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ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「相尋」と表記し、訓みは文明四年本に「(あ)い(たづ)ね」と記載する。
相尋(アイタヅネ/シヤウ・トモニ、ジン)[平・平] 。〔態藝門752四〕
相逢(アヒアフ) ―比(ヒス)。―伴(トモナフ)。―構(カマヘテ)。―語(カタル)。―叶(カナフ)。―姓(シヤウ)。―圖(ヅ)。―觸(フル)。〔言辞門172二〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』だけに標記語「相尋」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「相尋」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
医骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候と雖(いへと)も/雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上 医骨とハ医術(ゐじゆつ)の奥儀(おくぎ)に通達したる名医を云。骨ハ肉(にく)の内にありて外に見へさるものゆへ奥儀といふ事にたとへたるなり。〔92ウ一〜三〕
とあって、この標記語「相尋」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Aitazzune,uru.アヒタヅネ,ヌル,ネタ(相尋ね,ぬる,ねた) Tazzune,uru(尋ね,ぬる)の条を見よ.〔邦訳19l〕
×〔脱落〕 。〔元亀二年本63九〕
灸治(キウジ) 。〔静嘉堂本326八〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「灸治」と表記し、訓みは経覺筆本に「キウ(チ)」、文明四年本に「キウヂ」と記載する。
灸治(キウヂ) 。〔弘・言語進退門223三〕〔永・言語門185七〕〔堯・言語門175一〕
灸處(キウシヨ) ―治(ヂ)。〔支躰門186三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「灸治」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「灸治」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
旁(かた/\)以(もつて)療治(りやうぢ)灸治(きう )の為(ため)/旁以爲‖療治。灸治ノ| 療冶ハいやしおさむと訓す。灸治ハ灸にて病を責るなり。〔92オ八〕
とあって、この標記語「灸治」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Qiu<gi.キウヂ(灸治) すなわち,Yaito>.l,yaifi.(やいとう.または,焼火)灸.¶Qiu<gi suru.(灸治する)灸をすえる.※原文はBotoe~s de fogo.〔Qiu>の注〕〔邦訳511r〕
きう-ぢ〔名〕【灸治】灸して、療冶すること。拾芥抄、下、末、養生「灸治寸法」保元物語、一、爲朝生捕遠流事「病み出して、灸治など多くして、温疾大切の閨v〔453-2〕
療治(レウシ) 。〔元亀二年本149十〕
療治(レウヂ) 。〔静嘉堂本163五〕
療治(チ) 。〔天正十七年本上37オ八〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「療治」と表記し、訓みは文明四年本に「レウチ」と記載する。
療治 病醫部/レウチ。〔黒川本・畳字門中14ウ五〕
療治 〃病。〔卷第四・畳字門516三〕
療治(リヨウヂ/イヱル、ヲサム)[去・平] 病ノ義療子/酸同字。〔態藝門195六〕
療治(レウチ) 。〔弘・言語進退門116八〕
療治(レウチ) ―養。〔永・言語門99二〕〔堯・言語門53六・89九〕
療治(レウチ) ―悟。〔兩・言語門109三〕
療治(リヤウヂ) 。〔弘・言語進退門58六〕
療治(リヨウジ) ―養。〔永・言語門59二〕
療治(リヨウヂ) ―養。〔兩・言語門61八〕
療治(リヨウヂ) 。〔言語門58一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「療治」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「療治」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
旁(かた/\)以(もつて)療治(りやうぢ)灸治(きう )の為(ため)/旁以爲‖療治。灸治ノ| 療冶ハいやしおさむと訓す。灸治ハ灸にて病を責るなり。〔92オ八〕
とあって、この標記語「療治」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
†Reo>gi.レゥヂ(療治) Iyaxi,su.(療し、す)病人に藥を与えること.¶Reo>gini cacauarannu yamai.(療治にかかはらぬ病)不治の病気,すなわち,薬を用いても何の効きもない病気.〔邦訳530l〕
れう-ぢ〔名〕【療治】病を癒すこと。治療。北魏書、裴延儁傳「遇二重患一、云云、還レ京療治」〔2143-3〕
旁(カタ/\) 。〔元亀二年本104十〕〔静嘉堂本131五〕〔天正十七年本上64ウ四〕〔西來寺本〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「旁」と表記し、訓みは文明四年本に「かた/\」と記載する。
旁以(カタゞモツテ/ハウイ)[平・上] 。〔態藝門299六〕
旁(カタ/\) 。〔永・言語門85五〕〔兩・言語門93五〕
旁(カタ々) 。〔堯・言語門77四〕
旁(カタガタ) 。〔言語門82六〕
このように、上記当代の古辞書においては標記語「旁」の語を収載し、とりわけ広本『節用集』には、「旁」の語とは別に標記語「旁以」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「旁」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
旁(かた/\)以(もつて)療治(りやうぢ)灸治(きう )の為(ため)/旁以爲‖療治。灸治ノ| 療冶ハいやしおさむと訓す。灸治ハ灸にて病を責るなり。〔92オ八〕
とあって、この標記語「旁」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Catagata.カタガタ(旁) あなた方.¶また,あれこれの事.¶Catagata mo<xinobeo>zu.(方々申し述べうず)あれこれの事を説明しましょう.¶また,他の事のついでに.そちらかこちらかで,つまり,そちらで,すなわち,私があなたにお会いした時か,こちらで,すなわち,あなたが私に会ってくださった時かに,私は詳しくお話いたしましょう.〔邦訳106r〕
かた-がた〔名〕【旁】〔前條の語の轉か、或は、かてらがてらの約か〕其の傍に。且。序(つい)でに。相兼ねて。(書萸の文に)名義抄「傍、カタガタ」「報書旁伺候」〔378-1〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「更發」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「カウホツ」と記載する。
更發 ――分/病詞/カウホツ。〔黒川本・畳字門上87ウ七〕
更衣 〃發。〔卷第三・畳字門274六〕
更發(カウ・サラニ、ホツ/フクル・カワル、ハツ・ヲコル)[○・入] 。〔態藝門287五〕
更發(カウホツ) 。〔弘・言語進退門88二〕〔永・言語門84五〕〔堯・言語門76六〕〔兩・言語門92三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「更發」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「更發」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
更(かハる/\)發(おこ)る/更/\發ル いろ/\のやまひ引かへ/\おこるをいふなり。〔92オ八〕
とあって、この標記語「更發」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Iiai.カウホツ(更發) .〔邦訳r〕
×〔脱落〕 。〔元亀二年本〕
虚労(キヨラウ) 。〔静嘉堂本326四〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、文明四年本は、未収載、至徳三年本は「虚身」、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本は、「虚労・虚勞」と表記し、訓みは経覺筆本に「キヨラウ」と記載する。
虚勞(キヨラウ/ムナシ、ツカルヽ・イタワル)[平・平] 。〔態藝門842七〕
虚労(キヨラウ) 。〔永・支体門183二〕〔堯・言語門172五〕
虚労(キヨラウ) 。〔支躰門186四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「虚労」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「虚労」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)/又心氣。腹病。虚労等 又とハ甚上となり。心氣ハ胸の病なり。腹病ハはらのわつらゐ也。虚労ハ氣血不足乃やまひなり。〔92オ七・八〕
とあって、この標記語「虚労」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙▲虚勞ハ真気(しんき)損(そん)じ諸臓(しよざう)傷(やぶ)るゝの症(しやう)。〔68オ七・68ウ四〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)▲虚勞ハ真気損(そん)じ諸臓(しよさう)傷るゝの症(しやう)。〔122ウ四・123オ五〕
Qioro>.キョロゥ(虚労) Munaxu< tcucaruru.(虚しう労るる)疲労するとか,元気や活気がなくなるとかする病気.※Qioro<(キョラゥ)の誤り.〔邦訳503l〕
Qioro<.キョラゥ(虚労) ある種の労咳,すなわち,肺病.〔邦訳503l〕
きょ-らう〔名〕【虚労】病に因りて、精力の衰へ、身體の疲るること。庭訓往來、十一月「心氣、腹病、虚勞」〔505-2〕
腹病(フクビヤウ) 。〔元亀二年本223二〕
腹(フク)病 。〔静嘉堂本255四〕
腹病(フクヒヤウ) 。〔天正十七年本中56ウ八〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、経覺筆本は「腹痛」とし、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は、「腹病」と表記する。
腹病(フクビヤウ) ―中(チウ)。―立(リフ)。〔支躰門149一〕
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本『節用集』に標記語「腹病」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「腹病」の語を収載し、語注記は未記載にする。
此(コノ)間(アヒタ)持病(チビヤウ)再發(サイホツ)、又心氣(シンキ)・腹病(フクビヤウ)・虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)/又心氣。腹病。虚労等 又とハ甚上となり。心氣ハ胸の病なり。腹病ハはらのわつらゐ也。虚労ハ氣血不足乃やまひなり。〔92オ七・八〕
とあって、この標記語「腹病」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙▲腹病ハ積聚(しやくじゆ)の類(るい)すべて腹中(はらのうち)のわづらひ也。〔68オ七・68ウ四〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)▲腹病ハ積聚(しやくじゆ)の類すべて腹中(はらのうち)のわづらひ也。〔122ウ四〕
Fucubio<.フクビャゥ(腹病) Farano yamai(腹の病)に同じ.腹がふくれ上がり,顔色が黄緑色になる,ある種の病気.〔邦訳270l〕
ふく-びゃう〔名〕【腹病】病氣の一。和爾雅に、黄腫病等の漢名を擧げたれば、黄疸(わうだん)の類か。胖病。書言字考節用集、五、肢體門「胖病、フクビャウ、正曰黄胖病、又云、黄腫病」撮壤集、下、病疾類「赤痢、黄痢、腹病」芭蕉句集「水無月は、ふくびゃうやみの、暑さかな」〔1736-1〕
心氣( キ) 。〔元亀二年本305七〕
心氣(シンキ) 。〔静嘉堂本355八〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「心氣」と表記し、訓みは文明四年本に「コ(サイ)」と記載する。
心性(シンシヤウ) ―地(ヂ)。―緒(シヨ)。―念(ネン)。―底(テイ)/―中(ヂウ)。―事(ジ)。銘(メイ)ズ二―肝(カン)ニ一。〔支躰門50二〕
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』だけに標記語「心氣」の語を収載していて、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「心氣」の語を収載し、語注記は未記載にする。
此(コノ)間(アヒタ)持病(チビヤウ)再發(サイホツ)、又心氣(シンキ)・腹病(フクビヤウ)・虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)/又心氣。腹病。虚労等 又とハ甚上となり。心氣ハ胸の病なり。腹病ハはらのわつらゐ也。虚労ハ氣血不足乃やまひなり。〔92オ七・八〕
とあって、この標記語「心氣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙▲心気ハ心わづかひの積(つも)りより発(おこ)る病(やまひ)。〔68オ七・68ウ三〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)心気ハ心づかひの積(つも)りより發る病。〔122ウ四・123オ四〕
Xinqi.シンキ(心氣) 憂鬱症.¶Xinqiuo yamu.(心気を病む)憂鬱病患者である,または,その病気にかかっている.〔邦訳772r〕
しん-き〔名〕【心氣・辛氣】(一)ここち。こころもち。氣分(きぶん)。禮記、月令篇「仲夏之月、云云、節二嗜欲一、定二心氣一」(二)俗に、心氣、むすぼれて、悶(もだ)へ思ふこと。(上方の語)自由ならず、煩はしきこと。しんきくさきこと。懊惱。(性急(しんき)にて、明人の俗語なりと、陳元贇は云へりと)槍權三重帷子(享保、近松作)上「額付、髪つぎて、下地の良いお顔が、猶、美しうならしゃんして、女子でさへ辛氣が涌く、裸身をむっくりと抱て寐たい」生玉心中(正徳、近松作)上「辛氣燃して待つ宵に」薩摩歌(元禄、近松作)上「あらぬ女の眞似をして、五年、七年、しんきを砕くも、大事を思ひ立たる故」〔937-4〕
再發(ホツ) 。〔元亀二年本267五〕〔静嘉堂本303七〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「再發」と表記し、訓みは経覺筆本に「サイホツ」と記載する。
再發(サイホツ/フタヽビ、ハツ・ヲコル)[上去・平去] 。〔態藝門785八〕
再發(サイホツ) 病。〔弘・言語進退門214一〕
再興(サイコウ) ―三(サン)。―拝(ハイ)。―會(クハイ)。―往(ワウ)/―發(ホツ)。―住(ヂウ)。―祚(ソ)天子二即ヲレ位ニ云。〔永・言語門178二〕
再興(サイコウ) ―三。―拝。―會。―往。―發。―住/―祚天子ニ二ヒ即位ヲ云。〔尭・言語門167三〕
再興(サイコウ) ―往(ワウ)。―住(ヂウ)。―進(シン)。―誕(タン)/―來(ライ)。―三。―會(クワイ)。―變(ヘン)。〔言語門181三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「再發」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「再發」の語を収載し、語注記は未記載にする。
再發(サイホツ)ハ。二度ヲコルナリ。〔下36ウ一〕
此(この)間(あひだ)ハ持病(じびやう)再發(さいほつ)し/此間ハ持病再發シ 平癒(へいゆ)して後又起るを再發と云。〔92オ6〕
とあって、この標記語「再發」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Saifot.サイホツ(再發) Futatabi vocoru.(再び発る)病気,傷,腫物,潰瘍がよくなって後に,またぶり返すこと.例Yamai,qizu nado saifot suru. (病,傷など再発する).〔邦訳550l〕
さい-ほつ〔名〕【再發】再び、發ること。源平盛衰記、廿二、衣笠合戰事「大介、云ひけるは、我が老老として、所勞の折節、再發せり」「病氣再發」「騒動再發」常如二絶人一、非二出仕之身一」〔0763-2〕
持病(チビヤウ) 。〔元亀二年本63九〕
持病 。〔静嘉堂本74二〕〔天正十七年本上37オ八〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「持病」と表記し、訓みは文明四年本に「コ(サイ)」と記載する。
持病(ヂビヤウ/モツ、ヘイ・ヤマイ)[平・去] 。〔態藝門174四〕
持病(ヂビヤウ) 。〔弘・言語進退門52六〕
持齋(ヂサイ) ―律(チリツ)。―病(ヒヤウ)。―物(モツ)。―疑(キ)。―參(サン)。〔永・言語門53三〕
持齋 ―律。―病。―物。―疑。―參。〔堯・言語門48四〕
持齋(ヂサイ) ―律。―病。―物。〔兩・言語門57三〕
持病(ヂ ) 。〔支躰門50二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「持病」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「持病」の語を収載し、語注記は未記載にする。
此(コノ)間(アヒタ)持病(チビヤウ)トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
此(この)間(あひだ)ハ持病(じびやう)再發(さいほつ)し/此間ハ持病再發シ 平癒(へいゆ)して後又起るを再發と云。〔92オ6〕
とあって、この標記語「持病」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Gibio<.ヂビャゥ(持病) たとえば,結石とか偏頭痛などのように,ある人が生来持っている病気.〔邦訳315r〕
ぢ-びゃう〔名〕【持病】〔身に持つ病の意〕もちまへのやまひ。常に病み艱む病。宿痾。宿疾。痼。痼疾。明月記、文暦二年正月四日「持病相發、常如二絶人一、非二出仕之身一」〔1272-5〕
依所望粗示之巨細令参相伴之時可計申也恐々謹言〔至徳三年本〕
依所望粗示之巨細令參相伴之時可計申也恐々謹言〔宝徳三年本〕
依所望粗示之巨細令参相伴之時可計申也恐々謹言〔建部傳内本〕
依テ‖所望ニ|粗(ホヾ)示∨之ヲ。巨細者令ン∨参‖相伴(バン)ニ|之時可‖計イ申|也。恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
依テ‖所望ニ|粗(ホヽ)示(シメス)∨之ヲ。巨細ハ令∨参‖相伴(ハン)ニ|之時可‖計ライ申|也。恐々謹言〔経覺筆本〕
依(ヨツ)テ‖所望ニ|粗(ホヽ)示(シメス)∨之ヲ。巨細(コ )者令∨参(サン)せ‖レ相伴(シヤウバン)ニ|之時可レ計(ハカライ)申候|也。恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「巨細」と表記し、訓みは文明四年本に「コ(サイ)」と記載する。
巨細(キヨせイ) 〃多。〃人。〃億。〃害大害也。〔巻第八・畳字門527四〕
巨細(コサイ/キヨせイ・ヲヽイ也、ホソシ)[上・去] 。〔態藝門690八〕
巨細(コサイ) 。〔弘・言語進退門190一〕
巨細(コサイ) ―多(タ)。〔永・言語門155八〕
巨細(コサイ) 多。〔堯・言語門145七〕
巨細(コサイ) ―多(タ)。―益(ヤク)。―難(ナン)。〔言辞門158五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「巨細」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
699依テ‖所望ニ|粗示∨之。巨細ハ令∨参‖相伴|之時可‖計申|也。恐々謹言〔謙堂文庫蔵五九左B〕
とあって、標記語「巨細」の語を収載し、語注記は未記載にする。
巨細(コサイ)ハ令ル∨参せ‖巨細(コサイ)ハ。コマヤカニホソンシトヨムナリ。〔36オ七〕
巨細(こさい)ハ相伴(しやうばん)に参(さん)せ令(しめ)之(し)時(とき)計(はからひ)申可也。/巨細ハ令メシ∨参セ‖相伴ニ|之時可‖計ヒ申|也。 巨ハ大細ハ小也。大なる事もすへたる意也。なを委細なとゝいへるかことし。相伴ハあいともなふと訓す。客人とならひて座につくをいふ。云こゝろハ點心布施のあらましハ前のことし。其くわしき事は相伴に参りたる節相談せんとなり。〔92オ一〜四〕
とあって、この標記語「巨細」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
所望(しよまう)に依(よつ)て粗(ほゞ)之(これ)を示(しめ)す。巨細(こさい)相伴(しやうばん)に参(さん)ぜ令(し)むる之(の)時(とき)計(はから)ひ申(まを)す可(べ)き也(なり)。恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/依テ‖所望ニ|粗示ス∨之ヲ。巨細令ムレ∨参セ‖相伴ニ|之時。可キ‖計ヒ申ス|也。恐々謹言。〔67ウ五〕
依(よつ)て‖所望(しよまう)に|粗(ほゞ)示(しめす)∨之(これ)を。巨細(こさい)令(しむる)∨参(さん)ぜ‖相伴(しやうばん)に|之(の)時(とき)可(べき)‖計(はからひ)申(まうす)|也(なり)。恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔121ウ四〕
Cosai.コサイ(巨細) Comacani yu` coto.(細かに言ふこと)詳しく,あるいは,こまごまと言うこと.¶Cosaini voyobazu.(巨細に及ばず)一つ一つ長々と事をわけて述べる必要はない.文書語.〔邦訳151l〕
こ-さい〔名〕【巨細】事の、大なると、小なると。事こまやかなること。細大。キョサイ。史記、田根傳「政無二巨細一、皆斷レ於レ相」大學集註、序「詳略相因、巨細畢擧」吾妻鑑、九、文治五年九月十日「可注二進巨細之由一、言上」〔676-3〕
依所望粗示之巨細令参相伴之時可計申也恐々謹言〔至徳三年本〕
依所望粗示之巨細令參相伴之時可計申也恐々謹言〔宝徳三年本〕
依所望粗示之巨細令参相伴之時可計申也恐々謹言〔建部傳内本〕
依テ‖所望ニ|粗(ホヾ)示∨之ヲ。巨細者令ン∨参‖相伴(バン)ニ|之時可‖計イ申|也。恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
依テ‖所望ニ|粗(ホヽ)示(シメス)∨之ヲ。巨細ハ令∨参‖相伴(ハン)ニ|之時可‖計ライ申|也。恐々謹言〔経覺筆本〕
依(ヨツ)テ‖所望ニ|粗(ホヽ)示(シメス)∨之ヲ。巨細(コ )者令∨参(サン)せ‖レ相伴(シヤウバン)ニ|之時可レ計(ハカライ)申候|也。恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「計」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(はから)い」、経覺筆本に「(はか)らい」、文明四年本に「はからい」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「計」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
699依テ‖所望ニ|粗示∨之。巨細ハ令∨参‖相伴|之時可‖計申|也。恐々謹言〔謙堂文庫蔵五九左B〕
とあって、標記語「計」の語を収載し、語注記は未記載にする。
相伴(シヤウバン)‖之時可‖計(ハカラヒ)申ス|也 相伴(シヤウハン)ハ。アヒトモナヒ座ニ出ル事也。〔36オ七・八〕
巨細(こさい)ハ相伴(しやうばん)に参(さん)せ令(しめ)之(し)時(とき)計(はからひ)申可也。/巨細ハ令メシ∨参セ‖相伴ニ|之時可‖計ヒ申|也。 巨ハ大細ハ小也。大なる事もすへたる意也。なを委細なとゝいへるかことし。相伴ハあいともなふと訓す。客人とならひて座につくをいふ。云こゝろハ點心布施のあらましハ前のことし。其くわしき事は相伴に参りたる節相談せんとなり。〔92オ一〜四〕
とあって、この標記語「計」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
所望(しよまう)に依(よつ)て粗(ほゞ)之(これ)を示(しめ)す。巨細(こさい)相伴(しやうばん)に参(さん)ぜ令(し)むる之(の)時(とき)計(はから)ひ申(まを)す可(べ)き也(なり)。恐々(きよう/\)謹言(きんげん)/依テ‖所望ニ|粗示ス∨之ヲ。巨細令ムレ∨参セ‖相伴ニ|之時。可キ‖計ヒ申ス|也。恐々謹言。〔67ウ五〕
依(よつ)て‖所望(しよまう)に|粗(ほゞ)示(しめす)∨之(これ)を。巨細(こさい)令(しむる)∨参(さん)ぜ‖相伴(しやうばん)に|之(の)時(とき)可(べき)‖計(はからひ)申(まうす)|也(なり)。恐々(きよう/\)謹言(きんげん)〔121ウ四〕
Facarai.ハカラヒ(計) ポロビデンシヤ(Prouidencia摂理),または,管轄支配.→Iinqwi;Ten-vn.〔邦訳192r〕
はからひ〔名〕【計】はからふこと。とりあつかひ。處置。措置。古今著聞集、一、神祇「大明~の御はからひにて、衆徒合戰理にしける、嚴重なりける事なり」〔1566-3〕
羨敷(ウラヤマシク) 。〔元亀二年本182三〕〔静嘉堂本204五〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔至徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔宝徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧定浦山敷可被思歟〔建部傳内本〕
請暇(シンカ)病暇寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟〔山田俊雄藏本〕
請暇(シンカ)病暇(カ)寮暇(リヤウカ)暫暇(サンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟(カ)〔経覺筆本〕
請暇(シンカ)病暇(ヒヤウカ)寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)之(ノ)僧衆(シユ)定テ浦山敷ク可レ被レ思一歟〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「浦山敷」と表記し、訓みは文明四年本に「(うらやまし)く」と記載する。
冀 ウラヤマシ。〔黒川本・畳字門〕
浦山敷(ウラヤマジク/ホサンフ)[上・○・○] 或作二羨敷一。〔態藝門485六〕
羨敷(ウラヤマシク) 。浦山敷(同) 。〔弘・言語進退門152二〕
浦山敷(ウラヤマシク) 。〔永・言語門122九〕〔堯・言語門112六〕
浦山敷(ウラヤマシク) 羨。〔兩・言語門137一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「浦山敷」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
※隨テ‖御自愛|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇(カ)・寮(レウ)暇・暫(サン)暇ノ僧衆定テ浦山敷可キ∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔天理図書館藏『庭訓徃來註』〕
とあって、標記語「浦山敷」の語を収載し、語注記は未記載にする。
暫暇(ザンカ)ノ僧衆(ソウシユ)定テ浦山敷(ウラヤマシク)可キ∨被‖思召(ヲホシメサ)|歟點心料(テンシンレウ)被レ‖送(ヲクリ)進せ|者(ハ)、可キ∨爲(タル)暫暇(サンカ)ハ少(スコ)シノ隙(ヒマ)ノ入ル人ニモ點心料(テンジンレウ)ヲ送(ヲク)ルナリ。〔下36オ四〜六〕
定テ浦山敷(ウラヤマシク)可キ∨被‖思召(ヲホシメサ)|歟故障(こしやう)ありて来らさる僧達ハ浦山敷思んとなり。〔91ウ六〕
とあって、この標記語「浦山敷」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)ノ僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟/請暇病暇。寮暇。暫暇ノ僧衆。定テ浦山敷ク可キ∨被‖思シ召サ|歟▲浦山敷ハ人に請(こハ)れて宿(やと)に居合(ゐあハ)さぬをいふ。〔67ウ二〜四、67ウ六〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)の僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟▲浦山敷ハ人に請(こハ)れて宿(やど)に居合(ゐあハ)さぬを云。〔121オ六〜121ウ二、121ウ五〕
Vrayamaxij.ウラヤマシイ(羨しい) 他人が持っているのを見て,自分も欲しいと望んだり,願ったりする(こと),あるいは,何かある物を羨望し、それを手に入れたいと望む(こと).Vrayamaxisa.Vrayamaxu<.〔邦訳732l〕
うら-やまし・シキ・シケレ・シク・シク〔形・二〕【妬】〔次條の語の未然形、うらやまを活用す、やむ、やまし。ねたむ、ねたまし〕(一)ねたまし。そねまし。日本霊異記、上、第十二縁「妬忌、于良ヤマシ」(二)羨むべくあり。けなるし。羨。源氏物語、十二、須磨22「よる波の、かつかへるを見給ひて、うらやましくもと打ちずし給へる」〔0263-3〕
暫暇( カ) 。〔元亀二年本270七〕
暫暇(ザンカ) 。〔静嘉堂本308六〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔至徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔宝徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧定浦山敷可被思歟〔建部傳内本〕
請暇(シンカ)病暇寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟〔山田俊雄藏本〕
請暇(シンカ)病暇(カ)寮暇(リヤウカ)暫暇(サンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟(カ)〔経覺筆本〕
請暇(シンカ)病暇(ヒヤウカ)寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)之(ノ)僧衆(シユ)定テ浦山敷ク可レ被レ思一歟〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「暫暇」と表記し、訓みは経覺筆本に「サンカ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「ザンカ」と記載する。
暫暇(ザンカ/シバラク、イトマ)[○・上] 。〔態藝門774八〕
暫暇(ザンカ) 。〔弘・言語進退門214五〕
暫暇(ザンカ) ―借(シヤク)。―時。〔永・言語門178四〕
暫暇(ザンカ) ―借。―時。〔堯・言語門167五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「暫暇」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「暫暇」の語を収載し、語注記は未記載にする。
暫暇(ザンカ)ノ僧衆(ソウシユ)定テ浦山敷(ウラヤマシク)可キ∨被‖思召(ヲホシメサ)|歟汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(さんか)ノ僧衆(そうしゆ)/請暇病暇寮暇暫暇ノ僧衆 請暇ハ人に請けし障入なり。病暇ハやまひのさわり也。寮暇ハ寮の事に付ての障入也。暫暇ハ鳥渡(ちょつと)したる不時(ふじ)の障入也。〔91ウ三〜五〕
とあって、この標記語「暫暇」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)ノ僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟/請暇病暇。寮暇。暫暇ノ僧衆。定テ浦山敷ク可キ∨被‖思シ召サ|歟▲暫暇ハ暫時(ちと)の用向(ようむき)に支(さゝ)へらるゝなり。〔67ウ三、67ウ七〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)の僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟▲暫暇ハ暫時(ちと)の用向(ようむき)に支(さゝ)へらるゝなり。〔121ウ一、121ウ六〕
Zanca.ザンカ(暫暇) Xibaracuno itoma.(暫くの暇) 短い時間の合間.〔邦訳841l〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔至徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔宝徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧定浦山敷可被思歟〔建部傳内本〕
請暇(シンカ)病暇寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟〔山田俊雄藏本〕
請暇(シンカ)病暇(カ)寮暇(リヤウカ)暫暇(サンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟(カ)〔経覺筆本〕
請暇(シンカ)病暇(ヒヤウカ)寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)之(ノ)僧衆(シユ)定テ浦山敷ク可レ被レ思一歟〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「寮暇」と表記し、訓みは経覺筆本に「リヤウカ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「レウカ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「寮暇」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「寮暇」の語を収載し、語注記は未記載にする。
寮暇(レウカ)ハ。寮(レウ)ニ隙(ヒマ)ノ入者也。〔36オ四〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(さんか)ノ僧衆(そうしゆ)/請暇病暇寮暇暫暇ノ僧衆 請暇ハ人に請けし障入なり。病暇ハやまひのさわり也。寮暇ハ寮の事に付ての障入也。暫暇ハ鳥渡(ちょつと)したる不時(ふじ)の障入也。〔91ウ三〜五〕
とあって、この標記語「寮暇」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)ノ僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟/請暇病暇。寮暇。暫暇ノ僧衆。定テ浦山敷ク可キ∨被‖思シ召サ|歟▲寮暇ハ内(うち)に留(とゝま)りて坊舎(ばうしや)を守る也。〔67ウ三、67ウ七〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)の僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟▲寮暇ハ内(うち)に留(とゞま)りて坊舎(ばうしや)を守る也。〔121オ六〜121ウ二、121ウ五〕
病暇( ガ) 。〔元亀二年本343三〕
病暇( カ) 。〔静嘉堂本412四〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔至徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔宝徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧定浦山敷可被思歟〔建部傳内本〕
請暇(シンカ)病暇寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟〔山田俊雄藏本〕
請暇(シンカ)病暇(カ)寮暇(リヤウカ)暫暇(サンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟(カ)〔経覺筆本〕
請暇(シンカ)病暇(ヒヤウカ)寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)之(ノ)僧衆(シユ)定テ浦山敷ク可レ被レ思一歟〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「病暇」と表記し、訓みは経覺筆本に「(ビヤウ)カ」、文明四年本に「ヒヤウカ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』にのみ標記語「病暇」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載していることから、その継承連関性の語の一つとして位置づけられる。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「病暇」の語を収載し、語注記は未記載にする。
病暇(カ)ハ違例(イレイ)シヤナリ。〔36オ四〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(さんか)ノ僧衆(そうしゆ)/請暇病暇寮暇暫暇ノ僧衆 請暇ハ人に請けし障入なり。病暇ハやまひのさわり也。寮暇ハ寮の事に付ての障入也。暫暇ハ鳥渡(ちょつと)したる不時(ふじ)の障入也。〔91ウ三〜五〕
とあって、この標記語「病暇」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)ノ僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟/請暇病暇。寮暇。暫暇ノ僧衆。定テ浦山敷ク可キ∨被‖思シ召サ|歟▲病暇ハ病(やまひ)に臥(ふ)して引き籠(こも)り居(ゐ)る也。〔67ウ三、67ウ六・七〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)の僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟▲病暇ハ病(やまひ)に臥(ふ)して引(ひき)籠(こも)り居(ゐ)るなり。〔121オ六〜121ウ二、121ウ五〕
請暇(シンカ) 。〔元亀二年本312九〕〔静嘉堂本366四〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔至徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧衆定浦山敷可被思歟〔宝徳三年本〕
請暇病暇寮暇暫暇僧定浦山敷可被思歟〔建部傳内本〕
請暇(シンカ)病暇寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟〔山田俊雄藏本〕
請暇(シンカ)病暇(カ)寮暇(リヤウカ)暫暇(サンカ)ノ僧衆定テ浦山敷可レ被レ思歟(カ)〔経覺筆本〕
請暇(シンカ)病暇(ヒヤウカ)寮暇(レウカ)暫暇(ザンカ)之(ノ)僧衆(シユ)定テ浦山敷ク可レ被レ思一歟〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「請暇」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「シンカ」と記載する。
請暇(シンカ) 。〔態藝門84二〕
請暇(シンカ/せイ・ウク、イトマ)[平・上] 。〔之部態藝門943七〕
請暇(シンカ) 。〔弘・言語進退門244六〕
請待(シヤウダイ) ―滿(マン)。―來(ライ)。―用(ヨウ)/―益(シンエキ)。―暇(シンカ)。〔言辞門215六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「請暇」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「請暇」の語を収載し、語注記は未記載にする。
請暇(シンカ) 請暇ハイトマヲコウ人也。〔下36オ三・四〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(さんか)ノ僧衆(そうしゆ)/請暇病暇寮暇暫暇ノ僧衆 請暇ハ人に請けし障入なり。病暇ハやまひのさわり也。寮暇ハ寮の事に付ての障入也。暫暇ハ鳥渡(ちょつと)したる不時(ふじ)の障入也。〔91ウ三〜五〕
とあって、この標記語「請暇」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)ノ僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟/請暇病暇。寮暇。暫暇ノ僧衆。定テ浦山敷ク可キ∨被‖思シ召サ|歟▲請暇ハ人に請(こハ)れて宿(やと)に居合(ゐあハ)さぬをいふ。〔67ウ二〜四、67ウ六〕
請暇(しんか)病暇(びやうか)寮暇(りやうか)暫暇(ざんか)の僧衆(そうしゆ)定て浦山(うらやま)敷(し)く思(おぼ)し召(め)き被(る)可(べ)き歟▲請暇ハ人に請(こハ)れて宿(やど)に居合(ゐあハ)さぬを云。〔121オ六〜121ウ二、121ウ五〕
Xinca.シンカ(請客・請暇) Itomauo vquru.(暇を請くる)禅宗僧(Ie~xus)の間における取次ないし他の僧で、他人に代わって長老に物事を申し出たり許可を乞うたりするのを役とする者.※正しくは“請客”であるが,“請暇”とも書いたらしく,訓注はそれによったものか.“請客侍者,又云侍客,接客官也”(文明本節用集),“侍客,請暇侍者也”(妙本寺本いろは字).〔邦訳769l〕
しん-か〔名〕【請暇】〔シンは、宋音〕親の喪によりて、暇を請ふこと。請暇(セイカ)。南史、蕭惠開傳「自二京江一、請レ暇還レ都」下學集、下、態藝門「請暇、シンカ」〔936-4〕
點心料被送進者可為無遮御計也〔至徳三年本〕
點心料被送進者可爲無遮御計也〔宝徳三年本〕
點心料被送進者可爲無遮御計也〔建部傳内本〕
點心ノ料被レハ二送進せ一者可レ爲二膳(せ )無遮(ムシヤ)ノ御計イ一也〔山田俊雄藏本〕
點心ノ料(レウ)ニ被二送進セ一者可レ爲二无差ノ御計(ハカライ)一者也〔経覺筆本〕
點心料(テンシンレウ)被レ送進(ヲクリシン)セ一者(ハ)、可キレ爲(タル)二レ無遮(フシヤ)ノ御計(ハカラ)イ一也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「御計」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「(おん)はからい」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「御計」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
698点心ノ料被‖送進セ|者、可∨爲‖无遮ノ御計|者也 遮ノ字、言ハ百億ノ須弥、百億ノ日月ノ境、一大三千界ノ衆生ノ病人ヲ以テ‖一藥丸ヲ|助ルヲ、一无遮之善根ト云者也。{無遮ノ御計トハ一切亊ヲ拵(コシラヘル)人也}〔謙堂文庫蔵五九左@〕
とあって、標記語「御計」の語を収載し、語注記は未記載にする。
点心ノ料被‖送進セ|者、可∨爲‖无遮ノ御計|者也汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
無遮(むしや)の御計(おんはから)ひ為(たる)可(へき)也/可∨爲ル‖無遮之御計|也 無遮ハへたてなきを云。平等(ひやうとう)のはからひなりと也。〔91ウ七・八〕
とあって、この標記語「御計」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
點心料(てんしんれう)送(おく)り進(しん)ぜら被(れ)者(バ)無遮(むしや)之(の)御計(おんはから)ひ為(た)る可(べ)き也(なり)/點心料被‖送リ進セラ|者。可キ∨為ル‖無遮之御計ヒ|也〔67ウ四・五〕
點心料(てんしんれう)被(れ)‖送進(おくりしんせら)者(バ)可(べき)∨為(たる)‖無遮(むしや)之(の)御計(おんはからひ)|也(なり)〔121ウ二・三〕
點心料被送進者可為無遮御計也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕
點心ノ料被レハ二送進せ一者可レ爲二膳(せ )無遮(ムシヤ)ノ御計イ一也〔山田俊雄藏本〕
點心ノ料(レウ)ニ被二送進セ一者可レ爲二无差ノ御計(ハカライ)一者也〔経覺筆本〕
點心料(テンシンレウ)被レ送進(ヲクリシン)セ一者(ハ)、可キレ爲(タル)二レ無遮(フシヤ)ノ御計(ハカラ)イ一也〔文明四年本〕
と見え、経覺筆本が「无差」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は「無遮」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ムシヤ」、文明四年本に「フシヤ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「無遮」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
698点心ノ料被‖送進セ|者、可∨爲‖无遮ノ御計|者也 遮ノ字、言ハ百億ノ須弥、百億ノ日月ノ境、一大三千界ノ衆生ノ病人ヲ以テ‖一藥丸ヲ|助ルヲ、一无遮之善根ト云者也。{無遮ノ御計トハ一切亊ヲ拵(コシラヘル)人也}〔謙堂文庫蔵五九左@〕
とあって、標記語「无遮」の語を収載し、語注記は未記載にする。
点心ノ料被‖送進セ|者、可∨爲‖无遮ノ御計|者也汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
無遮(むしや)の御計(おんはから)ひ為(たる)可(へき)也/可∨爲ル‖無遮之御計|也 無遮ハへたてなきを云。平等(ひやうとう)のはからひなりと也。〔91ウ七・八〕
とあって、この標記語「無遮」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
點心料(てんしんれう)送(おく)り進(しん)ぜら被(れ)者(バ)無遮(むしや)之(の)御計(おんはから)ひ為(た)る可(べ)き也(なり)/點心料被‖送リ進セラ|者。可キ∨為ル‖無遮之御計ヒ|也〔67ウ四・五〕
點心料(てんしんれう)被(れ)‖送進(おくりしんせら)者(バ)可(べき)∨為(たる)‖無遮(むしや)之(の)御計(おんはからひ)|也(なり)〔121ウ二・三〕
む-しゃ〔名〕【無遮】限りもなきこと。極めて寛大にして遮るものなきこと。圓覺經「不レ捨二無遮大悲一、爲二諸菩薩一、開二秘密藏一」庭訓往來、十月「點心料被二送進一者、可レ爲二無遮之御計一也」〔四548-1〕
點心料被送進者可為無遮御計也〔至徳三年本〕
點心料被送進者可爲無遮御計也〔宝徳三年本〕
點心料被送進者可爲無遮御計也〔建部傳内本〕
點心ノ料被レハ二送進せ一者可レ爲二膳(せ )無遮(ムシヤ)ノ御計イ一也〔山田俊雄藏本〕
點心ノ料(レウ)ニ被二送進セ一者可レ爲二无差ノ御計(ハカライ)一者也〔経覺筆本〕
點心料(テンシンレウ)被レ送進(ヲクリシン)セ一者(ハ)、可キレ爲(タル)二レ無遮(フシヤ)ノ御計(ハカラ)イ一也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「送進」と表記し、訓みは文明四年本に「をくりシンせ(らる)は」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「送進」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
698点心ノ料被‖送進セ|者、可∨爲‖无遮ノ御計|者也 遮ノ字、言ハ百億ノ須弥、百億ノ日月ノ境、一大三千界ノ衆生ノ病人ヲ以テ‖一藥丸ヲ|助ルヲ、一无遮之善根ト云者也。{無遮ノ御計トハ一切亊ヲ拵(コシラヘル)人也}〔謙堂文庫蔵五九左@〕
とあって、標記語「百合草」の語を収載し、語注記は未記載にする。
点心ノ料被‖送進セ|者、可∨爲‖无遮ノ御計|者也汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
點心料(てんしんりやう)送(おく)り進(しん)せ被(られ)ハ/點心料被レハ‖送リ進セ|者 障入ありて來らさる僧に送るなり。〔91ウ二・三〕
とあって、この標記語「送進」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
點心料(てんしんれう)送(おく)り進(しん)ぜら被(れ)者(バ)無遮(むしや)之(の)御計(おんはから)ひ為(た)る可(べ)き也(なり)/點心料被‖送リ進セラ|者。可キ∨為ル‖無遮之御計ヒ|也〔67ウ四・五〕
點心料(てんしんれう)被(れ)‖送進(おくりしんせら)者(バ)可(べき)∨為(たる)‖無遮(むしや)之(の)御計(おんはからひ)|也(なり)〔121ウ二・三〕
自愛( アイ) 。〔元亀二年本308六〕
自愛(ジアイ) 。〔静嘉堂本360一〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「御自愛」と表記し、訓みは経覺筆本に「(ゴジ)アイ」、文明四年本に「ゴジアイ」と記載する。
自愛(――/ヨリ・ミツカラ・ヲノツカラ、ヲシム)[○・○] 。〔之部態藝門933七〕
自賛(ジサン) ―賣(マイ)。―歎(タン)。―餘(ヨ)。―身(シン)。―筆(ヒツ)。―他(タ)。―滅(メツ)。―慢(マン)/―害(ガイ)殺。―性(シヤウ)。―誓(セイ)。―然(ネン)。―得(トク)。―業(ゲウ)。―愛(アイ)。〔弘・言語進退門245三〕
自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身/―賣。―業。―誓。―愛/―由。―他。―然。―滅。―得/―性。―言。―今以後。―擅或作専。―歎。〔永・言語門209六〕
自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身。―賣。―業。―誓/―今以後。―得。―在。―筆。―愛。―由/―他。―然。―滅。―性。―言/―称。―擅又作専。―歎。―火。―力。〔尭・言語門193八〕
自然(ジネン) ―讃(サン)。―訴。―判(ハ )。―行(ギヤウ)。―他(タ)。―作(サク)。―滅(メツ)。―由(イウ)。―専(せン)。―筆(ヒツ)。―己(コ)。―力(リキ)。―害(ガイ)。―問(モン)自答(ジタフ)/―餘(ヨ)。―物(モツ)。―慢(マン)。―称(せウ)。―水(スイ)入レ水死也。―愛(アイ)。―用(ヨウ)。―見(ケン)。―身。―今(コン)已後(イゴ)。〔言辞門213六・七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「自愛」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「御自愛」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨被∨思歟汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
御自愛(ごじあひ)に隨(したかつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(へし)/隨テ二御自愛ニ一可レ用レ之ヲ 御自愛に隨ふとハ好(このミ)に任(まか)する也。是にて食後の菓子ハ言終りたり。〔91ウ二・三〕
とあって、この標記語「御自愛」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ〔67オ五〜八〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)〔120ウ六〕
Iiai.ジアイ(自愛) Mizzucara aisuru.(自ら愛する)かわいがって愛情を示すこと.〔邦訳359r〕
じ-あい〔名〕【自愛】(一)自ら、其身を、大切にすること。老子、七十二章「聖人自知不二自見一、自愛不二自貴一」(二)行萸を愼むこと。自重。史記、平凖書「人人自愛、而重レ犯レ法」舒明即位前紀「愼以自愛(ツトメヨ)矣」(三)物を、重く愛すること。珍重。太平記、廿八、漢楚合戰事「項王、白壁を受けて、誠に天下の重寳なり、感悦して、座上に置きて、自愛し給ふ事、類なし」〔872-2、三604-4〕
零陵子 。〔元亀二年本224一〕〔天正十七年本中57ウ一〕
零陵子 。〔静嘉堂本256五〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
とあって、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には「零陵子」の語は未収載にする。
零餘子ヌカコ 暑預子也。零陵子同 。〔黒川本・殖物門〕
零餘子ヌカコ 暑預子也。零陵子同 。〔卷第三・殖物門27二・三〕
零餘子(ヌカゴ) 即チ山薬ノ実(ミ)ナリ也。〔草木門128一〕
零陵子(ヌカゴ/レイヨシ・ヲチル、アマル、ミ)[平・平・上] 或作二零餘子一。即薯蕷ノ實(ミ)也。〔草木門200五〕
零餘子(ヌカゴ/レイヨシ) 或作零陵子也/即薯蕷實也。〔弘・草木門59二〕
零餘子(ヌカゴ) 或作二零陵子一也/即薯蕷實(シヨノミ)也。〔永・草木門60四〕
零餘子(ヌカ子) 或作零陵子也/即薯蕷實(シヨノミ)也。〔両・草木門63一〕
零餘子(ヌカコ) 又作零陵子。〔草木門59二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「零餘子」と「零陵子」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が「零陵子」で収載しているのである。但し、広本『節用集』だけが標記語を「零陵子」として語注記に「零餘子」を収載していることは『庭訓徃來』との連関性を見ていくうえで留意すべきところである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「零陵子」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨被∨思歟汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
零陵子(むかご)/零陵子 虚(きよ)を補ひ腰膝を強くし腎を益す。〔91ウ二〕
とあって、この標記語「零陵子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。零陵子。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ〔67オ五〜八〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)〔120ウ六〕
Nucago.ヌカゴ(零余子) .〔邦訳475l〕
ぬか-ご〔名〕【零餘子】〔糠子(ぬかご)の義、糠ハ小なる意か〕むかご(零餘子)に同じ。倭名抄、十七7芋類「零餘子、沼加古、薯蕷子也」本草和名、下55「零餘子、署豫子、在葉上生、大者如卵、奴加古」今物語、十九、「いものつるのはひかかりて、ぬかごなどのなりたりけるを見て」〔1510-1・三727-2〕
むか-ご〔名〕【零餘子】古くは、ぬかご。今も地方によりて、しか云ふ。やまのいも(山芋)、つくねいも(佛掌薯)などの子(み)。其蔓の葉の閧ノ生ず。形、大なるは鶏卵の如く、小さきは鉛丸(たま)の如し。皮、青黄褐にして、斑あり、肉白し、食用とし、又、その種(たね)とす。重修本草綱目啓蒙、十九、柔滑類「零餘子、ヌカゴ(古名、薩州)、ムカゴ」蕪村句集、秋「うれしさの、箕に餘りたる、むかご哉」〔1957-4・四532-3〕
百合草(ユリ) 。〔元亀二年本377六〕〔静嘉堂本460六〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「百合草」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「ゆり」と記載する。
百合ユリ。磨鉚同。重匡楊玄作音。重邁。磨羆仁。中逢花名強瞿。強仇―即瞿也出陶景注。山丹出拾遺/已上ナ(ユ)リ。〔黒川本・植物門007三〕
百合ユリ。磨鉚同。重匡楊玄作音。重邁。磨羆仁。中逢花名強瞿。強仇―即瞿也出陶景注。山丹出拾遺/已上ナ(ユ)リ。〔卷第九・殖物門3六〕
百合草(ユリ) 。〔草木門124四〕 百合草(ヒヤクカウサウ/ユリ) 。〔春良本・草木門118四〕
百合草(ユリ/ハクカフサウ・モヽ、アワスル、クサ)[入・入・上] 又作二中逢花一。唐出二荊州ヨリ一。云々。〔草木門858八〕
百合草(ユリ) 。〔弘・草木門225一〕〔永・草木門187五〕〔尭・草木門177一〕
百合草(ユリ) 。〔草木門193四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「百合草」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「百合草」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨被∨思歟汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
百合草(ゆり )/百合草 鬼(おに)ゆり。姫(ひめ)ゆりあり。〔91ウ一・二〕
とあって、この標記語「百合草」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ〔67オ五〜八〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)〔120ウ六〕
Yuri.ユリ(百合草) 玉葱のように球根のある植物.※原文はCebola albarraa~.〔邦訳837r〕
ゆ-り〔名〕【百合】〔古名は佐韋にて、ゆりは韓語なりとも云ふ、花大きく、莖細く、風に揺(ゆ)れば云ふかと〕(一){百合科の草木の名。山に自生す。莖、圓く、高さ三四尺、直立す。葉は笹に似て、厚く光る。夏の半に、莖の梢に花を開くこと一二箇、年久しきは、數十箇に至る、皆、開きて傍に向ふ。六瓣、長さ四五寸許り、鐘樣にして、白きに黄赤色の斑點を有し、紫を帶びて美し。根は、球をなして白く、瓣多く並び重なりて蓮花の如し、食用とす。類名に對して、山百合、笹百合、の名もあり。其他、鬼百合、姫百合などあり。各條に註す。倭名抄、廿21草類「百合、由里」(二)襲(かさね)の色目の名。表赤く、裏の朽葉なるもの。〔4-735-3〕
莓(イチゴ)。〔元亀二年本380十〕
覆盆子 。〔静嘉堂本458二〕 莓(イチゴ)。〔静嘉堂本459四〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「覆盆子」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「いちこ」と記載する。
藜苜子(イチコ)。苺(ホ)子同/又作莓。覆苜子(フクホン )同俗作/覆盆。〔黒川本・殖物門上3オ五〕
覆岡子 。覆苜(イチコ)子イチコ 。藜苜子。苺子。蓬仁靴音。覆岡柏。陵累。陰累本條。馬屡。陸荊。苺仁靴音/茂。馬苺已上三名出疏文。大苺出小品/方。木苺。山苺已上名出義名宛/已上イチコ。〔卷第一・殖物門8五〜9三〕
覆盆子(イチコ) 。〔草木門125七〕
覆盆子(イチゴ・ヲヽフ、―、―/フクボンシ・クツカヘス、ホトキ、―)[上去入・平・上] 。〔草木門6三〕
覆盆(イチゴ/フクボン) 。〔弘・草木門6四〕
覆盆(イチゴ/フクホン) 。莓(同) 。〔永・草木門3九〕
覆盆(イチコ) 又茎。〔尭・草木門2六〕
覆盆(イチコ) 又茎(ケイ)。〔両・草木門3一〕
覆盆子(イチゴ) 。〔草木門2五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「覆盆子」「覆盆」の語を以て収載し、前者の語を古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「覆盆子」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨被∨思歟汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
覆盆子(いちご)/覆盆子 腎を補ふの能あり。〔91ウ一〕
とあって、この標記語「覆盆子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ▲覆盆子ハ蔓(つる)にして一枝(えだ)五葉(えふ)のものをいふ。〔67オ五〜八、67ウ一〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)▲覆盆子ハ蔓(つる)にして一枝(えだ)五葉(えふ)のものをいふ。〔120ウ六、121オ四・五〕
Ichigo.イチゴ(覆盆子) いちご.桑の実のような果実.〔邦訳325l〕
いち-ご〔名〕【苺】〔語原、考へられず、但し此語は、いちびこの中略なるべし、其條を見よ、(濁音、顛倒す、臍(ほぞ)、戸ぼそ。繼(つぎつ)ぐ、つづく)相新嘗(あひにひなめ)、あひなめ。洗染(あらひぞめ)、あらひぞめなどの如き、中略なり〕いちびこ。亞灌木、路傍に多し。葉は、どびに似て、深緑にして、皴あり、莖、葉に、毛刺多し、春の末に、枝の梢に、五出の白き花を開く、大きさ一寸許、夏の初め、實熟して赤し、大きさ六七分あり。同種に對して、くさいちごとも云ふ。又、同種の内にて、最も早く熟すれば、わせいちごの名もあり。蓬顱。同種に、きいちご、なはしろいちごなどあり、又、草本(くさだち)なるに、へびいちごあり、又、蔓生(つるだち)なるに、とっくりいちごなどあり、皆、各條に注す。倭名抄、十七7「覆盆子、以知古」枕草子、三、二十六段、あてなるもの「いみじううつくしき兒の、いちご食ひたる」本朝食鑑(元禄)四「苺、訓二伊知古一」合類節用集、六、生殖門「覆盆子(イチゴ)、苺(イチゴ)」古今著聞集、五、和歌「北條四郎時政が候ひけるが、連歌をなむしける「守山(もるやま)の、いちごさかしく、なりにけり」〔168-5〕
烏芋(クハイ) 。〔元亀二年本379四〕
烏芋(クワイ) 。〔静嘉堂本463四〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、文明四年本が「田烏」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本は、「田烏子」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「くわい」、文明四年本に「くわゐ」と記載する。
烏芋 クワ井/沢醤之類也。〔黒川本・植物門〕
烏芋 クワイ/澤至類也。烏費 同。〔卷六・植物門386三・四〕
烏芋(クワイ/ウ・カラス、イモ)[平・去] 一名茨菰(シコ)/又田烏子。〔草木門499七〕
烏芋(クワイ) 茨菰/定。〔弘・草木門157一〕
烏芋(クハイ) 一名茨菰。〔永・草木門128三〕
烏芋(クワイ) 一名茨菰/又經。〔尭・草木門117二〕
烏芋(クワイ) 一名茨/菰又經(クワイ)。〔両・草木門142二〕
烏芋(クハイ) 。〔草木門130四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「烏芋」が用いられ、辛うじて広本『節用集』の語注記に「田烏子」の語を収載する。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「田烏子」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨被∨思歟汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
田烏子(くわゐ)/田烏子 くろくわゐ也。白くわゐハ慈姑(じこ)と書。多く食すれハ臍下(さいか)いたむ。〔91オ八〜91ウ一〕
とあって、この標記語「田烏子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ▲田烏子ハ烏芋(くろくハゐ)也。〔67オ五〜八、67ウ一〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)▲田烏子ハ烏芋(くろくはゐ)也。〔120ウ六、121オ四〕
くわ-ゐ〔名〕【茨菰・慈姑】〔搶破集(くいわれゐ)の義にて、葉の形に云ふにもあるか〕水菜の名、舊き根塊(おや)を、水田に植う、一根より叢生す、葉は、長くして尖り、下は、二つに分れて、剪刀(はさみ)の如し、因りて、剪刀草の漢名もあり、冬、春、塊に、側子(こ)を生ず、形、圓く、徑(わたり)、一寸許、皮、淡緑にして、肉、白く堅し、煮て食ふべし、Kくわゐ(い)に對して、白くわゐ(い)の名もあり、秋、花を開く、三瓣にして、白く、おもだかの花に似て、大なり。倭名抄、十七7芋類「烏芋、久和井、生二水中一、澤寫之類也」(烏芋は、本草和名に、久呂久和爲とありて、當らず)〔592-3〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「菱」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「ひし」と記載する。
菱子(リヨウシ) ヒシ/鏡中。輒筰同。〔黒川本・植物門下87ウ一〕
菱子 ヒシ。筅亦乍廏。輒筰。廏實仁靴音。裄楊玄作/作反。睇。菰首仁靴音/出陶景注。廏音/騎亦乍筅。蕨隍音負。猪鼻。水栗。輒皆垢二音已上四名出兼名苑/已上ヒシ。〔巻第十・植物門320三〜321一〕
菱(ヒシ) 角草也。〔草木門126一〕
菱(ヒシ/レウ)[○] 格物論ニ菱ハ陵也。生二水中ニ一葉浮レ水茎ニ有レ刺(シ)。或四角。或三角。或紫巻。或青巻。肉白シ生怡(クラフ)トモハ甘脆熟シテ能飽レ人。異名水栗。紫角。尖角。穿萍並對。臙脂角杜。飜角。紫双了万。釘頭。懐玉。雲銀。鉅野。蝟毛。介頭。〔草木門1031二〕
菱(ヒシ) 菱同。〔弘・草木門251五〕
菱(ヒシ) 角屮。〔永・草木門215三〕〔尭・草木門200六〕
廏實(ヒシ) 。菱(同)レウ 。〔草木門224三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「菱」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
697菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨有∨用‖意之ヲ|。請暇(シンカ)・病暇・寮暇・暫暇僧衆定浦山敷可∨被∨思歟 浦山ノ二字万雜也。莫∨如クハ‖彼二ニ|也。〔謙堂文庫蔵五九右G〕
とあって、標記語「菱」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菱(ヒシ)・田烏子(クワイ)・覆盆子(イチコ/フクホンシ)・百合草(ユリ)・零陵子(ヌカコ)、隨‖御自愛ニ|可∨被∨思歟汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
菱(ひし)/菱 。中を安じ酒毒(しゆとく)を解(げ)す。多く食へハ陽気を損す。〔91オ八〕
とあって、この標記語「菱」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ▲菱ハ両角(ふたかと)あるものをいふ。四角(よつかど)あるを覡(き)といふ。水草(すいさう)の実(ミ)也。〔67オ五〜八、67ウ一〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)▲菱ハ両角(ふたかと)あるものをいふ。其四角(よつかど)あるを覡(き)といふ。水草(すゐさう)の実(ミ)也。〔120ウ六、121オ四〕
Fixi.ヒシ(菱) 沼・池などの中に生ずる,ある草の実.〔邦訳252lr〕
ひ-し〔名〕【菱・覡】〔緊(ひし)の意にて、鋭刺より云へるか、或は云ふ、鰭(ひれ)と通ずと〕(一){水草の名。池、沼などに自生し、根は、水底にありて、葉は、水面に叢生す、形平たく、蝶の翅の如く、厚くして光る。莖は長くして張れ、蛙の股の如し。夏、四辨の小白花を開く。實、形、三角なり、或は、四角、兩角にありて、堅刺、尖りて鋭し。秋、熟すればKく、仁、白く、食ふべし。覡實。倭名抄、十七7霜類「菱、比之」本草和名、下29「廏實、比之」字鏡52「廏、菱、比志」重修本草綱目啓蒙、廿二、水果類「覡實、ミズモグサ(古歌)、ヒシ、云云、ひしの葉は、七八葉排生して、水面に浮ぶ、夏月、四辨の黄白花を開く、大さ五分許あり、又、實の小なるを野菱とし、大なるを家菱とする説は隱ならず、この根を水田に栽て培養したるを家菱とし、野生のものを野菱とす」和漢三才圖會、九十一、水果類「菱、蔆水栗、沙角、比之、無レ角者名二三河菱一、云云」應神紀、十三年九月「河股江の、比辭(ヒシ)殻の、刺しけく知らに」萬葉集、七23「君がため、うきぬの池の、菱(ひし)とると、我がそめし袖、ぬれにけるかも」同、十六28「豐國の、きくの池なる、菱(ひし)のうれを、つむとや妹が、御袖ぬれけむ」夫木集、九、菱「船ばたを、たたくもさびし、宵の閧ノ、ひし取る船や、江に歸るらん」上下の角は鈍く、左右の角は鋭し。斜角。これを種種の模樣、又は、紋所などに用ゐて、幸菱(さいはひびし)、花菱、劔菱、松皮(まつかは)菱、武田菱など云ふ。各條に註す。〔1661-4〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「枝椎」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(えだ)しい」、経覺筆本に「えたしい」、文明四年本に「えたしゐ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「枝椎」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。但し、広本『節用集』の語注記は、大いに異なっている。
696隨∨体∨之可∨引∨之時以後之菓子者生栗(イケクリ)・搗栗(カチ―)・串柿・熟柿(―クシ)・干棗(―ナツメ)・花梨子(ハナナシ)・枝椎(ヱタシイ)・胡桃(クルミ) 生北土。今陜洛間、多有∨之。大株厚葉多陰、實亦外有皮包之。胡桃乃核中桃為‖胡桃|。内秋冬熟時採之。外青皮染髪及帛黒、其樹皮可∨染∨褐也也云々。〔謙堂文庫蔵五九右E〕
とあって、標記語「枝椎」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎胡桃汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
枝椎(ゑたしい)/枝椎 性あしくして人に益なし。くらふへからす。〔91オ七・八〕
とあって、この標記語「枝椎」の語を収載し、語注記は上記の如く記載していて註釈書のなかでも唯一の語注記の記載となっている。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ〔67オ五〜八〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)〔120ウ六〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「花梨子」と表記し、訓みは経覺筆本に「はななし」、文明四年本に「(はな)なし」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「花梨子」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
696隨∨体∨之可∨引∨之時以後之菓子者生栗(イケクリ)・搗栗(カチ―)・串柿・熟柿(―クシ)・干棗(―ナツメ)・花梨子(ハナナシ)・枝椎(ヱタシイ)・胡桃(クルミ) 生北土。今陜洛間、多有∨之。大株厚葉多陰、實亦外有皮包之。胡桃乃核中桃為‖胡桃|。内秋冬熟時採之。外青皮染髪及帛黒、其樹皮可∨染∨褐也也云々。〔謙堂文庫蔵五九右E〕
とあって、標記語「花梨子」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎胡桃汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
花梨子(はななし)/花梨子 梨の品いろ/\あり。性大寒(たいかん)なり。実熱の人ハ是を食すへし。虚冷(きよれい)の人はくらふへからす。〔91オ六・七〕
とあって、この標記語「花梨子」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ〔67オ五〜八〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)〔120ウ六〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「干棗」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「ほしなつめ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「干棗」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
696隨∨体∨之可∨引∨之時以後之菓子者生栗(イケクリ)・搗栗(カチ―)・串柿・熟柿(―クシ)・干棗(―ナツメ)・花梨子(ハナナシ)・枝椎(ヱタシイ)・胡桃(クルミ) 生北土。今陜洛間、多有∨之。大株厚葉多陰、實亦外有皮包之。胡桃乃核中桃為‖胡桃|。内秋冬熟時採之。外青皮染髪及帛黒、其樹皮可∨染∨褐也也云々。〔謙堂文庫蔵五九右E〕
とあって、標記語「干棗」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎胡桃汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)/熟柿干棗 生にて食すれは脾(ひ)胃(ゐ)を傷(やぶ)り、乾して食すれは脾胃を調(とゝの)ふ。〔91オ五・六〕
とあって、この標記語「干棗」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ〔67オ五〜八〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)〔120ウ六〕
熟柿(ジユクシ) 。〔元亀二年本315三〕
熟柿(シユクシ) 。〔静嘉堂本370一〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「熟柿」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「シユクシ」と記載する。
熟煙(ジクシ) 。〔草木門207六〕
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』そして、易林本『節用集』に標記語「熟柿」の語を収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
696隨∨体∨之可∨引∨之時以後之菓子者生栗(イケクリ)・搗栗(カチ―)・串柿・熟柿(―クシ)・干棗(―ナツメ)・花梨子(ハナナシ)・枝椎(ヱタシイ)・胡桃(クルミ) 生北土。今陜洛間、多有∨之。大株厚葉多陰、實亦外有皮包之。胡桃乃核中桃為‖胡桃|。内秋冬熟時採之。外青皮染髪及帛黒、其樹皮可∨染∨褐也也云々。〔謙堂文庫蔵五九右E〕
とあって、標記語「熟柿」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎胡桃汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)/熟柿干棗 生にて食すれは脾(ひ)胃(ゐ)を傷(やぶ)り、乾して食すれは脾胃を調(とゝの)ふ。〔91オ五・六〕
とあって、この標記語「熟柿」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ▲熟柿ハよく熟たる柿也。〔67オ六、67ウ一〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)▲熟柿ハよく熟たる柿也。〔121オ一、121オ四〕
Iucuxi.ジュクシ(熟柿) 非常に良く熟した柿.※原文はFigos de Iapa~o.〔邦訳371lr〕
じゅく-し〔名〕【熟柿】よく、うるみたる柿。きざはし。きざがき。ずくし。狂言記、成上物「澁柿が、熟柿に成り上がります」伊曾保物語(文禄)「身が賞翫せうと思切って居た、其熟柿をば」〔990-4〕
串柿(クシガキ) 。〔元亀二年本189七〕
串柿(クシカキ) 。〔静嘉堂本213五〕〔天正十七年本中36オ五〕
隨躰可引之時以後之菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔至徳三年本〕
隨躰可引之時以後菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔宝徳三年本〕
隨躰可引之齋以後菓子者生栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎菱田烏子覆盆子百合草隨御自愛可用之〔建部傳内本〕
隨テ∨躰∨之可∨引∨之ヲ時以後ノ菓子ハ者生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子枝椎( シイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )野老(トコロ)零陵子(ヌカコ)等隨テ‖御自愛( アイ)|可∨用∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
隨∨躰∨之可シ∨引(ヒク)∨之ヲ時以後ノ菓子者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチ )串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子(ハナナシ)枝椎(エタシイ)菱(ヒシ)田烏子(クワイ)覆盆子(イチコ)百合草隨‖御自愛ニ|可シ∨用‖意之ヲ|〔経覺筆本〕
隨テ∨躰ニ∨之可∨引∨之ヲ齋(トキ)以後ノ菓子(クワシ)者(ハ)生栗(ナマクリ)搗栗(カチクリ)串柿(クシカキ)熟柿(シユクシ)干棗(ホシナツメ)花梨子( ナシ)枝椎(エタシ井)菱(ヒシ)田烏(クワ井)覆盆子(イチコ)百合草(ユリ )隨テ‖御自愛(コジアイ)ニ|可用之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「串柿」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「くしかき」と記載する。
串煙(クシガキ/クワン、―)[去・○] 。〔飲食門503七〕
串柿(クシガキ) 。〔弘・食物門160四〕
串煙(クシカキ) 。〔衣服門131二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「串柿」「串煙」の語を以て収載し、これを、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本が収載しているのである。
696隨∨体∨之可∨引∨之時以後之菓子者生栗(イケクリ)・搗栗(カチ―)・串柿・熟柿(―クシ)・干棗(―ナツメ)・花梨子(ハナナシ)・枝椎(ヱタシイ)・胡桃(クルミ) 生北土。今陜洛間、多有∨之。大株厚葉多陰、實亦外有皮包之。胡桃乃核中桃為‖胡桃|。内秋冬熟時採之。外青皮染髪及帛黒、其樹皮可∨染∨褐也也云々。〔謙堂文庫蔵五九右E〕
とあって、標記語「串柿」の語を収載し、語注記は未記載にする。
菓子者生栗搗栗串柿熟柿干棗花梨子枝椎胡桃汁菜(シルサイ)何(イツ)レモ雪林菜(せツリンサイ)雪(ユキ)アヘトテ有(アン)也。食事(シヨクジ)ハ皆人ノ御存(ゴゾンシ)也。〔下35ウ四〜36オ一〕
串柿(くしがき)/串柿 柿数品(すひん)ありといへとも皆性寒(かん)なり。熱(ねつ)を去り渇(かわき)を止め身を湿(うるほ)し腹を渋(しぶ)らす。聲枯たるを治し反胃(ほんゐ)を治す。〔91オ四・五〕
とあって、この標記語「串柿」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
齋(とき)以後(いご)の菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほしなつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしい)菱(ひし)田烏子(くハゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)御自愛(ごじあい)に隨(したがつ)て之(これ)を用(もち)ゆ可(べ)し/齋以後菓子者。生栗。搗栗。串柿。熟柿。干棗。花梨子。枝椎。菱。田烏子。覆盆子。百合草。隨テ二御自愛ニ一可シレ用ニレ之ヲ〔67オ五〜八〕
齋(とき)以後(いごの)菓子(くハし)者(ハ)生栗(なまぐり)檮栗(かちぐり)串柿(くしがき)熟柿(じゆくし)干棗(ほ なつめ)花梨子(はななし)枝椎(えだしひ)菱(ひし)田烏子(くわゐ)覆盆子(いちご)百合草(ゆり)零陵子(むかご)隨(したがつて)二御自愛(ごじあいに)一可(べし)レ用(もちふ)レ之(これを)〔120ウ六〕
Cuxigaqi.クシガキ(串柿) 干し柿.※原文はFigos passados.〔邦訳176lr〕
くし-がき〔名〕【串柿】晒柿(さらしがき)の、竹串に貫きたるもの、安藝の西條柿(さいでうがき)、名あり。康頼本草、上59「桿煙、クシガキ」〔521-3〕
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