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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

2002年12月30日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

水豹(あざらし)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「安」部と補遺「魚之名」部に、

水豹(アザラシ)〔元亀本259八〕  水豹(アサラシ)〔元亀本367七〕

水豹(アザラシ)〔静嘉堂本294一〕 水豹(アサラシ)〔静嘉堂本447一〕

とあって、標記語「水豹」の語を収載し、語注記は未記載にする。ここで、安部の語は器財であり、補遺「魚之名」部の語は生物としての語であることを示唆している。単なる重複語ではない。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

水豹(―ハウ)アサラシ/胡老也。〔黒川本・動物下22ウ七〕

水豹アサラシ/胡老也。〔卷第四・動物507三〕

とあって、標記語「水豹」の語をもって収載し、その語注記には、「胡老なり」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「水豹」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

水豹(アサラシ/スイハウ・ミツ,―)[上・去]〔氣形門747六〕

とあって、標記語「水豹」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

水豹(アザラシ)・畜類203六〕〔・畜類169一〕〔・畜類158五〕

とあって、標記語「水豹」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

水豹(アザラシ)〔氣形169三〕

とあって、標記語「水豹」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「水豹」とがあり、これは古写本『庭訓徃來』にも見え、下記に示す真字注の語注記は、これらの古辞書には採録が見られない。こうした語注記がどのように採録されたか、また、引用継承系統にある古辞書にはなぜ採録されないのかを今後検証することになる。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

386水豹(アザラシ)熊皮- 水豹栖者也。泥障一懸云也。〔謙堂文庫藏三八左C〕

とあって、標記語「水豹」の語注記は、「水豹は、海に栖むものなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「水豹」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

氷豹(あざらし)(くま)(かわ)泥障(あをり)(むち)氷豹泥障 馬の両脇にさけ鎧の(じか)にあたるをふせくものなり。〔49ウ・五〕

とあって、標記語「水豹」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大房(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大房細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨水豹ハ蝦夷(ゑぞ)の海中(かいちう)にあり。大四五尺灰白色(はいしろいろ)にして豹(へう)の文(もん)ある獸(けだもの)也。〔三十七オ五〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を水豹ハ蝦夷(えぞ)の海中(かいちう)にあり。大四五尺灰白色(はいしろいろ)にして豹(へう)の文(もん)ある獸(けだもの)也。〔66オ三・四〕

とあって、標記語「水豹」の語注記は、「水豹は、蝦夷の海中にあり。大さ四五尺灰白色にして豹の文ある獸なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Azaraxi.アザラシ(水豹) 海獣の一種.〔邦訳44r〕

とあって、標記語「水豹」の語を収載し、意味は「海獣の一種」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

アザラシ(名)【水豹】〔和訓栞、あざらし「蝦夷語也」〕海獸の名。北海に多し、頭、粗、狗に似て、前脚、短く、後脚、魚の尾の如くにて、岐(また)をなす、水、陸、共に棲む、體長、四五尺、毛は、青Kく、粗くこはくして、光る、冬に至れば、Kき斑(ふ)を生じて美し、毛皮は種種に用ゐらる。倭名抄、十八21「水豹、阿左良之」奥州後三年記、上、永保三年、眞衡が、陸奥守義家饗應「金羽、あざらし、絹布のたぐひ、數知らず、持て參れり」台記、仁平三年九月十四日、奥州荘園年貢「水豹皮五枚」本朝食鑑(元禄)十一、水豹(あざらし)「葦鹿、膃肭之類歟、小笠原家、以皮爲射禮之具、松前蝦夷海上有之歟」重修本草綱目啓蒙、三十四、豹の條「水豹は、即ち海豹なり、あざらしと訓ず、海獸なり、蝦夷にて採り、松前より來る、毛色、白質、K章、形、膃肭獸に似たり」。〔0033-1〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「あざ-らし【海豹】〔名〕@アザラシ科の哺乳類の総称。アシカやオットセイに似ているが、外耳はない。四つあしは毛でおおわれ、爪がよく発達している。ひれ状の後ろあしは前に曲げられないが、魚の尾びれのように動かせる。体毛はかたく、綿毛はない。体長一・六〜一・七bで黒ないし黒褐色地に銭形の白斑紋のあるゼニガタアザラシ、体長一・五bで灰色地に小黒点があるゴマアザラシなど一九種があり、主に北洋と南極周辺にすみ、魚などを捕食する。皮・脂肪が利用される。ねつぶ。学名はPhocidaeAスキ―で、スキ―板の滑走面につけて滑り止めとして用いるアザラシの皮。シ―ルスキン。シ―ル。[語源説](1)もと蝦夷(えぞ)語〔和訓栞〕。(2)アサラシ(磯鹿)から〔碩鼠漫筆・日本語源=賀茂百樹〕」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

所謂金百兩、鷲羽百尻、七間々中徑水豹皮、六十余枚、安達絹千疋、希婦細布二千端糠部駿馬五十疋、白布三千端、信夫毛地摺千端等也《訓み下し》所謂円)金百両、鷲ノ羽百尻、七間間中径リノ水豹ノ皮、六十余枚、安達絹千疋、希婦ノ細布二千端、糠部ノ駿馬五十疋、白布三千端、信夫毛地摺千端等ナリ。《『吾妻鏡』文治五年九月十七日の条》

 

2002年12月29日(日)晴れ。東京(八王子)→南大沢

切付(きっつけ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

切付(キツヽケ)一括(ヒトクヽリ)ト〔静嘉堂本327八〕

※元亀本は、行者〔325五〕から郷談〔328六までの語を脱写〕

とあって、標記語「切付」の語を収載し、語注記に「一括りと曰ふ」と記載する。この語注記は、下記に示す広本節用集』の注記と同様に、真字注からの引用継承といえるものである。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「切付」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、標記語「切付」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

切付(キツツケ/せツフ)[入・去]鞍具。一括(ヒトクヽリ)ト也。〔器財門817二〕

とあって、標記語「切付」の語をもって収載し、語注記に「鞍具。一括りと云ふなり」と記載する。この注記は下記に示す真字注に共通し、ここからの引用継承と考察した。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

切付(キツツケ)鞍具。・財宝219七〕

切付(キツツケ)鞍具。・財宝183七〕

切付(キツツケ)鞍具。・財宝173四〕

とあって、標記語「切付」の語をもって収載し、語注記は広本節用集』に従い「鞍具」と記載する。また、易林本節用集』には、

切付(キリツケ)鞍具。―立(タテ)(同)鞍―。〔器財188五〕

とあって、標記語「切付」と「」の二語をもって収載し、語注記は広本節用集』に従い「鞍具」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書中、『運歩色葉集』と広本節用集』に共通注記が収録されており、これは下記に示す真字注からの引用継承の語と考えられるものである。ここで「いふ」の表記を『運歩色葉集』が「曰」の表記に置換しているのに対し、広本節用集』は真字注と同じく「云」の表記をもって記載するところが異なりである。また、両古辞書とも、一二点で返る文体にしていることも辞書形態と注釈書形態との差異として注目しておきたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

385鹿子切付 一括云也。〔謙堂文庫藏三八左C〕

※『庭訓往来註』卯月十一日の状に、265佐渡沓・伊勢切付 切付ハ一ト括クヽリト可申。〔謙堂文庫藏二九右E〕とも見えている。

とあって、標記語「切付」の語注記は、「一括を云ふなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「切付」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(とら)皮鹿子(かのこ)切付(きつゝけ)皮鹿子切付 (きつゝけ)とも書。したくらとも云。馬の脊に(はだつけ)を置、其上に切付、其上に鞍を置也。〔49ウ・五〕

とあって、標記語「切付」の語注記は、「とも書く。したくらとも云ふ。馬の脊に脊を置き、其の上に切付、其の上に鞍を置くなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大房(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大房細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨切付(したくら)也。凡(およそ)馬の背(せ)に施(ほどこ)す先(まつ)(はだつけ)。次に切付(きりつけ)次に鞍(くら)を置(を)く也。〔三十七オ四・五〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を切付(したくら)也。凡(およそ)馬の背(せ)に施(ほどこ)す先(まつ)(はだつけ)。次に切付(きりつけ)次に鞍(くら)を置(を)く也。〔66オ三〕

とあって、標記語「切付」の語注記は、「切付は、なり。凡そ馬の背に施こす。先づ、次に切付。次に鞍を置くなり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qittcuqe.キッツケ(切付) 鞍の下に付いているある種の裏地であって,獸皮とか,柳の枝を葛籠(Tcuzzura)のように編んだ物とかで出来ているもの.⇒次条.〔邦訳510l〕

とあって、標記語「切付」の語を収載し、意味は「鞍の下に付いているある種の裏地であって,獸皮とか,柳の枝を葛籠(Tcuzzura)のように編んだ物とかで出来ているもの」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きッ-つけ(名)【切附】〔毛皮を切りつくる意にもあるか〕下鞍(したくら)の條を見よ。物具装束抄、和鞍具事「尺泥障、切付之時用之、大滑之時不之」飾抄、下、和鞍「切付、四位已上豹皮、五位已下虎皮」〔0473-1〕

とあってこの語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きっ-つけ【切付】〔名〕@馬具の名。下鞍(したぐら)の一種。二枚重ねを普通とし、上を切付、下を肌付(はだつけ)と区別することもある。馬の背や両脇を保護するもの。行騰切付(むかばききっつけ)、円切付(まるきっつけ)の類がある。A「きりつけせった(切付雪駄)」に同じ」と標記語「きり-つけ【切付】〔名〕@切りつけること。Aいろいろな形に裁ち切った布地に美しい糸でかがりつけて、模様としたもの。切付模様。きりふせ。B「きりつけひょうし(切付表紙)」の略。C取引相場で、客が追敷銀(おいじぎん)の要求に応じない時、仲買人がその物件を自由に処分すること。D→きっつけ(切付)」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

馬気良丸申寮御馬也、金地鞍小総鞦<略>片貌切付《『玉葉』建久五(1194)年四月一七日》

一、佰文、四御殿の斬付の唐鹿代《『高野山文書』―応永十八(1411)年九月二十日・天野社造營料足結解状(大日本古文書三・四九九)》

 

2002年12月28日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川駒沢)

鹿子(かのこ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

鹿子(カノコ)鹿。〔元亀本93十〕

鹿子(カノコ)〔静嘉堂本116五〕

鹿子(カノコ)〔天正十七年本上57オ七〕

とあって、標記語「鹿子」の語を収載し、元亀本の語注記に「鹿」とだけ記載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ鹿子(カノコ)切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

カコ(スイ)同。〔黒川本・動物上76オ三〕

カコ。鹿也。已上同。〔卷第三・動物173二〕

とあって、標記語「」「」の語をもって収載し、十卷本は、これに「」の語を増補し、語注記に「鹿なり」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「鹿子」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

(カノコ)〔氣形74三〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書にあって、『運歩色葉集』にだけ「鹿子」とあり、これは古写本『庭訓徃來』に見え、下記に示す真字注からも、この「鹿子」の語をもって収載したものであることが明らかである。また、『色葉字類抄』の系統としては、「」の語をもって収載する易林本節用集』がある。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

385鹿子切付 一括云也。〔謙堂文庫藏三八左C〕

とあって、標記語「鹿子」の語注記は、「一括りを云ふなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「鹿子」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(とら)鹿子(かのこ)切付(きつゝけ)鹿子切付 (きつゝけ)とも書。したくらとも云。馬の脊に(はだつけ)を置、其上に切付、其上に鞍を置也。〔49ウ・五〕

とあって、標記語「鹿子」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大房(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大房細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨ハ鹿(しか)に似(に)て小(ちひさ)く角(つの)なし。其皮(かハ)(やハらか)にして美(び)也。鹿子ハ鞍褥(くらしき)也。〔三十七オ四〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)をハ鹿(しか)に似(に)て小(ちひさ)く角(つの)なし。其皮(かハ)(やハらか)にして美(び)也。鹿子ハ鞍褥(くらしき)也。〔66オ二〕

とあって、標記語「鹿子」の語注記は、「鹿子は、鞍褥なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Canoco.カノコ(鹿の子) 鹿の子ども,または,小柄な鹿.〔邦訳91l〕

Canoco.カノコ(鹿の子) 色染した着物(quimoe~s)に白いまま残してある斑点,あるいは,

白い紋.※別にqimois(Cataitaの条)の例もあり,共にquima~oの複数形.葡語化したこれらの形によって,当時の日本語に,すでに“キモン”の形があったと推定される.着物は,当時“キルモノ”と言うのが普通であったが,別条Qimonoのように“キモノ”とも言った.それが転じて“キモン”となったろうことは,“辛物”をCaramonと写した事実から類推される.上述のquima~oなどは,それに基づくものと見られる.〔邦訳91l〕

とあって、標記語「鹿子」の語を収載し、意味は二つあって、「鹿の子ども,または,小柄な鹿」と「色染した着物(quimoe~s)に白いまま残してある斑点,あるいは,白い紋」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かの-(名)【鹿子】(一)鹿(しか)の子(こ)。鹿兒(かご)。庭訓徃來、六月「虎皮、鹿子切附」(二)次條の語の略。東海道名所記(萬治)六「芥子、鹿子、摺縫の手を盡し」「總がのこ」緋がのこ」。〔0397-1〕

と収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かの-こ【鹿子】〔名〕@鹿(しか)の子。転じて、鹿。かご。《季・夏》A「かのこまだら(鹿子斑)」の略。B「かのこしぼり(鹿子絞)」の略。C「かのこもち(鹿子餅)」の略。D「かのこあし(鹿子足)」の略。E植物「かのこゆり(鹿子百合)」の略。F植物「かのこそう(鹿子草)」の略」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

 

2002年12月27日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

鞍覆(くらおほい)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

鞍覆(クラアヲリ)〔元亀本190十〕

鞍覆(クラヲヽイ)〔静嘉堂本215四〕

鞍覆(クラヲヽイ)一ツ二ツト云。〔天正十七年本中1ウ七〕

補遺「獸名」部に、標記語「鞍覆」の語を収載し、語注記は、天正十七年本だけに「一つ二つと云ふ」と記載が見られる。この注記は下記に示す真字注と共通しないことから、再度注記の典拠検証を必要とするものである。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

鞍把クラヲホヒ〔黒川本・雜物中75オ六〕

鞍把(クラヲホイ)〔卷第六・雜物410五〕

とあって、標記語「鞍把」の語をもって収載し、語注記は未記載とする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「鞍覆」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

鞍覆(クラヲヽイ/アンフク)[平・去]〔器財門505七〕

とあって、標記語「鞍覆」の語をもって収載し、語注記は未記載とする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鞍覆(―ヲヽイ)・財宝159四〕

鞍覆(クラヲヽイ)・財宝131二〕〔・財宝120三〕〔・財宝146二〕

とあって、標記語「鞍覆」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

鞍蓋(クラオホヒ)〔器財131五〕

とあって、標記語「鞍蓋」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「鞍覆」とがあり、これは古写本『庭訓徃來』にも見え、下記に示す真字注は、「鞍覆」の語をもって収載する系統のものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

384鞍覆 百歩威|。又呼曰。夜一目光、一目、狩人射之光落地、成白石ト|云々。〔謙堂文庫藏三八左B〕

とあって、標記語「鞍覆」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「鞍覆」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ひやう)(かわ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)豹皮鞍覆 鞍處とも云。鞍の前後の輪をかゝりやうにする也。〔49ウ四・五〕

とあって、標記語「鞍覆」の語注記は、「鞍處とも云ふ。鞍の前後の輪をかゝりやうにするなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大房(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大房細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨ハ鹿(しか)に似(に)て小(ちいさ)く角(つの)なし。其皮(かハ)(やわらか)にして美(び)也。鞍覆ハ鞍褥(くらしき)也。〔三十七オ四〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)をハ鹿(しか)に似(に)て小(ちひさ)く角(つの)なし。其皮(かハ)(やハらか)にして美(び)也。鞍覆ハ鞍褥(くらしき)也。〔66オ二〕

とあって、標記語「鞍覆」の語注記は、「鞍覆は、鞍褥なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Curauouoi.クラヲヽイ(鞍覆) 鞍の上覆い.〔邦訳169r〕

とあって、標記語「鞍覆」の語を収載し、意味は「鞍の上覆い」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くら-おほひ(名)【鞍覆】馬氈(バセン)の古名。天治字鏡、十二29「鞍 久良於保比」(倭名抄、同じ)。〔0554-3〕

とあって、「くら-おほひ【鞍覆】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「くら-おおい【鞍覆】〔名〕騎乗しない引馬(ひきうま)の鞍の上から鐙(あぶみ)にかけて覆うう布帛。鞍掛具」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

兒乘せ奉らんとて、月毛なる馬に沃懸地の鞍置きて、大斑の行縢、鞍覆にしてぞ出で來る。《『義經記』(室町中頃)一・遮那王殿鞍馬出の事》

 

2002年12月26日(木)晴れ。奥秩父→千葉(幕張)→世田谷(駒沢)

(くじか)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部と補遺「獸名」部に、標記語「」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(シヤウ)クシカ/云章。同/又作(クヰン)〔黒川本・動物中73オ三〕

鹿章クシカ。六章/亦作。鹿属之。同/居箔反/亦作〔卷第六・動物394三〕

とあって、標記語「(鹿章)」と「」の語をもって収載し、語注記に「音章、亦作す。(鹿これに属す)」と「また、と作す」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

麒麟(キリン)。仁獸也。聖人之時出現ス。不(フマ)生草(ナマシキクサ)ノ。有一角(ヒトツノツノ)(ハシ)ニ(ニク)。盖為不害せ物ヲ也。格物論ニ曰麒麟(クシカ)身馬足。牛尾黄色圓蹄。一角ナリ。々端肉高一丈二尺。含(フクン)テ仁抱。行歩中。折旋中。音中(アタル)鐘呂必擇土。翔而後。不(フマ)ケル。不(ナマシキ)。不群居。不旋行(メクリユク)ヲ。不陥穽(カンセイ)ヲ。不。中国聖人。則來麟鳳五霊。王者之嘉瑞ニシテ而麟為。牝。牡異名。仁獸。霊獸。一角五蹄。又云。〔氣形門815一〕

とあって、標記語「麒麟」の語の注記に『格物論』の引用語句として「(クシカ)」を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(クジカ)・畜類119四〕〔・畜類144八〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(クジカ)〔氣形129六〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「」とがあり、これは古写本『庭訓徃來』にも見え、下記に示す真字注は、「」の語をもって収載する系統のものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

384鞍覆 百歩威|。又呼曰。夜一目光、一目、狩人射之光落地、成白石ト|云々。〔謙堂文庫藏三八左B〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ひやう)(かわ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)豹皮鞍覆 鞍處とも云。鞍の前後の輪をかゝりやうにする也。〔49ウ四・五〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大房(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大房細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨ハ鹿(しか)に似(に)て小(ちいさ)く角(つの)なし。其皮(かハ)(やわらか)にして美(び)也。鞍覆ハ鞍褥(くらしき)也。〔三十七オ四〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)をハ鹿(しか)に似(に)て小(ちひさ)く角(つの)なし。其皮(かハ)(やハらか)にして美(び)也。鞍覆ハ鞍褥(くらしき)也。〔66オ二〕

とあって、標記語「」の語注記は、「は、鹿に似て小さく角なし。其の皮、軟らかにして美なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-じか(名)【】〔くは、(キン)の音轉ならむ(庭訓(テイクン)、ていきん。汗衫(カンサム)、かざみ。案内、あない)〕鹿に似て、小さくして、角なく、毛の、黄Kなるもの、雄に牙あり、皮、極めて柔にして、用、多しと云ふ、和産、無し。字鏡66、「、久自加」倭名抄十八21、毛群名「、一名、久之加」箋注倭名抄、七59注「説文、屬、李時珍曰、、云云、似鹿而小、無角、黄K色、云云、雄者有牙、出口外ふさしりがいの條を見よ。〔0317-1〕

とあって、「-じか(名)【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「く-じか【】〔名〕@「きばのろ(牙)」の古名。A@の皮」とあって、Aに『庭訓往来』の語用例を記載する。

[ことばの実際]

クシカ如何、也。カマシシノカマ反リテカ也。カシカヲクシカトイヘル歟。又カモ反リテコ也。コシカヲクシカトイヘル歟。《『名語記』(1275年)八》

 

2002年12月25日(水)晴れ。東京→奥秩父

腹帯(はるび)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

腹帯(ハルビ)手綱――曰一具。又曰一筋也。〔元亀本25八〕

腹帯(―ヲヒ)手綱。――曰一具。又一筋云。〔静嘉堂本23五〕

腹帯(ハラヒ)手綱。曰一具。又一筋云。〔天正十七年本上12ウ八〕

補遺「獸名」部に、標記語「腹帯」の語を収載し、語注記に「手綱。腹帯一具と曰ふ。又、一筋と曰ふなり」と記載する。この注記内容は、下記に示す真字注とは共通でないことからして、再度注記の典拠検証が必要と言えよう。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「腹帯」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、標記語「腹帯」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

腹帶(ハルビ/フクタイ・―,ヲビ)[入・去]。或作(ハルヒ)ト〔器財門59五〕

とあって、標記語「腹帯」の語をもって収載し、語注記に「或作○」形式で別表記「」の字を示す。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

腹帯(ハルビ)同(馬具)。・財宝21四〕

腹帯(ハルヒ)・財宝19六〕〔・財宝18一〕

腹帯(ハルビ)・財宝22三〕

とあって、標記語「腹帯」の語をもって収載し、語注記は弘治二年本にだけ「馬具」と記載する。また、易林本節用集』には、

腹帶(ハルビ)(同=ハルヒ/ヱン)馬帶。〔氣形19五〕

とあって、標記語「腹帯」と「」の二語をもって収載し、語注記は「馬帶」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書には「腹帯」とがあり、これは古写本『庭訓徃來』にも見え、下記に示す真字注は、「腹帯」の語をもって収載する系統のものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

382大形鞦細筋手縄腹帯 手縄七尺五寸ル∨。周穆王狩時自深山老猿申樣、今日我番當也。命云。王听其日休也。彼猿毛ナル布施也。王弓ニテ引給也。自是尺定也。腹帯也。〔謙堂文庫藏三八左@〕

とあって、標記語「腹帯」の語注記は、「腹帯は、馬に依るなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ腹帯(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「腹帯」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

細筋(ほそすぢ)腹帯(ハルビ)細筋腹帯 細筋ハ染形なり。腹帯ハ轡の蛇口(へひくち)に結ひつけて手に持馬をつかふ物也。長サは八尺又九尺二三寸にする也。〔49ウ二・三〕

とあって、標記語「腹帯」の語注記は、「腹帯は、轡の蛇口に結ひつけて手に持ち馬をつかふ物なり。長さは、八尺、また九尺二三寸にするなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大房(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大房細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨腹帯ハ馬乃腹(はら)を廻(まハ)し鞍(くら)の上にてしむるもの。〔三十七オ三〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を腹帯ハ馬の腹(はら)を廻(まハ)し鞍(くら)の上にてしむるもの。〔65ウ六〜66オ一〕

とあって、標記語「腹帯」の語注記は、「腹帯は、馬の腹を廻し鞍の上にてしむるもの」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Farubi.ハルビ(腹帯) 馬の帯,または,馬の腹帯.※原文のsilhaはcilhaに同じ.次条や羅葡日のCingulaの条などに用例がある.→Catame,uru.〔邦訳210l〕

とあって、標記語「腹帯」の語を収載し、意味は「馬の帯,または,馬の腹帯」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はる-(名)【腹帯】〔はらおびの約〕馬具。古言、はらおび。はろび。はらおび(腹帶)の條の(三)を見よ。倭名抄、十五1鞍馬具「纏、波良於比、馬腹帶也」字鏡33、「、波呂比」書言字考節用集七、器財門「、腹帶、ハルビ」盛衰記、三十五、高綱渡宇治川事「殿の馬の腹帶(はるび)は、以ての外にゆるまって見ゆるものかな、云云、腹帶を解いて、引詰め引詰めしける間に」 平家物語、九、宇治川事「腹帶(はるび)の延びて見えさうぞ、縮め給へと云ひければ、云云、腹帶を解いてぞ締めたりける」〔1640-2〕

とあって「はる-(名)【腹帯】」語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はる-び【腹帯】〔名〕(「はらおび」の変化した語)@鞍橋(くらぼね)を置くために馬の腹にめぐらす帯。布または、麻縄(おなわ)を用いる。A長持につける白布の緒」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

中にも帥律師則祐は、馬を踏み放ちて徒歩立ちに成り、矢束解きて押しくつろげ、一枚楯の陰より、引き詰め引き詰め散々に射けるが、矢軍ばかりにては、勝負を決すまじかりと一人言して、脱ぎ置いたる鎧を肩に懸け、冑の緒を締め、馬の腹帯を堅めて、ただ一騎、岸より下に打ち下ろし、手綱掻い繰り渡さんとす。《『太平記』卷第八・三月十二日合戦の事》

 

2002年12月24日(火)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

手綱(たづな)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

手綱(―ツナ)七尺五寸也。但依馬。一具云。又一筋トモ云。〔元亀本137六〕

手綱(タヅナ)七尺五寸也。但依馬。一具云。又一筋云。〔静嘉堂本145六〕

手綱(タツナ)七尺五寸也。但依馬。一具云。又筋云。〔天正十七年本中4ウ八〕

とあって、標記語「手綱」の語を収載し、語注記に「七尺五寸なり。但し、馬に依る。一具と云ふ。又一筋とも云ふ」と記載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、真字本の表記と共通する古写本は経覺筆本となっている。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

タツナ同。手綱同/俗用之。〔黒川本・雜物中5オ八〕

タツナ/―馬手綱已上同。〔卷第四・雜物409六〜410一〕

とあって、標記語「」「」「手綱」の三語をもって収載し、三卷本が「」としているところを十巻本は、「」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

手繩(タナワ)〔器財門117二〕

とあって、標記語「手繩」の語をもって収載するに留まり、標記語「手綱」の語は未収載にする。次に広本節用集』には、

手綱(タヅナ/シユウカウ・テ,ヲヽヅナ)[上・平]。或作手繩(タヅナ)ト〔器財門342二〕

とあって、標記語「手綱」の語をもって収載し、語注記に「或作○○」の形式により、「手繩」の語を別表記として注記する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

手綱(タナワ/タヅナ)馬。或作手縄。兩物而同字也/七尺五寸一具トシ一筋トモ云也。・財宝101八〕

手綱(タヅナ)又作手縄タナワトモヨム・財宝94三〕

(タツナ)又作手縄。・財宝86二〕

手綱(タツナ)又作手縄。・財宝104二〕

とあって、標記語「手綱」の語をもって収載し、語注記は弘治二年本に「馬。或は手縄と作す。兩物にして同字なり。七尺五寸、一具とし一筋とも云ふなり」と記載する。また、易林本節用集』には、

手綱(タヅナ)(同)(同)〔器財92一〕

とあって、『色葉字類抄』とは排列は異にするが同じ標記語「手綱」「」「」の三語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「手綱」の収載が見られ、これは古写本『庭訓徃來』にも見え、下記に示す真字注の「手縄」の語を同語異表記として収載する『節用集』類系統がここには見られるのである。この意味から真字注の表記が『下學集』から影響していると考えてよかろう。そして、『下學集』自体には、語注記が無いのに対し、下記真字注には詳細な注記が成されていること。その意味から増補注記となるこの語原説話の素を求めねばなるまい。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

382大形鞦細筋腹帯 手縄七尺五寸ル∨。周穆王狩時自深山老猿申樣、今日我番當也。命云。王听其日休也。彼猿毛ナル布施也。王弓ニテ引給也。自是尺定也。腹帯也。〔謙堂文庫藏三八左@〕

とあって、標記語「手綱」の語注記は、「手縄七尺五寸に亊は爲る。周の穆王、狩の時深山より老猿出でて申す樣は、今日我が番に當るなり。命を助け給へと云ふ。王听て其の日を休むなり。彼の猿、毛なる馬を布施に献ずるなり。王、弓の弦にて馬を引き給ふなり。是れより尺定むなり。腹帯は、馬に依るなり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「手綱」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

細筋(ほそすぢ)手綱(たづな)細筋手綱 細筋ハ染形なり。手綱ハ轡の蛇口(へひくち)に結ひつけて手に持馬をつかふ物也。長サは八尺又九尺二三寸にする也。〔49ウ二・三〕

とあって、標記語「手綱」の語注記は、「手綱は、轡の蛇口に結ひつけて手に持ち馬をつかふ物なり。長さは、八尺、又九尺二三寸にするなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大房(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大房細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨▲細筋手綱細筋(ほそすぢ)ハ染形(そめかた)也。手綱ハ轡(くつわ)の蛇口(へひぐち)に施(ほどこ)して馬をあやどるもの。〔三十七オ三〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を▲細筋手綱細筋(ほそすぢ)ハ染形(そめがた)也。手綱ハ轡(くつわ)の蛇口(へひくち)に施(ほどこ)して馬をあやどるもの。〔65ウ六〜66オ一〕

とあって、標記語「手綱」の語注記は、「手綱は、轡の蛇口に施して馬をあやどるもの」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tazzuna.タヅナ(手綱) 馬の手綱.§Tazzunauo yurusu.(手綱をゆるす)手綱をゆるめる.§Tazzunauo ficayuru.(手綱を控ゆる)手綱を引っ張る.§Tazzunauo caicuru.(手綱を掻い繰る)手綱を手にくるくる巻きつける.§また,Tazzuna(手綱)Xitavobi(下帯)に同じ.褌(ふんどし).〔邦訳620l〕

とあって、標記語「手綱」の語を収載し、意味は「馬の手綱」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-づな(名)【手綱】(一)麻布二條を別ちて、各其一端を、馬の轡の左右に繋け、馬に乘れる者、これを取りて、馬を進退せしむるもの。くつわづら。後世、公卿は平絹、武家は麻布、各色色に染む。手綱染と云ふあり。馬名義抄、タヅナ」吉槐記(吉田定房)乾元二年正月十四日「八幡行幸、検非違使別當、K鞍用轡鈴、紺布手綱」(二)立烏帽子、侍烏帽子に鉢卷する布。結ひ固むるなり。抹額。盛衰記、三十四、木曾可追討由事「さしもの院宣の御使に、小袴に懸直垂、烏帽子に手綱打たせて」曾我物語、九、敵討條「十郎は白き手綱を以て、鉢にかきつつ、白帷の腋を深くかいたる」(三)相撲取る時など、陰部を掩ひ、腰を縛る布。力綱とするなり。音便に、たんなと云ふ。その縛るを絡(か)くと云ふ。褌。曾我物語、一、相撲事「股野が前〓(糸+老)(まへほろ)をつかんで、差しつけ、荒くも働かば、たづなも腰も切れぬべし」鴉鷺合戰物語、七、鎧着用次第「一番手綱、二番小袖、三番大口」守武千句「手綱をば、かかず袴は、綻びて」新撰犬筑波集、雜「手綱もかかぬ、高砂の松」潮風に、ふらめきわたる、松ふぐり」〔1223-3〕

と収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「た-づな【手綱】〔名〕@馬具の一つ。馬の轡(くつわ)の左右に結びつけ、騎乗者が手にとって馬を操縦する綱。縄または布、組緒の類を用い、その質や染色により唐糸手綱、縄手綱、紺手綱、絞手綱などの名がある。くつわづら。たんな。A転じて、勝手な行動をしないように注意して見張る気持をたとえていう。Bふんどし。室町時代から江戸時代の初めにかけて用いた語。C月経帯のこと。昔は紙で手製の丁字帯を作って用いたが、これを「お馬」と俗称したところからいう。D「たづなぞめ(手綱染)」の略」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

此間、基清所從、取刀切件馬鞦手綱奔行《訓み下し》此ノ間ニ、基清ガ所従、刀ヲ取リ件ノ馬ノ鞦手綱ヲ切ツテ奔リ行ク。《『吾妻鏡』元暦二年五月十七日の条》

 

2002年12月23日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

細筋(ほそすぢ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、「細引、細口、細路」の三語を収載し、標記語「細筋」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「細筋」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「細筋」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「細筋」の語は全く収載が見えず、下記の『日葡辞書』がこの語を収載するのみであり、『日葡辞書』が直接古写本『庭訓徃來』から収録したものなのかということは、今後の精査を必要とする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

382大形細筋手縄腹帯 手縄七尺五ル∨。周穆王狩時自深山老猿出申樣、今日我番當也。命云。王听其日休也。彼猿毛ナル布施也。王弓ニテ引給也。自是尺定也。腹帯也。〔謙堂文庫藏三八左@〕

とあって、標記語「細筋」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「細筋」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

細筋(ほそすぢ)手綱(タヅナ)細筋手綱 細筋ハ染形なり。手綱ハ轡の蛇口(へひくち)に結ひつけて手に持馬をつかふ物也。長サは八尺又九尺二三寸にする也。〔49ウ二・三〕

とあって、標記語「細筋」の語注記は、「細筋ハ染形なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨細筋手綱細筋(ほそすぢ)ハ染形(そめかた)也。手綱ハ轡(くつわ)の蛇口(へひぐち)に施(ほどこ)して馬をあやどるもの。〔三十七オ三〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を細筋手綱細筋(ほそすぢ)ハ染形(そめがた)也。手綱ハ轡(くつわ)の蛇口(へひくち)に施(ほどこ)して馬をあやどるもの。〔65ウ六〜66オ一〕

とあって、標記語「細筋」の語注記は、「細筋は、染形なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fososugi.l,fososugina.ホソスヂ.または,ホソスヂナ(細筋.または,細筋な) 細長くて狭い(もの).例,Fososugina catana.(細筋な刀)刃の狭い刀(Catana).〔邦訳265l〕

とあって、標記語「細筋」の語を収載し、意味は「細長くて狭い(もの)」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「ほそ-すぢ(名)【細筋】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ほそ-すじ【細筋】〔名〕@(形動)細い線。模様の線や物の筋の細いさま。また、そのもの。A細い糸の筋。細糸。B染模様で、細い紺筋がいく筋も重なっているもの。」とあって、『庭訓往来』の語用例を記載する。

[ことばの実際]

《》

 

2002年12月22日(日)曇り。東京(八王子)→板橋(国立国語研究所)→世田谷(駒沢)

大房鞦(おほぶさのしりがひ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部には「大人、大口、大鼓、大概、大抵、大宮、大路、大麻、大隅、大呑、大臣、大鋸」の14語を収載するが、標記語「大房{形}」の語を未収載にし、また「志」部に、

(シリガイ)連索―冨士野往来/一懸云也。〔元亀本333六〕

(――)連索 冨士野往来/一懸云也。〔静嘉堂本397六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「連索―冨士野往来一懸云也」と記載する。この「一懸と云ふなり」の箇所は真字本の「金地鎧」の注記と共通することから何らかの継承による注記と考えてよかろう。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

シリカイ/又作〔黒川本・雜物下73オ一〕

シリカキ/車―也。亦作〔卷第九・雜物159五〕

とあって、「大房」の語は、未収載にし、標記語「」の語をもって収載し、語注記に「又作す」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

(シリガイ)〔器財門117一〕

とあって、標記語「」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

(シリカイ/シウ)〔器財門927三〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(シリガイ)・財宝242三〕〔・財宝208四〕

(シリカイ)・財宝192五〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(シリガヒ)〔氣形209七〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「」とある。なかでも、『運歩色葉集』の注記内容が着目されてくる。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

382大形細筋手縄腹帯 手縄七尺五ル∨。周穆王狩時自深山老猿出申樣、今日我番當也。命云。王听其日休也。彼猿毛ナル布施也。王弓ニテ引給也。自是尺定也。腹帯也。〔謙堂文庫藏三八左@〕

とあって、標記語「大房鞦」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「大房鞦」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大形(オホブサノシリガイ)大形 馬の尾筒(をつゝ)をはさみ物付(もつつけ)捕付(とつゝけ)に結て鞍を堅(かたむ)る物也。〔49ウ一・二〕

とあって、標記語「大房鞦」の語注記は、「馬の尾筒をはさみ物付捕付に結ひて鞍を堅むる物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨ハ馬の尾(を)の間を夾(はさ)むもの。〔三十七オ二・三〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)をハ馬の尾(を)の間を夾(はさ)むもの。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「大房鞦」の語注記は、「は、馬の尾の間を夾むもの」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xirigai.シリガイ(鞦) 馬の鞦.〔邦訳778l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「馬の鞦」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おほ-ぶさ(名)【大總】ふさしりがいの條を見よ。〔0317-1〕

しり-がひ(名)【鞦】次條の語の音便。宇津保物語、樓上、下59「御車、云云、しりがいにも、唐草の形を繍(ぬ)はせ給へり」枕草子、九、百十段「車、云云、牛のしりがいの香の、あやしう嗅ぎ知らぬさまなれど」〔1024-2〕

しり-がき(名)【鞦】〔尻繋の義〕馬具の名、今、音便に、しりがいと云ふ、おしかけの條の(二)を見よ。倭名抄、十一4車具「鞦、之利加岐、車鞦、所以制牛後也」字鏡33「鞦、尻加支」〔1024-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おお-ぶさ【大房・大総】〔名〕@多くの糸を束ね、先端を大きく散らして垂らしたもの。大きなふさ。A鞦(しりがい)、鞅(むながい)、面繋(おもがい)などの馬具に大きく垂らしたふさ。厚総(あつぶさ)。B房楊枝(ふさようじ)の大きなもの」と「しり-がい【鞦】〔名〕(「しりがき(鞦)」の変化した語)@馬具の緒所(おどころ)。馬の頭・胸・尾に繋(つな)げる緒の総称。材質や製法によって革鞦、糸鞦、組鞦、畦鞦、織鞦があり、装飾に総(ふさ)を垂らした総鞦に連著(れんじゃく)と辻総(つじふさ)があり、連著の総の大小厚薄によって厚総(あつぶさ)と小総の別があり、制作地によって上総鞦、仙台鞦などがある。三繋(さんがい)。押掛(おしかけ)A三繋(さんがい)のうち、特に馬の尾の下から後輪(しずわ)の(しおで)に繋げる緒。B牛の胸から尻にかけてとりつけ、車の轅(ながえ)を固定させる緒」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

一ノ御馬〈蒔ノ鞍ヲ置キ、総鞦ヲ懸ク〉《『吾妻鏡』寛喜二年正月四日の条》

※「しりがい【鞦】」についてはことばの溜め池(2000年5月27日)参照。

 

2002年12月21日(土)曇りのち雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→新宿→板橋(国立国語研究所)

白磨轡(しらみがきのくつは)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「白鬼女、白拍子、白木綿、白河瀧」の四語を収載するが、標記語「白磨轡」の語を未収載とする。そして、「久」部に、

(クツハ)〔元亀本198一〕〔静嘉堂本224七〕

(クツハ)〔天正十七年本中1ウ七〕

とあって標記語「」の語で収載が見られる。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(せン)シラミガキノクツハノウムマ/四踊皆白四―/俗呼為踏雪馬。同。〔黒川本・動物上93オ三〕

白磨轡(シラミガキノクツハ)〔卷第四・動物507三〕

とあって、標記語「白磨轡」の語をもって収載し、三卷本」の語注記には、「俗に云く柑子栗毛是れなり。また曰く乕毛馬なり」と「白磨轡」の語を記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

白磨轡(シラミガキノクツハ)〔彩色門137三〕

とあって、標記語「白磨轡」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

白磨轡(シラミガキノクツハ/せツタフ・ユキ,フム)[入・入](ムマ)毛。或作白磨轡。〔光彩門317一〕

とあって、標記語「白磨轡」の語をもって収載し、語注記に「馬の毛。或は白磨轡と作す」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

白磨轡(シラミガキノクツハ)毛――。・畜類91八〕

白磨轡(シラミガキノクツハ)馬毛。・畜類88一〕

白磨轡(シラミガキノクツハ)馬毛。・畜類79八〕〔・畜類96一〕

とあって、標記語「白磨轡」の語をもって収載し、語注記は「馬毛」と記載する。また、易林本節用集』には、

白磨轡(シラミガキノクツハ)〔氣形98一〕

とあって、標記語「白磨轡」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「白磨轡」とがあり、これは古写本『庭訓徃來』にも見え、下記に示す真字注は、「白磨轡」の語をもって収載する系統のものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

381白磨轡 一口云也。〔謙堂文庫藏三八右I〕

とあって、標記語「白磨轡」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「白磨轡」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白磨(しらみかき)(くつわ)白磨 馬の口にふくませ手綱(たつな)立幕(たちまく)をつける物なり。〔49ウ一〕

とあって、標記語「白磨轡」の語注記は、「馬の口にふくませ手綱、立幕をつける物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨白磨轡ハ爪白(つまじろ)の馬也。四足(よつあし)白きをもいふ。〔三十六ウ四〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨白磨轡ハ爪白(つまじろ)の馬也。四足(よつあし)白きをもいふ。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「白磨轡」の語注記は、「白磨轡は、爪白の馬なり。四足白きをもいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yotcujiro.シラミガキノクツハ(白磨轡) .〔邦訳831l〕

とあって、標記語「白磨轡」の語を収載し、意味は「」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「しらみがきの-くつは(名)【白磨轡】」の語は未収載にし、「くつは(名)【轡】」については、

くつは(名)【轡】〔口輪(クチワ)の轉(天治字鏡、十二29「勒、口和」沖繩にてくちば)馬銜(くつばみ)の輪の意にて、かがみが、元なる名の、かがみ、くくみの總稱となれるなるべし、轡(ひ)の字は、手綱なるを、くつわに慣用するなり、禮記、曲禮正義に「轡、御馬索也」とあり、『倭名抄』十五2鞍馬具「轡、久豆和豆良」と見ゆ〕(一){馬の口に附くる具。手綱をつけて、人、馬上にて執りて、馬を操縦する用のもの、二箇の鐵輪を、鐵條にて聯絡せしめ、鐵條を、馬の口中に含ましむ、これを、くつばみ、又、くくみ、はみと云ひ、(銜)左右の輪を、くつわのかがみと云ふ、()かがみの製、古今、種種あれど、輪中に十字形を作るを、常のものとす。勒。字鏡、三十三「勒、久豆和」同四十一「、久豆和」天治字鏡、九23「銜、宇馬乃口和」玄應音義「勒、馬銜也」(二)紋所の名。輪の中に、十字形を圖するもの。〔0535-5〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しらみがきの-くつわ【白磨轡】」は未収載とし、ただの「くつわ【轡】」」で、「くつわ【轡】〔名〕@馬の口にはませる金具。口の中に入れる噛(はみ)と、面懸(おもがい)にとりつける立聞(たちぎき)につづく鏡(かがみ)、手綱をつける承(みずつき)から成り、鉄または銅でつくられる。鏡の形状により、唐轡(からぐつわ)、鏡轡(かがみぐつわ)、杏葉轡(このはぐつわ)、出雲轡(いずもぐつわ)などの種類がある。また、材質により、鉄を磨いた白轡、銀銅の銀轡、金銅の金轡、漆(うるし)を塗った塗轡などの類がある。くつばみ。くくみ。A@につけて、馬の頭上から首にからみつける革や糸の飾りひも。おもがい。B@の承(みずつき)につけて、馬をあやつる綱。手綱。くつわづら。C紋所の名。馬のくつわをかたどったもの。轡。轡菱、内田轡、角轡、陰の轡、花轡などの種類がある。D遊女をかかえておく家。遊女屋。また、その家の主人。くつわや。ぼうはち。E和菓子の名。「あかだ」と同じく、江戸時代に尾張国(愛知県)津島で、津島神社の県祭(あがたまつり)に参詣する人の、厄病よけ、邪気払いのみやげとしてつくられたもの。油で揚げた米団子で、もと、馬のくつわの形をしていたので、この名がある」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

クツワ如何。轡也。カムタルノ反ハクツ也。ワハ輪也。又云、カムテフワノ反、カムフツワ同。《『名語記』(1275年)八》

 

2002年12月20日(金)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→有楽町(読売ホール)

金地鎧(かなじのあぶみ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、標記語「金地鎧」または「金地」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「金地鎧」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「金地鎧」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

金持(カナチ)・人名70六〕〔・人名84四〕

とあって、同音異義の標記語「金持」の語を収載し、語注記は未記載とする。

 このように、上記当代の古辞書にはすべて未収載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

380張-鞍料-ノ金地 一懸云也。〔謙堂文庫藏三八右I〕

とあって、標記語「金地鎧」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「金地鎧」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(れう)鞍橋(くらぼね)金地(かなぢ)(あぶミ)鞍橋金地 鐙ハ居木(いき)よりさけて馬の両腹にあたり人の足を置所なり。鐙をさけたる革(かわ)を逆靼(ちからかわ)といふなり。〔49オ七・八〕

とあって、標記語「金地鎧」の語注記は、「鐙は、居木よりさけて馬の両腹にあたり人の足を置所なり。鐙をさけたる革を逆靼といふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨ハ居木(いぎ)より馬(むま)の両脇(りやうわき)へ下(さ)げて乗(の)る人の足(あし)を受(うく)る具(ぐ)也。〔三十七オ二〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)をハ居木(いぎ)より馬(むま)の両脇(りやうわき)へ下(さ)げて乗(の)る人の足(あし)を受(うく)る具(ぐ)也。〔64ウ五〕

とあって、標記語「金地鎧」の語注記は、「は、居木より馬の両脇へ下げて乗る人の足を受くる具なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「金地鎧」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「かなぢの-あぶみ(名)【金地鎧】」は、未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かな-じ【金地】〔名〕地質を金属でつくったもの」とあって、『庭訓往来』のこの語用例を記載する。

[ことばの実際]

《》

※「あぶみ【鐙】」については、「武藏鐙(2001.12.02)」を参照されたし。

 

2002年12月19日(木)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

料鞍橋(レウのくらほね)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「礼」部と「久」部に、

鞍橋(―ホネ)〔元亀本190十〕

鞍橋(クラホネ)〔静嘉堂本215四〕〔天正十七年本中37オ四〕

とあって、標記語「」の語は未収載とし、標記語「鞍橋」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、文明四年本だけが「折之鞍橋」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

レウ 同。 〔黒川本・雜物中14オ四〕 鞍橋(クラホネ)〔黒川本・雜物中75オ六〕

レウ 同/―理也。〔卷第四・辞字512四〕 鞍橋クラホネ/装束馬也。〔卷第六・雜物410四〕

とあって、標記語「」と「鞍橋」との二語をもって収載し、十卷本」の語注記には、「料理なり」とし、「鞍橋」の語注記には「装束馬なり」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「」と「鞍橋」の語を未収載する。

 このように、上記当代の古辞書には「」は、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』に、「鞍橋」は、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』と『運歩色葉集』に見え、とりわけ古写本『庭訓徃來』と共通する語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

380張--ノ金地 一懸云也。〔謙堂文庫藏三八右I〕

とあって、標記語「料鞍橋」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「料鞍橋」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(れう)鞍橋(くらぼね)金地(かなぢ)(あぶミ)料鞍橋金地鎧 鐙ハ居木(いき)よりさけて馬の両腹にあたり人の足を置所なり。鐙をさけたる革(かわ)を逆靼(ちからかわ)といふなり。〔49オ七・八〕

とあって、標記語「料鞍橋」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨鞍橋ハ召料(めしりやう)の義。〔三十七オ一〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を鞍橋ハ召料(めしれう)の義。〔65ウ五〕

とあって、標記語「料鞍橋」の語注記は、「料鞍橋は、召料の義」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Curabone.クラボネ(料鞍橋) 鞍の骨組み.〔邦訳169l〕

とあって、標記語「料鞍橋」の語を収載し、意味は「鞍の骨組み」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

れう(名)【料】(一){其所用に供ふる物。まうけ。まけ。宇津保物語、藤原君21「このことおもむけしめ給へとて、此の御燈の料、みてぐらの料、皆取らせ給ひつ」「差し料の刀」飲み料の茶」(二)價の代(しろ)。代金。(三)爲(ため)平治物語、三、頼朝擧義兵事「那須の湯詣での料とて通り給ふ」〔2143-1〕

くら-ぼね(名)【鞍橋・鞍瓦】〔鞍骨の義。橋(ケウ)とは、居木の、前後の輪にわたるが、橋の如くなれば云ふか、字典「器之有横梁(よこはり)者、曰橋」瓦(ぐわ)とは、居木の背(せ)なり、左傳、昭公廿六年「射之中楯瓦」註「瓦、楯背」〕牛馬の鞍を構成せる骨組。其前後に、圓く高く作りつけて、兩脚、左右山形と云ひ、末を、鞍爪と云ふ。前なるを、前くらぼね、又、前輪(まへわ)と云ひ、後なるを、後(しづ)くらぼね、後輪(しづわ)、後輪(しりわ)、今は後輪(あとわ)と云ふ。前後輪の間に、低くなりて、人の跨がりて、尻のはまり居る所を、鞍壺(くらつぼ)と云ひ、其床(とこ)を居木(ゐぎ)、転じて、由木(ゆぎ)と云ふ。雄略紀、九年五月「鞍瓦(くらぼね)の後橋(しづくらぼね)」、皆相副舎人料鞍橋欽明紀、十五年五月、鞍前後橋(通釋「釋紀古點本に「まへつくらぼね、しづくらぼね」と訓ぜり」)鞍橋の君、此云矩羅膩(くらに)」(其條を見よ)天治字鏡、十二年29「鞍瓦、久良保禰」倭名抄、十五1鞍馬具「鞍橋、一云、鞍瓦、久良保禰」魏書、傅永傳「永有氣幹、拳勇過人、能手執鞍橋、倒立馳騁」保元物語、二、白河殿攻撃落事「鞍壺(くらつぼ)に血溜(ちたま)り、前輪は破れて、尻輪(しりわ)に、鑿の如くなる鏃、留(とま)れり」平家物語、四、橋合戰事「くらつぼに、よく乘定まって、鐙を強く蹈め」盛衰記、三十七、重衡卿虜事「家長、つと寄り、我が馬に掻乘せ奉り、差繩にて、鞍のしづわに締めつけて、我が身は乘替に乘てぞ歸りにける」平家物語、七、倶利伽羅落事「馬、川に入る「鞍爪(くらづめ)漬(ひた)るほどにて、云云、向ひの岸にぞ著きたりける」」東雅、八、器用、九、鞍「鞍瓦とは、俗にいぎとも、ゆぎとも云ふものにて、總てはこれを、くらぼねと云ふなり」雜字類編(文政、栗山弟、柴野貞穀以類「鞍瓦(クラノイギ)」)〔0556-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「くら-ほね【鞍橋・鞍骨】〔名〕@馬の背に身体を固定させる装置。前輪(まえわ)と後輪(しずわ)と居木(いぎ)からなる。鞍具の代表として一般に鞍ともいう。くらじ」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

一の赤くして老い痩せたる馬の漆の鞍橋(くらほね)の前に鉄有るに似たらむ。《『大慈恩三藏法師傳院政期點』(1080-1110年頃)一》

 

2002年12月18日(水)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

張鞍(はりくら)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部には、「張子、張弓」の二語を収載するのみにして、標記語「張鞍」の語は未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(ハリクラ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「張鞍」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「張鞍」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

張鞍(ハリクラ)〔器財19三〕

とあって、標記語「張鞍」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書のうち易林本節用集』だけが「張鞍」の語を収載していて、これは古写本『庭訓徃來』、下記に示す真字注の「張鞍」の語と共通するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

380--ノ橋金地 一懸云也。〔謙堂文庫藏三八右I〕

とあって、標記語「張鞍」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「張鞍」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)白橋黒漆張鞍 今鞍の前輪(まへわ)より後輪(あとわ)へ渡したる二枚の木を鞍橋とも鞍骨とも云。居木(いぎ)乃事也。張鞍とハ鞍を作るを張(はる)といふゆへ也。〔49オ二・三〕

とあって、標記語「張鞍」の語注記は、「張鞍とは、鞍を作るを張るといふゆへなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨張鞍(はる)とハ鞍(くら)(つく)るをいふの詞(ことば)とぞ。〔三十七オ一〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を張鞍(はる)とハ鞍(くら)(つく)るをいふの詞(ことバ)とぞ。〔65ウ四五〕

とあって、標記語「張鞍」の語注記は、「張鞍張るとは、鞍作るをいふの詞とぞ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Faricura.ハリクラ(張鞍) 鞍にぴったりとくっつけて皮を張った馬の鞍.〔邦訳209l〕

とあって、標記語「張鞍」の語を収載し、意味は「鞍にぴったりとくっつけて皮を張った馬の鞍」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はり-ぐら(名)【張鞍】革を張りたる鞍。狂言記、文藏「名馬に鞍おかせ、豹の皮のはりぐちに、虎の皮のきっつけに、熊の皮の障泥をさし」〔1637-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はり-くら【張鞍】〔名〕「はりかわぐら(張革鞍)」に同じ」→「はりかわ-ぐら【張鞍】〔名〕鞍橋(くらぼね)全体を革で張り包んだもの。はりぐら」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

公秀ニ馬二疋内 一疋カゲ、クロヌリノハリカハ鞍、一疋カゲ。ムカバキ一懸ナツゲ。ムカバキ一懸ナツゲ。クツ、テブクロ《『吾妻鏡』建久二(1191)年十一月二十二日の条》

 

2002年12月17日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

黒漆(くろぬり)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

黒漆(クロウルシ)〔元亀本192十〕〔静嘉堂本218三〕〔天正十七年本中38ウ三〕

とあって、標記語「黒漆」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「黒漆」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「黒漆」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書のうち『運歩色葉集』だけに「黒漆」の語があり、これは古写本『庭訓徃來』そして真字注の「黒漆」の語と共通するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「黒漆」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「黒漆」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)白橋黒漆張鞍 今鞍の前輪(まへわ)より後輪(あとわ)へ渡したる二枚の木を鞍橋とも鞍骨とも云。居木(いぎ)乃事也。張鞍とハ鞍を作るを張(はる)といふゆへ也。〔49オ二・三〕

とあって、標記語「黒漆」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨。〔三十六ウ五〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を〔65オ五〕

とあって、標記語「黒漆」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「黒漆」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』にも、「くろ-ぬり(名)【黒漆{塗}】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「くろ-ぬり【黒漆】〔名〕@黒く塗ること。また、黒く塗ったもの。A曇っている日をいう、盗人仲間の隠語」とあるのみであり、さらに、「くろぬり-ぐら【黒塗鞍】〔名〕「くろぬり(黒塗)の鞍(くら)」に同じ=黒い漆で塗った鞍。黒塗鞍」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

公秀ニ馬二疋内 一疋カゲ、クロヌリハリカハ鞍、一疋カゲ。ムカバキ一懸ナツゲ。ムカバキ一懸ナツゲ。クツ、テブクロ《『吾妻鏡』建久二(1191)年十一月二十二日の条》

 

2002年12月16日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

白橋(しらほね)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、冠頭字「白」の熟語として、「白頭、白髪、白絲、白山、白壁、白旗、白鬚、白刃、白砂、白幌、白地、白尾、白幣、白箆、白柄、白藻、白波、白雲、白屑、白子、白人」の二一語を収載するが、標記語「白橋」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「白橋」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「白橋」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「白橋」の語はどこにも収載されていないのである。下記に示す語注記を有しながら、何故採録されなかったのかその当代古辞書編纂指針をここに検証せねばなるまい。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) --- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「白橋」の語注記は、「白橋は、鞍加佐を云ふなり。鞍一口の義なり」と記載する。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「白橋」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)白橋黒漆張鞍 今鞍の前輪(まへわ)より後輪(あとわ)へ渡したる二枚の木を鞍橋とも鞍骨とも云。居木(いぎ)乃事也。張鞍とハ鞍を作るを張(はる)といふゆへ也。〔49オ二・三〕

とあって、標記語「白橋」の語注記は、「今鞍の前輪より後輪へ渡したる二枚の木を鞍橋とも鞍骨とも云ふ。居木の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨白橋(ほね)とハ鞍(くら)の居木(いぎ)をいふくらつぼ也。〔三十七オ一〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を白橋(ほね)とハ鞍(くら)の居木(ゐぎ)をいふくらつぼ也。〔65ウ四〕

とあって、標記語「白橋」の語注記は、「白橋、橋とは、鞍の居木をいふくらつぼなり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xirobone.シロボネ(白骨) 扇の白い木〔骨〕.〔邦訳779l〕

とあって、標記語「白橋」の語を収載し、意味は「扇の白い木〔骨〕」としていて、意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しら-ほね(名)【白骨】次條の語の略。今川大雙紙、馬に付て式法之事「乘鞍、白木なるをば、白木とは云はず、白骨と云也」同「貴人に、しら骨の鞍を御目に懸る事、左の腕にかけ、前輪を我前方へなして、主人の左の脇に召す如く置也」岡本記「鞍のしらほねも、總じて、乘まじき事也」〔1022-5〕

しらほね-ぐら(名)【白骨鞍】木地のままにて、漆を塗らざる鞍。塗骨に對す。略して、しらほね。七十一番職人盡歌合、四十五番、鞍細工「いかにして、まづ人口に、乘りぬらん、しらほね鞍のぬるよ無き身に」〔1022-5〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しら-ほね【白骨】〔名〕@漆などの塗ってない扇の骨。A「しらほねぐら(白骨鞍)」の略」と「しらほね-ぐら【白骨鞍】〔名〕白木のままで、漆(うるし)の塗られていない鞍。しらほね。しろくら。しらくら」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

鞍三口内 貝鞍、墨鞍、白骨。《『高野山文書』正応四年(1251)九月・高野山寺僧等盗取米銭資材注文(大日本古文書五・九八八)》

 

2002年12月15日(日)晴れ。東京(八王子)→白山(東洋大学)→世田谷(駒沢)

※この箇所は、ことばの溜め池(2002.11.22)に重複掲出しています。

螺鞍(かひぐら)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

螺鞍(カイクラ)馬。〔元亀本132三〕

螺鞍(カイクラ)馬。〔静嘉堂本138七〕

螺鞍(カイクラ)馬。〔天正十七年本中1ウ七〕

補遺「獸名」部に、標記語「螺鞍」の語を収載し、語注記に「馬」と記載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大房鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等爲御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)ノ螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)ノ-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「螺鞍」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「螺鞍」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

螺鞍(カイクラ)〔器財75七〕

とあって、標記語「螺鞍」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。ここに、天正十八年本節用集』にも、

螺鞍(カイクラ)金覆輪。〔器財上25ウ五

とあって、標記語螺鞍」の語を収載し、その語注記に「金覆輪」とする。

 このように、上記当代の古辞書には、『運歩色葉集』そして、易林本節用集』、他に天正十八年本節用集』にも、「螺鞍」の語が収載されていて、これが古写本『庭訓徃來』及び真字注にも見える語であることが最も注目視されるところである。というのは、なぜ『下學集』を筆頭とした他の上記古辞書がこの語を収載しなかったのかという点についても考えねばならないからである。一つには、真字本が注記語を有していないこともその大きな要因として考えられるのかもしれない。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ)--橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「螺鞍」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「螺鞍」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

金輻輪(きんふくりん)螺鞍(かいぐら)金輻輪螺鞍 鞍ハ馬の脊に乗人の安(やすん)する所なり。輻輪(ふくりん)とも書。金(きん)にて鞍輪(くらわ)のへりをふつくりと取。惣地に青貝(あをかい)をすり入たるくらなり。〔49オ四・五〕

とあって、標記語「螺鞍」の語注記は、「鞍は、馬の脊に乗る人の安んずる所なり」とだけの記載に留まる。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

--(きんふくりん)-(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがい)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かハ)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)ノ泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(おん)(はなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)黄覆輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ノ|ル∨リ∨金輻輪螺鞍ハ惣青(そうあを)貝地(かいぢ)に金にて縁とりたる鞍也。〔三十七オ一〕

金輻輪(きんふくりん)の螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を金輻輪螺鞍ハ惣青(そうあを)貝地(がひぢ)に金にて縁(ふち)とりたる鞍也。〔65ウ四〕

とあって、標記語「螺鞍」の語注記は、「金輻輪螺鞍は、惣青・貝地に金にて縁とりたる鞍なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「螺鞍」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かひ-ぐら(名)【螺鞍】青貝にて、花の形など作り、漆に塗り込めたる鞍。保元物語、一、官軍方方手分事「黄土器毛なる馬に、螺鞍置いて乘ったりけるが」〔0404-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かい-ぐら【螺鞍】〔名〕鞍の一つ。鞍橋(くらぼね)の表面を漆地に、貝で模様を嵌(は)めてみがき出したもの。螺鈿(らでん)の鞍」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

能員、故献御引出物御劒一腰、北條五郎時連持參之御馬一疋、<鴾毛蛛丸、貝鞍>比企三郎、同四郎、引之《訓み下し》能員、故ニ御引出物ヲ献ズ。御剣一腰、北条ノ五郎時連之ヲ持参ス。御馬一疋、<鴾毛蛛丸、(カイ)(クラ)>比企ノ三郎、同キ四郎、之ヲ引ク。《『吾妻鏡』正治元年十一月十九日の条》

 

2002年12月14日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

黄覆輪(きぶくりん)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

金覆輪(キンブクリン)〔元亀本285六〕

金覆輪(―――)〔静嘉堂本330三〕

とあって、標記語「金覆輪」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

黄輻輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大形鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆乕皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等為御餞奉進之」〔至徳三年本〕

黄輻輪螺鞍白橋黒漆張鞍料鞍橋金地鎧白磨轡大形鞦細筋手繩腹帶豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹皮泥障鞭差繩等爲御餞奉進之」〔宝徳三年本〕

金輻輪螺鞍白橋黒漆金地鎧白磨轡大形鞦細筋手綱腹帯豹皮鞍覆虎皮鹿子切付水豹熊皮泥障鞭差縄等為御餞奉進之」〔建部傳内本〕

--(キフクリン)-(カイクラ)-(―ホネ)-(―リ)ノ-(ハリ―)鞍橋(―ボネ)金地(カナ―)鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ガタ)ノ(シリカイ)細筋手綱(タツナ)腹帯(ハルヒ)豹皮(ヘウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(―ヲヽヒ)皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツ―)水豹(アサラシ)-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|」 〔山田俊雄藏本〕

金輻輪(キンフクリン)螺鞍(カイクラ)白橋(シラホネ)黒漆張鞍料(レウ)ノ鞍橋(―ホネ)金地(カナチ)ノ鎧白磨(―ミカキ)ノ(クツワ)大形(―ブサ)ノ(シリガイ)細筋(―スヂ)ノ手繩(タツナ)腹帯豹(ヘウ)ノ(クジカ)ノ鞍覆(―ヲホヒ)(トラ)ノ皮鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アサラシ)熊皮泥障(アヲリ)(ムチ)差縄(サシナワ)等為(―メ)ニ御餞(ハナムケ)|ル∨」 〔経覺筆本〕

--(キフクリン)-(カイクラ)-(シラホネ)-(―ヌリ)ノ-(ハリ―)(ヲリ)之鞍橋(―ラホネ)金地(カナチ)ノ(アフミ)白磨(―ミカキ)ノ(クツハ)大形(ヲホカタ)ノ(シリカヒ)細筋(ホソスシ)之手綱(タツナ)腹帶(ハルヒ)豹皮(ヒヨウノカワ)(クシカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ){虎}(トラ)ノ皮鹿(カノ)皮之切付(キツツケ)水豹(アサラシ)皮之泥-(アヲリ)(ムチ)_(サシナワ)等爲御餞(ハナムケ)ノ|奉進」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「黄覆輪」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

金伏輪(キンプクリン)伏或(フク)ニ〔器財門116七〕

とあって、標記語「金伏輪」の語をもって収載し、語注記に「伏或(フク)ニ」と記載する。次に広本節用集』には、

金輻輪(キンフクリン/コガネ,クルマノカス,マワス・ワ)[平・入・平]或作金伏輪。又金覆輪。云太刀又鞍飾(クラノカサリヲ)|。〔器財門816六〕

とあって、標記語「金輻輪」の語をもって収載し、語注記に「或作金伏輪。又金覆輪。云太刀又鞍飾(クラノカサリヲ)|」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

金輻輪(―ブクリン)太刀名。或金伏輪。又金覆輪。・器財219五〕

金輻輪(キンフクリン)太刀名。金伏輪。金覆―。・器財183七〕

金輻輪(トネリ)太刀名。金伏―。金覆―。・器財173四〕

とあって、標記語「金輻輪」の語をもって収載し、語注記は「太刀名。或金伏輪。又金覆輪」と記載する。また、易林本節用集』には、

金覆輪(ギンブクリン)―幣(ヘイ)。―箔(ハク)〔器財188三〕

とあって、標記語「金覆輪」の語をもって収載し、語注記には冠頭字「金」の熟語二語を記載する。

 このように、上記当代の古辞書には「金覆輪」と「金伏輪」ととがあり、これは古写本『庭訓徃來』では建部傳内本に見えるだけで、後は「黄覆輪」の語をもって収載する。下記に示す真字注も、「金覆輪」系統の語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「金覆輪」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「黄覆輪」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

金輻輪(きんふくりん)螺鞍(かいぐら)金輻輪螺鞍 鞍ハ馬の脊に乗人の安(やすん)する所なり。輻輪(ふくりん)とも書。金(きん)にて鞍輪(くらわ)のへりをふつくりと取。惣地に青貝(あをかい)をすり入たるくらなり。〔49オ四・五〕

とあって、標記語「金輻輪」の語注記は、「鞍は、馬の脊に乗る人の安んずる所なり。輻輪とも書く。金にて鞍輪のへりをふつくりと取る」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

金輻輪(きんふくりん)螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)張鞍(はりくら)(りやう)鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)(あぶミ)白磨(しらミがき)(くつわ)大形(おほふさ)(しりがひ)細筋(ほそすぢ)手綱(たつな)腹帯(はらび)(へう)(かは)(くしか)鞍覆(くらおほひ)(とら)(かハ)鹿(か)(こ)切付(きつゝけ)水豹(あざらし)(くま)(かハ)泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)御餞(おんはなむけ)(ため)(これ)(おく)(たてまつ)金輻輪螺鞍白橋黒漆張鞍鞍橋金地白磨大形細筋手綱腹帯鞍覆鹿切付水豹皮泥障差縄等爲御餞ル∨リ∨。▲金輻輪螺鞍ハ惣青(そうあを)貝地(かいぢ)に金にて縁とりたる鞍也。〔三十七オ一〕

金輻輪(きんふくりん)螺鞍(かいくら)白橋(しらほね)黒漆(くろぬり)の張鞍(はりくら)(れう)の鞍橋(くらほね)金地(かなぢ)の(あぶミ)白磨(しらミかき)の(くつわ)大形(おほふさ)の(しりかひ)細筋(ほすすぢ)の手綱(たづな)腹帯(はらおび)豹皮(へうのかハ)(くじか)鞍覆(くらおほひ)虎皮(とらのかハ)鹿子(かのこ)の切付(きつつけ)水豹(あざらし)熊皮(くまのかハ)の泥障(あほり)鞭差縄(むちさしなハ)(とう)(ため)御餞(おんはなむけ)の|(たてまつ)る∨(おく)り∨(これ)を金輻輪螺鞍ハ惣青(そうあを)貝地(がひぢ)に金にて縁(ふち)とりたる鞍也。〔65ウ四〕

とあって、標記語「金輻輪」の語注記は、「金輻輪螺鞍は、惣青・貝地に金にて縁とりたる鞍なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qinbucurin.キンブクリン(金覆輪) ある物の縁に金をかぶせた,縁飾りのようなもの.〔邦訳497r〕

とあって、標記語「黄覆輪」の語を収載し、意味は「ある物の縁に金をかぶせた,縁飾りのようなもの」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きん-ぷくりん(名)【金覆輪】(一)器に、金にて、覆輪をかけたるもの。銀なるを銀覆輪と云ふ。(二)鞍に云ふは、金、銅にて、山形より爪先まで、覆輪をかけたるもの。(後松日記、十七)又、黄覆輪(きふくりん)とも云ふ。銀覆輪なるを、白覆輪(しろふくりん)とも云ふ。盛衰記、二十七、墨俣川合戰事、行家「鹿毛なる馬に、黄覆輪の鞍置きて乘りたりける」相國寺堂供養記「眞下新左衛門尉源詮廣、云云、鞍、白覆輪」(後松日記、十八)〔0488-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きん-ぶくりん【金覆輪】〔名〕(「きんぷくりん」とも)器具の周縁を覆う覆輪の一つ。覆輪の材質に、金または金色の金属を用いたもの。黄覆輪。」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

きんふくりんの御たちまいらする。《『御湯殿上日記』延徳元年(1489年)十二月二十一日》

 

2002年12月13日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

飼口(かいくち)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

飼口(カイクチ)〔元亀本96六〕〔静嘉堂本120四〕〔天正十七年本上59オ六〕〔西来寺本〕

補遺「獸名」部に、標記語「飼口」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)__(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「飼口」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「飼口」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書のなかで唯一『運歩色葉集』だけが標記語「飼口」の語を収載するのみである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「飼口」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「飼口」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)舎人飼口(とねりかいくち)(あい)(そへ)/皆‖_舎人飼口ヲ| 馬かゝりの者也。馬を司(つかさと)る者を別當(べつとう)と云。舎人飼口ハ別當の下に有。〔49オ三・四〕

とあって、標記語「飼口」の語注記は、「馬がゝりの者なり。馬を司る者を別當と云ふ。舎人飼口は、別當の下に有り」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_舎人飼_ヲ|。▲舎人飼口ハ厩別當(むまやべつたう)乃下司(したつかさ)圉人(むまかひ)(くちとり)をいふ也。諸大夫(しよだいぶ)任官(にんくハん)の舎人(とねり)といふはこれと異(こと)なり。〔三十六ウ四・五〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を|舎人飼口ハ厩別當(うまやべつたう)の下司(したつかさ)圉人(うまかひ)(くちとり)をいふ也。諸大夫(しよたいぶ)任官(にんくわん)の舎人(とねり)といふはこれと異(こと)なり。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「飼口」の語注記は、「舎人飼口は、厩別當の下司・圉人・人をいふなり。諸大夫・任官の舎人といふはこれと異なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yotcujiro.カヒクチ(飼口) .〔邦訳831l〕

とあって、標記語「飼口」の語を収載し、意味は「四本の脚全部が蹄のあたりまで白い色をした馬」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かひ-くち(名)【飼口】馬の口取。庭訓徃來、六月「鹿毛、雪蹈(よつじろ)等、皆相副舎人飼口〔0404-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かい-くち【飼口】〔名〕@牛馬を飼うしもべ。A鷹が鳥を捕った時、その鳥の胸を小刀で裂き、肝を取り出して鷹の餌とする、その裂いた口」とあって、@の意味用例として『庭訓往来』の語を記載する。

[ことばの実際]

已上御馬、撰定之後、被預置于生倫神主宅各相副飼口〈云云〉《訓み下し》已上御馬、撰ビ定メテノ後、生倫神主ガ宅ニ預ケ置カル。各飼口(カイクチ)ヲ相ヒ副フト〈云云〉。《『吾妻鏡』養和二年正月二十八日の条》

としごろのかひくちなれども《『名語記』(1275年)六》

 

2002年12月12日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

舎人(とねり)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

舎人(トネリ)〔元亀本56三〕

舎人(トネリ/―ヒト)〔静嘉堂本63三〕

舎人(トネリ)〔天正十七年本上32ウ二〕〔西来寺本〕

補遺「獸名」部に、標記語「舎人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)__(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

舎人トネリ〔黒川本・人倫上44ウ六〕

舎人トネリ〔卷第二・人倫385六〕

とあって、標記語「舎人」の語をもって収載し、三卷本はさらに「」の語を併記する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

小舎人(コトネリ)〔人倫門39二〕

舎人(トネリ)飼。〔春林本・人倫門45二〕

とあって、標記語「小舎人」の語をもって収載する。ただし、春林本だけには「舎人」の語が見え、その語注記に「馬を飼ふ」という。次に広本節用集』には、

舎人(トネリ,イヌ―/ジキジン・スツル,ヒト)[平・去]〔人倫門127八〕

とあって、標記語「舎人」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

舎人(トネ―)・人倫42二〕

舎人(トネリ)・人倫43一〕〔・人倫39五〕〔・人倫46六〕

とあって、標記語「舎人」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

舎人(トネリ)〔人倫41一〕

とあって、標記語「舎人」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「舎人」があるのだが、春林本を除く『下學集』だけは「小舎人」を収載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_舎人_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「舎人」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「舎人」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)舎人飼口(とねりかいくち)(あい)(そへ)/皆‖_舎人飼口ヲ| 馬かゝりの者也。馬を司(つかさと)る者を別當(べつとう)と云。舎人飼口ハ別當の下に有。〔49オ三・四〕

とあって、標記語「舎人飼口」の語注記は、「馬がゝりの者なり。馬を司る者を別當と云ふ。舎人飼口は、別當の下に有り」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_舎人飼_ヲ|。▲舎人飼口ハ厩別當(むまやべつたう)乃下司(したつかさ)圉人(むまかひ)(くちとり)をいふ也。諸大夫(しよだいぶ)任官(にんくハん)の舎人(とねり)といふはこれと異(こと)なり。〔三十六ウ四・五〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を|舎人飼口ハ厩別當(うまやべつたう)の下司(したつかさ)圉人(うまかひ)(くちとり)をいふ也。諸大夫(しよたいぶ)任官(にんくわん)の舎人(とねり)といふはこれと異(こと)なり。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「舎人飼口」の語注記は、「舎人飼口ハ厩別當の下司、圉人・人をいふなり。諸大夫・任官の舎人といふはこれと異なり」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Toneri.トネリ(舎人) 馬の世話をする人で,厩係の下男のようなもの.〔邦訳660r〕

とあって、標記語「舎人」の語を収載し、意味は「馬の世話をする人で,厩係の下男のようなもの」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ねり(名)【舎人】〔或は云ふ、刀禰入の約と、或は云ふ、殿入の約と〕(一){天皇、皇族の近侍雜使の官。攝關以下、人臣も、賜はれば具す。後の近習、小姓など云ふものの如し。大(おほ)舎人、内(う)舎人、小(こ)舎人等あり。各條に註す。仁コ紀、十六年七月「示近習舎人雄略即位前紀、「皇子(市邊押磐)帳内(とねり)、佐伯部賣輪(更名、仲子)」顕宗即位前紀、「持節將左右舎人、至赤石武烈即位前紀、「遣近侍舎人、就平群大臣宅孝コ即位前紀「亦命帳内(おほとねり)刀」萬葉集、二28「皇子尊(日並(ひなみ))舎人等、慟傷作歌廿二首」、~樂歌、採物、篠「この篠(ささ)は、いづこのささぞ、とねり等が、腰にさがれる、鞆岡のささ」職員令「大舎人、八百人、内舎人九十人、宿營供奉」(二){又、牛車(ぎつしや)の牛飼、乘馬の口取、などの稱。とねりこ。枕草子、一、第三段「とねりの弓どもをとりて」職原抄、後附「院司、御厩」注「別當、舎人、居飼、牛飼、車副」拾芥抄、中末「御厩」注「別當、預案主、舎人、居飼」(三)今、宮内省、式部職の判任の職員。多く他の宮内判任官の兼任にして、典式の雜務に與るもの。6牛馬毛「四皆白曰蹄也、俗呼爲淺雪馬〔1413-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「とねり【舎人】〔名〕@天皇皇族などに近侍し、雑事にたずさわった者。令制下では内舎人・大舎人・東宮舎人・中宮舎人があり、内舎人は貴族の子弟から、大舎人以下は下級官人の子弟または庶民から選任した。舎人男。A授舎人寮および衛府の兵士。B「ちょうない(帳内)」または「資人(しじん)」に同じ。C貴人に随従する牛車の牛飼、馬の口取りなどの称。D旧宮内省の式部職に置かれた判任の名誉官。他の宮内判任官と兼任し、典式に関する雜務に従事するもの」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

舎人トカキテハ、トネリトヨメリ《『名語記』(1275年)二》

トネリノバシ、如何。馬仕也《『名語記』(1275年)三》

 

2002年12月11日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

相副(あひそへ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、「相手、相姓、相図、相白」の四語だけで標記語「相副」の語は未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「相副」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「相副」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

相副(アイソヱ/シヤウフク・トモニ,―)[平・入]添同。〔態藝門751四〕

とあって、標記語「相副」の語をもって収載し、語注記に別表記「相添」の「添」の字を「添同じ」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書には「相副」の語は、唯一広本節用集』だけとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等‖_舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「相副」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「相副」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)舎人飼口(とねりかいくち)(あい)(そへ)/皆‖_舎人飼口ヲ| 馬かゝりの者也。馬を司(つかさと)る者を別當(べつとう)と云。舎人飼口ハ別當の下に有。〔49オ三・四〕

とあって、標記語「相副」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等‖_舎人飼_。〔三十六ウ四〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「相副」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Aisoi,so>.o>ta.アイソイ,ゥ,ゥタ(相添ひ,ふ,うた) Soi,so>(添ひ,ふ)の条を見よ.〔邦訳18r〕

とあって、標記語「相副」の語を収載し、意味の記載はない。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「あひ-そへ(名)【相添・相副】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「あい-そ・う【相添・四白】(「あい」は接頭語)[一]〔自ハ四〕共に生活する。連れ添う。[二]〔他ハ下二〕(「そえる」の改まった言い方)伴う。従える」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

藤九郎盛長爲御使又被相副小中太光家〈云云〉《訓み下し》藤九郎盛長御使タリ。又小中太光家ヲ相ヒ副ヘラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年六月二十四日の条》

「よしや、伴ひ行く人無くは、いかなる淵瀬にも身を投げて死なん」と申しける間、母いたく止めば、また目の前に憂き別れもありぬべしと思ひ佗びて、力無く、今までただ一人付き添ひたる中間を相添へられて、遥々と佐渡国へぞ下だしける。《『太平記』(14C後)卷第二・長崎新左衛門尉意見事》

 

2002年12月10日(火)小雨後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

蹈雪・雪蹈(よつじろ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、

蹈雪(ヨツジロ)馬。〔元亀本132三〕

蹈雪(ヨツジロ)馬。〔静嘉堂本138七〕

蹈雪(ヨツシロ)馬。〔天正十七年本中1ウ七〕

補遺「獸名」部に、標記語「蹈雪」の語を収載し、語注記に「馬」と記載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。また、この上記古写本には、「雪蹈」と「蹈雪」との二系統表記があり、注釈書及び古辞書にその表記形態として影響しているのである。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(せン)ヨツシロノウムマ/四踊皆白四―/俗呼為踏雪馬。同。〔黒川本・動物上93オ三〕

蹈雪(ヨツジロ)。亦虎毛馬。俗云柑子栗毛馬是也。〔卷第四・動物507三〕

とあって、標記語「蹈雪」の語をもって収載し、三卷本」の語注記には、「俗に云く柑子栗毛是れなり。また曰く乕毛馬なり」と「蹈雪」の語を記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

雪蹈(ヨツジロ)〔彩色門137三〕

とあって、標記語「雪蹈」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

雪蹈(ヨツジロ/せツタフ・ユキ,フム)[入・入](ムマ)毛。或作蹈雪。〔光彩門317一〕

とあって、標記語「雪蹈」の語をもって収載し、語注記に「馬の毛。或は蹈雪と作す」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

蹈雪(ヨツシロ)毛――。・畜類91八〕

蹈雪(ヨツシロ)馬毛。・畜類88一〕

蹈雪(ヨツジロ)馬毛。・畜類79八〕〔・畜類96一〕

とあって、標記語「蹈雪」の語をもって収載し、語注記は「馬毛」と記載する。また、易林本節用集』には、

蹈雪(ヨツシロ)(同)〔氣形98一〕

とあって、標記語「蹈雪」「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「雪蹈」と「蹈雪」とがあり、これは古写本『庭訓徃來』にも見え、下記に示す真字注は、「蹈雪」の語をもって収載する系統のものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛-等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「蹈雪」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「蹈雪」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蹈雪(よつじろ)蹈雪等 今云爪白(つましろ)なり。蹄(ひつめ)白き馬なり。〔49オ二・三〕

とあって、標記語「蹈雪」の語注記は、「今云ふ爪白なり。蹄白き馬なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲雪蹈ハ爪白(つまじろ)の馬也。四足(よつあし)白きをもいふ。〔三十六ウ四〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を雪蹈ハ爪白(つまじろ)の馬也。四足(よつあし)白きをもいふ。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「雪蹈」の語注記は、「雪蹈は、爪白の馬なり。四足白きをもいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yotcujiro.よつじろ(四白・蹈雪) 四本の脚全部が蹄のあたりまで白い色をした馬.〔邦訳831l〕

とあって、標記語「蹈雪」の語を収載し、意味は「四本の脚全部が蹄のあたりまで白い色をした馬」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

よつ-じろ(名)【四白】馬の毛色の名。四足の毛の白きもの。蹈雪馬。倭名抄、十一6牛馬毛「四皆白曰蹄也、俗呼爲淺雪馬〔2092-4〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「よつじろ【四白】〔名〕@馬の毛色で、四足ともに膝から下の白いもの。あしぶち。四つの爪白。A白緒の駒下駄の異称」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

《》

 

2002年12月09日(月)大雪。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

鹿毛(かげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

鹿毛(カゲ)馬。〔元亀本93十〕〔静嘉堂本116五〕

鹿毛(―ケ)馬。〔天正十七年本上57オ七〕〔西来寺本〕

補遺「獸名」部に、標記語「鹿毛」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古写本にはこの語を収載しないものが見られる。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(クワ―)カケノムマ鹿毛馬也。同。〔黒川本・動物上76オ四〕

鹿毛(同)〔卷第三・動物174五・六〕

とあって、標記語「」「」の語をもって収載し、語注記に「鹿毛馬なり」と「鹿毛」の語を記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

鹿毛(カゲ)〔彩色門137二〕

とあって、標記語「鹿毛」の語を収載する。次に広本節用集』には、

鹿毛(カゲ/ロクホウ)[入・平]〔光彩門271五〕

とあって、標記語「鹿毛」の語をもって収載し、語注記「詩の正義に在り」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鹿毛(カケ)・畜類79八〕

鹿毛(カゲ)・畜類83二〕〔・畜類71九〕〔・畜類86七〕

とあって、標記語「鹿毛」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

鹿毛(カゲ)〔氣形73六〕

とあって、標記語「鹿毛」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「鹿毛」の語をもって収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「鹿毛」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「鹿毛」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

鹿毛(あをさき)鹿毛 毛色赤して鬣(たてがみ)黒き馬なり。〔48ウ七・八〕

とあって、標記語「鹿毛」の語注記は、「毛色赤して鬣(たてがみ)黒き馬なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲鹿毛ハ赤身(あかげ)にて鬣(たてがみ)黒き馬をいふ。〔三十六ウ三〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を鹿毛ハ赤身(あかげ)にて鬣(たてがみ)黒き馬をいふ。〔65オ二〕

とあって、標記語「鹿毛」の語注記は、「鹿毛は、赤身にて鬣黒き馬をいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cague.かげ(鹿毛) 栗色の馬の毛色.例,Caguenovma.(鹿毛の馬)栗色の馬.〔邦訳78l〕

とあって、標記語「鹿毛」の語を収載し、意味は「栗色の馬の毛色」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-(名)【鹿毛】馬の毛色の名。鹿の毛に似て、茶褐なるもの。零楼倭名抄、十一6「馬、馬、鹿毛馬也」〔0636-5〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かげ【鹿毛】〔名〕(鹿の毛色に似ているところからいう)馬の毛色の一つ。鹿の毛色に似た毛色。特に、たてがみ、尾、四肢の下部が黒いもの。色の深浅により黒鹿毛(くろかげ)、白鹿毛などの種類がある」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。

[ことばの実際]

朝政、著火威甲、駕鹿毛馬、時年廿五勇力太盛、而懸四方、多亡凶徒也《訓み下し》朝政ハ、火威ノ甲ヲ著、鹿毛ノ馬ニ駕ル。時ニ年二十五。勇力太ダ盛ニシテ、四方ニ懸ケテ、多ク凶徒ヲ亡ボスナリ。《『吾妻鏡』治承五年閏二月二十三日の条》

 

2002年12月08日(日)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

葦毛駮(あしけぶち)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、

蘆毛(アシケ)馬葦毛(同)〔元亀本259七〕(フチ)〔元亀本228四〕

蘆毛(アシゲ)馬葦毛(アシケ)〔静嘉堂本293八〕(ブチ)〔静嘉堂本261六〕

とあって、標記語「蘆毛・葦毛」と「」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ソウ―)アシケムマ/葦花毛馬也。桃花馬同。同。同。白馬同。/アヲムマ〔黒川本・動物下22ウ六・七〕 駮馬フチムマ/補草反/不純色也。〔黒川本・動物中102オ二〕

アシケムマ桃花馬同。アシケ/馬赤色也。/赤栗毛也。今案蘆初生也。白馬已上同/アヲムマ〔卷第八・動物281五〜282一〕 駮馬フチムマ/不純色馬也。〔卷第七・動物46五〕

とあって、「あしけむま」は標記語「」「桃花馬」「」「」「白馬」の語をもって収載し、十卷本はこれに「」を増補している。三卷本の語注記には、「葦花毛馬なり」記載する。「ふちむま」は標記語「駮馬」とし、語注記に「不純色{の馬}なり」と記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

(ブチ)〔彩色門137四〕

とあって、標記語「」の語だけをもって収載する。次に広本節用集』には、

(アシゲブチ)[○]或作葦毛〔光彩門750一〕

(ブチ/バク)[入]馬毛。〔光彩門625三〕

とあって、標記語「」「」の語をもって収載し、「あしげ」の語注記は「或作○○」形式により別表記として「葦毛」を記載する。また、「ぶち」の語注記は「馬毛」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(アシゲムマ)或作葦毛(同)馬。・畜類203六〕

(アシケムマ)葦毛―・畜類169一〕

(アシケムマ)・畜類158五〕

(ブチ)馬毛。・畜類181一〕〔・畜類148一〕

(ブチ)毛。・畜類138四〕

(ハク)フチ・畜類16九〕〔・畜類20七〕

とあって、標記語「」と「」「」の語をもって収載し、語注記を記載する。また、易林本節用集』には、

葦毛鹿駮(アシゲカブチ)〔氣形169二〕

とあって、標記語「葦毛鹿駮」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「」と「」の二語をもって収載するものであり、これを複合化して収載するのは易林本の「葦毛鹿駮」の語だけである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「葦毛駮」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「葦毛駮」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

葦毛駮(あしけぶち)葦毛 青白してあしの始て生(おへ)出たる時の色に似たる馬也。 またら毛の馬なり。〔49オ二〕

とあって、標記語「葦毛駮」の語注記は、「栗毛は、あかき毛色の馬なり。其の内、柑子栗毛・紅栗毛などいろ/\あり。柑子の色に似たるを以て柑子栗毛といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲葦毛ハ青白(あをしろ)まじらへる毛の馬をいふ。▲ハ二毛の馬也。まだらをいふ。〔三十六ウ四〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を葦毛ハ青白ましらへる毛の馬をいふ。▲ハ二毛の馬也。まだらをいふ。〔65オ三〕

とあって、標記語「葦毛」と「」とに区分しその語注記は、「葦毛青白ましらへる毛の馬をいふ。は、二毛の馬なり。まだらをいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Axigue.あしげ(葦毛) 馬の白っぽい黄褐色の毛色.※原文はCor de cauallo ruco.〔邦訳42l〕

Buchi.ぶち(鞭・駮) 鞭,あるいは,杖.§また(駮),まだらになっている馬や犬の毛色.〔邦訳63r〕

とあって、標記語「葦毛」「」の語を収載し、意味は「馬の白っぽい黄褐色の毛色」と「まだらになっている馬や犬の毛色」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あし-(名)【葦毛】〔葦の初生の色、青白なり〕馬の毛色の名。白毛に、青色の差毛(さしげ)あるもの。倭名抄、十一6「毛詩注云、、蒼白雜毛馬也、爾雅、注云、、青白如也、者蘆初生也、俗云葦毛是」葦毛は、馬の年齢の進むに隨ひて、色を變ず、白みがちなるを、白葦毛(しらあしげ)、赤みがちなるを、赤葦毛、Kみがちなるを、K葦毛と云ふ、又、白毛に葦毛の駮(ぶち)のあるを、葦毛駮と云ふ。又、尾花葦毛、連錢葦毛などもあり、各條に註す。平治物語、一、源氏勢汰事「白葦毛なる馬に、白覆輪の鞍置きて」明月記、正治二年十一月廿七日「御馬二疋、一疋K、一疋K葦毛」吾妻鏡、廿一、建保元年九月十二日、駒御覽「一疋、赤葦毛」同、六、文治二年十月三日、御馬五疋「鹿毛駮、葦毛駮」〔0035-4〕

ぶち(名)【斑・駁・駮】(一)ふち(斑)に同じ。其條を見よ。(二)一般に、色のまじれるもの。まだら。〔2147-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「あしげ【葦毛】〔名〕(葦の芽生えの時の青白の色にちなんでいう)馬の毛色の名。栗毛、青毛、鹿毛、の原毛色に後天的に白色毛が発生してくるもの。青みをおびた黒の混じる黒葦毛、栗毛の混じった赤葦毛、黒の円紋のある連錢葦毛など」と標記語「ぶち【斑・駁・駮】〔名〕(古くは「ふち」か)@(形動)種々の色が交じっていること。動物の毛並みが、いろいろの色であること。まだらであること。また、そのさまや、そのもの。A特に、毛色の交じりあっている犬をいう。まだらの犬。ぶちいぬ。B(「ぶちの猫」から「猫ばばをきめること」の意にかけて)本来他の者の所有となるべきものを知らん顔をして自分のものにしてしまう」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

馬のまだらなるをぶちとなづく。如何。ぶちとはとかけり。《『名語記』(1275年)五》

 

2002年12月07日(土)小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→新大久保

月額(つきびたひ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、標記語「月額」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「月額」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、易林本節用集』に、標記語「月額」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

月額(ツキビタイ/ゲツカク)[入・入]〔光彩門415八〕

とあって、標記語「月額」の語をもって収載し、語注記「詩の正義に在り」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

月額(ツキビタイ)馬毛。・畜類127二〕〔・畜類104七〕

月額(ツキヒタイ)毛。・畜類95三〕〔・畜類116六〕

とあって、標記語「月額」の語をもって収載し、語注記を記載する。

 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に「月額」の語を収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)-(ヒタイ)葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「月額」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「月額」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

月額(つきひたい)月額 ひたい白き馬なり。〔49オ一〕

とあって、標記語「月額」の語注記は、「ひたい白き馬なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲月額ハ額白(ひたじろ)の馬をいふ。〔三十六ウ三〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を月額ハ額白(ひたひしろ)の馬をいふ。〔65オ三〕

とあって、標記語「月額」の語注記は、「月額は、額白の馬をいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「月額」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つき-びたひ(名)【月額】(一)月代(つきしろ)に同じ。(男子の髪の)(二)馬の額に、白き斑毛あるもの。古名、うびたひ。今、又、額白(ひたひじろ)。月白(つきじろ)。ほしづき。戴星馬。夫木抄(1310年頃)、廿七、馬「闇なれど、いもが宿をぞ、さしてゆく、月びたひなる、駒にまかせて」〔1310-2〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つき-びたい【月額】〔名〕@馬の毛色の名。額の上に白いまだら毛のあるもの。星月。額白(ひたいじろ)。月白。Aさかやき。月代(つきしろ)。B前髪の生えぎわを丸く剃った額」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

《》

 

2002年12月06日(金)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

髪白(ひたひじろ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

額白(ヒタイジロ)馬。戴星(同)〔元亀本342八〕

額白(―ジロ)馬。戴星(同)馬。〔静嘉堂本411一・二〕

とあって、標記語「額白」と「戴星」の二語を収載し、語注記に「馬」と記載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)___(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「髪白」の語は未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』に、標記語「髪白」の語を未収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

額白(ヒタイシロ)同(馬毛)。・畜類253三〕

(ヒダイシロ)馬。・畜類216六〕

額白(ヒタイシロ)馬。・畜類202五〕

とあって、標記語「額白」の語をもって収載し、語注記を「馬」と記載する。また、易林本節用集』には、

(ヒタイジロ)〔氣形223四〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には、『運歩色葉集印度本節用集』そして易林本に「額白」「」「戴星」の語をもって収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛(ヒタイ)-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「髪白」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「髪白」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

髪白(ひたひしろ)髪白 かしら白き馬なり。〔49オ一〕

とあって、標記語「髪白」の語注記は、「かしら白き馬なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲髪白ハ頭(かしら)白き馬をいふ。〔三十六ウ三〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を髪白ハハ頭(かしら)白き馬をいふ。〔65オ二〕

とあって、標記語「髪白」の語注記は、「髪白は、頭白き馬をいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「髪白」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひたひ-じろ(名)【額白】つきしろ(月代)に同じ。(馬に)つきびたひ。戴星馬。的。的盧。(太平御覽、相馬經) 字類抄、ヒタヒシロ、馬額白」古事談、二、臣節「馬二匹引立之、皆額白」〔1669-4〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ひたい-しろ【直白】〔名〕(形動)(「ひたじろ」とも)全体に白いこと。一面に白いこと。また、そのさま。まっしろ」さらには、標記語「ひたいしろ-うま【直白馬】〔名〕全身が白い馬。『字鏡集』(1245年)「 ヒタシロムマ」」とあって、いずれにも『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

黒駮馬額白髦、陣其氣色、掲焉也《訓み下し黒駮ノ馬額白(ヒタイジロ)ノ髦ニ駕シ、陣スル(黒駮ノ馬ニ駕シ、敵ニ髦ヲ向ケテ陣ス。)其ノ気色、掲焉ナリ。《『吾妻鏡』文治五年八月十日の条》

 

2002年12月05日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

河原毛(かはらげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

河原毛(カハラゲ)馬。〔元亀本100四〕

河原毛(カハラケ)馬。〔静嘉堂本126一〕

河原毛(カワラケ)〔天正十七年本上61ウ八〕

とあって、標記語「河原毛」の語を収載し、語注記にただ、「馬」と記載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)___(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

駱馬(ラク―)カハラケノムマ。川原毛馬也。〔黒川本・動物上76オ四〕

駱馬カハラケノムマ〔卷第三・動物174六〕

とあって、標記語「駱馬」の語をもって収載し、三卷本の語注記には、「川原毛馬なり」と「川原毛」の語を記載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

河原毛(カハラゲ)〔彩色門137二〕

とあって、標記語「河原毛」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

河原毛(カワラゲ/カゲンホウ)[平・平・平]已上五者馬毛。〔氣形門271六〕

とあって、標記語「河原毛」の語をもって収載し、語注記「已上五者馬毛」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

河原毛(カワラゲ)同(馬毛)。・畜類83二〕

河原毛(カワラケ)クせ多馬也。晴ノ時不覚アリト云。・畜類79八〕

(ラク)カハラケ・畜類104五〕

河原毛(カワラゲ)・畜類86七〕

とあって、標記語「河原毛」の語をもって収載し、語注記を記載する。また、易林本節用集』には、

河原毛(カハラゲ)〔氣形73六〕

とあって、標記語「河原毛」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「河原毛」と「駱馬」の語をもって収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「河原毛」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)〓〔鹿+章〕(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「河原毛」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

河原毛(かはらけ)河原毛 毛色白して鬣(たてかミ)黒き馬也。〔48ウ八〕

とあって、標記語「河原毛」の語注記は、「毛色白くして鬣黒き馬なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲河原毛ハ白身にて鬣(たてがミ)黒き馬をいふ。〔三十六ウ三〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を河原毛ハ白身にて鬣(たてがミ)黒き馬をいふ。〔65オ二〕

とあって、標記語「河原毛」の語注記は、「河原毛は、白身にて鬣黒き馬をいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cauarague.かはらげ(河原毛) たてがみと尻尾とが黒色であるほかは白い毛色をした馬.〔邦訳111r〕

とあって、標記語「河原毛」の語を収載し、意味は「たてがみと尻尾とが黒色であるほかは白い毛色をした馬」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かはら-(名)【川原毛】馬の毛色の名。白馬の、たてがみのKきもの。駱。倭名抄、十一6「駱、白馬K髦之馬也、駱馬、川原毛也」吾妻鏡、二、壽永元年正月廿八日「一疋、河原毛(カハラゲ)〔0402-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かわらげ【河原毛】〔名〕馬の毛色。朽葉(くちば)を帯びた白毛で、たてがみと尾が黒く、背筋に黒い筋があるもの。鴨川原毛、白川原毛などの種類がある。」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

次神馬十疋、引立庭上俊兼、候簀子、勤毛付 一疋鴇毛〈江戸太郎進〉一疋河原毛〈下河邊四郎進〉《『吾妻鏡』養和二年正月二十八日の条》

 

2002年12月04日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

青鵲毛(あをさぎげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、補遺「獸名」部に、標記語「青鵲毛」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「青鵲毛」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「青鵲毛」の語を未収載にする。 このように、上記当代の古辞書には「青鵲毛」の語は未収載となっているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)-鵲毛(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「青鵲毛」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)〓〔鹿+章〕(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「青鵲」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

青鵲(あをさき)青鵲 黒して青みある馬なり。〔48ウ八〜49オ一〕

とあって、標記語「青鵲」の語注記は、「黒くして青みある馬なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲青鵲毛ハ黒くして青(あを)みある馬をいふとぞ。〔三十六ウ三〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を青鵲毛ハ黒くして青(あを)みある馬をいふとぞ。〔65オ二〕

とあって、標記語「青鵲毛」の語注記は、「青鵲毛は、黒くして青みある馬をいふとぞ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「青鵲毛」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「あをさぎ-(名)【青鵲毛】」の語は未収載にし、「あをさぎのこま【青鷺駒】」で、

あをさぎ--こま(名)【青鷺駒】〔青鷺の背の、うすあをきに似たる由なり〕淡青毛なる馬。夫木抄、三、「春深み、ゆるぎの森の、下草の、繁みに食(は)むや、あをさぎの駒」散木抄、八、戀、下、寄馬毛戀「暇(ひま)もあらば、小畔(をぐろ)に立てる、あをさぎの、こまごまとこそ、言はまほしけれ」比古婆衣、(伴信友)九、七日の青馬「青鷺毛、云云、蒼鷺の羽色に似たる由なり、俗に、水青と云へるぞ、當るべき」吾妻鏡、十一、建久二年十一月廿二日「馬五疋、云云、一疋、あをさぎ糟毛(かすげ)、一疋、K」〔0121-1〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「あおさぎげ【青鵲毛】」は未収載にし、「あおさぎ-かすげ【青鷺糟毛】〔名〕馬の毛色の名。水青(みずあお)の毛並みに白い巻き毛のあるもの。」とあって収載され、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。

[ことばの実際]

一疋あをさぎかすげ《『吾妻鏡』建久二年十一月二十二日の条》

 

 

2002年12月03日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

糟毛(かすげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「連」部に、

糟毛(カスゲ)〔元亀本151六〕

糟毛(カスゲ)〔静嘉堂本165二〕

糟毛(カスゲ)〔天正十七年本中14オ八〕

補遺「獸名」部に、標記語「糟毛」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛黒糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

油馬カスケノムマ。糟之馬也。〔黒川本・動物上76オ四〕

油馬糟毛馬カスケノムマ〔卷第三・動物175一〕

とあって、標記語「油馬」の語をもって収載し、その語注記に「糟毛の馬なり是れなり」「糟毛馬」とある。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

糟毛(カスゲ)〔彩色門137一〕

とあって、標記語「糟毛」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

糟毛(カスゲ/サウホウ)[平・平]〔氣形門271五〕

とあって、標記語「糟毛」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

糟毛(カスケ)馬毛。・畜類83二〕

糟毛(カスゲ)馬。・畜類79八〕

糟毛(カスゲ)・畜類71九〕

糟毛(カスゲ)馬。・畜類86七〕

とあって、標記語「糟毛」の語をもって収載し、語注記は「馬」または「馬毛」と記載する。また、易林本節用集』には、

糟毛(カスゲ)〔氣形73六〕

とあって、標記語「糟毛」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「油馬」の語注記に記載するものから標記語「糟毛」として記載するといった変遷が見て取れるのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「糟毛」の語を未収載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ 馬ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「糟毛」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、標記語「糟毛」の語は未収載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲糟毛ハ毛色黒白にして腹雑色(はらさつしよく)まじハりたる馬をいふ。〔三十六ウ二〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を糟毛ハ毛色黒白にして腹雑色(はらさつしよく)まじハりたる馬をいふ。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「糟毛」の語注記は、「糟毛は、毛色黒白にして腹雑色(はらさつしよく)まじハりたる馬をいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Casugue.かすげ(糟毛) 馬の毛色の一種で,白よりも黒毛の勝った葦毛のような毛色.※原文はrucosで,別状Axigueにこの語をあてている.→Curo〜.〔邦訳105l〕

とあって、標記語「糟毛」の語を収載し、意味は「馬の毛色の一種で,白よりも黒毛の勝った葦毛のような毛色」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かす-(名)【糟毛】馬の毛色の名。灰色にして、白色の雜れるもの。油馬。倭名抄、十一6「油馬、糟毛馬也」〔0374-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かす-げ【糟毛】〔名〕@馬の毛色の一つ。白毛に黒毛または赤毛の入りまじったもの。また、その馬。かすげのうま。A白髪のまじった頭髪。しらがまじり。斑白。」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

油馬 辨色立成云油馬<糟毛馬也>《『和名類聚抄』(934年頃)一一》

 

2002年12月02日(月)晴れ。宮城県(仙台)→東京(世田谷駒沢)

黒鴾毛(くろつきげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、標記語「黒鴾毛」の語を未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗_毛烏_(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「黒鴾毛」の語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)、広本節用集』、弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「黒鴾毛」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「黒鴾毛」の語は未収載となっているものである。このことは、下記の真字本『庭訓往来註』に未収載にとすることと大いに関連することなのかもしれない。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)毛青-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「黒鴾毛」の語を、未収載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロヒバリゲ)(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「黒鴾毛」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

黒鴾毛(くろつきげ) (あかしろ)ましハりたる毛の少し黒みある馬なり。其外姫(ひめ)毛虎(とら)毛〓(はし)毛〓(さひ)毛等あり。黒白のましハりたる馬なり。又霞毛(かすけ)とも(かすけ)とも書也。〔48ウ六・七〕

とあって、標記語「黒鴾毛」の語注記は、「白まじはりたる毛の少し黒みある馬なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲黒鴾毛毛ハ赭白(あかしろ)の馬をいふ。爰(こゝ)にハ其黒ミあるをいふなるべし。〔三十六ウ二〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を毛ハ赭白(あかしろ)の馬をいふ。爰(こゝ)にハ其黒ミあるをいふなるべし。〔64ウ五六〕

とあって、標記語「」の語注記は、「毛は、赭白の馬をいふ。爰には、其黒みあるをいふなるべし」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Curotcuqigue.くろつきげ(黒毛・黒月毛) 馬の毛色で,黒に近い程の灰色したもの.〔邦訳171r〕

とあって、標記語「黒月毛」の語を収載し、意味は「馬の毛色で,黒に近い程の灰色したもの」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「くろ-つきげ(名)【黒鴾毛】」は、未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「くろつきげ【黒月毛・黒鴾毛】〔名〕馬の毛色の名。月毛の灰色を帯びたもの。」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

さまのかみよしとも三十七ねり色のきよれうの直垂に黒糸おとしの鎧にしゝの丸のすそかな物をそ打たりけるくわかた打たる甲のをゝしめいか物つくりの太刀をはき黒月毛の馬にくろくらをかせしつくわもんに引立さす《『平治物語』(1220年頃か)上・源氏勢汰への事》

 

2002年12月01日(日)晴れ。宮城県(仙台)

烏黒(からすぐろひばりげ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部と「飛」部とを見るに、

雲雀毛(ヒバリゲ)〔元亀本344四〕

雲雀毛(ヒバリケ)〔静嘉堂本413七〕

とあって、標記語「雲雀毛」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒糟毛黒鴾毛青鵲髪白月額葦駮雪踏等皆相副舎人飼口」〔至徳三年本〕

馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等皆相副舎人飼口」〔宝徳三年本〕

馬者連錢蘆毛柑子栗毛烏黒毛糟毛青鵲髪白月額葦毛駮踏雪等相副舎人飼口」〔建部傳内本〕

者連錢葦_(アシ―)_子栗_(カウジクリ―)_(カラス―)_(ヒハリ―)_(ツキ―)_(カス―)鹿_(カ―)_(アヲサキ)__毛髪_(カン―)_(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)_(ヨツシロ)等相ヒ‖_(ソヘ)_人飼_(カイ―)」 〔山田俊雄藏本〕

馬者連錢葦毛(レンセンアシ―)柑子栗毛(カウシクリケ)烏黒(ヒハリケ)黒鴾毛(―ツキ―)糟毛(カスケ)青鵲毛(アヲサキ―)髪白(フチシロ)青鼠月額(―ヒタイ)葦毛(アシケ)(ブチ)鹿毛(カゲ)雪踏(ヨツシロ)等相‖_(ソエ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ」 〔経覺筆本〕

馬者連_-_毛柑-子栗__(カラスクロ)_(ヒハリ―)__(―ツキ―)-(カス―)_(―サキ)_(ヒタイカミシロ)-(―ヒタイ)_(アシ―)(フチ)雪踏(ヨツシロ)等皆相‖_(ソエ)_(―リ)_(カイクチ)ヲ」 〔文明本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「烏黒」「」の二語を未収載にする。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立)に、

雲雀毛(ヒバリゲ)〔彩色門137三〕

とあって、標記語「烏黒」は未収載にし、標記語「雲雀毛」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

烏黒(カラスグロウコク)[平・入]〔光彩門271六〕

(ヒバリゲサウホウ)[平・平]又雲雀毛。〔氣形門1036六〕

とあって、標記語「烏黒」と「」の二語をもって収載し、「」の語注記には「又○○○」形式による別表記の「雲雀毛」を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

烏毛(カラスゲ)同/烏黒。・畜類83二〕

烏毛(カラスゲ)・畜類79九〕〔・畜類71九〕〔・畜類86八〕

(ヒハリケ)馬毛。・畜類253三〕

(ヒバリゲ)馬。・畜類216六〕

(ヒバリケ)馬。・畜類202五〕

とあって、標記語「烏毛」と「」の二語をもって収載し、弘治二年本だけが「烏毛」の語注記に「烏黒」を記載する。「」の語注記は「馬毛」またはただ「馬」と記載が見える。また、易林本節用集』には、

烏黒(カラスクロ)〔氣形73六〕

(ヒバリゲ)〔氣形223四〕

とあって、標記語「烏黒」と「」の二語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には「烏黒」と「」の二語をもって収載するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

379連-錢葦毛柑子栗毛烏黒鴾{}(サキ・ヒハリ)-鵲毛髪(ヒタイ)白月-(ヒタイ)ノ葦毛駮(フチ)鹿毛蹈-雪等相‖_副舎人飼_ヲ|--(カイ) -鞍白-橋黒- 白橋鞍加佐云也。鞍一口義也。〔謙堂文庫藏三八右E〕

とあって、標記語「烏黒」の語注記は、未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

馬者連錢葦毛(レンセンアシゲ)柑子栗毛(カウジクリゲ)烏黒(カラスグロ)(ヒバリゲ)黒鴾(クロツキゲ)鹿毛(カゲ)糟毛(カスゲ)河原毛(カワラゲ)青鵲(アヲサ)髪白(ヒタイジロ)月額(―ヒタヒ)葦毛駮(アシゲブチ)雪踏(ヨツジロ)等相(アヒ)‖_(ソヘ)舎人(トネリ)_(カイ―)ヲ|--(キンブクリン)ノ-(カイグラ)-(シラホネ)-(クロヌリ)ノ-(ハリクラ)(レウ)ノ鞍橋(クラホネ)金地(カナヂリ)(アブミ)白磨(シラミカキ)ノ(クツワ)大房(ヲホブサ)ノ(シリガヒ)細筋(ホソスヂ)ノ手綱(タヅナ)腹帯(ハルビ)豹皮(ヒヨウノ―)(クジカ)ノ鞍覆(クラヲホヒ)虎皮(トラノカワ)鹿子(カノコ)ノ切付(キツツケ)水豹(アザラシ)熊皮(クマノカハ)ノ-(アヲリ)鞭差縄(ムチサシナワ)等爲(シ)テ御餞(ハナムケ)ト|ル∨シ∨ ノ事連錢葦毛(レンセンアシ―)ハ尾髪(ヲカミ)(クロ)クテ星(ホシ)アル也。惣(ソウ)シテ馬ノ毛(ケ)。平人モ知タル事ナリ。別ニ記ス様ナシ。〔下十二オ七〜ウ五〕

とあって、この標記語「烏黒」「」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

烏黒(からすくろ)(ひばりけ)烏黒 純黒(まつくろ)なる毛色の馬也。 栗背通りの毛黄色なる馬也。〔48ウ五・六〕

とあって、標記語「烏黒」「」の二語にしてそれぞれ語注記を記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしけ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすけ)鹿毛(かげ)河原毛(かばらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいじろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(ミな)舎人(とねり)飼口(かひくち)(あい)(そ)馬者連錢葦毛柑子栗毛烏黒黒鴾毛鹿毛糟毛河原毛青鵲髪白月額葦毛駮雪踏等相‖_副舎人飼_。▲烏黒ハ純黒毛(まくろげ)の馬也。▲ハ脊通(せどほ)りの毛の黄(き)なる馬をいふ。〔三十六ウ一・二〕

(むま)(ハ)連錢葦毛(れんぜんあしげ)柑子栗毛(かうじくりげ)烏黒(からすぐろ)(ひばりげ)黒鴾毛(くろつきげ)糟毛(かすげ)鹿毛(かげ)河原毛(かハらげ)青鵲(あをさぎ)髪白(ひたいしろ)月額(つきびたひ)葦毛駮(あしげふち)雪踏(よつじろ)(とう)(あひ)‖_(そ)へ舎人(とねり)_(かひくち)を烏黒ハ純黒毛(まくろげ)の馬也。▲ハ脊通(せとほ)りの毛の黄(き)なる馬をいふ。〔64ウ六〕

とあって、標記語「烏黒」と「」の二語とし、語注記は、それぞれ「烏黒は、純黒毛の馬なり」「は、脊通りの毛の黄なる馬をいふ」と記載する。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Carasuguro.からすぐろ(烏黒) 非常に黒みがかった栗毛色の馬の毛色.〔邦訳101l〕

Fibarigue.ひばりげ() 雲雀の毛色をした馬.〔邦訳227l〕

とあって、標記語「烏黒」「」の語を収載し、意味は「非常に黒みがかった栗毛色の馬の毛色」と「雲雀の毛色をした馬」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「からすぐろ烏黒】」は未収載とし、「ひばりげ】」の語は、

ひばり-(名)【】馬の毛色に、黄、白、雜はるもの。 林エ節用集、生類「ヒバリゲ類従往來、「、ヒバリゲ」 吾妻鏡、十一、建久二年八月十八日「人人所進馬、云云、一疋、御法寳鑑、下、五性十毛之事「、音は黄、黄にして微き白雜るをと云、今云、雲雀毛是也。蓋し今世、黄にして諸色を雜る者を斥し、通じて雲雀毛とす、云云、雲雀毛とは、本、网糲の色に因者乎、云云、雲雀は、网糲也、云云〔1690-3〕

と記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「からすぐろ【烏黒】〔名〕「からすげ(烏毛)に同じ」」と「ひばりげ【】〔名〕馬の毛色の名。黄と白のまだらで、たてがみと尾と背の中央部とが黒いもの。雲雀鹿毛。」とあって、『庭訓往来』の語を未記載にする。

[ことばの実際]

一疋〈(ヒバリケ)、〉小山左衛門尉進《『吾妻鏡』建久二年八月十八日の条》

 

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