2005年03月01日から3月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
2005年3月31日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→市街→レオナルドダヴィンチ空港→東京
荒布(アラメ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に標記語「荒布」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏[頭]荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣薗豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔雁煎等隨躰可引之〔宝徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬草曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔建部傳内本〕

者繊蘿蔔(せンロフ)蒟蒻(コンニヤク)煮染(ニシメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)黒煮蕗(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スヽケ)茗荷(メウガ)(コモノ)子蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜胡瓜(キウリ)甘漬(アマヅケ)納豆煎豆(イリマメ)(ヲホヂ)(チシヤ)園豆(エン  )(せリ)(ナヅナ)差酢(サシ )若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)海雲(モツク)曳干(ヒキ  )甘苔(アマノリ)塩苔酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)滑茸(ナメスヽキ)平茸雁煎等隨躰可〔山田俊雄藏本〕

(サイ)()繊蘿蔔(サンロフ)煮染(ニジメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)煮黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテモノ)茄子酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆荼(ヲヽトチ)(チシヤ)薗豆(エントウ)(セリ)(ナツナ)差酢(サシス)若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(  ノリ)塩苔(  ノリ)酒煎(  イリ)松茸(  ダケ)平茸(ヒラ  )雁煎(  イリ)鴨煎等隨躰可(ヒク)〔経覺筆本〕

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニシメ)牛房(コハウ)昆布(コ )(クロ)カチ()荒布(アラメ)黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウカ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)(ヲヽトチ)(チシヤ)園豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(シムハサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)平茸(ヒラタケ)()雁煎(カンイリ)等隨躰可〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「荒布」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「あらめ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

滑海藻アラメ荒布同/俗用之 。〔黒川本・植物門下22オ六〕

滑海藻アラメ/俗用荒布 。〔卷第八・植物門275三〕

とあって、標記語「荒布」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「荒布」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

海帶(アラメカイタイ・ウミ、ヲビ)[上・去] 又作荒布醫書用。〔草木門745六〕

とあって、標記語「荒布」の語を収載し、「また、荒布作る。醫書、これを用ゆ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「荒布」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

荒和布(アラメ) 。〔草木門170二〕

とあって、標記語「荒和布」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、「荒布」「荒和布」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

692昆布荒布K煮烏頭布(カチメ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)ノ茗荷(ミヤウカ) 茗非也。求名菩薩ヨリ始也。故求名鈍而書我名也。死シテ々何也。即号鈍根草也。是即求名菩薩釈迦如来時之弥勒佛是也。〔謙堂文庫蔵五八左G〕

とあって、標記語「荒布」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニゾメ)牛房(ゴバウ)昆布(コブ)烏頭布(ウドメ)荒布(アラメ)K煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)(コモ)子蒸物(ムシモノ)(ユテ)物茄子(ナスビ)酢菜(スサイ)胡瓜(キフリ)甘漬(アマヅケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)荼苣(オホトチヰ)薗豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(ジンバサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(マツタケ)平茸(ヒラタケ)雁煎(ガンイリ)等隨之時已()汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕

とあって、標記語「荒布の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煮染(にしめ)の牛房(ごぼう)昆布(こんぶ)烏頭布(うどめ)(かちめ)荒布(あらめ)黒煮(くろに)の蕗(ふき)煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布K煮 和名集にハふゝきと訓す。ふきといふハ畧語(りやくご)なり。〔90オ四〜六〕

とあって、この標記語「荒布」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめ)の牛房(ごほう)昆布(こんふ)(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろに)の蕗(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけ)の茗荷(めうが)(こも)乃子()の蒸物(むしもの)茹物(うで  )ハ茄子(なすび)の酢菜(すさい)胡瓜(きうり)乃甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)の和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばそう)乃曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)鹽苔(しほのり)酒煎(さかいり)の松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)の雁煎(がんいり)(とう)(てい)に隨(したがつ)て之(これ)を引()く可()し/菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布黒煮 酢漬茗荷蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆園豆差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等。▲荒布ハ本字海帯(かいたい)と書。昆布(こんふ)に似()て狭(せば)く黒色(くろいろ)なり。〔66ウ一、66ウ八〕

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめの)牛房(ごばう)昆布(こんぶ)搗布(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)黒煮(くろにの)(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけの)茗荷(ミやうが)(こもの)(この)蒸物(むしもの)茹物(うでものハ)茄子(なすびの)酢菜(すさい)胡瓜(きうりの)甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばざうの)曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)塩苔(しほのり)酒煎(さかいりの)松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)雁煎(がんいり)(とう)(したかつて)(ていに)(べし)(ひく)(これを)▲荒布ハ本字海帯(かいたい)と書。昆布(こんぶ)に似()て狭(せば)く黒色(くろいろ)なり。〔11ウ一、120オ四〕

とあって、標記語「荒布」の語をもって収載し、その語注記は「荒布は、多(おほ)く東海(とうかい)に産(さん)す。和名(わミやう)ヒロメ。またヱビスメといふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Arame.アラメ(荒布) ある海藻.〔邦訳30r〕

とあって、標記語「荒布」の語の意味は「ある海藻」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あら-〔名〕【荒布】〔和布(にぎめ)に對して、皴の粗きを云ふ、め、(海藻)竝に、昆布(コンブ)の條を見よ〕海藻の名。海底の石に着きて生ず、葉、扁(ひらた)く長くして、一根より叢生し、長きは四五尺に至る、色Kく、縱に粗き皴あり、食ふべし、或は、沃度(ヨウド)採収の原料とし、又は、肥料とす。K菜。倭名抄、十七8「滑海藻、俗用荒布阿良女」大膳職式、「荒布賦役令「滑海藻、二百六十斤」土左日記、正月元日「芋も、あらめも、齒固(はがため)もなし、かうやうの物、無き國なり」(國は、所の意、土佐國、大湊、停泊の船中にてなり)〔0109-5〕

とあって、標記語「あら-〔名〕【荒布】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あら-荒布】〔名〕褐藻類コンブ科の海藻。宮城県以西の太平洋岸、および津軽海峡から九州までの日本海沿岸の干潮線下からやや深い所に生育する。生育地の水の深さに応じて高さ二bにも達する。黒褐色で葉を群生する。食用となるほか、アルギン酸、ヨードの原料とする。学名はEisenia bicyclis《季・夏》→かじめ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
か様に日ののどかなるときは、磯に出でて網人に魚をもらひ、潮干のときは貝をひろひ、あらめを取り、磯の苔につゆの命をかけてこそ、今日まではながらへたれ。さらでは憂き世のよすがをば、いかにしつらんとか思ふらん。《百二十句本『平家物語第二十四句・大塔修理の条1244頁》
 
 
2005年3月30日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
烏頭布(カヂメ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

烏布(カヂメ) 海藻(ウミノモ)。〔元亀二年本97八〕

烏布(カヂメ) 海藻。〔静嘉堂本122二〕

烏布(カチメ) 海藻。〔天正十七年本上60オ三〕

とあって、標記語「烏布」で「かぢめ」の語を収載し、語注記に「海藻」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布[頭]荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣薗豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔雁煎等隨躰可引之〔宝徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬草曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔建部傳内本〕

者繊蘿蔔(せンロフ)蒟蒻(コンニヤク)煮染(ニシメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)黒煮蕗(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スヽケ)茗荷(メウガ)(コモノ)子蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜胡瓜(キウリ)甘漬(アマヅケ)納豆煎豆(イリマメ)(ヲホヂ)(チシヤ)園豆(エン  )(せリ)(ナヅナ)差酢(サシ )若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)海雲(モツク)曳干(ヒキ  )甘苔(アマノリ)塩苔酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)滑茸(ナメスヽキ)平茸雁煎等隨躰可〔山田俊雄藏本〕

(サイ)()繊蘿蔔(サンロフ)煮染(ニジメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)煮黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテモノ)茄子酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆荼(ヲヽトチ)(チシヤ)薗豆(エントウ)(セリ)(ナツナ)差酢(サシス)若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(  ノリ)塩苔(  ノリ)酒煎(  イリ)松茸(  ダケ)平茸(ヒラ  )雁煎(  イリ)鴨煎等隨躰可(ヒク)〔経覺筆本〕

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニシメ)牛房(コハウ)昆布(コ )(クロ)カチ()荒布(アラメ)黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウカ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)(ヲヽトチ)(チシヤ)園豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(シムハサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)平茸(ヒラタケ)()雁煎(カンイリ)等隨躰可〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本は此の語を未収載にする。宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本は、「烏頭布」、文明四年本は、「烏布」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本「ウトメ」、文明四年本に「くろめ/かちめ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

未滑海藻カチメ搗布同俗用之 。〔黒川本・植物門上75ウ四・五〕

未滑海藻カチメ搗布 。〔卷第三・植物門167一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)475七には、標記語「烏頭布」で訓みを「かぢめ」とする語は未収載にある。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

搗和布(カヂメ) 。〔・官位門76八〕

とあって、標記語「搗和布」の語以て「かぢめ」の語を収載する。また、易林本節用集』は、標記語「烏頭布」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「搗和布」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

692昆布荒布K煮烏頭布(カチメ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)ノ茗荷(ミヤウカ) 茗非也。求名菩薩ヨリ始也。故求名鈍而書我名也。死シテ々何也。即号鈍根草也。是即求名菩薩釈迦如来時之弥勒佛是也。〔謙堂文庫蔵五八左G〕

とあって、標記語「烏頭布」の語を収載し、語注記は未記載にする。ここで、真名注が「烏頭布」の訓みを「かちめ」としていることに注目したい。これは上記『庭訓往來』古写本のなかで文明四年本が「烏布」と表記し、「くろめ」「かちめ」の訓みを記載している点とも関連している。そして、『庭訓往來』には別状に「醍醐烏頭布」なる語が収載されていて、その意味合いは、木の芽漬けとして加工された京都の醍醐寺に因む食品名であり、この食品の素材に「烏頭布(うどめ)」を用いたことからこの名が記載されたものと思われる。但し、「独活芽」であれば樹木類であり、その食材が全く異なるものとなる。

 古版庭訓徃来註』では、

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニゾメ)牛房(ゴバウ)昆布(コブ)烏頭布(ウドメ)荒布(アラメ)K煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)(コモ)子蒸物(ムシモノ)(ユテ)物茄子(ナスビ)酢菜(スサイ)胡瓜(キフリ)甘漬(アマヅケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)荼苣(オホトチヰ)薗豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(ジンバサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(マツタケ)平茸(ヒラタケ)雁煎(ガンイリ)等隨之時已()汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕

とあって、標記語「烏頭布の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煮染(にしめ)の牛房(ごぼう)昆布(こんぶ)烏頭布(うどめ)(かちめ)荒布(あらめ)黒煮(くろに)の蕗(ふき)煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布K煮 和名集にハふゝきと訓す。ふきといふハ畧語(りやくご)なり。〔90オ四〜六〕

とあって、この標記語「烏頭布」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめ)の牛房(ごほう)昆布(こんふ)(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろに)の蕗(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけ)の茗荷(めうが)(こも)乃子()の蒸物(むしもの)茹物(うで  )ハ茄子(なすび)の酢菜(すさい)胡瓜(きうり)乃甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)の和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばそう)乃曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)鹽苔(しほのり)酒煎(さかいり)の松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)の雁煎(がんいり)(とう)(てい)に隨(したがつ)て之(これ)を引()く可()し/菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布黒煮 酢漬茗荷蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆園豆差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等。▲烏頭布ハ未考。或説に黒和布(くろわかめ)といへり。〔66ウ一、66ウ八〕

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめの)牛房(ごばう)昆布(こんぶ)搗布(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)黒煮(くろにの)(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけの)茗荷(ミやうが)(こもの)(この)蒸物(むしもの)茹物(うでものハ)茄子(なすびの)酢菜(すさい)胡瓜(きうりの)甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばざうの)曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)塩苔(しほのり)酒煎(さかいりの)松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)雁煎(がんいり)(とう)(したかつて)(ていに)(べし)(ひく)(これを)▲烏頭布ハ未考。或説に黒和布(くろわかめ)といへり。〔11ウ一、120オ四〕

とあって、標記語「烏頭布」の語をもって収載し、その語注記は「烏頭布は、未考。或る説に黒和布(くろわかめ)といへり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cagime.カヂメ(搗和布) 海藻の一種.〔邦訳79l〕

とあって、標記語「搗和布」の語の意味は「海藻の一種」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かち-〔名〕【搗布】〔め、(海布)并に、昆布(こぶ)、搗()つ、の條を見よ〕海藻の名。若布(わかめ)に似て、細そく狹くして、皴多し、乾して粉末()とし、吸物に加ふれば、甚だ滑らかなり。今、相良布(さがらめ)とも云ふ。倭名抄、十七8「末滑海藻、加知女、俗用搗布、搗末之義也」〔0385-5〕

とあって、標記語「かち-〔名〕【搗布】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かじ-搗布】〔名〕(「かちめ」とも)褐藻類コンブ科の海藻。本州中部の太平洋岸で水深五〜四〇bの岩などに着生する。体は長さ一〜二bに達し、アラメににているが、中空の円柱状で枝分かれしない短い茎がある。葉は左右に多数の小葉を羽状に分岐し、縁には鋸歯(きょし)がある。ヨードの原料や肥料にする。のろかじめ。あんらく。いぬた。あびらめ。ごえい。あまた。さがらめ。うずふ。学名はEcklonia cava《季・春》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
明くれば黒部の宿に少し休ませ給ひ、黒部四十八箇瀬の渡りを越え、市振、淨土、歌の脇、寒原、なかはしといふところを通りて、岩戸の崎といふところに著きて、海人の苫屋に宿を借りて、夜と共に御物語ありけるに、浦の者ども、搗布といふものを潛きけるを見給ひて、北の方かくぞ續け給ひける。《『義經記』卷七・如意の渡にて義經を弁慶打ち奉る事の条》
 
 
2005年3月29日(火)曇り一時晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
昆布(コンブ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

昆布() 。〔元亀二年本232三〕

昆布(コブ) 。〔静嘉堂本266七〕

昆布 。〔天正十七年本中62オ六〕

とあって、標記語「昆布」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布[頭]布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣薗豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔雁煎等隨躰可引之〔宝徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬草曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔建部傳内本〕

者繊蘿蔔(せンロフ)蒟蒻(コンニヤク)煮染(ニシメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)黒煮蕗(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スヽケ)茗荷(メウガ)(コモノ)子蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜胡瓜(キウリ)甘漬(アマヅケ)納豆煎豆(イリマメ)(ヲホヂ)(チシヤ)園豆(エン  )(せリ)(ナヅナ)差酢(サシ )若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)海雲(モツク)曳干(ヒキ  )甘苔(アマノリ)塩苔酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)滑茸(ナメスヽキ)平茸雁煎等隨躰可〔山田俊雄藏本〕

(サイ)()繊蘿蔔(サンロフ)煮染(ニジメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)煮黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテモノ)茄子酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆荼(ヲヽトチ)(チシヤ)薗豆(エントウ)(セリ)(ナツナ)差酢(サシス)若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(  ノリ)塩苔(  ノリ)酒煎(  イリ)松茸(  ダケ)平茸(ヒラ  )雁煎(  イリ)鴨煎等隨躰可(ヒク)〔経覺筆本〕

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニシメ)牛房(コハウ)昆布(コ )(クロ)カチ()荒布(アラメ)黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウカ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)(ヲヽトチ)(チシヤ)園豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(シムハサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)平茸(ヒラタケ)()雁煎(カンイリ)等隨躰可〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「昆布」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「コフ」、文明四年本「コ(ブ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

昆布 コンフ。〔黒川本・植物門下2ウ七〕

昆布 一名云衣比酒女/コフ。〔卷第七・植物門110五〕

とあって、標記語「昆布」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

昆布(コンブ) 。〔草木門129七〕

とあって、標記語「昆布」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

昆布(コンブエノカミ、シク・ヌノ)[平・去] 海藻。〔草木門654五〕

とあって、標記語「昆布」の語を収載し、語注記に「海藻」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

昆布(コブ) 海藻。〔・草木門185六〕

昆布(コンブ) 海藻。〔・草木門152一〕

昆布(コブ) 海藻海帯艸。〔・草木門141九〕

とあって、標記語「昆布」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承する。また、易林本節用集』は、標記語「昆布」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「昆布」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』及び系統の『節用集』類の語注記は、真字註には見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

692昆布荒布K煮烏頭布(カチメ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)ノ茗荷(ミヤウカ) 茗非也。求名菩薩ヨリ始也。故求名鈍而書我名也。死シテ々何也。即号鈍根草也。是即求名菩薩釈迦如来時之弥勒佛是也。〔謙堂文庫蔵五八左G〕

とあって、標記語「昆布」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニゾメ)牛房(ゴバウ)昆布(コブ)烏頭布(ウドメ)荒布(アラメ)K煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)(コモ)子蒸物(ムシモノ)(ユテ)物茄子(ナスビ)酢菜(スサイ)胡瓜(キフリ)甘漬(アマヅケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)荼苣(オホトチヰ)薗豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(ジンバサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(マツタケ)平茸(ヒラタケ)雁煎(ガンイリ)等隨之時已()汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕

とあって、標記語「昆布の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煮染(にしめ)の牛房(ごぼう)昆布(こんぶ)烏頭布(うどめ)(かちめ)荒布(あらめ)黒煮(くろに)の蕗(ふき)煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布K煮 和名集にハふゝきと訓す。ふきといふハ畧語(りやくご)なり。〔90オ四〜六〕

とあって、この標記語「昆布」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめ)の牛房(ごほう)昆布(こんふ)(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろに)の蕗(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけ)の茗荷(めうが)(こも)乃子()の蒸物(むしもの)茹物(うで  )ハ茄子(なすび)の酢菜(すさい)胡瓜(きうり)乃甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)の和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばそう)乃曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)鹽苔(しほのり)酒煎(さかいり)の松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)の雁煎(がんいり)(とう)(てい)に隨(したがつ)て之(これ)を引()く可()し/菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布K煮 酢漬茗荷蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆園豆差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等。▲昆布ハ多く東海に産す。和名ヒロメ又ヱビスメといふ。〔66ウ一、66ウ七〕

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめの)牛房(ごばう)昆布(こんぶ)搗布(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろにの)(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけの)茗荷(ミやうが)(こもの)(この)蒸物(むしもの)茹物(うでものハ)茄子(なすびの)酢菜(すさい)胡瓜(きうりの)甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばざうの)曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)塩苔(しほのり)酒煎(さかいりの)松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)雁煎(がんいり)(とう)(したかつて)(ていに)(べし)(ひく)(これを)▲昆布ハ多(おほ)く東海(とうかい)に産(さん)す。和名(わミやう)ヒロメ又ヱビスメといふ。〔11ウ一、120オ三〕

とあって、標記語「昆布」の語をもって収載し、その語注記は「昆布は、多(おほ)く東海(とうかい)に産(さん)す。和名(わミやう)ヒロメ。またヱビスメといふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cobu.コブ(昆布) 食用になる葉の広い海藻.⇒Lri〜;Ni〜(煮昆布)..〔邦訳r〕

とあって、標記語「昆布」の語の意味は「食用になる葉の広い海藻」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

コンブ〔名〕【昆布】〔蝦夷(アイヌ)の語、Kombu.の音譯字なり、夷布(ゑびすめ)と云ふも、それなり、海藻類に、荒布(あらめ)、和布(わかめ)、搗布(かちめ)など、布の字を用ゐるも、昆布より移れるならむ、支那の本草に、昆布を舉げたり、然れども、東海に生ず、とあれば、此方より移りたるなるべし、こぶと云ふは、こんぶの約なり(勘解由(かんげゆ)、かげゆ。見參(ゲンザン)、げざん)廣布(ひろめ)と云ふは、海藻の中にて、葉の幅、最も廣きが故に、名とするなり〕古名、ひろめ。又、えびすめ。又、約めて、こぶとも云ふ。海藻の名、北海道に産ず。根は、淺海の岩礁に着きて生じ、葉の大なるは、長さ、六七尺より、二三丈に及び、幅、一二尺、濃緑なるを上とし、黄褐なるを下とす、乾し晒せば、柔(しなやか)なること、なめしがはの如し、貯へて、食用とす、廣めの名に寄せて、多く、祝賀に用ゐる、此海藻、種類多し。續日本紀、七、靈龜元年十月「蝦夷、須賀君古麻比留等言、先祖以來、貢獻昆布、常採此地、年時不闕、云云、請於閉村、便建郡家、同於百姓共率親族、永不闕貢」(熟蝦夷(にぎゑみじ)なり、陸奥、牡鹿郡邊の地ならむ、金華山以北には、昆布あり、今の陸中の閉伊郡とは、懸隔せり)民部省式、交易雜物、陸奥國「昆布六百斤」倭名抄、十七8海藻類「本草云、昆布、生東海、和名、比呂米、一名、衣比須女」字類抄、飲食「昆布、エビスメ、ヒロメ、コブ」下學集(文安)下、草木門「昆布(コンブ)〔0735-4〕

とあって、標記語「コンブ〔名〕【昆布】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こんぶ昆布】〔名〕@褐藻(かっそう)類コンブ科に属する海藻。葉状体は革質で褐色を帯び、長さ二〜六b、幅六〜三〇センチbになり、外見上、葉、茎、根に区別できる。マコンブ、リシリコンブ、ミツイシコンブ、トロロコンブなど一〇種類あまりに分類される。宮城県以北の寒海で干潮線より深い岩礁上に生じる。食用、祝賀用、ヨード製造用などにされる。ひるめ。ひろめ。えびすめ。こぶ。学名はLaminaria《季・夏》A隠語。イ)盗人仲間で女帯をいう。〔隠語輯覧(1915)〕ロ)盗人仲間で外套類をいう。〔隠語輯覧(1915)〕ハ)てきや仲間で反物をいう。〔隠語輯覧(1915)〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
《補遺》「牛蒡牛房(ゴバウ)」は、ことばの溜池(2000.09.25)を参照。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏[頭]布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣薗豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔雁煎等隨躰可引之〔宝徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬草曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔建部傳内本〕

者繊蘿蔔(せンロフ)蒟蒻(コンニヤク)煮染(ニシメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)黒煮蕗(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スヽケ)茗荷(メウガ)(コモノ)子蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜胡瓜(キウリ)甘漬(アマヅケ)納豆煎豆(イリマメ)(ヲホヂ)(チシヤ)園豆(エン  )(せリ)(ナヅナ)差酢(サシ )若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)海雲(モツク)曳干(ヒキ  )甘苔(アマノリ)塩苔酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)滑茸(ナメスヽキ)平茸雁煎等隨躰可〔山田俊雄藏本〕

(サイ)()繊蘿蔔(サンロフ)煮染(ニジメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)煮黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテモノ)茄子酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆荼(ヲヽトチ)(チシヤ)薗豆(エントウ)(セリ)(ナツナ)差酢(サシス)若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(  ノリ)塩苔(  ノリ)酒煎(  イリ)松茸(  ダケ)平茸(ヒラ  )雁煎(  イリ)鴨煎等隨躰可(ヒク)〔経覺筆本〕

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニシメ)牛房(コハウ)昆布(コ )(クロ)カチ()荒布(アラメ)黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウカ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)(ヲヽトチ)(チシヤ)園豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(シムハサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)平茸(ヒラタケ)()雁煎(カンイリ)等隨躰可〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「牛房」と表記し、訓みは文明四年本に「コハウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

牛蒡(コハウ) 北朗反/ヌキタキス/又ウマフヽキ。〔黒川本・植物門下2ウ一〕

牛蒡 俗人蒡乍房者非也。〔卷第七・植物門112一〕

とあって、標記語「牛房」の語を収載する。
 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

691煮染(ニシメ)ノ牛房 牛之閉間云尓也。〔謙堂文庫蔵五八左G〕

とあって、標記語「牛房」の語を収載し、語注記は「牛の閉に似る。間に尓()か云ふ」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニゾメ)牛房(ゴバウ)昆布(コブ)烏頭布(ウドメ)荒布(アラメ)K煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)(コモ)子蒸物(ムシモノ)(ユテ)物茄子(ナスビ)酢菜(スサイ)胡瓜(キフリ)甘漬(アマヅケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)荼苣(オホトチヰ)薗豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(ジンバサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(マツタケ)平茸(ヒラタケ)雁煎(ガンイリ)等隨之時已()汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕

とあって、標記語「牛房の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煮染(にしめ)牛房(ごぼう)昆布(こんぶ)烏頭布(うどめ)(かちめ)荒布(あらめ)黒煮(くろに)の蕗(ふき)煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布K煮 和名集にハふゝきと訓す。ふきといふハ畧語(りやくご)なり。〔90オ四〜六〕

とあって、この標記語「牛房」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめ)牛房(ごほう)昆布(こんふ)(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろに)の蕗(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけ)の茗荷(めうが)(こも)乃子()の蒸物(むしもの)茹物(うで  )ハ茄子(なすび)の酢菜(すさい)胡瓜(きうり)乃甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)の和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばそう)乃曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)鹽苔(しほのり)酒煎(さかいり)の松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)の雁煎(がんいり)(とう)(てい)に隨(したがつ)て之(これ)を引()く可()し/菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布黒煮 酢漬茗荷蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆園豆差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等。▲牛房ハ本字(ほんじ)牛蒡(きうほう)と書。和名(わめう)キタキス又ムマブキといふ。〔66ウ一、66ウ七〕

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめの)牛房(ごばう)昆布(こんぶ)搗布(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)黒煮(くろにの)(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけの)茗荷(ミやうが)(こもの)(この)蒸物(むしもの)茹物(うでものハ)茄子(なすびの)酢菜(すさい)胡瓜(きうりの)甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばざうの)曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)塩苔(しほのり)酒煎(さかいりの)松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)雁煎(がんいり)(とう)(したかつて)(ていに)(べし)(ひく)(これを)▲牛房ハ本字(ほんじ)牛蒡(ぎうばう)と書。和名(わミやう)キタキス又ムマフヾキといふ。〔119ウ一、120オ二・三〕

とあって、標記語「牛房」の語をもって収載し、その語注記は「牛房は、本字(ほんじ)牛蒡(ぎうばう)と書く。和名(わミやう)キタキス、またムマフヾキといふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gobo<.ゴバゥ(牛蒡) 薊(あざみ)の根のようなある種の根で,食用になるもの.→Acujit.〔邦訳304l〕

とあって、標記語「牛房」の語の意味は「薊(あざみ)の根のようなある種の根で,食用になるもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ばう〔名〕【牛蒡】〔ゴは、牛(ギウ)の呉音〕古名、きたきす。うまふぶき。蔬菜(あをもの)の名、春、又は秋、種を下す、莖、高さ二三尺、根の上、紫色なり、葉は、芋に似て、長く厚く、皴あり、夏の初、淡紫の小花、り開く。根、長大なるは、長さ、二三尺、圍、六七寸にも至るものあり、皮Kくして、肉、白し、畠に作りて、專ら、食用とす。音便に、ごんばう。實()の殻(から)に、棘(いが)あり、中に、數十子あり、葡萄の核に似て、赤Kし、藥用とす。惡實康頼本草、上14「惡實、支太支須、ゴバウ」〔0711-2〕

とあって、標記語「-ばう〔名〕【牛蒡】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぼう牛蒡】〔名〕@キク科の二年草。ヨーロッパ、シベリア原産で、古くから畑に栽培されている。高さ一〜一・五b。根はまっすぐ地中にのび紡錘形で長さ〇・四〜一b。根葉は長柄をもち、長さ四〇センチbぐらいの心臓形で裏面には白色の綿毛が密生する。夏、葉間から花茎をのばし、径四センチbぐらいで、紫色または白色の管状花を密生した球状の頭花をつける。根は重要な野菜として食用にされ、漢方では煎じ薬としてかぜ、利尿、解毒剤にする。漢名を悪実という。うまふぶき。きたきす。学名はArctium lappa▼ごぼうの花《季・夏》A「ごぼうじめ(牛蒡注連)」の略。B男根をいう。→ごぼうを洗う」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
牛房トイヘル精進ノ菜アリ。《『名語記』三の条》
 
 
2005年3月28日(月)曇り一時雷雨後晴。イタリア(ローマ・自宅AP)→市街〔振替休日
煮染(にしめ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「仁」部に、標記語「煮染」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏[頭]布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣薗豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔雁煎等隨躰可引之〔宝徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬草曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔建部傳内本〕

者繊蘿蔔(せンロフ)蒟蒻(コンニヤク)煮染(ニシメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)黒煮蕗(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スヽケ)茗荷(メウガ)(コモノ)子蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜胡瓜(キウリ)甘漬(アマヅケ)納豆煎豆(イリマメ)(ヲホヂ)(チシヤ)園豆(エン  )(せリ)(ナヅナ)差酢(サシ )若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)海雲(モツク)曳干(ヒキ  )甘苔(アマノリ)塩苔酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)滑茸(ナメスヽキ)平茸雁煎等隨躰可〔山田俊雄藏本〕

(サイ)()繊蘿蔔(サンロフ)煮染(ニジメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)煮黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテモノ)茄子酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆荼(ヲヽトチ)(チシヤ)薗豆(エントウ)(セリ)(ナツナ)差酢(サシス)若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(  ノリ)塩苔(  ノリ)酒煎(  イリ)松茸(  ダケ)平茸(ヒラ  )雁煎(  イリ)鴨煎等隨躰可(ヒク)〔経覺筆本〕

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニシメ)牛房(コハウ)昆布(コ )(クロ)カチ()荒布(アラメ)黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウカ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)(ヲヽトチ)(チシヤ)園豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(シムハサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)平茸(ヒラタケ)()雁煎(カンイリ)等隨躰可〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「煮染」と表記し、訓みは経覺筆本に「にじめ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「にしめ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「煮染」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「煮染」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

煮染(ニジメ) 。〔食服門26六〕

とあって、標記語「煮染」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に、標記語「煮染」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

691煮染(ニシメ)ノ牛房 牛之閉間云尓也。〔謙堂文庫蔵五八左G〕

とあって、標記語「煮染」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニゾメ)牛房(ゴバウ)昆布(コブ)烏頭布(ウドメ)荒布(アラメ)K煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)(コモ)子蒸物(ムシモノ)(ユテ)物茄子(ナスビ)酢菜(スサイ)胡瓜(キフリ)甘漬(アマヅケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)荼苣(オホトチヰ)薗豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(ジンバサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(マツタケ)平茸(ヒラタケ)雁煎(ガンイリ)等隨之時已()汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕

とあって、標記語「煮染の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

煮染(にしめ)の牛房(ごぼう)昆布(こんぶ)烏頭布(うどめ)(かちめ)荒布(あらめ)黒煮(くろに)の蕗(ふき)煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布K煮 和名集にハふゝきと訓す。ふきといふハ畧語(りやくご)なり。〔90オ四〜六〕

とあって、この標記語「煮染」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめ)の牛房(ごほう)昆布(こんふ)(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろに)の蕗(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけ)の茗荷(めうが)(こも)乃子()の蒸物(むしもの)茹物(うで  )ハ茄子(なすび)の酢菜(すさい)胡瓜(きうり)乃甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)の和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばそう)乃曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)鹽苔(しほのり)酒煎(さかいり)の松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)の雁煎(がんいり)(とう)(てい)に隨(したがつ)て之(これ)を引()く可()し/菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布黒煮 酢漬茗荷蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆園豆差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等。〔66オ八〜66ウ六、〕

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめの)牛房(ごばう)昆布(こんぶ)搗布(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)黒煮(くろにの)(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけの)茗荷(ミやうが)(こもの)(この)蒸物(むしもの)茹物(うでものハ)茄子(なすびの)酢菜(すさい)胡瓜(きうりの)甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばざうの)曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)塩苔(しほのり)酒煎(さかいりの)松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)雁煎(がんいり)(とう)(したかつて)(ていに)(べし)(ひく)(これを)。〔119オ六〜120オ一〕

とあって、標記語「煮染」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「煮染」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しめ〔名〕【煮染】種種の魚菜を、醤油、鰹節などにて、煮染むること。又、その煮染めたるもの。易林本節用集(慶長)上、食服門「煮染、ニシメ」庭訓往來、十月「菜者、繊蘿蔔、煮染牛房、昆布、荒布、K煮烏頭布」〔0456-5〕

とあって、標記語「-しめ〔名〕【煮染】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しめ煮染】〔名〕(古くは「にじめ」とも)魚、肉、野菜などを味つけした汁で煮込み、多少汁気を残し、照(てり)をつけないで煮上げたもの。煮染物」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
 
繊蘿蔔(センロフ)」は、ことばの溜池(2000.09.24)を参照。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏[頭]布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣薗豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔雁煎等隨躰可引之〔宝徳三年本〕

菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬草曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔建部傳内本〕

繊蘿蔔(せンロフ)蒟蒻(コンニヤク)煮染(ニシメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)黒煮蕗(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スヽケ)茗荷(メウガ)(コモノ)子蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜胡瓜(キウリ)甘漬(アマヅケ)納豆煎豆(イリマメ)(ヲホヂ)(チシヤ)園豆(エン  )(せリ)(ナヅナ)差酢(サシ )若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)海雲(モツク)曳干(ヒキ  )甘苔(アマノリ)塩苔酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)滑茸(ナメスヽキ)平茸雁煎等隨躰可〔山田俊雄藏本〕

(サイ)()繊蘿蔔(サンロフ)煮染(ニジメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)煮黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテモノ)茄子酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆荼(ヲヽトチ)(チシヤ)薗豆(エントウ)(セリ)(ナツナ)差酢(サシス)若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(  ノリ)塩苔(  ノリ)酒煎(  イリ)松茸(  ダケ)平茸(ヒラ  )雁煎(  イリ)鴨煎等隨躰可(ヒク)〔経覺筆本〕

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニシメ)牛房(コハウ)昆布(コ )(クロ)カチ()荒布(アラメ)黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウカ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)(ヲヽトチ)(チシヤ)園豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(シムハサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)平茸(ヒラタケ)()雁煎(カンイリ)等隨躰可〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「繊蘿蔔」と表記し、訓みは経覺筆本に「サンロフ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「センロフ」と記載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

690菜者繊蘿蔔 (サンロフ) 用大根也。〔謙堂文庫蔵五八左F〕

とあって、標記語「繊蘿蔔」の語を収載し、語注記に「大根を用いるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニゾメ)牛房(ゴバウ)昆布(コブ)烏頭布(ウドメ)荒布(アラメ)K煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)(コモ)子蒸物(ムシモノ)(ユテ)物茄子(ナスビ)酢菜(スサイ)胡瓜(キフリ)甘漬(アマヅケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)荼苣(オホトチヰ)薗豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(ジンバサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(マツタケ)平茸(ヒラタケ)雁煎(ガンイリ)等隨之時已()汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕

とあって、標記語「繊蘿蔔の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さい)()繊蘿蔔(せんろふ)菜者繊蘿蔔 細くきさみたる大根也。〔90オ三・四〕

とあって、この標記語「繊蘿蔔」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめ)の牛房(ごほう)昆布(こんふ)(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろに)の蕗(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけ)の茗荷(めうが)(こも)乃子()の蒸物(むしもの)茹物(うで  )ハ茄子(なすび)の酢菜(すさい)胡瓜(きうり)乃甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)の和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばそう)乃曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)鹽苔(しほのり)酒煎(さかいり)の松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)の雁煎(がんいり)(とう)(てい)に隨(したがつ)て之(これ)を引()く可()し/菜者繊蘿蔔煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布黒煮 酢漬茗荷蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆園豆差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等。▲繊蘿蔔ハ大根(だいこん)を細(ほそ)く切()りたる也。〔66オ八、66ウ六・七〕

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめの)牛房(ごばう)昆布(こんぶ)搗布(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)黒煮(くろにの)(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけの)茗荷(ミやうが)(こもの)(この)蒸物(むしもの)茹物(うでものハ)茄子(なすびの)酢菜(すさい)胡瓜(きうりの)甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばざうの)曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)塩苔(しほのり)酒煎(さかいりの)松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)雁煎(がんいり)(とう)(したかつて)(ていに)(べし)(ひく)(これを)▲繊蘿蔔ハ大根(たいこん)を細(ほそ)く切()りたる也。〔119オ六、120オ二〕

とあって、標記語「繊蘿蔔」の語をもって収載し、その語注記は「繊蘿蔔は、大根(だいこん)を細(ほそ)く切()りたるなり」と記載する。
明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

せん-ろふ〔名〕【繊蘿蔔】前條に同じ。庭訓徃來、十月「菜者、繊蘿蔔、煮染牛房」→「せん-ろッぽん〔名〕〔次條の繊蘿蔔(センロフ)の音轉と云ふ〕大根を、甚だ細長く、切り刻みたるもの。セロッポウ。略して、せん。〔1134-5〕

とあって、標記語「せん-ろふ〔名〕【繊蘿蔔】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せん-ろふ繊蘿蔔】〔名〕(「蘿蔔」は大根の意)大根を細長く刻んだもの。味噌汁などの実とする。千六本」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例記載する。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年3月27日(日)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→市街。〔復活祭
(サイ・な)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「草名」部に、

()() 。〔元亀二年本381四〕

()() 。〔静嘉堂本459八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔至徳三年本〕

者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏[頭]布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣薗豆芹薺差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔雁煎等隨躰可引之〔宝徳三年本〕

者繊蘿蔔煮染牛房昆布烏頭布荒布黒煮蕗蕪酢漬茗荷薦子蒸物茹物茄子酢胡瓜甘漬納豆煎豆荼苣園豆芹薺差酢和布青苔神馬草曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等隨躰可引之〔建部傳内本〕

者繊蘿蔔(せンロフ)蒟蒻(コンニヤク)煮染(ニシメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)黒煮蕗(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スヽケ)茗荷(メウガ)(コモノ)子蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜胡瓜(キウリ)甘漬(アマヅケ)納豆煎豆(イリマメ)(ヲホヂ)(チシヤ)園豆(エン  )(せリ)(ナヅナ)差酢(サシ )若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)海雲(モツク)曳干(ヒキ  )甘苔(アマノリ)塩苔酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)滑茸(ナメスヽキ)平茸雁煎等隨躰可〔山田俊雄藏本〕

(サイ)()繊蘿蔔(サンロフ)煮染(ニジメ)牛房昆布(コフ)烏頭布(ウトメ)荒布(アラメ)煮黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテモノ)茄子酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆荼(ヲヽトチ)(チシヤ)薗豆(エントウ)(セリ)(ナツナ)差酢(サシス)若布(ワカメ)青苔(  ノリ)神馬藻(   サウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(  ノリ)塩苔(  ノリ)酒煎(  イリ)松茸(  ダケ)平茸(ヒラ  )雁煎(  イリ)鴨煎等隨躰可(ヒク)〔経覺筆本〕

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニシメ)牛房(コハウ)昆布(コ )(クロ)カチ()荒布(アラメ)黒煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カフラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウカ)薦子(コモノコ)蒸物(ムシ  )茹物(ユテ  )茄子(ナスヒ)酢菜(スサイ)胡瓜(キウリ)甘漬(アマツケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)(ヲヽトチ)(チシヤ)園豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(シムハサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(  タケ)平茸(ヒラタケ)()雁煎(カンイリ)等隨躰可〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「サイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ナ/生―。〔黒川本・植物門中32ウ八〕

ナ。生菜/草可食者皆名―。〔卷第五・植物門29三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ナサイ)[去] 或云(フせイ)又云蔓草。〔草木門435二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「或は蕪(フせイ)と云ふ。また、蔓草と云ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

() 又蕪青(ブセイ)又蔓艸(マンサウ)。〔・草木門137八〕

() 或云蕪(ブせイ)又云蔓草。〔・草木門110三〕

() 又蕪青又云蔓艸。〔・草木門100六〕

() 或云蕪又云蔓草。〔・草木門122六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承する。また、易林本節用集』に、

() 。〔草木門110一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』を頂点とする『節用集』類の語注記は、真名注には見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

690者繊蘿蔔 (サンロフ) 用大根也。〔謙堂文庫蔵五八左F〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(サイ)()繊蘿蔔(せンロフ)煮染(ニゾメ)牛房(ゴバウ)昆布(コブ)烏頭布(ウドメ)荒布(アラメ)K煮(クロニ)(フキ)(アサミ)(カブラ)酢漬(スツケ)茗荷(ミヤウガ)(コモ)子蒸物(ムシモノ)(ユテ)物茄子(ナスビ)酢菜(スサイ)胡瓜(キフリ)甘漬(アマヅケ)納豆(ナツトウ)煎豆(イリマメ)荼苣(オホトチヰ)薗豆(エントウ)(せリ)(ナヅナ)差酢(サシス)和布(ワカメ)青苔(アヲノリ)神馬藻(ジンバサウ)曳干(ヒキホシ)甘苔(アマノリ)塩苔(シホノリ)酒煎(サカイリ)松茸(マツタケ)平茸(ヒラタケ)雁煎(ガンイリ)等隨之時已()汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕

とあって、標記語「の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さい)()繊蘿蔔(せんろふ)者繊蘿蔔 細くきさみたる大根也。〔90オ三・四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめ)の牛房(ごほう)昆布(こんふ)(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)K煮(くろに)の蕗(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけ)の茗荷(めうが)(こも)乃子()の蒸物(むしもの)茹物(うで  )ハ茄子(なすび)の酢菜(すさい)胡瓜(きうり)乃甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)の和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばそう)乃曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)鹽苔(しほのり)酒煎(さかいり)の松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)の雁煎(がんいり)(とう)(てい)に隨(したがつ)て之(これ)を引()く可()し/繊蘿蔔煮染牛房昆布搗布烏頭布荒布黒煮 酢漬茗荷蒸物茹物茄子酢菜胡瓜甘漬納豆煎豆園豆差酢和布青苔神馬藻曳干甘苔塩苔酒煎松茸平茸雁煎等。▲菜ハもと野草(やさう)の食(くら)ハるべきものをいふ也。夫(それ)を轉(てん)じて飯汁(めししる)の外膳(ほかぜん)に具(そな)ふる品(しな)をすべてかくいふ。本朝(わかくに)の俗習(ならハせ)也。〔66オ八〜66ウ六、66ウ六〕

(さい)()繊蘿蔔(せんらふ)煮染(にしめの)牛房(ごばう)昆布(こんぶ)搗布(かちめ)烏頭布(うどめ)荒布(あらめ)黒煮(くろにの)(ふき)(あざミ)(ところ)(かぶら)酢漬(すづけの)茗荷(ミやうが)(こもの)(この)蒸物(むしもの)茹物(うでものハ)茄子(なすびの)酢菜(すさい)胡瓜(きうりの)甘漬(あまづけ)納豆(なつとう)煎豆(いりまめ)(おほとぢ)(ちさ)園豆(ゑんとう)(せり)(なづな)差酢(さしす)和布(わかめ)青苔(あをのり)神馬藻(じんばざうの)曳干(ひきぼし)甘苔(あまのり)塩苔(しほのり)酒煎(さかいりの)松茸(まつたけ)平茸(ひらたけの)雁煎(がんいり)(とう)(したかつて)(ていに)(べし)(ひく)(これを)▲菜ハもと野草(やさう)の食(くら)ハるべきものをいふ也。夫(それ)を轉(てん)じて飯汁(めししる)の外膳(ほかぜん)に具(そな)ふる品(しな)をすべてかくいふ。本朝(わがくに)の俗習(ならハせ)也。〔119オ六〜120オ一、120オ一〜二〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「沢茄子は、いまだ考へぜず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

NA.ナ() 菜.¶Nauo tcumu.(菜を摘む)菜を採取する.〔邦訳437r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「菜」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【】〔前條の語意に同じ。説文「莫可食者、曰菜」〕(一)草の莖、葉、根の食ふべきものの總稱。箋注倭名抄、九、菜類「菜、奈」萬葉集、一7長歌「籠もよ、美籠もち、ふぐしもよ、この岳に、みふぐし持ち、此の岡に、摘ます兒」(二)專ら(あぶらな)、又は、(たうな)の稱。〔0456-5〕

とあって、標記語「-〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-【】〔名〕(「な(肴)」と同語源)食用、特に、副食物とする草の総称。多く、葉、茎を食用とするアブラナ科のアブラナと、それに近縁な種類から育成された葉菜をいう。古くから中国および西洋で品種育成が行なわれ、日本でも、古く中国から移入されたタカナやカラシナなどをはじめ在来ナタネなどから多数の品種が生み出されている」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
侍所〈小續五十前、五種汁二〉酒肴一具力者小舎人等分、〈橿飯廿五合、秣百束〉《訓み下し》侍所〈小続五十前、五種汁二ツ〉酒肴一具力者小舎人等ノ分、〈橿飯二十五合、秣百束〉《『吾妻鏡』建長四年三月十九日の条》
 
 
2005年3月26日(土)曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA、ローマ市街
寒汁(ひやじる)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、標記語「寒汁」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御時汁者豆腐羹辛羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔至徳三年本〕

御時汁者豆腐羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔宝徳三年本〕

御齋之汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并暑蕷笋蘿蔔山葵寒汁等也〔建部傳内本〕

御時ニハ者豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜三和羮并薯蕷(ヤマノイモ)笋蘿蔔(シユンロフ)山葵(ワサヒ)(ヒヤ)等也〔山田俊雄藏本〕

御時之汁(シル)()豆腐羹(タウフカン)雪林(サイ)薯蕷(ヤマノイモ)豆腐笋蘿蔔(シユンロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也〔経覺筆本〕

御齋(シル)者豆腐羹(タウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)暑豫(ヤマノイモ)豆腐(タウフ)笋蘿蔔(シユンロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也。〔文明四年本〕

と見え、山田俊雄藏本は「冷汁」とし、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、「寒汁」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ひや(しる)」、経覺筆本・文明四年本に「ヒヤシル」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「寒汁」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「寒汁」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ヒヤシルレイシフ)[去・入] 。〔飲食門1034四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ヒヤシル) 。〔・食物門254七〕〔・食物門217九〕

冷麺(ヒヤムキ) 冷汁。〔・食物門203五〕

とあって、標記語「」の語を以て収載する。また、易林本節用集』に、

冷麪(ヒヤムギ)レイメン ―汁(ジル)―酒(ザケ)。〔食服門224七〕

とあって、標記語「冷麪」の熟語群に「」の語を以て収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本は「寒汁」の表記を以て収載しているのである。そして、真字本に異本表記の例として「冷汁」が見えているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

689并暑蕷(/ヤマノイモ)野老笋(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ){}等也 山葵形大黄。色青白也。葉寒汁大根。々ニハ石木。如也。刻彫シテ砕也。即是根之亊也。〔謙堂文庫蔵五八左E〕

とあって、標記語「寒汁{冷汁(イ)}」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(シル)()豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)薯蕷(ジヨヨ)腐笋(フシユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサビ)寒汁(ヒヤシル)等也 汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(セツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アル)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ三〜36オ一〕

とあって、標記語「寒汁の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

山葵(わさび)寒汁(ひやしる)等也山葵寒汁等也 豆腐以下皆汁の実()なり。〔90オ三〕

とあって、この標記語「寒汁」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋(おんとき)の汁(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐笋(ふしゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさび)乃寒汁(ひやしる)等(とう)也(なり)御齋汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并薯蕷腐笋蘿蔔山葵寒汁等也。〔66オ六〕

御齋(おんときの)(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)(ならびに)薯蕷腐(しよよふ)(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさびの)寒汁(ひやしる)(とう)(なり)〔119オ三・四〕

とあって、標記語「寒汁」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fiyaxiru.ヒヤジル(冷汁) 実として野菜を入れた,冷たい汁(Xiru)で,夏に食べるもの.→Mozzucubiyaxiru;Tadebiyaxiru.〔邦訳253l〕

とあって、標記語「寒汁」の語の意味は「実として野菜を入れた,冷たい汁(Xiru)で,夏に食べるもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ひや-じる〔名〕【寒汁】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ひや-じる冷汁】〔名〕(「ひやしる」とも)つめたく冷やして野菜などを入れた汁。ひやしじる。また、さめた汁。《季・夏》大上臈御名之事(16C前か)「ひやじる、つめたおしる」*いろは字(1559)「冷汁 ヒヤジル」*日葡辞書(1603-04)「Fiyaxiru(ヒヤシル)」*俳諧。続猿蓑(1698)夏「冷汁はひへすましたり杜若<沾圃>」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
山葵(わさび)」は、ことばの溜池(2000.09.23)を参照。
 
2005年3月25日(金)曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→日本文化協会
蘿蔔(ロフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)に、標記語「蘿蔔」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御時汁者豆腐羹辛羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔至徳三年本〕

御時汁者豆腐羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔宝徳三年本〕

御齋之汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并暑蕷笋蘿蔔山葵寒汁等也〔建部傳内本〕

御時ニハ者豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜三和羮并薯蕷(ヤマノイモ)蘿蔔(シユンロフ)山葵(ワサヒ)(ヒヤ)汁等也〔山田俊雄藏本〕

御時之汁(シル)()豆腐羹(タウフカン)雪林(サイ)薯蕷(ヤマノイモ)豆腐笋蘿蔔(シユンロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也〔経覺筆本〕

御齋(シル)者豆腐羹(タウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)暑豫(ヤマノイモ)豆腐(タウフ)蘿蔔(シユンロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「蘿蔔」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「ロフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「蘿蔔」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「蘿蔔」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

蘿蔔(ロフツタ、フク)[平・去] 異名廬服。〔飲食門44八〕

とあって、標記語「蘿蔔」の語を収載し、語注記に「異名、廬服」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

蘿蔔(ロフ) 。〔・飲食門16一〕

大根(タイコン) 又云芦(ロフク)又云蘿蔔・草木門99八〕

とあって、標記語「蘿蔔」の語を収載する。また、易林本節用集』は、標記語「蘿蔔」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「蘿蔔」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記「異名、廬服」は、他と異なる記載となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

689并暑蕷(/ヤマノイモ)野老笋(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ){}汁等也 山葵形大黄。色青白也。葉寒汁大根。々ニハ石木。如也。刻彫シテ砕也。即是根之亊也。〔謙堂文庫蔵五八左E〕

とあって、標記語「蘿蔔」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(シル)()豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)薯蕷(ジヨヨ)腐笋(フシユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサビ)寒汁(ヒヤシル)等也 汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(セツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アル)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ三〜36オ一〕

とあって、標記語「蘿蔔の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蘿蔔(ろふ)蘿蔔 蘿蔔ハ大根(たいこん)の事也。〔90オ二〕

とあって、この標記語「蘿蔔」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋(おんとき)の汁(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐笋(ふしゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさび)乃寒汁(ひやしる)等(とう)也(なり)御齋汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜薯蕷腐蘿蔔山葵寒汁等也▲蘿蔔ハ大根(だいこん)也。和名オホネといふ。是等(これら)いづれも汁(しる)の実()に用ふる料(れう)也。〔66オ五、66オ八〕

御齋(おんときの)(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)(ならびに)薯蕷腐(しよよふ)(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさびの)寒汁(ひやしる)(とう)(なり)▲蘿蔔ハ大根(たいこん)也。和名オホネといふ。是等(これら)いづれも汁(しる)の実()に用(もち)ふる料(れう)也。〔119オ三、119オ五・六〕

とあって、標記語「蘿蔔」の語をもって収載し、その語注記は「蘿蔔は、大根(だいこん)なり。和名オホネといふ。是等(これら)いづれも汁(しる)の実()に用ふる料(れう)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「蘿蔔」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ふく〔名〕【蘿蔔?】だいこん(大根)に同じ。箋注和名抄、九40菜類、温、注「引爾雅云、□、蘆、釋曰、紫花也、俗呼、似、大根、一名□、俗呼雹□、一名蘆、今謂之蘿蔔是也、則知、温即蘆〔2113-4〕

とあって、標記語「-ふく〔名〕【蘿蔔】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-蘿蔔】〔名〕「らふく(蘿蔔)」に同じ。塵芥(1510-50頃)「蘿蔔 ロフ」」→「-ふく蘿蔔】〔名〕「だいこん(大根)の漢名。参天台五台山記(1072-73)三「蘿蔔一坏」*東京新繁昌記(1874-76)<服部誠一>初・新聞社「此の人や、口に牛肉を喰はずして而して沢庵の大根 俗に蘿蔔を呼て大根と曰ふ を甘んじ」*王禎農書-穀譜属・蘿蔔「老圃云、蘿蔔一種而四名、春曰、破地錐、夏曰、夏生、秋曰、蘿蔔、冬曰、土酥」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。                     
[ことばの実際]
 
                                
(シユン)」「笋羊羹」(2005.01.27)を参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

(シユンカン) 。〔元亀二年本312十〕〔静嘉堂本366六〕

とあって、標記語「」の語をもって収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御時汁者豆腐羹辛羹雪林菜并暑預豆腐蘿蔔山葵寒汁等也〔至徳三年本〕

御時汁者豆腐羹雪林菜并暑預豆腐蘿蔔山葵寒汁等也〔宝徳三年本〕

御齋之汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并暑蕷蘿蔔山葵寒汁等也〔建部傳内本〕

御時ニハ者豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜三和羮并薯蕷(ヤマノイモ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)(ヒヤ)汁等也〔山田俊雄藏本〕

御時之汁(シル)()豆腐羹(タウフカン)雪林(サイ)薯蕷(ヤマノイモ)豆腐(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也〔経覺筆本〕

御齋(シル)者豆腐羹(タウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)暑豫(ヤマノイモ)豆腐(タウフ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、この語は未収載であり、山田俊雄藏本だけが「」と表記し、訓みは「シユン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「(シユン)」の語は未収載にする。ただし、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)は、

笋干(シユンカンタカンナ、モトム・ホス)[去・平] 又作。〔飲食門923七〕

とあって、標記語「笋干」の語で収載し、語注記に「また、笋に作る」と記載する。これを以て同一の意味内容と解する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』においても

笋干(シユンカン) 。〔・官位門243五〕〔・官位門209一〕〔・官位門193四〕

とあって、同じく標記語「笋干」の語で収載する。また、易林本節用集』も、

笋干(シユンカン) 。〔食服門208三〕

とあって、標記語「笋干」の語で収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

689并暑蕷(/ヤマノイモ)野老(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ){}汁等也 山葵形大黄。色青白也。葉寒汁大根。々ニハ石木。如也。刻彫シテ砕也。即是根之亊也。〔謙堂文庫蔵五八左E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(シル)()豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)薯蕷(ジヨヨ)()(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサビ)寒汁(ヒヤシル)等也 汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(セツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アル)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ三〜36オ一〕

とあって、標記語「の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

笋(しゆん) 竹の子なり。〔90オ二〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋(おんとき)の汁(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐(ふしゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさび)乃寒汁(ひやしる)等(とう)也(なり)御齋汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并薯蕷腐蘿蔔山葵寒汁等也▲笋ハ和名(わミやう)タカンナといふ。竹(たけ)の子()也。〔66オ六、66オ八〕

御齋(おんときの)(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)(ならびに)薯蕷腐(しよよふ)(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさびの)寒汁(ひやしる)(とう)(なり)▲笋ハ和名(わミやう)タカンナといふ。竹(たけ)の子()也。〔119オ三、119オ五〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「笋ハ和名(わミやう)タカンナといふ。竹(たけ)の子()なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xuncan.シュンカン(笋干) Foita taqenoco.(干いた笋)日にあてて乾かした筍.文書語.〔邦訳801r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「Foita taqenoco.(干いた笋)日にあてて乾かした筍.文書語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しゅん-〔名〕【】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅん【筍・】〔名〕@(「しゅん」とも)たけのこ。参天台五台山記(1072-73)一「次将入竹林中。抜取廿本志与」*新編覆醤集(1676)偶成「花謝山猶静、生露自流」*風俗画報-九五号(1895)人事門「竹根を菊と曰。旁引を鞭と曰。上挺に生する者をと名く」A新芽。若芽。蕉堅藁(1403)古河襍言「芦荻洲暄抽早、参苓地痩長苗遅」→じゆん〔字音語素〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年3月24日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
野老(ヤラウ)」&「豆腐(タウフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「草名」部に、

野老(トコロ) 。〔元亀二年本378四〕〔静嘉堂本461八〕

そして、「多」部に、

豆腐(タウフ) 。〔元亀二年本139五〕〔静嘉堂本148五〕

とあって、標記語「野老」「豆腐」の語を収載し、訓みは「ところ」及び「タウフ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御時汁者豆腐羹辛羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔至徳三年本〕

御時汁者豆腐羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔宝徳三年本〕

御齋之汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并暑蕷笋蘿蔔山葵寒汁等也〔建部傳内本〕

御時ニハ者豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜三和羮并薯蕷(ヤマノイモ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)(ヒヤ)汁等也〔山田俊雄藏本〕

御時之汁(シル)()豆腐羹(タウフカン)雪林(サイ)薯蕷(ヤマノイモ)豆腐(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也〔経覺筆本〕

御齋(シル)者豆腐羹(タウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)暑豫(ヤマノイモ)豆腐(タウフ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本いずれにもこの語は未収載とする。そして、至徳三年本・宝徳三年本・経覺筆本・文明四年本には「豆腐」の語を茲に収載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(カイ)トコロ 野老同/或用之。未詳。〔黒川本・植物門上43ウ八〕

(カイ)トコロ 俗用―字。或用野老/二字未詳野老已上同/俗用之。〔卷第二・植物門378六〜379一〕

とあって、標記語「野老」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、
    (トコロ) 又云世俗ニハ野老也。〔草木門127七〕

豆腐(トウフ) 。〔飲食門99四〕

とあって、標記語「」の語注記のなかに「野老」の語を収載する。標記語「豆腐」の語も収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

黄精(トコロクワウせイ・キナリ、アキラカ)[平・去] 或云(ヒツカイ)。又云野老〔草木門127二〕

豆腐(タウトウ・マメ、クチル)[去・去] 或作唐布又云白壁(ハクヘキ)〔飲食門340三〕

とあって、標記語「黄精」の注記に「野老」、そして標記語「豆腐」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本両足院本節用集』には、

豆腐(タウフ)ヅフ 或云白壁/又云唐布。〔・食物門102六〕

豆腐(タウフ) 或云白壁/又云唐布。〔・食物門94六〕

豆腐(タウフ) 或云白壁/又云唐腐。〔・食物門104七〕

とあって、標記語「豆腐」の語を収載する。また、易林本節用集』には、標記語「野老」「豆腐」の両語とも未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「野老」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

689并暑蕷(/ヤマノイモ)野老(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ){}汁等也 山葵形大黄。色青白也。葉寒汁大根。々ニハ石木。如也。刻彫シテ砕也。即是根之亊也。〔謙堂文庫蔵五八左E〕

とあって、標記語「野老」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(シル)()豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)薯蕷(ジヨヨ)腐笋(フシユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサビ)寒汁(ヒヤシル)等也 汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(セツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アル)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ三〜36オ一〕

とあって、標記語「薯蕷」の後に「野老」乃至「豆腐の語は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

野老(しよよ)野老 ()の莖立(くゝたち)なり。〔90オ一〕

とあって、この標記語「野老」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋(おんとき)の汁(しる)()豆腐(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐笋(ふしゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさび)乃寒汁(ひやしる)等(とう)也(なり)御齋汁者豆腐辛辣羹雪林菜并薯蕷腐笋蘿蔔山葵寒汁等也。〔66オ〕

御齋(おんときの)(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)(ならびに)薯蕷腐(しよよふ)(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさびの)寒汁(ひやしる)(とう)(なり)〔119オ〕

※「」の注記▲ハ正字(ひかい)也。俗に野老(やらう)と書。蔓葉(つるは)ともに薯蕷(ながいも)に似()たり。〔67オ一&120ウ五〕

とあって、標記語「豆腐羮」の語を収載する。そして、「薯蕷」の後に「腐」なる語を置くがこれが古写本では「豆腐」と標記していて、また、ここに「野老」の語を収載する注釈書があるのである。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tocoro.トコロ(野老) 苦味のある或る種の草の根で,食用になるもの.→Ficai.〔邦訳653r〕

とあって、標記語「野老」の語の意味は「苦味のある或る種の草の根で,食用になるもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-らう〔名〕【野老】(一)田舎のとしより。ゐなかおやぢ。村翁野翁杜甫、秦州雜詩「唐堯眞自聖、野老復何知」(二)ところ(野老)に同じ。本朝食鑑、三、柔滑「、訓土古呂、云云、有節多長鬚、煮之則根黄鬚白、故稱野老〔2059-2〕

とう-〔名〕【豆腐】大豆にて製する食物。大豆を水に漬し、水を加へて碾()き、其液を煮て、布袋(ぬのぶくろ)にて搾(しぼ)りて滓を去り、(此滓をとうふがらと云ひ、略してからとも云ふ)其液に鹵汁(にがしる)を加へ、稍、凝れるを、布を敷ける匣に汲み入れ、布をたたみ、壓(おし)を置き、水の滴り去れるを、冷水中に漬(ひた)して成る。純白にして、極めて、やはらかし。生、灸、共に食ふ。かべ。おかべ。菽乳本朝食鑑、二、豆腐「豆腐之法、始於漢准南王劉安、其造法、大抵與本邦同」和漢三才圖會、百五、造 類「豆腐、於加倍、言似白壁也、豆腐皮、宇波、言似老媼皴豆腐粕、木良須、言不用庖刀如也」兼好法師物見事(寳永、近松作)中「兼好机引き抱へ、紙帳の外へ逃げでて、なふなふ豆腐かと思うたれば、若い豆腐のうばが來た」〔1389-3〕

とあって、標記語「-らう〔名〕【野老】」「とう-〔名〕【豆腐】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ろう野老】〔名〕@田舎の老人。いなかおやじ。村翁。また、老人が自分をへりくだっていう。A植物「おにどころ(鬼野老)」の異名」「とう-豆腐】〔名〕@大豆を加工した食品。水につけた大豆をすりつぶして水を加えて熱して呉(ご)を作り、呉を布でこして豆乳とおからに分け、豆乳ににがりを加え、布で敷いた豆腐箱に入れて製したもの。白くてやわらかい食品で、蛋白質に富み、消化がよい。木綿(もめん)豆腐と絹ごし豆腐とがある。特に僧侶の精進料理として代表的な食品。創製は漢の高祖の孫准南王(わいなんおう)劉安によると伝えられ、日本に伝わったのは奈良時代といわれる」とあって、『庭訓徃來』のこの両語の用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年3月23日(水)雨一時晴れ後曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
暑蕷・薯蕷(シヨヨ・ヤマノイモ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「草名」部に、

山芋(ヤマノイモ)薯蕷() 。〔元亀二年本378四・五〕

山芋(ヤマノイモ)薯蕷(ヤマノイモ) 。〔静嘉堂本461八、462一〕

とあって、標記語「薯蕷」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御時汁者豆腐羹辛羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔至徳三年本〕

御時汁者豆腐羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔宝徳三年本〕

御齋之汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并暑蕷笋蘿蔔山葵寒汁等也〔建部傳内本〕

御時ニハ者豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜三和羮并薯蕷(ヤマノイモ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)(ヒヤ)汁等也〔山田俊雄藏本〕

御時之汁(シル)()豆腐羹(タウフカン)雪林(サイ)薯蕷(ヤマノイモ)豆腐笋(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也〔経覺筆本〕

御齋(シル)者豆腐羹(タウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)暑豫(ヤマノイモ)豆腐(タウフ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本に「暑預」、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「薯蕷」と表記し、訓みは「ヤマノイモ」と記載する。ここを若しくは、次の「豆腐」の語と一つ熟語として「薯蕷豆腐」と云ったのか、今後の用例検索に委ねておく。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

薯蕷 俗乍暑預/ヤマノイモ山芋同。同。〔黒川本・植物門中83オ三・四〕

薯蕷 ヤマノイモ/本草和名無草香/俗乍暑預山芋本草云署預一名――。已上同。署預秦楚名王延鄭越名土仁謂/音諸。荼根茅荼根已上二名/出少品方。鄭越名山陽出雜要决/已上ヤマツイモ。〔卷第六・植物門498六〜499四〕

とあって、標記語「薯蕷」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

薯蕷 山芋(ヤマノイモ)也。又云蕷藥(ヨヤク)ト。或山藥。趙宋(チヤウソウ)ノ之時兩度去(イミナ)ヲ。故。〔草木門128一〕

とあって、標記語「薯蕷」の語を収載し、語注記に「山芋(やまのいも)なり。また蕷藥(ヨヤク)と云ふ。或は、山藥と云ふ。趙宋(チヤウソウ)の時兩度諱(いみな)を去る。故に多くの名有るなり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

薯蕷(ヤマノイモシヨヨ)[○・去] 本草云。一名山芋(ヤマノイモ)。山藥。又云蕷藥。趙宋時兩度去(サリ)諱。故有多名。又玉延。〔草木門555三〕

とあって、古写本『下學集』を継承し、標記語「薯蕷」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

薯蕷(シヨヨ) 一名山藥(ヤク)一名山芋(ヤマノイモ)・草木門237一〕

薯蕷(シヨヨ) 一名云山藥又云山芋。・草木門197四〕

薯蕷(ジヨヨ) 一名云山藥/又云山芋。・草木門187四〕

薯蕷(ヤマノイモ) 山藥。山芋/蕷藥。小藥。趙宋兩度去/諱。故有多名。・草木門135四・197四〕

薯蕷(ヤマノイモ)山藥()山芋()・草木門165三〕

薯蕷(ヤマノイモ) 山藥。山芋/蕷藥小藥()趙宋兩度去諱。故有多名・官位門124三〕

とあって、『下學集広本節用集』を継承した注記内容で、標記語「薯蕷」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

薯蕷(ジヨヨ) 。〔草木門207七〕

薯蕷(ヤマノイモ)山芋()〔草木門137二〕

とあって、標記語「薯蕷」の語を「也」部と「之」部の両部門にそれぞれ収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「薯蕷」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、但し、『下學集』・広本節用集』の語注記は見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

689并暑蕷(/ヤマノイモ)野老笋(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ){}汁等也 山葵形大黄。色青白也。葉寒汁大根。々ニハ石木。如也。刻彫シテ砕也。即是根之亊也。〔謙堂文庫蔵五八左E〕

とあって、標記語「薯蕷」の語を収載し、語注記に「蕪の莖立なり。大根根雪阿惠と云ふは非なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(シル)()豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)薯蕷(ジヨヨ)腐笋(フシユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサビ)寒汁(ヒヤシル)等也 汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(セツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アル)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ三〜36オ一〕

とあって、標記語「薯蕷の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐()薯蕷 山のいもをすり豆腐の如く制したる物也。〔90オ一・二〕

とあって、この標記語「薯蕷」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋(おんとき)の汁(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐()笋(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさび)乃寒汁(ひやしる)等(とう)也(なり)御齋汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并薯蕷腐笋蘿蔔山葵寒汁等也▲薯蕷腐ハ長芋(ながいも)を擦(おろ)し擂()りたるものにてとろゝ汁(じる)乃料(れう)也。〔66オ六、66オ七〕

御齋(おんときの)(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)(ならびに)薯蕷(しよよふ)(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさびの)寒汁(ひやしる)(とう)(なり)▲薯蕷腐ハ長芋(ながいも)を擦(おろ)し擂()りたるものにてとろゝ汁(しる)乃料(れう)也。〔119オ三、119オ五〕

とあって、標記語「薯蕷」の語をもって収載し、その語注記は「薯蕷腐ハ長芋(ながいも)を擦(おろ)し擂()りたるものにてとろゝ汁(しる)乃料(れう)也」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ioyo.ジヨヨ(薯蕷) Yamano imo.(山の芋)山林に生ずる芋.〔邦訳370l〕

とあって、標記語「薯蕷」の語の意味は「Yamano imo.(山の芋)山林に生ずる芋」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-〔名〕【薯蕷】やまのいも。杜甫詩「充腸多薯蕷〔1017-5〕

とあって、標記語「しょ-〔名〕【薯蕷】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-薯蕷】〔名〕(「じょよ」とも)植物「ながいも(長芋)」の漢名天台五台山記(1072-73)五「戌時三蔵送薯預八坏」*古事談(1212-15頃)二・九条顕頼於床子座夜食事「みそうづの毛立たる一盃と、暑預の焼たる二筋とを持来る」*伊京集(室町)「薯預ジヨヨ一名山菜又云山芋」蔭凉軒日録-文明一七年(1485)一二月六日「自宣竹薯蕷一包被之」*日葡辞書(1603-04)「Ioyo(ジョヨ)。ヤマノイモ」*俳諧・類舩集(1676)遍「紅葉変して龍となり。薯蕷(ジョヨ<注>ヤマノイモ)がうなぎになり」*杜甫-発秦州詩「充腸多薯蕷、崖密亦易求」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年3月22日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
雪林菜(セツリンサイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

×。〔元亀二年本〕

雪林菜(せツリンサイ) 。〔静嘉堂本432三〕

とあって、静嘉堂本に標記語「雪林菜」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御時汁者豆腐羹辛羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔至徳三年本〕

御時汁者豆腐羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔宝徳三年本〕

御齋之汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并暑蕷笋蘿蔔山葵寒汁等也〔建部傳内本〕

御時ニハ者豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜三和羮并薯蕷(ヤマノイモ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)(ヒヤ)汁等也〔山田俊雄藏本〕

御時之汁(シル)()豆腐羹(タウフカン)雪林(サイ)薯蕷(ヤマノイモ)豆腐笋(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也〔経覺筆本〕

御齋(シル)者豆腐羹(タウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)暑豫(ヤマノイモ)豆腐(タウフ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「雪林菜」と表記し、訓みは経覺筆本に「(セツリン)のサイ」、文明四年本に「セツリンサイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「雪林菜」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「雪林菜」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

雪林(セツリンユキ、ハヤシ)[入・平] 莖立也。〔飲食門1085三〕

とあって、標記語「雪林」の語で収載され、語注記を「蕪の莖立つなり」とし、複合した「雪林菜」の語では未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』は、標記語「雪林菜」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、ただ、広本節用集』に標記語「雪林」の語を以て収載が見られ、複合語「雪林菜」の語は『運歩色葉集』が収載している。これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、広本節用集』の語注記は、真名注の語注記にの前半部に合致するものとなっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

688雪林菜(サイ) 蕪之莖立也。大根根雪阿惠云非也。〔謙堂文庫蔵五八左D〕

とあって、標記語「雪林菜」の語を収載し、語注記に「蕪の莖立なり。大根根雪阿惠と云ふは非なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(シル)()豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)薯蕷(ジヨヨ)腐笋(フシユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサビ)寒汁(ヒヤシル)等也 汁菜(シルサイ)(イツ)レモ雪林菜(セツリンサイ)(ユキ)アヘトテ有(アル)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ三〜36オ一〕

とあって、標記語「雪林菜の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

雪林菜(せつりんさい)雪林菜 ()の莖立(くゝたち)なり。〔90オ一〕

とあって、この標記語「雪林菜」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋(おんとき)の汁(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐笋(ふしゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさび)乃寒汁(ひやしる)等(とう)也(なり)御齋汁者豆腐羹辛辣羹雪林菜并薯蕷腐笋蘿蔔山葵寒汁等也▲雪林菜ハ莖暮(くゞたち)也。〔66オ五、66オ七〕

御齋(おんときの)(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)(ならびに)薯蕷腐(しよよふ)(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさびの)寒汁(ひやしる)(とう)(なり)▲雪林菜ハ莖暮(くゞたち)也。〔116ウ六、119オ四・五〕

とあって、標記語「雪林菜」の語をもって収載し、その語注記は「雪林菜は、莖暮(くゞたち)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「雪林菜」の語の意味は未記載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「せつりん-さい〔名〕【雪林菜】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「せつりん-さい雪林菜】〔名〕茎立(くくたち)の汁。一説に雪花菜の類で、豆腐のかすのこととも。庭訓往来(1394-1428頃)「豆腐羮 辛辣羮 雪林菜」*運歩色葉集(1548)「雪林菜 セツリンサイ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
 
豆腐羮(タウフカン)」は、ことばの溜池「豆腐」(2000.09.22)を参照。
辛辣羹(シンラツカン)」は、ことばの溜池「辣菜」(2000.09.26)を参照。
 
2005年3月21日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
(しる)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

御時者豆腐羹辛羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔至徳三年本〕

御時者豆腐羹雪林菜并暑預豆腐笋蘿蔔山葵寒汁等也〔宝徳三年本〕

御齋之者豆腐羹辛辣羹雪林菜并暑蕷笋蘿蔔山葵寒汁等也〔建部傳内本〕

御時ニハ者豆腐羹(トウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜三和羮并薯蕷(ヤマノイモ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)(ヒヤ)汁等也〔山田俊雄藏本〕

御時之(シル)()豆腐羹(タウフカン)雪林(サイ)薯蕷(ヤマノイモ)豆腐笋(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也〔経覺筆本〕

御齋(シル)者豆腐羹(タウフカン)辛辣羹(シンラツカン)雪林菜(せツリンサイ)暑豫(ヤマノイモ)豆腐(タウフ)(シユン)蘿蔔(ロフ)山葵(ワサヒ)寒汁(ヒヤシル)等也。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「しる」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

シル/―物/正入反。〔黒川本・飲食門下72オ五〕

シル/―物。〔卷第九・飲食門150五〕

とあって、標記語「」の語収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(シルシフ)[入](同)(同)(―) 史記啜(スヽル)。〔飲食門923八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(シル) 。〔・食物門243五〕〔・食物門209一〕〔・食物門193三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

(シル) ジフ。〔食服門208四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并豆子豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

者豆腐羹 客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御齋(おんとき)(しる)()豆腐羹(とうふかん)御齋者豆腐羹 羹といへるハ皆あつものゝ事にして上の鼈羮羊羹の類とハ別なり。〔89ウ七・八〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋(おんとき)の汁(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)并(ならび)に薯蕷(しよよ)腐笋(ふしゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさび)乃寒汁(ひやしる)等(とう)也(なり)御齋者豆腐羹辛辣羹雪林菜并薯蕷腐笋蘿蔔山葵寒汁等也。〔66オ五〕

御齋(おんときの)(しる)()豆腐羹(とうふかん)辛辣羹(しんらつかん)雪林菜(せつりんさい)(ならびに)薯蕷腐(しよよふ)(しゆん)蘿蔔(らふ)山葵(わさびの)寒汁(ひやしる)(とう)(なり)。〔119オ一〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xiru.シル() 中に何か食物の入っている日本のスープ.〔邦訳779r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「中に何か食物の入っている日本のスープ」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【】(一){物より浸み出でなどして、流るるものの總稱。(水、血、脂(やに)、など)古事記、上(~代)41長歌「染木が斯流に、染()め衣を」榮花物語、七、鳥邊野「寸白(スバク)、云云、しるなど、雫()えさせ給ひ」字類抄、シル」(二){あつもの。しるもの。宇津保物語、祭使34「黄菜(サハヤケ)しるして、持て來たり」宇治拾遺物語、十三、第八條、鯰を煮て「これが汁、啜れ」源平盛衰記、三十五、木曾首被渡事「信濃なる、木曾の御料に、懸て、只一口に、九郎(食らう)義經」(三)みそしる(味噌汁)の略、其條を見よ。〔0456-5〕

とあって、標記語「-〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-】〔名〕@物体からしみ出る、または、しぼり取った液。A汁物。特に、めしの菜としてすするもの。つゆ。B六質汁(むしつじる)のこと。芋・大根・牛蒡(ごぼう)・小豆(あずき)など六種の品を煮て汁としたもので、針供養に食するのが例だった。C「しるこう(汁講)の略。Dうるおい。みずみずしさ。E雨気。F他の力をかりて受ける利益、もうけ。→うまい汁を吸う。G→しる()」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
侍所〈小續五十前、菜五種二〉酒肴一具力者小舎人等分、〈橿飯廿五合、秣百束〉《訓み下し》侍所〈小続五十前、菜五種二ツ〉酒肴一具力者小舎人等ノ分、〈橿飯二十五合、秣百束〉《『吾妻鏡』の条》
 
 
御時(おんとき)」は、ことばの溜池(2005.02.22)を参照。
 
2005年3月20日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA〜ボルゲネーゼ公園
副整(そへととのふ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、「副使(ソエツカイ)。副状(ソイジヤウ)。副臥(ソイブシ)。副馴(ソヘナルヽ)。副足(ソウアシ)」の五語を収載し、標記語「副整」の語は未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

〔至徳三年本〕

同可被((整カ))〔宝徳三年本〕

同可被副整〔建部傳内本〕

并折敷(ヲシキ)追膳(ヲイせン)楪子(シヤヅ)豆子(ツス)皿等同可副整(ソヘトヽノヘ)〔山田俊雄藏本〕

同可副整(ソヘトヽノヘ)〔経覺筆本〕

(ラル)‖∨副整(ソヘトヽノヘ)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本は「制整」、宝徳三年本は「((整カ))」、建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「副整」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「そへとゝのへ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「副整」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「副整」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「副整」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并豆子豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「副整」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「副整を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さん)の膳(ぜん)の折敷(おしき)(おな)じく副整(そへとゝの)(らる)(へき)也/折敷同可副整 しらへそろへるを整と云。これらの道具ハ齋(とき)の前にしらへ置れよと也。〔89ウ六・七〕

とあって、この標記語「副整」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)()(とゝの)ら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷〔66オ一〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。〔118ウ二〕

とあって、標記語「副整」の語をもって収載し、その語注記は未記載にある。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「副整」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「そへ-ととの〔動〕【副整】」の語は未収載にする。これに依って『庭訓徃來』にはこの語用例は未記載とする。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年3月19日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ローマ大學
三峰膳(サンボウゼン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

三峰膳 。〔元亀二年本224一〕〔天正十七年本中57ウ一〕

三峰膳 。〔静嘉堂本256五〕

とあって、標記語「三峰膳」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

可制整也〔至徳三年本〕

同可被副((整カ))〔宝徳三年本〕

同可被副整也〔建部傳内本〕

并折敷(ヲシキ)追膳(ヲイせン)楪子(シヤヅ)豆子(ツス)皿等同可副整(ソヘトヽノヘ)〔山田俊雄藏本〕

同可副整(ソヘトヽノヘ)〔経覺筆本〕

(ラル)‖∨副整(ソヘトヽノヘ)。〔文明四年本〕

と見え、古写本は至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本いずれも、この語は未収載とする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「三峰膳」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

三峯(サンボウゼン) 之類也。〔飲食門102二〕

とあって、標記語「三峯」の語を収載し、語注記に「羹の類なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

三峰(サンホウゼン○、ミツ、ソナヱ)[平去・平・去] 羮也。〔飲食門779二〕

とあって、標記語「三峰」の語を収載し、語注記は「羮なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

三峰膳(ホウせン) 。〔・食物門212七〕

三峰(サンホウぜン) 。〔・食物門177九〕

三峰 。〔・食物門166八〕

とあって、標記語「三峰膳」「三峰」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

三峰膳(ボウぜン) 。〔食服門178四〕

とあって、標記語「三峰膳」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「三峰膳」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、『下學集』及び広本節用集』の語注記は、下記真名注には見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并豆子豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「三峰膳」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「三峰膳は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さん)の膳(ぜん)の折敷(おしき)(おな)じく副整(そへとゝの)へ被(らる)(へき)也/折敷同可副整 しらへそろへるを整と云。これらの道具ハ齋(とき)の前にしらへ置れよと也。〔89ウ六・七〕

とあって、この標記語「三膳折敷」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ〔65ウ八〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。〔118ウ一〕

とあって、標記語「三膳折敷」の語をもって収載し、その語注記は「沢茄子は、いまだ考へぜず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Saobo>jen.サンボゥゼン(三峰膳) 粘土製のある種の皿あるいは鉢で,三種の料理を盛って,食卓〔膳〕についている人の前に据えるもの.〔邦訳553l〕

とあって、標記語「三峰膳」の語の意味は「粘土製のある種の皿あるいは鉢で,三種の料理を盛って,食卓〔膳〕についている人の前に据えるもの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さんぼ-ぜん〔名〕【三峰膳】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さんぼう-ぜん三峰膳三峰尖三方膳】〔名〕羮(あつもの)の一種。蓬?(ほうらい)・方丈・瀛州(えいしゅう)の三つの峰をかたどったもの。くず粉で作り、五色に染めて、三つの山の形に盛り、たれ味噌(みそ)の汁をかけ、むきぐるみを前に入れて出す(貞丈雑記(1748頃)。*新札往来(1367)上「於点心者<略>蒸飯、基子?、三峯膳、索麺、冷麦」*日葡辞書(1603-04)「Sanbo>jen(サンボウゼン)」狂言記・文蔵(1660)「それ、かんのぶるいにとりては、さんぼうぜんには、さとうやうおんかんか、べっかんか」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年3月18日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→文化協会
追膳折敷(おひゼンをしき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、

追膳(ヲイゼン) 。〔元亀二年本78四〕

追膳(ヲイセン) 。〔静嘉堂本96一〕〔天正十七年本上47ウ五〕

とあって、標記語「追膳」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

可制整也〔至徳三年本〕

同可被副((整カ))〔宝徳三年本〕

同可被副整也〔建部傳内本〕

并折敷(ヲシキ)追膳(ヲイせン)楪子(シヤヅ)豆子(ツス)皿等同可副整(ソヘトヽノヘ)〔山田俊雄藏本〕

同可副整(ソヘトヽノヘ)〔経覺筆本〕

(ラル)‖∨副整(ソヘトヽノヘ)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、この語は未収載であり、山田俊雄藏本だけが「追膳」と表記し、訓みは「をひゼン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「追膳折敷」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「追膳折敷」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ヲイゼンツイ、―)[平・入] 。〔飲食門213八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

追膳(ツイゼン)折敷 。〔・財宝門64五〕

追膳(ヲイせン)――(ヲシキ) 。〔・財宝門65六〕

追膳(ヲイぜン) 折敷也。〔・財宝門60二〕

追膳(ヲイせン) ――折敷。・財寳門70四〕

とあって、標記語「追膳折敷」の語をヲ部「折敷」の語の次に収載する。また、易林本節用集』に、

追膳(ヲヒぜン)折敷(ヲシキ) 。〔財寳門62四〕

とあって、標記語「追膳折敷」の語をヲ部「折敷」の語の次に収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、印度本系『節用集』及び易林本に標記語「追膳折敷」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、広本節用集』の標記語は異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并豆子豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「追膳」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「追膳折敷を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

追膳(ついぜん)追膳 二の膳なり。〔89ウ五・六〕

とあって、この標記語「追膳」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲追膳ハ二の膳をいふ。〔65オ八、66オ四・五〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲追膳ハ二の膳をいふ。〔118ウ一、119オ一〕

とあって、標記語「追膳」の語をもって収載し、その語注記は「追膳は、二の膳をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「追膳折敷」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「おひぜん-をしき〔名〕【追膳折敷】」の語は未収載にする。また現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おいぜん-おしき追膳折敷】〔名〕」は未収載にして、『庭訓徃來』のこの語用例は自ずと未記載となっている。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年3月17日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
楪子(チヤツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

楪子(チヤツ) 。〔元亀二年本67九〕〔静嘉堂本80一〕〔天正十七年本上40オ五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「楪子」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

可制整也〔至徳三年本〕

同可被副((整カ))〔宝徳三年本〕

同可被副整也〔建部傳内本〕

并折敷(ヲシキ)追膳(ヲイせン)楪子(シヤヅ)豆子(ツス)皿等同可副整(ソヘトヽノヘ)〔山田俊雄藏本〕

同可副整(ソヘトヽノヘ)〔経覺筆本〕

(ラル)‖∨副整(ソヘトヽノヘ)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、この語は未収載であり、山田俊雄藏本だけが「楪子」と表記し、訓みは「シヤヅ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「楪子」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

楪子(チヤツ) 。〔器財門106三〕

とあって、標記語「楪子」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

楪子(チヤツ―、・コ)[○・上] (ワン)()。〔器財門162五〕

とあって、標記語「楪子」の語を収載し、語注記に「椀の具」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

楪子(チヤツ) 椀具。〔・財宝門50四〕〔・財宝門47三〕〔・財寳門56一〕

楪子(チヤツ) 椀之―。〔・財宝門51九〕

とあって、標記語「楪子」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

楪子(チウフ) 。〔器財門51一〕

とあって、標記語「楪子」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「楪子」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、真字本には広本節用集』及び印度本系統『節用集』に見える語注記はない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并椀折敷豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「楪子」の語は未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「楪子を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

豆子(づす)(てうし)豆子 木具なり。〔89ウ五〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲楪子ハ平盤(ひらざら)の類淺くして高(たか)き臺(だい)あり。〔65ウ八、66オ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲楪子ハ平盤(ひらざら)の類淺くして高(たか)き臺(だい)あり。〔118ウ一、119オ一〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は「楪子は、平盤(ひらざら)の類、淺くして高(たか)き臺(だい)あり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

IIen.チャッ(楪子) 底の浅い木の椀.※楪子チヤツ,椀具(天正十八年本節用集).〔邦訳118l〕

とあって、標記語「楪子」の語の意味は「底の浅い木の椀」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

チャ-〔名〕【楪子】〔字の唐音〕又、ちゃっつ。木製の漆器。菓子など盛るもの。皿の如し、根來塗(ねごろぬり)の朱漆多し。壺深きを豆子(ヅス)と云ふ。底に陶器の絲尻(いとじり)の如きものあり。茶家に、銘銘盆(メイメイボン)など云ふ。資暇録(唐、李濟翁「始建中、蜀相崔寧之女、以茶盃無一レ襯、病其熨一レ指取楪子之、既啜而盃傾、乃以楪子之央禪林象器箋、器物門「楪子、淺而底平、環足、便于□疊也」嚢鈔、七、第四條「楪子(チヤツ)(一本、ちゃすに作る)大に淺し、豆子は小にて深し」林逸節用集楪子、チャツ」尤草子(寛永)赤きもの、ちゃつか、づすか」〔1285-4〕

とあって、標記語「チャ-〔名〕【楪子】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-楪子】〔名〕(「ちゃ」「つ」はそれぞれ「楪」「子」の唐宋音)丸くて浅い朱塗りの木皿。また、それにやや高い足台をつけたもの。茶菓子などを盛るのに用いる。禅家では多く精進料理の食器としても用いる。銘々盆。ちゃす。ちゃつう。ちゃっす。ちょう。じょうし」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一 内評者一度相定可為一山作法、和卓、楪子、飽飯、酒三返、菓子五種、茶可除脇皿并吸物、引肴事 《『大コ寺文書』寛永十八年六月日の条、981・2/321》
 
 
2005年3月16日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
豆子(ツス)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「津」部に、

厨子(ヅシ) 。〔元亀二年本159三〕〔静嘉堂本175二〕

厨子(ツシ) 。〔天正十七年本中19オ一〕

とあって、標記語「厨子」の語を収載するが、異なる道具類か同じなのかは判別がし難い。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

可制整也〔至徳三年本〕

同可被副((整カ))〔宝徳三年本〕

同可被副整也〔建部傳内本〕

并折敷(ヲシキ)追膳(ヲイせン)楪子(シヤヅ)豆子(ツス)皿等同可副整(ソヘトヽノヘ)〔山田俊雄藏本〕

同可副整(ソヘトヽノヘ)〔経覺筆本〕

(ラル)‖∨副整(ソヘトヽノヘ)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、この語は未収載であり、山田俊雄藏本だけが「豆子」と表記し、訓みは「ツス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「豆子」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

厨子(ヅス) 。〔器財門106三〕

とあって、標記語「厨子」の語を収載し、訓みは「ヅス」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

豆子(ヅトウシ・マメ、コ)[去・上] 或作逗子(ツス)(ワン)。〔器財門415六〕

とあって、標記語「豆子」の語を収載し、語注記に「或は逗子(ツス)と作る。椀(ワン)の豆子」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

豆子(ヅス) 椀具。〔・財宝門128一〕〔・財宝門105六〕〔・財宝門95九〕

豆子(ヅス) 椀之具。〔・財寳門117六〕

とあって、標記語「豆子」の語を収載し、語注記には「椀具」または「椀の具」と記載する。また、易林本節用集』に、

厨子(ヅス) 。〔器財門105一〕

とあって、標記語「厨子」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「豆子」の語を以て収載するのは広本節用集』と印度本系統の『節用集』であり、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』及び印度本系統の『節用集』の語注記の内容を真名注には未記載とする。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并椀折敷豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「豆子」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「豆子を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

豆子(づす)(てうし)豆子 木具なり。〔89ウ五〕

とあって、この標記語「豆子」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲豆子ハ漆器(しつき)壺盤(つぼざら)の小きもの也。〔65ウ八、66オ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲豆子ハ漆器(しつき)壺盤(つぼざら)の小きもの也。〔118ウ一、118ウ六〕

とあって、標記語「豆子」の語をもって収載し、その語注記は「豆子は、漆器(しつき)壺盤(つぼざら)の小きものなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zzusu.ヅス(豆子) 底の広い木製の鉢の一種で,漆塗りした(Vruxados)もの.※Nuri,uの注参照.〔邦訳845r〕

とあって、標記語「豆子」の語の意味は「底の広い木製の鉢の一種で,漆塗りした(Vruxados)もの」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【豆子】〔字の唐音〕漆器の名。ちャつ(楪子)の條を見よ。庭訓往來、十月「豆子尤草子(寛永)「赤きもの、ちゃつか、づすか」〔1317-4〕

とあって、標記語「-〔名〕【豆子】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-豆子】〔名〕漆塗りの木椀で、猪口(ちょこ)と壺(つぼ)との間のもの。僧家で多く用いられる。繞磁(にょうじ)。ずし。ずつ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
方丈 椀豆子・楪、除、三具紋信字…如意 椀豆子・楪、除、箱ニフタナシ、 《『大コ寺文書(真珠庵)』天正八年十月廿一日の条157・2/205 》
 
 
2005年3月15日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
(ワン)」折敷(をしき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「和」部に、

(ワン) 。〔元亀二年本90三〕〔静嘉堂本111三〕〔天正十七年本上54ウ六〕

折敷(ヲシキ) 。〔元亀二年本77八〕〔静嘉堂本94八〕

折敷(ヲリシキ) 。〔天正十七年本上47オ四〕

とあって、標記語「」「折敷」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

可制整也〔至徳三年本〕

同可被副((整カ))〔宝徳三年本〕

同可被副整也〔建部傳内本〕

折敷(ヲシキ)追膳(ヲイせン)楪子(シヤヅ)豆子(ツス)皿等同可副整(ソヘトヽノヘ)〔山田俊雄藏本〕

同可副整(ソヘトヽノヘ)〔経覺筆本〕

(ラル)‖∨副整(ソヘトヽノヘ)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、この語は未収載であり、山田俊雄藏本だけが「折敷」と表記し、訓みは「ヲシキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ワン/茶―。〔黒川本・雜物門上71オ三〕 

ワン/茶―。全―。 。〔卷第三・雜物門121四〕

とあって、標記語「」「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「椀折敷」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ワン) 玉篇云小盂。亦慈ノ器。()() 三字義同。〔器財門237四・五〕

折敷(ヲシキせツフ)[入・○] 或作和卓(ヲシキ)。〔器財門214七〕

とあって、標記語「」「折敷」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ワン) 玉篇小盂。亦慈器/同字。〔・財宝門71八〕

(ワン) 。〔・財宝門71四〕〔・財宝門65三〕〔・財寳門77四〕

折敷(ヲシキ) 或作和車。〔・財宝門64五〕

折敷(ヲシキ) 或作和卓。〔・財宝門65六〕

折敷(ヲシキ) 。〔・財宝門60一〕

折敷(ヲシキ) 或云和卓。〔・財寳門70四〕

とあって、標記語「」と「折敷」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

小盂。() 同上。〔器財門67一〕 折敷(ヲシキ) 。〔財宝門62四〕

とあって、標記語「」と「折敷」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」「折敷」の二語で収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』及び印度本系統『節用集』の語注記は、真名註には見えない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并椀折敷豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「椀折敷」の語は未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「椀折敷を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶磨(ちやうす)等并に椀折敷(わんおしき)茶磨等并椀折敷 本膳(ほんぜん)乃折敷也。〔89ウ四・五〕

とあって、この標記語「椀折敷」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲折敷ハ和卓(わしよく)の轉音(てんおん)也。俗(ぞく)(あやまり)(よん)で膳(ぜん)といふ。〔65ウ七・八、66オ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲折敷ハ和卓(わしよく)の轉音(てんおん)也。俗(ぞく)(あやまり)(よん)で膳(ぜん)といふ。豆子ハ漆器(しつき)壺盤(つぼざら)の小きもの也。〔118オ六、118ウ六〜119オ一〕

とあって、標記語「椀折敷」の語をもって収載し、その語注記は「折敷は、和卓(わしよく)の轉音(てんおん)なり。俗(ぞく)(あやまり)(よん)で膳(ぜん)といふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Van.ワン() Tamabuchino aruuo yu< nari.(玉縁の有るを言ふなり)木製の漆塗りした(vruxadas)椀の一種で,上の縁の回りに線条や縁飾りのようなものがあるもの.¶Xo<jiuan.(精進椀)ほかのとは一種異なった格好の椀で,魚肉を食べず,野菜しか食べない坊主(Bonzos)が物を食べるのに使うもの.※Nuri,uの注参照.→Xuuan.〔邦訳677l〕

Voxiqi.オシキ(折敷) 日本の食卓.→Cacuno〜;Caixuno〜;Saxi〜;Sumiqirazu;Tori〜.〔邦訳726r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「Tamabuchino aruuo yu< nari.(玉縁の有るを言ふなり)木製の漆塗りした(vruxadas)椀の一種で,上の縁の回りに線条や縁飾りのようなものがあるもの」「折敷」の語の意味は「日本の食卓」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「わん-をしき〔名〕【椀折敷】」の複合語は未収載であり、ただ

-しき〔名〕【折敷】〔古へ、柏、又は、椎などの葉を折り敷きて、食物を盛りたれば云ふ〕飯器を載する具。片木(へぎ)作りの角盆(カクボン)。又、白木造りの隅切角(すみきりかく)の盆。脚あるを、足打(あしうち)のをしきと云ふ。食盤萬葉集、十九24「すめろぎの、還御代御代は、射布折(イシキヲリ)、酒飲むと云ふぞ、此厚朴(ほほがしは)宇津保物語、藤原君34「宮内の君に、をしきして物まゐれり」拾遺集、七、物名、くちば色のをしき「足引きの、山の木の葉の、おちくちば、色のをしきぞ、あはれなりける」〔2201-1〕

とあって、標記語「-しき〔名〕【折敷】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「わん-おしき椀折敷】〔名〕」は未収載にし、標記語「わん】[一]〔名〕@飲食物を盛るための、木または陶磁器・金属などで作ったまるい容器。[二]〔接尾〕椀に盛った飲食物を数えるのに用いる」「標記語「-しき折敷】〔名〕@檜の片木(へぎ)で作る角盆。食器などを載せるのに使った。「足打折敷」「平折敷」「角」「そば折敷」などの種類がある。A紋所の名。@をかたぢったもの。Bおしきうお(折敷魚)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
〈竹作〉金五十兩、〈置銀折敷、〉陸奥七郎業時役之南廷五、〈置銀折敷、〉足利三郎利氏、持參之《訓み下し》〈竹作〉金五十両、〈銀ノ折敷(ヲシキ)ニ置ク、〉陸奥ノ七郎業時之ヲ役ス。南廷五ツ、〈銀ノ折敷(ヲシキ)ニ置ク、〉足利ノ三郎利氏、之ヲ持参ス。《『吾妻鏡』建長八年八月二十三日の条》
 
 
2005年3月14日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
茶磨(チヤうす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

茶臼(ウス)茶磨() 。〔元亀二年本67十〕

茶臼(ウス)茶磨() 。〔静嘉堂本80二〕

茶臼(ウス)茶磨(ウス) 。〔天正十七年本上40オ六〕

とあって、標記語「茶臼」「茶磨」の両語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶々磨〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶磨〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶々磨〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「茶磨」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(チヤ)ウス」、経覺筆本「チヤウス」、文明四年本に「茶ウス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶磨」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

茶磨(チヤウス) 。〔器財門107四〕

とあって、標記語「茶磨」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

茶磨(チヤウス―、・ミガク)[平・平去] 。〔器財門162四〕

とあって、標記語「茶磨」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

茶磨(チヤウス) 。〔・財宝門50三〕〔・財宝門51九〕

茶磨(チヤウス) ―壺。―篩。―巾/―筅。―碗。―桶 。〔・財宝門47三〕〔・財寳門56一〕

とあって、標記語「茶磨」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

茶磨 臼同。〔器財門007三〕

とあって、標記語「茶磨」の語を収載し、語注記に「臼も同じ」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「茶磨」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并椀折敷豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「茶磨」の語を収載し、語注記は、「弘法始めて作り給ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶臼を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶磨(ちやうす)等并に椀折敷(わんおしき)茶磨等并椀折敷 本膳(ほんぜん)乃折敷也。〔89ウ四・五〕

とあって、この標記語「茶磨」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨椀折敷豆子追膳折敷ヘテ〔65ウ七〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。〔118オ六〕

とあって、標記語「茶磨」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chausu.チャウス(茶磨) 茶(Cha)を入れて碾く臼.→Guidarin;Maqi,u(卷き,く);Vori,ruru.〔邦訳118l〕

とあって、標記語「茶磨」の語の意味は「茶(Cha)を入れて碾く臼」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃ-うす〔名〕【茶臼】末茶とすべき葉茶を碾くに用ゐる石臼。山城國、宇治の朝日山の石を良しとす。茶碾倭名抄、十六11木器類「茶研、茶碾子」謡曲、放下僧「都の牛は車にもまるる、茶臼は挽木にもまるる」〔1281-1〕

とあって、標記語「ちゃ-うす〔名〕【茶臼】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-うす茶臼】〔名〕@葉茶をひいて抹茶を作るのに用いる石臼。京都宇治朝日山の石が良いとされる。A上下逆になること。また、上下逆にすること。特に男女交合で女性が上になる体位をいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
渦巻くに従つて、波と共に船の回る事、茶臼を押すよりもなほ速し。《『太平記』卷十八・東宮還御事の条》
 
 
2005年3月13日(日)曇り一時晴。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA、ROMAマラソン
擂茶櫑茶(ルイザ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「留」部に、

(ルイヂヤ) 。〔元亀二年本76四〕〔静嘉堂本92七〕

(ルイ) 。〔天正十七年本上46オ八〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」「糯〔〕茶」の語を収載し、訓みは「ルイヂヤ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本は未収載にし、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は、「擂茶」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・文明四年本に「ルイサ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「擂茶」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

擂茶(るいざ) 。〔器財門107七〕

とあって、標記語「擂茶」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ルイサモタイ・サカヅキ、―)[平・平] 茶器或作(ルイ)集韻字注云。力回切。刻(キサムテ)木為雲雷。又作集韻字注云力對切。鼓也。〔器財門205六〕

とあって、標記語「擂茶」の語を収載し、語注記に「茶器。或は擂(ルイ)と作る。集韻の字の注に云く、力回の切。木を刻(キサム)で雲雷の象を為す。之れをと謂ふ。また、に作る。また、集韻の字の注に云く、力對の切。は鼓なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』にも、

(ルイサ) 茶器也某謂(ヲモヘリ)乎。注云。力回切。刻為雲雷象謂。又作字注云力對切。鼓也。・財宝門60六〕

(ルイザ) 茶器也某謂(ヲモヘラク)乎。(シウイン)。力回切。刻(キサン)雲雷(カタチ)。謂。又作。又字注云。力對切。鼓也。・財宝門62三・四〕 捌(ルイザ) 異本。〔・財宝門62四〕

茶器也其謂乎。注云。力回反。刻木為雲雨象。謂。又字注云。力對反。鼓也。・財宝門56三〕 捌(ルイザ) 異本。〔・財宝門56三〕

(ルイザ) 茶器也某謂乎。注云。力回切。刻雲雷象。謂之缶。又字注云。力對切。鼓也。・財寳門65一〕 捌(ルイザ) 異本。 〔・財寳門65二〕

とあって、標記語「」「櫑茶」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承し、若干異なった記載となっている。また、易林本節用集』に、

(ルイザ) 。〔器財門60三〕

とあって、標記語「櫑茶」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「擂茶」「」「櫑茶」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』及び印度本系統の『節用集』の語注記は、真名註には見えず、上記『節用集』の特徴的な内容説明となっている。この注記が如何なる資料に基づくものなのかは今後研究に俟ちたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

686(ルイ―)々磨并椀折敷豆子楪子(チヤツ)追膳(ヲイセン)三峰膳(―ボ―)同可副整(ソヘトヽヘ)御時汁者豆腐羹(カン) 自覚之入唐之時始作也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「擂茶」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「擂茶を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

擂茶(るいさ)擂茶 茶入なり。〔89ウ四〕

とあって、この標記語「擂茶」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲擂茶ハ茶入也と。〔65ウ七、66オ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲擂茶ハ茶入也と。〔118オ六、118ウ六〕

とあって、標記語「擂茶」の語をもって収載し、訓みを「ライサ」とし、その語注記は「擂茶は、茶入なりと」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ruiza.ルイザ(擂茶) 碾いた茶(Cha)を入れる,耳付きのコップのような小さい壺.〔邦訳544l〕

とあって、標記語「擂茶」の語の意味は「碾いた茶(Cha)を入れる,耳付きのコップのような小さい壺」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「るい-〔名〕【擂茶】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「るい-擂茶】〔名〕茶入などで、頸に丸形の鋲状文様が点在するもの。るいぢゃ。新札往来(1367) 上「・輪華台」*日葡辞書「Ruiza(ルイザ)<訳>取手のついた器に似た壺で、碾いたチャを入れるためのもの」茶器弁玉集(1672)一「(ルイサ)と云事唐にては煎茶を研て用と也其研木(すりき)を榴木(るいき)と云て頸の廻に(びょう)有て円物也、然者研木に喩云銘也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
2005年3月12日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA〜スペイン広場
鑵子罐子(クワンス)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

鑵子(クワンス) 。〔元亀二年本189七〕〔静嘉堂本213五〕〔天正十七年本中36オ五〕

とあって、標記語「鑵子」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「鑵子」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「クワンス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「鑵子」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

鑵子(クワンス) 。〔器財門107六〕

とあって、標記語「鑵子」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

罐子(クワンスツルベ、コ)[去・上] 。〔器財門506二〕

とあって、標記語「罐子」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鑵子(クワンス) 。〔・財宝門159三〕

罐子(クワンス) 。〔・財宝門130九〕〔・財宝門120一〕〔・財寳門145七〕

とあって、標記語「鑵子」と「罐子」の両語を収載する。また、易林本節用集』に、

罐子(クワンス) 。〔器財門132二〕

とあって、標記語「罐子」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「鑵子」と「罐子」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、真字本の語注記は古辞書中には見えていない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

685湯n罐子 弘法始作給也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「罐子」の語を収載し、語注記は、「弘法始めて作り給ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「罐子を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

鑵子(くわんす)鑵子 茶の釜也。〔89ウ四〕

とあって、この標記語「鑵子」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲鑵子ハ茶釜(ちやがま)也。〔65ウ七、66オ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲鑵子ハ茶釜(ちやがま)也。〔118オ六、118ウ六〕

とあって、標記語「鑵子」の語をもって収載し、その語注記は「鑵子は、茶釜(ちやがま)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quansu.クヮンス(鑵子) 茶の湯(Chanoyu)用の鉄の大釜,または,釜.〔邦訳519r〕

とあって、標記語「鑵子」の語の意味は「茶の湯(Chanoyu)用の鉄の大釜,または,釜」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くゎん-〔名〕【鑵子】〔禪家より出でたる語なるべし〕(一)湯を沸かすに用ゐる器、青銅(からかね)、眞鍮、などにて作り、鉉(つる)をかく。清波雜志「數人持罐子」(罐は鑵に通ず)太平記、廿六、執事兄弟奢侈事「塔の九輪は、大略、赤銅にてあると覺ゆる、哀れ是を以て、鑵子に鑄たらむに、如何によからむずらんと」(二)畿内、西國、茶釜の稱。(物類稱呼)(三)大阪詞に、藥罐。(俚言集覽)〔0456-5〕

とあって、標記語「くゎん-〔名〕【鑵子】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-鑵子】〔名〕@弦(つる)の付いた湯釜。多く青銅または真鍮(しんちゅう)で作ったもの。A茶の湯で用いる釜。真形(しんなり)型の茶釜をいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年3月11日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
湯瓶(タウビン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

湯瓶(ビン) 。〔元亀二年本135四〕〔静嘉堂本142五〕

湯瓶(ヒン) 。〔天正十七年本中3オ八〕

とあって、標記語「湯瓶」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「湯瓶」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「タウビン」、経覺筆本に「ユヒン」、文明四年本に「タウヒン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)に、

湯瓶 タウヘイ。タウビン。〔黒川本・雜物門中05ウ五〕

とあって、標記語「湯瓶」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

湯瓶(タウビン) 。〔器財門107四〕

とあって、標記語「湯瓶」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

湯瓶(タウビンユ、ヘイ・ツルベ)[平・平] 弘法大師始造之也。〔器財門341七〕

とあって、標記語「湯瓶」の語を収載し、語注記に「弘法大師始めてこれを造るなり」と記載し、下記に示す真名本の語注記と密接な関係にあるものとなっている。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

湯瓶(タウビン) 。〔・財宝門104二〕〔・財宝門93三〕〔・財寳門103一〕

湯瓶(タウヒン) 。〔・財宝門85三〕

とあって、標記語「湯瓶」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

湯瓶(タウビン) 。〔器財門91七〕

とあって、標記語「湯瓶」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「湯瓶」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、広本節用集』の語注記と真字本の注記内容はその類似性から両書の継承関係を示唆している。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

685湯n罐子 弘法始作給也。〔謙堂文庫蔵五八左B〕

とあって、標記語「湯瓶」の語を収載し、語注記は、「弘法始めて作り給ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「湯瓶を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

湯瓶(たうひん)湯瓶 湯つきなり。〔89ウ三・四〕

とあって、この標記語「湯瓶」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲湯瓶ハ湯()つぎ也。〔65ウ七、66オ三・四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲湯瓶ハ湯つぎ也。〔118オ五、118ウ六〕

とあって、標記語「湯瓶」の語をもって収載し、その語注記は「湯瓶は、湯()つぎなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To<bin.タウビン(湯瓶) 熱い湯を入れておくのに使うある金属製の瓶.※原文はbules,ou frascos.bu-leは注ぎ口と取っ手のついている瓶.frascoは頸が細くなっている瓶.〔邦訳652l〕

とあって、標記語「湯瓶」の語の意味は「熱い湯を入れておくのに使うある金属製の瓶」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たう-びん〔名〕【湯瓶】〔びんは、瓶の唐音〕ゆわかし。撮壤集、下、家具部「湯瓶、タウヒン」和訓栞「たうびんは、湯瓶の音也といへり」〔1197-2〕

とあって、標記語「たう-びん〔名〕【湯瓶】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たう-びん湯瓶】〔名〕ゆわかし」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年3月10日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
菟足・兎足(トソク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

兎足(ソク) (チリヲ)物也。〔元亀二年本54六〕

() 拂塵物。〔静嘉堂本60七〕

兎足(トソク) 拂塵物。〔天正十七年本上31オ七〕

とあって、標記語「兎足」の語を収載し、語注記に「塵を拂ふ物なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・文明四年本は、「菟足」とし、建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本は「兎足」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「ト(ソク)」、経覺筆本・文明四年本に「トソク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「兎足」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「兎足」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

兎足(トソク・―タルウサギ、アシ)[去・去] 盆掃(ボンハライ)。〔器財門131二〕

とあって、標記語「兎足」の語を収載し、語注記に「盆掃(ぼんはらい)なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「兎足」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』と『運歩色葉集』に標記語「兎足」の語が収載され、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記が後半部に類するのに対し、『運歩色葉集』の方は大いに異なった語注記となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

684茶筌茶桶茶巾茶杓兎足(トソク) 茶釜蓋置也。又云盆掃也。〔謙堂文庫蔵五八左A〕

とあって、標記語「兎足」の語を収載し、語注記は「茶釜の蓋置きなり。また云ふ、盆掃ひなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「兎足を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

兎足(とそく)兎足 ごとくの事也。又鑵子(くわんす)のふた置なりともいふ。〔89ウ三〕

とあって、この標記語「兎足」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲兎足ハ鑵子(くハんす)の蓋(ふた)おき也。〔65ウ七、66オ四〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲兎足ハ鑵子(くわんす)の蓋(ふた)おき也。〔118オ五、118ウ五・六〕

とあって、標記語「兎足」の語をもって収載し、その語注記は「兎足は、鑵子(くわんす)の蓋(ふた)おきなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「兎足」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-そく〔名〕【兎足】鑵子の蓋置き。庭訓往來、十月「茶杓、兎足、湯瓶」〔1407-2〕

とあって、標記語「-そく〔名〕【兎足】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-そく兎足】〔名〕茶器の一つ。鑵子(かんす)の蓋(ふた)置き」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
不勘弁定参向与東大寺相論兎足社領田?《『東大寺文書・東南』正暦二年三月十二日の条》
 
 
2005年3月9日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
茶杓・茶(チヤシヤク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

茶杓(チヤシヤク)サ―。〔元亀二年本270六〕〔天正十七年本中57ウ一〕

茶杓 。〔静嘉堂本256五〕

とあって、標記語「茶杓」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は「」、宝徳三年本・経覺筆本は「茶杓」とそれぞれ表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(チヤ)ヒシヤク」、文明四年本に「サシヤク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶杓」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

茶酌(チヤシヤク) 。〔器財門107五〕

とあって、標記語「茶杓」の語を収載し、語注記に「酌は杓に作すべし」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

茶杓(チヤシヤクヲノレ・スデニ、マヱ)[去・平] 又作茶杓。〔態藝門416六〕

とあって、標記語「茶杓」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

茶杓 。〔・官位門007三〕〔・官位門007三〕〔・官位門007三〕〔・官位門007三〕

とあって、標記語「茶杓」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

茶杓 。〔器財門007三〕

とあって、標記語「茶杓」の語を以て収載するに留まる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「茶杓」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

684茶筌茶桶茶巾茶杓兎足(トソク) 茶釜蓋置也。又云盆掃也。〔謙堂文庫蔵五八左A〕

とあって、標記語「茶杓」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶杓を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶巾(きん)(しやく)茶巾 竹にてへらの如く作りしさじ也。〔89ウ二〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲茶杓ハ茶をすくふ匙(さじ)也。〔65ウ六、66オ三〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲茶杓ハ茶をすくふ匙(さじ)也。〔118オ五、118ウ五〕

とあって、標記語「茶杓」の語をもって収載し、その語注記は「茶杓は、茶をすくふ匙(さじ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

IIen.チャシャク(茶杓) .〔邦訳r〕

とあって、標記語「茶杓」の語の意味は「前に」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちャ-しャく〔名〕【茶杓】小さき匙(さじ)の、抹茶を汲み取るに用ゐるもの。竹、又は、象牙などにて、甚だ細そく作る。ちゃびしゃく。茶匙狂言記、通圓「大茶たてんと茶杓をおっとり、ひくづどもをちゃをちゃっと打ち入れて」〔1285-1〕

とあって、標記語「ちャ-しャく〔名〕【茶杓】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-しゃく茶杓】〔名〕@抹茶をすくい取るのに用いる細長い匙(さじ)。象牙(ぞうげ)・べっこう・陶器製もあるが竹が主で、節止(ふしどめ)の珠光形や中節の利休形などがある。さしゃく。さひ。ちゃさじ。A茶の煎じ汁や湯をくみ出すのに用いる小さい柄杓(ひしゃく)。ちゃびしゃく」とあって、@の意味に『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
拾六文 一、并御湯漉布《『蜷川文書』文明七年正月卅日の条75・1/138 》
 
 
2005年3月8日(火)晴れ。イタリア(ミラノ)→(ローマ・自宅AP)
茶巾(チヤキン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

茶巾(キン) 。〔元亀二年本67七〕〔静嘉堂本80二〕

茶巾(チヤキン) 。〔天正十七年本上40オ六〕

とあって、標記語「茶巾」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「茶巾」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・文明四年本に「(チヤ)キン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶巾」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

茶巾(チヤキン) 。〔器財門107五〕

とあって、標記語「茶巾」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

茶巾(チヤキン/―、ノゴフ・カザル・ツヽム)[平・平] 。〔器財門162四〕

とあって、標記語「茶巾」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

茶磨(チヤウス) ―壺―篩―巾―筅―桶。〔・財宝門47三〕〔・財寳門56一〕

とあって、標記語「茶磨」の熟語群の語として「茶巾」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

茶巾(キン) 。〔器財門50六〕

とあって、標記語「茶巾」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「茶巾」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

684茶筌茶桶茶巾茶杓兎足(トソク) 茶釜蓋置也。又云盆掃也。〔謙堂文庫蔵五八左A〕

とあって、標記語「茶巾」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶巾を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶巾(きん)(しやく)茶巾 竹にてへらの如く作りしさじ也。〔89ウ二〕

とあって、この標記語「茶巾」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲茶巾ハ茶器を拭(ぬぐ)う巾(ふくさ)也。〔65ウ六、66オ三〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲茶巾ハ茶器を拭(ぬぐ)う巾(ふくさ)也。〔118オ五、118ウ五〕

とあって、標記語「茶巾」の語をもって収載し、その語注記は「茶巾は、茶器を拭(ぬぐ)う巾(ふくさ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chaqin.チャキン(茶巾) 茶(Cha)を飲む茶碗を拭き清める小さな布.※原文はporsolana.〔Chauanの注〕〔邦訳118l〕

とあって、標記語「茶巾」の語の意味は「茶(Cha)を飲む茶碗を拭き清める小さな布」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちャ-きん〔名〕【茶巾】茶家にて、茶碗を拭ふ麻布。朝鮮照布(てりふ)を上とす。拭盞巾受汚下學集、下、器財門「茶巾、チャキン」〔1284-1〕

とあって、標記語「ちャ-きん〔名〕【茶巾】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-きん茶巾】〔名〕@茶器をぬぐう布。A茶の湯で、茶碗をぬぐう麻布。昔は朝鮮照布(てりふ)を最上とし、次に近江上布を用いたが、今は主に奈良晒布を用いる。B「ちゃきんしぼり(茶巾絞)」の略。C「ちゃきんもち(茶巾餅)」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三拾文 御茶巾《『蜷川文書文明七年正月卅日の条75・1/138
 
 
2005年3月7日(月)晴れ。イタリア(ミラノ)
茶桶(チヤおけ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

茶桶(ツウ) 。〔元亀二年本270六〕〔静嘉堂本308五〕

とあって、標記語「茶桶」の語を収載し、訓みは「(サ)ツウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「茶桶」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(チヤ)トウ」、経覺筆本・文明四年本に「(チヤ)ヲケ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶桶」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

茶桶(チヤヲケ) 。〔器財門107五〕

とあって、標記語「茶桶」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

茶桶(チヤヲケ―、トウ)[平・上] 。〔器財門162四〕

とあって、標記語「茶桶」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

茶磨(チヤウス) ―壺―篩―巾―筅―桶。〔・財宝門47三〕〔・財寳門56一〕

とあって、尭空本両足院本に標記語「茶磨」の熟語群の語として「茶桶」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

茶桶(ヲケ) 。〔器財門50七〕

とあって、標記語「茶桶」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「茶桶」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』の語注記は、大いに異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

684茶筌茶桶茶巾茶杓兎足(トソク) 茶釜蓋置也。又云盆掃也。〔謙堂文庫蔵五八左A〕

とあって、標記語「茶桶」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶桶を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶箋(ちやせん)茶桶(おけ)茶箋茶桶 茶の水を入るゝ桶なり。〔89ウ二〕

とあって、この標記語「茶桶」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲茶桶ハ茶の水を入る手桶(てをけ)也。〔65ウ六、66オ三〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲茶桶ハ茶の水を入る手桶(てをけ)也。〔118オ五、118ウ五〕

とあって、標記語「茶桶」の語をもって収載し、その語注記は「茶桶は、茶の水を入る手桶(てをけ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Satcu<.サツゥ(茶桶) 碾いた茶(Cha)を入れる小箱.〔邦訳560r〕

とあって、標記語「茶桶」の語の意味は「碾いた茶(Cha)を入れる小箱」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ちャ-をけ〔名〕【茶桶】」の語は未収載にし、「さつう【茶桶】」にて、

-つう〔名〕【茶桶】〔桶(トウ)の呉音、つう(面桶(メンツウ))〕茶道に、濃茶、二種を納れおくもの、桐の箱あり、臺子、又は、棚に飾りおく、點茶する扱方あり。和訓栞、さつう「茶桶の音なり、茶湯(ちやのゆ)に、つうだてあり」〔0810-5〕

と収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-おけ茶桶】〔名〕@製茶を貯えておくおけ。A茶用の水を汲む桶」とあって、@の意味として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
一竹茶桶二ケ《『大コ寺文書』応安元年九月日の条2816・11/138 》
 
 
2005年3月6日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ミラノ
茶箋・茶筅(チヤセン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

茶筅(せン) 。〔元亀二年本67十〕〔静嘉堂本80二〕〔天正十七年本上40オ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「茶筅」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、・経覺筆本は「茶筅」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は、「茶箋」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「(チヤ)セン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶箋」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

茶筅(チヤセン) 。〔器財門107五〕

とあって、標記語「茶筅」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

茶箋(チヤセン―、カミ・シルス)[平・平] 或作茶筅。〔器財門162四〕

とあって、標記語「茶箋」の語を収載し、語注記に「或は茶筅に作る」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

茶箋(セン) 。〔・財宝門50三〕

茶箋(チヤセン) 。〔・財宝門51九〕

茶磨(チヤウス) ―壺―篩―巾―筅―桶。〔・財宝門47三〕〔・財寳門56一〕

とあって、標記語「茶箋」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

茶筌(せン) 或作。〔器財門007三〕

とあって、標記語「茶筌」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「茶筅」「茶箋」「茶筌」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』(「茶筅」「茶箋」)及び、下記真字本(「茶筌」)が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

684茶筌茶桶茶巾茶杓兎足(トソク) 茶釜蓋置也。又云盆掃也。〔謙堂文庫蔵五八左A〕

とあって、標記語「茶筌」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶箋を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶箋(ちやせん)茶桶(おけ)茶箋茶桶 茶の水を入るゝ桶なり。〔89ウ二〕

とあって、この標記語「茶箋」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲茶箋ハ茶をかきまぜて泡(あハ)を發(おこ)すもの。〔65ウ六、66オ二・三〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲茶箋ハ茶をかきまぜて泡(あわ)を發すもの。〔118オ四・五、118ウ四・五〕

とあって、標記語「茶箋」の語をもって収載し、その語注記は「茶箋は、茶をかきまぜて泡(あハ)を發(おこ)すもの」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chaxen.チャセン(茶筅茶筌) 茶碗の中で湯と茶(Cha)とを混ぜ合わせるのに用いる竹製の刷毛(はけ).*原文はporsolana.〔Chauanの注〕〔邦訳118l〕

とあって、標記語「茶箋」の語の意味は「茶碗の中で湯と茶(Cha)とを混ぜ合わせるのに用いる竹製の刷毛(はけ)」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃ-せん〔名〕【茶箋】(一)末茶を湯に點()つるに用ゐる筅(ささら)。三寸許なる竹筒の、半以上を、極めて細そく割きて穗に作り、其末端を少し内に曲げたるもの。謝宗可茶筅詩「此君一節瑩無瑕、夜聽松聲玉華海人藻芥、中「建盞に、茶一服入て、湯を半斗入て、茶筅にてたつる、云云」(二)ちゃせんがみ(茶筅髪)の略。其條を見よ。今川大雙紙(今川了俊)「ゑぼしを着ざる時は、髪をちゃせんに結ふなり」〔0456-5〕

とあって、標記語「ちゃ-せん〔名〕【茶箋】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-せん茶筅茶箋茶筌】〔名〕@抹茶をたてる時、茶をかきまわして泡を立てるのに用いる具。10センチbばかりの竹筒の半分以上を細く割って穗のように作り、その末端を少し内に曲げたもの。数穂、中穂、荒穂などがある。A江戸時代、茶筅や竹細工の製造販売を業とした者。竹細工のかたわら、農業、漁業にも従事した。中国地方に多く、百姓とは区別され、水呑百姓の下に位置づけられ、不当に差別を受けた。地方により鉢屋(はちや)ともいう。B「ちゃせんがみ(茶筅髪)」の略」とあって、@の意味用例に当たるが『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
百文 茶筅《『大コ寺文書(真珠菴)』明応二年九月廿一日の条1・1/1
 
 
2005年3月5日(土)晴れ後雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA〜スペイン広場、テルミニ駅
茶瓢(サベウ・チヤヘウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

茶瓢(ヘウ) 。〔元亀二年本270六〕

茶瓢(サヘウ) 。〔静嘉堂本308五〕

とあって、標記語「茶瓢」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「茶瓢」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「サベウ」、経覺筆本に「(サ)ヘウ」、文明四年本に「チヤヘウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶瓢」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「茶瓢」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

茶瓢(チヤヘウ―、ヒサゴ)[平・平] 柄杓(ヒシヤク)(タテ)。〔器財門162四〕

とあって、標記語「茶瓢」の語を収載し、語注記に「柄杓立てなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「茶瓢」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

茶瓢(ヘウ) 。〔器財門50七〕

とあって、標記語「茶瓢」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「茶瓢」の語を以て収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そして、広本節用集』の語注記内容はこれに合致する。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

683繞州(ニヨ―)并木茶器(ツキ)盆一對茶瓢 柄杓立也。〔謙堂文庫蔵五八左@〕

とあって、標記語「茶瓢」の語を収載し、語注記は「柄杓を立つるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶瓢を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶瓢(びやう)茶瓢 ふくべの茶入灰取の類也。〔89ウ一・二〕

とあって、この標記語「茶瓢」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲茶瓢ハふくべを以て作(つく)る。茶器(ちやき)を納(いる)るもの歟。菓子盆(くハしぼん)などの料(りやう)なるべし。〔65ウ六、66オ三〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲茶瓢ハふくべを以て作る。茶器(ちやき)を納(いる)るもの歟。菓子盆(くハしほん)などの料(れう)なるべし。〔118オ四、118ウ四〕

とあって、標記語「茶瓢」の語をもって収載し、その語注記は「茶瓢は、ふくべを以て作(つく)る。茶器(ちやき)を納(いる)るものか。菓子盆(くハしぼん)などの料(りやう)なるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Safio>.サヒョゥ(茶瓢) 碾いた茶(Cha)を入れる容器.〔邦訳548l〕

とあって、標記語「茶瓢」の語の意味は「碾いた茶(Cha)を入れる容器」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-べう〔名〕【茶瓢】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ひょう茶瓢】〔名〕「ちゃひょう(茶瓢)」に同じ。日葡辞書(1603-04)「Safio(サヒョウ)<訳>ひいた茶を容れる器」」→標記語「ちゃ-ひょう茶瓢】〔名〕挽(ひ)いた茶を入れる容器。また、茶杓(ちゃしゃく)のこと。さひょう。異制庭訓往来(14C中)「紫竹茶筅、黄楊茶瓢、象牙茶杓」*尺素往来(1439-64)「茶箋、茶巾、茶瓢、擂茶」*塵芥(1510-50頃)「茶瓢 チャヘウ 茶杓」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
 
一對(イチツイ)」は、ことばの溜池(2003.05.05)を参照。
 
2005年3月4日(金)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
八入盆(やつしほのボン・やついれのボン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、標記語「八入盆」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

木茶器(ツキ)一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「八入盆」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本に「(やつ)しほの(ボン)」、文明四年本に「(やつしほ)のボン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「八入盆」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「八入盆」の語は未収載にする。但し、下記に示した『日国』の用例に見えるように、天正十八年本『節用集』に「八納盆」の語が収載されているのである。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「八入盆」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

683繞州(ニヨ―)并木茶器(ツキ)一對茶瓢 柄杓立也。〔謙堂文庫蔵五八左@〕

とあって、標記語「八入盆」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「八入盆を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

八入(やついれ)の盆(ぼん)一對(いつつい)八入一對 面々茶子の盆の類なり。〔89ウ一〕

とあって、この標記語「八入盆」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲八入ハ入子(いれこ)也。〔65ウ五、66オ二〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲八入ハ入子(いれこ)也。〔118オ四、118ウ四〕

とあって、標記語「八入盆」の語をもって収載し、その語注記は「八入は、入子(いれこ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「八入盆」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「やつしほ--ぼん〔名〕【八入盆】」「やついれ--ぼん〔名〕【八入盆】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「やついれ八入】〔名〕八個を入子(いれこ)にすること。また、そのもの。やついれの盆(ぼん) 八個を入子(いれこ)にした盆。庭訓往来(1394−1428頃)「饒州茶碗。并茶器。八入盆天正本節用集(1590)「八納盆 ヤツイレノボン」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2005年3月3日(木)晴れ後雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
茶器(チヤツキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

茶器() 。〔元亀二年本67十〕

茶器(ヅキ) 。〔静嘉堂本80三〕

茶器(ツキ) 。〔天正十七年本上40オ七〕

とあって、標記語「茶器」の語を収載し、訓みは「(チヤ)キ」「(チヤ)ヅキ」「(チヤ)ツキ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

并木八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

并木[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

并木茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

并木茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本は「茶土器」、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「茶器」と表記し、訓みは、山田俊雄藏本・経覺筆本に「(チヤ)ツキ」、文明四年本に「チヤツキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「茶器」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「茶器」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』にだけ標記語「茶器」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

683繞州(ニヨ―)并木茶器(ツキ)盆一對茶瓢 柄杓立也。〔謙堂文庫蔵五八左@〕

※天理図書館蔵『庭訓往來註』に「(ニヨウシ―){茶椀}并木{椀}茶器(ツキ)盆一對茶瓢 柄杓立也」と、「」の語の後に「茶椀」、そして「木」と「茶器」との間に「椀」の語を補入し、「木椀」とする。

とあって、標記語「茶器」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「茶器を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

茶器(ちやき)茶器 茶湯(ちやのゆ)につかふ道具なり。〔89オ八〜89ウ一〕

とあって、この標記語「茶器」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲茶器ハすべて茶道具(たうぐ)を指()せる義なれとまづハ茶入(ちやいれ)をいふ。〔65ウ五、66オ二〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲茶器ハすべて茶道具(たうぐ)を指()せる義なれとまづハ茶入(ちやいれ)をいふ。〔118オ四、118ウ三・四〕

とあって、標記語「茶器」の語をもって収載し、その語注記は「茶器は、すべて茶道具(たうぐ)を指()せる義なれとまづハ茶入(ちやいれ)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「茶器」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちャ-〔名〕【茶器】茶道に必要なる具。急須、茶碗、茶釜、茶柄杓、等。茗器翁卷、贈趙靈秀詩「一軸黄庭看不厭、詩嚢茶器毎隨身」〔1284-1〕

とあって、標記語「ちャ-〔名〕【茶器】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃ-ッき茶器】〔名〕茶の道具。広義には、茶道具全般をさすが、狭義には、薄茶用の容器。薄茶器。肩衝(かたつき)、丸壺(まるつぼ)、棗(なつめ)など」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
愚子ハ御茶にて氣晴申候、只今茶器二ヶ、茶箱返進申候、備前ニハ盖袋御座候、《『大コ寺別集(真珠庵)』(年月日未詳)の条29・1/119》
 
 
2005年3月2日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
木椀(モクワン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、「木爪(モツカウ)。木目(モクメ)。木像(ザウ)。木賊(ゾク)。木綿(メン)」の五語を収載し、標記語「木椀」の語は未収載にする。また、「木茶器」なる語も未収載にある。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

茶土器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶菟足湯瓶茶々磨等〔至徳三年本〕

[椀]茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓菟足湯瓶茶茶磨等〔宝徳三年本〕

茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶兎足湯瓶茶々磨等〔建部傳内本〕

(モク)茶器(ツキ)八入(シホ)盆一對(ツイ)茶瓢(サベウ)茶箋(せン)茶桶(トウ)茶巾(キン)(ヒシヤク)()足湯瓶(タウビン)(クワンス)(ルイサ)茶磨(ウス)〔山田俊雄藏本〕

茶器(ツキ)盆一對茶瓢(ヘウ)(セン)茶桶(ヲケ)茶巾茶杓兎足(トソク)湯瓶(ユヒン)(クワンス)茶磨(チヤウス)〔経覺筆本〕

茶器(チヤツキ)八入(ホン)一對(ツイ)。茶瓢(チヤヘウ)。茶箋(せン)。茶桶(ヲケ)。茶巾(キン)。(サシヤク)。菟足(トソク)。湯瓶(タウヒン)。(クワンス)。(ルイサ)。()(ウス)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本は、「茶器」と表記し、宝徳三年本・山田俊雄藏本に補入として「木椀・木」の表記がなされている。訓みは、山田俊雄藏本に「モク(ワン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「木椀」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「木椀」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「木椀」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

683繞州(ニヨ―)茶器(ツキ)盆一對茶瓢 柄杓立也。〔謙堂文庫蔵五八左@〕

※天理図書館蔵『庭訓往來註』に「(ニヨウシ―){茶椀}{椀}茶器(ツキ)盆一對茶瓢 柄杓立也」と、「」の語の後に「茶椀」、そして「木」と「茶器」との間に「椀」の語を補入し、「木椀」とする。

とあって、天理本に標記語「木椀」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「木椀を収載し、語注記は「客料とは、其の人々の召(メシ)つれ來る者どもなり。座敷(ザシキ)へは出でずに内々に居るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

并に木椀(もくわん)木椀 木にて作りたる茶わん也。〔89オ八〕

とあって、この標記語「木椀」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)州(にやうしう)の茶碗(ちやわん)(ならび)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ▲木椀ハ挽物(ひきもの)(わん)也。〔65ウ五、66オ一・二〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲木椀ハ挽物(ひきもの)(わん)也。〔118オ四、118ウ三〕

とあって、標記語「木椀」の語をもって収載し、その語注記は「木椀は、挽物(ひきもの)(わん)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「木椀」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「もく-わん〔名〕【木椀】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「もく-わん木椀】〔名〕木で作った椀。多くは漆(うるし)が塗ってある。書言字考節用集(1717)七「木椀 モクワン」*北史-盧叔彪伝「木椀之、片脯而已」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
「元の木椀」…今時の人学文するは、むまれつきのなをる程みがきたるものなきゆへに、もとのもくあんにてこそ候らへ。《仮名草子・清水物語(1638)上》
四書五経をよむといへども、訓詁を記誦して口耳のかざりとなすばかりにて、心はもとの木椀(モクワン)に自満の垢のしみつきたるものなれば《翁問答(1650)上・本》
 
 
2005年3月1日(火)霽れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学ドン・ボスコ図書館
饒州(ネウシウ)」→「饒州椀(ネウシウワン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「祢」部に、

饒州椀(ニウせウワン) 。〔元亀二年本164五〕

饒州椀(ネウシウノワン) 。〔静嘉堂本182一〕

饒州碗(ネウシウノワン) 。〔天正十七年本中21ウ七〕

とあって、標記語「饒州椀」(元亀二年本・静嘉堂本)、「饒州碗」(天正十七年本)の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』十月日の状に、

被調置茶具者建盞天目胡盞饒州〔至徳三年本〕

御時以前可被調置茶具建盞天目胡盞饒州〔宝徳三年本〕

御齋以前可可([マヽ])被調置茶具者建盞天目胡盞饒州〔建部傳内本〕

御時以前調具茶建盞(ケンサン)天目胡()繞州(ネウシユワン)。〔山田俊雄藏本〕

御時以前調(トヽノヘ)茶具者()建盞(ケンサン)天目胡盞(ウサン)繞州(ニヨウシウ)〔経覺筆本〕

御齋以前()調(オカ)之茶(チヤ)ニハ建盞(ケンサン)天目饒州(ネウシユウ)〔文明四年本〕※建盞(ケンサン)。※(ネウ)州。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本は「饒州」と表記し山田俊雄藏本・経覺筆本は「繞州」・「繞州」、訓みは、山田俊雄藏本に「ネウシウワン」、経覺筆本に「ニヨウシウ(ワン)」、文明四年本に「ネウシユウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「饒州」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

饒州椀(ネウシウワン) 。〔器財門106六〕

とあって、標記語「饒州椀」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「饒州」及び「饒州椀」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

饒州椀(ネウジウノワン) 。〔・財宝門134四〕

饒州(ネウジウ) 。〔・天地門132七〕

とあって、弘治二年本にのみ標記語「饒州」及び「饒州椀」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

饒州椀(ネウシウワン) 。〔器財門108二〕

とあって、標記語「饒州椀」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「饒州」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。そのなかで古辞書広本節用集』がこの語自体を未収載にしていることが注目されよう。

 さて、真字本『庭訓往来註』十月三日の状には、

683繞州(ニヨ―)并木茶器(ツキ)盆一對茶瓢 柄杓立也。〔謙堂文庫蔵五八左@〕

※天理図書館蔵『庭訓往來註』に「(ニヨウシ―){茶椀}并木{椀}茶器(ツキ)盆一對茶瓢 柄杓立也」と、「饒州」の語の後に「茶椀」、そして「木」と「茶器」との間に「椀」の語を補入する。

とあって、標記語「饒州」(饒州茶椀)の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

客料(カクレウ)(ヘシ)御時粥(カユ)已前調置(トヽノヘヲカル)建盞(ケンザン)天目胡盞(コサン)饒州(ニヨウジウ)茶碗(チヤワン)木椀(モクワン)茶器()(ボン)一對(ツイ)茶瓢(ヘウ)(せン)(ヲケ)茶巾(キン)茶杓(シヤク)兎足(トソク)n(タウビン)罐子(クハンス)(ルイサ)茶臼(チヤウス)椀折敷(ワンヲシキ)豆子(ヅス)楪子(チヤツ)追膳(ヲイせン)折敷(ヲシキ)副整(ソヘトヽノヘ)御齋(トキ)客料トハ其人々ノ召(メシ)ツレ來ル者也。座敷(ザシキ)ヘハ不出内々ニ居ルナリ。〔下35オ六〜35ウ三〕

とあって、標記語「饒州を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

饒州(にやうしう)茶碗(ちやわん)饒州茶碗 唐の州といふ地より出すちやわん也。〔89オ七・八〕

とあって、この標記語「饒州茶碗」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御齋粥(おんときがゆ)以前(いぜん)調へ置か被()可()き茶具(ちやぐ)者()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)(にやうしう)茶碗(ちやわん)(ならび)に木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれ)乃盆(ぼん)一對(いつつい)茶瓢(ちやびやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(とうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならび)に椀折敷(わんおしき)豆子(つす)(ちやす)追膳(おひぜん)(さん)の膳(ぜん)折敷(をしき)(おなじ)く副()へ(とゝの)へら被()()き(なり)御齋粥以前調具者建盞天目胡盞繞州茶碗木椀茶器八入盆一對茶瓢茶箋茶桶茶巾茶杓兎足湯n茶磨等椀折敷豆子追膳折敷ヘテ饒州ハ唐土(もろこし)の地名(ちのな)。〔65ウ五、66オ一〕

御齋粥(おんときかゆ)以前(いぜんに)(べき)調(とゝのへ)(おか)茶具(ちやぐ)()建盞(けんさん)天目(てんもく)胡盞(こさん)繞州(ねうしうの)茶碗(ちやわん)(ならびに)木椀(もくわん)茶器(ちやき)八入(やついれの)(ぼん)一對(いつつゐ)茶瓢(ちやひやう)茶箋(ちやせん)茶桶(ちやおけ)茶巾(ちやきん)茶杓(ちやしやく)兎足(とそく)湯n(たうびん)(くわんす)(らいさ)茶磨(ちやうす)(とう)(ならびに)椀折敷(わんをしき)豆子(づす)(ちやす)追膳(おひぜん)三膳(さんのぜん)折敷(をしき)(おなじく)(べき)()(そへ)(とゝのへら)(なり)。▲饒州ハ唐土(もろこし)の地名(ちのな)。〔118オ三、118ウ三〕

とあって、標記語「饒州茶碗」の語をもって収載し、その語注記は「饒州は、唐土(もろこし)の地名(ちのな)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「饒州」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ねう-しう〔名〕【饒州】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「にょうしゅう-わん饒州碗】〔名〕薄手で貫乳の多い中国製の白磁の茶碗。州(江西省?陽県地方)は、白磁の産地で知られる景コ鎮の所在地。異制庭訓往来(14C中)「天目。鐃州椀。定州油滴等」*元和本下学集(1617)「饒州椀 ネウシウワン」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
陶器(茶椀・秘色・柴窯・定汝官哥・竜泉・磁器の覆輪・饒州景徳鎮・成化嘉靖・点茶黒器を用・建盞・天目・窯変・水滴・油滴・瀬戸もの・藤四郎・俊慶・ひたち帯・祖母懐・尾張・三田・祥瑞・呉洲・擂茶・高麗・三島・斗々屋・御本・楽焼・萩焼・のんこ・玉水焼)《『嬉遊笑覽』巻之二下・器用の条》
 
 
 
 
 
 
 

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