2002年4月1日から日々更新
ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
2002年4月30日(火)晴れ。成田⇒佐倉⇒成田山(新勝寺)
「雲雀(ひばり)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「鳥名」に、
雲雀(ヒバリ)。网(同)。〔元亀本369八・九〕〔静嘉堂本449二〕
とあって、標記語を古写本二本が「雲雀」と「网」との二語を収載し、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「雲雀水鳥山鳥一番」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「雲_雀(ヒハリ)水-鳥山_鳥一_番(ツカイ)」〔山田俊雄藏本〕
「雲_雀水_鳥山_鳥一_番(ツガイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
雲雀(ヒバリ)鳥ノ名(ナ)。又ハ馬ノ毛(ケ)。〔氣形門60一〕
とあって、標記語「雲雀」の語で収載し、語注記は「鳥の名。または馬の毛」と二種の意を示す。広本『節用集』には、
雲雀(ヒバリ/ウンシヤク.クモ,スヾメ)[平・入]又作‖网糲|。〔氣形門1033四〕
とあって、標記語を「雲雀」として収載し、語注記には「又作‖○○|」形式で別表記の「网糲」の語を示している。注記内容としては『下學集』とは異なる内容であり、その継承性はこの語には見られない。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、
雲雀(ヒバリ)。网(同)。〔弘・畜類253一〕
雲雀(ヒバリ)又网(ヒハリ)。〔永・畜類216五〕
雲雀(ヒバリ)又鶺网。〔尭・畜類202二〕
とあって、標記語「雲雀」と「网」の二語にして収載し、語注記は未記載にする。また、易林本『節用集』には、
雲雀(ヒバリ)。网糲(同)。〔氣形74二〕
とあって、標記語「雲雀」と「网糲」の二語を収載し、その語注記は未記載にする。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
网糲(サウ―) ヒハリ/俗用倉庚。雲雀同。〔黒川本・動物下88オ四〕
网糲ヒハリ/俗用。肬糲。雲雀似雀而大也。已上同/出崔禹。〔卷第十・動物328三・四〕
とあって、標記語「网糲」と「雲雀」の語を示し、十巻本はこれに「肬糲」が増補され注記がなされている。十巻本の「雲雀」の語注記は、下記に示す『和名類聚抄』に共通するものである。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
306雲雀・水鳥・山鳥一番。塩肴ナ者鮪ノK作・鮎(アヒ)ノ白干・鱒ノ楚割 自‖背脊|破ヲ云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕
とあって、標記語を「雲雀」とし、その語注記は、未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
雉(キジ)兎(ウサキ)鴈(カン)鴨(カモ)鶉(ウヅラ)雲雀(ヒバリ)水_鳥山_鳥一_番(ツガヒ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「雲雀」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
鶉(うづら)雲雀(ひばり)/鶉雲雀陰(いん)萎(なへ)て作(おこら)さるによし。〔三十五ウ八〕
とあって、標記語「雲雀」の語注記は、「陰萎へて作らざるによし」とあって、その食の効能が示されている。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ八〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一オ四〕
とあって、標記語「雲雀」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
Fibari.ヒバリ(雲雀) ひばり.⇒Neri〜.〔邦訳227l〕
とあって、標記語「雲雀」の語の意味を「ひばり」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ひばり【雲雀】<名>@ヒバリ科の小鳥。全長約十七センチbで、スズメよりやや大きい。羽色は地味で、背面は褐色に黒褐色の縦斑(たてふ)があり、羽縁は黄褐色。腹面は淡く、胸に暗色の斑点(はんてん)がある。頭頂の羽毛はやや長く、羽冠を形成。足は丈夫で、後指のつめは長い。木の枝に止まることはなく、三、四月には高空をさえずりながら飛ぶ。各地の草原・畑・川原などに多く、地上の小動物や草の実などを食べる。四〜七月、地上に枯草で椀形の巣を営む。鳴き声が良いので古くから飼い鳥にされる。天完(てんりょう)。告天子。学名はAlauda arvensis《季・春》ABCD略す」とある。
[ことばの実際]
雲雀 催禹食經云雲雀似雀而大<比波利>楊氏漢語抄云网糲<倉庚二音訓上同>《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)卷七》
2002年4月29日(月)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(玉川)
「鴨(かも)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「鳥名」に、
鴨(カモ)。鳬(同)。〔元亀本370九〕〔静嘉堂本450六〕
とあって、標記語を古写本二本が「鴨」と「鳬」との二語を収載し、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「雉兎雁鴨稱鵠」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「雉(キシ)兎(ウサキ)鴈鴨(カモ)葬(クヾイ)稱(タウ)」〔山田俊雄藏本〕
「雉・兎・鵠(クグイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
鴨(カモ)。〔氣形門59四〕
とあって、標記語「鴨」の語で収載し、語注記は未記載にする。広本『節用集』には、
鴨鳬(カモ・同/アフフ)[去・平]格物論ニ鳬ハ野鴨也。色白頭上ノ上ニ有毛。数百為群ヲ。多泊(トヽマ)リ‖在江海ノ間ノ沙上ニ|。食‖沙石ヲ|。皆消シ化ス。唯食シテ‖海蛤ヲ|。不ハ消隨テ‖其糞ニ|出。且ツ其曹蔽(クヽツ)テ∨天ヲ。而下ル聲如‖風雨ノ|。所ノ∨望ノ田間稱梁必為ニ∨之空ス。史ニ遊急就章ニ云。水鳬翁也。〔氣形門264三〕
とあって、標記語を「鴨」として収載し、語注記に「『格物論』に鳬は、野鴨なり。色は白く頭上の上に毛あり。数百群を為す。多くは江海の間の沙上に泊り在り。沙石を食ふ。皆消し化す。唯海蛤を食して。其の糞に隨ひて消へざるは出づ。且つ其の曹天を蔽つて。而して下る聲風雨の如し。望みの所の田間梁と稱し、必ずこの為に空す。『史(記)』の遊急就章に云く、水鳬は翁なり」とあって、『格物論』と『史(記)』の遊急就章を引いている。その注記内容は、『下學集』が語注記を未記載にするのに対し、こちらは詳細なものとなっている。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、
鴨(カモ/カウ)鳬(同/フ)。〔弘・畜類79八〕
鴨(カモ)。鳬(同/フ)。〔永・畜類78八〕
鴨(カモ) 鳬(同)。〔尭・畜類71六〕
鴨(カモ)。〔両・畜類85七〕 鳬(カモ)。〔両・畜類85八〕
とあって、標記語「鴨」と「鳬」の二語にして収載し、語注記は未記載にする。また、易林本『節用集』には、
鴨(カモ)。鳧(同)。鶩(同)。〔氣形74二〕
とあって、標記語「鴨」「鳧」「鶩」の三語を収載し、その語注記は未記載にする。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
鴨(アフ)カモ。鶩同。鳧(フ)同王高(カイツ)/又カモメ。鷄鴦同。鴎(ヲウ)カモメ。毛衣/又カモ。〔黒川本・動物上75ウ八〕
鴨カモ。甲竓/和作矍鳥。鶩肪同楊玄皹音。屎名鴨通。舒鳥出兼名苑/已上三名カモ見本草。鳬カモメ/野名曰―/家名曰鶩。〔卷第三・動物171一〕
とあって、標記語「鴨」の語を示し、それぞれに別標記語の収載及び語注記がなされている。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
304雉・兎・雁・鴨・稱鵠(タウコウ) 々ハ云‖天鵝|也。〔謙堂文庫藏三三右B〕
とあって、標記語を「鴨」とし、その語注記は、未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
雉(キジ)兎(ウサキ)鴈(カン)鴨(カモ)鶉(ウヅラ)雲雀(ヒバリ)水_鳥山_鳥一_番(ツガヒ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「鴨」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
鴨(かも)/鴨氣を益(ま)し胃を平(たひらか)にす。〔三十五ウ七〕
とあって、標記語「鴨」の語注記は、「氣を益し胃を平らかにす」とあって、その食の効能が示されている。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ八〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一オ四〕
とあって、標記語「鴨」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
Camo.カモ(鴨) marrecaに似た海鳥の一種.※これは,水掻きのある水鳥で,pato(雁・鴨の類)よりも小さいmarrecoの雌鳥を意味するが,本書ではこれを“鴨”に充てている.⇒Axicamo;Cogamo.〔邦訳86l〕
とあって、標記語「鴨」の語の意味を「marrecaに似た海鳥の一種」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「かも【鴨・鴨】<名>@(鳴き声に由来するという)ガンカモ科の鳥のうち、比較的小形の水鳥の総称。全長四〇〜六〇センチbぐらいで、一般に雄の羽色の方が美しい。あしは短く、指の間に水かきがって巧みに泳ぐ。くちばしは扁平で柔らかい皮膚でおおわれ、感覚が鋭敏で、ふちにはくしの歯状の小板が並ぶ。河海、湖沼にすみ、淡水ガモと海ガモとに区別される。前者にはマガモ、カルガモ、後者にはスズガモ、クロガモなどがある。日本には冬季に北地から渡来し、春に北地に帰るものが多く、夏季ふつうに見られるのは、カルガモとオシドリのみである。肉は美味で、カモ汁、カモなべなどにする。マガモの飼育変種にアヒルがあり、アヒル(家鴨)に対し野(生)鴨ともいわれる。《季・冬》」としている。
[ことばの実際]
鴨 爾雅集注云鴨<音押>野名曰鳬<音扶>家名曰鶩<音木>楊氏漢語抄云鳬腑<加毛 下音鳥克反>水鳥也《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)卷七》
梶原平三景時、献靈鴨背與腹白、似雪自美濃國出來〈云云〉《読み下し》梶原平三景時、霊鴨(霊鵯)ヲ献ズ。背ト腹ト白フシテ、雪ニ似タリ。美濃(美作)ノ国ヨリ出来スト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治三年十二月七日条》
2002年4月28日(日)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(玉川)
「雁(ガン)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「鳥名」に、
雁(ガン)。〔元亀本370六〕
鴈(ガン)。〔静嘉堂本450二〕
とあって、標記語を古写本二本が「雁」と「鴈」と異なり表記で収載し、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「雉兎雁鴨稱鵠」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「雉(キシ)兎(ウサキ)鴈鴨(カモ)葬(クヾイ)稱(タウ)」〔山田俊雄藏本〕
「雉・兎・鵠(クグイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古写本にあって、「雁」と「鴈」と異なり表記での収載が見られる。古辞書『下學集』には、
鴻雁(コウガン)大ヲ曰∨鴻ト 小ヲ曰∨雁ト。〔氣形門59六〕
とあって、標記語「鴻雁」の語で収載し、語注記には「大を鴻と曰ひ、小を雁と曰ふ」というとする。この標記語及び注記は『和名類聚抄』に依拠するものである。広本『節用集』には、
鴻雁(カリ・同/コウガン)[平・去]各離(カリ)合紀。大曰∨鴻ト。小曰∨雁。格物論ニ曰雁ハ陽鳥也。泊(トマ)ル‖江湖洲-渚之間ニ|。動計テ千百。大者居‖其中ニ|。令‖雁奴ヲ|。圍而警察せ|。飛テ有‖先後行列|。秋ハ南ニシテ而春ハ北ス。鴻ハ又其大者。羽毛純-白也。異名、來賓。朱鳥。□鵞。郷信。霜信。羊鳥。〓〔口+御〕蘆。漸陸。〔氣形門263六〕
とあって、標記語を「雁」として収載し、語注記に「各離『國花合紀集』。大を鴻と曰ふ。小を雁と曰ふ。『格物論』に雁は陽鳥と曰ふなり。江湖洲渚の間に泊る。動計りて千百。大なる者其の中に居る。雁奴を圍みて警察せしむ。飛びて先後に行列有り。秋は南にして春は北す。鴻はまた其の大なる者。羽毛純白なり」とあり、その後半部に異名語群を収載する。注記内容としては『下學集』を継承しつつも詳細なものとなっている。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、
鳫(カリ)雁同。鴻(カリカネ/コウ) 大曰―。小曰雁。〔弘・畜類79八〕
雁(カリ/カン)鳫曰小也。鴻(カリカネ) 大也。〔永・畜類78八〕
雁(カリ)鳫小也。鴻(カリカネ/コウ) 大也。〔尭・畜類71六〕
雁(カリ)鳫曰小也。鴻(カリカネ) 大也。〔両・畜類85八〕
とあって、標記語「雁」と「鴻」の二語にして収載し、語注記は、『下學集』を継承しながらも簡略化している。また、易林本『節用集』には、
鴻(カリ)。鳫(同)。〔氣形74二〕
とあって、標記語「鴻」と「鳫」との二語を収載し、その語注記は未記載にする。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
鳫(カリ)小―南ニ翔(カケル)/ 秋ノ書係帛。鴻同大―/コウ。〔黒川本・動物下46オ五〕
〔卷第・動物〕
とあって、標記語「鳫」と「鴻」の二語を示し、それぞれに注記がなされている。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
304雉・兎・雁・鴨・稱鵠(タウコウ) 々ハ云‖天鵝|也。〔謙堂文庫藏三三右B〕
とあって、標記語を「雁」とし、その語注記は、未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
雉(キジ)兎(ウサキ)鴈(カン)鴨(カモ)鶉(ウヅラ)雲雀(ヒバリ)水_鳥山_鳥一_番(ツガヒ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「雁」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
雉(きじ)兎(うさぎ)鴈(がん)/雉兎鴈。〔三十五ウ七〕
とあって、標記語「雁」の語注記は、「」とあって、その食の効能が示されている。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ八〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一オ四〕
とあって、標記語「雁」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
Cari.カリ(雁) 野鴨.※原文はPato brauo.野生の鴨.雁も鴨も雁鴨科の鳥でよく似ているもので,雁には専らこの語を当てている.⇒Carigane;Fitotcura;Gan(雁).〔邦訳102l〕
Gan.ガン(雁) Cari(雁)野鴨〔雁〕.〔邦訳291r〕
とあって、標記語「雁」の語の意味を「雁、野鴨」とある。他に「かりがね」と「ひとつら」の語を収載する。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「がん【雁・鳫】<名>@(鳴き声に由来するという)ガンカモ科の大形の鳥の総称。カモに似ているが、ガンの方が大きくて、相対的にくびと脚が長い。日本ではツクシガモを除いて区別は明らかだが、世界的に見ると、ガンとカモの中間的なものがあり、あいまいとなる。羽色は種類によって異なり,雌雄同色で、夏冬ともに同色。飛ぶときは横列またはかぎ形をなすことがある。日本に渡来する種はマガン・サカツラガン・ヒシクイなどで、湿原や湾などに群生。趾に水かきをもち泳ぎが巧みで、生活状態はカモ類に似ている。一般にはマガンをさすことが多い。多くは北半球の北部で繁殖し、秋に南方へ渡る。かり。かりがね。かわがり。《季・秋》」としている。また、「かり【雁・鳫】<名>@(その鳴き声からの称という)「がん(雁)@」に同じ。《季・秋》ABCDE省略」とある。
[ことばの実際]
鴻雁 毛詩鴻雁篇注云大曰鴻小曰鳫<洪岸二音 加利>《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)卷七》
《読み下し》然ル間漁陽万里ノ路、■鼓罷ンデ春苔空ク鎖ザス。雁雲孤戎ノ楼、風塵収マツテ、秋月弥澄メリ。《『吾妻鏡』延応元年八月十日条》
2002年4月27日(土)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「兎(うさぎ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「鳥名」に、
兎(ウサギ)一ヲ曰‖二耳ト也。〔元亀本372二〕
兎(ウサキ)一ヲ曰二耳也。〔静嘉堂本449七〕
とあって、標記語を「兎」の語を収載し、語注記として「一ヲ二耳と曰ふなり」という「兎」の数え方を示している。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「雉兎雁鴨稱鵠」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「雉(キシ)兎(ウサキ)鴈鴨(カモ)葬(クヾイ)稱(タウ)」〔山田俊雄藏本〕
「雉・兎・鵠(クグイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、干支の十二支でも知られている標記語「兎」の語を未収載にする。以前、「烏兎」(2000.09.29)と「卯精進」(1999.12.20)のところでこの「兎」という動物について取り扱ったが、これらの標記語を含めてこの動物名を『下學集』の編纂者東麓破衲はなぜ収載しなかったのかということについては私自身まだ結論づけがなされていないのである。今後の問いかけとして考えてゆかねばなるまい。他に「羊」「猿猴」「猪」などを挙げることができる。広本『節用集』には、
兎(ウサギ/ト)[上]合紀呼三義(ウサキ)。格物論ニ曰兎ハ鼠ノ形。尾遍ク彎(ヒイ)テ短シ。毛色褐(カツ)タリ。耳鋭(スルト)ニ且卓タリ。口缺(カケ)ツ長鬚タリ。尻ニ丸ノ孔アリ。趺居トシテ虹(ヲトレ)リ。捷ク棲ム。善舐‖雄-毛ヲ|。而孕∨子ヲ。従シテ∨口出∨子。娩或曰‖同娩|。其狡者曰同(ベン/サン)ト。又其大者ハ前エ足寸-餘。後_足(ウーシ)尾数-尺。行則ンハ後足一躍(ヲー)リ数尺。止マル則仆(フ)ス∨地ニ。謂‖∨之ヲ蹶-兎ト|。亦曰‖鳴跫巨仂|。或謂兎ハ无∨雄。望テ∨月ヲ而孕也。陸佃云。兎ハ吐也。明月之精也。視テ∨月而生(ウム)故曰‖明視(シ)ト|。兎ハ属∨陰ニ。中秋月生スレハ開∨口。呑(ノン)デ‖其光ヲ|。便懐胎。口中ヨリ産(ウム)∨児ヲ。有レハ∨月兎多。無∨月兎少。在‖祖庭亊苑|。又云契丹ノ兎前足寸餘。後足幾∨尺。一躍数尺。止則ハ蹶。異名、缺唇。瑞獸。朴握。毛頴。毛頭。衣褐。〔氣形門815四〕
とあって、標記語を「兎」として収載し、語注記に「『(國花)合紀(集)』に呼三義。『格物論』に兎は鼠の形と曰ふ。尾遍く彎いて短し。毛色褐たり。耳鋭どに且つ卓たり。口缺けつ長鬚たり。尻に丸の孔あり。趺居として虹れり。捷く棲む。善く雄毛を舐る。しこうして子を孕む。口に従して子を出づ。娩或は同娩と曰ふ。其れ狡者を同と曰ふ。また、其の大なる者は前足寸餘。後足、尾数尺。行く則んば後足一躍り数尺。止まる則んば地に仆す。謂‖∨これを蹶兎と謂ふ。また、鳴跫巨仂と曰ふ。或は兎は雄なしと謂ふ。月を望みて孕むなり。『陸佃』に云く、兎は吐くなり。明月の精なり。月を視て生む故に明視と曰ふ。兎は陰に属す。中秋に月生ずれば口を開く。其の光を呑んで便ち懐胎す。口中より児を産む。月有れば兎多し。月無ければ兎少し。『祖庭亊苑』に在り。また云く、契丹の兎前足寸餘。後足尺幾くぞ。一躍数尺。止則んば蹶く」とあり、四つの資料をもって注記する。その後半部には異名語群を収載する。未收載の『下學集』とは逆にこれも注記内容としては詳細なものとなっている。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
兎(ウサキ)。〔弘・畜類149六〕
兎(ウサギ)二耳一ノ亊也。〔永・畜類121五〕
兎(ウサキ)二耳。〔尭・畜類111一〕
兎(ウサギ/ト) 二耳一ノ亊也。〔両・畜類135二〕
とあって、標記語「兎」の語を収載し、語注記としては、弘治二年本だけが未記載にあり、他三本である永祿二年本、尭空本、両足院本は「二耳一のことなり」とする。また、易林本『節用集』には、標記語「兎」の語は未収載にする。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
兎(ト) ウサキ/湯故反。〓シキン同。〓同。〓同。〓同。〓ウサキノコ。〔黒川本・動物中48オ三〕
〔卷第・動物〕
とあって、標記語「兎」の語を示し、その異名語を収載する。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
304雉・兎・雁・鴨・稱鵠(タウコウ) 々ハ云‖天鵝|也。〔謙堂文庫藏三三右B〕
とあって、標記語を「兎」とし、その語注記は、未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
雉(キジ)兎(ウサキ)鴈(カン)鴨(カモ)鶉(ウヅラ)雲雀(ヒバリ)水_鳥山_鳥一_番(ツガヒ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「兎」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
雉(きじ)兎(うさぎ)鴈(がん)/雉兎鴈。〔三十五ウ七〕
とあって、標記語「兎」の語注記は、「」とあって、その食の効能が示されている。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ八〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一オ四〕
とあって、標記語「兎」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
VSagui.ウサギ(兎) 兎.⇒V(卯).〔邦訳733r〕
とあって、標記語「兎」の語の意味を「兎」とする。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「うさぎ【兎】<名>@ウサギ科の哺乳類の総称。また、イエウサギの呼称。耳が長く、後ろ足は前足より長い。口には長いひげがあり、上唇は縦に裂けている。草食性で繁殖力が強い。アンゴラ、チンチラ、日本白色種などのイエウサギは、ヨーロッパ原産のアナウサギを家畜化したもの。野生のものにノウサギ、ユキウサギ、アマミノクロウサギなど一一属四二種がある。肉は食用に、毛は羊毛とまぜたり筆の材料にしたりする。う(兎)。おさぎ。学名はLeporidae《季・冬》ABCDE省略」としている。
[ことばの実際]
兎 四声字苑云 兎<音度 宇佐岐>似小犬而 長耳缺脣者也。《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)卷十八・8オ四》
銀兎赤烏行度、只離宮之悲、城外之恨、増悩叡念御斗也〈云云〉《読み下し》銀兎赤烏ノ行度ヲ知ラズ、只離宮ノ悲ビ、城外ノ恨ミ、増叡念ヲ悩マシ御フバカリナリト〈云云〉。《『吾妻鏡』承久三年八月五日条》
2002年4月26日(金)曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「雉(きじ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「鳥名」に、
雉(キヂ)一懸。〔元亀本370三〕
雉(キシ)一懸。〔静嘉堂本449七〕
とあって、標記語を「雉」の語を収載し、語注記として「一懸」という。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「雉兎雁鴨稱鵠」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「雉(キシ)兎(ウサキ)鴈鴨(カモ)葬(クヾイ)稱(タウ)」〔山田俊雄藏本〕
「雉・兎・鵠(クグイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
雉(キシ)。〔氣形門59七〕
とあって、標記語「雉」の語を収載し、語注記は未記載にある。広本『節用集』には、
雉(キジ/チ)[去]敬地合紀。又作看。尓雅ニ曰雉有‖数種|。青質五色ヲ曰‖雛雉ト|。長尾シテ走旦鳴ヲ曰聲雉ト|。黄色ニシテ自呼曰‖鳴雉|。似‖山介ニ|。小冠アルヲ曰‖鼈(ヘツ)雉ト|。五色備。成章曰∨看(キ)ト。此左傳ニ所謂五雉也(ナリ)。又曰白者爲‖中瑞ト|。黒者ヲ爲‖下瑞ト|也。又云蕭望之為即有雉数十常随∨車ニ翔リ集ル矣。賈大夫娶ル∨妻。三年不∨言(モノ)不∨笑。御シテ以如(ユク)∨皐ニ射(イル)∨雉ヲ獲∨之。其妻始言始笑矣。○異名、山梁。野介。補鼎。華虫。如皐。綉頸。綺翼。青鞦。況趾。夏鼕(テキ)。緑頭。〔氣形門815四〕
とあって、標記語を「雉」として収載し、語注記に「敬地『國花合紀集』。また「看」に作る。『爾雅』に曰く雉に数種有り。青質五色を「雛雉」と曰ふ。長尾して走り旦つ鳴くを「聲雉」と曰ふ。黄色にして自ら呼ぶを「鳴雉」と曰ふ。山介に似たり。小冠あるを「鼈雉」と曰ふ。五色を備ふ。『成章』に「看」と曰ふ。此れ『左傳』に所謂「五雉」なり。又曰く白きもの「中瑞」と爲す。黒きものを「下瑞」と為すなり。また云く、蕭望の為に即り雉数十有り。常に車に随ひて翔り集る矣。賈大夫妻を娶る。三年ものいはず笑はず。御してもって皐に如き雉を射る、これを獲ふ。其の妻始めて言ひ始めて笑ふや」とあり、その後半部に異名語群を収載する。注記内容としては尤も詳細なものとなっている。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、
雉(キジ)。野鷄(同)山梁。〔弘・畜類219二〕
雉(キジ)野介/一懸。〔永・畜類183三〕〔尭・畜類172九〕
雉(キシ)敬地。〔永・國花合紀集抜書279八〕
とあって、標記語「雉」と「野鷄{介}」の二語を収載し、語注記として、弘治二年本は別語「山梁」を示すのに対し、永祿二年本、尭空本とは「野介一懸」とする。また、易林本『節用集』には、
野介(キジ)。雉(キジ)。〔氣形186五・六〕
とあって、標記語「野介」と「雉」との二語を収載し、その語注記は未記載にする。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
雉(チ) キシ。山梁/直几反/キヽス。盻同。鼕同/徒歴反。聲(ケウ)同。野鷄同。看同/々輝。〔黒川本・動物下46オ五〕
山梁サンリヤウ/キシノ名。雉キシ/キヽス。盻。鼕。聲―似雉/而小走鳴長尾也。野鷄。看云輝。雉肉。況趾。華虫。燃音道。薇諸。嚇音 已上五名/出兼名苑キシ。〔卷第八・動物492五〜493二〕
とあって、標記語「雉」の語を示し、その異名語を収載する。十巻本には『兼名苑』からの増補が見られる。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
304雉・兎・雁・鴨・稱鵠(タウコウ) 々ハ云‖天鵝|也。〔謙堂文庫藏三三右B〕
とあって、標記語を「雉」とし、その語注記は、未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
雉(キジ)兎(ウサキ)鴈(カン)鴨(カモ)鶉(ウヅラ)雲雀(ヒバリ)水_鳥山_鳥一_番(ツガヒ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「雉」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
雉(きじ)兎(うさぎ)鴈(がん)/雉兎鴈筋骨(すちほね)を盛(さかんに)し臓腑(そうふ)を利す。〔三十五ウ七〕
とあって、標記語「雉」の語注記は、「筋骨を盛んにし臓腑を利す」とあって、その食の効能が示されている。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ八〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一オ四〕
とあって、標記語「雉」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
Qiji.キジ(雉) 雉.※原文はGallinha do mato,ou perdiz de Iapao.前者gallinha do matoは“山林の鷄”の意であるが,これを“雉”にあてて用いている.後者perdiz de Iapaoは“日本の山鶉(うずら)”の意であるが,これをgallinha do matoと並べ用いた例は,本条のほかNusudachi,tcu;Qeiqeitoなどの条にも見え,やはり“雉”にあてて用いたものと考えられる.→Natcuqe(なつけ),uru(くる);Qiguisu(きぎす);Sanreo<(山梁).〔邦訳496r〕
とあって、標記語「雉」の語の意味を「雉」とある。他に「きぎす」と「山梁」の語を収載する。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「きじ【雉】<名>@キジ科の鳥。形はニワトリに似るが尾が長く、全長約八〇センチb。雄は暗緑色を主体とした羽色で、複雑な模様があり、目の周囲は赤色の皮膚が裸出する。尾は四〇センチb弱で、とがり、灰褐色の地に多数の黒帯がある。雌はやや小さく、尾は二〇センチb前後。全体に黄褐色で、黒褐色の斑紋が散在。草原、低木林、林縁などにすみ、地上性で、草木の実や昆虫などを食べる。四〜七月の繁殖期に雄はケン・ケーンと二声に鳴く。二本特産で、本州・四国・九州に分布。日本の国鳥。学者によってはアジア大陸のコウライキジも同種とする。きぎす。きぎし。学名はPhasianus colchicus《季・春》AB省略」としている。
[ことばの実際]
雉 廣雅云雉<音智 上声之重和名木々須、一云木之>野介也《二十卷本『和名類聚抄』(934年頃)卷十八・8オ四》
雉 直几切(書)名華虫 夏鼕 有飛―升鼎耳而補(語)雌―(曲禮)疏趾注祭宗廟―○漢呂后名―漢人諱之謂野鷄 鄭惜―伏權門撞鐘雉鳴 詳鐘。《『韻府群玉』卷之一九,三・紙韻047右三》
大雪降曙之後、北條左親衛、相具若狹守以下人々、逍遥山内邊雉、兎、多獲之《読み下し》大雪降ル。曙ノ後、北条ノ左親衛、若狭ノ守以下ノ人人ヲ相ヒ具シ、山内ノ辺ニ逍遥シ、雉(キジ)、兎(ウサギ)、多ク之ヲ獲タリ。《『吾妻鏡』暦仁元年十二月十二日条》
2002年4月25日(木)曇り後雨。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「王餘魚(かれい)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚名」に、
王餘魚(カレイ)鰕(同)。糧。鰈(同)皆魚。〔元亀本366五〕
王餘魚(カレイ)鰕(同)。糧(同)。鰈比目魚。〔静嘉堂本445五〕
とあって、標記語を「王餘魚」「鰕」「糧」「鰈」の四語を収載し、最後の「鰈」語注記として「比目魚」という。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「生物者鯛鱸鯉鮒鯔王餘魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「生_物(ナマ―)ハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王_餘_魚(カレイ)」〔山田俊雄藏本〕
「生物(ナマモノ)者鯛鱸(スヾキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)・王餘魚(カレイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
王餘魚(カレイ)。〔氣形門65二〕
とあって、標記語「王餘魚」の語を収載し、語注記は未記載にある。広本『節用集』には、
鰈(カレイ)。或作‖王餘魚(カレイ)ト|。又名‖比目魚|。〔氣形門265六〕
とあって、標記語を「鰈」として収載し、語注記に「或作‖○○ト|。又名‖○○|」の形式で、「王餘魚」の語を記載する。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
王餘魚(カレイ)昔越王欲∨責呉王|渡∨海時舩中得∨魚即作鱠不尽我可得呉国者莫斃(タヲルヽ)此餘半棄テ∨水ケレハ半身成∨魚謂‖之王餘魚|。倭名ニハ加良衣(カレイ)。俗加列ト云也。詞林。鰕(同)糧。鰈(同)比目魚。〔弘・畜類80五・六〕
王餘魚(カレイ)。鰈(同)又名比目魚。〔永・畜類79七〕
王餘魚昔越王欲責呉王渡海箕舩中得魚、即作鱠不尽、我可得呉国者莫∨斃此餘半棄∨水ケレハ半身成魚謂之王餘魚|。倭名ニハ加良衣(カレイ)。俗加例ト云也。詞林。〔永・畜類86六〕
王餘魚(カレイ)昔越王欲∨責‖呉王|渡海時舩中得魚、即作∨鱠不∨尽、我可∨得‖呉国|者莫∨斃此餘半棄(ステ)ケレハ∨水半身成∨魚謂之王餘魚。倭名ニハ加良衣(―レイ)。俗ニハ加列ト云也。又。略(カレイ)。鰈(同)又比目魚ト云。〔尭・畜類72八・九〕
王餘魚(カレイ)。鰈(同)又名皆魚。〔両・畜類86六・七〕
とあって、標記語「王餘魚」と「鰈」の二語を収載し、「王餘魚」の語注記として、弘治二年本と永祿二年本、尭空本とが「昔越王、呉王を責ることを欲す。海を渡る時、舩中に魚を得、即ち鱠に作る。我に呉国得べきは、斃るること莫れ。此の餘り半にして水に棄てければ半身、魚と成る。王餘魚之謂。『倭名(類聚抄)』には、「加良衣」。俗に「加例」と云ふなり。『詞林』」とする。この注記を『和名類聚抄』に求めていることが知られる。これを両足院本は、注記を欠き「鰈」の語の注記を見ることができよう。また、易林本『節用集』には、
王餘魚(カレイ)。〔氣形73七〕
とあって、標記語「王餘魚」とし、その語注記は未記載にする。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
王餘魚(カラエヒ) 俗云カレイ。亶同。〔黒川本・動物上76オ七〕
王餘魚 カレイ/カラエヒ。郭璞云王餘皆雖有二片其實/一魚也。不比行者名王餘也。比行者名比目也。神記云昔越王為鱠割魚而随半於海中/化魚名曰王餘也。出七卷食經。〔卷第五・動物34一〕
とあって、標記語「王餘魚」の語を示し、十巻本には「『郭璞』に云く、王餘皆二片ありといえども其の實は一魚なり。比べず行ひ王餘と名づくなり。比べ行ふは比目となづくなり。『(捜)神記』に云く、昔越王、鱠を為し魚を割きて半を隨ひ海中において魚と化す。名づけて王餘といふなり也。七卷『食經』に出づ」の語注記を収載している。その典拠を異にするが、一部『和名類聚抄』と同じ注記が見えている。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
△『韻府(群玉)』云呉王食鱠有王棄(スツ)‖水中|、化(為)魚名王餘魚。鼻ハ端ト云テサケノ鼻ノ通ヲイカニモウスクソイテ酢ニテ料理スル珎物也。〔静嘉堂本『庭訓徃來抄』古冩書込み〕
とあって、標記語を「王餘魚」とし、その語注記は、「昔、~功皇后三韓退治の時、舩中にて鯛の鱠を進ず、其の半を食ひ、半を海に投ぐ。即ち魚と化す。故に王の餘り魚といふなり」という。ここで、印度本系統の『節用集』の注記と十巻本『伊呂波字類抄』の注記内容に近似ているが、その譚を扱う人物が異なっていることが知られよう。すなわち、かたや中国呉の越王(春秋時代に、現在の上海付近にあった越という国の王)とし、かたや本邦の~功皇后としていることに気がつくのである。いずれも、王の食い残したものという観点をもって共通し、この王が鱠(刺身)にして食した残りの半身を海に投げ捨てたものが生きかえって「カレイ」となったという筋立てである。これは、越王を神功皇后の譚へと差し替えたものとして当代の『庭訓徃來註』編纂者がこの魚にある種の興趣味を持たせていることが知られよう。
古版『庭訓徃来註』では、
生物(ナマモノ)ニハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王餘魚(カレイ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「王餘魚」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
王餘魚(かれい)/王餘魚呉(ご)の闊閭(かつりよ)と申せし王鱠(なます)のあまりを海中に捨(すて)玉ひしかは、かれいといふ魚に化(くわ)したり。このゆへに王の餘(あま)せし魚と書と云傳ふ。あやしき事なれともこゝにしるす。〔三十五ウ五〕
とあって、標記語「王餘魚」の語注記は、「呉の闊閭と申せし王、鱠のあまりを海中に捨て玉ひしかば、「かれい」といふ魚に化したり。このゆへに「王の餘せし魚」と書くと云ひ傳ふ。あやしき事なれどもこゝにしるす」とあって、ここでは「呉の闊閭」という王名が示されている。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番▲王餘魚(わうよぎよ)ハ本名膾殘魚(くわいざんぎよ)といふ。即(すなはち)白魚(しろうを)の事也。此魚形(かたち)細長(ほそなが)く色(いろ)瑯白(ろうはく)にしておのづから膾(なます)の躬(み)のごとし。故に名(なづ)く。博物志(はくぶつし)に呉王(ごわう)魚膾(ぎよくわい)を食(しよく)して其殘餘(のこり)を江(え)に棄(すつ)るに化(げ)して此魚と成る故に名くと云々。盖(けたし)劉淵林(りうゑんりん)が鰈(かれ)を以て王餘魚とせしより皆(ミな)謬(あやまつ)て鰈(かれ)とするのミ。其実(じつ)ハしからず。〔二十九オ四〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ) ▲王餘魚ハ本名膾殘魚(くわいざんぎよ)といふ。即(すなはち)白魚(しろうを)の事也。此魚形(かたち)細長(ほそなが)く色(いろ)瑯白(ろうはく)にしておのづから膾(なます)の躬(み)乃ごとし。故に名く。博物志(はくぶつし)に呉王(ごわう)魚膾(ぎよくわい)を食(しよく)して其殘餘(のこり)を江(え)に棄(すつ)るに化(け)して此魚と成る故に名くと云々。盖(けたし)劉淵林(りうえんりん)が鰈(かれ)を以て王餘魚とせしより皆(ミな)謬(あやまつ)て鰈(かれ)とするのミ。其実(じつ)ハしからず。〔五十一ウ四〕
とあって、標記語「王餘魚」の語注記は「王餘魚は、本名「膾殘魚」といふ。すなはち白魚の事なり。この魚、形細長く、色瑯白にして、おのづから膾の躬のごとし。故に名づく。『博物志』に呉王、魚膾を食してその殘餘を江に棄つるに化して、この魚と成る故に名づくと云々。けだし劉淵林が「鰈」をもって「王餘魚」とせしより皆謬まつて「鰈」とするのみ。その実はしからず」とあって、この注記も呉王とし、その典拠を『博物志』と明記している。
当代の『日葡辞書』に、
Carei.カレイ(鰈・王餘魚) 鰈.上(Cami)ではCare(鰈)と言う.※原文のLinguadoは,一般に舌鮃(したびらめ)をさす.〔邦訳102l〕
とあって、標記語「鰈・王餘魚」の語の意味を「鰈.上(Cami)ではCare(鰈)と言う」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「かれい【王餘魚】<名>@カレイ科の海魚の総称。体は扁平な卵形で、全長三〇センチbくらい。両眼は片側に存在する。左ビラメの右カレイといって、一般にカレイ科は右側、ヒラメ科は左側に目があるがヌマガレイは普通左側にあり、オヒョウはヒラメ科でも右側にあるなど例外もある。上面は褐色などの黒みを帯び、周囲の色とまぎらわしい色に変わることが多い。下面は白色または淡黄色。食用とする。海底の砂地にすみ、日本近海ではマガレイ、マコガレイ、イシガレイ、メイタガレイなどが一般に知られている。からえい。A魚「したびらめ(舌鮃)」の異名」としている。
このように、『庭訓徃來註』が標記語「王餘魚」の注記内容の譚を本邦の~功皇后に差し替えて編纂していることが上記資料を比較検討することで知られ、この注記内容を広本『節用集』や『運歩色葉集』が採録を未採択するのに対し、印度本系統の『節用集』類は正統に伝えようとする編纂意識が読み取れ、その取扱い方法が大いに異なった様相を呈しているのである。
[ことばの実際]
王餘魚 未豪L云南海有‖王餘魚|<加良衣比 俗云加礼比>昔越王作∨鱠不∨盡餘半棄∨水自以‖半身|為魚故名曰‖王餘魚|也《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)八》
捜神記曰東海名餘腹者昔越王爲膾割而未切堕半於水化爲魚《『太平御覧』卷九三八鱗介部一〇「比目魚」》
王餘魚 呉―食鱠有―棄水中化爲―名―――。《『韻府群玉』卷之四・一‐六魚韻217右五》
2002年4月24日(水)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「鯔(なよし)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚名」に、
名吉(ナヨシ/ミヤウキチ)伊勢鯉事。〔元亀本366九〕
名吉(ナヨシ)伊勢鯉事。〔静嘉堂本446一〕
とあって、標記語を「名吉」の語で収載し、語注記は「伊勢鯉のこと」という。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「生物者鯛鱸鯉鮒鯔王餘魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「生_物(ナマ―)ハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王_餘_魚(カレイ)」〔山田俊雄藏本〕
「生物(ナマモノ)者鯛鱸(スヾキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)・王餘魚(カレイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
鰡(ナヨシ)或ハ作ス‖名吉(ナヨシ)ト|。〔氣形門64七〕
とあって、標記語「鯔」の語を収載し、語注記は「或ハ作ス‖○○ト|」形式で別表記「名吉」の語を示している。広本『節用集』には、
鰡(ナヨシ)。〔氣形門436六〕
とあって、標記語「鰡」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
鰡(ナヨシ)。名吉(同)。〔弘・畜類138四〕
鰡(ナヨシ)名吉(同)。〔永・畜類111一〕
魴(ナヨシ)鰡(同)。名吉(同)。〔尭・畜類101七〕〔両・畜類124三〕
とあって、標記語「鰡」と「名吉」の語を弘治二年本と永祿二年本は収載し、尭空本・両足院本はこれに「魴」の語を冠頭に収載し、語注記は未記載にする。また、易林本『節用集』には、
鯔(ナヨシ)。〔氣形109六〕
とあって、標記語「鯔」とし、その語注記は未記載にする。このように、魚名「なよし」の標記語には「鰡」の字と「鯔」の字とが見え、それぞれ古辞書に収載がみられるが、語注記としては『下學集』を筆頭にして別表記の「名吉」が印度本系統の『節用集』と『運歩色葉集』に見え、『運歩色葉集』は、『庭訓往来』の標記語「鯔」の字は未記載にしていることが注目され、これには注記があることからして別資料からの引用ということになる。この資料とした典拠がどのようなものか明らかにすることを今後の課題としておく。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
鯔(シ) ナヨシ。〔黒川本・動物中33オ八〕
鰡 ナヨシ/出崔禹。似聚而大頭。〔卷第五・動物34一〕
とあって、標記語「鯔」と「鰡」とで示し、十巻本には「崔禹に出づ。聚に似て大頭」の語注記を収載している。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「鯔」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
生物(ナマモノ)ニハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王餘魚(カレイ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「鯔」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
鰡(なよし)/鰡胃(ゐ)をひらき五臓(さう)を利(り)し人を肥(こや)す。〔三十五ウ四〕
とあって、標記語「鯔」の語注記は、「胃をひらき五臓を利し人を肥やす」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番▲鰡ハいせごゐともいふ。ぼらの事也。〔二十九オ四〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)▲鰡ハいせごひともいふ。ぼらの事也。〔五十一ウ四〕
とあって、標記語「鯔」の語注記は「鰡は、いせごひともいふ。ぼらの事なり」とあって、注記の前半部は『運歩色葉集』に共通する。
当代の『日葡辞書』に、
Nayoxi.ナヨシ(名吉・鯔) ある魚.→次条.〔邦訳455l〕
†Nayoxi.ナヨシ(名吉・鯔) ぼらの一種.※原文はtainha.〔Boraの注〕〔邦訳455l〕
とあって、標記語「鯔」の語の意味を「ある魚.→次条〔ぼらの一種〕」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「なよし【鯔】<名>ボラの幼魚で、全長三〇センチbぐらいのものをいう。いな。《季・秋》」としていて、『運歩色葉集』や頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』が注記する「伊勢鯉のこと」は、[語源説](5)で「伊勢で鯉のこととするところから、ナヨシ(名吉)の義〔名言通〕」を引用していることを付帯しておくことにする。
[ことばの実際]
鯔 遊仙窟云東海鯔條<鯔讀奈与之 音緇 條讀見飲食部>《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)八》
「今日は都のみぞ思ひやらるる。小家の門のしりくべ縄のなよしの頭、ひいらぎら、いかにぞ。」とぞ言ひ合へなる。《『歛左日記』(935年頃)承平五年一月元日》
2002年4月23日(火)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「鱸(すずき)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚名」に、
鱸(スヽキ)。〔元亀本368四〕
鱸(スヾキ)。〔静嘉堂本447七〕
とあって、標記語「鱸」の語を収載し、語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「生物者鯛鱸鯉鮒鯔王餘魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「生_物(ナマ―)ハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王_餘_魚(カレイ)」〔山田俊雄藏本〕
「生物(ナマモノ)者鯛鱸(スヾキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)・王餘魚(カレイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
鱸(スヽキ)松江(スウコウ)ノ鱸魚巨口(コ[クウ])細鱗([サイ]リン)ナリ也。〔氣形門63七〕
とあって、標記語「鱸」の語を収載し、語注記は「松江の鱸魚、巨口細鱗」という。広本『節用集』には、
鱸(スヽキ)松江(スンコウ)ノ鱸魚/巨口細鱗。〔氣形門1123七〕
とあって、標記語「鱸」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
鱸(スヽキ)竜同。〔弘・畜類269三〕
鱸(スヽキ)松江ノ―魚巨口細鱗也。〔永・畜類230七〕
鱸(スヽキ)松江―魚/巨口細鱗也。〔尭・畜類216八〕
とあって、標記語「鱸」の語をは収載し、その語注記は弘治二年本だけが「竜同」とし、他本は『下學集』広本『節用集』の注記を継承する。また、易林本『節用集』には、
鱸(スヾキ)。〔氣形239二〕
とあって、標記語「鱸」とし、その語注記は未記載にする。このように、標記語「鱸」は、古辞書に収載がみられるが、語注記があるのは『下學集』広本『節用集』印度本系統の『節用集』ということになる。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
鱸(ロ) スヽキ/似鯉而鰓大開者也。〔黒川本・動物下108六〕
鱸(ロ) スヽキ/似鯉而鰓大開者也。俗名。鱸鮭出崔禹/已上スヽキ。〔卷第十・動物491五〕
とあって、標記語「鱸」の語を収載し、語注記に「鯉に似て鰓大きく開くものなり」という。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「鱸」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
生物(ナマモノ)ニハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王餘魚(カレイ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「鱸」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
鱸(すゝき)/鱸五臓(ごぞう)を補ひすじほねを益(ま)す。〔三十五ウ四〕
とあって、標記語「鱸」の語注記は、「五臓を補ひ、すじほねを益す」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ七〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一ウ四〕
とあって、標記語「鱸」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
Suzuqi.スズキ(鱸) robalo〔鱸の類〕のような魚.〔邦訳594l〕
とあって、標記語「鱸」の語の意味を「robalo〔鱸の類〕のような魚」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「すずき【鱸】<名>スズキ科の海産魚。全長約一bに達する。体は細長い紡錘形。口は大きく、下あごは上あごより突出する。脊部は灰青色で腹部は銀白色。幼魚では体側や背鰭に黒褐色の小点が散在。冬季、湾口部で産卵する。幼魚は春から夏に湾内、さらに河口部などに侵入する。一部は河川をさかのぼる。親魚も春から夏に湾内に入り、潮通しのよい岩礁域に群れる。ともに、秋の水温の低下とともに沖の深みから湾口に移動し、越冬する。動物食で魚類、甲殻類などを丸のみにする。北海道から九州までの沿岸に分布する。釣り魚として人気がある。旬は夏で、塩焼き、刺身などにする。稚魚を「せいご」、少し成長したものを「ふっこ」といい、成育につれて呼称が異なるのでボラ、ブリなどとともに出世魚と呼ばれる。学名はLateolabrax japonicus《季・秋》」としている。『庭訓徃来』は、@の意味となる。
[ことばの実際]
鱸 崔禹食經云鱸<須須岐>貌似鯉而鰓大開者也《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)八・龍魚部》
其儀、強不極美以五色鱸魚等、爲肴物《読み下し》其ノ儀、強チ美ヲ極メズ。五色ノ鱸魚等ヲ以テ、肴物トス。《『吾妻鏡』建久二年八月一日条》
松江鱸 巨口細鱗状似――之―(赤壁賦)。《『韻府群玉』巻之五・虞韻一317左四》
2002年4月22日(月)雨のち曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「鯛(たい)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚名」に、
鯛(タイ)五牧赤女(アカメ)―名日本記/四ノ味二懸ト云之。〔元亀本366八〕
鯛(タイ)五牧赤女―名日本記/四味二懸ト云也。〔静嘉堂本445八〕
とあって、標記語「鯛」の語を収載し、語注記は、「五牧赤女を鯛と名づく、『日本紀』に四の味二懸とこれを云ふ」という。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「生物者鯛鱸鯉鮒鯔王餘魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「生_物(ナマ―)ハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王_餘_魚(カレイ)」〔山田俊雄藏本〕
「生物(ナマモノ)者鯛鱸(スヾキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)・王餘魚(カレイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
鯛(タイ)。〔氣形門64六〕
とあって、標記語広本『節用集』には、
鯛(タイ)。〔氣形門339六〕
とあって、標記語「鯛」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
鯛(タイ)五枚四ノ時ハ貮懸也。〔弘・畜類103七〕
鯛(タイ)五枚四時ハ二懸也。赤女(アカメ)―名日本記。〔永・畜類93一〕
鯛(タイ)五枚赤女(アカメ)―名/日本記四時ハ二懸也。〔尭・畜類85一〕〔両・畜類102七〕
とあって、標記語「鯛」の語をは収載し、その語注記は上記のように三様となっている。また、易林本『節用集』には、
鯛(タイ/テウ)。〔氣形90七〕
とあって、標記語「鯛」とし、その語注記は未記載にする。このように、標記語「鯛」は、古辞書に収載がみられるが、語注記があるのは『運歩色葉集』そして、印度本系統の『節用集』ということになり、この両古辞書には継承関係があることがうかがえる。とりわけ、この語における内容が類似しているのは、尭空本・両足院本『節用集』ということになる。
また、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
鯛テウ/タイ。〔黒川本・動物中2ウ三〕
鯛タヒ。尨魚治躰相似崔禹/タヒ/見本艸。〔卷第四・動物389五〕
とあって、標記語「鯛」の語を収載する。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「鯛」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
生物(ナマモノ)ニハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王餘魚(カレイ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「鯛」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
生物(なまもの)者(ハ)鯛(たい)/生物者鯛水腫(すいしゆ)を消(せう)し上氣(じやうき)虚労(きよらう)を補(おきな)ふ。〔三十五ウ三〕
とあって、標記語「鯛」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ七〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一ウ四〕
とあって、標記語「鯛」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
Tai.タイ(鯛) Pargo〔タイ科の魚〕のような魚.〔邦訳602r〕
とあって、標記語「鯛」の語の意味を「Pargo〔タイ科の魚〕のような魚」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「たい【鯛】<名>@スズキ目タイ科に属する海産魚の総称。全長三〇〜一〇〇センチb。体は楕円形で著しく側扁する。頭と口が大きい。日本産タイ類では、体色は赤みを帯びるものと帯びないものがいる。ふつうは、淡紅色で体側に青色の小斑点の散在するマダイをさす。マダイは姿が美しく美味なので、日本料理では魚の王として重用し、「めでたい」に通じることから古くから祝いの料理に供する。マダイの代用にするチダイ、キダイのほか、ヘダイ、クロダイなど種類が多い。また、日本にはアコウダイ、キンメダイ、キントキダイ、スズメダイなど「…ダイ」と呼ばれるものが多いが、タイ科魚類とは類縁関係のないものや、近くないものが多い。A以降省略」としている。『庭訓徃来』は、@の意味となる。
[ことばの実際]
鯛 崔禹食經云鯛<都条反 多比>味甘冷無毒皃似毬而紅鰭者也《十卷本『和名類聚抄』(934年頃)八》
赤女 鯛、安加目、太比(タヒ)。《御巫本『日本書紀私記』(1428年)神代下》
海神(ワタツカミ)乃集(ツトヘテ)‖大小之魚(トヲシロクヒキイヲドモ)ヲ|逼問(せメトフ)之僉(ミチ)ニ曰ク不(ス)∨識(シラ)唯シ赤(アカ)シテ女未女ハ鯛(タヒ)ノ魚ノ名(ナ)ソ也。《『日本書紀神代合解』卷十一》
2002年4月21日(日)雨。東京(八王子)⇒世田谷(玉川→駒沢)
「生物(なまもの)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「奈」部に、
生物(―モノ)。〔元亀本166八〕〔天正十七年本中23ウ二〕
生物(ナマモノ)。〔静嘉堂本185五〕
とあって、標記語「生物」の語を収載し、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「生物者鯛鱸鯉鮒鯔王餘魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「生_物(ナマ―)ハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王_餘_魚(カレイ)」〔山田俊雄藏本〕
「生物(ナマモノ)者鯛鱸(スヾキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)・王餘魚(カレイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』広本『節用集』には、標記語「生物」の語は未収載にある。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
生物(ナマモノ)―魚。―鳥。〔弘・言語進退142一〕
とあって、標記語「生物」は弘治二年本だけが収載し、その語注記には「生魚」と「生鳥」の二語を収載する。また、易林本『節用集』には、
生物(ナマモノ)―布(メ)。〔食服110二〕
とあって、標記語「生物」とし、その語注記には、「生布」の一語を収載する。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「生物」の語を未収載にする。このように、標記語「生物」は、古辞書では弘治二年本と易林本『節用集』に別語注記を添えて収載がみられ、これに『運歩色葉集』が収載するものであることが知られるのである。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「生物」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
生物(ナマモノ)ニハ者鯛(タイ)鱸(スヽキ)鯉(コイ)鮒(フナ)鯔(ナヨシ)王餘魚(カレイ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「生物」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
生物(なまもの)者(ハ)鯛(たい)/生物者鯛水腫(すいしゆ)を消(せう)し上氣(じやうき)虚労(きよらう)を補(おきな)ふ。〔三十五ウ三〕
とあって、標記語「生物」の語注記は、「水腫を消し、上氣虚労を補ふ」と人が食して後の功能をいう。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たい)鱸(すゞき)鯉(こゐ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)/生_物ニ者。鯛。鱸。鯉。鮒。鯔。王餘魚。雉。兎。雁。鴨。鶉。雲雀。水鳥。山鳥。一番。〔二十八ウ七〕
生物(なまもの)に者(ハ)鯛(たひ)鱸(すゞき)鯉(こひ)鮒(ふな)鯔(なよし)王餘魚(かれい)雉(きじ)兎(うさぎ)雁(がん)鴨(かも)鶉(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一ウ四〕
とあって、標記語「生物」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、
†Namamono.ナマモノ(生物) 鮮魚や肉などのように,新鮮な物.〔邦訳445l〕
とあって、標記語「生物」の語の意味を「鮮魚や肉などのように,新鮮な物」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「なま-もの【生物】<名>@なまのもの。煮焼きしたり、干したりなどしないもの。主に魚類にいう。Aきむすめ。手入らずの女。B陰茎のことをいう。いきもの」としている。『庭訓徃来』は、@の意味となる。
[ことばの実際]
かゝる程に、御前に沈の棚厨子九具に、棚一に同じ轆轤挽の御器〈十五、黄金ノ御器十五宛〉、よそヒは十六の生物、干物より始めて、貝甲を盡して、御〈菓〉物數を整へ、飾り盛りたり。《『宇津保物語』吹上・下(970−999年頃)》
それはなま物をゆつるに准じて、湯ににるをばゆつといへる也。《経尊『名語記』六(1275年)》
※このように用例は平安時代に遡ることが可能であるのに対し、古辞書では鎌倉時代の語源辞書『名語記』に引かれ、実際標記語としては室町時代の『運歩色葉集』弘治二年本『節用集』そして易林本『節用集』『日葡辞書』にまたねばならない。
2002年4月20日(土)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(新宿→市ヶ谷→駒沢)
「煎海鼠(いりこ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚名」に、
煎海鼠(イリコ)。鰻(同)。〔元亀本365二〕〔静嘉堂本444二〕
とあって、標記語「煎海鼠」の語を収載し、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「削物者干鰹圓蚫干蛸魚躬煎海鼠」〔至徳三年本〕
「削物者干鰹圓鮑干蛸魚躬煎海鼠」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「削_物(ケツリ―)者ハ干_鰹(カツヲ)圓_鮑(マロアワビ)干_蛸(タコ)魚ノ_躬(ミ)煎_海_鼠(イリコ)」〔山田俊雄藏本〕
「削物(ケツリ―)者ハ干鰹(カツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(タコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、
煎海鼠(イリコ)。〔氣形門64五〕
とあって、標記語「煎海鼠」とし、語注記は未記載にある。次に広本『節用集』には、
煎海鼠(イリコ/せンカイソ,ニル、ウミ、ネズミ)[平・上・上]干肉(ホシニク)也。〔氣形門8三〕
とあって、標記語「煎海鼠」とし、語注記には「干肉なり」という。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
煎海鼠(イリコ)干肉。鰻(同)。〔弘・5六〕
海鼠(コ)生(ナマ)―。煎(イリ)―。〔弘・187五〕
煎海鼠(イリコ)。鰻(同)。〔永・3三〕〔尭・4五〕〔両・5三〕
とあって、標記語「煎海鼠」と「鰻」とし、語注記は弘治二年本だけが広本『節用集』と同じく「干肉」と云い、他本は未記載にある。また、易林本『節用集』には、
熬海鼠(イリコ)。〔衣食3六〕
とあって、標記語「熬海鼠」とし、語注記は未記載にある。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
熬海鼠イリコ。〔黒川本・×〕〔前田家本・卷上飲食8オ六〕
敖海鼠。〔卷第一・飲食38四〕
とあって、標記語「熬海鼠」の語を収載する。ここでは標記語「煎海鼠」はでない「熬」の表記字で収録されていることが分り、易林本の標記語はこれを継承する。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「煎海鼠」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
削物(ケツリモノ)ニ者ハ干鰹(ホシガツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(ホシダコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「煎海鼠」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
煎海鼠(いりこ)/煎海鼠干(ほさ)ざるをなまこと云、干(ほし)たるをいりこといふ。〔三十五ウ三〕
とあって、標記語「煎海鼠」の語注記は、「干さざるをなまこと云ひ、干したるをいりこといふ」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
煎海鼠(いりこ)/煎_海_鼠▲煎_海_鼠ハ海鼠(なまこ)を煮(に)て干(ほ)したるをいふ。〔二十八ウ六〕
煎海鼠(いりこ)▲煎海鼠ハ海鼠(なまこ)を煮(に)て干(ほ)したるをいふ。〔五十一ウ四〕
とあって、標記語「煎海鼠」の語注記は、「煎海鼠は、海鼠を煮て干したるをいふ」という。
当代の『日葡辞書』に、
Irico.イリコ(煎海鼠) 干したなまこ. 下(Ximo)ではCuxico(串海鼠)と言う.〔邦訳340r〕
とあって、標記語「煎海鼠」の語の意味を「干したなまこ.下では串海鼠と言う」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「いり-こ<名>@(海参・煎海鼠)ナマコのはらわたを取り去って煮て干したもの。薬用、中華料理の材料などに用いる。ほしこ。きんこ。A小さいイワシなどの雑魚(ざこ)を煮て干したもの。煎り雑魚。煎り干し。煮干し」としている。
[ことばの実際]
凡調絹褥<略>若輸‖雜物|者。<略>熬海鼠廿六斤、雑魚楚割五十斤。《『令義解』(718年)賦役・調絹褥条》
海鼠 崔禹食經云海鼠<和名古本朝式等加熬字 云伊利古>似蛭而大者《二十卷本『和名類聚抄』八》
2002年4月19日(金)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢→新宿)
「魚ノ躬(うをのみ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「宇」部に、標記語「魚ノ躬」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「削物者干鰹圓蚫干蛸魚躬煎海鼠」〔至徳三年本〕
「削物者干鰹圓鮑干蛸魚躬煎海鼠」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「削_物(ケツリ―)者ハ干_鰹(カツヲ)圓_鮑(マロアワビ)干_蛸(タコ)魚ノ_躬(ミ)煎_海_鼠(イリコ)」〔山田俊雄藏本〕
「削物(ケツリ―)者ハ干鰹(カツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(タコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』広本『節用集』そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、標記語「魚ノ躬」を未収載にする。ただ、易林本『節用集』に、
魚躬(ウヲノミ)。〔食服118三〕
とあって、この標記語「魚躬」を収載し、その語注記は未記載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「魚ノ躬」の語を未収載にする。この標記語「魚躬」は、易林本『節用集』以外の古辞書にはまったく収録されていない語である。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
魚ノ躬―カマボコ/魚肉也。〔静嘉堂本『庭訓徃來抄』古冩書込み〕
とあって、標記語を「魚ノ躬」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
削物(ケツリモノ)ニ者ハ干鰹(ホシガツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(ホシダコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「魚ノ躬」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
干蛸(ほしたこ)魚(うを)の躬(ミ)/干蛸魚ノ躬からすみ鮭(さけ)のはらゝなと也。〔三十五ウ二〕
とあって、標記語「魚ノ躬」の語注記は、「鮭のはらゝなどなり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
魚(うを)ノ躬(ミ)/魚ノ_躬▲魚ノ躬ハ爰(こゝ)に魚肉(ぎよにく)の乾(ほ)したるをいふ。〔二十九オ四〕
魚(うを)ノ躬(ミ)▲魚躬ハ爰(こゝ)に魚肉(きよにく)の乾(ほ)したるをいふ。〔五十一ウ三〕
とあって、標記語「魚ノ躬」の語注記は、「魚の躬は、爰に魚肉の乾したるをいふ」という。
当代の『日葡辞書』に、標記語「魚ノ躬」の語は未収載にする。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「うお【魚】<名> うおの躬(み) 魚の肉を乾かして固めたもの。削って食用にする」としている。
[ことばの実際]
2002年4月18日(木)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「干蛸(ほしだこ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「保」部に、標記語「干蛸」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「削物者干鰹圓蚫干蛸魚躬煎海鼠」〔至徳三年本〕
「削物者干鰹圓鮑干蛸魚躬煎海鼠」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「削_物(ケツリ―)者ハ干_鰹(カツヲ)圓_鮑(マロアワビ)干_蛸(タコ)魚ノ_躬(ミ)煎_海_鼠(イリコ)」〔山田俊雄藏本〕
「削物(ケツリ―)者ハ干鰹(カツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(タコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』広本『節用集』そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』、易林本『節用集』には、標記語「干蛸」を未収載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「干蛸」の語を未収載にする。この標記語「干蛸」は、古辞書にはまったく収録されていない語である。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「干蛸」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
削物(ケツリモノ)ニ者ハ干鰹(ホシガツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(ホシダコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)。〔下七オ八〕
とあって、この標記語「干蛸」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
干蛸(ほしたこ)魚(うを)の躬(ミ)/干蛸魚ノ躬からすみ鮭(さけ)のはらゝなと也。〔三十五ウ二〕
とあって、標記語「干蛸」の語注記は、「からすみ」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
干蛸(ほしだこ)/干_蛸。〔二十八ウ六〕
干蛸(ほしだこ)。〔五十一オ二〕
とあって、標記語「干蛸」の語注記は、未記載にする。
当代の『日葡辞書』に、標記語「干蛸」の語は未収載にする。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ほし-だこ【干蛸】<名>干した蛸」としている。
[ことばの実際]
乾蛸九斤十三両。《『延喜式』(927年)二十四・主計》
2002年4月17日(水)晴れのち曇り強風。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「圓鮑(まるあわび)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「滿」部に、標記語「圓鮑」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「削物者干鰹圓蚫干蛸魚躬煎海鼠」〔至徳三年本〕
「削物者干鰹圓鮑干蛸魚躬煎海鼠」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「削_物(ケツリ―)者ハ干_鰹(カツヲ)圓_鮑(マロアワビ)干_蛸(タコ)魚ノ_躬(ミ)煎_海_鼠(イリコ)」〔山田俊雄藏本〕
「削物(ケツリ―)者ハ干鰹(カツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(タコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで至徳三年本が「圓蚫」という表記をしているのに対し、他本は「圓鮑」と表記することが指摘できる。古辞書『下學集』そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、標記語「圓鮑」を未収載にする。次に広本『節用集』には、
圓鮑(マロアワビ/ヱンハウ)[平・上] 。〔氣形門569二〕
とあって、標記語「圓鮑」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
圓鮑(マロアハビ) 。〔氣形140一〕
とあって、標記語「圓鮑」の語を収載する。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「圓鮑」の語を未収載にする。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「圓鮑」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。〔下七オ七〕
とあって、この標記語「圓鮑」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
圓鮑(まるあわひ)/圓鮑熨斗(のし)にせざる圓(まろき)きほしあわびなり。〔三十五ウ二〕
とあって、標記語「圓鮑」の語注記は、「熨斗にせざる圓きほしあわびなり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
圓鮑(まるあわひ)/圓鮑▲圓鮑ハ全躰(まるなり)にて乾(ほ)したる鮑(あわび)也。今いふ白干(しらぼし)なるべし。〔二十九オ三〕
圓鮑(まるあわひ)▲圓鮑ハ全躰(まるなり)にて乾(ほ)したる鮑(あわび)也。今いふ白干(しらぼし)なるべし。〔五十一ウ三〕
とあって、標記語「圓鮑」の語注記は、「圓鮑は、全躰にて乾したる鮑なり。今いふ白干なるべし」という。※日本国語大辞典「しら-ぼし【白干・白乾】<名>魚肉・野菜などを、塩につけないでそのまま干すこと。また、そのもの」という。
当代の『日葡辞書』にも「串鮑」や「塩鮑」の語は見えるが、古辞書と同様に、標記語「圓鮑」の語は未収載にする。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「まる-あわび【圓鮑】<名>(「まる」は接頭語)切ったりしないで、そのまま乾した鮑。まろあわび」とし、その用例に『庭訓往来』が引用されている。また、「まろ-あわび【圓鮑】<名>(「まるあわび(丸鮑)に同じ」では古辞書広本『節用集』と易林本『節用集』が収載されている。
[ことばの実際]
もちい。いりこ。まるあわび。《『山内料理書』(1497年歟)》
2002年4月16日(火)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)自分らしく光るために君は夢を追う「もう一歩」
「干鰹(ほしがつを)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「保」部に、標記語「干鰹」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「削物者干鰹圓蚫干蛸魚躬煎海鼠」〔至徳三年本〕
「削物者干鰹圓鮑干蛸魚躬煎海鼠」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「削_物(ケツリ―)者ハ干_鰹(カツヲ)圓_鮑(マロアワビ)干_蛸(タコ)魚ノ_躬(ミ)煎_海_鼠(イリコ)」〔山田俊雄藏本〕
「削物(ケツリ―)者ハ干鰹(カツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(タコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』広本『節用集』そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』、易林本『節用集』には、標記語「干鰹」を未収載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「干鰹」の語を未収載にする。いわば、古辞書にはこの語を採録していないのである。
さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「干鰹」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。〔下七オ七〕
とあって、この標記語「干鰹」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
干鰹(ほしかつほ)/干鰹者かつをぶしの事なり。〔三十五ウ一〕
とあって、標記語「干鰹」の語注記は、「かつをぶしの事なり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
干鰹(ほしかつを)者(ハ)/干_鰹▲干鰹ハ鰹節(かつをぶし)の事也。〔二十九オ三〕
干鰹(ほしかつを)▲干鰹ハ鰹節(かつをふし)の事也。〔五十一ウ三〕
とあって、標記語「干鰹」の語注記は、「干鰹は、鰹節の事なり」という。
当代の『日葡辞書』にも古辞書と同様に、標記語「干鰹」の語を未収載にする。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ほし-がつお【干鰹】<名>かつおぶし」としていて、その用例に『庭訓往来』が引用されている。
[ことばの実際]
節者乾鰹、如‖竹節|而堅硬也。延喜式称堅魚悉是乾鰹而今之鰹節也。《『本朝食鑑』(1697)九》
2002年4月15日(月)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「削物(けずりもの)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「氣」部に、
削物(ケヅリモノ)。〔元亀本217六〕
削物(ケツリモノ)。〔静嘉堂本247八〕
とあって、標記語「削物」の語を収載し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「削物者干鰹圓蚫干蛸魚躬煎海鼠」〔至徳三年本〕
「削物者干鰹圓鮑干蛸魚躬煎海鼠」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「削_物(ケツリ―)者ハ干_鰹(カツヲ)圓_鮑(マロアワビ)干_蛸(タコ)魚ノ_躬(ミ)煎_海_鼠(イリコ)」〔山田俊雄藏本〕
「削物(ケツリ―)者ハ干鰹(カツヲ)圓鮑(マルアワビ)干蛸(タコ)魚ノ躬(ミ)煎海鼠(イリコ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「削物」を未収載にする。次に広本『節用集』は、
削物(ケヅリモノ/サウブツ)[入・入]魚肉有‖五種ノ――|也。〔飲食門592五〕
とあって、標記語「削物」とし、その語注記は「魚の肉、五種の削物あり」という。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、
削物(ケヅリモノ)魚肉有五種ノ―。〔弘・財宝174六〕
削物(ケツリモノ)魚ノ肉有五種ノ削物|。〔永・財宝143五〕
削物(ケツリモノ)魚肉在有五種之削物。〔尭・財宝133三〕
とあって、標記語「削物」の語を収載し、その語注記は広本『節用集』を継承し、「魚の肉、五種の削物あり」という。また、易林本『節用集』には、
削物(ケヅリモノ)。〔食服145三〕
とあって、標記語「削物」とし、その語注記は未記載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「削物」の語を未収載にする。
『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
とあって、標記語を「削物」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。〔下七オ七〕
とあって、この標記語「削物」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
削物(けつりもの)者(ハ)/削物者かつをぶしやうのものハミなけづりて食(くら)ふゆへ削物といふ。〔三十五オ八〕
とあって、標記語「削物」の語注記は、「かつをぶしやうのものは、ミなけづりて食らふゆへ削物といふ」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
削物(けつりもの)者(ハ)/削物者。〔二十八ウ六〕
削物(けづりもの)に者(ハ)。〔五十一オ一〕
とあって、標記語「削物」の語注記は、未記載にする。。
当代の『日葡辞書』には、
†Qezzurimono.ケズリモノ(削物) 種々の物の装飾用に,ある銘木で作ったさまざまな花や鳥,および,それに類した物.〔邦訳491r〕
とあって、標記語「削物」の意味は「種々の物の装飾用に,ある銘木で作ったさまざまな花や鳥,および,それに類した物」ということで同語表記の異なり語と見る。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「けずり-もの【削物】<名>@魚肉などを乾燥させ、削って食べるもの。A木を削って、花、鳥、細工物などを作ること。また、そのもの」としていて、@の意味が『庭訓往来』で、Aの意味が『日葡辞書』ということになる。
[ことばの実際]
今二にはえび、丁子を鰹つきの削り物のやうにて入れたり。《『宇津保物語』蔵開上》
2002年4月14日(日)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(玉川→駒沢)
「梅干(ほや)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名・ホ」に、
岩花(ホヤ)。老海鼠(同)。〔元亀本366一〕〔静嘉堂本445二〕
とあって、標記語「岩花」と「老海鼠」の二語を収載し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「并初献料海月熨斗鮑梅干」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
「并初献料海月熨斗蚫梅干」〔建部傳内本〕
「并ニ初-献ノ料海_月(クラケ)熨_斗(ノシ)鮑(アワヒ)梅_干(ホヤホシ)」〔山田俊雄藏本〕
「并ニ初献(コン)ノ料ニ海月(クラゲ)熨斗(ノシ)鮑(アワビ)梅干(ムメホシ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「梅干」を未収載にするが、古写本の春林本『下学集』には、最末尾書込みとして、
梅干(ホヤ)魚名。〔春林・氣形門67二〕
とあって、標記語「梅干」の語を収載し、語注記に「魚名」という。次に広本『節用集』は、
岩花(ホヤ/カンクワ,イハハナ)[平・平]。〔氣形門98五〕
とあって、標記語「削物」とし、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
岩花(ホヤ)。老海鼠(ホヤ)。〔弘・畜類33五〕
岩花(ホヤ)。老海鼠(同)。〔永・畜類34二〕〔尭・畜類30六〕〔両・畜類36六〕
とあって、標記語「削物」と「老海鼠」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
老海鼠(ホヤ)。〔氣形30七〕
とあって、標記語「老海鼠」とし、その語注記は未記載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
老海鼠(ホヤ)。瑩蛤同。保夜同/俗用之。〔黒川本・動物上34オ四〕
老海鼠ホヤ。瑩蛤。保衣已上同/俗用之/夜歟。〔卷第二・動物302二〕
とあって、標記語「老海鼠」を筆頭に「瑩蛤」と「保夜」の計三語にして「ほや」の語を収載する。
已上、ここでも標記語「梅干」の表記は見えないのである。この標記語の異なりは何を示唆しているのかといえば、『下学集』の編者はこの語を未収載としたことから、後の古辞書編纂者の姿勢は、生物語彙について下記に示す別なる伝統資料である源順『和名類聚抄』(934年頃)からの引用を実施し、『庭訓往来』や『庭訓往来註』からの語彙引用を避けたとしか云い様が無かろう。また、逆に『庭訓往来』の標記語「梅干」が何に依拠したものか今後の課題となる。
『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
303梅干。削物者ハ干鰹・圓鮑・干蛸(ダコ)・魚ノ躬・煎海鼠。生物(ナマモノ)ハ者鯛・鱸・鯉・鮒・鯔(ナヨシ)・王餘魚 昔|~功皇后三韓退治ノ時、舩中ニテ進‖鯛ノ鱠|、其ヲ半ヲ食半ヲ投∨海。即化魚。故曰‖王ノ餘魚|也。〔謙堂文庫藏三三右@〕
△梅干トワホヤト云テ鎌倉ナトニ多キ魚也。唐テ名ヲ梅干ト云。読ミニハホヤト読也。赤ク圓キ也。〔静嘉堂本『庭訓徃來抄』古冩書込み〕
とあって、標記語を「梅干」とし、その語注記は未記載にある。
古版『庭訓徃来註』では、
初献ノ料(リヤウ)ニ海月(クラゲ)熨斗(ノシ)鮑(アワビ)棚干(ホヤ)。〔下七オ七〕
とあって、この標記語「棚干」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
梅干(ほや)/梅干色赤き貝(かい)とも云。ほしたる漬梅也とも云。此三品ハ引渡の料なり。〔三十五オ八〕
とあって、標記語「梅干」の語注記は、「色赤き貝とも云。ほしたる漬梅也とも云。此三品ハ引渡の料なり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
梅干(ほや)/梅干▲梅干ハ古来ほやと訓(よ)めり。此物大なるハ六七寸形(かたち)圓(まろ)く全躰(ぜんたい)肬(いぼ)多くして海鼠(とらご)に似(に)たる貝(かい)也。故に老海鼠(らうかいそ)と名(なづ)く。殻肉(からにく)とも色(いろ)淡赤(うすあか)し。松前(まつまへ)津軽(つかる)の海中にあり。其肉(にく)を醤(ひしほ)として他邦(ほかのくに)に送(おく)る。〔二十九オ二〕
梅干(のしあハび)▲梅干ハ古来(こらい)ほやと訓(よ)めり。此物大なるハ六七寸形(かたち)圓(まろ)く全躰(ぜんたい)肬(いぼ)多(おほ)くして海鼠(とらご)に似(に)たる貝(かひ)也。故に老海鼠(らうかいそ)と名(なづ)く。殻肉(からにく)とも色(いろ)淡赤(うすあか)し。松前(まつまへ)津軽(つがる)の海中にあり。其肉(にく)を醤(ひしほ)として他邦(ほかのくに)に送(おく)る。〔五十一オ六〕
とあって、標記語「梅干」の語注記は、「梅干は、古来「ほや」と訓めり。此の物大なるは、六七寸、形圓く全躰肬多くして海鼠に似たる貝也。故に老海鼠と名づく。殻肉とも色淡赤し。松前・津軽の海中にあり。其の肉を醤として他邦に送る」という。
当代の『日葡辞書』には、
Foya.ホヤ(老海鼠) 球形をした赤い色の或る魚.〔邦訳267r〕
とあって、標記語「老海鼠」の意味は「球形をした赤い色の或る魚」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ほや【海鞘】<名>ホヤ目に属する原索動物の総称。単体のものは球形または卵形で、革質の被嚢でおおわれる。体の下端で他物に付着し、上端には入水孔(口)と出水孔(口)とがあり、食物を水とともに吸いこむ。群体をなすものは各個体がきわめて小さく、共通の寒天質のなかに並ぶ。幼生はオタマジャクシ形で、尾に脊索をもつが、成体になると失う。各地の浅海の岩礁域に分布する。マボヤ。アカボヤなど食用になる種が知られる。初夏の頃が旬(しゅん)で、俳諧では夏の季語とされているが、古くは冬の季語ともされていた。ほやがい。《季・夏》」とする。
[ことばの実際]
老海鼠 漢語抄云老海鼠<保夜 俗用此保夜二字>《二十卷本『和名類聚抄』八》
それは「海の神に怖ぢて」と言ひて。何の葦蔭にことづけて、ほやのつまのいずし、すしあはびをぞ、心にも有らぬはぎにあげて見せける。《『歛左日記』大系38十三》
2002年4月13日(土)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「熨斗鮑(のしあわび)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「乃」部に、
熨斗(ノシ)。長蚫(同)自伊勢出之。〔元亀本186九〕〔静嘉堂本210八〕
慰斗(ノト)。長蚫(同)自伊勢書之。〔天正十七年本中35オ一〕
熨鮑(ノシアワビ)蚫(アワビ)。〔元亀本186十〕
熨蚫(ノシアワビ)。〔静嘉堂本211一〕
慰蚫(ノシアワビ)。〔天正十七年本中35オ二〕
とあって、「のし」は標記語「熨斗」と「長鮑」の二語を収載し、後者表記に語注記「伊勢よりこれ出づ」という。また、標記語「熨鮑{蚫}」で「のしあわび」として収載が見られる。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「并初献料海月熨斗鮑梅干」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
「并初献料海月熨斗蚫梅干」〔建部傳内本〕
「并ニ初-献ノ料海_月(クラケ)熨_斗(ノシ)鮑(アワヒ)梅_干(ホヤホシ)」〔山田俊雄藏本〕
「并初献ノ料海月(クラケ)熨斗(ノシ)鮑(アワビ)梅干」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、
熨斗(ノシ)石決明(アワヒ)ニテ作ル∨之ヲ。〔氣形門65四〕
鮑(アワビ)或ハ成‖海貝(アワヒ)ト|。或ハ成ス‖石決明ト|。〔氣形門64五〕
とあって、標記語「熨斗」と「鮑」の二語として収載し、語注記は別表記文字について説明する。次ぎに広本『節用集』は、
引鮑(ノシアワビ/インハウ)[去・平]或作‖熨斗鮑ト|。〔氣形門491八〕
とあって、標記語「引鮑」とし、その語注記に「或作‖○○ト|」形式で「熨斗鮑」の語を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
熨鮑(ノシアワヒ/ノシ)引鮑。熨斗(ノシ)。長蚫(同)自伊勢書之。六月一日伊勢嶋ノ内玖崎(クサキ)ト云所ノ海士取∨鮑作‖熨斗|。同十六日御神亊ニ備∨之。〔弘・畜類153六・七〕
熨(ノシ)。熨斗(ノシ)イ本/白本。鮑(アハビ)或作引鮑(ノシアワヒ)。長蚫(ノシ)自伊勢。六月一日伊勢島内玖崎(クサキ)ト云所ノ海士取∨鮑作熨斗云々。十六日御神亊ニ備∨之也。〔永・畜類125七〕
熨鮑(ノシアワビ)或作引鮑。長蚫(―シ)自伊勢書之。六月一日伊勢嶋内玖崎云処海人取∨鮑作‖熨斗(ノシト)|。同書之十六日御神亊備之也。〔尭・畜類114八〕
熨鮑(ノシ)或作引鮑。長蚫(ノシ)自伊勢出之。六月一日伊勢島内玖崎(サキ)云処海士(アマ)取鮑作‖熨斗(ノシト)|。同出之十六日御神亊備∨之也。〔両・畜類139三〕
とあって、標記語「熨鮑」「熨斗」「長鮑」の語を収載し、最初の「熨鮑」の語注記に「或は引鮑に作る」とし、最後の「長鮑」に語注記として、「伊勢より之れ書{出}す。六月一日、伊勢の嶋内玖崎と云ふ処の海人鮑を取りて熨斗に作る。同じく之れを書{出}す。十六日、御神亊に之れを備ふなり」という。この語注記に関しては、『下學集』や広本『節用集』の注記内容とは全く異なり、直接的には下記の『庭訓往来註』の注記内容によく合致し、そこからの継続引用であり、後半部の箇所を変更したものとなっている。それをさらに簡略化した語注記が上記の『運歩色葉集』ということになる。
所謂、辞書成立の過程でこの「熨鮑・長鮑」の語は、印度本系統の『節用集』類と『運歩色葉集』とが編纂途上において密接な関りがあるだけではなく、真字注である『庭訓往来註』を両辞書が継承引用の遡源としていることがここに検証できるのである。その継承引用が前者は後半箇所の一部変更に対し、方や後者は簡略化という編纂姿勢をもって記載しているのである。
また、易林本『節用集』には、
熨斗鮑(ノシアハビ)。〔氣形123四〕
とあって、標記語「熨斗鮑」の語注記は未記載にする。また、「熨斗(ノシ)」は器財門にあって、語注記に「衣のしはをのふる物」とあって、ここから転じた意味内容がこの「熨斗鮑」であることが知られるのである。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
熨(井)ウツ。斗(トウ)ノシ。〔黒川本・雜物中59ウ七〕
熨斗ノシ/亦作尉尉云。〔卷第五・雜物256二〕
鮑アハヒ。鰒(フク)同/蒲角反。石决明同食之心自惣了亦附石生故似名之。〔黒川本・動物下23オ五〕
鮑アハヒ。/蚫俗同。蚫。鰒同崔禹食經云石决明食之/心日聡了亦附石生故以名之。石决明食之心日聴可亦附石生故以名之。赤口螺已上同。〔卷第八・動物283一〕
とあって、標記語「熨」と「斗」の二語にして「ノシ」の語を収載し、標記語「鮑・鰒・石决明」に「赤口螺」の三語と四語で「あわび」の語を収載する。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
302熨斗(ノシ)鮑 或長鮑書也。是ハ六月一日ニ伊勢嶋ノ内玖(ク)崎ト云所ニ、海士取鮑作‖熨斗|。同十六日ノ一日ニ伊勢ヘ參也。内裡ヘモ自∨是參也。即長丸取次也。余ノ月ニスルハ悪也。自‖内裡|七十俵ノ年貢ヲ被∨免也。長丸ハ即禰宜ノ名也云々。〔謙堂文庫藏三二左G〕
とあって、標記語を「熨斗」とし、その語注記は、「或は長鮑と書くなり。是は、六月一日に伊勢嶋の内玖崎と云ふ所に、海士鮑を取りて熨斗に作る。同十六日の一日に伊勢へ參らすなり。内裡へも是れより參ずるなり。即ち長丸取次なり。余の月にするは悪しきなり。内裡より七十俵の年貢を免らるるなり。長丸は、即ち禰宜の名なり云々」という。
古版『庭訓徃来註』では、
初献ノ料(リヤウ)ニ海月(クラゲ)熨斗(ノシ)鮑(アワビ)棚干(ホヤ)。〔下七オ七〕
とあって、この標記語「熨斗鮑」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
熨斗鮑(のしあわび)/熨斗鮑。あわひをのしたるなり。いせを名物とす。さゞゐにても作るゆへのしあわびと云し也。〔三十五オ七〕
とあって、標記語「熨斗鮑」の語注記は、「あわびをのしたるなり。いせを名物とす。さゞゐにても作るゆへ、のしあわびと云ひしなり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
熨斗鮑(のしあハひ)/熨斗鮑▲熨斗鮑(のしあハび)ハ鮑をうすくと長(なが)くむきて乾(ほし)たるなり。今(いま)専(もつは)ら祝儀(しうき)に用(もち)ひ進物(しんもつ)に添(そ)ふるといへども実(しつ)ハ食料也。但(たゞ)し斗の字(じ)ハ省(はぶ)くべし。誤(あやまり)也。〔二十九オ一〕
熨斗鮑(のしあハび)▲熨斗鮑ハ鮑(あハび)をうすくと長くむきて乾(ほし)たるなり。今専(もつハ)ら祝儀(しうぎ)に用ひ進物(しんもつ)に添(そ)ふるといへども実(じつ)は食料也。但し斗の字(じ)ハ省(はぶ)くべし。誤(あやまり)也。〔五十一オ六〕
とあって、標記語「熨斗鮑」の語注記は、「鮑をうすくと長くむきて乾したるなり。今専ら祝儀に用ひ、進物に添ふるといへども、実は食料なり。但し、斗の字は、省くべし。誤りなり」という。
当代の『日葡辞書』には、
Noxiauabi.ノシアワビ(熨斗鮑) Noxi(熨斗)の条を見よ.それに同じ.〔邦訳474r〕
Noxi.ノシ(熨斗) 鮑を干して細長い帯状にしたもので,食用として保存するもの.下(Ximo)では,Noxiauabi(熨斗鮑)と言う. 〔邦訳474r〕
とあって、標記語「熨斗鮑」の意味は「鮑を干して細長い帯状にしたもので,食用として保存するもの」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「のし-あわび【熨斗鮑】<名>鮑の肉を薄くはぎ、引き延ばして乾かしたもの。古くは食料に用い,後には儀式の肴(さかな)とし,また、進物などに添えて贈った。のし。《季・新年》」とする。
[ことばの実際]
又其後君白直垂にてまいらせ給ひ庭上に畏て御わたり候つれは銀のおしきにうちあわひ五六十本かほとをかせ給ひみつから御手にてくに頼朝給はれとて御簾の中よりをしいたさせ給ひつるを君給てふつ/\とまいり候つるかわつかに一本はかりのこさせ給ひくに守康給はれとて投出させ給ひつるを守康給食共おほえす懐中する共おほえすして夢さめぬ。《京大図書館蔵『保元物語』》
例進長鮑千百五十帖《読み下し》例進ノ長鮑千百五十帖《『吾妻鏡』建久三年十二月二十日条》
則御前へ被召出、御手自御熨斗鮑を被下候。康政は御蔵奉行を呼、御蔵より料足千貫出させ、下人共に皆分渡し「汝等可申は内府の人数六万にて駆着、御屋舗にも兵糧拵へかね候故、店屋物を買候由可申廻」旨下知仕候。《『武辺咄聞書』第46話》
2002年4月12日(金)雨のち晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「初献(シヨコン)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、「初入(シヨニウ)。初心(シヨシン)。初知(―チ)。初後(―ゴ)。初會(―エ)」の五語を収載するにすぎず、標記語「初献」の語は未収載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「并初献料海月」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「并ニ初-献ノ料海_月(クラケ)」〔山田俊雄藏本〕
「并初献ノ料海月(クラケ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』広本『節用集』そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、標記語「初献」の語を未収載にする。また、易林本『節用集』には、
初行(シヨギヤウ)。―心(シム)。―後(ゴ)。―番(バン)。―念(ネン)。―重(ヂウ)。―對面(タイメン)。―一念(イチネン)。―中後(チウゴ)。〔言辞214四〕
とあって、標記語「初行」の冠頭字「初」の熟語群として「初献」の語をここでも未収載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「初献」の語を未収載にする。已上の古辞書にはこの標記語「初献」は未採録の語となっている。ただし、饅頭屋本『節用集』に収載が見られるのである。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
301并初献ノ料、海月 史記曰、海月無∨骨者。晋霊運句曰、掛∨席拾‖――|註蛤属也。〔謙堂文庫藏三二左F〕
とあって、標記語を「初献の料」とし、その語注記は、「汝をもって揖橈と爲し、汝をもって塩梅と爲す。古亊なり」という。
古版『庭訓徃来註』では、
初献(シヨコン)ノ料(リヤウ)ニ《後略》。〔下七オ七〕
とあって、この標記語「初献の料」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
初献(しよこん)の料(れう)に/初献ノ料。式三献の時先壹番に引渡をすへ捨土器銚子提を出す。扨三献飲て後貮番に打躬を右の方へすつる。又三献漸く三番に腸煮を左の方へすへ三つ置削のしくらけ梅干塩橘皮を出置に盛り三方に重出す。くるしき事ハ其道によりてたつねへし。〔三十五オ四〕
とあって、標記語「初献の料」の語注記は、そのしきたりを詳細に記す。。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
初献(しよこん)の料(りやう)に/初献ノ料ニ。〔二十八ウ五〕
初献(しよこん)の料(れう)に。〔五十ウ六〕
とあって、標記語「初献の料」の語注記は、未記載にある。
当代の『日葡辞書』には、
Xocon.ショコン(初献) Fajime tatematcuru.(初め献る)食卓〔膳〕,あるいは,座敷(Zaxiqui)に運ばれる最初の酒と肴(Sacana).〔邦訳789l〕
とあって、標記語「初献」の意味は「(初め献る)食卓〔膳〕,あるいは,座敷に運ばれる最初の酒と肴」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しょ-こん【初献】[<名>酒宴で最初の杯をさすこと。最初の献杯」とする。
[ことばの実際]
初献御酌、朝光二献義村三献清重也入御之後、武州、奉酒肴并生衣一領、同小袖五領於御臺所、賀申若公御吉事之故也《読み下し》初献(シヨコン)ノ御酌ニ、朝光。二献ハ義村。三献ハ清重ナリ。入御ノ後、武州、酒肴并ニ生衣一領、同ク小袖五領ヲ御台所ニ奉ル。若公ノ御吉事ヲ賀シ申スガ故ナリ。《『吾妻鏡』文治四年七月十日条》
2002年4月11日(木)曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「塩梅(エンバイ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「衛」部に、
塩梅(―バイ)。〔元亀本337一〕
塩梅(―バイ)。〔静嘉堂本402八〕
とあって、標記語「塩梅」の語を収載し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢塩梅」〔至徳三年本〕
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢酒塩梅」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「能-米馬ノ大豆秣(マクサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味-噌醤(ヒシヲ)酢酒塩-梅」〔山田俊雄藏本〕
「能米(ノウ―)大豆秣(マグサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味噌(ミソ)醤(ヒシヲ)酢(ス)酒塩梅(エンバイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』広本『節用集』そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、標記語「塩梅」の語を未収載にする。また、易林本『節用集』には、
塩酢(エンソ)―梅(バイ)。―消(せウ)。〔食服162五〕
とあって、標記語「塩酢」の冠頭字「塩」の熟語群として「塩梅」の語を収載する。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
塩梅ヱンハイ/塩鹹梅酢也。〔黒川本・飲食下13オ三〕
塩梅エンハイ/塩痊也梅能也/擣薑蘓以醋和也。〔卷第七・飲食208五〕
とあって、標記語「塩梅」の語を収載する。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
塩梅―サカシヲノコト也。△塩梅ハ殷ノ湯王傳説ヲ聞くル古亊也。其レ言ハニ云ク、若シ渡‖巨海ヲ|以∨汝ヲ為‖舟橈|。若歳大旱せハ以∨汝ヲ為‖霖雨ト|若調‖五味ヲ|用∨汝ヲ為塩梅ト|物之肝要ヲ云也。〔静嘉堂本書き込み〕
とあって、標記語を「塩梅」とし、その語注記は、「汝をもって揖橈と爲し、汝をもって塩梅と爲す。古亊なり」という。
古版『庭訓徃来註』では、
塩梅(ヱンバイ)并ニハ梅漬(ムメヅケ)ノコトナリ。〔下七オ七〕
とあって、この標記語「塩梅」の語注記は、「梅漬のことなり」という。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
味噌(ミそ)醤(ひしほ)酢(す)酒(さけ)塩梅(ゑんハい)/味曽醤酢酒塩梅しほつけの梅也。昔食物に味をつけるに塩と梅とを用ひしゆへいまにてハ味つける事をあんはいと云。塩梅と書也。〔三十五オ三〕
とあって、標記語「塩梅」の語注記は、「しほづけの梅なり。昔、食物に味をつけるに塩と梅とを用ひしゆへいまにてハ味つける事をあんばいと云ふ。塩梅と書くなり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
味噌(ミそ)醤(ひしほ)酢(す)酒(さけ)塩梅(ゑんはい)/味曽醤酢酒塩梅▲塩梅ハ塩漬(しほづけ)の梅子(むめのミ)也とぞ。〔二十八ウ五〕
味噌(ミそ)醤(ひしほ)酢(す)酒(さけ)塩梅(えんばい)▲塩梅ハ塩漬(しほづけ)の梅子(むめのミ)也とぞ。〔五十ウ六〕
とあって、標記語「塩梅」の語注記は、「塩梅は、塩漬の梅子なりとぞ」という。
当代の『日葡辞書』には、
Ambai.l,yembai. アムバイ.または,エムバイ(塩梅) すなわち,Reo>rino caguen.(料理の加減)食物や料理の調味の加減.§Ambaiuo miru.(塩梅を見る)うまく調味されているかどうか,料理の味見をする.〔邦訳23r〕
とあって、標記語「塩梅」の意味は「食物や料理の調味の加減」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「えん-ばい【塩梅】[<名>@食物の調味に用いる塩と梅の酢。塩味と酸味。A(―する)食物の味を調えること。また、食物の味加減。あんばい。B(―する)臣下が君主を助けて政務をうまく処理していくこと」とする。
[ことばの実際]
塩梅 尚書説命篇云若作和羹爾惟塩梅<孔安国云塩鹹也梅酢也>《二十卷本『和名類聚抄』十六》
逗留之間、連日竹葉、勸宴酔、塩梅調鼎味、所被献之又金銀懸數、錦綉重色者也《読み下し》逗留ノ間、連日竹葉、宴酔ヲ勧メ、塩梅鼎味ヲ調ヘ、之ヲ献ゼラルル所、又金銀数ヲ懸ケ(尽シ)、錦綉色ヲ重ヌル者ナリ。《『吾妻鏡』元暦元年六月五日条》
2002年4月10日(水)曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「味噌(ミソ)醤(ヒシヲ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「見・飛」部に、
味噌(ミソ)。〔元亀本301三〕〔静嘉堂本350八〕
醤(ヒシヲ)定。欹(同)。〔元亀本346六〕〔静嘉堂本416八〕
とあって、標記語「味噌」と「醤・欹」の語を収載し、その「醤」の語注記に「定」とあり、『定家仮名遣』を典拠とするものを略記したものである。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢塩梅」〔至徳三年本〕
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢酒塩梅」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「能-米馬ノ大豆秣(マクサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味-噌醤(ヒシヲ)酢酒塩-梅」〔山田俊雄藏本〕
「能米(ノウ―)大豆秣(マグサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味噌(ミソ)醤(ヒシヲ)酢(ス)酒塩梅(エンバイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書元和版『下學集』は、
醤(ミソ/ヒシヲ)。漿(コンツ)二字同。〔飲食門100四〕
欹(ヒシヲ)。〔飲食門100五〕
とあって、標記語「醤」と「欹」を別排列し、「醤」の読みを「みそ」と「ひしを」として収載する。これを古写本『下学集』(村口本そして亀田本)は、
欹(ヒシヲ)。醤(ヒシヲ/コンス)。漿(ヒシヲ/同)三字同。〔村口本飲食門第十二43ウ三〕
欹(ヒシヲ)。醤―上声(ミソ)。漿(コンヅ/タレミソ)二字同義也。汁(アセ)如∨漿(コンヅ)也。〔亀田本飲食門第十二79三〕
とし、標記語「醤」の語の読みについては、二本を掲げるだけだが、どうも「みそ」と「ひしを」そして「こんす」と諸写本間にあって、異なりが見うけられるのである。そして「味噌」の標記語は「法論味噌(ホウロミソ)」の語として収載するものである。次に、広本『節用集』には、
味噌(ミソ/アヂワイ,―)[去・○]。醤漿(ミソコンヅ/シヤウ,シヤウ)[去・○]二字同義/汁如∨漿也。〔飲食門890七〕
醤(ヒシホ/シヤウ)[去]或作欹。〔飲食門1034四〕
とあって、標記語「味噌・醤漿」と「醤」の二語を収載し、その語注記はそれぞれである。「みそこんず」の語注記は古写本亀田本に類似することは既に指摘がなされているが如きである。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
味噌(ミソ)。〔弘・食物233三〕〔尭・食物183九〕
味噌(――)。〔永・食物194三〕
醤(ヒシヲ)。○。欹(ヒシヲ)。〔弘・食物254七〕
醤(ヒシホ)醢(同)。欹(同)。〔永・食物217九〕
醤(ヒシホ)欹。〔尭・食物203五〕
とあって、標記語「味噌」と「醤」の二語を収載し、その語注記は未記載にある。また、易林本『節用集』には、
味噌(ミソ)――炙(ヤキ)。〔食服199六〕
醤(ヒシホ/シヤウ)醯也。畸同上。醢窗也。〔食服225一〕
とあって、標記語「味噌」「醤・畸・醢」の二語を収載し、語注記は上記のごとくである。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
末醤ミソ俗。味曽同/俗用之。〔黒川本・飲食下63ウ一〕
未醤ミソ/俗用味醤。〔卷第九・飲食78四〕
醤(シヤウ)ヒシヲ/子高反/豆醯也/唐―。醢同/呼政反。宍魚鯛等。疂同/呼雜反/酢味也。〔黒川本・飲食下89ウ八〕
醤(シヤウ)ヒシホ/唐。疂酢味也。汐。醢魚将皆乎為―曰鯛―。氷醤已上同。〔卷第十・飲食339五〕
とあって、標記語「末醤・味曽」と「醤・醢・疂」の二語を収載する。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「味噌」「醤」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
味曽(ミソ)・醤(ヒシホ)・酢(ス)・酒(サケ)ト云事百味ノヲヤ也。雜掌(ザツシヤウ)ニ尤第一ナリ。凡(ヲヨソ)ミソト云事ヲ香(カウ)ト云子細(シサイ)アリ。香(カウ)ヅクシニ蜩(ヒクラシ)ト云。香ノ名(ナ)アリ。又公卿殿(クギヤウテン)上人(ジヤウヒト)ハ味噌(ミソ)ヲヒグラシトノ玉フ也。雜人中人ノ詞(コトハ)ニ味噌ヲ蟲(ムシ)ト云也。只ヒクラシト云名ヲ以テ香ト云蟲(ムシ)ト云也。源氏ノ香ヅクシノ中ニ蜩(ヒクラシ)ト云香ハ薫モノ勝(スク)レテシミ入タル香也。物ニ移(ウツ)リテ匂ヒ深(フカ)シ。其ノ心ヲ取テミソヲ。ヒグラシト名付タリ。ヒグラシハ。蟲ノ名也。初ハ蝉(せミ)也。キヌヲ脱(ヌイ)デ後ヲ。ヒクラシト云也。依(ヨツテ)∨之ニ蝉ハ。夏ノ季(キ)也。日脱(ヒクラシ)ハ秋ノ季(キ)也。去ハ連歌ニ蝉ト蜩(ヒクラシ)ハ同ジ物ナル故ニ折(ヲリ)ノ内ヲ嫌(キラ)ヒ懐紙(クワイシ)ヲ替(カヘ)テ用ナリ。一切ノ物ニミソハ染テ匂ヒ吉。味ヒ吉。ホトニ香ニテアレ。醤(ヒシホ)酢(ス)酒(サケ)同心ナリ。〔下七オ二〜六〕
とあって、この標記語「味曽醤」の語注記は、公卿殿上人の呼称のいわれに及び詳細なものとなっている。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
味噌(ミそ)醤(ひしほ)酢(す)酒(さけ)塩梅(ゑんハい)/味曽醤酢酒塩梅。〔三十五オ二〕
とあって、標記語「味噌醤」の語注記は、未記載にある。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
味噌(ミそ)醤(ひしほ)酢(す)酒(さけ)塩梅(ゑんはい)/味曽醤酢酒塩梅。〔二十八ウ五〕
味噌(ミそ)醤(ひしほ)酢(す)酒(さけ)塩梅(えんばい)。〔五十ウ六〕
とあって、標記語「味噌醤」の語注記は、未記載にする。
当代の『日葡辞書』には、
Miso.ミソ(味噌) 大豆,米,および塩をまぜ合わせた或る混合物で,日本の汁(Xiru)を調味するのに用いるもの.※原文はgraos.〔Mame(豆)の注〕⇒Tate,tcuru.〔邦訳410l〕
Fixiuo.ヒシヲ(醤・醢) よく搗き砕いて粉にした大豆,麦や塩などで作る食品の一種.§Foneuo fixiuoni xerarurutomo,Christaouo cayurucoto arumai.(骨を醢にせらるるとも,キリシタンを易ゆることあるまい)たとい私の骨を碾き砕かれ,こなごなにされようとも,私はキリシタン(Christaoキリスト教徒)であることをやめるつもりはない. ※原文はgraos.〔Mame(豆)の注〕〔邦訳252r〕
とあって、標記語「味噌」と「醤」とし、その意味は「大豆,米,および塩をまぜ合わせた或る混合物で,日本の汁を調味するのに用いるもの」と「よく搗き砕いて粉にした大豆,麦や塩などで作る食品の一種」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「みそ【味噌】[<名>@蒸した大豆に、米、麦、大豆などの麹(こうじ)と塩を混合して熟成させた食品。麹の原料によって米味噌、麦味噌、豆味噌に大別され、塩の量によって甘味噌、辛味噌に分けられ、産地によって仙台味噌、江戸味噌、信州味噌、府中味噌などと呼ばれている。味噌は調味料としてだけでなく、米食に見あう植物性のたんぱく質食品として広く使われ、栄養上も役立ってきた。A特に工夫をこらした点。特に趣向をこらしたところ。また、それを人に自慢すること。手前味噌。B失敗すること。しくじること。また、欠点。C「みそすいもの(味噌吸物)」の略。D「みそようにん(味噌用人)」の略。E力のよわいもの。弱者をあざけっていう語。「泣きみそ」「弱みそ」F蟹(かに)や海老(えび)の殻の中にある、@のような色や状態のもの。蟹黄(かいおう)」とし、「ひしお【醤・醢】<名>@(醤)なめ味噌の一種。大豆に小麦でつくった麹と食塩水を加えて醸造したもの。そのまま調味料として用いたり、ナス、ウリなどを漬け込んだりして食べる。また、その漬物。A(醢)魚や鳥などの肉の塩漬け。ししびしお。B「ひしびしお(肉醤)に同じ」」とする。
[ことばの実際]
未醤 楊氏漢語抄云高麗醤<美蘇 今案弁色立成説同但本義未詳俗用味醤二字>。《十卷本『和名類聚抄』四》
何程(イカホド)ノ豆ヲ蒔(キ)テカ畠山日本國ヲバ味噌(ミソ)ニナスラン 又是(コレ)ハ仁木ヲ引(ク)人ノ態(ワザ)カト覺(エ)テ、一首ノ歌ヲ六角堂ノ門ノ扉(トビラ)ニ書(キ)付(ケ)タリ。《『太平記』卷第三十五・南方蜂起事付畠山關東下向事》
醤 四聲字苑云醤<即亮反 比之保 別有唐醤>豆醢也。《十卷本『和名類聚抄』四》
縱(タトヒ)骨ヲ醢(シシビシホ)ニセラレ、身ヲ車ザキニセラル共(トモ)、可傷道ニ非ズトテ、少シモ不悲給。《『太平記』卷第四・笠置囚人死罪流刑事付藤房卿事》
2002年4月9日(火)曇りのち小雨。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「豆・糠・藁(まめ・まぐさ・ぬか・わら)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「萬・奴・和」部に、
豆(マメ)。〔元亀本210二〕〔静嘉堂本239六〕〔天正十七年本中49オ二〕
糠(ヌカ)。粕(同)。〔元亀本75九〕〔静嘉堂本92二〕〔天正十七年本上46オ二〕
藁(ワラ)。〔元亀本90三〕〔静嘉堂本111三〕〔天正十七年本上54ウ六〕
とあって、標記語「豆」「糠」「藁」の語を収載し、その語注記は未記載にする。ここで、「秣」の語は未収載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢塩梅」〔至徳三年本〕
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢酒塩梅」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「能-米馬ノ大豆秣(マクサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味-噌醤(ヒシヲ)酢酒塩-梅」〔山田俊雄藏本〕
「能米(ノウ―)大豆秣(マグサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味噌(ミソ)醤(ヒシヲ)酢(ス)酒塩梅(エンバイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。標記語「大豆」については、既に『庭訓徃來註』三月三日の状に、
101大豆小豆 大豆ハ生‖大山平沢|。今処々ニ有∨之。有‖黒白|。黒ハ入∨藥ニ小ハ爲‖雄豆|。入∨藥。尤佳白ハ不∨入∨藥者也云々。小豆ハ旧ハ与‖大豆同條。今江淮間尤多。種蒔関西河北京東西尤多。食∨之者也。〔謙堂文庫蔵一四右D〕
と収載が見え、ここでは「大豆は大山平沢に生ず。今処々にこれ有り。黒白あり。黒は藥に入れ、小は雄豆となす。藥に入るる。尤も佳き白は藥に入れざるものなり云々」という。古辞書『下學集』は、
大豆(マメ)。〔草木門128七〕
藁(ワラ)。〔草木門128六〕
とあって、標記語「大豆」「藁」の語を収載する。次に、広本『節用集』には、
豆(マメ/トウ)[去]異名七歩/蕪(ブ)萎亭。〔草木門567七〕
秣(マクサ/マツ)[入]馬食/穀也。〔草木門567七〕
糠(ヌカ/カウ)[平]―糟。〔飲食門201七〕
藁(ワラ/カウ)[上]。〔草木門234八〕
とあって、標記語「豆秣糠藁」の四語を収載し、その語注記はそれぞれである。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
豆(マメ)。〔弘・食物168八〕
豆(マメ/ツ)。〔永・食物138六〕
豆(マメ)當門子。〔尭・食物127六〕
秣(マクサ)。〔弘・食物168七〕〔永・食物138五〕〔尭・食物127五〕
糠(ヌカ)。〔弘・財宝59七〕〔永・財宝60八〕〔尭・財宝55五〕〔両・財寳63七〕
藁(ワラ)。〔弘・草木70五〕
藁(ワラ)蒿禾。〔永・草木70四〕〔両・草木76一〕
藁(ワラ)呉。〔尭・草木64四〕
とあって、標記語「豆秣糠藁」の四語を収載し、その語注記は、それぞれである。また、易林本『節用集』には、
大豆(マメ)。猷(同)。〔草木140七〕
秣(マクサ)。〔草木140七〕
糟(ヌカ)。糠(同)。〔食服59四〕
藁(ワラ)禾莖。〔草木66四〕
とあって、標記語「大豆・猷」「秣」「糠・糟」「藁」の四語を収載し、語注記は未記載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
大豆(トウ)マメ。猷(同)式竹反/猷イ本。〔黒川本・植物中89オ七〕
大豆マメ。猷猷イ。〔卷第六・植物555三〕
糠(カウ)ヌカ/米皮也。〔黒川本・飲食上62オ三〕
糠ヌカ/康米皮也/亦作妛。〔卷第三・飲食32二〕
呉(カウ)ワラ/又作藁。〔黒川本・雑物上71オ五〕
呉同/亦作稾/禾稈也。〔卷第三・雜物122二〕
とあって、標記語「大豆・猷」「糠」「呉」の三語を収載する。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「大豆秣糠蒿」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
馬(ムマ)ノ大豆(マメ)秣(マクサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)何モアル也。兵粮(ヒヤウラフ)ノ八木ハ。兵ヲ養(ヤシナ)フカテナリ。〔下七オ二〕
とあって、この標記語「大豆秣糠藁」の語注記は、後の「秣糠藁」と併せて「何れもあるなり。兵粮の八木は、兵を養ふかてなり」という。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
馬(むま)の大豆(まめ)秣(まくさ)糠(ぬか)藁(わら)/馬ノ大豆秣糠藁この四品ハ皆馬の飼料(かいりやう)也。〔三十五オ一〕
とあって、標記語「大豆秣糠藁」の語注記は、古版『庭訓徃来註』と同じく併せて「この四品は、皆馬の飼料なり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
馬(むま)の大豆(まめ)秣(まくさ)糠(ぬか)藁(わら)/馬ノ大豆秣糠藁▲馬ノ大_豆秣糠藁ハ皆(ミな)馬の飼料(かいりやう)也。〔二十九オ一〕
馬(うま)ノ大豆(まめ)秣(まぐさ)糠(ぬか)藁(わら)▲馬ノ大_豆秣糠藁ハ皆(ミな)馬の飼料(かいりやう)也。〔五十一オ五〕
とあって、標記語「大豆秣糠藁」の語注記は、「馬の大豆秣糠藁皆馬の飼料なり」という。
当代の『日葡辞書』には、
Daizzu.ダイズ(大豆) Mame.(豆)日本の大豆,または,豆.※原文はGros,ou feijoes de iapao.〔Mame(豆)の注〕〔邦訳180r〕
Macusa.マクサ(秣) 馬の食う穀物.例,Macusauo co<.(秣を飼ふ)馬に食料として穀物を与える.⇒Magusa.〔邦訳378l〕
Magusa.マグサ(秣) 馬に食わせる草.⇒Macusa.〔邦訳378l〕
Nuca.ヌカ(糠) 籾などの殻.⇒Sucumo;Varifune.〔邦訳475l〕
Vara.ワラ(藁) 藁.〔邦訳679l〕
とあって、標記語「大豆」とし、その意味は「日本の大豆,または,豆」。標記語「秣」は読みを「まくさ」と「まぐさ」の清濁両用を収載し、その意味は「馬の食う穀物。馬に食わせる草」という。標記語「糠」は「籾などの殻」。標記語「藁」はそのまま「藁」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「まめ【豆・荳・菽】[一]<名>@マメ科の植物、またはその種子。Aマメ科の植物のうち、果実や種子などを食用にするものの総称。大豆、小豆、豌豆など。B特に、大豆をいう。C女陰。また、陰核。転じて女をいう。D「まめどん(豆殿)」の略。E「まめぞう(豆蔵)A」の略。F肉料理で、牛・豚などの腎臓(じんぞう)をいう。G拳銃をいう。盗人仲間の隠語。[二]〔語素〕名詞の上に付いて、それが小さいことや子どもであることをあらわす。「豆電球」「豆台風」「豆記者」など」とある。「ま-ぐさ【秣・馬草】<名>(古くは「まくさ」)@牛馬の飼料にする草。飼葉(かいば)。A田畑の肥料にする草。肥草(こえぐさ)」とする。「ぬか【糠】<名>@玄米などの穀類を精白する際に果皮、種皮、外胚乳などが砕けて粉となったもの。飼料、肥料ぬかみそなどに、また布袋に入れて肌(はだ)をみがくのに用いる。A籾殻(もみがら)をいう。Bぬかみそ(糠味噌)の略。C糠を食べるような貧しい生活。D(接頭語に用いて)こまかいこと、また、はかないこと、たよりないこと、むなしいことの意を表わす語。「糠雨」「糠喜び」」とする。「わら【藁】<名>@稲・麥などの茎をほしたもの。A(@を産褥(さんじょく)に敷いたところから転じて)産褥。また、そこにいる赤ん坊。Bかくしている短所・欠点。また、失敗。ぼろ。C(「わら(藁)を焚(た)く」の略から)けなすこと。悪口を言うこと」とする。
[ことばの実際]
大豆 本草云大豆<徒闘反>一名菽<音叔 末米>。《十卷本『和名類聚抄』九》
旅の仮屋(カリヤ)に立ち入られけるに、豆の殻を焚(タ)きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎(ウト)からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛(カラ)き目を見するものかな」と言ひけり。《『徒然草』第六十九段》
秣 漢書注云秣<音末 万久佐>謂以粟米飼也。《十卷本『和名類聚抄』五》
爰ニ常陸ノ入道念西ガ子息、常陸ノ冠者為宗、同キ次郎為重、同キ三郎資綱、同キ四郎為家等、潜カニ甲冑ヲ相ヒ具シ、株ノ中ヨリ(甲冑ヲ秣ノ中ニ相ヒ具シ、)伊達ノ郡沢原ノ辺ニ進ミ出デ、先登シ矢石ヲ発ツ。《『吾妻鏡』文治五年八月八日条》
糠 麁糠附 爾雅注云糠<音康 沼賀>米皮也 唐韻云蓆<音会 阿良奴加>麁糠也。《十卷本『和名類聚抄』五》
馬ニクハスルヌカ、如何。ヌカハフタヤウアリ。馬ニクハスルハ糠也。《『名語記』三》
稾 麻果曰稾<古老反 訓和良>禾茎也。《十卷本『和名類聚抄』九》
則チ当寺ノ供僧良覚ガ沙汰トシテ、棺ニ入レ亥ノ剋ニ葬送ス(歛送ス)。藁ノ火ヲ以テ葬ル(藁ヲ以テ火葬ス)ト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治四年十月十日条》
2002年4月8日(月)曇りのち晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「能米(ノウマイ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「能」部に、
能米(―マイ)。〔元亀本186三〕〔静嘉堂本210二〕〔天正十七年本中34ウ三〕
とあって、標記語「能米」の語を収載し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢塩梅」〔至徳三年本〕
「能米馬大豆秣糠藁味曽醤酢酒塩梅」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
「能-米馬ノ大豆秣(マクサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味-噌醤(ヒシヲ)酢酒塩-梅」〔山田俊雄藏本〕
「能米(ノウ―)大豆秣(マグサ)糠(ヌカ)藁(ワラ)味噌(ミソ)醤(ヒシヲ)酢(ス)酒塩梅(エンバイ)」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「能米」の語を未収載にする。次に、広本『節用集』には、
能米(ノウマイ/―ヘイ・ヨシ,ヨネ・コメ)[平・上]。〔飲食門492二〕
とあって、標記語「能米」の語を収載し、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
能米(ノウマイ)黒米。〔弘・食物154四〕〔永・食物126二〕〔尭・食物115二〕〔両・食物139六〕
とあって、標記語「能米」の語を収載し、その語注記は、「黒米」という。また、易林本『節用集』には、
能米(ノウマイ)。〔食服123四〕
とあって、標記語「能米」の語を収載し、語注記は未記載にする。こうして古辞書群を見た時、語注記を有するのが印度本系統の『節用集』にだけ、「黒米」とあるのみで、他には見うけられないことに注目すべき点がある。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「能米」の語を未収載にする。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「能米」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
能米(ノウマイ)ハ。クロ米ヲ云ナリ。〔下七オ二〕
とあって、この標記語「能米」の語注記は、「くろ米を云ふなり」という。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
能米(のうまい)/能米舊説(きうせつ)に云しらげさる米なり。〔三十五オ一〕
とあって、標記語「能米」についての語注記は、「舊説に云く、しらげざる米なり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
能米(のうまい)/能米。▲能米ハ舊鈔(きうせう)に玄米(くろごめ)の事と云々。〔二十九オ一〕
能米(のうまい)▲能米ハ舊鈔(きうせう)に玄米(くろこめ)の事と云々。〔五十一オ五〕
とあって、標記語「能米」の語注記は、「能米は、舊鈔に玄米の事と云々」という。
当代の『日葡辞書』には、
No>mai.ノウマイ(能米) Come(米)米.〔邦訳470r〕
とあって、標記語「能米」とし、その意味は「米」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「のう-まい【能米】<名>玄米(げんまい)。くろごめ。乃米」とある。
[ことばの実際]
御雜事 能米卅石白米二石〈宣旨斗定〉大豆三石、〈同斗〉秣二百卅束 藁八百束、糠十石、薪三百卅束炭五篭 續松三百把、油一升、〈精進〉贄殿入物、〈上白米〉送夫五十人《『吾妻鏡』建長四年三月十九日条》
2002年4月7日(日)晴れ。東京(八王子)
「璧燭臺(ラウソクダイ)」⇒「燭台(シヨクダイ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「羅」部には「璧燭」とし、「志」部に、
档臺(シヨクダイ)。〔元亀本318四〕
档臺(シヤクダイ)。〔静嘉堂本374五〕
とあって、標記語「档臺」の読みを「ショクダイ」と「シヤクダイ」とし、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「燈臺火鉢璧燭之臺雖不被載注文所進候也」〔至徳三年本〕
「燈臺火鉢璧燭臺雖不被載注文所進也」〔宝徳三年本〕
「燈臺火鉢璧燭臺雖不載注文所進也」〔建部傳内本〕
「燈-臺・火_鉢・璧-燭ノ臺雖下不∨被∨載‖注文ニ|候ト上所∨進ル也」〔山田俊雄藏本〕
「灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖∨不∨被∨載‖註文ニ|所∨進也」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、
燭臺(シヨクダイ)。〔器財門108三〕
亀鶴(キクワ)ノ燭臺(シヨクダイ)。〔亀田本器財門84六〕
とあって、標記語「燭臺」の語を収載する。語注記は未記載にある。次に、広本『節用集』には、
燭臺(シヨクダイ/トモシビ,ウテナ)[入・平]花瓶――。〔器財門926八〕
とあって、標記語「燭臺」の語を収載し、その語注記に「花瓶燭臺」という。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
档臺(シヨクダイ)。〔弘・財宝241七〕
档臺(シヨクタイ)。〔永・財宝207七〕
燭臺(シヨクタイ)―剪。〔尭・財宝191八〕
とあって、標記語「档臺・燭臺」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本『節用集』には、
燭臺(シヨクダイ)―剪(せン)/―鑽(サン)。〔器財209三〕
とあって、標記語「燭臺」の語を収載し、語注記部分には熟語群の二語が記載されている。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「燭臺」の語を未収載にする。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「璧燭臺」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
奉リ∨察(サツ)シ候。所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足ハ、於テ‖所持ノ分ニ|者可∨進∨之ヲ也。燈臺(トウタイ)・火鉢(ヒハチ)・璧燭(ラツソク)之臺(ダイ)雖トモ不ト∨被(ラ)レ∨載(のせ)‖註文(チウ―)ニ|所∨進ル也奉∨察ハヲモイヤル心也。〔下六ウ七〕
とあって、この標記語「璧燭臺」の語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
燈臺(とうたい)火鉢(ひはち)璧燭臺(らうそくだい)ハ注文(ちうもん)に載(のせ)被(られ)不(す)と雖(いへと)も進(しん)する所(ところ)也(なり)/燈臺行燈(あんとう)の類也。火鉢・璧燭之臺しよくだいなり。雖∨不∨被∨載‖註文ニ|所∨進スル也。燈臺なとの三品ハ注文にかきのせ申されぬ品なれとも思ひあたりし儘(まゝ)これをも遣すとなり。〔三十四ウ六〕
とあって、標記語「璧燭臺」についての語注記は、「しよくだいなり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
燈臺(とうたい)火鉢(ひはち)璧燭臺(らうそくだい)ハ注文(ちうもん)に載(のせ)被(られ)不(す)と雖(いへと)も進(しん)する所(ところ)也(なり)/燈臺。火鉢。璧燭臺ハ。雖∨不ト∨被∨載セラ‖註文ニ|所∨進ズル也。〔二十八ウ一〕
燈臺(とうだい)。火鉢(ひばち)。璧燭臺(らうそくだい)ハ。雖(いへども)∨不(ず)と∨被(れ)∨載(のせ)ら‖註文(ちうもん)に|所(ところ)∨進(しん)ずる也(なり)。〔五十ウ二〕
とあって、標記語「璧燭臺」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』には、
Xocudai.ショクダイ(燭台) すなわち,Rassocuno dai.(璧燭の台)燭台.〔邦訳789l〕
とあって、標記語「燭台」とし、その意味は「燭台」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ろうそく-だい【璧燭台】<名>璧燭を立てる台。燭台。璧燭立」とし、「しょく-だい【燭台】<名>室内照明器具の一つで、璧燭(ろうそく)を立てて火をともす台。仏具としては、三具足の一つ。多くは持ち運びができるが、固着したものもある。璧燭立て。燭架。そくだい」とある。
[ことばの実際]
一、燭台之事。竹のふしの台水台何も同事候。然共水台本儀にて常には同事候。《『道照愚草』続群書類従24下》
2002年4月6日(土)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「火鉢(ひばち)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「飛」部に、
火鉢(―バチ)。〔元亀本340十〕
火鉢(――)。〔静嘉堂本408五〕
とあって、標記語「火鉢」の語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「燈臺火鉢蝋燭之臺雖不被載注文所進候也」〔至徳三年本〕
「燈臺火鉢蝋燭臺雖不被載注文所進也」〔宝徳三年本〕
「燈臺火鉢蝋燭臺雖不載注文所進也」〔建部傳内本〕
「燈-臺・火_鉢・蝋-燭ノ臺雖下不∨被∨載‖注文ニ|候ト上所∨進ル也」〔山田俊雄藏本〕
「灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖∨不∨被∨載‖註文ニ|所∨進也」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』広本『節用集』は、標記語「火鉢」の語を未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
火鉢(ヒハチ)。〔弘・財宝254三〕〔永・財宝217七〕
火筋(ヒハシ)―桶/―鉢。〔尭・財宝202七〕
とあって、標記語「火鉢」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本『節用集』には、
火鉢(ヒバチ)―燧(ウチ)袋(ブクロ)/―箸(バシ)筋同上。〔器財225五〕
とあって、標記語「火鉢」の語を収載し、語注記部分には熟語群の二語が記載されている。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「火鉢」の語を未収載にする。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・蝋燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「火鉢」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
奉リ∨察(サツ)シ候。所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足ハ、於テ‖所持ノ分ニ|者可∨進∨之ヲ也。燈臺(トウタイ)・火鉢(ヒハチ)・蝋燭(ラツソク)之臺(ダイ)雖トモ不ト∨被(ラ)レ∨載(のせ)‖註文(チウ―)ニ|所∨進ル也奉∨察ハヲモイヤル心也。〔下六ウ七〕
とあって、この標記語「火鉢」の語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
燈臺(とうたい)火鉢(ひはち)蝋燭臺(らうそくだい)ハ注文(ちうもん)に載(のせ)被(られ)不(す)と雖(いへと)も進(しん)する所(ところ)也(なり)/燈臺行燈(あんとう)の類也。火鉢・蝋燭之臺しよくだいなり。雖∨不∨被∨載‖註文ニ|所∨進スル也。燈臺なとの三品ハ注文にかきのせ申されぬ品なれとも思ひあたりし儘(まゝ)これをも遣すとなり。〔三十四ウ六〕
とあって、標記語「火鉢」についての語注記は、未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
燈臺(とうたい)火鉢(ひはち)蝋燭臺(らうそくだい)ハ注文(ちうもん)に載(のせ)被(られ)不(す)と雖(いへと)も進(しん)する所(ところ)也(なり)/燈臺。火鉢。蝋燭臺ハ。雖∨不ト∨被∨載セラ‖註文ニ|所∨進ズル也。〔二十八ウ一〕
燈臺(とうだい)。火鉢(ひばち)。蝋燭臺(らうそくだい)ハ。雖(いへども)∨不(ず)と∨被(れ)∨載(のせ)ら‖註文(ちうもん)に|所(ところ)∨進(しん)ずる也(なり)。〔五十ウ二〕
とあって、標記語「火鉢」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』には、
Fibachi.ヒバチ(火鉢) 火鉢.⇒Cana〜;Ixi〜.〔邦訳227l〕
とあって、標記語「火鉢」とし、その意味は「火鉢」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ひ-ばち【火鉢】<名>灰を入れ、炭火をおこしておく具。手を暖めたり、湯茶をわかしたりするのに用いる。木・金属・陶器製などで、方形、円形など種々ある。火桶。火櫃(ひびつ)」とある。
[ことばの実際]
御門(ミカド)被御覧テ、餘(アマリ)ニ不思議ニ被思召ケレバ、態(ワザト)火鉢ニ炭ヲ多クヲコサセテ、障子(シヤウジ)ヲ立廻(タテマハ)シ、火氣ヲ内ニ被篭タレバ、臘裏(ラフリノ)風光宛(アタカモ)如春三月也。《『太平記』卷第十二・神泉苑事》
2002年4月5日(金)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「燈臺(トウダイ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「登」部に、
燈臺(トウダイ)。〔元亀本56二〕
灯臺(―ダイ)。〔静嘉堂本63二〕
灯臺(―タイ)。〔天正十七年本上32ウ一〕〔西來寺本〕
とあって、標記語「燈臺」の語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「燈臺火鉢蝋燭之臺雖不被載注文所進候也」〔至徳三年本〕
「燈臺火鉢蝋燭臺雖不被載注文所進也」〔宝徳三年本〕
「燈臺火鉢蝋燭臺雖不載注文所進也」〔建部傳内本〕
「燈-臺・火_鉢・蝋-燭ノ臺雖下不∨被∨載‖注文ニ|候ト上所∨進ル也」〔山田俊雄藏本〕
「灯臺・火鉢・璧燭ノ臺雖∨不∨被∨載‖註文ニ|所∨進也」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「燈臺」の語を未収載にする。次に広本『節用集』は、
燈臺(トウダイ/トモシビ,ウテナ)[平・平]。〔器財門131一〕
とあって、標記語「燈臺」の語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
灯臺(トウダイ)。〔弘・財宝43三〕
燈臺(トウダイ)。〔永・財宝44三〕
灯臺(トウダイ)―舌/―心。〔尭・財宝40九〕
灯臺(トウタイ)―舌(ゼツ)/―心。〔両・財宝48六〕
短檠(タンケイ) 燈臺(トウダイ)。〔両・財宝103二〕
とあって、標記語「燈臺」の語を収載する。その語注記は未記載にする。また、易林本『節用集』には、
燈臺(トウダイ)。〔食服42五〕
とあって、標記語「燈臺」の語を収載し、語注記は未記載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
燈臺(トウタイ)俗。〔黒川本・雑物上45ウ八〕
燈臺トウタイ。〔卷第二・雜物390五〕
とあって、標記語「燈臺」の語を収載する。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・蝋燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「燈臺」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
奉リ∨察(サツ)シ候。所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足ハ、於テ‖所持ノ分ニ|者可∨進∨之ヲ也。燈臺(トウタイ)・火鉢(ヒハチ)・蝋燭(ラツソク)之臺(ダイ)雖トモ不ト∨被(ラ)レ∨載(のせ)‖註文(チウ―)ニ|所∨進ル也奉∨察ハヲモイヤル心也。〔下六ウ七〕
とあって、この標記語「燈臺」の語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
燈臺(とうたい)火鉢(ひはち)蝋燭臺(らうそくだい)ハ注文(ちうもん)に載(のせ)被(られ)不(す)と雖(いへと)も進(しん)する所(ところ)也(なり)/燈臺行燈(あんとう)の類也。火鉢・蝋燭之臺しよくだいなり。雖∨不∨被∨載‖註文ニ|所∨進スル也。燈臺なとの三品ハ注文にかきのせ申されぬ品なれとも思ひあたりし儘(まゝ)これをも遣すとなり。〔三十四ウ六〕
とあって、標記語「燈臺」についての語注記は、「行燈の類ひなり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
燈臺(とうたい)火鉢(ひはち)蝋燭臺(らうそくだい)ハ注文(ちうもん)に載(のせ)被(られ)不(す)と雖(いへと)も進(しん)する所(ところ)也(なり)/燈臺。火鉢。蝋燭臺ハ。雖∨不ト∨被∨載セラ‖註文ニ|所∨進ズル也。〔二十八ウ一〕
燈臺(とうだい)。火鉢(ひばち)。蝋燭臺(らうそくだい)ハ。雖(いへども)∨不(ず)と∨被(れ)∨載(のせ)ら‖註文(ちうもん)に|所(ところ)∨進(しん)ずる也(なり)。〔五十ウ二〕
とあって、標記語「燈臺」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』には、
To>dai.トウダイ(灯台) 鉄その他の金属で作った足付きの燭台.§Caqeto>dai.(懸灯台)吊り下げる燭台.〔邦訳655l〕
とあって、標記語「灯台」とし、その意味は「鉄その他の金属で作った足付きの燭台」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「とう-だい【灯台】<名>@昔の室内照明具の一つ。木でつくる。形は燭台(しょくだい)に似て、上に、油皿(あぶらざら)を置いて油火をともす台。A航路標識の一つ.。港口・岬・島などに築き、夜間、主として灯光の標識を出して、航海者にその位置を知らせたり、航路を指示したりする施設。電標、音標などの標識を出す施設が併設されているものもある。灯明台。B街路を照らすために設けられた灯火。街火。ガス灯」とある。※『庭訓徃來』の意味は@の意味となる。
[ことばの実際]
燈臺 本朝式云主殿寮燈臺。《十卷本『和名類聚抄』四》
爾後(ソノノチ)嗣房朝臣・仲光・懷國(ヤスクニ)・五位(ノ)殿上人伊顯(コレアキ)ナンド、面々ノ役ニ隨(シタガツ)テ、灯臺(トウダイ)・圓座(ヱンザ)・懷紙(クワイシ)等ヲ措(オ)ク。《『太平記』卷第四十・中殿御會事》
2002年4月4日(木)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「所持(シヨジ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、「所領(リヤウ)。所帯(ダイ)。所行(ギヤウ)。所用(ユウ)。所務(ム)。所労(ラウ)。所望(マウ)。所存(ゾン)。所詮(せン)。所當(タウ)。所々(シヨ/\)。所為(イ)」の十二語を収載するのみで、標記語「所持」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「所被借用之具足、於所持分者令進之候」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕〔宝徳三年本〕
「所ノ∨被‖借-用せ|之具-足、於テ‖所持ノ分ニ|者令∨進∨之候」〔山田俊雄藏本〕
「所∨被‖借用|之具足、於テ‖所持ノ分ニ|者ハ令∨進∨之ヲ候」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「所持」の語を未収載にする。次に広本『節用集』は、
所持(シヨヂ/トコロ,―)[上・平]。〔態藝門932七〕
とあって、標記語「所持」の語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、
所職(シヨシヨク)。―行。―為。―課。―務。―役。―勞。―望。―勘/―領。―當。―詮。―帯。―作。―持。―存。―用。〔尭・言語194五〕
とあって、尭空本だけが標記語「所職」の語の冠頭字である「所」の熟語群十六語のなかに「所持」を収載する。他本は同じく標記語「所職」があって、熟語群は見えているが「所持」を未収載にする。また、易林本『節用集』には、
所得(ショトク)―謂(イ)。―詮(せン)。―犯(ホン)。―知(チ)。―役(ヤク)。―作(サ)。―願(グワン)。―辨(ベン)。―用(ヨウ)/―縁(エン)。―期(ゴ)。―領(リヤウ)。―職(シヨク)。―望(マウ)。―為(井)。―帯(タイ)。―學(ガク)。―存(ゾン)。〔言辞214四〕
とあって、標記語「所得」の熟語群中には「所持」を未収載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「所持」の語を未収載にする。このように、古辞書のなかで標記語「所持」の語を収載にするのは、広本『節用集』と印度本『節用集』類の尭空本だけということになる。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・蝋燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「所持」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
奉リ∨察(サツ)シ候。所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足ハ、於テ‖所持ノ分ニ|者可∨進∨之ヲ也。燈臺(トウタイ)・火鉢(ヒハチ)・蝋燭(ラツソク)之臺(ダイ)雖トモ不ト∨被(ラ)レ∨載(のせ)‖註文(チウ―)ニ|所∨進ル也奉∨察ハヲモイヤル心也。〔下六ウ七〕
とあって、この標記語「所持」の語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
所持(しよぢ)の分(ふん)に於(おゐ)てハ之(これ)を進(しん)す可(へき)也/於‖所持分ニ|者令∨進∨之也手前に持合せたる品/\ハ残らす用立んとなり。〔三十四ウ五〕
とあって、標記語「所持」についての語注記は、「手前に持合せたる」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
所持(しよぢ)之(の)分(ぶん)に於(おいて)者(ハ)之(これ)を進(しん)ず可(べ)き也(なり)/於‖所持分ニ|者令∨進∨之也。〔二十八ウ一〕
於(おいて)‖所持(しよぢ)之(の)分(ぶん)に|者(ハ)可(べき)∨進(しん)ず∨之(これ)を也(なり)。〔五十ウ一〕
とあって、標記語「所持」の語注記は未記載にする。
当代の『日葡辞書』には、
†Xogi.ショジ(所持) Tocoro,motcu.(所,持つ)すなわち,物を持つこと.〔邦訳791r〕
とあって、標記語「所持」とし、その意味は「物を持つこと」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しょ-じ【所持】<名>@持っていること。携帯すること。A法律で、人が物を事実上支配していると認められる状態」とある。※『庭訓徃來』の意味は@の意味となる。
[ことばの実際]
御臺所御方女房、丹後局、自京都參著於駿河國宇都山、爲群盗等、所持財寶、并自坊門殿、被整下、御装束等、悉被盗取之由申之《読み下し》御台所ノ御方ノ女房、丹後ノ局、京都ヨリ参著ス。駿河ノ国宇都山ニ於テ、群盗等ガ為ニ、所持(シヨチ)ノ財宝、并ニ坊門殿ヨリ、整ヘ下サルル、御装束等、悉ク盗ミ取ラルルノ由之ヲ申ス。《『吾妻鏡』承元四年六月十二日条》
2002年4月3日(水)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「具足(グソク)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「久」部に、標記語「具足」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「所被借用之具足、於所持分者令進之候」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕〔宝徳三年本〕
「所ノ∨被‖借-用せ|之具-足、於テ‖所持ノ分ニ|者令∨進∨之候」〔山田俊雄藏本〕
「所∨被‖借用|之具足、於テ‖所持ノ分ニ|者ハ令∨進∨之ヲ候」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「具足」の語を未収載にする。次に広本『節用集』は、
具足(グソク―,タル/ツブサ・ソナヱ,アシ)[去・入]兵具。〔器財門505二〕
とあって、標記語「具足」の語注記は、「兵具」という。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、標記語「具足」の語を未収載にする。ただし、弘治二年本の「伊」部言語数量門に、
一兩(―リヤウ)具足(グソク)。金(カネ)。車(クルマ)/藥(クスリ)等(トウ)。〔言語数量8三〕
とあって、標記語「一兩」の冠頭字「一」の熟語群先頭に「具足」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
具足(グソク)。〔器財131五〕
とあって、標記語「具足」の語を収載し、語注記は未記載にする。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
具足。〔黒川本・疉字中81オ六〕
具足 〃贍せン。〔巻第六疉字452一〕
とあって、標記語「具足」語を収載する。このように、古辞書のなかで標記語「具足」の語を未収載にするのは、『下学集』と印度本『節用集』類とを挙げねばなるまい。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・蝋燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ)・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
159水門、葺地之具足者、於‖津湊ニ|可∨令∨買∨之 日本ニ在‖三津八濱|。筑前国冷泉津、薩摩坊津、伊勢ノ穴ノ津也。濱湊ハ何方モ不∨定也。〔謙堂文庫藏一八右F〕
390心之所∨及可キ∨尋‖-進尋常之具足|之所ニ折-節所々之両-劇(ケキ)大-略此-式候也諸亊期‖御皈宅之時|恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕
とあって、標記語を「具足」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
奉リ∨察(サツ)シ候。所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足ハ、於テ‖所持ノ分ニ|者可∨進∨之ヲ也。燈臺(トウタイ)・火鉢(ヒハチ)・蝋燭(ラツソク)之臺(ダイ)雖トモ不ト∨被(ラ)レ∨載(のせ)‖註文(チウ―)ニ|所∨進ル也奉∨察ハヲモイヤル心也。〔下六ウ七〕
とあって、この標記語「具足」の語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
借用(しやくよう)せ被(らるゝ)所(ところ)の具足(くそく)/所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足具足は道具の事也。〔三十四ウ五〕
とあって、標記語「具足」についての語注記は、「道具のことなり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
借用(しやくよう)せ被(らるゝ)所(ところ)の具足(くそく)/所∨被ル‖借用せラ|之具足▲具足ハ爰(こゝ)に家財(かざい)道具(だうぐ)を指す。〔二十八ウ四〕
所(ところ)∨被(るゝ)‖借用(しやくよう)せラ|之(の)具足(くそく)▲具足ハ爰(こゝ)に家財(かざい)道具(だうぐ)を指(さ)す。〔五十ウ五〕
とあって、標記語「具足」の語注記は、「爰に家財道具を指す」という。
当代の『日葡辞書』には、
Gusocu.グソク(具足) 鎧の胴体.§Gusocuuo vodosu,l,vodoxitatcuru.(具足を縅す,または,縅し立つる)鎧を作る,すなわち,鎧〔の札(さね)〕を編み連ねる.§Gusocuno qeuo fiqu.(具足の毛を引く)鎧の札についている孔に糸,絹撚糸,革紐などを通して,札を互いにつづり合わせる.§Gusocuuo qiru.(具足を着る)鎧を着用する.§また,Gusocu.(具足)仏(Fotoque)の前に使う道具や用具で,燭台,香炉などのような物.〔邦訳313l〕
とあって、標記語「具足」とし、その意味は「鎧の胴体」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ぐ-そく【具足】<名>@(―する)物事が十分に備わっていること。揃い整っていること。A(―する)携え持つこと。所有すること。B(―する)伴うこと。引き連れること。C(―する)夫婦となって連れ添うこと。D(―する)添えること。また、その物。飯に添える汁、盛物の類。E道具。調度。所持品。F建材。G家来。従者。腹心の部下。H武具。甲冑。I近世の鎧(よろい)。当世具足の略称。腹巻、胴丸の類を改造し、札仕立てを板物中心とし、南蛮胴を取り入れ、小具足類を完備したもの。J「ぐそくむしゃ(具足武者)の略」。K「ぐそくかい(具足戒)」の略。L連歌に読み込む素材」とある。※『庭訓徃來』の意味は@の意味となる。
[ことばの実際]
仍今日式部大夫〈朝時、〉執進其弓箭以下具足於若君御方《読み下し》仍テ今日式部大夫〈朝時、〉其ノ弓箭以下ノ具足ヲ若君ノ御方ニ執リ進ズ。《『吾妻鏡』貞応三年二月二十九日条》
2002年4月2日(火)晴れ。[入学式]東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「借用(シヤクヨウ)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、標記語「借用」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「所被借用之具足、於所持分者令進之候」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕〔宝徳三年本〕
「所ノ∨被‖借-用せ|之具-足、於テ‖所持ノ分ニ|者令∨進∨之候」〔山田俊雄藏本〕
「所∨被‖借用|之具足、於テ‖所持ノ分ニ|者ハ令∨進∨之ヲ候」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「借用」の語を未収載にする。次に広本『節用集』は、
借用(シヤクヨウ・カス/カル,モチイル)[○・去]。〔態藝門951七〕
とあって、標記語「借用」の語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、標記語「借用」の語を未収載にする。また、易林本『節用集』には、
借物(シヤクモツ)―状(ジヤウ)。―用(ヨウ)。―錢(せン)。―銀(ギン)。〔言辞217二〕
とあって、標記語「借物」の冠頭字「借」の熟語群として収載する。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「借用」語を未収載にする。このように、古辞書のなかで標記語「借用」の語を収載するは、広本『節用集』と易林本『節用集』にあるにとどまることについて注目しておきたい。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・蝋燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ) ・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「借用」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
奉リ∨察(サツ)シ候。所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足ハ、於テ‖所持ノ分ニ|者可∨進∨之ヲ也。燈臺(トウタイ)・火鉢(ヒハチ)・蝋燭(ラツソク)之臺(ダイ)雖トモ不ト∨被(ラ)レ∨載(のせ)‖註文(チウ―)ニ|所∨進ル也奉∨察ハヲモイヤル心也。〔下六ウ七〕
とあって、この標記語「借用」の語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
借用(しやくよう)せ被(らるゝ)所(ところ)の具足(くそく)/所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足。〔三十四ウ三・四〕
とあって、標記語「借用」についての語注記は未記載にある。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
借用(しやくよう)せ被(らるゝ)所(ところ)の具足(くそく)/所∨被ル‖借用せラ|之具足。〔二十八オ八〕
所(ところ)∨被(るゝ)‖借用(しやくよう)せラ|之(の)具足(くそく)。〔五十オ六〕
とあって、標記語「借用」の語注記は、未記載にする。
当代の『日葡辞書』には、
Xacuyo>.シャクヨウ(借用) Cari mochijru.(借り用ゐる)借りること,あるいは,賃借りすること.例,Vmauo xacuyo> mo<xisoro.私に馬を一匹貸して下さるようにお願いしたいのですが.〔邦訳742l〕
とあって、標記語「借用」とし、その意味は「借りること,あるいは,賃借りすること」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しゃく-よう【借用】<名>使用するために他から借りること。借りて用いること」とある。
[ことばの実際]
洛中御乗車、自鳥羽被用御舩令借用丹後二品局舩給《読み下し》洛中ハ御乗車、鳥羽ヨリ御船ヲ用ヒラル。丹後二品ノ局ノ船ヲ借リ用ヒシメ給フ。《『吾妻鏡』承元二年閏四月二日条》
2002年4月1日(月)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)
「奉∨察(サツしたてまつり)」
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「左」部に、
察(サツスル)。〔元亀本280二〕 奉(タテマツル)。献(同)。進(同)日本。〔元亀本148三〕
察(サツス)。〔静嘉堂本320三〕 奉(タテマツル)。献(同)。進(同)日本。〔静嘉堂本160二〕
× 奉(タテマツル)。献(同)。進(同)日本。〔天正十七年本中12オ八〕
とあって、標記語「察」と「奉」の二語で収載し、語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、
「抑客人光臨結構奔走奉察候」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕〔宝徳三年本〕
「抑客-人光-臨結-構、奔走奉リ∨察シ候」〔山田俊雄藏本〕
「抑客人光臨、結構(ケツコウ)奔走(ホンソウ)奉リ∨察シ候」〔経覺筆本〕
欠落〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「察」と「奉」の二語を未収載にする。次に広本『節用集』は、
奉(タテマツル/ホウ)∨察(サツシ)[上・○]。〔態藝門801一〕
とあって、標記語「奉∨察」の語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』には、
奉(タテマ)ツル∨察(サツ)シ。〔弘・言語進退216二〕
とあって、標記語「奉∨察」を収載するのは弘治二年本だけで、その語注記は未記載にする。また、易林本『節用集』には、
察(サツス)。〔言辞183四〕
進(タテマツル)。奉(同)。上(同)。貢(同)。獻(同)。〔言語95六〕
とあって、標記語「察」と「奉」の二語を収載する。
鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』、室町時代の十巻本『伊呂波字類抄』には、
察サツス/初八反/推―監―也。〔黒川本辞字下40ウ四〕
察サツス/監也/推也。〔卷第八436二〕
奉タテマツル。供(ク井)。貢(ヨウ)。進。享。獻。朔。臨。貴。上。納。祭。税已上同。〔黒川本辞字中9オ五〕
進タテマツル。獻。奉。貢。供長用反。上。朔。費。臨。納。祭。税已上同。〔卷第四435六〕
とあって、標記語「察」と「奉」の二語を収載する。
これを『庭訓往来註』五月{ }日の状に、
300抑客人光臨結構、奔走奉∨察候。所∨被‖借用|之具足、於‖所持分ニ|者令∨進∨之候。灯臺・火鉢・蝋燭ノ臺雖不∨被∨載‖註文|所∨進也。能米・馬ノ大豆・秣(マクサ) ・糠・蒿・味噌・醤・酢・酒・塩梅(シホムメ) 以∨汝爲‖揖橈|、以∨汝爲‖塩梅|古亊也。〔謙堂文庫藏三二左C〕
とあって、標記語を「奉∨察」とし、その語注記は未記載にする。
古版『庭訓徃来註』では、
奉リ∨察(サツ)シ候。所∨被(ラル)ヽ‖借用(シヤクヨウ)せ|之具-足ハ、於テ‖所持ノ分ニ|者可∨進∨之ヲ也。燈臺(トウタイ)・火鉢(ヒハチ)・蝋燭(ラツソク)之臺(ダイ)雖トモ不ト∨被(ラ)レ∨載(のせ)‖註文(チウ―)ニ|所∨進ル也奉∨察ハヲモイヤル心也。〔下六ウ七〕
とあって、この標記語「奉∨察」の語注記は、「察し奉るはおもひやる心なり」という。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
抑(そも/\)客人(きやくじん)光臨(くわうりん)結構(けつこう)乃奔走(ほんそう)察(さつ)し奉(たてまつ)り候(さふら)ふ/抑客人光臨結構ノ奔走奉∨察シ候察ハ心におしはかりて思ひやる事也。言こゝろハ今度よき客の奉らるゝ計付て美々敷(びゝしく)饗応(けうおう)せられん事ハひそかに推量(すいりやう)したりと也。〔三十四ウ三・四〕
とあって、標記語「察」についての語注記は、「察ハ心におしはかりて思ひやる事なり」という。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)客人(きやくじん)光臨(くハうりん)の結構(けつかう)奔走(ほんそう)察(さつ)し奉(たてまつ)り候(さふら)ふ。/抑(ソモ/\)客人光臨ノ結構。奔走。奉リ∨察シ候フ。〔二十八オ八〕
抑(そも/\)客人(きやくじん)光臨(くわうりん)の結構(けつかう)奔走(ほんさう)奉(たてまつ)り∨察(さつ)し候(さふら)ふ。〔五十ウ五〕
とあって、標記語「奉∨察」の語注記は、未記載にする。
当代の『日葡辞書』には、
Sat.サツ(察) 推察.§Sat suru.(察する)推察する.〔邦訳560r〕
Tatematcuri,ru.タテマツリ,ル,ッタ(奉り,る,つた) 他の動詞に連接して,話し手を下げ,相手の人を上げて言う動詞.§また,身分の高い人に献ずる,差し上げる.例,Deusni inochiuo tatematcuru.(デウスに命を奉る)デウス(Deos神)に命を捧げる.⇒Faixi,suru(配し,する);Qibucu;Qifucu;Taixi,suru(対し,する).〔邦訳617l〕
とあって、標記語「察」とし、その意味は「推察」と実に分りやすくいう。標記語「奉」は「他の動詞に連接して,話し手を下げ,相手の人を上げて言う動詞.また,身分の高い人に献ずる,差し上げる」という。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
さつ・す〔他動、左變〕【察】推し量りて、諦(あきら)め知る。孟子、離婁、下篇「舜明二於庶物一、察二於人倫一」「眞理を察す」〔0613-4〕
[ことばの実際]
只以一察萬、尤可仰推察也《読み下し》只一ヲ以テ万ヲ察シ、尤モ推察ヲ仰グベキナリ。《『吾妻鏡』文治三年四月二十三日条》
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