2004年09月01日から09月30日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

 
2004年09月30日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
知客(シカ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

知客(シカク) 禅家官。〔元亀二年本312一〕

知客(シカ) 禅家官。〔静嘉堂本365二〕

とあって、標記語「知客」の語を収載し、訓みは「シカ」(元亀本)と「シカ」(静嘉堂本)とし、語注は「禅家の官」と記載する。この元亀二年本の訓みは特殊な唐宋音の読み方を知らず違えたものか。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「知客」と記載し、訓みは山田俊雄藏本と文明四年本に「シカ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「知客」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「知客」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

知客(シカ・シル、カク・アヅマ)[平・入] 鴻臚。或云知賓(チヒン)。接客官人也。維那(イノ)代人也。〔官位門919三〕

とあって、標記語「知客」の語を収載し、語注記に「鴻臚。或は知賓(チヒン)と云ふ。接客の官人なり。維那(イノ)に代りを為す人なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本・『節用集』には、

知客(シカ) 又知賓。〔・人倫門237八〕〔・官名門200七〕

知客(シカ) 。〔・官名門190七〕

とあって、標記語「知客」の語を収載し、弘治二年本永祿二年本の語注記に「また、知賓」と広本節用集』の語注記の一部を記載するものである。また、易林本節用集』に、

知客(シカ) 知賓(チヒン)。〔人倫門203六〕

とあって、標記語「知客」の語を収載し、語注記は「知賓」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「知客」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記とは、異なるものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

601蔵主知客(シカ)浴主(ヨクス) 風呂役者。〔謙堂文庫蔵五四左F〕

とあって、標記語「知客」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

知客(シカ)ハ客(キヤク)人ノ時長老奏者(ソウシヤ)スル僧ナリ。〔下32オ二・三〕

とあって、この標記語「知客」とし、語注記は、「客(キヤク)人の時長老奏者(ソウシヤ)する僧なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

知客(しか)知客 客人のあしらひする役なり。〔83オ四〕

とあって、この標記語「知客」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲知客ハいまだ不考。諸注ミな客人をあいしらふ役とするハ請客不混じたり。恐らくハ非ならん。〔60オ三、60ウ五〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲知客ハいまだ不考。諸注(しよちゆう)ミな客人をあいしらふ役とするハ請客に混(こん)じたり。恐(おそ)らくハ非ならん。〔107ウ五、108ウ六〕

とあって、標記語「知客」の語をもって収載し、その語注記は、「知客は、いまだ不考。諸注(しよちゆう)みな客人をあいしらふ役とするは、請客に混(こん)じたり。恐(おそ)らくは、非ならん」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「知客」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【知客】〔字の唐音〕禪家にて、客を接待する役僧。運歩色葉集知客、シカ、禪家官」庭訓往來、十月「知客、燒香」〔0878-3〕

とあって、標記語「-〔名〕【知客】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-知客】〔名〕(「し」「か」はそれぞれ「知」「客」の唐宋音)仏語。禅寺で来客の接待をする役僧」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。その用例は、上記『大言海』とも代わって、『正法眼藏』『文明本節用集』『史記抄』『ロドリゲス大文典』となっている。
[ことばの実際]
永代所奉売渡於長芦寺坊主宗忠知客也、仍為後証新立券文之状如件 《『大コ寺文書延文元年十二月廿六日の条、1334・3/309
 
 
2004年09月29日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
蔵主(ザウス)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

蔵主()〔元亀二年本272二〕

蔵主(サウス)〔静嘉堂本310七〕

とあって、標記語「蔵主」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「蔵主」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「蔵主」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「蔵主」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

蔵主(ザウ・クラ、カクス・ヲサム、ヌシ)[平去・上] 司蔵人也。上官人也。東西有二人。又云知蔵。典蔵。雅蔵。雅伯。蔵雪。蔵局。尊蔵。〔官位門776四〕

とあって、標記語「蔵主」の語を収載し、語注記は「司蔵人なり。上官の人なり。東西二人有。また、知蔵。典蔵。雅蔵。雅伯。蔵雪。蔵局。尊蔵と云ふ」と記載する。印度本系統の永祿二年本尭空本節用集』には、

蔵主() 。〔・官名門175八〕

蔵主(ザウス) 。〔・官位門164九〕

とあって、標記語「蔵主」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

蔵主(ザウス) 。〔言辞門177一〕

とあって、標記語「蔵主」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「蔵主」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっていることにとりわけ留意すべきであろう。異名という語は用いずに「知蔵・典蔵・雅蔵・雅伯・蔵雪・蔵局・尊蔵」の語を列挙している。これは如何なる資料に依るか今後の調査を待ちたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

601蔵主知客(シカ)浴主(ヨクス) 風呂役者。〔謙堂文庫蔵五四左F〕

とあって、標記語「蔵主」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

藏主(ザウス)維那(イノ)ハ堂前ニテ勤(ツトメ)ヲ始(ハジム)ル人ナリ。時ニ臨(ノゾン)テ佛事法會ニ勤(ツトメ)ヲ始ル声名(シヤウミヤウ)器用(キヨウ)ノ仁也。其ヲバ維那ノ役ト云ヘシ。〔下32オ二〕

とあって、この標記語「蔵主」とし、語注記は、「堂前にて勤(ツトメ)を始(ハジム)る人なり。時に臨(ノゾン)て佛事法會に勤(ツトメ)を始る声名(シヤウミヤウ)器用(キヨウ)の仁なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蔵主(ざうす)蔵主 經藏(きやうざう)をあつかりてあつかふ役也。兼(かね)て学問の事をもつかさとる。〔83オ三〕

とあって、この標記語「蔵主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲蔵主ハ經藏(きやうざう)奉行也。〔60オ三、60ウ四〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲蔵主ハ經藏(きやうざう)奉行也。〔107ウ五、108ウ六〕

とあって、標記語「蔵主」の語をもって収載し、その語注記は、「蔵主は、經藏(きやうざう)奉行なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zo<su.ザウス(蔵主) 禅宗(Ienxus)の坊主(Bonzos)の中のある位,または,階級.〔邦訳844l〕

とあって、標記語「蔵主」の語の意味は「禅宗(Ienxus)の坊主(Bonzos)の中のある位,または,階級」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ざう-〔名〕【藏主藏司】〔藏主の居所を、藏司と云ふ、やがて、藏主をも、藏司と云ふ〕(一)禪家にて、經藏を掌る僧の役名。知藏。敕修百丈清規、下、兩序「知識、職掌經藏、兼通義學、凡看經者、初入經堂、先白堂主、同到藏主相看、云云」朝野群載、十七、嘉永二年十月廿一日「大法師珍寳、件僧、宜平等院經?嚢鈔(文安二)、第十三條「經藏を預るを、藏主と云ふ」撮壤集(享コ)、上、諸宗「藏主」註「知識、典藏」」(二)此語、僧位の階級の稱となり、首座の次、沙彌の上に居る、又、僧名に添へても云ふ。太平記、十六、小貳興菊池合戰事「小貳が最末の子に、宗應藏主と云ふ僧、云云」堺鏡(天和)釣狐「永禄中、泉州、堺、耕運庵住僧、伯藏主、狐を養育す」(三)無意味に、法體の者の稱ともなる。明良洪範、十、秀吉自筆辭世「尼、孝藏主に命じ、深く納めおくべし、云云、預けおきし歌やある、云云、藏主尼、やがて、取り出し奉る、云云(太閤秀吉の侍女の尼なり)」〔0771-1〕

とあって、標記語「ざう-〔名〕【蔵主】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ざう-蔵主】〔名〕仏語。@禅寺で、経蔵をつかさどる僧。のちに知蔵と称せられたもので、禅院六頭主中、第三に位する職。また、一般に僧をいう。A(蔵司)禅宗で、@の居室をいう。蔵司寮」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
返仁自明年卯歳、所奉売渡于彭蔵主実也、若過五ヶ年不請返者、《『大コ寺文書至徳参年十月廿九日の条、1370・3/353
 
 
2004年09月28日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
書記(シヨキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

書記(シヨキ) 禅家官。〔元亀二年本311九〕

書記(シヤキ) 禅家官。〔静嘉堂本364八〕

とあって、標記語「書記」の語を収載し、訓みを「シヨキ」(元)と「シヤキ」(靜)とし、語注記に「禅家の官」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首--()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「書記」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「書記」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「書記」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

書記(シヨキカク、シルス)[平・去] 又云記案書注法門人。上官人也。始黄龍也。三位。〔態藝門416六〕

とあって、標記語「書記」の語を収載し、語注記に「また、記案を云ふ。書き注す法門の人。上官の人なり。黄龍を始めとすなり。三位に當るなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

書記(シヨキ) 又記室。〔・人倫門237八〕

書記(シヨキ) 記室。〔・官名門200七〕

書記(シヨキ) 。〔・官名門190七〕

とあって、標記語「書記」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

書記(シヨキ)()室。〔人倫門203六〕

とあって、標記語「書記」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「書記」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、広本節用集』の語注記の後半部と真字本の語注記が共通している点は両書の連関性を考える上から注目せねばなるまい。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

600書記 當三位也。〔謙堂文庫蔵五四左F〕

とあって、標記語「書記」の語を収載し、語注記は、「三位に當るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

書記(シヨキ)ハ物書(カキ)也。〔下32オ一〕

とあって、この標記語「書記」とし、語注記は、「物書(カキ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

書記(しよき)書記 物を書(かき)(しる)す役也。〔83オ二・三〕

とあって、この標記語「書記」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲書記ハ記録(きろく)を司る役也。〔60オ三、60ウ四〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲書記ハ記録(きろく)を司る役也。〔107ウ五、108ウ六〕

とあって、標記語「書記」の語をもって収載し、その語注記は、「書記は、記録(きろく)を司る役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoqi.シヨキ(書記) 坊主(Bonzos)の間の或る位.〔邦訳794r〕

とあって、標記語「書記」の語の意味は「坊主(Bonzos)の間の或る位」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-〔名〕【書記】(一)文字を、書きしるすこと。(二)書きしるす役。ものかき。かきやく。右筆。白居易詩「青衫書記何年去、紅旆將軍昨日歸」謝靈運詩、序「阮?管書記之任」〔1010-5〕

とあって、標記語「しょ-〔名〕【書記】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-書記】〔名〕@(―する)文字を書きしるすこと。また、書きしるしたもの。記録。A公文書や会議の議事などを書きしるしたたり、管理したりする役。B禅家の六頭首(ろくとうしゅ)の一つ。寺の文書の製作をつかさどる者。C特に、江戸末期から明治にかけて、遊女屋で事務をとったり、遊女の手紙の代筆などをしたりした者。D上司の指揮を受けて文案作成、庶務、会計などにあたる職員。おもに、裁判所や行政庁などの職員をいう。書記官。E政党や労働組合などの書記局の成員」とあって、Bの意味用例としてこの『庭訓徃來』の語用例を記載する。他に文明本節用集、『頓要集』を記載する。
[ことばの実際]
十七日一見次、馳筆畢、此書記東塔坊光賢律師記而已、 《『醍醐寺文書弘長元年七月日の条、320-7・2/75
 
 
2004年09月27日(月)晴れ午後一時曇り空。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
首座(シユソ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

首座() 禅家官。〔元亀二年本311九〕

首座 禅家官。〔静嘉堂本364七〕

とあって、標記語「首座」の語を収載し、語注記は、「禅家の官」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後---()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「首座」と記載し、訓みは文明四年本に「シユソ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「首座」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「首座」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

首座(シユ・ハジメ、シユウ・カウベ、・ユカ)[去・去] 又云座元(ゾゲン)座原續傳灯。前堂後堂者有二人。又云前板後(コウ)。始メトス雲門也。長老差合(アイ)之時。際隙(ケキ)佛事人也。又掛牌(クワハイ)首座()トテ上人也。前堂二位。後堂三位。又釋氏要覧云居(キシ)席之端僧之上故云也。唐宣宗署(ツカサ)弁章。此也。所謂――即其人也。衆服従徳業兼備者充之也。〔官位門919一〕

とあって、標記語「首座」の語を収載し、その語注記は、詳細に記載する。このなかで、その注記の一部分が下記真字本の注記と合致するものとなっている。その典拠資料名については明確に示されていない。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

首座(シユソ) 前板后板。〔・人倫門237八〕

首座(シユソ) 。〔・官名門200七〕〔・官位門190七〕

とあって、標記語「首座」の語を収載し、このうち弘治二年本には、広本節用集』の語注記の一部である「前板后板」の語を記載している。また、易林本節用集』に、

首座(シユソ) 前板後板。〔人倫門203六〕

とあって、標記語「首座」の語を収載し、語注記は上記弘治二年本に類似する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「首座」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は詳細で、その一部分がこの真字註に記述された内容であることが注目視されよう。この点については、今後の調査に期することとする。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

599前-堂後-首座() 前堂二位後堂三位。〔謙堂文庫蔵五四左E〕

とあって、標記語「首座」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

首座(シユソ)ハ一番(バン)坐()ノカシラ也。〔下32オ一〕

とあって、この標記語「首座」とし、語注記は、「一番(バン)坐()のかしらなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)前堂後堂兩首座 前堂ハ二位後堂ハ三位にあたる僧官。皆首座なるゆへ両首座と?首座ハ席順第一に座すると云義なり〔83オ一〕

とあって、この標記語「首座」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔60オ三〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)〔107ウ五〕

とあって、標記語「首座」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xu<so.シユソ(首座) 坊主(Bonzos)の中の或る位.〔邦訳803l〕

とあって、標記語「首座」の語の意味は「坊主(Bonzos)の中の或る位」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しゅ-〔名〕【首座】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅ-首座】〔名〕(「そ」は「座」の唐宋音)仏語。禅寺で修行僧中、首席にあるものをいう。修行僧中の第一座で、長老(住持)の次位。僧堂内のいっさいの事をつかさどる。上座。しゅざ。永平道元禅師清規(13C中)弁道法「就椅子聖僧而坐禅。首座牀縁而坐禅」*東福寺文書-弘安三年(1280)六月一日・東福寺規式(鎌倉遺文一八・一三九九一)「承天寺者、我法房一期以後、暁首座領寺務矣」*庭訓往来(1394-1428頃)「前堂・後堂首座文明本節用集(室町中)「首座 シユソ 又云座元座原」ロドリゲス日本大文典(1604-08)「Xuso(シュソ)」*浮世草子男色大鑑(1687)三・四「はじめは東福寺の首座(シュソ)たりしが、いつの比還俗して」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
事候、急速可有其沙汰候、仍義首座・亨・教首座教家都寺・円庵主なとも方々一人充差奉行、諸堂同時感得之様相計候也 《『大コ寺文書(元弘三年)十月三日の条、3212・13/10
 
 
2004年09月26日(日)晴れ一時曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
後堂(ゴダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「後堂」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「後堂」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「後堂」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「後堂」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

後堂(ゴダウコウ・ウシロ・ノチ、イヱ)[去・平] 首座(シユソ)又云後板(コウハン)仰山。〔官位門659二〕

とあって、標記語「後堂」の語を収載し、語注記に「首座(シユソ)。又、後板(コウハン)と云ふ。仰山を始めとするなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「後堂」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一広本節用集』に標記語「後堂」の語を以て収載している。そして、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、その語注記は大いに異なる。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

599前--兩首座(ザ) 前堂二位後堂三位也。〔謙堂文庫蔵五四左E〕

とあって、標記語「後堂」の語を収載し、語注記は、「後堂は、三位に當るなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

頭首(テウシユ)ニハ者前堂(せンタウ)後堂(ゴタウ)頭首方(テウシユカタ)ト云ハ學問ノ宗儀(シウギ)ヲ知ルナリ。〔下31ウ八〜32オ一〕

とあって、この標記語「後堂」とし、語注記は、「米(コメ)奉()行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)前堂後堂兩首座 前堂ハ二位後堂ハ三位にあたる僧官也。皆首座なるゆへ両首座と?首座ハ席順第一に座すると云義なり。〔83オ一〕

とあって、この標記語「後堂」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲後堂ハ首座(しゆそ)とのミ称す單寮(たんりやう)の次也。〔60オ三、60ウ四〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲後堂ハ首座(しゆそ)とのミ称(しよう)す單寮(たんりやう)の次也。〔107ウ五、108ウ五〕

とあって、標記語「後堂」の語をもって収載し、その語注記は、「後堂は、首座(しゆそ)とのみ称(しよう)す單寮(たんりやう)の次なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「後堂」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-だう〔名〕【後堂】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-どう後堂】〔名〕仏語。禅宗七堂伽藍の一つである僧堂の内部で、中央の出入板よりうしろをいう。転じて、そこの大衆の頭をもいう。こうどう。新札往来(1367)下「後堂之首座」*文明本節用集(室町中)「後堂 ゴダウ」禅林象器箋(1741)殿堂「自出入板已後、為後板、亦曰後堂、即後堂首座、管領之」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
文龜元年七月退院、自本寺、後堂首座請侍、使者堂智仙也 《『大コ寺別文書(真珠庵)』永正十一年十一月日の条、103・1/214
 
 
2004年09月25日(土)曇り一時晴れ後雨曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
前堂(ゼンダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

×〔元亀二年本224一〕※脱語箇所

前堂(ダウ) 禅家。〔静嘉堂本256五〕

とあって、静嘉堂本に標記語「前堂」の語を収載し、その語注記は単に「禅家」と記載するにすぎない。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「前堂」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「前堂」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「前堂」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

前堂(ぜンダウ―、イヱ)[平・平] ――後堂謂之座元(ゾゲン)雲門。〔官位門1083六〕

とあって、標記語「前堂」の語を収載し、その語注記に「前堂後堂之れ座元(ゾゲン)と謂ふ。雲門を始とするなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

前堂(ゼンダウ) 首座也。謂之座元。〔・官名門263三〕〔・官名門225一〕

前堂(ゼンタウ) 首座也。謂之座元。〔・官名門212一〕

とあって、広本節用集』の語注記の前部を継承し、標記語「前堂」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

前堂(ぜンダウ) ―司。〔官位門233四〕

とあって、標記語「前堂」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「前堂」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。そして、語注記については広本節用集』を頂点とする『節用集』類の語注記とは大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

599--兩首座(ザ) 前堂二位後堂三位也。〔謙堂文庫蔵五四左E〕

とあって、標記語「前堂」の語を収載し、語注記は、「前堂は、二位に當る」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

頭首(テウシユ)ニハ前堂(せンタウ)後堂(ゴタウ)頭首方(テウシユカタ)ト云ハ學問ノ宗儀(シウギ)ヲ知ルナリ。〔下31ウ八〜32オ一〕

とあって、この標記語「前堂」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)前堂後堂兩首座 前堂ハ二位後堂ハ三位にあたる僧官也。皆首座なるゆへ両首座と?首座ハ席順第一に座すると云義なり。〔82ウ六〕

とあって、この標記語「前堂」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲前堂首座を單寮(たんりやう)と稱(しよう)す。西堂の次(つぎ)也。〔60オ三、60ウ四〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲前堂首座を單寮(たんりやう)と稱(しよう)す。西堂の次(つぎ)也。〔107ウ五、108ウ五〕

とあって、標記語「前堂」の語をもって収載し、その語注記は、「前堂首座を單寮(たんりやう)と稱(しよう)す。西堂の次(つぎ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「前堂」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ぜん-だう〔名〕【前堂】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぜん-だう前堂】〔名〕@前にある広間。また、前方にある堂。史記-田伝「前堂羅鐘鼓、立曲栴A仏語。禅宗の寺院で、僧堂を聖僧を中心にして前後に二分した前門に面する部分をいう。後堂に対する。新札往来(1367)下「前堂、後堂之首座」B「ぜんどうしゅそ(前堂首座)」の略。正法眼藏隨聞記(1235-38)四・五「許すことは前堂をも、乃至長老をも許す可し」*空華日用工夫略集-至徳二年(1385)三月三日「請有承西堂前堂」*黒本本節用集(室町)「前堂 センタウ 首座 座元ヲ云」*易林本節用集(1597)「前堂 ゼンダウ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
永正二年乙丑退院一廻了、眞珠庵住院時、前堂首座被請、長松和尚・古川座元來臨、則於眞珠開堂、《『大コ寺文書別集(真珠庵)』永正十一年十一月日の条、103・1/214
 
 
頭首(テウシユ)」は、ことばの溜池(2004.05.02)を参照。
 真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

598頭首方(テウ−カタハ) 入院時取持官也。〔謙堂文庫蔵五四左E〕

とあって、標記語「頭主」の語を収載し、訓みを「テウ(シユ)カタ」とし、語注記は、「入院の時、取り持つ僧の官なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

頭首(テウシユ)ニハ者前堂(せンタウ)後堂(ゴタウ)頭首方(テウシユカタ)ト云ハ學問ノ宗儀(シウギ)ヲ知ルナリ。〔下31ウ八〜32オ一〕

とあって、この標記語「頭主」とし、語注記は、「頭首方(テウシユカタ)と云ふは、學問の宗儀(シウギ)を知るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

頭主(ちようしゆ)(かた)()頭主方者 学問(がくもん)の宗儀を極め衆僧乃頭たる役僧なり。此下に頭役の僧を云んとて此句を置たる也。〔82ウ八〜83オ一〕

[ことばの実際]
日疏 知事比丘 頭首比丘 耆旧比丘《『大コ寺文書(文明十八年十月日)の条、3234・13/38
 
 
2004年09月24日(金)晴れ日中曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
浄頭(シンヂウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

浄頭(シヤウツウ) 禅家守西浄之官。〔元亀二年本317六〕

淨頭(トウ) 禅家守西浄之官也。〔静嘉堂本373三〕

とあって、標記語「浄頭」の語を収載し、訓みを「シヤウツウ」「(ジヤウ)トウ」とし、語注記に「禅家、西浄を守るの官なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「浄頭」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「ジンチウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「浄頭」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「浄頭」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

浄頭(シンヂウ―、トウ・カウベ)[去・平] 西浄役人。〔官位門920三〕

とあって、標記語「浄頭」の語を収載し、語注記に「西浄役人」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「浄頭」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

浄頭(シンヂウ) 。〔人倫門204一〕

とあって、標記語「浄頭」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「浄頭」の語を以て収載し、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。とりわけ語注記は、広本節用集』と近似するものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

597浄頭(シンチウジヤウテウ) 西浄役者。〔謙堂文庫蔵五四左D〕

とあって、標記語「浄頭」の語を収載し、訓みを「シンチウ、ジヤウテウ」とし、語注記は、「西浄の役の者」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

浄頭(シンヂウ)ハ東司(トウス)ノ奉行也。〔下31ウ八〕

とあって、この標記語「浄頭」とし、語注記は、「東司(トウス)の奉行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

浄頭(じやうとう)浄頭 東司(とうし)奉行なり。〔82ウ七〕

とあって、この標記語「浄頭」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲浄頭ハ東司(かハや)を司る也。〔60オ三、60ウ三・四〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲浄頭ハ東司(かハや)を司る也。〔107ウ五、108ウ五〕

とあって、標記語「浄頭」の語をもって収載し、その語注記は、「浄頭は、東司(かハや)を司るなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Xingiu<.シンヂュゥ(浄頭) →Xinju<.〔邦訳770l〕

Xinju<.シンジュゥ(浄頭) Xinjo< yacunin.(西浄の役人)禅宗坊主(Bonzos Ienxus)の間で,便所に関することを司る役僧.※Xingiu<(シンヂュゥ)の誤り.〔邦訳770l〕

とあって、標記語「浄頭」の語の意味は「(西浄の役人)禅宗坊主の間で,便所に関することを司る役僧」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「じん-ぢゅう〔名〕【浄頭】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じん-じゅう浄頭】〔名〕(「じん」「じゅう」はそれぞれ「浄」「頭」の唐宋音)仏語。禅宗で、便所の清掃などをつかさどる役。異制庭訓往来(14C中)「殿主。浴主。浄頭。堂主」*百丈清規抄(1462)四「西浄のむさいをも我洗わず事なれども、浄頭があつてきよむるぞ」*文明本節用集(室町中)「浄頭 シンヂウ 西浄役人」*禅林象器箋(1741)職位「浄頭(ジンヂウ)廁本不浄之処。故掌之者、可極浄潔。故以浄命名」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一不許高談高喚応并歌舞酒讌也、一浄頭者洒掃不可限五ヶ日、茆坑乃糞穢之処、其之称為東浄・西浄者、其浄在人不在境也、《『大コ寺文書』天正十七稔秋の条、3244・13/50》
 
 
2004年09月23日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
堂主(ダウス)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「堂主」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「堂主」と記載し、訓みは経覺筆本「ドウシユ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「タウス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「堂主」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「堂主」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

維那(イノヲヽツナ・ツナグ、ナ・ナンソ)[平・平]ニハ悦衆又綱維(カウイ)。紀綱(キカウ)堂司(ダウス)。又云此枝五宗〓。授亊(ジユウジノ)人也。總収寺院。勤行。知亊。頭首。兼對僧也。如俗家検断人也。又寄歸傳云。僧房中無人知時限佛令立――(イノウ)。〔官位門7五〕

とあって、標記語「維那」の語注記に「堂主」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「堂主」の語は未収載にする。また、易林本節用集』も標記語「堂主」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「堂主」の語は未収載にして、唯一、広本節用集』の語注記のうちに「」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

595堂主 役者也。〔謙堂文庫蔵五四左D〕

とあって、標記語「堂主」の語を収載し、語注記は、「役の者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

堂主(タウス)ハサウヂノ奉行ナリ。掃除(サウヂ)トハ。加樣ニ書テヨシ。〔下31ウ八〕

とあって、この標記語「堂主」とし、語注記は、「さうぢの奉行なり。掃除(サウヂ)とは、加樣に書きてよし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

堂主(たうしゆ)堂主 一堂の守り也。掃除奉行也ともいふ。〔82ウ七〕

とあって、この標記語「堂主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲堂主ハ掃除(そうぢ)奉行也。〔60オ三、60ウ三〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲堂主ハ掃除(さうぢ)奉行也。〔107ウ五、108ウ四〕

とあって、標記語「堂主」の語をもって収載し、その語注記は、「堂主は、掃除(そうぢ)奉行なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「堂主」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「だう-〔名〕【堂主】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「だう-】〔名〕仏語。禅宗の僧職の一つ。維那(いのう)のことで、禅寺で堂の管理をつかさどる役。また、その居室。正法眼藏(1231-53)看経「当日の粥時より、堂司あらかじめ看経牌を僧堂前、および諸寮にかく」*空華日用工夫略集-至コ三年(1386)六月一日「余新製青絹画扇十二柄、永置堂司、以充公用」*尺素往来(1439-64)「副参。請客頭。堂司。庫司」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
納所 薗頭 侍影 聖僧侍者 浄頭 堂主修造司 以上十五人衣物《『大コ寺文書応安四年十月廿二日の条、124・1/83
 
 
2004年09月22日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
修造主(シユザウス)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

修造(シユサウス)〔元亀二年本321五〕

修造〔静嘉堂本378七〕

とあって、標記語「修造主」の語を収載し、訓みは元亀二年本に「シユサウス」とし、語注記は両本とも未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「修造主」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「(シユ)サウス」、経覺筆本「シユサウ(ス)」、文明四年本に「シユサウス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「修造主」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「修造主」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

修造主(シユサウスシウ・ヲコナウ・ヲサム、ツクル、ヌシ)[平・上・上] 造作奉行。〔官位門920四〕

とあって、標記語「修造主」の語を収載し、その語注記に「造作奉行」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

修造(シユザウス) 造作奉行。〔・人倫門238二〕

修造(シユザウス) 造作奉行。〔・官名門200八〕

修造(シユザウ) 浄頭造作奉行。〔・官名門190八〕

とあって、標記語「修造」の語を以て収載し、語注記は広本節用集』と同じく「造作奉行」と記載する。このうち、尭空本だけは、巻頭に「浄頭」の語を添えている、易林本節用集』に、

修造(シユザウ)() 造作(ザウサク)奉行(ブギヤウ)。又作――主。〔人倫門204一〕

とあって、標記語「修造」の語を以て収載し、その語注記に「造作(ザウサク)奉行(ブギヤウ)。又、修造主に作る」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「修造主」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。そして広本節用集』を中心として、語注記そのものはやはり異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

594修造主(−サウス) 造営奉行官也。〔謙堂文庫蔵五四左D〕

とあって、標記語「修造主」の語を収載し、訓みを「(シユ)サウス」とし、語注記は、「造営奉行の官なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

修造主(シツスイ)ハ作事奉行也。〔下31ウ七・八〕

とあって、この標記語「修造主」とし、語注記は、「作事奉行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

修造主(しゆざうす)修造主 作事(さくじ)奉行なり。〔82ウ六・七〕

とあって、この標記語「修造主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲修造主ハ作事(さくじ)奉行也〔60オ三、60ウ三〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲修造主ハ作事(さくじ)奉行也〔107ウ五、108ウ四〕

とあって、標記語「修造主」の語をもって収載し、その語注記は、「修造主は、作事(さくじ)奉行なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xuzo<su.シュザゥス(修造主) 禅宗僧(Ienxus)の間における位.あるいは,階級.〔邦訳805l〕

とあって、標記語「修造主」の語の意味は「禅宗僧(Ienxus)の間における位.あるいは,階級」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しゆざう-〔名〕【修造主】」の語は、未収載にする。ただ、

しう-ざう〔名〕【修造】をさめつくること。修復。修理。北史、魏孝文帝記「凡所修造、不得已而爲之」平治物語、一、信頼信西不快事「大内は、久しく修造せられざりしかば」」〔0875-2〕

とある。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅぞう-修造主】〔名〕(「す」は「主」の呉音)仏語。禅宗の僧職の一つ。建物などの修理、造営を監督するもの。庭訓往來(1394-1428頃)「禅家者。堂頭。和尚。<略>并知事方。<略>修造主。堂主。浄頭」*撮壤集(1454)「修造主シュサウス」*文明本節用集(室町中)「修造主シュサウス造作奉行」*日葡辞書(1603-04)「Xuzosu(シュザウス)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
納所 薗頭 侍影 聖僧侍者 浄頭 堂主修造司 以上十五人衣物《『大コ寺文書応安四年十月廿二日の条、124・1/83
 
 
2004年09月21日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
都聞(ツウブン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

都文(ツウフン) 禅家東班官也。〔元亀二年本157五〕

都文(ツウブン) 禅家東班官也。〔静嘉堂本172六〕

都文(フン) 禅家東班。〔天正十七年本中57ウ一〕

とあって、標記語「都聞」の語を収載し、語注記に「禅家、東班の官なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「都聞」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「(ツウ)ブン」、経覺筆本「ツウフン」、文明四年本に「ツウウン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「都聞」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「都聞」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

都聞(ツウブンスベテ・ミヤコ、キク)[○・平去] 都寺之經上也。〔官位門412八〕

とあって、標記語「都聞」の語を収載し、語注記に「都寺の經上なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

都文(ツウブン) 僧官又作都聞東班。〔・人倫門126三〕

都文(ツウブン) 僧之官也。又作都聞。〔・官名門104三〕

都文(ツウブン) 僧官。又―聞。―寺。―官。〔・官名門94八〕

都文(ツウブン) 僧官。又―聞。都寺。―官。〔・官名門116一〕

とあって、標記語「都聞」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

都聞(ツウブン) ―官(クワン)。―寺()/―維那(イナ)。〔官位門103二〕

とあって、標記語「都聞」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「都聞」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は収載しているのである。ただし、広本節用集』の語注記は、他とは異なった文献資料に基づくものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

592都聞(ツウ−) 同上(番役)。〔謙堂文庫蔵五四左D〕。

とあって、標記語「都聞」の語を収載し、訓みを「ツウ(ブン)」とし、語注記は、「同(番役)」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

都管(ツウクハン)都聞(ツウブン)ハ僧ノ名字ヲ付時悉(コト/\)ク計(ハカラ)フ人ナリ。〔下31ウ七〕

とあって、この標記語「都聞」とし、語注記は、「僧の名字を付くる時悉(コト/\)く計(ハカラ)ふ人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

都聞(つうぶん)都聞 都管の添役(そへやく)なり。〔82ウ六〕

とあって、この標記語「都聞」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲都管都聞ハ共に僧(そう)の名()をつくるとき諸事(しよし)を取はからふ役也。〔60オ三、60ウ三〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲都管都聞ハ共に僧(そう)の名をつくるとき諸事(しよじ)を取はからふ役也。〔107ウ五、108ウ四〕

とあって、標記語「都聞」の語をもって収載し、その語注記は、「都官都聞は、共に僧(そう)の名()をつくるとき諸事(しよし)を取はからふ役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「都聞」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つう-ぶん〔名〕【都聞都文】又、つぶん。禪宗の僧職。都寺(ツウス)の下、監寺(カンス)(一寺を監督するもの)の上にあり。僧の名を撰ぶもの。庭訓往來、十月「都聞運歩色葉集、「都文(ツウブン)(禅家、東班官也)」東福清規都聞位、則令都寺退、而都聞班其位、新住持入院、則都聞都寺之班」庭訓往來精注鈔「都管、都聞ハ、共ニ僧ノ名ヲ作ルトキノ諸事ヲ取リハカラフ役ナリ」〔1304-1〕

とあって、標記語「つう-ぶん〔名〕【都聞都文】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「つう-ぶん都聞都文】〔名〕禅僧の職名の一つ。都寺(つうす)の下、監寺(かんす)の上とも、都寺の上ともいい、職掌は明らかでない。つぶん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
喜多野状一通布施方 南禅寺両都聞状、去年一度出之、庄主返状有之、重 又遣之、此外可一通都聞私状副遣之遣之  以上状等、《『東寺百合文書・ち明徳五年正月廿四日の条、1-3・3/736
 
 
2004年09月20日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
都官(ツウカン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

都官(クワン) 同(禅家東班官也)。〔元亀二年本157四〕

都官(クワン)〔静嘉堂本172六〕

都官(クワン) 同(禅家東班)。〔天正十七年本中17ウ七〕

とあって、標記語「都官」の語を収載し、語注記に「同(禅家東班の官なり)」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・経覺筆本の古写本は、「都管」とし、建部傳内本・山田俊雄藏本の古写本にては「都官」と記載して二分する。訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本共にに「ツウグワン」と記載する。文明四年本は此の語を未収載にする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「都官」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「都官」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

都官(ツウクワン・スベテ・ミヤコ、ツカサ)[○・平] 都寺為也。〔官位門412八〕

とあって、標記語「都官」の語を収載し、語注記に「都寺と為るなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

都管(クワン) 同(僧官/東班)。〔・人倫門126三〕

都官(ツウクハン) 。〔・官名門104三〕

都文(ツウブン) 僧官又―聞/―寺。―官。〔・官名門94八〕

とあって、標記語「」「都官」の語を収載し、弘治二年本に語注記「同(僧官/東班)」を記載する。また、易林本節用集』に、

都聞(ツウブン) ―官(クワン)。―寺()/―維那(イナ)。〔官位門103二〕

とあって、標記語「都聞」の熟語群として「都官」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「都管」乃至は「都官」の語を以て収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には収載しているのである。そして古辞書広本節用集』の語注記は異なっており、別の文献資料に依拠していると見られる。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

592都官(ツウ−) 同上(番役)。〔謙堂文庫蔵五四左D〕。

とあって、標記語「都官」の語を以て収載し、訓みを「ツウ(クワン)」とし、語注記は、「番役」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

都管(ツウクハン)都聞(ツウブン)ハ僧ノ名字ヲ付時悉(コト/\)ク計(ハカラ)フ人ナリ。〔下31ウ七〕

とあって、この標記語を古写本「都管」とし、語注記は、「僧の名字を付くる時悉(コト/\)く計(ハカラ)ふ人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

都管(つうくわん)都管 僧の名をつくる時など諸事をはからふ役なり。〔82ウ六〕

とあって、この標記語「都管」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲都管都聞ハ共に僧(そう)の名()をつくるとき諸事(しよし)を取はからふ役也。〔60オ三、60ウ三〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲都管都聞ハ共に僧(そう)の名をつくるとき諸事(しよじ)を取はからふ役也。〔107ウ五、108ウ四〕

とあって、標記語「都管」の語をもって収載し、その語注記は、「都管都聞は、共に僧(そう)の名()をつくるとき諸事(しよし)を取はからふ役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「都官」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つう-くヮん〔名〕【都官】又、つくヮん。佛家の語。つうす(都寺)に同じ。庭訓往來、十月「都管具注抄都官、都聞ハ、共ニ僧ノ名ヲツクルトキ、諸事ヲ取ハカラフ役ナリ」〔1303-1〕

とあって、標記語「つう-くヮん〔名〕【都官】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「つう-かん都官】〔名〕「つうす(都寺)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を「都官」の表記を以て記載する。
[ことばの実際]
文都管[天章周文]墨竹小幅〈有跋〉/…己亥[文明十一年]之夏熱甚、寺之綱維春溪記室、出[此]軸求詩、経数日而不得一句、…已而時秋雨霽、所謂[快哉]忽為悲哉矣、綱維督詩屡来、如問平安者、無感於■乎、書此巻還云、■持景三、《『補庵京華後集文明十一年(1479)の条》
 
 
直歳(ジキスイ)」は、ことばの溜池(2001.02.16)を参照。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「直歳」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「ジキスイ」、経覺筆本に「ヂキサイ」、文明四年本に「シツスイ」と記載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

591典座(テンソウ)直歳(シツツイ/スイ) 番役。〔謙堂文庫蔵五四左C〕

とあって、標記語「直歳」の語を収載し、訓みを「シツツイ、シツスイ」とし、語注記は、「番役」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

直歳(シツスイ)ハ米(コメ)奉()行ナリ。〔下31ウ七〕

とあって、この標記語「直歳」とし、語注記は、「米(コメ)奉()行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

直歳(じきさい)直歳 米奉行なり。又番(ばん)の役(やく)共云。〔82ウ五〕

とあって、この標記語「直歳」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲直歳ハ所領(しよりやう)を司り年貢(ねんぐ)取納(とりをさめ)等の役(やく)也。〔60オ三、60ウ三〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲直歳ハ所領(しよりやう)を司り年貢(ねんぐ)取納(とりをさめ)等の役也。〔107ウ五、108ウ三・四〕

とあって、標記語「直歳」の語をもって収載し、その語注記は、「直歳は、所領(しよりやう)を司り年貢(ねんぐ)取納(とりをさめ)等の役(やく)なり」と記載する。
明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しッ-すゐ〔名〕【直歳】禪宗にて、一歳、寺内の修理、什物の整頓、田園の栽培、等の種種の事務を管する職。僧堂清規直歳は、年中、寺内の修理を掌る、門窓、牆壁を修補し、動用の什物、道具、器具を修換し、山林の竹木、田園の栽種を提擧する」〔0906-2〕

とあって、標記語「しッ-すゐ〔名〕【直歳】」の語を以て収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しっ-すい直歳】〔名〕(「しっ」「すい」はそれぞれ「直」「歳」の唐宋音)仏語。禅宗で、一年交替で、寺内の修理、什器の整理、田園などの管理にあたる職。また、その役僧。六知事の一つ」標記語「じき-さい直歳】〔名〕寺院などで、順番にあたって、その勤務をしている者。番役。しっすい。*浄瑠璃・都の冨士(1695頃)四「門ををとづれ給ひぬれば、直歳(ヂキサイ)の僧立出る」」とあって、『異制庭訓往来』を引用し、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
 
 
2004年09月19日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
典座(テンゾ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

典座(テンソ)典坐()〔元亀二年本245十〕

典座(テンゾ)〔静嘉堂本284二〕

典座(テンソ)〔天正十七年本中57ウ一〕

とあって、標記語「典座」の語を収載し、訓みは「テンソ」と「テンゾ」と記載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「典座」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「典座」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「テンゾ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「典座」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「典座」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

典座(テンゾノリ、・ユカ)[上・○]官。齋粥奉行。典(ツカサ)次付床座。此掌僧九亊一也。〔官位門716〕

とあって、標記語「典座」の語を収載し、語注記に「僧の官。齋粥奉行。典(ツカサ)の次床座に付く。此を掌る僧の九亊の一なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

典座() 僧位。〔・官名門197二〕

典座(テンゾ) 僧位。〔・官名門162六〕

典座(テンゾ) 僧官。〔・官名門152五〕

とあって、標記語「典座」の語を収載し、語注記に「僧位」「僧官」と記載する。また、易林本節用集』に、

典座(テンソ) 。〔人倫門164四〕

とあって、標記語「典座」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「典座」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。ここでも広本節用集』の語注記については、実に詳細で異なる文献資料に依拠している。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

591典座(テンソウ)直歳(シツツイ/スイ) 番役。〔謙堂文庫蔵五四左C〕

とあって、標記語「典座」の語を収載し、語注記は、「番役」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

典座(テンゾ)ハ味噌(ミソ)塩(シホ)米(コメ)酒(サケ)ヲ擬(アテ)ガフ人ナリ。〔下31ウ六〕

とあって、この標記語「典座」とし、語注記は、「味噌(ミソ)・塩(シホ)・米(コメ)・酒(サケ)を擬(アテ)がふ人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

典座(てんそ)典座 席順の事をつかさとる役なり。又味噌米なとをあてかふ役ともいふ。〔82オ七〜八〕

とあって、この標記語「典座」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲典座ハ塩(しほ)味噌(ミそ)(たきゞ)等を司(つかさど)る役也。〔60オ三、60ウ二〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲典座ハ塩(しほ)味噌(ミそ)(たきゞ)等を司る役也。〔107ウ五、108ウ三〕

とあって、標記語「典座」の語をもって収載し、その語注記は、「典座は、塩(しほ)味噌(ミそ)(たきゞ)等を司(つかさど)る役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tenzo.テンゾ(典座) 禅宗僧(Ienxus)の間におけるある役目,あるいは,任務で,台所の職員,あるいは,その長のようなもの.〔邦訳647r〕

とあって、標記語「典座」の語の意味は「禅宗僧(Ienxus)の間におけるある役目,あるいは,任務で,台所の職員,あるいは,その長のようなもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

テン-〔名〕【典座】〔字の宋音〕佛教の語。禪林にて、大衆の牀座、及、齋飯などの雜事を掌る役僧。僧史略典座者、調典主牀座、九事學座一色、以擬之、乃通典雜事禪苑清規典座之職、主大衆齋粥、須道心時改變、令大衆受用安樂、亦不得枉費常住齋料、及點檢廚中、不得亂有抛撒」〔1371-5〕

とあって、標記語「テン-〔名〕【典座】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「てん-典座】〔名〕(「ぞ」は「座」の唐宋音)仏語。六知事の一つ。禅寺で衆僧の食事をつかさどる役。もとは衆僧の床座をつかさどった。てんざ」とあって、『異制庭訓往来』を引用し、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
単寮にあるともがらと、都寺・監寺・維那・典座・直歳・西堂・尼師・道士等とも、到寮到位して拝賀すべし。《乾坤本『正法眼藏』安居の条・十五18ウD
 
 
2004年09月18日(土)曇り後晴れ夕方雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
維那(イノ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

維那(イノ) 禅家之調声テウシヤウ〔元亀二年本13二〕

維那(イノ) 禅家之調声。〔静嘉堂本5六〕

維那(イノ) 禅家之声。〔天正十七年本中57ウ一〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「維那」の語を収載し、語注記に「禅家の調声」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「維那」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「ヰノ」、経覺筆本・文明四年本に「イノ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「維那」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「維那」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

維那(イノヲヽツナ・ツナグ、ナ・ナンソ)[平・平]ニハ悦衆又綱維(カウイ)。紀綱(キカウ)。堂司(ダウス)。又云此枝五宗〓。授亊(ジユウジノ)人也。總収寺院。勤行。知亊。頭首。兼對僧也。如俗家検断人也。又寄歸傳云。僧房中無人知時限佛令立――(イノウ)。〔官位門7五〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「維那」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「維那」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

維那(イノ) 二者禅家。〔人倫門2二〕

とあって、標記語「維那」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「維那」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。ただし、広本節用集』の語注記は他とは異なる詳細なものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

590維那(イノウ) 聖家ニハ音違也。〔謙堂文庫蔵五四左C〕

とあって、標記語「維那」の語を収載し、訓みを「イノウ」とし、語注記は、「聖家には、音を違へるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

藏主(ザウス)維那(イノ)ハ堂前ニテ勤(ツトメ)ヲ始(ハジム)ル人ナリ。時ニ臨(ノゾン)テ佛事法會ニ勤(ツトメ)ヲ始ル声名(シヤウミヤウ)器用(キヨウ)ノ仁也。其ヲバ維那ノ役ト云ヘシ。〔下32オ二〕

とあって、この標記語「維那」とし、語注記は、「堂前にて勤(ツトメ)を始(ハジム)る人なり。時に臨(ノゾン)で佛事法會に勤(ツトメ)を始むる声名(シヤウミヤウ)器用(キヨウ)の仁なり。其れをば「維那の役」と云べし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

維那(いな)維那 拍子木(ひやうしき)を打て時をふれ講堂(かうたう)の座を定むる役なり。〔82オ七〜八〕

とあって、この標記語「維那」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲維那ハ法會(ほふゑ)奉行にして兼(かね)て讀經(どくきやう)を初る役也。〔60オ三、60ウ四・五〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲維那ハ法會(ほふゑ)奉行にして兼(かね)て讀經(どくきやう)を初(はじめ)る役也。〔107ウ五、108ウ六〕

とあって、標記語「維那」の語をもって収載し、その語注記は、「維那は、法會(ほふゑ)奉行にして兼(かね)て讀經(どくきやう)を初る役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「維那」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【維那】〔維は綱維の義、衆僧を統ぶること、那は梵語、羯磨陀那(Karmadana)の略、知事、又は、授事と譯す、梵漢兩擧の語なり〕又、ゐの。ゐなふ。禪林にて、六知事の一。衆僧の進退、威儀、などを掌る役僧。南海歸傳、四「舊云、維那者非也、維是唐語、意道綱維、那是梵音、略去羯磨陀字敕修百丈清規、四「維那、綱維衆僧、曲盡調攝、云云」永平清規(道元)坤「維那、梵語維那、此云悦衆、凡僧中事並主之、云云」〔2183-1〕

とあって、標記語「-〔名〕【維那】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-維那】〔名〕(「維」は綱維の義、「那」は梵Karmadana(羯磨陀那)の略で、授事と訳す)仏語。寺務を統率し、僧衆の雑事をつかさどり、また、僧事を指図する役名。禅家では「いの」「いのう」という。ついな。ついの」「-維那】〔名〕「いな(維那)」に同じ。文明本節用集(室町中)「維那 イノ」*玉塵抄(1563)四九「ココラノ寺ノイノノコトヤラ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
元暦元年十月日 小寺主法師成賀/權都維那(ユイナ)大法師慶俊/權都維那大法師仁慶/檢校權僧正法印大和尚位〈在判〉《『吾妻鏡元暦元年十一月二十三日の条》
 
 
2004年09月17日(金)朝晴後曇り昼雨夕方曇。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
副寺(フウス)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、

(フウス) 禅家東班之官。〔元亀二年本224四〕

副寺(フウス) 禅家東班之〔静嘉堂本257一〕

副寺(フウス) 禅家之東班之官。〔天正十七年本中57ウ三〕

とあって、標記語「副寺(元亀本「別寺」)と誤写する」の語を収載し、語注記は「禅家の東班の官(静嘉堂本「宮」と誤写する)」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本に「副寺」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「フウス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「副寺」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「副寺」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

副寺(フウスソヱル、テラ)[去・上] 知亊僧官位名。庫裡(クリ)。奉行。上司。下司。有二人。〔官位門621一〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「副寺」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

副寺(フウス) 知亊僧官位名。―下―。〔・官名門180一〕

副寺(フウス) 僧官。〔・官名門147六〕〔・官名門138一〕

とあって、標記語「副寺」の語を収載し、語注記は広本節用集』の注記内容を簡略化して記載している。また、易林本節用集』に、

副寺(フウス) 。〔官位門148五〕

とあって、標記語「副寺」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「副寺」の語を以て収載し、広本節用集』の注記により「副寺」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

589副寺(フウス) 同上(役者也)。〔謙堂文庫蔵五四左C〕

とあって、標記語「副寺」の語を収載し、語注記は、「役者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

副寺(フウス)ハ所領(シヨリヤウ)クバリスル人ナリ。〔下31ウ四・五〕

とあって、この標記語「副寺」とし、語注記は、「所領(シヨリヤウ)くばりする人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

副寺(ふくす)副寺 所領くはりする役なり。〔82ウ四〕

とあって、この標記語「副寺」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲副寺ハ一切(いつさい)金銀出入りの取締(とりしまり)役也。〔60オ三、60ウ二〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲副寺ハ一切(いつさい)金銀(きん/゛\)出入りの取締(とりしまり)役也。〔107ウ五、108ウ二・三〕

とあって、標記語「副寺」の語をもって収載し、その語注記は、「副寺は、一切(いつさい)金銀(きん/゛\)出入りの取締(とりしまり)役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fu>su.フウス(副寺) 禅宗坊主(Bonzos lenxus)の間における或る役職.〔邦訳285l〕

とあって、標記語「副寺」の語の意味は「禅宗坊主(Bonzos lenxus)の間における或る役職」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ふう-〔名〕【副寺】〔篇海類編「副音富、貳也、佐也」〕僧職の一。禪宗にて、監寺(カンス)に屬して、會計を司るもの。フクジ。副司。庫頭(コヂユウ)勅修百丈清規副寺、古規曰庫頭、今諸寺稱櫃頭、北方稱財帛、其實皆此一職、蓋副貳都監寺、分勞也、掌常住金穀錢帛米麥、出入隨時上暦」」撮壤集、上、禪僧「長老、僧録、東堂、西堂、前堂、云云、都寺、監寺、副寺、典座」〔1721-1〕

とあって、標記語「ふう-〔名〕【副寺】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ふう-副寺副司】〔名〕(「ふう」「す」はそれぞれ「副」「寺(司)」の唐宋音)禅宗寺院の六知事の一つ。東班(とうはん)の首位。副住持にあたる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。また、上記の古辞書『運歩色葉集』を引用している。
[ことばの実際]
或別当三綱各加署名、為徴地利官物、下知庄司之状也、或不副寺牒、庄司一人恣注申文、暗請郡判之書也《『東寺百合文書・ほ寛治七年七月廿日の条、3・2/487
 
 
2004年09月16日(木)朝夕雷雨、昼晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
監寺(カンス・カンゾ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

監寺(カンゾ) 禅家東班官。〔元亀二年本97七〕

監寺(カンゾ) 禅家東班官。〔静嘉堂本122二〕

監寺(カンソ) 禅家東班官。〔天正十七年本上60オ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「監寺」の語を収載し、語注記に「禅家東班の官」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「監寺」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「カン(ス)」、文明四年本に「カンツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「監寺」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「監寺」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

監寺(カンゾカヾミル、テラ)[去・去] 又云監院。下行年貢奉行也。知亊僧官也。監者惣領之称ナリ。不寺院。者推尊長老。又禅門類聚ニハ云。此云寺主。内外知亊以監寺首云々。〔官位門262五〕

とあって、標記語「監寺」の語を収載し、訓みを「カンゾ」とし、語注記に「又、監院と云ふ。下行年貢奉行なり。知亊僧の官なり。監は惣領の称なり。寺院の主と称さずは尊長老を推す。又、『禅門類聚』には云ふ。此れ寺主と云ふ。内外の知亊を監寺を以って首ろ為す云々」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

監寺(カンズ) 僧官。東班。〔・人倫門77四〕

監寺(カンゾ) 僧官。〔・人倫門76九〕〔・人倫門83一〕〔・官名門85六〕

監寺(カンス) 僧官。〔・人倫門71五〕

とあって、標記語「監寺」の語を収載し、訓みは三様を記載する。また、易林本節用集』に、

監寺(カンズ) 。〔人倫門71五〕

とあって、標記語「監寺」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「監寺」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は収載しているのである。そして、広本節用集』の注記が詳細にあって他の古辞書とも、真字註の語注記とも異なるものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

588監寺(カンス/カンゾ) 同上。〔謙堂文庫蔵五四左C〕

とあって、標記語「監寺」の語を収載し、語注記は、「役者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

都寺(ツウス)監寺(カンス)ハ所領(シヨリヤウ)ヲ知(シリ)テサバク人ナリ。〔下31ウ五・六〕

とあって、この標記語「監寺」とし、語注記は、「所領(シヨリヤウ)を知(シリ)てさばく人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

監寺(かんす)監寺 目付(めつけ)役也。〔82ウ四〕

とあって、この標記語「監寺」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲監寺ハ都寺の下(した)(やく)にて諸出入方(しよていりかた)の支配をなす。席ハ蔵主(ざうす)の上席(せき)とぞ。〔60オ三、60ウ二〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲監寺ハ都寺の下(した)(やく)にて諸出入方(しよていりかた)の支配(しはい)をなす。席ハ蔵主(ざうす)の上席(せき)とぞ。〔107ウ五、108ウ二〕

とあって、標記語「監寺」の語をもって収載し、その語注記は、「監寺は、都寺の下(した)(やく)にて諸出入方(しよていりかた)の支配(しはい)をなす。席ハ蔵主(ざうす)の上席(せき)とぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Canzo.カンゾ(監寺) 禅宗(Ienxus)の宗門における坊主(Bo<zos)のある位,または,役職.※Bo~zosとあるべきもの.〔Bo<jaの注〕〔邦訳92r〕

とあって、標記語「監寺」の語の意味は「禅宗(Ienxus)の宗門における坊主(Bo<zos)のある位,または,役職」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「かん-〔名〕【監寺】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-監寺】〔名〕(「かんず」とも。「す」は「寺」の唐音)禅宗で、一寺を監督して衆僧を統率する役名。六知事の一つで都寺(つうす)に次ぐ一山の重役。監院。かんじ。参天台五台山記(1072-73)一「於智者泉亭面寿昌寺監寺等賜紫三人通事数剋慇懃」*永平道元禅師清規(13C中)知事清規「近日称都寺監寺也。称副寺監寺也」*正法眼藏(1231-53)安居「諸方にして頭首知事をへたらんは、おのおの首座・鑑寺とかくなり」*明応本節用集(1496)「監寺 カンズ」*和英語林集成(再版)(1872)「Kansu カンス 監司」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
見爭相伝之私領也、雖然、依有要用、直銭玖貫七百文仁、限永代南禅寺之雲門庵自勤監寺仁、売渡申処実正也、但、雖可 《『東寺百合文書・を』永享拾年弐月廿八日の条、188・6/234
 
 
2004年09月15日(水)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
都寺(ツウス)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

都文(ツウフン) 禅家東班官也。都寺() 同。都管(クワン) 同。〔元亀二年本157五〕

都文(ツウフン) 禅家東班官也。都寺()都管(クワン)〔静嘉堂本172六〕

(フン) 禅家東班。都寺() 同。都管(クワン) 同。〔天正十七年本中17ウ七〕

とあって、標記語「都寺」の語を収載し、語注記は、「禅家東班の官なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「都寺」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「ツウス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「都寺」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「都寺」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

都寺(ツウススベテ・ミヤコ、テラ)[○・去] 又云都總。寺領以下總奉行。總之官領人也。以上。知亊僧官也。〔官位門412八〕

とあって、標記語「都寺」の語を収載し、その語注記に「また、都總と云ふ。寺領以下總奉行。總の官領人なり。以上は、。知亊僧の官なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

都寺() 僧官。東班。都管(クワン) 同。〔・官位門126三〕

都寺(ツウス)都管(ツウクハン) 。〔・官位門104三〕

都文(ツウブン) 僧官。又―聞。―寺。―官。〔・官位門94八〕

とあって、標記語「都寺」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

都聞(ツウブン) ―官(クワン)。―寺()。―維那(イナ)。〔官位門103二〕

とあって、標記語「都聞」の語の熟語群に「都寺」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「都寺」の語を以て収載し、広本節用集』の注記により「都寺」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

587都寺 役者也。〔謙堂文庫蔵五四左C〕

とあって、標記語「都寺」の語を収載し、語注記は、「役者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

都寺(ツウス)監寺(カンス)ハ所領(シヨリヤウ)ヲ知(シリ)テサバク人ナリ。〔下31ウ五・六〕

とあって、この標記語「都寺」とし、語注記は、「所領(シヨリヤウ)を知(シリ)てさばく人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

都寺(つうす)都寺 所領(しよれう)を知りさばく役(やく)なり。〔82ウ三〕

とあって、この標記語「都寺」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲都寺ハ万事勝手向(かつてむき)の取締(とりしまり)をする重(をも)き役也。席(せき)ハ首座(シユソ)の上席とぞ。〔60オ三、60ウ一〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲都寺ハ万事勝手向(かつてむき)の取締(とりしまり)をする重(をも)き役也。席(せき)ハ首座(シユソ)の上席とぞ。〔107ウ五、108ウ一・二〕

とあって、標記語「都寺」の語をもって収載し、その語注記は、「都寺は、万事勝手向(かつてむき)の取締(とりしまり)をする重(をも)き役也。席(せき)は、首座(シユソ)の上席とぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tcu<su.ツウス(都寺) 禅宗(Lenxus)の坊主(Bonzos)の間における,ある一つの役目.〔邦訳636r〕

とあって、標記語「都寺」の語の意味は「禅宗(Lenxus)の坊主(Bonzos)の間における,ある一つの役目」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

つう-〔名〕【都寺】つうかんす(都監寺)の略。其條を見よ。都管庭訓往來、十月「知事方都寺庭訓往來精注鈔、「都寺ハ、萬事勝手向ノ取締ヲスル重キ役ナリ」永平清規、「古時監寺而己、近日稱都寺、即監寺也、稱副寺、亦監寺也」尺素徃來(一條兼良)「東班知事者、都寺(ツウス)」〔1303-4〕

とあって、標記語「つう-〔名〕【都寺】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「つう-都寺都守】〔名〕(「つうかんす(都監寺)」の略)仏語。禅林の六知事の一つ。監寺の上に位し、一切の寺務を取り締まる役。都官(つうかん)。都監寺(つうかんす・つかんす)。つす」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。また、注釈『庭訓往來具注鈔』(1832)をも引用する。
[ことばの実際]
八幡雑掌自透都寺申、当社領埴生庄河窪名事、任御奉書之旨、莅彼所、可被打渡雑掌方之状如件、《『石清水文書田中応永十四年九月十七日の条、288・1/507
 
 
2004年09月14日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
知事(チジ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

知事() 禅家東班(ハン)〔元亀二年本63三〕

知事() 禅家曰東班。〔静嘉堂本73四〕

知亊 禅家曰東班。〔天正十七年本上37オ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「知事」の語を収載し、語注記に「禅家に東班をいふ」と記載する。この語注記は、下記広本節用集』との一部連関性を有する内容となっている。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「知事」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「知事」と記載し、訓みは文明四年本に「チ(ジ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「知事」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「知事」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

知亊(チジシル、ワザ・コト)[平・去] 又作知寺或名東班〔官位門160七〕

とあって、標記語「知事」とし、語注記に「また、「知寺」と作る。或は「東班」と名づく」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

知寺(チジ) 僧。知事() 。〔・人倫門48八〕

知寺(チジ)知亊 。〔・人倫門50二・三〕

知識(チシキ) ―寺。―亊。〔・人倫門45九〕〔・人倫門54二〕

とあって、標記語「知事」の語を収載し、弘治二年本に語注記にただ「僧」と記載する。また、易林本節用集』に、

知事(チジ)知寺(チジ) 。〔人倫門48五・六〕

とあって、標記語「知事」「知寺」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「知事」の語を以て収載し、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、此の語を収載する。但し、広本節用集』や『運歩色葉集』に語注記が見えているがこれとは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

586并知亊方者 納所儀也。役者也。〔謙堂文庫蔵五四左B〕

とあって、標記語「知事」の語を収載し、語注記は、「納所の儀なり。役者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

知事(チジ)(ガタ)ニハトハ一切寺ノマカナヒヲスルナリ。〔下31ウ五〕

とあって、この標記語「知事」とし、語注記は、「一切、寺のまかなひをするなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

知事(ちじ)(かた)()知事方者 知事とハ事をつかさとる也。此下に知事の役僧をえんとて此句を置し也。〔82ウ二・三〕

とあって、この標記語「知事」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲知事方ハ納所方(なつしよかた)也。万事まかなひをする役(やく)の名()也。執(しつ)事方ともいふ。〔60オ三、60ウ一〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲知事方ハ納所方(なつしよかた)也。万事(ばんじ)まかなひをする役(やく)の名()也。執事(しつじ)方ともいふ。〔107ウ五、108ウ一〕

とあって、標記語「知事」の語をもって収載し、その語注記は、「知事方は、納所方(なつしよかた)なり。万事(ばんじ)まかなひをする役(やく)の名()なり。執事(しつじ)方ともいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chiji.チジ(知事) 坊主(Bozos)の寺院における或る役職.〔邦訳121r〕

とあって、標記語「知事」の語の意味は「坊主(Bozos)の寺院における或る役職」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【知事】〔事務を知(知はつかさどる)る意〕(一)事を知ること。(二)明治の初年に、府、藩、縣の長官。後に府縣の長官。(三){寺院の事務を司る役僧。禪家の執事。東序、などの類。天武紀、下、二年十二月「大和高市大寺知事代醉編「梵云羯磨陀、此云知事嚢鈔、十、三十四條、三綱事「都維那(ツヰナ)、云云、寺護と翻す、又は悦衆と云、亦は知事と云」(四)支那にて、地方(州、又は縣)の長官。〔1266-3〕

とあって、標記語「-〔名〕【知事】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-知事】〔名〕@中国で、州・県などの地方の長官。地方長官。Aわが国で、明治二年(1869)二月五日に置かれた官職の一つ。同日設けられた造幣局の長官で、造幣の事務を取り扱う最高責任者。同年七月八日造幣局の廃止とともに消滅。B(「都道府県知事」の総称)各都・道・府・県を統轄しこれを代表する首長。明治初年に置かれていた府・藩・県などの代表者としての「知事」が「県令」と改称され、のち再び「知事」と改めて今日に至る。地方自治体の執行機関としての一般事務をつかさどる最高責任者の職分のほか、国その他からの委任事務をも管理執行する特別職の地方公務員としての身分と職能とをもつ。旧制では官選であり内務省から任命されていたが、現在では、住民の直接選挙による公選制がとられ、任期は四年。C仏語。僧職の一つ。寺院の雑事や庶務をつかさどるもの。または、その僧。特に禅宗で、頭首(ちょうしゅ)に対して、都寺(つうす)・監寺(かんす)・副寺(ふうす)・維那(いな)・典座(てんぞ)・直歳(しっすい)の六知事があり、諸務を分担した。法堂の東側に序列する僧」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
勝宝三年八月廿日少知事僧等貴知事 都維那 《『東大寺文書・図書館成卷文書天平勝宝三年八月廿日の条、309-3・7/53
雖可渡本券文、依留当寺、為後日当寺長老并知事・綱維加証判所出、亀鏡之状如件、 建武四年二月 日知事了黄(花押) 《『東大寺文書・図書館成卷文書建武四年二月日の条、205・6/273
 
 
西堂(セイタウ)」は、ことばの溜池西堂(2004.08.23)を参照。
 
2004年09月13日(月)曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
東堂(トウダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

東堂(タウ)禅家之長老〔元亀二年本54三〕

東堂禅家之長老〔静嘉堂本60五〕

東堂 禅家。〔天正十七年本上31オ五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「東堂」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禅家者堂頭和尚東堂西堂并〔至徳三年本〕

禪家者堂頭和尚東堂西堂并〔宝徳三年本〕

禅家者堂頭和尚東堂西堂〔建部傳内本〕

禅家者ニハ(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂并〔山田俊雄藏本〕

禅家者()堂頭(タウテウ)和尚東堂(タウ)西堂(タウ)〔経覺筆本〕

(せン)家者堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「東堂」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「東堂」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「テンジン」、文明四年本に「テン(ジン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「東堂」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「東堂」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

東堂(トウダウヒガシ、イヱ)[平・平]五山長老。〔官位門128四〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「東堂」の語を収載し、語注記に「五山の長老を謂ふなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

東堂(トウダウ) 長老。〔・人倫門42一〕〔・人倫門42八〕〔・人倫門46六〕

東堂(トウタウ) 長老。〔・人倫門40一〕

とあって、標記語「東堂」の語を収載し、語注記は単に「長老」と記載する。また、易林本節用集』に、

東堂(トウダウ) 長老。〔人倫門041二〕

とあって、標記語「東堂」の語を以て収載し、語注記は「長老」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「東堂」の語を以て収載し、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、此の語を収載している。但し語注記内容は大いに異なり、広本節用集』と『運歩色葉集』とが「五山」と「禅家」と置き換えているが、共通する文献内容からの引用と考えられるのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

585東堂西堂 東堂乗無位地々々寂光土也云々。西堂者當一位也。〔謙堂文庫蔵五四左A〕

とあって、標記語「東堂」の語を収載し、語注記は「東堂は、乗無位地々々の々とは寂光土なり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)ハ長老ノ事也。左右(サイウ)ヲ論スルノ僧ヲ東伴(トウバン)西伴(せイハン)ト云フ也。〔下31ウ四・五〕

とあって、この標記語「東堂」とし、語注記は、「長老の事なり。左右(サイウ)を論ずるの僧を東伴(トウバン)西伴(せイハン)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

東堂(トウタウ)西堂(せイタウ)東堂西堂 禅の僧官なり。東堂は一位に當る。秉払(ひんほつ)を勤て後東堂になる也。西堂も同し。ある人云退院の西堂といふに東堂は當時の住持。西堂ハ隠居(いんきよ)したる先(せん)の住持の事なるにや。〔82ウ一・二〕

とあって、この標記語「東堂」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禅家(ぜンケ)者ハ堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)禅家者堂頭和尚東堂西堂并▲東堂ハ勅任(ちよくにん)也。長老(ちやうらう)とも和尚とも稱(しよう)す。紫衣(しえ)を着()る也。〔60オ三、60オ八〜ウ一〕

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)▲東堂ハ勅任(ちよくにん)也。長老(ちやうらう)とも和尚とも稱(しよう)す。紫衣(しえ)を着()る也。〔107ウ五、108オ六〕

とあって、標記語「東堂」の語をもって収載し、その語注記は、「東堂は、勅任(ちよくにん)なり。長老(ちやうらう)とも和尚とも稱(しよう)す。紫衣(しえ)を着()るなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To>do<.トウダウ(東堂) 頭立った坊主(Bonzos)の位,あるいは,階級で,寺院の長のようなもの.※原文はReitores.〔邦訳655l〕

とあって、標記語「東堂」の語の意味は「頭立った坊主(Bonzos)の位,あるいは,階級で,寺院の長のようなもの.」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

とう-だう〔名〕【東堂】〔西堂(サイダウ)に對す〕禪寺の長老の稱號。即ち、當寺の住職、其職を退きて東堂に居る故に、當寺の前住を東堂と云ふ。(東は主位、前住の人は是れ舊主なる故に、東堂に居り、これに對して、他山の前住を西堂と稱す)瑩山清規「如當寺退院長老、稱東堂僧寳傳、白雲端禪師「圓通訥禪師、讓圓通以居之、而身處東堂庭訓往來、十月「禅家者堂頭和尚東堂西堂」貞丈雜記、四、役名之部「西堂と云ふは禪家の官也、出世の次第、藏主、首主、單寮、西堂、東堂とのぼる也、西堂までは私の官也。東堂は、禁裏より被仰付なり、東堂を長老とも和尚共云ふ、紫衣を着する也」〔1387-3〕

とあって、標記語「とう-だう〔名〕【東堂】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-どう東堂】〔名〕@家の東側の建物。A(中国、晉の郤が試験を受けた宮殿の名から)試験場。B禅宗で、本寺の前任の住職。他寺の前住を西堂というのに対する語」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例はBの意味用例として記載する。他に『運歩色葉集』をも引く。
[ことばの実際]
而庵主平生御時、為坊領可被付置之由、連々雖令所望候、終仁無承引之処、只今以東堂和尚御計、彼下地、同領主安堵之状 《『大コ寺文書永徳弐年臘月卅日の条、1857・5/6
 
 
2004年09月12日(日)晴れ一時曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
和尚(ヲシヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、標記語「和尚」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禅家者堂頭和尚東堂西堂并〔至徳三年本〕

禪家者堂頭和尚東堂西堂并〔宝徳三年本〕

禅家者堂頭和尚東堂西堂〔建部傳内本〕

禅家者ニハ(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂并〔山田俊雄藏本〕

禅家者()堂頭(タウテウ)和尚東堂(タウ)西堂(タウ)〔経覺筆本〕

(せン)家者堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「和尚」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「和尚」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「ヲシヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「和尚」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「和尚」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

和尚(ヲシヤウクワ・ヤワラグ、ナヲシ・ヒサシ)[平去・去]ニハ――。此ニハ刀生又云依学(カク)又有四種云々釋氏要覧禾上。和闍事苑蔵王音義。〔(官位門211七〕

とあって、標記語「和尚」の語を収載し、語注記に「梵には、和尚。此には刀生と名く又依学(カク)と云ふ又四種あり云々釋氏要覧禾上。和闍事苑蔵王音義」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「和尚」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

和尚(ヲシヤウ) 。〔人倫門061七〕

とあって、標記語「和尚」の語を収載するる。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・易林本節用集』に標記語「和尚」の語を以て収載し、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。但し語注記は、広本節用集』とは異なっていることから、独自の引用文献に依るものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

584禅家者堂頭(タウテウ)和尚 和尚反近論。又散位云也。〔謙堂文庫蔵五四左A〕

とあって、標記語「和尚」の語を収載し、この語についての語注記は、「和尚反近論。又散位を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)ハ長老ノ事也。左右(サイウ)ヲ論スルノ僧ヲ東伴(トウバン)西伴(せイハン)ト云フ也。〔下31ウ四・五〕

とあって、この標記語「和尚」とし、語注記は、「長老の事なり。左右(サイウ)を論ずるの僧を東伴(トウバン)西伴(せイハン)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ) 禪の長老なり。〔82オ八〕

とあって、この標記語「和尚」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禅家(ぜンケ)者ハ堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)禅家者堂頭和尚東堂西堂并▲堂頭和尚ハ前官(ぜんくハん)の大和尚所謂(いはゆる)散位(さんゐ)也。〔60オ三、60オ八〕

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)▲堂頭和尚ハ前官(せんくわん)の大和尚所謂(いハゆる)散位(さんゐ)也。〔107ウ五、108オ六〕

とあって、標記語「堂頭」の語をもって収載し、その語注記は、「堂頭和尚は、前官(せんくわん)の大和尚所謂(いハゆる)散位(さんゐ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Voxo<.ヲシャウ(和尚) 坊主(Bonzos)のある位.〔邦訳727r〕

とあって、標記語「和尚」の語の意味は「坊主(Bonzos)のある位」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しゃう〔名〕【和尚】〔梵語、Upadhyaya.(波陀耶)の轉、親教師、力生などと譯す、舎利弗問經に「蓋師之力、生長法身」又、近誦と譯す、同經に「弟子年少、不於師、常逐近、受經而誦」とあるに因るならむ、猶、わじゃう(和上)の條をも見よ〕(一)佛家にて、師の義。禪宗に和尚(ヲシヤウ)と云ひ、天台宗に和尚(クワシヤウ)と云ひ、眞言宗に和尚(ワシヤウ)、又、「和上(ワジヤウ)」と云ひ、法相宗、律宗に「和尚(ワジヤウ)」と濁る。或は僧位とす。大和尚は法印に同じく、和尚ハ法眼に同じ。又、僧侶の汎稱ともす。玄應音義、十四「和尚、菩薩内戒經作和闍、皆于國等訛也、應郁波弟耶、此云近誦、以弟子年少、不於師、常逐近受經而誦也、又言波陀耶、此云親教、舊譯云知罪知無罪名爲和尚也」(二)茶道の宗匠の稱。(又、弓馬、槍、劔の師匠にも云ふ)僧俗にかかはらず稱す。下の出典を見よ。近代世事談(菊岡沾凉)一、飲食、茶の湯「茶禮は、禪家隱遁の體を摸し、質素閑靜を學びたるもの也、よって宗匠たる人を、和尚と云ふなり」(三)轉じて、上首の遊女の稱。かたこと(貞室)「吉原を開きし庄司甚右衞門の姉は、小田原の北條氏政の妾にて、名づけられて、ヲシャウと云ふ」〔2201-3〕

とあって、標記語「-しゃう〔名〕【和尚】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しょう和尚和上】〔名〕(梵Upadhyayaから変化した中央アジア方面における俗語Khosha(「師」の意)を中国語において音訳したものという。親教師、依学などと意訳)仏語@受戒の人の師表となる僧。師僧。→戒和尚(かいわじょう)。A僧位の称。大和尚位、法印和尚位、法眼和尚位などがあり、おれぞれ略して和尚と呼ぶことがあったが、法眼(ほうげん)を指す場合が多い。B禅宗、淨土宗などで修行を積んだ高僧を敬っていう。C剃髪(ていはつ)した者の総称。イ僧侶一般をさす。普通は住職以上に対して用いる。ロ盲人の按摩。座頭。Dその道ですぐれた人、一芸にひいでた人をいう。イ武芸や茶道の師匠。達人。名人。ロ江戸時代初期の高級な遊女。遊女歌舞伎を演じた遊女をさすことが多い。[補注]禅宗・淨土宗ではオショウ、天台宗ではカショウ、真宗ではワショウ、また、ワジョウ、真言宗・法相宗・律宗ではワジョウという」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
將軍感悦之餘、拜僧正、吾子孫、永可歸和尚門徒〈云云〉《訓み下し》将軍感悦ノ余リニ、僧正ヲ拝シ(三度僧正ヲ拝シ)、吾ガ子孫ハ、永ク和尚ノ門徒ニ帰スベシト〈云云〉。《『吾妻鏡建保二年五月七日の条》
 
 
2004年09月11日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
堂頭(ダウテウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「堂頭」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禅家者堂頭和尚東堂西堂并〔至徳三年本〕

禪家者堂頭和尚東堂西堂并〔宝徳三年本〕

禅家者堂頭和尚東堂西堂〔建部傳内本〕

禅家者ニハ(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂并〔山田俊雄藏本〕

禅家者()堂頭(タウテウ)和尚東堂(タウ)西堂(タウ)〔経覺筆本〕

(せン)家者堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂〔文明四年本〕

と見え、山田俊雄藏本は「」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「堂頭」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「タウテウ」、経覺筆本・文明四年本に「タウテウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「堂頭」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「堂頭」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「堂頭」の語未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

584禅家者堂頭(タウテウ)和尚 和尚反近論。又散位云也。〔謙堂文庫蔵五四左A〕

とあって、標記語「堂頭」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)ハ長老ノ事也。左右(サイウ)ヲ論スルノ僧ヲ東伴(トウバン)西伴(せイハン)ト云フ也。〔下31ウ四・五〕

とあって、この標記語「堂頭」とし、語注記は、「長老の事なり。左右(サイウ)を論ずるの僧を東伴(トウバン)西伴(せイハン)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ) 禪の長老なり。〔82オ八〕

とあって、この標記語「堂頭」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禅家(ぜンケ)者ハ堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)禅家者堂頭和尚東堂西堂并▲堂頭和尚ハ前官(ぜんくハん)の大和尚所謂(いはゆる)散位(さんゐ)也。〔60オ三、60オ八〕

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)▲堂頭和尚ハ前官(せんくわん)の大和尚所謂(いハゆる)散位(さんゐ)也。〔107ウ五、108オ六〕

とあって、標記語「堂頭」の語をもって収載し、その語注記は、「堂頭和尚は、前官(せんくわん)の大和尚所謂(いハゆる)散位(さんゐ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「堂頭」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だう-とう〔名〕【堂頭】禪家にては、ダ()ウテ(チヨ)ウと訓()む。方丈の異名にて、住持の人の居所。轉じて、現在の寺主を云ふ稱。禪林象器箋、殿堂門「方丈稱堂頭、住持人居處」同、稱呼門「方丈和尚、稱堂頭也」〔1196-2〕

とあって、標記語「だう-とう〔名〕【堂頭】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「どう-とう堂頭】〔名〕Þどうちょう(堂頭)」→「どう-ちょう堂頭】〔名〕(「ちょう」は「頭」の唐宋音)仏語。禅宗で一寺の住持のこと。住職。また、その居所。方丈。堂頭和尚。堂上」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
茲膺聖世偶獲畸人、共惟、新命本寺堂頭実伝禅師、実孚於名、明養于晦、一百則朝参暮叩、深究玄機三十年、雪苦霜辛、竟提鉄券、 《『大コ寺文書文明十八年十月日の条、3234・13/38
 
 
2004年09月10日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
禅家(ゼンケ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

× 。〔元亀二年本〕

禅家〔静嘉堂本426五〕

とあって、静嘉堂本に標記語「禅家」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禅家者堂頭和尚東堂西堂并〔至徳三年本〕

禪家者堂頭和尚東堂西堂并〔宝徳三年本〕

禅家者堂頭和尚東堂西堂〔建部傳内本〕

禅家ニハ(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂并〔山田俊雄藏本〕

禅家()堂頭(タウテウ)和尚東堂(タウ)西堂(タウ)〔経覺筆本〕

(せン)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂西堂〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「禅家」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「禅家」と記載し、訓みは文明四年本に「ゼン(ケ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「禅家」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

道号(ダウガウ) 以上數箇条凡禪家ロノ義也。〔態藝門084三〕

とあって、標記語「道号」等の語を示す語注記に「禪家」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

禅家(ぜン・ユヅル、ケシヅカ、・イヱ)[平・平] 。〔態藝門1092四〕

とあって、標記語語注記に「禅家」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「禅家」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

禪定(ぜンヂヤウ) ―法(ボフ)。―家()。―客(カク)。〔言辞門235五〕

とあって、標記語「禪定」の熟語群として「禅家」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』標記語「禅家」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

584禅家堂頭(タウテウ)和尚 和尚反近論。又散位云也。〔謙堂文庫蔵五四左A〕

とあって、標記語「禅家」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)ハ長老ノ事也。左右(サイウ)ヲ論スルノ僧ヲ東伴(トウバン)西伴(せイハン)ト云フ也。〔下31ウ四・五〕

とあって、この標記語「禅家」とし、語注記は、「長老の事なり。左右(サイウ)を論ずるの僧を東伴(トウバン)西伴(せイハン)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

禅家(ぜンケ)者ハ禅家(ぜンケ) 是より下ハ大齋に招請する人々を云。僧物布施の品人によりて差別(しやべつ)あるゆへ是をいひおくるなり。〔82オ七〜八〕

とあって、この標記語「禅家」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禅家(ぜンケ)者ハ堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)禅家堂頭和尚東堂西堂▲禅家ハ五山(こさん)を指(さし)ていふ。〔60オ三、60オ八〕

禅家(ぜンケ)堂頭(タウテウ)和尚(ヲシヤウ)東堂(トウダウ)西堂(サイタウ)▲禅家ハ五山(こさん)を指(さし)ていふ。〔107ウ五、108オ五・六〕

とあって、標記語「禅家」の語をもって収載し、その語注記は、「禅家は、五山(こさん)を指(さし)ていふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ienqe.ゼンケ(禅家) Ienno iye.(禅の家) 禅宗(Lenxus)の一門,あるいは,教団.〔邦訳358l〕

とあって、標記語「禅家」の語の意味は「(禅の家)禅宗(Lenxus)の一門,あるいは,教団」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ゼン-〔名〕【禅家】禪宗。又、其寺。〔1121-4〕

とあって、標記語「ぜん-〔名〕【禅家】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぜん-禅家】〔名〕禅宗の寺院。禅寺。また、禅宗の僧侶。禅僧。ぜんか。正法眼藏随聞記(1235-38)三・二〇「生死大事也。無常迅速也。教家も禅家も同じくすすむ」*文明本節用集(室町中)「禅家 ゼンケ」日葡辞書(1603-04)「Ienqe(ゼンケ)ゼンノイエ<訳>禅宗」*わらんべ草(1660)四「たいけに、種々せつほうといひ、二十八品みな、みやうはうべんといひ、ぜんけには小玉をよぶの、しゆだんなりと云」*遠羅天釜続集(1749-51)答客難「如禅家上上機。直指円明宝珠」*虞美人草<夏目漱石>一〇「禅家(ゼンケ)では柳は緑、花は紅と云ふ」*皎然−答蘇州韋応物郎中詩「応憐禅家子、林下寂無営」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
酉剋、故岡屋禪定殿下、兼經公御息女、〈御年二十〉爲最明寺禪家御猶子御下著、則入御山内亭是可令備御息所給〈云云〉《訓み下し》酉ノ剋ニ、故岡屋ノ禅定殿下、兼経公ノ御息女〈御年二十〉、最明寺禅家ノ御猶子トシテ、御下著シ、則チ山ノ内ノ亭ニ入御シタマフ。是レ御息所ニ備ヘシメ給フベシト〈云云〉。《『吾妻鏡正元二年二月五日の条》
 
 
存知(ゾンチ)」は、ことばの溜池(2003.01.18)を参照。
委細(イサイ)」は、ことばの溜池(2004.08.17)を参照。
 
2004年09月09日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
器用(キヨウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

器用(キユウ)〔元亀二年本283四〕〔静嘉堂本324四〕

とあって、標記語「器用」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

但時點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔至徳三年本〕

但時點心之作法僧物布施次第無故實候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔宝徳三年本〕

但齋點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給也〔建部傳内本〕

時點心(テンジン)之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老(アン)者等器用之仁定存知候歟委細可示給〔山田俊雄藏本〕

齋点心作法僧物布施次第无()候調菜古老(アン)者等ニモ器用之仁定存知候歟委細可ハル〔経覺筆本〕

(トキ){齊}(テン)之作法僧物(ソウフツ)布施次第(シタイ)故実(コジツ)調菜(サイ)之仁古老(アン)者等()之仁(シメ)存知候歟委細可示給候也〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「器用」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「器用」と記載し、訓みは文明四年本に「キ(ヨウ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

器用 キヨウ。〔黒川本・畳字門下52オ五〕

器量 〃仗。〃用。〔卷第八・畳字門526六〕

とあって、標記語「器用」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「器用」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

器用(キヨウウツハモノ、モチイル)[去・去] 。〔態藝門833四〕

とあって、標記語「器用」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

器用(キヨウ) 。〔・言語進退門223五〕

器量(キリヤウ) ―用(ヨウ)。〔・言語門185七〕

器量(キリヤウ) ―用(ヨウ)。―物。〔・言語門175一〕

とあって、弘治二年本に、標記語「器用」の語を収載し、他本は熟語群に収載する。また、易林本節用集』に、

器量(キリヤウ) ―物(モツ)。―財(サイ)―用(ヨウ)。―具()。〔言辞門007三〕

とあって、標記語「器量」の熟語群に「器用」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「器用」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

583僧物布施次第無故實候調菜仁古老之行者等之中器用之仁定令存知候歟委細可示給也 行者南禅寺正眼院自宗論起也。〔謙堂文庫蔵五四右H〕

とあって、標記語「器用」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)スル候也但(トキ)(テン)心之作法(サハウ)僧物布施(フせ)次第無故實(コジツ)候調菜(テウサイ)之仁古老行者(アンジヤ)()之仁定メン存知歟委細(イサイ)ハル屈請(クツシヤウ)ノ事タヽミ請(ウケ)スト云ヘリ。我ト参ジモせヨ人ヲシテモ。イヘカシヲソレガマシフ請ジ申也。是ハ常(ツネ)ニ参會(サンクハイ)せヨト云フトモウヤ/\敷(シキ)人ノ故也。〔下31オ八〜31ウ四〕

とあって、この標記語「器用」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

古老(こらう)の行者(あんじや)(とう)の中(なか)器用(きよう)()(じん)古老行者(アンジヤ)()之仁 古老ハ年老て事に馴れたるを云。行者ハ彼僧也。注下に見へたり。器用とは才知ありての用にたつを云。是ハ僧物布施の次第といふ句に應して書し也。〔82オ三〜五〕

とあって、この標記語「器用」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

古老(こらう)の行者(あんじや)(とう)の中(なか)器用(きよう)()(じん)(さだ)めて存知(ぞんち)せ令()むる歟()委細(いさい)(しめ)し給(たま)ふ可()き也(なり)古老行者等中器用之仁定ムル存知歟委細可。▲器用ハ才智ありて事の用に立をいふ。〔59ウ六、61オ三〕

古老(こらうの)行者(あんしや)(とうの)(うち)器用(きよう)()(じん)(さだめて)(しむる)存知(ぞんせ)()委細(ゐさい)(へき)(しめし)(たまふ)(なり)▲器用ハ才智ありて事の用に立をいふ。〔107オ二、ウ一・二〕

とあって、標記語「器用」の語をもって収載し、その語注記は、「器用は、才智ありての用に立つをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiyo>.キヨウ(器用) 技能に長じていること.〔邦訳514l〕

とあって、標記語「器用」の語の意味は「技能に長じていること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-よう〔名〕【器用】(一)器(うつは)の、もちゐられて、人の用をなすこと。左傳、定公九年、傳、注「器用者、謂物之成器、可人用也」(二)人の才能の、世の用をなすこと。左傳、隱公五年「其材不以備器用、則君不舉焉」王褒、聖主得賢臣頌「夫賢者、國家之器用也」海人藻芥、下「天性しかるべき人なりとも、能き人に添ひ、能く習はさば、必能くなるべし、如何に器用の人なりとも、惡しくてなさば、惡(わる)かるべし」(三)轉じて、手技(てわざ)に、敏(さと)く巧みなること。手利(てきき)手巧。拙きを、不器用(ブキヨウ)と云ふ。甲陽軍鑑、十七、品第四十七、三法印侘言事「器用だてをする者は、無器用の眞只中」心中氷朔日(寳永、近松作)上「細工は器用にて、精さへ出せば二人前」〔0499-1〕

とあって、標記語「-よう〔名〕【器用】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-よう器用】〔名〕@役に立つ大切な器物。A器械を用いること。B容貌。人柄。器量。C(形動)役に立つ才能があること。才知がすぐれているさま。また、そのような人。有用な人材。→きよう(器用)の仁(じん)。D(形動)いさぎよいこと。潔白であること。上品で優雅なさま。また、その人。E(形動)わざがすぐれてじょうずなこと。また、そのさま。F(形動)うまいぐあいに物事を処理すること。また、そのさま。G(形動)手先のわざや本職ではない芸事などをうまくこなすこと。また、そのさま。H(形動)文句などを言わないで、素直にすること。また、そのさま」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
巡役及闕怠之時、寺家加催促之刻、修練稽古之倫輩、雖有志離本寺、学業器用之僧侶、依無力去所職、然間、毎年之勤、臨期而闕、謂其云為難責厳整、遺徳衰微《『醍醐寺文書』嘉禎二年八月二日の条、210-2・1/211》   
 
 
行者(アンジヤ)」は、ことばの溜池(2004.04.29)を参照。
 
2004年09月08日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
古老(コラウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「古銅(トウ)。古今(コン)。古語()。古来(ライ)。古佛(フツ)。古寺()。古註(チウ)。古帳(ヂヤウ)。古跡(せキ)。古文(モン)」の十語を収載し、この標記語「古老」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

但時點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔至徳三年本〕

但時點心之作法僧物布施次第無故實候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔宝徳三年本〕

但齋點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給也〔建部傳内本〕

時點心(テンジン)之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老(アン)者等器用之仁定存知候歟委細可示給〔山田俊雄藏本〕

齋点心作法僧物布施次第无()候調菜古老(アン)者等ニモ器用之仁定存知候歟委細可ハル〔経覺筆本〕

(トキ){齊}(テン)之作法僧物(ソウフツ)布施次第(シタイ)故実(コジツ)調菜(サイ)之仁古老(アン)者等()用之仁(シメ)存知候歟委細可示給候也〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「古老」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「古老」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

古老 老耄/コラウ。〔黒川本・畳字門下9オ四〕

古今 〃風。〃人。〃體。〃里。〃聖。〃老。〃集。〃昔。〃弊。〃字。〃文。〔言辞門007三〕

とあって、標記語「古老」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「古老」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(クニハ)(アレバ)善政(ぜンせイ)(ハカリ)(コレ)前訓(せンキン)(トウ)(コレヲ)於故(コラウ)(コヽヲ)(モツテ)(ヲモンハカルニ)(ナシ)(シツ)スルコト(ヱイ)(キヨ)スルニ(ナシ)過亊(アヤマテルコト)後漢書。〔態藝門527二〕

とあって、句語中に「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「古老」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、標記語「古老」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「古老」の語を以て収載し、三卷本色葉字類抄』、広本節用集』の語注記により「古老」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

583僧物布施次第無故實候調菜仁古老之行者等之中器用之仁定令存知候歟委細可示給也 行者南禅寺正眼院自宗論起也。〔謙堂文庫蔵五四右H〕

とあって、標記語「古老」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)スル候也但(トキ)(テン)心之作法(サハウ)僧物布施(フせ)次第無故實(コジツ)候調菜(テウサイ)之仁古老行者(アンジヤ)()之仁定メン存知歟委細(イサイ)ハル屈請(クツシヤウ)ノ事タヽミ請(ウケ)スト云ヘリ。我ト参ジモせヨ人ヲシテモ。イヘカシヲソレガマシフ請ジ申也。是ハ常(ツネ)ニ参會(サンクハイ)せヨト云フトモウヤ/\敷(シキ)人ノ故也。〔下31オ八〜31ウ四〕

とあって、この標記語「古老」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

古老(こらう)の行者(あんじや)(とう)の中(なか)に器用(きよう)()(じん)古老行者(アンジヤ)()之仁 古老ハ年老て事に馴れたるを云。行者ハ役僧也。注下に見へたり。器用とは才知ありて人の用にたつを云。是ハ僧物布施の次第といふ句に應して書し也。〔82オ三〜五〕

とあって、この標記語「古老」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

古老(こらう)の行者(あんじや)(とう)の中(なか)に器用(きよう)()(じん)(さだ)めて存知(ぞんち)せ令()むる歟()委細(いさい)(しめ)し給(たま)ふ可()き也(なり)古老行者等中器用之仁定ムル存知歟委細可。▲古老ハ年老(としおひ)て事に馴(なれ)たる人をいふ。〔59ウ六、60オ二〕

古老(こらうの)行者(あんしや)(とうの)(うち)器用(きよう)()(じん)(さだめて)(しむる)存知(ぞんせ)()委細(ゐさい)(へき)(しめし)(たまふ)(なり)▲古老ハ年老(としおひ)て事に馴(なれ)たる人をいふ。〔107オ二、ウ一・二〕

とあって、標記語「古老」の語をもって収載し、その語注記は、「古老ハ年老(としおひ)て事に馴(なれ)たる人をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Coro<.コラゥ(古老故老) 老年にして経験を積んでいること.¶Coro<no jin(故老の仁)年老いた,経験を積んだ人.〔邦訳150r〕

とあって、標記語「古老」の語の意味は「老年にして経験を積んでいること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-らう〔名〕【故老古老】年、老いたる人。老成の人。(敬ふ意に云ふ)詩經、小雅、新父之什、正月篇「召故老、訊之占夢書經、無逸篇、孔傳「小人之子、云云、輕侮其父母、曰古老之人無一レ聞知保元物語、一、法皇熊野御参詣事「午の時までおりさせ給はねば、古老の山伏八十餘人、般若妙典を讀誦して、祈?、良久し」〔0743-5〕

とあって、標記語「-らう〔名〕【古老】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ろう古老故老】〔名〕としより。老人。特に故実や昔の事をよく知っている老人。老朽の人。古老の人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
相尋古老之處、號岡仁谷之所、在之者、信義忠頼等拊掌《訓み下し》古老ニ相尋ヌルノ処ニ、岡仁谷ト号スルノ所、之在ル者ナリ、信義忠頼等掌ヲ拊ツ。《『吾妻鏡治承四年九月十日の条》
 
 
(ジン)」は、ことばの溜池(2003.06.15)を参照。
 
2004年09月07日(火)晴れ夕方曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
調菜(テウサイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

調菜(サイ)〔元亀二年本244七〕〔静嘉堂本282三〕

とあって、標記語「調菜」の語を収載し、語注記は真字本同様未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

但時點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔至徳三年本〕

但時點心之作法僧物布施次第無故實候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔宝徳三年本〕

但齋點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給也〔建部傳内本〕

時點心(テンジン)之作法僧物布施次第無故実調菜之仁古老(アン)者等器用之仁定存知候歟委細可示給〔山田俊雄藏本〕

齋点心作法僧物布施次第无()調菜古老(アン)者等ニモ器用之仁定存知候歟委細可ハル〔経覺筆本〕

(トキ){齊}(テン)之作法僧物(ソウフツ)布施次第(シタイ)故実(コジツ)調菜(サイ)之仁古老(アン)者等()用之仁(シメ)存知候歟委細可示給候也〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「調菜」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「調菜」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「テンジン」、文明四年本に「テン(ジン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「調菜」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

調菜(テウサイ) 調ウル也。〔態藝門085三〕

とあって、標記語「調菜」の語を収載し、語注記に「味を調うる者なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

調菜(テウ・シラベ、サイトヽノウ、ナ)[平去・去] 調味。〔態藝門732二〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「調菜」の語を収載し、語注記に『下學集』を継承して単に「調味」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

調菜(テウサイ) 味―。〔・言語進退門198七〕

調法(テウハウ) ―子()―菜(サイ)調味義。―伏(ブク)。―練(レン)或錬。〔・言語門164三〕

調法(テウハウ) ―子。―采。―味。―練。―伏。〔・言語門153六〕

とあって、弘治二年本に標記語「調菜」の語を収載し、他本は熟語群に収載する。また、易林本節用集』に、

調練(テウレン) ―法(ハフ)。―備()。―伏(ブク)。―味()。―進(シン)。―子()―菜(サイ)。―美()。―聲(シヤウ)。―和()。〔言辞門166二〕

とあって、標記語「調練」の熟語群に「調菜」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「調菜」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。但し、この注記語は真字本には未記載にある。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

583僧物布施次第無故實候調菜仁古老之行者等之中器用之仁定令存知候歟委細可示給也 行者南禅寺正眼院自宗論起也。〔謙堂文庫蔵五四右H〕

とあって、標記語「調菜」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)スル候也但(トキ)(テン)心之作法(サハウ)僧物布施(フせ)次第無故實(コジツ)調菜(テウサイ)之仁古老行者(アンジヤ)()之仁定メン存知歟委細(イサイ)ハル屈請(クツシヤウ)ノ事タヽミ請(ウケ)スト云ヘリ。我ト参ジモせヨ人ヲシテモ。イヘカシヲソレガマシフ請ジ申也。是ハ常(ツネ)ニ参會(サンクハイ)せヨト云フトモウヤ/\敷(シキ)人ノ故也。〔下31オ八〜31ウ四〕

とあって、この標記語「調菜」とし、語注記は、「屈請(クツシヤウ)の事たたみ請(ウケ)ずと云へり。我と参じもせよ人をしても。いへかし、をそれがましうして請じ申すなり。是れは、常(ツネ)に参會(サンクハイ)せよと云ふとも、うや/\敷(シキ)人の故なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

調菜(てうさい)の仁(じん)調菜之仁 料理方にくわしき人也。此句(このく)ハ點心の作法と云句に應(おう)じて書(かけ)り。〔81ウ七〕

とあって、この標記語「調菜」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

調菜(テウサイ)の仁(じん)調菜之仁▲調菜の仁ハ料理方をする人也。〔59ウ六、60オ二〕

調菜(テウサイ)()(じん)▲調菜の仁ハ料理方(れうりかた)をする人也。〔107オ二、107ウ三〕

とあって、標記語「調菜」の語をもって収載し、その語注記は、「調菜の仁は、料理方をする人なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho>sai.テウサイ(調菜) Saiuo totonoyuru coto.(菜を調ゆること)食物を料理し,調味.¶Xocubutuo cho>sai suru.(食物を調菜する)食物を料理し,調味する.〔邦訳128l〕

とあって、標記語「調菜」の語の意味は「(菜を調ゆること)食物を料理し,調味」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

てう-さい〔名〕【調菜】副食物のサイを調理すること。又、そのサイ。まはり。めぐり。あはせ。下學集、下、態藝門「調菜 テウサイ」注」調味者也」紅梅千句(承應)「急ぎつつ、蕪を齊(とき)調菜懷子俳諧集(明應)「今日縁日と、參る淺草」調菜も、精進物の、海苔(法(のり)に掛く)の道」〔1348-1〕

とあって、標記語「てう-さい〔名〕【調菜】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「てう-さい調菜】〔名〕@(―する)食物、特に副食物を料理すること。調理。A精進料理の副食物。B饅頭などを売る人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
信松紹頓  宗縁  ■■■宗乾  紹良  宗眞  調菜宗僊  紹昌  紹誕住吉宗秀《『大徳寺文書・真珠庵明応二年九月廿一日の条、4・1/41
 
 
布施(フセ)」は、ことばの溜池(2004.06.23)を参照。
次第(シダイ)」は、ことばの溜池(2003.09.09)を参照。
故實(コジツ)」は、ことばの溜池(2001.02.19)を参照。
 江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

故実(こじつ)()く候故実 故実ハいにしへより定りたる式(しき)なり。こゝに云こゝろハ點心布施なとの故実をしるしたる書面(しよめん)も知たる人も我か方にハ無と也。〔82オ一〕

とあって、この標記語「故実」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。

 
2004年09月06日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
僧物(ソウブツ→ソウモツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、「僧匠(ソウジヤウ)。僧都(ソウヅ)聖家之官又小山田驚之物也備中陽川寺玄宥――始作之故呼曰――。僧衆(シユ)。僧侶(リヨ)。僧俗(ゾク)。僧房(バウ)。僧坊(バウ)。僧堂(ダウ)。僧厠()律家呼東曰――。僧形(キヤウ)」の十語を収載し、標記語「僧物」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

但時點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔至徳三年本〕

但時點心之作法僧物布施次第無故實候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔宝徳三年本〕

但齋點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給也〔建部傳内本〕

時點心(テンジン)之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老(アン)者等器用之仁定存知候歟委細可示給〔山田俊雄藏本〕

齋点心作法僧物布施次第无()候調菜古老(アン)者等ニモ器用之仁定存知候歟委細可ハル〔経覺筆本〕

(トキ){齊}(テン)之作法僧物(ソウフツ)布施次第(シタイ)故実(コジツ)調菜(サイ)之仁古老(アン)者等()用之仁(シメ)存知候歟委細可示給候也〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「僧物」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「僧物」と記載し、訓みは文明四年本に「ソウフツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「僧物」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「僧物」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「僧物」の語は未収載にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

583僧物布施次第無故實候調菜仁古老之行者等之中器用之仁定令存知候歟委細可示給也 行者南禅寺正眼院自宗論起也。〔謙堂文庫蔵五四右H〕

とあって、標記語「僧物」の語を収載し、この語についての語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)スル候也但(トキ)(テン)心之作法(サハウ)僧物布施(フせ)次第無故實(コジツ)候調菜(テウサイ)之仁古老行者(アンジヤ)()之仁定メン存知歟委細(イサイ)ハル屈請(クツシヤウ)ノ事タヽミ請(ウケ)スト云ヘリ。我ト参ジモせヨ人ヲシテモ。イヘカシヲソレガマシフ請ジ申也。是ハ常(ツネ)ニ参會(サンクハイ)せヨト云フトモウヤ/\敷(シキ)人ノ故也。〔下31オ八〜31ウ四〕

とあって、この標記語「僧物」とし、語注記は、「屈請(クツシヤウ)の事たたみ請(ウケ)ずと云へり。我と参じもせよ人をしても。いへかし、をそれがましうして請じ申すなり。是れは、常(ツネ)に参會(サンクハイ)せよと云ふとも、うや/\敷(シキ)人の故なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ぞうふつ)布施(ふせ)次第(しだい)布施次第 贈物ハ衆僧へ送る品也。布施の注は前に出す。僧の貴きによりて贈る品に高下あるゆへ次第といひし也。〔81ウ七〕

とあって、この標記語「」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゝ)し(とき)の點心(てんしん)(さほふ)贈物(おくりもの)布施(ふせ)の次第(しだい)故實(こじつ)なく候(さぶら)(トキ)(テン)心之作法(サハウ)布施(フせ)次第無故實(コジツ)。▲時點心ハ時々(とき/゛\)の小食(こひる)といふ意なるべし。點心ハ定食(ぢやうしよく)の前後(ぜんご)にはづれて少(すこし)く食()ふをいふ。〔59ウ五、ウ八〜60オ一〕

(トキ)(テン)心之作法(サハウ)布施(フせ)次第無故實(コジツ)▲時點心ハ時々の小食(こひる)といふ意なるべし。點心ハ定食の前後にはづれて少く食ふをいふ。〔107オ二、ウ一・二〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は、「時點心は、時々(とき/゛\)の小食(こひる)といふ意なるべし。點心は、定食(ぢやうしよく)の前後(ぜんご)にはづれて少(すこし)く食()ふをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「僧物」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そう-もつ〔名〕【僧物】僧侶の、居常、所持する什物。三衣、鉢、等、是れなり。又、衆僧の共有物。〔1143-3〕

ぞう-もつ〔名〕【】品物を、おくりやること。又、其物。潘尼、送廬晏詩「贈物雖陋薄、識意在忘言庭訓往來、十月「贈物、布施次第、無故實候」〔1143-3〕※江戸期の注釈系統に基づく用例。

とあって、標記語「そう-もつ〔名〕【僧物】」「ぞう-もつ〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そう-もつ僧物】〔名〕仏語。出家の集団である僧伽(そうぎゃ)に所属する一切の物資をいう。衆僧に等しく所有権を認められている。建物・地所などの四方僧物と、法衣・鉢・錫杖や死亡した僧の所有物などの現前僧物の二種がある。僧伽物(そうぎゃもつ)。僧祇物(そうぎもつ)」「ぞう-もつ〔名〕【】人に品物を贈ること。また、その贈った物。おくりもの」とあって、『大言海』同様に「ぞう-もつ〔名〕【】」の用例として、『庭訓徃來』のこの語用例を記載している。これは、やはり「そう-もつ僧物】〔名〕」の用例に糺すべきである。
[ことばの実際]
また寺道場に要脚を懸け、僧物・施料を貪る事を業とす。《『太平記』卷第卅五・北野通夜物語事の条》
而間収公寺院庄田、徴責官物・租税、充負臨時雑役、虚用仏物・僧物、因茲寺家庄園弥以荒癈、御寺大愁、莫過於斯、望請《『東大寺文書・図書館未成卷文書天喜元年七月日の条・589・14/158
 
 
2004年09月05日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
作法(サホウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

作法(ホウ)〔元亀二年本268五〕

作法(ハウ)〔静嘉堂本305四〕

とあって、標記語「作法」の語を収載し、訓みは「(サ)ホウ」「(サ)ハウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

但時點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔至徳三年本〕

但時點心之作法僧物布施次第無故實候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔宝徳三年本〕

但齋點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給也〔建部傳内本〕

時點心(テンジン)作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老(アン)者等器用之仁定存知候歟委細可示給〔山田俊雄藏本〕

齋点心作法僧物布施次第无()候調菜古老(アン)者等ニモ器用之仁定存知候歟委細可ハル〔経覺筆本〕

(トキ){齊}(テン)作法僧物(ソウフツ)布施次第(シタイ)故実(コジツ)調菜(サイ)之仁古老(アン)者等()用之仁(シメ)存知候歟委細可示給候也〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「作法」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「作法」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

作法 公卿部/サホウ/輔翼分。〔黒川本・畳字門下42オ二〕

作法 〃文。〃骨。〃所。〃田。〃人。〃皮。〔卷第八・畳字門442五〕

とあって、標記語「作法」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「作法」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

作法(サク・ツクル、ホフナス、ノリ)[去入・入] 。〔態藝門785六〕

とあって、標記語「作法」の語を収載し、訓みは「サクホフ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「作法」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

作職(サクシキ) ―意()。―病(ビヤウ)。―毛(モウ)。―者。―文(ブン)。―事()。―法(ハフ)。―例(レイ)。―善(ぜン)。―業(ゴフ)。―乱(ラン)。―忙(バウ)。〔言辞門181七〕

とあって、標記語「作職」の熟語群に「作法」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「作法」の語を以て収載し、広本節用集』の注記により「作法」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

582但時点心作法 須達長者進釈尊非時留亊伽留陀夕匹夫ルニ居也。婦斗居不知子細彼家入人-擲伽留陀。或夕方途中彼女畏伽留陀。此時ヨリ非時也。点心此_時始請佛進餅伽留陀受也。留陀毎也。雖尽也。酒莎伽他始禁。有天竺毒竜。降大雨万民愁伽他大力也。彼竜鉄囲山投越。仍五穀等熟。天下太平也。平闍王トシテ諸人伽他。酔田中。蝦蟇等上胸頭也。佛伽他遅使‖∨目連見云。昔シカ大竜蝦蟇ヲタモ出家タル者不之也。〔謙堂文庫蔵五四右C〕

とあって、標記語「作法」の語を収載し、この語についての語注記は、「須達長者、時{齋}を釈尊に進め、非時を留むることは伽留陀、夕べに鉢を開くに、匹夫の家に至るに、夫は居ざるなり。婦、斗居す、子細を知らず彼の家に入る人、悪みて伽留陀を打擲す。或る夕方に途中に女に會す。彼の女伽留陀を畏る。此の時より非時を禁ずるなり。点心も此の時より始まり佛を請じて餅を進め、伽留陀彼を三受くるなり。留陀毎なり。賦ると雖ども尽ざるなり。酒は、莎伽他より始まり禁ず。天竺に毒竜有り。大雨を降らし、万民愁ふるに伽他大力なり。彼の竜を鉄囲山の外に投げ越し。仍ち五穀等熟す。天下太平なり。平闍王を始めとして諸人伽他に酒を進む。酔ひて田中に臥す。蝦蟇等、胸・頭に上るなり。佛、伽他遅く皈るを恠しみ目連を使はして見て云ふ。昔は、大竜も制しが今は、蝦蟇をだも禁ぜず。出家たる者酒を呑むべからずと云ひて深く之れを禁ずるなり」と詳細な逸話を記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)スル候也但(トキ)(テン)心之作法(サハウ)僧物布施(フせ)次第無故實(コジツ)候調菜(テウサイ)之仁古老行者(アンジヤ)()之仁定メン存知歟委細(イサイ)ハル屈請(クツシヤウ)ノ事タヽミ請(ウケ)スト云ヘリ。我ト参ジモせヨ人ヲシテモ。イヘカシヲソレガマシフ請ジ申也。是ハ常(ツネ)ニ参會(サンクハイ)せヨト云フトモウヤ/\敷(シキ)人ノ故也。〔下31オ八〜31ウ四〕

とあって、この標記語「作法」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たゝ)し(とき)の點心(てんしん)作法(さほう)點心作法 點心ハ今云口取の事也。其色品は此返状に見へたり。〔81ウ七〕

とあって、この標記語「作法」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゝ)し(とき)の點心(てんしん)(さほふ)贈物(おくりもの)布施(ふせ)の次第(しだい)故實(こじつ)なく候(さぶら)(トキ)(テン)心之作法(サハウ)贈物布施(フせ)次第無故實(コジツ)〔59ウ五〕

(トキ)(テン)心之作法(サハウ)贈物布施(フせ)次第無故實(コジツ)〔107オ二〕

とあって、標記語「作法」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Safo>.サホウ(作法) すなわち,Catagui,yo<dai.(形儀,様体)慣習,様式,など.¶Minicui safo>gia.(醜い作法ぢや)それは悪くて目に立つ慣習である.〔邦訳548l〕

とあって、標記語「作法」の語の意味は「すなわち,Catagui,yo<dai.(形儀,様体)慣習,様式,など」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ほふ〔名〕【作法】〔作を、サの音に讀むこと、ザウサ(造作)の語原を見よ、法の呉音は、ホフなり、ホウと書くは、音便なり〕(一)所作の方法。事を行ふ仕方。しつけ。後漢書、東夷傳、論「老子曰、法令滋章、盗賊多有、若箕子之省簡交條、而用信義、其得聖賢作法之原矣」宇津保物語、俊蔭25「舞人、陪從(ベイジユウ)、例の作法なれば、いといかめしうして」源氏物語、一、桐壺23「御里に、源氏の君、まかでさせたまへば、さほう、世にめづらしきまで、もてかしづきたまへり」「禮儀作法(二)佛事を行ふ法式。葬禮の式を云ひ、又、受戒の法式を、戒法授戒の作法と云ふ。源氏物語、一、桐壺8「例のさほうに葬(をさ)め奉るを、云云、愛宕(おたぎ)と云ふ所に、いといかめしう、さほうしたるに」同、三十九、御法16「いかめしきさほうなれど、いとはかなき煙にて」(葬式なり)宇治拾遺物語、三、十五條「鳥邊野(とりべの)へ出て徃()ぬ、さて、例のさほうに、とかくせむとて、車より取りおろす」(死者の柩なり)古今著聞集、二、佛教「高辨上人、云云、諸僧、寳號を唱へ、~呪を誦する閧ノ、現供養の作法を以て、行法ありけり」〔0827-4〕

とあって、標記語「-ほふ〔名〕【作法】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ほう作法】[一]〔名〕@物事を行なう方法。仕方。やりかた。A立居ふるまいの仕方。起居動作の法式。礼儀作法。行儀作法。B正式のこと。定式にかなったもの。しきたり。きまり。慣例。さだめ。C世のならい。ありかた。ありさま。D文章、詩歌などを作る方法。さっぽう。→さくほう(作法)。[二]仏語。懺悔・授戒・仏事など、所定の法によって行なう所作の法式」とあって、Aの意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武州前史禪室、最明寺禪室二代、如此作法、可令奉公之由、被仰《訓み下し》武州前ノ史禅室、最明寺ノ禅室二代、此ノ作法(サホウ)ノ如ク、奉公セシムベキノ由、仰セラル。《『吾妻鏡文永二年五月二十三日の条》
 
 
2004年09月04日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
點心(テンシン・テンジン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

點心(テンシン)〔元亀二年本244十〕〔天正十七年本中57ウ一〕

點心(ジン)〔静嘉堂本282七〕

とあって、標記語「點心」の語を収載し、訓みは「テンシン」と「(テン)ジン」と両用をもって記載している。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

但時點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔至徳三年本〕

但時點心之作法僧物布施次第無故實候調菜之仁古老之行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給候也〔宝徳三年本〕

但齋點心之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老行者等中器用之仁定令存知候歟委細可示給也〔建部傳内本〕

點心(テンジン)之作法僧物布施次第無故実候調菜之仁古老(アン)者等器用之仁定存知候歟委細可示給〔山田俊雄藏本〕

点心作法僧物布施次第无()候調菜古老(アン)者等ニモ器用之仁定存知候歟委細可ハル〔経覺筆本〕

(トキ){齊}(テン)之作法僧物(ソウフツ)布施次第(シタイ)故実(コジツ)調菜(サイ)之仁古老(アン)者等()用之仁(シメ)存知候歟委細可示給候也〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「点心」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「點心」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「テンジン」、文明四年本に「テン(ジン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「点心」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

點心(テンシン) 。〔態藝門82五〕

とあって、標記語「點心」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

點心(テンジンムナヤスメ・ウツス、コヽロ)[上・平]須達長者始也。〔飲食門716六〕

とあって、標記語「點心」の語を収載し、訓みを「テンジン」とし、その語注記に「須達長者より始むるなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

點心(テンジン) 。〔・食物門198四〕

點心(テンジン) 。〔・食物門164一〕

點心(テンジン) 僧家ニハ云煎点ト。〔・食物門153四〕

とあって、標記語「點心」の語を収載し、尭空本に語注記「僧家には、煎点と云ふ」と記載する。また、易林本節用集』に、

點心(テンジム) 。〔食服門165二〕

とあって、標記語「點心」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「点心」の語を以て収載し、広本節用集』の注記により「点心」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

582但時点心作法 須達長者進釈尊非時留亊伽留陀夕匹夫ルニ居也。婦斗居不知子細彼家入人-擲伽留陀。或夕方途中彼女畏伽留陀。此時ヨリ非時也。点心此_時始請佛進餅伽留陀受也。留陀毎也。雖尽也。酒莎伽他始禁。有天竺毒竜。降大雨万民愁伽他大力也。彼竜鉄囲山投越。仍五穀等熟。天下太平也。平闍王トシテ諸人伽他。酔田中。蝦蟇等上胸頭也。佛伽他遅使‖∨目連見云。昔シカ大竜蝦蟇ヲタモ出家タル者不之也。〔謙堂文庫蔵五四右C〕

とあって、標記語「点心」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)スル候也但(トキ)(テン)心之作法(サハウ)僧物布施(フせ)次第無故實(コジツ)候調菜(テウサイ)之仁古老行者(アンジヤ)()之仁定メン存知歟委細(イサイ)ハル屈請(クツシヤウ)ノ事タヽミ請(ウケ)スト云ヘリ。我ト参ジモせヨ人ヲシテモ。イヘカシヲソレガマシフ請ジ申也。是ハ常(ツネ)ニ参會(サンクハイ)せヨト云フトモウヤ/\敷(シキ)人ノ故也。〔下31オ八〜31ウ四〕

とあって、この標記語「點心」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たゝ)し(とき)の點心(てんしん)の作法(さほう)點心作法 點心ハ今云口取の事也。其色品は此返状に見へたり。〔81ウ七〕

とあって、この標記語「點心」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゝ)し(とき)の點心(てんしん)(さほふ)贈物(おくりもの)布施(ふせ)の次第(しだい)故實(こじつ)なく候(さぶら)(トキ)(テン)心之作法(サハウ)贈物布施(フせ)次第無故實(コジツ)。▲時點心ハ時々(とき/゛\)の小食(こひる)といふ意なるべし。點心ハ定食(ぢやうしよく)の前後(ぜんご)にはづれて少(すこし)く食()ふをいふ。〔59ウ五、ウ八〜60オ一〕

(トキ)(テン)心之作法(サハウ)贈物布施(フせ)次第無故實(コジツ)▲時點心ハ時々の小食(こひる)といふ意なるべし。點心ハ定食の前後にはづれて少く食ふをいふ。〔107オ二、ウ一・二〕

とあって、標記語「點心」の語をもって収載し、その語注記は、「時點心は、時々(とき/゛\)の小食(こひる)といふ意なるべし。點心は、定食(ぢやうしよく)の前後(ぜんご)にはづれて少(すこし)く食()ふをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tenjiu.テンジン(点心) 正式の食事の接待のあとで出される中間食のような食物.¶Tenjinuo cu<.(点心を食ふ)この中間食を食べる.¶Tenjinuo coxirayuru.(点心を拵ゆる)この中間食を用意する.※原文のJantarは、ここでは,正式の食事の意.〔Asagareiの注〕原文のmerendaは,正餐と夕食との中間の軽い食事.〔邦訳645r〕

とあって、標記語「点心」の語の意味は「正式の食事の接待のあとで出される中間食のような食物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

てん-しん〔名〕【点心】〔少食を空心(すきはら)の閧ノ點ずる意と云ふ、間食なり〕禪家の語。定めたる食事と食事との閧ノ、物を食ふこと。胸やすめに食ふ食物。轉じて茶請の菓子。ちゃのこ。茶菓子。剪燈新話、注「點心之點、與點茶之點義、蓋少食鎭(シヅムル)(ムネヲ)也」禪林象器箋、飲啖門「舊説、點心、謂點于空心也、早旦陰陽未分時、少喫食、此擬養法」輟耕録(明、陶宗儀)十七、點心「今以早飯前及飯後、午前午後間前小食爲點心能改齋漫録(宋、呉曾)一「野客叢書、世俗以早晨小食點心園太暦、康永三年九月十六日「今日上皇可幸天龍寺、云云、於南面客殿、先供湯、次供點心、次茶也」籠耳草子(貞享)「侍は中食と云ひ、町人は晝食、寺方は點心と云ふ」尺素徃來(一條兼良)「點心者、先點集香湯、而後、云云、羮、碁子麺、沙糖、饅頭、云云」俗語考「當時も、饗膳の前に、假初に小漬飯を出すを點心と云へり」〔1369-4〕

とあって、標記語「てん-しん〔名〕【点心】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「てん-しん点心】〔名〕→てんじん(点心)」、「「てん-じん点心】〔名〕(現代は「てんしん」)@(腹心に点加する意)正午の昼食の前に、一時の空腹をいやすための少量の食事。転じて、禅家では、昼食の意に用いる。A中国料理で、軽食風の料理や菓子。転じて、茶うけの菓子。茶の子。茶菓子」とあって、Aの意味用例に『庭訓徃來十月日日の状のところを引用収載する。後者用例のところで、詳しく扱うこととする。
[ことばの実際]
一四季大般若不可等閑事、当日可為時点心、料足同上、一仏誕生仏涅槃達磨忌供具御布施事、檀紙一帖宛料足同上、 《『大コ寺文書応安元年六月日の条、123・1/80
爲江淮留後,家人備夫人晨饌。夫人顧其弟曰「治收未畢,我未及餐,爾且可點心」。《『唐書』》
 
 
2004年09月03日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
崛請(クツシヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

屈請(ジヤウ) 。〔元亀二年本189九〕

屈請(シヤウ) 。〔静嘉堂本213七〕〔天正十七年本中36オ七〕

とあって、標記語「屈請」の語を収載し、訓みは「(クツ)ジヤウ」、「(クツ)シヤウ」と記載し、下記古辞書及び真字本が記載する語注記を未記載にしていることに編者の割愛意識を知見するものである。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒崛請事候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

禪律(リツ)僧衆諸寺諸社聖道衆徒屈請(クツシヤウ)申事候也〔山田俊雄藏本〕

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒()崛請候也〔経覺筆本〕

禪律(ぜンリツ)僧衆(ソウシユウ)諸寺諸社聖道衆徒()屈請(クツシヤウ)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本に「」、山田俊雄藏本・文明四年本の古写本には「屈請」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「クツシヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「屈請」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

屈請(クツシヤウ) 強(シイ)招(マネク)也。日本俗屈字作(ナス)窟(クツ)崛(クツ)ナリ也。〔態藝門93五〕

とあって、標記語「屈請」の語を収載し、語注記は「強(シイ)て人を招(マネク)なり。日本の俗、屈の字を窟(クツ)崛(クツ)に作(ナス)。皆な大に誤るなり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

屈請(クツシヤウクヾム、ウケル)[○・平] 強(シイテ)招人義。日本俗呼屈作窟崛皆誤也。〔態藝門543六〕

とあって、標記語「屈請」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承しながら「強(シイ)て人を招(マネク)なり。日本の俗、屈を呼びて窟(クツ)崛(クツ)と作()す。皆誤るなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

屈請(クツシヤウ) 強(シイテ)招。日本俗―作窟崛皆誤。・言語進退門162六〕

屈請(クツシヤウ) 強(シイテ)招。日本俗―窟崛皆誤。・言語門132三〕

屈請(クツシヤウ) 強招人也。日本俗―窟崛非。・言語門121五〕

屈請(クツシヤウ) 強招人也。日本俗―(クツ)窟崛非也。・言語門147六〕

とあって、標記語「屈請」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

屈請(クツシヤウ) ―伏(ブク)。・言辞門134三〕

とあって、標記語「屈請」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「屈請」の語を以て収載し、広本節用集』の注記により「屈請」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

581聖道衆徒屈請(クツ−)ノ亊候 屈請請一寺衆徒不交他寺衆徒也。屈請強招人也。窟之字誤。〔謙堂文庫蔵五四右B〕

とあって、標記語「屈請」の語を収載し、この語についての語注記は、「屈請は、一寺の衆徒に交らず。他寺の衆徒を請ふなり。屈請は、強て招く人を(云ふ)なり。窟の字を誤る」と記載していて、下線部の注記内容は上記『下學集』、そして広本節用集』、さらには印度本系統の『節用集』の注記内容と密接な関係にあるもので、こうした室町時代の真字本注釈書と古辞書とのつながりを茲に指摘できるのである。(※拙論にて既に指摘している)

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)スル候也但(トキ)(テン)心之作法(サハウ)僧物布施(フせ)次第無故實(コジツ)候調菜(テウサイ)之仁古老行者(アンジヤ)()之仁定メン存知歟委細(イサイ)ハル屈請(クツシヤウ)ノ事タヽミ請(ウケ)スト云ヘリ。我ト参ジモせヨ人ヲシテモ。イヘカシヲソレガマシフ請ジ申也。是ハ常(ツネ)ニ参會(サンクハイ)せヨト云フトモウヤ/\敷(シキ)人ノ故也。〔下31オ八〜31ウ四〕

とあって、この標記語「屈請」とし、語注記は、「屈請(クツシヤウ)の事たたみ請(ウケ)ずと云へり。我と参じもせよ人をしても。いへかし、をそれがましうして請じ申すなり。是れは、常(ツネ)に参會(サンクハイ)せよと云ふとも、うや/\敷(シキ)人の故なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

屈請(くつしやう)する事に候ふスル 屈請とハ呼迎るといふ事を卑下(ひけ)していえる也。屈ハかゝめると訓す。先方の尊(たつと)きをかゝめて賤(いやし)き我の方へ招(まね)き請(しやう)するといふ義なり。〔81ウ五〜七〕

とあって、この標記語「屈請」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禪律(ぜんりつ)乃僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしや)の聖道(しやうだう)の衆徒(しゆと)(これ)屈請(くつしやう)する事(こと)に候(さふら)禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒スル。▲屈請ハ身()を屈(かゞ)めて招(まね)き迎(むか)ふるといふ意卑下(ひげ)の詞(ことば)也。〔59ウ四、ウ八〕

禪律(ぜんりつの)僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしやの)聖道(しやうだうの)(しゆと)(くつ)(しやうする)(これを)(ことに)(さふらふ)▲屈請ハ身()を屈めて招(まね)き迎ふるといふ意卑下(ひけ)の詞(ことば)也。〔107オ二、ウ一〕

とあって、標記語「屈請」の語をもって収載し、その語注記は、「屈請は、身()を屈(かゞ)めて招(まね)き迎(むか)ふるといふ意、卑下(ひげ)の詞(ことば)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cuxxo<.クッシャゥ(屈請) Cagamari xo<zuru.(屈まり請ずる).誰か人の前に頭を下げて畏まって相手を敬うこと.¶Cuxxo< suru.(屈請する)このようにお辞儀をして畏まる.→次条.〔邦訳176l〕

†Cuxxo<xi,suru.クッシャゥシ,スル,シタ(屈請し,する,した) 誰か人を自分の家の中などへ呼び入れる,または,招待する.〔邦訳176l〕

とあって、標記語「屈請する」の語の意味で「誰か人を自分の家の中などへ呼び入れる,または,招待する」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くつ-しゃう〔名〕【屈請】〔枉()げて請()ふ意〕請ひて、招くこと。請待(シヤウダイ)下學集、下、態藝門「屈請(クツシヤウ)也、日本俗、屈字、作(ナス)窟、崛、皆、大誤也平家物語、六、慈心坊事「平大相國と申す人こそ、攝津國、和田の御崎を點して、四面十余町に屋を建て、今日の十萬僧會の如く、多く、持經者を屈請して、坊坊に、一面に座に着け、念誦、讀經、丁寧に勤行致され候ふ」〔0534-3〕

とあって、標記語「くつ-しゃう〔名〕【屈請】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「くつ-しょう屈請】〔名〕(ひざを屈して招き迎える意)@神仏の来現を祈り願うこと。A丁重に人を招くこと。特に、法会などのために僧侶などを招くこと。日本霊異記(810-824)上・二三「衆僧を屈請して、安居を行は令む」*明衡往来(11C中か)上末「殊択吉日仁王講。浄行僧侶三口。早可也」《以下省略》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
同於寳前屈請十口僧侶、毎月一萬卷觀音經轉讀事、同像一萬體、摺供養事《訓み下し》同ク宝前ニ於テ十口ノ僧侶ヲ屈請(クツシヤウ)シテ、毎月一万巻ノ観音経転読ノ事、同キ像一万体、摺リ供養ノ事。《『吾妻鏡文治二年六月十五日の条》
 
 
2004年09月02日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
衆徒(シユト)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

衆徒()〔元亀二年本309四〕〔静嘉堂本361三〕

とあって、標記語「衆徒」の語を収載し、訓みは「(シユ)ト」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒崛請事候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

禪律(リツ)僧衆諸寺諸社聖道衆徒屈請(クツシヤウ)申事候也〔山田俊雄藏本〕

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒()崛請候也〔経覺筆本〕

禪律(ぜンリツ)僧衆(ソウシユウ)諸寺諸社聖道衆徒()屈請(クツシヤウ)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「衆徒」とし、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「(シユ)ト」記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

衆徒 シユト。〔黒川本・畳字門下81六〕

とあって、三卷本に、標記語「衆徒」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「衆徒」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

衆徒(シユシユウ・ヲヽシ・モロ/\、トモガラ・イタヅラ)[去・平] 。〔人倫門916三〕

とあって、標記語「衆徒」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

衆徒(シユト)() 。〔・人倫門238三〕

衆徒(シユト) 。〔・人倫門198五〕〔・人倫門188四〕

とあって、標記語「衆徒」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

衆徒(シユト) 。〔人倫門204二〕

とあって、標記語「衆徒」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「衆徒」の語を以て収載し、広本節用集』の注記により「衆徒」の語を確認できる状況にある。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

581聖道衆徒屈請(クツ−)ノ亊候 屈請請一寺衆徒不交他寺衆徒也。屈請強招人也。窟之字誤。〔謙堂文庫蔵五四右B〕

とあって、標記語「衆徒」の語を収載し、この語についての語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同者結夏(ケツゲ)以前可カル時分候禪律(せンリツ)(ソウ)衆諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒()結夏(ケツゲ)トハ四月ヲ云也。但シ宗ニ依テ替(カハ)ルベシ。此文秋(アキ)冬ヲ兼(カネ)タル月付也。夏ノ事治定(チデフ)ナリ。〔下31オ七・八〕

とあって、この標記語「衆徒」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸寺(しよじ)諸社(しよしや)聖道(せいだう)衆徒(しゆと)諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒() 諸社乃衆徒ハ別當なり。聖道の注ハ前に見へたり。〔81ウ四・五〕

とあって、この標記語「衆徒」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禪律(ぜんりつ)乃僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしや)の聖道(しやうだう)衆徒(しゆと)(これ)を屈請(くつしやう)する事(こと)に候(さふら)禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒スル〔59オ七〕

禪律(ぜんりつの)僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしやの)聖道(しやうだうの)(しゆと)(くつ)(しやうする)(これを)(ことに)(さふらふ)。〔107オ一〕

とあって、標記語「衆徒」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xuto.シュウト(衆徒) 天台宗徒(Tendaixus)や真言宗徒(Xingonjus)の頭(かしら),あるいは,上長.※原文にCabecas,ou principaesとある.〔邦訳803r〕

とあって、標記語「衆徒」の語の意味は「天台宗徒(Tendaixus)や真言宗徒(Xingonjus)の頭(かしら),あるいは,上長」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゅう-〔名〕【衆徒】數多の僧徒。大衆。太平記、二、南都北嶺行幸事「多年、臨幸の儀もなし、此御代に至りて、絶えたるを繼ぎ、廢れたるを興して、鳳輦を廻し給ひしかば、衆徒、歡喜し、掌を合せ、靈佛、威徳の光を添ふ」〔0987-1〕

とあって、標記語「しゅう-〔名〕【衆徒】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅう-衆徒】〔名〕「しゅと(衆徒)」に同じ。*色葉字類抄(1177-81)「衆徒シウト」」と「しゅ-衆徒】〔名〕@平安時代以後、京都・奈良の諸大寺に止宿していた多くの僧侶。衆僧。僧徒。しゅうと。A比叡山で、上の階級に属する僧をいう。B特に奈良興福寺で、武器をもって社頭や寺門を防御した下級僧侶をいう。寺中衆徒(寺住衆徒)と田舎衆徒があり、特に寺中衆徒を呼ぶことが多いが、混用することもある。大乗院と一乗院に分かれて所属したが、その員数は時に異同があった。[補注]『色葉字類抄』の例、前田本では「シウト」とある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
高倉宮、去十五日、密々入御三井寺衆徒於法輪院、搆御所之由、風聞京都仍源三位入道近衛河原亭、自放火、相率子姪家人等參向宮御方〈云云〉《訓み下し》高倉宮、去ヌル十五日ニ、密密ニ三井寺ニ入御シタマフ。衆徒法輪院ニ於テ、御所ヲ構フルノ由、京都ニ風聞ス。仍テ源三位ノ入道近衛河原ノ亭ニ、自ラ火ヲ放チ、子姪家人等ヲ相ヒ率シテ、宮ノ御方ニ参向スト〈云云〉。《『吾妻鏡治承四年五月十九日の条》
 
 
聖道(シャウダウ)」は、ことばの溜池(2001.09.19)を参照。
 
2004年09月01日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
諸寺(シヨジ)・諸社(シヨシヤ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「諸篇(シヨヘン)。諸口(クチ)。諸色(シキ)。諸職(シヨク)。諸道(ダウ)。諸侯(コウ)。諸人(ニン)。諸事()。諸經(キヤウ)。諸論(ロン)」の十語を収載し、この標記語「諸寺」「諸社」の両語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒崛請事候也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

禪律(リツ)僧衆諸寺諸社聖道衆徒屈請(クツシヤウ)申事候也〔山田俊雄藏本〕

禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒()崛請候也〔経覺筆本〕

禪律(ぜンリツ)僧衆(ソウシユウ)諸寺諸社聖道衆徒()屈請(クツシヤウ)候也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「諸寺諸社」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「諸寺諸社」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「諸寺諸社」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

諸寺(シヨシモロ/\、テラ)[平・去] 。〔態藝門931五〕

諸社(シヨシヤモロ/\、ヤシロ)[平・上] 。〔態藝門931五〕

とあって、標記語「諸寺」「諸社」の両語とも収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「諸寺」「諸社」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』のみが標記語「諸寺」「諸社」の両語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

580禅律兩僧衆諸寺諸社 神武父地神五代鞄緊草不合葺尊始云也。〔謙堂文庫蔵五四右A〕

とあって、標記語「諸寺諸社」の語を収載し、この語についての語注記のなかで、「社」の語について「社は、神武(天皇)の父、地神五代鞄緊草不合葺尊の始まりを云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

同者結夏(ケツゲ)以前可カル時分候禪律(せンリツ)(ソウ)諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒()結夏(ケツゲ)トハ四月ヲ云也。但シ宗ニ依テ替(カハ)ルベシ。此文秋(アキ)冬ヲ兼(カネ)タル月付也。夏ノ事治定(チデフ)ナリ。〔下31オ七・八〕

とあって、この標記語「諸寺諸社」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

禪律(ぜんりつ)の僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしや)聖道(しやうだう)の衆徒(しゆと)禪律(せンリツ)(ソウ)諸寺諸社聖道(シヤウダウ)衆徒() 注前に見へたり。〔81ウ四〕

とあって、この標記語「諸寺諸社」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

禪律(ぜんりつ)乃僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしや)の聖道(しやうだう)の衆徒(しゆと)(これ)を屈請(くつしやう)する事(こと)に候(さふら)禪律僧衆諸寺諸社聖道衆徒スル〔59オ七〕

禪律(ぜんりつの)僧衆(そうしゆ)諸寺(しよじ)諸社(しよしやの)聖道(しやうだうの)(しゆと)(くつ)(しやうする)(これを)(ことに)(さふらふ)。〔107オ一〕

とあって、標記語「諸寺諸社」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoji.ショジ(諸寺) Moromorono tera.(諸の寺)すべての寺院,または,僧院.〔邦訳792r〕

Xoji.ショシャ(諸社) Moromorono yaxiro.(諸の社)すべての神(Camis)の家,すなわち,社.¶Xoji xoxa.(諸寺諸社)すべての寺(Teras)と社と.〔邦訳796r〕

とあって、標記語「諸寺」の語の意味は、「(諸の寺)すべての寺院,または,僧院」とし、「諸社」の語の意味は、「(諸の社)すべての神(Camis)の家,すなわち,社」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しょ-〔名〕【諸寺】」しょ-しゃ〔名〕【諸社】」の両語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「「しょ-諸寺】〔名〕あちこちの多くの寺。諸山。*田氏家集(892頃)中「秋日遊南都諸寺」*平家物語(13C前)三・赦文「諸寺に御読経始まり、諸社へ官幣を立らる」*徒然草(1331頃)一九七「諸寺の僧のみにもあらず、定額(ぢやうがく)の女孺といふ事、延喜式に見えたり」*太平記(14C後)一五・園城寺戒壇事「此寺四箇の大寺の其の一つとして。論場の公請に随ひ、宝祚の護持を致す事諸寺に卓犖(たくらく)せり」*日葡辞書(1603-04)「Xoji(ショジ)モロモロノテラ」*文明論之概略(1875)<福沢諭吉>五・九「其他南都の諸山、京都の諸寺」「しょ-しゃ諸社】〔名〕@あちこちの多くの神社。*令義解(718)神祇・常祀条「凡常祀之外。須諸社幣帛者。皆取五位以上卜食<略>者充。唯伊勢神宮。常祀亦同」*平家《「諸寺」用例と同じ》*名語記(1275)六「諸社の奉幣にも祭物の具にかならずくはへをくらるる歟」*日葡辞書(1603-04)「Xoxa(ショシャ)。モロモロノヤシロ」*滑稽本・東海道中膝栗毛(1802-09)六・上「街道の真中にひょぐり出して、諸社(ショシャ)順拝の鈴口をふる」Aもと、官社に対して、府県社・郷社・村社などの総称。民社。Bあちこちの多くの会社」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は両語とも未記載にする。
[ことばの実際]
將軍家御惱、猶以不快之間、御祈祷事、可致懇篤之由、被仰諸寺諸社、又被奉神馬於二所三嶋社等畢《訓み下し》将軍家ノ御悩、猶以テ不快ノ間、御祈祷ノ事、懇篤ヲ致スベキノ由、諸寺諸社ニ仰セラレ、又神馬ヲ二所三島ノ社等ニ奉ツラレ畢ンヌ。《『吾妻鏡建長四年八月十七日の条》
 
 
 
 
 
 
 

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