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ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
其躰殆令超過関東蕾岡八幡宮参詣候訖〔至徳三年本〕
其躰殆令超過關東鶴岡八幡宮參詣候畢〔宝徳三年本〕
其躰殆令超過関東蕾岡八幡宮參詣候畢〔建部傳内本〕
其_躰殆令∨超‖-過関-東鶴_カ岡ノ八-幡-宮参-詣ニ|候訖〔山田俊雄藏本〕
其ノ躰殆(ホトント)令(シ)メ∨超‖過せ関東鶴カ岳八幡宮ノ参詣ニ|候畢〔経覺筆本〕
其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
鶴岡(ツルガヲカ) 相州鎌倉ノ郡。〔第一・乾坤ツ66五〕
とあって、標記語「鶴岡」の語を収載し、訓みを「ツルガヲカ」とし、その語注記は、「相州鎌倉の郡」と記載するのが唯一である。
このように、上記当代の古辞書には、「岡」及び「岡八幡宮」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。
487其体殆令∨超‖関東岳八幡宮ノ参詣ニ|候畢 八幡ハ善記二年癸丑日本ニ始渡給也。仁王三十代欽明天王御宇九州豊前国宇佐郡蓮臺寺ノ麓菱形ノ池ニ八幡雲立也。然而六七歳童子ニ託宣アリ。我ハ人王十六代應神天王也。自‖天帝尺|弓矢ノ司給也。我ヲ敬可∨守不∨信當∨罰云也。是ヲ内裡ヘ奏ス。勅使ニテ宇佐八幡ト祝也。京八幡ハ行教和尚其後勧請スル也。鎌倉ヘハ其後也。又云、弓矢八幡ハ本地阿弥陀。正八幡ハ正観音。若宮八幡ハ十一面也。又云、大神宮ハ昔、自‖高間原|天降セ給ヲ垂仁(スイ―)天王御宇廿五年三月上旬ニ大和国笠縫里ヨリ伊勢国渡會ノ郡五十鈴川上下津岩根ニ大宮柱太キ立祝初奉シ自以降、日本六十余州ニ三千七百五十餘社ノ神祇冥道ノ中ニハ八幡ハ猶勝給也。京ノ八幡供膳六膳也。一膳ハ行教和尚ノ膳也。〔謙堂文庫藏四七右F〕
とあって、標記語「岳」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ/其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス〔69オ七・八〕
とあって、この標記語「鶴ヶ岡」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス▲岡八幡宮ハ相州(さかミ)鎌倉(かまくら)にあり。頼朝卿(よりともけう)の勧請(かんじやう)にして祭(まつ)る神(かミ)石清水と同じ。〔51オ五〜51ウ三〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。▲岡八幡宮ハ相州(さかミ)鎌倉(かまくら)にあり。頼朝卿(よりともきやう)の勧請(くわんじやう)にして祭(まつ)る神(かミ)。石清水(いわしみづ)と同じ。〔91ウ五〜92ウ一〕
其躰殆令超過関東蕾岡八幡宮参詣候訖〔至徳三年本〕
其躰殆令超過關東鶴岡八幡宮參詣候畢〔宝徳三年本〕
其躰殆令超過関東蕾岡八幡宮參詣候畢〔建部傳内本〕
其_躰殆令∨超‖-過関-東鶴_カ岡ノ八-幡-宮参-詣ニ|候訖〔山田俊雄藏本〕
其ノ躰殆(ホトント)令(シ)メ∨超‖過せ関東鶴カ岳八幡宮ノ参詣ニ|候畢〔経覺筆本〕
其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
487其体殆令∨超‖{「過」脱}関東岳八幡宮ノ参詣ニ|候畢 八幡ハ善記二年癸丑日本ニ始渡給也。仁王三十代欽明天王御宇九州豊前国宇佐郡蓮臺寺ノ麓菱形ノ池ニ八幡雲立也。然而六七歳童子ニ託宣アリ。我ハ人王十六代應神天王也。自‖天帝尺|弓矢ノ司給也。我ヲ敬可∨守不∨信當∨罰云也。是ヲ内裡ヘ奏ス。勅使ニテ宇佐八幡ト祝也。京八幡ハ行教和尚其後勧請スル也。鎌倉ヘハ其後也。又云、弓矢八幡ハ本地阿弥陀。正八幡ハ正観音。若宮八幡ハ十一面也。又云、大神宮ハ昔、自‖高間原|天降セ給ヲ垂仁(スイ―)天王御宇廿五年三月上旬ニ大和国笠縫里ヨリ伊勢国渡會ノ郡五十鈴川上下津岩根ニ大宮柱太キ立祝初奉シ自以降、日本六十余州ニ三千七百五十餘社ノ神祇冥道ノ中ニハ八幡ハ猶勝給也。京ノ八幡供膳六膳也。一膳ハ行教和尚ノ膳也。〔謙堂文庫藏四七右F〕
※天理図書館藏『庭訓徃來註』は、「令メレ超二過せ一」とし、国会図書館藏『左貫註』も同様に表記する。
とあって、標記語「超過」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ/其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス其躰とハ其様子なり。殆とハちかき心なり。超過ハこへすぐと讀。關東の注前に見へたり。鎌倉をさして云也。鶴岡八幡宮ハ頼朝卿の勧請し玉へるによりてかまくら将軍代々信仰し玉へり。言こゝろハ今京都将軍の若宮御参詣の樣躰ハ鎌倉将軍乃鶴ケ岡参詣の粧ひよりもまさりたる樣也とそ。〔69オ七〜ウ八〕
とあって、この標記語「超過」の語を収載し、語注記は「超過は、こへすぐと讀む」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ一〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ五〕
てう-くゎ〔名〕【超過】(一)他に越ゆること。勝(すぐ)るること。法苑珠林、唐、釋道世「超二過三乘一」太平記、二、南都北嶺行幸事「近年相模入道が振る舞ひ、日來の不義に超過せり」(二)餘ること。程に過ぐること。「輸出超過」〔1347-4〕
其(ソノ) 。〔元亀二年本156六〕〔静嘉堂本171五〕〔天正十七年本中17オ六〕 ×。〔元亀二年本〕〔静嘉堂本〕
其躰殆令超過関東蕾岡八幡宮参詣候訖〔至徳三年本〕
其躰殆令超過關東鶴岡八幡宮參詣候畢〔宝徳三年本〕
其躰殆令超過関東蕾岡八幡宮參詣候畢〔建部傳内本〕
其_躰殆令∨超‖-過関-東鶴_カ岡ノ八-幡-宮参-詣ニ|候訖〔山田俊雄藏本〕
其ノ躰殆(ホトント)令(シ)メ∨超‖過せ関東鶴カ岳八幡宮ノ参詣ニ|候畢〔経覺筆本〕
其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
軆 テイ/又作躰。〔黒川本・人躰門下16ウ二〕
躰 。〔卷第・辞字門〕
尊體(ソンタイ/タツトシ、テイ・カタチ) 体。躰。〔態藝門388八〕
其(ソノ)後(ノチ) ―験(シルシ)。―儀(ギ)。―邊(ヘン)。―方(ハウ)。〔言辞門66五〕
とあって、標記語「其後」の語を収載し、熟語群を含め、「其躰」は、未収載にする。
このように、上記当代の古辞書には、「其体」及び「其躰」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。
487其体殆令∨超‖関東岳八幡宮ノ参詣ニ|候畢 八幡ハ善記二年癸丑日本ニ始渡給也。仁王三十代欽明天王御宇九州豊前国宇佐郡蓮臺寺ノ麓菱形ノ池ニ八幡雲立也。然而六七歳童子ニ託宣アリ。我ハ人王十六代應神天王也。自‖天帝尺|弓矢ノ司給也。我ヲ敬可∨守不∨信當∨罰云也。是ヲ内裡ヘ奏ス。勅使ニテ宇佐八幡ト祝也。京八幡ハ行教和尚其後勧請スル也。鎌倉ヘハ其後也。又云、弓矢八幡ハ本地阿弥陀。正八幡ハ正観音。若宮八幡ハ十一面也。又云、大神宮ハ昔、自‖高間原|天降セ給ヲ垂仁(スイ―)天王御宇廿五年三月上旬ニ大和国笠縫里ヨリ伊勢国渡會ノ郡五十鈴川上下津岩根ニ大宮柱太キ立祝初奉シ自以降、日本六十余州ニ三千七百五十餘社ノ神祇冥道ノ中ニハ八幡ハ猶勝給也。京ノ八幡供膳六膳也。一膳ハ行教和尚ノ膳也。〔謙堂文庫藏四七右F〕
とあって、標記語「其体」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ/其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス〔69オ七・八〕
とあって、この標記語「其の躰」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス▲其躰ハ。〔51オ五〜51ウ三〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。▲其躰ハ。〔91ウ五〜92ウ一〕
Tei.テイ(体・躰) 体裁,格好,様子.〔邦訳642r〕
てい〔名〕【體】〔タイの呉音〕かたち。すがた。ありさま。やうす。ふり。字類抄「軆、テイ、四支」保元物語、一、新院御所各門門固事「兜をば郎等に持せて歩み出たる體、樊懊も斯やと覺えて、由由しかりき」狂言記、どぶかッちり「いや、座頭が酒を飲むていでござる」先哲叢談、三、熊澤蕃山「嘗至二某侯一、及レ入見二一士人威儀特秀、骨體非常一、相與、張目注視良久、遂不レ交二一言一」「體を變へて」事なき體に」〔3-0447-4〕
態(ワザ) 態(吉)。〔元亀二年本90六〕
態(ワサ) 。〔静嘉堂本111六〕〔天正十七年本上55オ一〕〔西來寺本〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去ヌル比預リ‖御札|候処ニ他行之間即チ不∨申‖御返亊ヲ|候之条失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣之事供奉(クフ)ノ日記被∨借リ‖用ヒ或方ヨリ|候後日ニ態ト可∨進候也〔経覺筆本〕
去比預リ‖御札ニ|候處他行之際即不申御返事|候条失本意ヲ候又將軍家若宮ノ御参詣事供奉(ク―)ノ日記○被借‖用有方ニ|候後日ニ態∨可進也{自或方被借用以後日態可進之候}〔文明四年本〕 供奉(クフ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
態(ワザト/タイ)[去] 。〔態藝門250三〕
とあって、標記語「態」の語を収載し、訓みを「ワザト」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
態(ワザト) 。〔弘・言語進退門72三〕
とあって、弘治二年本だけが標記語「態」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
態(ワザト) 。〔言辞門68四〕
このように、上記当代の古辞書に、「態」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「態」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
後日(ごにち)態(ハざ)と進(しん)ず可(べく)候也/後日態可∨進也追て其元へも御覧に入れんと也。〔69ウ三・四〕
とあって、この標記語「態」の語を収載し、語注記は、「追て其元へも御覧に入れんとなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ二〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ六〕
Vazato.ワザト(態) 副詞.わざわざ,または,故意に.→Macaricoxi,su;Qeitat.〔邦訳682l〕
わざと〔副〕【態】〔業(わざ)としての意か〕(一){ことさらに。わざわざ。源氏物語、二、帚木31「わざと倣ひ學ばねども、云云」(二)心を用ゐて。しひて。故意に。狭衣物語、三、上16「あいきゃうづき給へる御心ざまにて、わざとへだて奉り給ふ事もなかりけり」(三){とりわけ。わけて。特別に。源氏物語、十、榊36「御手などの、わざとかしこうこそものし給ふべけれ」(四)心ばかり。すこしばかり。こころざし。〔2166-2〕
供奉(ブ) 。〔元亀二年本190六〕
供奉(フ) 。〔静嘉堂本214七〕
供奉(クフ) 。〔天正十七年本中36ウ七〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去ヌル比預リ‖御札|候処ニ他行之間即チ不∨申‖御返亊ヲ|候之条失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣之事供奉(クフ)ノ日記被∨借リ‖用ヒ或方ヨリ|候後日ニ態ト可∨進候也〔経覺筆本〕
去比預リ‖御札ニ|候處他行之際即不申御返事|候条失本意ヲ候又將軍家若宮ノ御参詣事供奉(ク―)ノ日記○被借‖用有方ニ|候後日ニ態∨可進也{自或方被借用以後日態可進之候}〔文明四年本〕 供奉(クフ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
供奉 クフ。〔黒川本・疉字門中81オ一〕
供養 〃給。〃御/〃佛。〃具。〃奉。〃料。〔卷六・疉字門446一〕
供奉(グブ) 。〔態藝門74四〕
供奉(グブ/トモ・ヤシナフ・タテマツル、ホウ・タテマツル)[去・上] 。〔態藝門544五〕
とあって、標記語「供奉」の語を収載し、訓みを「グブ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
供奉(グブ) 。〔弘・言語門163六〕
供養(クヤウ) ―給(キウ)。―奉(ブ)。〔永・言語門131八〕〔両・言語門146八〕
供養(クヤウ) ―給。―奉。〔尭・言語門120九〕
とあって、弘治二年本は標記語「供奉」の語を収載し、他本は標記語「供養」の冠頭字「供」の熟語群として「供奉」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
供養(クヤウ) ―物(モツ)。―給(キフ)。―奉(ブ)。〔言辞門132六〕
このように、上記当代の古辞書に、「供奉」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「供奉」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
供奉(ぐぶ)の日記(につき)/供奉ノ日記御供(とも)の行列(ぎやうれつ)書(かき)なり。〔69ウ二・三〕
とあって、この標記語「供奉」の語を収載し、語注記は、「御供(とも)の行列(ぎやうれつ)書(かき)なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス▲供奉日記ハ御供(とも)の為躰(ていたらく)行列(ぎやうれつ)等の記録(かきもの)也。〔51オ五〜51ウ二〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)▲供奉ノ日記は御供(とも)の為躰(ていたらく)行列(ぎやうれつ)等の記録(かきもの)也。〔91ウ五〜92オ六〕
Gubu.グブ(供奉) 伴をすること.§Gubuno fito.(供奉の人)伴をして行く人.§Gubusuru.(供奉する)伴をして行く.〔邦訳311l〕
ぐ-ぶ〔名〕【供奉】(一)御供に、仕へ奉ること。保元物語、一、鳥羽院熊野御參詣事「法皇、云云、供奉の人人を召て」「行幸の供奉」「~輿の供奉」(二)内供奉の略、其條を見よ。さりぬるの條を見よ。榮花物語、十八、玉の臺「御厨子所の方を見れば、さるべき下臈男どもや、何くれの供奉達」〔0849-2〕
参詣(ゲイ) 。〔元亀二年本267十〕
参詣(ケイ) 。〔静嘉堂本304六〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去ヌル比預リ‖御札|候処ニ他行之間即チ不∨申‖御返亊ヲ|候之条失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣之事供奉(クフ)ノ日記被∨借リ‖用ヒ或方ヨリ|候後日ニ態ト可∨進候也〔経覺筆本〕
去比預リ‖御札ニ|候處他行之際即不申御返事|候条失本意ヲ候又將軍家若宮ノ御参詣事供奉(ク―)ノ日記○被借‖用有方ニ|候後日ニ態∨可進也{自或方被借用以後日態可進之候}〔文明四年本〕 供奉(クフ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
参詣(サンケイ/マイル、マウデ)[平・去] 。〔態藝門784六〕
とあって、標記語「参詣」の語を収載し、訓みを「サンケイ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
参詣(サンケイ) 。〔弘・言語門214三〕
参會(サンクハイ) ―詣(ケイ)。―禅(ぜン)。―暇(カ)。―斈(ガク)。―篭(ロウ)。―賀(カ)。―入(ニウ)。―上(ジヤウ)。―謁(エツ)。―内(ダイ)。―拝(ハイ)。―决(ケツ)。―扣(コウ)。―謝(ジヤ)。―社(シヤ)。〔永・言語門178三〕
参會(サンクハイ) ―詣。―禅。―暇。―斈(ガク)。―篭。―賀。―入。―上。―謁。―内。―拝。―决。―扣。―謝。―社。〔尭・言語門167四〕
とあって、弘治二年本は標記語「参詣」の語を収載し、他本は標記語「参會」の冠頭字「参」の熟語群として「参詣」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
參會(サンクワイ) ―列(レツ)。―候(コウ)。―社(シヤ)。―洛(ラク)。―仕(シ)。―拝(ハイ)。―謁(エツ)。―賀(カ)。―籠(ロウ)。―詣(ケイ)。―内(ダイ)。―上(ジヤウ)。―向(カン)。―集(シフ)。―著(チヤク)。―宮(グウ)。〔言語門180四〕
このように、上記当代の古辞書に、「参詣」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「参詣」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)の事(こと)/抑將軍家。若宮御参詣之事此將軍家ハまさしく足利(あしかゝ)將軍をいえる也。若宮ハ山城乃石清水八幡宮(いわしみづはちまんぐう)なり。〔69オ七〜ウ二〕
とあって、この標記語「参詣」」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ一〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ五〕
Sanqei.サンケイ(参詣) 寺(Tera),あるいは,神(Camis)の社に参ること.例Teraye sanqei suru.(寺へ参詣する).〔邦訳555r〕
さん-けい〔名〕【参詣】ものまうで。~佛を拝みに行くこと。晉書、王嘉傳「遷二于倒獸山一、苻堅累徴、公侯以下、咸躬徃參詣」保元物語、一、「法皇熊野御參詣事」義經記、六「靜若宮八幡宮参詣事」。〔0849-2〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去ヌル比預リ‖御札|候処ニ他行之間即チ不∨申‖御返亊ヲ|候之条失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣之事供奉(クフ)ノ日記被∨借リ‖用ヒ或方ヨリ|候後日ニ態ト可∨進候也〔経覺筆本〕
去比預リ‖御札ニ|候處他行之際即不申御返事|候条失本意ヲ候又將軍家若宮ノ御参詣事供奉(ク―)ノ日記○被借‖用有方ニ|候後日ニ態∨可進也{自或方被借用以後日態可進之候}〔文明四年本〕 供奉(クフ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
このように、上記当代の古辞書には、「若宮」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「若宮」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)の事(こと)/抑將軍家。若宮御参詣之事此將軍家ハまさしく足利(あしかゝ)將軍をいえる也。若宮ハ山城乃石清水八幡宮(いわしみづはちまんぐう)なり。〔69オ七〜ウ二〕
とあって、この標記語「若宮」の語を収載し、語注記は、「若宮は、山城の石清水八幡宮(いわしみづはちまんぐう)なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス▲若宮ハ城州(やましろ)の石清水(いはしみつ)八幡宮を指(さ)す。〔51オ五〜51ウ二〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)▲若宮ハ城州(やましろ)の石清水(いはしミづ)八幡宮を指(さ)す。〔91ウ五〜92オ五〕
†Vacamiya.ワカミヤ(若宮) 皇子,すなわち,国王の子息で,国王の位を継ぐべき人.〔邦訳675l〕
わか-みや〔名〕【若宮】(一){皇子の、幼くましますを申す稱。源氏物語、七、紅葉賀14「若宮の御事を、わりなくおぼつかながり、云云」(二)親王家、又は、王家の御世継の御方を申す稱。又、一般に皇族の御子をも申す。(三)本宮の祭~の子を、其境内に祀る社。八幡宇佐宮御託宣集、若宮、貞觀十八年「大菩薩宮西方隠坐~未二顕給一、其名若宮~」二十二社註式「若宮八幡四所御事、若宮、仁徳天皇」(四)新宮の稱。本宮を別地に勸請して祀る社。吾妻鏡、一、治承四年十月十二日「勸二請石清水一、建二瑞於當國由比郷一」注「今號之下若宮一」〔2162-2〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意候ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去ヌル比預リ‖御札|候処ニ他行之間即チ不∨申‖御返亊ヲ|候之条失ヒ‖本意候ヲ|候將軍家若宮御参詣之事供奉(クフ)ノ日記被∨借リ‖用ヒ或方ヨリ|候後日ニ態ト可∨進候也〔経覺筆本〕
去比預リ‖御札ニ|候處他行之際即不申御返事|候条失本意候ヲ候又將軍家若宮ノ御参詣事供奉(ク―)ノ日記○被借‖用有方ニ|候後日ニ態∨可進也{自或方被借用以後日態可進之候}〔文明四年本〕 供奉(クフ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
本意 人情部/ホンイ。〔黒川本・言語門上38オ四〕
本末 〃誓。〃心。〃覺。〃師。〃願。〃躰。〃所。〃家。〃意。〃糸。〔卷第二・言語門332二〕
本意(ホンイ/モト、コヽロ・ヲモフ)[平・平去] 。〔態藝門101B〕
とあって、標記語「本意」の語を収載し、訓みを「タギヤウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
本意(ホンイ) 。〔弘・言語進退門34五〕〔両・言語門38七〕
本末(ホンマツ) ―意(ホンイ)。―系モトヲツク。―来(ライ)。―復(フク)。―懐(クワイ)。―性(シヤウ)。―跡(せキ)。―所。―領(リヤウ)。―体(タイ)。―樣。―望(マウ)。―分(フン)。―訴(ソ)。―券(ケン)。〔永・言語門35一〕
本末(ホンマツ) ―意。―系。―来。―復。―懐。―性。―跡/―所。―領。―体。―樣。―望。―分。―訴。―地。〔尭・言語門31九〕
とあって、弘治二年本と両足院本の標記語「本意」の語を収載し、他本は「本末」の冠頭字「本」の熟語群として「本意」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
本意(イ) 。〔言語門60四〕
このように、上記当代の古辞書に、「本意」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意候|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「本意」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意候ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
本望(ほんもう)を失(うしな)ひ畢ぬ/失ヒ‖本望ヲ|畢こゝに云こゝろハ返し比書状を送られたりしに折あしく代出して返事申さるゝ事本望に背きたる仕合なりとそ。〔69オ七・八〕
とあって、この標記語「本望」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ一〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ五〕
Fon-i.ホンイ(本意) Fonno cocoro.(本の意)本来の意味,または,本来の道理.§Foni uo somuqu.(本意を背く)道理と礼儀にそむく.§また,自分自身の願望.例,Foninin naru.(本意になる)自分の願望や意志を達する.〔邦訳260l〕
ほんーい〔名〕【本意】〔略して、ほい〕(一){まことのこころ。本懐。後漢書、竇融傳「又、京師百僚、不レ曉二國家及將軍本意一」皇甫冉詩「一官知所傲、本意在二雲泉一」字類抄「本意」宇津保物語、樓上、下28「ほんいのごと靜かなるべい事のかたかべいをなん、いかさまにせましと思ひ侍る」榮花物語、一、月宴「前の朱雀院の女みこ、云云、後にすゑ奉らんの御本意なるべし」(二)もとよりのこころ。根本のかんがへ。本來の意志。後漢書、張敏傳「臣伏見、孔子垂二經典一、皐陶造二法律一、原二其本意一、皆欲レ禁二民爲一レ非也」源平盛衰記、十九、文覺發心事「年來(ごろ)日來、諸諸の~~、廻り行ひ祈る、祷りの甲斐ありて、本意をとげぬる嬉しさよ」〔1853-5〕
返事(ジ) 。〔元亀二年本49十〕
× 。〔静嘉堂本〕〔天正十七年本〕〔西來寺本〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去ヌル比預リ‖御札|候処ニ他行之間即チ不∨申‖御返事ヲ|候之条失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣之事供奉(クフ)ノ日記被∨借リ‖用ヒ或方ヨリ|候後日ニ態ト可∨進候也〔経覺筆本〕
去比預リ‖御札ニ|候處他行之際即不申御返事|候条失本意ヲ候又將軍家若宮ノ御参詣事供奉(ク―)ノ日記○被借‖用有方ニ|候後日ニ態∨可進也{自或方被借用以後日態可進之候}〔文明四年本〕 供奉(クフ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
返亊(ヘンジ/ハン・カヘル、ワザ・コト)[上・去] 。〔態藝門115七〕
とあって、標記語「返事」の語を収載し、訓みを「ヘンジ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
返亊(シ) 。〔弘・言語進退門39三〕
返閉(ヘンヘイ) ―進(シン)。―納(ナウ)。―奉(ホウ)。―答(タウ)/―窮(キウ)。―上(ジヤウ)。―報(ホウ)。―弁(ベン)。―亊(ジ)。〔永・言語門39三〕
返閉(ヘンヘイ) ―進。―奉。―納。―報/―答。―窮。―上。―弁。〔尭・言語門36二〕
返進(ヘンシン)。返答(タウ)。返上。返報(ホウ)。返弁(ベン)。〔両・言語門43四・五〕
とあって、弘治二年本は標記語「返事」の語を収載し、永祿二年本は標記語「返閉」の語を収載し、冠頭字「返」の熟語群の末尾に「返事」の語を収載する。そして、他本は未収載となっている。また、易林本『節用集』には、
返事(ジ) 。〔言語門37六〕
このように、上記当代の古辞書にあって、「返事」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ここで、『運歩色葉集』及び印度本節用集諸本に収載有無の異同が見られ、この要因がどのような編纂意図に依拠しているのかを考察するに、増補改訂のうえで、整理がついているのが静嘉堂本・天正本・西来寺本であって、元亀二年本が「返」を冠頭字とする熟語語彙を大きく二箇所で排列している状況から見ても、その元亀二年本の原本自体が大いに補足していた準備段階の古辞書であった可能性が高い。これを冠頭字を統一編纂するという第二次編纂は行われずして、元亀二年本はそのまま書写したものとみておくこととする。そのうえで、印度本節用集の諸本を見るに、ここでも各々異なりを見せていて、その語彙の取り込み状況が余りにも複雑化している箇所であることを指摘しておきたい。この箇所がある意味で、その成立過程での系統性を明らかにしていくうえで重要な役割を見せていることは言うまでもなかろう。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「返事」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
他行(たぎやう)之(の)間(あいた)則(すなハち)御(ご)報(ほう)を申(まを)さ不(す)候の之条/他行之間則不∨申‖御報ヲ|候之條他行ハ外に出て家に居らぬ事也。又代出とも云。〔69オ六・七〕
とあって、この標記語を「返事」とせずに「報」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ一〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ五〕
Fenji.ヘンジ(返事) Cayeri coto.(返り事) 返事.〔邦訳221l〕
へんーじ〔名〕【返事】かへりごと。こたへ。あいさつ。返答。答辭(とうじ)。字類抄「返事、ヘンジ」源氏物語、四十三、竹川22「侍從の君は、この御返事せんとて、上にまゐりたまふを見るに」保元物語、一、左大臣上洛事「即ち内裏より御返事あり」〔1815-2〕
他(タ)行(ギヤウ) 。〔元亀二年本135七〕
他(タ)行 。〔静嘉堂本142八〕
他(タ)行(キヤウ) 。〔天正十七年本中3ウ三〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也〔経覺筆本〕
去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
他行(タギヤウ・ヲコナウ/フタゴヽロ、カウ・ユク・ツラナル)[平・平去] 。〔態藝門349一〕
とあって、標記語「他行」の語を収載し、訓みを「タギヤウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
他(タ)行(ギヤウ) 。〔弘・言語進退門108六〕
とあって、弘治二年本のみが標記語「他行」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
他(タ)行(ギヤウ) ―流(リウ)/―院(ヰン)。―腹(フク)。―郷(キヤウ)。―門(モン)。―所(シヨ)。―家(ケ)/―方(ハウ)。―國(コク)。―言(コン)。―念(ネン)。―筆(ヒツ)。―事(シ)。〔言語門93六・七〕
このように、上記当代の古辞書に、「他行」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「他行」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
他行(たぎやう)之(の)間(あいた)則(すなハち)御(ご)報(ほう)を申(まを)さ不(す)候の之条/他行之間則不∨申‖御報ヲ|候之條他行ハ外に出て家に居らぬ事也。又代出とも云。〔69オ六・七〕
とあって、この標記語「他行」の語を収載し、語注記は「他行は、外に出て家に居らぬ事なり。又、代出とも云ふ」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ一〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ五〕
Taguio<.タギヤウ(他行) すなわち,Yosoye yuqu.(よそへ行く)他所へ行くこと.例,Taguio< suru.(他行する)Taguio< nasareta.(他行なされた)〔邦訳602l〕
たぎゃう〔名〕【他行】家を出でて、外へ行くこと。よそゆき。他出。魏書、列女、魏溥妻傳「以レ啓レ母、房命レ駕(アザムキテ)、給云二他行一」源平盛衰記、三十九、重衡迎二内裏女房一事「都を落ち下だりし時、友時が他行して侍りし」〔1205-5〕
御札(サツ) 。〔元亀二年本281五〕
御札 。〔静嘉堂本321六〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返事|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之事供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也〔経覺筆本〕
去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返事|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之事供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
御札(ギヨサツ/ヲサム、フダ)[去・入] 。〔態藝門830八〕
とあって、標記語「御札」の語を収載し、訓みを「ギヨサツ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、標記語「御札」の語は未収載にする。また、易林本『節用集』には、
御感(ギヨカン) ―遊(イウ)。―句(ク)。―札(サツ)。―意(イ)。〔言語門190四〕
このように、上記当代の古辞書に、「御札」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
とあって、標記語「御札」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
去(さんぬ)る比(ころ)ハ御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候之處/去ヌル比ハ預‖御札ニ|候之処去ぬる比とハいつぞやハといふかことし。二十五章之内唯此章の之返状有て出状なし。〔69オ五・六〕
とあって、この標記語「御札」の語を収載し、語注記は「去ぬる比とは、いつぞやはといふがごとし」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ一〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ五〕
Guiosat.ギヨサツ(御札) Von fumi(御文)に同じ.尊敬して言うところの書状.〔邦訳302l〕
去比預御札候之處他行之間不申御返事候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔至徳三年本〕
去比預御札候處他行之間即不申御返事候之條失本意候畢將軍家若宮御参詣事供奉日記被借用有方候後日態可進也〔宝徳三年本〕
去比預御札候處他行之際即御返事不申候之条失本意候將軍家若宮御参詣之事供奉之日記被借用或方候後日態可進之候也〔建部傳内本〕
去ル比預‖御札ニ|候之處ニ他行之間即不∨申‖御返事ヲ|候條失ヒ‖本意ヲ|候將軍家若宮御参詣ノ事供奉ノ日記被∨借‖用或方ニ|候後日ニ態可∨進也〔山田俊雄藏本〕
去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也〔経覺筆本〕
去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
去(イヌル/キヨ・サル)[平・去] 皈去義。〔態藝門42一〕
とあって、標記語「去比」の語は未収載であり、「去」の単字で訓みを「イヌル」とし、その語注記は「皈去の義」と記載する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
去(サル) 。〔弘・言語進退門213四〕
とあって、弘治二年本が標記語「去比」の語は未収載であるが、単字として「去」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
避(サル)。却(同)。去(同)。遠(同)。〔言辞門182七〕
このように、上記当代の古辞書に、「去比」の語としては未収載であり、「去」のみでしか収載されていない。ここに、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
486去比預‖御札ニ|候所ニ他行之間即不∨申‖御返亊|候条失‖本意|候將軍家若宮御参詣之亊供奉ノ日記被∨借‖用有方ニ|候後日ニ態可∨進也 頼朝將軍若宮ヘ參詣之日記也。〔謙堂文庫藏四七右C〕
※静嘉堂文庫藏『庭訓往來抄』古寫「去(サンヌル)比」と訓じて表記する。天理図書館藏『庭訓徃來註』は、「去( ヌル)比」と訓じていて判明しない。
とあって、標記語「去比」の語を収載し、語注記は未記載にする。
去比(サンヌル)預(アツカリ)‖御札ニ|候之處ニ他行之際(アイタ)即不(サルノ)∨申( サ)‖御報|之条失(ウシナヒ)‖本意ヲ|存候抑(ソモ/\)將軍家ノ若宮(ワカミヤ)御(ゴ)参詣(サンケイ)事供(グ)奉ノ之日記被∨借(シヤク)‖用或(アル)方ニ|候後日ニ態(ワサト)可∨進∨之也其ノ躰(テイ)殆(ホトンド)令メ∨超(テウ)‖過(クハ)関東鶴岡(ツルガヲカ)八幡宮参詣ニ|候畢ヌ路次(ロシ)者(ハ)凡ソ將軍家ノ御参詣(ケイ)ニハ。供奉ノ日記トテ有也。是ハ御供(トモ)ノ爲(タラク)レ體(テイ)ヲシルシタル日記也。先代(せンタイ)當代相替(カハラ)ヌ様ニト云心ナリ。関東(クハントウ)ニ鶴(ツル)ガ岡(ヲカ)ノ八幡(ハチマン)トテアリ。御所ノ御代ニ一度ノ御参詣(ケイ)ナリ。惣兎八幡ノ本地ハ。一代教主(ケフシユ)本佛ノ釈迦如來也。故ニ九州(キウシウ)大隅(ヲホスミ)ノ八幡ニ。奇特(キドク)ノ有テ瑞相(ズイサウ)一夜ガ内ニ神前ニ大石(タイせキ)從(ヨリ)レ地涌出(イテ)テ其(ソノ)石(イシ)二ツニ破(ハレ)タリ。一方ニハ。南無八幡大菩薩ト云文字スワリ又一方ニハ。於靈鷲山(リヤウジユせン)説二妙法華經ヲ一今ハ在テ二宮中ニ一示(シ)二現(ゲン)ス大菩薩(ボサツ)ト云文字スワリテ今ニ有レ之於レ有ルヲ二不審(フシン)一参詣(ケイ)シテ可レ令ム二拝見(ハイケン)一者也。昔(ムカシ)靈鷲山ニシテ。妙法華經ヲ説キ玉フ佛ハ釈迦ヨリ外ニ別ニ佛無レ之八幡ノ本地釈迦如來也ト云事無レ疑者也如キノレ斯(カク)ノ證(せウ)文ハ。石躰(せキタイ)ノ銘(メイ)トテカクレナキ也。〔下24オ五〜24ウ四〕
去(さんぬ)る比(ころ)ハ御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候之處/去ヌル比ハ預‖御札ニ|候之処去ぬる比とハいつぞやハといふかことし。二十五章之内唯此章の之返状有て出状なし。〔69オ五・六〕
とあって、この標記語「去比」の語を収載し、語注記は「去ぬる比とは、いつぞやはといふがごとし」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
去比(さんぬるころ)御札(ぎよさつ)に預(あづか)り候(さふら)ふ之處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あいだ)則(すなハち)御(おん)返事(へんじ)を申(まを)さ不(す)候(さふら)ふ之(の)條(でう)本意(ほんい)を失(うしな)ひ畢(おハん)ぬ存候抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)參詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(ぐぶ)の日記(につき)或(ある)方(かた)に借用(しやくよう)せら被(れ)候(さふら)ふ後日(ごにち)態(わざ)と進(しん)ず可(べ)き也(なり)其(その)體(てい)殆(ほとんど)關東(くハんとう)鶴(つる)が岡(おか)八幡宮(はちまんぐう)の參詣(さんけい)に超過(てうくハ)せ令(し)め候(さふら)ひ畢(おハん)ぬ。/去ル比預リ‖御札ニ|候フ之處。他行之間則不∨申サ‖御返事ヲ|候フ之條失ヒ‖本意ヲ|畢ス。抑將軍家。若宮御参詣之事。供奉ノ日記。被∨借‖用せラ或ル方ニ|候フ。後日態ト可キ∨進ズ也。其ノ躰殆。令メ∨超‖過セ関東。鶴カ岡八幡宮参詣ニ|候ヒ畢ス。〔51オ五〜51ウ一〕
去比(さんぬるころ)預(あづかり)‖御札(ぎよさつ)に|候(さふらふ)之(の)處(ところ)他行(たぎやう)之(の)間(あひだ)則(すなハち)不(ず)∨申(まうさ)‖御(おん)返事(へんじ)を|候(さふらふ)之(の)條(でう)失(うしなひ)‖本意(ほんい)を|畢(をハんぬ)抑(そも/\)將軍家(しやうぐんけ)若宮(わかミや)御(ご)参詣(さんけい)之(の)事(こと)供奉(くぶ)の日記(につき)被(れ)∨借(しやく)‖用(よう)或(ある)方(かた)に|候(さふらふ)後日(ごにち)態(わざと)可(べき)∨進(しんず)∨也(なり)其(その)躰(てい)殆(ほとんと)令(しめ)∨超(てう)‖過(くわせ)関東(くわんとう)鶴岡(つるがをか)八幡宮(はちまんぐうの)参詣(さんけい)に|候(さふらひ)畢(をハんぬ)。〔91ウ五〜92オ五〕
Sa~nuru.サンヌル(去) 例,S~anuru coro.(去んぬる比)さきごろ.〔邦訳555r〕
さんぬる〔連體〕【去】さりぬるの條を見よ。〔0849-2〕
八月七日 散位長谷部〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕〔文明四年本〕
と見え、いずれも「散位長谷部」とする。但し、内閣文庫藏本は、「民部大夫田原」と記載する。
このように、上記当代の古辞書に、「散位」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が別語を有していることもあって、この語の収載がないものとなっている。
484八月七日 民部大夫田原〔謙堂文庫藏四七右A〕
※至徳三年本(神門寺藏)・山田俊雄家蔵本『庭訓徃来』には、「散位長谷部」という記載が見られる。※天理図書館藏『庭訓往来註』には、本文部を「散位長谷部」とし、右傍に「民部大夫原{田原イ}」という記載がなされ、さらに左傍らに「――ハ六位ヲ持ツヲ云也」と記載する。※国会図書館藏『左貫註庭訓』は、本文部を「民部大夫田原」とし、右傍に「散位長谷部――ハ六位ヲ持ヲ云也/散位トテ喩ハ五位ナリ四位ニノボルヲ云也。是箕源三位ヲ望テ哥曰、ノボルベキタヨリナケレバ木ノ本ニ四位ヲヒロイテ世ヲ渡ル哉、此哥ヲ以テ四位三位ニノボル也」と記載する。※静嘉堂藏『庭訓徃來抄』古冩には、「散(サン)位長谷部(ハせへ)喜公(ヨシタゝ)」とし、頭注書込みに、「△散位ト書キテ喩ヘハ五位ヨリ四位ニノホルヲ云也。是ニ付テ源三位ヲ望ン哥曰、△ノホルヘキタヨリナケレバ木ノ本ニシイヲヒロイテ世ヲハタルカカナ。此以∨哥ヲ三位ニノホル也」も同様の注記を記載する。
とあって、標記語「散位」の語は未収載にし、真字注諸本においては「民部大夫田原」と異同が見られるところである。その理由としては、八月書状三通における所載のなかで送り状と返し状における混同が考えられよう。
八月七日 散位(サンミ)長谷部(ハせベ)。〔下24オ三〕
八月七日 散位(さんミ)長谷部(はせべ)/八月七日 散位長谷部。〔69オ三〕
とあって、この標記語「散位」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
八月七日 民部(ミんぶ)の太輔(たいふ)田原(たはら)。/八月。七日。 民部ノ大輔。田原。▲田原ハ大職冠(たいしよくくハん)鎌足(かまたり)公(こう)六代の孫(まご)従(じう)五位ノ下河内守村雄(むらを)の長男従四位ノ下武蔵守鎮守(ちんじゆ)府(ふ)将軍(しやうぐん)秀郷(ひでさと)世(よ)に俵(たハら)藤太と稱(しよう)す是其祖(そ)也。兄弟(きやうたい)子孫(しそん)皆(ミな)田原と稱す。〔51オ二〜四〕
八月(はちくわつ)七日(なぬか) 民部(ミんぶ)大輔(たいふ)田原(たはら)。▲田原ハ大職冠(たいしよくくハん)鎌足(かまたり)公(こう)六代の孫(まご)従(じう)五位ノ下河内守村雄(むらを)の長男従四位ノ下武蔵守鎮守(ちんじゆ)府(ふ)将軍(しやうぐん)秀郷(ひでさと)世(よ)に俵(たハら)藤太と稱(しよう)す是其祖(そ)也。兄弟(きやうたい)子孫(しそん)皆(ミな)田原と稱す。〔91ウ一〕
粗(ホヽ) 。略(同) 。〔元亀二年本47二〕〔天正十七年本上27オ六〕
粗(ホヾ) 。畧(同) 。〔静嘉堂本52七〕〔西來寺本〕
其旨趣具難盡紙上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
其旨趣具難盡帋上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔建部傳内本〕
其旨(シイ)_趣具ニ難∨盡シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ之所∨及粗(ホヾ)可∨令∨申候也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
其ノ旨趣具ニ難∨尽シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホホ)可∨令∨申候也恐々謹言〔経覺筆本〕
其ノ旨趣(シイシユ)具ニ難シ∨盡シ‖紙上(シ―)ニ|御上洛之時心ノ之所∨及フ粗(ホヽ)可令申候也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
粗 ホヽ。略幽 已上同。〔黒川本・辞字門上36ウ五〕
粗 ホヽ。幽略 已上同。〔卷第二・辞字門326四〕
粗(ホヾ/ソ)[上] 。略(同/リヤク)[入] 内々ト云心也。〔態藝門206五〕
とあって、標記語「粗」の語を収載し、訓みを「ホヾ」とし、その語注記は「内々と云ふ心なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
略(ホヽ) 同一義。粗(同) 。幽(同) 。〔弘・言語門36二〕
粗(ホヽ) 畧/幽。〔永・言語門36二〕〔尭・言語門32九〕
粗(ホヽ) 畧。幽。〔両・言語門39七〕
とあって、弘治二年本だけ標記語「略」として、同義語に「粗」の語を収載する。他本は標記語に「粗」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
略(ホヾ) 。粗(ホヾ) 。〔言語門34一・二〕
このように、上記当代の古辞書に、「粗」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「粗」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
心(こころ)の及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(へ)く候ふ也/心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ也こゝにこゝろハ家勢乃恩賞方法なとのおもむき事多けれは一/\帋の面に事遣かたきゆへ都にとられたる比思ひあたりけるたけハあらまし語らんとなり。〔68ウ八〜69オ二〕
とあって、この標記語「粗」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ六〕
Fobo.ホボ(略・粗) Voyoso(凡そ)に同じ.副詞.大部分.§Fobo mo<xi ireta.(略申し入れた)大部分,あるいは,大体のところは,その人に申した.〔邦訳255l〕
ほぼ〔名〕【粗】事を大凡に定め云ふ語。あらあら。あらまし。おほかた。大抵。字類抄「粗 ホホ、幽、略、已上同」名義抄「粗 ホホ、略 ホホ、アラアラ」字鏡30「粗 略也、保保」沙石集、十、上、第一條「保政、粗、聞きて、かの社の木陰に立ち隠れて見ければ」「ほぼ似たり」ほぼ同じ」〔1852-1〕
上洛(―ラク) 。〔元亀二年本314四〕〔静嘉堂本368六〕
其旨趣具難盡紙上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
其旨趣具難盡帋上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔建部傳内本〕
其旨(シイ)_趣具ニ難∨盡シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ之所∨及粗(ホヾ)可∨令∨申候也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
其ノ旨趣具ニ難∨尽シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホホ)可∨令∨申候也恐々謹言〔経覺筆本〕
其ノ旨趣(シイシユ)具ニ難シ∨盡シ‖紙上(シ―)ニ|御上洛之時心ノ之所∨及フ粗(ホヽ)可令申候也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
上洛(シヤウラク・カミ/ノボル、ミヤコ)[上去・入] 。〔態藝門936四〕
とあって、標記語「上洛」の語を収載し、訓みを「シヤウラク」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
上洛(ラク) 。〔弘・言語門245八〕
上品(シヤウボン) ―手。―下。―裁。―表。―洛。―聞。〔永・言語門210三〕
上品(シヤウホン) ―手。―下。―裁。―表。―落。―聞。〔尭・言語門194四〕
とあって、弘治二年本は、標記語「上洛」の語を収載し、他本は標記語「上品」の冠頭字「上」の熟語群として「上洛」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
上裁(ジヤウサイ) 公方義。―根(コン)。―代(ダイ)。―分(ブン)。―品(ボン)。―足(ソク)。―手(ズ)。―戸(ゴ)。―首(シユ)。―意(イ)。―智(チ)。―堂(ダウ)。―古(コ)。―覽(ラン)。―表(ヒヨウ)。―聞(ブン)。〔言語門215七〕
このように、上記当代の古辞書に、「上洛」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「上洛」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)/御上洛之時上洛ハ都に登る也。大據か京都将軍へ参勤乃時をいふなり。〔68ウ七・八〕
とあって、この標記語「上洛」の語を収載し、語注記は「上洛は、都に登るなり。大據が京都将軍へ参勤の時をいふなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ六〕
Xo<racu.ジャウラク(上洛) Miacoye noboru.(洛へ上る).都(Miyaco)へ行くこと.〔邦訳794r〕
じゃう-らく〔名〕【上洛】洛(みやこ)へ、のぼること。上京。(貴人に云ふ)らくやう(洛陽)の條を見よ。北史、齊高祖紀「神武自二晉陽一西討、遣二兼僕射行臺汝陽王暹、司徒高昂等一、趣二上洛一」保元物語、一、官軍方方手分事「京中、物両の由、承る間、其仔細を承らんとて、近國に候ふ者の、上洛仕るにて候ふ」〔0973-3〕
紙上(シシヤウ) 。〔元亀二年本307四〕〔静嘉堂本358一〕
其旨趣具難盡紙上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
其旨趣具難盡帋上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔建部傳内本〕
其旨(シイ)_趣具ニ難∨盡シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ之所∨及粗(ホヾ)可∨令∨申候也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
其ノ旨趣具ニ難∨尽シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホホ)可∨令∨申候也恐々謹言〔経覺筆本〕
其ノ旨趣(シイシユ)具ニ難シ∨盡シ‖紙上(シ―)ニ|御上洛之時心ノ之所∨及フ粗(ホヽ)可令申候也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
紙面(シメン) ―筆(ヒツ)/―上(シヤウ)。〔言語門60四〕
このように、上記当代の古辞書に、「紙上」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「紙上」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(しじやう)に盡(つく)し難(かた)し/其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一旨趣ハおもむきなり。〔68ウ六・七〕
とあって、この標記語「紙上」の語を収載し、語注記は「旨趣は、おもむきなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ六〕
其旨趣具難盡紙上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
其旨趣具難盡帋上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔建部傳内本〕
其旨(シイ)_趣具ニ難∨盡シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ之所∨及粗(ホヾ)可∨令∨申候也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
其ノ旨趣具ニ難∨尽シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホホ)可∨令∨申候也恐々謹言〔経覺筆本〕
其ノ旨趣(シイシユ)具ニ難シ∨盡シ‖紙上(シ―)ニ|御上洛之時心ノ之所∨及フ粗(ホヽ)可令申候也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
このように、上記当代の古辞書には、「難盡」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「難盡」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(しじやう)に盡(つく)し難(かた)し/其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一旨趣ハおもむきなり。〔68ウ六・七〕
とあって、この標記語「難盡」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ六〕
具(ツブサニ) 。〔元亀二年本161五〕
具(ツブサ) 。〔静嘉堂本177六〕
具(ツフサ) 。〔天正十七年本中20オ四〕
其旨趣具難盡紙上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
其旨趣具難盡帋上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔建部傳内本〕
其旨(シイ)_趣具ニ難∨盡シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ之所∨及粗(ホヾ)可∨令∨申候也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
其ノ旨趣具ニ難∨尽シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホホ)可∨令∨申候也恐々謹言〔経覺筆本〕
其ノ旨趣(シイシユ)具ニ難シ∨盡シ‖紙上(シ―)ニ|御上洛之時心ノ之所∨及フ粗(ホヽ)可令申候也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
具ツフサニ備委贅駒 已上同。〔辞字門・中27ウ四〕
詳ツハヒラカニ審悉委曲評竟申四提諦ェ題一二具祥熟 已上同。〔辞字門・中28オ二〕
具ツフサナリ。備。委。贅。駒 已上同。〔卷四・辞字門622一〕
具(ツブサ/グ)[去] 。〔態藝門423三〕
とあって、標記語「具」の語を収載し、訓みを「ツブサ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
具(ツブサ) 。〔弘・言語進退門128七〕〔永・言語門106四〕〔両・言語門118六〕
具(ツブサニ) 。〔尭・言語門96七〕
とあって、標記語「具」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
備(ツブサ)。具(同) 。〔言辞門107四〕
このように、上記当代の古辞書に、「具」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「具」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(しじやう)に盡(つく)し難(かた)し/其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一旨趣ハおもむきなり。〔68ウ六・七〕
とあって、この標記語「具」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ六〕
Tcubusani.ツブサニ(具) 副詞.細密に.§Tcubusani qijta.(具さに聞いた)私はすっかりこまごまと聞いた.〔邦訳621r〕
つぶさ-に〔副〕【具】〔詳(つばら)にに通ず。落つることなく、調へ備ふる意〕物に就きては漏るることなく、調ひそなはり、事に就きては、委しく丁寧なる状を云ふ語。つまびらかに。つばびらかに。つばらかに。つばらに。くはしく。字類抄「具、委、ツブサニ」清寧即位前紀「漢彦乃具(ツブサニ)爲啓ス二於大伴大連一、不レ入二刑類一」古事記、上50「言委曲(ツブサニ)如二天~之詔命一」人丸集「認(ト)め行かむ、つぶさに跡は、見えずとも、鹿のはかりは、知ると云ふなり」宇津保物語、祭使30「いつしか、まのあたりにて、つぶさなる身がたりも、申しうけ給はらんとなんなげき申す」〔1326-5〕
其旨趣具難盡紙上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕
其旨趣具難盡帋上御上洛之時心之所及粗可令申候也恐々謹言〔建部傳内本〕
其旨(シイ)_趣具ニ難∨盡シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ之所∨及粗(ホヾ)可∨令∨申候也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
其ノ旨趣具ニ難∨尽シ‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホホ)可∨令∨申候也恐々謹言〔経覺筆本〕
其ノ旨趣(シイシユ)具ニ難シ∨盡シ‖紙上(シ―)ニ|御上洛之時心ノ之所∨及フ粗(ホヽ)可令申候也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
このように、上記当代の古辞書には、標記語「旨趣」の語は未収載であり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「旨趣」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(しじやう)に盡(つく)し難(かた)し/其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一旨趣ハおもむきなり。〔68ウ六・七〕
とあって、この標記語「旨趣」の語を収載し、語注記は「旨趣は、おもむきなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ六〕
Xijxu.シィシュ(旨趣) Muneuo vomomuqi(旨の趣)何か物事の理由,あるいは,道理.〔邦訳765r〕
し-しゅ〔名〕【旨趣】〔延べて、しいしゅとも云ふ〕(一)事の、おもむき。わけがら。漫康、琴賦、序「覽二其旨趣一、亦未レ達二禮樂之情一也」(二)心中の所存。源平盛衰記、六、小松殿教訓事「最後の申状と存ずれば、心底に旨趣を不レ可レ殘」〔0893-3〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
勝計(シヨウケイ、カツ/マサル・タヘタリ、ハカリ)[平・去] 。〔態藝門954一〕
とあって、標記語「勝計」の語を収載し、訓みを「シヨウケイ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』・易林本『節用集』には、標記語「勝計」の語は未収載にする。
このように、上記当代の古辞書では、広本『節用集』だけが「勝計」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「勝計」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)/不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也はかり■されすと也。甚た多きをいふ。〔68ウ六〕
とあって、この標記語「勝計」の語を収載し、語注記は「はかり■されすと也。甚た多きをいふ」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ六〕
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「規式」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方(ほう)法(ハう)規式(ぎしき)/家務ノ恩-賞方法規式是ハ前状に所務の規式雜務の流儀存知度候といえるに善たるなり。家務ハ家事(かじ)なり。恩賞ハ褒美する事也。方法は法度(はつと)掟(おきて)なり。〔68ウ四・五〕
とあって、この標記語「規式」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲方法規式ハ法度(はつと)掟(おきて)の定式(ぢやうしき)也。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲方法規式ハ法度(はつと)掟(おきて)の定式(ぢやうしき)也。〔89オ三〜ウ六〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
このように、上記当代の古辞書には、「方法」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。
483方-法ノ規式不ル∨可‖勝-計(ゲイ)|也。其旨趣具ニ難∨尽‖紙上ニ|御上洛之時心ノ所∨及粗(ホトンヽ/ホヽ)可∨令∨申候恐々謹言〔謙堂文庫藏四六左H〕
とあって、標記語「方法」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方(ほう)法(ハう)規式(ぎしき)/家務ノ恩-賞方法規式是ハ前状に所務の規式雜務の流儀存知度候といえるに善たるなり。家務ハ家事(かじ)なり。恩賞ハ褒美する事也。方法は法度(はつと)掟(おきて)なり。〔68ウ四・五〕
とあって、この標記語「方法」の語を収載し、語注記は「方法は、法度(はつと)掟(おきて)なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲方法規式ハ法度(はつと)掟(おきて)の定式(ぢやうしき)也。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲▲方法規式ハ法度(はつと)掟(おきて)の定式(ぢやうしき)也。〔89オ三〜ウ六〕
はう-はふ〔名〕【方法】しかた。てだて。手段。方便。韓愈、送二韓運使一序「爲レ之奔走經營、相二原濕之宜一、指二授方法一、故連二二歳一大熟」蘇軾詩「淮南風俗事二瓶筐一、方法相傳竟留蓄」粉河寺縁起「願くは、免べき方法を示し給へ」〔3-813-3〕
恩賞(―シヤウ) 。〔元亀二年本77二〕〔静嘉堂本94二〕
恩賞(ヲンシヤウ) 。〔天正十七年本上46ウ七〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
恩賞(ヲンシヤウ) 。〔態藝門74五〕
恩賞(ヲンシヤウ/イツクシ・ネンゴロ、モテアソブ)[平・上] 。〔態藝門215六〕
とあって、標記語「恩賞」の語を収載し、訓みを「ヲンシヤウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
恩賞(ヲンシヤウ) 。〔弘・言語門69一〕
恩波(ヲンハ) ―慈(ジ)。―顧(コ)。―言(ゴン)。―賞(シヤウ)。―顔(ガン)。―惠(ケイ)。―許(キヨ)。―愛(アイ)。―免(メン)。―給(キウ)。―簡(カン)/―札(サツ)。―コ(ドク)。―情(シヤウ)。―問(モン)。―賜(シ)。―容(ヨウ)。―恕(ジヨ)。―告(カウ)。―借(シヤク)。―領(リヤウ)。〔永・言語門66二〕
恩波(ヲンハ) ―慈。―顧。―言。―賞。―顔。―惠。―許。―愛。―免。―給。―簡。―札/―コ。―情。―問。―賜。―容。―恕。―告。―借。―領。―扶持。〔尭・言語門60五〕
恩波(ヲンハ) ―慈。―顧。―言。―賞。―顔。―惠/―許。―愛。―コ。―借。―領。―問。〔両・言語門71二〕
とあって、弘治二年本は、標記語「恩賞」の語を収載し、他本は標記語「恩波」の冠頭字「恩」の熟語群として「恩賞」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
恩賞(シヤウ) 。〔言語門62七〕
このように、上記当代の古辞書に、「恩賞」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
482依テ‖探題官領ノ与奪ニ|被∨執‖_行レ之ヲ|奏(―)シ‖亊ヲ於庭中ニ|家務(ケム)ノ恩-賞 奏トハ我雖∨持∨理ヲ貧ナレハ申次無シ∨人。故子細ヲ符ニ晝庭中ニ立也。御召ニ付申也。〔謙堂文庫藏四六左F〕
とあって、標記語「恩賞」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方(ほう)法(ハう)規式(ぎしき)/家務ノ恩-賞方法規式是ハ前状に所務の規式雜務の流儀存知度候といえるに善たるなり。家務ハ家事(かじ)なり。恩賞ハ褒美する事也。方法は法度(はつと)掟(おきて)なり。〔68ウ四・五〕
とあって、この標記語「恩賞」の語を収載し、語注記は「恩賞は、褒美する事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲恩賞ハ褒美(ほうび)の沙汰(さた)をいふ。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲恩賞ハ褒美(ほうび)の沙汰(さた)をいふ。〔89オ三〜ウ六〕
Vonxo<.オンシャウ(恩賞) Megumi motenasu.(恩み賞す) ある功労などに対する賞として授けられる恩恵,あるいは,贈与.§Vonxo<uo tamauaru.(恩賞を賜はる)主君,または,高貴の方が,賞としてある恩恵や贈与を私に下さる.〔邦訳715r〕
おん-しゃう〔名〕【恩賞】褒美に、物を惠み賜はること。後漢書、安成孝侯傳「恩賞特異」吾妻鏡、十五、建久六年十二月十二日「功績誠被二世憐一、恒隨軼レ人也、仍連連被レ加二恩賞一訖」〔1-535-4〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
このように、上記当代の古辞書には、「家務」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
482依テ‖探題官領ノ与奪ニ|被∨執‖_行レ之ヲ|奏(―)シ‖亊ヲ於庭中ニ|家務(ケム)ノ恩-賞 奏トハ我雖∨持∨理ヲ貧ナレハ申次無シ∨人。故子細ヲ符ニ晝庭中ニ立也。御召ニ付申也。〔謙堂文庫藏四六左F〕
とあって、標記語「家務」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方(ほう)法(ハう)規式(ぎしき)/家務ノ恩-賞方法規式是ハ前状に所務の規式雜務の流儀存知度候といえるに善たるなり。家務ハ家事(かじ)なり。恩賞ハ褒美する事也。方法は法度(はつと)掟(おきて)なり。〔68ウ四・五〕
とあって、この標記語「家務」の語を収載し、語注記は「家務は、家事(かじ)なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲家務ハ国家(こくか)の政務(せいむ)をいふなるべし。〔49ウ六〜50オ五〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲▲家務ハ国家(こくか)乃政務(せいむ)をいふなるべし。〔89オ三〜ウ六〕
庭中(―チウ) 。〔元亀二年本246五〕〔静嘉堂本284八〕〔天正十七年本中71オ六〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
庭中(テイチウ・アタル/ニワ、ナカ)[平・去] 直(チキニ)捧(サヽゲ)二訴訟状ヲ一云二申上一也。〔態藝門733二〕
とあって、標記語「庭中」の語を収載し、訓みを「テイチウ」とし、その語注記は「直(チキニ)訴訟状を捧(サヽゲ)申し上ぐるを云ふなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
庭中(テイチウ) 直ニ訴訟申也。〔弘・言語進退門199五〕
庭上(テイシヤウ) ―前(せン)。―儀(キ)。―訓(キン)。―中(チウ)直訴(ヂキソ)訟(せウ)申也。〔永・言語門164六〕
庭上 ―前。―儀。―中/―訓直ニ訴訟申也。〔尭・言語門153七〕
とあって、弘治二年本は標記語「庭中」の語を収載し、他本は標記語「庭上」の冠頭字「庭」の熟語群として「庭中」の語を収載する。そして、語注記として「直に訴訟を申すなり」と記載する。また、易林本『節用集』には、
庭訓 ―儀(キ)/―中(チウ)。〔言語門166三〕
このように、上記当代の古辞書に、「庭中」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
482依テ‖探題官領ノ与奪ニ|被∨執‖_行レ之ヲ|奏(―)シ‖亊ヲ於庭中ニ|家務(ケム)ノ恩-賞 奏トハ我雖∨持∨理ヲ貧ナレハ申次無シ∨人。故子細ヲ符ニ晝庭中ニ立也。御召ニ付申也。〔謙堂文庫藏四六左F〕
とあって、標記語「庭中」の語を収載し、語注記は未記載にする。
庭中ニ一家務(カム)ノ恩賞(ヲンシヤウ)方(カタ)法規式(シキ)不レ可二勝計(せウケイ)ス一也。其旨趣(シシユ)具(ツフサ)ニ難シレ盡(ツクシ)二紙上ニ一御上洛ノ之時心ノ之所レ及フ可レ令レ申候也庭中ト云事ハ。奏者(ソウシヤ)ナシニ物ヲ云様ナル事也。是尤似(ニ)タリ。昔(ムカシ)大唐(タイタウ)ニ恵果(ケイクハ)和尚ト申祖(ソ)師アリ。密教相應(サウヲウ)ノ人也。三密ノ法衣ヲ刷(ツクロ)ヒ給ヘリ。又我カ朝ニ弘法房(コウホウボウ)ト云法師アリ。讃岐(サヌキ)ノ国屏風(ベウブ)カ浦(ウラ)ノ人ナリ。或(アル)時入唐(ニツタウ)シ彼恵果(ケイクハ)房ニ尋相(タツネアヒ)テ真言ノ奥藏(ワウサウ)ヲ極(キハ)メ給フ。彼(カノ)恵(ケイ)果房ニハ。三千人ノ御弟子(デシ)有弘法ヲ以テ第一トス。三密ノ法形ヲ譲(ユツ)リ渡(ワタ)シ度(タク)思シ召(メせ)共餘人ノ恨ミ鬱(イキトヲ)リヲ思召テ弘法ニ渡シ給ハズ。或時恵(ケイ)果出給テ庭ヲ自ラ掃(ハ)キ玉フ。弘法走(ハシ)リ出デ御箒(ミハウキ)ヲ給シ庭ヲ掃(ハラ)ハント申サレケレバ。箒(ハウキ)ヲバ渡シ給ハズ。暫(シバラ)クウナタレ跪(ヒサマツ)キ庭上ニ畏(カシコ)マル良(ヤヽ)有テ恵果(ケイクハ)。ハフキヲ投(ナゲ)カケ給テノ玉ハク。汝(ナンヂ)ハ庭(ニハ)ヲハカン爲(タメ)カ塵ヲハカン爲(タメ)カトノ玉ヘハ。愚身ハ。庭ヲハカントノ玉フヲ其マヽ御約束(ヤクソク)ニテ。内ヘ入玉ヘハ。弘法(コウボウ)ハシヅ/\ト庭(ニハ)ヲハハキテ彼(カノ)ハフキヲ我ガ學問(がくもん)処ヘ納(ヲサメ)テ見給ヘバ光明赫(カク)々タル三ノ儀軌(ギキ)有リ餘ノ人ノ不ルレ見其間ニトテ法王山ニ登(ノボ)リ虚空ヘ投(ナゲ)給フ日本秋津洲(アキツス)ニ留(トヽマ)リ。東寺ニ獨鈷(トクコ)アリ。高嶺(カウレイ)ニ。三鈷(コ)アリ。五鈷(コ)ハ御持物也。此ヨリ奥(ヲク)ニ日本紀(キ)。大日經ノ沙汰有ランヤ。可レ秘(ヒス)一切此文俗抄ニアラスバ。筆ノ餘程(ヨテイ)モ記ヲカンニ真言(シンコ )ノ事ハ筆ヲナゲ口ヲ閉(トツ)ルト云也。弘法大師ハ。三密(ミツ)ノ法鏡ヲ讓(ユツリ)達シ玉フモ庭中也。是ヨリ直(スク)ニテ大儀ナル事ヲ申ヲ庭中ト云ナリ。庭(ニハ)ト塵(チリ)トノ喩(タト)ヘ潜(ヒソカ)ニ謂処ナシ。是專(モツハ)ラ秘(ヒ)事ナリ。学文ノ及処ナリ。〔下23ウ一〜24オ二〕
庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す/奏ス二亊ヲ於庭中ニ一事を奏するとハ凡訴訟を裁断したる事を君に申上る事也。庭中とハ御殿の前の廣庭をいふなり。こゝにて公事乃捌きハ言終りたり。〔68ウ二・三〕
とあって、この標記語「庭中」の語を収載し、語注記は「庭中とは、御殿の前の廣庭をいふなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲庭中ハ御前(ごぜん)の庭(にハ)をいふ。〔49ウ六〜50オ四〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲庭中ハ御前(ごぜん)の庭(にハ)をいふ。〔89オ三〜ウ三〕
Teichu.テイチユウ(庭中) すなわち,Giqinisoxo>uo mo<su,l,meyasuuo aguru.(直に訴訟を申す,または,目安を上ぐる)請願書,すなわち,竹につけた書付を高く差し上げて持ち,主君を途中に待ち受けて,誓願をし,その書付を捧げること.例,Teichu<uo suru,l,mo<su.(庭中をする,または,申す)上述のような請願をする,あるいは,その書付を捧げる.〔邦訳642l〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
奏 ソウス。〔黒川本・人事門中16五〕
奏 ソウス。〔卷第四・人事門532五〕
毎(ゴト)ニレ見(ミル)レ奏(ソウ)スルヲレ―ヲ必(カナラズ)假(カリ)ニ潜(ナツカシク)セヨ二顔色(ガンソク)ヲ冀(コイネガウ)下聞(キイ)テ二諫諍(カンサウ)ヲ一知故(ユヘ)ニ教(カウ)ノ得失(トクシツ)ヲ上貞観政要。〔態藝門672一〕
とあって、貞観政要の成句のなかに「奏」の語を収載し、訓みを「ソウス」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』・易林本『節用集』には、標記語「奏」の語を未収載にする。
このように、上記当代の古辞書には、『色葉字類抄』と広本『節用集』に「奏」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
482依テ‖探題官領ノ与奪ニ|被∨執‖_行レ之ヲ|奏(―)シ‖亊ヲ於庭中ニ|家務(ケム)ノ恩-賞 奏トハ我雖∨持∨理ヲ貧ナレハ申次無シ∨人。故子細ヲ符ニ晝庭中ニ立也。御召ニ付申也。〔謙堂文庫藏四六左F〕
とあって、標記語「奏」の語を収載し、語注記は「奏とは、我れ理を持つと雖も貧なれば申し次ぐ人無し。故に子細を符に晝き庭中に立つるなり。御召しに付け申すなり」と記載する。
訴詔(ソせウ)者(ハ)。就テ二本所ノ擧達(キヨタツ)ニ一被(レ)二是非ノ之ヲ越訴(ヲツソ)ヲ覆勘(フクカン)せ者依テ二探題(タンダイ)管領(クワンリヨウ)ノ與奪(ヨダツ)ニ一被レ執二_行之ヲ一奏(ソウ)シ二亊ヲ於訴詔ト云ハ。告(ツクル)詞(コトハ)也。訴(ソ)ト云字(ジ)ハ。下ヨリ上ヘ申告(ツク)ル事。詔(セウ)トハ。上ヨリ下ヘ告(ツ)ゲ下(クダ)サルヽ事也二様ナリ。寺ヲ建始(タテハジメ)シ事ハ欽明(キンメイ)天皇(ワウ)ノ御宇(キヨウ)ヨリ始也。大和(ヤマト)久米寺(クメジ)ト云寺(テラ)ヲ建(タ)テ塔(タウ)ヲモ建(タテ)ラレシ也。此塔ニ付テ至極(シゴク)ノ秘事アリ。大日經ノ内ヨリシ塔アリ。龍猛(リウミヤウ)不空(フクウ)ノ御建立(ゴコンリウ)ナリ。真言(シンゴン)秘教ノ霊地也。然ハ敏達天皇ノ御時イハイ始シ也。紀州日前宮是ナリ。然ハ則チ寺ニ品多シ王位ヨリ。勅願ト被行ハ。ヲバ院ト云サテハ寺號ナリ。唐ニハ。宮人ノ住処ヲ寺ト云日木ニハ僧ヨリ。外ニナシ。不審也。神ニ次第多シ。権者ノ神實者ノ神崇廟ノ神祚保ノ神トテ四ツノ義アリ。第一ノ権者ノ神トハ。往古ノ如來深位ノ大士ナリ垂迹ノ神ナレバ利生済度目出度い神ナリ。第二ニハ。實社ノ神荒神也。恨ミヲナス人ヲ神トイハフ也。是ヲ邪神ト云。又崇ル者則チ蛇ニナル。第三ニハ。崇廟ノ神也。此神ト申ハ伊弉諾ノ御子孫也。是又本地アラタナル神也。サテ祚保ノ神ハ異朝他國ヨリ。飛ヒ來リ玉フ神也。稲荷祇園賀茂等ノ神ハソホウノ神也。伊勢春日八幡等ノ神ハ崇廟ノカミ也。熊野三所等ノ神ハ権者ノ神也。其ノ外権現ト申ハ。皆権者ノカミナリ。キタ野日■ナンドハ。レイシヤノ■ニテマシマス。サリナガラシサイアル事ナリ。〔下23オ一〜ウ一〕
庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す/奏ス二亊ヲ於庭中ニ一事を奏するとハ凡訴訟を裁断したる事を君に申上る事也。庭中とハ御殿の前の廣庭をいふなり。こゝにて公事乃捌きハ言終りたり。〔68ウ二・三〕
とあって、この標記語「奏」の語を収載し、語注記は「事を奏するとは、凡そ訴訟を裁断したる事を君に申し上ぐる事なり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ三〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ三〕
So>xi,suru,ita.ソウシ,スル,シタ(奏) 国王へ申し上げる.§Quanaguenuo so<suru.(管絃を奏する)国王の前で合奏する,または,曲に合わせて歌う.§Bugacu,l,cagurauo so>suru.(舞楽,または,神楽を奏す)国王,または,~(Cami)の前で歌と踊りが行われる.※So>suruの誤り.→Bugacu;Gacu(楽);Vongacu.〔邦訳579l〕
そう・す〔他動、左變〕【奏】〔康熙字典「人臣言レ事、章疏曰レ奏」〕(一){天子に、言を進む。帝王に、聞え上ぐ。奏聞す。(啓すに對す)漢書、汲黯傳「上嘗坐二武帳一、黯前奏レ事」源氏物語、帚木37「宮仕に出したてんと、もらし奏せしを」同、一、桐壺6「母君、泣く泣く奏して、まかでさせ奉り給ふ」(二)奏(かな)づ。歌舞、管絃を演ず。史記、廉頗臠相如傳「趙王好レ音、請奏レ瑟」古今著聞集、六、管絃歌舞「後に、席田(むしろた)を唱ふ、次、酒清司をぞ奏しける」「樂を奏す」(三)遂ぐ。成す。「功を奏す」〔1140-5〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
このように、上記当代の古辞書には、全て「覆勘」の語を未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。
481覆勘(フ―) 父祖ノ代ニ不∨申‖沙汰ヲ|今孫ノ代ニ申也。〔謙堂文庫藏四六左E〕
とあって、標記語「覆勘」の語を収載し、語注記は「父祖の代に沙汰を申さず、今孫の代に申すなり」と記載する。
訴詔(ソせウ)者(ハ)。就テ二本所ノ擧達(キヨタツ)ニ一被(レ)二是非ノ之ヲ越訴(ヲツソ)ヲ覆勘(フクカン)せ者依テ二探題(タンダイ)管領(クワンリヨウ)ノ與奪(ヨダツ)ニ一被レ執二_行之ヲ一奏(ソウ)シ二亊ヲ於訴詔ト云ハ。告(ツクル)詞(コトハ)也。訴(ソ)ト云字(ジ)ハ。下ヨリ上ヘ申告(ツク)ル事。詔(セウ)トハ。上ヨリ下ヘ告(ツ)ゲ下(クダ)サルヽ事也二様ナリ。寺ヲ建始(タテハジメ)シ事ハ欽明(キンメイ)天皇(ワウ)ノ御宇(キヨウ)ヨリ始也。大和(ヤマト)久米寺(クメジ)ト云寺(テラ)ヲ建(タ)テ塔(タウ)ヲモ建(タテ)ラレシ也。此塔ニ付テ至極(シゴク)ノ秘事アリ。大日經ノ内ヨリシ塔アリ。龍猛(リウミヤウ)不空(フクウ)ノ御建立(ゴコンリウ)ナリ。真言(シンゴン)秘教ノ霊地也。然ハ敏達天皇ノ御時イハイ始シ也。紀州日前宮是ナリ。然ハ則チ寺ニ品多シ王位ヨリ。勅願ト被行ハ。ヲバ院ト云サテハ寺號ナリ。唐ニハ。宮人ノ住処ヲ寺ト云日木ニハ僧ヨリ。外ニナシ。不審也。神ニ次第多シ。権者ノ神實者ノ神崇廟ノ神祚保ノ神トテ四ツノ義アリ。第一ノ権者ノ神トハ。往古ノ如來深位ノ大士ナリ垂迹ノ神ナレバ利生済度目出度い神ナリ。第二ニハ。實社ノ神荒神也。恨ミヲナス人ヲ神トイハフ也。是ヲ邪神ト云。又崇ル者則チ蛇ニナル。第三ニハ。崇廟ノ神也。此神ト申ハ伊弉諾ノ御子孫也。是又本地アラタナル神也。サテ祚保ノ神ハ異朝他國ヨリ。飛ヒ來リ玉フ神也。稲荷祇園賀茂等ノ神ハソホウノ神也。伊勢春日八幡等ノ神ハ崇廟ノカミ也。熊野三所等ノ神ハ権者ノ神也。其ノ外権現ト申ハ。皆権者ノカミナリ。キタ野日■ナンドハ。レイシヤノ■ニテマシマス。サリナガラシサイアル事ナリ。〔下23オ一〜ウ一〕
越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)/越訴ノ覆勘者覆勘とハ幾度も/\○○して其是非を勘へきわむる事也。再吟味するをいふなり。〔68オ八〜ウ一〕
とあって、この標記語「覆勘」の語を収載し、語注記は「覆勘とは、幾度も/\○○して、其の是非を勘へきわむる事なり。再吟味するをいふなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲覆勘ハ奉行の勘判(かんはん)を覆(おほ)ふといふ意(い)歟(か)。爰(こゝ)にいふ奉行ハ寺社方なれバ其道(ミち)に越度(ミおとし)なきを以て私意(しい)立がたきゆへ直訴(ぢきそ)を遂(とぐ)るものにや。〔49ウ六〜50オ四〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲覆勘ハ奉行の勘判(かんはん)を覆(おほ)ふといふ意(い)歟。爰(こゝ)にいふ奉行ハ寺社方なれバ其道(ミち)に越度(ミおとし)なきを以て私意(しい)立がたきゆへ直訴(ぢきそ)を遂(とぐ)るものにや。〔89オ三〜ウ六〕
ふく-かん〔名〕【覆勘】(一)鎌倉時代の裁判上の語。原裁判の判決に不服なる時、或口實を造りて再審を訴願することならむと云ふ。安齋雜考、下、覆勘「覆の字、くつがへすとよむ、勘は公儀にて理非を勘へて、裁判したるをいふ、公義の裁判をくつがへし背きて、再び事を起して、訴へ出づるを云ふなるべし、越訴覆勘と一類に連ねて云ふを以て考ふべし」(二)父祖の代に出訴せざりし事件を、孫の代になりて出訴すること。「古鈔、庭訓徃來、八月七日「覆勘、注、父祖代不レ申二沙汰一、今子孫代申ナリ」〔1732-3〕
越訴(―ソ) 。〔元亀二年本191三〕〔静嘉堂本215八〕〔天正十七年本中37オ七〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
越訴 オツソ。〔黒川本・疉字門中69ウ六〕
越訴 オツソ。〃渡オツト。〃奏。〔卷第六・疉字門345六〕
越訴(ヲツソ) 。〔態藝門76一〕
越訴(ヲツソ/ヱツ・コヱ、ウツタフ)[入・去] 。〔態藝門225八〕
とあって、標記語「越訴」の語を収載し、訓みを「ヲツソ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
越訴(ヲツソ) 。〔弘・言語門68三〕
越度(ヲツド) ―訴(ソ)/―奏(ソウ)。〔永・言語門66四〕
越度(ヲツト) ―訴。―年/―奏。〔尭・言語門60七〕
越度(ヲツト) ―訴/―奏。〔両・言語門71四〕
とあって、弘治二年本だけが標記語「越訴」の語をもって収載し、他本は標記語「越度」の冠頭字「越」の熟語群として「越訴」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
越訴(ソ) 。〔言語門63二〕
このように、上記当代の古辞書に、「越訴」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
480被レ∨是‖-非之ヲ|越訴 本ノ申次ヲ閣テ就‖別人ニ|而訴詔申也。〔謙堂文庫藏四六左E〕
とあって、標記語「越訴」の語を収載し、語注記は「本の申し次を閣て別人に就いて訴詔申すなり」と記載する。
訴詔(ソせウ)者(ハ)。就テ二本所ノ擧達(キヨタツ)ニ一被(レ)二是非ノ之ヲ越訴(ヲツソ)ヲ覆勘(フクカン)せ者依テ二探題(タンダイ)管領(クワンリヨウ)ノ與奪(ヨダツ)ニ一被レ執二_行之ヲ一奏(ソウ)シ二亊ヲ於訴詔ト云ハ。告(ツクル)詞(コトハ)也。訴(ソ)ト云字(ジ)ハ。下ヨリ上ヘ申告(ツク)ル事。詔(セウ)トハ。上ヨリ下ヘ告(ツ)ゲ下(クダ)サルヽ事也二様ナリ。寺ヲ建始(タテハジメ)シ事ハ欽明(キンメイ)天皇(ワウ)ノ御宇(キヨウ)ヨリ始也。大和(ヤマト)久米寺(クメジ)ト云寺(テラ)ヲ建(タ)テ塔(タウ)ヲモ建(タテ)ラレシ也。此塔ニ付テ至極(シゴク)ノ秘事アリ。大日經ノ内ヨリシ塔アリ。龍猛(リウミヤウ)不空(フクウ)ノ御建立(ゴコンリウ)ナリ。真言(シンゴン)秘教ノ霊地也。然ハ敏達天皇ノ御時イハイ始シ也。紀州日前宮是ナリ。然ハ則チ寺ニ品多シ王位ヨリ。勅願ト被行ハ。ヲバ院ト云サテハ寺號ナリ。唐ニハ。宮人ノ住処ヲ寺ト云日木ニハ僧ヨリ。外ニナシ。不審也。神ニ次第多シ。権者ノ神實者ノ神崇廟ノ神祚保ノ神トテ四ツノ義アリ。第一ノ権者ノ神トハ。往古ノ如來深位ノ大士ナリ垂迹ノ神ナレバ利生済度目出度い神ナリ。第二ニハ。實社ノ神荒神也。恨ミヲナス人ヲ神トイハフ也。是ヲ邪神ト云。又崇ル者則チ蛇ニナル。第三ニハ。崇廟ノ神也。此神ト申ハ伊弉諾ノ御子孫也。是又本地アラタナル神也。サテ祚保ノ神ハ異朝他國ヨリ。飛ヒ來リ玉フ神也。稲荷祇園賀茂等ノ神ハソホウノ神也。伊勢春日八幡等ノ神ハ崇廟ノカミ也。熊野三所等ノ神ハ権者ノ神也。其ノ外権現ト申ハ。皆権者ノカミナリ。キタ野日■ナンドハ。レイシヤノ■ニテマシマス。サリナガラシサイアル事ナリ。〔下23オ一〜ウ一〕
越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)/越訴ノ覆勘者覆勘とハ幾度も/\○○して其是非を勘へきわむる事也。再吟味するをいふなり。〔68オ八〜ウ一〕
とあって、この標記語「越訴」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲越訴ハ次第(しだい)を越(こへ)て上へ直(ぢき)に訴訟(うつたへ)するをいふ。〔49ウ六〜50オ三〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲越訴ハ次第(しだい)を越(こえ)て上へ直(ぢき)に訴訟(うつたへ)するをいふ。〔89オ三〜ウ三〕
Vosso.ヲッソ(越訴) 一旦却下されるか,和解するかした後に,再びむし返して新たに提起された訴訟,または,請願.例,Vossouo suru.(越訴をする)上述のように,再び訴訟をむし返す.〔邦訳721l〕
をつ-そ〔名〕【越訴】又、ゑっそ。訴ふべき司に由らず、順序を越えて、其上官に訴へ出づること。(次條の語を參見せよ)。下學集、下、態藝門「越訴、ヲツソ」 類聚三代格、十二、延喜五年十一月三日、太政官符、應レ禁三云云、辨二定訴訟一事「若所レ斷違レ理者、隨即越二訴於上官一」〔2203-2〕
×。〔元亀二年本は脱〕
擧達(キヨタツ) 。〔静嘉堂本327二〕〔天正十七年本中37オ七〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
擧達(キヨタツ/ユルス、イタル)[○・入] 。〔態藝門830四〕
とあって、標記語「擧達」の語を収載し、訓みを「キヨタツ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
擧達(キヨタツ) 。〔弘・言語門221七〕
挙状(キヨシヤウ) ―達(タツ)。〔永・言語門184六〕
挙状(キヨシヤウ) ―達。〔尭・言語門174一〕
とあって、弘治二年本は、標記語「擧達」の語を収載し、他本は標記語「挙状」の冠頭字「挙」の熟語群として「擧達」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
擧達(キヨタツ) ―状(ジヤウ)。〔言語門一九〇六〕
このように、上記当代の古辞書に、「擧達」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
479追-放以-下随辜輕-重其ノ人ノ是非ニ|可∨被ル∨行∨之次ニ寺-社訴-詔者ハ就テ‖本所ノ挙達ニ| 本所ハ指‖公家|。又寺社ノ指‖奉行|也。〔謙堂文庫藏四六左C〕
とあって、標記語「擧達」の語を収載し、語注記は未記載にする。
訴詔(ソせウ)者(ハ)。就テ二本所ノ擧達(キヨタツ)ニ一被(レ)二是非ノ之ヲ越訴(ヲツソ)ヲ覆勘(フクカン)せ者依テ二探題(タンダイ)管領(クワンリヨウ)ノ與奪(ヨダツ)ニ一被レ執二_行之ヲ一奏(ソウ)シ二亊ヲ於訴詔ト云ハ。告(ツクル)詞(コトハ)也。訴(ソ)ト云字(ジ)ハ。下ヨリ上ヘ申告(ツク)ル事。詔(セウ)トハ。上ヨリ下ヘ告(ツ)ゲ下(クダ)サルヽ事也二様ナリ。寺ヲ建始(タテハジメ)シ事ハ欽明(キンメイ)天皇(ワウ)ノ御宇(キヨウ)ヨリ始也。大和(ヤマト)久米寺(クメジ)ト云寺(テラ)ヲ建(タ)テ塔(タウ)ヲモ建(タテ)ラレシ也。此塔ニ付テ至極(シゴク)ノ秘事アリ。大日經ノ内ヨリシ塔アリ。龍猛(リウミヤウ)不空(フクウ)ノ御建立(ゴコンリウ)ナリ。真言(シンゴン)秘教ノ霊地也。然ハ敏達天皇ノ御時イハイ始シ也。紀州日前宮是ナリ。然ハ則チ寺ニ品多シ王位ヨリ。勅願ト被行ハ。ヲバ院ト云サテハ寺號ナリ。唐ニハ。宮人ノ住処ヲ寺ト云日木ニハ僧ヨリ。外ニナシ。不審也。神ニ次第多シ。権者ノ神實者ノ神崇廟ノ神祚保ノ神トテ四ツノ義アリ。第一ノ権者ノ神トハ。往古ノ如來深位ノ大士ナリ垂迹ノ神ナレバ利生済度目出度い神ナリ。第二ニハ。實社ノ神荒神也。恨ミヲナス人ヲ神トイハフ也。是ヲ邪神ト云。又崇ル者則チ蛇ニナル。第三ニハ。崇廟ノ神也。此神ト申ハ伊弉諾ノ御子孫也。是又本地アラタナル神也。サテ祚保ノ神ハ異朝他國ヨリ。飛ヒ來リ玉フ神也。稲荷祇園賀茂等ノ神ハソホウノ神也。伊勢春日八幡等ノ神ハ崇廟ノカミ也。熊野三所等ノ神ハ権者ノ神也。其ノ外権現ト申ハ。皆権者ノカミナリ。キタ野日■ナンドハ。レイシヤノ■ニテマシマス。サリナガラシサイアル事ナリ。〔下23オ一〜ウ一〕
本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に就(つゐ)て/就テ二本所ノ挙達ニ一本所ハ公事の起りし所を云。上に申上るを擧達といふ。〔68オ七〕
とあって、この標記語「擧達」の語を収載し、語注記は「上に申上るを擧達といふ」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲挙達ハ取挙るをいふなるべし。許容(きゝいれ)也。〔49ウ六〜50オ三〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。▲挙達ハ取挙るをいふなるべし。許容(きゝいれ)也。〔89オ三〜ウ三〕
Qiotat.キョタツ(擧達) Ague tassuru.(挙げ達する)ある事について許容したり,許可を与えたりすること.または,人に何事かを申し上げて提言する意で,尊敬した言い方.文書語.※この説明は,“許”と“挙”との混同に基づくものか.〔邦訳503l〕
本所(―ジヨ) 。〔元亀二年本43四〕
本所(――) 。〔静嘉堂本47七〕〔天正十七年本上24ウ七〕〔西來寺本〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
本所(ホンシヨ/モト、トコロ)[上・上] 。〔態藝門100六〕
とあって、標記語「本所」の語を収載し、訓みを「ホンシヨ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
本所(ホンシヨ) 。〔弘・言語門34五〕〔両・言語門38八〕
本末(ホンマツ) ―意(ホンイ)。―系モトヲツク。―来(ライ)。―復(フク)。―懐(クワイ)。―性(シヤウ)。―跡(せキ)。―所。/―領(リヤウ)。―体(タイ)。―様。―望(マウ)。―分(フン)。―訴(ソ)。―券(ケン)。〔永・言語門35一〕
本末(ホンマツ) ―意。―系。―来。―復。―懐。―性。―跡/―所。―願。―体。―様。―望。―分。―訴。―地。〔尭・言語門31九〕
とあって、弘治二年本・両足院本は、標記語「本所」の語を収載し、他本は標記語「本末」の冠頭字「本」の熟語群として「本所」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
本所(シヨ) 。〔言語門32二〕
このように、上記当代の古辞書に、「本所」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
479追-放以-下随辜輕-重其ノ人ノ是非ニ|可∨被ル∨行∨之次ニ寺-社訴-詔者ハ就テ‖本所ノ挙達ニ| 本所ハ指‖公家|。又寺社ノ指‖奉行|也。〔謙堂文庫藏四六左C〕
とあって、標記語「本所」の語を収載し、語注記は「本所は、公家を指す。又、寺社の奉行を指すなり」と記載する。
訴詔(ソせウ)者(ハ)。就テ二本所ノ擧達(キヨタツ)ニ一被(レ)二是非ノ之ヲ越訴(ヲツソ)ヲ覆勘(フクカン)せ者依テ二探題(タンダイ)管領(クワンリヨウ)ノ與奪(ヨダツ)ニ一被レ執二_行之ヲ一奏(ソウ)シ二亊ヲ於訴詔ト云ハ。告(ツクル)詞(コトハ)也。訴(ソ)ト云字(ジ)ハ。下ヨリ上ヘ申告(ツク)ル事。詔(セウ)トハ。上ヨリ下ヘ告(ツ)ゲ下(クダ)サルヽ事也二様ナリ。寺ヲ建始(タテハジメ)シ事ハ欽明(キンメイ)天皇(ワウ)ノ御宇(キヨウ)ヨリ始也。大和(ヤマト)久米寺(クメジ)ト云寺(テラ)ヲ建(タ)テ塔(タウ)ヲモ建(タテ)ラレシ也。此塔ニ付テ至極(シゴク)ノ秘事アリ。大日經ノ内ヨリシ塔アリ。龍猛(リウミヤウ)不空(フクウ)ノ御建立(ゴコンリウ)ナリ。真言(シンゴン)秘教(ヒケウ)ノ霊地也。然(シカレ)ハ敏達(ヒンタツ)天皇ノ御時イハイ始シ也。紀州(キシウ)日前宮是ナリ。然ハ則チ寺ニ品(シナ)多(ヲヽ)シ王位(ワウイ)ヨリ。勅(チヨク)願ト被(ル)行ハ。ヲバ院(イン)ト云サテハ寺號(カウ)ナリ。唐(タウ)ニハ。宮(ミヤ)人ノ住(ヂウ)処ヲ寺(テラ)ト云日木ニハ僧(ソウ)ヨリ。外ニナシ。不審(フシン)也。神(カミ)ニ次第多シ。権者(ゴンジヤ)ノ神實(ジツ)者ノ神崇廟(ソウヒヤウ)ノ神祚保(ソホウ)ノ神トテ四ツノ義アリ。第一ノ権者(ゴンジヤ)ノ神トハ。往古(ワウゴ)ノ如來深位ノ大士(ジ)ナリ垂迹(スイシヤク)ノ神ナレバ利生(リシヤウ)済度(サイド)目出度(メデナキ)神ナリ。第二ニハ。實(ジツ)社ノ神荒神(アラカミ)也。恨(ウラ)ミヲナス人ヲ神トイハフ也。是ヲ邪神(ジヤシン)ト云。又崇(アカム)ル者則チ蛇ニナル。第三ニハ。崇廟(ソウベウ)ノ神也。此神(カミ)ト申ハ伊弉諾(イアザナミ)ノ御子孫(シソン)也。是又本地アラタナル神也。サテ祚保(ソホウ)ノ神ハ異朝(イテウ)他國ヨリ。飛ヒ來リ玉フ神也。稲荷(イナリ)祇園(キヲン)賀茂(カモ)等ノ神ハソホウノ神也。伊勢(イセ)春日(カスカ)八幡(ヤハタ)等ノ神ハ崇廟(ソウベウ)ノカミ也。熊野(クマノ)三所等ノ神ハ権(ゴン)者ノ神也。其ノ外権現ト申ハ。皆権者ノカミナリ。キタ野日■ナンドハ。レイシヤノ■ニテマシマス。サリナガラシサイアル事ナリ。〔下23オ一〜ウ一〕
本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に就(つゐ)て/就テ二本所ノ挙達ニ一本所ハ公事の起りし所を云。上に申上るを擧達といふ。〔68オ七〕
とあって、この標記語「本所」の語を収載し、語注記は「本所は、公事の起りし所を云ふ」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言▲本所ハ寺社奉行の役所(やくしよ)也。〔49ウ六〜50オ三〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)▲本所ハ寺社奉行の役所(やくしよ)也。〔89オ三〜ウ三〕
Fonjo.ホンジョ(本所) Motono tocoro.(本の所)最初の所,あるいは,昔の場所.§Fonjoye cayeru.(本所へ帰る)自分の最初の所,あるいは,昔の〔居た〕所へ帰る.§また,一般の公家(Cu~gues)を呼ぶ名前で,Gofonjo(御本所)というように,必ずGo(御)をつけて用いられる.§Gofonjono cura.(御本所の鞍)Ixedono(伊勢殿)という名で有名な職人の作った,どのような馬にもぴたりと合う鞍.§また,上(Cami)では,Fonjyo(本所)はある地所とか家屋とかの借料・年貢を納める相手たる領主権の所有者を言う.〔邦訳260r〕
ほん-じょ〔名〕【本所】(一)そのところ。當所。又、この役所。(二)武家に對して、公家を云ふ語。三内口訣「本所とは、諸家堂上之衆、皆一同に本所と稱候」太平記、廿六、執事兄弟奢侈事「四條大納言隆陰卿の青侍、云云、此地を通りけるが、云云、何者にて候やらん、爰を通る本所の侍が、かかりける事を申て過候つる、云云」(三)特に、武者所の稱。源平盛衰記、三十七、平家開城戸口「平山と名乘は、本所經たる名ある侍」同、三、十九、時頼横笛事「たとひ、わがもとへこそかよはずとも、本所の衆にて侍るに」(四)處處の地名にあるは、其國の守の取分の所なりと云ふ。(屠龍工随筆)〔1856-1〕
次寺社訴詔者就本所擧達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔至徳三年本〕
次寺社訴訟者就本所擧達被是非之越訴覆勘[者]依探題管領與奪被執行之奏亊[於]庭中家務恩賞方法規式不可勝計也〔宝徳三年本〕
次寺社訴詔者就本所挙達被是非之越訴覆勘依探題管領与奪被執行之奏亊於庭中家務恩賞方法規式不可勝計〔建部傳内本〕
次ニ寺-社訴-詔ハ者。就テ二本所ノ挙達ニ一被ルレ是二-非之ヲ一越-訴覆-勘ハ者依テ二探-題管-領ノ与-奪ニ一被ルレ執二_行之ヲ一奏シ二亊ヲ於庭-中ニ一家(ケ)務ノ恩-賞方-法ノ規-式不ルレ可二勝テ-計ス一也〔山田俊雄藏本〕
次ニ寺社ノ訴訟者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非之ヲ一越訴覆勘依テ二探題管領ノ与奪ニ一被レ執二_行之ヲ一奏二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩賞方法規式不レ可カラ二勝テ計(カソフ)一也〔経覺筆本〕
次ニ寺-社ノ訴-詔者就テ二本-所ノ挙達(キヨタツ)ニ一被レ是二-非レ之ヲ一越-訴ノ覆勘(フカン)者依テ二探題(タンタイ)管領(クワンレイ)ノ与奪(ヨタツ)ニ一之被レ執(シ )二_行之ヲ一奏(ソウ)ス二亊ジヲ於庭(テイ)中ニ一家務(ケム)ノ恩(ヲン)-賞(シヤウ)方(ハウ)-法(ハウ)ノ規(キ)-式(シキ)不ルレ可カラ二勝(シヨウ)-計(ケイ)一也〔文明四年本〕 挙達(キヨタツ)。覆勘(フカン)。探題(タンタイ)。管領(クワンレイ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
寺社(ジシヤ/テラ、ヤシロ)[去・上] ――本所。〔態藝門907六〕
とあって、標記語「寺社」の語を収載し、訓みを「ジシヤ」とし、その語注記は「寺社本所」と記載する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
寺社(ジシヤ) ――本所。〔弘・言語門235二〕〔永・言語門195五〕〔尭・言語門185五〕
とあって、標記語「寺社」の語を収載し、語注記も含め、広本『節用集』を継承する。また、易林本『節用集』には、
寺領(ジリヤウ) ―物(モツ)。―役(ヤク)。―社(シヤ)。―門(モン)/―外(グワイ)。―内(ナイ)。―中(チウ)。―家(ケ)。〔言語門213六〕
このように、上記当代の古辞書に、「寺社」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語であり、この語注記も、古辞書広本『節用集』印度本系『節用集』の語注記に近似たものとなっている。その点で、『運歩色葉集』がこの語を未収載することに留意せねばなるまい。
479追-放以-下随辜輕-重其ノ人ノ是非ニ|可∨被ル∨行∨之次ニ寺-社訴-詔者ハ就テ‖本所ノ挙達ニ| 本所ハ指‖公家|。又寺社ノ指‖奉行|也。〔謙堂文庫藏四六左C〕
とあって、標記語「寺社」の語を収載し、語注記は「本所は公家を指す。また、寺社の奉行を指すなり」と記載する。
寺社(シシヤ)トハ寺ニ寄進(キシン)ノ寺領(ジリヤウ)アリ。社(ヤシロ)ニ免許(メンキヨ)ノ宮田(クテン)アリ。人是ヲイロヒ。サバクル事ナリ。〔下22ウ八〕
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)/次ニ寺-社之訴訟者寺ハ僧都。社は神職を云。是等の公事ハ牢人とハ別なるゆへわけて書しなり。〔68オ六〜七〕
とあって、この標記語「寺社」の語を収載し、語注記は「寺は、僧都。社は神職を云ふ。是等の公事は牢人とは別なるゆへわけて書きしなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
次(つぎ)に寺社(じしゃ)の訴訟(そしやう)者(ハ)本所(ほんしよ)の擧達(きよだつ)に依(よつ)て之(これ)を是非(ぜひ)せら被(れ)越訴(おつそ)の覆勘(ふくかん)者(ハ)探題(たんだい)管領(くハんれい)の與奪(よだつ)に依(よつ)て之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被(れ)事(こと)を庭中(ていちう)於(に)奏(そう)す家務(かむ)乃恩賞(おんしよう)方法(はうほう)規式(ぎしき)勝(かつ)て計(かぞ)ふ可(べ)から不(ざ)る也(なり)其(その)旨趣(ししゆ)具(つぶさ)に紙上(ししやう)に盡(つく)し難(がた)し御(ご)上洛(しやうらく)之(の)時(とき)心(こころ)之(の)及(およ)ぶ所(ところ)粗(ほゞ)申(まを)さ令(し)む可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)恐(きやう)々(/\)謹言(きんげん)。/次ニ寺-社ノ訴-詔者。就テ二本所ノ挙達ニ一被レ是二-非セラ之ヲ一越訴ノ覆勘者依テ二探題管領ノ與奪ニ一被レ執二_行セラ之ヲ一奏ス二亊ヲ於庭中ニ一家務ノ恩-賞方-法規式不ルレ可カラ二勝テ-計フ一也。其旨趣具ニ難シレ盡シ二紙上ニ一御上洛之時心之所レ及フ粗可クレ令ムレ申サ候フ恐々謹言。〔49ウ六〜50オ三〕
次(つぎ)に寺社(じしや)訴詔(そじやう)者(ハ)就(つい)て二本所(ほんしよ)の挙達(きよだつ)に一被(れ)レ是(ぜ)二-非(ひ)せら之(これ)を一越訴(おつそ)覆勘(ふくかん)者(ハ)依(よつ)て二探題(だんだい)管領(くわんれい)の與奪(よだつ)に一被(れ)レ執(しゆ)二_行(ぎやう)せら之(これ)を一奏(そう)す二亊(こと)を於庭中(ていちう)に一家務(かむ)の恩賞(おんしやう)方法(はうほう)の規式(ぎしき)不(さ)るレ可(べから)二勝(あげて)計(かぞふ)一也(なり)。其(その)旨趣(ししゆ)具(つふさ)に難(がたし)レ尽(つくし)二紙上(ししやう)に一御上洛(ごしやうらく)之(の)時(とき)心(こゝろ)之(の)所(ところ)レ及(およぶ)粗(ほゞ)可(べく)レ令(しむ)レ申(まうさ)候(さふらふ)恐(きよう)々(/\)謹言(きんげん)。〔89オ三〜ウ三〕
Iixa.ジシヤ(寺社) Tera,yaxiro.(寺,社)寺と神(Camis)の社.〔邦訳366l〕
ジシヤ〔名〕【寺社】てらと、やしろと。~社と、佛閣と。社寺。「寺社奉行」寺社方」〔0892-5〕
輕重(キヤウジウ) 。〔元亀二年本×脱語〕〔静嘉堂本325六〕
此外火印追放以下随辜輕重其人是非可被行之〔至徳三年本〕
此外火印追放以下随辜輕重○{■}其人○{是}非○{可}被行之〔宝徳三年本〕
此外火印追放以下随辜輕重其人是非被行之〔建部傳内本〕
此_外火-印追-放以-下随フ二辜(ツミ)ノ輕-重其_人ノ是-非ニ一被ルレ行レ之ヲ〔山田俊雄藏本〕
此ノ外火印追放以下随二辜(ツミ)ノ輕重其人ノ是非ニ一可レ被レ行レ之〔経覺筆本〕
此_外火-印追-放以-下随フ二辜(ツミ)ノ輕-重其_人ノ是-非ニ一被ルレ行レ之ヲ〔文明四年本〕 印(イン)。罪(ツミ)。輕重(キヤウシユウ)。
と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
輕重(キヤウヂヨウ・ヲモシ/ケイ・カロシ、カサナル)[平去・平去] 。〔態藝門830三〕
とあって、標記語「輕重」の語を収載し、訓みを「キヤウヂヨウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
輕重(キヤウヂウ)。〔弘・言語門222八〕
軽忽(キヤウコツ) ―重(デウ)。―賤(せン)。―犯(ホン)。―慢(マン)又作―瞞。〔永・言語門184七〕
軽忽(キヤウコツ) ―重。―賤。―犯。―瞞又作―慢。〔尭・言語門174二〕
とあって、弘治二年本は、標記語「輕重」の語を収載し、他本は「輕忽」の冠頭字「輕」の熟語群として「輕重」の語を収載する。また、易林本『節用集』には、
輕慢(キヤウマン) ―賤(せン)。―忽(コツ)。―罪(ザイ)。―重(ヂウ)。〔言語門190三〕
このように、上記当代の古辞書に、「輕重」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
479追-放以-下随辜輕-重其ノ人ノ是非ニ|可∨被ル∨行∨之次ニ寺-社訴-詔者ハ就テ‖本所ノ挙達ニ| 本所ハ指‖公家|。又寺社ノ指‖奉行|也。〔謙堂文庫藏四六左C〕
とあって、標記語「輕重」の語を収載し、語注記は未記載にする。
追(ツイ)-放(ハウ)已-下随テ二辜(ツミ)ノ輕(ケウ)-重(ヂウ)其ノ人ノ是非ニ一可レ被ルヽレ行(ヲコナハ)レ之ヲ次ニ追放トハ罪(トカ)人ヲ片髪(カタカミ)ヲ剃(ソリ)落シ。又ハ鼻(ハナ)ヲ割(キツ)テ。ヲイハナツ事ナリ。雖然辜(ツミ)ノ輕重ニ依ルベシ。大唐ニハ三ノ道ヲ潜(クヾ)ルナリ。慈穴(ジケツ)道藪穴(ソウケツ)道暗(アン)穴道也。上罪(ザイ)ノ者暗(アン)穴道ヲ通(トヲ)ス也。三七日クラキ穴ヲ這々(ハルバル)トクヾル也。其内ニ難処多(ヲヽ)シ。中罪ノ者ヲバ。藪(ソウ)穴道ヲ通(トヲ)ス。二七日潜(クヽル)也。ウバラカラタチノミハヘテ毒虫(ドクチウ)多(ヲヽ)キヤフノ穴(アナ)ヲクヾル也。下罪ノ者ヲバ慈穴道ヲ通ス也。一七日脚(アシ)滔(クンシ)ニ及ブ。水の穴(アナ)ヲ渡ル也。少シ休(ヤス)ム処アレバ是ヲ少(スコシ)ノツミト云ナリ。三國共業過難レ遁(ノガレ)。〔下22ウ四〜八〕
事(こと)の輕重(けいぢう)其(その)人(ひと)の是非(ぜひ)に随(したかつ)て之(これ)を行(おこな)被(ハる)可(へ)し/随テニ事ノ輕重其人ノ是非ニ一可レ被レ行レ之ヲ罪の軽きハ刑軽く罪の重きハ刑重し。其人理ありて是(ぜ)なれハゆるし理なくして非なれハ罪し其罪次第に刑罪を行ふを云。是迄ハ侍所の事を説し也〔68オ三〜五〕
とあって、この標記語「輕重」の語を収載し、語注記は「罪の軽きは、刑軽く罪の重きは刑重し。其人理ありて是(ぜ)なれはゆるし理なくして非なれば罪し其の罪次第に刑罪を行ふを云ふ。是れ迄は、侍所の事を説しなり」と記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
斷罪(だんざい)す可(べ)き者(もの)ハ之(これ)を誅(ちう)せら被(れ)誡(いまし)む可(べ)き者(もの)ハ之(これ)を禁獄(きんごく)し流刑(るけい)す可(べ)き者(もの)ハ流帳(るちやう)に記(しる)さ被(る)此(この)外(ほか)火印(くハゐん)追放(ついはう)以下(いげ)事(こと)の輕重(けいぢう)其(その)人(ひと)の是非(ぜひ)に随(したがつ)て之(これ)を行(おこな)ハ被(る)可(べ)し。/可二断-罪ス一者ハ被レ誅セラレ之ヲ可キレ誡ム者ハ禁二獄シ之ヲ一可キ二流-刑ス一者ハ被レ記サ二流帳ニ一此外火印追-放以-下随ニ事輕-重其人ノ是非ニ一可シレ被レ行ハレ之ヲ。▲火印ハ科人(とがにん)の額(ひたひ)に焼(やき)がねをあつること。今の黥(いれずミ)の類(るい)也。〔49ウ五〜六〕
可(べ)き二断(だん)-罪(ざい)す一者(もの)は被(れ)レ誅(ちゆう)せらレ之(これ)を可(べ)きレ誡(いましむ)者(もの)は禁(きん)二獄(ごく)し之(これ)を一可(べ)き二流(る)-刑(けい)す一者(もの)ハ被(る)レ記(しる)さる二流(る)帳(ちやう)に一此(この)外(ほか)火印(くわいん)追(つゐ)-放(はう)以(い)-下(げ)随(したが)つて事(こと)の輕(けい)-重(ぢう)其(そ)の人(ひと)の是非(ぜひ)に一可(べ)しレ被(る)レ行(おこなハ)レ之(これ)を。▲火印ハ科人(とがにん)の額(ひたひ)に焼(やき)がねをあつること。今の黥(いれずミ)の類也。〔89オ二〜三〕
Qio<giu<.キャゥヂュウ(輕重) Caruxi,vomoxi.(軽し,重し)軽いことと重いことと.§Togano qio<giu>ni xitagatte tcumini vocono<.(科の軽重に従って罪に行ふ)罪科の重い軽いに応じて人を処断する.〔邦訳502l〕
けい-ぢュう〔名〕【輕重】〔ヂュウは、呉音〕かろきと、おもきと。周禮、秋官篇、司寇「以辨二罪之輕重一」左傳、宣公三年「楚子問二鼎之大小輕重一」韓愈、送殷員外序「豈不下眞知二輕重一大丈夫上哉」申子「懸權衡一、以稱二輕重一」庭訓往來、八月「火印追放已下、隨二事輕重、其人是非一、可レ被レ行レ是」〔0599-2:2-0147-2〕
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