2005年01月01日から01月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

謹賀新年 本年も宜しくお願い申し上げます

                  梅が枝に

               莟花咲き

                 吾がこゝろ

               馨しき道に

                  惠み育む

                   2005年

                   酉年元旦 Ca Podanno

 

 
 
 
 
 
2005年1月31日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
素麺・索麺・索麪(サウメン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

索麺(サウメン) 。〔元亀二年本270三〕〔静嘉堂本308二〕

とあって、標記語「索麺」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本が「素麺」とし、宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「索麺」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「サウメン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「素麺」「索麺」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

索麺(サウメン) 。〔飲食門100二〕

とあって、標記語「索麺」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

索麺(サフメンサク・モトム・ナワ、ムギ)[入・去] 與麪同。〔飲食門779一〕

とあって、標記語「索麺」の語を収載し、語注記に「と麪同じ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

索麺(サウメン) 。〔・食物門212八〕〔・食物門177九〕〔・食物門166八〕

とあって、標記語「索麺」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

索麪(サウメン) ―餅(サクヘイ)。〔飲食門007三〕

とあって、標記語「索麪」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「「素麺」は見えず、「索麺」「索麪」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

674索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンヒン) 用油也。〔謙堂文庫蔵五八右@〕

とあって、標記語「索麺」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「索麺を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)素麺碁子麺 是ハ皆形によりて名付し也。索ハなわ也。〔88ウ五〜六〕

とあって、この標記語「素麺」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「素麺」の語をもって収載し、その語注記は「素ハ索(そうめん)に作るべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So<men.サゥメン(索麺) そうめん.→Zoro.〔邦訳572l〕

とあって、標記語「索麺」の語の意味は「そうめん」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さう-めん〔名〕【索麺】〔索(サクメン)の音便(格子(カクシ)、かうし。冊子(サクシ)、さうし)素?などと書くは、當字なり〕又、ほそもの。小麥の粉を、水と、鹽とに捏()ねて、胡麻の油をつけて、昔は、麪板に載せ、麪棒にて押し伸ばしたれど、今は、器械にて伸べ、細そく切りて、索(ひも)として、乾したるもの、煮()でて、食ふ。又醤油を加へ、煮て食ふを、煮(ニウメン)と云ひ、或は、ひやむぎの如く、冷水に浸し、汁にても食ふ。庭訓往來(元弘)十月「索麪、棊子麺」尺素往來(文明)「索麪者熱麥(あつむぎ)七十一番職人盡歌合(文安)三十七番、さうめん賣「我が戀は、建仁寺なる、さうめんの、心太くも、思ひよるかな」〔0774-3〕

とあって、標記語「さう-めん〔名〕【索麺】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そう-めん索麺索麪素麺】〔名〕@(「さくめん」の変化した語)小麦粉に水と塩とを加えてこねた種に、植物油を塗って細く引き伸ばして日に干したごく細いうどん状の麺。茹(ゆ)でたり煮込んだりして食べる。七夕祭の供物、盂蘭盆(うらぼん)の贈答にも用いられる。A盜人仲間の隠語。イ捕縛(とりなわ)。〔日本隠語集(1892)〕ロ巡査。〔隠語輯覧(1915)〕ハ元結(もとゆい)。〔隠語輯覧(1915)〕[語誌](1)「索麺」はその名や製法から、中国から伝来と考えられ、おそらく、鎌倉、室町時代に渡宋、渡明した仏僧が伝えたものであろう。日本の文献には室町時代頃から、「索麺」の名が見られるが、後に音便で、「さうめん(そうめん)」となった。(2)室町末から近世にかけて一般化し、正保二年(1645)刊の俳諧・毛吹草−四」には、山城の「大コ寺蒸素?」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
八坂神社記録「社家記録」〔『八坂神社記録』上、『八坂神社叢書』収載〕の康永二年(一三四三)七月七日の条に、「一 自丹波素麺公事免除之間、一兩年不上、仍素麺儀沙汰之、坊人宮仕等少々來」とあって、「素麺」の記述があり、これが「そうめん」という言葉の文献上での初出となる。《『日本古辞書研究』〔港の人刊〕第二輯の拙著論文「『嚢鈔』卷第一「五節供」の典拠資料について―『東山徃来』『拾芥抄』『太平記』『下學集』等からの引用姿勢―」の補注に既に指摘している》
 
 
2005年1月30日(日)晴。イタリア(ローマ・自宅AP)→キュナーレ宮殿、VILLA ADA 
饅頭(マンヂウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「滿」部に、

饅頭(マンヂウ) 。〔元亀二年本207五〕〔静嘉堂本236二〕

饅頭(マンチウ) 。〔天正十七年本中47ウ一〕

とあって、標記語「饅頭」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「饅頭」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「マンヂウ」、経覺筆本・文明四年本に「マンチウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「饅頭」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

饅頭(マンチウ) 。〔飲食門100二〕

とあって、標記語「饅頭」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

饅頭(マンヂウ―、カシラ・カウベ)[平・○] 同字。異名牢丸。籠餅。縮葱。銀線。〔飲食門569七〕

とあって、標記語「饅頭」の語を収載し、語注記に「韭は同字。異名牢丸。籠餅。縮葱。銀線」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

饅頭(マンヂウ) 。〔・食用門170二〕〔・食用門139八〕

饅頭(マンチウ) 。〔・食用門129二〕

とあって、標記語「饅頭」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

饅頭(マンチウ) 。〔飲食門140三〕

とあって、標記語「饅頭」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「饅頭」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。とりわけ、広本節用集』の語注記とは、大いに異なっていることも注意されたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

673羊羹(ヤウカン)猪羹松露羹驢腸(ロチヤウ)羹笋羊羹(シユンヤウカン)鮮羹(セン−)砂糖羊羹(サタウ――)白魚羹(ハク――)蒸羊羹饂飩(ウントン)饅頭(マンチウ) 土茸也。見土茸不成佛云々。故假食物佛亊。其結縁之意也。〔謙堂文庫蔵五七左G〕

とあって、標記語「饅頭」の語を収載し、語注記は「曼は土茸なり。経に見ゆ、土茸不成佛云々。故に食物の名に假し、佛亊に用ゆ。其の故は、皮の草を結縁の意なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「饅頭を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)饂飩饅頭 南都(なんと)の塩瀬(しほぜ)か先祖(せんそ)。中華(もろこし)にて其法を習ひて日本に来り。饅頭を作りはしめし故南都を始(はしめ)とす。饅頭と名けしハ頭のなめらかなるによる。〔88ウ四〜五〕

とあって、この標記語「饅頭」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「饅頭」の語をもって収載し、その語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mangiu<.マンヂュウ(饅頭) 小麦の小さなパンであって,湯の蒸気で蒸した物.→Fucurame,uru;Man(饅);Muxi,su;Voman.〔邦訳383r〕

とあって、標記語「饅頭」の語の意味は「小麦の小さなパンであって,湯の蒸気で蒸した物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

マン-ヂュウ〔名〕【饅頭】〔字の元代ノ音、暦應四年、元人、林淨因、建仁寺第三十五世、コ見龍山禪師に從ひて歸化し、南都にて作り始むと〕(一)餅菓子の名。(むぎこ)に精好なる甘酒を絞り入れ、捏()ねて、中に餡(あん)を包みて、蒸し作る。形、圓く平たし。書言故事(宋、胡繼宗)十二、饌食類「饅頭、晉、束皙、餅賦、有饅頭、薄餅、起、、牢九之號、惟饅頭至今名存、而薄持、起、、牢九、莫其何物下學集、下、飲食門「饅頭、マンヂウ」七十一番職人盡歌合、十八番、まむぢう賣「うりつくす、タイタウ餅や、まんぢう、聲ほのかなる、夕月夜かな」、五十七番、調菜「いかにせん、こしきに蒸せる、饅頭の、思ひふくれて、人の戀しき」(二)袂時計の一名。〔盗人の語〕〔1902-5〕

とあって、標記語「マン-ヂュウ〔名〕【饅頭】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「まん-じゅう饅頭】(「ぢゅう」は「頭」の唐宋音)[一]〔名〕@小麦粉、米粉、蕎麦粉などに、ふくらし粉や甘酒の搾り汁と水を加えて発酵させた皮にあんを包み、下側を平らに、上部を丸く形づけて蒸したもの。中国のマントーが起源といわれるが、中国のマントーは中にあんを包まないのが一般的。日本には鎌倉初期に渡来し、暦応年間(1338-42)に中国から帰化した林浄因が、奈良でつくり、売り出したという。A@の形にした料理につけられる語。まんじゅう蒸し、まんじゅう焼きなど。B「まんじゅうかなもの(饅頭金物)」の略。Cたこのまくら(蛸枕)の異名。Dふなまんじゅう(船饅頭)の略)船中で売春をした私娼。E女性の陰部をいう。Fアイロン代の一種。枕状のもの。肩や袖のふくらみのある部分の仕上げに用いる。G懐中時計をいう。盜人仲間の隠語。H南京錠をいう、盗人仲間の隠語。[二]狂言。大蔵流。都で饅頭売りに饅頭をすすめられた田舎者は、うまいかどうか食ってみせたら買おうという。饅頭売りはふるまってもらえると思い全部食べ、代金を田舎者に請求する。田舎者は自分が食べたのではないから知らぬと言い、さらには刀に手をかけて饅頭売りをおどし立ち去る。「狂言記」で「饅頭食い」。語誌](1)「七十一番職人歌合−五七番」の調菜には「さたうまんぢう。さいまんぢう。いづれもよくむして候」とあり、中に野菜などを入れた「菜饅頭」や、餡を入れた「砂糖饅頭」などの種類があったことがわかる。(2)「咄本・醒睡笑−七」に、饅頭を菓子に出されて「これは小豆ばかり入りて位高し。われ等ごとき者の賜はるは、ありがたき」という場面があるように、小豆入りは高級品であった。砂糖入りはさらに高級で、手に入りやすくなったのは、近世後半からのことである。「雍州府志−六」(1682)には、当時の京都では、砂糖を用いた小豆餡の饅頭を菓子屋が競ってつくっていることが記されている」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
堂裡僧を一日に幾僧と請じて、斎前に点心をおこなふ。あるいは麺一椀、羹一杯を毎僧に行ず。あるいは饅頭六七箇、羹一分、毎僧に行ずるなり。饅頭これも椀にもれり。はしをそへたり、かひをそへず。《乾坤本『正法眼藏』六34ウD》
 
 
2005年1月29日(土)霙曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA〜キュナーレ宮殿
饂飩(ウンドン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

饂飩(ウンドン) 。〔元亀二年本179四〕

饂飩(ウントン) 。〔静嘉堂本200四〕〔天正十七年本中29ウ三〕

とあって、標記語「饂飩」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・経覺筆本が「饂飩」、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本文明四年本は「」、と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・文明四年本に「ウトン」、経覺筆本に「ウドン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「饂飩」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

饂飩(ウンドン) 。〔飲食門100一〕

とあって、標記語「饂飩」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

温飩(ウンドンアタヽカ、カレイ)[去・平] 或作饂飩(ウンドン)。〔飲食門475六〕

とあって、標記語「温飩」の語を収載し、語注記に「或は饂飩と作る」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

温飩(ドン) 饂飩。〔・食物門150四〕

温飩(ウンドン) 饂―。〔・食物門122三〕

温飩(ウトン) 又作饂―。〔・食物門112一〕

温飩(ウンドン) 又作饂―。〔・食物門136四〕

とあって、標記語「温飩」の語を収載し、その語注記に「或は饂飩」、「又饂飩に作る」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

(ウ ドン) 。〔食服門118一〕

※この表記は、上記古写本『庭訓往來』(宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本文明四年本)に共通している。

とあって、標記語「」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「饂飩」「温飩」「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

673羊羹(ヤウカン)猪羹松露羹驢腸(ロチヤウ)羹笋羊羹(シユンヤウカン)鮮羹(セン−)砂糖羊羹(サタウ――)白魚羹(ハク――)蒸羊羹饂飩(ウントン)饅頭(マンチウ) 土茸也。見土茸不成佛云々。故假食物佛亊。其結縁之意也。〔謙堂文庫蔵五七左G〕

とあって、標記語「饂飩」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「饂飩を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)饂飩饅頭 南都(なんと)の塩瀬(しほぜ)か先祖(せんそ)。中華(もろこし)にて其法を習ひて日本に来り。饅頭を作りはしめし故南都を始(はしめ)とす。饅頭と名けしハ頭のなめらかなるによる。〔88ウ四〜五〕

とあって、この標記語「饂飩」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「饂飩」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vdon.ウンドン(温飩・饂飩) 小麦粉を捏ねて非常に細く薄く作り,煮たもので,素麺,あるいは,切麦(Quirimugui)のような食物の一種.〔邦訳689r〕

とあって、標記語「饂飩」の語の意味は「小麦粉を捏ねて非常に細く薄く作り,煮たもので,素麺,あるいは,切麦(Quirimugui)のような食物の一種」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うん-どん〔名〕【饂飩】〔饂は温なるに、飩の食偏に連れて、連字改偏旁せしなり、輻湊を輻輳、爛漫を爛とする類〕約めて、うどん。こむぎこに鹽を加へて、水にて固くこねて、薄く展べ、細そく切りたるもの。煮()でて、汁に浸して食ふ。温飩庭訓往來、十月「饂飩〔0259-1〕

-どん〔名〕【饂飩】うんどんの約。宗五大雙紙「饂飩も點心にて候へども、殿上にても私にても、急度したる一獻に見及ばず候」〔0247-1〕

とあって、標記語「うん-どん〔名〕【饂飩】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うん-どん饂飩】〔名〕「うどん(饂飩)の古称」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
うんどんか」「ぬるむぎ、あつむぎ、ひやむぎ、きりむぎ、まんどうでもあったか」《虎明本『狂言文藏(室町末−近世初)の条》
 
 
鮮羹(センカン)」「白魚羹(ハクギヨカン)」「蒸羊羹(むしヤウカン)」
 此の三語は、上記「松露羹」と同じく、真名本庭訓往來註』にだけ増補が見られる極めて特殊な語彙である。こうした羮類の食物の実体を知る手がかりは、同時代の別資料から見出すまではその品名だけを知るに過ぎない。今後の調査課題の一つとなろう。
 
 
2005年1月28日(金)霙後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
砂糖羊羹(サタウヤウカン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

砂糖羊羹(サタウヤウカン) 。〔元亀二年本276二〕〔静嘉堂本316二〕

とあって、標記語「砂糖羊羹」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本が「砂糖羹」、建部傳内本が「砂糖」、山田俊雄藏本・文明四年本が「砂糖羊羹」とし、宝徳三年本・経覺筆本は、「砂糖羊羹」の語を未記載にする。訓みは、山田俊雄藏本・文明四年本に「サタウ(ヤウカン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「砂糖羊羹」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「砂糖羊羹」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一『運歩色葉集』に標記語「砂糖羊羹」の語を収載し、これをまた、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。その他、下記『日葡辞書』に収載する語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

673羊羹(ヤウカン)猪羹松露羹驢腸(ロチヤウ)羹笋羊羹(シユンヤウカン)鮮羹(セン−)砂糖羊羹(サタウ――)白魚羹(ハク――)蒸羊羹饂飩(ウントン)饅頭(マンチウ) 土茸也。見土茸不成佛云々。故假食物佛亊。其結縁之意也。〔謙堂文庫蔵五七左G〕

とあって、標記語「砂糖羊羹」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「砂糖羊羹を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖(さとう)羊羹(ようかん)水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん)砂糖羊羹 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「砂糖羊羹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「砂糖羊羹」の語をもって収載し、その語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sato<yo<can.サタゥヤゥカン(砂糖羊羹) 豆と砂糖とで作る,甘い板菓子〔羊羹〕の一種.〔邦訳561r〕

とあって、標記語「砂糖羊羹」の語の意味は「豆と砂糖とで作る,甘い板菓子〔羊羹〕の一種」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さたう-やうかん〔名〕【砂糖羊羹】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さとう-やうかん砂糖羊羹】〔名〕砂糖を入れて作った羊羹。多く、羊羹の原形である羮(あつもの=吸い物の類)に対して、菓子として用いる甘味のものをいう。庭訓往来(1394-1428頃)「笋羊羹。砂糖羊羹。饂飩。饅頭」宗五大草紙(1528)かんの名の事「竹やうかん、白魚かん<略>さたうようかん、やうかん、うどん、まんぢう」*日葡辞書(1603-04)「Sato<yo<can(サタウヤウカン)<訳>豆と砂糖で作ったある種の菓子」虎寛本狂言文蔵(室町末-近世初)「『何やら珍らしい物を振舞はせられて御ざる』<略>『砂糖羊羹』『いいや』」*随筆・嬉遊笑覧(1830)一〇上「その頃には異国よりわたりも多くなりにしや、さたうを用ひざる物多かり。『庭訓』に羊羹と砂糖羊羹と二種出たり。唯羊羹は砂糖は入らざるなり」*随筆・守貞漫稿(1837-53)二八「羊羹の古製小豆一升砂糖准之小麦粉五勺鍋墨少し加へゆるく煉り合せ蒸籠に掛けさまして後に細長く四角に切る。色黒し云々。古製は此ごとく甚粗製也。今製の蒸羊羹の類にて、古の砂糖羊羹也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年1月27日(木)夜半小雪曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
笋羊羹(シユンヤウカン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

笋羊羹(ジユンヤウカン) 。〔元亀二年本322三〕〔静嘉堂本380二〕

とあって、標記語「笋羊羹」の語を収載し、訓みは「ジユンヤウカン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「笋羊羹」とし、宝徳三年本は、未収載にある。訓みは、山田俊雄藏本に「シユン(ヤウカン)」、文明四年本に「シユンヤウ(カン)」、経覺筆本に「シユンヤウカン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「笋羊羹」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「笋羊羹」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

羮名(カンノナ) 鶏舌羮(ケイゼツカン)笋羊(シユンヤウ)。砂糖羊羹(サタウヤウ  )。麩羊羹(フヤウ  )。水精包羮(スイシヤウハウ  )。雲月(ウンゲツ)。猪(チヨ)羹。寸金(スンキン)羮。雲膳羮(ウンゼン  )。白魚(ハクギヨ)羮。鼈羮(ベツ  )腸羹(ロチヤウカン)。水蟾羹(スイセン  )。宝珠羹(ホウシユ  )。曹鶏羹(サウケイ  )・食物門81六〕

とあって、弘治二年本の標記語「羮名」の熟語群として「笋羊羹」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

笋羊羹(シユンヤウカン) 。〔食服門208五〕

とあって、標記語「笋羊羹」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「笋羊羹」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

673羊羹(ヤウカン)猪羹松露羹驢腸(ロチヤウ)笋羊羹(シユンヤウカン)鮮羹(セン−)砂糖羊羹(サタウ――)白魚羹(ハク――)蒸羊羹饂飩(ウントン)饅頭(マンチウ) 土茸也。見土茸不成佛云々。故假食物佛亊。其結縁之意也。〔謙堂文庫蔵五七左G〕

とあって、標記語「笋羊羹」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)ニ|伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲ニ‖ 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「笋羊羹を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん) 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「笋羊羹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「笋羊羹」の語をもって収載し、その語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「笋羊羹」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しゅん-やうかん〔名〕【笋羊羹】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅん-ようかん筍羊羹笋羊羹】〔名〕(「じゅんようかん」とも)切って薄味に煮た竹の子を寒天で流しかためた料理。庭訓往來(1394-1428頃)「笋羊羹、砂糖羊羹、饂飩、饅頭」尺素往來(1439-64)「点心者先点集香湯、而後砕糟<略>驢腸羹、笋羊羹、海老羮」*運歩色葉集(1548)「笋羊羹ジユンヤウカン易林本節用集(1597)「笋羊羹シユンヤウカン*浄瑠璃・天神記(1714)一「饅頭・棊子麺・笋羊羹(シユンヤウカン)とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2005年1月26日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
驢腸羹(ロチヤウカン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「路」部に、

驢腸羹(ロチヤウカン) 。〔元亀二年本24一〕

腸羹(ロチヤウカン) 。〔静嘉堂本21五〕〔天正十七年本上11ウ七〕

とあって、標記語「驢腸羹」と「腸羹」の両表記を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「驢腸羹」とし、宝徳三年本は、未収載にする。訓みは、山田俊雄藏本に「ロチヤウ(カン)」、経覺筆本・文明四年本に「ロチヤウカン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「驢腸羹」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

鷺腸羹(ロチヤウカン) 。〔飲食門100一〕

とあって、標記語「鷺腸羹」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

驢腸羹(ロチヤウカンウサギムマ、ハラワタ、カウ)[平・平・平] 。〔飲食門44八〕

とあって、標記語「驢腸羹」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鷺腸羹(ロチヤウカン) 。〔・食物門15八〕〔・食物門13七〕〔・食物門12二〕〔・食物門13七〕

羮名(カンノナ) 鶏舌羮(ケイゼツカン)。笋羊(シユンヤウ)羹。砂糖羊羹(サタウヤウ  )。麩羊羹(フヤウ  )。水精包羮(スイシヤウハウ  )。雲月(ウンゲツ)。猪(チヨ)羹。寸金(スンキン)羮。雲膳羮(ウンゼン  )。白魚(ハクギヨ)羮。鼈羮(ベツ  )腸羹(ロチヤウカン)。水蟾羹(スイセン  )。宝珠羹(ホウシユ  )。曹鶏羹(サウケイ  )・食物門81六〕

とあって、『下學集』と同じく標記語「鷺腸羹」の語で収載する。その外弘治二年本は標記語「羮名」の熟語群に「腸羹」を収載する。また、易林本節用集』に、

驢腸羹(ロチヤウカン) 。〔衣食門12一〕

とあって、標記語「驢腸羹」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「鷺腸羹」と「驢腸羹」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は後者の表記で収載している。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

673羊羹(ヤウカン)猪羹松露羹驢腸(ロチヤウ)笋羊羹(シユンヤウカン)鮮羹(セン−)砂糖羊羹(サタウ――)白魚羹(ハク――)蒸羊羹饂飩(ウントン)饅頭(マンチウ) 土茸也。見土茸不成佛云々。故假食物佛亊。其結縁之意也。〔謙堂文庫蔵五七左G〕

とあって、標記語「驢腸羹」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)ニ|伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲ニ‖ 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「驢腸羹を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん) 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「驢腸羹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「驢腸羹」の語をもって収載し、その語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「驢腸羹」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-ちャうかん〔名〕【驢腸羹】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ちょうかん驢腸羹】〔名〕語義未詳。羮の一種か。庭訓往來(1394-1428頃)「点心者<略>羊羹・驢腸羹・猪羹」蔭凉軒日録-長禄三年(1459)正月二五日「御点心之様子、一番集香湯、三峯膳、砂糖羊羹、驢腸羹、饅頭、索麺、茶子七種、御茶、御齋有三之膳也」*元和本下學集(1617)「鷺腸羮 ロチヤウカン」*浄瑠璃・天神記(1714)「菓子に取ては鼈羮羊羹かすてらほるてら砂糖羊羹驢腸羹ロチヤウカン)」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
《HP連関資料》 麺の歴史
 
 
2005年1月25日(火)雨後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
猪羮(チヨカン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

猪羹(ヂヨカン) 。〔元亀二年本67四〕

(チヨ) 。〔静嘉堂本79三〕

猪羹(チヨカン) 。〔天正十七年本上39ウ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「猪羹」の語を収載し、訓みは「ヂヨカン」(元)と「チヨカン」(静・天)の第一拍の清濁両用の表記が用いられている。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮猪羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)(チヨ)(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「猪羹」とし、宝徳三年本は、未収載にある。訓みは、山田俊雄藏本に・文明四年本に「チヨ(カン)」、経覺筆本に「チヨカン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「猪羹」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「猪羹」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

羮名(カンノナ) 鶏舌羮(ケイゼツカン)。笋羊(シユンヤウ)羹。砂糖羊羹(サタウヤウ  )。麩羊羹(フヤウ  )。水精包羮(スイシヤウハウ  )。雲月(ウンゲツ)(チヨ)。寸金(スンキン)羮。雲膳羮(ウンゼン  )。白魚(ハクギヨ)羮。鼈羮(ベツ  )。驢腸羹(ロチヤウ  )。水蟾羹(スイセン  )。宝珠羹(ホウシユ  )。曹鶏羹(サウケイ  )・食物門81六〕

とあって、弘治二年本の標記語「羮名(カンノナ)」の熟語群として「猪羹」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

猪羹(チヨカン) 。〔食服門50五〕

とあって、標記語「猪羹」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』・易林本節用集』に標記語「猪羹」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

673羊羹(ヤウカン)猪羹松露羹驢腸(ロチヤウ)羹笋羊羹(シユンヤウカン)鮮羹(セン−)砂糖羊羹(サタウ――)白魚羹(ハク――)蒸羊羹饂飩(ウントン)饅頭(マンチウ) 土茸也。見土茸不成佛云々。故假食物佛亊。其結縁之意也。〔謙堂文庫蔵五七左G〕

とあって、標記語「猪羹」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)ニ|伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲ニ‖ 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「猪羹を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)猪羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん) 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「猪羹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「猪羹」の語をもって収載し、その語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chocan.チョカン(猪羹) 豆や砂糖などで作られるある甘い食物.sarapatelに類するシナの或る料理に似せて作ったもの.※1)原文はasuquere.acucarの古形.Couorizaito<の条などにも用例がある.2)豚や羊の臓物や血などで調理したポルトガルのシチューの一種.〔邦訳125r〕

とあって、標記語「猪羹」の語の意味は「豆や砂糖などで作られるある甘い食物.sarapatelに類するシナの或る料理に似せて作ったもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ちョ-かん〔名〕【猪羹】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょ-かん猪羹】〔名〕猪の肉や油を入れた羮。また、それに似た甘い食物。新札往来(1367)上「於点心、者。<略>蟾羮・猪羹・鼈羮」*御伽草子・猿の草子(室町末)「さかなのかずは何々ぞ。すいせん、やうかん、むしむぎや、べつかん、ちよかん、つくねかん、さたうまんぢう、すいくわめん」易林本節用集(1597)「猪羹 チヨカン」日葡辞書(1603-04)「Chocan(チヨカン)<訳>豆、砂糖で作る甘い食物。中国で作る食物に似ていて、ポルトガルのサラパテルに類するもの」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
肴の数は何々ぞ。水繊、羊羹、蒸麦や、鼈羹、猪羹、つくね羹、砂糖饅頭、水花麺、食後、鶏卵、酒の名は、天野、島酒、白山酒、汲む手も匂ふ菊酒は、持ちながら千代を経ん。《御伽草紙『猿の草紙』》
 
 
2005年1月24日(月)晴れ後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
羊羹(ヤウカン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、

羊羹(ヤウカン) 。〔元亀二年本202六〕〔静嘉堂本229二〕

羊羹(カン) 。〔天正十七年本中44オ八〕

とあって、標記語「羊羹」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「羊羹」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「ヤウ(カン)」、文明四年本に「ヤウカン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「羊羹」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

羊羹(ヤウカン) 。〔飲食門100一〕

とあって、標記語「羊羹」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

羊羹(ヤウカンヒツジ、ホウ・アツモノ)[平・平] 。〔飲食門557一〕

とあって、標記語「羊羹」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

羊羹(ヤウカン) 砂糖(サタウ)。〔・食物門166八〕

羊羹 砂糖――。〔・食物門136六〕

羊羹(ヤウカン) 砂糖――。〔・食物門125六〕

とあって、標記語「羊羹」の語を収載し、語注記に「砂糖羊羹」と記載する。また、易林本節用集』に、標記語「羊羹」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「羊羹」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

673羊羹(ヤウカン)猪羹松露羹驢腸(ロチヤウ)羹笋羊羹(シユンヤウカン)鮮羹(セン−)砂糖羊羹(サタウ――)白魚羹(ハク――)蒸羊羹饂飩(ウントン)饅頭(マンチウ) 土茸也。見土茸不成佛云々。故假食物佛亊。其結縁之意也。〔謙堂文庫蔵五七左G〕

とあって、標記語「羊羹」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「羊羹を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん) 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「羊羹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「羊羹」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yo<can.ヤゥカン(羊羹) 豆に粗糖をまぜて,こねったもので作った食物.※原文はJagra.〔Curozato<の注〕〔邦訳823r〕

とあって、標記語「羊羹」の語の意味は「豆に粗糖をまぜて,こねったもので作った食物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やう-カン〔名〕【羊羹】〔カンは、支那音羹(キヤング)なるべきか、或は、羹(カウ)の音轉か、(庚申(カウシン))、カンシン、甲乙(カフオツ)、かんおつ、冠(かうぶり)、かんむり、馨(かうばし)、かんばし〕支那にて羊羹と云ふは、戰國策、中山策に「中山君饗都士大夫、云云、羊羹不遍」とあり、羊肉のあつものなれば、固より當らず、是れれは羊肝にて(は餅(もち)なり)、羹、、同音なれば、通はせ用ゐたるなり。(羹をの意とし、菓子の名とすと云ふ)羊肝とは、其形色、羊の肝に相似たれば云ふ、牛皮糖の如し〕(一)蒸菓子の名。赤小豆を煮て、擂りて皮を去り、水を絞り去りて、其粉に粉を加へ、砂糖汁にてこねて、釜にて蒸したるもの。後に、ねり羊羹、出来てより、これをむし羊羹と云ふ。豆沙。ねり羊羹は、製、同じく、但し、粉を加へず、カンテン(寒天)にて煉り凝らしめて、蒸さず。庭訓往來、十月「點心者、云云、羊羹、猪羹、驢腸羹、笋羊羹、砂糖羊羹」(二)K羽二重の羽織などの、古くなりて色褪め赤みを帶びたるを云ふ。(三)やうかんがみ(羊羹紙)の略。竹屋紙。〔2024-5〕

とあって、標記語「やう-かん〔名〕【羊羹】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「よう-かん羊羹】〔名〕(「かん」は「羹」の唐音)@棹物の一種。中国の羊肉の羹(あつもの)を原形とするもの。古くは禅宗文化とともに渡来したが、日本では小豆を主原料として羊の肝の形につくって蒸し、汁に入れて供された。後、蒸し物のまま茶菓子として供されるようになったのが蒸し羊羹の始まりで、今日ふつうに見られる、砂糖を加えた餡(あん)に寒天を混ぜて煮つめた煉り羊羹は、江戸時代につくられた。栗羊羹、柿羊羹、水羊羹、芋羊羹などがある。A「ようかんいろ(羊羹色)」「ようかんがみ(羊羹紙)」の略。B羊羹紙でつくったタバコ入れ。江戸の江戸橋で売り出された。C煉瓦を縱に半分に切ったものをいう。[語源説](1)カンは中国音キヤング(羮)、またはカウ(羮)の音転か〔大言海〕。(2)形や色が羊の肝に似ているところからいった羊肝の字の転〔類聚名物考・三養雑記・善庵随筆・大言海〕。(3)中国で羊の丸煮をいう羊羹に似せて作ったところから〔たべもの語源抄=坂部甲次郎〕。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年1月23日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
鶏・(サウケイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

(サウケイ)(カン) 。〔元亀二年本275五〕〔静嘉堂本315一〕

とあって、標記語「」の三字熟語として収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「糟鶏」とし、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本は、「々鶏」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(サウ)ケイ」・経覺筆本・文明四年本に「サウケイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「曹鶏」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

糟鶏(サウケイ) 。〔飲食門100二〕

とあって、標記語「曹鶏」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(サウケイカス、ニワトリ)[平・平] 。〔飲食門779二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(サウケイ) 。〔・食物門212八〕〔・食物門177九〕〔・食物門166八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

(サウケイ) ―糠(カウ)。〔食服門178三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「糟鶏」乃至「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

671曹鶏(ソヲケイ) 或作麦也。〔謙堂文庫蔵五七左E〕

とあって、標記語「曹鶏」の語を収載し、語注記は、「或は糟に作り、麦に用いるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「曹鶏を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)水繊温糟鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん) 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「糟鶏」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素麺ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素麺ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「糟鶏」の語をもって収載し、その語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So<qei.ソウケイ(曹鶏) ある料理の名前.〔邦訳574r〕

とあって、標記語「曹鶏」の語の意味は「ある料理の名前」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さう-けい〔名〕【曹鶏】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そう-けい糟鶏】〔名〕こんにゃくを細く切り、薄いたれ味噌で煮たもの。そけい。*異制庭訓往来(14C中)「点心者可水煎、糟鶏<略>紅糟候也」*経覚私要抄-宝徳四年(1452)五月一〇日「懐尊律師・縁舜法橋・懐憲来。一双・犬鼻一鉢・満中一盆・糟鶏一鉢持来了」*元和本下學集(1617)「 サウケイ」禪林象器箋(1741)飲啖「糟鶏 忠曰。撮裂蒟蒻淡醤汁、煎者。日本禪林煎点用之。然未以名一レ之」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
糟鶏麩鶏冠土器《『大コ寺真珠菴文書』天文十六年二月九日の条、2607・10/103 》
 
 
2005年1月22日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
紅糟温糟(ウンザウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

紅糟(ウンザウ) 。〔元亀二年本180二〕〔静嘉堂本201六〕

紅糟(ウンサウ) 。〔天正十七年本中29ウ三〕

とあって、標記語「紅糟」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本が「紅糟」とし、建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、「温糟」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「ウンサウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「温糟」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

紅糟(ウンザウ) 。〔飲食門100三〕

とあって、標記語「紅糟」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

温糟(ウンサウアタヽカ、カス)[平・平] 或作紅糟。〔飲食門416六〕

とあって、標記語「温糟」の語を収載し、語注記に「或はに紅糟作る」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

温糟(ウンザウ) 紅糟。〔・食物門150四〕

温糟(ウンザウ) 或作紅糟。〔・食物門122三〕

温糟(ウンサウ) 紅―。〔・食物門112一〕

温糟(ウンザウ) 或作紅糟(ウンザウ)。〔・食物門136五〕

とあって、標記語「温糟」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承しする。また、易林本節用集』に、

紅糟(ウンザウ) 。〔食服門118一〕

とあって、標記語「紅糟」の語を収載し、『下學集』を継承する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「温糟」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

670イ}(ウンサウ) 釈迦大師自成道始也。〔謙堂文庫蔵五七左E〕

とあって、標記語「温糟」の語を収載し、語注記は、「釈迦大師、成道より始めるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)ニ|伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲ニ‖ 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「温糟を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)水繊温糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん) 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「温糟」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素麺ハ索?に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素麺ハ索?(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「温糟」の語をもって収載し、その語注記は「爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vnzo<.ウンザゥ(温糟紅糟) 食物の一種.〔邦訳695r〕

とあって、標記語「温糟」の語の意味は「食物の一種」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うん-ざう〔名〕【温糟】次條の語の略。其條を見よ。〔0258-3〕

うんざう--かゆ〔名〕【温糟粥】〔禪家の食に起れるものなるべし。八粥(ラウハチがゆ)などに縁あるか〕味噌、酒糟を加へて煮たる粥。(貞上雜記)或は、昆布、串柿、大豆、粉藥を加ふとも云ふ。(二中記)略して、うんざう。庭訓往來、十月「温糟」狂言記、文藏「汝が食べたは、うんざうのかいであらう」〔0258-3〕

とあって、標記語「うん-ざう〔名〕【温糟】」→「うんざう--かゆ〔名〕【温糟粥】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うん-ぞう温糟】〔名〕「うんぞうがゆ(温糟粥)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
一仏成道供具御布施事、檀紙一帖宛、料足同上、一仏成道供具御布施并紅糟事、如先規御布施檀紙一帖、扇一本、料足同上、 《『大コ寺文書』の応安元年六月日条、123・1/80》
 
 
2005年1月21日(金)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
水煎(スイセン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

水蟾(せん) 。〔元亀二年本359四〕〔静嘉堂本437四〕

とあって、標記語「水蟾」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔至徳三年本〕

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布[施]也點心等([者])水繊〔宝徳三年本〕

竹箆曲禄法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔建部傳内本〕

竹箆(シツヘイ)曲禄(ロク)(ハツ)被打敷水引等頭(テウ)首以下加布也點(テン)水繊(せン)〔山田俊雄藏本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首ニハ布施也点心者()水繊(せン)〔経覺筆本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(テウシユ)已下可()布施點心者水蟾(せン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本が「水繊」とし、文明四年本は、「水蟾」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「(スイ)セン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「水煎」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

水煎(スイセン) 。〔飲食門100二〕

とあって、標記語「水煎」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

水繊(スイセンミツ、ホソシ)[上・平] 或作水蟾水煎。〔飲食門1124三〕

とあって、標記語「水繊」の語を収載し、語注記に「或は水蟾水煎に作る」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

羮名(カンノナ) 鶏舌羮(ケイゼツカン)。笋羊(シユンヤウ)羹。砂糖羊羹(サタウヤウ  )。麩羊羹(フヤウ  )。水精包羮(スイシヤウハウ  )。雲月(ウンゲツ)。猪(チヨ)羹。寸金(スンキン)羮。雲膳羮(ウンゼン  )。白魚(ハクギヨ)羮。鼈羮(ベツ  )。驢腸羹(ロチヤウ  )水蟾(スイセン  )。宝珠羹(ホウシユ  )。曹鶏羹(サウケイ  )・食物門81六〕

水繊(スイセン) 又―蟾水煎。〔・食物門230九〕

とあって、永祿二年本の標記語に「水繊水煎」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

水繊(スイセン) 又蟾(せん)―團(トン)―花麪(クワメン)。〔言辞門007三〕

とあって、標記語「水繊」の語を収載し、語注記に「又蟾」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「水繊」「水煎」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

669竹箆(シツヘイ)曲禄法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(―シユ)以下可布施点心者水煎 誤也。蟾字善也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「水煎」の語を収載し、語注記は、「或は、繊に作り誤るなり。蟾の字善きなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「水煎を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常の如し。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水煎(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)水煎温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹(しんよふかん) 鳥獣(とりけたもの)等の名を付たるハ実に其肉(にく)を以て制(せい)したるにはあらす。其美味(びミ)の作たるを以て名付けたるなり。〔88ウ一〜四〕

とあって、この標記語「水煎」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅▲水繊ハ葛切(くずきり)の類にやあらん。〔65オ一、65オ四〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)▲水繊ハ葛切(くずきり)の類にやあらん。〔117オ三〕

とあって、標記語「水煎」の語をもって収載し、その語注記は「水繊は、葛切(くずきり)の類にやあらん」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suixen.スイセン(水繊) ある草の根で作った,ある種の料理.〔邦訳586r〕

とあって、標記語「水煎」の語の意味は「ある草の根で作った,ある種の料理」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すゐ-せん〔名〕【水線水繊】〔一に、水蟾とも書くは、蟾(かへる)の如く作りたりとて、名とせるか〕食物、葛煉(くずねり)の事なりと云ふ。後撰夷曲集(寛文)九、雜、下、水繊「此葛は、味も吉野の、名物と、食はぬ先より、誰れもすゐせん〔1072-3〕

とあって、標記語「すゐ-せん〔名〕【水線水繊】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「すい-せん水繊水煎水蟾】〔名〕葛粉(くずこ)を水に溶き、水繊鍋に薄く流し入れて湯煎し、これを冷やし固め、索麺(そうめん)状に切って乾したもの。たれみそ、または煎り酒をつけて食べる。夏の食べ物。水繊羹(すいせんかん)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年1月20日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
水引(みづひき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「見」部に、

水引(ミヅヒキ) 。〔元亀二年本300二〕

水引(ヒキ) 。〔静嘉堂本349二〕

とあって、標記語「水引」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔至徳三年本〕

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布[施]也點心等([者])水繊〔宝徳三年本〕

竹箆曲禄法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔建部傳内本〕

竹箆(シツヘイ)曲禄(ロク)(ハツ)被打敷水引等頭(テウ)首以下加布也點(テン)者水繊(せン)〔山田俊雄藏本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首ニハ布施也点心者()水繊(せン)〔経覺筆本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引頭首(テウシユ)已下可()布施點心者水蟾(せン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本が「水引」とし、宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本は、「水引」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「フトン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「水引」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

水引(ミヅヒキ) 。〔絹布門98三〕

とあって、標記語「水引」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

水引(ミヅヒキスイイン)[上・上] 。〔絹布門891二〕

とあって、標記語「水引」の語を収載し、語注記に「飾りの具」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

水引(ミツヒキ) 飾具。〔・財宝門232八〕〔・財宝門194一〕〔・財宝門183七〕

とあって、標記語「水引」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承し「飾具」と記載する。また、易林本節用集』に、

水引(ミヅヒキ) 。〔食服門199六〕

とあって、標記語「水引」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「水引」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

669竹箆(シツヘイ)曲禄法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(―シユ)以下可布施点心者水煎 誤也。蟾字善也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「水引」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

法被(ハツヒ)打敷(ウチシキ)水引等頭首(テウシユ)以下可(ヘキ)布施物(フせモツ) 法被(ハツヒ)打敷(ウチシキ)水引(ミツヒキ)何モ當(タウ)莊嚴(シヤウコン)ナリ。〔下34ウ七・八〕

とあって、標記語「水引を収載し、語注記は「法被(ハツヒ)・打敷(ウチシキ)・水引(ミツヒキ)何れも當(タウ)莊嚴(シヤウコン)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水引(ミづひき)(とう)水引 金襴(きんらん)織物(おりもの)なとにて仕立(したて)、佛間(ぶつま)ののきにかくるもの也。右乃仏具(ふつぐ)僧服(そうふく)僧器(そうき)くわしく圖説にしるしたるゆへこゝに畧(りやく)せり。〔88オ七〕

とあって、この標記語「水引」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

水引(ミづひき)(とう)頭首(てうしゆ)以下(いげ)に加(くハへら)へら被()()きの布施(ふせ)(なり)水引等頭首以下キノ布施也▲水引ハ幕(まく)に似()て仏前の上に掛(かく)るもの。以上の三品(しな)ハ仏壇(ぶつだん)の荘厳(かざり)也。〔64ウ四・64ウ八〜65オ一〕

水引(ミづひき)(とう)頭首(てうしゆ)以下(いげに)(べき)()(くハへら)布施(ふせ)(なり)▲水引ハ幕(まく)に似()て佛前の上に掛(かく)るもの。以上の三品(しな)ハ仏壇(ぶつだん)の荘厳(かざり)也。〔116オ四・116ウ五〕

とあって、標記語「水引」の語をもって収載し、その語注記は、「水引は、幕(まく)に似()て佛前の上に掛(かく)るもの。以上の三品(しな)は、仏壇(ぶつだん)の荘厳(かざり)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Mizzufiqi.ミヅヒキ(水引) 進物として送る物とか,直接差し上げる物とかを結ぶのに使う,種々の色に染めた紙紐.¶また,裝飾のために劇場内の柱から柱へ引いて垂らす,ヴェールのような布〔水引幕〕〔邦訳414l〕

とあって、標記語「水引」の語の意味は「裝飾のために劇場内の柱から柱へ引いて垂らす,ヴェールのような布〔水引幕〕」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

みづ-ひき〔名〕【水引】〔其、水を引廻したるが如きより云ふかと云ふ〕水引幕の略。幕の類。下に張るを云ひ、上に張る帽額(もかう)に對すと云ふ。今、專ら、芝居などにて、舞臺の上の方などに張る横に細長き幕を云ふ。幔。帷。御伽草子、濱出草紙「舞臺の上に綾を敷き、みづひきに錦をさげぬれば、浦吹く風に飄?して」〔1938-1〕

とあって、標記語「みづ-ひき〔名〕【水引】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「みず-ひき水引】〔名〕@麻などを水にひたしてその皮を剥ぐこと。A龍頭首(りょうとうげきしゅ)などの箱舟(はこぶね)の舷側に張りめぐらした布帛。それが水面を引いたところからの呼称。転じて、神輿(みこし)や舞台の上部に横に細く張った帽額(もこう)の類にもいう。水引幕。B細い紙縒(こより)に糊をひいて干し固めたもの。進物用の包紙などを結ぶのに用いる。普通数本を合わせて、中央から色を染め分ける。吉事の場合は紅と白、金と銀、金と赤などに、凶事の場合は黒と白、藍と白などとする。C「みずひきまく(水引幕)」に同じ。D甲冑類の化粧の板の下につける、白と赤の二色の革または綾の飾り。Eタデ科の多年草。各地の山野に生える。《後略》F和船の舵の後縁をいう船方ことば。G川などから水を引き入れること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
但、末壇、金剛夜叉、一反分、依不足、支配被略了、其外五人預各一反充、公文所一反、壇水引各五壇分一反、是者結願後、預方へ受用了、(追筆)「五人預 鬘布一反水引一反 各二反充受用」《『東寺百合文書(ち)』永享十年九月十二日の条、12-47・4/85》
 
 
2005年1月19日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
打敷(うちしき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

打敷(シキ) 。〔元亀二年本182一〕〔静嘉堂本204三〕〔天正十七年本中31オ八〕

とあって、標記語「打敷」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔至徳三年本〕

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布[施]也點心等([者])水繊〔宝徳三年本〕

竹箆曲禄法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔建部傳内本〕

竹箆(シツヘイ)曲禄(ロク)(ハツ)打敷水引等頭(テウ)首以下加布也點(テン)者水繊(せン)〔山田俊雄藏本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首ニハ布施也点心者()水繊(せン)〔経覺筆本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(テウシユ)已下可()布施點心者水蟾(せン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「打敷」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「打敷」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

打敷(ウチシキ) 。〔絹布門98三〕

とあって、標記語「打敷」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

打敷(ウチシキテイフ)[上・平] 飾具。〔絹布門475八〕

とあって、標記語「打敷」の語を収載し、語注記に「飾具」の記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

打敷(ウチシキ) 。〔・財宝門150一〕〔・財宝門121七〕〔・財宝門111五〕〔・財宝門135七〕

とあって、標記語「打敷」の語を収載する。また、易林本節用集』に、標記語「打敷」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「打敷」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』には語注記「飾具」とあって、他資料とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

669竹箆(シツヘイ)曲禄法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(―シユ)以下可布施点心者水煎 誤也。蟾字善也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「打敷」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

法被(ハツヒ)打敷(ウチシキ)水引等頭首(テウシユ)以下可(ヘキ)布施物(フせモツ) 法被(ハツヒ)打敷(ウチシキ)水引(ミツヒキ)何モ當(タウ)莊嚴(シヤウコン)ナリ。〔下34ウ七・八〕

とあって、標記語「打敷を収載し、語注記は「法被(ハツヒ)・打敷(ウチシキ)・水引(ミツヒキ)何れも當(タウ)莊嚴(シヤウコン)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(うちしき) 仏前の机に敷もの也。〔88オ六〕

とあって、この標記語「打鋪」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

打敷(うちしき)打敷▲打敷ハ仏前(ぶつぜん)の机(つくえ)に敷()くもの。〔64ウ四、64ウ八〜65オ一〕

打敷(うちしき)▲打敷ハ仏前(ぶつぜん)の机(つくゑ)に敷()くもの。〔116オ四、116ウ四・五〕

とあって、標記語「打敷」の語をもって収載し、その語注記は「打敷ハ仏前(ぶつぜん)の机(つくゑ)に敷()くもの」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vchixiqi.ウチシキ(打敷) 仏(Fotoque)などを敬って,その前を飾るために,卓子とか壇上とかの上に敷き延べる絹の布,または,刺繍を施した布など.¶また,香炉の中に置く,水晶や銀などで作った小さな薄板.その上に沈香や伽羅の香などをのせて焚くための物.〔邦訳688r〕

とあって、標記語「打敷」の語の意味は「仏(Fotoque)などを敬って,その前を飾るために,卓子とか壇上とかの上に敷き延べる絹の布,または,刺繍を施した布など」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うち-しき〔名〕【打敷】(一){布帛の製の敷物。宇津保物語、俊蔭72「御座(おまし)(よそ)はす、うちしき、褥(しとね)、皆新らしくせられたり」源氏物語、十七、繪合16「うちしきは、青地の高麗(こま)の錦」枕草子、六、五十一段「燈臺のうちしきを蹈みて立てるに、新らしき油單にて足につき纏うひたるなり」(二)佛壇前机の花立、香爐などの敷物。多くは、死者の衣服にて製し、供養とす。鷹筑波集(寛永)二「摺箔の、小袖を見ては、物思ひ」妻のためとて、縫へる打しき」(亡妻に云へるなるへし)(三)菓子を器に盛るに敷く白紙。〔0456-5〕

とあって、標記語「うち-しき〔名〕【打敷】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うち-しき打敷】〔名〕@家具などを置くときに装飾用に敷く布帛(ふはく)の敷物。A仏前、仏座を荘厳にするため、仏前の卓上を覆う布。金襴(きんらん)、緞子(どんす)の類を用いる。この上に、供物(くもつ)、仏具などを載せる。B香をたくために香炉の中に置く水晶、銀製などの薄板(日葡辞書(1603-04))」とあって、Aの意味用例として『庭訓徃來』のこの語を記載する。
[ことばの実際]
《訓み下し》《『吾妻鏡』の条》
次俗別当入自楼門参御供所、持中御前打敷、次神主持西御前打敷、次紀氏俗官持東御前打敷、参入外殿、上御簾、敷打敷、次禰宜二人舁中御前御懸盤、俗官二人相副之、参列舞殿、次西御前、次東御前、次第同前、次御飯、御菓子、窪坏物等奉備、三所同時参列次第、如中御前、次紀氏俗官三人、持三所御酒臺打敷、参入外殿、二人、舁中御前御酒臺、俗官二人相副之、 《『石清水文書(田中)』寛元二年十一月日の条、62・1/158》
 
 
2005年1月18日(火)晴れ夜雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
法被(ハツピ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

法被() 。〔元亀二年本26四〕

法被() 。〔静嘉堂本24五〕

(ハツ) 。〔天正十七年本上13オ八〕

とあって、標記語「法被」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔至徳三年本〕

竹箆曲法被打敷水引等頭首以下可被加布[施]也點心等([者])水繊〔宝徳三年本〕

竹箆曲禄法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔建部傳内本〕

竹箆(シツヘイ)曲禄(ロク)(ハツ)打敷水引等頭(テウ)首以下加布也點(テン)者水繊(せン)〔山田俊雄藏本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首ニハ布施也点心者()水繊(せン)〔経覺筆本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(テウシユ)已下可()布施點心者水蟾(せン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「法被」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ハツ(ヒ)」、経覺筆本・文明四年本に「ハツヒ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「法被」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

法被(ハツビ) 。〔絹布門98三〕

とあって、標記語「法被」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、標記語「法被」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

法被(ハツヒ) 僧具。〔・財宝門20六〕

法被(ハツヒ) 。〔・財宝門18八〕〔・財宝門17三〕〔・財寳門21四〕

とあって、標記語「法被」の語を収載する。そして、弘治二年本には、語注記「僧具」の語を記載する。また、易林本節用集』に、

法被(ハツヒ) 。〔衣食門17六〕

とあって、標記語「法被」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「法被」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』だけは、此語を未収録としている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

669竹箆(シツヘイ)曲禄法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(―シユ)以下可布施点心者水煎 誤也。蟾字善也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「法被」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

法被(ハツヒ)打敷(ウチシキ)水引等頭首(テウシユ)以下可(ヘキ)布施物(フせモツ) 法被(ハツヒ)打敷(ウチシキ)水引(ミツヒキ)何モ當(タウ)莊嚴(シヤウコン)ナリ。〔下34ウ七・八〕

とあって、標記語「法被を収載し、語注記は「法被(ハツヒ)・打敷(ウチシキ)・水引(ミツヒキ)何れも當(タウ)莊嚴(シヤウコン)なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

法被(ほうひ)法被 袖なき羽織の如きものなり。〔88オ六〕

とあって、この標記語「法被」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はつぴ)法被▲法被は仏前(ぶつぜん)の斗帳(とちやう)たれぎぬ等の類をいふ歟。〔64ウ四、64ウ八〕

法被(はつひ)▲法被は仏前(ぶつぜん)の斗帳(とちやう)たれぎぬ等の類をいふ歟。〔116オ四、116ウ四〕

とあって、標記語「法被」の語をもって収載し、その語注記は「法被は仏前(ぶつぜん)の斗帳(とちやう)たれぎぬ等の類をいふか」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fappi.ハツピ(法被) 演劇〔能〕で用いられる着物.〔邦訳206r〕

とあって、標記語「法被」の語の意味は「演劇〔能〕で用いられる着物」と記載し、僧具外のものとして収録している。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はッ-〔名〕【法被】〔字の音、法被(ハフヒ)の音便〕(一)禪家にて、椅子を覆裹する布。禪林象器箋、二十八、器物門「法被、覆裹椅子之被也」易林本節用集(慶長)上、衣食門「法被、ハッヒ」庭訓往來、十月「法被、打敷、水引」注「法被、打敷、水引、何モ當莊嚴ナリ」下學集、下、絹布門「法被、打敷」貞コ文集、御能の裝束「法被、半切、長絹、大口」(二)もと武家にて、隷卒の表衣に着する羽織の如きもの。家の標(しるし)など染付く。今、一般に、職人などこれを用ゐる。しるしばんてん。かんばん。東行話説(寳暦、安部泰邦)荒井渡「水主(かこ)の者、皆、大島のはっぴをなむ着たる」春波樓筆記(司馬江漢)「大名の火事羽織は、くすべ皮なり、從者は木綿のはっぴ〔1598-4〕

とあって、標記語「はッ-〔名〕【法被】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はっ-法被半被】〔名〕(「法被(はふひ)」または「半臂(はんぴ)」の変化した語)@禅宗で、椅子を覆い包む布。A江戸時代、武家の中間などが着用した袖細、腰切りの羽織の一種。その家の紋やしるしが染め出してある。B「しるしばんてん(印半纏)」に同じ。C能装束の一つ。鎧(よろい)をつけた武将・鬼神などの役に扮する時に用いる。広袖で前身(まえみ)と後身(うしろみ)とはなれて、裾が幅六センチbほどの共切れのまちでつないである。袷(あわせ)は鬼神・武将の鎧に、単(ひとえ)は公達の武装に用いられる。D「半臂(はんぴ)@」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
割御帽子 一頭 法被 一片 帳 赤色 一垂《『大コ寺文書』文明十六年正月晦日の条、2609・10/120》
 
 
2005年1月17日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
(キヨクロク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

× {欠落脱語}〔元亀二年本〕

(キヨクロク) 。〔静嘉堂本325一〕

とあって、静嘉堂本に標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

竹箆法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔至徳三年本〕

竹箆法被打敷水引等頭首以下可被加布[施]也點心等([者])水繊〔宝徳三年本〕

竹箆曲禄法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔建部傳内本〕

竹箆(シツヘイ)曲禄(ロク)(ハツ)被打敷水引等頭(テウ)首以下加布也點(テン)者水繊(せン)〔山田俊雄藏本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首ニハ布施也点心者()水繊(せン)〔経覺筆本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(テウシユ)已下可()布施點心者水蟾(せン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・経覺筆本・文明四年本が「」とし、建部傳内本山田俊雄藏本は、「曲禄」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(キヨク)ロク」、経覺筆本・文明四年本に「キヨクロク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「曲禄」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(キヨクロク) 。〔器財門122一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(キヨクロクマガル、―)[入・入] (ヨせカクル)物也。〔器財門816七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「腰を(ヨせカクル)物なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(キヨクロク) 。〔・財宝門219四〕〔・財宝門183六〕〔・財宝門173三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

(キヨクロク) 。〔器財門188三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そのなかで、唯一語注記を記載する広本節用集』は、大いに注目されよう。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

669竹箆(シツヘイ)曲禄法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(―シユ)以下可布施点心者水煎 誤也。蟾字善也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕※天理図書館蔵『庭訓往來註』・国会図書館蔵『左貫注』は「」に作る。

とあって、標記語「曲禄」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク) 竹箆(シツヘイ)ハ。警策(ケイサク)トテ。竹ニテケズリテ人ヲウツナリ。眼ヲ醒(サマ)ス物ナリ。〔下34ウ七〕

とあって、同訓異語の標記語「を収載し、語注記は「竹箆(シツヘイ)は、警策(ケイサク)とて竹にてけずりて人をうつなり。眼を醒(サマ)す物なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(きよくろく) 腰懸る物也。左右に手摺(てすり)あり、後(うしろ)によりかゝる所をもふく。〔88オ五・六〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(きよくろく)▲曲ハ腰(こし)をかけて後(うしろ)へもたるゝやうに作(つく)る俗(ぞく)によりかゝりといふ。〔64ウ四、64ウ七・八〕

(きよくろく)▲曲ハ腰(こし)をかけて後(うしろ)へもたるゝやうに作(つく)る俗(ぞく)によりかゝりといふ。〔116オ四、116ウ三・四〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「曲禄は、腰(こし)をかけて後(うしろ)へもたるゝやうに作(つく)る俗(ぞく)によりかゝりといふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiocurocu.キョクロク() 腰掛.〔邦訳501r〕

とあって、標記語「曲禄」の語の意味は「腰掛」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きよく-ろく〔名〕【】〔集韻「、盧谷切、音録」説文「、刻(クル)(クル)(メクル)は、木の合字〕僧の用ゐる椅子、圓く曲れる寄掛りあるもの。脚は、多くは、打違へに作りて、牀机の如し。圓椅交椅太平記、十、鹽飽入道自害事「中門にを飾らせて、其上に結跏趺坐し」下學集、下、器財門「(キヨクロク)〔0502-5〜0503-1〕

とあって、標記語「きよく-ろく〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きよく-ろく】〔名〕@仏語。僧家で用いる椅子。主として僧が法会などで用いる。背のよりかかりを丸く曲げ、四本の脚は牀几(しょうぎ)のようにX型に作ってあるもの。全体を朱または黒の漆で塗り、金具の裝飾を施す。曲木(きょくもく)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
また都には佐々木佐渡判官入道道誉を始めとして、在京の大名、衆を結びて茶の会を始め、日々寄り合ひ活計を尽すに、異国・本朝の重宝を集め、百座の装ひをして、皆の上に豹虎の皮を敷き、思ひ思ひの緞子・金襴を裁ち着て、四主頭の座に列を成して並み居たれば、ただ百福荘厳の床の上に、千仏の光を並べて座し給へるに異ならず。《土井本『太平記巻第三十三、公家・武家栄枯地を替ふる事の条》
 
 
2005年1月16日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA〜スペイン広場
竹箆(シツペイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

竹箆(シツベイ) 。〔元亀二年本313七〕

竹箆(シツヘイ) 。〔静嘉堂本367五〕

とあって、標記語「竹箆」の語を収載し、訓みは「シツベイ」(元亀本)と「シツヘイ」(静嘉堂本)の清濁両様を記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

竹箆法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔至徳三年本〕

竹箆法被打敷水引等頭首以下可被加布[施]也點心等([者])水繊〔宝徳三年本〕

竹箆曲禄法被打敷水引等頭首以下可被加布施也點心者水繊〔建部傳内本〕

竹箆(シツヘイ)曲禄(ロク)(ハツ)被打敷水引等頭(テウ)首以下加布也點(テン)者水繊(せン)〔山田俊雄藏本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首ニハ布施也点心者()水繊(せン)〔経覺筆本〕

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク)法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(テウシユ)已下可()布施點心者水蟾(せン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「竹箆」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「シツヘイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「竹箆」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

竹箆(シツヘイ) (ウツ)(ツヱ)。〔器財門121七〕

とあって、標記語「竹箆」の語を収載し、語注記に「人を打つ杖なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

竹箆(シツヘイチク・タケ、カゴ・ヘラ)[入・上] 人杖也。首山和尚竹箆(シツヘイ)。〔態藝門925五〕

とあって、標記語「竹箆」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承し、更に「首山和尚の竹箆(シツヘイ)なり」の箇所を増補する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

竹箆(シツヘイ) 。〔・財宝門241五〕〔・財宝門207五〕〔・財宝門191七〕

とあって、標記語「竹箆」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

竹箆(シツベイ) 。〔器財門209一〕

とあって、標記語「竹箆」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「竹箆」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、『下學集』及び広本節用集』の語注記は、未記載にある。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

669竹箆(シツヘイ)曲禄法被(ハツヒ)打敷水引等頭首(―シユ)以下可布施点心者水煎 誤也。蟾字善也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「竹箆」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

竹箆(シツヘイ)(キヨクロク) 竹箆(シツヘイ)ハ。警策(ケイサク)トテ。竹ニテケズリテ人ヲウツナリ。眼ヲ醒(サマ)ス物ナリ。〔下34ウ七〕

とあって、同訓異語の標記語「竹箆を収載し、語注記は「竹箆(シツヘイ)は、警策(ケイサク)とて竹にてけずりて人をうつなり。眼を醒(サマ)す物なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

竹箆(しつべい)竹箆 座禅(ざぜん)の時なと睡氣(ねむけ)(もよふ)すを打て醒覚(さまさ)ん為なり。〔88オ五〕

とあって、この標記語「竹箆」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

竹箆(しつぺい)竹箆竹箆ハ警策(けいさく)とて身()を打()ち睡眠(ねふり)を制(せい)するための物也。〔64ウ四、64ウ七・八〕

竹箆(しつへい)竹箆ハ警策(けいさく)とて身()を打()ち睡眠(ねふり)を制(せい)するための物也。〔116オ四、116ウ三・四〕

とあって、標記語「竹箆」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xippei.シッペイ(竹箆) 打ちたたくのに使う竹.¶また,ある指の先で打つこと.¶Xippo> fajiqu.(竹箆を弾く)指先で打ちたたく.〔邦訳775l〕

とあって、標記語「竹箆」の語の意味は「打ちたたくのに使う竹」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しっ-ぺい〔名〕【竹箆】〔漆箆の宋音〕(一)竹製の、杖の如きもの、禪家にて、人を打つに用ゐるものと云ふ。下學集、下、器財門「竹箆(シツペイ)」注「打人杖也」(二)又、俗に、戲れに、指を、指にて張り反(そら)

せて、其弾く力にて、人の肌を打つこと。狂言記、太刀奪「今、しっぺいをあててやらう」〔0456-5〕

とあって、標記語「しっ-ぺい〔名〕【竹箆】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しっ-ぺい竹箆】〔名〕(「しっぺい」は「竹箆」の唐宋音)@竹製の杖(つえ)。ふつう禅宗で用い法具。師家が学人の教導に用いるもの。竹を割ってこれを合わせ、籐を巻いて漆を塗った、弓に似たもの。しっぺい。A人さし指と中指をそろえて、相手の手首などをはじき打つこと」とあって、@の意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
このゆゑに天地乾坤をして長久ならしむ。大海須弥、尽十方界をして堅牢ならしむ。竹箆をして一老一不老ならしむ。《乾坤本『正法眼藏』画餅の条、五22オH》
 
 
蝋燭(ラツソク)」は、ことばの溜池(1999.09.25)を参照。
 
2005年1月15日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
火筋(コジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

火箸(コシ) 。〔元亀二年本231九〕〔静嘉堂本266三〕〔天正十七年本中62オ二〕

とあって、標記語「火箸」の語を以て収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

蒲團花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔至徳三年本〕

團花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔宝徳三年本〕

團花(はな)瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔建部傳内本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐香合(ハコ)香匙()火筋(コシ)蝋燭〔山田俊雄藏本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(ハコ)香匙(ハシ)火筋(シヨ)蝋燭(ロウソク)〔経覺筆本〕

(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(バコ)香匙(キヤウシ)(コシ)蝋燭(ラツソク)。〔文明四年本〕※香匙(キヤウシ)。火箸(コシ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「火筋」表記し、訓みは、経覺筆本に「(コ)シヨ」、山田俊雄藏本と文明四年本に「コシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「火筋」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

火箸(コジ) 。〔器財門105七〕

とって、標記語「火箸」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

火筋(コジヒ、シヨ・ハシ)[上・平] 。〔器財門662六〕

とあって、標記語「火筋」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

香匙(キヤウジ) 火筋(コシ)。〔・財宝門219四〕

香匙(キヤウジ) 火筋(コジ) 。〔・財宝門183六〕

とあって、標記語「香匙」(幾部)のところに「火筋」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

火燵(コタツ) ―踏(タツ)―鈴(リン)―箸()。〔器財門158二〕

とあって、標記語「火燵」の熟語群に「火箸」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「火筋」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

668蒲團(フトン)花瓶香炉香合匙火筋蝋燭(ラツソク) 黄帝蚩尤退治ノ時始作給也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「火筋」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(フトン)花瓶(クワヒン)香爐(カウロ)香合(カウハコ)香匙(キヤウジ)火筋(コジ)蝋燭(ラツソク) 蒲團(フトン)ハ。座禪スル時敷(シク)物ナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「火筋を収載し、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

火筋(こし)火筋 火ばしなり。〔88オ四〕

とあって、この標記語「火筋」の語を収載し、語注記は「火ばしなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)蒲團花瓶香炉香合匙火筋蝋燭▲火筋は火()ばしなり。〔64ウ二・64ウ七〕

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)▲火筋は火()ばしなり。〔116オ二、116ウ三〕

とあって、標記語「火筋」の語をもって収載し、その語注記は、「火筋は火()ばしなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Coji.コジ(火箸・火筋) 香炉に香をくべるのに使う,木の柄のついている細い鉄の棒.→Qio<ji(香匙).〔邦訳143r〕

とあって、標記語「火筋」の語の意味は「香炉に香をくべるのに使う,木の柄のついている細い鉄の棒」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-〔名〕【火筋】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-火箸火匙火筋】〔名〕(「こ」は「火」の唐宋音、「じ」は「匙」の呉音)香炉に香をつぐのに用いる、木製の柄のあるひばし。また、禅家で単にひばしをいう。尺素往来(1439-64)「香炉、香合、香箸、火匙(コジ)、香臺<略>梅匙等者用意仕候了」*日葡辞書(1603-04)「Coji(コジ)<訳>香炉に香をつぐのに用いる、木の柄がついた火箸」元和本下学集(1617)「火箸 コジ」香道秋の光(1733)上「火箸(コジ)之図<図略>総長さ五寸、柄、二寸七分、穂二寸三分、金銀等を以て作る。柄は紫檀或は烏木にて作るべし」*和訓栞(1777-1862)「こぢ、火筋の音転也、ひばし也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
上記資料外は未見。
 
 
2005年1月14日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
香匙(キヤウジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

×{脱落欠語} 。〔元亀二年本224一〕

香匙(キヤウジ) 。〔静嘉堂本327三〕

とあって、静嘉堂本に標記語「香匙」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

蒲團花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔至徳三年本〕

團花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔宝徳三年本〕

團花(はな)瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔建部傳内本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐香合(ハコ)香匙()火筋(コシ)蝋燭〔山田俊雄藏本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(ハコ)香匙(ハシ)火筋(シヨ)蝋燭(ロウソク)〔経覺筆本〕

(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(バコ)香匙(キヤウシ)火筋(コシ)蝋燭(ラツソク)。〔文明四年本〕※香匙(キヤウシ)。火箸(コシ)

と見え、至徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本が「香匙」とし、宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本は、「香匙」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(キャウ)ジ」、経覺筆本に「(キャウ)ハシ」、文明四年本に「キヤウシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「香匙」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

香匙カウジ/キヤウ― 。〔器財門105七〕

とあって、標記語「香匙」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

香匙(キヤウシカウバシ、カイ)[去・平] ――火筋(コジ)。〔器財門816八〕

とあって、標記語「香匙」の語を収載し、語注記に「香匙火筋(コジ)」と記載する。これは、『庭訓往來』の語排列に合致するところでもある。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

香匙(キヤウジ) 火筋(コシ)。〔・財宝門219四〕

香匙(キヤウジ) 火筋(コジ)。〔・財宝門183六〕

香匙(キヤウシ) 火筋。〔・財宝門173三〕

とあって、標記語「香匙」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承するものである。また、易林本節用集』に、

香匙(キヤウジ) 火筋(コジ)。〔器財門188六〕

とあって、標記語「香匙」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承するものである。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「香匙」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

668蒲團(フトン)花瓶香炉香合香匙火筋蝋燭(ラツソク) 黄帝蚩尤退治ノ時始作給也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「香匙」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

蒲團花瓶香炉香合香匙火筋蝋燭 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「香匙を収載し、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

香炉(かうろ)香箱(はこ)香匙(がい)香炉香箱香匙 香をすくひて火にのせるさじ也。〔88オ二〕

とあって、この標記語「香匙」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)蒲團花瓶香炉香合香匙火筋蝋燭▲香匙ハ香(かう)すくひ灰押(はいおし)等也。〔64ウ三、64ウ七〕

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)▲香匙ハ香(かう)すくひ灰押(はいおし)等也。〔116オ三、116ウ三〕

とあって、標記語「香匙」の語をもって収載し、その語注記は、「香匙は、香(かう)すくひ灰押(はいおし)等なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qio<ji.キャウジ(香匙) 香炉の灰を突き砕くのに用いる,耳かきのような金属製の或る道具.例,Qio<ji,coji.(香匙,火筋)この道具と,火かき立てるのに使う箸(Faxis)と.〔邦訳502l〕

とあって、標記語「香匙」の語の意味は「香炉の灰を突き砕くのに用いる,耳かきのような金属製の或る道具」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「きゃう-〔名〕【香匙】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きょう-香匙】〔名〕香道具の一つ。香をすくいとる匙(さじ)。こうさじ。庭訓往来(1394-1428頃)「香合 香匙日葡辞書(1603-04)「Qio>ji(キャウジ)<訳>香炉の灰を砕くのに用いる、消息子に似た金属製の道具」*浮世草子・好色訓蒙図彙(1686)下・器財「香匙キャウジ)俗はいをし」*書言字考節用集(1717)七「香匙 ケウジ」*随筆・貞丈雑記(1784頃)八「香箸(かうばし)は上古はなし、上古は薫物ばかり用ひし故、香匙キャウジ)を用し也<香匙はたき物をすくふさぢ也>」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
上記資料より先行資料の用例は未見。
 
 
香爐(クワウロ)」は、ことばの溜池(2003.04.25)を参照。
香合(クワウバコ)」は、ことばの溜池(2004.08.09)を参照。
 
2005年1月13日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
花瓶(クワビン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

(ヒン) 。〔元亀二年本190五〕

(クワ)(ヒン) 。〔天正十七年本中36ウ六〕

花瓶(クワヒン) 。〔静嘉堂本214六〕

とあって、標記語「」と「花瓶」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

蒲團花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔至徳三年本〕

花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔宝徳三年本〕

(はな)香爐香合香匙火筋蝋燭〔建部傳内本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐香合(ハコ)香匙()火筋(コシ)蝋燭〔山田俊雄藏本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(ハコ)香匙(ハシ)火筋(シヨ)蝋燭(ロウソク)〔経覺筆本〕

(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(バコ)香匙(キヤウシ)火筋(コシ)蝋燭(ラツソク)。〔文明四年本〕※香匙(キヤウシ)。火箸(コシ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「花瓶」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「(クワ)ビン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「花瓶」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

古銅(コトウノ)花瓶(クワヒン) 。〔器財門105D〕

とあって、標記語「古銅花瓶」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(クワヒン/ハナヘイ・ツルベ)[平・平] ――燭臺。〔器財門504三〕

古銅(コトウ)ノ花瓶(クワヒン/ハナヘイ・ツルベ)[平・平] 。〔器財門661三〕

とあって、標記語「華瓶」と『下學集』継続の「古銅花瓶」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

花瓶(クワヒン) 。〔・財宝門159七〕

古銅(コトウ)――花瓶クハヒン/又胡()。〔・財宝門154四〕

古銅(コトウ)――花瓶/又胡―。〔・財宝門144五〕

とあって、標記語「花瓶」の語と『下學集』継続の「古銅花瓶」の語を語群注記のなかに収載する。また、易林本節用集』に、標記語「花瓶」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「花瓶」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

668蒲團(フトン)花瓶香炉香合匙火筋蝋燭(ラツソク) 黄帝蚩尤退治ノ時始作給也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「花瓶」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

蒲團花瓶香炉香合匙火筋蝋燭 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「花瓶を収載し、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)蒲團花瓶 花いけなり。〔88オ二〕

とあって、この標記語「花瓶」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)蒲團花瓶香炉香合香匙火筋蝋燭。〔64ウ三〕

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)。〔116オ三〕

とあって、標記語「花瓶」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quafin.クヮヒン(花瓶) 花束にして花を生ける器.〔邦訳516l〕

とあって、標記語「花瓶」の語の意味は「花束にして花を生ける器」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くゎ-ビン〔名〕【花瓶】はながめ。挿花(はないけ)の瓶(かめ)。花瓶(クワヘイ)建武以來追加、定、コ政事「茶わん、花びん、かうろ、かな物、已下、廿ケ月たるべき事」〔0580-5〕

とあって、標記語「くゎ-ビン〔名〕【花瓶】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-びん花瓶】〔名〕(古く「かひん」とも)花器の一種。花を活(い)ける瓶や壺。銅製、陶磁製、ガラス製などがある。はないけ。はながめ。はなたて。けびょう。かへい。A金銭をいう、僧侶仲間の隠語。B女陰をいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
観世音寺行事所請仏具料銅拾伍斤拾弐両事 打物八斤十三両八斤十三両 鋳物六斤十五両 花瓶二口二斤 火舎五蓋四并四斤九両 細々六両右、為造調仏具、依 府宣、所請如件《『東大寺文書別集治暦二年五月廿一日の条、13-1・1/22
 
 
2005年1月12日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
蒲團(フトン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

蒲團(フトン) 。〔元亀二年本224六〕〔静嘉堂本257二〕〔天正十七年本中57ウ四〕

とあって、標記語「蒲團」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

蒲團花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔至徳三年本〕

花瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔宝徳三年本〕

(はな)瓶香爐香合香匙火筋蝋燭〔建部傳内本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐香合(ハコ)香匙()火筋(コシ)蝋燭〔山田俊雄藏本〕

蒲團(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(ハコ)香匙(ハシ)火筋(シヨ)蝋燭(ロウソク)〔経覺筆本〕

(フトン)花瓶(ヒン)香爐()香合(バコ)香匙(キヤウシ)火筋(コシ)蝋燭(ラツソク)。〔文明四年本〕※香匙(キヤウシ)。火箸(コシ)

と見え、至徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本が「蒲團」とし、宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「フトン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「蒲團」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

蒲團(フトン) 。〔器財門121七〕

とあって、標記語「蒲團」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

蒲團(フトンカマ、マロシ)[平・平] 。〔器財門622七〕

とあって、標記語「蒲團」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

蒲團(フトン) 。〔・財宝門180三〕〔・財宝門148三〕〔・財宝門138五〕

とあって、標記語「蒲團」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

蒲團(フトン) 。〔器財門150五〕

とあって、標記語「蒲團」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「蒲團」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

668蒲團(フトン)花瓶香炉香合匙火筋蝋燭(ラツソク) 黄帝蚩尤退治ノ時始作給也。〔謙堂文庫蔵五七左C〕

とあって、標記語「蒲團」の語を収載し、語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(フトン)花瓶(クワヒン)香爐(カウロ)香合(カウハコ)香匙(キヤウジ)火筋(コジ)蝋燭(ラツソク) 蒲團(フトン)ハ。座禪スル時敷(シク)物ナリ。〔下34ウ六〕

とあって、同訓異語の標記語「蒲團を収載し、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)蒲團花瓶 花いけなり。〔88オ二〕

とあって、この標記語「蒲團」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)蒲團花瓶香炉香合香匙火筋蝋燭▲蒲團ハ圓座(ゑんざ)の類(るゐ)也。座禪(ざぜん)等の料(れう)なるべし。〔64ウ三、64ウ七〕

蒲團(ふとん)花瓶(くわひん)香爐(かうろ)香合(かうはこ)香匙(きやうじ)火筋(こじ)蝋燭(らふそく)▲蒲團ハ圓座(ゑんざ)の類(るゐ)也。座禪(ざぜん)等の料(れう)なるへし。〔116オ二、116ウ二〕

とあって、標記語「蒲團」の語を収載し、その語注記は「蒲團は、圓座(ゑんざ)の類(るゐ)なり。座禪(ざぜん)等の料(れう)なるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Futon.フトン(蒲團) Xiqimono(敷物)に同じ.敷蒲団.¶また,馬の鞍の上にのせる小さな座蒲団.→Baxen(馬氈).〔邦訳286r〕

とあって、標記語「蒲團」の語の意味は「Xiqimono(敷物)に同じ.敷蒲団」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-トン〔名〕【蒲團】〔字の宋音、炭團(タドン)の類。禪林象器箋、廿八、器物門「坐物以蒲編造、其形團圓、故言蒲團」〕蒲の葉にて編める圓座(ヱンザ)。もと禪林にては、坐禪の時、臀の下に敷き用ゐたり。後には、蒲の穗を布にて包み、圓形に造れるをも云ふ。大慧禪師書、上、答曾侍郎「公既與竹椅蒲團侶、不善財見最寂靜婆羅門希叟曇禪師廣録、禪房十事蒲團頌「百草頭邊薦得、何妨打塊成團、直下千差坐斷、無心猶隔重關貞丈雜記、八、調度「蒲團と云は圓座の事なり、蒲と云草の葉にて、圓く組みたる物ゆゑ、蒲團と云ふなり」近代世事談、一、蒲團「或人云、ふとんハ蒲にて作りたる圓座也、今云ふとんにあらず、今のふとんは衾といふもの也と云り、左にあらず、やはり蒲團也。木綿(きわた)わたらざる以前は、庶人の冬の衣服には、布に蒲蘆の穗わたを入てきたり、云云、蒲團また同じ蒲の穗を團て入る、よって蒲團の名あり」〔1769-1〕

とあって、標記語「-トン〔名〕【蒲團】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-とん蒲団布団】[一]〔名〕(「ふ」「とん」は、それぞれ「蒲」「団」の唐宋音)」@蒲(がま)の葉で編んだ円座。また、蒲の穂または、パンヤなどを布で包み円形に作ったもの。坐禅などに用いる。A座蒲団のこと。B中に綿。鳥の羽毛・わらなどを入れ、布地で縫いくるんだ寝具。敷き蒲団・掛け蒲団・かいまきの類。夜具。夜着(よぎ)。ふすま。《季・冬》C「ふとんがま(蒲団釜)の略。D油揚げ・豆腐をいう。盗人仲間の隠語。〔特殊語百科辞典(1931)〕[二](蒲団)小説。田山花袋作。明治四〇年(1907)発表。《以下略》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
坐禅のとき、袈裟をかくべし、蒲団をしくべし。蒲団は全跏にしくにはあらず、跏趺の半よりはうしろにしくなり。しかあれば、累足のしたは坐蓐にあたれり、脊骨のしたは蒲団にてあるなり。これ仏々祖々の坐禅のとき坐する法なり。《乾坤本『正法眼藏三2ウB
 
 
2005年1月11日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
肚脱(ヅダツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

肚脱(ヅダツ) 。〔元亀二年本159三〕

肚脱(ツダツ) 。〔静嘉堂本175二〕

肚脱(ツタツ) 。〔天正十七年本中19オ二〕

とあって、標記語「肚脱」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「肚脱」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ヅタツ」、経覺筆本・文明四年本に「ツタツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「肚脱」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「肚脱」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

肚脱(ヅダツ・ハラワタ、ヌク)[上・入] 。〔絹布門414五〕

とあって、標記語「肚脱」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

肚脱(ヅダツ) 。〔・財宝門127八〕〔・財宝門105四〕

肚脱(ヅタツ) 。〔・財宝門95八〕

とあって、標記語「肚脱」の語を収載にする。また、易林本節用集』に、

肚脱(ヅダツ) 。〔食服門104五〕

とあって、標記語「肚脱」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「肚脱」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、真字本のような語注記の記載は見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

667木綿肚脱(ツタツ) 四十八道具之内也。〔謙堂文庫蔵五七左B〕

とあって、標記語「肚脱」の語を収載し、語注記は、「四十八道具の内なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「肚脱を収載し、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

木綿(もめん)肚脱(づたつ)木綿肚脱 僧の道具(とうぐ)を入ゑかにかけむねにさげるふくろなり。〔88オ二〕

とあって、この標記語「肚脱」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

木綿(もめん)肚脱(づたつ)木綿肚脱▲肚脱は三衣袋(  えぶくろ)の類(たぐひ)にや。古注に禅僧(ぜんそう)の頭(かしら)に掛(かく)る袋也。四十八の道具(だうぐ)の内と云々。〔64ウ六・七〕

木綿(もめんの)肚脱(づだつ)▲肚脱は三衣袋(さんえふくろ)の類(たぐひ)にや。古注に禅僧(せんそう)の頭(かしら)に掛(かく)る袋也。四十八の道具(どうぐ)の内と云々。〔116オ二〕

とあって、標記語「肚脱」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zzudat.ヅダツ(肚脱) または,yodare caqe.(涎掛け)幼児の首から垂らして掛ける涎掛け,または,婦人が胴着のように用いる前掛け.また,禅宗(Lenxus)の坊主(Bonzos)がきたない仕事をする際に用いる前掛け. ※原文のL,i.(すなわち)の誤植か.〔邦訳845l〕

とあって、標記語「肚脱」の語の意味は「禅宗(Lenxus)の坊主(Bonzos)がきたない仕事をする際に用いる前掛け」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-だつ〔名〕【肚脱】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-だつ肚脱】〔名〕@衣服の一つ。腹帯、腹巻の類か。庭訓往来(1394-1428頃)「頭首方<略>木綿肚脱、蒲団」温故知新書(1484)「肚脱 ツタツ」*易林本節用集(1597)「肚脱 ヅダツ」書言字考節用集(1717)六「肚脱 ヅダツ 僧家所用」Aよだれかけ。*日葡辞書(1603-04)「Zzudat(ヅダツ)。または、ヨダレカケ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
上記資料の以外未見。
 
 
2005年1月10日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
木錦(こにしき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「木枯(カラシ)。木密()。木舞(マイ)。木練(ネリ)。木傳(ヅタウ)。木取(トリ)。木屋()。木居()。木立(ダチ)。木印(コツグイ)。○。木玉(タマ)。○。木屎(マイ)」の語を収載し、標記語「木錦」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本は、木錦」とし、建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「綿」と記す。訓みは、文明四年本に「モメン」と記載する。前者の「木錦」には傍訓は施されておらずその語について定かでないはないが古写本二書に見える表記故、あえて此処に留め置くことにした。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「木錦」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「木錦」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「木錦」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

667綿肚脱(ツタツ) 四十八道具之内也。〔謙堂文庫蔵五七左B〕

とあって、標記語「綿」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「綿を収載し、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

綿(もめん)の肚脱(づたつ)綿肚脱 僧の道具(とうぐ)を入ゑかにかけむねにさげるふくろなり。〔88オ二〕

とあって、この標記語「綿」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

綿(もめん)の肚脱(づたつ)綿肚脱。〔64ウ二〕

綿(もめんの)肚脱(づだつ)。〔116オ二〕

とあって、標記語「綿」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「木錦」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-にしき〔名〕【木錦】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-にしき木錦】〔名〕「こばんにしきえ(小判錦絵)」の略」とあって、語義が近世の資料であって、この『庭訓徃來』の語用例には該当しない。寧ろ、古写本二本に見える此語を積極的に採録することが先決であろう。
[ことばの実際]
上記資料以外は未見。
 
 
2005年1月9日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
筋匙(はしかひ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「筋匙」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「筋匙」とし、建部傳内本だけ「匙」と記す。訓みは、山田俊雄藏本に「はしがひ」、経覺筆本・文明四年本に「はしかい」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「筋匙」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「筋匙」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「筋匙」及び「筋匙刷」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

666脚鉢盂巾(キヤホイキン/−ホユ)脚布(キヤツフ)筋匙刷(ハシカイサツ) 沙波ハ掻者也。〔謙堂文庫蔵五七左A〕

とあって、標記語「筋匙刷」の語を収載し、語注記は、「沙波ば、掻く者なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「筋匙を収載し、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

筋匙(はしがい)筋匙 律僧食事の時箸のかわりに用るさじ也。又生飯(さば)をかくもの也。〔88オ一〕

とあって、この標記語「筋匙」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

筋匙(はしがい)(せつ)筋匙刷▲筋匙刷ハ生飯(さば)かくもの也。〔64ウ二、64ウ六〕

筋匙(はしがい)(せつ)▲筋匙刷ハ生飯(さば)かくもの也。〔116オ二、116ウ一〕

とあって、標記語「筋匙刷」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「筋匙」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「はし-がひ〔名〕【筋匙】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にても、標記語「はし-がい筋匙】〔名〕」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載となっている。
[ことばの実際]
上記資料以外に、この語の用例は未見。
 
 
2005年1月8日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→コロンナ宮殿(美術館)
脚布(キヤクフ・キヤツフ・キヤフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

× {脱落欠語}。〔元亀二年本〕

脚布(キヤウフ) 。〔静嘉堂本256五〕

とあって、標記語「脚布」の語を収載し、訓みは「キヤウフ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「脚布」とし、訓みは、経覺筆本に「キヤフ」、文明四年本に「キヤツフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「脚布」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「脚布」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

脚布(キヤツフカク・アシ、ヌノ)[入・去] (マトウ)(コシ)(ハタヱニ)則云脚布(キヤツフト)。〔絹布門816五〕

とあって、標記語「脚布」の語を収載し、語注記に「女の腰(コシ)(ハタヱ)に纏(マトウ)。則ち脚布(キヤツフ)と云ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

脚布(キヤフ) 。〔・衣服門220三〕〔・衣服門184二〕

脚布(キヤツフ) 。〔・財宝門173七〕

とあって、標記語「脚布」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

脚絆(キヤハン) 或半/―布(キヤフ)。〔食服門187四〕

とあって、標記語「脚絆」の語注記に「脚布」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「脚布」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なり、別資料からの引用となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

666脚鉢盂巾(キヤホイキン/−ホユ)脚布(キヤツフ)筋匙刷(ハシカイサツ) 沙波ハ掻者也。〔謙堂文庫蔵五七左A〕

とあって、標記語「脚布」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「脚布を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

脚布(きやふ)脚布 腰にまく白布(はくふ)也。〔88オ一〕

とあって、この標記語「脚布」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

脚布(きやふ)脚布▲脚布ハ古注に腰(こし)に巻()く白布(しらぬの)也と。〔64ウ二、64ウ六〕

脚布(きやふ)▲脚布ハ古注に腰(こし)に巻()く白布(しらぬの)也と。〔116オ二、116ウ一〕

とあって、標記語「脚布」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiappu.キャップ(脚布) 坊主(Bonzos)が衣の上に締める前垂れのような恰好のもの.〔邦訳492r〕

Qiafu.キャフ(脚布) 婦人が腰から下に巻きつける,下着の白い布.〔邦訳492r〕

とあって、標記語「脚布」の語の意味は「坊主(Bonzos)が衣の上に締める前垂れのような恰好のもの」と「婦人が腰から下に巻きつける,下着の白い布」との両語を記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「きゃく-〔名〕【脚布】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きゃく-脚布】〔名〕@貴人や僧が入浴するときに、身につけた衣。湯巻(ゆまき)。湯文字。尺素往来(1439-64)「手巾。脚布。帽子」*勅修百丈清規−六「展浴袱出浴具一辺、解上衣、未直綴、先脱下面裙裳、以脚布身、方可浴裙摺安袱内A腰巻。湯文字。*浮世草子・風流曲三味線(1706)四・五「粧ふてゐる衣裳を剥で丸裸にして、脚布(キャクフ)迄とって」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三段 清瀧・長尾・八幡三所御脚布 已上百段麻布《『醍醐寺文書』[建仁三年]の条、186・1/166》
 
 
2005年1月7日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
鉢盂巾(ホイキン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

鉢盂巾(ホイキン) 。〔元亀二年本45九〕

鉢盂巾(ホユキン) 。〔静嘉堂本51二〕〔天正十七年本上26オ八〕

とあって、標記語「鉢盂巾」の語を収載し、訓みは「ホイキン」「ホユキン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])((盂))脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「鉢盂巾」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ホ井キン」、経覺筆本に「ホイキン」、文明四年本に「ホユキン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「鉢盂巾」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「鉢盂巾」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

鉢盂巾(ホイキンハチ・ホトキ、カサル・ツヽム)[入・平・平] 。〔器財門99四〕

とあって、標記語「鉢盂巾」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鉢盂巾(ホイキン) 。〔・財宝門32三〕〔・財宝門32七〕〔・財寳門37四〕

鉢盂巾(ホウ{イ}キン) 。〔・財宝門31二〕

とあって、標記語「鉢盂巾」の語を収載する。また、易林本節用集』に、標記語「鉢盂巾」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「鉢盂巾」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

666脚鉢盂巾(キヤホイキン/−ホユ)脚布(キヤツフ)筋匙刷(ハシカイサツ) 沙波ハ掻者也。〔謙堂文庫蔵五七左A〕

とあって、標記語「鉢盂巾」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「鉢盂巾を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

鉢盂巾(ほいきん)鉢盂巾 鉢の子をおほふ絹也。〔88オ一〕

とあって、この標記語「鉢盂巾」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

鉢盂巾(ほいきん)鉢盂巾▲鉢盂巾ハ鉢(はち)を覆(おほ)ふきぬ也。〔64ウ二、64ウ六〕

鉢盂巾(ほいきん)▲鉢盂巾ハ鉢(はち)を覆(おほ)ふきぬ也。〔116オ一・二、116ウ一〕

とあって、標記語「鉢盂巾」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Foiqin.ホイキン(鉢盂巾) 椀や食卓〔膳〕などの塵を払い、綺麗に拭くのに用いる布,あるいは,手巾.〔邦訳258r〕

とあって、標記語「鉢盂巾」の語の意味は「椀や食卓〔膳〕などの塵を払い、綺麗に拭くのに用いる布,あるいは,手巾」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ほい-きん〔名〕【鉢盂巾】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほい-きん鉢盂巾】〔名〕僧侶が鉢(食器)をおおったり、食卓を拭いたりするのに用いる布。ほゆきん。庭訓往来(1394-1428頃)「頭首方<略>鉢盂巾日葡辞書(1603-04)「Foiqin(ホイキン)<訳>椀や食卓などの塵を払い、綺麗に拭くのに用いる布、つまり手巾」*書言字考節用集(1717)六「鉢盂巾 ホイキン 沙門覆鉢盂巾也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
白布弐端、飯巾・鉢盂巾・茶巾、七石九斗四升参合 飯米、上白下用升弐石壱斗五升五合、中白下用升九石九斗壱升五合弐斗《『大コ寺文書』天文十六年二月九日の条、2607・10/103》
 
 
2005年1月6日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→Epifania(ヴェネツィア広場・コロンナ宮殿)
布衫(フサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「布」部に、「布施()。布薩(サツ)」の二語を収載し、標記語「布衫」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「布衫」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「(フ)サン」、経覺筆本に「フサン」、文明四年本に「フサム」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「布衫」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「布衫」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

布衫(フサンヌノ、カタビラ)[去・平] 足巾云――。〔絹布門622三〕

とあって、標記語「布衫」の語を収載し、語注記に「足巾を布衫と云ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「布衫」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』のみに標記語「布衫」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、真字註には未記載の内容である。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

665素紗(ソ/スジヤ)ノ袈裟各一帖(テウ)帽子(モウ\ホウス)沓襪(シタウツ/ナイ)柱杖(シユチヤウ) {柱杖ハカジヤウト云ムシノ中ノ骨ナリ。ソノ虫ノ骨ヲ表ス也}脚〓〔月-榻〕(キヤタツ) {脚〓、腰カクル者ナリ}手巾(シユキン)布衫(サン)平江帯(ヒガウタイ) 帯條(タイ)ニ作−府ヨリ出之故云――也云々。〔謙堂文庫蔵五七左@〕脚榻

とあって、標記語「布衫」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「布衫を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

布衫(ふさん)布衫 (すそ)(ミしか)き衣なり。又はだゑともいふ。〔87ウ八〕

とあって、この標記語「布衫」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

布衫(ふさん)布衫▲布衫ハ裾(すそ)(ミじか)き衣はだ着()也。〔64ウ二、64ウ六〕

布衫(ふさん)▲布衫ハ裾(すそ)(ミじか)き衣はだ着()也。〔116オ一、116オ六〜ウ一〕

とあって、標記語「布衫」の語をもって収載し、その語注記は、「布衫ハ裾(すそ)(ミじか)き衣、はだ着()なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「布衫」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-さん〔名〕【布衫】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さん布衫】〔名〕麻など、植物性繊維の単衣。令義解(718)雑・給衣服条「凡官戸奴婢三歳以上。毎年給衣服。春。布衫。袴。衫」*文明本節用集(室町中)「布衫 フサン 足巾云布衫白石詩章(1712)劉寄奴草行「新洲伐荻布衫冷。日暮帰来径路」*白居易−王夫子詩「紫綬朱布衫、顔色不同而已矣」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一花叟和尚法衣、包物茶染羅 小布衫包物黒也、一七条、柳色 《『大コ寺文書』永正五年七月七日の条、3275・13/101》
 
 
2005年1月5日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ボルゲーゼ美術館
手巾(シユキン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部と「天」部、「多」部とに、

手巾(キン) 。〔元亀二年本317九〕〔静嘉堂本373八〕

手拭(ノコイ)手巾(テノコイ)剃巾() 。〔元亀二年本244五〕

手拭(ノゴフ)手巾() 。〔静嘉堂本282一〕

手拭(ノコイ)手巾(テイキン)剃巾() 。〔天正十七年本中69ウ八〕

手拭(タナゴイ) 。〔元亀二年本137七〕〔静嘉堂本145七〕

手拭(タナコイ) 。〔天正十七年本中4ウ八〕

とあって、標記語「手巾」の語を収載し、訓みは「(シユ)キン」「テノコイ」「テイキン」とある。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「手巾」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「スキン」、経覺筆本に「―キン」、文明四年本に「シユキン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「手巾」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「手巾」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

手巾(タナゴイシユキン、テ、ツヽム・カザル)[上・平] 或作浴巾。〔絹布門340六〕

とあって、標記語「手巾」の語を収載し、語注記に「或作○○」の形式にて同意異語「浴巾」の語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

手巾(タノコイ)シユキン浴巾()。〔・衣服門102三〕

手巾(シユキン) 。〔・衣服門243三〕

手拭(タナゴイ) 。〔・財宝門105三〕〔・財宝門86一〕〔・財宝門104一〕

手拭(タナゴイ) 浴巾。〔・財宝門94二〕

とあって、標記語「手巾」の語と「手拭(タナゴイ)」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

手巾(シユキン)テノゴヒ。〔食服門208四〕

とあって、標記語「手巾」の語を収載し、訓みには「シユキン」と「タナゴイ」、「テノゴヒ」を記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「手巾」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

665素紗(ソ/スジヤ)ノ袈裟各一帖(テウ)帽子(モウ\ホウス)沓襪(シタウツ/ナイ)柱杖(シユチヤウ) {柱杖ハカジヤウト云ムシノ中ノ骨ナリ。ソノ虫ノ骨ヲ表ス也}脚〓〔月-榻〕(キヤタツ) {脚〓、腰カクル者ナリ}手巾(シユキン)布衫(サン)平江帯(ヒガウタイ) 帯條(タイ)ニ作−府ヨリ出之故云――也云々。〔謙堂文庫蔵五七左@〕※国会図書館蔵『左貫注』に「手巾( ノゴイ)―キン」とあって、右読に「(タ)ノゴイ」と訓読み、左読に「(シユ)キン」と音読み記載が見える。

とあって、標記語「手巾」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、同訓異語の標記語「手巾を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

手巾(しゆきん)手巾 手拭(てぬくい)なり。〔87ウ八〕

とあって、この標記語「手巾」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

手巾(しゆきん)手巾▲手巾ハてぬぐひ也。〔64ウ二、64ウ六〕

手巾(しゆきん)▲手巾ハてぬぐひ也。〔115オ六、115ウ六〕

とあって、標記語「手巾」の語をもって収載し、その語注記は、「手巾は、てぬぐひなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xuqin.シュキン(手巾) 坊主(Bonzo)が衣(Coromo)の上にしめる帯.〔邦訳802r〕

とあって、標記語「手巾」の語の意味は「坊主(Bonzo)が衣(Coromo)の上にしめる帯」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゅ-きん〔名〕【手巾】てぬぐひ。てふき。古詩、焦仲卿妻「手巾口啼」世説、文學篇「殷浩語左右、取手巾、與謝郎面」〔0989-1〕

とあって、標記語「しゅ-きん〔名〕【手巾】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅ-きん手巾】[一]〔名〕@てぬぐい。また、てふき。ハンカチ。A「しゅきんおび(手巾帯)」に同じ。B僧侶の間で鰻(うなぎ)をいう。[二]尺八の曲の名」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]※詳細は、「手巾」攷を参照。
手巾五條別 二尺《『延喜式』大膳職・下の条》
其上置K漆楾一具、手巾白布一丈云々《『管見記』後花園天皇御元服の條》
 
 
2005年1月4日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA→スペイン広場
脚榻(キヤタツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

×(欠語) 。〔元亀二年本224一〕

脚蹈(キヤタツ) 。〔静嘉堂本325八〕

とあって、標記語「脚蹈」の語を収載し、『下學集』を継承する表記であり、下記に示す真字註広本節用集』類とは異なっている。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本が「脚榻」と記載し、経覺筆本は、「愚意」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「脚榻」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

脚蹈(キヤタツ) 。〔器財門109五〕

とあって、標記語「脚蹈」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

脚榻(キヤタツアシ、シヂ)[入・入] 或作脚蹈(キヤタツ)。〔器財門816七・八〕

とあって、標記語「脚榻」の語を収載し、語注記に「或作○○」形式による同意異語「脚蹈」を記載する。この語が『下學集』に所載されていることに注目しておきたい。いわば、この語においては、継承より改編を見るからである。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

脚榻(キヤタツ) 。〔・財宝門219四〕

脚榻(キヤタツ) ―蹈。〔・財宝門183六〕

脚榻(キヤタツ) 又―蹈。〔・財宝門173三〕

とあって、標記語「脚榻」の語を収載する。ここでも語注記は『下學集』ではなく、広本節用集』を継承するものとなっている。また、易林本節用集』に、

脚榻(キヤタツ) 榻又作蹈。〔器財門188六〕

とあって、標記語「脚榻」の語を収載し、語注記は「榻また蹈に作る」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「脚榻」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

665素紗(ソ/スジヤ)ノ袈裟各一帖(テウ)帽子(モウ\ホウス)沓襪(シタウツ/ナイ)柱杖(シユチヤウ) {柱杖ハカジヤウト云ムシノ中ノ骨ナリ。ソノ虫ノ骨ヲ表ス也}脚〓-(キヤタツ) {脚〓、腰カクル者ナリ}手巾(シユキン)布衫(サン)平江帯(ヒガウタイ) 帯條(タイ)ニ作−府ヨリ出之故云――也云々。〔謙堂文庫蔵五七左@〕

()袈裟各一帖(デウ)(モウ)(クツ)(シタフツ) {牛喝比丘ヨリ始也}柱杖脚榻(キヤタツ)手巾(シユウキン)布衫(フサン)(ヒン)江帯(ダイ) 帯條(タウト)之府ヨリ之故云之也。{平江ト云処ヨリ出帶ナリ}〔天理図書館蔵『庭訓往來註』〕※左貫注も「脚榻(タウ)キヤタツ」と表記する。

とあって、標記語「脚榻」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、標記語「脚榻を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

脚榻(きやたつ)脚榻 曲禄(きよくろく)の類。腰懸る物なり。〔87ウ七・八〕

とあって、この標記語「脚榻」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

脚榻(きやたつ)脚榻▲脚榻ハ腰(こし)かけ也。〔64ウ二、64ウ五・六〕

脚榻(きやたつ)▲脚榻ハ腰(こし)かけ也〔116オ一、116オ六〕

とあって、標記語「脚榻」の語をもって収載し、その語注記は、「脚榻は、腰(こし)かけなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiatat.l,Qiatatcu.キャタッ.または,キャタツ(脚榻) Axitcugui.(足継)四本足のついた高い足台で,仕事をする際,高い所に届くように使うもの.→次条.〔邦訳492r〕

Quatatcu.キヤタツ(脚榻) Qiatat(脚榻)と言う方がまさる.同上.〔邦訳492r〕

とあって、標記語「脚榻」の語の意味は「Axitcugui.(足継)四本足のついた高い足台で,仕事をする際,高い所に届くように使うもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

キャ-タツ〔名〕【脚榻】〔脚榻子(キヤクタフシ)の宋音、火榻子(コタツ)もあり、禪家の語、楪子(テフシ)をチャとも云ふ、唐韻「榻(タフ)、土盍切」説文「牀(ゆか)也」〕(一)ふみだい。あしつぎ。庭訓往來、十月「脚榻林逸節用集、財寳「脚榻(キヤタツ)史記抄(文明)二90「客殿の天井に、ふらふらとさがりてあるを、云云、脚蹈はとどかず、梯子は取出すにも及ばず、云云」(二)今、專ら、木製にて、高き四脚をつけ、淺き海に立てて、乘りて、漁(すなどり)する具の名とす。〔0497-1〕

とあって、標記語「きゃ-たつ〔名〕【脚榻】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きゃ-たつ脚立脚榻】〔名〕(「脚榻子」の唐宋音よみ)高い所に手が届かない時などに用いる踏み台。短いはしごのようなものを八の字形に合わせ、上に板をとりつけたもの」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
(テンス)脚榻以下并卓。机等《『尺素往来』》
 
 
2005年1月3日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
杖・柱杖(シユヂヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「」「柱杖」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本は、「」とし、宝徳三年本・経覺筆本・文明四年本が「柱杖」と表記し、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「シユチヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「柱杖」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

柱杖(シユヂヤウ) 。〔器財門121六〕

とあって、標記語「柱杖」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(シユヂヤウサヽユ、ツヱ)[上・上] 又作主丈/主丈釋氏要覽云、佛聽蓄――因縁ニハ老痩無力ニハ病苦嬰身故也。又云、蓋行孝之善助也云々。或云トハ天竺(ラウト)長七尺五寸也食物ニハ獅子象等也。經千年其後云祖師也一日万里帰也。然此虫行前(ユクサキハ)崩落動轉スル也。天竺ニハ月輪。震旦ニハ寒深。本朝ニハ山形也。佛ニハ錫杖。真言曰散杜武士云兵杖。鬼神云。死活杖。禅家ニハ。悪魔降伏スル故也云々。 異名、K面翁。K面老。K。皴K。輪皴妓菴録又輪作■虚堂禄。K杖。一枝杖。木上座。木上人。龍形。鉄君。烏藤杖。烏角。兎角。方竹。痩藤。竹方兄。杖老栗烟藤。緑竹。青竹。紅藤。龍化。紫栗。于木。于丈。七尋。赤藤。青。健竹。麁(ソラフ)()。阿(ラフ)梨。木頭陀。一尋波。若眼(シヤカン)。戸木。夜明。I藤。鉄。一木枴。木居士。手中黒蛇〔器財門924八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

柱杖(シユヂヤウ) 。〔・財宝門241五〕〔・財宝門207五〕

柱杖(シユシヤウ) 。〔・財宝門191七〕

とあって、標記語「柱杖」の語を収載し、訓みは「シユヂヤウ」及び「シユシヤウ」と記載する。また、易林本節用集』に、

(シユヂヤウ) 。〔器財門209一〕

とあって、標記語「」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」と「柱杖」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、『釋氏要覽』を引用し且つ詳細にして大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

665素紗(ソ/スジヤ)ノ袈裟各一帖(テウ)帽子(モウ\ホウス)沓襪(シタウツ/ナイ)柱杖(シユチヤウ) {柱杖ハカジヤウト云ムシノ中ノ骨ナリ。ソノ虫ノ骨ヲ表ス也}脚〓〔月-榻〕(キヤタツ) {脚〓、腰カクル者ナリ}手巾(シユキン)布衫(サン)平江帯(ヒガウタイ) 帯條(タイ)ニ作−府ヨリ出之故云――也云々。〔謙堂文庫蔵五七左@〕脚榻

とあって、標記語「柱杖」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカヒ)木綿(モメン)肚脱(ツタツ) 柱杖ハ。カシヤウト云蟲(ム )ノ中ノ骨(ホネ)也。其蟲(ムシ)ノ骨(ホネ)ヲ表(ヒヨフ)スルナリ。〔下34ウ四・五〕

とあって、標記語「柱杖を収載し、語注記は、「柱杖は、かしやうと云ふ蟲(ム )の中の骨(ホネ)なり。其の蟲(ムシ)の骨(ホネ)を表(ヒヨフ)するなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

柱杖(しゆぢやう)柱杖 老和尚(らうおしやう)のつく杖也。〔87ウ七〕

とあって、この標記語「柱杖」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

柱杖(しゆぢやう)柱杖▲柱杖ハつゑなり。〔64ウ一、64ウ六〕

柱杖(しゆぢやう)▲柱杖ハつゑなり。〔115オ六、115ウ六〕

とあって、標記語「柱杖」の語をもって収載し、その語注記は、「柱杖は、つゑなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xugio<.シュヂャゥ(柱杖) 坊主(Bonzo)が,弟子をこらしめたり,叩いたりするために机の上に置いておく杖.※原文はbanco.〔Qio<zzucuyeの注〕〔邦訳800r〕

とあって、標記語「柱杖」の語の意味は「坊主(Bonzo)が,弟子をこらしめたり,叩いたりするために机の上に置いておく杖」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゅ-ぢゃう〔名〕【手杖】又杖子。禪宗の僧侶の用ゐる杖。狂言記杖「某、いつぞや、都へ用事ありて上ぼり、、其の次手に、しゅぢゃうを誂へ置きました」謡曲、熊坂「一壁には、大長刀、手杖にあらざる鐵(かね)の棒」〔0996-3〕

とあって、標記語「しゅ-ぢゃう〔名〕【手杖】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅ-じょう手杖】[一]〔名〕@つえ。特に禅僧が行脚の際に用いるつえ。また、説法のときに用いるつえ。ちゅうじょう。A能楽の小道具。長い竹杖の上部に、S字形に曲げた竹を通し、これに白垂(しらたれ=白色の垂らした髪)を下げて払子(ほっす)を示す。「殺生石」のワキ僧が持つ。また「放下僧」の後シテ(放下僧)はこれに唐団扇を吊したものを持つ。[二](杖)狂言。和泉流。細工屋の主人が杖を取りに来た修行僧の話を聞いて出家の心を起こし、頭を剃り弟子になる。そこに細工屋の女房が来て夫の姿に怒り、僧と細工屋は逃げ出す」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
時依彼母之勸、併加持之試之、少女云、隠岐法皇之爲御使、而從去比、於關東、令下向、日來令住相州第之處、隆辨法印、陪彼亭、而轉經之間、護法天等柱杖《訓み下し》時ニ彼ノ母ノ勧メニ依テ、併ガラ加持シテ之ヲ試ムルニ、少女ガ云ク、隠岐ノ法皇ノ御使トシテ、去ヌル比ヨリ、関東ニ於テ、下向セシメ、日来相州ノ第ニ住セシムルノ処ニ、隆弁法印、彼ノ亭ニ陪シテ、経ヲ転ズルノ間、法天等柱杖ヲ護ル。《『吾妻鏡』建長四年正月十二日の条》
 
 
2005年1月2日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
沓襪(くつしたうす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

(クツ) 左ヨリハキ右ヨリヌク()()A()。〔元亀二年本198二・三〕

(クツ) 左ヨリハキ右ヨリヌク()()僧ノハクA()。〔静嘉堂本225一〕

(クツ) 左ヨリハキ右ヨリヌク()()A()。〔天正十七年本中41ウ七・八〕

(シタウス) 。〔元亀二年本333八〕

(シタウツ) 。〔静嘉堂本397八〕

とあって、標記語「」と「」の二語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

此外帽子沓襪子柱杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布筋匙木錦肚脱〔至徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻([拂子])手巾布衫([平江帯])鉢孟((盂))巾脚布筋匙木錦肚脱〔宝徳三年本〕

此外帽子沓襪子柱杖脚榻手巾布衫鉢盂巾脚布匙木綿肚脱〔建部傳内本〕

此外帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖脚榻(キヤタツ)手巾(スキン)布衫(サン)鉢盂巾(ホ井キン)脚布筋匙(ハシガヒ)木綿肚脱(ヅタツ)〔山田俊雄藏本〕

外帽子(モウス)(クツ)襪子(シタウツ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(キン)布衫(フサン)鉢盂巾(ホイキン)脚布(キヤフ)筋匙(ハシカイ)木綿肚脱(ツタツ)〔経覺筆本〕

帽子(モウス)(クツ)(シタウヅ)柱杖(シユチヤウ)脚榻(キヤタツ)手巾(シユキン)布衫(フサム)鉢盂巾(ホユキン)脚布(キヤツフ)筋匙(ハシカイ)木綿(モメンノ)肚脱(ツタツ)。〔文明四年本〕※箸匙(ハシカイ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本は、「沓襪子」、山田俊雄藏本・文明四年本が「履襪」とし、訓みは、山田俊雄藏本・文明四年本に「クツシタウヅ」とし、経覺筆本に「クツシタウツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「沓襪子」「履襪」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

襪子(シタウヅ) 。〔絹布門98一〕

とあって、標記語「」の語は未収載にするが、標記語「襪子」の語は収載している。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(クツ/クワ)[平](同/クワ)[平](同/タフ)[入]A(同/せキ)[入](同/アイ)[平](同/)[上] 又作履子合紀呼土(クツ)。〔器財門505八〜506一〕

襪子(シタフズヘツシ) 。〔絹布門924三〕

とあって、標記語「沓襪」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(クツ)()クワ()クツA()セキ。〔・衣服門160一〕(クツ)。〔・財宝門159五〕

A 履也。〔・財宝門131四〕(クツ) 呼土。〔・國花合紀集拔書280九〕

A 。〔・財宝門120五〕〔・財寳門146三〕

(クツ)(クツ)。〔・財寳門146三・四〕

襪子(シタウズ) 。〔・衣服門243二〕

襪子(シタウヅ) 。〔・財宝門208九〕〔・財宝門193一〕

とあって、標記語「沓襪」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

(クワノクツ) 大臣沓也。〔器財門131七〕

襪子(シタウズ)ベツス 。〔食服門208二〕

とあって、標記語「靴」と「襪子」の二語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「沓襪」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

665素紗(ソ/スジヤ)ノ袈裟各一帖(テウ)帽子(モウ\ホウス)沓襪(シタウツナイ)柱杖(シユチヤウ) {柱杖ハカジヤウト云ムシノ中ノ骨ナリ。ソノ虫ノ骨ヲ表ス也}脚〓〔月-榻〕(キヤタツ) {脚〓、腰カクル者ナリ}手巾(シユキン)布衫(サン)平江帯(ヒガウタイ) 帯條(タイ)ニ作−府ヨリ出之故云――也云々。〔謙堂文庫蔵五七左@〕脚榻

とあって、標記語「沓襪」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(クツ)襪子(シタウス) 恒(ツネ)ノ如シ。〔下34ウ四〕

とあって、標記語「沓襪子を収載し、語注記は、「恒(ツネ)のごとし」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(くつ)襪子(したうず)沓襪子 爪先(つまさき)をわらぬ足袋也。〔87ウ六〕

とあって、この標記語「沓襪子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(くつ)襪子(したうす)沓襪子▲襪子ハ沓下(くつした)にはく足袋(たび)也。〔64ウ一、64ウ五〕

(くつ)襪子(したうず)▲襪子ハ沓下(くつした)にはく足袋(たび)也。〔115オ六、115ウ六〕

とあって、標記語「沓襪子」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cutcu.クツ() ¶Cutcuuo caqu.(沓を掻く)馬用のわらじをつくる.§Cutcuuo vtcu.(沓を打つ)馬にわらじをはかせる.⇒Fumi,u;Tcumari,u;Vchi,tcu.(打ち,つ).〔邦訳174r〕

Xito<zzu.シタウス(襪子) 坊主(Bonzos)のはく一種の白い足袋.※原文はcalcas.〔邦訳783l〕

とあって、標記語「沓襪子」の語の意味は「坊主(Bonzos)のはく一種の白い足袋」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くつ〔名〕【】〔沓は、鞜(かはぐつ)の省字、鹽鐵論「韋沓絲履」〕足首の形に凖へて作り、穿()きて歩(ある)くに用ゐる具。木沓、革沓、絲沓、藁沓、などあり。又、束帶(ソクタイ)・衣冠(イクワン)の時に用ゐる深沓、淺沓、靴(くつ)の沓、半靴(ハウクワ)、などあり、各條を見よ。今は、西洋製に傚ひて、多くは革製にて、長沓、半沓など、種種あり。神代紀、上14「履(クツ)古事記、中(應神)82「、沓(クツ)字鏡24「?、久豆」和名抄、十二21履襪類「履、久豆、用鞜字、音沓」〔0533-3〕

した-うづ〔名〕【】したぐつの音便、其條を見よ。名義抄、シタウツ」名目抄、衣服「、シタウツ」枕草子、六、五十段「燈臺は倒れぬ、したうづは、打敷に附きて行くに」〔0897-5〕

とあって、標記語「くつ】」と「した-うづ〔名〕【】」の二語分別して収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、「くつ】〔名〕@履き物の一種。皮革、藁、糸、麻などを用いて足先全体を覆うように作った履き物。古くは、浅沓(あさぐつ)、深沓(ふかぐつ)、半靴(ほうか)、A(せきのくつ)、鳥皮靴(くりかわのくつ)、物射沓(ものいぐつ)挿鞋(そうかい)、錦鞋(きんかい)、線鞋(せんかい)、糸鞋(しかい)、麻鞋(おぐつ、藁沓(わらぐつ)などがある。現在では、皮製のほか、布、ゴム、合成皮革などを材料とした長靴、短靴、編上靴などの種類がある。《以下略》)」と標記語「した-うず下沓】〔名〕⇒しとうず(下沓)」→「しと-うず下沓】〔名〕(「したぐつ」の変化した語)束帯の時などに、沓の下に用いる布帛製のはきもの。礼服(らいふく)には錦、朝服には平絹で作る。指の股はない」とあって、『庭訓徃來』のこの二語の用例は未記載にする。
[ことばの実際]
八田左衛門尉進御行騰等《訓み下し》八田ノ左衛門ノ尉(右)御行騰(クツ)等ヲ進ズ。《『吾妻鏡』建久元年四月十一日の条》
彼卿去年十二日、被聽紫革《訓み下し》彼ノ卿去年十二月二日ニ、紫革ノヲ聴サル。《『吾妻鏡』建保二年二月十日の条》
 
 
帽子(モウス)」は、ことばの溜池(2003.04.29)を参照。
 古版庭訓徃来註』では、

帽子(モウス) 又道具也。太唐()山寺ノ惠遠(エヲン)禪師ノ召シ給フ也。大國ニ昔(ムカ)シ大旱(ヒテリ)スル事アリ。人ノ頭(カウベ)(ワル)也。彼(カノ)(ヲン)法師(ホツシ)ニ祈(イノラ)せテ雨請(アマゴヒ)ヲサセラレシ也。餘(アマリ)ニ日強(ツヨ)ク照(テツ)テ人ノ通(カヨフ)事稀(マレ)也。其時帝(ミカト)ヨリ法師ガ頭(カウベ)ニ御衣(キヨイ)ノ御袖(ヲンソテ)ヲ引(ヒキ)ムシリ。御(ヲン)(カブラ)せアリ。水(ミツ)ト云字ヲ忝(カタシケ)ナクモ帝(ミカト)御手()ヲノベサせ玉ヒテ遊(アソ)ハシケリ。其(ソレ)ヨリ帽子(モウス)(ハジマ)リシ也。帽子(モウス)ト云字ヲ唐音(タウイン)テモウスト云也。モウスノ上ノヒダノ姿(スカタ)水(ミツ)ノ形(カタチ)ナリ。〔下34ウ一〜四〕

とあって、標記語「帽子」の語を収載し、此処で詳細なる語注記を記載している。江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

此外(このほか)帽子(もうす)此外帽子 僧のかふり物也。注前にくわし。〔87ウ六〕

とあって、この標記語「帽子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

此外(このほか)帽子(まうす)此外帽子▲帽子は七月の返状にミゆ。〔64ウ一、64ウ五〕

此外(このほか)帽子(まうす)▲帽子は七月の返状にミゆ。〔115オ四、115ウ五〕

とあって、標記語「帽子」の語をもって収載し、その語注記は七月の返状に記載するとある。
 
 
2005年1月1日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)酉年元旦 Ca Podanno
謹賀新年 本年も宜しくお願い申し上げます
 
一帖(イチデウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

一帖(デウ) 。〔元亀二年本19六〕

一帖 。〔静嘉堂本15四〕

とあって、標記語「一帖」の語を収載し、語注記に「紙」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

頭首方者素紗衣袈裟一帖〔至徳三年本〕

頭首方者素紗衣袈裟一帖〔宝徳三年本〕

頭首方者素紗衣袈裟一帖〔建部傳内本〕

頭首(テウシユ)(ガタ)()素紗(ソシヤ)(コロモ)袈裟(ケサ)一帖(テウ)〔山田俊雄藏本〕

頭首(テウシユ)(ガタ)()素紗(ソシヤ)(コロモ)袈裟(ケサ)一帖(テウ)〔経覺筆本〕

頭首(テウシユ)(ガタ)()素紗(ソシヤ)(コロモ)袈裟(ケサ)一帖(テウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「一帖」と記載し、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「(イチ)テウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一帖」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「一帖」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

一帖(イチテウヒトツ、ノリ)[○・入] 同(紙)。〔數量門11六〕

とあって、標記語「一帖」の語を収載し、語注記に「紙」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

一帖(デウ) 料紙等。〔・言語数量門8七〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「一帖」の語を収載し、語注記は「料紙など」と記載する。また、易林本節用集』に、

一帖(デフ) 。〔言語門6四〕

とあって、標記語「一帖」の語を収載し、語注記に広本節用集』と同じく「紙」とだけ記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「一帖」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

665素紗(ソ/スジヤ)ノ袈裟一帖(テウ)帽子(モウ\ホウス)沓襪(シタウツ/ナイ)柱杖(シユチヤウ) {柱杖ハカジヤウト云ムシノ中ノ骨ナリ。ソノ虫ノ骨ヲ表ス也}脚〓〔月-榻〕(キヤタツ) {脚〓、腰カクル者ナリ}手巾(シユキン)布衫(サン)平江帯(ヒガウタイ) 帯條(タイ)ニ作−府ヨリ出之故云――也云々。〔謙堂文庫蔵五七左@〕脚榻

とあって、標記語「一帖」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

花〓(クハリン)(糸+彦)木綿(モメン)等各一(ツヽ)頭首(テウシユ)(ガタ)()素紗(ソシヤ)(コロモ)袈裟(ケサ)一帖(テウ)花〓(糸+彦)木綿ハ。色色アルモメン也。〔下34オ八〜34ウ一〕

とあって、標記語「一帖を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

頭首方(てうしゆかた)者()素紗(そしや)の衣(ころも)袈裟(けさ)各(おの/\)一帖(いちてう)頭首方者素紗袈裟一帖 けさころも侍りたるを一帖と云。〔87ウ六〕

とあって、この標記語「一帖」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

頭首方(てうしゆかた)者()素紗(そしや)の衣(ころも)袈裟(けさ)平江帯(びんがうたい)各(おの/\)一帖(いちでう)頭首方者素紗袈裟一帖。〔64オ四〕

頭首方(てうしゆかた)()素紗(そしやの)(ころも)袈裟(けさ)平江帯(びんがうたい)(おの/\)一帖(いちでう)。〔115オ五〕

とあって、標記語「一帖」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Ichigio>.イチデフ(一帖) 紙の帖数,坊主(Bonzos)のストラ,および,草子(So<xis)という日本のある書き物などの数え方.※原文はestllas.聖職者の祭服用の頸垂帯.ここでは,肩袈裟をさす.〔邦訳326l〕

とあって、標記語「一帖」の語の意味は「紙の帖数,坊主(Bonzos)のストラ,および,草子(So<xis)という日本のある書き物などの数え方」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いち-でふ〔名〕【一帖】〔帖は、疊(たた)むなり、其條を見よ、折手本を、はふでふ(法帖)と云ふも、是れなり〕(一){折りたたみたる物を數ふるに云ふ語。二帖、三帖、五帖なども云ふ。内匠寮式「屏風、一帖江家次第、九、十一日小安殿行幸装束「大宋御屏風、三帖」同、五、圓宗寺最勝會「上紙三十帖、但馬」源氏物語、十七、繪合9「かたわなるまじき一でうづつ、さすがに浦浦のありさま、さやかに見えたるを、擇()りたまふ」細流抄「かたわなるまじきは、此中にて勝(すぐ)れたるを撰りたまふなり」(繪合(ゑあはせ)に出す繪なり、一枚(いちまい)の條の(二)を見よ)(二)紙の枚(ひら)に云ふことは、前項の江家次第(1111年頃)にも見えたるが、後世は、專ら廣く紙に云ふ。半紙は二十枚を一帖と云ひ、美濃紙は四十八枚を一帖としたり、これは三尺幅にて腰板ある紙障子を貼()るに、四十八枚にて過不足なきに因るなりと聞けり、其外、何紙、某(それ)の紙とて、一帖の枚數を定むること、區區(まちまち)なりき、然るに、大正十四年八月、東京と大阪との紙商同業組合にて、半紙を二十枚一帖とし、十帖を一束、五束を一締とし、四締を一丸とし、其外、各種の紙、皆五十枚を一帖としたり。江戸、東京にて、乾海苔は、十枚を一帖と云ふ。〔0171-5〕

とあって、標記語「いち-でふ〔名〕【一帖】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いち-じょう一帖】〔名〕@折りたたんだものの一つ。Aまとまった数を数える単位。半紙二〇枚、美濃紙五〇枚(大正一四年八月以前は四八枚)、その他の紙は五〇枚」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
《訓み下し》大阿闍梨ノ御布施、法服一具〈革鞋在リ、〉(草鞋在リ)横被一帖、水精ノ念珠一連〈銀ノ打枝ニ在リ、〉上童ノ装束二具、童装束四具、被物三十重。〈錦一重、織物九重、綾二十重。〉錦裹物一ツ。〈綾十具納ル、〉精好ノ絹三十疋、白綾三十疋、色色ノ綾三十疋、顕文紗三十疋、唐綾三十段、斗帳三十端。織筋三十端、紫ノ染物三十端、紫村濃三十端。絹村濃三十端、染付三十端、巻絹三十疋、帖絹三十疋、地白ノ綾三十端、浅黄染ノ綾三十段、色皮三十枚(染物三十端、色皮三十枚)、〈已上漆ノ箱ニ納レ、組ラ付ケ之ヲ結フ〉(已下)白布三十段、藍摺三十段、香三百両(紺布三十段、已上、糸三百両)、綿三百両、御馬十疋、供米二十石、御加布施ニ銀剣一腰〈錦ノ袋ニ入ル、〉砂金百両。御布施取リ《『吾妻鏡』正嘉元年十月一日の条》
 
 
 
 
 
 

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