2004年12月01日から12日31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

 
 
 
 
頭首方(テウシユガタ)」は、ことばの溜池「頭首」(2004.05.02)を参照。
 真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

664頭首方(カタ)者 法亊司之人也。〔謙堂文庫蔵五七左@〕

とあって、標記語「頭首方」の語を収載し、語注記は、「法亊司るの人なり」と記載する。

 
袈裟(ケサ)」は、ことばの溜池(2003.04.17)を参照。
平江帯(ビンガウタイ)」は、ことばの溜池(2000.12.31)を参照。
 
2004年12月31日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
一配(ひとつあて)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、標記語「一配」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本が「一配」と記載し、訓みは、経覺筆本に「(ひと)つずつ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「(ひと)つあて」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一配」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「一配」の語は未収載にする。但し、下記に記載した『日本国語大辞典』第二版の用例に天正十八年本節用集』に標記語「一配」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、天正十八年本節用集』標記語「一配」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

663各一配(−ツアテ) 六十端云也。〔謙堂文庫蔵五七右H〕

とあって、標記語「一配」の語を収載し、語注記は、「六十端を一と云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

花〓(クハリン)(糸+彦)木綿(モメン)等各(ツヽ)頭首(テウシユ)(ガタ)()素紗(ソシヤ)(コロモ)袈裟(ケサ)一帖(テウ)花〓(糸+彦)木綿ハ。色色アルモメン也。〔下34オ八〜34ウ一〕

とあって、標記語「一配を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

木綿(もめん)等各(おの/\)一配(ひとつくばり)木綿等各一配 配ハくはると訓す一宛といふに同し。〔87ウ四・五〕

とあって、この標記語「一配」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

木綿(もめん)等(とう)各(おの/\)一配(ひとつあて)木綿等各一配。〔64オ三〕

木綿(もめん)(とう)(おの/\)一配(ひとつあて)。〔115オ三・四〕

とあって、標記語「一配」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Fitotcuate.ヒトツアテ(一つ宛) 人に物を一つずつ与えて割り当てる際の数え方で,二つずつであればFutatcu ate(二つ宛)のように言い,それ以上は物の数に応じて〔三つ宛・四つ宛…と〕言う.〔邦訳250l〕

とあって、標記語「一配」の語の意味は「人に物を一つずつ与えて割り当てる際の数え方で、二つずつであればFutatcu ate(二つ宛)のように言い、それ以上は物の数に応じて〔三つ宛・四つ宛…と〕言う」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ひとッ-あて〔名〕【一配】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ひとつ-あて一当】〔名〕物を一つずつ割り当てること。天正本節用集(1590)「一配 ヒトツアテ」日葡辞書(1603-04)「Fitotcu ate(ヒトツ アテ)<訳>人に一つずつ割り当てる時の数え方。二つずつの時はフタツアテと言い、以下数に応じて言う」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
木綿(モメン)」は、ことばの溜池(2000.9.19)を参照。
明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-めん〔名〕【木綿】草綿(きわた)の果實の中に生ずるもの。潔白にして、甚だ柔なり、綿として、衣服、布團などに入れて、温を取る。眞綿に對して、もめん綿と云ふ。これを紡ぎて絲せるを、木綿絲(綿絲)とし、綿布に織る。(天文年閨A薩摩織り始むと)綿花布張籍詩「蜀客南行過碧溪、木綿花發錦江西」字類抄木綿、モメン」〔2019-1〕

とあって、標記語「-めん〔名〕【木綿】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-めん木綿】〔名〕@ワタの種子のまわりに生じる白くて柔らかな綿繊維。弾力性・吸湿性・保温性に富み衣料などに広く用いられる。わた。きわた。木綿わた。棉花。A「もめんいと(もめんいと)の略」B「もめんおり(木綿織)の略」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2004年12月30日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
花〓(糸+彦)(クハリン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「花月(クワゲツ)能名」の一語を収載し、標記語「花〓(糸+彦)」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(+)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(+)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(+)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)花〓(リン)(+)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(+)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本が「花〓(糸+彦)」と記載し、経覺筆本は、「花綾」と記載する。訓みは、山田俊雄藏本に「(クワ)りん」、経覺筆本に「クワレウ」、文明四年本に「クワリン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「花〓(糸+彦)」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「花〓(糸+彦)」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「花〓(糸+彦)」の語は未収載にあるが、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

661花〓(+)(−リン) 唐織□。花紋也。〔謙堂文庫蔵五七右H〕

とあって、標記語「花〓(糸+彦)」の語を収載し、語注記は、「唐織□。花紋なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

花〓(クハリン)(+)木綿(モメン)等各一(ツヽ)頭首(テウシユ)(ガタ)()素紗(ソシヤ)(コロモ)袈裟(ケサ)一帖(テウ)花〓(糸+彦)木綿ハ。色色アルモメン也。〔下34オ八〜34ウ一〕

とあって、標記語「花〓(糸+彦)を収載し、語注記は「花〓(糸+彦)木綿は、色色あるもめんなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

花〓(くわりん)(+)花〓(+) 襖も単衫も衣類の名也。是に仕立へききぬなり。〔87ウ三〕

とあって、この標記語「花〓(糸+彦)」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

花〓(くわりん)(+)木綿(もめん)等(とう)各(おの/\)一配(ひとつあて)花〓(+)木綿等各一配▲花〓(糸+彦)木綿ハ今いふ花布(さらさ)の類(たぐひ)ならん。但し〓(糸+彦)の字いまだ所見なし如何。〔64オ三、64オ八〕

花〓(くわりん)(+)木綿(もめん)(とう)(おの/\)一配(ひとつあて)▲花〓(糸+彦)木綿ハ今いふ花布(さらさ)乃類(たぐひ)ならん。但し〓(糸+彦)の字いまだ所見なし如何。〔115オ三、115ウ四・五〕

とあって、標記語「花〓(糸+彦)」の語をもって収載し、その語注記は、「今いふ花布(さらさ)乃類(たぐひ)ならん。但し〓(糸+彦)の字いまだ所見なし如何」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「花〓(糸+彦)」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版にあっては、標記語「くゎ-りん〔名〕【花〓(糸+彦)】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にある。
[ことばの実際]
 
 
2004年12月29日(水)小雨後曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
単衫(アフタンサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「安」部に、標記語「襖単衫」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「襖単衫」と記載し、訓みは、山田俊雄藏本に「ふすまタンザン」、経覺筆本に「アウタンサン」、文明四年本に「ワウタンサン」とそれぞれ異なった記載をする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「襖単衫」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「襖単衫」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「襖単衫」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

660并襖単衫之絹 生々(スヽシ)ハ単絹也。〔謙堂文庫蔵五七右G〕

とあって、標記語「襖単衫」の語を収載し、語注記は、「生々(スヽシ)は絲の単絹なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

襖単衫(アウタンサン)()(キヌ) アラキススシノキヌナリ。〔下34オ七・八〕

とあって、標記語「襖単衫を収載し、語注記は「あらきすずしのきぬなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

并に襖単衫(わうたんさん)の絹(きぬ)襖単衫之絹 襖も単衫も衣類の名也。是に仕立へききぬなり。〔87ウ三〕

とあって、この標記語「襖単衫」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならひ)襖単衫(あうたんさん)()(きぬ)襖単衫之絹▲襖単衫之絹ハ生絹(すゞし)のひとへ絹(きぬ)也と。〔64オ一、64オ七・八〕

(ならひに)襖単衫(あうたんさん)()(きぬ)▲襖単衫之絹ハ生絹(すゞし)のひとへ絹(きぬ)也と。〔115オ三、115ウ四〕

とあって、標記語「襖単衫」の語をもって収載し、その語注記は、「襖単衫之絹は、生絹(すゞし)のひとへ絹(きぬ)なりと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「襖単衫」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「あう-たんさん〔名〕【襖単衫】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おう-たんさん襖単衫】〔名〕」の語は未収載にする。拠って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にある。
[ことばの実際]
 
 
2004年12月28日(火)晴夜雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
梅花(モイクワ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、

梅花(モイグワ) 。〔元亀二年本348十〕

梅花(モイクワ) 。〔静嘉堂本419七〕

とあって、標記語「梅花」の語を収載し、訓みは。元亀二年本「モイグワ」、静嘉堂本「モイクワ」と記載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「梅花」と記載し、訓みは、経覺筆本に「モイ(クワ)」、山田俊雄藏本・文明四年本に「モイクワ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「梅花」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

梅花(モイクワ) 織(ヲル)梅花。〔絹布門95七〕

とあって、標記語「梅花」の語を収載し、語注記に「絹の紋に梅花を織()るなり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

梅花(モイクワムメ、ハナ)[平・平] 綾也。絹紋(キヌノモン)梅花。〔絹布門1067三〕

とあって、標記語「梅花」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承増補する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

梅花(モイクワ) 綾紋(アヤノモン)。表補(ヘウホ)。繪()。〔・財宝門259五〕

梅花(モイクハ) 綾紋(アヤノモン)。表具(ヘウグニ)。〔・財宝門221五〕

梅花(モイクワ) 紋。・財宝門207八〕

とあって、標記語「梅花」の語を収載し、語注記は上記の如く区々に記載する。また、易林本節用集』に、

梅花(モイクワ) 紋。〔食服門230二〕

とあって、標記語「梅花」の語を収載し、語注記に「綾の紋」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「梅花(モイクワ)」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。その語注記は、『下學集』に類似し、また、広本節用集』を含め継承連関するものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

659知亊方者素紗(スヾ)梅花(モイ−) 梅花之紋也。〔謙堂文庫蔵五七右G〕

とあって、標記語「梅花」の語を収載し、語注記は、「梅花の紋あるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

梅花(ハイクハ) ハ赤(アカ)キアヤナリ。〔下34オ七〕

とあって、標記語「梅花を収載し、語注記は「赤きあやなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

梅花(ばいくわ)梅花 あかきあや也。〔87ウ二・三〕

とあって、この標記語「梅花」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

梅花(ばいくわ)梅花▲梅花ハ赤(あか)き綾(あや)也とぞ。〔64オ二、64オ七〕

梅花(ばいくわ)▲梅花ハ赤(あか)き綾(あや)也とぞ。〔115オ二、115ウ三〕

とあって、標記語「梅花」の語をもって収載し、その語注記は、「梅花は、赤(あか)き綾(あや)なりとぞ」と記載する。ここで、古版庭訓徃来註』以降の注釈書において「モイクワ」の訓みから「バイクワ」の訓みへと移行していることが伺える。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Moiqua.モイクヮ(梅花) ある織物についてある種の浮織り模様,あるいは,木の葉模様.〔邦訳417r〕

とあって、標記語「梅花」の語の意味は「ある織物についてある種の浮織り模様,あるいは,木の葉模様」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

モイ-くヮ〔名〕【梅花】〔もいハ、梅の支那近代音〕うめの花の模様。又、其模様を織り出したる絹布。下學集、下、絹布門「梅花、モイクヮ、絹紋織梅花也」易林本節用集(慶長)下、食服門「梅花、モイクヮ、綾紋」梅花綾」〔1998-2〕

とあって、標記語「モイ-くヮ〔名〕【梅花】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「もい-梅花】〔名〕(「もい」は「梅」の唐宋音)梅花の模様。また、その模様を織った絹」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にし、『大言海』同様、古辞書『下學集』や『伊京集』『日葡辞書』を引用する。
[ことばの実際] 
しかあれども、元ひごろ出城し、見知府のために在城のとき、一夢を感ずるにいはく、大梅山法常禪師とおぼしき高ありて、梅花一枝をさしあげていはく、もしすでに船舷をこゆる實人あらんには、花ををしむことなかれといひて、梅花をわれにあたふ。元おぼえずして夢中に吟じていはく、未跨船舷、好與三十(未だ船舷を跨せざるに、好し、三十を與へんに)。しかあるに、不經五日、與老兄相見。いはんや老兄すでに船舷跨來、この嗣書また梅花綾にかけり。大梅のおしふるところならん。夢想と符合するゆゑにとりいだすなり。《『正法眼藏』第三十九 嗣書二386・八39オE》
 
 
2004年12月27日(月)雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
素紗(スシヤ・スジヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、標記語「素紗」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「素紗」と記し、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「スシヤ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「素紗」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

素紗(スジヤ) 。〔絹布門95六〕

とあって、標記語「素紗」の語を収載し、訓みを「スジヤ」とする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

素紗(スシヤシロシ、―)[去・平] 。〔絹布門1124七〕

とあって、標記語「素紗」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

素紗(スシヤ) 。〔・衣服門270二〕〔・財宝門231六〕

素紗(スジヤ) 。〔・財宝門217五〕

とあって、標記語「素紗」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

素紗(スジヤ) 。〔食服門239四〕

とあって、標記語「素紗」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「素紗」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

659知亊方者素紗(スヾ)梅花(モイ−) 梅花之紋也。〔謙堂文庫蔵五七右G〕

とあって、標記語「素紗」の語を収載し、この訓みを「すず」とし、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

素紗(ソシヤ) ハ白(シロ)キシヤナリ。〔下34オ七〕

とあって、標記語「素紗を収載し、語注記は「白きシヤなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

知事方(ちじかた)素紗(そしや)知事方者素紗 白きしや也。〔87ウ一・二〕

とあって、この標記語「素紗」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

知事方(ちじかた)()素紗(そしや)知事方者素紗。▲素紗ハ白(しろ)き紗也。〔64オ二、64オ七〕

知事方(ちじかた)()素紗(そしや)▲素紗ハ白(しろ)き紗(しや)也。〔115オ二、115ウ四〕

とあって、標記語「素紗」の語をもって収載し、その語注記は、「素紗は、白(しろ)き紗(しや)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suxa.スシャ(素紗) 絹の単(ひとえ)の着物の一種で,上に着るもの.〔邦訳593l〕

とあって、標記語「素紗」の語の意味は「絹の単(ひとえ)の着物の一種で,上に着るもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しゃ〔名〕【素紗】染色なき紗。白き紗。庭訓往來、十月「素紗(无紋云也)、梅花(有梅花文也)」〔1047-1〕

とあって、標記語「-しゃ〔名〕【素紗】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しゃ素紗】〔名〕(「すじゃ」とも)白い紗。白いうすぎぬ」とあって、『大言海』『日本国語大辞典』第二版共に『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
 
知事方(チジかた)」は、ことばの溜池「知事」(2004.09.14)を参照。
 
2004年12月26日(日)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA,市場
細美・細布(サイミ・ほそぬの)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

細美( ミ)貲布() 。〔元亀二年本270九〕

細美(サイミ)些布() 。〔静嘉堂本308八〕

とあって、標記語「細美」と「貲布(些布)」の語を収載する。「ほそぬの」の語は未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本建部傳内本は「細美」、宝徳三年本は「紬古細布等]」、山田俊雄藏本は「(つむぎ)」、経覺筆本は「細布(ほそぬの)」、文明四年本は「紬古{〓(糸+貰)サイミ}」とそれぞれ異なる語で記載し、表記のばらつきが目立つ語となっている。訓みはそれぞれ括弧内に示した如くである。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「細美」「細布紬古細布等]」紬古{〓(糸+貰)}」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

細美(サイミ) 。〔絹布門97四〕

とあって、標記語「細布」の語は未収載にし、標記語「細美」の語を以て収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

細微(サイミせイヒ・ホソシ、イヤシ・スコシ)[去・平] 布名也。或微作。又貲布。〔絹布門780六〕

とあって、標記語「細微」の語で収載し、語注記に「布の名なり。或は微、美に作る。また貲布」と記載し、「細美」の標記語を示している。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

細微(サイミ) 布名。或云貲布。〔・財宝門212二〕

細微(サイミ) 布也。又云細美。又曰貲布(シフ)。〔・財宝門177一〕

細微(サイミ) 布也。又―美。又曰貲布(シノフ)。〔・財物門165七〕

とあって、上記広本節用集』を継承し、標記語「細微」の語で示し語注記をほぼ同じく記載する。また、易林本節用集』に、

細美(サイミ)貲布() 。〔食服門178一〕

とあって、標記語「細美」「貲布」の二語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「細布」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

658上品細布(ホソ−)等 上品在濃州。処名也。〔謙堂文庫蔵五七右F〕

とあって、標記語「細布」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

細美(サイミ)等知事(チジ)(ガタ)() 細美(サイミ)ハホソ布ナリ。〔下34オ六・七〕

とあって、同訓異語の標記語「細美を収載し、語注記は「細美(サイミ)は、ほそ布なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

上品(じやうぼん)細美(さいミ)上品細美 細美ハ今のちゝみなとの類なり。方丈西堂ハ貴き僧ゆへこれらの品を送れと也。〔87ウ一・二〕

とあって、この標記語「細美」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

上品(じやうぼん)細美(さいミ)等/上品細美▲細布ハ太布(たふ)ふとぬの也。〔64オ一、64オ七〕

上品(じやうぼん)細美(さいミ)(とう)▲細美ハ太布(たふ)ふとぬの也。〔115オ二、115ウ三〕

とあって、標記語「細美」の語をもって収載し、その語注記は、「細美は、太布(たふ)ふとぬのなり」と記載する。このように、古版庭訓徃来註』以降の注釈書は、古写本至徳三年本建部傳内本の「細美」の語を以てすべて記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Fosonuno.ホソヌノ(細布) ある国から産する麻布.〔邦訳265l〕

Saimi.サイミ(細布貲布) 帷子(Catabiras)を作るのに用いる,ある種の生(き)の麻布.〔邦訳550r〕

とあって、標記語「細布」の語の意味は「ある国から産する麻布」と「帷子(Catabiras)を作るのに用いる,ある種の生(き)の麻布」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほそ-ぬの〔名〕【細布】幅のせまき布。けふ(狹布)の條を見よ。ケフのほそぬの。基俊集「川上にさらす細布、けふだにも、胸あふばかり、契りせよ君」謡曲、錦木「また細布は機ばりせばくて、さながら身をもかくさねば」〔0456-5〕

さい-〔名〕【貲布】(一)麻布の名、「さよみのぬの」→江家次第、五「細美(サイミヌノ)廿三段」下學集、下(文安)絹布門「細美(サイミ)、太布(タフ)を見よ。(二)太布(ふとぬの)を、さいみと云ふ。(太布の條を見よ)〔0763-3〕

とあって、標記語「ほそ-ぬの〔名〕【細布】」そして、「さい-〔名〕【貲布】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほそ-ぬの細布】〔名〕@細い糸で織った高級の布。A幅のせまい布。奥州の特産であった。B「ほそぬのごろも(細布衣)」の略」、「さい-貲布細布】〔名〕(「さよみ」の変化した語)麻織物の一つ。経(たていと)緯(よこいと)ともに大麻の太糸で目をあらく平織りにした布。武家の奴僕の夏衣や蚊帳・袋物などに用いる。《季・夏》観智院本名義抄(1241)「サイミ 布」太平記(14C後)三五・北野通夜物語事「数十箇所の所領を知行して、財宝豊かなりけれ共、衣裳には細布(サイミ)の直垂、布の大口、飯の菜には焼たる塩」文明本節用集(室町中)「細微 サイミ 布名也 或微作美 又貲布」<下略>」とあって、いずれにも『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
所謂金百兩、鷲羽百尻、七間々中徑水豹皮、六十余枚、安達絹千疋、希婦細布二千端糠部駿馬五十疋、白布三千端、信夫毛地摺千端等也《訓み下し》所謂(円)金百両、鷲ノ羽百尻、七間間中径リノ水豹ノ皮、六十余枚、安達絹千疋、希婦ノ細布(ホソヌノ)二千端、糠部ノ駿馬五十疋、白布三千端、信夫毛地摺千端等ナリ。《『吾妻鏡』文治五年九月十七日の条》
 
 
上品(シヤウボン)」は、ことばの溜池(2000.01.27)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

黄草布(ワウサウフ)一二端(タン)上品 トハ。サイミ布()ノ。ウスクアラキ布(ヌノ)ナリ。〔下34オ五・六〕

とあって、同訓異語の標記語「上品を収載し、語注記は「細美(サイミ)は、ほそ布なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

上品(じやうぼん)の細美(さいミ)上品細美等 細美ハ今のちゝみなとの類なり。方丈西堂ハ貴き僧ゆへこれらの品を送れと也。〔87ウ一・二〕

とあって、この標記語「上品」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

上品(じやうぼん)の細美(さいミ)等/上品細美等▲上品ハ四月の返状に見ゆ。〔64オ一、64オ七〕

上品(じやうぼん)細美(さいミ)(とう)▲上品ハ四月の返状に見ゆ。〔115オ二、115ウ三・四〕

とあって、標記語「上品」の語をもって収載し、その語注記は、「上品ハ四月の返状に見ゆ」と記載する。そして、訓みは、「シヤウボン」から江戸時代註釈書においてはすべて「ジヤウボン」と第一拍を濁音表記に移行している。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Io<bon.ジャウボン(上品) Vyeno xina.(上の品)物のすぐれた種類,または最上級.〔邦訳367r〕

とあって、標記語「上品」の語の意味は「Vyeno xina.(上の品)物のすぐれた種類,または最上級」とあって、意味は異なった事柄の記載である。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じャう-ぼん〔名〕【上品】〔中品、下品に對す〕くほんじゃうど(九品淨土)の條を見よ。古今著聞集、二、釋教「上品極樂は、我が本國也、定めて、終に徃生すべし」「上品蓮臺」〔0972-2〕

とあって、標記語「じャう-ぼん〔名〕【上品】」の語を収載するが、この意味内容ではやはり、別項目といえよう。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じゃう-ぼん上品】〔名〕@仏語。極楽浄土に往生する人を能力、性質などから上・中・下に三分したその最上位。また、淨土における最上位。A能力・性質・性状など、その等差を上・中・下の三つに分けたその最上位。上等。上等の階級。B「じょうぼん(上品)の絹」の略。」とあって、Bの用例中に『庭訓徃來』四月状の語用例を記載する。そして、ここでは第一拍清音の「しゃうぼん【上品】」の語については、未載録となっている。
[ことばの実際]
上品八丈絹六疋《訓み下し》上品(ボン)ノ八丈絹六疋《『吾妻鏡建久三年十二月二十日の条》
※此書の「上品」の用例には、すべて「上」の字に訓みは施されていない。
 
 
2004年12月25日(土)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
一二端(イチニタン)」と「二三端(ニサンタン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

一端(ダン) 。〔元亀二年本18八〕

一端 。〔静嘉堂本13八〕

一端(タン) 。〔天正十七年本上8オ七〕

とあって、標記語「一端」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本は、「一二端」とし、宝徳三年本・文明四年本が「二三端」として収載する。訓みは、山田俊雄藏本に「(イチニ)タン」、文明四年本に「(ニサン)タン」と記載する。このように、古写本において「一二端」と「二三端」といった二つの数詞標記の系統が存在していることになる。がしかし、下記注釈書類はいずれも「一二端」と標記している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

タン/布剴剿。〔黒川本・員數門中6オ四〕

タン 又用段字錦布等員也。或文云 調布四丈二尺為―。庸布二丈八尺為― 商布二丈五尺為―。〔卷第四・員數門414三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、注記は上記の如く記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。※『伊京集』は所載。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

657并黄草布(キハタ/ワウサフフ)一二端 本草曰、花開。春開。則未名。只付。曰黄草。故(ヤマフキ)布也。〔謙堂文庫蔵五七右E〕

とあって、標記語「一二端」の語を収載し、語注記は、「紫色は、高位を定むる亊、黄帝より始まる。委しくは、『釋氏(要覽)』に在り」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

黄草布(ワウサウフ)一二端(タン)上品 トハ。サイミ布()ノ。ウスクアラキ布(ヌノ)ナリ。〔下34オ五・六〕

とあって、同訓異語の標記語「一二端を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ならび)に黄草布(わうさふ)一二端(いちにたん)黄草布一二端 黄草布を又黄雑布(わうさふふ)とも書さいミ布の事なり。一端ハ並の人壱人前の着丈(きたけ)也。又一反(いちたん)とも書。 人皇四十三代 元明天皇の和銅(わとう)七年より二丈六尺を一端と定め玉へり。〔87オ六〜87ウ一〕

とあって、この標記語「一二端」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に黄草布(わうさふ)一二端(いちにたん)黄草布一二端▲一端ハ二丈六尺をいふ。〔64オ一、64オ七〕

(ならびに)黄草布(わうさふ)一二端(いちにたん)▲一端ハ一端ハ二丈六尺をいふ。〔115オ一、115ウ三〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は、「一端は、二丈六尺をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Ittan.イッタン(一端) 木綿,麻布,絹布,その他これに類する多くの物を数える言い方.※原文はcangas.〔Momenの注〕.〔邦訳347l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「木綿,麻布,絹布,その他これに類する多くの物を数える言い方」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たん〔名〕【】〔布帛には端なり、田數の段を借字して、段より反と誤る〕(一)布帛に云ふ一定の長(たけ)の稱。即ち、鯨尺二丈六尺(今、或は二丈八尺乃至三丈二尺)幅九寸なり。これを尋常、一人の衣服を作る料とす。(寛文五年に、二丈六尺と定めらる)これを倍にせるを匹(ひき)とす。禮記、曾子問篇の疏に、束帛を十端とし、杜預が二端を一兩と爲す、いはゆる匹なりと云へり。湘山野録(宋、僧文瑩)「束間則卷其帛、五匹逐見字類抄、タン、五丈」、「、又、用段字、謂布四丈二尺段、庸布二丈八尺爲段、商布二丈五尺爲段」續日本紀、六、和銅七年二月、制「以商布二丈六尺段」玉勝、八「台記に布三反、布二反などあり、その頃も、を反と書きしなり」(台記は近衞天皇の康治元年より久壽二年迄の記)嬉遊笑覽、二、上「寛文四年七月十二日、絹紬の事、大工曲尺にて、長さ三丈四尺、巾一尺四寸、木綿の事、同、長さ三丈四尺、巾一尺三寸と制定せらる」(二)帆の幅を數ふるに云ふ語。筵一枚の幅、三尺を云ふ。甚句「三十五の帆をははりあげて、行くよ仙臺石巻」〔1241-5〕

とあって、標記語「たん〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-】〔名〕@〔省略〕A布帛の長さの単位。イ古代・中世、布(ぬの)の長さの単位(絹織物の単位は疋)。一卷(ひとまき)をいう。広狭・材質・産地などによって長さは一定せず、年代により大きく変わるが、養老令の規定では、令の小尺すなわち和銅の大尺ではかって、調布(調として納める布)は幅二尺四寸で長さ五丈二尺を一端とし、庸布(庸のかわりに納める布)は二丈六尺を一端とする。ロ布帛の長さの単位。ふつう、一人分の衣服の料とする衣。幅九寸。絹物は三丈ないし三丈二尺。反物の尺は、江戸初期まで曲尺(かねじゃく)を用い、のちに呉服尺・鯨尺を用いるようになった。また、長さは、統一されるまで変化が多かった。BCD〔省略〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又以藤判官代邦通、爲御使、被送長絹二十疋、紺絹三十於彼宿所《訓み下し》又藤ノ判官代邦通ヲ以テ、御使トシテ、長絹二十疋、紺ノ絹三十(タン)ヲ彼ノ宿所ニ送ラル。《『吾妻鏡文治元年九月一日の条》
 
 
2004年12月24日(金)曇り夜雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
黄草布(ワウサウフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「和」部に、「黄鐘調(シキデウ)」の語だけを収載し、標記語「黄草布」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「黄草布」と記載し、訓みは、山田俊雄藏本に「ワウ(サウフ)」、文明四年本に「ワウサウフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「黄草布」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「黄草布」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

黄草布(ワウサウフキ、クサ、ヌノ)[平・上・去] 冬色(ヤマフキイロ)布也。〔絹布門237二〕

とあって、標記語「黄草布」の語を収載し、語注記に「冬色(ヤマフキイロ)の布なり」と記載し、下記に示す真字本の語註記の末尾句と合致する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「黄草布」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

黄雜布(ワウザフフ) 。〔食服門66五〕

とあって、標記語「黄雜布」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「黄草布」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、広本節用集』の語注記は、真字本の末尾句に共通している。このことから、その両書の継承性が見て取れよう。また、易林本節用集』は、別体表記「黄雜布」を以て収載している点に留意したい。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

657并黄草布(キハタ/ワウサフフ)一二端 本草曰、花開。春開。則未名。只付。曰黄草。故(ヤマフキ)布也。〔謙堂文庫蔵五七右E〕

とあって、標記語「黄草布」の語を収載し、語注記は、「冬の註に『本草』に曰く、冬は冬も花開く。春も開く。則ち未だ名を知らず。只色に付き黄草と曰ふ。故に(ヤマフキ)色の布なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

黄草布(ワウサウフ)一二端(タン)上品 トハ。サイミ布()ノ。ウスクアラキ布(ヌノ)ナリ。〔下34オ五・六〕

とあって、同訓異語の標記語「黄草布を収載し、語注記は「さいみ布()の。うすくあらき布(ヌノ)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ならび)黄草布(わうさふ)一二端(いちにたん)黄草布一二端 黄草布を又黄雑布(わうさふふ)とも書さいミ布の事なり。一端ハ並の人壱人前の着丈(きたけ)也。又一反(いちたん)とも書。 人皇四十三代 元明天皇の和銅(わとう)七年より二丈六尺を一端と定め玉へり。〔87オ六〜87ウ一〕

とあって、この標記語「黄草布」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ならび)に黄草布(わうさふ)一二端(いちにたん)黄草布一二端▲黄草布ハ山吹(やまぶき)色の布(ぬの)也。〔64オ一、64オ七〕

(ならびに)黄草布(わうさふ)一二端(いちにたん)▲黄草布ハ山吹(やまぶき)色の布(ぬの)也。〔115オ一、115ウ三〕

とあって、標記語「黄草布」の語をもって収載し、その語注記は、「黄草布は、山吹(やまぶき)色の布(ぬの)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「黄草布」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「わうさう-〔名〕【黄草布】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「わうさう-〔名〕【黄草布】」の見出し語はなく、標記語「おうぞう-黄雑布】〔名〕黄色で織目のあらい布。また、その布で作った着物。新撰類聚往来(1492-1521頃)中「其俗服直垂(ひたたれ)<略>黄雑布(ワウサウフ)」易林本節用集(1597)「黄雑布 ワウザウフ」」で収載していて、それ故『庭訓徃來』及び真字註、広本節用集』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
花番羅(クワバンロ)」は、ことばの溜池(2000.08.15)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

花番羅(クハバンロ) ハ赤(アカ)キ羅也。〔下34オ五〕

とあって、同訓異語の標記語「花番羅を収載し、語注記は「赤き羅なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

花番羅(くハばんろ)花番羅 色赤き羅なり。〔87オ六・七〕

とあって、この標記語「結紋紗」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

花番羅(くハばんろ)花番羅▲花番羅ハ薄紅(うすくれない)色にて浮紋(うきもん)あるうすもの也。〔64オ一、64オ六〕

花番羅(くわばんろ)▲花番羅ハ薄紅(うすくれなゐ)色にて浮紋(うきもん)あるうすもの也。〔115オ一、115ウ二〕

とあって、標記語「花番羅」の語をもって収載し、その語注記は、「花番羅は、薄紅(うすくれなゐ)色にて浮紋(うきもん)あるうすものなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「花番羅」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「くゎばん-〔名〕【花番羅】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かばん-花番羅】〔名〕薄紅色で浮き紋のあるうすもの。庭訓往来(1394-1428頃)「方丈西堂者。綾紫小袖一重。素羅。青番羅<略>花番羅」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。※「苑」の字、「宛」の誤字歟。または、引用諸本(参考文献資料に所載の續群書類従)にこのような表記がなされているのか要注意。
[ことばの実際]
 
 
2004年12月23日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
顕紋紗(ケンモンシヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

顕紋紗(ケンモンシヤ) 浮紋。〔元亀二年本219五〕

顕紋紗(ケンモンシヤ) 浮紋。〔静嘉堂本250三〕

×〔天正十七年本〕

とあって、標記語「顕紋紗」の語を収載し、語注記に「浮紋有り」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本は、「結紋紗」と記載し、山田俊雄藏本・文明四年本が「顕紋紗」と記載する。訓みは後者の二本に「ケンモンシヤ」と記載されている。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「顕紋紗」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「顕紋紗」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

顕紋紗(ケンモンシヤ) 。〔食服門145二〕

とあって、標記語「顕紋紗」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』及び易林本節用集』に、標記語「顕紋紗」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、『運歩色葉集』の注記内容は、真字註に近く、その継承生を知るのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

655顕紋紗(−モンシヤ) 浮紋ノ紗也云々。〔謙堂文庫蔵五七右E〕

とあって、標記語「顕紋紗」の語を収載し、語注記は、「浮紋の紗なり云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

三法紗(サンバフシヤ)結紋紗(ケツモンシヤ) 何モ形(カタ)アルレヤ。〔下34オ五〕

とあって、同訓異語の標記語「結紋紗を収載し、語注記は「何も形(カタ)あるれや」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

三法紗(さんほうしや)結紋紗(けつもんしや)三法紗結紋紗 皆文(もん)からあるしや也。〔87オ六〕

とあって、この標記語「結紋紗」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さんぼふしや)顕紋紗(けんもんしや)三法紗顕紋紗▲顕紋紗ハ浮紋(うきもん)の紗也。〔63ウ八、64オ六〕

三法紗(さんぼふしや)顕紋紗(けんもんしや)▲顕紋紗ハ浮紋(うきもん)の紗也。〔114ウ六、115ウ二〕

とあって、標記語「顕紋紗」の語をもって収載し、その語注記は、「顕紋紗は、浮紋(うきもん)の紗なり」と記載する。このように、註釈書においても「結紋紗」にて収載する書と、「顕紋紗」で収載する書とに二分している。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「顕紋紗」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「けつ-もんしゃ〔名〕【結紋紗】」そして「けん-もんしゃ〔名〕【顕紋紗】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「けつ-もんしゃ〔名〕【結紋紗】」はなく、標記語「けんもん-しゃ顕紋紗】〔名〕紋紗の一種。紗の地に平織で文様を織り出したもの。けんもんさ。けもんさ。けんもさ。けんもん吾妻鏡-正嘉元年(1257)一〇月一日「大阿闍梨御布施<略>顕紋紗卅疋」*曾我物語(南北朝頃)三・母なげきし事「一万が装束には、精好(せいごう)の大口、けんもんしやの直垂をぞ着たりける」*義経記(室町中か)七・判官北国落の事「白き大口けんもんじやの直垂(ひたたれ)を著せ奉り」*運歩色葉集(1548)「顕紋紗 ケンモンシヤ 有浮紋歌舞妓年代記(19811-15)八・寛政六年「たれも白絽(しろろ)と顕紋紗(ケンモンシヤ)」」があって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大阿闍梨御布施、法服一具〈在革鞋、〉横被一帖、水精念珠一連〈在銀打枝、〉上童裝束二具、童裝束四具、被物卅重〈錦一重、織物九重、綾廿重〉錦裹物一〈納綾十具、〉精好絹卅疋、白綾卅疋、色々綾卅疋、(ケン)文紗(シヤ)卅疋、唐綾卅段、計帳卅端織筋卅端、紫染物三十端、紫村濃三十端絹村濃三十端、染付三十端、卷絹三十疋、帖絹三十疋、地白綾三十端、淺黄染綾三十段、色皮三十牧、〈已上納漆箱、付組結之〉白布三十段、藍摺卅段、香三百兩、綿三百兩、御馬十疋、供米廿石、御加布施銀劔一腰〈入錦袋、〉砂金百兩。《『吾妻鏡』正嘉元年十月一日の条》
 
 
2004年12月22日(水)曇り一時晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
三法紗(サバシヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

三法紗(ホウシヤ) 有龜松之三紋也。〔元亀二年本277九〕

三法紗 有亀松之三紋也。〔静嘉堂本317四〕

とあって、標記語「三法紗」の語を収載し、語注記に「龜・陰・松の三の紋有るなり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔至徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布二三端上品紬古([細布等])知事方素紗梅花并襖單衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔宝徳三年本〕

青番羅三法紗結紋紗花番羅并黄草布一二端上品細美等知事方者素紗梅花并襖単衫之絹花〓(糸+彦)木綿等各一配〔建部傳内本〕

青番羅(シンハンロ)花番羅(クハハンロ)三法紗(サハヽシヤ)顕紋紗(ケンモンシヤ)(ワウ)草布一二端(タン)上品(ツムキ)等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)(フスマ)単衫(タンザン)絹花〓(リン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(アテ)〔山田俊雄藏本〕

青番羅(セイハンロ)三法紗(シヤ)結紋紗花番羅并黄草布一二端(タン)上品細布(ホソヌノ)等知事方者()素紗(スシヤ)(モイ)花并襖単衫(アウタンサン)之絹花綾(クワレウノ)木綿(モメン)等各一(ツヽ)〔経覺筆本〕

青番羅(シンバンロ)三法紗(サンハヽシヤ)顯紋紗(ケンモンシヤ)花番羅(クワハンロ)黄草布(ワウサウフ)二三端(タン)上品紬古{〓(糸+貰)サイミ}等知事方ニハ者素紗(スシヤ)梅花(モイクワ)襖単衫(ワウタンサン)之絹(キヌ)花〓(クワリン)(糸+彦)木綿(モメン)等一(アテ)〔文明四年本〕 ※紗花(シヤクワ)。番羅(ハンロ)。端(ダン)素紗(スシヤ)。襖單(ワウタン)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「三法紗」と記載し、訓みは、経覺筆本に「(サハウ)シヤ」、山田俊雄藏本に「サハヽシヤ」、文明四年本に「サンハヽシヤ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「三法紗」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「三法紗」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に標記語「三法紗」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、語注記は、真字本の注記内容に類似するものとなっていることから、両書における継承性を此語をもって見ることができる。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

654三法紗(サバヾ) ニシテ亀鶴松之三アリ。〔謙堂文庫蔵五七右D〕

とあって、標記語「三法紗」の語を収載し、語注記は、「地は、紗にして上に亀・鶴・松の三つあり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

三法紗(サンバフシヤ)結紋紗(ケツモンシヤ) 何モ形(カタ)アルレヤ。〔下34オ五〕

とあって、同訓異語の標記語「三法紗を収載し、語注記は「何も形(カタ)あるれや」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

三法紗(さんほうしや)三法紗結紋紗 皆文(もん)からあるしや也。〔87オ六〕

とあって、この標記語「三法紗」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さんぼふしや)顕紋紗(けんもんしや)三法紗顕紋紗▲三法紗ハ地紋(ぢもん)の上にI(つる)(かめ)(まつ)三ツの紋(もん)ある紗(しや)也と古抄にいへり。〔63ウ八、64オ六〕

三法紗(さんぼふしや)顕紋紗(けんもんしや)▲三法紗ハ地紋(ぢもん)の上にI(つる)(かめ)(まつ)三ツの紋(もん)ある紗(しや)也と古抄にいへり。〔114ウ六、115ウ一・二〕

とあって、標記語「三法紗」の語をもって収載し、その語注記は、「三法紗は、地紋(ぢもん)の上にI(つる)・龜(かめ)・松(まつ)三ツの紋(もん)ある紗(しや)なりと古抄にいへり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「三法紗」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「さんぼう-しゃさんば-しゃ〔名〕【三法紗】」の語は未収載にする。依って『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
青番羅(セイハンロ・シンハンロ)」は、ことばの溜池(2000.08.05)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

青番羅(シンバンロ) トハ。青(アヲ)キ羅()也。〔下34オ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「青番羅を収載し、語注記は「青(アヲ)き羅()なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

青番羅(しんばんろ)青番羅 色青き羅なり。〔87オ五・六〕

とあって、この標記語「青番羅」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

青番羅(しんばんろ)青番羅▲青番羅ハ青色(あをいろ)有紋(うもん)のうすもの也。〔63ウ八、64オ六〕

青番羅(しんばんろ)▲青番羅ハ青色(あをいろ)有紋(うもん)のうすもの也。〔114ウ六、115ウ一〕

とあって、標記語「青番羅」の語をもって収載し、その語注記は、「青番羅は、青色(あをいろ)有紋(うもん)のうすものなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「青番羅」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せい-ばんろ〔名〕【青番羅】青色にして、紋ある羅(うすもの)庭訓往來、十月「素羅、青番羅運歩色葉集青番羅、青地之上、同色之紋在之」〔1087-5〕

とあって、標記語「せい-ばんろ〔名〕【青番羅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しん-ばんろ青番羅】〔名〕「せいばんろ(青番羅)」に同じ」→「せい-ばんろ青番羅】〔名〕青色で、模様のついた、薄い織物。しんばんろ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。他に『運歩色葉集』、そして『桂川地藏記』(1416頃)上「絹布の類ひには<畧>青番羅」を記載する。
 
 
2004年12月21日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
素羅(スロ・ソロ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部、「楚」部ともに、標記語「素羅」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

方丈西堂者綾紫小袖一重宛素羅〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

長老西堂()綾紫小袖一重充(アテ)素羅(スロ)〔山田俊雄藏本〕

方丈西堂者()(アヤ)小袖一重充(ツヽ)素羅(スロ)〔経覺筆本〕

方丈(ホウシヤウ)西堂(せイタウ)者綾紫(アヤムラサキノ)小袖一重(カサネ)(アテノ)素羅(スロ)〔文明四年本〕 ※方丈(ホウシヤウ)。西堂(せイタウ)(アテノ)素羅(スロ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本が「素羅」と記載し、経覺筆本は、「愚意」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「素羅」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「素羅」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

素羅(スロ・シロシ、・ウスモノ)[去・平] 無紋(ムモン)(ニシテ)白地(シロチナリ)。自(ヨリ)(ソハ)(ミレハ)(アル)紋也。〔絹布門1124七〕

とあって、標記語「素羅」の語を収載し、語注記に「無紋(ムモン)にして白地(シロチ)なり。側(ソハ)より見()れば紋有(アル)なり」と記載し語注記の前半部は、下記に示す真字本の注記内容に共通する。そして、後半部の「側(ソハ)より見()れば紋有(アル)なり」は増補注記となっている。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「素羅」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「素羅」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、語注記は、広本節用集』と前半部が共通していることで、その継承性が指摘できるのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

652一重充(ツヽ)素羅(スロ) 紋而白地也。〔謙堂文庫蔵五七右C〕

とあって、標記語「素羅」の語を収載し、語注記は、「紋なくして白地なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

方丈(ホウヂヤウ)西堂(せイタウ)()(アヤ)(ムラサキ)小袖(コソデ)一重(ヒトカサネ)(アテ)素羅(ソロ) 方丈トハ。衆僧ノ頭(カシラ)也。此等ノ人ニハ。位ノ有ハ綾(アヤ)(ムラサキ)ヲ著(チヤク)ス也。素羅(ソロ)青番(シンバン)羅花(ロクハ)番羅(バンロ)三法(サバ)紗顕(シヤケン)紋紗(モンシヤ)ナンドヲメスナリ。〔下34オ三・四〕

とあって、同訓異語の標記語「素羅を収載し、語注記は未記載にする。また、この資料あたりから、その訓みを「スロ」から「ソロ」と変じて記載している。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

素羅(そろ)素羅 色白き羅なり。〔87オ五〕

とあって、この標記語「素羅」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

方丈(はうぢやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさき)小袖(こそで)一重(ひとかさね)宛(あて)素羅(そろ)方丈西堂者綾紫小袖一重宛素羅▲素羅ハ白地(しろぢ)無紋(むもん)のうすもの也。〔63ウ八、64オ五・六〕

方丈(ほうじやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさきの)小袖(こそで)一重(ひとかさね)(あて)素羅(そろ)▲素羅ハ白地(しろぢ)無紋(むもん)のうすもの也。〔114ウ六、115ウ一〕

とあって、標記語「素羅」の語をもって収載し、その語注記は、「素羅は、白地(しろぢ)無紋(むもん)のうすものなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suro.スロ(素羅) 紋織りにした白絹で作った単(ひとえ)の着物の一種.〔邦訳591l〕

とあって、標記語「素羅」の語の意味は「紋織りにした白絹で作った単(ひとえ)の着物の一種」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-〔名〕【素羅】」、「-〔名〕【素羅】」の語とも未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-素羅】〔名〕(「ろ」は「羅」の唐音)無紋で白地の絹布。温故知新書(1484)「素羅(スロ)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例、そして広本節用集』、『日葡辞書』などについては未記載となっている。
[ことばの実際]「近畿稀少名字一覧」に人の苗字として「素羅(すら)」の語が収載されている。
 
 
2004年12月20日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
一重(ひとかさね)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「比」部に、

一重() 。〔元亀二年本345九〕〔静嘉堂本415八〕

とあって、標記語「一重」の語を収載し、訓みは「(ひと)え」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

方丈西堂者綾紫小袖一重宛素羅〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

長老西堂()綾紫小袖一重(アテ)素羅(スロ)〔山田俊雄藏本〕

方丈西堂者()(アヤ)小袖一重(ツヽ)素羅(スロ)〔経覺筆本〕

方丈(ホウシヤウ)西堂(せイタウ)者綾紫(アヤムラサキノ)小袖一重(カサネ)(アテノ)素羅(スロ)〔文明四年本〕 ※方丈(ホウシヤウ)。西堂(せイタウ)(アテノ)。素羅(スロ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本が「一重」と記載し、経覺筆本は、「愚意」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一重」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「一重」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

一重(ヒトカサネイチチヨウ・シケシ)[入・去] 小袖――。〔數量門1037二〕

とあって、標記語「一重」の語を収載し、語注記に「小袖一重」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「一重」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

一重(ヂウ) 。〔伊部・言語門6七〕

とあって、伊部の標記語として「一重」で「(イチ)ヂウ」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「一重(ヒトカサネ)」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

652一重(ツヽ)素羅(スロ) 紋而白地也。〔謙堂文庫蔵五七右C〕

とあって、標記語「一重」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

方丈(ホウヂヤウ)西堂(せイタウ)()(アヤ)(ムラサキ)小袖(コソデ)一重(ヒトカサネ)(アテ)素羅(ソロ) 方丈トハ。衆僧ノ頭(カシラ)也。此等ノ人ニハ。位ノ有ハ綾(アヤ)(ムラサキ)ヲ著(チヤク)ス也。素羅(ソロ)青番(シンバン)羅花(ロクハ)番羅(バンロ)三法(サバ)紗顕(シヤケン)紋紗(モンシヤ)ナンドヲメスナリ。〔下34オ三・四〕

とあって、同訓異語の標記語「一重を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

綾紫(あやむらさき)小袖(こそで)一重(ひとかさね)宛(あて)綾紫小袖一重上着(うハき)下着(したき)侍りたるを一重と云。〔87オ四〕

とあって、この標記語「一重」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

方丈(はうぢやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさき)小袖(こそで)一重(ひとかさね)宛(あて)素羅(そろ)。/方丈西堂者綾紫小袖一重宛素羅。〔63ウ八〕

方丈(ほうじやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさきの)小袖(こそで)一重(ひとかさね)(あて)素羅(そろ)。〔114ウ五〕

とあって、標記語「一重」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Fitocasane.ヒトカサネ(一重ね) 小袖(Cosondes)であれ,帷子(Catabiras)であれ,ともかく着物を対(つい)で数える場合,物を書きつけたり,物を載せたり,物を包んだりするための紙の枚数を対で数える場合の言い方.〔邦訳246r〕

とあって、標記語「一重」の語の意味は「小袖(Cosondes)であれ,帷子(Catabiras)であれ,ともかく着物を対(つい)で数える場合,物を書きつけたり,物を載せたり,物を包んだりするための紙の枚数を対で数える場合の言い方」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ひと-かさね〔名〕【一重】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ひと-かさね一重一襲】〔名〕@一つに重ねたもの。また、いくつかに重ねてある物の一つ。*御伽草子・物くさ太カ(室町末)「かみ一かさねをたけにはさみ」*説教節・をくり(御物絵巻)(17C中)四「こうばひだんしの、ゆきのうすやう、ひとかさね、ひきやはらげ」*随筆・松屋筆記(1818-45頃)九二・八四「紙一帖をひとかさねといふ」A襲(かさね)のひとそろい。また、女房・童・僧などの装束の上下ひとそろい。多武峰少将物語(10c中)「中宮より、くるみ色の御直垂、くちなし染のうちきひとかさね」*宇津保物語(970-999頃)吹上上「かづけ物ども女のよそひひとかさねづつまうけたり」*申楽談義(1430)序「練貫を一かさね、同じ前に着て、墨染の絹の衣に」B二つでそろいになる物のひとそろい。女重宝記(元禄五年)(1692)一・五「二つを、一(ヒト)かさね」*夜明け前(1932-35)<島崎藤村>第一部・下・一二・六「祝ひの供餅一重(ヒトカサネ)をお粂や宗太への土産に呉れた」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
施物等、被物一重邦通、奉行之。《訓み下し》施物等ハ、被物一重(カサネ)。邦通、之ヲ奉行ス。《『吾妻鏡』文治二年正月八日の条》
 
 
小袖(こそで)」は、ことばの溜池「筋小袖」(2003.02.27)を参照。
 
2004年12月19日(日)曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
綾紫(あやむらさき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、標記語「綾紫」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

方丈西堂者綾紫小袖一重宛素羅〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

長老西堂()綾紫小袖一重充(アテ)素羅(スロ)〔山田俊雄藏本〕

方丈西堂者()(アヤ)小袖一重充(ツヽ)素羅(スロ)〔経覺筆本〕

方丈(ホウシヤウ)西堂(せイタウ)綾紫(アヤムラサキノ)小袖一重(カサネ)(アテノ)素羅(スロ)〔文明四年本〕 ※方丈(ホウシヤウ)。西堂(せイタウ)(アテノ)。素羅(スロ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「綾紫」と記載し、訓みは、経覺筆本に「あや(むらさき)」文明四年本に「あやむらさき」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「綾紫」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「綾紫」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「綾紫」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

651西堂者(アヤ)小袖 紫色高位定亊自黄帝。委在釈氏。〔謙堂文庫蔵五七右C〕

とあって、標記語「綾紫」の語を収載し、語注記は、「紫色は、高位を定むる亊、黄帝より始まる。委しくは、『釋氏(要覽)』に在り」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

方丈(ホウヂヤウ)西堂(せイタウ)()(アヤ)(ムラサキ)小袖(コソデ)一重(ヒトカサネ)(アテ)素羅(ソロ) 方丈トハ。衆僧ノ頭(カシラ)也。此等ノ人ニハ。位ノ有ハ綾(アヤ)(ムラサキ)ヲ著(チヤク)ス也。素羅(ソロ)青番(シンバン)羅花(ロクハ)番羅(バンロ)三法(サバ)紗顕(シヤケン)紋紗(モンシヤ)ナンドヲメスナリ。〔下34オ三・四〕

とあって、同訓異語の標記語「綾紫を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

綾紫(あやむらさき)小袖(こそで)一重(ひとかさね)宛(あて)綾紫小袖一重宛 上着(うハき)下着(したき)侍りたるを一重と云。〔87オ四・五〕

とあって、この標記語「綾紫」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

方丈(はうぢやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさき)小袖(こそで)一重(ひとかさね)宛(あて)素羅(そろ)。/方丈西堂者綾紫小袖一重宛素羅。▲紫ハ禁色(きんしよく)といふ高位(かうゐ)の服(ふく)也。〔63ウ七・八、64オ五〕

方丈(ほうじやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさきの)小袖(こそで)一重(ひとかさね)(あて)素羅(そろ)。▲紫ハ禁色(きんしよく)といふ高位(かうゐ)の服(ふく)也。〔114ウ五、115ウ一〕

とあって、標記語「綾紫」の語をもって収載し、その語注記は、「紫は、禁色(きんしよく)といふ高位(かうゐ)の服(ふく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「綾紫」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「あや-むらさき〔名〕【綾紫】」の語は未収載にする。そして単に、

むら-さき〔名〕【】(二){七色の一。紫草の根皮にて染む。赤と青との關F。紫。(支那にて、古く紫()と云へるは、赤色の濃きもの。今云ふ眞紅(シンク)なり。論語、陽貨篇に「惡紫之奪レ一朱」と見えたり。天武天皇の御宇、遣唐使たる粟田眞人は、正四位下にして深緋袍なりしを、唐書に、紫袍を着たりと記せり。達磨の圖に其被りたる衣の赤色なるは、梁の武帝の贈れる紫衣なり。これにて、古への紫は、赤きを云ふ證とすべし。後には、Kみ深きを、古代紫と呼ぶ)萬葉集、七33「の、絲をぞ吾がよる、あしびきの、山橘を、ぬかむと思ひて」拾遺集、七、物名「の、色には咲くな、武蔵野の、草のゆかりと、人もこそ知れ」〔1975-5〕

とあって、標記語「むら-さき〔名〕【】」の語にてのみ収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あや-むらさき綾紫】〔名〕」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
香呂筥〈以綾紫絹等作之〉《訓み下し》香呂筥〈(アヤ)ノ紫(ムラサキキヌ)等ヲ以テ之ヲ作ル〉《『吾妻鏡』建久五年十二月二十六日の条》
 
 
方丈(ホウヂヤウ)」は、ことばの溜池「方丈」(2000.12.09)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

方丈(ホウヂヤウ)西堂(せイタウ)()(アヤ)(ムラサキ)小袖(コソデ)一重(ヒトカサネ)(アテ)素羅(ソロ) 方丈トハ。衆僧ノ頭(カシラ)也。此等ノ人ニハ。位ノ有ハ綾(アヤ)(ムラサキ)ヲ著(チヤク)ス也。素羅(ソロ)青番(シンバン)羅花(ロクハ)番羅(バンロ)三法(サバ)紗顕(シヤケン)紋紗(モンシヤ)ナンドヲメスナリ。〔下34オ三・四〕

とあって、同訓異語の標記語「方丈を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(そも/\)調菜人(てうさいにん)等の事(とう こと)(しかる)()(じん)(なく)候ふ之際(あいた)(ほゞ)愚才(ぐさい)に任(まか)せ注進(ちうしん)せ令()め候方丈西堂者。方丈ハ元三山(もとさん/\)の一(いつ)なり。三山とハ蓬莱(ほうらい)方丈(ほうしやう)瀛州(ゑいしう)の三ツを云。皆仙人(せんにん)の居る所なり。この山の名を仮(かり)(もち)ひた住持(ちうじ)の居る所を方丈と云。又其居る所の名を称(せう)してそれを呼ふの号()とせし也。〔86ウ五〕

とあって、この標記語「方丈」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

方丈(はうぢやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさき)小袖(こそで)一重(ひとかさね)宛(あて)素羅(そろ)。/方丈西堂者綾紫小袖一重宛素羅。▲方丈ハ西域(せいいき)維摩居士(ゆいまこし)の石室(せきしつ)(はう)一丈ありしより起(おこり)てすべての住持(ぢうじ)の僧(そう)()る所の室(いま)の名()とす。又自(ミづから)(てん)じて住持(ぢうぢ)長老(ちやうらう)の稱(しよう)に用ゆ。〔63ウ七、64オ四・五〕

方丈(ほうじやう)西堂(さいだう)()綾紫(あやむらさきの)小袖(こそで)一重(ひとかさね)(あて)素羅(そろ)。▲方丈ハ西域(せいいき)維摩居士(ゆゐまこじ)の石室(せきしつ)(はう)一丈ありしより起(おこり)てすべての住持(ぢうじ)の僧(そう)()る所の室(いま)の名()とす。又自(ミづから)(てん)じて住持(ぢうぢ)長老(ちやうらう)の稱(しよう)に用ふ。〔114ウ五、115オ五〕

とあって、標記語「方丈」の語をもって収載し、その語注記は、「方丈は、西域(せいいき)維摩居士(ゆゐまこじ)の石室(せきしつ)(はう)一丈ありしより起(おこり)てすべての住持(ぢうじ)の僧(そう)()る所の室(いま)の名()とす。また、自(ミづから)(てん)じて住持(ぢうぢ)長老(ちやうらう)の稱(しよう)に用ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

IIen.ホウヂャウ(方丈) .〔邦訳r〕

とあって、標記語「方丈」の語の意味は「前に」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はう-ぢゃう〔名〕【方丈】〔縱横共に一丈なる意。釋氏要覽、上「唐、王玄策、徃西域、云云、維摩居士宅、云云、躬以手板、縱横量之、得十笏、故號方丈」(笏、尺也)〕(一)一丈四方なること。孟子、盡心、下篇「食前方丈、侍妾數百人」方丈記「其家ノ有樣、世ノ常ニモ似ズ、廣サハ僅ニ方丈、高サハ七尺ガ内ナリ」(二)轉じて、寺の長老の居る所の稱。寺院の正寢。傳燈録、羅門規式「長老既爲化主、即處方丈、同淨名之室、非私寢之室也」謡曲、東北「あの方丈は和泉式部の御休所にて候ふか」好色五人女(貞享、西)四「方丈に行きて見れども、彼の兒人の寢姿見えねば」(三)又、轉じて、其所に住む人の稱。住持。住職。白居易詩方丈若能來問疾」〔1560-3〕

とあって、標記語「ほう-ぢゃう〔名〕【方丈】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-じょう方丈】[一]〔名〕@一丈(約三・〇三b)四方。畳四畳半の広さ。また、その広さの部屋。A(「孟子-尽心下」の「食前方丈、侍妾數百人、我得志弗為也」から)一丈四方の広さにならべられた食物。ぜいたくな食事。B仏語。イ維摩経の主人公である維摩居士が、方丈の室中に八万四千の獅子座を容ると」ロ転じて、一丈四方の僧のへや。住職の居間。ハさらに転じて、寺の住職。住持。また、仏教の師の敬称としてもいう。方丈和尚。[二]三神山の一つ。中国で、東方海上にある神仙が住んでいるとされた想像上の山。方壺(ほうこ)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
 
 
2004年12月18日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→Piazza Trinta dei Monti,Galleria Nazionale D'Arte Moderna
愚才(グサイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「愚癡(グチ)。愚鈍(ドン)。愚蒙(モウ)。愚者(シヤ)。愚案(アン)。愚慮(リヨ)。愚僧(ソウ)。愚意()。愚息(ソク)。愚拙(せツ)。愚札(サツ)。愚書(シヨ)。愚詠(エイ)。愚報(ホウ)。愚人(ニン)。愚心(シン)。愚讀(クンノヨミ)」の十七語を収載し、標記語「愚才」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御札之旨大齊之躰心事難申盡候調菜人等事無可然之候間粗任愚才令注進候御布施物之事被物録物等可被略之歟〔至徳三年本〕

御札之旨大齋之躰心事難申盡候調菜人等事無可然之候際粗任愚才令注進候御布施物事被物禄物等可被略候歟〔宝徳三年本〕

御札之旨大齊之躰心事難申盡候調菜人等事無可然候之間粗任愚才令註進候御布施物事被物禄物等可被略之歟。〔建部傳内本〕

御札(ギヨサツ)()旨承候畢大齊事心事難申盡調菜人等候之間粗(ホヽ)愚才注進御布施物事被物(フツ)禄物等可。〔山田俊雄藏本〕

御札之旨大齋之躰心事難申尽(ソモ/\)調菜人等事无間粗(ホヽ)愚意註進候御布施物之事被(ヒ)物禄物等可之候歟。〔経覺筆本〕

御札(ケサツ)之旨大齊(タイサイ)()躰心事難申盡調菜人等事無可候間粗(ホヽ)愚才令注進候御布施物事被()(フツ)禄物等可(ヘキ)(リヤク)候歟()。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本が「愚才」と記載し、経覺筆本は、「愚意」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「愚才」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「愚才」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「愚才」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

650御札之旨委細承候大齊之体心亊難申尽調菜人等无然器用間粗任愚才令註進候御布施物之亊被(ヒ)物禄物等可之候歟方丈(−チヤウ) 々々蓋寺院正寝也。釈氏要覧曰、維摩東北四里許維摩居士宅示之室遺北畳石為之王策躬以手板縦横量之得十笏ヲ|。故方丈。〔謙堂文庫蔵五六左H〕

とあって、標記語「愚才」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御札(キヨサツ)之旨(ムネ)委細(イサイ)候大齊(サイ)()(テイ)心事難(カタク)(ツクシ)(ソモ/\)調菜(テウサイ)人等事無候之際(アヒタ)(ホヽ)愚才(グサイ)(チウ)(シン)御布施物(ふせノ)之亊被物(ヒブツ)禄物(ロクモツ)等可(ラル)(リヤクせ) 大齊トハ。大ニ営ム事ナリ。〔下33ウ八〜34オ一〕

とあって、同訓異語の標記語「愚才を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(そも/\)調菜人(てうさいにん)等の事(とう こと)(しかる)()(じん)(なく)候ふ之際(あいた)(ほゞ)愚才(ぐさい)に任(まか)せ注進(ちうしん)せ令()め候調菜人等事候之際粗任愚才注進〔86ウ五〕

とあって、この標記語「愚才」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御札(ぎよさつ)()(むね)大齊(だいさい)()(てい)心事(しんじ)(まを)し盡(つく)し難(がた)く候(さふら)ふ。(そも/\)調菜人(てうさいにん)等の事(とう こと)(しかる)()(じん)()く候(さふら)ふ之()(あひだ)(ほゞ)愚才(ぐさいに)に任(まか)せ注進(ちうしん)せ令()め候(さふら)ふ。御(おん)布施(ふせ)(もつ)の事(こと)被物(ひもつ)禄物(ろくもつ)(とう)(これを)を略(りやく)せら被()()き歟()御札之旨大齊之躰心事難調菜人等之際粗任愚才注進御布施物被物禄物等セラ。〔63ウ五〕

御札(ぎよさつ)()(むね)大齊(だいさい)()(てい)心事(しんじ)(かたく)(まうし)(つくし)(さふらふ)(そも/\)調菜人(てうさいにん)等事(とうのこと)(なく)(べき)(しかる)(じん)(さふらふ)()(あひだ)(ほゞ)(まかせ)愚才(ぐさいに)(しめ)注進(ちうしんせ)(さふらふ)(おん)布施(ふせ)(もつの)(こと)被物(ひもつ)禄物(ろくもつ)(とう)(べき)()(りやくせら)(これを)()。〔114ウ二〕

とあって、標記語「愚才」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「愚才」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-さい〔名〕【愚才】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さい愚才】〔名〕おろかな才。また、自分の才能をへりくだっていう語。庭訓往來(1394-1428頃)「粗任愚才注進候」*滑稽本・七偏人(1857-63)四・序「余は青皮の、むけぬ愚才の竹奴、矢竹ごころにはやれども」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
 
2004年12月17日(金)雨後薄晴れ虹。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
禅師(ゼンジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

×〔元亀二年本、脱落語〕

禅師 。〔静嘉堂本426六〕

とあって、静嘉堂本に標記語「禅師」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十月三日の状に、

進上衣鉢侍者禅師〔至徳三年本〕

進上衣鉢侍者禅師〔宝徳三年本〕

進上衣鉢侍者禅師〔建部傳内本〕

進上衣鉢侍者禅師〔山田俊雄藏本〕

進上衣鉢侍者禅師御寮〔経覺筆本〕

進上衣鉢(イフ)侍者禅師御寮〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「禅師」と記載する。ここで此語の後に「御寮」なる語を付加するのは経覺筆本と文明四年本に記載がある。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「禅師」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「禅師」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

禅師(ゼン・ユツル、シヅカ、ヲシヱ)[去・平] 文殊云、於一切。一行思量所謂不生。如ナルヲ――釋氏要覧〔官位門1083七〕

とあって、標記語「禅師」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「禅師」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

禪師(ぜンジ) ―衲(ナフ)―僧(ソウ)―律(リツ)―客(カク)―宗(シウ)―門(モン)。〔人倫門233七〕

とあって、標記語「禪師」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「禅師」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

649進上衣鉢侍者禅師 方廣語云禅師其枢要心源如来云也。〔謙堂文庫蔵五六左G〕

とあって、標記語「禅師」の語を収載し、語注記は「『方廣語』に云く、禅師は、其の枢要に拠りて、直に心源を了ぬ頓に如来を見奉るを云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

進上衣鉢侍者禅師〔下33ウ六〕

とあって、同訓異語の標記語「禅師を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

進上 衣鉢(えはつ)の侍者(じじや)禪師(ぜんじ)御寮(ごりやう)進上衣鉢侍者禅師御寮。禅師とハあかめたる詞なり。儒家(しゆか)にていはゝ何(なに)先生(せんせい)なとゝいふに同し。俗に様(さま)殿(との)なとゝいふこゝろなり。御寮ハ侍者の居る所也。御舘なとゝ申に同し。先方を直に斥(さゝ)ずしてその居る所をさすハ是亦あかめたるなり。〔86オ八〜86ウ二〕

とあって、この標記語「禅師」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

進上(しんじやう)衣鉢(えふ)の侍者(ぢしや)禪師(ぜんじ)御寮(ごりやう)進上衣鉢侍者禅師御寮▲禅師ハ先方(さきかた)を尊(たつと)びいへるのミ。〔63ウ二・三〕

進上(しんしやう) 衣鉢(えふの)侍者(じしや)禅師(ぜんじ)御寮(ごりやう)▲禅師ハ先方(さきかた)を尊(たつと)びいへるのミ。〔114オ三〕

とあって、標記語「禅師」の語をもって収載し、その語注記は、「禅師は、先方(さきかた)を尊(たつと)びいへるのみ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ienxi.ゼンシ(禅師) 禅宗僧(Ienxus)の師.〔邦訳358r〕

とあって、標記語「禅師」の語の意味は「禅宗僧(Ienxus)の師」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぜん-〔名〕【禅師】〔又、ぜじ〕(一){僧の職、宮中の内道塲に奉仕するもの、十人あり、十禪師と云ふ、後に、内供奉十禪師と云ふ。(内供奉(ナイグブ)の條を見よ)。續日本記、三十三、寳龜三年四月、道鏡「入内道塲、列爲禪師、三十二、寳龜三年三月「當時稱爲禪師、其後有闕、擇清行者之」(二)禪定を修する法師の稱。善住意天子所問經禪師者、於一切法、一行思量、所謂不生、若如是知、得禪師(三){泛く、法師の稱。續日本記、十九、天平勝寳八年四月「遣醫師、禪師、官人、各一人、於左右京、四畿内伊勢物語、八十四段「俗なる、ぜんじなる、あまた參り集りて」源氏物語、十五、蓬生05「ただ御兄(せうと)禪師の君ばかりぞ」(四)天子より、高コの禪僧に賜はる稱號。元亨釋書、六、釋道驕u府奏乞諡、賜大覺禪師、本朝禪師之號、始也」後世は妄りに、自らも稱す。〔1123-4〕

とあって、標記語「ぜん-〔名〕【禅師】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぜん-禅師】〔名〕(古くは「ぜんし」「せんじ」とも)@禅定(ぜんじょう)に通達した僧。法師・律師に対していう。また、古代、宮中の内道場に奉仕した一〇人を、内供奉(ないぐぶ)十禅師という。A高徳の禅僧に朝廷から賜わる称号。禅師号。B禅定を修する僧。転じて一般に、法師のこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今更所非本懷也者景親伏理歸去之後、入夜、定綱、盛綱高綱等、出筥根深山之處、行逢醍醐禪師全成、相伴之到于重國澁谷之舘《訓み下し》今更本懐ニ非ル所ナリ、テイレバ景親理ニ伏シテ帰リ去ルノ後、夜ニ入テ、定綱、盛綱。高綱等、箱根ノ深山ヲ出ヅルノ処ニ、醍醐ノ禅師(ゼンジ)全成ニ行キ逢ウテ、之ト相ヒ伴ウテ重国ガ渋谷ノ館ニ到ル。《『吾妻鏡』治承四年八月二十六日の条》
 
 
進上(シンジヤウ)」は、ことばの溜池(2001.07.03)を参照
衣鉢(エハチ)」は、ことばの溜池(2004.10.04)を参照
侍者(ジシヤ)」は、ことばの溜池(2004.04.30)を参照
 
2004年12月16日(木)薄晴れ後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
十月(ジフグワツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

十月 應鐘初冬孟冬小春神無月諸~皆集出雲大社也。出雲ハ者~在ル月。〔元亀二年本329七〕

十月 應鐘初冬孟冬小春神無月、諸~皆集出雲大社故云也。出雲者神在月。〔静嘉堂本391五〕

とあって、標記語「十月」の語はを収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

十月三日  沙弥〔至徳三年本〕

十月三日  沙弥〔宝徳三年本〕

十月三日  沙弥〔建部傳内本〕

十月三日  沙弥〔山田俊雄藏本〕

十月三日  沙弥〔経覺筆本〕

十月三日  沙弥〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「十月」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「十月」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「十月」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

十月(ジフグワツトヲ、ゲツ・ツキ)[入・入] 斗建亥月令注――之辰日在房{尾イ}月令注孟冬――。亊林廣記云、十月一日。宰臣已下受衣著錦襖云士庶民出城享墳禁中車馬出道院。及西京朝陵宗室車馬亦如寒食節有司進爐民間皆作爐會。異名、下元十五日也。應鐘月令孟冬候中――。良月漢十月為――。吉月漢書ハ陽明為――。應陽十月万物――。始氷月令注水――。納禾詩十月――。小春詩十月――梅蘂綻。陽月暮要孟冬日――。孟冬。初冬。玄冬。夾月。霜朝。寒雨。雪納。稼開爐一日也。重衾。旦月。玄冥。霜寒。始至。雪冷。薄寒。開冬。玄英。卜養。~無月。早月。閉塞。六陰。陰月。〔時節門911二〕

とあって、標記語「十月」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本節用集』には、

十月 應鐘孟冬玄冬陽月陰天玄英小春良月上冬應陽夾月。〔・月異名2四〕十十月奉行人 同前 同行国 備前。〔・後鳥羽院御宇鍛冶結番次第284二〕

とあって、標記語「十月」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

(ジフ) 孟冬(トウ)()(トウ)玄英(ケンエイ)/小春(せウシユン)。陽月(ヤウゲツ)。應鐘(ヲウせウ)〔數量門211三〕

とあって、標記語「十月」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「十月」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

648十月三日 亥日群忌隆集曰、十月亥子作餅食令人无尺素云。亥児舂(ツキ)十月神示。〔謙堂文庫蔵五六左F〕

とあって、標記語「十月」の語を収載し、語注記は「亥の日、『群忌隆集』に曰く、十月の亥の子、餅を作くりこれを食す、人を无病ならしむ。『尺素(徃來)』云く。亥の児の舂(つき)餅は、十月の神示」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

十月三日  沙弥(シヤミ)〔下33ウ六〕

とあって、同訓異語の標記語「十月を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

十月三日  沙弥(しやミ)十月三日  沙弥〔86オ七〕

とあって、この標記語「十月」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

十月(じふぐハつ)三日(ミつか)  監守(かんす)十月三日  監守。〔63オ一〕

十月(じふぐわつ)三日(ミつか)  監守(かんす)。〔113オ二〕

とあって、標記語「十月」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Iu<guat.ジフグヮツ(十月) →Conofazzuqi.〔邦訳371l〕

‡Iu<guachi.ジフグヮチ(十月) →Caminazzuqi.〔邦訳371l〕

とあって、標記語「十月」の語の意味は「→Conofazzuqi」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じふ-ぐゎつ〔名〕【十月】年の、第十にあたる月。~無月(かみなづき)。小春(こはる)。陽月。應鐘。〔0922-4〕

とあって、標記語「じふ-ぐゎつ〔名〕【十月】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じゅう-がつ十月】〔名〕年の第一〇番目の月。陽暦では秋の末。陰暦では冬の第一月。かみなづき。小春。陽月。じゅうがち。《季・秋(陰暦では冬)》」→「じゅう-がち十月】〔名〕「じゅうがつ(十月)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爲景義奉行、去十月有事始、營作于大倉郷也《訓み下し》景義奉行トシテ、去ヌル十月ニ事始有ツテ、大倉ノ郷ニ営作スルナリ。《『吾妻鏡治承四年十二月十二日の条》
 
 
監寺(カンゾ)」は、ことばの溜池(2004.09.16)を参照。
 
2004年12月15日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
恐惶(キヨウクワウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

恐惶(クワウ) 。〔元亀二年本215五〕〔天正十七年本中52オ三〕

恐惶(ケウクワウ) 。〔静嘉堂本245六〕

とあって、標記語「恐惶」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

毎事期参拝之時候恐惶敬白〔至徳三年本〕

毎事期參拝之次候恐惶敬白〔宝徳三年本〕

毎事期参拝之次候恐惶謹言〔建部傳内本〕

毎事期参拝之次恐惶謹言〔山田俊雄藏本〕

毎事期参拝之次恐惶謹言〔経覺筆本〕

毎事期(ゴス)参拝之次恐々敬白〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本が「恐惶」と記載し、文明四年本だけが江戸期の諸註釈と同じく「恐々」と記載する。次の「敬白」としている古写本は至徳三年本・宝徳三年本・文明四年本の三本で、他古写本は「謹言」とする。真字本も「敬白」としている点で上記古写本との連関性を有していることに留意しておきたい。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「恐惶」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「恐惶」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

恐惶謹言(キヨウクワウツヽシンテマウスヲソレ、ヲノヽク、―、イフ)[去・○・去・平] 。〔態藝門829二〕

とあって、標記語「恐惶」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

恐惶(ケウクハウ)(ツヽシンテ)(マウス) 。〔・言語進退門177三〕恐惶(キヤウクワウ)謹言 。〔・言語進退門223七〕

恐恨(ケウコン) ―惶(クハウ)―怖()――(ケウ/\)―鬱(ウツ)―悦(エツ)。〔・言語門144五〕

恐恨(ケウコン) ―惶―怖。/―鬱―悦。〔・言語門134二〕

とあって、弘治二年本に標記語「恐惶謹言」を収載し、他本は「恐恨」の語の熟語群に「恐惶」を収載する。また、易林本節用集』に、

恐惶(キヨウクワウ)(ツヽシンテ)(マフス) 。〔言辞門191六〕

とあって、標記語「恐惶謹言」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「恐惶」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下品諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)ノ之僧亊无相違(サヲイ)御許容者畏入候毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「恐惶」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

恐々謹言〔下33ウ五〕

とあって、同訓異語の標記語「恐々を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

毎事(まいじ)参入(さんにう)の次(つゐで)を期()恐々謹言毎事期参入之次恐々謹言〔85ウ七〕

とあって、この標記語「恐々」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

諸事(しよじ)()才覺(さいかく)()(ほか)(たの)む所(ところ)()し心底(しんてい)を貽(のこ)さ不()(これ)を示(しめ)さ被()()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かね)て又(また)先日(せんじつ)(まを)し入(いる)(ところ)()掛塔(くハだ)の僧(そう)の事(こと)相違(さうい)()く御()許容(きよよう)に預(あづか)候(さふら)は()(おそ)れ入()候(さふら)ふ。毎事(まいじ)参入(さんにう)()(ついで)を期()す。恐々(きやう/\)謹言(きんげん)諸事御才覚之外心底ヲ|尤以本望先日所之掛塔之僧相違御許容毎事期参入之次恐々謹言。〔63オ四〕

諸事(しよじ)()才覚(さいかく)()(ほか)(なし)(ところ)(たのむ)()(のこさ)心底(しんていを)()(しめさ)(これを)()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かねて)(また)先日(せんじつ)(ところ)(まうし)(いる)()掛塔(くハだの)(そうの)(こと)(なく)相違(さうゐ)(あづかり)()許容(きよように)(さふらハ)()(おそれ)(いり)(さふらふ)。毎事(まいじ)(ごす)参入(さんにふ)()(ついでを)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔113ウ一〕

とあって、標記語「恐々」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Qeo>quo<.ケゥクヮゥ(恐惶) →Qio>quo<.〔邦訳488l〕

Qio>quo<.ケゥクヮゥ(恐惶) Vosore vosore.(恐れ惶れ) 書状の末尾に記して,非常に深い敬意を表わす語.〔邦訳502r〕

とあって、標記語「恐惶」の語の意味は「Vosore vosore.(恐れ惶れ) 書状の末尾に記して,非常に深い敬意を表わす語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きょう-くヮう〔名〕【恐惶】かしこむこと。恐恐。書状の文などの末に記す敬語。呉越春秋「諸侯怖 恐惶庭訓往來、五月「期參拝之時候、不具、恐惶謹言」〔0499-4〕

とあって、標記語「きょう-くヮう〔名〕【恐惶】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きょう-こう恐惶】〔名〕@かしこまりつつしむこと。おそれかしこまること。恐懼(きょうく)。Aおそれること。恐怖。B書状などの末尾に記す書止めの文言」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
神社事、殊可被行善政候也自然被黙止、不便事候以此旨、可令披露給候、恐惶謹言《訓み下し》神社ノ事、殊ニ善政ヲ行ハルベク候フナリ。自然黙シ止メラレバ、不便ノ事ニ候フ。此ノ旨ヲ以テ、披露セシメ給フベク候フ。恐惶謹テ言ス。《『吾妻鏡』元暦元年十月二十八日の条》
 
 
毎事(マイジ)」は、ことばの溜池(2001.10.07)を参照
[ことばの実際]
齊院御方、年貢可沙汰進之由、被下知地頭之條、尤神妙但毎事、不法之由聞召《訓み下し》斎院ノ御方ニ、年貢ヲ沙汰シ進ズベキノ由、(之ヲ)地頭ニ下知セラルルノ条、尤モ神妙ナリ。但シ毎事、不法ノ由聞シ召ス。《『吾妻鏡』文治四年六月四日の条》
参拝(サンハイ)」は、ことばの溜池(2002.03.21)を参照
 
2004年12月14日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
畏入(おそれい・る)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、標記語「畏入」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

兼又先日所申入候掛塔僧事無相違預御許容候者畏入〔至徳三年本〕

兼又先日所申入之掛塔僧事無相違預御許容者畏入〔宝徳三年本〕

兼又先日所申入掛塔僧事無相違預御許容候者畏入〔建部傳内本〕

兼又先日所申入掛塔(クワタウ)事無相違御許容畏入〔山田俊雄藏本〕

兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)之僧事无相違御許容(キヨヨウ)畏入〔経覺筆本〕

(カネテハ)(マタ)先日所申入候之掛塔(クワタウ)クワタウ事無(アイナク)御許容(キヨヨウ)候者畏入〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「畏入」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「畏入」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「畏入」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「畏入」の語表記は未収載にあり、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下品諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)ノ之僧亊无相違(サヲイ)御許容畏入毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「畏入」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

掛塔(クワタフ)事無相違(サウイ)(アツカリ)御許容(ゴキヨヨウ)者可心事期参拝之次 掛塔僧(クハタノソウ)トハ。他()寺ノ僧(ソウ)衆学文ノ爲(タメ)ニ來ルトナリ。一夏()一會(クハイ)アルヲ掛塔(クハタ)ト云フナリ。〔下33ウ三・五〕

とあって、同訓異語の標記語「畏入を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

相違(そうゐ)なく御()許容(きよよう)に預(あづか)候ハゝ(おそ)れ入相違(サヲイ)御許容畏入 許容ハ承知(せうち)する事也。是ハこの僧乃口入にて他寺の僧を学問の為に侍者(ししや)の寺へ入れん事を頼置(たのミおき)しによりて、此申状乃序に其僧の事いよ/\承知せられよと云事也。〔85ウ七〕

とあって、この標記語「畏入」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

諸事(しよじ)()才覺(さいかく)()(ほか)(たの)む所(ところ)()し心底(しんてい)を貽(のこ)さ不()(これ)を示(しめ)さ被()()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かね)て又(また)先日(せんじつ)(まを)し入(いる)(ところ)()掛塔(くハだ)の僧(そう)の事(こと)相違(さうい)()く御()許容(きよよう)に預(あづか)候(さふら)は()(おそ)れ入()候(さふら)ふ。毎事(まいじ)参入(さんにう)()(ついで)を期()す。恐々(きやう/\)謹言(きんげん)諸事御才覚之外心底ヲ|尤以本望先日所之掛塔之僧相違御許容毎事期参入之次恐々謹言。〔62ウ八〕

諸事(しよじ)()才覚(さいかく)()(ほか)(なし)(ところ)(たのむ)()(のこさ)心底(しんていを)()(しめさ)(これを)()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かねて)(また)先日(せんじつ)(ところ)(まうし)(いる)()掛塔(くハだの)(そうの)(こと)(なく)相違(さうゐ)(あづかり)()許容(きよように)(さふらハ)()(おそれ)(いり)(さふらふ)。毎事(まいじ)(ごす)参入(さんにふ)()(ついでを)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔113オ二〕

とあって、標記語「畏入」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「畏入」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「おそれ-〔自動・四〕【畏入】」の語表記では未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おそれ-畏入】〔名〕(2003.05.23)を見よ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
許容(キヨヨウ)」は、ことばの溜池(2002.08.22)を参照。
 
2004年12月13日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
掛塔(クワタ・クワタウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

掛塔(クワタウ) 。〔元亀二年本190七〕〔天正十七年本中37オ一〕

掛塔(クワタ) 。〔静嘉堂本215二〕

とあって、標記語「掛塔」の語を収載し、訓みは「クワタウ」と「クワタ」と二種に記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

兼又先日所申入掛塔僧事無相違預御許容候者畏入候〔至徳三年本〕

兼又先日所申入掛塔僧事無相違預御許容者畏入候〔宝徳三年本〕

兼又先日所申入掛塔僧事無相違預御許容候者畏入候〔建部傳内本〕

兼又先日所申入掛塔(クワタウ)事無相違御許容者畏入候〔山田俊雄藏本〕

兼又先日内々所申入掛塔(クワタ)之僧事无相違御許容(キヨヨウ)者畏入候〔経覺筆本〕

(カネテハ)(マタ)先日所申入候之掛塔(クワタウ)クワタウ事無(アイナク)御許容(キヨヨウ)候者畏入候〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「掛塔」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「掛塔」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

掛塔(クワタ) 。〔態藝門84二〕

とあって、標記語「掛塔」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

掛塔(クワカイタフ・カケル、タカラ)[去・入]掛錫(クワシヤクカイタフ・カケル、スヾ・タマワル)[去・入] 二共參暇(カノ)義也。〔態藝門541四〕

とあって、標記語「掛塔」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

掛塔(クワタ) 僧之参暇。〔・言語進退門163五〕

掛塔(クハタ) 。〔・言語門131九〕

掛塔(クワタ) 。〔・言語門121一〕〔・言語門147二〕

とあって、標記語「掛塔」の語を収載し、弘治二年本にだけ、上記広本節用集』の注記内容を継承した「僧の参暇」の記載が見られる。また、易林本節用集』に、

掛錫(クワせキ) ―塔()。〔言辞門133五〕

とあって、標記語「掛錫」の熟語群として「掛塔」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「掛塔」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』及び、弘治二年本節用集』の語注記とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下品諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入掛塔(クワタ)之僧亊无相違(サヲイ)御許容者畏入候毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「掛塔」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

掛塔(クワタフ)事無相違(サウイ)(アツカリ)御許容(ゴキヨヨウ)者可心事期参拝之次 掛塔僧(クハタノソウ)トハ。他()寺ノ僧(ソウ)衆学文ノ爲(タメ)ニ來ルトナリ。一夏()一會(クハイ)アルヲ掛塔(クハタ)ト云フナリ。〔下33ウ三・五〕

とあって、同訓異語の標記語「掛塔を収載し、語注記は上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

先日(せんじつ)(もふし)(いる)るゝ(ところ)掛塔(くわとう)の僧(そう)の事先日所掛塔之僧 學問(かくもん)の為來りし他寺(たじ)の僧をいふ也。〔86オ二・三〕

とあって、この標記語「掛塔」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

諸事(しよじ)()才覺(さいかく)()(ほか)(たの)む所(ところ)()し心底(しんてい)を貽(のこ)さ不()(これ)を示(しめ)さ被()()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かね)て又(また)先日(せんじつ)(まを)し入(いる)(ところ)()掛塔(くハだ)の僧(そう)の事(こと)相違(さうい)()く御()許容(きよよう)に預(あづか)候(さふら)は()(おそ)れ入()候(さふら)ふ。毎事(まいじ)参入(さんにう)()(ついで)を期()す。恐々(きやう/\)謹言(きんげん)諸事御才覚之外心底ヲ|尤以本望先日所掛塔之僧相違御許容毎事期参入之次恐々謹言。▲掛搭僧ハ他寺(ほかてら)の僧学問(がくもん)のために來る也。掛搭とハ一夏()一会()をいふとぞ。〔62ウ八〕

諸事(しよじ)()才覚(さいかく)()(ほか)(なし)(ところ)(たのむ)()(のこさ)心底(しんていを)()(しめさ)(これを)()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かねて)(また)先日(せんじつ)(ところ)(まうし)(いる)()掛塔(くハだの)(そうの)(こと)(なく)相違(さうゐ)(あづかり)()許容(きよように)(さふらハ)()(おそれ)(いり)(さふらふ)。毎事(まいじ)(ごす)参入(さんにふ)()(ついでを)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)▲掛搭僧ハ他寺(ほかてら)の僧学問(がくもん)のために來る也。掛搭とハ一夏()一会()をいふとぞ。〔113オ二〕

とあって、標記語「掛塔」の語をもって収載し、その語注記は、「掛搭の僧は、他寺(ほかてら)の僧学問(がくもん)のために來る也。掛搭とは、一夏()一会()をいふとぞ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「掛塔」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「くゎ-〔名〕【掛塔】」の語は未収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-掛塔】〔名〕(「塔」は「塔鉤(とうこう)」のことで、物を掛けるかぎの意)衣鉢袋を僧堂の単位(座位、座席)の鉤に掛けること。転じて、僧が一寺にとどまり修行すること。掛錫(かしゃく)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
見在大宋国の寺院に、比丘尼の掛搭せるが、もし得法の声あれば、官家より尼寺の住持に補すべき詔をたまふには、即寺にて上堂す。《『正法眼藏』礼拝得髓の条、二168
 
 
内々(ナイナイ)」は、ことばの溜池(2002.01.29)を参照。
 
2004年12月12日(日)晴れ。イタリア(ミラノ)→ローマ
先日(センジツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、「先皇(せンクワウ)。先王(ワウ)。先帝(テイ)。先祖()。先約(ヤク)。先例(レイ)。先代(ダイ)。先遠()。先度()。先忠(デウ)。先非()。先手()。先達(ダツ)山伏。先年(ネン)。先書(シヨ)。先札(サツ)。先證(ゼウ)。先方(バウ)。先作(サク)。先陣(ヂン)。先納(ナウ)。先駆()。先規()。先便(ビン)。先判(ハン)。先人(ジン)。先報(ボウ)。先勘(ガン)。先用(ユウ)。先主(ジユ)。先考(カウ)。先妣()」の三十二語を収載するが、標記語「先日」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

兼又先日申入候掛塔僧事無相違預御許容候者畏入候〔至徳三年本〕

兼又先日申入之掛塔僧事無相違預御許容者畏入候〔宝徳三年本〕

兼又先日申入掛塔僧事無相違預御許容候者畏入候〔建部傳内本〕

兼又先日申入掛塔(クワタウ)事無相違御許容者畏入候〔山田俊雄藏本〕

兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)之僧事无相違御許容(キヨヨウ)者畏入候〔経覺筆本〕

(カネテハ)(マタ)先日申入候之掛塔(クワタウ)クワタウ事無(アイナク)御許容(キヨヨウ)候者畏入候〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「先日」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「先日」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「先日」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

先日(せンジツマヅ、ヒ)[平・入] 。〔態藝門1087七〕

とあって、標記語「先日」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「先日」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「先日」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本も収載しているのである。
 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下品諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)ノ之僧亊无相違(サヲイ)御許容者畏入候毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「先日」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

臈次(ラツシ)ハル上下之品(シナ)諸事御才覺(サイカク)之外(ホカ)(タノム)候不()(ヲコサ)心底(テイ)()(シメ)()(モツトモ)本望(ホンモウ)(カネテハ)先日申入 (ラツ)トハ。上ヲマナブ事。〔下33ウ一〕

とあって、同訓異語の標記語「先日を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

先日(せんじつ)(もふし)(いる)るゝ(ところ)の掛塔(くわとう)の僧(そう)の事先日之掛塔之僧 學問(かくもん)の為來りし他寺(たじ)の僧をいふ也。〔86オ二・三〕

とあって、この標記語「先日」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

諸事(しよじ)()才覺(さいかく)()(ほか)(たの)む所(ところ)()し心底(しんてい)を貽(のこ)さ不()(これ)を示(しめ)さ被()()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かね)て又(また)先日(せんじつ)(まを)し入(いる)(ところ)()掛塔(くハだ)の僧(そう)の事(こと)相違(さうい)()く御()許容(きよよう)に預(あづか)候(さふら)は()(おそ)れ入()候(さふら)ふ。毎事(まいじ)参入(さんにう)()(ついで)を期()す。恐々(きやう/\)謹言(きんげん)諸事御才覚之外心底ヲ|尤以本望先日之掛塔之僧相違御許容毎事期参入之次恐々謹言。〔62ウ八〕

諸事(しよじ)()才覚(さいかく)()(ほか)(なし)(ところ)(たのむ)()(のこさ)心底(しんていを)()(しめさ)(これを)()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かねて)(また)先日(せんじつ)(ところ)(まうし)(いる)()掛塔(くハだの)(そうの)(こと)(なく)相違(さうゐ)(あづかり)()許容(きよように)(さふらハ)()(おそれ)(いり)(さふらふ)。毎事(まいじ)(ごす)参入(さんにふ)()(ついでを)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔113オ二〕

とあって、標記語「先日」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xenjit.センジツ(先日) Saqino fi.(先の日)過ぎた日々〔過日〕.→Ienjit.〔邦訳751r〕

とあって、標記語「先日」の語の意味は「Saqino fi.(先の日)過ぎた日々〔過日〕」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せん-じつ〔名〕【先日】さきのひ。過ぎし日。前日漢書、鄒陽傳「吾先日欲獻愚計〔1124-1〕

とあって、標記語「せん-じつ〔名〕【先日】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せん-じつ先日】〔名〕さほど遠くない過去のある日。このあいだ。過ぎし日。過日。せんにち」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而吾等二人者、先日依有蒙平家約諾事、上洛之由語申之《訓み下し》而シテ吾等二人ハ、先日平家ノ約諾ヲ蒙ル事有ルニ依テ、上洛スルノ由之ヲ語リ申ス。《『吾妻鏡』治承四年十二月二十二日の条》
 
 
心底(シンテイ)」は、ことばの溜池(2002.08.21)を参照。
本望(ホンマウ)」は、ことばの溜池(2003.08.01)を参照。
兼又(かねてまた)」は、ことばの溜池(2003.01.17)を参照。
 
2004年12月11日(土)晴れ。イタリア(ベネチィア)→ミラノ
(のこ・す)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「乃」部に、訓「ノコル」は収載するが、訓「ノコス」にては、標記語「」の語は未収載となっている。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

諸事御才之外無所憑不心底被示之者尤以本望〔至徳三年本〕

諸事御才覺之外無所憑不心底被示之者尤以本望〔宝徳三年本〕

諸事御才覚之外無所憑不心底被示之者尤本望〔建部傳内本〕

諸事御才之外無(タノム)心底レハ者尤以本望〔山田俊雄藏本〕

諸事御才覚之外无憑不(ノコサ)心底ヲ|者尤以本望〔経覺筆本〕

諸事御才覚之外無(ナク)以不(ノコサ)心底ヲ|(シメ)者尤以本望〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

貽貝(イヽガイイハイノコス、―)[平・上] 。〔氣形門008五〕

とあって、標記語「貽貝」の語の左訓としてこの語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』の左訓に標記語「貽貝」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下品諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)ノ之僧亊无相違(サヲイ)御許容者畏入候毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

臈次(ラツシ)ハル上下之品(シナ)諸事御才覺(サイカク)之外(ホカ)(タノム)候不()(ヲコサ)心底(テイ)()(シメ)()(モツトモ)本望(ホンモウ)(カネテハ)又先日所申入 (ラツ)トハ。上ヲマナブ事。〔下33ウ一〕

とあって、同訓異語の標記語「を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

心底(しんてい)(のこ)()(これ)を示(しめさ)()()(もつとも)(もつ)本望(ほんまう)心底之者尤以本望 こゝに云心ハ其元(そこもと)の賢慮(けんりよ)を頼(たのま)んより外によらん方なき事なれハ心申に思ハるゝ事残さす差圖(さしづ)ありて遠慮(ゑんりよ)せらるゝ事なくんハ本望に叶(かなわ)んと也。〔85ウ七〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

諸事(しよじ)()才覺(さいかく)()(ほか)(たの)む所(ところ)()し心底(しんてい)(のこ)()(これ)を示(しめ)さ被()()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かね)て又(また)先日(せんじつ)(まを)し入(いる)(ところ)()掛塔(くハだ)の僧(そう)の事(こと)相違(さうい)()く御()許容(きよよう)に預(あづか)候(さふら)は()(おそ)れ入()候(さふら)ふ。毎事(まいじ)参入(さんにう)()(ついで)を期()す。恐々(きやう/\)謹言(きんげん)諸事御才覚之外心底ヲ|尤以本望先日所之掛塔之僧相違御許容毎事期参入之次恐々謹言。〔62ウ八〕

諸事(しよじ)()才覚(さいかく)()(ほか)(なし)(ところ)(たのむ)()(のこさ)心底(しんていを)()(しめさ)(これを)()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かねて)(また)先日(せんじつ)(ところ)(まうし)(いる)()掛塔(くハだの)(そうの)(こと)(なく)相違(さうゐ)(あづかり)()許容(きよように)(さふらハ)()(おそれ)(いり)(さふらふ)。毎事(まいじ)(ごす)参入(さんにふ)()(ついでを)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔113オ二〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未記載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「のこ〔他動・四〕【】」の語表記では未収載にする。但し、古辞書の表記事例として「(名・玉・文・黒・)」と記載が見えている。
[ことばの実際]
(ノリ)ヲ当代ニ(ノコ)シ、軌(アト)ヲ將來ニ訓(サト)ラシムルニ足レリ。《『大慈恩三藏法師傳院政期点』(1080-1110頃)一の条》
 
 
(たの・む)」は、ことばの溜池(2003.06.10)を参照。
 
2004年12月10日(金)晴れ。イタリア(ベネチィア)→ベネチィア大学
才覚(サイカク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

才覺(サイカク) 。〔元亀二年本269一〕

才覚 。〔静嘉堂本306四〕

とあって、標記語「才覚」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

諸事御之外無所憑不貽心底被示之者尤以本望〔至徳三年本〕

諸事御才覺之外無所憑不貽心底被示之者尤以本望〔宝徳三年本〕

諸事御才覚之外無所憑不貽心底被示之者尤本望〔建部傳内本〕

諸事御之外無(タノム)心底レハ者尤以本望〔山田俊雄藏本〕

諸事御才覚之外无憑不(ノコサ)心底ヲ|者尤以本望〔経覺筆本〕

諸事御才覚之外無(ナク)以不(ノコサ)心底ヲ|(シメ)者尤以本望〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と山田俊雄藏本は「才学」とし、宝徳三年本・建部傳内本・・経覺筆本・文明四年本が「才覚」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「才覚」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「才覚」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

才覺(サイカク・サムルシワザ、サトル・ヲホユル)[平・入] 才學(サイカクシワザ、マナブ)[平・入]。〔態藝門787一〕

とあって、標記語「才覺」「才學」の両表記語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

才覚(サイカク) 。〔・言語進退門214二〕

(サイカク) ―斈(ガク)。〔・言語門178四〕

才覚 ―学。〔・言語門167五〕

とあって、三本とも標記語「才覚」の語を以て収載し、そのうち、永祿二年本尭空本は熟語群に「」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

才學(サイカク) ―智()―人(ジン)/―勘(カン)―藝(ゲイ)。〔言辞門181四〕

とあって、標記語「才學」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「才覚」「才學」の両語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は「才覚」の語で収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下品諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)ノ之僧亊无相違(サヲイ)御許容者畏入候毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「才覚」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

臈次(ラツシ)ハル上下之品(シナ)諸事御才覺(サイカク)之外(ホカ)(タノム)候不()(ヲコサ)心底(テイ)()(シメ)()(モツトモ)本望(ホンモウ)(カネテハ)又先日所申入 (ラツ)トハ。上ヲマナブ事。〔下33ウ一〕

とあって、この標記語「才覺を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸事(しよじ)才覚(ごさいかく)の外(ほか)(たの)む所(ところ)()諸事御才覚之外無 才覚ハ了簡(れうかん)也。〔85ウ七〕

とあって、この標記語「才覚」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

諸事(しよじ)()才覺(さいかく)()(ほか)(たの)む所(ところ)()し心底(しんてい)を貽(のこ)さ不()(これ)を示(しめ)さ被()()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かね)て又(また)先日(せんじつ)(まを)し入(いる)(ところ)()掛塔(くハだ)の僧(そう)の事(こと)相違(さうい)()く御()許容(きよよう)に預(あづか)候(さふら)は()(おそ)れ入()候(さふら)ふ。毎事(まいじ)参入(さんにう)()(ついで)を期()す。恐々(きやう/\)謹言(きんげん)諸事御才覚之外心底ヲ|尤以本望先日所之掛塔之僧相違御許容毎事期参入之次恐々謹言。▲才覚ハ了簡(りやうけん)也。〔63オ一、63オ四〕

諸事(しよじ)()才覚(さいかく)()(ほか)(なし)(ところ)(たのむ)()(のこさ)心底(しんていを)()(しめさ)(これを)()(もつとも)(もつて)本望(ほんまう)(なり)。兼(かねて)(また)先日(せんじつ)(ところ)(まうし)(いる)()掛塔(くハだの)(そうの)(こと)(なく)相違(さうゐ)(あづかり)()許容(きよように)(さふらハ)()(おそれ)(いり)(さふらふ)。毎事(まいじ)(ごす)参入(さんにふ)()(ついでを)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)▲才覚ハ了簡(りやうけん)也。〔113オ二、113ウ一〕

とあって、標記語「才覚」の語をもって収載し、その語注記は、「才覚は、了簡(りやうけん)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Saicacu.サイカク(才覚) 物事を工夫する才,賢明さ,など.¶Saicacuuo megurasu.(才覚を廻らす)知恵と工夫の才を働かす.〔邦訳549r〕

とあって、標記語「才覚」の語の意味は「物事を工夫する才,賢明さ,など」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さい-かく〔名〕【才覺】〔ざえ(才)の條を見よ〕ざえのおぼえ。學問のさとり。文學の力。神皇正統記、後醍醐「白河の御時、修理大夫顯季と云ひし人、云云、參議を申しけるに、院の仰に、それも、物書きての上の事ありければ、理に伏して止みぬ、云云、和漢の才覺の足らぬにぞありけむ」〔0754-3〕

さい-かく〔名〕【才覺】〔前條の語の轉〕(一)才(さい)の機轉(はたらき)機智七十一番職人盡歌合(文安)五十七番、庖丁師、判詞「左歌、庖丁には、魚も、鳥も、いくらも、寄せありぬべきを、二首ながら、鯉を詠める、才覺なきに似たり」鷹筑波集(寛永)「二道かくる、人のさいかく(二)工夫して、索むること。工面(クメン)。算段(サンダン)經營狂言記、鱸包丁「方方、さいかく致して、淀一番の鯉を求めまして」西鶴織留(貞享)「損銀、仇銀、年年積(つも)りて、才覺の花も散り」〔0754-4〕

さい-がく〔名〕【才學】才と、學問と。漢書、應秦傳「皆有才學今鏡、下、第七、うたたね「堀河殿は、才學高くおはして、文作りたまふこと、すぐれて聞こえ給ひき」〔0754-4〕

とあって、標記語「さい-かく〔名〕【才覚】」を二つにし、さらに「さい-がく〔名〕【才學】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さい-かく才覚才学】〔名〕(「さいがく」とも)@才知と学問。学問。学識。A(形動)知恵のすばやい働き。才知を働かせること。機知。機転。工夫などにすぐれていること。またそのさま。B(―する)苦心、工夫して金、物品などを求めること。工面すること。やりくり算段。[語誌](1)漢語としては「才学」が本来の表記。「学」は、呉音「ガク」漢音「カク」であるが、通常は呉音で「ガク」と読まれる字であるために、清音(漢音)で読まれる「サイカク」の場合には「才覚」と表記されるようになったものと思われる。(2)漢籍においては「才学」は「才能」と学識の意に用いていたようである。中世以降「才」に意味の重点をおいたらしく、Aの意味で用いられることが多くなるとともに、「才覚」の表記が固定したらしい。(3)近世にはAの「才知を働かす」「工夫をめぐらす」などの意味から転じたBの用例が多く見られる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
流鏑馬、笠懸以下作物故實、的草鹿等才學大略究淵源、秉燭以後、各退散〈云々〉《訓み下し》流鏑馬、笠懸以下ノ作物ノ故実、的草鹿等ノ才学(サイカク)、大略淵源ヲ究メ、燭ヲ秉ルノ以後ニ、各退散スト〈云云〉。《『吾妻鏡』嘉禎三年七月十九日の条、》
 
 
諸事(シヨジ)」は、ことばの溜池(2003.02.06)を参照。
 
2004年12月09日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ベネチィア
(しな)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

。〔元亀二年本224一〕〔天正十七年本中57ウ一〕

。〔静嘉堂本256五〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

シナ/否飯反/―量―藻官―。〔黒川本・人事門下71オ一〕

シナ/胡定反。〔黒川本・方角門下73ウ八〕

シナ/―量官品。〔卷第九・人事門143四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(シナ/ヒン)[上] (同/クワ・トガ)[平・去]。〔數量門930七〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(シナ)() 。〔・言語進退門244二〕

(シナ) 。〔・言語門213一〕

(シナ) 。〔・官位門196八〕

とあって、弘治二年本に標記語「」の語を収載し、他本は熟語群に収載する。また、易林本節用集』に、

(シナ)()()。 〔言辞門219五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)ノ之僧亊无相違(サヲイ)御許容者畏入候毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

臈次(ラツシ)ハル上下(シナ)諸事御才覺(サイカク)之外(ホカ)(タノム)候不()(ヲコサ)心底(テイ)()(シメ)()(モツトモ)本望(ホンモウ)(カネテハ)又先日所申入 (ラツ)トハ。上ヲマナブ事。〔下33ウ一〕

とあって、この標記語「を収載し、語注記未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

上下(じやうけ)(しな)を注(しる)し給(たまハ)る可(へく)上下之 上下の品とハ善き品軽き品也。点心布施物をさしていえり。云こゝろハ何役の僧へハ何の品々といふ事を書記し玉ハれと也。〔85ウ五・六〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施上下臈次給上下之。〔62ウ五〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)。〔112ウ三〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xina.シナ() 物の種類,または,物の違い目.〔邦訳768l〕

Xina.シナ() 風采,または,身じまい.¶Xinano yoi fito(品の良い人)手足の均整がとれて,すんなりとしている人.また,犬についても言う.〔邦訳768l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「風采,または,身じまい」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しな〔名〕【】(一){物事の、たぐひ。種類。~樂歌、採物、弓「弓と云へば、志奈なきものを、梓弓、檀弓(まゆみ)、槻弓、志奈こそあるらん」(二)上下、優劣のたがひ。段(きだ)。格。階級等差しなを異にす」(三){階段(きだはし)。階。倭名抄、十、15居宅具「?、俗爲階字、波之、一、訓之奈(四){身柄。人品。品(ヒン)品位品格。(五)物の、種種(くさぐさ)なるもの。いろ。「一(ひと)品」二(ふた)品」(六)事の状態。(七)物(もの)。貨物(しろもの)狂言記、吃「十一ので縫うたる小包、一つ」「此しな、粗末なれど」しなが切れて」〔0911-2〕

とあって、標記語「しな〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しな】[一]〔名〕@階段。きざはし。A種類。また、等級やその違い。差異。B人の位(くらい)。身分。地位。C人や物の品格、または品質。イ(人間に関して)人品。人柄。ひん。ロ(物事の状態、性質に関して)風情。風格。品格。D物事の事情や理由。イそうなった事情や立場。ロ理由。わけ。E方法。しかた。やりかた。F相応の格式をもった物。また、単に品物。もの。Gちょっとしたしぐさやふるまい。物腰。態度。特に、あだっぽいしぐさ。様子。媚(こび)をふくんだしぐさ、様子。H感情のこもっていること。[二]「しながわ(品川)の略。[語誌](一について)(1)「新撰字鏡」で「?」「層」「?」につけられた和訓に「シナ」とあることや、地名の「しなの」「さらしな」「やましな」などから、本来は階段状の地形を表わす語であったことが考えられる。(2)これがその後、同類の事物間に存する階層や差異、人の身分、さらに転じて、人や物の品格をも意味するようになる」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
君者鎮海内濫刑、其已叙二品給《訓み下し》君ハ海内ノ濫刑ヲ鎮メ、其ノ已ニ二品ニ叙セラレ給フ。《『吾妻鏡元暦二年六月七日の条》
 
 
2004年12月08日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)祝日(Immacolata Concezione)
上下(ジヤウゲ)」は、ことばの溜池(2002.01.13)をも参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「上下」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「上下」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

上下 シヤウケ。〔黒川本・畳字門下82オ七〕

上下 〃天。〃陽。〃弦。〃表。〃科。〃人。〃宰。〃腴。〃根。〃等。〃道。〃兵。〃智。〃田。〃日。〃開。〃洛。〃服。〃京。〃卿。〔卷第九・畳字門195六〕

とあって、標記語「上下」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「上下」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

上下(シヤウ・カミ、ゲノボル、―)[上去・上去] ――万民。〔態藝門936五〕

とあって、標記語「上下」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

上品(シヤウボン) ―手。―下/―裁。―表。―洛/―聞。〔・言語門210二〕

上品(シヤウホン) ―手。―下。―裁/―表。―落。―聞。〔・官位門194四〕

とあって、標記語「上品」の熟語群として「上下」の語を収載する。また、易林本節用集』に、標記語「上下」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「上下」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

647可上下諸亊御才覚之外无憑不心底之者尤以本望兼又先日内々所申入之掛塔(クワタ)ノ之僧亊无相違(サヲイ)御許容者畏入候毎亊期参拝之時恐惶敬白 監寺(カンゾ) 〔謙堂文庫蔵五六左B〕

とあって、標記語「上下」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

臈次(ラツシ)ハル上下之品(シナ)諸事御才覺(サイカク)之外(ホカ)(タノム)候不()(ヲコサ)心底(テイ)()(シメ)()(モツトモ)本望(ホンモウ)(カネテハ)又先日所申入 (ラツ)トハ。上ヲマナブ事。〔下33ウ一〕

とあって、この標記語「上下を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

上下(じやうけ)の品(しな)を注(しる)し給(たまハ)る可(へく)上下之品 上下の品とハ善き品軽き品也。点心布施物をさしていえり。云こゝろハ何役の僧へハ何の品々といふ事を書記し玉ハれと也。〔85ウ五・六〕

とあって、この標記語「上下」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施物臈次上下之品。〔62ウ三〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)。〔112オ六〕

とあって、標記語「上下」の語をもって収載し、その語注記は、「邏齊之僧・陪堂・從僧ハいづれも仏事(ぶつじ)に携(たづさ)ハらずして、たゞ食(しよく)を乞()ひ供養(くやう)にあふ非人僧(ひにんそう)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Io<gue.ジヤウゲ(上下) Vye xita.(上下).上にと下にと。¶また,上級のものと下級のものと.例,Io<gue banmin.(上下万民)上下貴賤すべての人々.§また,Nobori,cudaru.(上り,下る)上ると下ると.例,Camiye jo<gueuo xiguio> itasu.(上へ上下を繁う致す)都(Miyaco)へ頻繁に行き来する.〔邦訳368l〕

とあって、標記語「上下」の語の意味は「Vye xita.(上下).上にと下にと」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じやう-〔名〕【上下】(一)かみと、しもと。うへと、したと。保元物語、一、官軍方方手分事「上下二十餘人、都へ打ッてぞ上りける」(二)のぼると、くだると。あがり、おり。狂言記、文相撲「汝は、上下の海道へ往()て、良ささうな者が來たらば、抱へて來い」(三)往()きと、復(かへ)りと。往復(片路(かたみち)と云ふに對す、舟子(センドウ)、舁夫(かごかき)などの語)(四)裃(かみしも)「麻上下〔0962-5〕

とあって、標記語「じやう-〔名〕【上下】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じょう-上下】〔名〕(「じょう」「げ」はそれぞれ「上」「下」の呉音)[一]垂直的な空間の位置で、高いほうと低いほう。@位置の高いほうと低いほう。かみとしも。また、上から下まで。A掛物の表具で、上と下との切れ地。掛物の天地。B衣服で上衣と下衣が対になったもの。肩衣(かたぎぬ)と袴とを同色に染めたもの。かみしも。現代では、上衣とズボン(またはスカート)」で一そろいになっている服。C本などを二つに分けたときの、始めの方と後の方。二卷に分かれている本の上卷と下卷。D(―する)あげたりさげたりすること。あげさげ。また、あがったりさがったりすること。あがりさがり。[二]水平的な空間の中に認められる、高い方と低い方。@都からの遠近(近が上)。都の中の南北(北が上)。A(―する)川上と川下の間を往復したり、行き来したりすること。また、人やなどが都市と地方、または都と地方とをむすぶ道を往復したり、行き来したりすること。あるいは、それをする旅人や飛脚など。[三]順序や序列を含むものの先のものと後のもの。@位や官職の上の者と下の者、また、身分の高い人と低い人を合わせたすべての人びと。A君主と臣下。主人と家来。主従。B年長者と年少者。長幼。Cある数値の上と下。また、その間をあがったりさがったりすること。[四](―する)ことばのやりとりをすること。問答すること。討論すること。[五]年齢に付けて、その前後の年頃であることを示す。前後」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御臺所御悩仍營中、上下群集《訓み下し》御台所御悩。仍テ営中ニ、上下群集ス。《『吾妻鏡』養和元年十二月七日の条》
 
 
2004年12月07日(火)晴れ後曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
(ただ・す)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

(タヾス)()() 。〔元亀二年本148七〕

()(タヾス)() 。〔静嘉堂本160六〕

(タヽス)()() 。〔天正十七年本中12ウ四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「タゝシテ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

タヽス/タヽシ正断弾督弼賛…。〔黒川本・辞字門中7オ二〕

タヽス…。〔卷第四・辞字門421一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(タヾスキウ)[上] 。〔態藝門371七〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(タヽス) 。〔・言語進退門106一〕〔・言語門87八〕〔・言語門106六〕

(タヾス) 。〔・言語門96三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

(タヽス) 同(タヽス)()()()()()。〔言辞門96二〕

とあって、標記語「糾」の熟語群に「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

646聖道者從(シユ)僧駈使(クシ/ハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)之道臨時客人任人数点心布施臈次(ラツ−)ヲ 糺臈次。有式目四ケ条老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同朋(ドウボウ)推参(スイサン)道俗(ゾク)臨時(リンジ)(キヤク)人數(イヽ)點心布施(フせ)(タヽシ) 同朋(ドウボウ)ハ。力者(リキシヤ)也。又弟子(デシ)(キヤウ)弟人歟〔下33オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「を収載し、語注記に「いたふく者なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云ひ臈次(らつし)(たゞ)點心布施物臈次 貴賤の次第を正し點心布施物なとの品等(しな)をするなり。〔85ウ四・五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)(たゞ)上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施物臈次給上下之品。〔62ウ五〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)。〔112ウ三〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tadaxi,su,aita.タダシ,ス,イタ(正・し,す,いた) 取り調べて,審理する.¶Sugimeuo tadasu.(筋目を糺す)もつれている糸や撚糸を探して,もとどおりに直す.¶また,比喩.ある人の血統や家系を取り調べる.〔邦訳601l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「取り調べて,審理する」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ただ・す〔他動、四〕【正】(一){正しくなす。善く改む。なほす。源氏物語、三十四、下、若紫、下13「喜びの涙、ともすれば落ちつつ、目をさへ拭ひただして」「誤を正す」容を正す」(二)誤れりや否やを問ふ。質問す。字類抄「質、規、タタス」(三){理非を究め分つ。糺明す。詮議す。吟味す。糺。名義抄、タダス、カムガフ」源氏物語、十榊9「國ツ~、そらにことわる、物ならば、なほざりごとをまづやたださん」新古今集、十八、雜、下「車より紅の衣を出だしたりけるを、非違使のたださんとしければ」「邪正をただす」罪をただす」〔1215-5〕

とあって、標記語「ただ・す〔名〕【正】」の語の(三)の意味として収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ただ・す【正・】〔他サ五〔四〕〕@正しくする。本来あるべき状態にもどす。ゆがんでいるもの、混乱しているものなどをきちんとさせる。悪い所、欠点などを改めさせる。矯正する。A事柄をはっきりさせるために尋ねたり調べたりする。"調べて事実をはっきりさせる。ロ物事の真理を探り尋ねる。質問する」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
高倉宮御事之後、諸國源氏安否、可行之由、沙汰最中、此状到著《訓み下し》高倉ノ宮御事ノ後、諸国源氏ノ安否ヲ、(タヾ)行フベキノ由、沙汰スル最中ニ、此ノ状到著ス。《『吾妻鏡』治承四年八月九日の条》
 
 
2004年12月06日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
布施物(フセモツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、標記語「布施物」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「布施物」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「布施物」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「布施物」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「布施物」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

646聖道者從(シユ)僧駈使(クシ/ハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)之道臨時客人任人数点心布施物臈次(ラツ−)ヲ 糺臈次。有式目四ケ条老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕

とあって、標記語「布施物」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同朋(ドウボウ)推参(スイサン)道俗(ゾク)臨時(リンジ)(キヤク)人數(イヽ)點心布施(フせ)(タヽシ) 同朋(ドウボウ)ハ。力者(リキシヤ)也。又弟子(デシ)(キヤウ)弟人歟〔下33オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「布施物を収載し、語注記に「いたふく者なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

點心(てんしん)と云()布施物(ふせもつ)と云ひ臈次(らつし)を糺(たゞ)點心布施物臈次 貴賤の次第を正し點心布施物なとの品等(しな)をするなり。〔85ウ四・五〕

とあって、この標記語「布施物」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施物臈次給上下之品。〔62ウ五〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)。〔112ウ二〕

とあって、標記語「布施物」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fuxemot.フセモッ(布施物) 何かのお勤めや法事などに対して,坊主(bonzos)に与える寄付.→Fuxe(布施).〔邦訳287l〕

とあって、標記語「布施物」の語の意味は「何かのお勤めや法事などに対して,坊主(bonzos)に与える寄付」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ふせ-もつ〔名〕【布施物】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ふせ-もつ布施物】〔名〕布施にする物。僧侶へ施し与える金銭や物品。ふせもの。正倉院文書-天平一一年(739)伊豆国正税帳(寧楽遺文)「布施物買価稲壱仟肆伯肆拾束」*太平記(14C後)二六・妙吉侍者事「其一日の布施(フセ)、一座の引出物なんど集めば、山の如く積もる可し」*日葡辞書(1603-04)「Fuxemot(フセモツ)」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先之、入布施物等於長櫃、舁立堂砌《訓み下し》之ヨリ先ニ、布施(フセ)等ヲ長櫃ニ入レ、堂ノ砌ニ舁キ立ツ。《『吾妻鏡文治元年十月二十四日の条》
 
 
點心(テンシン)」は、ことばの溜池(2004.09.04)を参照。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「點心」とし、訓みは文明四年本に「テンシン」と記載する。

 
 
2004年12月05日(日)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→町内公園散歩
人数(ニンズ・ニンジユ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「丹」部に、

人数(ジユ) 。〔元亀二年本38七〕

人数 。〔静嘉堂本41八〕

人数(シユ) 。〔天正十七年本上21ウ四〕

とあって、標記語「人数」の語を収載し、訓みは、元亀二年本に「(ニン)ジユ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「人数」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「人数」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「人数」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

人数(ニンジユジン・ヒト、カズ)[平・去] 。〔態藝門90五〕

とあって、標記語「人数」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「人数」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

人數(ジユ) 。〔言辞門27七〕

とあって、標記語「人數」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「人数」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

646聖道者從(シユ)僧駈使(クシ/ハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)之道臨時客人任人数点心布施臈次(ラツ−)ヲ 糺臈次。有式目四ケ条老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕

とあって、標記語「人数」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同朋(ドウボウ)推参(スイサン)道俗(ゾク)臨時(リンジ)(キヤク)人數(イヽ)點心布施(フせ)(タヽシ) 同朋(ドウボウ)ハ。力者(リキシヤ)也。又弟子(デシ)(キヤウ)弟人歟〔下33オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「人数を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

人数(にんじゆに)に任(まかせ)人数 人数(にんす)次第(したい)にといふかことし。〔85ウ三・四〕

とあって、この標記語「人数」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施臈次給上下之品。〔62ウ四〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)。〔112ウ二〕

とあって、標記語「人数」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ninju.ニンズ(人数) Fitocazu.(人かず) 人々の数,または,大勢の人々・軍勢.→Catarai,o<;Cuuauari,u;Feraxi,u;Fiqitori,u;Irecaye,uru;Irechigaye,uru;Macubari,u;Mexiatcume,uru;Saximuqe,uru;Saxicarami,u;Saximuqe,uru;Saxisoye,uru;Saxivoroxi,su;Vchidaxi,su;Vmeague,uru.〔邦訳466l〕

とあって、標記語「人数」の語の意味は「Fitocazu.(人かず)人々の数,または,大勢の人々・軍勢」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

にん-〔名〕【人數】(一)ひとのかず。あたまかず。人頭(ニントウ)。人員。(二)多勢の人。大勢。人數を繰出す」〔1505-1〕

とあって、標記語「にん-〔名〕【人數】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「にん-人数】〔名〕(「す」は「数」の慣用音)@人のかず。ひとかず。あたまかず。人頭(にんとう)。にんじゅ。にんずう。A多数の人。大勢。大人数(おおにんずう)。にんじゅ。Bある条件にかなう人々。ある集団の構成員。メンバー。にんじゅ。[補注]古辞書類(文明本節用集・運歩色葉・易林節用集・饅頭屋本節用集)や日葡辞書にはいずれも「にんじゅ」とあり。「にんず」の表記は見られない。したがって、古くは「にんじゅ」と読んだと考えられるので、漢籍以外の古い例は「にんじゅ」の項におさめた」とし、「にん-じゅ人数】〔名〕(「しゅ」は「数」の呉音)@「にんず(人数)@」に同じ。A「にんず(人数)A」に同じ。B「にんず(人数)B」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
彌無人數之間、明暁可被誅兼隆事、聊有御猶預《訓み下し》弥人数()無キノ間、明暁兼隆ヲ誅セラルベキ事、聊カ御猶預有リ。《『吾妻鏡』治承四年八月十六日の条、》
爰今適雖加勘定、紕繆多端、何背返抄之所当、可減勘文之人数哉、尤非法之勘定也、具旨見所進注文、早召上彼使於官、被勘者、右中弁源朝臣雅兼伝宣、大納言藤原朝臣家忠宣、奉勅、任先宣旨、遣官使、 《『東大寺文書(内閣)』永久四年閏正月十六日の条、102-2・5/278》
 
 
臨時(リンジ)」は、ことばの溜池(2001.10.23)を参照。
 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

りん-〔名〕【臨時】其時にのぞみてすること。不時。三國志、魏志、薫昭傳「計在臨時、未得言近衛府式「凡威儀及行幸所須器仗者、收於府庫臨時出用」〔2126-3〕

とあって、標記語「りん-〔名〕【臨時】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「りん-〔名〕【臨時】〔名〕@その時その時の状況に応ずること。定まった時でないこと。不定時。A一時的なこと。その場限りのこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
 
客人(キヤクジン)」は、ことばの溜池(2002.02.10)を参照。
 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きゃく-じん〔名〕【客人】まらうど。客となりて、來れる人。校量功コ記「奴婢客人曾我物語、十一、母虎を具して箱根へのぼる事「あれは、いづくよりのきやく人にや、と問じければ」〔0496-2〕

とあって、標記語「きゃく-じん〔名〕【客人】」の語を収載する。
 
 
2004年12月04日(土)曇り後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→市場
道俗(ダウゾク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

道俗(ゾク) 。〔元亀二年本138十〕〔静嘉堂本147七〕

道俗(ソク) 。〔天正十七年本中5ウ六〕

とあって、標記語「道俗」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「道俗」とし、訓みは、文明四年本に「道俗(タウソク)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

道俗 同(両合部)/タウソク。〔黒川本・畳字門中10ウ七〕

道路 〃塲 チヤウ/ニハ。〃祖。〃理。〃心。〃宗。〃里。〃法。〃コ。〃義。〃士。〃途。〃程。〃。〔卷第四・畳字門446二〕

とあって、三卷本に標記語「道俗」の語を収載し、十巻本も熟語群として収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「道俗」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

道俗(ダウゾク) 。〔・言語進退門110八〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「道俗」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

道俗(ダウゾク) ―者。〔人倫門89七〕

とあって、標記語「道俗」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』・印度本系統の弘治二年本節用集』・易林本節用集』に標記語「道俗」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』については、此の語を未収載としている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

646聖道者從(シユ)僧駈使(クシ/ハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)臨時客人任人数点心布施臈次(ラツ−)ヲ 糺臈次。有式目四ケ条老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕

とあって、標記語「道俗」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同朋(ドウボウ)推参(スイサン)道俗(ゾク)臨時(リンジ)(キヤク)人任人數(イヽ)點心布施(フせ)(タヽシ) 同朋(ドウボウ)ハ。力者(リキシヤ)也。又弟子(デシ)(キヤウ)弟人歟〔下33オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「道俗を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

推参(すいさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくじん)推参之道俗臨時之客人 皆其時に當(あた)り不意(ふい)に來りし客をいふ。〔85ウ二・三〕

とあって、この標記語「道俗」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施臈次給上下之品。〔62ウ四〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)。〔112ウ一〕

とあって、標記語「道俗」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Do<zocu.ダゥゾク(道俗) Xucqeto,zaiqe.(出家と,在家) 僧侶と俗人と.〔邦訳191l〕

とあって、標記語「道俗」の語の意味は「僧侶と俗人と」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だう-ぞく〔名〕【道俗】〔出家の人を道と云ひ、在家の人を俗と云ふ〕僧侶と、俗人と。魏書、李同軌傳「道俗咸以爲善」中書疏、一「道俗者、智度論云、聲聞法中、未生死即涅槃、衆生則是佛、故二乘不能一道俗也、道則涅槃、俗則生死」大鏡、上、序「入道殿下の、御ありさまの、世にすぐれておはします事を、道俗男女の御前にて申さんと思ふが」〔1195-1〕

とあって、標記語「だう-ぞく〔名〕【道俗】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「どう-ぞく道俗】〔名〕僧侶と俗人。仏道にはいっている人と俗世間の人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先熊谷二郎直實入道、以九月十四日未尅、可爲終焉之期由、相觸之間、至當日、結縁道俗、圍繞彼東山草菴時尅著衣袈裟昇礼盤、端座合掌唱高聲念佛、執終、兼聊無病氣〈云云〉《訓み下し》先ヅ熊谷ノ二郎直実入道、九月十四日ノ未ノ剋ヲ以テ、終焉ノ期タルベキ由、相ヒ触ルルノ間、当日ニ至リテ、結縁ノ道俗、彼ノ東山ノ草庵ヲ囲繞ス、時剋ニ衣袈裟ヲ著シ礼盤ニ昇リ、端座シテ掌ヲ合セ高声ニ念仏ヲ唱ヘテ、執終ス、兼テ聊カモ病気無シト〈云云〉。《『吾妻鏡』承元二年十月二十一日の条、》
以諸山聖人、為仏法啼涙、田舎道俗哭失威ヲ嘲哢、悲哉痛■哉、《『東大寺文書(図成)』天喜四年五月日の条、883・9/183》
 
 
2004年12月03日(金)薄晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
推参(スイサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

推参(サン) 。〔元亀二年本359七〕〔静嘉堂本437七〕

とあって、標記語「推参」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「推参」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「スイサン」、文明四年本に「スイ(サン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「推参」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「推参」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

推参(スイサンヲシ、マイル)[平・平] 。〔態藝門1127四〕

とあって、標記語「推参」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

推参(スイサン) 。〔・言語進退門271四〕

推参(スイサン) ―量(リヤウ)。―問(モン)/―察(サツ)。〔・言語門231七〕

推参(スイサン) ―量。―察/―問。〔・言語門217六〕

とあって、標記語「推参」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

推量(スイリヤウ) ―參(サン)。―察(サツ)/―問(モン)。―舉(キヨ)。〔言辞門241一〕

とあって、標記語「推量」の熟語群として「推参」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「推参」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

646聖道者從(シユ)僧駈使(クシ/ハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)之道臨時客人任人数点心布施臈次(ラツ−)ヲ 糺臈次。有式目四ケ条老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕

とあって、標記語「推参」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同朋(ドウボウ)推参(スイサン)道俗(ゾク)臨時(リンジ)(キヤク)人任人數(イヽ)點心布施(フせ)(タヽシ) 同朋(ドウボウ)ハ。力者(リキシヤ)也。又弟子(デシ)(キヤウ)弟人歟〔下33オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「推参を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

推参(すいさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくじん)推参之道俗臨時之客人 皆其時に當(あた)り不意(ふい)に來りし客をいふ。〔85ウ二・三〕

とあって、この標記語「推参」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施臈次給上下之品▲推参之道俗ハ推(おし)かけに参つて法義(ほふぎ)の談話(はなし)する者をいふ。〔62ウ三、62ウ七〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)▲推参之道俗ハ推(おし)かけに参(まゐ)りて法義(ほふぎ)の談話(はなし)する者をいふ。〔112オ六、112ウ六〜113オ一〕

とあって、標記語「推参」の語をもって収載し、その語注記は、「推参之道俗は、推(おし)かけに参(まゐ)りて法義(ほふぎ)の談話(はなし)する者をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suisan.スイサン(推参) Voxi,mairu.(推し,参る)呼ばれもしないのにやって来るとか,問われもしないのに語るとかすること.〔邦訳586r〕

とあって、標記語「推参」の語の意味は「Voxi,mairu.(推し,参る)呼ばれもしないのにやって来るとか,問われもしないのに語るとかすること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すゐ-さん〔名〕【推参】(一)おしかくること。おして、まゐること。我れより、訪ふこと。平家物語、一、祇王妓女事「遊者は、人の召に隨ひてこそ參れ、左右なく、推參するやうやある」明衡往來「上酒一樽相具、可推參(二)差しでがましきこと。出過(ですぎ)太平記、十六、本間孫四郎遠矢事「如何なる推參の馬鹿者にてかありけむ」〔1071-2〕

とあって、標記語「すゐ-さん〔名〕【推参】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「すい-さん推参】〔名〕@(―する)招かれもしないのに自分からおしかけていくこと。また、そうする人。また、人を訪問することを謙遜(けんそん)していう語。A(形動)さし出がましいこと。無礼なふるまいをすること。また、そのさま。ぶしつけ。なまいき」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
于時、光行、推參彼所之間、被止言談〈云云〉《訓み下し》時ニ、光行、彼ノ所ニ推参スルノ間、言談ヲ止メラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』寿永三年四月十五日の条、》
当宮社頭祠官番直事、去建治二年十二月、強盗推参于若宮合間之時、始而祠官等毎月十ヶ日、令結番可致警固之由被仰下之旨、前左大将殿御消前左大将殿御消息所候也、恐々謹言 《『石清水寺文書(田中)』延慶四年三月廿八日の条、328・1/558》
 
 
2004年12月02日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
同朋(ドウボウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

同崩(ボウ) 。〔元亀二年本55三〕

同朋(ボウ) 。〔静嘉堂本61七〕

同朋(ホウ) 。〔天正十七年本中57ウ一〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「同朋」の語を収載する。但し、元亀二年本は別表記「同崩」と表記している。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)僧駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「同朋」とし、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に、「(ドウ)ホウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

同朋 同/トウホウ。〔畳字門上50オ四〕

同異 〃心。〃意。〃寮。〃文。〃母。〃法。〃道。〃類。〃車。〃宿。〃品。〃僚。〃門。〃トウレイ〃朋。〃行。〔巻二・畳字門425一〕

とあって、標記語「同朋」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「同朋」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

同朋(ドウボウヲナシ、トモ)[平・平] 遁世者也。〔人倫門127六〕

とあって、標記語「同朋」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

同朋(ドウボウ) 遁世者。〔・人倫門42一〕

同朋(ドウボウ) 。〔・人倫門42九〕〔・人倫門46六〕

同朋(トウバウ) 。〔・人倫門39五〕

とあって、標記語「同朋」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

同朋(ボウ) 。〔言辞門41一〕

とあって、標記語「同朋」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「同朋」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

646聖道者從(シユ)僧駈使(クシ/ハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)之道臨時客人任人数点心布施臈次(ラツ−)ヲ 糺臈次。有式目四ケ条老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕

とあって、標記語「同朋」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

同朋(ドウボウ)推参(スイサン)道俗(ゾク)臨時(リンジ)(キヤク)人任人數(イヽ)點心布施(フせ)(タヽシ) 同朋(ドウボウ)ハ。力者(リキシヤ)也。又弟子(デシ)(キヤウ)弟人歟〔下33オ七〜ウ一〕

とあって、この標記語「同朋を収載し、語注記に「同朋(ドウボウ)は、力者(リキシヤ)なり。また、弟子(デシ)・兄(キヤウ)弟人か」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

驅使(くし)同朋(どうぼう)駈使同朋 小つかひのものなり。〔85ウ二〕

とあって、この標記語「同朋」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施臈次給上下之品▲同朋ハ近(ちか)く侍(はへ)りて用(よう)を聞()く者〔62ウ三、62ウ七〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)▲同朋ハ近(ちか)く侍(はべ)りて用(よう)を聞()く者也。〔112オ六、112ウ六〕

とあって、標記語「同朋」の語をもって収載し、その語注記は、「同朋は、近(ちか)く侍(はべ)りて用(よう)を聞()く者なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Do>bo>.ドウボウ(同朋) 屋形(Yacata),すなわち,大名の御殿に奉公するある種の剃髪者.〔邦訳185l〕

とあって、標記語「同朋」の語の意味は「屋形(Yacata),すなわち,大名の御殿に奉公するある種の剃髪者」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

どう-ぼう〔名〕【同朋】〔もと童坊(ドウバウ)に作る〕(一)足利義滿の時、時宗(ジシユウ)の僧を使はる。大紋の直垂に白袴の姿にて、御成の御供には必ず從ふものなれば、力者の頭なりしか。同朋故實考同朋の始の事、さだかならざれども、鎌倉將軍家の比は、力者など云ひし者なるべし」貞丈雜記、四、役名「同朋と云は、剃髪の者にて、殿中にて諸侍につかはれ、雜役の者也、云云、或説に云、鹿苑院義滿公、十歳にて父におくれ給ひし時、細川頼之、執事となりて義滿公を養育す、其比、頼之のはからひにて、法師六人をえらび、異體の衣服を着させて、侫坊と名づけ、又童坊とも名づけ、何れも何阿彌と名のり、色色のたわけ事をさせ、たわことを云はせて殿中をありかせ、諸侍のなぶりものとし、わらひぐさとしけり、是れは義滿公に、侫人のにくみ給ふ樣に教へ奉る頼之下心也」(二)禪家にて、供法師の稱。承仕法師の流なり。(三)江戸時代、武家にて雑役に使用せし剃髪の小吏。幕府にては、將軍出行の時、扈從するもの。一名、ちまつりばうず(血祭坊主)と云へり。その條を見よ。東照宮御實紀、五、慶長八年三月廿五日「將軍、云云、御參内あり、云云、同朋全阿彌正次騎馬」廿四、依山門嗷訴公卿僉議事趙世家「いかなる大刹の長老、大同朋の人も、路次に行き逢ふ時は、膝を屈めて、地に跪き」〔0456-5〕

とあって、標記語「どう-ぼう〔名〕【同朋】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「どう-ほう同朋】〔名〕@なかま。ともだち。同袍。A輿などをかつぐ力者(りきしや)。禅家で供の法師をいう。B真宗で同信行者の称。同行。C室町時代、将軍家に近侍して身辺の雑務や特殊な芸能諸事をつかさどった職。僧体ですべて阿彌号を名のり、某阿彌陀仏、其阿彌陀仏・某阿彌・某阿のように称する。職制は不明部分が多いが、書信の使者や対面取次などの雑事に従う者と、書画・調度品など唐物の鑑定管理や猿楽・田楽・立花などの特殊技能者として勤仕する者との別があったらしい。同朋衆。童坊。D中世、将軍家にならって諸大名家に設置され、雑務に従った職。E江戸幕府の職名。同朋頭のもとで坊主(公人朝夕人)とともに各所大名、諸役人の登城のとき、その雑事や茶の湯の相手を務め、殿中の掃除をした。定員一〇人前後。[補注]「源平盛衰記−二一・小道地蔵堂」の「骨肉の親類にも非ず、又一室の同朋(オウ)にも非ず」の文中に「同朋(どうオウ)」の読みがある。(2)中世の同朋衆が阿彌号を称したところから同朋=時宗説が行なわれたが、阿彌号はかつて時衆が武将に従って芸能を施したことに始まる系譜性を示す称号とみるべきであろう。また、同じく殿中で、阿彌を称する遁世者で、納錢奉行などの全く別の職種に従事していた者もある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
所詮云御社修理、云僧坊造営、依為当山大切之上者、不簡同朋等侶、無偏頗矯餝、致一味同心之御沙汰、未進輩料田者、可令収公之由、所及誓文也、 《『台明寺文書』貞和六年二月十五日の条、154・ /0 》
 
 
2004年12月01日(水)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
駈使(クシ)&駈仕{士}(クジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、標記語「駈使」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月三日の状に、

聖道者從僧駈士同朋推参之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔至徳三年本〕

聖道者從僧駈使同朋推參之道俗臨時之客人任人數云點心云布施物糺臈次可注給上下品也〔宝徳三年本〕

聖道者従僧駈仕同朋推參之道俗臨時之客人任人数云點心云布施物糺臈次可注給上下之品也〔建部傳内本〕

聖道者從僧(ジウソ)駈使(クジノ)同朋(ホウ)推参(スイサン)之道俗臨時客人也任人数點心布施物(タヽシテ)臈次(ロウシ)上下之品(シナ)〔山田俊雄藏本〕

聖道者從(シユウ)駈使(クシ)同朋推参之道俗臨時客人任人数点心(イヽ)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)給上下(シナ)〔経覺筆本〕

聖道()從僧(ジウソウ)駈使(クシ)同朋(ホウ)(スイ)参之道俗(タウソク)臨時客僧(かくソウ){人}任人数(イヽ)點心(テンシン)布施物(タヽシテ)臈次(ラツシ)(シルシ)上下(シナ)〔文明四年本〕 ※布施(フせ)

と見え、至徳三年本「駈士」、建部傳内本「駈仕」、宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「駈使」とし、訓みは山田俊雄藏本「クジ」、経覺筆本・文明四年本に「クシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「駈使」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「駈使駈仕」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

駈仕(クジ) 。〔人倫門129二〕

とあって、標記語「駈使」の語を収載し、訓みを「クジ」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本に標記語「駈仕」(「駈使」は未収載)の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

646聖道者從(シユ)駈使(クシハシリツカイ)同朋(−ボウ)推参(スイ−)之道臨時客人任人数点心布施臈次(ラツ−)ヲ 糺臈次。有式目四ケ条老之次第也。〔謙堂文庫蔵五六左A〕

とあって、標記語「駈使」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

駈使(クシ) ハ定使也。〔下33オ七〕

とあって、この標記語「駈使を収載し、語注記に「定使なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

驅使(くし)同朋(どうぼう)駈使同朋 小つかひのものなり。〔85ウ二〕

とあって、この標記語「駈使」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

聖道(しやうたう)()從僧(じうそう)驅使(くし)同朋(どうほう)推参(すいさん)()道俗(たうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)人数(にんじゆに)に任(まかせ)せ點心(てんしん)と云()ひ布施物(ふせもつ)と云()ひ臈次(らつじ)を糺(たゞ)し上下(じやうげ)()(しな)を注(ちう)し給(たま)ふ可()き也(なり)聖道者從僧駈使同朋推参之道俗臨時客人任人数点心布施臈次給上下之品▲駈使ハ使(つかひ)を勤(つと)むる小者(こもの)也。〔62ウ三、62ウ七〕

聖道(しやうだう)()從僧(じうそう)駈使(くし)同朋(どうほう)推参(すゐさん)()道俗(だうぞく)臨時(りんじ)()客人(きやくしん)(まかせ)人数(にんじゆに)(いひ)点心(てんしんと)(いひ)布施物(ふせもつと)(たゞし)臈次(らふじを)(べき)(ちゆうし)(たふ)上下(じやうげ)()(しなを)(なり)▲駈使ハ使(つかひ)を勤(つと)むる小者也。〔112オ六、112ウ五・六〕

とあって、標記語「駈使」の語をもって収載し、その語注記は、「駈使は、使(つかひ)を勤(つと)むる小者(こもの)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「駈使」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【驅使】おひ、つかふこと。漢書、?長房傳「驅使社公」「奴僕を驅使す」〔0521-2〕

とあって、標記語「-〔名〕【驅使】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-駈使】〔名〕@(―する)追いたてて使うこと。A(―する)思いのままに使うこと。自由自在に使いこなすこと。B仏家や寺などで、使用する者」とあって、Bの意味用例に『庭訓徃來』の語用例を記載する。また、標記語「-駈仕】〔名〕僧侶の役目。諸法会に際し、走り回って諸僧を集めたり、必要な道具をそろえるための沙汰する役。易林本節用集(1597)「駈仕 クジ」」とした語をも収載する。
[ことばの実際]
千種大相国、通相公息一承仕 教幸順、鐃持 大壇言广旦兼帯之、一駆使 千菊、 庭ニ柾木ニシラハレニテ懸腰只一人、一鎮守読経事、 請定不認云々、失念歟 《『醍醐寺文書』天文十八年二月日の条、2541・11/216》
 
 
 
 
 
 

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