2004年10月01日から10月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

 
 
2004年10月31日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)
長吏(チヤウリ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

長吏() 。〔元亀二年本65七〕〔静嘉堂本76八〕〔天正十七年本上38ウ四〕

とあって、標記語「長吏」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕

聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕

聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕

聖道者(ニハ)一寺檢校執行別當長吏()學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕

聖道(シヤウダウ)()一寺検校(ケンケフ)(シ )行別當長吏()学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕

聖道者一寺檢校(ケンゲウ)執行(シユキヤウ)別當長吏()学頭(カクトウ)座主(ザス)院主執當(シツタウ)先達(せンタツ)阿闍梨( シヤリ)法橋(ホツケウ)律師(リツシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「長吏」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「(チヤウ)リ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

長吏 チヤウリ。〔黒川本・官職門上57ウ一〕

長短 〃壽。〃命。〃事。〃行。〃吏。〃途。〃慶。〃圖。〃跪。〃指。〃堤。〃者。〃生。〃松。〃興。〃官。〃案冩官符宣旨官為長案又留官符案文。〔卷第二・畳字門473二〕

とあって、標記語「長吏」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「長吏」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

長吏(チヤウ・ヲサ、ナガシ、トモガラ)[平去・上] 。〔態藝門175四〕

とあって、標記語「長吏」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

長吏(チヤウリ) 。〔・人倫門49二〕〔・人倫門50三〕

長吏(チヤウリ) ―者。〔・人倫門46二〕〔・人倫門54四〕

とあって、標記語「長吏」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

長吏(チヤウリ) 。〔言辞門48六〕

とあって、標記語「長吏」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「長吏」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

624長吏 三井寺之東寺用之也。〔謙堂文庫蔵五五左C〕

とあって、標記語「長吏」の語を収載し、語注記は「三井寺はこれを用い、東寺これを用いるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

聖道(シヤウダウ)一寺検校(ケンゲフ)(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕

とあって、この標記語「長吏」とし、語注記は「聖道は、一寺の検校(ケンケウ)・執(シユ)行・別當(ベツトウ)。金剛峯寺なんどには、一寺の主を検校(ケンゲフ)と云ふ。叡山(ヱイザン)には、座主(ザス)と云ふなり。東寺、長者と申すなり。書冩(シヨシヤ)には、院主(インジユ)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

長吏(ちやうり)長吏 三井寺にある役僧なり。〔84ウ一・二〕

とあって、この標記語「長吏」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)橋(ほつきやう)律師(りつし)聖道者一寺検校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師▲長吏ハ勧修寺(くハんしゆじ)西園寺(さいをんし)の住持(ちうち)の称(せう)。〔61ウ四、62オ二〕

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲長吏ハ勧修寺(くわんしゆし)西園寺(さいをんじ)の住持(ぢうぢ)の称。〔110ウ四、111オ五・六〕

とあって、標記語「長吏」の語をもって収載し、その語注記は、「長吏は、勧修寺(くわんしゆし)西園寺(さいをんじ)の住持(ぢうぢ)の称」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho<ri.チャウリ(長吏) Votona.(長) 他の人々が認めている頭(かしら),または,長.〔邦訳128l〕

とあって、標記語「長吏」の語の意味は「Votona.(長) 他の人々が認めている頭(かしら),または,長」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃう-〔名〕【長吏】寺務を統ぶる長(をさ)。即ち寺主。(勸修寺、園城寺等に)源平盛衰記記、三十四、木曾可追討由事「法皇は、天台座主明雲僧正、寺の長吏、八條宮を法住寺の御所に招請し」〔1283-3〕

とあって、標記語「ちゃう-〔名〕【長吏】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょう-長吏】〔名〕@中国で、吏(下級役人)の中で六百石以上の比較的俸禄・官位の高い役人。A専門的な能力・技術をもって朝廷につかえる集団の構成員のうち、特にすぐれたもの。B仏語。一寺院首席としてその寺務を統理、総管する地位。また、その地位にある僧。特に、園城寺・勧修寺・延暦寺の横川楞厳院(よこかわりょうごいん)などで用いた称。他の寺院の座主(ざす)・検校(けんぎょう)・別当などにあたる。C中世、畿内、近国で、非人集団を統率する頭の称。特に、江戸時代、大坂で、与力・同心に属して犯罪人の探索や逮捕などの目明かしの仕事に当たった非人の頭の称。非人の居住地として、鳶田・千日・天満・天王寺が決められ、それぞれの集団の四人の長を称した。D江戸時代、主として関東での穢多(えた)の別称。もと賤民統制の職名であったが、身分の称となった。穢多頭弾左衛門の支配をうける地方在住の穢多を在方(ざいかた)長吏といい、それを支配するものを長吏小頭と呼んだ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
雜色時澤、爲使節上洛是園城寺長吏、僧正房覺、痢病危急之由、依有其聞、被訪申之故也武衛、日來御祈祷等事、被仰付〈云云〉《訓み下し》雑色時沢、使節トシテ上洛ス。是レ園城寺ノ長吏()、僧正房覚、痢病危急ノ由、其ノ聞エ有ルニ依テ、之ヲ訪ヒ申サルルガ故ナリ。武衛、日来御祈祷等ノ事、仰セ付ケラルト〈云云〉。《『吾妻鏡元暦元年五月十二日の条、》
 
 
執行(シユギヤウ)」は、ことばの溜池(2003.08.09)を参照。
別當(ベツタウ)」は、ことばの溜池(2004.03.14)を参照。
 
2004年10月30日(土)雨時々曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)
検校(ケンゲフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

紂衍(ゲウ) 。〔元亀二年本214二〕〔静嘉堂本243六〕

(ケウ) 。〔天正十七年本中51オ五〕

とあって、標記語「検校」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕

聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕

聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕

聖道者(ニハ)一寺檢校執行別當長吏()學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕

聖道(シヤウダウ)()一寺検校(ケンケフ)(シ )行別當長吏()学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕

聖道者一寺檢校(ケンゲウ)執行(シユキヤウ)別當長吏()学頭(カクトウ)座主(ザス)院主執當(シツタウ)先達(せンタツ)阿闍梨( シヤリ)法橋(ホツケウ)律師(リツシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・経覺筆本は「検校」、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本には「檢校」と記載し、訓みは経覺筆本「ケンケフ」、文明四年本「ケンゲフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

紂衍カンカヘクラフ ケンチヤウ。〔黒川本・官職門中100六〕

紂衍 〃田。〃納。〃畠。〃注。〃對。〃察。〃知。〃網マウ。〔卷第七・畳字門19三〕

とあって、標記語「紂衍」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「検校」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ケンゲフカンガウ、カウ・カンガウ)[上・去] 坐頭亦用。〔官位門591五〕

とあって、標記語「検校」の語を収載し、語注記に「坐頭も亦、此の官の名を用いるなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

紂衍(ケンゲウ) 。〔・人倫門173三〕

紂衍(ケンゲウ) 官位名坐頭モ亦用此官名。〔・官名門173六〕

使(ケンシ) ―見()犬追者(ゲウ)。〔・人倫門142一〕

使(ケンシ) ―見犬追者。〔・人倫門131八〕

とあって、弘治二年本に標記語「紂衍」の語を収載し、官名門の語には、広本節用集』に依拠する注記が見えている。他本は「使」の熟語群として「検校」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

檢校(ケンゲウ) 。〔官位門144三〕

とあって、標記語「檢校」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「検校」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』、弘治二年本節用集』の語注記とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

622人具(ニンク)法師等也聖道一寺検校 房主高野本検校也。〔謙堂文庫蔵五五左B〕

とあって、標記語「検校」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

聖道(シヤウダウ)一寺検校(ケンゲフ)(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕

とあって、この標記語「検校」とし、語注記は「聖道は、一寺の検校(ケンケウ)・執(シユ)行・別當(ベツトウ)。金剛峯寺なんどには、一寺の主を検校(ケンゲフ)と云ふ。叡山(ヱイザン)には、座主(ザス)と云ふなり。東寺、長者と申すなり。書冩(シヨシヤ)には、院主(インジユ)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんぎやう)聖道者一寺検校 一寺の主なり。金剛峯寺(こんこうほうじ)にハ検校と云。叡山(ゑいさん)にてハ座主と云。東寺(とうじ)にてハ長者と云。書写(しよしや)にてハ院主といふとなり。〔84オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「検校」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)橋(ほつきやう)律師(りつし)聖道者一寺検校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師▲檢校ハ高野(かうや)一山(いつさん)の主(ぬし)の稱(せう)。〔61ウ四、62オ一〕

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲檢校ハ高野(かうや)一山(いつさん)の主(ぬし)の称(しよう)。〔110ウ四、111オ五〕

とあって、標記語「検校」の語をもって収載し、その語注記は、「検校は、高野(かうや)一山(いつさん)の主(ぬし)の称(しよう)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qengueo>.l,qenguio>.ケンゲゥまたは,ケンギョゥ(検校) 聖道(Xo<do)の坊主(Bonzos)のある職,または,ある位.¶また,盲人間にある一つの位であって,これによって学者として遇せられるもの.※Xo<do<とあるべきもの.〔邦訳485l〕

とあって、標記語「検校」の語の意味は「聖道(Xo<do)の坊主(Bonzos)のある職,または,ある位」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けん-げう〔名〕【檢校】〔檢す、校(カウ)すの語原を見よ、ケウは、校(カウ)の呉音。獄令、義解「紂衍、猶勘問也」寺官抄「事務を檢知、校量する義、緇流に在ては、寺務に異ならず」(有職故實辭典)名目抄「檢」」〕(一)檢(あらた)め、校(かんが)ふること。檢閲すること。王建詩「騎馬城西垂仁紀、廿六年八月「遣使者於出雲國、雖其國之~寳、無分明申言者宮衞令「凡鹵簿内、不横入、其監仗之官、檢校者、得去來(二)僧尼を監督する職。推古紀、三十二年四月「自今以後、任僧正僧都、仍應僧尼日本靈異記、上、第五縁「僧尼檢校」(推古の御代なり)後に、寺社にありて、總務を監督する僧官、石清水八幡宮、熊野三山、東大寺、金剛峯寺(高野山)、金峯山寺、等の上首なり。文コ實録、七、齊衡二年九月「修理東大寺大佛司檢校沙石集、二、下、第十條「高野に、南證房の檢校寛海といふ人」(三)盲官の名、次條を見よ。〔0626-5〕

とあって、標記語「けん-げう〔名〕【檢校】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けん-ぎょう検校紂衍】[一]〔名〕@(―する)物事を点検し、誤りをただすこと。また、その職。けんこう。A(―する)特に、寺社の寺務、僧尼の監督などをすること。また、その職。B一山、一寺の頭領。高野、東大寺、熊野あるいは楞厳院(りょうごんいん)、平等院などに置かれた職名。また、醍醐寺では前座主の称。C荘園の職員の一つ。荘官の最高責任者。平安・鎌倉時代に見える。D盲人に与えられた最高の官名。撞木杖(しゅもくづえ)、紫衣を許された。検校職。建業。[二]赤楽茶碗。陶工長次郎作、七種茶碗の銘の一つ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
法印權大僧都成清書状參著今月二日、補石清水檢校〈云云〉《訓み下し》法印権大僧都成清ノ書状参著ス。今月二日ニ、石清水ノ検校ニ補セラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久三年二月十四日の条、》
 
 
2004年10月29日(金)曇り一時小雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
一寺(イチジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、標記語「一寺」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕

聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕

聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕

聖道者(ニハ)一寺檢校執行別當長吏()學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕

聖道(シヤウダウ)()一寺検校(ケンケフ)(シ )行別當長吏()学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕

聖道一寺檢校(ケンゲウ)執行(シユキヤウ)別當長吏()学頭(カクトウ)座主(ザス)院主執當(シツタウ)先達(せンタツ)阿闍梨( シヤリ)法橋(ホツケウ)律師(リツシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「一寺」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一寺」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「一寺」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「一寺」の語は未収載にあり、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

622人具(ニンク)法師等也聖道一寺検校 房主高野本検校也。〔謙堂文庫蔵五五左B〕

とあって、標記語「一寺」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

聖道(シヤウダウ)一寺検校(ケンゲフ)(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕

とあって、この標記語「一寺」とし、語注記は「聖道は、一寺の検校(ケンケウ)・執(シユ)行・別當(ベツトウ)。金剛峯寺なんどには、一寺の主を検校(ケンゲフ)と云ふ。叡山(ヱイザン)には、座主(ザス)と云ふなり。東寺、長者と申すなり。書冩(シヨシヤ)には、院主(インジユ)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんぎやう)聖道一寺検校 一寺の主なり。金剛峯寺(こんこうほうじ)にハ検校と云。叡山(ゑいさん)にてハ座主と云。東寺(とうじ)にてハ長者と云。書写(しよしや)にてハ院主といふとなり。〔84オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「一寺」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)橋(ほつきやう)律師(りつし)聖道者一寺検校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔61ウ四〕

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)〔110ウ四〕

とあって、標記語「一寺」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ichiji.イチジ(一寺) Fitotcuno tera.(一つの寺)一つの寺院,または,イゲレジヤ(Igreja 教会).※原文はvarela.〔Teraの注〕⇒次条.〔邦訳326l〕

Ichiji.イチジ(一寺) ¶また、僧院の全体,または,僧院の人々全部.〔邦訳326l〕

とあって、標記語「一寺」の語の意味は「Fitotcuno tera.(一つの寺)一つの寺院,または,イゲレジヤ(Igreja 教会)」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「いち-〔名〕【一寺】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いち-一寺】〔名〕一つの寺。また、その寺全体。謡曲・鞍馬天狗(1480頃)「安芸(あき)の守(かみ)清盛が子どもたるによって、一寺の賞翫他山の覚え」*日葡辞書(1603-04)「Ichiji(イチジ)。ヒトツノ テラ」書言字考節用集(1717)一〇「一寺 イチジ 又云一院」*張?-題虎丘西寺詩「塵楚城外、一寺枕通波」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
土左上人、琳献歸國令止住關東、可掌一寺別當職之由、頻雖抑留給、於土左冠者墳墓可凝佛事之旨、申請之間、有御錢別會 《訓み下し》土佐ノ上人、琳猷帰国ス。関東ニ止住セシメ、一寺ノ別当職ヲ掌ルベキノ由、頻ニ抑留シ給フト雖モ、土佐ノ冠者ノ墳墓ニ於テ仏事ヲ凝ラスベキノ旨、申シ請クルノ間、御銭別ノ会有リ。《『吾妻鏡』元暦二年五月二日の条、》
 
 
聖道(シヤウダウ)」→ことばの溜池(2001.09.19)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

聖道(シヤウダウ)一寺検校(ケンゲフ)(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕

とあって、この標記語「聖道」とし、語注記は「聖道は、一寺の検校(ケンケウ)・執(シユ)行・別當(ベツトウ)。金剛峯寺なんどには、一寺の主を検校(ケンゲフ)と云ふ。叡山(ヱイザン)には、座主(ザス)と云ふなり。東寺、長者と申すなり。書冩(シヨシヤ)には、院主(インジユ)と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

聖道(しやうだう)()一寺(いちじの)検校(けんぎやう)聖道者一寺検校 一寺の主なり。金剛峯寺(こんこうほうじ)にハ検校と云。叡山(ゑいさん)にてハ座主と云。東寺(とうじ)にてハ長者と云。書写(しよしや)にてハ院主といふとなり。〔84オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「聖道」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃう-だう〔名〕【聖道】(一)佛家の語。眞言、天台、二宗の僧の稱。庭訓往來、十月「唱道者、一寺檢校、執行、別當」(二)寺院の兒童(ちご)の稱。太平記、廿九、松岡城周章事「禪僧に成たらば、沙彌、喝食に指さし、聖道に成たらば、兒共に笑はれずと云ふ事、あるべからず」〔0968-1〕

とあって、標記語「しゃう-だう〔名〕【聖道】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょう-だう聖道】〔名〕仏語。@仏のさとり。A「しょうどうもん(聖道門)」の略。B法相・三論・天台・真言宗など、自力でこの世で悟りを得ようとする宗派の僧」とあって、Bの意味用例にこの『庭訓徃來』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
一切(さい)顯密(けんミつ)聖道(しやうだう)浄土(じやうど)の法門(ほうもん)宗々(しう/\)(まち/\)なりといへども、いづれの法門(ほうもん)もミな一心(しん)の本源(ほんげん)を知(しら)しめんがため也。《『聖コ太子伝』(寛文六年版)卷九冊23オ》
暴風違時秋者、立密壇而豊沽渇於五穀之味、仰見之、依 聖道之徳化、伏思之、非高祖之加被乎、上自 一人下至万民、誰人不浴(戴)大師之恩徳乎、《『東寺百合文書(わ函)』建治元年八月十八日の条、1・7/271》
 
 
2004年10月28日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
法師(ホフシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

法師() 。〔元亀二年本42三〕〔天正十七年本上24オ三〕

法師 。〔静嘉堂本46三〕

とあって、標記語「法師」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔至徳三年本〕

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔宝徳三年本〕

律僧者長老知事典座沙弥八齋戒人工法師等也〔建部傳内本〕

律僧ニハ者長老知事典座(テンソ)沙弥八齋戒人工法師等也〔山田俊雄藏本〕

律僧者()長老知事典座沙彌八齋戒人具法師等也〔経覺筆本〕

律僧者()長老知事(チシ)典座(テンソ)沙弥八齋戒(サイカイ)人工()法師等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「法師」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

法師 ホフシ。〔黒川本・人倫門上34オ七〕

法師 。〔卷第二・人倫門303六〕

とあって、標記語「法師」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「法師」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

法師(ホフシノリ、モロ/\・ヲシユ)[入・○] 。〔人倫門96二〕

とあって、標記語「法師」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

法師(ホウシ) 。〔・人倫門32七〕

法師(ホウシ)ホツシ 。〔・人倫門33二〕

法師(ホウシ) ―眼。―橋。―印。〔・人倫門29八〕

法師(ホツシ) 。〔・人倫門35二〕

とあって、標記語「法師」の語を収載し、訓みは「ホウシ」と「ホツシ」とする。また、易林本節用集』に、

法師(ホフシ) 。〔人倫門29六〕

とあって、標記語「法師」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「法師」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

622人具(ニンク)法師等也聖道一寺検校 房主高野本検校也。〔謙堂文庫蔵五五左B〕

とあって、標記語「法師」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

律僧(リツソウ)者長老知事(チシ)典座(テンゾ)沙弥(シヤミ)八齋戒(サイカイ)人工()法師等也トハ。初家(シヨケ)行人ナリ。人工法師ハ如常。〔下32ウ三・四〕

とあって、この標記語「法師」とし、語注記は「人工法師は常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

八齊戒(はつさいかい)の人々(ひと/\)法師(ほうし)等(とう)也八齊戒人々法師等也 齊戒ハ身心を潔白にしてものいミする事なり。其仕方八通りあるゆへ八齊戒と云。又ある説にハ座齊(ざさい)(げう)齊寢(しん)齊に五戒(ごかい)を并せて云といえり。是ハ此齊戒をつとめたる仏法皈依の人と法師とをいふなり。人々を人工と書たる本もあり。是ハ前に調菜人工者とあるによりてあやまりたるなるへし。〔84オ五〜七〕

とあって、この標記語「法師」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』における標記語「工法師」の語については、上記「人具」のところに記載したので参照されたい。

 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo>xi.ホウシ(法師) 剃髪者,または,坊主(Bozo).¶Fo>xini naru.(法師になる)坊主(Bozo),または,剃髪者になる.〔邦訳266r〕

とあって、標記語「法師」の語の意味は「剃髪者,または,坊主(Bozo)」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほう-〔名〕【法師】ほふし(法師)の音便。倭名抄、五3、官名「玄蕃寮、保宇之萬良比止乃豆加佐」催馬樂、老鼠「保宇之に申さむ、師に申せ」源氏物語、五、若紫6「後の世のつとめもいとよくして、中中ほうしまさりしたる人になん侍りける」〔1824-4〕

ほふ-〔名〕【法師】(一)又、ほうし。ほっし。法(のり)の師()。佛教の師匠。能く佛法に通じて、人の師たるもの。僧の通稱。出家。法華經、序品「常修梵行、皆爲法師法華文句「法者軌則也、師者訓師也、云云」嘉祥法華經疏、九「以人能上弘大法、下爲物師、故云法師字類抄、「法師催馬樂、老鼠「西寺の老鼠、若鼠、御裳?(つん)づ、袈裟?づ、保宇之に申さむ、師に申せ」古今著聞集、十六、興言利口、妙音院入道殿の孝道朝臣の不當の振舞を怒りて「やすからぬ者哉、法師はしなばやと仰せられたりける」義經記、二、鬼一法眼事「一條堀河に、陰陽師の法師に鬼一法眼とて、文武二道の達者あり」(二)昔、男の兒は、すべて頭髪を剃れり、故に、一に法師と稱す。男の子。ぼっち。ぼんち。御隨身三上記(永正)「小法師、廿九日夜半ばかりに誕生候」守武千句(天文)「いつか法師の浮び出でまし(男子出生)、まうくるも、又もうくるもあま小舟(女子)、受けがたきこそ、人身(じんしん)と知れ」(三)人の義として、種種の語に添へて、名詞を作る語。痩法師、影法師、一寸法師、などの如し。〔1850-2〕

とあって、標記語「ほう-〔名〕【法師】」「ほふ-〔名〕【法師】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-法師】〔名〕@仏語。出家して仏道を修行し、仏法に精通して、衆生を正しく導く師となる者。A僧侶。出家。B(昔、男の子は頭髪をそっていたところからいう)男の子。坊(ぼう)。C俗人の法体した者。特に琴、三味線の師匠をし、また遊興の相手などする座頭。D「ほうしむしゃ(法師武者)」の略。Eある語に添えて「人」の意を表わす語。多く「ぼうし」と濁る。「一寸法師」「影法師」など」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。

[ことばの実際]
去月比、佐々木小太郎兵衛尉定重、於近江國彼庄、刃傷日吉社宮仕法師等《訓み下し》去ヌル月ノ比ニ、佐佐木ノ小太郎兵衛ノ尉定重、近江ノ国ノ彼庄ニ於テ、日吉ノ社ノ宮仕法師等ヲ刃傷ス。《『吾妻鏡』建久二年四月五日の条、》
足利尊氏下文〔如意庵領備前国居都庄等文書〕(尊氏)下 寺岡五郎兵衛尉 法師法名可令早領知前国居都庄下方地頭・伯耆国竹田郷地頭職伯耆国竹田郷地頭伊賀左衛門三郎跡 事、右以人、為勲功之賞〓宛行也 《『大コ寺文書』暦応二年八月廿六日の条、1626・4/107》
 
 
2004年10月27日(水)曇り一時雨、夕方複虹。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
人具(ニング)」=「人工(ニング)」(2004.10.18)参照&「工法師(クホフシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「尓」「久」部に、「人具」及び「工法師」の語は未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔至徳三年本〕

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔宝徳三年本〕

律僧者長老知事典座沙弥八齋戒人工法師等也〔建部傳内本〕

律僧ニハ者長老知事典座(テンソ)沙弥八齋戒人工法師等也〔山田俊雄藏本〕

律僧者()長老知事典座沙彌八齋戒人具法師等也〔経覺筆本〕

律僧者()長老知事(チシ)典座(テンソ)沙弥八齋戒(サイカイ)人工()法師等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本が「人工」と記載し、ここで経覺筆本だけが真字本と同じく「人具」と表記している。訓みは、文明四年本に「(ニン)ク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「人工」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「人具」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「人具」の語はすべて未収載にあり、これを、古写本経覺筆本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

622人具(ニンク)法師等也聖道一寺検校 房主高野本検校也。〔謙堂文庫蔵五五左B〕※天理図書館蔵本は「人工」と表記する。※国会図書館蔵左貫注は、「人工」とし書込みに「―具イ」と記載し、「雑人等ノ亊也」と云う。

とあって、標記語「人具」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

律僧(リツソウ)者長老知事(チシ)典座(テンゾ)沙弥(シヤミ)八齋戒(サイカイ)人工()法師等也トハ。初家(シヨケ)行人ナリ。人工法師ハ如常。〔下32ウ三・四〕

とあって、この標記語「人工」とし、語注記は「人工法師は常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

八齊戒(はつさいかい)の人々(ひと/\)法師(ほうし)等(とう)也八齊戒人々法師等也 齊戒ハ身心を潔白にしてものいミする事なり。其仕方八通りあるゆへ八齊戒と云。又ある説にハ座齊(ざさい)(げう)齊寢(しん)齊に五戒(ごかい)を并せて云といえり。是ハ此齊戒をつとめたる仏法皈依の人と法師とをいふなり。人々を人工と書たる本もあり。是ハ前に調菜人工者とあるによりてあやまりたるなるへし〔84オ五〜七〕

とあって、この標記語「人々」の語として収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

律僧(りつそう)()長老(ちやうらう)知事(ちじ)典座(てんそ)沙彌(しやみ)八齋戒(はつさいかい)乃人工師()等(とう)也(なり)律僧者長老知事典座沙弥八齋戒工法師等也▲工法師ハいにしへ縫針(ぬひはり)剪截(たちもの)切盛(きりもり)等の事を司る僧(つかさどるそう)也とぞ。〔61ウ一、三・四〕

律僧(りつそう)()長老(ちやうらう)知事(ちじ)典座(てんそ)沙彌(しやみ)八齋戒(はつさいかいの)(ひと)工法師(くほふし)(とう)(なり)▲工法師ハいにしへ縫針(ぬひはり)剪截(たちもの)切盛(きりもり)等の事を司(つかさど)る僧(そう)也とぞ。〔110オ六、110ウ三・四〕

とあって、標記語「工法師」なる語をもって収載し、その語注記は、「工法師は、いにしへ縫針(ぬひはり)剪截(たちもの)切盛(きりもり)等の事を司(つかさど)る僧(そう)也とぞ」と記載する。そして、この「工法師」なる語はすべての国語辞書には見えていない語となっている。このように、江戸期のこの語に対する標記及び注釈は個々区々である。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「人具」及び「工法師」の語は未収載にする。さらに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』、そして現代の『日本国語大辞典』第二版においても、標記語「にん-〔名〕【人具】」及び「-ほふし〔名〕【工法師】」の語は未収載となっている。これにより『庭訓徃來』のこの語用例は未収載となる。
[ことばの実際]※他資料に「人具」の標記及び江戸注釈書「工法師」の語は未審。用例を索むべし。
 
 
2004年10月26日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
八齊戒(ハチサイカイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」「佐」部に、標記語「八齊戒」「齊戒」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔至徳三年本〕

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔宝徳三年本〕

律僧者長老知事典座沙弥八齋戒人工法師等也〔建部傳内本〕

律僧ニハ者長老知事典座(テンソ)沙弥八齋戒人工法師等也〔山田俊雄藏本〕

律僧者()長老知事典座沙彌八齋戒人具法師等也〔経覺筆本〕

律僧者()長老知事(チシ)典座(テンソ)沙弥八齋戒(サイカイ)人工()法師等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「八齊戒」と記載し、訓みは文明四年本に「(ハチ)サイカイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「八齋戒」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「八齊戒」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

齋戒(サイカイモノイミ、イマシム)[平・去] 。〔態藝門786七〕

とあって、標記語「齋戒」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「八齋戒」「齋戒」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

齋戒(サイカイ) ―日(ニチ)。―食(ジキ)。〔言辞門183七〕

とあって、標記語「齋戒」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「齋戒」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本では「八齊戒」として収載している。数詞「八」を冠した語は古辞書では見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

621典座(テンス)沙弥八齊(−サイ)ノ(カイ) 齊戒五戒三皈故号只八齊。戒行者也。〔謙堂文庫蔵五五左A〕

※「八齊戒トハ禅家ノ行者也。庭ナトヲ掃者也」〔天理図書館蔵『庭訓往來註』頭冠書込み〕

とあって、標記語「八齊戒」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

律僧(リツソウ)者長老知事(チシ)典座(テンゾ)沙弥(シヤミ)八齋戒(サイカイ)人工()法師等也トハ。初家(シヨケ)行人ナリ。人工法師ハ如常。〔下32ウ三・四〕

とあって、この標記語「八齋戒」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

八齊戒(はつさいかい)の人々(ひと/\)法師(ほうし)等(とう)也八齊戒人々法師等也 齊戒ハ身心を潔白にしてものいミする事なり。其仕方八通りあるゆへ八齊戒と云。又ある説にハ座齊(ざさい)(げう)齊寢(しん)齊に五戒(ごかい)を并せて云といえり。是ハ此齊戒をつとめたる仏法皈依の人と法師とをいふなり。人々を人工と書たる本もあり。是ハ前に調菜人工者とあるによりてあやまりたるなるへし。〔84オ五〜七〕

とあって、この標記語「八齊戒」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

律僧(りつそう)()長老(ちやうらう)知事(ちじ)典座(てんそ)沙彌(しやみ)八齋戒(はつさいかい)乃人工師()等(とう)也(なり)律僧者長老知事典座沙弥八齋戒工法師等也▲八齊戒ハ殺生偸盗(ちうとう)邪淫(じやいん)妄語(もうご)飲酒(おんじゆ)の五戒に座行寐(ざぎやうしん)の三齊を併(あハ)していふ。〔61ウ一、三〕

律僧(りつそう)()長老(ちやうらう)知事(ちじ)典座(てんそ)沙彌(しやみ)八齋戒(はつさいかいの)(ひと)工法師(くほふし)(とう)(なり)▲八齊戒ハ殺生(せつしやう)偸盗(ちうとう)邪淫(じやいん)妄語(まうご)飲酒(おんじゆ)の五戒に座行寐(ざぎやうしん)の三齊を併(あハ)していふ。〔110オ六、110ウ二・三〕

とあって、標記語「八齋戒」の語をもって収載し、その語注記は、「八齊戒は、殺生(せつしやう)偸盗(ちうとう)邪淫(じやいん)妄語(まうご)飲酒(おんじゆ)の五戒に座行寐(ざぎやうしん)の三齊を併(あハ)していふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「八齊戒」「齊戒」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さい-かい〔名〕【齋戒】〔禮記、祭統篇「際之爲言、齊(とゝのふる)也」祭らむとして、心を齊ふるなり、轉じて清潔、敬愼の意となる、正韻「齋、潔也、莊也」廣雅「敬也」説文「戒、警(イマシム)也」〕いもひ。ものいみ。きよまはり。身心を清め、汚穢に觸るるを忌むこと。祭を行ふなどに云ふ。易經、繋辭

上傳「聖人以斎戒、以~ニス其コ夫」注「洗心曰、防患曰」「沐浴斎戒〔0754-2〕

とあって、標記語「さい-かい〔名〕【齋戒】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はち-さいかい八齋戒】〔名〕→はっさいかい(八齋戒)」「はっ-さいかい八齋戒】〔名〕(梵astaniga-saman-vagatopavasaの意訳)仏語。在家信者が六齋日に守る出家の戒。諸説あるが、不殺生、不偸盗(ふちゅうとう)、不婬、不妄語、不飲酒(ふおんじゅ)、化粧や歌舞に接しない、高くゆったりした床で寝ない、昼すぎに食事しないなどの八戒。八戒齋。八関齋、八関齋法、八戒、近住(ごんじゅう)戒などとも」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
葉室浄住寺 長老名字 顕性房性守光明院奉行 八斉戒 順正施入 浄住寺光明院 合水田弐段、在山城国拝師庄内号森下右子細者、後宇多院去正和二年以拝師庄、元民部省田、勅施東寺 《『東寺百合文書(へ函)』康永二年三月七日の条、68 ・2/838》
 
 
長老(チヤウラウ)」は、ことばの溜池(2000.12.12)を参照。
知寺知事(チジ)」は、ことばの溜池(2004.09.14)を参照。
典座(テンゾ)」は、ことばの溜池(2004.09.19)を参照。
沙弥(シヤミ)」は、ことばの溜池(2004.07.03)を参照。
 
2004年10月25日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
律僧(リツソウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「利」部に、

律僧(ゾウ) 。〔元亀二年本71十〕

律僧 。〔静嘉堂本86四〕

律僧(ソウ) 。〔天正十七年本上43オ六〕

とあって、標記語「律僧」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔至徳三年本〕

律僧者長老知寺典座沙弥八齋戒人工法師等也〔宝徳三年本〕

律僧者長老知事典座沙弥八齋戒人工法師等也〔建部傳内本〕

律僧ニハ者長老知事典座(テンソ)沙弥八齋戒人工法師等也〔山田俊雄藏本〕

律僧()長老知事典座沙彌八齋戒人具法師等也〔経覺筆本〕

律僧()長老知事(チシ)典座(テンソ)沙弥八齋戒(サイカイ)人工()法師等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「律僧」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「律僧」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「律僧」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

律僧(リツソウノリ、―)[入・平] 異名律師。南山家。南山教。〔人倫門189七〕

とあって、標記語「律僧」の語を収載し、語注記に「異名律師。南山家。南山教」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

律僧(リツソウ) 。〔・人倫門56四〕〔・人倫門56八〕〔・人倫門51八〕〔・人倫門60二〕

とあって、標記語「律僧」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

律僧(リツソウ) 。〔人倫門56二〕

とあって、標記語「律僧」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「律僧」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、真字本には見えていないものである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

619律僧者長老 長阿含曰有三長老。謂耆年長老年老法長老子違法性内智徳作長老假号肇法師曰内有可尊之故長老ト|也云々。〔謙堂文庫蔵五五左@〕

とあって、標記語「律僧」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

律僧(リツソウ)者長老知事(チシ)典座(テンゾ)沙弥(シヤミ)八齋戒(サイカイ)人工()法師等也トハ。初家(シヨケ)行人ナリ。人工法師ハ如常。〔下32ウ三・四〕

とあって、この標記語「律僧」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

律僧(りつそう)()長老(ちやうらう)律僧者長老 前に注す。〔84オ三・四〕「律宗」(2000.11.25)を参照

とあって、この標記語「律僧」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

律僧(りつそう)()長老(ちやうらう)知事(ちじ)典座(てんそ)沙彌(しやみ)八齋戒(はつさいかい)乃人工師()等(とう)也(なり)律僧長老知事典座沙弥八齋戒人工法師等也▲律宗ハ四月の進状に。長老ハ九月の進状に。知事典座沙弥ハ共に前に見ゆ。〔61ウ一、二・三〕

律僧(りつそう)()長老(ちやうらう)知事(ちじ)典座(てんそ)沙彌(しやみ)八齋戒(はつさいかいの)(ひと)工法師(くほふし)(とう)(なり)▲律宗ハ四月の進状に。長老ハ九月の進状に。知事典座沙弥ハ共に前(まへ)に見ゆ。〔110オ六、110ウ二・三〕

とあって、標記語「律僧」の語をもって収載し、その語注記は、別状に記載することを指示している。ここで、「律宗」と「律僧」の語を同語異表記の語として取り扱っている。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「律僧」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

りッ-ソウ〔名〕【律僧】律宗の僧。庭訓往來、十月「律僧者、長老、知事、典座、沙彌、八斎戒、人工法師等也」太平記、十一、金剛山寄手等被誅事」「各入道出家にて、律僧ノ形ニ成リ、云云」〔2124-2〕

とあって、標記語「りッ-ソウ〔名〕【律僧】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「りつ-そう律僧】〔名〕@持律・持戒の僧。A律宗の僧侶。B戒律の定めに従った法衣を着する僧」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例をAに記載にする。
[ことばの実際]
散花行道之時、衆僧并楽人等経橋上行道云々、僧衆皆南都一門律僧候、導師思縁上人也、此外近来不奉及也云々《『醍醐寺文書』(年月日未詳)1706・8/11》
 
 
2004年10月24日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→昨日、左足首痛める自宅静養
火鈴振(コリンふり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

火鈴(コリン) 。〔元亀二年本231九〕〔静嘉堂本266三〕〔天正十七年本中62オ二〕

とあって、標記語「火鈴」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「火鈴振」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「コリン(ふり)」、経覺筆本・文明四年本に「コリンフリ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「火鈴振」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「火鈴振」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

火鈴(コリンヒ、レイ・スヾ)[上・○] 。〔器財門662六〕

とあって、標記語「火鈴」の語を収載している。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

火鈴(コリン) 。〔・財宝門188一〕〔・財宝門154七〕〔・財宝門144七〕

とあって、標記語「火鈴」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

火燵(コタツ) ―踏(タツ)―鈴(リン)/―箸()。〔器財門158二〕

とあって、標記語「火燵」の「火」の熟語群として「火鈴」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「火鈴」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には「火鈴振」収載しているのである。古辞書では、江戸時代の『書言字考節用集』に収載を見る語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

618出-納山_コ_門守(モンマホリ)火鈴(コリン)等也 火之用也。自聖徳太子也。〔謙堂文庫蔵五五右H〕

出納(  ツノウ)山守(モリ)()( リ)門守( ンス)火鈴(コリン)等也 火之用也。自聖徳太子始也。〔天理図書館蔵『庭訓往來註』〕

出納山守木守門守火鈴振等也 火之用也。自聖コ太子始落也。〔国会図書館蔵『左貫注庭訓』〕火鈴―鐘皷鳴開哉/―−()−−ハ昔ハ用心ヲ勤ル者也。

とあって、標記語「火鈴振」の語を収載し、語注記には「火の形{刑・戒}の用なり。聖徳太子より始まるなり」と記載する。他にこの注記は見えず、真字本諸本共通の語注記でもある。

 古版庭訓徃来註』では、

火鈴(リン)(フリ)等也ト云事ハ寺ニハ寮(レウ)塔頭(タツチウ)多シ。僧衆是ニ居ル也。打飯(チヤウハン)ヲ叩(タヽヒテ)時ヲ告ルナリ。〔下32ウ二〕

とあって、この標記語「火鈴振」とし、語注記は、「と云事は、寺には寮(レウ)塔頭(タツチウ)多し。僧衆是に居るなり。打飯(チヤウハン)を叩(タヽヒテ)時を告るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

火鈴(こりん)(ふり)(とう)火鈴振等也 鈴をふりて火の用心をふれる者也。〔84オ三〕

とあって、この標記語「火鈴振」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲火鈴振ハ鈴(りん)をふりて火の用心を觸()るゝ者なり。〔60オ七、61ウ一〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲火鈴振ハ鈴(りん)をふりて火()の用心(ようじん)を觸()るゝ者なり。〔109オ四、110オ六〕

とあって、標記語「火鈴振」の語をもって収載し、その語注記は、「火鈴振は、鈴(りん)をふりて火()の用心(ようじん)を觸()るゝ者なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「火鈴振」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

コリン-ふり〔名〕【火鈴振】火鈴(こりん)の條を見よ。〔0745-3〕

-リン〔名〕【火鈴】〔火鈴(クワレイ)の宋音(下火(アコ)、火伴(コバン)、火榻子(コタツ))〕禪家にて、夜、巡更(ときまはり)し、火の用心を呼ぶに、振り鳴らす振鈴(シンレイ)。此事を勤むる者を、火鈴振(コリンふり)と云ふ。庭訓往來、十月三日「禪家者、堂頭和尚、云云、門守(カドモリ)火鈴振(コリンフリ)、等也」俚言集覽、火鈴(コリン)「古冩本、庭訓往來「火鈴振」注「戒火之用也」和訓栞、こりんふり「火鈴振と書けり、火の用心の役也」〔0745-1〕

とあって、標記語「こりん-ふり〔名〕【火鈴振】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こりん-ふり火鈴振】〔名〕禅寺で火鈴を振って火の用心にまわる人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2004年10月23日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
門守(モンス・モンシユ・かどもり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、

門守() 。〔元亀二年本348六〕〔静嘉堂本419二〕

とあって、標記語「門守」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「門守」と記載し、訓みは山田俊雄藏本が「(もん)ス」、文明四年本に「モンス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

闇人 カトモリ。〔黒川本・人倫門上77オ七〕

カトモリ/守門人也。〔卷三・人倫門187一〕

とあって、標記語「闇人」、「人・人」の語で、訓「かどもり」を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「門守」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

門守(モンシユカド、マボル)[平・去] 。〔人倫門1071八〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「門守」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

門守(モンシユ) 。〔・人倫門258五〕

(モン) ―派()。―跡。―役。―中。―守。〔・人倫門220七〕

門人(モント) ―派()。―跡。―役。―中。―守。―主。〔・人倫門206九〕

とあって、弘治二年本に標記語「門守」の語を収載し、他本は熟語群に収載されている。また、易林本節用集』に、

門主(モンシユ) ―徒()。―派()。―人(ジン)―守()。〔人倫門229三〕

とあって、標記語「門主」の熟語群に「門守」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「門守」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

618出-納山_コ_門守(モンマホリ)火鈴(コリン)振等也 火之用也。自聖徳太子也。〔謙堂文庫蔵五五右H〕

とあって、標記語「門守」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

山守(モリ)()門守(カトモリ)山守ハ薪(タキヽ)奉行(ブギヤウ)ナリ。木守(コモリ)同門主()此。〔下32ウ二〕

とあって、この標記語「門守」とし、語注記は、「門主()、此くのごとし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

門主(もんしゆ)門守 門の番人なり。〔83ウ七・八〕

とあって、この標記語「門守」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲門守ハ門戸(もんと)を司(つかさとる)り人の出入を改(あらた)むる役(やく)也。〔60オ七、61ウ一〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲門守ハ門戸(もんと)を司(つかさと)り人の出入を改(あらた)むる役(やく)也。〔109オ四、110オ五・六〕

とあって、標記語「門守」の語をもって収載し、その語注記は、「門守は、門戸(もんと)を司(つかさと)り人の出入を改(あらた)むる役(やく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Monsu.モンス(門守) 門番,守衛,すなわち,門の警備人.〔邦訳422l〕

とあって、標記語「門守」の語の意味は「門番,守衛,すなわち,門の警備人」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「かど-もり〔名〕【門守】」「もん-〔名〕【門守】」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かど-もり門守】〔名〕@「かどまもり(門守)」に同じ。天理本金剛般若經集験記平安初期点(850頃)「僧、捉門者(カトモリ)を問ひて曰はく」庭訓往来(1394-1428頃)「此外耆旧諸僧<略>山守・木守・門守・火鈴振等也」*俳諧・冬の日(1685)「火をかぬ火燵なき人を見む<芭蕉>門守の翁に帋子かりて寝る<重五>*春のことぶれ(1930)<釈迢空>東京詠物集「大君の大き御門の門守りは叱らむとすも我が着る物を」」A「かどもり(門守)の神」に同じ。神道名目類聚抄(1699)三「門守 看督長(かどのをさ)」」「もん-門守門司】〔名〕(「す」は「守」の呉音、「司」の唐宋音)門の番人。特に、寺の門番。玉塵抄(1563)一四「民の陣等の役にあたってつとむる者は今時の門役などし夜番ひるの番などする門司(ス)の如なぞ」*易林本節用集(1597)「門守 モンス」*俳諧・新増犬筑波集(1643)淀川・雑「山寺のかねのしもくは生木にて門守(モンス)が成(なり)をみればなた頭(まめ)」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は、標記語「かど-もり門守】〔名〕@」に記載する。
[ことばの実際]
 
 
 
2004年10月22日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
木守(こもり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「木枯(カラシ)。木密()。木舞(マイ)。木練(ネリ)。木傳(ヅタウ)。木取(トリ)。木屋()。木居()。木立(ダチ)。木印(コツグイ)。木玉(タマ)」の語を収載するが、標記語「木守」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「木守」と記載し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「コモリ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「木守」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「木守」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

木守(コモリ/ホクキ、シユウ・マボル)[入・去] 力者。〔人倫門656二〕

とあって、標記語「木守」の語を収載し、語注記に「力者」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

木守(コモリ) 同(力者官)。〔・人倫門186三〕

木守(コモリ) 同(力者頭官)。〔・人倫門152五〕

木守(コモリ) 同(力者)。〔・官名門143七〕

とあって、標記語「木守」の語を収載し、語注記に「力者の頭官」と記載する。また、易林本節用集』に、標記語「木守」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「木守」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

618出-納山__門守(モンマホリ)火鈴(コリン)振等也 火之用也。自聖徳太子也。〔謙堂文庫蔵五五右H〕

とあって、標記語「木守」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

山守(モリ)()門守(カトモリ)山守ハ薪(タキヽ)奉行(ブギヤウ)ナリ。木守(コモリ)同門主()此。〔下32ウ二〕

とあって、この標記語「木守」とし、語注記は、「木守(コモリ)は、同じく門主()、此くのごとし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

山守(やまもり)()山守木守 皆山はやしを守るもの也。〔83ウ七・八〕

とあって、この標記語「木守」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲山守木守ハ山林(さんりん)樹木(しゆもく)を守(まも)る者。〔60オ七、61オ八〜ウ一〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲山守木守ハ山林(さんりん)樹木(しゆもく)を守(まも)る者。〔109オ四、110オ四〕

とあって、標記語「木守」の語をもって収載し、その語注記は、「山守木守は、山林(さんりん)樹木(しゆもく)を守(まも)る者」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「木守」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-もり〔名〕【木守】〔宮木守(みやきもり)、山守、野守、同意〕庭木などを、守る者。枕草子、四、四十四段「こもりと云ふ者の、築地(ついじ)のほどに、庇さして居たるを、縁の下(もと)近く、呼寄せて、云云」舊今昔物語集、廿七、第三十二語「木幡(こはた)(山城)に、我が居たりし所には、木守に、雑色一人をなむ、置きたる」庭訓往來、十月「山守、木守、門守(かどもり)林逸節用集(文明)人倫「小舎人、木守(こもり)、火番(こばん)〔0456-5〕

とあって、標記語「-もり〔名〕【木守】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-もり木守】〔名〕@庭園などの樹木を守ること。また、その番人。A木材を加工する工人。小規模なな造作、修理を行なう工人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
瓦運立門並人夫、等食料卅七石一斗五升、車力三石一升五合、瓦焼料二石一斗、同木守目代等食六十五石一斗二升、方々料残一石三斗九升一合《『東大寺文書(図書成)』康和五年六月二十六日の条、912・9/220
 
 
2004年10月21日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
山守(やまもり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、「山伏(ブシ)役小角之流也。山彦(ビコ)木玉亊也。山立(ダチ)異名白波(シラナミ)ハクハ。山賤(カツ)。山路()。山回(カヘリ)。山女(ヲンナ)木通(アケヒ)。山祇(ツミ)。山科(シナ)。山名()平氏。山手()。山家()。山住(ズミ)。山田()。山城(シロ)始日山背后改日――也。山鬘(カツラ)東細布之亊。山迹()即太和也日本ハ名也日本記云天地開闢時人皆住其地未堅人迹見矣是以曰――也。曰山止人皆止住山故也。山芋(ヤマノイモ)」の十八語を収載し、標記語「山守」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「山守」と記載し、訓みは経覺筆本と文明四年本に「(やま)モリ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「山守」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「山守」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

山守(ヤマモリ/サンシユウ)[平・上去] 。〔態藝門562八〕

とあって、標記語「山守」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「山守」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「山守」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

618出-_コ_門守(モンマホリ)火鈴(コリン)振等也 火之用也。自聖徳太子也。〔謙堂文庫蔵五五右H〕

とあって、標記語「山守」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

山守(モリ)()守門守(カトモリ)山守ハ薪(タキヽ)奉行(ブギヤウ)ナリ。木守(コモリ)同門主()此。〔下32ウ二〕

とあって、この標記語「山守」とし、語注記は、「山守は、薪(タキヽ)奉行(ブギヤウ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

山守(やまもり)()山守木守 皆山はやしを守るもの也。〔83ウ七・八〕

とあって、この標記語「山守」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲山守木守ハ山林(さんりん)樹木(しゆもく)を守(まも)る者。〔60オ七、61オ八〜ウ一〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲山守木守ハ山林(さんりん)樹木(しゆもく)を守(まも)る者。〔109オ四、110オ四〕

とあって、標記語「山守」の語をもって収載し、その語注記は、「山守木守は、山林(さんりん)樹木(しゆもく)を守(まも)る者」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yamamori.ヤマモリ(山守) 山の番人,あるいは,山を守る人.〔邦訳809l〕

とあって、標記語「山守」の語の意味は「山の番人,あるいは,山を守る人」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やま-もり〔名〕【山守】古へ、山を守るを職とする者。其部(むれ)の民を、山守部(やまもりべ)と云ふ。山部。又、山の番人。萬葉集、三、42「山守の、ありける知らに、其山に、標結(しめゆ)ひ立てて、結ひの辱(はぢ)しつ」〔2056-5〕

とあって、標記語「やま-もり〔名〕【山守】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「やま-もり山守】〔名〕@山林を見まわって番をすること。また、それを職とする人。A特に、江戸時代、幕府諸藩の御林監守人。[方言]山林を管理する人《奈良》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
槻本里弐拾伍坪陸拾歩 川原里拾壱坪伍段 山守里参坪参佰捌 拾歩 中島里外弐拾肆坪弐段 正里弐坪弐段《『石清水文書(田中)』延久四年九月五日の条、122・1/270》
 
 
2004年10月20日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
出納(シユツナウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「出舉()。出入(ニウ)。出帶(ダイ)。出仕()。出頭(トウ)。出御(ギヨ)。出張(ヂヤウ)。出家()。出作(サク)。出行(ギヤウ)。出題(ダイ)。出府()。出山(サン)。出生(ヂヤウ)。出現(ゲン)。出状(シヤウ)。出物(モツ)。出本(ホン)。出陣(ヂン)。出離()。出遊(ユウ)。出世()。出來(ライ)。出立(リウ)。出院(イン)」の二十五語を収載するが、標記語「出納」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「出納」と記載し、訓みは文明四年本に「シユツナウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

出納 シユツナウ。〔黒川本・畳字門下82オ七〕

出納 〃入。〃九。〃物。〃舉。〔卷第九・畳字門219三〕

とあって、標記語「出納」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「出納」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

出納(シユツナウイズル、ヲサム)[去・入] 。〔官位門920三〕

とあって、標記語「出納」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「出納」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

出仕(シユツシ) ―納(ナフ)。―頭(トウ)。―物(モツ)。―世()/―生(シヤウ)。―身(シン)。―家()。〔言辞門216七〕

とあって、標記語「出仕」の熟語群として「出納」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「出納」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

618-_コ_門守(モンマホリ)火鈴(コリン)振等也 火之用也。自聖徳太子也。〔謙堂文庫蔵五五右H〕

とあって、標記語「出納」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

出納(シユツナウ)ハ。米銭(コメゼニ)ヲ納(ヲサム)ル人也。〔下32ウ一・二〕

とあって、この標記語「出納」とし、語注記は、「米銭(コメゼニ)を納(ヲサム)る人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

出納(しゆつのふ)出納 納戸(なんと)まかないなり。〔84オ一・二〕

とあって、この標記語「出納」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲出納ハ納戸賄(まかなひ)也。〔60オ七、61オ八〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲出納ハ納戸(なんと)(まかなひ)也。〔109オ四、110オ四〕

とあって、標記語「出納」の語をもって収載し、その語注記は、「出納は、納戸(なんと)(まかなひ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xutno<.シュツナウ(出納) Idaxi iruru coto.(出だし納るること)米や食糧を穀物倉や倉庫に入れたり取り出したりすること.¶また、禅宗僧(Ienxus)の中の食料庫係.〔邦訳803r〕

とあって、標記語「出納」の語の意味は「禅宗僧(Ienxus)の中の食料庫係」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゅつ-なふ〔名〕【出納】(一)藏人所の官名、職事の雜務を取扱ひ、雜具の出納を掌るもの。(二)大臣などの家にて、上の如き役を勤むる下吏。(三)延暦寺にて、被物(かつけもの)などの出納を掌る僧。〔0997-5〕

とあって、標記語「しゅつ-なふ〔名〕【出納】」の語を収載し、用例は未記載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅつ-のう出納】〔名〕@出すことと納めること。特に、金銭や物品を出すことと入れること。収支。すいとう。A蔵人所に属した文書・雑具の出し入れあたる役。私設の職として、有力公卿の家司中に置かれる場合もあった。B寺院で、被物(かずけもの)、禄物などの出し入れをつかさどった僧。C荘園で年貢の徴収・出納などを行なった下級の荘官」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仰、遣使者於伊勢志摩兩國、又出納和泉拯國守、相副之〈云云〉是平家沒官地、未被補地頭、所々相交之由、依聞食及、爲巡檢之也〈云云〉 《訓み下し》民部ノ丞盛時武藤二郎資頼等仰セヲ奉ツテ、使者ヲ伊勢志摩ノ両国ニ遣ハス、又出納(シユツダフ)和泉ノ掾国守、之ニ相ヒ副フト〈云云〉。是レ平家没官ノ地ニ、未ダ地頭ヲ補セラレズ、所所相ヒ交ハルノ由、聞シ食シ及ブニ依テ、之ヲ巡検センガ為ナリト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久二年正月十七日の条、》
 
 
2004年10月19日(火)小雨後曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
兄部(このかうべ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

兄部(コノカウベ) 。〔元亀二年本234二〕

兄部(コノカウベ) 同(禅家ノ力者之名)。〔静嘉堂本256五〕

兄部(コノカウヘ) 同(禅家ノ小者之名)。〔天正十七年本中57ウ一〕

とあって、標記語「兄部」の語を収載し、前の標記語「御分」の注記と同じと記載する。但し、元亀二年本はその「同」の注記を脱落している。その注記は静嘉堂本(元亀二年本も)は「力者」、天正十七年本は「小者」と異なっている。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「兄部」と記載し、訓みは山田俊雄藏本「コノカウベ」、経覺筆本・文明四年本に「コノカウヘ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

兄部 カノカウヘ。〔黒川本・官職門下11オ三〕

兄部 コノカウヘ。〔卷第七・官職門197二〕

とあって、標記語「兄部」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

兄部(コノカウベ) 力者頭也。〔人倫門40七〕

とあって、標記語「兄部」の語を収載し、語注記は「力者の頭なり」と記載する。この注記内容は真字本の注記後半部と共通するものである。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

兄部(コノカウベ/―ホウ)[○・去] 力者(ナカノ)(カシラ)。〔人倫門656二〕

とあって、標記語「兄部」の語を収載し、語注記に「力者の中頭」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

兄部(コノカウベ) 力者官。〔・人倫門186二〕

兄部(コノカウベ) 力者頭官。〔・人倫門152五〕

兄部(コノカウベ) 力者。〔・官名門143七〕

とあって、標記語「兄部」の語を収載し、語注記は、「力者の(頭)官」と記載する。また、易林本節用集』に、

兄部(コノカフベ) 力者之頭也。〔人倫門154三〕

とあって、標記語「兄部」の語を収載し、語注記は「力者の頭なり」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「兄部」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載し『下學集』が「頭」とするに対し、真字本は「首」と表記している。広本節用集』の語注記は、「中頭」とし稍異なったものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

617堂司(タウス)庫主(クス)(タン)シン頭調菜人工者(グシヤ)兄部(コノカウヘ) 人工之首云。又力者首云也。〔謙堂文庫蔵五五右G〕

とあって、標記語「兄部」の語を収載し、語注記は「人工の首を云ふ。また、力者の首と云ふ」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

兄部(コノカウベ) ト云ハ。人ニ隨ヒテ一ツツアガリ。一ツク役アリ。如此。〔下32ウ一〕

とあって、この標記語「兄部」とし、語注記は、「人に隨ひて一づつあがり、一つく役あり。此くのごとし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

兄部(このこうべ)兄部 力者(りきしや)なり。〔84オ一〕

とあって、この標記語「兄部」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲兄部ハ人工の頭也とぞ。〔60オ七、61オ八〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲兄部ハ人工の頭(かしら)也とぞ。〔109オ四、110オ四〕

とあって、標記語「兄部」の語をもって収載し、その語注記は、「兄部は、人工の頭(かしら)なりとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「兄部」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

この-かうべ〔名〕【兄部】〔兄部(このかみべ)の音便、即ち、首(このかみ)なり、其條を見よ〕(一)頭立(かしらだ)つ者。長(をさ)字類抄「兄部、コノカウベ」和訓栞、このかうべ「伊勢大宮に、司中ノ兄部あり、司家屬官の一臈を、兄部と云ふ、主典也と云へり、云云、伊勢年中行事に、物忌(ものいみの)兄部、見ゆ」(二)禪家にて、力者(りきしや)の頭(かしら)の稱とす。(力者の條を見よ)武家にても傚ひて、此稱を用ゐたり。庭訓往來、十月三日「兄部(コノカウベ)、云云、門守(カドモリ)、火鈴振(コリンフリ)同書諸抄大成、四「兄部、下部也」下學集(文安)上、人倫門「兄部(コノカウベ)力者頭也」運歩色葉集(天文)「兄部(コノカウベ)、禪家力者之名」鎌倉年中行事(享コ)公方樣御發向「御力者、或八人、出張(シユツチヤウ)頭巾(ヅキン)を冠り、兄部は、御長刀を持ち、二番目の御力者柄長杓(えながひさご)を持ち、其跡に、小舎人、云云」(節文)〔0708-4〕

とあって、標記語「この-かうべ〔名〕【兄部】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「この-かうべ兄部】〔名〕(「こうべ」は「かみべ(上部)」の変化した語。「子の上部(かみべ)」の意)@かしらとなる人。主として、力仕事にあたる力者(りきしゃ)のかしらをさす。A中世、寺社の従者で、主として力仕事にあたる力者のかしら。B中世、院、門跡、武家に仕えて、力役雑務に従った力者の長。C中世、宮中の駕輿丁座(かよちょうざ)の長。左右近衛府の四府に各一人いて、その下に沙汰人、座人がいた。D中世、寺社に隷属した諸座の統率者。[語源説]コノカミベ(兄部)の音便、すなわちコノカミ(首・子上)の義〔大言海〕。小舎人を弟とし、それに対して力者をコノカミ(兄)としたゆえの名か〔松屋筆記〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
鶴岡八幡宮神人、祝部清太國次、座衆上総國姉前社住人、兼祐被補當社神人也 《訓み下し》鶴岡八幡宮神人、祝部ノ(兄部ノ)清太国次、座衆上総ノ国姉前ノ社ノ住人、兼祐ヲ、当社ノ神人ニ補セラルルナリ。《『吾妻鏡』建永二年二月十一日の条、》
上莚一枚 凡薦十一枚 蒭二駄右、件検田使御供給并兄部等所被取物等日記、所注進如件《『東大寺文書(図書未成卷文書)』康平元年九月廿一日の条、》
 
 
2004年10月18日(月)晴れ夕方曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
人工(ニンク)」&「工者(クシヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「丹」部に、「人参(シン)。人皇(ワウ)。人形(ギヤウ)。人間(ゲン)。人別(ベツ)。人情(シヤウ)。人夫()。人数(ジユ)。人足(ソク)。人民(ミン)。人勢(ぜイ)。人天(デン)。人給(ギウ)。人魚(キヨ)食之者命長」の十四語を収載し、標記語「人工」の語は未収載にする。また、「久」部に標記語「工者」の語も未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本は、「調菜人公者」、建部傳内本は、「調菜人工」、山田俊雄藏本が「調菜人工」、経覺筆本は「人工」、文明四年本が「調菜人、工者」と記載し、訓みは経覺筆本が「ニンク」、文明四年本に「テウサイニン、クニハ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「人工」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「人工」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

人工(ニング/ジンコウ・ヒト、タクミ)[平・平] 力者。〔人倫門86七〕

とあって、標記語「人工」の語を収載し、語注記に「力者」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

人工(ニンク) 力者。〔・人倫門28七〕

人工(ニング) 力者。〔・人倫門28九〕〔・人倫門25七〕〔・人倫門30一〕

とあって、標記語「人工」の語を収載し、語注記は、広本節用集』と同じく「力者」と記載する。また、易林本節用集』に、

人工(ニンク) 力者。〔人倫門25五〕

とあって、標記語「人工」の語を収載し、語注記は「力者」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に標記語「人工」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』(至徳三年本・宝徳三年本は、「人公」と異なる)及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

617堂司(タウス)庫主(クス)(タン)シン頭調菜人工者(グシヤ)兄部(コノカウヘ) 人工之首云。又力者首云也。〔謙堂文庫蔵五五右G〕

とあって、標記語「工者」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(タン)(チウ)調菜(テウサイノ)工者(グシヤ) 炭頭ハ。ヲコシ炭(スミ)ノ奉行也。興炭(ヲコシスミ)ト云ハ。スル墨(スミ)モ有ニ依テ云フナリ。〔下32オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「工者」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

工者(くしや)工者 衣類(いるい)なと仕立る者也。〔83ウ七・八〕

とあって、この標記語「工者」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲工者ハ人工をいふにやあらん。人工ハ下部(しもべ)也。〔60オ七、61オ八〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲工者ハ人工(にんく)をいふにやあらん。人工ハ下部(しもべ)也。〔109オ四、110オ四〕

とあって、標記語「工者」の語をもって収載し、その語注記は、「工者は、人工(にんく)をいふにやあらん。人工は、下部(しもべ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ningu.ニング(人工) 力のある人〔力者〕.〔邦訳465r〕

とあって、標記語「人工」の語の意味は「力のある人〔力者〕」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

にん-〔名〕【人工】人足。力者。人夫。増補下學集、上、一、人倫門「人工、ニンク」太平記、四十、南禪寺三井寺確執事「不日に推寄せて、當務の僧共、人工、行者に至るまで、打殺すのみならず」〔1504-2〕

とあって、標記語「にん-〔名〕【人工】」の語を収載し、標記語「-しゃ〔名〕【工者】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「にん-人工】〔名〕(「にんぐ」とも)剃髪し、輿をかついだり、馬の口をとったり、また、薙刀などを持って供に立ったりする中間(ちゅうげん)のような者。力者法師」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。また、標記語「-しゃ〔名〕【工者】」の語は未収載にする。
[ことばの実際]
米方被切充之例也、況乎今年一人工等不置乎、作手者本家方被切充、且慰気、且以材木等可致申其弁之状如件、《『東大寺文書(図書館、未成卷文書)天喜三年十一月廿日の条、370・12/149
 
 
「調菜人」→は、ことばの溜池(2004.09.07)を参照。
 
2004年10月17日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
炭頭(トンチウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、標記語「炭頭」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、山田俊雄藏本が「庫司」と表記する以外は至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「炭頭」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「トンチウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「炭頭」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「炭頭」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

炭頭(トンチウタントウ・スミ、トウ・カシラ)[去・平] 行堂官。〔官位門128四〕

とあって、標記語「炭頭」の語を収載し、語注記に「行堂官の名」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

炭頭(トンヂウ) 行堂官名。〔・人倫門42一〕

炭頭(トンヂウ) 行堂(アンタウ)官名。〔・人倫門42八〕

炭頭(トンチウ) 行堂官。〔・官名門40三〕

炭頭 行堂官。〔・官名門47七〕

とあって、標記語「炭頭」の語を収載し、語注記に「行堂官名」「行堂官」と記載する。また、易林本節用集』に、

炭頭(トンチウ) 行者。〔人倫門41三〕

とあって、標記語「炭頭」の語を収載し、語注記に「行者」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「炭頭」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、別な資料に依拠していると思われる。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

617堂司(タウス)庫主(クス)(タン)シン調菜人工者(グシヤ)兄部(コノカウヘ) 人工之首云。又力者首云也。〔謙堂文庫蔵五五右G〕

とあって、標記語「炭頭」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(タン)(チウ)調菜(テウサイノ)人工者(グシヤ) 炭頭ハ。ヲコシ炭(スミ)ノ奉行也。興炭(ヲコシスミ)ト云ハ。スル墨(スミ)モ有ニ依テ云フナリ。〔下32オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「炭頭」とし、語注記は、「炭頭は、をこし炭(スミ)(興炭(ヲコシスミ)と云ふは、する墨(スミ)も有るに依て云ふなり)の奉行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

炭頭(たんちう)炭頭 ()の事を司り炭薪をあつかふ役也。〔83ウ八〕

とあって、この標記語「炭頭」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲炭頭ハ火爐(くハろ)の事を司る。〔60オ七、61オ八〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲炭頭ハ火爐(くわろ)の事を司る。〔109オ四、110オ四〕

とあって、標記語「炭頭」の語をもって収載し、その語注記は、「炭頭は、火爐(くわろ)の事を司る」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sumigaxira.スミガシラ(炭頭) 火にくべた際にくすぶる,十分に焼けていない木炭.〔邦訳588l〕

とあって、標記語「炭頭」の語の意味は「火にくべた際にくすぶる,十分に焼けていない木炭」とし記載するが意味を異にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「たん-ぢゅう〔名〕【炭頭】」「とん-ぢゅう〔名〕【炭頭】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とん-じゅう炭頭】〔名〕(「とん」「ちゅう」は「炭」「頭」の唐宋音。「どんじゅう」とも)禅宗で、炭などを扱う役目の者。文明本節用集(室町中)「炭頭 トンチウ 行堂官名」禅林象器箋(1741)職位「(トン)敕修清規云、炭頭預備柴炭、以禦寒事。或化施主、或出公界、須足用」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2004年10月16日(土)晴れ後曇り夜雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
庫子・庫司(クス)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

庫司() 同(寺)。〔元亀二年本192二〕〔天正十七年本中38オ二〕

庫司 同(寺) 。〔静嘉堂本217二〕

とあって、標記語「庫司」の語を収載し、語注記は前の語「庫裡」の語注記に同じということで「寺」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、山田俊雄藏本が「庫司」と表記する以外は至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「庫子」と記載し、訓みは山田俊雄藏本は「グ(ス)」、文明四年本に「クス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「庫子」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「庫子」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

庫裡(クリ・クラ、ウチ)[去・上] 又云庫司(クス)―院(クイン)。〔家屋門497七〕

雜舎(ザツシヤマジワル、イヱ)[○・上] 又云雜屋(ザフヤ)倭俗庫司(クス)。〔家屋門773二〕

とあって、標記語「庫裡」「雜舎」の語注記に「庫司」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本尭空本両足院本節用集』には、

庫司() 。〔・天地門156四〕

庫理(クリ) ―司( ス)。〔・天地門116五〕

庫理(クリ) ―司(クス)。〔・天地門141三〕

とあって、弘治二年本に標記語「庫司」の語を収載し、他本は標記語「庫理」の熟語群として「庫司」の語を収載する。また、易林本節用集』に、標記語「庫子」「庫司」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「庫司」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』では「庫子」、下記真字本では「庫主」として収載し語注記は未記載にしている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

617堂司(タウス)庫主(クス)(タン)シン頭調菜人工者(グシヤ)兄部(コノカウヘ) 人工之首云。又力者首云也。〔謙堂文庫蔵五五右G〕

とあって、標記語「庫主」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

庫司(クス) ハ。クリ坊主ナリ。〔下32オ八〕

とあって、この標記語「庫司」とし、語注記は、「くり坊主なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

庫司(くす)庫司 書物の入たる藏をつかさとる役なり。又くり奉行也ともいふ。〔83ウ七・八〕

とあって、この標記語「庫司」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲庫司ハ庫裏(くり)を司(つかさど)る頭(かしら)也とぞ。〔60オ七、61オ八〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲庫司ハ庫裏(くり)を司(つかさど)る頭(かしら)也とぞ。〔109オ四、110オ四〕

とあって、標記語「庫司」の語をもって収載し、その語注記は、「庫子は、厨(くりや)の調菜(てうさい)を司(つかさど)る頭(かしら)なりとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「庫子」「庫司」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-〔名〕【庫子】「庫司」」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-庫司】〔名〕@仏語。禅宗寺院で日常の金銭穀物などの出納を司る副寺(ふうす)寮に属する者。正法眼藏随聞記(1235-38)五・一九「所有の庫司の財穀をば、因を知り果を知る知事に分付して」*正法眼藏(1231-53)安居「首座すなはち大衆を領して、庫司(クス)にいたりて人事す」*庭訓往來(1394-1428頃)「堂司・庫司・炭頭」A禅宗寺院の厨房。庫院。空華日用工夫略集-応安五年(1372)一〇月一六日「和会報恩寺材料庫司其処、余日、庫司固合建立」*空華日用工夫略集-永徳二年(1382)正月五日「堂司・庫子之」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
請取、住十三ヶ年、此間書院・庫司作事、面之堀、面之縁造營也、 《『大コ寺別集(真珠庵)』永正十一年十一月日の条、103・1/214》
 
 
堂司堂主(ダウス)」は、ことばの溜池(2004.09.23)を参照。
 
2004年10月15日(金)朝晴れ、日中雨夕方曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
供頭(クヂウ・キウヂウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「供御(クゴ)。供奉()。供養(ヤウ)。供嚮(ギヤウ)。供具(クク)。供僧(ゾウ)。供米(マイ)」の七語を収載していて、標記語「供頭」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「供頭」と記載し、訓みは、経覺筆本に「キウテウ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「キウチウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「供頭」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「供頭」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「供頭」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

616供頭(グ/ク−) 掃厨役也。〔謙堂文庫蔵五五右G〕

とあって、標記語「供頭」の語を収載し、語注記は、「厨を掃する役なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

供頭(キウチウ) ハ。調菜(テウサイ)ガシラ也。〔下32オ七〕

とあって、この標記語「供頭」とし、語注記は、「調菜(テウサイ)がしらなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

供頭(くとう)() くり屋の調菜をとゝのゆるかしら役なり。〔83ウ六〕

とあって、この標記語「供頭」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲供頭ハ厨(くりや)の調菜(てうさい)を司(つかさど)る頭(かしら)也とぞ。〔60オ七、61オ七〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲供頭ハ厨(くり)乃調菜(てうさい)を司(つかさど)る頭(かしら)也とぞ。〔109オ四、110オ一・二〕

とあって、標記語「供頭」の語をもって収載し、その語注記は、「供頭は、厨(くりや)の調菜(てうさい)を司(つかさど)る頭(かしら)なりとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「供頭」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きゅう-じゅう〔名〕【供頭】〔供頭(キヨウトウ)の呉音。塔頭(タツチユウ)などもあり〕禪寺にて、食事の用に供する職。庭訓往來、十月「供頭」諸抄大成「廚の調菜を司る」林逸節用集「供頭(キウヂウ)行者(アンジヤ)〔0453-2〕

とあって、標記語「きゅう-じゅう〔名〕【供頭】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きゅう-じゅう供頭】〔名〕「きゅうじゅうあんじゃ(供頭行者)」の略。庭訓往来(1394-1428頃)「供頭。堂司。庫司。炭頭。調菜」*伊京集(室町)「供頭キウヂウ」*饅頭屋本節用集(室町末)「供頭 キウヂウ」*いろは字(1559)「供頭 キウチウ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
供頭―堂前ツク役也。《天理図書館蔵『庭訓往來註』書込み》
 
 
2004年10月14日(木)朝晴れ午後曇り後雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
望参(マウサン・バウサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「満」部に、

望参 。〔元亀二年本224一〕〔天正十七年本中57ウ一〕

望参 。〔静嘉堂本256五〕

とあって、標記語「望参」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()(マウ)供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本が「望(参)」と「参」の字を欠落し、後は宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本に「望参」と記載し、訓みは山田俊雄藏本は「マウ(サン)」、経覺筆本「モウ(サン)」、文明四年本に「マウサン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「望参」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「望参」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「望参」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

615(マウ) 入同宿也。〔謙堂文庫蔵五五右F〕

とあって、標記語「望参」の語を収載し、語注記は、「入同宿なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

副参(フサン)望參(バウサン) ハ。張物(ハリモノ)洗濯(せンタク)ノ奉行ナリ。〔下32オ七〕

とあって、この標記語「望参」とし、語注記は、「張物(ハリモノ)洗濯(せンタク)の奉行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

副参(ふくさん)望参(バうさん)副参望参 はしめより同宿(とうしく)なるを副参と云。入同宿(いりとうしく)を望参と云也。〔83ウ六〕

とあって、この標記語「望参」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲望参ハ入同宿の僧也とぞ。又或説に副参望参ハ張物洗濯の奉行とす。但し以上三名今ハなしとぞ。〔60オ七、61オ六〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲望参ハ入同宿の僧也とぞ。又或説に副参望参ハ張物(はりもの)洗濯(せんたく)の奉行とす。但し以上三名今ハなしとぞ。〔109オ四、110オ一・二〕

とあって、標記語「望参」の語をもって収載し、その語注記は、「望参は、入同宿の僧なりとぞ。また、或説に副参・望参ハ張物(はりもの)洗濯(せんたく)の奉行とす。但し、以上三名今はなしとぞ。」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「望参」の語は未収載にする。更に明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』そして、現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぼう-さん望参】〔名〕」にも、標記語「ぼう-さん〔名〕【望参】」の語は未収載にする。これに依り、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載となっている。
[ことばの実際]
 
 
 
2004年10月13日(水)曇り夕方晴れ間。ミラノ→雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)
副参(フサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、「副使(フス)正使――遣唐使」の一語を収載するだけで、この標記語「副参」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「副参」と記載し、訓みは、経覺筆本は「フウサン」、山田俊雄藏本「フ(サン)」、文明四年本に「フサン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「副参」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「副参」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

副参(サン) 行者官名。〔・官名門180一〕

副参(フサン) 行者官。〔・人倫門147七〕

副参(フサン) 。〔・官名門138一〕

とあって、標記語「副参」の語を収載し、語注記に「行者官名」、「行者官」「行堂官」と記載する。また、易林本節用集』に、標記語「副参」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』に標記語「副参」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、何故か知らぬが広本節用集』は、この語を未収載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

614副参(フサン) 真同宿也。〔謙堂文庫蔵五五右F〕

とあって、標記語「副参」の語を収載し、語注記は、「真の同宿なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

副参(フサン)望參(バウサン) ハ。張物(ハリモノ)洗濯(せンタク)ノ奉行ナリ。〔下32オ七〕

とあって、この標記語「副参」とし、語注記は、「張物(ハリモノ)洗濯(せンタク)の奉行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

副参(ふくさん)望参(バうさん)副参望参 はしめより同宿(とうしく)なるを副参と云。入同宿(いりとうしく)を望参と云也。〔83ウ六〕

とあって、この標記語「副参」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲副参ハ初より同(どう)宿の僧とぞ。〔60オ七、61オ六〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲副参ハ初より同(どう)宿(しゆく)の僧とぞ。〔109オ四、110オ一・二〕

とあって、標記語「副参」の語をもって収載し、その語注記は、「副参は、初より同(どう)宿(しゆく)の僧とぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「副参」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』も、標記語「-さん〔名〕【副参】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さん副参】〔名〕仏語。禅寺で、参頭(さんとう)の下にあってその事務を補佐する役の僧をいう。ふくさん。庭訓往来(1394-1428頃)「沙彌・喝食・行者・参頭・副参・望参」伊京集(室町)「副参 フサン 行者官名」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
副参(フシ)―仏殿役者。《天理本『庭訓徃來註』書込み》
 
 
2004年10月12日(火)曇り。ヴェネツィア→ヴェローナ→ミラノ
参頭(サンヂウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、「参宮(クウ)。参入(ニウ)。参詣(ゲイ)。参話()。参暇()。参内(タイ)。参會(クワイ)。参篭(サンロウ)。参洛(ラク)。参議宰相之唐名。参和()。参上(ジヤウ)。参謁(エツ)。参(パイ)」の十四語を収載して、この標記語「参頭」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)(サン)副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「参頭」と記載し、訓みは経覺筆本が「サン(チウ)」、山田俊雄藏本・文明四年本に「サンチウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「参頭」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「参頭」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

参頭(サンヂウマイル、トウ・カウベ)[平・平] 行堂官。〔官位門776五〕

とあって、標記語「参頭」の語を収載し、語注記に「行堂官の名」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本・『節用集』には、

参頭(サンヂウ) 。〔・官名門210七〕〔・官名門175八〕

参頭(サンヂウ) 行堂官。〔・官名門164九〕

とあって、標記語「参頭」の語を収載し、語注記は「行者官」と「行堂官」と記載する。また、易林本節用集』に、標記語「参頭」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本・『節用集』に標記語「参頭」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』や印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本・『節用集』の語注記とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

613行(アン)参頭(サンチウ) 行者同也。〔謙堂文庫蔵五五右F〕

とあって、標記語「参頭」の語を収載し、語注記は、「行者と同じなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

参頭(サンチウ) ハ行者ノカシラナリ。〔下32オ七〕

とあって、この標記語「参頭」とし、語注記は、「行者のかしらなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

参頭(さんとう)参頭 副参望参の頭なり。〔83ウ五〕

とあって、この標記語「参頭」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲参頭ハ或説に副参望参の頭とし又行者の頭とし又藥頭誤字歟といへり。藥頭ハ寺中病僧の世話する役也。〔60オ七、61オ五・六〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲参頭ハ或説に副参望参の頭とし又行者の頭とし又藥頭誤字歟といへり。藥頭ハ寺中病僧の世話する役也。〔109オ四、110オ一・二〕

とあって、標記語「参頭」の語をもって収載し、その語注記は、「参頭は、或る説に副参・望参の頭とし、また、行者の頭とし、また、藥頭の誤字歟といへり。藥頭は、寺中病僧の世話する役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)には、標記語「参頭」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さん-ぢゅう〔名〕【参頭】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-じゅう参頭】〔名〕(「ぢゅう」は「頭」の唐宋音)仏語。禅寺で、相見の式などに新到者を代表して詞を述べる役の僧。正法眼藏(1231-53)自証三昧「みだりに大刹の主として、雲水の参頭なり」*空華日用工夫略集−康暦三年(1381)正月一四日「守玄行者参頭、恵瓶梅」*庭訓往來(1394-1428頃)「沙彌・喝食・行者・参頭・副参・望参」文明本節用集(室町中)「参頭サンヂウ 行堂官名」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を収載する。
[ことばの実際]現在、お山用語集に「さんとう」と訓ず。「参頭(司掌法事礼儀)」
圜悟よりのち、さらに他遊せず、知識をとぶらはず。みだりに大刹の主として雲水の参頭なり。のこれる語句、いまだ大法のほとりにおよばず。《『正法眼藏』自証三昧・乾坤本十四25ウH》
 
 
沙弥(シヤミ)」は、ことばの溜池(2004.07.03)を参照。
喝食(カツジキ)」は、ことばの溜池(2000.09.14)を参照。
行者(アンジヤ)」は、ことばの溜池(2004.04.29)を参照。
 
2004年10月11日(月)晴れ後曇り。フィレンツェ→ヴェネチィア
庵主(アンシユ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、

庵主(ジユ) 。〔元亀二年本259三〕

庵主(アンジユ) 。〔静嘉堂本293三〕

とあって、標記語「庵主」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「庵主」、建部傳内本は「菴主」と記載し、訓みは文明四年本に「アンシユ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「庵主」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「庵主」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

庵主(アンジユイホリ、ヌシ)[平・上] 。〔人倫門746五〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「庵主」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

庵主(アンジユ) 。〔・人倫門202六〕

庵主(アンシユ) 。〔・人倫門168三〕

庵主 。〔・人倫門157三〕

とあって、標記語「庵主」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

菴主(アンジユ) 。〔人倫門168五〕

とあって、標記語「庵主」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「庵主」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

610山主庵主 釋名曰、草爲圓屋屋曰庵。庵奄也。以自覆奄也。西天憎俗修行多居庵也

とあって、標記語「庵主」の語を収載し、語注記は、「『釋名』に曰く、草にて圓屋と爲し、屋を庵と曰ふ。庵は、奄なり。覆ふを以ってより奄なり。西天の憎俗修行、庵に多く居すなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

山主(サンス)庵主(アンス)沙弥(シヤミ)喝食(カツシキ) 皆々其役(ヤク)役ナリ。〔下32オ五〕

とあって、この標記語「庵主」とし、語注記は、「皆々、其の役(ヤク)役なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

山主(さんす)庵主(あんす)山主庵主 一山一庵のぬしなり。〔83ウ二・三〕

とあって、この標記語「庵主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲山主庵主ハ一山一庵の主(あるじ)也。〔60オ七、61オ三・四〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲山主庵主ハ一山一庵の主(あるじ)也。〔109オ四、109ウ四〕

とあって、標記語「庵主」の語をもって収載し、その語注記は、「山主は、一山一庵の主(あるじ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Anju.l,anzu.アンジュ,または,アンズ(庵主) 坊主(Bo<zu).すなわち,自分自身の独立した小庵を持っている僧侶.※原文はsella(=cella,cela).日西辞書ではsilla(椅子)と誤訳している.〔邦訳26r〕

とあって、標記語「庵主」の語の意味は「坊主(Bo<zu).すなわち,自分自身の独立した小庵を持っている僧侶」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あん-じゅ〔名〕【庵主】〔坊主に同じ〕僧の、庵をかまへて居るもの。庭訓往來(元弘)十月「旦過之僧、山主、庵主、沙彌」臥雲日件録、文安六年三月十日「與定水庵主同喫粥」〔0091-5〕

とあって、標記語「あん-じゅ〔名〕【庵主】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あん-しゅ庵主】〔名〕→あんじゅ(庵主)」「あん-じゅ庵主】〔名〕(後世は「あんしゅ」@庵室の主人。A仏道修行のために造られた庵室の主の僧。また、特に、尼寺の主である尼僧の呼び名。あんじゅう。あんず。B特に、茶道で、草庵の茶室の主人をさす)」とあって、Aの意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
あたひようようあるによて、本せうもん二通あいそへて、鳴尾の算庵主に直銭七八百文うりわたしまいらせ候処実也《『大コ寺文書』応安二年二月日の条、1351・3/323》
 
 
2004年10月10日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→フィレンツェ→ピサ
山主(サンシユ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、「山王(サンワウ)。山門(モン)。山号(カウ)。山上(シヤウ)。山下()。山城(シロ)。山徒()。山賊(ゾク)異名。○○。山椒(せウ)。山庄(サウ)」の十語を収載し、この標記語「山主」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「山主」と記載し、訓みは山田俊雄藏本は「サンス」、文明四年本に「(サン)シユ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「山主」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「山主」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「山主」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

610山主庵主 釋名曰、草爲圓屋屋曰庵。庵奄也。以自覆奄也。西天憎俗修行多居庵也

とあって、標記語「山主」の語を収載し、語注記は、「『釋名』に曰く、草にて圓屋と爲し、屋を庵と曰ふ。庵は、奄なり。覆ふを以ってより奄なり。西天の憎俗修行、庵に多く居すなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

山主(サンス)庵主(アンス)沙弥(シヤミ)喝食(カツシキ) 皆々其役(ヤク)役ナリ。〔下32オ五〕

とあって、この標記語「山主」とし、語注記は、「皆々、其の役(ヤク)役なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

山主(さんす)庵主(あんす)山主庵主 一山一庵のぬしなり。〔83ウ二・三〕

とあって、この標記語「山主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲山主庵主ハ一山一庵の主(あるじ)也。〔60オ七、61オ三・四〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲山主庵主ハ一山一庵の主(あるじ)也。〔109オ四、109ウ四〕

とあって、標記語「山主」の語をもって収載し、その語注記は、「山主は、一山一庵の主(あるじ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「山主」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さん-しゅ〔名〕【山主】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-しゅ山主】〔名〕(「山」は寺院の意)一山・一寺の主。寺院の住持。住職。庭訓往來(1394-1428頃)「耆舊之諸僧、塔頭坊主、旦過之僧、山主、庵主、沙彌、喝食」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
獨朗天眞宗門作畧、須還ス宗純觜、臨濟正法今墜他、祖ヲ願カウ祖ヲ教ス 再囘ス春ヲ、蓑笠紹徳山主圖余陋質需贊、書以塞其ノ請ヲ享徳二載季夏日狂雲子宗純 《『大コ寺文書真珠庵』享徳二載季夏日の条、75・1/171》
 
 
2004年10月09日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→フィレンツェ←シェイナ
旦過(タンクワ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

旦過(タングワ) 。〔元亀二年本139九〕〔静嘉堂本149一〕

旦過(タンクワ) 。〔天正十七年本中6オ八〕

とあって、標記語「旦過」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主(タン)之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「旦過」と記載し、訓みは経覺筆本は「タン(クワ)」、山田俊雄藏本・文明四年本に「タンクワ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「旦過」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

旦過(タンクワ) 往来之沙門僧呂()一宿之処也。〔態藝門93五〕

とあって、標記語「旦過」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

旦過(タングワシヤ・シハラク、スギル)[上・去] 徃來之僧一宿ノ処也。〔態藝門366一〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「旦過」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

旦過(タングワ) 旅僧一宿処也。〔・天地門97二〕

旦過(タングワ) 旅僧一宿所。〔・天地門90三〕

旦過(タングワ) 旅僧一宿処。〔・天地門82三〕

旦過(タングワ) 旅僧一宿。〔・天地門98五〕

とあって、標記語「旦過」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

旦過(タンクワ) 徃來僧一宿処。〔言語門94四〕

とあって、標記語「旦過」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「旦過」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

609旦過(タンクワ)之僧 平等供養之地名旦過下学徃来僧一宿也〔謙堂文庫蔵五五右A〕

旦過之僧 平等供養之地旦過下学徃来僧一宿〔左貫注左H〕

とあって、標記語「旦過」の語を収載し、語注記は、「平等供養の地旦過と名づく。『下学()』に徃来僧の一宿なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

旦過(タングハ)之僧 ハ。江湖ノ僧トモ一宿(シユク)スル処也。去社(サレハコソ)アシタニ過(スグ)ルトハ書(カケ)レ。〔下32オ五〕

とあって、この標記語「旦過」とし、語注記は、「江湖の僧ども一宿(シユク)する処なり。去ればこそあしたに過(スグ)るとは書(カケ)」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

旦過(たんくわ)()(そう)旦過之僧 徃來一宿(いつしく)の僧なり。〔83ウ一・二〕

とあって、この標記語「旦過」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲旦過ハ徃來(わうらい)一宿(いつしゆく)して旦(あした)に過去(すぎさ)る廻国(くわいこく)の類也。〔60オ七、61オ三・四〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲旦過ハ徃來(わうらい)一宿(いつしゆく)して旦(あした)に過去(すぎさ)る廻国(くわいこく)の類也。〔109オ四、109ウ四〕

とあって、標記語「旦過」の語をもって収載し、その語注記は、「旦過は、徃來(わうらい)一宿(いつしゆく)して旦(あした)に過去(すぎさ)る廻国(くわいこく)の類なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tangua.l,Tanguaya.タングヮ,またはタングヮヤ(旦過,または,旦過屋) 修道院付属救護所のような家で,巡歴する坊主(Bonzos)の宿泊する所.¶Tanguayano yo<na tocoro.(旦過屋のやうな所)大勢の人々が諸方からやって来る修道院付属救護所のような所,または,家.※原文はhospital.修道院の経営する旅人の無料宿泊所,救護所.羅葡日Hospitumの条に,葡語でHospital de pobresと説明したのに続いて,乞食貧人ヲ請ジ置ク家,という日本語対訳を示している.〔邦訳610l〕

とあって、標記語「旦過」の語の意味は「修道院付属救護所のような家で,巡歴する坊主(Bonzos)の宿泊する所」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たん-くゎ〔名〕【旦過】〔夕に來りて、翌朝、行き過ぐる意〕禪家にては、タングヮと云ふ。行脚僧の宿泊すること。其處を旦過寮と云ふ。謡曲、木賊「我れ等が私宅は旦過にて候、一夜を明かして御通り候へ」〔0456-5〕

とあって、標記語「たん-くゎ〔名〕【旦過】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たん-旦過】〔名〕(夕に来て翌朝行き過ぎる意)仏語。@禅宗で、修行僧が一夜の宿泊をすること。また、その宿泊所。旦過屋。旦過寮。A禅宗で、長期の修行ために訪れた僧をすぐ許さないで、数日、定められた部屋に入れて坐禅させること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
山伏の曰く、「これこそ奥州の住人、結城上野入道と申す者、伊勢国にて死して候ふが、阿鼻地獄へ落ちて、呵責せらるるにて候へ。もしその方様の御縁にて御渡り候はば、後の妻子どもに、一日、経を書き供養して、この苦患を救ひ候へと仰せられ候へ。我は、かの入道、今度上洛せし時、鎧の袖に名を書きて候ひし、六道能化の地蔵薩?にて候ふなり」と、詳しくこれを教へけるに、その言葉いまだ終はらざるに、暁を告ぐる野寺の鐘、松吹く風に響きて、一声微かに聞えければ、地獄の鉄城も忽ちに掻き消すやうに失せ、かの山伏も見えず成りて、旦過(たんぐわ)に座せる僧ばかり、野原の草の露の上に惘然として居たりけり。《『太平記』卷第二十・結城入道地獄に落つる事の条》
 
 
2004年10月08日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ローマ市街(バチカン宮殿)
坊主(バウズ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

坊主(ハウズ) 。〔元亀二年本27四〕

坊主() 。〔静嘉堂本26一〕〔天正十七年本上14オ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「坊主」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「坊主」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「坊主」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「坊主」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

房主(バウズネヤ、シユ・ヌシ・アルジ)[○・上] 或作坊主(バウス)。〔人倫門54三〕

とあって、標記語「房主」の語注記に「或作○○」の形式で「坊主」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

坊主(バウズ) 。〔・人倫門18五〕

坊主(バウズ) 。〔・人倫門16九〕〔・人倫門15一〕〔・人倫門17六〕

とあって、標記語「坊主」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

坊主(バウズ) 。〔人倫門15三〕

とあって、標記語「坊主」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「坊主」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』は、標記語を「房主」としその語注記に「坊主」を記載していて、他古辞書とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

608塔頭(タツチウ)坊主 釈名曰、坊旁也。在堂兩旁故十誦律曰坊者或属若今禅居寮舎也。或一人。若今寺院内各々住持者歟。〔謙堂文庫蔵五五右@〕

とあって、標記語「坊主」の語を収載し、語注記は「釈名に曰く、坊は旁なり。堂兩の旁在るが故、十誦律に曰く坊は或僧に属す。若しくは今、禅居寮舎なり。或は、一人に属す。若しくは今、寺院内各々の住持者か」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

塔頭(タツチウ)坊主(バウス) トハ。其時ノ住持()隠居(インキヨ)ノ房(ハウ)也。留守(ルス)(バウ)カ。〔下32オ四・五〕

とあって、この標記語「坊主」とし、語注記は、「其時の住持()、隠居(インキヨ)の房(ハウ)なり。留守(ルス)(バウ)」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

坊主(ばうず)坊主 一坊のぬしとなりて其寺配する者なり。〔83ウ一・二〕

とあって、この標記語「坊主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲塔頭坊主ハ寺中(じちう)其寮(りやう)の主(ぬし)也。〔60オ七、61オ三〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲塔頭坊主ハ寺中(しちう)(その)(れう)の主(ぬし)也。〔109オ四、109ウ三〕

とあって、標記語「坊主」の語をもって収載し、その語注記は、「塔頭の坊主は、寺中(じちう)其寮(りやう)の主(ぬし)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Bo<zu.バウズ(坊主) Bo<no nuxi.(坊の主)自分の僧坊,または,小院を持っている僧侶.¶また,僧侶または剃髪者なら誰でも坊主という.※原文のsellaは,cclla,celaに同じ.原文はermida.〔Bo<go<の注〕→Acuso>;Finso>.〔邦訳63l〕

とあって、標記語「坊主」の語の意味は「Bo<no nuxi.(坊の主)自分の僧坊,または,小院を持っている僧侶」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ばう-〔名〕【坊主房主】(一)一坊、一寺の主たる僧。主僧。頼政集、下「俊惠が坊に、方違へにまかりたりし夜、雨の降り侍りしに、坊主の許より言ひつかはし侍りし」吾妻鏡、五、文治元年十一月廿二日「多武峰、云云、南院内藤室、其坊主十字坊之惡僧也」(二)轉じて、泛く、稱。。(三)僧の圓頂なるより轉じて、俗に、すべて剃髪したる人の稱。(醫、畫工、茶伯、小兒など)(四)武家の城中、邸中にて茶湯の事、及、雜事に使はるる賤しき役の者。剃髪なり。「茶坊主」廣阮V主」(五)轉じて、髪を剃りたる頭。圓顱「坊主になる」(六)又、轉じて、毛の無きもの。或は裸なる物を呼ぶ語。「坊主麥」坊主筆」坊主山」(七)物事に熟語として、名詞を形作らする語。「三日坊主」照照坊主」ちゃんちゃん坊主」〔1558-4〕

とあって、標記語「ばう-〔名〕【坊主】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぼう-坊主】〔名〕@仏語。大寺院の中の、一坊の主僧をいう。僧房のあるじ。寺房の住職。「房主」とも書く。房主。A僧侶の俗称。室町時代以後、行われた呼称。B髪を剃(そ)ったりした頭。毛のない頭。また、その人。C江戸幕府の職名。同朋頭(どうぼうがしら)の支配に属し、剃髪(ていはつ)、法眼(ほうげん)で城内の雑役に従ったもの。茶室を管理し、將軍や毎日登城する大名・役人に茶をすすめる奥坊主と、登城する大名の世話をやき、大名や諸役人の給仕する表坊主に分かれたが、他に数寄屋頭(すきやがしら)の支配に属し、茶礼・茶器を掌り、喫茶を取り扱う数寄屋坊主などもいた。D丸くて毛の生えていないもののたとえ。木の生えていない山や葉の散ってしまった木などにもいう。E(昔、剃髪する習慣があったところから)男の幼児を、親しみまたはあざけりの気持をこめて呼ぶ語。男女に関係なくいうことこもある。F芸事や学問などの師で頭を丸めている人。師匠→坊主(ぼうしゅ)Gカルタの用語。イ天正カルタで一〇の札。ロ花札で、八月の芒(すすき)の二〇点札。また、芒の札四枚(二〇点札・一〇点札各一枚と素札二枚)をもいうHある語に添えて、他人に対する親しみ、またはあざけりの意を表わす語。「三日坊主」「やんちゃ坊主」「いたずら坊主」など。I稲・麦などの品種。主に北海道で栽培された耐寒。多收品種。J(坊主の頭に毛が一本もないというところから)釣り用語で、一尾も釣れないこと。K丸太のこと。江戸時代上方の大工仲間が用いた語。L「ぼうずまるた(坊主丸太)の略。M「てるてるぼうず(照照坊主)の略。N盗人仲間の隠語。イマッチ〔日本隠語集(1892)〕。ロ刑事。私服巡査〔隠語輯覧(1915)〕。ハ雷。雷鳴〔隠語輯覧(1915)〕。ニ刀剣〔日本隠語集(1892)〕。Oてきや・盗人・闇屋・不良仲間などの隠語。イ晴天〔隠語輯覧(1915)〕。ロてんぷら。〔隠語輯覧(1915)〕ハ西瓜(すいか)〔隠語全集(1952)〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
豫州、凌吉野山深雪、潜向多武峯是爲祈請大織冠御影〈云云〉到著之所者、南院内、藤室、其坊主、號十字坊之惡僧也賞翫豫州〈云云〉《訓み下し》予州、吉野山ノ深雪ヲ凌ギ、潜レテ多武ノ峰ニ向フ。是レ大織冠ノ御影ニ祈請センガ為ト〈云云〉。到著ノ所ハ、南院ノ内、藤室、其ノ坊主(バウズ)ハ、十字坊ト号スルノ悪僧ナリ。予州ヲ賞翫スト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治元年十一月二十二日の条、》
 
 
2004年10月07日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
塔頭(タツチウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

塔頭(タツチウ) 。〔元亀二年本137十〕〔静嘉堂本146三〕

塔頭(チウ) 。〔天正十七年本中5オ三〕

とあって、標記語「塔頭」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「塔頭」と記載し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「タツチウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

塔頭(タツチウ) 。〔黒川本・諸寺門中11ウ四〕

塔婆 〃寺〃廟。〔卷第四・畳字門445三〕

とあって、三卷本に標記語「塔頭」の語を収載する。十巻本は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

塔頭(タツチウ) 。〔家屋門54六〕

とあって、標記語「塔頭」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

塔頭(タツチウタカラ、トウ・カウベ)[入・平] 長老之墓(ハカ)処也。〔家屋門330六〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「塔頭」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

塔頭(タツチウ) 。〔・天地門97二〕〔・天地門90二〕〔・天地門82二〕

塔頭(タツチウ) 。〔・官位門98四〕

とあって、標記語「塔頭」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

塔頭(タツチウ) 。〔乾坤門88四〕

とあって、標記語「塔頭」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「塔頭」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

608塔頭(タツチウ)坊主 釈名曰、坊旁也。在堂兩旁故十誦律曰坊者或属若今禅居寮舎也。或一人。若今寺院内各々住持者歟。〔謙堂文庫蔵五五右@〕

とあって、標記語「塔頭」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

塔頭(タツチウ)坊主(バウス) トハ。其時ノ住持()隠居(インキヨ)ノ房(ハウ)也。留守(ルス)(バウ)カ。〔下32オ四・五〕

とあって、この標記語「塔頭」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塔頭(たつちう)塔頭 塔の守り也。〔83ウ一〕

とあって、この標記語「塔頭」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲塔頭坊主ハ寺中(じちう)其寮(りやう)の主(ぬし)也。〔60オ七、61オ三〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲塔頭坊主ハ寺中(しちう)(その)(れう)の主(ぬし)也。〔109オ四、109ウ三〕

とあって、標記語「塔頭」の語をもって収載し、その語注記は、「塔頭の坊主は、寺中(じちう)其寮(りやう)の主(ぬし)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Tacchu<.タッチュウ(塔頭) →Tatchu<.〔邦訳597l〕

Tatchu<.タッチュウ(塔頭) 主要な寺(Tera)の境内にある,坊主(Bonzo)一人一人の礼拝所,または、僧坊.〔邦訳616l〕

とあって、標記語「塔頭」の語の意味は「主要な寺(Tera)の境内にある,坊主(Bonzo)一人一人の礼拝所,または、僧坊」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たっ-ちゅう〔名〕【塔頭】〔字の宋音。もと、大寺の高僧の寂後、其徒弟、師コを慕ひて、塔の頭(ほとり)を去らず、坊を構へて住せしに起る〕(一)禪林にて、祖師の塔のある處の稱。臨濟録、「師到達磨塔頭、塔主云、長老、先禮佛禮祖、師云、佛祖倶不禮」(二)轉じて、禪宗の大寺の境内にある小寺。わきでら。寮。寺中。子院應仁記、一、武衛家騒動「建仁寺の西來院はコ本の塔頭なれば、此寺に陰居せられけるを」〔1223-2〕

とあって、標記語「たっ-ちゅう〔名〕【塔頭】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たつ-ちゅう塔頭】〔名〕(「ちゅう」は「頭」の唐宋音)仏語。@禅宗で、祖師や開祖などの塔のある所。また、その院をつかさどる僧。A祖師や大寺の高僧の死後、その弟子が師コを慕って塔の頭(ほとり)に坊を構えたところから転じて、大寺の内にある小院。わきでら」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三栖庄内得友名寄進 大応国師塔頭祥雲菴鳥羽下三栖庄得友名内五分壱事 《『大コ寺文書元応元年九月廿一日の条、162-19・1/127
 
 
2004年10月06日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
諸僧(シヨソウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「諸篇(シヨヘン)。諸口(クチ)。諸色(シキ)。諸職(シヨク)。諸道(ダウ)。諸侯(コウ)。諸人(ニン)。諸事()。諸經(キヤウ)。諸論(ロン)」の十語を収載するが、標記語「諸僧」の語については未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

外耆旧(キキウ)諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「諸僧」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「ギキウ」、経覺筆本「キキウ」、文明四年本に「キギウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「諸僧」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「諸僧」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「諸僧」の語は未収載にあり、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

607此_外耆()諸僧 僧梵ニハ僧伽。唐ニハ。今略シテ也。〔謙堂文庫蔵五四左H〕

とあって、標記語「諸僧」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

焼香(セフカウ)侍者(ジシヤ)書状(シヨジヤウ)請客(シンカ)湯藥(タウヤク)()鉢等侍者此外耆舊(キキウ)()諸僧(シヨソウ) 焼香シ書状認(シタヽム)ル事侍者(ジシヤ)ノ役(ヤク)也。又位ヲ付アガルヲ耆舊ト云フナリ。〔下32オ三・四〕

とあって、この標記語「諸僧」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)此外耆舊之諸僧 耆ハ年老ひたる事也。舊ハふるきなじミなり。〔83オ八〜83ウ一〕

とあって、この標記語「諸僧」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲耆舊之諸僧ハ老僧達(らうそうたち)といふ義也。耆ハ六十歳(さい)をいふ。〔60オ七、61オ三〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲耆舊之諸僧ハ老僧達(らうそうたち)といふ義也。耆()ハ六十歳をいふ。〔109オ四、109ウ三〕

とあって、標記語「諸僧」の語をもって収載し、その語注記は、「耆舊の諸僧は、老僧達(らうそうたち)といふ義也。耆()は、六十歳をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoso>.ショソウ(諸僧) Moromorono so>.(諸の僧)すべての僧侶.〔邦訳795r〕

とあって、標記語「諸僧」の語の意味は「(諸の僧)すべての僧侶」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しょ-そう〔名〕【諸僧】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-そう諸僧】〔名〕多くの僧。日本徃生極楽記(983-987頃)延昌「毎月十五日招諸僧、唱彌陀讃、兼令論浄土因縁、法華奥義」*榮花物語(1028-92頃)鳥の舞「仏の前後左右には、諸僧威儀具足して、ゐねうじたてまつれり」*康頼宝物集(1176頃)中「阿育王の諸僧を拝せし、大臣制せしかども止事無侍りき」*日葡辞書(1603-04)「Xoso>(ショソウ)。モロモロノ ソウ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此事奏聞之後、可有左右、御願已及深更歟、然者、先長者諸僧引参、先可有加持香水之事、其後覚珍別被寄番之座之由《『東寺百合文書・ろ』承安四年の条、1-14・1/140》
 
 
2004年10月05日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
耆舊(キキウ・ギキウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

× 。〔元亀二年本〕※脱語にて欠

耆旧(キキウ) 。〔静嘉堂本328二〕

とあって、静嘉堂本に標記語「耆旧」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副参望供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守火守門守再火鈴振等也〔至徳三年本〕

此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人公者兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔宝徳三年本〕

此外耆旧之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙弥喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫子炭頭調菜人工兄部出納山守木守門守火鈴振等也〔建部傳内本〕

此外耆舊(ギキウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()僧山主(サンス)菴主沙弥喝食行(アン)者方ニハ参頭(サンチウ)()参望(マウ)参供頭(キウチウ)堂主()()司炭頭(トンチウ)調菜人工ニハ者兄部(コノカウベ)出納山守木守門守()園頭(エンチウ)火鈴(コリン)振等也〔山田俊雄藏本〕

耆旧(キキウ)之諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦(タン)過之僧山主庵主沙彌喝食行(アン)者参(サン)頭副参(フウサン)(モウ)参供頭(キウテウ)堂司庫子炭頭調菜人工(ニンク)兄部(コノカウヘ)出納山守(モリ)木守(コモリ)門守火鈴振(コリンフリ)等也〔経覺筆本〕

此外耆舊(キギウ)()諸僧塔頭(タツチウ)坊主旦過(タンクワ)()山主(シユ)庵主(アンシユ)沙弥喝食(カツシキ)行者(アンシヤ)人工参頭(サンチウ)副参(フサン)望参(マウサン)供頭(キウチウ)堂司(ダウス)庫子(クス)炭頭(トンチウ)調菜(テウサイニン)工者(クニハ)兄部(コノカウヘ)出納(シユツナウ)山守(モリ)木守(コモリ)門守(モンス)火鈴振(コリンフリ)等也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「耆舊」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「ギキウ」、経覺筆本「キキウ」、文明四年本に「キギウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「耆舊」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「耆舊」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

耆舊(キキユウヲキナ、フルシ)[平・○] 。〔態藝門834五〕

とあって、標記語「耆舊」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本節用集』にだけ、

耆舊(ギキウ) 。〔・人倫門218一〕

とあって、標記語「耆舊」の語を収載する。また、易林本節用集』は、標記語「耆舊」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・『運歩色葉集』・弘治二年本節用集』に標記語「耆舊(旧)」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。いずれも語注記を未記載にしている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

607此_()之諸僧 僧梵ニハ僧伽。唐ニハ。今略シテ也。〔謙堂文庫蔵五四左H〕

とあって、標記語「耆舊」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

焼香(セフカウ)侍者(ジシヤ)書状(シヨジヤウ)請客(シンカ)湯藥(タウヤク)()鉢等侍者此外耆舊(キキウ)()諸僧(シヨソウ) 焼香シ書状認(シタヽム)ル事侍者(ジシヤ)ノ役(ヤク)也。又位ヲ付アガルヲ耆舊ト云フナリ。〔下32オ三・四〕

とあって、この標記語「耆舊」とし、語注記は、「また、位を付あがるを耆舊と云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)此外耆舊之諸僧 耆ハ年老ひたる事也。舊ハふるきなじミなり。〔83オ八〜83ウ一〕

とあって、この標記語「耆舊」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつとう)の坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつしき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんぢう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなふ)山守(やまもり)木守(こもり)(かど)守火鈴(りん)(ふり)(とう)(なり)此外耆舊之諸僧塔頭坊主旦過之僧山主庵主沙彌喝食行者参頭副參望參供頭堂司庫司炭頭調菜人工者兄部出納山守木守門守火鈴振等也▲耆舊之諸僧ハ老僧達(らうそうたち)といふ義也。耆ハ六十歳(さい)をいふ。〔60オ七、61オ三〕

此外(このほか)耆舊(ぎきう)()諸僧(しよそう)塔頭(たつちう)坊主(ばうず)旦過(たんくハ)()(そう)山主(さんしゆ)庵主(あんしゆ)沙彌(しやミ)喝食(かつじき)行者(あんじや)参頭(さんぢう)副參(ふさん)望參(ばうさん)供頭(ぐちう)堂司(だうす)庫司(くす)炭頭(たんちう)調菜人(てうさいにん)工者(くしや)兄部(このかうべ)出納(しゆつなう)山守(やまもり)木守(こもり)門守(かどもり)火鈴振(こりんふり)(とう)(なり)▲耆舊之諸僧ハ老僧達(らうそうたち)といふ義也。耆()ハ六十歳をいふ。〔109オ四、109ウ三〕

とあって、標記語「耆舊」の語をもって収載し、その語注記は、「耆舊の諸僧は、老僧達(らうそうたち)といふ義也。耆()は、六十歳をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「耆舊(旧)」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-きう〔名〕【耆舊】としより。老人。太平記、廿四、依山門嗷訴公卿僉議事趙世家「いかなる大刹の長老、大耆舊の人も、路次に行き逢ふ時は、膝を屈めて、地に跪き」〔0456-5〕

とあって、標記語「-きう〔名〕【耆舊】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-きゅう耆舊】〔名〕@年寄り。老人。A年寄りと昔なじみ。耆老(きろう)と故旧」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
有住持和尚東堂和尚并両班大耆旧等同心談合而所被定置也、《『大コ寺文書応安元年六月日の条、123・1/80
 
 
2004年10月04日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
衣鉢(いはつ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、「衣裳(イシヤウ)。衣食(シヨク)。衣料(リウ)。衣冠(クワン)。衣類(イルイ)。衣術(ジユツ)。衣桁(カウ)」の七語を収載し、標記語「衣鉢」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「衣鉢」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「イフ」と異訓「エハツ」、文明四年本に「イフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「衣鉢」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「衣鉢」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

衣鉢(ヱ・キルハツ・コロモ・スデニ、マヱ)[去・入] 祖庭事苑依鉢。〔器財門702二〕

侍者(ジシヤサブライ、ヒト・モノ)[○・上] 長老左右也。肇云巷已順スル者。具八法云々。佛命阿難侍者云々。焼香侍者。又云高待(タイ)侍者長老方丈總奉行也。書状侍者或云()。記頌録官也。書札官也。請(シン)客侍者又云侍客(シカク)接客官也。湯藥侍者。又云侍藥茶官也。衣鉢(イフ)侍者。又云侍衣(シエ)侍丈道具奉行也。〔官位門919四〕

とあって、標記語「衣鉢」の語を収載し、訓みは「ヱハツ」とし、語注記に「『祖庭事苑』、「依鉢」に作す」と記載する。また、標記語「侍者」の語注記中に「衣鉢(イフ)侍者」という訓みが見えている。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

衣鉢 。〔・官位門007三〕〔・官位門007三〕〔・官位門007三〕〔・官位門007三〕

とあって、標記語「衣鉢」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

衣鉢 。〔言辞門007三〕

とあって、標記語「衣鉢」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「衣鉢」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

606衣鉢(イフ)侍者等 式目四十ケ条也。衣裳司也。會下ニハ納所役也。焼香以下五人之侍者也。〔謙堂文庫蔵五四左G〕

とあって、標記語「衣鉢」の語を収載し、語注記は、「式目四十ケ条に在るなり。衣裳の司なり。會下には、納所の役なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

焼香(セフカウ)侍者(ジシヤ)書状(シヨジヤウ)請客(シンカ)湯藥(タウヤク)()等侍者此外耆舊(キキウ)()諸僧(シヨソウ) 焼香シ書状認(シタヽム)ル事侍者(ジシヤ)ノ役(ヤク)也。又位ヲ付アガルヲ耆舊ト云フナリ。〔下32オ三・四〕

とあって、この標記語「衣鉢」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えはち)等の侍者/書状請客湯薬衣鉢等侍者 書状侍者ハ住持の書状徃來(やりとり)の時認(したゝむ)る役也。請客侍者とハ住持客人と應對(おうたい)する時側(そば)に附添てさし引する役也。湯薬侍者ハ住持食事(しよくし)の時通(かよ)ひなとする役なり。湯薬ハ陳皮(ちんひ)白朮(ひやくじゆつ)丁子(てうじ)胡椒(こせう)を細末()にして湯に投(ほだし)て食後にすゝむる也。是によりて其役名とす。衣鉢侍者ハ住持の衣類其外身につく諸品をつかさとる役也〔83オ五〜八〕

とあって、この標記語「衣鉢」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲衣鉢ハ衣服(いふく)鉄鉢(てつはち)等を司る役也。〔60オ三、60ウ六・七〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲衣鉢ハ衣服(いふく)鉄鉢(てつはち)等を司(つかさど)る役也。〔107ウ五、109オ二〕

とあって、標記語「衣鉢」の語をもって収載し、その語注記は、「衣鉢は、衣服(いふく)鉄鉢(てつはち)等を司(つかさど)る役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Ifujixa.イハツジシャ(衣鉢侍者) →Yfujixa.〔邦訳332l〕

‡Yfujixa.イフジシャ(衣鉢侍者) Yefat.〔邦訳822l〕

Yefat.エハツ(衣鉢) Coromo fachi.(衣鉢)衣と,坊主(Bonzos)が布施を入れてもらう鉢と.¶また,下級の坊主(Bonzos)のある階級で,別名をYfujixa(衣鉢侍者)と言う.〔邦訳816l〕

とあって、標記語「衣鉢」の語の意味は「前に」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ハツ〔名〕【衣鉢】えはつ(衣鉢)を見よ。〔0201-3〕

-ハツ〔名〕【衣鉢】〔謡曲、殺生石に、エハツとあり〕(一)佛教の徒の、釋迦より世世相傳へ來れりと云ふ、衣と鉢との稱。達磨大師、携へて梁に入り、慧可に傳ふと云ふ。傳燈録、「五祖弘忍、以法寶及所傳袈裟、付與六祖盧慧能、池州使君問五祖曰會中有五百僧、不衣鉢、爲甚却付與盧行者、云云」(二)轉じて、宗教、學術の道など、すべて、師父より、子弟へ相傳ふること。邵氏見聞録「范質學進士、主司和凝愛其才、以第十三、登第、謂質曰、君文宜多士、屈居十三者、欲君傳老夫衣鉢爾」〔0276-2〕

とあって、標記語「-ハツ〔名〕【衣鉢】」「-ハツ〔名〕【衣鉢】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-はつ衣鉢】〔名〕三衣と一鉢。また、法を継ぐ証拠として師僧から伝える袈裟(けさ)と鉢。転じて、師から弟子に伝える学問や技芸などの奥義。現在では多く「いはつを継(つ)ぐ」の形で用いる。えはつ。いはち」「-はつ衣鉢】〔名〕仏語。@(「さんえいいっぱつ(三衣一鉢)の略」)僧の着用する三種の法衣(袈裟)と食器(鉄鉢)のこと。出家受戒の時、これらを整えていることが重要な条件とされた。また、修行僧の持ち物、道具など一切を指すこともある。いはつ。えはち。A(法を伝えるその証として衣鉢を与えたところから)法、宗義あるいは奥義。転じて、師から弟子に伝える学問、技芸などの奥義。いはつ。えはち。→衣鉢(いはつ)を継ぐ。B僧の蓄えている銭、帛などの類。C「えはつじしゃ(衣鉢侍者)@」の略[語誌](1)エは「衣」の呉音。三衣一鉢のことであるが、『今昔物語集』では@の挙例のほかに「衣鉢を投棄て」「衣鉢を棄てて」などの類型表現で、すべてを投げうつことを比喩的に表わしている。(2)「衣鉢」は他の語として、「衣鉢閣」「衣鉢簿」「衣鉢侍者」などとも使われ、それぞれイホカク(禅林象器箋)、イフボ(禅林象器箋)、イフジシャ(伊京集・易林本節用集・日葡辞書)、エフジシャ(温故知新書)、エハツジシヤ(易林本節用集)などと訓ずる」「-衣鉢】〔名〕衣鉢(えはつ)のこと。禅宗でいう。いふ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然而未依無寄附庄園、佛無供具之備、僧失衣鉢之貯《訓み下し》然レドモ未ダ庄園ヲ寄附スルコト無キニ依テ、仏ハ供具ノ備ヘ無ク、僧ハ衣鉢(ヱハツ)ノ貯ヘヲ失フ。 《『吾妻鏡』文治二年二月三日の条、》※『日本国語大辞典』第二版Bの意味。
 
 
2004年10月03日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
湯薬(タウヤク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、「湯治(タウヂ)。湯盞(サン)。湯瓶(ビン)」の三語を収載し、標記語「湯薬」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼-香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ )衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「湯薬」と記載し、訓みは山田俊雄藏本に「タウヤ(ク)」、文明四年本に「タウヤク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

湯薬 醫方部/タウヤク。〔黒川本・畳字門中009ウ七〕

湯沐 タウホク 〃治、〃薬。〔言辞門007三〕

とあって、標記語「湯薬」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「湯薬」の語は未収載にする。

侍者(ジシヤサブライ、ヒト・モノ)[○・上] 長老左右也。肇云巷已順スル者。具八法云々。佛命阿難侍者云々。焼香侍者。又云高待(タイ)侍者長老方丈總奉行也。書状侍者或云()。記頌録官也。書札官也。請(シン)客侍者又云侍客(シカク)接客官也。湯藥侍者。又云侍藥茶官也。衣鉢(イフ)侍者。又云侍衣(シエ)侍丈道具奉行也。〔官位門919四〕

とあって、標記語「侍者」の語注記に「湯薬侍者」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

湯薬(タウヤク)侍者(ジシヤ) 僧官。〔・人倫門099四〕

湯藥(タウヤ)侍者 。〔・官名門92七〕

湯藥(タウヤ)侍者(ジシヤ) 。〔・官名門084七〕〔・官名門102三〕

とあって、標記語「湯藥侍者」の語を収載し、弘治二年本に語注記「僧官」と記載する。また、易林本節用集』に、

湯藥(タウヤ)侍者(ジシヤ) 。〔言辞門089六〕

とあって、標記語「湯藥侍者」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「湯薬」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

605湯薬(タウヤク) 薬役者。〔謙堂文庫蔵五四左G〕

とあって、標記語「湯薬」の語を収載し、語注記は、「薬を煮する役の者」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

焼香(セフカウ)侍者(ジシヤ)書状(シヨジヤウ)請客(シンカ)湯藥(タウヤク)()鉢等侍者此外耆舊(キキウ)()諸僧(シヨソウ) 焼香シ書状認(シタヽム)ル事侍者(ジシヤ)ノ役(ヤク)也。又位ヲ付アガルヲ耆舊ト云フナリ。〔下32オ三・四〕

とあって、この標記語「湯薬」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えはち)等の侍者/書状請客湯薬衣鉢等侍者 書状侍者ハ住持の書状徃來(やりとり)の時認(したゝむ)る役也。請客侍者とハ住持客人と應對(おうたい)する時側(そば)に附添てさし引する役也。湯薬侍者ハ住持食事(しよくし)の時通(かよ)ひなとする役なり。湯薬ハ陳皮(ちんひ)白朮(ひやくじゆつ)丁子(てうじ)胡椒(こせう)を細末()にして湯に投(ほだし)て食後にすゝむる也。是によりて其役名とす。衣鉢侍者ハ住持の衣類其外身につく諸品をつかさとる役也。〔83オ五〜八〕

とあって、この標記語「湯薬」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲湯薬ハ薬を煎(せん)ずる役也。〔60オ三、60ウ六〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲湯薬ハ薬を煎(せん)する役也。〔107ウ五、109オ三〕

とあって、標記語「湯薬」の語をもって収載し、その語注記は、「湯薬は、薬を煎(せん)ずる役なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「湯薬」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たう-やく〔名〕【湯藥】せんじぐすり(煎藥)に同じ。李密、陳情表「劉夙嬰疾病、常在床蓐、臣侍湯藥、未嘗廢離」(劉は、密の祖母」〔1198-3〕

とあって、標記語「たう-やく〔名〕【湯藥】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-やく湯薬】〔名〕@せんじぐすり。煎薬(せんやく)。A禅家で、湯茶のほか一般に食事をいう。B「とうやくじしゃ(湯薬侍者)」の略」→標記語「とうやく-じしゃ湯薬侍者】〔名〕仏語。禅家の僧職の一つ。禅院の住持の飲食のことをつかさどる役。湯薬」とあって、『庭訓徃來』の語用例は未記載にし、後者で『異制庭訓徃來』の語用例を収載する。
[ことばの実際]
竃塗之用壱斗四升 湯薬種六升 香物壱石九斗 味噌(紙継目裏花押)弐斗壱升弐合《『大コ寺文書』天文十六年二月九日の条、2607・10/103》
 
 
請客(シンカ)」はことばの溜池(2004.05.01)を参照。
 
2004年10月02日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ローマ西市街(Aurelia Antica)
書状(シヨジヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

書状(ジヤウ) 。〔元亀二年本311十〕〔静嘉堂本365一〕

とあって、標記語「書状」の語を収載し、訓みは「(シヨ)ジヤウ」とする。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)-主焼--請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「書状」と記載し、訓みは文明四年本に「シヨシヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「書状」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「書状」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

書状(シヨジヤウ) ―札(サツ)。―籍(ジヤク)/―判(ハン)。―寫(シヤ)。〔言辞門214五〕

とあって、標記語「書状」の語を収載し、訓みは「シヨジヤウ」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本節用集』に、標記語「書状」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして語注記は、両古辞書には掲載されていない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

603書状 書拵。〔謙堂文庫蔵五四左F〕

とあって、標記語「書状」の語を収載し、語注記は、「書き拵へ」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

焼香(セフカウ)侍者(ジシヤ)書状(シヨジヤウ)請客(シンカ)湯藥(タウヤク)()鉢等侍者此外耆舊(キキウ)()諸僧(シヨソウ) 焼香シ書状認(シタヽム)ル事侍者(ジシヤ)ノ役(ヤク)也。又位ヲ付アガルヲ耆舊ト云フナリ。〔下32オ三・四〕

とあって、この標記語「焼香」とし、語注記は、「焼香し書状認(シタヽム)る事侍者(ジシヤ)の役(ヤク)なり」と記載するのみで「書状」についての記載は見えない。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えはち)等の侍者/書状請客湯薬衣鉢等侍者 書状侍者ハ住持の書状徃來(やりとり)の時認(したゝむ)る役也。請客侍者とハ住持客人と應對(おうたい)する時側(そば)に附添てさし引する役也。湯薬侍者ハ住持食事(しよくし)の時通(かよ)ひなとする役なり。湯薬ハ陳皮(ちんひ)白朮(ひやくじゆつ)丁子(てうじ)胡椒(こせう)を細末()にして湯に投(ほだし)て食後にすゝむる也。是によりて其役名とす。衣鉢侍者ハ住持の衣類其外身につく諸品をつかさとる役也。〔83オ五〜八〕

とあって、この標記語「書状」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲書状ハ書翰(しよかん)を認(したゝ)むる役右筆(いうひつ)也。〔60オ三、60ウ六〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲書状ハ書翰(しよかん)を認(したゝ)むる役右筆(いうひつ)也。〔107ウ五、109オ二〕

とあって、標記語「書状」の語をもって収載し、その語注記は、「書状は、書翰(しよかん)を認(したゝ)むる役、右筆(いうひつ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「書状」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-じゃう〔名〕【】〔居家必用、注「演義曰、、貌也、以貌寫情於紙墨也」〕略して、(ジヤウ)。てがみ。ふみ。書翰書簡書疏保元物語、一、調伏事「兵、數多寄り、取りて、伏せて、是を搦め、本尊、并、左大臣の、等、相、具して、率()て參る」〔1014-4〕

とあって、標記語「しょ-じゃう〔名〕【】」

これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-じょう書状】〔名〕@手紙。書簡。文書。A折紙に書かれた略式の訴状。B「しょじょうじししゃ(書状侍者)の略」」とあって、『庭訓徃來』でなく、江戸時代の注釈書『庭訓徃來抄』を以てこの語用例を記載する。

[ことばの実際]
別当康年沈病之間有示現者、以書状送於法印御房云、宿院極楽寺、 《『石清水文書田中』治安三年十月五日の条、313・1/534》
 
 
2004年10月01日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
浴主(ヨクス)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、

浴主(ヨクス) 風呂禅家之官也。〔元亀二年本132六〕

浴主(ヨクス) 風呂禅家之官。〔静嘉堂本139二〕

浴主(ヨクス) 禅家。〔天正十七年本中57ウ一〕

とあって、標記語「浴主」の語を収載し、語注記に「風呂を司る禅家の官(なり)」と記載する。但し、天正十七年本は略してただ「禅家」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭々首方前堂後堂両首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者〔至徳三年本〕

并知事方都寺監寺副寺維那典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記藏主知客浴主燒香侍者書状請客湯藥衣鉢等侍者〔宝徳三年本〕

知事方者都寺監寺副寺維那典座直歳都官都聞修造主堂主浄頭々主方者前堂後堂両首座書記蔵主知客焼香書状請客湯薬衣鉢等〔建部傳内本〕

知事方ニハ者都寺(ツウス)(カン)寺維那(井ノ)副寺(フウス)典座(テンゾ)直歳(ジキスイ)都官(ツウクワン)都聞(ブン)修造主(サウス)堂主(タウス)浄頭(シンヂウ)(テウ)首方ニハ前堂後-兩首-座書-()-主知客(シカ)(ヨク)--香書-状請客(シンカ)湯薬(タウヤ)衣鉢(イフ)エハツイ-〔山田俊雄藏本〕

知事方者都寺(ツウス)監寺副寺(フウス)維那(イノ)典座直歳(チキサイ)都管(ツウクワン)都聞(ツウフン)修造(シユサウ)主堂主(ドウシユ)浄頭(シンチウ)頭首(チウシユ)ニハ前堂後堂兩首座書記蔵主知客浴主焼香侍者書状侍者請客侍者湯薬侍者衣鉢侍者〔経覺筆本〕

()事方()都寺(ツウス)監寺(カンツ)副寺(フウス)維那(イノ)典座(テンソ)直歳(シツスイ)都聞(ツウウン)修造主(シユサウス)堂主(タウス)浄頭(ジンチウ)頭首(テウシユ)ニハ{フシン直行}---首座(シユソ)--知客(シカ)浴主(ヨクス)-香侍者書状(シヨシヤウ)請客(シンカ)湯薬(タウヤク)衣鉢(イフ)侍者。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本の古写本には「浴主」と記載し、建部傳内本は脱語。訓みは山田俊雄藏本に「ヨク(ス)」、文明四年本に「ヨクス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「浴主」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「浴主」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

浴主(ヨクスアラウ・ユアフル、ヌシ)[入・上去] 又云知浴。下官人也。〔官位門315八〕

とあって、標記語「已前」の語注記に「浴主」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

浴主(ヨクス) 僧官。〔・人倫門91一〕

浴主(ヨクス) 。〔・人倫門87六〕〔・人倫門95五〕

浴司() 。〔・言語進退門94八〕

とあって、標記語「浴主」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

浴主(ヨクス) 在僧家。〔人倫門085五〕

とあって、標記語「浴主」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「浴主」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

601蔵主知客(シカ)浴主(ヨクス) 風呂役者。〔謙堂文庫蔵五四左F〕

とあって、標記語「浴主」の語を収載し、語注記は、「風呂の役の者」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

浴主(ヨクス)ハ風呂(フロ)奉行(ぶげう)ナリ。〔下31ウ六〕

とあって、この標記語「浴主」とし、語注記は、「風呂(フロ)奉行なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

浴主(ざうす)浴主 風呂(フロ)奉行なり。〔83オ四〕

とあって、この標記語「浴主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に知事(ちじ)(かた)ニハ都寺(つうす)監寺(かんす)副守(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくハん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがた)に前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)の兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(いの)知客(ちか)焼香(しやうくわう)の侍者(ぢしや)書?(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とう)の侍者(ぢしや)知事方ニハ都寺監寺副寺浴主典座直歳都管都聞修造主堂主浄頭頭首方前堂後堂兩首座書記蔵主維那知客焼香侍者書状請客湯薬衣鉢等侍者▲浴主ハ風呂(フロ)奉行(ぶぎやう)なり。〔60オ三、60ウ五〕

(ならびに)知事(ちじ)(かたにハ)都寺(つうす)監寺(かんす)副寺(ふす)浴主(よくす)典座(てんそ)直歳(ぢきさい)都管(つうくわん)都聞(つうぶん)修造主(しゆざうす)堂主(だうす)浄頭(じんちう)頭首方(てうしゆがたに)()前堂(ぜんだう)後堂(ごだう)兩首座(りやうしゆそ)書記(しよき)蔵主(ざうす)維那(ゐの)知客(ちか)焼香(せうかうの)侍者(ぢしや)書状(しよじやう)請客(しんか)湯藥(たうやく)衣鉢(えふ)(とうの)侍者(ぢしや)▲浴主ハ風呂(フロ)奉行(ぶぎやう)なり。〔107ウ五、108ウ六〕

とあって、標記語「浴主」の語をもって収載し、その語注記は、「浴主は、風呂(フロ)奉行(ぶぎやう)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yocusu.ヨクス(浴主) 僧院や寺院において,浴場の世話に当たる者.〔邦訳824r〕

とあって、標記語「浴主」の語の意味は「僧院や寺院において,浴場の世話に当たる者」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

よく-〔名〕【浴主】禪家にて、浴室をつかさどる役僧。知浴。易林本節用集(慶長)上、人倫門「浴主、ヨクス、在僧家庭訓往來、十月「禪家者、堂頭和尚、東堂西堂、云云、浴主〔2083-5〕

とあって、標記語「よく-〔名〕【浴主】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「よく-浴主浴司】〔名〕仏語。禅家で、浴室をつかさどる役」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
某甲上座 某甲浴主《『正法眼藏』安居の条、乾坤本十五11ウG
 
 
 
 
 
 
 
 

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