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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

2004年07月31日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
導師(ダウシ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「導師」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状には、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本いずれも「導師」の語は未記載にあることに留意されたい。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

導師 法會分/タウシ。〔黒川本・畳字門中9ウ五〕

とあって、三卷本に標記語「導師」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「導師」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

導師(タウシミチビク、ヲシエ)[去・平] 又殊言住是道己能令衆生成熟(ジヤウジユク)。故名――。云々。釋氏要覽〔態藝門334五〕

とあって、標記語「導師」の語を収載し、語注記に「また、殊の言はく、是の道に住み己が能く衆生を成熟(ジヤウジユク)を得せしめん。故に導師と名づく云々。釋氏要覽」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「導師」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

導師(タウシ) 。〔言語門94五〕

とあって、標記語「導師」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』、広本節用集』、易林本節用集』に標記語「導師」の語を収載していて、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

562()等可請之也 唄以下皆讀物之名也。〔謙堂文庫蔵五三右C〕

とあって、標記語「導師」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』・江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)・頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』のいずれも、標記語「導師」は未記載にする。いわば、真字本『庭訓往来註』のみが茲に記載するものである。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Do<xi.ダゥシ(導師) Michibiqite(導き手)に同じ.指導者,あるいは,師匠.〔邦訳190l〕

とあって、標記語「導師」の語の意味は「Michibiqite(導き手)に同じ.指導者,あるいは,師匠」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だう-〔名〕【導師】(一)佛教に、能く衆生を説きて、無生死の道に導く者。又、佛菩薩の通稱とす。所問經「文殊答云、住是道、已能令衆生得成熟、故名導師釋氏要覽、上「十住斷結經云、號導師者、令衆生類示其正道故、華首經云、能爲人説無生死道導師法華經、誦出品「菩薩於其衆中、最爲上首唱導之師(二)法會などの時、其主となりて事を執る僧。古今集、十二、戀一「しもついづも寺に、人の業しける日、眞西法師のだうしにていへりける詞を歌に」(三)佛事の時に、法儀の主となる僧。枕草子、十一、百四十六段「宮御佛名の、そやの御導師聞きて、出づる人は」〔1193-5〕

とあって、標記語「だう-導師】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「どう-導師】〔名〕仏語。@仏の教えを説いて衆生を悟りの道に導く者。特に、仏・菩薩をさしていう。A法会・供養などの時、衆僧の首座となって儀式をとり行なう僧。また、葬儀の首座となり引導をわたす僧。B一般に、人生や信仰の指導者」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武衛、殊感嘆欽仰給、事訖賜施物判官邦通取之及晩、導師退出至門外之程、更召返之、世上無爲之時、於蛭嶋者、爲今月布施之由、仰覺淵頻有喜悦之氣、退去〈云云〉《訓み下し》武衛、殊ニ感嘆欽仰シ給ヒ、事訖ハツテ施物ヲ賜ハル。判官邦通之ヲ取ル。晩ニ及デ、導師(ダウシ)退出ス。門外ニ至ルノ程ニ、更ニ之ヲ召シ返シ、世上無為ノ時、蛭島ニ於テハ、今日ノ布施タルノ(タルベキノ)ノ由、覚淵ニ仰セラル。頻ニ喜悦ノ気有テ、退去スト〈云云〉。《『吾妻鏡治承四年七月五日の条》
 
 
2004年07月30日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)空港
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「咒咀(ジユソ)詛同。咒力(シユリキ)」の二語を所載し、標記語「咒願」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對楊咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請也〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并唄散花梵音錫杖對楊呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

-師讀-師注(チウ)-()(リツ)-者證-義探(タン)-(ダイ)(バイ)-花梵-音錫-杖對-(シユ)--等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)者證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明十四年〕

と見え、茲で至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明十四年の古写本には「咒願師」とし、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「シユ(クワンシ)」、文明十四年に「シユクワンシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「咒願」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「咒願」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「咒願」の語を未収載にしていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月十五日の状には、

561咒願 十佛名云也。〔謙堂文庫蔵五三右C〕

とあって、標記語「咒願」の語を収載し語注記は、「十佛名のごとく云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハイ)散花(サンゲ)梵音(ボンヲン)錫杖(シヤクチヤウ)對楊(タイヤウ)咒願(シユグワン)()等可(シヤウ)ト云モ皆々音職(ヲンシヨク)ナリ。音声ヲ以態(ワザ)ヲ成也。何共喩(タトヘ)ン樣ナシ。〔下29ウC・D〕

とあって、この標記語「咒願」とし、語注記は、「(キヤウ)を始(ハシム)る人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

對揚(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)對揚咒願師 對揚とハ佛の誓願(せいくわん)を言上る事也。咒願とハ仏に祈願(きくわん)を然る事也〔79ウD・E〕

とあって、この標記語「咒願」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに)華八講(ばつけはつこう)()大(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對揚咒願師等セヲ▲咒願師ハ修行(しゆぎやう)する所の法(ほふ)会の願文(ぐハんもん)を唱(とな)ふる役とぞ。〔58オA・B〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲咒願師ハ修行(  ぎやう)する所の法会の願文を唱(とな)ふる役とぞ。〔104オB〕

とあって、標記語「咒願」の語をもって収載し、その語注記は「咒願師は、修行(しゆぎやう)する所の法(ほふ)会の願文(ぐハんもん)を唱(とな)ふる役とぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)にも、標記語「咒願」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じゅ-ぐゎん〔名〕【咒願】(一)佛教の語、法會の時、施主の所願を、祈ること。又、其文。呪願文。盛衰記、廿七、信濃横田川原軍事「其時は、朝綱の宰相、勅に依て、呪願を書きて、驗ありと云へり、今度は、呪願の沙汰なし」(二)次條の語の略。太平記、二、南都北嶺行幸事「咒願は、時の座主、大塔尊運法親王にてぞ御座しける」〔2-0807-2〕

じゅぐゎん-〔名〕【咒願師】法會の時、呪願の文を讀み上ぐる僧職。(前條を見よ)〔2-0807-2〕

とあって、標記語「じゅ-ぐゎん咒願】」と「じゅぐゎん-咒願師】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じゅ-がん咒願】〔名〕」とあって、
 
小学館『日本国語大辞典』第二版に、

じゅ‐がん[:グヮン]【呪願・咒願】〔名〕(「しゅがん」とも)仏語。(1)法会または食時(じきじ)に、法語を唱え、施主の幸福などを祈願すること。また、その祈願文。*万葉周〔八C後〕三・三二七・題詞「戯請通観僧之咒願時」*観智院本三宝絵〔九八四(永観二)〕中「女蟹をもちて寺に帰て行基して咒願せしめて谷河にはなつ」*雑談集〔一三〇五(嘉元三)〕五・呪願事「華厳経、大集経等に物ことに呪願(シユクヮン)すべしと見へたり」*源平盛衰記〔一四C前〕二七・周武王誅紂王事「朝綱の宰相、勅に依って呪願(シユグヮン)を書て、験ありといへり」(2)「じゅがんし(呪願師)」に同じ。*九暦‐逸文・天暦八年〔九五四(天暦八)〕一〇月一八日「以智淵律師為呪願」*左経記‐寛仁四年〔一〇二〇(寛仁四)〕三月二二日「御堂供養請僧〈略〉咒願 大僧都林懐、権大僧都澄円」*栄花物語〔一〇二八(長元元)〜九二頃〕玉の飾「山の座主・権僧正、導師・呪願仕うまつり給て」*太平記〔一四C後〕二・南都北嶺行幸事「御導師は妙法院尊澄法親王、(シユ)は時の座主大塔尊雲法親王にてぞ御座しける」【発音】ジュガン〈標ア〉[0]

じゅがん‐し[ジュグヮン:]【呪願師】〔名〕仏語。法会のとき、呪願文を読む僧。必ず法会の大導師がこの役をつとめる。呪願。*庭訓往来〔一三九四(応永元)〜一四二八(正長元)頃〕「対揚、呪願師等」発音】ジュガンシ〈標ア〉[カ゜]

とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
御塔供養也導師法橋觀性、咒願若宮別當法眼圓暁、請僧七口〈四口導師伴僧、三口若宮供僧、〉有舞樂《訓み下し》御塔供養ナリ。導師ハ法橋観性、呪願(ジユグワン)若宮ノ別当法眼円暁(法眼円暁)、請僧七口〈四口ハ導師ノ伴僧、三口ハ若宮ノ供僧、〉舞楽有リ。《『吾妻鏡文治五年六月九日の条》
 
 
2004年07月29日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
對揚(タイヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

對楊(  ヤウ)〔元亀二年本135三〕〔静嘉堂本142三〕〔天正十七年本中3オ六〕

とあって、標記語「對楊」の語を収載し、訓みは「(タイ)ヤウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對揚咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請也〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

-師讀-師注(チウ)-()(リツ)-者證-義探(タン)-(ダイ)(バイ)-花梵-音錫--(シユ)--師等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)者證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「對揚」とし、訓みは、文明四年本に「タイヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

對楊 タイヤウ。〔黒川本・畳字門中10ウ四〕

對楊 ヤウ/〃面。〃座。〃决。〃問史記云宗主始之。〃捍。〃策シヤク。〔卷第四・畳字門444六〕

とあって、標記語「對楊」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「對揚」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

對揚(タイヤウコタウ・ムカウ、アガル)[去・平] 讀物(ヨミモノ)。〔態藝門353七〕

とあって、標記語「對揚」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

對揚(  ヤウ)・言語進退門108二〕

對决(タイケツ) ―治()―揚(ヤウ)。―論/―捍(カン)。―面。・言語門94九〕

對决(タイケツ) ―治。―揚。―論/―捍?退義。―面。―坐。・言語門86七〕

對决(タイケツ) ―治。―揚/―論。―捍?退義/―面。―坐。・言語門105二〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「對揚」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

對治(タイヂ) ―談。―論。―揚(ヤウ)。―捍(カン)。―决(ケツ)。―面(メン)。―句()。―座()。〔言語門93四〕

とあって、標記語「對治」の熟語群として「對揚」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「對揚」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

560散花梵音錫杖對楊 々々懺法我-今也。〔謙堂文庫蔵五三右C〕

とあって、標記語「對楊」の語を収載し、この語についての語注記は、「對揚懺法の我今の如くなり」と記載する。そして、古辞書においてはこの注記は見られない。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハイ)散花(サンゲ)梵音(ボンヲン)錫杖(シヤクチヤウ)對揚(たいやう)咒願(シユグワン)()等可(シヤウ)ト云モ皆々音職(ヲンシヨク)ナリ。音声ヲ以態(ワザ)ヲ成也。何共喩(タトヘ)ン樣ナシ。〔下29ウ四・五〕

とあって、この標記語「對揚」とし、語注記は、「(キヤウ)を始(ハシム)る人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

對揚(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)對揚咒願師等 對揚とハ佛の誓願(せいくわん)を言上る事也。咒願とハ仏に祈願(きくわん)を然る事也。〔79ウ五・六〕

とあって、この標記語「對揚」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對揚(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對揚咒願師等セヲ。〔56ウ七〜58オ一・二〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對揚(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔104オ一〜三〕

とあって、標記語「對揚」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Taiyo<.l,taiyo<na.タイヤゥ,または,タイヤゥナ(対揚または,対揚) 形状,質,力などが同じである(こと).¶Tauyo<na aite(対揚な相手)同等の競争相手.〔邦訳606r〕

とあって、標記語「對揚」の語の意味は「形状,質,力などが同じである(こと)」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たい-やう〔名〕【對揚】(一)匹敵(つりあ)はすること。庚申、樂章「幽顯對揚、人~咫尺」太平記、廿、越後勢越越前事「然れども敵に對揚すべき程の勢ならねば」古今著聞集、七、能書「抑、天下に道にたづさはる人、おほけれども、御邊の道におきては、又對揚なし」(二)それに答へて、其旨を稱揚すること。書經、君牙篇「奉若于先王文武之光命」同、説命、下篇「敢天子之休命(三)佛教の語。法會などの時に、佛前にて偈()を唱ふること。又、其僧。江家次第、七、最勝講「散華師申對揚庭訓往來、九月「梵音、錫杖、對揚、呪願師」(四)禪林にて、學人に對して、宗旨を擧揚(コヤウ)すること。碧巌録、第十九則「對揚深愛老倶胝」〔1211-1〕

とあって、標記語「たい-やう對揚】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たい-よう對揚】〔名〕@(形動)能力、勢力、地位などがつりあって対応していること。匹敵すること。また、その物事や人、あるいはそのさま。対等。Aある事柄や相手に応じること。あい対すること。B二つずつ対になること。コンビをくむこと。C(「対様」とも)連歌、俳諧で、二つの詞が相対応すること。また、そのように句をつけること。また、その付け方。対様付け。D君命などにこたえて、民に向ってその主旨を明確に示し宣揚すること。こたえて称賛すること。E仏語。仏の説法の会座にあって、仏に対し問答をおこし、仏意を発揚する意で、仏の説法の相手となって、説法を引き出すこと。F仏語。法会のとき、紙の蓮華をまく散華の式の後に、仏法、世法の常住安穏を願う偈文を唱えること。また、その僧。G仏語。学僧に対して宗旨を示すこと」とあって、Fの意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
義實嗔云、廣常雖思有功之由、難比義實最初之忠更不可有對揚之存念〈云云〉《訓み下し》義実嗔ツテ云ク、広常功有ルノ由ヲ思フト雖モ、義実ガ最初ノ忠ニ比ベ難シ。更ニ対揚ノ存念有ルベカラズト〈云云〉。《『吾妻鏡治承五年六月十九日の条》
 
 
錫杖(シヤクヂヤウ)」は、ことばの溜池(2003.04.23)を参照。
 
2004年07月28日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
梵音(ボンヲン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、「梵字(ボンジ)廿二億字也。梵唄(バイ)。梵語()。○。梵漢(カン)。梵本(ホン)。梵天(テン)」の六語を収載し、標記語「梵音」の語は、未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對楊咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請也〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并唄散花梵音錫杖對楊呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

-師讀-師注(チウ)-()(リツ)-者證-義探(タン)-(ダイ)(バイ)---杖對-揚呪(シユ)--師等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)者證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚咒(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「梵音」とし、訓みは、文明四年本に「ホンヲン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「梵音」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「梵音」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

梵音深妙(ボンヲンジンメウハンイン、キミ、コヱ・サト、フカシ、タヘナリ)[去・平・平・○] 。〔態藝門107五〕

とあって、標記語「梵音深妙」の語を以て収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』は、標記語「梵音」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』が標記語「梵音深妙」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に「梵音」の語が見えている。
 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

560散花梵音錫杖對楊 々々懺法我-今也。〔謙堂文庫蔵五三右C〕

とあって、標記語「梵音」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハイ)散花(サンゲ)梵音(ボンヲン)錫杖(シヤクチヤウ)對楊(タイヤウ)咒願(シユグワン)()等可(シヤウ)ト云モ皆々音職(ヲンシヨク)ナリ。音声ヲ以態(ワザ)ヲ成也。何共喩(タトヘ)ン樣ナシ。〔下29ウ四・五〕

とあって、この標記語「梵音」とし、語注記は、「皆々音職(ヲンシヨク)なり。音声を以て態(ワザ)を成すなり。何共喩(タトヘ)ん樣なし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

梵音(ぼんおん)梵音 梵音ハ天竺の音聲を云。經をとなへる事なり。又唱物の名ともいふなり。〔79ウ四・五〕

とあって、この標記語「梵音」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對揚咒願師等セヲ▲梵音衆錫杖衆ハ散花師の後(あと)に残(のこ)りて左右に對揚(たいやう)し梵音を唱(とな)へ終(をハ)れバ錫杖を振(ふつ)て文(もん)を唱ふ。以上四役(やく)を四箇()の法用(ほふよう)といふ。法会(ほふゑ)の始(はしめ)也。〔56ウ七〜58オ一・二〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲梵音衆錫杖衆ハ散花師の跡(あと)に残りて左右(いう)に對揚(たいやう)し梵音を唱へ終れバ錫杖を振て文を唱ふ。以上四役を四箇()の法用といふ。法会の始(はしめ)也。〔104オ一〜三〕

とあって、標記語「梵音」の語をもって収載し、その語注記は、「梵音衆・錫杖衆は、散花師の後(あと)に残(のこ)りて左右に對揚(たいやう)し梵音を唱(とな)へ終(をハ)れば錫杖を振(ふつ)て文(もん)を唱ふ。以上四役(やく)を四箇()の法用(ほふよう)といふ。法会(ほふゑ)の始(はしめ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Bonuon.ボンノン(梵音) より正しくはBonuon(梵音)である。イゲレジヤ(Igreja教会)〔寺院〕における荘厳な勤行とか,葬儀・法事とかの場合に,読誦し始め,音頭を取る人.※原文はexequias.〔Butcujiの注〕〔邦訳61l〕

とあって、標記語「梵音」の語の意味は「より正しくはBonuon(梵音)である。イゲレジヤ(Igreja教会)〔寺院〕における荘厳な勤行とか,葬儀・法事とかの場合に,読誦し始め,音頭を取る人」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぼん-おん〔名〕【梵音】〔大梵天王の發する音聲の意〕(一)佛の音聲。五種清淨の音ありと云ふ。法華文句「佛報得清淨音聲、長妙號爲梵音三藏法數、三十二「梵音者、即大梵天王所出之聲、而有五種清淨之音也」(二)ぼんばい(梵唄)に同じ。法華經、普門品「梵音、海潮音」(三)讀經の聲の稱。許相卿、月林精舎「月午天霜破衲寒、梵音蕭颯度林端太平記、廿四、大佛供養事「天花()風に繽紛として、梵音雲に悠揚す、上古にも末代にも、難有かりし供養也」〔1854-1〕

とあって、標記語「ぼん-おん梵音】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぼん-おん梵音】〔名〕(連声で「ぼんのん」とも)@仏語。大梵天王の発する清浄な声。また、仏の妙なる音声。A法会の作法である四箇の法要の一つ。B読経の声。また、読経。C梵語の音。また、梵語。インドの言語。十善法語(1775)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
近将曹多忠節等、打奚婁一鼓、讃梵音錫杖等了、布施、導師、被物一重、布施 《『兵範記仁平三年三月十五日甲辰の条・11530000315
 
 
2004年07月27日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
散花(サンゲ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、「散乱(サンラン)。散藥(ヤク)。散田(テン)。散在(ザイ)。散用(ユウ)。散失(シツ)。散具()。散米(マイ)」の八語を収載し、標記語「散花」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對楊咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請也〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并唄散花梵音錫杖對楊呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

-師讀-師注(チウ)-()(リツ)-者證-義探(タン)-(ダイ)(バイ)--音錫-杖對-揚呪(シユ)--師等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)者證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚咒(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明四年本〕

と見え、茲で至徳三年本が此の語を脱語している以外は、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「散花」とし、訓みは、文明四年本に「サンゲ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

散花 。〔黒川本・畳字門下41ウ八〕

とあって、三卷本に標記語「散花」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「散花」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』に標記語「散花」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。何故室町時代の古辞書に収載されずじまいなのか問わねばなるまい。また、下記『大言海』が引用する室町時代の『嚢鈔』卷第十・一に此の語が見えていることに注意しておきたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

560散花梵音錫杖對楊 々々懺法我-今也。〔謙堂文庫蔵五三右C〕

とあって、標記語「散花」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハイ)散花(サンゲ)梵音(ボンヲン)錫杖(シヤクチヤウ)對楊(タイヤウ)咒願(シユグワン)()等可(シヤウ)ト云モ皆々音職(ヲンシヨク)ナリ。音声ヲ以態(ワザ)ヲ成也。何共喩(タトヘ)ン樣ナシ。〔下29ウ四・五〕

とあって、この標記語「散花」とし、語注記は、「(キヤウ)を始(ハシム)る人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)散花 法事の時経文を唱なから帋にて作りし花ひらをまきちらす事なり。唄ハ経文をとなへる事なり。又唱物の名ともいふなり。〔79ウ三・四〕

とあって、この標記語「散花」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ也。▲散花師ハ唄(ばい)をハると其まゝ立て造花(つくりばな)をまき散(ちら)す役。〔56ウ七〜58オ一〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲散花師ハ唄をハると其(その)まゝ立て造花(つくり  )をまき散す役。〔103ウ六〜104オ一〕

とあって、標記語「散花」の語をもって収載し、その語注記は、「散花師は、唄(ばい)をはると其まゝ立て造花(つくりばな)をまき散(ちら)す役。」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Baisangue.バイサンゲ(唄散華) 坊主(bozos)が歌を歌い,花をまき散らしながら行なう,儀式の一種.〔邦訳47r〕

とあって、標記語「唄散花」の語を以て収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さん-〔名〕【散華】佛教の法會に行ふ儀式の一。紙にて作れる、五色の蓮辨を、數枚、華籠(けこ)に盛り、讀經、行道(ギヤウダウ)しつつ、蒔き散らすなり。嚢鈔、十、大法會、四箇法用「散華は、花開清淨、妙色妙香、散諸佛刹、若し、華、開くる事あれば、諸佛來て坐したまふ、云云。故に、(是故ニ。下界ノ中ニハ。花ヲ以テ。爲淨土ト。色ヲ見香ヲ聞クニ。諸ノ鬼~等嫌之ヲ猶シ人天ノ糞穢ヲ。キタナムニ過タリト。所以(コノユヘ)ニ)、花を散し、惡~の障礙を宥(しりぞ)け、佛を請じて、志願を成ずる也」同卷、七僧法會「講師、讀師、呪願師、三禮、唄師、散華、堂達也」〔0834-5〕*省略部分を()内に補足記載した。

とあって、標記語「さん-散華】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-散華散花】〔名〕仏語。@花をまいて仏に供養すること。A四箇法要(または二箇法要)の一つ。梵唄の後に樒(しきみ)の葉あるいは花を散布すること。また、紙製の蓮華の花びらを花筥(けこ)に入れて散布すること。B声明(しょうみょう)の一種。Aの際にうたわれるもの。壱越調(いちこつちょう)でうたわれる。CAの法要をつかさどる僧。七僧の一つ。さんげし。D経典中の散文の部分をいう。E(花のように散る意)はなばなしく戦死すること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又三井流、爲大阿闍梨之時、不立散花札不敷堂童子座〈云云〉《訓み下し》又三井ノ流レハ、大阿闍梨タルノ時ハ、(サン)札ヲ立テズ(机)、堂童子座敷カズト〈云云〉。《『吾妻鏡正嘉元年十月一日の条》
 
 
2004年07月26日(月)晴れ一時雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
(バイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對楊咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請也〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并散花梵音錫杖對楊呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

-師讀-師注(チウ)-()(リツ)-者證-義探(タン)-(ダイ)(バイ)-花梵-音錫-杖對-揚呪(シユ)--師等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)者證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚咒(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明四年本〕

と見え、茲で至徳三年本が此の語を脱語している以外は、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本ともに「バイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語は未収載あって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。唯一下記に示す『日葡辞書』にあるのみか。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

559并(ハイ) 梵語、散花。此ニハ讃嘆、歌唄声明引声等也。魏文帝時始云。此王弟入相山時、岩穴声有ヨリ云。又陳思王登魚山、岩屈声聞ルナリ、散花或云。加来唄、顕時声下(ヒキ)シ、散花云何、灌頂滿陀羅々漢救、同出家唄、剃髪之時也。又律・布薩頗利唄散、四ケ法用始段唄散花梵音錫杖是即四ケ法用也。錫杖九-手錫杖、自錫杖。異貫花天竺ニハ賣也。散花只不シテ∨實賣也。散花落花。翫貫花津暮弥(ツホミ)喜類也。讃嘆此歌唄、梵ニハ婆師声長歌云也。〔謙堂文庫蔵五二左G〕

とあって、標記語「」の語を収載し、この語についての語注記は、「唄は梵語<略>此は、魏の文帝の時始ると云ふ。此の王弟相山に入る時、岩穴に声有るを聞くより始ると云ふ。また、陳思王魚山に登り、岩屈に声聞くと云るなり<略>唄は、密に灌頂滿陀羅々漢救、同じく出家唄、剃髪の時なり。また、律・布薩頗利唄散、四ケ法用の時は、始めに段唄・散花・梵音・錫杖、是れ即ち四ケ法用なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハイ)散花(サンゲ)梵音(ボンヲン)錫杖(シヤクチヤウ)對楊(タイヤウ)咒願(シユグワン)()等可(シヤウ)ト云モ皆々音職(ヲンシヨク)ナリ。音声ヲ以態(ワザ)ヲ成也。何共喩(タトヘ)ン樣ナシ。〔下29ウ四・五〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は、「皆々音職(ヲンシヨク)なり。音声を以て態(ワザ)を成すなり。何共喩(タトヘ)ん樣なし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ならび)(はい)散花(さんげ)散花 法事の時経文を唱なから帋にて作りし花ひらをまきちらす事なり。唄ハ経文をとなへる事なり。〔79ウ三・四〕

とあって、この標記語「」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲唄師ハ最初(さいしよ)に聲明(しやうミやう)をなして仏コ(ふつとく)を讃(さん)する役。〔56ウ七〜58オ一〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲唄師ハ最初(さい  )に聲明をなして仏コを讃(さん)する役。〔103ウ六〜104オ一〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は、「唄師ハ最初(さいしよ)に聲明(しやうミやう)をなして仏コ(ふつとく)を讃(さん)する役」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Baisangue.バイサンゲ(唄散華) 坊主(bozos)が歌を歌い,花をまき散らしながら行なう,儀式の一種.〔邦訳47r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「坊主(bozos)が歌を歌い,花をまき散らしながら行なう,儀式の一種」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ばい】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ばい】〔名〕(梵Pathakaの音訳、唄匿(ばいのく)の略)仏語。@仏教儀式で唱える歌謡。漢語または梵語で偈(げ)・頌(しょう)を詠歌し、三宝の功コを賛嘆するもの。短い詞章を一音一音長く引き伸ばして時間をかけてうたうことが多い。*参天台五台山記(1072-73)一「有講会。先散花作法」*建武年中行事(1334-38頃)五月「僧のぼる、まづ・さんげなどありて、講読師座にのぼりて論義あり」*塩山和泥合水集(1386)「或る時は(バイ)をなす」*高僧伝-一三「天竺方俗、凡此歌詠法言皆称為A「ばいし(唄師)」の略。*左経記-寛仁四年(1020)三月二二日「御堂供養請僧<略>二人<前小僧都心誉、法眼和尚位源賢>」*高野山文書嘉暦二年(1327)正月六日・金剛心院壇供下行日記(大日本古文書二・二八九)「加布施分。呪願、、散花、讃頭、三十二相、各十枚。五十枚」B法会の時、諷誦に使用する楽器。唄器。*米沢本沙石集(1283)八・一「(バイ)ひくほどに」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今日一條殿、於法性寺殿、被遂御素懐御戒師、飯室前大僧正〈良快、九條殿御息〉(バイ)、岡崎法印成深御剃手法印印圓攝政殿以下濟々、群參將軍家、令參御《訓み下し》今日一条大殿、法性寺殿ニ於テ、御素懐ヲ遂ゲラル。御戒師ハ、飯室ノ前ノ大僧正〈良快、九条殿御息〉。(バイ)ハ、岡崎法印成深。御剃手ハ。法印印円。摂政殿以下済済トシテ、群参ス。将軍家、参ラシメ御フ。《『吾妻鏡嘉禎四年四月二十五日の条》
 
 
探題(タンダイ)」は、ことばの溜池(2003.10.28)を参照。
 
2004年07月25日(日)雷雨後止む。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
證議・證義(シヤウギ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「證議」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對楊咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請也〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并唄散花梵音錫杖對楊呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

-師讀-師注(チウ)-()(リツ)--(タン)-(ダイ)(バイ)-花梵-音錫-杖對-揚呪(シユ)--師等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚咒(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明四年本〕

と見え、茲で至徳三年本が此の語を脱語している以外は、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「證義」とし、訓みは、経覺筆本に「シヤウギ」、文明四年本に「セウキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「證議」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「證議」「證義」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「證議」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

557證議 問者講師批判シテ决明スル者也。〔謙堂文庫蔵五二左G〕

とあって、標記語「證議」の語を収載し、この語についての語注記は、「問者、講師の云い得る処を批判して决明する者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

證議(せウギ)ハ勤行(ゴンギヤウ)奉行(ブギヤウ)ナリ。〔下29ウ三・四〕

とあって、この標記語「證議」とし、語注記は、「勤行(ゴンギヤウ)奉行(ブギヤウ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

證義(しやうぎ)證義 論議の判者也。〔79ウ三〕

とあって、この標記語「證議」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「證議」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「證義」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しゃう-證義】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょう-証議精義】〔名〕仏語。@経典の訳出にあたって訳語訳文の正否を検討する役。*参天台五台山記(1072-73)四「訳経証義西天広梵大師賜紫天台祥中天竺人也」*飜訳名義集−一「次文潤色也。次則証義一位。蓋証已訳之文、所詮之義也」A最勝会、法華会(ほっけえ)などの法会(ほうえ)の論義の時、解答者問答の当否を判断する役。証誠(しょうしょう)。*維摩会方考例−延久三年(1071)「早可精義之役也」*貴嶺問答(1185-90頃)五月二三日「抑今年証義以下童子過差不制法」*太平記(14c後)三六・天王寺造営事「結日(ケチニチ)の問者は、東大寺の義実、興福寺教快、講師は、山門良寿、興福寺実縁、証義(ショウキ)は、大乗院の前大僧正孝覚、尊勝院の慈能僧正にてぞ御坐(おはし)ける」*醍醐寺新要録(1620)「宗典記云<略>論義の時も精義とも云へとも、大都は証義と云也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三位權僧正頼兼入滅〈年七十七〉大納言師頼卿孫、證遍僧都眞弟子公胤僧正、入室受法、對覺朝僧正、潅頂顯密兼學公家證義《訓み下し》三位権ノ僧正頼兼入滅ス〈年七十七〉。大納言師頼卿ノ孫、証遍僧都ノ真弟子公胤僧正、入室受法、覚朝僧正ニ対シ灌頂。顕密兼学。公家ノ証義《『吾妻鏡弘長元年七月十八日の条》
 
 
注記・註記(チユウキ)」は、ことばの溜池(2001.03.11)を参照。
竪者(シユシヤ)竪議(シユギ)は、ことばの溜池(2000.11.26)を参照。
 
2004年07月24日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
讀師(ギヤウダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

讀師(ドクシ) 歌。〔元亀二年本56七〕

讀師( シ) 歌。〔静嘉堂本63七〕〔天正十七年本上32ウ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「讀師」の語を収載し、訓みは「ドクシ」とし、語注記に「歌」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對楊咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請也〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并唄散花梵音錫杖對楊呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

--(チウ)-()(リツ)-者證-義探(タン)-(ダイ)(バイ)-花梵-音錫-杖對-揚呪(シユ)--師等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)者證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚咒(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明四年本〕

と見え、茲で至徳三年本が此の語を脱語している以外は、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「讀師」とし、訓みは、文明四年本に「ドクシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

讀師 トクシ。〔黒川本・人倫門上44ウ六〕

讀師 。〔卷第二・人倫門386一〕

とあって、標記語「讀師」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「讀師」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

讀師(ドクシ) 歌道。〔言辞門44六〕

とあって、標記語「讀師」の語を収載し、語注記は「歌道」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「讀師」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

555讀師註記(−ギ) 註記蔵主位也。〔謙堂文庫蔵五二左E〕

とあって、標記語「讀師」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

讀師(ドクシ)ハ經(キヤウ)ヲ始(ハシム)ル人ナリ。〔下29ウ三〕

とあって、この標記語「讀師」とし、語注記は、「(キヤウ)を始(ハシム)る人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

讀師(とくし)讀師 衆僧讀經の音頭(おんとう)となる僧なり。〔79ウ二〕

とあって、この標記語「讀師」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲讀師ハ法会(ほふゑ)の經文を訓讀(くんどく)する僧。〔56ウ七〜57ウ七・八〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲讀師ハ法会()の經文を訓讀する僧。〔103ウ五〕

とあって、標記語「讀師」の語をもって収載し、その語注記は、「讀師は、法会(ほふゑ)の經文を訓讀(くんどく)する僧」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「讀師」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

どく-〔名〕【讀師】(一)ものよみ。講釋。(二)古へ、諸國の國分寺におかれたる僧官。こうし(講師)の條を見よ。(三)經論講説の法會などに、講師と相對して、佛前の高座に登り、經題を讀みあげることを掌る役僧。榮花物語、音樂「佛の御前の庭に、講師、讀師の高座、左右にたてて、上に、えもいはずめでたき寳蓋おほひたり」(四)詩、又は、歌の會などにて、人人の作品を讀みあぐる役の人。袋草紙、一、和歌會次第「儀式之時、多用四位、次歌人應召近參候、次讀師進寄文臺下、取重置之」中右記、大治五年九月十七日「別當宰相、師時、伊通、予依當座上臈、勤讀師」〔1397-2〕

とあって、標記語「どく-讀師】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「どく-讀師】〔名〕(「とくし」「とくじ」「とうじ」「どくじ」とも)@仏語。上代・中古、諸国の国分寺に講師とともに一人置かれた僧官。講師より一階級低い。任期六年。A仏語。維摩会・最勝会などの法会の時、講師と相対して仏前の高座にのぼり、経題・経文を読み上げる役目の僧。B歌合わせや作文(さくもん)の会で、懐紙や短冊を整理して上下を定め、また番の次第に従って講師に渡す役。講師がその歌を読み得なっかった時、読んで教えるところから起こった名という」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
九月仁王會、講讀師(カウドクシ)、請僧或三十人、或百人、或千人、舞人、三十六人、樂人三十六人也《訓み下し》九月仁王会、講讀師(カウドクシ)、請僧。或ハ三十人、或ハ百人、或ハ千人、舞人、三十六人。楽人三十六人ナリ。《『吾妻鏡文治五年九月十七日の条》
 
 
聖道(シヤウダウ)ことばの溜池(2001.09.19)を参照。
名僧(メイソウ)ことばの溜池(2001.09.26)を参照。
講師(カウシ)ことばの溜池(2000.12.14)を参照。
 
2004年07月23日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
行道(ギヤウダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

行道( ダウ)〔元亀二年本284一〕

行道( タウ)〔静嘉堂本325五〕

とあって、標記語「行道」の語を収載し、訓みは「(ギヤウ)ダウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有法服登高座大行道等以聖道名僧可被成其節〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

可有法服登高座大行道等聖道名僧可被成其節〔建部傳内本〕

-------_〔山田俊雄藏本〕

法服登(トノ)高座大行道聖道名僧其節(フシ)〔経覺筆本〕

法服(ホウフク)登高座(トウカウザ)大行導(キヤウタウ)聖道名(メイ)其節(せツ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本の古写本は、「大行道」とし、文明四年本だけが「大行導」と表記していて訓みは、文明四年本に「(タイ)キヤウタウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

行道 法會部/キヤウタウ。〔黒川本・畳字門下50オE〕

行幸 〃道。〃年。〃程。〃人。〃頸。〃力。〃事。〃啓。〃遁。〃法。〔卷第八・畳字門520六〕

とあって、標記語「行道」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「行道」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

行道(ギヤウ・ヲコナウ、ダウカウ・ツナク・ツラナル、ミチ)[平去・上] 。〔態藝門852五〕

とあって、標記語「行道」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「行道」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

行道(ギヤウダウ) ―儀()。―法(ボフ)。―證(シヨウ)。―水(ズイ)。―業(ゴフ)。―幸(ガウ)。―歩()。―力(リキ)。―用(ヨウ)。―?(ジヤウ)。〔言辞門190五〕

とあって、標記語「行道」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「行道」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

554法服可有高座大行--名僧講師 本壇法花スル也。〔謙堂文庫蔵五二左D〕

とあって、標記語「大行道」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

大行(ギヤウ)-(タウ)常列座(レツザ)ノ衆諷ト云フテ。仏前ニシテ廻(メク)ル事ナリ。〔下29ウ一〕

とあって、この標記語「大行道」とし、語注記は、「如く列座(レツザ)の衆諷と云ふて、仏前にして廻(メク)る事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

大行道(たいけうとう)(とう)大行道 衆僧仏前に於て行列(きやうれつ)を調へ經を誦しなから右に行左にまかりて廻るを行道といふなり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「大行道」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行--名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲大行道ハ仏前(ぶつぜん)をめぐりて讀經(とくきやう)する也。〔56ウ七〜57ウ七〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)大行道ハ仏前をめぐりて讀經する也。〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「行道」の語をもって収載し、その語注記は、「大行道は、仏前(ぶつぜん)をめぐりて讀經(とくきやう)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guio<do<.ギャゥダゥ(行道) Yuqi michi.(行く道)礼拝行列のようにして練り歩くこと,あるいは,進んで行くこと.〔邦訳301l〕

とあって、標記語「行道」の語の意味は「礼拝行列のようにして練り歩くこと,あるいは,進んで行くこと」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぎゃう-だう〔名〕【行道】佛法に、衆僧、列をなして、佛像、佛堂の周圍(まはり)を廻(めぐ)りあるくこと。天竺の俗に、崇むる所は、禮後に旋繞す、歸敬の至なり。遶佛繞行。源氏物語、三十七、鈴蟲3「堂、飾りはてて、講師參()うのぼり、ぎゃうだうの人人、參りつどひたまへば」榮花物語、十七、音樂「事ども始まりぬれば、左右に分れて行道す、云云、行道終りて、左の方は、五大堂の南の庇につきぬ」齊明紀、四年十一月「馬、自、金堂」〔0494-1〕

とあって、標記語「ぎゃう-だう行道】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぎょう-どう行道】〔名〕@仏語。僧尼が行列して経を読みながら仏像や仏殿の周囲をめぐること。また、その儀式。A僧尼が経を唱えながら歩くこと。読経(どきょう)しながら道を行くこと。B仏道を修行すること。C人や物が同じところをぐるぐるめぐること。またそのめぐる道」とあって、Aの意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
鶴岳放生會也二品御參宮、小山七郎朝光、持御劒佐々木三郎盛綱、著御甲榛谷四郎重朝懸御調度此外隨兵以下供奉人、列前後先供僧等、大行道次法華經供養、導師、別當法眼圓暁有舞樂舞童、皆伊豆山參上〈云云〉《訓み下し》鶴岡ノ放生会ナリ。二品御参宮、小山ノ七郎朝光、御剣ヲ持ツ。佐佐木ノ三郎盛綱、御甲ヲ著ス。榛谷ノ四郎重朝。御調度ヲ懸ク。此ノ外随兵以下ノ供奉人、前後ニ列ス。先ヅ供僧等、大行道。次ニ法華経供養、導師ハ、別当法眼円暁。舞楽有リ。舞童ハ、皆伊豆ノ山ヨリ参上スト(ヨリ)〈云云〉《『吾妻鏡建久元年八月十五日の条》
 
 
2004年07月22日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
高座(カウザ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

高座( ザ)〔元亀二年本91二〕〔静嘉堂本112四〕

高座( サ) 。〔天正十七年本上55オ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「高座」の語を収載し、訓みは「(カウ)ザ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有法服登高座大行道等以聖道名僧可被成其節〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

可有法服登高座大行道等聖道名僧可被成其節〔建部傳内本〕

-----道等--_〔山田俊雄藏本〕

法服(トノ)高座大行道等聖道名僧其節(フシ)〔経覺筆本〕

法服(ホウフク)登高座(トウカウザ)大行導(キヤウタウ)聖道名(メイ)其節(せツ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「登高座」とし、訓みは、文明四年本に「トウカウザ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

高座 俗/カウサ。〔黒川本・雜物門上80ウ一〕

高座 カウサ。〔卷三・雜物門211四〕

とあって、標記語「高座」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「高座」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

講座(カウザマツリ・カンガウ、ナカ)[上・去] 或作高座。〔態藝門255六〕

とあって、標記語「講座」の語注記に「或は、高座に作る」として収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

講座(カウザ) 或云高座・天地門75三〕〔・天地門74四〕

講座(カウザ)高―・天地門80一〕

とあって、広本節用集』を継承し、標記語「講座」の語注記に「或は、高座と云ふ」として収載する。また、易林本節用集』に、

高座(カウザ) 。〔乾坤門69三〕

とあって、標記語「高座」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「高座」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

554法服可有高座大行-道等-名僧講師 本壇法花スル也。〔謙堂文庫蔵五二左D〕

とあって、標記語「高座」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

登高座(トウカウザ)トハ。講師(カウシ)ノアガリテ論議(ロンギ)(ヒロ)ク著(アラハ)スル座()ナリ。〔下29オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「登高座」とし、語注記は、「講師(カウシ)のあがりて論議(ロンギ)(ヒロ)く著(アラハ)するル座()なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

高座(かうざ)に登(のぼり)高座 導師の登りて論議する座なり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「高座」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ登高座ハ大法会(たいほふゑ)の節(せつ)左右(さいう)に對(たい)し設(もう)けて讀師と講(こう)師とのあがる座()也。〔56ウ七〜57ウ六・七〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)登高座ハ大法会の節左右(さいう)に對(たい)し設(まう)けて讀師と講(こう)師とのあがる座()也。〔102ウ五〜103ウ三・四〕

とあって、標記語「登高座」の語をもって収載し、その語注記は、「登高座は、大法会(たいほふゑ)の節(せつ)左右(さいう)に對(たい)し設(もう)けて讀師と講(こう)師とのあがる座()なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co<za.カゥザ(高座) Tacai za.(高い座)説教壇,すなわち,経を読んだり説教をしたりする高い所.〔邦訳158r〕

とあって、標記語「高座」の語の意味は「Tacai za.(高い座)説教壇,すなわち,経を読んだり説教をしたりする高い所」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かう-〔名〕【高座】講釋、説法、などの席に、一段高くして、講師の坐(すわ)る座。世説、文學、下篇「向高座者」李白詩「黄金獅子承高座、白玉鹿尾談重玄玄蕃寮式「正月、最勝王經齋會堂、裝高座二具」〔0342-3〕

とあって、標記語「かう-高座】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かう-高座】〔名〕@天皇や将軍が謁見の時などにすわる御座所。A主賓や身分の高い人、または、年輩者などがすわる席。通常は床の間に近い席。上座(かみざ)。上席。B説教などの時、説教師や僧侶などがすわる一段高くしつらえた席。また、その席で説法をすること。C社会的な高い位地。D講釈師が講釈を行なう一段高い座席。後に寄席で芸人が芸を演ずるために、一段高くした席をいい、また、一般に寄席をもいう。E銭湯の番台。[二]神奈川県の中南部の郡。相模川(馬入川)と境川にはさまれた地域でで、相模湾に面する。古くは「たかくら」といい、高倉・鷹倉・田倉とも書いた。[補注]二について「二十卷本和名抄-五」には「相模国<略>高座<太加久良>」とある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
《訓み下し》之時、共入自楼門、次初夜導師登高座、此間、祠官入自西門着座、次官乱声已後在楽、此間後夜導師登高座、礼仏頌之後、三十二相、五師官従僧取被物被之、次後夜導師登高座、在楽、礼仏頌之後、三十二相下所司等入自後戸、次初夜導師登高座、次散花行道、正宮以下皆立次在庁進火桶於惣官、次後夜導師登高座、在楽、入寺巡役次三十二相在声一節、此間惣官着座、次導師登高座、在楽、入寺上臈役、次三十二務惣官着座、修廿講結座、導師登高座、次唄、次散花、惣官花筥五位修溝演、待社務惣官着座、導師登高座、次唄、次散花、入寺僧許行道造幡花鬘等、荘厳宝前 先導師登高座、次唄、次散花大行道、次讃、土祭 但待社務惣官着座、導師登高座、次唄、次散花大行道、堂童子但近来無之、次伝戒乞戒両導師登高座、在楽、以飯殿為楽屋、礼仏頌待社務惣官着座、修結座、導師登高座、次唄、次散花行道、勾当荷薪《『石清水文書(田中)』寛元二年十一月日の条62・1/158
 
 
法服(ホウフク)ことばの溜池(2003.04.19)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

法服(ホウブク)トハ。導師(タウシ)ニ着()スル衣(コロモ)ナリ。〔下29オ八〕

とあって、この標記語「法服」とし、語注記は、「導師(タウシ)に着()する衣(コロモ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

大法会(だいほうゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あた)る歟()法服(ほうふく)して‖_大法會儀式法服シテ 導師の着る衣なり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「法服」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲法服ハ導(たう)師の着()る衣(ころも)也。〔56ウ七〜57ウ六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲法服ハ導師の着る衣也。〔103ウ三〕

とあって、標記語「法服」の語をもって収載し、その語注記は、「法服は、導師の着る衣なり」と記載する。
 
2004年07月21日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
儀式(ギシキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、同音異義の「規式(ギシキ)」の語は収載するが、この標記語「儀式」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法華八講者相當大法会儀式〔至徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法花八講者相當大法會儀式〔宝徳三年本〕

仏像經巻讃嘆者不可有子細堂塔供養并法華八講者相當大法会儀式〔建部傳内本〕

仏像經巻讃嘆者不子細候堂塔供養并法花八講者相‖_大法会儀式〔山田俊雄藏本〕

仏像經巻讃嘆者()子細堂塔供養并法花八講者()( イ)‖_大法会儀式〔経覺筆本〕

佛像(サウ)(キヤウ)讃嘆(サンタン)者不子細堂塔供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相‖_大法會儀式(シキ)()〔文明四年本〕 ※式(シキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「儀式」とし、訓みは、文明四年本に「(ギ)シキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

儀式 同(公卿部)/キシキ。〔畳字門下50ウ一〕

儀形 〃式。〃軌ク井。〃則。〃伏フク。〔畳字門八531四〕

とあって、標記語「儀式」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「儀式」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

義式(ギシキ)・言語進退221六〕

義理(ギリ) ―式(シキ)。―定(チヤウ)/―絶(ぜツ)・言語門184八〕

義理(ギリ) ―式。―定/―絶。・言語門174三〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「義式」の語を収載し、語注記は未記載にする。他本は、標記語「義理」の熟語群として収載する。また、易林本節用集』に、

儀式(ギシキ) 。〔言辞門190一〕

とあって、標記語「儀式」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「儀式」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

553佛像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者相‖_當大法會儀式 八講法花問答講也。後二条関白御悩時、北政所三願有。一ニハ大鳥{山王ノ}ヨリ社々御宝前ヨリ此社マテ‖-ント廻廊也。二八王子(シタ)ト殿ナル頑-人一千日宮仕セント也。三毎日法花問答末代怠(アテ)也。兩ハリ也。問答神喜コヒ三年命延給也。紀伊国田中庄ヲハ八王子起-進シテ毎日問答也。法花論義也。役者八人シテ問答也。問答八人答者八人也。〔謙堂文庫蔵五二右H〕

とあって、標記語「儀式」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「儀式」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

大法会(だいほうゑ)儀式(きしき)に相(あい)(あた)る歟()法服(ほうふく)して‖_大法會儀式法服シテ 導師の着る衣なり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「儀式」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「儀式」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guixiqi.ギシキ(儀式) 何かの祭事,宴会,結婚などが行なわれる儀式,盛典.〔邦訳303r〕

とあって、標記語「儀式」の語の意味は「何かの祭事,宴会,結婚などが行なわれる儀式,盛典」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しき〔名〕【儀式】公事、祭事、祝儀など行ふ手續の作法。詩經、周頌、我將編「儀式、刑文王之典」晉書、律暦志「儀式乃備」落窪物語、四「裝束(サウゾク)ども、しつらひたるぎしき、いとめでたし」〔0464-3〕

とあって、標記語「-しき儀式】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しき儀式】[]〔名〕@法やしきたりなどにのっとたきまり。また、日常の立ち居振舞の作法。A公事、神事、祭事、仏事または凶賀の礼式などの作法。また、その行事。儀礼。典礼。[]「じょうがんぎしき(貞観儀式)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
二品御出、但於宮寺近々者、猶有御慎埒邊搆御棧敷、御覽儀式(ギシキ)許也《訓み下し》二品御出デ、但シ宮寺ノ近近ニ於テハ、猶御慎ミ有リ。埒ノ辺ニ御桟敷ヲ構ヘ、儀式(ギシキ)ヲ御覧ズル許リナリ。《『吾妻鏡文治五年六月九日の条》
 
 
大法会(ダイホウヱ)ことばの溜池(2004.04.21)を参照。
 
2004年07月20日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
相當(サウタウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、「相應(サウヲウ)。相刻(サウコク)木刻土土刻水水刻火火刻金金刻木。相姓(シヤウ)木姓火火姓土土姓金金姓水水姓木。相人(ニン)。相博(ハク)。相違()。相續(ゾク)。相僕(ボク)。相傳(デン)。相通(ツウ)。相論(ロン)。相州(せウ)―模(サカミ)」の12語を収載するが、標記語「相當」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法華八講者相當大法会儀式者〔至徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法花八講者相當大法會儀式〔宝徳三年本〕

仏像經巻讃嘆者不可有子細堂塔供養并法華八講者相當大法会儀式歟〔建部傳内本〕

仏像經巻讃嘆者不子細候堂塔供養并法花八講‖_大法会儀式〔山田俊雄藏本〕

仏像經巻讃嘆者()子細堂塔供養并法花八講者()( イ)‖_大法会儀式〔経覺筆本〕

佛像(サウ)(キヤウ)讃嘆(サンタン)者不子細堂塔供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)‖_大法會儀式(シキ)()〔文明四年本〕 ※式(シキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「相當」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の三本は、「(あいあた)る」と訓読している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「相當」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「相當」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

相當(サウタウアウ、アタル)[平去・平去] 。〔態藝門786四〕

とあって、標記語「相當」の語を収載し、「サウタウ」と音読する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

相當(サウタウ)・言語進退門214六〕

相續(サウゾク) ―應(ヲウ)。―違()―當(タウ)。―博(バク)アイカエル/―傳(デン)。―論(ロン)。―加()・言語門178三〕

相續(サウゾク) ―應。―違。―當。―博/―傳。―論。―加。―通。・言語門167四〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「相當」の語を収載し、他本は標記語「相續」の語の熟語群として収載する。そして、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

相論(サウロン) ―好(カウ)。―傳(デン)。―對(タイ)。―順(シタガフ)。―生(シヤウ)―當(タウ)/―違()。―續(ゾク)。―尅(コク)。―承(ゼウ)。―應(ヲウ)。〔言辞門180七〕

とあって、標記語「相論」の熟語群として「相當」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』や他『節用集』に標記語「相當」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

553佛像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者‖_大法會儀式 八講法花問答講也。後二条関白御悩時、北政所三願有。一ニハ大鳥{山王ノ}ヨリ社々御宝前ヨリ此社マテ‖-ント廻廊也。二八王子(シタ)ト殿ナル頑-人一千日宮仕セント也。三毎日法花問答末代怠(アテ)也。兩ハリ也。問答神喜コヒ三年命延給也。紀伊国田中庄ヲハ八王子起-進シテ毎日問答也。法花論義也。役者八人シテ問答也。問答八人答者八人也。〔謙堂文庫蔵五二右H〕

とあって、標記語「相當」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「相當(アヒアタル)」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

大法会(だいほうゑ)の儀式(きしき)(あい)(あた)()法服(ほうふく)して‖_大法會儀式法服シテ 導師の着る衣なり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「相當」の語をもって収載し、語注記未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)(あい)(あたる)()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「相當」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ai atari,u,atta.アイアタリ,ル,ッタ(相当) Ataru(当る)の条を見よ.〔邦訳16l〕

So<to<.サゥタゥ(相当) Aiataru.(相当る)ふさわしいこと,あるいは,あてはまること.§So<to< xita coto.(相当したこと)ふさわしいこと.〔邦訳578l〕

とあって、標記語「相当」の語の意味は「Aiataru.(相当る)ふさわしいこと,あるいは,あてはまること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さう-たう〔名〕【相當】あひ、あたること。ふさはしきこと。程善く、釣合ふこと。理に適(かな)ふこと。相應(サウオウ)漢書、武帝紀、注「角抵者。兩兩相當」〔0771-5〕

とあって、標記語「あひ-あた〔動〕【相當】」は未収載であり、標記語「さう-たう相當】」の語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あい-あた相当】〔自ラ四〕@(「あい」は接頭語。「あたる」の改まった言い方)相当する。あてはまる。釣り合う。A割り当てられる。担当する。また、その職にあたる。B互いにぶつかりあう。敵と戦う。当面する」とし、標記語「そう-とう相当】[]〔名〕(形動)@(―する)資格、性質、時期、数量などが合致すること。対応すること。また、そのさま。A(―する)ある物事の程度や状態が、他とつりあうこと。ふさわしいこと。また、そのさま。相応。B程度・度合がかなりであること。はなはだしいこと。また、そのさま。[]〔副〕ものごとの程度が普通よりはなはだしい様子を表わす語。かなり。随分」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
近日信濃國司、初任檢註事、有其沙汰、而諏訪五月會、再御射山頭人等、企訴訟相當神事、頭番之輩、有預免許之先例《訓み下し》近日信濃ノ国司、初メテ検注ヲ任ズル事、其ノ沙汰有リ、而ルニ諏訪ノ五月ノ会、再ビニ御射山ノ頭人等、訴訟ヲ企ツ。神事ニ相当ル、頭番ノ輩、免許ヲ預カルノ先例有リ。《『吾妻鏡延応元年十一月一日の条》
 
 
ことばの溜池八講(ハッカウ)(2000.10.29)を参照。
 
2004年07月19日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
法花(ホッケ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

法花( ケ) 佛八ケ年説之。〔元亀二年本42七〕

法花(ホツケ) 佛八ケ季〔静嘉堂本46七〕

法花(ホツケ) 佛八ケ年説之。〔天正十七年本上24オ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「法花」の語を収載し、訓みは「ホツケ」と記載し、語注記に「佛八ケ年に之を説く」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法華八講者相當大法会儀式者〔至徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法花八講者相當大法會儀式〔宝徳三年本〕

仏像經巻讃嘆者不可有子細堂塔供養并法華八講者相當大法会儀式歟〔建部傳内本〕

仏像經巻讃嘆者不子細候堂塔供養并法花八講者相‖_大法会儀式〔山田俊雄藏本〕

仏像經巻讃嘆者()子細堂塔供養并法花八講者()( イ)‖_大法会儀式〔経覺筆本〕

佛像(サウ)(キヤウ)讃嘆(サンタン)者不子細堂塔供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相‖_大法會儀式(シキ)()〔文明四年本〕 ※式(シキ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本は、「法華」と表記し、宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「法花」とし、訓みは、文明四年本に「ホツケ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「法花」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・易林本節用集』には、標記語「法花」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

法華(ホウクワ)・言語進退門34六〕

法文(モン) ―會()。―令(リヤウ)。―相(ホツサウ)。―用(ヨウ)。―家()―華(ホツケ)。―門(モン)。―談(タン)。―條(デウ)。―樂(ラク)。―務()。―式(シキ)・言語門34六〕

法文(ホウモン) ―會。―令。―用。―家。―華。―門/―談。―條。―樂。―務。―式。―衣/―流。・言語門31七〕

法華(ホツケ)・言語門38四〕

とあって、弘治二年本両足院本に標記語「法華」の語を収載し、語注記は未記載にする。他本は標記語「法文」の熟語群として収載する。また、饅頭屋本節用集』には、標記語「法花」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』・饅頭屋本節用集』に標記語「法花」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ここで、『運歩色葉集』の語注記は合致しない。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

553佛像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者相‖_當大法會儀式 八講法花問答講也。後二条関白御悩時、北政所三願有。一ニハ大鳥{山王ノ}ヨリ社々御宝前ヨリ此社マテ‖-ント廻廊也。二八王子(シタ)ト殿ナル頑-人一千日宮仕セント也。三毎日法花問答末代怠(アテ)也。兩ハリ也。問答神喜コヒ三年命延給也。紀伊国田中庄ヲハ八王子起-進シテ毎日問答也。法花論義也。役者八人シテ問答也。問答八人答者八人也。〔謙堂文庫蔵五二右H〕

とあって、標記語「法花」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「法花」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

堂塔(だうたう)供養(くやう)(ならひ)法花八講(ほつけはつかう)()堂塔供養并法華八講者 法花問答講(もんとうかう)あり。役者八人して問答するゆへ法華八講といふ。〔79オ四〜五〕

とあって、この標記語「法花・法華」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲法華八講ハ舊注(きうちう)に法華經(ほけきやう)八卷(くハん)を講(こう)ずる也と云々。〔56ウ七〜57オ六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲法華八講ハ舊注(きうちう)に法華經(ほけきやう)八卷(くハん)を講(こう)ずる也と云々。〔102ウ五〜103オ二・三〕

とあって、標記語「法華」の語をもって収載し、その語注記は、「法華八講は、舊注(きうちう)に法華經(ほけきやう)八卷(くハん)を講(こう)ずるなりと云々」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Focqe.ホッケ(法華) Foquequio<(法華経)と呼ばれる釈迦(Xaca)の経典.§また,法華宗徒(Focquexus)の宗派.→次条.〔邦訳256l〕

とあって、標記語「法花」の語の意味は「Foquequio<(法華経)と呼ばれる釈迦(Xaca)の経典」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほっ-〔名〕【法華】(一)ほけきゃう(法華經)の略。法華經、法師品「我所説而於此經中、法華最第一」(二)ほっけしゅう(法華宗)の略。元亨釋書、二、榮西傳「雲曰、汝於支那、揄揚台教、亦我國之法華也」類聚國史、百四十七、撰書、延暦廿二年三月「己未、大僧都傳燈大法師位行賀卒、云云、法師生年廿五、被充入唐留學、學唯識法華兩宗、住唐三十一年、云云」〔1843-3〕

とあって、標記語「ほっ-法花】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほっ-法華法花】[]〔名〕@「ほっけしゅう(法華宗)@」の略。A「ほっけしゅう(法華宗)A」の略。B「ほっけこう(法華講)」の略。C香木の名。分類は伽羅(きゃら)。香味は甘苦。六十一種名香の一つ。[]「ほけきょう(法華経)[]」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先唱表白云、君者忝八幡大菩薩氏人、法華(ホツケ)八軸持者也《訓み下し》先ヅ表白ヲ唱ヘテ云、君ハ忝クモ八幡大菩薩ノ氏人、法華(ホツケ)八軸ノ持者ナリ。《『吾妻鏡治承四年七月五日の条》
 
 
2004年07月18日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
堂塔(ダウタフ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「堂塔」の語は未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

佛像經巻讃嘆者不可有子細供養并法華八講者相當大法会儀式者〔至徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細供養并法花八講者相當大法會儀式〔宝徳三年本〕

仏像經巻讃嘆者不可有子細堂塔供養并法華八講者相當大法会儀式歟〔建部傳内本〕

仏像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者相‖_大法会儀式〔山田俊雄藏本〕

仏像經巻讃嘆者()子細堂塔供養并法花八講者()( イ)‖_大法会儀式〔経覺筆本〕

佛像(サウ)(キヤウ)讃嘆(サンタン)者不子細堂塔供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相‖_大法會儀式(シキ)()〔文明四年本〕 ※式(シキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本は、「」とし、建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「堂塔」とし記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「堂塔」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「堂塔」の語は未収載にする。ただ、天正十八年版節用集』に、

堂塔(ダウタフ) 。〔乾坤門〕

とあって、標記語「堂塔」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、天正十八年版節用集』に標記語「堂塔」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

553佛像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者相‖_當大法會儀式 八講法花問答講也。後二条関白御悩時、北政所三願有。一ニハ大鳥{山王ノ}ヨリ社々御宝前ヨリ此社マテ‖-ント廻廊也。二八王子(シタ)ト殿ナル頑-人一千日宮仕セント也。三毎日法花問答末代怠(アテ)也。兩ハリ也。問答神喜コヒ三年命延給也。紀伊国田中庄ヲハ八王子起-進シテ毎日問答也。法花論義也。役者八人シテ問答也。問答八人答者八人也。〔謙堂文庫蔵五二右H〕

とあって、標記語「堂塔」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「堂塔」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

堂塔(だうたう)供養(くやう)(ならひ)に法花八講(ほつけはつかう)()堂塔供養并法華八講者 法花問答講(もんとうかう)あり。役者八人して問答するゆへ法華八講といふ。〔79オ四〜五〕

とあって、この標記語「堂塔」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「堂塔」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Do<to<.ダゥタゥ(堂塔) 内部に仏(Fotoques)〔の像〕を安置した寺院と木造の塔と.→Conriu<; Iunrei.〔邦訳190l〕

とあって、標記語「堂塔」の語の意味は「内部に仏(Fotoques)〔の像〕を安置した寺院と木造の塔と」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「だう-たふ堂塔】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「どう-とう堂塔】〔名〕堂と塔。仏教建築の称。続日本紀-霊亀二年(716)五月己丑「又聞。諸国寺家。堂塔成。僧尼莫住。礼仏無聞」*観智院本三宝絵(984)中「守屋の大連をもて寺につかはして堂塔をこほち仏教をやきつくしつ」*吾妻鏡-文治五年(1189)九月二三日「所造立之堂塔。不幾千万宇」*発心集(1216頃か)二・内記入道寂心事「堂塔(ダウタフ)の類はいわず」*滑稽本・東海道中膝栗毛(1802-09)八・下「まことに日本最上の霊場にして、堂塔(ドウタウ)の荘厳いふもさらなり」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
去年十二月廿八日、南都東大寺興福寺已下、堂塔(タフ)坊舎、悉以爲平家燒失僅勅封倉等免《訓み下し》去年十二月二十八日ニ、南都東大寺、興福寺已下ノ、堂塔(タフ)坊舎、悉ク以テ平家ノ為ニ焼失ス。僅カニ勅封ノ倉等。此ノ災ニ免ル。《『吾妻鏡治承五年正月十八日の条》
 
 
2004年07月17日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
子細(シサイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「子細」の語は、未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法華八講者相當大法会儀式者〔至徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法花八講者相當大法會儀式〔宝徳三年本〕

仏像經巻讃嘆者不可有子細堂塔供養并法華八講者相當大法会儀式歟〔建部傳内本〕

仏像經巻讃嘆者不子細候堂塔供養并法花八講者相‖_大法会儀式〔山田俊雄藏本〕

仏像經巻讃嘆者()子細堂塔供養并法花八講者()( イ)‖_大法会儀式〔経覺筆本〕

佛像(サウ)(キヤウ)讃嘆(サンタン)者不子細堂塔供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相‖_大法會儀式(シキ)()〔文明四年本〕 ※式(シキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「子細」とし、訓みは、文明四年本に「(ゼン)コン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

子細 雜部/シサイ〔黒川本・畳字門下81オ三〕

子孫 〃弟。〃姪チツ。〃衿。〃息。〃細〔巻第九・畳字門211一〕

とあって、三卷本に標記語「子細」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「子細」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

子細(サイコ、ホソシ)[上・去] 。〔態藝門1003二〕

(コノ)[上]子細(サイコ、せイ・ホソシ)[上・去] 。〔態藝門673二〕

とあって、標記語「子細」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「子細」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

仔細(シサイ)。〔言辞門217六〕

とあって、標記語「仔細」の語をもって収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「子細」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

553佛像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者相‖_當大法會儀式 八講法花問答講也。後二条関白御悩時、北政所三願有。一ニハ大鳥{山王ノ}ヨリ社々御宝前ヨリ此社マテ‖-ント廻廊也。二八王子(シタ)ト殿ナル頑-人一千日宮仕セント也。三毎日法花問答末代怠(アテ)也。兩ハリ也。問答神喜コヒ三年命延給也。紀伊国田中庄ヲハ八王子起-進シテ毎日問答也。法花論義也。役者八人シテ問答也。問答八人答者八人也。〔謙堂文庫蔵五二右H〕

とあって、標記語「子細」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「子細」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

佛像(ぶつぞう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)(べから)()佛像經巻讃嘆者不子細 いふこゝろハ仏法に帰依(きゑ)して仏像を作り経文を写し堂塔を建(たて)て供養せんとの志必住持も称歎せられんと也。是ハ入道の状に御讃嘆の義に非すと雖も以て啓白すといえるによりかく言て其心を安んし速(すミやか)に願文を進(すゝ)めしめんか為なり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「子細」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「子細」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xisai.シサイ(子細) 理由,または,道理.〔邦訳780l〕

とあって、標記語「子細」の語の意味は「理由,または,道理」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-さい〔名〕【子細】〔又、仔細とも書く、正字通「俗作仔細」〕細かなる、ことわけ。ゆゑよし。ことがら。いはれ。事由魏書、源懷傳「爲貴人、理世務、當綱維、何必須子細也」杜甫詩「野橋分子細宇治拾遺物語、五、第八條「この侍に、事の子細有るまじきにて候と申せば」「子細無し」子細に及ばず、子細にや及ぶとは、彼れこれと、事柄を申し立つるまでも無し。平家物語、七、忠度都落事「身、朝敵となりぬる上は、子細に不及と乍云恨めかりし事共なり」同、二、西光被斬事「扨、それをば、法皇も知ろしめされたるか、子細にや及び候、執事の別當成親卿の、軍兵催され候ひしにも、院宣とてこそ、召されしか」〔0888-5〕

とあって、標記語「-さい子細】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さい子細】〔名〕@(形動)こまかなこと。くわしいこと。また、そのさま。Aくわしい事情。事のいわれ。理由。B(形動)あれこれと異議を言いたてる程のさしつかえとなる事柄。面倒なこと。また、そのさま。異論。異議。C(形動)表面に出していうことができない事情。ある事情。なにかのわけ。また、そのような事情のありそうなさま。もったいぶったさま。D人の感動するようなこと。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
凌山川、毎月進三箇度〈一旬各一度〉使者申洛中子細(シサイ)《訓み下し》山川ヲ凌ギ、毎月三箇度ノ〈一旬各一度〉使者ヲ進ジテ、洛中ノ子細(シサイ)ヲ申ス。《『吾妻鏡治承四年六月十九日の条》
 
 
讃嘆(サンタン)」は、ことばの溜池(2004.06.27)を参照。
 
2004年07月16日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
經巻(キヤウクワン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、「經藏(ザウ)。經師()。經衆(シユ)。經木()」(静嘉堂本のみ)の四語を収載し、この標記語「經卷」の語は未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法華八講者相當大法会儀式者〔至徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法花八講者相當大法會儀式〔宝徳三年本〕

仏像經巻讃嘆者不可有子細堂塔供養并法華八講者相當大法会儀式歟〔建部傳内本〕

仏像經巻讃嘆者不子細候堂塔供養并法花八講者相‖_大法会儀式〔山田俊雄藏本〕

仏像經巻讃嘆者()子細堂塔供養并法花八講者()( イ)‖_大法会儀式〔経覺筆本〕

佛像(サウ)(キヤウ)讃嘆(サンタン)者不子細堂塔供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相‖_大法會儀式(シキ)()〔文明四年本〕 ※式(シキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「經巻」とし、訓みは、文明四年本に「キヤウ(クワン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「經巻」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「經巻」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

經論(キヤウロン) ―教(ゲウ)。―説(せツ)。―律(リツ)―卷(グワン)。―藏(ザウ)。―歴(レキ)。〔言辞門190四〕

とあって、標記語「經論」の熟語群として「經巻」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に熟語群に「經巻」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

553佛像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者相‖_當大法會儀式 八講法花問答講也。後二条関白御悩時、北政所三願有。一ニハ大鳥{山王ノ}ヨリ社々御宝前ヨリ此社マテ‖-ント廻廊也。二八王子(シタ)ト殿ナル頑-人一千日宮仕セント也。三毎日法花問答末代怠(アテ)也。兩ハリ也。問答神喜コヒ三年命延給也。紀伊国田中庄ヲハ八王子起-進シテ毎日問答也。法花論義也。役者八人シテ問答也。問答八人答者八人也。〔謙堂文庫蔵五二右H〕

とあって、標記語「經巻」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「經巻」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

佛像(ぶつぞう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)(べから)()佛像經巻讃嘆者不子細 いふこゝろハ仏法に帰依(きゑ)して仏像を作り経文を写し堂塔を建(たて)て供養せんとの志必住持も称歎せられんと也。是ハ入道の状に御讃嘆の義に非すと雖も以て啓白すといえるによりかく言て其心を安んし速(すミやか)に願文を進(すゝ)めしめんか為なり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「經巻」の語をもって収載し、語注記未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「經巻」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qio<guan.キャゥグヮン(經巻) 経典,または,文書.〔邦訳502l〕

とあって、標記語「經巻」の語の意味は、「経典,または,文書」としている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きャう-くヮん〔名〕【經卷】經文を記したる書。經典。法華經、法師品「受持讀誦解説書寫妙法華經乃至一偈、於經卷、敬視如佛」太平記、廿七、直義隱遁事「時遷り、事去りて、人物、古にあらざる事を感じ、蘿窓、草屋の底に座來して、經卷を抛つひまもなかりけり」〔0492-1〕

とあって、標記語「きャう-くヮん經卷】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きょう-かん經巻】〔名〕(「きょうがん」とも)経文を記した巻物。経典。経文」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今日園城寺爲平家焼失金堂以下堂舎塔廟并大小乗經巻、顯密聖教、大略以化灰燼〈云云〉《訓み下し》今日園城寺平家ノ為ニ焼失ス。金堂以下堂舎塔廟并ニ大小乗経巻、顕密ノ聖教、大略以テ灰燼ニ化スト〈云云〉。《『吾妻鏡治承四年十二月十二日の条》
 
 
2004年07月15日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
佛像(ブツザウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、

佛像(  ゾウ)〔元亀二年本223五〕

佛像(  ザウ)〔静嘉堂本225七〕

佛像(  サウ)〔天正十七年本225七〕

とあって、標記語「佛像」の語を収載し、訓みは「(ブツ)ゾウ」〔元〕と「(ブツ)ザウ」〔静・天〕とに記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法華八講者相當大法会儀式者〔至徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂供養并法花八講者相當大法會儀式〔宝徳三年本〕

佛像經巻讃嘆者不可有子細堂塔供養并法華八講者相當大法会儀式歟〔建部傳内本〕

佛像經巻讃嘆者不子細候堂塔供養并法花八講者相‖_大法会儀式〔山田俊雄藏本〕

佛像經巻讃嘆者()子細堂塔供養并法花八講者()( イ)‖_大法会儀式〔経覺筆本〕

佛像(サウ)(キヤウ)讃嘆(サンタン)者不子細堂塔供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相‖_大法會(シキ)()〔文明四年本〕 ※式(シキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「佛像」とし、訓みは、文明四年本に「(ゼン)コン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「佛像」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「佛像」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

佛事(フツシ) ―説(せツ)―語()―詣(ケイ)―像(サウ)―教(ケウ)―陀()―後()―性(シヤウ)―物(モツ)―法(ホフ)―知()―惠()―慧()―前(ぜン)―具()―心(シム)―果(クワ)―意()―祖不傳(ソフデン)―恩(オン)。〔言辞門152一〕

とあって、標記語「佛事」の熟語群として「佛像」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本節用集』とが標記語「佛像」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

553佛像經巻讃嘆者不子細堂塔供養并法花八講者相‖_當大法會儀式 八講法花問答講也。後二条関白御悩時、北政所三願有。一ニハ大鳥{山王ノ}ヨリ社々御宝前ヨリ此社マテ‖-ント廻廊也。二八王子(シタ)ト殿ナル頑-人一千日宮仕セント也。三毎日法花問答末代怠(アテ)也。兩ハリ也。問答神喜コヒ三年命延給也。紀伊国田中庄ヲハ八王子起-進シテ毎日問答也。法花論義也。役者八人シテ問答也。問答八人答者八人也。〔謙堂文庫蔵五二右H〕

とあって、標記語「佛像」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「佛像」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

佛像(ぶつぞう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)(べから)()佛像經巻讃嘆者不子細 いふこゝろハ仏法に帰依(きゑ)して仏像を作り経文を写し堂塔を建(たて)て供養せんとの志必住持も称歎せられんと也。是ハ入道の状に御讃嘆の義に非すと雖も以て啓白すといえるによりかく言て其心を安んし速(すミやか)に願文を進(すゝ)めしめんか為なり。〔79オ一〜四〕

とあって、この標記語「佛像」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「佛像」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Butzo<.ブツザウ(佛像) Fotoqeno catachi.(仏の像) 仏(Fotoqe)の画像,または,彫像.〔邦訳69l〕

とあって、標記語「佛像」の語の意味は「Fotoqeno catachi.(仏の像) 仏(Fotoqe)の画像,または,彫像」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぶつ-ざう〔名〕【佛像】ほとけの彫像、又、その繪すがた。義楚六帖、一「目連爲王運大~通、將三十二人工匠、往?利天栴檀木、剋佛像、下界爲王供養扶桑略記、三、欽明天皇十三年「敬捧佛像、經教法師、附使貢獻」佛像」〔1763-1〕

とあって、標記語「ぶつ-ざう佛像】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぶつ-ぞう佛像】〔名〕仏の姿を彫刻や絵画にあらわしたもの。仏教での礼拝の対象となる。ただし、如来像だけをさす場合と広く仏教諸尊像をさす場合とがある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
東大興福兩寺郭内堂塔一宇而不免其災、佛像(ザウ)經論、同以回禄可悲〈云云〉〈可悲二字異本無之未知孰是矣〉《訓み下し》東大興福両寺、郭内堂塔一宇トシテ其ノ災ヒヲ免レズ、仏像(ザウ)経論、同ク以テ回禄ス。悲シムベシト〈云云〉。〈可悲ノ二字異本ニ之無シ。未ダ孰是ナルコトヲ知ラズ〉。《『吾妻鏡治承四年十二月二十八日の条》
 
 
2004年07月14日(水)晴れ一時曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
願文(グワンモン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

願文( モン)〔元亀二年本193一〕〔静嘉堂本218四〕

願文(クワンモン)〔天正十七年本中38ウ五〕

とあって、標記語「願文」の語を収載し、訓みは「(グワン)モン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

善根事兼日可被進諷誦願文〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

善根兼日セラ諷誦願文〔山田俊雄藏本〕

善根之事兼日諷誦願文〔経覺筆本〕

善根(コン)兼日(ケンシツ)(シン)諷誦(フシユ)願文(クワンモン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「願文」とし、訓みは、文明四年本に「グワンモン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「願文」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「願文」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

願文(グワンモンゲンブンネガイ、カザル・フミ)[去・上] 。〔態藝門541二〕

とあって、標記語「願文」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

願望(グワンマウ) ―文。―書。―立。・財宝門121五〕

願望(グワンマウ) ―文。―書。―立(ダテ)・財宝門147六〕

とあって、尭空本両足院本だけに標記語「願望」の熟語群として「願文」の語を収載する。また、易林本節用集』に、標記語「願文」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「願文」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。但し、語注記は古辞書には引用が見られないのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

552願文 回向、言比施時、回此功コ薩婆若海、普及一切群生者也。〔謙堂文庫蔵五二右G〕

とあって、標記語「願文」の語を収載し、この語についての語注記は、「回向、言は、比施時に於いて、此の功コ回し薩婆若海に向ひ、普く一切群生に及ぼす者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(グハン)佛像(サウ)經巻(クハン)讃嘆(サンダン)()子細(シサイ)堂塔(ダウタウ)供養(クヤウ)法花(ホツケ)八講(カウ)者相(アヒ)‖_(アタル)大法會()儀式(キシキ)願文(グハンモン)ハ。佛陀(ブツダ)ノ。コトヲ。ヨミ上ルナリ。〔下29オ六〜八〕

とあって、この標記語「願文」とし、語注記は「願文(グハンモン)は、佛陀(ブツダ)のことをよみ上るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

兼日(けんじつ)諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)(しん)せ被可兼日可セラ諷誦願文 兼日ハ前廣といふかことし。諷誦の願文といふ事いまた其をしらす。ある人云諷誦ハ讀あくる事也。願文を披露の時。書讀上るゆへ諷誦の願文といえるなり。又或ひハ云諷誦讀誦なといふて何れも經文を讀事(よむこと)也。法會の時何々の經文を讀玉へといふ。願文の□□□□何れの説に從ひてよむべきや知らず。願文とハ願ひの趣を事記したる書付なり〔78ウ五〜79オ一〕

とあって、この標記語「願文」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲願文ハ仏陀(ぶつた)へ祈願(きぐハん)する條(すち)を記(しる)せし文書(もんしよ)也。〔56ウ七〜57オ五・六〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲願文ハ仏陀へ祈願する條を記(しる)せし文書也。〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「願文」の語をもって収載し、その語注記は、「願文は、仏陀(ぶつた)へ祈願(きぐハん)する條(すち)を記(しる)せし文書(もんしよ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guanmon.l,guanjo.グヮンモン,または,グヮンジョ(願文願書) Nego< fumi.(願ふ文)書き物による祈願で,その中で誰かの健康とかその他現世的な幸福とかをこいねがい,そのような健康とかその他の願いが叶えられたら,これこれの物を寄進するということを約束するもの.〔邦訳314r〕

とあって、標記語「願文」の語の意味は、上記の如く記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぐヮん-もん〔名〕【願文】~佛に立願(リフクワン)の趣意を記したる文。源氏物語、四、夕顔49「願文作らせ給ふ、大きなる沈の文箱に封(ふん)じこめて奉りたり」狭衣物語、三、上5「一乘の法文すぐるるわざにや、願文のこころばへ、泣くなく讀み給へるも、涙流さぬ人なきに」〔0590-5〕

とあって、標記語「ぐゎん-もん願文】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「がん-もん願文】[]〔名〕神仏に願を立てるとき、あるいは仏事を修するとき、願意を記した文章。[]最澄が初めて比叡山にはいったときの誓いを述べた文書。一卷。最澄の高弟、仁忠が編述下した「叡山大師伝」の中にあるのを抄出別行したもの。二五七字より成る短編であるが、天台宗で古来重用する」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又御堂供養願文到著草式部大夫光範清書、右少辨定長也因播守廣元、於御前、讀申之〈云云〉《訓み下し》又御堂供養ノ願文到著ス。草ハ式部ノ大夫光範。清書ハ、右少弁定長ナリ。因播ノ守広元、御前ニ於テ、之ヲ読ミ申スト〈云云〉。《『吾妻鏡文治元年十月二十一日の条》
 
 
2004年07月13日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
諷誦(フジユ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、

諷誦(  ジユ)〔元亀二年本224一〕

諷誦(フジユ)〔静嘉堂本256六〕

諷誦(  シユ)〔天正十七年本中57ウ一〕

とあって、標記語「諷誦」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

善根事兼日可被進諷誦願文〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

善根兼日セラ諷誦願文〔山田俊雄藏本〕

善根之事兼日諷誦願文〔経覺筆本〕

善根(コン)兼日(ケンシツ)(シン)諷誦(フシユ)願文(クワンモン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「諷誦」とし、訓みは、文明四年本に「(ゼン)コン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「諷誦」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「諷誦」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

諷誦(フジユフウ・イマシム・ホノカ、シユウ・ヨム)[去・去](ツジ)説經之知識(チシキ)最初擧()(ヤウ)スル。〔態藝門627一〕

とあって、標記語「諷誦」の語を収載し、語注記に「辻説經の知識最初之を擧揚するなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

諷誦(―ジユ) 辻説經之知識最前擧唱之。・言語進退門183四〕

諷誦(フジユ) 辻説經之知識最前擧唱之。・言語門150一〕

諷諫(フカン) ―誦辻説經之知識最前唱――。・言語門139八〕

とあって、標記語「諷誦」の語を収載し、語注記は、広本節用集』を継承しつつ、「辻説經の知識最前に之れを擧唱す」と記載する。また、易林本節用集』に、

諷經(フギン) ―誦(ジユ)。―諫(カン)。〔言辞門151二〕

とあって、標記語「諷經」の熟語群として「諷誦」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「諷誦」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。とりわけ、広本節用集』や印度本系統『節用集』の語注記とは異にしている点は、留意しておきたいところである。そして、この依拠する資料がどのようなものなのか今後の課題としたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

551尤可者也唱導之亊申入處、臨ンテ其期手輿(タ-)御迎-根之亊、兼日諷誦 旦那置_物、又導師布施也。伽陀此諷誦。孤起偈也。伽陀偈也。即偈。伽陀梵語也。漢ニハ名也。如竜女献珠於明刹那成菩薩亊咒偈。〔謙堂文庫蔵五二右D〕

とあって、標記語「諷誦」の語を収載し、この語についての語注記は、「伽陀此れは、諷誦と云ふ。孤起偈なり。伽陀は、偈なり。即ち偈と反す。伽陀は、梵語なり。漢には、頌と重ねず是れを名くなり。竜女の如く珠を献じて刹那成菩薩亊咒偈を明かにす」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

諷誦(フジユ)ハ志ノ事ヲカキヨミ上ルナリ。〔下29オ五・六〕

とあって、この標記語「諷誦」とし、語注記は「志の事をかきよみ上るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

兼日(けんじつ)諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)(しん)せ被可兼日可セラ諷誦願文 兼日ハ前廣といふかことし。諷誦の願文といふ事いまた其をしらす。ある人云諷誦ハ讀あくる事也。願文を披露の時。書讀上るゆへ諷誦の願文といえるなり。又或ひハ云諷誦讀誦なといふて何れも經文を讀事(よむこと)也。法會の時何々の經文を讀玉へといふ。願文の□□□□何れの説に從ひてよむべきや知らず。願文とハ願ひの趣を事記したる書付なり。〔78ウ五〜79オ一〕

とあって、この標記語「諷誦」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲諷誦ハ舊抄(きうせう)にこゝろざしの事を書(かき)て讀(よミ)あぐる也とぞ。〔56ウ七〜57オ五〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲諷誦ハ舊抄にこゝろざしの事を書て讀あぐる也とぞ。〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「諷誦」の語をもって収載し、その語注記は、「諷誦は、舊抄(きうせう)にこゝろざしの事を書(かき)て讀(よミ)あぐるなりとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fuju.l,fujumon.フジユ,または,フジュモン(諷誦.または,諷誦文) 坊主(Bonzos)が死者のことについて読み上げる書き物.〔邦訳274l〕

とあって、標記語「諷誦」の語の意味は「坊主(Bonzos)が死者のことについて読み上げる書き物」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-じゅ〔名〕【諷誦】フウジュ(諷誦)の條を見よ。無量壽經、上「受讀經法諷誦持説」庭訓往來、九月「善根事、兼日可諷誦願文謡曲、自然居士「諸佛十方の薩?に申して申さく、總~分に般若心經、や、是は諷誦を御あげ候か」書言字考節用集、九、言辭門「諷誦、フジユ、梵云伽陀」〔1749-3〕

ふう-じゅ〔名〕【諷誦】(一)聲を立てて讀むこと。又、そらよみすること。フウショウ。(二)經を讀むこと。ドキャウ。フジュ。拾遺集、廿、哀傷「御諷誦おこなはせ給ひける時」法隆寺記補忘集「敬白、請諷誦事」(文明二年)南屏燕語(釋南山)三「眞歇和尚、云云、乃大士に新て夢の告を感じ、令衆行道此咒」〔1720-5〕

とあって、標記語「-じゅ諷誦】」と「ふう-じゅ〔名〕【諷誦】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-じゅ諷誦】〔名〕(「ふ」「じゅ」はそれぞれ「諷」「誦」の呉音)@経文または偈頌(げじゅ)を声をあげてよむこと。A「ふじゅもん(諷誦文)」の略」と標記語「ふう-じゅ諷誦】〔名〕「ふじゅ(諷誦)に同じ」とあって、『大言海』が示す『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
故曽我十郎妾、〈大礒虎雖不除髪、著黒衣袈裟、〉迎亡夫三七日忌辰、於筥根山別當行實坊、修佛事捧和字諷誦(フジユモン)、引葦毛馬一疋、爲唱導施物等《訓み下し》故曽我ノ十郎ガ妾、〈大礒ノ虎除髪セズト雖モ、黒ノ衣袈裟ヲ著ス、〉亡夫ノ三七日ノ忌辰ヲ迎ヘ、箱根山ノ別当行実坊ニ於テ、仏事ヲ修ス。和字ノ諷誦(フジユモン)ヲ捧ゲ、葦毛ノ馬一疋ヲ引キ、唱導ノ施物等トス。《『吾妻鏡建久四年六月十八日の条》
 
 
2004年07月12日(月)曇り晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
兼日(ケンジツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

兼日(―ジツ)〔元亀二年本214一〕

兼日(ケチシツ)〔静嘉堂本243五〕

兼日(ケンシツ)〔天正十七年本243五〕

とあって、標記語「兼日」の語を収載し、訓みは「(ケン)ジツ」〔元〕・「ケチシツ」〔靜〕・「ケンシツ」〔天〕とそれぞれ異なって記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

善根事兼日可被進諷誦願文〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

善根兼日セラ諷誦願文〔山田俊雄藏本〕

善根之事兼日諷誦願文〔経覺筆本〕

善根(コン)兼日(ケンシツ)(シン)諷誦(フシユ)願文(クワンモン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「兼日」とし、訓みは、文明四年本に「ケンジツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「兼日」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「兼日」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

兼日(ケンジツカネテ、ヒ)[平・入] 。〔態藝門602六〕

とあって、標記語「兼日」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

兼日(ケン  )・時節門172五〕

兼日(ケンジツ)・時節門141七〕〔・時節門131四〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「兼日」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

兼學(ケンガク) ―約(ヤク)―日(ジツ)。〔言辞門146二〕

とあって、標記語「兼學」の熟語群として、「兼日」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「兼日」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

551尤可者也唱導之亊申入處、臨ンテ其期手輿(タ-)御迎-根之亊、兼日諷誦 旦那置_物、又導師布施也。伽陀此諷誦。孤起偈也。伽陀偈也。即偈。伽陀梵語也。漢ニハ名也。如竜女献珠於明刹那成菩薩亊咒偈。〔謙堂文庫蔵五二右D〕

とあって、標記語「兼日」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

手輿(テコシ)ハル御迎(ムカイ)善根(ぜンコン)亊、(ケン)手輿ハ輦(テクルマ)チリ取(トリ)ナドノ類(ルイ)ナリ。〔下29オ一〜四・五〕

とあって、この標記語「兼日」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

兼日(けんじつ)諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)(しん)せ被可兼日セラ諷誦願文 兼日ハ前廣といふかことし。諷誦の願文といふ事いまた其をしらす。ある人云諷誦ハ讀あくる事也。願文を披露の時。書讀上るゆへ諷誦の願文といえるなり。又或ひハ云諷誦讀誦なといふて何れも經文を讀事(よむこと)也。法會の時何々の經文を讀玉へといふ。願文の□□□□何れの説に從ひてよむべきや知らず。願文とハ願ひの趣を事記したる書付なり。〔78ウ五〜79オ一〕

とあって、この標記語「兼日」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ∨子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ。〔56ウ七〜57オ五〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「兼日」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tagoxi.ケンジツ(兼日) 覆いも日除けも付いていない,腰掛けのような輿※原文はAndas.(Coxi(輿)の注)〔邦訳602r〕

とあって、標記語「兼日」の語の意味は「覆いも日除けも付いていない,腰掛けのような輿」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けん-じつ兼日】(一)日を、かぬること。數日に渉ること。王充、論衡「温不兼日、則冰不解」(二)兼日(かねてのひ)の字の音讀。數日前。前日百練抄、五、寛治七年五月五日「郁芳門院根合、兼日兩方念人(ネンニン)白河文書、親房卿事書「此事、自兼日聊有嫌疑云云、兼日之謳歌、無子細候ひけり」〔0629-5〕

とあって、標記語「けん-じつ兼日】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けん-じつ兼日】〔名〕(「かねてのひ」の「兼日」の音読)@かねての日。また、あらかじめ。日頃。A歌会の行なわれる前にあらかじめ題が出され、歌会以前に歌をよみ用意しておくこと。また、その歌会。«当座(とうざ)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武衛被談仰于件龍象而云、吾有插心底、而法華經之讀誦、終一千部之功後、宜顯其中丹之由、雖有(ケン)素願縡已火急之間、殆難延及後日《訓み下し》武衛件ノ竜象ニ談ジ仰セラレテ云ク、吾心底ニ挿ムコト有テ、法華経ノ読誦、一千部ノ功ヲ終ヘテノ後ニ、其ノ中丹ヲ顕スベキノ由、(ケン)ニ素願有リト雖モ、縡已ニ火急ノ間、殆ド延ベテ後日ニ及ボシ難シ。《『吾妻鏡治承四年七月五日の条》
 
 
2004年07月11日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
善根(ゼンコン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、「善縁。善哉」(静嘉堂本)の二語を収載し、標記語「善根」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

善根事兼日可被進諷誦願文〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

善根兼日セラ諷誦願文〔山田俊雄藏本〕

善根之事兼日諷誦願文〔経覺筆本〕

善根(コン)兼日(ケンシツ)(シン)諷誦(フシユ)願文(クワンモン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「善根」とし、訓みは、文明四年本に「(ゼン)コン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「善根」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「善根」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

善根(せンゴンヨシ、ケン・ネ)[上・平] 。〔態藝門1100二〕

とあって、標記語「善根」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

善悪(ぜンアク) ―根(ゴン)。―亊()・言語門227六〕

善悪 ―根。―亊。・言語門214一〕

とあって、永祿二年本尭空本に標記語「善悪」の熟語群に「善根」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

善縁(ぜンヱン) ―根(ゴン)。―政(せイ)。―亊()。―因(イン)。―業(ゴフ)。―惡(アク)。〔器財門91七〕

とあって、標記語「善縁」の熟語群として「善根」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「善根」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

551尤可者也唱導之亊申入處、臨ンテ其期手輿(タ-)御迎-之亊、兼日諷誦 旦那置_物、又導師布施也。伽陀此諷誦。孤起偈也。伽陀偈也。即偈。伽陀梵語也。漢ニハ名也。如竜女献珠於明刹那成菩薩亊咒偈。〔謙堂文庫蔵五二右D〕

とあって、標記語「善根」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

手輿(テコシ)ハル御迎(ムカイ)善根(ぜンコン)亊、兼(ケン)日可手輿ハ輦(テクルマ)チリ取(トリ)ナドノ類(ルイ)ナリ。〔下29オ一〜四・五〕

とあって、この標記語「善根」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

善根(ぜんごん)の事(こと)善根事 大法会執行の事をさしていえるなり。〔78ウ三〜五〕

とあって、この標記語「善根」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)(しん)ぜら被()()佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)を加()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ∨子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對楊咒願師等セヲ▲善根ハこゝに大法会(だいほふゑ)修行(しゆきやう)の事をさしていふ。〔56ウ七〜57オ五〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)▲善根ハこゝに大法会修行の事をさしていふ。〔102ウ五〜103オ一〕

とあって、標記語「善根」の語をもって収載し、その語注記は、「善根は、こゝに大法会修行の事をさしていふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iengon.ゼンゴン(善根) すなわち,len no coto.(善のこと)善コ,または,善行.lenji jengonuo nasu.(善事善根をなす) 善行をする.〔邦訳357l〕

とあって、標記語「善根」の語の意味は「すなわち,len no coto.(善のこと)善コ,または,善行」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぜん-こん〔名〕【善根】佛教の語。善果を得べき所業(しわざ)。功コ(クドク)阿彌陀經「不以少善根金剛經「種善根日本紀略、後篇、十一、寛弘五年二月廿二日「修前花山院七七日御善根宇治拾遺物語、十二、第四條「堂を造り、塔を建つる、最上の善根なりとて、勸進せられけり」〔1221-4〕

とあって、標記語「ぜん-こん〔名〕【善根】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぜん-こん善根】〔名〕(古くは「ぜんごん」とも)仏語。諸善を生み出す根本となるもの。無貪(むとん)・無瞋(むしん)・無痴(むち)をいい、これを三善根という。また、善い果報を招くであろう善の業因(ごういんをいう)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
二品禪儀、答小善根(ゼンゴン)之力速並等妙之果位加之、含飴遺徳難忍之故、資三所幽靈之正覺、兮、合莱芳契難忘之故、濟一室好仇《訓み下し》二品ノ禅儀、小善根(ゼンゴン)ノ力ニ答ヘテ、速ヤカニ等妙ノ果位ニ並ビ。加之、含飴ノ遺徳忍ビ難キガ故、三品幽霊ノ正覚ヲ資ク、合莱芳契忘レ難キガ故、一室好仇ノ後途ヲ済フ。《『吾妻鏡延応元年八月十日の条》
 
 
2004年07月10日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
手輿(たごし)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

手輿(タゴシ)〔元亀二年本137七〕〔静嘉堂本145八〕

とあって、標記語「手輿」の語を収載し、訓みは「タゴシ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

尤可被謝者也唱導申入候之處臨其期手輿可給御迎也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

尤可謝者也唱導申入候處テ‖其期ニ|手輿(タコシ)御迎ニ|〔山田俊雄藏本〕

尤可謝者也唱導之事申入候之處臨テ‖其期()ニ|手輿(タコシ)ル‖御迎ニ|〔経覺筆本〕

(シヤせ)者也唱導(シヤウタウ)之事申入候處(ノソンテ)()ニ|手輿(タコシ)御迎ニ|〔文明四年本〕 ※期()

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「手輿」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「タコシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

輿(エウヨ)タコシ/タコシ肩舁 手輿 同/俗用之〔黒川本・雜物門中5オ六〕

腰輿タコシ/手―肩舁手輿 已上同。〔巻第三・雜物門409四・五〕

とあって、標記語「手輿」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、
    手輿(タゴシ)〔器財門117二〕
とあって、標記語「手輿」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

手輿(タゴシ/シユウヨ、テ―)[上・平] 。〔態藝門342一〕

とあって、標記語「手輿」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

手輿(タゴシ)・財宝門105三〕〔・財宝門93九〕〔・財宝門103八〕 腰輿(タゴシ) ・財宝門105六〕

手輿(タコシ)・財宝門85九〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「手輿」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

手輿(タゴシ) ―縄(ナワ)―挿(バサミ)。〔器財門91七〕

とあって、標記語「手輿」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「手輿」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

551尤可者也唱導之亊申入處、臨ンテ其期手輿(タ-)御迎-根之亊、兼日諷誦 旦那置_物、又導師布施也。伽陀此諷誦。孤起偈也。伽陀偈也。即偈。伽陀梵語也。漢ニハ名也。如竜女献珠於明刹那成菩薩亊咒偈。〔謙堂文庫蔵五二右D〕

とあって、標記語「手輿」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

手輿(テコシ)ハル御迎(ムカイ)善根(ぜンコン)亊、兼(ケン)日可手輿ハ輦(テクルマ)チリ取(トリ)ナドノ類(ルイ)ナリ。〔下29オ一〜四・五〕

とあって、この標記語「手輿」とし、語注記は「手輿は、輦(テクルマ)ちり取(トリ)などの類(ルイ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

手輿(たこし)御迎(おんむかひ)を給(たまハ)る可()き也手輿御迎也 手輿とハなかえのこし也。こゝにいふ心ハ申越れたる唱導師の事を長老に達したりしに早速承知ありしゆへ其時に至りなは迎の手輿をさし越されよとなり。〔78ウ三〜五〕

とあって、この標記語「手輿」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

芳札(はうさつ)()(むね)披見(ひけんせ)せ令(しめ)(さふらひ)(おハん)ぬ誠(まこと)に御給仕(ごきふじ)()る可()き之()(むね)誓願(せいぐわん)せら被()る歟()(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)の業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(しや)せらる被()()き者(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)(まを)し入()れ候(さふら)ふ之()(ところ)其期(そのごに)に臨(のそん)手輿(たごし)御迎(おんむかひ)を給(たま)ふ可()き由(よし)(あふせ)に候(さふら)芳札之旨披見セ|キ∨御給仕之旨ル‖誓願セラ|懈怠之條凡情常業障也尤可キ∨セラ∨ヲ|者也唱導之事テ‖其期ニ|手輿キ∨フ‖御迎フ|由仰▲手輿はながえ乃こしなり。〔57オ二〜六〕

芳札(はうさつ)()(むね)(しめ)披見(ひけんせ)(さふらひ)(をハんぬ)(まこと)(へき)(ある)御給仕(ごきふじ)()(むね)(るゝ)誓願(せいくわん)せら|()()(いま)懈怠(けだい)()(でう)凡情(ぼんじやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(べき)()(しやせら)(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)申入(まうしいれ)(さふらふ)()(ところ)(のそんて)其期(そのごに)手輿(たごし)(べき)(たまふ)御迎(おんむかひ)(よし)(おほせに)(さふらふ)▲手輿はながえ乃こしなり。〔102オ四〜102ウ四〕

とあって、標記語「手輿」の語をもって収載し、その語注記は、「手輿はながえ乃こしなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tagoxi.タゴシ(手輿) 覆いも日除けも付いていない,腰掛けのような輿※原文はAndas.(Coxi(輿)の注)〔邦訳602r〕

とあって、標記語「手輿」の語の意味は「覆いも日除けも付いていない,腰掛けのような輿」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ごし〔名〕【輿】〔手輿(タゴシ)の義。肩にて擔ぐ肩輿と別つ〕輿(こし)の、人の手にて擡(もた)げ行かしむるもの。其高さ、腰に至る。主上は鳳輦ならぬ時、又は中宮など乘らせたまふ。倭名抄、十一3車類「腰輿、太古之太神宮儀式帳手輿内匠寮式腰輿一具」注「長一丈二尺、廣二尺九寸、斗内長三尺、脚高五寸」榮花物語、廿九、玉飾「請僧皆威儀いつくしうしてまゐりたる、九十九體はたごしと云ふものに乘せ奉りて」〔1211-1〕

とあって、標記語「-ごし〔名〕【輿】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ごし手輿輿】〔名〕輿(こし)の一種。前後ふたりで、手で腰のあたりまで持ち上げて運ぶもの。腰輿(ようよ)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
午一點、大阿闍梨三位僧正頼兼、到南門外橋下之際遣手輿〈退仕丁六人舁之〉令移乗之、到慢門之際、《訓み下し》午ノ一点ニ、大阿闍梨三位ノ僧正頼兼、南門ノ外橋ノ下ニ到ルノ際、手輿ヲ遣ハシ〈退仕丁六(退紅仕丁)人之ヲ舁ク〉之ヲ移乗セシメ、幔門ノ際ニ到テ、綱ヲ執ル。《『吾妻鏡正嘉元年十月一日の条》
 
 
2004年07月09日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
業障(ゴフシヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

業障(コツジヤウ) 。〔元亀二年本232七〕

業障(ゴツシヤウ) 。〔静嘉堂本267五〕

業障(コツシヤウ) 。〔天正十七年本中62ウ四〕

とあって、標記語「業障」の語を収載し、訓みは「コツジヤウ」〔元〕・「ゴツシヤウ」〔静〕と「コツシヤウ」〔天〕と諸本において異なる。そして、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

于今懈怠之條凡情常業障〔至徳三年本〕

于今懈怠之條凡情常業障〔宝徳三年本〕

于今懈怠之條凡情常業障〔建部傳内本〕

懈怠之條凡情常業障〔山田俊雄藏本〕

懈怠之條凡情常業障〔経覺筆本〕

懈怠之條凡情常業障〔文明四年本〕※誓願(せイクワン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「業障」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「業障」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「業障」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

業障(ゴツシヤウシワザ、サワリ)[入・去] 因果義也。〔態藝門691二〕

とあって、標記語「業障」の語を収載し、語注記に「因果の義なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

業障(ゴウシヤウ) 因果義。・言語進退門190一〕

業障(ゴツシヤウ) ―因(イン)・言語門155四〕

業障(ゴツシヤウ) ―因―人―報・言語門145四〕

とあって、標記語「業障」の語を収載し、弘治二年本だけに語注記「因果の義」を記載する。また、易林本節用集』に、

業障(ゴツシヤウ) ―報(ホウ)―果(クワ)―力(リキ)―因(ゴフイン)―行(ギヤウ)。〔言辞門159六〕

とあって、標記語「業障」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「業障」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

550于懈怠之条凡"-(カリナルナサケ)-。 凡夫姓之義也。〔謙堂文庫蔵五二右C〕

とあって、標記語「業障」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

懈怠之條業障常業障誓願ト云事。ネガイチカウトコロナリ。〔下29オ一・二〕

とあって、この標記語「業障」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)懈怠之條凡情常業障也 芳札披見の注並に前に見たり。〔78オ三〕

とあって、この標記語「業障」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

芳札(はうさつ)()(むね)披見(ひけんせ)せ令(しめ)(さふらひ)(おハん)ぬ誠(まこと)に御給仕(ごきふじ)()る可()き之()(むね)誓願(せいぐわん)せら被()る歟()(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(しや)せらる被()()き者(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)(まを)し入()れ候(さふら)ふ之()(ところ)其期(そのごに)に臨(のそん)て手輿(たごし)御迎(おんむかひ)を給(たま)ふ可()き由(よし)(あふせ)に候(さふら)芳札之旨披見セ|キ∨御給仕之旨ル‖誓願セラ|懈怠之條凡情常業障尤可キ∨セラ∨ヲ|者也唱導之事テ‖其期ニ|手輿可キ∨フ‖御迎フ|由仰▲業障ハいまだ其身()の業(ごふ)滿(ミた)ずして世()の障碍(さハり)にかゝづらふをいふ。〔57オ二〜六〕

芳札(はうさつ)()(むね)(しめ)披見(ひけんせ)(さふらひ)(をハんぬ)(まこと)(へき)(ある)御給仕(ごきふじ)()(むね)(るゝ)誓願(せいくわん)せら|()()(いま)懈怠(けだい)()(でう)凡情(ぼんじやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(べき)()(しやせら)(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)申入(まうしいれ)(さふらふ)()(ところ)(のそんて)其期(そのごに)手輿(たごし)(べき)(たまふ)御迎(おんむかひ)(よし)(おほせに)(さふらふ)▲業障ハいまだ其身()の業(ごふ)滿(ミた)ずして世()の障碍(さハり)にかゝづらふをいふ。〔102オ四〜102ウ三・四〕

とあって、標記語「業障」の語をもって収載し、その語注記は、「業障は、いまだ其身()の業(ごふ)滿(ミた)ずして世()の障碍(さハり)にかゝづらふをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Goxxo<.ゴッシャウ(業障) すなわち,Acugo>no sauari.(悪業の障り)罪悪から生ずる障り,あるいは,妨げ.〔邦訳310l〕

とあって、標記語「業障」の語の意味は「すなわち,Acugo>no sauari.(悪業の障り)罪悪から生ずる障り,あるいは,妨げ」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ごふ-しゃう〔名〕【業障】〔ごッしゃうと云ふは、急呼なり(合掌(ガウシャウ)、がっしやう)〕佛教の語、貪欲、瞋恚、愚痴などの惡業(アクゴフ)の、正道の障(さはり)となること。又、ごっしゃう。玉葉集、十九、釋教「我が身の業障、重き事を恐れ思ひて」源氏物語、三十八、夕霧19「惡靈(アクラウ)は、執念(しふね)きやうなれど、ごっしゃうに絡(まつ)はれたる、はかなものなり」林逸節用集(文明)雜用「業障(ゴウシヤウ)」〔0718-4〕

とあって、標記語「ごふ-しゃう〔名〕【業障】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ごう-しょう業障】〔名〕「ごっしょう(業障)」に同じ」と標記語「ごっ-しょう業障】〔名〕仏語。三障の一つ。悪業(あくごう)によって生じた障害。五逆、十悪などの悪業による罪。ごうしよう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
有為無常の世の習ひ、明日を知らぬ命の内に、わづかの欲に耽り、情け無き事どもを巧み出だし振る舞ひし事、月を隔てぬ因果歴然忽ちに身に付きぬる事、これまた未来永劫の業障なり。《『太平記』卷第三十三・新田左兵衛佐義興自害の事の条》
 
 
2004年07月08日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
凡情(ボンジヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、「?夫(ボンブ)。?下()。?慮(リヨ)。?僧(ゾウ)。?人(ニン)。?道(タウ)。?卑()」の七語を収載し、標記語「凡情」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

于今懈怠之條凡情常業障也〔至徳三年本〕

于今懈怠之條凡情常業障也〔宝徳三年本〕

于今懈怠之條凡情常業障也〔建部傳内本〕

懈怠之條凡情業障也〔山田俊雄藏本〕

懈怠之條凡情業障也〔経覺筆本〕

懈怠之條凡情業障也〔文明四年本〕※誓願(せイクワン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「凡情」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「凡情」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「凡情」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

凡情(ボンジヤウ/ハンせイ・ヲヨフ、ナサケ)[平・去] 。〔態藝門106七〕

とあって、標記語「凡情」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』は、標記語「凡情」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一広本節用集』に標記語「凡情」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

550于懈怠之条"-(カリナルナサケ)-障也。 凡夫姓之義也。〔謙堂文庫蔵五二右C〕

とあって、標記語「凡情」の語を収載し、この語についての語注記は、「凡夫の姓([性])の義なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

懈怠之條凡情業障也誓願ト云事。ネガイチカウトコロナリ。〔下29オ一・二〕

とあって、この標記語「凡情」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)の業障(ごふしやう)(なり)懈怠之條凡情業障也 芳札披見の注並に前に見たり。〔78オ三〕

とあって、この標記語「凡情」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

芳札(はうさつ)()(むね)披見(ひけんせ)せ令(しめ)(さふらひ)(おハん)ぬ誠(まこと)に御給仕(ごきふじ)()る可()き之()(むね)誓願(せいぐわん)せら被()る歟()(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)の業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(しや)せらる被()()き者(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)(まを)し入()れ候(さふら)ふ之()(ところ)其期(そのごに)に臨(のそん)て手輿(たごし)御迎(おんむかひ)を給(たま)ふ可()き由(よし)(あふせ)に候(さふら)芳札之旨披見セ|キ∨御給仕之旨ル‖誓願セラ|懈怠之條凡情業障也尤可キ∨セラ∨ヲ|者也唱導之事テ‖其期ニ|手輿可キ∨フ‖御迎フ|由仰▲凡情ハ凡夫(ほんふ)の情(こゝろ)也。〔57オ二〜五〕

芳札(はうさつ)()(むね)(しめ)披見(ひけんせ)(さふらひ)(をハんぬ)(まこと)(へき)(ある)御給仕(ごきふじ)()(むね)(るゝ)誓願(せいくわん)せら|()()(いま)懈怠(けだい)()(でう)凡情(ぼんじやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(べき)()(しやせら)(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)申入(まうしいれ)(さふらふ)()(ところ)(のそんて)其期(そのごに)手輿(たごし)(べき)(たまふ)御迎(おんむかひ)(よし)(おほせに)(さふらふ)▲凡情ハ凡夫(ほんふ)の情(こゝろ)也。〔102オ四〜102ウ三〕

とあって、標記語「凡情」の語をもって収載し、その語注記は、「凡情は、凡夫(ほんふ)の情(こゝろ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「凡情」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ぼん-じゃう〔名〕【凡情】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぼん-じょう凡情】〔名〕凡人の情。凡夫らしい低俗な心。つまらない感情。凡心。*性霊集-一〇(1079)十喩詩「一箇无明諸行、不中不外惑凡情」*正法眼藏(1231-53)伝衣「凡情いまだ解脱せざるともがら、仏法をかろくし、仏語を信ぜず、凡情に隨他去せんと擬する」*米沢本沙石集(1283)六・十一「真言の法は、仏知見の悟りの境界、凡情(ボンジャウ)つき執心なくて」*随筆・戴恩記(1644頃)下「いづれも理にあたりたる事ながら、今見ればはかなき凡情の妄念也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
天台之宗、何得成出家之縁、不如速撃叡山之法鼓、以解此界之凡情、早振台岳之妙義、以喜十方之聖心、自然道俗慎而莫謗、凡聖歓而無妨、不勝景仰之至、便附還使、以奉不堪之状、謹白《『平安遺文』「延暦寺護国縁起」所収4331・8/3251大同三年三月十二日の条》
 
 
誓願(セイグワン)」ことばの溜池(2001.01.20)を参照。
 
2004年07月07日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
給仕(キフジ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

給仕() 。〔元亀二年本283五〕

給仕(キウジ) 。〔静嘉堂本324五〕

とあって、標記語「給仕」の語を収載し、訓みは「キウジ」〔静〕と「(キウ)ジ」〔元〕と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

芳札之旨令披見候訖誠可有御給仕之旨被誓願歟〔至徳三年本〕

芳札之旨令披見候畢誠可有御給仕之旨被誓願歟〔宝徳三年本〕

芳札之旨令披見候了誠可有御給仕之由被誓願歟〔建部傳内本〕

芳札之旨令披見候畢誠給仕之旨被レ‖誓願候歟〔山田俊雄藏本〕

芳札之旨令披見せ|候畢誠キノ∨給仕之旨被誓願せ|〔経覺筆本〕

芳札之旨披見候畢(キウ)之旨被(せイ)〔文明四年本〕※誓願(せイクワン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「給仕」と記載し、訓みは文明四年本に「キウ(シ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「給仕」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「給仕」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

給仕(キフジタマワル、ツカマツル)[入・上] 。〔態藝門826六〕

とあって、標記語「給仕」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

給仕(キウジ)・人倫門218一、言語進退221五〕

給人(キウニン) ―仕()。―(キツ)主。・人倫門181九〕

給人(キフニン) ―仕。―主。・人倫門171六〕

とあって、弘治二年本が標記語「給仕」の語を収載し、他本は標記語「給人」の熟語群として収載する。また、易林本節用集』に、

給使(キフジ) ―恩(オン)。―分(ブン)。―田(デン)―仕()。 〔言辭門190二〕

とあって、標記語「給仕」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「給仕」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

549芳札之旨令披見候畢給仕之旨被誓願せ|候歟 四也衆生無辺誓願度、法門無誓願学、煩悩無辺誓願断、佛道無上誓願成也云々〔謙堂文庫蔵五二右B〕

とあって、標記語「給仕」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハウ)札之旨(ムネ)()候畢(マコト)御給仕(コキウシ)之由被(ラル)誓願(せイクハン)せ|歟于懈怠(ケダイ)之条誓願ト云事。ネガイチカウトコロナリ。〔下29オ一・二〕

とあって、この標記語「給仕」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(まこと)に以(もつ)て御給仕(おんきうじ)(ある)(へき)の旨(むね)以可給仕之旨 給仕ハ其側につかへて用を達する事也。子の父母につかふるか如きハ皆給仕なり。〔78オ四〕

とあって、この標記語「給仕」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

芳札(はうさつ)()(むね)披見(ひけんせ)せ令(しめ)(さふらひ)(おハん)ぬ誠(まこと)に御給仕(ごきふじ)()る可()き之()(むね)誓願(せいぐわん)せら被()る歟()(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)の業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(しや)せらる被()()き者(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)(まを)し入()れ候(さふら)ふ之()(ところ)其期(そのごに)に臨(のそん)て手輿(たごし)御迎(おんむかひ)を給(たま)ふ可()き由(よし)(あふせ)に候(さふら)芳札之旨披見セ|キ∨御給仕之旨ル‖誓願セラ|懈怠之條凡情常業障也尤可キ∨セラ∨ヲ|者也唱導之事テ‖其期ニ|手輿可キ∨フ‖御迎フ|由仰▲給仕ハ側(かたハら)に侍(はへ)りてつかふるをいふ。〔57オ二〜五〕

芳札(はうさつ)()(むね)(しめ)披見(ひけんせ)(さふらひ)(をハんぬ)(まこと)(へき)(ある)御給仕(ごきふじ)()(むね)(るゝ)誓願(せいくわん)せら|()()(いま)懈怠(けだい)()(でう)凡情(ぼんじやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(べき)()(しやせら)(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)申入(まうしいれ)(さふらふ)()(ところ)(のそんて)其期(そのごに)手輿(たごし)(べき)(たまふ)御迎(おんむかひ)(よし)(おほせに)(さふらふ)▲給仕ハ側(かたハら)に侍(はへ)りてつかふるをいふ。〔102オ四〜102ウ三・四〕

とあって、標記語「給仕」の語をもって収載し、その語注記は、「給仕は、側(かたハら)に侍(はへ)りてつかふるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「給仕」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きふ-〔名〕【給仕】(一)側に侍り居て、雜用を勤むること。又、其人。給侍。給事古今著聞集、二、釋教「淨藏法師、云云、花をとり、水を汲みて、給仕しけり」(二)專ら、食事の給仕。狂言記、二千石「御茶のきふじ」〔0479-5〕

とあって、標記語「きふ-〔名〕【給仕】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きゅう-給仕給事給侍】〔名〕@(―する)貴人のそばに仕えること。貴人の身のまわりの世話、雑用をすること。また、その人。A(―する)飲食の座にいて、その世話をすること。また、その人。B役所、会社、学校などで、茶を運んだり雑用をしたりする役。また、その人。C旅館、飲食店などで、客の飲食などの接待をする役。また、その人。ボーイ。ウェイター。ウェイトレス」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
修學之事、眞言之道、不論貴賤、只擇其器、爰賢覺者、自幼少、至于成人、随遂給仕弟子也、有才智器量、足付法之器、因之勝覺之間數十年之間、隨師々所傳之事 《『醍醐寺文書天仁三年二月九日の条、285・2/2
 
 
2004年07月06日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
披見(ヒケン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

披見(ケン) 。〔元亀二年本339七〕

披見(ヒケン) 。〔静嘉堂本407二〕

とあって、標記語「披見」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

芳札之旨令披見候訖誠可有御給仕之旨被誓願歟〔至徳三年本〕

芳札之旨令披見候畢誠可有御給仕之旨被誓願歟〔宝徳三年本〕

芳札之旨令披見候了誠可有御給仕之由被誓願歟〔建部傳内本〕

芳札之旨令披見候畢誠御給仕之旨被レ‖誓願候歟〔山田俊雄藏本〕

芳札之旨令披見せ|候畢誠キノ∨御給仕之旨被誓願せ|〔経覺筆本〕

芳札之旨披見候畢御給(キウ)之旨被(せイ)〔文明四年本〕※誓願(せイクワン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「披見」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「披見」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「披見」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

披見(ヒケンヒラク、ミル)[平・去] 。〔態藝門1038七〕

とあって、標記語「披見」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

披見(  ケン) 。・言語進退門256六〕

披露(ヒロウ) ―閲。―見。―講。―分。―。・言語門218六〕

披露(ヒロウ) ―閲。―見。―講。―分。・言語門203七〕

とあって、弘治二年本が標記語「披見」の語を収載し、他写本は標記語「披露」の誦語群として「披見」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

披覽(ヒラン) ―陳(チン)。―露()。―見(ケン)。―閲(エツ)。〔言辭門226二〕

とあって、標記語「披見」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「披見」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

549芳札之旨令披見候畢御給仕之旨被誓願せ|候歟 四也衆生無辺誓願度、法門無誓願学、煩悩無辺誓願断、佛道無上誓願成也云々〔謙堂文庫蔵五二右B〕

とあって、標記語「披見」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハウ)札之旨(ムネ)()候畢(マコト)御給仕(コキウシ)之由被(ラル)誓願(せイクハン)せ|歟于懈怠(ケダイ)之条誓願ト云事。ネガイチカウトコロナリ。〔下29オ一・二〕

とあって、この標記語「披見」とし、語注記は「」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

芳札(ほうさつ)()(むね)披見(ひけん)セ令(しめ)候ひ畢ぬ芳札之旨令披見セ|候畢 芳札披見の注並に前に見たり。〔78オ三〕

とあって、この標記語「披見」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

芳札(はうさつ)()(むね)披見(ひけん)せ令(しめ)(さふらひ)(おハん)ぬ誠(まこと)に御給仕(ごきふじ)()る可()き之()(むね)誓願(せいぐわん)せら被()る歟()(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)の業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(しや)せらる被()()き者(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)(まを)し入()れ候(さふら)ふ之()(ところ)其期(そのごに)に臨(のそん)て手輿(たごし)御迎(おんむかひ)を給(たま)ふ可()き由(よし)(あふせ)に候(さふら)芳札之旨披見セ|キ∨御給仕之旨ル‖誓願セラ|懈怠之條凡情常業障也尤可キ∨セラ∨ヲ|者也唱導之事テ‖其期ニ|手輿可キ∨フ‖御迎フ|由仰〔57オ二〜五〕

芳札(はうさつ)()(むね)(しめ)披見(ひけんせ)(さふらひ)(をハんぬ)(まこと)(へき)(ある)御給仕(ごきふじ)()(むね)(るゝ)誓願(せいくわん)せら|()()(いま)懈怠(けだい)()(でう)凡情(ぼんじやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(べき)()(しやせら)(もの)(なり)。唱導(しやうたう)()(こと)申入(まうしいれ)(さふらふ)()(ところ)(のそんて)其期(そのごに)手輿(たごし)(べき)(たまふ)御迎(おんむかひ)(よし)(おほせに)(さふらふ)〔102オ四〜102ウ三〕

とあって、標記語「披見」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fiqen.ヒケン(披見) Firaqi miru.(披き見る)開いて見ること,あるいは,開いて読むこと.例,Gojo< fiqen mo<xi soro.(御状披見申しそろ)あなたの手紙を読みました.文書語.〔邦訳236r〕

とあって、標記語「披見」の語の意味は「Firaqi miru.(披き見る)開いて見ること,あるいは,開いて読むこと」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-けん〔名〕【披見】文書など、披(ひら)きて見ること。披覽。易林本節用集(慶長)下、言辭門「披見、ヒケン」太平廣記(宋、李ム等)劉根傳「發車上披見太平記、六、正成天王寺未來記披見事「是をばたやすく人の披見する事は候はねども」〔1657-4〕

とあって、標記語「-けん〔名〕【披見】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-けん披見】〔名〕@ひらいて見ること。A見ること。また、調査すること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今月十九日告文、并御消息、同廿二日到來、子細()畢抑自去年冬比、關東不靜。《訓み下し》今月十九日ノ告文、并ニ御消息、同キ二十二日ニ到来ス。子細ニ()シ畢ンヌ。抑去年ノ冬ノ比ヨリ、関東静カナラズ。《『吾妻鏡寿永元年五月二十九日の条》
 
 
2004年07月05日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
芳札(ハウサツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

芳札(ハウサツ) 。〔元亀二年本30二〕〔天正十七年本上16オ二〕〔西來寺本〕

芳札(サツ) 。〔静嘉堂本30一〕

とあって、標記語「芳札」の語を収載し、訓みは「ハウサツ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

芳札之旨令披見候訖誠可有御給仕之旨被誓願歟〔至徳三年本〕

芳札之旨令披見候畢誠可有御給仕之旨被誓願歟〔宝徳三年本〕

芳札之旨令披見候了誠可有御給仕之由被誓願歟〔建部傳内本〕

芳札之旨令披見候畢誠御給仕之旨被レ‖誓願候歟〔山田俊雄藏本〕

芳札之旨令披見せ|候畢誠キノ∨御給仕之旨被誓願せ|〔経覺筆本〕

芳札之旨披見候畢御給(キウ)之旨被(せイ)〔文明四年本〕※誓願(せイクワン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「芳札」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

芳札 ハウサツ/消息詞〔黒川本・畳字門上26ウ二〕

芳菲 〃契。〃札。〃命。〃心。〃草。〃蘭。〃年。〃春。〃鮮―せン/魚名也。〃唐―イン。〃友。〃談。〃紛。〃躅。〔巻第一・畳字門209二〕

とあって、標記語「芳札」の語を収載し、三卷本に語注記として「消息詞」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

恩簡(ヲンカン) 芳札(ハウ ツ)之義也。〔態藝門89七〕

とあって、標記語「恩簡」の語注記の語として「芳札」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

芳札(ハウサツカウバシ、フダ)[平・入] 。〔態藝門63二〕

とあって、標記語「芳札」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

芳札(ハウサツ) 。・言語進退門26二〕〔・言語門24六〕

芳志(ハウシ) ―命(メイ)。―菲()。―枝()。―墨(ホク)。―意()。―詞()。―翰(カン)。―言(コン)。―心(シン)。―約(ヤク)。―札(サツ)。―談(ダン)。―恩(ヲン)。―情(せイ)。―契(ケイ)。―問(モン)。―艶(エン)美女也。―存(ゾン)。―惠(ケイ)。・言語門22六〕

芳志(ハウシ) ―命。―菲。―枝。―墨。―意。―詞。―翰。―言。―心。―約。―札。―談。―恩。―情。―契。―問。―艶美女也。―存。―惠。・言語門20五〕

とあって、弘治二年本両足院本に標記語「芳札」の語を収載し、他写本は標記語「芳志」の熟語群として記載する。また、易林本節用集』に、

芳札(  サツ) 。〔言辞門20六〕

とあって、標記語「芳札」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「芳札」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

549芳札之旨令披見候畢御給仕之旨被誓願せ|候歟 四也衆生無辺誓願度、法門無誓願学、煩悩無辺誓願断、佛道無上誓願成也云々〔謙堂文庫蔵五二右B〕

とあって、標記語「芳札」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハウ)之旨(ムネ)()候畢(マコト)御給仕(コキウシ)之由被(ラル)誓願(せイクハン)せ|歟于懈怠(ケダイ)之条誓願ト云事。ネガイチカウトコロナリ。〔下29オ一・二〕

とあって、この標記語「芳札」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

芳札(ほうさつ)()(むね)披見(ひけん)セ令(しめ)候ひ畢ぬ芳札之旨令披見セ|候畢 芳札披見の注並に前に見たり。〔78オ三〕

とあって、この標記語「芳札」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

芳札(はうさつ)()(むね)披見(ひけんせ)せ令(しめ)(さふらひ)(おハん)ぬ誠(まこと)に御給仕(ごきふじ)()る可()き之()(むね)誓願(せいぐわん)せら被()る歟()(いま)懈怠(けたい)()(てう)凡情(ほんしやう)(つね)の業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(しや)せらる被()()き者(もの)(なり)唱導(しやうたう)()(こと)(まを)し入()れ候(さふら)ふ之()(ところ)其期(そのごに)に臨(のそん)て手輿(たごし)御迎(おんむかひ)を給(たま)ふ可()き由(よし)(あふせ)に候(さふら)芳札之旨披見セ|キ∨御給仕之旨ル‖誓願セラ|懈怠之條凡情常業障也尤可キ∨セラ∨ヲ|者也唱導之事テ‖其期ニ|手輿可キ∨フ‖御迎フ|由仰〔57オ二〜五〕

芳札(はうさつ)()(むね)(しめ)披見(ひけんせ)(さふらひ)(をハんぬ)(まこと)(へき)(ある)御給仕(ごきふじ)()(むね)(るゝ)誓願(せいくわん)せら|()()(いま)懈怠(けだい)()(でう)凡情(ぼんじやう)(つね)業障(ごふしやう)(なり)(もつとも)(べき)()(しやせら)(もの)(なり)。唱導(しやうたう)()(こと)申入(まうしいれ)(さふらふ)()(ところ)(のそんて)其期(そのごに)手輿(たごし)(べき)(たまふ)御迎(おんむかひ)(よし)(おほせに)(さふらふ)〔102オ四〜102ウ三〕

とあって、標記語「芳札」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo<sat.ハウサツ(芳札) Co<baxij fuda.(芳ばしい札)すなわち,Fo<can.l,fo<bocu.(芳翰.または,芳墨)書いた人を敬って,上品に書かれた手紙をほめるために使う語.〔邦訳264r〕

とあって、標記語「芳札」の語の意味は上記の如く記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はう-さつ〔名〕【芳札】他の手紙を敬稱する語。御手紙の意。貴札。芳翰。芳書。梁元帝劉孝綽「數路計行、遲還芳札韋應物子西「傷離在芳札、忻遂見心曲」〔1556-5〕

とあって、標記語「はう-さつ〔名〕【芳札】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-さつ芳札】〔名〕他人を敬って、その手紙をいう語。貴翰。芳翰。芳紙。芳書」とあって、『大言海』は引用していないが、『明衡徃來』中本の次に『庭訓徃來』のこの語用例は記載する。
[ことばの実際]
万濟 芳札委細恐悦候、昨日良藥即時御服服用候て、珍重存候 《『醍醐寺文書』の応永廿三年九月廿九日1427・大僧正滿濟書?7/150
 
 
2004年07月04日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
御中(をんなか)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、「御座(ハシマス)。御衣(ヲンソ)。御伴(トモ)。御供()。御成(ヲナリ)。御晴(ハレ)。御乳()。御足(アシ)。御坪(ツホ)」の九語を収載し、標記語「御中」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

九月十三日 沙弥進上 侍者御中〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

九月十二日 沙弥進上 侍者御中〔建部傳内本〕

九月十三日 沙弥進上 侍者御中〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕

九月十三日 沙弥沙弥(シヤミ)進上 侍者御中〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「御中」と記載記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「御中」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』は、標記語「御中」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「御中」の語を未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には、見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

547侍者御中 〔謙堂文庫蔵五二右@〕

とあって、標記語「御中」の語を収載し、この語についての語注記は、「」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

恐々謹言 九月十二日 沙弥/進上 侍者御中〔下28ウ七〜八〕

とあって、この標記語「謹言」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

九月十三日 沙弥(しやミ)/進上 侍者(ししや)御中(おんなか)九月十三日 沙弥進上 侍者御中〔77ウ七〜78オ二〕

とあって、この標記語「謹言」の語をもって収載し、語注記未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

九月十三日(くぐわつじふさんにち) 沙弥(しやミ)/進上(しんじやう) 侍者(じしや)御中(おんなか)九月十三日 沙弥進上 侍者御中▲沙弥ハ十月の進状中しるす。〔56オ五〜八〕

九月十三日(くぐわつじふさんにち) 沙弥(しやミ)/進上(しんじやう) 侍者(じしや)御中(おんなか)▲沙弥ハ十月の進状中しるす。〔102オ一・三〕

とあって、標記語「御中」の語をもって収載し、その語注記は、「沙弥ハ十月の進状中しるす」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「御中」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「おん-ちゅう〔名〕【御中】」「おん-なか〔名〕【御中】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おん-ちゅう御中】〔名〕個人でない官庁、会社、団体などへの手紙で、あて名の下に書き添える脇付の語。おんなか。*英和商業新辞彙(1904)<田中・中川・伊丹>「Messieurs(Messrs.)御中、諸氏、各位、書信に用ゐる語」*類句作例書翰大辞典(1913)「御中(オンチウ)(集団隊宛)」[語誌]明治期以前、脇付に用いられていた「人々御中(ひとびとおんなか)の「人々」の省略形「御中(おんなか)を音読したものか。明治後期から大正期にかけて、音読した形で脇付語として定着したと考えられる」」「おん-なか〔名〕【御中】「おんちゅう(御中)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
天喜三年十月九日伊賀守小野守経状進上   御房、行事供奉達 御中(題籤 第一面)「天喜三以後」 《『東大寺文書<図書館未成巻文書>』天喜三年十月九日の条360-4・12/119》
 
 
2004年07月03日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
沙弥(シヤミ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

沙弥( ミ) 駆烏――自十歳至十五歳應法――自十六歳至十九歳名字――廿歳也。〔元亀二年本312二〕

沙弥(シヤミ) 烏――自十歳至十五才應法――十六歳至十九名字――廿歳也。〔静嘉堂本365三・四〕

とあって、標記語「沙弥」の語を収載し、訓みは「(シヤ)ミ」〔元〕と「シヤミ」〔静〕と記載する。そして、語注記は、「駆烏沙弥、十歳より十五歳に至って應法沙弥、十六より歳十九歳に至って名字沙弥、廿歳なり」とあって、下記に示す真字註の語注記の前半部と合致し、これを継承していることが明らかとなっている。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

九月十三日 沙弥進上 侍者御中〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

九月十二日 沙弥進上 侍者御中〔建部傳内本〕

九月十三日 沙弥進上 侍者御中〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕

九月十三日 沙弥沙弥(シヤミ)進上 侍者御中〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「沙弥」と記載し、訓みは文明四年本に「シヤミ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

沙弥 シヤミ。〔黒川本・人倫門下70オ四〕〔巻第九・人倫門140二〕

とあって、標記語「沙弥」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

沙彌(シヤミ) 小僧又賤使(センシ)。〔人倫門40五〕

とあって標記語「沙彌」の語を収載し、語注記は「小僧、または、賤使」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

沙彌(シヤミイサゴ、イヨ/\)[平・平] 此始落髪(ハツ)之称謂也。言此人出煩惱涅槃故也云々。此云息慈。又云勒策寄皈傳授十戒已為求宗最下七歳至年十三者。此曰名鳥([烏])沙弥。若年十四至十九名應法若年二十已上。名字沙弥。〔官位門919七・八〕

とあって、標記語「沙彌」の語を収載し、この語注記は、『下學集』の語注記を継承せず、寧ろ真字註の語注記に類似する内容であることが知られる。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

沙弥(シヤミ) 。〔・官名門238一〕〔・官名門200八〕〔・官名門190八〕

とあって、標記語「沙弥」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

沙弥(シヤミ) 。〔人倫門203七〕

とあって、標記語「沙弥」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「沙弥」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。なかでも、『運歩色葉集』が語注記を同じくし、継承関係が見られ、更に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)にも類似する内容が見えている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

548沙弥 驅烏沙弥自十歳十五|。應法々自十六|。十九名字沙弥廿歳。六位上司ハ當五位也。〔謙堂文庫蔵五二右@〕

とあって、標記語「沙弥」の語を収載し、この語についての語注記は、「驅烏沙弥、十歳より十五に至る應法沙弥十六より十九に至る。名字沙弥廿歳に至る。六位上司は、五位に當るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

恐々謹言 九月十二日 沙弥/進上 侍者御中〔下28ウ七〜八〕

とあって、この標記語「謹言」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

九月十三日 沙弥(しやミ)/進上 侍者(ししや)御中(おんなか)九月十三日 沙弥進上 侍者御中〔77ウ七〜78オ二〕

とあって、この標記語「謹言」の語をもって収載し、語注記未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

九月十三日(くぐわつじふさんにち) 沙弥(しやミ)/進上(しんじやう) 侍者(じしや)御中(おんなか)九月十三日 沙弥進上 侍者御中▲沙弥ハ十月の進状中しるす。〔56オ五〜八〕

九月十三日(くぐわつじふさんにち) 沙弥(しやミ)/進上(しんじやう) 侍者(じしや)御中(おんなか)▲沙弥ハ十月の進状中しるす。〔102オ一・三〕

とあって、標記語「沙弥」の語をもって収載し、その語注記は、「沙弥ハ十月の進状中しるす」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xami.シャミ(沙弥) 修道院の食糧室係のように,家事をつとめる寺(Tera)の坊主(Bõzos).〔邦訳742r〕

とあって、標記語「沙弥」の語の意味は「修道院の食糧室係のように,家事をつとめる寺(Tera)の坊主(Bõzos)」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃ-〔名〕【沙彌】〔梵語、?rama?era.(室羅末尼羅(シラマネエラ))の略、求寂、又、息慈と譯す、息惡行慈の意〕又、サミ。始めて佛門に入り、~を剃りし男子の稱。即ち、得度式のみ終ハりたるもの。女なるを、沙彌尼と云ふ。魏書、釋老志「爲沙門者、初修十誡、曰沙彌源平盛衰記、十六、仁寛流罪事「今年は、十二歳にぞ成らせ給ふ、かかる亂れの世なりければ、御受戒なく、唯、沙彌にてぞ、坐(オハシマ)しける」〔0983-1〕

とあって、標記語「しゃ-〔名〕【沙彌】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゃ-沙彌】〔名〕(梵語、?rama?eraの音訳。俗情をやすめて慈悲の心を起こす意で息慈と訳し、正式の比丘になろうと努める者の意で勤策男と訳す)仏語。@仏門にはいり、剃髪(ていはつ)して十戒を受けた男子。仏法に未熟な僧。年齢により駆烏沙彌(七〜一三歳)、応法沙彌(一四〜一九歳)、名字沙彌(二〇歳以上)の三種に分ける。A日本では特に、剃髪していても妻子のある、在家の生活を行なう者をいう。[語誌](1)これに類する類似した語の「沙門」は、桑門ともいい、出家者の総称で、比丘、僧と同義に用いられる。沙門は漢語訳において勤労、功労、静志、息止などとされ、沙彌は勤策、功労、息慈、労之少者などとされており、両語が原語において近い関係にあることが伺われる。(2)梵語?rama?a(沙門)は努力する等の動詞?ramから派生した名詞で、努力する人、即ち修行者一般を指す。?rama?era(沙彌)はそれから更に派生した語で、沙門の子の意で、仏弟子の最初の段階の者を指す」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例、そして、@の意味内容に関わる真字註の用例は未記載にする。
[ことばの実際]
寅刻、於最明寺、相州令落餝給〈年卅、〉依日來素懷也御法名、覺了房道崇〈云云〉御戒師、宋朝道隆禪師也依此事、名家兄弟三流、既爲沙彌(シヤミ)、希代珎事也《訓み下し》寅ノ刻ニ、最明寺ニ於テ、相州飾ヲ落トサシメ給フ〈年三十〉。日来ノ素懐ニ依テナリ。御法名ハ、覚了房道崇ト〈云云〉。御戒師ハ、宋朝ノ道隆禅師ナリ。此ノ事ニ依テ、名家ノ兄弟三流、既ニ沙弥(シヤミ)トスル、希代ノ珍事ナリ。《『吾妻鏡』康元元年十一月二十三日の条》
 
 
2004年07月02日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
敬白(ケイハク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、標記語「敬白」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

仰御哀憐恐惶敬白〔至徳三年本〕

一向仰御哀憐恐惶敬白〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

一向仰御哀憐(レン)恐惶敬白〔山田俊雄藏本〕

一向(アヲク)御哀憐(アイレン)恐惶謹言〔経覺筆本〕

一向仰(アフク)御哀憐(アイレン)恐惶敬白〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「敬白」と記載し、経覺筆本だけが「謹言」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「敬白」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「敬白」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

敬白(ケイハクウヤマウ、マウス)[去・入] 。〔態藝門603四〕

とあって、標記語「敬白」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』は、標記語「敬白」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』にだけ標記語「敬白」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

545可(ナラ)-候也一向御哀憐恐々敬白〔謙堂文庫藏五一左F〕

とあって、標記語「敬白」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

恐々謹言 九月十二日 沙弥/進上 侍者御中〔下28ウ七〜八〕

とあって、この標記語「謹言」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

一向(いつかう)御哀憐(ごあいれん)を仰(あを)恐惶謹言九月十三日 沙弥/進上 侍者御中〔77ウ七〜78オ二〕

とあって、この標記語「謹言」の語をもって収載し、語注記未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向御哀憐恐惶敬白▲敬白()ハうやまつてまうすと訓(くん)ず。〔56オ五〜ウ二〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)御哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)▲敬白()ハうやまつてまうすと訓ず。〔100ウ六〜101ウ一〕

とあって、標記語「敬白」の語をもって収載し、その語注記は、「敬白()は、うやまつてまうすと訓(くん)ず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeifiacu.ケイヒャク(敬白) Vyamatte m?su.(敬つて白す)尊敬の念をこめて申すこと.例,Qeifacu suru.(敬白する)文書語.※敬白けいひゃく.うやまって,まうす(落葉集).〔邦訳482l〕

とあって、標記語「敬白」の語の意味は「Vyamatte m?su.(敬つて白す)尊敬の念をこめて申すこと」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-はく〔句〕【敬白】けいびゃくの條を見よ。庭訓往來、九月「佛布施、并被物、敬白等敬白、輕賤也」〔0600-2〕

けい-びゃく〔句〕【敬白】うやまひて、まうす。願文。書翰文。などに記す敬語なり。朝野群載、二、獻供物於北野廟「敬白、獻上御幣、上紙百帖、云云、繪馬二匹」庭訓往來、九月「一向仰御哀憐、恐惶敬白」〔0600-3〕

とあって、標記語「けい-はく〔名〕【敬白】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けい-はく敬白】〔名〕@うやまって申し上げること。つつしんで申し上げること。けいびゃく。A願文や手紙などの末尾に用いる挨拶(あいさつ)のことば。敬具。謹白。けいびゃく。[語誌]Aは「書札作法抄」(一三四二年以降)に「敬白の字、在家より出家の方へ書也。又、出家と出家とは申に不及」とあるように、僧侶の書簡や僧侶宛の書簡に用いる書留語であり、一種の位相語といえる。これは、仏教儀礼の法会などに宣読される表白文の書留語が書簡に及んだものか」とあって、『大言海』が引用する『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武州、召陰陽助忠尚朝臣、密々被仰云、四品事、朝恩之至、雖令自愛、無勞功、忽受此位、天運猶危、頗似不量己早可奉敬白事、由到泰山府君〈云々〉《訓み下し》武州、陰陽ノ助忠尚ノ朝臣ヲ召シ、密密ニ仰セラレテ云ク、四品ノ事ハ、朝恩ノ至、自愛セシムト雖モ、労功無フシテ、忽此ノ位ヲ受ルコト、天運猶危シ。頗ル己ヲ量ラザルニ似タリ。早ク事ノ由ヲ泰山府君ニ敬白(ケイビヤク)シ奉ルベシト〈云云〉。《『吾妻鏡』嘉禎二年三月十三日の条》
 
 
2004年07月01日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
哀憐(アイレン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、

哀憐(レン) 。〔元亀二年本259七〕

哀憐(アイレン) 。〔静嘉堂本293七〕

とあって、標記語「哀憐」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

仰御哀憐恐惶敬白〔至徳三年本〕

一向仰御哀憐恐惶敬白〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

一向仰哀憐(レン)恐惶敬白〔山田俊雄藏本〕

一向(アヲク)哀憐(アイレン)恐惶謹言〔経覺筆本〕

一向仰(アフク)哀憐(アイレン)恐惶敬白〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「哀憐」と記載し、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「アイレン」、山田俊雄藏本に「(アイ)レン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

哀憐 慈悲分/アイレン。〔黒川本・畳字門下32ウ一〕

哀憐 〃樂。〃勧。〃傷シヤウ。〃歎。〃愍。〃吟。〔巻第八・畳字門355三〕

とあって、標記語「哀憐」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「哀憐」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

哀憐(アイレンカナシム、アワレム)[平・平] 。〔態藝門757二〕

とあって、標記語「哀憐」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

哀憐(アイレン) 。〔・言語進退門206六〕

哀憐(アイレン) ―傷(シヤウ)。―愍(ミン)。〔・言語門170五〕

哀憐(アイレン) ―傷。―愍。〔・言語門159八〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「哀憐」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

哀慟(アイトウ) ―憐。―情(せイ)。―戚(せキ)。―愍(ミン)。―察(サツ)。〔言辞門172二〕

とあって、標記語「哀慟」の熟語群として「哀憐」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「哀憐」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

545可(ナラ)-候也一向哀憐恐々敬白〔謙堂文庫藏五一左F〕

とあって、標記語「哀憐」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ケイ)白計(ナラ)ラサ一磬(ケイ)一向哀憐(アイレン)一磬ヲ鳴ス事ハ。上天下界ヲ驚(ヲトロ)カス心ナリ。啓白ハ。始メ結(ケツ)願ハ終ナリ。〔下28ウ五〜七〕

とあって、この標記語「哀憐」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

一向(いつかう)哀憐(ごあいれん)を仰(あを)一向哀憐 一向ハ一と動にと云事なり。哀憐ハ皆あわれむと讀。今度の法会合力あれハ執行(とりおこな)ハれ合力なけれハ執行ハれすして志至されハ憐て合力あれと也。〔77ウ三〜六〕

とあって、この標記語「哀憐」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞし)し佛(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)に被物(ひもつ)録物等(ろくもつとう)用意(ようゐ)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)御助成(ごじよせい)に擬()して之(これ)を執行(しゆぎやう)せら被()()し。御讃嘆(ごさんたん)()に儀()に非(あら)ずと雖(いへども)啓白(けいびやく)(ばかり)を以(もつて)一磬(いつけい)を鳴()らさ被()()く候(さふら)ふ也(なり)。一向(いつかふ)に御哀憐(ごあいれん)を仰(あふ)ぐ恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)佛布施被物物等用意軽賤也只擬シテ御助成セラズト御讃嘆之儀啓白許ラサ一磬一向哀憐恐惶敬白〔56オ五〜八〕

(たゞし)(ぶつ)布施(ふせ)(ならび)被物(ひもつ)物等(ろくもつとう)用意(ようい)軽賤(けいせん)(なり)(たゞ)(ぎして)御助成(ごじよせい)(べし)()(しゆ)(ぎやうせ)(これを)(いへども)(あら)ずと御讃嘆(ごさんたん)()(ぎに)(もつて)啓白(けいびやく)(ばかりを)(へく)()(ならさ)一磬(いつけい)(さふら)(なり)一向(いつかうに)(あふく)哀憐(ごあいれんを)恐惶(きやうくはう)敬白(けいはく)。〔100ウ六〜101オ五・六〕

とあって、標記語「哀憐」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Airon.(ママ)アイレン(哀憐) Auaremi.(憐れみ)慈悲心,寛大.¶Airenuo taruru,l,cuuayuru.(哀憐を垂るる,または,加ゆる)あわれむ,または,同情する.※Airenの誤植.補遺にAirenを収めたのは,これの訂正であろう.→次条.〔邦訳18r〕

 

とあって、標記語「哀憐」の語の意味は「Auaremi.(憐れみ)慈悲心,寛大」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あい-れん〔名〕【愛】いつくしみ、あはれむこと。いとほしむこと。〔0003-4〕

とあって、標記語「あい-れん〔名〕【愛】」の語を収載するのみである。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あい-れん哀憐】〔名〕かなしみ、あわれむこと。神仏の衆生に対する、君主の人民に対する、または人間の他の動物に対するあわれみの気持をいう場合が多いが、「愛憐」とほぼ同義にも用いられる。*将門記(940頃か)「堺外の士女は声を挙げて哀憐す」*今昔物語集(1120頃か)二十六・十二「国に返り住むと云ければ、守、『糸よき事也』と云て、物など取(とら)せて哀憐しければ」*平家物語(13c前)二・教訓状「民のためにはますます撫育の哀憐をいたさせ給はば」*上司家文書-建治三年(1277)七月・賀陽資成申状案(鎌倉遺文一七・一二七八九)「書生?無足之条、何不哀憐哉」*日葡辞書(1603-04)「Airenuo(アイレンヲ)タルル」*布令必用新撰字引(1869)<松田成己>「哀憐 アイレン フビンガル」*史記−刺客伝「丹終不於強秦、而棄哀憐之交之匈奴」」とあって、『大言海』が引用する『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
法之衰弊、處之陵遲、見者掩面、行者反袖若無哀憐(アイレン)者、爭企住侍乎《訓み下し》法ノ衰弊、処ノ陵遅、見ル者面ヲ掩ヒ、行ク者袖ヲ反ス。若シ哀憐(アイレン)無クンバ、争カ住侍ヲ企テンヤ(住持ヲ企テンヤ)。《『吾妻鏡』元暦元年十一月二十三日の条》
 
 
 
 
 

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