2005年02月01日から02月28日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
2005年2月28日(月)晴れ後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
湯盞(タウサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

湯盞(サン) 。〔元亀二年本135四〕〔静嘉堂本142五五〕〔天正十七年本中3オ八〕

とあって、標記語「湯盞」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

被調置茶具者建盞天目胡盞〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])被調置茶具者建盞天目胡盞〔建部傳内本〕

御時以前調具茶建盞(ケンサン)天目胡()盞繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具者()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)之茶(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本何れも「湯盞」の語を未収載にする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「湯盞」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

湯盞(タウサン) 。〔器財門105三〕

とあって、標記語「湯盞」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

湯盞(タウサンユ、サカヅキ)[平去・上] 。〔器財門341六〕

とあって、標記語「湯盞」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

湯盞(タウサン) 酒器。〔・財宝門104二〕

湯盞(タウサン) 。〔・財寳門103一〕

とあって、標記語「湯盞」の語を収載し、語注記は弘治二年本に「酒器」と記載する。また、易林本節用集』に、

湯盞(タウサン) 。〔器財門91七〕

とあって、標記語「湯盞」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「湯盞」の語を以て収載し、これを下記真字本が収載しているのである。語注記は、弘治二年本節用集』だけに見えている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

682胡盞(ウサン)湯盞(タウ―) 胡盞義也。〔謙堂文庫蔵五八左@〕

とあって、標記語「湯盞」の語を収載し、語注記は「胡(国)の盞の義なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「湯盞」の語を未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、標記語「湯盞」の語は未収載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ〔65ウ五〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。〔118オ三〕

とあって、標記語「湯盞」の語を未収載にする。いわば、真字本のみが収載する特殊なる語である。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To<san.タウサン(湯盞) 盃(Sacazzuqui)の一種で,それ専用の赤く漆塗りした(vruxada)の木の盆にのせたもの. ※Nuri,uの注参照〔邦訳670l〕

とあって、標記語「湯盞」の語の意味は「盃(Sacazzuqui)の一種で,それ専用の赤く漆塗りした(vruxada)の木の盆にのせたもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「たう-さん〔名〕【湯盞】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-さん湯盞】〔名〕あたたかい汁などを入れる平たいうつわ。さかずきの類。異制庭訓往来(14C中)「折敷百束湯瓶湯盞茶匙飯桶再進」*春林本下学集(室町末)「湯盞 タウサン」運歩色葉集(1548)「湯盞 タウサン」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
茗甌湯盞 周益爲郡貢充有一貧友來謁益令任意自取友取二渡江發視止一茗甌一湯盞耳怒而碎之僕救得一盞以歸纔注湯其中雙鶴飛舞啜盡始滅屡試験方懊恨焉。《『韻府群玉』潸韻・三264右@》
 
 
2005年2月27日(日)薄晴れ後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→Porta Porlese
胡盞(ウサン→コサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

烏盞(サン)胡盞() 。〔元亀二年本179九〕

烏盞(ウサン)胡盞() 。〔静嘉堂本201二〕

烏盞(サン)胡盞( サン) 。〔天正十七年本中30オ一〕

とあって、標記語「烏盞」及び「胡盞」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

被調置茶具者建盞天目胡盞〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])被調置茶具者建盞天目胡盞〔建部傳内本〕

御時以前調具茶建盞(ケンサン)天目()繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具者()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)之茶(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、文明四年本は此の語を未収載にする。至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本は、「胡盞」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「ウ(サン)」、経覺筆本に「ウサン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「胡盞」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

烏盞(ウサン) 。〔器財門105一〕

とあって、標記語「烏盞」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

胡盞(ウザン・ナンソ・ヱビス、サカヅキ)[○・上] 或胡作。〔器財門476二〕

とあって、標記語「胡盞」の語を収載し、訓みを「ウザン」と第二拍めを濁り、語注記に「或は胡、烏に作る」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

胡盞(ウサン) 。〔・財宝門150一〕〔・財宝門111五〕〔・財宝門135七〕

胡盞(ウサン)。〔・財宝門121七〕

とあって、標記語「胡盞」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

胡盞(ウサン) 。〔器財門118六〕

とあって、標記語「胡盞」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「胡盞」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、古辞書における広本節用集』の訓みと語注記は特出している。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

682胡盞(ウサン)湯盞(タウ―) 胡盞義也。〔謙堂文庫蔵五八左@〕

とあって、標記語「胡盞」の語を収載し、語注記は「胡(国)の盞の義なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「胡盞を収載し、語注記は未記載にする。また、これより以降、江戸時代の注釈書の訓はすべて「コサン」としている。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

胡盞(こさん)胡盞 染付(そめつけ)のけちやわん也。又高麗(かうらい)ちやわんといふともいえり。〔89オ七〕

とあって、この標記語「胡盞」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲胡盞ハ高麗(かうらい)茶碗也と〔65ウ五、66オ一〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲胡盞ハ高麗(かうらい)茶碗也と。〔118オ三、118ウ三〕

とあって、標記語「胡盞」の語をもって収載し、その語注記は「胡盞は、高麗(かうらい)茶碗なりと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vsan.ウサン(胡盞) Sacazzuqi(盃)に同じ.コップ,または,盃.文章語.〔邦訳733r〕

とあって、標記語「胡盞」の語の意味は「Sacazzuqi(盃)に同じ.コップ,または,盃.文章語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-サン〔名〕【烏盞胡盞】〔胡亂(ウロン)の條の語原を見よ〕けんざん(建盞)の條を見よ。〔0229-2〕

とあって、標記語「-サン〔名〕【烏盞胡盞】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さん胡盞烏盞】〔名〕天目茶碗のうちの黒みの強いもの。中国福建省の建窯で作られたもので、わが国で献茶用に使用」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
烏盞 たうさんのなりにして土くすりは建盞と同物なり。大小あり代やすし《『君台観左右帳記』(1511年)の条》
 
 
2005年2月26日(土)曇り後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA→スペイン広場
天目(テンモク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「點」部に、

天目(モク) 。〔元亀二年本243四〕〔静嘉堂本280五〕

とあって、標記語「天目」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

被調置茶具者建盞天目胡盞〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])被調置茶具者建盞天目胡盞〔建部傳内本〕

御時以前調具茶建盞(ケンサン)天目()盞繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具者()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)之茶(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「天目」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「天目」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「天目」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

天目(テンモクソラ、ボク・メ)[平・入] 天目之。故名也。〔器財門717一〕

とあって、標記語「天目」の語を収載し、語注記に「天目山よりこれ出る。故に名づくるなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

天目 天目山ヨリ出之故云。〔・財宝門197七〕

天目(テンモク) 天目山始出之。〔・財宝門163八〕

天目(モク) ―――始出之。〔・財宝門152九〕

とあって、標記語「天目」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承する。また、易林本節用集』に、

天蓋(テンガイ) ―冠(グワン)。―目(モク)〔器財門165二〕

とあって、標記語「天蓋」の熟語群として「天目」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「天目」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』類の語注記内容とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

681以前可調置茶具者建盞(ケンサン)天目 何処名也。〔謙堂文庫蔵五八右H〕

とあって、標記語「天目」の語を収載し、語注記は「何れも処の名なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「天目を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

天目(てんもく)天目 ちやわんの事也。〔89オ六・七〕

とあって、この標記語「天目」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲天目ハ茶碗の類。〔65ウ五、66オ一〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲天目ハ茶碗の類。〔118オ三、117ウ五〕

とあって、標記語「天目」の語をもって収載し、その語注記は「天目は、茶碗の類」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tenmocu.テンモク(天目) 茶(Cha)や薬などを飲むのに使う,日本の茶碗.〔邦訳646l〕

とあって、標記語「天目」の語の意味は「茶(Cha)や薬などを飲むのに使う,日本の茶碗」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

てん-もく〔名〕【天目】〔支那、浙江省、臨安縣の天目山は名茶を産ず。昔、五山の僧など、天目の茶を賞したれば、其名の器物に移りしものかと云ふ〕(一)天目茶碗の略。茶家に、茶碗の一種。すりばちなりにして淺く、上の開きたるものの稱。尻すぼまりたれば、K漆の茶臺に載するを常とす。緑は銀の覆輪(ふくりん)を置く。和訓栞、前編「てんもく、甑を云ふ、建安の天目山の名によれり、磁碗の深きを云へり」和漢三才圖會、三十一、庖厨具「茶、云云、京師K谷、清水、御室之茶天目最多、皆可薄茶煎茶(二)泛(ひろ)く、茶碗の稱。(四國、九州、中國、北國)〔1376-5〕

とあって、標記語「てん-もく〔名〕【天目】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「てん-もく天目】〔名〕(中国浙江省天目山の寺院で使用していたのを五山の僧などが持ち帰って賞したところからいう)茶の湯に用いる、浅く開いたすり鉢形の茶碗、また、すり鉢形をした茶碗の総称。天目茶碗。Aてんんもくだい(天目台)の略。B武具。@の形状を標示した指物(さしもの)の名」とあって、@の用例として『庭訓徃來』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
長蘆寺什物 一 茶湯天目一対同茶器、一対黒漆《『大コ寺文書』応安元年九月日の条2816・11/138》   
 
 
2005年2月25日(金)曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
建盞(ケンザン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

建盞(ケンザン) 。〔元亀二年本216九〕〔静嘉堂本247一〕

建盞(ケンサン) 。〔天正十七年本中52ウ七〕

とあって、標記語「建盞」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

被調置茶具者建盞天目胡盞〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])被調置茶具者建盞天目胡盞〔建部傳内本〕

御時以前調具茶建盞(ケンサン)天目胡()盞繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具者()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)之茶(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「建盞」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「ケンサン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「建盞」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

建盞(ケンザン) 。〔器財門105一〕

とあって、標記語「建盞」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

建盞(ケンザンタツ、サカヅキ)[去・上] ――天目。〔器財門593三〕

とあって、標記語「建盞」の語を収載し、語注記に「建盞天目」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

建盞(ケンゲン) 。〔・財宝門174三〕

建盞(ケンザン) 。〔・財宝門143三〕〔・財宝門133一〕

とあって、標記語「建盞」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

建盞(ケンザン) 。〔器財門145五〕

とあって、標記語「建盞」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「建盞」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。茲で、広本節用集』の語注記は、この『庭訓徃來』の語順に一致し、これよりの引用とも考えられよう。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

681以前可調置茶具者建盞(ケンサン)天目 何処名也。〔謙堂文庫蔵五八右H〕

とあって、標記語「建盞」の語を収載し、語注記は「何れも処の名なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「建盞を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調置(とゝのへおか)被()可(へき)茶具(ちやぐ)ハ建盞(けんさん)御齋粥以前可調置茶具者建盞 唐の建州といふ所より焼出すちやわんなり。〔89オ五・六〕

とあって、この標記語「建盞」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲建盞ハ舊抄(きうせう)に唐土(もろこし)建州(けんしう)より出る茶碗(ちやわん)也と。〔65ウ四、66オ一〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲建盞ハ舊抄(きうせう)に唐土(もろこし)(けんしう)より出る茶碗(ちやわん)也と。〔118オ三、118ウ二〕

とあって、標記語「建盞」の語をもって収載し、その語注記は「建盞は、舊抄(きうせう)に唐土(もろこし)建州(けんしう)より出る茶碗(ちやわん)なりと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qenzan.ケンザン(建盞) すなわち,Temmocuno taguy.(天目の類)茶(Cha)を飲むのに使う茶碗の一種.〔邦訳487r〕

とあって、標記語「建盞」の語の意味は「すなわち,Temmocuno taguy.(天目の類)茶(Cha)を飲むのに使う茶碗の一種」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けん-ざん〔名〕【建盞】〔支那、福建省、泉州府、コ化縣、建安の地の産なるを元とすれば、名ありと云ふ、阿膠(アケウ)、金漆(コンシツ)の例なり〕茶器に、天目の一種、上品なるものの稱、土燒(つちやき)、K釉(くろぐすり)なり。星のあらはれたるを、星(ほし)建盞と云ふ。又、土、釉(くすり)、同じ物にて、形の稍異なるを、胡盞(ウサン)、又、烏盞(ウサン)と云ふは、高麗茶碗なりと云ふ。庭訓往來、十月「茶具者、建盞、天目、胡盞」〔0628-4〕

とあって、標記語「けん-ざん〔名〕【建盞】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けん-さん建盞】〔名〕(「けんざん」とも)中国、宋・元時代、建窯(けんよう)で作られた天目茶碗。建窯は中国福建省建陽県水吉鎮にあった窯で、宋代に喫茶用の天目茶碗を多く焼いた。作は高台(こうだい)が小さく、口縁がひねり返っている形で、釉面の変化によって多くの種類に分けられるが、曜変、油滴と呼ばれるものに特にすぐれたものがある。わが国には鎌倉末期に請来され、茶人に珍重された」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
茶湯天目 建盞山沽却、二ケ一ケ建盞、付匙子、《『大コ寺文書』永正六年正月日の条1644・4/131》
 
 
2005年2月24日(木)曇り後雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
茶具(チヤグ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、「茶碗(チヤワン)。茶巾(キン)。茶壺(ツボ)。茶筅(せン)。茶臼(ウス)。茶磨()。茶竈(ガマ)。茶染(ゾメ)。茶器()。茶子(チヤノコ)。茶袋(ブクロ)。茶湯()。茶湯(タウ)。茶園(エン)」の十四語を収載し、この標記語「茶具」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

被調置茶具者建盞天目胡盞〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])被調置茶具者建盞天目胡盞〔建部傳内本〕

御時以前調建盞(ケンサン)天目胡()盞繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「茶具」と表記し、訓みは、文明四年本に「チヤの(グ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶具」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「茶具」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

茶具(チヤ―、ツブサ・ソナヱ)[平・去] 。〔器財門162四〕

とあって、標記語「茶具」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「茶具」の語は未収載にする。また、易林本節用集』も、標記語「茶具」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「茶具」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

681以前可調置茶具者建盞(ケンサン)天目 何処名也。〔謙堂文庫蔵五八右H〕

とあって、標記語「茶具」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶具を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調置(とゝのへおか)被()可(へき)茶具(ちやぐ)ハ建盞(けんさん)御齋粥以前可調置茶具者建盞 唐の建州といふ所より焼出すちやわんなり。〔89オ五・六〕

とあって、この標記語「茶具」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ〔65ウ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。〔118オ二〕

とあって、標記語「茶具」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「茶具」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ちゃ-〔名〕【茶具】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-茶具】〔名〕茶器。茶道具。北山抄(1012-21頃)二・一二月一九日御仏名事(裏書)「天暦四年<略>同九年十二月廿二日<略>賜法親王禄<略>茶并茶具二裹」*御伽草子・酒茶論(古典文庫所収)(室町末)「茶具の体を見わたせば、からのかたつき大なつめ、やらう大かい中つぎに、せとの丸つぼぶんりん」*皮日休-家林亭詩「蕭疎桂影移茶具、狼藉蘋花上釣筒」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
秀吉公御耳に達し、内々悪しと思召折節なれは、讒言も指つとひ、「利休近年茶具の目利にも親疎の人々により私有」由をそ申上る。父子の間さへ遠さくる讒言也。いかに 況君臣の間をや。讒言度重りしかは、天正十九年二月廿八日利休御成敗に極り、被仰出けるは「大徳寺の山門の上に己か木像に草鞋をはかせ置。此山門は天子も行幸、親王摂家も通り給ふに、其上に如此の不礼の木像を置事、絶言語次第也。又定茶具の品を定る にも依怙有由被聞召間、御成敗被遊候」由にて、尼子三郎左衛門・奥山佐渡守・中村式部少輔検使にて利休か宿所に至る。利休は少も不騒、小座敷に茶の湯を仕かけ花を生茶を点し、弟子の宗厳にも常の如く万事を申付、扨茶湯終りて、阿弥陀堂の釜鉢開の茶碗 石燈篭をは細川越中守忠興方へ形見に遣し、又自分茶杓と織筋茶碗は弟子の宗厳にとらせ、利休は床の上に上り、腹十文字に掻切、七拾一歳にて終りぬ。《『武辺咄聞書』第七十九話の条》
 
 
2005年2月23日(水)雨雷後晴れ間。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
調置(とゝのへおく)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、標記語「調置」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

調置茶具者建盞天目胡盞〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])調置茶具者建盞天目胡盞〔建部傳内本〕

御時以前調具茶建盞(ケンサン)天目胡()盞繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具者()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)之茶(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「調置」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(ととの)へ(おか)る」、経覺筆本に「とゝのへ(おかる)」、文明四年本に「(ととの)へおかる」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「調置」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「調置」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

調置(トヽエヲクテウチ)[去・去] 又整(トヽノエ)。〔態藝門144一〕

とあって、標記語「調置」の語を収載し、語注記に「また、整(とゝのえ)同じ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「調置」の語は未収載にする。また、易林本節用集』も標記語「調置」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「調置」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、語注記内容は、異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

681以前可調置茶具者建盞(ケンサン)天目 何処名也。〔謙堂文庫蔵五八右H〕

とあって、標記語「調置」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「調置を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調置(とゝのへおか)被()可(へき)茶具(ちやぐ)ハ建盞(けんさん)御齋粥以前可調置茶具者建盞 唐の建州といふ所より焼出すちやわんなり。〔89オ五・六〕

とあって、この標記語「調置」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ〔65ウ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。〔118オ二〕

とあって、標記語「調置」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「調置」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ととのへ-おく〔名〕【調置】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
土肥次郎實平、梶原平三景時等、同首途調置兵舩、來六月、屬海上和氣期、可遂合戰之由、被仰含〈云云〉《訓み下し》土肥ノ次郎実平、梶原平三景時等、同ク首途ス。兵船ヲ調(トヽノ)ヘ置()、来六月、海上和気ノ期ニ属シ、合戦ヲ遂グベキノ由、仰セ含メラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦元年四月二十九日の条》
 
 
以前(イゼン)」はことばの溜池(2004.08.29)を参照。
 
(かゆ)」は、ことばの溜池(2000.09.21)を参照。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状には、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本いずれにも「」の語は未収載にする。
 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

680() 四分律曰、明相出始得食粥餘皆非時也云々。〔謙堂文庫蔵五八右H〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「『四分律』に曰く、明相出始得食粥餘、皆非時なり云々」と記載する。

 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かゆ-〔名〕【】〔食湯(けゆ)の轉か、(食()の條を見よ)濃湯(こゆ)の轉か(根莖(かぶら)、腓(こむら)。韭(かみら)、小韭(こみら))〕かい。米を、水にて煮たるもの。古へ、堅粥(かたかゆ)と云ひしは、米を炊(かし)ぎたるもの、即ち、姫飯(ひめいひ)にて、今の尋常の飯(めし)なり。(蒸したる、強飯(こはいひ)に對す) 。汁粥(しるかゆ)と云ひしは、水を多くして煮て、(とろ)けしめたるもの、今、常にかゆとのみ云ふは、是れなり。字鏡30「、厚粥也、加由」天治字鏡、十二30「、加由」倭名抄、十六14「、薄也、之留加由、、厚粥也、加太賀由」同、高山寺本、筑前、鞍手郡「田、加以多」江家次第、七、解齋「藏人供、云云、立御箸入御」原註「堅粥也、高盛之」宇津保物語、藏開、上44「このかゆ(すす)りてむとて、副へたる坏(つき)どもによそひて、皆參る」(啜るとある、汁粥(しるかゆ)なり)〔0436-2〕

とあって、標記語「かゆ-〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-】〔名〕米、アワなどに水を加えて煮たもの。米を蒸したもの(飯=いい)に対していう。古くは、水分の多いものを汁粥(現在のかゆにあたる)といい、後には、もっぱら汁粥をいう。仏教では、その上に字を書いても跡を残さない程度の柔らかさのものをいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
將軍家御惱、聊御減被聞食御〈云云〉《訓み下し》将軍家ノ御悩、聊カ御減。御(カユ)ヲ聞シ食サルト〈云云〉。《『吾妻鏡建長四年八月十日の条》
 
 
 
2005年2月22日(火)曇り一時雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
御時・御齋(おんとき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

(トキ) 僧食。〔元亀二年本61七〕〔静嘉堂本70七〕〔西來寺本〕

(トキ) 。〔天正十七年本上36オ一〕

とあって、標記語「御時」の語を収載し、語注記に「僧食」と記載する。そしてまた、「於」部に標記語「御時」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

被調置茶具者建盞天目胡盞〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])被調置茶具者建盞天目胡盞〔建部傳内本〕

御時以前調具茶建盞(ケンサン)天目胡()盞繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具者()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)之茶(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、至徳三年本は此の語を未収載にする。宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本は「御時」とし、建部傳内本・文明四年本は、「御齋」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「御時」「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「御時」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(トキサイ)[平] 一日一度午刻食也。〔飲食門130二〕

齋粥(トキカユサイシユク)[平・入] (トキ)正時。佛制日午為法食。午時日影過一髪一瞬ヲモ。即是非時。粥(カユ)時明相出始食餌。餘非時。須舒手見掌丈分明上レ粥。在釋氏要覽處々經云佛言中後不食有五福也。一少婬。二少睡。三得一心。四無下風。五身得安樂。亦不病云々。〔飲食門130二〜四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また「齋粥」の語も見えている。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(トキ) 斉日一日一度午刻之食。〔・言語進退門44八〕

(トキ) 一日一度午食也。〔・言語門47一〕

(トキ) 一日一度午時食也。〔・言語門43九〕〔・言語門51八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「一日に一度午の時{刻・}の食なり」と記載する。また、易林本節用集』に、

(トキ) 。〔時候門40四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には「」の語で収載しているのである。そしてまた、広本節用集』以下印度本系統の語注記とは、内容を異にしている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチ/イリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲法慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「御時」の語を収載し、語注記は「『食項付』曰く、人の食べる時は辰・巳・午。畜生は未・申・酉。鬼は戌・亥・子。天人は丑・寅・卯の時なり。『三昧經』に曰く、佛、法慧菩薩の爲に四食の時を説く。一に丑の時天の食と為。二に午の時法の食時と為佛、六趣の因を断じ、三世の佛に同じくせしむ。故に日午を制して法食正の時と為るなり」と記載する。この注記内容は後の注釈書には成されていないことからも、室町時代の資料を裏付けていく上で重要な手がかりとなるところである。→食時」(1999.09.27)を参照。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「御時を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調置(とゝのへおか)被()可(へき)茶具(ちやぐ)ハ建盞(けんさん)御齋粥以前可調置茶具者建盞 唐の建州といふ所より焼出すちやわんなり。〔89オ五・六〕

とあって、この標記語「御齋」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ〔65ウ四〕

御齋(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。〔118オ二〕

とあって、標記語「御齋」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Toqi.トキ() 坊主(Bonzos)の正式の食事〔朝飯〕.¶Toqi,Fiji.(齋,非時)坊主(Bonzos)の朝飯と夕飯と.※原文はIantar.〔Asagareiの注〕→Saiji.〔邦訳662r〕

とあって、標記語「御時」の語の意味は「坊主(Bonzos)の正式の食事〔朝飯〕」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「おん-とき御時】〔名〕」では未収載にあり、ただ「とき】」にて、

とき〔名〕【】〔食すべき時の義。齋は梵語、波婆娑(Upavasa)の譯語にて、齋戒の齋、即ち食事を愼む意。比丘は戒律上、非時(ヒジ)に食ふべからず、時(とき)(午前中)に食ふを定法とす。故に、齋を時にかよはし、轉じて、僧食を一般に齋(とき)と云へり〕(一)かたぞなへ。さい。僧の食事。即ち午前の食にして、僧は、元來、一日一食(イチジキ)の制なり。午後の食事は、時ならずの意にて、非時(ヒジ)と云ふ。即ち、俗人、一日二食(にじき)の朝飯、夕飯に當る。(二食(にじき)及、さい(齋)の條をも見よ)宇治拾遺物語、四、第十五條「永超僧都は、魚なき限りは、、非時もすべて食はざる人なり」徒然草、六十段「眞乘院の盛親僧都、云云、、非時も人に等しく定めて食はず、我食ひたき時、夜中にも曉にも食ひて」雜談集(嘉元、無住)三「?眞和尚、日本へ渡りたまひたりし昔は、寺寺只一食にて、朝食一度しけり、次第に器量弱くして、非時と名づけて、日中に食し、後には山(比叡山)も、奈良(東大寺)も三度食す、云云、未申のばかりに非時して、法師ばら坂東へ下りぬれば、夕方、寄合て事(こと)と名づけて、我我世事(セイジ)して食すと云へり」(二)泛く、僧の食事。一時に數處の檀家の家の饗にあづかるを、貧僧のかさね齋など云ふ。古事談、三、僧行、無動寺仙命上人「一日に一度、をのみ指入れければ、食して、不斷、念佛をのみしたまへり」〔1392-5〕

とあって、標記語「とき〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とき】〔名〕(食すべき時の食の意)@僧家で、食事の称。正午以前に食すること。午後に食することを、時ならぬ食として非時(ひじ)というのに対していう。A肉食をとらないこと。精進料理。B檀家や信者が寺僧に供養する食事。また、法要のときなどに、檀家で、僧・参会者に出す食事。おとき。C法要。仏事。D節(せち)の日、また、その日の飲食。→齋(とき)の日」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
入道頼經、御料御時、任禪定殿下内々仰旨、即於思企者、可執武家權之條、不可有相違〈云云〉《訓み下し》入道頼経、御料ノ御時、禅定殿下内内ノ仰セノ旨ニ任セ、即チ思ヒ企ツルニ於テハ、武家ノ権ヲ執ルベキノ条、相違有ルベカラズト〈云云〉。《『吾妻鏡』宝治元年六月八日の条》
 
 
用意(ヨウイ)」は、ことばの溜池(2001.05.23)を参照。
 
2005年2月21日(月)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
客料(キヤクレウ&カクレウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「客星。客征(カセイ)風也異名」の二語を収載し、また「幾」部に、「客殿(キヤクデン)。客来(キヤクライ)。客位()。客寮(リヤウ)。客道(ダウ)。客櫓()。客星(キヤクセイ)」の七語をそれぞれ収載するが、この標記語「客料」の語は両部とも未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米索糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本は此の語を未収載にする。宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「客料」と表記し、訓みは、文明四年本に「キヤクレウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「客料」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「客料」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「客料」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチ/イリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲佛慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「客料」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「客料を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煎餅(せんべい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくへい)(ほしゐ)(ちまき)客料(きやくりやう)の爲(ため)用意(ようい)せ被(らる)(べし)煎餅燒餅粢興米索糒粽等爲客料用意 當日來りし客人へ出ん爲伏兎より粽迄の品々を用意して置れよと也。〔89オ三〜五〕

とあって、この標記語「客料」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意。〔65オ八〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)。〔116ウ六〕

とあって、標記語「客料」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「客料」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「かく-れう〔名〕【客料】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きゃく-りょう客料】〔名〕客用の物。客のために用意する物。庭訓往来(1394-1428頃)「索餅、糒(ほしいい)等、為客料、可用意」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
已及淵醉、自入幽興、居菓子間牽御馬二疋、〈兩客料、〉秉燭以前事了、両殿下有御出、、〈共令参斎院(令子内親王)給、〉人々或扈従、《『中右記』嘉保二年一月三日の条2/166・344-0》
 
 
2005年2月20日(日)雨模様雷一時晴れ間。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA→VILLA Berghese
(ちまき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

(チマキ) 。〔元亀二年本70七〕〔静嘉堂本84三〕〔天正十七年本上41ウ五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米索糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、此の語未収載にし、宝徳三年本・山田俊雄藏本「」に補入記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ソウ)チマキ/俗作角黍 。〔黒川本・飲食門上54オ一〕

(ソウ)チマキ/俗乍角黍已上同 。〔卷第二・飲食門460六〜461一〕

とあって、標記語「」の語注記に「俗にと作る」として記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(チマキ) 又云角黍。〔飲食門100三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「また、角黍と云ふ」と別語を記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(チマキソウ)[去] ―與同。又云角黍或云龍骨。〔飲食門161八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「艨とは同じ。また角黍と云ふ。或は龍骨と云ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(チマキ) 五月五日食。〔・食物門50二〕

(チマキ) 五月五日食又作角黍。〔・食物門52五〕

(チマキ) 五月五日食又作角黍。〔・食物門47七〕

五月五日食又作角黍。〔・食物門56七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「五月五日に食すまた角黍と作る」と記載する。また、易林本節用集』に、

(チマキ) 。〔食服門50五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「同じ」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、別表記の語を載せ詳細である。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチ/イリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲佛慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煎餅(せんべい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくへい)(ほしゐ)(ちまき)等客料(きやくりやう)の爲(ため)用意(ようい)せ被(らる)(べし)煎餅燒餅粢興米索等爲客料用意 當日來りし客人へ出ん爲伏兎より粽迄の品々を用意して置れよと也。〔89オ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索等爲客料用意。〔65オ八〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)。〔116ウ六〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chimaqi.チマキ() 竹の葉その他草の葉などに包んだ,ある種の飯.→Ameqimaqi;Sasagimaqi.〔邦訳121r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「竹の葉その他草の葉などに包んだ,ある種の飯」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-まき〔名〕【角黍】〔茅卷の義、古へは、茅()の葉にて包む、後には菰(まこも)の葉なり〕糯米(もちごめ)を水に浸したるもの、又は、粳粉(こめのこな)をこねて、芋子の如くしたるものを、菰、又は、笹の葉に三角形に卷き、煮て熟せしめたるもの。端午の時食とす。五色の絲にて卷くを、飾りちまきと云ふ。倭名抄、十六15飯餅類「、知末岐」字鏡30「、知万支」拾遺集、十八、雜、賀「五月五日ちひさきかざりちまきを山菅の籠に入れて「心ざし、深き汀に、刈る菰は、千年のさつき、いつか忘れん」伊勢物語、五十二段「かざりちまきをおこせたりけるかへりごとに」知顯抄かざりちまきと云ふは、菖蒲の根をきざみて、しゃうぶの葉の若きを割りて、其中に入れて結ひ、本に色色なる糸にてまきて、時の花の、うつくしきなでしこ、あづさ井、しもつけ、あふひ、しゃうびの花をもちて飾りたるを云ふ」續齋諧記(梁、呉均)「屈原以五月五日、云云、世人五月五日作并五色絲及練葉、皆羅之遺風」〔1273-4〕

とあって、標記語「-まき〔名〕【角黍】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-まき茅卷】〔名〕@(「ち(茅)まき(卷)」の意で、古く茅(ちがや)の葉で巻いたところからいう)笹やまこもで、もち米・うるち米の粉を卷き、長円錐形に固めて藺草(いぐさ)で巻いて蒸した餅。端午の節供に食べる習慣は、楚人が、五月五日に羅(べきら)の水に投身した屈原(くつげん)をあわれんで、竹の筒に米を入れて羅の水に投げる遺風がその起源だという。かざりちまき。《季・夏》A柱の上部、あるいは上下が丸みをもってすぼまった部分。奈良時代のものは上にだけあり、上下にあるのは鎌倉時代から始まった唐様建築の手法。ちまきがた」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
長谷(の)前々大僧正、五月五日人々にちまきをくばりけるに、俊惠法師きゝて、そのうちにいるべきよし申(まうし)つかはすとて、よみける、あやめをばほかにかりても葺(ふき)つべしちまきひくなるうちにいらば《『古今著聞集』一八・618「長谷前々大僧正俊惠法師と粽の歌を贈答の事」の条》
 
 
2005年2月19日(土)晴れ後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA〜ポルテーゼ門〜コロッセオ
(ほしい)」→ことばの溜池「糒袋」(2003.01.08)を参照。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・経覺筆本は、此の語を未収載にする。宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「ホシイ」とし、文明四年本に「ホシ井」と記載する。

  頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索粽等爲客料用意▲糒ハ俗にいふ抒飯(ひきいゝ)也。〔65オ八、65ウ三〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲糒ハ俗にいふ抒飯(ひきいひ)也。〔116ウ六、118オ一〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「糒ハ俗にいふ抒飯(ひきいゝ)なり」と記載する。
[ことばの実際]
十五袋到来候、志之趣別而悦入候、猶森乱法師申すべく候/六月廿日 信長(黒印)/楢原右衛門尉殿《「織田信長黒印状」》
 
 
2005年2月18日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
(サクベイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、「索麺(サウメン)」の語一語を収載し、標記語「」「索餅」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本は未収載にし、経覺筆本は「索餅」とし、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「サク(ヘイ)」、経覺筆本に「サクベイ」、文明四年本に「サクヘイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

酢餅(サクヘイ―、モチ)[去・平] 或作小粉名見左傳。〔飲食門779二〕

とあって、標記語「酢餅」の語を収載し、語注記に「或はに作す(=索餅)。小粉名づく。『左傳』に見ゆ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「」「索餅」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

索麪(サウメン) ―餅(サクヘイ)。〔食服門178三〕

とあって、標記語「索麪」の熟語群に「索餅」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「酢餅」の語を以て語注記に「」表記の語を暗示していて、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。更に易林本節用集』には、熟語群であはるが「索餅」を収載している。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチ/イリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲佛慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煎餅(せんべい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくへい)(ほしゐ)(ちまき)等客料(きやくりやう)の爲(ため)用意(ようい)せ被(らる)(べし)煎餅燒餅粢興米索餅糒粽等爲客料用意 當日來りし客人へ出ん爲伏兎より粽迄の品々を用意して置れよと也。〔89オ三〜五〕

とあって、この標記語「索餅」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索餅糒粽等爲客料用意▲索餅ハ俗にいふ索麪(さふめん)の事也。〔65オ八、65ウ三〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲索餅ハ俗にいふ索麪(さうめん)の事也。〔116ウ六、118オ一〕

とあって、標記語「索餅」の語をもって収載し、その語注記は「索餅は、俗にいふ索麪(さうめん)の事なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さく-べい〔名〕【】むぎなはを見よ。〔0789-2〕

むぎ-なは〔名〕【】〔麥繩の義〕又、さくべい。麥粉(むぎこ)と米の粉とを煉りて、繩の如くにねぢたるもの。長さ二三寸。昔、陰暦、七月七日に、内膳司より禁中に奉る。一年の瘧を除くとす。索麪(サウメン)もこれに起る。たつか。箋注倭名抄、四46飯餅類「索餅、无岐奈波」天治字鏡、十二31「索餅、牟義繩」同、四16「〓、牟支奈波」〔1960-2〕

とあって、標記語「さく-べい〔名〕【】」→「むぎ-なは〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さく-べい】〔名〕小麦粉と米の粉とを練り、合わせて、なわの形にねじり、油で揚げた菓子。唐菓子の一種といわれる。中古、陰暦七月七日の七夕の節供に、宮中で病気、特に熱病よけのまじないとして内膳司(ないぜんし)から御前に奉ったもの。のちに民間にも広まった。さくびょう。むぎなわ。《季・秋》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
兼日以八田右衛門尉宅、被點置彼旅宿之間、令招入其所給、先以三浦平六、爲御使、被遣金光索餅等〈云云〉《訓み下し》兼日ニ八田ノ右衛門ノ尉ガ宅ヲ以テ、彼ノ旅宿ニ点ジ置カルルノ間、其ノ所ニ招キ入レシメ給ヒ、先ヅ三浦ノ平六ヲ以テ、御使トシテ、金光索餅(サクヘイ)等ヲ遣ハサルト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治五年六月三日の条》
 
 
2005年2月17日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
興米(おこしこめ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「於」部に、

羹續(ヲコシゴメ)興米() 。〔元亀二年本78四〕

羹續(ヲコシコメ)興米() 。〔静嘉堂本95八・96一〕〔天正十七年本上47ウ五〕

とあって、標記語「興米」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本は此の語を未収載にする。宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「興米」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本に「をこし(こめ)」、文明四年本に「をこしこめ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

羹續(キヨチヨ)オコシコメ興米同/俗用之。〔黒川本・飲食門中66オ五〕

羹續オコシコメ/以蜜和米煎作也興米俗用之已上同。〔卷第六・飲食門314三・四〕

とあって、標記語「興米」の語を収載し語注記に「俗にこれを用ゆ」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「興米」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

興米(ヲコシゴメキヨウヘイ)[平・上] 。〔態藝門213八〕

とあって、標記語「興米」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本両足院本節用集』には、

興米(ヲコシコメ)食物。〔・食物門64六〕

興米(ヲコシコメ)。〔・食物門65七〕〔・財寳門70四〕

とあって、標記語「興米」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

羹續(オコシゴメ)興米() 。〔食服門125七〕

とあって、標記語「興米」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「興米」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本も収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチ/イリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲佛慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「興米」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「興米を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煎餅(せんべい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくへい)(ほしゐ)(ちまき)等客料(きやくりやう)の爲(ため)用意(ようい)せ被(らる)(べし)煎餅燒餅粢興米糒粽等爲客料用意 當日來りし客人へ出ん爲伏兎より粽迄の品々を用意して置れよと也。〔89オ三〜五〕

とあって、この標記語「興米」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲沢茄子ハ未考。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲沢茄子ハ未考。〔116ウ六、117ウ五〕

とあって、標記語「興米」の語をもって収載し、その語注記は「沢茄子は、いまだ考へぜず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vocoxigome.ヲコシコメ(興米) 米をPinhoadaのようにしたもの.※松の実と蜂蜜とで作った菓子.〔邦訳700l〕

とあって、標記語「興米」の語の意味は「米をPinhoadaのようにしたもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おこし-ごめ〔名〕【興米】〔おこしは、炒りて脹しおこらしむる意にもあるか〕米を蜜に和して煎りたるもの。倭名抄、十六16麭蘖類「文選注云、羹續、以蜜和米煮作也、於古之古女古今著聞集、十八、飲食「法性寺殿、元三(ぐわんざん)に皇嘉門院へまゐらせ給ひたりけるに、御くだりものをまゐらせたりけるに、おこしこめを取らせたまひて、まゐるよしして、御口のほどにあてて、握りくだかせたまひければ、御袍の上に、はらはらと散りかかりける、云云」(今の乾菓子の、おこしなるべし)庭訓往來、十月「菓子者、云云、煎餅、燒餅、粢、興米〔0291-1〕

とあって、標記語「おこし-ごめ〔名〕【興米】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おこし-こめ興米】〔名〕蒸した粳米(もちごめ)を乾かし、炒(い)ったもの。また、それに胡麻(ごま)や胡桃(くるみ)などを加え、水飴に砂糖や蜜などをまぜたものでまぶして固めた菓子。粳米以外の材料をつかったものもある。おこし」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]※HP月とスッポンモドキより抜粋「スッポンが興米を見つけたよう」〔スッポンが水面に浮かぶ興米(おこし)を見つけて一斉に浮かび上がること様から世に出る・助かる・幸せになることのたとえ〕
金剛峯寺〈御仏供料米三石 興米十合「奉」〉弘福寺〈干柿十合「奉」〉珎皇寺〈草餅十合「奉」〉善通寺〈伏兎十合「奉」〉 《平安遺文2756『東寺文書書樂』仁平二年三月の条6/2292》
 
 
2005年2月16日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
(しとぎ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

シトキ。〔元亀二年本333五〕

(シトキ) 。〔静嘉堂本397六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅興米索糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「シトギ」、経覺筆本・文明四年本に「シトキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

シトキ粢餅(シヘイ) 祭餅也。〔黒川本・飲食門下72オ六〕

シトキ粢餅 已上同/―餅祭餅也。〔巻第九・飲食門151一・二〕

とあって、標記語「」「粢餅」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(シトギ) 。〔飲食門100三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(シトギ)[平] (マツリ)。〔飲食門923八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(シトギ) 。〔・食物門243五〕〔・食物門209一〕〔・食物門193三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

(シトキ) 。〔食服門208三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、「祭(まつり)飯」と『色葉字類抄』を継承する注記語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチ/イリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲佛慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煎餅(せんべい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくへい)(ほしゐ)(ちまき)等客料(きやくりやう)の爲(ため)用意(ようい)せ被(らる)(べし)煎餅燒餅興米索糒粽等爲客料用意 當日來りし客人へ出ん爲伏兎より粽迄の品々を用意して置れよと也。〔89オ三〜五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅興米索糒粽等爲客料用意▲沢茄子ハ未考。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲沢茄子ハ未考。〔116ウ六、117ウ五〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「沢茄子は、いまだ考へぜず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xitogui.シトギ() 生米を碾いたので作る粥.〔邦訳783l〕※「粥」でなく、「餅」ではないか?

とあって、標記語「」の語の意味は「生米を碾いたので作る」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-とぎ〔名〕【】〔白(しろとぎ)の略かと云ふ〕米粉にて作れる餅の名、~前に供ふ、形、鷄卵の長きが如し。倭名抄、十三4祭祀具「粢餅、之度岐」字鏡30「祭~米 志止支」〔0910-3〕

とあって、標記語「-とぎ〔名〕【】神に供える餅。もちごめを蒸し、少しついて卵形にしたもの。その形状から鳥の子ともいう。一説に、うるちの粉でつくったものという。しとぎもち。粢餅(しへい)。し」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-とぎ】〔名〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]《HP参考資料》「しとぎばなし」「味わいものがたり(豆しとぎ)
粢餅 陸詞切韻云粢<音姿又疾脂反 漢語抄云粢餅之度岐>祭餅也《十卷本『和名類聚抄』(934頃)》
米ヲツキアハセタルシトキ如何 答、粢餅トモカケル歟、饗モモシトキ也。スリトコカシノ反、ツキトロカシノ反ハチトキヲシトキトイヘル歟《『名語記』(1275)八》
 
 
2005年2月15日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
焼餅(やきもちゐ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、「焼石(イシ)。焼物(モノ)。焼痕(アト)」の三語を収載し、標記語「焼餅」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米索糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・・経覺筆本は此の語を未収載とし、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本に「焼餅」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(やき)もちゐ」、文明四年本に「やきもちゐ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「焼餅」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「焼餅」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「焼餅」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチ/イリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲佛慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「焼餅」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「焼餅を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煎餅(せんべい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくへい)(ほしゐ)(ちまき)等客料(きやくりやう)の爲(ため)用意(ようい)せ被(らる)(べし)煎餅燒餅粢興米索糒粽等爲客料用意 當日來りし客人へ出ん爲伏兎より粽迄の品々を用意して置れよと也。〔89オ三〜五〕

とあって、この標記語「焼餅」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲沢茄子ハ未考。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲沢茄子ハ未考。〔116ウ六、117ウ五〕

とあって、標記語「焼餅」の語をもって収載し、その語注記は「焼餅は、」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yaqimochi.ヤキモチ(焼餅) あぶった,米の餅.※原文はBollinhos.Bolloに指小辞のついた形.〔Mo-chi(餅)の注〕〔邦訳810r〕

とあって、標記語「焼餅」の語の意味は「あぶった,米の餅」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やき-もち〔名〕【燒餅】(一)炙りたる餅。(二)‡俗に、悋氣。(東京)嫉妬。やきて(燒手)、及、やく(燒、第二語)の條を見よ。燒くと云ふより餅と云ひし語。假名世説「自慢も味噌といひ、りん氣も燒餅と下卑て云云」續膝栗毛(文化、一九)三編、上「惡い男だ、燒餅喧嘩をさせようと思ってか、云云」〔2029-5〕

とあって、標記語「やき-もち〔名〕【燒餅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「やき-もち焼餅】〔名〕@火であぶって焼いた餅。古くは、中に餡(あん)を入れた餅を焼いたものをいう。やきもちい。A粳(うるち)粉皮で餡を包み焼いた餅。ぎんつばやき。B(嫉妬することを「焼く」というところから、餅を添えていった語)ねたみ。嫉妬。やき。C「やきもちやき(焼餅焼)」の略」→「やき-もちい焼餅】〔名〕「やきもち(焼餅)@」に同じ」とあって、@の意味として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
ヤキモチヒ クダモノヽアメ。《『名語記』(1275)六の条》
 
 
2005年2月14日(月)曇り一時雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
煎餅(センベイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

× (欠脱)。〔元亀二年本〕

仙袂(ベイ) 煎餅(せンヘイ) 。〔静嘉堂本426八〕

とあって、静嘉堂本に標記語「煎餅」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米索糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「煎餅」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(セン)ヘイ」、経覺筆本・文明四年本に「センヘイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

煎餅 せンヘイ /上云錢。 〔黒川本・飲食門下103オ三〕

煎餅 せンヘイ/以油熬小麦/之名上云錢。〔卷第十・飲食門441六〕

とあって、標記語「煎餅」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「煎餅」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

仙袂(せンヘイヒジリ、タモト)[平・去] 或作煎餅。〔飲食門1085二〕

とあって、標記語「仙袂」の語注記に「或は煎餅と作る」として記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(せンベイ) 。〔・食物門265一〕

とあって、弘治二年本に標記語「餅」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

煎餅(せンベイ) ―藥(ヤク)。〔食腹門235一〕

とあって、標記語「煎餅」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「煎餅」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

679煎餅(ヤキモチイリノセンヘイ)焼餅(ヤキー)(シトキ)用米興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシイ)(チマキ)等爲客料用意候御時 食項付曰、人食時辰巳午。畜生未申酉。鬼戌亥子。天人丑寅卯時也。三昧經曰、佛爲佛慧菩薩四食時一丑時為天食二午時為法食時佛断六趣因令同三世佛故日午。為法食正時也。〔謙堂文庫蔵五八右F〕

とあって、標記語「煎餅」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「煎餅を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煎餅(せんべい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくへい)(ほしゐ)(ちまき)等客料(きやくりやう)の爲(ため)用意(ようい)せ被(らる)(べし)煎餅燒餅粢興米索糒粽等爲客料用意 當日來りし客人へ出ん爲伏兎より粽迄の品々を用意して置れよと也。〔89オ三〜五〕

とあって、この標記語「煎餅」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意。〔65オ八〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)。〔116ウ六〕

とあって、標記語「煎餅」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xenbei.センベイ(煎餅) 米を材料にして作った一種のパンケーキで,聖体パンに似たもの.※原文はcoscoroesで,日仏辞書にgaufres(ゴーフル)とある.原文はobreas.〔Barimecaxi,suの注〕.〔邦訳750l〕

とあって、標記語「煎餅」の語の意味は「米を材料にして作った一種のパンケーキで,聖体パンに似たもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せん-べい〔名〕【煎餅】(一){麪粉を、油にて熬りたるもの。倭名抄、十六15飯餅類「煎餅、此濶]如字、以油熬小麥之名也」唐六典「朝會、云云、供其膳食」注「正月七日、三月三日、加煎餅荊楚歳時記「人日食煎餅于庭、俗云(二)乾菓子の名。方圓の鐵板二枚に柄ある、鋏の如きものに、餅の小片を挾み燒けば、鐵板のため、片、大きに成りたるもの。又、麪粉に、白砂糖を水にて捏()ね、少しづつ挾みて、燒き成すを、砂糖煎餅と云ふ。又、鹽煎餅も、あり。其條を見よ。狂詩選「砂糖上品味最輕、進物年中客自榮、縱有結構于菓子、如此煎餅江城〔1132-2〕

とあって、標記語「せん-べい〔名〕【煎餅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せん-べい煎餅】〔名〕@菓子の一つ。古くは唐菓子として伝わった、水でこねた小麦粉を油で炒(い)ったものをいうが、現在では干菓子の中の焼種のものをいう。米粉を主材料として醤油で調味した塩煎餅系のものと、小麦粉、砂糖、卵などを混ぜて型に流して焼いた瓦煎餅系のものに大別できる。A「せんべいぶとん(煎餅蒲団)」の略。B(@のように薄いところから)雪駄(せった)をいう、盗人仲間の隠語〔隠語輯覧(1915)〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
充稲壱束陸把(別筆)「伊利毛知比煎餅四拾枚料米捌升〈々別得五枚〉 《『奈良遺文』天平九年の条2/55》
 
 
2005年2月13日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ポルタ・ポルテーゼの市場
曲・(まがり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「満」部に、

。〔元亀二年本224一〕〔天正十七年本中57ウ一〕

。〔静嘉堂本256五〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎煎餅〔至徳三年本〕

伏兎前餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎煎餅燒餅粢興米索糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、山田俊雄藏本は「」、経覺筆本は「」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本ともに「まがり」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(クハン)マカリ形如藤葛 同/俗用之。〔黒川本・飲食門中91ウ七〕

マカリ文選云膏秘/形如藤葛 同/俗用之。〔卷第六・飲食門572四〕

とあって、標記語「」「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

曲勾(マガリ) 。〔食服門140三〕

とあって、標記語「曲勾」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』に「」「」、そして易林本節用集』に標記語「曲勾」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が「」の語を以て収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

678(マカリ) 油物。〔謙堂文庫蔵五八右D〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「油物」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)索豬(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(まがり) ふしのミといふ菓子なり。〔89オ二〜三〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲曲ハ本字(くわんべい)と書り。形(かたち)藤葛(ふぢかづら)のごとしと云々。〔65オ八、65ウ二・三〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲曲ハ本字(くわんべい)と書り。形(かたち)藤葛(ふぢかづら)のごとしと云々。〔117ウ二、117ウ六〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「曲は、本字(くわんべい)と書り。形(かたち)藤葛(ふぢかづら)のごとしと云々」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Magari.マガリ() 曲がり,または,遠回り.例,Michi no magari.(道の曲がり)道路の曲がる所.〔邦訳379r〕

とあって、標記語「」の語の意味内容を異にしている。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

まがり〔名〕【】まがり-もちひ(餅)の略。其條を見よ。〔1870-3〕

まがり-もちひ〔名〕【環餅】略して、まがり。米、麥粉を飴などに和して固め、藤葛の纏へる如く、捩ぢ曲げて、油にて揚げたるものと云ふ。字鏡29、「餌、萬我利餅」大嘗祭式「勾餅(まがりもちひの)筥五合」主税寮式、上、諸寺料物「凡出雲國四天王寺春秋修法、云云、(餅(マカリ)料各稲三把、煎(いる)料油一合八勺)」字鏡10、飴也、萬加利」倭名抄、十六15飯餅類「餅、形如藤葛者也、萬加利」天治字鏡、十一39「、萬加利」土左日記、二月十六日「山崎の店なる小櫃の繪も、まがりの寳螺の形もかはらざりけり」〔1870-5〕

とあって、標記語「まがり〔名〕【】」→「まがり-もちひ〔名〕【環餅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「まがり】〔名〕(動詞「まがる(曲)の連用形の名詞化」)C油で揚げた菓子。中世、春日社の社前に供物として捧げられたもの*春日社司祐維記-大永元年(1521)三月七日「今日のまかり、以外になまいりにして備申之間」」、標記語「まがり】〔名〕「まがりもちい()」の略」→「まがり-もちひ〔名〕【】米・麦の粉をねり細く紐状にして、輪にしたり、種々の形に曲げたりして油で揚げた菓子。まがりもち。まがり」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
菓子ノマカリ如何。答、トカケリ。マクカタラシノ反、マクヲマカトイヒナシ、カタハ形也。《『名語記』卷八》
 
 
2005年2月12日(土)曇り時折小雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
伏兎(ブト)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

伏兎(フト) 菓子。〔元亀二年本224十〕

伏兎(ブト) 米為之。〔c257七〕

伏兎() 以米為之。〔天正十七年本中57ウ一〕

とあって、標記語「伏兎」の語は収載し、語注記は、元亀二年本に「菓子」、静嘉堂本と天正十七年本が「米を以て之を為す」と記載し、その内容が異なっている。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

伏兎曲煎餅〔至徳三年本〕

伏兎曲前餅燒餅粢興米索等爲客料可被用意〔宝徳三年本〕

伏兎曲煎餅燒餅粢興米索糒等爲客料可被用意〔建部傳内本〕

-(フト)(マガリ)-(ベイ)_(モチ井)(シトギ)(ヲコシ)_米索(サク)-(ホシイ)等爲--〔山田俊雄藏本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(センヘイ)(シトキ)(ヲコシ)米索餅(サクベイ)等爲客料用意〔経覺筆本〕

伏兎(ブト)(マカリ)煎餅(せンヘイ)焼餅(ヤキモチ井)(シトキ)興米(ヲコシコメ)(サクヘイ)(ホシ井)等爲(タメ)客料(キヤクレウ)(せラル)用意。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「伏兎」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「フト」、経覺筆本・文明四年本に「ブト」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

判楢(ホウトウ)部止言 龍舌 嵜寰 伏兎同/俗用之 。〔黒川本・飲食門中103オ八〕

判楢フト/亦乍嵜寰油煮餅也。嵜寰龍舌伏兎已上同/俗用之。〔卷第七・飲食門中56三〕

とあって、標記語「伏兎」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「伏兎」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

判楢(ブト)嵜寰()伏兎()油物。〔・財宝門180五・六〕

とあって、弘治二年本にだけ標記語「伏兎」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

伏兎(ブト) 。〔食服門149七〕

とあって、標記語「伏兎」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「伏兎」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、『下學集』と広本節用集』は、未収載としている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

677澤茄子(ミツナスヒ)等可景物伏兎(ブト) 米。〔謙堂文庫蔵五八右D〕

とあって、標記語「伏兎」の語を収載し、語注記は「米を用ゆ」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「伏兎を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

伏兎(ふと)伏兎 あふらあけの餅なり。〔89オ二〕

とあって、この標記語「伏兎」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲伏兎ハ正字判楢(ふと)と書。油煮(あぶらあげ)の餅(もち)也。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲伏兎ハ正字判楢(ふと)と書。油煮(あぶらあげ)の餅(もち)也。〔116ウ六、117ウ六〕

とあって、標記語「伏兎」の語をもって収載し、その語注記は「伏兎は、正字判楢(ふと)と書く。油煮(あぶらあげ)の餅(もち)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Buto.ブト(伏兎) 米で作った一種の小餅.※原本ではButteqiとButto>との間に配列されているので,もとButtoと書かれていたのを,後に不適当としてButoに改めたのであろう.もとのButtoの形も“ブト” を子音二重字の表記で表わしたもの.補説参照.原文はbolinhos.bolosに指小辞のついた形.〔Mochi(餅)の注〕〔邦訳68l〕

とあって、標記語「伏兎」の語の意味は「米で作った一種の小餅」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【判楢】〔又、伏兎〕餅を油にて煎たるもの。倭名抄、十六15飯餅類「判楢、部斗、俗云伏兎、油煎餅名也」字鏡廿九「、夫止」庭訓往來、十月「伏兎、曲、煎餅」〔0456-5〕

とあって、標記語「-〔名〕【伏兎】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-判楢伏兎】〔名〕餅を油で揚げた食品」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
金剛峯寺〈御仏供料米三石 興米十合「奉」〉弘福寺〈干柿十合「奉」〉珎皇寺〈草餅十合「奉」〉善通寺〈伏兎十合「奉」〉 《平安遺文2756『東寺文書書樂』仁平二年三月の条6/2292》
威儀師ニ補セラルヽ以前ハ源厳ト称ス、ナホ文中ノ「ふと」(伏兎)ハ、ノ俗称ニシテ油煎餅ノ餅ノコト、《『東大寺文書別集』(長寛二年)九月十日の条27-501・1/109》
伏兎 神供にうさぎのかたちを作る油物なり。伏兎(ぶと)と名づく。徃古ハ兎を奉りしとかやいえり。正月四日吉書とて。上卿へ集會乃事あり。此日も兎を肴とせるよし年中行亊に見ゆ○類聚和名部斗二音字亦作〓(方倍)。和名布止。云伏兎。○食物本草に油堆(ぶと)とあり○通鑑曰梁罷宗廟牲牢ルニ蔬果○同綱目に牲牢(セイロウ)は冥道(ミヤウタウ)に累(わつらひ)あれば麺(めん)を以て。是をつくるべしとなり。異朝(いてう)の祭供をば梁武(りやうのふ)帝よりあやまれり。朝野群載に伏兎ハ菓子乃目に載たり。〔『嚴嶋道芝記』(1702刊)巻七、遺考16オ@〜H〕
 
 
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景物(ケイブツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

景物(ケイブツ) 。〔元亀二年本215八〕

景物(ブツ) 。〔静嘉堂本245五〕

景物(ケイフツ) 。〔天正十七年本中52オ二〕

とあって、標記語「景物」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

澤茄子等可随時之景物〔至徳三年本〕

澤茄子等可隨時之景物〔宝徳三年本〕

澤茄等可随時景物〔建部傳内本〕

澤茄子(ミヅナスビ)等可景物〔山田俊雄藏本〕

澤茄子(ミツナスヒ)等可時之景物(ケイ―)〔経覺筆本〕

澤茄子(ミツナスヒ)‖∨時之景物(ケイ―)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「景物」と表記し、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「ケイ(ブツ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「景物」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「景物」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

景物(ケイブツカゲ、モノ)[上・入] 時節珎物。〔飲食門592六〕

とあって、標記語「景物」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

景物(ケイブツ) 時之珎物。〔・食物門174六〕

景物(ケイブツ) 之珎物。〔・財宝門143五〕

景物(ケイフツ) 時節珎物。〔・財宝門133三〕

とあって、標記語「景物」の語を収載し、広本節用集』の語注記を簡略化して記載する。また、易林本節用集』に、

景物(ケイブツ) ―氣()。〔言辞門147一〕

とあって、標記語「景物」の語を言辞門に収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「景物」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

677澤茄子(ミツナスヒ)等可景物也伏兎(ブト) 米。〔謙堂文庫蔵五八右D〕

とあって、標記語「景物」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「景物を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(とき)景物(けいぶつ)に随(したか)ふ可也/景物餅菓子水菓子ともに時によりて賞翫すると然らさるとあり。まして水菓子ハある時となき節あれは其時/\にあたりて用ゆへきものを用ひよとなり。〔88ウ八〜89オ二〕

とあって、この標記語「景物」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意。〔65オ八〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)。〔116ウ六〕

とあって、標記語「景物」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeibut.ケイブツ(景物) 一年の中のあるきまった時期にある果物や食物.たとえば,九月の梨や葡萄など.¶Toqino qeibutuo soroyete motenasu.(時の景物を揃へてもてなす)一年中のあらゆる季節の果物や食物を集めて歓待し接待する.※原文はSetebro.太陽暦の九月を示す.陰暦の場合はNona lua(第九番目の月)のように記すのが例である.2)この説明は穏当でない.その時節にある果物のすべてを集めて…とあるべきところ.誤解に因るか.→Toqino〜.〔邦訳481r〕

とあって、標記語「景物」の語の意味は「一年の中のあるきまった時期にある果物や食物.たとえば,九月の梨や葡萄など」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-ぶつ〔名〕【景物】(一)春夏秋冬、其時時の景色となるもの、花鳥風月の類。杜審言詩「三春景物滋」白氏長慶集「江樓晩眺景物鮮奇(二)時節相應の、珍しき食物、酒肴など。明衡徃來、上、末、八月「所募者勸盃役也、旨酒一樽、景物少少相具、可推參庭訓往來、十月「菓子者、柚、柑、云云、可景物也」尺素徃來「是皆一時一會之景物、當日當座之賞翫也」〔0600-4〕

とあって、標記語「けい-ぶつ〔名〕【景物】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けい-ぶつ景物】〔名〕@四季折々の情趣のある事物。自然の風物。景色。風景。光景。連歌・俳諧では、特に雪・月・花・郭公(ほととぎす)を四箇の景物といい、これに紅葉を加えて五箇の景物ともいう。A時節に応じた、珍しい品。四季折々の衣装、くだもの、料理など。B競争によって得る賞金または賞品。特に俳諧で、句の撰ばれた作者に主催者がほうびとして出す金品。C主なものに添えて与えるもの。売出しなどに、売物に添えて客に贈る物。また、開店などのおりに客に配る贈り物。景品。D付録として与えるもの。また付けたりに行なうもの。E口上茶番(こうじょうちゃばん)などでしゃれの素材とする品物」とあって、Aの意味であるが、『庭訓徃來』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
宗茂宿所に帰て、時の景物尋て、奉酒勧と支度したり。《『源平盛衰記』卷第三九・重衡酒宴事》
徳禅寺宗辿書状(切紙)無他、再々景物贈被下過分難申尽候、心事期拝謁候、恐惶頓 小春二  宗辿(花押)《『大コ寺文書』(年未詳)十月二日の条1091・2/450》
 
 
2005年2月10日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
澤茄子(みづなすび)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「未」部に、標記語「澤茄子」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

澤茄子等可随時之景物也〔至徳三年本〕

澤茄子等可隨時之景物也〔宝徳三年本〕

澤茄等可随時景物〔建部傳内本〕

澤茄子(ミヅナスビ)等可之景物〔山田俊雄藏本〕

澤茄子(ミツナスヒ)等可時之景物(ケイ―)〔経覺筆本〕

澤茄子(ミツナスヒ)‖∨時之景物(ケイ―)。〔文明四年本〕

と見え、建部傳内本が「澤茄」とし、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「澤茄子」と表記する。訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「ミヅナスビ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「澤茄子」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「澤茄子」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「澤茄子」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

677澤茄子(ミツナスヒ)等可景物也伏兎(ブト) 米。〔謙堂文庫蔵五八右D〕

とあって、標記語「澤茄子」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「澤茄子を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

柚柑(ゆこう)柑子(/\じ)(たちハな)熟瓜(じゆくくわ)澤茄子(ミづなすび)等/柚柑柑子橘熟瓜澤茄子以上皆水菓子也。〔88ウ五〜六〕

とあって、この標記語「澤茄子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲沢茄子ハ未考。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲沢茄子ハ未考。〔116ウ六、117ウ五〕

とあって、標記語「沢茄子」の語をもって収載し、その語注記は「沢茄子は、いまだ考へぜず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「澤茄子」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「みづ-なすび〔名〕【澤茄子】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「みづ-なすび水茄子】〔名〕水けの多い茄子。異制庭訓往来(14c中)「李・桃・水茄子菱」*俳諧・竹馬狂吟集(1499)六「水なすひさへひやけするなりかもうりに何とて羽のなかるらん」*仮名草子・仁勢物語(1639-40頃)上・二八「などてかくはや年寄に成にけん水なすびぞと毟(むし)りし物を」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]HP資料「水茄子
 
 
2005年2月9日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
熟瓜(ジユククワ・ジユクうり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「熟瓜」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔至徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘〔宝徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔建部傳内本〕

菓子者柚柑(カウ)々子橘熟瓜(ウリ)〔山田俊雄藏本〕

菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)々子(カウシ)(タチハナ)熟瓜(シユクウリ)〔経覺筆本〕

菓子(クワシ)柚柑(ユカウ)々子(カンシ)(タチハナ)(シユク)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「熟瓜」と表記し、訓みは、経覺筆本に「シユクウリ」、山田俊雄藏本に「(シユク)ウリ」、文明四年本に「シユク(ウリ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「熟瓜」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「熟瓜」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「熟瓜」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

676蒸餅(ムシ−)菓子者柚柑々子橘熟瓜(シユクウリ/―クワ)東陵侯種長安城東門。有五色甚美也。是青門瓜東門而異名也。日本ニハ慈覚大師如法經被三七日即不食也。結願日天童来菓進慈覚。大師不之。童重而曰是シテ瓜非只可食給。恠之。即吐之也。江州南都甘露天降物也。故至今食中。〔謙堂文庫蔵五八右A〕

とあって、標記語「熟瓜」の語を収載し、語注記は「煮てこれを用ゆなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「熟瓜を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

柚柑(ゆこう)柑子(/\じ)(たちハな)熟瓜(じゆくくわ)澤茄子(ミづなすび)等/柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等 以上皆水菓子也。〔88ウ五〜六〕

とあって、この標記語「熟瓜」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲熟瓜ハ甜瓜(まくハ)也。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲熟瓜ハ甜瓜(まくわ)也。〔116ウ六、117ウ五〕

とあって、標記語「熟瓜」の語をもって収載し、その語注記は「熟瓜は、甜瓜(まくハ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「熟瓜」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版にも標記語「じゅく-くゎ〔名〕【熟瓜】」「じゅく-うり〔名〕【熟瓜】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にある。
[ことばの実際]
除目案内、〈平原阿闇梨来、羞熟瓜、此闍梨十有余年有所恨無来者、夏以降已有和気、今日談説旧事、落涙如雨注、平慶法師年臈附属、〉《『小右記』長徳三年七月九日の条2/38・89-0》
 
 
2005年2月8日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
(たちばな)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「花木名」部に、

(タチバナ) 。〔元亀二年本376三〕

(タチハナ) 。〔静嘉堂本457二〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菓子者柚柑々子熟瓜〔至徳三年本〕

菓子者柚柑々子〔宝徳三年本〕

菓子者柚柑々子熟瓜〔建部傳内本〕

菓子者柚柑(カウ)々子熟瓜(ウリ)〔山田俊雄藏本〕

菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)々子(カウシ)(タチハナ)熟瓜(シユクウリ)〔経覺筆本〕

菓子(クワシ)柚柑(ユカウ)々子(カンシ)(タチハナ)(シユク)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本・文明四年本に「フトン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(ク井ツ) タチハナ/湘水熟金金衣 。〔黒川本・植物門中2オ二〕

タチハナ/橘柚イ本。盧橘事参河入道渡唐以後付歸朝客令示送云々。盧橘此五所稱既枇杷云々。非花橘之由相示云々金衣 。〔卷第四・植物門386一・二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

(タチハナ) 。〔草木門132三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(タチバナキチ)[平] 江南江北弘安國曰。小曰橘。大曰異物志曰。橘白花赤實皮馨香ニシテ味春秋星散シテ異名李太曲名/之有詩。木奴。金衣。金鈴。金包苞歟。金丸。金實毛詩。霜飽。普黄。三寸黄。韋郎果又花。柑橙。黄苞綾霜。千頭羅浮種君家社實――。果花。見霜。雲衣。雲苞。雲丸。温成。洞庭君子。玉()。皇后。欠霜。〔草木門332七〜333一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く詳細な語注記を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(タチハナ) 在江南在江北枳。〔・草木門98四〕

(タチハナ) 。〔・草木門91三〕〔・艸木門83二〕〔・草木門100一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、弘治二年本には語注記「在江南在江北枳」を記載する。これは、広本節用集』の最初の文句に共通している。また、易林本節用集』に、

(タチバナ) 。〔草木門90五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、別格にして委しい。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

676蒸餅(ムシ−)菓子者柚柑々子熟瓜(シユクウリ/―クワ)東陵侯種長安城東門。有五色甚美也。是青門瓜東門而異名也。日本ニハ慈覚大師如法經被三七日即不食也。結願日天童来菓進慈覚。大師不之。童重而曰是シテ瓜非只可食給。恠之。即吐之也。江州南都甘露天降物也。故至今食中。〔謙堂文庫蔵五八右A〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は「煮てこれを用ゆなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

柚柑(ゆこう)柑子(/\じ)(たちハな)熟瓜(じゆくくわ)澤茄子(ミづなすび)等/柚柑柑子熟瓜澤茄子等 以上皆水菓子也。〔88ウ五〜六〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲橘ハ種類(しゆるい)(おほ)くして蜜柑(ミかん)是が長(ちやう)たり。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲橘ハ種(しゆ)類多(おほ)くして蜜柑(ミかん)是が長(ちやう)たり。〔116ウ六、117ウ五〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「橘は、種類(しゆるい)(おほ)くして蜜柑(ミかん)是が長(ちやう)たり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tachibana.タチバナ() 小さくて酸っぱい,ある種の蜜柑.〔邦訳597r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「小さくて酸っぱい,ある種の蜜柑」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たち-ばな〔名〕【】〔外國より求め來し田道(たぢま)(まもり)と云ふ人名に因りて、田道(たぢま)(ばな)の約轉かと云ふ〕(一){ときじくのかぐのこのみ。今の通名、柑子(カウジ)。又、柑子(カウジ)蜜柑(ミカン)。樹の名。暖地の産にて、高さ丈許、枝に刺多く、葉は、冬にも凋まず、兩頭尖り、緑にして光る。長さ二寸許、夏の初、五辨の小白花を開く、甚だ馨し。實圓く、〓(なかご)は數箇の瓣(ふくろ)に分る。皮薄く、皴細かく、光りて瓣の形、襞(ひだ)となりて外より見るべきこと、柑類と相反す。にはこぐさ。(漢字の橘(キツ)は、古へに、たちばなと云ひ、今は、みかん類の總名とす。惑ひ易し)倭名抄、十七5菓類「、太知波奈」古事記、中(應~)72長歌「香(かぐ)はしき、波那多知婆那波」萬葉集、六32「(たちばな)は、實さへ花さへ、其葉さへ、枝に霜降れど、彌常葉の樹」垂仁紀、九十年二月「天皇命田道闔、遣常世國、令求非時(ときじくの)香菓(かぐのこのみ)、今調橘是也」(田道濶ヤの義なりと云ふ、はを清みて云ふは、婆と濁音重なるに因ると云ふ。~代紀、上14に日向小戸橘之(あはぎはる)とあれど、地名なれば論ぜず)(二)今俗閧ノ、通じてたちばなと云ふは、前項の一種、小さきものにて、庭際に植ゑ、春盤(ホウライ)に用ゐる。(好事(カウジ)の音に據る)形、きんかんより稍、大きくして、皮の皴粗くして、みかんの如し。一名、はなたちばな。猴橘。(三)又、中古、なつみかんの一名。盧橘。(四)今、又、からたちばなの略稱。百兩金。(五)襲(かさね)の色目の名。表は朽葉(くちば)にて、裏の青なるもの。一説に、表は白にて、裏の青なるもの。(六)紋所の名。井伊氏の定紋。〔1220-2〕

とあって、標記語「たち-ばな〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たち-ばな】〔名〕@生食されたミカンの古名。キシュウカンやコウジに類する。京都御所の紫宸殿(ししんでん)の南階下の西側にある「右近(うこん)の橘(たちばな)」はこれという。《季・新年》Aミカン科の常緑低木。日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。高さ三〜四b。枝は密生し小さなとげがある。葉は長さ三〜六センチbの楕円状披針形で先はとがらず縁に鋸歯(きょし)がある。葉柄の翼は狭い。初夏、枝先に白い五弁花を開く。果実は径二〜三センチbの偏球形で一一月下旬〜一二月に黄熟する。肉は苦く酸味が強いので生食できないが、台湾では調味料に用いる。やまとたちばな。にほんたちばな。学名はCitrus tachibana《季・秋》C「はなたちばな(花橘)に同じ。D紋所の名。橘の葉と実とを合わせて図案化したもの。橘姓(橘諸兄)の紋にはじまるといい、久世・井伊・黒田家と日蓮宗(日蓮の出自は井伊家の分家の貫名家という)の紋となる。橘、向い橘、杏葉(ぎょうよう)橘、枝橘など種々ある。E香木の名。分類は真那賀(まなか)。香味は苦酸。六十一種名香の一つ。F薫物の名」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御興遊最中、若君〈福王公〉、所飼給之小鳥、飛去自篭内、在庭前之梢若君、《訓み下し》御興遊最中ニ、若君ノ〈福王公〉、飼ヒ給フ所ノ小鳥(〈鶉〉)、篭ノ内ヨリ飛ビ去ツテ飛ビ、庭前ノ(タチバナ)ノ梢ニ在リ。《『吾妻鏡嘉禎四年五月十六日の条》
 
 
2005年2月7日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
柑子(カウジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「花木名」部に、

柑子(ガウシ) 聖武天皇神亀二乙丑自唐渡(ワタル)。至天文十七戌申八百卅四年也。〔元亀二年本374八〕

柑子(カウシ) 聖武天皇神亀二乙丑自唐渡。至天文十七戌申八百卅四季也。〔静嘉堂本455三〕

とあって、標記語「柑子」の語を収載し、その語注記に「聖武天皇神亀二乙丑、唐より渡(ワタ)る。至る天文十七戌申、八百卅四年なり」と記載し、前文は広本節用集』を継承し、後文は弘治二年本の形態と同じくして、此方の方が若干古いことが比較してみて理解できよう。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔至徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘熟〔宝徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔建部傳内本〕

菓子者柚柑(カウ)々子橘熟瓜(ウリ)〔山田俊雄藏本〕

菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)々子(カウシ)(タチハナ)熟瓜(シユクウリ)〔経覺筆本〕

菓子(クワシ)柚柑(ユカウ)々子(カンシ)(タチハナ)(シユク)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「柑子」と表記し、訓みは、経覺筆本に「カウシ」、文明四年本に「カンシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「柑子」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

柑子(カンシ) 。〔草木門132二〕

とあって、標記語「柑子」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

柑子(カウシカン、コ)[平・上] 人王四十五代聖武御宇神亀二年自唐渡。〔草木門258五〕

とあって、標記語「柑子」の語を収載し、語注記に「人王四十五代聖武の御宇、神亀二年唐よりこれ渡る」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

柑子(カウジ) 聖武神亀二乙丑自唐渡之。至弘治二丙辰八百四十二年。〔・草木門76一〕

柑子(カウジ)カン 。〔・草木門75六〕

柑子(カウジ) 。〔・草木門68五〕

柑子(カウシ) 。〔・草木門81六〕

とあって、弘治二年本の語注記は、広本節用集』を継承しつつも若干の改編が見られる。他本は標記語「柑子」の語のみで収載する。また、易林本節用集』に、

乳柑子(カウジ) 。〔草木門72六〕

とあって、標記語「乳柑子」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「柑子」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

676蒸餅(ムシ−)菓子者柚柑々子熟瓜(シユクウリ/―クワ)東陵侯種長安城東門。有五色甚美也。是青門瓜東門而異名也。日本ニハ慈覚大師如法經被三七日即不食也。結願日天童来菓進慈覚。大師不之。童重而曰是シテ瓜非只可食給。恠之。即吐之也。江州南都甘露天降物也。故至今食中。〔謙堂文庫蔵五八右A〕

とあって、標記語「柑子」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「柑子を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

柚柑(ゆこう)柑子(/\じ)(たちハな)熟瓜(じゆくくわ)澤茄子(ミづなすび)等/柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等 以上皆水菓子也。〔88ウ五〜六〕

とあって、この標記語「柑子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲柑子ハ柑類(かんるい)の惣名(そうめう)なり。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲柑子ハ柑類(かんるゐ)の惣名(そうミやう)なり。〔116ウ六、117ウ四〕

とあって、標記語「柑子」の語をもって収載し、その語注記は「柑子は、柑類(かんるゐ)の惣名(そうミやう)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Canji.カンジ(柑子) 蜜柑.〔邦訳90l〕

とあって、標記語「柑子」の語の意味は「蜜柑」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かう-〔名〕【柑子】〔字の音、かむじ、の音便〕(一)古くは、蜜柑(ミカン)。(其の條を見よ)(二)今は、かうじみかん。(たちばなの條を見よ)〔0343-2〕

とあって、標記語「かう-〔名〕【柑子】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こう-柑子】[一]〔名〕(「かんじ」の変化した語)@ミカン科の常緑小高木。在来ミカンの一種で耐寒性が強く山陰・北陸・東北地方にも家庭用として栽培されている。果実は扁平で小さい。果皮は?質黄色、滑らかで薄くむきやすい。果肉は淡黄色で、八〜一〇室あり、酸味が強く種子が多い。スルガユコウ、フクレミカンなどの品種がある。新年の注連縄(しめなわ)、蓬莱などの飾りに用いることがある。こうじみかん。また一般にミカンの異名としてもいう。学名はCitrus leiocarpa《季・秋》A「こうじいろ(柑子色)」の略B襲(かさね)の色目の名。表、裏ともに朽葉色(くちばいろ)のもの。C植物「からたちばな(唐橘)」の異名か。[二]狂言。各流。預かっていた柑子を食べてしまった太カ冠者は主にいろいろ言い訳をするが、ついに六波羅(腹)におさめたと白状する」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
色ハ赤ク紫色ニシテ、大(オホキナル)柑子(カムジ)ノ皮ノ樣(ヤウ)ニシテ、ツブ立(タチ)テゾ〓(フクレ)タリケル。《『今昔物語集』卷二十八・金峯山別當、食毒茸不酔語(ドクタケヲクラヒテヱハザリシコト)第十八の条》
 
 
2005年2月6日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
柚柑(ユカウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「花木」部に、

若旧(ユカウ) 。〔元亀二年本224一〕〔静嘉堂本455六〕

とあって、標記語「若旧」の語を以て収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔至徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘熟〔宝徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔建部傳内本〕

菓子柚柑(カウ)々子橘熟瓜(ウリ)〔山田俊雄藏本〕

菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)々子(カウシ)(タチハナ)熟瓜(シユクウリ)〔経覺筆本〕

菓子(クワシ)柚柑(ユカウ)々子(カンシ)(タチハナ)(シユク)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「柚柑」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(ユ)カウ」、経覺筆本・文明四年本に「ユカウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

若旧(ヘイカ) ユカウ。〔黒川本・植物門下54オ三〕

若旧 ユカウ柚柑 。〔卷第九・殖物門004四〕

とあって、三卷本は標記語「若旧」の語で収載し、十巻本には「柚柑」の語をも収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「柚柑」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ユカウタウ)[平] 柚属。〔草木門858八〕

とあって、標記語「橙」の語を以て収載し、語注記に「柚属」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ユカウ)若旧() 。〔・草木門225一〕

(ユカウ)若旧(ユカウ) 。〔・草木門187五〕

(ユカフ)若旧 。〔・草木門177一〕

とあって、標記語「橙」「若旧」の語を以て収載する。また、易林本節用集』に、

柚柑(ユカウ)() 。〔草木門193五〕

とあって、標記語「柚柑」「橙」の両語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「柚柑」「橙」「若旧」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が「柚柑」の語で収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

676蒸餅(ムシ−)菓子者柚柑々子橘熟瓜(シユクウリ/―クワ)東陵侯種長安城東門。有五色甚美也。是青門瓜東門而異名也。日本ニハ慈覚大師如法經被三七日即不食也。結願日天童来菓進慈覚。大師不之。童重而曰是シテ瓜非只可食給。恠之。即吐之也。江州南都甘露天降物也。故至今食中。〔謙堂文庫蔵五八右A〕

とあって、標記語「柚柑」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「柚柑を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

柚柑(ゆこう)柑子(/\じ)(たちハな)熟瓜(じゆくくわ)澤茄子(ミづなすび)等/柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等 以上皆水菓子也。〔88ウ五〜六〕

とあって、この標記語「柚柑」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)も客料(かくれう)乃爲(ため)用意(ようゐ)せら被()()し/菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲柚柑ハ本名(はいか)(ぞく)にサンスといふ。樹()()(はな)()共に柚(ゆう)に似()て大く香()ハ乳柑(くねんぽ)のごとく味(あぢ)ハ橙(だい/\)のごとし。〔65オ八、65ウ二〕

菓子(くわし)柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲柚柑ハ本名(はいか)(ぞく)にサンスといふ。樹()()(はな)()共に柚(ゆう)に似()て大く香()ハ乳柑(くねんぼ)のごとく味(あぢ)ハ橙(だい/\)のごとし。〔116ウ六、117ウ四・五〕

とあって、標記語「柚柑」の語をもって収載し、その語注記は「柚柑は、本名(はいか)(ぞく)にサンスといふ。樹()()・花(はな)・実()共に柚(ゆう)に似()て大きく香()は、乳柑(くねんぼ)のごとく、味(あぢ)は橙(だい/\)のごとし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「柚柑」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-かう〔名〕【柚柑】〔字の音、ゆかんの音便〕芸香(ヘンルウガ)科の常緑樹。葉、花、實、柚()に異ならず、但し、實、甚だ大きく、香ありて、柑に似たり。和名抄、十七5菓類「柚柑易林節用集(慶長)下、草木門「柚柑、ユカウ、橙、同」〔2063-1〕

とあって、標記語「-かう〔名〕【柚柑】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-かう柚柑】〔名〕ミカン科の常緑小高木。中国地方・四国で栽植される。果実はユズに似て大きく、香りが高い。クエン酸製造に用いられる。ゆかん。学名はCitrus yuko《季・新年》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
若旧 爾雅注云若旧<廢加二音 漢語抄云柚柑>柚属也。《十巻本『倭名類聚鈔』(934年頃)の条》
 
 
2005年2月5日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA→スペイン広場
菓子(クハシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、標記語「菓子」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔至徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘熟〔宝徳三年本〕

菓子者柚柑々子橘熟瓜〔建部傳内本〕

菓子者柚柑(カウ)々子橘熟瓜(ウリ)〔山田俊雄藏本〕

菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)々子(カウシ)(タチハナ)熟瓜(シユクウリ)〔経覺筆本〕

菓子(クワシ)柚柑(ユカウ)々子(カンシ)(タチハナ)(シユク)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「菓子」と表記し、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「クワシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「菓子」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

菓子(クワシボン) 。〔器財門106五〕

とあって、標記語「菓子」の語は収載するのみである。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

菓子(クワシコノミ、コ)[上・上] 。〔飲食門503七〕

とあって、標記語「菓子」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

菓子(クワシ) 。〔・食物門160三〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「菓子」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

菓子(クワシ) 。〔衣服門131二〕

とあって、標記語「菓子」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「菓子」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

676蒸餅(ムシ−)菓子者柚柑々子橘熟瓜(シユクウリ/―クワ)東陵侯種長安城東門。有五色甚美也。是青門瓜東門而異名也。日本ニハ慈覚大師如法經被三七日即不食也。結願日天童来菓進慈覚。大師不之。童重而曰是シテ瓜非只可食給。恠之。即吐之也。江州南都甘露天降物也。故至今食中。〔謙堂文庫蔵五八右A〕

とあって、標記語「菓子」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「菓子を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

菓子(クワシ)()菓子 菓子とハなりくだ物の事也。今餅の類をも菓子と云ハあやまり也。〔88ウ七〕

とあって、この標記語「菓子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

菓子(くハし)()柚柑(ゆかう)柑子(かうじ)(たちばな)熟瓜(じゆくくハ)澤茄子(さハなすび)(とう)(とき)の景物(けいぶつ)に随(したがふ)()き也(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)燒餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とう)客料(かくれう)乃(ため)用意(ようゐ)せら被()可()し菓子者柚柑柑子橘熟瓜澤茄子等可景物伏兎曲煎餅焼餅粢興米索糒粽等爲客料用意▲菓子ハ本字(ほんじ)果子(くわし)也。木()の実()也。〔65オ八、65ウ一〕

菓子(くわし)者柚柑(ゆかう)柑子(かうし)(たちばな)熟瓜(じゆくくわ)沢茄子(さハなす)(とう)(べき)(したかふ)(ときの)景物(けいぶつに)(なり)伏兎(ふと)曲煎餅(まがりせんへい)焼餅(やきもち)(しとぎ)興米(おこしこめ)索餅(さくべい)(ほしいひ)(ちまき)(とうも)(ため)客料(かくれうの)(べし)()用意(よういせら)▲菓子ハ本字(ほんじ)果子(くわし)也。木()の実()也。〔116ウ六、117ウ四〕

とあって、標記語「菓子」の語をもって収載し、その語注記は「菓子は、本字(ほんじ)果子(くわし)なり。木()の実()なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quaxi.クヮシ(菓子) 果実.特に食後の果物を言う.〔邦訳521l〕

とあって、標記語「菓子」の語の意味は「果実.特に食後の果物を言う」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くヮ-〔名〕【菓子】食事の外に、茶請(チヤうけ)に食ふものの總名。元は、くだものなり。今、専ら、米粉、小麥粉、餅、砂糖、飴、などにて、種種に製したるものを云ふ。餅と、餡と、などなるを、餅菓子と云ふ。餅と、砂糖と、などなるを、乾()菓子と云ふ。。而して、くだものなるをば、水菓子と云ひて、別つ。類聚雜要抄、一「菓子八種、餅、伏兎、、大柑子、小柑子、橘、栗、串柿」江家次第、廿、任太政大臣事「居菓子」(枝柿、甘栗、朶(えだ)梨、椎、桃)」〔0576-3〕

とあって、標記語「くヮ-〔名〕【菓子】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-菓子果子】〔名〕@食事以外に食べる甘味などの嗜好品。もと、果物をさしたが、現在ではもっぱら米粉、小麦粉、餅などに砂糖、餡(あん)の類を加えるなどして製した嗜好本位の食物をいい、果物ことは水菓子という。大きく、和菓子と洋菓子、生菓子と干菓子などに分けられる。A店頭の品を盗むことをいう、盜人仲間の隠語。〔隠語輯覧(1915)〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
酒宴經營之間、或用風流菓子、或衝重外居等畫圖爲事《訓み下し》酒宴経営ノ間、或ハ風流ノ菓子(クワシ)ヲ用ヒ、或ハ衝重外居等画図ヲ事トス。《『吾妻鏡』仁治二年十二月一日の条》
 
 
2005年2月4日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
蒸餅(ジヨウベイ・むしもち)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「蒸飯(ムシイヽ)シンハン」、「無」部に「蒸麺(ムシムギ)」の各一語ずつを収載するのみで標記語「蒸餅」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状は、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、標記語「蒸餅」の語は未収載にする。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「蒸餅」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「蒸餅」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「蒸餅」の語は未収載にあって、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

676蒸餅(ムシ−)菓子者柚柑々子橘熟瓜(シユクウリ/―クワ)東陵侯種長安城東門。有五色甚美也。是青門瓜東門而異名也。日本ニハ慈覚大師如法經被三七日即不食也。結願日天童来菓進慈覚。大師不之。童重而曰是シテ瓜非只可食給。恠之。即吐之也。江州南都甘露天降物也。故至今食中。〔謙堂文庫蔵五八右A〕

とあって、標記語「蒸餅」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「蒸餅を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)・頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈には、標記語「蒸餅」の語は未収載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「蒸餅」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じょう-べい〔名〕【蒸餅】ぱん(包)に同じ。書言故事「晉何曾蒸餅、上不十字、則不食」(は、蒸に通ず)」〔1010-1〕

とあって、標記語「じょう-べい〔名〕【蒸餅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じょう-べい蒸餅】〔名〕(「しょうへい」「じょうへい」とも)@饅頭(まんじゅう)。また、むした餅。Aパン」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]源頼朝と十字(十字とは蒸餅 (じょうへい) のことで、饅頭の異名だと、江戸時代の図説百科事典『和漢三才図会』にあります。名称の由来は、食べやすくするために、蒸した餅の上を十文字に切り裂いたからだといいます。鎌倉時代、中国から饅頭や羊羹がもたらされているので、頼朝が饅頭を配ってもおかしくはありません)
次召蹈馬勢子輩各賜十字、被勵列率〈云云〉《訓み下し》次ニ蹈馬勢子ノ輩ヲ召シ。各十字()ヲ賜ハリ、列率ヲ励マサルト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久四年五月十六日の条》
 
 
2005年2月3日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
温餅(ウンビン・あたたけ・あたたけもち)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、

温餅(アタヽケ) 。〔元亀二年本259五〕〔静嘉堂本293六〕

とあって、標記語「温餅」の語を収載し、訓みは「あたたけ」とする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「温餅」とし、訓みは、山田俊雄藏本に「ウン(ヒン)/アタヽカナリ」、経覺筆本に「ウン(ヒン)」、文明四年本に「アタヽカナ(モチ)/ウンせン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

温餅 アタヽケ。〔黒川本・飲食門下26オ@〕〔卷八・飲食門門304C〕

とあって、標記語「温餅」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「温餅」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

温餅(アタヽケウンへいアタヽカ、モチ)[平・上] 。〔飲食門748六〕

とあって、標記語「温餅」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

温餅(アタヽケ) 。〔・食物門204六〕〔・財宝門170二〕〔・食物門159六〕

とあって、標記語「温餅」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

温餅(ウンビヤウ) ―物(  モツ)。〔食服門118二〕

温餅(アタヽケ) 。〔食服門170六〕

とあって、標記語「温餅」の語を収載し、訓みは「ウンビヤウ」と「あたゝけ」の両語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「温餅」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

675温餅(アタヽケモチ/アタヽケ) 煮用之也。〔謙堂文庫蔵五八右@〕

とあって、標記語「温餅」の語を収載し、語注記は「煮てこれを用ゆなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「温餅を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)には、標記語「温餅」の語は未収載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「温餅」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Atataqe.アタタケ(温餅) いくぶん楕円形をした大きな餅で,供物用のパンに似ているもの.※原文はboros.〔Mochi(餅)〕の注.原文はfogacas.〔邦訳36l〕

とあって、標記語「温餅」の語の意味は「いくぶん楕円形をした大きな餅で,供物用のパンに似ているもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「あたたけ-もち〔名〕【温餅】」「あたたけ〔名〕【温餅】」そして標記語「ウン-ビン〔名〕【温餅】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うん-びん温餅】〔名〕餅菓子の一種。うんぴょう。禅林小歌(1415頃)「茶麻菓、饅頭、卷餅、尽餅、温餅等」*伊京集(室町)「温餅 ウンビン」*御伽草子酒茶論(古典文庫所収)(室町末)「けんぴん・うんびん・せんさいびん・まんぢう<略>わらびもち・此の人々をさきとして、ぢうはこにあまりて見えけるが」*日葡辞書(1603-04)「Vnbin(ウンビン)<訳>米で作った餅、すなわち小さな菓子の一種」」とあり、また、「あたたけ温餅】〔名〕(形容詞「あたたけし」の語幹からという)鏡餅(かがみもち)。また、雑煮に入れる丸い餅。あたたき。あたたけもち。色葉字類抄(1177-81)「温餅アタタケ」大乗院寺社雑事記-長禄元年(1457)一二月二六日「御後見よりあたたけ進之」*石山本願寺日記-私心記・天文一〇年(1541)一二月二五日「あたたけ御祝如常。赤餅不参候」*雍州府志(1684)六「供神仏是謂鏡、以其状相似之、其小者謂温餅アタタケ」「あたたけ-もち温餅】〔名〕「あたたけ」に同じ。仮名草子仁勢物語(1639-40頃)上・一四「栗の粉のあたたけ餅のあるならば土産(みやげ)に今度たんと遣らましを」」とあって、いずれにも『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年2月2日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
巻餅(ケンビン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

巻餅(ケンビン) 。〔元亀二年本217一〕〔静嘉堂本247三〕

巻餅(ケンヒン) 。〔天正十七年本中52ウ八〕

とあって、標記語「巻餅」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)麺水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ)巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「巻餅」とし、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「ケンビン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「巻餅」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「巻餅」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

巻餅(マクビンケンヘイ・モチ)[平去・平] 。〔飲食門592五〕

とあって、標記語「巻餅」の語を収載し、訓みは「ケンヘイ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「巻餅」の語を未収載にする。また、易林本節用集』に、

巻餅(ケンビン) ―氈(せン)。〔食服門145二〕

とあって、標記語「巻餅」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「巻餅」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の訓みは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

674索麺(サウメン)棊子麺(キシメン)巻餅(ケンヒン) 用油也。〔謙堂文庫蔵五八右@〕

とあって、標記語「巻餅」の語を収載し、語注記は「油を用いるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「巻餅を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

巻餅(けんひん)巻餅 まきせんへいの事也。繊より以下ハ皆もちくわし・ひくわし・めん類也。〔88ウ六〜七〕

とあって、この標記語「巻餅」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「巻餅」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qenbin.ケンビン(巻餅) 小麦粉で作ったボーロ菓子,あるいは,練り粉菓子の一種で,曲がり重なるようにあぶってあり,厚い聖体パンに似ているもの.※原文は,Bols,filhos,obreas.〔邦訳484r〕

とあって、標記語「巻餅」の語の意味は「小麦粉で作ったボーロ菓子,あるいは,練り粉菓子の一種で,曲がり重なるようにあぶってあり,厚い聖体パンに似ているもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ケン-ピン〔名〕【巻餅】〔巻餅(ケンベイ)の宋音、禪寺の語〕餅菓子の名、麪粉と白砂糖を、水にてこね、胡桃と、炒りたるK胡麻を加へて、延べ、平銅鍋に、胡桃の油を塗りたるに入れ、銅蓋をして、表裏より燒き、面に醤油を塗り、片端より固く卷きて、小口切にして成る。(菓子大全)略して、けんび。又、けんびやき。きぬたまき。庭訓往來、十月「巻餅尺素往來「乳餅(ジユウビン)巻餅(ケンビン)、水晶包子、砂糖饅頭」運歩色葉集巻餅(ケンビン)〔0636-5〕

とあって、標記語「ケン-ピン〔名〕【巻餅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けん-ぴん巻餅】〔名〕(「ぴん」は「餅」の唐宋音。「けんびん」とも)餅菓子の一種。小麦粉に砂糖、胡桃(くるみ)、黒胡麻(くろごま)などをまぜ、水でこね、薄く延ばして焼き、しょうゆを塗り丸く巻いて小口切りにしたもの。けんぴ。けんぴやき」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
けんびん、うんびん、せんさいびん、まんぢう、やうかん、おこしごめ《御伽草子『酒茶論』》
 
 
2005年2月1日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
棊子麺・碁子麺(キシメン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

碁子麺(キシメン) 。〔元亀二年本285八〕〔静嘉堂本330七〕

とあって、標記語「碁子麺」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

點心者水繊紅糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅〔至徳三年本〕

點心等([者])水繊紅([温])々鶏鼈羮羊羹([饂])飩饅頭索麺碁子麺巻餅温餅〔宝徳三年本〕

點心者水繊温糟々鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖饅頭素麺碁子麺巻餅温餅 〔建部傳内本〕

(テン)者水繊(せン)紅糟(ウンサウ)(ケイ)鼈羮(ベツカン)(ヤウ)羹猪(チヨ)羹笋(シユン)羊羹驢腸(ロチヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンヂウ)索麺(サウメン)碁子(キシ)水團(ドン)巻餅(ケンビン)(ウン)アタヽカナリ〔山田俊雄藏本〕

点心者()水繊(せン)温糟(ウンサウ)糟鶏(ソウケイ)鼈羮(ベツカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヨウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)饂飩(ウドン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシ )巻餅(ケンヒン)(ウン)〔経覺筆本〕

點心者水蟾(せン)温糟(ウンサウ)(サウケイ)鼈羮(ヘツカン)羊羹(ヤウカン)(チヨ)羹驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊(シユンヤウ)羹砂糖(サタウ)羊羹(ウトン)饅頭(マンチウ)索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)(アタヽカナ)ウンせン〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本が「碁子麺」とし、訓みは、山田俊雄藏本に・経覺筆本に「キシ(メン)」、文明四年本に「キシメン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「碁子麺」「棊子麪」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

碁子(キシ)(メン) 。〔飲食門100三〕

とあって、標記語「碁子」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

碁子(キシメンゴ、コ、ムギ)[平・上・去] (シル)()名也。〔飲食門816二〕

とあって、標記語「碁子」の語を収載し、語注記に「汁の名なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

碁子麺(キシメン) 。〔・(食物)門220四〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「碁子麺」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

棊子麪(キシメン) 。〔食服門187六〕

とあって、標記語「棊子麪」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「碁子」「棊子麪」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、真字本には無く異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

674索麺(サウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンヒン) 用油也。〔謙堂文庫蔵五八右@〕

とあって、標記語「碁子麺」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水煎(スイせン)温糟(ウンサウ)曹鶏(ケイ)鼈羮(ベツカン)羊羹(ヤウカン)猪羹(チヨカン)驢腸羹(ロチヤウカン)笋羊羹(シユンヤウカン)砂糖(サタウ)羊羹(ヤウカン)饂飩(ウンドン)饅頭(マンヂウ)索麺(ソウメン)碁子麺(キシメン)巻餅(ケンビン)温餅(アタヽケ)蒸餅菓子(クワシ)()柚柑(ユカウ)柑子(カウジ)(タチバナ)(ジユククワ)澤茄子(サワナスビ)等可(ヘキ)(  フ)景物(ケイブツ)伏兎(フト)曲煎餅(マガリせンベイ)焼餅(ヤキモチ)(シトギ)興米(ヲコシゴメ)(サクベイ)(ホシヒ)(チマキ)等爲 至ルマデ點心也。常ノ如シ。菓子ナンドモ同前ナリ。〔下35オ一〜六〕

とあって、標記語「碁子麺を収載し、語注記は「至るまで點心なり。常のごとし。菓子なんども同前なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)素麺碁子麺 是ハ皆形によりて名付し也。索ハなわ也。〔88ウ五〜六〕

とあって、この標記語「碁子麺」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

點心(てんしん)()水繊(すいせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(ようかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さたうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)點心者水繊温糟糟鶏鼈羮羊羹猪羹驢腸羹笋羊羹砂糖羊羹饂飩饅頭素麺碁子麺巻餅温餅○爰(こゝ)にいへる品(しな)ハすべて今の水菓子(ミづぐハし)(むし)菓子の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまび)ならずよし名()を同(おなし)うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索に作るべし。〔65オ一、65オ四・五〕

點心(てんしん)()水繊(すゐせん)温糟(うんそう)糟鶏(そうけい)鼈羮(べつかん)羊羹(やうかん)猪羹(ちよかん)驢腸羹(ろちやうかん)笋羊羹(しゆんやうかん)砂糖羊羹(さとうやうかん)饂飩(うんどん)饅頭(まんぢう)素麺(そうめん)碁子麺(きしめん)巻餅(けんびん)温餅(うんべい)○爰(こゝ)にいへる品ハすべて今の水菓子(ミつくわし)(むし)菓子(くわし)の類なるべし。盖(けだし)。製方(せいはう)(つまびらか)ならずまゝ名()を同うするものも古今形製異なることあらん。素ハ索(そうめん)に作るべし。〔116ウ六、117オ四・五〕

とあって、標記語「碁子麺」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiximen.キシメン(棊子) 小麦粉で作った食物の一種.〔邦訳513l〕

とあって、標記語「棊子」の語の意味は「小麦粉で作った食物の一種」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きし-めん〔名〕【棊子】點心の菓子の名。小麥粉を、水にて固くねりて、板の上にて薄く伸()したるを、細そき竹筒の切口にて押して切れば、棊石の如く切るるを、煮て、黄粉(きなこ)を衣にかけたるもの。(松屋筆記、六十四、廿六條)庭訓往來、十月「棊子尺素往來「點心者、先點集香湯、云云、碁子〔0465-1〕

とあって、標記語「きし-めん〔名〕【棊子】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きし-めん棊子麺碁子麺】〔名〕(「きし」は碁石(ごいし)のこと)@小麦粉を水でねって薄くのしたものを、竹筒で碁石の形に押し切り、ゆでて、きなこをかけた食べ物。A平打ちうどん。名古屋地方でいう。ひもかわうどん。[語誌](1)中世に禅僧によって伝えられたもの。当初は@の挙例「庭訓往来」などに見られるように、点心であった。(2)現在はAのように平うどんを指すが、これは近世後期以降に名古屋の名物として定着したもの。一般に関東では平うどんをヒモカワ(ヒボカワとも)、名古屋ではキシメンと呼ぶ。(3)Aの意の語源としては、キジの肉を入れたキジメン、あるいは紀州出身の人が名古屋に伝えた麺という意のキシュウメンが転じて「きしめん」になったという俗説もある」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
 
 
 
 
 

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