2003年11月01日から11月30日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
2003年11月30日(日)雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
(つみ)」→「事(こと)」〔字形相似による置換解釈〕
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

(ツミ) 。〔元亀二年本161三〕〔静嘉堂本177四〕〔天正十七年本中20オ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。このことは、『運歩色葉集』の編者が『庭訓往来註』の語を引用するものの、その注記に従って、『御成敗式目』の語注記まで及んで記載する編纂姿勢が見られないことを示唆している。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

此外火印追放以下随輕重其人是非可被行之〔至徳三年本〕

此外火印追放以下随輕重○{■}其人○{是}○{可}被行之〔宝徳三年本〕

此外火印追放以下随輕重其人是非被行之〔建部傳内本〕

此_外火-印追-放以-下随(ツミ)-重其_人-〔山田俊雄藏本〕

外火印追放以下随(ツミ)輕重其人是非〔経覺筆本〕

此_外火-印追-放以-下随(ツミ)-重其_人-〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ツミ) 刑。辞。辟。。殃。戻。叛。科。過。六。〓。誅。認。〓。坐。〓。禁。〓。已上同ツミ。〔黒川本・人事門中22ウ三〕

(ツミ) 徒―、流―、死。五―本乍〓云孤。戻。坐。科。殃。戻。叛。過。六。〓。誅。認。〓。禁。〓已上同ツミ。〔卷四・人事門583一〕

とあって、標記語「罪」の熟語群に「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ツミ/サイ)[上]。(同/コ)[平](同/ザ)[去]。〔態藝門423五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ツミ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ツミ)。〔・言語門128八〕

(ツミ) 辜。〔・言語門106二〕

(ツミ) 辜。坐。〔・言語門96五〕

(ツミ) 辜。坐(ツミセラル)。〔・言語門118四〕

とあって、弘治二年本は標記語「」の語を収載し、他本は「罪」の冠頭字「罪」の語註に「」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

(ツミ) 。〔言語門107五〕

とあって、標記語「罪」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

479追-放以-下随-重其是非ニ|ル∨之次-社訴-詔者テ‖本所挙達ニ| 本所公家|。又寺社奉行也。〔謙堂文庫藏四六左C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ツイ)-(ハウ)-下随(ツミ)(ケウ)-(ヂウ)是非ルヽ(ヲコナハ)追放トハ罪(トカ)人ヲ片髪(カタカミ)ヲ剃(ソリ)落シ。又ハ鼻(ハナ)ヲ割(キツ)テ。ヲイハナツ事ナリ。雖然辜(ツミ)ノ輕重ニ依ルベシ。大唐ニハ三ノ道ヲ潜(クヾ)ルナリ。慈穴(ジケツ)道藪穴(ソウケツ)道暗(アン)穴道也。上罪(ザイ)ノ者暗(アン)穴道ヲ通(トヲ)ス也。三七日クラキ穴ヲ這々(ハルバル)トクヾル也。其内ニ難処多(ヲヽ)シ。中罪ノ者ヲバ。藪(ソウ)穴道ヲ通(トヲ)ス。二七日潜(クヽル)也。ウバラカラタチノミハヘテ毒虫(ドクチウ)(ヲヽ)キヤフノ穴(アナ)ヲクヾル也。下罪ノ者ヲバ慈穴道ヲ通ス也。一七日脚(アシ)(クンシ)ニ及ブ。水の穴(アナ)ヲ渡ル也。少シ休(ヤス)ム処アレバ是ヲ少(スコシ)ノツミト云ナリ。三國共業過難(ノガレ)。〔下22ウ四〜八〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したかつ)て之(これ)を行(おこな)(ハる)()輕重其人是非罪の軽きハ刑軽く罪の重きハ刑重し。其人理ありて是()なれハゆるし理なくして非なれハ罪し其罪次第に刑罪を行ふを云。是迄ハ侍所の事を説し也〔68オ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

斷罪(だんざい)す可()き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被()(いまし)む可()き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可()き者(もの)流帳(るちやう)に記(しる)さ被()(この)(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被()()し。/-セラ-流帳此外火印追-放以-下随-重其人是非〔49ウ五〜六〕 

()(だん)-(ざい)(もの)()(ちゆう)せら(これ)()(いましむ)(もの)(きん)(ごく)(これ)()()-(けい)(もの)()(しる)さる()(ちやう)(この)(ほか)火印(くわいん)(つゐ)-(はう)()-()(したが)つて(こと)(けい)-(ぢう)()(ひと)是非(ぜひ)()()(おこなハ)(これ)〔89オ二〜三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcumi.ツミ(罪) 罪科.§又,罪科に対するこらしめ,あるいは,刑罰.§Tcumiuo nadamuru.(罪を宥むる)罪,または,罪によって課せられた刑罰を免ずる.§Tcumiuo ito>.(罪を厭ふ)罪科を望まない,あるいは,厭い嫌う.§Tcumiuo forobosu.(罪を亡ぼす)罪科をなくする,または,滅ぼす.§Tcumixeraruru.(罪せらるる)ある罪によって罰せられる,あるいは,処刑される.一般にこの言い方は書物の中で用いられる,→Cui canaximi,u;Fuxe,uru(伏せ,する);Tcucuri,u;Tcumori,u.〔邦訳630l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つみ〔名〕【】〔障の約、慎むの意〕(一){人の惡行、穢れ、禍など、すべて、厭ひ惡むべき、凶しき事の稱。大祓祝詞「天津罪止、畔放、溝埋、樋放、頻蒔(しきまき)、串刺、生剥、逆剥、屎(くそ)()、云云、國津罪止八、生膚斷、死膚斷、白人、胡久美、己母犯罪、云云、許許太久乃罪出武」(二)專ら、政府の法律を破る所行。源氏物語、十三、明石27「罪におちて、都を去りし人を、三年をだに過さず、ゆるされんことは、世の人も、いかが言ひ傳へ侍らむなど」(三)~に對して、恐るべく慎むべきことを、犯したること。(四)又、佛の教法を破る所業。後に、其罰の果を受くとす。罪業源氏物語、廿二、玉鬘7「いとつみふかき身にても、かかる世にさすらふらん」金葉集、三、秋、下「いのちをも、つみをも露に、たとへけり、消えばともにや、消えんとすらん」(五)人に對して、道コに背きたる行爲。〔0570-1〕

とあって、標記語「」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つみ】[一]〔名〕@規範、法則を犯し、その結果とがめられるべき事実。また、そのような行為に対する責任の観念をいう。イ神祇(じんぎ)信仰上の禁忌(きんき)を破ること。~の怒りに触れ、その結果災いや祟(たた)りを招くような行為をすること。また、その行為。行為に対する罰。ロ法律、道徳、習慣など、社会生活の規範となる法則に背反すること。制裁を受けるべき不法、または、不徳の行為があること。犯罪。罪悪。罪過。ハ天、国家、王、上長など、権威あるものの意思に従わないで、反抗すること。権威を冒して、とがめられる行為の事実。ニ仏教で、本来の道理に反し、または戒律の禁制に触れる行為で、それによって苦果を招く悪行をいう。また、過去世から犯してしまった悪業。罪業(ざいごう)。A@を犯したために受ける制裁。罰。刑罰。しおき。B他人に不利益や不快感などを与える行為によって、怒り、恨み、非難、などを受けるようなこと。人に対して悪い事をした事実、またはその責任。C人、あるいはものごとのとがめるべき点。欠点。短所。Dよこしまな気持、考え、欲望など。悪についての自覚。また、そのために迷い苦しむこと。→つみ(罪)が無(な)い。[二]〔形動〕他人を悲しませたり、苦しめたり、まどわせたりなどするような要素をもっているさま。無慈悲なさま。[語誌]罪は意識的に犯す行為で、罰が付随するのに対し、咎(とが)は無意識に犯す過失、あるいは欠点であるとみられる。中古には、罪の意味が拡大して、咎にあたるものをもいうようになった。中世以後、日常語としては咎を用いることが多かったようで、「どちりなきりしたん」にみえる祈りの文句にも、「われらだとがをゆるしたまへ」とある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又何邊村塞。擅便往來。彼此一同。無百姓侵擾不已。《訓み下し》又何ノ辺ノ村塞ニモ擅ニ往来セシメ、彼此一同ニ、無ノ百姓ヲ侵擾シテ已マズ。《『吾妻鏡』嘉禄三年五月十四日の条》
 
 
2003年11月29日(土)雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)←西新宿
追放(ツイハウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

追放(ハウ) 。〔元亀二年本157六〕〔静嘉堂本172六〕

とあって、標記語「追放」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

此外火印追放以下随輕重其人是非可被行之〔至徳三年本〕

此外火印追放以下随輕重○{■}其人○{是}○{可}被行之〔宝徳三年本〕

此外火印追放以下随輕重其人是非被行之〔建部傳内本〕

此_外火---下随(ツミ)-重其_人-〔山田俊雄藏本〕

外火印追放以下随(ツミ)輕重其人是非〔経覺筆本〕

此_外火---下随(ツミ)-重其_人-〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

追放 貶點部/ツイハウ/追放分。〔黒川本・疉字門中28オ七〕

追従 〃討。〃捕。〃却ツイキヤク。〃放。〃儺ツイナ、延喜廿―始行之。追儺事長輪暦日十二月晦夜追儺事。昔高辛氏之女子 女子晦夜在堂寺成魍魎常行疫癘之事又奪祖魂祭物周之以桃弓等射鬼為令安静国土代所傳也。〃爵。〃求。〃福佛事。〃善。〔卷第四・疉字630六〜631三〕

とあって、標記語「追放」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「追放」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

追放(ツイハウヲイ、ハナツ)[平・去] 。〔態藝門416三〕

とあって、標記語「追放」の語を収載し、訓みを「ツイハウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

追放(ハウ) 。〔・言語進退門131二〕

追薦(ツイぜン) 又作―従(せウ)。―却(キヤク)。―拂(ホツ)進發之義。―伐(バツ)。―修(シユ)。―福(フク)追善之義/―善。―放(ハウ)。―加。―討(タウ)。―捕()。―考(カウ)。―出(シユツ)。〔・言語門105七〕

追薦(ツイぜン) 又薦作善―従。―却。―拂進發義。―伐。―修/―福追善義。―善。―放。―加。―討。―捕。―考。―出。〔・言語門96二〕〔・言語門117八〕

とあって、弘治二年本は標記語「追放」を収載し、他本は、「追薦」の冠頭字「追」の熟語群として「追放」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

追討(ツイタウ) ―捕()―放(ハウ)。―従(せウ)。―加()/―却(キヤク)。―罰(バツ)。―伐(バツ)。―善(ぜン)。―出(シユツ)。〔言語門105五〕

とあって、標記語「追討」冠頭字「追」の熟語群として「追放」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「追放」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

479--下随辜輕-重其是非之次-社訴-詔者本所挙達 本所公家又寺社奉行也。〔謙堂文庫藏四六左C〕

とあって、標記語「追放」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ツイ)-(ハウ)-下随(ツミ)(ケウ)-(ヂウ)是非ルヽ(ヲコナハ)追放トハ罪(トカ)人ヲ片髪(カタカミ)ヲ剃(ソリ)落シ。又ハ鼻(ハナ)ヲ割(キツ)テ。ヲイハナツ事ナリ。雖然辜(ツミ)ノ輕重ニ依ルベシ。大唐ニハ三ノ道ヲ潜(クヾ)ルナリ。慈穴(ジケツ)道藪穴(ソウケツ)道暗(アン)穴道也。上罪(ザイ)ノ者暗(アン)穴道ヲ通(トヲ)ス也。三七日クラキ穴ヲ這々(ハルバル)トクヾル也。其内ニ難処多(ヲヽ)シ。中罪ノ者ヲバ。藪(ソウ)穴道ヲ通(トヲ)ス。二七日潜(クヽル)也。ウバラカラタチノミハヘテ毒虫(ドクチウ)(ヲヽ)キヤフノ穴(アナ)ヲクヾル也。下罪ノ者ヲバ慈穴道ヲ通ス也。一七日脚(アシ)(クンシ)ニ及ブ。水の穴(アナ)ヲ渡ル也。少シ休(ヤス)ム処アレバ是ヲ少(スコシ)ノツミト云ナリ。三國共業過難(ノガレ)。〔下22ウ四〜八〕

とあって、この標記語「追放」とし、語注記は「追放とは、罪人ヲ片髪ヲ剃落シ。又ハ鼻ヲ割テ。ヲイハナツ事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(この)(ほか)火印(くわいん)追放(ついはう)以下(いけ)此外火印追放以下火印ハ燒かねをあてる事也。今の入墨の類也。又其外いろ/\の仕置あるゆへ以下と云し也。〔67ウ八〕

とあって、この標記語「追放」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

斷罪(だんざい)す可()き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被()(いまし)む可()き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可()き者(もの)流帳(るちやう)に記(しる)さ被()(この)(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被()()し。/-セラ-流帳此外火印--下随事輕-重其人是非。▲追放ハ国所(くにところ)を追()ひはらふをいふ。〔49ウ五〜六〕 

()(だん)-(ざい)(もの)()(ちゆう)せら(これ)()(いましむ)(もの)(きん)(ごく)(これ)()()-(けい)(もの)()(しる)さる()(ちやう)(この)(ほか)火印(くわいん)(つゐ)-(はう)()-()(したが)つて(こと)(けい)-(ぢう)()(ひと)是非(ぜひ)()()(おこなハ)(これ)。▲追放ハ国所(くにところ)を追()はらふをいふ。〔89オ二〜三〕

とあって、標記語「追放」の語を収載し、その語注記は「追放は、国所(くにところ)を追()ひはらふをいふ。」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcuifo<.ツイハウ(追放) Voi fanasu.(追ひ放す)ある人を領土外に追い出す,または,配流する.§Tcuifo<no quannin.(追放の官人)人を配流し,あるいは,領土外に追い出すことを役目とする人.〔邦訳627l〕

とあって、標記語「追放」の語の意味は「(追ひ放す)ある人を領土外に追い出す,または,配流する」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つゐ-はう〔名〕【追放】(一)おひはなつこと。(二)徳川氏の世の刑の名。罪人を一定の區域より追拂ふこと。これには數等あり、所拂(ところばらひ)(所構(ところがまへ))、江戸拂(江戸構)、江戸十里四方拂、輕追放、中追放、重追放等なり。敲(たたき)より重く、遠島より輕し。皆郷里より追ひ拂ひて、永く本籍へ歸ることを免さず。又、其輕きものに、門前拂などもあり。追失。御定書百箇條追放もの御郭外にて放遣、侍は其場所にて大小渡遣候事」科條類典、下、七、「追放者御構場之内、甲斐國前前入候處、松平美濃守江下候以後、只今以入不申候、自今甲斐國入可然奉存候、依之奉伺候、則追放御構場所書付入御覽申候」〔1341-3〕

とあって、標記語「追放」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つい-ほう追放】〔名〕@追い払うこと。追い出すこと。追逐。追却。A罪人を一定の地域外に追いはらう刑。中世では流刑・斬刑とともに主要な刑罰で、罪人をその居住地、荘園、領国などから追い払った。追却。江戸時代、幕府・諸藩の追放刑。罪の軽重に応じてその範囲が具体的に規定された。御構い。B特に、寺社で宗門から追い払うこと。門徒を放つこと。C召しあげること。没収。D在留すると危険と思われる自国人・外国人、また、正規によらない入国者に対して国外追放を命じること。E「きょうしょくついほう(教職追放)」「こうしょくついほう(公職追放)」の略。[語誌](1)Aの刑罰としての「追放」は、中世から特に重要な位置を占め、鎌倉幕府の「御所中」や「鎌倉中幵諸国市間」、「関東御分郡郷」からの追放があり、室町幕府やそれに続く各分国でも領主たちからの領国外追放の刑があった。(2)江戸幕府では重・中・軽追放、江戸十里四方追放以下、計六種の追放刑が制定され、立入禁止の場所(御構場所)や田畑家屋屋敷財物などの没収も罪の軽重で具体的に決められていた。江戸中期以後、百姓・町人の御構場所が、江戸十里四方・本人居住地・犯罪をおこした国の三箇所に統一され、重・中・軽の区分は、没収される財物の差異のみとなった。そのため、Cのような「召しあげること」「没収」に限定しての使用例もある。(3)日本国構もあり、キリシタンの国外追放やシーボルトの日本退去などにその例をみる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
頼經卿、同意義顯之臣也可被解官追放之由、先度言上畢《訓み下し》頼経卿ハ、義顕ニ同意スルノ臣ナリ。解官追放セラルベキノ由、先度言上シ畢ンヌ。《『吾妻鏡』文治五年二月二十二日の条》
 
 
2003年11月28日(金)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
火印(クワイン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

火印(―イン) 。〔元亀二年本191三〕〔静嘉堂本215八〕〔天正十七年本中37オ七〕

とあって、標記語「火印」の語を収載し、語注記は未記載にする。このことは、『運歩色葉集』の編者が『庭訓往来註』の語を引用するものの、その注記に従って、『御成敗式目』の語注記まで及んで記載する編纂姿勢が見られないことを示唆している。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

此外火印追放以下随輕重其人是非可被行之〔至徳三年本〕

此外火印追放以下随輕重○{■}其人○{是}○{可}被行之〔宝徳三年本〕

此外火印追放以下随輕重其人是非被行之〔建部傳内本〕

此_外--放以-下随(ツミ)-重其_人-〔山田俊雄藏本〕

火印追放以下随(ツミ)輕重其人是非〔経覺筆本〕

此_外--放以-下随(ツミ)-重其_人-〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「火印」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「火印」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書において、『運歩色葉集』が唯一この「刑法」の用語である「火印」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっていることに注目しておきたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

478尋_究之_黨類-ニス者被(イマシ)獄之-(ゲイ)流帳此外印 (シキ)念比有也。〔謙堂文庫藏四六左A〕

とあって、標記語「火印」の語を収載し、語注記は「『御成敗式目』に念比(ねんごろ)に有るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

火印(イン)トハ。頬(ツラ)ニ焼鐵(ヤキカネ)ヲササルヽ事ナリ。〔下22ウ四〕

とあって、この標記語「火印」とし、語注記は「(ツラ)に焼鐵(ヤキカネ)をささるる事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(この)(ほか)火印(くわいん)追放(ついはう)以下(いけ)此外火印追放以下火印ハ燒かねをあてる事也。今の入墨の類也。又其外いろ/\の仕置あるゆへ以下と云し也。〔67ウ八〕

とあって、この標記語「火印」の語を収載し、語注記は「牢にとぢこめおく事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

斷罪(だんざい)す可()き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被()(いまし)む可()き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可()き者(もの)流帳(るちやう)に記(しる)さ被()(この)(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被()()し。/-セラ-流帳此外火印追-放以-下随事輕-重其人是非。▲火印ハ科人(とがにん)の額(ひたひ)に焼(やき)がねをあつること。今の黥(いれずミ)の類(るい)也。〔49ウ五〜六〕 

()(だん)-(ざい)(もの)()(ちゆう)せら(これ)()(いましむ)(もの)(きん)(ごく)(これ)()()-(けい)(もの)()(しる)さる()(ちやう)(この)(ほか)火印(くわいん)(つゐ)-(はう)()-()(したが)つて(こと)(けい)-(ぢう)()(ひと)是非(ぜひ)()()(おこなハ)(これ)。▲火印ハ科人(とがにん)の額(ひたひ)に焼(やき)がねをあつること。今の黥(いれずミ)の類也。〔89オ二〜三〕

とあって、標記語「火印」の語を収載し、その語注記は「火印は、科人(とがにん)の額(ひたひ)に焼(やき)がねをあつること。今の黥(いれずミ)の類(るい)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quain.クハイン(火印) Finovoxite.(火の印)体や顔などに焼いて捺す烙印.§Quainuo atcuru,l,vosu.(火印を当つる,または,捺す)獣などに烙印を捺す,あるいは,焼印をする.〔邦訳517l〕

とあって、標記語「火印」の語の意味は「(火の印)体や顔などに焼いて捺す烙印」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くゎ-いん〔名〕【火印】やきいん(燒印)に同じ。長門本平家物語、十五、院宣御使事「其院宣を、平大納言、見たまひて、大に嗔て、彼院宣を投げすて、御使を召出して、顔に、火印をさして、追上せらる」〔0570-1〕

とあって、標記語「火印」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-いん火印】〔名〕@火で焼いて用いる金属製の印。焼印。A仏語。左右の指を結んで三角形を作り、火の象
(かたち)にかたどる印相、火を呼ぶ印契。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
右於(  イ)者可被収所領ンハ所帯者可遠流也。{}凡下之輩者可(ヲサ)火印於其面也。[割注]火印焼金也、依其科字定歟。唐ニハ印判捺也。故天讀也。爰ニハ謀書捺也。《京都大学法学部図書室所蔵『御成敗式目』(1232年成)第15条》
 
 
2003年11月27日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
流帳(ルチヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「留」部に、「流人(ルニン)。流罪(ザイ)。流浪(ラウ)。流布()。流轉(テン)。流通(ツウ)。流傳(デン)。流刑(ケイ)」の八語を収載するが、標記語「流帳」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「流帳」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「流帳」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

流帳(ルチヤウタグイ・ナガルヽ、イタム)[平・入]流人帳也。〔態藝門206五〕

とあって、標記語「流帳」の語を収載し、訓みを「ルチヤウ」とし、その語注記は「流人の名を書ける帳なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「流帳」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一広本節用集』だけがこの「流帳」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。但し、語注記は別資料によるものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

478尋_究之_黨類-ニス者被(イマシ)獄之-(ゲイ)流帳此外印 (シキ)念比有也。〔謙堂文庫藏四六左A〕

とあって、標記語「流帳」の語を収載し、語注記は「『御成敗式目』に念比に有るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(イマ)シムヲハ(キン)(ゴク)()-(ケイ)ヲハ流帳(イマシム)ヲハ。禁(キン)(ゴク)ト云ハ。篭(ロウ)者獄者サスル也。篭トハ。材(サイ)木ニテ造(ツク)ル。獄(コク)ハ土ノ穴(アナ)ヲ堀(ホツ)テ押(ヲシ)入ル也。流刑ハ。慵(モノウ)キ処ヘ流(ナカ)ス事ナリ。〔下22ウ二〜四〕

とあって、この標記語「流帳」とし、語注記は「(ロウ)者獄者さするなり。篭とは、材(サイ)木にて造(ツク)る。獄(コク)は、土の穴(アナ)(ホツ)(ヲシ)入るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

流刑(るけい)す可(へき)(もの)流帳(るちやう)に記()せ被(らる)流刑流帳流刑ハ遠き所へ流しやるをいふ。流帳ハ流さるゝ罪人の名前等を記し置帳面(てうめん)也。此帳に記し置て流刑の定(さた)りし時一所に所/\へ流すなり。〔67ウ八〜68オ一〕

とあって、この標記語「流帳」の語を収載し、語注記は「流帳ハ流さるゝ罪人の名前等を記し置帳面(てうめん)也。此帳に記し置て流刑の定(さた)りし時一所に所/\へ流すなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

斷罪(だんざい)す可()き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被()(いまし)む可()き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可()き者(もの)流帳(るちやう)に記(しる)さ被()(この)(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被()()し。/-セラ-流帳此外火印追-放以-下随事輕-重其人是非。▲流帳ハ流罪(るざい)に究(きハま)りたる者を記(しる)し置く帳面(ちやうめん)也。是(これ)ハ一人つゝ行(おこな)ハれたる刑(しをき)ゆへ流人(るにん)の数(かず)の充(ミつ)るまでケ様(かやう)にすること也。〔49ウ四〜五〕 

()(だん)-(ざい)(もの)()(ちゆう)せら(これ)()(いましむ)(もの)(きん)(ごく)(これ)()()-(けい)(もの)()(しる)さる()(ちやう)(この)(ほか)火印(くわいん)(つゐ)-(はう)()-()(したが)つて(こと)(けい)-(ぢう)()(ひと)是非(ぜひ)()()(おこなハ)(これ)。▲流帳ハ流罪(るざい)に究(きハま)りたる者(もの)を記(しる)し置く帳面(ちやうめん)也。是(これ)ハ一人つゝ行(をこな)ハれたる刑(しをき)ゆへ流人(るにん)の数(かず)の充(ミつ)るまでケ様(かやう)にすることなり。〔89オ一〜二〕

とあって、標記語「流帳」の語を収載し、その語注記は「流帳は、流罪(るざい)に究(きハま)りたる者(もの)を記(しる)し置く帳面(ちやうめん)なり。是(これ)は、一人ずつ行(をこな)はれたる刑(しをき)ゆへ流人(るにん)の数(かず)の充(ミつ)るまでケ様(かやう)にすることなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「流帳」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ちゃう〔名〕【流帳】古へ、流人の名、及、流し場などを記したる帳簿。庭訓往來、八月、「可流刑者、被流帳〔2137-3〕

とあって、標記語「流帳」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-ちょう流帳】〔名〕流罪の刑に処せられた者の氏名、流し場などを記しておく帳簿」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
正文一通 侍所高遠江守流帳一巻、十二通 異国降伏御祈以下事□□□通蒙古ξ人襲来以下事一巻、九通《『島津』(年月日未詳)の条、159・1/113》
 
 
2003年11月26日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
流刑(ルケイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「留」部に、

流刑(ケイ) 。〔元亀二年本76三〕〔静嘉堂本92六〕〔天正十七年本上46オ七〕

とあって、標記語「流刑」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。宝徳三年本は、「流刑」の「刑」の字を「形」に誤り表記する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「流刑」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「流刑」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

流刑(ケイタグイ・ナガルヽ・ツミ)[平・平] 。〔態藝門206五〕

とあって、標記語「流刑」の語を収載し、訓みを「ルケイ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

流罪(ル ザイ) ―布()。―刑(ゲイ)。―()(ラウ)。―記()。―類。―通(ヅウ)。―儀()。―轉(テン)。―()入。〔・言語門62六〕

流罪(ル ザイ) ―布。―刑。―()(ラウ)。―記。―類。―通。―儀。―轉。―入。〔・言語門65七〕

とあって、標記語「流罪」の冠頭字「流」の熟語群として「流刑」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

流刑(ケイ) 。〔言語門60四〕

とあって、標記語「流刑」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「流刑」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

478尋_究之_黨類-ニス者被(イマシ)獄之-(ゲイ)流帳此外印 (シキ)念比有也。〔謙堂文庫藏四六左A〕

とあって、標記語「流刑」の語を収載し、語注記は「『御成敗式目』に念比に有るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(イマ)シムヲハ(キン)(ゴク)()-(ケイ)ヲハ流帳(イマシム)ヲハ。禁(キン)(ゴク)ト云ハ。篭(ロウ)者獄者サスル也。篭トハ。材(サイ)木ニテ造(ツク)ル。獄(コク)ハ土ノ穴(アナ)ヲ堀(ホツ)テ押(ヲシ)入ル也。流刑ハ。慵(モノウ)キ処ヘ流(ナカ)ス事ナリ。〔下22ウ二〜四〕

とあって、この標記語「流刑」とし、語注記は「流刑は、慵(モノウ)き処へ流(ナカ)す事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

流刑(るけい)す可(へき)(もの)流帳(るちやう)に記()せ被(らる)流刑流帳流刑ハ遠き所へ流しやるをいふ。流帳ハ流さるゝ罪人の名前等を記し置帳面(てうめん)也。此帳に記し置て流刑の定(さた)りし時一所に所/\へ流すなり。〔67ウ八〜68オ一〕

とあって、この標記語「流刑」の語を収載し、語注記は「流刑ハ遠き所へ流しやるをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

斷罪(だんざい)す可()き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被()(いまし)む可()き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可()き者(もの)流帳(るちやう)に記(しる)さ被()(この)(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被()()し。/-セラ-流帳此外火印追-放以-下随事輕-重其人是非。▲流刑は牢舎(ひとや)へ入るゝ也。〔49ウ四〕 

()(だん)-(ざい)(もの)()(ちゆう)せら(これ)()(いましむ)(もの)(きん)(ごく)(これ)()()-(けい)(もの)()(しる)さる()(ちやう)(この)(ほか)火印(くわいん)(つゐ)-(はう)()-()(したが)つて(こと)(けい)-(ぢう)()(ひと)是非(ぜひ)()()(おこなハ)(これ)。▲流刑は牢舎(ひとや)へ入るゝ也。〔88ウ六〜89オ一〕

とあって、標記語「流刑」の語を収載し、その語注記は「流刑は牢舎(ひとや)へ入るゝなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ruqei.ルケイ(流刑) Ruzai(流罪)に同じ.ある罪による追放〔配流〕.〔邦訳544l〕

とあって、標記語「流刑」の語の意味は「(流罪)に同じ.ある罪による追放〔配流〕」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-けい〔名〕【流刑】又、りうけい。るざい(流罪)に同じ。百練抄、四、康平六年十二月十八日「一季二度、不流刑〔2137-1〕

とあって、標記語「流刑」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-けい流刑】〔名〕「るざい(流罪)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又去年被言上条々、悉以被施行之上者流刑等事、早可被行之由、被申之《書き下し》又去年言上セラルル条条、悉ク以テ施行セラルルノ上ハ、流刑(ルケイ)等ノ事、早ク行ハルベキノ由、之ヲ申サル。《『吾妻鏡』文治二年正月二十一日の条》
 
 
2003年11月25日(火)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
禁獄(キンゴク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

禁獄(―ゴク) 。〔元亀二年本283一〕〔静嘉堂本323八〕

とあって、標記語「禁獄」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「禁獄」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「禁獄」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

禁獄(キンコク/イマシメ、ダケ・ウタヘ)[去・入] 。〔態藝門827八〕

とあって、標記語「禁獄」の語を収載し、訓みを「キンコク」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

禁獄(キンゴク) 。〔・言語進退門222八〕

禁忌(キンギ) ―獄(ゴク)。―戒(カイ)。―足(ソク)。―断(ダン)。―制(ゼイ)。〔・言語門185二〕

禁忌(キンギ) ―獄。―戒。―足。―断。―制。〔・言語門174五〕

とあって、標記語「禁獄」の語を収載する。易林本節用集』には、

禁制(キンぜイ) ―断(ダン)。―物(モツ)。―札(サツ)―獄(ゴク)。―戒(カイ)。―忌(キ)。―足(ソク)。―好物(カウモツ)。―止(ジ)。〔言語門189三〕

とあって、標記語「禁制」とし、冠頭字「禁」の熟語群に「禁獄」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「禁獄」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

478尋‖_究之ヲ|‖_黨類ヲ|-ニス者被(イマシム)ヲ|-(ゲイ)|流帳此外大印 式目(シキ―)ニ念比有也。〔謙堂文庫藏四六左A〕

とあって、標記語「禁獄」の語を収載し、語注記は「『御成敗式目』に念比に有るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

キ∨(イマシム)ヲハ(キンゴク)シヲ|キ‖-(ルケイ)ス|ヲハせ‖流帳ニ|(イマシム)ヲハ。禁(キン)(ゴク)ト云ハ。篭(ロウ)者獄者サスル也。篭トハ。材(サイ)木ニテ造(ツク)ル。獄(コク)ハ土ノ穴(アナ)ヲ堀(ホツ)テ押(ヲシ)入ル也。流刑ハ。慵(モノウ)キ処ヘ流(ナカ)ス事ナリ。〔下22ウ二〜四〕

とあって、この標記語「禁獄」とし、語注記は「(ロウ)者獄者さするなり。篭とは、材(サイ)木にて造(ツク)る。獄(コク)は、土の穴(アナ)(ホツ)(ヲシ)入るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(いまし)む可(へ)き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)(イマシム)獄之ヲ|牢にとちこめおく事なり。〔67ウ八〕

とあって、この標記語「禁獄」の語を収載し、語注記は「牢にとぢこめおく事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

斷罪(だんざい)す可(べ)き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被(れ)(いまし)む可(べ)き者(もの)ハ之(これ)禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可(べ)き者(もの)ハ流帳(るちやう)に記(しる)さ被(る)(この)(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被(る)(べ)し。/-ス|セラ∨キ∨ヲ|キ‖-ス|サ‖流帳ニ|此外火印追-放以-下随事輕-重其人是非ニ|シ∨ハ∨。▲禁獄は牢舎(ひとや)へ入るゝ也。〔49ウ四〕 

(べ)き‖-(だんざい)す|(もの)は(れ)∨(ちゆう)せら∨(これ)を(べ)き∨(いましむ)(もの)は(きんごく)し(これ)を|(べ)き‖-(るけい)す|(もの)ハ(る)∨(しるさ)さる‖流帳(るちやう)に|(この)(ほか)火印(くわいん)-(つゐはう)-(いげ)(したが)つて(こと)の-(けいぢう)(そ)の(ひと)の是非(ぜひ)に|(べ)し∨(る)∨(おこなハ)∨(これ)を。▲禁獄は牢舎(ひとや)へ入るゝ也。〔88ウ六〜89オ一〕

とあって、標記語「禁獄」の語を収載し、その語注記は「禁獄は牢舎(ひとや)へ入るゝなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qingocu.キンゴク(禁獄) 拘禁,または,監禁.例,Qingocu ruzaini voconauaru.(禁獄流罪に行はる)投獄監禁,配流に処せられる.§Fitouo qingocu suru.(人を禁獄する)人を逮捕する,または,その人を牢獄に入れる.〔邦訳498r〕

とあって、標記語「禁獄」の語の意味は「拘禁,または,監禁」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きん-ごく〔名〕【禁獄】獄中に、拘禁(いまし)め置くこと。刑部省式「凡諸國申送流移入及家口、未發遺間、固禁獄中源平盛衰記、二「雨禁獄事」〔0484-4〕

とあって、標記語「禁獄」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きん-ごく禁獄】〔名〕@(―する)獄中に拘禁することA明治時代、刑法で国事犯やそれに準ずる犯人を刑務所内に拘禁して、定役に服させないもの。重禁獄と軽禁獄とがある。禁錮刑」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
清盛法師、并宗盛等、以威勢起凶徒、亡國家惱亂百官萬民、虜掠五畿七道、幽閇皇院、流罪公臣、斷命流嶋、沈淵込樓、盗財領國奪官授職、無功許賞、非罪配過或召釣於諸寺之高僧、禁獄於修學僧徒、或給下於叡岳絹米、相具謀叛粮米、斷百王之跡、切一人之頭、違逆帝皇、破滅佛法、絶古代者也《書き下し》清盛法師、并ニ宗盛等、威勢ヲ以テ凶徒ヲ起コシ、国家ヲ亡ボシ百官万民ヲ悩乱シ、五畿七道ヲ虜掠シ、皇院ヲ幽閉シ、公臣ヲ流罪シ、命ヲ断チ島ニ流シ(身ヲ流シ)、淵ニ沈メ楼ニ込メ、財ヲ盗ミ国ヲ領シ官ヲ奪ツテ職ニ授ケ、功無キニ賞ヲ許シ、罪非ザルニ過ニ配シ、或ハ諸寺ノ高僧ヲ召シ約メ、修学ノ僧徒ヲ禁獄(キンゴク)シ、或ハ叡岳ノ絹米ヲ給下シ、謀叛ノ糧米ニ相ヒ具ヘ、百王ノ跡ヲ断チ、一人ノ頭ヲ切リ、帝皇ニ違逆シ、仏法ヲ破滅シ、古代ヲ絶セル者ナリ。《『吾妻鏡』治承四年四月二十七日の条》
 
 
2003年11月24日(月)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
断罪(ダンザイ)」←「斬罪(ザンザイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、「断酒(ダンジユ)。断食(シキ)。断絶(ぜツ)。断腸(ヂヤウ)」の四語を収載するが、標記語「断罪」の語は未収載にする。また、「斬罪」の語も未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。この古写本では、「斬罪」とし、唯一文明四年本の傍らに「断(タン)」の文字を示していて、真字注では此標記語を用いていることに留意しておくこととする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「断罪」「斬罪」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「断罪」「斬罪」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

断罪(ダン・コトワリ、ザイ/タツ、ツミ)[去・上] 。〔態藝門351八〕

とあって、標記語「断罪」の語を収載し、訓みを「ダンザイ」とし、その語注記は未記載にする。また、「斬罪」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

断罪(ダンザイ) 。〔・言語門95八〕〔・言語門87五〕〔・言語門106二〕

とあって、標記語「断罪」の語を収載する。また、「斬罪」の語は未収載にする。易林本節用集』には、

断絶(ダンせツ) ―酒(シユ)。―滅(メツ)。―食(シキ)。―腸(チヤウ)―罪(サイ)。―金契(キンノチギリ)。〔言語門93三〕

とあって、標記語「断罪」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、「斬罪」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「断罪」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

478尋‖_究之ヲ|‖_黨類ヲ|-ニス者被(イマシム)獄之ヲ|-(ゲイ)|流帳此外大印 式目(シキ―)ニ念比有也。〔謙堂文庫藏四六左A〕

とあって、標記語「断罪」の語を収載し、語注記は「『御成敗式目』に念比に有るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

キ‖断罪(タンサイ)ス|ヲハラレ∨(チウ)せ∨ト云フハ。ハタト切テ捨ル也〔下22ウ二〕

とあって、この標記語「断罪」とし、語注記は「はたと切て捨る」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

斷罪(だんざい)す可()き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被()断罪ス|レ∨せ∨断罪ハ死罪也。〔67ウ七〜八〕

とあって、この標記語「断罪」の語を収載し、語注記は「断罪は死罪なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

斷罪(だんざい)す可(べ)き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被(れ)(いまし)む可(べ)き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可(べ)き者(もの)ハ流帳(るちやう)に記(しる)さ被(る)(この)(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)(こと)の輕重(けいぢう)(その)(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被(る)(べ)し。/-セラ∨キ∨ヲ|キ‖-ス|サ‖流帳ニ|此外火印追-放以-下随辜輕-重其人是非ニ|シ∨ハ∨。▲断罪は死刑(ころすつみ)也。〔49ウ四〕 

(べ)き‖-(だんざい)(もの)は(れ)∨(ちゆう)せら∨(これ)を(べ)き∨(いましむ)(もの)は(きんごく)し(これ)を|(べ)き‖-(るけい)す|(もの)ハ(る)∨(しるさ)さる‖流帳(るちやう)に|(この)(ほか)火印(くわいん)-(つゐはう)-(いげ)(したが)つて(こと)の-(けいぢう)(そ)の(ひと)の是非(ぜひ)に|(べ)し∨(る)∨(おこなハ)∨(これ)を。▲断罪は死刑(ころすつみ)也。〔88ウ六〜89オ一〕

とあって、標記語「断罪」の語を収載し、その語注記は「断罪は死刑(ころすつみ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Tanzai.タンザイ(断罪) Tcumiuo cotouaru.(罪を断る)ある犯罪についての尋問,あるいは,審問.〔邦訳612r〕

とあって、標記語「断罪」の語の意味は「(罪を断る)ある犯罪についての尋問,あるいは,審問」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だん-ざい〔名〕【断罪】ざんざい(斬罪)に同じ。死罪(シザイ)の條を見よ。太平記、廿一、佐渡判官流刑事「あはれ断罪流刑にも行はせばや」〔1244−4〕

ざん-ざい〔名〕【斬罪】死罪(シザイ)の條を見よ。〔0836−5〕

とあって、標記語「断罪」と「斬罪」の語を収載し、いずれも「死罪(シザイ)」の條を頂点とする編集となっている。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「だん-ざい断罪】〔名〕@(「たんざい」とも)罪をさばくこと。罪を処断すること。断獄。A斬首の罪。うちくび。斬罪。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而依餘殃、可有斷罪之由、風聞抂欲申請之〈云云〉《書き下し》而ルニ余殃ニ依テ、断罪(ダンザイ)有ルベキノ由、風聞ス。枉ゲテ之ヲ申シ請ケント欲ス〈云云〉。《『吾妻鏡』文治元年十二月二十六日の条》
 
尋捜(たづねさぐる)」ことばの溜め池(2002.09.25)参照
 
2003年11月23日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
尋究(たづねきはむ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「尋究」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)(カウモン)‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「尋究」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「尋究」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(タヅネキハムル/ジンキユウ)[平・○] 。〔態藝門354七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「タヅネキハムル」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「尋究」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書では広本節用集』だけに、「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語とは異表記となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

478‖_ヲ|‖_与同黨類ヲ|-ニス|者被(イマシム)獄之ヲ|-(ゲイ)|流帳此外大印 式目(シキ―)ニ念比有也。〔謙堂文庫藏四六左A〕

とあって、標記語「尋究」の語を収載し、語注記は「『御成敗式目』に念比に有るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「尋究」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)尋究(たづねきハ)‖_与同黨類扨其人白状しける上ハ又其同類一味の者を一人も残さすさかし出すをいふ。〔67ウ六〜七〕

とあって、この標記語「尋究」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)犯人(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)尋究(たづねきハ)管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。‖_与同黨類ヲ|〔49ウ一〜二〕 

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「尋究」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「尋究」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「尋究」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「たづね-きはむ尋究】〔他動、下二〕物事の真相を探り、十分にそれを見とどける。また、細かい点まで問いただす。※嵯峨のかよひ(1269)「次第に点定写し、難儀をたづねきはむ」、*太平記(14C後)二、僧徒六波羅召捕事「五人の僧達の事は、元来関東へ召下して沙汰有べき事なれば、六波羅にて尋窮(きはむる)に及はず」※良寛歌(1835頃)「世の中のほだしを何と人問はば尋ね極めぬ心とこたへよ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
彼朝臣尋究之由、二品令覆奏給之間、範頼事、神社佛寺以下領、不成妨者、雖不上洛、有何事哉《書き下し》彼ノ朝臣ヲ令テ(キハ)メシムルノ由、二品覆奏セシメ給フノ間、範頼ノ事ハ、神社仏寺以下ノ領ニ、妨ゲヲ成サズンバ、上洛セズト雖モ、何事カ有ランヤ。《『吾妻鏡』元暦二年七月十二日の条》
 
 
2003年11月22日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
拷訊(ガウヂン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

拷訊(―シ―) 。〔元亀二年本93八〕

拷訊(ガウジン) 。〔静嘉堂本116三〕

拷訊(―シン) 。〔天正十七年本上26オ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「拷訊」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

拷訊 同/ガウシン。〔黒川本・疉字門上88ウ七〕

拷掠 〃訊。〔卷三・疉字門273四〕

とあって、標記語「拷訊」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「拷訊」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

拷訊(ガウジン/―、トウ)[○・去] 。〔態藝門287七〕

とあって、標記語「拷訊」の語を収載し、訓みを「ガウジン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

拷問(カウモン) ―訊。〔・言語門83三〕〔・言語門91一〕

拷問(ガウモン) ―訊。〔・言語門75六〕

とあって、標記語「拷訊」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

拷訊(―ジン) 。〔言語門77七〕

とあって、標記語「拷訊」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「拷訊」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

477拷問(カウ―)拷訊(―シン)等 打訊也。又訊召人也。晝使、夜禁獄。是三年之間也。又打出血問。〔謙堂文庫藏四六左@〕

とあって、標記語「拷訊」の語を収載し、語注記は「何も打訊なり。また、訊は、放し召人なり。晝は、使い、夜は禁獄す。是れ三年の間なり。また、打ちて血を出させ問ふ」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「拷訊」とし、語注記は「拷訊(ガウジン)とは、火頂(クハチヤウ)と云ひて鐵(くろかね)の鉢(ハチ)をあかく燒(やい)て犯(ホン)人の頂(かしら)(おほ)ふなり。首(かしら)則ち燒()け砕(くだく)るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

拷訊(がうじん)(とう)に及(およ)んて之(これ)を尋(たづ)ね捜(さぐ)拷訊是ハ拷問より一段強き責方なり。此三条ともに四方責方いろ/\あり。〔67ウ三〜四〕

とあって、この標記語「拷訊」の語を収載し、語注記は「是ハ拷問より一段強き責方なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)犯人(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|▲拷問拷訊ハ共にたゝき責(せめ)て強(つよ)く尋ぬるをいふ。〔49ウ四〕 

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|▲拷問拷訊ハ共にたゝき責(せめ)て強(つよ)く尋ぬるをいふ。〔88ウ六〕

とあって、標記語「拷訊」の語を収載し、その語注記は「拷問拷訊ハ共にたゝき責(せめ)て強(つよ)く尋ぬるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「拷訊」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「拷訊」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ごう-じん拷訊】〔名〕律によれば犯罪の疑いがある者の肉体に苦痛を与えて訊問すること。拷問。※律(718)逸文・断獄・議請減不合拷訊条「若年七十以上十六以下及廢疾者、並不拷訊」*三代実録ー貞観八年(866)九月二五日「子幵従者等を拷訊するに事既顕て」※保元物語(1220頃か)中・謀叛人各召し捕らるる事「されども刑法かぎりある事なれば、七十五度の拷訊をいたすに、はじめは声をあげさけびけれども、後には息絶て物いはず」*清会典事例−刑部・刑律断獄・老幼不拷訊「凡応八議之人、及年七十以上、十五以下、若廃疾者、並不拷訊、皆拠衆証罪」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
縛数〔繋〕年相従法師於講堂前拷訊、五六人童等同捕縛、打調殊甚、未知何事、僅有尋来之童子、
《『小右記』長和2年4月8日の条3/104・193-0》
 
 
2003年11月21日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
拷問(ガウモン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、標記語「拷問」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

拷悶カウモン。〔黒川本・疉字門上88ウ八〕

とあって、標記語「拷問」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「拷問」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

拷問(ガウモン/―ブントウ)[○・去] 。〔態藝門287七〕

とあって、標記語「拷問」の語を収載し、訓みを「ガウモン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

拷問(ガウモン) 。〔・言語進退門85五〕

拷問(カウモン) ―訊。〔・言語門83三〕〔・言語門91一〕

拷問(ガウモン) ―訊。〔・言語門75六〕

とあって、標記語「拷問」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

拷問(ガウモン) 。〔言語門77七〕

とあって、標記語「拷問」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「拷問」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

477拷問(カウ―)拷訊(―シン)等 打問也。又訊召人也。晝使、夜禁獄。是三年之間也。又打出血問。〔謙堂文庫藏四六左@〕

とあって、標記語「拷問」の語を収載し、語注記は「何れも打問なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「拷問」とし、語注記は「がう問とは、鞭伐(むちうち)にするなり。其の後廿の爪(つめ)をこすなり。また、錐(きり)にて脚(あし)をもむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

拷問(がうもん)拷訊(がうじん)(とう)に及(およ)んて之(これ)を尋(たづ)ね捜(さぐ)拷問拷ハ打たたく也。推問するといへとも白状せされハ打たゝきて責問ふをいふなり。〔67ウ二〜三〕

とあって、この標記語「拷問」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)犯人(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|▲拷問拷訊ハ共にたゝき責(せめ)て強(つよ)く尋ぬるをいふ。〔49ウ四〕 

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|▲拷問拷訊ハ共にたゝき責(せめ)て強(つよ)く尋ぬるをいふ。〔88ウ六〕

とあって、標記語「拷問」の語を収載し、その語注記は「拷問拷訊ハ共にたゝき責(せめ)て強(つよ)く尋ぬるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Go<mon.ガウモン(拷問) Araqenaqu xeme to>.(荒けなく責め問ふ)虐待,責苦.例,Go<mon caxacu suru.(拷問呵責する)白状させるために責苦を加える,または,虐待する.〔邦訳307l〕

とあって、標記語「拷問」の語の意味は「(荒けなく責め問ふ)虐待,責苦」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

がう-もん〔名〕【拷問栲問】いためぎんみ。牢問(らうどひ)。實を白(まう)さぬ罪人を、苛責して問ひ糺(ただ)すこと。拷訊参考保元物語、一、謀叛人各召捕事「盛憲、經憲をば、秦助安に仰て、勒負應にて栲問を加ふ」〔0348-3〕

とあって、標記語「拷問」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ごう-もん拷問】〔名〕@肉体的苦痛を加えて、罪状などを白状させること。奈良時代の律では、「拷掠(ごうりょう)」「拷訊(ごうじん)」といったが、平安時代になってからこの語が用いられるようになった。鎌倉時代以後の武家社会では広く行われ、水問、水責、木馬(もくば)、綱責、割木責、鉄砲挟など、種々の苛酷な方法が案出された。明治11年(一八七八)廃止。日本国憲法三六条では、公務員による拷問を絶対禁止としている。A江戸幕府の法で、吊責(つるしぜめ)のこと。笞打、石抱、海老責を「牢問」と総称したのに対する語。牢問はいつでも行うことができたが、拷問は、原則として人殺し、火付け、盗賊、関所破り、謀書謀判を犯し、確かな証拠があるのに白状しない場合、および審理中他の犯罪が発覚し、その罪が死罪に相当する場合以外には原則として行なうことができなかった。[補注](1)幕政の時代、Aの吊責(つるしぜめ)の拷問はめったに行なわれなかったらしい。それは、拷問にまで及ぶことが吟味の役人の面目、また幕府の威光にかかわると考えられたものと思われる。(2)拷問によっても自白が得られぬ場合は放免されるが、察度詰(さっとづめ)と称して、状況証拠によって有罪の判決を下したこともある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
やがて、壇(だん)をやぶり、勘文(かんもん)にまかせて、いろ/\のしよ人をあつめ、その中に、あやしきをめしとり、拷問(がうもん)しければ、こと/\白状(はくじやう)す。《『曾我物語』》
 
 
2003年11月20日(木)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
推問(スイモン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、「推量(スイリヤウ)。推覽(ラン)。推參(サン)。推察(サツ)」の四語を収載し、標記語「推問」の語を未収載にする。但し、元亀二年本には、少し前の箇所に「水問(モン)」の語が見え、別に「水門」の語があることから写し違えの語かもしれない。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「推問」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「推問」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

推問(スイモン/ヲシ、フン・トウ)[平・去] 。〔態藝門1127五〕

とあって、標記語「推問」の語を収載し、訓みを「スイモン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

推問(スイモン) 水問(同)。〔・言語進退門271五〕

推参(スイサン) ―量(リヤウ)―問(モン)。―察(サツ)。・言語門231七〕

推参(スイサン) ―量。―問。―察。〔・言語門217六〕

とあって、弘治二年本は標記語「推問」の語を収載し、語注記に上記に示した『運歩色葉集』の「水問」の語を同じとして収載する。他本は標記語「推參」とし、冠頭字「推」の熟語群として収載する。また、易林本節用集』には、

推量(スイリヤウ) ―參(サン)。―察(サツ)―問(モン)。―(キヨ)〔言語門241一〕

とあって、標記語「推量」の語を収載し、冠頭字「推」の熟語群として「推問」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「推問」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「推問」の語を収載し、語注記は「水火を問はしむなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「推問」とし、語注記は「推問(スイモン)とは、先(さき)をおしとふなり。子細(しさい)を謂(いは)ざる時梯(はしこ)にのせて、水(みづ)をくるるなり。また、小蛇(こじや)を口(くち)よりいるるなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(あるひ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(がうじん)(とう)に及(およ)んて之(これ)を尋(たづ)ね捜(さぐ)或及ンデ推問其事跡をおしてたつね極るをいふ。〔67オ八〜67ウ二〕

とあって、この標記語「推問」の語を収載し、語注記は「其事跡をおしてたづね極るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)犯人(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|▲推問ハ罪(つミ)を犯(おか)したる意趣(いしゆ)を推尋(をしたづ)ぬる也。〔49ウ三〜四〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|▲推問ハ罪(つミ)を犯(おか)したる意趣(いしゆ)を推尋(をしたづ)ぬる也。〔88ウ五〜六〕

とあって、標記語「推問」の語を収載し、その語注記は、「推問ハ罪(つミ)を犯(おか)したる意趣(いしゆ)を推尋(をしたづ)ぬる也」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「推問」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すい-もん〔名〕【推問】(一)おし尋ね、問ふこと。推究、審問すること。晉書、鮑傳「其父母尋訪、得李氏、推問皆符驗」「口頭推問(二)罪を、問ひただすこと。訊問。吾妻鏡、十八、建永二年十月二日「被囚人盤五家次」元久二年六月廿六日「關東國國守護、地頭所務以下事、任先規、可嚴密沙汰之由有仰」〔1074-5〕

とあって、標記語「推問」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「すい-もん推問】〔名〕@問い調べること。A特に、罪をきびしく問いただすこと。取調べをすること。審問すること。吟味。尋問。鞠問(きくもん)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
推問事由之處、不能是非陳謝《書き下し》事ノ由ヲ推問(スイモン)セラルルノ処ニ、是非ニ能ハズ陳謝ス(是非ノ陳謝ニ能ハズ)。《『吾妻鏡』養和元年七月二十日の条》
 
 
2003年11月19日(水)晴れのち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
召籠(めしこめ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「免」部に、

召篭(―コムル) 。〔元亀二年本296六〕

召籠(メシゴメ) 。〔静嘉堂本344七〕

とあって、標記語「召籠()」の語を収載し、「(めし)こむる」と「めしごめ」の訓みを示し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「召籠」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「召籠」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

召籠(メシコムル/せウロウ)[上・上] 。〔態藝門881七〕

とあって、標記語「召籠」の語を収載し、訓みを「メシコムル」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

召籠(メシコホル) 。〔・言語進退門229七〕

召具(メシグス) ―捕(トル)。―放(ハナシ)。―寄(ヨスル)。―集(アツム)。―出(イタス)―篭(コムル)。〔・言語門191二〕

召具(メシグス) ―捕。―放。―寄。―集。―出。―籠。〔・言語門180七〕

とあって、弘治二年本は、標記語「召籠」を示し、他二本は、標記語「召具」の冠頭字「召」の熟語群に「召籠」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

召捕(メシトル) ―仕(ツカフ)。―次(ツギ)。―符(フ)。―文(ブミ/ブ)―籠(コムル)。―具(グ)。〔言語門197二〕

とあって、標記語「召捕」の冠頭字「召」の熟語群に「召籠」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「召籠」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則‖_ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「召篭」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「召籠」とし、語注記は「下部は、人の古のつみを聞き立て、罪過を行ふ役人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(なく)んハ則(すなハち)(これ)を召(め)し籠(こめ)-犯已ンハ∨ルヽ者則‖_ヲ|法度を犯せし罪疑ひなきに極りたらハ牢(らう)に入るゝと也。〔67オ八〜67ウ二〕

とあって、この標記語「召籠」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)犯人(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)召籠(めしこ)(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|▲召篭は、入牢(にふろう)せしむるをいふ。〔49ウ三〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|▲召篭は、入牢(にふろう)せしむるをいふ。〔88ウ五〕

とあって、標記語「召籠」の語を収載し、「召篭は、入牢(にふろう)せしむるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mexicome,uru,etaメシコメ,ムル,メタ(め,むる,めた) 人を或る所に拘禁するとか,取り囲むとかして,外へ出ないようにする.〔邦訳399r〕

とあって、標記語「召籠」の語の意味は「人を或る所に拘禁するとか,取り囲むとかして,外へ出ないようにする」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

めしこめ〔名〕【召籠】めしこむること。おしこめて、出さざること。古今著聞集、九、武勇「さりとも今は馬殿の召籠は、免され給ひなん」〔1988-2〕

とあって、標記語「召籠」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「めし-こめ召籠】〔名〕めしこめること。身柄を禁錮すること。中世では比較的軽い罪に対する処罰として執行された」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
千葉新介胤正、參申云、重忠、被召籠已過七箇日也此間寝食共絶畢終又無發言語《書き下し》千葉ノ新介胤正、参ジ申シテ云ク、重忠、()()メラレテ已ニ七箇日ヲ過グルナリ。此ノ間寝食共ニ絶シ畢ンヌ。終ニ又言語ヲ発スルコト無シ。《『吾妻鏡』文治三年十月四日の条》
 
 
2003年11月18日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
所犯(シヨボン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「所領(リヤウ)。所帯(ダイ)。所行(ギヤウ)。所用(ユウ)。所務(ム)。所労(ラウ)。所望(マウ)。所存(ゾン)。所詮(せン)。所當(タウ)。所々(シヨ/\)。所爲(イ)」の語を収載するが、標記語「所犯」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「所犯」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「所犯」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

所得(シヨトク) ―謂(イ)。―詮(せン)―犯(ホン)。―知(チ)。―役(ヤク)。―作(サ)。―願(グワン)。―辨(ベン)。―用(ヨウ)。―縁(エン)。―期(ゴ)。―領(リヤウ)。―職(シヨク)。―望(マウ)。―爲(ヰ)。―帶(タイ)。―學(ガク)。―存(ゾン)。〔言語門214四・五〕

とあって、標記語「所得」の冠頭字「所」の熟語群に「所犯」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書において、易林本節用集』・『塵芥』に「所犯」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時-(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「所犯」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「所犯」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(なく)んハ則(すなハち)(これ)を召(め)し籠(こめ)-ンハ∨ルヽ者則召シ‖_籠之ヲ|法度を犯せし罪疑ひなきに極りたらハ牢(らう)に入るゝと也。〔67オ八〜67ウ二〕

とあって、この標記語「所犯」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)犯人(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「所犯」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xobon.シヨボン(所犯) 罪を犯すこと,あるいは,罪科をなすこと.〔邦訳788l〕

とあって、標記語「所犯」の語の意味は「罪を犯すこと,あるいは,罪科をなすこと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「所犯」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しょ-ぼん所犯】〔名〕(「ぼん」は「犯」の呉音)仏教の戒律を破ること。戒やおきてを犯すこと。*正法眼蔵随聞記(1235-38)二・四「犯戒(ぼんかい)と言(いふ)は、受戒以後の所犯(しょぼん)を道(いふ)か」*塵芥(1510-50頃)「所犯 ショホン」[辞書]易林・日葡 [表記]所犯(易)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
但無左右、不可梟首之旨、被仰付之糺問之處、於所犯者、令承伏〈云云〉《書き下し》但シ、左右無ク、梟首スベカラザルノ旨、之ヲ仰セ付ケラル。之ヲ糺問スルノ処ニ、所犯(シヨボン)ニ於テハ、承伏セシムト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承五年正月六日の条》
 
 
2003年11月17日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
犯否(ボンフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、「犯過(ボンクワ)。犯科(同)。犯人(ニン)。犯用(エウ)」の四語を収載し、標記語「犯否」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「犯否」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「犯否」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

犯否(ボンフ/ハン・ヲカス、フウ・イナヤ)[上・上] 。〔態藝門102七〕

とあって、標記語「犯否」の語を収載し、訓みを「ボンフ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本節用集』には、

(ボンフ) 。〔・言語進退門34七〕

犯詞(ボンシ) ―過(クワ)。―罪(サイ)。―用(ヨウ)。―土(ト)。―料(レウ)(フ)。―戒。〔・言語門35四〕

とあって、異なる標記語「」の語をもって収載する。また、易林本節用集』には、標記語「犯否」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』にだけ「犯否」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ)ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「犯否」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ)ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「犯否」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)‖-スル-ヲ|之時法度を犯したるや犯さゝるやを言色躰の三つによりてたゝす也。糺明の注前にあり。〔67オ七〜八〕

とあって、この標記語「犯否」の語を収載し、語注記は、「法度を犯したるや犯さざるやを言・色・躰の三つによりてただすなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|▲犯否ハ、罪(つみ)を犯(おか)したると犯さざるとをいふ。〔49ウ三〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|▲犯否ハ、罪(つみ)を犯(おか)したると犯さざるとをいふ。〔88ウ五〕

とあって、標記語「犯否」の語を収載し、その語注記は「犯否は、(つみ)を犯(おか)したると犯さざるとをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Bonpu.ボンプ(犯否) Vocasuya,inaya.(犯すや,否や) ある人がある罪科を犯したかどうかを疑うこと.§Bonpuuo ronzuru.(犯否を論ずる)ある人がある悪事を犯したか否かを取り調べる.〔邦訳61l〕

とあって、標記語「犯否」の語の意味は「ある人がある罪科を犯したかどうかを疑うこと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「犯否」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぼん-犯否】〔名〕罪を犯すことと犯さないこと。*文明本『節用集』(室町中期)「犯否 ボンフ」*日葡辞書(1603-04)「Bonpuuo(ボンプヲ)ロンズル」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
時人不訪湯王化、不存鎮護犯否押混賞罰申行間、平治年中頼朝無咎過覃罪科《書き下し》時ノ人湯王ノ化ヲ訪ハズ、鎮護ノ誓ヒヲ存ゼズ、犯否(ボン―)ヲ押シ混リテ、賞罰ヲ申シ行フ間、平治年中ニ、頼朝咎過無クシテ、罪科ニ覃ブ。《『吾妻鏡』養和二年二月八日の条》
 
 
2003年11月16日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
嫌疑(ケンギ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

嫌疑(ケンギ) 。〔元亀二年本217五〕〔静嘉堂本247八〕

×。〔天正十七年本〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ嫌疑(ケンキ)-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

嫌疑 疑慮分/ケンキ。〔黒川本・疉字門中99オ三〕

嫌疑 。〔卷七・疉字門29六〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

嫌疑(ケンギ) 无実義也。〔態藝門87二〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載し、語注記に「无実の義なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

嫌疑(ケンギキラウ、ウタガウ)[平・○] 無知實義。〔態藝門605二〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載し、訓みを「ケンギ」とし、その語注記は「無の實義」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

嫌疑(ケンギ) 無實義。〔・言語進退門175三〕

嫌疑(ケンギ) 無実義。〔・言語門145一〕

嫌疑(ケンギ) 无實義。〔・言語門134七〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載し、その語注記は、弘治二年本広本節用集』の影響下にありはするが語順に異同が見られ意味を別とする結果としている。他二本は『下學集』の語注記を継承する。また、易林本節用集』には、

嫌疑(ケンギ) 。〔言語門147三〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「嫌疑」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ただし、『下學集』そして、広本節用集』や印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』が有する語注記に相当する語注記はここには見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「嫌疑」とし、語注記は未記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

言色體(ごんしきてい)の嫌疑(けんぎ)に依(よつ)テ‖言色躰嫌疑ニ|言ハこと葉。色ハ顔色(かんしよく)。躰ハ容貌(なりかたち)なり。嫌疑ハ皆うたかはしと訓す。凡己か実情(じつじやう)を隠し偽りをかさる者ハ言葉と顔色と容貌と符合(そぐハ)ぬものなり。公事を捌くにハ先此みつに心を留むへき事なり。〔67オ五〜七〕

とあって、この標記語「嫌疑」の語を収載し、語注記は、「嫌疑は、皆うたがはしと訓ず」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qengui.ケンギ(嫌疑) Vtagauaxiqiuo qiro<.(疑はしきを嫌ふ)訴訟などの際に,疑わしい事からのがれ遠ざかること.自分自身に道理があるように抗弁する人とか,疑わしいことを持って出頭した人とかを、容易に信用しないこと.§また,自分のしようと思う意向が,悪い方へ曲解されたり疑われたりするおそれのあることを,しないように用心すること.文書語.〔邦訳485r〕

とあって、標記語「嫌疑」の語の意味は「訴訟などの際に,疑わしい事からのがれ遠ざかること.自分自身に道理があるように抗弁する人とか,疑わしいことを持って出頭した人とかを、容易に信用しないこと.§また,自分のしようと思う意向が,悪い方へ曲解されたり疑われたりするおそれのあることを,しないように用心すること.文書語」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けん-〔名〕【嫌疑】(一)相似て、紛らはしきこと。禮記、曲禮、上篇「夫禮者、所以定親疏、決嫌疑、別同異、明是非也」(二){疑はしく思はるること。いぶかしむこと。うたぐり。きらひ。楚辞、九章、惜徃日「奉先功以照下兮、明法度之嫌疑枕草子、三、廿八段「けんぎの者やあると、戯れにも咎む」落窪物語、一「我れを、嫌疑の者と思ひて捕ふると、思ひつるに」〔0625-3〕

とあって、標記語「嫌疑」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「けん-嫌疑】〔名〕@うたがわしいこと。特に、犯罪の事実があるのではないかという疑い。容疑」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先日嫌疑恪勤美女、依有起請文之失、被糺明子細追放御所中、件美女、引級彼男、令盗條、令露顯〈云云〉《書き下し》先日ノ嫌疑(ケンギ)ノ恪勤美女、起請文ノ失有ルニ依テ、子細ヲ糺明セラル。御所中ヲ追ヒ放ツ、件ノ美女、彼ノ男ヲ引級シ、盗マシムル条、露顕セシムト〈云云〉。《『吾妻鏡』寛喜二年五月十四日の条》
 
 
2003年11月15日(土)曇り一時小雨のち晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
言色(ゲンシヨク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)には、標記語「言色」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)躰嫌疑(ケンキ)ニ-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「言色」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「言色」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、「言色」の語は未収載となっており、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には記載されているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「言色」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「言色」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

言色(ごんしきてい)の嫌疑(けんぎ)に依(よつ)テ‖言色嫌疑ニ|言ハこと葉。色ハ顔色(かんしよく)。躰ハ容貌(なりかたち)なり。嫌疑ハ皆うたかはしと訓す。凡己か実情(じつじやう)を隠し偽りをかさる者ハ言葉と顔色と容貌と符合(そぐハ)ぬものなり。公事を捌くにハ先此みつに心を留むへき事なり。〔67オ五〜七〕

とあって、この標記語「言色」の語を収載し、語注記は、「言は、こと葉。色は、は、顔色(かんしよく)。躰は、容貌(なりかたち)なり。嫌疑は、皆うたがはしと訓ず。凡そ己れが実情(じつじやう)を隠し偽りをかさる者は、言葉と顔色と容貌と符合(そぐハ)ぬものなり。公事を捌くには、先ず此のみつに心を留むへき事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「言色」の語を収載し、その語注記は「言色四月の進状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「言色」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「言色」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「げん-しょく言色】〔名〕ことばと顔色。*西国立志編(1870-71)<中村正直訳>一三・一八「蓋しただ外面を飾り、言色を好くする務めとするは、軽佻浮薄にして賤しむべし」*晉書-張華伝「太子恨之、形于言色」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。むしろ、『庭訓徃來』の用例を初出とすべきものであろう。
[ことばの実際]
或作是言色是佛性。何以故。是色雖滅次第相續。《『大般涅槃經』卷第三十一》
 
 
2003年11月14日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
記録(キロク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

該当箇所脱写。〔元亀二年本×〕

記録(キロク) 。〔静嘉堂本327一〕

とあって、標記語「記録」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)ス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ躰嫌疑(ケンキ)ニ-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

記録 文書分/キロク。〔黒川本・疉字門下51オ八〕

記録 〃傳。〃文。〃籍。〔卷八・疉字門527六〕

とあって、標記語「記録」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「記録」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

記録(キロクシルス、シルス)[去・入] 。〔態藝門835三〕

とあって、標記語「記録」の語を収載し、訓みを「キロク」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「記録」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

記録(キロク) ―傳(デン)。〔言語門189七〕

とあって、標記語「記録」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「記録」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「記録」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所‖-(キロク)ス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「記録」とし、語注記は「記録(きろく)は、しるし。しるすとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

侍所(さむらひところ)(おゐ)て申(もふ)す詞(ことば)記録(きろく)し/侍所ニ|。‖-ス_ヲ|記も録もしるすと訓す。犯人乃申口を書とるをいふなり。〔67オ四〜五〕

とあって、この標記語「記録」の語を収載し、語注記は、「記も録もしるすと訓す」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「記録」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qirocu.キロク(記録) Xiruxi,su.(記し,す)書くこと,または,ある事を書き留めて文書にしておくこと.〔邦訳509l〕

とあって、標記語「記録」の語の意味は「書くこと,または,ある事を書き留めて文書にしておくこと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ろく〔名〕【記録】(一)後に遺さむが爲に、記録し付けておく文書(かきもの)後漢書、班彪傳「漢興定天下、大中大夫陸賈、時功、作楚漢春秋九篇保元物語、一、新院御謀叛事、左大臣頼長「和漢ともに、人に勝れ、禮義を調へ、自他の記録に暗からず」〔0511-3〕

とあって、標記語「記録」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-ろく記録】〔名〕@のちのちまで残す必要のある事柄を書きしるしたり、録音・録画したりしたもの。特に史料としての日記や書類など。ドキュメント。A競技などの成績・結果。特にその最もすぐれているもの。また、その成績をとること。レコード。Bある結果や数量にいたること。「歴史的猛暑を記録」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是所持參討亡囚人等交名注文也方々使者、雖參上、不能記録、景時之思慮、猶神妙之由、御感及再三〈云云〉《書き下し》是レ討亡囚人等ノ交名ノ注文ヲ持参スル所ナリ。方方ノ使者、参上スト雖モ、記録(キロク)スルコト能ハズ。景時ガ思慮、猶神妙ノ由、御感再三ニ及ブト〈云云〉。《『吾妻鏡』寿永三年正月二十七日の条》
 
 
2003年11月13日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
犯人(ボンニン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

犯人(―ニン) 。〔元亀二年本45二〕

犯人(――) 。〔静嘉堂本50四〕

犯人(―ニン) 。〔天正十七年本上26オ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「犯人」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ躰嫌疑(ケンキ)ニ-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「犯人」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「犯人」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

犯人(ボンニン/ハン・ヲカス、シン・ヒト)[上・平] 。〔態藝門102七〕

とあって、標記語「犯人」の語を収載し、訓みを「ボンニン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「犯人」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「犯人」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「犯人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「犯人」とし、語注記は「下部は、人の古のつみを聞き立て、罪過を行ふ役人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

小舎人(ことねり)(あるひ)下部(しもべ)(とう)を以(もつ)て犯人(ぼんにん)を召出(めしいだ)し/小舎人下部ヲ|。‖_犯人ヲ|小舎人下部に召とらへさするハ今与力同心をやるかことし。犯人ハ上の法度を犯(おか)せし咎(とが)人なり。謀叛より喧嘩といふまて乃類ヒハミな犯人なり。〔67オ二〜四〕

とあって、この標記語「犯人」の語を収載し、語注記は、「犯人は、上の法度を犯(おか)せし咎(とが)人なり。謀叛より喧嘩といふまて乃類ひはみな犯人なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「犯人」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Bonnin.ボンニン(犯人) Vocasu fito.(犯す人)罪を犯した人,あるいは,悪事をする人.〔邦訳61l〕

とあって、標記語「犯人」の語の意味は「罪を犯した人,あるいは,悪事をする人」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぼん-にん〔名〕【犯人】(一)又、はんにん。罪を犯したるもの。犯罪人。十訓抄、下、第十、第七十六條「火既に獄舎に移りなんとしける時、檢非違使の犯人(ボンニン)を出だすべきの由申しければ」〔1858-2〕

とあって、標記語「犯人」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぼん-にん犯人】〔名〕@罪を犯した人。犯罪人。はんにん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
犯人、被搦取之時、欲自殺之間、已半死半生之由、只今有其告〈云云〉《書き下し》件ノ犯人(ボン―)、搦メ取ラルルノ時、自殺セント欲スルノ間、已ニ半死半生ノ由、只今其ノ告有リト〈云云〉。《『吾妻鏡元暦二年五月二十七日の条》
 
 
2003年11月12日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
召出(めしだし)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「免」部に、

召出(―イダス) 。〔元亀二年本296六〕

召出(メシイダス) 。〔静嘉堂本344七〕

とあって、標記語「召出」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ躰嫌疑(ケンキ)ニ-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「召出」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「召出」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

召出(メシイダスせウシユツ)[去・去入] 。〔態藝門881七〕

とあって、標記語「召出」の語を収載し、訓みを「メシイダス」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

召出(―イタス) 。〔・言語進退門229八〕 

召具(メシグス) ―捕(トル)。―放(ハナシ)。―寄(ヨスル)。―集(アツム)―出(イタス)。―篭(コムル)。〔・言語門191二〕

召具(メシグス) ―捕。―放。―寄。―集。―出。―籠。〔・言語門180七〕

とあって、標記語「召出」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

召捕(メシトル) ―仕(ツカフ)。―次(ツギ)。―符(フ)。―文(ブミ/ブ)。―籠(コムル)。―具(グ)。〔言語門197二〕

とあって、標記語「召出」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「召出」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「召出」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「召出」とし、語注記は「下部は、人の古のつみを聞き立て、罪過を行ふ役人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

小舎人(ことねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を以(もつ)て犯人(ぼんにん)召出(めしいだ)小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|小舎人下部に召とらへさするハ今与力同心をやるかことし。犯人ハ上の法度を犯(おか)せし咎(とが)人なり。謀叛より喧嘩といふまて乃類ヒハミな犯人なり。〔67オ二〜四〕

とあって、この標記語「召出」の語を収載し、語注記は、「下部とハ事の實否(じつふ)を詮議して罪の輕重をさたむるをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)下部(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「召出」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mexijdaxi,su.メシイダシ,ス,イタ(召出) 同上(呼び寄せる).§また,主君や貴人が目下の者に盃(Saca~zuqui)をやって,その面前で飲ませる.※Sacazzuquiとあるべきもの.〔邦訳399r〕

とあって、標記語「召出」の語の意味は「同上(呼び寄せる).§また,主君や貴人が目下の者に盃(Saca~zuqui)をやって,その面前で飲ませる」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

めし-いだ〔他動・四〕【召出】(一)召して呼び出す。(二)召して、禄、又は、職を授く。めしだす。めしづ。徴辟。清輔集、「新院御位におはしましける時、臨時祭の、四位の陪從にめしいだされ(めされ)て」〔1987-5〕

めし-〔他動・下二〕【召出】召出。前條の語に同じ。源氏物語、四、夕顔20「人の思はん所もえはばかり給はで、右近をめしいでて、随身をめさせ給ひて、御車ひき入れさせ給ふ」〔1988-1〕

とあって、標記語「召出」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「めし-いだ召出】〔他サ四〕@上位者が目下の者を呼び出す。命じて呼び寄せる。めいしず。A上位者が持って来させる。お取り寄せになる。召し寄せる。めしいず。B召して官職、禄などを授ける。C目下の者に杯を与えて酒を飲ませる」「めし-〔他動・下二〕【召出】@「めしいだす(召出)@」に同じ。A「めしいだす(召出)A」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又所逃亡之佐竹家人十許輩出來之由、風聞之間、令廣常、義盛生虜、皆被召出庭中、若可插害心之族、在其中否、覧其顔色令度給之處、著紺直垂上下之男、頻垂面落涙之間、令問由緒給《書き下し》又逃亡スル所ノ佐竹ノ家人十許輩出来スルノ由、風聞スルノ、広常、義盛ヲシテ生虜ラシメ、皆庭中ニ()()ダサレ、若シ害心ヲ挿ムベキノ族、其ノ中ニ*在ルヤ否ヤ(*在ル者)、其ノ顔色ヲ覧度ラシメ*給フノ処ニ(*給フベキノ処ニ)、紺ノ直垂ノ上下ヲ著スルノ男、頻ニ面ヲ垂レ落涙セルノ間、由緒ヲ問ハシメ給フ。《『吾妻鏡治承四年十一月八日の条》
 
 
2003年11月11日(火)雨後曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
下部(しもべ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

下部(―ベ) 。〔元亀二年本309二〕〔静嘉堂本360八〕

とあって、標記語「下部」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ躰嫌疑(ケンキ)ニ-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「下部」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「下部」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

下部(シモベカ、ホウツカサ)[去・去] 。〔人倫門916七〕

とあって、標記語「下部」の語を収載し、訓みを「シモベ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

下部(シモヘ) 。〔・人倫238六〕

下部(シモベ) 。〔・人倫門198八〕〔・人倫門188八〕

とあって、標記語「下部」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

下部(シモベ) 。〔人倫門204五〕

とあって、標記語「下部」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「下部」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人或下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「下部」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「下部」とし、語注記は「下部は、人の古のつみを聞き立て、罪過を行ふ役人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

小舎人(ことねり)(あるひ)下部(しもべ)(とう)を以(もつ)て犯人(ぼんにん)を召出(めしいだ)し/小舎人下部ヲ|。‖_犯人ヲ|小舎人下部に召とらへさするハ今与力同心をやるかことし。犯人ハ上の法度を犯(おか)せし咎(とが)人なり。謀叛より喧嘩といふまて乃類ヒハミな犯人なり。〔67オ二〜四〕

とあって、この標記語「下部」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人下部ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|〔88ウ三〕

とあって、標記語「下部」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ximobe.シモベ(下部) 身分の卑しい奉公人の男や女.例,Votokoximobe,vonagoximobe.(男下部,女下部).〔邦訳767l〕

とあって、標記語「下部」の語の意味は「身分の卑しい奉公人の男や女」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しも-〔名〕【下部】雜事に召使はるる、卑しき者の稱。下男。奴僕下隷枕草子、七、六十四段「此辨の少納言などの許に、かかる物持て來たる下部などには、する事やあると問へば」源氏物語、廿三、初音10「何の數ならぬしもべどもなどだに、云云、まして、若やかなる上達部など、云云」同、三十五、柏木10「院のしもべ、廰の召次」紫式部日記、上「御湯殿、云云、火ともして、宮の下部、縁の衣(きぬ)の上に、白き當色着て、御湯參る」徒然草、百十九段「鎌倉の海に、鰹と云ふ魚は、云云、はかばかしき人の前へ出ることも、侍らざりき、頭は、下部も食はず」〔0958-2〕

とあって、標記語「下部」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しも-下部】〔名〕@身分の低い者。また、従者。A雑事に使われる者。召使い。B官に仕え、雑役に従った下役。下級の役人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
昨日左典厩侍、後藤新兵衛尉基清僕從、與廷尉侍伊勢三郎能盛下部闘亂《書き下し》昨日左典厩ノ侍、後藤新兵衛ノ尉基清ガ僕従ト、廷尉ノ侍伊勢ノ三郎能盛ガ下部(シモベ)ト闘乱ス。《『吾妻鏡』元暦二年五月十七日の条》
 
2003年11月10日(月)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
小舎人(こどねり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

小舎人(トネリ) 。〔元亀二年本235七〕

小舎人(コトネリ) 。〔静嘉堂本271三〕

小舎人(ヲホトネリ) 。〔天正十七年本中63ウ八〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷之所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--人検‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖___部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--人検‖-(ケンダン)シヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ躰嫌疑(ケンキ)ニ-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

小舎人 コトネリ。〔黒川本・官職門下11オ二〕

小舎人 コトネリ。〔卷七・官職門197一〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

小舎人(コトネリ) 。〔人倫門39二〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

小舎人(コデヌリ/せウシヤジン)[上・上去・平] 。〔官位門659三〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載し、訓みを「コデヌリ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

小舎人(コテヌリ) 雜職。〔・言語進退門186五〕

小舎人(コデヌリ) 雜識。〔・言語門152七〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載し、語注記に「雜職」と記載する。また、易林本節用集』には、

小舎人(コドネリ) 。〔人倫門154四〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「小舎人」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

476賦訴状右筆ニ|之時以小舎人下部(―ベ)ヲ|‖_犯人ヲ|テ‖侍所(シヨ/トコロ)ニ‖-_(コ―ハ)ヲ|テ‖言色(―ジキ)ノ体嫌疑ニ|‖-スル-(―フ) ヲ|之時所-犯已(ス―)ニンハ‖∨遁者則召‖_篭之ヲ|推問(スイ―) 下∨水-火ヲ|也。〔謙堂文庫藏四六右F〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--人検‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「小舎人」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

小舎人(ことねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を以(もつ)て犯人(ぼんにん)を召出(めしいだ)し/小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|小舎人下部に召とらへさするハ今与力同心をやるかことし。犯人ハ上の法度を犯(おか)せし咎(とが)人なり。謀叛より喧嘩といふまて乃類ヒハミな犯人なり。〔67オ二〜四〕

とあって、この標記語「小舎人」の語を収載し、語注記は、「小舎人とハ事の實否(じつふ)を詮議して罪の輕重をさたむるをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)を検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。小舎人下部ハ今の与力(よりき)同心(どうしん)の下司(したつかさ)。〔49ウ二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|小舎人下部ハ今の与力(よりき)同心(どうしん)の下司(したつかさ)。〔88ウ三〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載し、その語注記は「小舎人下部ハ今の与力(よりき)同心(どうしん)の下司(したつかさ)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「小舎人」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-どねり〔名〕【小舎人】〔とねりの條を見よ〕(一)藏人所(くらうどどころ)に屬して、殿上の使役に供せらる職。殿上童(テンジヤウわらは)とも云ふ。~樂歌、大宮「大宮の、ちひさ古止禰利(ことねりや)、云云、玉ならば、晝は手に取りや、夜(よる)はさ寐てむ」簾中抄、下、禁中、藏人所「御藏小舎人六人、殿上童、小舎人と云ふ」有職袖中抄小舎人「昔は六人、近代十二人、云云、親王、大臣の家司等、任ずと、云云、殿上にして、殿上人につかはるる役也」(二)小舎人童(こどねりわらは)の略。次條を見よ。〔0702-5〕

とあって、標記語「小舎人」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-どねり小舎人】〔名〕(「こ」は接頭語。古くは「ことねり」か)@平安時代、蔵人所に属して殿上の雑事に使われた者。殿上の童(わらわ)。御倉(みくら)の小舎人。A「こどねりわらわ(小舎人童)」に同じ。B中世、幕府の侍所の下級職員。雑用をつとめ、罪囚、獄舎の事をつかさどった。[語誌](1)@は納殿の御物を出納する役であることから、御倉の小舎人とも称された。常は校書殿に詰めており、定員は初め六名であったが、平安末期には一二名に増加している。(2)Aは親王家や摂関家以下の雑用係であり、藏人所とは無縁である。また、近衛の中将・少将などが召し使った元服前の童子もいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
中將家小舎人等、前行〈云云〉《書き下し》中将家小舎人(コトネリ)等、前行スト〈云云〉。《『吾妻鏡正治元年八月十五日の条》
 
 
2003年11月09日(日)曇り。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
検断(ケンダン)」→ことばの溜池(2001.09.27)参照
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

(ケンダン) 。〔元亀二年本214二〕

(ケンダツ) 。〔静嘉堂本243五〕

(ケンタン) 。〔天正十七年本中51オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ケンダン」「ケンダツ」とし、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無{}遁者召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可徒者禁獄之可流刑被記流帳〔至徳三年本〕

管領執筆奉行人検斷所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否之時所犯已無所遁則召籠之或及推問拷問等尋究之尋捜與同黨類等可斬罪者被誅之可徙者禁獄之可流者被記流帳〔宝徳三年本〕

管領執筆奉行人検断所司代訴状右筆之時以小舎人或下部等召出犯人於侍所記録申詞依言色躰嫌疑糺明犯否時所犯已無所遁者召籠之或及推問拷問拷訊等尋究之尋捜与同黨類等可斬罪者被誅之可誡者禁獄之可流刑者被記流帳〔建部傳内本〕

-領執-筆奉--‖-ヲ|--ル‖--ニ|之時以テ‖__人或_部等ヲ|‖_-ヲ|テ‖_所記ニ‖-(キ―)シ_ヲ|テ‖言色躰(ケンシヨクテイ)嫌疑(ケンギ)ニ|‖-スル-(ボンフ)ヲ|之時-(ボン)(ノガルヽ)者則召シ‖_ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)(―ジン)等尋‖_(キハメ)ヲ|‖_与同黨類ヲ|ンハ‖-ス|者被レ∨せ∨ンハ-ス|-獄之ヲ|ンハ‖-ス|者被ル∨(キ)せ‖-ニ|〔山田俊雄藏本〕

管領執筆奉行人検断(ケンタン)所司代(クバル)‖訴状右筆ニ|之時者テ‖小舎人(―トネリ)部等ヲ|(メシ)‖犯人(ホン―)ヲ|侍所ヲ|言色躰嫌疑ニ|(キウメイ)スル犯否ヲ|之時所犯已ンハ∨(ノガルヽ)者則(メシ)‖(コメ)ヲ|ビ‖推問拷問(ガウ―)拷訊(―ジン)究之ヲ|与同黨類ヲ|キ‖斬罪ニ|ヲハ(チウ)∨之可ヲハヲ|流刑(ルケイ)|ヲハ(シルサ)‖流帳ニ|〔経覺筆本〕

-領執-(シユ―)--‖-(ケンダン)ヲ|--(クハル)‖訴状(ソ―)ヲ右筆ニ|之時以小舎人(コテヌリ/コテヌリ)或下部(シモヘ)ヲ|シ‖_-ヲ|--(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖(ケン・コトハ)ノ(シヨク/シキ)ノ躰嫌疑(ケンキ)ニ-(キウメイ)-(ホンフ)ヲ|之時-(シヨホン)(ステ)ニハ∨ロ∨(ノカルヽ)キハ_(コメ)(コレ)ヲ|シテ推問(スイ―)拷訊(カウモン)等尋‖_(キハム)ヲ|(タツネ)_(サグツ)テ与同(ヨトウ)ノ黨類(タウルイ)ヲ|(タン)-(サンサイ)|(モノ)ヲハ(チウ)∨(シタウ/イマシムル)ハ∨-(キンゴク)ヲ|-(ルケイ・キヤウ)―流罪(モノ)ヲハ(キ)せ‖-(ル―)ニ|〔文明四年本〕 推問(スイモン) 拷問(ガウモン) 拷粋(カウスイ) 或

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「検断」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

檢断(ケンダン) 。〔態藝門89二〕

とあって、標記語「檢断」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

検断(ケンダン・コトハルカンガウ、タツ)[○・去] 罪科用之。〔態藝門600三〕

とあって、標記語「検断」の語を収載し、訓みを「ケンダン」とし、その語注記は「罪科之を用ゆ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

検断(ケンダン) 罪科在之。〔・言語進退門175六〕 検断(ケンダン) 。〔・言語進退門176五〕

検所(ケンシヨ)―断(ダン)。―納(ナウ)。―察(サツ)。―使(シ)。―知(チ)。―注。〔永・言語143九〕

検所(ケンジヨ)―断。―納。―察。―使。―知。―注。〔尭・言語133六〕

とあって、標記語「検断」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

檢斷(ケンダン) ―使(シ)。―料(レウ)。―見(ミ)〔言語門146二〕

とあって、標記語「検断」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「検断」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

475闘諍(トウシヤウ)喧嘩等-領執-筆奉--‖--- 畠山官領初也。所司代始京極殿家始也。有近年マテ|。又京極殿。其故京極殿多香[賀]豊後守所司代也。細川道永无。〔謙堂文庫藏四六右E〕

とあって、標記語「検断」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(クハンリヤウ)-(シツシ)--‖-(ケンダン)ノ--(クハル)‖訴状(ソジヤウ)ヲ右筆ニ|之時テ‖小舎人(コドネリ)下部(シモベ)ヲ|(メシ)‖_犯人ヲ|侍所記‖-(キロク)シス_(コトハ)ヲ|テ‖色躰嫌疑(ケンギ)ニ|‖-(キウメイ)せン-(ボンフ) ヲ|之時-犯已(ステ)ニ(ナク)ンハ‖∨(ノカルヽ)者則召(メシ)‖_(コメ)ヲ|推問(スイ―)拷問(カウ―)拷訊(カウヂン)等尋(タツネ)‖_(サグリ)ヲ|(タツネ)‖_(キハメ)テ與同(ヨ―)ノ黨類(タウルイ)ヲ|所司代(シヨシタイ)管領(クハンリヤウ)執事(シツ―)ハ。侍所(サフライ)也。検断(ケンダン)ハ。人ノ古ノツミヲ聞(キヽ)立テ。罪過ヲ行フ役人(ヤク―)也。記録(キロク)ハ。シルシ。シルストヨムナリ。次ニ犯人ヲアテ行フ様ノ事先ツ過(トカ)人ヲ召(メシ)篭置(ヲキ)テ一ニハ推問(スイモン)トハ。先(サキ)ヲオシトフ也。子細(シサイ)ヲ不謂(イハ)時梯(ハシコ)ニノせテ。水(ミツ)ヲクルヽナリ。又小蛇(コジヤ)ヲ口(クチ)ヨリイルヽ也。二ニハ。ガウ問トハ。鞭伐(ムチウチ)ニスル也。其後廿ノ爪(ツメ)ヲコス也。又錐(キリ)ニテ脚(アシ)ヲモムナリ。三ニハ拷訊(ガウジン)トハ。火頂(クハチヤウ)ト云テ鐵(クロカネ)ノ鉢(ハチ)ヲアカク燒(ヤイ)テ犯(ホン)人ノ頂(カシラ)ニ覆(ヲヽ)フナリ。首(カシラ)則チ燒(ヤ)ケ砕(クダク)ルナリ。〔下22オ三〜22ウ二〕

とあって、この標記語「検断」とし、語注記は「検断は、人の古のつみを聞き立て、罪過を行ふ役人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

管領(くわんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶきやうにん)(これ)検断(けんだん)す/管領執筆奉行人‖-ヲ|検断とハ事の實否(じつふ)を詮議して罪の輕重をさたむるをいふ。〔66ウ七〜八〕

とあって、この標記語「検断」の語を収載し、語注記は、「検断とハ事の實否(じつふ)を詮議して罪の輕重をさたむるをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

管領(くハんれい)執事(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(これ)検斷(けんだん)す所司代(しよしだい)訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)(に)(くば)る之(の)(とき)小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもへ)(とう)を以(もつて)犯人(ぼんにん)を侍所(さむらひどころ)(に)召出(めしいだ)し申(まを)す詞(ことバ)を記録(きろく)し言色體(げんしよくてい)乃嫌疑(けんぎ)に依(よつ)て犯否(ぼんひ)を糺明(きうめい)する之(の)(どき)所犯(しよぼん)(すでに)(のが)るヽ所(ところ)(な)くん者(バ)(すなハち)(これ)を召籠(めしこ)め或(あるひハ)推問(すいもん)拷問(がうもん)拷訊(かうすい)(とう)に及(をよ)んで之(これ)を尋捜(たづねさぐ)り與同(よとう)黨類(とうるい)(とう)を尋究(たづねきハ)め/管領---‖-ヲ|--ル‖訴状右筆ニ|之時小舎人或下部等ヲ|。‖_犯人ヲ|侍所ニ|。‖-ス_ヲ|。テ‖言色躰嫌疑ニ|。‖-スル-ヲ|之時-犯已無クンハ∨ルヽ則召シ‖_ヲ|。或及ンデ推問拷問拷訊等ニ。ネ‖_ヲ|。ネ‖_与同黨類ヲ|。検断四月の進状に見ゆ〔49ウ一〜二〕

管領(くわんれい)執筆(しつじ)奉行人(ぶぎやうにん)(けんだん)す(これ)を|所司代(しよしだい)(くば)る‖訴状(そじやう)を右筆(いうひつ)に|(の)(とき)(もつ)て‖小舎人(こどねり)(あるひ)ハ下部(しもべ)(とう)を|(めし)‖_(いだ)し犯人(ぼんにん)を|侍所(さむらひどころ)に‖-(きろく)し(まう)す(ことば)を|(よつ)て‖言色躰(げんしよくてい)の嫌疑(けんぎ)に|‖-(きうめい)する-(ぼんひ)を|(の)(とき)-(しよぼん)(すで)に(なく)ん∨(ところ)∨(のがるゝ)(バ)(すなハち)(めし)‖_(こめ)(これ)を|(あるひ)ハ(およん)で推問(すゐもん)拷問(かうもん)拷訊(かうすゐ)(とう)に(たづね)‖_(さぐり)(これ)を|(たづね)‖_(きハめ)與同(よとう)黨類(たうるゐ)(とう)を|検断四月の進状に見ゆ〔88ウ三〕

とあって、標記語「検断」の語を収載し、その語注記は「検断四月の進状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qendau.ケンダン(検断) 統治をし,裁判をする職.§Qendan suru.(検断する)首長・裁判長としての上述の役目を執り行なう.※原文はpresidente..〔邦訳485l〕

とあって、標記語「検断」の語の意味は「統治をし,裁判をする職」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けん-だん〔名〕【檢断】(一)非違を檢(あらた)めて、其罪を斷()むること。又、其職。鎌倉幕府時代、諸國の守護の専務にて、稍、檢非違使に類せしもの。室町幕府時代に至りて、検斷職は、侍所の管掌なりき。吾妻鏡、十八、元久二年六月廿六日「關東國國守護、地頭所務以下事、任先規、可嚴密沙汰之由有仰」武家名目抄、職名、廿九、上「凡、守護の職掌は、検斷を旨とするは勿論なれども、鎌倉右大將家の時定められしは、大番役の催促、謀叛人の検斷、すべて三箇條を専務とす、其外にも、強盗、竊盗、山賊、海賊、等の検斷をも兼ね行へり」同、職名、十五「足利殿の時、検斷の職掌は、すべて侍所の被管たる輩、專ら、其事に從へり」(二)後には、大莊屋を、検斷と稱し、仙臺領にては、宿驛の問屋場の小役人をも稱したり。地方凡例録、七、上「大庄屋、云云、國に依り、割元、或は、總庄屋、検斷など唱ふる所もあり」〔0633-4〕

とあって、標記語「検断」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「けん-だん検断】〔名〕@中世法上の言葉で、所務、雑務と区別されて、幕府侍所、六波羅探題、守護、地頭、または、諸寺社の機関、集会などが刑事犯人を検挙し、あるいは刑事事件を審理し、判決する一連の手続き行為を総称していう。A「けんだんさた(検断沙汰)@」に同じ。B「けんだんさた(検断沙汰)A」に同じ。C犯罪人の家財、土地などを闕所にすること。没収すること。D「けんだんしき(検断職)@」の略。E(戦国時代以後、地頭領主が私的に@を行なうようになっていったなごりから)江戸時代、庄屋(名主)の上にあって数村を支配した在地の有勢者。のちの大庄屋(おおしょうや)に当たる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
勅■、依令追伐平氏、被補其跡之地頭、稱勲功之賞、非指謀叛跡之處、充行加微課役、張行檢斷、妨惣領之地本、責煩在廳官人郡司公文以下公官等之間、國司領家、所訴申也《書き下し》勅ヲ宣ベ奉リテ称ク、平氏追伐セシムルニ依テ、其ノ跡ヲ補セラルルノ地頭、勲功ノ賞ト称シ、指セル謀叛ノ跡ニ非ザルノ処ニ、加微ノ課役ヲ充テ行ヒ、検断(ケンダン)ヲ張行シ、惣領ノ地本ヲ妨ゲ、在庁官人郡司公文以下ノ公官等ヲ責メ煩ハスノ間、国司領家、訴ヘ申ス所ナリ。《『吾妻鏡』文治二年十一月二十四日の条》
 
 
2003年11月08日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
喧嘩(ケンクワ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

喧嘩(ケンクワ) 。〔元亀二年本217二〕〔静嘉堂本247四〕

とあって、標記語「喧嘩」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

刃傷打擲蹂躙勾引路次狼闘諍喧嘩等也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(ニンヂヤウ)-擲蹂-(シウリン)_(ヒトカトヒ)---(ケンクワ)-等也〔山田俊雄藏本〕

刃傷打擲蹂躙(ジウリン)勾引(ヒトカトイ)路次闘諍喧嘩等也〔経覺筆本〕

-(ニンシヤウ)-(チヤウヤク)-(ジウリン/フミニシリ)-(コウ井ン/ヒトカトヒ)--(ラウせキ)-(トウシヤウ)-(ケンクワ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「喧嘩」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

喧譁(ケンクワ) 。〔元・疉字門159六〕

※但し古写本類は、喧嘩(ケンクワ/カマヒスシ、/\) 。〔亀田本・疉字門133二〕とする。

とあって、標記語「喧譁」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

喧嘩(ケンクワカマヒスシ、同)[平・平] 誼譁(クワ)モ同。――闘諍。〔態藝門606二〕

とあって、標記語「喧嘩」の語を収載し、訓みを「ケンクワ」とし、その語注記は「・誼譁も同。誼譁闘諍」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

喧嘩(ケンクワ) 闘諍(トウジヤウ)。〔・言語進退門175二〕

喧嘩(ケンクワ) 。〔・言語門144九〕

喧嘩(ケンクワ) 。〔・言語門134六〕

とあって、標記語「喧嘩」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

誼譁(ケンクワ) 。〔言語門147四〕

とあって、標記語「誼譁」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「喧嘩」と「誼譁」の語が収載されていて、前の標記語が古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

475闘諍(トウシヤウ)喧嘩-領執-筆奉--人検‖--- 畠山官領初也。所司代始京極殿家始也。有近年マテ|。又京極殿。其故京極殿多香[賀]豊後守所司代也。細川道永无。〔謙堂文庫藏四六右E〕

とあって、標記語「喧嘩」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闘諍(トウジヤウ)喧嘩(ケンクハ)等也トハ。市町路次ニテシ出シタル禍ナリ。ケンクハノ二字ヲ。カヾメテカマビスシトヨムナリ。〔下22オ二〜三〕

とあって、この標記語「喧嘩」とし、語注記は「けんくはの二字をかがめてかまびすしとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

闘諍(とうじやう)(けんくわ)(とう)也/闘諍喧嘩等也人と打合ふを闘諍と云。人と物言するを喧嘩と云。〔66ウ六〜七〕

とあって、この標記語「喧嘩」の語を収載し、語注記は、「人と物言いするを喧嘩と云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

放火(はうくハ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)の狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくハ)(とう)(なり)放火刃傷打擲蹂躙勾引路次狼藉闘諍喧嘩等也闘諍喧嘩いさかひわめき合(あ)ふこと〔49ウ一〕

放火(はうくわ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(かういん)路次(ろじ)狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくわ)(とう)(なり)闘諍喧嘩いさかひわめき合(あ)ふこと〔88ウ二・三〕

とあって、標記語「喧嘩」の語を収載し、その語注記は「闘諍喧嘩は、いさかひわめき合ふこと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qenqua ケンクワ(喧嘩) Camabisuxi.(喧し)喧嘩.§Qenquauo suru.(喧嘩をする)喧嘩する.※この訓注は不十分.喧嘩けんくは.かまびすし,かまびすし(落葉集).→Xicaqe,uru..〔邦訳486r〕

とあって、標記語「喧嘩」の語の意味は「(闘ひ諍ふ)すなわち,(喧嘩) 騒動,または,喧嘩」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けん-くわ〔名〕【誼譁喧嘩】(一)かまびすしきこと。さわがしきこと。史記、叔孫通傳「竟朝置酒、無誼譁失禮者、乃拗怒而久息」左思傳、蜀都賦「誼譁鼎沸」洛陽田樂記(朝野群載)洛陽の上下に、田樂の、盛んに行はるることを記して「日夜無絶、喧嘩之甚驚人耳」明月記、建暦三年七月十一日「明後日奉幣、五位人數極少、沙汰喧嘩、被付吉祥」(是れ等、次項の意に移る徑路なるべし)(二)いさかひ。爭ひ、鬪ふこと。(いさかひハ、言逆(いひさかひ)なり、怒聲の騒がしきより移る)諍鬪太平記、三十五、北野通夜物語事「檀那の夫婦、俄に喧嘩を爲出して、共に打合ひける間」尺素往来(文明)「企印地、招喧嘩室町殿日記、十九、好喧嘩徒黨之事「つと差寄り、胸がらみに、ひしと握み」後撰夷曲集(寛文)六、蕨の宿にて、馬子共の喧嘩するを見て「手を出せろ、折てくれべい、馬鹿面め、云云」喧嘩を買ふ、喧嘩を賣ると云ふは、けんくゎかひの條を見よ。喧嘩兩成敗と云ふは、爭鬪(いさかひ)したる者は、雙方共に罰すと云ふこと。令條記、慶長十四年七月十七日、伏見城在番の輩に馬印状「喧嘩口論、堅停止之上、於違背者、不論理非、雙方可爲成敗」(此令條、鎌倉北條氏に始まると云ふ) 喧嘩過ぎての棒ちぎりと云ふことは、いさかひの條を見よ。〔0877-3〕

とあって、標記語「喧嘩」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「けん-喧嘩誼譁】〔名〕@(形動)さわがしいこと。やかましいこと。かまびすしいこと。また、そのさま。喧騒。A(―する)言い争ったり、腕力を用いて争ったりすること。口論や力ずくで争うこと。いさかい。あらそい」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又先年於粟田口邊與長井齊藤別當、片切小八郎太夫〈于時各六條廷尉御家人〉等喧嘩之時、六條廷尉禪室、定被及奏聞歟之由、成怖畏之處、匪啻止其憤被宥之、還被誡齊藤片切等之間、不忘彼恩化、志偏在源家、《書き下し》又先年粟田口ノ辺ニ於テ、長井ノ斎藤別当、片切小八郎大夫〈時ニ各六条廷尉ノ御家人〉等ト喧嘩(ケンクワ)ノ時、六条ノ廷尉禅室、定メテ奏聞ニ及ボサレンカノ由、怖畏ヲ成スノ処ニ、啻ニ其ノ憤ヲ止メ之ヲ宥メラルルノミニ匪ズ、還ツテ斎藤片切等ヲ誡メラルルノ間、彼ノ恩化ヲ忘レズ、志シ偏ニ源家ニ在リ。《『吾妻鏡』治承四年十二月十九日の条》
 
 
2003年11月07日(金)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
闘諍(トウジヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

闘諍(トウジヤウ) 。〔元亀二年本55一〕

闘諍(トウヂヤウ) 。〔静嘉堂本61五〕

闘諍(トウシヤウ) 。〔天正十七年本上31ウ四〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「闘諍」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

刃傷打擲蹂躙勾引路次狼闘諍喧嘩等也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(ニンヂヤウ)-擲蹂-(シウリン)_(ヒトカトヒ)---(トウジヤウ)-嘩等也〔山田俊雄藏本〕

刃傷打擲蹂躙(ジウリン)勾引(ヒトカトイ)路次闘諍喧嘩等也〔経覺筆本〕

-(ニンシヤウ)-(チヤウヤク)-(ジウリン/フミニシリ)-(コウ井ン/ヒトカトヒ)--(ラウせキ)-(トウシヤウ)-(ケンクワ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

闘諍 同/トウシヤウ。〔黒川本・疉字門上50オ七〕

闘諍 〃乱。〃訟。〃鶏。〃草クサアハせ。〃打。〔卷二・疉字門425一〕

とあって、標記語「闘諍」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

闘諍(トウジヤウ) 。〔態藝門82一〕

とあって、標記語「闘諍」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

闘諍(トウジヤウタヽカイ、イサム)[去・去] 。〔態藝門140五〕

とあって、標記語「闘諍」の語を収載し、訓みを「トウジヤウ」とし、その語注記は「刃傷殺害」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

闘諍(イサカイ/トウシヤウ) 。〔・言語進退門13六〕 闘諍(トウジヤウ) 。〔・言語進退門46六〕闘諍(トウシヤウ/イサカイ) ―乱(ラン)。―訟(せウ)。〔・言語門45八〕

闘諍(トウシヤウ) ―乱。―訟。〔・言語門42四〕

闘諍(トウシヤウ) 。〔・言語門50五〕

とあって、標記語「闘諍」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

闘諍(トウシヤウ) 。〔言語門43六〕

とあって、標記語「闘諍」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「闘諍」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

475闘諍(トウシヤウ)喧嘩等-領執-筆奉--人検‖--- 畠山官領初也。所司代始京極殿家始也。有近年マテ|。又京極殿。其故京極殿多香[賀]豊後守所司代也。細川道永无。〔謙堂文庫藏四六右E〕

とあって、標記語「闘諍」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闘諍(トウジヤウ)喧嘩(ケンクハ)等也トハ。市町路次ニテシ出シタル禍ナリ。ケンクハノ二字ヲ。カヾメテカマビスシトヨムナリ。〔下22オ二〜三〕

とあって、この標記語「闘諍」とし、語注記は「人をこきたたくなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

闘諍(とうじやう)(けんくわ)(とう)也/闘諍喧嘩等也人と打合ふを闘諍と云。人と物言するを喧嘩と云。〔66ウ六〜七〕

とあって、この標記語「闘諍」の語を収載し、語注記は、「人を打合ふを闘諍と云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

放火(はうくハ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)の狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくハ)(とう)(なり)放火刃傷打擲蹂躙勾引路次狼藉闘諍喧嘩等也闘諍喧嘩いさかひわめき合(あ)ふこと〔49ウ一〕

放火(はうくわ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(かういん)路次(ろじ)狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくわ)(とう)(なり)闘諍喧嘩いさかひわめき合(あ)ふこと〔88ウ二・三〕

とあって、標記語「闘諍」の語を収載し、その語注記は「闘諍喧嘩は、いさかひわめき合ふこと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To>jo<.トウジヤウ(闘諍) Tatacai araso>.(闘ひ諍ふ)すなわち,Qenqua.(喧嘩) 騒動,または,喧嘩.〔邦訳658r〕

とあって、標記語「闘諍」の語の意味は「(闘ひ諍ふ)すなわち,(喧嘩) 騒動,または,喧嘩」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「闘諍」の語を未収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「とう-じょう闘諍】〔名〕互いに相手を倒そうとして争うこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
其間互及過言、忽欲企闘諍《書き下し》其ノ間互ニ過言ニ及ビ、忽チ闘諍(トウ―)ヲ企テント欲ス。《『吾妻鏡治承五年六月十九日の条》
 
 
2003年11月06日(木)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
勾引(コウイン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

勾引(―イン) 。〔元亀二年本232六〕

勾引(コウイン) 。〔静嘉堂本267三〕〔天正十七年本中62ウ二〕

とあって、標記語「勾引」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

刃傷打擲蹂躙勾引路次狼闘諍喧嘩等也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(ニンヂヤウ)-擲蹂-(シウリン)_(ヒトカトヒ)--藉闘-(トウジヤウ)-嘩等也〔山田俊雄藏本〕

刃傷打擲蹂躙(ジウリン)勾引(ヒトカトイ)路次闘諍喧嘩等也〔経覺筆本〕

-(ニンシヤウ)-(チヤウヤク)-(ジウリン/フミニシリ)-(コウ井ン/ヒトカトヒ)--(ラウせキ)-(トウシヤウ)-(ケンクワ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「勾引」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「勾引」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

勾引(コウインマガル・カド、ヒク・サカス)[平・上去] 。〔態藝門691三〕

とあって、標記語「勾引」の語を収載し、訓みを「カウイン」とし、その語注記は「刃傷殺害」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

勾引(コウイン) 。〔・言語進退門190一〕

とあって、弘治二年本だけが標記語「勾引」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

勾引(ゴウイン) ―惜(シヤク)。〔言語門159二〕

とあって、標記語「勾引」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「勾引」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

474蹂躙勾引路次狼藉 悪人所籍草花散乱也。〔謙堂文庫藏四六右D〕

※―ハ人カトイ也。〔静嘉堂文庫蔵『庭訓往来抄』古寫書込み〕

とあって、標記語「勾引」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

勾引(コウイン)ハ。人カドイナリ。〔下22ウ一〕

とあって、この標記語「勾引」とし、語注記は「人かどいなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

勾引(こういん)勾引人かとひ也。〔66ウ四〜五〕

とあって、この標記語「勾引」の語を収載し、語注記は、「人かとひなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

放火(はうくハ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)の狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくハ)(とう)(なり)放火刃傷打擲蹂躙勾引路次狼藉闘諍喧嘩等也勾引ハかどハかし也〔49ウ一〕

放火(はうくわ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(かういん)路次(ろじ)狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくわ)(とう)(なり)勾引ハかどハかし也〔88ウ二〕

とあって、標記語「勾引」の語を収載し、その語注記は「勾引は、かどはかしなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co>in.コウイン(勾引) Fitocadoi.(人かどひ) 人を呼び寄せて,だましたり,さらったりして連れて行くこと.→Iu<rin.〔邦訳142r〕

とあって、標記語「勾引」の語の意味は「人を呼び寄せて,だましたり,さらったりして連れて行くこと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

こう-いん〔名〕【勾引】〔引きかけ入るる意〕ひとかどひ。かどはかし。〔0644-1〕

とあって、標記語「勾引」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こう-いん勾引拘引】〔名〕@物を引き寄せること。人目を引くこと。A人をだまして連れ去ること。誘拐。B人を捕らえてむりに連れて行くこと。容疑者、被告人などを警察などに引き連れていくこと。C裁判所が被告人や証人を一定の場所に引致し一時抑留する裁判、およびその執行。被告人が定まった住所をもたない場合などや、証人が召喚に応じない場合に、令状を発して行なう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一人倫賣買事 勾引中等者、可被召下關東被賣之類者、隨見及、可被放其身、只可觸路次關々也《書き下し》一、人倫ヲ売買スル事 勾引(コウイン)中ノ人等ハ、関東ニ召シ下サルベシ。売ラルルノ類ノ者ハ、見及ブニ随ツテ、其ノ身ヲ放タルベシ、且路次ノ関関ニ触ルベキナリ。《『吾妻鏡』仁治元年十二月十六日の条》
 
 
2003年11月05日(水)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
蹂躙(ジュウリン・ふみにじる)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部「志」部に、標記語「蹂躙」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

刃傷打擲蹂躙勾引路次狼闘諍喧嘩等也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(ニンヂヤウ)--(シウリン)_(ヒトカトヒ)--藉闘-(トウジヤウ)-嘩等也〔山田俊雄藏本〕

刃傷打擲蹂躙(ジウリン)勾引(ヒトカトイ)路次闘諍喧嘩等也〔経覺筆本〕

-(ニンシヤウ)-(チヤウヤク)-(ジウリン/フミニシリ)-(コウ井ン/ヒトカトヒ)--(ラウせキ)-(トウシヤウ)-(ケンクワ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

蹂躙(シウリン)フミニシル同。〔黒川本・疉字門中107ウ八〕

蹂躙(フミニシル) 闘乱部/シフリン。〔黒川本・疉字門下80オ八〕

蹂躙 フミニシル。奎同。〔卷七・疉字門89二〕蹂躙 シウリン。〔卷九・疉字門226四〕

とあって、標記語「蹂躙」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「蹂躙」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

蹂躙(フミニジルジウリン) 。〔言辞門152三〕

とあって、標記語「蹂躙」の語を収載し、語注記未記載にする。

 このように、上記の古辞書にては、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』、そして、易林本節用集』に「蹂躙」の語を収載していて、これが古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

474蹂躙勾引路次狼藉 悪人所籍草花散乱也。〔謙堂文庫藏四六右D〕

とあって、標記語「蹂躙」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

蹂躙(シウリン)ハ。人ヲフミケル事ナリ。去(サテ)コソフミニジルト書(カケ)レ。〔下22オ一〕

とあって、この標記語「蹂躙」とし、語注記は「人をふみける事なり。去てこそふみにじると書けれ」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

打擲(ちやうちやく)蹂躙(じうりん)打擲蹂躙人を打たゝくを打擲と云。人をふミけるを蹂躙といふ。〔66ウ四〜五〕

とあって、この標記語「蹂躙」の語を収載し、語注記は、「人をふミけるを蹂躙といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

放火(はうくハ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)の狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくハ)(とう)(なり)放火刃傷打擲蹂躙勾引路次狼藉闘諍喧嘩等也蹂躙人を蹴仆(けたを)しふミにしる也〔49オ八〜ウ一〕

放火(はうくわ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(かういん)路次(ろじ)狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくわ)(とう)(なり)蹂躙人を蹴仆(けたふ)しふミにじる也〔88ウ一・二〕

とあって、標記語「蹂躙」の語を収載し、その語注記は「蹂躙は、人を蹴仆しふみにじるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iu<rin.ヂュウリン(蹂躙) Fumi nijiru.(蹂み躙る)足で踏みつけること.例,Fitouo ju<rin suru.(人を蹂躙する)人を踏みつける,または,足蹴にする.§Iu<rin,co>in.(蹂躙,勾引)ある人を足蹴にして,無理に連れていくかすること.文書語.※この句は,庭訓徃來,八月返状に見える.〔邦訳373l〕

とあって、標記語「蹂躙」の語の意味は「(蹂み躙る)足で踏みつけること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じう-りん〔名〕【蹂躙】ふみ、にじること。蹂踐。班固、西都賦「其十二三、乃拗怒而久息」〔0877-3〕

とあって、標記語「蹂躙」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じゅう-りん蹂躙蹂躪】〔名〕@ふみにじること。踏みつけること。暴威、暴力、強健をもって他を犯すこと。A布などを強い力でもみほぐすこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一丁作毛、押取百姓農具牛馬、蹂躙由事、訴状如此、如状者、太不便、早糺返作物・農具・牛馬、蹂躙定使事、可弁申之状、如件、仁治三年五月十日《『東大寺文書、図書・未仁治三(1242)年五月十日の条790-1・16/221
 
 
2003年11月04日(火)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
打擲(チヤウチャク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

打擲(ヂヤウチヤク) 。〔元亀二年本63十〕

打擲(――/―チヤク) 。〔静嘉堂本74三〕

打擲(チヤウチヤク) 。〔天正十七年本上37ウ一〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「打擲」の語を収載し、「ヂヤウチヤク」「チヤウチヤク」の訓みを示し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

刃傷打擲蹂躙勾引路次狼闘諍喧嘩等也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(ニンヂヤウ)--(シウリン)_(ヒトカトヒ)--藉闘-(トウジヤウ)-嘩等也〔山田俊雄藏本〕

刃傷打擲蹂躙(ジウリン)勾引(ヒトカトイ)路次闘諍喧嘩等也〔経覺筆本〕

-(ニンシヤウ)-(チヤウヤク)-(ジウリン/フミニシリ)-(コウ井ン/ヒトカトヒ)--(ラウせキ)-(トウシヤウ)-(ケンクワ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「打擲」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「打擲」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

打擲(チヤチヤクテイ・ウツ、ナゲウツ)[上・入] 。〔態藝門90六〕

とあって、標記語「打擲」の語を収載し、訓みを「チヤウチヤク」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

打擲(チヤウチヤク) 。〔・言語進退門53六〕〔・言語門54一〕〔・言語門57八〕

打球(チヤウク) 音楽部/―擲。〔・言語門49一〕

とあって、標記語「打擲」の語を収載する。また、易林本節用集』には、標記語「打擲」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「打擲」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

473-(―チヤク) 式目念比有也。〔謙堂文庫藏四六右C〕

とあって、標記語「打擲」の語を収載し、語注記は、「『(御成敗)式目』に念比に有るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

打擲(チヤウチヤク)トハ。人ヲコキタヽクナリ。〔下21ウ八〜22オ一〕

とあって、この標記語「打擲」とし、語注記は「人をこきたたくなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

打擲(ちやうちやく)蹂躙(じうりん)打擲蹂躙人を打たゝくを打擲と云。人をふミけるを蹂躙といふ。〔66ウ四〜五〕

とあって、この標記語「打擲」の語を収載し、語注記は、「人を打ちたゝくを打擲と云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

放火(はうくハ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)の狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくハ)(とう)(なり)放火刃傷打擲蹂躙勾引路次狼藉闘諍喧嘩等也打擲(ぼう)などにて人を打(うち)たゝくこと〔49オ八〕

放火(はうくわ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(かういん)路次(ろじ)狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくわ)(とう)(なり)打擲(ぼう)なとにて人を打(うち)たゝくこと〔88オウ一〕

とあって、標記語「打擲」の語を収載し、その語注記は「打擲は、棒などにて人を打ちたゝくこと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho<chacu.チャゥチャク(打擲) Fitouo yamasuru coto.(人をやますること)手でなぐったり,鞭で打ったりすること.〔邦訳125r〕

とあって、標記語「打擲」の語の意味は「(人をやますること)手でなぐったり,鞭で打ったりすること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃう-ちゃく〔名〕【打擲】〔チャクは、テキの呉音〕人を撃ちたたくこと。法華経、譬喩品、頌「爲諸童子所打擲、受諸苦痛太平記、廿一、佐渡判官入道流刑事「持ちたる紅葉の枝を奪ひ取り、散散に打擲して、門より外へ追出す」〔1282-1〕一等

とあって、標記語「打擲」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ちょう-ちゃく打擲】〔名〕うちたたくこと。なぐること。特に御成敗式目では刑事犯罪の一つに数えられている」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
囚人男良藤二男、蒙厚免依可有御堂供養、有此儀是伊豆國梶取也去年打擲雜色時澤〈云云〉《書き下し》囚人ノ妻良藤二ガ男、厚免ヲ蒙ル。御堂供養有ルベキニ依テ、此ノ儀有リ。是レ伊豆ノ国ノ梶取ナリ。去年雑色時沢ヲ打擲(チヤウチヤク)スト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久五年十二月二十二日の条》
 
 
2003年11月03日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
刃傷(ニンジヤウ)」←ことばの溜池「刃傷」(2001.03.16) 参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「丹」部に、

刃傷(―シヤウ) 。〔元亀二年本38四〕

刃傷(――) 。〔静嘉堂本41五〕

刃傷(ニンシヤウ) 。〔天正十七年本上21ウ一〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

刃傷打擲蹂躙勾引路次狼闘諍喧嘩等也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-(ニンヂヤウ)-擲蹂-(シウリン)_(ヒトカトヒ)--藉闘-(トウジヤウ)-嘩等也〔山田俊雄藏本〕

刃傷打擲蹂躙(ジウリン)勾引(ヒトカトイ)路次闘諍喧嘩等也〔経覺筆本〕

-(ニンシヤウ)-(チヤウヤク)-(ジウリン/フミニシリ)-(コウ井ン/ヒトカトヒ)--(ラウせキ)-(トウシヤウ)-(ケンクワ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

刃傷 ニンシヤウ/雜部。〔黒川本・疉字門上32オ七〕

刃傷 ニンシヤウ。〔卷二・疉字門275四〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

刃傷(ニンジヤウ) 。〔態藝門82一〕

とあって、標記語「刃傷」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

刃傷(ニンジヤウジン・ヤイバ、ヤブル)[上・平] ――殺害。〔態藝門90六〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載し、訓みを「ニンジヤウ」とし、その語注記は「刃傷殺害」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

刃傷(ヂンジヤウ) 。〔・言語進退門29六〕

刃傷(ニンジヤウ) 。〔・言語門29五〕

刃傷(ニンシヤウ) 。〔・言語門26七〕

刃傷(ニンチヤウ) 。〔・言語門31七〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

刃傷(ニンジヤウ)刃。〔言語門28三〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載し、語注記に「傷は刃」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「刃傷」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。この語において、広本節用集』の語注記と真字本『庭訓往来註』の下記の語注記とでは共通を見ないのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

472山海(―ンカイ)ノ-賊強--盗放-- 兵刃棒等以成疵也。〔謙堂文庫藏四六右C〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載し、語注記は、「兵、刃・棒等を以って疵を成すなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

刃傷(ニンシヤウ)トハ。人ヲ截(キリ)タル者也。但(タゝ)シ疵(キス)ツクルコトナリ。〔下21ウ八〕

とあって、この標記語「刃傷」とし、語注記は「人を截りたる者なり。但し、疵つくることなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

放火(ハうくわ)刃傷(にんしやう)放火刃傷放火ハ火つけ也。刃物(はもの)以て人をあやめるを刃傷といふ。〔66ウ四〕

とあって、この標記語「刃傷」の語を収載し、語注記は、「刃物以って人をあやめるを刃傷といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

放火(はうくハ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)の狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくハ)(とう)(なり)放火刃傷打擲蹂躙勾引路次狼藉闘諍喧嘩等也刃傷刃物(はもの)を以(もつ)て人をあやめるなり〔49オ八〕

放火(はうくわ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(かういん)路次(ろじ)狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくわ)(とう)(なり)刃傷刃物(はもの)を以て人をあやめるなり〔88オウ一〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載し、その語注記は「刃傷は、刃物を以って人をあやめるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yodat.ニンジヤウ(刃傷) 傷つけること.例,Ximobe-domouo ninjo<xi,xetgai xitacotoua chicagoro fun-betni voyobanu.(下部共を刃傷し,殺害した事は近比分別に及ばぬ)Fei.(平家)巻二.家来や召使どもを傷つけて殺すことは,私には納得できない.※Feiqe,P.112..〔邦訳r〕

とあって、標記語「刃傷」の語の意味は「傷つけること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

にん-じゃう〔名〕【刃傷】刃(やいば)にて人に傷(きず)つくること。刀劔の切合にて、他に傷を負はすること。字類抄刃傷、ニンシャウ」源平盛衰記、十八、文覺高雄勸進事「賢王明コの道は弊民を育むを以て先とす、況んや剃髪染衣の僧をや、それに打擲刃傷に及ぶ條、希代の不思議なり」仮名手本忠臣藏、(寛延、竹田出雲等合作)四「此の度、鹽冶判官高定、私の宿意をもって、執事高師直を刃傷に及び、舘を騒がせし科によって、國郡を没収し、切腹申し附くる者なり」〔1504-5〕

とあって、標記語「刃傷」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「にん-じょう刃傷】〔名〕刃物で人を傷つけること。じんじょう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於當國所領、今下人等引用水之處、近隣熊野山領住民等相攴之間、起闘亂、相互及刃傷仍彼是搦進之〈云云〉《書き下し》当国ノ所領ニ於テ、今下人等用水ヲ引クノ(下人等ヲシテ用水ヲ引カシムルノ)処ニ、近隣熊野山領ノ住民等、相ヒ支ユルノ間、闘乱ヲ起シ、相ヒ互ニ刃傷(ジンシヤウ)ニ及ブ。仍テ彼是之ヲ搦メ進ズト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治四年三月十九日の条》
 
 
2003年11月02日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
放火(ハウクワ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

放火(―クワ) 。〔元亀二年本25二〕〔天正十七年本上12ウ三〕〔西來寺本〕

放火(ハウ―) 。〔静嘉堂本22八〕

とあって、標記語「放火」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

侍所者謀叛害山海兩賊強竊二盗放火〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

侍所者謀叛殺害山海兩賊強竊二盗放火〔宝徳三年本〕

_者謀-叛殺-害山-海兩-賊強-竊二--〔山田俊雄藏本〕

侍所者謀叛(ムホン)殺害(せツカイ)山海兩賊強竊-放火〔経覺筆本〕

(サフラヒ)者謀叛(ムホン)殺害(せツガイ)山海(サンカイ)兩賊(―ゾク)-(カウせツ)ノ-(タウ)-(ハウ―)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

放火 ハウクワ。〔黒川本・疉字門上98オ七〕

放火 〃不。〔卷四・疉字門366二〕

とあって、標記語「放火」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「放火」の語を未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「放火」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

放火(ハウクワ) 。〔・言語進退門25一〕

放エ(ハウイツ) ―儻(タウ)。―券(ケン)―火(クワ)。―牧(ボク)。―参(サン)。―喰(ザン)。―(サン)盃酒部。―縱(ゼウ)。―言(コン)音也。―逐(チク)。―免(メン)。―坐(ザ)。―還(ケン)。―散(サン)牛馬。―題(ダイ)詩歌所言也。日本俗或云放埒人―埒(ラツ)不順法度如生馬―一レ。〔・言語門22四〕

放エ(ハウイツ) ―償。―券。―火。―牧。―参。―盃酒部。―縱。―言詈言之。―逐。―免。―坐。―散牛馬。―題詩歌所言也/日本俗或云放埒人不順法度如生馬―。―喰。〔・言語門20三〕

放火(ハウクワ) ―同。〔・言語門24五〕

とあって、標記語「放火」と「放火」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

放火(―クワ) 。〔言語門20七〕

とあって、標記語「放火」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に、「放火」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月七日の状には、

472山海(―ンカイ)ノ-賊強---- 兵刃棒等以成疵也。〔謙堂文庫藏四六右C〕

とあって、標記語「放火」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

與奪(ヨダツ)ヲ當参者成書下下國之時者下奉書(ホウ―)ヲ-(イン)ノニハ使召文(メシフミ)ヲ調(トヽノ)ヘ訴陳(ソヂン)ノ‖-(タイ)シテ當所(タウ―)ノ執亊(シツジ)年々管領(クハンリヤウ)-(ブキヤウ)--問答(モンダウ)ヲ披露(ヒロウ)ス沙汰探題(タンダイ)之異見(イ―)ニロ∨下知(サフラヒ)謀叛(ムホン)殺害(せツガイ)山海(サンカイ)兩賊(―ゾク)-(カウせツ)ノ-(タウ)-(ハウ―)與奪ト云事罪過(ザイクハ)ニ処(シヨ)せラレテ。後ヒイキ人アリ。本ノ如ク御免(ユル)シヲ蒙(カウム)ルヲ與奪ト云也。又我処ヘ差(サシ)テ來ル財産(サイサン)ヲ近付人分(ツカハ)スヲ云フナリ。人ノ家ニツクル者ナリ。〔下21ウ三〜八〕

とあって、この標記語「放火」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

放火(ハうくわ)刃傷(にんしやう)放火刃傷放火ハ火つけ也。刃物(はもの)以て人をあやめるを刃傷といふ。〔66ウ四〕

とあって、この標記語「放火」の語を収載し、語注記は、「放火は、火つけなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

放火(はうくハ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)の狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくハ)(とう)(なり)放火刃傷打擲蹂躙勾引路次狼藉闘諍喧嘩等也放火(ひ)つけ也〔49オ八〕

放火(はうくわ)刃傷(にんじやう)打擲(てうちやく)蹂躙(じうりん)勾引(かういん)路次(ろじ)狼藉(らうぜき)闘諍(とうじやう)喧嘩(けんくわ)(とう)(なり)放火(ひ)つけ也〔88オウ一〕

とあって、標記語「放火」の語を収載し、その語注記は「放火は、火つけなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo<qua.ハゥクヮ(放火) Fiuo fanatcu.(火を放つ)焼くこと.特に悪事を働いた者の家を焼く時とか,敵方の家屋や村落に火をつける時とかに用いられる語.§Iyeuo fo<qua suru.(家を放火する)家を焼く.〔邦訳262r〕

とあって、標記語「放火」の語の意味は「(火を放つ)焼くこと.特に悪事を働いた者の家を焼く時とか,敵方の家屋や村落に火をつける時とかに用いられる語」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はう-くゎ〔名〕【放火】火を放つこと。人家に火をつけて燒くこと。ひつけ。つけび。張籍、樂府「放火奚帳、分旗築漢城三代実録、三十六、元慶三年十二月十五日「不動糒二千三十八斛五斗并倉四、依格應挌殺、云云、詔曰、死罪宣一等、處之遠流〔1555-1〕

とあって、標記語「放火」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ほう-放火】〔名〕火事を起こすために、火をつけること。つけび。ひつけ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍源三位入道近衛河原亭、自放火、相率子姪家人等參向宮御方〈云云〉《書き下し》仍テ源三位ノ入道近衛河原ノ亭ニ、自ラ()(ハナ)チ、子姪家人等ヲ相ヒ率シテ、宮ノ御方ニ参向スト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年五月十九日の条》
 
 
2003年11月01日(土)曇り。東京(八王子)→白金台(都ホテル)→世田谷(駒沢)
二盗(ニタウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「丹」部に、標記語「二盗」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月七日の状に、

侍所者謀叛害山海兩賊強竊二盗放火〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

侍所者謀叛殺害山海兩賊強竊二盗放火〔宝徳三年本〕

_者謀-叛殺-害山-海兩-賊強---〔山田俊雄藏本〕

侍所者謀叛(ムホン)殺害(せツカイ)山海兩賊強竊-放火〔経覺筆本〕

(サフラヒ)者謀叛(ムホン)殺害(せツガイ)山海(サンカイ)兩賊(―ゾク)-(カウせツ)ノ-(タウ)-(ハウ―)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「二盗」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「二盗」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書において、「二盗」の語が未収載にあり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には、見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』六月七日状と八月七日状には、

321強竊二盗 是式目|。〔謙堂文庫藏三四右C〕

472山海(―ンカイ)ノ-賊強---- 兵刃棒等以成疵也。〔謙堂文庫藏四六右C〕

とあって、標記語「二盗」の語を収載し、語注記は、六月状に「是れも『貞永式目』に在り」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

與奪(ヨダツ)ヲ當参者成書下下國之時者下奉書(ホウ―)ヲ-(イン)ノニハ使召文(メシフミ)ヲ調(トヽノ)ヘ訴陳(ソヂン)ノ‖-(タイ)シテ當所(タウ―)ノ執亊(シツジ)年々管領(クハンリヤウ)-(ブキヤウ)--問答(モンダウ)ヲ披露(ヒロウ)ス沙汰探題(タンダイ)之異見(イ―)ニロ∨下知(サフラヒ)謀叛(ムホン)殺害(せツガイ)山海(サンカイ)兩賊(―ゾク)-(カウせツ)ノ-(タウ)-(ハウ―)與奪ト云事罪過(ザイクハ)ニ処(シヨ)せラレテ。後ヒイキ人アリ。本ノ如ク御免(ユル)シヲ蒙(カウム)ルヲ與奪ト云也。又我処ヘ差(サシ)テ來ル財産(サイサン)ヲ近付人分(ツカハ)スヲ云フナリ。人ノ家ニツクル者ナリ。〔下21ウ三〜八〕

とあって、この標記語「二盗」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

山海(さんかい)の兩賊(りやうぞく)強竊(かうせつ)二盗(にとう)山海(サンカイ)兩賊(―ゾク)-(カウせツ)ノ-山賊海賊強盗窃盗の注前に見へたり。(山中にかくれ居て徃来の旅人をなやまするを山賊と云。海上に乗出して渡海の舟人をかすめるを海賊と云。ある本にハ山賊海賊と書たり。/同類多く勢ひ盛んなるを強盗と云。勢ひ微にして唯物を盗ミとるを竊盗といふ)〔66ウ三〜四(38オ八〜ウ一)〕

とあって、この標記語「二盗」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

侍所(さむらひどころ)(ハ)謀叛(むほん)殺害(せつがい)山海(さんかい)の両賊(りやうぞく)強竊(かうせつ)の二盗(にとう)放火(はうくハ)(サフラヒ)者謀叛(ムホン)殺害(せツガイ)山海(サンカイ)兩賊(―ゾク)-(カウせツ)ノ-(タウ)-(ハウ―)▲山海兩賊強竊二盗ハ六月の進状に見ゆ。(▲強竊窃盗ハ日中あらハに狼藉(らうせき)して奪ひ捕(と)るを強盗(がうとう)といひ、人を忍(しの)びて密(ひそか)に盗(ぬす)むを窃盗(せつとう)といふ)〔49オ八(31オ一)〕

侍所(さむらひところ)(ハ)謀叛(むほん)殺害(せつかい)山海(さんかい)兩賊(りやうぞく)-(がうせつ)二盗(にとう)放火(はうくわ)。▲山海兩賊強竊二盗ハ六月の進状に見ゆ。(▲強竊窃盗ハ日中(ひるなか)あらハに狼藉(らうぜき)して奪(うば)ひ捕(と)るを強盗(がうとう)といひ、人を忍(しの)びて密(ひそか)に盗(ぬす)むを窃盗(せつたう)といふ)〔88オ六〜ウ一(54ウ五〜六)〕

とあって、標記語「二盗」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「二盗」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「二盗」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-とう二盗】〔名〕」は未収載にし、『庭訓徃來』のこの語用例も未記載となっている。ここでも、本邦国語辞書全体を通して未記載となっている語であることが伺えよう。
[ことばの実際]
東國庄園、於隠居強竊二盗并慱奕等不善輩所々者、召放其所地頭職、可宛賜搦進仁之旨、被仰下陸奥出羽以下國々〈云云〉《書き下し》東国ノ庄園、強窃ノ二盗(タウ)并ニ慱奕等ノ不善ノ輩ヲ所所ニ隠シ居クニ於テハ、其ノ所ノ地頭職ヲ召シ放チ、搦メ進ズル仁ニ宛テ賜ハルベキノ旨、陸奥出羽以下ノ国国ニ仰セ下サルト〈云云〉。《『吾妻鏡建久六年八月二十八日の条》
 
 
 

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