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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

2004年03月31日(水)曇り。成田(東急エクセル)→成田空港→イタリア(ローマ)
本末(ホンマツ・もとすゑ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」」部に、

本末(マツ) 。〔元亀二年本43三〕〔静嘉堂本47七〕〔天正十七年本上24ウ七〕

とあって、標記語「本末」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

本末 古今部/ホンマツ/始終―/又雨合部。〔黒川本・畳字門上38オ一〕

本末 〃誓。〃心。〃。〃師。〃願。〃躰。〃所。〃家。〃意。〃糸。〔巻第二・畳字門332一〕

とあって、標記語「本末」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「本末」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

本末(ホンマツモト、スヱ)[上・入] 。〔態藝門100七〕

とあって、標記語「本末」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

本末(ホンマツ) 。〔・言語進退門34三〕〔・言語門38七〕

本末(ホンマツ) ―意(ホンイ)。―系モトヲツク。―来(ライ)。―復(フク)。―懐(クワイ)。―性(シヤウ)。―跡(せキ)。―所。―領(リヤウ)。―体(タイ)。―樣。―望(マウ)。―分(フン)。―訴()。―券(ケン)。〔・言語門35一〕

本末(ホンマツ) ―意。―系。―来。―復。―懐。―性。―跡/―所。―願。―体。―樣。―望。―分。―訴。―地。〔・言語門31九〕

とあって、標記語「本末」の語を収載し、弘治二年本両足院本は単独収載し、他二本は巻頭字「本」の熟語群語を併合して記載する。また、易林本節用集』には、

本末(ホンマツ) 。〔言語門〕

とあって、標記語「本末」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「本末」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

506調ヘ‖拍子本末(カヘリモウシ)ス‖礼奠ニ|拝義也。神申亊御聞有也礼奠スル也。神供也。七夕乞巧奠供具云也。又備星疋(ヒコホシ)ノ云。礼記曰、釈奠学鄭氏註曰、釈幤云々。又幤帛以祭ヲ曰礼奠(テン)ト|。是質素祭也。文集曰、悟真寺戯奠无。言精進之腥物也。〔謙堂文庫蔵四九右C〕

とあって、標記語「本末」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

朝倉返(アサクラガヘシ)(ウタヒ)調(トヽノヘ)(ヒヤウ)本末(ホンマツ)ヲ|朝倉返(アサクラカヘシ)トテ神歌(ウタ)ニ大事アリ。天照太神天(アマ)ノ岩戸ニ篭(コモリ)給ヒシ時諸神達(タチ)(ウタヒ)給フヲ朝倉返ト云也。神主(ヌシ)舞人ノ態(ワザ)ニハ秘事ナリ。〔下26オ七・八〕

とあって、この標記語「本末」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)拍子本末拍子の上に調乃字を置たる本もあり。本末とハ始め終りと云か如し。拍子乃よくとゝのひたるをいふ。〔73オオ三〜四〕

とあって、この標記語「本末」の語を収載し、語注記は、「本末とハ始め終りと云か如し」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「本末」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fonmat.ホンマツ(本末) Moto,suye.(本,末) 始めと終わりと.§Fio<xino fonmatuo totonoyete &c.(拍子の本末を調へて,云々)始めと終わりの拍子がそろうように,楽器を調整して.〔邦訳260r〕

とあって、標記語「本末」の語の意味は「始めと終わりと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほん-まつ〔名〕【本末】もとと、すゑと。始終。易經、上經、大過卦「曰、大過、大者過也、棟撓、本末弱也」大學、「物有本末事有終始、知先後則近道矣」書言故事(宋、胡繼宗)「張公藝九世同居、唐高宗幸其居本末、書忍字百餘以對」~代紀、下23「對以事之本末(アルカタヲ)〔1859-2〕

とあって、標記語「ほん-まつ〔名〕【本末】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほん-まつ本末】〔名〕@もととすえ。はじめとおわり。始終。ほんばつ。A本山と末寺」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
二品、殊甘心、以此儀治定本末相應、忠言之所令然也《訓み下し》二品、殊ニ甘心シ、此ノ儀ヲ以テ治定。本末ノ相応、忠言ノ然ラシムル所ナリ。《『吾妻鏡』文治元年十一月十二日の条》
 
 
2004年03月30日(火)曇り。東京(八王子)→成田(東急エクセル)
詠物(うたひもの)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、標記語「詠物」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「詠物」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「詠物」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「詠物」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

505當座之~樂朝倉返(−リ)ノ(ウタ/ヱイシ)−_ ~樂名也。〔謙堂文庫蔵四九右B〕

とあって、標記語「詠物」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

朝倉返(アサクラガヘシ)(ウタヒ)調(トヽノヘ)(ヒヤウ)本末(ホンマツ)ヲ|朝倉返(アサクラカヘシ)トテ神歌(ウタ)ニ大事アリ。天照太神天(アマ)ノ岩戸ニ篭(コモリ)給ヒシ時諸神達(タチ)(ウタヒ)給フヲ朝倉返ト云也。神主(ヌシ)舞人ノ態(ワザ)ニハ秘事ナリ。〔下26オ七・八〕

とあって、この標記語「詠物」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)當座~樂朝倉返朝倉返ハ~うたなり。天照太神の天岩戸に入玉ひし時もろ/\~達うたひ玉ひしうたなりと云。〔73オ一〜オ三〕

とあって、この標記語「詠物」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「詠物」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「詠物」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うたひ-もの〔名〕【詠物】節をなして、聲長く歌ふべき詞曲(ことば)の總稱。~樂歌、催馬樂、今様歌、宴曲、謡曲、長唄、小唄など、皆是れなり。歌曲。浄瑠璃節などの詞を平語の如く語るを、かたりものと云ふ。〔1-393-3〕

とあって、標記語「うたひ-もの〔名〕【詠物】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うたい-もの詠物唄物】〔名〕@詞章に節を付けて歌うものの総称。特に、日本の伝統的な声楽を二大別したものの一つ。神楽、催馬楽、朗詠、今様、宴曲、謡曲、長唄、小唄、民謡などきわめて多種のものが、これに属する。語り物。A歌い物を演ずることを業とする人。B清酒醸造の際、数人が小唄をうたいながら醪(もろみ)を櫂入(かいい)れする作業」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
(およ)そ応永年内より以来のうたい物、節(ふし)曲舞など、みなみな幽曲なり。《『五音曲条々』(1429−41頃)》
 
 
2004年03月29日(月)晴れ。東京(八王子)→六本木一丁目(イタリア大使館)→世田谷(駒沢)
朝倉返(あさくらかへし)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、標記語「朝倉返」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。訓みは「あさくらかへし」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「朝倉返」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「朝倉返」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「朝倉返」の語は未収載であるが、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

505當座之~樂朝倉返(−リ)(ウタ/ヱイシ)−_ ~樂名也。〔謙堂文庫蔵四九右B〕

とあって、標記語「朝倉返」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

朝倉返(アサクラガヘシ)(ウタヒ)調(トヽノヘ)(ヒヤウ)本末(ホンマツ)ヲ|朝倉返(アサクラカヘシ)トテ神歌(ウタ)ニ大事アリ。天照太神天(アマ)ノ岩戸ニ篭(コモリ)給ヒシ時諸神達(タチ)(ウタヒ)給フヲ朝倉返ト云也。神主(ヌシ)舞人ノ態(ワザ)ニハ秘事ナリ。〔下26オ七・八〕

とあって、この標記語「朝倉返」とし、語注記は「朝倉返(アサクラカヘシ)とて神歌(ウタ)に大事あり。天照太神天(アマ)の岩戸に篭(コモリ)給ひし時、諸神達(タチ)(ウタヒ)給ふを朝倉返しと云ふなり。神主(ヌシ)舞人の態(ワザ)には秘事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)當座~樂朝倉返朝倉返ハ~うたなり。天照太神の天岩戸に入玉ひし時もろ/\~達うたひ玉ひしうたなりと云。〔73オ一〜オ三〕

とあって、この標記語「朝倉返」の語を収載し、語注記は、「朝倉返は、~うたなり。天照太神の天岩戸に入玉ひし時もろ/\~達うたひ玉ひしうたなりと云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言▲朝倉返ハ神楽(かぐら)の哥(うた)の名()尤秘事(ひじ)なるよし。〔53オ八〜ウ五〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)▲朝倉返ハ神楽(かぐら)の哥(うた)の名()尤秘事(ひじ)なるよし。〔95ウ五〜96オ五〕

とあって、標記語「朝倉返」の語を収載し、その語注記は、「朝倉返は、神楽(かぐら)の哥(うた)の名()尤も秘事(ひじ)なるよし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「朝倉返」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あさ-くら〔名〕【朝倉】~樂歌の曲の名。きのまろどのを見よ。語彙、あさくら「~樂譜、可朝倉()堪能之歌人(うたびと)()〔0027-3〕

とあって、標記語「あさ-くら〔名〕【朝倉】」の語をもって収載するにとどまる。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あさくら-かえし朝倉返】〔名〕神楽歌「朝倉」に、「<本>阿佐久良や木の丸殿に我が居れば<末>我が居れば名宣りをしつつ行くは誰」とある、「我が居れば」を返してうたうことをいうか。*曾我物語(南北朝頃)四・鎌倉殿箱根御参詣の事「あさくらがへしの謡物は、拍子の甲乙を調べて、れいはんしょざいの儀をかへりまうしす」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
しかのみならず、臨時(りんじ)の陪從(ばいじやう)、當座(たうざ)の神樂(かぐら)、朝倉(あさくら)がへしのうたひものは、拍子(ひやうし)の甲乙(かうおつ)をしらべて、れいはんしよさいの儀(ぎ)をかへりまうす。《『曾我物語』四》
 
 
2004年03月28日(日)晴れ。東京(八王子)→伊豆(河津)→東京(八王子)
~樂(かぐら)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

~樂(カグラ) 。〔元亀二年本97@〕〔西來寺本172E〕

~樂(―グラ) 。〔静嘉堂本121B〕

~樂(カクラ) 。〔天正十七年本上59ウC〕

とあって、標記語「~樂」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「~樂」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「~樂」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

~樂(カグラ/シンカミ、?)[平・入] 又作神遊(カグラ)。〔神祇門260一〕

とあって、標記語「~樂」の語を収載し、語注記に「又作○○」の形式で別標記の「神遊」の語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

~樂(カグラ) 神祇。〔・財宝門85三〕

~樂(カクラ) 神祇。〔・言語門83五〕

~樂(カクラ) 神祇。又?遊。〔・言語門75七〕

神遊(カクラ) 神楽。神祇。〔・人倫門92六〕

とあって、標記語「~樂」の語を収載し、語注記に「神祇」と記載する。また、易林本節用集』には、

~樂(カグラ) 。〔言語門84七〕

とあって、標記語「~樂」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「~樂」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

505當座之~樂朝倉返(−リ)ノ(ウタ/ヱイシ)−_ ~樂名也。〔謙堂文庫蔵四九右B〕

とあって、標記語「~樂」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當座~樂又其節ヲナシテ致スナリ。〔下26オ七〕

とあって、この標記語「~樂」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)當座~樂朝倉返朝倉返ハ~うたなり。天照太神の天岩戸に入玉ひし時もろ/\~達うたひ玉ひしうたなりと云。〔73オ一〜オ三〕

とあって、この標記語「~樂」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「~樂」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cagura.カグラ(~樂) 神(Cami)の前で行われるある種の舞楽.→So>xi,suru.〔邦訳79l〕

とあって、標記語「~樂」の語の意味は「神(Cami)の前で行われるある種の舞楽」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かぐ-〔名〕【~樂】〔かみくら、かんぐら、かぐらと轉じたる語、(筆(ふで)、ふんで、ふで。札(ふだ)、ふんだ、ふだ)~座遊の略にて、~座の音樂の意なるべし、~遊の條を併せ見よ、伴信友の~樂歌考の初に「古本~樂歌に、~樂と書き、又、~樂遊仕候時、云云、ともあり」〕かみあそび。歌舞の、太古より傳はれるもの。日~の、天の岩戸隠に、六合の内、常闇となりし時、八百萬~の奏したる~遊に始まると云ふ、これを傳へて、後に、内侍所、清暑堂の御~樂、其他の~祭に、夜、庭燎(にはび)を焚きて行ふを例とせり。歌あり、舞あり、樂器は、大和琴(やまとごと)、大和笛、拍子(ハウシ)なり、後に、篳篥(ひちりき)を加ふ、樂人、本方(もとかた)、末方(すゑかた)の二座に別れ、人長(ニンヂヤウ)一人、舞人を指揮して奏せしむ。古語拾遺「猿女君氏、供~樂之事」壇北建祭殿伺候」儀式、園?韓~祭儀「調~樂於兩~殿前貫之集「内の御屏風の料の歌、夏かぐら」宇津保物語、祭使20「御かぐらの召人、催馬樂仕るべき、云云」又、里~樂(さとかぐら)、太~樂(たいかぐら)、太太~樂あり、各條を見よ。〔0362-3〕

とあって、標記語「かぐ-〔名〕【~樂】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かぐ-~樂】〔名〕(「神座(かむくら)」の変化した語)@神をまつるために神前に奏する舞楽。平安時代にその形が整えられた。楽器は和琴(わごん)、大和笛、笏拍子(しゃくびょうし)の三つを用いたが、のちに篳篥(ひちりき)が加わった。楽人は庭上の左右に本方(もとかた)、末方(すえかた)の座に分かれ、神楽歌をうたい、楽器を奏する。舞人が舞を舞うが、人長(にんじょう)は、榊(さかき)、幣(みてぐら)、杖(つえ)などの採物(とりもの)を持って舞う。一二月に行われた内侍所(ないしどころ)の御神楽(みかぐら)が最も代表的なもので、その他、貴族の神祭にも、夜、庭燎(にわび)をたいて行われた。神遊(かみあそび)。A諸社、民間に行われる芸能。すなわち、巫女が舞う巫女神楽、神話・伝説を黙劇または科白劇で演じる里神楽・太太神楽(だいだいかぐら)、清めの湯をふりかける湯立神楽、家ごとに獅子頭をまわし息災延命を祈る獅子神楽など。B能の舞の一種、およびその伴奏の器楽の名。神、天女、巫女などの役の者が巫女神楽にまねて舞うもの。主としてシテが、また、時としてツレも舞う。C狂言の獅子と舞。巫女が鈴と扇を持って舞うもので、笛、小鼓で演奏する。能と神楽とは別物で、祈祷の気分を持ち、民族芸能的な味わいをも感じさせる。「石神」「太鼓負」「大般若」で用いられる。D歌舞伎の囃子鳴り物の一つ。能の囃子から歌舞伎の下座(げざ)音楽に移されたもので、能管、太鼓、大太鼓ではやす。E平屋(ひらや)の上に二階を建て増したもの。おかぐら。〔東京語辞典(1917)〕Fひょっとこのような顔。また、その人。G古来日本で栽培されていたワタの栽培品種の一つ。東洋の在来種であるアジアワタで、花色が黄色または白色のものをいう。神楽綿。H強盗をいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧(1915)〕I変装した者をいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧(1915)〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今日以後七箇日、可有鶴岡若宮參詣之由、立願給是東西逆徒蜂起事、爲靜謐也未明參給、被行御神樂〈云云〉《訓み下し》今日ヨリ以後七箇日、鶴岡ノ若宮ニ参詣有ルベキノ由、立願シ給フ。是レ東西ノ逆徒蜂起ノ事、静謐ノ為ナリ。未明ニ参リ給ヒ、御神楽(ミカグラ)ヲ行ハルト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承五年閏二月二十一日の条》
 
 
2004年03月27日(土)晴れ。東京(八王子)→多摩(南大沢)
當座(タウザ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「堂」部に、

當座(ザ) 。〔元亀二年本138四〕〔静嘉堂本146七〕

當座(サ) 。〔天正十七年本中5オ七〕

とあって、標記語「當座」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「當座」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「當座」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

當座(タウザアタル、ユカ)[去・平] 。〔態藝門348二〕

とあって、標記語「當座」の語を収載し、訓みを「タウザ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

當座(タウザ) 即席。〔・言語進退門110三〕

當職(タウシヨク) ?世(せイ)。?道諸藝道?座即席/?流。?分。?腹。〔・言語門95二〕

當職(タウシヨク) ?世。?道諸藝道?座。?流。?分。?服。〔・言語門86九〕

當職(タウシヨク) ?世。?道/?(ザ)。?流(リウ)/?分(ブン)。?服(ブク)。〔・言語門105四・五〕

とあって、弘治二年本が標記語「當座」の語を収載し、語注記に「即席」と記載する。他本は標記語「當職」の巻頭字「當」の熟語群として「當座」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

當時 ?代(ダイ)。?道(ダウ)。?流(リウ)。?腹(ブク)。?院(井ン)。?世(せイ)?座(ザ)。?罰(バツ)。?番(バン)。?機(キ)/?學(カク)。?用(ヨウ)。?家(ケ)。?山(サン)。?國(コク)。?所(シヨ)。?來(ライ)。?季(キ)。?分(ブン)。〔言語門93一〕

とあって、標記語「當時」の語を収載し、巻頭字「當」の熟語群として「當座」の語を記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「當座」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

505當座之~樂朝倉返(−リ)ノ(ウタ/ヱイシ)−_ ~樂名也。〔謙堂文庫蔵四九右B〕

とあって、標記語「當座」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當座~樂又其節ヲナシテ致スナリ。〔下26オ七〕

とあって、この標記語「當座」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)當座~樂朝倉返朝倉返ハ~うたなり。天照太神の天岩戸に入玉ひし時もろ/\~達うたひ玉ひしうたなりと云。〔73オ一〜オ三〕

とあって、この標記語「當座」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「當座」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To<za.タウザ(當座) Ataru za.(当たる座)人々の居るその座席.または,家.§To<zano coto.(当座の事)今の事,あるいは,少しの間だけですぐに過ぎ去ってしまうような事.〔邦訳673r〕

とあって、標記語「當座」の語の意味は「(当たる座)人々の居るその座席.または,家」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たう-〔名〕【當座】(一)其座に當りてのこと。座上。席上。狂言記、雙六僧「相手を斬り殺し、其の身も當座に相果て申され候」(二)和歌の題の、其會の席上にて出すもの。(兼題に對す)古今著聞集、五、和歌「順徳院御位の時、當座の歌合せ有りけり」(三)當分の中。假初に數の間。狂言記、千鳥「足下の左様仰せられうと存じ、當座の代りは持って參った」(四)たうざよきん(當座預金)の略。其條を見よ。〔1193-2〕

とあって、標記語「たう-〔名〕【當座】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-當座】〔名〕@居合わせているその座。その席。また、その場にいる人々。その席上の人々。A物事に当面したその時。その折。現在ただ今。Bその場ですぐなされるさま。即座。即刻。Cその場かぎり。その時だけ。一時。Dさしあたり。しばらくの間。当分。Eその場で出す和歌・俳句などの題。兼日(けんじつ)に対し、席上で即座に題を与えられて詠む和歌や俳句。また、その会。即詠。即吟。兼日(けんじつ)。F「とうざばらい(当座払)」の略。G「とうざがい(当座買)」の略。H「とうざよきん(とうざよきん)」の略。I話題になっている、芝居などのその一座」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
以酒宴次於當座被仰〈云云〉《訓み下し》酒宴ノ次ヲ以テ当座()ニ於テ仰セラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年十二月二十日の条》
 
 
2004年03月26日(金)曇り後晴れ。東京(八王子)→六本木一丁目(イタリア大使館)→東京駅→世田谷(駒沢)
陪従(ベイジユウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

陪従(バイせウ)イサウシヒト。〔元亀二年本28十〕

陪従(ハイシウ) 。〔静嘉堂本28四〕〔天正十七年本上15オ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「陪従」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重之態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「陪従」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「陪従」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

陪從(バイシヨウハンベル、―)[○・去] 。〔態藝門66七〕

とあって、標記語「陪從」の語を収載し、訓みは「バイシヨウ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

陪従(バイゼウ) 。〔・言語門22九〕〔・言語門24七〕

陪従(ハイせウ) ―膳。〔・言語門20六〕

とあって、標記語「陪従」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語「陪従」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「陪従」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

504伺‖-シ/ス拝殿|。--(バイ−/ハイ−) -祭云也。二月初卯日祭也。〔謙堂文庫蔵四九右A〕

とあって、標記語「陪従」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

陪從(ハイシヨウ)ト云ハ打カケテ期(ゴニ)(ノゾン)テ~ニ物ヲ申事ナリ。〔下26オ六〜七〕

とあって、この標記語「陪從」とし、語注記は「打かけて期(ゴニ)(ノゾン)て~に物を申事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

如之(しかのみならす)臨時(りんじ)陪従(ばいじう)--加之とハ是はかりにハあらす又その上にといふこゝろなり。前々より□□□□にもあらで不時にある事を臨時と云。陪従ハ御供して其席に出るをいふなり。〔72ウ八〜73オ一〕

とあって、この標記語「陪従」の語を収載し、語注記は、「拜殿とハ其所に出てならひ居るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()陪従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「陪従」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、記語「陪従」の語は未記載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ばい-じゅう〔名〕【陪従】つきしたがふこと。供をすること。又、その人。晋書、豫章王檗傳「車馬數遊幸、唯檗陪從江淹建平王「河湾荊呉、必獲陪從、京輔關轂、長奉帷席〔1550-3〕

とあって、標記語「ばい-じゅう〔名〕【陪従】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ばい-じゅう陪従】〔名〕(「ばい」「じゅう」はともに「陪」「従」の慣用音)@貴人につき従って行くこと。供をすること。また、その人。随行。べいじゅう。ばいしょう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
山城介久兼、依二品之召、自京都參著是陪從也神宴等役、當時無其人仍態以令招下給〈云云〉。《訓み下し》山城ノ介久兼、二品ノ召シニ依テ、京都ヨリ参著ス。是レ陪従(ハイジユウ)ナリ。神宴等ノ役、当時其ノ人無シ。仍テ態ト以テ招キ下サシメ給フト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦二年七月二十三日の条》
 
 
2004年03月25日(木)曇り後小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
加之(しかのみならず)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

(ナラス)(シカノミ) 。〔元亀二年本314九〕

加之(シカノミナラス) 。〔静嘉堂本369四〕

とあって、標記語「加之」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重之態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

加之 シカノミナラス。〔黒川本・疉字門下82ウ八〕

加之 シカノミナラス。〔卷第九・疉字門226一〕

とあって、標記語「加之」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「加之」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

加之(シカノミナラズカシ、クワウ、コレ)[平・上] 又作加(シカノミ)(ナラズ)。〔態藝門970八〕

とあって、標記語「加之」の語を収載し、語注記は、「又作○○」の形式で「加旅」の別表記の語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

加之(シカノミナラス) 。〔・言語進退門247四〕〔・言語門211九〕

如之(シカノミナラス) 。〔・言語門195九〕

とあって、標記語「加之」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

加之(シカノミナラス) 加以()。至若()。〔辞字門217六〕

とあって、標記語「加之」の語を収載し、語注記には「加以」「至若」の別語表記の語を記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「加之」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

504伺‖-シ/ス拝殿|。--(バイ−/ハイ−) -祭云也。二月初卯日祭也。〔謙堂文庫蔵四九右A〕

とあって、標記語「加之」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|-職掌(シヨクシヤウ)トテ黄(キイ)色ニ染(ソメ)タル浄衣(ジヤウエ)ヲキテ立烏帽子(エボシ)ニテ堪忍(カンニン)ス。~樂男トハ白キ浄衣キテマフ也。調拍子ト云物ヲ指ナリ。〔下26オ五〜六〕

とあって、この標記語「加之」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

如之(しかのみならす)臨時(りんじ)の陪従(ばいじう)-之倍-加之とハ是はかりにハあらす又その上にといふこゝろなり。前々より□□□□にもあらで不時にある事を臨時と云。陪従ハ御供して其席に出るをいふなり。〔72ウ八〜73オ一〕

とあって、この標記語「加之」の語を収載し、語注記は、「加之とは、是ばかりにはあらず又その上にといふこゝろなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「加之」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xicanominarazu.シカノミナラズ(然にみならず) これだけではなくて,また,など.〔邦訳760l〕

とあって、標記語「加之」の語の意味は「これだけではなくて,また,など」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しかのみ-ならず〔接〕【加之】〔然而已(しかのみ)ならずの義〕然あるのみにあらずして。その上に。あまっさへ。おまけに。名義抄「加之、シカノミナラズ」字鏡十五「啻、過分也、餘也、不也、志加乃三」天平~護記「然乃味仁不在」〔0880-2〕

とあって、標記語「しかのみ-ならず〔接〕【加之】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しかのみ-ならず加之加以】〔接続〕(副詞「しか」に助詞「のみ」、助動詞「なり」「ず」が付いてできた語。古くは主として漢文訓読系の文章の中に用いられる)先行の事柄に後続の事柄が添加されることを示す。そればかりでなく。その上に。かてて加えて」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
正當于此時、間閭巷直路、村里授號、加之家屋並薨、門扉輾軒〈云云〉《訓み下し》正ニ此ノ時ニ当リテ、間閭巷路ヲ直クシ、村里号ヲ授ク。加之(シカノミナラズ)、家屋薨ヲ並ベ、門扉軒ヲ輾ルト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年十二月十二日の条》
 
 
2004年03月24日(水)曇り後雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
伺候(シコウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

伺候(シコウ) 六韜三農器之所。〔元亀二年本306六〕〔静嘉堂本357二〕

とあって、標記語「伺候」の語を収載し、語注記は、「『六韜』三農器の所」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子((祇))拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。標記語「祇候」と表記し、訓みは「シコウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

祗候(ツヽシミツカフ) シコウ。〔黒川本・疉字門下79ウ六〕

祗候 祗承シヨウ/シルヘ。〔卷第九・疉字門220二〕

とあって、標記語「祗候」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

祗候(シコウ/ツヽシム) 。〔疉字門160三〕

伺候 伺或。〔態藝門88三〕

とあって、標記語「祗候」の語を疉字門、標記語「伺候」の語を態藝門とそれぞれに意味区分して収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

祗候(シコウ/―、ウカヾウ) 或作仕候(シコウ)。伺候。紙候。韓文伺候於公卿ノ門。〔態藝門971一〜二〕

とあって、標記語「祗候」の語をもって収載し、語注記に「或は仕候(シコウ)と作す。伺候。紙候。韓文伺候於公卿ノ門」と「伺候」の語を同一語意味にして記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

伺候(シコウ) 祗候() 同上。仕候() 此字非也。〔・言語進退門249二〕

伺候(シコウ) 又作祗候。〔・言語門212三〕

伺候(シコウ) 又作祗―。〔・言語門196二〕

北面(ホクメン) 仙洞祗候(シコウ)ノ武士。〔・人倫門33三〕

とあって、弘治二年本は標記語「伺候」「祗候」の両語を併記収載し、他本は標記語「伺候」を収載し、その語注記に「祗候」の語を広本節用集』と同じく「又作○○」の形式によって記載する。ここで、注目しておきたいこととして、弘治二年本が「仕候」の語を語注記に「此字非也」と指摘しているところが注目されよう。また、易林本節用集』には、

伺候(シコウ)。〔言辞門214三〕

とあって、標記語「伺候」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「祗候」と「伺候」の両語が収載されていて、古写本『下學集』・広本節用集』から同一語として収載する編纂意識が見られることが注目されよう。そのところで古写本『庭訓徃來』と下記真字本との表記の異なりが見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

504‖-シ/ス拝殿|。--(バイ−/ハイ−) -祭云也。二月初卯日祭也。〔謙堂文庫蔵四九右A〕

とあって、標記語「伺候」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|-職掌(シヨクシヤウ)トテ黄(キイ)色ニ染(ソメ)タル浄衣(ジヤウエ)ヲキテ立烏帽子(エボシ)ニテ堪忍(カンニン)ス。~樂男トハ白キ浄衣キテマフ也。調拍子ト云物ヲ指ナリ。〔下26オ五〜六〕

とあって、この標記語「伺候」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)伺候(しこう)す/シテ調拍子‖-拝殿ニ|調拍子ハ樂器也。繞に似て小し。左右持て打合すなり。拜殿とハ其所に出てならひ居るをいふ。〔72ウ六〜八〕

とあって、この標記語「伺候」の語を収載し、語注記は、「拜殿とハ其所に出てならひ居るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)び職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|伺候ハ其所に在(あり)て時宜(じぎ)を伺(うかゞ)ふ也。〔53オ一〜八〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)伺候ハ其所に在(あり)て時宜(じぎ)を伺(うかゞ)ふ也。〔95オ二〜ウ五〕

とあって、標記語「伺候」の語を収載し、その語注記は、「伺候は、其所に在(あり)て時宜(じぎ)を伺(うかゞ)ふなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xico>.シコウ(伺候) Vcagai matcu.(伺ひ候つ) 自分に命ぜられることを聞くために,毎日主君の御前に控えて居ること.例,Xico>xite iru(伺候して居る)§また,行くという意であって,行く先を尊敬して言う.例,Xico> itasu.(伺候致す)〔邦訳762l〕

とあって、標記語「伺候」の語の意味は「(伺ひ候つ) 自分に命ぜられることを聞くために,毎日主君の御前に控えて居ること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-こう〔名〕【伺候】さぶらふこと。侍り居ること。韓愈、送李愿歸盤谷序「伺候於公卿之門太平記、二、助光事「是れは、右少辨殿の伺候の者にて候が」〔0887-3〕

-こう〔名〕【祇候】敬みて、侍ふこと。つつしみて、うかがふこと。?候。魏書、劉休賓傳「聞王臨一レ境、故來祇候」白氏文集、廿七「祇(ツツシミ)高情名義抄「祇候、ツツシミサブラフ、ツツシミウカガフ」太平記、廿一、義助攻落K丸城事「如何にもして、一戰に利を得、南方祇候の人人の機をも扶けばや」〔0887-4〕

とあって、標記語「-こう〔名〕【伺候】」と「-こう〔名〕【祇候】」の両語を意味区分して収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版においても、標記語「-こう伺候】〔名〕@貴人のおそば近くに仕えること。A貴人のもとへ参上して御機嫌うかがいをすること。また、そば近く参上すること」と「-こう〔名〕【祇候】@つつしんでおそばに仕えること。Aつつしんで御機嫌うかがいをすること。つつしんで参上すること」の両語を意味区分して収載し、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
條々事、頭辨祇候天王寺之時、付彼人候之間、去七日歸路《訓み下し》条条ノ事、頭ノ弁天王寺ニ祗候スルノ時、彼ノ人ニ付ケ候フノ間、去ヌル七日ニ帰路ス(帰洛ス)。《『吾妻鏡』文治五年三月二十日の条》
縡起於楚忽、伺候之輩、騒動、多爲件三人被疵〈云云〉《訓み下し》縡楚忽ニ起リ、伺候(シコウ)ノ輩、騒動シテ、多ク件ノ三人ノ為ニ疵ヲ被ルト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦元年六月十六日の条》
 
 
2004年03月23日(火)小雨のち晴れ間。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
拝殿(ハイデン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

拝殿(ハイデン) 。〔元亀二年本30四〕

拝殿 。〔静嘉堂本30四〕

拝殿(ハイテン) 。〔天正十七年本上16オ四〕

とあって、標記語「拝殿」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子私((祇))拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「拝殿」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「拝殿」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

拝殿(ハイデンヲガム、ヲクルヽ・トノ)[去・去] 。〔神祇門54一〕

とあって、標記語「拝殿」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

拝殿(ハイデン) 神前。〔・天地門16八〕〔・人倫門15一〕

拝殿(ハイテン) 神前。〔・天地門15三〕〔・人倫門13三〕

とあって、標記語「拝殿」の語を収載し、語注記に「神前」と記載する。また、易林本節用集』には、

拜殿(ハイデン) 神前。〔乾坤門14五〕

とあって、標記語「拝殿」の語を収載し、語注記は「神前」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「拝殿」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

504伺‖-シ/ス拝殿ニ|。--(バイ−/ハイ−) -祭云也。二月初卯日祭也。〔謙堂文庫蔵四九右A〕

とあって、標記語「拝殿」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|-職掌(シヨクシヤウ)トテ黄(キイ)色ニ染(ソメ)タル浄衣(ジヤウエ)ヲキテ立烏帽子(エボシ)ニテ堪忍(カンニン)ス。~樂男トハ白キ浄衣キテマフ也。調拍子ト云物ヲ指ナリ。〔下26オ五〜六〕

とあって、この標記語「拝殿」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)シテ調拍子‖-拝殿ニ|調拍子ハ樂器也。繞に似て小し。左右持て打合すなり。拜殿とハ其所に出てならひ居るをいふ。〔72ウ六〜八〕

とあって、この標記語「拝殿」の語を収載し、語注記は、「拜殿とハ其所に出てならひ居るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)び職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「拝殿」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Faiden.ハイデン(拝殿) Vogamijo.(拝み所) 神(Cami)の社の正面にある一種の礼拝所.〔邦訳198l〕

とあって、標記語「拝殿」の語の意味は「(拝み所) 神(Cami)の社の正面にある一種の礼拝所」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はい-でん〔名〕【拝殿】神社の前に設けてある拝禮を行ふ殿。(本殿(ホンデン)の條を見よ)八篇類篇「壇北建祭殿拝殿古今著聞集、十二、博打「山のすそには八間の家を作りて、拝殿と名づけて、八少女以下、~樂男などすゑたりける」〔1551-5〕

とあって、標記語「はい-でん〔名〕【拝殿】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はい-でん拝殿】〔名〕拝礼を行うために、神社の本殿の前方に設けられた社殿。拝の屋」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武衛、相催中納言法眼坊、參鶴岳給是宮寺別當職、依被申付也於拜殿、有此芳約〈云云〉《訓み下し》武衛、中納言法眼坊ヲ相ヒ催シ、鶴岡ニ参リ給。是レ宮寺ノ別当職、申シ付ケラルルニ依テナリ。拝殿ニ於テ、此ノ芳約有リト〈云云〉。《『吾妻鏡』寿永元年九月二十三日の条》
 
 
ことばの溜池「調拍子(とビャウシ)」(2003.05.11)参照。
 
2004年03月22日(月)雨。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
職掌(シヨクシヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「職人。職敵。職林。職源」の五語を収載するが、標記語「職掌」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。訓みは「シキシヤウ」とする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「職掌」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「職掌」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「職掌」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

502八乙女者曳イテ‖裙帯ヲ|‖-透廊(トウ−/スキ−)ニ|(シキ)ノ神樂ハ  職掌ハ黄色之直垂着也。神樂ハ天照大神天ノ岩戸ニ引篭ノ時神達始樂ナリ。〔謙堂文庫蔵四九右@〕

とあって、標記語「職掌」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|-職掌(シヨクシヤウ)トテ黄(キイ)色ニ染(ソメ)タル浄衣(ジヤウエ)ヲキテ立烏帽子(エボシ)ニテ堪忍(カンニン)ス。~樂男トハ白キ浄衣キテマフ也。調拍子ト云物ヲ指ナリ。〔下26オ五〜六〕

とあって、この標記語「職掌」とし、語注記は「職掌トテ黄色ニ染タル浄衣ヲキテ立烏帽子ニテ堪忍ス」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()職掌神樂男者~樂男ハ囃子手の事なり。〔72ウ六〕

とあって、この標記語「職掌」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「職掌」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「職掌」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょく-しゃう〔名〕【職掌】つとめかた。役目。晉書、樂志「伯益佐舜禹、職掌山與一レ川」〔1011-5〕

とあって、標記語「しよく-しゃう〔名〕【職掌】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょく-しょう職掌】〔名〕@担当の職務、また役目。また、その担当者。A寺院に隷属する俗役。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍専可被致國土無爲御祈之由、被申若宮別當法眼坊、加之、以小袖長絹等、給供僧職掌《訓み下し》仍テ専ラ国土無為ノ御祈ヲ致サルベキノ由、若宮ノ別当法眼坊ニ申サル、加之、小袖長絹等ヲ以テ、供僧職掌(シキジヤウ)ニ給ハル。《『吾妻鏡』文治元年十二月二十八日の条》
 
 
2004年03月21日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
舞遊(まひあそび)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「滿」部に、

舞遊 。〔元亀二年本163二〕

舞遊 。〔静嘉堂本180二〕〔天正十七年本中21オ二〕

とあって、標記語「舞遊」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「舞遊」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「舞遊」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「舞遊」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

502八乙女者曳イテ‖裙帯ヲ|‖-透廊(トウ−/スキ−)ニ|(シキ)ノ神樂ハ  職掌ハ黄色之直垂着也。神樂ハ天照大神天ノ岩戸ニ引篭ノ時神達始樂ナリ。〔謙堂文庫蔵四九右@〕

とあって、標記語「舞遊」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「舞遊」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

裙帯(くんたい)を曳(ひき)て透廊(すきらう)(まい)(あそ)テ‖裙帯‖-透廊ニ|裙ハもすそ。帶はおびなり。〔72ウ四〜五〕

とあって、この標記語「舞遊」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)(まひ)(あそ)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|‖-透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「舞遊」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「舞遊」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
標記語「まひ-あそ〔自バ四〕【舞遊】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「まい-あそぶ舞遊】〔自バ四〕@舞って遊び楽しむ。宇津保物語、(970-999年頃)祭の使「舎人ども毬杖を持ちて遊びて打ち、勝ちてはまひあそぶ」源氏物語(1001-14年頃)手習「極楽と言ふなる所には<略>天人などもまひあそぶことこそ尊かなれ」説経節・をくり(御物絵巻)(17c中)八「さてみづからが、みのうへに、めでたきことあるおりは、おもてが、しゃぅたいに、あがまれて、うらにはの、つるとかめとが、まひあそぶA鳥や虫などが、空中を飛びまわる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
教到元年に二中歴は舞遊始まるとあるが、筑紫舞がこの大王の前で舞われたとすると、古墳で舞われた筑紫舞の伝承と合う《『二中歴尊経閣文庫本(鎌倉末期写)、教到元(五三一)年の条》
 
 
2004年03月20日(土)雨、山沿い雪。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
透廊(スキロウ・スイロウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

透廊(スキラウ) 。〔元亀二年本360二〕〔静嘉堂本438五〕

とあって、標記語「透廊」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。訓みは、「スキラウ」とする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「透廊」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「透廊」の語は未収載にする。ただし、節用集類では『伊京集饅頭屋本節用集』には、

透廊(スキラウ) 。〔伊京・天地門126九〕〔饅頭・天地門175六〕

とあって、標記語「透廊」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』『伊京集饅頭屋本節用集』に、標記語「透廊」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

502八乙女者曳イテ‖裙帯ヲ|‖-透廊(トウ−/スキ−)ニ|(シキ)ノ神樂ハ  職掌ハ黄色之直垂着也。神樂ハ天照大神天ノ岩戸ニ引篭ノ時神達始樂ナリ。〔謙堂文庫蔵四九右@〕

とあって、標記語「透廊」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「透廊」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

裙帯(くんたい)を曳(ひき)透廊(すきらう)に舞(まい)(あそ)び/テ‖裙帯ヒ‖-透廊ニ|裙ハもすそ。帶はおびなり。〔72ウ四〜五〕

とあって、この標記語「透廊」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)び職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「透廊」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「透廊」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すい-らう〔名〕【透廊】すきわたどの(透渡殿)に同じ。古事談、六、亭宅諸道「入道殿、被東三條時、有國奉行之、西ノ千貫之泉、透廊南へ長く着出たる中程」古今著聞集、五、和歌、平治元年二月廿五日「御方違に、押小路殿に行幸有けり、透廊にて、夜もすがら、御遊ありけるに」吾妻鏡、三十、文暦二年正月廿日「忠尚、親職(ちかもと)、晴賢、文元、等、候于渡殿透廊北縁武家名目抄「按、廊の、左右を覆はず、見透さるる如く造りたるを、透廊と云ふ、例の、幾を、伊に通はして、須伊廊と讀也」〔1035-1〕

とあって、標記語「すい-らう〔名〕【透廊】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「すい-ろう透廊】〔名〕「すきろう(透廊)」の変化した語」→「すき-ろう透廊】〔名〕「すきわたどの(透渡殿)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
忠尚、親職、晴賢文元等候于渡殿透廊北縁《訓み下し》忠尚、親職、晴賢、文元等渡殿ノ透廊ノ北ノ縁ニ候ズ。《『吾妻鏡』文暦二年正月二十日の条》
 
 
2004年03月19日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
裙帯(クンタイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、標記語「裙帯」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

裙帯 クンタイ/装束具。〔黒川本・雜物門中76オ五〕

裙帯比礼 クンタイヒレ/青羅――是也。〔卷第六・雜物門417三〕

とあって、標記語「裙帯」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「裙帯」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書では、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』にのみ標記語「裙帯」の語が収載されていて、室町時代の上記古辞書には未採録の語となっている。そして、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

502八乙女者曳イテ‖裙帯ヲ|‖-透廊(トウ−/スキ−)ニ|(シキ)ノ神樂ハ  職掌ハ黄色之直垂着也。神樂ハ天照大神天ノ岩戸ニ引篭ノ時神達始樂ナリ。〔謙堂文庫蔵四九右@〕

とあって、標記語「裙帯」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「裙帯」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

裙帯(くんたい)を曳(ひき)て透廊(すきらう)に舞(まい)(あそ)び/テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|裙ハもすそ。帶はおびなり。〔72ウ四〜五〕

とあって、この標記語「裙帯」の語を収載し、語注記は、「裙は、もすそ。帶は、おびなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)び職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲裙ハもすそ。帯ハおび也。〔53オ七〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲裙ハもすそ。帯ハおび也。〔95ウ四〕

とあって、標記語「裙帯」の語を収載し、その語注記は、「裙は、もすそ。帯は、おびなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cuntai.クンタイ(裙帯) 帯と一種の着物と.〔邦訳168l〕

とあって、標記語「裙帯」の語の意味は「帯と一種の着物と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くん-たい〔名〕【裙帯】〔説文「裙、下裳也」くたいは、くんたいの略、勘文(かんもん)、かもん。本尊(ほんぞん)、ほぞん〕又、くたい。貴婦人、正装の具、幅廣き紐の如きもの、腰に結びて垂れ、末は、地を曳きたるものの如し、肩の領巾(ひれ)と對(ツヰ)す、後世の引腰、引帶、と云ふもの、此遺なりと云ふ。白氏文集、廿三「青羅裙帯李羣玉詩「一雙裙帶同心結」倭名抄、十二19衣服類「裙帶、此間云、如字」枕草子、六、五十段「御てうづばんの采女、青裾濃の裳()くんたい、領巾(ひれ)などして」、五、四十六段「赤紐の色にはあらぬを、領巾、くたいなどして」庭訓往來、八月「巫、八乙女者、曳裙帶、舞遊透廊〔0548-5〕

とあって、標記語「くん-たい〔名〕【裙帯】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「くん-たい裙帯】〔名〕@着物のすそとおび。A「くたい(裙帯)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
入夜舞姫青色唐衣・袷襠長袖・末濃裳・裙帯・礼〔領〕巾・長鬘・本結料等紫糸・木彫櫛・下櫛・蒔櫛等遣之、件櫛従蔵人所給歟 《『小右記』万寿2年11月12日の条7/158・323-0》
 
 
「八乙女(やをとめ)」ことばの溜池(2000.04.07)参照。
《補足資料》
 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「八乙女」とし、語注記は「裙帯(クンタイ)と云ふをびをはえて透廊に伺候する」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()八乙女八乙女ハ~樂男に組したる~の舞姫也。〔72ウ四〜五〕

とあって、この標記語「八乙女」の語を収載し、語注記は、「八乙女は、~樂男に組したる~の舞姫なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)び職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲八乙女ハ~樂(かぐら)~子(みこ)舞姫(まひひめ)也。〔53オ七〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲八乙女ハ~樂(かぐら)~子(みこ)舞姫(まひひめ)也。〔95オ二〕

とあって、標記語「八乙女」の語を収載し、その語注記は、「▲八乙女は、~樂(かぐら)~子(みこ)舞姫(まひひめ)なり」と記載する。
明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

()-をとめ(オトメ)〔名〕【八乙女】~樂の舞姫。古へ、安房大~を主~として、八柱の~に、八童子(八男(やをとこ))と共に奉仕せし八人の少女。(伴信友の説)轉じて、~~に奉仕して、~樂を舞ひなどする八人の少女。又、一人にても云ふ。字類抄「八女、ヤヲトメ、稲舂女、大嘗會供奉人名也」風俗歌、八乎止女「也乎止女波、云云、~ノ坐ス、高天ノ原ニ、立ツ也乎止女、立ツ也乎止女」古今集註(顯昭)「~樂には巫女は常になけれども、やをとめとて、八人の巫女相具したり」兵範記、仁安三年十一月二日、大嘗會「南廂自第三四間布端疊、爲八女座〔2061-1〕

とあって、標記語「-をとめ〔名〕【八乙女】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-おとめ八少女八社女八乙女八女八姫】〔名〕@大嘗祭・新嘗祭・神今食(じんこんじき)祭などの、天皇が皇祖神および天神地祇に飯を供しみずからも食する神事に八男(やおとこ)とともに神祇官の卜定(ぼくじょう)によって奉仕した八人の采女。A神社に奉仕し、神楽などを奏する少女。八人と人数が限られていたわけでなく、数人の少女を総称したものか」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一請僧幄二帖赤地纐纈十二段一帖別六段一楽屋班〓二帖紺布六段 白布六段 一帖別六段 已上十二段一八乙女装束八具 裳 唐衣唐紅 懸同 団扇絹 已上唐絹十七段一忌子装束二具《『石清水文書(田中)』建治二年五月 日の段、433・2/148》
 
 
「巫(かんなぎ)」ことばの溜池(2000.09.02)参照。
《補足資料》
 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は「裙帯(クンタイ)と云ふをびをはえて透廊に伺候する」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(かんなぎ)。八乙女(やをとめ)()八乙女者八乙女ハ~樂男に組したる~の舞姫也。〔72ウ四〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)び職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲巫ハ~(かミ)を降(くた)す者也。男を巫()といひ女を覡(けき)といふ。〔53オ七〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)ハ~(かミ)を降(くだ)す者也。男を巫()といひ女を覡(げき)といふ。〔95ウ三〜四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、「巫ハ~(かミ)を降(くだ)す者也。男を巫()といひ女を覡(げき)といふ」と記載する。
明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-なぎ〔名〕【】〔~和(かんなぎ)の義〕かみなぎの音便。(其の條を見よ)かうなぎ。〔0430-1〕

とあって、標記語「かん-なぎ〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-なぎ】〔名〕(古くは「かんなき」。「かむなぎ」とも表記)神に仕え、神楽(かぐら)を奏して神意をなぐさめたり、神おろしをしたりする人。通常は、女性がなる。みこ。こうなぎ。かみなぎ。神子。(かんこ)。かん。@昔、伊勢神宮以下、各神社に奉仕した神職。ふつう紐の下、祝(はふり)の上に位した。また一般に、神職の総称としても用いる。伊勢両宮では、大宮司・少宮司の下に各各一〇人の紐および大内人・物忌などがいて奉仕した。A現在、伊勢神宮および神社本庁管轄下の全国の神社に置かれる~官・神職の一つ。宮司・権宮司の下、権紐の上に位する。伊勢神宮では、大宮司・少宮司のもとで祭事を行ない事務をつかさどる。第二次世界大戦前、官国幣社では、判任官待遇または奏任官待遇とし、祭儀・庶務に従事した。B昆虫「ばった(飛蝗)」の異名」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 加旡奈支。《『新撰字鏡』》
 
 
2004年03月18日(木)曇り後雨 東京(八王子)→世田谷(駒沢)
玉甍(たまのいらか/ギョクボウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、「玉章(タマヅサ)。玉箒(バワキ)正月子日自天子百官竹下融玉延命千秋万歳義也。玉置(タマキ)。玉緒(タマノヲ)亊也」の四語を収載し、「記」部に、「玉章(シヤウ)タマツサ。玉體(タイ)。玉兎()月名」の三語を収載するが、標記語「玉甍」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調拔子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--(イラカ)(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ玉甍(イラカ)(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「玉甍」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「玉甍」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「玉甍」の語はすべて未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)ヲ(イラカ) 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「玉甍」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-社僧(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ(イラカ)(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「玉甍」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(きやう)の紐(ひも)(たま)の甍(いらか)に解(とき)經の紐を解ハ頓て讀誦(とくしゆ)をはしめんか爲なり。甍は棟瓦(むねかハら)にて經の紐を解とハいふへからす。おもふに玉甍(きよくほう)とハ玉にて飾りたる机(つくへ)の類をいふにや。但し字のあやまりたるもはかり給けれハ姑(しハら)く是を闕く。〔72ウ二〜四〕

とあって、この標記語「玉甍」の語を収載し、語注記は、「玉甍(きよくほう)とハ玉にて飾りたる机(つくへ)の類をいふにや。但し字のあやまりたるもはかり給けれハ姑(しハら)く是を闕く」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)()(たもと)を陣頭(ぢんとう)()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)() 伺至(がいろう)(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)()(きやう)の紐(ひも)(たま)の甍(いらか)()()(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)(あそ)び職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「玉甍」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「玉甍」の語は未収載とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「たま--いらか〔名〕【玉甍】」「ぎよく-ぼう〔名〕【玉甍】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たま--いらか玉甍】〔名〕」の語は未収載にする。よって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載である。
[ことばの実際]
一、はるか巌鷲の屹え立ち 慈愛ゆかしき北上や 南昌東根美麗しく 菖蒲の園に玉甍 久遠の真理探求めんと 寿ぎ建つる学宮ぞ《岩手県盛岡南高等学校校歌作詞 高橋 力
 
 
2004年03月17日(水)晴れ午後南風強し。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(ひぼ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

(ヒボ) 。〔元亀二年本346五〕

(ヒモ) 。〔静嘉堂本416七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは「ひぼ」と「ひも」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。経覺筆本及び文明四年本は、この語の訓みは「ひぼ」とする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ケム) ヒモ/女久反/衣―。細子同。〔黒川本・雜物門下90ウ二〕

ヒホ/―子。―衣。細子已上同/ヒホ/文。〔卷第十・雑物門343二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを三卷本は「ヒモ」、十卷本は「ヒホ」とする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ヒボチウ、ムスブ)[上] 。〔絹布門1034八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ヒボ) ―。〔・財宝衣服門254二〕

(ヒボ) ―。〔・財宝門217二〕

(ヒボカハ) 。〔・財宝門202八〕

(ムスブ)ヒモ。〔・言語門131五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「經の紐」と記載する。また、易林本節用集』には、

(ヒモ)ヂン 單繩。〔食服門224七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「單繩」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)於玉(イラカ)ニ 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「經、仁王卅代欽明天王の御宇、唐より經るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-社僧(ハ)(ト)ク(ヒボ)於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

經(きやう)の(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)に解(とき)於玉經の紐を解ハ頓て讀誦(とくしゆ)をはしめんか爲なり。甍は棟瓦(むねかハら)にて經の紐を解とハいふへからす。おもふに玉甍(きよくほう)とハ玉にて飾りたる机(つくへ)の類をいふにや。但し字のあやまりたるもはかり給けれハ姑(しハら)く是を闕く。〔72ウ二〜四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、「經の紐を解ハ頓て讀誦(とくしゆ)をはしめんか爲なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fibo.ヒボ() 結びつけるための紐,または革紐.→Fimo.〔邦訳227r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「結びつけるための紐,または革紐」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひぼ〔名〕【】ひも(紐)の訛。名義抄「襟、イレヒボ」書言字考節用集、六、服飾門「、ヒモ、ヒボ、説文、結而可解者」濱松中納言物語、一「から組のひぼ、長やかにうるはしきを、云云」〔1693-1〕

とあって、標記語「ひぼ〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ひぼ】〔名〕「ひも(紐)の変化した語」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
〈小櫻皮威、〉結付一封状於高《訓み下し》〈小桜皮威、〉一封ノ状ヲ高(タカヒボ)ニ結ヒ付ク。《『吾妻鏡』寿永三年正月十七日の条》
 
 
2004年03月16日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(キヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「記」部に、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

キヤウ/五―。七―/十三―/佛―。〔黒川本・雜物門下48オ一〕

キヤウ/五―。七―/十三―。〔卷第八・雜物門503六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(キヤウケイ・タテ・ヘル)[平] 孝經序云。経ハ常也。曰絞也。徑也。亦経緯也。欽明天皇僧聽四年辛未大唐也。 異名田堰B頌葉。唄葉。唄多。又?曰、白馬。三蔵。無安。貝免言函。??般若。佛言。〔器財門817六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「孝經序に云く、経は常なり。曰く絞なり。徑なり。亦経緯なり。欽明天皇僧聽四年辛未に大唐より經を渡すなり」と記載し、その後に異名語群を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(キヤウ)?(テツ) 上ハ經書/下ハ麻帶。〔・點畫小異字317二〕

?(テツ)(キヤウ) 上ハ麻(ヲヒ)/下ハ經書。〔・點畫少異字233二〕

?(テツ)(キヤウ) 上麻帶/下經書。〔・點畫少異字219二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「下は經書」と記載する。また、易林本節用集』には、

(キヤウ) 。〔器財門189二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-社僧(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)に解(とき)於玉經の紐を解ハ頓て讀誦(とくしゆ)をはしめんか爲なり。甍は棟瓦(むねかハら)にて經の紐を解とハいふへからす。おもふに玉甍(きよくほう)とハ玉にて飾りたる机(つくへ)の類をいふにや。但し字のあやまりたるもはかり給けれハ姑(しハら)く是を闕く。〔72ウ二〜四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、「經の紐を解ハ頓て讀誦(とくしゆ)をはしめんか爲なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qio<.キヤウ() 書物[経].例,Qio<uo tozzuru.(経を綴づる)書物[経]を綴じる.〔邦訳500r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「書物[経]」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きゃう(キヨウ)〔名〕【】(一){尊むべき書。佛の教を記したる書の總稱。佛經。佛教祖論、「聖哲彝訓曰經」源氏物語、五十二、手習36「經ならひて、誦み給ふ」(二)經書。(其の條を見よ)「詩經」書經」〔0490-4〕

とあって、標記語「きゃう〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きょう】〔名〕@(梵sutraの訳語。修多羅と音訳する)イ仏の説いた教えを文章にまとめたもの。総括して十二部経という。ロ九部経・十二部経の一つで、仏の教えを散文で示したもの。一部一経に名づける。契経(かいきょう)。経文。ハ三蔵(経・律・論)の一つで仏の教えを記録したもの。ニ三蔵を含め、さらに広く仏教に関する典籍一般をいう。一切経。大蔵経。A儒教、キリスト教など、仏教以外の宗教で、その教えを説いた書。経典。B一般的に、教訓、教化などを教えを記した書。また、単に書物の意にも用いられる。C(経文を読む意から)仏事を行なうこと。経供養すること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是併可依此八百部讀誦之加被〈云云〉《訓み下し》是レ併シナガラ此ノ八百部読誦ノ加被ニ依ルベシト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年七月五日の条》
 
 
2004年03月15日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
社僧(シヤソウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

社僧(ソウ) 。〔元亀二年本311七〕〔静嘉堂本364六〕

とあって、標記語「社僧」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--者解於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「社僧」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「社僧」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

社僧(シヤソウヤシロ、スミゾメ)[上・平] 。〔神祇門915五〕

とあって、標記語「社僧」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

社僧(シヤソウ) 。〔・人倫門238三〕

社僧(シヤソウ) ―務()。―人(ニン)。/―家()。〔・人倫門198五〕

社僧(シヤソウ) ―務。―人。/―家。〔・人倫門188五〕

とあって、標記語「社僧」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

社僧(シヤソウ) 。〔人倫門204二〕

とあって、標記語「社僧」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「社僧」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「社僧」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-社僧(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「社僧」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

別當(べつたう)社僧(しやそう)者()別當社僧皆僧徒也。〔72オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「別當」の語を収載し、語注記は、「皆僧徒なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「社僧」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xaso>.シヤソウ(社僧) Yashirono fijiri.(社の僧) 神(Camis)の社に仕える坊主(Bonzo).〔邦訳743l〕

とあって、標記語「社僧」の語の意味は「(社の僧) 神(Camis)の社に仕える坊主」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しや-そう〔名〕【社僧】昔し、~社に事ふる僧。沙石集、一、下、第十條「所領の中の~田を検注して、餘田を取る間、社僧・~官、等、憤り申し」〔0980-5〕

とあって、標記語「しや-そう〔名〕【社僧】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しや-そう社僧】〔名〕神社に所属し、僧形(そうぎょう)をもって仏事をとり行った者の称。その居住する寺院を境内に建立し、別当寺(べっとうじ)あるいは神宮寺(じんぐうじ)という。階級には別当、検校、勾当などがあり、本地垂迹(すいじゃく)説の流通にしたがって勢力を増し神官の上位に立って一社を支配するようになったものもある。奈良朝末期に始まるとされ、明治政府によって明治元年(一八六八)に廃止された」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にするが、この文例と同じ所を『曽我物語』が引用することは、上記に記載したとおりである。
[ことばの実際]
常陸國、鹿嶋社禰宜等進使者於鎌倉申曰、去十九日、社僧夢想曰、當所神、爲追罰義仲並平家赴京都御〈云云〉《訓み下し》常陸ノ国、鹿島社ノ祢宜等、使者ヲ鎌倉ニ進ジテ申シテ曰ク、去ヌル十九日ニ、社僧(シヤソウ)ノ夢想ニ曰ク、当所ノ神、義仲並ニ平家ヲ追罰センガ為ニ、京都ニ赴キ御フト〈云云〉。《『吾妻鏡』寿永三年正月二十三日の条》
 
 
2004年03月14日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
別當(ベツタウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遍」部に、

別當(タウ) 唐名大事()。〔元亀二年本49五〕

別當(タウ) 蔵人頭云/唐名大事。〔静嘉堂本54六〕〔天正十七年本上28六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「別當」の語を収載し、語注記は「蔵人頭を云ふ/唐名大事」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_--者解於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

別當 ヘツタウ。在検非違使/并蔵人所等。〔黒川本・官職門上43オ二〕

別當 〃業。〃墅上同。〃宮。〃舘。〃離。〃進。〃所。〃緒。〃寝。〃功。〃給。別奏不入官奏上卿付弁若人奏文〃。〔卷第二・官職門364三〕

とあって、標記語「別當」の語を収載し、語注記に「在検非違使/并蔵人所等」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「別當」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

別當一人(ベツタウ―ニンワカレ、アタル、―)[入・平去・○・○] 唐名大理卿。〔官位門113四〕

とあって、標記語「別當一人」の語を収載し、語注記は「唐名大理卿」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

別當(ベツタウ) 。〔・人倫門37八〕〔・人倫門37八〕〔・人倫門34六〕〔・人倫門41五〕

とあって、標記語「別當」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

別當(ベツタウ) 。〔官位門35七〕

とあって、標記語「別當」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「別當」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「別當」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「別當」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

別當(べつたう)社僧(しやそう)者()別當社僧者皆僧徒也。〔72オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「別當」の語を収載し、語注記は、「皆僧徒なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲別當ハ社僧(しやそう)の頭(かしら)。〔53オ七〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲別當ハ社僧(しやそう)の頭(かしら)。〔95ウ三〕

とあって、標記語「別當」の語を収載し、その語注記は、「別當は、社僧(しやそう)の頭(かしら)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Betto.(ママ)ベツタウ(別當) 例,Vmayano betto<(厩の別当)厩の係の頭(かしら).〔邦訳54l〕

とあって、標記語「別當」の語の意味は「例,Vmayano betto<(厩の別当)厩の係の頭(かしら)」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

べつ-たう〔名〕【別當】〔本官の外、職別に専當する意〕(一)又、べたう。古へ、特異なる職の長官の稱。検非違使、藏人所、淳和院、奬學院、大歌所等、尚多し。武家にては、政所、侍所、等なり。左右衛門府式「凡検非違使別當、充隨身火長二人小右記、長和五年二月廿七日「以右大臣(藤原顯光)、爲藏人所別當三代實録、元慶五年十二月十一日「淳和院永置公卿別當職原抄、下、「奬學院別當、源氏公卿第一之人稱之、爲納言之時、多兼奬學淳和兩院」同、下「大歌所別當、納言已上、補之」吾妻鏡、十一、建久二年正月十五日「政所別當、前因幡守平朝臣廣元」同、一、治承四年十一月十七日「和田小太郎義盛、補侍所別當(二)僧職の一。興福寺、東大寺、法隆寺、四天王寺、などの大寺にありて、一山の寺務を綜理する長官。座主(ザス)。長吏(チヤウリ)。長者の類。又、~宮寺の僧官。検校(けんげう)(其條を見よ)に次ぐもの。玄蕃領式「凡諸寺、以別當長官榮花物語、三十一、殿上花見「やはたの別當元命といふ者、御くだものすゑて參らせたり」(三)院の御厩の頭。名目抄、院中「御厩別當(みまやのべつたう)(西園寺代代補之云云)」源平盛衰記、四十五、源氏等受領事「大夫判官は伊豫守を賜はる上、院の御厩の別當に成て、云云」(四)國司の厩を預る職。源平盛衰記、廿四、南都合戰事「修理大夫顯季卿の、播磨守にて、國務の時は、厩の別當に被召仕き」吾妻鏡、二、養和元年七月廿日「下總國御厩別當所、可早免除貢馬事、云云」(五)院厩(ゐんのうまや)の別當より轉じて、俗に、馬飼。乘馬の口取。馬丁。(六)童などの、~に奉りたる供物の菓子を、取りおろして食ふこと。「おべったうをする」(七)我物顔に、物をほしいままに扱ふこと。(八)遊女の別當。即ち、遊女を取締まるもの。吾妻鏡、十三、建久四年五月十五日「遊女令群參候御前(頼朝)、而召里見冠者義成、向後可遊君別當、云云」(九)今、宮號を賜はりたる皇族の家務を總理し、所屬の職員を監督する勅任官。〔1808-5〕

とあって、標記語「べつ-たう〔名〕【別當】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「べつ-とう別當】〔名〕@古代中国で、一官庁の長官。A元来は本官のある人が多の役所長官を兼務するの意だが、ひろく長官の称として用いられた。B特に、検非違使庁の長官。検非違使の別当。C平安時代以降、院・親王家・摂関家・大臣家などの家政機関の長官。ふつう複数の人を任命するが、特に院の庁には多く置かれる。また、家政機関の下部組織である文殿・厩などの長官も別当と称する。D鎌倉政府の政所・侍所(さむらいどころ)・公文所(くもんじょ)などの長官。E僧官の一つ。東大寺・興福寺・法隆寺・仁和寺・四天王寺などの大寺に置かれ、三綱の上位にあり、一山の寺務を総裁したもの。また、その人。F神宮寺(じんぐうじ)の僧官の一つ。宇佐・鶴岡・祇園・気比・石清水などの神社に置かれ、庶務をつかさどるもの。また、その人。検校(けんぎょう)の下位にあり、大別当・少別当・修理別当・別当代などの区別があった。G荘官の一種。平安時代以降、荘園の事務をつかさどったもの。また、その人。H盲人の官位の一つ。四階級のうちの第二にあたり、検校の下に位する。総別当・正別当・権別当の三等に分かれる。I(遊女の別当の意から)遊女を取り締まるもの。J明治初年、大学校の事務を統轄した勅任官。K明治23年(1890)一月一六日に定められた新王家の職員の一つ。親王を補佐し、家政・会計などをつかさどり、家令以下の職員を監督した。高等官の身分をもっていたが、同四〇年一一月一日廃止。L(院の厩(うまや)の別当から転じて)馬を飼育したり、乗馬の口取りをしたりする人。馬飼い。馬丁。M町役人。N庄屋。村役人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爰筥根山別當行實、差遣弟僧永實、令持御駄餉、奉尋武衛《訓み下し》爰ニ箱根山ノ別当行実、弟僧永実ヲ差シ遣ハシ、御駄餉ヲ持タシメテ、武衛ヲ尋ネ奉ル。《『吾妻鏡』治承四年八月二十四日の条》
 
 
2004年03月13日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
大床(おほゆか)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、「大人(ヲトナ)。大口(クチ)。大鼓(ツヾミ)。大概(カイ)。大抵(テイ)。大宮(ミヤ)。大路()。大麻(ヌサ)御祓。大隅(スミ)十一―。大呑(ノミ)。大臣(ヲトヾ)。大鋸()」の語を収載するが、標記語「大床」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-_-當社-者解於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛大床(ユカ)別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大床」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「大床」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

大総鞦(オホブサシリカヒ) 大笠(ガサ)。―船(フネ)。―鋸(オガ)。―車(クルマ)/―鼓(ツヽミ)。―綱(ツナ)。―緒()―床(ユカ)。〔器財門126二〕

とあって、標記語「大総鞦」の冠頭字「大」の熟語群として「大床」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、上記易林本節用集』に標記語「大床」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「大床」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「大床」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)に(さゝ)け-_幣帛ハ神に奉る品なり。〔72オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「大床」の語を収載し、語注記は、「幣帛ハ神に奉る品なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲大床ハ神前(しんぜん)の祭壇(さいだん)をいふ。〔53オ六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲大床ハ神前(しんぜん)の祭壇(さいだん)をいふ。〔95オ二〕

とあって、標記語「大床」の語を収載し、その語注記は、「大床は、神前(しんぜん)の祭壇(さいだん)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vo>yuca.オホユカ(大床) 高い床張り,または,簀子張りをもった大きな差掛けのような部屋.〔邦訳728r〕

とあって、標記語「大床」の語の意味は「高い床張り,または,簀子張りをもった大きな差掛けのような部屋」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おほ-ゆか〔名〕【大床】(一)~社の簀子縁。(二)武家の邸宅にて、廣廂(ひろびさし)の稱。平家物語、十二、紺掻く事「聖(文覺)をば大床に立て、我身(頼朝)は庭に立って、泣く泣く、父(義朝)の頭を請け取り給ふ」〔0319-2〕

とあって、標記語「おほ-ゆか〔名〕【大床】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おほ-ゆか大床】〔名〕@建物の縁(えん)。中世神社建築で用いられた語で、浜床に対する。A書院造りなどで広縁(ひろえん)をいう。B「ひろびさし(広庇)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
神前(しむぜん)には、禰宜(ねぎ)・神主(かんぬし)、幣帛(へいはく)大床(ゆか)にさゝげ、別當(べつたう)・社僧(しやそう)は、經(きやう)の紐(ひぼ)を玉(たま)のにとき、神樂男(かぐらをのこ)は、銅拍子(とびやうし)をあわ()せて、拜殿(はいでん)に祗候(しこう)す。《『曽我物語』卷四・鎌倉殿、箱根御參詣の事、P164》
※『庭訓往来』(至徳三年(1386)古寫)のこの條内容と共通する文脈が茲に見られる。このことは既に岩波古典大系本『曽我物語』補注134で指摘されている。真字本『曽我物語』成立状況と同時代と言うこともあって、共通する文言の流通経路を考える上でこの二冊の書籍の関係を注目しておきたい。
 
 
2004年03月12日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
幣帛(ヘイハク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遍」部に、

(ヘイ) 。〔元亀二年本48I〕

幣帛(ヘイハク) 。〔静嘉堂本56七〕〔天正十七年本上29オ七〕

とあって、標記語「幣帛」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_-當社-者解於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「幣帛」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「幣帛」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

幣帛(ヘイハクコハク、キヌ)[去・入] 。〔神祇門112八〕

とあって、標記語「幣帛」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

幣帛(ヘイハク) 。〔・財宝門38四〕〔・財宝門38一〕〔・財宝門35二〕〔・財寳門42四〕

とあって、標記語「幣帛」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

幣帛(ヘイハク) 。〔食服門37二〕

とあって、標記語「幣帛」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「幣帛」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「幣帛」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「幣帛」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)に(さゝ)け-於大_幣帛ハ神に奉る品なり。〔72オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「幣帛」の語を収載し、語注記は、「幣帛ハ神に奉る品なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「幣帛」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Feifacu.ヘイハク(幣帛) Fei(幣)に同じ.神(Cami)の前で或る儀式を行なう際に用いる物で,紙を細かに切ったもの.〔邦訳219r〕

とあって、標記語「幣帛」の語の意味は「Fei(幣)に同じ.神(Cami)の前で或る儀式を行なう際に用いる物で,紙を細かに切ったもの」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

へい-はく〔名〕【幣帛】(一)~にささぐるもの。みてぐら。にぎて。ぬさ。神祇令「凡供祭祀幣帛、飲食及菓實之屬」皇太~宮儀式帳、供奉幣帛本紀事「春宮坊幵皇后宮幣帛、幵東海道驛使之幣帛、云云、納外幣帛殿」、(二)支那にて、贈遺する物品。進物。禮記、坊記篇「子云、禮之先幣帛也、欲民之先事而後一レ禄也」〔1799-2〕

とあって、標記語「へい-はく〔名〕【幣帛】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「へい-はく幣帛】〔名〕@布帛・金銭・酒食など神前にささげる供物(くもつ)。また、紙や布を切って木にはさんでたらした御幣(ごへい)をいう。みてぐら。にきて。ぬさ。A人に贈る物品。進物(しんもつ)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
天神地神に幣帛を捧て祈り、霊佛霊社に僧侶を籠て、大法秘法無所殘被行けれども、驗なし。《延慶本『平家物語』十一(第六本)51オ(105頁)C》
 
 
2004年03月11日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
神主(かんぬし)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

神主(カンヌシ) 。〔元亀二年本97一〕〔静嘉堂本121三〕〔天正十七年本上59ウ四〕

とあって、標記語「神主」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_-當社-者解於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

神主 カンヌシ。〔黒川本・官職門上91ウ二〕

神主 。〔卷第四・官職門337四〕

とあって、標記語「神主」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

神主(カンヌシ) 。〔神祇門35五〕

とあって、標記語「神主」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

神主(―ヌシシン・カミ、シユ)[平・上] 。〔神祇門260一〕

とあって、標記語「神主」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

神主(カンヌシ) 。〔・人倫門77三〕〔・人倫門76八〕〔・人倫門69五〕〔・人倫門82八〕

とあって、標記語「神主」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

神主(カンヌシ) 。〔人倫門71一〕

とあって、標記語「神主」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「神主」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

500~主-_|、--者解(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ 經仁王卅代欽明天王御宇自唐經ナリ。〔謙堂文庫藏四八左E〕

とあって、標記語「神主」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「神主」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()袮宜~主皆~職也。〔72オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「神主」の語を収載し、語注記は、「皆~職なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「神主」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cannuxi.カンヌシ(神主) 神(Camis)に仕える重立った人々の一人で,その長のような人.〔邦訳91l〕

とあって、標記語「神主」の語の意味は「神(Camis)に仕える重立った人々の一人で,その長のような人」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-ぬし〔名〕【神主】〔~(かみ)の大人(うし)の約、齋(いはひ)の大人(うし)、いはひぬし〕(一){臨時の~祭に、第一に主たる人、上古には重務とせり。祭主崇~紀、七年八月「以大田多根子命、爲大物主大~之主(カムヌシ)古事記、中(崇~)27「以意冨多多泥古命、爲~主」~功攝政前紀、「皇后選吉日入齋宮、親爲~主、云云、請曰、云云」同「祭~主(カムヌシ)(二){~社に奉仕する、~官の長(をさ)。其下に、禰宜(ねぎ)、祝部(はふり)、巫覡(かんなぎ)、等あり、~事一切の事に從事す。天武紀、下、六年五月「天社地社之~税者、三分之、一爲擬(ツカム)(マツルモノト)~、二分給~主類聚三代格、一、延暦十七年正月、太政官符「應諸國~宮司~主事、云云、自今以後、簡?彼氏之中、潔清廉貞、堪~主補任セヨ祈年祭祝詞「~主、祝部等」台記、久壽元年六月十五日「賀茂禰宜重忠、轉~主、權禰宜家平、轉禰宜(三)泛く、~社に仕ふる人。~官。祠官。〔0430-3〕

とあって、標記語「かん-ぬし〔名〕【神主】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-ぬし神主】〔名〕(「かむぬし」とも表記)@臨時に神を祭るときに、主となって事を行なう人。神事を主宰する人。祭主(さいしゅ)。A神社に仕える神人の長。禰宜(ねぎ)、祝部(はふりべ)などの上に立って、神事に関するいっさいのことをつかさどる人。B(広く一般に用いて)神に仕える人。~官。神道家。神職。C(神職である禰宜(ねぎ)と、植物のネギとが同音であるところから)ネギをいう隠語。主として僧侶仲間で用いられる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於安房國洲崎神領、在廳等成煩由、有神主等之訴《訓み下し》安房ノ国洲崎ノ神領ニ於テ、在庁等煩ヒヲ成ス由、(カン)等ノ訴ヘ有リ。《『吾妻鏡』治承五年二月十日の条》
 
 
2004年03月10日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
祢宜(ネギ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「祢」部に、

祢宜(ネギ) 。〔元亀二年本163二〕

祢宜(ネキ) 。〔静嘉堂本180二〕〔天正十七年本中21オ二〕

とあって、標記語「祢宜」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

袮宜~主者幣帛於大床別當社僧者解經紐玉甍巫八女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調子祇候拝殿〔至徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八女者曳裙帶舞遊透廊職掌神樂男者合調子私((祇))候拝殿〔宝徳三年本〕

袮宜~主者((幣))帛於大床別當社僧者解經紐於玉甍巫八乙女者曳裙帯舞遊透廊職掌神樂男者合調拍子祇候拝殿〔建部傳内本〕

袮宜~主-於大_-當社-者解於玉(イラカ)ニ(カンナキ)__(ヤウトメ)ハ者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|ヒ‖-_(スキ―)ニ|-(シヤウ)ノ_(ヲトコ)ハ調--‖--殿ニ|〔山田俊雄藏本〕

袮宜~主幣帛於大床(ユカ)ニ別當社僧者解(ヒボ)ヲ於玉甍(イラカ)ニ(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)者曳キ‖裙帯(クンタイ)ヲ|イ‖-透廊(スキ―)ニ|(シキ)神樂(カクラ)調拍子(トヒヤウシ)ヲ‖-(シコウ)拝殿(ハイデン)ニ|〔経覺筆本〕

袮宜(ネキ)~主(サヽ)(ヘイ)-(ハク)_(ユカ)別當社-(トキ)(ヒホ)於玉(イラカ)(カンナキ)(ヤ)乙女者曳(ヒキ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マイ)‖-(アソ)透廊(スキラウ)ニ|職掌(シキシヤウ)神樂(ラ)(ヲトコ)(ハ)調拍子(トヒヤウシ)(シ)(コウ)-殿〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

祢宜 ネキ。〔黒川本・官職門中31ウ八〕

祢宜 。〔卷第五・官職門20五〕

とあって、標記語「祢宜」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

祢宜(ネギ) 。〔神祇門35五〕

とあって、標記語「祢宜」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

禰宜(ネネイ、ヨロシ)[平・平] 社人。〔人倫門426一〕

とあって、標記語「禰宜」の語を収載し、語注記は「社人」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

祢宜(ネギ) 神人。〔・人倫門133六〕〔・人倫門107六〕〔・人倫門120四〕

祢宜(ネキ) 神人。〔・人倫門98四〕

とあって、標記語「祢宜」の語を収載し、語注記に「神人」と記載する。また、易林本節用集』には、

祢宜(ネギ) 。〔人倫門107七〕

とあって、標記語「祢宜」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「祢宜」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上- 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「祢宜」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

袮宜(ネギ)~主者(サヽ)ゲ幣帛(ヘイハク)ヲ大床(ヘツ)-當社僧者(ハ)(ト)ク(ヒボ)ヲ於玉(イラカ)ニ(カンナギ)ノ八乙女(ヤヲトメ)(ハ)(ヒイ)テ‖裙帯(クンタイ)ヲ|(マ)ヒ‖-(アソ)ビ透廊(スイラウ)ニ|祢宜(ネキ)神主(カンヌシ)ノ役ハ弊(ヘイ)ヲ捧テ擧言ヲ申。大床(ユカ)ヲ見レバ社僧等ハ讀誦(ドクジユ)ノ声ヲ挙(アク)ル玉ノ甍(イラカ)ニテ也。巫(カンナギ)八乙女(ヤヲトメ)ハ裙帯(クンタイ)ト云ヲビヲハエテ透廊ニ伺候スル。〔下26オ二〜四〕

とあって、この標記語「祢宜」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()袮宜~主者皆~職也。〔72オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「祢宜」の語を収載し、語注記は、「皆~職なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ一〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔95オ二〕

とあって、標記語「祢宜」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Negui.ネギ(祢宜) 神(Camis)に仕える人.→Xanin.〔邦訳457l〕

とあって、標記語「祢宜」の語の意味は「神(Camis)に仕える人」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ねぎ〔名〕【禰宜】〔祈(ねぎ)の義、我が身、人の上を~に祈る、或は、~を勞(ねぐ)の義か〕かんぬし(~主)の條を見よ。~人。廟祝。易林本節用集(慶長)上、人倫門「禰宜、ネギ」續日本紀、十七、天平勝寶元年十一月「八幡大~禰宜外從五位下大~杜女、云云、賜大~朝臣之姓」皇太~宮儀式帳、御鎮座次第「爾時太~宮禰宜氏、荒木田~主等遠祖、國摩大鹿嶋命孫、天見通命乎禰宜定弖、倭姫内親王、朝廷爾參上坐支、從是時始弖、禰宜氏無絶事弖、職掌供奉、禰宜之任日、忌火飯食忌慎」古今著聞集、二、釋教「弘仁五年春、傳教大師、云云、禰宜、祝等、この事を見て、昔よりいまだかかる事を見聞かずといひけり」林葉集、七「~垣の、たよりに立つか、梅の花、鶯の來て、ねぎと定むる」(根木に禰宜をかく)〔1519-1〕

とあって、標記語「ねぎ〔名〕【禰宜】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ねぎ禰宜】〔名〕(動詞「ねぐ(労)」の連用形の名詞化。「禰宜」はあて字。→「ねぐ(労)の補注」)@昔、伊勢神宮以下、各神社に奉仕した神職。ふつう神主の下、祝(はふり)の上に位した。また一般に、神職の総称としても用いる。伊勢両宮では、大宮司・少宮司の下に各各一〇人の禰宜および大内人・物忌などがいて奉仕した。A現在、伊勢神宮および神社本庁管轄下の全国の神社に置かれる~官・神職の一つ。宮司・権宮司の下、権禰宜の上に位する。伊勢神宮では、大宮司・少宮司のもとで祭事を行ない事務をつかさどる。第二次世界大戦前、官国幣社では、判任官待遇または奏任官待遇とし、祭儀・庶務に従事した。B昆虫「ばった(飛蝗)」の異名」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是去正月十九日、號熊野山湛増之從類、濫入伊雜宮、鑚破御殿、犯用神寳之間、爲一禰宜成長神主沙汰、奉遷御體於内宮之處、同廿六日、件輩、亦襲來山田宇治兩郷、焼失人屋、奪取資財訖《訓み下し》是レ去ヌル正月十九日ニ、熊野山ノ湛増ガ従類ト号シテ、伊雑ノ宮ニ濫入シ、御殿ヲ鑚リ破リ、神宝ヲ犯シ用ヰルノ間、一ノ祢宜成長神主ノ沙汰トシテ、御体ヲ内宮ニ遷シ奉ルノ処ニ、同キ二十六日ニ、件ノ輩、亦山田宇治ノ両郷ニ襲ヒ来テ、人屋ヲ焼失シ、資財ヲ奪ヒ取リ訖ンヌ。《『吾妻鏡』治承五年三月六日の条》
 
 
2004年03月09日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
庭上(テイシヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

庭上(テイシヤウ) 。〔元亀二年本246五〕〔静嘉堂本284八〕

とあって、標記語「庭上」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「庭上」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「庭上」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

庭上(テイシヤウニワ・―)[平・上去] 。〔態藝門733二〕

とあって、標記語「庭上」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

庭上(テイシヤウ) 。〔・言語進退門199五〕

庭上(テイシヤウ) ―前(せン)。―儀()/―訓(キン)クン。―中(チウ) 直(ジキ)訴訟(ソせウ)申也。〔・言語門164六〕

庭上 ―前。―儀。―中/―訓 直訴訟申也。〔・言語門153七〕

とあって、弘治二年本が標記語「庭上」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

庭訓(テイキン) ―儀()/―中(チウ)。〔言語門166三〕

とあって、標記語「庭訓」とし熟語群二語を収載するが「庭上」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「庭上」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「庭上」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「庭上」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

舞行(ぶがう)の踵(くびす)を庭上(ていしやう)に峙(そばた)つ-行之踵庭上踵ハ足のかゝと也。踵を峙つとハ頓て看んとして足つくろひをするを云也。〔72オ七〜八〕

とあって、この標記語「庭上」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ五〜六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔94ウ五〜95ウ一〕

とあって、標記語「庭上」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Teixo<.テイシヤウ(庭上) Niuano vye.(庭の上)庭(Niua)の上,または,庭の中.§Teixo<ni caxicomaru.(庭上に畏る)庭にうずくまる,しゃがむ.〔邦訳643l〕

とあって、標記語「庭上」の語の意味は「庭(Niua)の上,または,庭の中」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「てい-じゃう〔名〕【庭上】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「てい-じょう庭上】〔名〕(古くは「ていしょう」)庭の上、庭の表面。庭のあたり。庭先。*菅家文草(900年頃)五・仮中書・懐詩「日高催老僕、掃除庭上沙」*金刀比羅本平治物語(1220年頃か)下・頼朝遠流の事「庭上にかしこまつて御わたり候つれば」*謡曲・自然居士(1423年頃)「ある時貨狄(かてき)庭上の池の面を見渡せば」*日葡辞書(1603-04年)「Teiso<(テイシャウ)。ニワノウエ」*浄瑠璃・嫗山姥(1712年頃)五「金時がなは取にて三人四方を取かこみ、庭上(テイシヤウ)にひっすへたる鬼神はいかりをめくこゑ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
悉以燒失既曉天帰參、士率等群居庭上《訓み下し》既ニ暁天ニ帰参シ、士率等庭上ニ群居ス。《『吾妻鏡』治承四年八月十七日の条》
 
 
2004年03月08日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(そばだ・つ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

(ソハダツ)() 。〔元亀二年本156四〕

(ソバダツ)() 。〔静嘉堂本171四〕

(ソハタツ)() 。〔天正十七年本上20オ一〕

とあって、標記語「欹・側」の語を収載するだけで、「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ) 舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ソハタツ/―枕。跋側(又ソハム) ―国也/―身/―耳。―山也/―枝也/已上同。〔黒川本・辞字門中18オ七〕

ソハタツ/―枝。已上同/―枕/―山。〔卷第四・辞字門中542五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ソバタツ/)[平](同/)[上] 。〔態藝門408五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「そばたつ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ソハタツ)()耳。〔・言語進退門121四〕

(ソバタツ)(ソバタテ)ヲ―() () 。〔・言語門102六〕

(ソバタツ)()耳。〔・言語門92九〕

(ソハタツ)()耳。〔・言語門113三〕

とあって、上記『運歩色葉集』と同じく弘治二年本だけが標記語「」の語を未収載にし、他本は収載する。また、易林本節用集』には、

(ソバダツ) 枕。() 山。〔言語門190五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「山」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ただし、『運歩色葉集』と印度本系統の弘治二年本節用集』がこの語を未収載としていることがここにクローズアップしてきている。すなわち、この語を真字本『庭訓往来註』からは採録していないという事実であり、語注記のない語はこうした範疇に置かれていることも知らねばなるまい。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

舞行(ぶがう)の踵(くびす)を庭上(ていしやう)に(そばた) -行之踵庭上踵ハ足のかゝと也。踵を峙つとハ頓て看んとして足つくろひをするを云也。〔72オ七〜八〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()(そばた)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ| -行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ五〜六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔94ウ五〜95ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sobatachi,tcu,atta.ソバダチ,ツ,ッタ(ち,つ,つた) 傾いている.§また,時として,岩石や巌などが高くそそり立っている意.→Sobatachi,tcu.〔邦訳567r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「傾いている」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そばだ・ツ・テ・タ・チ・テ〔自動、四〕【】〔稜立(そばた)つの義〕獨り、別に聳(そび)ゆ。殊に、高く立つ。(山などに)字類抄、「、ソバダツ」古今著聞集、十七、變化「其のあとに、大なる石ぞ、其の數知らず、そばだちてありける」〔2076-5〕

とあって、標記語「そばだ〔自動、四〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そばだ】(古くは「そばたつ」)[]〔自タ五(四)〕(「稜(そば)立つ」の意)@高くそびえ立つ。群を抜いてそびえる。また、角ばって立つ。しっかりと立つ。A斜めに傾いた状態になる。また、横ざまになる。Bことばにかどが立つ。とげとげしくなるさま。また、鋭く聞こえるようになる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
駿河目代率多勢、赴甲州之處、不意相逢〈尓〉此所境連山峯道磐石之間、不得進於前、不得退《訓み下し》駿河ノ目代多勢ヲ率シテ、甲州ニ赴クノ処ニ、意ナラズ此ノ所ニ相ヒ逢フニ、境山ノ峰ニ連ナリ道磐石ヲ(ソバタ)ノ間、前ニ進ムコトヲ得ズ、後ニ退クコトヲ得ズ。《『吾妻鏡』治承四年十月十四日の条》
 
 
2004年03月07日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(きびす・くびす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

(クビス) 。〔元亀二年本198四〕〔静嘉堂本225二〕〔天正十七年本中42オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(シヨウ) 云隴/クヒス/俗云キヒス。〔黒川本・人躰門中74オ一〕

クヒス。 同(クヒス)/亦作?。〔卷第六・人躰門401一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(クビス) 。〔支體門69五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(クビスシヨウ)[上] 合紀苦卑筈(クビス)。〔支體門503四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「『合紀』苦卑筈(クビス)」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(クビス) 。〔・支体門158二〕〔・支体門129五〕〔・支体門118五〕

(クビス) 苦卑筈同。〔・国花合紀集抜書・280三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

(クビス) 。〔支躰門129五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)(クヒス)庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

舞行(ぶがう)の踵(くびす)を庭上(ていしやう)に峙(そばた)つ-行之庭上踵ハ足のかゝと也。踵を峙つとハ頓て看んとして足つくろひをするを云也。〔72オ七〜八〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、「踵は、足のかゝとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲踵ハ(かゞと)也。爰(こゝ)にハ足踏(あしぶミ)をいふなるべし〔53オ五〜六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲踵ハ(かゝと)也。爰(こゝ)にハ足踏(あしぶミ)をいふなるべし〔94ウ五〜95ウ二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、「踵は、(かゞと)なり。爰(こゝ)には、足踏(あしぶミ)をいふなるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Cubisu.クビス() かかと.→Qibisu;Tcugui,gu.〔邦訳159r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「かかと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きびす〔名〕【】くびすの條を見よ。〔0479-1〕

くび-〔名〕【】くびびすの條を見よ。〔0542-1〕

くび--〔名〕【】〔くびびは、縊(くび)(くび)の約にて(際際(きはきは)、きはは。撓撓、たわわ)足頸を云ふ、すは、居(すゑ)の下略ならむ(杙末(くひすゑ)、杭(くひぜ))釋名「跟、在下方著地、一體任之、象木根也」きびびすは、音轉(黄金、こがね、くがね)くびす、きびすは、再び約れるなり〕足の裏の、後部。脚の、地を蹈みて立つところ。又、くびす。きびびす。きびす。今、かかと、又、あくとと云ふ。仁徳紀、六十五年「踵(クビビス)華嚴經私記音義(奈良朝)「跟、久比比須」天治字鏡、二26「跟、踵也、久比比須」字鏡2肉偏ニ爭ノ字「脚筋也、支比比須(キビビス)乃須知」同33革、殿の合字「履之跟也、久豆之支比比須」倭名抄、三7手足類「跟、踵、足後也、久比須(クビス)、俗云、岐比須(キビス)宇津保物語、あて宮23「沓片足(くつかたし)、草鞋(さうがい)片足(かたし)、きびすをば、はなに穿()くきて、徒歩(かち)から參りて、帝の、南殿(なでん)に出でたまへるに立ちて」(草鞋の踵(きびす)を、足の端(はな)に穿()きたるなり)〔0543-1〕

とあって、標記語「きびす」「くび-」「くび--〔名〕【】」の三語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きびす】〔名〕@かかと。くびす。きひひす。Aはきもので、かかとが当部分。[語誌](1)上代のクヒビス(ないしクビヒス)がクビスやキヒヒスなどの形を経てキビスに変化した。中古以降クビスと並んで用いられるが、クビスが規範的な形、キビスが日常的な形であったらしい。近世上方では次第にキビスが勢いを得、現代近畿方言につながる。(2)方言では踵(かかと)の意のキビスの分布の外側に踝(くるぶし)の意のキビスの分布が見られる。文献でも古く「踝」の字をキビス(またクヒビス、キヒヒス)と訓じたものがあるところから、キビスの類は最も古くは踝の名称であった可能性が考えられる。→くびひす」、標記語「くびす】〔名〕足の裏の後部の地につく部分。かかと。きびす。くびひす」、標記語「くびす】〔名〕「くびす(踵)」に同じ。[語誌](1)二、三拍目の清濁については、クビヒスなのかクヒビスなのかはっきりしないが、クヒはクハタツのクハと関連し、ヒスはフシと関連すると考えられるところから、クヒ+ヒス→クヒヒス→クヒビスではないかという説がある。(2)上代にはクビスやキヒビスという形も文献に見られ、これらはいずれもクヒビスから変化したものと考えられる。中古以降はクヒビスよりクビスが主流となるが、キビスという形も現われてこちらの方が日常的になっていく。→「きびす」の語誌」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
加之、聖禪於破壞精舎、雖企修造之勵、誰留安堵之哉《訓み下し》加之、聖禅精舎ヲ破壊スルニ於テ、修造ノ励ヲ企ツト雖モ、誰カ安堵ノ(クビス)ヲ留メンヤ。《『吾妻鏡』養和二年五月二十五日の条》
 
 
2004年03月06日(土)晴れ一時曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
舞行(ブカウ・ブギャウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、「舞樂(フガク)。舞臺(タイ)。舞童(トウ)」の三語を収載し、標記語「舞行」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「舞行」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「舞行」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、いずれも「舞行」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「舞行」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「舞行」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

舞行(ぶがう)の踵(くびす)を庭上(ていしやう)に峙(そばた)つ-之踵庭上踵ハ足のかゝと也。踵を峙つとハ頓て看んとして足つくろひをするを云也。〔72オ七〜八〕

とあって、この標記語「舞行」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ五〜六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔94ウ五〜95ウ一〕

とあって、標記語「舞行」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「舞行」の語は未記載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-かう〔名〕・-ぎゃう〔名〕・【舞行】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぎょう舞行】〔名〕舞い歩くこと。*庭訓往来(1394-1428年頃)「御前舞人、打伺至、峙舞行之踵於庭上」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例をもって記載する。
[ことばの実際]
散手舞間仰之、左府仰之、次左舞行高(狛)・右舞人忠方(多)両人任将曹、同左府仰之、事了退出、舞間雨降、取楽屋、楽人・舞〔人〕渡中門、今日京極殿侍闘乱、馬允清則・中原貞仲両人也 《『殿暦』康和4年3月24日の条、1/116・572-0》
 
 
2004年03月05日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
伺至(ケイロウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、標記語「〓(十豆+)〓(十豆+婁)」「伺至」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「〓(十豆+)〓(十豆+婁)」「伺至」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「〓(十豆+)〓(十豆+婁)」「伺至」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「〓(十豆+)〓(十豆+婁)」「伺至」の語はすべて未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

※天理図書館藏『庭訓往来註』の左訓は、「コシツヽミ」とする。※「――トハ鼓乱曲リニス」《国会図書館藏『左貫注庭訓往来』書き込み》※ケイロウ/コシツヽミ―○昔、調拍子ニ音ヲカク令調コト也。〔静嘉堂文庫蔵『庭訓往来抄』古寫書込み〕

とあって、標記語「〓〔十豆+圭〕〓〔十+」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「〓〔十豆+圭〕〓〔十+」とし、語注記は「ケイロウト云ふ鼓(ツヽミ)を打ちて」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

伺至(がいろう)打(うち)伺至ヲ|つゞミの類なり。〔72オ七〕

とあって、この標記語「伺至」の語を収載し、語注記は、「つゞみの類なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|伺至ハ舞(まひ)の履(くつ)也。ハ音ガイ也。ケイとよむハ誤なり。〔53オ六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)伺至ハ舞(まひ)の履(くつ)也。ハ音(おん)ガイ也。ケイとよむハ誤(あやまり)なり。〔94ウ五〜95ウ一〕

とあって、標記語「伺至」の語を収載し、その語注記は、「伺至は、舞(まひ)の履(くつ)なり。は、音(おん)ガイなり。ケイとよむは、誤(あやまり)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「〓(十豆+)〓(十豆+婁)」「伺至」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-らう-〔名〕【鷄婁鼓伺至】雅樂の樂器の名、革製にして、形、、甕の如く、胴の長さ六寸、面の徑六寸、左右に環をつけ、紐にて頸にかけて、撃ち鳴らす。唐六典、十四「大燕會、則設十部之伎於庭、云云、六日、餉茲伎、云云、腰鼓、?婁婁鼓具、各一」教訓抄、九、「鷄婁、云云、於唐國鳳樓、曉撃之、仍名鷄樓〔0601-5〕

とあって、標記語「けい-らう-〔名〕【鷄婁鼓伺至】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けい-ろう-鷄婁鼓】〔名〕雅楽器の一つ。直径約一八センチbの小形の太鼓に似た形で、胴の側面につけた長いひもを首にかけてつるし、ばちで鼓面を打って鳴らす。現在は舞楽の「一曲」だけに使用。けいろう。*新唐書-礼楽志・一一「亀茲伎有弾箏・豎箜篌〈略〉?婁婁」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
龜茲部,有羯鼓、揩鼓、腰鼓、鷄婁鼓、短笛、大小?篥、拍板,皆八;長短簫、笛、方響、大銅?、貝,皆四。凡工八十八人,分四列,屬舞筵四隅,以合節鼓《『新唐書』卷二百二十二下・列傳第一百四十七下・南蠻下の条》
 
 
2004年03月04日(木)晴れのち一時雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
舞人(まひびと)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「滿」部に、

舞人(ヒト) 。〔元亀二年本207一〕

舞人(マイヒト) 。〔静嘉堂本235四〕〔天正十七年本中47オ四〕

とあって、標記語「舞人」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。この古写本類のこの語の訓みだが、「まいうど」とウ音便化の表記が「マイウト」「マウト」「マユウト」と記載されているのが特徴である。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「舞人」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「舞人」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「伶」で「マイビト」の語を左訓に収載するが標記語「舞人」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「舞人」の語は、未収載にする。また、易林本節用集』には、

舞姫 (ビト)。〔人倫門139四〕

とあって、標記語「舞姫」の冠頭字「舞」の熟語群として「舞人」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本節用集』に「舞人」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「舞人」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人(ハ)〓〔十豆+圭〕-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「舞人」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

御前(ごぜん)の舞人(まいひと)者()御前舞人伶人に組たる舞手なり。〔72オ六〕

とあって、この標記語「舞人」の語を収載し、語注記は、「伶人に組たる舞手なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲舞人ハ伶人(れいしん)に組(くミ)たる舞手(まひて)なり。〔53オ六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲舞人ハ伶人(れいしん)に組(くミ)たる舞手(まひて)なり。〔95ウ一〕

とあって、標記語「舞人」の語を収載し、その語注記は、「舞人は伶人(れいしん)に組(くミ)たる舞手(まひて)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Maido.マヒド(舞人) ある楽器の音に合わせて舞う人.→Maibito.〔邦訳380l〕

Maibito.マヒビト(舞人) 舞を舞う人,または,舞踏家.→Maido(舞人).〔邦訳380l〕

とあって、標記語「舞人」の語の意味は「舞を舞う人,または,舞踏家」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

まひ-びと〔名〕【舞人】まひを行ふ人。まひうど。源氏物語、三十四、下、若菜、下15「まひ人はゑふのすけ共の、かたちきよげに、たけだちひとしきかぎりをえらせ給」〔1896-1〕

とあって、標記語「まひ-びと〔名〕【舞人】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「まひ-びと舞人】〔名〕舞楽を舞う人。舞を舞う人。まいにん。まゆうと。まいど」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
九月仁王會、講讀師、請僧或三十人、或百人、或千人、舞人、三十六人樂人三十六人也《訓み下し》九月仁王会、講読師、請僧。或ハ三十人、或ハ百人、或ハ千人、(マイ)、三十六人。楽人三十六人ナリ。《『吾妻鏡』文治五年九月十七日の条》
 
 
陣頭(ヂントウ)」の語はことばの溜池「陳頭」(2004.01.24)の語を参照されたい。
 
2004年03月03日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(ひるがえ・す)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

(ヒルガヘル)() 。〔元亀二年本346八〕

(ヒルカヘル) 。〔静嘉堂本417二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ヒルカヘス/亦作(ハン)/孚袁反。翩轉倒返飄?已上同。〔黒川本・辞字門下93オ二〕

ヒルカヘル?已上同。〔卷第十・辞字門359四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ヒルガヘル/ハン)(同/ハン)(同/ヘウ) 。〔態藝門1063三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「ひるがへる」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ヒルカヘス)同。〔・言語進退門255六〕

(ヒルカヘル) () () 。〔・言語門219六〕

(ヒルカヘル) /翻。〔・言語門204七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、弘治二年本が「ヒルガヘス」訓みを記載する。また、易林本節用集』には、

(ヒルガヘル)(ヘウ) ()(ホン)同。〔言辭門227七〕

とあって、標記語「飄・翻」の語で収載し、語注に「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+圭〕- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

羅綾(られう)の(たもと)を陣頭(ぢんとう)(ひるかへ)-綾之袂-羅綾ハ伶人の着たるうすものあやの衣装なり。袂を翻すとハ樂を奏する時手の動くに付て袖のひらめくを云。陣頭の注ハ前に見へたり。〔72オ四〜六〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、「袂を翻すとは、樂を奏する時手の動くに付けて袖のひらめくを云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()(ひるかへ)御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ五〜六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔94ウ五〜95ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Firugayexi,su,eita.ヒルガヘシ,ス,イタ(し,す,いた) 風が旗とか着物の袖とかなどを吹き返す.§また,比喩.Yacusocuuo firugayesu.(約束を翻す)取り決めを破る.Zombuuo firugayesu.(存分を翻す)意見を変える.→Ia(邪);Xita(舌). 〔邦訳244l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「風が旗とか着物の袖とかなどを吹き返す」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひる-がへ・ス・セ・サ・シ・セ〔他動、四〕【】(一)ひらりとかへす。裏表になす。杜甫詩「翻手作雲覆手雨」名義抄「反、ヒルカヘス」散木集、四、冬「難波潟、あまのいさりに、立つ千鳥、いくたび磯に、ひるがへすらん」狂言記、雁かりがね「風白浪をひるがへせば、花千片」(二)うらがへす。くつがへす。狂言記、三人百姓「いやいや、仰せ出された事を飜す事はならぬ、急いで詠みませい」「志を翻す」前説を翻す」(三)旗などを、風にひらめかす。太平記、五、大塔宮熊野落事「赤旗三旒、松の嵐に翻して、其勢五六百騎が程、かけ出たり」「風、旗を翻す」〔1712-3〕

とあって、標記語「ひる-がへ〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ひる-がえ【翻・】〔他サ五(四)〕@ひらりと返る。さっとひっくりかえる。裏返しになる。裏返る。A旗や幟(のぼり)などが風にひらひらとする。風になびく。ひらめく。はためく。B今までの態度や説が急にかわる。反対になる。反対の側につく。裏切る。寝がえる。過去を悔い行ないを改める。心をかえて善や正につく。C身を躍らせて飛ぶ。また、風が物をあおるように吹く」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
離閤鳳 憑檻舞△△下樓娃袖顧階飜 菅三品《訓み下し》閤(カフ)を離(はな)るる鳳(ホウ)の (つばさ)は檻(おばしま)に憑()つて舞()ふ△△樓(ロウ)より下()るる娃()の袖(そで)は階(きざし)を顧(かへり)みて(ひるがへ) 菅三品(くわんさんほん)。《『和漢朗詠集』》
願以今生俗文字之業狂言綺語之誤飜爲當來世 讚仏乘之因轉法輪之縁 白《訓み下し》願(ねが)はくは今生(コンジヤウ)世俗(セゾク)の文字(モンジ)の業(ゴフ)△狂言綺語(クヰヤウゲンキギヨ)の誤(あやま)りをもつて(かへ)て當來(タウライ)世々(セセ)讚佛乘(サンブツジヨウ)の因(イン)△轉法輪(テンボフリン)の縁(エン)とせむ 白(ハク)《『和漢朗詠集』》
 
 
2004年03月02日(火)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(たもと)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

(タモト) 。〔元亀二年本147一〕〔静嘉堂本158五〕〔天正十七年本中11ウ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)(タモト)-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

タモト。〔黒川本・雜物門中5オ四〕〔卷第四・雜物門411一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(タモト) 。〔絹布門98三〕

とあって標記語「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(タモト/ヘイ)[去] 。〔絹布門340七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(タモト) 袖。〔・衣服門102四〕

(タモト) 。〔・財宝門94三〕〔・財宝門86二〕〔・財寳門104二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、弘治二年本が語注記に「袖」と記載する。また、易林本節用集』には、

(タモト) 。〔食服門91三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-綾之-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+磨l- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)(タモト)-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

羅綾(られう)の(たもと)を陣頭(ぢんとう)に飜(ひるかへ)し-綾之-羅綾ハ伶人の着たるうすものあやの衣装なり。袂を翻すとハ樂を奏する時手の動くに付て袖のひらめくを云。陣頭の注ハ前に見へたり。〔72オ四〜六〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、「袂を翻すとは、樂を奏する時手の動くに付けて袖のひらめくを云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-綾之-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|〔53オ五〜六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)〔94ウ五〜95ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tamoto.タモト() 袖の袋のところ.§Tamotouo nurasu.(袂を濡らす)詩歌語.泣く.§Tamotono cauaqu fimamo naxi.(袂の乾く隙もなし)ひどく泣く.§Tamotoni toritcuqu,l,sugaru.(袂に取り付く,または,縋る)袖につかまる,あるいは,取りすがる.§Tamotouo ficayuru,l,fiqitodomru.(袂を控ゆる,または,引き留むる)袖を引っ張って人を引きとどめる.→Naqicogare,uru;Voxiate,tcuru;Xibori,u.〔邦訳609l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「袖の袋のところ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たもと〔名〕【】〔手本(たもと)の義、手末(たなすゑ)に對す〕(一){袖の本の方。肘より肩までの間、即ち肱に當る所。(上古の衣は、筒袖にて、袖の肱に當る邊を云ひしが如し)倭名抄、十二、衣服具「袂、開張以臂屈伸也」(一本、屈伸の上に受の字あり、臂受の誤倒かと云ふ)名義抄「袂、タモト、ソテ」萬葉集、五9長歌「漢玉を、多母等に卷かし、白妙の、袖振りかはし」同、十五28「我が袖(そで)は、多毛登(たもと)とほりて、濡れぬとも、戀忘れ貝、採らずば行かじ」宇治拾遺物語、一、十八條「若き男(をのこ)どもの、袂より手出したる、薄らかなる刀の長やかなるもたるが」(腋(わきした)なり)(二)混じて、袖。(三)ふもと。「山の袂」(四)きは。そば。才藏狂歌集、夏「夏の夜の、月をみはしの、たもとにて、ふいたる汗も、風にひたたれ」(五){支那、隨唐の風移り、大袖となりて下に垂るもあり。萬葉集、十四19「風の音の、遠き吾妹が、着せし衣、多母登の行(くだり)、まよひきにけり」(肱の)〔1251-3〕

とあって、標記語「たもと〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たもと手本】〔名〕(「手(た)本」の意)@手の肱(ひじ)から肩までの部分。二の腕。また、手首、袖口のあたりとする説もある。A着物の、袖口の下の袋のようになった部分。そで。Bかたわら。そば。ふもと。CAの中の物を盗むこと、また、その盗む者をいう、盗人仲間の隠語〔隠語構成様式幵基語集(1935)〕D土塀、側壁をいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧(1915)〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
地「不思議や社壇の方よりも。不思議や社壇の方よりも。異香薫じて瑞雲たなびき微妙の音楽聞え来て。天津少女の舞の袖。返す返すも。おもしろや。天女舞玉もゆらゝに少女子が。玉もゆらゝに少女子が。羅綾の袂をひるがへし。五節の舞の手。とりどりに。天津風さへこゝしばし。雲の通路ふきとぢて。少女の姿とゞむらん。神々もこれを愛でけるにや。御殿俄に震動して。玉の階踏み轟かし。神体出現。ましませり。《謡曲『大典』》
人も三十、四十を越えては衰えゆくものなれば随分ご養生遊ばさるべく候。大酒飽淫は実に命を切る斧なり。ゆめゆめ過ごさぬように遊ばさるべく候。七尺の屏風もおどらばなどか越えざらん、
羅綾の袂も引かばなどかたえざらん。おのれ欲りするところなりとも制せば、などかやまざらん。
すもり老・良寛
 
 
2004年03月01日(月)霙後曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
羅綾(ラレウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「羅」部に、

(リウ) 。〔元亀二年本172一〕

羅綾(ラレウ) 。〔静嘉堂本191四〕

(レウ) 。〔天正十七年本中26オ二〕

とあって、標記語「羅綾」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

御迎伶人調樂妓飜羅綾之袂於陳頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行踵於庭上〔至徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭者御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔宝徳三年本〕

御迎伶人者調樂妓飜羅綾之袂於陣頭御前舞人者打(十豆+)(十豆+婁)峙舞行之踵於庭上〔建部傳内本〕

御迎伶人調(シラヘ)樂妓()-(レウ)()(タモト)-ニ|御前舞人(マイウト)()(ケイ)(十豆+)-(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダツ) ()-(コウ)之踵(クヒス)庭上〔山田俊雄藏本〕

御迎(ムカイ)(レイ)人者()調樂伎羅綾(ラレウ)之袂(タモト)-(トウ)ニ|御前舞人(マウト)()(ケイ)(十豆+)(ロウ)(十豆+婁)ヲ|(ソバダ)舞行(フコウ)之踵(クビス)庭上〔経覺筆本〕

御迎伶人(レイ)(ハ)調(トヽノ)ヘ樂妓(カツキ)ヲ(ヒルカヘシ)シ羅綾(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ御前(―ン)(ノ)-(マユウト)(ハ)(十豆+)-(十豆+婁)(ケイロウ)ヲ(ソハタ)ツ-(フカウ)(ノ)(クヒス)ヲ庭上〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「羅綾」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「羅綾」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

羅綾(ラレウウスモノ、アヤ)[平・平] 。〔絹布門452七〕

とあって、標記語「羅綾」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「羅綾」の語は未収載にする。このことは、上記の広本節用集』と『運歩色葉集』との連関性のうえで絹布門の語収載が最も懸け離れた特徴点となっていることを示唆している。また、易林本節用集』には、

羅綾(ラレウ) 。〔食服門112七〕

とあって、標記語「羅綾」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書において、広本節用集』『運歩色葉集易林本節用集』に「羅綾」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ここで、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』にこの語が見えないことを注目せねばなるまい。印度本原編者の収載意識として、絹布門の語を未収録にするその理由があろう。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

499調樂妓(−ギ)ヲ-之袂-ニ|御前舞人ツテ〓〔十豆+磨l- 〓〔十+(ケイロ)ヲ|(ソハタテ/タツ) -(ブ−)之踵(クヒス)ヲ庭上-宜 男御子也。〔謙堂文庫藏四八右H〕

とあって、標記語「羅綾」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御迎(ムカヒ)ノ伶人(レイジン)者調(トヽノ)ヘ樂妓(カクキ)ヲ(ヒルカヘ)ス-(ラレウ)之袂(タモト)ヲ-(チントウ)ニ|御前舞人者(ハ)〓〔十豆+-〓〔十+(ケイロウ/コシツヽミ)ヲ|(ソバタツ) -(ブカウ)ノ(クヒス)ヲ庭上御迎ノ伶人ト云事御掌拝ノ砌ニハ伶人舞童(トウ)之儀有樂(カク)(ニシキ)ノ袖ヲカサスナリ。御前ニテ舞(マヒ)(タハフ)ルヽ人ハケイロウト云鼓(ツヽミ)ヲ打テ乱曲ノ袂ヲヒルガヘス。〔下25ウ七〜26オ二〕

とあって、この標記語「羅綾」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

羅綾(られう)の袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)に飜(ひるかへ)し-之袂-羅綾ハ伶人の着たるうすものあやの衣装なり。袂を翻すとハ樂を奏する時手の動くに付て袖のひらめくを云。陣頭の注ハ前に見へたり。〔72オ四〜六〕

とあって、この標記語「羅綾」の語を収載し、語注記は、「羅綾は、伶人の着たるうすものあやの衣装なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御迎(おんむかひ)の伶人(れいじん)者()樂妓(がくき)を調(とヽの)ヘ羅綾(られう)之()袂(たもと)を陣頭(ぢんとう)於()飜(ひるかへ)し御前(ごぜん)乃舞人(まひびと)者() 伺至(がいろう)打(うつ)て舞行(ぶこう)之踵(くびす)を庭上(ていしやう)於()峙(そばた)つ袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)者()幣帛(へいはく)を大牀(おほゆか)於()(さゝ)げ、別當(べつたう)社僧(しやそう)者()經(きやう)の紐(ひも)を玉(たま)の甍(いらか)於()解()く(かんなぎ)八乙女(やをとめ)者()裙帯(くんたい)を曳(ひい)て透廊(すいろう)に舞(まひ)遊(あそ)び職掌(しよくしやう)の~樂(かぐら)男(をとこ)者()調拍子(どびやうし)を合(あハ)して拝殿(はいでん)に伺候(しこう)す。御迎伶人者調樂妓-之袂-御前舞人者伺至ヲ|-行之踵庭上袮宜~主者-於大_--僧者於玉八乙女者テ‖裙帯ヲ|ヒ‖-遊透廊ニ|職掌神樂男者シテ調拍子‖-拝殿ニ|▲羅うすもの。綾ハあや。即(すなハち)伶人(れいじん)の装束(しやうぞく)をいふ。〔53オ五〜六〕

御迎(おんむかひ)伶人(れいじん)()調(とヽの)樂妓(がくぎ)(ひるかへ)羅綾(られう)()(たもと)陣頭(ぢんとう)()御前(ごぜん)舞人(まひびと)()(うつ)伺至(がいろう)(そばた)舞行(ぶこう)()(くびす)於庭上(ていしやう)袮宜(ねぎ)~主(かんぬし)()(さゝ)幣帛(へいはく)於大床(おほゆか)別當(べつたう)社僧(しやそう)()(とく)(きやう)(ひも)()(たま)(いらか)(かんなぎ)八乙女(やをとめ)()(ひい)裙帯(くんたい)(まひ)(あそび)透廊(すいろう)職掌(しよくしやう)~樂(かぐら)(をとこ)()(あハ)して調拍子(どびやうし)()(こうす)拝殿(はいでん)▲羅うすもの。綾ハあや。即(すなハち)伶人(れいじん)の装束(しやうぞく)をいふ。〔94ウ五〜95ウ一〕

とあって、標記語「羅綾」の語を収載し、その語注記は、「羅うすもの。綾は、あや。即(すなハち)伶人(れいじん)の装束(しやうぞく)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Rareo>.ラレウ(羅綾) Vsumono aya.(羅綾) ある種の上質の織物.〔邦訳526r〕

とあって、標記語「羅綾」の語の意味は「Vsumono aya.ある種の上質の織物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-れう〔名〕【羅綾】うすぎぬと、あやおりと。綾羅。謡曲、一角仙人「桂のまゆずみ、羅綾のきぬ、更にただ人とは見え給はず候」〔2117-2〕

とあって、標記語「-れう〔名〕【羅綾】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-りょう羅綾】〔名〕うすぎぬと、あやおり。また、上等の美しい衣服」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
地「神楽の鼓声澄みて。/\。羅綾の袂をひるがへし飄す舞楽の秘曲も度重なりて。感応肝に銘ずるをりから。不思議や南の方より吹きくる風の。異香薫じて瑞雲たなびき。金色の光輝きわたるは。蔵王権現の来現かや。《謡曲『嵐山』(1520年頃)》
 
 
 

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