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ことばの溜め池
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聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕
聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕
聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕
聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時ノ客人也任テ二人数ニ一云二點心ト一云二布施物ト一糺(タヽシテ)二臈次(ロウシ)ヲ一可キ三注シ二給ル上下ノ之品(シナ)ヲ一也〔山田俊雄藏本〕
聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時ノ客人任‖人数ニ|云‖点心ト|云(イヽ)‖布施物ト|糺(タヽシテ)二臈次(ラツシ)ヲ|可レ注シ二給上下ノ品(シナ)一也〔経覺筆本〕
聖道ニ者(ハ)從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)推(スイ)参之道俗(タウソク)臨時之ノ客僧(かくソウ){人}任テレ人数ニ|云(イヽ)‖點心(テンシン)ト|云レ布施物ト|糺(タヽシテ)‖臈次(ラツシ)ヲ|可レ注(シルシ)給レ上下ノ品(シナ)ヲ|也〔文明四年本〕 ※布施(フせ)。
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「從僧」とし、訓みは、経覺筆本に「ジユウ(ソウ)」、山田俊雄藏本・文明四年本に「ジウソウ」と記載する。
従僧 シユソウ。〔黒川本・人倫門下70オ四〕
從僧(シユソウ) 。〔卷第九・人倫門140二〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「從僧」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
646聖道者從(シユ)僧駈使(クシ/ハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)之道−俗臨時ノ客人任‖人数ニ|云‖点心|云‖布施|物|糺‖臈次(ラツ−)ヲ| 糺‖臈次|。有‖式目四ケ条ニ|。老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕
とあって、標記語「從僧」の語を収載し、語注記は未記載にする。
從僧(ジユソウ) トハ。イタフク者也。〔下33オ七〕
聖道(しやうたう)者(ハ)從僧(しゆそう)/聖道者從僧 修して來るいやしき僧也。〔85ウ一・二〕
とあって、この標記語「從僧」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうたう)者(ハ)從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)之(の)道俗(たうぞく)臨時(りんじ)之(の)客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云(い)ひ布施物(ふせもつ)と云(い)ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)之(の)品(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可(べ)き也(なり)/聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時ノ客人任‖人数ニ|云‖点心|云‖布施|物|糺‖臈次ヲ|可∨注‖給上下之品|也▲從僧ハ供(とも)に從(したが)ふ僧也。〔62ウ三、62ウ七〕
聖道(しやうだう)者(ハ)從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)之(の)道俗(だうぞく)臨時(りんじ)之(の)客人(きやくしん)任(まかせ)‖人数(にんじゆに)|云(いひ)‖点心(てんしんと)|云(いひ)‖布施物(ふせもつと)|糺(たゞし)‖臈次(らふじを)|可(べき)∨注(ちゆうし)‖給(たふ)上下(じやうげ)之(の)品(しなを)|也(なり)▲從僧ハ供(とも)に從(したが)ふ僧也。〔112オ六、112ウ五・六〕
じュう-ソウ〔名〕【從僧】三綱などに扈從する僧。ずそう。玄蕃寮式、「凡僧正、從僧五人、云云、大少僧都、各、從僧四人」〔0986-5〕
陪堂外僧堂輩〔至徳三年本〕
陪堂外僧堂輩〔宝徳三年本〕
陪堂外僧堂輩〔建部傳内本〕
陪堂(ホイタウ)外(ト)僧堂輩〔山田俊雄藏本〕
陪(ホイ)堂外(ト)僧堂ノ輩(トモカラ)〔経覺筆本〕
陪堂(ホイタウ)外僧堂(トソウタウ)ノ輩(トモカラ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「外僧堂」とし、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「ト(ソウダウ)」、文明四年本に「トソウダウ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「外僧堂」の語は未収載し、ただ、下記『日本国語大辞典』第二版が引用する『温故知新書』にあり、またこれを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
645陪堂(ホイタウ)外(ト/ゲ)僧堂ノ輩 平家内大臣重盛後生善所ヲ祈ニ云、彼六八弘誓ノ願ニ准ラヘ東山ノ麓ニ四十八間ノ立精舎ヲ|。一間ニ一充四十間ニ四十八ノ灯篭ヲ立。九-品ノ*目ノ前ニ耀光曜鸞鏡ヲ塋浄土ノ砌ニ如シ∨臨ルカ毎月十四十五日ヲ点シテ當家他家ノ人々ノ御方々ヨリ眉目好ク若キ女房達ヲ請集一間ニ六人充四十八間ニ二百八十八人ノ時衆ト定念佛ヲ|勧也。十五日ノ中ヲ結願シテ大臣自(ミ−)西方向テ合せ∨手ヲ南無□養教-主(キヤウ−)弥陀善逝三界六道ノ衆ヲ済度ト云也。回向發□有リ梟(ケレ)ハ人皆泪ヲ流也。依∨之灯篭ノ大臣ト申也。今以‖一遍|為∨本ト。今ノ藤澤ハ自‖一遍|當四代目ニ云也。〔謙堂文庫蔵五六右D〕※「南无安養」「回向發願」〔天理本にて補足〕
とあって、標記語「外僧堂」の語を収載し、語注記には、平重盛の譚を記載し、他に見ない内容である。
相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)之僧陪堂(ホイタウ) 相伴(シヤウバン)ハ客(キヤク)人ノ時罷(マカリ)出デ食事(シヨクジ)ヲススムル人也。陪堂(ホイタウ)ハ飯米(ハンマイ)ヲ副(ソフル)僧ナリ。〔下33オ五・六〕
陪堂(ほいたう)外堂(とたう)の輩(ともから)/陪堂外堂之輩 陪堂ハ堂の上につらなる事を得る者。外堂ハ堂の上に登る事をゆるされさるもの也。皆いやしき僧乃事なり。〔85オ八〜85ウ一〕
とあって、この標記語「外堂」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
陪堂(ほいだう)外僧堂(とそうたう)の輩(ともから)/陪堂外僧堂之輩。▲邏齊之僧陪堂外僧堂ハいつれも仏事(ぶつじ)に携(たつさ)ハらすして、たゝ食(しよく)を乞(こ)ひ供養(くよう)にあふ非人僧(ひにんそう)也。〔62ウ二・三、62ウ六〕
陪堂(ほいだう)外僧堂(とそうだうの)輩(ともから)▲邏齊之僧陪堂外僧堂ハいづれも仏事(ぶつじ)に携(たづさ)ハらずして、たゞ食(しよく)を乞(こ)ひ供養(くやう)にあふ非人僧(ひにんそう)也。〔112オ六、112ウ五〕
陪堂(ホイタウ) 。〔元亀二年本43八〕〔静嘉堂本48四〕
陪堂(ホウタウ) 。〔天正十七年本上25オ四〕
陪堂外僧堂輩〔至徳三年本〕
陪堂外僧堂輩〔宝徳三年本〕
陪堂外僧堂輩〔建部傳内本〕
陪堂(ホイタウ)外(ト)僧堂輩〔山田俊雄藏本〕
陪(ホイ)堂外(ト)僧堂ノ輩(トモカラ)〔経覺筆本〕
陪堂(ホイタウ)外僧堂(トソウタウ)ノ輩(トモカラ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「陪堂」として、訓みは経覺筆本に「ホイ(タウ)」、山田俊雄藏本・文明四年本に「ホイタウ」と記載する。
陪堂(ホイタウ/ハンベル、イヱ)[○・○] 僧ノ飯米也。〔飲食門098七〕
陪堂(ホイタウ) 僧食。〔弘・食物門032六〕〔永・食物門032九〕〔尭・食物門031四〕〔両・食物門037八〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「陪堂」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
645陪堂(ホイタウ)外(ト/ゲ)僧堂ノ輩 平家内大臣重盛後生善所ヲ祈ニ云、彼六八弘誓ノ願ニ准ラヘ東山ノ麓ニ四十八間ノ立精舎ヲ|。一間ニ一充四十間ニ四十八ノ灯篭ヲ立。九-品ノ*目ノ前ニ耀光曜鸞鏡ヲ塋浄土ノ砌ニ如シ∨臨ルカ毎月十四十五日ヲ点シテ當家他家ノ人々ノ御方々ヨリ眉目好ク若キ女房達ヲ請集一間ニ六人充四十八間ニ二百八十八人ノ時衆ト定念佛ヲ|勧也。十五日ノ中ヲ結願シテ大臣自(ミ−)西方向テ合せ∨手ヲ南無□養教-主(キヤウ−)弥陀善逝三界六道ノ衆ヲ済度ト云也。回向發□有リ梟(ケレ)ハ人皆泪ヲ流也。依∨之灯篭ノ大臣ト申也。今以‖一遍|為∨本ト。今ノ藤澤ハ自‖一遍|當四代目ニ云也。〔謙堂文庫蔵五六右D〕
とあって、標記語「陪堂」の語を収載し、この語注記は未記載にする。
相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)之僧陪堂(ホイタウ) 相伴(シヤウバン)ハ客(キヤク)人ノ時罷(マカリ)出デ食事(シヨクジ)ヲススムル人也。陪堂(ホイタウ)ハ飯米(ハンマイ)ヲ副(ソフル)僧ナリ。〔下33オ五・六〕
陪堂(ほいたう)外堂(とたう)の輩(ともから)/陪堂外堂之輩 陪堂ハ堂の上につらなる事を得る者。外堂ハ堂の上に登る事をゆるされさるもの也。皆いやしき僧乃事なり。〔85オ八〜85ウ一〕
とあって、この標記語「陪堂」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
陪堂(ほいだう)外僧堂(とそうたう)の輩(ともから)/陪堂外僧堂之輩。▲邏齊之僧陪堂外僧堂ハいつれも仏事(ぶつじ)に携(たつさ)ハらすして、たゝ食(しよく)を乞(こ)ひ供養(くよう)にあふ非人僧(ひにんそう)也。〔62ウ二・三、62ウ六〕
陪堂(ほいだう)外僧堂(とそうだうの)輩(ともから)▲邏齊之僧陪堂外僧堂ハいづれも仏事(ぶつじ)に携(たづさ)ハらずして、たゞ食(しよく)を乞(こ)ひ供養(くやう)にあふ非人僧(ひにんそう)也。〔112オ六、112ウ五〕
Foito<.ホイタゥ(陪堂) Cate(糧)に同じ.食糧.坊主(Bozos)などの用いる言葉.¶Fo<ito suru.(陪堂する)家々の門口を回って食糧を乞う.¶Iunreini foito<.(巡礼に陪堂)乞い求めるさま.すなわち,ある巡礼者に対する施し.※Foito<の誤植.〔邦訳258r〕
ホイ-タウ〔名〕【陪堂】〔字の宋音、禪林にて、客僧などが僧堂の外堂に陪して、食を受くる處を云ふ〕(一)禪家の僧司の名。飯米を司るもの。庭訓鈔、十月「相伴邏齊之僧、陪堂」注「陪堂は飯米を副(そふる)僧なり」鷹筑波集、二「ひだるさ故に、やせわたる袖」附句「ほいたうの、僧は横川(よかハ)へ、行戻り」饅頭屋本節用集「陪當(ホイタウ)」撮壤集、上、禪僧「陪堂、ホイタウ」(二)轉じて、米。飯米。又、ヘイタウ。書言字考節用集、六、服食門「陪堂、ヘヰタウ、禪家飯米」舞の本、烏帽子折「山伏は十人にあまってさうぞ、今夜一夜のほいたうをたべやっとよばはって」(三)ものもらひ(物貰)の稱。ほいと。乞食。南海治亂記、四、讃州河野氏建二不動堂一記「眞言を宗とする者は、四國遍路陪當(ホイタウ)して、靈佛を巡禮し、菩提を祈る、此陪當人をも、門内に不レ入」遠碧軒記、二「陪堂(ホイタウ)、巡齋の事なり、佛經の字なり、ものもらひの事なり」〔1822-1〕
猶(なを)以(もつ)て禅家(ぜんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)/猶以禅家方者相伴邏齊之僧 邏齊ハときをもらふと訓す。是ハ功コ(くとく)もなく知識(ちしき)もなけれとも今度の大齋に付て其供養(くやう)にあふ僧をいふなり。〔85オ六・七〕
とあって、この標記語「邏齊」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかう)の僧徒(そうと)等(とう)猶(なを)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)/其外。有職。僧綱ノ僧徒等。猶以禅家方者。相伴。邏齊之僧。▲邏齊之僧陪堂外僧堂ハいつれも仏事(ぶつじ)に携(たつさ)ハらすして、たゝ食(しよく)を乞(こ)ひ供養(くよう)にあふ非人僧(ひにんそう)也。〔62ウ二、62ウ六〕
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかうの)僧徒(そうと)等(とう)猶(なほ)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)▲邏齊之僧陪堂外僧堂ハいづれも仏事(ぶつじ)に携(たづさ)ハらずして、たゞ食(しよく)を乞(こ)ひ供養(くやう)にあふ非人僧(ひにんそう)也。〔112オ四、112ウ五〕
相伴(シヤウバン) 。〔元亀二年本312八〕
相伴(シヤウバン) 。〔静嘉堂本366二〕
其外有職僧綱僧徒等禅家方者相伴邏齊之僧〔至徳三年本〕
其外有識僧綱僧徒等猶以禪家方者相伴邏齊僧〔宝徳三年本〕
其外有職僧綱僧徒等猶以禅家者相伴邏齊之僧〔建部傳内本〕
其外有職(シキ)僧綱(カウ)ノ僧徒(ト)等猶以禅家方ニハ者相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)僧〔山田俊雄藏本〕
其外有職之僧綱(カウ)僧徒等猶以テ禅家方者相伴(シヤウハン)邏齋(ロサイ)之僧〔経覺筆本〕
其外有職(ウシキ)ノ僧綱(ソウカウ)ノ僧徒(ト)等(ラ)。猶以テ禅家方ニハ者相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)之(ノ)僧〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「相伴」と記載する。
相伴(シヤウバン) 對座也(ナリ)。〔態藝門87一〕
相伴(シヤウ・タスク、バン/アウ、トモ)[平・上] 對座也。或作二請番(シヤウバン)一。〔態藝門965三〕
相伴(シヤウバン) 萬座義。〔弘・言語進退門244七〕
相伴(シヤウバン) ―看。―待。―用。―(シン)暇。〔永・言語門209五〕
相伴(シヤウハン) ―眼。―看。―待。―用。―暇。〔尭・言語門193七〕
相伴(シヤウバン) ―看(カン)。〔言辞門215五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「相伴」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
644僧徒等(ラ)猶以禅家方者相伴(ハン)邏齊(ロサイ)之僧 下学ニハ乞食云也。〔謙堂文庫蔵五六右D〕
とあって、標記語「相伴」の語を収載し、語注記は「諸職ヲ拵僧云なり」と記載する。
相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)之僧陪堂(ホイタウ) 相伴(シヤウバン)ハ客(キヤク)人ノ時罷(マカリ)出デ食事(シヨクジ)ヲススムル人也。陪堂(ホイタウ)ハ飯米(ハンマイ)ヲ副(ソフル)僧ナリ。〔下33オ五・六〕
猶(なを)以(もつ)て禅家(ぜんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)/猶以禅家方者相伴邏齊之僧 邏齊ハときをもらふと訓す。是ハ功コ(くとく)もなく知識(ちしき)もなけれとも今度の大齋に付て其供養(くやう)にあふ僧をいふなり。〔85オ六・七〕
とあって、この標記語「相伴」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかう)の僧徒(そうと)等(とう)猶(なを)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)/其外。有職。僧綱ノ僧徒等。猶以禅家方者。相伴。邏齊之僧。〔62ウ二〕
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかうの)僧徒(そうと)等(とう)猶(なほ)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)。〔112オ五〕
Xo<ban.シヤウバン(相伴) Aitomono<.(相伴ふ)食卓の相手や食事のお伴をすること.¶Fitoni xo<ban suru.(人に相伴する)食事に他の人のお伴をする,すなわち,他の人と一緒に食事をする.〔邦訳787l〕
しゃう-ばん〔名〕【相伴】饗應の席に伴ひ、主人を助けて、客の相手となること。あひたけびと。伴食。陪食。陪膳。錢氏私誌、「令二梁守道相伴一、賜二酒菓一」下學集、下、態藝門「相伴、對座也」〔0970-3〕
其外有職僧綱僧徒等禅家方者相伴邏齊之僧〔至徳三年本〕
其外有識僧綱僧徒等猶以禪家方者相伴邏齊僧〔宝徳三年本〕
其外有職僧綱僧徒等猶以禅家者相伴邏齊之僧〔建部傳内本〕
其外有職(シキ)僧綱(カウ)ノ僧徒(ト)等猶以禅家方ニハ者相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)僧〔山田俊雄藏本〕
其外有職之僧綱(カウ)僧徒等猶以テ禅家方者相伴(シヤウハン)邏齋(ロサイ)之僧〔経覺筆本〕
其外有職(ウシキ)ノ僧綱(ソウカウ)ノ僧徒(ト)等(ラ)。猶以テ禅家方ニハ者相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)之(ノ)僧〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「僧徒」とし、訓みは、山田俊雄藏本・文明四年本に「(ソウ)ト」と記載する。
僧俗(ゾク) ―侶(リヨ)。―徒(ト)。―衆(シユ)。〔人倫門99六〕
このように、上記当代の古辞書においては、易林本『節用集』熟語群「僧徒」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
644僧徒等(ラ)猶以禅家方者相伴(ハン)邏齊(ロサイ)之僧 下学ニハ乞食云也。〔謙堂文庫蔵五六右D〕
とあって、標記語「僧徒」の語を収載し、語注記は未記載にする。
有職(ウシキノ)僧綱(ソウカウ)ノ僧徒(ト)等猶(ナヲ)以( テ)於テ二禪家(ぜンケ)ニ一者 有職(ウシキノ)僧綱ハ役(ヤク)人也。一寺タル処ニハ如レ此ノ輩(トモカラ)有ナリ。〔下33オ四・五〕
其外(そのほか)有識(ゆうしよく)の僧綱(そうかう)僧徒(そうと)等(とう)/其外有識ノ僧綱僧徒等 有識ハ学問廣く知識高きを云。ある本にハ有職に作る。されハ彼目あるをいふ也。僧綱ハ重立(おもたち)たる僧。僧徒ハ其外の出家を多くさしたる也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「僧徒」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかう)の僧徒(そうと)等(とう)猶(なを)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)/其外。有職。僧綱ノ僧徒等。猶以禅家方者。相伴。邏齊之僧。〔62ウ一〕
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかうの)僧徒(そうと)等(とう)猶(なほ)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)。〔112オ四〕
So>to.ソウト(僧徒) 坊主(Bonzos).〔邦訳578l〕
そう-と〔名〕【僧徒】〔爾雅、釋訓篇「徒、輩者也」〕僧(そう)のともがら。梁書、到漑伝「別營二小室一、朝夕從二僧徒一、禮誦二高祖一」吾妻鏡、廿九、文暦二年正月廿七日「被レ禁二斷鎌倉中僧徒之兵杖一」〔1142-3〕
其外有職僧綱僧徒等禅家方者相伴邏齊之僧〔至徳三年本〕
其外有識僧綱僧徒等猶以禪家方者相伴邏齊僧〔宝徳三年本〕
其外有職僧綱僧徒等猶以禅家者相伴邏齊之僧〔建部傳内本〕
其外有職(シキ)僧綱(カウ)ノ僧徒(ト)等猶以禅家方ニハ者相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)僧〔山田俊雄藏本〕
其外有職之僧綱(カウ)僧徒等猶以テ禅家方者相伴(シヤウハン)邏齋(ロサイ)之僧〔経覺筆本〕
其外有職(ウシキ)ノ僧綱(ソウカウ)ノ僧徒(ト)等(ラ)。猶以テ禅家方ニハ者相伴(シヤウバン)邏齊(ロサイ)之(ノ)僧〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「僧綱」と記載する。
僧綱 ソウカウ。〔黒川本・官職門中19ウ六〕
僧侶 〃徒。〃衆。〃正。〃祗。〃房。〃器。〃事。〃綱。〃供。〔卷第四・畳字門549一〕
僧綱(ソウコウ) 。〔態藝門84七〕
僧綱(ソウカウ/スミソメ・ヨステヒト、ヲヽヅナ)[平・平] 教家所レ言。〔態藝門388一〕
僧綱(カウ) 。〔弘・言語進退門123一〕
僧綱(ソウカウ) 。〔永・言語門102七〕
僧綱(ソウガウ) 。〔尭・言語門93一〕〔両・言語門113四〕
僧正(ソウシヤウ) ―都(ツ)。―綱(カウ)。〔官位門99四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「僧綱」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
643以下承-仕(−ジ)宮-仕等也此外有職(ユウシキ)僧綱(−カウ) 諸職ヲ拵僧云也。〔謙堂文庫蔵五六右C〕
とあって、標記語「僧綱」の語を収載し、語注記は「諸職ヲ拵僧云なり」と記載する。
有職(ウシキノ)僧綱(ソウカウ)ノ僧徒(ト)等猶(ナヲ)以( テ)於テ二禪家(ぜンケ)ニ一者 有職(ウシキノ)僧綱ハ役(ヤク)人也。一寺タル処ニハ如レ此ノ輩(トモカラ)有ナリ。〔下33オ四・五〕
其外(そのほか)有識(ゆうしよく)の僧綱(そうかう)僧徒(そうと)等(とう)/其外有識ノ僧綱僧徒等 有識ハ学問廣く知識高きを云。ある本にハ有職に作る。されハ彼目あるをいふ也。僧綱ハ重立(おもたち)たる僧。僧徒ハ其外の出家を多くさしたる也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「僧綱」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかう)の僧徒(そうと)等(とう)猶(なを)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)/其外。有職。僧綱ノ僧徒等。猶以禅家方者。相伴。邏齊之僧。▲僧綱ハ僧正(そう )僧都(そうづ)律師(りつし)法印(ほふゐん)法眼(ほふけん)法橋(ほつきやう)を称(しよう)す。諸職(しよしよく)を取扱(とりあつか)ふ頭(かしら)たる人也。〔61ウ四、62オ六〕
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかうの)僧徒(そうと)等(とう)猶(なほ)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)▲僧綱ハ僧正(そうじやう)僧都(そうつ)律師(りつし)法印(ほふいん)法眼( げん)法橋(ほつけう)を称(しよう)す。諸職(しよしよく)を取扱(とりあつかふ)頭(かしら)たる人也。〔110ウ四、112ウ四・五〕
そう-がう〔名〕【僧綱】〔綱とは、綱維の義、法務を綱持する意〕僧官に、僧正、僧都、律師の目あり、是れを、僧綱と云ふ。推古天皇の三十二年に、始めて之れを設く。後に、僧官位にも、相當ありて、清和天皇貞觀六年に、僧正は法印に、僧都は法眼に、律師は法橋に相當する事に定めらる。又、僧官の、俗官に相當する事は、後宇多天皇弘安八年を以て、僧正は參議に準じ、法印、僧都は四位殿上人に準じ、法眼、律師は五位殿上人に準じ、僧綱、法橋、上の位は地下四位諸大夫に準ずる等の相當を定められしが、後醍醐天皇建武二年に至り、更に大僧正は二位大納言に準じ、僧正は二位中納言に準じ、權僧正は三位參議に準ずることに定められたり。僧尼令、義解「凡任二僧綱一」謂「僧綱者、僧正、僧都、律師也」玄蕃寮式、「凡僧綱、勘二知大寺雜事一」日本後紀、十二、延暦廿三年十一月「學士但馬守菅野朝臣眞道、木工頭從五位上兼行造宮亮播磨介石川朝臣河主、監二僧綱政一」宇津保物語、嵯峨院61「春宮の御讀經に、物の初なりとて、僧綱たち、名ある智者(ちさ)どもなど召して、論議などせさせ給ふ」〔1138-3〕
有職(ウシキノ)僧綱(ソウカウ)ノ僧徒(ト)等猶(ナヲ)以( テ)於テ二禪家(ぜンケ)ニ一者 有職(ウシキノ)僧綱ハ役(ヤク)人也。一寺タル処ニハ如レ此ノ輩(トモカラ)有ナリ。〔下33オ四・五〕
其外(そのほか)有識(ゆうしよく)の僧綱(そうかう)僧徒(そうと)等(とう)/其外有識ノ僧綱僧徒等 有識ハ学問廣く知識高きを云。ある本にハ有職に作る。されハ彼目あるをいふ也。僧綱ハ重立(おもたち)たる僧。僧徒ハ其外の出家を多くさしたる也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「有職」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかう)の僧徒(そうと)等(とう)猶(なを)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)/其外。有職。僧綱ノ僧徒等。猶以禅家方者。相伴。邏齊之僧。▲有職ハ已講(いこう)内供奉(ないくぶ)阿闍梨(あしやり)を称(しよう)すとそ。〔61ウ四、62ウ五・六〕
其外(そのほか)有識(いうしよく)僧綱(そうかうの)僧徒(そうと)等(とう)猶(なほ)以(もつて)禅家(せんけ)方者(かたハ)相伴(しやうばん)邏齊(ろさい)之(の)僧(そう)▲有職ハ已講(いこう)内供奉(ないぐぶ)阿闍梨(あしやり)を称(しよう)すとぞ。〔110ウ四、112ウ四〕
う-しき〔名〕【有職】〔元來、有識の字なるを、後世、職官の事を、兼ねて論ずる故に、職の字に誤りしなり、即ち、後世には專ら式例などを明かにする學を、有識といふこととなりたり、そは安齋随筆、四、有職者「後代、官職其外、公家方の故實を知りたる人を、有職といひ、又略して、職者といふ、これ地下にていふのみあらず、堂上衆も常に言ひ習はされし詞なり、これ後代の俗言なり、耳偏の職の字を用ふるハ誤なり、本は、言偏の識の字なり、有識の有は、有コ、有司などの有に同じく、たもつの義なり、識は、知識にて、ものしりなり、云云、何の道にても、その故實を知りたるもの、其道道の有職者なるなり、云云、後代、識を職と取り違ひて、官職の事を知るを有職といふぞと思ひ誤り、俗習となれるなり」とあるが如し〕凡べての道に明かなる人。故實、典禮に明かなる人。イウシキ。イウソク。イウソコ。續日本紀、四十、延暦八年七月「紀文曰、應~天皇命二上毛野氏遠祖荒田別一、使二於百濟一、捜二聘有職者一、云云、以爲二皇太子師一」續日本後紀、十五、承和十二年二月、善道眞貞條「遷阿波守、是時有職公卿一兩人、依詔旨、興諸儒等、修撰令義解」永昌記、大治元年三月十九日「參院、今夕可レ奏二一代一度仁王會數一、云云、雖二恒事一、近代無二存レ之之人一、仍委記レ之、後奏二卷數一、猶不二分明一、重可レ訪二有識一歟」職原抄、下、検非違使「別當一人、世俗説、補大理之人、可備七コ、所謂譜第、器量、才幹、有識、近習、容儀、富有、云云」宇津保物語、吹上、下43「父こそ下人なれ、子はいうそくにて、いと心にくかりしものぞ」源氏物語、廿一、少女23「まことに、天の下ならぶ人なきいうそくには物せらるめれど」宇津保物語、菊宴05「かのぬしいうそこなれど、此道になれば、かくこそはあれ」〔0128-5〕
宮仕(ミヤヅカイ) 。宮司(ヅカサ) 。〔元亀二年本300七〕
宮仕(ミヤヅカイ) 。宮司(同) 。〔静嘉堂本349八〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「宮司」と記載する。
宮仕(ミヤジ/キウ、ツカマツル)[平・上] 。〔神祇門888七〕
宮仕(ミヤジ) 。〔弘・人倫門231八〕〔永・人倫門192九〕〔尭・人倫門182五〕
宮仕(ミヤジ) 。〔人倫門198四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「宮仕」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
643以下承-仕(−ジ)宮-仕等也此外有職(ユウシキ)僧綱(−カウ) 諸職ヲ拵僧云也。〔謙堂文庫蔵五六右C〕
とあって、標記語「宮仕」の語を収載し、語注記は未記載にする。
勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主(シシユ)上座以下承仕(せウジ)宮仕(ミヤジ)等(トウ)其ノ外 勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主ハ。山伏道ニ用ル名也。
寺仕承仕(せウシ)宮仕使フ者也。カネツキ。キヨメスル者也。〔下33オ二〜四〕
寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(せうし)宮仕(ミやし)等(とう)/寺主上座以下承仕宮仕等 承仕宮司ハ寺社の下知也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「宮仕」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等。〔62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)。〔110ウ四〕
みや-じ〔名〕【宮仕】古へ、下級の社僧にて、堂社の灑掃などの雜役に從事するもの。百錬抄、八、治承元年四月十三日「~人宮仕等、同中レ矢」〔1953-1〕
承仕(シ) 。〔元亀二年本352五〕
承仕(ゼウジ) 。〔静嘉堂本424五〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「承仕」とし、訓みは、経覺筆本に「シヤウシ」、文明四年本に「セウシ」と記載する。
承仕 シヨウシ。〔黒川本・官職門下83ウ八〕
承仕 。〔卷第十・官職門287二〕
承仕(シヨウジ/ウケタマワル、ツカマツル)[平・上] 。〔官位門920四〕
承仕(ジヨウジ) 。〔弘・人倫門238四〕〔永・世部人倫門224一〕
承仕(ゼウジ) 。〔尭・人倫門210九〕
承仕(セウジ) 。〔弘・人倫門263一〕
承仕(ジヨウジ) 。〔人倫門204三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「承仕」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
643以下承-仕(−ジ)宮-仕等也此外有職(ユウシキ)僧綱(−カウ) 諸職ヲ拵僧云也。〔謙堂文庫蔵五六右C〕
※国会図書館蔵『左貫注』(書込み)に、「承仕―人供也。何モ寺ノ被官也/―私云承―宮―護广之時左右居テ走廻者也」と記載する。
とあって、標記語「承仕」の語を収載し、語注記は「高野にあり。また、神職の類なり。神領を拵ふる者なり」と記載する。
勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主(シシユ)上座以下承仕(せウジ)宮仕(ミヤジ)等(トウ)其ノ外 勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主ハ。山伏道ニ用ル名也。
寺仕承仕(せウシ)宮仕使フ者也。カネツキ。キヨメスル者也。〔下33オ二〜四〕
寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(せうし)宮仕(ミやし)等(とう)/寺主上座以下承仕宮仕等 承仕宮司ハ寺社の下知也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「承仕」の語を収載し、語注記は上記の如く記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲承仕宮司ハ共に行者(あんしや)の下役(したやく)也。其うち法務(ほふむ)に預(あづか)る者ハ清僧(せいそう)俗務(そく )に預るものハ妻帶(さいたい)なりとぞ。〔61ウ四、62オ八〜ウ一〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲承仕宮司ハ共に行者(あんしや)の下役(したやく)也。其うち法務(ほふむ)に預(あづか)る者ハ清僧(せいそう)俗務(ぞくむ)に預るものハ妻帶(さいたい)なりとぞ。〔110ウ四、112オ三・四〕
Io>ji.ジョウジ(承仕) 寺(Tera),または,坊主(Bozos)に仕える者.¶また,鐘を打ち鳴らすのを勤めとする者.〔邦訳368r〕
しょう-じ〔名〕【承仕】(一)古へ、剃髪して、仙洞、又は、攝家、などの雜役を勤めし者。承仕法師。古今著聞集、二、釋教、永萬元年六月八日「山、云云、麓に、承仕ありけるが、件の山の峯より、やんごとなき老僧、出きて」(二)僧の、佛前の莊嚴、佛具などを掌るもの。竸驢嘶餘「御承仕(ヲセウシ)」注「云云、御持佛堂事を司也、莊嚴ヲ仕、佛具の取沙汰あるなり、幼時、御童子也」(三)禪家に、鐘を撞(つ)く者の稱。〔1007-5〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「寺主」とし、訓みは文明四年本に「チウシユ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「寺主」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
642奉仕 人供也 寺主 人供也。〔謙堂文庫蔵五六右B〕
※天理図書館蔵『庭訓往来註』は、「寺仕(ジ)」と標記する。国会図書館蔵『左貫注』は、「寺人{主イ/仕(ジ)}」と標記する。
とあって、標記語「寺主」の語を収載し、語注記は「人供なり」と記載する。
勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主(シシユ)上座以下承仕(せウジ)宮仕(ミヤジ)等(トウ)其ノ外 勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主ハ。山伏道ニ用ル名也。
寺仕承仕(せウシ)宮仕使フ者也。カネツキ。キヨメスル者也。〔下33オ二〜四〕
寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(せうし)宮仕(ミやし)等(とう)/寺主上座以下承仕宮仕等 承仕宮司ハ寺社の下知也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「寺主」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲《前略》上座寺主ハ講師。〔61ウ四、62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲《前略》上座寺主ハ講師。〔110ウ四、111ウ三〕
じ-しゅ〔名〕【寺主】〔僧侶官位志「寺主之訓、山門ニハ、寺主ト、二字共ニ、字音ノ如クニ訓ジ、御室ニハ、天良(テラ)需(ジユ)ト訓ズルナリ」〕三綱の一、寺中ノ庶事ヲ掌リ、法會ノ際、執蓋ノ役ヲ勤ムル僧官。テラジュ。職原抄、下「僧官位、寺主(ジシユ)」拾芥抄、中、末「寺官、寺主(テラシ)」玄蕃寮式「凡、延暦寺三綱、一任之後、任諸國講讀師、其上座、寺主任二講師一、都維那任二讀師一」孝コ紀、大化元年八月「遣使於大寺、喚二聚僧尼一而詔曰、云云、別以二惠妙法師一、爲二百濟寺寺主一」海人藻芥、上「三綱者、上座、寺主、都維那(ツヰナ)、是也、各、權一人有レ之」同、中「寺社三綱者、於二其寺社一有二法會一者、必三綱随二所役一也、庭儀時、上座二人、執レ綱役勸レ之、寺主、蓋役勤仕也」〔0893-3〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本と文明四年本が「都維那師」とし、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本が「都維那」と記載する。訓みは、山田俊雄藏本が「ツイノ」、経覺筆本・文明四年本が「ツイナ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「都維那」の語を未収載にあり、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
641専堂(セン−)預(アツカリ)勾當(コウ−)都維那(ツイナ) 風呂奉行云也。〔謙堂文庫蔵五六右B〕
とあって、標記語「都維那」の語を収載し、語注記は「風呂奉行を云ふなり」と記載する。
勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主(シシユ)上座以下承仕(せウジ)宮仕(ミヤジ)等(トウ)其ノ外 勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主ハ。山伏道ニ用ル名也。
寺仕承仕(せウシ)宮仕使フ者也。カネツキ。キヨメスル者也。〔下33オ二〜四〕
都維那(ついな)/都維那 仏事法会に称名をはしむる者也。〔85オ三〕
とあって、この標記語「都維那」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲都維那寺主上座是(これ)を三綱(かう)といふ。諸大寺にあり。延暦寺(えんりやくし)の三綱一任(いちにん)の後(のち)、諸国(しよこく)の講讀師(かうとくし)に任(にん)す。上座寺主ハ講師、都維那ハ讀師と云々。〔61ウ四、62オ七・八〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲都維那寺主上座是(これ)を三綱(かう)といふ。諸大寺にあり。延暦寺(えんりやくじ)の三綱一任(いちにん)の後(のち)、諸国(しよこく)の講讀師(かうとくし)に任(にん)ず。上座寺主ハ講師、都維那ハ讀師と云々。〔110ウ四、112オ二・三〕
つ-ゐな〔名〕【都維那】〔梵語、羯磨陀那(Karmadana.)の轉化語。都は統都、維は綱維の義、那は羯磨陀那の那〕又、つゐの。略して、維那(ヰナ)、又、維那(ヰノ)。さんがう(三綱)の條を見よ。〔1341-2〕
勾當(タウ) 。〔元亀二年本232六〕〔天正十七年本中62ウ二〕
勾當(コウタウ) 。〔静嘉堂本267三〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「勾當」とし、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「コウ(タウ)」、文明四年本に「コウタウ」と記載する。
勾當 コウタウ/在僧在俗。〔黒川本・官職門下11オ三〕
勾當 在大臣家/在僧俗。〔卷第七・官職門197三〕
勾當(コウタウ/ヲノレ・スデニ、マヱ)[去・平] 又作二以前一。〔態藝門416六〕
勾當(コウタウ) 。〔弘・人倫門186五〕〔永・人倫門152六〕〔尭・人倫門142六〕
勾勘(コウカン) 勘解由(カゲユ)/―當(タウ)。〔官位門154一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「勾當」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』は、この語を未収載にする。
641専堂(セン−)預(アツカリ)勾當(コウ−)都維那(ツイナ) 風呂奉行云也。〔謙堂文庫蔵五六右B〕
とあって、標記語「勾當」の語を収載し、語注記は「高野にあり。また、神職の類なり。神領を拵ふる者なり」と記載する。
勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主(シシユ)上座以下承仕(せウジ)宮仕(ミヤジ)等(トウ)其ノ外 勾當(コウタウ)都維那(トイナ)寺主ハ。山伏道ニ用ル名也。
寺仕承仕(せウシ)宮仕使フ者也。カネツキ。キヨメスル者也。〔下33オ二〜四〕
内供奉(ないくぶ)堂達(いこう)堂(とう)乃達預(たつよ)専當(せんとう)勾當(こうとう)/内供奉已講堂達預専當勾當 皆講堂中の事を支配する役也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「勾當」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲專當勾當ハ真言家(しんごんけ)にあり。行者(あんじや)に等(ひとし)くして法務(ほふむ)に預(あつか)る者とぞ。〔61ウ四、62オ七〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲專當勾當ハ真言家(しんごんけ)にあり。行者(あんじや)に等(ひとし)くして法務(ほふむ)に預(あづか)る者とぞ。〔110ウ四、112オ一・二〕
こう-たう〔名〕【勾當】〔專當の義〕(一)事柄を、專ら擔當して、處分すること。唐書、第五g傳「帝悦、拝二監察御史一、勾二當江淮租庸使一」宋史、曹彬傳「奉二敕江南一、勾二當シテ公事一囘(ヘタルニ)」續日本紀、三十九、延暦七年三月「和氣朝臣清麻呂言、河内攝津兩國之境、堀レ川築レ堤、自二荒陵南一、遵二河内川一、西通二於海一、然則沃壤益廣、可二以墾闘一矣、於是、便遣二清麻呂一、勾二當其事一」(二)掌侍(ないし)の、第一に居る者の稱、勾當の内侍と云ふ。有職問答、一「勾當事、内侍方御いづれの品にあたり候哉、此外にも、勾當と申人御座候哉(傍註、内侍方の内、第一の掌侍を勾當と申候、是は内侍所の別當と云心にて候也)」(三)關白家にて、大小の雜務を掌る者の稱。保元物語、一、左府頼長上洛事「新院の御方へ參りける人には、云云、平馬助忠正、其子院藏人長盛、次男皇后宮侍長忠綱、三男左大臣勾當正綱」(四)眞言宗の寺にて、專ら、寺務を執る職の稱。庭訓往來、十月「聖道者、一寺紂衍、云云、勾當」(五)盲官(マウクワン)の名、其條を見よ。太平記、廿四、依二山門嗷訴一公卿僉議事趙世家「いかなる大刹の長老、大勾當の人も、路次に行き逢ふ時は、膝を屈めて、地に跪き」〔0648-4〕
× 。〔元亀二年本は、この箇所脱落して書冩〕
專當(せンタウ) 。〔静嘉堂本429六〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「專當」とし、訓みは、文明四年本に「せンタウ」と記載する。
專當 せンタウ。〔黒川本・官職門下107オ二〕
專営 。〔卷第十・官職門479四〕
專當(せンダウ) 。〔官位門233二〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』そして、『運歩色葉集』・易林本『節用集』に標記語「專當」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
641専堂(セン−)預(アツカリ)勾當(コウ−)都維那(ツイナ) 風呂奉行云也。〔謙堂文庫蔵五六右B〕
※天理図書館蔵『庭訓往来註』は、「專當」と標記する。国会図書館蔵『左貫注』も同じ。書込みに、「專當―所帯ヲ―ツカウ也」と記す。
とあって、標記語「專堂{當}」の語を収載し、語注記は未記載にする。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
内供奉(ないくぶ)堂達(いこう)堂(とう)乃達預(たつよ)専當(せんとう)勾當(こうとう)/内供奉已講堂達預専當勾當 皆講堂中の事を支配する役也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「專當」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲專當勾當ハ真言家(しんごんけ)にあり。行者(あんじや)に等(ひとし)くして法務(ほふむ)に預(あつか)る者とぞ。〔61ウ四、62オ七〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲專當勾當ハ真言家(しんごんけ)にあり。行者(あんじや)に等(ひとし)くして法務(ほふむ)に預(あづか)る者とぞ。〔110ウ四、112オ一・二〕
せん-たう〔名〕【專當】(一)專ら、其事務に當ること。吾妻鑑、廿四、健保七年正月廿七日「今有二將軍之闕一、吾專當東關之長、早レ可廻二計議一之由、被二示合一」(二)僧の、卑しきもの。驅使に供せらる。宇治拾遺物語、三、第十三條「その寺の專當法師、これを見て、善心を起して」平家物語、一、御輿振事「大衆、~人、宮仕(ミヤジ)、專當」〔1127-4〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「預」とし、訓みを山田俊雄藏本に「ヨ」、経覺筆本・文明四年本に「アツカリ」と記載する。
預 アツカリ。〔黒川本・官職門下34オ一〕
預 アツカリ。〔卷第八・官職門382五〕
640預(アツカリ) 在‖高野ニ|。又神職ノ類也。神領ヲ拵者也。〔謙堂文庫蔵五六右A〕
とあって、標記語「預」の語を収載し、語注記は「高野にあり。また、神職の類なり。神領を拵ふる者なり」と記載する。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
内供奉(ないくぶ)堂達(いこう)堂(とう)乃達預(たつよ)専當(せんとう)勾當(こうとう)/内供奉已講堂達預専當勾當 皆講堂中の事を支配する役也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「預」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲預ハ高野(かうや)にあり。一山の俗務(ぞくむ)に預(あつか)る者也。〔61ウ四、62オ七〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲預ハ高野(かうや)にあり。一山の俗務(ぞくむ)に預(あづか)る者也。〔110ウ四、112オ一〕
Azzucari.アヅカリ(預) azzucarimono(預り物)に同じ.保管を依託された物,または,借り物として自分の用に役立て使う物.〔邦訳45l〕
あづ-かり〔名〕【預】〔預り引受けて守る意〕職名。其官署の事務を總管する者。御書所預(ゴシヨどころのあづかり)、御厨子所(みずしの)預、繪所ノ預など、是れなり。古今集、序「御書のところのあづかり紀貫之」源順集「御書所預坂上茂樹」拾芥抄、中、末、宮城「御厨子所、四位殿上人爲二別當一、以二民部大輔五位一爲レ預也」倭訓栞、あづかり「諸院に預あり、職掌の名也。古へに云ふ、専當(センタウ)なるべし、云云、高野(カウヤ)にて、預を、音もて呼べり」〔0049-5〕
堂達 。〔元亀二年本224一〕〔天正十七年本中57ウ一〕
堂達 。〔静嘉堂本256五〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「堂達」とし、訓みは文明四年本に「ダウタツ」と記載する。
堂達 タウタツ。〔黒川本・官職門中12オ四〕
堂塔 〃閣。〃舎。〃牒。〃上。〃達。〃殿。〃室。〔卷四・畳字門445二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「堂達」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
639堂達 猶‖已講|也。〔謙堂文庫蔵五六右A〕
とあって、標記語「堂達」の語を収載し、語注記は「猶、已講のごときなり」と記載する。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
内供奉(ないくぶ)已講(いこう)堂(とう)達預(たつよ)専當(せんとう)勾當(こうとう)/内供奉已講堂達預専當勾當 皆講堂中の事を支配する役也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「堂達預」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲堂達ハ堂外(たうぐわい)に諸僧(しよそう)を引て執當(しつたう)へわたす役(やく)也。〔61ウ四、62オ六・七〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲堂達ハ堂外(たうぐわい)に諸僧(しよそう)を引て執當(しつたう)へわたす役也。〔110ウ四、111ウ六〜112オ一〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「已講」とし、訓みは経覺筆本に「イ(カウ)」、文明四年本に「イカウ」と記載する。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
内供奉(ないくぶ)已講(いこう)堂(とう)乃達預(たつよ)専當(せんとう)勾當(こうとう)/内供奉已講堂達預専當勾當 皆講堂中の事を支配する役也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「已講」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲已講ハ即(すなハち)探題(たんだい)也。九月返状に見ゆ。〔61ウ四、62オ六〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲已講ハ即(すなハち)探題(たんだい)也。九月返状に見ゆ。〔110ウ四、111ウ六〕
い-かう〔名〕【已講】〔已に講じ畢へたる意、正韻「已(イ)、音以」玉篇「止也、畢也」拾芥抄、中、末、綱所「已講(イカウ)、謂二之有職一」僧ノ職名。三會已講師の略。奈良の三會の講師を勤めたる者をも稱せり。さんゑ(三會)の條を見よ〕太鏡、下、道長、山階寺維摩會「南京法師は、三會講師しつれば、已講と名づけて、云云、律師僧綱になる」釋家官班記、下「講師調者、南北各別之勅命也、受講以後、謹仕以前稱二擬講一、謹仕以後號二已講一也」(古事類苑、已講)〔0132-5〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「内供奉」と記載する。
内記(キ) ―供奉(グブ)。〔官位門109四〕
このように、上記当代の古辞書においては、易林本『節用集』に「内供奉」の語が収載されていて、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本も収載しているのである。
637内供奉(−グフ) 座主参内之輿舁(カキ)也。〔謙堂文庫蔵五六右@〕
とあって、標記語「内供奉」の語を収載し、語注記は「座主、参内の輿舁(カキ)なり」と記載する。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
内供奉(ないくぶ)已講(いこう)堂(とう)乃達預(たつよ)専當(せんとう)勾當(こうとう)/内供奉已講堂達預専當勾當 皆講堂中の事を支配する役也。〔85オ一〜三〕
とあって、この標記語「内供奉」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲大勧進ハ。〔61ウ四、62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲内供奉ハ。〔110ウ四、111ウ三〕
ない-ぐぶ〔名〕【内供奉】〔内供奉僧の略〕宮中の内道塲に奉仕する僧職。寳龜三年始めて置かれ、廣く高コの僧十人を撰びて補せらる。故に、内供奉十禪師と云ふ。(禪師の條を見よ)略して、供奉。又、内供。後拾遺徃生傳「僧圓觀、云云、俗呼二鳥樟供奉一」平家物語、三、赦文事「三條の院の御目も御覽ぜられざりしは、桓算供奉が靈とかや」同、十、高野卷事「僧正の御弟子石山のないぐじゅんゆう(内供淳祐)其時はいまだとうきゃうにて供奉せられたり」塵添?嚢鈔、十五、内供奉事「十禪師は、光仁天皇寳龜二年三月に、始めて被レ置所也。十人の中に、闕あれば、海内の名コを撰で補レ之、十禪に定る故に有二此名一也、内供奉は同天皇、寳龜三年に普く勅二諸國一、智行を擇で此官に任ず、云云、唐のコ宗皇帝、圓昭法師を擇で、爲二内供奉一、内道塲の供僧なれば、内供奉と云ふ」〔1440-4〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「得業」とし、訓みは、経覺筆本に「トクケフ」、文明四年本に「トクコウ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「得業」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は、収載しているのである。
636得業(トクキヤウ) 奈良之上官也。高野下職也。又聖家ニハ公家ヲ□也。〔謙堂文庫蔵五六右@〕
とあって、標記語「得業」の語を収載し、語注記は「奈良の上官なり。高野下職なり。また、聖家には、公家を□なり」と記載する。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
小別當(こべつとう)得業(とくげふ)/小別當得業 学問を教る官なり。〔85オ一〕
とあって、この標記語「得業」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲大勧進ハ。〔61ウ四、62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲得業ハ。〔110ウ四、111ウ三〕
とく-ごふ〔名〕【得業】(一)文章(モンジヤウ)得業生の稱。唐名、秀才と云ふ。(二)僧の學階の名。南都にては、興福寺の維摩會、及、法華會、藥師寺の最勝會の三會の竪義(リフギ)を遂げしもの。山門にては、横川(よがは)の四季講、定心房の三講の聽衆を勤めしものを云ふ。〔1396-5〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「小別當」とし、訓みは文明四年本に「コヘツタウ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「小別當」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、
635小別當 同上。〔謙堂文庫蔵五六右@〕
とあって、標記語「小別當」の語を収載し、語注記は「同上」と記載する。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
小別當(こべつとう)得業(とくげふ)/小別當得業 学問を教る官なり。〔85オ一〕
とあって、この標記語「小別當」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲小別當ハ別當(べつたう)の取次(とりつぎ)也。〔61ウ四、62オ五〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲小別當ハ別當(べつたう)の取次(とりつぎ)也。〔110ウ四、111ウ五〕
せう-べッたう〔名〕【少別當】(一)~社の~職、大別當の次席のもの。還碧軒日記、一、人倫「鎌倉の大別當と云は、古は、社僧の門跡なり、今は、これは絶えて、少別當ばかりあり、これも、社僧なり」新編鎌倉志、一「社務職次第に云、當社(鶴岡八幡宮)別當宮、圓曉法眼、三井寺より御下向、御供肥前法橋永契と申す坊官也、然閨A建久二年十一月日、別當圓曉御坊より、少別當の官を給り、社内の掃除奉行に定め置るる者也」台コ院殿御實紀、附録、四、慶長十六年正月廿日「連歌の筵、開かる、云云、鎌倉鶴岡八幡宮少別當大庭周能と云ふ者、御連衆に召し加へられ、常に御會に召し出さる」(二)寺院の僧職。初例抄、上、以二正員僧綱一爲二東大寺小別當一例、權律師覺雅、三會一勝鬘僧正入室弟子、六條右府息男、康治元、十二月、任(小別當)」〔1098-1〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「大勧進」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「大勧進」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
634大勧進 法印頭也。又中堂造立ノ座主也。用‖叡山|之義也。〔謙堂文庫蔵五五左H〕
とあって、標記語「大勧進」の語を収載し、語注記は「法印の頭なり。また、中堂造立の座主なり。叡山、用ゆるの義なり」と記載する。
大勸進(クハンシン)小(せウ)別當得業(トクコウ)内供奉(ナイグブ)已講(イカウ)堂達(タウタツ)預(ヨ)専(せン)當 大勸進トテ北國ノ寺ニ多シ。餘(ヨ)ノ寺方キク事稀(マレ)也。中國ニナシ。得業(トクゴウ)内供奉(グブ)已講(イカウ)ノ類皆検者ナリ。〔下33オ一・二〕
大勧進(だいくわんしん)/大勧進 山伏の頭なり。〔84ウ八〕
とあって、この標記語「大勧進」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲大勧進ハ。〔61ウ四、62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲大勧進ハ。〔110ウ四、111ウ三〕
くゎん-じん〔名〕【勸進】〔勸誘、進導の義、自己の意志よりする、寄進に對する語なるべし〕(一)勸化に同じ。佛寺に要する金錢、材料を、諸人より募集すること。募縁。源平盛衰記、十八、文覺高雄勸進事「自力造營の事は、いかでか叶ふべきなれば、知識奉加の勸進にて、自他の利益を遍くせむ」宇治拾遺物語、十二、第四條「材木取らむとて勸進し、集めたる物を皆運び寄せて、此陰陽師に取らせつ」尺素徃來「爲二勸進一、本座新座之田樂、云云、可レ播(ホドコス)二所能一候、殊見物之志候、桟敷四五閨A打聞可レ被レ塞レ之候」勸進聖」勸進能」勸進相撲」(二)乞食の事を、伊豆にて、かんじんと云ひ、越後、出雲にて、かんじと云ふ、勸進聖の名に因りて、錢を乞ひしよりの名なり。〔0585-3〕
目代(モクダイ) 。〔元亀二年本348五〕
目代(ダイ) 。〔静嘉堂本419一〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「山目代」とし、訓みは経覺筆本に「(ヤマ)ノモクタイ」と記載する。
目代 挿史/部。〔黒川本・畳字門下100オ八〕
目代 モクタイ。〔卷第十・官職門428六〕
目代(モクダイ/ホク・メ、シロ・カワル)[入・去] 。〔態藝門1071七〕
目代(メシロ)モクタイ 。〔弘・人倫門228六〕
目代(モクダイ) 。〔弘・人倫門258六〕〔永・人倫門220八〕〔尭・人倫門206九〕
目代(モクダイ) 。〔人倫門229四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「山目代」の語では収載されず、標記語「目代」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
633僧都法印山目代 能州石動山用∨之一山守護也云々。〔謙堂文庫蔵五五左G〕
※「山目代ハ弓矢ヲ取法師ノ頭也。又云一山之守護也」〔天理図書館蔵『庭訓往來註』頭冠書込み〕
とあって、標記語「山目代」の語を収載し、語注記は「能州、石動山これを用ゆ。一山の守護なり云々」と記載する。
山ノ目代 ト云ハ。検断(ダン)人ナリ。〔下33オ一〕
山(やま)の目代(もくだい)/山ノ目代 一山乃検断(けんたん)たる役なり。〔84ウ八〕
とあって、この標記語「山目代」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲山目代ハ叡山(ゑいざん)にあり。一山の俗務(そくむ)に預(あつか)る者也。高野山(かうやさん)の預(よ)に同じとぞ。〔61ウ四、62オ五〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲山目代ハ叡山(ゑいざん)にあり。一山の俗務(ぞくむ)に預(あづか)る者也。高野山(かうやさん)の預(よ)に同じとぞ。〔110ウ四、111ウ四〕
Mocudai.モクダイ(目代) Mexiro(目代)に同じ.自分に委託されたもの,たとえば,ある在所とか村落とかなどを,見回り監視することを職とする役人.¶また,寺院にあっては,管理者・宗務担任者のような役目.〔邦訳416l〕
もく-だい〔名〕【目代】〔目は、見守る意、後の目付の如し、國司の目(サクワン)の代、の意とするにはあらず〕(一)又、めしろ。古へ、國司、任に趣かぬ時、代理せしむる者。眼代(ガンダイ)。目代(めダイ)。字類抄「目代、モクタイ」吾妻鑑、三、壽永三年四月廿三日「常陸御目代殿」(二)佛寺にて、寺領、其他の雜務を掌る僧職。庭訓徃來、十月「山目代、大勸進」(三)伊勢大~宮の~職の一。建久九年内宮假殿遷宮記、「司聽目代、外宮權~主」〔2001-2〕
法印(イン) 。〔元亀二年本42三〕〔天正十七年本上24オ三〕
法印 。〔静嘉堂本46三〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「法印」と記載する。
法印 ホウ(フ)イン。〔黒川本・官職門上39ウ二〕
法印 。〔卷第二・官職門348一〕
法印(ホフイン/ノリ、ヲビテ・シルシ)[入・去] 。〔官位門96五〕
法印(イン) 。〔弘・人倫門32七〕
法印(ホウイン) 。〔永・人倫門33三〕〔両・人倫門35三〕
法師(ホウシ) ―眼。―橋。―印。〔尭・人倫門29八〕
法印(ホフイン) 。〔人倫門29六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「法印」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
633僧都法印山目代 能州石動山用∨之一山守護也云々。〔謙堂文庫蔵五五左G〕
とあって、標記語「法印」の語を収載し、語注記は未記載にする。
律師(リツシ)僧都(ソウヅ)法印僧正 常(ツネ)ノ名何(イツレ)モ權(コン)ノ字(ジ)ヲ置(ヲヒ)テ云也。僧都大小ヨリ。法印(ホウイン)僧正(ソウジヤウ)極(ゴク)位ノ官也。綸旨(リンシ)墨紙(ボクシ)ノ名ナリ。〔下32ウ七・八〕
法橋(ほつきやう)律師(りつし)僧都(そうづ)法印(ほういん)僧正(そうじやう)/法橋律師僧都法印僧正 皆僧の位階なり。推古(すいこ)天皇(てんわう)の御宇(きよう)に初て僧官を立玉ひ観勒(くわんろく)といえる僧を僧正とし、鞍部(くらつくり)のコ積(とくづミ)を僧都とし、阿裹(あつミ)の連(むらじ)をコ頭とし玉へり。其後 清和(せいわ)天皇の御宇に法橋法眼(ほうけん)法印乃位階(かい)を制(せい)し、律師(りつし)已上の位とし玉ふ。法印の位を僧正の階とし、法眼の位を僧都の階とし、法橋の位を律師の階とす。されハ、法橋律師法眼僧都法印僧正といふへきに、今こゝに法眼乃二字なきハ脱落(たつらく)したるなるへし。〔84ウ四〜八〕
とあって、この標記語「法印」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲法印ハ大和尚の位也。相當僧正位(そうしやうゐ)。〔61ウ四、62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲法印ハ大和尚(たいおしやう)の位也。相當僧正位(そうしやうゐ)。〔110ウ四、111ウ三〕
Fo>in.ホウイン(法印) 坊主(Bozos),または,剃髪者の或る位.〔邦訳258l〕
ほふ-いん〔名〕【法印】(一){第一等の僧位。僧正の官に相當す。又、大和尚。和名抄、五2職名「僧位階、法印大和尚位、僧正位」初例抄、上、法印始「天台、覺助、關白右大臣道雅三男、自少僧都法印初例也、天喜三年十二月廿八日叙」東北院供養記、長元三年八月廿一日「大僧都永圓可レ給二法印位一」榮花物語、三十七、烟の後「とみにも入らせ給はで、法印の物し給ふ小野の、いとをかしかなるも、御覽ぜまほしく」(二)俗に、山伏の稱。女殺油地獄(享保、近松作)「皆様知らずか、あんまり奇妙で、異名を白稲荷法印と申す、今の世の流行り山伏」(三)鎌倉時代より江戸時代にかけて、僧位の僧綱(ソウガウ)に准じて、儒者、佛師、連歌師、醫師、及、畫師などに授けし地位の稱。本朝畫史、一「託摩爲遠、藤原、任二豊後守一、云云、晩年號二勝治一剃髪叙二法印一」基量卿記、貞享二年五月十八日「産後醫師良安、叙二法印一、職事基勝朝臣へ申渡了、抑産後醫師法印一事、先例雖レ無レ之、良安義、年來中宮御療治、云云」〔1849-4〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「僧都」と記載する。
僧都 ソウツ/大少。〔黒川本・官職門中19ウ六〕
僧都 日本記曰、推古天皇卅二―甲申四月壬戌日以鞍部コ積僧都僧綱始也。件々々々々者高麗国僧也。〔卷第四・官職門562三〕
632僧都 相當法印。〔謙堂文庫蔵五五左G〕
とあって、標記語「僧都」の語を収載し、語注記は「相當、法印」と記載する。
律師(リツシ)僧都(ソウヅ)法印僧正 常(ツネ)ノ名何(イツレ)モ權(コン)ノ字(ジ)ヲ置(ヲヒ)テ云也。僧都大小ヨリ。法印(ホウイン)僧正(ソウジヤウ)極(ゴク)位ノ官也。綸旨(リンシ)墨紙(ボクシ)ノ名ナリ。〔下32ウ七・八〕
法橋(ほつきやう)律師(りつし)僧都(そうづ)法印(ほういん)僧正(そうじやう)/法橋律師僧都法印僧正 皆僧の位階なり。推古(すいこ)天皇(てんわう)の御宇(きよう)に初て僧官を立玉ひ観勒(くわんろく)といえる僧を僧正とし、鞍部(くらつくり)のコ積(とくづミ)を僧都とし、阿裹(あつミ)の連(むらじ)をコ頭とし玉へり。其後 清和(せいわ)天皇の御宇に法橋法眼(ほうけん)法印乃位階(かい)を制(せい)し、律師(りつし)已上の位とし玉ふ。法印の位を僧正の階とし、法眼の位を僧都の階とし、法橋の位を律師の階とす。されハ、法橋律師法眼僧都法印僧正といふへきに、今こゝに法眼乃二字なきハ脱落(たつらく)したるなるへし。〔84ウ四〜八〕
とあって、この標記語「僧都」の語注記は未収載にある。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲僧都ハ四位殿上人(でんしやうひと)に准(しゆん)ず。〔61ウ四、62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲僧都ハ四位殿上人(てんしやうびと)に准(しゆん)ず。〔110ウ四、111ウ三〕
そう-づ〔名〕【僧都】〔授事を司る僧を、都維那(ツヰナ)と云ふ、これより、僧都の名、出づと、高楠順次郎の説〕(一){僧官の名、僧正に次ぐ。大、少、各、正、權あり(僧綱(ソウガウ)の條を見よ)宇津保物語、嵯峨院83「萬づの、かしこしと云はるる、そうづ、僧正、申し集めて、不斷の御修法、七八壇せさせ給ふ」源氏物語、五、若紫10「そうづ、彼方より來て」 (二)案山子(かがし)(そほづの條を見よ)。運歩色葉集「僧都」注「聖家之宮、又、山田、驚鳥之物也、備中湯川寺玄賓僧都始作レ之、故呼曰二僧都一」續古今集、十七、雜、上「山田守(も)る、そうづの身こそ、あはれなれ、秋果て(厭果つに云ひかく)ぬれば、訪ふ人もなし」〔1142-1〕
僧正(ソウジヤウ) 。〔元亀二年本153一〕
僧正 。〔静嘉堂本167五〕
僧正(シヤウ) 。〔天正十七年本中15オ六〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「僧正」とあって、至徳三年本はこの語を未収載にする。
僧正(ソウジヤウ/スミゾメ・ヨステビト、せイ)[平・平去] 僧都 二共。聖道家(ケ)官位也。〔官位門385六〕
僧正(ジヤウ) 。僧都(ヅ) 二共。聖道家(ケ)官位。〔弘・人倫門118七〕
僧正 ―都(ツ)。〔永・人倫門100六〕
僧都(ヅ) ―正。〔尭・人倫門91一〕
僧都(ヅ) ―正(ジヤウ)。〔両・人倫門110七〕
僧正(ソウシヤウ) ―都(ツ)。―綱(カウ)。〔官位門99四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「僧正」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
632僧正 相當法印。〔謙堂文庫蔵五五左G〕
とあって、標記語「僧正」の語を収載し、語注記は「相當、法印」と記載する。
律師(リツシ)僧都(ソウヅ)法印僧正 常(ツネ)ノ名何(イツレ)モ權(コン)ノ字(ジ)ヲ置(ヲヒ)テ云也。僧都大小ヨリ。法印(ホウイン)僧正(ソウジヤウ)極(ゴク)位ノ官也。綸旨(リンシ)墨紙(ボクシ)ノ名ナリ。〔下32ウ七・八〕
法橋(ほつきやう)律師(りつし)僧都(そうづ)法印(ほういん)僧正(そうじやう)/法橋律師僧都法印僧正 皆僧の位階なり。推古(すいこ)天皇(てんわう)の御宇(きよう)に初て僧官を立玉ひ観勒(くわんろく)といえる僧を僧正とし、鞍部(くらつくり)のコ積(とくづミ)を僧都とし、阿裹(あつミ)の連(むらじ)をコ頭とし玉へり。其後 清和(せいわ)天皇の御宇に法橋法眼(ほうけん)法印乃位階(かい)を制(せい)し、律師(りつし)已上の位とし玉ふ。法印の位を僧正の階とし、法眼の位を僧都の階とし、法橋の位を律師の階とす。されハ、法橋律師法眼僧都法印僧正といふへきに、今こゝに法眼乃二字なきハ脱落(たつらく)したるなるへし。〔84ウ四〜八〕
とあって、この標記語「僧正」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲僧正ハ参議(さんぎ)に准(じゆん)す。〔61ウ四、62オ四・五〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲僧正ハ参議(さんぎ)に准(じゆん)ず。〔110ウ四、111ウ三・四〕
So>jo<.ソウジヤウ(僧正) 坊主(Bonzos)の或る位.〔邦訳571r〕
そう-じゃう〔名〕【僧正】〔僧史略、中「僧正者何、正ハ政也、自正正レ人、克敷二政令一、故曰也、蓋以、比丘無レ法、如下馬無二轡勒一、牛無中貫繩上、漸染二俗風一、將レ乖二雅則一、故、設下有二コ望一者上、以レ法而繩レ之、令レ歸二乎正一、故二云僧正一也」〕僧官の第一のもの。大、正、權、あり、大を大納言に、正を中納言に、權を参議に凖ず。易林本節用集(慶長)「僧正、ソウジヤウ」推古紀、三十三年正月「高麗王貢二僧惠灌一、仍任二僧正一」續日本紀、大寳三年三月「以二義淵法師一、爲二僧正一」元亨釋書、二、釋良辨「姓百濟氏、近州志賀里人、云云、寳字四年爲二僧正一」宇津保物語、嵯峨院83「萬づの、かしこしと言はるる僧都、僧正、申し集めて、不斷の御修法、七八檀せさせ給ふ」〔1140-3〕
法眼(ゲン) 。〔元亀二年本42三〕
法眼(ケン) 。〔静嘉堂本46四〕〔天正十七年本上24オ四〕〔西來寺本〕
僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達専當預勾當都維那師寺主上座以下承仕宮司等〔至徳三年本〕
僧都法印僧正山目代大勸進小別當得業内供奉已講堂達{預}専當預勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔宝徳三年本〕
僧正僧都法印山目代大勧進小別當得業内供奉已講堂達預専當勾當都維那寺主以下承仕宮仕等〔建部傳内本〕
法眼律師僧都法印僧正山目代大勧(クワン)進小勧進小別當得業内供奉已講堂達預(ヨ)専當勾(コウ)當都維那(ヅイノ)寺主上座以下承-仕宮仕等〔山田俊雄藏本〕
法眼僧正僧都( ヅ)法印山目代( ノモクタイ)大勧進小別當得業(トクケフ)内供奉(クフ)已講(イ )堂達預(アツカリ)専當預勾當(コウ )都維那(ツイナ)寺主上座以下承仕(シヤウシ)宮仕公人等〔経覺筆本〕
僧都(ソウツ)法印山目代僧正大勧進(クワンシン)小別當(コヘツタウ)得業(トクコウ)内供奉(ナイクブ)已講(イカウ)堂達(ダウタツ)預(アツカリ)専當(せンタウ)勾當(コウタウ)都維那(ツイナ)師(シ)寺主(チウジユ)以下承仕(せウシ)宮司(ミヤジ)等〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本にはこの語は未収載であり、ただ、山田俊雄藏本・経覺筆本に「法眼」の語を記載しているのである。
法眼 ホウ(フ)ケン。〔黒川本・官職門上39ウ二〕
法眼 推古卅二―始被任僧綱後経一百九十年、淳和天皇天長元年弘法大師直令任少僧都東寺真言宗僧綱也。其後経四十余年貞観十一―二月廿六日遍照叙法眼和尚位是天台延暦寺僧綱初也。散位僧綱之始也。 件遍照僧正者貞觀十一年二月廿六日叙法眼年五十六。俗姓良峯宗貞大納言良峯朝臣安世卿八男。承和十一年補蔵人十二―正月五日叙五位下。嘉祥二年正月任右近衛權少将。同三年三月十七天皇晏駕宗貞先皇之寵臣也。先皇崩後哀慕无已自歸佛法以來報恩廿八日出家爲僧齊衡二年五月十二日登比叡山座主慈覺大師爲傳戒師受菩薩浄戒。〔卷第二・官職門348三〜349二〕
法眼(ホフゲン/ノリ、カン・マナコ)[入・上] 。〔官位門96五〕
法眼(ゲン) 。〔弘・人倫門32七〕
法眼(ホウゲン) 。〔永・人倫門33二〕〔両・官位門35三〕
法師 ―眼。―橋。―印。〔尭・人倫門29八〕
法眼(ゲン) 。〔人倫門29六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「法眼」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
630法眼 官也。〔謙堂文庫蔵五五左G〕
とあって、標記語「法眼」の語を収載し、語注記は「官なり」と記載する。
律師(リツシ)僧都(ソウヅ)法印僧正 常(ツネ)ノ名何(イツレ)モ權(コン)ノ字(ジ)ヲ置(ヲヒ)テ云也。僧都大小ヨリ。法印(ホウイン)僧正(ソウジヤウ)極(ゴク)位ノ官也。綸旨(リンシ)墨紙(ボクシ)ノ名ナリ。〔下32ウ七・八〕
法橋(ほつきやう)律師(りつし)僧都(そうづ)法印(ほういん)僧正(そうじやう)/法橋律師僧都法印僧正 皆僧の位階なり。推古(すいこ)天皇(てんわう)の御宇(きよう)に初て僧官を立玉ひ観勒(くわんろく)といえる僧を僧正とし、鞍部(くらつくり)のコ積(とくづミ)を僧都とし、阿裹(あつミ)の連(むらじ)をコ頭とし玉へり。其後 清和(せいわ)天皇の御宇に法橋法眼(ほうけん)法印乃位階(かい)を制(せい)し、律師(りつし)已上の位とし玉ふ。法印の位を僧正の階とし、法眼の位を僧都の階とし、法橋の位を律師の階とす。されハ、法橋律師法眼僧都法印僧正といふへきに、今こゝに法眼乃二字なきハ脱落(たつらく)したるなるへし。〔84ウ四〜八〕
とあって、この標記語「法眼」の語を未収載にし、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
烹眼(ほふげん)僧都(そうづ)烹印(ほふいん)僧正(そうしやう)山(やま)の目代(もくだい)(大勧進)小別當(こべつとう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(こうとう)都維那(ついの)寺主(ししゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようし)宮仕(くうし)等(とう)/法眼。僧都。法印。僧正。山ノ目代。大勧進。小別當。得業。内供奉。已講。堂達。預。専當。勾當。都維那。寺主。上座。以下承仕。宮仕。等▲法眼ハ和尚(おしやう)の位也。相當僧都(そうづ)位(ゐ)。〔61ウ四、62オ四〕
法眼(ほふげん)僧都(そうづ)法印(ほふいん)僧正(そうじやう)山目代(やまのもくだい)大勧進(おほくわんじん)小別當(こべつたう)得業(とくげふ)内供奉(ないぐぶ)已講(いかう)堂達(だうたつ)預(よ)専當(せんたう)勾當(かうたう)都維那(つゐな)寺主(じしゆ)上座(じやうざ)以下(いげ)承仕(じようじ)宮仕(ぐうし)等(とう)▲法眼ハ和尚(おしやう)の位也。相當僧都(そうづ)位(ゐ)。〔110ウ四、111ウ三〕
ほう-げん〔名〕【法眼】(一)佛教の五眼の一。分明に縁生の差別の法を觀察する眼。ごげん(五眼)の條を見よ。無量壽經、下「法眼觀察、究二竟諸道一」(二)僧位の名。そうゐ(僧位)の條を見よ。僧綱補任、下、保安三年「法橋三人、八幡法印光清、別當、以下法眼二人、云云」(三)中古以降、醫師の位第二とす。即ち法印、法眼、法橋と次第す。(畫工、連歌師等にも授けらる)字類抄「法眼」易林本節用集(慶長)上、人倫門「法眼、ホフゲン」義經記、二、鬼一法眼事「陰陽師の法師に鬼一法眼とて」〔1850-1〕
律師(ジ) 。〔元亀二年本71十〕
律師(シ) 。〔静嘉堂本256五〕〔天正十七年本上43オ六〕
聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先立阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕
聖道者(ニハ)一寺ノ檢校執行別當長吏(リ)學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕
聖道(シヤウダウ)者(ハ)一寺ノ検校(ケンケフ)執(シ )行別當長吏(リ)学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕
聖道ハ者一寺ノ檢校(ケンゲウ)。執行(シユキヤウ)。別當。長吏(リ)。学頭(カクトウ)。座主(ザス)。院主。執當(シツタウ)。先達(せンタツ)。阿闍梨( シヤリ)。法橋(ホツケウ)。律師(リツシ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「律師」と記載する。
律師 リツシ。〔黒川本・官職門上60ウ五〕
律師 日本記曰文武天皇二年戊戌十一月十五日元興寺僧善往始被補此職。〔巻第三・官職門22二〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』、そして『運歩色葉集』に標記語「律師」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。また、室町時代の他古辞書には未収載の語となっている。
630律師 官也。〔謙堂文庫蔵五五左G〕
とあって、標記語「律師」の語を収載し、語注記は「官なり」と記載する。
律師(リツシ)僧都(ソウヅ)法印僧正 常(ツネ)ノ名何(イツレ)モ權(コン)ノ字(ジ)ヲ置(ヲヒ)テ云也。僧都大小ヨリ。法印(ホウイン)僧正(ソウジヤウ)極(ゴク)位ノ官也。綸旨(リンシ)墨紙(ボクシ)ノ名ナリ。〔下32ウ七・八〕
法橋(ほつきやう)律師(りつし)僧都(そうづ)法印(ほういん)僧正(そうじやう)/法橋律師僧都法印僧正 皆僧の位階なり。推古(すいこ)天皇(てんわう)の御宇(きよう)に初て僧官を立玉ひ観勒(くわんろく)といえる僧を僧正とし、鞍部(くらつくり)のコ積(とくづミ)を僧都とし、阿裹(あつミ)の連(むらじ)をコ頭とし玉へり。其後 清和(せいわ)天皇の御宇に法橋法眼(ほうけん)法印乃位階(かい)を制(せい)し、律師(りつし)已上の位とし玉ふ。法印の位を僧正の階とし、法眼の位を僧都の階とし、法橋の位を律師の階とす。されハ、法橋律師法眼僧都法印僧正といふへきに、今こゝに法眼乃二字なきハ脱落(たつらく)したるなるへし。〔84ウ四〜八〕
とあって、この標記語「律師」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲律師ハ五位に准(じゆん)す。〔61ウ四、62オ四〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲律師ハ五位に准(じゆん)ず。〔110ウ四、111ウ二・三〕
りつ-し〔名〕【律師】(一)よく戒律を解するもの。戒律の師範。涅槃經、三「如レ是能知二佛法所作一、善能解説、是名二律師一」(二)僧官の一。僧都に次ぎて、正、權、あり、五位に准ず。約めて、りし。續日本紀、一、二年三月壬午「詔以惠施法師爲二僧正一、智淵法師爲二少僧都一、善住(往イ)法師爲二律師一」〔2123-5〕
法橋(ホツギウ) 。〔元亀二年本42四〕
法橋(ケウ) 。〔静嘉堂本46四〕〔天正十七年本上24オ四〕〔西來寺本〕
聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先立阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕
聖道者(ニハ)一寺ノ檢校執行別當長吏(リ)學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕
聖道(シヤウダウ)者(ハ)一寺ノ検校(ケンケフ)執(シ )行別當長吏(リ)学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕
聖道ハ者一寺ノ檢校(ケンゲウ)。執行(シユキヤウ)。別當。長吏(リ)。学頭(カクトウ)。座主(ザス)。院主。執當(シツタウ)。先達(せンタツ)。阿闍梨( シヤリ)。法橋(ホツケウ)。律師(リツシ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「法橋」と記載する。
法橋 ホツケウ。〔黒川本・官職門上39ウ二〕
法橋 。〔卷第二・官職門349四〕
法橋(ケウ) 。〔弘・人倫門32七〕
法橋(ホツケウ) 。〔永・人倫門33二〕
法師 ―眼。―橋。―印。〔尭・人倫門29八〕
法橋(ホツキヨウ) 。〔両・人倫門35二〕
法橋(ホツケウ) 。〔人倫門29六〕
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本『伊呂波字類抄』、『運歩色葉集』、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』、易林本『節用集』に、標記語「法橋」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』は、何故か知れないが此の語を未収載としている。
629阿闍梨法橋 位也。相‖-當律師|聖人位ヲ法橋ト云也。〔謙堂文庫蔵五五左F〕
とあって、標記語「法橋」の語を収載し、語注記は「位也。律師相當の聖人の位を法橋と云ふなり」と記載する。
聖道(シヤウダウ)一寺ノ検校(ケンゲフ)執(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)執(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)別(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕
法橋(ほつきやう)律師(りつし)僧都(そうづ)法印(ほういん)僧正(そうじやう)/法橋律師僧都法印僧正 皆僧の位階なり。推古(すいこ)天皇(てんわう)の御宇(きよう)に初て僧官を立玉ひ観勒(くわんろく)といえる僧を僧正とし、鞍部(くらつくり)のコ積(とくづミ)を僧都とし、阿裹(あつミ)の連(むらじ)をコ頭とし玉へり。其後 清和(せいわ)天皇の御宇に法橋法眼(ほうけん)法印乃位階(かい)を制(せい)し、律師(りつし)已上の位とし玉ふ。法印の位を僧正の階とし、法眼の位を僧都の階とし、法橋の位を律師の階とす。されハ、法橋律師法眼僧都法印僧正といふへきに、今こゝに法眼乃二字なきハ脱落(たつらく)したるなるへし。〔84ウ四〜八〕
とあって、この標記語「法橋」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲法橋ハ上人(しやうにん)の位(くらゐ)也。相當(さうたう)律師(りつし)位(ゐ)。〔61ウ四、62オ四〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲法橋ハ上人(しやうにん)の位(くらゐ)也。相當(さうたう)律師(りつし)位(ゐ)。〔110ウ四、111ウ二〕
Focqio>.ホツキヤウ(法橋) Nori faxi.(法橋) ある位.〔邦訳256l〕
ほっ-けう〔名〕【法橋】(一)ほふけう(法橋)に同じ。字類抄「法橋」三代實録、八、貞觀六年二月十六日、詔「彼三階(滿位、法師位、大法師位)之外、更制二法橋上人位、法眼和上位(僧綱補任、作二法眼和尚位一)、法印大和尚位等三階一、以爲二律師以上之位一、宣三云云、法橋上人位爲二律師階一」(二)僧位の名。法眼に次ぎ、律師の官に相當し、五位に准ぜられる。具には法橋上人位と云ふ。清和天皇、貞觀六年の制定。又、上人。(三)昔、醫師、畫師などの位。ほふいん(法印)の條を見よ。土佐住吉繪所系譜「光吉孫、廣通男、廣澄、初廣純、通稱内記、法名具慶、云云、延寳二年六月四日叙二法橋一」和漢三才圖繪、自叙「法橋寺島良安、書於二浪華杏林堂一」〔1843-3〕
阿闍梨(アシヤリ) 。〔元亀二年本261七〕
阿闍梨(アジヤリ) 。〔静嘉堂本296六〕
聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先立阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕
聖道者(ニハ)一寺ノ檢校執行別當長吏(リ)學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕
聖道(シヤウダウ)者(ハ)一寺ノ検校(ケンケフ)執(シ )行別當長吏(リ)学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕
聖道ハ者一寺ノ檢校(ケンゲウ)。執行(シユキヤウ)。別當。長吏(リ)。学頭(カクトウ)。座主(ザス)。院主。執當(シツタウ)。先達(せンタツ)。阿闍梨( シヤリ)。法橋(ホツケウ)。律師(リツシ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「阿闍梨」とし、訓みは文明四年本に「(ア)シヤリ」と記載する。
阿闍梨(アジヤリ/ヲモネリ、カド・トビラ、ナシ)[平・平・平] 。〔官位門747四〕
阿闍梨(アジヤリ) 聖道官。〔弘・人倫門202六〕
阿闍梨(アジヤリ) 。〔永・人倫門168三〕
阿闍梨(アシヤリ) 。〔尭・人倫門157三〕
阿闍梨(アジヤリ) 。〔官位門168三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「阿闍梨」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、弘治二年本『節用集』にだけ見える語注記は、この真字本とは一致しない。
629阿闍梨法橋 位也。相‖-當律師|聖人位ヲ法橋ト云也。〔謙堂文庫蔵五五左F〕
とあって、標記語「阿闍梨」の語を収載し、語注記は「位なり」と記載する。
聖道(シヤウダウ)一寺ノ検校(ケンゲフ)執(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)執(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)別(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕
先達(せんだつ)阿闍梨(あしやり)/先達阿闍梨 皆山伏の位なり。〔84ウ三・四〕
とあって、この標記語「阿闍梨」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲阿闍梨ハ梵語(ほんご)阿庶梨耶(あしやりや)の訛言(よこなまり)也。よく弟子(でし)の行(おこなひ)を糾(たゞ)正すゆへに正行随(しやうきやうずい)といふ。又軌範(きはん)ともいふ。〔61ウ四、62オ三・四〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲阿闍梨ハ梵語(ぼんご)阿庶梨耶(あしやりや)の訛言(よこなまり)也。よく弟子(でし)の行(おこなひ)を糾(たゞ)正すゆゑに正行随(しやうぎやうすゐ)といふ。又軌範(きはん)ともいふ。〔110ウ四、111ウ一〕
Ajari.アジャリ(阿闍梨) Xo<do<(聖道)と呼ばれる坊主(Bonzos)の特定の位.〔邦訳20r〕
あ-じゃり〔名〕【阿闍梨】〔梵語、阿闍梨耶(アアザヤアルヤ)(Acarya.)の略、軌範と譯す、翻譯名義集、一、釋氏衆名「闍梨、寄歸傳云、梵語、阿遮梨耶、唐言二軌範一、今稱二闍梨一、訛略、云云、(阿彌陀、彌陀。阿修羅、修羅)南山抄云、能糾二正弟子行一故」〕(一)又、あざり。天台宗、眞言宗にて稱する僧の學位。略して、闍梨。傳法灌頂大阿闍梨位と云ふを極位とす。二中暦(應永)四、僧職「闍梨、傳当大法師位」(二)僧官の稱。字類抄、僧位「阿闍梨、アザリ、清和天皇御宇、貞觀元年己卯、始置レ之」撮壤集、下、官位「阿闍梨(アジヤリ)」新儀式、五、臨時、任二僧綱一事「阿闍梨、天台十二人、元慶寺三人、法性寺一人」源氏物語、三十八、夕霧18「あざり、一人、とどまりて、なほ陀羅尼讀みたまふ」十訓抄、下、第十、三十四條、三井寺の覺讃、年高くなりて、有職を許(ゆる)されざりけるが、熊野に詣でて「山川の、あさりとならで、沈みなば、深き恨みの、名をや流さむ」(これは、阿闍梨を淺瀬にかけたり、淺處(あさり)の條を見よ)思ひのまま日記(貞治)「あじやりの扮装(いでたち)など、目も心も及ばず」〔0039-3〕
先達(ダツ) 山伏。〔元亀二年本352九〕〔静嘉堂本425一〕
聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先立阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕
聖道者(ニハ)一寺ノ檢校執行別當長吏(リ)學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕
聖道(シヤウダウ)者(ハ)一寺ノ検校(ケンケフ)執(シ )行別當長吏(リ)学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕
聖道ハ者一寺ノ檢校(ケンゲウ)。執行(シユキヤウ)。別當。長吏(リ)。学頭(カクトウ)。座主(ザス)。院主。執當(シツタウ)。先達(せンタツ)。阿闍梨( シヤリ)。法橋(ホツケウ)。律師(リツシ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本だけが、「先立」とし、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「先達」とし、訓みは経覺筆本に「(セン)タチ」、文明四年本に「センタツ」と記載する。
先達 せンタツ。〔黒川本・人倫門下102オ七〕
先達 。〔卷第十・人倫門437六〕
先達(センタチ) 引導ノ人也。〔態藝門80七〕
先達(せンダチ/マヅ、イタル)[平・入] 引導人也。〔人倫門1081三〕
先達(せンダチ) 山臥。〔弘・人倫門262八〕〔永・人倫門224二〕
先師 ―輩。―達/―手。〔尭・人倫門210八〕
先達(せンダツ) 山臥。〔人倫門233六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「先達」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、この語注記は、『下學集』そして広本『節用集』の注記内容と共通している。また、『運歩色葉集』と印度本系統の弘治二年本・永祿二年本『節用集』、易林本『節用集』の語注記は何故か、これを継承せず、ただ「山伏・山臥」と記載していて、この注記内容について編者の選択が大きく二様に分岐したことを含め、やはり、注意すべきことである。下記に示した日国の「語誌」についても、古辞書の継承そして展開の上で、このことを補足しておきたいところである。
628先達 下覚引‖-導人|也。〔謙堂文庫蔵五五左F〕
※先達 下学引‖-導人|也。〔天理図書館蔵『庭訓往來註』〕
とあって、標記語「先達」の語を収載し、語注記は「『下覚(學集)』、引導の人なり」と記載する。
聖道(シヤウダウ)一寺ノ検校(ケンゲフ)執(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)執(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)別(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕
先達(せんだつ)阿闍梨(あしやり)/先達阿闍梨 皆山伏の位なり。〔84ウ三・四〕
とあって、この標記語「先達」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲先達ハ山伏(やまぶし)の頭(かしら)也。〔61ウ四、62オ三〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲先達ハ山伏(やまぶし)の頭(かしら)也。〔110ウ四、111ウ一〕
Xeodachi.l,xendat.センダチ,または,センダツ(先達) 山へ聖地巡拝に行く際の,山伏(Yamabuxis)のかしらで道案内をする者.¶また,比喩.案内者,すなわち,道を示しながら先に立って行く人.ただし,この第二の意味は,あまり正しい言い方ではなく,また,あまり用いられもしない.〔邦訳750r〕
せん-だつ〔名〕【先達】(一)藝術に、最も長けて、同輩の師ともなるべき者。古參の人。先輩。顔氏家訓(北齋、顔之推)「皆有二先達一、可レ爲二師表一」盧ェ詩「常慕先達概、觀二古論得失一」侍中群要、一、藏人初參「先達藏人開レ簡、云云、隨二先達氣色食一、之了」(二)〔先立(さきだて)の湯桶讀か〕修驗者の、勤行を積みて、峯入の時など、同行に先立ちて、先導(しるべ)するもの。香首。古今著聞集、一、神祇「助の僧正覺讃は、先達の山伏なり」下學集、下、態藝門「先達、引導之人也」〔1127-5〕
執當(シツタウ) 。〔元亀二年本307八〕〔静嘉堂本358八〕
聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先立阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕
聖道者(ニハ)一寺ノ檢校執行別當長吏(リ)學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕
聖道(シヤウダウ)者(ハ)一寺ノ検校(ケンケフ)執(シ )行別當長吏(リ)学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕
聖道ハ者一寺ノ檢校(ケンゲウ)。執行(シユキヤウ)。別當。長吏(リ)。学頭(カクトウ)。座主(ザス)。院主。執當(シツタウ)。先達(せンタツ)。阿闍梨( シヤリ)。法橋(ホツケウ)。律師(リツシ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「執當」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本に「シツ(タウ)」、文明四年本に「シツタウ」と記載する。
執當(シツタウ) 。〔態藝門84七〕
執當(シユタウ) 。〔弘・人倫門239三〕
執當(シツタウ) 。〔永・人倫門198七〕〔尭・人倫門188七〕
このように、上記当代の古辞書においては、『下學集』・『運歩色葉集』・印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』に標記語「執當」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、真字註に見られる注記内容は、古辞書には見えない。
627院主執頭(シツ−) 聖家之奏者也。〔謙堂文庫蔵五五左E〕
とあって、標記語「執當」の語を収載し、語注記は「聖家の奏者なり」と記載する。
聖道(シヤウダウ)一寺ノ検校(ケンゲフ)執(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)執(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)別(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕
執當(しつたう)/執當 奏者を聖家にてハ執當と云。〔84オ七〜ウ一〕
とあって、この標記語「執當」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲執當ハ法会(ほふゑ)の奉行(ふぎやう)也。堂内(たうない)に在(あり)て諸僧(しよそう)着座(ちやくさ)の列(れつ)を定(さだ)むる等の事を勤(つと)むる也。〔61ウ四、62オ二・三〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲執當ハ法会(ほふゑ)の奉行(ぶきやう)也。堂内(だうない)に在(あり)て諸僧(しよそう)着座(ちやくざ)の列(れつ)を定(さだ)むる等の事を勤(つと)むる也。〔110ウ四、111ウ一〕
しッ-たう〔名〕【執當】〔執事別當の略〕僧の官。源平盛衰記、四、師高流罪宣事「執當法眼御房へ」〔0906-3〕
院主(インジユ) 。〔元亀二年本11六〕
院主(シユ) 。〔静嘉堂本3二〕
院主(インシユ) 。〔天正十七年本上4オ一〕〔西來寺本〕
聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先立阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕
聖道者(ニハ)一寺ノ檢校執行別當長吏(リ)學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕
聖道(シヤウダウ)者(ハ)一寺ノ検校(ケンケフ)執(シ )行別當長吏(リ)学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕
聖道ハ者一寺ノ檢校(ケンゲウ)。執行(シユキヤウ)。別當。長吏(リ)。学頭(カクトウ)。座主(ザス)。院主。執當(シツタウ)。先達(せンタツ)。阿闍梨( シヤリ)。法橋(ホツケウ)。律師(リツシ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「院主」と記載する。
院主 井ンシユ。〔黒川本・官職門中58オ一〕
院主 井ンシユ/僧官。〔卷第五・官職門244二〕
院家(井ンゲ) ―主(ジユ)。―司(シ)。〔人倫門121五〕
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本『節用集』に「院主」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
627院主執頭(シツ−) 聖家之奏者也。〔謙堂文庫蔵五五左E〕
とあって、標記語「院主」の語を収載し、語注記は「聖家の奏者なり」と記載する。
聖道(シヤウダウ)一寺ノ検校(ケンゲフ)執(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)執(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)別(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕
座主(ざす)院主(いんしゆ)/座主院主 ??の注にあり。〔84オ七〜ウ一〕
とあって、この標記語「院主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲院主ハ書写(しよしや)一山の主の称。〔61ウ四、62オ二〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲院主ハ書写(しよしや)一山の主の称。〔110ウ四、111オ六〕
Inju.ヰンジュ(院主) 修道院長にあたるような坊主(Bonzo),または,個々の小寺院,すなわち,寺(Tera)の住み込みの主.※禅寺の監寺(かんす)を院主というのと,各寺院の住持をさすのとあることを説いたもの.〔邦訳335r〕
ゐん-じゅ〔名〕【院主】(一)寺院(てら)のあるじ。住持。寺主。三島宮御鎭座本縁「七十五代崇徳院御宇、云云、勝鬘を以て院主とし、神供寺を主り、何れも妻帶供僧云」類聚大補任、弘長二年十一月廿九日「菩提山、自二院主坊一失火」(二)禪林にては、監寺(カンス)の舊名。監寺は六知事の一にして、寺内を監督し、衆僧を總領する役僧なり。監院。院宰。釋氏要覽、下、住持「主事四員、一監寺、會要云、監者、總領之稱、所以不稱寺院主者、蓋推尊長老、云云」〔2186-3〕
626座主 日本ニ有‖三座主|叡山宗一也。座主漉言曰有司謂∨之座主。或謂一座之主也。文徳天王始定‖慈覚ヲ天台座主ニ|謂也云々。〔謙堂文庫蔵五五左D〕
とあって、標記語「座主」の語を収載し、語注記は「日本に三座主あり。叡山の宗一なり。座主漉言曰く、有司之れを座主と謂ふ。或は一座の主を謂ふなり。文徳天王始めて慈覚を天台の座主に定めて謂ふなり云々」と記載する。
聖道(シヤウダウ)一寺ノ検校(ケンゲフ)執(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)執(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)別(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕
座主(ざす)院主(いんしゆ)/座主院主 ??の注にあり。〔84オ七〜ウ一〕
とあって、この標記語「座主」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲聖道ハ四月の進状に見ゆ。〔61ウ四、62オ一〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲聖道ハ四月の進状に見ゆ。〔110ウ四、111オ四〕
ざ-す〔名〕【座主】〔一座の主の義にて、学識の高僧の私稱なりしが、僧職に移りしなり、釋氏要覽、上、稱謂、座主「穗言曰、有司謂二之座主一、今、釋氏取二學解優瞻頴抜者一名二座主一、謂二一座之主一、古、高僧呼二講者一爲二高座一、或是高座之主」〕(一)一山の寺務を綜理する、首座の僧職の稱。始めて、僧職と定められて補せられたるは、文コ天皇の仁壽四年、比叡山延暦寺の圓仁(慈覺大師)なり、歴代、相、承けて、天台座主、又、山の座主、貫首(クワンジユ)とも云ふ。朝野群載、十六、佛事、補二天台座主一官牒「延暦寺、傳燈大法師圓仁、右、右大臣宣、奉レ勅、件法師、宣下定二彼寺座主一畢上者、云云、仁壽四年四月三日」源氏物語、九、葵21「山のざす、何くれと、やんごとなき僧ども、云云、急ぎまかでぬ」増鏡、第一、おどろの下「此僧正、世にも、いと重く、山の座主にて物したまふ」(二)延暦寺に尋(つ)ぎて、超昇寺、貞觀寺、醍醐寺、法性寺、極樂寺、等の諸寺にも、座主職ありしが、次第に廢絶して、後には、獨り、天台座主の專稱となりぬ。三代實録、十一、貞觀七年十月十六日「超昇寺座主」同、廿九「貞觀十八年八月廿九日「勅置二貞觀寺座主一」初例抄、下「醍醐寺座主、云云、延喜十九年始補レ之」(古事類苑)春記、長暦三年閏十二月五日「法性寺の座主、日日に、御戒、授け奉らせたまふ」〔0806-2〕
學頭(ツウ) 。〔元亀二年本92十〕
学頭(カクトウ) 。〔静嘉堂本115二〕〔天正十七年本上56ウ三〕〔西來寺本〕
聖道者一寺検校執行別當長吏学頭座主院主執當先立阿闍梨法橋律師〔至徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏學頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔宝徳三年本〕
聖道者一寺檢校執行別當長吏学頭座主院主執當先達阿闍梨法橋律師〔建部傳内本〕
聖道者(ニハ)一寺ノ檢校執行別當長吏(リ)學頭(トウ)座主院主執(シツ)當先達阿闍梨法橋法眼律師〔山田俊雄藏本〕
聖道(シヤウダウ)者(ハ)一寺ノ検校(ケンケフ)執(シ )行別當長吏(リ)学頭(カクトウ)座主院主執(シツ)當先達(タチ)阿闍梨法橋(ケフ)律師〔経覺筆本〕
聖道ハ者一寺ノ檢校(ケンゲウ)。執行(シユキヤウ)。別當。長吏(リ)。学頭(カクトウ)。座主(ザス)。院主。執當(シツタウ)。先達(せンタツ)。阿闍梨( シヤリ)。法橋(ホツケウ)。律師(リツシ)〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「学頭」とし、訓みは山田俊雄藏本「(ガク)トウ」、経覺筆本・文明四年本が「カクトウ」と記載する。
學頭(ガクトウ/マナブ、ホトリ・カシラ)[入・平] 。〔人倫門260三〕
絲頭(ガクトウ) 。〔弘・人倫門77三〕
學頭(ガクトウ) 。〔永・人倫門76九〕
学頭(ガクトウ) 。〔尭・人倫門69六〕〔両・人倫門83一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「學頭・学頭」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
625学頭 官書ニ曰、伶人之長ヲ曰学頭也。〔謙堂文庫蔵五五左D〕
とあって、標記語「学頭」の語を収載し、語注記は「『官書』に曰く、伶人の長を学頭と曰ふなり」と記載する。
聖道(シヤウダウ)一寺ノ検校(ケンゲフ)執(シユ)行別當(タウ)長吏(チヤウリ)學頭(ガクトウ)座主(サス)院主(インジユ)執頭(シツタウ)先達(せンダツ)阿闍梨(アジヤリ)法橋(ホツケウ) 聖道ハ一寺ノ検校(ケンケウ)執(シユ)行別當(ベツトウ)金剛峯寺ナンドニハ。一寺ノ主ヲ検校(ケンゲフ)ト云。叡山(ヱイザン)ニハ。座主(ザス)ト云ナリ。東寺長者ト申也。書冩(シヨシヤ)ニハ院主(インジユ)ト云ナリ。其外長吏(チヤウリ)学頭(ガクトウ)別(ベツ)當ナンド云事例(レイ)儀也。執當(シツタウ)先達(せンダツ)ハ。山伏(ブシ)ノ度ヲ蹈(フミ)タル人ナリ。阿闍梨(アシヤリ)法橋(ヒツキフハ)ノ名也。〔下32ウ四〜七〕
学頭(かくとう)/學頭 学者の頭なり。〔84ウ二〕
とあって、この標記語「学頭」の語をもって収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきよう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(ざす)院主(いんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)烹橋(ほつきやう)律師(りつし)/聖道者。一寺。検校執行。別當。長吏。學頭。座主。院主。執當。先達。阿闍梨。法橋律師▲學頭ハ学文所(がくもんしよ)の長(おさ)也。〔61ウ四、62オ二〕
聖道(しやうだう)者(ハ)一寺(いちじの)検校(けんげう)執行(しゆきやう)別當(べつたう)長吏(ちやうり)學頭(がくとう)座主(さす)院主(ゐんじゆ)執當(しつたう)先達(せんだつ)阿闍梨(あじやり)法橋(ほつけう)律師(りつし)▲学頭ハ学文所(がくもんしよ)の長(をさ)也。〔111オ六〕
Gacuto>.ガクトウ(楽頭・学頭) 音楽や楽器の事における長たる人,あるいは,先任者.¶また(学頭),Xo<do<(聖道)と呼ばれる坊主(Bonzos)の間での長たる人,あるいは,長老.〔邦訳290r〕
がく-とう〔名〕【學頭】(一)勸學院の職員。西宮記、臨時、五、勸學院「別當行二院事一、有二學頭一」(二)學校長。(三)社僧中の職員。菅家御傳記、「安樂寺學頭」(太宰府、~宮寺) 當社學頭職次第(鶴岡八幡宮)「良喜、建仁元年、尊曉別當、始置二學頭一被レ補レ之、始、三十一年也」〔0361-1〕
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