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ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
齲齒(ムシクイバ) 。〔元亀二年本176四〕
齲歯(ムシクイバ) 。〔静嘉堂本196八〕
齲歯(ムシクイハ) 。〔天正十七年本中28オ三〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、経覺筆本は「病齒」とし、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本は、「疾齒」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ムシクヒハ」、経覺筆本・文明四年本に「ヤミハ」と記載する。
齲(ク)齒ムシカメハ。〔黒川本・人躰門中43ウ二〕
齲。〔卷第五・人躰門113六〕
齲齒(ムシクヒバ) 。〔支躰門114三・天理図書館本上57ウ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「疾齒」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
711諠病(コ/キヤ)咳病(ガイ―)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等者如レ形見知候歟。癲狂(テンカラ)癩病(ライ―)傷寒 過ルヲ二三日ニ一傷寒(カン)ト云。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「疾齒」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
諠病(キヤクヘイ)咳病(ガイビヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等者如クレ形(カタノ)見知(ミシリ)候黙諠病ハ。オコリ日マぜニ混(ヲコ)リテフルフ事也。傳送(テンソウ)ノ靈神付給フナリ。〔下37オ四・五〕
疾齒(やミハ)/疾齒 歯のわつらひなり。〔93ウ三〕
とあって、この標記語「疾齒」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲疾歯ハ牙歯(きばハ)のなやミ也。熱(ねつ)により虚(きよ)によつて発(おこ)る。〔69オ三、69ウ一〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲疾歯ハ牙歯(きばハ)のなやミ也。熱(ねつ)により虚(きよ)によつて發る。〔123ウ六、124オ六〕
Yamiba.ヤミバ(疾齒) 歯の病気.〔邦訳809r〕
むしくひ-ば〔名〕【蟲喰齒】むしば(齲齒)に同じ。増補下學集、上、支體門「齲齒、ムシカメハ、ムシクヒハ」沙石集、七、上、第五條「南都に齒取唐人ありき、云云、蟲の食ひたる齒を取らせんとて、唐人が許へゆきぬ、齒一つ取るには、錢二文に定めたるを、一文にてとりてたべといふ」〔4-546-1〕
咳病(カイビヤウ) 。〔元亀二年本92七〕
咳(ガイ)病 。〔静嘉堂本114七〕
咳(カイ)病 。〔天正十七年本上56八〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「咳病」と表記し、訓みは経覺筆本に「カイヘイ」、文明四年本に「カイヒヤウ」と記載する。
咳病(ガイビヤウ) 。〔態藝門76七〕
咳病(ガイビヤウ/―、ヘイ・ヤマイ)[○・去] 。〔支體門266七〕
咳病(ガイビヤウ) 。〔弘・支體門79二〕
咳病(ガイビヤウ) ―氣(ケ)。〔永・支体門78七〕
咳(カイ)病 ―気。〔尭・支体門71三〕
咳病(ガイビヤウ) ―気。〔兩・支体門85三〕
咳病(ガイビヤウ) 。〔人倫門71三・天理図書館本上36オ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「咳病」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
711諠病(コ/キヤ)咳病(ガイ―)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等者如レ形見知候歟。癲狂(テンカラ)癩病(ライ―)傷寒 過ルヲ二三日ニ一傷寒(カン)ト云。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「咳病」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
諠病(キヤクヘイ)咳病(ガイビヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等者如クレ形(カタノ)見知(ミシリ)候黙諠病ハ。オコリ日マぜニ混(ヲコ)リテフルフ事也。傳送(テンソウ)ノ靈神付給フナリ。〔下37オ四・五〕
咳病(がいひやう)/咳病 せきの出る病ひ也。〔93ウ3〕
とあって、この標記語「咳病」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲咳病ハ俗にいふせき也。肺気(はいけ)外邪(ぐわいじや)に傷(やぶ)られて発(おこ)る所。〔69オ二、69オ八〜ウ一〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲咳病ハ俗にいふせき也。肺気(はいけ)外邪(くわいじや)に傷られて発(おこ)る所。〔124オ一、124ウ三・四〕
Gaibio<.ガイビャウ(咳病) Xiuabuqino yamai.(咳の病)気管支カタル.§Gaibio<uo vocosu.(咳病を起す)気管支カタルを病み始める.§Gaibio<uo vazzuro<.(咳病を煩ふ) 気管支カタルにかかっている.〔邦訳291l〕
× 。〔元亀二年本、語脱落〕
諠病(ギヤヘイ) 。〔静嘉堂本326八〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「諠病」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ギヤク/ヲコリ(ヘイ)」、経覺筆本・文明四年本に「キヤヘイ」と記載する。 古辞書では、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本『伊呂波字類抄』には、
諠病 疾病分。〔黒川本・畳字門下50ウ四〕
とあって、三卷本に標記語「諠病」の語を収載する。
瘧(キヤ)ヲコリ病(ヘイ) 。〔永・支体門183二〕〔尭・支体門172五〕
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と永祿二年本・尭空本『節用集』とに標記語「瘧病」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
711諠病(コ/キヤ)咳病(ガイ―)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等者如レ形見知候歟。癲狂(テンカラ)癩病(ライ―)傷寒 過ルヲ二三日ニ一傷寒(カン)ト云。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「諠病」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
諠病(キヤクヘイ)咳病(ガイビヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等者如クレ形(カタノ)見知(ミシリ)候黙諠病ハ。オコリ日マぜニ混(ヲコ)リテフルフ事也。傳送(テンソウ)ノ靈神付給フナリ。〔下37オ四・五〕
諠病(ぎやくびやう)/諠病 おこり乃事なり。〔93ウ二〕
とあって、この標記語「諠病」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲瘧病ハ俗におこりといふ。外(ほか)風湿(ふうしつ)に感(かん)じ内飲食(うちいんしよく)に傷(やぶ)られて發(はつ)す。〔69オ二、69オ八〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲瘧病ハ俗におこりといふ。外(ほか)風湿(ふうしつ)に感(かん)じ内飲食(うちいんしよく)に傷(やぶ)られて發す。〔124オ一、124ウ三〕
腫物(シユモツ) 。〔元亀二年本317九〕
腫物 。〔静嘉堂本373七〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「腫物」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「シユモツ」と記載する。
腫物(シユモツ) 。〔態藝門77一〕
腫物(シユモツ/シユウブツ・ハレモノ)[去・入] 。〔態藝門923四〕
腫物(シユモツ) 。〔永・支体門201一〕〔尭・支体門190二〕
腫物(シユモツ) 。〔支躰門206三・天理図書館本下36オ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「腫物」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。そして、真名注の「惣名」の語注記は上記古辞書には見えない。
710内痔(―ジ/カンハラヲ云也)内癰々丁ノ腫物 癰不∨腫∨上底破也。丁ハ上ニ腫顕也。腫物ハ惣名。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「腫物」の語を収載し、この語における語注記は、「腫物は、惣名」と記載する。
内癰(ナイヨウ)丁(チヤウ)腫(シユ)物内癰(ヨウ)ハ。腹中ノ煩(ワツラ)ヒナリ。〔下37オ三・四〕
腫物(しゆもつ)/腫物 はれものと訓す。〔93オ七〕
とあって、この標記語「腫物」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲腫物ハはれものと訓(くん)ず。膿汁(うミしる)を含(ふく)む瘡類(かさるい)をすべていふ。〔69オ二、69オ八〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲腫物ハはれものと訓(くん)ず。膿汁(うミしる)を含(ふく)む瘡類(かさるい)をすべていふ。〔124オ一、124ウ二・三〕
Xumot.シュモツ(腫物) Faremono.(腫物)腫瘍,膿瘍,あるいは,腫れもの.〔邦訳801r〕
しュ-もつ〔名〕【腫物】はれもの。瘡(かさ)。できもの。ふきでもの。腫瘍。玉海、文治三年八月三日「二位中將腫物、今日加レ針、侍醫和氣時成候レ之」小右記、萬壽二年八月廿三日「相成云、院御肩頸閨A有二腫物一、御身熱振給、御心地不レ覺者、非二腫物氣一歟」古事談、三、僧行「相撲人、遠方勝、云云、俄に腫物出來、且可經御覽トテ、胸を掻出たりければ、乳上に、土器許、紫色にて、腫物出たり、苦痛し、無爲方、云云」〔2-826-2〕
疔(ヂヤウ) 上腫。〔元亀二年本70八〕
疔(チヤウ) 上腫。〔静嘉堂本84四〕〔天正十七年本上41ウ六〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、建部傳内本・山田俊雄藏本は「疔」、至徳三年本・宝徳三年本・経覺筆本・文明四年本は、「丁」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ヲ([テ])ウ」、文明四年本に「チヤウ」と記載する。
疔(チヤウ) 。〔支躰門50一・天理本上25ウ一〕
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本『節用集』に標記語「疔」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。とりわけ、『運歩色葉集』は継承関係を示していることは、上記用例のところで付載した通りである。
710内痔(―ジ/カンハラヲ云也)・内癰・々丁ノ腫物 癰不∨腫∨上底破也。丁ハ上ニ腫顕也。腫物ハ惣名。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「丁」の語を収載し、この語における語注記は、「丁は、上に腫れ顕るなり」と記載する。
内癰(ナイヨウ)丁(チヤウ)腫(シユ)物内癰(ヨウ)ハ。腹中ノ煩(ワツラ)ヒナリ。〔下37オ三・四〕
丁(てう)/丁 是もあしき腫物(しゆもつ)なり。其形ちびやうのときゆへ丁と云。丁ハびやうの事也。〔93ウ一〕
とあって、この標記語「丁」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲疔ハ面(かほ)手足(てあし)などに生ずる瘡(かさ)也。〔69オ二、69オ七〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲疔ハ面(かほ)手足(てあし)などに生ずる瘡(かさ)也。〔124オ一、124ウ二〕
ちャう〔名〕【疔】腫物の名。面部に發するを面疔(メンチヤウ)と云ひて、疼痛劇甚にして、?、惡寒(ヲカン)、發熱を伴ひ、極めて險症なるものとす。疔瘡。(俗に、癰(ヨウ)と混じ誤る)倭名抄、三12瘡類「丁瘡、或作レ疔」〔3-339-3〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「癰」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ヤウ」、文明四年本に「ヨウ」と記載する。
癰(井ヨウ) ヱウ。〔黒川本・人躰門下85ウ一〕
癰(ヨウ) 病/疽。〔弘・支体門91三〕
癰(ヨウ) 。〔人倫門85五・天理本上43オ五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「癰」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
710内痔(―ジ/カンハラヲ云也)・内癰・々丁ノ腫物 癰不∨腫∨上底破也。丁ハ上ニ腫顕也。腫物ハ惣名。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「癰」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
内癰(ナイヨウ)丁(チヤウ)腫(シユ)物内癰(ヨウ)ハ。腹中ノ煩(ワツラ)ヒナリ。〔下37オ三・四〕
内癰(ないよう)/内癰 癰ハあしき腫物(しゆもつ)也。腹中へ出來たるを内癰といふ。〔93ウ一〕
とあって、この標記語「内癰」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲内癰ハ六腑(ろくふ)和(くハ)せさるより發(おこ)る毒強(どくつよ)き腫物(しゆもつ)也。胸(むね)腹(はら)脊(せ)などに生(しやう)ず。〔69オ二、69オ七〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲内癰ハ六腑(ろくふ)和(くハ)せさるより發(おこ)る毒強(どくつよ)き腫物(しゆもつ)也。胸(むね)腹(はら)脊(せ)などに生ず。〔124オ一、124ウ一〕
Yo>.ヨウ(癰) 癰,すなわち,背中にできる腫物.例,Yo>-ga deqita.(癰が出来た)〔邦訳822r〕
よう〔名〕【癰】瘡の名。其状、皮の上、薄くして光澤あり、大抵、肩胛(かいがね)の閨A頸窩(ぼんのくぼ)、背、などに發す、甚だ危き腫物とす。癰瘡。(俗、これを疔と誤る)又同種に、疽(そ)と云ふあり、上の皮、固くして牛項の皮の如く、初、輕く見えて、毒更に深く、遲く膿みて、筋骨まで腐る。治し難し。倭名抄、三、13瘡類「癰(ヨウ)、氣壅結而不レ潰也」唐書、孝友傳、序「張士嚴、云云、母病レ癰、士嚴吮レ血」〔2080-4〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本は「内鹸」、宝徳三年本は「内消」、建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「内催」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(ナイ)ヨウ」、経覺筆本に「(ナイ)セウ」、文明四年本に「ナイセウ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、姓氏「内催」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』が収載しているのである。
710内痔(―ジ/カンハラヲ云也)内癰々丁ノ腫物 癰不∨腫∨上底破也。丁ハ上ニ腫顕也。腫物ハ惣名。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「内催」の語は未収載にする。
内痔(チ) 。〔元亀二年本165四〕〔静嘉堂本183四〕〔天正十七年本中22オ七〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「内痔」と表記し、訓みは文明四年本に「寮」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、唯一『運歩色葉集』に標記語「内痔」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
710内痔(―ジ/カンハラヲ云也)・内癰・々丁ノ腫物 癰不∨腫∨上底破也。丁ハ上ニ腫顕也。腫物ハ惣名。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「内痔」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
内痔(チ)ハ尻(シリ)ノ煩(ワツ)ラヒナリ。〔下37オ三〕
内痔(ナイヂ)/内痔 痔は尻の病也。内痔は内にて痛む病也。〔93オ八〜ウ一〕
とあって、この標記語「内痔」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲内痔ハ五痔(ぢ)の一ッ也。肛門(こうもん)の内(うち)に瘡(かさ)を生(しやう)ずる病。〔69オ二、69オ七〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲内痔ハ五痔(ぢ)の一ッ也。肛門(かうもん)の内に瘡(かさ)を生(しやう)ずる病。〔123ウ六、124ウ一〕
†Naigi.ナイヂ(内痔) 痔疾の一種.〔邦訳443r〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「赤痢」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(シャク)リ」、文明四年本に「シヤクリ」と記載する。
赤痢(シヤクリ) 。〔態藝門77三〕
赤痢(シヤクリ/アカシ、ハラノヤマイ)[入・去] ――白痢共腹(ハラノ)病也。〔態藝門923三〕
赤痢(シヤクリ)アカイハラ。〔永・支体門201二〕
赤痢(シヤクリ) 白―。〔尭・支体門190三〕
醫方(イホウ) ―書。―道。―療。―術/―骨。―家(ケ)。〔兩・言語門7六〕
赤痢(シヤクリ) 白(ビヤク)痢。〔支躰門206四・天理図書館蔵下36オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「赤痢」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
709此邊ノ輩者ハ脚気・中風・上氣・頭風・黄-痢(リ)・赤-痢・内催(ヨウ) 痩病。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「赤痢」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
上氣頭(ツ)風荒痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)上氣ハ風ノ心地にて目マフナリ。〔下37オ二・三〕
赤痢(セキリ)/赤痢 黄痢つのり肉とけてくたるゆへ色赤(あか)し。よつて赤痢と云。〔93オ八〕
とあって、この標記語「赤痢」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。黄痢ハ未レ考。赤痢ハあかはらといふ血(ち)に属(ぞく)す。共に痢病(りびやう)也。湿熱(しつねつ)食積(しよくしやく)によつて發す。〔69オ一・二、69オ六・七〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲黄痢ハ未レ考。赤痢ハあかはらといふ血(ち)に属(そく)す。共に痢病(り )也。濕熱(しつねつ)食積(しよくしやく)によつて發す。〔123ウ六、124オ六〜ウ一〕
Xacuri.シャクリ(赤痢) 血便の出る下痢.¶Xacurino vazzurai.(赤痢の煩ひ)この下痢の病気.文書語.→Biacuri.〔邦訳741r〕
しゃく-り〔名〕【赤痢】せきり(赤痢)に同じ。其條を見よ。〔2-783-4〕
せき-り〔名〕【赤痢】せきりびゃう(赤痢病)の條を見よ。庭訓徃來、十一月「黄痢、赤痢」〔3-049-3〕
せきり-びゃう〔名〕【赤痢病】赤痢菌のために、烈しく下痢して、飴状の排泄物の出づる、一種の傳染病。腹痛を起し、便通、多くなりて、量、少なく、初は、粘液、次に、血液、次に、濃汁の如き便となりて、澁る。重きは一時閨A二三囘、下痢を催す。しゃくり。赤痢。吾妻鏡、四十九、文應元年八月七日「將軍家煩二赤痢病一御」〔3-049-4〕
荒痢(リ) 。〔元亀二年本193一〕〔静嘉堂本218四〕〔天正十七年本中38ウ五〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本は「荒痢」と表記し、至徳三年本・山田俊雄藏本・文明四年本は「黄痢」と表記する。訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「クワウリ」と記載する。
荒痢(クワウリ) 。〔態藝門77二〕
荒痢(クワウリ/アルヽ、ハラノヤマイ)[平去・去] 。〔態藝門535一〕
荒痢(クハウリ) 。〔永・支体門129五〕
荒凉(クワウリヤウ) ―言。―説。―廢/―痢。―野。〔尭・言語門120八〕
荒凉(クワウリヤウ) ―言(ゲン)。―説。―廢/―痢。―野。〔兩・支体門146七〕
黄痢(クワウリ) 赤―。白―。〔支體門129四・天理図書館蔵上65オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、上記に示した多くが標記語「荒痢」の語を収載しているなかで、易林本『節用集』には標記語「黄痢」の語が収載され、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
709此邊ノ輩者ハ脚気・中風・上氣・頭風・黄-痢(リ)・赤-痢・内催(ヨウ) 痩病。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「黄痢」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
上氣頭(ツ)風荒痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)上氣ハ風ノ心地にて目マフナリ。〔下37オ二・三〕
黄痢(づふう)/黄痢 頭にふく毒(とく)を交たる病也。〔93オ七〕
とあって、この標記語「黄痢」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲黄痢ハ未レ考。赤痢ハあかはらといふ血(ち)に属(ぞく)す。共に痢病(りびやう)也。湿熱(しつねつ)食積(しよくしやく)によつて發す。〔69オ一・二、69オ六・七〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲黄痢ハ未レ考。赤痢ハあかはらといふ血(ち)に属(そく)す。共に痢病(り )也。濕熱(しつねつ)食積(しよくしやく)によつて發す。〔123ウ六、124オ六〜ウ一〕
頭風(フウ) 。〔元亀二年本157八〕〔天正十七年本中18オ二〕
頭風(ヅフウ) 。〔静嘉堂本173一〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「頭風」と表記し、訓みは経覺筆本に「ツ(フウ)」、文明四年本に「ヅフウ」と記載する。
頭風(ヅフウ/カブリ・カシラ、カぜ)[平・平] 。〔態藝門414三〕
頭風(フウ) 。〔弘・支体門126五〕
頭痛(ヅツウ) ―頂(チヤウ)。―然(ネン)。―熱(ネツ)/―上(ジヤウ)。―風(フウ)。―目(モク)。〔支体門103三・天理図書館蔵上52オ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「頭風」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
709此邊ノ輩者ハ脚気・中風・上氣・頭風・黄-痢(リ)・赤-痢・内催(ヨウ) 痩病。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「頭風」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
上氣頭(ツ)風荒痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)上氣ハ風ノ心地にて目マフナリ。〔下37オ二・三〕
頭風(づふう)/頭風 頭にふく毒(とく)を交たる病也。〔93オ七〕
とあって、この標記語「頭風」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲頭風ハ頭痛(づつう)の凝(こ)る所もと逆上(のぼせ)より發す。〔69オ一、69オ六〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲頭風ハ頭痛(づつう)の凝(こ)る所もと逆上(のぼせ)より發す。〔123ウ六、124オ六〕
Zzufu<.ヅフウ(頭風) 寒さがもとで起こる,ある種の頭の病気.¶Zzufu<ga vocotta.(頭風が起こった)私にこの病気が起こった.〔邦訳845r〕
づ-ふう〔名〕【頭風】づつう(頭痛)に同じ。倭名抄(一本)病類「頭風、加之良以太木也万比、俗云、豆封」名義抄「頭風、ヅフウ」庭訓徃來、十一月「脚氣、中風、上氣、頭風」〔3-420-3〕
上氣(キ) 。〔元亀二年本314四〕〔静嘉堂本368六〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「上氣」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「(ジヤウ)キ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』だけに標記語「上氣」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
709此邊ノ輩者ハ脚気中風上氣頭風黄-痢(リ)赤-痢内催(ヨウ) 痩病。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「上氣」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
上氣頭(ツ)風荒痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)上氣ハ風ノ心地にて目マフナリ。〔下37オ二・三〕
上氣(じやうき)/上氣 のぼせの事也。〔93オ六・七〕
とあって、この標記語「上氣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲上気ハ気血(きけつ)逆上(ぎやくじやう)するをいふ。のぼせ也。〔69オ一、69オ六〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲上気ハ気血(きげつ)逆上(ぎやくじやう)するをいふ。のぼせ也。〔123ウ六、124オ五・六〕
Io<qi.ジャウキ(上氣) Qiga agaru.(気が上がる)血や体液が頭にのぼること.例,Io<qi xita,l,suru.(上気した,または,する)〔邦訳369l〕
じゃう-き〔名〕【上氣】(一)逆上(のぼせ)。上衝。孕盤常(正コ、近松作)四「喰ひつくやら、抱きつくやら、頭は上氣の、濃い紅葉」(二)狂氣。〔961-4〕
中風(フ) 。〔元亀二年本64一〕
中風 。〔静嘉堂本74四〕〔天正十七年本上37ウ二〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「中風」と表記し、訓みは文明四年本に「(チュウ)フ」と記載する。
中風(チウブ) 。〔永・支体門51六〕〔尭・支体門46六〕
中風(チウブウ) 。〔兩・支体門54八〕
このように、上記当代の古辞書においては、印度本系統『節用集』に標記語「中風」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
709此邊ノ輩者ハ脚気中風上氣頭風黄-痢(リ)赤-痢内催(ヨウ) 痩病。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「中風」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
脚氣(カツケ)中風トハコレヒサアシノ病也。中風ノワザナリ。〔下37オ二〕
中風(ちうぶ)/中風 卒中の事也。〔93オ六〕
とあって、この標記語「中風」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲中風ハ虚(きよ)する所ありて發(はつ)すしびるゝ病也。〔69オ一、69オ五・六〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲中風ハ虚(きよ)する所ありて發すしびるゝ病也。〔123ウ五・六、124オ五〕
Chu'bu.チュウフウ(中風) 中風.¶Chubuuo vazzuro<,l,yamu.(中風を煩ふ,または,病む)中風の病気にかかっている.→Fanjin.〔邦訳129r〕
ちゅう-ぶ〔名〕【中風】次條の語に同じ。〔3-362-3〕
ちゅう-ぶう〔名〕【中風】〔惡風に中(あた)りて發する病の意〕病の名。身體の一部、或は、半身の、麻痺(しび)れて、功用(はたらき)の止むもの。(腦溢血(ナウイツケツ)の條を見よ)。莊子、達生篇「中レ身當レ心、則爲レ病」注「猶二醫書中風中暑一是也」古今著聞集、七、能書「中風して手わななきて、手跡も異やうに成りにけり」吾妻鏡、五十一、弘長三年十月八日「和泉前司行方、此闢虫。之處、俄以煩二中風一所勞」〔3-362-3〕
膈氣(カクノキ) 。〔元亀二年本96二〕
脚氣(カツケ) 。〔静嘉堂本117三〕〔天正十七年本上57ウ六〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「脚氣」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「カツケ」と記載する。
脚氣 。〔黒川本・畳字門〕
脚力 〃病。〃氣。〔卷第四・畳字門275四〕
脚氣(カツケ) 。〔態藝門78六〕
脚氣(カツケ) 病。〔弘・支体門79二〕
脚氣(カツケ) 。〔永・支体門78七〕〔尭・支体門71三〕〔兩・支体門85三〕
脚気(カツケ) 。〔人倫門71三・天理図書館蔵上36オ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「脚氣」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
709此邊ノ輩者ハ脚気中風上氣頭風黄-痢(リ)赤-痢内催(ヨウ) 痩病。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「脚気」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
脚氣(カツケ)中風トハコレヒサアシノ病也。中風ノワザナリ。〔下37オ二〕
脚氣(かつけ)/脚氣 足の病也。〔93オ六〕
とあって、この標記語「脚氣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。▲脚気ハ外邪(ぐわいしや)湿熱(しつねつ)によつて發(はつ)す脚(あし)いたむ病也。〔69オ一、69オ五〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)▲脚気ハ外邪(ぐわいじや)湿熱(しつねつ)によつて發(はつ)す脚(あし)いたむ病也。〔123ウ四、124オ四〕
Cacqe.カッケ(脚気) 足や脚部,その他四肢の,corrimentosのような病気.※Moraisその他の葡語辞典によれば,corrimentoは,人体のある部分を流れる体液の意であるが,Academiaその他の西語辞典によれば,人体のある器官に体液が病的に鬱積することの意で,十六世紀以来用いられて来た.本条ではその意であろうか.なお,本書の別条Subiqi,u;Sugiqe;Tcigiの諸条には,corrimentoをリューマチの意で用いているが,当時はリューマチも体液の作用によって生じる病気と考えられていたことに基づくものか.なお,本条のcorrimentoを日仏辞書にcrampe(けいれん)としているのは穏当でない.〔邦訳74r〕
かっ-け〔名〕【脚氣】かくけの條を見よ。〔2-644-2〕
かく-け〔名〕【脚氣】古言、あしのけ。脚病(カクビヤウ)。脚(あし)に麻痺を感じ、水腫(すゐき)をおこす病。水腫なきを、空虚(から)(乾)脚氣(カクケ)と云ふ、重きは衝心(シヨウシン)す。撮壤集、下、痼疾「脚氣(カツケ)、アシ」〔2-597-3〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風黄痢赤痢内痔内鹸癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔至徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内消癰丁腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候歟〔宝徳三年本〕
此邊候輩者脚氣中風上氣頭風荒痢赤痢内痔内催癰疔腫物諠病咳病疾齒膜等者如形見知候黙〔建部傳内本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣(カツケ)中風上氣(キ)頭風黄痢(クワウリ)赤痢(リ)内痔(ジ)内催(ヨウ)腫物癰疔(ヤウテウ)諠(ギヤク)ヲコリ病咳病疾齒(ムシクヒハ)膜(マケ)等者(ハ)如レ形ノ見知リ候〔山田俊雄藏本〕
此邊ニ候輩者ハ脚氣中風諠病(キヤヘイ)上氣頭(ツ)風荒痢赤痢内痔(チ)内催(せウ)癰丁ノ腫物(シユモツ)咳病(カイヘイ)病齒(ヤミハ)膜等者(ハ)如レ形ノ見知候歟〔経覺筆本〕
此邊ニ候輩(トモカラ)ハ脚氣(カツケ)中風(フ)上氣(キ)頭風(ヅフウ)黄痢(クワウリ)赤痢(シヤクリ)内痔(ナイチ)内催(ナイせウ)癰(ヨウ)丁(チヤフ)ノ腫物(シユモツ)諠病(キヤヘイ)咳病(カイヒヤウ)疾齒(ヤミハ)膜(マケ)等(トウ)者(ハ)如(コトク)レ形(カタ)ノ見知(ミシリ)候黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「此邊」と表記記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、姓氏「此邊」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
709此邊ノ輩者ハ脚気・中風・上氣・頭風・黄-痢(リ)・赤-痢・内催(ヨウ) 痩病。〔謙堂文庫蔵六〇左C〕
とあって、標記語「此邊」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
術治養生之達者殊ニ大切之亊候此邊ニ候輩(トモカラ)者術治ハ。マシナヒナヲス事也。瘧霍(キヤククハク)乱等ノ類也。祈(イノ)リ祭(マツ)ル事ナリ。〔下37オ二〕
此(この)辺(へん)に候輩(ともから)ハ/此辺ニ候輩者 秦氏(はだうぢ)の近所(きんしよ)に居る医者を云。〔93オ五・六〕
とあって、この標記語「此邊」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此邊(このへん)に候(さふら)ふ輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうぶう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようてう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)形(かた)の如(ごと)く見知(ミし)リ候(さふら)ふ歟(か)/此邊候フ輩者。脚氣。中風。上氣。頭風。黄痢。赤痢。内痔。内癰。疔。腫物。諠病。咳病。疾齒。膜。等者如ク形ノ見知リ候フ黙。〔69オ一〕
此邊(このへんに)候(さふらふ)輩(ともがら)者(ハ)脚氣(かくけ)中風(ちうふう)上氣(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)内癰疔(ないようちやう)腫物(しゆもつ)諠病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾齒(やミは)膜(まけ)等(とう)者(ハ)如(ことく)レ形(かたの)見知(ミしり)候(さふらふ)黙(か)。〔123ウ四〕
針治湯治述治養生之達者殊大切事候〔至徳三年本〕
針治湯治術治養性之達者殊大切之事候〔宝徳三年本〕
針治湯治術治養生之達者殊大切也〔建部傳内本〕
針(シン)治湯治術(シユツ)治養生之(ノ)達者殊ニ大切ノ事ニ候也〔山田俊雄藏本〕
針治(シンチ)湯治術治(シユツチ)養生之達者(タツシヤ)殊ニ大切ノ事候〔経覺筆本〕
針治(シムチ)湯治術治(シユツチ)養生之達(タツ)者殊ニ大切之事候〔文明四年本〕※養性(ヤウシヤウ)。殊(コトニ)。
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「術治」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ジユツ(チ)」、経覺筆本・文明四年本に「ジユツチ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、姓氏「術治」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
708針治・湯治・術治・養生之達者、殊ニ大切之亊候 養生ノ法、可下大ニ座伸‖一-脚|屈‖一脚|、以‖兩手ヲ|向∨後ロニ反掣テ各可‖三五度ス|。亦跪テ座シテ以‖兩手ヲ|拒(サヽヘ)∨地ヲ回-顧シテ用∨力虎視ルコト各三五度能去‖脾臓積風邪|喜∨食也。〔謙堂文庫蔵六〇左@〕
とあって、標記語「術治」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
術治(シユツチ)養生之達(タツ)者殊ニ大切之事候擧達(キヨタツ)トハ知ヨト云心ナリ。〔下36ウ八〕
術治(じゆつ )/術治 医術を以て病を治(なを)す也。〔93オ三〕
とあって、この標記語「術治」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
針治(しんぢ)湯治(とうぢ)術治(じゆつち)養生(ようじやう)之(の)達者(たつしや)殊(こと)に大切(たいせつ)に候(さふら)ふ/針治湯治術治養生之達者殊ニ大切之亊候▲術治ハ呪法(まじない)を以て病を禁(いまし)むる也。〔68ウ八、68ウ五〕
針治湯治術治養生之達者殊ニ大切之亊候▲術治ハ呪法(まじなひ)を以て病を禁(いまし)むる也。〔123ウ四、124オ四〕
じゅつ-ぢ〔名〕【術治】まじなふこと。庭訓徃來、十一月「針治、湯治、術治、養生之達者、殊大切事候」〔3-815-2〕
湯治(タウヂ) 。〔元亀二年本135四〕
湯(タウ)治 。〔静嘉堂本142四〕
湯治(タウチ) 〔天正十七年本中3オ八〕
針治湯治述治養生之達者殊大切事候〔至徳三年本〕
針治湯治術治養性之達者殊大切之事候〔宝徳三年本〕
針治湯治術治養生之達者殊大切也〔建部傳内本〕
針(シン)治湯治術(シユツ)治養生之(ノ)達者殊ニ大切ノ事ニ候也〔山田俊雄藏本〕
針治(シンチ)湯治術治(シユツチ)養生之達者(タツシヤ)殊ニ大切ノ事候〔経覺筆本〕
針治(シムチ)湯治術治(シユツチ)養生之達(タツ)者殊ニ大切之事候〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「湯治」と表記記載する。
湯治 同(醫方部)/タウチ。〔黒川本・畳字門中9ウ七〕
湯沐タウモク 〃治。〃薬。〔卷第四・畳字門447二〕
湯治(タウヂ/ユ、ヲサムル)[平・平] 。〔態藝門366五〕
湯治(タウヂ) 。〔弘・言語進退門108四〕〔永・言語門95一〕〔兩・言語門105三〕
湯治(タウチ) 。〔尭・言語門86八〕
湯治(タウヂ) ―藥(ヤク)。〔言語門93二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「湯治」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
708針治・湯治・術治・養生之達者、殊ニ大切之亊候 養生ノ法、可下大ニ座伸‖一-脚|屈‖一脚|、以‖兩手ヲ|向∨後ロニ反掣テ各可‖三五度ス|。亦跪テ座シテ以‖兩手ヲ|拒(サヽヘ)∨地ヲ回-顧シテ用∨力虎視ルコト各三五度能去‖脾臓積風邪|喜∨食也。〔謙堂文庫蔵六〇左@〕
とあって、標記語「湯治」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
挙達(キヨタツせ)|候也針治(シンヂ)湯治(ダウヂ)擧達(キヨタツ)トハ知ヨト云心ナリ。〔下36ウ八〕
湯治(たうぢ)/湯治 藥湯に入りて療治するなり。〔93オ三〕
とあって、この標記語「湯治」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
針治(しんぢ)湯治(とうぢ)術治(じゆつち)養生(ようじやう)之(の)達者(たつしや)殊(こと)に大切(たいせつ)に候(さふら)ふ/針治湯治術治養生之達者殊ニ大切之亊候▲針治ハ経絡(けいらく)兪穴(ゆけつ)に針(はり)を刺(さ)して病(やまひ)を治(ぢ)する也。〔68ウ八、68ウ四・五〕
針治湯治術治養生之達者殊ニ大切之亊候▲針治ハ経絡(けいらく)兪穴(ゆけつ)に針を刺(さ)して病を治する也。〔123ウ四、124オ四〕
To<gi.タゥヂ(湯治) すなわち,Yuni iru.(湯に入る)病気療養のために入浴すること,あるいは,温泉に入ること.〔邦訳657l〕
たう-ぢ〔名〕【湯治】(一)藥湯(くすりゆ)。庭訓徃來、十一月「五木八草湯治風呂」(二)温泉に浴して、病を治すること。參考保元物語、下、爲朝生捕事「近江國或山寺に立寄り湯治しけるに」古今著聞集、二釋教「壺坂の僧正のもとに、湯治のために忍びて湯の刻限を待ち候ほどに」吾妻鏡、五十一、弘長三年十月八日「和泉前司行方、此湯治之處、俄以煩二中風一所勞」〔1195-3〕
針治湯治述治養生之達者殊大切事候〔至徳三年本〕
針治湯治術治養性之達者殊大切之事候〔宝徳三年本〕
針治湯治術治養生之達者殊大切也〔建部傳内本〕
針(シン)治湯治術(シユツ)治養生之(ノ)達者殊ニ大切ノ事ニ候也〔山田俊雄藏本〕
針治(シンチ)湯治術治(シユツチ)養生之達者(タツシヤ)殊ニ大切ノ事候〔経覺筆本〕
針治(シムチ)湯治術治(シユツチ)養生之達(タツ)者殊ニ大切之事候〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「針治」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「シン(ヂ)」、経覺筆本に「シンヂ」、文明四年本に「シムヂ」と記載する。
診治(シンヂ/ミヤクヲコヽロム、ヲサム)[○・平] 療治之義也。〔態藝門977四〕
針治(シンヂ) 。〔言辞門217四・天理蔵下41ウ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、易林本『節用集』に「針治」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
708針治・湯治・術治・養生之達者、殊ニ大切之亊候 養生ノ法、可下大ニ座伸‖一-脚|屈‖一脚|、以‖兩手ヲ|向∨後ロニ反掣テ各可‖三五度ス|。亦跪テ座シテ以‖兩手ヲ|拒(サヽヘ)∨地ヲ回-顧シテ用∨力虎視ルコト各三五度能去‖脾臓積風邪|喜∨食也。〔謙堂文庫蔵六〇左@〕
とあって、標記語「針治」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
挙達(キヨタツせ)|候也針治(シンヂ)湯治(ダウヂ)擧達(キヨタツ)トハ知ヨト云心ナリ。〔下36ウ八〕
針治(しんぢ)/針治 はりを打て病を責るなり。〔93オ二・三〕
とあって、この標記語「針治」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
針治(しんぢ)湯治(とうぢ)術治(じゆつち)養生(ようじやう)之(の)達者(たつしや)殊(こと)に大切(たいせつ)に候(さふら)ふ/針治湯治術治養生之達者殊ニ大切之亊候▲針治ハ経絡(けいらく)兪穴(ゆけつ)に針(はり)を刺(さ)して病(やまひ)を治(ぢ)する也。〔68ウ八、68ウ四・五〕
針治(しんぢ)湯治(とうぢ)術治(じゆつち)養生(ようじやう)之(の)達者(たつしや)殊(ことに)大切(たいせつに)候(さふらふ)▲針治ハ経絡(けいらく)兪穴(ゆけつ)に針を刺(さ)して病を治する也。〔123ウ四、124オ四〕
†Xingi.シンヂ(鍼治) Fari,cususu.(鍼,くすす)ある病気に対して,日本のやり方に従って針を使うこと.〔邦訳770l〕
しん-ぢ〔名〕【鍼治】鍼(はり)を用ゐて、病を治むること。はり。(鍼の條を見よ)。〔3-731-3〕
×。〔元亀二年本は脱〕
擧達(キヨタツ) 。〔静嘉堂本327二〕〔天正十七年本中37オ七〕
施藥院寮有可然之仁者可被擧達候也〔至徳三年本〕
施藥院寮可然之仁候者可被擧達候也〔宝徳三年本〕
施藥院寮有可然者可被挙達也〔建部傳内本〕
施藥院ノ寮(レウ)ニ有‖可∨然仁|者、可∨被(せ)‖挙達(キヨタツ)|也〔山田俊雄藏本〕
施藥院ノ寮(カミ)ニ有ラバ‖可∨然之仁|者可∨被‖挙達(キヨタツ)|也〔経覺筆本〕
施(せ)藥院ノ寮(カミ)ニ有ラ‖可∨然之仁|者可キ∨被(せラル)‖挙達(キヨタツ)|也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「擧達」と表記し、訓みは文明四年本に「寮」と記載する。
舉動 〃措。〃達。〃奏。〃状。〔卷第八・畳字門532二〕
舉達(キヨタツ/アグル、イタル)[○・入] 。〔態藝門830四〕
諚喬(キヨタツ) 。〔弘・言語進退門221七〕
諚状(キヨシヤウ) ―達(タツ)。〔永・言語門184六〕〔尭・言語門174一〕
舉達(キヨタツ) ―萸(ジヤウ)。〔天理蔵、言辞門下28オ六・549〕
このように、上記当代の古辞書においては、姓氏「擧達」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
707施藥院寮ニ有‖可∨然仁|者、可∨被‖挙達|也。 自‖聖武天王ノ后光明皇后|起也。施藥之字心ハ習‖醫師ヲ|始ルニ、京七口ニシテ无-縁ノ者ニ施∨藥、然シテ後ニ、名‖上品薬師|也。京ノ悲田院之建立モ天-下ノ非人施行也云々。〔謙堂文庫蔵六〇右G〕
とあって、標記語「擧達」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
挙達(キヨタツせ)|候也針治(シンヂ)湯治(ダウヂ)擧達(キヨタツ)トハ知ヨト云心ナリ。〔下36ウ八〕
挙達(きよたつ)せ被可也/可∨被‖挙達セ|也 施薬院ハ医者の多く集り居る所ゆへ上手の医者あらは合せ玉ハれとなり。〔93オ一・二〕
とあって、この標記語「擧達」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
施藥院(やくいん)の寮(れう)に然(しかる)る可(べ)き之(の)仁(じん)有(あ)ら者(バ)、挙達(きよだつ)せら被(る)可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)/施藥院ノ寮ニ。有ラ‖可キ∨然ル仁|者。可ク∨被‖挙達セラ|候フ也▲施薬院ハいにしへ諸國(しよこく)の薬種(やくしゆ)を収(おさ)めよる所なき病者(ひやうしや)窮民(きうミん)を救(すく)ひ養(やしな)ひ給ハりし所也。人皇(にんわう)四十五代聖武(しやうむ)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)天平(てんびやう)二年始(はじめ)て南都(なんと)に建(たて)給ふ。平安城(へいあんじやう)暑都(せんと)の後(のち)も猶(なを)建(たて)てられたり。今東(ひがし)九條村(くでうむら)烏丸(からすまる)の北に施薬院森(やくいのもり)といふあり。即(すなハち)これ其舊地(きうち)也とぞ。但し施薬院ハ只(たゞ)やくゐんとハかり讀(よむ)むべし。是習(ならひ)なり。〔68ウ一、68ウ七〕
施藥院(やくゐんの)寮(れう)に有(あら)‖可(べき)∨然(しかる)之(か)仁(しん)|者(ハ)、可(べく)∨被(る)‖挙達(きよだつせら)|候(さふらふ)也(なり)▲施薬院ハいにしへ諸國(しよこく)の薬種(やくしゆ)を収(おさ)めよる所なき病者(ひやうしや)窮民(きうミん)を救(すく)ひ養(やしな)ひ給ハりし所也。人皇(にんわう)四十五代聖武(しやうむ)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)天平(てんびやう)二年始(はじめ)て南都(なんと)に建(たて)給ふ。平安城(へいあんじやう)?都(せんと)の後(のち)も猶(なを)建(たて)てられたり。今東(ひがし)九條村(くでうむら)烏丸(からすまる)の北に施薬院森(やくいのもり)といふあり。即(すなハち)これ其舊地(きうち)也とぞ。但し施薬院ハ只(たゞ)やくゐんとハかり讀(よむ)むべし。是習(ならひ)なり。〔123オ二、123ウ一〜三〕
Qiotat.キョタツ(擧達) Ague tassuru.(挙げ達する)ある事について許容したり,許可を与えたりすること.または,人に何事かを申し上げて提言する意で,尊敬した言い方.文書語.※この説明は,“許”と“挙”との混同に基づくものか.〔邦訳503l〕
可レ然 。〔元亀二年本63九〕
可レ然 。〔静嘉堂本74二〕〔天正十七年本上37オ八〕
施藥院寮有可然之仁者可被擧達候也〔至徳三年本〕
施藥院寮可然之仁候者可被擧達候也〔宝徳三年本〕
施藥院寮有可然者可被挙達也〔建部傳内本〕
施藥院ノ寮(レウ)ニ有‖可∨然仁|者、可∨被(せ)‖挙達(キヨタツ)|也〔山田俊雄藏本〕
施藥院ノ寮(カミ)ニ有ラバ‖可∨然之仁|者可∨被‖挙達(キヨタツ)|也〔経覺筆本〕
施(せ)藥院ノ寮(カミ)ニ有ラ‖可∨然之仁|者可キ∨被(せラル)‖挙達(キヨタツ)|也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「可レ然」と表記し、訓みは文明四年本に「寮」と記載する。
可レ然(ベシ、シカル/カ、―)[上・○] 。〔態藝門952六〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に「可レ然」の語を収載し、訓みは異なるがこれを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
707施藥院寮ニ有‖可∨然仁|者、可∨被‖挙達|也。 自‖聖武天王ノ后光明皇后|起也。施藥之字心ハ習‖醫師ヲ|始ルニ、京七口ニシテ无-縁ノ者ニ施∨藥、然シテ後ニ、名‖上品薬師|也。京ノ悲田院之建立モ天-下ノ非人施行也云々。〔謙堂文庫蔵六〇右G〕
とあって、標記語「可レ然」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
施藥院(せヤクイン)寮(リヤウ)ニ有(アラ)ハ‖可∨然之仁|者可ク∨被(ラル)‖施藥院ノ寮トハ。施(ホト)コス醫(イ)ト云リ。此謂(イ )レハ。天下二人多(ヲヽ)キニ不肖(せウ)ノ者大病ヲ受(ウケ)テ大醫(タイイ)ノ藥ヲ望(ノゾ)メトモ。不レハ∨叶(カナハ)其爲(ソノタメ)上代ヨリ其醫料(イレウ)トシ。別ニ知行ヲ内裏(タイリ)ヨリ被∨下テ。藥伏(ヤクタイ)ナシニ彼(カノ)無力(ムリキ)ノ人ニ藥(クスリ)ヲアタヘラルヽ処ヲ以テ施藥院トハ申ナリ。〔下36ウ六〜八〕
然(しかる)る可(へき)の仁(じん)有(あら)ハ/有ラハ‖可∨然之仁|者 医術にくわしきものをいふ。〔93オ一〕
とあって、この標記語「可レ然」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
施藥院(やくいん)の寮(れう)に然(しかる)る可(べ)き之(の)仁(じん)有(あ)ら者(バ)、挙達(きよだつ)せら被(る)可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)/施藥院ノ寮ニ。有ラ‖可キ∨然ル仁|者。可ク∨被‖挙達セラ|候フ也。〔68ウ一〕
施藥院(やくゐんの)寮(れう)に有(あら)‖可(べき)∨然(しかる)之(か)仁(しん)|者(ハ)、可(べく)∨被(る)‖挙達(きよだつせら)|候(さふらふ)也(なり)。〔123オ二〕
しかる-べく〔副〕【可然】さやうなら。ならう事なら。よろしく。よしなに。適當に。「此の事件は、しかるべく願ひます」〔3-620-1〕
寮(レウ) 。〔元亀二年本151九〕〔静嘉堂本165四〕〔天正十七年本中14ウ二〕
施藥院寮有可然之仁者可被擧達候也〔至徳三年本〕
施藥院寮可然之仁候者可被擧達候也〔宝徳三年本〕
施藥院寮有可然者可被挙達也〔建部傳内本〕
施藥院ノ寮(レウ)ニ有‖可∨然仁|者、可∨被(せ)‖挙達(キヨタツ)|也〔山田俊雄藏本〕
施藥院ノ寮(カミ)ニ有ラバ‖可∨然之仁|者可∨被‖挙達(キヨタツ)|也〔経覺筆本〕
施(せ)藥院ノ寮(カミ)ニ有ラ‖可∨然之仁|者可キ∨被(せラル)‖挙達(キヨタツ)|也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「寮」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「レウ」、経覺筆本・文明四年本に「カミ」と記載する。
寮(レウ) 。〔黒川本・官職門〕
寮 。〔卷第四・官職門521二〕
寮(レウ) 。〔弘・天地門114四〕
このように、上記当代の古辞書においては、印度本系統の弘治二年本『節用集』に「寮」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本は収載しているのである。
707施藥院寮ニ有‖可∨然仁|者、可∨被‖挙達|也。 自‖聖武天王ノ后光明皇后|起也。施藥之字心ハ習‖醫師ヲ|始ルニ、京七口ニシテ无-縁ノ者ニ施∨藥、然シテ後ニ、名‖上品薬師|也。京ノ悲田院之建立モ天-下ノ非人施行也云々。〔謙堂文庫蔵六〇右G〕
とあって、標記語「寮」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。
施藥院(せヤクイン)寮(リヤウ)ニ有(アラ)ハ‖可∨然之仁|者可ク∨被(ラル)‖施藥院ノ寮トハ。施(ホト)コス醫(イ)ト云リ。此謂(イ )レハ。天下二人多(ヲヽ)キニ不肖(せウ)ノ者大病ヲ受(ウケ)テ大醫(タイイ)ノ藥ヲ望(ノゾ)メトモ。不レハ∨叶(カナハ)其爲(ソノタメ)上代ヨリ其醫料(イレウ)トシ。別ニ知行ヲ内裏(タイリ)ヨリ被∨下テ。藥伏(ヤクタイ)ナシニ彼(カノ)無力(ムリキ)ノ人ニ藥(クスリ)ヲアタヘラルヽ処ヲ以テ施藥院トハ申ナリ。〔下36ウ六〜八〕
施藥院(せやくゐん)の寮(りやう)/施藥院ノ寮 此院ハ藤原家(ふじハらけ)の先祖(せんそ)奏問(そうもん)して諸国の薬種(やくしゆ)を集め病者(ひやうしや)を養(やしな)ひよるへき者を此所にて養育(よういく)ありしなり。洛陽九条坊門(ほうもん)の南西洞院(にしのとい)の東にありたり。今の施薬院の枩といふハ此院の舊跡(きうせき)なり。〔92ウ七〜93オ一〕
とあって、この標記語「寮」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
施藥院(やくいん)の寮(れう)に然(しかる)る可(べ)き之(の)仁(じん)有(あ)ら者(バ)、挙達(きよだつ)せら被(る)可(べ)く候(さふら)ふ也(なり)/施藥院ノ寮ニ。有ラ‖可キ∨然ル仁|者。可ク∨被‖挙達セラ|候フ也▲施薬院ハいにしへ諸國(しよこく)の薬種(やくしゆ)を収(おさ)めよる所なき病者(ひやうしや)窮民(きうミん)を救(すく)ひ養(やしな)ひ給ハりし所也。人皇(にんわう)四十五代聖武(しやうむ)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)天平(てんびやう)二年始(はじめ)て南都(なんと)に建(たて)給ふ。平安城(へいあんじやう)?都(せんと)の後(のち)も猶(なを)建(たて)てられたり。今東(ひがし)九條村(くでうむら)烏丸(からすまる)の北に施薬院森(やくいのもり)といふあり。即(すなハち)これ其舊地(きうち)也とぞ。但し施薬院ハ只(たゞ)やくゐんとハかり讀(よむ)むべし。是習(ならひ)なり。〔68ウ一、68ウ七〕
施藥院(やくゐんの)寮(れう)に有(あら)‖可(べき)∨然(しかる)之(か)仁(しん)|者(ハ)、可(べく)∨被(る)‖挙達(きよだつせら)|候(さふらふ)也(なり)▲施薬院ハいにしへ諸國(しよこく)の薬種(やくしゆ)を収(おさ)めよる所なき病者(ひやうしや)窮民(きうミん)を救(すく)ひ養(やしな)ひ給ハりし所也。人皇(にんわう)四十五代聖武(しやうむ)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)天平(てんびやう)二年始(はじめ)て南都(なんと)に建(たて)給ふ。平安城(へいあんじやう)?都(せんと)の後(のち)も猶(なを)建(たて)てられたり。今東(ひがし)九條村(くでうむら)烏丸(からすまる)の北に施薬院森(やくいのもり)といふあり。即(すなハち)これ其舊地(きうち)也とぞ。但し施薬院ハ只(たゞ)やくゐんとハかり讀(よむ)むべし。是習(ならひ)なり。〔123オ二、123ウ一〜三〕
Reo<.レャウ(寮) Feya.(部屋)部屋.※原文はCubiculo.小部屋,または,寝室の意.→Rio<(寮).〔邦訳529r〕
れう-〔名〕【寮】(一)昔、省(シヤウ)の被官のつかさの稱。四等の官は、頭(かみ)、助(すけ)、允(じよう)、屬(さくわん)なり。故實拾要、十三、諸寮「是諸寮とは八省の被官也、寮はつかさと讀て、八省の職の内を分て掌レ之也」「大學寮」玄蕃寮」圖書寮」(二)學校、寺院、などにて、學生の寄宿する所。續傳燈録、一、葉縣省禪師章「師因去二將息寮一看二病僧一」(三)茶寮。すきや。かこひ。和爾雅、二、居處門「茶寮、俗云二数奇屋一」(四)別莊。〔1899-2〕
和氣丹波之典薬曽以難逢候〔至徳三年本〕
和氣丹波之典藥曾以難逢候〔宝徳三年本〕
和氣丹波之典薬曽以難遇候〔建部傳内本〕
和氣(ケ)丹波ノ典薬曽(カツテ)以テ難レ逢イ候〔山田俊雄藏本〕
和氣(ワケ)丹波之(ノ)典薬曽テ以テ難クレ逢(アヒ)候〔経覺筆本〕
和氣(ワケ)丹波(タンハ)之(ノ)典(テン)薬者曽(カツテ)以テ難クレ逢(アヒ)候〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「難逢」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「あひ(かた)く」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、姓氏「難レ逢」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
706典藥曽難∨逢候 典藥言ハ天下十二人ノ惣一也。十二人ハ典藥々典施薬等之衆也。今ハ断絶之亊也。至‖于今ニ|典藥殿中良井殿計也。于今ニ栄‖京都ニ|竹田|上池院ノ兩衆ハ天下十二人ノ外也。彼兩人ハ公方樣之薬師也。竹田ノ家ハ司‖六百八病ヲ|藥ノ銘ハ真ニ書也。同包紙之内ニ煎服ノ樣体又禁好物等ヲ散シ書ニスル也。賞翫也。封ノ字古文ニ書也。封ノ字片計ヲ太如∨此也。即山王ノ二字也。用‖山王ヲ|亊口傳也。彼家ハ牛黄圖秘傳也。上池院ノ家モ司‖六百八病ヲ|。藥ノ銘草ニ書ス。煎服包紙ノ上ニ記ス。即蘓香園秘傳也。典藥醫道ノ極官也。他人不∨任∨之。唐名大醫暑又尚藥局ト云頭也。四節ノ藥草ヲ種。此寮ニ藥ノ薗アリ。山谷ニ曰、四休居士大醫孫君肪モ居‖置此官ニ|也。去レハ三平二滿之説、藥ヲ合ルニ暦ノ上ニ臨ノ滿平ノ日ヲ用也。滿平ノ日ヨリ外ハ休矣。此官ハ和丹兩氏ニ傳テ月次日次之藥ヲ進上スル者也云々。〔謙堂文庫蔵六〇右A〕
とあって、標記語「難レ逢」の語を収載し、詳細な語注記を記載する。
典藥(テンヤク)曽(カツテ)以( テ)難( ク)∨逢(アヒ)候典藥トハ。公方(クバウ)ノ御醫師(クスシ)也。内裏(タイリ)ヘ参ル醫師(クスシ)ヲ典薬ト云也。テンノ字殿此字徃古(ワウコ)ヨリ。書來(カキキタ)レル也。此ノ典ノ字モ不レ苦候也。先(マツ)本ノ如ク書付(カキツケ)申ス也。〔下36ウ四〜六〕
曽(かつ)て以(もつ)て逢(あ)ひ難(かた)く候ふ/曽テ以難レ逢候 至て稀(まれ)なるを云。〔92ウ六・七〕
とあって、この標記語「難レ逢」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
和氣(わけ)丹波(たんば)之典薬(てんやく)ハ曾以(かつてもつて)逢(あ)ひ難(がた)く候(さふら)ふ/和氣丹波之典薬者曽以難クレ逢(アヒ)候▲和氣丹波ハ二家(か)の氏(うぢ)也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なかゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔68ウ一、68ウ五〕
和氣(わけ)丹波(たんば)之(の)典薬(てんやくハ)曾以(かつてもつて)難(がたく)レ逢(あひ)候(さふらふ)▲和氣丹波ハ二家(か)の氏也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なからゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔123オ一、123オ六〕
曽(カツテ) 。〔元亀二年本105二〕〔静嘉堂本131八〕〔天正十七年本上64ウ六〕
和氣丹波之典薬曽以難逢候〔至徳三年本〕
和氣丹波之典藥曾以難逢候〔宝徳三年本〕
和氣丹波之典薬曽以難遇候〔建部傳内本〕
和氣(ケ)丹波ノ典薬曽(カツテ)以テ難レ逢イ候〔山田俊雄藏本〕
和氣(ワケ)丹波之(ノ)典薬曽テ以テ難クレ逢(アヒ)候〔経覺筆本〕
和氣(ワケ)丹波(タンハ)之(ノ)典(テン)薬者曽(カツテ)以テ難クレ逢(アヒ)候〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「曾以」「曽以」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「かつて(もつ)て」と記載する。
曽(カツテ/ソウ・ムカシ)[平]。嘗(同/シヤウ・ムカシ・ナム)[平] 云二一向一義也。〔態藝門311八〕
曽(カツテ) 。〔弘・言語進退門82七〕〔永・言語門85四〕〔尭・言語門77三〕〔兩・言語門93四〕
曾(カツテ) 。嘗(同) 。〔言語門82六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「曾」「曽」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。ただし、副詞「曽以」の語として収載が見られるのは『日葡辞書』だけである。
706典藥曽難∨逢候 典藥言ハ天下十二人ノ惣一也。十二人ハ典藥々典施薬等之衆也。今ハ断絶之亊也。至‖于今ニ|典藥殿中良井殿計也。于今ニ栄‖京都ニ|竹田|上池院ノ兩衆ハ天下十二人ノ外也。彼兩人ハ公方樣之薬師也。竹田ノ家ハ司‖六百八病ヲ|藥ノ銘ハ真ニ書也。同包紙之内ニ煎服ノ樣体又禁好物等ヲ散シ書ニスル也。賞翫也。封ノ字古文ニ書也。封ノ字片計ヲ太如∨此也。即山王ノ二字也。用‖山王ヲ|亊口傳也。彼家ハ牛黄圖秘傳也。上池院ノ家モ司‖六百八病ヲ|。藥ノ銘草ニ書ス。煎服包紙ノ上ニ記ス。即蘓香園秘傳也。典藥醫道ノ極官也。他人不∨任∨之。唐名大醫暑又尚藥局ト云頭也。四節ノ藥草ヲ種。此寮ニ藥ノ薗アリ。山谷ニ曰、四休居士大醫孫君肪モ居‖置此官ニ|也。去レハ三平二滿之説、藥ヲ合ルニ暦ノ上ニ臨ノ滿平ノ日ヲ用也。滿平ノ日ヨリ外ハ休矣。此官ハ和丹兩氏ニ傳テ月次日次之藥ヲ進上スル者也云々。〔謙堂文庫蔵六〇右A〕
※典藥(ヤク)曽テ以テ難ク∨逢イ候 〔天理図書館蔵『庭訓徃來註』〕※「以」を記載する。
とあって、標記語「曽以」の語を収載し、この語の語注記は未記載にする。
典藥(テンヤク)曽(カツテ)以( テ)難( ク)∨逢(アヒ)候典藥トハ。公方(クバウ)ノ御醫師(クスシ)也。内裏(タイリ)ヘ参ル醫師(クスシ)ヲ典薬ト云也。テンノ字殿此字徃古(ワウコ)ヨリ。書來(カキキタ)レル也。此ノ典ノ字モ不レ苦候也。先(マツ)本ノ如ク書付(カキツケ)申ス也。〔下36ウ四〜六〕
曽(かつ)て以(もつ)て逢(あ)ひ難(かた)く候ふ/曽テ以難レ逢候 至て稀(まれ)なるを云。〔92ウ六・七〕
とあって、この標記語「曽以」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
和氣(わけ)丹波(たんば)之典薬(てんやく)ハ曾以(かつてもつて)逢(あ)ひ難(がた)く候(さふら)ふ/和氣丹波之典薬者曽以難クレ逢(アヒ)候▲和氣丹波ハ二家(か)の氏(うぢ)也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なかゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔68ウ一、68ウ五〕
和氣(わけ)丹波(たんば)之(の)典薬(てんやくハ)曾以(かつてもつて)難(がたく)レ逢(あひ)候(さふらふ)▲和氣丹波ハ二家(か)の氏也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なからゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔123オ一、123オ六〕
Catcutemotte.カツテモッテ(曾以) 副詞.同上(どのようにも…しない.決してしない).〔邦訳110l〕
かって-もって〔名〕【曾以】。萬葉集、十56「、曾以に」〔1899-2〕
典薬(ヤク) 大醫/唐名。〔元亀二年本245十〕
典薬(ヤク) 唐名/大醫。〔静嘉堂本284二・三〕
典薬(テンヤク) 唐名/大醫。〔天正十七年本中71オ一〕
和氣丹波之典薬曽以難逢候〔至徳三年本〕
和氣丹波之典藥曾以難逢候〔宝徳三年本〕
和氣丹波之典薬曽以難遇候〔建部傳内本〕
和氣(ケ)丹波ノ典薬曽(カツテ)以テ難レ逢イ候〔山田俊雄藏本〕
和氣(ワケ)丹波之(ノ)典薬曽テ以テ難クレ逢(アヒ)候〔経覺筆本〕
和氣(ワケ)丹波(タンハ)之(ノ)典(テン)薬者曽(カツテ)以テ難クレ逢(アヒ)候〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「典薬」と表記し、訓みは文明四年本に「テン(ヤク)」と記載する。
典藥寮(テンヤクノレウ/ノリ、クスリ、ツカサ)[上・入・○] 唐名大醫署。又云尚藥局。頭一人無權官一人。權官相當従五位下。唐名大醫令尚藥奉御(ホウゴ)キヨ助一人。權助相當従五位下。唐名大醫正(せイ)允大少。唐名大醫丞属大少。唐名大醫史。〔官位門715七〕
典薬(テンヤク) 大裏醫師。〔弘・人倫門196八〕〔永・人倫門162八〕
典薬(テンヤク) 天子医師。〔尭・人倫門152一〕
典薬(テンヤク)寮(レウ) ――頭(カミ)。〔官位門164三〕
このように、上記当代の古辞書においては、姓氏「典薬」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
706典藥曽難∨逢候 典藥言ハ天下十二人ノ惣一也。十二人ハ典藥々典施薬等之衆也。今ハ断絶之亊也。至‖于今ニ|典藥殿中良井殿計也。于今ニ栄‖京都ニ|竹田|上池院ノ兩衆ハ天下十二人ノ外也。彼兩人ハ公方樣之薬師也。竹田ノ家ハ司‖六百八病ヲ|藥ノ銘ハ真ニ書也。同包紙之内ニ煎服ノ樣体又禁好物等ヲ散シ書ニスル也。賞翫也。封ノ字古文ニ書也。封ノ字片計ヲ太如∨此也。即山王ノ二字也。用‖山王ヲ|亊口傳也。彼家ハ牛黄圖秘傳也。上池院ノ家モ司‖六百八病ヲ|。藥ノ銘草ニ書ス。煎服包紙ノ上ニ記ス。即蘓香園秘傳也。典藥醫道ノ極官也。他人不∨任∨之。唐名大醫暑又尚藥局ト云頭也。四節ノ藥草ヲ種。此寮ニ藥ノ薗アリ。山谷ニ曰、四休居士大醫孫君肪モ居‖置此官ニ|也。去レハ三平二滿之説、藥ヲ合ルニ暦ノ上ニ臨ノ滿平ノ日ヲ用也。滿平ノ日ヨリ外ハ休矣。此官ハ和丹兩氏ニ傳テ月次日次之藥ヲ進上スル者也云々。〔謙堂文庫蔵六〇右A〕
とあって、標記語「典薬」の語を収載し、詳細な語注記を記載する。
典藥(テンヤク)曽(カツテ)以( テ)難( ク)∨逢(アヒ)候典藥トハ。公方(クバウ)ノ御醫師(クスシ)也。内裏(タイリ)ヘ参ル醫師(クスシ)ヲ典薬ト云也。テンノ字殿此字徃古(ワウコ)ヨリ。書來(カキキタ)レル也。此ノ典ノ字モ不レ苦候也。先(マツ)本ノ如ク書付(カキツケ)申ス也。〔下36ウ四〜六〕
和氣(わけ)丹波(たんば)之典薬(てんやく)ハ/和氣丹波之典薬者 是ハ上手の医者の事をいえるなり。元和気丹波は医道の両氏(れうし)とて医術にくわしき者なり。和気の正嫡(しやうちやく)ハ今ハ断絶(だんぜつ)したり。典薬ハ上の御医師也。この七字ハ唯名医といふ事也と思ふへし。〔92ウ四〜六〕
とあって、この標記語「典薬」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
和氣(わけ)丹波(たんば)之典薬(てんやく)ハ曾以(かつてもつて)逢(あ)ひ難(がた)く候(さふら)ふ/和氣丹波之典薬者曽以難クレ逢(アヒ)候▲和氣丹波ハ二家(か)の氏(うぢ)也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なかゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔68ウ一、68ウ五〕
和氣(わけ)丹波(たんば)之(の)典薬(てんやくハ)曾以(かつてもつて)難(がたく)レ逢(あひ)候(さふらふ)▲和氣丹波ハ二家(か)の氏也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なからゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔123オ一、123オ六〕
Tenyacu.テンヤク(典薬) 国王の重立った医者.〔邦訳647r〕
てん-やく〔名〕【典藥】(一)古へ、禁中、又は、幕府にて、醫藥の事を掌る職。庭訓徃來、十一月「和氣、丹波之典藥、曾以難レ逢」(二)くすりのすけ。醫藥を供奉する女官の稱。後宮職員令「藥司、尚藥一人(掌レ供二奉醫藥之事一)典藥二人(掌同二尚藥一)」〔3-505-1〕
丹波 。〔元亀二年本63九〕
丹波 。〔静嘉堂本74二〕〔天正十七年本上37オ八〕
和氣丹波之典薬曽以難逢候〔至徳三年本〕
和氣丹波之典藥曾以難逢候〔宝徳三年本〕
和氣丹波之典薬曽以難遇候〔建部傳内本〕
和氣(ケ)丹波ノ典薬曽(カツテ)以テ難レ逢イ候〔山田俊雄藏本〕
和氣(ワケ)丹波之(ノ)典薬曽テ以テ難クレ逢(アヒ)候〔経覺筆本〕
和氣(ワケ)丹波(タンハ)之(ノ)典(テン)薬者曽(カツテ)以テ難クレ逢(アヒ)候〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「丹波」と表記し、訓みは文明四年本に「タンハ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、姓氏「丹波」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
705丹波 彼家ハ即施藥院也。〔謙堂文庫蔵六〇右@〕
※「和家丹波ハ醫者ノ氏也。丹波トハ神代之箕丹―ニ來ル間云尓醫者ノ始也。不審也。又云古醫者ニ昌全ト云者アリ。醫書ヲ和字ニ書ヌイテ嫡子ニ渡スナリ。次男ニ丹表氏ノ漢字ヲ渡ナリ。丹和ト是ヨリ云ナリ」〔天理図書館蔵『庭訓徃來註』頭冠部書込み〕
※「和気丹波ハ醫者ノ氏也。丹波トハ神代之箕丹波ニ來ル間云尓也」〔国会図書館蔵『左貫註』傍部書込み〕
とあって、標記語「丹波」の語を収載し、語注記は「彼の家は、即ち施藥院なり」と記載する。
和氣(ワケ)丹波(タンバ)之(ノ)トハ。クスシノ氏(ウジ)也。〔下36ウ四〕
和氣(わけ)丹波(たんば)之典薬(てんやく)ハ/和氣丹波之典薬者 是ハ上手の医者の事をいえるなり。元和気丹波は医道の両氏(れうし)とて医術にくわしき者なり。和気の正嫡ハ今ハ断絶したり。典薬ハ上の御医師也。この七字ハ唯名医といふ事也と思ふへし。〔92ウ四〜六〕
とあって、この標記語「丹波」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
和氣(わけ)丹波(たんば)之典薬(てんやく)ハ曾以(かつてもつて)逢(あ)ひ難(がた)く候(さふら)ふ/和氣丹波之典薬者曽以難クレ逢(アヒ)候▲和氣丹波ハ二家(か)の氏(うぢ)也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なかゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔68ウ一、68ウ五〕
和氣(わけ)丹波(たんば)之(の)典薬(てんやくハ)曾以(かつてもつて)難(がたく)レ逢(あひ)候(さふらふ)▲和氣丹波ハ二家(か)の氏也。共に官醫(くハんい)の長(ちやう)たり。和氣ハ今の半井家(なからゐけ)。丹波ハ今の典薬頭(てんやくのかミ)錦小路殿(にしきこうぢどの)是也。典薬ノ頭ハ相當(さうたう)従五位ノ下唐名(からな)ハ大醫令(たいいれい)尚薬(しやうやく)奉御(ほうきよ)といふ。〔123オ一、123オ六〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「見來」と表記し、訓みは経覺筆本に「(み)へ(きたり)」、山田俊雄藏本に「(み)へ(きた)り」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「見來」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。また、下記『日葡辞書』には収録している。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「見來」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
藪(やぶ)医師(いし)者(ハ)間(まゝ)見(ミへ)来(きた)りし黙(か)/藪医師者間ゝ見来リシガ黙 下手(へた)医者の多きをいえり。此黙の字も濁りて讀へし。〔92ウ三・四〕
とあって、この標記語「見來」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Guenrai.ゲンライ(見来) Miye qitaru.(見え来たる)よそから到来したそのままで,人に送られる物.書状,および,話し言葉に用いられる.例,Guenraini macaxe xinji soro.(見来に任せ進じ候)到来したそのままで,これをあなたにさし上げます,あるいは、お送りします.¶Guenrai tcucamatcutta fodoni,xinjo< itasu.(見来仕つた程に,進上致す)同上.→Miyeqitari,u.〔邦訳296l〕
Miyeqitari,u,atta.ミヘキタリ,ル,ッタ(見え来たり,る,つた) 現れる,または,よそから到来する.例,Miyeqitarisoro aida xinjisoro.(見え来たり候間進じ候)今よそから私の許に到来しましたから,これをあなたにさし上げます.→Guenrai.〔邦訳413r〕
間(ママ) 。〔元亀二年本211二〕
間(マ) 一―(ヒトマ)。二―(フタマ)。〔静嘉堂本240七〕
間(マヽ) 一―。〔天正十七年本中49ウ一〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・文明四年本は「間」と表記し、建部傳内本・経覺筆本は畳語で「間々」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「まゝ」と記載する。
間 マ〃。〔黒川本・辞字門中93オ四〕
間 。〔卷第六・辞字門588二〕
閨X(マ ) 。〔言辞門142五〕
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に標記語「間」の語で収載し、また、易林本『節用集』には標記語「閨X」の語を以て収載していて、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「間」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
藪(やぶ)医師(いし)者(ハ)間(まゝ)見(ミへ)来(きた)りし黙(か)/藪医師者間ゝ見来リシガ黙 下手(へた)医者の多きをいえり。此黙の字も濁りて讀へし。〔92ウ三・四〕
とあって、この標記語「間」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Mama.ママ(間) 各部屋.例,Mamani fiuo toboite voqe.(間々に火をとぼいておけ)各部屋,あるいは,望みに従って.〔邦訳381l〕
ま-ま〔名〕【顯】あひだごとに。あひだあひだ。あはひあはひ。すきますきま。萬葉集、十56「いはばしの、顯に生ひたる、かほ花の、花にしありけり、ありつつ見れば」〔1899-2〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、宝徳三年本は、「野邊藥師」とし、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「藪藥師」と表記し、訓みは経覺筆本に「やぶくす(し)」、文明四年本に「やふ(くすし)」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「藪藥師」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。ただし、下記に示したように『温故知新書』に標記語は異なるが「やぶくすし」の語を収載することを付加しておく。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「藪藥師」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
藪(やぶ)医師(いし)者(ハ)間(まゝ)見(ミへ)来(きた)りし黙(か)/藪医師者間ゝ見来リシガ黙 下手(へた)医者の多きをいえり。此黙の字も濁りて讀へし。〔92ウ三・四〕
とあって、この標記語「藪藥師」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙▲藪藥師ハ野巫醫(やぶい)也。下手(へた)醫者(しや)をいふ。〔68ウ一、68ウ四・五〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)▲藪藥師ハ野巫醫(やぶい)也。下手(へた)醫者をいふ。〔122ウ六〜123オ一、123オ五・六〕
やぶ-くすし〔名〕【藪藥師】やぶいしゃ〔藪醫者〕に同じ。誤りて、やぶやくし。庭訓徃來、十一月「雖下相二尋醫骨之仁一候上。藪藥師(ヤブクスシ)等者、闌ゥ來歟、和氣丹波之典藥、曾以難レ逢候」〔2047-4〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「仁」と表記し、訓みは文明四年本に「(あ)い(たづ)ね」と記載する。
古辞書では、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本『伊呂波字類抄』には、
仁 シン。如断反。〔黒川本・人事門下71オ一〕
仁 シン。〔卷第九・人事門143四〕
親レ仁(シンヲシタシンズ)[去・○] 学而篇。〔態藝門1004三〕
とあって、標記語「仁」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、
仁ハ 忘レ自ヲ恵レ他救レ危ヲ助レ極ヲ惣テ於レ物ニ先トシテレ志ヲ有二憐心一云レ仁ト。〔尭・数量門(「五常」)147四〕
とあって、尭空本に標記語「仁」の語を収載し、語注記には「自らを忘れ他を恵み危うきを救ひ極を助け惣じて物において志を先として憐心あるを仁と云ふ」と記載する。また、易林本『節用集』に、標記語「仁」の語は未収載にする。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「仁」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「仁」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
医骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候と雖(いへと)も/雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上 医骨とハ医術(ゐじゆつ)の奥儀(おくぎ)に通達したる名医を云。骨ハ肉(にく)の内にありて外に見へさるものゆへ奥儀といふ事にたとへたるなり。〔92ウ一〜三〕
とあって、この標記語「仁」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙〔68オ七〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)〔122ウ四〕
Iin.ジン(人・仁) Fito.(ひと) 人.〔邦訳362l〕
じん〔名〕【仁】五常の一。又、三コの一、人たる者の、天性、固有の善コ、其發動する、親に施せば孝、君に施せば忠、行ふ所として、誠ならざるなきこと。なさけぶかきこと。いつくしみ。うつくしび。論語、學而篇「孝弟也者、其爲レ仁之本與」同、顔淵篇「樊遲問レ仁、子曰、愛レ人」同卷「克レ己復レ禮、爲レ仁」禮記、禮運篇「仁者義之本也、順之禮也、得レ之者尊」同篇、「父慈、子孝、兄良、弟弟、夫義、婦聽、長惠、幼順、君仁、臣忠、十者、謂二之人義一」古今著聞集、八、孝行恩愛「仁、義、禮、智、信の五常を亂らざるを、コとすべし」〔935-3〕
じん〔名〕【人・仁】〔説文、我部段注「仁者人也」論語、雍也篇「曰二井有一レ仁焉」朱注「可三以救二井中之人一」〕人(ひと)。晉書、宋織傳「先生、人中之龍」南史、除勉傳「此所レ謂人中騏驥、必能致二千里一」釋氏要覽「治禪經後序云、天竺大乘沙門、佛佗斯那、天才特拔、諸國特歩、内外綜博、莫二藉不レ一練、世人咸曰二人中獅子一」沙石集、四、下「道人可レ捨二執着一事」本朝文粹、大江匡衡文「臣謬當二其仁(ヒト)一、聊記二盛事一」吾妻鏡、四十、建長二年三月廿六日「是相州仰、云云、依爲(タル)二尊キ仁一也」「彼ノ仁」〔935-4〕
醫骨(イコツ) 。〔元亀二年本10八〕
醫骨(コツ) 。〔静嘉堂本2一〕〔天正十七年本上3オ八〕〔西來寺本〕
此間持病再發又心氣腹病虚身等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間見来黙〔至徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以爲療治灸治雖相尋醫骨之仁候野邊藥師等者間見來歟〔宝徳三年本〕
此間持病再發又心氣腹病虚労等更發旁以為療治灸治雖相尋醫骨之仁候藪藥師等者間々見來黙〔建部傳内本〕
此間持病再發又心氣腹病虚勞等更發旁以為ニ‖療治灸治ノ|雖下相‖尋醫骨之(ノ)仁ヲ|候上藪藥師(クスシ)等者(ハ)間(マヽ)見ヘ来リ候黙〔山田俊雄藏本〕
此間ハ持病再發(サイホツ)又心氣腹痛虚労(キヨラウ)等更發(カウホツ)旁以テ爲‖療治灸治(キウ )ノ|雖下相‖尋醫骨(イコツ)之(ノ)仁ヲ|候ト上藪(ヤブ)藥師(クス )等者(ハ)間々(マヽ)見ヘ来歟〔経覺筆本〕
此間ハ持病。再發。亦(又)心氣腹病等更發(カウホツ)ノ旁(カタ/\)以テ為ニ‖療治(レウチ)灸治(キウチ)ノ|雖モ相イ‖尋ネ醫骨ノ仁ヲ|候。藪(ヤフ)藥師等者(ハ)間(マヽ)見来黙〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「醫骨」と表記し、訓みは経覺筆本に「ヰコツ」と記載する。
醫骨(イコツ/クスシ、ホネ)[平・入] 。〔態藝門20一〕
醫骨( コツ) 。〔弘・言語進退門12二〕〔永・言語門7四〕
醫方(イホウ) ―書。―道。―療。―術/―骨。―家(ケ)。〔兩・言語門7六〕
醫骨( コツ) ―書。〔言語門7四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「醫骨」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
703此間持病再發、又心氣・腹病・虚労等更發(カウハツ)之間、旁(カタ/\)以爲‖療治灸治ノ|、雖下相‖尋醫骨之仁ヲ|候ト上、藪(ヤフ)藥師等者、間(マヽ)見来歟 藪言ハ醫方ニ有‖五經|。難經・素問經・靈樞經・金亀經・甲乙經也。不∨知‖彼五經ヲ|、名‖藪藥師|者也云々。〔謙堂文庫蔵五九左F〕
とあって、標記語「醫骨」の語を収載し、語注記は未記載にする。
虚勞(キヨラフ)等(トウ)更(カハル/\)發(ヲコリ)旁(カタ/\)以テ爲ニ‖療治(レウヂ)灸治(キウヂ)ノ|、雖トモ下相(アヒ)‖尋(タツネ)醫骨(イコツ)之仁(ジン)ヲ|候ト上、藪(ヤブ)藥師(クスシ)等(トウ)者(ハ)、間(マヽ)見(ミハ)来(キタリ)候歟トハ。イツモノ病也。〔下36ウ一〕
医骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候と雖(いへと)も/雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上 医骨とハ医術(ゐじゆつ)の奥儀(おくぎ)に通達したる名医を云。骨ハ肉(にく)の内にありて外に見へさるものゆへ奥儀といふ事にたとへたるなり。〔92ウ一〜三〕
とあって、この標記語「醫骨」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
此(この)(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚勞(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこ)り旁(かた/゛\)以(もつ)て療治(りやうぢ)灸治(きうぢ)の為(ため)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を相尋(あひたづ)ね候(さふらふ)と雖(いへとも)藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きた)る黙(か)/此間持病再發シ。又心氣。腹病。虚労等更發リ。旁以爲‖療治。灸治ノ|。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ|候フト上。藪藥師等者間見来ル黙▲醫骨之仁ハ醫術(いじゆつ)の骨柄(こつがら)ある人天性(てんせい)の妙手(めうしゆ)をいふ。〔68オ七・〕
此(この)間(あひだ)持病(ぢびやう)再發(さいほつ)し又(また)心氣(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよらう)等(とう)更(かハる/\)發(おこり)旁(かた/゛\)以(もつ)て為(ため)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)の雖(いへども)相尋(あひたづね)醫骨(いこつ)之(の)仁(じん)を|候(さふらふ)と上、藪(やぶ)藥師(くすし)等(とう)者(ハ)間(まゝ)見(ミ)来(きたる)黙(か)▲醫骨之仁ハ醫術(いじゆつ)の骨柄(こつがら)ある人天性(てんせい)の妙手(めうしゆ)をいふ。〔122ウ四・〕
Icot.イコツ(醫骨) 医師のもっている治療上の経験.〔邦訳329r〕
い-こつ〔名〕【醫骨】〔骨法の條を見よ〕醫術の骨法。醫道の心道。沙石集、二、上、第一條「或る在家人、山寺の僧を信じ、云云、藥までも問ひけり、此僧、醫骨もなかりければ、萬の病に、藤の疣を煎じて召せとぞ教へける」庭訓往來、十一月十二日「爲二療治。灸治ノ一。雖下相尋ネ醫骨之仁ヲ一候フト上。藪藥師等者間見来ル黙。和氣丹波之典藥、曾以難レ逢候」」〔146-2〕
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