2003年05月01日から5月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
2003年5月31日(土)雨降り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
引付(ひきつけ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、「引目(同)。引合(アワセ)。引手(テ)。引兩(リヤウ)。引敷(ジキ)。引物(モノ)。引痛(ツムル)移。引廻(マワス)。引入(イルヽ)。引板(ヒタ)鳴子」の10語収載するが、標記語「引付」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

就其御引付沙汰定被行候歟〔至徳三年本〕

就之御引付沙汰定可被{執}行候歟〔宝徳三年本〕

就其御引付沙汰定被行候歟〔建部傳内本〕

テ∨_-汰被レ∨行候歟〔山田俊雄藏本〕

中御引付沙汰定メテ行候歟〔経覺筆本〕

テ∨引付沙汰定メテ(ヲコナ)ハレ候歟文明四年本

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「引付」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「引付」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

引付(ヒキツケインフ)[去・去] 。〔態藝門1038六〕

とあって、標記語「引付」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「引付」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

引目(ヒキメ) ―兩(リヤウ)。―入合子(イレガフシ)。―合(アハセ)。―敷(シキ)。―付(ツケ)。〔言辞門225三〕

とあって、標記語「引目」の語を収載し、冠頭字「引」の熟語群に「引付」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ヒキツケ」として、「引付」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「引付」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

テ∨引付(ヒキツケ)沙汰(サタ)ハレ∨(ヲコナ)候歟 ト事。沙汰問注所(モンチウシヨ)ニハ。引付トテ其沙汰事ヲ書註ス也。又云先規先代ノ事ヲ有ノマヽ記シ置テ其事々々ニ取合テ沙汰ヲスルナリ。古ヘハ。トノカフノト云。今ハカクナント沙汰スルナリ。〔下十七オ二〜三〕

とあって、この標記語「引付」とし、語注記は「引付とて其の沙汰事を書註すなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(これ)に就(つき)御引付(おんひきつけ)の沙汰(さた)(さため)て行(おこなハ)(れ)候歟/テ∨引付沙汰 就之とハ天下もはや太平に治りたるに付てとなり。引付ハ公事の捌(さば)きをせらるゝ所也。くわしくハ御返状にあり。沙汰とハ事の理非(りひ)をわかち定る事也。是ハもと沙ハすなの事也。汰ハ水にてゆなける事也。金の沙に交りあるを水にてゆなけわけるを云。故に事の理非を取捌(とりさば)くを沙汰といふなり。今噂(うわさ)といふ事に用るハ又一轉(いつてん)したる也。〔57ウ一〜三

とあって、この標記語「引付」とし、語注記は「引付は、公事の捌きをせらるゝ所なり。くわしくは、御返状にあり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(これ)に就(つい)御引付(おんひきつけ)の沙汰(さた)(さだめ)て行(おこな)ハ被(れ)(さふら)ふ歟(か)(さだめ)て行(おこな)ハ被(れ)(さふら)ふ歟(か)所領(しよれう)安堵(あんど)遺跡(ゆいせき)争論(そうろん)越境(ゑつけう)違乱(いらん)(の)(あいだ)參訴(さんそ)を致(いた)さんと欲(ほつ)する之(の)(ところ)(この)(あいだ)の疲勞(ひらう)所領(しよれう)(たくさい)合期(がふご)し難(がた)く候(さふら)ふ。貴方(きはう)の御扶持(ごふち)を憑(たの)ミ代官(だいくハん)を進(しん)ず可(べ)き也(なり)。短慮(たんりよ)未練(ミれん)(の)(しん)稽古(けい―)せ令むる之(の)(ほど)御詞(おんことは)を加(くハ)へら被(れ)(さ)れ者(バ)越度(おちと)出來(いてきた)らん歟(か)草案(さうあん)の土代(とたい)を書(か)き與(あた)へら被(れ)奉行所(ふきやうところ)に引導(いんだう)せら被(れ)(ハ)恐悦(きやうゑつ)に候(さふら)ふ/テ∨引付汰定所領安堵遺跡相論-境違-乱之際スルニ∨サン參訴之處此間---貴方御扶持キ∨代官短慮未練之仁令ムル稽古之程レ∨ヘテ御詞者越度出來ラン‖_与草案土代セラ奉行所者恐ス。▲引付沙汰とハ先代(せんだい)より定(さだ)まれる例(れい)を以て今其事々に引合(ひきあは)せて沙汰する也。〔43ウ四〜五〕         

(つい)て∨(これ)に(おん)引付(ひきつけ)の沙汰(さた)(さだ)めて(れ)∨(おこな)ハ(さふらふ)(か)所領(しよりやう)安堵(あんど)遺跡(ゆゐせき)争論(さうろん)越境(ゑつきやう)違乱(ゐらん)(の)(あひだ)(ほつ)する∨(いた)さんと參訴(さんそ)(の)(ところ)(この)(あひだ)疲労(ひらう)所領(しよりやう)の(たくさい)(がた)合期(がふご)し(さふら)(たのミ)貴方(きはう)御扶持(ごふち)(べ)き∨(しん)ず代官(だいくわん)(なり)短慮(たんりよ)未練(ミれん)(の)(しん)(し)むる稽古(けいこ)(の)(ほど)(ざ)れ∨(れ)(くハへ)ら御詞(おんことバ)(ハ)越度(をちど)出來(いできた)らん(か)(れ)(か)‖_(あたへ)ら草案(さうあん)土代(どだい)(れ)(いんだう)奉行所(ぶぎやうところ)(バ)恐ス(きょうえつ)(さふら)引付沙汰とは先代(せんだい)より定(さだ)まれる例(れい)を以て今其事々に引合(ひきあハ)せて沙汰する也。〔77ウ四〜五〕

とあって、標記語「引付」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fiqitcuqe.ヒキツケ(引付) ある事をなすについて,これから先それに従って行なうように書き残して置かれるしきたり,または,きまり.〔邦訳240r〕

とあって、標記語「引付」の語を収載し、意味を「ある事をなすについて,これから先それに従って行なうように書き残して置かれるしきたり,または,きまり」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひき-つけ〔名〕【引付】(一)引き來て合はすること。(二)先例を記し置ける文書、又は記録。又、その引付に引き合はせて、事を處分すること。武家名目抄、職名、五、下「もと引付と云へるは、記録の名より出でし名目なり、云云、政所にては訴訟の顛末を注記し、其訴を沙汰せる奉行人の姓名を傍書したる記録を名づけて、賦名引付と云ふ、また營中、常日の規格を記せしものをば、然云ひしと見ゆ」 吾妻鏡、五十二、文永三年三月六日「諸人訴論事、被止引付沙汰、問注所召愁訴陳状、可勘申是非也」(三)引付衆の略。鎌倉、室町幕府の職名。評定衆の下司にて、其補助として、訴訟を聽斷し、庶務を取扱ひ、兼ねて、政所に出で、時時の日記を記し、例證等を書留む。又、この引付にてなす評定を内談とも稱す。因りてこの衆を、内談衆とも云へり。 吾妻鏡、四十、建長二年九月十日「」(四)病に云ふ。身體の筋肉の釣りて痛むもの。 (チクジャク)。痙攣。〔1652-2〕

とあって、標記語を「引付」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ひき-つけ引付】〔名〕@引き付けること。引っ張ってくること。手引きすること。また、その人。紹介者。A鎌倉幕府の裁判機関。所領相論を専門に取扱い、引付勘録を作って評定会議に送った。三〜五方の部局に分かれ、各々引付頭人一名、引付衆数名(うち二、三名は評定衆の兼務)、引付奉行人(右筆)数名で構成された。室町幕府にも置かれたが、一五世紀には衰退した。引付方。B後日の証拠や備忘のため書きとどめておく記録や文書。また、寺社で作成された記録。C俳諧師などが自分の歳旦の末に友人・門人などの句を付録として掲載したこと。また、その句。D遊里などで初会の客に遊女を引き合わせること。また、その客。盃事をするのが例。E歌舞伎の舞台で、開演中、幕を引き付けてある下手(客席から向かって左側)の部分。F「ひきつけざしき(引付座敷)」の略。G駒下駄の一種。男物は白桐・焦桐(やきぎり)を材に、女物は白木あるいは漆塗りで、いずれも表をつけたもの。引付下駄。H発作性の痙攣(けいれん)。特に、小児の全身性痙攣をさす場合が多い」とあって、『庭訓往来』の語用例は別内容箇所をBの意味用例として記載する。
[ことばの実際]
諸人訴論事於引付、勘決文書理非之間、加了見之處、旨趣爲分明者、任先規、不能對決。《訓み下し》諸人訴論ノ事。ケニ於テ、文書ノ理非ヲ勘決スルノ間、了見ニ加フルノ処、旨趣分明タラバ、先規ニ任セ、対決ニ能ハズ。引付《『吾妻鏡』建長二年四月二日の条》
 
2003年5月30日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
快樂(ケラク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

快樂(ケラク) 。〔元亀二年本217九〕

快樂(ケラク) 。〔静嘉堂本248四〕

× 。〔天正十七年本〕

とあって、標記語「快樂」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「ケラク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候抑洛-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「快樂」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「快樂」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

快樂(ケラククワイ・コヽロヨシ、タノシム)[去・入] 。〔態藝門605六〕

とあって、標記語「快樂」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

快樂(ケラク) 。〔・言語門145五〕〔・言語門135一〕

とあって、標記語「快樂」の語を収載し、訓みを「ケラク」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

快樂(クワイラク) ―然(ぜン)。〔言辞門133四〕

とあって、標記語「快樂」の語の訓みを「クワイラク」として収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ケラク」乃至「クワイラク」として、「快樂」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「快樂」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

快樂(ケラク)(サツ)せ 快樂ハ。心ロヨク樂(タノ)シムト云コトバナリ。〔下十六ウ八〜十七オ一〕

とあって、この標記語「快樂」とし、語注記は「快樂は、心ろよく樂しむと云ふことばなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)也。愚身(ぐしん)快樂(くわいらく)(さつ)せ被(らる)(へき)也/貴邊本望也愚身快樂可被 貴邊とハ先方をあかめたる詞。愚身とハおのれを卑下(ひけ)したる詞也。快樂ハこゝろよくたのしむと讀。察ハ推量といふに同し。〔57オ七〜八

とあって、この標記語「快樂」とし、語注記は「快樂は、皆おこたりと讀む。道中のつかれかた/\によりおこりて無沙汰したるなりとぞ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身-キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「快樂」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeracu.ケラク(快樂) Cocoroyoi tanoximi.(快い楽しみ)歓楽,または,よろこび.〔邦訳489r〕

とあって、標記語「快樂」の語を収載し、意味を「(快い楽しみ)歓楽,または,よろこび」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-らく〔名〕【快樂】〔けは、快(クワイ)の呉音〕快樂(クワイラク)に同じ。こころよく、たのしむこと。榮花物語、十六、本雫「九重の宮の内に遊戯したまふ事、彼利天女の快樂を享けて、歡喜苑の内に遊戯するに劣らず」盛衰記、四十、維盛出家事「欲、色、二界の快樂の天、限りあれば、衰没の悲しみあり」〔0640-2〕

とあって、標記語を「快樂」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-らく快樂】〔名〕(「け」は「快」の呉音)@仏語。気持よく楽しいこと。また、楽しむこと。煩悩を超越した、無我のよろこび。A欲望の満足によって起こるこころよい感情。かいらく」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
和平儀、可候者、天下安穩、國土靜謐、諸人快樂、上下勸娯。《訓み下し》和平ノ儀、候フベクンバ、天下安穏、国土静謐ニシテ、諸人快楽(クワイラク)、上下勧娯ス。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十日の条》
 
2003年5月29日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→渋谷
愚身(グシン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「愚癡(チ)。愚鈍(ドン)。愚蒙(モウ)。愚者(シヤ)。愚案(アン)。愚慮(リヨ)。愚僧(ソウ)。愚意(イ)。愚息(ソク)。愚拙(せツ)。愚札(サツ)。愚書(シヨ)。愚詠(エイ)。愚報(ホウ)。愚人(ニン)。愚心(シン)。愚讀(クンノヨミ)」の語を収載するが、標記語「愚身」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴----樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望愚身(クシン)快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候抑洛-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)----(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「愚身」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「愚身」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

愚身(グシンヲロカ、ミ)[平・平] 。〔態藝門548六〕

とあって、標記語「愚身」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

愚身(グシン) 。〔・言語進退門161八〕

愚蒙(グモウ) ―昧(マイ)。―鈍(ドン)(シン)。―暗(アン)。―意(イ)/―癡(チ)。―老(ラウ)。―案(アン)。―慮(リヨ)。―才(サイ)。〔・言語門131七〕

愚蒙(グモウ) ―昧。―鈍。。―暗。―才。―者/―癡。―案。―慮。―意。―拙。―劣。〔・言語門120八〕

愚蒙(グモウ) ―昧(マイ)。―鈍(ドン)(シン)。―暗。―才(サイ)。―者(シヤ)/―癡(チ)。―案。―慮(リヨ)。―意(イ)。―拙(せツ)。―劣(レツ)。〔・言語門146七〕

とあって、標記語「愚身」の語を収載し、訓みを「グシン」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

愚札(グサツ) ―状(ジヤウ)。―報(ホウ)。―拙(せツ)。―鈍(ドン)。―昧(マイ)/―暗(アン)。―魯(ロ)。―詠(エイ)。―心(シム)。―意(イ)。―慮(リヨ)。―蒙(モウ)/―者(シヤ)。―案(アン)。―老(ラウ)(シン)。―人(ニン)。―癡(チ)。〔言辞門133一〜二〕

とあって、標記語「愚札」の語を収載し、冠頭字「愚」の熟語群にも「愚身」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「グシン」として、「愚身」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

 

とあって、標記語を「愚身」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

貴邊(キヘン)本望(ホンマウ)愚勞(グラウ) ハ互(タカヒ)ニ悦目(ヨロコヒ)出カシト也。〔下十七オ一〕

とあって、この標記語をなぜか「愚勞」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)也。愚身(ぐしん)の快樂(くわいらく)(さつ)せ被(らる)(へき)也/貴邊本望愚身快樂可被 貴邊とハ先方をあかめたる詞。愚身とハおのれを卑下(ひけ)したる詞也。快樂ハこゝろよくたのしむと讀。察ハ推量といふに同し。〔57オ七〜八

とあって、この標記語「愚身」とし、語注記は「愚身とは、おのれを卑下したる詞なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「愚身」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guxin.グシン(愚身) Vorocana mi.(愚かな身)すなわち,Vagami.(我が身)卑しい私,などの意で,謙遜した言い方.〔邦訳313r〕

とあって、標記語「愚身」の語を収載し、意味を「Vorocana mi.(愚かな身)すなわち,Vagami.(我が身)卑しい私,などの意で,謙遜した言い方」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語を「愚身」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-しん愚身】〔代名〕自分自身をへりくだっていう語」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
極熱之比、重病之者、写経之役、不可耐忍、関白被申之旨、愚身之悦也、後日見之、心経阿弥陀経、猶宸筆也《『玉葉』安元三年五月廿五日の条》
 
2003年5月28日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
貴邊(キヘン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「記」部に、「貴殿(キデン)。貴方(ハウ)。貴所(シヨ)。貴命(メイ)。貴寺(ジ)。貴院(イン)。貴斬(ケン)。貴坊(ハウ)。貴僧(ソウ)。貴賎(セン)。貴面(メン)。貴人(ニン)。貴意(イ)。貴國(コク)。貴札(サツ)。貴書(シヨ)。貴翰(カン)。貴報(ホウ)。貴答(タウ)。貴妃(ヒ)楊――貴妃(ヤウキヒ)也」の語を収載するが、標記語「貴邊」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無---也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候抑洛-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「貴邊」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「貴邊」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

貴邊(キヘンタトシ・ホトリ)[去・平] 。〔態藝門821六〕

とあって、標記語「貴邊」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

貴邊(キヘン) 。〔・言語進退門222一〕

貴命(キメイ) ―賤(セン)。―所。―殿。―答)/―寵(テウ)。―方。―辺。―報。〔・言語門185一〕

貴命(キメイ) ―賤。―殿。―所。―答)/―寵。―辺。―方。―報。〔・言語門174五〕

とあって、標記語「貴邊」の語を収載し、訓みを「キヘン」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

貴命(キメイ) ―邊(ヘン)。―賤(セン)。―札(サツ)/―報(ホウ)。―答(タウ)。―酬(ホウ)。〔言辞門189四〕

とあって、標記語「貴命」の語を収載し、冠頭字「貴」の熟語群にも「貴邊」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「キヘン」として、「貴邊」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「貴邊」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

抑洛-陽静-田舎貴邊 ノ事太平ノ前兆(センデフ)也。〔下十六ウ八〜十七オ一〕

とあって、この標記語「貴邊」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)也/貴邊本望也愚身快樂可被 貴邊とハ先方をあかめたる詞。愚身とハおのれを卑下(ひけ)したる詞也。快樂ハこゝろよくたのしむと讀。察ハ推量といふに同し。〔57オ七〜八

とあって、この標記語「貴邊」とし、語注記は「貴邊とは、先方をあがめたる詞」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「貴邊」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qifen.キヘン(貴邊) 貴殿.〔邦訳495l〕

とあって、標記語「貴邊」の語を収載し、意味を「貴殿」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語を「貴邊」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-へん貴邊】〔代名〕対称。相手を敬っていう。貴殿。御辺(ごへん)」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
就中祖父内府、於貴邊、被盡芳心。《訓み下し》中ニ就テ祖父ノ内府ハ、貴邊(キヘン)ニ於テ、芳心ヲ尽サル。《『吾妻鏡』文治元年十二月二十四日の条》
 
2003年5月27日(火)曇り一時雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
無爲(ブイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、

無爲(ブイ) 。〔元亀二年本222八〕

無爲(ブイ) 。〔静嘉堂本254七〕

無爲(フイ) 。〔天正十七年本中56ウ三〕

とあって、標記語「無爲」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「ブイ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田----也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候抑洛-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

無爲 帝徳名/フ井。〔黒川本・疉字門中106オ三〕

無雙 〃頼。〃事。〃極。〃窮。〃頂。〃爲。〃涯。〃邊。〃何。〃卿帝王。〃答。〃射九月。〃限。〃端。〃偏。〃愛。〃彊キヤウ。〃道。〃音。〔卷第七・疉字門84三〕

とあって、三巻本は標記語「無爲」の語を収載し、十巻本は標記語「無雙」の語注記群に「無爲」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「無爲」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

無爲(ブイ・―、タメナシ、ナス)[○・平] 。〔態藝門635三〕

無爲ニシテ而治(ヲサマル)レハ者、其(ソレ)(シユン)也歟(カ)、夫(ソレ)(ナニ)ヲカ(せ)ム(ヤ)、恭(ウヤ/\)シフシテ(ヲノレ)ヲ(タヾシク/マサニ)南面(ナンメン)ス而已(ノミ)矣。衛靈公篇〔態藝門635四〕

とあって、標記語「無爲」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

無爲(ブイ) 。〔・言語進退門182六〕

無道(ブダウ) ―音(カウ)。―爲(イ)。―力(リヨク)。―災(サイ)。―骨(コツ)。―双(サウ)。―礼(レイ)。―事(ジ)。―菜(サイ)。―難(ナン)。―興(ケウ)。―頼(ライ)。〔・言語門149七〕

無道(ブダウ) ―音。―爲。―力。―災。―骨。―双/礼。―事。―菜。―難。―興。―頼。―所存。―心得。〔・言語門139五〕

とあって、標記語「無爲」の語を収載し、訓みを「ブイ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

無禮(ブレイ) ―道(タウ)。―性(シヤウ)。―頼(ライ)。―功(コウ)。―コ(トク)。―興(ケウ)。―骨(コツ)。―爲(井)。―事(ジ)。―沙汰(サタ)。―器用(キヨウ)。―人数(ニンジユ)/―力(リヨク)。―勢(セイ)。―人(ニン)。―雙(サウ)。―音(イン)。―覺悟(カクゴ)。―故實(コジツ)。―所存(シヨゾン)。―興隆(コウリウ)。―案内(アンナイ)。无單袴(ブタンゴ)。〔言辞門151七〕

とあって、標記語「無禮」の語を収載し、冠頭字「無」の熟語群にも「無爲」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ブイ」として、「無爲」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「無爲」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

抑洛-陽静-田舎無爲 ノ事太平ノ前兆(センデフ)也。〔下十六ウ八〜十七オ一〕

とあって、この標記語「無爲」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

田舎(いなか)無爲(ぶゐ)田舎無爲 無爲とハ事なく靜なるを云。此二句ハ天下の一統したるをいえるなり。〔57オ六〜七

とあって、この標記語「無爲」とし、語注記は「無爲とは、事なく靜なるを云ふ。此二句は、天下の一統したるをいえるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「無爲」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Bui.ブイ(無爲) 平和,静穏.§また、温和.〔邦訳64r〕

とあって、標記語「無爲」の語を収載し、意味を「平和,静穏」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【無爲】(一)爲(す)ることなきこと。自然のままにて、作爲せざること。むゐ。論語、衛靈公篇「無爲而治者、其舜也歟、夫何爲哉、恭心正南面而已矣」 老子、第四十三章「不言之教、無爲之u、天下希之」荘子、庚桑楚篇「出怒不怒、則怒出於不怒、出無爲無爲」「無爲而天下治」(二)事なくして平穏なること。無事。太平記、九、主上上皇御沈落事「路次は定めて無爲にぞ候はんずらん」〔1793-5〕

とあって、標記語を「無爲」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-無爲】@〔形動〕自然のままにして作為しないこと。あるがままにして少しも干渉しないこと。また、そのさま。むい。A〔形動〕変わりなく平穏なこと。おだやかなこと。また、そのさま。無事。B〔形動〕行為を無駄にすること。なにもしないこと。つながりがなくなること。また、そのさま。C「むい(無為)B」に同じ。[語誌](1)読みは、「高山寺本論語」(鎌倉初)に「無為(フ井)、「妙一記念館本仮名書き法華経」(鎌倉中)に「有爲無為(ムヰ)」と加点されているところから、基本的には漢籍系が漢音「ぶゐ」、仏典系が呉音「むゐ」であったらしい。(2)一方、古辞書類では漢音読みが「色葉字類抄」を始めとして中・近世の『節用集』に広く見られるのに対して、呉音読みは「文明本『節用集』」に「無為(ムイ)无常」とあるのみで、同書でも他では漢音の読みである。このように、少なくとも中世においては漢音読みの方が優勢であったものと考えられる。しかし、「京大本論語抄」の「ムイ」の加点例を比較的早い例として、次第に呉音読みの「むゐ」が多く用いられるようになった」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
至門外之程、更召返之、世上無爲之時、於蛭嶋者、爲今月布施之由、仰覺淵。《訓み下し》門外ニ至ルノ程ニ、更ニ之ヲ召シ返シ、世上無爲(フイ)ノ時、蛭島ニ於テハ、今日ノ布施*タルノ(*タルベキノ)ノ由、覚淵ニ仰セラル。《『吾妻鏡』治承四年七月五日の条》
 
2003年5月26日(月)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
田舎(デンシヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

田舎(テンジヤ) 。〔元亀二年本244I〕

田舎(デンジヤ) 。〔静嘉堂本282六〕

田舎(テンシヤ) 。〔天正十七年本中70オ五〕

とあって、標記語「田舎」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「テンジヤ」「デンジヤ」「テンシヤ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静---爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候抑洛-(ラクヤウ)-田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。「田舎」の訓みを記述するのは、唯一文明本であり「(デン)シヤ」と音読みにしているのである。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

田舎 井ナカ田家 同。〔黒川本・地儀門中55オ六〕

田舎 井ナカ田家 同。〔卷第五・地儀門222四〕

とあって、訓みを「井ナカ」とし、標記語「田舎」と「田家」の両語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「田舎」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

田舎(イナカ/デンジヤ・タ、イヱ)[平・去] 或作夷中(イナカ)。〔天地門4五〕

とあって、標記語「田舎」の語を収載し、訓みは右訓に「いなか」、左訓に「デンジヤ」の訓みを収載し、語注記は「或作○○」の形式をもって「夷中」という別表記を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

夷中(イナカ) 或作為中(同)/又作田舎(同)。〔・天地門3七〕

田舎(イナカ)田家(同)為中(同)夷中(同)。〔・天地門1六〕

田舎(イナカ) 田家。為中/夷中。〔・言語門1五〕〔・言語門1六〕

とあって、弘治二年本だけは、広本節用集』の表記と注記語を逆にして収載し、他三本は『色葉字類抄』系統の影響を受けてか標記語「田舎」の語以外に「田家・為中・夷中」の三語を併記収載し、訓みを「いなか」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

田舎(デンジヤ) ―宅(タク)。―地(チ)。―園(ヲン)。―圃(ホ)。〔乾坤門163六〕

とあって、訓みを音訓みで「デンジヤ」とし、標記語「田舎」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「デンジヤ」乃至「いなか」として、「田舎」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「田舎」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

抑洛-陽静-田舎無爲 ノ事太平ノ前兆(センデフ)也。〔下十六ウ八〜十七オ一〕

とあって、この標記語「田舎」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

田舎(いなか)無爲(ぶゐ)ハ田舎無爲 無爲とハ事なく靜なるを云。此二句ハ天下の一統したるをいえるなり。〔57オ六〜七

とあって、この標記語「田舎」とし、訓みを「いなか」とし語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「田舎」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Inaca.イナカ(田舎) 田舎,すなわち,ある主要な町とか市とか以外の土地.一般には五畿内(Goqinai)以外の地をInaca(田舎)と言う.〔邦訳334l〕

Denjaデンジャ(田舎) Tano iye.(田の舎) 村のこと,または,田畑のあたりにある家々.〔邦訳184l〕

とあって、標記語「田舎」の語を収載し、意味を「田舎,すなわち,ある主要な町とか市とか以外の土地.一般には五畿内(Goqinai)以外の地をInaca(田舎)と言う」「村のこと,または,田畑のあたりにある家々」とあって、『日葡辞書』にあっては音訓の読み方で意味を異にする語であることが判明する。『庭訓往来』では、音読みするものであったが、江戸時代になるとその区別は無くなってきていることが注釈の訓み表記からも伺えよう。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

でん-しゃ〔名〕【田舎】ゐなか。又ゐなかの家。ゐなかや。史記、蘓秦傳「田舎之數、曾無芻牧、人民之衆、車馬之多、日夜行不絶」〔1369-5〕

-なか〔名〕【田舎】〔田居中(たゐなか)の上略と云ふ、又、小鄙處(をひなか)の約かと、伊豫國、宇摩郡の東方にては、田の中をたいなか、田の路をたいみちと云ふとぞ〕都會ならぬ地の稱。都より離れたる地方。鄙(ひな)。在郷。垂仁紀、二年十月「黄牛負田器、將田舎」 萬葉集、三26「昔こそ、難波居中(ゐなか)と、言はれけめ、今は都(みやこ)と、都びにけり」(~龜四年二月、難波宮再造成れり)〔2183-1〕

とあって、音訓両訓みとして標記語「田舎」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「でん-しゃ田舎】〔名〕(古くは「でんじゃ」とも)いなか。また、いなかの家」と「-なか〔名〕【田舎】〔名〕@都会から離れた土地、地方。都以外の所。また、人家が少なく、へんぴな所。在郷。鄙(ひな)。A地方にある生まれ故郷、または、親などの出身地。郷里。「連休にいなかへ帰る」B(名詞の上に付けて接頭語のように用いる)田舎でよくありそうなさま、野卑、下品、粗暴などのさまにいう語。C「いなかおたる(田舎御樽)」の略。D「いなかざけ(田舎酒)」の略。E「いなかじるこ(田舎汁粉)」の略。F下等芸者、酌婦などをいう、てきや仲間の隠語〔隠語輯覧(1915)〕G二人以上が共謀して、いなか者をだまして金品をまきあげることをいう、詐欺師仲間の隠語〔隠語輯覧(1915)〕[語誌](1)@は、中古以前は、都から離れた土地をいい、たとえば「伊勢物語-五八」の例は、平安京の外にある長岡をさす。類義語「ひな」は畿外の地をいうが、次第に古語となった。(2)「ゐなか」は「みやこ」の対として、蔑視されていたとは限らない。上代のいわゆる両貫貴族の本貫の地、すなわち生産を営む場をさす場合には侮蔑性は少なく、都会的洗練を経ないものとしては、次第に、蔑称の意識が強まり、その意味での数多くの複合語をつくる。(3)中世では京都郊外よりさらに外の地、また単に地方の意にも使われたらしい。「大乗院寺社雑事記」によると、奈良では南部の岩井河を境にその南を「田舎」といっている。また、「大坂繁花風土記」では「近世、大坂語では、遠国を『田舎』、近国を『在所』と区別したのに対し、京都語には、この区別がなかった」という」と音・訓両の訓みを収載しているが、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
勲功賞、度々可給申請御之旨雖被仰下、造作賞などよりは、勲功賞をば、可給事なれば、御居住田舎之上者、旁無便宜之間、乍恐悦、再三令辞退申給畢。《訓み下し》勲功ノ賞ハ、度度*申シ請ケ給ハリ御フベキノ(*申請ニ依リ御フベキノ旨)、仰セ下サルト雖モ、造作ノ賞ナドヨリハ、勲功ノ賞ヲバ、給ハルベキ事ナレバ、田舎(デンシヤ)ニ御居住ノ上ハ、旁便宜無キノ間、恐悦シナガラ、再三辞退申サシメ給ヒ畢シヌ。《『吾妻鏡』文治三年十月二十五日の条》
 
2003年5月25日(日)曇り時々晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
洛陽(ラクヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「羅」部に、

洛陽(ラクヤウ) 。〔元亀二年本171二〕

洛陽(ラクヤウ) 。〔静嘉堂本190二〕

洛陽(ラクヤウ) 。〔天正十七年本中25ウ二〕

とあって、標記語「洛陽」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「ラクヤウ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑--謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候抑-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

洛陽 帝都部/ラクヤウ/宮城部。〔黒川本・疉字門中41オ二〕

洛陽ラクヤウ /東京名也。〃華。〃城上同。〃邑城里也。〔卷五・疉字門93四〕

とあって、標記語「洛陽」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「洛陽」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

洛陽(ラクヤウミヤコ、ミナミ)[入・平] 或云陽城(ラクヤウシヤウ)ト。洛洋。柳文。一洋水與洛水。同流合間。云洛陽。落陽。洛羊編年。落洋。又盧各切。水名。書曰。導(ミチ)洛目熊耳漢書。漢火コ也。忌水者也。故也。〔天地門448二〕

とあって、標記語「洛陽」の語を収載し、語注記は、「或は陽城と云ふ。洛洋。柳文。一洋水。洛水と同じく流合の間。洛陽と云ふ。落陽。洛羊編年。落洋。また、盧各切。水名。書に曰く。洛を導びき熊耳に目す。『漢書』に「」に作る。漢は、火コなり。水を忌むものなり。故に「」に作るなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、なぜか標記語「洛陽」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

洛陽(ラクヤウ) ―中(チウ)。―外(クワイ)。〔乾坤門112三〕

とあって、標記語「洛陽」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書のうち、『下學集』と印度本系統の『節用集』類を除く古辞書に見えこのうち広本節用集』の語注記が最も詳細であり、この語注記が如何なる資料に基づくものか今後の研究課題でもある。訓みを「ラクヤウ」として、「洛陽」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ただし、下記注釈書には広本節用集』に見合う語注記は未記載にある。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)--{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「洛陽」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

--田舎無爲 ノ事太平ノ前兆(センデフ)也。〔下十六ウ八〜十七オ一〕

とあって、この標記語「洛陽」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)洛陽静謐 洛陽ハ都(みやこ)をいふなり。元(もと)左京(さけう)を洛陽、右京(うけう)を長安(てうあん)といえり。長安ハ前漢(ぜんかん)の都、洛陽ハ後漢(ごかん)の都の名なり。全(まつた)く是によりてかくは名付られしとそ。されとこゝに洛陽と云ハ廣(ひろ)く都をさしていへる也。静謐の注前に見へたり。。〔57オ四〜六

とあって、この標記語「洛陽」とし、語注記は「洛陽は、皆おこたりと讀む。道中のつかれかた/\によりおこりて無沙汰したるなりとぞ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也--田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ。▲洛陽ハもと左京(さきやう)をいふ。右京(う―)を長安(ちやうあん)と号(がう)す。但し爰(こゝ)にハ只(たゞ)(ミやこ)を指(さ)していふ也。〔43オ二〜六〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)。▲洛陽ハもと左京(さきやう)をいふ。右京(う―)を長安(ちやうあん)と号(がう)す。但し爰(こゝ)にハ只(たゞ)(ミやこ)を指(さ)していふ也。〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「洛陽」の語とし、語注記は、「洛陽は、もと左京をいふ。右京を長安と号す。但し、爰には、只都を指していふなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Racuyo<.ラクヤウ(洛陽) Miyaco miyaco.(洛みやこ)首府.すなわち,国の主要な都市.※この訓注は穏当でない.〔邦訳524l〕

とあって、標記語「洛陽」の語を収載し、意味を「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

らく-やう〔名〕【洛陽】〔支那、隋唐の世に、帝都は河南道にありて、洛陽と云ひしより移れる名稱なり〕略して、洛。平安城(延喜遷都の時、今の京都)は、初、中央の朱雀大路より東を左京とし、唐土の洛陽に比し、西を右京とし、長安に類す。後に左京のみ存せり。其中を洛中と云ひ、外を洛外と云ふ。地方より上り入るを上洛、又は、入洛と云ふ。みやこ。花洛。京洛。京都。鳳闕見聞圖説(源宗隆)「尚書洛誥篇に出たり、云云、爾雅にも、山南水北を陽と云、洛は洛水の北に有故に、洛陽と名付とあり、今、日本の都は、水なけれども、彼周成王の都を洛水の南に築き給ひし其例に因て、洛陽と云ふなるへし」拾芥抄、中、末、京程部「京都坊名、東京(號洛陽)」法然上人行状畫圖、三十三「念佛の興行、洛陽にして年ひさし、邊鄙におもむきて田夫野人をすすめん亊、年來の本意なり」〔2111-5〕

とあって、標記語を「洛陽」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「らく-よう洛陽】〔名〕[][一]中国河南省北西部の都市。黄河の支流、洛水の北岸に位置する。紀元前一一世紀周の成王が当時の洛邑に王城を築いたのに始まり、後漢・西晉・北魏などの首都となり、隋・唐代には西の長安に対し東都として栄えた。付近は名所古跡が多い。人民共和国成立後は工業都市として発展している。洛。洛邑。東都。東京(とうけい)。[二]平安京で、東の京すなわち左京の異称。右京を長安と称するのに対する。また、右京が早く荒廃したため、平安京、または、京都の異称となる。[]〔名〕(転じて)みやこ。」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
邦道々々者、洛陽放遊客也有因縁、盛長依舉申、候武衛。《訓み下し》邦通ハ、洛陽放遊ノ客ナリ。因縁有リテ、盛長挙シ申スニ依テ、武衛ニ候ズ。《『吾妻鏡』治承四年八月四日の条》
《『嚢鈔』(1445〜46年)一一「洛陽トハ只東京ト云義也。西ヲ長安ト云、東ヲ洛陽ト云、其ノ制前後アレ共、今本朝ニハ両都一郡ナル故ニ、共呼ンデ京師ノ名トスル歟」》
 
2003年5月24日(土)曇りのち晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(そもそも)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

(ソモ/\) 決前祢后詞。〔元亀二年本156二〕

(ソモ/\) 決前祢后詞。〔静嘉堂本171二〕

(ソモ/\)前祢后詞。〔天正十七年本中16ウ八〕

とあって、標記語「」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「ソモ/\」とし、語注記は「前に決し后に祢すの詞」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ソモ/\尓惣 同。〔黒川本・辞字中18オ八〕

ソモ/\。〔卷第四・辞字545四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ソモ/\/ヨク)[入] 意也。按也。疑辞也。發語辞也。決前生後辞。〔態藝門408一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「意也。按也。疑辞也。發語の辞也。決前生後の辞」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ソモ/\) 。〔・言語進退門120八〕〔・言語門102二〕〔・言語門92五〕〔・言語門112八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ソモ/\」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

(ソモ/\) 。〔言辞門102三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ソモ/\」として、「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ソモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-陽静-田舎無爲 ノ事太平ノ前兆(センデフ)也。〔下十六ウ八〜十七オ一〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)洛陽静謐 洛陽ハ都(みやこ)をいふなり。元(もと)左京(さけう)を洛陽、右京(うけう)を長安(てうあん)といえり。長安ハ前漢(ぜんかん)の都、洛陽ハ後漢(ごかん)の都の名なり。全(まつた)く是によりてかくは名付られしとそ。されとこゝに洛陽と云ハ廣(ひろ)く都をさしていへる也。静謐の注前に見へたり。。〔57オ四〜六

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Somosomo.ソモ/\() すなわち,Sate mata.(偖又)その上に,または,従って.§また,ある書物の初めとか,ある事項の最初とかを言い起こすのに用いられる語.〔邦訳572r」〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「すなわち,Sate mata.(偖又)その上に,または,従って」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そも-そも〔名〕【】〔次條の語を、名詞とせるもの〕最初。はじめ。はな。本朝若風俗〔貞享、西鶴〕一「病氣そもそもより此の方、毎日三度づつの見舞ひ」〔1167-3〕

そも-そも〔接〕【】(一){抑(そも)を重ねて、意味を強く云ふ語。多くは、意味なく、文を發する語とす。名義抄、ソモソモ」竹取物語「そもそも、いかやうなる志あらむ人にか逢はむと思(おぼ)す」土佐日記、正月七日「そもそも、いかが詠みたると、不審(いぶかし)がりて」續紀、三十六、天應元年四月辛卯、詔「其、仁孝者、百行之基なり、曾毛曾毛、百足之蟲の、至死不顛事は、輔を多みとなも聞し食す」古今集、序「そもそも、歌の状、六つなり」宇津保物語、俊蔭53「そもそも、獸(けだもの)と云へども、虎、狼ならぬは棲まざなり」(二)或は。又は。ただし。(漢籍讀に)論語、學而篇「夫子至於是邦也、必聞其政、求之與(カ)、抑與與」〔1167-4〕

とあって、標記語を「」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「そも-そも】[]〔接続〕(「そも」を重ねて強くいう語。もと主として漢文訓読また漢文訓読調の文章に用いられた)改めて事柄を説き起こすことを示す。一体。さて。[]〔名〕(@の転じた語)はじめ。おこり」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
東州御領、如元〈久〉不可有相違〈留〉由、任二宮注文、染丹筆〈天〉、奉免畢。《訓み下し》(ソモ/\)東州ノ御領、元ノ如ク、相違有ルベカザル由、二宮ノ注文ニ任セテ、丹筆ヲ染メテ、免ジ奉リ畢ンヌ。《『吾妻鏡』養和二年二月八日の条》
 
2003年5月23日(金)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
恐入候(をそれいりさふらう)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、標記語「恐入」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也_候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之懈-怠也恐入候抑洛-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「恐入」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「恐入」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

恐入(ヲソレイルキヨフニフ)[上・入] 。〔態藝門223八〕

とあって、標記語「恐入」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「恐入」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』にその訓みを「ヲソレイル」として、「恐入」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入(ヲモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

 

とあって、標記語を「恐入」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

往日(ワウジツ)芳恩(ハウヲン)(スコブル)胸中(ケウ―)等閑(トウカン)|、只自然(シゼン)懈怠(ケタイ)(ヲソ)レ候事 往日トハ日比(ヒゴロ)ト云心ロナリ。〔下十六ウ七〜八〕

とあって、この標記語「恐入」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おそ)れ入(い)候/_ 是まてハ下者の後無沙汰したるを詫(わひ)たるなり。〔57オ三〜四

とあって、この標記語「恐入」とし、語注記は「是までは、下者の後無沙汰したるを詫びたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ入(い)(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「恐入」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「恐入」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おそれ-〔自動、四〕【恐入】(一)甚しく恐る。畏怖。古今著聞集、十七、變化「此山伏を見て、此法師、恐れをののきたるけしきにて、云云、三人の山伏、云云、睨(にら)みて立てり、此法師いよいよ恐入りたり」(二)恐れて多く思ふ。勿體なく感ず。恐縮す。恐れ入りたる御諚」(三)自ら誤れるを知りて、畏(かしこ)しと詫(わ)ぶ。恐謝。沙石集、三、上、第一條「之迄も申入れ候事、恐れ入たる由、御披露候へとて、我と問注に負けて」 〔0297-1〕

とあって、標記語を「恐入」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おそれ-いり恐入】〔自ラ五(四)〕@非常に恐れる。すっかりこわくなる。Aあやまちを悟ってわびる。悪かったことを認めてあやまる。B目上の人などに失礼なことをしておそれおおいと思う。やや形式的なあいさつの言葉としても用いる。C相手の好意などに対して、ありがたいと思う。かたじけなく思う。現代語では、多く「おそれいります」の形で用いる。D相手の力量などにすっかり感心する。圧倒されて頭があがらなくなる。敬服する。おそれる。E物事の程度がひどくてまったく閉口する。あきれはてる。おそれる」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
シカリ腹ヲ立申シシカバ、彼ノ心ヲスカサム爲ニ、件地頭許ヘ行向テ、「師匠ニテ候老僧、下人ノ事申入テ候事ノ子細承シニ、由緒アリテ可被召仕物ニテ候ナレバ、此沙汰努々ヤメラレ候ヘト、〔弟子共申候ヘド〕モ、老ヒガミテ用候ハデ、クネリ腹立候間、彼ノ心ヲスカシ候ハムトテ、是マデ參テ侍レ共、併老僧が僻事ニテ、仰旨、其謂アル事〔ニ〕テ候ヘバ、只參テ申入テ侍レバ、シカジカノ仰ナリト申キカセテ、猶々モスカシ〔コシ〕ラヱムト存ジテ、此マデモ申入候事、返々恐入候」ト、御被露候ヘ」トテ、我トマケテ歸リシカバ、彼人呼返テ、「此僧ハ物に心ヱテ、子細アル物ナリケリ。《『沙石集』第三・(一)癲狂人ノ利口ノ事》
 
2003年5月22日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
懈怠(ケダイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

懈怠(ケダイ) 。〔元亀二年本217七〕〔天正十七年本中54ウ六〕

懈怠(ケタイ) 。〔静嘉堂本248一〕

とあって、標記語「懈怠」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「ケダイ」「ケタイ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着(チヤク)以後久不案内之条(ホトンド)往日芳恩胸中之等閑只自然之懈怠(ケタイ)也恐入候抑洛陽静謐(セイヒツ)田舎謀无爲貴邊本望也愚身(クシン)ノ快樂(ケラク)察也〔経覺筆本〕

-着以-後久不案内之条殆(ホトント)(ワス)ルヽガ-日芳恩(ハウヲン)ヲ(スコフル)非胸-(ケウ―)ノ等閑只自-然之-也恐入候抑洛-(ラクヤウ)-謐田舎(シヤ)---也愚-(クラウ)ガ-(ケラク)(サツ)せ〔文明本〕懈怠(ケタイ)。靜謐(セイヒツ)。(サツ)せ。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「懈怠」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「懈怠」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

懈怠(ケダイカイ・ヲコタリ、ヲコタル)[上・上] 菩薩本行經云。夫懈怠者修行之累ナリ。在家懈怠則衣食不供。産業不挙。出家懈怠則不出離スルコト生死之苦也。釋論云、出家懶惰則喪(ホロホス)ナリ於法寳釋氏要覧。〔態藝門598七〕

とあって、標記語「懈怠」の語を収載し、語注記は「菩薩本行經云く。夫れ懈怠は、修行の累なり。在家の懈怠則ち衣食供へず。産業挙げず。出家の懈怠は則ち生死の苦を出離することあたはずなり。釋論に云く、出家懶惰則ち法寳を喪すなり。釋氏要覧にあり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

懈怠(ケダイ) 。〔・言語進退門175七〕〔・言語門145三〕〔・言語門134九〕

とあって、標記語「懈怠」の語を収載し、訓みを「ケダイ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

懈怠(ケダイ) 。〔言辞門145七〕 懈怠(ヲコタル) 。〔言辞門63五〕

とあって、標記語「懈怠」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ケダイ」乃至「ケタイ」として、「懈怠」の語を収載し、これは古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠恐入候(ヲモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

 

とあって、標記語を「懈怠」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

往日(ワウジツ)芳恩(ハウヲン)(スコブル)胸中(ケウ―)等閑(トウカン)|、只自然(シゼン)懈怠(ケタイ)也恐(ヲソ)レ入候事 往日トハ日比(ヒゴロ)ト云心ロナリ。〔下十六ウ七〜八〕

とあって、この標記語「懈怠」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たゝ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)只自然之懈怠 懈怠ハ皆おこたりと讀。道中(とうちう)のつかれかた/\によりおこりて無沙汰(ぶさた)したる也とそ。〔57オ二〜三

とあって、この標記語「懈怠」とし、語注記は「懈怠は、皆おこたりと讀む。道中のつかれかた/\によりおこりて無沙汰したるなりとぞ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「懈怠」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qedai.ケダイ(懈怠) Vocotari,vokotaru.(懈り、怠る)何か物事を行なわせる上での手落ち,不注意,あるいは怠惰.§Qedaiuo suru.(懈怠をする)仕損ずる,または,怠けている.※原文にfazer executarとある..〔邦訳480l〕

とあって、標記語「懈怠」の語を収載し、意味を「(懈り、怠る)何か物事を行なわせる上での手落ち,不注意,あるいは怠惰」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-たい〔名〕【懈怠】おこたること。なまけ。又けだい。韓非子、説林、下篇「將軍不怒、將懈怠源氏物語、四十九、東屋29「今朝も、いと懈怠して參らせ給へる」同、五十、浮舟26「さるべき男どもは、けたいなく催しさぶらはせ侍るを」〔0611-5〕

-だい〔名〕【懈怠】けたい(懈怠)に同じ。〔0612-1〕

とあって、標記語を「懈怠」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-たい懈怠】〔名〕@けだい(懈怠)。A法律用語。しなければならないことを怠ること。特に刑法では、認識のない過失をいう」とし、さらに、標記語「-だい懈怠】〔名〕(「けたい」とも)@仏語。善を修する積極性がなく、また、悪は進んで行なう心の状態。精進に対していう。Aなまけること。おこたること。なまけ。怠慢。かいたい。B→けたい(懈怠)」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
右件人、爲若宮供僧長日之御祈、無懈怠而在御令住房、准於土民、懸萬雜事、令煩之条、不隠便事也。《訓み下し》右件ノ人ハ、若宮ノ供僧タリ。長日ノ御祈、懈怠(ケダイ)無シ。而ルニ在郷シテ住房セシム、土民ニ准ヘ、万雑公事ヲ懸ケ、煩ハシムルノ条、穏便ナラザル事ナリ。《『吾妻鏡』寿永元年八月五日の条》
人ノ懈怠ナルヲハ如在ナリトテ。ワロキ事ニ思ヘリ。神ヲマツル等ハ如在ノ礼ヲヲモクス。其ノ心如何。《『塵袋』四〇》
懈怠ノ事△懈怠(ケタイ)トカクト解體(ケタイ)トカケルトソ。ソノ別イカン字ハカハリタレドモ同シコトナリ。天平四年六月十二日ノ格(カク)ニ恐(ヲソラクハ)悠々(イフイフ)タル後進(コウシン)(ヨツテ)(カイ)(タイ)センコトヲト云ヘリ。モノクサキナリ。モノクサキハ。四支(シシ)五躰(コタイ)モ。ヌケタルヤウニテ。スクヤカナラス。是ニヨリテ。解躰(ケタイ)トモ書歟。〔『嚢抄』巻一・四十八 35オ2〕
 
2003年5月21日(水)曇りのち晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
自然(シゼン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

自然(―ゼン) 。〔元亀二年本308五〕

自然(シゼン) 。〔静嘉堂本359八〕

とあって、標記語「自然」を収載し、訓みを「シゼン」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ-----之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔経覺筆本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ()〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

自然 シセンシネン 。〔黒川本・疉字下81オ八〕

自在 〃首。〃由/〃行。〃屈。〃給。〃得。〃恣。〃願。〃存。〃。〃讃。〃歎。〃發。〃他/〃身。〃害。〃断。〃性。〃讃毀他。〃今以後。〃受法樂。。〔・言語進退門245三〕

とあって、標記語「自然」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「自然」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

自然(―ゼンヨリ・ミツカラ・ヲノツカラ、シカリ)[○・平] 。〔態藝門934二〕

とあって、標記語「自然」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

自然(ジネン) 。〔・言語進退門245三〕

自賛(ジサン) ―賣(マイ)。―歎(タン)。―餘(ヨ)。―身(シン)。―筆(ヒツ)。―他(タ)。―滅(メツ)。―慢(マン)/―害(ガイ)殺。―性(シヤウ)。―誓(セイ)―然(ネン)。―得(トク)。―業(ゲウ)。―愛(アイ)。〔・言語門209七〕

自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身。―賣。―業。―誓/―今以後。―得。―在。―筆。―愛。―由/―他。―然。―滅。―性。―言/―称。―檀又作専。―欲。―火。―力。〔・言語門193九〕

とあって、標記語「自然」の語を収載し、訓みを「ジネン」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

自然(ジネン) ―讃(サン)。―訴/―判(ハ)。―行(ギヤウ)。―他(タ)。―作(サク)。―滅(メツ)/―由(イウ)。―専(せン)。―筆(ヒツ)。―己(コ)。―力(リキ)。―害(ガイ)。―問自答(―モンジタフ)/―餘(ヨ)。―物(モツ)。―慢(マン)。―称(せウ)。―水(スイ)入テ∨■死也。―愛(アイ)。―用(ヨウ)。―見(ケン)。―身。―今已後(―コンイゴ)。〔言辞門213六〜七〕

とあって、標記語「自然」の語を収載し、訓みを「ジネン」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「シゼン」乃至「ジネン」として、「自然」の語を収載するが、、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には、「シゼン」と訓んでいる。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、自然之懈怠也恐入候(ヲモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「自然」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

往日(ワウジツ)芳恩(ハウヲン)(スコブル)胸中(ケウ―)等閑(トウカン)|、自然(シゼン)懈怠(ケタイ)也恐(ヲソ)レ入候事 往日トハ日比(ヒゴロ)ト云心ロナリ。〔下十六ウ七〜八〕

とあって、この標記語「自然」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たゝ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)自然之懈怠也 懈怠ハ皆おこたりと讀。道中(とうちう)のつかれかた/\によりおこりて無沙汰(ぶさた)したる也とそ。〔57オ二〜三

とあって、この標記語「自然」とし、語注記は「洛中よりおのが領地へ帰りたるを自然といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「自然」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xijen.シゼン(自然) Moxi.(もし)ひよっとして.〔邦訳765r〕

とあって、標記語「自然」の語を収載し、意味を「(もし)ひよっとして」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぜん「〔名〕【自然】(一)おのづから、然(しか)ること。天然(テンネン)老子、廿五章「人法地、地法天、天法道、道法自然」、 (二)人力を以て左右する能はざる状。勢の、趣く所。史記、孝文紀「死者、天地之理、物之自然者、奚可甚哀(三)天より享(う)けたる性。本性。天賦。太平記、二、爲明詠歌事「六義、數奇の道に携らねども、物類、相、感ずる事、皆、自然なれば、此歌一首の感に依りて、嗷問の責を止めける」(四)萬一の事の、出來たる場合。一旦、緩急ある時。平治物語、一、光頼卿參内事「桂右馬允範能に、膚に腹卷着せ、雜色の裝束に出立たせ、自然の事もあらば、人手にかくな、汝が手に懸けて」〔0895-3〕

とあって、標記語を「自然」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-ぜん自然】〔名〕[一]@(形動)山、川、海、草木、動物、雨、風など、人の作為によらずに存在するものや現象。また、すこしも人為の加わらないこと。また、そのさま。それらを超越的存在としてとらえることもある。A(形動)あることがらが、誰にも抵抗なく受け入れられるさま。また、行為・態度がわざとらしくないさま。B天からうけた性。物の本来の性。天性。本性。C「しぜん(自然)の事」、または「しぜん(自然)の時」の略。[二]多く「しぜんと」「しぜんに」の形、または単独で副詞的に用いる。物事がおのずから起こるさまを表わす。@ひとりでになるさま。おのずから。また、生まれながらに。Aそのうち何かの折に。いずれ。B物事がうまくはかどるさま。C物事が偶然に起こるさま。ぐうぜん。D異常の事態、万一の事態の起こるさま。もし。もしかして。[語誌](1)古代、漢籍ではシゼン、仏典ではジネンと発音されていたものと思われるが、中世においては、「日葡辞書」の記述から、シゼンは「もしも」、ジネンは「ひとりでに」の意味というように、「発音の違いが意味上の違いを反映すると理解されていたことがうかがわれる。なお、中世以降、類義語である「天然」に「もしも」の意味用法を生じさせるなどの影響も与えたと考えられる。(2)近代に入って、natureの訳語として用いられたが、当初は、「本性」という意味であったと言われており、後には、文芸思潮である「自然主義」などにも使われるようになる。(3)「自然」と「天然」は、明治三〇年代頃までは、「自然淘汰」「天然淘汰」などの例があり、現代違って、二語は意味用法において近い関係にあった。→「じねん(自然)」の補注」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
自鶴岳社頭、至由比浦、直曲横、而造詣徃道是日來雖爲御素願自然渉日。《訓み下し》鶴岡ノ社頭ヨリ、由比ノ浦ニ至ルマデ、曲横ヲ直シテ、詣往ノ道ヲ造ル。是レ日来御素願タリト雖モ、自然ニ日ヲ渉ル。《『吾妻鏡』養和二年三月十五日の条》
 
2003年5月20日(火)雨のち雷雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
胸中(ケウチュウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾・氣」部に、標記語「胸中」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔経覺筆本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ()〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「胸中」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「胸中」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)の「幾」部には、

胸中(キヨウチウ・アタルムネ、ナカ)[平・平] 。〔態藝門855一〕

とあって、標記語「胸中」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

胸中(ケウチウ) 。〔・言語進退門177三〕〔・言語門144九〕〔・言語門134六〕

とあって、標記語「胸中」の語を収載し、訓みを「(ケウ)チウ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、標記語「胸中」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「キヨウチウ」と「ケウチウ」として、「胸中」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ヲモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

 

とあって、標記語を「胸中」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

往日(ワウジツ)芳恩(ハウヲン)(スコブル)胸中(ケウ―)等閑(トウカン)|、只自然(シゼン)懈怠(ケタイ)也恐(ヲソ)レ入候事 往日トハ日比(ヒゴロ)ト云心ロナリ。〔下十六ウ七〜八〕

とあって、この標記語「胸中」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(すこふ)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)す/胸中等閑 心中よりなをさりにしたるにあらすと也〔57オ一〜二

とあって、この標記語「胸中」とし、語注記のなかで「心中」に置き換えして表現する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔43オ二〜五〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)〔76ウ二〜六〕

とあって、標記語「胸中」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeo>chu<.ケゥチュゥ(胸中) Muneno vchi.(胸の中)胸のうち,あるいは,内心.§Qeo>chu<ga firoi,l,xebai.(胸中が広い,または,狭い)知識,学問,技芸を多く身につけている,または,少ししか知らない.→Qio>chu<.〔邦訳488l〕

とあって、標記語「胸中」の語を収載し、意味を「(胸の中)胸のうち,あるいは,内心」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きょう-ちゅう〔名〕【胸中】むねのうち。こころ。おもひ。荘子、天地篇「機心存胸中、則純白不備」 蘇軾、實谷偃竹記「畫竹、必先得成竹于胸中」 太平記、四、呉越軍事「臣が胸中の安否を、存命の中に知しめ給へ」〔0500-2〕

とあって、標記語を「胸中」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きょう-ちゅう胸中】〔名〕@体の一部である胸の中。A(胸の中にあるものとして)心。また、心に思っていること。胸の思い。心のうち。心中(しんちゅう)。胸裏(きょうり)」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
生前の芳恩ただこの事にあり。将軍早くこの事を呉王に奏して、臣が胸中の安否を存命の内に知らしめ給へ」と、一度は怒り、一度は歎き、言を尽して申しければ、太宰*諮、顔色誠に解けて、「事以つて難からず、我必ず越王の罪をば申し宥むべし」とて、やがて呉王の陣へぞ参りける。《『太平記』(14世紀頃)卷第四・備後三郎高徳事》
 
2003年5月19日(月)雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
芳恩(ハウヲン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

芳恩(―ヲン) 。〔元亀二年本30三〕

芳恩(―ヲン) 。〔静嘉堂本30二〕

芳恩(ハウヲン) 。〔天正十七年本上16オ二〕

とあって、標記語「芳恩」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「(ハウ)ヲン」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔経覺筆本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ()〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「芳恩」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「芳恩」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

芳恩(ハウヲンカウバシ、イツクシ・ネンコロ)[平・平上] 。〔態藝門62七〕

とあって、標記語「芳恩」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

芳恩(ハウヲン) 。〔・言語進退門26二〕〔・言語門24五〕

芳志(ハウシ) ―命(ハウメイ)。―菲(ヒ)/―枝(シ)。―墨(ホク)。―意(イ)。―詞(シ)。―翰(カン)。―言(コン)。―心(シン)。―約(ヤク)。―札(サツ)/―談(ダン)―恩(ヲン)。―情(せイ)。―契(ケイ)。―問(モン)。―艶(エン)美女也。―存(ゾン)。―恵(ケイ)。〔・言語門22六〕

芳志(――) ―命。―菲。―枝。―墨。―意/―詞。―翰。―言。―心。―約/―札。―談。―恩。―情。―契/―問。―艶美女也。―存。―恵。〔・言語門20五〕

とあって、標記語「芳恩」の語を収載し、訓みを「ハウヲン」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

芳恩(―イン) 。〔言語門20六〕

とあって、標記語「芳恩」の語を収載し、訓みを「ハウイン」とし、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ハウヲン」(易林本は「ハウイン」)として、「芳恩」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ヲモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「芳恩」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

往日(ワウジツ)芳恩(ハウヲン)(スコブル)胸中(ケウ―)等閑(トウカン)|、只自然(シゼン)懈怠(ケタイ)也恐(ヲソ)レ入候事 往日トハ日比(ヒゴロ)ト云心ロナリ。〔下十六ウ七〜八〕

とあって、この標記語「芳恩」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ほと)んと往日(わうじつ)芳恩(ハうおん)を忘(わする)るが如(こと)し。/ントシ∨ルヽカ往日芳恩| 殆んと如しとハさも似(に)たりといふかことし。往日ハ過し日を云。芳恩ハ一(ひと)かたならぬよしはなり〔56ウ八〜57オ一

とあって、この標記語「芳恩」とし、語注記は「芳恩は、一かたならぬよしはなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ。▲芳恩ハ先方(せんばう)の深切(しんせつ)なる情(じやう)をいふ。〔43オ二〜六〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)。▲芳恩ハ先方(せんはう)の深切(しんせつ)なる情(じやう)をいふ。〔76ウ二〜77オ一〕

とあって、標記語「芳恩」の語とし、語注記は、「芳恩は、都より田舎へくだり着くをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo<uon.ハウオン(芳恩) Co<baxij megumi.(芳しい恩み)恩恵.§Fo<uonuo co<muru.(芳恩を蒙る)恩誼を受ける.→Vo<jit.〔邦訳266r〕

とあって、標記語「芳恩」の語を収載し、意味を「芳しい恩み・恩恵」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「はう-おん〔名〕【芳恩】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-おん芳恩】〔名〕人から受けた恩を敬っていう語。御恩」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍施芳恩本領主、空手後悔之處、今度諸國平均之間、還斷其思〈云云〉《訓み下し》仍テ芳恩(ハウヲン)ヲ施ス本領主、手ヲ空シフシ後悔スルノ処ニ、今度諸国平均スルノ間、還ツテ其ノ思ヒヲ断ツト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治元年十二月二十一日の条》
 
2003年5月18日(日)晴れ後曇り。大阪(百舌鳥・大阪府立女子大学)→東京(八王子)
往日(ワウジツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「和」部に、

往日(―ジツ) 。〔元亀二年本88一〕

徃日(―ヂツ) 。〔静嘉堂本108五〕

× 。〔天正十七年本〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「往日」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「(ワウ)ジツ」「(ワウ)ヂツ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

-着已-後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔経覺筆本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ()〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

徃日 晨夜分/ワウシツ。〔黒川本・疉字門上72オ八〕

徃古 〃來。〃還。〃反。〃年。〃月。〃複。〃昔。〃代。〃事。〃詣。〔卷第三・疉字門131三〕

とあって、三卷本色葉字類抄』に標記語「往日」の語は収載されているが、十巻本伊呂波字類抄』においては未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「往日」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

往日(ワウジツユク、ヒ)[上・入] 。〔態藝門238七〕

とあって、標記語「往日」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

往日(―ジツ) 。〔・時節門70四〕

往日(―ジツ) ―哲(テツ)。―覆(フク)。―返(ヘン)。―還(クハン)。―復(フク)。―昔(シヤク)。―生(シヤウ)。―古(ゴ)。―代(タイ)。/―来(ライ)。―亊(ジ)。―年(ネン)。―(ジ)。〔・言語門71八〕

徃日(ワウシツ) ―哲。―覆。―返。―還。―復。―昔。―生/―古。―代。―来。―亊。―年。―時。〔・言語門65五〕

往日(ワウジツ) ―還。―昔。―古。―来/―亊。―年。―時。〔・言語門77八〕

とあって、標記語「往日」の語を収載し、訓みを「(ワウ)ジツ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語「往日」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ワウジツ」として、「」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ヲモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

とあって、標記語を「往日」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

往日(ワウジツ)芳恩(ハウヲン)(スコブル)胸中(ケウ―)等閑(トウカン)|、只自然(シゼン)懈怠(ケタイ)也恐(ヲソ)レ入候事 往日トハ日比(ヒゴロ)ト云心ロナリ。〔下十六ウ七〜八〕

とあって、この標記語「往日」とし、語注記は、「往日とは、日比と云ふ心なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

往日(わうじつ)芳恩(ハうおん)を忘(わする)るが如(こと)し/ントシ∨ルヽカ往日芳恩 殆んと如しとハさも似(に)たりといふかことし。往日ハ過し日を云。芳恩ハ一(ひと)かたならぬよしはなり〔56ウ八〜57オ一

とあって、この標記語「往日」とし、語注記は「往日は、過ぎし日を云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ。▲徃日ハ過(すぎ)し日也。〔43オ二〜六〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)。▲徃日ハ過(すぎ)し日也。〔76ウ二〜77オ一〕

とあって、標記語「往日」の語とし、語注記は、「徃日は、過し日なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vo<jit.ワウジツ(往日) 過ぎ去った時期,または,日々.§Vo<jitno fo<uonuo vasururu.(往日の芳恩を忘るる)文書語.主君などから受けた以前の恩恵を忘れる.※殆如忘往日芳恩(庭訓往来,八月徃状).〔邦訳707r〕

とあって、標記語「往日」の語を収載し、意味を「過ぎ去った時期,または,日々」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

わう-じつ〔名〕【往日】(一)往(い)にし日。過ぎ去りし日。先日。過日。曩日。禮記、上篇「生與(カゾヘ)來日、死與フ二往日(二)むかし。徃昔。曩昔。 白居易詩「今日心情如往日〔2157-5〜2158-1〕

とあって、標記語を「往日」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おう-じつ往日】〔名〕(「過ぎ去った日」の意)むかし。過日」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
自雖有存忠之輩、怖平家後聞、不及葬禮沙汰、而此上人、以徃日師壇、垣田郷内、點墓所、訪没後、未怠《訓み下し》自ラ存忠(忠ヲ存ズル)ノ輩有リト雖モ、平家ノ後聞ヲ怖レ、葬礼ノ沙汰ニ及バズ、而ルニ此ノ上人、往日(ワウ―)ノ師檀ヲ以テ、垣田ノ郷(填田ノ郷)ノ内ニ、墓所ヲ点ジ、没後ヲ訪ヒ、未ダ怠ラズ。《『吾妻鏡』元暦二年三月二十七日の条》
 
2003年5月17日(土)曇り一時晴れ。大阪(天王寺→長居公園)→百舌鳥(堺市民会館)
下着(ゲチヤク)」(「ことばの溜池」2002.01.14)参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

下着(―ヂヤク) 。〔元亀二年本213四〕

下着(―チヤク) 。〔静嘉堂本242四〕

下着(―シヤク) 。〔天正十七年本中50ウ四〕

とあって、標記語「下着」の表記で収載し、訓みをそれぞれ「(ケ)ヂヤク」「(ケ)チヤク」「(ケ)シヤク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

下着以後久不啓案内之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候之抑洛陽静謐田舎○{無爲貴邊御本望也愚身快樂可被察候也〔至徳三年本〕

下着以後久不啓案内之條殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然懈怠也恐入候恐入候抑洛陽静謐田舎無爲貴邊御本望也愚快樂可被察也〔宝徳三年本〕

下着以後久不啓案内候之条殆如忘往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也恐入候抑洛陽静謐田舎無為貴邊御本望也愚身快樂可被察也〔建部傳内本〕

--後久不ル∨-之條ントシ∨ルヽカ----只自-之懈怠也恐_入候抑洛-陽静-謐田-舎無-爲貴--也愚--樂可察也〔山田俊雄藏本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ〔経覺筆本〕

下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ()〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「下着」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「下着」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

下著(チヤク・アラワス・シタ、ツク)[去・入] 。〔態藝門597八〕

とあって、標記語「下着」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

下着(―チヤク) 。〔・言語進退門176三〕

下品(ゲボン) ―向(カウ)。―知(ヂ)。―行(ギヤウ)。―(コク)/―直(ジキ)。―劣(レツ)―着(チヤク)。―輩(ハイ)。下戸(ゲコ)。―少(せウ)。/―用(ヨウ)。―臈(ラウ)。〔・言語門144四〕

下品(ゲホン) ―向。―知。―行。―国。―直。―劣/―着。―輩。―戸。―用。―臈。――。〔・言語門134二〕

とあって、標記語「下着」の語を収載し、訓みを「(ケ)チヤク」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

下行(ゲキヤウ) ―賤(せン)。―根(コン)。―知(ヂ)。―國(コク)。―馬(バ)。―座(サ)。―戸(コ)/―用(ヨウ)。―品(ホン)。―向(カウ)。―劣(レツ)。―剋上(コクシヤウ)。―直(ヂキ)。〔言辞門145六〕

とあって、標記語「下行」の語を収載し、冠頭字「下」の熟語群にも「下着」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ゲチヤク」として、「下着」「下著」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月卅日の状には、

438下着以後久不案内候条{入道ニト云詞也}往日芳恩|。(スコムル)胸中等閑|、只自然之懈怠也恐入候(ヲモ々々)-陽静-{東都鎌倉ヲ云也}、田舎無-貴邊本望愚身-樂可被可察也中御引付沙汰 先代定沙汰也。〔謙堂文庫蔵四三右B〕

 

とあって、標記語を「下着」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

下着(チヤク)已後(イコ)ルノ(ケイ)せ案内(アン―)之条 下着(ゲチヤク)トハ洛中ヨリ鄙(イナカ)ヘ下ル事ナリ。〔下十六ウ六〕

とあって、この標記語「下着」とし、語注記は、「下着とは、洛中より鄙へ下る事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

下着(げちやく)以後(いご)下着以後 洛中よりおのか領地(れうち)へ帰りたるを下着といふ〔56ウ七

とあって、この標記語「下着」とし、語注記は「洛中よりおのが領地へ帰りたるを下着といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下著(げちやく)以後(いご)(ひさし)く案内(あんない)を啓(けい)せ不(ざ)る之(の)(でう)(ほとんど)往日(わうじつ)の芳恩(はうおん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。頗(すこぶる)胸中(けうちう)の等閑(とうかん)に非(あら)ず。只(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)。恐(おそ)れ入(い)り候(さふら)ふ。抑(そも/\)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)田舎(いなか)無爲(ぶゐ)貴邊(きへん)乃本望(ほんまう)(なり)。愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(さつ)せら被(る)(べ)き也(なり)。/下着以後ル∨案内之條殆如シ∨ルヽガ往日芳恩頗非胸中等閑只自然之懈怠也抑洛-陽静-田舎無爲貴邊本望愚身快-樂可キ∨セラ。▲下着ハ都(ミやこ)より田舎(ゐなか)へくだり着(つ)くをいふ。〔43オ二〜六〕

下着(げちやく)以後(いご)(ひさし)く(ざ)る(けい)せ案内(あんない)(の)(でう)(ほとんど)(ごと)し(わす)るゝが往日(わうじつ)芳恩(はうおん)(すこふる)(あら)す胸中(けうちう)等閑(とうかん)|、(たゞ)自然(しぜん)(の)懈怠(けだい)(なり)(おそ)れ(い)り(さふら)ふ(そも/\)洛陽(らくやう)静謐(せいひつ)田舎(ゐなか)無爲(ぶい)貴邊(きへん)の本望(ほんまう)(なり)愚身(ぐしん)の快樂(けらく)(べ)き(る)(さつ)せら(なり)。▲下着ハ都(ミやこ)より田舎(ゐなか)へくだり着(つ)くをいふ。〔76ウ二〜77オ一〕

とあって、標記語「下着」の語とし、語注記は、「下着は、都より田舎へくだり着くをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guechacu.ゲチヤク(下着) Cudaritcuqu.(下り着く)都(Miyaco),または,その他上方(かみがた)の地方から来て到着すること.〔邦訳294l」〕

とあって、標記語「下着」の語を収載し、意味を「下り着く。都、または、その他上方の地方から来て到着すること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ちやく〔名〕【下着】くだり、つくこと。都より、田舎の地へ到りつくこと。保元物語、二、爲義降參事「それは、東國へ下着しての事ぞかし」〔0613-4〕

とあって、標記語を「下着」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-ちゃく下着下著】〔名〕都から地方へくだり、その目的地に着くこと」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今日坊門大納言自京都下着。《訓み下し》今日坊門ノ大納言京都ヨリ下着ス。《『吾妻鏡』建保七年正月二十三日》
 
2003年5月16日(金)雨一時曇り。東京(八王子)→大坂(大阪府立女子大学)
清原(きよはら)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、「清水(キヨミヅ)。清書(キヨガキ)」の二語を収載するが姓氏を表わす標記語「清原」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

七月日     紀〔至徳三年本〕

七月 日    紀〔宝徳三年本〕

七月日     紀〔建部傳内本〕

七月日     宮内少輔清原〔山田俊雄藏本〕

七月日     紀〔経覺筆本〕

七月日     紀〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、「清原」の語は山田俊雄藏本のみが記載する語であり、下記に示す真字注と共通する。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「清原」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

清原(キヨハラ) 也。〔絹布門96六〕

とあって、標記語「清原」の語を収載し、語注記に「邉は、或は綴に作す」と記載する。次に広本節用集』には、

清原(キヨハラナヲシ、ツヾル)[上入・入] 。〔絹布門162二〕

とあって、標記語「清原」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

清原(キヨハラ) 衣。〔・財宝門50五〕〔・財宝門47五〕〔・財宝門56二〕

清原(キヨハラ) 。〔・財宝門52二〕

とあって、標記語「清原」の語を収載し、訓みを「キヨハラ」とし、語注記は三本に「衣」と記載する。また、易林本節用集』に、

清原(キヨハラ) 。〔食服門50四〕

とあって、標記語「清原」の語を収載し、訓みは「キヨハラ」とする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「キヨハラ」として、「清原」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

437七月 日     宮内少輔清原 〔謙堂文庫蔵四三右@〕

とあって、標記語を「清原」とし、その語注記は未記載にしている。この「宮内少輔清原」については、今のところ、手がかりとなる史料を見出していない。後日の調査に委ねておく。

 古版庭訓徃来註』では、

七月日     紀(キ)謹言 大藏丞(ヲホクラゼフ)殿下十六ウ四〜五

とあって、この標記語「清原」の語は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

七月 日 紀(き)謹上大蔵(おほくら)の丞(ぜう)殿(との)七月日     紀(キ)謹言 大藏丞(ヲホクラゼフ)殿〔56ウ五〜六

とあって、この標記語「清原」の語は未収載にする。頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』にも、

七月(シチグハつ)の日(ひ) 紀(き)謹上(きんじやう)大蔵(おほくら)の丞(じよう)殿(どの)七月     紀謹言 大藏殿。▲大蔵丞ハ大小あり。六位の侍(さむらひ)これに任(にん)ず。唐名(からな)ハ大府郎中(たいふらうちう)といふ。〔42ウ七〜八〕

七月 日 紀(き)謹上大蔵(おほくら)の丞(ぜう)殿(との)七月(しちぐわつ)の(ひ)     紀(き)謹上(きんしやう) 大藏丞(おほくらのじよう)殿(どの)▲大蔵丞ハ大小あり。六位の侍(さむらひ)これに任(にん)す。唐名(からな)ハ大府郎中(たいふらうちう)といふ。〔76オ四〜六〕

とあって、標記語「清原」の語は、未収載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「清原」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、姓氏を表わす「きよ-はら〔名〕【清原】」語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きよ-はら清原】姓氏のひとつ」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
前三河守正五位下清原眞人教隆率〈年六十七于時在京〉《訓み下し》前三河守正五位下清原(キヨハラ)眞人教隆率〈年六十七于時在京〉《『吾妻鏡』文永二年七月十八日の条》
 
2003年5月15日(木)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(き)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、標記語「」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

七月日     〔至徳三年本〕

七月 日    〔宝徳三年本〕

七月日     〔建部傳内本〕

七月日     宮内少輔清原〔山田俊雄藏本〕

七月日     〔経覺筆本〕

七月日     〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、山田俊雄藏本だけが下記の真字注と同じ「宮内少輔清原」の語を記載する。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、姓氏を表わす標記語「」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、姓氏を表わす標記語「」の語を未収載する。次に広本節用集』も時節門の「紀」の語は収載するが、姓氏を表わす標記語「」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、数量を表わす「紀」の語は収載するが姓氏を表わす標記語「」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書では、姓氏の「」の語は未収載にしている。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

437七月 日     宮内少輔清原 〔謙堂文庫蔵四三右@〕

とあって、標記語を「」の語は未収載であって、代わって「宮内少輔清原」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。なぜ、真字注だけがこのように異なっているのか不思議なところでもある。

 古版庭訓徃来註』では、

七月日     (キ)謹言 大藏丞(ヲホクラゼフ)殿下十六ウ四〜五

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

七月 日 紀(き)謹上大蔵(おほくら)の丞(ぜう)殿(との)七月日     (キ)謹言 大藏丞(ヲホクラゼフ)殿〔56ウ五〜六

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

七月(シチグハつ)の日(ひ) (き)謹上(きんじやう)大蔵(おほくら)の丞(じよう)殿(どの)七月     謹言 大藏殿。▲大蔵丞ハ大小あり。六位の侍(さむらひ)これに任(にん)ず。唐名(からな)ハ大府郎中(たいふらうちう)といふ。▲紀氏(うぢ)ハ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)より四世~皇彦霊尊(かんむすびのみこと)是其祖~(そじん)にして武内宿禰(たけのうちのすくね)を始とする歟。〔42ウ七〜八〕

七月 日 (き)謹上大蔵(おほくら)の丞(ぜう)殿(との)七月(しちぐわつ)の(ひ)     (き)謹上(きんしやう) 大藏丞(おほくらのじよう)殿(どの)▲大蔵丞ハ大小あり。六位の侍(さむらひ)これに任(にん)す。唐名(からな)ハ大府郎中(たいふらうちう)といふ。▲紀氏(うぢ)ハ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)より四世~皇彦霊尊(かんむすびのミこと)是其祖~(そじん)にして武内宿禰(たけのうちのすくね)を始とする歟。〔76オ四〜六〕

とあって、標記語「」の語とし、語注記は、「紀氏は、伊弉諾尊より四世、~皇彦霊尊是れ其の祖~にして武内宿禰を始とするか」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、姓氏の意の「〔名〕【】」語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「】姓氏の一つ」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
權守、波賀次郎大夫等、勲功事、殊蒙御感之仰《訓み下し》次ニ(キ)ノ権ノ守、波賀ノ次郎大夫等ガ、勲功ノ事、殊ニ御感ノ仰セヲ蒙ル。《『吾妻鏡』文治五年九月二十日の条》
 
2003年5月14日(水)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
不覚(フカク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

不覺(―カク) 。〔元亀二年本221七〕

不覚(――) 。〔静嘉堂本253一〕

不覚(フカク) 。〔天正十七年本中55ウ六〕

とあって、標記語「不覺}」の表記で収載し、訓みを「(フ)カク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯不覺可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯不覚可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯不覚存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯不覚存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

不覺 人情部/フカク〔黒川本・疉字門中106オ七〕

不羈(―キ) 〃覺。〃通。〃用。〃審。〃断。〃日。〃善。〃調。〃了。〃意。〃慮。〃和。〃合。〃次一作翅。〃幸。〃運。〃澤。〃諧。〃肖〓同。〃便。〃熟。〃登。〃祥。〃定。〃朽。〃仕。〃足。〃享キヤウ。〃請。〃義。〃欽ツヽシマス。〃虞。〃易エキ。〃忠。〃敵。〃圖。〃善。〃當。〃具。〃遇。〃孝ケウ。〃請。〃備。〃情せイ。〃快。〃別。〃思議。〃中用。〃足言。〃周風西北風也。〔卷第七・疉字門79四〕

とあって、標記語「不覺」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

不覺(―カク) 失錯之義ナリ也。〔態藝門96六〕

とあって、標記語「不覺」の語を収載し、語注記に「失錯の義なり」と記載する。次に広本節用集』には、

不覺(カク・アラズ、サムル/フウ・イナヤ、ヲボウ・サトル)[平・入] 失錯(シツシヤク)義同。〔態藝門628二・三〕

とあって、『下學集』の語および注記を継承し、標記語「不覺」の語を収載し、語注記は、「失錯の義同じ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

不覚(―カク) 失錯(シツシヤク)義。〔・言語進退門181七〕

不慮(フリヨ) 《前略》―覺(―カク) 失錯義。《後略》 。〔・言語門149四〕

不慮(フリヨ) 《前略》―覺 。《後略》 。〔・言語門139四〕

とあって、『下學集』の語および注記を継承し、標記語「不覚」の語を収載し、訓みを「フカク」とし、語注記は二本に「失錯義」と記載する。また、易林本節用集』に、

不審(フシン) 《前略》―覺(―カク) 。《後略》 。〔言辞門151一〕

とあって、標記語「不審」の語を収載し、冠頭字「不」の熟語群として「不覚」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「フカク」として、「不覺」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ただ、ここで古辞書『下學集』を頂点とする「失錯の義」という語注記は真字注には未収載である点は注意せねばなつまい。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

436同被‖_下之(ツキ)_ラハ不日持參若有損失生涯{イキタルキワトヨム折角ノ亊也}不覚能々可被存知者歟恐々謹言 〔謙堂文庫藏四二左H〕

とあって、標記語を「不覚」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

生涯(カイ)不覺(フカク)存知 生涯(ガイ)ト云事。イキタルキワト讀(ヨム)折角(せツカク)ナル事ナリ。〔下十六ウ三〜四〕

とあって、この標記語「不覚」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)也/生涯不覺 生涯ハ一生をいふなり。〔56オ五〜六

とあって、この標記語「不覚」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯不覚存知せラ|者歟恐々謹言〔41ウ八〜42オ七〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔74ウ二〜75オ五〕

とあって、標記語「不覚」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fucacu.フカク(不覚) 前もって準備してなかったための名折れや不名誉や失敗.§Fucacuuo caqu.(不覚をかく)何か失敗などをしたために,面目を失う,あるいは,侮辱をこうむる.〔邦訳269l〕

とあって、標記語「不覚」の語を収載し、意味を「前もって準備してなかったための名折れや不名誉や失敗」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-かく〔名〕【不覺】〔不覺悟の略か〕(一)覺悟の慥ならぬこと。物も覺えぬさまなること。大鏡、中、道兼「さばかりの重き病を受け給ひてければ、云云、ことの外に不覺になり給ひにけりと見え給ひながら」「前後不覺(二)怠りて、だしぬかるること。油斷。不注意。不覺悟。平家物語、一、鵜川合戰事「先先の目代は、皆不覺でこそ卑しまれた」(三)しくじり。失敗。又、なをれ。不面目。不名譽。下學集、下、言辞門「不覺、フカク、失錯之義也」平家物語、九、木曾最後事「弓矢取りは年比日比、いかなる高名候へども、最後に不覺しぬれば、長き瑕にて候なり」源平盛衰記、十八、仙洞管絃事「昇殿を免さるる事は、高名にこそ依る事なるに、資行は不覺を現じて大床に上る」十訓抄、下、第十、第五十六條「若し不覺かきたらば、申し行ひたりける人を射んが爲なりとぞ、答へける」(四)卑怯なること。臆病なること。謡曲、咸陽宮「身體わななき手を押して、上りかねてぞ休らひける、ああ不覺なりとよ秦舞陽」(五)思はず知らずなること。無意識。謡曲、七騎落「只今の御物語を聞き候ひて、落涙仕りて候ふを、さぞ人人の不覺の涙とや思し召すらん」〔1725-2〕

とあって、標記語を「不覺」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-かく不覚】〔名〕@心や意識がしっかりしていないこと。正体を失うこと。人事不省に陥ること。また、そのさま。A油断して失敗を招くこと。不注意なこと。不名誉なあやまちを犯すこと。また、そのさま。B思わず知らずそうなってしまうこと。また、そのさま。C覚悟が決まっていないこと。臆病なこと。卑怯なこと。また、そのさま。不覚悟。D能力が人並みでないこと。物事の道理をわきまえないこと。愚かなこと」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
其以前不覺者候、只守院宣、相副御使、爲廻行計候《訓み下し》其ノ以前ニ不覚ノ者候ハバ、只院宣ヲ守リ、御使ヲ相ヒ副ヘ、計ヲ廻ラシ行ハン為ニ候フ。廻ラシ行ハン為許ニ候)《『吾妻鏡』元暦二年三月四日の条》
 
2003年5月13日(火)曇り一時晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
損失(ソンシツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

損失(―シツ) 。〔元亀二年本153五〕〔静嘉堂本167八〕〔天正十七年本中15ウ一〕

とあって、標記語「損失」の表記で収載し、訓みを「(ソン)シツ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「損失」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「損失」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

損失(ソンシツソコナウ、ウシナフ)[上・入] 。〔態藝門404六〕

とあって、標記語「損失」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

損失(ソンシツ) 。〔・言語進退門123四〕

損失(ソンシツ) ―亡。〔・言語門101九〕

損失(ソンシツ) ―亡。―免/―料。〔・言語門92三〕〔・言語門112五〕

とあって、標記語「損失」の語を収載し、訓みを「ソンシツ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

損益(ソンヱキ) ―得(トク)。―免(メン)。―亡(ハウ)―失(シツ)。〔言辞門100六・七〕

とあって、標記語「損益」の語を収載し、冠頭字「損」の熟語群として最後に「損失」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ソンシツ」として、「損失」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

436同被‖_下之(ツキ)_ラハ不日持參若有損失生涯{イキタルキワトヨム折角ノ亊也}之不覚也能々可被存知者歟恐々謹言 〔謙堂文庫藏四二左H〕

とあって、標記語を「損失」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

不日持參(チサン)損失(−ンジツ) 不日ト云事ハ其日ノ事ナリ。〔下十六ウ二・三〕

とあって、この標記語「損失」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

損失(そんしつ)(あ)ら者(ハ)ラハ損失 やふれそこねるを損と云。とりうしなうを失と云。〔56オ五〜六

とあって、標記語を「損失」とし、語注記は、「やぶれそこねるを損と云ふ。とりうしなうを失と云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言〔41ウ八〜42オ七〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔74ウ二〜75オ五〕

とあって、標記語「損失」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sonxit.ソンシツ(損失) Son(損)に同じ.損失,あるいは,被害.〔邦訳574l〕

とあって、標記語「損失」の語を収載し、意味を「損に同じ。損失、あるいは、被害」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そん-しつ〔名〕【損失】(一)そんまう(損亡)に同じ。楊雄、豫州牧箴「靡哲靡聖、其正(二)物を損ひ、又は、失ふこと。失損。後漢書、和帝紀「芻藁若損失」 庭訓往来、七月「用竭_者。不日持參せラ損失生涯之不覺也」〔1164-4〕

とあって、標記語を「損失」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「そん-しつ損失】〔名〕@そこないうしなうこと。A特に、利益や財産をうしなうこと。損亡。また、そのうしなったもの」とあって、『大言海』では引用しているが、『日本国語大辞典』第二版は『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
戊辰、入夜全玄法印来、終日言談、自去年、摂州仲山寺ト云山寺ニ時々隠居、件所額、九条相国伊通書之、其額損失了云々、仍為結縁可書之由、先日相示、依有所労、漸々可終功之由答了、其事為示驚歟、十月中大切云々《『玉葉』承安四年八月十四日の条》
 
2003年5月12日(月)曇り一時晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
不日(フジツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、「不断(ダン)。不審(シン)。不知(チ)。不通(ツウ)。不義(ギ)。不弁(ベン)。不便(ベン)。不熟(ジユク)。不當(タウ)食耽之義也。不忠(チウ)。不孝(カウ)。不調(テウ)。不肖(フセウ)―(サル)―ニ人倫義。不覺(カク)。不足(ソク)。不慮(リヨ)。不堪(カン)。不參(サン)。不同(トウ)。不會(クワイ)不和之義。不安(アン)。不備(ビ)。不宣(セン)。不縷(ル)。不滿(マン)。不直(チヨク)。不敵(テキ)。不祥(ジヤウ)日本。不退(タイ)。不諧(カイ/カナウ)。不對(ツイ)。不出(ジユツ)。不変(ベン)。不例(レイ)。不尊(ソン)。不納(ナウ)。不老(ラウ)。不死(シ)。不吉(キツ)。不浄(ジヤウ)。不論(ロン)。不淫(イン)。不生(ジヤウ)。不滅(メツ)。不垢(ク)。不増(ゾウ)。不減(ゲン)。不傳(テン)。不實(ジツ)。不意(フイ・ヲモハザリキ)。不明(ミヤウ)。不入(ニウ)。不法(ホウ)。不具(グ)。不虚(コ)。不知(チ)。不信(シン)。不図(ト)。○。不暁(キウ)」の語を収載し、標記語「不日」は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「不日」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』に、標記語「不日」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

不日(フジツ) 。〔・時節門179三、言語進退182三〕

不日(フジツ) 。〔・言語門149三〕

不日(――) 。〔・言語門139三〕

とあって、標記語「不日」の語を収載し、訓みを「フジツ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

不日(フジツ) 。〔言語門151一〕

とあって、標記語「不日」の語を収載し、訓みは「フジツ」とする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「フジツ」として、「不日」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

436同被‖_下之(ツキ)_ラハ不日持參若有損失生涯{イキタルキワトヨム折角ノ亊也}之不覚也能々可被存知者歟恐々謹言 〔謙堂文庫藏四二左H〕

とあって、標記語を「不日」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

不日持參(チサン)損失(−ンジツ) 不日ト云事ハ其日ノ事ナリ。〔下十六ウ二・三〕

とあって、この標記語「不日」とし、語注記は「不日と云ふ事は、其の日の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つき)(こと)(おわ)らハ不日(ふじつ)に持參(ちさん)せ被(らる)(へ)し/同被ル∨‖_下之ヲ|_ラハ不日持參セ| 不日とハ時刻(しこく)を移(うつ)さぬ事也。〔56オ五〜六

とあって、標記語を「不日」とし、語注記は、「不日とは、時刻を移さぬ事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言。▲不日ハ日をのばさずといふこと。〔42ウ三・四〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)不日ハ日(ひ)をのばさずといふこと。〔74ウ二〜75オ五〕

とあって、標記語「不日」の語とし、語注記は、「不日は、日をのばさずといふこと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fujit.フジツ(不日) Finarazu.(日ならず)決定していない日.§Fujitni sanji subexi.(不日に参寺すべし)私は日をきめないで寺(Tera)へ参ろう.文書語.§また,直ちに遅滞なく.〔邦訳273r〕

とあって、標記語「不日」の語を収載し、意味を「日ならず。決定していない日。また,直ちに遅滞なく」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-じつ〔副〕【不日】日ならず。多くの日を歴ずして。詩経、大雅、文王の什、靈臺篇「經始靈臺、經之營之、庶民攻之、不日之」 宇治拾遺物語、四、第十七條「郡司、一家ひろきものなれば、人數をおこして、不日に戒壇ヲ築きてけりとぞ」〔1746-3〕

とあって、標記語を「不日」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-じつ不日】〔名〕@日を単位とする時間的経過がわずかであること。多くの日を経ないこと。すぐであること。副詞的にも用いる。A日付を書かないこと」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
備中國下津井、御解纜畢之上、洛中不穩、不能不日立歸、憖被遂前途候畢《訓み下し》備中ノ国下津井ニシテ、纜ヲ解カセ御ヒ畢ンヌルノ上、洛中穏ナラズシテ(洛中穏ナラザルニ依テ)、不日(フジツ)ニ立チ帰ルコト能ハズ、憖ニ前途ヲ遂ゲラレ候ヒ畢ンヌ。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十日の条》
 
2003年5月11日(日)曇りときどき晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→箱根湯本→駒沢)
調拍子(とヒヤウシ)・(ドウバツシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

伯子(―ビヤウシ) 。〔元亀二年本58十〕

拍子(トヒヤウシ) 。〔静嘉堂本67一〕

土拍子(トヒヤウシ) 。〔天正十七年本上34オ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「土拍子」の表記で収載し、訓みを「トヒヤウシ」「トビヤウシ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(/トウハツ) トヒウシ即鉢也。頓拍子。〔黒川本・雜物上46オ五〕

トヒカウシ銅鉢子 已上同。〔卷第二・雜物上392三〕

とあって、標記語「」「頓拍子」「銅鉢子」の語をもって収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

土拍子(ドビヤウシ) 。〔器財門112二〕

とあって、標記語「土拍子」の語を収載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』には、

土拍子(ビヤウシ/ツチ、ハク・ウツ、コ)[上・入・上] 。〔器財門130八〕

とあって、標記語「土拍子」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

拍子(トビヤウシ) 。〔・財宝門43六〕

土拍子(トヒヤウシ/―ヒヤク―) 。〔・財宝門44五〕

土拍子(トヒヤウシ) 。〔・財宝門40九〕

拍子(トヒヤウシ) 。〔・財宝門48六〕

とあって、標記語「土拍子」の語を収載し、訓みを「トヒヤウシ」「トビヤウシ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

土拍子(トビヤウシ) 。〔食服門43三〕

とあって、標記語「土拍子」の語を収載し、訓みは「トビヤウシ」とする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「トヒヤウシ」「トビヤウシ」として、「土拍子」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語とは異なる表記を用いている。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

435調(ト)拍子摺鼓等 仁王四十六代孝謙天王始。孝謙女帝也。孝謙得道鏡大物歓喜之餘大呼之百官摺鼓云々也。〔謙堂文庫藏四二左E〕

とあって、標記語を「調拍子」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリツヽミ)等同(タツネ)‖_用竭(ツ)_(ヲハ)(ハ) 調拍子(トヒヤウシ)ハ。常(ツネ)ニ持テ摺(スル)ナリ。〔下十六オ五〜七〕

とあって、この標記語「調拍子」とし、語注記は「調拍子は常に持ちて摺るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

調拍子(とひやうし)調拍子 (ねよう)のことく小き物也。〔56オ六

とあって、標記語を「調拍子」とし、語注記は、「繞のごとく小き物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言。▲ハもと西戎(せいじう)より出つ綿数(わたかす)寸薄金(すんうすがね)を以て圓(まろ)く作り正中(まんなか)に革紐(かハひも)を通(とふ)し二枚(まい)撃合(うちあハ)て音(ね)を發(はつ)す。〔42ウ二〜三〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)ハもと西戎(せいじう)より出(い)づ。綿数(わたかす)寸薄金(こんうすがね)を以て作り正中(まんなか)に革紐(かハひも)を通(とふ)し二枚(まい)撃合(うちあハ)して音(ね)を發(はつ)す。〔75ウ四〜五〕

とあって、標記語「」の語とし、語注記は、「は、もと西戎より出づ。綿数寸薄金を以て圓く作り正中に革紐を通し二枚撃ち合はして音を發す」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tobio<xi.トビャゥシ(銅拍子) Mico(神子)と呼ばれるある女人が,~(Cami)の前で鳴らす鈴.§Tobio<xiuo auasuru.(銅拍子を合はする)この振鈴を奏する.※原文はSestros.〔Nho>fachiの注〕〔邦訳652l〕

とあって、標記語「調拍子」の語を収載し、意味を「Mico(神子)と呼ばれるある女人が,~(Cami)の前で鳴らす鈴」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-びゃうし〔名〕【銅拍子】〔(どうばちし)の轉か〕(一)又、どんびゃうし。樂器の名。形、繞(ねうはち)の如くにして小さく、眞鑄にて作る。拾芥抄、上末、樂器「銅拍子、ドビャウシ」 下學集、下、樂器門「土拍子、ドビヤウシ」 歌舞品目、三、八音紀原「銅拍子、此器は、迦陵頻の舞に用ゆる者にして、西城の樂器也」 吾妻鏡、六、文治二年四月八日、靜安、鶴岡舞「工藤左衛門尉祐經、鼓、畠山次郎重忠、銅拍子」(節文)」 十訓抄、中、第七、廿四條「鼓、どんびやうし取出でよとて、御前も侍も舞ひかなでてぞ出でにける、目もあやなり」 (二)蓴菜の異名。葉の形、似たれば云ふ。(和州)〔1416-5〕

とあって、標記語を「銅拍子」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-びょうし調拍子】〔名〕(「とびょうし」とも)小型の銅(どうばち)。おもに古代芸能・民俗芸能で用いられる。現行の舞楽「迦陵頻」では舞人がこれを手にして舞う。現在の民俗芸能で用いる手平金(てびらがね)、歌舞伎の「ちゃっぱ」はこの系統の樂器。どうびょうし。どんびょうし。[語誌](1)「大唐六典」に「同」「銅」という形で見え、西域の舞楽に用いられている。(2)本来「ドウバチシ」〔観智院本名義抄〕と読まれ、仏供養の際の迦陵頻の舞に用いられたが、中世以降「トビャウシ」〔元和本『下學集』、『日葡辞書』〕、「ドビャウシ」〔義経物語〕と呼ばれている。よび方の変化に伴い、「銅拍子」「頓拍子」「土拍子」「調拍子」などと漢字表記もいろいろ見られる。」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
畠山二郎重忠、爲銅拍子靜、先吟出歌云、吉野山峯ノ白雪フミ分テ、入ニシ人ノ跡ゾコヒシキ《訓み下し》畠山ノ二郎重忠、銅拍子(トビヤウシ)タリ。静、先ヅ歌ヲ吟ジ出ダシテ云ク、吉野山峰ノ白雪フミ分ケテ、入リニシ人ノ跡ゾコヒシキ。《『吾妻鏡』文治二年四月八日の条》
 
2003年5月10日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→市ヶ谷
三ノ鼓(みつ(サン)のつづみ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「見」部に、「三寸(同=ミキ)。三種(ミクサ)。三宅(ヤケ)。三重(エ)。三費(ツイヘ)《注記略》。三危(キ)《注記略》。三物(ミツノモノ)《注記略》。三汗(アセ)《注記略》。三島(シマ)《注記略》。…三輪(ミワ)。」という十語を収載し、標記語「三鼓」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「三鼓」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「三鼓」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には「三鼓」の語を未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。此の語は下記に示した用例として、『玉葉』に見ることができる。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

434三皷(/ミツノツヽミ) 三番目打故也。〔謙堂文庫蔵四二左E〕

とあって、標記語を「三鼓」とし、その語注記は、「三番目に打つ故なり」と記載する。これが唯一の注記であるが、この語を古辞書はまったく意識しなかったことになる。

 古版庭訓徃来註』では、

方磬(ハウケイ)尺八太鼓(タイコ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)(ツヽミ) 方磬(ハウケイ)ハ鳴物(ナリ―)ナリ。〔下十六オ五〜七〕

とあって、この標記語「三鼓」とし、語注記は「三鼓は鳴り物なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ふた)ツの(つゝミ)ツノ 大つゞみ。小つゞミ也。〔56オ五〜六

とあって、この注釈書以降は、標記語を「ツノ」とし、語注記は、「大つゞみ、小つゞミなり」と記載することからして、「三ノ鼓」の意味概念が失われていったことが確認できよう。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言。▲二鼓ハ兆鼓(ふりつゞみ)を指(さ)していへるにや。兆鼓(ふりつゞみ)は古(いにしへ)の樂器(がくき)。其形(かたち)小き鼓(つゞミ)を二ツ違(たが)へ重(かさ)ねて柄(え)を貫(つらぬ)きたるもの也。今小児(こども)の弄具(もてあそび)にぶり/\太鼓(だいこ)といふもの即(すなハち)(この)(かたち)の遺(のこ)りし也。〔42ウ二〜三〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)二鼓ハ兆鼓(ふりつゝみ)を指(さ)していへるにや。兆鼓(ふりつゝみ)は古(いにしへ)の樂器(がくき)。其形(かたち)小き鼓を二ツ違(ちか)へ重(かさ)ねて柄(え)を貫(つらぬ)きたるもの也。今小児(こども)の弄具(もてあそび)にぶり/\太鼓(だいこ)といふもの即(すなハち)此形(かたち)の遺(のこ)りし也。〔75ウ三〕

とあって、標記語「二鼓」の語とし、語注記は、「二鼓は、兆鼓を指していへるにや。兆鼓は古への樂器。其の形小き鼓を二ツ違へ重ねて柄を貫きたるもの也。今小児(こども)の弄具(もてあそび)にぶり/\太鼓(だいこ)といふもの。即ち此の形の遺りしなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「三鼓」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「みつ--つづみ〔名〕【三鼓】」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「みつ--つづみ三鼓】」」の語は未収載にする。依って、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
笙(時秋、光元、利秋)、篳篥(季時(舞人)盛正(非清撰楽人))、笛(助種、光久)、宗方(依被仰、一者於助種挙縁、今日不出仕)、鞨皷(則近(舞人))、指皷(無役人也)、三鼓(ミツノツヅミ)(好方、後近清懸頸立(非清撰楽人))、大皷(左兼助(非清撰楽人)、右近久(舞人))、鉦皷(左光景、右景節)、光近、忠節、光友等無所作、《『玉葉』安元二年二月廿一日の条》
 
2003年5月09日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
鉦鼓(シヤウゴ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

鉦皷(シヤウゴ) 又征。征皷(―ゴ) 。〔元亀二年本313六〕

鉦皷(シヤウコ) 又征。〔静嘉堂本367四〕

とあって、標記語「鉦皷」の表記で収載し、訓みを「シヤウゴ」とし、語注記には「又征」と記載し「征皷」にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本は「征皷」と表記し、経覺筆本は未収載、そして、文明四年本が後の注釈書と同じ「鉦鼓」と表記している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語

鉦皷シヤウコ 同。〔黒川本・雜物下72ウ四〕

鉦鼓(シヤウコ)。〔卷第九・雜物156六〕

とあって、標記語「鉦鼓」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』に、標記語「鉦鼓」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(シヤウゴ) 又作鉦皷。(同)。〔・財宝241六〕

(シヤウゴ) 又鉦―。〔・財宝門208二〕〔・財宝門192四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「シヤウコ」とし、語注記は「又作○○」形式により、別表記の「鉦鼓」の語を記載する。また、易林本節用集』に、

(シヤウゴ) 征又作鉦。〔器財門50四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは「シヤウゴ」とし、語注記には、「征又、鉦に作す」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「シヤウゴ」として、「」と「鉦鼓」との語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にそれぞれ見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

433鉦鼓 弓矢鐘也。臺上置打也。〔謙堂文庫蔵四二左E〕

とあって、標記語を「鉦鼓」とし、その語注記は、「弓矢の時の鐘なり。臺上に置き打つ」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

方磬(ハウケイ)尺八太鼓(タイコ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)(ツヽミ) 方磬(ハウケイ)ハ鳴物(ナリ―)ナリ。〔下十六オ五〜七〕

とあって、この標記語「鉦鼓」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)征皷(しやうこ)太皷鞨皷征皷 皆太皷の類、打鳴らす物也。〔56オ五

とあって、標記語を「征皷」とし、語注記は、「皆吹き鳴らすものなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言。▲鉦鼓ハ古(いにしへ)乃樂器(がくき)金皷(きんこ)也。今淨土宗(じやうどしう)に用る。鉦鼓とハ同じからず。〔42ウ一〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)鉦鼓ハ古(いにしへ)乃樂器(がくき)金皷(きんこ)也。今淨土宗(じやうどしう)に用る。鉦鼓とハ同じからず。〔75ウ二〜三〕

とあって、標記語「鉦鼓」の語とし、語注記は、「鉦鼓は、古への樂器金皷なり。今淨土宗に用る。鉦鼓とは同じからず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo<go.シャゥゴ(鉦鼓) 阿弥陀(Amida)の名号を唱える際に打ち鳴らす金属製の鉢〔鉦〕.※原文Batega.〔Cane(金)の注〕〔邦訳791l〕

とあって、標記語「鉦鼓」の語を収載し、意味を「阿弥陀(Amida)の名号を唱える際に打ち鳴らす金属製の鉢〔鉦〕」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃう-〔名〕【鉦鼓】雅樂に用ゐる樂器、からかねにて造り、圓くして、皿の如し、架に懸けて撃ち、鼓を節す。カネ。倭名抄、四19鐘皷類「鉦鼓、俗云、常古」 類聚名義抄鉦鼓、シヤウコ」 古今著聞集、廿、魚蟲禽獸「北に、錦の圓座を敷きて太鼓鉦皷を立つ」〔0963-3〕

とあって、標記語を「鉦鼓」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しょう-鉦鼓】〔名〕(「しょうご」とも)@いくさで、合図などに用いるたたきがねと太鼓。A雅楽に使う打楽器の一つ。青銅または黄銅製の皿形のもので、釣枠(つりわく)につるして二本の桴(ばち)で打つ。野外舞楽用の大鉦鼓(おおしょうご)、管絃の演奏・屋内舞楽用の釣鉦鼓(つりしょうご)、行進(道楽=みちがく)用の荷鉦鼓(にないしょうご)の三種がある。通常、釣鉦鼓をさし、鼓面直径約一五センチb。B仏家で、勤行のときなどに打ちならす円形青銅のたたきがね。台や首につるしたり、台座に乗せたりして用いる」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
鼓親定朝臣、鉦鼓長季《訓み下し》鼓ハ親定朝臣、鉦鼓(シヤウコ)ハ長季。《『吾妻鏡』承元二年五月二十九日の条》
 
2003年5月08日(木)曇り一時雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
太鼓(タイコ)」2001.02.01「ことばの溜池」参照
  古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「太鼓」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』に、標記語「太鼓」の語を未収載にする。そして、『運歩色葉集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「太鼓」の語を収載し、訓みを「タイコ」とし、語注記は未記載する。
 このように、上記当代の古辞書での訓みは「タイコ」として、「太鼓」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

431太鼓 皇帝時、始或時首猿、尾虎者來、御殿レハ王御腦有、相者云、彼障碍也。調伏シテ云。其時太鼓張申頭、虎打也。太鼓鷄鳴也。鐘同時始也。慈味鬼云鬼、佛法成障碍調伏也。〔謙堂文庫蔵四二左B〕

とあって、標記語を「太鼓」とし、その語注記は、「皇帝の時、始まる。或る時、首は猿に似て、尾は虎に似たる者來て、御殿に覆ふと見れば王御腦有る、相する者云く、彼は障碍なり。調伏して吉と云ふ。其の時太鼓を張り申の頭、虎の尾にて打つなり。太鼓の役は鷄鳴なり。鐘も同時に始まるなり。慈味鬼と云ふ鬼、佛法を障碍し成るを調伏するなり」と詳細な記載をする。

 古版庭訓徃来註』では、

方磬(ハウケイ)尺八太鼓(タイコ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)(ツヽミ) 方磬(ハウケイ)ハ鳴物(ナリ―)ナリ。〔下十六オ五〜七〕

とあって、この標記語「太鼓」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)征皷(しやうこ)太皷鞨皷征皷 皆太皷の類、打鳴らす物也。〔56オ五

とあって、標記語を「太鼓」とし、語注記は、「皆太皷の類、打鳴らす物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言。▲太皷爰にハ楽器(がくき)の物を指(さ)す。説文(せつもん)に是を(ふん)といふ。長さ八尺面径(おもてわたり)四尺とあるもの是也。〔42オ八〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)太鼓爰にハ楽器(がくき)の物を指(さ)す。説文(せつもん)に是を(ふん)といふ。長さ八尺面径(おもてわたり)四尺とあるもの是也。〔75ウ一〕

とあって、標記語「太鼓」の語とし、語注記は、「太鼓爰には、楽器の物を指す。『説文』に是れをといふ。長さ八尺面径四尺とあるもの是れなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「太鼓」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たい-〔名〕【太鼓】樂器の名。木にて筒を作る、胴と云ふ、中、空しく貫けり、兩面に馬皮を張り、桴(ばち)にて撃鳴らす。これに三種あり、其一を大太鼓と云ふ、朝廷舞御覧、或は大社の舞樂にも用ゐるもの、其三を太鼓と云ふ、尋常用ゐる所のもの。坐してこれを撃つ、一にこれを釣太鼓と云ふ。(下の出典を見よ)大日本史、禮樂、十六「大太鼓、面径六尺三寸、金地K彩、左部畫三巴文、右部二巴文、凡皷畫、巴文皆準此、周縁穿十六孔、各径二寸、匡長(どう)五尺、径四尺二寸、施布漆彩、左赤右青、用赤白K布、爲索約革、以木作外輪、面雕雲形、左畫雲龍、右鳳凰、周邊刻成火形、施朱彩、凡鼓畫龍鳳、左右皆準此、匡上立柄、K漆長七尺八寸、左掲日像、右月像、有臺架階、架廣高各三尺、上下施二横木、上安鼓、下貼臺、長三尺、皆有彩色、臺高三尺、方八尺、如大鉦鼓臺之製、欄高一尺二三寸、裝葱花形十二、垂白赤緑流蘓(あげまき)、施幔、左赤右緑、階二段、長四尺、廣二尺七寸設于庭上、桴二、K漆、長一尺三寸、撃者左足在臺上、右足在階、自鼓右旁立撃之。擔(になひ)太鼓、面径二尺七寸、縁穿十孔、径各八分、匡長一尺三寸、径増五寸、朱地施花彩一、布索約革、長八尺、K漆、設鉤懸鼓扛之、匡上設火形、高一尺二三寸、廣一尺七八寸、彫繪如上、桴長一尺、奏樂則設于庭上、行道則立於右側之。釣太鼓、面径一尺八寸、金地畫蝋虎三、匡長七寸、腹稍大、比面径二寸、施朱彩、革周縁冒匡寸許、施釘、外輪径二尺七寸、廣一寸五分、上邊以金作火形、有彫畫、内施鉤懸鼓、左右内外並施鐶、内者施緒約鼓、外者挿桴、桴長八寸四五分、製如鉦鼓、柱高七寸、正面坐撃之、其名器有羊鼓、音山、羊鼓径尺有九寸、以羊皮張之」盛衰記、三十五、義經範頼入京事「平等院の御堂より太鼓を取り寄せ、櫓の下にて打ちければ」「陣太鼓」~樂太鼓」(二)たいこもち(幇間)の略。常に接頭語、おを添へて云ふ。 色道大鑑、(延寳)「太鼓、太鼓持の下略也、太鼓持と云ふは、傾城買ひの客に付き從ふ者を云ふ、此の名目のおこりは、紀州雑賀跳より始まる、鐘を持たる者は、首にかけてをどる、其の中にかねを持たぬものに太鼓を持たする也、是れによりて此の名目とす」(三)たいこむすび(太鼓結)の略。常に接頭語、おを添へて云ふ。御太鼓結の條を見よ。〔1176-3〕

とあって、標記語を「太鼓」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「たい-太鼓】〔名〕@打楽器の一つ。木製・金属製などの胴の両面、または片面に革を張ったもの。桴(ばち)で打ち鳴らす。日本のものは、多く、木をくりぬいて筒とし、両側面に革を張る。また、時刻の報知、軍陣での合図など、樂器としては以外にも広く用いられた。A合図や信号に打つ@の音。B対手のきげんをとることや座興をとりもつこと。→太鼓を打つ。C「たいこもち(太鼓持)」の略。D「たいこじょろう(太鼓女郎)」の略。E「たいこむすび(太鼓結)」の略。F盗人仲間の隠語」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
進鼓下(件太鼓池西砌立之、御車在東砌也)、次打鼓、次上棟大工束帯自取庇柱昇屋上帰降了、次又打鼓、末之屋同上棟了、忠節退了(上棟之間不止打鼓、微音也)《『玉葉』承安二年二月三日の条》
 
2003年5月07日(水)曇り一時晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
方磬(ハウケイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、「方等(ハウドウ)。方角(ガク)。方便(ベン)、方違(チカイ)」の四語を収載するだけで、標記語「方磬」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

方聲 ホウキヤウ俗。樂器也。〔黒川本・雜物上35ウ六〕

方磬 ホウキヤウ。/樂器。方磬名上一 上工 合 四 上五 陽 一 上/郷 五 江 赤 六 上凡(ホン) 工 下凡 已上々 已上下。〔卷第二・雜物312五〕

とあって、標記語「横笛」の語を収載する。
標記語「方磬」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「方磬」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ハウケイ」として、「方磬」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

429方磬 泗M之石以造之也云々。〔謙堂文庫蔵四二右B〕

とあって、標記語を「方磬」とし、その語注記は、「泗Mの石を以ってこれを造るなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

方磬(ハウケイ)尺八太鼓(タイコ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)(ツヽミ) 方磬(ハウケイ)ハ鳴物(ナリ―)ナリ。〔下十六オ五〜七〕

とあって、この標記語「方磬」とし、語注記は「方磬は鳴り物なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

方磬(ほうけい)方磬 石又ハ銅にて作る。〔56オ四

とあって、標記語を「方磬」とし、語注記は、「皆吹き鳴らすものなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に方磬(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言。▲方磬ハ楽器(がくき)也。唐土尭(ぎやう)の時作るとぞ。石(いし)又ハ銅(かね)にて作る。〔41ウ八〜42オ七〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)方磬ハ楽器(がくき)也。唐土尭(げう)の時作るとぞ。石(いし)又ハ銅(かね)にて作る。〔74ウ二〜75オ五〕

とあって、標記語「方磬」の語とし、語注記は、「方磬は、楽器なり。唐土尭の時作るとぞ。石又は銅にて作る」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「方磬」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「はう-けい〔名〕【方磬】」語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ほう-けい方磬】〔名〕「ほうきょう(方響)」に同じ」とあり、標記語「ほう-きょう方響方磬】〔名〕古代中国・朝鮮・日本の打楽器。小さい鉄板一六枚を上下二段に並べ、槌で旋律的に打つ。唐以後の宮廷楽に用いる。わが国には奈良朝に伝わり、正倉院に鉄板九枚が遺存する。ほうけい(方磬)」って、『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
ほうきゃうをとりいだし、これをあそばせと有しかば《御伽草子『岩屋の草紙』》
 
2003年5月06日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
横笛(よこぶえ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、標記語「横笛」のの語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

横笛(クワウテキ) ヨコフヱ。〔黒川本・雜物上94ウ一〕

横笛 ヨコフエ。〔卷第四・雜物352二〕

とあって、標記語「横笛」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「横笛」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

横笛(ヨコブエ) 。〔器財門86二〕

とあって、標記語「横笛」の語を収載し、訓みは「ヨコブエ」とする。

 このように、上記当代の古辞書で、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』、易林本節用集』で訓みを「ヨコブエ」として、「横笛」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ここで、『下學集広本節用集』『運歩色葉集』印度本『節用集』類に未収載であることが何を意味するのかを今後考えていく必要がある。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

423唐繪一横笛 天竺ニハ藥王、唐后漢馬融、字季長、暁天提上、竜鳴水中二声ニシテ天、其声甚妙也。后巧木|。似。亦竹吹之。其声相似。自是始也。日本ニハ~岩戸(コモリ)シニ忌部(インヘ)ノ手七、天七星、地七草、身七穴表。自外吹則出給也。又弘法仁王五十一代、平城天王時、大同二年丁亥始作之給也。〔謙堂文庫藏四一右G〕

とあって、標記語を「横笛」とし、その語注記は、「天竺には藥王、唐は后漢の馬融、字季長、暁天に提上に行き、竜水中に鳴き二声にして天に登る、其の声甚だ妙なり。后に巧木を構ゆ次に似ず。亦竹をりてこれを吹く。其の声に相似たり。是れより始るなり。日本には~の岩戸に込りしに忌部の命と手七の目を明けて、天の七星、地の七草、身の七穴を表す。外より吹くに則ち出で給ふなり。又、弘法仁王五十一代、平城天王の時、大同二年丁亥始これを作り給ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン) 横笛(ヨコブヘ)ト云ヨリ三ツノ皷(ツヽミ)ナンドマデ。皆管絃(クハンケン)ノ道具ナリ。又横笛(ヨコブヘ)ノ事大唐ニ急胤(キウイン)ト云シ人アリ。又ハ馬融(バヤウ)ト云此人池(イケ)ノ頭(ホトリ)ヲ通(トヲ)ル時水ノ底(ソコ)ニ。竜(リウ)ノ有ガ一声吟タ雲ヘ出トテ。又一音(コヘ)吟ズ是ヲ急胤(キウイン)(キヒ)テ面白(ヲモシロ)ク思ヒテ家路(イヘチ)ニ歸テ竹(タケ)ヲ彫(ヱツ)テ吹(フキ)シ也。其ヨリフヱト云事始シナリ。〔下十六オ五〜七〕

とあって、この標記語「横笛」とし、語注記は「横笛と云ふより三つの皷なんどまで。皆管絃の道具なり。また、横笛の事大唐に急胤と云ひし人あり。または、馬融と云ふ此の人池の頭を通る時水の底に。竜の有りしが一声吟じた雲へ出づるとて。また、一音吟ず。是を急胤聞ひて面白く思ひて家路に歸りて竹を彫つて吹きしなり。其れよりふゑと云ふ事始りしなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ならひ)に横笛(よこぶゑ)(しやう)篳篥(ひちりき)横笛笙篳篥 皆吹鳴(ふきなら)らすものなり。〔56オ三

とあって、標記語を「横笛」とし、語注記は、「皆吹き鳴らすものなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言。▲横笛ハ長(なが)さ一尺四寸孔(あな)九ッあり。笙ハ唐土(もろこし)(にょくハし)(つく)り初(はし)む。大なるハ十九簧(した)になるハ十三簧あり。〔41ウ八〜42オ五〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)横笛ハ長さ一尺四寸孔(あな)九ッあり。笙ハ唐土(もろこし)(にょくわし)(つく)り初(はじ)む。大なるハ十九簧(した)になるハ十三簧あり。〔74ウ二〜75オ三〕

とあって、標記語「横笛」の語とし、語注記は、「横笛は、長さ一尺四寸、孔九ッあり。笙は、唐土女氏作り初む。大なるは、十九簧になるは、十三簧あり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Yocobuye.ヨコブエ(横笛) 笛.〔邦訳823r〕

†Yo<giu<.ヤウヂュゥ(横笛) Fuye(笛)に同じ.笛.※Yo<gio>(ヤゥヂョゥ)の転化形.〔邦訳825r〕

‡Yo<gio>.ヤウヂョゥ(横笛) →次条;Canchicuno yo>gio>.〔邦訳825r〕

Canchicuno yo>gio>.(ママ)カンチクノヨゥヂョゥ(漢竹の横笛) この名で呼ばれた笛.※yo<gio>(ヤゥヂョゥ)の誤り.〔邦訳88r〕

とあって、標記語「横笛」の語を収載し、意味を「笛」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

よこ-ぶえ〔名〕【横笛】ワウテキ。ワウヂャク。ヤウヂャウ。ヤウデウ。笛の、横に用ゐて吹くもの。(豎に吹く尺八、洞簫などに對す)歌口の外に、七孔あるを常とす。其孔名を、干(カン)、五、上(シヤウ)、夕(サク)、中、六、下、と云ふ。樂管(ガククワン)、能管(ノウクワン)、草笛(くさぶえ)、などあり。大和笛、高麗(こま)笛、は六孔なり。横竹。倭名抄、四21、管籥類「横笛、與古布江」〔2086-3〕

とあって、標記語を「横笛」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「よこ-ぶえ横笛】[一]〔名〕@横にかまえて吹く笛の総称。A特に、雅楽の唐楽に用いる笛の一種。首端を横にして吹くもので、歌口のほかに七孔あり、長さ一尺三寸二分八厘(約四〇センチb)。催馬楽や朗詠などの伴奏楽器としても用いる。龍笛(りゅうてき)。おうてき。B鰊(にしん)をいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集(1892)[二]一「源氏物語」第三七帖の名。光源氏四九歳の二月から秋まで。親友柏木の死後、柏木の北方落葉宮とその母一条御息所を見舞った夕霧が、御息所から柏木遺愛の横笛を贈られることを中心に、柏木没後の模様を描く。二平家物語に登場する女性。建礼門院に仕え、平重盛の臣斎藤時頼(滝口入道)に愛されたが、時頼が出家したため後を追い尼となる。[三]邦楽の曲名。AAの悲恋物語を題材としたもの。(1)長唄。明治二〇年(一八八七)頃、三世杵屋正治郎作曲。三宅花圃作詞。(2)長唄。明治二七年(一八九四)三世杵屋六四郎(後名二世稀音家浄観)作曲。作詞は菊園主人。研精会派の曲」」とあって、『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
祐經、打鼓、歌今様女房彈琵琶、羽林、和横笛先吹《訓み下し》祐経、鼓ヲ打チ、今様ヲ歌フ。女房琵琶ヲ弾ジ、羽林、横笛(ヨコフエ)ヲ和ス。《『吾妻鏡』元暦元年四月二十日の条》
 
2003年5月05日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
一對(イツツイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

一對(イツツイ) 。〔元亀二年本67八〕

一對(イツツイ) 。〔静嘉堂本79八〕

一對(イツツイ) 。〔天正十七年本上40オ四〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「一對」の表記で収載し、訓みを「イツツイ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一對」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(グワ) (エカイ)テ四幅(―フク)一對(―ツイ)。〔器財門119四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記に「此の四を畫ひて以て四幅一對云ふなり」と記載する。次に広本節用集』には、

一對(イチツイ/―タイ・コタウ)[○・去] 筆―。畫―。〔數量門12二〕

とあって、標記語「一對」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

一對(―ツイ) 畫。筆。〔・言語数量8四〕

一對(イツツイ) 。〔・言語進退5八〕

一位 ―種。―瓶。―同。―途。―統天下――。―辺。―番。―見。―流。―覧。―献。―騎。―准。―端。―且。―門。―諾。―心。―割。―心。―割。―期。―盞。―盃。―定。―切。―束。―把。―柄。―膳。―烈。―匝。―重。―味。―帝。―部始終。―剤。―挙。―六。―向。―行。―揆。―往。―粒。―鬱。―縮。―宿。―段。―跡。―興。―艘。―疋。―兩具足藥金車―對。―銖。―緡。―綾。―喉。―羽。―挺鑓燭。―張。―倍。―斤二百五十目。―駄。―腰太刀。―葉。―管。―着。―命。―廉。―業所感。―圓不輸。―度僧。―〓(土豆圭)合人取作。―炊夢。―落索大恵昼有。―生不犯。―笑。〔・言語5六〕

一位 ―種(シユ)。―瓶(ヘイ)。―同。―途(ツ)。―統(トウ)天下――。―辺(ヘン)。―番(バン)。―見(ケン)。―流(リウ)。―覧(ラン)。―献(コン)。―騎(キ)。―准(シユン)。―端(タン)。―旦(タン)。―門(モン)。―諾(ダク)。―心(シン)。―割。―期(ゴ)。―盞(サン)。―盃(ハイ)。―定(チヤウ)。―切(セツ)。―束(ソク)。―把(ハ)。―柄(ヘイ)。―膳。―烈(レツ)。―匝(サウ)。―重(チウ)。―味(ミ)。―H(テイ)。―部(ブ)始終。―剤(サイ)。―挙。―六。―向(カウ)。―行(カウ)。―揆(キ)。―往(ワウ)。―粒(リウ)。―鬱(ウツ)。―縮。―宿。―段。―跡(せキ)。―興(ケウ)。―艘(ソウ)舟。―疋(ヒキ)馬絹。―兩具足藥金車―對(ツイ)。―銖(シユ)金。―緡。―結。―喉(コン)魚。―双。―挺(チヤウ)鑓燭。―張。―倍。―斤二百五十目。―駄。―腰太刀。―葉。―管(クワン)筆。―着(チヤク)。―命(メイ)。―廉(カト)。―業所感(ゴウシヨカン)。―圓不輸(シユ)。―度僧。―輕(ケイロウ)合人取。―炊(スイ)ノ夢。―落索(ラクサン)大恵昼有。〔・言語門6七〕

とあって、標記語「一對」の語を収載し、訓みを「イツツイ」とし、弘治二年本に語注記「畫。筆」と記載する。また、易林本節用集』に、

一對(―ツイ) 筆。〔言語門5四〕

とあって、標記語「一對」の語を収載し、訓みは「(イツ)ツイ」とし、語注記に「筆」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「イツツイ」として、「一對」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

423唐繪一對并横笛 天竺ニハ藥王、唐后漢馬融、字季長、暁天提上、竜鳴水中二声ニシテ天、其声甚妙也。后巧木|。似。亦竹吹之。其声相似。自是始也。日本ニハ~岩戸(コモリ)シニ忌部(インヘ)ノ手七、天七星、地七草、身七穴表。自外吹則出給也。又弘法仁王五十一代、平城天王時、大同二年丁亥始作之給也。〔謙堂文庫藏四一右G〕

とあって、標記語を「一對」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)龍虎(レウコ)梅竹(バイチク)唐繪(カラヱ)一對(ツイ) 鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)ハ。何(イツ)レモ沓(クツ)ノ類(ルイ)ナリ。〔下十六オ四・五〕

とあって、この標記語「一對」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐絵(からゑ)一對(いつつい)竜虎梅竹唐絵一對 懸物(かけもの)也。龍吟(ぎん)ずれは雲(くも)(おこ)り虎(とら)(うそふけ)は風生す。梅ハ初春乃花木。竹ハ季冬(きとう)にしぼまぬものゆへ一對の掛物としたる也〔56オ一〜二

とあって、標記語を「一對」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に横笛(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言〔41ウ八〜42オ五〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔74ウ二〜75オ二〕

とあって、標記語「一對」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Ittcui.イツツイ(一對) 日本のペン〔筆〕,酒の徳利,剃刀,その他これらと同類の,対をなしている多くの物を数える言い方.〔邦訳347l〕

とあって、標記語「一對」の語を収載し、意味を「日本のペン〔筆〕,酒の徳利,剃刀,その他これらと同類の,対をなしている多くの物を数える言い方」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いッ-つゐ〔名〕【一對】物、二箇(ふたつ)、對(つゐ)せしめたるもの。一雙。東坡集「特賜一對庭訓往來(元弘)九月「盆、一對」龍虎、梅竹、唐繪、一對」(二幅對を、一對と見たるか)易林本節用集(慶長)「一對、筆」〔0189-5〕

とあって、標記語を「一對」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いつ-つい一對】〔名〕二つで一組となること。また、そのもの。ひとそろい。ひとかさね。」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
清凉殿與一對、造合御物宿河津伊豆前司跡宿御方侍〈付渡屋〉佐渡前司《訓み下し》清涼殿ト一ノ対ト、造合御物宿ハ、河津伊豆ノ前司ガ跡宿ノ御方侍〈付タリ渡屋〉佐渡ノ前司《『吾妻鏡』建長二年三月一日の条》
 
2003年5月04日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
唐絵(からヱ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

唐畫(―エ) 。〔元亀二年本93五〕

唐畫(―ヱ) 。〔静嘉堂本115八〕

唐絵(カラヱ) 。〔天正十七年本上57オ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「唐絵」の表記で収載し、訓みを「カラヱ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「唐絵」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「唐絵」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

唐絵(カラヱタウクワイ)[平・去] 。〔器財門270五〕

とあって、標記語「唐絵」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』や易林本節用集』には、標記語「唐絵」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』と『運歩色葉集』とに収載されていて、その訓みを「カラヱ」として、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

423唐繪一對并横笛 天竺ニハ藥王、唐后漢馬融、字季長、暁天提上、竜鳴水中二声ニシテ天、其声甚妙也。后巧木|。似。亦竹吹之。其声相似。自是始也。日本ニハ~岩戸(コモリ)シニ忌部(インヘ)ノ手七、天七星、地七草、身七穴表。自外吹則出給也。又弘法仁王五十一代、平城天王時、大同二年丁亥始作之給也。〔謙堂文庫藏四一右G〕

※馬融―漢ノ代ノ人也。〔国会図書館藏『左貫注庭訓』書込み〕

とあって、標記語を「唐繪」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)龍虎(レウコ)梅竹(バイチク)唐繪(カラヱ)一對(ツイ) 鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)ハ。何(イツ)レモ沓(クツ)ノ類(ルイ)ナリ。〔下十六オ四・五〕

とあって、この標記語「唐繪」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)唐絵(からゑ)一對(いつつい)竜虎梅竹唐絵一對 懸物(かけもの)也。龍吟(ぎん)ずれは雲(くも)(おこ)り虎(とら)(うそふけ)は風生す。梅ハ初春乃花木。竹ハ季冬(きとう)にしぼまぬものゆへ一對の掛物としたる也〔56オ一〜二

とあって、標記語を「唐絵」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に横笛(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言〔41ウ八〜42オ五〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔74ウ二〜75オ二〕

とあって、標記語「唐繪」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「唐絵」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

から-〔名〕【唐絵】(一){唐土(もろこし)の風物(ありさま)を畫(か)きたる繪。(平安時代の繪は、巨勢金岡流のものなるべし)。枕草子、五、五十段「から繪、にあるやうなる懸盤(かけばん)などして、物食はせたる」(二)鎌倉時代に、土佐派の繪起りて、大和繪と稱するに對して、支那の北宗畫(ホクシユウガ)の稱。唐畫(タウクワ)。又、我が國人の、其風に畫(か)く繪。雪舟、又は、狩野派の祖の正信など、(共に室町時代)畫き始めたるは、宋畫なり、後の狩野派の筆は、明畫(ミングワ)なり。十八大通百手枕(安永、田水金魚)「唐繪は周齋、和繪は秋興」〔0444-1〕

とあって、標記語「唐絵」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「から-唐絵】〔名〕@中国人の描いた絵。中国の風物、人物などを題材とした絵。また、それにならった中国風の絵。鎌倉時代以後は、中国の宋元画などの水墨画をいう。からの絵。A外国の絵」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
清少納言が枕草子に、此障子の事も見えたり。一條院以往に被書たるとこそ。大かた清涼殿の唐繪にも、みな書ならはせる事共侍り。《『古今著聞集』(1254年)卷第十一畫圖第十六・三八四△紫宸殿賢聖障子并びに清涼殿等の障子畫の事》
 
2003年5月03日(土)晴れ。東京(八王子)→多摩
梅竹(バイチク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「梅竹」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「梅竹」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書では、「梅竹」の語を未収載している。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には、見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

422龍虎 所翁竜、裴旻(ハイヒン)カ虎、補子梅、東坡竹。〔謙堂文庫藏四一右F〕

龍虎梅竹 所翁竜、裴旻(バイヒン)カ虎、補子{元人也}梅、東坡竹。〔天理図書館藏『庭訓往来註』(室町末写)〕

龍虎梅竹 所翁竜、裴旻(ヒン)カ虎、補子梅、東坡竹。〔国会図書館藏『左貫注庭訓』〕

とあって、標記語を「梅竹」とし、その語注記は、「補子が梅、東坡が竹」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)龍虎(レウコ)梅竹(バイチク)唐繪(カラヱ)一對(ツイ) 鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)ハ。何(イツ)レモ沓(クツ)ノ類(ルイ)ナリ。〔下十六オ四・五〕

とあって、この標記語「梅竹」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐絵(からゑ)一對(いつつい)竜虎梅竹唐絵一對 懸物(かけもの)也。龍吟(ぎん)ずれは雲(くも)(おこ)り虎(とら)(うそふけ)は風生す。梅ハ初春乃花木。竹ハ季冬(きとう)にしぼまぬものゆへ一對の掛物としたる也〔56オ一〜二

とあって、標記語を「梅竹」とし、語注記は、「懸物(かけもの)なり。《中略》梅は初春の花木。竹は季冬(きとう)にしぼまぬものゆへ一對の掛物としたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に横笛(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言〔41ウ八〜42オ五〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔74ウ二〜75オ二〕

とあって、標記語「梅竹」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「梅竹」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ばい-ちく〔名〕【梅竹】」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版においても、標記語「ばい-ちく梅竹】〔名〕」の語は未収載にする。よって、『庭訓往来』の語用例も未記載となる。
[ことばの実際]梅竹圖繪 梅と竹圖繪 梅竹蒔絵鞍(鹿島神宮、源頼朝公寄進) 石飛博光書展[赤平]1985 平安人物志 融通念仏勧進状〔室町時代 文安4年(1447)(京都 禅林寺蔵)〕
 
2003年5月02日(金)晴れ。東京(八王子)→多摩
龍虎(リュウコ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「利」部に、「龍灯(リウトウ)。龍神(ジン)。龍女(ニヨ)。龍天(テン)。龍頭(ヅ)。龍宮(クウ)。竜王(ワウ)。龍脳(ノウ)。龍焙(バイ)茶名」の九語を収載し、標記語「龍虎」は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

龍乕梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大皷鞨皷征皷三皷調抜子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟謹言〔至徳三年本〕

龍乕梅竹唐繪一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨皷征皷三皷調抜子等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參若有損失者生涯之不覺也可被存知者歟恐々謹言〔宝徳三年本〕

龍虎梅竹唐絵一對并横笛笙篳篥和琴琵琶方磬尺八大鼓鞨鼓征鼓三皷調拍子摺皷等同被尋下之用竭亊終者不日可被持參有損失者生涯之不覚也可被存知者歟恐々謹言〔建部傳内本〕

龍虎梅竹唐繪一對并(ヨコ)(セウ)篳篥(ヒチリキ)和琴琴(コト)琵琶(ビワ)方磬尺八大皷(コ)鞨皷(カツ―)征皷三(ツヽミ)調拍子(トヒヤウ―)等同被二_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參若有損失(ソン―)生涯之不覚也存知せ|者歟恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

竜虎梅竹唐繪(ヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコブエ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワゴン)琵琶(ヒワ)方磬(ケイ)尺八太皷鞨皷(カツコ)三皷調拍子(トヒヤウシ)摺皷(スリコ)等同ジク‖_下之用竭(ツキ)_ラハ不日持參損失生涯之不覚也存知者歟恐々謹言〔経覺筆本〕

龍乕(レウコ)梅竹唐繪(カラヱ)一對(ツイ)横笛(ヨコフヱ)(シヤウ)篳篥(ヒチリキ)和琴(ワコン)琵琶(ヒハ)方磬(ハウケイ)尺八太鼓(コ)鞨鼓(カツコ)鉦鼓(シヤウコ)三皷(サンノ―)調拍子(トヒヤウ―)摺鼓(スリツヽミ)等同被用竭(ツキ)_(ヲワ)ラハ者不日持參損失(ソンシツ)生涯(カイ)之不覚(フカク)也可被存知者歟謹言〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「龍虎」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「龍虎」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

龍虎(リヨウコ) 。〔氣形門56四〕

とあって、標記語「龍虎」の語を収載し、訓みは「リヨウコ」とする。

 このように、上記当代の古辞書では、易林本にのみ訓みを「リヨウコ」として、「龍虎」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

422龍虎梅林 所翁竜、裴旻(ハイヒン)カ虎、補子梅、東坡竹。〔謙堂文庫藏四一右F〕

とあって、標記語を「龍虎」とし、その語注記は、「所翁が竜、裴旻が虎」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)龍虎(レウコ)梅竹(バイチク)唐繪(カラヱ)一對(ツイ) 鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)ハ。何(イツ)レモ沓(クツ)ノ類(ルイ)ナリ。〔下十六オ四・五〕

とあって、この標記語「龍虎」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐絵(からゑ)一對(いつつい)竜虎梅竹唐絵一對 懸物(かけもの)也。龍吟(ぎん)ずれは雲(くも)(おこ)り虎(とら)(うそふけ)は風生す。梅ハ初春乃花木。竹ハ季冬(きとう)にしぼまぬものゆへ一對の掛物としたる也〔56オ一〜二

とあって、標記語を「龍虎」とし、語注記は、「懸物(かけもの)なり。龍吟(ぎん)ずれば雲(くも)(おこ)り虎(とら)(うそふけ)ば風生ず。梅は初春の花木。竹は季冬(きとう)にしぼまぬものゆへ一對の掛物としたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

龍虎(りやうこ)梅竹(ばいちく)の唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)に横笛(よこふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太鼓(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)の鼓(つヾミ)銅〓子(どうばつし)摺皷(すりつゞミ)(とう)(おなじ)く之(これ)を尋(たづ)ね下(くだ)さ被(る)(よう)(つ)き事(こと)(おハ)ら者(バ)不日(ふじつ)に持參(ぢさん)せら被(る)(べ)し。損失(そんしつ)(あ)ら者(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)。存知(ぞんち)せら被(る)(べ)き者(もの)(か)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)龍虎梅竹唐絵一對横笛篳篥和琴琵琶方磬尺八太皷鞨皷鉦皷摺皷等同ネ‖_サ|用竭_不日持參せラ損失生涯之不覚也存知せラ|者歟恐々謹言〔41ウ八〜42オ五〕

龍虎(りようこ)梅竹(ばいちく)唐繪(からゑ)一對(いつつい)(ならび)横笛(よこぶえ)(しやう)篳篥(ひちりき)和琴(わごん)(さう)琵琶(びハ)方磬(はうけい)尺八(しやくはち)太皷(たいこ)鞨皷(かつこ)鉦皷(しやうこ)(ふたつ)(つヾミ)(どうばつし)摺皷(すりつゝミ)(とう)(おなじ)(る)(たづ)‖_(くだ)(これ)(よう)(つ)(こと)(おハ)(バ)不日(ふじつ)(べ)(る)持參(ぢさん)せら(あ)損失(そんしつ)(バ)生涯(しやうがい)(の)不覺(ふかく)(なり)(べ)き(る)存知(ぞんち)せら(もの)(か)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔74ウ二〜75オ二〕

とあって、標記語「龍虎」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Reo>co.リヨウコ(龍虎) Tatcu,tora.(竜,虎)竜と虎と.※原文はLgarto.〔邦訳529r〕

とあって、標記語「龍虎」の語を収載し、意味を「竜と虎と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

りゆう-〔名〕【龍虎】(一)たつと、とらと。關尹子、七釜篇「物即我、我即物、知此道者、可以成腹中之龍虎(二)雲氣の異常なるもの。史記、項羽紀「吾令人望其氣、皆爲龍虎五采、此天子氣也」(三)文章の、すぐれたるはたらきに譬ふ。班固、答賓戲「浮英華、湛道コ〓(言糸2目)(あらはす)龍虎之文舊矣」 龍虎の争とは、對等の力あるもの、相下らずして争ふ意。()〔4-0827-4〕

とあって、標記語を「龍虎」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「りゅう-龍虎】〔名〕龍と虎。また、互いに力の伯仲した英雄や豪傑などのたとえ。りょうこ」と標記語「りょう-龍虎】[一]〔名〕@龍と虎。りゅうこ。A英雄・豪傑など、勢いの盛んなもののたとえ。また、互いに優劣のない二人の強者のたとえ。りゅうこ。B天子となるべきものの発する気、天子となる兆をいう。[二]謡曲。五番目物。観世・喜多流。観世小次郎信光作。僧が仏跡を尋ねて唐土に渡ると、遠山の竹林を黒雲がおおって不気味な光景なので、通りかかった老いたきこりにわけを尋ねる。きこりはちょうど龍虎の戦いが始まるところだと語り、見物をするばらば竹林のそばの岩かげに身を隠しなさいと勧めて姿を消す。やがて金龍と虎が現れて壮烈な戦いを見せた後、龍は雲中に昇り虎は洞穴に帰る」とあって、『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
公業、自幼少經廻京洛、於事依存故實、今應此使節之處、誠言語巧、而鸚鵡之觜驚耳、進退正、而龍虎之勢遮眼、衆徒感嘆、萬人稱美〈云云〉《訓み下し》公業、幼少ヨリ京洛ヲ経廻リ、事ニ於テ故実ヲ存ズルニ依テ、今此ノ使節ニ応ズルノ処ニ、誠ニ言語巧ニテ、鸚鵡ノ觜耳ヲ驚カシ、進退正シフシテ、竜虎(レウコ)ノ勢眼ヲ遮リ、衆徒感嘆シ、万人称美スト〈云云〉。《『吾妻鑑』建久六年三月四日の條》
 
2003年5月01日(木)晴れ。東京(八王子)
草鞋(サウアイ・サウカイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、「草案(アン)。草字(シ)。草書(シヨ)。草菴(――)。草木(モク)。草花(クワ)。草創(サウ)。草紙(シ)」とあって、標記語「草鞋」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)鈴佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「草鞋」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

草鞋(サウアイ/ワランヂ) 。〔器財門113一〕

とあって、標記語「草鞋」の語を収載する。次に広本節用集』には、

草鞋(サウアイ/クサ,―)[上・平]。〔器財門782二〕

とあって、標記語「草鞋」の語を収載し、その読みを「サウアイ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

草鞋(サウアイ/ワランチ) 。〔・財宝212三〕

草鞋(サウアイ/ワランヂ) 。〔・財宝176九〕

草鞋(サウカイ) 。〔・財宝165七〕

とあって、標記語「草鞋」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

草鞋(サウカイ/―アイ) 。〔器財179七〕

とあって、標記語「草鞋」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「サウアイ」乃至「サウカイ」として、「草鞋」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ただし、『運歩色葉集』には「草鞋」の語を未収載にすることを確認しておきたい。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

421草鞋(−アイ) 以木作。錦以張。或畫トシテ着也。〔謙堂文庫藏四一右F〕

とあって、標記語を「草鞋」とし、その語注記は、「木もって作す。錦もって張る。或は畫として座を着すなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)龍虎(レウコ)梅竹(バイチク)唐繪(カラヱ)一對(ツイ) 鼻高(ヒカウ)草鞋(サウカイ)ハ。何(イツ)レモ沓(クツ)ノ類(ルイ)ナリ。〔下十六オ四・五〕

とあって、この標記語「草鞋」とし、語注記は「草鞋は、何れも沓の類なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

草鞋(サウアイ)草鞋 わらじ草履(ぞうり)の類なり。右の佛具(ぶつぐ)僧服(そうふく)圖説にくわし。〔55ウ八〜56オ一

とあって、標記語を「草鞋」とし、語注記は、「わらじ草履の類なり。右の佛具・僧服、圖説にくわし」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲草鞋ハ和名藁沓(わらぐつ)也。今轉(てん)じてわらうつといふ。〔41ウ八〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲草鞋ハ和名藁沓(わらぐつ)也。今轉(てん)じてわらうつといふ。〔74ウ二〕

とあって、標記語「草鞋」の語とし、語注記は、「草鞋は、和名藁沓なり。今轉じてわらうつといふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So<ai.サゥアイ(草鞋) 藁製のある履物.すなわち,Varagi.(草鞋).〔邦訳567l〕

とあって、標記語「草鞋」の語を収載し、意味を「藁製のある履物すなわち草鞋」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さう-あい〔名〕【草鞋】〔さうかいなり、集韻「鞋、戸佳切」和訓栞、さうかい「草鞋、僧家には、鞋を、あいの音に呼べり」禪家の語の、弘まりしものなるべし、宋音なるか、さうあいとも云ふは、さうあいの連聲(レンジヤウ)なり〕(一)わらぐつ。わらんぢ。わらぢ。サウワイ。下學集、下、器財門「草鞋(サウアイ)、左訓、ワランヂ」太平記、七、先帝船上臨幸事「御輿をば被停て、忝も十善の天子、自ら玉趾を草鞋の塵に汚して、自ら泥土の地を蹈ませ給ひける」(二)さふかい(挿鞋)の條を見よ。〔2-426-1〕

とあって、標記語を「草鞋」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「そう-あい草鞋】〔名〕(「あい」は「鞋」の慣用音)わらじ。わらぐつ。そうかい」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
大阿闍梨御布施、法服一具〈在革鞋、〉横被一帖、水精念珠一連〈在銀打枝、〉上童裝束二具、童裝束四具、被物卅重〈錦一重、織物九重、綾廿重〉錦裹物一〈納綾十具、〉精好絹卅疋、白綾卅疋、色々綾卅疋、顯文紗卅疋、唐綾卅段、計帳卅端織筋卅端、紫染物三十端、紫村濃三十端絹村濃三十端、染付三十端、卷絹三十疋、帖絹三十疋、地白綾三十端、淺黄染綾三十段、色皮三十牧、〈已上納漆箱、付組結之〉《訓み下し》大阿闍梨ノ御布施、法服一具〈*革鞋在リ、〉(*草鞋在リ)横被一帖、水精ノ念珠一連〈銀ノ打枝ニ在リ、〉上童ノ装束二具、童装束四具、被物三十重。〈錦一重、織物九重、綾二十重。〉錦裹物一ツ。〈綾十具納ル、〉精好ノ絹三十疋、白綾三十疋、色色ノ綾三十疋、顕文紗三十疋、唐綾三十段、斗帳三十端。織筋三十端、紫ノ染物三十端、紫村濃三十端。絹村濃三十端、染付三十端、巻絹三十疋、帖絹三十疋、地白ノ綾三十端、浅黄染ノ綾三十段、*色皮三十枚(*染物三十端、色皮三十枚)、〈*已上漆ノ箱ニ納レ、組ラ付ケ之ヲ結フ〉《『吾妻鏡』正嘉元年十月一日の条》
 
 
 
 

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