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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 
2004年02月29日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
調(しらべ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

調(シラベ) 鼓。〔元亀二年本334一〕〔静嘉堂本398六〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、語注記は「鼓」と記載する。

 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打伺至峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打伺至峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打伺至峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()。伺至(ケイロウ)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()伺至(ケイロウ)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人()調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

調 シラフ/和也。〔黒川本・辞字門下74ウ八〕〔卷第九・辞字門179三〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、語注記に「和なり」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「調」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

調(シラベテウ・トヽノウ)[平・去] ―琴。〔態藝門1024五〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、語注記は「調琴」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

調(シラベ) 琴。〔・言語進退門244三〕

調(シラヘ) ―琴。〔・言語門213二〕

調(シラヘ) 琴。〔・言語門196八〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、語注記に「琴の調べ」と記載する。また、易林本節用集』には、

調(シラフ) ()。〔言辭門219四〕

とあって、標記語「調」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「調」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+磨l- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「調」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

樂器(かくき)を調(とヽの)調樂器樂器ハ音楽の器笙(せう)篳篥(ひちりき)太鼓(たいこ)の類を云。楽妓(かくき)と書たる本もあり。楽妓とハ舞姫(まひひめ)の事也。是ハ誤(あやま)りにて楽器と書たるを是()とす。〔72オ三〜四〕

とあって、この標記語「調」の語を収載し、語注記は、「樂器は、音楽の器笙(せう)篳篥(ひちりき)太鼓(たいこ)の類を云ふ。楽妓(かくき)と書きたる本もあり。楽妓とは、舞姫(まひひめ)の事なり。是は、誤(あやま)りにて楽器と書きたるを是()とす」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|。〔52ウ七〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔94ウ五〜95オ六〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xirabe,uru.l,xirame,uru.シラベ,ブル,また,シラメ,ムル(調べ,ぶる,べた.または,調め,むる) 絃楽器,あるいは,その他の楽器,たとえば,鼓などの調子を整える.例,Biua,l,tcuzzumiuo xiraburu.(琵琶,または,鼓を調ぶる)琵琶や鼓の調子を整える.※原文は1)3)tabaquinho,2)viola.それぞれTcuzzumiおよびBiua(琵琶)の注参照.〔邦訳776r〕

とあって、標記語「調」の語の意味は「絃楽器,あるいは,その他の楽器,たとえば,鼓などの調子を整える」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しら-〔名〕【調】(一){しらぶること。音の律呂を、調ふること。調子。源氏物語、十三、明石39「琴の御琴、取りに遣はして、心異なるしらべを、仄かに掻き鳴らし給へる」六帖、四、「常磐なる、松のしらべに、弾く琴は、緒毎に君を、千年とぞ鳴る」字類抄「黴、シラベ、琴上修注處、所表發撫抑之處」倭名抄、四20琴瑟類「琴、云云、黴以鍾山之玉又、笛にも、増鏡、十六、秋のみ山「絲竹のしらべは、をり惡しければ」(二)かれこれと、照り合はせて、見ること。點檢。(三)罪状を問ひ糺すこと。吟味。詮議。糾問。審理。〔1022-4〕

とあって、標記語「しら-〔名〕【調】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しら-調】〔名〕(動詞「しらべる(調)」の連用形の名詞化)[一]調子をととのえること。音楽を奏すること。また、その調子や節まわし。@音楽をかなでること。演奏。また、その音色。A音律。楽曲。曲。また、その音色の調子。B音楽・詩歌の表現を通して感じられる情緒や調子。C「しらべ(調)の緒」の略。D馬鹿囃子で小太鼓をいう。[二]物事をはっきりさせるために調査したり、糾明したりすること。@物事を明らかにするためにいろいろ見聞きして確かめること。調査。研究。A理非曲直をただすこと。尋問。吟味。糾問。詮議。[補注]@について、能で調子を整えるために奏する短い楽曲や雅楽で黄鐘調・壱越調などのいわゆる「調子」をさすこともあった」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
樂名之中、廻忽者、元廻骨大國、葬礼之時、調此樂〈云云〉《訓み下し》楽ノ名ノ中ニ、廻忽トイフ者、元廻骨(廻骨ト書ク)。大国ニハ、葬礼ノ時、此ノ楽ヲ調(シラ)ト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦元年四月二十日の条》
 
 
2004年02月28日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
樂妓(ガクギ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、「樂人(カクニン)。樂屋(ガクヤ)。樂頭(トウ)。樂器(カツコ)」の四語を収載し、標記語「樂妓」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打伺至峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打伺至峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前之舞人者打伺至峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()。伺至(ケイロウ)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()伺至(ケイロウ)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人()調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「樂妓」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「樂妓」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書において、標記語「樂妓」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+磨l- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「樂妓」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「樂妓」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

樂器(かくき)を調(とヽの)ヘ調樂器樂器ハ音楽の器笙(せう)篳篥(ひちりき)太鼓(たいこ)の類を云。楽妓(かくき)と書たる本もあり。楽妓とハ舞姫(まひひめ)の事也。是ハ誤(あやま)りにて楽器と書たるを是()とす。〔72オ三〜四〕

とあって、この標記語「樂器」の表記の語で収載し、語注記は、「樂器は、音楽の器笙(せう)篳篥(ひちりき)太鼓(たいこ)の類を云ふ。楽妓(かくき)と書きたる本もあり。楽妓とは、舞姫(まひひめ)の事なり。是は、誤(あやま)りにて楽器と書きたるを是()とす」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲樂妓ハ樂伎の誤なるべし。伎ハ侶(ともから)なり。舞楽の徒()といふことならんと關牛翁いはれき。〔53オ五〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲樂妓ハ樂伎の誤なるべし。伎ハ侶(ともがら)なり。舞楽乃徒()といふことならんと關牛翁いはれき。〔94ウ五〜95オ六〕

とあって、標記語「樂妓」の語を収載し、その語注記は、「樂妓は、樂伎の誤なるべし。伎は、侶(ともがら)なり。舞楽乃徒()といふことならんと關牛翁いはれき」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gacugui.ガクギ(樂器) 音楽の道具.→GACqi;Gacuqi.〔邦訳290l〕

とあって、標記語「樂器」の語で意味は「音楽の道具」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「がく-〔名〕【樂妓】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「がく-樂妓】〔名〕音楽や歌舞に秀でた妓女。*庭訓往来(1394−1428頃)「伶人、調樂妓、翻羅綾之袂於陣頭」*王仁裕−開元天宝遺事・隔障歌「寧王宮中有樂妓寵姐者、美姿色、善謳唱」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
樂妓之圖
(http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/tosyokan/edehon/img/23/isaic006a.jpg)参照。
 
 
 
伶人(レイジン)」ことばの溜池(2000.09.01)を参照。
 
2004年02月27日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
御迎(おむかへ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、「御座(ハシマス)。御衣(ヲンソ)。御伴(トモ)。御供()。御成(ヲナリ)。御晴(ハレ)。御乳()。御足(アシ)錢ノ名。御坪(ツホ)」の八語を収載するが、標記語「御迎」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打伺至峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打伺至峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前之舞人者打伺至峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()。伺至(ケイロウ)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()伺至(ケイロウ)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人()調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「御迎」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「御迎」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「御迎」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

498御迎伶人 樂人也。琴伶人晋時康字叔夜向北山。従道士孫登琴經三年孫不之。曰汝逸群。必當戮云々。于市去。孫及乗雲昇。康向南至王伯通。造-得一舘。未ルニ∨三年毎夜有ルニ宿伯者不天明ニ|便死。伯見此凶閉却。不人宿康暫借舘門前宿。至一更之後康取琴。至シテ二更。時八ケ後舘ルコト之。微(ヒソカ)ニシテ曰、乾元亨利貞祝コト三反。問鬼曰、王伯通造-得此舘。成ルニ‖三年ナラ毎夜有宿者死。惣シテ八ケ鬼殺。鬼曰、我是不人。鬼我是舜時掌樂官。兄弟八人号シテ伶倫者也。舜侫臣我兄弟。在|∨。王伯造舘不其故。向我上。此故云。為也。今賞先生廣陵天下妙絶。康聞之大琴与鬼。々教也。自是司樂者伶人。〔謙堂文庫藏四八右G〕

とあって、標記語「御迎」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「御迎」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

御迎(おんむかい)の伶人(れいじん)者()御迎伶人者。伶人ハ音楽をする者なり。〔72オ三〕

とあって、この標記語「御迎」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|。〔52ウ七〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔94ウ五〜95オ六〕

とあって、標記語「御迎」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)にも、標記語「御迎」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』と現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おん-むかい()〔名〕【御迎】」の語は未収載にする。よって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載となっている。
[ことばの実際]
長狹六郎之謀者、猶滿衢歟先遣御使、爲御迎、可參上之由、可被仰〈云云〉《訓み下し》長狭ノ六郎ガ謀ノ如キ者、猶衢ニ満タンカ。先ヅ御使ヲ遣サレ、御迎(ムカ)ノ為ニ、参上スベキノ由、仰セラルベシト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年九月四日の条》
 
 
2004年02月26日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
扈從(こじゅう・こしょう)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「扈從」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「扈從」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「扈從」の語は未収載にする。江戸時代の古辞書『書言字考節用集』に、

扈從(コシヨウ) [文選註]從君主也。〔第四冊人倫門58二〕

とある。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「扈從」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

497相‖-弓手妻手‖-(コ―/トリツヽム)ス 妻手犬追物有。弓手也。妻手ニテ手縄取、拵馬上義也。〔謙堂文庫藏四八右F〕

とあって、標記語「扈從」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

‖-トハサハリヒキシロウ事ナリ。ハタカリネル事也。〔下25ウ七〕

とあって、この標記語「扈從」とし、語注記は「さはりひきしろう事なり。はたかりねる事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

弓手(ゆんて)馬手(めて)に相並(あいなら)んて之(これ)扈從(こしやう)‖-ンテ弓手馬手‖-左を弓手右を馬手といふ。又妻手とも書なり。扈從もしたかふと訓す。供する事なり。こゝにて供奉の行列ハ言終りたり。〔71ウ三〜四〕

とあって、この標記語「扈從」の語を収載し、語注記は、「扈從もしたかふと訓す。供する事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-▲扈從ハ随(ひたか)ひ侍(はへ)るの義。〔52オ六〜52ウ七〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲扈從ハ随(したが)ひ侍(はべ)るの義。〔93ウ五〜94ウ五〕

とあって、標記語「扈從」の語を収載し、その語注記は、「扈從は、随(したが)ひ侍(はべ)るの義」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「扈從」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-じゅう〔名〕【扈從】〔字典「後フヲ扈」供すること。隨行。扈從(コシヨウ)司馬相如、上林賦「扈從横行」留青日記、「言從天子、逐獸横行也」續後紀、十五、承和十二年二月、天皇幸水成瀬野「賜扈從臣及國司等禄〔2-0288-1〕

とあって、標記語「-じゅう〔名〕【扈從】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-じゅう扈従】(「こしょう(扈従)」に同じ。」と標記語「-しょう扈從】(「扈」はつきそう意、「しょう」は「従」の漢音)貴人につき従うこと。また、その人。こじゅう。こそう。*書言」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
凡跨扈從軍士、不知幾千萬《訓み下し》凡ソ扈従(コシヨウ)ノ軍士、幾千万トイフコトヲ知ラズ。《『吾妻鏡』治承四年十月六日の条》
 
 
2004年02月25日(水)
0813-082妻手(めて)(497-2004.02.25)。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「女」部に、

妻手( テ) 右。馬手() 右。〔元亀二年本296G〕 妻手(メテ)馬手() 右。〔静嘉堂本348@〕

とあって、標記語「妻手」「馬手」の語を収載し、静嘉堂本の語注記には「右」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

門外前後隨兵番(ツガ)上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)役人御調度(チウツ)-(ナラン)弓手(ユンテ)妻手(メテ)-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明十四年本〕

と見え、標記語「妻手」の語を収載し、経覺筆本・文明十四年本は「妻手(メテ)」と訓みを記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「妻手」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「妻手」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

妻手(メテ)メアワス/せイシユウ・ツマ[上去・上] 弓手――。〔支體門872G〕

とあって、標記語「弓手」の語を収載し、語注記は「弓手妻手」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

妻手(メテ) 弓手――。又馬手()。〔・支体門229@〕 妻手(メテ) 弓手/馬手。〔・支体門191@〕

妻手(メテ) 弓手(ユンテ)/馬手(メテ)。〔・支体門180A〕

とあって、標記語「妻手」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承し「弓手妻手」とし、さらに「又馬手に作る」する。また、易林本節用集』には、

妻手(メテ) 。〔支躰門195F〕

とあって、標記語「妻手」の語を収載し訓みを「めて」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書において、標記語「妻手」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ここで、静嘉堂本『運歩色葉集』の語注記「左」は、下記真字本の語注記「弓手」の簡略形とも考えられよう。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

497相-弓手妻手()-トリツヽム 妻手犬追物有。弓手也。妻手ニテ手縄取、拵馬上義也。〔謙堂文庫藏四八右F〕

とあって、標記語「妻手」の語を収載し、語注記は「妻手は、犬追物有」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、標記語「妻手」〔下25ウC〕とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

弓手(ゆんて)馬手(めて)に相並(あいなら)んて之(これ)に扈從(こしやう)-ンテ弓手馬手-左を弓手右を馬手といふ。又妻手とも書なり。扈從もしたかふと訓す。供する事なり。こゝにて供奉の行列ハ言終りたり。〔71ウB〜C〕

とあって、この標記語「妻手」の語を収載し、語注記は、「左を弓手右を馬手といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろいろ)の甲冑(かつちう)思々(おもひおもひ)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)の帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)す中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀列二行御帶刀-御調度懸人-弓手妻手-▲弓手ハ左(ひたり)。馬手は右(ミき)也。〔52オE〜52ウF〕〔52オE〜52ウD〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろいろ)()甲冑(かつちう)思々(おもひおもひ)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲弓手ハ左(ひたり)。馬手は右(ミき)也。〔93ウD〜94ウC・D〕

とあって、標記語「弓手」の語を収載し、その語注記は、「弓手は左(ひたり)。馬手は右(ミき)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mete.メテ(妻手馬手) すなわち,Migui.(右)右手.§Yu~de meteni ainarabu.(弓手馬手に相並ぶ)左側と右側にそろって並ぶ.〔邦訳398r〕

Yundemete.ユンデメテ(弓手馬手) 左手と右手と.〔邦訳836l〕

とあって、標記語「弓手」の語の意味は「すなわち,Yumino te.(弓の手)左手」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【妻手】(一)右(みぎ)の手。(弓手(ゆんで)の條を見よ)矢手(やて)右手保元物語、一、新院御所各門門固事「ゆんでのかひなの、めてに四寸伸びて」同、(二)右のかた。右の方面。平治物語、二、義朝青墓落着事「海道をば馬手になして落ち給へば」〔4-589-4〕

とあって、標記語「-〔名〕【妻手】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-妻手@(「馬上で手綱を取る方の手」の意から)右の手。弓を取る左の方の弓手(ゆんで)に対していう。みぎて。A右の方。右の方面。みぎ。みぎて。B「めてぎり(馬手切)」の略。C「めてざし(馬手差)」の略。D酒を好む辛党を左党などというのに対して、甘い物を好む人。甘党。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
景能、於東國、能馴馬也者則馳廻八男妻手之時縡相違。《訓み下し》景能ハ、東国ニ於テ、能ク馬ニ馴ルルナリ、テインバ則チ八男ガ妻手ニ馳廻ルノ時縡相ヒ違。《『吾妻鏡建久二年八月大一日条》
 
 
2004年02月24日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
弓手(ゆんで)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「由」部に、

弓手(ユンデ) 。〔元亀二年本292六〕

弓手(ユンデ) 左。〔静嘉堂本339六〕

とあって、標記語「弓手」の語を収載し、静嘉堂本の語注記には「左」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「弓手」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「弓手」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

弓手(ユンデ/キウ・ユミ、シユウ)[平・上] ――/妻手。〔支體門860五〕

とあって、標記語「弓手」の語を収載し、語注記は「弓手妻手」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

弓手(ユンデ) ――妻手(メテ)/又作馬手()。〔・支体門225五〕

弓手(ユンデ) 。〔・支体門187八〕

弓手(ユンテ) ――妻手/馬手。〔・支体門177六〕

とあって、標記語「弓手」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承し「弓手妻手」とし、さらに「又馬手に作る」する。また、易林本節用集』には、

弓手(ユンデ) 。〔支躰門193三〕

とあって、標記語「弓手」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書において、標記語「弓手」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ここで、静嘉堂本『運歩色葉集』の語注記「左」は、下記真字本の語注記「弓手」の簡略形とも考えられよう。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

497相‖-弓手妻手‖-(コ―/トリツヽム)ス 妻手犬追物有。弓手也。妻手ニテ手縄取、拵馬上義也。〔謙堂文庫藏四八右F〕

とあって、標記語「弓手」の語を収載し、語注記は「弓手は、左の手を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

()調度懸(チヤウトカケノ)ヒ‖-(ユン)妻手(メテ)御調度ハ矢ナリ。御多羅枝ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「弓手」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

弓手(ゆんて)馬手(めて)に相並(あいなら)んて之(これ)に扈從(こしやう)‖-ンテ弓手馬手‖-左を弓手右を馬手といふ。又妻手とも書なり。扈從もしたかふと訓す。供する事なり。こゝにて供奉の行列ハ言終りたり。〔71ウ三〜四〕

とあって、この標記語「弓手」の語を収載し、語注記は、「左を弓手右を馬手といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-▲弓手ハ左(ひたり)。馬手は右(ミき)也。〔52オ六〜52ウ七〕〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲弓手ハ左(ひだり)。馬手は右(ミき)也。〔93ウ五〜94ウ四・五〕

とあって、標記語「妻手」の語を収載し、その語注記は、「弓手は左(ひたり)。馬手は右(ミき)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yunde.ユンデ(弓手) すなわち,Yumino te.(弓の手)左手.〔邦訳836l〕

Yundemete.ユンデメテ(弓手馬手) 左手と右手と.〔邦訳836l〕

とあって、標記語「弓手」の語の意味は「すなわち,Yumino te.(弓の手)左手」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ゆん-〔名〕【弓手】〔ゆみでの音便〕(一)弓を持つ方の手、即ち、左の手の稱。左手。右手には手綱を持つ、因りて、右を馬手と云ふ。保元物語、一、新院御所各門門固事「弓手の肘、馬手に四寸伸びて、云云」同、二、白河殿攻落事「爲朝是を弓手に相請けて、はたと射る」(二)左の方。左。保元物語、二、白河殿攻落事「須藤九郎に弓手の太股を射させ、云云」〔2076-5〕

とあって、標記語「ゆん-〔名〕【弓手】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ゆん-弓手】(「ゆみて」の変化した語)@弓を持つ方の手。左の手。ひだりて。馬手(めて)に対していう。A左の方。左方。左側。B犬追物(いぬおうもの)の時、左方に犬を受けて、その犬の左を射ること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
國衡令名謁廻駕之間、互相逢于弓手國衡挾十四束箭義盛飛十三束箭《訓み下し》国衡名謁ラシメ駕ヲ廻ラスノ間、互ニ弓手(ユンデ)ニ相ヒ逢フ。国衡ハ十四束ノ箭ヲ挟ム。義盛ハ十三束ノ箭ヲ飛バス。《『吾妻鏡』文治五年八月十日の条》
 
 
2004年02月23日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
相並(あひなら・ぶ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、「相手(アイテ)。相姓(アイシヤウ)。相図()。相白(シライ)」の四語を収載し、標記語「相並」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「相並」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「相並」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

相並(アイナラブシヤウヘイ)[平・上] 雙。〔態藝門752二〕

とあって、標記語「相並」の語を収載し、語注記は「(相)」と同語異表記の語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「相並」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

相逢(アヒアフ) ―比(□□)。―伴(トモナフ)。―構(カマヘテ)。―語(カタル)。/―叶(カナフ)。―姓(シヤウ)。―圖()。―觸(フル)。〔言辭門172二〕

とあって、標記語「相並」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』だけに「相並」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている標記語「相並」の語と共通する。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

497‖-弓手妻手‖-(コ―/トリツヽム)ス 妻手犬追物有。弓手也。妻手ニテ手縄取、拵馬上義也。〔謙堂文庫藏四八右F〕

とあって、標記語「相並」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

()調度懸(チヤウトカケノ)‖-(ユン)手妻手(メテ)御調度ハ矢ナリ。御多羅枝ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「相並」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

弓手(ゆんて)馬手(めて)相並(あいなら)て之(これ)に扈從(こしやう)‖-ンテ弓手馬手‖-左を弓手右を馬手といふ。又妻手とも書なり。扈從もしたかふと訓す。供する事なり。こゝにて供奉の行列ハ言終りたり。〔71ウ三〜四〕

とあって、この標記語「相並」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)相並(あいなら)で之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「相並」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ainarabi,u,uru.アヒナラべ,ブル,ベタ(相並べ,ぶる,べた) Narabi,uru(並べ,ぶる)の条を見よ.〔邦訳18l〕

とあって、標記語「相並」の語の意味は「Narabi,uru(並べ,ぶる)の条を見よ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「あひ-なら〔名〕【相並】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あい-なら相並】(「あい」は接頭語)[]〔自バ五(四)〕いっしょに並ぶ。*米沢本沙石集(1283年)五本・三「一つの調子を本として楽を奏する時は、余の四の音は助けとして、自(おのづから)調子の能無し。つかさどり互に助けてあひならはす」*日葡辞書(1603-04年)「Ainnarabu(アイナラブ)*西国立志編(1870-71年)<中村正直訳>一・三二「互に相ひ背反するものの如くにして、相(あヒ)並んで行かざるべからざるものあり」*吾輩は猫である(1905-06年)<夏目漱石>一一「座敷の入口には、寒月君と東風君が相(アヒ)ならんで」[]〔他バ下二〕いっしょに並べる。*日葡辞書(1603-04年)「Ainarabe,uru,eta(アイナラブル)」*小説神髄(1885-86年)<坪内逍遥>上・小説の変遷「奨善誡悪の意を寓して彼の奇異譚と相(アヒ)ならべて世に発行することとはなりけん」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
參河守範頼、爲平家追討使、赴西海午尅進發旗差〈旗巻之〉一人、弓袋一人、相並《訓み下し》参河ノ守範頼、平家追討使トシテ、西海ニ赴ク。午ノ剋ニ進発ス。旗差〈旗之ヲ巻ク〉一人、弓袋一人、前行ニ相ヒ並(ナラ)。《『吾妻鏡』元暦元年八月八日の条》
 
 
2004年02月22日(日)晴れ夜風雨。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
調度懸(テウドがけ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「見」部に、「御教書(ミゲウシヨ)。御衣木(ソギ)。御手代(テシロ)。御息所(ヤスドコロ)。御裳河(モスソカワ)伊勢。御増水(ソウヅ)」の語を収載するが、標記語「御調度」は未記載であり、「天」部に、

調度() 公方様御矢之事。〔元亀二年本244八〕

調度() 公方樣御矢之亊也。〔静嘉堂本282四〕

調度() 公方樣御矢之事也。〔天正十七年本上20オ一〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「調度」の語を収載し、語注記は「公方樣御矢の事なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。このうち、経覺筆本だけが「人」を「男」と表記している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「御調度懸人」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

調(テウドカケ) 烏帽子縛緒(ユイヲ)也。〔器財門119五〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、語注記に「烏帽子の縛緒なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

調(テウドカケトヽノウ、ワタル、ケン)[去・入・平] 烏帽(エホ)子結(ユウ)(ヲヽ)也。〔器財門717一〕

とあって、標記語「調」の語を収載し、語注記は「烏帽子の緒を結うなり」とあって『下學集』の「縛緒」を「結(ユウ)(ヲヽ)」としているが継承記載している。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

調(テウトカケ)テウヅカケ 烏帽子結緒。〔・器財門198一〕

調(デウドカケ) 烏帽子結緒也。〔・器財門163八〕

調(テウトカケ) 烏帽子結緒也。〔・器財門153二〕

とあって、弘治二年本が標記語「調」の語を収載し、語注記は「烏帽子の緒を結うなり」と広本節用集』を継承記載する。また、易林本節用集』には、

調度懸(テウドカケ) 烏帽子縛緒也。〔言語門165一〕

とあって、標記語「調度懸」の語を収載し、語注記に「烏帽子の縛緒なり」として『下學集』を継承記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』だけが「調度懸」とし、『下學集』をはじめとする古辞書群は標記語「調」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている標記語「調度懸」の語とは、表記を異にする。また、『運歩色葉集』にあっては、標記語「調度」とし、語注記も「公方樣御矢之事也」として別な資料に依拠している箇所となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「御調度懸人」の語を収載し、語注記は「烏帽子の縛緒なり。懸を馬の尾を以って爲るを云ふなり。或説に云く、弓を御多羅技と云ふ。矢を御調度と云ふ時は、是は弓役か。又位有り、人行くには、必ず小長き袋を懸け、此の説誠に尤も善し、矢を云ふには字別なり。虫-()と書くなり。言は、彼の虫口に毒を含み飛ぶなり。体は、矢の如くにして、同羽も付くなり。口傳有るなり」と記載する。 この語注記の文頭箇所は、『下學集』の語注記と合致する。

 古版庭訓徃来註』では、

()調度懸(チヤウトカケノ)ヒ‖-(ユン)手妻手(メテ)御調度ハ矢ナリ。御多羅枝ナリ。〔下25ウ六・七〕

とあって、この標記語「御調度懸人」とし、語注記は「御調度は、矢なり。御多羅枝なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

()調度(てうど)(がけ)(ひと)御調度懸調度懸ハ弓矢を入て負ふ物なり。懸る調度といふハ道具の事也。公家にて尊ぶ道具ハ冠なるゆへ冠を懸る物を調度懸といひ武家にて重んする物ハ弓矢なるゆへそれを入るゝ物を調度懸と云。たとへハ今平士のもつとも重き道具ハ鑓なる故鑓を呼んて道具といへるかことし。扨武家乃調度懸に大小の二ツあり。大なる方ハ御座所乃かたハらに置。小き方ハ人に負(おハ)せて供奉に遣ふ。陰陽弓を両方に立中に矢二十四筋指(さす)となり。猶圖説にくわしきゆへこゝに略せり。〔71オ七〜ウ三〕

とあって、この標記語「御調度懸人」の語を収載し、語注記は、「調度懸ハ弓矢を入て負ふ物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-▲調度懸ハ弓矢(ゆみや)を納(ハか)る器(うつハ)也。其制数種(すしゆ)あり。但し大なるハ御座所(さしよ)に居()へ小なるハ人に負(おハ)すとぞ太田道潅(おほたたうくハん)か義政(よしまさ)公の問(とひ)に應(おう)せし哥(うた)に√矢()を指(さし)て左右(さいう)に弓(ゆミ)をてうとかけ奥(おく)の習(ならひ)ハ家(いへ)によるべきとそと。〔52オ六〜52ウ七〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に。▲調度懸ハ弓矢(ゆミや)を納(いる)る器(うつハ)也。其制数種(すしゆ)あり。但し大なるハ御座所(ざしよ)に居()ゑ小なるハ人に負(おハ)すとぞ太田道潅(おほたたうくハん)か義政(よしまさ)(こう)の問(とひ)に應(おう)ぜし哥(うた)に√矢()を指(さし)て左右(さいう)に弓(ゆミ)をてうとかけ奥(おく)の習(ならひ)ハ家(いへ)によるべきと云云。〔93ウ五〜94ウ四〕

とあって、標記語「御調度懸人」の語を収載し、その語注記は、「調度懸ハ弓矢(ゆミや)を納(いる)る器(うつハ)也。其制数種(すしゆ)あり。但し大なるハ御座所(ざしよ)に居()ゑ小なるハ人に負(おハ)すとぞ太田道潅(おほたたうくハん)か義政(よしまさ)(こう)の問(とひ)に應(おう)ぜし哥(うた)に√矢()を指(さし)て左右(さいう)に弓(ゆミ)をてうとかけ奥(おく)の習(ならひ)ハ家(いへ)によるべきと云云」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Giodogaqe.ヂョウドガケ(調度懸) Yeboxino caqeuo.(烏帽子の懸緒)一種のつばなし帽子〔烏帽子〕を顎の下で結びつけるための紐.※原文はbarretes.〔Yeboxiの注〕.〔邦訳318r〕

とあって、標記語「調度懸」の語の意味は「一種のつばなし帽子〔烏帽子〕を顎の下で結びつけるための紐」としていて、意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

てうど-がけ〔名〕【調度懸】(一)弓矢を懸け飾る具。弓、二張を左右に並べ立て、其中央に、箙を飾り付けたるもの。調度持。貞丈雜記、十一、武具之部「弓矢を立て置く道具に、調度掛と云ふ道具あり、云云、太田道灌の歌に、矢をさして、左右に弓を、調度がけ、奥のならひは、家によるべし」(二)主君、他行の時、其調度(弓矢)を肩にかけて、持ちて從ふ役。今昔物語集、廿六、第十七語「利仁が供にも、調度がけ一人、舎人男一人ぞありける」吾妻鏡、廿、建暦二年正月十九日「將軍家御參鶴岡八幡宮、云云、召大須賀四郎胤信、被可懸御調度(三)朝廷の儀式の時、弓矢を持ちて列する役。〔1350-3〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ちょうど-がけ調度懸】〔名〕(古くは「ぢょうどがけ」とも)@平安時代、朝廷で儀式の時に弓矢を帯して供奉(ぐぶ)した役。A武家の職名。主君の外出の際など、その矢を負い、弓を持って供奉する役職。弦巻を胸に当て胡?(やなぐい)を負う。調度持。調度の役。B江戸時代、弓矢を飾り懸(か)けて置いた台。中央の作りつけの箙(えびら)に矢を立て、その左右に弓二張を並び立てて置いたもの。C「ちょうずがけ(頂頭懸)@」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
和田左衛門尉、等供奉梶原左衛門尉、役御劔橘右馬允公長、懸御調度河勾七郎、著御甲《訓み下し》和田ノ左衛門ノ尉、等供奉ス。梶原ノ左衛門ノ尉、御剣ヲ役ス。橘ノ右馬ノ允公長、御調度懸。河勾ノ七郎、御甲ヲ著ス。《『吾妻鏡』建久二年七月二十八日の条》
 
 
2004年02月21日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
役人(ヤクニン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、元亀二年本と静嘉堂本は「役者(ヤクシヤ)。役所(ヤクシヨ)」の2語を収載するだけで、熟語標記語としては未収載であるが、単漢字「役」の熟語群として、

―人。〔元亀二年本205五〕

(ヤク) ―人。〔静嘉堂本233二〕

(ヤク) 。〔天正十七年本中45ウ八〕

と記載する。これに対し、天正十七年本は、上記の語の他として、

役人(ヤクニン) 。〔天正十七年本中44オ七〕

とあって、標記語「役人」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「役人」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

役人(ヤクニン) 。〔・態藝門74四〕

とあって、標記語「役人」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

役人(ヤクニンツカイ、ジン・ヒト)[去・平] 。〔態藝門556二〕

とあって、標記語「役人」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

役人(ヤクニン) 。〔・人倫門165七〕

(ヤク) ―者/―人・人倫門135五〕

役者(ヤクシヤ) ―人。〔・人倫門124四〕

とあって、弘治二年本が標記語「役人」の語を収載し、他本は熟語群として収載する。また、易林本節用集』には、

役者(ヤクシヤ) ―人(ニン)。〔言語門136六〕

とあって、標記語「役者」の冠頭字「役」の熟語群として「役人」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「役人」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「役人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御帶刀(ハカせ)(ヤク)-(ニン)トハ御太刀ヲ提(ヒツサ)ゲテ御供申人ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「帶刀」とし、語注記は「御太刀を提(ヒツサ)げて御供申す人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)御帶刀役人御太刀の役なり。〔71オ七〕

とあって、この標記語「役人」の語を収載し、語注記は、「御太刀の役なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「役人」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yacunin.ヤクニン(役人) 何か役目にたずさわる人一般を言う.〔邦訳806r〕

とあって、標記語「役人」の語の意味は「何か役目にたずさわる人一般を言う」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やく-にん〔名〕【役人】(一)役目ある人。官職を有する人。官人。官員。官吏。役員。有司平家物語、三、公卿揃事「餘りに人多く參りつどひ、云云、役人ぞ、あけられ候へとて、云云」(二)やくしゃ(役者)の條の(二)に同じ。松風村雨束帯鑑(元禄、近松作)五、「猿の役人、面押取って捨てければ、恒寂僧都顕れ出で」〔2032-3〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「やく-にん役人】〔名〕@役目のある人。役を受け持ってする人。役員。係の者。A官職に就いている人。公務に従事している人。官人。吏員。公務員。B芸能で、役をつとめる人。役者。俳優。また、囃子方(はやしかた)などを含めていうこともある。出演者。C江戸時代、田畑・屋敷を所持し、一軒前の夫役(労役)、すなわち本役を負担する者。近世初頭における農村構成の中心をなす。役屋。D疱瘡(ほうそう)にかかった人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
崩御當日之刻、御入棺、澄憲僧正、靜賢法印爲役人《訓み下し》崩御ノ当日ノ刻(時)、御入棺ハ、澄憲僧正、静賢法印(ヤク)タリ。《『吾妻鏡』建久三年三月二十六日の条》
 
 
2004年02月20日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
帶刀(はかせ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

帶刀(ハカせ) 。〔元亀二年本26三〕〔天正十七年本上13オ五〕〔西來寺本〕

帶刀(ハキダチ) 。〔静嘉堂本24四〕

とあって、標記語「帶刀」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-帶刀(ハカせ)-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行帶刀(ハカせ)役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「帶刀」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「帶刀」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

帶刀(ハカせ/タイタウ・ヲビ、カタナ)[去・平] 太刀名也。〔器財門59四〕

とあって、標記語「帶刀」の語を収載し、訓みを「はかせ」とし、語注記は「太刀の名なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

帶刀(ハカせ) 太刀名。〔・財宝門21五〕

帶刀(ハカせ) 太刀名。〔・財宝門19二〕

帶刀(ハカせ) 太刀之名。〔・財宝門17六〕〔・財寳門21七〕

とあって、標記語「帶刀」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承して「太刀の名」と記載する。また、易林本節用集』には、標記語「帶刀」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「帶刀」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「帶刀」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

帶刀(ハカせ)(ヤク)-(ニン)トハ御太刀ヲ提(ヒツサ)ゲテ御供申人ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「帶刀」とし、語注記は「御太刀を提(ヒツサ)げて御供申す人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)帶刀役人御太刀の役なり。〔71オ七〕

とあって、この標記語「帶刀」の語を収載し、語注記は、「御太刀の役なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-。▲御帶刀役人ハ太刀持(たちもち)也。〔52オ六〜52ウ六〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲御帶刀役人ハ太刀持(たちもち)也。〔93ウ五〜94ウ二・三〕

とあって、標記語「帶刀」の語を収載し、その語注記は、「御帶刀の役人は、太刀持(たちもち)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vonpacaxe.ヲンパカセ(御帶刀) 公方(Cubo<)などのような貴人の刀(Catana).〔邦訳715l〕

とあって、標記語「帶刀」の語の意味は「公方(Cubo<)などのような貴人の刀(Catana)」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はか-〔名〕【佩刀】又、はかし。佩き給ふ刀。大將の用に云ふ。後に、又、一種の製のもの起り、儀式の用とす。書言字考節用集、七、器財門「帶刀、ハカセ」謡曲、正尊「御佩刀を取って、靜靜と中門の廊に出で給ひ」〔1564-5〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はか-佩刀】〔名〕「はかし(佩刀)」の変化した語。多く「御」をのせて用いる。→おんはかせ・みはかせ。*文明本節用集(室町中)「帶刀 ハカセ 太刀名也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
但無御許容歟、隨而此所、先之補帶刀長惟信者也《訓み下し》但シ御許容無カランカ。随テ此ノ所ハ、之ヨリ先帯刀(タテワキ)ノ長惟信ニ補セラルル(補セラルル)者ナリ。《『吾妻鏡』元久二年九月二十日の条》
 
 
2004年02月19(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(つら・なる)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

(ツラナル)()綿()()() 。〔元亀二年本161二〕〔天正十七年本中20オ一〕

(ツラナル)()綿()?()() 。〔静嘉堂本177三〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ツラヌ 貫般矢噛・・・・〔下略〕。〔黒川本・辞字門中26オ六〕

ツラナル/ツラヌ六連―綿不縫也 陳麗六離/魚―・・・・〔下略〕。〔卷四・辞字門603二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ツルヽ・ツラナルレン)[平](同/レツ)[入] 。〔態藝門423三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ツタナル」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ツラナル)()() 。〔・言語進退門128八〕

(ツラナル) 聯。。〔・言語門106一〕〔・言語門96五〕〔・言語門118四〕

とあって、弘治二年本が標記語「」の語は「連・聯」と同列表記で収載し、他本は標記語冠頭字「連」の同語異表記として「」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

(ツラナル)()() 。〔言語門106四〕

とあって、標記語「」の語は「連・聯」と同列表記で収載し、印度本系統の弘治二年本節用集』に共通する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

前後之隨兵(スイビヤウ)(ツガ)ヒ上下左右刀帶(タテワキ)(ツラナ)ル前後ノ隨兵ハ物具()結構(ケツコウ)ニ拵(コシ)ラヘタル武者(ムシヤ)ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「」とし、訓みを「つらなる」にして語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

左右(さゆう)帶刀(たてわき)二行(にぎやう)(れつ)左右帶刀二行隨兵帶刀前後左右に立並んて御門外より若宮まて打つゝき非常のいましめとす。きわめて嚴重乃さまをいえるなり。〔71オ五〜六〕

とあって、この標記語「」の語を収載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)(つらな)(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「つらなり」にしてその語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcuranari,u,atta.ツラナリ,ル,ッタ(連・列なり,る,つた) 物がひとつらなりになる,あるいは,順序に並ぶ.例,Zani tcuranaru.(座に列なる)順序に従って座敷(Zaxiqui)に坐る.§Ichimonni tcuranaru fito.(一門に連なる人)ある一族と親族関係にある人,あるいは,その血統,血族に属する人.〔邦訳634r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「物がひとつらなりになる,あるいは,順序に並ぶ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つら-ル・レ・ラ・リ・レ〔自動、四〕【連・・陳】〔列成(つらな)るの義〕一列にそろふ。ならびつづく。列をなす。新葉集、二、春・下「住の江の、松もさかゆく、色見えて、連なる枝に、かかる藤枝」新千載集、十七、雜・中「軒ちかき、竹のそのふの、世世の風、つらなる枝に、吹きぞつたへむ」拾遺員外、上「君が代に、「よろづ代めぐれ、をとめごが、つらなる庭の、いざよひの月」〔1336-1〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「つらな-【連・】[]〔自ラ四(五)〕@一列にならびつづく。列をつくる。他につづいて並ぶ。列席する。Aつながる。連続する。連繋する。仲間に加わっている。Bつれだつ。共に行く。C合わさる。接合する。一つになる。Dそのことに関係する。関係が及ぶ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
後之輩、不能發矢、悉以逃亡酉尅梟彼頸於冨士野傍伊堤之邊〈云云〉《訓み下し》後ニ(ツラ)ナルノ輩ハ、矢ヲ発ツコト能ハズ、悉ク以テ逃亡ス。酉ノ剋ニ彼ノ頸ヲ富士野ノ傍ラ伊堤ノ辺ニ梟クルト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年十月十四日の条》
 
 
2004年02月18(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
二行(ニギャウ・ニガゥ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「尓」部に、標記語「二行」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「二行」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「二行」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「二行」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「二行」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

二行トハ二并ニ行事也。是ハ小太刀ヲウチツケ/\帶キ裏打ニテ御供せラルヽナリ。小番(ハン)ノ衆ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「二行」とし、語注記は「二た并びに行ふ事なり。是れは、小太刀をうちつけ/\帶き裏打ちにて御供せらるるなり。小番(ハン)の衆なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

左右(さゆう)帶刀(たてわき)二行(にぎやう)に列(れつ)左右帶刀二行隨兵帶刀前後左右に立並んて御門外より若宮まて打つゝき非常のいましめとす。きわめて嚴重乃さまをいえるなり。〔71オ五〜六〕

とあって、この標記語「二行」の語を収載し、語注記は、「隨兵帶刀前後左右に立並んで御門外より若宮まで打つづき非常のいましめとす。きわめて嚴重のさまをいえるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ二〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「二行」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nigo<.ニガゥ(二行) すなわち,Sayu<.(左右)両方の側,すなわち,右側と左側と.§Nigo<ni tcuranaru.(二行に列なる)両側に列をなして,または,順序に従って坐る.文書語.〔邦訳464r〕

とあって、標記語「二行」の語の意味は「すなわち,Sayu<.(左右)両方の側,すなわち,右側と左側と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-ぎょう二行】〔名〕@二つの列。*紫式部日記(1010年頃か)寛弘五年九月一三日「にしのひさしは上達部の座、北をかみにて二行に」*浄瑠璃・国性爺合戦(1715年)千里が竹「何左衛門何兵衛、太郎次郎十郎迄面々が国所、頭字に名乗り二行に立ってほったてろ」*墨汁一滴(1901年)<正岡子規>六月一五日「二行三行のセンテンスは暗記する事も容易でなかった位に英語が分からなかった」A悟りを得るための直接的な本来の行である正行とそれを助長する間接的な行である助行の二つ。または正行とその準備となる修行としての加行(けぎょう)の二つ。また、浄土教では阿彌陀仏を対象にした正行に対し、阿彌陀仏以外の仏を対象にした雑行(ぞうぎょう)を立てて、正雑二行という。*末燈鈔(1333年)八「二行(ニギャウ)といふは、一には正行、二には雑行なり」*恩讐の彼方に(1919年)<菊池寛>三「二行彬々として豁然智度の心萌し、天晴れの智識となり済むした」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
寝殿之後、御共輩參侍所、〈十八箇間〉二行對座、《訓み下し》寝殿ニ入御ノ後、御共ノ輩侍所ニ参ジ、〈十八箇間〉二行ニ対座ス。《『吾妻鏡』治承四年十二月十二日の条》
 
 
2004年02月17(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(は・き)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

(ハク) 太刀。〔元亀二年本35十〕〔静嘉堂本38三〕〔天正十七年本上19ウ八〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ハク/テイ・ヲビ)[去]太刀又要(ハク)。〔態藝門84四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「太刀を帯く。また、要(ハク)」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ハク) 皮。―太刀/―靴。〔・言語進退門22八〕

(ハク) 釼。沓。〔・言語門24二〕

(ハク) ―釼/沓。〔・言語門21四〕

(ハク) 剣/―沓。〔・言語門25五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、弘治二年本が語注記に「皮を帯く。太刀を帯く。靴を帯く」と記載し、他本は「釼を帯く。沓(を帯く)」と記載する。また、易林本節用集』には、

(ハク) 太刀。〔言語門24三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「太刀」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀(ハキ)-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

前後之隨兵(スイビヤウ)(ツガ)ヒ上下左右刀帶(タテワキ)(ツラナ)ル前後ノ隨兵ハ物具()結構(ケツコウ)ニ拵(コシ)ラヘタル武者(ムシヤ)ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「刀帶」とし、訓みを「たてわき」にして語注記は「前後の隨兵は、物具()結構(ケツコウ)に拵(コシ)らへたる武者(ムシヤ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

左右(さゆう)帶刀(たてわき)二行(にぎやう)に列(れつ)左右帶刀二行隨兵帶刀前後左右に立並んて御門外より若宮まて打つゝき非常のいましめとす。きわめて嚴重乃さまをいえるなり。〔71オ五〜六〕

とあって、この標記語「帶刀の語を収載し、訓みを「たてわき」にして語注記は、「隨兵帶刀前後左右に立並んで御門外より若宮まで打つづき非常のいましめとす。きわめて嚴重のさまをいえるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「帶刀」の語を収載し、訓みを「たてわき」にしてその語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Faqi,u.ハキ,ク(穿・履・佩き,く,いた) 履く.例,Tabiuo faqu.(単皮を穿く)単皮(Tabis)をはく.§Tachiuo faqu.(太刀を佩く)太刀を腰に佩用する.→Cataxigataxi;Guegue.〔邦訳206r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「履く.§Tachiuo faqu.(太刀を佩く)太刀を腰に佩用する」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔他動、四〕【佩・】(一){すべて身に着く。腰に着く。帶ぶ。わきばさむ。差す。書言字考節用集、八、言辭門「要、要刀也(出文選)、佩、帶、著(著沓)履(同上)、ハク」~代紀、上22「臂著(ハキ)稜威之高鞆應~即位前紀「肖皇太后爲雄装之負(ハキ)上レ鞆、故稱其名、謂譽田天皇垂仁紀、八十八年七月「刀子、云云、自(ハケリ)之」萬葉集、十一26「劔刀、身に佩そふる、ますらをや、戀ちふものを、しぬびかねてむ」「太刀を佩く」、(二)腰より下部に着く。着せ被ふ。着()る。穿着「袴をはく」脛巾(はばき)をはく」足袋をはく」沓をはく」〔1568-3〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-【佩・・著・履く・穿】[]〔他カ五(四)〕[一]身に着ける。装着する。@腰につける。帯びる。さす。また、身につける。特に、太刀、矢などを身に帯びる。A服、袴、足袋、くつなどを身につける。腰、腿(もも)、足などを覆う衣類を身につける。うがつ。つける。[二]弓に弦をつける。弦を装置する。[]〔他カ下二〕@腰につけさせる。帯びさせる。また、身につけさせる。A弓に弦をつける。弦を張る。[補注](1)下二段活用の例は四段活用に対してむしろ使役的である。(2)()(一)Aの万葉例「波気」の「気(け)は、乙類音を表すので、本来は下二段活用であるが、方言的な違例とみて、四段活用の例とした。万葉集の東歌には「け」甲類が「け」乙類になっている例はないので下二段活用とする説もある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
公朝〈白平礼襖劒〉參御所、《訓み下し》公朝〈白キ平礼ノ襖(白襖平礼)剣ヲ()〉御所ニ参ル。《『吾妻鏡』文治五年六月六日の条》
 
 
2004年02月16(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
左右(サイウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

左右(サイウ) 。〔元亀二年本270十〕

左右(サユウ) 。〔静嘉堂本309三〕

とあって、標記語「左右」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)--太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「左右」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「左右」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

左右(サウヒダリ、ユウ・ミギリ)[上去・上去] 案内義也。〔態藝門789四〕

とあって、標記語「左右」の語を収載し、訓みを「サウ」または「サユウ」とし、語注記は「案内義なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

左右(サウ) 案内義。〔・言語進退門215二〕

左右(サイウ) ―道(タウ)。―礼(ザレ)戯義。―遷(せン)。〔・言語門178二〕

左右(サイウ) ―道。―礼戯義。―?。〔・言語門167三〕

とあって、弘治二年本には広本節用集』の語注記を継承していて、他本を含め標記語「左右」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

左傳(サデン) 本也/―道(タウ)。〔言語門181六〕

とあって、標記語「左右」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「左右」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「左右」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

前後之隨兵(スイビヤウ)(ツガ)ヒ上下左右刀帶(タテワキ)(ツラナ)ル前後ノ隨兵ハ物具()結構(ケツコウ)ニ拵(コシ)ラヘタル武者(ムシヤ)ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「左右」とし、語注記は「前後の隨兵は、物具()結構(ケツコウ)に拵(コシ)らへたる武者(ムシヤ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

左右(さゆう)帶刀(たてわき)二行(にぎやう)に列(れつ)左右帶刀二行隨兵帶刀前後左右に立並んて御門外より若宮まて打つゝき非常のいましめとす。きわめて嚴重乃さまをいえるなり。〔71オ五〜六〕

とあって、この標記語「左右」の語を収載し、語注記は、「隨兵帶刀前後左右に立並んで御門外より若宮まで打つづき非常のいましめとす。きわめて嚴重のさまをいえるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「左右」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sayu<.サイウ(左右) So<(左右)に同じ.Fidari,migui.(左,右)左の方と右の方と.〔邦訳566r〕

とあって、標記語「左右」の語の意味は「左の方と右の方と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-いう〔名〕【左右】(一)ひだりと、みぎと。左右(サウ)孟子、梁惠王、下篇「王顧左右而言他」(二)左右に居る者。近侍の臣。孟子、梁惠王、下篇「左右皆曰賢、未可也、諸大夫皆曰賢、未可也、國人皆曰賢、然後察之」集註、「左右、近臣」鄒陽、獄中上梁王書「秦信左右而亡」(三)年齢の、其前後にあること。あとさき。おっつかっつ。左傳、僖公四年、杜注「六十左右時、子在十歳(四)かにかくにの條を見よ。〔0753-5〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-いう左右】〔名〕@ひだりとみぎ。左側と右側。また、左翼と右翼。A(―する)左や右にうごくこと。B(―する)そば。かたわらにあること。また、そば近く仕え補佐すること。または、その人。側近。C(数を表わす漢語のあとに付いて)その数に近いこと。特に年齢などがその前後であることを表わす。前後。D(―する)態度をあいまいにすること。その場その場でことばを変えること。言いのがれすること。E(―する)どちらかに決断すること。また、その決定。どういうものかがはっきりすることをもいう。F(―する)自分の自由にすること。支配すること。G能や狂言の舞の型の一つ。左方へ左手を低くそえて、数歩出る所作」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一旦之志、無左右、被仰含密事於彼輩條、依今日不參、頻後悔、令勞御心中給〈云云〉《訓み下し》一旦ノ志ヲ感ジ、左右無ク、密事ヲ彼ノ輩ニ仰セ含メラルルノ条、今日不参ニ依テ、頻ニ後悔セラレ、御心中ヲ労ラシメ給フト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年八月十六日の条》
 
 
「番(つがひ)ことばの溜池(2003.09.27)「上下(ジャウゲ)ことばの溜池(2002.01.13)を参照。
 
2004年02月15(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
隨兵(ズイヒャウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

隨兵(ヒヤウ) 。〔元亀二年本359三〕

隨兵 。〔静嘉堂本437二〕

とあって、標記語「隨兵」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前----太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-(スイ)-(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「隨兵」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

隨兵(ズイヒヤウ) 。〔人倫門40三〕

とあって、標記語「隨兵」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

隨兵(ズイビヤウシタガウ、ヘイ・ツワモノ)[平・平] 。〔態藝門1127三〕

とあって、態藝門に標記語「隨兵」の語を収載し、訓みを「ズイビヤウ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

隨兵(ズイビヤウ) 。〔・人倫門268六〕

―兵(ビヤウ)/―人(ジン)。〔・人倫門230一〕

隨兵(ズイビヤウ) ―人。〔・人倫門216一〕

とあって、『下學集』と同じく人倫門に標記語「隨兵」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

隨身(ズイジン) ―兵(ヒヤウ)。〔官位門238五〕

とあって、官位門に標記語「隨身」の冠頭字「隋」の熟語群として「隨兵」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「隨兵」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後隨兵(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「隨兵」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

前後隨兵(スイビヤウ)(ツガ)ヒ上下左右刀帶(タテワキ)(ツラナ)ル前後ノ隨兵ハ物具()結構(ケツコウ)ニ拵(コシ)ラヘタル武者(ムシヤ)ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「隨兵」とし、語注記は「前後の隨兵は、物具()結構(ケツコウ)に拵(コシ)らへたる武者(ムシヤ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

前後(せんこ)隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)前後隨兵上下隨兵とハ御供に隨ふ武士をいふ也。〔71オ四〜五〕

とあって、この標記語「隨兵」の語を収載し、語注記は、「隨兵とは、御供に隨ふ武士をいふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後隨兵上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-▲隨兵帶刀いつれも御供(とも)に随(したか)ふ武士(ぶし)也。〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲隨兵帶刀いづれも御供(とも)に随(したが)ふ武士(ぶし)なり。〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「隨兵」の語を収載し、その語注記は、「隨兵帶刀いづれも御供(とも)に随(したが)ふ武士(ぶし)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zuibio<.ズイビャゥ(随兵) 主君が引率している兵士や軍勢.〔邦訳844r〕

とあって、標記語「隨兵」の語の意味は「主君が引率している兵士や軍勢」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ずゐ-ひゃう〔名〕【隨兵】(一)供に連るる兵士(つはもの)。從兵。(二)將軍出行の時、前後を警衞する兵士。庭訓往來、八月「前後隨兵、番上下、左右帶刀、列二行〔1074-2〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ずい-ひょう隨兵】〔名〕(古くは「ずいびょう」)@供につれる兵士。随行の兵士。A平安末期から鎌倉時代にかけて、検非違使したがって出行する甲装騎馬の兵士。B中世、将軍や貴人の出行や神輿渡御の時に武装して騎馬でその前後を警護した武士。ずいへい」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
鶴岳放生會也二品御參宮、小山七郎朝光、持御劒佐々木三郎盛綱、著御甲榛谷四郎重朝懸御調度此外隨兵以下供奉人、列前後《訓み下し》鶴岡ノ放生会ナリ。二品御参宮、小山ノ七郎朝光、御剣ヲ持ツ。佐佐木ノ三郎盛綱、御甲ヲ著ス。榛谷ノ四郎重朝。御調度ヲ懸ク。此ノ外随兵(ズイヒヤウ)以下ノ供奉人、前後ニ列ス。《『吾妻鏡』建久元年八月十五日の条》
 
 
2004年02月14(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
前後(ゼンゴ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、「前代。前住。前業(ゴウ)。前因(イン)。前非()。前生(シヤウ)。前書。前兆(テウ)。前證。前月(ゲツ)。前年。前日。前夜。前宵(せウ)。前朝(テウ)。前夕(せキ)。前判。前刻(コク)。前堂(ダウ)禅家。前板(ハン)。前栽(ザイ)。前水(スイ)」(静嘉堂本のみ収載)の語を収載し、標記語「前後」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

門外前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

自門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

自門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

---兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

--之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「前後」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「前後」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

前後(せン/マヱ、コウ・ノチ)[平・去] 。〔態藝門1088五〕

賢愚(ケング)(トモ)ニ零落(レイラク)貴賎(キせン)(ヲナジ)ク埋没(マイホツ)ス東岱(トウタイ)ノ前後(ぜンゴ)ノ(コン)北亡(ホクバウ)新舊(シンキユウ)ノ(ホネ)白氏文集。〔態藝門609五〕

とあって、標記語「前後」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

前後() 。〔・言語進退門265四〕

前表(ぜンベウ) ―世()―後()/―非()。―代(ダイ)未聞(ミモン)。〔・言語門226七〕

前表(センベウ) ―世。―後。―非/―代未聞。〔・言語門213五〕

とあって、弘治二年本が標記語「前後」の語を収載し、他本は標記語「前表」の冠頭字「前」の熟語群として「前後」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

前後(ぜンゴ) ―住(チウ)。―世()。―業(ゴウ)。―代(ダイ)未聞(ミモン)。―宵(せウ)。〔言語門235六〕

とあって、標記語「前後」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「前後」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「前後」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

前後之隨兵(スイビヤウ)(ツガ)ヒ上下左右刀帶(タテワキ)(ツラナ)ル前後ノ隨兵ハ物具()結構(ケツコウ)ニ拵(コシ)ラヘタル武者(ムシヤ)ナリ。〔下25ウ四〕

とあって、この標記語「前後」とし、語注記は「前後の隨兵は、物具()結構(ケツコウ)に拵(コシ)らへたる武者(ムシヤ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)前後之隨兵番上下隨兵とハ御供に隨ふ武士をいふ也。〔71オ四〜五〕

とあって、この標記語「前後」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「前後」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iengo.ゼンゴ(前後) Maye,vxiro.(前,後)すなわち,Ato saqi.(あとさき)正面と背後と,または,時間的に前と後と.§Iengo sayu<ni banuo voqu.(前後左右に番を置く)あらゆる方向に番人を置く.§Iengo sayu<ni banuo voqu.(前後左右に番を置く)あらゆる方向に番人を置く.§Iengouo bo<zuru.(前後を忘ずる)すなわち,Atosaqiuo vasururu.(あとさきを忘るる) 何もかもわけがわからなくなる.§Ienguuo voboyezu,l,xiranu.(前後を覚えず,または,知らぬ)同上.→Arasoi,o>;Vaqimaye,uru;Xiri,ru.〔邦訳357l〕

とあって、標記語「前後」の語の意味は「Maye,vxiro.(前,後)すなわち,Ato saqi.(あとさき)正面と背後と,または,時間的に前と後と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぜん-〔名〕【前後】まへと、うしろと。さきと、のちと。あとさき。先後。老子、第二章「前後相隨」左傳、隠公九年「衷戒師前後之」宇津保物語、藏開、中17「酒を強ひて賜び侍りつるに、前後も知らでなん」〔1122-2〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぜん-前後】〔名〕(古くは「せんご」とも)@ある場所を境にして、そのまえとうしろ。また、ある物体の前とうしろ。先後(せんご)。あとさき。A時間的なあとさきをいう。イ時間の流れやある物事の推移の一時点を境にしてそのまえとあと。あるときを中心とした一連の状況。また、物事の順序。先後。あとさき。ロ(副詞的に用いて)時間的に、あとにもさきにも、あることの以前にも以後にも。B書物などの前編と後編。また、ひと続きのものの初めから終わりまで。C(―する)順序が逆になること。あとさきになること。また、相違すること。D(―する)あいだをあまり置かないで続くこと。相次ぐこと。続くこと。E物の数、年代、時間、年齢を表わす語や数字について、それに近いことを示す語。ぐらい。ころ。内外。絡(がらみ)。[補注]『平家物語』一〇・内裏女房に「小八葉の車に先後(ゼンゴ 高良本ルビ)の簾をあげ、左右の物見をひらく」の例があり、「先後」を用いることもあった」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此外隨兵以下供奉人、列前後《訓み下し》此ノ外随兵以下ノ供奉人、前後ニ列ス。《『吾妻鏡建久元年八月十五日の条》
 
 
2004年02月13(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
門外(モングワイ)・門前(モンゼン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、「門葉(モンユウ)。門徒()。門弟(デイ)。門役(ヤク)。門守()。門派()。門跡(ぜキ)。門下()。門中(ヂウ)。門扇(せン)」の10語を収載するが、標記語「門外」と「門前」の両語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈従之〔至徳三年本〕

門外者前後隨兵番上下左右刀帶列二行御帶刀役人御調度懸人相並弓手妻手扈從之〔宝徳三年本〕

門外前後隨兵番上下左右之刀帯列二行御帯刀役人御調度懸相並弓手妻手扈從之〔建部傳内本〕

-者前--兵番--太刀帯(ハキ)-御帶刀(ハカせ)ノ-人御調度懸‖-弓手妻手‖-(コせウ)〔山田俊雄藏本〕

門外前後隨兵番(ツガ)ヒ上下-右之太刀帯(ハカせ)(ツラ)ナリ二行御帶刀(ハカせ)ノ役人御調度(チウツ)‖-(ナラン)テ弓手(ユンテ)妻手(メテ)ニ‖-(コジウ)〔経覺筆本〕

-者前-之隨(スイ)-兵番(ツカイ)-下左-太刀(タチ)(ハキ)(ツラナル)-(カウ)御帶刀(ハカせ){御博士(ハカせ)ノ}ノ(ヤク)-(ニン)御調(テウ)-()(カケ)(アヒ)‖-(ナラヒ)弓手(ユンテ)妻手(メテ)扈從(コシヨウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「門外」「門前」の両語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「門外」「門前」の両語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

門外(モングワイカド、ホカ)[平・去] 。〔態藝門1071八〕

門前(モンぜンカド、マヱ)[平・平] 。〔態藝門1071八〕

とあって、標記語「門外」「門前」の両語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「門外」「門前」の両語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

門流(モンリウ) ―派()―外(グワイ)―前(ぜン)。―葉(ヨフ)。/閉(トツ)―戸()。―下生(カせイ)。―内(ナイ)。〔言語門230七〕

とあって、標記語「門流」の語を収載し、冠頭字「門」の熟語群として「門外」「門前」の両語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』及び易林本節用集』に「門外」「門前」の両語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』に見えている語となっている。また、『下學集』、『運歩色葉集』そして印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』にはこの両語とも未収載としている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「門前」の語を収載し、語注記は未記載にする。ここで、「門外」から「門前」に置換されたのかが問われるのである。なぜ、真字本『庭訓往来註』だけがこうした異なりをしているのか考えておく必要があろう。因みに、天理図書館藏『庭訓徃來註』・東大図書館蔵『庭訓往来古註も同じく「門前」と表記するものである。そして、東洋文庫蔵『庭訓之抄』は、「門前(クワイ)」と表記は上記古注と同じであるが、訓みを「(モン)グワイ」と記す。次に静嘉堂文庫蔵『庭訓往来抄』・国会図書館藏『左貫注庭訓』は、古写本同様「門外」と表記している。諸本間にあって崩し字の「外」と「前」の読み取りの過程が茲に反映されていることになる。

 古版庭訓徃来註』では、

新調(シンテウ)之美麗(ビレイ)ヲリハ門外トハ今度ヲハレト出立ナリ。〔下25ウ三〕

とあって、この標記語「門外」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

門外(もんぐわい)(より)()リハ門外御所の門外より若宮迄の路傍の事をいふなり。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「門外」の語を収載し、語注記は、「御所の門外より若宮迄の路傍の事をいふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)門外(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗門外前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)門外(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「門前」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Monguai.モングヮィ(門外) Cadono foca.(門の外)門,あるいは,玄関の外.→Saxitcudoi,o>.〔邦訳419r〕

Monjen.モンゼン(門前) Cadono maye.(門の前)門の前.§また,寺(tera),すなわち,寺院の門外にある家々.§Monje~ni ichiuo nasu.(門前に市を成す)門のあたりに大勢の人々が集まり,大にぎわいをし,騒ぎたてる.〔邦訳420l〕

とあって、標記語「門外」の語の意味は「(門の外)門,あるいは,玄関の外」とし、「門前」語の意味は「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

もん-ぐゎい〔名〕【門外】(一)もんのそと。禮記、昏義篇「主人筵几於廟、而拝迎門外(二)物事の範圍外。專門以外。〔2017-2〕

もん-ぜん〔名〕【門前】(一)門(かど)の前(まへ)杜甫、秦州雜詩「車馬何簫索、門前百草長」門前市を成すとは、出入するもの甚だ多くして、賑はふ意。盛衰記、三十九、頼朝重衡對面事「兵衛左と三位中將と對面あるべきの由披露あり、大名小名門前市」戰國策、齊策「羣臣進諫、門庭市」門前雀羅を張るとは、訪ふ人なく、門前に雀を捕ふる羅(あみ)を張り得るほどさびしとの意。(雀羅(じやくら)の條、參見せよ) 夫木抄、三十二、門「ひきかへて、すすみ(めぃ)のあみを、かけてけり、こや市を成す、門とみえけり」〔2018-1〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「もん-がい門外】〔名〕@門のそと。門よりそとのところ。A専門以外であること。その物事の範囲外であること」と標記語「もん-ぜん門前】〔名〕@門のまえ。門のあたり。A江戸時代、酒店の隠語で、値がつくままにどんどん売ってゆくこと」とあって、両語とも『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
及晩、導師退出至門外之程、更召返之、世上無爲之時、於蛭嶋者、爲今月布施之由、仰覺淵《訓み下し》晩ニ及デ、導師退出ス。門外ニ至ルノ程ニ、更ニ之ヲ召シ返シ、世上無為ノ時、蛭島ニ於テハ、今日ノ布施タルノ(タルベキノ)ノ由、覚淵ニ仰セラル。《『吾妻鏡』治承四年七月五日の条》
義澄、參門前、以堀藤次親家、申祐親法師自殺之由《訓み下し》義澄、門前ニ参ジ、堀ノ藤次親家ヲ以テ、祐親法師自殺ノ由ヲ申ス。《『吾妻鏡』養和二年二月十五日の条》
 
 
2004年02月12(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
美麗(ビレイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、「美物(ビブツ)。美人(ジン)。美()(ナン)。美女(ジヨ)。美少(せウ)。美鬚。美食(シヨク)。美相(サウ)。美酒(シユ)」の語を収載するが、標記語「美麗」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)美麗(ヒレイ)〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

美麗(ヨ ハウ) 同(人倫分)/ヒレイ。〔黒川本・疉字門下93ウ一〕

美麗 〃服。〃膳。〃女。〃物。〃菜。〃人。〃材。〃景。〃悪。〃食。〔卷第十・疉字門364一〕

とあって、標記語「美麗」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「美麗」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

美麗(ビレイカホヨシ、ウルワシ・ウツクシ)[上・平] 容顔――。〔態藝門1040三〕

容顔美麗(ヨウガンビレイ/カタチ、カホ、イツクシ、ウルワシ)[平・平・上・去] 。〔態藝門318五〕

とあって、標記語「美麗」の語を収載し、語注記は熟語の「容顔美麗」を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

美麗(ヒレイ) 。〔・言語進退門257一〕

美相 ―麗(レイ)。―敷/―好。〔・言語門218四〕

美相 ―麗。―敷/―好。〔・言語門203六〕

とあって、弘治二年本が標記語「美麗」の語を収載し、他本は標記語「美相」の冠頭字「美」の熟語群として「美麗」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

美談(ビダン) ―麗(レイ)。―景(ケイ)/――(ビヾ)(シク)。―名(メイ)。〔言語門190五〕

とあって、標記語「美談」の語を収載し、冠頭字「美」の熟語群として「美麗」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「美麗」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「美麗」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

新調(シンテウ)美麗(ビレイ)リハトハ今度ヲハレト出立ナリ。〔下25ウ三〕

とあって、この標記語「美麗」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)新調之美麗新調ハ今新敷(あたらしく)作りたるを云。美麗ハ見事成事也。此二句あるひハ古物(こぶつ)の得かたきを用ひあるひハ新作(しんさく)のはなやかなるを用ひておの/\派手(はで)を尽(つくす)をいふ也。〔71オ二〜三〕

とあって、この標記語「美麗」の語を収載し、語注記は、「美麗は、見事成る事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ一〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94オ二〕

とあって、標記語「美麗」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Birei.ビレイ(美麗) Vtcucuxu> vruuaxij.(美しう麗しい)美しさ,きれいさ.〔邦訳57r〕

とあって、標記語「美麗」の語の意味は「美しさ,きれいさ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-れい〔名〕【美麗】うるはしきこと。きれい。戰國策、齋策「城北徐公、齋國之美麗者也」漢書、薫賢傳「賢傳漏在殿下、爲人美麗自喜、哀帝望見、説其儀貌述異記(梁、任ム)「武都丈夫、化爲女子顔色美麗、蓋山之精也」〔1713-4〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-れい美麗】〔名〕(形動)美しいこと。うるわしくあでやかなこと。また、そのさま」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
胤實平者、不分清濁之武士也謂所領者、又不可雙俊兼而各衣服已下、用麁品、不好美麗《訓み下し》常胤実平ガ如キ者ハ、清濁ヲ分タザルノ武士ナリ。謂ハユル所領ハ、又俊兼ニ双ブベカラズ。而ルニ各衣服已下、麁品ヲ用ヰテ、美麗(ビレイ)ヲ好マズ。《『吾妻鏡』元暦元年十一月二十一日の条》
 
 
2004年02月11日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
新調(シンテウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「新年(シンネン)。新春(シユン)。新陽(ヤウ)。新造(ザウ)。新羅()。新座()。新居(キヨ)。新宅(タク)。新恩(ヲン)。新旧(キウ)。新渡()。新鍮(ヂウ)。新戒(カイ)。新客(ギヤク)山伏。新作(サク)。新忠(ヂウ)。新式(シキ)。新法(ハウ)。新儀()。新札(サツ)。新庄(シヤウ)。新郷(ガウ)。新保(ボウ)。新院(イン)。新曲(ギヨク)。新附()」の語を収載し、標記語「新調」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「新調」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「新調」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「新調」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「新調」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

新調(シンテウ)之美麗(ビレイ)ヲリハトハ今度ヲハレト出立ナリ。〔下25ウ三〕

とあって、この標記語「新調」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)新調之美麗新調ハ今新敷(あたらしく)作りたるを云。美麗ハ見事成事也。此二句あるひハ古物(こぶつ)の得かたきを用ひあるひハ新作(しんさく)のはなやかなるを用ひておの/\派手(はで)を尽(つくす)をいふ也。〔71オ二〜三〕

とあって、この標記語「新調」の語を収載し、語注記は、「新調は、今新敷(あたらしく)作りたるを云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-。▲新調ハ今流行の製作(せいさく)也。〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲新調ハ今流行(りうかう)の製作(せいさく)也。〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「新調」の語を収載し、その語注記は、「新調は、今流行(りうかう)の製作(せいさく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「新調」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しん-てう〔名〕【新調】(一)あらたに、調(ととの)ふること。新規に、作ること。「新調の洋服」(二)あたらしき調子。新曲。〔0948-4〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しん-ちょう新調】〔名〕@新しい楽曲の調べ。A(―する)新しくととのえこしらえること。また、そのもの。B新しい調子」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
千葉介常胤、献新調御旗其長任入道將軍家〈頼義〉御旗寸法、一丈二尺二幡也《訓み下し》千葉ノ介常胤、新調(シンテウ)ノ御旗ヲ献ズ。其ノ長入道将軍家ノ〈頼義〉御旗ノ寸法ニ任セ、一丈二尺二幡ナリ。《『吾妻鏡』文治五年七月八日の条》
 
 
2004年02月10日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
重寳(チヤウホウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」「天」部に、標記語「重寳」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_--新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)--新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「重寳」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「重寳」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

重寳(チヨウホウ・ヲモシカサナル、タカラ)[平去・上] 太刀劔刀等也。〔器財門162七〕

とあって、標記語「重寳」の語を収載し、語注記は「太刀劔刀等なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

重寳(ヂウホウ) 。〔・言語進退門52八〕 重寳(テウホウ) 。〔・言語進退門199三〕

重科(ヂウクワ) ―罪(ザイ)。―識。―疊(チヨウデウ)。―犯(ホン)―宝(チヨウホウ)。―病(ヒヤウ)。―言(コン)。―恩(ヲン)。―厄(ヤク)。―服(ヂウブク)。―怠(タイ)/―訴()。―説(せツ)。〔・言語門53四〕 重祚(テウソ) 天子再即位之也。―寳(ホウ)。―疊(デウ)。〔・言語門164四〕

重科(ヂウクワ) ―犯。―代。―罪。―識。―疊。―病/―言。―悦。―恩。―厄。―服。―怠/―訴。―宝。――。〔・言語門48六〕 重祚(テウソ) 天子再即位云也/―疊。―宝。〔・言語門153六〕

重科(ヂウクワ) ―罪。―犯。―宝。―言/―恩。〔・言語門57四〕

とあって、弘治二年本が標記語「重寳」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

重寳(テウホウ) 。〔言辞門165七〕

とあって、標記語「重寳」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「重寳」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及びに下記真字本見えている語となっている。ここで、『運歩色葉集』に見えないことが注記される。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「重宝」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)トハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「重寳」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

重代(ぢうだい)重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し/重代之重寳代々持傳へたる武具なとを用るをいふ。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「重寳」の語を収載し、語注記は、「代々持傳へたる武具なとを用るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-。▲重代之重寳爰(こゝ)にハ代々(よゝ)持傳(もちつた)へたる武具(ふぐ)をいふ。〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲重寳之重寳爰(こゝ)にハ代々(よゝ)持傳(もちつた)へたる武具(ふぐ)をいふ。〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「重宝」の語を収載し、その語注記は、「重寳之重寳爰(こゝ)にハ代々(よゝ)持傳(もちつた)へたる武具(ふぐ)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho>fo>.チョウホウ(重宝) Vomoqi tacara.(重き宝)珍重される高価な物.あるいは,役に立つ物.〔邦訳126r〕

とあって、標記語「重寳」の語の意味は「珍重される高価な物.あるいは,役に立つ物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちょう-ほう〔名〕【重寳】(一)ぢゅうはう(重寳)の誤。(二)利用の途のひろきこと。便利なること。(三)珍重とすること。狂言記、粟田口「大名、小名の、何とて足下をば、重寳をなさるるぞ」〔1294-1〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ちょう-ほう重宝】〔名〕@貴重な宝物。たいせつな宝。有益・有効な物品。じゅうほう。A(―する)珍重すること。心にとめてたいせつに取り扱うこと。B(形動)便利であること。都合がよいこと。また、そのさま。好都合。C(―する)便利で都合のよいものと感じて使うこと。→調法。[補注]A以下については「調法」と書かれた例も多いが、これは、本来@の「重宝」がもとで、「ちょう」と「てう」、「ほう」と「はう」との音韻上の区別がなくなったのち「調法」が混同して用いられたものと考えられる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
件國主、殊惜其餘波、與重寳等、納三艘貢舩、副送之〈云云〉《訓み下し》件ノ国主、殊ニ其ノ余波ヲ惜シミ、重宝(チヨウホウ)等ヲ与ヘ、三艘ノ貢船ニ納メ、之ヲ副ヘ送ルト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦二年六月十四日の条》
 
 
2004年02月09日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
重代(ヂュウダイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

重代 。〔元亀二年本95八〕〔天正十七年本上20オ一〕〔西來寺本〕

重代 。〔静嘉堂本119二〕

とあって、標記語「重代」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)には、

重代 同(家業分)/チウタイ。〔黒川本・疉字門上55ウ七〕

とあって、標記語「重代」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「重代」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

重代(チヨウダイ・ヲモシカサナル、カワル・ヨ)[去・去] 。〔態藝門172四〕

とあって、標記語「重代」の語を収載し、訓みを「チヨウダイ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

重代(ダイ) 。〔・言語進退門50七〕

重書(ヂウジヨ) ―代(ダイ)/―箱(ハコ)。〔・言語門52二〕

重書(チウシヨ) ―代/―箱。〔・言語門47六〕〔・言語門56三〕

重科 ―犯。―代。―罪。―識。―疊。―病。/―言。―悦。―恩。―厄。―服。―怠。/―訴。―宝/――。〔・言語門48五〕

とあって、弘治二年本が標記語「重代」の語を収載し、他本は標記語「重書」の冠頭字「重」の熟語群に標記語「重代」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

重代(ヂウタイ) 。〔言語門51五〕

とあって、標記語「重代」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「重代」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。また、訓みでは広本節用集』だけが「チョウダイ」を記載している。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「重代」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「重代」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

重代(ぢうだい)乃重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し/重代之重寳代々持傳へたる武具なとを用るをいふ。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「重代」の語を収載し、語注記は、「代々持傳へたる武具なとを用るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-。▲重代之重寳爰(こゝ)にハ代々(よゝ)持傳(もちつた)へたる武具(ふぐ)をいふ。〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲重代之重寳爰(こゝ)にハ代々(よゝ)持傳(もちつた)へたる武具(ふぐ)をいふ。〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「重代」の語を収載し、その語注記は、「重代之重寳爰(こゝ)にハ代々(よゝ)持傳(もちつた)へたる武具(ふぐ)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Giu<dai.ヂュウダイ(重代) Casanuru yo.(重ぬる代)多くの代〔代々〕.例,Giu<daino fiquan.(重代の被官)何代にもわたる昔からの家臣.→Giu<mot;MochitCitaye,uru.〔邦訳320l〕

とあって、標記語「重代」の語の意味は「多くの代〔代々〕」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぢゆう-だい〔名〕【重代】先祖より代代傳へたること。世世傳家謝莊奏「重代列聖、成由厥道」参考盛衰記、劔卷「別當は重代すべき者なり」塩尻(天野信景)下「古へより源平の武將に屬し、王の師を勤め、勲功の名を立てしものの子孫にして、民家に落ちず、武業を傳へて家譜を失はぬ家を、重代の武士と云ふ、又、譜第とも稱す」浄瑠璃物語、そとの管絃「源氏重代の黄金造の古年刀(コンネンタウ)」重代の厚恩」重代の太刀」〔1290-5〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じゅう-だい重代】〔名〕@(―する)何代もかさねること。祖先から代々伝わること。また、そのもの。累代(るいだい)。A祖先伝来の宝物。特に、太刀(たち)をいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爰貴下、出重代勲功之家、爲萬民倚頼之器《訓み下し》爰ニ貴下、重代勲功ノ家ヲ出デテ、万民倚頼ノ器タリ。《『吾妻鏡』元暦元年十一月二十三日の条》
 
 
2004年02月08日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(チヤク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語は未収載であり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。また、下記『日葡辞書』には見えている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せ-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

重代(ぢうだい)乃重寳(ちやうほう)(ちやく)重代之重寳代々持傳へたる武具なとを用るをいふ。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、「代々持傳へたる武具なとを用るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)(ちやく)新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〜94ウ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chacuxi,suru,xita.チャクシ,スル,シタ(し,する,した) qiru.(着る)に同じ.衣服を着る.〔邦訳117r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「qiru.(着る)に同じ.衣服を着る」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃくスル・スレ・セ・シ・セヨ〔他動、左變〕【】つく。きる。着用す。穿衣豹文記(永禄)縫物の小袖の事「男は人に因りて、十四五まで着し候」「衣服を着す〔1284-2〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ちゃく-する】[]〔他サ変〕[文]ちゃく・す〔他サ変〕@衣服などをきる。まとう。着用する。また、携帯品などを身につける。持つ。携行する。A視線などをあるものに注意して向ける」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
政光入道、献駄餉此間紺直垂上下者、候御前《訓み下し》政光入道、駄餉ヲ献ズ。此ノ間紺ノ直垂上下ヲ(チヤク)スル((チヤク)スル)者、御前ニ候ス。《『吾妻鏡』文治五年七月二十五日の条》
 
 
2004年02月07日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
弓箙(ゆみやなぐい)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遊」部に、標記語「弓箙」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)_____-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)__(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「弓箙」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「弓箙」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「弓箙」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「弓箙」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

思々(おもひ/\)の鎧(よろい)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆミ)(やなくい)_鎧直垂馬鞍弓箙注皆前に見へたり。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「弓箙」の語を収載し、語注記は、「注皆前に見へたり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-▲馬鞍弓箙ハ六月の返状に見ゆ。〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲馬鞍弓箙ハ六月の返状にミゆ。〔93ウ五〜94ウ一〕

とあって、標記語「弓箙」の語を収載し、その語注記は、「馬鞍弓箙ハ六月の返状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「弓箙」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「ゆみ-やなぐひ〔名〕【弓箙】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ゆみ-やなぐひ弓箙】〔名〕弓と胡。また、胡*伊勢物語(10c前)六「あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、をとこ、ゆみやなぐひを負ひて戸口に居り」*仮名草子・伊曽保物語(1639頃)下・九「里人聞きつけて、あはや、狼のきたるはとて、ゆみやなぐひにて馳せ集まる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
さてこの男は、くれ竹のよ長きを切りて、狩衣、大和袴、烏帽子、帯とを入れて、やなぐひ、太刀など大和入れてぞうづみける。《『大和物語』1495,147》
 
 
2004年02月06日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
馬鞍(むまくら)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「牟」部に、「馬櫪(ムマヤ)。馬槽(ムマフネ)。馬衣(ギヌ)祝言忌之。馬膚(ハタ)。馬齒(グワ)()。飲(ミツカウ)」の六語を収載するが、標記語「馬鞍」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)_____-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)__(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「馬鞍」の語を未収載にする。※平安時代の『新撰字鏡』に、「被鞍馬久良阿久」〔782・十二29ウ〕とある。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・『運歩色葉集』・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「馬鞍」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「馬鞍」の語はすべて未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「馬鞍」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「馬鞍」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

思々(おもひ/\)の鎧(よろい)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆミ)(やなくい)_鎧直垂馬鞍弓箙注皆前に見へたり。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「馬鞍」の語を収載し、語注記は、「注皆前に見へたり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-▲馬鞍弓箙ハ六月の返状に見ゆ。〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲馬鞍弓箙ハ六月の返状にミゆ。〔93ウ五〜94ウ一〕

とあって、標記語「馬鞍」の語を収載し、その語注記は、「馬鞍弓箙ハ六月の返状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「馬鞍」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「うま-くら〔名〕【馬鞍】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「うま-くら馬鞍】〔名〕馬にかけるくら。馬の鞍。*新撰字鏡(898-901頃)「被鞍 馬久良阿久」*源氏物語(1001ー1004頃)葵「おぼえことに、かたちあるかぎり、下襲(したがさね)の色、上の袴の紋、むまくらまで、みなととのへたり」*源氏物語(1001ー1004頃)若菜下「いろいろにつくしたるかんだちめの御むまくら、むまぞひ、隨身、こどねりわらは」[補注]『源氏物語』の二例は、馬と鞍の意とする説もある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
導師、伊賀阿闍梨光猷、布施〈置〉一疋、原左衛門尉牽之《訓み下し》導師ハ、伊賀ノ阿闍梨光猷、布施ニ〈(ムマ)(クラ)ヲ置()キ〉一疋、原ノ左衛門ノ尉之ヲ牽ク。《『吾妻鏡』承久三年十二月十一日の条》
 
 
2004年02月05日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
鎧直垂(よろひひたたれ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、標記語「鎧直垂」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)ノ直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「鎧直垂」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「鎧直垂」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「鎧直垂」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「鎧直垂」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_直垂(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「鎧直垂」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

思々(おもひ/\)(よろい)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆミ)(やなくい)_鎧直垂馬鞍弓箙注皆前に見へたり。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「鎧直垂」の語を収載し、語注記は、「注皆前に見へたり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-。▲鎧直垂ハいにしへ主将(しゆしやう)の用ゆる所にして鎧(よろひ)の下に着(ちやく)す。其制(せい)長絹(ちやうけん)乃ことく露紐(つゆひも)?(きくとち)等あり。地()ハ錦(にしき)(うら)ハ朽葉(くちは)薄紅(うすくれない)の板(いた)の物(もの)たるへしとそ。〔52オ六〜52ウ五〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に鎧直垂ハいにしへ主将(しゆしやう)の用ゆる所にして鎧(よろひ)の下に着(ちやく)す。其制(せい)長絹(ちやうけん)乃ごとく露紐(つゆひも)?(きくとぢ)等あり。地()ハ錦(にしき)(うら)ハ朽葉(くちば)薄紅(うすくれなゐ)の板(いた)の物(もの)たるべしとぞ。〔93ウ五〜94ウ一〕

とあって、標記語「鎧直垂」の語を収載し、その語注記は、「鎧直垂は、いにしへ主将(しゆしやう)の用ゆる所にして鎧(よろひ)の下に着(ちやく)す。其制(せい)長絹(ちやうけん)のごとく露紐(つゆひも)?(きくとぢ)等あり。地()は、錦(にしき)(うら)は、朽葉(くちば)薄紅(うすくれなゐ)の板(いた)の物(もの)たるべしとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Yoroibitatare.ヨロヒビタタレ(鎧直垂) 鎧の上に着る一種の外套.※“下”の誤りか.〔邦訳830r〕

とあって、標記語「鎧直垂」の語の意味は「鎧の上に着る一種の外套」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

よろひ-びたたれ〔名〕【鎧直垂】直垂の一種。尊卑に因りて、色と地とに差あり。錦、生絹(すずし)、練絹、などにて製す。錦なるは、大將の鎧の下に着るもの。袴、短く、裾と袖との端を括緒(くくりを)にて括る。戰袍源平盛衰記、三十五、巴は都を出ける時は、紺村紅に千鳥の鎧直垂を著たりけるが、云云」〔2102-5〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「よろい-ひたたれ鎧直垂】〔名〕(「よろいびたたれ」とも)軍陣に際して、鎧の下に着る直垂。錦、練絹(ねりぎぬ)、生絹(すずし)などで仕立て、袖口と袴の裾口に括(くく)り緒を通したもので、「四つの括り」ともいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先ヅ義村〈紺村濃ノ鎧直垂〉ヲ召シ、次ニ忠綱〈黄木蘭地ノ鎧直垂〉ヲ召ス。《『吾妻鏡』建暦三年五月四日の条》
 
 
2004年02月04日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
思思(おもひおもひ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、「思河(ヲモイカワ)筑州」の語を収載するが、標記語「思思」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後之武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「思思」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「思思」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「思思」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。ただし、下記に示す『日葡辞書』には収載されている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「思思」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「思思」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

思々(おもひ/\)の鎧(よろい)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆミ)(やなくい)_鎧直垂馬鞍弓箙注皆前に見へたり。〔70ウ八〜71オ一〕

とあって、この標記語「思々」の語を収載し、語注記は、「注皆前に見へたり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ七〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ六〕

とあって、標記語「思思」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vomoivomoi.オモイオモイ(思思) 各人がそれぞれ望むところ,思うところに従って.例,Vomoivomoino idetachi.(思ひ思ひの出で立ち)各人それぞれのやり方と流儀に従った様々な服装.→Casanarifuxi,su.〔邦訳711r〕

とあって、標記語「思思」の語の意味は「各人がそれぞれ望むところ,思うところに従って」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おもひ-おもひ-〔副〕【思思】各、思ふ所、異にて。心心に。てんでんに。宇津保物語、樓上、上1「一條殿の對どもに居給へりし御方方、云云、おもひおもひに渡り給ひにし中に」〔0326-2〕」

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おもい-おもい思思】〔形動〕めいめいが思ったまま。また、めいめいが思ったとおりに行なうさま。心々(こころごころ)。思い思いこころごころ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
西八条指入ミラレケレハ、高燈臺、侍中門坪々カキ立、一門卿相雲客数十人、各思々鎧直垂、色々鎧キテ、中門廊二行着座せラレタリ。《延慶本『平家物語』第一卷、第一末、42オ・307頁B》
 
 
2004年02月03日(火)晴れのち曇り夜半雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
甲冑(カツチュウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

甲冑(カツチウ) 。〔元亀二年本95二〕〔静嘉堂本118四〕〔天正十七年本上58オ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「甲冑」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

甲冑 同(武藝部)/カツチウ。〔黒川本・疉字門上89オ一〕

甲乙 〃弟。〃子。〃兵。〃冑。〃科。〃帳。〃宅。甲斐無。〔卷第三・疉字門87七〕

とあって、標記語「甲冑」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「甲冑」の語は未収載にする。ただし、標記語「鎧甲」の語注記に、「甲冑(カツチウ)之甲」と記載されている。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

甲冑(カツチウ)[入・去] 鎧。〔器財門270二〕

とあって、標記語「甲冑」の語を収載し、語注記は「」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

甲冑(カツチウ) (ヨロイ)。〔・財宝門83八〕

甲冑(カツチウ)(/カフト) 鎧。〔・言語門80六〕

甲冑(カツチウ) 鎧。〔・言語門73四〕

甲冑(カツチウ) 。〔・言語門87六〕

とあって、標記語「甲冑」の語を収載し、弘治二年本永祿二年本尭空本が語注記に「鎧」と記載して広本節用集』の語注記を継承する。また、易林本節用集』には、

(タイ)甲冑(カツチウ)。〔言語門84七〕

とあって、標記語「甲冑を帯す」の語をもって収載する。

 このように、上記当代の古辞書において、「甲冑」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「甲冑」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_直垂(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「甲冑」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

色々(いろ/\)甲冑(かつちう)色々甲冑甲はよろい冑ハかふと也。縅(おとし)の色一様ならぬゆへ色々といふ。〔70ウ七・八〕

とあって、この標記語「甲冑」の語を収載し、語注記は、「甲はよろい冑は、かぶとなり。縅(おとし)の色一様ならぬゆへ色々といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)す中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-。▲色々甲冑(かう)ハよろひ冑(ちう)ハかぶと也。製作(せいさく)毛色(けいろ)(おの/\)(こと)なる也。〔52オ六〜52ウ四〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に▲色々甲冑(かう)ハよろひ冑(ちう)ハかぶと也。製作(せいさく)毛色(けいろ)(おの/\)(こと)なる也。〔93ウ五〜94オ六〕

とあって、標記語「甲冑」の語を収載し、その語注記は、「色々甲冑(かう)は、よろひ冑(ちう)は、かぶとなり。製作(せいさく)毛色(けいろ)(おの/\)(こと)なるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cacchu<.カッチュウ(甲冑) Yoroi cabuto.(甲冑) 鎧と冑と.〔邦訳73r〕

とあって、標記語「甲冑」の語の意味は「鎧と冑と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かつ-ちゅう〔名〕【甲冑】〔禮記、曲禮、上篇「獻甲者執冑」鄭注「甲、鎧也、冑、兜?也」鎧(よろい)と、兜(かぶと)と。具足(グソク)易經、説卦傳「離、爲甲冑保元物語、二、新院左府御没落事「甲冑を脱捨」〔0388-1〕」

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かつ-ちゅう甲冑】〔名〕(「こうちゅう(かふちう)」の変化した語)いくさなどの際に、戦士が頭や体を守るために身につけた武具。鎧(よろい)と兜(かぶと)。具足」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武衛、雖令留之給、相具甲冑等、稱可參上《訓み下し》武衛、之ヲ留メシメ給フト雖モ、甲冑(カツチウ)等ヲ相ヒ具シテ、参上スベシト称ス。《『吾妻鏡』治承四年八月十三日の条》
 
 
2004年02月02日(火)曇りのち雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
勇士(ユウジ・ユウシ・ヨウジ・ヨウシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、

勇士(ユウジ) 。〔元亀二年本132七〕

勇士(ヨウジ) 。〔静嘉堂本139四〕

勇士(ヨウシ) 。〔天正十七年本中2オ二〕

とあって、標記語「勇士」の語を収載し、訓みは、「ユウジ」「ヨウジ」「ヨウシ」と三様であり、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ中後--士警--_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)中後()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

勇士 同(武藝部)/ヨウシ。〔黒川本・疉字門上96オ四〕

勇敢 〃毅〃士。〃飢。〃勘。〔卷第四・疉字門366二〕

とあって、標記語「勇士」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「勇士」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

勇士(ユヨウ・イサム、サブライ)[上・上] 。〔態藝門868五〕

(イヅクンゾ)(タレカ)(せム)(チウ)主暴(シユホウ)ナルヲ/ナレドモ()(イサメ)(アラズ)忠臣(チウシン)(ヲソツ)()()(イワ)(アラズ)勇士(ユウジ)臣軌。〔態藝門171五〕

主暴(シユホウ)ナルヲ(ザレハ)(イサメ)(アラズ)忠臣(チウシン)(ヲソツ)()(ザルハ)(イワ)(アラズ)勇士(ユウジ)(ミル)(アヤマチ)則諫(イサム)(ザルハ)(モチイ)()(チウ)之至(イタリ)(ナリ)新序。〔態藝門1017一〕

とあって、標記語「勇士」の語を収載し、訓みは「ユウジ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

勇士(ヨウシ) 。〔・言語進退門94五〕

とあって、弘治二年本だけが標記語「勇士」の語を収載し、訓みを「ユウシ」とする。また、易林本節用集』には、

勇士(ヨウシ) ―者(シヤ)。〔與部・人倫門85四〕

とあって、標記語「勇士」の語を収載し、訓みを「ヨウシ」とし、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書に収載が確認され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)中後----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「勇士」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

後陳(チン)ノ武士警固(ケイゴ)ノ勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_直垂(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「勇士」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

警固(けいご)勇士(ゆうし)警固勇士警固ハ非道をいましめんかためかため守る事なり。〔70ウ六・七〕

とあって、この標記語「勇士」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)す中後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-〔52オ七〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に〔93ウ五〕

とあって、標記語「勇士」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yu<xi.ユウシ(勇士) Isamu votoco.(勇む士) 強い男.→Yu<ji.〔邦訳838r〕

Yu<ji.ユウジ(勇士) すなわち,Qenaguena votoco.(健気な士) 勇敢で力の強い男.→Yu<xi(勇士).〔邦訳835l〕

とあって、標記語「勇士」の語の意味は「強い男」「勇敢で力の強い男」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ゆう-〔名〕【勇士】猛く剛勇なる男子。剛き武夫(つはもの)。剛の者。ますらたけを。勇者。孟子、縢文公、下篇「志士不溝?、勇士不其元吾妻鏡、一、治承四年八月十九日「參北條之勇士等、以走湯山、爲往還路〔2062-1〕」

よう-〔名〕【勇士】ゆうし(勇士)の轉。運歩色葉集「勇士、ヨウシ」〔2081-3〕

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ゆう-勇士】〔名〕(古くは「ゆうじ」とも)勇気のある人。勇ましい武士。ますらたけお。勇者。ようし」と標記語「よう-勇士】〔名〕(「ようじ」とも。「よう」は「勇」の漢音)勇気のある人。勇ましい男。ゆうし」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然則源家之人、藤氏之人、兼三道諸國之間、堪勇士者、同令與力追討《訓み下し》然ラバ則チ源家ノ人、藤氏ノ人、兼テハ三道諸国ノ間、勇士ニ堪ヘタル者ハ、同ク与力シテ追討セシメヨ。《『吾妻鏡』治承四年四月二十七日の条》
 
 
警固(ケイゴ)」の語は、ことばの溜池(2002.07.14)を参照。
頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』の語注記に、「▲警固ハ非常(しやう)を制(せい)せんため固(かた)め守(まも)る也」〔52ウ三〕〔94オ五・六〕と記載が見えている。
 
2004年02月01日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
後陳}(コウジン→ゴジン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「後陣」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中()武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔至徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節金銀凡迄()于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中後陣武士警固勇士色々甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代之重寳用新調美麗〔宝徳三年本〕

家文當色色々狂文盡色節鏤金銀凡迄于中間雜色舎人牛飼等折花交色就中武士警固勇士甲冑思々鎧直垂馬鞍弓箙着重代重寳用新調之美麗〔建部傳内本〕

文當-(シキ)色々-文盡色節(チリハメ) -凡迄(イタルマテ)ニ于中間雜-色舎-人牛_飼等(マシ)フ--士警--士色_-(カツチウ)____鞍弓_-之重-新調美麗(レイ)ヲ〔山田俊雄藏本〕

家文當色之狂文尽色節(イロフシ)ヲ(チリハ)ム金銀凡至(イタル)マテ于中間雜色舎人(トネリ)_(カイ)(マシ)後陣武士警固勇士色々甲冑(カツチウ)思々(オモイオモイ)直垂馬鞍弓_(エビラ)重代之重宝新調(シンテウ)之美麗(ヒレイ)ヲ〔経覺筆本〕

(イヱ)(モン)(タウ)-(シヨク)シキ色々(イロ/\)(ヒヤウ)-(モン)(ツクシ)色節(イロフシ)(チリハメ)(チリハム)タリ -ソ{至(イタル)(イタル)(マテ)中間-色舎()-(ネリ)(ウシ)_(カイ)(ヲリ)(マシユ)()-(チン)()-()(ケイ)-()(ヨウ)-()_(カツ)-(チウ)__(ヒタ)_(タレ)_鞍弓_(ヤナクイ)(チヤク)-之重-新調之美麗(ビレイ)〔文明四年本〕色(イロ)。鏤(チリハム)。至(イタルマテ)。後陣(チン)。警固(ケイゴ)。勇子(ユウシ)。重寳(テウホウ)。麗(レイ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「後陣」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「後陣」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

後陣(―ヂンノチ、ニワ)[上・去] 。〔態藝門668三〕

とあって、標記語「後陣」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(チン)。〔・言語進退門191一〕

後悔(コウクハイ) ―勘(カン)。―判(ハン)―陣(チン)/―世(せイ)。―胤(イン)。〔・言語門155四〕

後悔(コウクワイ) ―勘。―判。―陣/―世。―胤。〔・言語門145四〕

とあって、弘治二年本が標記語「」の語を収載し、他本は標記語「後悔」の冠頭字「後」の熟語群として「後陣」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

後代(コウダイ) −記(キ)。−訴(ソ)。−證(シヨウ)。−悔(クワイ)。−便(ビン)。−勘(カン)。−期(キ)。−顔(カン)。−輩(ハイ)。−人(ジン)。−胤(イン)。−音(イン)。−生(セイ/ゴシヤウ)。−昆(コン)。−參(サン)。−來(ライ)。−學(ガク)。−見(ケン)。−陣(ヂン)。−世(セ)。〔言辞門159@〕

とあって、標記語「後代」の冠頭字「後」の熟語群として「後陣」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、「後陳」と表記する例と「後陣」と表記する両用の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』に見えている語となっている。また、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

496衣-文撥リヲ、行粧(カウサウ)家文當-色々-文尽色節(チリハメ) -凡迄于中間ツ--(トネリ)_(カイ)----_-_____(ヤ)(―)シ-代之重-新調之美麗(ヒレイ)ヲ自リ門前前後之隨兵番(ツカ)ヒ-(ケ)ニ-太刀帯(ハキ)ナリ-(キヤウ)ニ御帶刀-御調度懸人(テウト[ツ]カケヒト) 烏帽子縛緒也。懸ルヲ云也。或説云、弓御多羅技云。矢御調度云時、是弓役歟。又有位人行ニハ、必小_長、此説誠、矢ニハ者字別也。虫-(ツ)ト書也。言彼_虫口飛也。体ニシテ、同羽付也。口傳有也。〔謙堂文庫蔵四七左I〕

とあって、標記語「後陣」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(チン)武士警固(ケイゴ)ノ之勇士(ヨウシ)色々甲冑(カツチウ)_(ヨロヒ)_直垂(ヒタタレ)馬鞍(ムマクラ)弓箙(ユミヤナクヒ)(―)せン-重寳(ヂウホウ)ヲトハ御警固(ケイゴノ)爲ニ武士(ブシ)(ツハモノ)トモ後陳(ゴヂン)ニ甲冑(カツチ  )ヲ帶(タイ)シ扣ヘタリ。〔下25ウ一〜三〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、                    

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)後陣武士就中の注前にあり。後陣は跡共(あととも)あり。〔70ウ六〕

とあって、この標記語「後陣」の語を収載し、語注記は「後陣は跡共(あととも)あり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)の武士(ぶし)警固(けいご)の勇士(ゆうし)色々(いろ/\)の甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなくい)重代(ぢうだい)()重寳(ちやうほう)を着(ちやく)し新調(しんてう)()美麗(びれい)を用(もち)ひ門(もんぐわい)(より)()前後(せんこ)乃隨兵(ずいひやう)上下(じやうげ)に番(つが)ひ左右(さいう)帶刀(たてわき)二行(にきやう)に列(つらな)り御(おん)帶刀(はかせ)の役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)弓手(ゆんで)妻手(めて)に相並(あいなら)んで之(これ)に扈從(こしよう)す後陣武士警固勇士色々甲冑_鎧直垂箙着重代之重宝新調之美麗前後之隨兵番上下左右帶刀二行御帶刀-御調度懸人‖-弓手妻手‖-。▲後陣ハ後(あと)(そなへ)也。〔52オ六〜52ウ三〕

就中(なかんつく)後陣(ごぢん)武士(ぶし)警固(けいご)勇士(ゆうし)色々(いろ/\)()甲冑(かつちう)思々(おもひ/\)()(よろひ)直垂(ひたたれ)(むま)(くら)(ゆみ)(やなぐひ)(ちやく)重代(ぢうだい)()重宝(ちやうほう)(もち)新調(しんてう)()美麗(びれい)(より)(もんぐわい)()前後(せんこ)隨兵(ずゐひやう)(つが)上下(じやうげ)左右(さいう)帶刀(たてわき)(つらな)二行(にきやう)(おん)帶刀(はかせ)役人(やくにん)()調度(てうど)(がけ)の(ひと)(あひ)(なら)んて弓手(ゆんで)妻手(めて)に()(じゆう)す(これ)に後陣ハ後(あと)(ぞなへ)也。〔93ウ五〜94オ五〕

とあって、標記語「後陣」の語を収載し、その語注記は、「後陣は、(あと)(ぞなへ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gogin.ゴヂン(後陣) Vxirogin.(後陣) 軍隊の後衛.〔邦訳306l〕

とあって、標記語「後陣」の語の意味は「軍隊の後衛」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぢん〔名〕【後陣】〔前陣に對す〕後(うしろ)に備へたる陣。あとぞなへ。後軍六韜後陣走」太平記、八、山徒寄京都事「前陣已に、法勝寺眞如堂に附けば、後陣は未だ、山上坂本に充ち滿ちたり」〔3-304-2〕       

の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「-じん後陣】〔名〕先行する軍隊のうしろに備えた陣。後方の部隊。こうじん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
巳尅、令進發給土肥二郎實平、候先陣千葉介常胤、在後陣今夜止宿相摸國中村庄〈云云〉《訓み下し》巳ノ剋ニ、進発セシメ給フ。土肥ノ二郎実平、先陣ニ候ズ。千葉ノ介常胤、後陣ニ在リ。今夜相模ノ国中村ノ庄ニ止宿スト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治元年十月二十九日の条》
 
 

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