

 「婆多婆多」=全員が続く[二八三頁]

 「場多場多」=兵士たちがやってくる[二八七頁]

 「罵螺罵螺」=算盤などの文房具[二二頁]

 「婆裸婆裸」=足[一一七頁]

 「尾懼尾懼」=(儀助のこころ)[五八頁]

 「微暑微暑」=湯上がりの肌着[二二〇頁]

 「悲痢悲痢」=腕の切り傷[二五〇頁]

 「悲痢悲痢」=鼻孔[二五〇頁]

 「屁斗屁斗」=(になる)[二五〇頁]

 「襤褸襤褸」=「江山龍如」の扁額[五八頁]

 「紛紛」=臭気[六六頁]。俗臭[六七頁]

 「門司門司」=椛島の居心地[二六四頁]

が見える。

例外としては、仮名書きで表現したものとして、

 「チカチカ」=薊(儀助の好きな花)[一二九頁]

 「プスプス」=儀助の顔面に弾丸がめり込む[二六五頁]

 「プルプルプル」=椛島の頬が顫える[二六〇頁]

 「へへへへ」=儀助の照れ笑い[一九二頁]

 「がーほがほげほごほがほげこげこ」=咳き込み[二三一頁][二五五頁]

 「う〜う〜う〜がーほごほげほがほ」=咳き込み[二三一頁] 「がーほごほげほがほげこげこ」=咳き込み[二三二頁]

 「がーほげほごほげこげこ」=咳き込み[二三二頁]

 「すらり」=背の高さ[三〇〇頁]

 「ずらり」=恩師が並ぶ[二四二頁]

 「ずんぐり」=(体つき)[三〇〇頁]

がある。そして、程度の副詞は仮名書きを原則としている。

 「ぎっしり」=使いきれない量の石鹸[二三頁] 

 「ぎっしり」=先祖代代の古いもの[二六頁]

 「たっぷり」=未練ー[三三頁]

 「たっぷり」=ヘアトニック[七三頁]

 「たっぷり」=石鹸[七三頁]

その他として、

 「瓦落汰」[二七頁]。「生五味出し」[一七七頁]

 「胡麻化し」=が多い人[二九九頁]

 「瀬瀬る」=蟹の身[一一七頁]

 「巫山戯る」=[九九頁] [一八五頁] [二六四頁] [二九〇頁]

 「奮駄句る」=消費税など[一四三頁]

 「裏山椎」=海外に旅行[一六二頁]

と、和語の名詞、動詞、形容詞などがある。また、漢字表記とカタカナ表記と両用する語として、

 「珈琲」(食堂でーを飲みながら)[五一頁]

 「珈琲豆専門店」[一〇〇頁]

 「食後のコーヒー」(自宅で)[一二九頁][一三〇頁]

 「コーヒー」(自宅で)[一四七頁]

 「コーヒーにお砂糖」[三〇〇頁]

があり、外での場面では漢字表記、自宅の場面ではカタカナ表記で使い分けをしているか?と氣になった。それと、漢字にふりがながつけないのも特徴といってよかろう。たったひとつ人名「椛島」に「かば(しま)」とあるぐらいか。といって漢字表現は、「魘される」[六〇頁]、「活撥」[六七頁]、「屯」[七五頁]、「眩暈」[一一九頁]、「馘首」[二〇八頁]と結構むつかしいものがある。ここには、読者層の識字意識をかりたてるものがあるのではあるまいか。

[参考ホームページ]http://www.jali.or.jp/tti/にてこの小説の4章ぶんを選んで公開中である。ただし、月額100円の有料であることに注意されたい。また、岡島昭宏さん「ことばの会議室」で2月初旬からこの小説の話題が取り上げられている。

[補遺]朝日新聞小説、2/11付、堺屋太一『平成三十年』希望と期待に、「三好は小太りの短躯〔たんく〕を反らしてそういうと、藤原議長と握手してにこやかに出ていった。」と「躯」の字を使用している。

1998年2月8日(日)曇り。<長野冬季オリンピック期間中>

むざとした ことばの底に 理言あり

「あなた」と「そもじ」

 昭和二十七年に議決の国語審議会における「これからの敬語」で、相手をさすことばである「あなた」が標準表現として認定される。第二人称「あなた」のはじまりは、江戸時代中頃に遡り、夫婦互いに呼び合うとき、夫は妻を「そもじ」、妻は夫を「あなた」を用いて会話をしている。「そもじ」は女房詞であったのが、この頃には男性が使うようになっていた。

 いまでも、40歳代の妻は、夫を「あなた」と呼び続けているのに対し、夫の方は妻のことを「そもじ」などとは既に云わなくなっている。では、なんて表現しているのだろうか?これが本日のことばの課題でもある。

 実際、子供がいる家庭では、「お母さん」とか「ママ」と子供がつかうべき表現を共有していたりする。子供も成長して家にいなくなると、「オーイ」なんて横柄に呼んでいる方はどのくらいいるのだろうか?「おまえ」はどうか?これに「さん」つけた「お前さん」、さらには直接、なまえで「としこ」などと呼ぶ方もいらっしゃる。お客様を茶に招き、その席で妻をなまえで呼ぶ。このとき当の妻君の心理は如何なものなのか?とふと思ったりして、考えてみたくもなるきっかけともなったのも事実である。まだ、ここには挙げない表現が使われているに違いない。

 また、会社の男性上司が、部下女性社員を呼ぶとき、「○○くん」は頼みごとのとき、「きみは……だ」は、なんらかの評価をくだすとき用いられている。このように会社などでは女性に向かって「あなた」は使わないようだ。男性にとって、女性に「あなた」と呼びかけるとちょぴり疎遠な「彼方」に響くのかと思ったりする。

 ここで、福岡の伯父が「あなた」の変化形である「あーた」を男女関係なく日常よく用いていたことを思い出す。方言では「あなた」はどう機能しているかは、ここでは取上げないが、これに連関するホームページがきっと開設されているにちがいない。

 この“ことばの溜池”をお読みになられた方で、「男性が女性を呼ぶときどう表現しているのか?」についてお氣づきの点を是非お寄せください。お待ちしています。

1998年2月7日(土)晴れ。<長野冬季オリンピック開幕>

澄み渡り ゾクッと冷え込み メリハリさ

数字「0」の読み

 「0歳」の読み方は、「ゼロサイ」と読む。数字の読み方のうえでは、通常「レイ」の音読みが用いられている。そのなかで「ゼロ歳児」や「死者ゼロの日」、「海抜ゼロメートル地帯」、「ゼロシーリング」といった無いことを強調した物言いは「ゼロ」が用いられる。「ゼロ」表現のなかでも「ゼロ歳児」の場合には、一度は「一歳児未満の乳幼児」というし、「死者ゼロの日」の場合も、「死亡者はいませんでした」と添えたなかでいう。ところで、電話番号の「011」の「0」や郵便番号の「068ー0046」の「0」は、どう読まれているのだろうか。原則は「レイイチイチ」、「レイロクハチのレイレイよんロク」と読むのが正しい言い方のようだ。だが実際、私自身、知らず知らず「ゼロイチイチ」、「ゼロロクハチ、ゼロゼロよんロク」などと電話口で発音していることに氣づく。また他に、「0」を「まる」と読む場合もある。株式市況で「20,097円」の読みは、「ふたマン・まる・キュウジューシチエン」と読む。この「00」のところを「まるまる」と連続しては読まないところがツボか。

[ことばの実際]

 1,「レイ」の用例

 ○今朝の最高気温はマイナス零度〔レイド〕でした。

 ○テストで零点〔レイテン〕ばかり。

 ○この回は後続を打ち取って0点〔レイテン〕に抑えたんですが7回表に味方のエラーやキャッチャーのパスボールで2点取られれてしまった。

 ○午後零時半〔レイジハン〕に集合。

 2,「ゼロ」の用例

1998年2月6日(金)雪。

やれもまた 雪に埋もれて 祭りかな

「震」の字

雨冠の漢字は、「雪・雲・電・雹・雷・霖・霙・霞・霜・霧・霰・霹・露・靄」などはすべて天象に連関する語である。ところで、「震」の離合字解はといえば、「雨」+「辰」の字とに分解される。そして、「辰」は音符「シン」を表現している。この「辰」は、「たつ」の和訓から十二支でいう五番目の龍という唯一なる架空動物をイメージしてしまう。この龍が地を震い、天に舞う。諺に「辰にまいて巳にこぼす」というのがある。辰の日に龍が水を天上に巻き上げ、巳の日に雨を降らせる。これを想像させるものが「震」の字にはあった。

実際はそうではない。「辰」の原字は「蜃」で二枚貝が口を開けてぴらぴらと弾力性のある肉がのぞいているさまを表記している。この肉がびりびりとふるえるさまから雷に表象する。天から地に向かって起こる雷震がそれである。かみなりでなくても地が震える地震にもいつかこの字が使われ、この現象について頻繁にこの意味熟語「地震」が用いられることでいつのまにか「ふるう」ということばの元の意味が意外にも見えなくなってしまっているようだ。

1998年2月5日(木)雪。<札幌雪祭り>

春に向き 雪も止まぬか 渡り橋

「大寒小寒」

小学館『大辞泉』(CD-ROM版)で、「おおさむ‐こさむ【大寒小寒】おほさむ‐」を繙くと、

〔連語〕冬の寒さのきびしいときや雪の散らつくようなときに子供のうたう童歌(わらべうた)の出だし。次に「山から小僧が飛んできた」などと続く。

とある。小学館『国語大辞典』(CD-ROM版)では、さむ【寒】のところに、

さむ(形容詞「さむい」の語幹)寒いこと。「おおさむ、こさむ、山から小僧がとんできた」

とある。実は、幸田露伴『辻浄瑠璃』第一の書き出しに、

大寒小寒〔おおさむこさむ〕山から小僧が泣いて来たと、水洟〔みづばな〕垂〔た〕らしながら、兒童〔こども〕の歌ふ此頃〔このごろ〕、烈しき北風〔きたかぜ〕に懼〔おそ〕れをなして草庵〔さうあん〕に閉ぢ籠り、冬は兎角〔とかく〕餅でも焼きつゝ書見〔しよけん〕の事と隠者〔いんじや〕くさい思案から、其蹟〔きせき〕が禁短氣〔きんたんき〕、西鶴〔さいかく〕が俗〔ぞく〕つれづれ、頭陀物語〔づだものがたり〕、綴白裘新集〔せつぱくきんしんしう〕、ずつと飛んで甄正論〔けんしやうろん〕と彼此〔あちこち〕読み散らせど別に面白くもなし。[岩波文庫七七A]

とあって、普通「飛んできた」というところが「泣いて来た」とあることにふと引っ掛かった。ある地域によっては、この箇所が変わるのではないかということである。口ずさまれる童歌独特の変幻自在さを思わないではいられない。国語辞書は、こうした差異をまったく特記していないのも事実のようだ。

 この「山から小僧が」の「小僧」だが、どうも「山の神様」や「地蔵さん」が「子ども」の姿でやって来るのをさしているようだ。山田の「かかし」を「案山子」と書くのも同じことで五穀豊穣を神に託している。

他にも「かた雪カンコ、しみ雪シンコ。きくきくとんとん、ひるはかんかんひのひかり、よるはつんつんつきあかり…」<雪渡り>などがこの冬の季節の童歌として知られる。

[氣づきの海] 「おおさむこさむ、お酒を一ぱいくださいな」(高平の酒地蔵より)。

別な「童歌」ではかごめかごめにことばの入れ替えがあるようだ。

1998年2月4日(水)晴れ。

立春は 待ち遠しきと 薬味の菜

「新顔野菜」のなまえ

 新顔野菜の名前を聞いて、形容・味覚などを想起できるだろうか。いま、「トマピー」という野菜は、「トマト」と「ピーマン」とが混成した野菜かと思う。実際は、ナス科の植物パラデイチョン・パプリカを自然交配したもの。普通のパプリカは胴長なのに対して、トマトのように丸い形をしている。また、「ひまわり菜」(カイワレ菜と同じくヒマワリの種子を水耕栽培で発芽)、「天芽〔あまめ〕」(東南アジアから沖縄で栽培)、「新黒水菜〔シンくろみずな〕(小松菜の一種)」など。見たことも聞いたこともないなまえの野菜などである。これらの野菜が、消費家庭献立野菜として普及するのには、まだまだ時間がかかるにちがいない。

現在のところ、「新顔野菜」のページ1「新顔野菜」のページ2がある。上に記述した野菜の名は、まだ「ホームページ」上では登場していないようだ。

1998年2月3日(火)曇り。<節分>

電話機の 便利便利は CMのみ

「マヨラー」

 本日、朝日新聞朝刊、家庭欄に「味つけ何でもマヨネーズ」、“手軽にうまみ、広がる人気”さしみ・ラーメン・アイスクリーム・赤飯・おかゆ…@日本独特Aマヨラー「ないと困る」「一日一回は」Bアイデア“おにぎり定番、新商品続々”のなかで、この「マヨラー」ということばが紹介されている。大村美香記者の記事要約文によれば、「マヨネーズは生野菜やフライにつけるもの―そんな考えをはるかに超えるマヨネーズの使い方が広まっている。赤飯に、ラーメンに、アイスクリームに。マヨネーズ味の食品も増加中だ。何にでもマヨネーズをかける人を指す「マヨラー」という言葉も生まれた。絞るだけでコクのある味つけができることなどが、人気の秘密のようだ。」という。さらに、「「マヨラー」。昨年あたりから使われだした言葉で、何にでもマヨネーズをかける人を指す。シャネラーやアムラーをもじったらしい。」とあって、ことばの起源が見えてくる。

 また、スナック菓子にもマヨネーズ味の商品が中高校生に好評だという。コンビニエンストアでもマヨネーズ味のおにぎりが定番といった裏付けが紹介されている。そして、製造元であるキュピーのホームページには、「マヨラーおすすめの新メニュー」として、マヨアイスクリームやマヨケーキまで紹介され、レシピの出所を一昨年東京で開かれた「キュピーマヨネーズと時代展」の会場アンケートと指摘している。我が家の息子も昨今、調味料がわりにマヨネーズを頻繁に使っている。その時の会話に、「マヨネーズと醤油を混ぜるとプリン味になるんだ」といって楽しむようにマヨネーズを冷蔵庫から取り出してきていた。当の本人は、決して自分を「マヨラー」とは認定しない。この記事にも、名古屋の会社員三輪浩一さん(三四)〔昨年春から自作ホームページに「マヨネーズ」のページを開設〕を紹介していたが、三輪さん自身、自称「マヨネザー」というようだ。

 ところで、当のマヨネーズだが、地中海のミノルカ島の都市マオンで使われていた卵黄と酢と油で作ったソースが広まったもの。「肉や刺し身につけても特に不思議ではない。ただ、こんなに様々な食品に用いるのは日本だけの現象。卵黄から出るうまみ成分が、しょうゆなどアミノ酸が効いた味を好む日本人に合うのでは」とキユーピー広報室は分析している。と、@の記事内容にある。

マヨネーズの歴史(http://www.kewpie.co.jp/より抜粋)

 マヨネーズの起源については諸説ふんぷんあり、本当のところははっきりしていません。しかし中でも有力な説は、今から約200年以上前、1756年のお話。ルイ15世の頃にフランスとイギリスとが紛争し、時の元帥リシュリュー公が、地中海のミノルカ島のマオン港を占領した時のことでした。土地の人たちが食べていた見慣れないソースを、地名にちなんで“マオンネーズ”と呼んだのが始まり。後にマヨネーズと呼ばれるようになったと言われています。

 ちなみに、「マヨネーズ」を“goo”で検索すると、3491件の記事があった。このうち「マヨラー」25件が検索され、森高千里さんは俗にマヨラー。また、発掘!あるある大事典2/9放送第15回「マヨネーズ」には、この「マヨラー」が取り上げられている。

1998年2月2日(月)曇り後雪。<七桁郵便番号の実施>

寒晒し 旨味極味にや 法の声

「口茶」

 「口茶」は、「くちヂャ」と混種語読みをする。意味は、でがらしの茶ッ葉の上に、新しい茶ッ葉を少しずつ加えて茶をいれることで、その茶をも言う。

この語用例は、小学館『日本国語大辞典』に、洒落本『妓娼〓〔片〕子』上「さっきのへ口茶をいれたらよからうじゃアねへか」と里見〓〔弓享〕『今年竹』夏霜枯・五「すべて洒落や滑稽や茶などの二番煎じが、少々くち茶などすればするほど、うまくないものになる一般の原則に洩れず」の二例がみえる。

用例を未収載にしている国語辞典のなかでは意味を知るだけにとどまることはことばを考える思考過程を育成するには、やはり、是非ともご用例がほしい。この語用例をみることで、いつ頃からこの語が使われはじめ、今に及んでいることを知る手がかりとなるのである。実は、我が家のお茶の間でのできごとで恐縮なのだが、出し殻の茶っ葉に茶をいれるのを知って、「茶の葉を足して茶を呑むことをなんて言うの?」と息子に聞かれた。そのとき、「“くちヂャ”って言うんだ」と説明すると同時に私自身、すかさず手近に置いてあった国語辞典を引き出していた。彼には「くちヂャ」の字が頭に浮ばぬようである。そして、「なぜ“口茶”って言うんだ?」「この“口”の字ってどういうの?」となったのである。漢字で表記した「口茶」は簡単なことばのように思うが、この湯桶読みの読み方はむつかしい。すなおに「くちチャ」、音読みして「コウチャ」や「クチャ」でもないのである。こんなことばが国語辞典に潜んでいたのかと感心しきりの息子であった。そして、私もこのことばの語源を調べてみたくなったのは言うまでもない。

1998年2月1日(日)曇り後雪。

心意気 織りなす糸は 縦横と

「滅形」

 「メツケイ」と読むこの熟語「滅形」は、国語辞典・漢和辞典<広漢和・大字源など>には未収載の語である。そして、梶井基次郎『冬の日』(新潮文庫)第二章に突然、用いられていることばでなのである。

がそれである。この作品は、同人雑誌『青空』(昭和二年四月号)に掲載されている。この語の意味は、「形あるものやひとが影も形もなく滅び去ること」である。日本語で物の場合は「失う」であり、人の場合は「死ぬ」という。ただ「死ぬ」という語を露骨に口に出せないときには、婉曲に「隠れる」とか「まかる」とか言い回しを代えて表現したりもする。

 次にこの語に出会ったのは、開高健の小説群である『巨人と玩具』(新潮文庫)・『輝ける闇』(新潮文庫)・『夏の闇』(新潮文庫)であった。

 ・その瞬間私ははげしい滅形〔メツケイ〕を感じたのだ。[『巨人と玩具』一一三D]

 ・無気力が私を包囲し、しめつけていた。滅形が起って私はパイプ椅子の背にもたれかかていた。[『輝ける闇』一四六@]

 ・この滅形のひどさはどうしたことだろうか。[『夏の闇』一一五M]

 ・滅形がたちなおるどころか、いよいよ深く食いこんでくる。[『夏の闇』一二九J]

この四例も、自分の眼前で起こりくる有形から無形へと変性する深層心理の状況そのもののようだ。

 このように、梶井基次郎がこのことばを最初に使っている作家かと思うのだが、この語の出処は以前不明である。これを開高健が再び使用していて、その使用は昭和三十二年十月号「文學界」に発表した『巨人と玩具』を筆頭に『輝ける闇』『夏の闇』と続く。このなかで、『巨人と玩具』だけに「メツケイ」と音読みの振り仮名が施されていてこの読み方を知ることができる。そして、この言葉の意味合いは和語「めまい」に類似した語であろうかと推察しているが、結論はまだ定まっていない語なのである。

 

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