2003年08月01日から08月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

2003年8月31日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
秘計(ヒケイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

秘計(ヒケイ) 。〔元亀二年本339八〕

秘計(――) 。〔静嘉堂本407三〕

とあって、標記語「秘計」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔至徳三年本〕

奉行人賄賂衆中屬託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔宝徳三年本〕

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔機嫌可申之〔建部傳内本〕

---(ワイロ)--託上---入頭----〔山田俊雄藏本〕

奉行人賄賂衆中属託(ソクタク)上衆秘計(ヒケイ)口入頭人内奏(ナイソウ)屓贔(ヒイキ)機嫌(キケン)。〔経覺筆本〕

-行人-(ワイロ)--(ソクタク)--(ヒケイ)-入頭-(トウ―)-(―ソウ)-(ヒ井キ)(ウカヽ)イ(キケン)〔文明四年本〕※賄賂(ハイロ)。機嫌(キケン)。機(キ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

秘計 ヒケイ。〔黒川本・疉字門下94オ八〕

秘密 〃藏。〃書。〃計。〃術。〃重。〔卷第十・疉字門366四〕

とあって、標記語「秘計」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・に、標記語「秘計」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

秘計(ヒケイヒソカ・カクス、ハカリ)[去・去] 。〔態藝門1039一〕

とあって、標記語「秘計」の語を収載し、訓みを「クジヨ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

秘計(―ケイ)。〔・言語進退門256四〕

秘蔵(ヒサウ) ―計(ケイ)。―術(ジユツ)。―亊(ジ)。―薬(ヤク)/―密(ミツ)。―法。―曲(キヨク)。〔・言語門218五〕

秘蔵(ヒサウ) ―計。―術。―亊。―曲/―薬。―蜜。―法。〔・言語門203七〕

とあって、弘治二年本は標記語「秘計」を収載し、他二本も標記語「秘蔵」の冠頭字「秘」の熟語群として収載する。また、易林本節用集』には、

秘密(ヒミツ) ―計(ケイ)。―要(ヨウ)。―傳(デン)。―術(ジユツ)/―曲(キヨク)。―書(シヨ)。―亊(ジ)。―藏(ザウ)〔言辞門226三〕

とあって、標記語「秘密」の冠頭字「秘」の熟語群として「秘計」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「秘計」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

455奉行人-(ワイロ){トハツクノイ也}衆中属託上-- 沙汰処上衆也。〔謙堂文庫蔵四四左C〕

とあって、標記語を「秘計」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

衆中属託(ゾクタク)上衆秘計(ケイ)_入頭人(トウニン)衆中ノ属託(ソクタク)雜賞(サツシヤウ)也。〔下19ウ八〕

とあって、この標記語を「秘計」とし、語注記は「償ひなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

上衆(じやうしゆ)秘計(ひけい)の口入(くちいれ)上衆秘計口入 秘計ハ内々にて事をはかる人なり。〔62ウ三〕

とあって、この標記語「秘計」の語を収載し、語注記は「秘計ハ内々にて事をはかる人なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨圖師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲秘計ハ内々(ない―)にて事を計らふ也。〔46ウ五〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)秘計ハ内々(ない―)にて事を計らふ也〔83オ五〕

とあって、標記語「秘計」の語を収載し、その語注記は、「秘計は、内々にて事を計らふなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fiqei.ヒケイ(秘計) すなわち,Fiqiauasuru.l,nacadachiuo suru.(引き合わする.または,媒をする)何事かの媒介人,たとえば売買の仲介人などになること.〔邦訳236l〕

とあって、標記語「秘計」の語の意味は「すなわち,引き合わする.または,媒をする.何事かの媒介人,たとえば売買の仲介人などになること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-けい〔名〕【秘計】(一)秘密なる計略(はかりごと)太平記、十二、公家一統政道事「依内奏ノ秘計一、只今までは朝敵なりつる者も、安堵を賜はり」(二)不思議なるはかりごと。漢書、高帝紀、下「遂至平城、爲匈奴所一レ圍七日、用陳平秘計出」〔1657-2〕

とあって、標記語を「秘計」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-けい秘計】〔名〕@秘密のはかりごと。また、任官・訴訟などについて、目的達成のために人に知られず運動すること。A不思議なはかりごと。~策。B間に立って事を取り持つこと。なかだち。媒介。Cやりくりすること。工面すること。また、金策すること」とあって、『庭訓往来』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
伺便宜令達高聞被廻秘計、被優無誤之旨預芳免者、及積善之餘慶於家門、永傳榮花於子孫、《訓み下し》便宜ヲ伺ヒ、高聞ニ達セシメ秘計(ヒケイ)ヲ廻ラサレ、誤リ無キノ旨ヲ優セラレ芳免ニ預カラバ、積善ノ余慶ヲ家門ニ及ボシ、永ク栄花ヲ子孫ニ伝ヘヨ。《『吾妻鏡元暦二年五月二十四日の条》
 
 
2003年8月30日(土)薄晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
上衆(ジヤウシユ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「上手(シヤウズ)起於碁也。上意(イ)。上裁(サイ)。上戸(ゴ)。上作(サク)。上筆(ヒツ)。上臈(ラウ)。上職(シヨク)。上品(シヤウボン)美濃之所名/絹之事也。上界(カイ)。上使(シ)。上根(コン)。上判(ハン)。上坐(ザ)。上旬(ジユン)自朔日十日。上方(ハウ)。上(カン)潮同/上旬。上院(イン){浣(カン)}字同。上分(ブン)。上間(カン)下間。上人(ニン)釋氏要覧云内コ智勝行在人之上故上人。上州(ジヤウセウ)上野。上智(チ)。上池(チ)水。上聞(ブン)。上覧(ラン)。上洛(ラク)。上氣(キ)。上都(ト)。上表(ヘウ)。上卿(ケイ)。上巳(シ)始作三月三日之遊時日適々當ル――ニ故至今呼此辰――ト。上檀(タン)。上段(ダン)。上代(ダイ)。上律(リツ)。上熱(ネツ)。上居(シヤウキ)風呂」の三十八語を収載するが、標記語「上衆」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔至徳三年本〕

奉行人賄賂衆中屬託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔宝徳三年本〕

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔機嫌可申之〔建部傳内本〕

---(ワイロ)----計口-入頭----〔山田俊雄藏本〕

奉行人賄賂衆中属託(ソクタク)上衆秘計(ヒケイ)口入頭人内奏(ナイソウ)屓贔(ヒイキ)機嫌(キケン)。〔経覺筆本〕

-行人-(ワイロ)--(ソクタク)--(ヒケイ)-入頭-(トウ―)-(―ソウ)-(ヒ井キ)(ウカヽ)イ(キケン)〔文明四年本〕※賄賂(ハイロ)。機嫌(キケン)。機(キ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「上衆」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「上衆」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書において、「上衆」の語は未収載となっている。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

455奉行人-(ワイロ){トハツクノイ也}衆中属託--計 沙汰処上衆也。〔謙堂文庫蔵四四左C〕

※―異見者也。〔静嘉堂文庫藏『庭訓徃來抄』古冩書込み〕

とあって、標記語を「上衆」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

衆中属託(ゾクタク)上衆秘計(ケイ)_入頭人(トウニン)衆中ノ属託(ソクタク)雜賞(サツシヤウ)也。〔下19ウ八〕

とあって、この標記語を「上衆」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

上衆(じやうしゆ)秘計(ひけい)の口入(くちいれ)上衆秘計口入 秘計ハ内々にて事をはかる人なり。〔62ウ三〕

とあって、この標記語「上衆」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨圖師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲上衆ハ沙汰所(さたところ)の上役人(うハやくにん)也。〔46ウ四〜五〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)上衆ハ沙汰所(さたどころ)の上役人(うハやくにん)也。〔83オ五〕

とあって、標記語「上衆」の語を収載し、その語注記は、「上衆は、沙汰所の上役人なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Io<xu.ジャゥシュ(上衆) 重立った人.または,他の人々の頭領のような人.〔邦訳370l〕

とあって、標記語「上衆」の語の意味は「重立った人.または,他の人々の頭領のような人」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じゃう-しゅ〔名〕【上衆】引付衆。庭訓徃來、下、八月「上衆秘計口入」〔0966-3〕

とあって、標記語を「上衆」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じゃう-しゅ上衆】〔名〕身分・位が上位の者。じょうず。ぞうず」とあって、『庭訓往来』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
且此事於二番御引付被経御沙汰之間、非見蓮一人、云上衆、云自余奉行人等、皆以所被存知也。 《『東大寺文書・図書館未成卷文書弘安二年八月日の条、568・14/46
 
 
2003年8月29日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
属託(ソクタク・ゾクタク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

属託(ソクタク) 。〔元亀二年本153六〕〔天正十七年本中15ウ二〕

属託(ゾクタク) 。〔静嘉堂本168一〕

とあって、標記語「属託」の語を収載し、訓みを「ソクタク」と「ゾクタク」とし、上記二本は、語注記に「『下(學集)』」を典拠とした旨の「下」と表記する。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔至徳三年本〕

奉行人賄賂衆中屬託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔宝徳三年本〕

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔機嫌可申之〔建部傳内本〕

---(ワイロ)----計口-入頭----〔山田俊雄藏本〕

奉行人賄賂衆中属託(ソクタク)上衆秘計(ヒケイ)口入頭人内奏(ナイソウ)屓贔(ヒイキ)機嫌(キケン)。〔経覺筆本〕

-行人-(ワイロ)--(ソクタク)--(ヒケイ)-入頭-(トウ―)-(―ソウ)-(ヒ井キ)(ウカヽ)イ(キケン)〔文明四年本〕※賄賂(ハイロ)。機嫌(キケン)。機(キ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

囑託 佞媚分/ソクタク。〔黒川本・疉字門中19オ一〕

属降(ソクカウ) 〃諸。〃託。〔卷四・疉字門553三〕

とあって、標記語「囑託」と「属託」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

屬託(ソクタク) 。〔態藝門77五〕

とあって、標記語「屬託」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

属託(ゾクタクシヨク・ツグ、―)[入・入] 。〔態藝門399七〕

とあって、標記語「属託」の語を収載し、訓みを「ゾクタク」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

属託(ソクタク) 賄賂(ワイロ)――。〔・言語進退門121八〕〔・言語門102一〕〔・言語門112六〕

属託(ソクタク) 賄賂。〔・言語門92四〕

とあって、標記語「属託」の語を収載し、語注記に「賄賂属託」と記載する。また、易林本節用集』には、

囑託(ソクタク) 。〔言辞門101六〕

とあって、標記語「囑託」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「属託」乃至「囑託」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

455奉行人-(ワイロ){トハツクノイ也}衆中属託-衆秘-計 沙汰処上衆也。〔謙堂文庫蔵四四左C〕

とあって、標記語を「属託」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

衆中属託(ゾクタク)上衆秘計(ケイ)_入頭人(トウニン)衆中ノ属託(ソクタク)雜賞(サツシヤウ)也。〔下19ウ八〕

とあって、この標記語を「属託」とし、語注記は「衆中の属託雜賞なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

衆中(しゆちう)屬託(そくたく)衆中属託 属も託も皆たのむ事也。〔62ウ三〜四〕

とあって、この標記語「属託」の語を収載し、語注記は「属も託も皆たのむ事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨圖師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲属託ハつけにすると訓ず。彼是(かれこれ)事に託(かこつけ)て非(ひ)を覆(おほ)ハんとすることならん。〔46ウ四〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)属託ハつけにすると訓ず。彼是(かれこれ)事に託(かこつけ)て非(ひ)を覆(おほ)ハんとすることならん。〔83オ三〕

とあって、標記語「属託」の語を収載し、その語注記は、「属託は、つけにすると訓ず。彼是事に託けて非を覆はんとすることならん」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Socutacu.ソクタク(属託) Zaxxo<(雑餉)に同じ.酒や食物などの贈物.〔邦訳569r〕

とあって、標記語「属託」の語の意味は「雑餉に同じ.酒や食物などの贈物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そく-たく〔名〕【屬託】懸賞にて、罪人を検擧すること。賞格。募。犒金。和訓栞、そくたく「屬託と書り、罪人を募求るに金銀を賞料とし、郡縣に屬託する意なり」賞(そくたくを)榜(かける)」〔1148-1〕

ぞく-たく〔名〕【囑託】又、しょくたく。頼み、委(ゆだ)ぬること。又、其れを受けたる人。尺素徃來、「奉行、若酖賄賂屬侘、令屓一方者、太以不當也」源平盛衰記、九、堂衆事「堂衆等は、執心深く思て、面を振りける上、語ふ處の惡黨ども、賄賂、屬託に耽て、死生知ず戰ければ」(屬は、囑に同じ)〔1148-1〕

とあって、標記語を「屬託」と「囑託」とし、それぞれ「ソクタク」と「ゾクタク」の訓みによって意味を異にしたものとして収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「そく-たく属託嘱託】〔名〕(「ぞくたく」とも)@(―する)金品をもって依頼すること。報酬を出して味方になってくれることを頼むこと。しょくたく。A罪人を捜すためにかけられたほうび。B賞金。また、賞金の約束として与える品」とあって、『大言海』のような区分けはせずに、一語として記載する。そして、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
庚寅。制。正月斎会。得度之輩。理須旧年試才。新歳得度。而所司常致慢闕。迄于会畢。其名不定。自今以後。旧年十二月中旬以前試定。申送其状。簡定之後。不聴改替。然則本願無虧。属託亦止。《『日本後紀巻十二・延暦二十三(804)年五月庚寅条の条》
 
 
2003年8月28日(木)曇り一時晴れ間。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
衆中(シユチユウ・シユヂユウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「衆来(シユライ)。衆生(ジヤウ)。衆徒(ト)。衆寮(リヤウ)。衆病(ビヤウ)。衆人(ジン)」の六語を収載するが、標記語「衆中」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔至徳三年本〕

奉行人賄賂衆中屬託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔宝徳三年本〕

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔機嫌可申之〔建部傳内本〕

---(ワイロ)--託上--計口-入頭----〔山田俊雄藏本〕

奉行人賄賂衆中属託(ソクタク)上衆秘計(ヒケイ)口入頭人内奏(ナイソウ)屓贔(ヒイキ)機嫌(キケン)。〔経覺筆本〕

-行人-(ワイロ)--(ソクタク)--(ヒケイ)-入頭-(トウ―)-(―ソウ)-(ヒ井キ)(ウカヽ)イ(キケン)〔文明四年本〕※賄賂(ハイロ)。機嫌(キケン)。機(キ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「衆中」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「衆中」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

衆中(シユチユウ・アタルシユウ・モロ/\、ナカ)[去・平去] 。〔態藝門949二〕

とあって、標記語「衆中」の語を収載し、訓みを「シユチウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「衆中」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

衆議(シユギ) ―列(レツ)―中(ヂウ)。〔言辞門214六〕

とあって、標記語「衆議」の冠頭字「衆」の熟語群として「衆中」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「衆中」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

455奉行人-(ワイロ){トハツクノイ也}衆中属託上-衆秘-計 沙汰処上衆也。〔謙堂文庫蔵四四左C〕

※私云――ハ賄賂也。〔静嘉堂文庫藏『庭訓徃來抄』古冩書込み〕

とあって、標記語を「衆中」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

衆中属託(ゾクタク)上衆秘計(ケイ)_入頭人(トウニン)衆中ノ属託(ソクタク)雜賞(サツシヤウ)也。〔下19ウ八〕

とあって、この標記語を「衆中」とし、語注記は「衆中の属託雜賞なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)衆中属託 属も託も皆たのむ事也。〔62ウ三〜四〕

とあって、この標記語「衆中」の語を収載し、語注記は「属も託も皆たのむ事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨圖師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。〔46ウ四〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)。〔83オ三〕

とあって、標記語「衆中」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xugiu<.シュヂュウ(衆中) 大勢の人々の中央,または,大勢の人々の間.〔邦訳800r〕

とあって、標記語「衆中」の語の意味は「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語を「衆中」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しゅ-ちゅう衆中】〔名〕(「しゅじゅう」とも)@多くの人のなか。また、おおぜいの仲間。A中世、奈良興福寺の侍住衆徒(じじゅうしゅと)をいう。武器を持って社頭や寺門を防御し、奈良市中を警固、武力闘争や犯罪人の検断を行なった」とあって、『庭訓往来』のこの語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
頃之仲業、持來訴状於衆中、讀上之養鷄者、不畜狸牧獸者、不育犲之由、載之義村、殊感此句〈云云〉《訓み下し》頃之仲業、訴状ヲ衆中(シユウヂウ)ニ持チ来テ、之ヲ読ミ上グ。鶏ヲ養フ者ハ、狸ヲ畜ハズ。獣ヲ牧フ者ハ、犲ヲ育ハズノ由、之ヲ載ス。義村、殊ニ此ノ句ヲ感ズト〈云云〉。《『吾妻鏡』正治元年十月二十八日の条》
 
 
2003年8月27日(水)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
賄賂(ワイロ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「和」部に、

賄賂(ワイロ) 。〔元亀二年本87九〕〔静嘉堂本108二〕〔天正十七年本上53ウ二〕

賄賂(ハイロ) 。〔西來寺本〕

とあって、標記語「賄賂」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔至徳三年本〕

奉行人賄賂衆中屬託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔宝徳三年本〕

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔機嫌可申之〔建部傳内本〕

---(ワイロ)--託上--計口-入頭----〔山田俊雄藏本〕

奉行人賄賂衆中属託(ソクタク)上衆秘計(ヒケイ)口入頭人内奏(ナイソウ)屓贔(ヒイキ)機嫌(キケン)。〔経覺筆本〕

-行人-(ワイロ)--(ソクタク)--(ヒケイ)-入頭-(トウ―)-(―ソウ)-(ヒ井キ)(ウカヽ)イ(キケン)〔文明四年本〕※賄賂(ハイロ)。機嫌(キケン)。機(キ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

賄賂(マヒナヒ) 倭媚分/ワイロ/追従詞。〔黒川本・疉字門上72ウ二〕

賄賂ワイロ 〃貨。〃イ本。〔卷第三・疉字門132三〕

とあって、標記語「賄賂」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

賄賂(ワイロ) 。〔態藝門77五〕

とあって、標記語「賄賂」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

賄賂(ワイロマイナイ)[上・○] 。〔態藝門240一〕

とあって、標記語「賄賂」の語を収載し、訓みを「ワイロ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

賄賂(ワイロ) 送財也。〔・言語進退門73四〕

賄賂(ワイロ)(クハ)。〔・言語門71九〕

賄賂(ワイロ)(クハ)。――/属託。〔・言語門65六〕

賄賂(ワイロ)。〔・言語門77八〕

とあって、標記語「賄賂」の語を収載し、語注記は弘治二年本に「送財なり」と記載する。また、易林本節用集』には、

賄賂(ワイロ) 〔言辞門67六〕

とあって、標記語「賄賂」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「賄賂」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

455奉行人-(ワイロ){トハツクノイ也}衆中属託上-衆秘-計 沙汰処上衆也。〔謙堂文庫蔵四四左C〕

とあって、標記語を「賄賂」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

奉行人-(アイロ)ハ。償(ツクナ)ヒナリ。〔下19ウ八〕

とあって、この標記語を「賄賂」とし、語注記は「償ひなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

奉行人(ぶきやうにん)賄賂(わいろ)奉行人賄賂 奉行衆への進物なり。〔62ウ三〕

とあって、この標記語「賄賂」の語を収載し、語注記は「奉行衆への進物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨圖師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲賄賂ハまいなひと訓(くん)ず。奉行衆(ふきやうしゆ)へ取入らんとする也。〔46ウ四〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)賄賂ハまいなひと訓(くん)ず。奉行衆(ふきやうしゆ)へ取入らんとする也。〔83オ三〕

とあって、標記語「賄賂」の語を収載し、その語注記は、「賄賂は、まいなひと訓ず。奉行衆へ取入らんとするなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vairo.ワイロ(賄賂) Mainai.(賂).賄賂,すなわち,金銭で誘惑すること.§Vairouo toru.(賄賂を取る)賄賂を取る.§Vaironi fuqeru,lmezzuru.(賄賂に耽る,または,愛づる)金銭で誘惑される,あるいは,賄賂に引かれる.§Vaironi yotte ficujiuo rininsuru.(賄賂に依って非公事を理にする)賄賂によって,あるいは,利益によって,不公正な裁判を正当化する.→Mainai.〔邦訳676r〕

とあって、標記語「賄賂」の語の意味は「賄賂,すなわち,金銭で誘惑すること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

わい-〔名〕【賄賂】不正不義なる贈物。まひ。まひなひ。袖の下。音物(インモツ)。苞苴。南史、陳、楊貴妃傳「閹宦便侫之徒、内外交結、轉相引進、賄賂公行、賞罰無常、綱紀瞥亂矣」〔2156-5〕

とあって、標記語を「賄賂」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「わい-賄賂】〔名〕@自分に都合のよいようにとりはからってもらう目的で他人に贈る品物や金銭。まいない。そでのした。A公務員またはこれに準ずる者が職務に関して受け取る違法な報酬。金銭・物品ばかりでなく、人の欲望を満たす一切のものを含む」とあって、『庭訓往来』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
又件阿闍梨者、自七條紀太守貞之手、取文書耽賄賂、相語北條小御舘、所巧謀略也〈云々〉《訓み下し》又件ノ阿闍梨ハ、七条ノ紀太守貞ガ手ヨリ、文書ヲ取リ賄賂(ワイロ)ニ耽リ、北条ノ小御館ヲ相ヒ語ラヒ、謀略ヲ巧ム所ナリト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治二年九月二十五日の条》
 
 
2003年8月26日(火)曇り一時晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
奉行人(ブギヤウニン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、

奉行(ブキヤウ) 。〔元亀二年本224七〕

奉行(ブギヤウ) 。〔静嘉堂本362四〕

とあって、標記語「奉行」の語を収載するが、「奉行人」の語では未収載とする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔至徳三年本〕

奉行人賄賂衆中屬託上衆秘計口入頭人内奏屓贔嫌可申之〔宝徳三年本〕

奉行人賄賂衆中属託上衆秘計口入頭人内奏屓贔機嫌可申之〔建部傳内本〕

---(ワイロ)--託上--計口-入頭----〔山田俊雄藏本〕

奉行人賄賂衆中属託(ソクタク)上衆秘計(ヒケイ)口入頭人内奏(ナイソウ)屓贔(ヒイキ)機嫌(キケン)。〔経覺筆本〕

-行人-(ワイロ)--(ソクタク)--(ヒケイ)-入頭-(トウ―)-(―ソウ)-(ヒ井キ)(ウカヽ)イ(キケン)〔文明四年本〕※賄賂(ハイロ)。機嫌(キケン)。機(キ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「奉行人」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・に、標記語「奉行人」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

奉行(ブギヤウ・ヲコナウタテマツル、カウ・ユク・ツラナル)[上・平去] 頭人。〔態藝門650一〕

とあって、標記語「奉行」の語を収載し、訓みを「ブギャウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

奉行(ブギヤウ) 。〔・人倫門179七〕

奉行(ブギヤウ) 頭人(トウニン)。〔・人倫門147六〕

奉行(ブキヤウ) 頭人。〔・言語門137六〕

○○奉行人 。〔・後鳥羽院御宇鍛冶結審次第283二〕

とあって、標記語「奉行」「奉行人」(永禄二年本のみ)を収載する。また、易林本節用集』には、

奉事(ブジ) ―仕(シ)―行(ギヤウ)。〔言辞門216七〕

とあって、標記語「奉行」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書には、「奉行」の語が収載されていて、「奉行人」は印度本系永禄二年本に記載があるのみである。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

455奉行人-(ワイロ){トハツクノイ也}衆中属託上-衆秘-計 沙汰処上衆也。〔謙堂文庫蔵四四左C〕

とあって、標記語を「奉行人」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

奉行人-(アイロ)ハ。償(ツクナ)ヒナリ。〔下19ウ八〕

とあって、この標記語を「奉行人」とし、語注記は「償ひなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)奉行人賄賂 奉行衆への進物なり。〔62ウ三〕

とあって、この標記語「奉行人」の語を収載し、語注記は「奉行衆への進物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨圖師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。〔46ウ四〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)〔83オ三〕

とあって、標記語「奉行人」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Buguio<.ブギヤウ(奉行) Vqetamauari,vocono<.(奉り,行ふ)ある物事を統べ司る人,または,物事の世話をする人.§また,国王その他の主君の役人.→次条.〔邦訳64r〕

とあって、標記語「奉行人」の語の意味は「ある物事を統べ司る人,または,物事の世話をする人」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぶぎゃう-にん〔名〕【奉行人】事を奉行する人。支配頭。ぶぎゃう(奉行)の條をも見よ。吾妻鏡、脱漏、元仁二年九月廿日「武州(泰時)召集奉行人、令對面古今著聞集、廿、魚蟲禽獸「この事、中御門左大臣殿の御尋ねによりて、奉行人經房朝臣かきて奉りける也」庭訓徃來、下、八月「管領、寄人、右筆、奉行人等之評判也」〔1316-3〕

とあって、標記語を「奉行人」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぶぎょう-にん奉行人】〔名〕@奉行の任にあたる人。奉行職。奉行役人。A鎌倉・室町幕府において、行政・裁判等の実務を担当した事務官の総称。公事奉行」とあって、『庭訓往来』のこの語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
奉行人、可令致嚴密辨之旨、被遣御書於武藏守之許〈云々〉俊兼爲奉行〈云々〉《訓み下し》別ノ奉行人ヲ差シテ、厳密ニ弁ヲ致サシムベキノ旨、御書ヲ武蔵ノ守ノ許ニ遣ハサルト〈云云〉。俊兼奉行タリト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治二年七月二十八日の条》
 
 
2003年8月25日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
經廻(ケイクハイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「計」部に、

經廻(―クワイ) 。〔元亀二年本214三〕〔静嘉堂本243六〕

(―クワイ) 。〔天正十七年本中51オ六〕

とあって、標記語「經廻」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

先被進擧状代者公所出仕諸亭之經廻可申圖師也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

先被進挙状代者公所之出仕諸亭經廻可圖師申也〔建部傳内本〕

先被-状代者公--仕諸-經廻(ケイクワイ)-(ヅ―)〔山田俊雄藏本〕

挙状(キヨシヤウ)ヲ代官者公所出仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ヅシ)〔経覺筆本〕

ラレ挙状(キヨ)(ヒ)者公-所出-仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ツ―)ヲ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

經廻 〃過。〃緯。〃歴。〃笥シ。〃營。〃傳。〃史。〃法。〃緯。〔卷第七・疉字門18六〕

とあって、標記語「經廻」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

經廻(ケイグワイ) 。〔疉字門159一〕

とあって、標記語「經廻」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ケイクワイタテ・フル、タチモドル)[平・平] 徃來義也。〔態藝門601五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ケイクワイ」とし、その語注記は、「徃来の義なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(―クワイ) 徃来義。〔・言語進退門175五〕

經廻(ケイクハイ) ―歴(レキ)。―徊(クハイ)。―營(エイ)。〔・言語門144二〕

經廻(ケイクワイ) ―歴。―徊。―営。―緯。〔・言語門133八〕

とあって、標記語「經廻」と「」の語を収載し、弘治二年本には、広本節用集』を継承して語注記に「徃来の義」と記載が見える。また、易林本節用集』には、

經營(ケイエイ) ―回(クワイ)。―歴(レキ)。〔言辞門146七〕

とあって、標記語「經營」の冠頭字「經」の熟語群に「經回」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「經廻」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

454先被挙状代者公--仕諸亭經廻図師(ヅ―)也 諸亭家之体也。三官領等居処也。經廻圖師計者也。又畫書見也。〔謙堂文庫蔵四四左A〕※――ハせメクル心也〔静嘉堂文庫蔵『庭訓往来抄』古寫書込み〕

とあって、標記語を「諸亭」とし、その語注記は、「經廻圖師は、内を計る者なり。また、畫に書見なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

諸亭(シヨテイ)經廻(ケイクハイ)トハ。諸候ノ家々ニ出入スル事ナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「經廻」とし、語注記は「諸候の家々に出入する事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸亭(シヨテイ)經廻(けいくわい)諸亭經廻 諸亭とハ諸役人の宅なり。經廻ハへめくると訓す。諸役人乃宅へ行道筋をいふなり。〔62オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「經廻」の語を収載し、語注記は「經廻は、へめぐると訓ず。諸役人の宅へ行く道筋をいふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨図師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲諸亭經廻ハ諸役人(しよやくにん)乃宅(いへ)へ出入する事。〔46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)經廻(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)▲諸亭經廻ハ諸役人(しよやくにん)の家(いへ)へ出入する事。〔83オ三〕

とあって、標記語「經廻」の語を収載し、その語注記は、「諸亭經廻は、諸役人の宅へ出入する事」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeiquai.ケイクヮイ(經廻) Femeguru.(経廻る)あちこちの土地を歩き回ること.例,Xococuuo qeiquaisu.(諸国を経廻す)すべての国を遍歴する.文書語.〔邦訳482r〕

とあって、標記語「經廻」の語の意味は「あちこちの土地を歩き回ること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-くゎい〔名〕【經廻】(一)諸方を經廻(へめぐ)ること。平家物語、十一、腰越事「京都之經廻難治間、諸國令遊行、在在所所隠身」庭訓徃來、八月「公所之出仕、諸亭之經廻、可圖師也」(二)世を經(ふ)ること。源平盛衰記、四十一、頼盛關東下向事「頼朝、世に經廻せば、御方に奉公仕りて、彼御恩に可報」〔0595-3〕

とあって、標記語を「經廻」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「けい-かい經廻】〔名〕(「けいがい」とも)@滞在すること。A月日をすごすこと。生きながらえて年月を経ること。B住んでいること。暮らしていること。Cめぐりあるくこと。処処を歩きまわること。D奔走すること。働きかけること」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
院宣之上、加私勘黨、令追討彼義仲畢然而平家、令經廻四國之邊動出浮近國之津泊、奪取人民之物、狼喉不絶者也。《訓み下し》院宣ノ上ニ、私ニ勘当ヲ加ヘ、彼ノ義仲ヲ追討セシメ畢ンヌ。然シテ平家、四国ノ辺ニ經廻(ケイクワイ)セシメ動スレバ近国ノ津泊ニ出デ浮ビ、人民ノ物ヲ奪ヒ取リ、狼喉絶ヘザル者ナリ。《『吾妻鏡』寿永三年三月一日の条》
 
 
2003年8月24日(日)晴れ。東京(八王子)
諸亭(ショテイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「諸篇(シヨヘン)。諸口(クチ)。諸色(シキ)。諸職(シヨク)。諸道(ダウ)。諸候(コウ)。諸人(ニン)。諸事(ジ)。諸經(キヤウ)。諸論(ロン)」の十語を収載するが、標記語「諸亭」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

先被進擧状代者公所出仕諸亭之經廻可申圖師也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

先被進挙状代者公所之出仕諸亭經廻可圖師申也〔建部傳内本〕

先被-状代者公---經廻(ケイクワイ)-(ヅ―)〔山田俊雄藏本〕

挙状(キヨシヤウ)ヲ代官者公所出仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ヅシ)〔経覺筆本〕

ラレ挙状(キヨ)(ヒ)者公-所出-諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ツ―)ヲ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「諸亭」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「諸亭」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には、「諸亭」の語を未収載にする。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

454先被挙状代者公--諸亭經廻可図師(ヅ―)也 諸亭家之体也。三官領等居処也。經廻圖師計者也。又畫書見也。〔謙堂文庫蔵四四左A〕

とあって、標記語を「諸亭」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

諸亭(シヨテイ)經廻(ケイクハイ)トハ。諸候ノ家々ニ出入スル事ナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「諸亭」とし、語注記は「諸候の家々に出入する事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸亭(シヨテイ)の經廻(けいくわい)諸亭經廻 諸亭とハ諸役人の宅なり。經廻ハへめくると訓す。諸役人乃宅へ行道筋をいふなり。〔62オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「諸亭」の語を収載し、語注記は「諸亭とは、諸役人の宅なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨図師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲諸亭經廻ハ諸役人(しよやくにん)乃宅(いへ)へ出入する事。〔46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)▲諸亭經廻ハ諸役人(しよやくにん)の家(いへ)へ出入する事。〔83オ三〕

とあって、標記語「諸亭」の語を収載し、その語注記は、「諸亭經廻は、諸役人の宅へ出入する事」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「諸亭」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-てい〔名〕【諸亭】(一)諸方の貴人の邸宅。多くの亭。(つか)ふること。仕官。源平盛衰記、十三、高倉宮信連合戰事「私に、主を憑みて、諸亭に腕首を握らず、久しく、宮の御所に召し仕はれて、奉公、年、積もれり」(二)鎌倉時代、引附方、又、問注所、等の諸局の名。庭訓徃來、八月「諸亭經廻、可圖師也」〔1016-2〕

とあって、標記語を「諸亭」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しょ-てい諸亭】〔名〕@諸方の貴人の邸宅。A「しょてい(諸亭)の賦(くばり)」の略」とあって、『庭訓往来』及び『庭訓徃來註』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
雨降自戌尅至子時大風御所侍、中門廊、竹御所侍等顛倒其外、諸亭破損、不可勝計抜其梁棟、吹弃于路次、徃反之類爲之少々被打殺〈云云〉《訓み下し》雨降ル。戌ノ剋ヨリ子時ニ至ルマデ大風。御所ノ侍、中門ノ廊、竹ノ御所ノ侍等、顛倒ス。其ノ外、諸亭(シヨテイ)ノ破損、勝テ計フベカラズ。其ノ梁棟ヲ抜キ、路次ニ吹キ棄ツ。往反ノ類、之ガ為ニ少少打チ殺サルト〈云云〉。《『吾妻鏡』安貞二年十月七日の条》
 
 
2003年8月23日(土)晴れ一時曇り。東京(八王子)→静岡(清水町)
出仕(シユツシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

出仕(―シ) 。〔元亀二年本310二〕〔静嘉堂本362四〕

とあって、標記語「出仕」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

先被進擧状代者公所出仕諸亭之經廻可申圖師也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

先被進挙状代者公所之出仕諸亭經廻可圖師申也〔建部傳内本〕

先被-状代者公---經廻(ケイクワイ)-(ヅ―)〔山田俊雄藏本〕

挙状(キヨシヤウ)ヲ代官者公所出仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ヅシ)〔経覺筆本〕

ラレ挙状(キヨ)(ヒ)者公--諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ツ―)ヲ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「出仕」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・に、標記語「出仕」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

出仕(シユツシイテル、ツカマツル)[去入・上] 。〔態藝門933一〕

とあって、標記語「出仕」の語を収載し、訓みを「クジヨ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

出陣(―チン) ―仕(シ)。―頭(トウ)。―御(ギヨ)。―現(ゲン)。―入(ニウ)。―銭(セン)。〔・言語進退門246二〕

出入(シユツニウ) ―頭(トウ)。―御(ギヨ)。―陣(ヂン)。―現(ゲン)。―張(チヤウ)―仕(シ)。―院(シユツエン)擯出之義。〔・言語門210三〕

出入(シユツニウ) ―頭。―御。―陣。―現/―挙。―張。―仕。―院。―奔。〔・言語門194五〕

とあって、標記語「出陣」「出入」の冠頭字「出」の熟語群として収載する。また、易林本節用集』には、

出仕(シユツシ) ―納(ナフ)。―頭(トウ)。―物(モツ)。―世(せ)。―生(シヤウ)。―身(シン)。―家(ケ)。〔言辞門216七〕

とあって、標記語「出仕」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「出仕」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

454先被挙状代者公--諸亭經廻可図師(ヅ―)也 諸亭家之体也。三官領等居処也。經廻圖師計者也。又畫書見也。〔謙堂文庫蔵四四左A〕

とあって、標記語を「出仕」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

活持(クハツジ)之計略(ケイリヤク)挙状(キヨ―)者公-(コウシヨ)-(シユツシ)活持(クハツジ)之計畧(ケイリヤク)トハ。ノガシヤハラクル計トナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「出仕」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

公所(こうしよ)出仕(しゆつし)公所出仕 公所とは將軍家の御在所也。出仕とハ登城(とじやう)する事なり。〔62オ八〕

とあって、この標記語「公所」の語を収載し、語注記は「出仕とは、登城する事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官--諸亭之經廻キ∨(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲公所出仕ハ公議(くうぎ)の御前(ごぜん)へ出ること。〔46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)經廻(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)▲公所出仕ハ公議(くうぎ)の御前(ごぜん)へ出ること。〔83オ二〜三〕

とあって、標記語「出仕」の語を収載し、その語注記は、「公所出仕は、公議の御前へ出ること」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xuxxi.シュッシ(出仕) Ide tcucayuru.(出で仕ゆる)すなわち,Cubo<samaye mairu.(公方樣へ参る)公方(Cubo<)なり,ある屋形(Yacata)なりの御殿へ行くこと.〔邦訳804r〕

とあって、標記語「出仕」の語の意味は「出で仕ゆる、すなわち,公方樣へ参る、公方なり,ある屋形なりの御殿へ行くこと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゅっ-〔名〕【出仕】(一)出(い)でて、仕(つか)ふること。仕官。東坡集「元不出仕而巳」(二)勤(つとめ)に、出づること。出勤。上衙古今著聞集、三、政道忠臣「小野宮殿、九條殿、御同車にて、出仕せさせ給ける時」太平記、廿六、直冬西國下向事「紀州、暫、静謐の體にて、直冬被歸參しより後、早、人人、是を重じ奉る儀も出來り、時時、將軍の御方へも出仕し給しが共」(三)員外官の稱。「海軍省出仕」文部省出仕〔0997-1〕

とあって、標記語を「出仕」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しゅっ-出仕】〔名〕@民間から出て官に仕えること。仕官。官庁勤め。A勤めに出ること。出勤。また、主君の側に伺候すること。Bその場にのぞむこと。ある場所・席に出ること。C明治初期、新しく官吏を任用する時、その技量・能力を試みるために置いた試補。D明治四年(一八七一)以後、事務が繁多をきわめる場合、臨時に置かれた員外官」とあって、『庭訓往来』の語用例未記載にする。
[ことばの実際]
前大藏卿泰經出仕事可有勅許之趣、去月六日、院宣所令到來也《訓み下し》前ノ大蔵卿泰経出仕ノ事、勅許有ルベキノ趣、去ヌル月六日ニ、院宣到来セシムル所ナリ。《『吾妻鏡』文治三年四月十九日の条》
 
 
2003年8月22日(金)晴れ一時曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
公所(コウシヨ・クジョ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「公私(シ)。公道(ダウ)。公用(ユウ)。公主(シユ)天子之皇后。公文(フン)襌家之長老西堂領之。公帖(テウ)日。公儀(ギ)」の語を収載するが、標記語「公所」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

先被進擧状代者公所出仕諸亭之經廻可申圖師也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

先被進挙状代者公所之出仕諸亭經廻可圖師申也〔建部傳内本〕

先被-状代--仕諸-經廻(ケイクワイ)-(ヅ―)〔山田俊雄藏本〕

挙状(キヨシヤウ)ヲ代官公所出仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ヅシ)〔経覺筆本〕

ラレ挙状(キヨ)(ヒ)--仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ツ―)ヲ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「公所」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・に、標記語「公所」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

公所(ジヨコウ・キミ、トコロ)[平・上] 。〔態藝門538四〕

とあって、標記語「公所」の語を収載し、訓みを「クジヨ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「公所」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』だけに「公所」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

454先被挙状代--仕諸亭經廻可図師(ヅ―)也 諸亭家之体也。三官領等居処也。經廻圖師計者也。又畫書見也。〔謙堂文庫蔵四四左A〕

とあって、標記語を「公所」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

活持(クハツジ)之計略(ケイリヤク)挙状(キヨ―)-(コウシヨ)之出-(シユツシ)活持(クハツジ)之計畧(ケイリヤク)トハ。ノガシヤハラクル計トナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「公所」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

公所(こうしよ)の出仕(しゆつし)公所出仕 公所とは將軍家の御在所也。出仕とハ登城(とじやう)する事なり。〔62オ八〕

とあって、この標記語「公所」の語を収載し、語注記は「公所とは將軍家の御在所なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官--諸亭之經廻キ∨(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲公所出仕ハ公議(くうぎ)の御前(ごぜん)へ出ること。〔46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)經廻(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)公所出仕ハ公議(くうぎ)の御前(ごぜん)へ出ること。〔83オ二〜三〕

とあって、標記語「公所」の語を収載し、その語注記は、「公所出仕は、公議の御前へ出ること」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「公所」の語の未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しょ〔名〕【公所】役所。官衙庭訓徃來、八月「公所出仕、諸亭之經廻」〔0522-5〕

とあって、標記語を「公所」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こう-しょ公所】〔名〕@おおやけの場所。私的な権利が通用しない場所。A中国で、同業者や同郷者の団体がつくっていた相互扶助組織などの事務所、集会場として建てられた施設」と標記語「-じょ公所】〔名〕」公事を扱う所。役所。官衙(かんが)」とあって、『庭訓往来』の語用例は、後者「くじょ」の用例として記載が見える。
[ことばの実際]
一、参公所仏事之座事、旬斎日等之外、何事之有哉。《『玉葉』承安二年九月十六日の条》他七件
 
2003年8月21日(木)晴れ後曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(ダイ)」→「代官(ダイクヮン)」ことばの溜池(2003.06.12)参照
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

先被進擧状者公所出仕諸亭之經廻可申圖師也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

先被進挙状者公所之出仕諸亭經廻可圖師申也〔建部傳内本〕

先被-者公--仕諸-經廻(ケイクワイ)-(ヅ―)〔山田俊雄藏本〕

挙状(キヨシヤウ)ヲ代官者公所出仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ヅシ)〔経覺筆本〕

ラレ挙状(キヨ)(ヒ)者公-所出-仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ツ―)ヲ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、経覺筆本だけが「代官」としている点に注目したい。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には、全て「」の語を未収載にする。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

454先被挙状者公--仕諸亭經廻可図師(ヅ―)也 諸亭家之体也。三官領等居処也。經廻圖師計者也。又畫書見也。〔謙堂文庫蔵四四左A〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

活持(クハツジ)之計略(ケイリヤク)挙状(キヨ―)者公-(コウシヨ)之出-(シユツシ)活持(クハツジ)之計畧(ケイリヤク)トハ。ノガシヤハラクル計トナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(まつ)擧状(きよじやう)(たい)を進(しん)せ被(られ)(ハ)先被レハ挙状 擧状ハ事の様子を申上る事也。代ハ名代也。故障(こしやう)ありて自身(じしん)出て事の様子を言上(ごんじやう)する事を得さるによりて出したる名代の者を挙状代といふ也。前の書状にいえる代官の事なり。〔62オ六〜八〕

とあって、この標記語「代官」の語を収載し、語注記は「代は、名代なり。故障ありて自身出て事の様子を言上する事を得さるによりて出したる名代の者を挙状代といふ也。前の書状にいえる代官の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲代官ハ爰(こゝ)に進状(しんしやう)にいへる大掾が名代(めうたい)を指(さ)す。〔46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)經廻(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)▲代官ハ爰(こゝ)に進状(しんじやう)にいへる大掾が名代(ミやうだい)を指(さ)す。〔83オ二〕

とあって、標記語「代官」の語を収載し、その語注記は、「代官は、爰に進状にいへる大掾が名代を指す」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Dai.ダイ() Cauari.(代り) 代わり・交換.§また,他の人の代わりに立つ者.§Daiuo tatcuru.(代を立つる)ある人の代わりに,または,自分自身の代わりに,他の人を定める,あるいは,遣わす.〔邦訳177r〕

とあって、標記語「」の語の意味を「他の人の代わりに立つ者」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だい〔名〕【】(一)〔正字通「代、世也、家語、古之王者、易代改號、取報五行」〕王侯士庶の家に、父子世世相代(カハ)りて、其家を繼ぎて主(あるじ)たる年月の間。神皇正統記、二「人皇第一代、~日本磐余彦天皇と申す、後に、~武と名づけ奉る、云云、伊弉諾尊には六世、大日靈尊には五世の天孫にまします」「親の代」「子の代」代がはり」(二)他に代りて、用を辨ずる人。名代。代官。〔1173-2〕

とあって、標記語を「」の語を収載し、ここでは(二)の意とする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「だい】〔名〕@家督や王位などを受け継いで、その地位にある年月の間。A代わりとなるもの。代用のもの。また、つぐない。代償。代の物。B代わって仕事する人。代理として物事に当たる人。代人。代理人。名代(みょうだい)。代の者。代官。C特定の労力や商品などに相当する分の金銭もしくはそれに準ずるもの。代金。あたい。ねだん。しろ。D「たい(代)」に同じ。E地質時代を大きく区分したその期間。主として生物の進化に基づいて、古生代・中生代・新生代の三つに大別される。代はさらに紀・世・期に細分する。F「だいひょうばんごう(代表番号)の略」とあって、Bの意であるが、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍義連、早可召上之由、所被遣御書於掃部入道寂忍之許也。《訓み下し》仍テ義連ガ、早ク召シ上グベキノ由、御書ヲ掃部ノ入道寂忍ノ許ニ遣ハサルル所ナリ。《『吾妻鏡』建永二年六月二十四日の条》
今日、評議之次、就諸堂供僧等事、有被定之旨是臨病患、附属非器弟子、又立名代之後、落堕世間、猶貪其利潤事、向後、可停止之由〈云云〉《訓み下し》今日、評議ノ次ニ、諸堂ノ供僧等ノ事ニ就テ、定メラルルノ旨有リ。是レ病患ヲ臨ミ、非器ノ弟子ニ附属シ、又名代(ミヤウダイ)ヲ立ツルノ後、世間ニ落堕シ、猶其ノ利潤ヲ貪ル事、向後、停止スベキノ由ト〈云云〉。《『吾妻鏡』暦仁元年十二月七日の条》
 
 
2003年8月20日(水)曇り。東京(八王子)→目黒(国文学資料館)→世田谷(駒沢)
擧状(キヨジヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

×〔元亀二年本〕

擧状(キヨジヤウ) 吹―之状。〔静嘉堂本327二〕

とあって、標記語「擧状」の語を収載し、その語注記は、「吹挙之状」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

先被進擧状代者公所出仕諸亭之經廻可申圖師也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

先被進挙状代者公所之出仕諸亭經廻可圖師申也〔建部傳内本〕

先被-者公--仕諸-經廻(ケイクワイ)-(ヅ―)〔山田俊雄藏本〕

挙状(キヨシヤウ)ヲ代官者公所出仕諸亭(テイ)經廻(ケイクワイ)圖師(ヅシ)〔経覺筆本〕

先被挙状者公--仕諸亭經廻可図師(ヅ―)〔文明四年本〕()

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

擧状 キヨシヤウ。〔黒川本・疉字門下52オ四〕

擧動 〃措。〃達。〃奏。〃状。〔卷第八・疉字門532二〕

とあって、標記語「擧状」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

擧状(キヨジヤウ) 。〔態藝門74六〕

とあって、標記語「擧状」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

擧状(キヨジヤウアグル、カタチ)[上・去] 。〔態藝門830四〕

とあって、標記語「擧状」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

擧状(キヨジヤウ) 。〔・言語進退門221三〕

擧状(キヨシヤウ) ―達(タツ)。〔・言語門184六〕

擧状(キヨシヤウ) ―達。〔・言語門174一〕

とあって、標記語「擧状」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

擧達(キヨタツ) ―状(ジヤウ)。〔言辞門190六〕

とあって、標記語「擧達」の冠頭字「擧」の熟語群として「擧状」語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「擧状」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

454先被挙状者公--仕諸亭經廻可図師(ヅ―)也 諸亭家之体也。三官領等居処也。經廻圖師計者也。又畫書見也。〔謙堂文庫蔵四四左A〕

とあって、標記語を「擧状」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

活持(クハツジ)之計略(ケイリヤク)挙状(キヨ―)者公-(コウシヨ)之出-(シユツシ)活持(クハツジ)之計畧(ケイリヤク)トハ。ノガシヤハラクル計トナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「擧状」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(まつ)擧状(きよじやう)を代(たい)を進(しん)せ被(られ)(ハ)先被レハ挙状 擧状ハ事の様子を申上る事也。代ハ名代也。故障(こしやう)ありて自身(じしん)出て事の様子を言上(ごんじやう)する事を得さるによりて出したる名代の者を挙状代といふ也。前の書状にいえる代官の事なり。〔62オ六〜八〕

とあって、この標記語「擧状」の語を収載し、語注記は「擧状は、事の様子を申上る事也。代は、名代なり。故障ありて自身出て事の様子を言上する事を得さるによりて出したる名代の者を挙状代といふ也。前の書状にいえる代官の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)挙状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲挙状ハ古注(こちう)に公事(くし)の目安(め―)の下書也と云云。〔46オ四〜46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ挙状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)經廻(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)▲挙状ハ古注(こちう)に公事(くじ)の目安(めやす)の下書也と云々。〔82オ五〜83オ二〕

とあって、標記語「挙状」の語を収載し、その語注記は、「挙状は、古注に公事の目安の下書なりと云々」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiojo<.キョジャウ(擧状) ある訴訟事などに関して,証拠や証明を添えて主君に提出する書付.〔邦訳502r〕

とあって、標記語「擧状」の語の意味を「ある訴訟事などに関して,証拠や証明を添えて主君に提出する書付」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きょ-じゃう〔名〕【擧状】(一)官途などに薦擧の書。丹州書札式「爲昇進擧状事、不貴賤、一向可止之」註「從關東擧状を申請け、上洛して昇進を可望候也」(二)轉じて、下の言を、上に傳達する書。沙汰未練書「地頭、御家人の外は、不直訴、名主、莊官以下者、帶在所地頭擧状、及訴訟也」〔0503-4〕

とあって、標記語を「擧状」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きょ-じょう擧状】〔名〕@所職や官位をのぞむ者を適当な個人や機関に推薦する書状。吹挙状(すいきょじょう)。A鎌倉・室町時代、訴訟手続の際の添付された文書。地頭御家人以下の郎党そのほかの他人の支配に属している者が、自分の名義で訴訟するときに、主家、本所、地頭などが添えて提出した書状。これがない場合は直訴として受けつけられなかった。同じく正員から代官を立てて訴訟を代理させる旨を裁判所に通知する文書。これには独立にひとつの文書を作ることも、裁判所からの問状(といじょう)に対して出す請文のなかでその旨を記すこともあった」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
雜人訴訟事諸國者、可帯在所地頭擧状鎌倉中者、就地主吹擧、可申子細無其儀者、不可用直訴之由、今日被仰遣問注所政所是爲被禁直訴之族也。《訓み下し》雑人訴訟ノ事諸国ノ者ハ、在所地頭ノ挙状(キヨ―)ヲ帯スベシ。鎌倉中ノ者ハ、地主ノ吹挙ニ就テ、子細ヲ申スベシ。其ノ儀無クンバ、直訴ヲ用ヰルベカラザルノ由、今日問注所政所ニ仰セ遣ハサル。是レ直訴ノ族ヲ禁ゼラレンガ為ナリ。《『吾妻鏡』建長二年四月二十九日の条》
 
 
2003年8月19日(火)曇り一時小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
計略(ケイリヤク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

計略(ケイリヤク) 。〔元亀二年本213八〕〔静嘉堂本243一〕〔天正十七年本中50ウ八〕

とあって、標記語「計略」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

可被用意活持計略〔至徳三年本〕

可被用意活持之計略〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-セラ--(ケツラク)。〔山田俊雄藏本〕

活持(クワツチ)計略。〔経覺筆本〕

シ∨セラ活持之計略。〔文明四年本〕()

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

計略 方略分/ケイリヤク。〔黒川本・疉字門中99ウ七〕

計略 〃歴 違期任国司所申下正負給外記。〃損 權任給官符。〃會 正暦十一二五格毎―仲帳進官勘會人物檢察遺漏近代不行大帳別薄也計會作戸日輩出擧數也。〃。〃帳。〔卷第七、疉字門17六〕

とあって、標記語「計略」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、標記語「計略」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

計略(ケイリヤク) ―會(クハイ)。〔・言語門143八〕

計略(ケイリヤク) ―會。〔・言語門133六〕

とあって、標記語「計略」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

計略(ケイリヤク) ―會(クワイ)。〔言辞門146七〕

とあって、標記語「計略」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書では、『運歩色葉集』と印度本系『節用集』易林本『節用集』に「計略」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

453訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費可被意活持之計略 活持亊闕活用意也。即堪忍之分也。〔謙堂文庫蔵四四左@〕

とあって、標記語を「計略」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

活持(クハツジ)計略(ケイリヤク)挙状(キヨ―)者公-(コウシヨ)之出-(シユツシ)活持(クハツジ)之計畧(ケイリヤク)トハ。ノガシヤハラクル計トナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「計略」とし、語注記は「活持之計畧とは、のがしやはらぐる計となり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

活持(くハつじ)計略(けいりやく)に用意(ようい)セ被(らる)(へし)活持之計略 活持を活時(くわつじ)と書る本もあり。舊注に活持之計畧とハのかれやはらぐるはかり也と云あやしき説也。ある説に云、活ハ生々として働(はたら)くをいふ。持ハたすけたもつと訓す。凡亊の計略をするに其時勢(じせい)にあたれハ其計畧働きありて物のたすけとなる亊多し。若時勢にあわされハ設(もうけ)たる計畧死物となりて物の益(ゑき)とならす。故に其時勢に應し急務(きうむ)のはかりことをするを活持乃計畧と云。活時の計略に作れハ唯時勢にあひたるはかりことく云義也。〔62オ一〜六〕

とあって、この標記語「計略」の語を収載し、語注記は「活持を活時と書くる本もあり。舊注に活持之計畧とは、のがれやはらぐるばかりなりと云ひあやしき説なり。ある説に云く、活は、生々として働らくをいふ。持は、たすけたもつと訓ず。凡そ亊の計略をするに其の時勢にあたれば、其の計畧働きありて物のたすけとなる亊多し。もし時勢にあわざれば、設けたる計畧死物となりて物の益とならす。故に其の時勢に應じ急務のはかりごとをするを活持の計畧と云ふ。活時の計略に作れば、唯、時勢にあひたるばかりごとく云ふ義なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲活持之計略ハ事に應じてはたらきあるはかりことをいふ。〔46オ四〜46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)經廻(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)▲活持之計略ハ事に應(おう)じてはたらきあるはかりことをいふ。〔82オ五〜83オ二〕

とあって、標記語「計略」の語を収載し、その語注記は、「活持之計略は、事に應じてはたらきあるはかりことをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeiriacu.l,qeisacu.ケイリャク.または,ケイサク(計略または,計策) 計略,または,方策.§Qeiriacu uo megurasu.(計略を廻らす)ある事をするために,計略を立てる,または,その方法と対策を講ずる.〔邦訳483l〕

とあって、標記語「計略」の語の意味を「計略,または,方策」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-りゃく〔名〕【計略】はかりごと。計策。後漢書、杜詩傳「善於計略太平記、二、後醍醐天皇潜幸笠置事「此は又、餘りに山深く、里遠くして、何事の計略も叶ふまじき處なれば、云云」〔0601-5〕

とあって、標記語を「計略」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「けい-りゃく計略】〔名〕@はかりごと。計画。工夫。また、人をだまそうと考えをめぐらすこと。もくろみ。策略。謀略。Aよいように処置すること。管理すること。B「けいりゃく(経略)A」に同じ」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然而以私計略、太依難遂宿意今日入夜、相具子息伊豆守仲綱等潜參于一院第二宮之三條高倉御所、催前右兵衛佐頼朝以下源氏等誅彼氏族、可令執天下給之由、申行之。《訓み下し》然レドモ私ノ計略(ケイリヤク)ヲ以テ、太ダ宿意ヲ遂ゲ難キニ依テ、今日夜ニ入テ、子息伊豆ノ守仲綱等ヲ相ヒ具シテ、潜カニ一院第二ノ宮ノ三条高倉ノ御所ニ参ジ、前ノ右兵衛ノ佐頼朝以下ノ源氏等ヲ催シテ、彼ノ氏族ヲ誅シ(討)、天下ヲ執ラシメ給フベキノ由、之ヲ申シ行フ。《『吾妻鏡』治承四年四月九日の条》
 
 
2003年8月18日(月)小雨後曇り。宮城県(仙台→松島海岸、瑞巌寺)→東京(駒沢→八王子)
活持(クハツジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「活計(クワツケイ)。活々(クワツ/\)」の二語を収載し、標記語「活持」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

可被用意活持計略〔至徳三年本〕

可被用意活持之計略〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-セラ-之計-(ケツラク)ヲ〔山田俊雄藏本〕

活持(クワツチ)之計略〔経覺筆本〕

シ∨セラ活持之計略〔文明四年本〕()

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「活持」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「活持」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書は、「活持」の語を未収載にする。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

453訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費可被活持之計略 活持亊闕活用意也。即堪忍之分也。〔謙堂文庫蔵四四左@〕※―事闕(ケツ)意可有也〔静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來抄』古冩書込み〕

とあって、標記語を「活持」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

活持(クハツジ)之計略(ケイリヤク)挙状(キヨ―)者公-(コウシヨ)之出-(シユツシ)活持(クハツジ)之計畧(ケイリヤク)トハ。ノガシヤハラクル計トナリ。〔下19ウ五〜七〕

とあって、この標記語を「活持」とし、語注記は「活持之計畧とは、のがしやはらぐる計となり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

活持(くハつじ)の計略(けいりやく)に用意(ようい)セ被(らる)(へし)活持之計略 活持を活時(くわつじ)と書る本もあり。舊注に活持之計畧とハのかれやはらぐるはかり也と云あやしき説也。ある説に云、活ハ生々として働(はたら)くをいふ。持ハたすけたもつと訓す。凡亊の計略をするに其時勢(じせい)にあたれハ其計畧働きありて物のたすけとなる亊多し。若時勢にあわされハ設(もうけ)たる計畧死物となりて物の益(ゑき)とならす。故に其時勢に應し急務(きうむ)のはかりことをするを活持乃計畧と云。活時の計略に作れハ唯時勢にあひたるはかりことく云義也。〔62オ一〜六〕

とあって、この標記語「活持」の語を収載し、語注記は「活持を活時と書くる本もあり。舊注に活持之計畧とは、のがれやはらぐるばかりなりと云ひあやしき説なり。ある説に云く、活は、生々として働らくをいふ。持は、たすけたもつと訓ず。凡そ亊の計略をするに其の時勢にあたれば、其の計畧働きありて物のたすけとなる亊多し。もし時勢にあわざれば、設けたる計畧死物となりて物の益とならす。故に其の時勢に應じ急務のはかりごとをするを活持の計畧と云ふ。活時の計略に作れば、唯、時勢にあひたるばかりごとく云ふ義なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

活持(くハつち)(の)計畧(けいりやく)を用意(ようゐ)せら被(る)(べ)し。先(まづ)擧状(きよじやう)を代官(たいくハん)(に)(しん)ぜら被(れ)(バ)公所(くしよ)の出仕(しゆつし)諸亭(しよてい)の經廻圖師(けいくわいづし)を申(まふ)す可(べ)き也。奉行人(ぶきやうにん)の賄賂(わいろ)衆中(しゆちう)の屬託(そくたく)上衆(しやうしゆ)乃秘計(ひけい)口入(くちいり)頭人(とうにん)内奏(ないそう)贔屓(ひいき)譏嫌(きげん)を窺(うかゝ)ひ之(これ)を申(まふ)す可(へ)し。讓状(ゆつりしやう)乃謀實(はうしつ)越境(ゑつきやう)の相論(さうろん)(いまだ)甲乙(かふをつ)の次第(しだい)を分(わか)た未(さる)譜代(ふたい)相傳(さうでん)(の)重書(ちうしよ)(とう)(ハ)引付方(ひきつけかた)に於(おいて)御沙汰(ごさた)に逢(あ)は被(る)(べ)し/シ∨セラ活持之計略先被セラ挙状代官-所出-諸亭之經廻キ∨図師(―)ヲ奉行人-衆中属託--口入頭人内奏屓贔機嫌謀實--タ/ズ∨タ‖甲子次第ヲ|。譜代相傳之重書等者引付方沙汰。▲活持之計略ハ事に應じてはたらきあるはかりことをいふ。〔46オ四〜46ウ三〕

(べし)(る)(ようい)せら活持(くわつぢ)(の)計略(けいりやく)(まづ)(れ)(しん)ぜられ擧状(きよじやう)(を)代官(たいくわん)(バ)-(くしよ)の-(しゆつし)諸亭(しよてい)(の)經廻(けいくわい)(べ)き∨(まう)図師(づし)を(なり)奉行人(ぶぎやうにん)-(わいろ)衆中(しゆちゆう)属託(ぞくたく)-(じやうしゆ)-(ひけい)口入(くちいれ)頭人(とうにん)内奏(ないさう)屓贔(ひいき)(うかが)機嫌(きげん)(べ)し(まう)(これ)讓状(ゆづりじやう)謀實(ばうじつ)-(ゑつきやう)-(さうろん)(いまだ/ず)(わか)た‖甲乙(かふをつ)次第(したい)を|。譜代(ふだい)相傳(さうでん)(の)重書(ぢうしよ)(とう)(ハ)(おい)て引付方(ひきつけかた)(べ)(る)(あ)沙汰(ごさた)▲活持之計略ハ事に應(おう)じてはたらきあるはかりことをいふ。〔82オ五〜83オ二〕

とあって、標記語「活持」の語を収載し、その語注記は、「活持之計略は、事に應じてはたらきあるはかりことをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「活持」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語を「活持」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かつ-活持】〔名〕その時その時にふさわしい活動をすること」とあって、この『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
活持(クワツチ)。《『塵芥』上109ウ六》
 
 
2003年8月17日(日)雨。岩手県(陸前高田)→宮城県(多賀城)
(ついえ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

(ツイユル)() 。〔元亀二年本161四〕

(ツイヱ)() 。〔静嘉堂本177五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ついゆ・る」と「ついゑ」とし、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

訴訟(ソウシヨ)ハ者悠々(ユウ―)緩怠之儀之御在洛(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

訴訟(ソシヨウ)悠々緩怠(クワンタイ)之儀者御在洛之(ツイヘ)〔経覺筆本〕

訴訟若悠々(ユウ/\)緩怠(クワンタイ)ノ之儀者御在洛之(ツイヘ/ツヱ)〔文明四年本〕(ツイヱ/ツヱ/スウ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ツヒエ/ツヒユ/ツヰヤス弊債穿減詞也已上同。〔黒川本・辞字門中26ウ一〕

ツイヤス/ツイユ/つヰエ弊債穿減詞也已上同。〔卷第四・辞字門619一〕

として、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ツイヤス/)[去] 。〔態藝門423四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ついやす」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ツイヘ) 。〔・言語進退門130一〕

(ツイヤス) 。〔・言語進退門128一〕〔・言語門96四〕〔・言語門118三〕

(ツイヤス/ヒ) 。〔・言語門106二〕

とあって、標記語「」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

(ツイエ)() 。〔言辞門107五〕

とあって、標記語「」の語と「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「」の語を収載し、「ツイヤス」という動詞型が目立つなか、『色葉字類抄』を継承する易林本節用集』が「ついえ」の訓を収載し、これが古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

453訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之可被活持之計略 活持亊闕活用意也。即堪忍之分也。〔謙堂文庫蔵四四左@〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

緩怠(クハンタイ)ノ之儀者御(コ)在洛(ザイラク)ノ(ツヒエ)緩怠(クハンタイ)ハ。タヱユルマル事也。人ハ心ニ油断(ユタン)ナク慇懃(インギン)ヲ宗(ムネ)トスベシ。其心ヲユルシタヘツツレハ尾篭(ヒロウ)殊ニ多シ。去テ社(コソ)緩怠(クハンタイ)トハ有ナレ。相ヒ構(カマヘ)テ/\心ヲユルカせニ持ザレ。天ニ跼(せクヽ)マリ地ニ蹐(ヌキアシ)スト云本文有。〔下19ウ三〜五〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は「緩怠は、たゑゆるまる事なり。人は心に油断なく慇懃を宗とすべし。其の心をゆるしたへつれば尾篭殊に多し。去てこそ緩怠とは有るなれ。相ひ構へて/\心をゆるがせに持ざれ。天に跼まり地に蹐すと云ふ本文有り」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御在洛(ございらく)(の)(ついえ)(なり)御在洛之也 洛ハ洛陽也。京都をいふ。この比將軍京都に都し玉ふにより大名高家の人/\参勤して京都にあるを在洛といふ。今江戸にあるを在江戸といふかことし。こゝに云こゝろハ惣して願所の公事等一己(いつこ)の所存にて捌きかたき事ハ事の子細を能穿鑿(せんさく)して後上洛して下知をすへき事也。若怠りて穿鑿をも遂されハ上洛したりとも事引しろひて埒(らち)(あか)されハ空しく日を費す事なる故若緩怠の義あらハ御在洛の費なりといえる也。〔61ウ六〜62オ一〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は「洛は、洛陽なり。京都をいふ。この比、將軍京都に都したまふにより、大名高家の人々参勤して京都にあるを在洛といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcuiye.ツイエ() 費やすこと,損失,あるいは,出費.§Tcuiyeni naru.(費えになる)損失,出費である,または,損失,出費になる,など.〔邦訳627r〕

とあって、標記語「」の語の意味を「費やすこと,損失,あるいは,出費」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つひ-〔名〕【】(一)弊(つひ)ゆること。惡しくなり行くこと。よわること。「政事の弊」敵國の弊に乘る」(二){費(つひ)ゆること。用ゐて減り行くこと。入費。宇津保物語、、藤原君「物のつひえあることを數ふれば、多くの損(ソン)なり」方丈記「七珍萬寳、さながら灰燼となりにき、そのつひえいくばくぞ」太平記、五、相模入道弄田樂事「直垂、大口を解いて抛げ出す、云云、其の弊え、幾千萬と云ふ數を不知」〔1326-3〕

とあって、標記語を「」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つい-】〔名〕(動詞「ついえる(費)の連用形の名詞化」)@くずれ敗れること。悪くなること。滅びてしまうこと。A疲れ苦しむこと。精神的・肉体的に弱ること。おとろえ。疲労。B無駄なこと。損失。損害。弊害。C(形動)費用がかかること。金がかかること。また、そのさま。かかり。物いり。出費」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爲相鎮之、毎度被發遣東士者人々煩也國也以此次、諸國交御沙汰、毎國衙庄園、被補守護地頭者、強不可有所怖早可令申請給〈云云〉。《訓み下し》之ヲ相ヒ鎮メン為ニ、毎度東士ヲ発遣セラル、テイレバ、人人ノ煩ヒナリ。国ノ(ツイ)ヘナリ。此ノ次ヲ以テ、諸国御沙汰ヲ交ヘ、国衙庄園毎ニ、守護地頭ヲ補セラレバ、強チ怖ルル所有ルベカラズ。《『吾妻鏡』文治元年十一月十二日の条》
 
 
2003年8月16日(土)晴れ後曇り。岩手県(陸前高田)
御在洛(ゴザイラク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「御式條。御動座。御料人」の三語を収載するが、標記語「御在洛」の語は未収載にする。そして、「佐」部に、

在洛(サイラク) 。〔元亀二年本268五〕

在洛(―ラク) 。〔静嘉堂本305四〕

とあって、標記語「在洛」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

訴訟(ソウシヨ)ハ者悠々(ユウ―)緩怠之儀之御在洛者費(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

訴訟(ソシヨウ)悠々緩怠(クワンタイ)之儀者御在洛之費(ツイヘ)〔経覺筆本〕

訴訟若悠々(ユウ/\)緩怠(クワンタイ)ノ之儀者御在洛之費(ツイヘ/ツヱ)〔文明四年本〕(ツイヱ/ツヱ/スウ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「在洛」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「在洛」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

在洛(ザイラク/アル、ミヤコ)[上去・入] 。〔態藝門788一〕

とあって、標記語「在洛」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「在洛」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』と『運歩色葉集』だけが「在洛」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

453訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費可被活持之計略 活持亊闕活用意也。即堪忍之分也。〔謙堂文庫蔵四四左@〕

とあって、標記語を「在洛」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

緩怠(クハンタイ)ノ之儀者御(コ)在洛(ザイラク)之費(ツヒエ)緩怠(クハンタイ)ハ。タヱユルマル事也。人ハ心ニ油断(ユタン)ナク慇懃(インギン)ヲ宗(ムネ)トスベシ。其心ヲユルシタヘツツレハ尾篭(ヒロウ)殊ニ多シ。去テ社(コソ)緩怠(クハンタイ)トハ有ナレ。相ヒ構(カマヘ)テ/\心ヲユルカせニ持ザレ。天ニ跼(せクヽ)マリ地ニ蹐(ヌキアシ)スト云本文有。〔下19ウ三〜五〕

とあって、この標記語を「在洛」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御在洛(ございらく)(の)(ついえ)(なり)在洛之費也 洛ハ洛陽也。京都をいふ。この比將軍京都に都し玉ふにより大名高家の人/\参勤して京都にあるを在洛といふ。今江戸にあるを在江戸といふかことし。こゝに云こゝろハ惣して願所の公事等一己(いつこ)の所存にて捌きかたき事ハ事の子細を能穿鑿(せんさく)して後上洛して下知をすへき事也。若怠りて穿鑿をも遂されハ上洛したりとも事引しろひて埒(らち)(あか)されハ空しく日を費す事なる故若緩怠の義あらハ御在洛の費なりといえる也。〔61ウ六〜62オ一〕

とあって、この標記語「在洛」の語を収載し、語注記は「洛は、洛陽なり。京都をいふ。この比、將軍京都に都したまふにより、大名高家の人々参勤して京都にあるを在洛といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀在洛之費。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「在洛」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zairacu.サイラク(在洛) Miyaconi aru.(洛に在る)Zaiqio<(在京)に同じ.都(Miyaco)の中に居ること.〔邦訳840r〕

とあって、標記語「在洛」の語の意味を「Miyaconi aru.(洛に在る)Zaiqio<(在京)に同じ.都(Miyaco)の中に居ること」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「在洛」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ざい-らく在洛】〔名〕都に滞在すること。京都に居ること。在京」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而猶在洛武士、現狼藉之由、依令聞及給、爲散叡疑之恐、被言上其子細〈云云〉。《訓み下し》而ルニ猶在洛ノ武士、狼藉ヲ現スノ由、聞キ及バシメ給フニ依テ、叡疑ノ恐レヲ散ゼンカ為ニ、其ノ子細ヲ言上セラルルト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦二年三月四日の条》
 
 
2003年8月15日(金)曇り一時雨。東京(八王子)→一関(中尊寺)→陸前高田
緩怠(クハンタイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

緩怠(クワンタイ) 。〔元亀二年本189八〕

緩怠(クハンタイ) 。〔静嘉堂本213六〕

緩怠(―タイ) 。〔天正十七年本中36オ六〕

とあって、標記語「緩怠」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

訴訟(ソウシヨ)ハ者悠々(ユウ―)緩怠之儀之御在洛者費(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

訴訟(ソシヨウ)悠々緩怠(クワンタイ)之儀者御在洛之費(ツイヘ)〔経覺筆本〕

訴訟若悠々(ユウ/\)緩怠(クワンタイ)之儀者御在洛之費(ツイヘ/ツヱ)〔文明四年本〕(ツイヱ/ツヱ/スウ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

緩怠 人情部/クワンタイ。〔黒川本・疉字門中79ウ四〕

緩怠 〃急。〔卷第六、疉字門448四〕

とあって、標記語「緩怠」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

緩怠(クワンタイ) 。〔態藝門81七〕

とあって、標記語「緩怠」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

緩怠(クハンタイユルク、ヲコタル)[○・○] 。〔態藝門548八〕

とあって、標記語「緩怠」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

緩怠(―タイ) 。〔・言語進退門162三〕

緩怠(クハンタイ) ―急(キウ)。――(クハン/\)。〔・言語門131八〕

緩怠(クハンタイ) ―急。――。〔・言語門120九〕〔・言語門147一〕

とあって、標記語「緩怠」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

緩怠(クワンタイ) ―急。〔言辞門134二〕

とあって、標記語「緩怠」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「緩怠」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

453訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費可被活持之計略 活持亊闕活用意也。即堪忍之分也。〔謙堂文庫蔵四四左@〕

とあって、標記語を「緩怠」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

緩怠(クハンタイ)ノ之儀者御(コ)在洛(ザイラク)ノ之費(ツヒエ)緩怠(クハンタイ)ハ。タヱユルマル事也。人ハ心ニ油断(ユタン)ナク慇懃(インギン)ヲ宗(ムネ)トスベシ。其心ヲユルシタヘツツレハ尾篭(ヒロウ)殊ニ多シ。去テ社(コソ)緩怠(クハンタイ)トハ有ナレ。相ヒ構(カマヘ)テ/\心ヲユルカせニ持ザレ。天ニ跼(せクヽ)マリ地ニ蹐(ヌキアシ)スト云本文有。〔下19ウ三〜五〕

とあって、この標記語を「緩怠」とし、語注記は「緩怠は、たゑゆるまる事なり。人は心に油断なく慇懃を宗とすべし。其の心をゆるしたへつれば尾篭殊に多し。去てこそ緩怠とは有るなれ。相ひ構へて/\心をゆるがせに持ざれ。天に跼まり地に蹐すと云ふ本文有り」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

訴訟(そせう)(も)し悠々(ゆう/\)緩怠(くハんたい)(の)(き)(あら)(ハ)訴訟若有悠々緩怠之儀者 訴訟ハミなうつたへと訓す。今の所謂(いわゆる)公事也。悠々ハ緩怠なるを形容(けいよう)したる詞也。緩怠ハゆる/\として事におこたるを云也。〔61ウ四〜六〕

とあって、この標記語「緩怠」の語を収載し、語注記は「訴訟は、みなうつたへと訓ず。今の所謂公事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「緩怠」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quantai.クハンタイ(緩怠) Yurucu vocotaru.(緩く怠る)すなわち,Ro<jeqi.(狼藉)不注意なり,怠慢なりから,ある人が他の人に対してなす無礼や侮り.しかし,今日では一般に,ある人が他の人に反抗して行なう罪悪や無礼の意味に取られる.〔邦訳519r〕

とあって、標記語「緩怠」の語の意味を「すなわち,Ro<jeqi.(狼藉)不注意なり,怠慢なりから,ある人が他の人に対してなす無礼や侮り.しかし,今日では一般に,ある人が他の人に反抗して行なう罪悪や無礼の意味に取られる」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くヮん-たい〔名〕【緩怠】(一)おこたり。等閑(なほざり)。なまけ。保元物語、二、爲義最後事「清盛、既に叔父を誅す、何ぞ緩怠せしめむ」(義朝をして、急ぎ其父爲義を誅せしめむと云なり)(二)等閑の意より轉じて、失禮。不作法。甲陽軍艦、十三、品第四十、上「穴山殿は、信玄公御從弟、しかも、總領聟にてましますが、緩怠ながら、さやうの御詞を、他國の家中に、聞きて笑ひ候はむずるなり」〔0587-4〕

とあって、標記語を「緩怠」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かん-たい緩怠】〔名〕@(―する)なまけ怠ること。なおざりにすること。Aとが。過失。手おち。過怠。B(形動)ぶしつけなこと。また、そのさま。不作法。失礼。無礼。不届き」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是神馬進發之前、殊可勞飼之旨、被仰含之處、此男、有緩怠事之故也。《訓み下し》是レ神馬進発ノ前、殊ニ労リ飼フベキノ旨、仰セ含メラルルノ処ニ、此ノ男、緩怠(クワンタイ)ノ事有ルガ故ナリ。《『吾妻鏡養和二年二月二日の条》
 
 
2003年8月14日(木)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
悠々(ユウユウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遊」部に、

悠々(ユウ/\) 。〔元亀二年本293五〕

悠々(ユウ/\) 。〔静嘉堂本341一〕

とあって、標記語「悠々」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

訴訟(ソウシヨ)ハ悠々(ユウ―)緩怠之儀之御在洛者費(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

訴訟(ソシヨウ)悠々緩怠(クワンタイ)之儀者御在洛之費(ツイヘ)〔経覺筆本〕

訴訟若悠々(ユウ/\)緩怠(クワンタイ)ノ之儀者御在洛之費(ツイヘ/ツヱ)〔文明四年本〕(ツイヱ/ツヱ/スウ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「悠々」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「悠々」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

悠々(ユウ―ハルカナリ)[平・○] 。〔態藝門869七〕

とあって、標記語「悠々」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

悠々(イウ/\) 。〔・言語進退門14二〕〔・言語門9五〕〔・言語門11六〕

悠々(イウ/\タヲヤカナリ) 。〔・言語門11六〕

とあって、標記語「悠々」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

悠々(ユウ/\) 。〔言辞門195一〕

とあって、標記語「悠々」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「悠々」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

453訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費可被活持之計略 活持亊闕活用意也。即堪忍之分也。〔謙堂文庫蔵四四左@〕※―イヨ/\也。〔静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來抄』古冩書込み〕

とあって、標記語を「悠々」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

政道(せイタウ)ニ訴訟(そせウ)ラハ悠々(ユウ―)政道マサシキ道也。成(ナ)スワザハ行事ヲ以テ本トス。然ハ道ト云ナリ。政道ハ玉鉾(ギヨクホウ)ノ道トテ事ノ行子細ナリ。彼(カノ)玉鉾(タマホコ)ト云物ヲ投(ナク)レバ何(イカ)ナル。ヲソロシキ。藪山棘(ソウサンキヨク)モ割(キリ)サカレテ道(ミチ)(スグ)ナル也。其ノ如ク君ヨリ成(ナ)リ下ル詞ヲ忽諸(ゆるかセ)モせズ敬(ウヤマ)ヘバ道ハ道タリ。斯(カヽ)ル事ヲ以テ。御門(ミカド)ヲ玉体(タイ)ト申奉ナリ。〔下19オウ一〜三〕

とあって、この標記語を「悠々」とし、語注記は「政道マサシキ道也。成(ナ)スワザハ行事ヲ以テ本トス。然ハ道ト云ナリ。政道ハ玉鉾(ギヨクホウ)ノ道トテ事ノ行子細ナリ。彼(カノ)玉鉾(タマホコ)ト云物ヲ投(ナク)レバ何(イカ)ナル。ヲソロシキ。藪山棘(ソウサンキヨク)モ割(キリ)サカレテ道(ミチ)(スグ)ナル也。其ノ如ク君ヨリ成(ナ)リ下ル詞ヲ忽諸(ゆるかセ)モせズ敬(ウヤマ)ヘバ道ハ道タリ。斯(カヽ)ル事ヲ以テ。御門(ミカド)ヲ玉体(タイ)ト申奉ナリ」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

訴訟(そせう)(も)悠々(ゆう/\)緩怠(くハんたい)(の)(き)(あら)(ハ)訴訟若有悠々緩怠之儀者 訴訟ハミなうつたへと訓す。今の所謂(いわゆる)公事也。悠々ハ緩怠なるを形容(けいよう)したる詞也。緩怠ハゆる/\として事におこたるを云也。〔61ウ四〜六〕

とあって、この標記語「悠々」の語を収載し、語注記は「訴訟は、みなうつたへと訓ず。今の所謂公事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「悠々」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yu<yu<to.l,Yu<yu<to xite.ユゥユゥト.または,ユゥユゥトシテ(悠々と.または,悠々として)ゆったりと,または,のんびりと.〔邦訳838r〕

とあって、標記語「悠々」の語の意味を「ゆったりと,または,のんびりと」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いう-いう〔副〕【悠々】(一)ゆったりしたる状に云ふ語。悠然。詩經、鄭風、載馳篇「驅悠悠(二)遙(はる)けき状に云ふ語。詩經、唐風、鴇羽篇「悠悠タル蒼天、曷(イツカ)極」(三)渺渺として、とりとめなき状に云ふ語。張謂、題長安主人壁詩「世人結交須黄金、黄金不多交不深、縦令然諾暫相許、終是悠悠行路心」(路に行合ふ人の冷淡なるが如し)〔0126-3〕

とあって、標記語を「悠々」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ゆう-ゆう悠々】〔名〕@遠くはるかなさま。限りないさま。長く久しいさま。Aゆったりおちついたさま。B数の多いさま」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此度者浅々と被指返、去々年去年御調成羽なとのやうに、悠々と仕たる御陳も御座候時、被召寄可然候。《『毛利家文書(天正七年)正月廿三日の条・836・3/46
 
 
2003年8月13日(火)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
訴訟(ソセウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

訴訟(ソせウ) 。〔元亀二年本152四〕

訴訟(―せウ) 。〔静嘉堂本166五〕

とあって、標記語「訴訟」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

訴訟(ソウシヨ)者悠々(ユウ―)緩怠之儀之御在洛者費(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

訴訟(ソシヨウ)悠々緩怠(クワンタイ)之儀者御在洛之費(ツイヘ)〔経覺筆本〕

訴訟悠々(ユウ/\)緩怠(クワンタイ)ノ之儀者御在洛之費(ツイヘ/ツヱ)〔文明四年本〕(ツイヱ/ツヱ/スウ)。

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

同(呵責分)愁詞/ソシヨウ。〔黒川本・疉字門中18ウ八〕

訴訟 。〔卷第四・疉字門554二〕

とあって、標記語「訴訟」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

訴訟(ソシヨウ) 。〔態藝門89三〕

とあって、標記語「訴訟」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

訴訟(ソシヨウ/ウタヱ、ウタフ)[上・平去]。〔態藝門404五〕

とあって、標記語「訴訟」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

訴訟(ソセウ) 。〔・言語進退門121八〕

訴訟(ソせウ) ―論(ロン)。―陳(チン)。〔・言語門101七〕

訴訟(ソセウ) ―論。―陳。〔・言語門92二〕〔・言語門112三〕

とあって、標記語「訴訟」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

訴陳(ソチン) ―訟(せウ)。―人(ニン)。―状(ジヤウ)。〔言辞門101四〕

とあって、標記語「訴陳」の冠頭字「訴」の熟語群として「訴訟」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「訴訟」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

453訴訟若有悠々緩怠之儀者御在洛之費可被活持之計略 活持亊闕活用意也。即堪忍之分也。〔謙堂文庫蔵四四左@〕

とあって、標記語を「訴訟」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

政道(せイタウ)ニ訴訟(そせウ)ラハ悠々(ユウ―)政道マサシキ道也。成(ナ)スワザハ行事ヲ以テ本トス。然ハ道ト云ナリ。政道ハ玉鉾(ギヨクホウ)ノ道トテ事ノ行子細ナリ。彼(カノ)玉鉾(タマホコ)ト云物ヲ投(ナク)レバ何(イカ)ナル。ヲソロシキ。藪山棘(ソウサンキヨク)モ割(キリ)サカレテ道(ミチ)(スグ)ナル也。其ノ如ク君ヨリ成(ナ)リ下ル詞ヲ忽諸(ゆるかセ)モせズ敬(ウヤマ)ヘバ道ハ道タリ。斯(カヽ)ル事ヲ以テ。御門(ミカド)ヲ玉体(タイ)ト申奉ナリ。〔下19オウ一〜三〕

とあって、この標記語を「訴訟」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

訴訟(そせう)(も)し悠々(ゆう/\)緩怠(くハんたい)(の)(き)(あら)(ハ)訴訟若有悠々緩怠之儀者 訴訟ハミなうつたへと訓す。今の所謂(いわゆる)公事也。悠々ハ緩怠なるを形容(けいよう)したる詞也。緩怠ハゆる/\として事におこたるを云也。〔61ウ四〜六〕

とあって、この標記語「訴訟」の語を収載し、語注記は「訴訟は、みなうつたへと訓ず。今の所謂公事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「訴訟」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Soxo>.ソセウ(訴訟) 目上の人に何事かを乞うこと.§また,訴えること.例,Soxo> suru.(訴訟する) →Canaye,uru;Mo<xicanaye,uru;Vchinobe,uru.〔邦訳579l〕

とあって、標記語「訴訟」の語の意味を「目上の人に何事かを乞うこと」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しョう〔名〕【訴訟】うたへ。うったへ。公事。後漢書、陳寵傳「訴訟日百數」公式令、義解「凡、訴訟、皆從下始」謂、告寃曰訴、爭財曰訟、從下始者、言、從郡司始也」雜令、義解「凡、訴訟(謂、財物良賤譜第之類、事非侵害、應時申訴者也)起十月一日、至三月卅日檢校、以外不合、若交相侵奪者、不此例太平記、一、飢人窮民施行事「訴訟の人、出來の時、若し、下情、上に達えざる事もや有らんとて、記録所に出御成りて、直に訴を聞召明らめ」曾我物語、三、曾我兄弟命乞事「然あらんに於いては、合はざるそせうなりとも、一度はなどか、御免なからん」〔1152-2〕

とあって、標記語を「訴訟」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-しょう訴訟】〔名〕@うったえること。公の場に訴え出て裁決を願うこと。うったえ。公事(くじ)。A要求、不平、願いなどを人に伝えること。嘆願すること。うったえ。B詫びて、とりなすこと。C裁判によって法律関係を確定し対立する当事者間の紛争を解決したり、刑罰権を実現したりするため、事実の認定ならびに法律的判断を裁判所に対して求める手続き。民事訴訟、刑事訴訟などに分けられる」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
日吉塔下彼岸衆、訴訟事有其沙汰非二品一方御成敗之間、今日所被執申京都也。《訓み下し》日吉塔下ノ彼岸衆、訴訟(ソシヨウ)ノ事。其ノ沙汰有リ。二品一方御成敗ニ非ザルノ間、今日京都ニ執シ申サルル所ナリ。《『吾妻鏡文治二年正月二十四日の条》
 
 
2003年8月12日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
政道(せいたう)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

政道(―タウ) 。〔元亀二年本354四〕

政道(せイタウ) 。〔静嘉堂本430三〕

とあって、標記語「政道」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

更非停滞預儀之政道〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(せイタウ)--〔山田俊雄藏本〕

停滞(テイタイ)預儀(ヨギ)政道〔経覺筆本〕

停滞(テイタイ)豫儀(ヨギ)(ノ)政道〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「政道」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「政道」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

政道(せイタウ/マツリコト、ミチ)[去・上]。〔態藝門1116八〕

とあって、標記語「政道」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

政道(せイタウ) 。〔・言語進退門265六〕

政道(せイタウ) 。〔・言語門226八〕

政道(――) 。〔・言語門213六〕

とあって、標記語「政道」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

政道(せイタウ) 。〔言辞門237三〕

とあって、標記語「政道」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「政道」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「政道」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

政道(せイタウ)訴訟(そせウ)ラハ悠々(ユウ―)政道マサシキ道也。成(ナ)スワザハ行事ヲ以テ本トス。然ハ道ト云ナリ。政道ハ玉鉾(ギヨクホウ)ノ道トテ事ノ行子細ナリ。彼(カノ)玉鉾(タマホコ)ト云物ヲ投(ナク)レバ何(イカ)ナル。ヲソロシキ。藪山棘(ソウサンキヨク)モ割(キリ)サカレテ道(ミチ)(スグ)ナル也。其ノ如ク君ヨリ成(ナ)リ下ル詞ヲ忽諸(ゆるかセ)モせズ敬(ウヤマ)ヘバ道ハ道タリ。斯(カヽ)ル事ヲ以テ。御門(ミカド)ヲ玉体(タイ)ト申奉ナリ。〔下19オウ一〜三〕

とあって、この標記語を「政道」とし、語注記は「政道まさしき道なり。成すわざは、行事を以って本とす。然らば道と云ふなり。政道は、玉鉾の道とて事の行く子細なり。彼の玉鉾と云ふ物を投ぐれば何なる、をそろしき、藪山棘も割りさかれて道直ぐなるなり。其の如く君より成り下る詞を忽諸もせず敬まへば道は道たり。斯かる事を以って、御門を玉体と申し奉るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)す/停滞豫儀之政道ニ| 停ハとゝまる。滞ハとゝこほると訓す。豫儀はためらふと事を果さゝるを云。この句ハ即(すなハ)ち嚴蜜の事をいえる也。〔61ウ二・三〕

とあって、この標記語「政道」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「政道」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xeito<.セイタウ(政道) Matcurigotono michi.(政の道) 政治上の禁制,統制,あるいは,掟.例,Xeito< tadaxij.(政道正しい)政治上の掟と統制が厳正である.〔邦訳747r〕

とあって、標記語「政道」の語の意味を「政治上の禁制,統制,あるいは,掟」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せい-たう〔名〕【政道】(一)政事の道。まつりごと。治道。晋書、樂志「聖王制樂、讀政道古今著聞集、三、政道忠臣「村上御時、南殿出御ありけるに、云云、當時の政道をば、世にはいかが申すと、御尋有ければ、目出度とこそ申候へ」。〔1085-2〕

とあって、標記語を「政道」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「せい-どう政道】〔名〕(古くは「せいとう」)@政事の道。領土・人民を治めること。施政の大綱。まつりごとの要諦。A処罰。仕置き。成敗。B(―する)取り締まること。上に立って物事を処置すること。また、その人。監督。C(―する)いましめとどめること。また、その政令。禁止。禁制」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
天下之政道者、依群卿之議奏、可被澄清之由、殊所令計言上也。《訓み下し》天下ノ政道ハ、群卿ノ議奏ニ依テ、澄清セラルベキノ由、殊ニ計ラヒ言上セシムル所ナリ。《『吾妻鏡』文治二年四月三十日の条》
 
 
2003年8月11日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
豫儀(ヨギ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「與」部に、「豫參(ヨザン)列參之義也」の語を収載するだけで、標記語「豫儀」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

更非停滞預儀之政道〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(テイタイ)-之政-〔山田俊雄藏本〕

停滞(テイタイ)預儀(ヨギ)之政道〔経覺筆本〕

更非停滞(―タイ)預儀之政道-()〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「豫儀」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「豫儀」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

豫儀(ヨギ/アラカジメ、ヨソヲイ)[去・平]〔態藝門325四〕

とあって、標記語「豫儀」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

豫儀(ヨギ) ―参(サン)列參義。〔・言語門89一〕

豫儀(ヨギ) ―参列余義。〔・言語門80八〕〔・言語門97六〕

とあって、標記語「豫儀」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

豫儀(ヨキ) 。〔言語門86六〕

とあって、標記語「豫儀」語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「豫儀」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「豫儀」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

停滞(テイタイ)預儀(ヨギ))ハ。トヾコホリモナキトネカウ心也。只スナヲナル詞(コトハ)也。〔下19オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語を「豫儀」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)す/停滞豫儀之政道ニ| 停ハとゝまる。滞ハとゝこほると訓す。豫儀はためらふと事を果さゝるを云。この句ハ即(すなハ)ち嚴蜜の事をいえる也。〔61ウ二・三〕

とあって、この標記語「豫儀」の語を収載し、語注記は「」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「豫儀」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「豫儀」の語を未収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【豫議】(一)あらかじめ協議すること。前以てうちあはすること。〔0744-1〕

とあって、標記語を「豫儀」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-予議予儀】〔名〕@あらかじめ相談すること。前もって協議すること。下相談。A猶予すること。躊躇すること」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
服應何及豫儀哉。《訓み下し》服応センコト何ゾ予儀(ヨギ)ニ及バンヤ(猶予ノ儀ニ)。《『吾妻鏡』治承四年九月九日の条》
 
2003年8月10日(日)晴れ。東京(八王子)→静岡(河津)
停滞(テイタイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、標記語「停滞」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

更非停滞預儀之政道〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(テイタイ)-之政-〔山田俊雄藏本〕

停滞(テイタイ)預儀(ヨギ)之政道〔経覺筆本〕

更非停滞(―タイ)預儀之政道-()〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「停滞」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「停滞」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には、「停滞」の語を未収載にする。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「停滞」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

停滞(テイタイ)預儀(ヨギ))ハ。トヾコホリモナキトネカウ心也。只スナヲナル詞(コトハ)也。〔下19オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語を「停滞」とし、語注記は「とどこほりもなきとねがう心なり。只すなをなる詞まり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)す/停滞豫儀之政道ニ| 停ハとゝまる。滞ハとゝこほると訓す。豫儀はためらふと事を果さゝるを云。この句ハ即(すなハ)ち嚴蜜の事をいえる也。〔61ウ二・三〕

とあって、この標記語「停滞」の語を収載し、語注記は「停は、とどまる。滞は、とどこほると訓ず」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「停滞」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Teitai.テイタイ(停滞) Todomari,todocouoru.(停まり,滞る)遮られたり,引き留められたりすること.文書語.〔邦訳642r〕

とあって、標記語「停滞」の語の意味を「遮られたり,引き留められたりすること」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

てい-たい〔名〕【停滞】(一)物事の一所にとどこほること。晋書、虞豫傳「王塗未夷、所在停滞晋太平記、二、長崎新左衛門尉意見事「事停滞して、武家追罰の宣旨を下されなば」(二)食物の胃中にて、消化(こな)れかぬること。〔1345-2〕

とあって、標記語を「停滞」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「てい-たい停滞】〔名〕@同じところにとどまりとどこおること。物事がはかどらないこと」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
若被弃度々勲功被加楚忽誅戮者、定可及後悔、糺犯否之眞偽之後、有其沙汰不可停滞歟〈云云〉。《訓み下し》若シ度度ノ勲功ヲ棄テラレ楚忽ノ誅戮ヲ加ヘラルレバ、定テ後悔ニ及ブベシ、犯否ノ真偽ヲ糺スノ後、其ノ沙汰有テ停滞スベカラザランカト〈云云〉。《『吾妻鏡』元久二年六月二十一日の条》
 
 
2003年8月9日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
執行(シユギヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

執行(シユギヤウ) 。〔元亀二年本307九〕〔静嘉堂本358八〕

とあって、標記語「執行」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

沙汰亊嚴密被執行〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

沙汰亊嚴密執行〔山田俊雄藏本〕

沙汰亊嚴密執行〔経覺筆本〕

-(さた)之亊既-(ケンミツ)正所執行せル〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「執行」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「執行」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

執行(シフギヤウ/トル、カウユク・ツラナル)[入・去]〔態藝門944二〕

とあって、標記語「執行」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

執行(シユギヤウ) 。〔・人倫門238三〕

執行(シユキヤウ) ―筆(ヒツ)。―亊(シツジ)。〔・人倫門198四〕

執行(シユキヤウ) ―亊代。―亊。―筆。〔・人倫門188四〕

とあって、標記語「執行」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

執着(シフヂヤク) ―情(ジヤウ)。―寧(ネイ)。―心(シム)。―筆(シユヒツ)。〔言辞門215一〕

とあって、標記語「執着」の冠頭字「執」の熟語群として「執行」語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書は、「執行」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「執行」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

幸祐(カウユウ)也御沙汰(スデ)ニ嚴密(ゲンミツ)ルヽ‖執行(トリヲコナハ)(サラ)ニ幸祐ハ。サイハイヨロコビナリ。〔下19オ七八〕

とあって、この標記語を「執行」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御沙汰(こさた)(すで)に嚴密(げんミつ)に執行(しゆげう)せら被(らるゝ)(ところ)也/沙汰嚴密執行せ| 沙汰嚴密の注皆前に在。執行ハとりおこなふと訓す。〔61ウ一・二〕

とあって、この標記語「執行」の語を収載し、語注記は「執行は、とりおこなふと訓ず」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸祐(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「執行」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xuguio<.シュギャゥ(執行) Tori vocono<.(執り行ふ)すなわち,行なうこと,あるいは,挙行すること.〔邦訳800r〕

とあって、標記語「執行」の語の意味を「すなわち,行なうこと,あるいは,挙行すること」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しっ-かう〔名〕【執行】(一)とり、おこなふこと。「法律を執行す」「裁判執行」強制執行」〔0904-3〕

とあって、標記語を「執行」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しっ-こう執行】〔名〕@どのような事柄。どんなこと。A(「も」を伴って)あらゆる事柄。万事。すべてのこと。B何としたことかと、とがめる意で用いる語。どうしたこと。いかなること。C不定の事柄をさしていう語。何々」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武藏國住人、多以本知行地主職如本可執行之由、蒙下知。《訓み下し》武蔵ノ国ノ住人、多ク本知行地主職ヲ以テ本ノ如ク執行(シギヤウ)スベキノ由、下知ヲ蒙ル。《『吾妻鏡』治承四年十二月十四日の条》
 
嚴密(ゲンミツ)」ことばの溜池「2002.08.06」参照。
 
2003年8月8日(金)晴れ一時俄雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
幸祐(カウユウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「幸甚(カウジン)。幸便(―ビン)」の二語を収載するだけで、標記語「幸祐」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

四海泰平一天静謐事人々攘災所々幸祐〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-海泰-平一--之事-(シヤウ)-所々-〔山田俊雄藏本〕

四海太平一天静謐人々攘災(ジヨウサイ)所々(カウ)〔経覺筆本〕

---天静-謐之事人々-(シヤウサイ)所々-(ユウ)〔文明四年本〕※静謐(せイヒツ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「幸祐」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「幸祐」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書群には、「幸祐」の語を未収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「幸祐」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

幸祐(カウユウ)也御沙汰(スデ)ニ嚴密(ゲンミツ)ルヽ‖執行(トリヲコナハ)|(サラ)ニ幸祐ハ。サイハイヨロコビナリ。〔下19オ七八〕

とあって、この標記語を「幸祐」とし、語注記は「幸祐は、さいはいよろこびなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)所々 幸ももさいわいと訓す。上の句に人こといひこの句に所々といふハ文をたかひにしたる也。わさわひをまぬかれたる程さいわいなる事なきゆへ所々の幸といえる也。是迄ハ世の中も静り人々のよろこひ給ふを述たるなり。〔61オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「幸祐」の語を収載し、語注記は「幸ももさいわいと訓す。上の句に人こといひこの句に所々といふハ文をたかひにしたる也。わさわひをまぬかれたる程さいわいなる事なきゆへ所々の幸といえる也。是迄ハ世の中も静り人々のよろこひ給ふを述たるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。▲幸ハさいはひと訓む。喜悦(よろこひ)のこと。幸祐に作るハ誤也。〔45ウ二〜46オ二〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)。▲幸ハさいはひと訓(よ)む。喜悦(よろこび)のこと。幸祐に作(つく)るハ誤(あやまり)也。〔81オ三〜82オ二・三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、「幸は、さいはひと訓む。喜悦のこと。幸祐に作るは、誤なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「幸祐」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』に至っても、標記語を「幸祐」の語は未収載にある。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こう-ゆう幸祐】〔名〕(「祐」は神の助けの意)さいわい。しあわせ。幸福」とあって、『庭訓往来』のこの語用例をはじめて記載するのである。
[ことばの実際]
覚栄定乗大法師勾当覚深幸祐〃有〃〃 法師  右方少別当《『石清水文書・田中文明十三年十一月日の条64・1/198
 
 
2003年8月7日(木)晴れ一時曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
攘災(ジヤウサイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「攘災」の語を未収載にする。これを和語読みにした時の語は、「わざはひ」と「はらふ」だが、これについては、

(ワザハイ)(同)(同)(同) 字。(同) 毛。〔元亀二年本90七〕

(ワザワイ)(同)(同)(同) 字同。(同) 毛。〔静嘉堂本111七〕〔天正十七年本上55オ二〕〔西來寺本〕

(ハラウ)(同)(同)(同) 難。〔元亀二年本36一〕〔静嘉堂本38五〕

(ハラウ)(同)(同)(同) 。〔天正十七年本上20オ一・二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「災」の語と「攘」の語とで収載している。

 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

四海泰平一天静謐事人々攘災所々幸祐也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-海泰-平一--之事-(シヤウ)-所々-祐也〔山田俊雄藏本〕

四海太平一天静謐人々攘災(ジヨウサイ)所々(カウ)祐也〔経覺筆本〕

---天静-謐之事人々-(シヤウサイ)所々-(ユウ)〔文明四年本〕※静謐(せイヒツ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。この「攘災」については、古写本類は全て字音読みと言うことになる。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「攘災」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「攘災」の語を未収載にする。これを和語訓みで見たとき、広本節用集』に、

(ワザワイ/サイ)[平](同クワ)(同アウ)[平](同ヤク)[入] 烟塵禍胎。〔態藝門250三〕

とあって、標記語「」の語を収載するが、標記語「」の語は未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ワザハイ) (同/クワ) 。〔・言語進退門72四〕

(ワザハイ) 禍。夭。殃。祟。厄。死。〔・言語進退門72五〕

(ワザハイ/サイ) 禍。夭。殃。祟。厄。死。 烟塵(ワザハイ) 禍.胎。〔・言語門66一・六〕

烟塵(ワザハイ) 禍.胎。 (ワザワイ) 禍。夭。殃。祟。厄。死。〔・言語門78二・五〕

(ハラウ) 。 (ハラウ) 救。箒。。撥。洒。治。〔・言語進退門22四、23四〕

(ハラウ) 。 (ハラウ) 救。箒。。撥。洒。治。〔・言語進退門24五、25二〕

(ハラフ) 。 (ハラフ) 救。箒。。撥。洒。治。〔・言語門21六、22二〕

(ハラウ)(ハラウ) 。〔・言語門25七、26二〕

とあって、標記語「」の語と標記語「」の語とを収載する。また、易林本節用集』も、

(ワザハイ) (同)(ワザハヒ) 。〔言語門68二・三〕

(ハラフ)(同) 。〔言語門23七〕

とあって、標記語「」の語を収載するが、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書は、字音「攘災」の語を全て未収載にし、古写本『庭訓徃來』は字音、そして下記真字本は「わざはひをはらふ」と和語読みしている語であり、古辞書群は、真字本に遵って和語読みにして「」の語と「」の語にして収載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「ひ」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-處々攘災ハ。ハザハイヲハラウコヽロナリ。〔下19オ七〕

とあって、この標記語を「攘災」とし、語注記は「攘災は、はざはいをはらふこゝろなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

人人(ひとびと)攘災(じやうさい)人々攘災 攘災ハわさわひをはらふと訓す。人々とハ兵乱(ひやうらん)ありてわさわひにかゝりしか今ハ安穏なるをいふ。〔61オ六〜七〕

とあって、この標記語「攘災」の語を収載し、語注記は「攘災ハわさわひをはらふと訓す」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。▲攘災ハわさはひをはらふと訓む。安穏(あんおん)なるのこと。〔45ウ二〜46オ一・二〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)。▲攘災ハわざハひをはらふと訓(よ)む。安穏(あんおん)なるのこと。〔81オ三〜82オ一〕

とあって、標記語「攘災」の語を収載し、その語注記は、「攘災は、わざはひをはらふと訓む。安穏なるのこと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「攘災」の語を未収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じゃう-さい〔名〕【攘災】(一)災いを、攘(はら)ひ除くこと。晉書、郭傳、「禍」庭訓徃來、八月「四海太平、一天静謐事、人人攘災、所所幸祐也」〔0964-1〕

とあって、標記語を「攘災」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じょう-さい攘災】〔名〕わざわいを払いのけること。また、、そのための祈祷」とあって、『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
和平事、爲朝家至要、爲公私大功、此條、須被逹奏之處、遮被仰下之條、兩方公平、天下之攘災候也。《訓み下し》和平ノ事ハ、朝家至要ノ為、公私大功ノ為、此ノ条、須ク達奏セラルベキノ処ニ、遮ツテ仰セ下サルルノ条、両方ノ公平、天下ノ攘災ニ候フナリ。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十日の条》
 
 
2003年8月6日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
一天(イツテン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、標記語「一天」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

四海泰平一天静謐人々攘災所々幸祐也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-海泰---之事-(シヤウ)-所々-祐也〔山田俊雄藏本〕

四海太平一天静謐人々攘災(ジヨウサイ)所々(カウ)祐也〔経覺筆本〕

----謐之事人々-(シヤウサイ)所々-(ユウ)〔文明四年本〕※静謐(せイヒツ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一天」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「一天」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

一天四海(−テンシカイ) 。〔言語門六二〕

とあって、標記語「一天四海」という四字熟語で収載している。

 このように、上記当代の古辞書では、易林本節用集』に「一天四海」の語を収載するのみであり、これは、下記用例に示す『吾妻鏡』のごとき用例であって、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語ではないのかもしれない。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「一天」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

一天静謐(せイヒツ)人々一天静謐(せイヒツ)ハ國王ノ御座(マシマ)ス処ヲ京ト云也。サレバ中央(ワウ)也。大日ノ國也。遍照(ヘンせウ)ノ土ヲバ成所作智(せウシヨサチ)ト云也。是ハ蒼天(タウ―)ノ惣(サウ)名ナリ。依之都ヘ上ル人ハ皆上ルト云也。高キ心ナリ。都静(シツカ)ナレバ。萬民豊(ユタカ)ナリト云フ心ナリ。〔下19オ五〜七〕

とあって、この標記語を「一天静謐」とし、語注記は「一天静謐は、國王の御座す処を京と云ふなり。されば中央なり。大日の國なり。遍照の土をば、成所作智と云ふなり。是れは蒼天の惣名なり。これによって、都へ上る人は、皆上ると云ふなり。高き心なり。都静かなれば、萬民豊かなりと云ふ心なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)(の)(こと)四海泰平一天静謐之事 四海といひ一天といひ皆天下の事也。唯詞を替たるまてにてさして替れる意味もなし。泰平ハ甚たたいらきたる也。静謐の注前に在。〔61オ四〜六〕

とあって、この標記語「一天」の語を収載し、語注記は「四海といひ一天といひ皆天下の事也。唯詞を替たるまてにてさして替れる意味もなし。《略》静謐の注前に在り」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「一天」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Itten xicai.イツテンシカイ(一天四海) 同上(全世界).〔邦訳347l〕

とあって、標記語「一天」の語の意味を「全世界」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いつ-てん〔名〕【一天】〔空中(そらぢゅう)、一山、皆、花〕(一)大空、一面。天下、全體。蘇軾詩、明月隨人共一天」保元物語、一、鳥羽院崩御事「保元元年七月二日、終に一院隱れさせたまひぬ、云云、一天暮れて、日月の光を失へるが如く、萬人歎きて、父母の喪に遭ふに過ぎたり」「一天、俄かに曇りて、雨、車軸を流すが如し」(二)次條の語の略。〔一317-3〕

とあって、標記語を「一天」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いつ-てん一天】〔名〕@空全体。空一面。A「いってんが(一天下)」の略」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
因茲都鄙損亡、上下飢饉、一天四海、眼前煙滅、無雙之愁悶、無二悲歎候也。和平儀、可候者、天下安穩、國土靜謐、諸人快樂、上下勸娯。《訓み下し》茲ニ因テ都鄙ノ損亡、上下ノ飢饉、一天四海、眼前ニ煙滅シ、無双ノ愁悶、無二ノ悲歎ニ候フナリ。和平ノ儀、候フベクンバ、天下安穏、国土静謐ニシテ、諸人快楽シ、上下勧娯ス。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十日の条》
 
 
2003年8月5日(火)晴れ後曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
四海太平(シカイタイヘイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部と「多」部とに、

四海(シカイ) 東海。南海。西海。北海。〔元亀二年本327二〕

四海(―カイ) 東海。南海。西海。北海。〔静嘉堂本387六〕

太平(―ヘイ)泰平() 。〔元亀二年本137三〕〔静嘉堂本145二・三〕

とあって、標記語「四海」と「太平」とそれぞれに収載し、その語注記は「四海」の語に、「東海。南海。西海。北海」を記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

四海泰平一天静謐事人々攘災所々幸祐也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-海泰---之事-(シヤウ)-所々-祐也〔山田俊雄藏本〕

四海太平一天静謐人々攘災(ジヨウサイ)所々(カウ)祐也〔経覺筆本〕

---天静-謐之事人々-(シヤウサイ)所々-(ユウ)〔文明四年本〕※静謐(せイヒツ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。このうち、文明四年本は「四海」と「泰平」の語との間に準体助詞「の」を挟み込んでいることから二語扱いであることを示唆している。また、経覺筆本だけが「タイヘイ」の表記を「太平」としている。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「四海太平」の語を未収載にする。そしてただ、標記語「大平」の語で、

大平(宮城分)タイヘイ。〔黒川本・疉字門中9ウ六〕

と収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「四海太平」、「四海」と「太平」の語でも未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

四海(シカイ―・ウミ)[○・上] 九夷。八狄。七戎西。六蛮。四夷是也。〔數量門929五〕

四海(シカイヨツ・ウミ)[去・上] 。〔態藝門955八〕

泰平(タイヘイユタカ、タイラカ)[去・○] 泰與太同。〔態藝門343二〕

とあって、標記語「四海」「太平」の語を収載し、語注記はそれぞれ、「九夷。八狄。七戎西。六蛮。四夷是れなり」と「泰を太與に同じ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

太平(タイヘイ)泰平() 。〔・言語進退門109六〕

太平(タイヘイ) 泰平 。〔・言語門94九〕〔・言語門105二〕

太平(タイヘイ) 泰― 。〔・言語門86七〕

とあって、標記語「太平泰平」の語だけを収載する。また、易林本節用集』に、

四維(シユイ) ―海(カイ)。―方(ハウ) 。〔言辞門214一〕

泰平(タイヘイ) 泰与太同。〔言語門93五〕

とあって、標記語「四維」の冠頭字「四」の熟語群に「四海」の語を収載し、標記語「泰平」の語はそのまま収載し、語注記に「泰と太与に同じ」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「四海太平」の語を「四海」と「太平」または「泰平」にして収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「四海太平」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-海太-ハ一天靜(シツカ)也ト云事此秋津洲(アキツス)ハ出現(ゲン)(リ)ノ(シマ)也。三國ト云トモ當朝(タウテウ)ヲ日ニ喩(タトヘ)テ佛法流布(ルフ)ノ國也。四魔夷(マエビス)トテ。四方ノ國ヨリ。競(キソヒ)(ノゾミ)ヲナス也。然(シカル)ニ卅三年ヲハ灑乱厥(サイランケツ)ト云波立ナリ。一切ノ有情(ウジヤウ)ヲ突埋(ツキウメ)ントス。是併外道(ケダウ)ノ萌(キザ)ス時ニ。波(ナミ)(ヲキル)ナリ。君ノ君タル時ハ王法(ハフ)政事(せイジ)(イサギ)ヨシ。斯(カゝ)ル時ハ。神明モ佛陀(ブツ―)モ加護(カゴ)有ケレバ。魔軍(クン)(ヲソ)レテ四海波タヽズトナリ。サテコソ太平ナレ。〔下19オ三〜五〕

とあって、この標記語を「四海太平」とし、語注記は「一天靜かなりと云ふ事、此の秋津洲は、出現離の嶋なり。三國と云ふとも當朝を日に喩へて佛法流布の國なり。四魔夷とて、四方の國より競ひ望みをなすなり。然るに、卅三年をば灑乱厥と云ふ波立つなり。一切の有情を突埋めんとす。是れ併しながら外道の萌す時に、波起るなり。君の君たる時は、王法政事潔よし。斯かる時は、神明も佛陀も加護有りければ、魔軍恐れて四海波たたずとなり。さてこそ、太平なれ」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)(の)(こと)四海泰平一天静謐之事 四海といひ一天といひ皆天下の事也。唯詞を替たるまてにてさして替れる意味もなし。泰平ハ甚たたいらきたる也。静謐の注前に在。〔61オ四〜六〕

とあって、この標記語「四海太平」の語を収載し、語注記は「四海といひ、一天といひ、皆天下の事なり。唯詞を替えたるまでにて、さして替れる意味もなし。泰平は、甚だたいらぎたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海泰平一天静人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。▲四海一天いづれも天下といふに同じ。▲泰平静謐共に安(やす)くしつまる也。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)。▲四海一天いづれも天下(てんか)といふに同し。▲泰平静謐共に安(やす)くしづまる也。〔81オ三〜82オ一〕

とあって、標記語「四海」「泰平」の語を収載し、その語注記は、「四海一天いづれも天下といふに同じ」「泰平静謐共に安くしづまるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xicai.シカイ(四海) Yotcuno vmi.(四つの海)都(Miyaco)から言って四つの方角にある四つの海.§Itten xicai.(一天四海)全世界.〔邦訳759r〕

Taifei.タイヘイ(太平) Vouoini,tairacani.(大いに,平らかに)静穏,平和.§Tencano taifeini vosamuru.(天下を太平に治むる)国家を平和に治める.〔邦訳603r〕

とあって、標記語「四海太平」の語の意味を「」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-かい〔名〕【四海】(一)四方(よも)の海。平治物語、一、信頼信西不快事「四海に、風波の恐れなく」(二)天下。世界。書經、禹貢篇「四海會同」同、説命、下篇「四海之内、咸仰朕コ」「富(とみ)四海を保つ」〔0878-4〕

たい-へい〔名〕【太平泰平】世、大いに治りて、人人安堵して暮し居ること。又、國家の極めて穏かに治りてあること。昇平。史記、秦始皇紀「黔首脩潔、人樂同則、嘉保太平漢書、食貨志、上「泰平、二十七歳、遺九年食、然後至コ流洽、禮樂成焉」太平記、二、長崎新左衞門尉意見事「武家彌愼みて勅命に應ぜば、君もなどか思召し直すことなからん、かくてぞ國家の泰平、武運の長久にて候はんと存ず」〔0878-4〕

とあって、標記語を「四海」「太平泰平」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-かい四海】〔名〕@四方の海。よものうみ。A(四方の海のうちの意から)国内。くにじゅう。また、世界。世の中。天下。B四方の外国。国のまわり。四方えびす。C仏語。須彌山(しゆみせん)をとりまく四方の外海」と標記語「たい-へい太平泰平】〔名〕@(形動)世の中がおだやかに治まっていること。世の中が静かで平和なこと。また、そのさま。A「たいへいらく(太平楽)A」の略。B「たいへいずみ(太平墨)」の略。C越前(福井県)から算出した厚紙。太平紙」と二語であって、この『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
被奉御願書於伊勢太神宮、大夫屬入道善信献草案是爲四海泰平萬民豐樂也〈云云〉。《訓み下し》御願書ヲ伊勢ノ太神宮ニ奉ラル。大夫属入道善信。草案ヲ献ズ。是レ四海泰平万民豊楽ノ為ナリト〈云云〉。《『吾妻鏡』養和二年二月八日の条》
 
 
2003年8月4日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
何事(なにごと)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「那」部に、標記語「何事」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

庶幾何事如之〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

庶幾(―キ)何事〔山田俊雄藏本〕

庶幾(ソキ)何事〔経覺筆本〕

-(ソキ)_(シカン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「何事」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「何事」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

何亊(ナニゴト/・イヅレワザ)[平・去]〔態藝門440一〕

とあって、標記語「何事」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「何事」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

何樣(ナニサマ) ―條(デウ)。―等(ラ)。―年(ナンネン)。―時(ナントキ)―事(コト)。―月(ナンクワツ)。〔言辞門110七〕

とあって、標記語「何樣」の冠頭字「何」の熟語群として「何事」語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「何事」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「何事」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

テ∨_(サせル―)|(ツネ)ニ_疎畧(ソリヤク)之至(イタリ)(ヲドロキ)__處芳問(ハウモン)之条(デウ)珍重(チンテウ)日來(ヒゴロ)ノ本望(ホンモフ)(スミヤカ)ニ滿足(マンゾク)ニ庶幾(ソキ)(シカ)ン∨(ヤ)庶幾トハ。隨ヒウクル心ナリ。〔下19オ一〜三〕

とあって、この標記語を「何事」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

庶幾(そき)何事(なにこと)か之(これ)に如(しか)ん哉(や)庶幾何事ン∨ 庶幾ハこひねかふと訓す。願ひ望みたる事此上ハなしと也。是まては殊に願り悦ふ事を述たるなり。〔61オ三〕

とあって、この標記語「何事」の語を収載し、語注記は「何事は、こひねかふと訓ず。願ひ望みたる事この上はなしとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静謐人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。▲庶幾ハこひねがふと訓(よ)む。願ひ望(のそ)む事といふ義。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)。▲庶幾ハこひねがふと訓(よ)む。願ひ望(のそ)む事といふ義。〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「何事」の語を収載し、その語注記は、「何事は、こひねがふと訓む。願ひ望む事といふ義」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nanigoto.ナニゴト(何事) どんな事.〔邦訳448l〕

とあって、標記語「何事」の語の意味を「どんな事」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語を「何事」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「なに-ごと何事】〔名〕@どのような事柄。どんなこと。A(「も」を伴って)あらゆる事柄。万事。すべてのこと。B何としたことかと、とがめる意で用いる語。どうしたこと。いかなること。C不定の事柄をさしていう語。何々」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
凡夙夜仙洞之後、云官途、云世路、我君之御恩、以何事可奉報謝耶。《訓み下し》凡ソ仙洞ニ夙夜スルノ後、官途ト云ヒ、世路ト云ヒ、我ガ君ノ御恩(我ガ后)、何事ヲ以テ報謝シ奉ルベケンヤ(報謝シ奉ルベケンヤ)。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十日の条》
 
 
2003年8月3日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
庶幾(ソキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

庶幾(ソキ) 。〔元亀二年本152三〕

庶幾(―キ) 。〔静嘉堂本344二〕

とあって、標記語「庶幾」の語を収載し、訓みを「ソキ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

庶幾何事如之〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

庶幾(―キ)何事〔山田俊雄藏本〕

庶幾(ソキ)何事〔経覺筆本〕

-(ソキ)_(シカン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「庶幾」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

庶幾(ソキ/コヒネガハク) 。〔言辭門149五〕

とあって、標記語「庶幾」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

庶幾(ソキ/ヲモテ、ヲガム)[去・去] 。〔態藝門876八〕

とあって、標記語「庶幾」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

庶幾(ソキ) 。〔・言語進退門122一〕〔・言語門101九〕〔・言語門92四〕〔・言語門112六〕

とあって、標記語「庶幾」の語を収載し、訓みを「ソキ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

庶幾(ソキ) ―品(ホン)。〔言辞門101二〕

とあって、標記語「庶幾」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「庶幾」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「庶幾」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

テ∨_(サせル―)|(ツネ)ニ_疎畧(ソリヤク)之至(イタリ)(ヲドロキ)__處芳問(ハウモン)之条(デウ)珍重(チンテウ)日來(ヒゴロ)ノ本望(ホンモフ)(スミヤカ)ニ滿足(マンゾク)ニ庶幾(ソキ)(シカ)ン∨(ヤ)庶幾トハ。隨ヒウクル心ナリ。〔下19オ一〜三〕

とあって、この標記語を「庶幾」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

庶幾(そき)何事(なにこと)か之(これ)に如(しか)ん哉(や)庶幾何事ン∨ 庶幾ハこひねかふと訓す。願ひ望みたる事此上ハなしと也。是まては殊に願り悦ふ事を述たるなり。〔61オ三〕

とあって、この標記語「庶幾」の語を収載し、語注記は「庶幾は、こひねかふと訓ず。願ひ望みたる事この上はなしとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静謐人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。▲庶幾ハこひねがふと訓(よ)む。願ひ望(のそ)む事といふ義。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)。▲庶幾ハこひねがふと訓(よ)む。願ひ望(のそ)む事といふ義。〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「庶幾」の語を収載し、その語注記は、「庶幾は、こひねがふと訓む。願ひ望む事といふ義」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Soqi.ソキ(庶幾) すなわち,Coinego<.(庶ふ) 乞うこと,あるいは,望むこと.例,Soqisuru.(庶幾する)〔邦訳574r〕

とあって、標記語「庶幾」の語の意味を「乞うこと,あるいは,望むこと」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-スル・スレ・セ・セヨ〔他動、左變〕【庶幾】しょきす(庶幾)に同じ。太平記、八、山徒寄京都事「二人が命を捨てて、三塔の恥を雪めんと云ひければ、豪仙、云ふにや及ぶ、尤も、庶幾(ソキ)する所なり」〔1144-5〕

とあって、標記語を「庶幾」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-庶幾】〔名〕こいねがうこと。望みねがうこと。しょき」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仰云、行勲功賞時、可庶幾者、官禄之兩途也。《訓み下し》仰セニ云ク、勲功ノ賞ヲ行フ時、庶幾フベキ者ハ、官禄ノ両途ナリ。《『吾妻鏡』養和元年七月二十日の条》
そきすといへる詞、如何。これは、庶幾也。疉字にこひねがふとよませたる義也。《『名語記』(1275年)四》
 
 
2003年8月2日(土)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
滿足(マンゾク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「滿」部に、

滿足(マンゾク) 。〔元亀二年本206三〕〔静嘉堂本234二〕

滿足(マンソク) 。〔天正十七年本中46ウ二〕

とあって、標記語「滿足」の語を収載し、訓みを「マンゾク」「マンソク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

日来本望忽以滿足候訖〔至徳三年本〕

日來本望忽以滿足候畢〔宝徳三年本〕

日來之本望忽以滿足候了〔建部傳内本〕

_(コロ)-望忽_滿足候訖〔山田俊雄藏本〕

_(ヒコロ)本望忽チニ滿足候畢〔経覺筆本〕

_本望忽以滿足候畢〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「滿足」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「滿足」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

滿足(マンゾク・―アシ/ミチ、タル)[上・入]〔態藝門580三〕

とあって、標記語「滿足」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

滿足(マンゾク) 。〔・言語進退門171二〕

滿足(マンゾク) ―遍(ベン)。―散(サン)。〔・言語門139九〕

滿足(マンソク) ―遍。―座。―散。〔・言語門129三〕

とあって、標記語「滿足」の語を収載し、訓みを「マンゾク」「マンソク」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

(マンベン) ―足(ゾク)。―作(サク)。―散(サン)。〔言辞門141五〕

とあって、標記語「」の冠頭字「滿」の熟語群として「滿足」語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「滿足」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「滿足」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

テ∨_(サせル―)|(ツネ)ニ_疎畧(ソリヤク)之至(イタリ)(ヲドロキ)__處芳問(ハウモン)之条(デウ)珍重(チンテウ)日來(ヒゴロ)ノ本望(ホンモフ)(スミヤカ)ニ滿足(マンゾク)庶幾(ソキ)(シカ)ン∨(ヤ)庶幾トハ。隨ヒウクル心ナリ。〔下19オ一〜三〕

とあって、この標記語を「滿足」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

珍重(ちんてう)々々(/\)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつ)滿足(まんそく)候ひ訖ぬ/珎重々々日來本望忽以滿足候畢 滿ハみつる、足ハたれりと訓す。日比の望ミ十分に足れりと也。〔61オ二・三〕

とあって、この標記語「滿足」の語を収載し、語注記は「滿はみつる、足はたれりと訓ず。日比の望み十分に足れりとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静謐人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費。▲滿足ハ心に足る也。〔45ウ二〜46オ一〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)。▲滿足ハ心に足る也。〔81オ三〜81ウ六〕

とあって、標記語「滿足」の語を収載し、その語注記は、「滿足は、心に足るなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Manzocu.マンゾク(滿足) 満ち足りること,十分であること,あるいは,満足であること.例,Manzocu xita.(満足した)私は喜ばしく満ち足りている.§また,これはある人が,ある物事に対する喜びとか感謝とかの心をあらわすのに用いる言葉である.〔邦訳384r〕

とあって、標記語「滿足」の語の意味を「満ち足りること,十分であること,あるいは,満足であること」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

まん-ぞく〔名〕【滿足】(一)みちたれること。全きこと。南齊書、張敬兒傳「自稱三公、然而意知滿足(二)心滿足(みちた)ること。思ひ通りになれるに感じて、甘んじてあること。望みの十分に適ひて、些の不足を感ぜぬこと。林エ節用集、雜用「滿足、マンゾク」庭訓徃來、八月「日來本望、忽以滿足候畢訖」狂言記、布施無「それは役に立ちまして、滿足に存じます」(三)數學にて、方程式の術語。或方程式を成立せしむる未知數の値は、その方程式に滿足すと云ふ。〔1902-2〕

とあって、標記語を「滿足」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「まん-ぞく滿足】〔名〕(形動)(「まんそく」とも)@希望が満ち足りて不平がなくなること。また、そのさま。A十分であると感じること。完全または無欠であること。欠けるところがないこと。また、そのさま。B定員が充足すること。C数学で、ある対象が与えられた方程式や不等式の解であること」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
已三萬餘疋經營、小國乃貢、滿足殆不顧餘剰者歟《訓み下し》已ニ三万余疋ノ経営、小国ノ乃貢、満足殆ド余剰ヲ顧ミザル者カ。《『吾妻鏡』文治二年二月二日の条》
 
 
2003年8月1日(金)曇り後薄晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
日來(ひごろ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「比」部に、

日來(―ゴロ) 。〔元亀二年本340二〕

日來(ヒゴロ) 。〔静嘉堂本411五〕

とあって、標記語「日來」の語を収載し、訓みを「ヒゴロ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月晦日の状に、

日来本望忽以滿足候訖〔至徳三年本〕

日來本望忽以滿足候畢〔宝徳三年本〕

日來之本望忽以滿足候了〔建部傳内本〕

_(コロ)-望忽_以滿足候訖〔山田俊雄藏本〕

_(ヒコロ)本望忽チニ以滿足仕候畢〔経覺筆本〕

_本望忽以滿足候畢〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「日來」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「日來」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

日來(ヒゴロ/ジチライ)[入・平] 日比。〔態藝門1046三〕

とあって、標記語「日來」の語を収載し、語注記は同語表記「日比」の語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

日来(ヒゴロ) 。〔・時節251一〕〔・言語門214八〕〔・言語門200二〕

とあって、標記語「日来」の語を収載し、訓みを「ヒゴロ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

日來(ヒゴロ) 。〔時候門221七〕

とあって、標記語「日來」語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書は、「日來」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

452依指亊ルコト/ス申通疎略之至驚入候芳問之条珎重々々_本望忽以滿足仕候畢庶幾(ソキ)何亊四海太平一天静謐人々(ハライ)-(サイ)ヲ所々幸祐也沙汰亊嚴密執行更非停滞(―タイ)預儀之政道| 預猶預之義也。〔謙堂文庫蔵四四右E〕

とあって、標記語を「日來」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

テ∨_(サせル―)|(ツネ)ニ_疎畧(ソリヤク)之至(イタリ)(ヲドロキ)__處芳問(ハウモン)之条(デウ)珍重(チンテウ)日來(ヒゴロ)本望(ホンモフ)(スミヤカ)ニ滿足(マンゾク)ニ庶幾(ソキ)(シカ)ン∨(ヤ)庶幾トハ。隨ヒウクル心ナリ。〔下19オ一〜三〕

とあって、この標記語を「日來」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

珍重(ちんてう)々々(/\)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつ)て滿足(まんそく)候ひ訖ぬ/珎重々々日來本望忽以滿足候畢 滿ハみつる、足ハたれりと訓す。日比の望ミ十分に足れりと也。〔61オ二・三〕

とあって、この標記語「日來」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さ)せる事(こと)(な)きに依(よつ)て常に申(まふ)し通ぜ不(す)疎略(そりやく)(の)(いた)り驚(おどろ)き入(い)り候(さふら)ふ之(の)(ところ)芳問(はうもん)之條(てう)珍重(ちんちやう)珍重(ちんちやう)日來(ひころ)の本望(ほんもう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)し候(さふら)ひ訖(をハん)ぬ庶幾(そき)何事(なにこと)か之に如(しか)ん哉(や)四海泰平(しかいたいへい)一天静謐(いつてんせいひつ)乃事(こと)人人(ひとびと)の攘災(しやうさひ)所所(しよ/\)の幸(こうこ)(なり)御沙汰(こさた)乃事(こと)嚴密(けんミつ)に執行(しゆきやう)せら被(ら)る所(ところ)(なり)(さら)に停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に非(あら)ず訴訟(そせう)(もし)悠々緩怠(ゆう/\くハんたい)(の)(き)(あ)ら者(ハ)御在洛(こさいらく)(の)(ついえ)(なり)テ∨指事略之至入候之處芳問之條珎重々々日來本望忽以滿足庶幾(ソキ)何事カン∨四海太平一天静謐人々-所々沙汰事嚴密執行セラ停滞豫儀之政道訴訟若有悠々緩怠之儀御在洛之費〔45ウ二〜八〕

(よつ)て∨(なき)に‖(させる)(こと)|(つね)(ず)‖(まう)(つう)(そりやく)(の)(いたり)(おとろ)き(い)り(さふらふ)(の)(ところ)芳問(はうもん)(の)(でう)珎重(ちんちよう)々々(/\)日來(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)(もつて)滿足(まんそく)(さふらひ)(をハんぬ)庶幾(そき)何事(なにこと)(しか)ん(これ)(や)四海(しかい)泰平(たいへい)一天(いつてん)静謐(せいひつ)(こと)人々(ひと/\)の攘災(じやうさい)所々(しよ/\)(かうこ)(なり)沙汰(こさた)(こと)嚴密(げんミつ)(ところ)(るゝ)執行(しゆぎやう)せら(なり)(さら)(あら)停滞(ていたい)豫儀(よぎ)(の)政道(せいたう)に|訴訟(そしやう)(もし)(あ)悠々(いう/\)緩怠(くわんたい)(の)(ぎ)|(バ)御在洛(ございらく)(の)(つひえ)(なり)〔81オ三〜81ウ五〕

とあって、標記語「日來」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Figoro.ヒゴロ(日比) この数日間,または,数日前.〔邦訳231l〕

とあって、標記語「日比」の語の意味を「この数日間,または,数日前」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ごろ〔副〕【日頃】數日このかた。かねてより。つねづね。日來源氏物語、四、夕顔4「ひごろおこたり難く物せらるるを、安からず歎きわたりつるに」榮花物語、一、月宴「式部卿の宮、ひごろいたく煩ひ給ふと聞ゆれば」玉葉集、三、夏「夕立の、なごりばかりの、にはたづみ、ひごろも聞かぬ、蛙鳴くなり」「日頃の思」日頃の顔」〔1658-5〕

とあって、標記語を「日頃」の語を収載し、同語表記に「日來」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-ごろ日頃日比日来】〔名〕@いく日かの日を漠然という。日かず。多くの日。数日。A常の日々をいう。平生。ふだん。つね日ごろ。B現時点までの近い日々をいう。このごろ。近頃。数日来。C日中の頃。昼の頃」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
日來祗候京都、去月中旬之比、欲下向之刻、依宇治懸合戰等事爲官兵被抑留之間、于今遅引、《訓み下し》日来(ヒゴロ)京都ニ祗候シ、去ヌル月中旬ノ比、下向セント欲スルノ刻、宇治ノ合戦等ノ事ニ懸カルニ依テ(宇懸合戦等事ニ依テ)、官兵ノ為ニ抑留セラルルノ間、今ニ遅引ス。《『吾妻鏡』治承四年六月二十七日の条》
 
 
 
 

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