2002年11月1日から11月30日迄

 BACK(「ことばの溜め池」表紙へ)

 MAIN MENU

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

2002年11月30日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

柑子栗毛(かうじくりげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、標記語「柑子栗毛」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―) 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_-子栗__(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「柑子栗毛」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、標記語「柑子栗毛」の語を未収載にする。次に広本節用集』に、

柑子栗毛(カンジクリゲ)已上五者馬毛氣形門271六〕

とあって、標記語「柑子栗毛」の語をもって収載し、語注記は「已上の五は馬の毛」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

柑子栗毛(カンシクリゲ)同(馬毛)・畜類83二〕

柑子栗毛(カウシクリケ)・畜類71九〕

柑子栗毛(カウジクリケ)・畜類86八〕

とあって、標記語「柑子栗毛」の語をもって収載し、語注記は弘治二年本に「馬毛」と記載する。また、易林本節用集』には、

柑子栗毛(カウジクリゲ)〔氣形73六〕

とあって、標記語「柑子栗毛」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書では印度本及び易林本『節用集』に「柑子栗毛」の語をもって収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「柑子栗毛」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)黒鴾(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)〓〔鹿+章〕(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「柑子栗毛」の語注記は、「馬の事柑子栗毛は尾髪黒くて星あるなり。惣じて馬の毛。平人も知りたる事なり。別に記す様なし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(むま)(ハ)柑子栗毛(れんぜんあしけ)馬者柑子栗毛 栗毛ハあかき毛色の馬なり。其内柑子栗毛紅(べに)栗毛なといろ/\あり。柑子の色に似たるを以て柑子栗毛といふ。〔48ウ四五〕

とあって、標記語「柑子栗毛」の語注記は、「栗毛は、あかき毛色の馬なり。其の内、柑子栗毛・紅栗毛などいろ/\あり。柑子の色に似たるを以て柑子栗毛といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲柑子栗毛ハ紫毛(むらさきげ)の馬をいふ。数種(すしゆ)あり。柑子ハ其黄赤色(きあかいろ)なるをいふなるべし。〔三十六ウ一〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を柑子栗毛ハ紫毛(むらさきげ)の馬をいふ。数種(すしゆ)あり。柑子ハ其黄赤色(きあかいろ)なるをいふなるべし。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「柑子栗毛」の語注記は、「柑子栗毛は、紫毛の馬をいふ。数種あり。柑子は、其の黄赤色なるをいふなるべし」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「柑子栗毛」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「かうじ-くりげ(名)【柑子栗毛】」を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こうじ-くりげ【柑子栗毛】〔名〕馬の毛色の名。ややだいだい色を帯びた栗毛。柑子赤毛。」とあって、『庭訓往来』の語を記載する。

[ことばの実際]

《『桂川地藏記』》

 

2002年11月29日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

連錢葦毛(レンゼンあしげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「連」部に、

連錢葦毛(―ゼンアシゲ)〔元亀本151六〕

連錢葦毛(レンゼンアシゲ)〔静嘉堂本165二〕

連錢葦毛(レンセンアシケ)〔天正十七年本中14オ八〕

補遺「獸名」部に、標記語「連錢葦毛」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―) 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者_-_-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

連錢レンセンアシケ。俗云連錢葦毛是也。又曰乕毛馬也。〔黒川本・動物中13オ八〕

連銭レンセンアシケ。亦虎毛馬。俗云連錢葦毛馬是也。〔卷第四・動物507三〕

とあって、標記語「連錢」の語をもって収載し、三卷本」の語注記には、「俗に云く連錢葦毛是れなり。また曰く乕毛馬なり」と「連錢葦毛」の語を記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

連錢葦毛(レンゼンアシゲ)〔彩色門137二〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

連錢(レンゼンアシゲ/ツラナル,ゼニ,ソウ)[平・上・○]正義〔氣形門473八〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語をもって収載し、語注記「詩の正義に在り」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

連錢(レンゼンアシゲ)馬毛或作連錢葦毛(同)・畜類115四〕〔・畜類98八〕

連錢(レンセンアシケ)或作――葦毛・畜類89六〕

連錢(レンセンアシケ)馬毛或作――葦毛・畜類108七〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語をもって収載し、語注記を記載する。また、易林本節用集』には、

連錢葦毛(レンゼンアシゲ)〔氣形98一〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「連錢」と「連錢葦毛」の語をもって収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)黒鴾(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)〓〔鹿+章〕(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「連錢葦毛」の語注記は、「馬の事連錢葦毛は尾髪黒くて星あるなり。惣じて馬の毛。平人も知りたる事なり。別に記す様なし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)馬者連錢葦毛 毛乃色青白にして銭をならへたることくまたらなる馬なり。〔48ウ三四〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲連錢葦毛ハ虎毛(とらげ)馬也。色青黒(あをくろ)にして銭(せに)を併(なら)へたるごとき斑文(はんもん)あり。〔三十六ウ一〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を連錢葦毛ハ虎毛(とらげ)馬也。色青黒(あをくろ)にして銭(せに)を併(なら)べたるごとき斑文(はんもん)あり。〔64ウ五〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語注記は、「連錢葦毛は、虎毛馬なり。色青黒にして銭を併べたるごとき斑文あり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Renjenaxigue.れんぜんあしげ(連錢葦毛) 星形の斑紋ある半白の馬の毛色,あるいは,丸形の斑(ぶち)のある半白の馬の毛色.〔邦訳529l〕

とあって、標記語「連錢葦毛」の語を収載し、意味は「星形の斑紋ある半白の馬の毛色,あるいは,丸形の斑のある半白の馬の毛色」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

れんぜん-あしげ(名)【連錢葦毛】〔連錢とは、其斑の圓紋相つらなること、大いなる錢の如くなれば云ふ〕馬の葦毛に、淡濃の灰色の圓き斑あるもの。又、葦毛馬の、年を積むにしたがひて、漸くに圓き斑の、肩、尻などに出て來るもの。連錢倭名抄、十一6牛馬毛「色有深淺斑駁、謂連錢、俗云連錢葦毛保元物語、白河殿攻落事「六條判官爲義、云云、連錢葦毛なる馬に、白覆輪の鞍置いてぞ乘られたる」〔2147-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「れんぜんあしげ【連錢葦毛】〔名〕馬の毛色の名。葦毛に銭を並べたような灰白色のまだら模様のあるもの。連銭。」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

連錢 尓雅注云色有深淺斑駁謂之――漢語抄云――乕毛馬也。一云馬.音余。又云薄漢馬。今案俗云連錢葦毛是」《十巻本『和名類聚抄』(934年頃)》

進上 御馬五疋 鹿毛駮 葦毛駮 黒栗毛 栗毛 連錢葦毛 右進上如件 文治二年十月三日《『吾妻鏡』文治二年十月三日の条》

 

 

2002年11月28日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

(むま)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「牟」部、補遺「獸名」部に、標記語「」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―) 〔山田俊雄藏本〕

者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、

ウマ浮雲。〔黒川本・動物中48オ二〕

ウマ〔卷第五・動物158二〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、三卷本」の語注記には、「浮雲」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

胡馬(ウマ)二字共也 然ルニ日本人呼之一字胡馬也 似キニ歟。馬多出於北胡ヨリ 故胡馬也 句胡馬(イハウ)北風 越鳥(スクフ)南枝〔氣形門61六〕

とあって、標記語「胡馬」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

胡馬(ウマ/ナンソ・ヱビス,ムマ)[平・上]。略云馬也。胡馬二字(トモ)ニ唐音也。然ルヲ日本俗呼(ヨン)テ馬之一字。曰胡馬。似其理歟。馬多出於北胡ヨリ。故云――也。句云胡馬嘶(イハウ)北風。越鳥巣(スクウ)南枝(シ)ニ 周礼凡馬八尺以上龍。七尺以上為。六尺以下為馬。又春秋馬祖天。夏先牧。冬馬歩。 異名《省略》〔氣形門473八〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

胡馬(ウマ)二字共唐音也。叫馬一字曰――似無其理馬多出北胡ヨリ・財宝149四〕

とあって、標記語「胡馬」の語をもって収載し、語注記を記載する。また、易林本節用集』には、

胡馬(ウマ)〔器財117四〕

とあって、標記語「胡馬」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「胡馬」の語をもって収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

378并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾 馬起、安騎向北曰、鷹本尊胡国向路白云山有。向北云鷹住也。此鷹安祖国飛行、馬取胡国、其時北霊国申人向云。凡夫血肉ナレハ~コト覚。其時月氏国人、永州国人道。此明神コトニ滿皈也。其時荒礒明神自胡国大唐国シテ給。自大唐日本~也。下総香取王子也。次馬スル、先咒覚也。是以宝生佛変化知也。皇帝元年之。古川僧正末流末孫。泰始皇伯楽矢ニ、弊ニ持也。左白鷹也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「」の語注記は、「馬の起り、安騎向北の巻に曰く、鷹は馬の本尊と爲せる亊は、胡国の東へ向路白と云ふ山有り。向北と云ふ鷹の住しなり。此の鷹、安祖国を飛行し、馬の種を取り胡国に渡り、其の時北霊国と申す人鷹に向ひて云ふ。凡そ夫れ血肉の身なれば、~の計ごと覚えず。其の時月氏国の人、永州国の人、道も去り敢へず。此の鷹の明神へ參る人ごとに願を滿て皈すなり。其の時荒礒の明神、胡国より大唐国に馬を具して渡し給ふ。大唐より日本に馬を渡す~なり。下総香取の宮は、此の鷹の王子なり。次に馬の病を治する時は、先ず、咒い針を覚すべきなり。是れを以って宝生佛の変化と知るなり。皇帝元年に之れを撰ぶ。古川の僧正、末流末孫。泰の始皇伯楽、矢ニつ、弊ニつ持つなり。左白の鷹なり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)黒鴾毛(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「」の語注記は、「の事連錢葦毛は尾髪黒くて星あるなり。惣じて馬の毛。平人も知りたる事なり。別に記す様なし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)者連錢葦毛 毛乃色青白にして銭をならへたることくまたらなる馬なり。〔48ウ三四〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。〔三十六オ六〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を。〔64ウ一〜オ五〕

とあって、標記語「」の語注記は、と未記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

VMA.むま(馬) 馬.例《略》〔邦訳691l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「馬」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

むま(名)【】うま(馬)に同じ。萬葉集、廿27長歌「不破の關、越えてわは行く、牟麻の爪、筑紫のさきに、ちまり居て」〔1974-3〕

うま(名)【】(一){牧に飼ひ、家に畜ひて、人、物を載せ、又、車を牽く等、最も用ある獸、人の知る所なり。面長くして、鬣(たてがみ)あり、蹄圓くして、底凹(くぼ)めり、尾の長さ、身の高さに等し、前齒は、上下、各、六枚あり、老ゆるに従ひて摩滅す、これを見て老少を知るべし。毛の色、種種にして、名目、多し。高さ四尺以下を駒とし、四尺以上は、寸(き)を以て計り、八寸に餘るを、長(たけ)に餘るとす。推古記、二十年正月、長歌「宇摩ならば、日向(ひむか)の駒」(二){雙六(すごろく)の賽。(三)物の、常に異なりて、大きなるものの稱。「うま蛭」うまうど」うま芹」〔0253-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「うま【馬】〔名〕(「馬」の字音「マ」の転じたものという。平安以降、「むま」と表記した例が多い)@ウマ科の家畜。体高一・二〜一・七bぐらい。首は長く、まえがみとたてがみがあり、尾は長毛で覆われ、草食性で臼歯(きゅうし)が発達している。体毛は褐色、黒色、赤褐色、白色などで、古くから鹿毛(かげ)、青毛、栗毛、葦毛(あしげ)などと呼ばれる。ヨーロッパ、アジアの原産で、世界各地で家畜として飼育。品種はアラブ、サラブレッドなど数十種あり、日本産のものでは、南部馬、三春馬(みはるま)、最上馬、仙台馬などが知られていたが、現在なお、在来種の面影を保っているのは、木曾馬、御崎馬(みさきうま)などだけである。農耕、運搬、乗馬、競馬などに用いられるほか、肉は食用、皮は革製品にされる。こま。学名はEquuscaballusA(座興、または芝居として)馬のまねごとをすること。また、その役。B馬をかたどったり、馬の名称を用いたりした玩具。木馬などをはじめ、その種類はきわめて多い。ロ踏み台や脚立の俗称。ハ体操用具の一つで鞍馬(あんば)のこと。ニすごろくのこま。C紋所の名称の一つ。馬にかたどもの。放馬(はなれうま)、覇馬(つなぎうま)などがある。D馬に似ていたり、馬を連想させたりするもの。イ(馬のように大きという意から)姿や形が大きすぎるもの。ロ大きな男根、また、その所有者をいう隠語。ハ遊女。ニ(馬の腹帶に似ているところから)月経時に用いる丁字形の帶。転じて、月経。おうま。E遊女屋、料理屋などで、勘定不足または不払いの代金を取り立てるために客について行く者。つけうま。つきうま。F「うまおい(馬追)」の略。G競馬(けいば)をいう。H教習中の巡査をいう、盗人仲間の隠語。」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

 

2002年11月27日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

手鉾(てぼこ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

手鉾(―ボコ)〔元亀本243九〕〔静嘉堂本281二〕

手鉾(―ホコ)〔天正十七年本中69ウ一〕

とあって、標記語「手鉾」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

粢鍔螺鞍并金作左右巻白柄長刀同手鉾」〔至徳三年本〕

粢鍔并金作左右巻白柄長刀同手鉾」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔山田俊雄藏本〕

粢鍔(シトキツハ)螺鞍(カイクラ)并金作左右巻(サヤマキ)白柄(―エ)長刀(ナキナタ)手鉾(テホコ) 〔経覺筆本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、

(ホウ)テホコ/又作鋒。同。手戟同。〔黒川本・雜物下17ウ一〕

テホコ/亦作鉾/手戟也。同。手戟已上同/テホコ〔卷第七・雜物235二〕

とあって、標記語「」「」「手戟」の三語をもって収載し、「」の語注記には、「又{亦}作○」形式で「鋒」の語を記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「手鉾」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

手鉾(テボコ/シユウホウ)[上・平]〔器財門・717三〕

とあって、標記語「手鉾」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

手鉾(テボコ)・財宝197七〕

手鉾(テボコ)―棒(バウ)。―取(ドリ)有口罐子・財宝163六〕

手鉾(テボコ)―棒。―楯。―取有口罐子・財宝152九〕

とあって、標記語「手鉾」の語をもって収載し、語注記には冠頭字「手」の熟語字群を記載する。また、易林本節用集』には、

手水盥(テウヅダラヒ)―箱(バコ)―鉾(ボコ)。―戟(同)。―矛(同)。―筥(ハコ)。―蓋(カイ)。―楯(ダテ)〔器財180二〕

とあって、標記語「手鉾」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書のなかで『下學集』だけがこの語を未収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

378并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾馬者 馬起、安騎向北曰、鷹本尊胡国向路白云山有。向北云鷹住也。此鷹安祖国飛行、馬取胡国、其時北霊国申人向云。凡夫血肉ナレハ~コト覚。其時月氏国人、永州国人道。此明神コトニ滿皈也。其時荒礒明神自胡国大唐国シテ給。自大唐日本~也。下総香取王子也。次馬スル、先咒覚也。是以宝生佛変化知也。皇帝元年之。古川僧正末流末孫。泰始皇伯楽矢ニ、弊ニ持也。左白鷹也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「手鉾」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_物粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「手鉾」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白柄(しらゑ)長刀(なきなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)白柄長刀同手鉾 白柄の手鉾也。〔48ウ二三〕

とあって、標記語「手鉾」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)手鉾(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)白柄長刀同手鉾手鉾ハ手鎗(てやり)なり。〔三十六オ六〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)手鉾ハ手鎗(てやり)なり。〔64オ六〕

とあって、標記語「手鉾」の語注記は、「手鉾ハ手鎗なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Teboco.てぼこ(手鉾) すなわち,Chijsai.naguinata.(小さい薙刀) partasana〔十字架鉾〕の形に似た,ある種の武器. ※partazanaに同じ.昔の鉾の一種で,刃部の根元のところに二つの突き出た,耳状のものが付いたもの.〔邦訳640l〕

とあって、標記語「手鉾」の語を収載し、意味は「すなわち,小さい薙刀〔十字架鉾〕の形に似た,ある種の武器」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぼこ(名)【手鉾】〔手楯に對す〕ほこ(鉾)の小なるもの。片手に持ちて使用す。倭名抄、十三

8征戰具「手戟、天保古、人所持也」盛衰記、六、入道院參企事「銀の蛭巻したる手鉾の、秘藏して常の枕を不放被立たる、鞘はづし、左の脇に挟みて」義經記、二、伊勢三郎義經の臣下に初て成事「萠黄威の腹卷に、太刀佩いて、大手ぼこを杖につきて」同、四、土佐房義經の討手に上る事「身は、一尺二寸ありける手ぼこの、蛭巻白くしたるを、細貝を目貫にしたるを持って參る」〔1364-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「て-ぼこ【手鉾】〔名〕@武具の一つ。棒状の柄をもつ薙刀(なぎなた)に類似した片刃の身をもつもの。正倉院に所蔵。唐代の陌刀(はくとう)にあたるとされる。」とあって、意味用例として異制庭訓往来』の語を記載する。

[ことばの実際]

子の刻ばかりになりぬれば、あるじの男歸り、槙の板戸を押開き、内へ通るを見給へば、年廿四五ばかりなる男の、葦の落葉つけたる淺黄の直垂に萌黄威の腹卷に太刀帶いて、大の手鉾杖につき、劣らぬ若黨四五人、猪の目彫りたる鉞、やきばの薙鎌、長刀、乳切木、材棒、手々に取り持ちて、たゞいま事に會ふたる氣色なり。《『義經記』》

 

2002年11月26日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

長刀(なぎなた)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「那」部に、

長刀(ナギナタ)薙刀(同)〔元亀本166五〕〔静嘉堂本185一〕

長刀(ナキナタ)薙刀(同)〔天正十七年本中22ウ七〕

とあって、標記語「長刀」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

粢鍔螺鞍并金作左右巻白柄長刀同手鉾」〔至徳三年本〕

粢鍔并金作左右巻白柄長刀同手鉾」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔山田俊雄藏本〕

粢鍔(シトキツハ)螺鞍(カイクラ)并金作左右巻(サヤマキ)白柄(―エ)長刀(ナキナタ)手鉾(テホコ) 〔経覺筆本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』に、

長刀ナカタチ〔黒川本・雜物中35オ五〕

長刀ナカヽタナ/ナキカタナ。銀装―唐令奈木大刀同。薙刀ナイカタナ。〔卷第五・雜物47五〕

とあって、標記語「長刀」の語をもって収載し、読みを「なかたち」そして「ながかたな、なぎかたな」とし、語注記は、十巻本に「銀装長刀、唐令」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

長太刀ナギナタ〔器財門115五〕

とあって、標記語「長刀」の語を収載する。次に広本節用集』には、

長刀(ナギナタ/チヤウタウ・ナガシ、カタナ)[平去・平]〔器財門437三〕

とあって、標記語「長刀」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

長刀(ナギナタ)又薙刀。・財宝139二〕

長刀(ナギナタ)・財宝111二〕〔・財宝101九〕〔・財宝124五〕

とあって、標記語「長刀」の語をもって収載し、語注記は弘治二年本節用集』だけに別表記「薙刀」を記載する。また、易林本節用集』には、

長刀(ナギナタ)薙刀(同)〔器財110五〕

とあって、標記語「長刀」の語をもって収載し、語注記には別表記「薙刀」を記載する。

 このように、上記当代の古辞書のなかで広く記載が見られるのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

378并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾馬者 馬起、安騎向北曰、鷹本尊胡国向路白云山有。向北云鷹住也。此鷹安祖国飛行、馬取胡国、其時北霊国申人向云。凡夫血肉ナレハ~コト覚。其時月氏国人、永州国人道。此明神コトニ滿皈也。其時荒礒明神自胡国大唐国シテ給。自大唐日本~也。下総香取王子也。次馬スル、先咒覚也。是以宝生佛変化知也。皇帝元年之。古川僧正末流末孫。泰始皇伯楽矢ニ、弊ニ持也。左白鷹也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「長刀」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_物粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「長刀」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白柄(しらゑ)長刀(なきなた)(おなじ)并手鉾(てぼこ)白柄長刀同手鉾 白柄の手鉾也。〔48ウ二三〕

とあって、標記語「長刀」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾。〔三十六オ五〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)。〔64オ六〕

とあって、標記語「長刀」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Naguinata.なぎなた(長刀) 鉾の一種の形式で,伐採用の薙鎌に似た刃のついているもの.〔邦訳443l〕

とあって、標記語「長刀」の語を収載し、意味は「鉾の一種の形式で,伐採用の薙鎌に似た刃のついているもの」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

なぎ-なた(名)【長刀・薙刀】〔薙(なぎ)の刀(かたな)、の約かと云ふ〕武器の名。刃、幅廣く、長く反りて、長き柄あり。敵を薙ぎ拂ふに用ゐる。將士の用たり。後世は、多く、婦女、僧侶の用として、將士は槍を主とすることとなる。ないがたな。なぎがたな。眉尖刀。偃月刀。運歩色葉集長刀薙刀、ナギナタ」名物六帖、三、器財箋「眉尖刀、ナギナタ」和漢三才圖會、廿一、征戰具「長刀、三才圖會所眉尖刀(一名偃月刀)與之相似、或曰、始光仁天皇朝、和名抄有長刀而無薙刀、至平相國公時、専感眉尖刀(なぎなた)之利、常列座右以來尚之、云云、凡長刀用也、可截人可切可撃可突、以兼刀槍棒(以爲官婦僧醫之重器也)」後三年記「龜次が長刀のさき頻りにあがるやうに見ゆるほどに」外記日記、十三「經光驚執兵仗」自注「俗號奈木奈多太平記一、頼員回忠事「時綱ただ一騎、中間二人みに長刀持たせて、忍びやかに土岐が宿所へ馳せて行き」〔1451-5〜1452-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「なぎ-なた【長刀・薙刀・眉尖刀】〔名〕@手矛(てぼこ)のように長い柄があり、刃を長く広くそらせた武器。敵をなぎ払うのに用いる。一一世紀末の後三年の役の頃にはじまり、室町中期まで盛んに用いられた。その後、従来のものより刀身が短く、そりが深く、柄の長いものが考案されて、これをなぎなたと称し、旧来のものを長巻(ながまき)と称して区別するようになった。江戸時代はもっぱら婦人の武具とされた。大長刀、小長刀、両刃長刀、小反刃長刀、鉈長刀(なたなぎなた=筑紫長刀)、無爪鉈長刀などの種類がある。ながかたな。なぎがたな。A「なぎなたなり(長刀形)」または「なぎなたぞうり(長刀草履)」の略。B「なぎなたぼこ(長刀鉾)」の略。C(そりかえった形またはその切りきずから連想していうか)イ陰茎をいう。ロ女陰をいう。なぎなたきず。D「なぎなたあしらい(長刀会釈)@」に同じ」とあって、意味用例として『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

手自取長刀、賜景廉、討兼隆之首、可持參之旨、被仰含〈云云〉《訓み下し》手自ラ長刀ヲ取テ、景廉ニ賜ハリ、兼隆ガ首ヲ討ツテ、持参スベキノ旨、仰セ含メラルト〈云云〉。《『吾妻鏡治承四年八月十七日の条

 

2002年11月25日(月)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

白柄(しらえ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

白柄(シラエ)長刀。〔元亀本313五〕

白柄(シラヱ)長刀。〔静嘉堂本367三〕

とあって、標記語「白柄」の語を収載し、語注記は、ただ「長刀」と記載する。まさに、下記に示す『庭訓徃來』からの引用と見てよい。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

粢鍔螺鞍并金作左右巻白柄長刀同手鉾」〔至徳三年本〕

粢鍔并金作左右巻白柄長刀同手鉾」〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔山田俊雄藏本〕

粢鍔(シトキツハ)螺鞍(カイクラ)并金作左右巻(サヤマキ)白柄(―エ)長刀(ナキナタ)手鉾(テホコ) 〔経覺筆本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「白柄」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「白柄」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書のなかで、唯一運歩色葉集』がこの語を収載するものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

378并金作左右(/サヤ)白柄長刀同手鉾馬者 馬起、安騎向北曰、鷹本尊胡国向路白云山有。向北云鷹住也。此鷹安祖国飛行、馬取胡国、其時北霊国申人向云。凡夫血肉ナレハ~コト覚。其時月氏国人、永州国人道。此明神コトニ滿皈也。其時荒礒明神自胡国大唐国シテ給。自大唐日本~也。下総香取王子也。次馬スル、先咒覚也。是以宝生佛変化知也。皇帝元年之。古川僧正末流末孫。泰始皇伯楽矢ニ、弊ニ持也。左白鷹也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「白柄」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_物粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「白柄」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白柄(しらゑ)長刀(なきなた)(おなじ)并手鉾(てぼこ)白柄長刀同手鉾 白柄の手鉾也。〔48ウ二三〕

とあって、標記語「白柄」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)白柄長刀同手鉾。〔三十六オ四〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)。〔64オ五〕

とあって、標記語「白柄」の語注記は、「白柄は、渡卷をいふとぞ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xiraye.しらえ(白柄) 薙刀(Nag~uinata)の白い柄.〔邦訳778l〕

とあって、標記語「白柄」の語を収載し、意味は「薙刀(Nag~uinata)の白い柄」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しら-(名)【白柄】木地のままにて、塗らぬ柄。狂言記、姫糊「白柄の長刀、かい込うで」〔1019-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しら-え【白柄】〔名〕白木の柄。木地のままで何も塗っていない刀などの柄。また、白糸などで巻いた柄。」とあって、意味用例として『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

。觀音房は黒絲威の腹卷に、白柄の長刀くきみじかに取り、勢至房は、萠黄威の腹卷に、黒漆の大太刀もて、二人つと走出で、延暦寺の額をきて落し、散々に打わり、「うれしや水、なるは瀧の水、日はてるとも、絶えずとうたへ。」とはやしつゝ、南都の衆徒の中へぞ入りにける。《『平家物語』(13世紀以前)一・額打論》

 

2002年11月24日(日)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

左右巻(さやまき)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、標記語「左右巻」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

粢鍔螺鞍并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔至徳三年本〕

粢鍔并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔山田俊雄藏本〕

粢鍔(シトキツハ)螺鞍(カイクラ)并金作左右巻(サヤマキ)白柄(―エ)長刀(ナキナタ)手鉾(テホコ) 〔経覺筆本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、

之日反/サヤマキ/刀鞘作者也。〔黒川本・動物下36ウ四〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記には、「刀の鞘の作者なり」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「左右巻」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

鞘巻(サヤマキ/サウケン)[去・平去]太刀名也。或作左右巻也。〔器財門・780八〕

とあって、標記語「鞘巻」の語をもって収載し、語注記に「太刀の名なり。或は左右巻に作るなり」と「或作○○○也」の形式により「左右巻」の語を収載しているのである。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鞘巻(サヤマキ)刀之――。或作左右巻(同)・財宝212二〕

鞘巻(サヤマキ)刀――。或作左右巻・財宝176九〕

鞘巻(サヤマキ)刀――。或作左右巻。・財宝165七〕

とあって、標記語「鞘巻」の語をもって収載し、語注記は広本節用集』を継承する。また、易林本節用集』には、

鞘巻(サヤマキ)〔器財180二〕

とあって、標記語「鞘巻」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書のなかで『下學集』と運歩色葉集』とがこの語を未収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

378并金作左右(/サヤ)白柄長刀同手鉾馬者 馬起、安騎向北曰、鷹本尊胡国向路白云山有。向北云鷹住也。此鷹安祖国飛行、馬取胡国、其時北霊国申人向云。凡夫血肉ナレハ~コト覚。其時月氏国人、永州国人道。此明神コトニ滿皈也。其時荒礒明神自胡国大唐国シテ給。自大唐日本~也。下総香取王子也。次馬スル、先咒覚也。是以宝生佛変化知也。皇帝元年之。古川僧正末流末孫。泰始皇伯楽矢ニ、弊ニ持也。左白鷹也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「左右巻」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_物粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「左右巻」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)_(ほりもの)粢鍔(しときつば)金作(こかねつく)左右巻(さやまき)彫物粢鍔并金作左右巻 渡り卷の事也。鞘(さや)を二の(あし)の下を柄(つか)の如く卷たる也。〔48ウ一・二〕

とあって、標記語「左右巻」の語注記は、「渡り卷の事なり。鞘を二のの下を柄の如く卷たるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)白柄長刀同手鉾左右巻ハ渡卷(わたりまき)をいふとぞ。〔三十六オ五〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)左右巻ハ渡卷(わたりまき)をいふとぞ。〔64オ六〕

とあって、標記語「左右巻」の語注記は、「左右巻は、渡卷をいふとぞ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sayamaqi.さやまき(左右巻) 環の形に彫り付けた溝のついている鞘.※原文にvineosとあるのはvincosの誤植.日西辞書にもcarriles(筋・溝)とある.〔邦訳566l〕

とあって、標記語「左右巻」の語を収載し、意味は「環の形に彫り付けた溝のついている鞘」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さや-まき(名)【鞘巻】〔下緒(さげを)を、鞘に卷きて、帶に留むる刀の意なり、さうまきと云ふは、音便なり(さやめく、さうめく)左右(サウ)と書くは、當字(あてじ)なり、貞丈雜記、十二に、一説として、上古は、劔の鞘を、葛(つづら)にて卷きしなり、其を學びて、鞘に刻目(きざみめ)ありと云へり、此説は、崇~天皇六十年の歌に「八雲立つ、出雲梟帥(いづもたける)が、佩(は)ける太刀、菟頭邏佐波磨枳(葛多卷(つづらさはまき)、眞身(さみ)なしにあはれ)」とあるに因れるなるべけれど、鞘巻の刀と云ふもの、平安朝末期より、武士が用ゐ始めし小刀なり、時代も、非常に懸隔せり、刻目は、脱出を阻(とど)めむための意匠と思はる〕又、さうまき。武士の所用の腰刀の一種。長さ八九寸、放目貫(はなしめぬき)にて、柄(つか)を卷かず、鍔なし、刻鞘(きざみざや)にて、湾曲す、刻目は、間遠にして、斜なり、革紐の長き下緒(さげを)をつけ、腰に刺す時は、下緒を、鞘尻にある犬招(いぬまねき)を通して、一卷き卷きて、其末を帶に留めおく、刃(み)を抜く時、鞘ながら抜けざらむがためなり。(貞丈雜記、十二)鞘卷を造る職人を、鞘巻切(きり)と云ふ、刻目に就きて云ふなるべし。總體、銀の熨附(のしつけ)にしたるを、白(しろ)鞘巻と云ひ、海老の殻の如く、刻み目をつけて、總體、朱漆にて塗れるを、海老鞘卷と云ひ、鞘に、刻目なく、K漆なるを、K鞘卷と云ふ。盛衰記、廿、石橋合戰事「與一、刀を抜きて、俣野が首を掻く、掻けども、かけども不切、刺せども、させども、透(とほ)らず、與一、刀を持ちあげて、雲透(くもすかし)に見れば、さや卷の栗形缺けて、鞘ながら抜けたりけり」平家物語、四、信連合戰事「信連、云云、腹を切らむと、腰を探れども、鞘卷、落ちて、無かりければ、力、及ばず」徒然草、二百廿五段「通憲入道、舞の手の中に、興ある事どもを擇びて、礒の襌師と云ひける女に教へて、舞はせけり、白き水干に、さうまきを刺させ、烏帽子を引入れたりければ、男舞(をとこまひ)とぞ云ひける」庭訓徃來(元弘)六月「左右巻(さうまき)、白柄長刀」本邦刀劔考「鞘卷之太刀、左右卷の太刀とも云、絲卷の太刀とも云」平家物語、一、祗王事「白拍子、云云、水干に、立烏帽子、白鞘卷を刺いて舞ひければ、男舞とぞ申しける」刀劔問答「白鞘卷、云云、白と申すは、銀作りの事にて候、云云、柄、鞘、共に、銀ののし附、總體、銀作りなる鞘卷也」盛衰記、一、五節夜闇打事「忠盛朝臣、K鞘卷を、装束の上に横たへ指して、云云、上は、K漆の鞘卷、中は、木刀に銀箔を押したる、云云」七十一番職人盡歌合(文安)四十五番「鞘卷きり」刀劔問答「鞘卷切とは、鞘卷を作る職人の事也」〔0860-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「さや-まき【鞘巻】〔名〕@腰刀の一種。古く、鍔(つば)のない短刀の鞘に葛藤(つづらふじ)の蔓などを巻きつけたもの。中世には、鞘に巻きつけた形の刻み目をつけた漆塗となった。白鞘巻・黒鞘巻・海老鞘巻・木鞘巻などがある。そうまき。A刀の鞘を巻く人。」とあって、意味用例として『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

御刀、〈鞘巻在下緒、〉相摸右近大夫將監時定、〈以刃爲内捧之〉《訓み下し》御刀〈鞘巻下緒在リ〉ハ、相模ノ右近ノ大夫将監時定〈刃ヲ以テ内ニシテ之ヲ捧グ〉《『吾妻鏡寛元二年四月二十一日の条

 

2002年11月23日(土)曇り後小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

金作(こがねづくり)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「金作」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

粢鍔螺鞍并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔至徳三年本〕

粢鍔并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

粢鍔(シトキツハ)金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔山田俊雄藏本〕

粢鍔(シトキツハ)螺鞍(カイクラ)金作左右巻(サヤマキ)白柄(―エ)長刀(ナキナタ)手鉾(テホコ) 〔経覺筆本〕

粢鍔(シトキツハ)金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「金作」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「金作」の語を未収載にする。

 上記に示した当代の古辞書のなかには、未収載にあることになる。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

378并金作左右(/サヤ)白柄長刀同手鉾馬者 馬起、安騎向北曰、鷹本尊胡国向路白云山有。向北云鷹住也。此鷹安祖国飛行、馬取胡国、其時北霊国申人向云。凡夫血肉ナレハ~コト覚。其時月氏国人、永州国人道。此明神コトニ滿皈也。其時荒礒明神自胡国大唐国シテ給。自大唐日本~也。下総香取王子也。次馬スル、先咒覚也。是以宝生佛変化知也。皇帝元年之。古川僧正末流末孫。泰始皇伯楽矢ニ、弊ニ持也。左白鷹也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「金作」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_物粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「金作」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)_(ほりもの)粢鍔(しときつば)金作(こかねつく)左右巻(さやまき)彫物粢鍔并金作左右巻 渡り卷の事也。鞘(さや)を二の(あし)の下を柄(つか)の如く卷たる也。〔48ウ一・二〕

とあって、標記語「金作」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾。〔三十六オ五〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)。〔64オ五・六〕

とあって、標記語「金作」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Coganezzucuri.こがねづくり(金作) 刀(Catana)や太刀に施した金の飾り彫り,あるいは,装飾.〔邦訳140l〕

とあって、標記語「金作」の語を収載し、意味は「刀(Catana)や太刀に施した金の飾り彫り,あるいは,装飾」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「こがね-づくり(名)【金作】」

こがね-づくり(名)【黄金造】鍍金(きんめつき)の金具にて仕立てたるもの。宇津保物語、藤原君廿三「こがねづくりの車(貴婦人乗用のもの)」欽明紀、廿三年八月「金餝刀(こがねづくりのかたな)」語名も目抄「金作太刀、大臣已上著之」大内問答(永正)「こがね作、云云、折金(をりかね)、栗形、柄口、鐺(こじり)、柄頭、目貫、笄、小刀、柄、金にて仕たるは、一段のこがね作たるべし」〔0655-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こがね-づくり【黄金作】〔名〕@金銅で装飾すること。または、純金でつくること。また、そのもの。A「こがねづくり(黄金作)の車」の略。B「こがねづくり(黄金作)の太刀」の略」とあって、意味用例として『庭訓往来』のこの語を記載する。

[ことばの実際]

二宮小太郎次加布施、金作劍、一腰裝束、念珠、〈付銀打枝、〉五衣一領〈松重自簾中、被押出云云〉已上、左典廐、被取之《訓み下し》二ノ宮小太郎次ニ加布施、金作リノ剣、一腰。装束、念珠、〈銀ノ打枝ニ付ク。〉五衣一領〈松重簾中ヨリ、押シ出ダサル云云〉已上、左典厩、之ヲ取ラル。《『吾妻鏡文治元年十月二十四日の条

 

2002年11月22日(金)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

螺鞍(かひぐら)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、標記語「螺鞍」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

粢鍔螺鞍并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔至徳三年本〕

粢鍔并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔山田俊雄藏本〕

粢鍔(シトキツハ)螺鞍(カイクラ)并金作左右巻(サヤマキ)白柄(―エ)長刀(ナキナタ)手鉾(テホコ) 〔経覺筆本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、標記語「螺鞍」の語を収載するしないという古写本に二系統があることを確認しておく。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「螺鞍」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「螺鞍」の語を未収載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

377螺鞍(カイ/アサラシ) (アホ)貝摺也。螺細同也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「螺鞍」の語注記は、「貝摺なり。螺細と同じく銀にて作るを云ふなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_物粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「螺鞍」の語を未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)_(ほりもの)粢鍔(しときつば)金作(こかねつく)左右巻(さやまき)彫物粢鍔并金作左右巻 渡り卷の事也。鞘(さや)を二の(あし)の下を柄(つか)の如く卷たる也。〔48ウ一・二〕

とあって、標記語「螺鞍」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾。〔三十六オ五〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)。〔64オ五・六〕

とあって、標記語「螺鞍」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「貝鞍」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かひ-ぐら(名)【貝鞍】青貝にて、花の形など作り、漆に塗り込めたる鞍。保元物語一官軍方方手分事「黄土器毛なる馬に、貝鞍置いて乗ったりけるが」〔0404-2〕

とあって、「螺鞍」でなく「貝鞍」の語をもって収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かい-ぐら【螺鞍】〔名〕鞍の一つ。鞍橋(くらぼね)の表面を漆地に、貝で模様を嵌めてみがき出したもの。螺鈿(らでん)の鞍。」とあって、意味用例として『庭訓往来』の語は未記載にする。

[ことばの実際]

御馬一疋、〈鴾毛蛛丸、貝鞍〉比企三郎、同四郎、引之《訓み下し》御馬一疋、〈鴾毛蛛丸、貝ノ鞍〉比企ノ三郎、同キ四郎、之ヲ引ク。《『吾妻鏡正治元年十一月十九日

 

2002年11月21日(木)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

粢鍔(しとぎつば)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

粢鍔(シドキツバ)〔元亀本318三〕

粢鍔(シトギツバ)〔静嘉堂本374四〕

とあって、標記語「粢鍔」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

粢鍔螺鞍并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔至徳三年本〕

粢鍔并金作左右巻白柄長刀同手鉾〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔山田俊雄藏本〕

粢鍔(シトキツハ)螺鞍(カイクラ)并金作左右巻(サヤマキ)白柄(―エ)長刀(ナキナタ)手鉾(テホコ) 〔経覺筆本〕

粢鍔(シトキツハ)并金作左右巻(サヤ―キ)_(―エ)_(ナキナタ)_(テホコ) 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「粢鍔」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「粢鍔」の語を未収載にする。

 当代の古辞書のなかで唯一運歩色葉集』だけがこの語を収載するものであり、下記に記載する『日本国語大辞典』第二版にもこの用例は未記載としていることも付加しておきたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

376粢鍔 銀作云也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「粢鍔」の語注記は、「銀にて作るを云ふなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「粢鍔」の語注記は、「鍔を皆白きつばなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)_(ほりもの)粢鍔(しときつば)金作(こかねつく)左右巻(さやまき)彫物粢鍔金作左右巻 渡り卷の事也。鞘(さや)を二の(あし)の下を柄(つか)の如く卷たる也。〔48ウ一・二〕

とあって、標記語「粢鍔」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾粢鍔(つば)ハ古鈔(こせう)に銀(ぎんつば)也といへり。但し鍔ハに作るべし。〔三十六オ五〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)粢鍔(つば)ハ古鈔(こせう)に銀(ぎんつば)也といへり。但し鍔ハに作るべし。〔64オ五・六〕

とあって、標記語「粢鍔」の語注記は、「粢鍔は、古鈔に銀なりといへり。但し、鍔はに作るべし」と記載する。

  当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「粢鍔」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「しとぎ-つば(名)【粢鍔】」

しとぎ-つば(名)【粢鍔】鍔の形の、橢圓にして、粢(しとぎ)の如くなるもの。本朝三國誌(享保、近松作)二「兵庫鎖の粢鍔」〔0910-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しとぎ-つば【粢鍔】〔名〕鳥の子形(長円形)の鍔。兵仗の太刀に用いる。一説に、儀仗の飾太刀。細太刀の唐鍔(からつば)をさすという。」とあって、意味用例として『庭訓往来』のこの語を記載する。

[ことばの実際]

《》

 

2002年11月20日(水)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

彫物(ほりもの)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

彫物(ホリモノ)〔元亀本44六〕〔天正十七年本上25ウ五〕〔西来寺本〕

彫物(――)〔静嘉堂本49五〕

とあって、標記語「彫物」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

大刀者兵庫鳥頸皆彫物〔至徳三年本〕

太刀者兵庫鳥頸皆彫物〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_刀者兵庫_(クサリ)ノ_(クヒ)(ホリ)_〔山田俊雄藏本〕

太刀者兵庫鎖鳥頸(クヒ)(ホリ)〔経覺筆本〕

太刀者兵庫鎖鳥_(クヒ)(ホリ)_〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「彫物」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「彫物」の語を未収載にする。次に広本節用集』に、

雕物(ホリモノ/テウフツ)[平・入]又作彫物。香箱盆。〔器財門104八〕

とあって、標記語「彫物」の語注記に「又作○○」形式をもって、「彫物」の語を収載し、そのあとに「盆・香合等」という注記内容を記載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

彫物(ホリモノ/ヱリ―)盆香合等。・財宝32四〕

とあり、弘治二年本だけに標記語彫物」の語を収載し、その語注記は広本節用集』の内容に類似する「盆・香合等」と記載している。また、易林本節用集』にも、

雕物(ホリモノ)盆香合等。〔器財31六〕

とあって、標記語彫物」の語を収載し、その語注記は弘治二年本と同じ内容を記載している。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

375鳥頸皆_ 鍔本有也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「彫物」の語注記は、「鍔の本に有るなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ホリ)_粢鍔(シトキツバ)金作(コカネツクリ)左右巻(サヤマキ)白柄(シラエ)長刀(ナギナタ)手鉾(テボコ) (ツバ)ヲ皆(ミナ)白キツバ也。〔下十二オ六〕

とあって、この標記語「彫物」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)_(ほりもの)粢鍔(しときつば)金作(こかねつく)左右巻(さやまき)彫物粢鍔并金作左右巻 渡り卷の事也。鞘(さや)を二の(あし)の下を柄(つか)の如く卷たる也。〔48ウ一・二〕

とあって、標記語「彫物」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸(ホリ)_粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾。〔三十六オ三〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)。〔64オ四〕

とあって、標記語「彫物」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Forimono.ほりもの(彫物) 彫刻,または,浮彫りの細工品.§Forimonouo suru.(彫物をする)彫刻をする.または,浮彫りの細工物を作る.→Azaazato;Tcuico>.〔邦訳263rl〕

とあって、標記語「彫物」の語を収載し、意味は「彫刻,または,浮彫りの細工品」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「ほり-もの(名)【彫物】」

ほり-もの(名)【刻物】(一)木、竹、金、石、などに、種種の形象、模樣などを刻りつくること。又、その技。彫刻 榮花物語、三十二、歌合「かねの透垣を彫物にしたる、かねの机にすゑたるなり」大鏡、中、伊尹「或はしこがね、こがね、沈(ヂン)、紫檀の骨になん、すぢをいれ、ほりものをし」(二)身に、もどろくること。人の膚に、針にて、人物、花鳥など、種種の象を刺し作り、墨、朱、など差し入るること。市虎(いさみ)など、身の飾とす。いれぼくろ。いれずみ。箚青。雕青。文身。天保集成絲綸録、八十一、文化八年八月「近來、輕きものども、ほり物と唱へ、總身江種種之繪、又は、文字等をほり、墨を入れ、或は、色入等に致し候類有之由、云云」〔1861-4〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ほり-もの【彫物】〔名〕@木・竹・金・石などに、種々の彫刻をすること。また、その技術。彫刻。A人の皮膚に種々の模様を針で刺し、墨または朱などを刺し入れて着色すること。また、そうしたもの。入れ墨。刺青」とあって、@の意味用例として『庭訓往来』のこの語を記載する。

[ことばの実際]

かねのすにはこを(ほり)にしたる、かねの机に据(す)ゑたり。《『榮花物語』(1028-92年頃)歌合》

(くら)うなれば火などゝもして、左行經の少將寄(よ)りて、透筥(すきばこ)をあけて、(ほ)り物ゝ骨(ほね)に象眼(ざうがん)の紙(かみ)をはりて、題の心をさま/゛\に書(か)きたる扇を一(ひと)つづゝ取(と)りて、講師(かうじ)經長(つねなが)の弁にとらす。《『榮花物語』(1028-92年頃)歌合》

 

 

2002年11月19日(火)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

鳥頸(とりくび)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、標記語「鳥頸」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

大刀者兵庫鳥頸皆彫物〔至徳三年本〕

太刀者兵庫鳥頸皆彫物〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_刀者兵庫_(クサリ)ノ_(クヒ)皆彫(ホリ)_物也〔山田俊雄藏本〕

太刀者兵庫鎖鳥頸(クヒ)皆彫(ホリ)物也〔経覺筆本〕

太刀者兵庫鎖_(クヒ)皆彫(ホリ)_物也〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「鳥頸」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「鳥頸」の語を未収載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

375鳥頸皆彫_ 鍔本有也。〔謙堂文庫藏三八右@〕

とあって、標記語「鳥頸」の語注記は、「鍔の本に有るなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥頸(トリクビ)(ミナ) ケヌキ足(アシ)ノナンドヽテアリ。〔下十二オ五〕

とあって、この標記語「鳥頸」の語注記は、「けぬき足のなんどとてあり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

鳥頸(とりくび)鳥頸 太刀のかぶとかねを鳥の頭乃形にしたるなり。〔48オ八〜48ウ一〕

とあって、標記語「鳥頸」の語注記は、「太刀のかぶとかねを鳥の頭の形にしたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾鳥頸ハ甲金(かぶとかね)を鳥の頭(かしら)の形(かたち)にしたる太刀(たち)也。〔三十六オ五〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)鳥頸ハ甲金(かぶとこがね)を鳥(とり)の頭(かしら)の形(かたち)にしたる太刀(たち)也。〔64オ五・六〕

とあって、標記語「鳥頸」の語注記は、「鳥頸は、甲金を鳥の頭の形にしたる太刀なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「鳥頸」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』でも、「とり-くび(名)【鳥頸】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「とり-くび【鳥頸】〔名〕@「とりくび(鳥頸)の太刀」の略。A首のあたりに出るはれもの。とりくびの太刀(たち)柄頭(つかがしら)の金物に、鳥の頭をかたどった作り物を加えた太刀。狛剣(こまつるぎ)の環を除いた形式で鷹飼の所用とし、時に神献物にも用いた。とりがしらの太刀。鳥頸。」とあって、@の意味用例として『庭訓往来』を記載する。

[ことばの実際]

鷹飼 紅褂、鳥頸太刀。《『江家次第』(1111年頃)二・大臣家大饗》

 

 

2002年11月18日(月)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

兵庫(ヒヤウゴのくさり)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「比」部に、標記語「兵庫」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

大刀者兵庫鳥頸皆彫物〔至徳三年本〕

太刀者兵庫鳥頸皆彫物〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_刀者兵庫_(クサリ)_(クヒ)皆彫(ホリ)_物也〔山田俊雄藏本〕

太刀者兵庫鎖(クサリ)鳥頸(トリクヒ)皆彫物(エリ―)〔経覺筆本〕

太刀者兵庫(クサリ)_(クヒ){鵄(クヒ)}皆彫(ヱリ)_〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「兵庫」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「兵庫」の語を未収載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

374太刀者兵庫鎖 (ツハ)ヲ鎖。〔謙堂文庫藏三七左I〕

とあって、標記語「兵庫」の語注記は、「(ツハ)ヲ」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ユミ)者本重藤(モトシゲドウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也(ツルマ―)ヲ太刀(タチ)兵庫(ヒヤウコ)(クサリ)。弓ニ色々有。兵庫(ゴ)(クサリ)ノ太刀(タチ)吉キナリ。〔下十二オ四〕

とあって、この標記語「兵庫」そのものの語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)太刀者兵庫鳥頸 帯紐を金銀のくさりにしたる太刀なり。〔48オ七・八〕

とあって、標記語「兵庫」そのものの語注記は、やはり未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)巻白柄長刀同手鉾兵庫(おひとり)の制(せい)の名(な)ならん。〔三十六オ三〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)ノ左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)▲▲兵庫(おひとり)の制(せい)の名(な)ならん。〔64オ五〕

とあって、標記語「兵庫」の語注記は、「兵庫は、の制の名ならん」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「兵庫」の語を未収載にしている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひゃうご-ぐさり(名)【兵庫】〔初、兵庫寮にて作れる鎖を、陣刀に用ゐられたるに起る。後には狩衣、又は、直垂、水干を着たる時にも佩けり〕太刀の帶取を銀の鎖としたるもの。庭訓徃來、六月「兵庫鎖」太刀の帶取に用ゐる、兵庫寮附屬の名工に作らしめしより名ありと云ふ」(伊勢貞丈の庭訓徃來の解)太平記、十二、公家一統政道事「宮は、云云、兵庫鎖の丸鞘の太刀に、虎の皮の尻鞘かけたるを」安齋随筆、前編、五「兵庫制、太刀の足に付る也、其製、銀の輪細長く0如此なるを二つに折て、如此して、下の二つのわなへ又0を入て二つに折る、如此して幾つも同じく長く續るなり」〔1700-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ひょうご-ぐさり【兵庫鎖・兵庫】〔名〕「ひょうぐぐさり(兵具鎖)の変化した語。」とあって、意味用例として『庭訓往来』は未記載にする。

[ことばの実際]

五郎には、兵庫鎖(ひやうごくさり)の太刀(たち)を一ふりとりいだし、ひかれけり。《『曽我物語』八・箱根にて暇乞の事》

 

 

2002年11月17日(日)曇り時々薄晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)

太刀(たち)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

太刀(タチ)〔元亀本137二〕〔静嘉堂本145二〕〔天正十七年本中4ウ四〕

とあって、標記語「太刀」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

大刀者兵庫鳥頸皆彫物〔至徳三年本〕

太刀者兵庫鳥頸皆彫物〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_者兵庫_(クサリ)ノ_(クヒ)皆彫(ホリ)_物也〔山田俊雄藏本〕

太刀兵庫鎖(クサリ)鳥頸(トリクヒ)皆彫物(エリ―)〔経覺筆本〕

太刀兵庫(クサリ)_(クヒ){鵄(クヒ)}皆彫(ヱリ)_〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

大刀タチ而一刃曰―同俗用之黒川本・雜物中4ウ七〕

太刀タチ凡此朝有三神従神世所持傳之二柄。又熊野神相具三柄也。一在大和国礒上布瑠大神之社。一在尾張国熱田大神之社。一在内裏。卷第・雜物中4ウ七〕

とあって、標記語「大刀」と「太刀」の語で収載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

太刀(タチ)〔器財門115四〕

とあって、標記語「太刀」の語を収載する。次に広本節用集』に、

太刀(チ/タイタウ、ハナハダ,カタナ)[去・平]或作〓〔金+大刀〕。帶刀名也。〔器財門341五〕

とあって、標記語「太刀」の語注記に「或作」形式をもって、「〓〔金+大刀〕」の語を収載し、「帶刀の名なり」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

帯刀(タチ)太刀名。 太刀(タチ)・財宝104三・五〕

太刀(タチ)・財宝93三〕〔・財宝85三〕〔・寶宝103一〕

とあり、標記語太刀」の語で、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』にも、

太刀(タチ)〔器財92一〕

とあって、標記語太刀」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

374太刀兵庫鎖 (ツハ)ヲ鎖。〔謙堂文庫藏三七左I〕

とあって、標記語「太刀」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ユミ)者本重藤(モトシゲドウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也(ツルマ―)ヲ太刀(タチ)兵庫(ヒヤウコ)(クサリ)。弓ニ色々有。兵庫(ゴ)(クサリ)ノ太刀(タチ)吉キナリ。〔下十二オ四〕

とあって、この標記語「太刀」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

太刀(たち)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)太刀者兵庫鳥頸 帯紐を金銀のくさりにしたる太刀なり。〔48オ七・八〕

とあって、標記語「太刀」の語注記は、「帯紐を金銀のくさりにしたる太刀なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

太刀(たち)ハ兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならび)等金作(くがねつくり)左右巻(さやまき)。白柄(しらえ)長刀(なぎなた)(おなじ)手鉾(てぼこ)太刀者兵庫鳥頸皆彫(ホリ)_物粢鍔螺鞍(カイ/アサラシ)并金作左右(/サヤ)白柄長刀同手鉾。〔三十六オ三〕

太刀(たち)(ハ)兵庫(ひやうごくさり)鳥頸(とりくび)(ミな)彫物(ほりもの)(しとぎ)(つば)(ならひ)に金作(こがねつくり)左右巻(さやまき)白柄(しらえ)の長刀(なきなた)(おなじく)手鉾(てぼこ)〔64オ五〕

とあって、標記語「太刀」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tachi.たち(太刀) ヨーロッパの刀と同じように腰に帯びる,刀(Catana)の一種.§Tachiuo faqu.(太刀を佩く)上のような刀(Catana)を帯びる.§Tachiuo furu.(太刀を振る)この刀(Catana)を振り回す,あるいは,振り動かす.§Tachiuo vosamuru.(太刀を納むる)この刀(Catana)を鞘にさし入れる.§Tachimochi.(太刀持)この刀(Catana)を携え持つ小姓,あるいは,家来.§Nodachi(野太刀)は,本来は大刀である.→Caico-mi,u;Moguitori,u. 〔邦訳597l〕

とあって、標記語「太刀」の語を収載し、意味は「ヨーロッパの刀と同じように腰に帯びる,刀(Catana)の一種」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たち(名)【太刀】〔斷(たち)の義〕(一){刃物(はもの)の、細そく長くして人など斷ち斬るべきものの稱。劔(つるぎ)。(其條を見よ)上代には、刀劔の總稱にて、すべて諸刃(もろは)なるが如し。其片刃なるをかたなと云ふ。刀劔 倭名抄、十三8征戰具「短刀、能太知」名義抄「劔、タチ」古事記、上、38長歌「多知が緒(を)も、いまだ解かず」景行紀、四十年十月「解一劔、置於松下、云云、劔猶存、故歌曰、云云、一ツ松あはれ、一ツ松、人にありせば、衣(きぬ)着せましを、多知佩けましを」武烈即位前紀「飫(大太刀)を、垂れ佩き立ちて、抜かずとも、末果しても、遇はんとぞ思ふ」(二){後には、片刃なる刀(かたな)の大なるものの稱。大刀 倭名抄、十三8征戰具「刀、似劔而一刃曰刀、大刀、太知、小刀、加太奈」天智紀、三年二月「大氏之氏上(このかみ)には、賜大刀(たち)、小氏之氏上、賜小刀六帖、第五、大刀歌「から國の、ふたへの太刀は、むかしより、君のまもりに、さだめをきてき」(三)後世には、一種の製の大刀。窩の形の鍔に、縁頭(ふちがしら)、鐺(こじり)、其外、金物多く、嚴しく作り、鍍金などして、鞘に二所の鐶をつけ、一の脚(あし)、二の脚(あし)と稱し、緒(おびとり)も脚緒(あしを)と稱して、鐶に通して佩く。刃(み)の銘も、中心の表(佩きて外に向ふ)方に切る。(かたなは裏に切る)太刀には佩くと云ひ、かたなは帶ぶと云ふ。(かたなの條を見よ)横佩 其製法は、打ちあげて燒刃土(やきばつち)を附けて、火に入れて燒き、湯加減と云ひて、湯と水とに合はせたるに、差入るることなり。是れ鍛刀の終にて、甚だ大事とす。〔1218-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「た-ち【太刀・大刀】〔名〕@長大な刀の総称。短小の「かたな」に対していう。A刃を下に向けて腰につり下げる長大な刀の称。刃を上に向けて帯に差す「かたな」に対していう。儀仗の太刀、兵仗の太刀それぞれに各種類がある。B「たちうお(太刀魚)@」の略。[語誌](1)「十巻本倭名抄―五」の記載によると、「たち」は片刃の大刀、「かたな」は片刃の小刀、「つるぎ」は両刃のものを指したらしいが、「たち」と「つるぎ」の違いは、上代では、「倶娑那伎能都留伎(くさなきのつるき)」〔書紀―神代・上〕とも「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」〔古事記―上〕ともいい、「東大寺献物帳」でも必ずしも両刃・片刃によって区別していないことなどからみると、上代では、「たち」は両刃・片刃にかかわらず長刀を総称していったものらしい。(2)「たち」と訓まれるものには「大刀」のほかに「横刀」があって、両者は書き分けられたようであるが、横刀は、正倉院の遺物から検討すると、刃渡りが短く、相対的に横幅の広いものを指すとみられる。(3)平安時代以降、反刀(そりがたな)が用いられるようになるとともに、「たち」は「大刀」から「太刀」と書かれるようになり、さらに、近世以降は、刃を上にして帯にさす打刀が流布し、その二腰を大刀・小刀と称したので、それとの混同を防ぐため、「たち」は太刀と書くのが慣例になった。(4)なお、今日では、古墳時代以後、奈良時代までの直刀(ちょくとう)を「大刀」、平安時代以降の反刀(そりがたな)を「太刀」と書いて区別している。」とあって、意味用例として『庭訓往来』は未記載にする。

[ことばの実際]

(タチ)カタナ 四声字苑云似劔而一刃曰刀都牢反太刀太知小刀賀太奈。《十巻本『和名類聚抄』卷五・第三冊13オ一》

此間長兵衛尉信連、取太刀相戰光長郎等五六輩、爲之被疵《訓み下し》此ノ間長兵衛ノ尉信連、太刀ヲ取ツテ相ヒ戦フ。光長ガ郎等五六輩、之ガ為ニ疵ヲ被ル。《『吾妻鏡治承四年五月十五日の条

 

2002年11月16日(土)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

弦巻(つるまき)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

弦巻(ツルマキ)(ヌラ)(ツク)〔元亀本158五〕

弦巻(ツルマキ)(ヌラ)(ツケ)〔静嘉堂本174一〕

弦巻(ツルマキ)塗不着。〔天正十七年本中18ウ一二〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「弦巻」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃巻〔至徳三年本〕

弓者本重籐籠糸裹等也加絃巻{}〔宝徳三年本〕

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃巻候畢〔建部傳内本〕

者本___籠絲_(ツヽミ)等也加(ツル)_〔山田俊雄藏本〕

弓者本重藤(モトシゲトウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔経覺筆本〕

弓者本_重藤(シケトウ)漆籠(スリコ)ス糸裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「弦巻」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「弦巻」の語を未収載にする。次に広本節用集』に、

(ツルマキ/シヨウ)[平]或作弦巻(ツルマキ)ト〔器財門415三〕

とあって、標記語「」の語注記に「或作○○」形式をもって、「弦巻」の語を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ツルマキ)(同)。弦巻(同)・財宝127七〕

(ツルマキ)弦巻(ツルマキ)・財宝105一〕

(ツルマキ)弦巻。・財宝95六〕

(ツルマキ)・財宝117二〕

とあり、標記語惷・」と「弦巻」(弘治二年本は、他に「」の語を収載する)の語で、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』にも、

弦巻(ツルマキ)(同)〔器財105一〕

とあって、標記語弦巻」と「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

373加弦巻 百筋十二筋一桶一張。一ヲハ一筋也。〔謙堂文庫藏三七左H〕

とあって、標記語「弦巻」の語注記は、「百筋、十二筋を一桶と云ふ。筋を云一張と云ふ。一をば一筋と云ふなり」と記載する。この注記は、以前示した「ことばの溜め池「弦」(2000.07.27)」を参照いただくと明らかなように、運歩色葉集』(1548年)の「弦」の語注記内容として継承が見られるものである。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ユミ)者本重藤(モトシゲドウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也(ツルマ―)太刀(タチ)兵庫(ヒヤウコ)(クサリ)。弓ニ色々有。兵庫(ゴ)(クサリ)ノ太刀(タチ)吉キナリ。〔下十二オ四〕

とあって、この標記語「弦巻」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

弦巻(つるまき)を加(くわ)へ候ひ畢ぬ弦巻 弦巻ハ佩紐(おひひも)ありて腰につけ太刀をからみ弓弦を其外に巻ものなり。〔48オ五・六〕

とあって、標記語「弦巻」の語注記は、「弦巻ハ佩紐(おひひも)ありて腰につけ太刀をからみ弓弦を其外に巻ものなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)漆籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)。弦巻(つるまき)(くハ)(さふら)(おハん)弓者本重藤漆籠裹等也弦巻弦巻ハ即(すなハち)上古(いにしへ)の弦袋(つるぶくろ)也。太刀(たち)(あしを)に付て其輪(わ)に刺刀(わきさし)を貫(つらぬ)き帯(お)ぶるなり。〔三十六オ二・三〕

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)漆籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)(くハ)へ弦巻(つるまき)(さふら)ひ(おハん)ぬ弦巻ハ即(すなハち)上古(いにしへ)の弦袋(つるぶくろ)也。太刀(たち)(あしを)に付て其輪(わ)に刺刀(わきさし)を貫(つらぬ)き帯(お)ぶるなり。〔64オ二・三〕

とあって、標記語「弦巻」の語注記は、「弦巻は、即ち上古の弦袋なり。太刀の緒に付て其輪に刺刀を貫き帯ぶるなり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcurumaqi.つるまき(弦巻) 籐製の或る道具.予備として戦争に携行する弓弦を巻きつける物.〔邦訳636l〕

とあって、標記語「弦巻」の語を収載し、意味は「籐製の或る道具.予備として戦争に携行する弓弦を巻きつける物」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つる-まき(名)【弦卷】豫備(まうけ)の弓弦(ゆみづる)を卷き置く具。革(かは)などにて下げて携ふ。つるぶくろ。運歩色葉集「弦卷、ツルマキ」易林本節用集、器財門「弦巻(ツルマキ)(ツルマキ)増補下學集、下、器財門「、ツルマキ、弦巻、ツルマキ、ツルマキ高忠軍陣聞書「弦卷はえびらの脇皮に付之、刀のさやへ引とほして、矢をおふなり、弦まきのつけやう口傳あり」小笠原入道宗賢記「つるまきの事、箙の時は、こしかはのさきにつくる也、うつぼの時は、ふたのうちのつる袋に入べき也」御禊行幸服飾部類、康治元年十月廿六日「宇槐記云、瀧口調度懸十人、云云、自左肩弦卷當胸結之」〔1339-4〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つる-まき【弦巻】〔名〕弓矢の具。掛け替え用の予備の弓弦(ゆづる)を巻いておく道具。葛藤(つづらふじ)または籐で輪形に編み上げ、中に穴をあけ、箙(えびら)の腰革(こしかわ)にさげるのを例とした。弦袋(つるぶくろ)」とあって、意味用例として『庭訓往来』は未記載にする。

[ことばの実際]

亦、弓ノ絃・胡録ノ緒・絃巻等、皆喰損ジタリ。《『今昔物語集』巻第五・第十七、天竺國王、依鼠護勝合戰語、大系374頁

 

 

2002年11月15日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

絲裹(いとづつみ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、標記語「絲裹」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃巻〔至徳三年本〕

弓者本重籐糸裹等也加絃巻{}〔宝徳三年本〕

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃巻候畢〔建部傳内本〕

者本____(ツヽミ)等也加(ツル)_〔山田俊雄藏本〕

弓者本重藤(モトシゲトウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔経覺筆本〕

弓者本_重藤(シケトウ)漆籠(スリコ)ス糸裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「絲裹」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「絲裹」の語を未収載にする。また、易林本節用集』(1597年)にも、

(イトツヽミ)〔器財4四〕

とあって、標記語」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

372本重藤塗籠絲裹等也 絲裹絲巻。〔謙堂文庫藏三七左G〕

とあって、標記語「絲裹」の語注記は、「絲裹は、絲巻」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ユミ)者本重藤(モトシゲドウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也(ツルマ―)ヲ太刀(タチ)兵庫(ヒヤウコ)(クサリ)。弓ニ色々有。兵庫(ゴ)(クサリ)ノ太刀(タチ)吉キナリ。〔下十二オ四〕

とあって、この標記語「絲裹」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

絲裹(いとつゝみ)絲裹 糸にて巻染をかけたる弓なり。〔48オ六〕

とあって、標記語「絲裹」の語注記は、「糸にて巻き染めをかけたる弓なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)漆籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)。弦巻(つるまき)(くハ)(さふら)(おハん)弓者本重藤漆籠絲裹等也絲裹ハ糸にて巻(ま)き漆(うるし)にて塗(ぬ)りたる也とぞ。〔三十六オ二〕

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)漆籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)(くハ)へ(つるまき)を(さふら)ひ(おハん)ぬ絲裹ハ糸にて巻(ま)き漆(うるし)にて塗(ぬり)たる也とぞ。〔64オ二〕

とあって、標記語「絲裹」の語注記は、「絲裹ハ糸にて巻(ま)き漆(うるし)にて塗(ぬ)りたる也とぞ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「絲裹」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いとづつみ--ゆみ(名)【絲裹弓】麻絲にて卷きつめて、漆を塗りたる弓。庭訓徃來、六月「弓者、本重藤、漆籠、絲裹等也」〔0195-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いと-づつみ【絲裹】〔名〕弓全体を、細い麻のより糸ですきまなく巻き、その上から漆を塗って、さらに籐(とう)で巻くこと。また、その弓。絲裹の弓。」とあって、意味用例として『庭訓往来』を記載する。

[ことばの実際]

逆頬箙矢配尋常なるに、塗箆に黒羽を以て矧ぎたる矢の箆の太さは笛竹などの樣なるが、箆卷より上十四束にたぶ/\と切りたるを、掴差しに差して頭高に負いなし、絲包の弓の九尺ばかりありける四人張を杖に突き、臥木に登りて申(し)けるは、「そも/\この度衆徒の軍拜見して候に、誠に憶持もなくしなされて候物かな。源氏を小勢なればとて、欺きて仕損ぜられて候かや。九郎判官と申(す)は、世に超えたる大將軍なり。召使はるゝ者一人當千ならぬはなし。源氏の郎等もみな討たれ候ひぬ。味方の衆徒大勢死に候ひね。源氏の大將軍と大將軍と大衆の大將軍と運比べの軍仕り候はん。かく申(す)は何者ぞやと思召す、紀伊國の住人鈴木黨の中に、さる者ありとは、豫て聞召してもや候らん。以前に候ひつる河つらの法眼と申(す)不覺人には以候まじ。幼少の時よりして腹惡しきゑせものの名を得候ひて、紀伊國を追出されて、奈良の都東大寺に候ひし、惡僧立つる曲者にて東大寺も追出されて、横川と申(す)ところに候ひしが、それも寺中を追出されて、川つらの法眼と申(す)者を頼みて、この二年こそ吉野には候へ。さればとて横川より出(で)來(り)候とて、その異名を横河の禪師覺範と申(す)者にて候が、中差參らせて現世の名聞と存ぜうずるに、御手はつ給(ひ)ては、後世の訴へとこそ存(じ)候はんずれ」と申(し)て、四人張りに十四束を取つて矧げ、かなぐり引きによつ引きてひやうど放つ。《『義經記』(室町中期)五・忠信吉野山の合戦の事》

 

2002年11月14日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

塗籠(ぬりごめ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「奴」部に、

塗籠(―ゴメ)〔元亀本75三〕

塗篭(ヌリコメ)〔静嘉堂本91三〕

塗篭(―コメ)〔天正十七年本上45三〕〔西来寺本〕

塗籠藤弓(ヌリゴメヅウノユミ)〔元亀本75七〕

塗籠藤(ヌリコメドウ)〔静嘉堂本91八〕

とあって、標記語「塗籠」と「塗籠藤()」の二語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃巻〔至徳三年本〕

弓者本重籐糸裹等也加絃巻{}〔宝徳三年本〕

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃巻候畢〔建部傳内本〕

者本____(ツヽミ)等也加(ツル)_〔山田俊雄藏本〕

弓者本重藤(モトシゲトウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔経覺筆本〕

弓者本_重藤(シケトウ)漆籠(スリコ)ス糸裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「塗籠」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「塗籠」の語を未収載にする。次に広本節用集』に、

塗籠(ヌリゴメ/トロウ)[平・平上]土民(ヲル)〔家屋門200三〕

塗籠藤(ヌリゴメドウ・ミチ,カゴ・ロウ,フヂ)[平・平上・平]弓名。〔器財門202二〕

あって、標記語「塗籠」と「塗籠藤」の二語を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

塗籠(ヌリゴメ)土民居所。・天地59一〕

塗籠(ヌリコメ)土民居所。・天地60二〕

塗籠(ヌリゴメ)土民居処。・天地54八〕

塗籠(ヌリゴメ)土民(トミン)ノ居所(キヨシヨ)・天地62七〕

塗篭藤(ヌリコメドウ)弓也。・財宝59七〕

塗籠藤(ヌリコメドウ)弓也。・財宝60八〕

塗篭藤(ヌリコメ―)弓也。・財宝55五〕

塗籠藤(ヌリコメドウ)弓也。・財宝63七〕

とあり、標記語塗籠」と「塗籠藤」の二語を収載する。語を収載し、その語注記を記載する。また、易林本節用集』にも、

塗籠(ヌリゴメ)〔乾坤58六〕

塗籠藤(ヌゴメトウ)〔器財59五〕

とあって、標記語塗籠」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

372本重藤塗籠絲裹等也 絲裹絲巻。〔謙堂文庫藏三七左G〕

とあって、標記語「塗籠」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ユミ)者本重藤(モトシゲドウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也(ツルマ―)ヲ太刀(タチ)兵庫(ヒヤウコ)(クサリ)。弓ニ色々有。兵庫(ゴ)(クサリ)ノ太刀(タチ)吉キナリ。〔下十二オ四〕

とあって、この標記語「塗籠」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塗籠(ぬりごめ)塗籠 漆にてぬりこめたる弓也。〔48オ五・六〕

とあって、標記語「塗籠」の語注記は、「漆にてぬりこめたる弓なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)漆籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)。弦巻(つるまき)(くハ)(さふら)(おハん)弓者本重藤漆籠絲裹等也漆籠ハ重籐(しげどう)の塗弓(ぬりゆミ)也。〔三十六オ二〕

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)漆籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)(くハ)へ(つるまき)を(さふら)ひ(おハん)ぬ漆籠ハ重籐(しげどう)の塗弓(ぬりゆミ)也。〔64オ一〕

とあって、標記語「漆籠」の語注記は、「漆籠は、重籐の塗弓なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nurigomedo>.ぬりごめどう(塗籠籐) 弓の一種で,漆を塗り(vruxado),籐を巻いたもの.※Nuri,uの注参照.なお,日西辞書はlabrado(細工を施した)と訳している.〔邦訳478l〕

とあって、標記語「塗籠」の語を収載し、意味は「弓の一種で,漆を塗り(vruxado),籐を巻いたもの」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぬりごめ-どう(名)【塗籠籐・塗込籐】弓を籐にて卷き、其上を漆にて塗ること。塗籐。しげどう(滋籐)の條を見よ。貞丈雜記、十、弓矢之部「ぬりごめ籐と云ふは、籐を上より下迄すき間なく卷つけて、籐の上をうるしにて、ぬりこめたるなり」平治物語、二、六波羅合戰事「K保呂の矢負ひ、塗籠籐の弓持ちて」盛衰記、廿九、新八幡願書事「覺明、其日の装束には、云云、塗籠籐の弓、脇に挟て」〔1516-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぬりごめ-どう【塗籠籐】〔名〕籐巻(とうまき)の弓の、籐の部分を含めて全体を漆で塗りこめること。また、その弓。ぬりどう。ぬりごめのゆみ。ぬりごめ。」とあって、意味用例として『庭訓往来』は未記載にする。

[ことばの実際]

堂衆の中に、筒井の淨妙明秀は、褐の直垂に、黒革威の鎧著て、五枚甲の緒をしめ、黒漆の太刀を帶き、二十四差たる黒ほろの矢負ひ、塗籠籐の弓に、好む白柄の大長刀取副て、橋の上にぞ進んだる。《『平家物語』(13世紀前)四・橋合戰》

 

2002年11月13日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

本重藤(もとしげどう)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、標記語「本重藤」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃〔至徳三年本〕

弓者本重籐漆籠糸裹等也加絃{}〔宝徳三年本〕

弓者本重藤塗籠糸裹等也加絃巻候畢〔建部傳内本〕

___籠絲_(ツヽミ)等也加(ツル)_〔山田俊雄藏本〕

弓者本重藤(モトシゲトウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔経覺筆本〕

弓者本_重藤(シケトウ)漆籠(スリコ)ス糸裹(イトツヽミ)等也絃巻(ツル―)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「本重藤」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「本重藤」の語は未収載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

372本重藤塗籠絲裹等也 絲裹絲巻。〔謙堂文庫藏三七左G〕

とあって、標記語「本重藤」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(ユミ)本重藤(モトシゲドウ)塗籠(ヌリゴメ)絲裹(イトツヽミ)等也(ツルマ―)ヲ太刀(タチ)兵庫(ヒヤウコ)(クサリ)。弓ニ色々有。兵庫(ゴ)(クサリ)ノ太刀(タチ)吉キナリ。〔下十二オ四〕

とあって、この標記語「本重藤」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)弓者本重藤 重藤を又繁藤(しげどう)とも書。藤(とう)ハ弓のかさりにて其数六十四あり。握(にき)りより上に三十六地の三十六禽(きん)に表(ひやう)し握下に二十八矢の二十八宿(しゆく)に、象(かたと)る。是ハ箙矢籠に詠へき弓なり。塗籠(ぬりこめ)の弓にして軍陣大事の用弓也。是を本式の重藤とす。八張弓の一ッにして四足弓(しそくきう)と云也。〔48オ三〜五〕

とあって、標記語「本重藤」の語注記は、「重藤をまた、繁藤とも書く。藤は、弓のかざりにて、其数六十四あり。握りより上に三十六地の三十六禽に表し、握下に二十八矢の二十八宿に象る。是は、箙矢籠に詠べき弓なり。塗籠の弓にして軍陣大事の用弓なり。是を本式の重藤とす。八張弓の一ッにして四足弓と云ふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)塗籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)。弦巻(つるまき)(くハ)(さふら)(おハん)弓者本重藤塗籠絲裹等也本重藤とハ八張弓(はつちやうきう)うち四足弓(しそくきう)の変化(へんくハ)にして籐(とう)を遣ふこと握(にぎり)より上ハ疎(まハら)に下密(こまか)なる弓也。〔三十六オ一〕

(ゆミ)(ハ)本重藤(もとしげどう)塗籠(ぬりごめ)絲裹(いとづゝ)(とう)(なり)(くハ)へ(つるまき)を(さふら)ひ(おハん)ぬ本重藤とハ八張弓(はつちやうきう)うち四足弓(しそくきう)の変化(へんくわ)にして藤(とう)を遣(つか)ふこと握(にぎり)より上ハ疎(まばら)に下密(こまか)なる弓也。〔64オ一〕

とあって、標記語「本重藤」の語注記は、「本重藤とは、八張弓うち四足弓の変化にして藤を遣ふこと握より上は、疎らに下密かなる弓なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「本重藤」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

もと-しげどう(名)【本滋籐・本重籐】弓の弓束より下を滋籐にして、上を二所籐にしたるもの。太平記、六、關東大勢上洛事「三十六差いたる白磨の銀筈の大中Kの矢に、本滋籐の弓の眞中握ッて、小路を狭しと歩ませたり」〔2009-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「もと-しげどう【本重籐・本滋籐】〔名〕重籐の弓の一種。弓の下地を黒漆塗にして、握りの部分から下の方を繁く籐で巻き、上の方を二所籐(ふたところどう)にしてまばらに籐で巻いたもの」とあって、意味用例として『庭訓往来』を記載する。

[ことばの実際]

《『新札往来』》

 

2002年11月12日(火)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

腰當(こしあて)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

腰當(コシアテ)〔元亀本232九〕〔静嘉堂本267六〕〔天正十七年本中62ウ五〕

とあって、標記語「腰當」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「腰當」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「腰當」の語を未収載にする。次に広本節用集』に、

腰當(コシアテ/ヨウタウ)[平・平去]〔絹布門661一〕

とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

腰充(コシアテ)當イ。・財宝188四〕

腰充(コシアテ)・財宝154八〕〔・財宝144八〕

とあり、標記語腰充()」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』にも、

腰當(コシアテ)―物(モノ)。―刀(カタナ)。―挟(バサミ)。―鼓(ツヽミ)〔器財157六〕

とあって、標記語腰當」の語を収載し、その語注記には、冠頭字「腰」の熟語四語を収載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

371鷲羽鋒矢各相‖-ス/シ腰當ヲ|弓者 云御多羅枝|。多羅樹弓故云騎馬弓塗籠之弓也。〔謙堂文庫藏三七左F〕

とあって、標記語「腰當」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠(シコ)(タカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「腰當」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おの/\)腰當(こしあて)(あい)(く)臑當 兵具俎談に腰當ハ刀剱(とうけん)を帶(おふ)る要器(ようき)なり。作用(さくよう)多し。利用(りよう)自由(じゆう)成をよしとすといえり。〔48オ二・三〕

とあって、標記語「腰當」の語注記は、「『兵具俎談に腰當は、刀剱を帶る要器なり。作用多し。利用自由成るをよしとすといえり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢各臑當腰當ハ箙(ゑひら)尻籠(しこ)等を負(お)ふるに用ゆる具(ぐ)なるべし。〔三十六オ一〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲腰當ハ箙(えびら)尻籠(しこ)等を負(お)ふに用ゆる具(ぐ)なるべし。〔63ウ六〕

とあって、標記語「腰當」の語注記は、「腰當は、箙・尻籠等を負ふに用ゆる具なるべし」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Coxiate.こしあて(腰当) 毛皮で作った剣つり帯.〔邦訳156l〕

とあって、標記語「腰當」の語を収載し、意味は「毛皮で作った剣つり帯」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

こし-あて(名)【腰當】(一)騎射、狩獵、旅行、等の時、後腰(うしろこし)に當つる毛皮。踞する時、敷皮に充つるものか。一名、引敷(ひつしき)。舞樂の秦王破陣樂の装束にも、腰當をつく。寛正記「當代遠所御供の時、腰當を付候て可然由也、云云、長さ一尺八寸、横一尺二寸五分、鹿毛皮、云云、裏は、淺黄布、云云、革の紐をして、布を内にして、腰に付くる也」太平記、廿一、佐渡判官流刑事「猿皮を靫(うつぼ)にかけ、猿皮の腰當をして」鎌倉年中行事「虎皮の引敷」(二)箙(えびら)の上帶(うはおび)をも、腰當と云ふ、箙を負ひ、其上に引きかけて、腰に結ひとどむれば云ふ。庭訓徃來、六月「逆頬、脇楯、箙、胡禄、云云、各相具腰當」(三)又、鎧を着て、(太刀を佩かず)打刀と、長脇差を刺すに用ゐる具に、腰當と云ふあり、長さ七寸許、幅三寸許の楕圓なる中に、十文字に、細そき革にて羂(わな)を二つ作りて、兩刀を刺して佩く。(貞丈雜記)〔0678-4〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こし-あて【腰當】〔名〕@すわるときに腰のうしろに当て、からだを楽にするもの。A着物の腰部の裏につける布。B徒歩の武士や修験者などが旅行用に腰につけた敷皮。長方形の上に緒をつけ、うしろ腰にあてて前で結んだもの。引敷(ひっしき)。C近世、軍陣の際に打刀を帯にささないで、太刀のように帯びるとき用いる、瓢形の革。これに緒を通し、打刀、脇差をさして腰にあてる。D箙(えびら)の腰革。箙の端手(はたて)にかけて腰にめぐらし、先端に待緒と懸緒をつけ、箙の後緒(うしろお)の羂(わな)にかけて結びつけるためとする。E和船の船体ほぼ中央の、帆柱を立てる位置の呼称。船体の幅や深さの基準となる重要な場所とされる。F「こしあてふなばり(腰当船梁)」「こしあてろどこ(腰当櫓床)」の略」とあって、Dの意味用例として『庭訓往来』を記載する。

[ことばの実際]

又居蛇結文於腰充、其風情殊珎重也《訓み下し》又蛇結文ヲ腰充(コシアテ)ニ居ユ、其ノ風情殊ニ珍重ナリ。《『吾妻鏡』建久元年九月十八日の条》

 

 

2002年11月11日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

鋒矢(とがりや)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

鋒矢(トガリヤ)〔元亀本56八〕

鋒矢(トカリヤ)〔静嘉堂本64一〕〔天正十七年本上32ウ八〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「鋒矢」の語注記は、未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢相具臑當〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢相具臑當〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢相具臑當〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_‖__〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、

利鴈矢(トカリヤ)〔黒川本・雜物上46オ六〕

利鴈矢トカリヤ〔卷第二・雜物393四〕

とあって、標記語「利鴈矢」の語で収載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)には、標記語「鋒矢」「利鴈矢」の語を未収載にする。次に広本節用集』に、

鋒矢(トガリヤ/ホウシ.ホコサキ,―)[上・上]〔器財門131四〕

とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鋒矢(トカリヤ)・財宝43四〕〔・財宝41一〕〔・財宝48七〕

鋒矢(トガリヤ)・財宝44四〕

とあり、標記語鋒矢」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』にも、

鋒矢(トカリヤ)〔食服42七〕

とあって、標記語鋒矢」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

371鷲羽鋒矢各相‖-ス/シ腰當ヲ|弓者 云御多羅枝|。多羅樹弓故云騎馬弓塗籠之弓也。〔謙堂文庫藏三七左F〕

とあって、標記語「鋒矢」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠(シコ)(タカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「鋒矢」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たか)(はね)雁股鷲(わし)鋒矢(とかり―)雁股鷲鋒矢 鷹の羽鷲の羽にて矧たる矢なり。雁股ハ鏑(かふら)矢を畧したる物なるゆへ鏑卷とて少し太く糸にて根の上を卷鏑の形に似せるなり。鳫股を狩股とも書。大樣畜類を射るに用ゆ。鋒矢を又尖矢(とかりや)とも書。腸(わたくり)のある根をさしたるゆへなり。鳫股を鋒矢も皆根につきていふ名なり。羽ハ何れも四羽に矧なり。〔47ウ六〜48オ一〕

とあって、標記語「鋒矢」の語注記は、「鋒矢をまた、尖矢とも書く。腸のある根をさしたるゆへなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢臑當鋒矢(わたくり)のある根を(さ)したる也。上刺(うハざし)に用ゆ。是も羽ハ四立也。〔三十五ウ八〜三十六オ一〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲鋒矢(わたくり)のある根を(さ)したる也。上刺(うハさし)に用ゆ。是も羽ハ四立也。〔63ウ六〕

とあって、標記語「鋒矢」の語注記は、「鋒矢は、のある根を挿したるなり。上刺しに用ゆ。是も羽は、四立なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Togariya.とがりや(鋒矢) 〔鏃の〕先端が鋭く尖っていて,それに続いて幅が広くなり,四角形のようになっている矢.〔邦訳656r〕

とあって、標記語「鋒矢」の語を収載し、意味は「〔鏃の〕先端が鋭く尖っていて,それに続いて幅が広くなり,四角形のようになっている矢.」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

とがり-(名)【利雁矢】矢の鋭く尖りたる鏃(やじり)にて、四立(よつだて)の羽をつけたる矢。字類抄「利鴈矢、トカリヤ」運歩色葉集「鋒矢、トガリヤ」高忠聞書「一、とがり矢の事、ふしかげを塗るべし、はずは、よはず、ふしは、おつとりを本とすべし」著聞集、九、武勇「頼光、云云、各各、牛追物あらばやと云はれければ、云云、其中に綱(渡邊)いかが思ひけん、とがり箭をぬきて、死したる牛に向って、弓を引きけり」義經記、五、忠信芳野山の合戰の事「忠信一人になりて、云云、ゑびらをさぐり見ければ、とがり矢一つ、かりまた一つぞ射のこして有ける」〔1392-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「とがり-や【尖矢】〔名〕先をとがらせた平根の鏃(やじり)をさして、四立(よつたて)の羽を矧(は)いだ矢」とあって、『庭訓往来』からの用例は記載してない。

[ことばの実際]

射翳(まぶし)の前(まへ)を三段(たん)ばかり、左手(ゆんで)の方(かた)へやりすごして、大のとがり矢()さしつがひ、よつぴき、しばしかためて、ひやうどはなす。《『曽我物語』(南北朝頃)一・河津がうたれし事》

 

 

2002年11月10日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

鷲羽(わしのは)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「和」部や補遺部「禽獣」にも、標記語「鷲羽」、そして「」の語についても未収載にする。編纂者が「」や「鷹」そのものをどうとらえていたのかを考えさせられる語である。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鋒矢各相具臑當〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鋒矢各相具臑當〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鋒矢各相具臑當〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「鷲羽」の語を未収載にし、ただ、「」の語で、

Gテウ/ワシ/大―同/小―同/大―也〔黒川本・動物上69オ六〕

Gワシ/亦作小G也已上同/音萼大G〔卷第三・動物108四〕

とあって、標記語「G」「鷲」「鶚」の三種を記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

(ワシ)〔氣形門59五〕

とあり、次に広本節用集』に、

(ワシ/シユウ)或云鶚。〔氣形門236七〕

とあって、標記語」の語を収載し、その語注記には、「或云」形式で別表記「鶚」を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ワシ)(同)。・畜類71六〕〔・畜類71三〕

(ワシ) 鶚。・畜類65一〕

(ワシ)(ワシ)。・畜類77一〕

とあり、標記語」と「鶚」の二語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』にも、

(ワシ)(同)。〔氣形66一〕

とあって、標記語」と「鶚」の語を収載し、その語注記は未記載にする。このように、上記古辞書中において見るに、「鷲羽」の語は見えず、ただ禽獣としての「鷲」の語が収載されているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

371鷲羽鋒矢各相‖-ス/シ腰當ヲ|弓者 云御多羅枝|。多羅樹弓故云騎馬弓塗籠之弓也。〔謙堂文庫藏三七左F〕

とあって、標記語「鷲羽」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠(シコ)(タカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「鷲羽」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たか)(はね)雁股(わし)鋒矢(とかり―)雁股鋒矢 鷹の羽鷲の羽にて矧たる矢なり。雁股ハ鏑(かふら)矢を畧したる物なるゆへ鏑卷とて少し太く糸にて根の上を卷鏑の形に似せるなり。鳫股を狩股とも書。大樣畜類を射るに用ゆ。鋒矢を又尖矢(とかりや)とも書。腸(わたくり)のある根をさしたるゆへなり。鳫股を鋒矢も皆根につきていふ名なり。羽ハ何れも四羽に矧なり。〔47ウ六〜48オ一〕

とあって、標記語「鷲羽」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鋒矢各臑當。〔三十五ウ二〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す。〔63オ三〕

とあって、標記語「鷲羽」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vaxi.わし(鷲) 鷲.〔邦訳682l〕

とあって、標記語「鷲羽」の語を収載し、意味はただ「鷲」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「わし--(名)【鷲羽】」は未収載とし、ただの「わし【鷲】」で、

わし(名)【鷲】猛禽類の鳥の名。最も猛く強くして、鳥類の王と稱せらる。形甚だ大きく、觜も大きく鋭し、背と翅とは、Kくして白き斑あり、腹は白くして豎にKき斑あり、觜、脚、黄なり。深山の大樹に棲み、飛翔力強くして、魚、狐、狸、犬などを攫みて食とし、或は時に小兒をも捕り食ふ。Gをおほわしと云ふに對して、これは小鷲とも云ふ。其他、いぬわし、をじろわし、などあり。倭名抄、十八13羽族名「G鷲(ワシ)、鷲(一本、和之)、G、於保和之、鷲、古和之」名義抄「鷲、コワシ、ワシ、G、ワシ、オホワシ」字鏡64「鷲、和志」萬葉集、十六29旋頭歌「澁谷の、二上山に、鷲ぞ子産むと云ふ、さし羽にも、君が御爲に、鷲ぞ子うむと云ふ」〔2167-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「わし-の-は【鷲羽】」は未収載で、ただ「わし【鷲】」として、「わし【鷲】〔名〕ワシタカ目ワシタカ科に属する鳥のうち、大形種の総称。小形種をタカというが明確な区別点はない。一般にタカに比べて、翼が幅広く、くちばしが大きく、からだに縦斑や横斑がみられない。日本にはオオワシ・イヌワシ・オジロワシなどがすむ。《季・冬》」とあって、『庭訓往来』からの用例は記載してない。

[ことばの実際]

還御鎌倉重國進御引出物、御馬一疋、鷲羽、桑脇息一脚等也《訓み下し》鎌倉ニ還御シタマフ。重国御引キ出物ヲ進ズ。御馬一疋、鷲ノ羽、桑ノ脇息一脚等ナリ。《『吾妻鏡』文治五年十一月十八日の条》

 

 

2002年11月9日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

雁俣(かりまた)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

狩股(カリマタ)〔元亀本93二〕

狩股(カリマタ)鴈股(同)〔静嘉堂本115四〕

狩股(カリマタ)雁股(同)〔天正十七年本上56ウ五〕

とあって、標記語「狩股」「鴈股」「雁股」の三種をもって収載し、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鋒矢各相具臑當〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鋒矢各相具臑當〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鋒矢各相具臑當〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、

鴈胯カリマタ狩俣〔黒川本・雜物上80ウ六・七〕

鴈胯カリマタ狩俣已上同〔卷第三・雜物218五〕

とあって、標記語「雁胯」「狩俣」「」の三種の語を収載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

雁俣(カリマタ)〔器財門116六〕

とあり、次に広本節用集』に、

鴈股(カリマタ/カンコ)[去・上]〔器財門270二〕

とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

雁股(カリマタ) 矢。・財宝84一〕

鴈股(カリマタ) 矢。・財宝80四〕〔・財宝87五〕

雁股(カリマタ) 箭―。・財宝73二〕

とあり、標記語雁股」「鴈股」の二種の表記語を収載し、その語注記には「矢」または「箭―」と記載する。また、易林本節用集』にも、

鴈股(カリマタ)狩股。〔器財76二〕

とあって、標記語鴈股」の語を収載し、その語注記には、別表記「狩股」の語を収載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

370鷹羽雁俣(マタ) 眞羽鷹羽亊也。可 也。〔謙堂文庫藏三七左E〕

とあって、標記語「雁俣」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠(シコ)(タカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「雁俣」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たか)(はね)雁股(わし)鋒矢(とかり―)雁股鋒矢 鷹の羽鷲の羽にて矧たる矢なり。雁股ハ鏑(かふら)矢を畧したる物なるゆへ鏑卷とて少し太く糸にて根の上を卷鏑の形に似せるなり。鳫股を狩股とも書。大樣畜類を射るに用ゆ。鋒矢を又尖矢(とかりや)とも書。腸(わたくり)のある根をさしたるゆへなり。鳫股を鋒矢も皆根につきていふ名なり。羽ハ何れも四羽に矧なり。〔47ウ六〜48オ一〕

とあって、標記語「雁俣」の語注記は、「雁股は、鏑矢を畧したる物なるゆへ鏑當とて少し太く糸にて根の上を當鏑の形に似せるなり。鳫股を狩股とも書く。大樣、畜類を射るに用ゆ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鋒矢各臑當鳫股ハもと鏑矢(かぶらや)を畧(りやく)したるもの也。ゆへに鏑巻(かぶらまき)とて根(ね)の上を少(すこ)し太(ふと)く糸にて卷(ま)く也。羽ハ四立也。大抵(たいてい)(けもの)を射(い))るに用ゆ。〔三十五ウ八〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲鳫股ハもと鏑矢(かぶらや)を畧(りやく)したるもの也。ゆへに鏑巻(かぶらまき)とて根(ね)の上を少(すこ)し太(ふと)く糸にて卷(ま)く也。羽ハ四立也。大抵(たいてい)(けもの)を射(い))るに用ゆ。〔63ウ五・六〕

とあって、標記語「雁俣」の語注記は、「鳫股は、もと鏑矢を畧したるものなり。ゆへに鏑巻とて根の上を少し太く糸にて卷くなり。羽は、四立なり。大抵、獸を射るに用ゆ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Carimata.かりまた(雁俣) 先端が二股になっている鏃.〔邦訳102r〕

とあって、標記語「雁俣」の語を収載し、意味は「先端が二股になっている鏃」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かり-また(名)【雁俣】〔蛙股(かへるまた)の略轉と云ふ、(あへしらふ、あしらふ。あるく、ありく)形、開きたる蛙の股の如し〕鏃(やじり)の一種。叉(また)をなして、大指と食指(ひとさし―)とを開きたるが如きもの。燕尾箭。字類抄「鳫胯(カリマタ)。〔0446-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かり-また【雁俣】〔名〕@鏃(やじり)の一種。鏃の先端を二股にし、その内側に刃をつけたもの。飛ぶ鳥や走っている獣の足を射切るのに用いる。A@をつけた矢。かぶら矢のなりかぶらにつけるが、ふつうの矢につけるものもある。羽は旋回して飛ばないように四立てとする。主として狩猟用。雁股箆(かりまたがら)。雁股矢」とあって、『庭訓往来』からの用例は記載してない。

[ことばの実際]

かりまた如何。鳫俣也。かりのとびたる称にて、さきのひろごれる故になづくる歟。《『名語記』(1275年)》

「サテモ廣有(ヒロアリ)射ケル時、俄ニ雁俣(カリマタ)ヲ拔(ヌイ)テ捨(ステ)ツルハ何ゾ。」ト御尋有(タヅネアリ)ケレバ、廣有畏(カシコマツ)テ、「此(コノ)鳥當御殿上鳴候(ナキサフラヒ)ツル間、仕(ツカマツツ)テ候ハンズル矢ノ落(オチ)候ハン時、宮殿(キユウデン)ノ上ニ立(タチ)候ハンズルガ禁忌(イマイマ)シサニ、雁俣(カリマタ)ヲバ拔(ヌイ)テ捨(ステ)ツルニテ候。」ト申(マウシ)ケレバ、主上弥(イヨイヨ)叡感有(アツ)テ、其夜(ソノヨ)(ヤガ)テ廣有ヲ被成五位、次ノ日因幡(イナバノ)國ニ大庄(ダイシヤウ)二箇所賜(タマハリ)テケリ。《『太平記』卷第十二・廣有射怪鳥事》

 

 

2002年11月8日(金)曇りのち晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

鷹羽(たかのはね)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「鷹羽」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠雁俣鷲鋒矢各相具臑當〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠雁俣鷲鋒矢各相具臑當〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠雁俣鷲鋒矢各相具臑當〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「鷹羽」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)には、標記語「鷹羽」の語を未収載にする。次に広本節用集』に、

旗幕紋(ハタマクノモン/せイハクブン)[平・○・平]白旗(シラハタ)。赤旗。引兩。輪違。鞆畫(トモヱ)。杏葉。木瓜(モツカウ)。亀甲(キツカフ)。松皮。洲濱(スハマ)。輪寶(ボウ)輪。連銭。小簀(スキ)。釘貫(クギヌキ)。目結(メユイ)。松竹。月星。菊水。橘丸。鶴ルノ丸。鴛鴦(ヲシ)ノ丸。竹丸。扇。(タカ)ノ。唐笠。菱(ヒシ)ノ丸。団扇(ウチワ)。水色。頭黒。桐(キリ)。貘(バク)。靫(ツボ)ノ(フタ)。爪(クワ)ノ文。澤潟(ヲモタカ)ノ丸。三日月(ミカツキ)。蕎折敷(ソハヲシキ)。二文字。〔光彩門61六〕

とあって、標記語「旗幕紋」の語注記に「鷹羽」の語を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

旗幕紋(ハタマクノモン)白旗(シラハタ)。赤―(アカハタ)。引兩(ヒキリヤウ)。輪違(ワチカヘ)。鞆畫(トモエ)。杏葉(キヤウヨウ)。木瓜(モツカウ)。亀甲(キツカウ)。松皮(マツカワ)。洲濱(スハマ)。輪宝(リンボウ)。車輪(クルマノワ)。連銭(レンぜン)。小簀(コスチ)。釘貫(クキヌキ)。目結(メユイ)。松竹(マツタケ)。月星(ツキニホシ)。菊水(キクスイ)。橘(タチバナ)ノ(マル)。鶴(ツル)ノ(マル)。鴛鴦(ヲシ)ノ丸。竹(タケ)ノ(マル)。扇(アフキ)(タカ)ノ(ハ)。唐笠(カラカサ)。菱(ヒシ)ノ(マル)。団扇(ウチワ)。水色(ミツイロ)。頭黒(カシラクロ)。桐(キリ)。貘(バク)。靫(ウツボ)ノ(フタ)。爪(クハ)ノ(モン)。澤潟(ヲモタカ)ノ(マル)。三日月(ミカツキ)。蕎折敷(ソハヲシキ)。三文字(サンモンジ)。喬。恐。蕎乎。・財宝20六〕

旗幕紋(ハタマクノモン)白旗(シラ―)。赤旗(アカ―)。引兩(ヒキリヤウ)。輪違(ワチカヘ)。鞆畫(トモヱ)。杏葉(キヤウヨウ)。木瓜(モツクワ)。亀甲(キツコウ)。松皮(マツカハ)。洲濱(スハマ)。輪宝(リンホウ)。輪。連銭(レンぜン)。小簀(コスキ)。釘貫(クキヌキ)。目結(メユイ)。松竹(マツタケ)。月星(ツキニホシ)。鴛鴦(ヲシ)ノ丸。竹丸。扇。唐笠(カラカサ)。菱(ヒシ)ノ丸。団扇(ウチハ)。水色。頭黒(カシラクロ)。桐(キリ)。貘(ハク)。靫(ウツホ)ノ(フタ)。爪(クハ)ノ(モン)。澤潟(ヲモタカ)ノ丸。三日月。蕎折敷。三文字。菊水。橘丸。鷹羽・財寶23四〕

とあり、広本節用集』と同様なる標記語鷹羽」の語収載となっている。また、易林本節用集』は標記語鷹羽」の語を未収載にしている。いわば、広本節用集』と印度本系統の永祿二年本両足院本節用集』にこの収載を見るのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

370鷹羽雁俣(マタ) 眞羽鷹羽亊也。可 也。〔謙堂文庫藏三七左E〕

とあって、標記語「鷹羽」の語注記は、「眞羽と云ふは鷹の羽の亊なり。一拶と云ふべきなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠(シコ)(タカ)ノ(ハ)雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「鷹羽」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たか)(はね)雁股鷲(わし)鋒矢(とかり―)雁股鷲鋒矢 鷹の羽鷲の羽にて矧たる矢なり。雁股ハ鏑(かふら)矢を畧したる物なるゆへ鏑當とて少し太く糸にて根の上を當鏑の形に似せるなり。鳫股を狩股とも書。大樣畜類を射るに用ゆ。鋒矢を又尖矢(とかりや)とも書。腸(わたくり)のある根をさしたるゆへなり。鳫股を鋒矢も皆根につきていふ名なり。羽ハ何れも四羽に矧なり。〔47ウ六〜48オ一〕

とあって、標記語「鷹羽」の語注記は、「鷹の羽鷲の羽にて矧たる矢なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠雁股鷲鋒矢各臑當。〔三十五ウ七・八〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこ)(たか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す。〔63ウ四〕

とあって、標記語「鷹羽」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「鷹羽」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たか--はね(名)【鷹羽】鷹の尾の羽。K白の斑(ふ)、重なりて列をなす、矢に矧ぎ、又、紋に畫くなどに云ふ。東大寺獻物帳「赤漆桐木靫一具」注「納鷹羽麻利箭五十隻」高忠聞書「一、矢に鷹の羽付る事、とがり矢、かぶら矢、かりまたがらなどには、鷹の羽付ること本儀なり、其ほかは略儀なり」今川大雙紙「一、鷹の羽にて、はぎたる矢にて、常に的射べからず、子細あり」〔1201-4〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「たか-の-はね【鷹羽】〔名〕@鷹の尾の羽。矢羽に用いる。A紋所の名。鷹の羽をかたどったもの。丸に違い鷹の羽、並び鷹の羽、抱き鷹の羽など。Bななめに荒い筋を入れて焼いたかまぼこ。C魚「たかのはだい(鷹羽鯛)」の異名。D鑢目(やすりめ)の一つ。鷹の羽のような筋目を入れたもの」とあって、『庭訓往来』からの用例は記載してない。

[ことばの実際]

此箭羽〈鷹羽遊施云云〉曳鳥之目兮融〈云云〉《訓み下し》此ノ箭ノ羽〈(タカ)(ハ)ニテ遊施ス(極ジク強シ)ト云云〉鳥ノ目ヲ曳イテ融ルト〈云云〉。《『吾妻鏡』承元元年十二月三日の条》

 

 

2002年11月7日(木)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

尻籠(しこ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

尻籠(シツコ)〔元亀本309十〕〔静嘉堂本362二〕

とあって、標記語「尻籠」の語注記は、未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__」〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當」〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ」〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「尻籠」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

尻篭(シコ)〔氣形器財門116七〕

とあり、次に広本節用集』に、

尻籠(シコ/カウロウ.シリ,カゴ・コムル)[平・平]〔器財門927二〕

とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

尻籠(――)・財宝242四〕

尻篭(シコ)・財宝208四〕〔・財宝192五〕

とあり、標記語尻籠」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』にも、

尻籠(シコ)。尻又作什。〔器財209五〕

とあって、標記語尻籠」の語を収載し、その語注記には、「○又作○」形式で別表記の「什籠」を示している。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

369  也。公家云箙、武家 。如箙也。冨士牧狩始也。〔謙堂文庫藏三七左D〕

とあって、標記語「尻籠」の語注記は、「なり。公家に箙と云ふ、武家に篭と云ふ。箙のごときなり。は冨士の牧狩より始むるなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠鷹(シコタカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「尻籠」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

尻籠(しこ)尻籠 是も又矢を入るゝ器也。類讀に尻籠ハ中興作り出したる物ゆへ甚形一定ならすといえり。尻籠ハ胡の次ゆへ足軽に至るまて通し用る也。又矢籠とも書。〔47ウ五・六〕

とあって、標記語「尻籠」の語注記は、「是もまた矢を入るゝ器なり。類讀に尻籠は、中興作り出したる物ゆへ甚だ形一定ならずといえり。尻籠は胡の次ゆへ足軽に至るまで通し用るなり。また、矢籠とも書く」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠雁股鷲鋒矢各臑當尻籠ハ是亦矢を盛(も)る器(うつハ)也。箙(えびら)より出て胡(やなぐい)より粗易(そい)也。中興(ちうこう)の作(さく)にて、其形(かたち)。一定(いちぜう)ならずと云々。〔三十五ウ七・八〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲尻籠ハ是亦矢を盛(も)る器(うつハ)也。箙(えびら)より出て胡(やなぐい)より粗易(そい)也。中興(ちうかう)の作(さく)にて、其形(かたち)。一定(いちぢやう)ならずと云々。〔63ウ四〕

とあって、標記語「尻籠」の語注記は、「尻籠は是れまた、矢を盛る器なり。箙より出て胡より粗易なり。中興の作にて、其の形。一定ならずと云々」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xico.しこ(尻籠) 皮製の細長い矢筒の一種で,その中に弓の矢を入れて,右肩から背中へ掛けて携行するもの.§Xivoya.(尻籠矢)この矢筒の中に入れる矢.※原文はcoldre. →Yebira.〔邦訳762l〕

とあって、標記語「尻籠」の語を収載し、意味は「皮製の細長い矢筒の一種で,その中に弓の矢を入れて,右肩から背中へ掛けて携行するもの」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しこ(名)【尻籠・矢籠】〔矢壺(やつほ)の字音にて、つぼやなぐひの類ならむかとも云ふ〕(一)古くは、矢を盛るものの總名。庭訓徃來、六月「尻籠、鷹羽雁俣」(二)後には、一種、やなぐひに似て、粗略なるものの稱。下に、鏃を受くる、壺の如きものありて、棒を添へて立て、上に、腕木の如きものあり、木、又、竹にて作る。〔0887-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「し-こ【矢壺・矢籠・尻籠】〔名〕@狩猟や軍陣に用いる矢の容器の一つ。ツヅラフジの蔓や竹で編んだ狩箙(かりえびら)の一種。A江戸時代、飾りとして端手(はたて)を長く組み違えて作った塗箙(ぬりえびら)の一種」とあって、『庭訓往来』からの用例は記載してない。

[ことばの実際]

ヤナグヒヲシコトナヅク如何。《『名語記』(1275年)六》

余りに辞理無く懸けられて、師直、すでに引き色に見えけるところに、九国の住人、須々木四郎とて、強弓の矢継ぎ早、三人張りに十三束二伏、百歩に柿の葉を立てて、百矢を外さぬ程の射手のありけるが、人の解き捨てたる箙・尻篭を、掻き抱くばかり取り集めて、雨の降るがごとく矢所を指してぞ射たりける。《『太平記』卷第二十六・楠正行最期の事

 

 

2002年11月6日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

本白(つるのもとじろ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部にはなく、補遺部「鳥」に、

(ツル)曰仙客玄鶴(クロツル)真鶴(マナヅル)〔元亀本補遺370二〕

(ツル)仙客玄鶴(クロツル)真鶴(マナヅル)〔静嘉堂本449五・六〕

とあって、標記語「」の語注記は、「仙客といふ」と記載し、標記語「本白」の語は未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔至徳三年本〕        

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)_等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__」〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當」〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ」〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「鶴本白」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、易林本節用集』に、標記語鶴本白」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

羽色(ハイロ)。切部(キリフ)。中黒(ナカクロ)。端黒(ツマクロ)。白尾(シラヲ)。糟尾(カスヲ)。鼠尾(ウスベヲ)石打(イシウチ)青保呂(アヲホロ)。斑保呂(マタラホロ)。脇羽(ワキノハ)。利羽(ウハ)。麼羽(ツハ)。鶴摩羽(ツルノスリハ)。染羽(ソメハ)鶴本白(―ノモトシロ)霜降(カフノシモフリ)焦羽(タウノコガレハ)。鵠羽(クヽイノハ)。雁羽(カンノハ)・財宝22二〕

羽色(ハイロ)。切部(キリフ)。中黒(ナカクロ)。端黒(ハシクロ)。白尾(シラヲ)。糟尾(カスヲ)。鼠尾(ウスヘヲ)石打(イシウチ)。青保呂(アヲホロ)。斑保呂(マタラホロ)。脇羽(ワキノハ)。利羽(ソハ)。麼羽(ツハ)。鶴摩羽(ツルノスリハ)。染羽(ソメハ)鶴本白(ツルノモトジロ)霜降(コウノシモフリ)焦羽(タウノコカレハ)。鵠羽(クヽイノハ)。雁羽(カンノハ)・財宝20三〕

羽色(ハイロ)。切部(キリフ)。中黒(―クロ)。端黒(ハシ―)。白尾(シラヲ)石打(イシウチ)。青保呂(アヲホロ)。脇羽(ワキノハ)。利羽(ソハ)。麼羽(ツハ)。鷹羽(―ノハ)。鶴摩羽(―ノスリハ)鶴本白(―ノモトシロ)。染羽(ソメハ)霜降(コウノシモフリ)焦羽(タウノコカレハ)。鵠羽(クヽイノハ)。雁羽(カンノハ)。糟尾(カスヲ)。鼠尾(ウスヘヲ)。斑保呂(マタラホロ)・財宝22八〕

とあって、標記語「羽色」の語注記に「鶴本白」の語を収載している。黒本本節用集』に収載する。ただ、「鶴」としては、『下學集』に、

(ツル) 仙客又名丹歌丹歌見タリ類説〔氣形59四〕

とあり、広本節用集』に、

(ツル/クワク) 。丹哥。丁令威也。浮丘伯相鶴經曰、鶴鳥也。而出於陰ヨリ金氣シテ火精而自養。金七。故七年小変十六年ニシテ大変。万六千年変止。千六百年。体尚潔。故色白シテ聲聞。故頭赤食(ヤシナフ)於水。故喙長軒(アカル)於前。故(ユビ)シテ。栖於陸。故足高而尾凋。翔於雲。故毛豊ニシテ而肉辣(ヤスル)。大喉ニシテ以吐。故脩頸以約。故壽不。盖羽族之宗ニシテ而仙人之騏也。又云仙客。云丹哥。――ヘタリ類説(コノカミ)也。凍蘆(ツル)合紀異名、仙(キ)。仙禽。胎仙。胎禽。皐禽。嘉賓。照仙。露翰。雪衣。丹頂。丹晴。朱頂。霜毛。烟羽。雪羽。玄鳥。陽鳥。介鳥。愁襟。舞市。華表禽。禽仙。丁令威。末軒。蘇仙。仙。照禽。遷客。〔氣形413三〕

とある。そして、注記文中の一部が同じで『下學集』をさらに増補したものであることを示している。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ツル)・畜類127一〕

(ツル)仙客又名丹歌――(タンカ)ハ類説・畜類104六〕

(ツル)呼名仙客又名丹頂――見類説・畜類95二〕

(ツル)呼名仙客又名丹歌(タンカ)ト――見類説・畜類116五〕

とあり、『下學集』を引用する。易林本節用集』にも、

(ツル)〔氣形103六〕

とあって、標記語の語を収載し、その語注記は未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

368鵠鴾本白 此三鳥雜羽云也。此時一鳥云也。〔謙堂文庫藏三七左D〕

とあって、標記語「鶴本白」の単独語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠鷹(シコタカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「鶴本白」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

本白(ツルノもとしろ)等/本白 本白といふもふの名なり。羽本白く其羽ハ皆黒し。〔47ウ四・五〕

とあって、標記語「鶴本白」の語注記は、「鵠の羽は、或書にの羽の事なりと云ふ。下にの本白とあればいかが。鴾の羽は、ときの羽なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢各臑當本白ハ是も矢乃羽の文(あや)也。羽本(はもと)白くて餘(ほか)ハ皆(ミな)(くろ)きをいふ。〔三十五ウ七〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲本白ハ是も矢乃羽の文(あや)也。羽本(はもと)白くて餘(ほか)ハ皆(ミな)(くろ)きをいふ。〔63ウ一・二〕

とあって、標記語「本白」の語注記は、「本白ハ是も矢の羽の文なり。羽本白くて餘は皆黒きをいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcuruno motojiro.つるのもとじろ(鶴本白) 矢を作るのに使われる鶴の羽根.〔邦訳636r〕

とあって、標記語「鶴本白」の語を収載し、意味は「矢を作るのに使われる鶴の羽根」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つる(名)【鶴】〔聲を以て名とす。古今集注(顕昭)に、鶯、郭公、雁、鶴は我名を鳴くなりとあり。朝鮮語、つり〕(一)又、田鶴(たづ)。水鳥の名。大いなるは、高さ五六尺、頸、嘴、脚、共に甚だ長し。高く翔り、又、能く水を渉り、魚を食とす。世に、長壽瑞祥の鳥とし、肉を饗膳の珍貴なるものとす。種類多く、羽色、形状も種種なり。眞名鶴、白鶴、K鶴、丹頂、鍋鶴等、(鹿児島縣出水郡阿久根町に眞名鶴、丹頂鶴、鍋鶴、山口縣熊毛郡八代村に鍋鶴住めり)其他、各條に註す。倭名抄、十八13羽族名「鶴、豆流」字鏡65「、豆留」(二)嘴鋤(ツルハシ)の略。其條を見よ。〔1337-5〕

もと-じろ(名)【本白】矢羽の本の方の白きもの。平家物語、十一、遠矢事「この矢を抜かせて見給へば、白箆(しろの)に鶴のもとじろ、鴻の羽わりあはせてはいだる矢の、十三束三伏ありけるに、云云」〔2009-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つるの本白(もとじろ)「つる(鶴)の羽の本白」に同じ」とあって、「つるの(は)の本白(もとじろ) 鶴の羽の下部の白い小さい羽。鶴の本白」とあり、『庭訓往来』からの用例は記載してない。

[ことばの実際]

新中納言是を召寄せて見給へば、白篦に鶴の本白、こうの羽を破合せて作だる矢の十三束二伏有に、沓卷より一束計おいて、和田小太郎平義盛と、漆にてぞ書附たる。平家の方に精兵多しといへども、さすが遠矢射る者は少かりけるやらん、稍久しう有て、伊豫國の住人仁井紀四郎親清召出され、此矢を給はて射返す。《『平家物語』十一・遠矢事

 

2002年11月5日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

(くぐいたう)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

白鳥(ククヒ) 今俗書之。(同)〔元亀本370一・二〕 (タウ)〔元亀本370八〕

白鳥(クヽイ) 今俗書之。(同)〔静嘉堂本449五・六〕(タウ)〔静嘉堂本450四〕

とあって、標記語「白鳥」と「」の語注記は、「白鳥」の語に「今俗に之れを書く」と記載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__」〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當」〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ」〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、

クヽヒ。又コフ瓰磬同。〔黒川本・動物中72ウ八〕タオ。又ツキ〔黒川本・動物中2オ七〕

クヽヒ。亦コフ。大鳥也。瓰磬〔卷第六・動物393三〕タウ。亦ツキ〔黒川本・卷第四動物389一〕

とあって、標記語「」と「」の語を収載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

(クヽヒ)又云天鵠。又俗云白鳥鵝(クヽイ)ト〔氣形門59六〕

とあって、標記語」の語を収載するにとどまる。」の語は未収載にする。次に、広本節用集』は、

(クヾイ)又云白鳥。又云天鵠〔氣形門502四〕

(タウ)或作〔氣形門339三〕

とあって、標記語」の語と」の語を収載し、各々の語注記を見るに、「又云白鳥。又云天鵠」「或はに作る」という。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(クヾイ)又云天鵞。又云白鳥。・氣形門158六〕

(クヾイ)又云白鳥。又云天鵞。・氣形門130一〕〔・氣形門144七〕

(クヽイ)又云白鳥。又云天鵞。・氣形門119四〕

(タウ)同。(タウ)・氣形門103五・六〕

(タウ)・氣形門92九〕〔・畜類84九〕〔・氣形門102五〕

とあって、標記語「」「」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

天鵞(クヾイ)(同)〔氣形129六〕 (タウ)〔氣形90六〕

とあって、標記語天鵞」と「」との二語を収載し、その語注記は未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

368鵠鴾本白等 此三鳥雜羽云也。此時一鳥云也。〔謙堂文庫藏三七左D〕

とあって、標記語「鵠鴾」の単独語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠鷹(シコタカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「鵠鴾」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

鵠鴾(くゞいとう)鵠鴾 鵠の羽ハ或書にの羽乃事也と云。下にの本白とあれハいかゝ鴾の羽ハとき乃羽なり。〔47ウ三・四〕

とあって、標記語「鵠鴾」の語注記は、「鵠の羽は、或書にの羽の事なりと云ふ。下にの本白とあればいかが。鴾の羽は、ときの羽なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢各臑當の羽ハ(つる)の事也。▲羽ハ鴇(とき)の事也。〔三十五ウ五・六〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲の羽ハ(つる)の事也。▲羽ハ鴇(とき)の事也。〔63ウ一・二〕

とあって、標記語「鵠鴾」の語注記は、「の羽は、の事なり。羽は、鴇の事なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cugu-i.クグイ(鵠) Facucho>(白鳥)に同じ.白鳥.〔邦訳163r〕

To<.タゥ() この名で呼ばれる赤色の鳥.〔邦訳650l〕

とあって、標記語「」と「」の両語を収載している。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くくひ(名)【鵠】〔鳴く聲を名とす、約めて、こひと云ひ、轉じて、こふと云ふも、聲なり、鵠(コク)も、鳴聲なり、説文、顔師古、註「鵠、其聲鵠鵠」鵠(コク)を、鸛(コフ)なりと云ふ説あれど、非なり、鵠は群を成すもの、鸛は然らず、出典の~樂歌を見よ〕鳥の名、又、くひ。こひ。こふ。今、はくてう(白鳥)と云ふ、其條を見よ。垂仁紀、廿三年十月「有鳴鵠(くくひ)、度大虚字鏡64「鵠、久久比、又、古比」倭名抄、十八17羽族類「鵠、久久比、又、古希」~樂歌、湊田「湊田に、久久比八居(ヤツヲリ)」(白鳥(ハクテウ)は、能く群を成す)〔0516-2〕

たう(名)【】〔玉篇「、音潮」字の音。鴇をに誤り、又、に誤る。鴇は皇國字なり、南部地方には、たをと云ふ〕鳥の名。つき。又、とき。倭名抄、十八17羽族名「、音潮(タウ)、豆木、俗用字鏡65「鴾、豆支、又、多宇」名義抄、「、ツキ、タウ、タヲ」〔1190-5〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「くくい【】〔名〕(その鳴き声から。「くぐい」とも)鳥「はくちょう(白鳥)」の古名。[語誌](1)挙例の「享和本新撰字鏡」や「十巻本和名抄―七」には「こひ」「こふ」の名もあり、これらも「くくひ」同様鳴き声からの命名であろう。(2)古代の白い鳥には、記紀に見られる、ホムチワケが言葉を得た話やヤマトタケルが白鳥と化した話、さらには、「延喜式―祝詞・出雲国造神賀詞」の天皇の代替わりごとの白鵠の生御調(いきみつき)など、霊的・呪的な観念がうかがわれるが、これは全世界的なもので各国に白鳥処女伝説など同様の伝説が存在する」と標記語「とう【】〔名〕鳥「とき(鴇)」の異名」とあって、『庭訓往来』からの用例は記載してない。

[ことばの実際]

はね紅梅なる鳥を、たうとなつく、如何。答、たう也。実の名はつきと申せる也。―そのつきかなくこゑたうたうときこゆる也。さて当時の音によせてたうとは申せる也。《『名語記』(1275年)四》

 

2002年11月4日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

箆矢(のや)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

箆矢(―ヤ) 不推羽矢亊〔元亀本186六〕

箆矢(ノヤ) 推羽矢亊〔静嘉堂本210四〕

箆矢(―ヤ) 推羽矢亊〔天正十七年本〕

とあって、標記語「箆矢」の語注記は、「不推羽矢亊」と記載し、下記に示す『庭訓徃來註』の語注記に共通するものであり、この注記は『庭訓徃來註』からの引用継承ということである。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__」〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當」〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ」〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「箆矢」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「箆矢」の語を未収載にする。ここで、古辞書として、この語を収載するものは『運歩色葉集』だけであり、尚かつ語注記内容の引用継承からして、他とは異なる編纂連関度合いを保持していることが見えてくるのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

367妻黒箟矢 鷲羽也。箟矢也。〔謙堂文庫藏三七左D〕

とあって、標記語「箆矢」とし、語注記は、「鷲の羽なり。箟矢は、しまざるなり」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠鷹(シコタカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「箆矢」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

筋切符(すし―ふ)妻黒箆矢(のや)筋切符妻黒箆矢 すじきりふつまくろハ皆矢の羽のふの名也。〔47ウ二・三〕

とあって、標記語「箆矢」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢各臑當。〔三十五ウ五・六〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す。〔63ウ一・二〕

とあって、標記語「箆矢」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「箆矢」の語は未収載である。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「のや(名)【箆矢】」は未収載であり、

のや(名)【野矢】(一)鹿狩に用ゐる矢。一名、ししや。(二)戰場に用ゐる矢。征矢(そや)。平家物語、八、兵衞佐院宣事「萌黄絲威の腹卷一領、白う作ったる太刀一振、滋藤の弓に野矢副へて賜(た)ぶ」〔1543-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「のや【箆矢】」では未収載にし、標記語「のや【野矢】〔名〕狩猟用の矢。射捨てとして粗略な作りにし、素地のままの白箆(しらの)が一般的で、羽も得るに任せて使用したが、武官や隨身は羽や箆(の)に趣向をこらした。公卿に供奉する隨身などは葛箙(つづらえびら)に野矢を挿した仮(かりやなぐい)を帶し、近衛の次将は非常時の警護の場合、野矢を負って参陣した。猟矢(ししや・さつや)」とあり、『庭訓往来』は記載してない。

[ことばの実際]

《『台記』》

 

 

2002年11月3日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)

第34回全日本大学駅伝対校選手権大会(名古屋市の熱田神宮から三重県伊勢市の伊勢神宮までの8区間106.8キロのコース)駒澤大学が5時間18分41秒で二連覇を飾る。駒大は、第5区で山梨学院大を抜き2位に、さらに、第6区塩川雄也(二年生)が区間賞で日大を抜き首位に立ち、最終区間の8区では、松下龍治(四年生)がそのままリードを守りゴール。

妻K(つまぐろ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

妻K征矢(ツマクロノソヤ)。〔元亀本160三〕

妻K征矢(ツマクロノソヤ)。〔静嘉堂本176三〕

妻K征矢(ツマクロノソヤ)。〔天正十七年本中19ウ二〕

とあって、標記語「妻黒」の語は未収載だが、「妻黒征矢」で収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__」〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當」〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ」〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「妻黒」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、易林本節用集』には、標記語「妻黒」の語を未収載にする。次に印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

羽色(ハイロ)。切部(キリフ)。中黒(ナカクロ)端黒(ツマクロ)。白尾(シラヲ)。糟尾(カスヲ)。鼠尾(ウスベヲ)石打(イシウチ)青保呂(アヲホロ)。斑保呂(マタラホロ)。脇羽(ワキノハ)。利羽(ウハ)。麼羽(ツハ)。鶴摩羽(ツルノスリハ)。染羽(ソメハ)。鶴本白(―ノモトシロ)霜降(カフノシモフリ)焦羽(タウノコガレハ)。鵠羽(クヽイノハ)。雁羽(カンノハ)・財宝22二〕

妻黒征矢(ツマクロノソヤ)・財宝128五〕

とあって、弘治二年本だけが標記語「端黒」と「妻黒征矢」の語を収載する。また、黒本本節用集』に収載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

367妻黒箟矢苦 鷲羽也。箟矢矢也。〔謙堂文庫藏三七左D〕

とあって、標記語「妻黒」とし、語注記は、「鷲の羽なり。箟矢は、羽を推しまざる矢なり」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)妻K(フツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠鷹(シコタカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「妻黒」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

筋切符(すし―ふ)妻黒箆矢(のや)筋切符妻黒箆矢 すじきりふつまくろハ皆矢の羽のふの名也。〔47ウ二・三〕

とあって、標記語「妻黒」の語注記は、「すじきりふつまくろハ皆矢の羽のふの名なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢各臑當。〔三十五ウ五・六〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切符(すぢきりふ)妻K(つまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す。〔63ウ一・二〕

とあって、標記語「妻黒」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「妻黒」の語は未収載である。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つま-ぐろ(名)【端黒】端の黒きこと。又、ふのもの。盛衰記、廿、石橋山合戰「青地の錦の直垂に、赤縅の眉白の鎧の、すそ金物打ったるを着て、つまKの箭負ひ」「つまぐろの征矢」〔1329-5〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つま-ぐろ【端黒妻黒】〔名〕縁の黒いこと。また、そのもの」とあって、『庭訓往来』の用例を記載する。

[ことばの実際]

与一其(その)日(ひ)の装束には、青地錦直垂に、赤威肩白冑のすそ金物打たるを著て、妻黒の箭負、長覆輪の剣を帯けり。《『源平盛衰記』卷二〇・石橋合戦事》

 
2002年11月2日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

筋切符(すぢきりフ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

筋切符(スヂキリフ)紋也。〔元亀本361十〕

筋切符(スジキリフ)羽有紋也。〔静嘉堂本441二〕

とあって、標記語「筋切符」の語注記は、「鷲の羽に紋有るを曰ふなり」とし、下記に示す真字本『庭訓往来註』を継承している。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢?本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__」〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當」〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ」〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「筋切符」の語は未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「筋切符」の語を未収載にする。已上、古辞書における「筋切符」の収載は、『運歩色葉集』にだけとなり、且つ語注記を継承とする連関度合いに注目すべきであろう。なぜ、兵具語彙を室町時代の『下學集』『節用集』系統である多くの古辞書編纂姿勢としてなぜ未収載にするのかという点については、今後解き明かす必要がある。その逆に、『運歩色葉集』は、この語をどのように考えて収載したのかというその編纂者の方向性をも考えねばなるまい。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

366筋切符 紋也。〔謙堂文庫藏三七左C〕

とあって、標記語「筋切符」とし、語注記は、「鷲の羽の紋なり」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)ノ征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠鷹(シコタカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ。石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「筋切付」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

筋切符(すし―ふ)妻黒箆矢(のや)筋切符妻黒箆矢 すじきりふつまくろハ皆矢の羽のふの名也。〔47ウ二・三〕

とあって、標記語「筋切符」の語注記は、「すじきりふつまくろハ皆矢の羽のふの名なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切符(すぢきり)妻K(つまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢各臑當筋切符(すちきりふ)妻黒(くろ)ハ共に矢の羽乃文(あや)也。但し字ハ切生(きりふ)褄K(つまぐろ)に作(つく)るべし。〔三十五ウ六〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)妻K(つまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲筋切符妻黒ハ共に矢の羽乃文(あや)也。但し字ハ切生(きりふ)の褄K(つまぐろ)に作るべし。〔63ウ三・四〕

とあって、標記語「筋切符」の語注記は、「筋切符妻黒は、共に矢の羽の文なり。但し字は、切生褄Kに作るべし」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「筋切生」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すぢ-きりふ(名)【筋切生】 切生の一種。矢羽の、Kと白との斑の、太く鮮やかに切れてあるもの。運歩色葉集「筋切符」注「白鷺羽、有紋也」庭訓徃來、六月「、石打征矢、筋切付(鷲羽文也)、妻K箆矢、鵠鴾鶴本白」〔1052-5〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「すじ-ぎりう【筋切生筋切符】〔名〕鷲の矢羽(やばね)の切生の一種。切生の白と黒の境界が鮮やかに一線を画しているもの」とあって、その用例に『運歩色葉集』及『庭訓往来注』を記載している。他に『桂川地藏記』(1416年頃)の用例を記載する。

[ことばの実際]

大星ノ行騰、月星白文(シロモン)ノ竹笠重藤(シゲトウ)ノ弓。切生(キリフ)箆矢負。《『冨士野徃来』上卷》

 

2002年11月1日(金)曇りのち雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

石打(いしうち)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、「石弩(ユミ)。石倉(クラ)。石曳(ビキ)。石疊(ダヽミ)。石橋(バシ)又。石居(ズヘ)又。石衝(ヅキ)又。石見(イワミ)十三郡/石州。石山(イシヤマ)近江州孝禎女帝天平勝宝二年庚寅立天文十六与丁未七百九十八年也」と九語の収載があって、標記語「石打」の語については未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

箙胡石打征矢筋切府妻K箆矢鴻{鵠}本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔至徳三年本〕

箙胡石打之征矢切符妻K箆矢〓(彳+鳥)本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔宝徳三年本〕

箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢本白等尻籠鷹雁俣鷲鋒矢各相具臑當」〔建部傳内本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリフ)_K_(ノ―)(クヽイ)(タウ)羽鶴_白等尻_(シコ)_(マタ)(トカリ)_矢各‖__」〔山田俊雄藏本〕

(エビラ)(ヤナグイ)石打征矢(ソヤ)筋切符(スチキリフ)妻K(ツマ―)箆矢(ククヒ)(タフ)(ツル)本白等尻籠(シコ)雁股(カリマタ)(ワシ)鋒矢(トカリヤ)臑當」〔経覺筆本〕

(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ソヤ)__(スチキリ―)_K(ツマクロ)箆矢(ノヤ)(クヽイ)(タフ)_(モトシロ)等尻籠(シコ)__(カリマタ)(ワシ)__(トカリヤ)臑當(コシアテ)ヲ」〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、標記語「石打」の語は未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)には、標記語「石打」の語を未収載にする。広本節用集』には、

石打征矢(イシウチノソヤ/セキテイセイシ.――ユク,チカイ)〔器財門10四〕

とあって、標記語「石打征矢」の語を収載する。次に印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

羽色(ハイロ)。切部(キリフ)。中黒(ナカクロ)。端黒(ツマクロ)。白尾(シラヲ)。糟尾(カスヲ)。鼠尾(ウスベヲ)石打(イシウチ)。青保呂(アヲホロ)。斑保呂(マタラホロ)。脇羽(ワキノハ)。利羽(ウハ)。麼羽(ツハ)。鶴摩羽(ツルノスリハ)。染羽(ソメハ)。鶴本白(―ノモトシロ)霜降(カフノシモフリ)焦羽(タウノコガレハ)。鵠羽(クヽイノハ)。雁羽(カンノハ)・財宝22二〕

羽色(ハイロ)。切部(キリフ)。中黒(ナカクロ)。端黒(ハシクロ)。白尾(シラヲ)。糟尾(カスヲ)。鼠尾(ウスヘヲ)石打(イシウチ)。青保呂(アヲホロ)。斑保呂(マタラホロ)。脇羽(ワキノハ)。利羽(ソハ)。麼羽(ツハ)。鶴摩羽(ツルノスリハ)。染羽(ソメハ)。鶴本白(ツルノモトジロ)霜降(コウノシモフリ)焦羽(タウノコカレハ)。鵠羽(クヽイノハ)。雁羽(カンノハ)・財宝20三〕

羽色(ハイロ)。切部(キリフ)。中黒(―クロ)。端黒(ハシ―)。白尾(シラヲ)石打(イシウチ)。青保呂(アヲホロ)。脇羽(ワキノハ)。利羽(ソハ)。麼羽(ツハ)。鷹羽(―ノハ)。鶴摩羽(―ノスリハ)。鶴本白(―ノモトシロ)。染羽(ソメハ)霜降(コウノシモフリ)焦羽(タウノコカレハ)。鵠羽(クヽイノハ)。雁羽(カンノハ)。糟尾(カスヲ)。鼠尾(ウスヘヲ)。斑保呂(マタラホロ)・財宝22八〕

とあって、標記語「羽色」のうちに、「石打」を収載する。 また、易林本節用集』には、

石打征矢(イシウチノソヤ)〔器財4三〕

とあって、標記語石打征矢」の語を収載し、その語注記は未記載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

365石打征矢(ソ―) 鷹。鵄ニモ。〔謙堂文庫藏三七左C〕

365石打征矢(ソ―) 鷹。鵄ニモ。〔謙堂文庫藏三七左C〕

慈鎮和尚云、雪フレハ身ニ引ソウル箸鷹ノタナサキノハヤシラフナルラン。羽ニ白符ト云事秘事也。尾ニコソ符ト云事アレ。鷹ノ尾ノタロ。一ニヒクワイ、二ニタスケ、三ニセマチノ尾、四ニナラシバ、五ニ石打、六ニ芝引白、鷹ノ記ニアリ。○――石打ト云ハアリ或ワ哥ニ云、■山ニハヲトストモシラヌタカノ羽ノキリフスヽシキアキ風吹。〔国会図書館藏・左貫注冠頭書込み〕―石打トハ鷹羽ノ名也。〔同書込み〕

征矢トハ征伐之用ル也。又云箙ニハ石打征――鶴本白等ヲ指ス也。〔天理図書館蔵『庭訓徃來註』冠頭書込み〕

とあって、標記語「石打」とし、語注記は、「鷹の尾に有り。鵄にも尾に有り」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

石打(イシウチ)征矢(ソヤ)筋切(スヂノキリ)付妻K(フツマクロ)ノ箆矢(ノヤ)(クヽイタウ)ノ羽鶴(ハツル)ノ本白(モトシロ)尻籠鷹(シコタカ)ノ(ハ)ノ雁俣(カリマタ)(ワシ)ノ(ハ)ノ鋒矢(トガリヤ)(アヒ)(グ)ス臑當(コシアテ)ヲ石打(ウチ)ノ征矢(ソヤ)(タカ)ノ羽(ハ)ノ尾(ヲ)ニテ。矯(タムル)ナリ。尾ニ多(ヲヽ)クノ名(ナ)アリ。〔下十二オ一〕

とあって、この標記語「石打」の語注記は、「石打の征矢、鷹の羽の尾にて、矯るなり。尾に多くの名あり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

石打(いしうち)征矢(そや)石打征矢 鷹の尾に大石打小石打と名付し羽あり。弓道私記に俗の袖矢と云ハ鉦矢の事なり。是を修羅矢と云て戦場の矢とすといえり。されは石打といふ。羽にて矧たる袖矢の事なり。〔47オ八〜47ウ二〕

とあって、標記語「石打」の語注記は、「鷹の尾に大石打・小石打と名付し羽あり。『弓道私記』に俗の袖矢と云は、鉦矢の事なり。是を修羅矢と云て戦場の矢とすといえり。されば石打といふ。羽にて矧たる袖矢の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑびら)(やなくい)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)箙胡石打征矢筋切符妻K箆矢羽鶴本白等尻籠鷹雁股鷲鋒矢各臑當石打征矢ハ鷹(たか)の尾(を)の石打(いしうち)乃羽(ハ)にて矧(はぎ)たる矢(ヤ)をいふ。石打ハ何(いづれ)の鳥(とり)にもあれど此名目(めうもく)ハ鷹(たか)に限(かぎ)ること也。征(そ)ハ征伐(せいばつ)の義(ぎ)のミ。即(すなハち)中刺(なかざし)の事なり。〔三十五ウ五・六〕

(ヱビラ)(ヤナクイ)石打(いしうち)征矢(そや)筋切(すぢきり)符妻K(ふつまぐろ)箆矢(のや)(くゞいらう)羽鶴(はつる)本白(もとじろ)(とう)尻籠鷹(しこたか)(はね)雁股(かりまた)(とう)(わし)(は)鋒矢(とがりや)(おの/\)臑當(こしあて)相具(あいぐ)す▲石打征矢ハ鷹(たか)の尾(を)の石打(いしうち)の羽(は)にて矧(はぎ)たる矢(や)をいふ。石打ハ何(いづれ)の鳥(とり)にもあれど此名目(ミやうもく)ハ鷹(たか)に限(かぎ)ること也。征(そ)ハ征伐(せいばつ)の義(ぎ)のミ。即(すなハち)中刺(なかざし)の事也。〔63ウ一・二〕

とあって、標記語「石打」の語注記は、「石打征矢は、鷹の尾の石打の羽にて矧ぎたる矢をいふ。石打は、何れの鳥(にもあれど、此名目は、鷹に限ることなり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Ixivchi.イシウチ(石打) →次条;Co〜;Vo>〜.〔邦訳349l〕

Ixiuchino soya.イシウチノソヤ(石打征矢) ある種の矢.〔邦訳349l〕

とあって、標記語「石打征矢」の語の意味は、「ある種の矢」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いしうち--はね(名)【石打羽】〔鶺鴒を、石たたき、又、庭たたきと云ふは、尾を上下して、庭をたたくが如きを云ふなり、石打の羽と云ふも、同意ならむ、最下にある羽なれば、觸るること多く、自ら堅きに因りて、擇取(えりと)りて、矢の羽に用ゐるなるべきか、四季草、一「敵をいしく打つ(美(い)しの條を見よ)と云ふ事に取成して、其名詮を稱美する也」鷹の尾の羽、十數枚扁列す、其左右の端の羽を稱する語。尾の最下に重なりてあり。(鷲の尾の羽にも云ふ)此羽を矧(は)ぎたる矢を、石打の矢と云ふ、征矢(そや)なるを、石打の征矢と云ひて、大將軍の所用としたり。又、それを盛りたるを、石打の(やなぐひ)と云ふ。易林本節用集(慶長)器財「石打征矢(イシウチノソヤ)」武用辨略(貞享)三、弓矢「石打の羽と云ふは、鷹の尾の石打也。此羽、強きが故に、取分けて是を用、何の鳥にも石打は侍れども、別して石打の征矢など云て、鷹に限る事也」四季草(伊勢貞丈)一、石打の征矢「大鳥(大鷲)の石打の羽にてはぎたる征矢を云ふ也、是れは、大將軍の用ふる矢也、石打の羽とは、尾の最下に重りたる羽也」平治物語、一、源氏勢汰(せいぞろへ)事「惡源太義平は、云云、石打の矢負ひ、重籐の弓持て」盛衰記、三十、實盛被討事「古郷へは錦の袴を着て歸ると云ふ事に侍れば、今度、生國の下向に、錦の直垂に石打征矢、御免を蒙り候はむ」、三十五、宇治川先登事「義仲、云云、石打のに、紫威の鎧を着て」〔0150-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いし-うち【石打】〔名〕@石を投げつけること。武器、凶器として用いる場合にも、遊戯として行う場合にもいう。石投げ。石合戦。印地(いんじ)。印地打(いんじうち)。A(鳥が飛び立つとき、また、降り立つとき、この羽で石を討つからという)鳥が羽を広げたとき、その両端に出る羽。端の方より第一の羽を大石打、第二の羽を小石打という。矢羽として珍重された。石打の羽。B(「石打の矢」の略)Aを用いて作った矢。C近世、軍陣の外側に張る幕のいちばん下の部分をいう。横につないだ五枚の布の第五番めの名称。芝打。D婚礼の家や行列に向かって近隣の人や若者仲間などが石を投げつける風習。本来は村外婚の場合に行われ、酒食を強要する手段にも用いられた。石の祝い。E魚が隠れている石に石を叩きつけて魚を捕らえる漁法。F紐の組み方で、しっかりと堅く組むこと。また、そのように組んだ紐」とあって、Aの意味用例にあたるが、『庭訓往来』は記載してない。

[ことばの実際]

高綱は褐衣の直垂に、小桜を黄に返たる鎧に、鍬形打たる甲に、笛籐弓の真中取、二十四差たる石打の征矢頭高に負、嗔物造の太刀帯て、是も鎌倉殿(かまくらどの)より給たる生喰(いけずき)に、黄覆輪の鞍置てぞ騎たりける。《『源平盛衰記』(14世紀前)三五・高綱渡宇治河事、858頁》

ことばの溜め池「征矢」(2000.11.30)を参照。

 

 

UP(「ことばの溜め池」最上部へ)

BACK(「言葉の泉」へ)

MAIN MENU(情報言語学研究室へ)

 メールは、<(自宅)hagi@kk.iij4u.or.jp.(学校)hagi@komazawa-u.ac.jp.>で、お願いします。