2004年01月01日から1月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

謹賀新年 本年もよろしくお願い申し上げます

 

 

 
2004年01月31日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(いろをまじえ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「滿」部と「伊」部に、

(マジハリ) 。〔元亀二年本210五〕 色(イロ) 。〔元亀二年本20五〕〔天正十七年本上9ウ一〕〔西來寺本〕

(マジル) 。〔静嘉堂本239八〕  。〔静嘉堂本16五〕

(マシハリ) 。〔天正十七年本中49オ三〕〔西來寺本〕

色交(イロヘテ) 。〔元亀二年本13六〕

色交(イロヱテ) 。〔天正十七年本上5ウ一〕〔西來寺本〕※静嘉堂本は「色更(イロエル)」〔6一〕とする。

とあって、標記語「」と「」とで、さらに、語順を逆にした「色交(イロヘテ)」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)ヘ後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

マシハル三友(イウ)/古希反相見。〔黒川本・辞字門中94オ五〕  イロ。〔黒川本・光彩門上7ウ二〕

とあって、標記語「」の語を未収載で、「」と「」として確認できる語である。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

色交(イロヱテ/シヨクカウ・マジワル)[入・平] 或作綵(イロヱ)彩。〔態藝門28一〕

とあって、語順を逆にした標記語「色交」の語を収載し、標記語「」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

色交(イロヘテ) ()サイ 。〔・言語進退門10八〕

色交(イロヘテ) () 。〔・言語門11八〕〔・言語門11三〕

色交(イロヱテ) () 。〔・言語門9一〕

とあって、広本節用集』と同じように語順を逆にした標記語「色交」の語を収載し、標記語「」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、標記語「」と「」そして、「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、語順を逆にした「色交」の語が『運歩色葉集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に見え、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている標記語「」の語とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「交色」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

中間(ケン)(サツ)(シキ)舎人(トネリ)牛飼(ウシカイ)(オリ)(マジエ)中間雜色(ザウシキ)又舎人(トネリ)牛飼(ウシカヒ)マテ金銀ヲ鏤(チリバメ)テ御供(トモ)申也。此御成(ヲンナリ)ニハ公家(クゲ)門跡モ御供シ給フトナン悉ク日記ニアルベシ。〔下25オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「交色」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

(およそ)中間(ちうげん)雜色(さうしき)舎人(とねり)牛飼(うしかい)(とう)()(いた)るまて花(ハな)を折(おり)(いろ)を交(まし)凡迄ルマテ于中間雜色舎人牛飼等軽き者まても華々敷粧ひたるを云。牛飼は御車を引する牛をつかふ者也。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「交色」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()(いろ)を交(まじ)。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等花交ハ飾(かさ)りたて美麗(びれい)なる樣(さま)をいふ。〔51ウ三〜52オ六〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)花交ハ飾(かざ)りたて美麗(びれい)なる樣(さま)を言。〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、「花交は、(かざ)りたて美麗(びれい)なる樣(さま)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)「Iro.イロ().」〔邦訳341l〕に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』、そして、現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いろ】〔名〕」の小見出し語として、「いろを交(まじ)」は未収載にする。因って、『庭訓徃來』の語用例は未記載になる。
[ことばの実際]
源平軍士、互混亂、白旗赤旗、交色、闘戰《訓み下し》源平ノ軍士(軍士等)、互ニ混乱シ、白旗赤旗、(イロ)ヲ交(マジ)、闘メ戦フ。《『吾妻鏡』寿永三年二月七日の条》
 
 
2004年01月30日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
折花(はなををる)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、

(ヲル) 。〔元亀二年本85十〕

(ヲル) 。〔静嘉堂本105五〕〔天正十七年本上52オ四〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語注記に「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「折花」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ヲル/せツ)[入] 。〔態藝門233二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、「」語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

境。〔・言語進退門66六〕〔・言語門67八〕〔・言語門61八〕〔・言語門72六〕

とあって、弘治二年本が標記語「」の語を収載するが、「」語は未収載にする。また、易林本節用集』には、標記語「」及び「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「折花」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

中間(ケン)(サツ)(シキ)舎人(トネリ)牛飼(ウシカイ)(オリ)(マジエ)中間雜色(ザウシキ)又舎人(トネリ)牛飼(ウシカヒ)マテ金銀ヲ鏤(チリバメ)テ御供(トモ)申也。此御成(ヲンナリ)ニハ公家(クゲ)門跡モ御供シ給フトナン悉ク日記ニアルベシ。〔下25オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「折花」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

(およそ)中間(ちうげん)雜色(さうしき)舎人(とねり)牛飼(うしかい)(とう)()(いた)るまて(ハな)を折(おり)(いろ)を交(まし)ゆ/凡迄ルマテ于中間雜色舎人牛飼等軽き者まても華々敷粧ひたるを云。牛飼は御車を引する牛をつかふ者也。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「折花」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて(はな)を折()(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等花交ハ飾(かさ)りたて美麗(びれい)なる樣(さま)をいふ。〔51ウ三〜52オ六〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)花交ハ飾(かざ)りたて美麗(びれい)なる樣(さま)を言。〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「折花」の語を収載し、その語注記は、「花交は、(かざ)りたて美麗(びれい)なる樣(さま)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fana.ハナ() 花.〈中略〉§Fanauo voru.(花を折る)花をその茎とともに折り取る.〔邦訳201l〕

とあって、標記語「」の使用例として「折花」の語を載せ、その意味は「花をその茎とともに折り取る」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「はな--をる〔名〕【折花】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はな】〔名〕」の小見出し語に「はなを折(お)る (花を折ってかざす意)衣装や身づくろいなどをはなやかにする。美しく着飾る。*落窪物語(10C後)三「はなををりてさうぞきて、いとよしと思へる」*榮花物語(1028-92頃)かがやく藤壷「殿上人などは花おらぬ人無、今めかしう思ひたり」*曽我物語(南北朝頃)四・鎌倉殿、箱根御参詣の事「以上三百五十余騎、はなをおり、紅葉をかさね、装束ども、綺羅天をかかやかし」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
若少女房十人〈各折花。〉候陪膳役送云云。《訓み下し》若少ノ女房十人〈各花ヲ折ル。〉陪膳ノ役送ニ候ズト云云。《『吾妻鏡』建保七年正月二十四日の条》
 
 
2004年01月29日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
牛飼(うしかひ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

牛飼(ウシカイ) 。〔元亀二年本180二〕〔静嘉堂本201五〕

牛飼(カイ) 。〔天正十七年本中30オ三〕

とあって、標記語「牛飼」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-_(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「牛飼」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「牛飼」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

牛飼(ウシカイ/ギウシ)[平・入] ――馬飼。〔人倫門471三〕

とあって、標記語「牛飼」の語を収載し、語注記は「牛飼馬飼」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ウシ) 。〔・人倫門148六〕

牛飼(ウシカイ) 。〔・人倫門120六〕〔・人倫門110一〕〔・人倫門134一〕

とあって、弘治二年本が標記語「牛飼」の語を収載する。また、易林本節用集』には、標記語「牛飼」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』『運歩色葉集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』にあって、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「牛飼」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

中間(ケン)(サツ)(シキ)舎人(トネリ)牛飼(ウシカイ)(オリ)(マジエ)中間雜色(ザウシキ)又舎人(トネリ)牛飼(ウシカヒ)マテ金銀ヲ鏤(チリバメ)テ御供(トモ)申也。此御成(ヲンナリ)ニハ公家(クゲ)門跡モ御供シ給フトナン悉ク日記ニアルベシ。〔下25オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「牛飼」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

(およそ)中間(ちうげん)雜色(さうしき)舎人(とねり)牛飼(うしかい)(とう)()(いた)るまて花(ハな)を折(おり)(いろ)を交(まし)ゆ/凡迄ルマテ于中間雜色舎人牛飼軽き者まても華々敷粧ひたるを云。牛飼は御車を引する牛をつかふ者也。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「牛飼」の語を収載し、語注記は、「牛飼は、御車を引する牛をつかふ者なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_牛飼ハ御車を引(ひか)する牛つかひ也。〔51ウ三〜52オ六〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)牛飼ハ御車を引(ひか)する牛(うし)つかひ也。〔92ウ一〜93ウ四〕

とあって、標記語「牛飼」の語を収載し、その語注記は、「牛飼ハ御車を引(ひか)する牛(うし)つかひ也」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†VXicai.ウシカヒ(牛飼) 牛の番をする牛飼,または,牛車引き.〔邦訳738r〕

とあって、標記語「牛飼」の語の意味は「牛の番をする牛飼,または,牛車引き」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うし-かひ〔名〕【牛飼】(一){牛を飼ひ、又、使ふ者。古事記、下(安康)29「役(ツカハル)馬甘(ウマカヒ)牛甘(ウシカヒ)(二)次次條の語の略。〔0229-4〕」

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「うし-かい牛飼】〔名〕@牛を飼い使う者。牛車(ぎっしゃ)の牛を飼い使う者。A「うしかいわらわ(牛飼童)」の略。B「うしかいぼし(牛飼星)」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又牽黄牛。〈御牛飼者着青狩衣相副之。〉《訓み下し》又黄牛ヲ牽ク。〈御牛飼ハ青狩衣ヲ着シ之ニ相副フ。〉《『吾妻鏡』嘉禄元年十二月二十日の条》
 
 
舎人(とねり)」は、ことばの溜池(2002.12.12)を参照。
 
2004年01月28日(水)晴れ。東京(八王子)→名古屋(名古屋大学)
雜色(ザウシキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

雜色(シキ) 。〔元亀二年本269六〕〔静嘉堂本307一〕

とあって、標記語「雜色」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間--人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

雜色 下賤分。〔黒川本・疉字門下42ウ一〕

雑袍 〃色。〃事。〃藝。〃餝。〃用。〃穢。〃菜。〃沓。〔卷第八・疉字門443五〕

とあって、標記語「雜色」の語を収載し、語注記に「下賤分」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(サウシキ) 。〔元和本・人倫門39二〕

とあって、標記語「」の語をもって収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

雜色(シキ)[入・入] 小舎人。〔官位門777七〕

とあって、標記語「雜色」の語を収載し、語注記は「小舎人」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

雜職(サウシキ) 小舎人。―/職作色。〔・人倫門210四〕

雜職(サウシキ) 小舎――/職作色。〔・人倫門175三〕

雜職(ザウシキ) 小舎―。〔・人倫門164一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「小舎人。「職」を「色」に作す」と記載していて、標記語を『下學集』に継承し、語注記としては広本節用集』とも影響下にある注記を記載する。また、易林本節用集』には、

雜色(ザフシキ) ―人(ニン)。―兵(ヒヤウ)。〔人倫門177二〕

とあって、標記語「雜色」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『下學集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』に見える「雜職」の語と広本節用集』『運歩色葉集』に見えている標記語「雜色」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には後者の「雜色」の語が見えている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「雜色」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

中間(ケン)(サツ)(シキ)舎人(トネリ)牛飼(ウシカイ)(オリ)(マジエ)中間雜色(ザウシキ)又舎人(トネリ)牛飼(ウシカヒ)マテ金銀ヲ鏤(チリバメ)テ御供(トモ)申也。此御成(ヲンナリ)ニハ公家(クゲ)門跡モ御供シ給フトナン悉ク日記ニアルベシ。〔下25オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「雜色」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

(およそ)中間(ちうげん)雜色(さうしき)舎人(とねり)牛飼(うしかい)(とう)()(いた)るまて花(ハな)を折(おり)(いろ)を交(まし)ゆ/凡迄ルマテ于中間雜色舎人牛飼等軽き者まても華々敷粧ひたるを云。牛飼は御車を引する牛をつかふ者也。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「雜色」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等〔51ウ八〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)〔93オ二〕

とあって、標記語「雜色」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zaxxiqi.ザッシキ(雑色) Zo<xiqi(雑色)に同じ.公方(Cubo<)や屋形(Yacata)の家中における奉公人の或る階級で,中間(Chu'ruens)よりも下級の者.〔邦訳842l〕

Zo<xiqi.l,zaxxiqi.ザゥシキ.または,ザッシキ(雑色) 公方(Cubo<)や屋形(Yacata)の家中における奉公人の或る階級で,中間(Chu'ruens)よりも下級の者.〔邦訳844l〕

とあって、標記語「雑色」の語の意味は「公方(Cubo<)や屋形(Yacata)の家中における奉公人の或る階級で,中間(Chu'ruens)よりも下級の者」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ざふ-しき〔名〕【雜色雜式】〔安齋随筆、九「雜色の色の字は、品の字の意にて、雜品と云ふが如し、雜役を勤むる人品を云ふなり」北史、斎文宣紀「免諸伎作屯牧雜色徒隷之徒、爲白戸」(一){小者(こもの)。下男(しもをとこ)僕隷枕草子、五、五十段「供に、侍(さぶらひ)、ざうしき、三人ばかり、物も履()かで、走るめる」宇治拾遺物語、三、第五條「供に具したるざうしきを呼びければ、出で來たるに、沓(くつ)持て、來()、と云ひければ、持て來たるを、履()きて、云云」保元物語、一、新院召爲義事「源太、産衣(うぶぎぬ)と、膝丸とは、謫謫に傳ふる物なれば、ざうしき花澤して、下野守の許へぞ遣はしける」(二)武家時代となりては、鎌倉幕府、室町幕府を通じて、小舎人、走衆(はしりしゆう)の類にて、賤役に仕はるる職名。てう(ちよ)じゃくざふ(ぞう)しき(朝夕雜色)の條を併せ見よ。吾妻鏡、二、治承五年三月廿七日「片岡次郎常春、依謀叛之聞、遣雜色於彼領所下總國、被召之、云云」同、十、文治六年二月五日「被雜色眞近、常清、利定、等、於奥州、是於三方合戰、爲其検見也」松田貞秀記、永享十二年七月廿五日「大將(足利義政)御拝賀、供奉行列、云云、雜色四人、淨衣」條條聞書「武家に、雜色と申すは、中間より下り、厩の者より上り也」(貞丈雜記、四)〔0824-2〕」

とあってこの語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぞう-しき雑色】〔名〕@「ぞうしきにん(雑色人)@」の略。A「ぞうしきにん(雑色人)A」の略。B「ぞうしきにん(雑色人)B」の略。C平安時代以後、公家・武家の家の従者。雑役をつとめる。D中世、鎌倉・室町幕府、守護所などで、雑役をつとめた下級の職員。Eいろいろの色。白以外の色の総称」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而折節、無乗馬之由、依令言上熊立雜色、被送遣之〈云云〉《訓み下し》而ルニ折節、乗馬無キノ由、言上ゼシムルニ依テ、態ト雑色(ザツシキ)ヲ立テラレ、之ヲ送リ遣ハサルト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦元年十二月二日の条》
 
 
2004年01月27日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
中間(ちゆうげん)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

中間(ゲン) 。〔元亀二年本64一〕〔静嘉堂本74五〕

中間(ケン) 。〔天正十七年本上37ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「中間」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ中間-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

中間 同(時剋分)/チウケン。〔黒川本・疉字門上55オ三〕

中外 〃間。〃媒/〃言。〃絶。〃華。〃根/〃舟。〃狩。〃夜。〃古/〃央。〃心。〃葉。〃友/〃媒〃ハイ。〃誠。〃宮。〔卷第・疉字門469五〕

とあって、三卷本色葉字類抄』に標記語「中間」の語を疉字門に収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「中間」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

中間(チウゲン・アタル、―ナカ、カン・アイダ)[平・去] 。〔家屋門155四〕

中間(チウゲン・アタル、ヘダツナカ、カン・アイダ)[平・去] 。〔態藝門166一〕

とあって、標記語「中間」の語を家屋門と態藝門とに収載し、訓みを「チウゲン」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

中間(ゲン) 。〔・人倫門49一〕 中間(ゲン) 。〔・言語進退門51六〕

中間(チウケン) 。〔・人倫門50三〕

中間(チウゲン) ―門(チウモン)。―興(コウ)。―。―媒(バイ)。―夭(ヨウ)/―戸()。―分(フン)。―古(コト)。―庸(ヨウ)。―絶(ぜツ)。〔・言語門52七〕

中間(チウゲン) 。〔・人倫門46一〕〔・人倫門54三〕

中間(チウケン) ―門。―興。―。―媒。―夭/―戸。―分。―古。―庸。―絶。〔・言語門47八〕中間 ―門。―興/―。―媒/―分。―庸。〔・言語門56八〕

とあって、標記語「中間」の語を人倫門と言語門とに収載する。また、易林本節用集』には、

中間(チウゲン) 。〔人倫門48七〕

とあって、標記語「中間」の語は人倫門のみに収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「中間」の語を人倫門に収載するのは、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』と易林本節用集』であり、これが古写本『庭訓徃來』また、下記真字本に見えている「中間」の語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「中間」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

中間(ケン)(サツ)(シキ)舎人(トネリ)牛飼(ウシカイ)(オリ)(マジエ)中間雜色(ザウシキ)又舎人(トネリ)牛飼(ウシカヒ)マテ金銀ヲ鏤(チリバメ)テ御供(トモ)申也。此御成(ヲンナリ)ニハ公家(クゲ)門跡モ御供シ給フトナン悉ク日記ニアルベシ。〔下25オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「中間」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

(およそ)中間(ちうげん)雜色(さうしき)舎人(とねり)牛飼(うしかい)(とう)()(いた)るまて花(ハな)を折(おり)(いろ)を交(まし)ゆ/凡迄ルマテ中間雜色舎人牛飼等軽き者まても華々敷粧ひたるを云。牛飼は御車を引する牛をつかふ者也。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「中間」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)中間--_飼等中間以下ハ一度()も甲冑(かつちう)を着()たる事なき者を云。〔51ウ三〜52オ六〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)中間以下ハ一度()も甲冑(かつちう)を着()たる事(こと)なき者(もの)を云。〔92ウ一〜93ウ三・四〕

とあって、標記語「中間」の語を収載し、その語注記は、「中間以下は、一度()も甲冑(かつちう)を着()たる事(こと)なき者(もの)を云ふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chu~guen.チュンゲン(中間) 馬丁.※ここは配列位置から見るとChu'guen(チュウゲン)の誤植とも考えられるが,Chuguenという形も存した可能性がないではない.〔Riu<gunの注〕→Zaxxiqi;Zo<xiqi.〔邦訳130l〕

Chu'guen.チュウゲン(中間) 間,または,中間.§Chu'guen ro<jeqi.(中間狼藉)目下裁判で係争中の事柄に関して,それが解決しないうちに,乱暴を働き,害を加えること.たとえば,判決が下らないうちに,他人の援助を得て,物を奪ったりするなど.§Chu'guen ro<jeqiuo suru.(中間狼藉をする)上のような乱暴を働く.〔邦訳130l〕

とあって、標記語「中間」の語の意味は上段の「馬丁」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちュう-げん〔名〕【中間】〔中間男(はしたもの)の字を略して音讀せしもの〕(一)昔、武家に仕へし下級の職。(番衆の條を見よ)三内口訣(三條西實澄)小者事「中間小者は、侍之家召置候」布衣記(永仁、助成)中間事「折烏帽子、小結常也、染直垂に大帷を重ね、袴に大口をかさね、云云」源平盛衰記、四十五、重衡向南都斬事「地藏冠者と云ふ中間と、十力法師と云ふ力者」吾妻鏡、五十一、弘長三年八月九日「御路次間方方奉行人事、一、御中間、信濃判官時清」 (二)後世、中間と云ふは、奴隷の中に頭立ちたるもの。〔1289-2〕」

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ちゅう-げん中間】〔名〕@時間的・空間的に二つの物事のあいだ。両者のあいだに位置すること。なかほど。ちゅうかん。A事の最中、途中。行事や会議などの進行中。B(形動)どっちつかずであること。また、そのさま。C仏語。二つのものの間にあるもの、間に考えられるもの。有と無の間(非有非無)、内空と外空の間(内外空)、前仏と後仏の間(無仏の時)などといったことに用いる。D(「仲間」とも)昔、公家・寺院などに召使われた男。身分は侍と小者の間に位する。中間男。E(「仲間」とも)江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。→小者C。F江戸幕府の職名。三組合わせて五百数十人おり、中間頭の下に長屋門番などを命ぜられた」とあって、Dの意味にあたるが、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
風頻吹、法華堂、頗難免此災之處、諏方兵衛尉盛重一人、最前馳向、令壊中間民屋數十宇之間火止訖《訓み下し》風頻ニ吹キ、法華堂、頗ル此ノ災ヲ免レ難キノ処ニ、諏方ノ兵衛ノ尉盛重一人、最前ニ馳セ向ツテ、中間(ゲン)ノ民屋数十宇ヲ壊タシムルノ間。火止マリ訖ンヌ。《『吾妻鏡』文暦二年九月一日の条》
 
 
2004年01月26日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(およそ&すべて)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部には未収載であり、「於」部に、

(ヲヨソ/ヲホヨソ) 。〔元亀二年本84四八〕

(ヲヨソ) 。〔静嘉堂本103六〕

(ヲヨソ) 。〔天正十七年本上51オ五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「をよそ(元亀本は左訓に「をほよそ」)」と記載し、語注記には、典拠である『定家仮名遣』を示す頭文字「定」を記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、他本では測れないが文明四年本の送り仮名からして「をよそ」と訓むことが判明する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

―ハン/ヲウヨソ 。〔元和・言辭門149三〕

とあって、標記語「大」の語をもって収載し、訓みを「をうよそ」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ヲヨソ/ハン)[平] 。〔態藝門231五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「をよそ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ヲヨソ) 。〔・言語進退門65二〕〔・言語門61六〕〔・言語門72五〕

(ヲヨソ) 。〔・言語門67五〕

とあって、弘治二年本が標記語「」と「」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

(ヲヨソ) 。〔言語門64一〕

とあって、標記語「」の語をもって、訓み「をよそ」とし収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『下學集』が左訓「大(ヲウヨソ)」であるのに対し、広本節用集』からは「(ヲヨソ)」と「(ヲヨソ)」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』や下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當色(タウシヨク)(イロ)(キヤウ)-色節(イロフシ)(チリハム)-マテ當色ト云ハヲナリノ直前ニ十八九ノ舎人長小結メマネキシボリノ烏帽子(ヱボシ)ノ大摺成ルヲ著()テ狂文(ヒヤウモン)ノ上下四ツノ結リヲシメテ袂(タモト)ノ袖(ソテ)ニ張木(ハリキ)ヲカイテ百人計モ石瓦(カハラ)ヲ践(ツミ)立て走ル也。頓(ヤガ)テ人ヲナリノ有ト知也。是ハ常ノ御成ニハナシ。御代三度ノヲナリニ有ナリ。〔下25オ五〜七〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

(およそ)中間(ちうげん)雜色(さうしき)舎人(とねり)牛飼(うしかい)(とう)に迄(いた)るまて花(ハな)を折(おり)(いろ)を交(まし)ゆ/ルマテ于中間雜色舎人牛飼等軽き者まても華々敷粧ひたるを云。牛飼は御車を引する牛をつかふ者也。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-(マデ)于中間--_飼等〔51ウ九〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)〔93オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「すべて」とし、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Voyoso.ヲヨソ() 大方.→Fobo;Fotondo;Taigai;Xo>ji.〔邦訳728r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「大方」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

およそ〔名〕【】〔おほよその約〕(一)おほよそ。おおかた。大概。(二)文の首に用ゐて、すべて、おしなべてなどの意とす。古今著聞集、八、好色「およそ、君と臣とは、水と魚との如し」「およそ、生(いく)とし生()けるもの」〔0329-2〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「およそ大約】[]〔名〕(「おおよそ」の変化した語)判断の内容や物事の量の、正確ではないがそれに近いところ。おおまかなところ。あらかた。ほとんど。全部。[]〔副〕@数量の、正確ではないがそれに近いところ。ほぼ。だいたい。あらまし。A精密さを捨てて、話しを一般論にするときにいうことば。総じて。いったい。そもそも。B打消の語または否定的な内容をもつ語を伴って、全面的な否定感情を示すのに用いる。まったく。まずもって。[]〔形動〕@物事を正確に、慎重に扱わないさま。いいかげんだ。おろそかだ。ぞんざい。A知能が不完全であるさま。あほう。痴呆(ちほう)。[語誌](1)「おおよそ」は中古から認められるが、「およそ」が見られるのは中世後期からである。中世古辞書類には「おおよそ」も載っているが、『日葡辞書』には「およそ」だけが収められている。近世期の軽口本・小咄本では「およそ」のみであり、口語では、既に「およそ」が一般化していたと思われる。(2)の用法は、近世期には少なく、の用法が多くなる。また、の用法は、「おおよそB」から転じたものか」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
見畫圖之體、正如莅其境〈云云〉。《訓み下し》(ヲヨ)画図ノ体ヲ見ルニ、正ニ其ノ境ニ莅ムガ如シト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年八月四日の条》
 
 
2004年01月25日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
金銀(キンギン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

金銀(ギン) 。〔元亀二年本283一〕〔静嘉堂本323八〕

とあって、標記語「金銀」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「金銀」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「金銀」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

金銀(キンギン/コガネ、シロガネ)[平・平] ――珠玉。〔器財門816六〕

とあって、標記語「金銀」の語を収載し、語注記は「金銀珠玉」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

金沙(キンシヤ) ―屏(ビヤウ)―銀(ギン)/―羅()。〔・財宝門184二〕

金襴(キンラン) ―紗/―屏。―薄(ハク)―銀/―羅。―針。〔・財宝門173九〕

とあって、永祿二年本尭空本とが標記語をそれぞれ「金沙」「金襴」とし、冠頭字「金」の熟語群に「金銀」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

金銀(キンギン) 。〔器財門188七〕

とあって、標記語「金銀」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』『運歩色葉集』印度本系統の永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』に「金銀」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』や下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「金銀」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當色(タウシヨク)(イロ)(キヤウ)-色節(イロフシ)(チリハム)-凡至マテ當色ト云ハヲナリノ直前ニ十八九ノ舎人長小結メマネキシボリノ烏帽子(ヱボシ)ノ大摺成ルヲ著()テ狂文(ヒヤウモン)ノ上下四ツノ結リヲシメテ袂(タモト)ノ袖(ソテ)ニ張木(ハリキ)ヲカイテ百人計モ石瓦(カハラ)ヲ践(ツミ)立て走ル也。頓(ヤガ)テ人ヲナリノ有ト知也。是ハ常ノ御成ニハナシ。御代三度ノヲナリニ有ナリ。〔下25オ五〜七〕

とあって、この標記語「金銀」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)む/-腰の物なとを金銀にてかさりたるをいふ。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「金銀」の語を収載し、語注記は「腰の物なとを金銀にてかさりたるをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等鏤金銀ハ手()に持ち身に()ぶる品(しな)の金具類(かなくるい)に花美を尽(つく)くしたるをいふ。〔51ウ三〜52オ五〕

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)鏤金銀ハ手()に持ち身()()ぶる品(しな)の金具類(かなくるい)に花美(くわび)を尽(つく)くしたるをいふ。〔92ウ一〜93ウ三〕

とあって、標記語「金銀」の語を収載し、その語注記は、「鏤金銀は、()に持ち身()()ぶる品(しな)の金具類(かなくるい)に花美(くわび)を尽(つく)くしたるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qinnuin.キンギン(金銀) Cogane,xirocane.(金,銀)金と銀と.〔邦訳498l〕

とあって、標記語「金銀」の語の意味は「金と銀と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きん-ぎん〔名〕【金銀】(一)金(こがね)と、銀(しろがね)と。列子、周穆王篇「化人之宮、構以金銀絡以珠玉榮花物語、二十二、鳥舞「菩薩たち、金銀瑠璃の笙や、琵琶や」(二)通用の貨幣(かね)狂言記、柑子俵「精を出し、金銀を大分儲け、仕合を致さうと存ずる」〔0483-3〕」

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きん-ぎん金銀】〔名〕金と銀。また、きわめて美しく高価で貴重なもの。こんごん。A金貨と銀貨。B貨幣一般。かね。金銭。C将棋の駒で、金将と銀将。D「きんぎんしまい(金銀四枚)」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
逗留之間、連日竹葉、勸宴酔、塩梅調鼎味、所被献之又金銀懸數、錦綉重色者也《訓み下し》逗留ノ間、連日竹葉、宴酔ヲ勧メ、塩梅鼎味ヲ調ヘ、之ヲ献ゼラルル所、又金銀数ヲ*懸ケ(*尽シ)、錦綉色ヲ重ヌル者ナリ。《『吾妻鏡』元暦元年六月五日の条》
 
 
2004年01月24日(土)晴れのち曇り。東京(八王子)→静岡(清水町)
(ちりばめ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

(チリバムル) 。〔元亀二年本70九〕

(チリハムル) 。〔静嘉堂本84五〕〔天正十七年本上41ウ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ちりばむる」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間雜-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ロウ) チリハム 同。 同。〔黒川本・辞字門上54ウ六〕

チリハム 同。〔卷第二・辞字門466五〕

とあって、標記語「」の語を収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(チリバム) 彫刻(テウコク)スル金銀ナリ。〔言辭門157一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「金銀を彫刻する義なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(チリハム/ロウ)[○]刻金銀。〔態藝門187三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記には「金銀を彫刻する」と『下學集』の語注記を継承して記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(チリハム) 。鍍。〔・言語進退門55一〕〔・言語門54六〕〔・言語門49七〕〔・言語門58三〕

とあって、弘治二年本が標記語「」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

(チリバム) 。〔言語門55一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『下學集広本節用集』『運歩色葉集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集易林本節用集』に見えている語であり、このうち『下學集広本節用集』には、「金銀を彫刻する(義なり)」といった語注記が記載されていて、古写本『庭訓徃來』に見えている語であり、下記真字本には、この語注記は見えていないのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當色(タウシヨク)(イロ)(キヤウ)-色節(イロフシ)(チリハム)-凡至マテ當色ト云ハヲナリノ直前ニ十八九ノ舎人長小結メマネキシボリノ烏帽子(ヱボシ)ノ大摺成ルヲ著()テ狂文(ヒヤウモン)ノ上下四ツノ結リヲシメテ袂(タモト)ノ袖(ソテ)ニ張木(ハリキ)ヲカイテ百人計モ石瓦(カハラ)ヲ践(ツミ)立て走ル也。頓(ヤガ)テ人ヲナリノ有ト知也。是ハ常ノ御成ニハナシ。御代三度ノヲナリニ有ナリ。〔下25オ五〜七〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

金銀(きんぎん)(ちりば)-腰の物なとを金銀にてかさりたるをいふ。〔70ウ三〜四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は「腰の物なとを金銀にてかさりたるをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)(ちりば)(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等鏤金銀ハ手()に持ち身に()ぶる品(しな)の金具類(かなくるい)に花美を尽(つく)くしたるをいふ。〔51ウ三〜52オ五〕

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)鏤金銀ハ手()に持ち身()()ぶる品(しな)の金具類(かなくるい)に花美(くわび)を尽(つく)くしたるをいふ。〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、「鏤金銀ハ手()に持ち身に()ぶる品(しな)の金具類(かなくるい)に花美を尽(つく)くしたるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chiribame,uru,eta.チリバメ,ムル,メタ(め,むる,めた) 物に,金や銀を使って細工を加える,または,飾りを施す.§Qinguin xippouo chiribamete,ruriuo nobeta miyano vchiye mairi,&c.(金銀七宝を鏤めて,瑠璃を延べた宮の内へ参り,云云)Feiq.(平家)卷四.全体に金や銀をくっつけ,また宝石で飾ってある~(Cami)の社に入って. ※Feiqe,p401.→Ro>cacu;Xini〜〔邦訳123r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「物に,金や銀を使って細工を加える,または,飾りを施す」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちりばムル・ムレ・メ・メ・メヨ〔他動、下二〕【】〔散食むるにて、金銀など、散らし食めたる意ならむ。正韻「鏤、彫刻也」〕細かく刻みつくる。刻りつくる。彫(ゑ)りきざむ。字鏡40「鏤、刻也、金乃知利婆女」欽明紀、廿三年八月「銅(チリバメ)セル(カネ)左傳、哀公元年「器不彫鏤」注「鏤、刻也」〔1300-2〕」

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ちりばめる】〔他マ下一〕外[文]ちりば・む〔他マ下二〕ほりつける。きざみつける。ほって、金銀・宝玉などをはめこむ。また、比喩的に、文章などで美しいことばなどを所々にはさみこむ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
基衡建立之先、金堂號圓隆寺金銀、繼紫檀赤木等盡萬寳、交衆色《訓み下し》基衡建立ノ先、(之ヲ建立ス。先ヅ)金堂ヲ円隆寺ト号ス。金銀ヲ(チリバ)、紫檀赤木等ヲ継ギ、万宝ヲ尽シ、衆色ヲ交ユ。《『吾妻鏡』文治五年九月十七日の条》
 
 
2004年01月23日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
色節(いろふし)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」「志」部に、標記語「色節」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間雜-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「色節」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「色節」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

色節(イロフシ/シヨクせツ)[入・入] 。〔態藝門28一〕

とあって、標記語「色節」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「色節」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

色節(イロフシ) 。〔言語門8三〕

とあって、標記語「色節」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』と易林本節用集』に「色節」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「色節」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當色(タウシヨク)(イロ)(キヤウ)-色節(イロフシ)(チリハム)-凡至マテ當色ト云ハヲナリノ直前ニ十八九ノ舎人長小結メマネキシボリノ烏帽子(ヱボシ)ノ大摺成ルヲ著()テ狂文(ヒヤウモン)ノ上下四ツノ結リヲシメテ袂(タモト)ノ袖(ソテ)ニ張木(ハリキ)ヲカイテ百人計モ石瓦(カハラ)ヲ践(ツミ)立て走ル也。頓(ヤガ)テ人ヲナリノ有ト知也。是ハ常ノ御成ニハナシ。御代三度ノヲナリニ有ナリ。〔下25オ五〜七〕

とあって、この標記語「色節」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

色節(しよくせつ)を盡(つく)し/色節かさりを盡すを云。〔70ウ三〕

とあって、この標記語「色節」の語を収載し、語注記は「かさりを盡すを云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「色節」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Irofuxi.イロフシ(色節) 例,Irofuxino mono.(色節の者)踊りや歌などで人々を楽しませるために,所々方々を流れ歩く男や女.〔邦訳341l〕

とあって、標記語「色節」の語の意味はなく、用例のみ記す。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いろふし〔名〕【色節】〔物の色、事の廉(かど)の意ならむ〕際立ちて、きらびやかなこと。枕草子、五、四十六段「清涼殿の反橋に、元結の村濃、いとけざやかに出で居たるも、云云、上雑仕、童ども、いみじき色ふしと思ひたる、いとことわりなり」徒然草、百九十一段「夜に入りて物の映なしと云ふ人、いとくちをし、萬の物、綺羅、飾り、色ふしも、夜のみこそめでたけれ」〔0221-5〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いろふし色節】〔名〕@(形動)晴れがましいこと。きらびやかで派手なさま。また、そのような行事。出来事。A「いろ(色)[一]二F」に同じ。Bさまざまにことばをついやすこと。また、その人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
「夜(ヨ)に入りて、物の映(ハ)えなし」といふ人、いと口をし。万のものの 綺羅(キラ)・飾(カザ)り・色ふしも、夜(ヨル)のみこそめでたけれ。《『徒然草第百九十一段
 
標記語「狂文」(ことばの溜池2003.03.06参照)。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひゃうもん〔名〕【平文】直垂、狩衣などに二色、三色にて、色取りたる模様。又、漆塗などに、金貝(かなかひ)の類を、平らに文様(モンヤウ)にして塗りたるもの。(金銀箔なるにも云ふ)漆の地と同じく平らなるなり。又、狂文(キヤウモン)と云ふは、平文と同じなれど、文様を狂はせて塗込めたるもの。共に今云ふ研出(とぎだし)なり。管見記、永治二年十月廿六日「赤懸緒」注「左、無文、右、平文」江家次第、一、四方拝事「書司立平文高机二脚江家次第抄、一、四方拝「平文者、以唐花左経記、寛仁元年十月二日「神庫支配事、云云、平文野劔一腰」花御所行幸記、上「みなみな金銀のひゃうもんの直垂に」公方様正月御事始記「色をつくして染めたるを平文と申候、御禁制にて候、只二色を以ていろえ候事可然候也」御供故実「素襖袴染色、何にても候へ、三色にて候へばひゃうもんにて候、浅黄、梅、刈安など、此三色を一具の内に染めたるを、平文と可申候」〔1701-3〕

 
2004年01月22日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
當色(タウシキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「當色」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

家文-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「當色」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「當色」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「當色」の語は、未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「當色」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當色(タウシヨク)(イロ)(キヤウ)-色節(イロフシ)(チリハム)-凡至マテ當色ト云ハヲナリノ直前ニ十八九ノ舎人長小結メマネキシボリノ烏帽子(ヱボシ)ノ大摺成ルヲ著()テ狂文(ヒヤウモン)ノ上下四ツノ結リヲシメテ袂(タモト)ノ袖(ソテ)ニ張木(ハリキ)ヲカイテ百人計モ石瓦(カハラ)ヲ践(ツミ)立て走ル也。頓(ヤガ)テ人ヲナリノ有ト知也。是ハ常ノ御成ニハナシ。御代三度ノヲナリニ有ナリ。〔下25オ五〜七〕

とあって、この標記語「當色」とし、語注記は、「當色と云ふは、をなりの直前に十八九の舎人長小結しめまねきしぼりの烏帽子(ヱボシ)の大摺成るを著て狂文(ヒヤウモン)の上下四つの結りをしめて袂(タモト)の袖(ソテ)に張木(ハリキ)をかいて百人計りも石瓦(カハラ)を践(ツミ)立て走るなり。頓(ヤガ)て人をなりの有ると知るなり。是れは、常の御成にはなし。御代三度のをなりに有るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)家文當色成の日多くの供奉の人ゆゝしく粧ひ出たちたるをいふなり。〔70ウ一〜二〕

とあって、この標記語「當色」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等當色ハ官位(くハんい)相當の定色(ちやうしよく)をいふ。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)當色ハ官位(くわんい)相當の定色(ぢやうしよく)をいふ。〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「當色」の語を収載し、その語注記は、「當色は、官位(くわんい)相當の定色(ぢやうしよく)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「當色」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たうじき〔名〕【當色】(一)位階相當の服の染色。一位は何色、四位は何色などとの制定あるなり。即ち位色(ゐしき)のいひなり。(出典を見よ)衣服令「位袍、一位深紫、二位三位淺紫(紫色深くして共にKく見ゆ)、四位深緋(緋の色極めて深くしてKみたり、以上は瞥見には一樣に見ゆ)、五位淺緋(緋色)、六位深緑(木賊色)、七位淺緑(萠黄(もえぎ))、八位深縹(濃縹(こいはなだ))、初位淺縹(縹)」(二)儀式に、官位卑しき者には、其當色の服を臨時に貸さるるにより、後には色に拘らず、すべて拝借の公物を指して云ふ語となる。紫式部日記「御湯殿は酉の時とか、火ともして宮の下部みどりの衣(きぬ)の上に、白きたうじき着て御湯まゐる」餝抄、小忌、仁平元年十一月廿五日「秘記曰、臨時祭、舞人隆長、青摺、私調之、當色頸紙不合期故也」後松日記(天保、松岡行義)二「當色と云ふに二樣あり、衣服令云(省略)トイヘルハ、當位の色と云ふ事にて、皇太子は黄丹、已下親王及一位、王臣は紫、已下の色はままに用ゆる事を得、其當色より上の色は、用ゆる事を聽ざる令なり、さて、又、榮花物語、初花卷、上東門院御産條に、御湯殿は、酉のときとぞある、そのぎしきあり樣えいひつづけず、火ともして宮の下部ども、みどりのきぬのうへに白きたうじきともにて、みゆまいる、又、紫式部日記云(省略)と見ゆ、又、餝抄、小忌條(省略)摺袴條云、仁平元十一廿五、或秘記曰、舞人隆長摺袴(當色、津賀利組、私儲之、當色袴麁悪之故也)、云云、是はまたく公物を云ふなり、公物を下し賜るに不相當の(橡K紺)衣を賜るにより、當色とは云ひけるを、中頃よりは、色のさたに及ばず、公物をさして云ふなりけり、位ある人は位色とも位袍とも云ひて、もとより高き身なれば、公物をかり用ゆべきにはあらず、位なきいやしきものは、私にはえそなふまじければ、公より臨期にかし給ふなり、さてつゐにかりものの名になりにたるべし、今も下部は、みな當色をきるなりけり(紺Kの衣、相當の色也、自餘の色はあしし)」(三)陰陽家にて、其年の吉方(えほう)に當れる色。寛永諸家系圖傳、九十五「小笠原家紋、松皮、副紋、十文字」〔1194-4〕」

の語を収載するが、標記語「當色」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「とうしき当色】〔名〕(「色」は種類の意)@令制で、身分や位階に相当した色。A身分や位階に相当した色の服。礼服でなく、日常着用する衣服についていう。B同じ身分・階層であること。同種に属する人。また、その身分・階層。Cひろく同じ種類のもの。また、その種。Dその年の生気の方すなわち吉方(えほう)にそれぞれ配した色」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於是高齊徳等八人並授正六位上。賜當色服。仍宴五位已上及高齊徳等。賜大射及雅樂寮之樂。宴訖賜祿有差。《『続日本紀巻十神亀五年(七二八)正月甲寅〈十七〉
 
 
2004年01月21日(水)晴れ後曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
家文(かもん)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」「氣」部に、標記語「家文」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

家文-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「家文」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「家文」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、「家文」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「家文」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

行粧(キヤウサフ)(ヲトロカス)家文行粧ト書テヲキロトヨムナリ。〔下25オ四・五〕

とあって、この標記語「家文」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)家文當色等御成の日多くの供奉の人ゆゝしく粧ひ出たちたるをいふなり。〔70ウ一〜二〕

とあって、この標記語「家文」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等家文ハ家々(いへ/\)の定紋(ちやうもん)也。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)家文は、家々(いへ/\)の定紋(ぢやうもん)也。〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「家文」の語を収載し、その語注記は、「家文は、家々(いへ/\)の定紋(ちやうもん)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「家文」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「もん〔名〕【家紋】其家にて用ゐる紋所。もんどころの條を見よ。寛永諸家系圖傳、九十五「小笠原家紋、松皮、副紋、十文字」〔0435-2〕」の語を収載するが、標記語「家文」の語では未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「もん家紋】〔名〕各家で定めている、家のしるし。図柄は、名字にちなんだもの、家のしるし。図柄は、名字にちなんだものなど多数ある。紋所(もんどころ)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
其状一通、遣鶴岳別當坊一通、爲備來榮之廢忘、加家文書〈云云〉《訓み下し》其ノ状一通、鶴岡ノ別当坊ニ遣ハス。一通ハ、来栄ノ廃忘ニ備ヘン為ニ(来葉ノ廃忘ニ)、家ノ文書ニ加フト〈云云〉《『吾妻鏡』の条》
 
 
2004年01月20日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
驚目(めをおどろかす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、

(ヲドロク)() 。〔元亀二年本84七〕

(ヲトロク)() 。〔静嘉堂本104一〕〔天正十七年本上51オ八〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載するが、訓みは自動詞「ヲドロク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)陳-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。このうち、至徳三年本と宝徳三年本は、「好粧」と表記し、他本は「驚目」と表記する、この二系列に分岐する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「驚目」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「驚目」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ヲドロカスケイジボクヲ・ミヽ、メ)[平・上・入] 。〔態藝門976六〕

とあって、標記語「」(耳目を驚かす)の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「驚目」や「(ヲドロカス)」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に「」(耳目を驚かす)の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』とは異なっている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「驚目」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

行粧(キヤウサフ)(ヲトロカス)家文行粧ト書テヲキロトヨムナリ。〔下25オ四・五〕

とあって、この標記語「驚目」とし、語注記は「驚目と書きてをきろとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

行粧(ぎやうそう)()を驚(おどろ)かす/行粧(キヤウサフ)(ヲトロカス)行粧は行列のよそほひなり。目を驚かすとハ見て美々敷をいふなり。〔70オ五〜七〕

とあって、この標記語「驚目」の語を収載し、語注記は「驚目は行列のよそほひなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「驚目」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vodorocaxi,su,aita.ヲドロカシ,ス,イタ(かし,す,いた) 人をびっくりさせる.例,Meuo,l,mimiuo vodorocasu.(目を,または,耳を驚かす)何か新しい物とか珍しい物事とかを見たり聞いたりして,びっくりする.§Cocorouo vodorocasu.(心を驚かす)びっくりする.§また,眠っている人を目覚めさせる.→Iibocu;Voxi〜.〔邦訳702r〕

とあって、標記語「驚目」の語の意味は「何か新しい物とか珍しい物事とかを見たり聞いたりして,びっくりする」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おどろか〔他動、四〕【】〔次次條の語の、驚くの他動詞、うごく、うごかす〕(一)他を驚くやうにす。おどす。おどかす。(二)眠より起す。目を覺()めさす。警醒新古今和歌集、五、秋、下「小山田の、庵近く鳴く、鹿の音に、おどろかされて、おどろかすかな」(末のおどろかすは、引板(ひた)などを云へるか)宇治拾遺物語、一、十一條「此兒、寐たる由にて、云云、定めておどろかさむずらむと待ち居たるに、僧の、物申し候はむ、おどろかせたまへと云ふを、云云」(三)氣づくやうにす。注意せしむ。警告今鏡、中第五、花の山「御返事申せと侍りつるものをと思ひて、おどろかし申されければ」〔0303-3〕

とあって、標記語「驚目」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語おどろか〔他動、サ五(四)〕【】(意識していなかったものを意識させる、刺激を与える、はっと気をつけさせる、の意)@刺激を与えて心を動揺させる。驚くようにする。びっくりさせる。A心を刺激する。気づかなかったり、忘れていたりしたことに、注意を呼び起こさせる。気づかせる。警告する。B目をさまさせる。眠りをさまさせる。→ゆめ(夢)驚かす。C(「目」「耳」を驚かすの形で)感嘆させる。驚嘆させる。自動詞のようにも用いる→め(目)を驚かす・みみ(耳)を驚かす。D(忘れたころに)たよりをする。また、訪れる。小見出し「めを驚(おどろ)かす あまりの壮麗さや物の多さなどに、驚嘆して目を見張る」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。意味は、Cで、『日本国語大辞典』は『義經記』を引用する。
[ことばの実際]
其力已如力士數十人可盡筋力事等各一時成功觀者驚目、幕下感給《訓み下し》其ノ力已ニ力士数十人ノ如シ。筋力ヲ尽スベキ事等。各一時ニ功ヲ成ス。観者()ヲ驚(ヲドロ)カス、幕下感ジ給フ。《『吾妻鏡』建久三年六月十三日の条》
 
 
2004年01月19日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
好粧・行粧(コウサウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

好相(サウ)()行粧() 。〔元亀二年本95八〕〔天正十七年本上20オ一〕〔西來寺本〕

好相(サウ)()行粧() 。〔静嘉堂本119二〕

とあって、標記語「行粧」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)陳-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。このうち、至徳三年本と宝徳三年本は、「好粧」と表記し、他本は「行粧」と表記する、この二系列に分岐する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「好粧」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「好粧」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

行粧(カウサウ・ヲコナウユク・ツラナル、ヨソヲイ)[平・平]行装好。〔態藝門280二〕

好相(コノム、タスク/カウ・ヨシ、アウ)[去・去] 或作好粧(サウ)。〔態藝門280七〕

とあって、標記語「行粧」の語を収載し、語注記は「行装に作る、好」と記載する。さらに、標記語「好相」の語を収載し、「或は、好粧と作る」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

行粧(カウサウ) 。〔・言語進退門87七〕

行年(カウネン) ―程(テイ)―粧(カウ)/―旅。―迹(せキ)。〔・言語門83一〕

行年(カウネン) ―程。―粧/―旅。―迹。〔・言語門75五〕〔・言語門90七〕

とあって、弘治二年本が標記語「行粧」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

行道(ギヤウダウ) ―儀()。―法(ボフ)。―證(シヨウ)。―水(ズイ)。―業(ゴフ)/―幸(ガウ)。―歩()。―力(リキ)。―用(ヨウ)。―状(ジヤウ)。〔言語門190五〕

とあって、標記語「行粧」「好粧」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に「好粧」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』に見えている語となっている。また、下記真字本に見えている標記語「行粧」の語は、上記古辞書では、広本節用集』『運歩色葉集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-リヲ行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「行粧」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

行粧(キヤウサフ)(ヲトロカス)家文行粧ト書テヲキロトヨムナリ。〔下25オ四・五〕

とあって、この標記語「行粧」とし、語注記は「行粧と書きてをきろとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

行粧(ぎやうそう)()を驚(おどろ)かす/行粧(キヤウサフ)(ヲトロカス)行粧は行列のよそほひなり。目を驚かすとハ見て美々敷をいふなり。〔71オ五〜七〕

とあって、この標記語「行粧」の語を収載し、語注記は「行粧は行列のよそほひなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等行粧ハ行列(きやうれつ)のよそほひ也。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)行粧ハ行列(きやうれつ)のよそほひ也。〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「行粧」の語を収載し、その語注記は、「行粧は、行列(きやうれつ)のよそほひなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co<so<.カウソウ(好粧好相) Yoi yosouoi,l,sugata.(好い粧ひ,または,相)立派な人相,または,立派な姿や装い.§また,ほかのどんあものでも見かけの立派なこと.文章語.§Co<so<naru coto.(好粧な,または,好粧なること)同上.〔邦訳151r〕

とあって、標記語「好粧」の語の意味は「立派な人相,または,立派な姿や装い」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぎゃうさう〔名〕【行装行粧】外へ出で行く装飾(いでたち)墨客揮犀「今人、乃、謂行装、爲行李、非也」庭訓往來、八月、「將軍、若宮御參詣、云云、衣文撥當、行粧目」〔0492-5〕

とあって、標記語「行粧」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぎょうそう行装行粧】〔名〕外出の際のよそおい。旅の装束。また、かざり立てること。よそおい。ぎょうしょう。こうしょう。こうそう」・標記語「こうそう行粧行装】〔名〕旅のよそおい。旅支度。また、外出の時のよそおい。こうしょう。ぎょうそう。ぎょうしょう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武藏守義信、駿河守廣綱已下門客等、殊刷行粧、列供奉《訓み下し》武蔵ノ守義信、駿河ノ守広綱已下ノ門客等、殊ニ行粧(カウサウ)ヲ刷ヒ、供奉ニ列ス。《『吾妻鏡元暦元年七月二十日の条》
 
 
2004年01月18日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 大学センター入試
撥當(あたりをはらふ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

(ハラウ)()()() 難。〔元亀二年本36一〕〔静嘉堂本38五〕

(ハラウ)()()() 。〔天正十七年本上20オ一〕 〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、「阿」部に「當」の文字はなく、「隣(アタリ)太平」の語のみ収載するだけである。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)陳-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ホツ) ハラフ掃救箒撲除挑洒條撃攘 ―災也/却也。〓(制巾)―火/也。損治已上拂也。〔黒川本・人事門上20オ四〕

ハラフ救箒撲除挑洒條撃清社損治桁抽已上同。〔卷第一・人事門167一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「撥當」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ハツフ)ハライスツ。〔・言語門23五〕

とあって、永祿二年本が標記語「撫」の語をもって「撥」の語を収載するにとどまる。また、易林本節用集』には、

(ハラフ) () 。〔言語門23七〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-ヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「撥當」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

景勢(ケイせイ)()(ハラヒ)(アタリ)景勢ト云ハ此人イカニモイキヲヒアレト云フ心ナリ。〔下25オ四〕

とあって、この標記語「撥當」とし、語注記は「景勢と云ふ事は、景勢の役(ヤク)とて御劔(ギヨケン)を錦(ニシキ)の袋(フクロ)に入れて提(ヒツ)さげらるなり。此の人は随分(スイフン)の人なり。木賊色(トクサイロ)の狩衣着て馬上にて御車副(ソヘ)に打つなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

衣文(ゑもん)(あた)を撥(はら)衣文華美(くわび)にして威()あるをいふなり。〔71オ五〜七〕

とあって、この標記語「撥當当たりを払ひ」の語を収載し、語注記は「華美(くわび)にして威()あるをいふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲衣文撥當ハ花美(はなやか)にして威()あるをいふ。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲衣文撥當ハ花美(はなやか)にして威あるをいふ。〔92ウ一〜93ウ一・二〕

とあって、標記語「撥當」の語を収載し、その語注記は、「衣文撥當は、花美(はなやか)にして威()あるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Farai,o<,o<ta.ハライ,ゥ,ゥタ(払・ひ,ふ,うた) ふるい落とす,または,投げ捨てる.例,Chiri focoriuo faro<.(塵埃を払ふ)ほこりを払い落とす.§Atariuo faro<.(辺りを払ふ)威風堂々として行く.§Acuuo faro<.(悪を払ふ)自分の身から罪悪を除き去る.§Temayeuo faro<.(手前を払ふ)ある事柄について弁明する.身のあかしを立てる,または,勘定〔の支払い〕などを免れる.§Farai catano sanyo>.(払方の算用)主人の命令,あるいは,依託によって支払ったものについての決算. ※原文はcafarse de co~tas,&c.日仏辞書はこれをIiquider ses comptes,etc.(勘定を清算する)と訳している.→Gangin;Ianen;Nigin;Sugin;Tamabauaqi.〔邦訳207r〕

とあって、標記語「撥當」の語の意味は「Atariuo faro<.(辺りを払ふ)威風堂々として行く」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はら・フ・ヘ・ハ・ヒ・へ〔他動・四〕【】(一){除け捨つ。のぞく。はく。はたく。天治字鏡、七14「、波良不」(一本作磧經)」新古今集、六、冬「駒とめて、袖うちはらふ 蔭もなし、佐野のわたりの、雪の夕暮」萬葉集、十23「この頃の、戀のしげけく、夏草の、刈り掃(はらへ)ども、生ひしくがごと」北條五代記、一、犬也入道弓馬達者事「炎天に水道をはらひ、無事に武具を求るは、是君子の道なり」(二)觸れ撃つ。後拾遺集、四、秋、上「池水の、みぐさも取らで、青柳の、はらふしづえに、まかせてぞ見る」「柳枝、窓を拂ふ」(三)追ひ去らす。屏左右建礼門院右京大夫集「故女院いらせ給て、おはしましし御方をとりはらひて」「密談に人を拂ふ」(四)金錢を授く。わたす。交付「錢を拂ふ」勘定を拂ふ」(五)賣り拂ふの略。(商人ならぬに云ふ)「不用の品を拂ふ」(六)追放の刑に行ふ。(追放(ツヰハウ)の條を見よ)邊(あたり)を拂ふとは、近づき難し。〔1635-1〕

とあって、標記語「」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はらはらふ】〔他ワ五(ハ四)〕@有害・無益・不用のものを取り除く。除去する。取り捨てる。取り除く。退ける。ちりなどのよごれを除き捨てて清める。はき清める。掃除する。罪やけがれを除き去る→祓う。雪、霜、露などを取り除く。また、涙をぬぐう。服従しないものを討ち退ける。乱をしずめる。平定する。放逐する。追いやる。目前の人を引き下がらせる。先払いをする。また、人払いをする。A(「あたりをはらう」などの形で)まわりのものを圧倒する。威圧するB人に売り渡す。売りはらう。処分する。C上下または左右にはたくような動作をする。軽くたたく。かすめ打つ。はたく。刀などを左右に振る。横ざまに切る。なぎ倒す。軽くはたくようにして、眉づけをする。眉を作る。D代金を渡す。支払う。E(注意、関心、尊敬、または犠牲、努力をはらう、などの形で自らの気持をそちらに向けたり力を傾けたりする。F(「そろばんをはらう」の形で)そろばんの玉を、計算する前の御破算の状態にもどす」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にするが、意味的にはAの意味を示し、ここでは、上記の『日葡辞書』の用例を引用している。
[ことばの実際]
 
2004年01月17日(土)曇り後小雪。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 大学センター入試
衣文(エモン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「衞」部に、標記語「衣文」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)陳-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「衣文」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「衣文」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

衣文(ヱモン・キル、―・コロモ、ブン・カナ・フミ・アヤ)[平去・上] 。〔態藝門710三〕

とあって、標記語「衣文」の語を収載し、訓みを「ヱモン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「衣文」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

衣裏(エリ) ―紋(モン)。―服(フク)/―食(ジキ)。〔食服門162四〕

とあって、標記語「衣裏」の冠頭字「衣」の熟語群に「衣紋」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「衣文」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496-リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「衣文」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

景勢(ケイせイ)()(ハラヒ)(アタリ)景勢ト云ハ此人イカニモイキヲヒアレト云フ心ナリ。〔下25オ四〕

とあって、この標記語「衣文」とし、語注記は「景勢と云ふ事は、景勢の役(ヤク)とて御劔(ギヨケン)を錦(ニシキ)の袋(フクロ)に入れて提(ヒツ)さげらるなり。此の人は随分(スイフン)の人なり。木賊色(トクサイロ)の狩衣着て馬上にて御車副(ソヘ)に打つなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

衣文(ゑもん)(あた)を撥(はら)ひ/衣文リヲ華美(くわび)にして威()あるをいふなり。〔71オ五〜七〕

とあって、この標記語「衣文当たりを払ひ」の語を収載し、語注記は「華美(くわび)にして威()あるをいふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲衣文ハ勇々敷(いさましき)(さま)をいふ。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲衣文ハ勇々敷(いさましき)(さま)をいふ。〔92ウ一〜93ウ一〕

とあって、標記語「衣文」の語を収載し、その語注記は、「衣文は、勇々敷(いさましき)(さま)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yemon.エモン(衣文衣紋) 着物の,胸の上にかかる部分.§Yemonzzuqino yoi fito.l,Yemo~uo tcucuro> fito.(衣文づきの良い人.または,衣文をつくろふ人)着物をうまく着こなして,きちんと整える人.§Yemonmi mairu.(衣文に参る)主人が立派に服装を整えるように,その着付けを手伝いに行く.→Caitcucuroi,o>.〔邦訳818l〕

とあって、標記語「衣文」の語の意味は「着物の,胸の上にかかる部分」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-もん〔名〕【衣文】〔多くは,衣紋と記す〕 (一)官服の裁縫制度、装束着用等の法式。鳥羽天皇の御代より、強装束を用ゐられしより起る。後世公家衆、高倉、山階の二家、此事を世襲す、衣紋家、是れなり。今鏡、下、第八、花園左大臣有仁「殊の外に衣文をぞ好みたまひて、袍の長さ短さなどの程など、細かにしたためたまひて」武家装束抄、二、「衣文に候(こう)ぜむには、あらかじめ其具を閲すべし」今川大雙紙、上、「主人には素襖、袴著せ申也」(二)衿(えり)を、胸にて交(まじ)へ合はせたる處。「衣文をつくろふ」〔0282-3〕

とあって、標記語「衣文」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-もん衣文】〔名〕@装束を形よく、着くずれしないようにひだを整えて着用すること。また、装束着用の有職故実。A衣服の折り目。ひだ。B着物の胸の上で合わさる部分。襟(えり)。襟もと。C衣服。身なり。D彫刻、絵画などの人物の、肉体の屈伸によって生じる線。E柿の栽培品種。渋柿系統で、果実は中ぐらいの大きさで扁円形。頂点がとがり、へたはくぼみ、頂部に八本の短い溝がある。色は淡朱黄色で白粉を帯び、品質はよい。千葉県など関東に多く、一〇月下旬より採取され、樽柿とする。衣紋柿」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
行平取弓箭、進寄弓場、無左右蹲踞于前方、刷衣文《訓み下し》行平弓箭ヲ取リ、弓場ニ進ミ寄リ、左右無ク前ノ方ニ蹲踞シ、衣文(エモン)ヲ刷フ。《『吾妻鏡文治五年正月三日の条》
 
 
2004年01月16日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
景勢(ケイセイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、「景物(ケイブツ)。景氣(ケイキ)」の二語を収載し、標記語「景勢」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)陳-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「景勢」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「景勢」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、すべて「形勢」をもって収載され、「景勢」の語は未収載とされていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。いわば、『庭訓徃來』が唯一収載する特有表記語とも言えよう。今後、他の文献資料から此語が当時広く使用されていたものか、それとも、『庭訓往來』特有の語なのかを検証していく必要がある。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

495--(シロ)キ_{垂イ}・布衣- 衣裳也。又趣歟。〔謙堂文庫蔵四七左H〕

とあって、標記語「景勢」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

景勢(ケイせイ)()文撥(ハラヒ)(アタリ)景勢ト云ハ此人イカニモイキヲヒアレト云フ心ナリ。〔下25オ四〕

とあって、この標記語「景勢」とし、語注記は「景勢と云ふ事は、景勢の役(ヤク)とて御劔(ギヨケン)を錦(ニシキ)の袋(フクロ)に入れて提(ヒツ)さげらるなり。此の人は随分(スイフン)の人なり。木賊色(トクサイロ)の狩衣着て馬上にて御車副(ソヘ)に打つなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(ぐぶ)の人(ひと)ハ浄衣(じやうゑ)(しろ)の直垂(ひたたれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣服の注既に上にありて且圖説衣服の注にくわしけれハこゝに畧す。景勢ハ由々敷さまをいえる也。〔71オ五〜七〕

とあって、この標記語「景勢」の語を収載し、語注記は「景勢は、由々敷きさまをいえるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等景勢ハ勇々敷(いさましき)(さま)をいふ。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)景勢ハ勇々敷(いさましき)(さま)をいふ。〔92ウ一〜93ウ一〕

とあって、標記語「景勢」の語を収載し、その語注記は、「景勢は、勇々敷(いさましき)(さま)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「景勢」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「形勢」であり、「景勢」の語では未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「けい-せい形勢景勢】〔名〕@景物のかたちや大きさ、また、おもむきなど。ぎょうせい。A変化する物事の、その時の状態や勢力の関係。なりゆき。情勢。ぎょうせい」とあって、「形勢」と「景勢」を同一語とし、そのAの意味用例に、上記に示した古版庭訓往来註』と同じ内容の『庭訓徃來抄』(1631年)下「景勢、衣文撥当、景勢と云は、此人いかにもいきをひあれと云心なり」の語用例を記載する。但し、他の用例はすべて「形勢」の表記の語となっている。
 
 
2004年01月15日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
布衣(ホイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」「福」部に、標記語「布衣」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)陳-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

布衣 衣裳部/ホイ。〔黒川本・疉字門上38ウ三〕

布衣 〃被。〃袴。〃隻。〔卷第二・疉字門329五〕

とあって、標記語「布衣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「布衣」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

布衣(ホイ・―キルシク・ヌノ、コロモ)[○・平去] 。〔絹布門99一〕

とあって、標記語「布衣」の語を収載し、訓みを「ハチヤウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

布衣(ホイ) 布。〔・財宝門31八〕

布衣(ホイ)フエ 布名。〔・財宝門32三〕

布衣(ホイ) 布名。〔・財宝門30八〕〔・財寳門36八〕

とあって、標記語「布衣」の語を収載し、語注記に「布名」と記載する。また、易林本節用集』には、

布衣(フエ) 。〔食服門149五〕

とあって、標記語「布衣」の語を収載し、訓みを「フエ」とし、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「布衣」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

495--(シロ)キ_{垂イ}・布衣-勢 衣裳也。又趣歟。〔謙堂文庫蔵四七左H〕

とあって、標記語「布衣」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

布衣(ホエ)ト云事ハ布衣ノ役(ヤク)トテ御劔(ギヨケン)ヲ錦(ニシキ)ノ袋(フクロ)ニ入テ提(ヒツ)サゲラルナリ。此人ハ随分(スイフン)ノ人也。木賊色(トクサイロ)ノ狩衣キテ馬上ニテ御車副(ソヘ)ニ打ナリ。〔下25オ三〜四〕

とあって、この標記語「布衣」とし、語注記は「布衣と云ふ事は、布衣の役(ヤク)とて御劔(ギヨケン)を錦(ニシキ)の袋(フクロ)に入れて提(ヒツ)さげらるなり。此の人は随分(スイフン)の人なり。木賊色(トクサイロ)の狩衣着て馬上にて御車副(ソヘ)に打つなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(ぐぶ)の人(ひと)ハ浄衣(じやうゑ)(しろ)の直垂(ひたたれ)布衣(ほい)の景勢(けいせい)狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣服の注既に上にありて且圖説衣服の注にくわしけれハこゝに畧す。景勢ハ由々敷さまをいえる也。〔71オ五〜七〕

とあって、この標記語「布衣」の語を収載し、語注記は「衣服の注既に上にありて且圖説衣服の注にくわしけれハこゝに畧す」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲布衣ハ無紋(むもん)(ぬの)にて作(つく)る下官(けくハん)の服(ふく)也。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲布衣ハ無紋(むもん)(ぬの)にて作(つく)る下官(けくわん)の服(ふく)也。〔92ウ一〜93ウ一〕

とあって、標記語「布衣」の語を収載し、その語注記は、「布衣は、無紋(むもん)(ぬの)にて作(つく)る下官(けくハん)の服(ふく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Foi.ホイ(布衣) シナ人の着物のように,長くて袖の広い布(nuno)製の着物の一種で,公家(Cu~gues)の供をする人々が上に着用するもの.〔邦訳258l〕

†Fuye.フエ(布衣) Nunogoromo.(布衣).粗い麻布で作った着物.〔邦訳289l〕

とあって、標記語「布衣」の語の意味は「シナ人の着物のように,長くて袖の広い布(nuno)製の着物の一種で,公家(Cu~gues)の供をする人々が上に着用するもの」と「粗い麻布で作った着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【布衣】〔古くは布製〕(一){狩衣の無文のもの。六位以下の人の着るもの。又、それを着る身分のもの。延べて、ほうい。(狩衣の條を見よ)字類抄、「布衣、ホイ、ホウイ」宇津保物語、祭使42「元則、しばしほいになりて、その装束、この學生にとらせよ」平家物語、一、殿上闇討事「鈴の綱の邊に、布衣(ほうい)者の候ふは何者ぞ」(忠盛の從者家貞の事)(二)江戸幕府の制にては大紋に次ぎて、武士の第四級の禮服。重き役人着す。(直垂(ひたたれ)の條を見よ)青標紙、衣服制度的例「布衣、古き装束抄に、布衣と云ふは狩衣の事也。云云、今武家に而は、布衣之御役人は、必精好を用ひ、陪臣には只の絹、又しじら絹之内可用、云云」貞丈雜記、五、装束之部「今は織文あるを狩衣と云、織文なきを布衣と云習せり、云云、古へはほういと云、今はほいと云、是れ今世、江戸武家の詞なり」(三)轉じて、其身分の名。六位を云ふ。幕朝故事談「千石以上の御旗本にても、代代布衣にならざれば、其の子、兩番に番入ならぬ事なり、故に大御番に入なり」柳營秘鑑、一「布衣仰付面面、小普請支配、御番頭、云云」松岡辰方布衣考「東都にて、無位の御役人、着し玉ふ布衣といふは、衣服の名なるを、官名の樣になれり、布衣は六位に比せらるると見えたり」〔1821-4〕

とあって、標記語「布衣」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ほう-布衣】〔名〕@庶民着用の布製の衣服。ふい。また、それを着ている者。その身分。また、朝服に対して、常着。平服。ほうい。A布製の狩衣。転じて一般に、狩衣の異称。ほうい。B江戸時代、大紋につぐ武家の礼服。絹地無文で裏のない狩衣。また、それを着用した、御目見得以上の者。また、その身分」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
督長著布衣、取松明在前〈云云〉《訓み下し》督長(看督長)布衣(ホイ)ヲ著シ、松明ヲ取テ前ニ在リト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦二年四月二十四日の条》
 
 
直垂(ひたたれ)」※ことばの溜め池(2003.03.22)を参照。
 
2004年01月14日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
浄衣(ジヤウエ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

浄穢()浄衣() 。〔元亀二年本317四〕

浄穢()浄衣() 。〔静嘉堂本373三〕

とあって、標記語「浄衣」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「浄衣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「浄衣」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

浄衣(ジヤウヱ、―キルキヨシ、・コロモ)[去・去] 。〔絹布門924二〕

とあって、標記語「浄衣」の語を収載し、訓みを「ハチヤウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

浄衣(ジヤウエ) 。〔・衣服門243二〕〔・衣服門208八〕

浄衣(シヤウエ) 。〔・衣服門192九〕

とあって、標記語「浄衣」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

淨穢(ジヤウヱ) 。〔言語門60四〕

とあって、同音異義表記の標記語「淨穢」の語のみを収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「浄衣」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

495--(シロ)キ_{垂イ}・布衣-勢 衣裳也。又趣歟。〔謙堂文庫蔵四七左H〕

とあって、標記語「浄衣」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

陳頭(チントウ)(チラ)(カリ)衣水旱(カン)供奉(クフ)浄衣(シヤウエ)(シ キ)直垂(ヒタタレ)陳頭ハ人ノイカホドモ集(アツ)マル処ヲ陳ト云ナリ。此陳ノ一字大事ノ字也。出陳帰陳ニ口傳有。次ニ近習(キンジユ)ニ参(マイ)ル人ハ淨衣(シヤウヱ)(シロ)キ直垂(ヒタヽレ)ナリ。〔下25オ一〜三〕

とあって、この標記語「浄衣」とし、語注記は「次に近習(キンジユ)に参(マイ)る人は、淨衣(シヤウヱ)(シロ)き直垂(ヒタヽレ)なり」とだけ記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(ぐぶ)の人(ひと)浄衣(じやうゑ)(しろ)の直垂(ひたたれ)布衣(ほい)の景勢(けいせい)狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣服の注既に上にありて且圖説衣服の注にくわしけれハこゝに畧す。景勢ハ由々敷さまをいえる也。〔71オ五〜七〕

とあって、この標記語「浄衣」の語を収載し、語注記は「衣服の注既に上にありて且圖説衣服の注にくわしけれハこゝに畧す」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱--_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等浄衣ハ神事(しんし)の時着()る白き装束(しやうぞく)也。〔51ウ三〜52オ四〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)浄衣ハ神事(じんじ)の時着()る白き装束(しやうぞく)也。〔92ウ一〜93ウ一〕

とあって、標記語「浄衣」の語を収載し、その語注記は、「浄衣は、神事(じんじ)の時着()る白き装束(しやうぞく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Io<ye.ジャウエ(浄衣) Isaguiyoi coromo.(いさぎよい衣) 清潔な着物.〔邦訳370l〕

とあって、標記語「浄衣」の語の意味は「清潔な着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じゃう-〔名〕【淨衣】白き狩衣の稱。制作、着樣、すべて、狩衣に同じ。古へは、白布製(白張)にて、庶人の禮服なりき、後には、平絹などにても、製す、多く、~事に用いる。名目抄「淨衣(ジヤウイ)、~事時、多用之」義經記、四、土佐房上義經討手事「白布を以てじゃうゑを拵へて、烏帽子に垂(しで)を付けさせ」後松日記、一、淨衣「上皇、將軍已下、下賤之~官も、被着用候事、白布粉張如狩衣に、今少し短に裁縫致し、宜候、肩一寸、縫こし、鰭(はた)袖は、奥袖より一寸おとし、袖括、こめくくり、白生の絲、丸組、袴、上に同じ、常の狩袴の如く裁ち縫べし、六幅にて裾括なり」〔0960-3〕

とあって、標記語「浄衣」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じゃう-浄衣】〔名〕(「え」は「衣」の呉音)@清浄な衣服の総称。神事、祭祀、法会などの参加者や、その際に用いる器物の製作者が着用する衣服を形状に関係なく総称していう。A素地(きじ)のままで色に染めない白い衣服。B白布または白絹の狩衣。神事や祭事に着用するもの。明衣(めいい)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
及日中、老翁一人、正束帯把笏、參入營中、候西廊僮僕二人從之各著淨衣、捧榊枝《訓み下し》日中ニ及ビテ、老翁一人、束帯ヲ正シ笏ヲ把リ、営中ニ参入シ、西ノ廊ニ候ズ。僮僕二人之ニ従フ。各浄衣(ジヤウヱ)ヲ著、榊ノ枝ヲ捧グ。《『吾妻鏡』養和二年五月十六日の条》
 
 
狩衣(かりぎぬ)」ことばの溜池(2000.09.06)を参照。
水旱(スヰカン)」ことばの溜池(2003.03.21)を参照。
 
2004年01月13日(火)夜中の雨上がり、晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(はなをちらす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の部に、標記語「」の語は未収載にする。また、「散」の訓は「チル」としている。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「散花」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「散花」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「散花」の語は未収載だが、

(ハギ)(チラス)(ハギチラスサウ・ハラウ・サン)[上・去] 。〔態藝門66二〕

とあって、標記語「掃」の語があって、「チラス」の訓みを収載し、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「散花」の語は未収載だが、

(チラス) 毛靡分。〔・言語門49六〕

とあって、尭空本だけが標記語「」の語を「チラス」と訓んでいて、その語注記には「毛靡分」と語注記する。また、易林本節用集』には、標記語「散花」の語は未収載にする。「散」は「チル」と訓んでいる。

 このように、上記当代の古辞書に、「散花」の語は未収載であり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

492--耀- 陳頭將軍詣ルニ因云也。又左右行列シテシテ行間云也。〔謙堂文庫藏四七左E〕

とあって、標記語「散花」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

陳頭(チントウ)(チラ)(カリ)衣水旱(カン)供奉(クフ)浄衣(シヤウエ)(シ キ)直垂(ヒタタレ)陳頭ハ人ノイカホドモ集(アツ)マル処ヲ陳ト云ナリ。此陳ノ一字大事ノ字也。出陳帰陳ニ口傳有。次ニ近習(キンジユ)ニ参(マイ)ル人ハ淨衣(シヤウヱ)(シロ)キ直垂(ヒタヽレ)ナリ。〔下25オ一〜三〕

とあって、この標記語「散花」とし、語注記は「散花は人のいかほども集まる処を陳と云ふなり。此の陳の一字大事の字なり。出陳・帰陳に口傳有り」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

陣頭(ぢんとう)(ハな)を散(ちら)陣頭陣頭ハ供奉行列の首なり。花を散すとハその衣装の華々敷事花をまきちらしたるか如しと也。下の章の散花とは一樣ならす。〔71オ四〜五〕

とあって、この標記語「散花」の語を収載し、語注記は「花を散すとは、その衣装の華々敷事花をまきちらしたるか如しとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲陣頭散花ハ供奉(くふ)の人左右(さいう)に陳列(ちんれつ)してゆく其粧(よそほひ)の花(くハ)()なるを花(はな)をまきちらせしに見立ていふ。〔51ウ三〜52オ三〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲陣頭散花ハ供奉(ぐぶ)の人左右(さいう)に陳列(ちんれつ)してゆく其粧(よそほひ)の花美(くわび)なるを花(はな)をまきちらせしに見立ていふ。〔92ウ一〜93オ四〕

とあって、標記語「散花」の語を収載し、その語注記は、「陣頭散花ハ供奉(ぐぶ)の人左右(さいう)に陳列(ちんれつ)してゆく其粧(よそほひ)の花美(くわび)なるを花(はな)をまきちらせしに見立ていふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chiraxi,su,xita..チラシ,ス,シタ(散し、す、した) 散乱させる.§Fanauo chirasu.(花を散らす)花をまき散らす,または,花をまき散らすように,物事を美しくきらびやかにする. →Facu;Fana(花);Fi(火);Fibana;Momigi;Nen(念);San(算).〔邦訳123r〕

とあって、標記語「」の語の意味用例に「Fanauo chirasu.(花を散らす)花をまき散らす,または,花をまき散らすように,物事を美しくきらびやかにする」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「はな-ちらす〔名〕【散花】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はな】〔名〕」の小見出しとして「はな散(ち)らす @風が吹いたりして、花を枝から落とす。A法会などの時、仏に供養するため、紙を切った五色の蓮華の花びらをまき散らす。散華(さんげ)する。※『宇治拾遺物語』一六九 念仏の僧魔往生の事[巻第十三・九]その声を聞きて、限(かぎり)なくねんごろに念仏申して、水を浴()み、香をたき、花を散(ちら)て、弟子どもに念仏もろともに申させて、西に向ひて居たり。やうやうひらめくやうにする物ありB合戦、喧嘩などで激しくわたりあう。火花を散らす。C美しいもの、あでやかなものをだいなしにする」とあって、この『庭訓徃來』の語用例に見合う意味は、ここには未記載となっている。すなわち、「花をまき散らす」という行為はAに共通するのだが、ここでは行列の華美なさまを「花を散らす」と譬喩し、この行列のさまを見立てて表現しているのである。
 
 
2004年01月12日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
陳頭(ヂントウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

陳頭(トウ) 。〔元亀二年本65三〕〔静嘉堂本76二〕〔天正十七年本上38オ六〕

とあって、標記語「陳頭」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)--(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)に、

陳頭 同(宮城分)/ヂントウ。〔黒川本・疉字門上55オ八〕

とあって、標記語「陳頭」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「陳頭」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

陳頭(ヂントウ/ニワ・ツラナル、ホトリ・カウベ)[去・平] 。〔態藝門176四〕

とあって、標記語「陳頭」の語を収載し、訓みを「ヂントウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

陳頭(ヂントウ) 。〔・言語進退門52七〕

陳中(チンチウ) ―替(ガヘ)。―拂(ハライ)/―頭(トウ)。―状(ジヤウ)。〔・言語門53四〕

陳中(チンチウ) ―替。―拂/―頭。―状。〔・言語門48四〕

とあって、弘治二年本は標記語「陳頭」の語を収載し、他本は標記語「陣中」の冠頭字「陣」の熟語群として「陳頭」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

陳頭(トウ) 。〔言語門54一〕

とあって、標記語「陳頭」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「陳頭」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

492--耀- 陳頭將軍詣ルニ因云也。又左右行列シテシテ行間云也。〔謙堂文庫藏四七左E〕

とあって、標記語「陳頭」の語を収載し、語注記は、「陳頭は、將軍詣るに因りて云ふなり。又は、左右に行列して陳を成して行く間を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

陳頭(チントウ)(チラ)(カリ)衣水旱(カン)供奉(クフ)浄衣(シヤウエ)(シ キ)直垂(ヒタタレ)陳頭ハ人ノイカホドモ集(アツ)マル処ヲ陳ト云ナリ。此陳ノ一字大事ノ字也。出陳帰陳ニ口傳有。次ニ近習(キンジユ)ニ参(マイ)ル人ハ淨衣(シヤウヱ)(シロ)キ直垂(ヒタヽレ)ナリ。〔下25オ一〜三〕

とあって、この標記語「陳頭」とし、語注記は「陳頭は人のいかほども集まる処を陳と云ふなり。此の陳の一字大事の字なり。出陳・帰陳に口傳有り」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

陣頭(ぢんとう)(ハな)を散(ちら)す/陣頭陣頭ハ供奉行列の首なり。花を散すとハその衣装の華々敷事花をまきちらしたるか如しと也。下の章の散花とは一樣ならす。〔71オ四〜五〕

とあって、この標記語が「陣頭」となって収載されだし、語注記は「陣頭ハ供奉行列の首なり」と記載する。

これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀-狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等陣頭散花ハ供奉(くふ)の人左右(さいう)に陳列(ちんれつ)してゆく其粧(よそほひ)の花(くハ)()なるを花(はな)をまきちらせしに見立ていふ。〔51ウ三〜52オ三〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)陣頭散花ハ供奉(ぐぶ)の人左右(さいう)に陳列(ちんれつ)してゆく其粧(よそほひ)の花美(くわび)なるを花(はな)をまきちらせしに見立ていふ。〔92ウ一〜93オ四〕

とあって、標記語「陣頭」の語を収載し、その語注記は、「陣頭散花ハ供奉(ぐぶ)の人左右(さいう)に陳列(ちんれつ)してゆく其粧(よそほひ)の花美(くわび)なるを花(はな)をまきちらせしに見立ていふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ginto<.(ママ)ヂンタゥ(陣頭) Coguchi(虎口)に同じ.衝突,または,戦闘の初め.§また,ある部隊,あるいは,軍勢の先頭.§また,内裏(Dairi)の行幸の際などに随行する公家(Cu~gues)などの行列の先頭. ※Ginto>(ヂントゥ)の誤り.→次条.〔邦訳316r〕

†Ginto>.*ヂントゥ(陣頭) §また,陣営.〔邦訳316r〕

とあって、標記語「陣頭」の語の意味は下の「陣営」となる。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぢん-とう〔名〕【陣頭】(一)陣備の前。陣の前。又、軍隊の先頭。先鋒。王建詩陣頭多是用降兵(二)公卿の朝廷に出仕して列座する所。保元物語、一、新院御謀叛思召立事「又禁中陣頭にて、公事を行はせ給ふ時」〔1276-5〕

とあって、標記語「陣頭」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じん-とう陣頭】〔名〕(古くは「じんどう」とも)@戦闘部隊のまっさき。軍の先頭。また、行列などの先頭。A陣営のまえ。B昔、宮中で警備の任にあたった官人の詰所のあたり。C「じん(陣)の座(ざ)」に同じ。D(@から転じて)活動の場の第一線」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
斬首持來于陣頭、見之不忘年來合眼之眤、悲涙難禁〈云云〉《訓み下し》首ヲ斬リ陣頭(チントウ)ニ持チ来タル、之ヲ見テ年来合眼ノ昵ヲ忘レズ、悲涙禁シ難シト〈云云〉。《『吾妻鏡』元久二年六月二十三日の条》
 
 
2004年01月11日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(テン)に(かがや)く」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部と「賀」部に、

(テン) 廿四万里。 上同。〔元亀二年本135七〕  () カヾヤク。〔元亀二年本105八〕

(テン) 高廿四万里。 上同。〔静嘉堂本289二・三〕  (カヽヤク)耀() 。〔静嘉堂本132七・八〕

() 上同。〔天正十七年本中72ウ四〕 (カヽヤク)耀() 。〔天正十七年本上65オ五〕

とあって、標記語「」と「耀」の両語をそれぞれの部立て収載し、語注記としては「天」の語に「(高さ)廿四万里」という記載が見えている。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「耀」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「耀」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(テン)[○] 三界義云。高二十八万一千里。異名、上玄。上蒼。重玄。碧落。旱旭。大清。碧空。玄蓋。圓蓋。空翠。紫冥。昊窮柳廿。彼蒼。青宵。玄象。圓靄。日路。古帝。清玄。青蒼。大素。太皓。二人分字。杳冥。紫宵。蒼穹。九限。紫宮。紫闕。紫烟。翠微。圓霊。蒼闕。宵壌。玄黄。渾禁。九宵天地惣名。二儀。兩儀。造化。宇宙。乾坤。〔天地門712三〜五〕

(カヽヤク)(カヽヤク/)[平]耀()(同ヨウ)[去] 。〔光彩門271五〕

とあって、標記語「」「耀」の語を収載し、そのうち標記語「天」の語注記には、「三界義云。高二十八万一千里」と記載し、その後に「異名語彙」を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(テン)(ヨウ) 上ハ天地/下ハ屈折。〔・點畫小異字317八〕〔・點畫小異字233六〕〔・點畫小異字219六〕

耀(カヽヤク) 暉W輝。〔・言語門82二〕(カヽヤク) 。〔・言語門85二〕〔・言語門77一〕〔・言語門93二〕

とあって、標記語「天」の語は部門には未収載とし、標記語「耀」の語も弘治二年本だけが収載する。また、易林本節用集』には、標記語「天」は未収載で、

(カヽヤク)耀()() 。〔言語門82三〕

とあって、標記語「耀」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書にあって、「耀」の語では未収載であり、二語別にして収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ここで、『運歩色葉集』の語注記「高廿四万里」なる注記が何に依拠するか問われてくる。それは、広本節用集』が注記する「『三界義』に云く、高さ二十八万一千里」と異なる注記でもあるから注意しておきたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

492--耀-頭散 陳頭將軍詣ルニ因云也。又左右行列シテシテ行間云也。〔謙堂文庫藏四七左E〕

とあって、標記語「耀」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

綺羅(キラ)耀(カヽヤ)ト云ハ衣裳(イシヤウ)装束(シヤウソ )事也。〔下25オ一〕

とあって、この標記語「耀」とし、語注記は「衣裳(イシヤウ)装束(シヤウソ )事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)-耀綺羅ハ衣裳乃うす物也。天に輝とハ極て美々敷を云る也。〔70オ二〕

とあって、この標記語「耀」の語を収載し、語注記は「天に輝きとは、極めて美々敷くを云へるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲綺羅輝天()ハかとりきぬ。羅()ハうすものと訓()む。爰(こゝ)にハ唯(たゞ)衣裳(いしやう)のはなやかなる躰(てい)をいふ。〔51ウ三〜52オ三〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲綺羅輝天()ハかとりきぬ。羅()ハうすものと訓()む。爰(こゝ)にハ唯(たゞ)衣裳(いしやう)のはなやかなる躰(てい)をいふ。〔92ウ一〜93オ四〕

とあって、標記語「耀」の語を収載し、その語注記は、「綺羅輝天綺()ハかとりきぬ。羅()ハうすものと訓()む。爰(こゝ)にハ唯(たゞ)衣裳(いしやう)のはなやかなる躰(てい)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ten.テン() 天空.§また,書物の中では,Tento<(天道)と同じ意味で,天の秩序または運行と支配とを言う.ある人々は,この語〔天道〕によってデウス(Deos神),すなわち,天の支配者を表わすと理解しているようである.〔邦訳643r〕

Cacayaqi,u,aita.カガヤキ,ク,イタ(耀き,く,いた) 光り輝く,あるいは,きらめく.〔邦訳73l〕

とあって、標記語「耀」の語の意味は「天空」そして「光り輝く,あるいは,きらめく」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

テン〔名〕【】〔梵語、提婆(Deva.)、又、素羅(Sura.)、光明の義〕(一)人間以上の勝妙の果報を受くる處。即ち、天竺の~の住所となす。總じて、天趣と名づけ、六道の一。天道。大乘義章、六末「天者如雜心釋、有光明、故名之爲天」婆娑論、百七十二「於諸趣中、彼趣最勝最樂最善、最善最妙高故、名天」(二)轉じて、其住所に拘はらず、天竺の一切の鬼~(~)を天と云ふ。即ち、帝釋天、毘沙門天、辨財天、四天王、三十三天の類の如し。〔1365-3〕

かがや〔名〕【耀】〔かがは、赫(かが)、やくは、めくに似て、發動する意、あざやく、(鮮)すみやく(速)〕(一){かがよふ。著(いちじ)るく光る。照りきらめく。ぴかぴかする。天治本字鏡、一20「歿、加加也久」同、十二16「灼灼、加加也久」雄略紀、七年七月「目精(マナコ)(カガヤク)(二)はづかしがる。羞澁今昔物語集、二十七、三十八語「女、扇を以て顔に指隠して、かがやくを」〔0352-5〕

とあって、標記語「」と「耀」の語をもって収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「てん」」の小見出しとして、「てんに-かがや耀】」の語は未収載である。よって、『庭訓徃來』の語用例は未記載になっている。
[ことばの実際]
雷雨電光耀天、降雹動地也。《訓み下し》雷雨。電光天ヲ耀(カヽヤ)カシ、雹ヲ降ラシ地ヲ動スナリ。《『吾妻鏡文永二年正月二十日の条》
 
 
2004年01月10日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
綺羅(キラ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

綺羅(キラ) 。〔元亀二年本283九〕〔静嘉堂本325二〕

とあって、標記語「綺羅」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_()-耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

綺羅 同(衣装部)/キラ/又帷幕名。〔黒川本・疉字門下51ウ四〕

綺羅(キラ) 〃文。〃窓。〃疏上同。〃錯サク。〃語。〃。〔卷第八・疉字門524二〕

とあって、標記語「綺羅」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「綺羅」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

綺羅(キラ)耀(カヽヤク)(テンニ) 。〔言語門191一〕

とあって、『庭訓往来』の四語を標記語とした「綺羅天ニ輝ク」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書にて、『運歩色葉集』そして易林本節用集』に「綺羅」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

492--耀-頭散 陳頭將軍詣ルニ因云也。又左右行列シテシテ行間云也。〔謙堂文庫藏四七左E〕

※天理図書館藏『庭訓往来註』は、「美々敷綺羅耀(カ  キ)陳頭散花 陳頭將軍詣ルニ因云也。又左右行列シテシテ行間云也」とし、「綺羅」と表記する。国会図書館藏『左貫注』も同じ。謙堂文庫藏本の誤写箇所。

とあって、標記語「綺羅」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

綺羅(キラ)耀(カヽヤ)ト云ハ衣裳(イシヤウ)装束(シヤウソ )事也。〔下25オ一〕

とあって、この標記語「綺羅」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き/-耀綺羅ハ衣裳乃うす物也。天に輝とハ極て美々敷を云る也。〔70オ二〕

とあって、この標記語「綺羅」の語を収載し、語注記は「綺羅は、衣裳のうす物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等綺羅輝天綺()ハかとりきぬ。羅()ハうすものと訓()む。爰(こゝ)にハ唯(たゞ)衣裳(いしやう)のはなやかなる躰(てい)をいふ。〔51ウ三〜52オ三〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)綺羅輝天綺()ハかとりきぬ。羅()ハうすものと訓()む。爰(こゝ)にハ唯(たゞ)衣裳(いしやう)のはなやかなる躰(てい)をいふ。〔92ウ一〜93オ四〕

とあって、標記語「綺羅」の語を収載し、その語注記は、「綺羅輝天綺()ハかとりきぬ。羅()ハうすものと訓()む。爰(こゝ)にハ唯(たゞ)衣裳(いしやう)のはなやかなる躰(てい)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qira.キラ(綺羅) きれいで光沢のあるもの.§Qirauo migaqu furumai.(綺羅を磨く振舞)すばらしく立派に催された招宴.§Qirauo migaita xitacu.(綺羅を磨いた支度) きらびやかな服装.〔邦訳506l〕

Qira.キラ(綺羅) ある種の上等の薄い織物.〔邦訳506l〕

とあって、標記語「綺羅」の語の意味は「きれいで光沢のあるもの」と「ある種の上等の薄い織物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【綺羅】(一)綺(かんはた)と、羅(うすもの)と。古詩、相逢行「大婦織綺羅、中婦織流黄顔氏家訓「車乘填街衢綺羅府寺(二)衣服の、美しきもの。美衣。舊唐書、裴傳「後庭有綺羅之賞、由是爲時論所一レ譏」綺羅錦繍」綺羅を装ふ」〔0505-4〕

とあって、標記語「綺羅」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-綺羅】〔名〕(「綺」はあや、模様のある絹の布、「羅」はうすぎぬの意)@綾絹(あやぎぬ)と薄衣(うすぎぬ)。うつくしい衣服。きらびやかなよそおい。A装い飾ること。はなやかであること。また、その人。B栄花をきわめること。威光が盛んであること。寵愛を受けること。C幟(のぼり)の一種。周辺に飾り乳をつけた指物(さしもの)の名。また、その飾り乳。D芝居で、衣装をいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
595玉磬聲思絃管(**)奏納()衣僧代綺羅人 都。《訓み下し》玉磬(ギヨクケイ)の聲(コヱ)は管絃(クワングヱン)の奏(ソウ)するかと思(オモ)ふ衲衣(ナフエ)の僧(ソウ)綺羅(キラ)の人(ヒト)に代()へたり 都()。《『和漢朗詠集』卷下・仏事、大系202頁》
 
 
2004年01月09日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
美々敷(ビビしく)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

美々敷(ヒヾシク) 。〔元亀二年本344五〕

美々敷(ビビシク) 。〔静嘉堂本414一〕

とあって、標記語「美々敷」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()--_()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面()-()()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「美々敷」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「美々敷」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

美々敷(ビ シクカホヨシ、 、)[上・○・○] 。〔態藝門1040三〕

とあって、標記語「美々敷」の語を収載し、訓みを「ビ(ビ)シク」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

美々敷(ビ々シク) 。〔・言語進退門256八〕

美相(ビサウ) ―麗―敷/―好。〔・言語門218四〕

美相(ビサウ) ―麗。―好/―敷。〔・言語門203六〕

とあって、弘治二年本は標記語「美々敷」を収載し、他本は標記語「美相」の冠頭字「美」の熟語群として「美敷」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

美談(ビダン) ―麗(レイ)。―景(ケイ)――敷(ビヾシク)。―名(メイ)。〔言辞門226五〕

とあって、標記語「美談」の冠頭字「美」の熟語群として「美々敷」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「美々敷」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

492--耀-頭散 陳頭將軍詣ルニ因云也。又左右行列シテシテ行間云也。〔謙堂文庫藏四七左E〕※「々」脱、他本にあり。

とあって、標記語「()」語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

北面(ホ メン)美々敷(ヒビシク)ト云子細ハ内裏(ダイリ)ニテ五位()ノ衆悉(コト/\)ク北(キタ)ノ方ヲ警固(ケイゴ)せラルヽナリ。此ハ皆々藤原氏(フジハラウジ)也。安藤(アントウ)(ヱン)藤内(ナイ)藤賀藤伊()藤後()藤ナンド云者ハ。皆々北(ホク)面也。安藝(アキ)遠江(タウトウミ)河内(カハチ)加賀(カカ)伊豆(イヅ)豊後(ブンゴ)此ノ國々ヨリ上リテ。御番(ゴバン)ヲ勤(ツトメ)ヌ。其國ノ片字(カタジ)ヲ取テ何藤力黨ト召レシナリ。〔下24ウ七〜25オ一〕

とあって、この標記語「美々敷」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

前駈(せんく)の北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)前駈北面美々敷前駈ハ前供(さきとも)也。北面ハ北面の侍也。〔70オ二〕

とあって、この標記語「美々敷」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等美々敷-羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等〔51ウ三〜52オ二〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)。〔92ウ一〜93オ四〕

とあって、標記語「美々敷」の語を収載し、その語注記は、「美々敷北面は、先拂の侍なり。但し、北面とは、院(いん)の侍をいふ。禁中(きんちう)にては、瀧口(たきくち)といふ。東宮(とうくう)にては、帯刀(たてわき)といふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Bibixij.ビビシク(美々しい) Vtcucuxu,vtcucuxij.(美しう,美しい) 見事である,華麗である,きらびやかである(もの).§Bibixij detachi.(美々しい出立ち) きれいできらびやかな着物や服装.§Bibixuj arisama.(美々しい有様)見事に,きらびやかに,そして華美に振舞う所作,あるいは,様子. Bibixisa.(美々しさ) Bibixu.(美々しう)〔邦訳55r〕

とあって、標記語「美々しい」の語の意味は「見事である,華麗である,きらびやかである(もの)」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

びび-〔形、二〕【美々】〔字の音に、語尾を添へたる語〕 うるはし。うつくし。はなやかなり。枕草子、十一、百四十五段「隨身だちて、ほそやかにびびしきをのこの、傘さして」宇治拾遺物語、三、第二條「びびしき色好みなりける」紫式部日記、下、「いと、びびしく花やかにぞ見え給へる」枕草子、七、六十四段、はしたなきもの「びびしくも言ひたつるかな」蜻蛉日記、下、下5「八月待つほどに、そこにびびしうもてなしたまふとか、世に云ふめる」〔1691-1〕

とあって、標記語「美々」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「びび-しく美々】〔形口〕文びび・し〔形シク〕人目をひくように美しい。はなやかである。きちんと整っていて立派だ。みごとだ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大足志姫三所乃宇豆乃広前爾恐美々々毛申、今検校法印権大僧都并別当法眼和尚位、神慮令然、
《『石清水文書(田中)』建久三年二月十三日・25-7 ・1/51》
三月廿四日、御鍬始(くははじめ)ありて、先方(せんはう)に築地をつかせられ、請取(うけとり)の手前手前に舞台をかざり、児(ちご)・若衆(わかしゆ)色々美々敷(びびし)出立(いでたち)にて、笛・大鼓・つゝみを以て拍子(ひやうし)を合せ囃立(はやしたて)、各(おの/\)も興に乗(じよう)ぜらる。《『信長公記』(1598年)五・角川文庫132頁》
 
 
2004年01月08日(木)晴れ、風稍強。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
前駈(ゼンク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、「前代。前住。前業(ゴウ)。前因(イン)。前非()。前生(シヤウ)。前書。前兆(テウ)。前證。前月(ゲツ)。前年。前日。前夜。前宵(せウ)。前朝(テウ)。前夕(せキ)。前判。前刻(コク)。前堂(ダウ)禅家。前板(ハン)。前栽(ザイ)。前水(スイ)」(元亀二年本脱語、静嘉堂本所収)の語を収載し、標記語「前駈」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

前駈 僕従分/せンクウ。〔黒川本・疉字門下105ウ三〕

前後 〃駈。〃蹤。〃途。〃庭。〃頭。〃栽。〃脩。〃規。〃表。〔卷第十・疉字門451四〕

とあって、標記語「前駈」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「前駈」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

前驅(せンクマヱ、カル)[平・平] 。〔態藝門1088五〕

とあって、標記語「前驅」の語を収載し、訓みを「センク」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「前駈」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「前驅」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

491或前驅(センク)北面 北面蔵人也。又伺候仙洞之武士也。〔謙堂文庫藏四七左D〕

とあって、標記語「前駈」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車-卿一-人騎-馬殿-_人或前驅(センク)。車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「前駈」とし、語注記は、「前駆(ぜンク)の北面(ホクメン)と云ふは、御車の前に人を駆(カリ)立て烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)の人を数()百人を陸(カチ)にて御供すなり。是れは、皆々武者所の侍(サムラヒ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

前駈(せんく)の北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)前駈北面等美々敷前駈ハ前供(さきとも)也。北面ハ北面の侍也。〔70オ二〕

とあって、この標記語「前駈」の語を収載し、語注記は「前駈は、前供(さきとも)なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲前駈北面ハ先拂の侍也。但し北面とハ院(いん)の侍をいふ。禁中(きんちう)にてハ瀧口(たきくち)といふ。東宮(とうくう)にてハ帯刀(たてわき)といふ。〔51ウ三〜52オ二〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲前駈北面ハ先拂の侍也。但し北面とハ院(いん)の侍をいふ。禁中(きんちう)にてハ瀧口(たきくち)といふ。東宮(とうくう)にてハ帯刀(たてわき)といふ。〔92ウ一〜93オ四〕

とあって、標記語「前駈」の語を収載し、その語注記は、「前駈北面は、先拂の侍なり。但し、北面とは、院(いん)の侍をいふ。禁中(きんちう)にては、瀧口(たきくち)といふ。東宮(とうくう)にては、帯刀(たてわき)といふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Iencu.ゼン(前駈) Saqibaxiri(先走り)に同じ.先払いをしたり,通り道を整えたりしながら,国王やその他大身の諸侯の前を進む者.→Iengu.〔邦訳356r〕

とあって、標記語「前駈」の語の意味は「(先走り)に同じ.先払いをしたり,通り道を整えたりしながら,国王やその他大身の諸侯の前を進む者」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぜん-〔名〕【前駈】騎馬の先供(さきども)。さきのり。先驅。周禮、夏官司馬篇、大僕「王出入、則自左馭而前驅」枕草子、六、六十段、わびしげに見ゆるもの「小さき馬に乗りて、ぜんくしたる人」平家物語、一、殿上乘合事「殿下、御出あるべかんなり、いづくにても待ち受け奉り、云云、前驅、御随身どもが、今日を晴れと装束したるを」〔1121-1〕

とあって、標記語「前駈」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぜん-前駈】〔名〕(古くは「せんく」「せんぐ」「ぜんぐ」とも)行列などの前方を騎馬で進み、先導すること。また、その人。さきのり。さきがけ。先駆。ぜんくう。後従。[語誌](1)読みは文献や時代のよってセンク・セング・ゼンク・ゼング・センクウなどいろいろある。「前」字は漢音セン・呉音ゼン。『色葉字類抄』には「前」「駆」の両字に平声の単点があり、共に清音であったことが知られる。元亀本『運歩色葉集』には「先駆と表記されているところから「セン」と清音で読まれたと考えられるが、「駆」には「グ」と濁音符合があり、連濁していたと見られる。(2)「前駆」を行なう人には状況に応じて束帯・衣冠・布衣のそれぞれの場合があったようで、人数自体も一定ではない。路次の行列としては、下臈・上臈・主となる。「前駆」は古く「御前(ごぜん)」といい、後には馬に乗って前を行くものを「前駆」、主に近いものを「御前」と言い分けたとされるが、はっきりしない。[発音]<音史>中世・近世は「せんぐ」「ぜんぐ」「せんぐう」「ぜんくう」の形がみられる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仰云、此事、兩条共更難称恨事歟前駈者、自院被定之外、参列者、爲兄弟之間、難准自餘、相摸守已下、令存知之《訓み下し》仰ニ云ク、此ノ事、両条共ニ更ニ恨ト称ジ難キ事カ。前駆()ハ、院ヨリ定メラルルノ外、参列ハ、兄弟タルノ間、自余ニ准ヘ難シ(自余ニ准ヘ難キノ条)、相模ノ守已下、之ヲ存ジ知ラシム。《『吾妻鏡』建久二年十一月二十七日の条》
 
 
2004年01月07日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
殿上人(テンジヤウびと)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

殿上人(テンジヤウヒト) 四位已下之亊也。〔元亀二年本247十〕

殿(テン)上人(ビト) 四位已下之事。〔静嘉堂本286五〕

殿上人(テンシヤウヒト) 四位已下之事也。〔天正十七年本中72ウ五〕

とあって、標記語「殿上人」の語を収載し、語注記は「四位已下の亊なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()殿上人前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「殿上人」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

月卿雲客 三位以上月卿公卿(クギヤウ)也。四位以下雲客殿(テン)上人也(ナリ) 又夕郎〔官位門45一〕

とあって、標記語「月卿雲客」の語注記に収載する語となっている。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

殿上人(テンシヤウビト・―カミ―トノ、ノボル、ジン)[○・去・平] 公家(クケ)四位已下也。〔人倫門714二〕

とあって、標記語「殿上人」の語を収載し、訓みを「テンシヤウびと」とし、その語注記は、「公家(クケ)、四位已下を云ふなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

殿(テン)上人 公家詳見/月卿雲客注。〔・人倫門196七〕

殿上人(テンジヤウビト) 公家。〔・人倫門162七〕

殿上人(テンシヤウビト) 公家。〔・言語門152一〕

とあって、標記語「殿上人」の語を収載し、語注記には「公家」とし、弘治二年本は、さらに「月卿雲客の注を詳しく見よ」と記載する。また、易林本節用集』には、標記語「殿上人」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「殿上人」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

490-殿-_ 四位也。〔謙堂文庫藏四七右D〕

とあって、標記語「殿上人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車-卿一-人騎-殿-_或前驅(センク)。車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「殿上人」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

騎馬(きば)殿上人(てんじやうびと)-殿-_是ハ馬上にて御供する也。〔70オ二〕

とあって、この標記語「殿上人」の語を収載し、語注記は「是れは、馬上にて御供するなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲殿上人ハ四五位()をいふ。〔51ウ三〜52オ一〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲殿上人ハ四五位()をいふ。〔92ウ一〜93オ三〕

とあって、標記語「殿上人」の語を収載し、その語注記は、「殿上人は、ハ四五位()をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Teo>jo<bito.テンジャウビト(殿上人) 内裏(Dairi)の邸内の貴族で,宮殿内,あるいは,国王の室に入ることのできる人たち.〔邦訳645r〕

とあって、標記語「殿上人」の語の意味は「内裏(Dairi)の邸内の貴族で,宮殿内,あるいは,国王の室に入ることのできる人たち」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

てんじゃう-びと〔名〕【殿上人】四位、五位、及、六位の人の昇殿を許されたるものの稱。うへびと。くものうへびと。雲客。後に、堂上。又、名門の子息の元服以前、禁中に召仕はるるを、童殿上人と云ふ。源氏物語、三十四、下、若菜、上、103「左衞門の陣などに、殿上人あまた立ちなどして」年年随筆、三、「大臣より下、六位までも、昇殿ゆりたるは、殿上人なるを、公卿は、公卿を規模とすれば、殿上人と言はず、六位は駈使の爲に昇殿して、筋異なれば、殿上人と言はず、四位五位は、近侍となれるを規模とすれば、專ら稱す」〔1370-3〕

とあって、標記語「殿上人」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「てんじょう-びと殿上人】〔名〕@清涼殿の殿上の間(ま)に昇ることを許された人。公卿を除く四位・五位の中で特に許された者、および六位の蔵人(くろうど)をいう。平安中期頃より、公卿(上達部)に次ぐ身分を表わす称となった。うえびと。雲のうえびと。雲上人(うんじょうびと)。雲客。A上皇・東宮・女院の御所に昇ることを許された者」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
故中関白殿(なかのくわんばくどの)、東三条(とうさんでう)つくらせたまひて、御障子(しやうじ)に歌絵(うたゑ)ども書かせたまひし色紙形(しきしがた)を、この大弐に書かせましたまひけるを、いたく人さわがしからぬほどに、まゐりて書かれなばよかりぬべかりけるを、関白殿わたらせたまひ、上達部(かんだちめ)殿上人(てんじやうびと)など、さるべき人々まゐりつどひて後(のち)に、日高く待たれたてまつりてまゐりたまひければ、少し骨(こち)なく思(おぼ)し召(め)さるれど、さりとてあるべきことならねば、書きてまかでたまふに、女装束かづけさせたまふを、さらでもありぬべく思さるれど、捨つべきことならねば、そこらの人の中をわけ出でられけるなむ、なほ懈怠の失錯(しつさく)なりける。《『大鏡』卷第二・[五三]佐理は懈怠者 中関白、障子を書かせる》
扈從、公卿殿上人連軒、前駈以下、同中納言御拜賀之時〈云云〉《訓み下し》扈従ハ、公卿殿(テン)上人軒ヲ連ヌ、前駆以下ハ、中納言ノ御拝賀ノ時ニ同ジ〈云云〉。《『吾妻鏡』嘉禎四年四月七日の条》
 
 
2004年01月06日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
騎馬(キバ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

× 。〔元亀二年本は脱〕

騎馬(キバ) 。〔静嘉堂本326七〕

騎馬 。〔天正十七年本中3ウ三〕

とあって、標記語「騎馬」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一--殿-_人前-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人()殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「騎馬」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「騎馬」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

騎馬(キバノル、ムマ)[去・上] 。〔態藝門854八〕

とあって、標記語「騎馬」の語を収載し、訓みを「キバ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

騎馬(キバ) 。〔・人倫門217八〕

とあって、弘治二年本だけが標記語「騎馬」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

騎馬(キバ) 。〔言語門191四〕

とあって、標記語「騎馬」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に、「騎馬」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

490-殿-_人 四位也。〔謙堂文庫藏四七右D〕

とあって、標記語「騎馬」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車-卿一--殿-_人或前驅(センク)。車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「騎馬」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)-殿-_是ハ馬上にて御供する也。〔70オ二〕

とあって、この標記語「騎馬」の語を収載し、語注記は「是れは、馬上にて御供するなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲騎馬ハ馬上(はしやう)の御供也。〔51ウ三〜52オ一〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲騎馬ハ馬上(はしやう)の御供也。〔92ウ一〜93オ三〕

とあって、標記語「騎馬」の語を収載し、その語注記は、「騎馬は、馬上(はしやう)の御供なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiba.キバ(騎馬) Vmanori(馬乗)に同じ.乗り手,すなわち,馬に乗って行く人.§Qibano xu.(騎馬の衆)馬に乗った人々.〔邦訳492r〕

とあって、標記語「騎馬」の語の意味は「Vmanori(馬乗)に同じ.乗り手,すなわち,馬に乗って行く人」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【騎馬】(一)馬に騎()ること。うまのり。雜纂新續、又愛又怕「初學騎馬續古事談、二、臣節「八條大將保忠、云云、道に、時の靭負の佐逢ひて、車より下りて立たりけり、大將咎めて云く、騎馬の時、此禮あるべし、車にては、あるべからず」「騎馬にて出づ」(二)馬に乗れる人。騎士「騎馬百騎」〔0477-4〕

とあって、標記語「騎馬」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-騎馬】〔名〕@馬に乗ること。また、その人。兵をのせた戦闘用の馬や、その兵をもいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三輩皆不及騎馬、盛綱、景廉、任嚴命、入彼舘、獲兼隆首、郎從等同不免誅戮、放火於室屋、悉以燒失《訓み下し》三輩皆騎馬(キハ)ニ及バズ、盛綱、景廉、厳命ニ任セ、彼ノ館ニ入テ、兼隆ガ首ヲ獲、郎従等モ同ク誅戮ヲ免レズ、火ヲ室屋ニ放ツテ、悉ク以テ焼失ス。《『吾妻鏡』治承四年八月十七日の条》
 
 
2004年01月05日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→目黒
一人(イチニン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」「飛」部に、標記語「一人」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後----殿-_人前-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一人」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「一人」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

一犬(イチケン)(ホフ)レバ(カタチ)ニ千犬(せンケン)(ホフ)(コヱ)ニ一人(イチニン)(ツタフレ)ハ(キヨ)ヲ万人(バンニン)(ツタフ)(ジツ)ヲ 朝野僉載。〔態藝門39四〕

一人(イチニン)兩心(リヤウシン)アレバ(ソノ)(ウチ)(カナラズ)(ヲトロフ) 六韜。〔態藝門39八〕

(ザレ)バ(ナラワ)一人(イチニン)ニ万人(バンニン)ノ之前(マヱ)ニ(ウク)(ソノ)(ハヂ)ヲ 。〔態藝門40一〕

※「イチジン」の用例としては、「陰陽(インヤウ)之和(クワ)(チヤウ)一類(イチルイ)。甘雨(カンウ)時雨(ジウ)()(ワタクシ)一物(イチモツ)。万民(バンミン)(シユ)()(ヲモネラ)一人(イチジン) 呂氏春秋」〔態藝門18三〕が見えている。

とあって、金言名句語中に「一人」の語を収載し、訓みを「イチニン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

一人 。〔・言語進退門五四〕

とあって、永祿二年本だけが標記語「一人」の語を収載する。また、易林本節用集』には、標記語「一人」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書において、広本節用集』と永祿二年本節用集』に「一人」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

489後車-- 二三位也。〔謙堂文庫藏四七右D〕

とあって、標記語「一人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車---馬殿-_人或前驅(センク)。車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「一人」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

後車(こうしや)の公卿(くきやう)一人後車--。車にて供奉(ぐぶ)せらるゝ公卿一人あり。〔70オ一・二〕

とあって、この標記語「一人」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車---殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等〔51ウ三〜52オ一〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)。〔92ウ一〜93オ三〕

とあって、標記語「一人」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Ichinin.イチニン(一人) 男,あるいは,女を数える言い方.四人になると,Yottari(四人)と言うのが普通であって,Xinin(シニン)とは言わない.〔邦訳327r〕

とあって、標記語「一人」の語の意味は「男,あるいは,女を数える言い方.四人になると,Yottari(四人)と言うのが普通であって,Xinin(シニン)とは言わない」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いち-にん〔名〕【一人】(一)ひとりの人。人一人。(二)右大臣の異稱。有職小説、中、官爵「本朝の諺に、天子を一人(いちじん)、太子を一人(いちんど)、關白を一所(いちのところ)、相國を一人(いちのひと)、左府を一上(いちのかみ)、右府を一人(いちにん)と云、醍醐帝の御宇より起れりとぞ」〔0172-3〕

とあって、標記語「一人」の語を収載する。なかでも(二)の右大臣の異称は、読みを異にする点がこの箇所とは直接関係はないがことばの妙味である。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いち-にん一人】〔名〕@人、ひとり。また、ひとりの人。いちじん。Aある人。なにがし。Bその土地や領域で第一であること。また、その人。第一人者。C右大臣の異称。D天皇の異称。E一日、一人分の作業量や賃金」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
去夜止宿于諏方上宮庵澤之邊及深更青女一人來于一條次郎忠頼之陣、稱有可申事《訓み下し》去ヌル夜諏方ノ上ノ宮庵沢ノ辺ニ止宿シ、深更ニ及ンデ、青女一人一条ノ次郎忠頼ガ陣ニ来テ、申スベキ事有リト称ス。《『吾妻鏡』治承四年九月十日の条》
 
 
2004年01月04日(日)晴れ。東京(八王子)→代々木(NHK)
公卿(クギャウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

公卿(ギヤウ) 。〔元亀二年本189二〕

公卿(ク ギヤウ) 。〔静嘉堂本212七〕

公卿(ク キヤウ) 。〔天正十七年本中35ウ七〕

とあって、標記語「公卿」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人前駈北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後---人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「公卿」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

公卿(ク ギヤウ) 器也。〔器財門106五〕

とあって、標記語「公卿」の語を収載するが、意味的には異なっている。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

公卿(クギヤウコウケイ、キミ・キミ)[平・平] ――殿上人(テンジヤウビト)。〔人倫門500七〕

公卿(クギヤウコウケイ、キミ・キミ)[平・平] 木具或作供饗(クキヤウ)。〔器財門505七〕

とあって、標記語「公卿」の語を二分類門に別意味で収載し、訓みを「クギヤウ」とし、その語注記は、「――殿上人(テンジヤウビト)」と「木具或作供饗(クキヤウ)」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

公卿(クギヤウ) 天上人。〔・人倫門157五〕

公卿(クギヤウ) 木具。〔・財宝門159二〕

公卿 木具或供饗。〔・言語門130五〕

公卿(クギヤウ) 木具或供饗。〔・言語門119七〕〔・言語門145三〕

とあって、標記語「公卿」の語を収載する。このうち、弘治二年本だけが二分類に収載するという点で広本節用集』を注記省略ではあるが継承したものとなっている。また、易林本節用集』には、

供饗(クギヤウ)公卿() 。〔器財門132二〕

とあって、標記語「公卿」の語を器財門に収載するのみで、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には広本節用集』と弘治二年本節用集』とに、「公卿」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

489後車--人 二三位也。〔謙堂文庫藏四七右D〕

とあって、標記語「公卿」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車--人騎-馬殿-_人或前驅(センク)。車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「公卿」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

後車(こうしや)公卿(くぎやう)一人(いちにん)後車--車にて供奉せらるゝ公卿一人あり。〔71オ一・二〕

とあって、この標記語「公卿」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車---殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲公卿ハ二三位()の人。〔51ウ三〜52オ一〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲公卿ハ二三位()の人。〔92ウ一〜93オ三〕

とあって、標記語「公卿」の語を収載し、その語注記は、「公卿は、二三位()の人」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cuguio<.クギャウ(公卿) Qimi qimi.(公きみ)内裏(Dairi)の側近に侍して輔佐する人々.〔邦訳163r〕

とあって、標記語「公卿」の語の意味は「内裏(Dairi)の側近に侍して輔佐する人々」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぎゃう〔名〕【公卿】〔三公九卿の條、見合はすべし〕太政大臣、左大臣、右大臣、を公と云ふに對して、大納言、中納言、三位以上、を卿と云ひ、參議は、四位たりとも、亦、之れに入るなり、大臣公卿と連ねて云へば、公卿は、大、中納言、參議、三位以上を指す。又卿相。月卿。棘輅。職原抄、上、太政官「大納言、云云、中納言、云云、參議、云云、已上號見任公卿宇津保物語、祭使26「衞府かけてきらふ大臣公卿と、これは皆、あて人、すきものども」同「公卿たちは、たれたれか物せられし、宮内、西がはら右大將殿にてなむ」〔0515-3〕

とあって、標記語「公卿」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-ぎょう公卿】〔名〕@(周官の三公九卿にならって)公と卿の総称。公は太政大臣、左大臣、右大臣をいい、卿は大・中納言、参議および三位以上の貴族をいい、あわせて公卿という。「大臣公卿」と連ねていう時は、卿に同じ。上達部(かんだちめ)。月卿(げっけい)。卿相(けいしょう)。棘路(きょくろ)。くげ。こうけい。A(大臣・公卿と分けて称するとき)納言以下の貴族をいう。B(「供饗」「公饗」とも)(「くぎょうついがさね(公卿衝重)」の変化した語か)高貴な人の用いる食膳」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
其趣義行、于今不出來、是且公卿侍臣、皆悉惡鎌倉、且京中諸人同意結搆之故候《訓み下し》其ノ趣キ、義行、今ニ出デ来タラズ、是レ且ハ公卿(クギヤウ)ノ侍臣、皆悉ク鎌倉ヲ悪ミ、且ハ京中ノ諸人同意結構スルガ故ニ候。《『吾妻鏡文治二年十一月五日の条》
 
 
2004年01月03日(土)晴れ。東京(八王子)
第80回 関東学生大学箱根駅伝大会(復路)平成の三連覇達成!総合優勝
後車(コウシャ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「後生(ゴシヤウ)コウせイ。後宴(エン)。後家()。後住(チウ)。後手()。后判(コウハン)。後悔(クワイ)。後来(コウライ)。後代(タイ)。後名(メイ)。後見(ケン)。後架()。后室(シツ)。后裔(エイ)。後訴()。後園(エン)。後證(せウ)。後勘(カン)。后鑑(カン)。後難(ナン)。後便(ビン)。后宮(キウ)キサイノミヤ。後記()。後胤(イン)。後朝(テウ)。後昆(コン)―ハ明也。後用(ユウ)。后(コウケイ)時十之日双出命 射即射九烏()落也」(元亀二年本)の語を収載するが、標記語「後車」の語は、未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或前驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或前驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「後車」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「後車」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には、「後車」の語は未収載であり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

489後車-卿一-人 二三位也。〔謙堂文庫藏四七右D〕

とあって、標記語「後車」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車-卿一-人騎-馬殿-_人或前驅(センク)。車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「後車」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)後車-卿壱-車にて供奉せらるゝ公卿一人あり。〔71オ一・二〕

とあって、この標記語「後車」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次者八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲後車ハ御供(とも)の車也。〔52オ一〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲後車ハ御供(とも)の車也。〔92ウ一〜93オ三〕

とあって、標記語「後車」の語を収載し、その語注記は、「後車は、御供(とも)の車なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co>xa.コゥシャ(後車) 後から来る車.§Ie~ano cytcu gayeru uo mite,co>xano imaximetosu.(前車の覆るを見て,後車の誡めとす)Xixo.(四書)前を行く車が転覆するのを見て,後から行く車が用心をするように,他人の被る災難によって誡めを得る. *天草版『金句集』,P.523.ただし,それには“cutcugayeyesuo…imaxime uo xiru”とある.→Irnxa(前車);Xenxa(先車).〔邦訳155l〕

とあって、標記語「後車」の語の意味は「後から来る車」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「後車」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こう-しゃ後車】〔名〕@あとに続く車。後乗。ごしゃ。Aあとに続く列車。こうしゃの戒(いましめ) (「ぜんしゃ(前車)の覆(くつがえ)るは後車(こうしゃ)の戒め」の上略前を進む者の失敗は、後から進む者のいましめとなるの意」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大殿御同車君達右府〈良〉幕〈實〉將軍家御扈從後車雲客濟々爲《訓み下し》大殿御同車君達右府〈良(良―)〉幕下〈実(実―)〉将軍家。御扈従。後車雲客済済タリ。《『吾妻鏡』嘉禎四年四月十日の条》
 
2004年01月02日(金)晴れ。東京(八王子)
第80回 関東学生大学箱根駅伝大会(往路)優勝!
御車(ギョシャ・みくるま・おんくるま)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「記」部に、「御製(ギヨせイ)。御感(ギヨカン)。御衣()。御寝(シン)。御意()。御宇()。御札(サツ)」の語を収載し、標記語「御車」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或前驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或前驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「御車」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に、標記語「御車」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書には、「御車」の語は全く収載されていない。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

488路次八葉御車 車上屋形八花形飾也。〔謙堂文庫藏四七右C〕

とあって、標記語「御車」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車-卿一-人騎-馬殿-_人或前驅(センク)。車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「御車」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

路次(ろし)ハ。八葉(はちえう)御車(おんくるま)路次者八葉御車。路次ハ御参詣乃道筋なり。この御車ハ將軍家の召玉ふ車なり。〔69ウ八〜70オ一〕

とあって、この標記語「御車」の語を収載し、語注記は「この御車ハ將軍家の召玉ふ車なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲八葉御車ハ車の上の屋形(かた)を八花形に飾る也。〔51ウ三〜52オ一〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲八葉御車ハ車の上の屋形(かた)を八花形に飾る也。〔92ウ一〜93オ三〕

とあって、標記語「御車」の語を収載し、その語注記は、「八葉御車は、車の上の屋形(かた)を八花形に飾るなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)にも、標記語「御車」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』にも、標記語「御車」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぎょ-しゃ御車】〔名〕」「-くるま御車】〔名〕」「おん-くるま御車】〔名〕」などの見出し語はすべて未収載にし、従って、『庭訓徃來』のこの語用例も未記載にする。
[ことばの実際]
今日前内府已下生虜、依召可入洛之間、法皇爲御覽其體、蜜々被立御車於六條坊城〈云云〉《訓み下し》今日前ノ内府已下ノ生虜リ、召シニ依テ入洛スベキノ間、法皇其ノ体ヲ御覧ゼンガ為ニ、蜜蜜ニ御車ヲ六条ノ坊城ニ立テラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦二年四月二十六日の条》
 
2004年01月01日(木)晴れ。東京(八王子) 
八葉(ハチエウ)の御車」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「八葉」及び「八葉車」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔至徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或前驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔宝徳三年本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎馬殿上人或前驅北面等美々敷綺羅耀天陳頭散花狩衣水旱供奉人浄衣白直垂布衣景勢衣文撥當行粧驚目〔建部傳内本〕

路次()-_車後--卿一-人騎-殿-_人前-()-等美-_敷綺()-羅耀(カヽヤキ)-頭奇-(レイ)_衣水-旱供--( ヤウ)-衣白直垂( レ)(ホウ)--勢衣文(エモン)(ハラフ)(  リ)-粧驚〔山田俊雄藏本〕

路次八葉御車後車公卿一人騎()馬殿上人或前驅北面等美々(ヒヒ)( ク)()羅耀(カヽヤキ)陳頭(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔経覺筆本〕

路次()八葉(ヨウ)御車後(コフ)()-(キヤウ)一人騎-殿(テン)-上人前(せン)-()北面等美()-()敷綺()-()耀(カヽヤキ)(チン)-(トウ)(チラシ)狩衣水旱供奉浄衣白直垂(ヒタタレ)布衣景勢衣文(エモン)(ハライ)(アタリ)行粧(ソウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「八葉」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「八葉」及び「八葉車」の語は未収載にする。江戸時代の『書言字考節用集』になって、

八葉(ハチエフ) 。〔門〕

とあって、標記語「八葉」の語を収載し、訓みを「ハチエフ」とし、その語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書には、「八葉」及び「八葉車」の語は未収載であり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

488路次八葉御車 車上屋形八花形飾也。〔謙堂文庫藏四七右C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は、「車上の屋形を八花形に飾なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

八葉御車後車-卿一-人騎-馬殿-_人或前驅(センク)車ニ八葉ノ車(クルマ)。六葉ノ車トテアリ。下臈(ゲラウ)車。モノミ車。屋形(ヤカタ)車トテ有也。公卿達ハ車ニノツテ。後陳(ゴチン)ヲ打給フ也。前駆(ぜンク)ノ北面(ホクメン)ト云ハ。御車ノ前ニ人ヲ駆(カリ)立テ烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)ノ人ヲ数()百人ヲ陸(カチ)ニテ御供也。是ハ。皆々武者所ノ侍(サムラヒ)ナリ。〔下24ウ五〜七〕

とあって、この標記語「八葉」とし、語注記は、「車に八葉の車(クルマ)。六葉の車とてあり。下臈(ゲラウ)車。ものみ車。屋形(ヤカタ)車とて有るなり。公卿達は車にのって、後陳(ゴチン)を打ち給ふなり。前駆(ぜンク)の北面(ホクメン)と云へば、御車の前に人を駆(カリ)立て烏帽子(エボシ)直垂(ヒタタレ)の人を数()百人を陸(カチ)にて御供ふなり。是れは、皆々武者所の侍(サムラヒ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

路次(ろじ)()。八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等〔69オ七・八〕

とあって、この標記語「八葉」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

路次(ろじ)()八葉(はちえう)の御車(おんくるま)。後車(こうしや)の公卿(くぎやう)一人(いちにん)騎馬(きば)の殿上人(てんじやうびと)前驅(せんく)乃北面(ほくめん)(とう)。美美敷(びゞしく)。綺羅(きら)(てん)に耀(かゞや)き陣頭(ぢんとう)(はな)を散(ちら)す狩衣(かりきぬ)水旱(すいかん)供奉(くふ)の人(ひと)ハ浄衣(しやうえ)(しろ)の直垂(ひたゝれ)。布衣(ほい)乃景勢(けいせい)衣文(えもん)(あたり)を撥(はら)ひ行粧(きやうそう)()を驚(おとろ)かす家文(かもん)當色(たうしよく)色々(いろ/\)の狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)を盡(つく)し金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め凡(すべて)中間(ちうげん)雜色(さつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(いた)るまて花(はな)を折()り色(いろ)を交(まじ)ゆ。/路次八葉御車後車-卿一--殿-_或前驅北面等--羅耀陣-頭散狩衣水旱-人浄-_布衣--文撥行粧驚家文-色々-色節-凡迄(マデ)于中間--_飼等▲八葉御車ハ車の上の屋形(かた)を八花形に飾る也。〔51ウ三〜52オ一〕 

路次(ろじ)()八葉(はちえう)御車(おんくるま)後車(こうしや)公卿(くきやう)一人(いちにん)騎馬(きば)殿上人(でんしやうびと)前驅(せんく)北面(ほくめん)(とう)美美敷(びゞしく)綺羅(きら)耀(かゞや)(てん)陣頭(ちんとう)(ちら)(はな)狩衣(かりきぬ)水旱(すゐかん)供奉(くふ)(ひと)浄衣(しやうえ)(しろ)直垂(ひたゝれ)布衣(ほい)景勢(けいせい)衣文(えもん)(はら)(あたり)行粧(きやうそう)(おとろ)かす()家文(かもん)當色(たうしよく)(とう)色々(いろ/\)狂文(きやうもん)色節(しよくせつ)(ちりば)金銀(きんぎん)(すべて)(いた)るまで于中間(ちうけん)雜色(ざつしき)舎人(とねり)牛飼(うしかひ)(とう)()(はな)(まじ)(いろ)▲八葉御車ハ車の上の屋形(かた)を八花形に飾る也。〔92ウ一〜93オ三〕

とあって、標記語「八葉」の語を収載し、その語注記は、「八葉御車は、車の上の屋形(かた)を八花形に飾るなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fachiyo>.ハチヨゥ(八葉) 例,Fachiyo>no rengue.(八葉の蓮華)八枚の花弁をもった蓮.〔邦訳194l〕

Fachiyo>no curuma.ハチヨゥノクルマ(八葉の車) 車の一種.〔邦訳194l〕

とあって、標記語「八葉の車」の語の意味は「車の一種」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はち-えふ〔名〕【八葉】(一)紋形の名。八瓣の蓮花の象。和訓栞「はちえふ、紋形に云へり、青蓮花の八葉を描くなり」(二)次條の語の略。大八葉。〔3-859-1〕

はちえふ--くるま〔名〕【八葉車】〔葉(エフ)は曜(エウ)に通ず。佛眼曼荼羅は七曜に、妙見星を加へて八曜としたり〕 牛車(ギツシヤ)の一種。屋形に九曜の紋を付けたるもの。(元は八曜なりしと)其紋の大なるは大八葉の車と云ひ、大臣、公卿の使用するもの。小なるは小()八葉の車と云ひ、四位、五位のもの使用するとぞ。蛙抄、車輿「八葉車、上下男女眞俗、相通褻時用之」平家物語、十一、一門大路被渡事「小八葉の車の、前後のすだれをあげ、左右の物見をひらく」増鏡、九、草枕「新院、二月七日、御幸はじめさせ給ふ、云云、同廿日、布衣の御幸はじめ、北白川殿へいらせ給ふ、八葉の御車、萌木の御狩衣、云云、たてまつる」翁草(~澤貞幹)「八葉の車は、輪の葉八つあり、常より大形なるは、大八葉と云ひ、小形なるは、小八葉と云ふ」〔3-859-1〕

とあって、標記語「八葉」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はち-よう八葉】〔名〕@八枚の花弁。特に、蓮の花の八つの花弁がひろがった形、その文様をいう。A紋所の名。@を図案化したもの。B八枚の葉。または紙。C(「葉」は、世・時代の意)八代。はちようの車(くるま) 網代車(あじろぐるま)の一種。網代の車箱の表面を青地に黄で八葉(八曜)の丸の文様を散らしたもの。左右の窓である物見に長物見と切物見(物見の半分をふさぐ)とがあり、長物見は晴儀に使用し、切物見は略儀の使用とする。上皇はじめ摂関・公卿・僧正以下僧綱等に広く用いた。文様の大小により小八葉車(こはちようのくるま)、大八葉車ともいう。はちようぐるま」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
其儀駕八葉車、扈從衛府三人、共侍廿人、〈各騎馬〉於庭上、舞蹈、撥劒笏、參殿上〈云云〉《訓み下し》其ノ儀八葉(エフ)ノ車ニ駕シ、扈従ノ衛府三人、共ノ侍二十人、〈各騎馬。〉庭上ニ於テ、舞蹈シ、剣笏ヲ撥ゲ、殿上ニ参ズト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦元年十月二十四日の条》
 
 

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