2004年08月01日から08月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

2004年08月31日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
僧衆(ソウシユ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

僧衆(シユ)〔元亀二年本153二〕

僧衆〔静嘉堂本167六〕※「衆」の文字の下部「維」文字に変形表記

とあって、標記語「僧衆」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒崛請事候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

禪律(リツ)僧衆諸寺諸社聖道衆徒屈請(クツシヤウ)申事候也〔山田俊雄藏本〕

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒()候也〔経覺筆本〕

禪律(ぜンリツ)僧衆(ソウシユウ)諸寺諸社聖道衆徒()屈請(クツシヤウ)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「僧衆」と記載し、訓みは文明四年本に「ソウシユウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「僧衆」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「僧衆」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

僧衆(シユ)・人倫門118八〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「僧衆」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

僧俗(ソク) ―侶(リヨ)。―徒()―衆(シユ)。〔人倫門099六〕

とあって、標記語「僧俗」の熟語群として「僧衆」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』・弘治二年本節用集』に標記語「僧衆」、熟語群では易林本節用集』にこの語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が、収載している。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

580禅律僧衆諸寺諸社 神武父地神五代草不合葺尊始云也。〔謙堂文庫蔵五四右A〕

とあって、標記語「僧衆」の語を収載し、この語についての語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同者結夏(ケツゲ)以前可カル時分候禪律(せンリツ)(ソウ)諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒()結夏(ケツゲ)トハ四月ヲ云也。但シ宗ニ依テ替(カハ)ルベシ。此文秋(アキ)冬ヲ兼(カネ)タル月付也。夏ノ事治定(チデフ)ナリ。〔下31オ七・八〕

とあって、この標記語「僧衆」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

禪律(ぜんりつ)僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしや)聖道(しやうだう)の衆徒(しゆと)禪律(せンリツ)(ソウ)諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒() 注前に見へたり。〔81ウ四〕

とあって、この標記語「僧衆」の語をもって収載し、語注記は「よきころなりぞ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禪律(ぜんりつ)僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしや)の聖道(しやうだう)の衆徒(しゆと)(これ)屈請(くつしやう)する事(こと)に候(さふら)禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒スル〔59オ七〕

禪律(ぜんりつの)僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしやの)聖道(しやうだうの)(しゆと)(くつ)(しやうする)(これを)(ことに)(さふらふ)。〔107オ一〕

とあって、標記語「僧衆」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So>xu.ソゥシュ(僧衆) すなわち,Bo<zutachi.(坊主たち)坊主たち.(Bonzos).〔邦訳579l〕

とあって、標記語「僧衆」の語の意味は「すなわち,Bo<zutachi.(坊主たち)坊主たち.(Bonzos)」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そう-しゅう〔名〕【僧衆】〔佛家にては、ソウシュ。多くの比丘の和合して一國をなすもの〕多くの僧。衆徒。僧徒。宋書、蕭開傳「自宣悉供僧衆」〔1140-4〕

とあって、標記語「そう-しゅう〔名〕【僧衆】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そう-しゅう僧衆】〔名〕→そうしゅ(僧衆)」、「そう-しゅ僧衆】〔名〕(「そうしゅう」とも)大勢の僧侶僧徒。衆徒。衆僧」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
就中爲山狩、追出僧衆之条、希代事也《訓み下し》中ニ就キテ山狩ノ為ニ、僧衆(シユ)ヲ追ヒ出スノ条、希代ノ事ナリ。《『吾妻鏡養和二年五月二十五日の条》
 
 
禪律(ゼンリツ)」は、ことばの溜池(2004.06.18)を参照。
 
2004年08月30日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
時分(ジブン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「時節(せツ)。時刻(コク)。時宜()。時日(ジツ)。時運(ウン)。時正(シヤウ)。時代(ダイ)。時勢(せイ)。時雨(シクレ)」の九語を収載し、標記語「時分」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

同者結夏以前可然時分〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

同者()結夏以前可時分〔山田俊雄藏本〕

者結夏以前時分〔経覺筆本〕

者結夏(ケツケ)以前(しかるも)時分(しぶん)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「時分」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「時分」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「時分」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

時分(ジブントキ、ワカツ)[平・平] 。〔態藝門942六〕

とあって、標記語「時分」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「時分」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』だけが標記語「時分」の語を収載する。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

579同者結夏以前可時分候 結夏以前是十月ナル間来年之結夏云也。〔謙堂文庫蔵五四右@〕

とあって、標記語「時分」の語を収載し、この語についての語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同者結夏(ケツゲ)以前可カル時分候禪律(せンリツ)(ソウ)衆諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒()結夏(ケツゲ)トハ四月ヲ云也。但シ宗ニ依テ替(カハ)ルベシ。此文秋(アキ)冬ヲ兼(カネ)タル月付也。夏ノ事治定(チデフ)ナリ。〔下31オ七・八〕

とあって、この標記語「時分」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(しか)る可(へき)時分(じぶん)に候然之時分候 よきころなりとそ。〔81ウ三・四〕

とあって、この標記語「時分」の語をもって収載し、語注記は「よきころなりぞ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おなじ)く者()結夏(けつげ)以前(いぜん)(しか)る可()き之()時分(じぶん)に候(さふら)者結夏以前時分〔59オ七〕

(おなじく)()結夏(けつげ)以前(いぜん)(べき)(しか)()時分(じぶんに)(さふらふ)。〔106オ六〕

とあって、標記語「以前」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iibun.ジブン(時分) 時.¶Iibun to<rai suru.(時分到来する)何かの時期,あるいは,好機をねらう.¶Iibunuo motte mairo<zu.(時分を以て参らうず)私はその時になったら行こう.¶So<to<no jibun.(相当の時分)ある事をするのに都合のよい時期.¶Iibun fazzureni monouo suru.(時分外れに物をする)その時期でない時,または,定められた時でない時などに物事をする.→Mifacarai,o<;Mitcuroi,o>.〔邦訳360l〕

とあって、標記語「時分」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぶん〔名〕【時分】とき。をり。ころほひ。時機。太平記、十六、船坂合戰事「三石にありし勢は、皆、熊山に向ひたる時分なれば、闘はんとするに、勢なく」「時分、良し」いつ時分時分を伺ふ」〔0926-3〕

とあって、標記語「-ぶん〔名〕【時分】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぶん時分】〔名〕@大体のとき。ころ。時期。Aちょうどよい時期。適当な時期。よい機会。また、その時期の状態。Bちょうどよい年ごろ。嫁入り時。C食事をとるころあい。食事時。時分時(じぶんどき)。D連歌・俳諧で、狭義には夜分に対して昼間をいうが、広義には昼夜の総称に用いる。また各務支考は。その七名八体説において、付け方八体の一とし、昼夜・朝暮・明暗などをもって付けるのをいった」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
平家時分、令致自由沙汰事も候き、又不知庄大小、増進事も候き《訓み下し》平家ノ時分ハ、自由ノ沙汰ヲ致サシムル事モ候ヒキ、又庄ノ大小ヲ知ラズ、増進ノ事モ候ヒキ。《『吾妻鏡文治四年六月四日の条》
 
 
2004年08月29日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
以前(イゼン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、標記語「以前」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

同者結夏以前可然時分候〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

同者()結夏以前然時分〔山田俊雄藏本〕

者結夏以前時分〔経覺筆本〕

者結夏(ケツケ)以前(しかるも)時分(しぶん)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「以前」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「以前」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「以前」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

已前(イゼンヲノレ・スデニ、マヱ)[去・平] 又作以前。〔態藝門416六〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「以前」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「以前」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

已前(イぜン) 。〔言辞門007三〕

とあって、標記語「已前」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「已前」の語を以て収載し、広本節用集』の注記により「以前」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

579同者結夏以前然時分候 結夏以前是十月ナル間来年之結夏云也。〔謙堂文庫蔵五四右@〕

とあって、標記語「以前」の語を収載し、この語についての語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同者結夏(ケツゲ)以前カル時分候禪律(せンリツ)(ソウ)衆諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒()結夏(ケツゲ)トハ四月ヲ云也。但シ宗ニ依テ替(カハ)ルベシ。此文秋(アキ)冬ヲ兼(カネ)タル月付也。夏ノ事治定(チデフ)ナリ。〔下31オ七・八〕

とあって、この標記語「以前」とし、語注記は、「大齊(サイ)とは、大(ヲヽ)きにすくふとよめり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おな)じくハ結夏(けつか)以前(いぜん)同者結夏以前 結夏ハ四月十五日の事也。くわしくハ九月十三日の進状九旬の法花といふ下の注に見へたり。是ハ十月の状なれハ来年の事をいえるなり。〔81ウ二・三〕

とあって、この標記語「以前」の語をもって収載し、語注記未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おなじ)く者()結夏(けつげ)以前(いぜん)(しか)る可()き之()時分(じぶん)に候(さふら)者結夏以前之時分〔59オ七〕

(おなじく)()結夏(けつげ)以前(いぜん)(べき)(しか)()時分(じぶんに)(さふらふ)。〔106オ六〕

とあって、標記語「以前」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

IIen.イゼン(以前) 前に.〔邦訳332r〕

とあって、標記語「以前」の語の意味は「前に」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぜん〔名〕【以前】〔以後に對す〕(一)これより前(まへ)史記、趙世家「今、三世以前榮花物語、十一、莟花「四月御安禮(みあれ)の日より、手斧(てをの)始めて、來年の四月いぜんに、作出さざらむをば、官(つかさ)を取り、國を召しかへし、などせさせたまひ」(二)そのかみ。さきつころ。往時以前拝面致候節」〔0158-1〕

とあって、標記語「-ぜん〔名〕【以前】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぜん以前已前】〔名〕@(時、年齢、事件などを表わす語について)その時点含み、それより前。また、その時点を含まないでいう場合もある。«以後。A現在からだいぶ隔たった過去のある時期。むかし。B勅や太政官符などの公式様文書(くしきようもんじょ)において、事書(ことがき)の次の行の本文(事実書という)の書き出し部分に使われた文言。事書の内容が二か条以上にわたるときは「以前」、一か条の場合は「右」と書く習慣であった。C聞き手に対して、前に一度紹介した人や物事を再び述べるとき用いる。さっき。Dある事柄や範囲に達する前の段階。[語誌](1)@は基準点を含んで(あるいは、含まないで)前であることを表わし、ほぼ「以後」の反対の意味になる。また、基準点より離れた点に新しい基準点を設ける数値をつける場合もある(「試験のある三日以前に問題を発表する」)。「以後」もこれと同様の用法を持つ。なお、「以後」にはAに対応する隔たった時点を示す用法はないので、この意味の「以前」の反対語としては「将来」を用いる。(2)「以後」を現在を基準点として用いる場合は、「以前」とは異なり、現在の直後から未来までを指す(「以後、注意します」)。「このまえ」「このあと」にもこれと似た関係が見られ、「このまえ」は少し隔たった過去であるが、「このあと」はすぐ直後になる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
右明年正月以前、可令修造之由、頭辨奉書、拜見給候畢《訓み下し》右明年正月以前ニ、修造セシムベキノ由、頭ノ弁ノ奉書、拝見シ給ヒ候ヒ畢ンヌ。《『吾妻鏡文治五年三月十三日の条》
 
 
2004年08月28日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
結夏(ケツゲ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

結夏(ケツケ) 自四月十五日至七月十四日九十日間也{頭注書込:一夏九旬ト云也}。〔元亀二年本214六〕結夏(ケツケ)四月十五日至七月十四日日也。〔静嘉堂本244二〕

結夏(ケツカ) 自四月.十日至七月十四日.九十日間也。〔天正十七年本中51ウ二〕

とあって、標記語「結夏」の語を収載し、訓みは「ケツゲ」(元・静)、「ケツカ」(天※後世の辞書のなかにもこの訓は見えない、留意されたい)と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

同者結夏以前可然時分候〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

同者()結夏以前可然時分〔山田俊雄藏本〕

結夏以前時分〔経覺筆本〕

結夏(ケツケ)以前(しかるも)時分(しぶん)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「結夏」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ツイ(―)」、経覺筆本に「タイイン」、そして文明四年本に「ツイヱン」と異なって記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「結夏」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「結夏」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

結夏(ケツムスブ、・ナツ)[入・上] 或云結制事林廣記云。四月十五日。乃僧家結夏之日。荊楚歳時記云。天下僧尼。此日就禅刹梅塔之結夏。又謂之結制。盖夏乃具養之節。在外行則恐傷草木虫類。故九十日安居矣云々。〔時節門589七・八〕

とあって、標記語「結夏」の語を収載し、典拠名を挙げて詳細な語注記を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

結夏(ケツゲ) 四月十五日。結制(セイ) 同。・時節門172四〕

結夏(ケツゲ) 四月十五日。・時節門141六〕〔・時節門131三〕

とあって、標記語「結夏」の語を収載し、訓みは「ケツゲ」とし、語注記は上記広本節用集』の引用する『事林廣記』記載内容の一部である「四月十五日」のみを簡略記載する。また、易林本節用集』に、

結夏(ケツゲ) 。〔天地門143六〕

とあって、標記語「結夏」の語を収載し、語注記未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「結夏」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

579同者結夏以前可然時分候 結夏以前是十月ナル間来年之結夏云也。〔謙堂文庫蔵五四右@〕

とあって、標記語「結夏」の語を収載し、この語についての語注記は「結夏以前、是れは十月の文なる間に、来年の結夏を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

同者結夏(ケツゲ)以前可カル時分候禪律(せンリツ)(ソウ)衆諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒()結夏(ケツゲ)トハ四月ヲ云也。但シ宗ニ依テ替(カハ)ルベシ。此文秋(アキ)冬ヲ兼(カネ)タル月付也。夏ノ事治定(チデフ)ナリ。〔下31オ七・八〕

とあって、この標記語「結夏」とし、語注記は、「結夏(ケツゲ)とは、四月を云ふなり。但し、宗に依て替(カハ)るべし。此の文秋(アキ)冬を兼(カネ)たる月付なり。夏の事治定(チデフ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おな)じくハ結夏(けつか)以前(いぜん)同者結夏以前 結夏ハ四月十五日の事也。くわしくハ九月十三日の進状九旬の法花といふ下の注に見へたり。是ハ十月の状なれハ来年の事をいえるなり。〔81ウ二・三〕

とあって、この標記語「結夏」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おなじ)く者()結夏(けつげ)以前(いぜん)(しか)る可()き之()時分(じぶん)に候(さふら)結夏以前之時分▲結夏ハ四月ハ十五日也。七月十六日解夏(げゝ)といふ。委(くわし)く九月の進状に見ゆ。〔59オ七、59ウ三・四〕

(おなじく)()結夏(けつげ)以前(いぜん)(べき)(しか)()時分(じぶんに)(さふらふ)▲結夏ハ四月ハ十五日也。七月十六日解夏(げゝ)といふ。委(くハし)く九月の進状に見ゆ。〔106オ六、106ウ六〜107オ一〕

とあって、標記語「結夏」の語をもって収載し、その語注記は、「結夏は、四月ハ十五日なり。七月十六日解夏(げゝ)といふ。委(くハし)く九月の進状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qetgue.ケッゲ(結夏) Natcuuo musubu.(夏を結ぶ)〔陰暦の〕四月八日から七月の十五日までの夏の時期.〔邦訳490l〕

とあって、標記語「結夏」の語の意味は「四月八日から七月の十五日までの夏の時期」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けつ-〔名〕【結夏】又、結夏(ケチゲ)。僧の、一夏(イチゲ)九旬の閨A(陰暦、四月十五日より、七月十五日まで)禁足して、靜かに家に籠り居ること。これを始むるを、結夏と云ひ、又、安居(アンゴ)とも云ふ。草木の芽。蟲蟻の類を踏み傷(いた)めむことを恐れて、然りと云ふ。庭訓往來、十月「可大齋候、同者結夏以前、可然之時分候」〔0615-2〕

けち-〔名〕【結夏】けつげ(結夏)に同じ。〔0613-3〕

とあって、標記語「けつ-〔名〕【結夏】」「けち-〔名〕【結夏】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けつ-結夏】〔名〕(「げ」は「夏」の呉音)仏語。夏安居(げあんご)の初めの日。陰暦で四月中旬のころ。結制。けちげ」「けち-〔名〕【結夏】「けつげ(結夏)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
老僧達皆可被下向て候、尚々必(裏花押)可有御下向候、結夏已前ニと出立候へとも、いかいか候はすらん、《『大徳寺文書元徳三年二月二十四日の条、3209・13/7
※禅寺の修行僧の話を聞く。夏の始まりに、寺に集まり共同生活を始め、日頃の罪を懺悔する。そして、夏の終わりにまた托鉢へと出かけていくのである。新たな旅立ちである。修行の始まりが「結夏」そして、終わりを「解夏」という。《磯村一路『解夏』映画ストーリーより》
 
 
2004年08月27日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
大齋(タイサイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、「大海(タイガイ)〜大簇(タイソク)正月名」の六十四語を収載するが、この標記語「大齋」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召{招}請申候次且為看經且為諷經可令行大齊〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂久シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)(トキ)サイ、せイ

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「大齋」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ツイ(―)」、経覺筆本に「タイイン」、そして文明四年本に「ツイヱン」と異なって記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大齋」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「大齋」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「大齋」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

578且為諷経大齋候 齊歟。齊行也。大齊大佛亊也。{頭注:諷經 トブライノ經也}〔謙堂文庫蔵五三左H〕

とあって、標記語「大齋」の語を収載し、語注記は「齊歟。齊行也。大齊大佛亊也」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

大齊大齊(サイ)トハ大(ヲヽ)キニスクフトヨメリ。〔下31オ三六・七〕

とあって、この標記語「大齋」とし、語注記は、「大齊(サイ)とは、大(ヲヽ)きにすくふとよめり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大齋(たいさい)を行(おこな)ハ令(しむ)(べく)大齋候 精進(しやうじん)の振舞(ふるまい)を齊(さい)と云。ときと讀なり。〔81ウ一・二〕

とあって、この標記語「大齋」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)ハ諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請申看経諷経大齋。▲大齋ハ大仏事(ぶつじ)を執行(しゆぎやう)して齊(とき)を設(もう)くるをいふ。〔59オ七、59ウ三〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲大齋ハ大仏事(ぶつじ)を執行(しゆぎやう)して齊(とき)を設(まう)くるをいふ。〔106オ六、106ウ六〕

とあって、標記語「大齋」の語をもって収載し、その語注記は、「大齋は、大仏事(ぶつじ)を執行(しゆぎやう)して齊(とき)を設(もう)くるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「大齋」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「たい-さい〔名〕【大齋】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たい-さい大齋】〔名〕@(「齋」は齋食の意)広く衆僧などに食事を施すこと。*雑談集(1305)六・大樹譬事「寺の作法、自然に大齋(サイ)あれば、下部等打合て、八九十人、々として市の如し」*庭訓往往来(1394-1428頃)「且為看経且為諷経大齋候」A「たいさいせつ(大齋節)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
永正七年三月廿一日、 於眞珠庵大齋會、五山衆請侍、長老十人布施二貫文充、西堂二十人布施壹貫充、僧衆百五十人布施五百文充院主紹越、此外座頭往來施行如前 《『大徳文書別集・真珠庵永正十一年十一月日の条103・1/214
 
 
2004年08月26日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
諷経(フギン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

諷經(キン)〔元亀二年本224一〕〔天正十七年本中57ウ一〕

諷經(フギン)〔静嘉堂本256五〕

とあって、標記語「諷經」の語を収載し、訓みは「(フ)キン」、「フギン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召{招}請申候次且為看經且為諷經可令行大齊候〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋候〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋候〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂久シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)。齋(トキ)サイ、せイ

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「諷經」とし、訓みは、山田俊雄藏本・文明四年本に「フギン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「諷經」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

諷經(フギン) 。〔態藝門84一〕

とあって、標記語「諷經」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

諷經(フギンイマシム・ホノカ、ケイ・タテ)[去・去] 。〔態藝門627一〕

とあって、標記語「諷經」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

諷經(ギン)・言語進退門183四〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「諷經」の語を収載し、訓みは「(フ)ギン」と記載する。また、易林本節用集』に、

諷經(フギン) ―誦(ジユ)。―諌(カン)。〔言辞門151二〕

とあって、標記語「諷經」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「諷經」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

578且為諷経大齋候 齊歟。齊行也。大齊大佛亊也。{頭注:諷經 トブライノ經也}〔謙堂文庫蔵五三左H〕

とあって、標記語「諷經」の語を収載し、この語についての語注記はなく、頭注に、「諷經 とぶらいの經」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

諷經(フギン)諷經(フギン)ト云事吊(トフラヒ)ノ經ナリ。〔下31オ三五〕

とあって、この標記語「諷經」とし、語注記は、「諷經(フギン)と云ふ事吊(トフラヒ)の經なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(つぎ)に且(かつ)ハ看経(かんきん)の爲且ハ諷経(ふぎん)の爲(ため)次且看經諷經次にとハ前の事云終りて又事を云述る時置く字()也。看經ハきやうを見る。諷經ハきやうを唱(とな)ふと訓す。〔81オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「諷經」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請申看経諷経大齋。▲諷經ハ吊(とむらひ)の經也。〔59オ七、59ウ三〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲諷經ハ吊(とむらひ)の經也。〔106オ六、106ウ五〕

とあって、標記語「諷經」の語をもって収載し、その語注記は、「諷經は、吊(とむらひ)の經なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Fuguin.フギン(諷經) 禅宗僧(Ienxus)が仏事の際に行う或る儀式.※原文はexequias.〔Butcujiの注〕〔邦訳272r〕

とあって、標記語「諷經」の語の意味は「禅宗僧(Ienxus)が仏事の際に行う或る儀式」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ギン〔名〕【諷經】〔經(キン)の字は宋音〕經文を讀誦すること。特に、禪家にては、佛前の勤行をも云ふ。下學集、下、態藝門「諷經フギン撮壤集、上、行事(禪家)「諷經フギン易林本節用集(慶長)下、言辭門「諷經フギン敕修百丈清規、祈?「鳴鐘集諷經南禪規式「夏中罰諷經備用清規「食訖、鳴槌一下、住持下地、次第桂鉢出堂、上殿諷經空華日工集「日本號日中諷經者、昔爲外國敵来襲、建長寺始誦法華普門品、爾來毎寺、或誦金剛、法華、圓覺等經南屏燕語(釋南山)三「古法は放參後、山門首に諷經す」〔1729-5〕

とあって、標記語「-ギン〔名〕【諷經】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぎん諷經】〔名〕(「きん」は「経」の唐宋音)声を出して経を読むこと。特に、禅宗では仏前の勤行をいう。読経。ふうきん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
四月十三日の斎罷に、衆寮の僧衆、すなはち本寮につきて煎点諷経す。《『正法眼藏』(1231-53年)安居の条、乾坤本十五12ウD
人数十五人所定之也、春日諷経、毎月三旬御供代 以上米三升銭三十文 一回分米三斗六升銭三十文 一回分米三斗六升代三百文 銭三百六十九文観音懺法《『大コ寺文書』応安四年十月廿二日の条、124・1/83 》
 
 
看經(カンギン)」は、ことばの溜池(2000.09.12)を参照。
古版庭訓徃来註』では、

看經且爲看經(カンキン)ハ。持經(ヂキヤウ)也。近クミル經也。惣(ソウ)シテ讀誦(トクジユ)トテ。本デヨムヲバ讀ト云ヒ。ソラニヨムヲバ。誦ト云フ也。心ハ別也。〔下31オ五・六〕

とあって、この標記語「諷經」とし、語注記は、「看經(カンキン)は、持經(ヂキヤウ)なり。近くみる經なり。惣(ソウ)じて讀誦(トクジユ)とて、本でよむをば讀と云ひ、そらによむをば、誦と云ふなり。心は別なり」と記載する。
 
2004年08月25日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
招請(テウシヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

招請(テウシヤウ)〔元亀二年本245四〕〔静嘉堂本283三〕〔天正十七年本中70ウ二〕

とあって、標記語「招請」の語を収載し、訓みは「テウシヤウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日{招}申候次且為看經且為諷經可令行大齊候〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋候〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋候〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂久シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)。齋(トキ)サイ、せイ

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「招請」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「テウセウ」、経覺筆本に「セウシヤウ」、そして文明四年本に「テウシヤウ」と異なって記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「招請」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

招請(チヨウシヤウ) 。〔態藝門93四〕

とあって、標記語「招請」の語を収載し、訓みは「チヨウシヤウ」とする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

招請(テウシヤウマネク、ウケル)[平・平] 。〔態藝門737四〕

とあって、標記語「招請」の語を収載し、訓みは「テウシヤウ」とし、語注記未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

招請(テウシヤウ)・言語進退門198五〕〔・言語門164九〕〔・言語門154三〕

とあって、標記語「招請」の語を収載し、訓みは「テウシヤウ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

招請(テウシヤウ) 。〔言辞門166六〕

とあって、標記語「招請」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「招請」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

577久不相看(シヤウカン)候間近日招請候次且看経 シテ音心中ルヲ看経。{頭注:相看トハチカ/\トヨリテ言色ヲ啓スル亊也}{頭注:招請トハマネキ請シタルカ聞及タル亊ニテ謂ヒカヘス亊ナシ。然ニ是達タル人也。聞ク人ヲ呼テ便ヲ以付也。是ヲ招請ト云也}〔謙堂文庫蔵五三左H〕

とあって、標記語「招請」の語を収載し、この語についての語注記は、「招請とは、まねき請したるが聞及びたる事にて謂ひかへす事なし。然るに是れ達したる人なり。聞く人を呼びて便を以って付くなり。是れを招請と云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

相看(シヤウカン)之間(キン)招請(テウシヤウ)候次相看(シヤウカン)トハ。チカ/\ト寄(ヨツ)テ吉()キ色(イロ)ヲ啓(ケイ)スル事ナリ。招請(テウシヤウ)トハ。マネキ請シタル歟()。其故ハ聞(キヽ)及ビタル計(ハカリ)ニテ謂(イヒ)カハス事ナシ。然ニ此ハ究(キハ)メタル人也。得(トク)人ヲ喚(ヨバ)ントテ便(タヨ)リヲ以テ伺(ウカヾ)フナリ。是ヲ招請(テフシヤウ)トハ云フナリ。〔下31オ三五〕

とあって、この標記語「招請」とし、語注記は、「招請(テウシヤウ)とは、まねき請じたるか。其故は、聞(キヽ)及びたる計(ハカリ)にて謂(イヒ)かはす事なし。然るに此れは、究(キハ)めたる人なり。得(トク)人を喚(ヨバ)んとて便(タヨ)りを以って伺(ウカヾ)ふなり。是を招請(テフシヤウ)とは云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

近日(きんじつ)招請(てうしやう)(もふす)(べく)近日招請候 招請ハまねきこふと讀て呼遣る事也。爰に云こゝろハ住持代替りの後ハ事多くありしゆへ久/\相逢ふ事もなく殊遠に打過たれは近々之内にまねき申さんとなり。〔81オ六・七〕

とあって、この標記語「招請」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)ハ諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請看経諷経大齋。▲召請ハ招(まね)き迎(むか)ふる也。〔59オ七、59ウ三〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲召請ハ招(まね)き迎(むか)ふる也。〔106オ六、106ウ五〕

とあって、標記語「招請」の語をもって収載し、その語注記は、「召請は、招(まね)き迎(むか)ふるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho>xo<.テウシャウ(招請) Maneqi vquru.(招き請くる)迎えること.〔邦訳128r〕

とあって、標記語「招請」の語の意味は「迎えること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せう-じゃう〔名〕【招請】セウセイ(招請)に同じ。太平記、九、足利殿御上洛事「高氏を招請ありて、樣樣、賞翫どもありしに、御先祖、累代の白旌あり」〔1095-1〕

せう-せい〔名〕【招請】招き、請(シヤウ)ずること。まねき、迎ふること。招待。三國志、魏志、張範傳「袁術、備招請、範、稱疾不往」〔1095-3〕

とあって、標記語「せう-じゃう〔名〕【招請】」と「せう-せい〔名〕【招請】」の両語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょう-しゃう招請】〔名〕(「ちょう」は「召」の漢音)招待すること。しょうせい」、「しょう-せい招請召請】〔名〕まねいて来させること。まねき迎えること。しょうじょう」、「しょう-じょう招請召請】〔名〕(「しょうしょう」とも)「しょうせい(招請)」に同じ」とあって、いずれの見出し語にも『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爰高橋判官盛綱、爲鷹裝束、招請之次、談話世上雑事《訓み下し》爰ニ高橋ノ判官盛綱、鷹装束ノ為ニ、招キ請ズルノ次ニ、世上ノ雑事ヲ談話ス。《『吾妻鑑治承四年十月十九日の条》
武衛、以御寵愛妾女、<號亀前、>招請于小中太光家小窪宅給《訓み下し》武衛、御寵愛ノ妾女〈亀ノ前ト号ス〉ヲ以テ、小中太光家ガ小窪ノ宅ニ招請シ給フ。《『吾妻鑑寿永元年六月一日の条》
 
 
近日(キンジツ)」は、ことばの溜池(2002.07.16)を参照。
 
2004年08月24日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
相看(シヤウカン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

相看(カン)〔元亀二年本312八〕〔静嘉堂本366三〕

とあって、標記語「相看」の語を収載し、訓みは「(シヤウ)カン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召{招}請申候次且為看經且為諷經可令行大齊候〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋候〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋候〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂久シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)。齋(トキ)サイ、せイ

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「相看」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「シヤウカン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「相看」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「相看」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

相看(シヤウ・タスク、カンアウ、ミル)[平・去] 。〔態藝門965三〕

とあって、標記語「相看」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

相看(シヤウカン)・言語進退門244六〕

相伴(シヤウバン) ―看。―待。―用。―(シン)暇。・言語門209五〕

相伴(シヤウバン) ―眼。―看。―待。―用。―暇。・言語門193七〕

とあって、弘治二年本に標記語「相看」の語を収載し、他本は「相伴」の熟語群として「相看」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

相伴(シヤウバン) ―看。〔言辞門105七〕

とあって、標記語「相伴」の熟語群として「相看」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「相看」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

577久不相看(シヤウカン)候間近日招請申候次且看経 シテ音心中ルヲ看経。{頭注:相看トハチカ/\トヨリテ言色ヲ啓スル亊也}{頭注:招請トハマネキ請シタルカ聞及タル亊ニテ謂ヒカヘス亊ナシ。然ニ是達タル人也。聞ク人ヲ呼テ便ヲ以付也。是ヲ招請ト云也}〔謙堂文庫蔵五三左H〕

とあって、標記語「相看」の語を収載し、この語についての語注記はなく、頭注に「相看とは、ちかぢかとよりて言色を啓する事なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

相看(シヤウカン)之間(キン)招請(テウシヤウ)候次相看(シヤウカン)トハ。チカ/\ト寄(ヨツ)テ吉()キ色(イロ)ヲ啓(ケイ)スル事ナリ。招請(テウシヤウ)トハ。マネキ請シタル歟()。其故ハ聞(キヽ)及ビタル計(ハカリ)ニテ謂(イヒ)カハス事ナシ。然ニ此ハ究(キハ)メタル人也。得(トク)人ヲ喚(ヨバ)ントテ便(タヨ)リヲ以テ伺(ウカヾ)フナリ。是ヲ招請(テフシヤウ)トハ云フナリ。〔下31オ三五〕

とあって、この標記語「相看」とし、語注記は、「相看(シヤウカン)とは、ちかぢかと寄(ヨツ)て吉()き色(イロ)を啓(ケイ)する事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ひさ)しく相看(しやうかん)(もふ)さ不(ざる)の間(あいだ)久不相看之間 相看とハ相逢ふ事也。〔81オ五・六〕

とあって、この標記語「相看」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)ハ諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請申看経諷経大齋。▲相看ハ対面(たいめん)の義。〔59オ七、59ウ二〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲相看ハ対面(たいめん)の義。〔106オ六、106ウ四〕

とあって、標記語「相看」の語をもって収載し、その語注記は、「相看は、対面(たいめん)の義」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo<can.シャゥカン(相看) Ai miru.(相看る)すなわち,Vo<.(会ふ)例,Fitoni xo<ca~ suru.(人に相看する)人と面会する.〔邦訳788r〕

とあって、標記語「相看」の語の意味は「Ai miru.(相看る)すなわち,Vo<.(会ふ)」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃう-かん〔名〕【相看】相互に、まみえること。面會。太平記、三十九、光嚴院禪定法皇行脚事「主上、未だ、御相看無き先に、御涙を流させ給ひ」〔0961-2〕

とあって、標記語「しゃう-かん〔名〕【相看】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょう-かん〔名〕【相看】相手に会うこと。相見。接見。会見。そうかん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
居候歟、一竹侍者、此辺に細細相看申候、委事者、定其辺よりも可《『島津家文書正平十九年九月十五日の条、567・1/594
 
 
2004年08月23日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
西堂(セイダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

西堂(タウ)〔元亀二年本353七〕〔静嘉堂本429三〕

とあって、標記語「西堂」の語を収載し、訓みは「セイタウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召{招}請申候次且為看經且為諷經可令行大齊候〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋候〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋候〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「西堂」とし、訓みは、文明四年本に「セイダウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「西堂」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「西堂」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

西堂(せイダウニシ、イヱ)[平・平] 清山長老之名也。〔官位門1083六〕

とあって、標記語「西堂」の語を収載し、語注記に「清山長老の名なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

西堂(セイタウ)・官名門263三〕〔・官名門212一〕

西堂(せイタウ)・官名門225一〕

とあって、標記語「西堂」の語を収載し、訓みは「セイタウ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

西堂(セイタウ) ―板。〔官位門233四〕

とあって、標記語「西堂」の語を収載し、語注記未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「西堂」の語を収載していて、広本節用集』だけが訓みを「セイダウ」とし、他古辞書は「セイタウ」とする。そして、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

576退院(タイ・ツイ―)西堂 前住也。當住東入レハ前住西而出者也。〔謙堂文庫蔵五三左F〕

585東堂西堂 東堂乗無位地々々トハ寂光土也云々。西堂者當一位也。〔謙堂文庫蔵五四左A〕

とあって、標記語「西堂」の語を収載し、この語についての語注記は、「西堂は、一位に當るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

退院(ツイエン)西堂(せイタウ)(ザル)ハ。寺ヲ退(シリソ)ク長老也。此()ハカワリ持(モチ)ナルベシ。輪番(リンバン)持ト云フナリ。〔下31オ二・三〕

とあって、この標記語「西堂」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

退院(たいいん)西堂(せいだう)退院西堂 入院の僧と代りて寺をのくを退院と云。西堂の注ハ下にあり。〔81オ四・五〕

とあって、この標記語「西堂」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)ハ諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請申看経諷経大齋。▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いゝつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔59オ七、59ウ二〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いひつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔106オ六、106ウ四〕

とあって、標記語「西堂」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xeito<.セイタウ(西堂) 禅宗坊主(Bonzos lexus)の或る位.〔邦訳747r〕

とあって、標記語「西堂」の意味を、「禅宗坊主(Bonzos lexus)の或る位」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せい-だう〔名〕【西堂】禪家にて、他寺の前住にして、來りて本寺に住するものの稱。サイダウ。とうだう(東堂)の條をも併はせ見よ。庭訓往來、十月「禪家者、堂頭和尚、東堂、西堂〔1085-2〕

とあって、標記語「せい-だう〔名〕【西堂】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せい-どう〔名〕【西堂】(「せいとう」とも)仏語。@(西は賓位の意)禅宗で、他寺の住職の経歴をもつ僧がきて住するとき、これをさしていう。最高の賓客の意。東堂に対する語。さいどう。A禅宗で、住持を助けて衆僧を導く僧」とあって、@の意味用例として『大言海』と同様に『庭訓徃來』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
宗卓(花押)当塔主 円公西堂 禅師 近日殊火事其怖候之間《『大徳寺文書元応元年十一月廿五日の条、460・1/470
 
 
2004年08月22日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
退院(タイヰン・ツイヰン・ツイヱン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

退院(ツイイン)〔元亀二年本158九〕〔静嘉堂本174五〕

×。〔天正十七年本〕

とあって、標記語「退院」の語を収載し、訓みは「ツイイン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召{招}請申候次且為看經且為諷經可令行大齊候〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋候〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋候〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂久シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「退院」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ツイ(―)」、経覺筆本に「タイイン」、そして文明四年本に「ツイヱン」と異なって記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「退院」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「退院」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

退院(ツイヱンタイ・シリゾク、マガキ)[去・去] 擯出義也。〔態藝門416六〕

とあって、標記語「退院」の語を収載し、語注記に「擯出の義なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

退院(ツイイン)・言語進退門131四〕〔・言語門106九〕

退院(ツイエン)・言語門97二〕〔・言語門119二〕

とあって、標記語「退院」の語を収載し、訓みは「ツイイン」()と「ツイエン」()の二種となっている。そして語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

退院(ツイヱン) 禅家。〔言辞門105七〕

とあって、標記語「退院」の語を収載し、語注記に「禅家」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「退院」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

576退院(タイツイ―)西堂 前住也。當住東入レハ前住西而出者也。〔謙堂文庫蔵五三左F〕

とあって、標記語「退院」の語を収載し、この語についての語注記は、「前住なり。當住は東より入れば、前住は西より出るものなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

退院(ツイエン)西堂(せイタウ)(ザル)ハ。寺ヲ退(シリソ)ク長老也。此()ハカワリ持(モチ)ナルベシ。輪番(リンバン)持ト云フナリ。〔下31オ二・三〕

とあって、この標記語「退院」とし、語注記は、「寺を退く長老なり。此れらはかわり持ちなるべし。輪番持ちと云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

退院(たいいん)西堂(せいだう)退院西堂 入院の僧と代りて寺をのくを退院と云。西堂の注ハ下にあり。〔81オ四・五〕

とあって、この標記語「退院」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)ハ諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請申看経諷経大齋。▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いゝつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔59オ七、59ウ二〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いひつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔106オ六、106ウ四〕

とあって、標記語「退院」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「退院」の語は、未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「たい-ゐん〔名〕【退院】」および「つい-ゐん(ゑん)〔名〕【退院】」語は、未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たい-いん〔名〕【退院】@寺院の住持が、その地位を退いて隠居すること。ついいん。ついえん。A江戸時代、僧侶に科する刑の一つ。その職を解いて、居住の寺院から退出させるもので、追院につぐ刑。*政談(1727頃)四「夫より軽きは退院させ、或は綸旨・公帖を奪て平僧とする仕方有べし」*禁令考-別巻・棠蔭秘鑑・亨・一〇三(1841)「退院 住居之寺を可退旨申渡」*社寺取計留(古事類苑・宗教三〇)「退院のもの住職<略>退院と申候は、其寺計之義に御座候」B病院で療養していた患者が、治療を終えたり、全快したりして病院から出ること。*自然と人生(1900)<徳富蘆花>写生帖・雨後の月「それから退院(タイイン)して叔父の内へ帰って来ますと」*黴(1911)<徳田秋声>七〇「満院であった病室が、退院する頃にはぼつぼつ空ができて来た」C刑務所を出所することをいう、盜人仲間の隠語。(秘密辞典(1920))」、「つい-いん〔名〕【退院】(「つい」は「退」の唐宋音)中世、禅宗寺院の住持が住持職を退くこと。たいいん。ついえん。入院。*正法眼藏(1231-53)嗣書「宗鑑長老退院ののち、鼎和尚補す」*円覚寺文書-文和三年(1354)九月二二日(中世法制史料集二・追加法七一)「年記未満中、濫退院之条、甚不然、向後有違犯之儀者、縦雖三名内、不沙汰」*蔭凉軒日録-永享七年(1435)七月一八日「丹波安国寺長老退院之事披露之」*運歩色葉集(1548)「退院ツイイン」」、「つい-えん〔名〕【退院】(「つい」は「退」の唐宋音。「えん」は「院」の正音、「いん」は慣用音)「ついいん(退院)」に同じ。文明本節用集(室町中)「退院ツイヱン擯出義也」」とあって、いずれの見出し語にも『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
文龜元年七月退院、自本寺、後堂首座請侍、使者堂智仙也、文龜元年辛酉〓恩庵請取、住五ヶ年、此間眞前之額後屏風、面之小縁造營、此外書院一間出也、小屏風一双寄進付箱、永正二年乙丑退院一廻了、眞珠庵住院時、前堂首座被請、長松和尚・古川座元來臨、則於眞珠開堂、官錢五貫文開堂廿貫文也、《『大徳寺文書・別集(真珠庵)永正十一年十一月日の条、103・1/214
 
 
2004年08月21日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
新命(シンメイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「新年(シンネン)。新春(シユン)。新陽(ヤウ)。新造(ザウ)。新羅()。新座()。新居(キヨ)。新宅(タク)。新恩(ヲン)。新旧(キウ)。新渡()。新鍮(ヂウ)。新戒(カイ)。新客(ギヤク)山伏。新作(サク)。新忠(ヂウ)。新式(シキ)。新法(ハウ)。新儀()。新札(サツ)。新庄(シヤウ)。新郷(ガウ)。新保(ボウ)。新院(イン)。新曲(ギヨク)。新府()」の二十六語を収載し、この標記語「新命」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召{招}請申候次且為看經且為諷經可令行大齊候〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋候〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋候〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂久シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「新命」とし、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「シンメイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「新命」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「新命」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

新命(シンメイアタラシ、イノチ・ノタマウ)[平・去] 今長老也。〔態藝門916二〕

とあって、標記語「新命」の語を収載し、語注記に「今の長老なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「新命」の語は未収載にする。他に天正十八年版節用集』に収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・天正十八年版節用集』に標記語「新命」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。そして、広本節用集』の語注記は下記真名註とは異なっていて典拠を別にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

575入院(ヱン)ノ新命 當住也。新命當住命也。或當住先拂僧新命云者也云々。〔謙堂文庫蔵五三左F〕

とあって、標記語「新命」の語を収載し、この語についての語注記は、「當住なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

入院(ジユエン)新命(シンメイ)ハ。始テ寺入スル智識(チシキ)ナリ。〔下31オ二〕

とあって、この標記語「新命」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

入院(じゆいん)新命(しんめい)入院新命 今度上の侶を受て寺入したる住持なり。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「新命」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)ハ諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請申看経諷経大齋。▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いゝつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔59オ七、59ウ二〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いひつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔106オ六、106ウ四〕

とあって、標記語「新命」の語をもって収載し、その語注記は、「入院新命は、一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かはるとき、當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いひつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「新命」の語は、未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しん-めい〔名〕【新命】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しん-めい新命】〔名〕@新たに住持に任じられたもの。新任の住持。庭訓往来(1394-1428頃)「入院新命、追院西堂」*蔭凉軒日録-永享七年(1435)六月五日「妙興寺新命紹源首座之事。以治部少輔殿推挙状之」*御湯殿上日記-文明一六年(1484)四月一九日「せんゆう寺のちやうらう、しんめい御れいにまいらるる」*黄檗清規(1672)四「凡請新命、必前任住持、預先告衆、次白公府、俟公命下。然後修書疏珍重聘請、新命領已」A→しんみょう(新命)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
有御酒参御前御台并新命御対面、小時帰宅、先之参 内条々奏事、参 宰相中将殿、有御読書。《『兼顕卿記文明十年四月十九日の条》
 
 
2004年08月20日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
入院(ジユヱン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

入院(  エン)イン〔元亀二年本308七〕

入院(  イン)〔静嘉堂本360二〕

とあって、標記語「入院」の語を収載し、訓みは「(ジユ)エン/イン」〔元本〕、「(ジユ)イン」〔静本〕と記載が見える。元亀二年本は此の語を両用の訓みをもって示している点に注目すべきものがある。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召{招}請申候次且為看經且為諷經可令行大齊候〔至徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且爲看經且爲諷經可令行大齋候〔宝徳三年本〕

入院新命退院西堂久不申相看之間近日可召請申候次且為看經且為諷經可令行大齋候〔建部傳内本〕

入院(ジユエン)新命退(ツイ)西堂久不相看(シヤウカン)申之間近日招請(テウセウ)候次看經(カンキン)諷經(フギン)大齊〔山田俊雄藏本〕

(シユ)新命(シンメイ)退院(タイイン)西堂久シク相看(シヤウカン)之間近日招請(セウシヤウ)之次且看経(カンキン)諷経大齋(サイ)〔経覺筆本〕

入院(シユヱン)新命(シンメイ)退院(ツイヱン)西堂(せイタウ)久不相看(シヤウカン)()近日招請(テウシヤウ)(タメ)看經(カンキン)諷經(フギン)(ヘク)(ヲコナフ)大齊(サイ)〔文明四年本〕 召請(テウシヤウ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「入院」とし、訓みは、経覺筆本に「ジユ(ヱン)」・山田俊雄藏本と文明四年本に「ジユヱン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「入院」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

入院(ジユイン) 。〔態藝門83七〕

とあって、標記語「入院」の語を収載し、訓みを「ジユイン」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

入院(ジユヱンイル、マガキ)[入・去] 入寺(ニフシ)義也。――開堂。〔態藝門931一〕

とあって、標記語「入院」の語を収載し、訓みは「ジユヱン」で、語注記に「入寺(ニフシ)の義なり。入院開堂」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本も、

入院(ジユエン) 入寺。・言語進退門244六〕

入院(ジユヱン) ―眼(ガン)。―御(ギヨ)。―内(タイ)。―興(ケフ)。―魂(ジユツコン)・言語門209四〕

入院 ―眼。―御。―内。―興。―魂。・言語門193六〕

とあって、標記語「入院」の語を収載し、語注記は弘治二年本だけに広本節用集』を省略継承する形式の「入寺」と記載が見えている。また、易林本節用集』に、

入院(ジユヱン)(ニフ)寺也。―御(ギヨ)。―眼(ガン)。―洛(ラク)。―魂(コン)。―興(ケウ)。〔言辞門213六〕

とあって、標記語「入院」の語を収載し、語注記に広本節用集』を省略継承する形式の「入寺なり」と記載がなされている。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「入院」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ここで、『下學集』及び『運歩色葉集』の訓みが唯一異なる「ジユイン」であるのに対し、広本節用集』を頂点とする古本『節用集』類が「ジユエン/ヱン」とすることを指摘せねばなるまい。そして、下記に引用した『日本国語大辞典』第二版の此の語の補注内容では、『運歩色葉集』の訓みについて指摘がなされいないことを此所で補正しておきたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

575入院(ヱン)新命 當住也。新命當住命也。或當住先拂僧新命云者也云々。〔謙堂文庫蔵五三左F〕

とあって、標記語「入院」の語を収載し、この語についての語注記は、「當住なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

入院(ジユエン)新命(シンメイ)ハ。始テ寺入スル智識(チシキ)ナリ。〔下31オ二〕

とあって、この標記語「入院」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

入院(じゆいん)新命(しんめい)入院新命 今度上の侶を受て寺入したる住持なり。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「入院」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐん)乃西堂(せいだう)(ひさ)しく相看(しやうかん)(まうさ)さゞる之()(あいだ)近日(きんじつ)召請(せうしやう)(まを)す可()く候(さふら)ふ次(ついで)(かつ)ハ看経(かんぎん)の爲(ため)(かつ)ハ諷経(ふきん)の爲(ため)大齋(だいさい)を行(おこな)ハ令()む可()く候(さふら)入院新命退院西堂相看之間近日召請申看経諷経大齋。▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いゝつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔59オ七、59ウ二〕

入院(しゆゐん)新命(しんめい)退院(たいゐんの)西堂(せいだう)(ひさしく)(さる)(まうさ)相看(しやうかん)()(あひだ)近日(きんじつ)(へく)召請(せうしやう)(まうす)(さふらふ)(ついで)(かつ)(ため)看経(かんきん)(かつ)(ため)諷経(ふきん)(べく)(しむ)(おこなハ)大齋(だいさい)(さふらふ)▲入院新命ハ一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かハるとき。當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いひつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ。〔106オ六、106ウ四〕

とあって、標記語「入院」の語をもって収載し、その語注記は、「入院新命は、一寺(てら)の住持(ぢうぢ)立かはるとき、當住(たうぢう)の人新(あらた)に命(いひつけ)を受(うけ)て初(はじめ)て寺(てら)へ入るをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iu<yen.ジュエン(入院) ある坊主(Bonzo)が僧院長となって,その役職の僧院を引き受ける際に行なわれる祝宴,または,慶事.〔邦訳373r〕

とあって、標記語「入院」の語の意味は「ある坊主(Bonzo)が僧院長となって,その役職の僧院を引き受ける際に行なわれる祝宴,または,慶事」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じゅ-ゐん〔名〕【入院】僧侶の、住職となりて、其の寺院に入ること。又、晉山(シンザン)とも云ふ。觀修百丈清規抄、六「入院と、開堂とは、二事也。開堂は、爲祝壽也。禪儀外文序云、唐宋の閨A迄于?京入院、開堂、兩也。南渡以後、合爲一焉」教令類纂、初集、九十二、延寳三年閏四月廿日「覺、増上寺北條入院之時、附來上座之僧、於列者、不二人座配去月行事中、遂僉議定之事」下學集、下、態藝門「入院、ジユイン」〔1005-5〕

とあって、標記語「じゅ-ゐん入院】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じゅ-えん入院】〔名〕仏語。禅宗では新住持がはじめてその寺院にはいること。晋山(しんざん)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。また、『大言海』と同じ訓みの見出し語「じゅ-いん〔名〕【入院】@「じゅえん(入院)」に同じ。A病気やけがなどで、ある期間、病院にはいること。にゅういん。[補注]『文明本節用集』『伊京集』『黒本本節用集』『易林本節用集』など多くの古本『節用集』では「入院」に対して「ジユヱン」あるいは「ジユエン」の読みを付している」として、記載する。
[ことばの実際]
《院覧東山花事》七日、辛亥、依召早朝参入院、為御覧花御東山、侍臣皆布【袴】衣也 《『小右記寛和元年三月七日の条、1/86・321-0
同御布施事、如先規旦紙一帖、扇一本、料足同上、一住持入院経営事、当日粥飯、一住持月奉毎年拾伍石 《『大徳寺文書応安元年六月日の条、123・1/80
 
 
2004年08月19日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
平入道(たひらのニフダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「平入道」乃至「」の語は未収載にし、「邊」部に、

() 。○。()〔元亀二年本49二〕

。○。〔静嘉堂本54三〕

() 。○。()〔天正十七年本上28オ三〕

と、「平家」と「平氏」の語を収載し、また、「丹」部に、「入部(ニウフ)。入城(ジヤウ)。入麺(メン)。入滅(メツ)。入間(カン)地界事。入勘(カン)。入寺()。入唐(ニツタウ)。入牌(バイ)。入棺(クワン)。入室(シツ)」の十一語を収載し、標記語「入道」の語も未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

平入道殿 御返事〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔山田俊雄藏本〕〔文明四年本〕

平入道殿 御報〔建部傳内本〕

平入道殿〔経覺筆本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「平入道殿」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「平入道」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「平入道」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

入道(ニツダウシユ・イル、ミチ)[入・上] 。〔態藝門89七〕

とあって、標記語「入道」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

入道(ニウダウ)・人倫門28七〕

入道(ニウタウ)・人倫門28九〕〔・人倫門25七〕〔・人倫門30一〕

とあって、標記語「入道」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

入道(ニフタウ) 〔人倫門25五〕

とあって、標記語「入道」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「入道」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

574平入道殿〔謙堂文庫蔵五三左E〕

とあって、標記語「平入道」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

平入道(たひらのにふだうどの)殿 御報〔下31オ一〕

とあって、この標記語「平入道」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(たいら)の入道殿(にふだうどの)入道殿 〔81オ三〕

とあって、この標記語「平入道」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たいら)の入道殿(にふだうどの)入道殿▲平ハ姓(せい)なり。三月の進状に見ゆ。▲入道ハ貴賤(きせん)とも。髪を剃たる者(もの)をいふ。仏道(ぶつだう)に入るといふ意也。〔59オ五、六〕

平入道殿(たひらのにふだうどの)▲平ハ姓(せい)なり。三月の進状に見ゆ。▲入道ハ貴賤(きせん)とも。髪を剃(そり)たる者(もの)を云。仏道(ぶつだう)に入るといふ意()也。〔106オ四、五〕

とあって、標記語「平入道」の語をもって収載し、その語注記は、「平は、姓(せい)なり。三月の進状に見ゆ。入道は、貴賤(きせん)とも。髪を剃たる者(もの)をいふ。仏道(ぶつだう)に入るといふ意なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nhu<do<.ニュウダゥ(入道) Do<ni iru.(道に入る)剃髪者.¶Nhu<do suru.(入道する)剃髪者になる.〔邦訳461r〕

とあって、標記語「入道」の語の意味は「剃髪者」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

にふ-だう〔名〕【入道】(一)世を捨てて佛の道に入り、修行すること。洛陽伽藍記(後魏、楊衒之)「尼」寳積經、三十六「以浄信心、於佛法中、出家入道平家物語、一、禿童事「清盛仁安三年十一月十一日、歳五十一にして病に侵されて、存命の為、忽に出家入道す。法名浄蓮と申しけるが、程なく改名して浄海と云」(二)佛の道に入れる人の稱。但し、三位以上の人に限りて稱す。其以下は新發意(シンボチ)とすとぞ。然れども後には、區別なく云ふ。「法性寺入道前関白(藤原道長)」多田新發意(源滿仲)」(三)坊主頭の人を罵りて云ふ語。(四)俗に、僧形の妖怪の名。(五)まはりみち。よりみち。中務内侍日記「事はてぬれば、なし原へかへりぬ、ついでに、ちと、にふだうして、京へまゐりつきぬ」〔1501-2〕

とあって、標記語「たひら--にゅうだう〔名〕【平入道】」「たひら〔名〕【】」の語は、未収載にし、ただ「にふ-だう〔名〕【入道】」の語を以って記載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たひら--にゅうどう平入道】〔名〕」では未収載で、「たひら〔名〕【】@姓氏の一つ。A平安初期、天皇から皇子に姓を賜って生まれた諸流の一つ。桓武平氏・仁明平氏・文徳平氏・光孝平氏などがあり、中でも桓武天皇の皇子の葛原親王の流れをくむものが古くから栄えた主流で、特に伊勢に地盤を築いた平維衡の一流は伊勢平氏と呼ばれ、正盛・忠盛の頃から中央政界に進出。清盛のときに政権について勢力を極めたが、源頼朝との抗争で宗盛の代に壇ノ浦で滅んだ。伊勢平氏以外の諸流は地方に土着して、鎌倉幕府の有力御家人となった。へいけ。へいし」と「にふ-だう〔名〕【入道】@(―する)仏語。イ煩悩のけがれのない無漏の悟りにはいること。ロ転じて仏門にはいり、髪をそって、僧や尼になること。また、その人。A坊主頭の人。ふつう、ののしったり、あざけったりしていうのに用いる。B坊主頭の、ばけもの。「大入道」Cまわり道。遠まわりの道。D陰毛をそりおとした男性の性器をいう俗語。毛じらみなどの発生によって陰毛をそりおとしたことを、その形に似ているところから、女性の「かわらけ」と同じように名づけたもの」の語を以って記載する。このなかで、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
()近く、太政大臣清盛入道、法名浄海と申しける人の有樣、傳承るこそ、心も詞も及ばれね。《延慶本『平家物語』卷一・第一本09ウ22頁》
閏二月大四日庚戌戌剋、入道平相國薨〈九条河原口、盛國家、〉自去月廿五日病惱〈云云〉《訓み下し》閏二月大四日庚戌戌ノ剋ニ、入道平相国薨ズ。〈九条河原ノ口、盛国ガ家、〉去ヌル月二十五日ヨリ病悩ト〈云云〉。《『吾妻鏡治承五年閏二月四日の条》
 
 
侍者(ジシヤ)」は、ことばの溜池(2004.04.30)を参照。
 
2004年08月18日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
見参(ゲンザン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、「見物(ケンフツ)。見迦(ケンカ)。見瑕()アラハスキスヲ。見聞(ケンモン)」の四語を収載し、標記語「見参」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

臨時之纏頭者左道之儀也無周章之様兼日可被調置也心事雖多紙面有限只得御意可被認歟委細期見参之時候恐々謹言〔至徳三年本〕

臨時之纏頭者左道之儀也無周章樣兼日可被調置也心事雖多紙面有限只得御意可被認歟委細期見參之時候恐々謹言〔宝徳三年本〕

臨時之纏頭者左道之儀也無周章之様兼日可被調置也心事雖多帋面有限只得御意可被認歟委細期見参之時候恐々謹言〔建部傳内本〕

臨時之纏(テン)頭者()左道之儀也無キ‖周章之様兼日調置也心事雖シト紙面有限只得御意ヲ|(シタヽメ)歟委細期シ‖見参ヲ|候恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

臨時(テン)頭者左道之儀也無キ‖周章兼日調置(トヽノヘヲカ)也心事雖紙面限只得テ‖御意()ヲ|(シタヽメ)歟委細期見参之時ヲ|候恐々謹言〔経覺筆本〕

臨時之纏頭(テントウ)左道之儀式(ナキ)周章(シユシヤウ)()(ケン)調(ヲカ)也心事雖紙面リ∨(カキリ)只得テ∨御意ヲ|可被認(シタヽメ)()委細(いさい)(コシ)見参(サン)之時ヲ|候恐々謹言〔文明四年本〕 ※認。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「見参」とし、訓みは、文明四年本に「(ケン)サン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

見参ケンサン黒川本・畳字中100オ六〕

見参 〃證。〃聞。〃輸ユウ/イタル。〃過。〃納。〃在。〃存。〃知。〃沽。〃風。〃住。〃直。〔卷第七・畳字門21三〕

とあって、標記語「見参」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「見参」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

見参(ゲンサンミル、マイル)[去・平] 。〔態藝門597五〕

とあって、標記語「見参」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

見参(ケンサン)・言語進退門176六〕

(ケン) ―參。―物(ブツ)。―所(ジヨ)・言語門144二〕

見聞(ケンモン) ―參。―物。―叙。―所。―知。―面。・言語門133九〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「見参」の語を収載し、他本は熟語群として収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

見聞(ケンモン) ―物(ブツ)。―證(せウ)。―在(サイ)―參(サン)。〔言辞門146三〕

とあって、標記語「見聞」の熟語群として「見参」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「見参」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ここで、上記『運歩色葉集』には、何故この語が未収載であるのかを今後検討していくうえで注目しておかねばなるまい。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

572兼日調置也心亊雖多紙面有限只得御意認候歟委細期見参之時候恐々謹言〔謙堂文庫蔵五三左B〕

とあって、標記語「見参」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

ノ‖周章(シユシヤウ)之様(ヤウ)兼日(ケンジツ)ル∨調(トヽノヘ)(ヲカ)也心事雖紙面(シメン)リ∨(カキリ)テ∨御意ヲ|キ∨(シタヽメ)歟委細(いさい)(コシ)見参(ゲンザン)()(トキ)ヲ|周章ト書テ。アハタタシト。ヨメリ。〔下30ウ五〜七〕

とあって、この標記語「見参」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

心事(しんじ)(おヽ)しと雖(いへども)紙面(しめん)(かぎり)()り。只(たゞ)御意(おんこゝろ)に得()て認(したゝ)めら被()可き歟()。委細(いさい)見参(げんさん)()(とき)を期()し候(さふら)ふ恐々(きやう/\)謹言(きんげん)心事雖シト紙面有リ∨只得テ‖御意ニ|キ∨委細期シ‖見参之時ヲ|候恐々謹言 香炉を置處也。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「見参」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

心事(しんじ)(おヽ)しと雖(いへども)紙面(しめん)(かぎり)()り。只(たゞ)御意(おんこゝろ)に得()て認(したゝ)めら被()可き歟()。委細(いさい)見参(げんさん)()(とき)を期()し候(さふら)ふ恐々(きやう/\)謹言(きんげん)心事雖シト紙面有リ∨只得テ‖御意ニ|キ∨委細期シ‖見参之時ヲ|候恐々謹言。〔58オ五〕

心事(しんじ)(いへども)(おほしと)紙面(しめん)(あり)(かぎり)(たゞ)(えて)御意(おんこゝろに)(べき)()(したゝめら)()委細(ゐさい)(ごし)見参(けんざん)()(ときを)(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔104ウ一〕

とあって、標記語「見参」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guenzan.ゲンザン(見参) 訪問したりなどして人に会うこと.¶Guenzanni iru.l,guenzan suru.(見參に入る.または,見參する)ある人にわざわざ会う,または,出会う.→次条.〔邦訳286r〕

とあって、標記語「見参」の語の意味は「訪問したりなどして人に会うこと」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

げん-ざん〔名〕【見参】〔見參(みえまゐらす)の字の音讀(みゆの條を見よ)ゲザンは、つづめて云ふなり、検非違使(けんびゐし)、けびゐし〕見えまゐらすること。面會、對面の敬語。又、げざん。謁見。見參するを、見參に入ると云ふ。源氏物語、五十一、蜻蛉44「大方には、參りながら、此御方のげざんに入ることの難くはべれば」保元物語、一、親治等生捕事「搦め取て、見參に入れよ」宇治拾遺物語、五、第八條「何某と申す者こそ、參りて候へ、御げんざんに入りたがり候」常山紀談、四、「今度京都(みやこ)にて、馬揃へあるべしと存じ候てこそ、奉れと云ふ」(山内一豐の妻、駿馬を買ふ金を出せるなり)〔0628-5〕

とあって、標記語「げん-ざん見参】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「げん-ざん見参】〔名〕@上代、(せちえ)、宴会などに出席すること。また、出席者の名を書き連ねて、御前に提出すること。また、その名簿。A目下の者が目上の人に対面すること。拝謁。また、その挨拶(あいさつ)のことば。B目上の者が目下の者に対面すること。謁見。引見。C法会・集会などへの衆僧の出仕を確認すること。出欠をとること。D武士が新しく主従関係を結ぶにあたって、主人に直接対面すること。→見参に入る。[語誌](1)@の意では史書や記録類を中心に古くから例が見える。Aのように、「貴人を訪れて面会を得る」という意で用いられたが、後には逆にBのように「貴人が訪問者に会う」という意をも表わすようになった。(2)鎌倉期以降は身分差がさほどない相手を訪れて面会する場合にも「見参」が用いられるようになり、貴人に会う際には特に「見参に入る」(「入る」は四段活用)の形が取られることが多くなった。(3)「見参」を「参会」や「対面」の意で用いるのは日本独自の用法で、中国の文献には見られない。(4)中古、中世には撥音「ん」の無表記形「げざん」が多く見られるが、「見参」と漢字表記の例は便宜上「げんざん」の項目に収めた」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]北山抄』卷第二。
右度々合戰、源氏御方參京都候之由、爲入鎌倉殿御見參、注進如件《訓み下し》度度ノ合戦シテ、源氏ノ御方。京都ニ参ジ候ノ由(*度度ノ合戦ニ源氏ノ御方ニ参ジ、京都ニ候スルノ由)、鎌倉殿御見参(ケンザン)ニ入レン為ニ、注進件ノ如シ。《『吾妻鏡元暦元年九月十九日の条》
 
 
2004年08月17日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
委細(イサイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

委細(イサイ)〔元亀二年本11三〕〔静嘉堂本2七〕〔天正十七年本上3ウ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「委細」の語を収載し、訓みは「イサイ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

臨時之纏頭者左道之儀也無周章之様兼日可被調置也心事雖多紙面有限只得御意可被認歟委細期見参之時候恐々謹言〔至徳三年本〕

臨時之纏頭者左道之儀也無周章樣兼日可被調置也心事雖多紙面有限只得御意可被認歟委細期見參之時候恐々謹言〔宝徳三年本〕

臨時之纏頭者左道之儀也無周章之様兼日可被調置也心事雖多帋面有限只得御意可被認歟委細期見参之時候恐々謹言〔建部傳内本〕

臨時之纏(テン)頭者()左道之儀也無キ‖周章之様兼日調置也心事雖シト紙面有限只得御意ヲ|(シタヽメ)委細シ‖見参ヲ|候恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

臨時(テン)頭者左道之儀也無キ‖周章兼日調置(トヽノヘヲカ)也心事雖紙面限只得テ‖御意()ヲ|(シタヽメ)委細見参之時ヲ|候恐々謹言〔経覺筆本〕

臨時之纏頭(テントウ)左道之儀式(ナキ)周章(シユシヤウ)()(ケン)調(ヲカ)也心事雖紙面リ∨(カキリ)只得テ∨御意ヲ|可被認(シタヽメ)()委細(いさい)(コシ)見参(サン)之時ヲ|候恐々謹言〔文明四年本〕 ※認。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「委細」とし、訓みは、文明四年本に「いさい」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

委細ヰサイ黒川本・畳字門中57ウ四〕

委曲 〃細。〃蛇イ沢神也。〃付。〃納。〃積。〔卷五・畳字門235一〕

とあって、標記語「委細」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「委細」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

委細(サイユタヌル・クワシ、せイ・ホソシ)[上・去] 。〔態藝門19一〕

とあって、標記語「委細」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

委細(イサイ)・言語進退門12七〕〔・言語門8一〕

委曲(イキヨク) ―細。―悉。―啓。―付。・言語門6四〕〔・言語門8一〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「委細」の語を収載し、他本は熟語群に収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

委趣(井シユ) ―細(サイ)―曲(キヨク)。〔器財門91七〕

とあって、標記語「委趣」の熟語群として「委細」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「委細」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

572兼日調置也心亊雖多紙面有限只得御意認候歟委細見参之時候恐々謹言〔謙堂文庫蔵五三左B〕

とあって、標記語「委細」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

ノ‖周章(シユシヤウ)之様(ヤウ)兼日(ケンジツ)ル∨調(トヽノヘ)(ヲカ)也心事雖紙面(シメン)リ∨(カキリ)テ∨御意ヲ|キ∨(シタヽメ)委細(イサイ)(コシ)見参(ゲンザン)()(トキ)ヲ|周章ト書テ。アハタタシト。ヨメリ。〔下30ウ五〜七〕

とあって、この標記語「委細」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

心事(しんじ)(おヽ)しと雖(いへども)紙面(しめん)(かぎり)()り。只(たゞ)御意(おんこゝろ)に得()て認(したゝ)めら被()可き歟()。委細(いさい)見参(げんさん)()(とき)を期()し候(さふら)ふ恐々(きやう/\)謹言(きんげん)心事雖シト紙面有リ∨只得テ‖御意ニ|キ∨委細シ‖見参之時ヲ|候恐々謹言 香炉を置處也。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「委細」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

心事(しんじ)(おヽ)しと雖(いへども)紙面(しめん)(かぎり)()り。只(たゞ)御意(おんこゝろ)に得()て認(したゝ)めら被()可き歟()委細(いさい)見参(げんさん)()(とき)を期()し候(さふら)ふ恐々(きやう/\)謹言(きんげん)心事雖シト紙面有リ∨只得テ‖御意ニ|キ∨委細シ‖見参之時ヲ|候恐々謹言。〔58オ五〕

心事(しんじ)(いへども)(おほしと)紙面(しめん)(あり)(かぎり)(たゞ)(えて)御意(おんこゝろに)(べき)()(したゝめら)()委細(ゐさい)(ごし)見参(けんざん)()(ときを)(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔104ウ一〕

とあって、標記語「委細」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Isai.イサイ(委細) こまかなこと,または,詳細に.¶Isai cocoroyeta.(委細心得た)私は細かな点まで了解した.〔邦訳342l〕

とあって、標記語「委細」の語の意味は「こまかなこと,または,詳細に」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-さい〔名〕【委細】くはしく。つぶさに。委曲太平記、廿七、雲景未來記事「此所へ尋來給へば、委細の物語を申也」〔2180-2〕

とあって、標記語「-さい〔名〕【委細】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さい委細】〔名〕@細かに、くわしいこと。こまごまとした、くわしい事情。詳細。A(単独または「に」を伴って、副詞的に用いられる)細かに、くわしいさま。また、細かいことまですっかり。すべて」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
康清歸洛武衛遣委細御書、被感仰康信之功大和判官代邦道右筆、被加御筆并御判〈云云〉《訓み下し》康清帰洛ス。武衛委細(イサイ)ノ御書ヲ遣ハシ、康信ガ功ヲ感ジ仰セラル。大和ノ判官代邦通右筆ス。御筆并ニ御(又御筆)判ヲ加ヘラルト〈云云〉。《『吾妻鏡治承四年六月二十二日の条》
 
 
御意(ギヨイ)」は、ことばの溜池(2000.10.08)(2003.02.19)を参照。
 
2004年08月16日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
紙面(シメン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

紙面(シ メン)〔元亀二年本307二〕〔静嘉堂本358一〕

とあって、標記語「紙面」の語を収載し、訓みは「シメン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

臨時之纏頭者左道之儀也無周章之様兼日可被調置也心事雖多紙面有限只得御意可被認歟委細期見参之時候恐々謹言〔至徳三年本〕

臨時之纏頭者左道之儀也無周章樣兼日可被調置也心事雖多紙面有限只得御意可被認歟委細期見參之時候恐々謹言〔宝徳三年本〕

臨時之纏頭者左道之儀也無周章之様兼日可被調置也心事雖多帋面有限只得御意可被認歟委細期見参之時候恐々謹言〔建部傳内本〕

臨時之纏(テン)頭者()左道之儀也無キ‖周章之様兼日調置也心事雖シト紙面限只得御意ヲ|(シタヽメ)歟委細期シ‖見参ヲ|候恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

臨時(テン)頭者左道之儀也無キ‖周章兼日調置(トヽノヘヲカ)也心事雖紙面限只得テ‖御意()ヲ|(シタヽメ)歟委細期見参之時ヲ|候恐々謹言〔経覺筆本〕

臨時之纏頭(テントウ)左道之儀式(ナキ)周章(シユシヤウ)()(ケン)調(ヲカ)也心事雖紙面リ∨(カキリ)只得テ∨御意ヲ|可被認(シタヽメ)()委細(いさい)(コシ)見参(サン)之時ヲ|候恐々謹言〔文明四年本〕 ※認。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「紙面」、建部傳内本は「帋面」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

紙面黒川本・畳字門下80オ三〕

とあって、三卷本に標記語「紙面」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「紙面」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

紙面(シメン) ―筆(ヒツ)。―上(ジヤウ)。〔言辞門214三〕

とあって、標記語「紙面」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』、『運歩色葉集』・易林本節用集』に標記語「紙面」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

572兼日調置也心亊雖紙面限只得御意認候歟委細期見参之時候恐々謹言〔謙堂文庫蔵五三左B〕

とあって、標記語「紙面」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

ノ‖周章(シユシヤウ)之様(ヤウ)兼日(ケンジツ)ル∨調(トヽノヘ)(ヲカ)也心事雖紙面(シメン)リ∨(カキリ)テ∨御意ヲ|キ∨(シタヽメ)歟委細(いさい)(コシ)見参(ゲンザン)()(トキ)ヲ|周章ト書テ。アハタタシト。ヨメリ。〔下30ウ五〜七〕

とあって、この標記語「紙面」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

心事(しんじ)(おヽ)しと雖(いへども)紙面(しめん)(かぎり)()り。只(たゞ)御意(おんこゝろ)に得()て認(したゝ)めら被()可き歟()。委細(いさい)見参(げんさん)()(とき)を期()し候(さふら)ふ恐々(きやう/\)謹言(きんげん)心事雖シト紙面リ∨只得テ‖御意ニ|キ∨委細期シ‖見参之時ヲ|候恐々謹言 香炉を置處也。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「紙面」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

心事(しんじ)(おヽ)しと雖(いへども)紙面(しめん)(かぎり)()り。只(たゞ)御意(おんこゝろ)に得()て認(したゝ)めら被()可き歟()。委細(いさい)見参(げんさん)()(とき)を期()し候(さふら)ふ恐々(きやう/\)謹言(きんげん)心事雖シト紙面リ∨只得テ‖御意ニ|キ∨委細期シ‖見参之時ヲ|候恐々謹言▲紙面有限とハ思ふことハ多(をゝ)くて限(かぎり)なし。紙には限ありて具(つぶさ)に書取(かきとり)がたしといふ意()。〔58オ五、58ウ七〕

心事(しんじ)(いへども)(おほしと)紙面(しめん)(あり)(かぎり)(たゞ)(えて)御意(おんこゝろに)(べき)()(したゝめら)()委細(ゐさい)(ごし)見参(けんざん)()(ときを)(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)▲紙面有限とハ思ふことハ多(おほ)くて限(かぎり)なし。紙(かミ)には限(かぎり)ありて具(つぶさ)に書取(かきとり)がたしといふ意()。〔104ウ一、105ウ一・二〕

とあって、標記語「紙面」の語をもって収載し、その語注記は、「紙面有限とは、思ふことは、多(おほ)くて限(かぎり)なし。紙(かミ)には限(かぎり)ありて具(つぶさ)に書取(かきとり)がたしといふ意()」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Ximen.シメン(紙面) 紙の表面.例,Ximenni nozwgataxi.(紙面に載せ難し)紙に書き載せることができない.〔邦訳766r〕

とあって、標記語「紙面」の語の意味は「紙の表面」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-めん〔名〕【紙面】文書(かきもの)などの面(おもて)。手紙の上の文言。紙上。?溪集、「溢生紙面甲陽軍鑑、十四、品第四十、下「事長うして、際限なし、さるに付、遍く沙汰の有斗、紙面に書載せ申候」「衷情、紙面に溢る」紙面の趣き」新聞紙の紙面の都合」〔0956-2〕

とあって、標記語「-めん〔名〕【紙面】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-めん紙面】〔名〕@紙のおもて。紙の表面。A紙に書いた文書、手紙の類。書面。また、その文面。B新聞などの記事の載っている面。また、その記事、紙上」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
雖然、更無違失、手不暑、仍又無煩□末代厳重之儀、難尽紙面者哉、及起請文三人者、越後法眼所従、聟門差五郎四郎、公文所所従彦四郎也 《『東寺百合文書・ち永享十年十二月廿六日の条、12-74・4/97
 
 
572兼日調置也心亊雖多紙面有限只得御意認候歟委細期見参之時候恐々謹言〔謙堂文庫蔵五三左B〕
兼日(ケンニチ)」は、ことばの溜池(2004.07.12)を参照。
心事(シンジ)」は、ことばの溜池(2003.07.21)を参照。
 
571臨時纏頭者左道之儀也無周章様 驚怖意也。日本俗書状作秋腸者不本記者也。章一ニハ也云々。〔謙堂文庫蔵五三左@〕
臨時(リンジ)」は、ことばの溜池(2001.10.23)を参照。
纏頭(テントウ)」は、ことばの溜池(2001.03.04)を参照。
左道(サタウ)」は、ことばの溜池(2000.10.14)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

左道之儀也左道ト云ハ不調ルヲ云也。唐(タウ)ノ内裏(ダイリ)ニ右膳左膳トテ有。右膳ト云ハ。右ノ道ナリ。能々調()ヘタル物ヲ持テ参ル也。何事モ心ニ任(マカ)せタル人ハ。右ノ道ヨリ出入ス。其故ニ文ニ右ト云事字ニ書ハ是ハ定リタル。ユルガスト云心也。次ニ左膳トハ。左ノ道也。タラハヌ人ノ出入ス。片輪(カタワ)ナル人モ参(マヒ)ル也。不足(フソク)ナル事ヲ左道ト云ハ。左ノ道云ハ。其ノ謂(イハレ)也。乏少(ホクせフ)ハスクナキ事ナリ。〔30ウ二〜五〕

と記載する。

周章(シユウシヤウ)」は、ことばの溜池「周章」(2002.02.13)を参照。
 
(シヨク)」「(つくゑ)」は、ことばの溜池(2000.09.11)を参照。
  頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲卓ハ香炉(かうろ)を置()く臺(だい)也。▲机ハ経巻(きやうくハん)を載()する臺(だい)也。〔58オ五、58ウ六〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲卓ハ香炉(かうろ)を置く臺(だい)也。▲机ハ経巻(きやうくハん)を載()する臺(だい)也。〔104ウ一、105オ六〜ウ一〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は、「卓は、香炉(かうろ)を置()く臺(だい)なり」と記載する。
 
2004年08月15日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
造花(つくりばな)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部と「左」部に、標記語「造花」の語は、未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香(ツクリ)(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「造花」とし、訓みは、経覺筆本に「つくり(はな)」・文明四年本に「つくり(は)な」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「造花」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「造花」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

造華(ツクリバナサウクワ)[上・平] 。〔器財門414六〕

とあって、標記語「造華」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

造花(ツクリハナ)・財宝門127四〕〔・財宝門95七〕〔・財宝門117三〕

造花(ツクリバナ)・財宝門105二〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「造花」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語「造花」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、印度本系統の『節用集』類に標記語「造花」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

570焼香(シヨク) 貫差結構スルヲ云也。机四足斗有也。〔謙堂文庫蔵五三左@〕

とあって、標記語「造花」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「造花」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)法螺燒香造花卓 香炉を置處也。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「造花」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机〔58オ五〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)。〔104ウ一〕

とあって、標記語「造花」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Tcucuribana.ツクリバナ(造花) 模造した花.〔邦訳624r〕

とあって、標記語「造花」の語の意味は「模造した花」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つくり-ばな〔名〕【造花】(一)花結(はなむすび)。菊綴(きくとぢ)の類。絲花。雍州府志、七、土産門「作花師、一條烏丸西人家造之、所長絹之菊花等在此家職人圖彙、造花師「諸の糸をもて作る、むすび花とも云ふ」(二){五彩の紙、帛などにて、眞の花葉の形を作るもの。(生花に對す)ザウクヮ。綵花綵華翦綵花花勝竹取物語、上「前なる鉢の、ひたKに煤つきたるを取りて、錦の袋に入れて、つくり花の枝につけて」」〔1314-2〕

ざう-くヮ〔名〕【造花】つくりばな。綵花〔0767-2〕

とあって、標記語「つくり-ばな造花】」と「ざう-くヮ〔名〕【造花】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「つくり-ばな造花】〔名〕紙または布などで花の形をにせてつくること。また、その花。ぞうか」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
八月釈奠神座等用途募之了、堂荘厳、幡・花鬘〈依御読経、花鬘今度不懸之、〉仏供・燈明・造花 圖書寮鐘御装束圖〈兼可仰合綱所、又宮司可計沙汰、兼可示合、〉已上、蔵人方沙汰也 《『民経記貞永元年七月二十七日の条、5/148・171-0
 
 
2004年08月14日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
燒香(セウカウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

燒香(せウカウ)〔元亀二年本353三〕

燒香〔静嘉堂本428五〕

とあって、標記語「燒香」の語を収載し、訓みは元亀二年本に「セウカウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「燒香」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「燒香」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「燒香」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

燒香(セウカウ)・財宝門264六〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「燒香」の語を収載し、訓みは「セウカウ」とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

燒香(せウカウ) 。〔器財門91七〕

とあって、標記語「燒香」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』・弘治二年本節用集』・易林本節用集』に標記語「燒香」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

570焼香花卓(シヨク) 貫差結構スルヲ云也。机四足斗有也。〔謙堂文庫蔵五三左@〕

とあって、標記語「燒香」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「燒香」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)法螺燒香造花卓 香炉を置處也。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「燒香」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机。〔58オ五〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)。〔104ウ一〕

とあって、標記語「燒香」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo>co<.セウカウ(燒香) Co<uo taqu.(香を焼く)神や死者の前で香をたくこと.〔邦訳788r〕

とあって、標記語「燒香」の語の意味は「神や死者の前で香をたくこと」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せう-かう〔名〕【燒香】〔大日經、疏「燒香、是遍至法界義、云云、隨悲願力、自在而轉、普熏一切、故曰燒香」〕(一)香を、燒()くこと。燃香焚香。(二)香(かう)を燒()きて、佛に手向くること。上香進香晉書、佛圖澄傳「詣寺、燒香禮拝、以遵典禮太平記、八、主上自令修金輪法給事「今日は、佛生日とて、心あるも、心なきも、灌佛の水に心を澄し、供花、燒香に經を翻して、捨惡、修繕を事とする習なるに」親長卿記、文明三年正月三日「今日御葬禮(後花園天皇)治定、云云、智恩寺諷經、次御比丘尼衆有諷者、次人人燒香、禁裏并舊院女房出現、有燒香、次退出」〔1092-2〕

とあって、標記語「せう-かう燒香】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せう-かう燒香】〔名〕@香をたくこと。焚香。A仏や死者に香をたいて拝むこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又いはく、「参禅者身心脱落也、不用焼香・礼拝・念仏・修懺・看経、祗管坐始得《参禅は身心脱落なり、焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用ゐず、祗管に坐して始得なり》」。《『正法眼藏』(1231-53)行持下の条、四24ウH
 
 
2004年08月13日(金)晴れ一時曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
法螺(ホウラ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、「法樂(ホウラク)。法師()。法印(イン)。法眼(ゲン)。法橋(ホツギウ)。法幢(ホウドウ)。法皇(ワウ)。法衣()。法談(ダン)。法事()。法服(ブク)。法量(リヤウ)。法座()。法門(モン)。法會()。法語()。法名(ミヤウ)。法中(チウ)。法躰(ダイ)。法則(ソク)。法恩(ヲン)。法(テキ)。法王(ワウ)。法花(ホツケ)。法相(ザウ)」の二十五語を収載し、標記語「法螺」の語は、未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「法螺」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本に「(ホ)ラ」、文明四年本に「ホウラ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「法螺」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「法螺」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「法螺」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

569法螺 遠近結縁也。〔謙堂文庫蔵五三右H〕

とあって、標記語「法螺」の語を収載し、この語についての語注記は、「遠き近きに結縁なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「法螺」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)法螺燒香造花卓 香炉を置處也。〔80ウ一・二〕

とあって、この標記語「法螺」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲法螺ハ梵唄(ぼんばい)也。是を吹()くハ一切(いつさい)諸仏(しんぶつ)結縁(けちえん)のためとかや。〔58オ五、58ウ六〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲法螺ハ梵唄(ぼんばい)也。是を吹()くハ一切(いつさい)諸仏(しよぶつ)結縁(けちえん)のためとかや。〔104ウ一、105オ四・五〕

とあって、標記語「法螺」の語をもって収載し、その語注記は、「法螺は、梵唄(ぼんばい)なり。是を吹()くは、一切(いつさい)諸仏(しよぶつ)結縁(けちえん)のためとかや」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Foragai.ホラガヒ(法螺貝) Forano cai.(法螺の貝)に同じ.軍勢を呼びよせるのに使う法螺貝.〔邦訳262r〕

Forano cai.ホラノカヒ(法螺) ラッパと同じように吹き鳴らす法螺貝.〔邦訳262r〕

とあって、標記語「法螺貝」「法螺」の語を収載するが、「法螺」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【法螺寳螺】(字の音の約、或は、中の洞なる意か、又は、聲のほがらかなる意かとも云ふ)(一){ほらがひの略。介(かひ)の名。形、ばい(海螺)に似て甚だ大きく、殻は黄白にして、淡紫の虎斑(とらふ)あり、海に産ず、肉、食ふべし。梭尾螺。舶來の大なるものは、長さ二尺に至る。末端を磨りて孔を作りて吹く。其聲、高くほがらかなり。ほらのかひ。かひ。軍陣に用ゐて、進退を示すを陣貝とも云ふ。哮?。又、修驗者、これを吹きて山に入り、同行の導とし、又猛獸を畏れしむ。梵貝。略して貝(かひ)倭名抄、十三3僧坊具「寳螺、千手經云、若爲呼一切諸天善~者、當寳螺(一本、當寳螺)」大和本草、十四、介類「梵貝(ホラガヒ)、云云、俗に、ほらの貝と云、大螺なり、佛書に法螺(ハフラ)と云、是なり、云云、本邦、昔より軍陣に用て吹之、云云、又本邦の山伏これをふく」(二)俗に、虚言を語ること。(空洞の意か)虚言法螺を吹く」法螺を言ふ」〔1860-5〕

とあって、標記語「-法螺】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-法螺】[一]〔名〕「ほら(法螺)@」に同じ。[二]〔形動〕(「ぼうら」とも)中身が備わっていないのに大きな口をきくこと。誇大なこと。また、そのさま。」、「-法螺】〔名〕@「ほらがい(法螺貝)@」に同じ。A法螺貝の大きな貝殻に細工して吹き鳴らすようにしたもの。古く軍陣で進退の合図に用い、また、修験道の山伏が山にはいるとき、猛獣を恐れさせるために吹いた。法螺貝。ほらのかい。Bうそを言うこと。大言をはくこと。また、虚言・大言。ほらのかい。C山伏の異称。[二]〔形動〕利益や収入などが意外に多いさま」と両用の見出し語をもって記載するが、とりわけ、前者に『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
弁慶長押の上についゐて、腰なる法螺の貝取出し、夥しく吹鳴らし、首に懸けたる大苛高の數珠取つて押揉みて、尊げにぞ祈りける。《『義經記愛發山の事の条》
 
 
2004年08月12日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
白拂(ビヤクホツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、「白鑞(ビヤクラフ)。白衣()。白毫(ガウ)。白録(ロク)。白檀(ダン)。白朮(ジユツ)。白狐()」の七語を収載し、標記語「白拂」の語は、未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、建部傳内本は「白払」、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「白拂」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「(ヒヤク)ホツ」、経覺筆本に「(ヒヤク)ホツス」、文明四年本に「ヒヤクホツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「白拂」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「白拂」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

白鑞(ビヤクラフ) ―拂(ホツ)―蓋(カイ)。〔器財門225五〕

とあって、標記語「白鑞」の熟語群として「白拂」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』の熟語群の語に「白拂」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

568白拂 禪家拂子也。白牛(ゴ)ノ作也。故白拂也云々。〔謙堂文庫蔵五三右H〕

とあって、標記語「白拂」の語を収載し、この語についての語注記は、「禪家の拂子なり。白牛(ゴ)の毛を以って作るなり。故に白拂と曰ふなり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「白拂」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

白蓋(びやくがい)白拂(ひやくほつ)白蓋白拂 白き毛にて作りたるほつすなり。〔80オ七・八〕

とあって、この標記語「白拂」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲白拂ハ白牛(しろうし)の尾()にて作りたる払子(ほつす)也。〔58オ五、58ウ五・六〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲白拂ハ白牛(しろうし)の尾()にて作りたる払子(ほつす)也。〔104ウ一、105オ六〕

とあって、標記語「白拂」の語をもって収載し、その語注記は、「白拂は、白牛(しろうし)の尾()にて作りたる払子(ほつす)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「白拂」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ひゃく-ほつ〔名〕【白拂】」語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「びゃく-ほち白拂】〔名〕「びゃくほつ(白払)」に同じ。*妙一本仮名書き法華経(鎌倉中)二・信解品第四「吏民・僮僕、てに白払(ヒャクホチ<注>ハヘハラヒ)をとりて、左右に侍立せり」」、「びゃく-ほつ白拂】〔名〕仏語。白い払子(ほっす)。びゃくほち。*法華義疏(7C前)三・信解品「白払無相解」*今昔物語集(1120頃か)一・二「梵王は白払を取て左右に候ふ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
王戴花形如皮弁,裝以眞珠瓔珞,身坐金牀。侍女有金花寶縷之飾,或持白拂孔雀扇。行則駕象,鳴金鼓吹蠡為樂。《『舊唐書卷一百九十七・列傳第一百四十七、南蠻・西南蠻の条》
 
 
2004年08月11日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
赤蓋(シャクガイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「赤口(シヤククウ)太―。赤脚(シヤクキヤク)/赤熊(シヤグマ)。○。赤鬘()」の四語を収載し、標記語「赤蓋」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・・山田俊雄藏本・文明四年本には未収載であり、建部傳内本・経覺筆本の古写本には「赤蓋」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「赤蓋」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「赤蓋」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「赤蓋」の語は未収載あって、古写本『庭訓徃來』(建部傳内本・経覺筆本のみ)及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

567赤盖 胎藏盖也。〔謙堂文庫蔵五三右H〕

とあって、標記語「赤盖」の語を収載し、この語についての語注記は、「胎藏の盖なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、標記語「赤蓋」の語は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、標記語「赤蓋」の語は、未収載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲白蓋ハ金剛(こんがう)。赤蓋ハ胎藏(たいざう)。共に白赤(しろあか)の絹(きぬ)にて張(はり)たる天蓋也。〔58オ五、58ウ五〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲白蓋ハ金剛(こんがう)。赤蓋ハ胎藏(たいざう)。共に白赤(しろあか)の絹(きぬ)にて張(はり)たる天蓋也。〔104ウ一、105オ五・六〕

とあって、標記語「赤蓋」の語をもって収載し、その語注記は、「白蓋ハ金剛(こんがう)。赤蓋ハ胎藏(たいざう)。共に白赤(しろあか)の絹(きぬ)にて張(はり)たる天蓋なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「赤蓋」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』、そして、現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「しゃく-がい〔名〕【赤蓋】」の語は未収載にする。よって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載とする。
[ことばの実際]
御灯台十七仏布施十五 御赤蓋 御白蓋御覆面 御香象 散杖 《『醍醐寺文書寛永十四年十月廿二日の条、1073・6/55
 
 
2004年08月10日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
白蓋(ビャクガイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、「白鑞(ビヤクラフ)。白衣()。白毫(ガウ)。白録(ロク)。白檀(ダン)。白朮(ジユツ)。白狐()」の七語を収載し、標記語「白蓋」の語は、未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「白蓋」とし、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「ヒヤクカイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

白盖(ヒヤクカイ) 高座/―也。〔黒川本・雜物門下90ウ一〕

白蓋 ヒヤカイ/高庭具。〔卷第十・雜物門343一〕

とあって、標記語「白蓋」の語を収載し、語注記を記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「白蓋」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

白鑞(ビヤクラフ) ―拂(ホツ)―蓋(カイ)。〔器財門225五〕

とあって、標記語「白鑞」の熟語群として「白蓋」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』と十巻本伊呂波字類抄』、易林本節用集』に標記語「白蓋」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

566瓔珞如意香炉香箱白盖(ガイ) 金剛盖也。〔謙堂文庫蔵五三右G〕

とあって、標記語「白盖」の語を収載し、この語についての語注記は、「金剛の盖なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「白蓋」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

白蓋(びやくがい)白拂(ひやくほつ)白蓋白拂 白き毛にて作りたるほつすなり。〔80オ七・八〕

とあって、この標記語「白蓋」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲白蓋ハ金剛(こんがう)。赤蓋ハ胎藏(たいざう)。共に白赤(しろあか)の絹(きぬ)にて張(はり)たる天蓋也。〔58オ五、58ウ五〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲白蓋ハ金剛(こんがう)。赤蓋ハ胎藏(たいざう)。共に白赤(しろあか)の絹(きぬ)にて張(はり)たる天蓋也。〔104ウ一、105オ五・六〕

とあって、標記語「白蓋」の語をもって収載し、その語注記は、「白蓋ハ金剛(こんがう)。赤蓋ハ胎藏(たいざう)。共に白赤(しろあか)の絹(きぬ)にて張(はり)たる天蓋なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「白蓋」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「びゃく-がい〔名〕【白蓋】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「びゃく-がい白蓋】〔名〕白い絹で張った天蓋。長い柄をつけて後ろからさしかける。*観智院本三宝絵(984)下「みづから白蓋をとりさりに音楽をととのへてあゆみいでて師をむかへたまへ」*庭訓往来(1394-1428頃)「白蓋、赤蓋」(經覺本に依拠するか、至コ本・宝コ本には「赤蓋」は未記載)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
卿相・殿上人・諸大夫座在中門東腋、発音楽声之比、講師前大僧正(観修)入自中門、〈指白蓋、〉賛衆廿人、〈皆阿闍梨、慈覚(円仁)・知〔智〕証大師(円珍)門徒相交、〉立講師前行道、三匝了各着座、《『小右記寛弘二年六月七日の条、2/119・376-0
 
 
2004年08月09日(月)晴れ夜に雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
香箱・香合(カウばこ・カウはこ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

香合(バコ)〔元亀二年本94二〕〔静嘉堂本116八〕

香合(ハコ)〔天正十七年本上57ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「香合」の語を収載し、訓みは「(カウ)ばこ」「「(カウ)はこ」」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、経覺筆本・山田俊雄藏本だけが「香箱」とし、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本の古写本にては「」とし、訓みは、経覺筆本に「(カウ)ハコ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「香合」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

香合(カウハコ) 。〔器財門105一〕

とあって、標記語「香合」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

香合(カウバコカウバシ、カウ・アハス)[平・入] 。〔器財門268一〕

とあって、標記語「香合」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

香合(カウバコ)・財宝門83三〕

香炉(カウロ) ―合(バコ)。―筋(バシ)・財宝門80三〕〔・財寳門87四〕

香爐(カウロ) ―合。―裹。―臺/―筋。―鋸。・財宝門73一〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「香合」の語を収載し、他本は標記語「香爐(炉)」の熟語群に収載され、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

香合(  カフ) 。〔器財門75五〕

とあって、標記語「香合」の語を収載し、訓みを「(カウ)カフ」とする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「香合」の語を収載していて、表記は異なるが古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

566瓔珞如意香炉香箱白盖(ガイ) 金剛盖也。〔謙堂文庫蔵五三右G〕

とあって、標記語「香箱」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「香箱」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

香爐香箱香爐香箱 〔80オ八〕

とあって、この標記語「香合」の語をもって収載し、語注記未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机。〔58オ五〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)。〔104ウ一〕

とあって、標記語「香合」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co<baco.カウバコ(香合) 香を入れる小さな箱.→Tcuico>.〔邦訳132r〕

とあって、標記語「香合」の語の意味は「香を入れる小さな箱」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かう-がふ〔名〕【香合】〔合は、盒の略字なりと云ふ〕香料を盛るに用ゐる器。漆塗、蒔繪、堆朱、陶器等、種種なり。かうばこ。香盒。香匳。朱有〓、送雪詩「準備煖香合子、明朝送雪與相知」〔0340-5〕

かう-ばこ〔名〕【香匣】かうがふ(香合)に同じ。建武以來追加、定コ政事「かうばこ、茶碗、云云、廿ケ月たるべき事」〔0347-2〕

とあって、標記語「かう-がふ香合】」と「かう-ばこ香匣】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こう-ばこ香箱香盒香匣香合】〔名〕@香を入れる箱。こうごう。A女性の性器」とあって、@の意味用例に『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
日権僧正 尭忠 杲覚 尭杲 宗杲 宏清 原永 宝済 覚永 融寿俊忠 厳信 宗寿一三宝院昨日三日御入堂、其時被仰、御影堂内陣被置、香呂香箱茶花瓶燭台見苦之間、箱入、聖部屋置者可然由被仰、《訓み下し》《『東寺百合文書・ち』寛正五年六月四日の条、18-41・4/321》
 
 
如意(ニヨイ)」は、ことばの溜池「如意」(1999.11.10)を参照。
香爐(カウロ)」は、ことばの溜池「香炉」→「香爐」(2003.04.25)を参照。
 
2004年08月08日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
瓔珞(ヤウラク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、

瓔珞(ヤウラク)〔元亀二年本202五〕〔静嘉堂本229二〕

瓔珞(ラク)〔天正十七年本中44オ七〕

とあって、標記語「瓔珞」の語を収載し、訓みは「ヤウラク」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「瓔珞」とし、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「ヤウラク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

瓔珞 ヤウラク。〔黒川本・雜物門中85ウ四〕

瓔珞 ヤウラク。〔卷第六・雜物門519五〕

とあって、標記語「瓔珞」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

日観(シツクワン)人。尤工蒲萄(ブダウ)ヲ。古人葡萄老人瓔珞(ヤウラク)漿(コンツ)自呼知皈子也。〔人名門51二〕

とあって、標記語「日観」の語注記中に収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

瓔珞(ヤウラクヱイ・タマ、タマ)[○・入] 寳珠――。〔器財門557三〕

とあって、標記語「瓔珞」の語を収載し語注記に「寳珠瓔珞」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

瓔珞(ヤウラク)・財宝門166五〕〔・財宝門136二〕〔・財宝門125三〕

とあって、標記語「瓔珞」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

瓔珞(ヤウラク) 。〔食服門137三〕

とあって、標記語「瓔珞」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「瓔珞」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。このなかで、広本節用集』の「寳珠瓔珞」の語注記は一致を見ない。他資料を典拠とするものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

566瓔珞如意香炉香箱白盖(ガイ) 金剛盖也。〔謙堂文庫蔵五三右G〕

とあって、標記語「瓔珞」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「瓔珞」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

瓔珞(やうらく)瓔珞 玉を糸に貫きかさりたる物也。仏のむねに懸。〔80オ七・八〕

とあって、この標記語「瓔珞」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲瓔珞ハ珠玉(たま)を糸(いと)に貫(つらぬ)きたる物にて仏身(ぶつしん)の飾(かざり)也。〔58オ五、58ウ四・五〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲瓔珞ハ珠玉(たま)を糸(いと)に貫(つらぬ)きたる物にて仏身(ぶつしん)の飾(かざり)也。〔104ウ一、105オ四・五〕

とあって、標記語「瓔珞」の語をもって収載し、その語注記は、「瓔珞は、珠玉(たま)を糸(いと)に貫(つらぬ)きたる物にて仏身(ぶつしん)の飾(かざり)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yo<racu.ヤウラク(瓔珞) Tamatama.(瓔珞)飾り,金銀珠玉の装身具,など.¶Yo<racu sainanno ixo<.(瓔珞細軟の衣裳)すなわち,柔らかで豪華な衣裳.〔邦訳829l〕

とあって、標記語「瓔珞」の語の意味は「飾り,金銀珠玉の装身具,など」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やう-らく〔名〕【瓔珞】〔西域記、二「首冠華鬘、身佩瓔珞」頭に在るを瓔と云ひ、身に在るを珞と云ふと〕佛像などの頭、頸、胸などに懸くる飾。珠玉を絲に貫きて垂る。字類抄瓔珞、ヤウラク」榮花物語、十七、音樂「光の中の化佛無數億にして、云云、寳幢、寳瓔珞、上下四方に光明照らし輝けり」〔2027-1〕

とあって、標記語「やう-らく瓔珞】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「よう-らく瓔珞瑤珞】〔名〕@珠玉や貴金属を編んで、頭・首・胸にかける装身具。仏菩薩などの身を飾るものとして用いられ、寺院内でも天蓋などの裝飾に用いる。もとインドの上流階級の人々が身につけたもの。A洋風建築の軒先につける垂れ飾りの板。B(@から転じて)着物の裾などから垂れ下がるぼろや、天井にぶら下がる煤などをいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
世尊。我今当供養観世音菩薩。即解頸衆宝塔瓔珞価直百千両金。而以与而作是言。仁者。受此法施珍寳瓔珞。時観世音菩薩不肯受之。無尽意復白観世音菩薩言。仁者。愍我等故受此瓔珞《『妙法蓮華經』観世音菩薩普門品第二十五》
 
 
2004年08月07日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
所W(ソウガイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、標記語「所W」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・・山田俊雄藏本は、「僧蓋」、宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本の古写本は、「所W」とし、訓みは、経覺筆本に「(ソウ)ガイ」、文明四年本に「ソウカ井」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「所W」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「所W」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「所W」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

565縵幕大宝高座- ニテ飾盖也。〔謙堂文庫蔵五三右F〕

とあって、標記語「所W」の語を収載し、この語についての語注記は、「盾ノて飾る盖なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30ウ二〕

とあって、この標記語「所W」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

所W(そうかい)所W かとりきぬにて張たる天盖なり。純nかとりきぬ也。〔80オ七〕

とあって、この標記語「所W」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲所Wハかとりぎぬにて張(はり)たる天蓋(てんがい)也。〔58オ五、58ウ四〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲所Wハかとりぎぬにて張(はり)たる天蓋(てんがい)也。〔104ウ一、105オ四〕

とあって、標記語「所W」の語をもって収載し、その語注記は、「所Wは、かとりぎぬにて張(はり)たる天蓋(てんがい)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「所W」の語は未収載にする。そして、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』・現代の『日本国語大辞典』第二版にあっても、標記語「そう-がい〔名〕【所W】」の語は、未収載となっている。これにて、『庭訓徃來』のこの語用例も未記載とする。
[ことばの実際]
 ※他書に未見。要調査
 
 
高座(カウザ)」は、ことばの溜池(2004.07.21)を参照。
 
2004年08月06日(金)曇り夕方小雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
大寳(タイボウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、「大海(タイガイ)。大事()。…大夜()」の六十三語を収載するが、標記語「大寳」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講薦縵幕大寳高座蓋瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐香箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「大寳」とし、訓みは、文明四年本に「(タイ)ボウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大寳」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「大寳」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「大寳」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

565縵幕大宝高座-盖 ニテ飾盖也。〔謙堂文庫蔵五三右F〕

とあって、標記語「大宝」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

講房(カウバウノ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ホウ)無印。〔下30オ八〕

とあって、この標記語「大寳」とし、語注記は「無印」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

大宝(たいほう)大寳 檀の事なり。〔80オ六〕

とあって、この標記語「大寳」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐香合白蓋赤蓋白拂法螺燒香造花卓机▲大宝ハ加持(かぢ)に用ゆる護摩檀(こまだん)也。〔58オ五、58ウ四〕

縵幕(まんまく)大寳(たいほう)高座(かうざ)所W(そうがい)瓔珞(ようらく)如意(によい)香爐(かうろ)香合(かうばこ)白蓋(びやくがい)赤蓋(しやくかい)白拂(ひやくほつ)法螺(ほふら)燒香(しやうかう)造花(つくりばな)卓机(しよくつくへ)▲大宝ハ加持(かぢ)に用ゆる護摩檀(ごまだん)也。〔104オ六、105オ四〕

とあって、標記語「大寳」の語をもって収載し、その語注記は、「大宝は、加持(かぢ)に用ゆる護摩檀(ごまだん)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「大寳」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たい-ぼう〔名〕【大寳】佛家にて、加持に用ゐる護摩壇の異稱。庭訓徃來、九月「可用意物者縁道絹、講房薦(コモ)、縵幕、大寳高座、所W、瓔珞」〔1188-1〕

とあって、標記語「たい-ぼう大寳】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「だい-ほう大宝】[一]〔名〕仏語。@大乗の法をいう。A菩薩をさしていう。B密教修法に用いる護摩壇をいう。C→たいほう(大宝)@。[二](「たいほう」とも)文武天皇の代の年号。六八六年の朱鳥以後年号はたてられていなかったが、七〇一年三月二一日に対馬国から金(あるいは白銀)が献ぜられて大宝と建元、大宝四年五月一〇日慶雲元年となる。元年に大宝律令完成。出典は「易経-繋辞下」の「天地之大コ曰生、聖人之大宝曰位」」とあって、Bの意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。ここで、注意しておきたいこととして、『大言海』と『日本国語大辞典』第二版とで見出し語の読みを異にすることがある。因みに上記古辞書類や『庭訓徃來』注釈から「タイボウ」の訓みが妥当か。
[ことばの実際]
件二腰本是百済国所献云々、今日所〔取〕遣剣身六柄之中、霊□二腰之実有其真、件霊□等国家大宝也、必可被作儲者、天徳奉勅、《『中右記嘉保元年十一月二日の条、2/129・285-0
 
 
縵幕(マンマク)→「幔幕」は、ことばの溜池(2000.08.26)を参照。
 
2004年08月05日(木)晴れ夕方雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
(こも)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

(コモ) ()〔元亀二年本241五〕〔静嘉堂本278五〕〔天正十七年本中68オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは「コモ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹講縵幕大寳高座蓋瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道絹講(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道絹講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「コモ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(せン) コモ/作旬反。〔黒川本・雜物門下6ウ一〕

コモ/―席也。〔卷第七・雜物門140一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(スヽムせン・コモ)[○] ―人。〔態藝門1134一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

(コモ) ()・草木門185八〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「蒲・菰」の語で植物の「こも」を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

(コモ) ―蒋。〔草木門155五〕

とあって、標記語「菰」の語で、やはり植物の「こも」を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

564法會指南以之爲用意物者縁道(トウ)ノ絹講房(コモ) カラ儀式也。灌頂時、庭敷、上云也。〔謙堂文庫蔵五三右E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

講房(カウバウノ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ホウ)無印高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30オ八〕30ウ二

とあって、この標記語「」とし、語注記は「水引(ミツヒキ)打敷(ウチシキ)なんどの事か」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

講房(こうばう)(こも)講房 論義説法の席へしく敷物なり。〔80オ五・六〕

とあって、この標記語「」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

用意(ようい)せら被()()き物(もの)()縁道(えんだう)の絹(きぬ)講房(こうばう)(こも)用意物者縁道(トウ)ノ絹講房▲講房薦ハ灌頂(くハんてう)のとき庭(にハ)に薦(こも)をしき其上に布(ぬの)をしくをいふとぞ。〔58オ四、58ウ三・四〕

(べき)()用意(よういせら)(もの)()縁道(えんたうの)(きぬ)講房(かうばうの)(こも)▲講房薦ハ灌頂(くハんてう)のとき庭(にハ)に薦(こも)をしき其上に布(ぬの)をしくをいふとぞ。〔104オ六、105オ三〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は、「講房薦ハ灌頂(くハんてう)のとき庭(にハ)に薦(こも)をしき其上に布(ぬの)をしくをいふとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Como.コモ() 粗くて粗末な藁筵.→Fogomo.〔邦訳145l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「粗くて粗末な藁筵」とし、訓みと意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

こも〔名〕【】〔菰席(こもむしろ)の下略(祝詞(のりとごと)、のりと。辛夷(こぶしはじかみ)、こぶし)菰の葉にて作れるが、元なり、~事に用ゐる清薦(すごも)即ち、菰席(こもむしろ)なり〕(一){菰、又は、藁にて、粗(あら)く編み作れる席(むしろ)萬葉集、十三14長歌「掻き棄てむ、破薦(やれごも)を敷きて」倭名抄、十四18坐臥具「薦、唐韻云薦<作甸反 古毛>席也」安齋隨筆、前編十二「薦席(こもむしろ)、まこもとも云ふ草を編みて、席にしたる也。禁中~事に用之事あり云云、今、江戸にて、聖靈棚に薦を敷くは、遺風也」(節文)(二)薦僧(こもそう)、又は、薦被(こもかぶり)の(二)の略、各條を見よ。〔0739-1〕

とあって、標記語「-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-】〔名〕@(菰)植物「まこも(真菰)の古名。《季・夏》Aまこもを粗く織って作ったむしろ。今は藁(わら)を用いる。こもむしろ。B植物「こもくさ(薦草)」の略。C「こもかぶり(薦被)A」の略。D(「虚無」とも書く)「こもそう(薦僧)」の略。E江戸時代、夜、道ばたで客をひいた下級の売春婦。こもむしろを持っていたところからいう」とあって、Aの用例に『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
同剋裁縫素服、御魂殿内二尺許堀〔掘〕地敷布・絹等、令積薪、為居御棺、以使官等令切近辺木、晩頭自家持来食物、差僧都勝算・両相公及宮司等《『小右記長保元年十二月五日の条、2/76・236-0
 
 
2004年08月04日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
講房講坊(カウバウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「講師(カウシ)。講堂(ダウ)。講説(ぜツ)」の三語を収載し、標記語「講房」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹薦縵幕大寳高座蓋瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意者縁道(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)者縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・山田俊雄藏本は、「」と表記し、宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本の古写本は「講房」と表記し、訓みは、経覺筆本に「カウハウ」、文明四年本に「カウバウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「講房」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「講房」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「講房」「「」」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

564法會指南以之爲用意物者縁道(トウ)ノ講房(コモ) カラ儀式也。灌頂時、庭敷、上云也。〔謙堂文庫蔵五三右E〕

とあって、標記語「講房」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

講房(カウバウノ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ホウ)無印高座(カウサ)所W(ソウカイ)瓔珞(ヤウラク)如意(ニヨイ)香爐(カウロ)香箱(カウバコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(  ホツ)法螺(ホウラ)燒香(せウカウ)造花(ザウケ)(シヨク)(ツクヘ)臨時(リンジ)纏頭(テントウ)高座ト云ヨリ造花ニ至ルマデ如件。〔下30オ八〕30ウ二

とあって、この標記語「講房」とし、語注記は「水引(ミツヒキ)打敷(ウチシキ)なんどの事か」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

講房(こうばう)の薦(こも)講房薦 論義説法の席へしく敷物なり。〔80オ五・六〕

とあって、この標記語「講房」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

用意(ようい)せら被()()き物(もの)()縁道(えんだう)の絹(きぬ)講房(こうばう)乃薦(こも)用意物者縁道(トウ)ノ講房▲講房薦ハ灌頂(くハんてう)のとき庭(にハ)に薦(こも)をしき其上に布(ぬの)をしくをいふとぞ。〔58オ四、58ウ三・四〕

(べき)()用意(よういせら)(もの)()縁道(えんたうの)(きぬ)講房(かうばうの)(こも)▲講房薦ハ灌頂(くハんてう)のとき庭(にハ)に薦(こも)をしき其上に布(ぬの)をしくをいふとぞ。〔104オ六、105オ三〕

とあって、標記語「講房薦」の語をもって収載し、その語注記は、「講房薦ハ灌頂(くハんてう)のとき庭(にハ)に薦(こも)をしき其上に布(ぬの)をしくをいふとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「講房」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』、現代の『日本国語大辞典』第二版ともに、標記語「かう-ばう講房】〔名〕」の語は、未収載となっている。よって、『庭訓徃來』のこの語用例も未記載にある。
[ことばの実際]
酉時許到大安寺、宿別当明杲已講房、今夜甚雨、及暁止、《『小右記正暦元年九月六日の条、1/232
 
 
2004年08月03日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
縁道絹(ヱンダウのきぬ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「衛」部に、「縁起(エンギ)説通序則序之端相也。縁類(ルイ)。縁者(エンジヤ)。縁覺(ガク)」の四語を収載し、標記語「縁道」の語は未収載にする。また三熟語「縁道絹」も未収載とする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可被用意物者縁道絹薦縵幕大寳高座蓋瓔珞香爐箱如意白蓋白拂法螺燒香造花卓〔至徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦縵幕大寳高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋白拂法螺燒香造花卓机〔宝徳三年本〕

可被用意物者縁道絹講房薦幕大法高座所W瓔珞如意香爐箱白蓋赤蓋白払法螺燒香造花卓机〔建部傳内本〕

用意縁道(コモ)縵幕大寳高座蓋瓔珞如意香爐箱白蓋白拂(ホツ)法螺()燒香造花卓(シヨク)〔山田俊雄藏本〕

用意物者縁道講房(カウハウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳高座所W(カイ)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()香箱(ハコ)白蓋(ハクガイ)赤蓋白払(ホツス)法螺()燒香造(ツクリ)花卓(シヨク)(ツクヘ)〔経覺筆本〕

可被用意(もの)縁道(ヱンタウ)(キヌ)講房(カウバウ)(コモ)縵幕(マンマク)大寳(ボウ)高座所W(ソウカ井)瓔珞(ヤウラク)如意香爐()(ハコ)白蓋(ヒヤクカイ)白拂(ヒヤクホツ)法螺(ホウラ)燒香造花(ツクリ ナ)(シヨク)(ツクヘ)〔文明四年本〕※薦(コモ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「縁道絹」とし、訓みは、文明四年本に「ヱンタウのきぬ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「縁道」「縁道絹」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「縁道」「縁道絹」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

縁道絹(エンダウノキヌ) 。〔食服門162四〕

とあって、標記語「縁道絹」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一易林本節用集』に、標記語「縁道絹」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

564法會指南以之爲用意物者縁道(トウ)ノ講房(コモ) カラ儀式也。灌頂時、庭敷、上云也。〔謙堂文庫蔵五三右E〕

とあって、標記語「縁道絹」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

縁道(エンダウ)(キヌ)ハ水引(ミツヒキ)打敷(ウチシキ)ナンドノ事〔下30オ八〕

とあって、この標記語「縁道絹」とし、語注記は「水引(ミツヒキ)打敷(ウチシキ)なんどの事か」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

縁道(ゑんたう)(きぬ)縁道 (ぜん)の綱(つな)の事也。〔80オ五〕

とあって、この標記語「縁道絹」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

用意(ようい)せら被()()き物(もの)()縁道(えんだう)(きぬ)講房(こうばう)乃薦(こも)用意物者縁道(トウ)ノ講房▲縁道絹ハ古抄に仏前(ぶつぜん)に引く善(ぜん)の綱(つな)をいふとぞ。〔58オ四、58ウ三〕

(べき)()用意(よういせら)(もの)()縁道(えんたうの)(きぬ)講房(かうばうの)(こも)▲縁道絹ハ古抄に仏前(ぶつぜん)に引く善(ぜん)の綱(つな)をいふとぞ。〔104オ五、105オ二・三〕

とあって、標記語「縁道」の語をもって収載し、その語注記は、「縁道の絹は、古抄に仏前(ぶつぜん)に引く善(ぜん)の綱(つな)をいふとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「縁道」「縁道絹」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

えん-だう〔名〕【筵道】筵(むしろ)を敷きて、通路とするもの。枕草子、一、第四段「檳榔毛(びらうげ)の車などは、門、小さければ、障りて、え入らねば、例の筵道敷きて下()るるに」〔0280-3〕

とあって、標記語「えん-だう筵道】」の語をもって収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「えん-どう筵道縁道】〔名〕天皇が徒歩で歩く時や、神事に祭神が遷御する時の道に敷く筵(むしろ)。莚の上に白い絹を敷く場合もある。えどう。えんどうの絹(きぬ) 筵道に敷く絹」とあって、「えんどうの絹」に『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
入御輿由、仍乗輿進中門、先敷縁道、左・右宰相中将〈資平・兼経、〉持候御剣・璽筥、御坐御在所、〈西対南面、東宮御休廬同対西面、〉不経幾□〔程〕東宮駕車・牛留西御門、余参入、関白被参、敷縁道、□〔縁道不持参、仍只敷□〔□□□〔車〕□給、余・□□〔大夫〕(春宮大夫頼宗)・亮・学士等前行、帯刀候左右、就給休廬、小〔少〕時主上参給寝殿、於御簾中有御拝、其後時剋相隔東宮参上給 《『小右記万寿四年一月三日の条、7/188・384-0
 
 
2004年08月02日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
舞童(ブダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

舞童( トウ) 。〔元亀二年本223十〕〔天正十七年本中57オ八〕

舞童(ブドウ) 。〔静嘉堂本256四〕

とあって、標記語「舞童」の語を収載し、訓みは「(ブ)トウ」(元・天)と「ブドウ」(静)とで記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

伶人舞童之儀式殊大切也法会指南以之為先〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

伶人舞童之儀式殊大切也法會指南以之爲先〔宝徳三年本〕

伶人舞童(ブドウ)之儀式殊大切也法會指南以〔山田俊雄藏本〕

(レイ)舞童(フトウ)儀式殊大切也法会()之爲()〔経覺筆本〕

伶人(レイ ゛)舞童(ブトウ)之儀式殊大切也法會指南以()(サキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「舞童」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ブドウ」、経覺筆本に「フトウ」、文明四年本に「ブトウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「舞童」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「舞童」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「舞童」の語は収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

563伶人(ジン)舞童儀式殊大切也 役也。太平竜王等也。〔謙堂文庫蔵五三右D〕

とあって、標記語「舞童」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

舞童(ブドウ)()儀式(ギシキ)(コトニ)大切(せツ)也法會指南(ホウエノシナン)以之()(サキト)用意物者舞童ノ事児四人シテマフ也。是ヲ泰平樂(タイヘイラク)ト云也。昔(ムカシ)(シン)ノ國ニ王御座(ヲワ)ス。名()付テ高祖(カウソ)ト申奉ル并(ナラビ)ノ国ニジユツコクトイヘル國アリ。王ノ御名ヲ項羽(カウウ)ト申シ奉ル。或時(アルトキ)項羽(カウウ)ノ高祖(カウソ)ノ内裏(ダイリ)ヘ行幸(キヤウガフ)有テ彼(カノ)泰平樂(タイヘイラク)ヲマイ給フ舞臺(ブタイ)ヲコシラヘ人ヲノケ門ヲ閉(トヂ)テ項羽(カウウ)ト高祖ト又項羽(カウウ)ノ童ニ呂馬童(リヨバトウ)ト云童子(ドウシ)ヲ召具(メシク)せラレタリ。彼(カレ)ト已上三人三尺ノ劔ヲ皆(ミナ)拔持(ヌキモチ)テ悪魔(アクバ)降伏(ガウフク)ノ篇(ヘン)拝ト號(ガウ)シテ樂(ガク)ヲ吹(フキ)ハヤサせテ舞(マワ)ルヽナリ。是ハ併(シカシナガラ)項羽ノ高祖ヲ討(ウタ)ントノ謀(ハカリコト)也。門ヲバ閉(トヂ)テ人ヲ通(トヲ)サズ。門外(モンクハイ)ニテ高祖ノ兵(ツハモノ)(ハンクハヒ)ト云シ者御樂(ヲンガク)ヲ聴聞(チヤウモン)シケルガ急(キウ)ノ樂(ガク)ニ成(ナリ)テ死()ノ位ノ樂(ガク)アリ。樊(ハンクハイ)今ハ帝王(テイワウ)ノ御命(ヲンイノチ)(アヤウシ)シトテ鉄(クロカネ)ノ門ヲ推破(ヲシヤブツ)テ内ヘ参(マイ)リ。吾(ワレ)モ祖王(ソワウ)ノ方人(カトウド)ノ樂(カク)トテ大動錬(ダイドウレン)ト云劔(ツルギ)ヲヌキ持(モチ)テ舞(マヒ)ケレバ。項羽(カウウ)ノ謀(ハカリ)モ不(カナハ)也。其(ソノ)時ヨリ泰平樂(タイヘイラク)ハ四人ニ成(ナリ)ケリ。今ノ世ニ舞(マフ)ト云事ハ是也。剱ヲ以テマフ也。呂馬童(リヨバトウ)ガ舞始(マイハジメ)シ也。サレバ災難(サイナン)ヲ拂(ハラウ)ベクハ泰(タイ)平樂ニ不如(シカ)。四人ニテマフハ。四方ノ夷(エビス)ヲ切ル心也。又外聞(クハイブン)ト云詞(コトバ)其時ヨリ起(ヲコ)レリ。外(クハイ)ニ聞(ブン)ト云ハ。我ヨリ勝(スグ)レタル者ガ外面(ソトモ)ニ有ニ。サシモナキ事。シサバクニ彼(カノ)人是ヲ聞(キイ)テ後ニ嘲(アザケ)ル也。是ヲ外聞(クハイブン)トハ申也。如(ハンクハイ)ト云フ。シレ者門外ニ有ニ何トソ。勝負(セウブ)ヲ决せン。深(シン)渕ニ莅(ノゾン)デ薄氷(ハクヒヨウ)ヲ蹈ムト云フ事是ナリ。文選(モンゼン)ノ表ノ卷ニ具サニ見ヘタリ〔下29ウ七〜30オ七〕

とあって、この標記語「舞童」とし、語注記は上記の如く長文にて記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

伶人(れいじん)舞童(ぶとう)()儀式(ぎしき)伶人舞童之儀式 伶人の注前に見へたり。舞童ハまいをする童子なり。〔79ウ八〜80オ一〕

とあって、この標記語「舞童」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

伶人(れいじん)舞童(ぶとう)()儀式(ぎしき)(こと)に大切(たいせつ)(なり)法會(ほふゑ)の指南(しなん)(これ)を先(さき)と爲()伶人舞童之儀式殊大切也法會指南▲舞童ハ童子(わらハ)の舞(まひ)也。太平楽(たいへいらく)の楽(がく)ハ童子四人にて舞ふといふ其類(たぐひ)也。〔58オ三、58ウ二・三〕

伶人(れいじん)舞童(ぶどう)()儀式(ぎしき)(ことに)大切(たいせつ)(なり)法會(ほふゑの)指南(しなん)(もつて)(これを)()(さきと)▲舞童ハ童子(わらハ)の舞(まひ)也。太平楽(たいへいらく)の楽(がく)ハ童子四人にて舞()ふといふ其類(たぐひ)なり。〔104オ三、105オ二・三〕

とあって、標記語「舞童」の語をもって収載し、その語注記は、「舞童は、童子(わらハ)の舞(まひ)なり。太平楽(たいへいらく)の楽(がく)ハ童子四人にて舞()ふといふ其類(たぐひ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「舞童」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-だう舞童】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-だう舞童】〔名〕@舞を舞う童子。*釈氏往来(12C後)十月日「舞童、殊選定骨法之輩、被献覧哉」*百練抄-建保六年(1218)七月二二日「天台座主相舞童参入、有叡覧、於清凉殿東庭舞曲」*太平記(14C後)二・南都北嶺行幸事「舞童回雪の袖を翻せば、百獣も率舞ひ」*後漢書-礼儀志・中「立土人舞童、七日一変如故事A歌舞伎若衆をいう。*浮世草子・近代艶隠者(1686)三・二「舞妓にたはれ、舞童とあそぶ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
梶原平三景時、依年來宿願、日來令持戒淨侶書寫大般若經一部訖是奉爲關東御定運也仍欲奉納鶴岳之間、於彼宮、可遂供養稱御旨可請導師并舞童等之由、言上之間、爲果公私祈、於若宮寳前、可供養大般若經導師垂髪等、可從景時招請之旨、賜御書景時〈云云〉《訓み下し》梶原平三景時、年来ノ宿願ニ依テ、日来持戒ノ浄侶ヲシテ大般若経一部ヲ書写セシメ訖ンヌ。是レ関東御定運ノ奉為ナリ。仍テ鶴岡ニ納メ奉ラント(奉納セント)欲スルノ間、彼ノ宮ニ於テ、供養ヲ遂グベシ。御旨ト称シ導師并ニ舞童(ブドウ)等ヲ屈請スベキノ由、言上スルノ間、公私ノ祈祷ヲ果サン為ニ、若宮ノ宝前ニ於テ、大般若経ヲ供養スベシ。導師垂髪等、景時ガ招請ニ従フベキノ旨、御書ヲ景時ニ賜ハルト〈云云〉。《『吾妻鏡文治四年三月六日の条》
 
 
伶人(レイジン)」は、ことばの溜池(2000.09.01)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

伶人(ジン)常ニアリ。供養(クヤウ)法會(ホウエ)ナンドニハ。專(モツハ)ラ有ベシ。伶人トハ。サヽ人トヨムナリ。百廿帖(デウ)ノ樂(ガク)ヲ奏(ソウ)スル也。百廿詞ハ。天人聖衆ノ御遊(アソビ)ノマネ也。其故ニ。三界ノ天衆地頭ヲ驚カサン爲ナリ。伶人アリ。〔下29ウ五〜七〕

とあって、この標記語「伶人」とし、語注記は上記の如く記載する。
 
 
2004年08月01日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
加請(カシヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「加減(ゲン)。加増(ソウ)。加味()。加持()。加護()。加勢(せイ)。加階(カイ)官之亊。加賀()」の八語を収載し、標記語「加請」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

講師注記竪者證義并探題并散花梵音錫杖對楊咒願師等可被加請之也〔至徳三年本〕

講師讀師註記竪者證義并探題唄散花梵音錫杖對揚呪願師等可被加請〔宝徳三年本〕

講師讀師注記竪者證義探題并唄散花梵音錫杖對楊呪願師等可被加請之也〔建部傳内本〕

-師讀-師注(チウ)-()(リツ)-者證-義探(タン)-(ダイ)(バイ)-花梵-音錫-杖對-揚呪(シユ)--師等尤可-セヲ〔山田俊雄藏本〕

講師讀師註記(チウキ)(シユ)者證議(シヤウキ)探題(タンタイ)(バイ)散花梵音錫杖對揚咒(シユ)願師等可(セウ)〔経覺筆本〕

講師(カウジ)讀師(ドクシ)註記(チウキ)(リツ)證義(セウキ)探題(タンタイ)(バイ)散華(サンゲ)梵音(ホンヲン)錫杖(シヤクシヤウ)對揚(タイヤウ)咒願師(シユクワンシ)加請(カシヤウ)布施以也候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「加請」とし、訓みは、文明四年本に「カシヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「加請」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「加請」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

加請(シヤウクワヱル、せイ・ウケル)[平・平去] 。〔態藝門273三〕

とあって、標記語「加請」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一広本節用集』に標記語「加請」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

561加請 十佛名云也。〔謙堂文庫蔵五三右C〕

とあって、標記語「加請」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ハイ)散花(サンゲ)梵音(ボンヲン)錫杖(シヤクチヤウ)對楊(タイヤウ)咒願(シユグワン)()等可(シヤウ)ト云モ皆々音職(ヲンシヨク)ナリ。音声ヲ以態(ワザ)ヲ成也。何共喩(タトヘ)ン樣ナシ。〔下29ウ四・五〕

とあって、この標記語「加請」とし、語注記は、「(キヤウ)を始(ハシム)る人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(これ)を加()(しやう)せ被(らる)(べき) 加ハそへる義也。請ハ承迎る事也。講師より探題まて六役是に唄散花の役梵音の役錫杖の役對揚師咒願師をあわせてト一役なり。是等乃役僧をもともに承事□□□り。〔79ウ六〜八〕

とあって、この標記語「加請」の語をもって収載し、語注記も上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

善根(ぜんごん)乃事(こと)兼日(けんしつ)諷誦(ふしゆ)願文(ぐハんもん)を進(しん)ぜら被()()し佛像(ぶつざう)經巻(きやうくハん)讃嘆(さんたん)()子細(しさい)(ある)る可()から不()堂塔(たうたふ)供養(くよう)(ならびに) 烹華八講(ばつけはつこう)()大烹會(たいほふゑ)の儀式(きしき)に相(あい)(あたる)る歟()烹服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいぎやうだう)(とう)()る可()し聖道(しやうたう)の名僧(めいそう)を以(もつは)其節(そのせつ)を遂()けら被()()し。講師(こうし)讀師(とくし)注記(ちうき)竪者(しゆしや)證議(しようぎ)探題(たんだい)(ならび)に唄(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對揚(たいやう)咒願(しゆくハん)()(とう)(これ)()(しやう)せら被()()き也(なり)善根兼日可セラ諷誦願文佛像經巻讃嘆者カラ子細堂塔供養法華八講者‖_大法會儀式可有法服登高座大行-道等-名僧其節講師讀師注記竪者證議探題散花梵音錫杖對揚咒願師等セヲ。〔58オ二・三〕

善根(ぜんごん)(こと)兼日(けんじつ)(べき)()(しん)ぜら諷誦(ふじゆ)願文(ぐわんもん)佛像(ぶつざう)經巻(きやうくわん)讃嘆(さんたん)()()(べから)(ある)子細(しさい)堂塔(だうたふ)供養(くやう)(ならひに)法華八講(ほつけはつかう)()(あひ)(あたる)大法會儀式(だいほふゑのぎしき)()(べし)(ある)法服(ほふふく)(のぼり)高座(かうざ)大行道(たいきやうたう)(とう)(もつて)聖道(しやうだう)名僧(めいそう)(べし)()(とげ)其節(そのせつ)講師(かうし)讀師(どくし)注記(ちうき)竪者(じゆしや)證議(しようき)探題(たんたい)(ならび)(はい)散花(さんげ)梵音(ぼんおん)錫杖(しやくちやう)對楊(たいやう)咒願(しゆくわん)()(とう)(べき)()()(しやう)せら(これ)(なり)〔104オ三〕

とあって、標記語「加請」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「加請」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-しゃう〔名〕【加請】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しょう加請】〔名〕法会などのおり、さらに数を増して僧を請ずること。*高野山文書-(久安五年)(1147)六月廿九日・御室御所高野山参籠日記(大日本古文書四・二〇〇)「今日始行恒例舎利講、供僧之外加請三口、合六口也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
丁未、右大臣〔顕光〕内房(盛子内親王)周忌法事、於雲林院修之、七僧外屈六十僧、或説云、六十八僧云々、依有無已之僧所加請也、《『小右記長保元年七月二七日の条2/53・129-0
 
 
 
 
 
 

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